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 令和の御代の現在から百年ほど前の大正時代,スペイン風邪というものがはやったそうです。

 

1 1918年春

 1918年(大正7年)の春から兆しがありました。「この年〔1918年〕は,普段なら流行が終息するはずの5月頃になってもインフルエンザ様の疾患があちこちで発生しました。例えば軍の営舎に居住する兵士や紡績工場の工員,相撲部屋の関取など,集団生活をしている人たちの間で流行が目立ちました。これらは季節性インフルエンザの流行が春過ぎまで長引いたものなのか,スペインインフルエンザ〔スペイン風邪〕の始まりだったのかは不明です。しかし米国からスペインインフルエンザ第1波(春の流行)が世界に拡散していた時期に一致しますので,この時ウイルスが日本に入ったとも考えられます。」とのことです(川名明彦「スペインインフルエンザ(後半)」内閣官房ウェブサイト・新型インフルエンザ等対策ウェブページ(20181225日掲載))。『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年)は,東京朝日新聞を典拠に,1918年「春.― 世界的インフルエンザとなったスペイン風邪,わが国に伝わり,翌年にかけ大流行(死者15万人に及ぶ)」と記しています(234頁)。すなわち,「スペインフルの第一波は1918年の3月に米国とヨーロッパにて始まります」とされているところです(国立感染症研究所感染症情報センター「インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A」(200612月))。なお,「スペインフル」の「フル」とは“flu”のことで,influenza(インフルエンザ)の略称です。

世界史年表的には,19183月には,3日にブレスト=リトウスク講和条約が調印されて東部戦線のソヴィエト=ロシアが第一次世界大戦から脱落,21日にドイツ軍が西部戦線で大攻勢を開始します。

 

1918321日,濃い霧が発生した。偶然にも,この日はドイツ軍のソンム川における攻勢予定日であった。ドイツ歩兵は,ほとんど察知されずに英軍の機関銃座を蹂躙した。すぐに,全戦線の崩壊が始まった。英兵は,士官の大部分を含めて,当該大戦中に徴募された兵士たちであった。彼らが訓練を受けたのは,塹壕を固守し,時折そこから攻撃をしかけることであった。彼らには開豁地での戦闘の経験はなかった。念入りに構築された塹壕システムから追い立てられ,彼らは狼狽した。彼らは何とかしのぎつつも,大幅に後退した。ヘイグの〔英〕予備軍は,はるか北方のかなたにあった。(Taylor, A.J.P., The First World War. Penguin Books, 1966. p.218

 

2 1918年初夏

ところで,相撲部屋には,十両以上の「関取」のみならず幕下以下の汗臭い(ふんどし)担ぎもいるわけですが,19185月段階における「インフルエンザ様の疾患」の流行の際(同月「8日付の新聞は「流行する相撲風邪――力士枕を並べて倒れる」という見出しで,「力士仲間にたちの悪い風邪がはやり始めた。太刀山部屋などは18人が枕を並べて寝ていた。友綱部屋では10人くらいがゴロゴロしている」と伝え」,「花形力士の欠場続出で番付も組み替えられた。」という状況であったそうです(「朝日新聞創刊130周年記念事業 明治・大正データベース」ウェブページ)。)角界においては特段の「自粛」はされなかったようです。同月27日月曜日午後の皇太子裕仁親王(当時17歳)について,「水交社において開催の明治三十七八年戦役海軍記念日第13回祝賀会に行啓される〔日露両海軍の日本海海戦は1905527日に発生〕。水交社総裁〔東伏見宮〕依仁親王に御対顔になり,水交社長加藤友三郎海軍大臣以下の親任官及び同待遇に賜謁の後,余興の大相撲を御覧になる。」と伝えられています(宮内庁『昭和天皇実録 第二』(東京書籍・2015年)376-377頁)。

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東伏見稲荷神社(東京都西東京市)


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 西武新宿線東伏見駅(東京都西東京市)

 当該相撲見物(海軍)のせいかそれともその前日の千葉の鉄道聯隊等行啓(陸軍)のせいかどちらかはっきりしないのですが,裕仁親王は同年
6月「7日 金曜日 前月26日の千葉行啓以来,御体調不良のこと多く,本日より当分の間,〔東宮御学問所における〕月曜日から金曜日の授業を1時間減じられる。この措置は,第1学期の間,継続される。」ということになっています(実録二378頁)。東宮御学問所における裕仁親王の授業の時間は,月曜日から金曜日までは本来第5時限まで,土曜日は第2時限までであって,第1時限は午前8時に開始され,第5時限(これは武課及び体操並びに馬術)は午後130分に終了ということでありました(実録二367頁)。ちなみに,東宮御学問所総裁は,海軍大将である東郷平八郎元帥でした。

なお,19185月には横綱になったばかりの栃木山守也は,同月27日に裕仁親王の前でその大技量を発揮したものと想像されますが,歿後,昭和天皇から勲四等瑞宝章を授けられています。

裕仁親王が海軍接待の大相撲を楽しんだ頃,我が友邦フランス共和国に危機が訪れます。

 

 〔1918年〕527日,ドイツ軍14箇師団は戦線を突破し,1日のうちに10マイル前進した。遠い昔の19148月以来,そのようなものとしては最大の前進であった。63日までにドイツ軍はマルヌ川に達し,パリまでわずか56マイルの距離にあった。またしても〔ドイツの〕ルーデンドルフは成功に幻惑された。彼は新兵力を投入したが,それらは〔フランスの〕フォッシュが最終的に予備軍を動かすにつれ,勢いを失い,停止した。彼らはフランス軍の戦線を破摧してはいなかったのであって,ドイツ兵は再び袋の中に向かって進軍してしまっていたのである。また,彼らは北方に控置されていたフォッシュの予備軍を大いに引き寄せてもいなかった。そうではあるものの,ドイツ軍の当該前進は,多大の警報を発せしめた。フランスの新聞に再び「マルヌ川」が現れると,1914年の恐怖の記憶がよみがえった。代議院における非難は高まった。〔フランス首相の〕クレマンソーは頑張り,自己の威信を危険にさらすことまでしてフォッシュをかばった。多くの下位の将軍たちは,相変わらずのやり方で罷免された。事態を更に悪化させることには,軍は疫病(エピデミック)に襲われていた。スペイン流行性(インフル)感冒(エンザ)として知られる20世紀最大の殺人者である。それは世界を席巻し,秋には銃後の市民を次々と斃した。インドだけでも,4年間の大戦の全戦場で死んだ者の総数よりも多くの数の者がそれによって死亡した。大戦はクライマックスに達し,人々は高熱にあえいだ。(Taylor. pp.228-229

 

3 1918年のスペイン風邪流行の始まり

 我が国における本格的なスペイン風邪の流行はいつからかといえば,公益社団法人全国労働衛生団体連合会のウェブサイトにある小池慎也編「全衛連創立50周年事業健康診断関係年表」(201910月)は,「欧州のインフルエンザ流行より34ヵ月遅れて,わが国では〔1918年〕8月下旬から9月上旬にかけて蔓延の兆しを示した。」とあり,防衛医科大学病院副院長の川名明彦教授は「本格的なスペインインフルエンザが日本を襲ったのは19189月末から10月初頭と言われています。」と述べています(川名前掲)。池田一夫=藤谷和正=灘岡陽子=神谷信行=広門雅子=柳川義勢「日本におけるスペインかぜの精密分析」(東京都健康安全研究センター年報56369-374頁(2005年))の引用する内務省衛生局の『流行性感冒』(1922年)によると,「本流行ノ端ヲ開キタルハ大正7年〔1918年〕8月下旬ニシテ9月上旬ニハ漸ク其ノ勢ヲ増シ,10月上旬病勢(とみ)ニ熾烈トナリ,数旬ヲ出テスシテ殆ト全国ニ蔓延シ11月最モ猖獗ヲ極メタリ,12月下旬ニ於テ稍々下火トナリシモ翌〔大正〕8年〔1919年〕初春酷寒ノ候ニ入リ再ヒ流行ヲ逞ウセリ」とあります。8月下旬発端説を採るべきでしょうか。

 

4 米騒動とスペイン風邪ウイルスと

ところで,1918723日には「富山県下新川郡魚津町の漁民妻女ら数十人,米価高騰防止のため米の県外への船積み中止を荷主に要求しようとして海岸に集合(米騒動の始まり)」という小事件があったところ(近代日本総合年表234頁),問題の同年8月には,3日の富山県中新川郡西水橋町での騒動を皮切りに,10日には名古屋・京都両市に騒動が波及,13日及び14日の両日には全国の大・中都市において米騒動が絶頂に達しています(同236頁)。Social distancingもあらばこそ,当該大衆行動は当然人々の密集ないしは密接を伴い,スペイン風邪ウイルスの伝播を促して同月下旬からの流行開始を準備してしまったものではないでしょうか。

内務省衛生局によれば,スペイン風邪が「最モ早ク発生ヲ見タルハ神奈川,静岡,福井,富山,茨城,福島ノ諸県」であって(池田ほか前掲),正に富山県がそこに含まれています。1918917日までに,37市・134町・139村で米騒動の大衆行動,検挙者数万,起訴7708人ということですが(近代日本総合年表236頁),混雑した留置所はもちろん密閉・密集・密接状態であって,三密理念型の絵にかいたような顕現です。

当該流行性感冒の伝播の状況については,最初の前記6県に続いて「之ト相前後シテ埼玉,山梨,奈良,島根,徳島,等ノ諸県ヲ襲ヒ,九州ニ於テハ9月下旬ヨリ10月上旬ニ渉リ熊本,大分,長崎,宮崎,福岡,佐賀ノ各地ヲ襲ヒ,10月中旬ニハ山口,広島,岡山,京都,和歌山,愛知ヲ侵シ,同時ニ東京,千葉,栃木,群馬等ノ関東方面ニ蔓延シ,爾余ノ諸県モ殆ント1旬ノ差ヲ見スシテ悉ク本病ノ侵襲ヲ蒙レリ,10月下旬北海道ニ入リ11月上旬ニハ遠ク沖縄地方ニ及ヒタリ」と内務省衛生局は記録しています(池田ほか前掲)。

 

5 寺内正毅「スペイン風邪対策本部長」による「スペイン風邪緊急事態宣言」及び臣民の「自粛」

軍隊を出動させたり,新聞記事を差し止めたりするばかりの当時の寺内正毅内閣の米騒動対応は,見当違いの大間違いでありました。それに対して,人智の進んだ2020年の第4次安倍晋三内閣時代における我々の目から見た正解はどのようなものであったかといえば,次のごとし。

衛生行政所管の水野錬太郎内務大臣がいち早くスペイン風邪の「まん延のおそれが高いと認め」た上で(新型インフルエンザ等対策特別措置法(平成24年法律第31号。以下「新型インフルエンザ法」といいます。)附則1条の22項参照),寺内内閣総理大臣にスペイン風邪の発生の状況,スペイン風邪にかかった場合の病状の程度その他の必要な情報の報告をします(新型インフルエンザ法14条参照)。

それを承けて寺内内閣は,後付け気味ながらも政府行動計画を閣議決定して(新型インフルエンザ法62項・4項参照),更に――スペイン風邪の病状は普通のインフルエンザ(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(平成10年法律第114号)661号)のそれよりも重いわけですから(新型インフルエンザ法151項参照)――大正天皇の勅裁を得て(大日本帝国憲法10条の官制大権)臨時に内閣にスペイン風邪対策本部を設置し(新型インフルエンザ法151項参照),同対策本部(その長たるスペイン風邪対策本部長は,寺内内閣総理大臣(新型インフルエンザ法161項参照))は政府行動計画に基づいてスペイン風邪に係る基本的対処方針を定めます(新型インフルエンザ法181項・2項参照)。

寺内内閣総理大臣兼スペイン風邪対策本部長はスペイン風邪対策本部の設置及びスペイン風邪に係る基本的対処方針を公示し(新型インフルエンザ法152項,183項参照),スペイン風邪の脅威という命にかかわる大問題を前にして米の値段がちいと高いぞ云々とたかが経済の問題にすぎないつまらないことで暴れまわっているんじゃないよ,経済よりも人命だぞ,と人民に警告を発しおきます。

しかしてスペイン風邪が国内で発生したことが確認され次第直ちに――スペイン風邪には「国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれ」があり,かつ,「その全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響」を及ぼすおそれがあることは自明ですから――寺内正毅スペイン風邪対策本部長はスペイン風邪緊急事態宣言をおごそかに発し(新型インフルエンザ法321項参照),かつ,直ちに北海道庁長官,府県知事及び警視総監をして,住民に対しては「生活の維持に必要な場合を除きみだりに当該者の居宅又はこれに相当する場所から外出しないことその他の」スペイン風邪の「感染の防止に必要な協力を要請」(新型インフルエンザ法451項参照)せしめ,多数の者が利用する施設を管理する者又は当該施設を利用して催物を開催する者に対しては「当該施設の使用の制限若しくは停止又は催物の開催の制限若しくは停止その他」を指示(新型インフルエンザ法452項・3項参照)せしめます(新型インフルエンザ法201項・331項参照)。

事業者及び臣民は政府のスペイン風邪対策に「協力するよう努めなければならない」責務を有するのですから(新型インフルエンザ法41項参照),非国民ならざる忠良な臣民は当然真摯に自粛してみだりに「居宅又はこれに相当する場所から外出」することはなくなって街頭の米騒動は直ちに終息,「即ち当時欧洲大戦の影響に因り,物価の昂騰著しきものあり,特に生活必需品の大宗たる米価は奔騰に奔騰を重ねて正に其の極を知らざる状態であつた。かくして国民の多数は,著しく生活の脅威に曝さるゝに至り,遂に所謂米騒動なるものが随所に勃発し,暴行掠奪の限りが尽さるゝに至つた。かくして寺内内閣は,これが責任を負ふて遂に退陣の止むなきに至つたのである。」(山崎丹照『内閣制度の研究』(高山書院・1942年)357頁)ということにはならなかったことでありましょう。(現実には1918921日に寺内内閣総理大臣は辞表を提出,西園寺公望の大命拝辞を経て同月29日に原敬内閣が成立しました(近代日本総合年表236頁)。)

 

6 原敬内閣の初期の取組

原内閣は初の本格的政党内閣といわれていますが,ウイルス様からしてみれば官僚と政党人との区別はつかないのでしょうから,スペイン風邪の前には,政党主導の政府も無力であったようです。事実,原敬自身慎重で,「原は新聞記者の前田まえだ蓮山れんざんに,「あまり吾輩に期待すると失望するぜ。年をとると,いろいろと周囲の事情が複雑になってね。なかなか身動きが自由にならん」と語っていた」そうです(今井清一『日本の歴史23大正デモクラシー』(中央公論社・1966年)186頁)。

所管の床次竹二郎内務大臣は,就任後半月を経た19181016日の段階における原内閣閣僚による皇太子裕仁親王拝謁の際独り「所労」のため拝謁をしていませんが(実録二412頁),果たして何をしていて疲労していたのでしょうか。同月10日には友愛会東京鉄工組合創立総会が開催されていますが(近代日本総合年表236頁),内務省は,そのような多人数の集まる危険な企てに対して,「いのちを守るStay Home/ウチで過ごそう」と要請して当該総会の開催を阻止することはできなかったようです。また,床次内務大臣が総裁を兼務していた鉄道院は,同年116日から2等寝台2人床の大人2人による使用を禁止することとしていますが,その理由は「風紀維持」という艶めかしいものであって(近代日本総合年表236頁),命にかかわるスペイン風邪に対する三密禁止を徹底せんとの真剣な危機感が感じられないところです。
 原内閣総理大臣自身,「大正7年(1918年)1011日,原首相は東京商業会議所主催の内閣成立祝賀午餐会にのぞんで,教育の改善・交通通信機関の整備・国防の充実・物価の自然調節という積極政策をとることを明らかにした。この最後の項目を産業の奨励とさしかえたものが,いわゆる政友会の四大政策である。」ということで(今井221頁),三密午餐会に得々として出席しているのですから,そもそも示しがつかない。更に「四大政策」についていえば,教育の改善は「この増設案では,高等学校10校,高等商業7校,高等工業6校,高等農林4校,外国語学校・薬学専門学校各1校,計29校と,ほぼこれまでの学校数を倍増することにしたのをはじめ,総合大学の学部増設,専門学校の単科大学への昇格などがふくまれていた。またあらたに大学令が公布され,帝国大学のほかに官立・公立・私立の大学を認め,これまで専門学校として扱ってきた私立大学にも,名実ともに大学となる道を開いた。」(今井222頁)という青年らが集まってクラスターとなりかねない施設の増設をもって「改善」と称するものであって遠隔教育という最重要課題に対する取組が欠落しており,交通機関を整備してしまうとかえって人的接触が増大してスペイン風邪の流行を助長するのでまずく,国防を充実して鎖国に戻って海外からのウイルス侵入を防ぐのはよいとしても,本来は自粛してあるべき産業の奨励なんぞより先に,命を守るためのマスク及び現金の支給を全臣民に対して直ちに行うべきでありました。

Abenomask

The Abenomask of 2020: a humanely-advanced brave countermeasure of the 21st century against the stale coronavirus-"pandemic" of lurid public hallucinations in Japan
 

ということで,「インフルエンザは各地の学校や軍隊を中心に1カ月ほどのうちに全国に広がりました。〔1918年〕10月末になると,郵便・電話局員,工場・炭鉱労働者,鉄道会社従業員,医療従事者なども巻き込み,経済活動や公共サービス,医療に支障が出ます。新聞紙面には「悪性感冒猖獗(しょうけつ)」,「罹患者の5%が死亡」,山間部では「感冒のため一村全滅」といった報道が見られるようになります。この頃,死者の増加に伴う火葬場の混雑も記録されています。」という状況になります(川名前掲)。

我が国におけるスペイン風邪の「第1回目の流行による死亡者数は,191810月より顕著に増加をはじめ,同年11月には男子21,830名,女子22,503名,合計44,333名のピークを示した後,同年12月,19191月と2か月続けて減少したが,2月には男子5,257名,女子5,146名,合計10,403名と一時増加し,その後順調に減少した。」ということで(池田ほか前掲),これだけの数の国民をみすみす死なせてしまった(11月の44333人は,死亡者数であって,単なる感染者数ではありません。)原内閣はなぜ早々に崩壊しなかったのかと,今からすると不思議に思われます。(19191月に内務省衛生局は「流行性(はやり)感冒(かぜ)予防心得」なるものを公開して現在いうところの「咳エチケット」的なことを唱道していますが(川名前掲)手ぬるかったようで,翌月には,上記のとおり,スペイン風邪の死者数が再び増加してしまっているところです。

しかも,流行ピークの191811月には,(かしこ)き辺りにおいても恐るべき事態となっていたのでした。

 

7 191811

 

(1)裕仁親王の流行性感冒感染

 

 〔191811月〕3 日曜日 午前10時御出門,新宿御苑に行啓され,〔皇太子は〕供奉員・出仕をお相手にゴルフをされる。御体調不良のため,予定を早め午後115分御出門にて御帰還になる。流行性感冒と診断され,直ちに御仮床にお就きになり,以後15日の御床払まで安静に過ごされる。御学問所へは18日より御登校になる。なお,この御病気のため,9日に予定されていた近衛師団機動演習御覧のための茨城県土浦付近への行啓はお取り止めとなる。(実録二416頁)

 

 結果としては回復せられたのですから結構なことです。しかし,皇太子裕仁親王殿下がスペイン風邪という命にかかわる恐ろしい病に冒されたというのに,原内閣総理大臣も,床次内務大臣も,波多野敬直宮内大臣も,東郷東宮御学問所総裁も,だれも恐懼して腹を切らなかったのですね。(さすがに,御親であらせられる大正天皇及び貞明皇后からは同月6日には御病気御尋があり,同月11日には貞明皇后から更に御尋がありました(実録二417頁)。なお,原内閣総理大臣は,同年1025日(金曜日)夜の北里研究所社団法人化祝宴において夫子自らスペイン風邪に罹患してしまって翌同月26日(土曜日)晩には腰越の別荘で38.5度の熱を発したものの,同月29日(火曜日)の日記の記述においては「風邪は近来各地に伝播せし流行感冒(俗に西班牙風といふ)なりしが,2日斗りに下熱し,昨夜は全く平熱となりたれば今朝帰京せしなり。」と豪語していますから(曽我豪「スペイン風邪に感染した平民宰相・原敬。米騒動から見えたコロナ禍に通じる教訓」朝日新聞・論座ウェブサイト(2020411日)における引用による),みんな騒いでいるようだがスペイン風邪など実は大したことなどなかったのだよと不謹慎に高を括っていたのかもしれません。事実,問題の1918113日には芝公園広場における政党内閣成立の祝賀会に出席し,密集した人々と密接しつつ,「平民宰相」は御満悦の笑顔を見せておりました(今井221頁の写真)。

「天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ」た(大日本帝国憲法告文)大正天皇の下のいわゆる大正デモクラシーの時代は,「57歳となられ,これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられる」こと等に鑑みてその即位が全国民を代表する議員で組織された国会の立法により実現せしめられた(天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)1条・2条,日本国憲法431項・591項)今上天皇を戴く我らが令和の聖代に比べて,尊皇心に欠けるけしからぬ時代であったものか。それとも単に,たとい皇太子であっても人命尊重には限界があり,かつ,「当時は抗菌薬や抗インフルエンザウイルス薬は無く,安静,輸液,解熱剤など対症療法が主」であったので(川名前掲。なお,現在においても新型ウイルス感染症などについては,せっかく高い期待をもって検査をしてもらっても肝腎の陽性の人のための抗ウイルス薬はなく,安静にして対症療法を受けるしかないという何だぁがっかりの状況もあるでしょう。),所詮医学は天命の前には無力であり,医師も当てにはならぬとの無学野蛮な諦念があったものか。

 

(2)医学及び医師に対する信頼の新規性(脱線)

医学及び医師の威信が甚だしく向上したのは,実は20世紀もしばらくたってからのことなのでしょう。例えば18世紀末には依然,医師など呼ぶとかえって碌なことにならなかったようです。17991214日,ただの風邪だと思っていた病気を悪化させ,喉に炎症を発し呼吸困難となっていた67歳のジョージ・ワシントン最期の日・・・

 

   彼らが〔アレクサンドリア在のスコットランド系の医師でフレンチ=インディアン戦争以来ワシントンに献身的に仕えてきた〕クレイク医師を待つ間,マーサ〔夫人〕はポート・タバコ在の有名なガステイヴァス・リチャード・ブラウン医師を呼んだ。クレイク医師は最初に到着し,更に瀉血を行い,かつ,炎症を表に出すために,干した甲虫〔Spanish fly〕から作られた薬であるキャンサラディーズを喉に施して,既に行われていた中世の療法を継続した。彼はまた,ワシントンに,酢と湯とで満たされたティーポットから蒸気を吸引させた。酢を混ぜたサルビアの葉の煎薬でうがいをしようと頭をのけぞらせたとき,ワシントンは窒息しそうになった。クレイク医師は驚駭し,第3の医師,すなわちベンジャミン・ラッシュ医師の下で学んだアレクサンドリア在の若いフリー・メイソン会員であるエリシャ・カレン・ディックを呼んだ。彼は到着すると,クレイクと一緒に更に多くの血液を抜き出すことに加わった。それは「ゆっくりと流れ出,濃く,何らかの気絶の症状をもたらす様子はなかった。」と〔秘書の〕リアは記録している。彼らはまた,浣腸剤を使ってワシントンの腸を空にした。とうとうブラウン医師も加わって,彼らは既に消耗しているワシントンの肉体から更に2パイント〔1パイントは約0.47リットル〕の血を抜いた。ワシントンは合計5パイント,あるいは彼の肉体中の全血液量の約半分を失うことになったと見積もられている。ディック医師は,なお一般的ではなく,かつ,高度に実験的であった治療法――呼吸を楽にするために,ワシントンの気管に穴を穿(うが)ち開ける気管切開術――を提案したが,これはクレイク及びブラウンによって却下された。「あの手術がされなかったことを,私はずっと後悔し続けるでしょう。」と,当該3医師を,溺れて藁をもつかもうとする者に例えつつ,後にディックは述べている。しかし,既に衰弱していた彼の状態を前提とすると,ワシントンがそのような施術を受けて生き延び得たということはとてもありそうにないことである。(Chernow, Ron, Washington: a Life. Penguin Press, 2010. p.807

 

溺れて藁をもつかもうとするというような殊勝な話ではなく,上記3医師が医療の名のもとにやらかした行為は,むしろ猟奇的血抜きの悪魔的狂乱のようでもあります(更に浣腸までしている。)。

 

  人体にはおよそ4ℓから5ℓの血液があり・・・

  君の体格なら・・・

  おそらく・・・4.5ℓといったところか

  君は・・・

  その血液を賭ける・・・!

  〔略〕

  通常「死」は総血液量の1/3程が

  失われる頃から

  そろりそろりと忍び寄り

  1/2を失うのを待たず・・・

  まず・・・絶命する・・・!

  〔略〕

  もっともそれより早く死ぬこともあり得る

  急激に抜けば

  1/3・・・

  つまり1500ccでも充分死に至る

  仮に死なないとしても意識混濁は激しく・・・

  まず・・・麻雀など興じている状態ではあるまい(福本伸行『アカギ――闇に降り立った天才』第67話)

 

(3)少年の生と老人の死と

 17歳の裕仁親王は1918113日の流行性感冒の診断から十余日で回復し,免疫を獲得してしまいましたが,『昭和天皇実録』の1918113日条は,若き裕仁親王の流行性感冒感染経験の記述に続いて,84歳の老人の死を伝えます。

 

  臨時帝室編修局総裁伯爵土方久元大患につき,御尋として鶏卵を下賜される。土方は4日死去する。〔略〕土方は旧土佐藩出身にて武市半平太の土佐勤王党に参加し討幕運動にも加わる。維新後は,元老院議官,宮中顧問官,農商務大臣などを経て,明治20年より31年まで宮内大臣を務めた。その後は帝室制度取調局総裁心得などを経て,臨時帝室編修局総裁として明治天皇の御紀編修に尽力した。一方で,明宮御用係,明宮御教養主任,東宮輔導顧問なども務め,〔大正〕天皇の御教育・御輔導にも深く関わり,皇太子に対しても,皇孫・皇太子時代を通じ,しばしば御殿・御用邸に参殿・参邸し,御機嫌を奉伺するところがあった。(実録二416-417頁)

 

 武市半平太も同じ土佐の坂本龍馬も三十代で非命に斃れたことを思えば,土方は大臣にもなって八十代半ばまで生きたのですから,とても悔しいです土方伯爵のかけがえのない尊い命が迅速にロックダウンをしなかった床次内務大臣・原内閣総理大臣の無策のために84歳の若さで奪われたことは到底許せません,などと言い募るべきものかどうかは考えさせられるところがあります。なお,土方は死の8日前の19181027日には日本美術協会において同協会の会頭として裕仁親王に拝謁していますから(実録二414頁),確かに突然の死ではありました。(ちなみに,19181027日の鷗外森林太郎の日記『委蛇録』には,「27日。日。雨。皇儲駕至文部省展覧会,日本美術協会。予往陪観。」とあります(『鷗外選集第21巻 日記』(岩波書店・1980年)278頁)。また,1918113日には,森帝室博物館総長兼図書頭は正倉院曝涼監督のために東京から奈良に移動しています。同日は好天で,富士山が美しかったようです。いわく,「是日天新霽。自車中東望。不二山巓被雪。皓潔射目。雪之下界。作長短縷之状。如乱流蘇。」(鷗外279頁)。不要不急の出張ではなかったものでしょう。)

 

(4)第一次世界大戦の戦いの終了

 欧州では,裕仁親王が流行性感冒と診断された113日にはオーストリア=ハンガリー帝国が連合国と休戦協定を調印し,ドイツのキール軍港では水兵が叛乱を起していました。119日にはベルリンで宰相マックス公が社会民主党のエーベルトに政権を移譲し,ドイツ共和国の成立が宣言されます。同月10日,ドイツのヴィルヘルム2世はオランダへと蒙塵。同月11日午前5時にはドイツと連合国との間に休戦協定が調印され,当該協定は同日午前11時に発効しています。第一次世界大戦の戦いは終わりました。

 昭和天皇統治下の大日本帝国敗北の27年前のことでした。


8 3回のスペイン風邪流行

 我が国のスペイン風邪流行は,前記『近代日本総合年表 第四版』によれば1918年春から1919年にかけての1回限りであったように思われるところですが,実は3にわたったようです。第1回の流行は19188月から19197月まで(小池年表,川名前掲,池田ほか前掲),第2回の流行は19198月(池田ほか前掲),9月(川名前掲)又は10月下旬(小池年表)から19207月まで(小池年表,川名前掲,池田ほか前掲),第3回の流行は19208月から(小池年表,川名前掲,池田ほか前掲)19215月(小池年表)又は7月(川名前掲,池田ほか前掲)までと分類されています。

 

(1)第1回流行(1918-1919年):竹田宮恒久王の薨去

 第1回流行時の患者数は,21168398人(池田ほか前掲,川名前掲)又は21618388人(小池年表)とされ(こうしてみると,小池年表は数字を書き写し間違えたものかもしれません。),19181231日現在の日本の総人口56667328人に対する罹患率は37.3パーセントとなりました(池田ほか前掲。川名前掲は「日本国内の総人口5,719万人に対し」罹患率「約37」としています。)。第1回流行時の総死亡者数は257363人(小池年表,池田ほか前掲(内務省衛生局『流行性感冒』(1922年)に基づくもの)。川名前掲は「257千人」)又は103288人(池田ほか前掲(人口動態統計を用いて集計したもの))であって,前者の死亡者数に基づく患者の死亡率は1.22パーセントでした(小池年表,池田ほか前掲。川名前掲は「1.2」)。

 第1回流行時には,皇族に犠牲者が出ています。

 

  〔1919423日〕午後735分,〔竹田宮〕恒久王が薨去する。恒久王は本月12日より感冒に罹り,17日より肺炎を併発,20日には重態の報が伝えられる。よって皇太子よりは,その病気に際して御尋として鶏卵を贈られ,重態に際しては東宮侍従牧野貞亮を遣わし葡萄酒を御贈進になる。また,この日危篤との報に対し,急遽牧野侍従を竹田宮邸へ遣わされる。(実録二446頁)

 

 恒久王の父は,原敬内閣総理大臣の出身藩である南部藩等によって戊辰戦争の際結成された奥羽越列藩同盟の盟主たりし輪王寺宮こと北白川宮能久親王でした。日清戦争の下関講和条約後の台湾接収の際征台の近衛師団長を務めて同地で病歿した「能久親王は幕末期には公現法親王と称し,日光東照宮を管理する輪王寺宮として関東に下向した。幕府崩壊時には江戸を脱出して宮城白石にあって奥羽越列藩同盟の精神的盟主となり,天皇に即位したとも言われている人物である。仙台藩降伏後は謹慎処分となったが,還俗してドイツに留学,北白川家を継いで陸軍軍人とな」った宮様であるとのことです(大谷正『日清戦争』(中公新書・2014年)223頁)。しかし,明治大帝に抗する対立天皇として立ったとは,北白川宮家及び竹田宮家は,御謀叛のお家柄歟。

 恒久王薨去のため,当初1919429日に予定されていた皇太子裕仁親王の成年式(明治皇室典範13条により皇太子は満18年をもって成年)は延期となり(同月25日発表),同年51日に至って同月7日に挙行の旨が告示され(実録二448),同日無事挙行され(実録二453-457。「7日。水。天候如昨〔暄晴〕。皇儲加冠。予参列賢所。詣宮拝賀。」(鷗外293頁)とあります。),また翌同月8日には宮中饗宴の儀が行われました(実録二457-458。「木。晴。赴宮中饗宴。」(鷗外293頁)。)。恒久王の薨去に係る服喪に伴う延期はあっても(同年4月「30日。水。陰雨。会恒久王葬乎豊島岡。」(鷗外293頁)とあります。),スペイン風邪の流行については,三密回避など全くどこ吹く風という扱いです。

 

(2)第2回流行(1919年‐1920年):雍仁親王の罹患

 第2回流行時においては,患者数が2412097人(池田ほか前掲,川名前掲),死亡者数は127666人(池田ほか前掲(内務省衛生局『流行性感冒』に基づくもの)。川名前掲は「128千人」)又は111423人(池田ほか前掲(人口動態統計を用いて集計したもの))であって,前者の死亡者数に基づく患者の死亡率は5.29パーセント(池田ほか前掲。川名前掲は「5.3」)でした。

2回流行時における患者死亡率については,内務省衛生局の『流行性感冒』は「患者数ハ前流行ニ比シ約其ノ10分ノ1ニ過キサルモ其病性ハ遥ニ猛烈ニシテ患者ニ対スル死亡率非常ニ高ク〔1920年〕34月ノ如キハ10%以上ニ上リ全流行ヲ通シテ平均5.29%ニシテ前回ノ約4倍半ニ当レリ」と述べています(池田ほか前掲の引用)。「流行時期によりウイルスが変異することが往々にして観察される」ところ,「スペインかぜ流行の際にも原因ウイルスが変異し,その結果として死亡率が大幅に増加したものと考えることができる。」とされています(池田ほか前掲)。

「大正78年〔19181919年〕ニ亘ル前回〔第1回〕ノ流行ハ〔略〕春夏ノ交ニ至リ全ク終熄ヲ告ケタレトモ再ヒ〔大正〕8年〔1919年〕10月下旬,向寒ノ候ニ及ヒテ神奈川,三重,岐阜,佐賀,熊本,愛媛等ニ流行再燃ノ報アリ,次テ11月ニ至リ東京,京都,大阪ヲ始メトシ茨城,福島,群馬,長野,新潟,富山,石川,鳥取,静岡,愛知,奈良,和歌山,広島,山口,香川,福岡,大分,鹿児島,青森,北海道等ニ相前後シテ散発性流行ヲ見,爾余ノ諸県モ漸次流行ヲ来スニ至」っていたところ(池田ほか引用の内務省衛生局『流行性感冒』),死亡者数は,「191912月より増加を開始し,19201月に〔略〕ピークを示した後順調に減少」しています(池田ほか前掲)。「斯クテ各地ニ散発セル病毒ハ再ヒ漸次四囲ニ伝播シ,遂ニ一二県ヲ除キテハ何レモ患者ノ発生ヲ見サル処ナキニ至リ,翌春〔1920年〕1月に及ヒ猖獗ヲ極メ多数ノ患死者ヲ出シタリ,3月ヨリ漸次衰退シテ67月ニ至リ全ク終熄シタリ」というわけです(池田ほか引用の内務省衛生局『流行性感冒』)。

 第2回流行時には,後に19261225日から19331223日まで皇嗣殿下(ただし,立皇嗣の礼は行われず。)となられる淳宮雍仁親王(裕仁親王の1歳違いの弟宮)が,第1回流行時よりも「遥ニ猛烈」な病性となったスペイン風邪に感染したようです。

 

  雍仁親王は去る〔19201月〕16日以来,流行性感冒のため病臥につき,〔同月20日〕皇太子〔裕仁親王〕より御尋として5種果物1籠を贈進される。〔同月〕22日,東宮侍従本多正復を御使として遣わされ,鶏卵・盆栽を御贈進になり,222日には同甘露寺受長を御使として差し遣わされる。雍仁親王の違例は34日に至る。(実録第二543頁)

 

正に19201月は,スペイン風邪の第2回流行時の死亡者ピーク月です(男子19835人,女子19727人の合計39362人(池田ほか前掲))。やんごとなき皇族の方々にあらせられても,ロックダウンなどという大袈裟かつよそよそしいことはされておられなかったので(ただし,同月8日に予定されていた宮城前外苑における陸軍始観兵式は,「感冒流行の理由をもって〔大正〕天皇は臨御されざることとなり,観兵式は中止」ということになっています(実録二541頁)。その後,大正天皇は,同年49日以降「御座所における御政務以外は,一切の公式の御執務を止められ,専ら御摂養に努めらるること」となっています(実録二574頁)。),もったいなくも,我ら草莽の人民と休戚のリズムを共にせられていたということでしょうか。しかして,雍仁親王は1箇月半以上もダウンせざるを得なかったのですから,確かに重い流行性感冒です。

ところで,皇太子殿下から御尋で5種果物や鶏卵などを贈られてしまうと,兄弟愛云々ということももちろんあるのでしょうが,191964日の徳大寺実則(同日「元侍従長大勲位公爵徳大寺実則病気危篤の報に接し,〔裕仁親王は〕御尋として葡萄酒を下賜される。また,去る〔同月〕2日には病気御尋として5種果物1籠を下賜される。実則はこの日午後7時死去する。」(実録二469-470頁)),191811月の前記土方久元(鶏卵)及び19194月の同じく前記竹田宮恒久王(鶏卵及び葡萄酒)の各例などからすると,5種果物の次はとうとう鶏卵を下されたのだね僕もいよいよ最期かな,しかし兄貴はうまい具合に先に軽く感染して免疫ができてずるいよなあ,これまで18年近く生きてきたけど兄貴を一生立てるべき次男坊に生まれてはさして面白いこともなかったよ,三好愛吉傅育官長も去年の紀元節の日にインフルエンツア肺炎で逝っちゃたけど確かにインフルエンツアがこう彼方にも此方にも流行しては居る処が無いような気がするなぁ,などと雍仁親王におかせられてはひそかに御覚悟せられるところがひよっとしたらあったかもしれません。(しかし,鶏卵の例についていえば,1919213日(この月は,前記のとおり,スペイン風邪第1回流行時において流行の再燃があった月です。)には小田原滞在中の山県有朋に対し,「感冒症より肺炎を発し重患の趣につき,病気御尋として鶏卵」が皇太子裕仁親王から下賜されているにもかかわらず(実録二435。確かに同日の山県の容態は重篤であったようで,森林太郎図書頭も図書寮から小田原に駆けつけています。いわく,「13日。木。朝晴暮陰。参寮。問椿山公病乎古稀庵。船越光之丞,安広伴一郎及河村金五郎接客。清浦奎吾,井上勝之助,中村雄次郎,穂積陳重等在座。出門邂逅古市公威。」(鷗外289頁)。),この80歳の奇兵隊おじいさんはしぶとく回復し,同年69日には裕仁親王の前に現れています(実録二470頁)。また,差遣先の山梨県下で罹病して1920119日から山梨県立病院に入院した東宮武官浜田豊城にも,裕仁親王から「病気御尋として鶏卵」が下賜されていますが,浜田東宮武官は1週間で退院しています(実録二542頁)。果物1籃だけならば,雍仁親王は1919420日に不例の際御尋として裕仁親王から贈進を受けたことがあり,その後同月29日に床払いに至っています(実録二446頁)。とはいえ,192035日に死亡した内匠頭馬場三郎(元東宮主事)の病気に際しては裕仁親王から「御尋として果物を下賜」されていたところではあります(実録二549頁)。なお,医者も不養生で病気に罹っており,陸軍省医務局長軍医総監たりし森林太郎も1918124日には「水。晴。参館。還家病臥。」と寝込んでしまい,同月7日には「土。晴。在蓐。従4日至是日絶粒。是日飲氵重〔さんずいに重で一字〕。」,同月9日になって粥が食べられるようになり(「夕食粥」),「10日。火。晴。在蓐。食粥如前日。起坐。」,同月14日にようやく普通の食事ができるようになって(「土。陰。園猶有雪。食家常飯。」),同月16日にやっと「月。晴。病寖退。而未出門。」,職務復帰は同月20日のこととなりました(鷗外284-285頁)。時期からいって,これはスペイン風邪でしょう。長期病欠の帝室博物館総長兼図書頭には,皇室から鹿肉や見舞金が下賜されています。すなわち,「〔191812月〕18日。水。晴。在家。上賜鹿肉。所獲於天城山云。東宮賜金。/19日。木。陰。猶在家。両陛下賜金。」(鷗外285頁)。さすがにもうそろそろ出勤しないとまずい頃合いとはなったようです。

スペイン風邪の第2回流行時においては「感染者ノ多数ハ前流行ニ罹患ヲ免レタルモノニシテ病性比較的重症ナリキ,前回ニ罹患シ尚ホ今回再感シタル者ナキニアラサルモ此等ハ大体ニ軽症ナリシカ如シ」ということだったそうですから(池田ほか引用の内務省衛生局『流行性感冒』),接触8割削減を目指して第1回流行時に真面目に自粛して引きこもった真摯な人々よりも,ままよと己が免疫力及び自然治癒力の強さを信じて第1回流行時に早々に感染して免疫をつけてしまった横着な人々の方がいい思いをしたということでしょうか。ただし,スペイン風邪に係る感染遷延策が常に裏目に出たわけではないようで,「このなかでオーストラリアは特筆すべき例外事例でした。厳密な海港における検疫,すなわち国境を事実上閉鎖することによりスペインフルの国内侵入を約6ヶ月遅らせることに成功し,そしてこのころには,ウイルスはその病原性をいくらかでも失っており,そのおかげで,オーストラリアでは,期間は長かったものの,より軽度の流行ですんだとされています。」ともいわれています(感染症情報センター前掲)。

いずれにせよ「感染伝播をある程度遅らせることはできましたが,患者数を減らすことはできませんでした。」(感染症情報センター前掲)ということになるのでしょうか。「西太平洋の小さな島では〔オーストラリア〕同様の国境閉鎖を行って侵入を食い止めたところがありましたが,これらのほんの一握りの例外を除けば,世界中でこのスペインフルから逃れられた場所はなかったのです。」とされています(感染症情報センター前掲)。 

 

  Etiam si quis timiditate est et servitute naturae, coronas congressusque ut hominum fugiat atque oderit, tamen is pati non possit, ut non anquirat aliquem, apud quem emovat virus aegritudinis suae. 

