カテゴリ: 国際私法

前編(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078645164.html)からの続き


6 開催都市契約66条:「不平等条約」

ところで,開催都市契約について,IOCのみがオリンピック開催中止を決定できるとする,当該契約の解除に係る第66条が「不平等条約だ」といわれています。これは,新型コロナウイルス感染症との関係では,そのa)項のi)後段が問題になるのでしょうか。また,オリンピック参加者の安全ばかりが心配されて,現地住民の安全が心配されていないことが,命をいとおしむ日本人としては不満なのでしょうか。

 

aIOCは,以下のいずれかに該当する場合,本契約を解除して,開催都市における本大会を中止する権利を有する。

i) 開催国が開会式前または本大会期間中であるかにかかわらず,いつでも,戦争状態,内乱,ボイコット,国際社会によって定められた禁輸措置の対象,または交戦の一種として公式に認められる状況にある場合,またはIOCがその単独の裁量で,本大会参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合。

ii)(本契約の第5条に記載の)政府の誓約事項が尊重されない場合。

iii) 本大会が2020(当初の規定)年中に開催されない場合。〔付属合意書4(2020107日)で変更〕

iv) 本契約,オリンピック憲章,または適用法に定められた重大な義務に開催都市,NOCJOC〕またはOCOG〔東京オリンピック組織委員会〕が違反した場合。

v) 本契約第72条の重大な違反があり,是正されない場合。

  (東京都オリンピック・パラリンピック準備局ウェブページ)

 

 一応もっともな解除事由が並べられているので,これらの事由に基づいて開催都市契約が解除されてもIOCが損害賠償責任を負わないということは全く道理に反する,ということにはなりにくいようです。

 

7 開催都市契約の典型契約への当てはめ:請負説及び組合説

しかし,そもそも,開催都市契約はどういった種類の契約なのでしょうか。東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会を請負人とし,IOCを注文者とする請負(民法632条参照)なのか,それともIOC,東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会を組合員とする組合(民法667条参照)なのか。

 

(1)請負説

請負であれば,我が国では「請負人が仕事を完成させない間は,注文者は,いつでも損害を賠償して契約の解除をすることができる」わけで(民法641条),スイス債務法377条も「Tant que l’ouvrage n’est pas terminé, le maître peut toujours se départir du contrat, en payant le travail fait et en indemnisant complètement l’entrepreneur.」(「仕事が完成しない間は,注文者は,なされた仕事の報酬を支払い,かつ,請負人に対して完全に補償をして,いつでも契約を解除することができる。」)と規定しています。他方,請負においては,注文者に債務不履行がないのに,請負人が一方的に契約を解除するわけにはいかないでしょう。なお,スイス債務法377条における補償の対象は,「得べかりし利益」と解釈されているそうであり,同条と我が民法641条とは「同一に帰するであろう」とされています(我妻榮『債権各論 中巻二(民法講義Ⅴ₃)』(岩波書店・1962年)651頁)。

ところで,開催都市契約66a)項の規定は,スイス債務法377条と差し替えられるものでしょうか,それとも,同条の適用を前提としつつ,請負契約を解除する注文者が「なされた仕事の報酬を支払い,かつ,請負人に対して完全に補償」する必要のない場合を特に規定したものでしょうか。金を払ってやるからお前らオリンピックはやめろ,といきなり言われても開催都市側としては納得できないでしょうから,差替え説を採るべきか。

ちなみに,「請負人からの解除」については,「なお,明文の規定はないが,両当事者の高度の信頼関係を基礎とする場合には,解除に関する委任の規定(民法651条)を類推適用するのが妥当であろう」とも説かれています(星野英一『民法概論Ⅳ(契約)』(良書普及会・1994年)278頁)。我が民法6511項は「委任は,各当事者がいつでもその解除をすることができる。」と規定しています。スイス債務法404条も同旨を規定しています(「Le mandat peut être révoqué ou répudié en tout temps. / Celle des parties qui révoque ou répudie le contrat en temps inopportun doit toutefois indemniser l’autre du dommage qu’elle lui cause.」(委任は,いつでも撤回又は破棄することができる。/しかし,不利な時期に契約を撤回又は破棄した当事者は,相手方に被らせた損害を補償しなければならない。))。とはいえ,やはり開催都市契約には第66条のみが存在しているという事実が重い。「高度の信頼関係を基礎とする」請負であっても,東京都,JOC又は東京オリンピック組織委員会はいつでも開催都市契約を解除できて,しかもIOCに不利な時期でなければIOCに対する損害の補償も不要である,というわけにはいかないのでしょうから,スイス債務法404条の(類推)適用が前提であれば,日本側の解除権を制限する条項が必要であったはずです。当該制限条項がない,ということは,スイス債務法404条の(類推)適用ははなからあり得ないものとされていたのでしょう。IOCとの関係において「高度の信頼関係」までを求めるのは,欲張りすぎであるということでしょうか。

 

(2)組合説

組合ならば,我が国においては,「やむを得ない事由があるときは,各組合員は,組合の解散を請求することができる」ことになっています(民法683条)。「組合の目的である事業の〔略〕成功の不能」の場合には組合は当然解散しますが(民法6821号),1904年のセント・ルイス大会における堂々たるグダグダの前例に鑑みれば,オリンピックの「成功の不能」なるもののハードルは極めて高いものと解すべきでしょう(「コロナ禍で,競技によっては予選に出られなかった選手がいる。ワクチン普及が進む国とそうでない国とで厳然たる格差が生じ,それは練習やプレーにも当然影響する。選手村での行動は管理され,事前合宿地などに手を挙げた自治体が期待した,各国選手と住民との交流も難しい。憲章が空文化しているのは明らかではないか。」と主張する前記朝日新聞社社説は,要求水準が高過ぎるようです。)。富井政章及び本野一郎による我が民法683条のフランス語訳は「Tout associé peut demander la dissolution de la société, lorsqu’il y est constraint par la nécessité.」です。必要(nécessité)があれば解散可というのも漠としていますが,ここでの「やむを得ない事由」の例としては,「組合員中不正ノ行為アル者多クシテ〔略〕容易ニ公平ナル計算ヲ得ルノ望ミナキ場合」,「仮令組合員ニ不正ノ行為ナキモ組合ノ帳簿整頓セサルカ為メ全ク之ヲ解散シテ清算ヲ為スニ非サレハ組合ノ財産上ノ状況ヲ明カニスルコト能ハザルコト」(以上梅822頁)及び「経済界の事情の変更,組合の財産状態,組合員間の不和などによつて,組合の目的を達することが――成功の不能とまではいえなくとも――著しく困難となることなど」(我妻Ⅴ₃844頁)が,6781項の「やむを得ない事由」の例としては「脱退員ト他ノ組合員ト意見相衝突シ脱退員ハ某ノ行為ヲ為スヲ以テ組合ノ為メ極メテ危険ナリトシ他ノ組合員ハ之ヲ断行セント欲スル場合ニ於テハ脱退員ハ速ニ脱退ヲ為スニ非サレハ其行為動モスレハ累ヲ自己ノ財産ニ及ホスノ虞」ある場合(梅810頁)が挙げられています。

スイス債務法545条は次のとおり。

 

La société prend fin:

1. par le fait que le but social est atteint ou que la réalisation en est devenue impossible;

2. par la mort de l’un des associés, à moins qu’il n’ait été convenu antérieurement que la société continuerait avec ses héritiers;

3. par le fait que la part de liquidation d’un associé est l’objet d’une exécution forcée, ou que l’un des associés tombe en faillite ou est placé sous curatelle de portée générale;

4. par la volonté unanime des associés;

5. par l’expiration du temps pour lequel la société a été constituée;

6. par la dénonciation du contrat par l’un des associés, si ce droit de dénonciation a été réservé dans les statuts, ou si la société a été formée soit pour une durée indéterminée, soit pour toute la vie de l’un des associés;

7. par un jugement, dans les cas de dissolution pour cause de justes motifs.

La dissolution peut être demandée, pour de justes motifs, avant le terme fixé par le contrat ou, si la société a été formée pour une durée indéterminée, sans avertissement préalable.

  (組合は,次に掲げる事由によって解散する。

  (一 組合の目的が達成されたこと又はその実現が不可能になったこと。

  (二 事前にその相続人と共に組合が継続するものと合意されていなかった場合における一組合員の死亡

  (三 一組合員の清算持分が強制執行の目的であること又は一組合員が破産したこと若しくは被後見人となったこと。

  (四 総組合員の同意

  (五 組合の存続期間の満了

  (六 告知権が組合規約において留保された場合又は組合の存続期間が定められていない場合若しくはある組合員の終身間存続すべきことが定められた場合における一組合員による契約の告知

  (七 正当な理由を原因とする解散の場合における裁判

(正当な理由に基づく解散の請求は,契約の存続期間の満了前(vor Ablauf der Vertragsdauer)に,又は組合の存続期間が定められていない場合においては事前の予告なしにすることができる。)

 

 正当な理由(justes motifs)とは何ぞやが問題ですが,フランス民法1844条の75号を参照すると,そこでは,一組合員の債務不履行の場合と組合の機能を麻痺させる組合員間の不和(mésentente entre associés paralysant le fonctionnement de la société)の場合とが,正当な理由(justes motifs)の例として条文上示されています。

 開催都市契約66a)項は,スイス債務法54516号の「組合規約において留保」の留保をするものと解し得るでしょう。また,スイス債務法54517号の適用までをも開催都市契約66a)項は排除するものではないでしょう。なお,開催都市契約87条がありますから,スイス債務法54517号の「裁判」(jugement)は,「仲裁判断」と読み替えられるべきものでしょう。

 しかし,IOCと東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会とは仲良し(ils sont en entente)なのでしょうから,仲裁判断においても正当な理由(justes motifs)は認められず,スイス債務法54517号の出番はない,ということになりそうです。


8 開催都市契約51条:「違約金」条項

 なお,開催都市契約には「違約金」条項は存在しないと巷間言われているようですが,どうしたものでしょうか。開催都市契約51条は日本側を債務者とする「約定損害賠償金」(正文たる英文では“liquidated damages”)について規定しています。視力の悪い筆者の見間違いでしょうか。大所高所から東京オリンピック中止問題を語る有識者の方々の力強い声の中で,このようなつまらない発見を小声で語ることは心細い限りです。

「違約金」に関しては,我が民法420条には「当事者は,債務の不履行について損害賠償の額を予定することができる。/賠償額の予定は,履行の請求又は解除権の行使を妨げない。/違約金は,賠償額の予定と推定する。」とあるところです。富井=本野のフランス語訳では,「賠償額の予定」は“fixation de dommages-intérêts faite par avance”,「違約金(条項)」は “clause pénale”です。

