Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

カテゴリ: その他の法律

 先般筆者の母方の祖父の十七回忌法要があり,親戚が集まったところで当該故人及びその父(すなわち筆者の母方の曽祖父)の残した書き物が印刷物とされて一同に配付されました。これがなかなか興味深い。

 曽祖父の「由緒」書きにおけるその兵役に関する記録中最初の部分は次のとおり。中国地方の山中から広島の第五師団に騎兵として入営して約半年で直ちに半島に出動,日清戦争前夜からその終結まで,我が大日本帝国陸軍の主要な軍事行動の現場にあってその当事者であり続けたのでした。

 曽祖父・祖父の記録癖に付加せらるるところの筆者の悪癖は考証癖でありますが,いささか註釈を施してみる次第です。今回は,最初の1行の部分です。

 

明治26年〔1893年〕11月1日徴兵ニ合格シテ騎兵第五大隊第一中隊ヘ入営セリ〔今回はここまで〕

明治27年〔1894年〕6月朝鮮国ニ東学党蜂起シ韓国居留民保護ノ目的ヲ以ツテ(どう)年6月11日混成旅団ヲ編成セラ(ママ)大島義昌少将ヲ旅団長トシ平城盛次少尉ヲ小隊長トシ選抜セラレテ山城丸ニ乗舶シ宇品港出帆玄海灘ヲ経テ仁川ニ向フ此ノ日山陽鉄道広島駅()()開通ノ日ナリ

明治27年8月1日ヲ以ツテ宣戦布告セラレ日清開戦トナル

仝7月23日京城ノ変ニ出張爾来成歓ニ牙山ニ平壌義洲鴨緑江鳳凰城塞馬集崔家房礬家台竜頭塞興隆勾瀇嶺海城牛荘田庄台ト転戦ス

明治27年9月15日大本営ヲ広島旧城エ進メ給ヘリ

明治28年〔1895年〕6月5日講和トナリ凱旋

仝年1112日日清戦役ノ功ニ依リ瑞宝章勲八等及び金50円幷ニ従軍徽章下賜セラル

明治29年〔1896年〕1130日善行証書ヲ授与セラレ満期除隊トナル

 

1 1893年の徴兵に関する状況

 

(1)明治22年徴兵令

1893年当時施行されていた兵役法令は,明治22年法律第1号(1889121日裁可,同月22日官報で公布)の「徴兵令」を頂点とするものでした。ところで,同令の下で「徴兵ニ合格」するとはどういうことかといえば,そもそも「日本帝国臣民ニシテ満17歳ヨリ満40歳迄ノ男子ハ総テ兵役ニ服スルノ義務アルモノトス」ることが原則とされていたところ(同令1条),「陸軍現役兵ハ毎年所要ノ人員ニ応シ壮丁ノ身材芸能職業ニ従ヒ歩兵騎兵砲兵工兵輜重兵職工及雑卒ニ区別シ抽籤ノ法ニ依リ当籤ノ者ヲ以テ之ニ充ツ」ということでしたから(同令8条1項),通常は,むしろ「合格」というよりは「当籤」といったほうが法令用語としては正しかったように思われます。

「合格」又は「不合格」の概念は,徴兵検査規則(明治25年陸軍省令第3号)に出てきます。同規則1条は「徴兵検査ハ徴兵令ニ拠リ兵役ニ服スヘキモノ体格ヲ検査シ其適否ヲ定ムルモノトス/此検査ハ学術上諸種ノ方法ヲ施スコトヲ得」と規定し,第2条1項に「不合格」となるべき「疾病畸形」を23号にわたって掲げ(ただし,同条2項は「前項ノ疾病畸形中軽症ニシテ服役シ得ヘキモノハ合格トシ爾余ノ疾病畸形ト雖モ服役シ得ヘカラサルモノハ不合格トス」と規定),第3条において甲種(身長5尺以上にして身体強健なるもの),乙種(身長5尺以上にして身体甲種に()ぐもの),丙種(身長5尺以上にして身体乙種に亜ぐもの及び身長5尺未満4尺8寸以上にして丁種戊種に当らざるもの),丁種(第2条に当るもの及び身長4尺8寸に満たざるもの)及び戊種明治22年徴兵令第18条第1項(体格完全且強壮なるも身幹未だ定尺に満たざる者)第2項(疾病中又は病後にして労役に堪へざる者)に当るもの)を定義した上で,第4条において「第3条ノ甲種乙種丙種ヲ合格トシ其甲種乙種ハ現役ニ徴スヘキモノ丙種ハ国民兵役ニ置クモノトシ丁種ヲ不合格戊種ヲ徴集延期トス」と規定していました。

丙種合格者が置かれる国民兵役とは「国民兵役ハ満17歳ヨリ満40歳迄ノ者ニシテ常備兵役及後備兵役ニ在ラサル者之ニ服ス」ものと規定されており(明治22年徴兵令5条),具体的には「国民兵ハ戦時若クハ事変ニ際シ後備兵ヲ召集シ仍ホ兵員ヲ要スルトキニ限リ之ヲ召集ス」るものにすぎませんでした(同令16条)。これでも徴兵検査に「合格」というのはややおこがましい。

現役は「満20歳ニ至リタル者之ニ服」するものでした(明治22年徴兵令3条2項)。徴兵検査との関係での「満20歳」の意味は,「毎年1月ヨリ12月迄ニ満20歳ト為ル者ハ其年ノ1月1日ヨリ同月31日迄ニ書面ヲ以テ戸主ニ非サル者ハ其戸主ヨリ本籍ノ市町村長ニ届出可シ」とあって(同令25条本文),それを承けて「町村長ハ毎年徴兵令第25条ノ届書ヲ戸籍簿ニ照較シ壮丁名簿ヲ作リ2月15日迄ニ島司又ハ郡長ニ差出シ島司郡長ハ点検ノ後之ヲ1徴募区ニ取纏メ前年仮決ノ諸名簿ト共ニ大隊区徴兵署又ハ警備隊区徴兵署ニ提出ス可シ/市長ハ前項ノ例ニ依リ壮丁名簿ヲ作リ前年仮決ノ諸名簿ト共ニ大隊区徴兵署ニ提出ス可シ」(徴兵事務条例(明治22年勅令第13号。明治25年勅令第33号で一部改正)23条)ということになって,その年(満20歳になる年)の徴兵検査及び抽籤を受けることとなるというものでした。

 明治22年徴兵事務条例26条1項は,徴兵検査について,「兵役ノ適否ヲ定ムル為メ大隊区徴兵署又ハ警備隊区徴兵署及検査所ニ於テ壮丁ノ身体検査ヲ行フ其検査ハ徴兵官及徴兵参事員ノ面前ニ於テスルモノトス」と規定していました。「大隊区徴兵署警備隊区徴兵署及徴兵検査所ハ島司郡市長ニ於テ適当ノ家屋ヲ選定シ大隊区司令官又ハ警備隊司令官到著ノ上之ヲ開設ス可シ」とされていました(徴兵事務条例施行細則(明治22年陸軍省令第1号)4条1項)。

 明治22年徴兵令8条の「抽籤ノ法」については,明治22年徴兵事務条例34条1項及び2項に「身体検査ニ合格シ現役ニ徴スヘキ壮丁ハ徴集順序ヲ定ムル為メ徴募区毎ニ体格ノ等位及兵種ヲ分チ旅管徴兵署ニ於テ抽籤ヲ行フ」及び「抽籤ハ旅管徴兵官旅管徴兵参事員及大隊区徴兵官又ハ警備隊区徴兵官ノ面前ニ於テ抽籤総代人之ヲ為スモノトス」と規定されていました。徴募区については,「徴募区ハ1郡又ハ1市ヲ以テ1区ト為ス」のが原則でした(同条例3条1項)。旅管徴兵署とはどこかといえば,「毎年徴募事務執行ノトキハ旅管内府県毎ニ旅管徴兵署ヲ設ク」るものとされていました(同条例32条)。抽籤総代人については「身体検査終ルノ後大隊区徴兵官又ハ警備隊区徴兵官ハ合格者ヲシテ抽籤総代人ヲ選ハシメ其人名ヲ旅管徴兵官ニ報告スヘシ」とされていました(明治22年徴兵事務条例施行細則9条。明治22年徴兵事務条例34条3項は「抽籤総代人ハ籤丁ノ選ヲ以テ徴募区毎ニ2名若クハ3名ヲ出スモノトス」と規定していました。)。

 

(2)1893年の徴兵状況

 ここで,1893年に行われた徴兵の状況を計数的に見てみようとすると,陸軍省大臣官房副官部編纂の『陸軍省第7回統計年報』(189411月)という便利なものがあります。

 1893年の我が国における20歳の壮丁の総員は384536人であったところ,①現役として当籤した者は1万9040人で,その4.95パーセントということになりました95頁)。その外に②志願者が769(この「志願者」は,明治22年徴兵事務条例施行細則8条に「身体検査ノ際現役ニ服センコトヲ志願スル者アルトキハ大隊区徴兵官ハ本人ノ身元ヲ調査シ其景況書ヲ添ヘ旅管徴兵官ニ具申ス可シ/其志願者ハ体格甲種ニシテ身元確実ト認ムル者ハ旅管徴兵官ニ於テ之ヲ許可スルコトヲ得」と規定されていたもので,「甲種合格者ニシテ抽籤ノ者」より先に現役兵に編入されました(同細則23条)。これらの者にとっては,現役兵編入は「当籤」ではなく「合格」ということになります。他方,同年報100102頁の「現役兵志願者人員」の表の「現役兵志願者」は,明治22年徴兵令10条(満17歳以上20歳未満の現役兵志願者)及び11条(一年志願兵志願者)に係る現役の志願者であって,また別のカテゴリーでした。)及び③明治22年徴兵令28条によって徴集された者が11人ありましたから,20歳の壮丁中現役として徴集された者は①から③までの合計1万9820人で,全体の5.15パーセントということになります95頁)。3年の現役に服することがなければ予備役に服することはなく(明治22年徴兵令3条2項参照),更に後備兵役にも服することはなくなりますから(同令4条参照),結局日本男児20人中約19人はせいぜい国民兵役に服するのみで(同令5条),兵士となることは実質的にはなかったということになります(同令16条)。

 なお,上記明治22年徴兵令28条は「兵役ヲ免レンカ為メ身体ヲ毀傷シ疾病ヲ作為シ其他詐偽ノ所為ヲ用ヒ又ハ逃亡若クハ潜匿シタル者又ハ正当ノ事故ナク身体ノ検査ヲ受ケサル者ハ抽籤ノ法ニ依ラスシテ之ヲ徴集ス」ると規定していましたので(甲種合格者及び乙種合格者のそれぞれにつき最優先で現役兵に編入(明治22年徴兵事務条例施行細則23条)),同条に基づき徴集された兵士らは,いじめられるしか外にすることはなさそうです。ちなみに,1893年中の陸軍内での自殺者数は35人で,兵員千人につき0.64人ということになっていました182頁)。また,同年中に神経系病を発した者は826164頁),陸軍刑法の逃亡罪による行刑者数は555人でした198頁)

 1893年の徴兵検査の前の段階において,同年の20歳の壮丁中6101人は,「逃亡失踪」しています96頁)。全体の1.59パーセント。

 逃亡失踪するようなあからさまな非国民でなくとも,我が日本男児は,実は相当非軍国的なのです。1893年の徴兵手続において,20歳の壮丁中,身長が5尺に足らず徴集延期となった者(明治22年徴兵令18条第1)が153人,疾病で徴集延期となった者(同条第2)が1557人(この両者は徴兵検査では戊種ということになります。),身長4尺8寸未満又は癈疾不具ということで兵役が免ぜられた者(同令17条)が2万9352人(徴兵検査不合格の丁種),「身体検査上徴集ニ適セサル者」が101110人(徴兵検査での丙種でしょう。)であって,その合計132171人は20歳の壮丁全体の34.37パーセントに達します96頁)。分母から逃亡失踪者等を除けばその比率はもう少し高いはずです。みやびやかなる我が大和民族は,少なくとも20歳の男性の3分の1は身体的に兵士たり得ぬ民族なのですな。これに加えるに,『陸軍省第7回統計年報』を見ると,「身体検査上徴集ニ適セサル者」の外に「選兵上徴集ニ適セサル者」とのカテゴリーが徴集を免ぜられる者の諸カテゴリー中に更にあって,これは同年報の対象である1893年には,20歳の壮丁について122050人に上っていました96頁)

 中国四国地方を管轄する第五師管から1893年に騎兵現役兵に徴集された20歳の壮丁は101人(うち12人は近衛師団へ),その外21歳以上の壮丁からは8人(うち3人は近衛師団へ)が徴集されています9899頁)。騎兵は,「成ル可ク馬匹ノ使用ニ慣レ体格ハ軽捷ニシテ筋肉肥満ニ過キサル者」が選ばれています(明治22年徴兵事務条例施行細則11条1項2号)。

 

(3)入営期日

 「現役年期ノ計算ハ総テ其入営スル年ノ12月1日ヨリ起算」するものとされていたところ(明治22年徴兵令29条),明治22年徴兵事務条例47条1項は「新兵入営期日ハ毎年12月1日トス但疾病犯罪其他ノ事故ニ由リ12月1日ニ入営シ難キ者ハ同月31日迄ニ入営セシム」と規定していましたから,筆者の曽祖父による「明治2611月1日・・・騎兵第五大隊第一中隊ヘ入営セリ」との記載は,本来「明治2612月1日・・・騎兵第五大隊第一中隊ヘ入営セリ」とあるべきものの誤記でしょう。

 

2 騎兵第五大隊の幹部

 

(1)野津師団長,木村大隊長及び豊辺・吉良両中隊長

 189312月1日現在の騎兵第五大隊関係の幹部人事はいかんというに,1893年7月1日調べ及び1894年7月1日調べの陸軍現役将校同相当官実役定年名簿を併せ見て検討するに,所属の第五師団(広島)の師団長閣下は子爵野津道貫中将(1894年7月1日で年齢52年9箇月),大隊長は兵庫県士族従六位勲六等の木村重騎兵少佐(1894年7月1日で年齢41年5箇月),大隊の二つの中隊のうち,一方の中隊長は奈良県平民正七位の吉良秀識騎兵大尉(1894年7月1日で年齢37年1箇月。189211月1日任官)であったことは,その間に異動がなく,はっきりしています。これに対して,もう一方の中隊長は,佐賀県士族従六位勲五等の梅崎信量騎兵大尉が留任していたのか,新潟県士族正七位豊辺新作騎兵大尉(1894年7月1日で年齢32年3箇月。18901110日任官)に既に交代していたのかが若干問題となります。しかしながら,梅崎大尉は1893年7月19日に騎兵少佐に任官していますから昇進後も中隊長を続けられるものではなく,これは豊辺大尉です。1894年1月1日調査の印刷局の職員録を見ると,豊辺大尉が騎兵第五大隊の中隊長として,吉良大尉の上席となる右側に記載されています。

 

(2)第一中隊長豊辺新作大尉

 1894年6月に半島に出動した筆者の曽祖父が所属した騎兵第五大隊第一中隊の中隊長は豊辺大尉及び吉良大尉のうちいずれかといえば,豊辺大尉であったということになります(外山操=森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧第1巻』(芙蓉書房・1993年)171頁参照)。豊辺大尉は同年7月2617時に漢城の南方にある素沙場において騎兵中隊の戦闘詳報を作成しており当時既に半島に出動していたことは明らかですが(当該戦闘詳報はアジア歴史資料センターのウェブ・ページにあります。),吉良大尉は同年9月10日においてまだ広島にいたところです。すなわち,アジア歴史資料センターのウェブ・ページにある両大尉の「結婚願之件」書類(陸軍省受領番号は豊辺大尉につき肆第902号,吉良大尉につき肆第1061号)を見てみると,豊辺大尉の結婚願は同年7月18日に作成され野津第五師団長を経て大山巌陸軍大臣に提出されていますが,同年9月10日に作成された吉良大尉の結婚願は山沢静吾留守第五師団長事務取扱を通じて陸軍大臣に提出されています。「留守第五師団」であって,「第五師団」ではありません。

 豊辺新作の人物については,自ら書いた『万朝報』の連載月旦記事をまとめた燧洋高橋鉄太郎の『当面の人物フースヒー』(フースヒー社・1913年)に次のようにあります。表題は,「第二の乃木将軍豊辺新作」。

 

   帝国陸軍に於て騎兵科の模範戦将と唄はれて()る騎兵四旅団長豊辺新作を評論する,彼は一見婦人の如き柔和温厚の極て(やさし)い将軍で,(おほき)い声で物もいはねば,虫も殺さぬ様な風だが,一度戦場に臨むと勇猛豪胆,鬼神の如き勢で奮戦する勇将で,乃木将軍を猶少しく地味にした様な(いは)沈勇の人だ

   彼の沈勇気胆が陸軍部内に認識されて騎兵科中の模範将軍と唄はる様になつたのは日清戦争以来のことで,(その)以前は彼は無能平凡の一軍人として無視されて()た,元来日本は蕞爾たる島国(たうこく)で,馬術といふものは一向発達せず,奥州野辺地馬なども亜刺比(あらび)()(たね)には追附(おつつか)ぬので封建時代から馬に(のつ)た兵隊といふのは土佐と紀州にあつたのみだから騎兵の進歩は(おほい)に遅れた,彼は(この)幼稚の時代の騎兵科の青年将校として当時騎兵科の総大将たる大蔵平三などに聯盟反抗を企てたので,()られる所を日清戦争に従軍して偉勲を(たて)たので初めて威名を博した,彼は越後長岡の藩士で郷党勇武の感化がある,長岡は河合蒼龍窟〔河井継之助〕の出たけに越後式ではない,彼は長岡武士の面目を辱めないものだ

   人に全きを求むるは素より酷だが,彼は温情沈勇は即ち余りあるが,惜むらくは彼には行政的才幹手腕がない,秋山好古(かうこ)が先輩中将でありながら()だ師団長にもなれないのは,一は騎兵監の後任に人物が無い為で,順番からいへば()()だが他の特科兵監に対し樽俎折衝に適しない,さらばとて本多道純では徳望が(たら)(こまつ)たものだが,軍人は戦争(いくさ)にさへ強ければ()いから,彼の如きも第二の乃木将軍として天分を尽すべきだ179181頁)

 

 筆者の曽祖父も自分の中隊長殿を見て,「おとなしい,優しい人だな。軍人といっても怖い人ばかりじゃないんだな。けれどあまりパッとしないから,大丈夫かなぁ。」などと思ったものでしょうか。

 豊辺新作は,司馬遼太郎の『坂の上の雲』において日露戦争黒溝台会戦の場面で登場します。

 

脱線その1:夏目金之助青年の兵役回避策

 明治二十年代の徴兵事情を検討していると,漱石夏目金之助が1892年(明治25年)4月に北海道後志国岩内に本籍を移したという有名な挿話をつい思い出してしまったところです。当該転籍の理由は,兵役回避のためだとされています。当該挿話をめぐる兵役法令関係を少々検討してみましょう。(なお,慶応三年(1867年)生まれの漱石の満年齢は明治の年と一致するので,この部分は元号優先で記述します。)

 明治20年に適用されていた兵役法令は,明治16年太政官布告第46号「徴兵令」(明治19年勅令第73号で一部改正)を頂点とするものでした。明治16年徴兵令3条は「常備兵役ハ別チテ現役及ヒ予備役トス其現役ハ3個年ニシテ年齢満20歳ニ至リタル者之ニ服シ其予備役ハ4個年ニシテ現役ヲ終リタル者之ニ服ス」と規定し,同令8条1項は「陸軍現役兵ハ毎年所要ノ人員ニ応シ壮丁ノ身材芸能職業ニ従ヒ歩兵騎兵砲兵工兵輜重兵及ヒ雑卒職工ニ区別シ抽籤ノ法ニ依リ当籤ノ者ヲ以テ之ニ充ツ」と規定していましたが,明治20年に第一高等中学校予科在学中であった塩原金之助(塩原家に養子に出されていた金之助青年が夏目家に復籍するのは明治21年1月)のためには,明治16年徴兵令19条の「官立府県立学校小学校ヲ除ク及ヒ文部大臣ニ於テ認タル之ト同等ノ学校ニ於テ修業1個年以上ノ課程ヲ卒リタル生徒ハ6個年以内徴集ヲ猶予ス」との規定が働いていました(いまだ同令18条第3項の「官立大学校及ヒ之ニ準スル官立学校本科生徒」として「其事故ノ存スル間徴集ヲ猶予ス」ということにはならなかったはずです。)。明治16年徴兵令19条については「課程を終りたる生徒とある上は数年前入学しあるも落第せるものは或ハ1箇年に足らざるものもあるべく又入学の時上級に入れば1箇年に満たずとも猶予を受くるを得べきなり」と説かれていました(今村長善『徴兵令詳解(増補再版)』(1889年)46頁)。塩原金之助青年は,明治19年7月には進学試験を受けられずに留年してしまいましたが,明治17年に第一高等中学校予科(当時は東京大学予備門予科)に入学していたところです。

 明治21年9月に夏目金之助青年は第一高等中学校本科第一部(文科)に進学しましたが,第一高等中学校本科在学中に明治16年徴兵令が明治22年徴兵令に代わります。経過措置規定として明治22年徴兵令41条は「旧令第18条第3項若クハ第19条ニ依リ徴集猶予ニ属シ在校ノ者ハ其事故6箇年以内ニ止ミタルトキ又ハ6箇年ヲ過クルモ仍ホ止マサルトキハ抽籤ノ法ニ依リ徴集ス但一年志願兵ヲ志願スルコトヲ得」と規定していました。

 夏目青年は明治23年9月に帝国大学文科大学英文学科に入学し,その後明治26年7月には帝国大学大学院に入ったので,明治16年徴兵令「19条ニ依リ徴集猶予ニ属シ在校ノ者」という状態は続いていたのですが,「6箇年ヲ過クルモ仍ホ止マサルトキ」の期限が迫って来ました。1箇年徴集猶予ならば明治21年に徴兵検査を受けなければならなかったのでしょうから,そう考えると,6箇年の猶予を得ても明治26年(1893年)の徴兵検査を筆者の曽祖父同様に受けなければならないことになります。明治25年中に何かをせねばならない。(なお,実は明治26年法律第4号(同年3月3日公布)によって,明治22年徴兵令41条の「6箇年」は「8箇年」に延長されたところではありました。)

 そこで明治22年徴兵令についていろいろ調べたところ,同令33条が発見されたものでしょう。同条は「本令ハ北海道ニ於テ函館江差福山ヲ除クノ外及沖縄県並東京府管下小笠原島ニハ当分之ヲ施行セス」としていました。