 

(3)第3回流行(1920年‐1921年):杉浦重剛の仮病

3回流行時においては,患者数が224178人(小池年表,池田ほか前掲,川名前掲),死亡者数は3698人(小池年表,池田ほか前掲(内務省衛生局『流行性感冒』に基づくもの),川名前掲)又は11003人(池田ほか前掲(人口動態統計を用いて集計したもの))であって,前者の死亡者数に基づく患者の死亡率は1.65パーセント(小池年表,池田ほか前掲。川名前掲は「1.6%」)でした。

「わが国のスペインインフルエンザもその後国民の大部分が免疫を獲得するにつれて死亡率も低下し」,第3回の流行時には「総患者数からみてもすでに季節性インフルエンザに移行していると見たほうが良いかもしれません。」ということになったようです(川名前掲)。

ところで,スペイン風邪の第3回流行時である1920124日,東宮御学問所御用掛杉浦重剛は病気を理由に辞表を提出し,同月6日から翌年の東宮御学問所の終業まで,次代の天皇の君徳涵養にかかわる倫理の講義は行われないこととなってしまいました(実録二663664頁)。これについて,杉浦重剛もとうとうスペイン風邪に罹患してしまったが当時は遠隔授業を行い得る設備は東宮御学問所といえども存在せず嗚呼忠臣杉浦天台は涙を呑んで「いのちを守るStay Home」をしたのか健気なことである,と考えるのは早とちりであって,これは杉浦の仮病です。1921218日の東宮御学問所終業式に,辞めたはずの杉浦は出席整列しています(宮内庁『昭和天皇実録 第三』(東京書籍・2015年)1819頁)。

この間の事情について,『昭和天皇実録』の1921210日条はいわく。

 

 10日 木曜日 この日夕方,皇太子と良子(ながこ)女王との御婚約内定に変更なきことにつき,内務省,ついで宮内省より発表される。宮内省発表は左の如し。

   良子女王東宮妃御内定の事に関し世上種々の噂あるやに聞くも右御決定は何等変更せず

これより先,元老山県有朋らが,良子女王の子孫に色盲が遺伝する可能性があることをもって,女王の父〔久邇宮〕邦彦王に対し婚約辞退を求めた問題につき,当局は一切の新聞報道を禁止していた。しかし,昨年124日に辞表を提出した東宮御学問所御用掛杉浦重剛が,一部関係者に顛末を語って御婚約決行を求める運動を行ったことなどにより,この問題の存在が徐々に知られ,政界の一部,とりわけ右翼方面において,御婚約の取り消しに反対するとともに,宮内省や山県有朋を攻撃する運動が広まっていた。昨月下旬には久邇宮を情報源とし内情を暴露する「宮内省ノ横暴不逞」なる小冊子が各方面に配布されるなど各種怪文書が横行し,問題は議会においても取り上げられ,本月11日の紀元節には明治神宮において御婚約決行を祈願するという,右翼諸団体による大決起大会が計画された。こうした事態の中,山県ら元老は御婚約を辞退すべきとして譲らず,一方で具体的報道は一切禁止されたものの,新聞の報道ぶりから一般国民にも宮中方面に重大問題が進行中であることは明らかであり,宮内大臣中村雄次郎は何らかの決着を早期に図ることを迫られた。その結果,中村宮内大臣は自身の責任において事態を早期収拾することを決意し,この日良子女王の御婚約内定に変更なきことを発表するとともに,自身の辞職も表明する。(実録三1213頁)

 

いわゆる宮中某重大事件です。右翼の諸君明治神宮での集会はやめろよ「いのちを守るStay Home」なんだから「ウチで過ごそう」よ,と原内閣総理大臣も床次内務大臣も中村宮内大臣も言うことができず,元老(山県,松方正義及び西園寺公望)及び宮内省に反対する勢力の側も自粛せず,結局すなわちスペイン風邪は既に賞味期限切れだったようです。

 

9 スペイン風邪によって奪われた命について

以上,我が国における1918年から1921年までの合計では,スペイン風邪の患者数は23804673人,死者数は388727人(内務省衛生局『流行性感冒』)又は225714人(人口動態統計)ということになるようです(池田ほか前掲)。「歴史人口学的手法を用いた死亡45万人(速水,2006)という推計」もあるそうです(感染症情報センター前掲)。

死亡者の中で大きな比率を占めたのは0-2歳の乳幼児であったとされます(池田ほか前掲)。東京日日新聞の報ずるところでは,1918年には「1歳未満乳児の死亡率増大18.9%(336910人)。最高は大阪府・富山県の25.2%。東京府は18.8%」であったそうです(近代日本総合年表236頁)。生まれた赤ん坊のうち大体5人に1人は死んでしまったという計算です。

乳幼児以外について死亡者数の数を世代別に見ると,「男子では191719年においては2123歳の年齢域で大きなピークを示したが,192022年には3335歳の年齢域でピークを示し」,「女子ではいずれの期間においても2426歳の年齢域でピークを示して」いたそうです(池田ほか前掲)。海外では1918年の「(北半球の)晩秋からフランス,シエラレオネ,米国で同時に始まった〔スペイン風邪の〕第二波は〔同年春の第一波の〕10倍の致死率となり,しかも1535歳の健康な若年者層においてもっとも多くの死がみられ,死亡例の99%が65歳以下の若い年齢層に発生したという,過去にも,またそれ以降にも例のみられない現象が確認され」ていたところ(感染症情報センター前掲),我が国においても,「季節性インフルエンザでは,死亡例は65歳以上の高齢者が大部分で,あとは年少児に少し見られるのが一般的ですので,スペインインフルエンザでは青壮年層でも亡くなる人が多かったことは極めて特徴的です。」ということになっています(川名前掲)。この点については,National Geographicのウェブサイトの記事「スペインかぜ5000万人死亡の理由」(201452日)によれば,「答えは驚くほどシンプルだ。1889年以降に生まれた人々は,1918年に流行した種類のインフルエンザウイルスを子どもの頃に経験(曝露)していなかったため,免疫を獲得していなかったのだ。一方,それ以前に生まれた人々は,1918年に流行したインフルエンザと似た型のウイルスを経験しており,ある程度の免疫があった。」ということであったものとされています。(追記:これに関連して,The Economist2020425日号の記事(“A lesson from history”)は,1918年のスペイン風邪流行時においては28歳の年齢層の死亡率が特に高かったところ,これは,彼らが生まれた1890年に流行した別の種類のインフルエンザであるロシア風邪フルーの影響であるという説を紹介しています。すなわち,乳幼児期にあるウイルスにさらされると,後年別種のウイルスに感染したときに通常よりも重篤な症状を示す可能性があるというのです。乳児期にロシア風邪ウイルスに曝されて形成された免疫機構は,スペイン風邪ウイルスに対して,本来はロシア風邪ウイルスに対すべきものである誤った反応をしてしまったのだというわけです。)

 ところで,我が国においてはスペイン風邪流行期に「いのちを守るStay Home」が真摯に実行されていなかったように思われるのは,青壮年の命はくたびれて脆弱となった高齢者のそれとは違って対人接触の絶滅に向けた自粛までをもわざわざして守るべき命ではない,という認識が存在していたということででもあったものでしょうか。あるいは当時の青壮年は,死すべき存在たる人間として避けることのできない死の存在を知りつつも淡然ないしは毅然とそれを無視し得るほどの覇気と希望とデモクラティックな情熱とに満ちた人間好きな人々だったのでしょうか。考えさせられるところです。  



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1 暴対法第5章

 平成20年法律第28号によって同法の公布の日である200852日から,3条からなる次の章が,暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(平成3年法律第77号。以下「暴対法」といいます。)に加えられています(平成20年法律第28号附則1条)。ただし,第31条及び第31条の3の規定は,既に平成16年法律第38号によって暴対法旧15条の2及び旧15条の3として存在していたところ(平成16年法律第38号の附則1条によって同法が公布・施行された2004428日から暴対法に追加),改めて当該新章に移されたものです。

 

    第5章 指定暴力団の代表者等の損害賠償責任

   (対立抗争等に係る損害賠償責任)

  第31条 指定暴力団の代表者等は,当該指定暴力団と他の指定暴力団との間に対立が生じ,これにより当該指定暴力団の指定暴力団員による暴力行為(凶器を使用するものに限る。以下この条において同じ。)が発生した場合において,当該暴力行為により他人の生命,身体又は財産を侵害したときは,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

  2 一の指定暴力団に所属する指定暴力団員の集団の相互間に対立が生じ,これにより当該対立に係る集団に所属する指定暴力団員による暴力行為が発生した場合において,当該暴力行為により他人の生命,身体又は財産を侵害したときも,前項と同様とする。

   (威力利用資金獲得行為に係る損害賠償責任)

  第31条の2 指定暴力団の代表者等は,当該指定暴力団の指定暴力団員が威力利用資金獲得行為(当該指定暴力団の威力を利用して生計の維持,財産の形成若しくは事業の遂行のための資金を得,又は当該資金を得るために必要な地位を得る行為をいう。以下この条において同じ。)を行うについて他人の生命,身体又は財産を侵害したときは,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。ただし,次に掲げる場合は,この限りでない。

   一 当該代表者等が当該代表者等以外の当該指定暴力団の指定暴力団員が行う威力利用資金獲得行為により直接又は間接にその生計の維持,財産の形成若しくは事業の遂行のための資金を得,又は当該資金を得るために必要な地位を得ることがないとき。

   二 当該威力利用資金獲得行為が,当該指定暴力団の指定暴力団員以外の者が専ら自己の利益を図る目的で当該指定暴力団員に対し強要したことによって行われたものであり,かつ,当該威力利用資金獲得行為が行われたことにつき当該代表者等に過失がないとき。

   (民法の適用)

31条の3 指定暴力団の代表者等の損害賠償の責任については,前2条の規定によるほか,民法(明治29年法律第89号)の規定による。

 

「指定暴力団」とは暴対法3条の規定により都道府県公安委員会の指定した暴力団をいい(同法23号),「暴力団」とは「その団体の構成員(その団体の構成団体の構成員を含む。)が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれがある団体」をいい(同条2号),「暴力的不法行為等」とは暴対法「別表に掲げる罪のうち国家公安委員会規則で定めるものに当たる違法な行為」をいい(同条1号),「代表者等」とは,「当該暴力団を代表する者又はその運営を支配する地位にある者」をいい(同法33号),「指定暴力団員」とは「指定暴力団等の暴力団員」をいい(同法9条柱書き),「指定暴力団等」とは「指定暴力団又は指定暴力団連合」をいい(同法25号),「指定暴力団連合」とは同法4条の規定により都道府県公安委員会が指定暴力団の連合体として指定した暴力団をいい(同法24号),「暴力団員」とは「暴力団の構成員」をいいます(同条6号)。このうち「代表者等」については,「指定暴力団の代表者等は,組長,総裁,会長,総長等と称する当該指定暴力団の首領,あるいは若頭,若頭補佐,会長補佐,理事長補佐等と称するいわゆる最高幹部会議のメンバーが該当する。」とされています(堀誠司(警察庁刑事局組織対策部企画分析課課長補佐)「指定暴力団の代表者等に係る無過失損害賠償責任制度について」法律のひろば575号(20045月号)14頁)。

 

2 暴対法31条の2の解釈論の例

ところで,最近筆者の興味を惹いた暴対法31条の2の解釈論があります。次のような事案においては,指定暴力団員のした身体に対する侵害に係る損害賠償を,同条の規定を適用して当該指定暴力団の代表者等に対して請求し得るのだ,という原告訴訟代理人弁護士たちによる主張がそれです。

 

 事案1

  Aの幹部の子息である原告が指定暴力団U(以下「U」といいます。)の構成員であったaにより刃物で複数刺突されるという襲撃行為(以下「本件刺突」といいます。)を受けて負傷したところ,これはaが威力利用資金獲得行為を行うについて他人である原告の生命及び身体を侵害したものであるから,Uの代表者等である被告ら(総裁(Y₁)及び会長(Y₂))は損害賠償の責任を負う。Uは,Aのかかわる工事の利権獲得を目指していた(原告自身はAと全く関係のない,異分野の専門職として働いていました。)。U傘下の暴力団であるVの本部長であったbが,本件刺突の前,V構成員であったaに対し,原告を刃物で襲撃するよう指示していた。本件刺突「はUの威力を維持し資金獲得を容易ならしめるために行われたものであるから,暴対法31条の2に基づき,原告の生命及び身体の侵害による損害を賠償すべき責任を負う。」(判時242759-60頁)

 

 事案2

  Uの捜査・取締りを指揮していた元警察官であった原告が,退職から1年余り経過した後の2012年某月某日,aから拳銃で銃撃されるという襲撃行為(以下「本件銃撃」といいます。)を受けて負傷したところ,本件銃撃はY₁及びY₂が共謀し,aに指示して行わせたものであって,構成員であるaが資金獲得活動に向けたUの威力を維持するための行為を行うについて他人である原告の生命及び身体を侵害したものである。本件銃撃「はUの威力を維持し資金獲得を容易ならしめるために行われたものであるから,暴対法31条の2に基づき,原告の生命及び身体の侵害による損害を賠償すべき責任を負う。」(判時242765-66頁)

 

 上記主張によれば,暴対法31条の2の威力利用資金獲得行為は,指定暴力団員のする,「当該指定暴力団の威力を利用して生計の維持,財産の形成若しくは事業の遂行のための資金を〔同人が〕得,又は当該資金を得るために必要な地位を〔同人が〕得る行為」ではなくて,「当該指定暴力団の威力を利用して生計の維持,財産の形成若しくは事業の遂行のための資金を〔同指定暴力団が〕得,又は当該資金を得るために必要な地位を〔同指定暴力団が〕得る行為」(当該行為に密接に関連する行為も含まれる。)ということになるようです。はて,このように読み得るものなのか。

 

3 威力利用資金獲得行為とは何か


(1)第169回国会
  

   威力利用資金獲得行為でございますが,指定暴力団員がその所属する指定暴力団の威力を利用して資金を得,又は資金を得るために必要な地位を得ると,こういった行為を考えておりまして,典型的に申しますと,その相手方に指定暴力団の威力を示して行う恐喝行為でありますとか,〔略〕みかじめ料の要求でありますとか,用心棒代の要求といった暴力的要求行為,こういったものが該当するというふうに考えております。(宮本和夫政府参考人(警察庁刑事局組織犯罪対策部長)・第169回国会参議院内閣委員会会議録第88頁)

 

やはり,資金を得,又は資金を得るために必要な地位を得る主体は,指定暴力団ではなく,指定暴力団員であるように思われるところです。

 

   威力利用資金獲得行為でございますけれども,指定暴力団員がその所属する指定暴力団(ママ)の威力を利用して資金を得,又は資金を得るために必要な地位を得る行為ということをいっております。

   具体的には,典型的な例といたしましては,相手方に暴力団の威力を示して行う恐喝行為というものが考えられます。また,彼らの有力な資金源となっておりますみかじめ料要求とか用心棒代要求とか,暴対法で規制の対象としております暴力的要求行為〔同法27号及び9条〕,こういったものが典型的な事例として該当するものでございます。(宮本政府参考人・第169回国会参議院内閣委員会会議録第811頁)

 

暴対法9条には,27種類の行為が,それに違反する行為が暴力的要求行為となるもの(同法27号)として掲げられていますが,全て「要求すること」です。すなわち,次のごとし。

「・・・金品その他の財産上の利益(以下「金品等」という。)の供与を要求すること」(同条1号),「・・・みだりに金品等の贈与を要求すること」(同条2号),「・・・当該業務の全部若しくは一部の受注又は当該業務に関連する資材その他の物品の納入若しくは役務の提供の受入れを要求すること」(同条3号),「・・・その営業を営むことを容認する対償として金品等の供与を要求すること」(同条4号),「・・・物品を購入すること,・・・興行の入場券,パーティー券その他の証券若しくは証書を購入すること又は・・・用心棒の役務・・・その他の日常業務に関する役務の有償の提供を受けることを要求すること」(同条5号),「・・・債務者に対し,その履行を要求すること」(同条6号),「・・・報酬を得て又は報酬を得る約束をして・・・債務者に対し・・・その履行を要求すること」(同条7号),「・・・債務の全部又は一部の免除又は履行の猶予をみだりに要求すること」(同条8号),「・・・金銭の貸付けを要求すること」(同条9号),「・・・金融商品取引行為を行うことを要求し,又は・・・有価証券の信用取引を行うことを要求すること」(同条10号),「・・・当該株式会社の株式の買取り若しくはそのあっせん(以下この号において「買取り等」という。)を要求」すること(同条11号),「・・・預金又は貯金の受入れをすることを要求すること」(同条12号),「・・・明渡しを要求すること」(同条13号),「・・・明渡し料その他これに類する名目で金品等の供与を要求すること」(同条14号),「・・・宅地・・・若しくは建物(以下この号及び次号において「宅地等」という。)の売買若しくは交換をすること又は宅地等の売買,交換若しくは賃借の代理若しくは媒介をすることを要求すること」(同条15号),「・・・宅地等の売買若しくは交換をすることをみだりに要求し,又は・・・賃借をすることをみだりに要求すること」(同条16号),「・・・建設工事・・・を行うことを要求すること」(同条17号),「・・・施設を利用させることを要求すること」(同条18号),「・・・示談の交渉を行い,損害賠償として金品等の供与を要求すること」(同条19号),「・・・損害賠償その他これに類する名目で・・・金品等の供与を要求すること」(同条20号),「行政庁に対し・・・要求すること」(同条21号及び22号),「国,特殊法人等・・・又は地方公共団体(以下この条において「国等」という。)に対し・・・要求すること」(同条23号。また,同条24号,26号及び27号)及び「・・・入札に参加しないこと又は一定の価格その他の条件をもって当該入札に係る申込みをすることをみだりに要求すること」(同条25号)。

問答無用で刺突又は銃撃する行為自体は,暴対法の暴力的要求行為には該当しませんし,そもそも本件刺突及び本件銃撃の際には「資金を得,又は当該資金を得るために必要な地位を得る」ための要求が相手方(被害者)に対して表示されていません。

 

   また,今回の事案の対象になりますのは,そうした資金獲得活動を行うについて与えた損害ということでございます。そういった,例えばみかじめ料の支払要求などをする際にこれに応じない業者に傷害を与えたりとか,又はその店舗を破壊をしたりする,こういったような事案,こういった深刻な事態が生じております。(宮本政府参考人・第169回国会参議院内閣委員会会議録第811頁)

 

   対象となりますのが,いわゆる恐喝行為でありますとか一般のみかじめ要求行為でありますとか,一般の方々が被害を受ける,もちろん財産犯のみならず,それについて行われた殺傷行為なども含みますけれども,そういう非常に幅広い類型を対象にしておりますので,大変大きな効果があるものというふうに考えております。(宮本政府参考人・第169回国会衆議院内閣委員会議録第129頁)

 

殺傷行為は含まれるけれども,当該殺傷行為は「財産犯」に「ついて」されたものであることが想定されているようです。やはり,財産的要求を伴わない問答無用の刺突又は銃撃行為は,威力利用資金獲得行為には該当しないようです。「「威力利用資金獲得行為・・・を行うについて他人の生命,身体又は財産を侵害したとき」に該当する場合」としては,「相手方に指定暴力団の威力を示して恐喝し,金品の供与を受けるなど,威力利用資金獲得行為の一環として他人の生命,身体又は財産を侵害する場合のほか,例えば,指定暴力団の威力を示してのみかじめ料の要求に応じない者に対し報復目的で傷害を加えるなど,威力利用資金獲得行為を効果的に行うために他人の生命,身体又は財産を侵害する場合も含まれる。」とまとめられているところです(島村英(前警察庁暴力団対策課理事官)=工藤陽代(前警察庁企画分析課課長補佐)=松下和彦(警察庁暴力団対策課課長補佐)「「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律の一部を改正する法律」について」警察学論集619号(20089月号)59頁。下線は筆者によるもの)。用心深く「等」が付されていますが,天衣無縫に拡張解釈をするわけにはいかないでしょう。

なお,暴対法上の「威力」とは,「集団的又は常習的な暴力的不法行為等の被害を受けるおそれを抱かせることにより人の意思を制圧するに足りる勢力をいい,これは指定暴力団の名称やいわゆる代紋に表象されるものである。」とされています(堀・ひろば14頁)。威力利用資金獲得行為における「威力を利用して」とは,「当該指定暴力団に所属していることにより資金獲得行為を効果的に行うための影響力又は便益を利用することをいい,当該指定暴力団の指定暴力団員としての地位と資金獲得活動とが結び付いている一切の場合をいう。典型的には,暴力的不法行為等又はこれに準ずる不法な行為の手段として相手方に指定暴力団の威力を示すことが該当する。」と解説されていますが(島村=工藤=松下59頁),この解釈ですと,非典型的な場合には,「威力を示すこと」は「威力」利用資金獲得行為たるために必ずしも必要ではないと解する余地があることになります。

 「生計の維持,財産の形成若しくは事業の遂行のための資金」とは,「およそ何らかの使途のための資金を指すものであり,使途を限定する趣旨ではない。また,金銭以外の財産上の利益を得る行為も,最終的に資金を得ることにつながる行為であり,本条にいう「資金を得・・・る行為」に含まれる。」とされています(島村=工藤=松下59頁)。「資金を得るための地位を得る行為」には,「契約の一方当事者たる地位を得る行為や,行政庁から許認可等を受けて事業者たる地位を得る行為が該当」します(島村=工藤=松下59頁)。

 

(2)特殊詐欺事案における裁判例の展開
 ところで,水戸地判令和元年523日(裁判所ウェブ・サイト)は,威力利用資金獲得行為概念の範囲を拡張する注目すべき判断を示しています。すなわち,同判決においては,暴対法31条に2にいう「「威力を利用」するとは,「威力を示す」(同法9条参照)とは異なり,より幅の広い行為態様を意味するものと解」され,かつ,当該行為の「定義の文言からは,直ちに,威力利用資金獲得行為が,指定暴力団の威力を資金獲得行為それ自体に利用する場合に限定されると解することはできない」とした上で,「同条にいう「威力利用資金獲得行為」には,当該指定暴力団の指定暴力団員が,資金獲得行為それ自体に当該指定暴力団の威力を利用する場合のみならず,当該指定暴力団員が指定暴力団の威力を利用して共犯者を集める場合など,資金獲得行為の実行に至る過程において当該指定暴力団の威力を利用する場合も含まれる」ものと判示されています。また,威力利用資金獲得行為は暴力的不法行為等(暴対法21号)に限定されないとも判示しています(詐欺行為も含まれる。)。具体的には,指定暴力団員が,所属指定暴力団の威力を利用して,所属暴力団の使い走りをしていた知人(暴力団員ではない。)に詐欺の受け子を探し出させて詐欺グループを構成し(ただし,当該受け子については同人に対する当該威力の利用があったものとは認定されていません。),当該グループにおいて他人の親族になりすましてその親族が現金を至急必要としているかのように装って現金をだまし取った行為(当該受け子が現金を受領)は,暴対法31条の2の威力利用資金獲得行為であるものとされています。 

しかし,特殊詐欺事案における威力利用資金獲得行為概念の範囲拡大の動きは上記水戸地判令和元年523日のみでは止まらず,翌月の東京地判令和元年621日(裁判所ウェブ・サイト)は,2015年版警察白書「組織犯罪対策の歩みと展望」等を参照しつつ,いわゆる振り込め詐欺事案において威力利用資金獲得行為の範囲を更に大きく拡張しています。そこでは,「威力の利用」は,当該判決の判決文の文字どおり「背景」に退いてしまっています。詐欺行為については「それ自体が威力を必要とすることを必要とするものではない」とされるとともに,上記水戸地判令和元年523日とは異なり,詐欺グループ内における威力の具体的利用も認定されていません。いわく。

 

 〔略〕本件各詐欺〔いわゆる振り込め詐欺〕のような特殊詐欺は,それ自体が当然に暴力団としての威力を利用する犯罪類型であるとまではいえないものの,暴力団の構成員の多くが,典型的な威力利用資金獲得行為に対する種々の規制,取締りを回避して,新たな資金獲得源を確保すべく,暴力団の威力の利用を背景としてこれを実行しているという実態があり,本件当時において,このような実態が社会一般に認識されていたというべきであって,I会も,日本第3位の規模の指定暴力団であることから,その下部組織を含め,このような特殊詐欺に従事,加担する構成員が多数いたであろうことが社会一般に認識されていたといわなければならない。

  そして,前記〔略〕でみた本件各詐欺の具体的な態様は,いずれも,本件詐欺グループを構成した者らが役割を分担して本件詐欺グループが管理する預金口座に金員を振りこませるという組織的,計画的なものであって,上記でみた暴力団の構成員が従事,加担し,暴力団の威力の利用を背景として資金を獲得する活動に係るものに通有する類型であるということができる。

  そうすると,本件各詐欺は,いずれも,F組の構成員すなわちI会の指定暴力団員であったE〔本件詐欺グループに所属〕がこれを実行した以上,I会の構成員による威力利用資金獲得行為と関連する行為であるというほかないのであって,本件各詐欺は,I会の指定暴力団員であるEにおいて,威力利用資金獲得行為を行うについて他人の財産を侵害したものといわなければならない。
 

 これに対して,東京地判令和元年1111日(裁判所ウェブ・サイト)は揺り戻しを示します。指定暴力団I会所属の指定暴力団員がリーダーとなった詐欺グループによる特殊詐欺事件の被害者からのI会長への損害賠償請求に対して,当該詐欺グループの活動に係る当該指定暴力団員による準備に協力した組織がI会又は指定暴力団であったとは必ずしも認められないこと及び当該詐欺グループのメンバーについて当該リーダーが「指定暴力団の構成員であることを恐れて本件詐欺をしたと認められるものではない」ことを具体的に判示した上で「その他に,〔当該指定暴力団員〕が,犯行グループ内で指揮命令系統を維持確保し,規律の実効性を高めるためにI会又は指定暴力団の威力を利用して本件詐欺をしたと認めるに足りる証拠はない」と駄目を押して,「以上によれば,本件詐欺は,威力利用資金獲得行為であると認めることはできないから,被告〔指定暴力団I会会長〕に暴対法31条の2に基づく責任を認めることはできない。」と論結しています(民法715条に基づく使用者責任も,当該特殊詐欺活動がI会の事業として行われたものと認めることはできないとして否定。)。

 
4 暴対法5章と民法715条と

 

(1)国会における説明

ところで,暴対法第5章の指定暴力団の代表者等の損害賠償責任は,使用者の責任等に係る民法715条の特則であるものであると一応は考えられそうです。

まず,暴対法31条については,次のような国会答弁があります。

 

   暴力団の代表者,いわゆる首領,組長と言われる人間に責任を負わせるとなりますと,やはりこれは民法715条の使用者責任的な責任ということで,見も知らない末端の組員が北海道なり九州なりというところで不法行為を行う,そういう場合にトップの神戸なり東京に住んでおる組長が責任を取るというのは,やはり違法行為,不法行為自体が組織的な行為であるということ,また逆に,上から見ればそれが抽象的にでも組長の統制下にあるというふうな構成が抽象的に,観念的にでも取れなければ,なかなか幾ら民事訴訟,民事責任といっても責任を負わせるというのは非常に無理があるというようなことから,今回,条文としてくくる,類型としてくくるには対立抗争,内部抗争というのがこれは今言ったようなことに当てはまるだろう,あとのいろんな不法行為,犯罪行為,これはなかなかそこではくくる,条文としてくくるのは難しいんではないかということで,こういうふうな対立抗争,内部抗争ということに絞らせていただいたのであります。(近石康宏政府参考人(警察庁刑事局組織犯罪対策部長)・第159回国会参議院内閣委員会会議録第1119頁。下線は筆者によるもの)

 

ただし「使用者責任的な責任」であって,端的に「使用者責任」とはされていません。何やら含みのある表現です。

 暴対法31条の2については次のように説明されています。

 

   不法行為を行った暴力団の代表者あるいは傘下の組織の組長の損害賠償責任を追及するためには,現在では民法の使用者責任715条の規定によることとなるわけでありますが,この場合には,被害者側においていわゆる事業性,使用者性及び事業執行性,ちょっと難しいことでございますが,こうした事柄を主張,立証しなければならないわけであります。

   しかし,そのためには被害者側において,不法行為を行った暴力団員の所属する暴力団内部の組織形態,意思決定過程,代表者〔等〕や傘下組織の組長による内部統制の状況,上納金の徴収システム,こうした事柄を具体的に解明,立証しなければならないということになるわけであります〔下記藤武事件判決参照〕。こうしたことは一般の方々にとっては大変難しいことでございまして,例えば法人や法令に基づく許認可等を受けた事業を行うものとは暴力団は異なっておりまして,その事業の範囲(ママ)定款,法令において明確化されていないという状況でございます。

   また,暴力団は最近組織の内部を隠す,運営事項等を隠していくという方向に走っておりまして,これらの点を具体的に解明,立証するということは警察の支援が不可欠である,警察の現法体系の中ではなかなか難しい,警察自身もなかなか難しい点がある,こういうことでございまして,被害者の方に大きな負担をお掛けしておるというのが実態でございます。(泉信也国務大臣(国家公安委員会委員長)・第169回国会参議院内閣委員会会議録第811頁。また,宮本政府参考人・第169回国会衆議院内閣委員会議録第123頁。なお,下線は筆者によるもの)

 

   今回の改正案につきましては,民法の使用者責任の規定による場合と比べまして,〔略〕被害に遭われた方が,代表者等の損害賠償責任を追及するに当たりまして,訴訟上の負担が相当程度軽減され,被害の回復の促進が図られるものと考えております。(宮本政府参考人・第169回国会参議院内閣委員会会議録第811頁。下線は筆者によるもの)

 

暴対法31条の2は,「民法第715条の規定を適用して代表者等の損害賠償責任を追及する場合において生ずる被害者側の立証負担の軽減を図ることとした」ものとされています(工藤陽代(きよ)(警察庁刑事局)「対立抗争等における暴力行為の抑止,暴力団による被害の回復の促進及び暴力団の資金源の封圧を図る」時の法令1816号(2008830日号)13頁。下線は筆者によるもの)。民法715条を前提とするものでしょう。前記水戸地判令和元年523日も暴対「法31条の2は,指定暴力団の代表者等に配下の指定暴力団員の威力利用資金獲得行為に係る損害賠償責任を負わせるものとし,民法715条の規定を適用して代表者等の損害賠償責任を追及する場合において生ずる被害者側の立証の負担の軽減を図ることとしたものである。」と判示しています。暴対法31条の2の「「(威力利用資金獲得行為・・・を行う)について」とは,民法第715条第1項の「(事業の執行)について」と同義である。」とされています(島村=工藤=松下59頁)。

 

(2)民法715条と報償責任論等と(判例)

 民法715条の規定は,次のとおりです。

 

   (使用者等の責任)

  第715条 ある事業のために他人を使用する者は,被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし,使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき,又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは,この限りでない。

  2 使用者に代わって事業を監督する者も,前項の責任を負う。

  3 前2項の規定は,使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。

 

 民法715条の使用者責任の根拠は何かといえば,判例は,「使用者の損害賠償責任を定める民法7151項の規定は,主として,使用者が被用者の活動によつて利益をあげる関係にあることに着目し,利益の存するところに損失をも帰せしめるとの見地から,被用者が使用者の事業活動を行うにつき他人に損害を加えた場合には,使用者も被用者と同じ内容の責任を負うべきとしたもの」とのいわゆる報償責任の思想を挙げ(ただし,「主として」との限定はありますが。),更に「被用者が使用者の事業の執行につき第三者との共同の不法行為により他人に損害を加えた場合」に係る当該判決の事案に関して,「使用者と被用者とは一体をなすものとみて,右第三者との関係においても,使用者は被用者と同じ内容の責任を負うべきものと解すべき」だと述べています(最判昭和6371日(香川保一裁判長)民集426451頁(以下「昭和63年香川判決」といいます。「香川判決」の本家については,「新しい相続法の特定財産承継遺言等にちなむ香川判決その他に関するあれこれ」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1075445695.html)を御参照ください。)。

(遠藤浩等編『民法(7)事務管理・不当利得・不法行為(第4版)』(有斐閣双書・1997年)166頁(伊藤進)は,「危険責任をも根拠とする説が多くなりつつある」としつつ(下線は筆者によるもの),報償責任の原理に民法715条の根拠を求めるのが通説であるとしています。我妻榮『事務管理・不当利得・不法行為』(日本評論社・1937年)162頁が,使用者責任の民法715条による加重は「これを報償責任の一顕現となすを至当と考へる」と唱えていたところです。また,幾代通著=徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)196頁注(1)は,「判例〔昭和63年香川判決〕もまた,この考え方〔報償責任の思想〕に依拠する」とのみ述べていて,昭和63年香川判決における「主として」の語句において含意されているところのものであろう他の根拠思想(危険責任主義でしょうか。)を,補充的なものにすぎないと解してのことでしょうか,捨象しています。)

 「報償責任主義」は,「社会において大規模な事業を営む者は,それだけ大きな利益をあげているのが通例であるから,万が一にその事業活動が原因となって他人に損害を与えた場合には,当該事業者をして,つねづね彼が得ている利益のなかから当然にそれを賠償させるのが公平に適う,という考え方」であるとされています(幾代=徳本7頁註(5))。

 なお,報償責任主義の外に民法715条の根拠として挙げられることのある「危険責任主義」は,「危険物を支配し管理する者は,その物から生ずる損害については,一般の場合のような過失の有無を問題とすることなく絶対的な責任を負うべきである,という思想」であるとされています(幾代=徳本7頁註(4))。

 とはいえ,判例・通説においては,「「事業」について,一時的・継続的,営利・非営利を問わず,違法であっても構わないとされ」ていたところです(松並重雄・[32]事件解説『最高裁判所判例解説民事篇平成16年度(下)(7月~12月分)』(法曹会・2007年)661頁。下線は筆者によるもの)。制度の根拠思想に係るそもそも論を論ずる場面と違って,いったん作られた制度の運用に係る解釈は軽やかたるべきものなのでしょう。

 なお,「判例・通説によれば,「ある事業のために他人を使用する」とは,事実上の指揮監督の下に他人を仕事に従事させることを意味するものと解され」ており,「他人を使用する」については,「期間の長短,報酬の有無,選任の有無,契約の種類,有効無効を問わず,契約の存在すら必要ないと解されて」います(松並661頁)。また,ここでの指揮監督関係は,「現実に指揮監督が行われていたことを要するものではなく,客観的にみて指揮監督をすべき地位にあったことをもって足りると解されてい」るところです(松並662頁)。

 

(3)民法715条と自己責任論と(起草者)

ところで,我が民法の起草者においては,報償責任論はなお採られてはいませんでした。自己責任論です。

 

 例ヘハ車夫カ車ヲ曳クノ際其不注意ニ因リテ路人ニ損害ヲ加ヘタルトキハ其車夫カ被害者ニ対シテ賠償ノ責ヲ負フヘキハ固ヨリナリト雖モ主人モ亦此ノ如キ不注意ナル車夫ヲ選任シ且其車ヲ曳クニ際シ路人ニ損害ヲ加フルノ虞アルトキハ特ニ注意ヲ与フヘキニ〔人力車であれば主人がそこに乗っているのでしょう。〕之ヲ為サスシテ遂ニ第三者ニ損害ヲ加フルニ至リタルカ故ニ自己ノ不注意ニ付キ亦賠償ノ責ヲ負ハサルコトヲ得ス但是レ亦車夫ノ不法行為ニ付キ責任ヲ負フニ非スシテ自己カ其選任ヲ誤リ又ハ監督ヲ怠リタルニ付キ責任ヲ負フモノナルカ故ニ若シ其選任及ヒ監督ニ付キ相当ノ注意ヲ為シタルコト又ハ相当ノ注意ヲ為スモ損害ハ猶ホ生スヘカリシコトヲ証明シタルトキハ其責ヲ免ルヘキモノトス(梅謙次郎『訂正増補第三十版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)894-895頁)

 

 なお、そもそも梅謙次郎は,「不法(〇〇)行為(〇〇)unerlaubte Handlung)ハ一ニ犯罪(〇〇)準犯罪(〇〇〇)Délit ou quasi-délit)ト謂フ債権発生ノ原因トシテ羅馬法以来(つと)ニ認メラルル所ナリ」(梅882-883頁),「犯罪ハ故意ヲ以テ他人ニ損害ヲ加フルヲ謂ヒ準犯罪ハ過失,怠慢ニ因リ他人ニ損害ヲ加フルヲ謂フ」(梅883頁)という認識でした(旧民法財産編(明治23年法律第28号)第2部第1章第3節の節名及び3702項参照)。犯罪又は準犯罪と言われると,確かに自己責任でなければいけないのでしょう。不法行為制度に関して,「ローマに於ては復讐なり懲罰は,早くから加害者個人に加えらるべきものとの考が確立し,家族親族の連帯責任制度は見えない。」とあります(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)220頁)。