なお,英米法においては,「債務不履行に際して債務者が支払うべき額をあらかじめ約定した場合に,それが「違約金(penalty)」であると判断されるとその効力が否定され,債権者は損害を証明して賠償を請求しなければならない。また,それが「損害賠償額の予定(liquidated damages)」であると判断されれば有効であり,実際に生じた損害額のいかんにかかわらず予定額を請求しうる。」とされているそうです(奥田昌道編『新版注釈民法(10)Ⅱ債権(1)債権の目的・効力(2)』(有斐閣・2011年)571頁(能見善久=大澤彩))。開催都市契約51条の「約定損害賠償金」は,“liquidated damages”という英文名称からすると,賠償額の予定(fixation de dommages-intérêts faite par avance)でなければならないもののようです。しかしながら,当該契約がそれに基づくスイス債務法では,“peine”(刑の意味があります。刑法は“Code pénal”です。)の語が用いられていてややこやしい。しかし“peine”ないしは“pénal”の語は刑に引き付けて狭く解する必要はないようで,我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)388条は「当事者ハ予メ過怠約款ヲ設ケ不履行又ハ遅延ノミニ付テノ損害賠償ヲ定ムルコトヲ得」と規定し,「過怠約款」をもって賠償額の予定としていますが,そのフランス語文は“Les parties peuvent faire, à l’avance, au moyen d’une clause pénale, le règlement des dommages-intérêts, soit pour l’inexécution, soit pour le simple retard.” でした(イタリック体による強調は筆者によるもの)。すなわち,「過怠約款」=“clause pénale”です(我が民法4203項の原則とするところ)。

 スイス債務法1601項は「Lorsqu’une peine a été stipulée en vue de l’inexécution ou de l’exécution imparfaite du contrat, le créancier ne peut, sauf convention contraire, demander que l’exécution ou la peine convenue.」(契約の不履行又は不完全履行について違約金の定めがある場合においては,反対の取決め(convention contraire)がない限り,債権者は,履行又は取り決められた違約金以外の請求をすることができない。)と規定しています。我が民法4202項に対応します。開催都市契約51条に「反対の取決め」があるかといえば,同条においてIOCは,その権利についていろいろ留保をしています。

スイス債務法1611項は「La peine est encourue même si le créancier n’a éprouvé aucun dommage.」(債権者が損害を立証しない場合であっても,違約金は課せられる。)と規定して,違約金額までの金銭については損害の立証がなくとも支払を受けることができるようにし,同条2項は「Le créancier dont le dommage dépasse le montant de la peine, ne peut réclamer une indemnité supérieure qu’en établissant une faute à la charge du débiteur.」(違約金額を超える損害を被った債権者は,債務者に帰せられる過失(faute)を立証しなければ,超過分の補償を請求することができない。)と規定しています。同項においては,同法971項と比較すると,過失の有無に係る立証責任の所在が転換されています。

スイス債務法163条は,次のとおり。

 

   Les parties fixent librement le montant de la peine.

La peine stipulée ne peut être exigée lorsqu’elle a pour but de sanctionner une obligation illicite ou immorale, ni, sauf convention contraire, lorsque l’exécution de l’obligation est devenue impossible par l’effet d’une circonstance dont le débiteur n’est pas responsable.

Le juge doit réduire les peines qu’il estime excessives.

  (当事者は,違約金額を自由に定める。

  (約定違約金は,違法若しくは不道徳な債務を実効化する(bekräftigen)目的である場合又は,反対の取決めがない限り,債務者の責任に属さない事情によって債務の履行が不可能になった場合には,請求することができない。

  (裁判官は,過大と認める違約金を減額することができる。)

 

スイス債務法1632項後段の「反対の取決め」が開催都市契約51条にあるかといえば,一見したところ,無いようです。同条a)項における“due to any cause directly or indirectly attributable to the City, the NOC or the OCOG”の場合に「約定損害賠償金」が問題となるという表現からしても,そういうことでよいのでしょう。

なお,スイス債務法1612項及び1633項に関して一言すると,我が民法4201項には,従来後段があって「この場合において,裁判所はその額を増減することができない。」とされていましたが,当該規定は平成29年法律第44号によって削られているところです。「裁判実務においては現に公序良俗違反(旧法第90条)等を理由に予定されていた損害賠償額を増減する判断をしていたことを踏まえ,削除している。」と説明されています(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)70頁)。我が賠償額の予約に関する規整は,スイス債務法の違約金(peine)に関するそれに近付いたものになっている,ということでよろしいのでしょうか。

 

9 日本国政府による中止

 日本国は開催都市契約の当事者ではありません。

 したがって,日本国政府がその公権力を行使して東京オリンピック開催を中止に追い込んだ場合には,それは,開催都市契約を発生原因とする日本国の債務(当該債務はありません。)の不履行の問題ではなく,第三者による債権侵害の不法行為の問題となるはずです。

 日本国は開催都市契約の当事者ではないので,当該契約に含まれる仲裁合意の当事者でもありません。IOCは,日本国を仲裁被申立人として仲裁手続を利用することはできません。

 IOCが日本国を相手取って裁判所に訴えを提起する場合,国際法上,ある国の裁判権は外国国家には及びませんから,日本の裁判所(恐らく東京地方裁判所(訴訟の目的の価額が140万円以下ということはないでしょう(裁判所法(昭和22年法律第59号)3311号参照)。))に訴状を提出することになります。

 適用される法律は,不法行為の加害行為の結果が発生した地の法ということになります(法の適用に関する通則法(平成18年法律第78号)17条)。日本法の適用が素直でしょう。東京オリンピックの開催が中止されたことによってスイスにあるIOCが貧乏になったといっても,それは派生的・二次的な損害であって,スイスが結果発生地となるものではないでしょう(澤木=道垣内218頁参照)。そうなると国家賠償法(昭和22年法律第125号)11項(「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体が,これを賠償する責に任ずる。」)の問題となります。違法性の有無が争点になりそうです。

 ただし,IOCの名誉又は信用の毀損が問題とされたときは,準拠法はなおスイス法です(法の適用に関する通則法19条)。とはいえ,不法行為については,成立も効力も結局日本法の枠内です(法の適用に関する通則法22条)。

 なお,民法720条(国家賠償法4条)の考え方に拠ることとして,IOCに対する加害行為だと言われるけれども新型コロナウイルス感染者による当該ウイルス拡散という不法行為から国民の生命又は身体という彼らの権利を防衛するため「やむを得ず」したものだからよいのだ,と主張する場合においては,「①「他人ノ不法行為」に対して当方も問題の加害行為をする以外に適切な方法がなく,②防衛すべき法益と,相手方(当初の不法行為者又は第三者)に与える損害(相手方の被侵害利益)との間に,社会観念上ほぼ合理的な均衡が保たれていることを要する。たとえば,些少な財産権を防衛するために相手を殺傷するがごときは,正当防衛となり難い場合が多いであろう。」(幾代通著=徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)102頁)との「やむを得ず」に係る要件が満たされているかどうかが問題になるでしょう。


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On aime les jeux Olympiques. (東京都新宿区・日本オリンピックミュージアム前庭)


追記:開催都市契約=請負説

 筆者は,前記において,開催都市契約に係る請負説と組合説とを併記しました。しかし,あえていえば,請負説を採るべきなのでしょう。開催都市契約は,IOCを一方当事者,東京都及びJOC(東京オリンピック組織委員会は後に設立されて参加)を相手方当事者として締結されており,かつ,その第1条においてIOCが日本側に業務(大会のplanning, organizing, financing and staging(計画,組織,資金調達及び運営))をentrust(東京都オリンピック・パラリンピック準備局ウェブページでは「委任」)する旨規定しています。開催都市契約44条は大会開催の結果生じた剰余金が東京オリンピック組織委員会,JOC及びIOCの間で配分されるものとしていますが(その後IOCは付属合意書№48項で東京オリンピック組織委員会のために剰余金の取り分を放棄),請負の「報酬の種類に制限はない。金銭には限らない。仕事の完成によつて得られるものの一部を与える契約も少くない(国有林払下げの請負で払い下げを受けた山林の何割かを与える契約はその例)。」とされているところです(我妻Ⅴ₃・602頁)。

 なお,請負を,スイス債務法363条は“Le contrat d’entreprise est un contrat par lequel une des parties (l’entrepreneur) s’oblige à exécuter un ouvrage, moyennant un prix que l’autre partie (le maître) s’engage à lui payer.”(請負契約は,当事者の一方(請負人)が,相手方(注文者)が支払を約する報酬を対価として,ある仕事を果すことを約する契約である。)と定義しています。また,他の類型に属しないデフォルトの組合(“société”ですので,訳語を「会社」とすることもできます。)を,スイス債務法5301項は“La société est un contrat par lequel deux ou plusieurs personnes conviennent d’unir leurs efforts ou leurs ressources en vue d’atteindre un but commun.”(組合は,2以上の者が,共通の目的を達成するために,労務又は資源を共同にすることを合意する契約である。)と定義しています。


追記2:放送に関する払戻し契約

 開催都市契約の付属合意書の第3.3項においてはIOCと東京オリンピック組織委員会との間で2018224日に締結された「放送に関する払戻し契約(Broadcast Refund Agreement)」の存在が言及されるとともに,当該契約が1年延期後のオリンピック東京大会にも適用される旨が規定されています。これが,オリンピック開催中止に伴う放送事業者からの放送権料引上げによって必要となる清算に関するIOCとの合意なのでしょう。

 

   オリンピック開催中止の場合に放送事業者がIOCに対して既払いの放送権料の返還を求め,未払の放送権料の支払を行わないことについては,スイス債務法1192項に“Dans les contrats bilatéraux, le débiteur ainsi libéré est tenu de restituer, selon les règles de l’enrichissement illégitime, ce qu’il a déjà reçu et il ne peut plus réclamer ce qui lui restait dû.”(双務契約の場合においては,前項の規定により債務を免れた債務者〔帰責事由なくその債務の履行が不能となった債務者〕は,既に給付を受けたものを不当利得の規定に従って返還する義務を負い,かつ,未履行の反対給付を請求することはできない。)との規定があります。我が民法5361項は「当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債権者は,反対給付の履行を拒むことができる。」とのみ規定していますが,同項に関しては「債権者は履行拒絶権がある反対給付債務の履行を常に拒絶することができるのであり,このような履行拒絶権の内容からすると,この場合の反対給付債務については,そもそも給付保持を認める必要すらないことから,債務としては存在しないのと同様に評価することができる。そのため,新法においても,旧法と同様に,債権者は,既に反対給付債務を履行していたときには,不当利得として,給付したものの返還を請求することができると解される。」と,敷衍した解釈が表明されています(筒井=村松228頁(注3))。スイス債務法1192項においては,条文中に,不当利得の規定に従って返還すべき義務ありと明示されているところです。

 

20171226日の東京都議会オリンピック・パラリンピック及びラグビーワールドカップ推進対策特別委員会に東京都庁から提出された「IOC拠出金の払戻しに関する契約について」資料がインターネット上にあります。それによると,東京オリンピック組織委員会は,IOCが集めた放送権料中から850億円を拠出してもらう予定で,オリンピック開催中止となると,当該拠出金につき,拠出元たるIOCに返還をせねばならないことになっています。ただし,保険が付される予定でもあったようです。

 しかし,偶発的事由(Contingency Events)による開催中止の場合についての取決めであって,日本側の責めに帰すべき事由による中止の場合には,これだけ返せば後は知らない,というわけにはいかないように思われます。

 

Addendum III: Scenes of the Namamugi Incident

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The Deathplace of Richardson(力査遜)

[On the 14th September 1862…] Namamugi, where poor Richardson’s corpse was found under the shade of a tree by the roadside. His throat had been cut as he was lying there wounded and helpless. The body was covered with sword cuts, any one of which was sufficient to cause death. (Ernest Satow, A Diplomat in Japan. London, 1921)


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The Spot, where the incident happened.