 ということで,明治25年4月段階における漱石の北海道後志国岩内への転籍ということになったのでしょうか,どうでしょうか。なお,明治22年徴兵令31条は「兵役ヲ免レンカ為メ逃亡シ又ハ潜匿シ若クハ身体ヲ毀傷シ疾病ヲ作為シ其他詐偽ノ所為ヲ用ヒタル者ハ1月以上1年以下ノ重禁錮ニ処シ3円以上30円以下ノ罰金ヲ附加ス」と規定していたところ,「民刑局長明30年甲第124号回答に依れば「徴兵を免れんが為の目的を以て虚偽の転籍を為したる事実あるに於ては徴兵令第31条の犯罪を構成す」と判示して居る」とのことで(日高巳雄『軍事法規』(日本評論社・1938年)39頁),漱石先生は少なくとも李下の冠的な危険なことをしてしまったことにはなります。

DSCF0888

「吾輩は北海道平民である。名前は既に夏目金之助である。」(東京都新宿区早稲田南町漱石公園)


 その後明治22年徴兵令33条は,明治28年法律第15号によって明治28年4月1日から「本令ハ北海道ニ於テ函館江差福山ノ外及沖縄県並東京府管下小笠原島ニハ漸ヲ以テ施行ス其時期区域及特ニ徴集ヲ免除シ若クハ猶予ス可キモノハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム」に改められました。当該勅令たる明治28年勅令第126号の第1条は「明治29年1月1日ヨリ北海道渡島,後志,胆振,石狩ノ4箇国ニ徴兵令ヲ施行ス」と規定していましたので,漱石はヒヤリとしたかもしれません。しかしながら,同勅令においては特段難しい経過措置規定は無かったので,結局明治9年以後に生まれた大日本帝国臣民男子にのみ関係があるものということでよかったのでしょう。現に明治31年1月発行の『陸軍省第10回統計年報』を見ると,北海道を管轄する第七師管における明治29年の20歳の壮丁は4409人であって前年の798人から大幅に増加している一方,明治29年の21歳以上の壮丁は535人にすぎません(109頁。明治28年の第七師管における21歳以上の壮丁の数は『陸軍省第10回統計年報』では417人と読めますが109頁),明治30年3月発行の『陸軍省第9回統計年報』では447人となっています49頁)。)。函館,江差及び福山以外の渡島,後志,胆振及び石狩に本籍を有するところの明治29年に21歳から40歳までになる日本男児までもが,同年からの徴兵令の施行に伴いどっと徴兵検査を受けなくてはならなくなった(したがって,徴兵令施行の最初の年である同年には20歳の壮丁よりも21歳以上の壮丁の方が何倍もの大きい人数になる。),ということはなかったわけです。

なお,明治30年勅令第257号により,明治31年1月1日から天塩,北見,日高,十勝,釧路,根室及び千島の7箇国にまで北海道における徴兵令の施行が拡大されました。また,明治22年徴兵令33条自体は,大正7年法律第24号によって191912月1日から削られています。

脱線その2:昭和18年法律第4号の経過措置規定並びに1944年及び1945年における朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者の徴兵状況

 

(1)昭和18年法律第4号の経過措置規定

 

ア 昭和18年法律第4号

 北海道内における明治22年徴兵令の施行拡大に係る明治28年勅令第126号及び明治30年勅令第257号におけるものとは異なり,朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者に対して兵役法(昭和2年法律第47号。明治22年徴兵令を全部改正したもの)の適用を拡大する昭和18年法律第4号の経過措置規定は読みごたえのあるものです。

 1943年3月1日裁可,同月2日公布の昭和18年法律第4号によって,1943年8月1日から(同法附則1項),朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者も兵役法9条2項に基づき第二国民兵役に服し,同法23条1項に基づき徴兵検査を受けることになりました1943年1月30日の貴族院兵役法中改正法律案特別委員会における木村兵太郎政府委員(陸軍次官)の法案趣旨説明(第81回帝国議会貴族院兵役法中改正法律案特別委員会議事速記録第1号1頁)及び同年2月17日の衆議院兵役法中改正法律案外三件委員会における同政府委員の法案趣旨説明(第81回帝国議会衆議院兵役法中改正法律案外三件委員会議録(筆記速記)第2回3頁)参照)

 

イ 昭和18年法律第4号附則2項及び3項

昭和18年法律第4号はその附則の第2項及び第3項において次のような経過措置規定を設けています。

 

  第9条第2項及第23条第1項の改正規定ハ本法施行ノ際徴兵適齢ヲ過ギ居ル者及徴兵適齢ノ者ニシテ其ノ際現ニ朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クルモノ又ハ本法施行後其ノ適用ヲ受クルニ至リタルモノ(第3条ノ規定ニ該当スル者ヲ除ク)ニ之ヲ適用セズ

  前項ノ規定ニ該当スル者ニ付テハ第52条第1項ノ改正規定ニ拘ラズ従前ノ例ニ依ル

 

 どう読んだものやら,難しい。

 

(ア)昭和18年法律第4号附則2項前段

まず附則2項前段ですが,これは「本法施行ノ際」である1943年8月1日に「徴兵適齢ヲ過ギ居ル者」又は「徴兵適齢ノ者」であって同日午前零時に「現ニ朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クルモノ」については,徴兵検査はしないし(兵役法23条1項改正規定の不適用),第二国民兵ともしない(同法9条2項改正規定の不適用),ということのようです。

 

なお,附則2項における「者」と「モノ」との使い分けですが,「者」は「法令上,自然人,法人を通じ,法律上の人格を有するものを指称する場合に用いる」ところ(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)650頁),同項での「者」は自然人を指称しているものであり,「もの」は「あるものに更に要件を重ねて限定する場合(この場合には,外国語における関係代名詞に相当する用法となる。)」に用いられるところ(前田650頁),同項での「モノ」はその前の「者」に更に要件を重ねて限定しているものと読み解くべきでしょう。

また,「徴兵適齢」(兵役法23条2項)の概念も難しいのですが,「陸軍省軍務局・陸軍大学教官歩兵中佐」の肩書の中井良太郎による『兵役法綱要 附徴発法大要』(松華堂書店・1928年)によると,「前年ノ12月1日ヨリ其ノ年1130日迄ノ間ニ於テ年齢20年ニ達スル年ヲ徴兵適齢ト称ス」85頁)ということになっています。兵役法23条は当時「戸籍法ノ適用ヲ受クル者ニシテ前年12月1日ヨリ其ノ年1130日迄ノ間ニ於テ年齢20年ニ達スル者ハ本法中別段ノ規定アルモノヲ除クノ外徴兵検査ヲ受クルコトヲ要ス/前項ニ規定スル年齢ハ之ヲ徴兵適齢ト称ス」と規定していました。

 

そもそも昭和18年法律第4号の施行日が1943年8月1日とされたことについては,「本法ハ協賛ヲ得マスレバ,一日モ速カニ施行致シマシテ,2千4百万ノ朝鮮同胞ト,其ノ慶ビヲ共ニ致シタイト存ズルノデアリマスガ,7月31日迄ハ本年ノ徴兵検査ガ実施セラレマスノデ,其ノ以前ニ施行セラレマスルト,現役志願ノ者ガ徴兵検査ヲ受検スルコトトナリ,諸般ノ徴集準備ノ円滑ヲ害シマスノデ,其ノ終了ノ後,即チ昭和18年8月1日ト致シタイト存ズルノデアリマス」と木村兵太郎政府委員から説明がありました(第81回帝国議会貴族院兵役法中改正法律案特別委員会議事速記録第1号1頁。また第81回帝国議会衆議院兵役法中改正法律案外三件委員会議録(筆記速記)第2回3‐4頁)。したがって,朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者に係る最初の徴兵検査は1944年に行われました。昭和18年法律第4号の法案に係る貴衆両議院の本会議における趣旨弁明の段階で既に「昭和19年ヨリ朝鮮同胞ヲ徴集」するものと明言されていたところです1943年1月29日貴族院本会議における木村政府委員弁明(第81回帝国議会貴族院議事速記録第3号40頁)及び同年2月12日衆議院本会議における東条英機国務大臣(陸軍大臣)弁明(第81回帝国議会衆議院議事速記録第10213頁))

附則2項前段は,要するに,「本法施行ノ際,朝鮮同胞ノ中デ徴兵適齢ヲ過ギテ居ル者,及ビ本年ノ徴兵適齢者ニ付キマシテハ,志願ニ依リマシテ兵籍ニ入ッテ居リマス者ヲ除キ,其ノ他ハ依然従来通リ兵役ニ服セシメナイコトト致シタイト存ズルノデアリマス」ということでした(第81回帝国議会貴族院兵役法中改正法律案特別委員会議事速記録第1号1頁及びた第81回帝国議会衆議院兵役法中改正法律案外三件委員会議録(筆記速記)第2回4頁(木村政府委員))

 

(イ)昭和18年法律第4号附則2項後段

附則2項後段は,1943年8月1日に「徴兵適齢ヲ過ギ居ル者」又は「徴兵適齢ノ者」であって,同日以後に「朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クルニ至リタルモノ」についての規定です。(なお,兵役法3条は「志願ニ依リ兵籍ニ編入セラルル者」に関する規定です。)1943年8月1日に「徴兵適齢ヲ過ギ居ル者」又は「徴兵適齢ノ者」である台湾人が,同日以降に朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者になっても今更兵役を課さないということでしょう(大日本帝国の臣民男子ではあっても,台湾人にはいまだ兵役義務はありませんでした。)。(ちなみに,兵役法52条2項は「徴兵適齢ヲ過ギ帝国ノ国籍ヲ取得シ又ハ回復シタル者」に対しては「徴集ヲ免除ス」る旨規定していました。)

戸籍法の適用を受ける内地人であって1943年8月1日に「徴兵適齢ヲ過ギ居ル者」又は「徴兵適齢ノ者」であり,同日以後に「朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クルニ至リタルモノ」についてはどうかといえば, 1943年8月1日から共通法(大正7年法律第39号)3条3項を「戸籍法ノ適用ヲ受クル者ハ兵役ニ服スル義務ナキニ至リタル者ニ非サレハ他ノ地域ノ家ニ入ルコトヲ得ス」から「戸籍法又ハ朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クル者ハ兵役ニ服スル義務ナキニ至リタル者ニ非サレハ内地及朝鮮以外ノ地域ノ家ニ入ルコトヲ得ス」へと改正する昭和18年法律第5号の附則2項に「本法施行ノ際〔同法附則1項により同法は兵役法の一部改正に係る昭和18年法律第4号と同時に施行〕徴兵適齢ヲ過ギ居ル者及徴兵適齢ノ者ニシテ其ノ際現ニ戸籍法ノ適用ヲ受クルモノ又ハ本法施行後其ノ適用ヲ受クルニ至リタルモノニ付テハ〔共通法〕第3条第3項ノ改正規定ニ拘ラズ仍従前ノ例ニ依ル」とありましたので,そもそも兵役義務がなくなるまでは改正前共通法3条3項の例により朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者になる(朝鮮ノ家ニ入ル)ことは法律上不能なのであって,心配には及ばぬよう手当てされていたのでした。すなわち,昭和18年法律第5号の附則2項によって「尚内地人で〔1943年8月1日に〕徴兵適齢ガ過ギテ居ル者,及ビ徴兵適齢ノ者ハ,既ニ兵役ノ義務ヲ荷ッテ居リマスガ,朝鮮デハ〔昭和18年法律第4号附則2項後段により〕兵役ノ義務ガアリマセヌノデ,朝鮮同胞ノ家ニ入ルノハ兵役ノ義務ヲ終ッタ後ニ限定セムトスルモノデアリアス」ということでした(第81回帝国議会貴族院兵役法中改正法律案特別委員会議事速記録第1号1頁(木村政府委員)。また,第81回帝国議会衆議院兵役法中改正法律案外三件委員会議録(筆記速記)第2回4頁(同政府委員))

 

(ウ)昭和18年法律第4号附則3項

附則3項は兵役法52条1項の改正規定(「戸籍法及朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受ケザル者ニシテ徴兵適齢ヲ過ギ戸籍法又ハ朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クル者ノ家ニ入リタルモノニ対シテハ徴集ヲ免除ス」)を適用しないで「従前ノ例ニ依ル」ということのようです(なお,改正前の兵役法52条1項は「戸籍法ノ適用ヲ受ケザル者ニシテ徴兵適齢ヲ過ギ戸籍法ノ適用ヲ受クル者ノ家ニ入リタル者ニ対シテハ徴集ヲ免除ス」と規定していました。)。台湾人(「戸籍法及朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受ケザル者」としては「台湾人」が考えられていたことについては,1943年2月18日の帝国議会衆議院兵役法中改正法律案外三件委員会における那須義雄政府委員の答弁を参照(第81回帝国議会衆議院兵役法中改正法律案外三件委員会議録(筆記速記)第3回23頁))について「従前ノ例」を考えると,徴兵適齢を過ぎて朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける家に入っても,「徴集ヲ免除」してもらう必要はそもそも無く,最初から懲役検査を受ける義務も第二国民兵役に服する義務もなかったということになります。(「徴集」とは,「広義では強制的に現役又は補充兵役に就かしむべき行政作用即ち徴兵検査に出頭を命じ徴兵検査を受けしめ現役又は補充兵役に就かしむる迄の一切の作用を謂ひ,狭義では現役又は補充兵役編入を決し之を本人に通告する行為換言すると現役又は補充兵役編入の行政処分を意味」します(日高12頁)。)1943年8月1日に「徴兵適齢ヲ過ギ居ル者」又は「徴兵適齢ノ者」である台湾人については,同日以降もこのような従前ノ例ニ依ル」ということは附則2項後段から読み取られるところですが,改正後の兵役法52条1項を反対解釈すると(徴集免除とは関係のない)第二国民兵役には服することになるので,当該矛盾を排除するために昭和18年法律第4号の附則3項は設けられたのでしょう。

(2)1944年及び1945年における朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者の徴兵状況

 

ア 「朝鮮軍歴史別冊 朝鮮人志願兵・徴兵の梗概」

1944年に始められた朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者に対する我が兵役法に基づく徴兵検査,徴集及び入営に関する状況については,朝鮮軍残務整理部が残した「朝鮮軍歴史別冊 朝鮮人志願兵・徴兵の梗概」というガリ版刷り文書があり,アジア歴史資料センターのウェブ・サイトで見ることができます(なお,ここでいう「朝鮮軍」は我が帝国陸軍の朝鮮駐屯軍のことであり,外国の軍隊ではありません。)。当該「梗概」の作成者は,末尾に「元朝鮮軍徴兵主任参謀/吉田俊隈記す」と記載されています。「梗概」が作成された時期は明示されていませんが,「朝鮮軍関係資料」として「梗概」と共に合冊されている「朝鮮に於ける戦争準備」という文書の表紙には「昭和21年2月/朝鮮軍残務整理部/昭和27年2月復員課複写」と記されているところ,やはり1946年1月前後に作成されたものと考えるべきでしょうか。

以下本稿は,1944年及び1945年における朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者の徴兵状況に関し,「朝鮮軍歴史別冊 朝鮮人志願兵・徴兵の梗概」の更に梗概を紹介するものです。

 

イ 1943年の臨時特別志願兵と高橋留守第三十師団長閣下解職

早速1944年の話に入りたいのですが,その前,194310月以降の「臨時特別志願兵」騒動がちょっと見逃せないところです。「梗概」にいわく。

 

 昭和18年〔1943年〕10月朝鮮に於ては明春よりの歴史的第1回徴兵検査を目前に控え最後の準備完整に大童(おおわらわ)の時,戦局の要請に基き内地人学生に対する従来の徴集延期制度の一部改正せられ大学,高等,専門学校の法文系学生は,同年11月より臨時徴兵検査を実施せられ翌19年〔1944年〕1月より入営せしめらるる事となれり。

 本制度の実施に伴い,同じく法文系に籍を有し,内地学生と机を並べ,勉学の途にいそしめる朝鮮人学生にも同窓の内地人学生と共に相携へ祖国の急に馳せ参じ得るの臨時特別志願兵の途を開かれたり。

 

 いい話じゃないですか,ということで,「俄然朝野の視聴を集め志願慫慂,全員受検の民間運動が内鮮全体に亘り活発に展開」されたそうです。大人はいい気なものです。しかし,当事者学生にとってはなかなか煩わしい。

 

  当時内地に在りし朝鮮人学生中には父母の同意を得るに名を藉り,休学帰鮮する者多く又鮮内学生に在りては無断休学し居所を杳晦する者等相次いで出で一時は相当の混乱状態を呈せるも逐次先輩有志の説得官民の熱誠なる支援,学生自身の自覚に依り検査開始迄には在鮮学徒の約90%は志願するに至りたり。

 

後日「梗概」は自ら,「或は一部野心家の後日の社会的地位獲得の為の裏面的策動に依る強制受検等の多少ありたるは否めざる事実なりしも」と述べてはいますが,やはり,これら「約90%」の学徒は公式的には飽くまでも自発的に志願したものなのでしょう。

詮衡検査は194311月から同年12月にかけて行われ,朝鮮内での受検者総数は3366人,うち現役兵として徴集された者2735人,補充兵として徴集された者382人,不合格者249人でした(「梗概」第7表の2)。この外,朝鮮軍管外の受検で721人が現役兵として徴集されています(同)

「軍に於ては同志願兵の部隊配当を実施するに方り素質優秀なるものは鮮外部隊に充当し,多少とも強制志願と目せらるるが如き明朗性を欠くものは鮮内部隊へ充当」したそうです。「梗概」の第7表の2を見ると,朝鮮軍管内採用の現役兵たる臨時特別志願兵の入隊先を見ると朝鮮軍に423人(羅南師団127人,京城師団106人,平壌師団153人及び軍直部隊37人),内地の東部軍,中部軍及び西部軍に1279人並びに当時戦闘中であった支那派遣軍に996人となっています(同表ではこれらの合計が「2732」人であるとしていますが,筆者の電卓検算では2698人で,どうも34人分数字が合いません。)。

これでめでたしめでたしかといえば,なかなかそうは問屋が卸しません。

 

 昭和19年〔1944年〕1月平壌留守第三十師団に入営せる志願兵中(これ)()自発的に依らざりし者は入営せば必ず将校たり得るの既得権を有する如く誤信しありし者或は入営前の放逸なる生活に憧るゝ者等の不平分子は幹部候補生甲,乙決定の際甲種の詮衡率僅少(約3%)なりしに端を発し,部隊相互に(ママ)密裡に連絡し,党与して鮮外に逃亡せんと謀りしが事前に発覚し事件は大事に至らずして解決せるも時の師団長高橋中将は引責解職せらるるに至りたり。

 

 お気の毒なのは高橋留守第三十師団長閣下です。鬼畜米英撃滅以前に,隷下の自軍兵士に足元をすくわれました。しかし,「進級等自己ノ意ニ満タサル場合著シク性格上ノ缺陥ヲ暴露」すること1943年8月14日陸軍省副官からの昭和18年陸密第2848号通牒の一節(アジア歴史資料センターのウェブ・サイトで見ることができます。))は,だれにでもあることです。

 気の毒ついでにこの高橋中将はどの高橋中将なのかインターネットをいろいろ調べてみたのですが,Hiroshi Nishida氏のウェブ・サイトに,1944年4月29日に予備役から留守第三十師団長に返り咲き,1945年3月31日に召集解除となった高橋中将として,高橋多賀二の名が出ていました。岡山出身,陸軍士官学校第22期,陸軍大学校第35期だそうです。

 ウ 1944年の徴兵

 

(ア)徴兵検査

朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者に対する最初の徴兵検査の実施時期について「梗概」は,昭和「19年〔1944年〕4月より8月に亘り此の歴史的第1回徴兵検査を各兵事部主宰の下に全鮮に亘り一斉に開始せり」と述べています。(なお,兵役法施行規則(昭和2年陸軍省令第22号)103条1項は「聯隊区徴兵署ノ事務ハ毎年4月16日ヨリ7月31日迄ノ間ニ於テ之ヲ行フヲ例トス」と規定していましたが,19431224日公布,同日施行の昭和18年陸軍省令第69号の第3条が「昭和19年ニ於ケル徴兵検査ハ昭和19年4月1日ヨリ概ネ同年8月末日迄ノ間ニ実施スルモノトス」と規定していました。)

「検査は順調且成功裡に終始するを得たり」とはいえ,「珍談奇景」はやはり生じたそうで,「梗概」はそのうち4話を紹介しています。いわく。①病気で「晴の入営の能はざるは男子として不名誉此の上なきも未だ五体には愛国の熱血を存すとの意志を表示する為め机上の小刀を以て指を斬り血書せんとしたる」壮丁に対して,その場にいた徴兵署事務員は自分が斬りつけられるのかとびっくりして「格斗の末之を憲兵に引渡」した。②徴用されて労務者として内地に滞在している兄に代わってその弟が代人として受検に来たが,「(これ)本人の無智もさる事(なが)ら検査の当日には何はともあれ頭数だけ何とか揃えんとの末端邑面吏員の知識の一端を窺ひ知るを得べし」。邑は内地の町,面は村に相当します。③「徴兵検査は検査場より直ちに本人を入営せしむるものと誤解せる母親は数里の山奥より多量の餅を携え吾が愛子と最後の別れをなさんと悲壮な面持にて検査場を訪れたるものあり」。④学力調査のため片仮名平仮名を示しても「唯頭を横に振るばかり」の壮丁であったが「自己の本籍地氏名を漢字にて鮮かに書流せるを以て調査の結果書堂にて儒学を若干習ひ漢字ならお手の物と判明」して「(これ)(また)唖然」。

「本検査を機とし畏き辺におかせられては5月侍従武官尾形健一中佐を御差遣あらせられ(つぶさ)に徴兵検査の状況を視察せしめられ其の労を(ねぎらわ)せ給ひたり」と「梗概」述べるところ,宮内庁の『昭和天皇実録第九』(東京書籍・2016年)によれば,1944年6月1日に「御文庫において侍従武官尾形健一に謁を賜い,朝鮮軍及び朝鮮における民間軍需品製造工場への御差遣につき復命を受けられる。尾形は昨月2日出発,28日帰京する。」とのことでした361頁)。無論,昭和天皇の耳には前記のような「珍談奇景」の話は入っていないでしょう。