 旧民法財産編371条は「何人ヲ問ハス自己ノ所為又ハ懈怠ヨリ生スル損害ニ付キ其責ニ任スルノミナラス尚ホ自己ノ威権ノ下ニ在ル者ノ所為又ハ懈怠及ヒ自己ニ属スル物ヨリ生スル損害ニ付キ下ノ区別ニ従ヒテ其責ニ任ス」と規定していたところ,その原案(“Chacun est responsible non seulement de ses propres faits ou négligences, mais encore des faits et négligences des personnes sur lesquelles il a autorité et des dommages causés par les choses qui lui appartiennet, sous les distinctions ci-après.”)に関して,ボワソナアドは次のように説明しています。

 

  274. 法案は,ここで,重要なものとされる区分に従うことになる。人は常に自らの行為に,及び特定の場合であれば「他人の行為」についても責任を負う,と述べられるのが仕来りである。しかし,物事の根底を探ってみれば容易に分かることであるが,既に指摘されたように,全ての場合において人は,彼自らの行為又は彼自らの懈怠についてのみ責任を負うものである。彼の行為又は彼の意思に基づくことなしに義務付けられてしまうということであれば,実際,それは全ての正義に反することになるであろう。人が彼の個人的行為なしに義務付けられることがあるのは,法律によって課せられた義務の場合(しかして,その数は,次節〔旧民法財産編380条参照〕において見るように,極めて少数である〔旧民法財産編380条に掲げられているものは,①親族・姻族間の養料の義務,②後見の義務,③共有者間の義務及び④相隣者間の義務で地役をなさないもののみでした。〕。)においてのみである。本条が掲げ,及び次条以下によって規定される各場合においては,法律が責任ありとする者の側に懈怠〔又は〕注意若しくは監督の欠如が常にあるのであって,これこそが彼の責任の原因(cause)及び根拠となる原理(principe)なのである。動物又は更には無生物によって惹起された被害又は損害に対しても責任が拡張されることについての説明も,同様である。このような場合においては「他人の行為」を云々できないことはそのとおりである。しかし,所有者の側に懈怠が常にあるのである。なお,懈怠が意識的かつ他人に害を与える意図をもって生ぜしめられることはまれであるので,ここにおいては准犯罪(quasi-délits)があるのみである。(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un commentaire, tome deuxième (Droits Personnels et Obligations), nouvelle édition, Tokio, 1891, pp.318-319

 

 ただし,自己責任論であっても,選任及び監督についての相当の注意による使用者免責に係る民法7151項ただし書のような規定が,必ずなければならないというものではありません。旧民法財産編373条は「主人,親方又ハ工事,運送等ノ営業人若クハ総テノ委託者ハ其雇人,使用人,職工又ハ受任者カ受任ノ職務ヲ行フ為メ又ハ之ヲ行フニ際シテ加ヘタル損害ニ付キ其責ニ任ス」とのみ規定して,その前条,すなわち,①父権を行う尊属親,②後見人,③「瘋癲白痴者」を看守する者並びに④教師,師匠及び工場長の責任(それぞれ,①同居する未成年の卑属親,②同居する被後見人,③「瘋癲白痴者」並びに④未成年の生徒,習業者及び職工(教師等の監督の下にある間に限る。)の行為に対するもの)について規定する同編372条のその第5項にある「本条ニ指定シタル責任者ハ損害ノ所為ヲ防止スル能ハサリシコトヲ証スルトキハ其責ニ任セス」のような免責規定がなかったところです。

これについて,ボワソナアドは,旧民法財産編373条の原案(“Les maîtres et patrons, les entrepreneurs de travaux, de transports ou d’autres services, les administrations publiques et privées, sont responsables des dommages causés par leurs serviteurs, ouvriers, employés ou préposés, dans l’exercice ou à l’occation des fonctions qui leur sont confiées.”)に関して次のように説明していました。(なお,ボワソナアドは,当該原案の参照条項として当時のフランス民法13843項(現在のフランス民法はその後の改正の結果条ずれを起こしてしまっています。)を挙げています。同項にも,防止不能による抗弁の規定(同条5項)は適用されていませんでした。)

 

  279.本条に掲げられた者らの責任は,前条の者らと同様,懈怠の推定(présomption de négligence)に基づいている。しかしながら,そこには,この特別規定を設けさせるに至った,前条のものとの注目すべき相違があるのである。

   第1。ここに掲げられた者らは,彼らが与えた職務(fonctions)の機会又はその過程においてなされた侵害行為についてのみ責任を負う。実際,不法行為者に対して彼らが指揮命令権(autorité)を有するのは,この範囲内のみにおいてである。また,無能な又はよろしからざる人間に信頼を与え又はそれを維持したことについて彼らが非難され得るのも,この範囲内においてである。

   第2。当該上記の者らは,侵害を防止することができなかったことを証明することを前条の者らのようには認められていない。その理由は,彼らの懈怠は,当該侵害行為の時点においてよりもむしろ彼らが選任をした時点及びそれ以後の期間において評価されるものだからである。すなわち,自由に,彼らは選任し,かつ,無能又は不誠実な被用者を罷免することができたのである。このことは,養子縁組の場合を除いては子供を選ぶものではなく,かつ,親子の縁を切ることのできない尊属についてはいえないところである。(Boissonade, p.323

 

ただし,「責任者ハ損害ノ所為ヲ防止スル能ハサリシコトヲ証スルトキハ其責ニ任セス」との免責規定はなくとも,意外の事実又は不可抗力によるもの(un cas fortui ou une force majeure)であったのだとの一般条項(“la resource équitable”)による抗弁は可能であるとされてはいました(Boissonade, p.325)。旧民法財産編374条は,動物についてですが,「動物ノ加ヘタル損害ノ責任ハ其所有者又ハ損害ノ当時之ヲ使用セル者ニ帰ス但其損害カ意外ノ事実又ハ不可抗力ニ出タルトキハ此限ニ在ラス」と規定していたところです。

 旧民法財産編373条については,「結果責任主義をとって,使用者の免責を認めない法制」と同じ立場に基づくものであると説かれていますが(幾代=徳本208頁),以上見たところからすると,「過失といった主観的事情の有無を問わずに,行為と損害との間に因果関係さえあれば賠償義務を負わせる,いわゆる原因主義ないしは結果責任主義」(幾代=徳本4頁)を同条は端的に採用したものとはいいにくいようです。


 
(4)藤武事件判決

最判平成161112日民集5882078頁(藤武事件判決)は,階層的に構成されている暴力団の最上位の組長と下部組織の構成員との間に民法7151項所定の使用者と被用者との関係の成立を認め,更に当該構成員が暴力団間の対立抗争においてした殺傷行為を同項にいう「事業の執行について」した行為と認めて,同項に基づき,当該組長に対し,当該殺傷行為の被害者の遺族に損害賠償をすべき責任があるものと認めて,当該組長からの上告を棄却しています。

(なお,藤武事件判決に暴対法31条の規定の適用がなかったのは,藤武事件に係る殺人行為の発生時が1995年(平成7年)825日であって,平成16年法律第38号の施行前であったことから,当該殺人行為については同法附則2条によって当該規定の適用がないものとされていたからです。)

藤武事件判決においては,暴力団組長に係る民法715条の事業は,「組の威力を利用しての資金獲得活動に係る事業」であるものとされています。「組の威力を利用して」であるところ,最高裁判所は「違法・不法な活動であっても民法715条の「事業」に当たることを肯定したものと解される」,と説かれています(松並680頁)。

当該暴力団の最上位の組長(上告人)の事業が組の威力を利用しての資金獲得活動に係る事業であることを認定するに当たって,藤武事件判決では,「①〔略〕組は,その威力をその暴力団員に利用させ,又はその威力をその暴力団員が利用することを容認することを実質上の目的とし,下部組織の構成員に対しても,〔略〕組の名称,代紋を使用するなど,その威力を利用して資金獲得活動をすることを容認していたこと」(暴対法31号,同法31条の2括弧書き参照),「②上告人は,〔略〕組の1次組織の構成員から,また,〔略〕組の2次組織以下の組長は,それぞれその所属組員から,毎月上納金を受け取り,〔略〕資金獲得活動による収益が上告人に取り込まれる体制が採られていたこと」(なお,暴対法31条の21号参照)及び「③上告人は,ピラミッド型の階層的組織を形成する〔略〕組の頂点に立ち,構成員を擬制的血縁関係に基づく服従統制下に置き,上告人の意向が末端組織の構成員に至るまで伝達徹底される体制が採られていたこと」(暴対法33号参照)が,前提事実として認定されています。

また,「暴力団にとって,縄張や威力,威信の維持は,その資金獲得活動に不可欠のものであるから,他の暴力団との間に緊張対立が生じたときには,これに対する組織的対応として暴力行為を伴った対立抗争が生ずることが不可避であること」等を挙げた上で「組の下部組織における対立抗争においてその構成員がした殺傷行為は,〔略〕組の威力を利用しての資金獲得活動に係る事業の執行と密接に関連する行為」であるので事業の執行についてしたものである,と藤武事件判決は判示しています。これで,「事業の執行について」した行為であるものと認めるためには十分なのですが,暴力団組長の事業の執行行為それ自体とまでは認められていないところが気になるところです。しかしながら,これは,「対立抗争等というおよそ犯罪に当たる行為を行うことを内容とする事項が民法715条の事業に該当するか否かについては,これまでの下級審の裁判例では否定するものが多」かったところ(堀・ひろば13頁)当該事業性否定説を最高裁判所も採用したのだ,ということではありません(そうであれば,「違法・不法」な「組の威力を利用しての資金獲得活動」を,そうであっても民法715条の事業とした先行する判断と矛盾してしまいます。)。単に,「組の威力を利用しての資金獲得活動」を事業として据えた場合においては,当該事業との関係では,対立抗争における殺傷行為は,当該事業の執行行為それ自体ということにはならず,当該「事業の執行と密接に関連する行為」という位置付けになってしまう,というだけのことであると解されます。この辺の位置付けは相対的なものであって(当該事案において何を指定暴力団の事業とするかは,原告の主張次第ということになるところです。),藤武事件判決は「抗争を暴力団組長の事業とすることを否定するものでない」ので,「事案によっては抗争を事業と捉えて使用者責任を肯定する余地を残すもの」であると解されています(松並691-692頁(注38))。すなわち,藤武事件判決に付された北川弘治裁判長裁判官の補足意見はいわく。

 

   法廷意見の指摘するとおり,暴力団にとって,縄張や威力,威信の維持拡大がその資金獲得活動に不可欠のものであり,このため,同様の活動を行っている他の暴力団との対立抗争が必然的な現象とならざるを得ない。この対立抗争において,自己の組織の威力,威信を維持しなければ,組織の自壊を招きかねないことからすれば,対立抗争行為自体を暴力団組長の事業そのものとみることも可能である


 その後,東京地判平成19920日(裁判所ウェブ・サイト,判時200054頁)は暴力団の「威力・威信の維持拡大活動」としての事業を暴力団組長の事業として認め,横浜地中間判平成201216日(浦川道太郎「組長訴訟の生成と発展」Law & Practice No.04 (2010) 158頁に紹介。判時2016110頁)は更に「縄張の維持・防衛活動」も暴力団組長の事業として認めています。 

後編に続く
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1076999730.html



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前編(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1076999632.html)の続き


5 暴対法31条及び31条の2の要件事実等

暴対法31条又は31条の2の規定に基づき指定暴力団の代表者等に損害賠償請求をしようという原告が主張立証すべき事項は,次のように説明されています。

 

(1)暴対法31

まず,暴対法31条の場合。

 

ア 総論

 

   原告が,指定暴力団相互間または一つの指定暴力団内部の集団相互間に内部抗争の対立が生じたということ,また当該対立に伴いまして指定暴力団員による凶器を使用した暴力行為が行われたということ,当該暴力行為によりまして人の生命,身体または財産が侵害されたという,この大きく3点を立証すれば,指定暴力団の代表者等が対立抗争等に伴う不法行為につきまして損害賠償責任を負うということになるわけであります。(近石政府参考人・第159回国会衆議院内閣委員会議録第64-5頁))

 

 注目すべき点は,指定暴力団員の暴力行為の不法行為性はそれとして要件として挙げられていないことです(暴対法31条の2の要件に関する後記国会答弁((2)ア)と要対照)。民法715条の場合には,被用者自身について一般不法行為の要件が充足されることが必要とされているところです(松並661頁等)。

なお,「対立」には,暴力団員相互間に既に暴力行為が発生していた場合のみならず,指定暴力団相互間(それぞれの傘下組織相互間を含む。)又は指定暴力団の傘下組織間に緊張関係が生じていた場合も含まれます(堀誠司(警察庁組織犯罪対策部企画分析課課長補佐)「「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律の一部を改正する法律」について」警察学論集576号(20046月号)28頁・30頁)。
 また,次の国務大臣答弁にあるように,暴対法31条の代表者等の責任は無過失責任とされています。

 

   被害の回復の充実を図るためには,より高い資力を有すると見られる当該指定暴力団の代表者〔等〕のいわゆる損害賠償責任の追及を徹底する必要があることから,指定暴力団の代表者等が対立抗争等により伴う不法行為につき無過失損害賠償責任を負うこととするという規定を設けるものでございます。これによりまして対立抗争等による被害の回復の充実が図られますほかに,副次的には対立抗争の発生の抑止力にもつながるものと考えられます。(小野清子国務大臣(国家公安委員会委員長)・第159回国会参議院内閣委員会会議録第113-4頁。また,同国務大臣・同会議録23-24頁)

 

イ 凶器

ここでの「凶器」については,次のようにやや詳しい説明がされています。

 

  この凶器と申しますものは,けん銃とか日本刀とか典型的な暴力団が使う凶器のみではございませんで,バットとかそういうふうなのも用法上の凶器ということで,ほとんどの場合,素手で何か殴り合うというのを別にしまして,暴力団が不法行為を行う場合には何らかの物を持ってやるというのが大半でありましょうけれども,そういう面では素手を外したというだけの気持ちの条文というふうに理解していただいて結構だと思いますので,これであれば,これで一般の人が救えない状況が出るのかということになると,まず考えられないというところであります。(近石政府参考人・第159回国会参議院内閣委員会会議録第115頁)

 

   タオルとかその辺になるとどうなるか分かりませんけれども,いわゆる一般に考えられる人を傷付けるもの,物を壊すもの等は,大体用法上の凶器ないしは純粋の凶器ということで大丈夫かと存じます。(近石政府参考人・第159回国会参議院内閣委員会会議録第115頁)

 

ウ 「ヒットマン」が使われた場合

 指定暴力団員以外の者による暴力行為があった場合についても,あらかじめ説明されています。

 

対立抗争等における凶器を使用した暴力行為の実行行為者というのは,大抵の場合,ほとんどの場合,指定暴力団員であろうというふうに考えられますけれども,もしこのヒットマン,いわゆる実行行為者を,いわゆる指定暴力団員以外の者に依頼してやらせたということも考えられないわけではありません。そういう場合,直接の実行行為者が指定暴力団員でない場合でありましても,指定暴力団員が直接実効行為者,いわゆるヒットマンと共謀したり,その者を唆したりということで,何らか関与したという事実が認められれば,本制度の適用がなされることとなるというふうに考えております。(近石政府参考人・第159回国会衆議院内閣委員会議録第65頁)

 

 暴対法31条の「指定暴力団員による暴力行為」は,指定暴力団員が自ら直接手を下す暴力行為に限定されない,ということのようです。刑法学でいう自手犯のようなものではないということなのでしょう。

 暴対法31条の3において民法の適用があることが示されているところ,共同不法行為に係る民法719条との合わせ技が考えられているのでしょう。「指定暴力団員が実行行為者である場合のみならず,指定暴力団員が他の者と共同し,あるいは他の者を教唆し,ほう助するなど,実行行為との関係で共同不法行為を構成する場合をも含むものである。」とされています(堀・警論29頁)。しかし,民法716条(「注文者は,請負人がその仕事について第三者に加えた損害を賠償する責任を負わない。ただし,注文又は指図についてその注文者に過失があったときは,この限りでない。」)との関係も問題になりそうです(とはいえ同条については,ヒットマンの仕事に係る請負契約は公序良俗に反して民法90条によって無効であるから同法716条は問題にならない,と整理されたものでしょうか。)

 

エ 暴対法31条と指定暴力団ではない暴力団と(要注意)

 なお,暴対法31条は,指定暴力団ではない単なる暴力団の抗争には適用がありません。単なる暴力団であると,恒常性がなく,容易に「普通の不良とかいうのの集まり」に分解的に変性してしまうからであるということのようです。

 

非指定暴力団と指定暴力団の対立により生じた暴力行為につきましては,当該暴力行為が指定暴力団によるものであっても,また非指定暴力団によるものであっても改正法は適用されないということになっております。(近石政府参考人・第159回国会参議院内閣委員会会議録第114頁)

 

   それで,非指定暴力団がなぜこの救済措置の中に入ってこないかと申しますと,やはり非指定暴力団というのは一人一党というのもありますし,また雨後のタケノコのように出たり消えたりというか,そういうのも非常にあって,これが暴力団であるかないかというのは,我々としては,日常それを指定して,指定業務に非常に,指定といいますか,暴力団の認定,指定暴力団じゃなくて普通のそれ以外の暴力団の認定というものに努力してまいっておるところでありますが,非常に難しいということで,その過程で暴力団と,暴力団,指定暴力団はがっちり固定しておるんでありますけれども,それ以外の暴力団というのが,これは暴力団なのかそれとも普通の不良とかいうのの集まりなのか,非常に難しいところもありまして,なかなか指定暴力団同士というふうにしないと法の救済措置の網には難しいんではないかという事情もございました。(近石政府参考人・第159回国会参議院内閣委員会会議録第115頁)

 

(2)暴対法31条の2

 次に暴対法31条の2の場合。

 

ア 総論

 

   被害者が立証しなければならないことを〔略〕挙げますと,指定暴力団の暴力団員によってその不法行為が行われたということが一つ。それからまた,当該不法行為が威力利用資金獲得行為を行うにつき行われたもの,この資金獲得行為をすることに伴って行われたものであること。さらに,当該損害が不法行為により生じたものである,一般の方々(ママ)その不法行為によって損害が生じたものである。こういうことを被害者の方には立証していただく必要があると考えております。(泉国務大臣・第169回国会参議院内閣委員会会議録第88頁。また,宮本政府参考人・第169回国会衆議院内閣委員会議録第123頁)

 

イ 指定暴力団員であることの立証

ただ,当該不法行為を行った者が指定暴力団員であるかどうかはどうやって分かるのか,という問題があります。

 

   まず,指定暴力団員かどうかということでございますけれども,通常,先ほど申し上げましたように,恐喝事案でありますとか暴力的要求行為でありますとか,いわゆる暴力団がその威力を示して行う不当な行為でございますので,通常でありますと,当然被害者の方はこれが暴力団だからということで怖い。通常の場合は,大抵,組の名前を出して脅かしたりしますし,これが恐喝ということになれば当然警察として検挙いたしますので,そういう形で事案としては明らかになると。

   また,一般的にそういう被害を受けられた場合に,警察としては積極的に被害相談に応じておりまして,そうした民事的な被害を受けられた方,その民事回復のためのいろいろな相談,バックアップ,支援,こうしたことも行っております。こういったことを通じて積極的に被害者の方々を支援をしてまいりたいと,こういうふうに考えております。(宮本政府参考人・第169回国会参議院内閣委員会会議録第88頁)

 

   そこで,具体的には,暴力追放運動推進センターというものを持っておりますし,弁護士会などとの緊密な連携を図っていく。被害者に対しましては,加害者が指定暴力団員であることの情報提供をする,あるいは,新設された規定の活用などによって被害回復のための手法をお教えする,さらに,先ほど申し上げました推進センターによる訴訟費用の貸付制度の教示,それから弁護士の民事介入暴力対策委員会の紹介など,いわゆる訴訟に対しての全面的な積極的なバックアップをさせていただくことが必要だと思っておるわけであります。

   これらの事柄を通じて,嫌がらせや報復といった,一般の民間人の方がしり込みをすることのないように万全を尽くしてまいりたいと思っておるところでございます。(泉国務大臣・第169回国会衆議院内閣委員会議録第124頁)

 

ウ 免責規定

 暴対法31条の2には,そのただし書として免責規定があります。これは,「当該指定暴力団の代表者等が損害賠償責任を負うべき根拠が欠ける例外的な場合を規定している」ものであって,「指定暴力団の代表者等が損害賠償責任を負うべき根拠を裏面から明らかにする機能を有しており,こうした規定を置くことが法制上適当であると考えられた」ことから設けられたものです(工藤15頁)。「法制上適当」というのは,若手警察庁秀才官僚らが厳しくかつ悪魔的な「詰め」に苦悩苦悶苦闘する霞が関の深夜の法令審査の場辺りで,内閣法制局参事官殿辺りから御指示があったものと思われます。

 

この規定につきましては,そもそも末端の組員の行った不法行為をそれに対して関与していない組の代表者〔等〕に責任を負わせる,そういう規定を置くということでございますけれども,それはやはり代表者〔等〕の方がそもそも組員の資金獲得活動に関して威力を行うことを容認しているという実態があるとか,当然のことながら,そういった不法行為を行う予見可能性がある等々の理由から代表者〔等〕に責任を負わせるということでございますので,そういった理由が成立しない場合にはやはり負わせるのは無理であろうという前提に立ちます。

したがいまして,組長の,代表者〔等〕の方でそういうことを立証した場合には責任を負わないということで免責規定を設けたわけでございますけれども,現実問題といたしましては,この31条の2で規定しています1号,2号の場合,私ども日常の暴力団対策に取り組んでおりまして,いずれも実態としてほとんどあり得ないケースでありまして,これを立証するということは,事実上,極めて困難というふうに考えております。(宮本政府参考人・第169回国会衆議院内閣委員会議録第129頁)

 

今回の改正では,指定暴力団の代表者等,これが配下指定暴力団員による資金獲得のための威力利用を容認している,こうした威力利用に伴う他人の権利利益の侵害について予見可能性なり回避可能性を有するということ,威力利用資金獲得行為によって得られる利益を享受する立場にあること,これを根拠として,その権利利益の侵害により生じた損害について代表者等に損害賠償責任を負わせることといたしたものであります。(宮本政府参考人・第169回国会衆議院内閣委員会議録第1210頁)

 

 ここでの回避可能性は,「指定暴力団の代表者等の統制は末端の指定暴力団員にまで及んでおり,代表者等は〔威力利用資金獲得行為における威力利用による他人の〕権利利益の侵害を防止できる立場にあると認められる」ことからその存在が理由付けられています(工藤14頁)。

暴対法31条の21号の免責規定については,昭和63年香川判決等に見られる報償責任論及び藤武事件判決において組長による収益取り込み体制(「②上告人は,〔略〕組の1次組織の構成員から,また,〔略〕組の2次組織以下の組長は,それぞれその所属組員から,毎月上納金を受け取り,〔略〕資金獲得活動による収益が上告人に取り込まれる体制が採られていたこと」)の存在が前提として特に摘示されていたことに基づくものであろう,ということは御理解いただけますでしょう。そもそも,暴対法32条の2の代表者等の損害賠償責任の根拠として,「指定暴力団員による資金獲得行為は,当該指定暴力団の威力の維持拡大に資するとともに,指定暴力団の代表者等を頂点とする上納金システムを有効に機能させているという意味で,代表者等は,威力利用資金獲得行為による利益を享受している立場にあるといえる(利益の享受)」ことが挙げられていたところです(工藤14頁)。

 

   今回,末端の組員が行いました不法行為について,直接それに関与していない代表者〔等〕の責任を問う,こういう規定を置くことのできる根拠といたしましては,やはり,そういった末端の資金獲得活動の結果,代表者〔等〕としてそれなりの利益を得ている,これが一般である,こういう前提に立っております。

   したがいまして,そういうことから利益を受ける可能性の全くない場合にまでその責任を負わせることは難しかろうということでありますけれども,ただ,この規定の仕方は,例えば一つの組,指定暴力団であれば,制度として,その暴力団がいわゆる上納金システムのようなものを一切持っていない,こういう場合を想定しておりまして,現実問題として,そういう指定暴力団というのは現在私ども把握しておりません。

したがいまして,代表者〔等〕の側で,そういうシステムがない,末端の組員の活動から利益を一切得ていないということを立証しなければならないということでございますので,ある意味では,法制度的に,そういうことがない場合にまで代表者〔等〕の責任を追及することはちょっと困難であろうということでこういう規定を置いておりますが,現実的には,この点の立証を代表者〔等の〕側がするというのは極めて困難であろうと考えております。(宮本政府参考人・第169回国会衆議院内閣委員会議録第123-4頁)

 

 暴対法31条の21号の「直接又は間接に」とは,「指定暴力団の代表者等は,配下の指定暴力団員の威力利用資金獲得行為によって得られた財産上の利益を直接,得ることがないだけでなく,例えば,第三者を介したり,当該財産上の利益の保有又は処分に基づき得られた財産上の利益(転売利益や利子等)を得ることもなく,さらには,当該財産上の利益が当該指定暴力団の運営費等の原資とされることもないなど,およそいかなる意味においても間接的に財産上の利益を得ることがないことをも立証しなければ免責されないことを明らかにしたものである。」とされています(島村=工藤=松下60頁)。
 暴対法31条の22号の免責規定は,「当該指定暴力団の威力を利用」する限りにおいては(外形理論ということでしょうか。)当該威力利用資金獲得行為の結果が当該指定暴力団員の利益にならないようである場合(「当該指定暴力団の指定暴力団員以外の者が専ら自己の利益を図る目的」で当該指定暴力団員に「強要」した場合です。「強要」まで行かずに要求に従う場合は,当該指定暴力団員において自分にも何らかの見返りがあるということで当該威力利用資金獲得行為を行うものと判断されたということでしょうか。強要に屈してしまうようであれば,獲得した資金ももはや摩擦なく専ら強要者に吸い上げられてしまうのでしょう。なお,「第2号中「強要」とは,相手方の意思に反して行わせることまでは必要でなく,威力利用資金獲得行為を行った指定暴力団員には,なお不法行為責任があるものと考えられる。」とされています(島村=工藤=松下60頁)。)であっても(当該指定暴力団員からの上納金に係る原資獲得につながらないようである場合であっても)当該指定暴力団の代表者等に損害賠償責任があることを前提にした上で,しかし,当該指定暴力団員からの上納金に係る原資獲得につながらないようである場合であるので(この場合には報償責任の前提が崩れるからでしょう。報償責任主義は,無過失責任主義の妥当性を支える根拠とされています(幾代=徳本5頁)。),当該代表者等に対して当該威力利用資金獲得行為がされたことに係る無過失の抗弁を認める,というものでしょうか。当該無過失の抗弁の主張立証において,「威力利用に伴う他人の権利利益の侵害について予見可能性なり回避可能性を有するということ」の有無が具体的に問題になるということなのでしょう。ここで,「当該威力利用資金獲得行為が,当該指定暴力団の指定暴力団員以外の者が専ら自己の利益を図る目的で当該指定暴力団員に対し強要したことによって行われたもの」ということについては(なお,このような事態の発生自体,そもそも認定されることがまれでしょう。),配下の強面こわもての指定暴力団員が組の者以外の者のパシリのようなことをさせられるということですから,指定暴力団の代表者等としては,通常,予見可能性(より精確には,予見義務でしょうか。)がなさそうですが(なお,回避可能性は予見可能性を前提とすることになります(平井宜雄『損害賠償法の理論』(東京大学出版会・1971年)400-401頁等参照)。),立証責任の所在を転換して,当該予見可能性が無かったという,無かったことの証明という悪魔的証明の立証責任を指定暴力団の代表者等に負わせたものでしょう(予見義務は,暴対法31条の22号自体によって,これまた悪魔的に根拠付けられてしまっているのでしょう。)。しかも,具体的侵害行為それ自体についての予見可能性(及び回避可能性)までは求められていません。

 警察庁の担当官らは,端的に,暴対法31条の22号の場合は「当該威力利用資金獲得行為による権利利益の侵害について代表者等に予見可能性及び回避可能性があるとはいえないことから,免責されることとした」と解説しています(島村=工藤=松下58頁)。

 以上,暴対法31条の2の代表者等の損害賠償責任を根拠付ける理由としては,指定暴力団の代表者等の①予見可能性,②回避可能性及び③利益の享受の3項目が挙げられていたところです(工藤14頁)。危険責任論は,根拠付けの理由としてそれとして直接挙げられてはいません。

 

(3)暴対法31条の3

 なお,暴対法31条の3については,次のような国会答弁があります。

 

また,31条の3の規定でございます。31条及び31条の2の損害賠償責任の規定が適用されない場合,すなわち,対立抗争等の場合及び指定暴力団の威力を利用して行う資金獲得行為以外の行為により損害が発生した場合でございますが,こういった場合の代表者等の損害賠償責任については民法の規定によるということなどを明らかにしたものでございます。(宮本政府参考人・第169回国会衆議院内閣委員会議録第1210頁。下線は筆者によるもの)

 

 つまり,「など」ですから,暴対法31条又は31条の2の場合にも時効(民法723条・724条)その他に関して民法の適用があるわけです(堀・警論31頁・34-35頁註8参照)。しかし,暴対法31条の代表者等の責任は,無過失責任であるとされていますから,指定暴力団員の「選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき,又は相当の注意をしても損害が生ずべきあったときは,この限りでない。」(民法7151項ただし書参照)というようなことはないわけです。

 暴対法31条及び31条の2の損害賠償責任の規定が適用されない場合には,他の民法の規定によるべきことは当然のことです。

 

   2次団体,3次団体の組長の責任というのは,この改正暴対法では追及されるということにはなっておりませんが,このような場合は,従来のとおり,民法の715条または719条,使用者責任ないしは共同不法行為責任等の規定によりまして損害賠償の追及ができるということに,従来どおりでありますけれども,なっておるところであります。(近石政府参考人・第159回国会衆議院内閣委員会議録第619頁)

 

6 暴対法31条と民法717条と

 暴対法31条の拠って立つ原理は何でしょうか。

(1)立法時における民法715条適用に係る疑義の存在
 平成16年法律第38号の成立は最高裁判所の藤武事件判決が出る前であって,同法の法案立案時においては,暴力団抗争における暴力団員による殺傷行為に係る暴力団組長の使用者責任(民法715条)に関しては,それを認める地方裁判所の裁判例はあったものの,高等裁判所の裁判例となると,あるいはそれ自体不法行為である対立抗争は民法715条の「事業」ないしは「事業」と関連性を有する行為には当たらないとして使用者責任を認めず(福岡高那覇支判平成14125日判時1814104頁及び同支判平成9129日判時163668頁),あるいは使用者責任を認めつつも「もとより,民法715条の使用者責任は,少なくとも公序良俗に反しない合法的な事業を前提とした上で,被用者の不法行為について事業執行との関連性に着目して使用者の責任を問うものであるから,本来,暴力団のような不法・不当な利益追求を目的とする団体の非合法な利益追求活動は公序良俗に反するものであるから,暴力団について事業を観念し,使用者責任を論じることが適当であるか疑問がないわけではない。」(大阪高判平成151030日)と歯切れの悪い判示をしていました(松並656-658頁・666-671頁参照)。

 結局,平成16年法律第38号の法案立案時には,暴力団抗争における暴力団員による殺傷行為に係る暴力団組長の責任について民法715条を適用することについては裁判例上「疑義」がなお存在していたわけであって(堀・ひろば13頁),暴対法31条の規定は民法715条と同じ根拠の上に立つ同条の特則であるものと端的に位置付けてしまっては,担当の内閣法制局参事官殿をなかなか説得することはできなかったものでしょう(学説においても,潮見佳男『不法行為法』356頁(1999年)及び佐々木宗啓・判タ1036136頁(2000年)は使用者責任否定説であったとされています(松並679頁)。)。(なお,松並678頁は,前記福岡高那覇支判平成14125日及び同支判平成9129日について「いずれも,法律判断として,独自のもの(判例通説と整合しないもの)であったと言わざるを得ないように思われる」との否定的評価を下しています。)

(2)指定暴力団の組織の危険性に基づく無過失責任

暴対法31条の拠って立つ原理は,指定暴力団の組織それ自体の危険性に求めるべきことになるのでしょうか。

 

   対立抗争等〔対立抗争(暴対法311項)及び内部抗争(同条2項)〕は〔指定〕暴力団の代表者等の統制のもとに行われる組織的活動の典型でありまして,ここにおける代表者等は配下〔指定〕暴力団に対しまして指示命令を発する立場にありますことから,対立抗争に伴い発生する不法行為につきまして代表者等に損害賠償責任を負わせることとしたものであります。(近石政府参考人・第159回国会衆議院内閣委員会議録第65頁。また,同政府参考人・同会議録16頁)

 

 暴力団の対立抗争等について,危険ではないとは評価し得ないでしょう。

指定暴力団の代表者等がその統制下にある配下の指定暴力団に指示命令を発する立場にあることは,指定暴力団の指定の要件として,当該暴力団が代表者等の「統制の下に階層的に構成されている団体であること」が求められていることから,都道府県公安委員会によって確認済みであるはずのところです(暴対法33号)。

また,暴対法31条の代表者等の責任は無過失責任とされているので,当該責任は,危険な組織に係る無過失責任ということになるように思われます。

(3)大気汚染防止法等モデル論

と,いろいろ考えさせられるところですが,実は,暴対法31条の規定は,「指定暴力団の代表者等に当該指定暴力団の組織としての活動である対立抗争等についての危険責任及び報償責任が認められることに照らし」,「大気汚染防止法等の公害法制などにおいて,公害が事業活動に伴い不可避的に発生するものであること,事業者に公害発生に係る危険責任及び報償責任が認められることなどを根拠として例外的に無過失損害賠償責任が定められている」ことに倣って設けられたものであるようです(堀・ひろば14頁)。直接のモデルは,民法715条ではなく,大気汚染防止法(昭和43年法律第97号)251項(「工場又は事業場における事業活動に伴う健康被害物質(ばい煙,特定物質〔同法171項〕又は粉じんで,生活環境のみに係る被害を生ずるおそれがある物質として政令で定めるもの以外をいう。以下この章において同じ。)により,人の生命又は身体を害したときは,当該排出に係る事業者は,これによつて生じた損害を賠償する責めに任ずる。」)等であったということになります。

この大気汚染防止法等モデル論に対しては「しかし,企業活動は,社会に有益なものを生産するのであり,暴力団と全く異なるものともいえる」ので「公害企業との類推を経由する」必要はないとの刑事法学者からの批判があります(前田雅英「改正暴対法とその複合的効果」ジュリ1272号(2004715日号)3頁)。

(4)企業に係る民法717条類推無過失責任説(1937年の我妻榮説)
 以上の点に関し,民法典の条項中にあえて
暴対法31条の規定の根拠となるべきものを求めると,筆者としては,1937年に我妻榮の提唱した,企業に係る民法717条の類推による無過失責任説が想起せられるところです(なお,「わが国における最初の無過失責任立法」となる旧鉱業法(明治38年法律第45号)の改正は1939年になってからのことでした(幾代=徳本159頁)。また,大気汚染防止法25条の5参照)。(民法717条1項は「土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときには,その工作物の占有者は,被害者に対してその損害を賠償する責任を負う。ただし,占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは,所有者がその損害を賠償しなければならない。」と規定。所有者については無過失責任になるものであると説かれています。)

 

〔前略〕一の企業組織を成すものはなほこれに本条〔民法717条〕を適用すべきものと思ふ。蓋し近代の大企業に於ける企業施設は一の客観的組織をなし,その裡に包容せられる箇々の不動産や動産を超越した綜合的一体を形成するものであつて,その客観的な恒常的存在を有し危険を包蔵することに於て土地の工作物と異る所がないからである。しかのみならず,私は更に進んで,企業に従事する被用者の行動に基因する損害についても本条を類推し得るものであらうと考へて居る。蓋し,近代の企業施設なるものは物的なものとその一部分を担当する多数人の労力との綜合より成るものである。〔後略〕(我妻181頁)

 

 当該我妻説に対しては,「しかし,このように「企業」なるがゆえに一般に無過失責任を課するという構成は,過失責任主義をいまなお原則として維持する現行不法行為法の全体系との整合性という点で,かならずしも問題がなくはないように思われる。というのは,社会的活動の実質的類型が特に危険性の大きいものであるとか,活動に用いられる道具が特別の危険物であるとかいう指標によるのではなくて,活動の主体が「企業」であるという一事によって区別を設けようとすることは,「企業」概念の曖昧さとあいまって,必ずしも充分に説得力があるとはいいかねるからである」との批判があります(幾代=徳本219頁)。確かに,民法717条それ自体の類推適用の拡張には限界があるところでしょう。しかし,無過失責任に係る特別法を制定するに当たっては,当該考え方は有効かつ有益な参考となるものでしょう。当該特別法において「企業」に代えて「指定暴力団」をもってくれば,指定暴力団は「社会的活動の実質的類型が特に危険性の大きいもの」であり,かつ,凶器などその「活動に用いられる道具が特別の危険物」であることが極めて多く,さらには都道府県公安委員会の指定(暴対法3条)によって外延もはっきりしますから,上記批判もその限りにおいては力を失うようです。

 ということで,暴対法31条の拠って立つ原理については,「これを危険責任(危(ママ)責任)の一顕現とするを至当なりと考へる。蓋し社会生活に於て特に危険多き設備〔組織〕を保有する者はこれより生ずる責任を特に加重せらるることは損害分担の理想に適合するらである。」(我妻180頁参照)ともいえそうです。暴対法31条の21号と対比して考えると,暴対法31条においては,金銭的な意味での報償責任の契機は後景に退くことになるように思われます。

 ちなみに,民法717条の損害賠償責任の根拠については,危険責任説の我妻榮とは異なり梅謙次郎はやはり自己責任論を採っていて,同条における所有者の責任の根拠について「蓋シ此場合ニ於テハ素ト所有者カ工作物ヲ設置スルニ方リ充分ノ注意ヲ為ササリシヲ以テ其損害ヲ生スルニ至リタルモノナレハナリ」と述べています(梅900頁)。

 指定暴力団という組織ないしは「企業」が対立抗争又は内部抗争という危険な活動を行う「瑕疵」を有するからこそ,民法717条的な発想でもって暴対法31条の規定が設けられたのだと考えた場合,次にはその「瑕疵」たる当該危険性は具体的にはどのように発生してどのように位置付けられるのかということになりますが,藤武事件判決の前記北川補足意見等によれば,暴力団である限りにおいての必然であり,かつ,暴力団の本質そのものであるということのようです。(内部抗争については,「暴力団の寡占化が進む近年においては,同一の指定暴力団に所属する傘下組織相互間であっても当該威力の利用の方法手段を巡り内部抗争を起こすことが多いが,これも対立抗争と同様に指定暴力団の組織の本質から必然的に発生するものということができる。」と説かれています(堀・ひろば15頁)。)
 「改正法においては,対立抗争等が指定暴力団の組織としての活動であり,指定暴力団がその威力を存立基盤とすることから必然的に発生する性格を有すること並びに指定暴力団の代表者等に当該指定暴力団の組織としての活動である対立抗争等についての危険責任及び報償責任が認められることに照らし,過失責任主義の例外として代表者等の無過失損害賠償責任を定めることとしたもの」というのが,警察庁の担当官によるまとめです(堀・警論25頁。下線は筆者によるもの)。

(5)対立抗争及び内部抗争以外の暴力団員の行為行動(2004年4月の国会答弁)

暴力団にとって対立抗争の遂行及び内部抗争の制圧は組織の存続上不可欠なものである本質的な活動であるということになる一方,それ以外の暴力団員の行為行動は,組織活動としての組織的行為として見るには,性格があいまいに過ぎるものであると考えられていたようです。