[Richardson], in company with a Mrs Borradaile of Hongkong, and Woodthorpe C. Clarke and Wm. Marshall both of Yokohama, were riding along the high road between Kanagawa and Kawasaki, when they met with a train of daimiô’s retainers, who bid them stand aside. They passed on at the edge of the road, until they came in sight of a palanquin, occupied by Shimadzu Saburô, father of the Prince of Satsuma. They were now ordered to turn back, and as they were wheeling their horses in obedience, were suddenly set upon by several armed men belonging to the train, who hacked at them with their sharp-edged heavy swords. (Satow)

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“Restaurant for Satsuma Boys” (Namamugi, Yokohama)

With unfailingly sanguine appetite, Satsuma samurai are fearsomely formidable even after 160 years.

 

[On 15th August 1863…] About three quarters of an hour after the engagement commenced we saw the [British] flagship hauling off, and next the “Pearl” (which had rather lagged behind) swerved out of the line. The cause of this was the death of Captain Josling and Commander Wilmot of “Euryalus” from a roundshot fired from fort No.7 [of Kagoshima, Satsuma]. Unwittingly she had been steered between the fort and a target at which the Japanese gunners were in the habit of practising, and they had her range to a nicety. A 10-inch shell exploded on her main-deck about the same time, killing seven men and wounding an officer, and altogether the gallant ship had got into a hot corner; under the fire of 37 guns at once from 10-inch down to 18 pounders. (Satow)

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1 神州の清潔に対する脅威

 牧歌的運動会のグダグダもまた楽し(「A Spirit of St. Louishttp://donttreadonme.blog.jp/archives/1078569029.html)などと思ってしまう筆者は,やはり不謹慎・不真面目な人間なのでしょうか。安政五年,その年六月からのコレラ大流行を予見し給うてのことか(しかし,当該流行による江戸での死者は結局3万余人にすぎなかったそうですから(『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年)12頁),今般の新型コロナウイルス感染症が撒き散らしつつある空前絶後の兇悪に比べれば,大したことはありませんよね。),日米修好通商条約締結につきついに勅許を下し給うことのなかった孝明天皇の(かしこ)き御潔癖の如く(しかし,叡意を(なみ)する井伊直弼政権によって,1858729日,同条約及び貿易章程が調印されてしまっています。),多数の外国人らの渡来から我が神州の清潔を守るべく,日本のジャーナリズムの良心たる朝日新聞社の2021526日付け社説を始めとして,今年(2021年)夏の東京オリンピック開催を決然中止すべしとの声が現在澎湃として全国から沸き起こっています。(上記朝日新聞社社説によれば,「無観客にしたとしても,ボランティアを含めると十数万規模の人間が集まり,活動し,終わればそれぞれの国や地元に戻る。世界からウイルスが入りこみ,また各地に散っていく可能性は拭えない。/IOCや組織委員会は「検査と隔離」で対応するといい,この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。しかし五輪は規模がまるで違う。/選手や競技役員らの行動は,おおむねコントロールできるかもしれない。だが,それ以外の人たちについては自制に頼らざるを得ない部分が多い。」したがって「「賭け」は許されない」ということです。しかし,日本人特有の生真面目さをもってするマスク着用と手の消毒と外飲み禁止とによって新型コロナウイルスに対する我々の守りは既に鉄壁であったはずなのに,なぜ,数は多いといっても選手村等に隔離されて現地一般住民たる我々とはさほど接触は無いであろう外国人らの渡来を今更恐れなければならないのでしょうか。当局者が頑張れば,彼らを「おおむねコントロール」できるのでしょう。マスク着用も手の消毒も外飲み禁止も,実は単なる気休めで,何の効果もなかったのだよ,ということでしょうか。そういうことではないでしょうし,我が従順な日本の民草の「自制」には,安心して頼ることができるはずです(「自制」の軛を打ち破る叛逆の野性が超高齢化段階に達した我が民族にもまだあることが発見されれば,それはそれで結構なことです。それとも実は,現在の日本は,良識ある朝日新聞関係者を除く全国民(特に若者)が暴徒と化しており,全く「自制」せずにヒャッハーと新型コロナウイルスを放出撒布しつつある無法の巷状態にある,というのが正しい認識なのでしょうか。)。それに,大学での対面授業を禁じつつ学徒を大量動員し,ボランティアとしてオリンピックに献身奉仕させるということももう流行らないでしょう。であれば,選手村で兇悪な新型コロナウイルスに感染した選手らが帰国する先の諸外国にかかる迷惑が心配なのでしょうか。しかし,その心配は当該外国がすればよいことであって,心配ならば自国民のオリンピック参加をあらかじめ禁じ,又は対応可能な規模に参加者数を制限した上で帰国時に厳格な隔離・検査を行なえばよいだけのことのように思われます。とはいえ,そういう自存自衛のための配慮のできる国ないしは人は少ないのでしょう。やはり我々日本国民は,八紘一宇の精神をもって世界人類の幸福を考えなければなりません。)

 これに対して,しかし日本側が勝手にオリンピック開催を中止したら国際オリンピック委員会(IOC)に対して巨額の損害賠償金を支払わなければならないんじゃない,と懸念する声もあります。生麦事件等で多額の賠償金を支払わされたりなどした我が近代史上の対西洋列強トラウマは,なお根深いものがあるのでしょうか。懸念の声が上がるのはもっともです。しかし,懸念する良識の誇示ばかりで,具体的な事実関係は今一つはっきりしません。

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生麦事件碑(神奈川県横浜市鶴見区)

 

2 スイス民法・債務法

 この点,筆者は,良識的苦悩の思弁以前に具体的取材活動を元気に敢行する東京スポーツを極めて高く評価するところです。東スポWeb2021519日に掲載された「「東京五輪中止なら多額の賠償金」は本当? 判断基準スイス法の専門家は意外な見解」記事に,次のようにあったところです。

 

実は,開催都市契約の87条には「本契約はスイス法に準拠する」と明記されており,IOCのお膝元でもあるスイスの法律に答えが隠されているのだ。そこでスイス法に詳しい奧野総合法律事務所・外国法共同事業スイス連邦法弁護士のミハエル・ムロチェク氏を直撃した。

まず,同氏はスイス(ママ)法第971項「義務を全く履行しなかった債務者は,自分に過失がないことを証明できない限り,損害を賠償しなければならない」を示した。原則としては支払い義務を負うようだ。その一方で同氏は第1191項「債務者に帰責事由(落ち度)がない状況により履行が不可能になった場合,履行義務が消滅したとみなされる」を掲げる。つまり不可抗力の場合は支払いが免除されるのだ。

 

 つまり,専ら日本側によって東京オリンピック開催の中止がされた場合におけるIOC損害賠償請求は,開催都市契約を発生原因とする日本側の債務の不履行に対する損害賠償請求としてされるものであるわけです。我が民法(明治29年法律第89号)4151項には「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは,債権者は,これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし,その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは,この限りでない。」とあるところです。スイス債務法(Code des Obligations; Obligationenrecht971項のフランス語文は「Lorsque le créancier ne peut obtenir l’exécution de l’obligation ou ne peut l’obtenir qu’imparfaitement, le débiteur est tenu de réparer le dommage en résultant, à moins qu’il ne prouve qu’aucune faute ne lui est imputable.」,ドイツ語文は「Kann die Erfüllung der Verbindlichkeit überhaupt nicht oder nicht gehörig bewirkt werden, so hat der Schuldner für den daraus entstehenden Schaden Ersatz zu leisten, sofern er nicht beweist, dass ihm keinerlei Verschulden zur Last falle.」です。拙訳は,フランス語文については「債権者が債務の履行を受けることができないとき又は不完全にしか受けることができないときは,債務者は,その責めに帰すべき過失(faute)がないことを証明しない限り,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」,ドイツ語文については「義務の履行がおよそされ得ないとき又は適切に(gehörig)され得ないときは,債務者は,帰責事由(Verschulden)がないことを証明しない限り,これによって生じた損害を賠償しなければならない。」です。

 スイス法といっても我が民法と似たようなものであるなぁ,という感想を持たれませんでしょうか。スイス民法及び同債務法について,我妻榮は次のように紹介しています。

 

  〔略〕欧洲大陸では,第18世紀末から第19世紀の初めにかけて,国家の中央権力の強大と自然法論の隆盛とによって,民法典編纂の気運が大いに勃興し,大民法典があいついで編纂された,そして,その産物のうち,1804年のフランスの「ナポレオン法典」(以後フ民何条として引用する)は,今日なお効力を有し,その後第19世紀の末尾1896年に編纂されたドイツ民法典(以後ド民何条として引用する)及び第20世紀初頭1907年のスイス民法典(以後ス民何条として引用する)(債権法については1911年のスイス債務法(以後ス債何条として引用する))とともに,今日における代表的な大民法典である。

   これらの民法典の法思想史上における地位を一言すれば,フランス民法典は,第18世紀の個人主義的法思想の結晶であるが,ドイツ民法典は,第19世紀の総決算として,個人主義思想の爛熟を示すものということができるであろう。そして,日本民法もまたこれらとその思想と同じくし,むしろ後者に近い。これに対し,第20世紀初頭のスイス民法典は,フランス,日本,ドイツの3民法典に比すれば,個人主義思想のうちに社会本位の思想の萌芽が現れてくることを示すものである。本書においては,必要に応じてこれらの法典を引用する。

  (我妻榮『新訂 民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)7-8頁)

 

要は,スイス民法・債務法は,フランス民法及びドイツ民法と共に,日本民法の仲間なのです。フランス語及びドイツ語併用という点では,スイス民法学は,フランス法及びドイツ法学の影響を共に受けた我が国の民法学とあるいはよく似た情況にあるともいい得ましょうか。いずれにせよ,我妻榮の引用を通じて,その影響は何らかの形で日本の法律家に既に及んでいるはずです。外国法だ大変だ,と無暗矢鱈と緊張する必要はないでしょう。

 

3 スイス債務法1191項と我が債務転形論と

スイス債務法1191項の法文はフランス語文で「L’obligation s’éteint lorsque l’exécution en devient impossible par suite de circonstances non imputables au débiteur.」,ドイツ語文で「Soweit durch Umstände, die der Schuldner nicht zu verantworten hat, seine Leistung unmöglich geworden ist, gilt die Forderung als erloschen.」です。拙訳は,フランス語文について「債務は,債務者の責めに帰することのできない事情によってその履行が不能になったときは,消滅する。」,ドイツ語文について「債務者が責めを負わなくてよい事情によってその債務の履行が不可能になったときは,当該債権は消滅したものとする。」です。平成29年法律第44号によって挿入された我が民法412条の21項には「債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは,債権者は,その債務の履行を請求することができない。」とあります。従来は,「履行不能(〇〇〇〇)ノ如キ当然言フヲ俟タサル〔債権の〕消滅原因アリ新民法〔明治29年法律第89号〕ニ於テハ之ニ付テ別段ノ規定ヲ設クルノ必要ナシト認メタリ但此事ヲ前(ママ)シタル第415条,第534条乃至第536条等ノ規定アルヲ以テ自ラ明カナル所ナリ」とされていたところです(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第33版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)231頁)。