「逃亡,自傷,詐病等の犯罪を犯せる者も多少ありたるも之等は総員の僅か1%程度に過ぎざる状況なりき」だったそうです。そうであれば,逃亡失踪率1.59パーセントだった1893年の我が日本内地内の徴兵検査受検状況に比べて,真面目さにおいて勝るとも劣りません。なお,アジア歴史資料センターのウェブ・サイトで見ることのできる内務省用紙に和文タイプ打ちの194412月付け「朝鮮ノ統治事情説明」の第1の2「徴兵制実施ノ状況」によれば「半島人壮丁予定総員231424名ニ対シ受験者総数(222295名)ハ其ノ9割6分ニ達シ,不参者ハ0.06(ママ)(1万2905名)此ノ大半ハ疾病,受刑中,兵籍編入,在外延期其ノ他已ムヲ得サル事由ニ依ルモノ多ク,所在不明ノ為ノ不参加者ハ6228名(予定総員ノ0.027)ニ過キス此ノ所在不明者中ニハ徴兵制度発表以前ヨリ所在不明ノ者ガ大部分テアツテ,真ニ忌避的手段ニ出テタル者ハ極メテ少数ト判断セラレ,同様事故不参者ハ僅ニ422名テアツテ,総括的ニ見ル時順調ナル経過ヲ以テ終了シタノテアル」ということでした。

また,「梗概」によれば,「検査の結果甲種は30%国語理解者60%の成績」だったそうです。

 

 受検壮丁は内外地を合し約23万にして其の中5万ママを現役兵として徴集し検査終了後より所要の入営準備教育を実施し〔昭和〕19年〔1945年〕9月より逐次入営せしめられたり

 

「梗概」の第8表によれば,1944年の徴兵検査で現役兵として徴集された朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者は,朝鮮軍管区から5万1737人(うち1万人は海軍兵),関東軍管区からは3260人及び台湾軍管区から3人の合計5万5000人となっています。(南方軍及びフィリピンの第十四軍地区に残留するものは上記とは別に徴兵検査を受けたものとされています。)

 

(イ)部隊配当

 「梗概」には,第1回徴兵検査後「朝鮮兵の部隊配当は全軍に亘り且其の入営の要領は〔1944年〕9月より逐次先づ朝鮮軍司令官の定むる鮮内部隊に入営せしめ軍隊生活に若干馴れしめたる後本属の内外地入営部隊に転属することとせられたり」とあります。

配当先の「内外地入営部隊」はどのようなものかと「梗概」の第9表(「昭19朝鮮現役兵各軍配当区分表」)を見ると,内地及び樺太の東部軍,中部軍,西部軍及び北方軍に合計8245人,朝鮮軍に1585人,台湾軍に3人,関東軍に9925人,戦闘中の支那派遣軍に1万0445人,同じく戦闘中の南方軍に7647人,蘭印(インドネシア)の第二方面軍に1540人,ラバウルの第八方面軍に2710人,第一航空軍(司令部は東京)に2300人及び船舶司令部(司令部は広島の宇品)に600人並びに鎮海鎮守府に海軍兵を1万人となっていました。合計5万5000人。しかしながら,当該「第9表」は徴兵検査前の計画値を示しているもののようで,その備考欄には「各軍司令官は本配当表に基き〔中略〕細部の部隊配当を定め昭和19年4月末日迄に朝鮮軍司令官に通報し朝鮮軍司令官は之に基き部隊配当を行ふものとす」と記されています。

その後の1944年5月26日付けの東条英機陸軍大臣からの陸機第129号昭和19年徴集現役兵ノ入営及外地派遣等ニ関スル件達(アジア歴史資料センターのウェブ・サイトで見ることができます。)を見ると,同年徴集の「朝鮮人初年兵(航空,船舶部隊ノ要員及び海軍兵ヲ除ク)ノ入営及外地派遣等」について,改めて次のように定められています。

まず,「関東軍,支那派遣軍,第五方面軍〔北方軍の改組されたもの〕,朝鮮軍及び内地各軍要員(朝鮮以外ノ地ニ在リテ直接現地ノ部隊ニ入営スルモノヲ除ク)ハ概ネ当該内地人要員ノ入営日ニ朝鮮軍司令官ノ定ムル其ノ隷下部隊ニ入営セシメ関係部隊長相互協議ノ上所属部隊ニ転属スルモノトス但シ関東軍及支那派遣軍ノ要員(満洲,支那ニ在ル大本営直轄部隊ノ要員ヲ含ム)ハ成ル可ク当該部隊内地人初年兵ノ朝鮮通過時之ニ合スル如ク転属スルモノトス」とされています。これは,「梗概」の記すところとほぼ同じですが,「関東軍及支那派遣軍ノ要員」については,「軍隊生活に若干馴れしめたる後本属の内外地入営部隊に転属」ではなく,「成ル可ク当該部隊内地人初年兵ノ朝鮮通過時之ニ合スル如ク転属スルモノ」とされています。

南方軍,第二方面軍及び第八方面軍への配当予定初年兵は宙ぶらりんになったようです。すなわち,「南方軍,第八方面軍,第二十七軍〔択捉島〕,第三十一軍〔サイパン〕,第三十一軍(ママ)及小笠原兵団ノ要員ハ昭和19年陸密第513号ノ規定ニ拘ラズ之ヲ配当残余人員トス」ということとなり,かつ,「配当残余人員ノ処理ニ関シテハ別ニ示ス」とされています。

台湾軍に配当されたものについては「在台湾部隊ノ要員タル初年兵(台湾ニ於テ徴集セル朝鮮人ヲ含ム)」ということで,内地人初年兵と一緒にされています。

「航空部隊及船舶部隊ノ要員タル初年兵(朝鮮人ヲ含ム)」については,「内地,朝鮮,台湾及満州国(関東洲ヲ含ム)ニ於テ徴集セル初年兵ニシテ当該地区以外ノ部隊ニ入営スルモノハ航空総軍司令官若ハ船舶司令官,関係軍司令官ト相互協議ノ上当該地区内ノ適宜ノ場所ニ集合地〔ママ〕入営セシムルモノトス」とありますから,結局地元に留まっていたことになるのでしょう。

(ウ)入営

 前出194412月付け「朝鮮ノ統治事情説明」いわく。

 

  合格者ノ入営ニ際シテハ母子相擁シテ号泣スルトカ,自暴自棄的トナツテ遊興,暴行ヲスルトカ目ニ余ル事例モ無イテハナカツタカ大体ニ於テハ各方面ノ壮行,見送リヲ受ケテ感奮シツツ入隊シ〔タ〕

 

「梗概」いわく。

 

斯くて朝鮮出身兵は〔1944年〕9月より逐次入営せしめらるるに至りたるも漸次後退の途を辿りありたる戦況の推移とも関聯し入営後脱営するもの或は鮮外部隊に転属の途次逃亡するもの等頻発し一時は相当の苦慮を要せしも日を経るに従ひ次第に落着きを取り戻し大なる考慮を要せざるに至りしも直接入営業務を担任する部隊側の苦心は(ママ)大抵のものにては非らざりき

一時逃亡者続出せる時代に在りては某部隊の如きは之が防止対策として巡察不寝番の増加潜伏斥候分哨の配置,兵営周囲の鉄柵の補修増強等本末を顚倒せる挙に出でたるものもあり其の苦心の一端を察するを得べし

 

 1944年6月15日米軍はサイパン島に上陸,同月19日のマリアナ沖海戦で我が連合艦隊は惨敗,7月4日には大本営はようやくインパール作戦中止を命令,同月7日サイパン島の我が守備隊玉砕,同月18日東条英機内閣総辞職,8月3日我がテニアン守備隊玉砕,同月10日グアムの我が守備隊玉砕,1020日米軍レイテ島上陸,同月24日のレイテ沖海戦で連合艦隊は大敗,同月25日海軍神風特別攻撃隊の初めての体当たり攻撃,1124日にはマリアナ基地のB29による東京初空襲といった戦況ですから(『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年)参照),なかなか勇ましい気分にはなれなかったものでしょう。

 なお,現役兵の入営期日が兵役法施行規則231条による同規則附表第1に規定されているものと異なるではないかと怪訝に思われる向きもあるかもしれませんが,これについては,193910月2日に公布され同日から施行された昭和14年陸軍省令第52号が「当分ノ内陸軍現役兵ノ入営期日ハ兵役法施行規則附表第1ノ規定ニ拘ラズ別ニ定ムル所ニ依ル」としてしまっていたところです。したがって,9月ないしは11月生まれの者はあるいは19歳で現役兵として入営ということになるのですが,明治22年徴兵令3条の「現役ハ〔略〕満20歳ニ至リタル者之ニ服シ」のような規定は,兵役法にはありませんでした(同法5条参照)。

 

 又入営後に在りても面会人は踵を接して至れり

 特に母親の如きは毎日営庭を見渡し得る場所に腰を下し終日吾が愛児の身の上を案じ続ける者も相当数ありて部隊側の之等(これら)面会人に対する応接整理は想像に余りあるものありたり

 

 母の愛。これを受けてしまえば「即チ孝ヲ第一義トシ直接的孝養ヲ以テ最高ノ道徳ト思惟」することになります(前出昭和18年陸密第2848号通牒)

 現役兵のほか,補充兵についても,「約23万の壮丁中より現役として入営せるは僅か4万5千名(別に海軍兵1万名)にして他の大部分は補充兵として在郷に待機しありしも本土の兵備鞏化に伴い逐次各勤務隊現地自活要員として召集せらるるに至りたり」とあります。しかしながら,飽くまでも「現地自活要員」ですから,兵士としての戦闘は期待されていなかったのでしょう。この辺の数字については,アジア歴史資料センターのウェブ・サイトで見ることのできる「支那事変・大東亜戦争間動員概史(草稿)」(表紙には「第一復員局」とあります。)の「第9章 異民族ノ使用」において,1944年及び1945年の両年で朝鮮人兵を「35000」人を「召集」したとの記載があります。「召集」とは「帰休兵,予備兵,後備兵,補充兵又は国民兵を軍隊に編入する為に召致し集める行政作用を謂ふ」ものとされています(日高2829頁)

 

エ 1945年の徴兵

 

(ア)朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者

 1945年2月10日から,昭和20年法律第3号によって,「戦時又ハ事変ノ際其ノ他特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ノ定ムル所ニ依リ徴兵検査ノ執行ヲ次年ニ延期スルコトヲ得」とする弱気な兵役法44条の2が同法に挿入されました。

 しかしながら,朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受ける者に対する第2回の徴兵検査は,「梗概」のいうところ,「戦局の要請に応じ〔1945年〕2月より5月に亘りて早期に実施」されています。「梗概」の第10表によれば,陸軍の現役兵は,朝鮮軍管区で4万1965人,関東軍管区で3035人の合計4万5000人を徴集しています(同表の合計欄の「46,000」は誤記でしょう。)。前年と同数ということになります。同第11表によれば海軍兵の現役徴集数は1万人ですが,これらについての入団期日は194511月以降になっていますので,これらの海軍兵は結局入団しなかったわけです(降伏文書署名は同年9月2日)。

 陸軍現役兵は果たして入営に至ったかどうかについては,「梗概」は,「又入営準備訓練も前年度に準じ着々実施しつありしが8月15日遂に終戦の大詔を拝し茲に朝鮮徴兵史も終焉を告ぐるに至りたり」とのみ記しています。


(イ)戸籍法の適用を受ける者の例(脱線の脱線)

 ちなみに,1945年の内地における戸籍法の適用を受ける者に係る徴兵状況については,民法の星野英一教授の回想があります。

星野教授は,1926年7月8日生まれなので,その年の7月に19歳になる1945年に徴兵検査を受けることになりました。先の大戦の末期には戸籍法の適用を受ける者に係る徴兵適齢は20年ではなく19年に引き下げられていたことについては,筆者はかつて本ブログにおいて紹介したことがあります(「兵役法(昭和2年法律第47号)等瞥見(後編)」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1013932816.html)。

   ところが,私は不幸にして,兵隊にとられました。割合年は若く18歳でしたが。もともと徴兵年齢が20歳で,20歳の12月に徴兵検査を受けるのです。それが戦争で1年短く19歳になり,私の年から18歳になってしまったのです。確か1944年の末に決まったので,45年の1月だかに徴兵検査を受けました。ただ,まさかと思っていたのに徴兵令状が来てしまいました。6月の中旬か下旬か,正確には覚えていませんが,甲府の連隊に入れということです。(星野英一『ときの流れを超えて』(有斐閣・2006年)40頁)

 

 1945年の徴兵検査は,兵役法23条及び徴兵適齢臨時特例(昭和18年勅令第939号)によって194412月1日から19451130日までの間に年齢19年に達する者が受けることになっていたので,誕生日が徴兵検査の日より後の者については18歳で徴兵検査を受けることになることは実は当然あり得たところです。「私の年から18歳になってしまったのです」ということではありません。また,徴兵適齢臨時特例による徴兵適齢の20年から19年への引き下げは19431223日の昭和天皇の裁可で決まったのであって(公布・施行は同月24日),「1944年の末」に決まったものではありません。(この徴兵適齢臨時特例は「兵役法第24条ノ2ノ規定ニ依リ当分ノ内同法第23条第1項及第24条ニ規定スル年齢ハ之ヲ19年ニ変更ス」としたものです。ただし,当該特例は,内地人にのみ適用されました(同特例附則1項ただし書(昭和19年勅令第2812条による改正後は附則2項))。)新年を迎えて早々1月に徴兵検査をすることについては,19441116日公布・同日施行の昭和19年陸軍省令第51号の第2条1項が,1945年における徴兵検査は同年1月15日から同年4月30日までの間に行うものと定めていたところでした。また,「徴兵令状」というのは,兵役法施行規則218条及び附録第3様式からすると,「現役兵証書」であったようです。   

                                  (つづく)

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 



1 「食育」

「食育」という法令用語があるのですが,筆者においてはかねてからその意味するところがよく分からずにおりました。最近出て来た言葉のようです。

しかし,調べれば分かるであろうことを調べずにいて横着に「分かんねーょ」で済ますのは,人間頽廃の第一歩でしょう。そこで,大きな六法全書にも収載されていない2005年の食育基本法(平成17年法律第63号)等をインターネットで調べてみたところです。

なお,食育基本法161項及び2621号に基づき国の食育推進会議によって作成された2016年度から2020年度までの5箇年計画Пятилеткаたる第3次食育推進基本計画においては,「我が国の食育の理念や取組等を積極的に海外に発信し,「食育(Shokuiku)」という言葉が日本語のまま海外で理解され,通用することを目指す。」という記述が見られます(第372))。実は「食育」概念は既に成熟し,その内容もはっきりしているものとして扱われているようです。当該概念をなお十分理解していない筆者による試みである本ブログ記事は,あるいは食育推進会議の公定解釈から大きく逸脱したものとなるかもしれません。しかし,やってみましょう。

まず,法令用語としての「食育」の定義は,食育基本法の前文第2項にあるということでよいようです。そこでは「様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し,健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育」とありますから,「食育」とは「様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し,健全な食生活を実践することができる人間を育てる」こと,ということになります。同法の本則においては,特段「食育」に係る定義規定を設けずに,第1条から「食育」の語が自明のものとして用いられています。

6408DF8C-32D2-42D4-8C07-8C975FF2BB93
「様々な経験」1:ちゃんぽんうどん,サラダうどん,ビール及びワイン

また,食育は,食育基本法によって「生きる上での基本であって,知育,徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付け」られています(前文第2項)。食育がないと生きていけそうもないということですから,食育は人生の最初段階において受けるものであって,「知育,徳育及び体育」がいわゆる教育ならば,教育より前のいわば無意識のレヴェルに刷り込まれるべきものということになるようでもあります。少なくとも,字を覚えることよりも優先されるべきものなのでしょう。

DSCF0872

「様々な経験」2()()塩辛

全き食育の成果たる人間はどのようなものかといえば,「様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し,健全な食生活を実践することができる」人間ということになります。したがって,様々な経験を通じて「食」に関する知識及び選択力を習得し得る能力が要素であって,「健全な食生活を実践すること」は可能性にとどまるわけです。食育を受けた国民全員による輝かしき「健全な食生活」の実践は必ず実現するものとは限らないし,またその必要もない(個人の選択に委ねられる。),ということになり得るところです。

 

2 「健全な食生活」

しかしながら,食育基本法の第2条から第8条までに掲げられた食育に関する「基本理念」(同法9条)に基づき推進される食育は,当該基本理念の実現までを目指すものとならざるを得ません。同法2条は「食育は,食に関する適切な判断力を養い,生涯にわたって健全な食生活を実現することにより,国民の心身の健康の増進と豊かな人間形成に資することを旨として,行われなければならない。」と規定していますから(下線は筆者によるもの),食育は,食育を受けた人間が「生涯にわたって健全な食生活を実現」する者となるようにすることを目指すのだということになります。

「健全な食生活」とは何かといえば,まずは「心身の健康の増進と豊かな人間形成に資する」ものであるということになるのでしょう(食育基本法2条。また,同法1条にも「国民が生涯にわたって健全な心身を培い,豊かな人間性を育むための食育」との文言があります。)。十分な栄養を摂って身体が健康になりその結果心が健康になる(mens sana in corpore sano erit.)というだけではなく,「豊かな人間形成」までされるというものですから仰々しいところです。

DSCF0885
「様々な経験」
3:ワイン及びオリーブの実

 Oleam quam primum terra tollito. Si inquinata erit, lavito, a foliis et stercore purgato.

 「オリーブの実が落ちちまっても急いで拾って,葉っぱでも糞でも汚れはきれいに洗っちまえばいいんだよ。」とは,いかにもあの大カトー流です(「偉大な人物と「せこさ」とに関して」参照http://donttreadonme.blog.jp/archives/1067827246.html)。

食育基本法8条には「食品の安全性が確保され安心して消費できることが健全な食生活の基礎である」とありますから,「健全な食生活」においては,安全な食品を消費して身体が健康になるだけではだめで,そこに「安心」がなければ心は病んでしまって健康ではなく,かつ,「豊かな人間形成」もなされない,ということになるようです。不殺生戒・不飲酒戒等を安全にクリアした食事を安心(あんじん)と共に摂っていればこそ,そこにおいて初めて仏教者としての「豊かな人間形成」も達成されるのだということになるのでしょうか当ブログの2018321日付けの記事である「内閣総理大臣の国会演説に見る「安心」の平成史(後編)」の17を参照http://donttreadonme.blog.jp/archives/1070539114.html)。

「健全な食生活」における「健全」な料理は更に,伝統的な日本食にして地元食であって,かつ,その食材は国内産であるものと理解されているようでもあります。食育基本法7条は「食育は,我が国の伝統のある優れた食文化,地域の特性を生かした食生活〔略〕に配意し,〔略〕農山漁村の活性化と我が国の食料自給率の向上に資するよう,推進されなければならない。」と規定しています(同法前文第4項も「食料自給率の向上に寄与すること」がされることを期待)。この「食料自給率の向上」がどんどん進めば,最終的には外国産食料は我が豊葦原瑞穂国においては一切消費されない姿となります(食育基本法前文第3項は「「食」の海外への依存」を「問題」であるものと認識)。であれば,「様々な経験を通じて」の「様々な経験」は,国産食品に係る範囲内においてという制限下のものであるということなのでしょう。とはいえ,「(ここに)大気都比売(おほげつひめ)自鼻口及(はなくちまたしり)(より)種種(くさぐさの)味物(ためつものを)取出(),種種作具(つくりそなへ)()(たてまつる)」(古事記』(岩波文庫・1963年)上巻)というふうに,我が国における食料は本来,女神の鼻孔,口腔及び肛門から安易かつ豊富に出て来るはずものでありましたから,外国の産物が食べられないことなどを心配するのは無用のことです。

また,「豊かな人間形成」がされた人間は,具体的には,「食生活が,自然の恩恵の上に成り立っており,また,食に関わる人々の様々な活動に支えられていることについて,感謝の念や理解が深ま」っている人間ということのようであります(食育基本法3条。また,同法前文第5項)。当該「感謝の念や理解」を端的に表明するためには,食事の際に祝福(benedicere)あるべし,さすれば少量の食材(quinque panes et duo pisces)でも豊かに満腹(saturatum esse)あるべしということになるのでしょうか。

 

 et acceptis quinque panibus et duobus piscibus

   intuens in caelum benedixit et fregit panes

   et dedit discipulis suis ut ponerent ante eos

   et duos pisces divisit omnibus

   et manducaverunt omnes et saturati sunt

 (secundum Marcum 6.41-42)

 

 なお,アメリカ合衆国の感謝祭(Thanksgiving)においては,感謝の対象は「自然の恩恵」でも「食に関わる人々」でもありません。

 

  …Washington also signed a proclamation for the first Thanksgiving on November 26,1789,declaring that “Almighty God” should be thanked for the abundant blessings bestowed on the American people, including victory in the war against England, creation of the Constitution, establishment of the new government, and the “tranquility, union, and plenty” that the country now enjoyed.