以下は,「組の威力を利用しての資金獲得活動に係る事業」たる暴力団組長の事業の概念が示された200411月の藤武事件判決前の,同年4月の国会答弁です。

 

   暴力団員等は,全国津々浦々と申しますか,全国各地でさまざまに連日のごとく違法,不法行為を行っておりますけれども,対立抗争等のように,代表者等の配下,指揮命令のもとに行ったというふうにもなかなか言えない。また,類型的に,いろいろなさまざまな犯罪行為,違法行為が組織活動であるというふうにも言うに足る実態というのは我々として把握しておらない現状であります。

   しかし,本制度が適用されない場合であっても,代表者等につきましては,従来の民法715条または719条,共同不法行為等所定の要件を満たせば,これらの規定に基づく責任追及がなされるものというふうには承知しております。(近石政府参考人・第159回国会衆議院内閣委員会議録第616頁)

 

   対立抗争等と違いまして,一般の通常の犯罪,違法行為,不法行為というものは,組織的なもの,また組の代表者,親分ですが,親分の統制のもとにある行為と言うのはなかなか難しい。それで,類型的に暴対法等で使用者責任的な,組長責任と申しますか,代表者責任を立法化するのは今回はなかなか難しかったというのが今までの経緯でございます。(近石政府参考人・第159回国会衆議院内閣委員会議録第616頁)

 

7 藤武事件判決と福岡地判平成31年4月23日と

 なお,福岡地判平成31423日判時242758頁②(前記事案2の事案)においては,藤武事件判決との関係で興味深い法律構成を裁判所は採用しています。原告は,暴対法31条の2の外,民法715条に基づく請求又は719条に基づく請求を選択的併合という形で行っていたのですが,福岡地方裁判所は藤武事件(これも警察関係で,現職警察官が誤って射殺された事件です。当該警察官は,暴力団の対立抗争に際して警備中,暴力団員と誤認されて殺害されたものです。)判決の前例がある民法715条の使用者責任構成を採用せず,民法719条に基づく共同不法行為構成を採用しています。

「暴力団にとって,縄張や威力,威信の維持は,その資金獲得活動に不可欠であるところ,警察組織を離れた元警察官を殺傷することは当該威力及び威信の維持及び増進に資するものであるから,その構成員がした元警察官に対する本件銃撃は,Uの威力を利用しての資金獲得活動に係る事業の執行と密接に関連する行為〔ないしは藤武事件判決の北川裁判官補足意見流には「Uの代表者等の事業そのもの」〕というべきである」というような判示を見ることはなかったわけです。


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1 情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律(令和元年法律第28号)の成立・公布を承けて

2019531日に成立し,同年67日に公布された情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律(令和元年法律第28号)については,法案段階において,その第1条に関して平成最後の日に当ブログで御紹介したことがありました(「情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律案(第198回国会閣法第49号)の第1条に関して」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1074600258.html)。今回は,同法の第2条,すなわち同法による金融商品取引法(昭和23年法律第25号。以下「金商法」といいます。)の改正について見てみましょう。

なお,金商法は,「〔金融商品取引法という〕法令の名称からみれば,「金融商品」の取引に関する法律であるかのようにイメージされるが,法の規定においては「金融商品」という用語は,〔略〕デリバティブ取引の原資産というきわめて限られた意味を有するにすぎない」ものです(山下友信=神田秀樹編『金融商品取引法概説 第2版』(有斐閣・2017年)57頁(山下友信))。すなわち,金商法の元となる金融審議会の答申は「投資サービス法」という仮称を用いていたところ,金商法は「金融商品」の取引に関する法律ではなく,「金融商品取引」に関する法律と理解すべきものです(同頁)。そうであれば,金融商品取引法の略称は金商法ではなく「金取法」の方がよかったようにも思われますが,金取法では,「かねとりほう」と読んでも「きんとりほう」読んでも物騒ですね。

以下の金商法及び資金決済に関する法律(平成21年法律第59号。以下「資金決済法」といいます。)の条文は,特に断らない限り,令和元年法律第28号の施行日以後のものです(同法は,201967日から起算して1年を超えない範囲内で政令で定める日から施行されます(同法附則1条本文)。)。民法の条文は,同様,平成29年法律第44号による改正後のものです(同法は,同法附則1条及び同条に基づく平成29年政令第309号により202041日から施行されます。)。

 

2 電子記録移転権利に関して

 

(1)電子記録移転権利概念の登場及びその内容

 

ア 電子記録移転権利概念の登場

 金商法23項は「取得勧誘」(新たに発行される有価証券の取得の申込みの勧誘のことをいいます。)を「有価証券の募集」に該当するもの及び「有価証券の私募」に該当するものの二つに分かった上でその両者を定義する規定ですが(有価証券の私募は,取得勧誘のうち有価証券の募集に該当しないものとして消極的に定義されています。),同項において,「電子記録移転権利」という概念が登場しています。

 電子記録移転権利は,金商法22項各号に掲げる権利が「電子情報処理組織を用いて移転することができる財産的価値(電子機器その他の物に電子的方法により記録されるものに限る。)に表示される場合(流通性その他の事情を勘案して内閣府令で定める場合を除く。)」におけるその権利をいいます(同条3項第2括弧書き)。

 ここで金商法22項各号の権利を御紹介すると,大雑把にいって,受益証券に表示されるべきもの以外の信託の受益権(同項1号参照),合名会社若しくは合資会社(これらについては全社員又は全無限責任社員が株式会社又は合同会社である場合に限られます(金融商品取引法施行令(昭和40年政令第321号。以下「金商法施行令」といいます。)1条の2)。)若しくは合同会社の社員権(金商法223号)又は組合契約,匿名組合契約,投資事業有限責任組合契約若しくは有限責任事業組合契約に基づく権利,社団法人の社員権その他の権利のうち出資者が出資若しくは拠出をした金銭を充てて行う事業から生ずる収益の配当若しくは当該出資対象事業に係る財産の分配を受けることができる権利(同項5号参照)といったようなものになります。

 

イ 有価証券の私募ではなく募集となる電子記録移転権利の取得勧誘

金商法23項の改正による電子記録移転権利概念導入の同項における効果は,従来同条2項各号に掲げる権利(これは有価証券として取り扱われます。すなわち,同項によって,これらの権利は証券又は証書に表示されるべき権利以外の権利であっても有価証券とみなされています。)の取得勧誘が有価証券の募集に該当するのは「その取得勧誘に応じることにより相当程度多数の者が当該取得勧誘に係る有価証券を所有することとなる場合として政令で定める場合」(同条33号。金商法施行令1条の72により「相当程度多数の者」は500名以上ということになります。)に限られていたところ(したがって,それ以外の場合は有価証券の私募であったわけです。),これからは金商法22項各号の権利のうち電子記録移転権利とされるものの取得勧誘は,同条1項の本来的有価証券と同様に,要は多数の者に所有されるおそれが少ないものとして政令で定める場合(同条32号ハ)以外の場合には,有価証券の募集に該当するとされるものです(同項。電子記録移転権利は「第一項有価証券」とされます。)。

 

ウ 金商法と資金決済法との二重適用の回避及び電子記録移転権利(権利)と暗号資産(財産的価値)との関係

再言すると,電子記録移転権利は,金商法22項各号に掲げる権利が「電子情報処理組織を用いて移転することができる財産的価値(電子機器その他の物に電子的方法により記録されるものに限る。)に表示される場合(流通性その他の事情を勘案して内閣府令で定める場合を除く。)」におけるその権利をいうものでした(同条3項第2括弧書き)。よく読むと,金商法22項各号の権利とはまた別に財産的価値があって,当該財産的価値に当該権利が表示されると当該権利が電子記録移転権利となるとの規定です(有価証券とのアナロジーでいうと,有価証券における紙が電子記録移転権利における財産的価値に対応するようです。)。これに対して,資金決済法25項は,同項1号又は2号によって暗号資産となるものであっても電子記録移転権利を表示するものは同法の暗号資産には含まれないものとする旨規定しています(「この法律において「暗号資産」とは,次に掲げるものをいう。ただし,金融商品取引法(昭和23年法律第25号)第2条第3号に規定する電子記録移転権利を表示するものを除く。」)。暗号資産は,一定の(いわば通貨的)性格を帯びた「電子情報処理組織を用いて移転することができる財産的価値(電子機器その他の物に電子的方法により記録されるものに限る。)」です(資金決済法25項各号)。資金決済法25項ただし書のいわんとすることは,金商法22項各号に掲げる権利が仮想通貨(令和元年法律第28号による改正前の資金決済法25項)をいわば乗り物とする場合(当該「電子情報処理組織を用いて移転することができる財産的価値」たる仮想通貨に「表示」される場合)が想定されているとともに,そのような場合に係る乗り物の「カラード・コイン(Colored Coin)」は暗号資産にあらずということになる,ということでしょうか。

 

   カラード・コインとは,ビットコインに資産(アセット)に関する情報を付加することによって,さまざまなアセット(株式,債券,貴金属など)を少量のビットコインと共に移動させるという手法です。ビットコインに「色」(情報)をつけることで,あらゆるアセットを表現し,その移転を行うことができることから,「色のついたコイン」と呼ばれています。

   ビットコインには,その取引に必要なデータ(送(ママ)額や送信先など)を書き込むスペース(レイヤー)以外に,付加情報を書き込めるレイヤーが用意されており,カラード・コインでは,ここに資産のデータを載せて相手に送ることによって,アセットを移動させます。基本的にはビットコインの送(ママ)の仕組みを利用していますので,アセットを移動させるためには,少額のビットコイン(0.000001BTCなど)を実際に送ることが必要になります(中島真史『アフター・ビットコイン 仮想通貨とブロックチェーンの次なる覇者』(新潮社・2017年)254-255頁)

 

 第198回国会の衆議院財務金融委員会(2019517日)において三井秀範政府参考人(金融庁企画市場局長)は「金融商品取引法上の電子記録移転権利に該当するセキュリティートークンにつきましては,規制の重複排除の観点から,今回の改正によりまして,資金決済法上の暗号資産の定義から場外するということにしておりまして,〔略〕二つの法律が重畳適用することはございません。」と説明し(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第143頁),更に同政府参考人は,同国会の参議院財政金融委員会(同月30日)において,「ICO〔イニシャル・コイン・オファリング〕,その発行主体がいて,その発行主体が仮に投資的なことを行うと,こういったものですとキャッシュフローが見込めるものでございますが,この法律ではそういったものは暗号資産の定義から外していまして」と,あるいは「金融商品取引法,今回の法案の中では,そのうち収益分配を受ける権利が付与されたいわゆる投資性ICOトークン,これ法律上では電子記録移転権利というふうに称させていただいております」とも表現しています(第198回国会参議院財政金融委員会会議録第128頁)。

 

(2)電子記録移転権利の「流通性」

 

ア 電子記録移転権利から除かれる場合を定める内閣府令と「流通性」

 なお,金商法23項第2括弧書き中の更に第2括弧書きにおいて規定される電子記録移転権利から除かれる場合たる「流通性その他の事情を勘案して内閣府令で定める場合」については,「電子記録移転権利につきましては流通の蓋然性が高いか低いかという観点で,今までは,集団投資スキーム,流通する蓋然性が低いものとして開示規制がかかっておらなかったわけでございますけれども〔令和元年法律第28号による改正前の金商法33号参照〕,それが,今回の暗号()資産()につきましては流通性が高いということで,一項有価証券として扱わせていただくという案になってございます。/ただし,それは,ブロックチェーン技術を使ったさまざまなトークン,いろいろなものが今後あり得るということで,恐らく,御指摘のとおり,多くの投資家に流通する蓋然性がないという場合もあり得るだろうというふうに思っております。したがいまして,第一項有価証券に分類する必要がないと思われるようなものとしまして,トークンが多くの投資家に流通する蓋然性がない場合というのが一つあり得ると思います。/今後,よく実態を把握しながら,関係者の意見を聞きながら,こうしたことについて検討してまいりたいと思っております。との三井政府参考人答弁がありました198回国会衆議院財務金融委員会議録第144頁)。

 

イ 法律面から見た流通性:組合の場合

 しかしながら,「電子情報処理組織を用いて移転することができる財産的価値(電子機器その他の物に電子的方法により記録されるものに限る。)に表示される」こと(金商法23項第2括弧書き)によって確かに技術的には当該権利の流動性は高まり得るのでしょうが,技術的には可能であっても法律的には不能ということはあり得ます。

そこでここでは,金商法225号の権利(同号は,「集団投資スキーム持分についての包括条項としての意義を有する」ものとされています(山下=神田39頁・40頁(山下))。)中,代表的なものとして,組合契約(民法667条)に基づく権利のうち出資者が出資をした金銭を充てて行う事業から生ずる収益の配当又は当該出資対象事業に係る財産の分配を受けることができる権利について,法的にその流通可能性はどのようになっているかを確認してみましょう。

 まず,事業から生ずる収益の配当又は当該出資対象事業に係る財産の分配を受けることができる権利のみを取り出して,債権譲渡ができるものでしょうか。(債権譲渡について民法4662項は,「当事者が債権の譲渡を禁止し,又は制限する旨の意思表示〔略〕をしたときであっても,債権の譲渡は,その効力を妨げられない。」と規定しているところです。)組合契約に基づく収益の配当又は当該出資対象事業に係る財産の分配を受けることができる権利が,支分権たる現実の請求権として発生した後には,当該請求権について譲渡その他の処分をすることは認められています(我妻榮『債権各論中巻二(民法講義Ⅴ₃)』(岩波書店・1962年)817頁)。しかし,「配当・払戻・残余財産などに対する請求の基本権も組合員たる地位と切り離して処分することはできないといわねばならない。けだし,この権利も,組合員として共同に事業を運営することを前提とするものであって,組合員でありながら,何等の配当を請求する権利もなく,脱退・解散の場合にも払戻請求や残余財産の分配を請求する権利のないものが存在することは,許されないからである。」とされています(我妻819頁)。

 そこで組合員たる地位の譲渡の可否が問題になりますが,民法には契約上の地位の移転に係る一般規定として第539条の2(「契約の当事者の一方が第三者との間で契約上の地位を譲渡する旨の合意をした場合において,その契約の相手方がその譲渡を承諾したときは,契約上の地位は,その第三者に移転する。」)があるものの,組合の節(同法667条以下)にはなお条文がありません。しかし,組合員全員の同意があれば組合員たる地位の譲渡を認めるスイス民法の規定及び組合契約で許容するときは組合員の地位の譲渡は可能であるとするドイツの学説を参考に「組合契約でこれを許容するときは可能だと解して妨げあるまい。」とされ,その場合「他の組合員の同意とは,譲受人を特定して他の組合員全員が同意することを必要とする意味ではなく,組合契約で概括的に譲渡の可能性を認めることも妨げないと解すべきである」と説かれています(我妻841-842頁)。更に,「組合員たる地位の譲渡は,譲渡契約によって効力を生ずる。但し,譲渡したことと譲受人の氏名とを組合に通知しなければ,譲渡をもつて他の組合員に対抗しえないと解すべきであろう。」と論じられています(我妻842頁)。結局,組合契約次第ということのようです。

 

ウ 有価証券的効果の有無の問題

なお,組合員たる地位が電子記録移転権利である場合には,当該地位の譲渡は当該電子記録移転権利が表示されている財産的価値が譲受人に帰属したときに効力を生じ(民法520条の2又は520条の13及び会社法(平成17年法律第86号)1281項各類推(ここで「類推」というのは,電子記録移転権利は金商法22項によって同法においては有価証券とみなすものとされていますが,本来紙(Papier)を前提とする民商法上の有価証券(Wertpapier)であるものとまでは直ちにいえないでしょうからです。)),譲渡人からの組合に対する通知は,電子記録移転権利が表示されている財産的価値が譲受人に帰属していることを譲受人が組合に対して立証することをもって代える(民法520条の4又は520条の14及び会社法1311項並びに同法1332項及び会社法施行規則(平成18年法務省令第12号)2221号各類推)ということになるのでしょうか。逆からいえば,このような効果がなければ,電子記録移転権利化は流通性を向上させるものであるとは直ちにいえないところではあります。

なお,金融庁の仮想通貨交換業等に関する研究会(座長・神田秀樹教授)は,「トークン表示権利は,トークンとともに電子的に移転するものと考えられており,事実上の流通性が高い。」と述べています(「仮想通貨交換業等に関する研究会報告書」(20181221日)22頁)。「考えられてお」るだけであって,流動性が高いのも「事実上」のことである,ということです。前記の有価証券的効果が私法上あるとまでは断言されていないわけです。

 

エ PTS及びその認可の必要性

また,金融商品取引業者(金商法29項)が私的取引システム(同条810号。PTS (proprietary trading system)。コンピュータ・ネットワーク上で電子記録移転権利をマッチングさせるための仕組み)を有価証券(電子記録移転権利が含まれます。)について運営する場合には,金商法301項の内閣総理大臣の認可が必要になるということもあるようです(罰則は同法2011号(1年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金又はこれを併科)及び両罰規定として同法20715号(法人には1億円以下の罰金刑))。

例えば,「電子情報処理組織を使用して,同時に多数の者を一方の当事者又は各当事者として」(金商法2810号),「顧客の提示した指値が,取引の相手方となる他の顧客の提示した指値と一致する場合に,当該顧客の提示した指値を用いる方法」たる売買価格の決定方法により行う電子記録移転権利の売買の媒介(同号ホ,金融商品取引法第二条に規定する定義に関する内閣府令(平成5年大蔵省令第14号)171号)や,「金融商品取引業者が,同一の銘柄に対し自己又は他の金融商品取引業者等の複数の売付け及び買付けの気配を提示し,当該複数の売付け及び買付けの気配に基づく価格を用いる方法」たる売買価格の決定方法により行う電子記録移転権利の売買(金商法2810号ホ,金融商品取引法第二条に規定する定義に関する内閣府令172号)などについては,前記内閣総理大臣の認可が必要となりそうです。

なお,PTSにおいて取り扱う有価証券の種類,銘柄及び取引の最低単位は,金商法301項の認可に係る認可申請書の記載事項ですが(同法30条の32項,金融商品取引業等に関する内閣府令174号),その変更には内閣総理大臣の認可は不要であるものと解されます(同法316項,同令19条)。

 

(3)電子記録移転権利とICO及びSTO

 ちなみに,「ICO」の語義ですが,仮想通貨交換業等に関する研究会は,「ICOInitial Coin Offering)について,明確な定義はないが,一般に,企業等がトークンと呼ばれるものを電子的に発行して,公衆から法定通貨や仮想通貨の調達を行う行為を総称するものとされている。」(「仮想通貨交換業等に関する研究会報告書」19頁),「ICOについては,明確な定義がないため,例えば,投資性を有するものについてはSTOSecurity Token Offering)等の他の呼び方が一般的となる可能性も含め,今後の展開は必ずしも見通し難い面があるが,本研究会で検討された内容は,呼び方の如何を問わず,電子的に発行されたトークンを用いて資金調達を行う行為全般に妥当するものと考えられる。」としています(同頁註35)。

 したがって,電子記録移転権利の取得勧誘はまた,STOに係るもの,とも表現されることにもなるようです。

「このSTOと金商法の関係でございますけれども,基本的には同様の機能,リスクを有するものには同様の規制を適用するという基本的な考え方で,この電子記録移転権利につきましては,流通性が高いということで,株式や社債権などを規定しています第一項有価証券と言われているものと同様の取扱いでこの法案を構成してございます。/具体的な開示ルールの適用につきましては,私募もこの金商法の中にあるわけでございますが,関係者がこの新しいルールの下で健全かつ適正にビジネスに取り組んでいくことができるように,よく関係者の意見をしっかり聞きながら,また実態をよく把握しながら必要な対応について努めてまいりたいと存じます。」と三井政府参考人は答弁しています(第198回国会参議院財政金融委員会会議録第122頁)。電子記録移転権利の括り出しは,開示ルール等との関係で行われたということになるようです。電子記録移転権利の「発行者に対しましては事業や財務の状況についての開示規制を掛けてございます。それから,このトークンを販売するという者に対しましては金融商品取引業の登録を求めまして,広告規制,虚偽説明の禁止などの販売,勧誘規制を課すこととしてございます。」ということです(第198回国会参議院財政金融委員会会議録第128頁(三井政府参考人))。

企業内容等の開示に係る金商法の第3章の適用除外は,電子記録移転権利についてはありません(同法3条3号ロ)。金商法22項各号の権利に係る従来からの有価証券投資事業権利等(同法33号イ)と同様です(同号,同法241項・5項)。

電子記録移転権利は金商法22項各号によって従来から有価証券とみなされているものですから,その販売又は媒介,取次ぎ若しくは代理を業として行うことは,金融商品取引業に含まれ(同条81号・2号),かつ,それらは令和元年法律第28号による金商法改正後は金融商品取引業のうち第一種金融商品取引業に含まれるものであって(同法2811号括弧書き(二重除外(二重否定)になっていることに注意)。第二種金融商品取引業には含まれないことになります(同括弧書き及び同条22号)。),当該金融商品取引業を行う者として内閣総理大臣の登録を受けた者でなければ行うことができません(同法29条。違反に対する罰則は同法197条の210号の45年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金又はこれの併科)及び両罰規定として20712号(法人には5億円以下の罰金刑))。

STOについては,参議院財政金融委員会の藤末健三委員は「STOは何かと申しますと,ICO〔イニシャル・コイン・オファリング〕の一部という定義もありますけれども,セキュリティ・トークン・オファリングといいまして,例えば証券,あとは債(ママ),あとは例えば特許権とか,あとは絵画などの権利を後ろ盾として,それをトークン,仮想通貨的なものにして販売し,その配当をもらったり値上がり益を期待するというものでございます。説いています198回国会参議院財政金融委員会会議録第122頁)。ただし,藤末委員がそこで挙げている証券等の権利は,金商法22項各号の権利そのものとは一見すると異なるもののようにも思われます。

また,STOには次のような利点があると,藤末委員は熱弁をふるっています。

 

   ちなみに,STOのメリットを申し上げますと,やはり利便性の向上,今の証券取引所は朝の9時から昼の15時,昼休み1時間あります。ところが,このトークンを用いたシステムを使いますと,ブロックチェーン技術を使いますんで,技術的には24時間が可能となると,取引が。

   そしてまた,証券の業務,いろんな管理業務がございます。お金の出し入れとか,あとは証券を保管し管理してキャッシュフローを見るとか,あと,精算を受領する,精算を見るというような細かいサプライチェーンがございますけれど,そのサプライチェーンが恐らく大きく簡素化するんではないかということ。

   あともう一つございますのは,コンプライアンスの自動化ということで,このトークンという機能には,例えばスマートコントラクトという,トークン自体に例えばこれは誰に売買しては駄目ですよとかいろんな条件を付す機能がございまして,トークンを用いますと細かく,例えば帳簿でこの人はどうですかというようなコンプライアンスの管理を簡素化できるのではないかと。(第198回国会参議院財政金融委員会会議録第122頁)

 

(4)地方自治体の関心

 暗号資産又は電子記録移転権利を資金調達の手段として考えている地方公共団体もあるようです。暗号資産についてですが(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第145頁参照),2019530日の参議院財政金融委員会において,佐々木浩政府参考人(総務大臣官房地域力創造審議官)から次のような紹介があったところでした。

 

   総務省で把握している限りということでございますが,長崎県平戸市や岡山県西粟倉村では,持続可能な地域社会を実現していくため,税収以外の新たな財源を確保する手段としてICOの活用を検討されているものと伺っております。

   ICOを活用して調達された資金を用いて,長崎県平戸市では世界遺産の保護や観光の資源化など観光を中心にした持続可能な地域づくりを,また岡山県西粟倉村では村で事業を立ち上げようとするローカルベンチャー事業の支援をそれぞれ検討されていると伺っております。

   なお,どちらの自治体も,自治体がICOトークンを発行せず,発行は自治体と連携する協議会が,そして利用者への販売は暗号資産交換業者が行う仕組みを公表し,検討を進めているとのことであります。(第198回国会参議院財政金融委員会会議録第127頁)

 

 また,「今回,そこから電子記録移転権利,いわゆるセキュリティートークンの方も法律上も明確にしましたけれども,事業収益を上げることでその利益が分配されるというような投資も,今後,自治体ICOの中では期待されているところなんです。」とは,2019517日の衆議院財務金融委員会における緑川貴士委員の主張でした(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第145頁)。

 2019530日,情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律案の可決に際し参議院財政金融委員会は附帯決議を行っていますが,その第9項は「地方公共団体が暗号資産及び電子記録移転権利を資金調達の手段として適切に利用することができるようにするための方策について検討を加え,その結果に基づき,必要な措置を講ずること」について十分配慮するよう政府に求めるものでした(第198回国会参議院財政金融委員会会議録第1219頁。なお,同月17日の衆議院財務金融委員会の附帯決議第9項も同文でした(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第1420頁)。)。既に金商法31号により地方債証券(同法212号)については企業内容等の開示に係る同法第3章の規定の適用が免除されていること及び地方公共団体は同法28項各号の行為を行っても金融商品取引業を行うことにはならないこと(同項,金商法施行令1条の8611号ロ)などを承けての求めでしょう(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第145-6頁の三井政府参考人の答弁参照)。むしろ地方自治法制の問題ではあります。

 ただし,地方公共団体とその関係団体とは峻別されるべきもので,そもそも「地方公共団体自身ではなくて,この外郭団体が発行するということのセキュリティートークン」については,「その外郭団体の支払い能力あるいは業務の行い方というのが恐らくまちまちでございまして,こういったものにつきましては,現状,地方公共団体と同程度に債務不履行の懸念がないとは言えない状況かと思います。/したがいまして,これを地方公共団体による発行行為と全く同視するというわけにはいかないと思いまして,現在の段階で,これを地方公共団体が直接発行するもの並みに開示規制や業規制を例えば免除するといったことは難しいのではないかというふうに考えている次第でございます。」ということになります(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第146頁(三井政府参考人))。

(5)電子記録移転権利の保護預り

 金商法2816号では,金融商品取引業を構成する行為の一つである保護預りの対象に,電子記録移転権利が追加されています。「その行う第1号から第10号までに掲げる行為に関して,顧客から〔略〕電子記録移転権利の預託を受けること」を業として行えば金融商品取引業を行っているということになるのですから(金商法28項),「他人の行う電子記録移転権利の売買又はその媒介,取次ぎ若しくは代理(同項1号・2号)に関して」ならば,顧客から電子記録移転権利の預託を受けることを業として行っても金融商品取引業を行うことにはならず,金融商品取引業を行うための内閣総理大臣の登録を受ける必要はないのでしょう(同法29条反対解釈)。

 電子記録移転権利についても「預託」を受けるものとの文言が用いられていますが,この「預託」関係は寄託契約関係になるということでしょうか。電子記録移転権利は物にではなく電子情報処理組織を用いて移転することができる財産的価値(電子機器その他の物に電子的方法により記録されるものに限る。)に表示されますところ(金商法23項),同様の財産的価値たる暗号資産については,「管理」の語が用いられているところです(資金決済法274号)。寄託に係る民法657条は「寄託は,当事者の一方がある物を保管することを相手方に委託し,相手方がこれを承諾することによって,その効力を生ずる。」と規定して,物を対象としています。

 金融商品取引業者は,「預託」を受けた電子記録移転権利を自己の固有財産と分別して管理しなければならないのですが(金商法43条の212号),その方法を定める金融商品取引業等に関する内閣府令(平成19年内閣府令第52号)136条を見ると,その第15号ロによることになるようです(同条11号から4号まで及び5号イは書類の存在を,1号から3号までは保管場所の存在を前提としています。同条2項は金融商品取引業者と顧客との共有の場合です。)。すなわち,「第三者をして当該権利を顧客有価証券として明確に管理させ,かつ,その管理の状況が自己の帳簿により直ちに把握できる状態で管理する方法」によるべきものとなるものと解されます。

 

3 暗号資産関係

 

(1)金融商品化

 金商法2243号の2は,暗号資産を新たに金融商品に加えています。デリバティブ取引は「原資産の類型により,有価証券に係るもの,金利や通貨などの金融に係るもの,商品に係るものの三つに大別される」ところ,金商「法が有価証券および金融に係るデリバティブ取引のみを対象とすることから,法では,原資産を金融商品,参照指標を金融指標とよび」それぞれ第224項及び25項で定義しているものです(山下=神田50頁・51頁(山下))。金商法2243号の2は,暗号資産を原資産とする,又は暗号資産に係る金融指標(同条251号は「金融商品」の価格又は利率等を金融指標とします。)を参照指標とするデリバティブ取引を規制するための前提整備規定です。

 ただし,暗号資産について他の金融商品と異なる取扱いをする点として,「暗号資産のリスクに関する説明をしていただくとか,あるいは原資産となる暗号資産の事前届出をしていただくと,こういった暗号資産の特性を踏まえたものがそれに付け加わっている」ということが説明されています(第198回国会参議院財政金融委員会会議録第123頁(三井政府参考人))。

前者については,金融商品取引業者等(金融商品取引業者又は登録金融機関(金商法34条))が暗号資産のリスクに関する説明をすることを求める規定として,金商法43条の6が設けられています。そのうち同条2項は罰則付きであって,同項は「金融商品取引業者等又はその役員若しくは使用人は,その行う暗号資産関連業務〔「暗号資産関連業務」は,暗号資産に関する内閣府令で定める金融商品取引行為(「暗号資産関連行為」)を業として行うことです(同条1項)。なお,金融商品取引行為は,同法28項各号に掲げる行為です(同法34条)。〕に関して,顧客を相手方とし,又は顧客のために暗号資産関連行為を行うことを内容とする契約の締結又はその勧誘をするに際し,暗号資産の性質その他内閣府令で定める事項についてその顧客を誤認させるような表示をしてはならない。」と規定していますが,違反した者は1年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金に処され,又はこれを併科されるものとされています(同法198条の62号の2。両罰規定たる同法20714号で法人には2億円以下の罰金。なお,適格機関投資家等特例業務を行う特例業務届出者及び金融商品仲介業者にも準用(同法6311項,66条の15)。安易に„Tauschen ist Täuschen.“などといって口八丁商売をしてはなりません。金商法43条の61項は「金融商品取引業者等は,暗号資産関連業務〔略〕を行うときは,内閣府令で定めるところにより,暗号資産の性質に関する説明をしなければならない。」と規定しています。

後者については,原資産となる暗号資産の事前届出をするように義務付けるために,金商法313項の「特定業務内容等」に,デリバティブ取引の原資産たる暗号資産又はデリバティブ取引の参照指標の算出がそれに基づくものたる暗号資産が含まれるように同項の当該内閣府令の定めが設けられることになるのでしょう。金融商品取引業者は,特定業務内容等について変更しようとするときはあらかじめ内閣総理大臣に届け出なければならないものとされます(金商法313項。違反の場合同法205条の231号で30万円以下の罰金)。その前提として,金商法29条の222号に掲げる書類(登録申請書に添付される「業務の内容及び方法として内閣府令で定めるものを記載した書類その他内閣府令で定める書類」)の記載事項にも,デリバティブ取引の原資産たる暗号資産又はデリバティブ取引の参照指標の算出がそれに基づくものたる暗号資産に係るものが含まれるよう当該内閣府令の改正がされるものでしょう。

 

(2)金銭みなし

 金商法2条の2は「暗号資産は,前条第2項第5号の金銭,同条第8項第1号の売買に係る金銭その他政令で定める規定の金銭又は当該規定の取引に係る金銭とみなして,この法律(これに基づく命令を含む。)の規定を適用する。」と規定しています。

このうち,金商法225号の金銭については,「集団投資スキーム持分に対しまして出資された暗号資産を金銭とみなすという規定を設けさせていただいていまして,これによりまして,暗号資産で出資された部分も規制対象となることを明確としております。」(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第143頁(三井政府参考人))ということであるとされています(また,「仮想通貨交換業等に関する研究会報告書」23頁)。ちなみにこれは,2018年末のSENER事件における詐取された出資のうちビットコイン分が金商法違反の無登録営業の罪では立件できなかったからゆえの法改正であるね,という趣旨の松平浩一委員の問いに対する答弁です。当該事件における被疑者らは,金商法22項の規定により有価証券とみなされる同項5号の権利たる有価証券の募集又は私募に係る金融商品取引業(同条87号ヘ)を同法29条の登録を受けずに行ったものでしょう。なお,金商法225号の金銭には,従来から政令の定めによってそれに類するものを含めることができましたが(同号),当該政令の定めたる金商法施行令1条の3には暗号資産は含まれていません。

金商法281号の売買は有価証券の売買ですが,「代」(民法555条)ならぬ代暗号資産であっても,有価証券と暗号資産との交換(同法586条)というような正確ながらも面倒な表現は用いないことにしたということでしょう。

 

(3)証拠金倍率の規制

「仮想通貨交換業等に関する研究会報告書」においては,「仮想通貨の証拠金取引における証拠金倍率については,現状,最大で25倍を採用している業者も存在するところ,仮想通貨の価格変動は法定通貨よりも大きいことを踏まえ,実態を踏まえた適切な上限を設定することが適当と考えられる。」と説かれています(17頁)。政府が「適切な上限を設定」するのでしょうが,その権限の法的根拠条文は何でしょうか。

「いわゆる外国為替証拠金取引,いわゆるフォーリンエクスチェンジ,FX取引ですか,あれと同様に内閣府令で定めることに予定をしておりますけれども。」との麻生太郎国務大臣の答弁(第198回国会衆議院財務金融委員会議録1416頁)によれば,FX取引規制と同様の内閣府令の定めでする,ということになります。

であれば,金融商品取引業等に関する内閣府令117条に,暗号資産の証拠金取引における証拠金倍率規制に係る規定を追加することになるのでしょう。同条の根拠条項は金商法389号で,「投資家の保護に欠け,若しくは取引の公正を害し,又は金融取引業の信用を失墜させるものとして内閣府令で定める行為」を金融商品取引業者若しくは登録金融機関又はその役員若しくは使用人はしてはならないものと規定しています。金融商品取引業者が金商法399号に基づく金融商品取引業等に関する内閣府令117条の規定に違反すると,法令違反ということになりますから,登録取消し又は業務停止の処分を覚悟せねばなりません(金商法5217号)。

 

(4)第6章の3「暗号資産の取引等に関する規制」(185条の22から185条の24まで)の追加

「暗号資産の取引等に関する規制」ということで,金商法に第6章の3185条の22から185条の24まで)が追加されています。第185条の22の見出しは「不正行為の禁止」,第185条の23のそれは「風説の流布,偽計,暴行又は脅迫の禁止」,第183条の24のそれは「相場操縦行為等の禁止」です。同章の各条は,「有価証券の取引等に関する規制」に係る同法第6章の第157条から第159条(第3項を除く。)とパラレルな規定です。また,罰則についても横並びです(金商法19716号及び5号(10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金又はこれを併科。両罰規定の同法20711号で法人は7億円以下の罰金)。また,同法1972項)。

暗号資産は,金商法上の有価証券(同法21項)ではなく,有価証券とみなされるもの(同条2項)でもないので,暗号資産の売買(デリバティブ取引に該当するものを除く。)その他の取引については,有価証券の売買(デリバティブ取引に該当するものを除く(同法281号)。)その他の取引及びデリバティブ取引等(同法333項,284号)に関する同法157条から159条までで対応できないということで,新たな条項が設けられたものでしょう。暗号資産関連デリバティブ取引等(金商法185条の2211号),暗号資産等(同法185条の231項),暗号資産関連市場デリバティブ取引(同法185条の241項)及び暗号資産関連店頭デリバティブ取引(同項)については,同法157条から159条までの規定の適用があり得るところでしたが,同法157条から159条までの規定の適用はあえて排除されています(同法185条の222項,185条の232項,185条の243項)。

金商法157条から159条までの規定の適用の排除の結果,同法第6章の3の規定に対する違反については,罰則はあるものの(同法197条),同法173条の課徴金は課されず(同法185条の23違反の場合),同法174条又は174条の2の課徴金も課されず(同法185条の24違反の場合),同法160条の賠償責任も負わない(同法185条の24違反の場合),ということになっています。また,金商法158条において定義される「有価証券等」には一見暗号資産が含まれるようであり(「デリバティブ取引に係る金融商品(有価証券を除く。)」には暗号資産は含まれるでしょう(同法2243号の2)。),そうであれば,暗号資産の相場を偽って公示し,又は公示し若しくは頒布する目的をもって暗号資産の相場を偽って記載した文書を作成し,若しくは頒布した者は,1年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金に処され,又はこれを併科されそうにも思われるのですが(同法1681項,20020号。両罰規定の20715号により法人は1億円以下の罰金),そもそも同法158条の規定は暗号資産については適用されないものとされているのでした(同法185条の232項(暗号資産は同条1項の「暗号資産等」に含まれています。))。

 

(5)厳しい経過規定

 現在仮想通貨を原資産とする店頭デリバティブ取引を行っている仮想通貨交換業者については,令和元年法律第28号の施行日から起算して6箇月間は,第一種金融商品取引業を行う金融商品取引業者の登録を受けていなくても引き続き当該デリバティブ取引に係る金融商品取引業を行うことができるという6箇月の猶予期間があります(同法附則101項)。しかし,行うことができる取引は,既存の顧客を相手方とし,又は当該顧客のためにするものに限られます(同項)。

 また,上記6箇月の猶予期間中に金商法29条の登録の申請をすれば,その申請について登録又は登録の拒否の処分があるまでの間は当該猶予期間が更に延長されるのですが(令和元年法律第28号附則102項本文),何と,この猶予期間の延長は,令和元年法律第28号の施行日から起算して最大限16箇月までと制限されています(同項ただし書)。せっかく登録申請をしても,金融庁御当局の担当者が書類の山(又は電子データの巨大な混沌)に圧迫されてうんうんうなってばかりで何らの処分もしていないうちに令和元年法律第28号の施行日から起算して16箇月の期間が経過してしまうと,その時からは前記のデリバティブ取引は行ってはならない(行うと金商法違反の犯罪),ということになるわけです(その後めでたく登録がされれば,その時からは再開が可能なのでしょうが。)。

 仮想通貨交換業に対する規制を新規に導入した2016年の情報通信技術の進展等の環境変化に対応するための銀行法等の一部を改正する法律(平成28年法律第62号)の附則81項とは大いに異なります。同項の規定によれば,既存の仮想通貨交換業者は,同法の施行日(201741日)から起算して6箇月の猶予期間中に仮想通貨交換業者の登録の申請をしておけば,当該申請に対する許否の処分がされるまでは引き続き仮想通貨交換業を行うことが可能であり(施行日から16箇月間に限るというような制限はありません。),かつ,新規顧客開拓も当然認められていたのでした。御参考までに同項の規定は,「この法律の施行の際現に仮想通貨交換業(第11条の規定による改正後の資金決済に関する法律(以下この条において「新資金決済法」という。)第2条第7項に規定する仮想通貨交換業をいう。以下この条において同じ。)を行っている者は,施行日から起算して6月間(当該期間内に新資金決済法第63条の51項の規定による登録の拒否の処分があったとき,又は次項の規定により読み替えて適用される新資金決済法第63条の171項の規定により仮想通貨交換業の全部の廃止を命じられたときは,当該処分のあった日又は当該廃止を命じられた日までの間)は、新資金決済法第63条の2の規定にかかわらず,当該仮想通貨交換業を行うことができる。その者がその期間内に同条の登録の申請をした場合において,その期間を経過したときは,その申請について登録又は登録の拒否の処分があるまでの間も,同様とする。」というものでした。