ところで,日本民法412条の21項には,債務者の責めに帰すべき事由によって履行不能となった場合も含まれます。これに対してスイス債務法1191項においては,債務者の責めに帰すべき事情によって履行不能となったときは,なお債務が存続するものとされています。この点,両者間にはアルプスの峻峰の如く越えがたい相違があるようにも見えます。しかしながら,我が民法415条に関して,従来,「債務不履行による損害賠償請求権は,本来の債権の拡張(遅延賠償の場合)または内容の変更(塡補賠償の場合)であって,本来の債務と同一性を有する。」と解されていたところです(我妻榮『新訂 債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)101頁)。この考え方(債務転形論)は,スイス債務法1191項と親和的です(同項は,債務者の責めに帰すべき事情によって債務の履行が不能になった場合には当該債務は損害賠償債務に転形されて存続するという意味である,というのが我妻榮的な読み方なのでしょう。)。ただし,この点については,平成29年法律第44号による改正によって,(非スイス的に,ということになるのでしょうか,)債務転形論は否定されたとされています(内田貴『民法Ⅲ(第4版)債権総論・担保物権』(東京大学出版会・2020年)146頁。「塡補賠償請求権が,本来の債務の履行を請求する権利と併存し,選択的に行使できる救済手段であることが明らか」になっているところです(民法41522号及び3号後段参照)。)。

 

4 開催都市契約87条:準拠法選択・仲裁合意

IOC並びに東京都,公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)及び公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(東京オリンピック組織委員会)の4者を当事者とする(日本国は当事者ではありません。)東京オリンピックの開催都市契約87条は,次のように規定しています(東京都オリンピック・パラリンピック準備局のウェブページに掲載されている日本語訳)。

 

  本契約はスイス法に準拠する。その有効性,解釈または実施に関するいかなる争議も,スイスまたは開催国における通常の裁判所を排除して,仲裁によって最終的に判断され,スポーツ仲裁裁判所のスポーツ仲裁規則に従いスポーツ仲裁裁判所によって決定される。仲裁はスイスのヴォー州ローザンヌで行われる。スポーツ仲裁裁判所が何らかの理由でその権限を否定する場合,争議はスイスのローザンヌにある通常裁判所で最終的に判断されるものとする。〔以下略〕

 

 開催都市契約の当事者間における当該契約に関する紛争は,スポーツ仲裁規則に従って,スイスのローザンヌを仲裁地とする仲裁廷によって解決されるわけです。東京都,JOC又は東京オリンピック組織委員会に対する損害賠償請求権をIOCに認める仲裁判断が出た場合,それに基づく民事執行をIOCが我が国内でしようとするときには,仲裁法(平成15年法律第138号)46条の執行決定を(大方の場合)東京地方裁判所(同条4項,同法513号)から得なければなりません(同法451項,民事執行法(昭和54年法律第4号)226号の2)。スイス法に基づく仲裁判断であれば,我が国の公の秩序又は善良の風俗に反するもの(仲裁法4529号)として我が国の地方裁判所によって却下されること(同法468項)は,まあないのでしょう。なお,IOCは,我が国では外国法人として認許されませんが(民法351項。澤木敬郎=道垣内正人『国際私法入門(第8版)』(有斐閣・2018年)164頁),執行決定の申立て及び民事執行の申立ては可能です(仲裁法10条・民事執行法20条,民事訴訟法(平成8年法律第109号)29条)。

 

5 スイス債務法における損害賠償の範囲及び損害額の認定

 債務不履行による損害賠償の範囲については,我が民法はその第416条において規定しており,これは英国の判例法を継受したものです(「「直接損害」の謎に迫る」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1068320185.html)。これに対して,大陸法の正嫡ならむスイス債務法の規定はどうかといえば,その第99条に次のようにあります。

 フランス語文。

 

En général, le débiteur répond de toute faute.

Cette responsabilité est plus ou moins étendue selon la nature particulière de l’affaire; elle s’apprécie notamment avec moins de rigueur lorsque l’affaire n’est pas destinée à procurer un avantage au débiteur.

Les règles relatives à la responsabilité dérivant d’actes illicites s’appliquent par analogie aux effets de la faute contractuelle.

  (一般的に,債務者は,全ての過失(faute)について責任を負う。

  (当該責任の範囲は,事件の特性に応じて伸縮する。特に,債務者が特典を得るためのものに係るものでない事件の場合においては,それは,厳格性を減じて評定される。

  (不法行為から生ずる責任に関する規定が,契約に係る過失の効果について準用される。)

 

 ドイツ語文。

 

   Der Schuldner haftet im Allgemeinen für jedes Verschulden.

Das Mass der Haftung richtet sich nach der besonderen Natur des Geschäftes und wird insbesondere milder beurteilt, wenn das Geschäft für den Schuldner keinerlei Vorteil bezweckt.

Im übrigen finden die Bestimmungen über das Mass der Haftung bei unerlaubten Handlungen auf das vertragswidrige Verhalten entsprechende Anwendung.

  (債務者は,一般的に,全ての帰責事由(Verschulden)について責任を負う。

  (責任の量(Mass)は,行為の特性に従って評定され,かつ,行為が債務者にとっての利益(Vorteil)を目的とするものでないときは,特に,よりゆるやかに判断される。

  (その他不法行為における責任の量に関する規定が,契約違反行為について準用される。)

 

「不法行為から生ずる責任に関する規定」ないし「不法行為における責任の量に関する規定」とは,スイス債務法42条及び43条がそうでしょうか。

スイス債務法421項及び2項は,次のとおり(同条3項は省略)。

フランス語文。

 

La preuve du dommage incombe au demandeur.

Lorsque le montant exact du dommage ne peut être établi, le juge le détermine équitablement en considération du cours ordinaire des choses et des mesures prises par la partie lésée.

  (損害の立証責任は,原告に属する。

  (損害の正確な総額が立証できないときは,裁判官が,事物の通常の成り行き及び被害者によってとられた処置を考慮して,衡平をもって(équitablement)当該額を定める。)

 

 ドイツ語文。

 

   Wer Schadenersatz beansprucht, hat den Schaden zu beweisen.

Der nicht ziffernmässig nachweisbare Schaden ist nach Ermessen des Richters mit Rücksicht auf den gewöhnlichen Lauf der Dinge und auf die vom Geschädigten getroffenen Massnahmen abzuschätzen.

  (損害賠償を請求する者は,損害を証明しなければならない。

  (数額を明らかにできない損害は,事物の通常の成り行き及び被害者によってとられた処置を考慮し,裁判官の裁量(Ermessen)によって評定される。)

 

 スイス債務法431項は,次のとおり(同条2項及び3項は省略)。

 フランス語文。

 

   Le juge détermine le mode ainsi que l’étendue de la réparation, d’après les circonstances et la gravité de la faute.

  (損害賠償の方法及び範囲(l’étendue)は,過失(faute)に係る事情及び重さに応じて,裁判官が定める。)

 

 ドイツ語文。

 

   Art und Grösse des Ersatzes für den eingetretenen Schaden bestimmt der Richter, der hiebei sowohl die Umstände als die Grösse des Verschuldens zu würdigen hat.

  (生じた損害に係る賠償の方法及び大きさ(Grösse)は,裁判官が定める。この場合において,当該裁判官は,帰責事由(Verschulden)に係る事情及び大きさを衡量しなければならない。)

 

スイス債務法422項は,我が民事訴訟法248条(「損害が生じたことが認められる場合において,損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは,裁判所は,口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき,相当な損害額を認定することができる。」)を想起せしめます。前者は,後者の適用において参考となるというべきでしょうか。

スイス債務法431項は,損害賠償の範囲ないしは大きさ(l’étendue de la réparation Grösse des Ersatzes)について,我が国でいうところの相当因果関係に係る相当性の内実を示唆するものでしょうか。過失ないしは帰責事由の事情及び重さ(les circonstances et la gravité de la faute; sowohl die Umstände als die Grösse des Verschuldens)を考慮すべき要件としていますから,いわゆる義務射程=保護範囲説に親和的であるようです。

東京オリンピック開催を自ら中止してしまった場合,東京都,JOC又は東京オリンピック組織委員会としては,まず,「その責めに帰すべき過失がないことを証明」すべく頑張るわけですが(スイス債務法971項。なお,仲裁地たるローザンヌはフランス語圏内ですので,以下スイス債務法の紹介はフランス語文に拠ります。),当該立証がうまくいかなかったときは,損害賠償額の減額を狙って,「いやいや,オリンピックはそもそも非営利目的の催しのはずですし,我々も金儲けのためにやっていたわけではありません。」と主張するものか(同法992項参照),あるいは「良識あり,かつ,年齢を重ねて命(自己のものを含む。)をいとおしむようになった,知的容姿のwoke的端麗を好む日本国民の間に絶大な影響力を有する天下の大朝日新聞に「やめろ!」と言われてしまった,という深刻な事情を酌んでくださいよぉ。」と泣きを入れるものか(同条3項によって準用される同法431項参照)。

 

後編に続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078653594.html

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1 不法行為に係る日本民法の規定及び同法724条の今次改正

 

(1)民法の関係規定

 不法行為について,我が民法(明治29年法律第89号)の709条,710条,7151項及び724条は,それぞれ,「故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス」(709条),「他人ノ身体,自由又ハ名誉ヲ害シタル場合ト財産権ヲ害シタル場合トヲ問ハス前条ノ規定ニ依リテ損害賠償ノ責ニ任スル者ハ財産以外ノ損害ニ対シテモ其賠償ヲ為スコトヲ要ス」(710条),「或事業ノ為メニ他人ヲ使用スル者ハ被用者カ其事業ノ執行ニ付キ第三者ニ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス但使用者カ被用者ノ選任及ヒ其事業ノ監督ニ付キ相当ノ注意ヲ為シタルトキ又ハ相当ノ注意ヲ為スモ損害カ生スヘカリシトキハ此限ニ在ラス」(7151項)及び「不法行為ニ因ル損害賠償ノ請求権ハ被害者又ハ其法定代理人カ損害及ヒ加害者ヲ知リタル時ヨリ3年間之ヲ行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス不法行為ノ時ヨリ20年ヲ経過シタルトキ亦同シ」(724条)と規定していました。

 民法第1編から第3編までは,平成16年法律第147号によって200541日から片仮名書きから平仮名書きに変わりましたが,その際民法709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」に改められています。有名な大学湯事件判決(大審院(たいしんいん)大正141128日判決(民集4670頁))における,不法行為が成立する侵害対象に係る「其ノ侵害ノ対象ハ或ハ夫ノ所有権地上権債権無体財産権名誉権等所謂一ノ具体的権利ナルコトアルベク,或ハ此ト同一程度ノ厳密ナル意味ニ於テハ未ダ目スルニ権利ヲ以テスベカラザルモ而モ法律上保護セラルル一ノ利益ナルコトアルベク,否詳ク云ハバ吾人ノ法律観念上其ノ侵害ニ対シ不法行為ニ基ク救済ヲ与フルコトヲ必要トスト思惟スル一ノ利益ナルコトアルベシ。」との判示(幾代通著=徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)61頁における引用)を取り入れたものということになります。