      (Chernow, Ron. Washington: a life. (2010) p.609)   

  ワシントンは,また,〔1789年〕1126日の最初の感謝祭のための宣言書に署名した。そこにおいては,対イングランド戦争における勝利,憲法の制定,新政府の設立並びに国家が現在享受している「安寧,統一及び豊穣」を含むアメリカ人民に与えられた惜しみない祝福に対して「全能の神」に感謝すべき旨が表明されていた。


 ところで,食について「自然の恩恵」や「食に関わる人々」に対して感謝すべしとする
2005年の我が食育基本法は,その60年前の先の大戦における敗戦によりもたらされた我が国における「我国体に戻り」たる「浅間しき次第」(1882年の明治天皇の軍人勅諭に見られる表現)を反映するものとも解し得るかもしれません。すなわち,皇室祭祀の新嘗祭に関する明治元年(
1868)十一月十五日の政府の布告は人民に対し「面々,毎日食し候米穀は,其元,天祖の賜物なる事を知り,御国恩のかたじけなき事を相わきまへ候はば,遊興安臥して在るべきにあらず。寒村僻邑の土民,雨を祈り晴を願ひ候も,必ず感応之有り,況や天下一同,至尊の御仁慮を体認し奉り,共に祈請し奉るに於ては,神祇の冥感,殊にすみやかなるべき事に候。」と「天祖の賜物」について「御国恩の辱き事を相弁へ」るべきことを訓戒していたところでしたが(村上重良『天皇の祭祀』(岩波新書・1977年)69頁参照),食育基本法の文言からは,食が「天祖の賜物」であることも「御国恩の辱き事を相弁へ」るべきことも読み取り難くなっているからです。なお,上記布告での「天祖の賜物なる事」とは,「まず,皇国の稲穀は,天照大神,うつしき蒼生あおひとぐさの食して活すべきものなりと詔命あらせられ,天上に於て,,長田に殖えさせ給ひし稲を,皇孫降臨の時,下し給へる」との「神恩」の働きを意味します(村上68頁参照)。

 

3 我が国民の正しい在り方

 現在の我が国では「国民は,家庭,学校,保育所,地域その他の社会のあらゆる分野において,〔食育基本法の〕基本理念にのっとり,生涯にわたり健全な食生活の実現に自ら努めるとともに,食育の推進に寄与するよう努めるものとする。」との責務が全国民に負わされています(食育基本法13条)。この責務を果たそうと努めない者は非国民であるということになります。しかしながら,「健全な食生活」とは何かということがはっきりしなければ,愛国的国民は一向安心できません。また,「食育の推進に寄与」するためには具体的に何をすべきかが明らかでなくてはなりません。

 

4 第3次食育推進基本計画における具体的目標

 国の食育推進会議による第3次食育推進基本計画(2016年度から2020年度まで)を見てみましょう。

 第3次食育推進基本計画は,その第22において「食育の推進に当たっての目標」を掲げています。そこにある15の見出しは,①食育に関心を持っている国民を増やす,②朝食又は夕食を家族と一緒に食べる「共食」の回数を増やす(この「共食」は,トモグイと読んではいけないのでしょう。),③地域等で共食したいと思う人が共食する割合を増やす,④朝食を欠食する国民を減らす,⑤中学校における学校給食の実施率を上げる,⑥学校給食における地場産物等を使用する割合を増やす,⑦栄養バランスに配慮した食生活を実践する国民を増やす,⑧生活習慣病の予防や改善のために,ふだんから適正体重の維持や減塩等に気をつけた食生活を実践する国民を増やす,⑨ゆっくりよく噛んで食べる国民を増やす,⑩食育の推進に関わるボランティアの数を増やす,⑪農林漁業体験を経験した国民を増やす,⑫食品ロス削減のために何らかの行動をしている国民を増やす,⑬地域や家庭で受け継がれてきた伝統的な料理や作法等を継承し,伝えている国民を増やす,⑭食品の安全性について基礎的な知識を持ち,自ら判断する国民を増やす及び⑮推進計画を作成・実施している市町村を増やす,というものです。

 

1)食育に関心を持っている国民を増やす

 「食育に関心を持っている国民を増やす」との目標については,2015年度においては国民の75パーセントしか食育に関心を持っていなかったところ,2020年度までには90パーセント以上を目指すそうです。最終的には全国民が食育に関心を持たねばならないのです。日本国憲法19条には「思想及び良心の自由は,これを侵してはならない。」などと書いてありますが,食育に係る関心の有無それ自体に限れば,思想でもなければ良心でもないということでしょう。「「思想及び良心」の自由の保障すなわち沈黙の自由の保障の対象は宗教上の信仰に準ずべき世界観,人生観等個人の人格形成の核心をなすものに限られ,一般道徳上,常識上の事物の是非,善悪の判断や一定の目的のための手段,対策としての当不当の判断を含まない」とする長野地方裁判所昭和3962日判決(判時3748頁)を引用しつつ,当該判決の採用する憲法19条の解釈を是とする説があります(佐藤幸治『憲法(第三版)』(青林書院・1995年)485486頁)。

 「食育に関心を持っている国民を増やす」ことにあるいはつながるであろうこのブログ記事を書いている筆者などは,「食育の推進に寄与するよう努め」ている(食育基本法13条)愛国的国民として,お上からほめていただけるものでしょうか。

 

2)朝食又は夕食を家族と一緒に食べる「共食」の回数を増やす

 「朝食又は夕食を家族と一緒に食べる「共食」の回数を増やす」ことについては,当該共食回数を2015年度の現状値週9.7回から2020年度は週11回以上にするそうです。これも将来的には週14回が達成されるべきものでしょう。婚姻の実体意思(真に婚姻をする意思)の内容は「常識的には,ローマで言われていたという「食卓と床をともにする関係」に入る意思といえる」とされており(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)55頁),更に「ローマ法における最も古い宗教上の婚姻方式は,「パン共用式婚姻(confarreatio)」と称するもので,ローマのパンの最古の形である「ファール(far)」を,儀式的に男女が共同で食した。」とのことですから(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法――ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)141頁),我が食育推進会議の婚姻観,ひいては家族観は古代ローマ以来の伝統的なものである,ということになるのでしょう。父たるもの,妻子を食わせるべし。

 

  Pater noster…

       panem nostrum supersubstantialem da nobis hodie

       (secundum Mattheum 6.9, 11)

  父ちゃん・・・腹ペコだからおいらたちのパンを今ちょうだい。

 

3)地域等で共食したいと思う人が共食する割合を増やす

「地域等で共食したいと思う人が共食する割合を増やす」ことについては,当該共食がされる割合を,2015年度の現状値64.6パーセントを2020年度には70パーセント以上にするそうです。「地域や所属するコミュニティ(職場等を含む)」とありますから(下線は筆者によるもの),仕事上の接待での共食も含まれるものと解してよいのでしょう。「家族との共食は難しいが,共食により食を通じたコミュニケーション等を図りたい」お得意さまについて,そのような思いを忖度(そんたく)して差し上げ,料理屋等で接待申し上げるのは,単なる利己的な営利営業活動といったまらないものにとどまるものではなく,我が国における食育の推進に寄与する活動でもあるのでした。

ところで,非婚少子化が進み伝統的家族の減少しつつある我が国においては,将来は,「彼らは共同食堂で共食し,駐屯地の兵士らのような共同生活を行うものとする。」(プラトン『国家』416 e)というところまで行くものかどうか。しかし,食育推進会議もさすがにそこまでは考えてはいないようです。

 

4)朝食を欠食する国民を減らす

「朝食を欠食する国民を減らす」ことについては,朝食を欠食する子供の割合を2015年度の現状値4.4パーセントから2020年度には零パーセントに,朝食を欠食する20歳代及び30歳代の男女の割合を2015年度の現状値24.7パーセントから2020年度には15パーセント以下にするそうです。40歳代以上となれば,朝食は食べなくてもよいようです(反対解釈)。それとも,40歳以上はもはや国民の数には入らないのでしょうか。確かに,40歳を過ぎた臣民には第二国民兵役すらも既にお役御免ではありました(1943111日改正前兵役法(昭和2年法律第47号)92項)。

しかし,そもそも朝食については「〔中世の〕修道院では,ローマ時代の慣習に従い,第9時(nona hora),すなわち午後3時に最も大切なお祈りをしてからその日の唯一の食事をした。〔略〕この時の食事をフランス語ではdéjeunerと言ったのである。ところが,厳しい労働のために,ただ1回の食事では空腹に悩まされることが多く,déjeunerまでに軽い食事をする習慣が生まれ,この食事をフランス語でpetit déjeunersmall breakfast)と呼んだ。今日では一般に「朝食」という意味をもつ。」ということではあったそうです(梅田修『英語の語源事典』(大修館書店・1990年)209頁)。厳格に一日一食をなお守る伝統主義的修道院において祈り,かつ,働く(orant et laborant)清らかな生活を送る若き僧尼らに対して,いやしくも日本国民たる者は必ず朝食を摂るべしと啓蒙・食育することは,信教の自由(日本国憲法20条1項前段)を侵す余計なお世話であるということにはならないのでしょうか。それとも,朝食を摂らないということは,そもそもからして我が国の安寧秩序を妨げることになるのか,臣民たるの義務に背くことになるのか(大日本帝国憲法28条参照)。いずれにせよ,30歳代前半の元肉体労働者系の男性がつい長いこと絶食してふらふらになっているのを見ると,ちゃんと朝から食事をしろよパンでいいからさ(でも石は食べられないよね),と声をかけるのが親切な心というものでしょう。

 

 Et cum jejunasset quadraginta diebus et quadraginta noctibus postea esuriit

   et accedens temptator dixit ei

   si Filius Dei es dic ut lapides isti panes fiant

   qui respondens dixit

   scriptum est

   non in pane solo vivet homo sed in omni verbo quod procedit de ore Dei

   

   vade Satanas

 (secundum Mattheum 4.2-4, 10) 

 

せっかくの親切な声かけに対して,偉い本には何やらが書いてあると理屈で返した上で相手を悪魔(Satanas)呼ばわりすることも,信教の自由の認めるところなのでしょう。

 

5)中学校における学校給食の実施率を上げる

 「中学校における学校給食の実施率を上げる」ことについては,2014年度の実施率現状値87.5パーセントを2020年度には90パーセント以上にするそうです。「栄養バランスのとれた豊かな食事」であり,かつ,「食事について理解を深め,望ましい食習慣を養う」ことのできる素晴らしい学校給食に対して,家人の作った弁当その他の食事はそうではない,ということゆえのようです。そうであればやはり,ちまちまと中学校に限ることはせず,プラトンの理想国ないしは古代スパルタのように,日本国民は全員,共同食堂で学校給食業者の提供する給食を共食することが究極の理想であるということになるようです。

 

更に〔古代スパルタのリュクールゴスは〕最も立派な政策を取り入れた。それは会食の制度である。市民たちは互ひに共通な一定の料理とパンのあるところに集まつて食事し,家で豪奢な臥椅子や食卓に依つて,暗い処で食を貪る獣のように召使ひや料理人の手で肥らされ,性格のみならず身体までも台無しにして,長い眠りや温浴や多くの安息や云はば日毎の看病を必要とするすべての欲望と奢侈に身を委ねるやうなことを許されなかつた。確かにこれは大事業であつた〔中略〕。家で先に食事を済ませて,満腹のまま会食に行くことは許されなかった。他の人々が念入りに見張りをしてゐて,自分たちと一緒に飲みも食べもしないものを,自制力のない,共通の食物を食べようとしない意気地無しだと非難したからである。(河野与一訳『プルターク英雄伝(一)』(岩波文庫・1952年)116117頁)

 

6)学校給食における地場産物等を使用する割合を増やす

「学校給食における地場産物等を使用する割合を増やす」ことについては,学校給食における地場産物(都道府県単位)を使用する割合を2014年度の現状値である26.9パーセントから2020年度には30パーセント以上に,学校給食における国産食材を使用する割合を2014年度における現状値77.3パーセントから2020年度には80パーセント以上にするそうです。「食料安全保障」の観点からは,これらの数字は多々益々弁ず,ということになるのでしょう。最終的には自給自足の江戸時代への復帰が理想,ということなのでしょう。

 

  Edo solum cibum Japonem.

 

   〔前略〕どの国でも食糧は重要なことで,船を使はないやうにその国で賄はねばならんのであります。それが世界の戦争国家の共通的な方法であります。 

   この日本において遠く南洋の天地から何十万トン何百万トンの船を使つて外米を輸入して,その外米を食はなければならんといふ食ひ方ではならんのであります。われわれは玄米でも何でも,無駄のないやうに食はなければならんのであります。国が亡んだら元も子もないのであります。我々は千早城に立て籠つた〔楠木〕正成の様に,畳を食つても生きて行かねばならぬのであります。然も肉がない,魚がないなどと,さういふことをいつて居つて一体この戦争が出来ると思つてゐてよいでせうか。われわれの生活を最小限度に切詰めて,さうしてその輸送力や凡てのエネルギーを,戦争に全部集中しなければならんのであります。〔後略〕

  (奥村喜和男(情報局次長)『尊皇攘夷の血戦』(旺文社・1943年)183184頁)

DSCF0053

 a tatami-eater facing the Imperial Palace, Tokyo


(7)栄養バランスに配慮した食生活を実践する国民を増やす
 「栄養バランスに配慮した食生活を実践する国民を増やす」ことについては,主食・主菜・副菜を組み合わせた食事を12回以上ほぼ毎日食べている国民の割合を2015年度の現状値57.7パーセントから2020年度には70パーセント以上にし,20歳代及び30歳代の男女については2015年度の現状値43.2パーセントから2020年度には55パーセント以上にするそうです。主食は米その他の穀物でしょうが,更に主菜及び副菜とあります。主菜は「魚,肉等」,副菜は「野菜,海藻等」であるようです(第3次食育推進基本計画の第331)注1)。

主食は,米よりも他の雑穀の方が何かとよいようです。

 

  〔前略〕食物を大切ニ可仕(つかまつるべく)候ニ付,雑穀専一ニ候(あいだ),麦(あわ)(ひえ)()大根,其外何に()も雑穀を作り,米を多く喰つ()し候ハぬ様に可仕(つかまつるべく)候,〔略〕大豆の葉あ()きの葉さゝ()の葉大角(ささ)()はまめ科の一年生植物で,さや・種子が食用になります。〕いもの落葉なと,むさとすて候儀ハ,もつたいなき事に候(慶安御触書(慶安二年(1649年)))

 

主菜として,牛肉,馬肉,犬肉,猿肉又は鶏肉を食べる者は,乱臣賊子です。

 

  庚寅,詔諸国曰,自今以後,〔中略〕莫食牛馬犬猿鶏之宍。以外不在禁例。若有犯者罪之。(『日本書紀』(新編日本古典文学全集(小学館・1998年))天武天皇四年(675年)四月庚寅(十七日)条)

  庚寅に諸国に(みことのり)して(のたま)はく,今より以後,〔中略〕牛・馬・犬・猿・鶏の(しし)を食ふこと莫れ。以外は禁例にあらず。し犯す者あらば罪せむ」とのたまふ。

DSCF0887
 乱臣賊子の食物:馬刺しユッケ

IMG_0046 (003)
 馬の次は,鹿(「持鹿献於二世曰。馬也。二世笑曰。丞相誤邪。謂鹿為馬。問左右。左右或黙或言馬。以阿順趙高。」『史記』秦始皇本紀)


 我が国では,畏くも天武天皇の詔において許されてある豚肉を食べるべきなのです。

 しかしながら,

    …

 et sus qui cum ungulam dividat non ruminat

    horum carnibus non vescemini nec cadavera contingetis quia inmunda sunt vobis

    (Liber Levitici 11.7-8)

 

豚さんは爪は割れているかもしれないけれども反芻はしないから食べてもいけないし死体に触ってもいけないんだよ,だって(きたな)いんだもーん,などとのたまう理屈っぽいへそ曲がりは,やはり「安寧秩序ヲ妨ケ」る輩でしょう。

DSCF0884
「様々な経験」4:旭川しょうゆ豚丼駅弁


8)生活習慣病の予防や改善のために,ふだんから適正体重の維持や減塩等に気をつけた食生活を実践する国民を増やす

「生活習慣病の予防や改善のために,ふだんから適正体重の維持や減塩等に気をつけた食生活を実践する国民を増やす」については,当該実践を行う国民の割合を2015年度の現状値69.4パーセントから2020年度には75パーセントにし,あわせて食品中の食塩や脂肪の低減に取り組む食品会社の登録数を2014年度の67社から2020年度には100社以上にするそうです。

「適正体重の維持・・・に気をつけた食生活を実践」しさえすればよいので,それでも適正体重を維持できずに「肥満ややせ」になった残念な姿をさらしていても直ちに非国民ということにはならないようです。また,単位ごとに食品中の食塩や脂肪が低減されていればよいので,物足りないなと思ったら,おかわりをして追加摂取すればよいのでしょう。

しかし,塩味であることが畏怖すべき存在との重いお約束になっている場合,そもそも減塩などという罪が赦されるのでしょうか。

 

  quicquid obtuleris sacrificii sale condies

       nec auferes sal foederis Dei tui de sacrificio tuo

       in omni oblatione offeres sal

       (Liber Levitici 2.13)

  上納した食品は何でも塩で味付けすべし。

  お前の親分である恐ろしい御方との契りの塩をお前の上納食品から欠かしてはならぬ。

  全ての貢の食品には塩を加えなければならぬ。

DSCF0870 

DSCF0850

 後鳥羽院ゆかりの水無瀬神宮(大阪府三島郡島本町)

 もしほやく(あま)もいき 遠島首)


(9)ゆっくりよく噛んで食べる国民を増やす
 「ゆっくりよく噛んで食べる国民を増やす」ことについては,そのような食べ方をする国民の割合を2015年度の現状値49.2パーセントから2020年度には55パーセント以上にするそうです。生きたまま踊り食いをされるシロウオなどは大変でしょう。

“Festina lente”(ゆっくり急げ)をモットーとしていた初代ローマ皇帝アウグストゥスでしたが,死を間近にして,陰鬱な2代目皇帝となるティベリウスに関して曰く。

 

  “Miserum populum R., qui sub tam lentis maxillis erit.”

  (Suetonius, Vita Tiberi 21)

  「あんなに(のろ)い顎で咀嚼されるローマ人は可哀想だ」(国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(上)』(岩波文庫・1986年)251頁)

 

10)食育の推進に関わるボランティアの数を増やす

「食育の推進に関わるボランティアの数を増やす」ことについては,食育の推進に関わるボランティア団体等において活動している国民の数を2014年度の現状値である34.4万人から2020年度は37万人以上にするそうです。きっちりとした「食生活改善推進員等のボランティア」のみがカウントされるようなので,このブログ記事などに漫筆を動かすのみの筆者などは員数外です。

 

11)農林漁業体験を経験した国民を増やす

「農林漁業体験を経験した国民を増やす」ことについては,当該経験をした国民(世帯)の割合を2015年度の現状値36.2パーセントから2020年度には40パーセント以上にするそうです。

これは,かつて中華人民共和国にあったという下放運動のようなものでしょうか。

しかし,「農林漁業体験」といっても,農林漁業従事労働者となって働かされるというわけでもなく,また,政策として農林漁業への新規参入が推進されるというわけでもないようです。

 

12)食品ロス削減のために何らかの行動をしている国民を増やす

「食品ロス削減のために何らかの行動をしている国民を増やす」ことについては,当該行動をしている国民の割合を2014年度の現状値67.4パーセントから2020年度には80パーセント以上にするそうです。当該「何らかの行動」には,次のような結果をもたらす食べ方に対してmottainai!と苦情を言うことも含まれるのでしょうか。

  

    et sustulerunt reliquias fragmentorum duodecim cofinos plenos et de piscibus

    (secundum Marcum 6.43)

 〔食後には〕12の大かごにいっぱいのパンのかけら及び魚の残りが取り集められた。

 

13)地域や家庭で受け継がれてきた伝統的な料理や作法等を継承し,伝えている国民を増やす

「地域や家庭で受け継がれてきた伝統的な料理や作法等を継承し,伝えている国民を増やす」ことについては,そのような国民の割合を2015年度の現状値41.6パーセントから2020年度には50パーセント以上にし,そのような20歳代及び30歳代の男女の割合を2015年度の現状値49.3パーセントから2020年度には60パーセント以上にするそうです。

現に存在する「地域や家庭」の「伝統的な料理や作法等」でさえあればたとえどんなものであってもそのまま継承されるべきものなのであって,変によその地域や家庭の真似をして,上品ぶったりかしこぶったりグルメぶったりカッコつけたりするんじゃねぇよ,ということでしょうか。

 

 われわれの子供時代のことを考へても,私は九州の田舎で育ちましたが,生魚といへば御祭の時か,正月に食つた位のものなのであります。簡単な質素な生活であつたのであります。(奥村194頁)

 

「主食であるごはんを中心に,魚,肉等の主菜,野菜,海藻等の副菜,牛乳・乳製品,果物等の多様な副食等を組み合わせた栄養バランスに優れた食生活」こそが「日本型食生活」であるとされていますが(第3次食育推進基本計画の第331)注1),これは,我が国の現実具体の歴史に根差すものではない思弁的構想物であるようです。

なお,「作法等」には「箸使い」が含まれています。しかしながら,魏志倭人伝には「食飲用籩豆手食」とあります。3世紀の倭人は,飲食に(へん)(とう)これは『角川新字源』によれば,「まつりや宴会に用いる器の名。籩は竹製で,果実などをもる。豆は木製で塩などをもる。」というものです。)は用いたものの,食べ方は手づかみ(手食)であったようです。箸を使うということは,我が国独自かつ有史以来連綿の「日本人の伝統的な食文化」というわけではないようです。とはいえ今や,正しく箸を使えぬ者は,非国民なのでしょう。

 

14)食品の安全性について基礎的な知識を持ち,自ら判断する国民を増やす

「食品の安全性について基礎的な知識を持ち,自ら判断する国民を増やす」ことについては,そのような国民の割合を2015年度の現状値72.0パーセントから2020年度には80パーセント以上にし,20歳代及び30歳代の男女については2015年度の現状値56.8パーセントから2020年度には65パーセント以上にするそうです。

12千万国民の3割弱が食品の安全性について基礎的な知識を持たず,又は食品の安全性について自ら判断できないというのですから,我が国においては食中毒が猖獗を極めているということが憂慮されます。しかしながら,厚生労働省のウェブサイトにある2017年の我が国の食中毒統計によると,同年中の食中毒発生件数は1014件で患者数は16464人,死者は3人だったそうです。家庭での食中毒に限ると,件数は100件,患者数は179人,死者2人ということでした。食中毒の発生件数が一番多かった場所は飲食店で598件,死者は1人でした。この数字を大きいと見るべきか,小さいと見るべきか。しかし,死はあってはならないということであれば,3を零にするための資源の投入をためらい,怠るわけにはいきません。人は,長い老後を生き続けねばなりません。

 

  abstulit clarum cita mors Achillem,

       longa Tithonum minuit senectus.