 令和元年法律第28号附則10条の厳しい規定の背景には,平成28年法律第62号附則81項の下における仮想通貨交換業のいわゆるみなし業者らの行状等に対する反省があったものです。

 

   こうした〔平成28年法律第62号の〕経過措置については,その適用を受けている期間中に,みなし業者が積極的な広告を行って事業を急拡大させた,との指摘や,多くの顧客が,取引の相手がみなし業者であることやその意味を認識していなかった,との指摘がある。(「仮想通貨交換業等に関する研究会報告書」30頁)

 

 暗号資産デリバティブ取引等について業規制を導入する際の経過措置において,既存業者に「業務内容や取り扱う仮想通貨等の追加を行わないこと。」,「新規顧客の獲得を行わないこと(少なくとも,新規顧客の獲得を目的とした広告・勧誘を行わないこと)。」等を求めるべきであるとの見解は,「仮想通貨交換業等に関する研究会報告書」において記載されていたところです(30頁)。また,「みなし業者としての期間の長期化を回避するとともに,予見可能性を高める観点から,みなし業者として業務を行うことができる期間について,一定の制限を設けることも考えられる。」との提案もされていました(同頁)。

 「仮想通貨デリバティブ取引については,原資産である仮想通貨の有用性についての評価が定まっておらず,また,現時点では専ら投機を助長している,との指摘もある中で,その積極的な社会的意義を見出し難い。」(「仮想通貨交換業等に関する研究会報告書」16頁)という暗号資産に係るデリバティブ取引に対する否定的な評価があるところ,金融庁御当局の担当者においても当該登録申請に対する前向きな審査には「積極的な社会的意義を見出し難い」ということでなかなか能率が上がらないかもしれません。申請者の側における早期かつ十分な準備が必要でしょう。

  

4 第一種金融商品取引業を行う金融商品取引業者の業務の範囲と暗号資産交換業者

第一種金融商品取引業を行う証券会社が仮想通貨交換業(令和元年法律第28号による改正前の資金決済法27項)を行うためには金商法354項の内閣総理大臣の承認が必要であるということは,仮想通貨交換業に関する規定を資金決済法に設けるための法案審議の際に政府が既に前提としていたところと解されます(第190回国会参議院財政金融委員会会議録第145頁(池田唯一政府参考人(金融庁総務企画局長)答弁))。

この前提には変化がないということで,デリバティブ取引の原資産に暗号資産が加わっても(金商法2243号の2),第一種金融商品取引業又は投資運用業を行う金融商品取引業者が行うことができる業務に係る金商法351項(同項の業務を行うについては内閣総理大臣への届出も不要(同条3項参照))の第13号には「通貨その他デリバティブ取引(有価証券関連デリバティブ取引を除く。)に関連する資産(暗号資産を除く。第15号及び次項第6号において同じ。)として政令で定めるものの売買又はその媒介,取次ぎ若しくは代理」と,しっかり下線部分が挿入されています。(なお関連して,金商法29条の219号の文言はこの点読みづらいのですが,「暗号資産〔略〕に係るデリバティブ取引についての次に掲げる行為」と読むべきものであって,「暗号資産〔略〕についての次に掲げる行為」と読んではならないものでしょう。令和元年法律第28号による金商法改正によっては,暗号資産は有価証券とはされていません。)

さて,店頭デリバティブ取引(金商法284号)を行うことは第一種金融商品取引業であって(同法2812号),第二種金融商品取引業(同条2項),投資助言・代理業(同条3項)及び投資運用業(同条4項)のいずれにも属しませんが,暗号資産交換業者が令和元年法律第28号附則102項に基づき第一種金融商品取引業を行う者として金商法29条の登録の申請をした場合(同法29条の2111号は「他に事業を行つているときは,その事業の種類」を登録申請書に記載することを求めています。),同法354項との関係はどうなるのでしょうか。この場合は,金商法354項ではなく,登録の拒否事由に係る同法29条の415号ハ(の反対解釈)が優先するのでしょう。すなわち,同号ハによれば,「他に行つている事業が第35条第1項に規定する業務及び同条第2項各号に掲げる業務のいずれにも該当せず,かつ,当該事業に係る損失の危険の管理が困難であるために投資家保護に支障を生ずると認められる者」に対しては,内閣総理大臣は登録を拒否しなければならないものとされています。換言すると,「当該事業に係る損失の危険の管理が困難であるために投資家保護に支障を生ずると認められ」なければ登録を受けられるわけです。(ということはつまり,金商法354項の承認の許否の基準は,「当該事業に係る損失の危険の管理が困難であるために投資家保護に支障を生ずると認められる」か否かということになるようです。このことは,同項の承認を受けようとする金融商品取引業者が提出すべき承認申請書が当該業務に関する損失の危険の管理方法に関する事項の記載を特に求めていることからも窺知されるところです(金融商品取引業等に関する内閣府令7022号参照)。

 

5 顧客に関する情報の第三者提供

第一種金融商品取引業又は投資運用業を行う金融商品取引業者が行うことができる業務に係る金商法351項に第16号が加えられています。いわく,「顧客から取得した当該顧客に関する情報を当該顧客の同意を得て第三者に提供することその他当該金融商品取引業者の保有する情報を第三者に提供することであつて,当該金融商品取引業者の行う金融商品取引業の高度化又は当該金融商品取引業者の利用者の利便の向上に資するもの(第8号に掲げる行為〔有価証券に関連する情報の提供又は助言〕に該当するものを除く。)」

当該規定と個人情報の保護に関する法律(平成15年法律第57号)との関係については,「この法律〔令和元年法律第28号〕は,オーバーライドする,あるいはひっくり返すという意図はございません。あくまで個人情報保護法の法律の適用にのっとって行うという趣旨でございます。」とされています(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第148-9頁(三井政府参考人))。情報の提供を受ける第三者については,「この法律の中で,画一的あるいは形式的に特定の業態あるいは形態を個別列挙する形で,これがいいとか,これがいけない,こういうふうな個別列挙の規定の仕方はしてございません」が,「金融機関が,例えば社会的な要請が明らかに認められないような,そういう情報関連業務を行うということがあれば,これは,今回の法律改正が銀行業の高度化,利用者の利便性の向上に資する情報の提供ということですので,今回の改正の規定の趣旨に反するのではないかというふうに考える次第でございます。」との一般論が述べられています(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第149頁(三井政府参考人)頁)。なお,令和元年法律第28号の第10条により,銀行の業務の範囲に係る銀行法(昭和56年法律第59号)10条の第2項に第20号として「顧客から取得した当該顧客に関する情報を当該顧客の同意を得て第三者に提供する業務その他当該銀行の保有する情報を第三者に提供する業務であつて,当該銀行の営む銀行業の高度化又は当該銀行の利用者の利便の向上に資するもの」が追加されます。

そもそもの大義名分は,「近年,情報通信技術の飛躍的な発展などが背景となりまして,データの利活用が社会全体の中で大きく進展していると。金融と非金融の垣根を越えたデータ活用が進みまして,従来存在しなかったような利便性の高いサービスを提供しようといった動きが,これは既存の金融機関もそうですし,フィンテック等々の既存の金融機関でない方々の取組もあろうかと思います。/こうした中で,銀行や保険会社につきましては業務範囲規制というものがございまして,実際にできる業務が列挙されてございます。こうした業務範囲規制があります金融機関につきまして,今,情報通信技術の革新が進む中で,利用者利便に資するような,そして金融機関自身の業務の新たな展開に資していくような,こういった保有情報の利活用といったものについて,真正面から銀行法上,保険業法上のこの位置付けというものを明確にするというものでございます。」ということ,更には「利用者情報であるとかこういったものを蓄積して利活用するというのが金融機関の競争力の源泉に変わりつつあるのではないか,既存ですと,ATMとか対面の顧客基盤とか,こういった物理的なものがアセットとして,資産として競争力の源泉であったものが,これがむしろレガシーになって,データというものがいかに活用できるかということが今後の金融サービスの質や競争力を変えていくのではないか。」ということのようです(第198回国会参議院財政金融委員会会議録第129頁(三井政府参考人))。ただし,「金融機関のいわゆるデータの集中とか金融機関によるデータの独占というものに関して,それを加速させよう」とするものではありません(第198回国会参議院財政金融委員会会議録第1218頁(麻生国務大臣))。令和元年法律第28号の第11条により,保険会社の業務の範囲に係る保険業法(平成7年法律第105号)98条の第1項に第14号として「顧客から取得した当該顧客に関する情報を当該顧客の同意を得て第三者に提供する業務その他当該保険会社の保有する情報を第三者に提供する業務であって,当該保険会社の行う保険業の高度化又は当該保険会社の利用者の利便の向上に資するもの」が追加されます。

 

6 刑事訴訟法パラレル改正

 犯則事件の調査等に係る金商法第9章(同法210条以下)においては,刑事訴訟法等に倣った制度の整備がされています。

 

7 ごめんなさい改正等

 金商法51項柱書の第1括弧書き中「特定有価証券」の定義が適用される条項として挙げられているものに同法24条の71項が追加されていますが,これは今まで抜けていたところを補正するごめんなさい改正です。

 金商法29条の登録の拒否事由を定める同法29条の411号ハに資金決済法違反に違反して罰金の刑に処せられた者を追加したことも,既に当然入っているべきであったのにもかかわらず抜けていたところを補正するものでしょうか。なお,当該ハは,政令の定めで法律を追加できる旨規定していますが,当該政令の定めである金商法施行令15条の6には,資金決済法は含まれていませんでした。(金融機関の登録の拒否事由を定める金商法33条の512号及び同号の政令の定めである金商法施行令15条の6についても同様)

金商法29条の414号の柱書から「個人である場合を除く。」を削ったのは,同号ニを個人にも適用して,個人であっても認可金融商品取引業協会又は認定金融商品取引業協会への加入を必須としようとするものでしょうか。

金商法1591項の表現が,「取引が繁盛に行われていると他人に誤解させる等これらの取引の状況に関し他人に誤解を生じさせる目的をもつて,次に掲げる行為をしてはならない。」から,「取引が繁盛に行われていると他人に誤解させる目的その他のこれらの取引の状況に関し他人に誤解を生じさせる目的をもつて,次に掲げる行為をしてはならない。」に変更されています。これはどういうことでしょうか。当該規定は犯罪構成要件でもあるところ(金商法19715号,197条の213号),令和元年法律第28号による改正前の表現について,「これじゃ結局「誤解させる等」の次で文が切れるから,それとの並びでその次の「誤解を生じさせる目的をもつて」についても,誤解させられたという結果までが立証されなければ「誤解を生じさせる目的」があったことにならないことになってしまうんじゃないの。」というような苦情が,検察庁又は法務省筋から金融庁に対してあったものでしょうか,それとも金商法185条の25の法案審査中に内閣法制局参事官殿に当該疑惑の表現が発見せられてひとしきり苦吟の後に新たな表現が与えられたものでしょうか。

金商法2101項の「,又は犯則嫌疑者が任意に提出し若しくは置き去つた物件を領置することができる。」を「,又は犯則嫌疑者が任意に提出し,若しくは置き去つた物件を領置することができる。」と改めた改正は,読点の打ち方に対する厳格な姿勢が窺われる,渋い改正です。

 「すべて」との平仮名表記が,「全て」に改められています。  



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1 新元号特需,我が国の元号制度の歴史論及び令和の元号の典拠論

 新元号特需というのでしょうか,最近は当ブログ20181213日掲載の「元号と追号との関係等について」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073399256.html)へのアクセス数が多くなっているところです。しかしこの元号人気,いつまで続くものでしょうか。

 我が国の元号制度の歴史論及び令和の元号の典拠論もひとしきりにぎやかでしたが,一応既に十分なのでしょう。日本書紀巻第二十五に「乙卯〔六月十九日〕,天皇・々祖母尊・皇太子於大槻樹之下召集群臣,盟曰。告天神地祇曰,天覆地載。帝道唯一。而末代澆薄,君臣失序。皇天仮手於我,誅殄暴虐。今共瀝心血。而自今以後,君無二政,臣無弐朝。若弐此盟,天災地妖,鬼誅人伐。皎如日月也。/改天豊財重日足姫天皇四年,為大化元年。」とあります。元号を令和に改める政令(平成31年政令第143号)を元号法(昭和54年法律第43号)第1項の規定に基づき201941日に制定した内閣の内閣官房長官による同日の記者会見で「新元号の典拠について申し上げます。「令和」は万葉集の梅の花の歌,三十二首の序文にある,「初春の令月にして 気(きよ)く風(やはら)ぎ 梅は鏡前の粉を(ひら)き (らん)(はい)()の香を(かをら)す」から引用したものであります。」との説明があったところです。

 とはいえ,令和の典拠論においては,漢籍に詳しい方々から,万葉集の当該序文のそのまた典拠として,後漢の張衡の帰田賦における「於是仲春月 時気清 原隰鬱茂 百草滋栄」の部分がそうであるものとして更に指摘がされてもいます(下線は筆者によるもの)。なお,張衡は政府高官であったそうで,「都邑に遊びて以て永く久く,明略を以て時を(たす)くる無し川に臨んで以て魚を羨,河清を俟つに未だ期あらず。蔡子の慷慨に感じ,唐生に従ひて以て疑ひを決す。(まこと)に天道の微昧なる,漁夫を追ひて以て同嬉す。埃塵を超えて以て()逝し,世事と長辞す。やら,「(いやしく)も域外に縦心せば(いづくん)ぞ栄辱の所如を知らむ。」などといったところからは,それらしいぼやきのようなものが読み取られ得るように思われます

 

2 漢における元号制度創始の事情論

 しかしながら,西暦紀元前2世紀の終盤における漢の七代目皇帝孝武帝(武帝)劉徹による元号制度の創始に関しての込み入った事情についてまでの,漢学者ないしは東洋史学者からの一般向けの解説は,筆者の管見の限り,令和改元の前後においてはなかったようです。筆者としては宮崎市定『中国史』に先ず拠り,更に令和改元後,インターネット上の京都大学学術リポジトリ「(くれない)」で東洋史研究第1巻第5号(1936年)掲載の藤田至善「史記漢書の一考察―漢代年号制定の時期に就いて―」論文(420-433頁)に逢着し得て,前記「元号と追号との関係等について」記事を補訂することができたばかりでした。

 当該藤田論文によれば,西暦紀元前2世紀の半ば過ぎにおける即位の翌年の初元以来元を改めることを重ねて既に五元(初元を含む。)に及んでいた漢の武帝が,それぞれの元から始まる年について建元,元光,元朔及び元狩の各()号を最初の四元について事後的に追命したのは五元の第三年であり(420-421頁,426頁),当の五元についてはその第四年になってから元鼎という年号が付されたものであって(したがって,人がその現在においてその(●●)()()年号を語ることができるようになった最初の年は元鼎四年であったことになります。),改元と年号の付与とが初めて一致した(すなわち現在のもののような()号の始まり)は元鼎の次の元封の元号からであった(432頁註⑥),ということでした。

 

3 元狩元年元号制度創始説

 しかしながら,元号の創始時期については,藤田論文では排斥(426頁)されているものの,漢書の著者である班固が提唱し,宋代の司馬光(資治通鑑巻十九)及び朱熹(資治通鑑綱目巻之四)という大碩学が支持している(同422頁)元狩元年説というものがあります。元狩元年に当該元狩の元号が定められるとともに,それより前の建元,元光及び元朔の年号が追命されたとするものです(藤田420頁)。漢書武帝紀に「元狩元年冬十月,行幸雍,祠五畤,獲白麟,作白麟之歌。」(元狩元年冬十月,(よう)に行幸し,五()(まつ)る。白麟を(),白麟之歌を作る。)とある獲麟事件に(ちな)んで,三元から四元に改元がされ,かつ,当該四元の年に初めて年号(元狩)が付されたのだ,という説です(藤田421頁)。ちなみに,雍州とは,『角川新字源』によると,陝西省北部・甘粛省北西部地方です(なお,以下筆者が漢語漢文解読に当たって当該辞書を使用する場合,いちいち註記はしません。)畤は,祭場です。麟は,あるいは「大きなめすのしか。一説に大きなおすのしか。」とされ,あるいは「「麒麟(きりん)」のこと」とされています。

 さて,なにゆえ本稿においてここで元狩元年元号制度創始説が出て来るのか。実は,あえてこの元狩元年元号制度創始説を採用することによって,万葉集か帰田賦か,国風か漢風か等をめぐる令和の元号に係る華麗かつ高雅な典拠論争に,ささやかかつ遅れ馳せながらも班固の漢書をかついでのこじつけ論的参入・にぎやかしが可能になるのではないか,というのが今回の記事の執筆(モチ)動機(ーフ)なのであります。

 なお,『世界史小辞典』(山川出版社・1979年(219刷))の「東洋年代表」(付録78頁)を見ると,武帝の建元元年は西暦紀元前1401120日から始まり,元狩元年は同122112日から,元鼎3年は同1141117日から,元鼎4年は同113116日から,元封元年は同110113日から始まっていることになっています。立春の頃から年が始まるようになったのは,太初暦の採用からのようです(太初元年は西暦紀元前1041125日から始まったものとされているのに対して,太初二年は同103211日から始まったものとされています。)。それまでは,十月が歳首であったようです。史記巻二十八封禅書第六には,秦の始皇帝について「秦始皇既幷天下而帝。或曰,〔略〕今秦周変,水徳之時,昔秦文公出猟獲黒龍,此其水徳之瑞。於是秦更命河曰徳水。以冬十月為年首,色上黒,度以六為名,音上大呂,事統上法。」(秦の始皇既に天下をあはり。あるひといは文公黒龍此れ水徳り。なづ冬十月を以て年首と為し,色は黒をたふとをはりぶ。高祖つい高祖豊枌祠蚩尤,釁鼓旗。遂以十月至灞上,与諸侯平咸陽立為漢王。因以十月為年首。而色上赤。」(高祖初め起るとき,豊のふんいのる。とな則ち蚩尤しいうまつりちぬる。十月諸侯咸陽立ちて十月を以て年首と為す。色は赤をたふとぶ。武帝つい改暦正月官名太初元年。正月を以て歳首と為す。而して色は黄をたふと官名印章あらた五字す。太初元年と為す。)とあります。ただし,太初改暦の日程については,『世界史小辞典』の「東洋年代表」では太初元年は西暦の11月から始まって次の2月には終わってしまっている形になっているので,何だか分かりづらいところです。

 暦法は,難しい(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1916178.html)。

 

4 終軍の対策と「元狩」改元及び「令和」抽出

 班固が元狩元年元号制度創始説を提唱するに至ったのは,前記の元狩元年十月の獲麟事件に当たって武帝に(たてまつ)られた終軍という名の若者による対策に接したからであると考証されています(藤田422-423頁)。「対策」とは,「漢代の官吏採用法の一つ。策にこたえる意で,策(木の札)に書いて出題された試験問題に対して見解を書いて答える。また,その答案。」と説明されています。終軍の当該対策については,「その文章の典雅にして,義理の整斉なる点優に漢代文苑の英華であつて,有名なる対策の一つである。」との文学的評価がされているところです(藤田422頁)。当該対策の次の一節が,問題になります。

 

  今郊祀未見於神祇,而獲獣以饋,此天之所以示饗而上通之符合也,宜因昭時令日改定告元(師古曰,昭明也,令善也,) 

  (今,郊祀に未だ神祇を見ずして獣を()以て()とす。此れ天()饗して上通するを示す所以(ゆえん)()符合(なり)。宜しく昭時令日に()りて,改定し元を告ぐべし。(師古曰く,昭は明也,令は善也,と。)

 

 班固は「この文中にある「宜因昭時令日改定告元」の語に非常なる重点を置き,武帝は終軍のこの対策に従つて白麟奇木を得た瑞祥を記念するため,この年を以て元狩元年と云ふ年号を制定したものゝ如くに考へたのである。故に班固は漢書終軍伝にこの対策を全部収録して,その最後に,/対奏,上甚異之,由是改元為元狩〔(こた)(そう)す。上,甚だ之を異とす。(これ)()りて改元し元狩と為す。〕/との結論を下し,この対策を史料とすることに依つて得た自己の解釈を明記してゐるのである。」と藤田論文は述べています(422-423頁)。

しかして,令和の元号の典拠に係る前記内閣官房長官説明に接した後において当該部分を読むと,

 

宜しく昭時令日()りて,改定し元を告ぐべし。」ということであれば「令月」が「令日」になっているだけであるのだから,「(きよ)く風(やはら)」に相当する語句が終軍の対策中において文脈上「令日」につながる箇所にうまい具合にあれば,漢の武帝による史上最初の元号は,我が安倍晋三内閣的発想に従えば,実は元狩ではなく令和であったかもしれないのだ,と言い得るのではないか,  

 

とつい考えてしまったわけです。

 ということで,漢書巻六十四下の終軍伝に収録されている当該対策を調べてみると・・・ありました。「和」の含まれた語句がありました。

 

  陛下盛日月之光,垂聖思於勒成,専神明之敬,奉燔瘞於郊宮。献享之精交神,積和之気塞明(師古曰,塞荅也,明者明霊亦謂神也)。而異獣来獲宜矣。

  (陛下は日月之光を盛んにし,聖思を(ろく)成に垂れ,神明之敬を専らにし,燔瘞(はんえい)を郊宮に(たてまつ)る。(けん)(きやう)〔ごちそうをしてもてなす〕()精は神と交り,積之気は明に(こた)ふ。(師古曰く,塞は(たふ)〔答〕也,明は明霊(また)は神を謂ふ也,と。)而して,異獣の来たりて()るは(むべ)なり。

 

すなわち,天子の篤い敬神の念及びまごころを込めた祭祀の実践による之気は(かみさま)(こた)えて,したがって白い麒麟も天子様こんにちはと出て来る冬十月の(あかるい)(とき)(よい)()となり,それに因んでめでたく改元し,年号を定めるのであるのなら,当然その元号は「令和」が宜しいのではないですか,と終軍の名対策に便乗し,かつ,未来の偉い人発想に忖度しつつ武帝に上奏する辣腕の有司があってもよかったように思われるところです。

 

5 残念な終軍

 とはいえ以上は,完全な無駄話です。

終軍の手になるとされる当該対策は,元狩二年以降の未来の出来事(霍去病の驃騎将軍任命,昆邪の来降)を元狩元年段階においての作文であるはずなのに大預言書的に書き込んでしまっているものであって後世の偽作っぽく(藤田423-424頁参照),また,改元といっただけでは当時は年号を付することとは必ずしも結び付かず,むしろ武帝は年号のないまま問題意識なく改元を重ねていたところであって,「宜しく・・・改定し元を告ぐべし。」と奏上するだけでは,「年号」なる革新的アイデアを奏上したことにはならない(同424-426頁参照),したがって終軍の当該対策に基づく元狩元年元号創始説は採用するを得ない,とされているところです(同426頁)。

 終軍及びその名による対策は,残念でした。すなわちここからは,元号制定に中心となって関与したということで安易に人気を博そうとしても人の目は実はなかなか厳しい,という教訓を引き出すべきものでしょうか。

残念な終軍は,その後外交外事関係に注力します。当時の南越国今の広東省・広西壮族自治区の辺り)における漢化体制を確立すべく,勇躍同国に使いします。しかしながら,漢と南越国との関係は一筋縄ではいかず(実は,終軍は,南越王相手には縄一筋もあれば十分であるとの壮語をしたようではありますが),同国内における根強い反対勢力の反撃を受けて,若い身空で異郷に思わぬ横死をすることとなりました。

さて,この終軍の蹉跌からは,元号関係で思わぬ人気を得て気をよくして更に隣国との外交(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073895005.html)及び多文化共生ないしは受入れ(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1072912488.html)においても一層大きな歴史的成果を挙げようなどと自らを恃んで張り切ると,そこには陥穽(おとしあな)が待っていますよ,という教訓をも引き出すべきでしょうか。

しかし,何でも教訓に結び付けようとするのはうがちが過ぎるというもので,また,うがちの精神は,実は息苦しい忖度の精神とかえって親和的なのかもしれません。

 

 Si mihi pergit quae vult dicere,

    ea quae non vult audiet.

    (Terentius, Andria)

 

 (うがった意訳)

うがったことばかり勝手に言い募りやがってうざい野郎め,

そのうち反転攻勢で,「忖度が足りないんだ,不謹慎だ,いーけないんだ」って言い込めてやるぞ。

   

(漢書巻六十四下の終軍伝における関係部分に係る筆者我流の読み下し文は,次のとおりです。)

 

6 漢書巻六十四下・終軍伝(抄)

 

終軍。(あざな)は子雲。済南の人(なり)

(わかく)して学を好む。辯(ひろ)()く文を(つく)るを(もつ)て,郡中に聞ゆ。年十八,(えらばれ)て博士の弟子と()り,府に至り,遣を受く。()()(いは)く,博士の弟子は太常〔太常は,宗廟の儀礼をつかさどる官〕に属す〔なお、太常博士は,天子の車の先導をしたり王公以下のおくり名を決めたりする宮中の式典係〕,遣を受くる者は郡に()りて京師に遣詣せらる,と。)太守〔郡の長官〕()の異才()るを聞き,軍を召見し,(はなは)(これ)を奇として(とも)に交を結ぶ。軍,太守に(いふ)し,(しかう)して去る。

長安に至り,上書して事を言ふ。武帝,其の文を異とし,軍に(さづ)けて謁者〔宮中で来客の取次ぎをつかさどる役〕と為し,事に(あた)るを給す〔「給事中」は,加官といって他の官の者が兼任し,天子の諮問に答える官〕

上の(よう)幸して五()(まつ)るに従ふ。白麟を()る。一角にして五蹄なり。(師古曰く,毎一足に五蹄有る也,と。)時に(また)奇木を得る。其の枝は旁出して,(すなはち)(また)木上に合す。上,()の二物を異とし,(ひろ)く群臣に(はか)る。(師古曰く,其の徴応を訪ぬる也,と。)

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 一角獣(東京都新宿区明治神宮外苑聖徳記念絵画館前)(ただし,これは五蹄ではないようです。)

軍,(こた)へて上に曰く。

 

臣聞くに,詩は君徳を頌し,楽は后功〔后は,天子〕に舞す。経は異なれども指すは同じく,盛徳()隆たる所を(あきらか)にする(なり)

南越は()()竄屏(ざんへい)し,鳥魚と群す。(師古曰く,葭は(あし)也,成長して(すなは)ち葦と()ふ,葭の音は(),と。正朔其の俗に及ばず。有司境に臨み,而して東(おう)〔今の浙江省温州市の辺り〕内附し,(びん)〔閩は今の福建省〕()に伏す。南越,(さいはひ)に救はる。北胡は畜に随ひ,(せん)居す。(蘇林曰く,薦は草也,と。師古曰く,蘇説は非也,と。薦は読みて(せん)と曰ふ。荐は()也。言ふならく,畜牧に随ひ(しばしば)()へ,(ゆゑ)に居に安住せざる也,左伝に戎狄は荐居する者也,と。禽獣の行ひ,虎狼の心,上古(いま)(をさめること)を能くせず。大将軍(ゑつ)()り,単于(ぜんう)幕に(はし)。票騎(せい)()げ,(こん)()(じん)を右にす。(師古曰く,抗は挙也,衽を右にするとは中国の化に従ふ也,昆の音は下門反,と。)(これ),沢は南(あまね),而して威は北に(のぶ)る也。

()近くに(おもね)らず,挙を遠くに遺さず,官を設け,賢を()ち,賞を()け,功を待ば,能者は進んで以て禄を保し,()者は退いて力を労す。(師古曰く,罷は職任に堪へざる者を()ふ也,力を労すとは農畝に帰する也,と。)宇内に(のり)なす。(師古曰く,刑は法也,と。言ふならく,宇内に法を成す也,と。一に曰く,刑は見也,と。)衆美を()みて足らず,聖明を懐きて専らにせず。三宮()文質を建て,(その)()(よろ)しき所を(あきらかに)にす。(服虔曰く,三宮は明堂〔政教を行う所〕・辟雍〔太学〕・霊台〔天文台〕也,と。鄭氏曰く,三宮に()いて政教に班するは,文に質有る者也,と。封禅()君,聞く()し。(張晏曰く,前世の封禅之君,()くの(ごと)きの美を聞かざる也,と。)

()れ天命初めて定まり,万事草創,六合〔天地(上下)と東西南北〕(ふう)を同じくし,九州〔冀・(えん)・青・徐・揚・荊・予・梁・雍の9州〕(くゎん)を共にして(しん)に及必ず明聖を待ち,祖業を潤色し,無窮に伝ふ。故に周は成王に至り,然る後に制を定め,而して休徴〔めでたいしるし〕()を見る。

陛下は日月之光を盛んにし,聖思を(ろく)成に垂れ,神明之敬を専らにし,燔瘞(はんえい)を郊宮に(たてまつ)る。(師古曰く,燔は天を祭る也,瘞は地を祭る也,天を祭るには則ち之を焼き,地を祭るには則ち之を()む,郊宮は泰畤及び后土(なり),と。)(けん)(きやう)()は神と交り,積和之気は明に(こた)ふ。(師古曰く,塞は(たふ)〔答〕也,明は明(また)は神を謂ふ也,と。)而して,異獣の来たりて()るは(むべ)なり。昔,武王の中流にて未だ(わたら)ざるに,白魚王舟に入り,俯して取りて以て燎す。群公(みな)曰く,(めでたい)(かな)と。今,郊祀に未だ神祇を見ずして獣を()以て()とす。(師古曰く,以て饋とすとは,祭俎に充つるを謂ふ也,と。)此れ天()饗して上通するを示す所以(ゆえん)()符合(なり)。宜しく昭時令日に()りて,改定し元を告ぐべし。(師古曰く,昭は明也,令は善也,と。張晏曰く,年を改元して以て神祇に告ぐる也,と。)()〔草をたばねたしきもの〕は白茅の江淮に於けるを以てし,嘉号を営丘に発さば,以て(まさ)緝熙(しふき)〔徳が光り輝くこと〕すべし。(服虔曰く,苴は席を作る也,と。張晏曰く,江淮職は三脊茅を貢して藉を為す也,と。孟康曰く,嘉号は封禅(なり),泰山は斉の分野に()り,故に丘と曰ふ也,或いは曰く,泰山に登封し以て姓号を明らかにする也,と。師古曰く,苴の音は(),又の音は子予反,苞苴(はうしよ)〔みやげもの〕()苴には(あら)ざる也,と。事を著す者に紀()らしむべし。(師古曰く,史官を謂ふ也,紀は記(なり),と。)

(けだ)し六兒鳥〔兒の偏に鳥の旁の字〕の退き飛ぶは逆(なり)(張晏曰く,六兒鳥の退き飛ぶは諸侯(はん)(ぎゃく)(かたど),宋の襄公は伯道退く也,と。)白魚の舟に登るは(じゅん)也。(張晏曰く,周は木徳(なり),舟は木(なり),殷は水徳にして,魚は水物,魚の躍りて舟に登るは諸侯の周に(したが)ひ紂を以て武王に(あた)(かたど)る也,と。臣(さん)曰く,時論者は未だ周を以て木と為し,殷を以て水と為さざる也,謂ふならく,武王の殷を()たむとして魚の王舟に入るを,征して必ず()るに(かたど)り,故に順と曰ふ也,と。師古曰く,瓚の説が(なり),と。夫れ明闇()徴,上に飛鳥乱れ,下に淵魚動く。(師古曰く,乱は変(なり),と。)(おのおの)類を以て推すに,今野獣の角を(あわ)すに本の同じきは明らか也。(師古曰く,幷は合(なり),獣は皆両角なるに,今此れは独一,故に幷と云ふ也,と。)衆支は内附して外無きを示す也。(かく)(ごと)()(しるし)(ほとん)(まさ)に編髪を解き,左衽を削り,冠帯を(かさ)ね,衣裳を要し,而して化を蒙る者()らむとす。(師古曰く,衣裳を要するとは中国之衣裳を著するの謂ひ也,編は読みて(べん)と曰ふ,要の音は一遥反,と。)(すなは)(こまぬ)きて(これ)()(のみ)(こた)(そう)す。


上,甚だ之を異とす。(これ)()りて改元し元狩と為す。後数月,越地及び匈奴の名王の衆を率ゐて来降する者有り。時に皆軍の言を以て(あた)ると為す。

 

〔中略〕

 

南越と漢とは和親たり。(すなは)ち軍を遣はし南越に使して其の王を説き,入朝せしめ,内諸侯に(なら)べむと欲す。軍,自ら請願して長(えい)を受く。必ず南越王を(つな)て之を闕下〔宮門の下。また朝廷,天子をいう。〕に致す,と。(師古曰く,言は馬羈の如き也,と。)軍,遂に往きて越王を説き,越王聴許す。国を挙げて内属せむことを請ふ。天子,大いに(よろこ)び,南越大臣の印綬を賜ふ。壱に漢の法を用ゐ,以て新たに其の俗を改め,使者を留め之を〔民心をしずめおさめる〕せしむ。(師古曰く,塡の音は竹刃反,と。)越相の呂嘉,内属を欲せず。兵を発し,其の王及び漢の使者を攻殺す。皆死す。語,南越伝に在り。軍の死時の年,二十余。故に世,之を(しゅうの)(ぼうや)と謂ふ。


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Fili Caeli, salve!


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   奇木・なんじゃもんじゃ(聖徳記念絵画館前)
 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

150-0002 東京都渋谷区渋谷三丁目5-16 渋谷三丁目スクエアビル2
電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp 




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第1 Meine Bibliothek ist Makulatur.