札幌市東区の大学湯
札幌市東区の大学湯


(2)民法724条の今次改正及びその意味

 

ア 民法724条の今次改正

 今般の平成29年法律第44号による改正によって,民法724条は次のように改められます。

 

   (不法行為による損害賠償請求権の消滅時効)

  第724条 不法行為による損害賠償の請求権は,次に掲げる場合には,時効によって消滅する。

   一 被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないとき。

   二 不法行為の時から20年間行使しないとき。

 

今までの同条の文言(平成16年法律第147号による改正後は「不法行為による損害賠償の請求権は,被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは,時効によって消滅する。不法行為の時から20年を経過したときも,同様とする。」)を並び替えただけのように見えるけれども一体どこが違うのか,と戸惑われる方には,民法724条の見出しの新旧対照をお勧めします。見出しが各条に付されている場合,「見出しは,その条の一部を成すものと考えられている」ところです(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)156頁)。(なお,「見出しは,〔略〕古い法令の条文にはつけられていないものもあるが,〔略〕最近では,例外なく見出しが付けられる。」(前田155頁)ということであって,平成16年法律第147号による改正までの民法各条には,実は見出しが付されていませんでした。それまでは,「六法全書等の法令集において,条名の下に〔〇〇〇〕という形〔筆者註:括弧の形が( )ではないことに注意〕で見出しが付けられていることがあるが,これは,見出しの付けられていない法令(古い法令には,見出しが付けられていないものがかなりある。)について,編集者の立場から,利用者の検索等の便宜のために付けられたものであり,法令に本来付けられている見出しとは異なるものである」ということでした(前田159頁)。なお,日本国憲法の各条にも,現在いまだに見出しは付されていません。)平成16年法律第147号によって民法724条に初めて付された見出しは「不法行為による損害賠償請求権の期間の制限」であるのに対して,平成29年法律第44号による改正後の見出しは「不法行為による損害賠償請求権の消滅時効」と変化しています(下線は筆者によるもの)。

 平成29年法律第44号による改正後の民法724条の見出しには「等」はありませんから(「「等」に注意すべきこと等」http://donttreadonme.blog.jp/archives/2806453.html参照),同条における3年の期間も20年の期間もいずれも消滅時効期間ということになります。(これは,同条の本文の文言からも素直に読み取ることができます。)

 集合論的には,「損害賠償請求権の消滅時効」は「損害賠償請求権の期間の制限」に包含されます。全体集合である「損害賠償の期間の制限」に対して,「損害賠償請求の消滅時効」はその部分集合ということになるわけです。全体集合たる平成29年法律第44号による改正前の民法724条の「損害賠償請求権の期間の制限」に包含されるべき「損害賠償請求権の消滅時効」が空集合ではないことは,同条の文言を見るに,3年の期間の部分に「時効によって消滅する。」との文言が直接かかっていますから,当該3年の期間が消滅時効期間であるということによって明らかです。これに対して,平成29年法律第44号による改正前の民法724条の20年の期間は,部分集合たる「損害賠償請求権の消滅時効」には含まれずに当該部分集合に係る補集合を構成し得ることになります(民法126条に関してですが,「例えば第126条の定める二つの消滅時効期間のうち,5年の方は「時効ニ因リテ消滅ス」ることは明らかだが,20年の方は「亦同ジ」というだけだから,同じく「時効ニ因リテ消滅ス」なのか,同じく「消滅ス」なのか,必ずしも明らかではない。」と説かれています(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)438頁)。)。当該補集合が空集合であるのならば部分集合のみで十分であって民法724条の見出しは平成16年法律第147号によって最初に付けられた時のそもそもから「不法行為による損害賠償請求権の消滅時効」でよかったのだということにはなりますが,補集合が空集合ではないという余地があるがゆえの「損害賠償請求権の期間の制限」との表現であったというわけです。

 それでは,消滅時効期間以外のものであり得るところの平成29年法律第44号による改正前の民法724条の20年の期間は何であるのかというと,除斥期間である,ということになっています。我が最高裁判所の第一小法廷が平成元年1221日に下した判決(民集43122209頁)において「民法724条後段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。けだし,同条がその前段で3年の短期の時効について規定し,更に同条後段で20年の長期の時効を規定していると解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わず,むしろ同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。/これを本件についてみるに,被上告人らは,本件事故発生の日である昭和24214日から20年以上経過した後の昭和521217日に本訴を提起して損害賠償を求めたものであるところ,被上告人らの本件請求権は,すでに本訴提起前の右20年の除斥期間が経過した時点で法律上当然に消滅したことになる。そして,このような場合には,裁判所は,除斥期間の性質にかんがみ,本件請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても,右期間の経過により本件請求権が消滅したものと判断すべきであり,したがって,被上告人ら主張に係る信義則違反又は権利濫用の主張は,主張自体失当であって採用の限りではない。」と判示されているところです。

 

イ 除斥期間に関して

 除斥期間の制度と消滅時効の制度との相違については,内閣法制局筋において,「イ)除斥期間の効果は当然に生じ,時効のように当事者が裁判上援用することによつて生ずるものではない〔略〕。ロ)除斥期間については,停止がない〔筆者註:中断もないとされています。〕。ただし,除斥期間について時効の中断又は停止に関する規定の準用を認める学説もあり,判例上も,極めて限定的ながら,特例が認められている。ハ)除斥期間には,時効利益の放棄のような制度はない。ニ)除斥期間による権利の消滅については,遡及効を問題とする余地がない。」と説かれています(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)424頁)。

 上記の「判例上も,極めて限定的ながら,特例が認められている」ことに関して,平成29年法律第44号による改正前の民法724条後段の20年の除斥期間については,最高裁判所平成21428日判決(民集634853頁)が挙げられています(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)63頁)。しかしながら,当該判例は,「被害者を殺害した加害者が,被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し,そのために相続人はその事実を知ることができず,相続人が確定しないまま上記殺害の時から20年が経過した場合において,その後相続人が確定した時から6か月内に相続人が上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法160条の法理に照らし,同724条後段の効果は生じない」ということで「本件殺害行為に係る損害賠償請求権が消滅したということはできない。」としたものであって,加害者が殺人という人の道に反することを犯したものであってもそれだけではなく更に自ら「被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出」した場合であることが必要であり,しかもそれに加えて「相続人が確定した時から6か月内に相続人が上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権を行使」しなくてはならないものでした。平成29年法律第44号による改正前の民法160条は時効の停止に係る規定ですが,学説においては,除斥期間についても,「停止を認めないと,権利者にやや酷になるので,これだけは認めるべきであるとされている」とされていたところです(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)292頁)。

上記最高裁判所平成21428日判決のほかには,「下級審には,「被告が積極的に時効期間の経過による利益を放棄する意思を有している」と認められる特段の事情があれば除斥期間の規定を適用すべきではないとしたものがある(東京地判平成427日判時平成4425日臨増221頁(水俣病東京訴訟判決))。」との裁判例が,現在は弁護士である内田貴教授(当時)によって紹介されています(内田貴『民法Ⅱ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)436頁)。

 平成29年法律第44号による改正前の民法724条後段の20年の期間が除斥期間であることは「通説の立場」に判例が立ったものであるとされていたのですが(内田435頁。同弁護士も「通常の除斥期間とみてよい」としていました(同436頁)。ただし,幾代=徳本349頁は,民法724条後段に係る除斥期間説は有力説であるとの評価でした。),せっかくの学界の「通説」も,いざ実務に採用されてみると不都合な代物でありました。除斥期間によって損害賠償請求権が消滅してしまうとすると,やはり「長期間にわたって加害者に対する損害賠償請求をしなかったことに真にやむを得ない事情があると認められる事案においても,被害者の救済を図ることができないおそれ」があるし,前記最高裁判所平成21428日判決についても,「相続人確定後6箇月以内という短期間に訴訟提起等が必要になるのは酷ではないか」と指摘されていました(筒井=村松63頁)。このような議論を承けて,平成29年法律第44号による改正によって,民法724条後段の20年の期間は除斥期間から消滅時効期間に改められることとなったのでした(筒井=村松63頁)。

 

ウ 従来の民法724条の文言について

 あえて法文の文理を超越までして学者の「通説」を採って民法724条の20年の期間は除斥期間であると解釈してやったのに何だ,とは民法724条に係る平成29年法律第44号による改正に対する我が最高裁判所の憤懣ということになるでしょうか。

法文の文理を超越,というのは,「民法724条の「不法行為ノ時ヨリ20年」の期間については,規定上は時効とされるが,判例により,除斥期間と解されている。」というのが内閣法制局筋の評価であるからです(吉国等424頁。下線は筆者によるもの)。確かに,「取消権ハ追認ヲ為スコトヲ得ル時ヨリ5年間之ヲ行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス行為ノ時ヨリ20年ヲ経過シタルトキ亦同シ」と,平成29年法律第44号による改正前の民法724条と同じ形式で規定されていた民法126条の取消権の期間制限に関する定めについては,「判例は,法文に忠実に,〔略〕長期・短期いずれをも消滅時効と称している(大判明32103民録5912,大判昭1561民集19944)。」と評されていました(四宮和夫『民法総則(第四版)』(弘文堂・1986年)223頁。下線は筆者によるもの)。(なお,ついでながら,民法126条については平成29年法律第44号による改正は行われず,見出しも「取消権の期間の制限」のままです。これは,民法126条の20年の期間は「今日では,除斥期間〔略〕と解されている」とともに(星野237頁),同条の二つの期間について「取消権の性質上,両方とも除斥期間と解するのが正当であろうと思う。」との学説(我妻404頁)も存在している学界情況に配慮してのことでしょうか。)また,我が民法の「起草者は,「時効ニ因リテ消滅ス」と明文で定めている場合,およびそれに続いて「亦同シ」とある場合のみ消滅時効であり,その他の場合は除斥期間であるというつもりであった。」と解されていたところです(星野292頁)。現に,当該起草者の一人である梅謙次郎は民法724条について「本条ハ不法行為ニ因ル損害賠償ノ請求権ノ時効ヲ定メタルモノナリ」と宣言した上で,「不法行為ノ時ヨリ既ニ20年ヲ経過シタルトキハ其請求権ハ時効ニ因リテ消滅スヘキモノトセリ」と述べています(梅謙次郎『訂正増補第三十版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)917-918頁。下線は筆者によるもの)。これに対して,民法724条後段に係る我が最高裁判所平成元年1221日判決の判例の位置付けはどのようなものになるのかといえば,「わが民法の伝統的解釈態度は,かなり特殊なものである。第1に,あまり条文の文字を尊重せず(文理解釈をしない),たやすく条文の文字を言いかえてしまう。〔略〕第2に,立法者・起草者の意図を全くといってよいほど考慮しない。第3に,それではどんなやり方をしているのかというと,目的論的解釈をも相当採用しているが,特殊な論理解釈をすることが多い。すなわち,適当にある「理論」を作ってしまって,各規定はその表現である,従ってそう解釈せよと論ずる。」という解釈態度(星野61頁)の下,「特に最近の最高裁は,規定の文理に反するかなり大胆な解釈をしていることが少なくない」(星野36頁。下線は筆者によるもの)ところの顕著な一例ということになるのでしょう。立法者が何と言おうと我々が奉ずる正しい理論が優先されるのであって民法の規定の文言に反する解釈も当然許されるのであると最高裁判所が強烈に自覚しているとなると,平成29年法律第44号によって民法724条の文言を国会がいじっただけでは,同条後段に係る現在の判例の解釈が覆されるものとにわかにかつ安直に安心してはならないということになってしまいます。