       (Horatius, Carmina 2.16.29)

  輝けるアキレウスを速やかな死が奪った。

  長い老後がティトノスを衰廃させた。

 

15)推進計画を作成・実施している市町村を増やす

「推進計画を作成・実施している市町村を増やす」ことについては,当該作成・実施市町村の割合を2015年度の現状値76.7パーセントから2020年度には100パーセントにするそうです。食育基本法の文言上は市町村が市町村食育推進計画を作成することは努力義務にとどまるのですが(同法181項),食育の推進という素晴らしいことをすべきときに当たって,「いやこれは努力義務だから,努力しても食育推進計画が出来なければそれはそれでいいんです。」などとつまらぬ理屈を言って抵抗することは許されません。

 

5 「健康美」

食育基本法は一つの美のイデアを前提としています。すなわち,その第19条において,国及び地方公共団体は家庭における食育の推進に関して「健康美に関する知識の啓発」をするものとされているところです。
 しかしながら,この「健康美」のイデアは,なおはっきりしません。(ちなみに,健康の女神であるHygieiaないしはSalusは,容姿云々よりは蛇と一緒ということが特徴です。)

食育基本法案を審議する200546日の衆議院内閣委員会において,小宮山洋子委員が同法案19条に関して「だからそんな,料理教室とか健康美なんということまで,何で基本法でこんなことをやるんですか。」と怒りをこめて質疑したところ,提案者西川京子衆議院議員の答弁は「もちろんこれは一つの例示でありまして,そこに必ず行ってくれと言っているわけではないわけでございまして,あくまでもこれは特定の価値観を国民に押しつけるようなことは毛頭ございません。/そういう中で,やはりこういうメニューがあると,今現実に,そういうアンバランスな食生活をしている子供たちや若い人が大変ふえている現実が目の当たりにあるわけですね。そういう中で,できれば家庭,学校教育の場,そういうところでこういうことにお互いにもうちょっと積極的にかかわる中で,健全な生活を営めるような体づくり,こころの健康性,そういうものについてこういうメニューをそろえますよ,そういう程度と考えていただけたらいいと思います。」と飽くまで低姿勢でした(第162回国会衆議院内閣委員会議録第79頁)。低姿勢のゆえ積極的な定義付けはされていないのですが,少なくとも「健康美」の構成要素としては,「健全な生活を営めるような体」があって,「こころ」も「健康」であるということが含まれているようです。

「肥満」の増加及び「過度の痩身志向」が「問題」とされていますから(食育基本法前文第3項。また,同法20条),肥満者及び過度痩身者は「健康美」ではないということでしょう。しかし,「健康美」ではないからといって美ではないということではないのであって,「特定の価値観」が国民に押し付けられることはなく,「肥満美」及び「過度痩身美」も美としては「健康美」と平等の価値を有するものなのでしょう。実に価値観は様々であって,若くて健康な奴など不愉快だとまでのたまう気難しいおじさんも現に存在します。

 

 友とするにわろき者,七つあり。一つは高くやんごとなき人。二つには若き人。三つには病なく身強き人。四つには酒を好む人。五つにはたけく勇める(つはもの)。六つには虚言(そらごと)する人。七つには欲深き人。(『徒然草』第117段)

 

しかし,まあ,人それぞれです。酒嫌いの草食偏屈タイプは,またその好むように食事をすればよいのです。

 

  Sei guter Dinge, antwortete ihm Zarathustra, wie ich es bin. Bleibe bei deiner Sitte, du Trefflicher, malme deine Körner, trink dein Wasser, lobe deine Küche: wenn sie dich nur fröhlich macht!

(Das Abendmahl) 

 

水しか飲まないのならば仕方がありませんが,葡萄酒は結構なものです。疲労困憊からの急激な回復及び即興的健康。

 

  Wasser taugt auch nicht für Müde und Verwelkte: uns gebührt Wein, --- der erst giebt plötzliches Genesen und stegreife Gesundheit!

 

葡萄酒に羊肉。羊の肉は,天武天皇の禁制にも含まれてはいません。セージで味付けし,根菜及び果実並びに胡桃を添える。

 

  Aber der Mensch lebt nicht vom Brod allein, sondern auch vom Fleische guter Lämmer, deren ich zwei habe:

--- Die soll man geschwinde schlachten und würzig, mit Salbei, zubereiten: so liebe ich’s. Und auch an Wurzeln und Früchten fehlt es nicht, gut genug selbst für Lecker- und Schmeckerlinge; noch an Nüssen und andern Räthseln zum Knacken.

 

そして,陽気な宴会。
 骨つよく足かろき者の健康及び元気を賛美し,たけく勇み,欲深く嘯きます。

 

  Wer aber zu mir gehört, der muss von starken Knochen sein, auch von leichten Füssen, ---

      --- lustig zu Kriegen und Festen, kein Düsterling, kein Traum-Hans, bereit zum Schwersten wie zu seinem Feste, gesund und heil.

   Das Beste gehört den Meinen und mir; und giebt man’s uns nicht, so nehmen wir’s: --- die beste Nahrung, den reinsten Himmel, die stärksten Gedanken, die schönsten Fraun!  

   

  食は人の天なり。よく味はひを調へ知れる人,大きなる徳とすべし。(『徒然草』第122段)



1 「感動」の法定化

 2002年サッカー・ワールド・カップ大会の決勝トーナメント1回戦における日本チーム対トルコ・チームの試合に係る同年6月18日の生中継テレビジョン放送を,友人らと一緒に,我が日本チームを熱く応援し,狂乱しながら観た結果,次のような想いを抱いた中年男は,非国民でしょうか。

 

  あの日・・・

  あの日・・・

  分かってしまった・・・!

  オレは・・・

  唐突に・・・

  分かってしまった・・・!

 

  感動などないっ・・・!

 

  あんなものに・・・

  感動などないのだ・・・!

  人一倍・・・

  そう・・・まわりの誰よりも大騒ぎしながら,

  オレは・・・

  胸の奥がどんどん冷えていくのを感じていた・・・!

  そうだ・・・

  そう・・・

  オレが求めているのは・・・

 

   「中田っ・・・!」

   「森島っ・・・!」

 

  っていうようなことじゃなくて・・・

  オレの鼓動・・・

  オレの歓喜。

  オレの咆哮。

  オレのオレによる,

  オレだけの・・・

  感動だったはずだ・・・!

 

  他人事じゃないか・・・!

  どんなに大がかりでも,あれは他人事だ・・・!

  他人の祭りだ・・・!

  いったい・・・

  いつまで続けるつもりなんだ・・・?

  こんな事を・・・!(福本伸行『最強伝説黒沢』第1話)

 

 これに対して,2011年8月24日からそれまでのスポーツ振興法(昭和36年法律第141号)が全部改正されたものである新たな我がスポーツ基本法(平成23年法律第78号)は,その前文第5項において,次のように高らかに謳い上げています。

 

  〔前略〕国際競技大会における日本人選手の活躍は,国民に誇りと喜び,夢と感動を与え,国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて,スポーツは,我が国社会に活力を生み出し,国民経済の発展に広く寄与するものである。〔後略〕

 

すなわち,我が国国権の最高機関たる国会(日本国憲法41条)が立法を通じて示した判断によると(ちなみに,スポーツ基本法は正に議員立法です。),「国際競技大会における日本人選手の活躍」を見ても「誇りと喜び」を感じず,「夢」を抱かず「感動」もしない者は,「国民」に非ずということになるようです。

福本伸行作品は,反日漫画なのでしょうか。

否。前記福本作品主人公に生じたところの「感動などないっ・・・!」との唐突な感覚については,日本チームとトルコ・チームとの当該試合において,日本チームが0対1で不甲斐なくも敗退したことが原因であったというべきです。

予選リーグ突破でさんざん期待を高めておいた挙句に決勝トーナメント1回戦であっさり零敗してしまう当該日本人選手らは,国際競技大会において「活躍」していたものとはいえません(「競」技大会なので,勝ち負けが争われ,したがって,勝つことが重要です。)。「活躍」なければ「感動」なし。これはスポーツ基本法からしても当り前のことです。そうであれば,国際競技大会における勝利なき日本人選手らは,何ら我ら国民の「誇り」の対象とはならず,罵声を浴びることなく無関心をもって遇されれば上々ということになるのでしょう。

 

2 健全な肉体と健全な精神

ところで,スポーツ基本法は,「国は,優秀なスポーツ選手及び指導者等〔スポーツの指導者その他スポーツの推進に寄与する人材(同法11条)〕が,生涯にわたりその有する能力を幅広く社会に生かすことができるよう,社会の各分野で活躍できる知識及び技能の習得に対する支援並びに活躍できる環境の整備の促進その他の必要な施策を講ずるものとする。」(同法25条2項)と規定していますが,国からの「生涯にわた」る当該支援の対象となるスポーツ選手は飽くまでも「優秀な」スポーツ選手です。ここでの優秀なスポーツ選手に係る「その有する能力」とは,健全な身体のみならず輝くばかりの健全な精神に裏打ちされたものなのでしょう(そうでなければそもそも「幅広く社会に生かす」べきものとはならないでしょう。なお「JOC強化指定選手を対象にした調査では,競技引退後の職業としてもっとも希望が多いのは「スポーツ指導者」である」そうです(日本スポーツ法学会編『詳解スポーツ基本法』(成文堂・2011年)189頁)。)。他方,国民に感動を与えられなかった優秀ではないスポーツ選手は,支援対象にはなりません。優秀なスポーツ選手に比べて精神の健全性がなお不十分だということになるからでしょうか。

 

mens sana in corpore sano. (Juvenalis, Saturae 10.356)

健全な精神は健全な肉体に宿る。

 

有名なユウェナリスの句は,「〔前略〕「身体を健全に保っておきさえすれば,精神なんていうものはおのずと健全になるものだ」と読める〔後略〕」ものです(柳沼重剛『ギリシア・ローマ名言集』(岩波文庫・2003年)112頁)。(ただし,原文の一部のみが切り取られて人口に膾炙したものだそうで,正確には“orandum est ut sit mens sana in corpore sano.”の形で引用されるべきものだそうです。「健全な精神が健全な肉体に宿るようにと祈られるべきである」が原意であって,“mens sana in corpore sano est.”との事実を述べる文ではありません。)

スポーツ基本法前文第2項は,伝ユウェナリスの“mens sana in corpore sano”原則に関して,「スポーツは,心身の健全な発達〔略〕等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり,今日,国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠なものとなっている。」と宣言しています。スポーツは身体活動ですから第一次的には身体の健全な発達をもたらし(健全な肉体corpus sanum),その結果として精神(心)も健全に発達するものでしょう(mens sana)。しかして,スポーツは,心身ともに健康で文化的な生活を営む上で「不可欠」であるとされています。すなわち,スポーツなければ心身ともに健康で文化的な生活なし,という関係の存在が認定されているわけです。

 

3 スポーツ参加への熱きすゝめ

ということは,物臭なのか信念なのか何らかの理由でスポーツをしない者は,心身ともに健康で文化的な生活を営むことが不可能になりますから,日本国憲法25条1項によってありがたくも国民に与えられた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を不逞にもなみする者ということになります。

 

  Il faut sauver les peoples malgré eux. (Napoléon Bonaparte)

  人民は,その意に反して救われねばならぬ。

  

 2011年8月23日以前の古いスポーツ振興法1条2項は,やや慎重に,「この法律の運用に当たつては,スポーツをすることを国民に強制し,又はスポーツを前項の目的〔「国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与する」目的〕以外の目的のために利用することがあつてはならない。」と規定していましたが,スポーツをすることを強制することの禁止等に係る当該条項は,スポーツ基本法からは削られています。

「施策の方針」との見出しが付されたスポーツ振興法3条の第1項は,また,「国及び地方公共団体は,スポーツの振興に関する施策の実施に当たつては,国民の間において行われるスポーツに関する自発的な活動に協力しつつ,ひろく国民があらゆる機会とあらゆる場所において自主的にその適性及び健康状態に応じてスポーツをすることができるような諸条件の整備に努めなければならない。」と規定してなお国民の側からする「自発的な活動」を待つ受け身の姿勢を前提としていたようなのですが,「基本理念」との見出しが付されたスポーツ基本法2条の第1項は「スポーツは,これを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利であることに鑑み,国民が生涯にわたりあらゆる機会とあらゆる場所において,自主的かつ自律的にその適性及び健康状態に応じて行なうことができるようにすることを旨として,推進されなければならない。」と規定して今や直接的にスポーツの推進がされる形になっています(要は「スポーツは・・・推進されなければならない。」ということです。)。「国,地方公共団体及びスポーツ団体」は,飽くまでも,「スポーツへの国民の参加及び支援を促進するように努めなければならない。」ので(スポーツ基本法6条),スポーツ嫌いだからとわがままを言ってもスポーツへの参加及び支援を促す熱い働きかけは止まりません。

 

4 スポーツの目的

 

(1)スポーツ基本法による拡大

スポーツ振興法の目的は「国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与する」こと(同法1条1項)に限定されていましたが(同条2項後段),スポーツ基本法は欲張って,「国民の心身の健全な発達,明るく豊かな国民生活の形成」に加えて「活力ある社会の実現及び国際社会の調和ある発展に寄与すること」をも同法の目的にしています(同法1条)。スポーツの利用目的も限定的なものとはされていません(スポーツ振興法1条2項後段対照)。

 

(2)スポーツによる「活力ある社会の実現」

スポーツによる「活力ある社会の実現」の具体的イメージは,「スポーツは,人と人との交流及び地域と地域との交流を促進し,地域の一体感や活力を醸成するものであり,人間関係の希薄化等の問題を抱える地域社会の再生に寄与するものである。さらに,スポーツは,心身の健康の保持増進にも重要な役割を果たすものであり,健康で活力に満ちた長寿社会の実現に不可欠である。」というもの(スポーツ基本法前文第4項)等のようです。

その結果,「スポーツは,人々がその居住する地域において,主体的に協働することにより身近にスポーツに親しむことができるようにするとともに,これを通じて,当該地域における全ての世代の人々の交流が促進され,かつ,地域間の交流の基盤が形成されるものとなるよう推進されなければならない。」ということになって(スポーツ基本法2条3項),なかなか面倒臭い。

 

(3)スポーツによる「国際社会の調和ある発展」

スポーツによる「国際社会の調和ある発展」の具体的イメージは,「スポーツの国際的な交流や貢献が,国際相互理解を促進し,国際平和に大きく貢献するなど,スポーツは,我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである。」というもののようです(スポーツ基本法前文第5項後段)。

しかし,サッカー・ワールド・カップ予選での両国チームの対戦を契機に勃発した1969年7月のエル・サルバドルとホンジュラスとの間のサッカー戦争というものもありましたから,スポーツが国際平和に常に直ちに貢献するとは限らないようなので,「国際相互理解を促進し,国際平和に大きく貢献」する国際スポーツ交流は,洗練された「接待ゴルフ」的なものが想定されているのでしょうか。確かに,我が国の内閣総理大臣は,アメリカ合衆国大統領と親しくゴルフをしつつ,「我が国の国際的地位の向上」に努めています。

 

 Playing golf with Prime Minister Abe and Hideki Matsuyama, two wonderful people!

   Donald J. Trump, @realDonaldTrump, November 4, 2017 (U.S. Time)

 

  While they were on the green at the swanky Kasumi[gaseki] Country Club on Sunday, Abe fell into a bunker and performed a ninja-like stunt – all without Trump’s knowledge.

   The Washington Post website (by Anna Fifield), November 8, 2017


  
Q Did you see Abe fall at the sand trap?

       PRESIDENT TRUMP: I didn’t. I say this: If that was him, he is one of the greatest gymnasts  because the way he – (laughter) – it was like a perfect – I never saw anything like that.

         Remarks by President Trump in Press Gaggle aboard Air Force One en route Hanoi, Vietnam (November 11, 2017) whitehouse.gov

 

七転び八起き

そうであれば,むきになって日本人選手による勝利の独占ばかりを目指して諸外国の不興をかってはいけないように思われます。しかし,この点,スポーツ基本法2条6項は「大人の対応」的ではない条項です。「スポーツは,我が国のスポーツ選手(プロスポーツの選手を含む。以下同じ。)が国際競技大会(オリンピック競技大会,パラリンピック競技大会その他の国際的な規模のスポーツの競技会をいう。以下同じ。)又は全国的な規模のスポーツの競技会において優秀な成績を収めることができるよう,スポーツに関する競技水準(以下「競技水準」という。)の向上に資する諸施策相互の有機的な連携を図りつつ,効果的に推進されなければならない。」と規定されています。文部科学大臣が2017年3月24日に定めた第2期スポーツ基本計画(平成29年度~平成33年度)(スポーツ基本法9条1項に基づくもの)においては,「政策目標」として,「日本オリンピック委員会(JOC)及び日本パラリンピック委員会(JPC)の設定したメダル獲得目標を踏まえつつ,我が国のトップアスリートが,オリンピック・パラリンピックにおいて過去最高の金メダル数を獲得する等優秀な成績を収めることができるよう支援する。」と記されています(第3章3)。

なお,プロスポーツの選手についても,スポーツ基本法2条6項の括弧書きによってアマチュアのスポーツ選手と同様に取り扱われることになっています。この点,スポーツ振興法3条2項は「この法律に規定するスポーツの振興に関する施策は,営利のためのスポーツを振興するためのものではない。」と規定していたところです。

 

(4)勝ちにこだわるべき競技水準重視主義

 プロスポーツの選手は,スポーツ振興法においては,その第16条の2で「国及び地方公共団体は,スポーツの振興のための措置を講ずるに当たつては,プロスポーツの選手の高度な競技技術が我が国におけるスポーツに関する競技水準の向上及びスポーツの普及に重要な役割を果たしていることにかんがみ,その活用について適切な配慮をするように努めなければならない。」との形で登場していました。「競技技術」が高度だからプロスポーツの選手も活用をするに足りる,ということです。「技」は定義上優劣を争うものであって勝ち負けがありますから,「競技技術」が高度なプロスポーツの選手とはよく勝つプロスポーツの選手ということであり,「スポーツに関する競技水準の向上」ということはスポーツ競技で勝てるようにするということでしょう。スポーツ競技で勝てば,当該「スポーツの普及」は後からついてくる,という発想だったのでしょう。なお,枝番号であることから分かるとおり,スポーツ振興法16条の2は1961年の制定当初にはなかった条文で,1998年の平成10年法律第65号によって後から挿入されたものです。

 スポーツ振興法16条の2と3条2項との関係については,1998年2月17日の参議院文教・科学委員会において,馳浩委員から「本法律案の16条の2はプロ選手の協力を仰ぐ形になっておりまして,すなわちプロ選手の技術指導に期待しております。この点は非常によいことと評価したいと思います。/しかし,プロ選手からの恩恵を受けることを考えながらも,3条において「この法律に規定するスポーツの振興に関する施策は,営利のためのスポーツを振興するためのものではない。」,プロスポーツの振興はこの法律では無関係だとうたっております。これは語弊があるかもしれませんが,プロ選手の技術指導等の恩恵を受けることを念頭に置きながらも,第3条があることによってプロ選手,プロ協会に対して恩をあだで返すような,非常に国や自治体は虫がよ過ぎるのではないかというふうな印象を受けますが,この点についてどうお考えでしょうか。」との質疑がありました。

 スポーツ振興法においては,競技水準の向上は同法16条の2に出て来る程度でした。同法14条は「国及び地方公共団体は,わが国のスポーツの水準を国際的に高いものにするため,必要な措置を講ずるよう努めなければならない。」と規定していましたが,努力義務にとどまるとともに,「スポーツの水準」という漠とした言い方を採用して具体的な「競技水準」の向上云々にまでは言及していません。

 これに対してスポーツ基本法においては,「競技水準」の語が頻出します(2条6項,5条1項,12条1項,16条2項,18条,19条及び28条並びに第3章第3節節名)。およそスポーツ団体(スポーツの振興のための事業を行うことを主たる目的とする団体(スポーツ基本法2条2項括弧書き))たるものはちんたらのどかにスポーツの普及をすることにとどまることなく「競技水準の向上」にも「重要な役割」を果たすべきものと位置付けられ(同法5条1項),国及び地方公共団体の努力義務の対象たるスポーツ施設整備等はのんびり「国民が身近にスポーツに親しむことができるようにする」ためのみならず厳しく「競技水準の向上を図ることができるよう」にするためにも行われるべきものとされ(同法12条1項),「競技水準の向上を図るための調査研究の成果及び取組の状況に関する〔略〕国の内外の情報の収集,整理及び活用について必要な施策を講ずる」ことまでをも国がするものとされ(同法16条2項),更に国は「スポーツ産業の事業者」が「スポーツの普及又は競技水準の向上」を図る上で重要な役割を果たすことを認め(同法18条),国及び地方公共団体による「スポーツに係る国際的な交流及び貢献を推進」するための施策は端的に「我が国の競技水準の向上を図るよう努める」ことの一環であるとされ(同法19条),並びに企業は事業でお金儲け,学生は学問が本分であるように思われるにもかかわらず「国は,スポーツの普及又は競技水準の向上を図る上で企業のスポーツチーム等が果たす役割の重要性に鑑み,企業,大学等によるスポーツへの支援に必要な施策を講ずるもの」とまでされています(同法28条。同条については,大学スポーツ支援に関して「具体的なことはまったく不明であるし,そもそも法律で規定する必要があるのか疑問である。」と評されています(日本スポーツ法学会編61頁)。)。

 「国は,優秀なスポーツ選手を確保し,及び育成するため,〔略〕必要な施策を講ずるものとする。」ということであれば(スポーツ基本法25条1項),外国選手に対して次々と勝利を重ねる「優秀なスポーツ選手」は,今や国家的に期待される日本の宝なのでしょう。

 スポーツ振興法15条は「国及び地方公共団体は,スポーツの優秀な成績を収めた者及びスポーツの振興に寄与した者の顕彰に努めなければならない。」と規定していましたが,スポーツ基本法20条は「国及び地方公共団体は,スポーツの競技会において優秀な成績を収めた者及びスポーツの発展に寄与した者の顕彰に努めなければならない。」と一部修正しています。顕彰に値する「スポーツの優秀な成績」とは「スポーツの競技会」における「優秀な成績」,すなわちスポーツ競技における勝利でしかあり得ない,ということを明らかにしたという趣旨なのでしょう(日本スポーツ法学会編127頁参照)。
 「日本スポーツ法学会」も,スポーツの要素は競争であるとの認識を有しているようです。「スポーツについて,本学会〔日本スポーツ法学会〕の初代会長であった故千葉正士先生は「一定の規則の下で,特殊な象徴的様式の実現をめざす,特定の身体行動による競争」と定義し(千葉正士=濱野吉生編『スポーツ法学入門』6頁(1995年))」ていたとのことです(日本スポーツ法学会編・はしがきⅰ)。

 

5 体育の日と被収容者等のスポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む権利との関係

 