 前回2019314日の掲載記事は,「仮想通貨交換業者の分別管理義務に関する思案分別」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1074204067.html)というものでした。ところが早速,当該記事掲載の翌日(15日)の閣議において,情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律案が決定され,当該議案は同日内閣総理大臣から衆議院に提出されました(第198回国会閣法第49号。同日参議院にも予備審査議案として送付されています(国会法(昭和22年法律第79号)58条参照)。)。当該法改正が実現すれば,仮想通貨交換業者等をめぐる法制度に大きな変動がもたらされます。苦心の上記拙文も,あっと言う間に非現行化というわけです。

法律などという当てにならないものを憑代(よりしろ)として学者ぶるなどということは,空しいことです。

 

  Indem die Wissenschaft das Zufällige zu ihrem Gegenstande macht, wird sie selbst zur Zufälligkeit; drei berichtigende Worte des Gesetzgebers und ganze Bibliotheken werden zu Makulatur. (von Kirchmann, Die Wertlosigkeit der Jurisprudenz als Wissenschaft. 1848)

  (当該学問は,不確かなものをその対象とすることによって,自らが不確かなものとなる。立法者が3度訂正の語を発すれば,一大文献群が反故の山となる。(フォン・キルヒマン「法学の学問としての無価値性」1848年))

 

第2 「等」の話

 さて,「・・・資金決済に関する法律等の一部を改正する法律」といった場合の,この題名における「等」は曲者です。この僅か1文字から,3以上の多数の法律が改正されることを読み取って,覚悟しなければなりません。

 

   一部改正法には,その本則において,1の法律を改正するものと2以上の法律を改正するものとがあるが〔略〕,2以上の法律を1の一部改正法の本則で改正する場合において,改正される法律が2であるときと,3以上であるときとでは,題名の付け方に差がある。その数が2であるときは,原則として,〔略〕「A法及びB法の一部を改正する法律」という題名を付け,その数が3以上であるときは,〔略〕「A法等の一部を改正する法律」という題名を付ける。(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)351-352頁)

 

今次国会に提出された情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律案の本則においては,13法律について一部改正が行われます。すなわち,資金決済に関する法律(平成21年法律第59号)(第1条),金融商品取引法(昭和23年法律第25号)(第2条),金融商品の販売等に関する法律(平成12年法律第101号)(第3条),農業協同組合法(昭和22年法律第132号)(第4条),水産業協同組合法(昭和23年法律第242号)(第5条),中小企業等協同組合法(昭和24年法律第181号)(第6条),信用金庫法(昭和26年法律第238号)(第7条),長期信用銀行法(昭和27年法律第187号)(第8条),労働金庫法(昭和28年法律第227号)(第9条),銀行法(昭和56年法律第59号)(第10条),保険業法(平成7年法律第105号)(第11条),農林中央金庫法(平成13年法律第93号)(第12条)及び金融機関等が行う特定金融取引の一括清算に関する法律(平成10年法律第108号)(第13条)の13です。題名の「等」には,12の法律が隠されていたのでした。なお,改正時期は,改正法の公布の日から起算して1年を超えない範囲内において政令で定める日からということになります(附則1条)。あるいは202041日あたりでしょうか。

(なお,「等」に関しては,2014127日に掲載した「「等」に注意すべきこと等」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2806453.html)も御参照ください。)

 

第3 情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律案1条研究

今回は,情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律(案)の第1条による一部改正によって,資金決済に関する法律(以下「資金決済法」といいます。)が来年以降どのように変わるのかを見ておきたいと思います。

 

1 「仮想通貨」から「暗号資産」へ

まず,「仮想通貨」との呼称が,「暗号資産」に変わります。

これは,先般終了した金融庁の仮想通貨交換業等に関する研究会(座長は神田秀樹教授)の報告書(20181221日。以下「研究会報告書」といいます。)において,「最近では,国際的な議論の場において,“crypto-asset”(「暗号資産」)との表現が用いられつつある。また,現行の資金決済法において,仮想通貨交換業者に対して,法定通貨との誤認防止のための顧客への説明義務を課しているが,なお「仮想通貨」の呼称は誤解を生みやすい,との指摘もある。」ということから「法令上,「仮想通貨」の呼称を「暗号資産」に変更することが考えられる。」と提案されていたものです(31頁)。(註:第198回国会衆議院財務金融委員会議録第1415頁の麻生太郎国務大臣(金融担当)答弁参照)

 

2 電子記録移転権利を表示するものの暗号資産からの除外(2条5項)

仮想通貨改め暗号資産の定義に係る資金決済法25項には新たに,「ただし,金融商品取引法(昭和23年法律第25号)第2条第3項に規定する電子記録移転権利を表示するものを除く。」とのただし書が付されることになります。改正後の金融商品取引法23項に規定する電子記録移転権利を表示するものであれば,資金決済法25項各号に一見該当するものであっても暗号資産とはならない,ということのようです。

それでは電子記録移転権利とは何かといえば,金融商品取引法22項各号に掲げる権利であって,電子情報処理組織を用いて移転することができる財産的価値(電子機器その他の物に電子的方法により記録されるものに限る。)に表示される場合(流通性その他の事情を勘案して内閣府令で定める場合を除く。)のものであるそうです(改正後金融商品取引法23項の第2括弧書き)。金融商品取引法22項各号に掲げる権利については,そもそも,「証券又は証書に表示されるべき権利以外の権利であつても有価証券とみなして,この法律〔金融商品取引法〕の規定を適用する」とされていたものです(同項柱書)。(なお,従来からも資金決済法25項においては,本邦通貨若しくは外国通貨又は通貨建資産たる財産的価値は,一見仮想通貨に含まれるもののようであっても,仮想通貨に含まれないものとされていました。)

 

3 仮想通貨カストディ業務の暗号資産交換業取り込み(2条7項)

資金決済法27項の改正による新たな「暗号資産交換業」は,従来の仮想通貨交換業よりも広い範囲のものとなります。すなわち,改正後資金決済法27項の新たな第4号は「他人のために暗号資産の管理をすること(当該管理を業として行うことにつき他の法律に特別の規定のある場合を除く。)。」(「暗号資産の管理」)を業として行うことを暗号資産交換業に含まれるものとしているところです。従来は,その行う仮想通貨の交換等に関して利用者の仮想通貨を管理する管理行為に限って仮想通貨交換業に含まれるものとしていましたが(現行資金決済法273号),「その行う前2号の行為〔仮想通貨の交換等〕に関して」との縛りが撤廃されたものです。

これまで,「仮想通貨の売買等〔仮想通貨の売買・交換やそれらの媒介・取次ぎ・代理〕は行わないが,顧客の仮想通貨を管理し,顧客の指図に基づき顧客が指定する先のアドレスに仮想通貨を移転させる業務(以下「仮想通貨カストディ業務」)を行う者も存在するが,当該業務は,仮想通貨の売買等を伴わないため,仮想通貨交換業には該当しない。」とされていたところ(研究会報告書14頁),「決済に関連するサービスとして,一定の規制を設けた上で,業務の適正かつ確実な遂行を確保していく必要があると考えられ」て(同頁),当該仮想通貨カストディ業務も暗号資産交換業に含まれるものとされたわけでしょう。

 (1:「利用者の暗号資産のアドレスに係る秘密鍵は利用者自身,お客さん自身が管理し,業者は秘密鍵を管理しない,暗号資産の移転を容易にするようなソフトウェアのみを提供するといった行為は,この法律案におきます暗号資産の管理の行為には該当しない」と解する旨の政府参考人答弁があります(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第144頁(三井秀範金融庁企画市場局長))。暗号資産の管理を業として行わなければ,暗号資産交換業には含まれません。)

(註2:また,暗号資産の売買等に関してですが,「資金決済法の中でございますが,暗号資産と法定通貨の交換などを規制対象としていますが,暗号資産の発行行為そのもの自体については特段の規制を入れておりません。また,暗号資産の発行者が暗号資産の販売を暗号資産交換業者に委託するという場合には,発行者自身の暗号資産交換業の登録は不要というふうにさせていただいております。」との政府参考人答弁がありました((第198回国会衆議院財務金融委員会議録第145頁(三井局長))。)

  

4 一般社団法人日本仮想通貨交換業協会の重用(63条の5第1項6号)

暗号資産交換業者の登録に係る登録拒否事由として,「暗号資産交換業者をその会員(第87条第2号に規定する会員をいう。)とする認定資金決済事業者協会に加入しない法人であって,当該認定資金決済事業者協会の定款その他の規則(暗号資産交換業の利用者の保護又は暗号資産交換業の適正かつ確実な遂行に関するものに限る。)に準ずる内容の社内規則を作成していないもの又は当該社内規則を遵守するための体制を整備していないもの」が加えられています(改正後資金決済法63条の516号)。(なお,改正後資金決済法872号は,「前払式支払手段発行者,資金移動業者又は暗号資産交換業者を社員(以下この章において「会員」という。)とする旨の〔一般社団法人の〕定款の定めがあること。」と規定しています。「社員」(一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(平成18年法律第48号)1115号等参照)を「会員」と言い換えてしまっているので特に「(第87条第2号に規定する会員をいう。)」と言及されているのでしょう。)

上記改正後資金決済法63条の516号の事由は,同様に登録制度及び認定資金決済事業者協会制度を採用している第三者型前払式支払手段に係る第三者型発行者又は資金移動業者については規定されていないところの,新たな追加的登録拒否事由となっています(前者については資金決済法10条を,後者については同法40条を参照)。

また,暗号資産交換業者については一般社団法人日本仮想通貨交換業協会が20181024日に資金決済法87条の認定を受けて認定資金決済事業者協会となっているところですが,改正後資金決済法63条の516号は,暗号資産交換業者をその会員とする認定資金決済事業者協会が今後常時存在し続けていくものであることを前提としているようです。一般社団法人日本仮想通貨交換業協会に対して,金融庁は資金決済法962項の認定取消権を発動しないものとしているのでしょうか。美濃部達吉の1940年の著作において,産業統制に係る同業者の協同組合に関して「時としては,啻に組合員に対してのみならず,組合員以外の者でも,組合地区内で同種の産業を営む者に対し,政府が組合の統制決定に従ふべきことを命じ得るものとして居ることが有る。商業組合法(9条)・工業組合法(8条)・貿易組合法(1862条)は其の例である。此の規定あるが為めに,此等の組合は任意加入の組合であるに拘らず,統制決定に関する限りは,行政官庁の監督の下に,強制加入の組合と同様の機能を発動し得るのである。」との記述があったことが想起されなどします(美濃部達吉『日本行政法下巻』(有斐閣・1940年)417-418頁)。

改正後資金決済法63条の516号は,「必要に応じて行政当局による監督権限の行使を可能とする法令に基づく規制と,環境変化に応じて柔軟かつ機動的な対応を行い得る認定協会の自主規制規則との連携が重要であると考えられ」たことにより,求められていた規定です(研究会報告書9頁)。

 

5 「商号」と「名称」とに係る厳密論理ごりごり改正(63条の5第1項7号)

改正後資金決済法63条の517号は,現在の同項6号が「他の仮想通貨交換業者が現に用いている商号若しくは名称と同一の商号若しくは名称又は他の仮想通貨交換業者と誤認されるおそれのある商号若しくは名称を用いようとする法人」(下線は筆者)であることを登録の拒否事由とする旨規定していることを改め,「他の暗号資産交換業者が現に用いている商号と同一の商号又は他の暗号資産交換業者と誤認されるおそれのある商号を用いようとする法人」として,「名称」を排除しています。

これは,資金決済法63条の511号見合いの厳密論理ごりごり改正というべきでしょう。

そもそも暗号資産交換業者は株式会社又は外国会社でしかあり得ないのですが(資金決済法63条の511号参照),株式会社がその一である会社(会社法(平成17年法律第86号)21号)の名称は商号でしかあり得ず(同法61項),外国会社は外国会社の登記をするまでは日本において取引を継続してすることができないところ(同法8181項),外国会社の登記においては「商号」が登記されることになるからでしょう(同法9332項柱書き及び91132号,9122号,9132号又は9142号)。資金移動業者についても,こっそり同様の改正が行われることになります(資金決済法401号及び6号参照)。

(「こっそり」改正については,2014115日掲載の「会社法改正の年に当たって(又は「こっそり」改正のはなし)」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2471090.html)も御参照ください。)

 

6 金融商品取引法違反の登録拒否事由化(63条の5第1項9号及び11号ニ)

改正後資金決済法63条の519号(現行8号)及び11号ニにおいて金融商品取引法違反の前科が登録拒否事由に加えられるのは,暗号資産関係の規制が改正後金融商品取引法に導入されるからでしょう(例えば,同法2243号の2によって,暗号資産は同法上の「金融商品」とされます(ちなみに,同項3号は,通貨を金融商品としています。)。)。

 

7 取扱暗号資産並びに暗号資産交換業の内容及び方法の変更に係る事前届出義務(65条の6第1項)

 改正後資金決済法63条の61項は,「取り扱う暗号資産の名称」(同法63条の317号)及び「暗号資産交換業の内容及び方法」(同項8号)の変更については従来の仮想通貨交換業者は事後に届け出ればよかったところ,暗号資産交換業者は事前に届け出るべきものと変更しています。

「移転記録が公開されずマネロンに利用されやすいなどの問題がある暗号資産が登場」(金融庁作成の国会審議参考用説明資料(20193月。以下「金融庁説明資料」といいます。)3頁)していることを承けての監督強化ということになります。「仮想通貨交換業者が取り扱う仮想通貨の変更を事前届出の対象とし,行政当局が,必要に応じて,認定協会とも連携しつつ,柔軟かつ機動的な対応を行い得る枠組み」(研究会報告書10頁)が構築されるのだ,ということでしょう。具体的には,一般社団法人日本仮想通貨交換業協会の事務局による快刀乱麻を断つ活躍が期待されているのでしょうか。

 (註:「日本仮想通貨交換業協会におきましては,新たな暗号資産を業者が取り扱う場合には,自主規制規則におきまして,協会への事前届出を行わせ,外部の知見を活用しつつ,暗号資産の安全性等を技術的側面から評価を行うとともに,いわゆる匿名性の高い暗号資産につきましては,マネーロンダリング等の問題が解決されない限り禁止するなどの措置を講ずることとしております。/金融庁といたしましては,問題がある暗号資産の類型が技術革新によりまして変わり得るものであるということなども踏まえまして,当局の監督上のチェックにおきまして,自主規制機関である協会における審査の結果を参考とするなど,緊密な連携を行うことで,より実効的かつ効率的な対応が可能になるものと考えております。」との政府参考人答弁があります(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第143頁(佐々木清隆金融庁総合政策局長))。)
 

8 利用者の保護等に関する措置に係る規制強化・罰則導入

 従来の資金決済法63条の10は「仮想通貨交換業者は,内閣府令で定めるところにより,その取り扱う仮想通貨と本邦通貨又は外国通貨との誤認を防止するための説明,手数料その他の仮想通貨交換業に係る契約の内容についての情報の提供その他の仮想通貨交換業の利用者の保護を図り,及び仮想通貨交換業の適正かつ確実な遂行を確保するために必要な措置を講じなければならない。」と規定していましたが(下線は筆者),違反に対する罰則はありませんでした。

 

(1)広告における表示必要事項規制(63条の9の2及び112条9号)

 ところが,改正後資金決済法により新設される同法63条の92は,暗号資産交換業者のする暗号資産交換業に関する広告について,内閣府令で定めるところにより,①暗号資産交換業者の商号,②暗号資産交換業者である旨及びその登録番号,③暗号資産は本邦通貨又は外国通貨ではないこと並びに④暗号資産の性質であって利用者の判断に影響を及ぼすこととなる重要なものとして内閣府令で定めるものを表示すべきことを義務付けており,かつ,同条に規定する事項を表示しなかった者は,同法1129号により,6月以下の懲役若しくは50万円以下の罰金に処され,又はこれを併科されることになります(同法11514号に両罰規定あり。)。

 

(2)禁止行為規制(63条の9の3並びに109条8号及び112条10号)

 また,こちらも新設条項である改正後資金決済法63条の93は,暗号資産交換業者又はその役員若しくは使用人に係る禁止行為を掲げています。当該罪と罰とのカタログは,次のとおりとなります。

改正後資金決済法63条の931号の禁止行為は「暗号資産交換業の利用者を相手方として第2条第7項各号に掲げる行為〔暗号資産交換業に係る行為〕を行うことを内容とする契約の締結又はその勧誘〔略〕をするに際し,虚偽の表示をし,又は暗号資産の性質その他内閣府令で定める事項〔略〕についてその相手方を誤認させるような表示をする行為」です。当該禁止行為を行った者は,同法1098号によって罰せられます(1年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金又はこれを併科(同法11512号の両罰規定により法人には特に2億円以下の罰金刑))。

改正後資金決済法63条の932号の禁止行為は「その行う暗号資産交換業に関して広告をするに際し,虚偽の表示をし,又は〔暗号資産の性質その他内閣府令で定める事項〕について人を誤認させるような表示をする行為」であり,第3号の禁止行為は「〔暗号資産交換業の利用者を相手方として第2条第7項各号に掲げる行為〔暗号資産交換業に係る行為〕を行うことを内容とする契約の締結又はその勧誘〕をするに際し,又はその行う暗号資産交換業に関して広告をするに際し,支払手段として利用する目的ではなく,専ら利益を図る目的で暗号資産の売買又は他の暗号資産との交換を行うことを助長するような表示をする行為です(下線は筆者)。これらの禁止行為を行った者は,同法11210号によって罰せられます(6月以下の懲役若しくは50万円以下の罰金又はこれを併科(同法11514号に両罰規定))。

 虚偽の表示や人を誤認させるような表示がいけないのは当然のこととしても(改正後資金決済法63条の931号・2号),「支払手段として利用する目的ではなく,専ら利益を図る目的で暗号資産の売買又は他の暗号資産との交換を行うことを助長するような表示をする行為」が犯罪とされてしまうこと(同条3号)は厄介です。現実には,暗号資産を支払手段として実際に利用しており,又は利用しようとしている人は,多数派ではないようであるからです(例えば老舗のビットコインであっても支払手段としての使い勝手は悪く,「ビットコインの取引は,最大でも世界全体で1秒間に7件しか行うことができませんでした(これは,10分間では4200件,1日では約60万件にあたります)。しかし,ビットコインの取引件数が増える中で,取引量がこのブロックサイズの上限を上回るようになってしまいました。取引量がブロックの容量を超えて,取引の渋滞や承認の遅延が発生してしまったのです。」というような事情だったそうです(中島真志『アフター・ビットコイン』(新潮社・2017年)90頁)。)。また,そもそもhomo oeconomicusの行う経済取引の動機が利益を図ることでないわけがないところであって,利益を図るべしと言うななどとは「余計なお世話である」感があります。ただし,当該条文の文言に再び戻ってよく読んでみると,「専ら利益を図る目的で暗号資産の売買又は他の暗号資産との交換を行うことを助長するような表示」であって初めて犯罪なのですから,これが「専ら」ではなく「主に」ならば,少なくとも犯罪捜査当局筋の問題とはならないものと考えてよいものではありましょうか。悩ましいところです。(「助長」については,「宋人有閔其苗之不長而揠之者,芒芒然帰,謂其人曰,今日病矣,予助苗長矣,其子趨而往視之,苗則槁矣」との出典(孟子・公孫丑章句上)に忠実に解釈すると,暗号資産交換業利用者が「れる」という痛ましい結果となるほどの強引なもの(揠之者これをぬけるもの)でなければならないのでしょう。)

しかしながら,「仮想通貨交換業者による積極的な広告等により,仮想通貨の値上がり益を期待した投機的取引が助長され」ていること(研究会報告書8頁)自体が問題であって「投機的取引を助長する広告・勧誘」は行わないことを求めることが適当と考えられる(同9頁)ということであれば,業規制当局筋の解釈・運用は厳しいものとなるのでしょう。投機については,“ “Speculation” has an ugly ring, but a successful derivatives market needs speculators who are prepared to take on risk and provide more cautious people…with the protection they need.”(「投機」には醜い響きがある。しかしながら,デリバティブ市場が成功するためには,リスクを取る準備があり,そして〔略〕より慎重な人々に対して彼らが必要とする保護を与える投機家が必要なのである。)などともいわれており(Brealey and Myers, Principles of Corporate Finance, 7th ed., McGraw-Hill, 2003, p.773),経済社会全体として効用はあるはずなのですが,暗号資産の市場における事情は異なるのでしょうか。「仮想通貨デリバティブ取引については,原資産である仮想通貨の有用性についての評価が定まっておらず,また,現時点では専ら投機を助長している,との指摘もある中で,その積極的な社会的意義を見出し難い。」との厳しい評価が下されているところです(研究会報告書16頁)。
 (註:「専ら利益を得る目的でという言葉でございますが,これは法令用語で〔,〕平たく申し上げますと,投機心をあおる,あるいは投機的取引を助長するというふうな意味合いで使って」いるところ,「例えばでございますけれども,暗号資産が今すごく価格が高騰していて,今がチャンスで今買うんだということで,投機をすごく助長する,こういった,投機を助長するような広告は不適切ではないか。」という政府参考人答弁があります(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第1414頁(三井局長))。)

 なお,改正後資金決済法63条の10には新たに第2項が設けられ,同項は「暗号資産交換業者は,暗号資産交換業の利用者に信用を供与して暗号資産の交換等を行う場合には,前項に規定する措置のほか,内閣府令で定めるところにより,当該暗号資産の交換等に係る契約の内容についての情報の提供その他の当該暗号資産の交換等に係る業務の利用者の保護を図り,及び当該業務の適正かつ確実な遂行を確保するために必要な措置を講じなければならない。」と規定しています。暗号資産交換業者から信用の供与を受けることまでして暗号資産の売買・交換をしてしまう利用者の存在自体は,御当局としても容認せざるを得ないということなのでしょう。従来の状況は,「仮想通貨の売買・交換を業として行うことは資金決済法の規制対象とされているが,仮想通貨信用取引自体に対する金融規制は設けられていない。」というものであったところです(研究会報告書18頁)。

 

9 受託金銭及び受託暗号資産の分別管理義務並びに履行保証暗号資産

 

(1)受託金銭の管理(63条の11第1項)

 従来の資金決済法63条の111項では,仮想通貨交換業者は利用者の金銭を分別管理するだけでよいとされていました。しかしながら,改正後資金決済法63条の111項では,利用者の金銭については内閣府令で定めるところにより信託会社等(資金決済法216項参照)への信託もしなければならないものとされています。仮想通貨交換業者に係る「制度の施行時と比べて,受託金銭の額が高額になってきているほか,検査・モニタリングを通じて,仮想通貨交換業者による受託金銭の流用事案も確認されている」ことから,「受託金銭については,流用防止及び倒産隔離を図る観点から,仮想通貨交換業者に対し,信託義務を課すことが適当と考えられ」たこと(研究会報告書7頁)によるものです。

 

(2)受託暗号資産の管理(63条の11第2項)

 受託暗号資産については,信託の義務付けは検討されたものの,結局その導入には至っていません(研究会報告書6頁参照)。しかしながら,従来の分別管理義務に加えて,「この場合〔分別管理に係る改正後資金決済法63条の112項前段の場合〕において,当該暗号資産交換業者は,利用者の暗号資産(利用者の利便の確保及び暗号資産交換業の円滑な遂行を図るために必要なものとして内閣府令で定める要件に該当するものを除く。)を利用者の保護に欠けるおそれが少ないものとして内閣府令で定める方法で管理しなければならない。」と,その方法についての新たな義務が規定されています(同項後段)。「仮想通貨交換業者には,セキュリティ対策の観点から,可能な限り,受託仮想通貨の移転に必要な秘密鍵をコールドウォレット(オフライン)で管理することが求められ」ているところです(研究会報告書3頁)。金融庁説明資料では「コールドウォレット」で管理することを義務付けるものとされています(2頁。下線は筆者)。

  (註:「利用者の保護に欠けるおそれが少ないという方法で,現時点では,オフライン環境,したがってコールドウォレットといったものを想定してございます。」との政府参考人答弁があります(第198回国会衆議院財務金融委員会議録第148頁(三井局長))。)

(3)履行保証暗号資産(63条の11の2及び108条3号)

 他方,「こうしたセキュリティ対策に加えて,流出事案が生じた場合の〔略〕顧客に対する弁済原資が確保されていることも,利用者保護の観点から重要と考えられる」ことから,暗号資産交換業者に対し「ホットウォレットで秘密鍵を管理する受託仮想通貨に相当する額以上の純資産額及び弁済原資(同種・同量以上の仮想通貨)の保持を求めることが適当と考えられ」(研究会報告書4頁。外部のネットワークに接続されたウォレットは「ホットウォレット」と呼ばれています(同3頁註8)。),改正後資金決済法63条の1121項は履行保証暗号資産制度を導入し,「暗号資産交換業者は,前条第2項に規定する内閣府令で定める要件に該当する暗号資産〔ホットウォレット(金融庁説明資料2頁参照)で秘密鍵を管理することが認められる暗号資産〕と同じ種類及び数量の暗号資産(以下この項,第63条の1921項及び第108条第3号において「履行保証暗号資産」という。)を自己の暗号資産として保有し,内閣府令で定めるところにより,履行保証暗号資産以外の自己の暗号資産と分別して管理しなければならない。この場合において,当該暗号資産交換業者は,履行保証暗号資産を利用者の保護に欠けるおそれが少ないものとして内閣府令で定める方法で管理しなければならない。」と規定しています。

なお,「ホットウォレットで秘密鍵を管理する受託仮想通貨に相当する額以上の純資産額」の保持義務が採用されなかった理由については,いわく。「弁済資金として金銭等の安全資産の保持を求めることも考えられるが,仮想通貨交換業者が顧客に対して負っている義務は受託仮想通貨を返還することであることや,安全資産の保持額が仮想通貨の価格変動により弁済必要額に満たなくなる場合があり得ること等に留意が必要と考えられる。また,仮に受託仮想通貨が流出したとしても,仮想通貨交換業者が顧客に対して受託仮想通貨を返還する義務が当然に消滅するわけではないことを踏まえても,弁済原資としては同種の仮想通貨の保持を求めることが適当と考えられる。」と(研究会報告書4-5頁註11)。

暗号資産交換業者には,ホットウォレット保管分に相当する同種・同量の暗号資産を重ねて別途購入等して確保し,かつ,保管しなければならない(寝かせておく)負担が新たに生ずることになります。また,履行保証暗号資産の管理の状況については,定期に,公認会計士又は監査法人の監査を受けなければなりません(改正後資金決済法63条の1122項)。

改正後資金決済法63条の192については,次の10で説明します。

改正後資金決済法1083号は,「第63条の1121項前段の規定に違反して,履行保証暗号資産を保有せず,又は履行保証暗号資産を履行保証暗号資産以外の自己の暗号資産と分別して管理しなかった者」を2年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金に処し,又はこれを併科するものとしています(同法11511号の両罰規定により,法人は特に3億円以下の罰金刑が科せられます。)。

 

10 対象暗号資産の弁済等(63条の19の2及び63条の19の3)

 新たに設けられる改正後資金決済法63条の192及び63条の193は,次のように規定しています。

 

   (対象暗号資産の弁済)

  第63条の19の2 暗号資産交換業者との間で当該暗号資産交換業者が暗号資産の管理を行うことを内容とする契約を締結した者は,当該暗号資産交換業者に対して有する暗号資産の移転を目的とする債権に関し,対象暗号資産(当該暗号資産交換業者が第63条の112項の規定により自己の暗号資産と分別して管理するその暗号資産交換業の利用者の暗号資産及び履行保証暗号資産をいう。)について,他の債権者に先立ち弁済を受ける権利を有する。

  2 民法(明治29年法律第89号)第333条の規定は,前項の権利について準用する。

  3 第1項の権利の実行に関し,必要な事項は,政令で定める。

 

   (対象暗号資産の弁済への協力)

  第63条の19の3 暗号資産交換業者から暗号資産の管理の委託を受けた者その他の当該暗号資産交換業者の関係者は,当該暗号資産交換業者がその行う暗号資産交換業に関し管理する利用者の暗号資産に係る前条第1項の権利の実行に関し内閣総理大臣から必要な協力を求められた場合には,これに応ずるよう努めるものとする。

 

 改正資決済法63条の1921項の権利に係る制度導入は,暗号資産交換業者の管理に係る利用者からの受託暗号資産については当該利用者に対して信託受益権も取戻権も(研究会報告書5頁註12参照)認められていないとの認識に基づくものなのでしょう。「資金決済法上,分別管理された顧客の仮想通貨は交換業者破産時に信託財産とみなし破産財産に属しない旨明記」することも,「取戻権構成」により「交換業者倒産時に特定性が担保された顧客分の仮想通貨は交換業者の一般債権者の弁済原資とならずに顧客に返還される旨明記」することも(小野傑「仮想通貨交換業者の分別管理義務」金融法務事情2013号(20181210日号)1頁)されなかったということになるのでしょう。先取特権(「先取特権者は,この法律その他の法律の規定に従い,その債務者の財産について,他の債権者に先立って自己の債務の弁済を受ける権利を有する」(民法303条))的に「顧客の仮想通貨交換業者に対する受託仮想通貨の返還請求権を優先弁済の対象とすること」とした上で(研究会報告書6-7頁参照),「受託仮想通貨の返還請求権を優先弁済の対象とすることについては,他の債権者との関係にも留意が必要との意見もあった。こうした意見も踏まえ,優先弁済権の目的財産を,仮想通貨交換業者の総財産ではなく,例えば,本来的に顧客以外の債権者のための財産とはいえない受託仮想通貨と,〔略〕流出リスクに備えて顧客のために保持を求める弁済原資(同種の仮想通貨)に限定するといった対応も考えられる。」とされていたところに鑑み(同7頁註16),結論として,正に当該「限定するといった対応」が採用されたものでしょう。

ちなみに民法333条は,「先取特権は,債務者がその目的である動産をその第三取得者に引き渡した後は,その動産について行使することができない。」と規定しています。暗号資産に即していえば,いったんネットワーク上に流出してしまったら仕方がない,ということでしょう。

なお,先取特権は民法の物権編に規定されていますが,一般の先取特権であればその目的物は債務者の総財産であって(民法306条),物たる有体物(同法85条)には限定されず,「債権その他の財産のすべてを含む。」とされています(我妻榮『新訂担保物権法(民法講義Ⅲ)』(岩波書店・1968年)76頁。また,58頁)。ただし,「法律上執行の目的とならないものはおのずから除外される。なお,この場合にも総財産は1個のものとみられるのではなく,すべての財産のそれぞれの上に先取特権が成立するものとみる。」とされています(我妻Ⅲ・76頁)。目的たる対象暗号資産に対する執行の方法は,正に改正後資金決済法63条の1923項の政令を待つ,ということなのでしょう。

 

ちなみに,先取特権の実行であれば,担保権の実行としての競売(民事執行法(昭和54年法律第4号)第3章の章名参照。また,旧競売法(明治31年法律第15号)3条・22条)ということになるのでしょう。しかして,暗号資産は民事執行法1671項に規定する「その他の財産権」だとすると,それを目的とする先取特権の実行の要件等は同法193条によることになります。すなわち,暗号資産を管理する暗号資産交換業者の普通裁判籍の所在地を管轄する裁判所が執行裁判所となり(民事執行法1932項・1671項・1441項),担保権の存在を証する文書の提出によって(同法1931項),当該執行裁判所の差押命令によって実行が開始されることになるのでしょう(同条2項・同法1671項・143条)。配当要求は,執行力のある債務名義の正本を有する債権者及び文書により先取特権を有することを証明した債権者がすることができることになるようです(民事執行法1932項・1671項・1541項)。執行官が必ず暗号資産の引渡しを受けねばならないのでは大変でしょうから(民事執行法163条参照),執行裁判所の譲渡命令,売却命令,管理命令又は適当な方法による換価を命ずる命令によって執行されるのでしょうか(同法1932項・1671項・161条)。

改正後資金決済法63条の1921項の優先弁済権の対象である暗号資産の移転を目的とする債権は,金銭の支払を目的とする債権というわけには直ちにはいきません。先取特権の実行の場合は,履行に代わる損害賠償の債権について申立てをすることとなるのでしょうか(不動産登記法(平成16年法律第123号)8311号括弧書き参照。また,担保権の実行の申立書の記載事項に係る民事執行規則(昭和54年最高裁判所規則第5号)17012号の「被担保債権の表示」については,「債権者が当該担保権の実行の手続において配当等を受けようとする金額を明らかにするものである」,「したがって,元本債権だけでなく,利息及び遅延損害金についても配当等を受けようとするときは,その金額又は利率及び起算日をも記載すべきである」ものとされています(最高裁判所事務総局民事局監修『条解民事執行規則(第三版)』(司法協会・2007年)607-608頁。下線は筆者)。)。平成29年法律第44号による改正後民法では第41523号及び第417条に基づき金銭債権に変ぜしめられることになります。ただし,暗号資産の管理について寄託構成を採用する場合であって(片岡義広「仮想通貨の私法的性質の論点」LIBRA174号(20174月号)は,「準寄託」として考えられるであろうとします(16-17頁)。),寄託契約の告知による終了に基づき寄託物の返還請求がされると解するときは(我妻榮『債権各論中巻二(民法講義Ⅴ₃)』(岩波書店・1962年)723頁),当該返還債務について同法41523号後段の「債務の不履行による契約の解除権が発生」することは(解除すべき契約は既に終了しているのであるから)もはやないということになりそうにも思われます。ここは,解釈で補充して対応するのでしょう。我妻榮は,履行遅滞に基づく填補賠償の請求について,「債権者は,一定の期間を定めて催告した上で,期間徒過の後は,解除によって自己の債務を消滅させることなしにも填補賠償を請求する権利を取得する」と解すると述べた上で,「遺贈による債務のように契約に基づかないもの」(したがって,これについては契約の解除権の発生は観念されません。)などにおいて「債権者にとって妥当な結果となる」とその理由を挙げていたところです(『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1964年)114頁)。

なお,別除権(破産法(平成16年法律第75号)29項)である場合,破産手続によらないで行使できますが(同法651項),やはり民事執行法等によるその「基礎である担保権本来の実行方法によること」となります(伊藤眞『破産法(第4版)』(有斐閣・2005年)319頁)。非金銭債権を金銭債権に転化し(破産法10321号イ),破産債権者として破産手続に参加する場合(同条1項),その破産債権が優先的破産債権(同法98条)であるとよいのですが,優先的破産債権は「一般の先取特権その他一般の優先権がある」破産債権とされています(同条1項)。「優先的破産債権の基礎となるのは,民法その他の法律にもとづく一般の先取特権および企業担保権など」です(伊藤194-195頁)。これらは債務者の総財産を担保の目的としています(民法306条柱書き,企業担保法(昭和33年法律第106号)21項)。

ただし,改正資決済法63条の192及び63条の193の見出しは「対象暗号資産の弁済」といっています。「暗号資産の移転を目的とする債権に関し」(改正資決済法63条の1921項),対象暗号資産そのものによる弁済(「対象暗号資産の弁済」)を優先的に受けることが改正資決済法63条の1921項の権利なのだ,ということなのでしょう。

 

改正後資金決済法63条の193の規定は,「土屋雅一「ビットコインと税務」税大ジャーナル23号(2014年)8182頁は,〔ビットコインの移転に要する暗号の記録媒体が〕紙媒体になれば差押可能財産とできるが,滞納者から暗号解読のパスワードを聞き出す方法に問題があることを指摘している。」という記述(鈴木尊明「ビットコインを客体とする所有権の成立が否定された事例」TKCローライブラリー新・判例解説Watch民法(財産法)No.1072016219日掲載)4頁註11)などを想起させるところです。また,執行裁判所又は執行官ではなく(民事執行法2条参照),金融庁(内閣総理大臣)が,私権であろうところの改正後資金決済法63条の1921項の優先弁済権の実行に関与するという仕組みも興味深いところです。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

150-0002 東京都渋谷区渋谷三丁目5-16 渋谷三丁目スクエアビル2

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 


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1 利用者財産の分別管理に係る仮想通貨交換業者の義務に関する法令の規定

 「利用者財産の管理」との見出しを付された資金決済に関する法律(平成21年法律第59号。以下「資金決済法」といいます。)63条の11は,その第1項で「仮想通貨交換業者は,その行う仮想通貨交換業に関して,内閣府令で定めるところにより,仮想通貨交換業の利用者の金銭又は仮想通貨を自己の金銭又は仮想通貨と分別して管理しなければならない。」と規定し,第2項では「仮想通貨交換業者は,前項の規定による管理の状況について,内閣府令で定めるところにより,定期に,公認会計士(公認会計士法(昭和23年法律第103号)第16条の25項に規定する外国公認会計士を含む。第63条の143項において同じ。)又は監査法人の監査を受けなければならない。」と規定しています。

 上記資金決済法63条の111項の「内閣府令で定めるところ」は,仮想通貨交換業者に関する内閣府令(平成29年内閣府令第7号。以下「仮想通貨交換業者府令」といいます。)20条において次のように規定されています。

 

   (利用者財産の管理)

  第20条 仮想通貨交換業者は,法第63条の111項の規定に基づき仮想通貨交換業の利用者の金銭を管理するときは,次に掲げる方法により,当該金銭を管理しなければならない。

   一 預金銀行等への預金又は貯金(当該金銭であることがその名義により明らかなものに限る。)

   二 信託業務を営む金融機関等への金銭信託で元本補填の契約のあるもの

  2 仮想通貨交換業者は,法第63条の111項の規定に基づき利用者の仮想通貨を管理するときは,次の各号に掲げる仮想通貨の区分に応じ,当該各号に定める方法により,当該仮想通貨を管理しなければならない。

   一 仮想通貨交換業者が自己で管理する仮想通貨 利用者の仮想通貨と自己の固有財産である仮想通貨とを明確に区分し,かつ,当該利用者の仮想通貨についてどの利用者の仮想通貨であるかが直ちに判別できる状態(当該利用者の仮想通貨に係る各利用者の数量が自己の帳簿により直ちに判別できる状態を含む。次号において同じ。)で管理する方法

   二 仮想通貨交換業者が第三者をして管理させる仮想通貨 当該第三者において,利用者の仮想通貨と自己の固有財産である仮想通貨とを明確に区分させ,かつ,当該利用者の仮想通貨についてどの利用者の仮想通貨であるかが直ちに判別できる状態で管理させる方法

 

分別して管理する分別管理はブンベツ管理であってフンベツ管理ではありません。委任事務の処理は,分別(ふんべつ)をもって管理すべきものというよりは,「委任の本旨に従い,善良な管理者の注意をもって」行うべきものとされています(民法(明治29年法律第89号)644条)。商人による寄託物の保管についても同様,分別(ふんべつ)の語は用いられず,「商人がその営業の範囲内において寄託を受けた場合には,報酬を受けないときであっても,善良な管理者の注意をもって,寄託物を保管しなければならない。」とされています(平成30年法律第29号による改正後の商法(明治32年法律第48号)595条)。

「善良な管理者の注意」とは何かといえば,富井政章及び本野一郎による民法644条のフランス語訳によれば“les soins d’un bon administrateur”とあります。旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)2391項には「代理人ハ委任事件ヲ成就セシムルコトニ付テハ善良ナル管理人タルノ注意ヲ為ス責ニ任ス」とあるのでフランス民法由来の概念かとも思うのですが,フランス民法19921項は“Le mandataire répond non seulement du dol, mais encore des fautes qu’il commet dans sa gestion.”(受任者は,詐欺のみならず,その事務処理における過失についても責任を負う。)と,同条2項は“Néanmoins la responsabilité relative aux fautes est appliquée moins rigoureusement à celui dont le mandat est gratuit qu’à celui qui reçoit un salaire.”(しかしながら,過失に係る責任は,無償の委任に係る者に対しては,報酬を受領する者よりもより厳格でないものとして適用される。)と規定するのみです。「善良な管理者の注意」との言い回しは,何やら日本における発明のようであるように思われます。2019415日の追記:我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)26頁においては「善良なる管理者の注意」は「ドイツ民法に“in Verkehr erforderliche Sorgfalt”というに同じ」と説明されていますが,このドイツ語は,取引において(in Verkehr)必要な(erforderliche)注意(Sorgfalt)という意味です。「善良な管理者」の語源としてはしっくりしません。そこで,横着をせずに梅謙次郎の著書に遡れば,民法400条の解説にありました。語源はローマ法のpaterfamiliasです。いわく,「軽過失ヲ別チテ抽象的〇〇〇成形的〇〇〇Culpa levis in abstracto ve in concreto)ノ2ト為スハ多少理由ナキニ非ス例ヘハ売主カ其売却シタル物ヲ保存スルニ付テハ善良〇〇ナル〇〇管理者〇〇〇Bonus paterfamilias良家〇〇ト訳スヘキカ)カ通常加フル所ノ注意ヲ加フヘキモ無償ニテ寄託ヲ受ケタル者ハ受寄物ヲ保存スルニハ唯自己ノ財産ニ付テ平生加フル所ノ注意ヲ加フレハ則チ足ルカ如キ是ナリ(〔民法〕659〔条〕)即チ甲ハ抽象的ニシテ乙ハ成形的ナリ」と(梅謙次郎『民法要義巻之三債権 訂正増補第20版』(和仏法律学校=書肆明法堂・1903年)12頁)。このローマの善良なpaterfamiliasは,優しい「マイホーム・パパ」であるかといえば,そうではありません。「古典期の学説によると,父親は,妻を含む家族成員の全てに対して「生殺与奪の権利(ius vitae ac necis)」を有していた。これは,実際上,ある種の刑罰権として家内裁判の基礎をなしたものである。」という怖い人であり,かつ,「ローマの家父・家長の権能は大変に強力で,統一的・排他的・一方的・絶対的・画一的な支配をもって家族に君臨した。彼は,家族構成員の法的人格を完全に吸収し,対外的交渉を全て担当して家族を代表し,権利義務の帰属点となった。」とされています(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法―ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)149頁)。ちなみに,necisはラテン語女性名詞nexの属格形で,このnexには殺害,殺すこと,死のような禍々まがまがしい意味があります。やれ飛行機は墜落せずに無事だったわいと成田空港にくたびれて到着した教養人に対して「次はNexに乗ってください(in Nece vehere)」と告げるのはちょっといかがなものでしょうか。我がJR東日本の成田エクスプレスの略称は,そこをおもんぱかってか,N’EXと,アポストロフィを打ってラテン語の綴りと相違せしめてあります。)

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 空港第2ビル駅で撮影

以上はさておき,仮想通貨交換業者折角の分別管理には,どのような効能があるのか思案分別してみましょう。

(ちなみに,片岡義広「仮想通貨の私法的性質の論点」LIBRA174号(20174月号)17頁には,仮想通貨交換業者が倒産したときの取扱いについて,「〔仮想通貨が〕仮想通貨保有者のものとして〔仮想通貨交換業者のもとで〕分別管理がなされている限りは,明文規定はないものの,信託法251項〔「受託者が破産手続開始の決定を受けた場合であっても,信託財産に属する財産は,破産財団に属しない。」〕を準用し,分別管理された仮想通貨保有者の財産として取り扱い,同種同量の仮想通貨をそれぞれ返還すべきであると考える。なお,その総量が不足する場合には,管財人としては,プロラタ(数量按分)となるが,いずれの場合も,一般先取特権(民法306条)があるのと同様に一般倒産債権者からは優先した金銭配当をする便宜も認められてよいと考える(破産法981項〔「破産財団に属する財産につき一般の先取特権その他一般の優先権がある破産債権〔略〕は,他の破産債権に優先する。」〕参照)。そう考えることが,公法(規制法)でありつつも,改正資金決済法が分別管理を要求した趣旨に適うものと考える。」と述べ,更に「換言すれば,改正資金決済法が分別管理を求めたのは,かかる私法上の法律効果が生じることを前提に(期待して)規定したものといいうる。」と付言しています(同頁(註20))。)

 

2 利用者財産の分別管理を仮想通貨交換業者に義務付けた趣旨:不正対策

 

(1)資金決済法63条の11

資金決済法63条の111項の趣旨については,2016524日の参議院財政金融委員会において,資金決済法改正による仮想通貨交換業者の登録制度の採用に関し,池田唯一政府参考人(金融庁総務企画局長)から答弁があり,「今回の仮想通貨交換業者につきましては,顧客から預かった財産を事業者の財産と分別して管理する義務が課されているなど,事業者において顧客の資産を自由に運用するものではないということ」であるとのことでした(第190回国会参議院財政金融委員会会議録第1419頁)。

より直接的には,仮想通貨交換業者又はその関係者による不正行為の防止が目的であるようです。同年427日の衆議院財務金融委員会における麻生太郎金融担当国務大臣の答弁にいわく。「いわゆる仮想通貨と法定通貨というものを交換するのをもってなりわいとしているという業者が,言われましたように,一昨年,破綻をして,その代表者が顧客の資金を着服した,横領したなどの容疑,嫌疑によって逮捕ということになったところであります。マウントゴックスというので一躍有名になりましたが,これは渋谷にあった会社だと記憶しますけれども。/私どもは,今回この法案を提出させていただくに当たりましては,こういった問題が発生していることに加えまして,いわゆる仮想通貨を利用する人たちの預けた財産,ビットコインを含む,現預金も含めまして,そういったものと自分たちの持っている会社等の財産というものをきちんと分別管理する義務というものを課すとともに,これは当然のこととして,適正な管理や,会社をやりますときには,財務諸表,比較貸借対照表,財産目録等々そういったものをきちっとした正確性を担保するために,公認会計士の外部監査というものを受ける義務を課しております。」と(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第169-10頁)。