 

エ 除斥期間の消滅時効期間への変化(日本民法のこれから)

 とはいえ,最高裁判所平成元年1221日判決の判例は大人しく覆されるのだということを前提に,平成29年法律第44号はその附則において民法724条の改正に伴う経過規定を設けています。すなわち,平成29年法律第44号の附則351項は「旧法第724条後段(旧法第934条第3項(旧法第936条第3項,第947条第3項,第950条第2項及び第957条第2項において準用する場合を含む。)において準用する場合を含む。)に規定する期間がこの法律の施行の際既に経過していた場合におけるその期間の制限については,なお従前の例による。」と規定しており,「新法の施行日において除斥期間が既に経過していなければ新法が適用され(附則第35条第1項),その損害賠償請求権については長期の権利消滅期間は消滅時効期間と扱われる」ことになります(筒井=村松386頁)。除斥期間が消滅時効期間に化けるわけです。また,「新法では消滅時効期間としているため,施行日前に中断・停止事由が生じていた場合や,施行日以後に時効の更新及び完成猶予の事由が生じた場合には,それらの事由に基づき時効の完成が妨げられることになる。また,加害者である債務者による時効の援用に対して施行日前に生じていた事情を根拠として信義則違反や権利濫用の主張が可能となる。」ということになります(筒井=村松387頁)。

 

2 大韓民国大法院20181030日判決並びに国際私法及び日韓民法

 

(1)大韓民国大法院20181030日判決:不法行為に基づく損害賠償請求事件

 さて,以上の我が民法724条に関する長々とした議論は筆者お得意の回り道及びそれに伴う道草であって,今回の本題である20181030日大韓民国大法院(新日鉄住金事件)判決に関する感想文を書くための前提作業でありました。当該判決については,1965622日に東京で作成され同年1218日に発効した財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第27号)の解釈を取り扱ったものとして議論がかまびすしいところですが,筆者の感想文は,そのような勇ましい議論に掉さすものではありません。当該判決の前提となったものであろう大韓民国の国際私法及び民法と我が民法との関係について興味を覚えたばかりです。

 本件大韓民国大法院20181030日判決については,張界満,市場淳子及び山本晴太の3氏による仮訳がインターネット上で公開されていますので当該仮訳を利用させていただきました。3氏に厚く御礼申し上げます。(当該判決については,我が「政府は,韓国大法院(最高裁)が新日鉄住金に対し,韓国人の元徴用工への賠償を命じた判決に反論する英語資料を作成した。国際会議の取材に訪れる海外メディアなどに配布し,判決は国際法違反だと国際世論に訴える狙いがある。」という報道(YOMIURI ONLINE 201811141550分)がありますが,そもそもの当該判決書の国内向けの翻訳は,上記3氏によるもののほかは今のところ筆者には見当たりません。)

 

http://justice.skr.jp/koreajudgements/12-5.pdf?fbclid=IwAR052r4iYHUgQAWcW0KM3amJrKH-QPEMrH5VihJP_NAJxTxWGw4PlQD01Jo


(追記:その後,アンジュ行政書士法律事務所(近内理加行政書士)による翻訳に接しました。https://angelaw.jp/2018/11/10/post-338/
 

 当該事案の原告らは大韓民国内在住の大韓民国民,被告は日本国内に本店を有する日本法人たる新日鉄住金株式会社であることは我が国内一般向け報道によっても理解され得たところでしたが,正確な訴訟物は何であったのかまでははっきりしていませんでした。本件大韓民国大法院20181030日判決の判決書上記仮訳(以下単に「本件判決書」といいます。)を見て,訴訟物は不法行為に基づく損害賠償請求権であったことが分かりました。「本件で問題となる原告らの損害賠償請求権は日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(以下「強制動員慰謝料請求権」という)である」とされています(本件判決書4.イ.1)。下線は筆者によるもの)。「原告らは被告に対して未払賃金や補償金を請求しているのではな」かったそうです(本件判決書4.イ.1))。

 上記「強制動員慰謝料請求権」を生ぜしめた不法行為は原告ごとに別々にあったわけですが,本感想文においては「原告2」に係る次の認定事実を念頭に置くことにしましょう。

 

   旧日本製鉄は1943年頃,平壌で大阪製鉄所の工員募集広告を出したが,その広告には大阪製鉄所で2年間訓練を受ければ技術を習得することができ,訓練終了後には韓半島の製鉄所で技術者として就職することができると記載されていた。〔略〕原告2は,19439月頃,上記広告をみて技術を習得して我が国で就職することができるという点にひかれて応募し,旧日本製鉄の募集担当者と面接して合格し,上記担当者の引率下に旧日本製鉄大阪製鉄所に行き,訓練工として労役に従事した。

   〔略〕原告2は,大阪製鉄所で18時間の3交代制で働き,ひと月に12回程度外出を許可され,ひと月に23円程度の小遣いだけを支給されたのみで,旧日本製鉄は賃金全額を支給すれば浪費する恐れがあるという理由をあげ,〔略〕原告2の同意を得ないまま彼ら名義の口座に賃金の大部分を一方的に入金し,その貯金通帳と印鑑を寄宿舎の舎監に保管させた。〔略〕原告2は火炉に石炭を入れて砕いて混ぜたり,鉄パイプの中に入って石炭の残物をとり除くなど,火傷の危険があり技術習得とは何ら関係がない非常につらい労役に従事したが,提供される食事の量は非常に少なかった。また,警察官がしばしば立ち寄り,彼らに「逃げても直ぐに捕まえられる」と言い,寄宿舎でも監視する者がいたため,逃亡を考えることも難しく,原告2は逃げだしたいと言ったことが発覚し,寄宿舎の舎監から殴打され体罰を受けた。

   そのような中で日本は19442月頃に訓練工たちを強制的に徴用し,それ以後〔略〕原告2に何らの対価も支給しなくなった。大阪製鉄所の工場は19453月頃にアメリカ合衆国軍隊の空襲で破壊され,この時訓練工らのうちの一部は死亡し,〔略〕原告2を含む他の訓練工らは19456月頃,咸鏡道清津に建設中の製鉄所に配置されて清津に移動した。〔略〕原告2は寄宿舎の舎監に日本で働いた賃金が入金された貯金通帳と印鑑を引き渡すよう要求したが,舎監は清津到着後も通帳と印鑑を返さず,清津で一日12時間もの間工場建設のための土木工事に従事しながら賃金は全く支給されなかった。〔略〕原告219458月頃,清津工場がソ連軍の攻撃により破壊されると,ソ連軍を避けてソウルに逃げ,ようやく日帝から解放された事実を知った。(本件判決書1.イ.3))

 

 外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律(平成28年法律第89号)の1611号,46条・108条,472項・1114号及び482項並びに労働基準法(昭和22年法律第49号)5条・117条,181項・1191号,941項及び95条・1201号などが想起されるところです。これらの法律の規定によって防遏が図られている劣悪な労働環境は,企業活動が「不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結」する場合にのみ生ずるものではないのでしょう。

(2)準拠法:日本法か大韓民国法か北朝鮮法か

 本件国際的な訴えの管轄権が大韓民国の裁判所に認められた理由に係る国際裁判管轄の問題(大韓民国の国際私法(http://www.geocities.jp/koreanlaws/kokusaisihou.html2条がありますが,同法附則2項の問題となるのでしょうか。なお,以下同法,大韓民国旧渉外私法,同国民法については篤志家による「韓国Web六法」を利用させていただきました。御礼申し上げます。)は本感想文ではスキップして,本件不法行為に基づく損害賠償請求事件における準拠法は何かという問題に直ちに移りましょう。(国際裁判管轄問題については,大韓民国大法院2012524日判決(三菱事件)の理由2に判示があります。当該判決には仮訳(http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/sengohosho/saibanrei_04_1.pdf)があります。)

 

ア 大韓民国国際私法附則2項,同国旧渉外私法13条及び日本国旧法例11

 準拠法の決定に係る法規範に関して,大韓民国の国際私法附則2項を見ると,「(準拠法適用の時間的範囲)この法律施行前〔施行日は200171日〕に生じた事項に対しては,従前の渉外私法による。ただし,この法律施行前後に継続する法律関係に関しては,この法律施行以後の法律関係に限り,この法律の規定を適用する。」とあります。したがって,先の大戦期(大日本帝国に係る降伏文書の調印は194592日)の出来事に基づく「強制動員慰謝料請求権」に係る訴えについては,大韓民国の旧渉外私法(www.geocities.jp/koreanlaws/syougaisihou.html)を見なければなりません。当該旧渉外私法13条には「(法定債権の成立及び効力)①事務管理,不当利得又は不法行為により生じた債権の成立及び効力は,その原因となった事実が発生した場所の法による。/②前項の規定は,外国で発生した事実が大韓民国の法律により,不法行為にならないときは,これを適用しない。/③外国で発生した事実が大韓民国の法律により不法行為になる場合であっても,被害者は,大韓民国の法律が認ママめた損害賠償その他の処分以外にこれを請求することができない。」とあります。何だか我が旧法例(明治31年法律第10号。法の適用に関する通則法(平成18年法律第78号)によって200711日から全部改正)11条に似ているなぁということになるのですが,それもそのはず,大韓民国旧渉外私法の附則2項を見ると,同法の施行(1962115日)までは我が旧法例が大韓民国内で適用されていたようです。同項によって我が明治45年勅令第21号が廃止されていますが,同令は191241日から「法例ハ之ヲ朝鮮ニ施行ス」とするものでした。

 2012524日の大韓民国大法院三菱事件判決の理由4イを見ると,「1962115日以前に発生した法律関係に適用される大韓民国の抵触法規は〔略〕,軍政法令21号を経て大韓民国制憲憲法付則第100条により「現行法令」として大韓民国の法秩序に編入された日本の「法例」」であるとされています。
  我が旧法例の111項は,「事務管理,不当利得又ハ不法行為ニ因リテ生スル債権ノ成立及ヒ効力ハ其原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律ニ依ル」と規定していました。


イ 統治権の変更と国法の不変更

 大日本帝国崩壊後も同帝国の法律(この場合は旧法例)が独立大韓民国内においてなお国法として施行されていたとはこれいかに,ということになるのですが,美濃部達吉による次の説明によって納得すべきでしょうか。

 