(1)スポーツの日から体育の日へ

 スポーツ基本法においては,スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことが権利である旨謳われるとともに(同法2条1項,前文第2項),「国及び地方公共団体は,国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)第2条に規定する体育の日において,国民の間に広くスポーツについての関心と理解を深め,かつ,積極的にスポーツを行う意欲を高揚するような行事を実施するよう努めるとともに,広く国民があらゆる地域でそれぞれその生活の実情に即してスポーツを行うことができるような行事が実施されるよう,必要な施策を講じ,及び援助を行うよう努めなければならない。」と規定しています(スポーツ基本法23条。努力規定なのは,せっかくの「国民の祝日」の休日(国民の祝日に関する法律3条1項)に行事があるのは,お役人さま方にとってしんどいからでしょうか。)。これは,1961年の成立当初のスポーツ振興法5条に「国民の間にひろくスポーツについての理解と関心を深めるとともに積極的にスポーツをする意欲を高揚するため,スポーツの日を設ける。/スポーツの日は,10月の第1土曜日とする。/国及び地方公共団体は,スポーツの日の趣旨にふさわしい事業を実施するとともに,この日において,ひろく国民があらゆる地域及び職域でそれぞれその生活の実情に即してスポーツをすることができるような行事が実施されるよう,必要な措置を講じ,及び援助を行なうものとする。」と規定されていたものを承けたものです。当時のスポーツの日は「国民の祝日」ではなかったわけで,したがって休日ではありませんでした。
 体育の日が建国記念の日及び敬老の日と共に「国民の祝日」に加えられたのは,
1966年の昭和41年法律第86号によってでした(同法によるスポーツ振興法5条のスポーツの日及び老人福祉法(昭和38年法律第133号)5条の老人の日の各「国民の祝日」化は,政治的に大議論となった建国記念の日を「国民の祝日」に加えることを呑んでもらうためのいわば甘いオブラートだったのでしょう。)。体育の日の趣旨は,「スポーツにしたしみ,健康な心身をつちかう」となっています(国民の祝日に関する法律2条)。その後の体育の日及び敬老の日関係の法改正を見ると,1998年の平成10年法律第141号によって体育の日は1010日から10月の第2月曜日に変更になり(スポーツ振興法においてスポーツの日が復活することはなし。),他方,2001年の平成13年法律第59号によって敬老の日が9月15日から9月の第3月曜日に変更されるとともに,9月15日の老人の日が老人福祉法5条において復活しています。

 

(2)体育の日における被収容者等の運動

しかし,国民の祝日に関する法律2条及びスポーツ基本法23条は,刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(平成17年法律第50号)との関係でいささか皮肉な規定となっています。

 刑事施設の被収容者(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律2条1号),留置施設の被留置者(同条2号)及び海上保安留置施設の海上保安被留置者(同条3号)も日本国民である限りにおいては,スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む権利を有するはずです(スポーツ基本法2条1項,前文第2項)。これに対応して,刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律57条1項本文は「被収容者には,日曜日その他法務省令で定める日を除き,できる限り戸外で,その健康を保持するため適切な運動を行う機会を与えなければならない。」と規定しており,当該規定は被留置者について準用され(同法204条。「法務省令」を「内閣府令」に読み替える。),海上保安被留置者については「海上保安被留置者には,国土交通省令で定めるところにより,その健康を保持するための適切な運動を行う機会を与えなければならない。」と規定されています(同法255条)。
 しかるに,刑事施設及び被収容者の処遇に関する規則(平成
18年法務省令第57号)24条1項1号は国民の祝日に関する法律に規定する休日(同規則19条2項2号)をも刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律57条に規定する法務省令で定める日(被収容者に運動を行う機会を与えない日)とし,国家公安委員会関係刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律施行規則(平成19年内閣府令第42号)16条は同法204条において準用する同法57条の内閣府令で定める日(運動を実施しない日)を当該留置施設の属する都道府県の休日(のうち日曜日を除いた日)としています(国民の祝日に関する法律に規定する休日は都道府県の休日となります(地方自治法(昭和22年法律第67号)4条の2第2項2号)。)。すなわち,国民の祝日に関する法律の規定する休日たる体育の日には,同法2条及びスポーツ基本法23条の規定にかかわらず,被収容者及び被留置者は運動ができないのです。(ただし,海上保安留置施設及び海上保安被留置者の処遇に関する規則(平成19年国土交通省令第61号)11条柱書きは「法第255条に規定する運動の機会は,海上保安被留置者が運動を行いたい旨の申出をした場合において,次に掲げるところにより与えるものとする。」と規定し,「次に掲げるところ」は「運動の場所は,居室外の採光,通風等について適当な場所とすること。」(同規則11条1号)及び「運動の時間は,1日につき30分を下回らない範囲で海上保安留置業務管理者が定める時間とすること。」(同条2号)のみであるので,体育の日()あって(﹅﹅﹅)()海上保安被留置者は運動ができるようです。)

 

6 「スポーツ立国」とは何か

 

(1)スポーツ基本法前文の文言

 ところで,スポーツ基本法前文第7項は「国民生活における多面にわたるスポーツの果たす役割の重要性に鑑み,スポーツ立国を実現することは,21世紀の我が国の発展のために不可欠な重要課題である。」と記し,同第8項は「ここに,スポーツ立国の実現を目指し,国家戦略として,スポーツに関する施策を総合的かつ計画的に推進するため,この法律を制定する。」と結んでいます。ここでいう「スポーツ立国」とは何を意味するのでしょうか。(2011年6月16日の参議院文教科学委員会において江口克彦委員から「スポーツ立国」とは何かという端的な問いかけがあったのですが,これに対して髙木義明文部科学大臣は「スポーツ立国戦略」の説明をもって答えており,噛み合っていません。)

 

(2)“Sport Nation”

 文部科学省のウェブサイトにある非公式の英語への仮訳では,「スポーツ立国」は“sport nation”ということだそうです。手元の辞書(Oxford Advanced Learner’s Dictionary of Current English, 4th edition)によれば“make sport of somebody”との熟語があり,当該熟語は“mock or joke about somebody”の意味であるとありますから,“The ‘sport nation’ idealized by Japan’s Basic Act on Sport shall be realized through making sport of the Japanese Nation.”ということになるとまずいですね。生物学ではsport“plant or animal that deviates in some unusual way from the normal type”という意味で使うこともあるようです。確かに日本は特殊ではあるのでしょう。

 

(3)スポーツ基本法における「スポーツ」   

 スポーツ基本法の本則には「スポーツ」の定義はないのですが,「心身の健全な発達,健康及び体力の保持増進,精神的な充足感の獲得,自律心その他の精神の(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動」ということなのでしょう(同法前文第2項)。スポーツ振興法2条では「この法律において「スポーツ」とは,運動競技及び身体運動(キャンプ活動その他の野外活動を含む。)であって,心身の健全な発達を図るためにされるものをいう。」と定義されていました。目的についていろいろとうるさいのは,推進ないしは振興されるべき「スポーツ」が邪悪な目的のものであっては困るからでしょう

 しかし,「スポーツは,次代を担う青少年の体力を向上させるとともに,他者を尊重しこれと協同する精神,公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培い,実践的な思考力や判断力を育む等人格の形成に大きな影響を及ぼすものである。」ということになると(スポーツ基本法前文第3項),真面目過ぎて息苦しく,楽しくないですね。無論,このような立派な効能は,「次代を担う」青少年にのみ期待されるものであって,人格が既に形成されてしまった残念な大人は,スポーツをしても,他者を尊重しこれと協同する精神,公正さと規律を尊ぶ態度や克己心などはもはやつゆ培われず,実践的な思考力や判断力も今更身に付かないのでしょう。期待値が低いということは,ある意味気楽ではあります。しかして,そのような大人から生まれた子であるのですから,「次代を担う」ほどの才質に恵まれない平凡な多数青少年にとっても事情は同様でしょう。(ただし,スポーツ基本法2条2項は,およそ「心身の成長の過程にある青少年」であれば「公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培う」スポーツの効能は全員に及ぶべきものであるという認識を前提としています。)なお,青少年が学校で行うべきものと国会が考えるスポーツの種類はスポーツ基本法17条の規定から窺知されるところです。同条においては「体育館,運動場,水泳プール,武道場その他のスポーツ施設の整備」が国及び地方公共団体の努力義務の対象とされていますから,「武道場」で行われるべき武道が含まれるようです。相手方に物理的実力を加えることによって勝つことを学ぶ術ですね。
  スポーツ基本法2条2項は児童の権利に関する条約(平成6年条約第2号)31条1項の「休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利」と「関連」するものであるとも説かれています(日本スポーツ法学会編24‐25頁)。しかし,大人びて「規律を尊」び「克己心を培」いつつ過ごすのでは,休息や余暇もなかなか子供らの疲れを回復させにくいようです。


(4)Sportの原義

 とはいえ,スポーツ基本法のように「スポーツ」をひたすら真面目一方かつ御立派なものと位置付けるのは,sportの本来の語義からの逸脱であるように思われます。

 

   sportdisport(遊ぶ;戯れる)から15世紀に語頭音消失(aphesis)によって生まれた言葉である。L dis- (away)L portareから造語されたOF desporter (to seek amusement)が借入されたものであり,この言葉の原義はto carry oneself in the opposite direction,すなわち,to carry oneself from one’s workである。(梅田修『英語の語源辞典』(大修館書店・1990年)306頁。なお,Lはラテン語,OFは古フランス語の意味です。)

 

 仕事(one’s work)から逃避して時間潰しの楽しみを求める(to seek amusement)のが本来のsportならば,sportで立国が可能なものかどうか。福沢諭吉流には立国の大本は瘠我慢ということになるのですが(『瘠我慢の説』),瘠我慢は楽しくはありません。「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む」ことと瘠我慢とは別でしょう。

 

  duas tantum res anxius optat,

     panem et circenses. (Juvenalis, Saturae 10.80)

  二つのことばかりを心配し望んでいる,すなわち,麵麭と大円形競技場における競技とを。

 
DSCF0869
 optamus, calidum canem et basipilam.

(5)頑張れ!日本ニッポン

 あるいは「スポーツ立国」とは,スポーツ競技における国別対抗性を是認した上で,「すでに一国の名を成すときは人民はますますこれに固着して自他の分を(あきらか)にし,他国他政府に対しては(あたか)も痛痒相感ぜざるがごとくなるのみならず,陰陽表裏共に自家の利益栄誉を主張してほとんど至らざるところなく,そのこれを主張することいよいよ盛なる者に附するに忠君愛国等の名を以てして,国民最上の美徳と称する」(『瘠我慢の説』)ところの現実に棹さして,我が国人民が日本人選手・日本チームの勝利栄誉を主張支援してほとんど至らざるところなきことを全からしめようとするものでしょうか。そうであれば,「スポーツは,我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである」とは国際競技大会における日本人選手・日本チームの勝利栄誉あってのことであり,「国際相互理解」とは外国及び外国人が「我が国の国際的地位」の高きことを認めることであり,「国際平和」にとっては我が国の国際的地位の高さに係る他国による当該「国際相互理解」が前提として不可欠であるということになるようにも思われます(スポーツ基本法前文第5項)。2009年5月29日にスポーツ議員連盟(超党派)によって了承された「スポーツ基本法に関する論点整理」には,「スポーツの普遍的な価値や公共的な意義」の一つとして,「スポーツを通じた国際交流によって〔略〕健全な国家アイデンティティの育成に貢献すること」が挙げられていたところです。

 しかし,「国際相互理解」や「国際平和」に関する点については,2010年8月26日に文部科学大臣が決定した「スポーツ立国戦略」においては「スポーツの国際交流は,言語や生活習慣の違いを超え,同一ルールの下で互いに競い合うことなどにより,世界の人々との相互の理解を促進し,国際的な友好と親善に資する」ものであるとされています。一応もっともらしいのですが,「同一ルールの下」に共にいる姿となっていることによって深い「国際相互理解」等があたかも達成されているかのように見える(実は,双方とも,理解しているのは相手ではなく,「ルール」だけかもしれません。),ということだけのようにも思われます。どうでしょうか。

 

(6)「新たなスポーツ文化」

 前記「スポーツ立国戦略」は,「スポーツの意義や価値が広く国民に共有され,より多くの人々がスポーツの楽しさや感動を分かち,互いに支え合う「新たなスポーツ文化」を確立することを目指すものである。」とされています。それなら「スポーツ立国戦略」といわずに「新たなスポーツ文化確立戦略」とでもいってくれた方が分かりやすかったようです。

 「スポーツ立国戦略」では,「さらに多くの人々が様々な形態(する,観る,支える(育てる))でスポーツに積極的に参画できる環境を実現することを目指している。」ともいわれています。スポーツをする人がスポーツの「楽しさ」を感じて,スポーツを観る人がトップアスリートに「感動」して,それらの人々がトップアスリート等を支える(お金を出す等)といった形が想定されているのでしょうか(ただし,「支える(育てる)人」については,清貧に,「指導者やスポーツボランティア」といった人たちが一応考えられていたようです(日本スポーツ法学会編17頁)。)。いずれにせよ,「感動」は「スポーツ立国」における鍵概念であるようです。スポーツを観ることには「感動などないっ・・・!」と一方的に言い募られてしまっては全てがぶち壊しです。2018年の今年は,ロシアでサッカー・ワールド・カップ大会が開催されます

 

  頑張れ!日本(ニッポン)

 

  Libenter homines id quod volunt credunt. (Caesar, De Bello Gallico 3.18)

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 

1 フィンテック法による仮想通貨に係る法規制

 何やら難しく響く名称の「仮想通貨」について論ずることは,一般の方々においては敬遠されているだろう,したがって,当該主題について書くと,「長い」「難しい」とつとに評判の悪い本ブログの読者を更に減らすことであろうとばかり思っていました。

 しかしながら最近,仮想通貨の将来性及びそこにおける投資機会について熱心に語られる年配の御婦人方と会う機会があり,考えを改めました。今や仮想通貨の日常化はすぐそこまで来ているのであり,そうであるのならば,あらかじめ,仮想通貨に関する法規制に関して一般の方々もある程度の知識を持っておられる方がよいと考えるに至ったものです。

 今年(2016年)6月3日に公布された情報通信技術の進展等の環境変化に対応するための銀行法等の一部を改正する法律(平成28年法律第62号。長い題名ですので以下「フィンテック法」と呼称することにしましょう。)によって,仮想通貨概念は既に実定法化されているところです。具体的には,フィンテック法11条によって改正される資金決済に関する法律(平成21年法律第59号。以下「資金決済法」といいます。)の改正後2条5項が次のように規定しています(なお,フィンテック法の施行は,公布の日(2016年6月3日)から起算して1年を超えない範囲内において政令で定める日からです(同法附則1条)。)。

 

 5 この法律において「仮想通貨」とは,次に掲げるものをいう。

  一 物品を購入し,若しくは借り受け,又は役務の提供を受ける場合に,これらの代価の弁済のために不特定の者に対して使用することができ,かつ,不特定の者を相手方として購入及び売却を行うことができる財産的価値(電子機器その他の物に電子的方法により記録されているものに限り,本邦通貨及び外国通貨並びに通貨建資産を除く。次号において同じ。)であって,電子情報処理組織を用いて移転することができるもの

  二 不特定の者を相手方として前号に掲げるものと相互に交換を行うことができる財産的価値であって,電子情報処理組織を用いて移転することができるもの

 

 なお,通貨建資産については,改正後資金決済法2条6項が次のように定義しています。

 

6 この法律において「通貨建資産」とは,本邦通貨若しくは外国通貨をもって表示され,又は本邦通貨若しくは外国通貨をもって債務の履行,払戻しその他これらに準ずるもの(以下この項において「債務の履行等」という。)が行われることとされている資産をいう。この場合において,通貨建資産をもって債務の履行等が行われることとされている資産は,通貨建資産とみなす。

 

 やはり難しいですね。

長くなりすぎず,難しくなりすぎないように注意しながら,今回の記事を書いていこうと思います。

なお,「現在交換所において法定通貨との取引が確認されている,ビットコイン(Bitcoin),ライトコイン(Litecoin),ドージコイン(Dogecoin)は①〔改正後資金決済法2条5項1号〕の定義に該当し,ビットコインと相互に交換ができるイーサ(Ether),カウンターパーティコイン(XCP)などは,②〔改正後資金決済法2条5項2号〕の定義に該当すると考えられ」ています(堀天子『実務解説資金決済法[第2版]』(商事法務・2016年)37頁)。

 

2 仮想通貨の定義に係る解釈

まず,改正後資金決済法2条5項による仮想通貨の定義についてです。この定義をかみ砕いたものとしては,次のような国会答弁が,麻生太郎国務大臣(金融担当)からされています。

 

・・・仮想通貨というものは,いわゆるマネーロンダリングとかテロ資金供与の対策のために国際基準というものをつくらねばいかぬということで,多国間の枠組みでありますファイナンシャル・アクション・タスク・フォース,FATFというものの定義というのがございますので,それを踏まえて,〔一,〕不特定の者に対して対価の弁済に使用でき,かつ,不特定の者を相手方として法定通貨と相互に交換できる,二,電子的に記録され,移転ができる,三,法定通貨または法定通貨建ての資産ではないとの性質を有する財産的価値と定義をいたしております。

 したがいまして,プリペイドカードなどの前払い式の支払い手段とか,その他,企業が発行しますポイントカードなどにつきましては,例えば,それらを使用可能な店舗というものが特定の範囲に限られておりますので,不特定の者に対して対価の弁済に使用できないものであるならば,これは基本的には仮想通貨には該当しない,そういうように定義をされております。

(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第1613頁)

 

 池田唯一政府参考人(金融庁総務企画局長)は,仮想通貨とそれ以外のものとの切り分けについて次のように答弁しています。

 

  仮想通貨の定義に特定の取引が該当するかどうかは,個別の商品,サービスごとに具体的に判断されるべきものでありますが,一般論で申し上げれば,ただいまお尋ねのありましたポイント〔Tポイント,ANAマイル等〕ですとか電子マネー〔Suica等〕ですとかゲーム内で利用可能な通貨につきましては,例えば,それらを使用可能な店舗が発行者との契約や利用者への表示等で示されている,そして,そうしたものの交換を行う不特定の者が存在しないという通常の形態のものであるということでありますと,基本的には,仮想通貨には該当しないものと考えられるかと考えております。

 (第190回国会衆議院財務金融委員会議録第161920頁)

 

 FATFについては,「平成元年(1989年)に,マネロン・テロ資金供与対策の国際基準(FATF勧告)作りを行うための多国間の枠組みとして設立。FATF勧告は,世界190以上の国・地域に適用。FATF勧告の履行状況は加盟国間で相互審査がなされ,その際に特定された不備事項の改善状況についてフォローアップがなされる。」と紹介されています(金融審議会決済業務等の高度化に関するワーキング・グループ報告「決済高度化に向けた戦略的取組み」(20151222日)27頁註63)。

 2015年6月26日のFATFの「リスクに基づく仮想通貨へのアプローチのためのガイドライン(Guideline for a Risk-Based Approach to Virtual Currencies)」(以下「FATFガイドライン」といいます。)においては,仮想通貨(virtual currency)は次のように定義されています。

 

  仮想通貨とは,価値のディジタル表現(digital representation of value)であって,ディジタル方式によって取引されることができ(can be digitally traded),かつ,(1)交換の媒体(medium of exchange)として及び/又は(2)評価の単位(unit of account)として及び/又は(3)価値の保蔵手段(store of value)として機能するものであるが,いずれの法域においても法貨(legal tender)としての地位(すなわち,債権者に対して提供されたときには,有効かつ法定の支払の提供であるもの)を有しないものである。仮想通貨は,いずれの法域からも発行又は保証されたものではなく,上記の機能は,その利用者のコミュニティ内部における合意によってのみ果たされる。仮想通貨は,発行国の法貨として指定された硬貨又は紙幣であって,流通し,かつ,発行国における交換の媒体として慣習的に使用され受領(accept)されているものである法定通貨(fiat currency)(現実通貨(real currency),リアル・マネー又は国の通貨(national currency)ともいう。)とは異なる。仮想通貨は,法定通貨建ての価値を電子的に移転するために利用されるところの法定通貨のディジタル表現であるeマネーとは異なる。Eマネーは,法定通貨のディジタル方式による移転のための仕組み,すなわち,法貨としての地位を有する価値を電子的に移転するものである。

 (FATFガイドライン26頁)

 

 仮想「通貨」と名付けられているとはいえ,フィンテック「法案では,現時点〔2016年4月27日〕で仮想通貨が通貨と同等の性質を有しないということを前提としつつ,支払い決済手段としての機能を事実として有することがあることに鑑みて,仮想通貨と法定通貨の交換業者について一定の規制を設けることとし」たものです(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第1611頁(牧島かれん内閣府大臣政務官))。フィンテック法によって「この仮想通貨を通貨や公的な支払とか決済手段として認定したというわけではありませんで,また,大体六百以上種類存在すると言われておりますこの仮想通貨に対してお墨付きを与えるものでもない」ところです(第190回国会参議院財政金融委員会会議録第1417頁(麻生太郎国務大臣(内閣府特命担当大臣(金融))))。お墨付きは与えないものの,「利用者の利便性とか経済効率性というところから,これは当事者間の自由意思を尊重するということが望ましいということになるんだと思いますけれども,いわゆる適切な判断で利用者の保護とか取引の安全確保というものが可能であることなどから,〔仮想通貨の〕全面的な禁止をするよりはバランスの取れた規制ということを考えるべき」との趣旨でされた立法であるということになります(第190回国会参議院財政金融委員会会議録第1418頁(麻生国務大臣))。

 「仮想通貨は,不特定の者に対して使用できるものであることを要件としており,一種の通貨的な機能を持つ財産的価値を意味しているが,一般的には,法定通貨とは異なり,強制通用力までは有しない。仮想通貨で支払いを行おうとしても,当然には通用力はなく,債権者がこれを拒否した場合には弁済の効力が生じないため,交換価値があるとまでいえないという点が法定通貨との違いとして挙げられる。仮想通貨を保有する利用者が,弁済を行う際に仮想通貨を提示して代金を支払うとの意思を表示し,債権者がこれを受容した場合には,弁済(債務の履行,民法482条)の効力が発生すると考えられる。/また,仮想通貨によっては,価格の変動幅が大きく,価値が保蔵されているといえないことも法定通貨との違いである。」ということでしょうか(堀40頁)。そこにいう民法(明治29年法律第89号)482条は,「債務者が,債権者の承諾を得て,その負担した給付に代えて他の給付をしたときは,その給付は,弁済と同一の効力を有する。」と規定する代物弁済に係る規定です。「債権者がこれを拒否した場合には弁済の効力が生じない」というより以前に,弁済の提供の効果(民法492条)に関して,仮想通貨によって金銭債務の弁済に係る現実の提供(同法493条本文)がされるものと認められるかどうかも問題となりますが,これは否定に解すべきでしょう。「強制通用力の有(ママ)とは,この効力を有する範囲の貨幣をもってする弁済は本旨に従う弁済になるという意味である。」とされているところ(我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1964年(第10刷修正後))37頁),仮想通貨にはそもそも強制通用力がない前提でありました。信用ある銀行の自己宛振出小切手の交付は金銭債務の弁済の提供となるといっても(最判昭37・9・21民集16・2041参照),小切手は仮想通貨と異なりそもそも通貨をもって表示されています。また,「交換価値があるとまでいえない」といっても,交換価値があると思って交換する人もいるのでしょう。