マウントゴックス社の内情は,池田唯一政府参考人の答弁するところでは,「マウントゴックス社が利用者から預かった金銭やビットコインを流出させていたその実態ということについては,〔略〕破綻に至る以前から債務超過に陥っていた,それから,顧客の資産と代表者あるいは会社の資産とが混同されていたというような点が,破産手続の過程で示されている資料等で報告されているところでございます。」とのことでした(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第169頁)。すなわち,「警視庁の調べで,ハッカーによるサイバー攻撃により消失したと言われていたビットコインの大部分は,実は,元社長のマルク・カルプレスが外部の口座に送金するなどして横領していたことが分かったのです。つまり,外部のハッカーによる犯行ではなく,犯人は「ハッカーにやられた」と言って被害者役を演じていた取引所の社長その人だったのです。このためカルプレス被告は,20159月に業務上横領などで起訴されました。」ということでした(中島真志『アフター・ビットコイン 仮想通貨とブロックチェーンの次なる覇者』(新潮社・2017年)59頁)。

 (本記事掲載の翌日の追記:上記起訴に係るカルプレス氏の業務上横領等被告事件の一審判決が2019315日に東京地方裁判所で下されましたが,何と,業務上横領及びその予備的訴因の会社法違反(特別背任)は無罪,私電磁的記録不正作出・同供用罪については懲役26月の有罪でしたが4年の執行猶予が付いたそうです。同日付け(同日1340分に更新)の日本経済新聞のウェブ・サイトの記事によると,大量消失したビットコインは「ハッキングされて盗まれた」と被告人は主張していたところ,結局「警視庁の捜査でも,〔ビット〕コイン消失の原因は解明されないままとなっている」そうです。また,金銭についても裁判所は「利用者が〔マウントゴックス〕社に送金した金銭は,同社に帰属すると指摘。金銭が利用者に帰属することを前提にした検察側の主張は採用できない」と判断したそうです。)
 

(2)仮想通貨交換業者府令20

仮想通貨交換業者府令202項の由来については,金融庁の仮想通貨交換業等に関する研究会(座長・神田秀樹教授)の第6回会合(2018103日)に事務局から提出された資料(資料3「討議資料」5頁)には,資金決済法仮想通貨交換業者の倒産リスク問題に関して「資金決済法では,信託法を含め,仮想通貨の私法上の位置付けが明確でない中で,少なくとも過去の破綻事例のような顧客財産の流用を防止する観点から,仮想通貨の分別管理方法として,〔信託を用いて保全するのではなく,〕②〔自己又は委託先において顧客毎の財産を直ちに判別できる状態で管理する方法〕を規定した。」と述べられています(下線は筆者によるもの。仮想通貨交換業等に関する報告書(仮想通貨交換業等に関する研究会・20181221日)5頁も「顧客財産の流用を防止する観点」を理由として挙げています。)。

金銭の分別管理に係る同条1項の由来については,「受託金銭については,資金決済法上,仮想通貨に信託義務を課さない中で,金銭についてのみ信託を行うこととしても,どこまで利用者保護の実効性があるか疑問であるとの指摘等を踏まえ,金銭の分別管理方法としては,自己資金とは別の預貯金口座又は金銭信託で管理することを規定している」ということでした(仮想通貨交換業等に関する研究会(第6回)資料37頁)。

 

3 利用者財産の分別管理といわゆる倒産隔離

 利用者財産の分別管理と,いわゆる倒産隔離との関係についてはどうでしょうか。

「取戻権」との見出しが付された破産法(平成16年法律第75号)62条は,「破産手続の開始は,破産者に属しない財産を破産財団から取り戻す権利〔略〕に影響を及ぼさない。」と規定しているところです。

 

(1)金融商品取引業者等の例:倒産隔離可能

倒産隔離に関して,仮想通貨交換業者と金融商品取引業者等(金融商品取引業者又は登録金融機関(金融商品取引法(昭和23年法律第25号。以下「金商法」といいます。)34条))との横並び論の観点から,まず金融商品取引業者等に係る顧客資産の分別管理の仕組みについての説明を見てみましょう。

すなわち,金融商品取引業者等については,「金融商品取引業者においては,顧客から(所有権の移転を伴う)消費寄託により預かった金銭については,顧客を受益者とする信託義務が課されている〔金商法43条の22項〕。一方で,顧客から(所有権の移転を伴わない)寄託により預かった有価証券については,顧客毎の財産を直ちに判別できる状態で管理することが求められている〔金商法43条の21項〕。/これにより,金融商品取引業者において分別管理が適切になされている限り,仮に当該金融商品取引業者が破綻したとしても,顧客は,金銭については信託受益権の行使により,有価証券については所有権に基づく取戻権の行使により〔破産法62条〕,いずれも弁済を受けることが可能な仕組みとなっている。」とされています(仮想通貨交換業等に関する報告書5頁(註12))。

 

(2)仮想通貨交換業者の場合

 

ア 消極的見解

これに対して仮想通貨交換業者に係る分別管理の仕組みは当該仮想通貨交換業者の破綻のときにどう働くかといえば,こちらは心もとない状況となっています。

仮想通貨交換業等に関する研究会の第7回会合(20181019日)に事務局から提出された資料(資料4「補足資料」5頁)によれば,顧客の金銭を仮想通貨交換業者が預かって仮想通貨交換業者府令2011号に基づき「預貯金口座で管理する場合,倒産隔離機能なし」(下線は原文)ということで当該顧客の金銭は保全されないものとされ,顧客の仮想通貨を同条21号に基づき「自己の仮想通貨と明確に区分し,顧客毎の数量を直ちに判別できる状態で管理」しても当該仮想通貨については,「倒産隔離が機能しない可能性(仮想通貨に係る私法上の位置付けが不明確なため)」(下線は原文)があるものとされています(仮想通貨交換業等に関する報告書6頁にも「仮想通貨交換業者が適切に分別管理を行っていたとしても,受託仮想通貨について倒産隔離が有効に機能するかどうかは定かとなっていない。」とあります。)。

 

イ 別預貯金口座による金銭の分別管理

預貯金口座による金銭の分別管理については,「当該金銭〔「利用者の金銭」ということでしょう。〕であることがその名義により明らか」であっても(仮想通貨交換業者府令2011号括弧書き),金融庁としては,当該預貯金債権は仮想通貨交換業者に帰属し,利用者には帰属しないと解しているのでしょう。
 (なお,最判平成
15221日民集57295頁は,被上告人損害保険会社(B火災海上保険(株))の代理店である訴外会社(D建設工業(株))が被上告人の保険契約者から収受した保険料を自己の財産と分別して管理するために上告人である信用組合において開設を受けた預金口座である「本件預金口座の名義である「B火災海上保険(株)代理店D建設工業(株)F」が預金者として訴外会社〔D建設工業(株)〕ではなく被上告人〔B火災海上保険(株)〕を表示しているものとは認められない」とした上で,通帳及び届出印の保管並びに本件預金口座に係る入金及び払戻事務を行っていたのは訴外会社であったから「本件預金口座の管理者は,名実ともに訴外会社」であると認め,(「訴外会社は,被上告人を代理して保険契約者から収受した保険料を専用の金庫ないし集金袋で保管し,他の金銭と混同していなかった」と原審が認定しているとしても)「金銭については,占有と所有が結合しているため,金銭の所有権は常に金銭の受領者(占有者)である受任者に帰属し,受任者は同額の金銭を委任者に支払うべき義務を負うことになるにすぎない」から「被上告人の代理人である訴外会社が保険契約者から収受した保険料の所有権はいったん訴外会社に帰属」するのであって「本件預金の原資は,訴外会社が所有していた金銭にほかならない」とし,「本件事実関係の下においては,本件預金債権は,被上告人にではなく,訴外会社に帰属するというべきである。訴外会社が本件預金債権を訴外会社の他の財産と明確に区分して管理していたり,あるいは,本件預金の目的や使途について訴外会社と被上告人との間の契約によって制限が設けられ,本件預金口座が被上告人に交付されるべき金銭を一時入金しておくための専用口座であるという事情があるからといって,これが金融機関である上告人に対する関係で本件預金債権の帰属者の認定を左右する事情になるわけではない。」と判示しています。)

仮想通貨交換業者府令201項には2種の分別管理の方法が規定されているところ,金銭信託に係る金商法43条の22項に対応するのは仮想通貨交換業者府令2012号の方法であるから顧客財産である金銭の保全に万全を期するのならそちらを使うべし,ということのようです。

 

ウ 仮想通貨交換業者における仮想通貨の分別管理

「自己の仮想通貨と明確に区分し,顧客毎の数量を直ちに判別できる状態で管理」しても当該仮想通貨については「倒産隔離が機能しない可能性(仮想通貨に係る私法上の位置付けが不明確なため)」があるとの問題意識は何かといえば,有価証券については「分別管理が適切になされていれば,顧客財産は保全」されて,これは「顧客は有価証券の所有権に基づき,財産を取り戻せる私法上の権利」に基づくものである一方(仮想通貨交換業等に関する研究会(第7回)資料45頁。下線は原文),これに対して仮想通貨については,取戻権(破産法62条)の基礎となる権利が観念できないのではないか,というもののようです。

 

4 仮想通貨を客体とする所有権の否定:東京地方裁判所平成27年8月5日判決

取戻権の基礎となる権利の典型としては,有価証券についていわれているように所有権(民法206条)があります。しかしながら,マウントゴックス社の破産事件に関して東京地方裁判所民事第28部平成2785日判決(平成26年(ワ)第33320号ビットコイン引渡等請求事件。裁判長裁判官は元司法研修所民事裁判教官の倉地真寿美判事)は,代表的仮想通貨であるビットコインに係る所有権の存在を否定しています。いわく。

 

 (2)所有権の客体となる要件について

 ア 所有権は,法令の制限内において,自由にその所有物の使用,収益及び処分をする権利であるところ(民法206条),その客体である所有「物」は,民法85条において「有体物」であると定義されている。有体物とは,液体,気体及び固体といった空間の一部を占めるものを意味し,債権や著作権などの権利や自然力(電気,熱,光)のような無体物に対する概念であるから,民法は原則として,所有物を含む物権の客体(対象)を有体物に限定しているものである(なお,権利を対象とする権利質(民法362条)等民法には物権の客体を有体物とする原則に対する明文の例外規定があり,著作権や特許権等特別法により排他的効力を有する権利が認められているが,これらにより民法の上記原則が変容しているとは解されない。)。

また,所有権の対象となるには,有体物であることのほかに,所有権が客体である「物」に対する他人の利用を排除することができる権利であることから排他的に支配可能であること(排他的支配可能性)が,個人の尊厳が法の基本原理であることから非人格性が,要件となると解される。

  イ 原告は,所有権の客体となるのは「有体物」であるとはしているものの,法律上の排他的な支配可能性があるものは「有体物」に該当する旨の主張をする。原告のこの主張は,所有権の対象になるか否かの判断において,有体性の要件を考慮せず,排他的支配可能性の有無のみによって決すべきであると主張するものと解される。

   このような考えによった場合,知的財産権等の排他的効力を有する権利も所有権の対象となることになり,「権利の所有権」という観念を承認することにもなるが,「権利を所有する」とは当該権利がある者に帰属していることを意味するに過ぎないのであり,物権と債権を峻別している民法の原則や同法85条の明文に反してまで「有体物」の概念を拡張する必要は認められない。したがって,上記のような帰結を招く原告の主張は採用できない。

 〔略〕

ウ 以上で述べたところからすれば,所有権の対象となるか否かについては,有体性及び排他的支配可能性(本件では,非人格性の要件は問題とならないので,以下においては省略する。)が認められるか否かにより判断すべきである。

3)ビットコインについての検討

ア ビットコインは,「デジタル通貨(デジタル技術により創られたオルタナティヴ通貨)」あるいは「暗号学的通貨」であるとされており〔略〕,本件取引所の利用規約においても,「インターネット上のコモディティ」とされていること〔略〕,その仕組みや技術は専らインターネット上のネットワークを利用したものであること〔略〕からすると,ビットコインには空間の一部を占めるものという有体性がないことは明らかである。

イ〔略〕

(ア)ビットコインネットワークの開始以降に作成された「トランザクションデータ」(送付元となるビットコインアドレスに関する情報,送付先となるビットコインアドレス及び送付するビットコインの数値から形成されるデータ等)のうち,「マイニング」(ビットコインネットワークの参加者がトランザクションを対象として,一定の計算行為を行うこと)の対象となった全てのものが記録された「ブロックチェーン」が存在する。ビットコインネットワークに参加しようとする者は誰でも,インターネット上で公開されている電磁的記録であるブロックチェーンを,参加者各自のコンピュータ等の端末に保有することができる。したがって,ブロックチェーンに関するデータは多数の参加者が保有している。

(イ)ビットコインネットワークの参加者は,ビットコインの送付先を指定するための識別情報となるビットコインアドレスを作成することができ,同アドレスの識別情報はデジタル署名の公開鍵(検証鍵)をもとに生成され,これとペアになる秘密鍵(署名鍵)が存在する。秘密鍵は,当該アドレスを作成した参加者が管理・把握するものであり,他に開示されない。

(ウ)一定数のビットコインをあるビットコインアドレス(口座A)から他のビットコインアドレス(口座B)に送付するという結果を生じさせるには,ビットコインネットワークにおいて,①送付元の口座Aの秘密鍵を管理・把握する参加者が,口座Aから口座Bに一定数のビットコインを振り替えるという記録(トランザクション)を上記秘密鍵を利用して作成する,②送付元の口座Aの秘密鍵を管理・把握する参加者が,作成したトランザクションを他のネットワーク参加者(オンラインになっている参加者から無作為に選択され,送付先の口座の秘密鍵を管理・把握する参加者に限られない。)に送信する,③トランザクションを受信した参加者が,当該トランザクションについて,送付元となる口座Aの秘密鍵によって作成されたものであるか否か及び送付させるビットコインの数値が送付元である口座Aに関しブロックチェーンに記録された全てのトランザクションに基づいて差引計算した数値を下回ることを検証する,④検証により上記各点が確認されれば,検証した参加者は,当該トランザクションを他の参加者に対しインターネットを通じて転送し,この転送が繰り返されることにより,当該トランザクションがビットコインネットワークにより広く拡散される,⑤拡散されたトランザクションがマイニングの対象となり,マイニングされることによってブロックチェーンに記録されること,が必要である。

 このように,口座Aから口座Bへのビットコインの送付は,口座Aから口座Bに「送付されるビットコインを表象する電磁的記録」の送付により行われるのではなく,その実現には,送付の当事者以外の関与が必要である。

(エ)特定の参加者が作成し,管理するビットコインアドレスにおけるビットコインの有高(残量)は,ブロックチェーン上に記録されている同アドレスと関係するビットコインの全取引を差引計算した結果算出される数量であり,当該ビットコインアドレスに,有高に相当するビットコイン自体を表象する電磁的記録は存在しない。

 上記のようなビットコインの仕組み,それに基づく特定のビットコインアドレスを作成し,その秘密鍵を管理する者が当該アドレスにおいてビットコインの残量を有していることの意味に照らせば,ビットコインアドレスの秘密鍵の管理者が,当該アドレスにおいて当該残量のビットコインを排他的に支配しているとは認められない。

ウ 上記で検討したところによれば,ビットコインが所有権の客体となるために必要な有体性及び排他的支配可能性を有するとは認められない。したがって,ビットコインは物権である所有権の客体とはならないというべきである。

 

 仮想通貨が所有権の客体には当たらないことについては,学説上も異論がないようです(森田宏樹「仮想通貨の私法上の性質について」金融法務事情2095号(2018810日号)15頁)。

ところで,前記(2)イにおいて東京地方裁判所は,「法律上の排他的な支配可能性があるものは「有体物」に該当する旨」の原告の主張を排斥しています。そうであれば,(3)アでビットコインには有体性がないことが明らかである旨認定した以上は,(3)イで更に排他的支配可能性の有無の検討までを行う必要はなかったように思われます。しかしながら当該検討がされた理由を忖度するに,あるいは我妻榮が次のように説いていたために為念的になされたのでしょうか。いわく,「私は,法律における「有体物」を「法律上の排他的支配の可能性」という意義に解し,物の観念を拡張すべきものと考える。権利の主体としての人が生理学上の観念でないのと同様,権利の客体としての物も物理学上の観念ではない。従って,法律は,その理想に基づいて,この観念の内容を決定することができるはずだからである」と(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)202頁)。それともまた,「〔民法85〕条は,物に関する他の規定を必要に応じ無体物に関して類推適用すること(例,主たる権利と従たる権利)を妨げるものではなく」,「有体物以外のものについては,むしろ,法の欠缺と考え,その性質と問題に応じて物または物権に関する規定を類推適用すれば足りる」との指摘(四宮和夫『民法総則(第四版)』(弘文堂・1986年)120頁・121頁註(1)。また,『新注釈民法(1)総則(1)』(有斐閣・2018年)787頁(小野秀誠))を踏まえて,類推適用の要否を判断するための吟味を行ったということになるのでしょうか。

これらとは別に,「実は,特定の取引所で管理していたビットコインを別の取引所に移転させる場合に,紙媒体に暗号を印字する形で,物理的な表象にすることができる。この場合,有体性が認められるため,この紙媒体自体の所有権が問題になる可能性がある。それを見越して,そもそもビットコインには支配可能性がないから,所有権の客体とはなり得ないと示したのではないだろうか。」と説くものもあります(鈴木尊明「ビットコインを客体とする所有権の成立が否定された事例」TKCローライブラリー新・判例解説Watch・民法(財産法)No.1072016219日)3頁)。

 所有権の対象に係る「排他的支配可能性」については「海洋や天体等を除外する際に持ち出されるのが一般的である」とされます(鈴木3頁。また,四宮122頁,我妻Ⅰ・203頁)。しかしながら,「現行法上の物権の本質は「一定の物を直接に支配して利益を受ける排他的の権利である」ということができる。」というテーゼ(我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義Ⅱ)』(岩波書店・1984年)9頁)から出発すれば(なお,所有権は物権の代表的なものです。),「物権が目的物の直接の支配権であることは目的物の特定性(・・・)を要求する。種類と数量だけで定められたものについては,債権は成立しうるが(401条参照),物権は成立しえない。」ということ(我妻Ⅱ・11頁)と関係しそうです。「特定の参加者が作成し,管理するビットコインアドレスにおけるビットコインの有高(残量)は,ブロックチェーン上に記録されている同アドレスと関係するビットコインの全取引を差引計算した結果算出される数量であり,当該ビットコインアドレスに,有高に相当するビットコイン自体を表象する電磁的記録は存在しない」と東京地方裁判所平成2785日判決は判示するところ,「差引計算した結果算出された数量」は正に差引計算によって定められた数量にすぎません。

(しかしながら,小野傑「仮想通貨交換業者の分別管理義務」金融法務事情2013号(20181210日号)1頁は,仮想通貨交換業者破綻時の倒産隔離のための仮想通貨に係る「取戻権構成」による立法提案に際して「コールドウォレットに分別管理された顧客分の仮想通貨は特定性に疑義はなく,ホットウォレットに混蔵管理された仮想通貨も交換業者の顧客口座管理により特定性は担保されてお」ると論じています。)

(また,「ビットコインアドレスに,有高に相当するビットコイン自体を表象する電磁的記録は存在しない」とされているのですから,「仮想通貨は,電磁的記録(民法4463項括弧書き)である」ということであれば(片岡12頁),ビットコインアドレスには仮想通貨(電磁的記録)は存在していないことになります。)

 

5 金銭に係る「占有=所有権」理論と倒産隔離並びに仮想通貨の帰属及び移転の法的仕組み

 しかしそもそも,仮想通貨は通貨(本邦通貨及び外国通貨)ではないとはいえ(資金決済法25項参照),本家である通貨(金銭)について見れば,金銭の所有権に基づいて破産財団から当該金銭を取り戻すということはそもそも可能なのでしょうか。「Aの金銭を騙取したBが破産した場合や他の債権者から強制執行を受けた場合に,Aに取戻権や第三者異議権が認められるか」という問題であるところの「他の債権者との関係で金銭の原所有者の権利にどの程度物権的保護を与えるか,とくに優先的効力を認めるかの問題」については,「見解の対立が大きい」とされつつ(能見善久「金銭の法律上の地位」『民法講座 別巻Ⅰ』(有斐閣・1990年)124頁),金銭に係る「占有=所有権」理論を採る「通説・判例の立場からの言及はないが,当然否定することになろう。」と説かれていました(能見・同頁註(41))。

「占有=所有権」理論について通説は,「金銭(紙幣を含む貨幣)は,動産の一種であるが,それが通貨として存在する限り,金銭が体現する抽象的・観念的な価値は金銭そのものを離れては存在しえない。したがって,金銭という物質の占有者が,その価値の排他的支配者と認められる。そして,金銭が骨董品としてではなく,通貨として取引関係に立ち現れる限り,それが体現する観念的な価値が存在のすべてであるから,金銭はその占有者の所有に属すると言うことができる。判例も,不当利得に関連してであるが,金銭の所有権は,原則として占有の移転に従って移転するものであって,騙取された場合にも騙取者の所有となるという(最判昭和291151675頁。なお最判昭和39124判時36526頁)。〔略〕金銭の所有権の移転については,引渡は対抗要件ではなく,成立要件とするもので,近時の通説と言ってよかろう」と説いています(我妻Ⅱ・185-186頁)。

仮想通貨についても,森田宏樹教授は「仮想通貨の帰属および移転には,現金通貨および預金通貨とそれぞれに共通するメカニズムを見出すことができるように思われる。」と述べた上で,「仮想通貨は,財産権であるが,その保有者に排他的に帰属するのは,支払単位という価値的権能〔「金銭債務の債務免責力という権能であって,物を客体とする物権でも,債務者の行為を目的とする債権でもない。」〕であり,その帰属および移転を実体化する通貨媒体〔支払単位が「ある者に排他的に帰属している状態を創り出す」ためのものである「社会において一定の支払単位が組み込まれたものと合意され,かつ,それを通じて価値の帰属を実体的にトレースすることを可能とするような一定の媒体」(森田18頁)〕および通貨手段〔「特定の通貨媒体に係る「支払単位」を特定の者から他の者へと移転することを実現する」もの(森田18頁)。なお,「金銭債務の弁済に用いられる各種の「決済方法」は,それを構成する「通貨媒体」と「通貨手段」との組合せによって法的に把握することが可能となる」とされています(森田18頁)。〕であるブロックチェーン上の記録を離れてその存在を認識しえないものである。このような価値的権能の帰属および移転については,現金通貨および預金通貨のいずれにおいても,その特定による観念的な帰属ないし移転を認めない固有の法理が妥当しており,仮想通貨においてもこれと同様の規律が妥当すべきものといえよう。」と論じています(森田21頁)。

現金通貨の帰属及び移転に関する法理は,「支払単位を組み込まれた通貨媒体は有体物であるが,通貨の所有権移転においては,有体物に関する規律は修正ないし排除されて適用されることになる。その結果,占有の移転とは離れて,観念的な所有権の移転は認められない。つまり,通貨媒体の占有と価値的権能(支払単位)の帰属とが結び付く」というものであり(森田19頁),預金通貨の帰属及び移転に関する法理は,「流動性のある預金口座にあっては,入金記帳ごとに成立原因を更新する1個の残高債権が存在するのであって,入金記帳によって個別の預入金はその特定性を失い,預金債権が分属することはない。このことは,預金口座の「流動性」は,現金通貨における価値的権能について特定性を観念しえないのと同一の機能を果たしていると捉えることができ」,及び「預金口座に係る預金債権については,判例において,流動性預金口座に存する預金債権は,当該預金契約の当事者としての預金口座の出入金の権限を有する預金者に帰属するという理論が確立されつつある。この点でも,現金通貨において,通貨媒体である有体物を「占有」する者に価値的権能が帰属するという法理と同じ機能を認めることができ」るというものです(森田19-20頁)。

 

6 仮想通貨を寄託物とする寄託か仮想通貨の管理の委任か

 前記東京地方裁判所平成2785日判決は,ビットコインは所有権の客体とならないことを前提に,マウントゴックス社とその利用者との間においてビットコインに係る「寄託物の所有権を前提とする寄託契約の成立も認められない」と判示しています。「寄託物の所有権を前提とする寄託契約」とは,寄

託契約に関して寄託の「目的物の所有権の帰属には関係がない。寄託者の所有に属さない物でも,寄託者は契約上の債権として返還請求権をもつ(大判大正75241008頁(寄託者が寄託物の遺産相続人でなかつたことが判明しても返還請求権に影響なし))」と説かれていること(我妻榮『債権各論中巻二(民法講義Ⅴ)』(岩波書店・1962年)704頁)との関係で違和感のある表現です。しかしながらこれは,自分はマウントゴックス社を受寄者とするビットコインに係る混蔵寄託契約の寄託者であった旨原告が主張していたことによるものでしょうか。混蔵寄託は,平成29年法律第44号による改正後(202041日以降(同法附則1条,平成29年政令第309号))の民法(以下「改正後民法」といいます。)では「混合寄託」として第665条の2に規定されています。混蔵寄託の場合「受寄者は,混合物の所有権を取得しない。混合物は,本来の所有者の,寄託された数量に応じた持分による,共有となる。」とされています(我妻Ⅴ₃・717頁。また,『新注釈民法(14)債権(7)』(有斐閣・2018年)429-430頁(𠮷永一行))。

 むしろ,寄託契約の成否については,ビットコインが所有権の客体となり得る有体物ではないことが問題だったのでしょう。無体物を目的物とする寄託の成否については,学説において「民法においては「物」とは有体物をいう(85条)から,〔改正後民法〕657条の文言〔「寄託は,当事者の一方がある物を保管することを相手方に委託し,相手方がこれを承諾することによって,その効力を生ずる。」〕上,無体物は寄託の目的物として含まれていない。無体物については,「保管」も「返還」も観念しえないこと,また,実際上も,例えば株式等振替制度によってペーパーレス化された有価証券の保管にしろ,著作権その他の知的財産権の管理の委託にしろ,委任と性質決定すれば足りること〔略〕からすると,あえて無体物を寄託の目的物に含める必要はないと考えられる。」と説かれています(『新注釈民法(14)』366頁(𠮷永))。委任,だそうです。

 (しかしながら,片岡17頁は「仮想通貨の管理を委託する場合は,その受託者に裁量がなく単なる保管の趣旨であるのが通常であろうから,特段の金融的な商品を組成するような場合を除き,信託ではなく,準寄託として考えられるであろう」としており,委任構成は採られていません。なお,ここでの「準寄託」の語は,「民法の寄託も有体物についてのものだが,〔略〕仮想通貨も物権又は準物権と同様の構造を有するから,契約自由の原則もあって(民法改正案521条),寄託と同様の法律関係が適用されるべきであり,「準寄託」ということとするものである」との趣旨のものであるそうです(片岡16頁(註17))。小野傑1頁にも「ホットウォレットに混蔵保管された仮想通貨」という表現があります。)

 

7 受任者の委任者に対する仮想通貨「引渡」債務と履行不能の不能

 

(1)民法646条1項

 委任に係る民法6461項は「受任者は,委任事務を処理するに当たって受け取った金銭その他の物を委任者に引き渡さなければならない。その収取した果実についても同様とする。」と,同条2項は「受任者は,委任者のために自己の名で取得した権利を委任者に移転しなければならない。」と規定しています。

                  

(2)履行不能の不能

 民法6461項の金銭の引渡債務は金銭債務ということになるのでしょう。しかして金銭債務については,「金銭債務の不履行の態様としては履行遅滞しかないと考えられている。換言すれば金銭債務は履行不能にならないと解されている。こう解することは,第一に,金銭債務については不可抗力を抗弁としえないことと相俟って,履行不能を理由に債務が消滅することがないことを意味し,第二に,期限前に債務不履行責任が生じることがないことを意味しよう。」と説かれています(能見140頁)。金銭債務が履行不能にならないと解する理由は,「金銭債権は,一定額の金銭の給付を目的とする債権である。種類債権の一種とみることをえないでもないが,目的物の範囲を限定する抽象的・一般的な標準さえなく,数量をもって表示された一定の貨幣価値を目的とし,これを実現する物(貨幣)自体が全く問題とされない点で,債権の内容は,種類債権より更に一層抽象的である。その結果,普通の種類債権のように目的物の特定という観念はなく,また履行不能もない」ということであって(我妻Ⅳ・35頁),種類債務性を更に発展させた「抽象性」に求められているようです。仮想通貨の「引渡」債務についても,数量をもって表示された一定の財産的価値を目的とし,これを実現する物(有体物)自体が全く問題とされていないのですから(資金決済法25項参照),金銭債務同様に履行不能はない,ということになりそうです。

仮想通貨交換業等に関する報告書においても,「仮に受託仮想通貨が流出したとしても,仮想通貨交換業者が顧客に対して受託仮想通貨を返還する義務が当然に消滅するわけではない」と説かれています(4-5頁(註11))。仮想通貨交換業等に関する研究会の第6回会合(2018103日)において加藤貴仁教授から,「〔略〕顧客と仮想通貨業者の契約によって異なるかもしれませんけれど,コインチェックの事例でも,テックビューロ―の事例でも,仮想通貨は確かに不正に流出しましたが,流出したことによって,仮想通貨交換業者の仮想通貨を返す義務はなくなってはいないはずです。つまり,交換業者は,顧客から預かった仮想通貨を流出させても,倒産しない限り,仮想通貨を返還する義務を負い続けるということです。仮想通貨を返還する義務を果たすということは,顧客が別の仮想通貨交換業者に開いた口座に移す,もしくは顧客がブロックチェーン上に持っているウォレットに移すといったことを意味します。」との発言があったところです。
 (2019415日の追記:ところが,上記のような行政当局側の整理に対して,別異に解する裁判例があります。前記マウントゴックス社破産事件に係るこちらは東京地判平成30131日判時2387108頁です。いわく。「ビットコイン(電磁的記録)を有する者の権利の法的性質については,必ずしも明らかではないが,少なくともビットコインを仮想通貨として認める場合においては,通貨類似の取扱をすることを求める債権(破産法10321号イの「金銭の支払を目的としない債権」)としての側面を有するものと解され,同債権(以下「コイン債権」という。)は,ビットコイン(電磁的記録)が電子情報処理組織を用いて移転したときは,その性質上,一緒に移転するものと解される。〔届出破産債権が一部しか認められなかったことを不服として破産債権査定異議の訴えを提起した〕原告は,原告が破産会社に対してビットコインの返還請求権を有するとして,破産債権の届出をしたものであるが,ビットコイン自体は電磁的記録であって返還をすることはできないから,原告は,コイン債権について,破産法10321号イの「金銭の支払を目的としない債権」として,破産手続開始時における評価額をもって,破産債権として届け出たものと解される。原告が主張するように破産会社の代表者が原告のビットコインを引き出して喪失させたのであれば,既にビットコインは他に移転し,同時にコイン債権も他に移転したことになるから,破産手続開始時において,原告は破産会社に対し,コイン債権を有しなかったことになる。本件届出債権は,原告が破産会社に対してコイン債権を有することを前提とするものと解されるところ,その前提を欠くことになるから,原告の上記主張は,結論を左右するものとはいえない。」と。当該判決では「ビットコイン自体は電磁的記録」であるものと解していますが,資金決済法25項における定義は仮想通貨を「財産的価値」としています。「電子的方法により記録」されている「財産的価値」といった場合,そこでの「財産的価値」とその記録たる「電磁的記録」とはやはり別物でしょう。前記東京地方裁判所平成2785日判決は「口座Aから口座Bへのビットコインの送付は,口座Aから口座Bに「送付されるビットコインを表象する電磁的記録」の送付により行われるのではなく」,かつ,「ビットコインアドレスに,有高に相当するビットコイン自体を表象する電磁的記録は存在しない」と判示しています。特定の電磁的記録によって表象される特定のビットコインというものはないのでしょう。(なお,特定物の寄託の場合,その特定物が滅失すれば当該寄託物返還債務は履行不能になります。ちなみに,債務不履行による損害賠償債権は金銭債権ですから(民法417条),破産法10321号イの金銭の支払を目的としない債権にはなりません。)また,平成30131日判決のいう「コイン債権」とは「ビットコイン〔について〕通貨類似の取扱をすることを求める債権」ということであって,かつ,その債務者は「ビットコイン〔略〕の預かり業務や利用者間のビットコインの売買の仲介業務」を行っていた破産会社マウントゴックスということであるようです。しかし,仮想通貨の管理を受任した仮想通貨交換業者(資金決済法273号)が当該利用者に対して負う債務は,現にその管理に係る仮想通貨について「通貨類似の取扱」をすることだけなのでしょうか。)

 

(3)SALUS UXORIS MEAE ?

 「仮想通貨は確かに不正に流出しましたが,流出したことによって,仮想通貨交換業者の仮想通貨を返す義務はなくなってはいない」ということになると,仮想通貨交換業者としては泣きっ面に蜂のような状況になります。「倒産しない限り,仮想通貨を返還する義務を負い続ける」ということであれば会社はお取潰しで従業員は路頭に迷わなければならないというのが御当局方面のお考えか,と関係者は愕然,武士の情けもあらばこそとの嫋々たる嘆きが続きます。

そうだ契約約款に事業者は消費者に対し損害賠償の責任を一切負わない旨規定しておけばよいのではないか,そうだそうだそう書こう,という発想も出て来ます。しかし,これはいささか短絡的です。問題は債務の履行不能後の損害賠償ではなくて(ただし,小野傑1頁記載の「ホットウォレットに混蔵保管された仮想通貨の一部がサイバー攻撃等で流出した場合の顧客保護の在り方であるが,交換業者にはホットウォレットの管理責任があり,金銭賠償による場合の顧客の価格変動リスク回避のため,信託法における受託者の原状回復責任にならい,現物返還を原則とすることが考えられよう。」の部分は,金銭「賠償」といい,かつ,わざわざ信託法を援用しているところからすると,損害賠償責任を論じているものと思われます。),履行不能とならずに残っている元からの債務の履行そのものだからです。(なお,事業者は消費者に対して損害賠償責任を一切負わないとまで書くと,当該条項はかえって無効となります(消費者契約法(平成12年法律第61号)811号・3号)。)
 何か救済策はないものか。

この点,我妻榮が民法6461項に関して述べることころが参考になりそうです。我妻は,金銭に係る「占有=所有権」理論採用前の古い大審院判決を批判して(「判例は,受任者が代理権を有し委任者の代理人として事務を処理した場合には,第三者から受け取る金銭の所有権も委任者に帰属するという。そして,この前提で,受任者が盗難にあつたときは返還義務は履行不能になるとい〔う〕(大判明治3435313頁)」が「然し,金銭について所有権を問題とすることは妥当を欠く」(のでおかしい)。),「受任者は,受取つた金を返還すれば足りる。必ずしも受取つたその金銭を返還する必要はないというべきである」と述べつつも,続いての括弧書きで,「(前掲〔略〕の判決のうち,〔略〕盗難の場合は,むしろ6503項の趣旨を類推して責任なしというべきものと思う)」と説いています(我妻Ⅴ₃・678頁。下線は筆者によるもの。ただし,『新注釈民法(14)』281頁(一木孝之)は当該我妻説に対してなお大判明治3435判例との抵触を問題としています。)。なるほど,民法6503項という手があったのでした。

民法6503項は「受任者は,委任事務を処理するため自己に過失なく損害を受けたときは,委任者に対し,その賠償を請求することができる。」と規定する条項です。同条に関しては,「「事務処理の過程で受任者に生じる不利益等を填補する委任者の責任」を構想することが可能である。」とされています(『新注釈民法(14)』308頁(一木))。

市場から有価証券(NTT株券)を購入して委任者に帰属せしめた受任者が当該有価証券の購入代金について民法6503項に基づく損害賠償請求を委任者に対して行ったので,委任者が当該損害賠償金支払債務の不存在の確認を求めた訴えについて,委任者は受任者に対して「民法6503項に基づき,損害賠償義務を負うことになる」と判示した裁判例があります(大阪高判平成12731日判タ1074216頁)。当該受任者による当該NTT株券の購入が「委任事務を処理するため」のものかどうかが争われたのですが(本件は,委任者が当該NTT株券の売却を受任者(証券会社)に委託していたところ,当該株券が盗難届の出ている事故株券であったため,当該株券を市場で既に売却していた受任者が東京証券取引所の「事故株券及び権利の引渡未済の処理に関する申合」(19491210日実施)に基づく義務の遂行として買戻しを行った案件でした。),裁判所は「本件株券は,証券取引所の開設する市場において取引されるのであるから,右市場において商慣習となっている申合に従って処理されるべきは当然であるところ,第一審被告〔受任者〕は,委任契約に基づき,本件株券を売買したものの,東証申合に基づき,本件株券を買い戻さざるを得なくなったものであるから,右買戻しは,委任事務の処理の一環と認められる。」と判示して「委任事務を処理するため」のものであると認めています(買い戻したNTT株券の所有権は商法5522項に基づき委任者に帰属)。この事案に比べれば,仮想通貨の委任者への「引渡し」のための調達は,当該「引渡し」(民法6461項参照)という「委任事務を処理するため」のものであるということは容易に認められるでしょう。問題は,当該「調達」を必要とすることになった原因(仮想通貨の流出等)の発生について受任者(仮想通貨交換事業者)にbon administrateurとして過失がなかったかどうかでしょう(無過失の立証責任は受任者にあります(我妻Ⅴ₃・685頁,『新注釈民法(14)』316頁(一木))。)。委任者については,自分に過失がなくとも(例えば,仮想通貨交換業者からの仮想通貨の流出について自分には過失がなくとも)損害賠償しなければならない無過失責任とされています(我妻Ⅴ₃・685頁,『新注釈民法(14)』317頁(一木))。

 なお,消費寄託構成の場合(片岡17頁には,仮想通貨交換業者による利用者の仮想通貨の管理について,「仮想通貨は,財産的価値単位として均一の抽象的な存在であるから,準消費寄託というべき性質のもの」との記述があります。),「消費寄託にあつては,目的物の滅失の危険は受寄者が負担する,といわれる」とされていますが(我妻Ⅴ₃・727頁),そうとはされつつも「団体の役員や財産の管理人などが,その職務の一部として金銭を保管する場合には,委任事務の処理とみるべきであつて,その責任は,専ら委任の規定に従つて定められるべきである」とされています(我妻Ⅴ₃同頁)。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

150-0002 東京都渋谷区渋谷三丁目5-16 渋谷三丁目スクエアビル2

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1 元号と追号との関係

 近々元号法(昭和54年法律第43号)2項の事由に基づき平成の元号が改まるということで,元号に関する議論がにぎやかです。

 ところで,150年前の明治元年九月八日(18681023日)の改元の詔には「其改慶応四年,為明治元年,自今以後,革易旧制,一世一元,以為永式。主者施行。」とありますところ,「一世一元」であるゆえに(元号法2項も「元号は,皇位の継承があつた場合に限り改める。」と規定しており,「実質は一世一元でございます。」とされています(真田秀夫政府委員(内閣法制局長官)・第87回国会衆議院内閣委員会議録第421頁)。),元号はすなわち天皇の追号となるべきもの,と考えたくなるところです。

 