   〔前略〕総て国法の効力を有する窮竟の根拠は,国の統治権に在るのではなく社会的意識に在るのであり,随つて又統治権の変更に依つては必ずしも当然に国法の変更を来すものではないのである。

   領土の変更に伴ひ国法に如何なる影響があるかに付いては,国法の実質に付いて区別する必要が有る。国法の中で,国の統治権に必然に随伴すべき性質のものは,領土の変更に伴ひ当然変ずるものでなければならぬ。〔中略〕

   併しながら此等は何れも特別の性質に基く例外であつて,此等の例外を除いて,原則としては国法は領土の変更に依つて当然には変更せらるゝものではなく,特別の定に依るの外は,統治権の変更に拘らず尚旧来の国法が差当りはそのまゝ効力を継続するものと解するのが正当である。

   明治43年朝鮮併合の当時には,制令(43829日制令第1号)を以て特に

 

    朝鮮総督府設置ノ際朝鮮ニ於テ其ノ効力ヲ失フヘキ帝国法令及韓国法令ハ当分ノ内朝鮮総督ノ発シタル命令トシテ尚其ノ効力ヲ有ス

 

と定められた。『其ノ効力ヲ失フヘキ』と云つて居るのは,領土の変更と共に旧来の法令が当然その効力を失ふものであるとする見解を前提として居るのであるが,此の見解は不当であつて,その後段である『尚其ノ効力ヲ有ス』といふ方が,却て特別の規定を待たない当然の事理であるのである。(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)90-92頁)

 

ウ 不統一法国たりし大日本帝国

 「日本も第二次世界大戦〔における敗北による帝国の解体〕前は朝鮮・台湾には内地と異なる法律が行われていた」ところであって,大日本帝国は不統一法国でした(澤木敬郎=道垣内正人『国際私法入門〔第4版補訂版〕』(有斐閣・1998年)44頁参照)。「アメリカなどのように,一国内で州による異なる私法秩序が併存しているところでは,国内事件についての場所的適用規範である準国際私法が存在している」ところ(澤木=道垣内7頁),大日本帝国における準国際私法に係る法典としては共通法(大正7年法律第39号)が存在していました。朝鮮はそこでは独立の地域(法域)となっていました(同法11項)。

 

エ 大韓民国「旧法例11条1項」の解釈:加害行為地法主義か

 不法行為債権に係る大韓民国「旧法例111項」の解釈においては,そこにいう「其原因タル事実ノ発生シタル地」が何であるかが問題となります。同項の解釈について「母法国」たる我が国の解釈を参考にしてみれば,「法例111項は,不法行為について,原因たる事実の発生したる地の法律によると規定し,〔法廷地法主義に対するところの〕不法行為地法主義を採用している。これが加害行為地説をとるものか結果発生地説をとるものかは文理上決定することができないので,その解釈論は分かれている。不法行為の類型ごとの規定になっていない以上,両者が異なる場合には,被害者により近い損害発生地法によってその損害の回復をはかるべきであろう。」と説くものがあります(澤木=道垣内182頁)。旧法例111項(したがって大韓民国旧渉外私法131項)については「文理上決定することができ」ず,かつ,「解釈論は分かれている」まま,我が法の適用に関する通則法17条本文は結果発生地法主義を採っている一方,大韓民国国際私法321項は「不法行為は,その行為が行われた地の法による。」として加害行為地法主義を採っています(と少なくとも筆者には読まれます。)。大韓民国国際私法321項から遡及的に考えて,同国「旧法例111項」は加害行為地法主義を採っていたものとしましょう。(ただし,山本晴太弁護士の開設・管理に係る「法律事務所の資料アーカイブウェブサイト法院200923日三菱事件判決仮訳http://justice.skr.jp/koreajudgements/8-2.pdf)の理由4イ(2)(エ)1)を見ると,大韓民国旧渉外私法131項の不法行為に係る「その原因となった事実が発生した場所」には損害の結果発生地を含むというのが大韓民国大法院の判例であるそうです。)

 

オ 本件における加害行為地法:日本法

 しかしながら,「原告2」の精神的苦痛(本件判決書4.イ.1)④)に係る不法行為債権に係る加害行為地法は何でしょうか。「原告2」の動員に係る「組織的な欺罔」(本件判決書4.イ.1)②)がされた平壌の法でしょうか(同地の法は北朝鮮法か大韓民国法かがまた問題になります。我が国の裁判所であれば北朝鮮法も準拠法たり得るものとするのでしょうが(澤木=道垣内51頁参照),大韓民国大法院としては断乎同地の法は大韓民国法であるものとするのでしょう。),「幼い年齢で家族と離別し」て「劣悪な環境において危険な労働に従事し」,「強制的に貯金をさせられ」,「外出が制限され,常時監視され」,「苛酷な殴打を受けること」があった(本件判決書4.イ.1)③)場所の法,すなわち,大阪(19箇月くらい)の日本法でしょうか,それとも清津(2箇月くらい)の法(これも北朝鮮法ではなく大韓民国法であることにしましょう。)でしょうか。不法行為については加害行為ごとに訴訟物を異にするのですから(岡口基一『要件事実マニュアル第2版下巻』(ぎょうせい・2007年)141-142頁参照),大阪の分と平壌及び清津の分とで訴訟物を分けてくれればよかったのですが,「原告2」は一連の行為を通じて一つの加害行為があったもの(したがって訴訟物は1個)としているようでもあります。東京地方裁判所平成3924日判決(判時142980頁,判タ769280頁)は「違法行為の極めて重要な部分」が行われた場所を問題にしていますが,そういわれただけではなお,「原告2」に対する不法行為に係る「違法行為の極めて重要な部分」が行われた場所がどこであるかは決めかねます。「意思活動の行われた場所を不法行為地とする行動地法説」という表現(柏木昇「47不法行為―ノウハウの侵害」『渉外判例百選[第三版]』(有斐閣・1995年)97頁)に飛びついて,主に大阪で労働に服したことに加えて,旧日本製鉄株式会社の「意思活動」といえばその極めて重要な部分は当然日本内地で行われたものであるとして,「原告2」の受けた不法行為に係る不法行為地法は日本法であると考えるべきでしょうか。

 ちなみに,先の大戦中に大陸から日本内地に連れて来られて労務に服した中華民国(当時)国民からの服務先企業に対する訴えに係る東京地方裁判所平成15311日判決(訟月502439頁)は,旧法例111項に関し,「不法行為が複数の国にまたがるいわゆる隔地的不法行為の準拠法は,原則として,不法行為が行われたいずれかの地の法律となるが,ある国において不法行為の主要な部分が行われ,他の国においては,副次的又は軽微な部分しか行われていないときは,主要な部分が行われた地の法律によらなければ,最も密接な利害を有する地の公益が維持されないし,行為者の予測も困難になるから,その主要な部分が行われた国の法律が準拠法となると解すべきである。」と判示し,準拠法を日本法としています。

 なお,「損害の結果」たる「原告2」の精神的苦痛の発生地について考えると,夢も希望もあった平壌ではなく,実際に寄宿舎に暮らし労働に従事した大阪及び清津ということになるのではないでしょうか。
 

(3)大韓民国の不法行為法:日本民法の依用から大韓民国民法へ

 不法行為債権の成立(「不法行為能力,不法行為の主観的要件すなわち故意・過失,権利侵害,損害の発生,行為と結果の因果関係など」(澤木=道垣内183頁参照))及び効力(「損害賠償請求権者,賠償の方法,損害賠償の範囲,過失相殺,時効,共同不法行為の連帯責任,損害賠償請求権の譲渡性および相続性など」(澤木=道垣内183頁参照))に係る準拠法は,大韓民国「旧法例111項」によって大韓民国法と決まるのであろうか(北朝鮮法と決まる可能性は捨象),日本法と決まるのであろうかと以上考え,一応日本法であろうということにしたところですが,次に関連して,大韓民国法における不法行為法はどのようなものであったかについて検討しましょう。

 実は,大日本帝国時代の朝鮮においては,朝鮮民事令(明治45年制令第7号)11号によって,日本民法が,民事に関する事項について「本令其ノ他ノ法令ニ特別ノ規定アル場合ヲ除クノ外」依るべき法律の一つであるものとされていました。不法行為については,日本民法の依用に関する「特別ノ規定」である朝鮮民事令の10条から15条までの規定を見る限り,朝鮮においてもそのまま我が民法に依るべきものとされていたものと解されます。「かつて領土が拡張したときに,民法は新領土にも当然に適用されるものかについて,憲法の問題として,大いに議論された。そして,台湾,朝鮮及び樺太には,当然には民法の適用はないという前提で,それぞれ特別の法律〔筆者註:台湾は律令(台湾民事令),朝鮮では制令。樺太は,明治40年法律第25号に基づく勅令(明治40年勅令第9418号)〕を制定し,一定の制限の下に,民法をこれらの領域に適用〔筆者註:樺太では民法は施行され,台湾及び朝鮮では依用〕することにした。」ということです(我妻25-26頁)。

大韓民国民法の附則(www.geocities.jp/koreanlaws/min3.html271号によると,同法の施行される196011日(同附則28条)から「朝鮮民事令第1条の規定により準用された民法,民法施行法及び年齢計算に関する法律は廃止されていますので,これを反対解釈すると,大韓民国独立後も1959年末までは朝鮮民事令11号に基づく我が民法の依用体制は同国においてなお継続していたということでしょう。いわんや大韓民国独立前においてをや,ということになります。
 
(なお,日本の朝鮮に対する主権の喪失の時期がふと気になるのですが,実は諸説紛々,「日本が朝鮮に対する主権を喪失した時期については,ポツダム宣言の受諾,降伏文書の調印,大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の成立,対日平和条約の発効等が考えられる」という有様です(国際法事例研究会『日本の国際法事例研究(3)領土』(慶応通信・1990年)51頁(大森正仁))。日本による大韓民国の国家承認は,「連合国総司令部に派遣されていた韓国代表部に対し,対日平和条約発効〔1952428日〕後は,政府機関たる地位と領事相当の特権を与える旨の,わが国外務省から当該代表部宛の口上書による黙示承認」によるものであったとされています(国際法事例研究会『日本の国際法事例研究(1)国家承認』(慶応通信・1983年)68頁)。)


(4)日本民法724条後段と本件大韓民国大法院判決

 

ア 判決書の記載

ということで,本件判決書を読み進むと,民法724条に関係するものと思われる議論が出て来ます。

 

  5.上告理由第4点に関して

    差し戻し後の原審は,1965年に韓日間の国交が正常化したが請求権協定関連文書がすべて公開されていなかった状況において,請求権協定により大韓民国国民の日本国または日本国民に対する個人請求権までも包括的に解決されたとする見解が大韓民国内で広く受け入れられてきた事情など,その判示のような理由を挙げて,本件の訴訟提起当時まで原告らが被告に対して大韓民国で客観的に権利を行使できない障害事由があったと見ることが相当であるため,被告が消滅時効の完成を主張して原告らに対する債務の履行を拒絶することは著しく不当であり,信義誠実の原則に反する権利の濫用として許容することはできないと判断した。