 通貨の通用力の根拠としては,通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和62年法律第42号)7条が「貨幣は,額面価格の20倍までを限り,法貨として通用する。」と,日本銀行法(平成9年法律第89号)46条2項が「・・・日本銀行が発行する銀行券(以下「日本銀行券」という。)は,法貨として無制限に通用する。」と規定しています。ここでいう法貨とは,「取引において,法律上無制限に,又は一定の制限の範囲内において,強制通用力を有する通貨をいう。」とされ,通貨は「その抽象的な流通力を有する支払手段という点では法貨と同一の意義である」が,「法律的な強制流通力の側面に重点をおいて言い表す場合,特にその流通力の限界を規定する文脈では,「法貨」の用語が用いられている。」とされています(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)673頁)。「「通貨」という用語は,通常,強制通用力のあるもの,すなわち,法貨について用いられるが(民法402)」といわれる場合(吉国等編536頁)の民法402条1項本文は,「債権の目的物が金銭であるときは,債務者は,その選択に従い,各種の通貨で弁済をすることができる。」と規定しています。また,同条2項は「債権の目的物である特定の種類の通貨が弁済期に強制通用の効力を失っているときは,債務者は,他の通貨で弁済をしなければならない。」と規定しています(相対的金種債権と推定(我妻38頁))。現在,通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律2条3項は「・・・通貨とは,貨幣及び日本銀行法(平成9年法律第89号)第46条第1項の規定により日本銀行が発行する銀行券をいう。」と定義しています。

 米国のドル紙幣について,ミルトン・フリードマンいわく(Free to Choose)。

 

 ・・・法貨であるという性質(The legal-tender quality)は,政府は自己に対する債務の弁済及び税の納付について(in discharge of debts and taxes due to itself)当該紙片(the pieces of paper)を受領し(will accept),並びに裁判所はそれらをドルで表示された債務の弁済とみなす,ということを意味する。なぜ,財及びサービスの私的交換取引においても,私人らによってそれが受領されるのだろうか。

  各人がそれらを受領するのは,他者もそうするということについて彼が確信を有している(confident)からである,というのが端的な解答(the short answer)である。当該緑色の紙片は,価値があるものと全員が思うから価値があるのである。各人が,それらが価値を有するものと思うのは,彼の経験ではそれらは価値を有していたからである。・・・

  当該習律(convention)ないしは擬制(fiction)は決して脆弱なものではない。事態は反対であって,共通の通貨(common money)を有することの価値が余りにも大きいので,人々は非常な不都合がもたらされた状態下(under extreme provocation)にあっても当該擬制に執着するのである――ここに,後に我々が見るように,通貨発行者がインフレーションから得ることのできる利益の部分(part of the gain),さらにはインフレーション惹起への誘惑が由来するのである。・・・(Avon Books, 1980, pp.237-238

 

3 仮想通貨交換業等

 フィンテック法11条による改正後の資金決済法2条7項及び8項は,「仮想通貨交換業」及び「仮想通貨の交換等」並びに「仮想通貨交換業者」を次のように定義します。

 

 7 この法律において「仮想通貨交換業」とは,次に掲げる行為のいずれかを業として行うことをいい,「仮想通貨の交換等」とは,第1号及び第2号に掲げる行為をいう。

  一 仮想通貨の売買又は他の仮想通貨との交換

  二 前号に掲げる行為の媒介,取次ぎ又は代理

  三 その行う前2号に掲げる行為に関して,利用者の金銭又は仮想通貨の管理をすること。

 8 この法律において「仮想通貨交換業者」とは,第63条の2の登録を受けた者をいう。

 

なお,「第63条の2の登録を受けないで仮想通貨交換業を行った者」は,3年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金に処され,又はこれを併科されます(改正後資金決済法107条5号)。

仮想通貨の売買とは,仮想通貨と法貨との交換ということになります。すなわち,売買は,「当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し,相手方がこれに対してその代を支払うことを約することによって,その効力を生ずる」ものだからです(民法555条。下線部は筆者によるもの)。仮想通貨と仮想通貨との交換の契約は,正に「当事者が互いに金銭の所有権以外の財産権を移転することを約する」ものですから,民法586条1項の交換です。

「媒介」は,「ある人と他の人との間に法律行為が成立するように,第三者が両者の間に立つて尽力すること」です(吉国等編609頁)。

「取次ぎ」は,「自己の名をもって他人の計算で法律行為をなすこと」です(近藤光男『商法総則・商行為法〔第5版補訂版〕』(有斐閣・2008年)36頁)。例として,問屋(といや)があります(商法(明治32年法律第48号)551条以下)。

仮想通貨の交換業者について,FATFガイドライン29頁は次のように定義しています。

 

交換業者(exchanger)(また,仮想通貨取引所(virtual currency exchange)と呼ばれることもある。)は,業として,手数料(コミッション)を得て,仮想通貨を現実通貨,基金又は他種の仮想通貨及びまた貴金属への交換並びにその逆方向の交換に携わる(engaged)個人又は組織(entity)である。交換業者は,一般に,現金,電信送金,クレジット・カード及び他の仮想通貨を含む広範囲の種類の支払を受領し,並びに仮想通貨発行管理人とつながりがあること(administrator-affiliated)があり,ないときがあり,又は第三者としての業務提供者であることがある。交換業者は,取引所(bourse)として,又は両替商(exchange desk)として業務を行うことがある。典型的には,個人は,仮想通貨口座にマネーを預け,及び当該口座から引き出すために交換業者を利用する。

 

FATFガイドラインは,「リスク・アセスメントはまた,マネーロンダリング対策・テロ資金供与対策規制は,換金可能仮想通貨に係る結節点(nodes),すなわち,規制された金融システムへの出入口を提供するところの交錯点(points of intersection)を対象とすべきこと及び財又はサービスの購入のために仮想通貨を入手する利用者を規制することを目指すべきではないことを示すところである。当該結節点は,第三者として業務を提供する換金可能仮想通貨に係る交換業者を含む。そうである場合(where that is the case),それらはFATF勧告の下で規制されるべきである。かくして,各国は,国際基準によって規定され求められているマネーロンダリング対策・テロ資金供与対策に係る当該事項(relevant AML/CFT requirements)を,換金可能仮想通貨に係る交換業者,及び換金可能仮想通貨の動きと,規制された法定通貨に係る金融システムとが交錯する結節点となる他の種類の機関(institutions)に適用することを検討すべきである。」と勧告していました(6頁。下線部は,原文イタリック体)。

フィンテック法11条による改正後の資金決済法63条の2は,仮想通貨交換業について登録制度を設けます。登録制であって免許制を採らなかった理由については,「一般に我が国で免許と申しますと,法令による一定の行為の一般的禁止を公の機関が特定の場合に解除するという意味を持っていて,免許を受けた者をある程度独占的地位に置く性質を有するものと理解されていると思」われ,かつ,「他方,登録と申しますのは,一定の法律事実又は法律関係を行政庁等に備える特定の帳簿に記載するということで,一般には免許を付与する場合の方が登録のような場合よりも裁量が広く認められていると解されているかと考え」られることを前提に,「金融関係法令,法律では,顧客から資金を預かりリスク資産を含め運用を行う例えば銀行とか保険会社等については免許制が取られている。一方で,有価証券の売買,媒介,取次ぎなど,主として顧客から資金を預かるというようなことはありますが,運用を行うということのない金融商品取引業者ですとか受け入れた資金を顧客の指図に基づいて他者に移転させる資金移動業者,こういった者については現在〔2016年5月24日〕の金融関連法の中で登録制とされているところ」,「そうした中で,今回の仮想通貨交換業者につきましては,顧客から預かった財産を事業者の財産と分別して管理する義務が課されている〔フィンテック法11条による改正後の資金決済法63条の11第1項〕など,事業者において顧客の資産を自由に運用するというものではないということでありまして,こうしたことを踏まえまして,他の金融事業者との整合性等も勘案し,登録制ということで法律案を策定させていただいたということでございます。」と説明されています(第190回国会参議院財政金融委員会会議録第1419頁(池田唯一政府参考人(金融庁総務企画局長)))。

 フィンテック法11条による改正後の資金決済法63条の5第1項は,仮想通貨交換業の登録に係る登録拒否事由を掲げています。同項1号によると,仮想通貨交換業者は株式会社及び外国会社に限られます。同項3号は「内閣府令で定める基準に適合する財産的基礎を有しない法人」が登録申請者である場合を登録拒否事由としていますが,最低資本金として1000万円程度を求めることが当局によって考えられています(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第1620頁(池田政府参考人))。仮想通貨交換業者として登録されるためには「仮想通貨交換業を適正かつ確実に遂行する体制の整備」が行われており(同項4号),かつ,フィンテック法11条による改正後の資金決済法第3章の2となる「仮想通貨」の章の規定を遵守するために必要な体制の整備」が行われていること(同法63条の5第1項5号)等が求められています。

 

4 投資家保護規制に係る継続検討

 仮想通貨を対象とした外国為替証拠金取引(いわゆるFX)類似のハイ・リスク取引が既に行われているそうですが(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第1613頁(宮本岳志委員)),投資家保護のためのFXにおけるレバレッジの上限規制のような規制は,今回のフィンテック法においては,仮想通貨に係る取引について導入されるには至っていません。

 

  ・・・この仮想通貨を用いた取引というのを法令上どのように規制するかということにつきましては,仮想通貨と既存のいわゆる有価証券等々との類似性の程度とか,また,仮に仮想通貨を用いた取引につきましても,何らかの規制を導入する場合には,具体的にどのような類型があるかとか,また,内容の規制がふさわしいかといったことなど,これはいろいろな論点というものをもう少し整理してみる必要と,その時間も要るんだと思っております。

  したがいまして,今回の法案では,実際に投資家に被害の生じましたマウントゴックス社の破綻というものを踏まえまして,早急に仮想通貨と法定通貨との交換業者に対する登録制と,マネロンとテロ資金供与規制を導入するということにしつつ,・・・仮想通貨を用いた取引というものを法令上どのように規制するのかということにつきましては,これは今しばらく時間をいただいて,今後とも,継続して検討させていただきます。

 (第190回国会衆議院財務金融委員会議録第1614頁(麻生国務大臣)。また,同号13頁)

 

ここでいうマウントゴックス社の破綻とは,「ビットコイン」の交換所である東京都渋谷区の株式会社MTGOXが2014年2月に東京地方裁判所に民事再生手続開始の申立てをし,同年4月同裁判所は当該申立てを棄却して破産手続開始を決定(その時点での同社の資産は約39億円であったのに対し負債は約87億円あって,約48億円の債務超過),更に2015年に同社代表者が業務上横領(ビットコイン売買のため顧客が預けた資金の着服等)等の容疑で逮捕されたというものです(「情報通信技術の進展等の環境変化に対応するための銀行法等の一部を改正する法律案」に係る説明資料(金融庁・2016年3月)8頁)。

「ビットコイン」については,「平成20年〔2008年〕に「ナカモトサトシ」と名乗る人物が公表した論文に基づき,インターネット上で有志の開発者によって開発されたと言われている仮想通貨。ネットワークに参加する者の間において,電子的に移転がなされ,全ての取引履歴は,参加者が共有する公開台帳に記録される。なお,ビットコインには,発行者は存在せず,取引を認証し,公開台帳に取引を記帳した者(一般に採掘者といわれる)に対して,その報酬としてシステム上自動的に発行される。」と紹介されています(決済業務等の高度化に関するワーキング・グループ報告26頁註57)。

フィンテック法11条による改正後の資金決済法63条の10(「利用者の保護等に関する措置」との見出し)は,「仮想通貨交換業者は,内閣府令で定めるところにより,その取り扱う仮想通貨と本邦通貨又は外国通貨との誤認を防止するための説明,手数料その他の仮想通貨交換業に係る契約の内容についての情報の提供その他の仮想通貨交換業の利用者の保護を図り,及び仮想通貨交換業の適正かつ確実な遂行を確保するために必要な措置を講じなければならない。」と規定しています。

 

5 マルチ商法の客体性問題等

 

(1)連鎖販売取引の客体性

なお,消費者保護との関連でいえば,仮想通貨がマルチ商法といわれる連鎖販売取引の客体となるものかどうかも気になります。連鎖販売取引は,特定商取引に関する法律(昭和51年法律第57号)33条1項において「物品(施設を利用し又は役務の提供を受ける権利を含む。・・・)の販売(そのあつせんを含む。)又は有償で行う役務の提供(そのあつせんを含む。)の事業であつて,販売の目的物たる物品(以下・・・「商品」という。)の再販売(販売の相手方が商品を買い受けて販売することをいう。・・・),受託販売(販売の委託を受けて商品を販売することをいう。・・・)若しくは販売のあつせんをする者又は同種役務の提供(その役務と同一の種類の役務の提供をすることをいう。・・・)」若しくはその役務の提供のあつせんをする者を特定利益(その商品の再販売,受託販売若しくは販売のあつせんをする他の者又は同種役務の提供若しくはその役務の提供をあつせんする他の者が提供する取引料その他の主務省令で定める要件に該当する利益の全部又は一部をいう。・・・)を収受し得ることをもつて誘引し,その者と特定負担(その商品の購入若しくはその役務の対価の支払又は取引料の提供をいう。・・・)を伴うその商品の販売若しくはそのあつせん又は同種役務の提供若しくはその役務の提供のあつせんに係る取引(その取引条件の変更を含む。)」と定義されています。

 仮想通貨は,「物品(施設を利用し又は役務の提供を受ける権利を含む。・・・)」又は「有償で行う役務の提供」に該当するものかどうか。しかしながら,仮想通貨は少なくとも「物」たる有体物(民法85条)ではないところです。他方,金銭は所有権及び占有の対象となる動産なのですから(最判昭29115刑集81675参照),役務ではないでしょう。金銭は,「財貨の交換の用具として国家がその価格を一定したものをいう。」とされています(吉国等編176頁)。金銭が役務でないのであれば,仮想通貨も役務とはいえないのでしょう。

 ただし,仮想通貨に関する「教育パッケージ」の販売ならば,連鎖販売取引の客体たる「施設を利用し又は役務の提供を受ける権利」たる物品の販売ということになるのでしょう。

 

(2)売買及び交換と「採掘」との関係

 さて,フィンテック法の施行後は,仮想通貨交換業を行うには内閣総理大臣の登録を受けなくてはならず(改正後資金決済法63条の2,107条5号),更に外国仮想通貨交換業者(同法2条9項)は,当該登録を受けずに仮想通貨交換業に係る改正後資金決済法2条7項各号に掲げる行為の勧誘も行ってはならぬものとされています(同法63条の22)。登録を受けなければならないというのは厄介ですが,細かく見てみると「仮想通貨の売買又は他の仮想通貨との交換」(同法2条7項1号)によらずに仮想通貨を入手することに関する行為は,規制の網の目を潜れることができそうではあります。すなわち,「トークン」などを用いて仮想通貨を原始的に自ら作成(「採掘」)するのであれば,売買にも交換にも当たらないもののごとし。商法4条2項は「鉱業を営む者は,商行為を行うことを業としない者であっても,これを商人とみなす。」と規定していますが,同項のような手当てが,仮想通貨交換業の定義に関しても今後必要となるものか否か。これはいささか,先走り過ぎでしょうか。

 

6 銀行又は金融商品取引業者による仮想通貨交換業

 銀行又は金融商品取引業者が仮想通貨を取り扱えるかどうかの問題については,金融庁当局は慎重です。

 銀行の業務の範囲について規定する銀行法(昭和56年法律第59号)10条から12条までは,フィンテック法によって改められていません。

 

  一般論で申し上げますと,御指摘の仮想通貨の販売,投資,勧誘等の業務が法令で銀行に認められております業務に該当するかどうかという点は,その業務につきまして,その銀行の固有業務との機能的な親近性やリスクの同質性があるかどうか,それから,その業務規模が銀行の固有業務に比して過大ではないかなどの観点から業務の態様に応じて判断されていくべきものであると考えております。

  また,金融商品取引業者のうち,御指摘の第一種金商業者〔第一種金融取引業の定義は金融商品取引法(昭和23年法律第25号)28条1項〕あるいは投資運用業者〔投資運用業の定義は金融商品取引法28条4項〕という者については,法令に定められた一定の業務以外の業務を行う場合には当局から個別に承認を受けることが必要とされておりますが〔金融商品取引法35条4項〕,その承認に当たりましては,業務が公益に反すると認められないかどうか,あるいはリスク管理の観点から問題がないかなどの観点から判断していくことになると考えております〔同条5項〕。

  いずれにしましても,こういう判断に当たりましては,今回の法案に基づく法的枠組みの整備等を通じて,仮想通貨が銀行や金融商品取引業者が取り扱うことがふさわしい社会的な信頼等を有する決済手段として定着していくかどうかといったことも十分見極めながら判断していく必要があると考えているところでございます。

 (第190回国会参議院財政金融委員会会議録第14号5頁(池田政府参考人))

 

7 仮想通貨と税務

 

(1)消費税

 仮想通貨の事業上の取引は,消費税法(昭和63年法律第108号)2条1項8号の資産の譲渡等(「事業として対価を得て行われる資産の譲渡及び貸付け並びに役務の提供(代物弁済による資産の譲渡その他対価を得て行われる資産の譲渡若しくは貸付け又は役務の提供に類する行為として政令で定めるものを含む。)をいう。」)に該当するということで,消費税が課されます(同法4条1項)。仮想通貨は,支払手段だといっても,消費税法の別表1の第2号の支払手段(外国為替及び外国貿易法(昭和24年法律第228号)6条1項7号に規定する支払手段)に該当しないので,その譲渡は消費税法6条1項によって非課税にはならないから,と説明されています。「非課税として限定列挙されております支払い手段」である「法定通貨とか小切手とか,そういったような物品切手に該当しませんので」ということです(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第16号7頁の麻生国務大臣の答弁)。

外国為替及び外国貿易法6条1項7号は,「支払手段」として,銀行券,政府紙幣,小額紙幣及び硬貨(同号イ),小切手(旅行小切手を含む。),為替手形,郵便為替及び信用状(同号ロ),証票,電子機器その他の物に電磁的方法により入力されている財産的価値であって,不特定又は多数の者相互間で支払のために使用することができるものであり,その使用の状況が通貨のそれと近似しているものとして政令で定めるもの(同号ハ。外国為替令(昭和55年政令第260号)2条を見ると,当該政令の定めは無いようです。)並びに同号イ又はロに掲げるものとして政令で定めるもの(同号ニ)を掲げています。外国為替及び外国貿易法6条1項7号ニの「政令で定めるもの」として,外国為替令2条1項1号は約束手形を掲げ,同項2号は「法第6条1項7号イ若しくはロ又は前号に掲げるもののいずれかに類するものであって,支払のために使用することができるもの」と規定していますが,外国為替令2条1項2号の「もの」も,やはり有体物ということになるでしょう。なお,消費税法の別表1第2号は支払手段に「類するものとして政令で定めるもの」の譲渡についても消費税は課されないものとしていますが,この「政令で定めるもの」は,国際通貨基金協定15条に規定する特別引き出権です(消費税法施行令(昭和63年政令第360号)9条4項)。

 

附:小額紙幣

外国為替及び外国貿易法6条1項7号イに「小額紙幣」というものが出て来るのでこれは何だということになりますが,通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律附則2条3号によって廃止された臨時通貨法(昭和13年法律第86号)5条に「政府ハ必要アルトキハ臨時補助貨幣ノ外50銭ノ小額紙幣ヲ発行スルコトヲ得/小額紙幣ハ10円迄ヲ限リ法貨トシテ通用ス/小額紙幣ノ形式ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム」と,同法6条2項に「小額紙幣ハ他ノ通貨ヲ以テ之ヲ引換フ」と,同法7条に「小額紙幣ノ発行,銷却及引換ニ関シテハ大蔵大臣ノ定ムル所ニ依リ日本銀行ヲシテ其ノ事務ヲ取扱ハシム」と規定されていたものです。臨時通貨法は,その附則2項に「臨時補助貨幣及小額紙幣ハ支那事変終了ノ日ヨリ1年ヲ経過シタル後ハ之ヲ発行セズ」とありましたから,本来は前年(1937年)からの支那事変対策のための法律だったのでしょう。政府が発行するものであるので,銀行券ではありません。

 

 「消費税の課税事業者である個人のトレーダーが仮想通貨を購入する行為,これは課税仕入れということになりますし,逆に,仮想通貨で円を買うという行為は仮想通貨の販売になりますので,課税売り上げということになります。/したがって,他の取引とあわせて,課税売り上げに係る消費税額から課税仕入れに係る消費税額を差し引いた額を納税するということになります。」(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第1615頁(星野次彦政府参考人(国税庁次長)))

 なお,仮想通貨の取引に係る上記の消費税課税の取扱いは,2017年6月までのこととなりました。2016年12月22日に閣議決定された平成29年度税制改正の大綱における「四 消費課税」中「(5)その他」の「(国税)」 の「(2)仮想通貨に係る課税関係の見直し」が,「①資金決済に関する法律に規定する仮想通貨の譲渡について,消費税を非課税とする。/②その他所要の措置を講ずる。」ものとしています。これには経過措置に係る(注1)から(注3)までが付されていますが,(注1)によれば,「上記の改正は,平成29年7月1日以後に国内において事業者が行う資産の譲渡等及び課税仕入れについて適用する。」とされています。

 

(2)所得税又は法人税

 所得税又は法人税については,「ビットコイン〔仮想通貨〕の譲渡によりまして利益が生じた場合は,所得税または法人税の課税の対象」となります(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第1614頁(麻生国務大臣))。

 

(3)登録免許税

 仮想通貨交換業者の登録に係る登録免許税の額は,1件につき15万円となります(フィンテック法附則9条による改正後の登録免許税法(昭和42年法律第35号)別表第1第49号(三))。

 

8 犯罪収益移転防止法の一部改正

 仮想通貨を用いた「いわゆるマネーロンダリングとかテロ資金供与の対策」(実はこれが本丸でしょう。)を直接担うものとして,フィンテック法附則14条によって犯罪による収益の移転防止に関する法律(平成19年法律第22号。以下「犯罪収益移転防止法」といいます。)の一部改正がされています。

すなわち,仮想通貨交換業者は,犯罪収益移転防止法上の特定事業者となります(改正後犯罪収益移転防止法2条2項31号)。犯罪収益移転防止法は,「特定事業者による顧客等の本人特定事項(・・・)等の確認,取引記録等の保存,疑わしい取引の届出等の措置を講ずることにより」,「犯罪による収益の移転防止を図り,併せてテロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約等の的確な実施を確保」する法律です(同法1条参照)。