(1)元号≠追号

 しかしながら,元号と追号とは制度的には無関係であるという見解が,1979年の元号法案の国会審議時において政府から何度も表明されています。例えば,次のとおり。

 

   次に,元号名と天皇の贈り名のことについてお尋ねがあったわけでございます。

   御承知のように,明治,大正という元号がそれぞれ天皇の贈り名とされましたのは事実でございますが,贈り名と元号との関係につきましては,従前も,制度上元号が必ず贈り名になると定められていたわけではございません。この法案のもとにおいても直接に結びつきはないものと考えております。戦前におきましては,登極令におきまして元号の問題が取り上げられており,あるいは追号の問題は皇室喪儀令に分かれて取り上げられておった。戦前でもそうでございます。そういうことでございますので,戦前におきましても,いま申し上げましたように,追号と元号とは制度的に関係がないものと承知をいたしておるところでございます。(三原朝雄国務大臣(総理府総務長官)・第87回国会衆議院会議録第155頁)

 

   いまお答え申し上げている元号法案による元号と追号とは全然関係がないと承知いたしております。(大平正芳内閣総理大臣・第87回国会参議院内閣委員会会議録第1422頁)

 

 また,細かい規定はないとしても,新天皇が大行天皇の追号を勅定するということは明らかにされています。例えば,次のとおり。

 

   追号につきましては,現在は法令がないというような状況になっていると存じます。したがいまして,過去の法令,法規等を参考にいたしまして定められてくるというようなことになると思うわけでございますが,過去の例は御案内のとおり,新帝が勅定をされた,こういうことでございまして,その旨が宮内大臣と内閣総理大臣が連署して告示された,こういうことでございます。

   こういったような過去の例というのを十分考えながら,今後いろいろと研究を続けていかなければならない事項と思っておるわけでございます。ただいま,どういうかっこうでどうなるということを申し上げるのは差し控えさせていただきたいと存じます。(山本悟政府委員(宮内庁次長)・第87回国会衆議院内閣委員会議録第519頁)

 

   お答えを申し上げますが,元号と追号とはこれは全く性格が違うわけなんですね。追号は,これは皇室の行事で,新天皇が亡くなられた天皇に贈り名としてお名前をおつけになるということでございますし,元号というのは陛下が御在世中に国民なり役所なりがその年をあらわす紀年法として用いる呼び名でございまして,この二つは全然違うわけなのです。御質問の将来陛下が崩御になったときにどういう追号をお持ちになるかということは,それは現在の段階ではこれは私何とも申し上げられません。これは新天皇がお決めになることでございまして,まあ現在ではもう想像の域を出ないと,こういうお答えしかできないわけでございます。(真田秀夫政府委員(内閣法制局長官)・第87回国会参議院内閣委員会会議録第711頁)

 

   これは先ほどもお答え申し上げたつもりでございますけれども,元号と追号とは全然これは別問題でございまして,追号の方は天皇が先帝に対して贈られるものでございます。政府のかかわるところではございません。(大平内閣総理大臣・第87回国会参議院内閣委員会会議録第1427頁)

 

 「一世一元の制で重要なのは,後に元号が天皇の諡号(高徳の人に没後おくる名)になることです。中国でも一世一元の元号は,皇帝の諡号になっています。日本では明治以降,元号=諡号となります。」といわれていますが(所功「平成の「次の元号」に使われる漢字」文藝春秋20187月号188頁),少なくとも我が国では,在位中の元号=追号となるのは,新帝がそのように先帝の追号を治定した例が1912年,1926年及び1989年と続いたからにすぎないものであって制度的なものではない,ということになります。在位中の元号をもって1912年に大行天皇が明治天皇と追号されたことについては,当時,「和漢其の例を見ず」,「史上曽て見ざる新例」と評されました(井田敦彦「改元をめぐる制度と歴史」レファレンス811号(20188月)96頁(宮内庁編『明治天皇紀 第十二』(吉川弘文館・1975833頁及び読売新聞1912828日「御追号明治天皇 史上曽て見ざる新例」を引用))。
 元号を皇帝の追号にすることは漢土に例を見ずといわれても,明の初代洪武帝朱元璋以下の明・清の歴代皇帝は一体どういうことになるのだという疑問が湧くのですが,『明史』の本紀第一の太祖一の冒頭部分を見ると「太祖開天行道肇紀立極大聖至神仁文義武俊徳成功高皇帝,諱元璋,字国瑞,姓朱氏。」とあるところです。在位中の元号を洪武とした皇帝朱元璋の廟号は太祖で,諡号は開天行道肇紀立極大聖至神仁文義武俊徳成功高皇帝であるということのようです。要は明の太祖以降の漢土皇帝に係る在位中の元号に基づく洪武帝等の呼び方は,廟号又は諡号ではないことはもちろん,そもそも正式のものではなかったのでした。いわく,「〔明の〕太祖は在位31年,歳71で,皇太孫〔建文帝〕の将来の運命を案じながら,孤独のうちに病死する(1398年)。その年号は終始洪武と称して改元することがなく,以後中国においては一世一元の習慣が確立する。そこで天子を呼ぶにも,従来の諡号,廟号に代えて,年号をもって称するようになった。天子の諡号は古代には極めて簡単な美称を12字ですませたが,後世それが次第に長くなり,明の太祖は21字を重ねるに至ったので,臣下としてはこれを省略して呼んでは失礼にならぬとも限らない。廟号は常に1字であるが,各王朝とも廟号に用いる字はおおむね定まっていて,太祖,太宗,仁宗といった名が頻出するので,前朝と紛らわしくなる。そこで年号によって,たとえば洪武帝のように呼べば,これは正式の名称ではないが,一目瞭然で間違えたり,混同したりするおそれがなくてすみ,甚だ便利なのである。」と(宮崎市定『中国史(下)』(岩波文庫・2015年)175-176頁。下線は筆者によるもの)。これに対して,我が国においては,明治天皇より前に一世一元であった過去の天皇について,例えば平城天皇は,現在一般には元号により大同天皇と呼ばれてはいません。そうしたからとて特に「甚だ便利」というわけでもなく,かつ,本来の追号・諡号がむやみに長くなることもなかったからでしょう。

なお,明治天皇より前に一代の間に改元が1度だけであった天皇としては,元明,桓武,平城,嵯峨,淳和,清和,陽成,光孝,宇多,冷泉,花山,三条,後三条,後白河,六条,御嵯峨,後伏見,後亀山,後小松,称光,後桜町及び後桃園の22天皇が挙げられていました(清水汪政府委員(内閣官房内閣審議室長兼内閣総理大臣官房審議室長)・第87回国会参議院内閣委員会会議録第122頁)。これら各天皇と元号との関係について見ていくと,元明天皇の改元に係る新元号は和銅,桓武天皇のそれは延暦,平城天皇については上記のとおり大同,嵯峨天皇については弘仁,淳和天皇については天長,清和天皇については貞観,陽成天皇については元慶,光孝天皇については仁和,宇多天皇については寛平,冷泉天皇については安和,花山天皇については寛和,三条天皇については長和,後三条天皇については延久,後白河天皇については保元,六条天皇については仁安,後嵯峨天皇については寛元,後伏見天皇については正安,後亀山天皇については元中,称光天皇については正長(ただし,同天皇践祚から17年目の崩御の年に至ってやっと改元),後桜町天皇については明和,後桃園天皇については安永となります。ただし,後小松天皇は一代の間に明徳から応永へ1度しか改元しなかったというのは南朝正統論の行き過ぎで,実は同天皇は在位中に,永徳から至徳へ,至徳から嘉慶へ,嘉慶から康応へ,康応から明徳へ及び明徳から応永へと,5回改元を行っています。また,光厳天皇は元徳から正慶への改元しかしていませんし,崇光天皇も貞和から観応への改元しか行っていません。ちなみに,皇位の継承があったことに基づき行われる代始改元の時期については,「踰年改元,つまり皇位の継承をなさいました年の翌年のある時期,あるいは翌年以降のある時期,そういう意味におきまして,その年を越してからの改元ということでございますが,そのような例は過去の元号の歴史の中ではむしろ非常に多かったということは御案内のとおり」であり,「奈良時代におきましては特にすぐ改元したということがあったわけでございますが,平安時代の初期と申しますか,第51代の平城天皇のときにその年のうちに改元をしたということがございましたが,それが大体最後でございまして,それから後は年を越してからの改元ということが例でございました。」とされています(清水汪政府委員・第87回国会参議院内閣委員会会議録第77頁)。この大同改元については,『日本後紀』の記者によって,「改元大同。非礼也。国君即位,踰年而後改元者,縁臣子之心不忍一年而有二君也。今未踰年而改元,分先帝之残年,成当身之嘉号。失慎終无改之義,違孝子之心也。稽之旧典,可謂失也。」と,踰年改元でなかったことが正に厳しく批判されていたところです(巻第十四大同元年五月辛巳〔十八日〕条)。

 

(2)皇室喪儀令及び追号奉告の儀

 さて,追号について定めていた皇室喪儀令とは,枢密顧問の諮詢(枢密院官制(明治21年勅令第22号)61号参照)を経た旨が記された上諭が附され(公式令(明治40年勅令第6号)53項),一木喜徳郎宮内大臣並びに若槻禮次郎内閣総理大臣並びに主任の国務大臣たる宇垣一成陸軍大臣,財部彪海軍大臣及び濱口雄幸内務大臣が副署し(同条2項),摂政宮裕仁親王が裁可し(同条1項,明治皇室典範36条)19261021日に官報によって公布された(公式令12条)大正15年皇室令第11号です。同令は194752日限り廃止されていますが,「2日,皇室令をもって皇室令及び附属法令をこの日限りにて廃止することが公布される。なお53日,従前の規程が廃止となったもののうち,新しい規程が出来ていないものは,従前の例に準じて事務を処理する旨の〔宮内府長官官房〕文書課長名による依命通牒が出される。」という取り運びとなっています(宮内庁『昭和天皇実録 第十』(東京書籍・2017年)316頁)。

皇室喪儀令の第1条から第3条までは次のとおりでした。

 

第1条 天皇崩御シタルトキハ宮内大臣内閣総理大臣ノ連署ヲ以テ直ニ之ヲ公告ス

 太皇太后皇太后皇后崩御シタルトキハ宮内大臣直ニ之ヲ公告ス

第2条 天皇太皇太后皇太后皇后崩御シタルトキハ追号ヲ勅定ス

第3条 大行天皇ノ追号ハ宮内大臣内閣総理大臣ノ連署ヲ以テ之ヲ公告ス

 太皇太后皇太后皇后ノ追号ハ宮内大臣之ヲ公告ス

 

 皇室喪儀令11条に基づく同令附式第1編第1の天皇大喪儀に「追号奉告ノ儀」が規定されており,そこにおいて「天皇御拝礼御誄ヲ奏シ追号ヲ奉告ス」とあります。

 皇室喪儀令施行の月(公式令11条により19261110日から施行)の翌月25日に崩御した大正天皇のための1927120日の追号奉告ノ儀においては,秩父宮雍仁親王が兄である新帝・昭和天皇の名代となり(昭和天皇は同年元日の晩から風邪(宮内庁『昭和天皇実録 第四』(東京書籍・2015年)620頁)),次の御誄を奏して追号を奉告しています(同626-627頁)。

 

  裕仁敬ミテ

  皇考在天ノ神霊ニ白ス

  皇考位ニ在シマスコト十有五年

  明治ノ顕朝ヲ承ケサセラレ迺チ其ノ明ヲ継カセタマヒ

  大正ノ昭代ヲ啓カセラルル夙ニ其ノ正ヲ養ハセタマヘリ茲ニ

  遺制ニ遵ヒ追号ヲ奉ケ

  大正天皇ト称シタテマツル

 

DSCF1300(大正天皇多摩陵)
大正天皇多摩陵(東京都八王子市)

 
198917日に崩御した昭和天皇のための同月31日の追号奉告の儀における今上天皇の御誄は,次のとおりです(宮内庁ウェブ・サイト)。

 

明仁謹んで

御父大行天皇の御霊に申し上げます。

大行天皇には,御即位にあたり,国民の安寧と世界の平和を祈念されて昭和と改元され,爾来,皇位におわしますこと六十有余年,ひたすらその実現に御心をお尽くしになりました。

ここに,追号して昭和天皇と申し上げます。

 

DSCF1296(昭和天皇武蔵野陵)
昭和天皇武蔵野陵(東京都八王子市)

 同じ
1989131日平成元年内閣告示第3号によって大行天皇の追号が昭和天皇となった旨公告されましたが,「宮内大臣内閣総理大臣ノ連署ヲ以テ」の公告ではなかったのは,宮内大臣が廃されてしまっている以上そうなるべきものだったのでしょう。(なお,平成元年内閣告示第3号には「大行天皇の追号は,平成元年113日,次のとおり定められた。」とのくだりがありますが,これは,皇統譜(皇室典範(昭和22年法律第3号)26条)における天皇に係る登録事項には「追号及追号勅定ノ年月日」があるところ(皇統譜令(大正15年皇室令第6号)1213号。昭和22年政令第1号たる皇統譜令の第1条は「この政令に定めるものの外,皇統譜に関しては,当分の間,なお従前の例による。」と規定),追号のみならずその勅定日も「公告ニ依リ」登録(皇統譜令施行規則(大正15年宮内省令第7号)附録参照)するからでしょう。)

 ところで,「大行天皇には,御即位にあたり,国民の安寧と世界の平和を祈念されて昭和と改元され」という表現を見ると,やはり昭和天皇の追号が昭和天皇となったのは在位中の元号が昭和(「百姓昭明,協和万邦」)だったからだ,したがって第87回国会で大平内閣総理大臣以下政府当局者が何やかやと言っていたが元号法施行後も結局元号が天皇の追号となるべきものなのだ,と早分かりしたくなるのですが,それでよいのでしょうか。単に在位中の元号が昭和だったからではなく,19261225日の「御即位にあたり」「昭和と改元」したのは大行天皇自身であったからこそその追号が昭和天皇と治定されたように筆者には思われるのですが,どうでしょうか。

 (ついでながら,天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)33項は「上皇の身分に関する事項の登録,喪儀及び陵墓については,天皇の例による。」と規定しています。なお,「天皇の例による」としても,大正15年皇室令第6号たる皇統譜令12条においては退位の年月日(時)は天皇に係る登録事項とはなっておらず,昭和22年政令第1号たる皇統譜令にも特段の定めはないようであるところ,この辺はどうなるものでしょうか。

 

2 元号を定める権限の所在

 

(1)明治皇室典範・登極令と元号法との相違

 明治皇室典範12条は「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」と,登極令(明治42年皇室令第1号)2条は「天皇践祚ノ後ハ直ニ元号ヲ改ム/元号ハ枢密顧問ニ諮詢シタル後之ヲ勅定ス」と,同令3条は「元号ハ詔書ヲ以テ之ヲ公布ス」と規定していました。「勅」定ですから天皇が定めるのですし,「詔」書だからこそ天皇名義の文書なのです。

これに対して現在の元号法1項は「元号は,政令で定める。」と規定しており,すなわち元号を改める権限(「新しい元号の名前」及び「いつ改元が効力を持つか」という2点を規定する政令(清水汪政府委員(内閣官房内閣審議室長兼内閣総理大臣官房審議室長)・第87回国会衆議院内閣委員会議録第440頁)を制定する権限)は,天皇ではなく,政令を制定する機関である内閣が有しているところです(日本国憲法736号)。天皇ではなく内閣が決めるのであれば元号とはいえないのではないか,という見解を我が政府は採っておらず,「元号だから天皇が決める,それが伝統であって,そうでなければ元号という制度になじまないとか,そういう気持ちは毛頭ありません。」,「決して天皇が決めなければ元号とは言わないなんというような気持ちは毛頭ございません。」という国会答弁がされています(真田秀夫政府委員(内閣法制局長官)・第87回国会参議院内閣委員会会議録第123頁)。

(なお,先帝崩御日と新元号建定日とを一致させるのは明治皇室典範レヴェルでの要請ではなく,登極令21項(「直ニ」)の要請であるということになります(現に,慶応四年を改めて明治元年としましたが,孝明天皇が崩御したのは慶応四年元日より1年以上前の慶応二年十二月二十五日のことでした。)。1909127日に開かれた枢密院会議の筆記には,登極令案は「従来ノ慣例ヲ取捨折衷シテ作ラレタルモノ」だとの細川潤次郎枢密顧問官の発言が記されていますが,代始改元を践祚後直ちに行うのが「従来ノ慣例」だったのかどうかについては前記『日本後紀』の記述等に鑑みても議論がありそうです(所功「昭和の践祚式と改元」別冊歴史読本1320号(198811月)186頁に引用された「登極令制定関係者である多田好問の『登極令義解』草稿」(井田98頁・注(48))によれば「古例に於ける・・・如く事実を稽延することを得ず」ということだったそうですから(井田98頁),この場合の「古例」ないしは「従来ノ慣例」は,むしろ意識的に「捨」てられたもののようです。)。現在の元号法においては,「事情の許す限り速やかに改元を行う」のが「法の趣旨」だとされていますが(三原朝雄国務大臣(総理府総務長官)・第87回国会衆議院会議録第155頁),これは登極令21項的運用を念頭に置いていたということでしょう。ただし,元号法2項の「皇位の継承があつた場合」との表現については「「場合」という表現をとっておりますのは,そこにある程度の時間的なゆとりというものを政府にゆだねていただきたいという考え方からそのような表現をとっているということ」になっています(清水汪政府委員・第87回国会参議院内閣委員会会議録第1229頁)。)

 

(2)明治皇室典範・登極令下の大権ノ施行たる元号建定における内閣の関与

 とはいえ,天皇が元号を勅定するものとされていた明治皇室典範時代も,元号建定に当たっては,内閣が中心となっていました。

すなわち,大正天皇崩御の「日午前330分,内閣総理大臣若槻礼次郎以下の閣僚は〔葉山〕御用邸附属邸より本邸に戻り,直ちに緊急閣議を開き,登極令に基づき元号建定の件を上程し,元号建定の詔書案,大喪使官制,東宮武官官制廃止の件その他を閣議決定し,直ちに元号建定の詔書案の枢密院への御諮詢を奏請する。枢密院は御諮詢を受け,午前645分より副議長平沼騏一郎を委員長とし,内閣総理大臣以下関係諸員出席のもと,元号建定の審査委員会を開く。元号案は全会一致を以て可決され,詔書案の文言に関しては,討議を重ねた上,原案に修正を加えることにて可決される。それより枢密院は修正案を作成し,内閣総理大臣の同意を得て午前915分本会議を開催,元号案並びに詔書修正案を全会一致を以て可決し,〔倉富勇三郎〕枢密院議長は直ちに奉答する。ついで奉答書が内閣に下付され,直ちに内閣は再度の閣議を開き,元号建定の詔書案につき,枢密院の奉答のとおり公布することを閣議決定する。天皇は945分より10時過ぎまで,内閣総理大臣若槻礼次郎に謁を賜い,元号建定の件につき上奏を受けられる。よって御裁可になり,1020分,詔書に御署名になる。ついで再び若槻に謁を賜う。詔書は直ちに官報号外を以て公布され,ここに元号を「昭和(せうわ)」と改められる。」ということでした(『昭和天皇実録 第四』602頁)。なお,内閣の活動のみならず,枢密顧問に諮詢する手続がありますが(登極令22項),これは「元号ハ昔時ニ於テモ廷臣ヲシテ勘文ヲ作ラシメ問難論議ヲ経テ之ヲ定メ難陳ト号セリ今本〔登極〕令ニ於テモ枢密顧問ノ諮詢ヲ経テ之ヲ定ムルコトトシタルハ事重大ナルノミナラス古ノ難陳ノ意ヲモ加ヘテ此ノ如ク規定シタルナリ」ということでした(1909127日に開かれた枢密院会議の筆記にある奥田義人宮中顧問官の説明)。

 昭和改元の詔書の文言は「朕皇祖皇宗ノ威霊ニ頼リ大統ヲ承ケ万機ヲ総フ茲ニ定制ニ遵ヒ元号ヲ建テ大正151225日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス」というものでしたが(『昭和天皇実録 第四』603頁),当該詔書に副署した者は内閣総理大臣及び国務各大臣であって,そこには宮内大臣は含まれていませんでした。これは,明治皇室典範の第12条に規定があるにもかかわらず,元号建定は「皇室ノ大事」に関するものではなく,「大権ノ施行」に関するものであることを意味します。すなわち,公式令12項は「詔書ニハ親署ノ後御璽ヲ鈐シ其ノ皇室ノ大事ニ関スルモノニハ宮内大臣年月日ヲ記入シ内閣総理大臣ト倶ニ之ニ副署ス其ノ大権ノ施行ニ関スルモノニハ内閣総理大臣年月日ヲ記入シ之ニ副署シ又ハ他ノ国務各大臣ト倶ニ之ニ副署ス」と規定していたところです。元号を建定することは「万機ヲ総フ」る大権の施行の一環であるということでしょう。(ただし,宮内省図書寮編修官吉田増蔵が若槻内閣の委嘱を受けて起草した元号建定の詔書案(『昭和天皇実録 第四』605頁)の文言は「朕皇祖皇宗ノ威霊ニ頼リ茲ニ大統ヲ承ケ一世一元ノ永制ニ遵ヒ以テ大号ヲ定ム廼チ大正15年ヲ改メテ昭和元年トシ1225日ヲ以テ改元ノ期ト為ス」というもので,「万機ヲ総フ」がありませんでした。ちなみに,1912730日の大正改元に係る詔書の文言は「朕菲徳ヲ以テ大統ヲ承ケ祖宗ノ霊ニ誥ケテ万機ノ政ヲ行フ茲ニ/先帝ノ定制ニ遵ヒ明治45730日以後ヲ改メテ大正元年ト為ス主者施行セヨ」というものでした。「先帝ノ定制ニ遵ヒ」の部分は,前記『日本後紀』の記者に対する,年を踰えることを待つことなく改元するのは先帝陛下の定制(登極令21項)によるものであって自分勝手な親不孝ではありませんからね,との言い訳のようにも読み得る気がします。なお,こうして見ると,吉田案では「万機ヲ総フ」のみならず,「主者施行セヨ」も落ちています。)

日本国憲法下においても,「そういうような経過から申し上げましても元号に関することは国務として,現在で言えば総理府本府〔当時〕におきまして取り扱われるべきものでございまして,宮内庁の所掌事務ということにはならないと存じます」とされています(山本悟政府委員(宮内庁次長)・第87回国会衆議院内閣委員会議録第420頁)。日本国憲法公布後の1946118日に𠮷田茂内閣総理大臣が昭和天皇に上奏した元号法案(GHQとの関係もあり,結局帝国議会には提出せず。)も現在の元号法とよく似た内容で,本則は「皇位の継承があつたときは,あらたに元号を定め,一世の間,これを改めない。/元号は,政令で,これを定める。」,附則は「この法律は,日本国憲法施行の日から,これを施行する。/現在の元号は,この法律による元号とする。」というものでした。

美濃部達吉の説明によれば,「元号ヲ建ツルハ事直接ニ国民ノ生活ニ関シ,性質上純然タル国務ニ属スルコトハ勿論ニシテ,固ヨリ単純ナル皇室ノ内事ニ非ズ。故ニ之ヲ憲法ニ規定セズシテ,皇室典範ニ規定シタルハ恐クハ適当ノ場所ニ非ズ。其ノ皇室典範ニ規定セラレタルニ拘ラズ,大正又ハ昭和ノ元号ヲ定メタル詔書ガ宮内大臣ノ副署ニ依ラズ,各国務大臣ノ副署ヲ以テ公布セラレタルハ蓋シ至当ノ形式ナリ。」ということになります(美濃部達吉『改訂憲法撮要』(有斐閣・1946年)185頁)。(なお,先例となった大正改元の際の内閣総理大臣は公家の西園寺公望であって,宮内大臣の渡辺千秋は元は諏訪高島藩士でしかありませんでしたから,西園寺が明治天皇崩御を承けての元号建定事務を主管したことはいかにも自然であったということかもしれません。)「事直接ニ国民ノ生活ニ関シ」とは,「とにかく旧憲法下における元号は,国の元首であり,かつ統治権の総覧者である天皇がお決めになったものであって,はっきり使用についての規定はございませんけれども,恐らくその趣旨は,朕が定めた元号だから国民よ使えよという御趣旨がその裏にはあったのだろうと思うのですよね。」ということでしょう(真田秀夫政府委員(内閣法制局長官)・第87回国会衆議院内閣委員会議録第58頁)。(ちなみに,詔書と同様天皇が親署して御璽を鈐する勅令については,「他の国務上の詔勅と区別せらるゝ所以は,勅令は国民に向つて法規を定めることを主たる目的とすることに在る」とされていましたが(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)235頁),勅令の副署者については「内閣総理大臣年月日ヲ記入シ之ニ副署シ又ハ他ノ国務各大臣若ハ主任ノ国務大臣ト倶ニ之ニ副署ス」るものとされていました(公式令72項)。宮内大臣の副署はなかったわけです。)元号の建定は国務事項である以上,「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない」ものとされる(日本国憲法41項)194753日以降の天皇については,「天皇に元号の決定権を与えるような法律をつくることは憲法違反でございます。」ということになります(真田秀夫政府委員・第87回国会参議院内閣委員会会議録第123頁)。「世の様の移り換りて斯なれるは人力もて挽回すへきにあらすとはいひなから且は我国体に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間しき次第なりき」とは,天皇が「政治の大権」を失った時代に係る明治天皇の慨嘆です(188214日の軍人勅諭)。

 1889211日の「皇室典範第12条に建元大権の事を定めて居るのは,事純然たる国務に関するもので,皇室に関係の有るものではなく,宜しく憲法中に規定せらるべきものである。」(美濃部・精義113頁)という記述に出て来る「建元大権」とは,漢の武帝以来の「王が時間をも支配するとして,支配下の人民に使用させた年を数える数詞」である「元号をさだめ,あるいは改める権限」(村上重良『天皇の祭祀』(岩波新書・1977年)121頁)という意味の東洋の皇帝的な建元大権のことだったのでしょうか。(なお,明治皇室典範12条は,践祚後の改元を義務付けると共にそれ以外の場合の改元を禁じており,むしろ天皇の権限を制約する規定のようにも思われます。)


3 大日本帝国憲法制定前期における元号等についての意見:井上毅及び伊知地正治

 しかし,元号に関する規定を憲法に設けるべきだとの方向性は,明治維新の功臣である岩倉具視右大臣の考え方においてはあったものと考えられ得るところです。岩倉右大臣は「奉儀局或ハ儀制局開設建議」を18783月に太政官に提出しますが,当該奉儀局又は儀制局が開設されたならばそこにおいて帝室の制規天職に関し調査起草されるべき「議目」として掲げられたもののうち,「憲法」の部には次のようなものがありました(小嶋和司「帝室典則について―明治皇室典範制定初期史の研究―」同『小嶋和司憲法論集一 明治典憲体制の成立』(木鐸社・1988年)73-74頁)。

 

  改元 一代数改 一代一元 不用元号称紀元何年

  諡号 史記諡法 漢籍抄出美字 地名院 国風諡号

 

 上記「奉儀局或ハ儀制局開設建議」に対して井上毅が「奉儀局取調不可挙行意見」を岩倉右大臣に提出し,同右大臣の当該建議は実現されずに終わりますが,井上の当該「意見」においては「国体ト云即位宣誓式ト云 皇上神聖不可侵ト云国政責任ト云ガ如キハ其標目簡単ナルガ為ニ一覧ノ間ニ深キ感触ヲナサゞルモ其義ヲ推窮シテ其末来ノ結果ヲ想像スルニ至テハ真ニ至大ノ議題ニシテ果シテ其深ク慎重ヲ加フベクシテ躁急挙行スベカラザルヲ信ズ」とされていた一方,「改元」等に関しては「奉儀局議目中国号改元ノ類大半ハ儀文名称ノ類ニシテ政体上ニ甚シク関係アラザル者トス」とあったところです(小嶋73-74頁)。

「改元ノ類」は「儀文名称ノ類ニシテ政体上ニ甚シク関係アラザル者」にすぎないというのですから,建元大権もあらばこそ。したがって,井上毅が起草作業の重要な一翼を担った大日本帝国憲法においては元号に関する条項が設けられなかったことはむべなるかな,とは筆者の感想です。

なお,前記「議目」について宮内省一等出仕の伊知地正治(1873年に左院副議長として「帝室王章」を取り調べ,1874年以後国憲編纂担当議官(小嶋65頁))の口述を宮島誠一郎が筆記したもの(1882121日)があり,そこには次のような意見が記されていました(伊藤博文編・金子堅太郎=栗野慎一郎=伊藤博精=尾佐竹猛=平塚篤校訂『秘書類纂 憲法資料 下巻』(秘書類纂刊行会・1935年)497頁)。

 

 改元 神武紀元何千何百年モ民間通用ニハ少シク難渋ナリ。漢土モ明代ヨリ一代一元ノ制ヲ定メ今日清朝之ニ沿襲ス其制頗ル傚フベシ。御維新後一代一元ノ姿ナレバ此レニテ当然ナルベシ。御一代数度ノ改元ハ已ニ無用ナルベシ。

 諡号 近世ハ白河家ニ御委任ノ様ニ覚ユ,御維新後ハ内閣ニテ御選定当然ナリ。

 

 明治政府は「1873年(明治6)年の改暦にともない,公式に干支を廃し,新たにさだめた皇紀と元号を用いて年を数えることとした」のでしたが(村上123頁),「神武紀元何千何百年モ民間通用ニハ少シク難渋ナリ。」ということであったのであれば,ハイカラな「耶蘇紀元何千何百年」も当時の我が国の民間においてはそもそもその通用は論外だったということでしょう。なお,神武紀元(皇紀)については明治五年十一月十五日(18721215日)の太政官布告第342号が根拠とされており,当該布告は「今般太陽暦頒行 神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付其旨ヲ被為告候為メ来ル廿五日 御祭典被執行候事〔後略〕」というものでした。ただし,当該布告については,「神武天皇の御即位のときが建国の日であるぞということをここで宣明されたというふうに考えられるわけでございますが,そうなりますと,したがいましてこれは年の数え方というのを決めたのではございませんで,建国の日から何年かということを数えるときには神武天皇の御即位のときが始まりなんだということを書いてあるわけでございます。したがいまして,元号のように年の数え方を書いたというものではございません。そして,これが一体現在どのような意味,内容を持っているのか,これは一体国民に対して強制力を持っていたのか持っていなかったのか,さらに,現在の科学的知見でもって神武天皇の御即位というのは一体いつであったのかというようなことを確定いたしませんと,どうもこの太政官布告の現在における効力というのは確定はできない。ところが,私どももいろいろ調べてはみたのでございますが,何分古いものでございまして,文献等もございませんし,さらにその神武天皇の御即位の時期がいつかというようなことは歴史的事実に属しまして私どものまだ何とも確定できる状況ではございませんので,現段階におきましてはなかなかこれの法的効力というものにつきまして断定ができるような状況に立ち至っていないということを御了解いただきたいと存じます。」と解されています(味村治政府委員(内閣法制局第二部長)・第87回国会参議院内閣委員会会議録第1415頁)。

「御一代数度ノ改元ハ已ニ無用ナルベシ。」とわざわざ言わざるを得なかったということは,江戸時代最長の元号は享保及び寛永の各21年であったので,明治も10年を過ぎるともうそろそろ改元で縁起直しをしたい,数字が大きくなると面倒臭い,というような昔ながらの欲求がやはり感じられていたということでしょうか。(なお,「未開人」は3までしか数えられない一方「むかしのタイ国の法廷でもやはり証人に10までの数を数えさせてみて,数えられなかったら,一人前の証人としての資格をみとめなかった」そうです(遠山啓『数学入門(上)』(岩波新書・1959年)1頁)。)

太政官の内閣で諡号を選ぶ云々ということは,1882年当時は宮中府中の区別がいまだにされていなかったからでしょう(近代的内閣制度の創設は18851222日)。

 

4 元号の示すもの

 

(1)天皇在位ノ称号

 元号が「儀文名称ノ類」であるのならば,それは明治皇室典範下において具体的には何を示すのかといえば,美濃部達吉によれば「天皇在位ノ称号」です。いわく,「即チ元号ハ明治元年ノ定制ニ依リ其ノ法律上ノ性質ヲ変ジタルモノニシテ,旧制ニ於テハ元号ハ単純ナル年ノ名称ナリシニ反シテ,現時ノ制ニ於テハ天皇在位ノ称号トシテ其ノ終始ハ全ク在位ト相一致ス,天皇崩御ノ瞬間ハ即チ旧元号ノ終リテ同時ニ新元号ノ始マル瞬間ナリ。元号ヲ改ムル詔書ノ公布セラルルニハ多少ノ時間ヲ要スルハ勿論ナレドモ,其ノ公布ガ如何ニ後レタリトスルモ,常ニ先帝崩御ノ瞬間ニ迄遡リテ其ノ効力ヲ生ズベキモノナリ。」と(美濃部・撮要184-185頁)。

 「年を帝王の治世何年で数える例は,古代ローマ帝国にも,イギリス等の君主制国家にもみられる」ところ(村上122頁),我が国においては実名敬避俗があるから天皇の御名の代わりにその践祚時に建定する「天皇在位ノ称号」を使用するのだ,といえば,他国の例と比較を絶する奇天烈なものではないということにはなるのでしょう。(英国の例を見ると,「制定法は,1962年までは,正式には,国王の治世第何年の議会で制定された法律第何号という形で呼ばれていた。」とされています(田中英夫『英米法総論下』(東京大学出版会・1980年)675頁)。また,「イギリスでは,即位の日から丸1年を治世第1年,次の1年を第2年とし,暦年で数えるのではない」とされています(同頁)。)漢土においても,武帝より前の「従来の紀年法は君主が先代を継承すると,その翌年を元年として数え始めた。」そうです(宮崎市定『中国史(上)』(岩波文庫・2015年)214頁)。

 

(2)漢の武帝

漢の武帝による年号制度の創始も,実は前記の「年を帝王の治世何年で数える」制度の延長線上にあったところです。いわく。「戦国時代は七国がそれぞれの君主の即位年数を用いたのはもちろんであるが,漢代に入っても封建君主はその領内で,その君の即位年で年を記したのである。中央では〔漢3代目の〕文帝の時,在位がやや長くなったので,17年目にまた元年として数え直した。これを()元年として区別するのは後世の加筆である。次の景帝〔武帝の先代〕8年目が(ちゅう)元年,更に7年目が後元年と,2回の改元を行った。こういう方法は記録を整理する時に紛らわしくて甚だ不便である。特に皇帝には死んでから諡号を贈られるまでは名がなく,後世でこそ景帝の中二年と言えるが,その当時においては,ただ皇帝二年とだけしか言えない。更に地方の封建君主の即位年があるからいよいよ混雑しやすい。武帝の世になっては,6年を一区切りとし,7年目になると元年に戻したが,改元が何回か繰返されると,前後の区別がつかなくなった。そこで5回目の改元の際に,その元年に元封(げんぽう)元年という年号を制定して数え始めた。更に前へ戻って,最初から建元,元光,元朔,元狩,元鼎と,6年ずつひとまとめにして年号を追命した。これは当時においては大へん進んだ便利な制度で,中央で定めた年号は国内至る所に通用し,またこれによって何年たった後でも,すぐあの年だということが分る。更に国内のみならず,中国の主権を認める異民族の国にも年号を用いさせれば,それだけ年代を共通にする範囲が広くなるわけである。中国にはキリスト教紀元のようにある起点を定めて元年とし,永久に数えて行く考えは遂に発生しなかった。」と(宮崎214-215頁)。

なお,漢の元封元年(西暦紀元前110年ほぼ対応します。)は武帝が今の山東省の泰山において封禅を行った年であって,その「大礼の記念として,天下の民に爵一級を賜わり,女子と百戸には牛酒を賜わった。人民の全部が大礼記念章もしくは酒肴料をいただいたのである。/年号が元封(・・)と改元されたのも,またその記念のひとつである。」とされています(吉川幸次郎『漢の武帝』(岩波新書・1963年)164頁)。

 (「現時点の年を表すものとしては,西暦前113年に「元鼎」と号したのが最初とされる」ともされています(井田95頁・注(22))。なお,藤田至善「史記漢書の一考察―漢代年号制定の時期に就いて―」(東洋史研究15号(1936年)420-433頁)によれば,漢の武帝の五元の三年(西暦紀元前114年にほぼ対応します。)に有司から,元は宜しく天瑞を以て命ずべし,一二を以て数へるは宜しからず,一元を建と曰ひ,二元は長星を以て光と曰ひ,ママ一角獣史記封禅というがあって,(年号制定である。」というったそう420-421頁,426頁)。五元の年号である元鼎は,五元の四年(西暦紀元前113年にほぼ対応します。)に宝鼎が得られたことから追称されたものであって,改元と年号の制定とが初めて同時に行われたのは元封元年のことであった(漢書武帝紀・元封元年の条に「詔曰,其以十月為元封元年」,郊祀志上に「下詔改元為元封」とあるそうです。)とされています(藤田432頁註⑥)。

 

(3)国民元号

ところで,現在の元号法に基づく元号は「天皇在位ノ称号」とはいえないのでしょう。

元号と皇位の継承とは直ちに連動するのかという質疑に対して政府は「直接的には皇室典範4条が働く場合にいまの改元が行われるわけでございますが,ただ,おっしゃいましたように,直接皇位の継承と,観念上といいますか考え方として元号とすぐ結びつけたというものではむしろなくて,元号制度について国民が持っているイメージ,それはやはり日本国憲法のもとにおける象徴たる天皇の御在位中に関連せしめて元号を定めていくんだという事実たる慣習を踏まえまして,このような条文の仕方にしたわけでございます。」と答弁しています(真田秀夫政府委員(内閣法制局長官)・第87回国会衆議院内閣委員会議録第514頁)。国民の持っているイメージに従っただけであって政府自身の考え方は無い,そもそも,「元号は,国民の日常生活におきまして,長年使用されて広く国民の間に定着しており,かつ,大多数の国民がその存続を望んでおるもの」であるところ「また,現在46都道府県,千を超える市町村が法制化の決議を行い,その速やかな法制化を望んでおります」から「政府としては,こういう事実を尊重いたしまして,元号制度を明確で安定したものとするため,元号法案を提出」した(大平正芳内閣総理大臣・第87回国会衆議院会議録第154頁)だけなのだ,「深いイデオロギー的なものではな」いのだ(大平内閣総理大臣・同会議録9頁)ということでしょう。

また,ここで皇位継承と元号との結び付きを仲介するものとされる「元号制度について国民が持っているイメージ」は更に,精確には,改元の時期についてかかるものなのでしょう。「その元号をどういう場合に改める,つまり改元をするかという点につきましては,これは申し上げるまでもなく,旧憲法の時代に戻るというのではなくて,現在,日本の国民の多くの方々が持っていらっしゃる元号についてのイメージ,それは天皇の御在位中に一世一代の元号を用いるのだというイメージがあるわけなんで,それを忠実に制度化するというのが本意でございまして,無論,天皇の性格が旧憲法と現在の憲法との間において非常な違いがあるということは百も承知でございまして,それと混同するようなつもりは毛頭ございません。」という答弁もあります(真田秀夫政府委員・第87回国会衆議院内閣委員会議録第511-12頁)。

改元という区切りを重視した結果,「年号法」とはならず元号法となったのでしょう。「本来的には,年号といい元号といい,