    このような差戻し後の原審の判断もまた差戻判決の趣旨に従ったものであって,そこに上告理由の主張のような消滅時効に関する法理の誤解などの違法はない。

 

さきに考えたように本件不法行為に基づく「強制動員慰謝料請求権」に係る準拠法が日本法であるという前提で読むと,我が民法724条後段の規定に関する議論のようです。しかして大韓民国大法院は,同条の20年の期間は除斥期間ではなく,消滅時効期間であるものと解しているように見えます。

 

イ 大韓民国大法院による日本国最高裁判所判例に対する「違背」(準拠法が日本法である場合)

本来,日本民法解釈の総本山である我が最高裁判所の平成元年1221日判決の判例法理によれば,不法行為に基づく本件原告らの「強制動員慰謝料請求権」は,民法724条後段の除斥期間の経過によって,先の大戦の終結から20年たった19659月ころまでには「法律上当然に消滅」していたところです。したがって,大韓民国大法院は,上告理由云々以前に「除斥期間の性質にかんがみ,本件請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても,右期間の経過により本件請求権が消滅したものと判断すべきであり」,同条後段の適用を排除しようとする「信義則違反又は権利濫用の主張は,主張自体失当であって採用の限りではない」と厳然判示して原告らを一刀両断,真っ向唐竹割りにすべきだったはずです。また,日本国最高裁判所平成21428日判決の前例に拠ろうにも,「本件の訴訟提起当時まで原告らが被告に対して大韓民国で客観的に権利を行使できない障害事由」は被告である新日鉄住金株式会社が「殊更に作出」したものではありませんから,前提を欠くということになったはずです。

「外国法が準拠法となるということは,その外国法が当該外国において現実に適用されている意味内容において適用されるということである。外国法の条文のみを翻訳し,日本法の観念に従って解釈することは許されるものではない。判例法の場合,それにどのような権威が認められているかも,当該外国法秩序の中で決定されなければならない。」とは日本の法曹向けの日本の学者による訓戒ですが(澤木=道垣内53頁),このことは大韓民国においても同様でしょう。「日本民法の条文のみを翻訳し,大韓民国法の観念に従って解釈することは許されるものではない」ことになります。また,民法724条後段について論ずる本感想文の主旨からはそれますが,「その外国法が当該外国において現実に適用されている意味内容」ということは,本件においては,「日本民法が日本国において昭和40年法律第144号と共に現実に適用されている意味内容」ということになるのでしょう。昭和40年法律第144号の題名は,長いのですが,「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」といいます(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/05019651217144.htm)。同法は,財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第272条の解釈をする際には参照されるべきものでしょう。(同協定のみならず同法という国内法が更に必要であったということを,同協定の日韓各国内における国内法的効力について考えるに当たっては前提とすべきでしょう。)

(なお,我が旧法例を継受した大韓民国旧渉外私法5条は「(社会秩序に反する外国法の規定)外国法によらなければならない場合においてその規定が善良な風俗その他社会秩序に違反する事項を内容とするものであるときは,これを適用しない」と規定していて,「規定の適用」結果を問題とする我が法の適用に関する通則法42条とは異なり,法の内容を問題とするもののように解され得ます。20年の除斥期間の規定は,それ自体では大韓民国の「善良な風俗その他社会秩序に違反する事項を内容とするもの」にはならないでしょう。ただし,「外国法ニ依ルヘキ場合ニ於テ其規定カ公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スルトキハ之ヲ適用セス」との我が旧法例の規定(平成元年法律第27号による改正前の30条)の解釈について東京地方裁判所平成5129日判決(判時144441頁,判タ81856頁)は,「公序条項を適用して外国法の適用を排除すべきかどうかは,当該外国法の内容自体が内国の法秩序と相容れないかどうかということではなく,当該外国法を適用して当該請求又は抗弁を認容し又は排斥することが内国の社会生活の秩序を害することになるかどうかによって決すべき」ものと述べています。ちなみに,本件判決書2.において,大韓民国大法院は,本件原審の「日本の韓半島と韓国人に対する植民支配が合法的であるという規範認識を前提に日帝の「国家総動員法」と「国民徴用令」を韓半島と〔略〕原告2に適用することが有効であると評価した以上,このような判決理由が含まれる本件日本判決をそのまま承認するのは大韓民国の善良な風俗やその他の社会秩序に違反するもの」との判断を是認しているところ,そこでは国家総動員法(昭和13年法律第55号)及び国民徴用令(昭和14年勅令第451号)の適用が問題とされていますが,昭和40年法律第144号には言及されていません。

しかしながら前記のような真っ向唐竹割り的判示がされなかったということは,日本民法724条後段の解釈において,大韓民国大法院が日本国最高裁判所の権威を否認し,自ら正当と信ずる独自の解釈を打ち出したということになるのでしょうか。無論このことは可能ではあります(裁判所法(昭和22年法律第59号)4条反対解釈)。なお,大日本帝国時代においても,内地の大審院の解釈と朝鮮高等法院の解釈とが統一される必要はなかったところです(「大審院は唯内地のみの最高裁判所で,各殖民地の司法機関は全く別個の系統を為して居」たのでした(美濃部597頁)。)。価値判断的にも,日本国最高裁判所の平成元年1221日判決に係る判例を,平成29年法律第44号の制定をもって覆すこととした我が国の国会及び内閣は,大韓民国大法院の当該解釈に欣然左袒するものでしょう。(内田弁護士も,先の大戦後1949年の不発弾処理作業の際の爆発事故被害者による国家賠償法(昭和22年法律第125号)11項(同法4条によって民法724条が適用されます。)に基づく損害賠償請求を排斥した平成元年1221日判決について,「正義感覚に反することは異論がない」と述べています(内田436頁)。)

 と,以上,本件判決書の一読当初に思ったことをそのまま書いてしまったところがこの感想文が感想文たるゆえんで,現実には大韓民国大法院は日本国最高裁判所の民法724条後段解釈に楯突く気は毛頭なく,本件の準拠法は大韓民国法であるという前提で裁判をしたようです。すなわち,三菱事件に係る同院の2012524日判決は,その4エ(1)において,「「法例」によれば,不法行為に因る損害賠償請求権の成立と効力は不法行為の発生地の法律によることになるが(第11条),本件の不法行為地は大韓民国と日本にわたっているので,不法行為による損害賠償請求権に関して判断する準拠法は大韓民国法若しくは日本法になるであろう。しかし既に原告らは日本法が適用された日本訴訟で敗訴した点に照らして,自己により有利な準拠法として大韓民国法を選択しようという意思を持っていると推認されるので,大韓民国の裁判所は大韓民国法を準拠法にして判断すべきである。」と判示していたところです。どちらにすべきか裁判所が迷うときは有利な準拠法を求める原告の選択に従う,ということでしょうか。なかなか融通が利きます。我が国の法の適用に関する通則法21条も,不法行為の当事者による,不法行為の後における準拠法の変更について定めていますが,しかしながら,同条の「当事者」は原告単独ということではないはずです。

なお,本件新日鉄住金事件原審のソウル高等法院の2013710日判決(仮訳はhttp://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/sengohosho/saibanrei_06.pdf)の理由31)においては,準拠法を大韓民国法とする理由について,大法院の理由付け(原告の意思)に若干の追加がされています。いわく,「本件日本訴訟で敗訴した点に照らして,不法行為の被害者である原告らは自己により有利な準拠法として大韓民国法を選択しようという意思を有すると推認される事,このように準拠法となり得る複数の国家の法がある場合,法廷地の裁判所は当該事案との関連性の程度,被害者の権利保護の必要性と加害者の準拠法に対する予測可能性及び防御権保障等,当事者間の公平・衡平と正義,裁判の適正性等を併せて考慮し,準拠法を選択・決定することができると言えるが,このような要素を全て考慮すると大韓民国法を準拠法とするのが妥当であると解される事などを総合し,大韓民国法を準拠法として判断することにする。」

日本法と大韓民国法とを累積的に適用するというのでは駄目だったのでしょうね。

 それでは当事者の属人法でいくのではどうかといえば,南極大陸のように行為地に法が存在しない地で発生した不法行為について「折茂〔豊〕教授が,両当事者が互にその属人法を異にするときは双方の属人法を重畳的に適用すべきではなく,被告のそれを準拠法とすべきであろうか,とされている〔折茂・国際私法(各論)〔新版〕(1972年)184頁〕のは注目に値する。」とされています(田辺信彦「48不法行為―公海上の不法行為」『渉外判例百選8[第三版]』99頁)。となると本件の場合は,日本法となってしまいます。
 

ウ 消滅時効期間に変化済みとなった除斥期間(大韓民国法が準拠法である場合)

本件不法行為に基づく「強制動員慰謝料請求権」に係る準拠法が大韓民国法であった場合(大韓民国大法院はそう考えているらしいことは前記のとおり。)は,次のように考えるのでしょう。(なお,大日本帝国時代であれば,朝鮮民事令が日本民法を依用していたので,旧法例の準用による国際私法的判断過程(共通法22項)を経ずに共通法21項により,法廷地法である朝鮮法が適用されることになっていました(藤沼武男『共通法逐条解説』(非売品・1918年)16頁,19頁参照)。)

大韓民国民法766条(http://www.geocities.jp/koreanlaws/min2.html)は「①不法行為による損害賠償の請求権は,被害者又はその法定代理人がその損害及び加害者を知った日から3年間これを行使しなければ,時効により消滅する。/②不法行為をした日から10年を経過したときも,前項と同様である。」と規定しています。10年が経過したときは「前項と同様」に「時効により消滅する。」,と(少なくとも筆者には)読みやすくなっています。我が民法724条の20年が10年に短縮されていますが,これは,「第167条第1項ニ於テ債権ノ普通時効ヲ10年トシタル以上ハ本条末段ノ20年ハ或ハ之ヲ改メテ10年トスルヲ可トスヘキカ」との梅謙次郎の意見(梅918頁)が取り入れられたものかもしれません(大韓民国民法1621項(http://www.geocities.jp/koreanlaws/min1.html)も債権の消滅時効期間を10年としています)。

大韓民国民法の附則2条は「(本法の遡及効)本法の特別の規定がある場合のほかは,本法施行日前の事項に対してもこれを適用する。ただし,既に旧法により生じた効力に影響を及ぼさない。」と規定し,附則8条は「(時効に関する経過規定)①本法施行当時に,旧法の規定による時効期間を経過した権利は,本法の規定により取得又は消滅したものとみなす。/②本法施行当時に,旧法による消滅時効の期間を経過していなかった権利には,本法の時効に関する規定を適用する。/③〔略〕/④第1項及び第2項の規定は,時効期間でない法定期間に,これを準用する。」と規定しています。大韓民国民法の施行は196011日ですから,本件「強制動員慰謝料請求権」については,朝鮮民事令によって依用された民法724条後段の20年の除斥期間はいまだに経過していないところでした。この場合大韓民国民法附則84項及び2項並びに附則2条を当該除斥期間との関係でどのように解釈適用するかですが,やはり10年の時効期間に変じていたものとするのでしょう。除斥期間が消滅時効期間に化けることについては,実は大韓民国が我が国の先達であった,ということになります。


 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

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