また,改正後犯罪収益移転防止法30条は,他人になりすまして仮想通貨交換業者との間における仮想通貨交換契約(改正後資金決済法2条7項各号に掲げる行為を行うことを内容とする契約)に係る役務の提供を受けること又はこれを第三者にさせることを目的として,仮想通貨交換用情報(仮想通貨交換業者において仮想通貨交換契約に係る役務の提供を受ける者を他の者と区別して識別することができるように付される符号その他の当該役務の提供を受けるために必要な情報)の提供を受けること等に関する罰則を定めています。

 

弁護士 齊藤雅俊

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

大志わかば法律事務所

電話:0368683194

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 

今年最後のブログ記事となりました。今年は,『プレジデント』の雑誌取材を受けたほか(8月29日号に記事掲載),引き続き企業法務をお手伝いする仕事に携わる一方,相続関係事件,親族関係事件,損害賠償請求事件,民事執行事件,債務整理関係事件等々,幅広い業務経験を積み重ねさせていただきました。

来年は,更により多くの方々のために御満足いただける仕事をすることができるよう祈念し,かつ,精進を期しております。

お悩みのある方は,お気軽に御相談ください。法律面からの切り口ということになりますが,かえって確実なお答えができることになろうかと思っております。(なお,弁護士相談料は,305400円(消費税額込み)が基本ということになっています。)

刑事でも,当番弁護士・国選弁護人の仕事がありました。ただし,刑事事件については,読者の方のための仕事を多々しなければならなくなるようなことがないよう,祈っております🎍

1 民法旧34条の許可と宗教法人法の認証

 民法34条は,一般社団法人及び一般財団法人に関する法律及び公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成18年法律第50号)という長い題名の法律の第38条によって200812月1日から改正されてしまいましたが,かつては,「祭祀,宗教,慈善,学術,技芸其他公益ニ関スル社団又ハ財団ニシテ営利ヲ目的トセサルモノハ主務官庁ノ許可ヲ得テ之ヲ法人ト為スコトヲ得」と規定していました。

「祭祀,宗教」とありますから,宗教に関する団体は,主務官庁(文部科学大臣又は都道府県知事(民法旧84条ノ2第1項,公益法人に係る主務官庁の権限に属する事務の処理等に関する政令(平成4年政令第161号)1条1項1号))の許可を得て法人になることができたのか,と考えられるところですが,宗教団体は,わざわざお役所の御機嫌次第の許可(「民法の許可主義は,許可を与えるかどうかを,主務官庁の自由裁量に委ねるものである。」(我妻榮『新訂 民法総則』(岩波書店・1965年)140頁))を苦労して受けなくても,宗教法人法(昭和26年法律第126号)に基づき所轄庁(文部科学大臣又は都道府県知事(同法5条))の証明がある認証を受けた規則の謄本を添えて登記所に設立の登記を申請して(同法63条2項),設立の登記がされると法人になるのでした(同法4条,15条)。ここでの所轄庁による認証については「所轄庁は,単に法律の定める要件の存否を審査する権限を有するに過ぎない点で,認可主義と同一」であるとされ(我妻141頁),「認可主義」については「法律の定める要件を具備しておれば,認可権者は,必ず認可を与えなければならない」とされています(我妻140頁)。宗教団体が法人格を得るためには,民法旧34条の出番は不要ということになっていたようです。

なお,現在の公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律2条4号の「公益目的事業」の定義は「学術,技芸,慈善その他の公益に関する別表各号に掲げる種類の事業であって,不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与するものをいう。」とされていて,そこから「祭祀,宗教」は落ちています。

 

2 民法施行法旧28条と「神社,寺院,祠宇及ヒ仏堂」

 

(1)民法施行法旧28

 ところで,宗教法人法の附則25項には,次のような規定があります。

 

 25 民法施行法(明治31年法律第11号)の一部を次のように改正する。

   第28条を次のように改める。

  第28条 削除

 

 宗教法人法附則25項によって1951年4月3日から(同法は同法附則1項により公布日である同日から施行)「削除」となってしまった民法施行法28条は,実は次のような条文でした。

 

 第28条 民法中法人ニ関スル規定ハ当分ノ内神社,寺院,祠宇及ヒ仏堂ニハ之ヲ適用セス

 

 神社や寺院の法人格の問題は,そもそも民法の問題ではなかったのでした。

民法施行法旧28条の規定の由来については,同条の「之等特殊なる歴史的所産のものに付てのみならず,一般に,宗教の宣布・儀式の執行を目的とする所謂宗教法人に関しては特別法の制定せらるべきことを予想してゐたからに外ならなかった。即ち,政府は直ちに明治32年第14議会に「宗教法案」を提出し,此の問題を整理せんとしたのである。」と説明されています(小関紹夫「宗教法人について」彦根高商論叢19号(1936年6月)64頁。当該宗教法案は1900年2月17日に貴族院で否決された(同67頁)。)。

なお,神社,寺院,教会等については,「一定の財産を中心とし,その維持を目的としながら,しかも,人的団体たる要素をも包含するのもの」として「団体と財団の中間的なもの」と説かれています(我妻135頁)。「堂宇・会堂を備え,特殊の財産を基礎とする(この物的要素は社団の財産のような,単なる手段ではない)」とともに,「檀徒・信者・宗教教師・僧侶などの団体という人的要素を包含する(この人的要素は,法人の目的の構成に参与するものであって,財団の役員とは異なる)」わけです(我妻135頁)。

ところで,民法施行法旧28条の法的意味は更に何であったかというと,神社,寺院,祠宇及び仏堂は,民法の適用がないから法人にはなれないということではありませんでした。

 

(2)寺院

我妻榮は「宗教団体法(昭和14年法77号)の施行前は,これらのもの〔神社,寺院,祠宇及び仏堂〕が法人であることは明瞭でなかったが,寺院については,民施28条及び寺院の財産に関する明治初年の多くの法令により,法人であることは疑いなかった」と説いています(我妻135頁)。寺院は法人であるとしつつ,その根拠を民法施行法旧19条1項(「民法施行前ヨリ独立ノ財産ヲ有スル社団又ハ財団ニシテ民法第34条ニ掲ケタル目的ヲ有スルモノハ之ヲ法人トス」)には求めてはいません。民法施行法旧28条は,民法33条1項の「法人は,この法律その他の法律の規定によらなければ,成立しない。」との原則を排除してはいるものでしょう。というのは,「寺院の財産に関する明治初年の多くの法令」は明文で端的に寺院の法人格を認めていたものではなかったのでしょうから。この点,美濃部達吉はあっさりと慣習法による法人の成立を認め,「寺院は旧時代からの慣習法に依り従来も法人として認められて居たもので,其の理事者としては管長の選任する住職がこれに当り,其の外寺院の財産上の行為其の他の事項に付き協議に与らしむる為めに3人以上の檀徒総代を選ばしめ,これを市町村長に届出でしむるの例であり(明治14内務達乙33号),又寺院に関する事項を登録する為めの原簿として,寺院明細帳(明治12内務達乙31号)が備へられて居た。」と説明しています(美濃部達吉『日本行政法 下』(有斐閣・1940年)567568頁)。

1940年4月1日から施行された宗教団体法(昭和14年法律第77号。施行期日は同法29条に基づく昭和14年勅令第855号による。)2条2項には「寺院ハ之ヲ法人トス」との規定が置かれていますが,これは従来から寺院は直ちに法人であったことからする規定なのでしょう。同法32条1項は「本法施行ノ際現ニ寺院明細帳ニ登録セラルル寺院ハ之ヲ本法ニ依リ設立ヲ認可セラレタル寺院ト見做シ本法施行ノ際現ニ存スル祠宇ハ之ヲ本法ニ依リ設立ヲ認可セラレタル法人タル教会ト看做ス」と規定しており,教会については同法による認可は即法人成りを意味するものではないのに対して,寺院は認可即法人成りを意味するものであることが分かります。また,祠宇について,宗教団体法は,それは同法における法人たる教会に該当するものとしていることも分かります。


DSCF0335
DSCF0334
 大昌寺(札幌市白石区)の札幌薬師大仏
 

(3)祠宇

この祠宇とは何かといえば,「神道の教派に属する同様の施設〔教義を宣布し又はその儀式を執行することを目的とする設備たる教会所等〕には,特に「祠宇」と称せられて居るものが有り,法人として認められて居た。」とされています(美濃部『日本行政法 下』569頁)。その由来は,「明治14年教会所に於ける葬儀の執行が禁ぜられた為,特に神葬祭を為すものの為に祠宇と云ふものを認めたのであるが(15年)17年になつて自葬の禁が解除せられたるにより,爾後これを認むる必要なく新設を許されない。(現在19)」ということです(小関99頁)。「明治初期宗教政策によつて派生したこの祠宇なるものは,謂はば歴史的所産であつて,本質は教会と何等異なる処はないのである。」といわれています(小関100頁)。

 

(4)仏堂

仏堂は,宗教団体法に関する美濃部達吉の解説によると,「寺院の外に従来これに類似して而もこれと区別せられて居た・・・宗派に属しない独立の法人」であって,「仏堂明細帳に登録せられて居た」ものです(美濃部『日本行政法 下』568頁)。宗派に属さないところが寺院との違いになるようです。「仏堂とは「所在衆庶の信仰に基き礼拝の対象として本尊を奉祀する設備」で,宗派に属せず,宣布すべき教理の拠るものなく,只儀式の執行のみを目的とする。此の意味に於て仏堂は多分に財団的のものだと為されるのである。・・・法人格を有するのは独立仏堂たる境外仏堂であり,附属仏堂たる境内仏堂には法人格は無い。・・・仏堂には檀徒は無い・・・」ということでした(小関100頁)。仏堂については,宗教団体法35条1項は「本法施行ノ際現ニ仏堂明細帳ニ登録セラルル仏堂ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ本法施行後2年内ニ寺院ニ属シ又ハ寺院若ハ教会ト為ルコトヲ得其ノ寺院ニ属セズ又ハ寺院若ハ教会ト為ラザルモノノ処分ニ関シテハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム」としています。同条2項は,「前項ノ仏堂ニシテ寺院ニ属セズ又ハ寺院若ハ教会ト為ラザルモノニ付テハ本法施行後2年ヲ限リ仍従前ノ例ニ依ル」とあります。「従前ノ例」とは,やはり法人として扱うということでしょう。「宗教団体法第35条第1項ノ期間内ニ寺院ニ属セズ又ハ寺院若ハ教会ト為ラザル仏堂ハ其ノ期間満了ノ時ニ於テ解散シタモノ看做ス」ものとされていたところ(宗教団体法施行令(昭和14年勅令第856号)41条),公益法人の解散に関する民法旧73条から旧76条まで及び旧78条から旧82条まで,民法施行法旧26条及び旧27条等が準用されることになっていました(同令43条,39条2項)。

仏堂なのに教会になるとはこれいかに,というと,宗教団体法では寺院たるものは宗派に属すべきことが前提になっていたのに対し(同法6条2項4号),教会であれば教派,宗派又は教団に属さないことも可能だったからでした(同項5号)。なお,仏教宗派に属する「特定の有形の施設を中心とする宗教的活動体」であっても,「寺院としての施設を備へて居らぬ」ものは教会でした(美濃部『日本行政法 下』570頁)。

 

(5)法人としての仏堂及び祠宇のその後

我妻榮は,1951年に宗教法人法の施行に伴い「民施28条を削除したから,仏堂・祠宇は法人ではなくなった」としていますが(我妻135頁),ここでいう仏堂は仏堂明細帳に登録されていなかった仏堂でしょうか。また,1940年の宗教団体法施行以前からの祠宇は法人たる教会になっていた反面(同法32条1項),同法施行後に設立された教会についてはそもそも法人たらんとせずに(同法6条1項参照)法人でないものもあったところです。宗教団体法による仏堂及び祠宇の整理についてうっかりしていた勇み足的記述でしょうか。ちなみに,宗教法人法附則3項は「この法律施行の際現に存する宗教法人令の規定による宗教法人は,この法律施行後も,同令の規定による宗教法人として存続することができる。」と規定しており,宗教団体法に代わるものとして19451228日に発せられ即日施行されたポツダム勅令である宗教法人令(昭和20年勅令第719号)の附則2項は「本令施行ノ際現ニ存スル法人タル教派,宗派及教団並ニ寺院及教会ハ之ヲ宗教法人ト看做」すと規定していました。

 

(6)公の財団法人たる神宮及び神社

神宮(伊勢の皇大神宮及び豊受大神宮)及び神社は,公の財団法人である法人格ある営造物とされていました。神宮及び神社は宗教団体法1条に宗教団体として規定されておらず,また同条の「神道教派」に属するものでは更になく,すなわち神社神道は宗教にあらずとされていたところです。とはいえ,「仮令之れが明に宗教と区別せられて居るとしても,実質的には宗教の一種であることが疑を容れぬとすれば,それは疑もなく国家的の宗教であつて,国家が国政の一部として自ら祭祀を管掌するものであり,而して天皇はその祭主たる地位に在ますのである。それはわが太古以来の不文憲法であつて,而して此の不文憲法は成文の憲法の制定に依つて変更せられたものではない」ものです(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)403頁)。

 

ア 神宮

神宮については,「神宮は歴史的に古くから財産権の主体として認められ,神宮の所領として神封及び神田がこれに属して居た。現在の法律も亦此の古来の慣習法に従ひ,神宮が自己の財産を有し,国の会計からは離れて独立に其の収入を有し支出を行ふことを認めて居ることは言ふまでもない所で,而も其の存立の目的は国家的の目的に在ることは勿論であるから,其の法律上の性質に於いては一種の公法人であり,公の財団法人である。神宮の収入は幣帛神饌料・国庫供進金・賽物・財産収入・事業収入等で,国庫からは供進金を奉り,皇室からも祭典に際し奉幣せしめられる。神宮の附属事業としては大麻及び暦の製造頒布・神宮皇學館・神宮徴古館・農業館が有る。神宮の会計に関しては神宮会計規則(昭和7内務省訓令5号)が定められて居り,それに従つて処理せねばならぬ。」とされていました(美濃部達吉『日本行政法 上』(有斐閣・1936年)662頁)。なお,ここでの「大麻」はおふだのことです。大麻取締法(昭和23年法律第124号)による取締りの対象となるものではありません。

 

イ 神社

神社については,「神明に奉祀し祭典を行ひ地方人民崇仰の対象と為す為めに社殿を作り境内地を設けて神霊を祭るもので,国の設立せる営造物であると共に,独立な財産権の主体として認められて居り(明治41法律23号神社財産ニ関スル制),即ち公法人たる営造物である。神社には官幣社・国幣社・府県社・郷社・村社・招魂社等社格の別が有る。官幣社・国幣社を官社と謂ひ,府県社以下を諸社と謂ふ。官国幣社には国庫から其の経費として毎年或る金額を供進し,又神饌幣帛料を奉る。府県社・郷社には府県又は北海道地方費から,村社には市町村から,神饌幣帛料を供進し得る。」とされていました(美濃部『日本行政法 上』663664頁)。

 

ウ 公法上の法人たる宗教団体の財政上の特権

公法上の法人たる宗教団体の財政上の特権については,ドイツ連邦共和国基本法140条によってなお同基本法の一部とされる(„Die Bestimmungen der Artikel 136, 137, 138, 139 und 141 der deutschen Verfassung vom 11. August 1919 sind Bestandteil dieses Grundgesetzes.“)次のヴァイマル憲法137条6項が有名です。

 

„Die Religionsgesellschaften, welche Körperschaften des öffentlichen Rechtes sind, sind berechtigt, auf Grund der bürgerlichen Steuerlisten nach Maßgabe der landesrechtlichen Bestimmungen Steuern zu erheben.“ (公法上の法人である宗教団体は,市民租税台帳に基づき,州法の規定に従って,租税を徴収する権能を有する。)

 

3 神道及び仏教以外の宗教に係る宗教団体に対する法人格付与問題

 

(1)自由裁量の結果としての設立不許可

神社,寺院,祠宇及び仏堂は民法施行法旧28条があったから法人に関する民法の規定の適用がないとしても,それでは,それら以外の宗教団体は,民法施行法旧19条又は民法旧34条によって法人となれなかったものでしょうか。確かに,1900年8月1日には明治33年内務省令第39号(宗教ノ宣布又ハ宗教上ノ儀式執行ヲ目的トスル法人ノ設立等ニ関スル規程)が出て「宗教ノ宣布又ハ宗教上ノ儀式執行ヲ目的トスル社団又ハ財団ヲ法人ト為サムトスルトキハ設立者ハ定款又ハ寄附行為ノ外左ノ事項ヲ記載シタル書面ヲ差出スヘシ」(同省令1条柱書き)云々と定められていました(ちなみに,宗教法人法2条は,「この法律において「宗教団体」とは,宗教の教義をひろめ,儀式行事を行い,及び信者を教化育成することを主たる目的とする」団体であって,礼拝の施設を備えるもの(1号)又はそれらを包括するもの(2号)であると規定しています。)。しかしながら,「従前よりして独立の財産を有し来つた寺院仏堂等の未だ法律上に確然法人格を認められないのに対比し,不権衡の嫌あり」ということで,明治33年内務省令第39号「に依る宗教法人の設立は許可せらるるに至らず」ということになってしまっていました(小関67頁)。横並び論的差止めです。また,民法施行法旧19条の規定により法人となって存続するには同条2項の認可を主務官庁から受けるべきものだったのですが(一般社団法人及び一般財団法人に関する法律及び公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律41条参照。なお,財団法人慶応義塾は,民法施行後9年近くたった1907年5月24日に認可の申請をし,同年6月13日に文部大臣から民法施行法旧19条2項の認可を受けていますが(慶応義塾『慶応義塾百年史 中巻(前)』(1960年)553頁),ということは,同項の「民法施行ノ日ヨリ3个月内ニ之ヲ主務官庁ニ差出シ其認可ヲ請フコトヲ要ス」との部分は訓示規定だったのでしょう。),当該認可もされなかったものでしょう。いずれにせよ,前記許可主義下の自由裁量によって,主務官庁は許可をしないこともできたわけです。ただし,宗教「諸団体の宗教活動に必要なる資財の管理供給を目的とする維持法人」(小関81頁)は,民法旧34条によって許可されていました。

 

(2)キリスト教に対する反発から「公認」まで

キリスト教については,幕末の不平等条約の改正条約施行(日英通商航海条約は1899年7月17日から。フランス及びオーストリア=ハンガリーとの各条約については同年8月4日から)及びそれに伴う内地雑居の開始に際して公布(1899年7月27日)・施行(同年8月4日)された明治32年内務省令第41号(神仏道外宗教宣布及堂宇等設立ニ関スル規程)の適用がありましたが,同省令2条1項の地方長官の許可を受けた堂宇,会堂,説教所又は講義所の類は,せっかく当該許可があっても法人格を有するものとはなりませんでした(宗教団体法33条1項参照)。キリスト教に対する反発は強く,第14回帝国議会に提出された宗教法案が1900年2月に貴族院で否決された原因の一つとしては,キリスト教と同様に取り扱われることに対する仏教界からの「猛烈な反対」があったところです(小関6667頁参照)。1929年第56回帝国議会提出の宗教団体法案(結局成立せず。)に対する宗教団体法案反対仏教徒同盟(代表・近角常観)の『宗教団体法案反対理由』(1929年)においてもなおいわく。「・・・国家に於て長き歴史を有し,国民の大多数を包括する仏教宗派が,組織に於て外国に根拠を有し,少数の信徒を有する基督教各派と,劃一的に取扱はれねばならぬ筈は無い。」(2頁),「宗教法なるものありとせば,そは国家と宗教との関係を規定するものと見ねばならぬ。従来仏教神道は一種の公認教なりと断ずるが,法学者の通論である。然るに今回の法案は,新来の基督教を仏教神道と同一律に引上げて,公認教と為したもので,吾国国家宗教関係に於ける一大革命といふも過言ではない。明治32年山県内閣提案の宗教法案を,全国仏教徒が一斉に反対して,之を否決し去つたのは,実にこの理由であつたのである。」(3頁),「若し又此仏教の理想を誤解して,仏教宗派が自ら開放して,基督教其他の宗教と列を同(ママ)することが,平和を実現するものなりと考ふるものあらば,それこそ実に自己の所信を捨て,他に苟合せんとする不徹底なる悪平等と言はねばならぬ。今回宗教団体法案に於て,劃一的規定をなして,此の如くするは基督教に対して恩恵を施して,同化せしむる所以であると誤信して居る立案者がある。是実に悪平等観の極にして,国民を誤る甚しきものと言はねばならぬ。嘗て三教会同といへる不徹底極る企図をなして,信仰を傷けながら之に気付かなかつた政治家があつた。此宗教団体法案には,冥々の間此般の思想が流れて居る。是れ思想問題を解決せざるのみならず,却て思想を混乱せしむるものである。信仰を分裂せしむるものである。此法案を以て思想善導など夢想するものあらば,木に縁りて魚を求むるよりも難きのみならず,小児が火を弄して家を焼く如く,遂に国家社会を誤るの結果を齎すを虞るものである。」と(67頁)。

1939年4月7日に昭和天皇の裁可により成立した宗教団体法は,その第1条で「本法ニ於テ宗教団体トハ神道教派,仏教宗派及基督教其ノ他ノ宗教ノ教団(以下単ニ教派,宗派,教団ト称ス)並ニ寺院及教会ヲ謂フ」と規定しており,ついに仏教宗派は「基督教其他の宗教と列を同(ママ)すること」となりました。「この〔宗教〕団体法によって教団の認可を得たものは,カトリックの日本天主公教とプロテスタントの日本基督教団の二つにすぎなかった。ここにキリスト教がはじめて日本国法上の宗教団体として公認されたわけである。」ということになります(文部科学省ウェッブ・サイト『学制百年史』第1編第5章第5節)。日本天主公教の法人たる教団としての設立認可は1941年5月3日(昭和16年5月7日文部省告示第633号),初代教団統理者として就任認可を受けたのは土井辰雄(昭和16年5月7日文部省告示第634号)。フランシスコ・ザビエル来日から392年。ローマ訪問中の皇太子裕仁親王に法王ベネディクトス15世が「カトリックの教理は確立した国体・政体の変更を許さない・・・従って教徒の国家観念に対しては何ら懸念の必要はない・・・更にカトリック教会は世界の平和維持・秩序保持のため各般の過激思想に対し奮闘しつつある最大の有力団体であり,将来日本帝国とカトリック教会と提携して進むこともたびたびあるべし」等と述べてから(宮内庁『昭和天皇実録 第三』(東京書籍・2015年)402頁)ちょうど20年。日本基督教団の法人たる教団としての設立認可は19411124日(昭和161126日文部省告示第839号),初代教団統理者として就任認可を受けたのは富田満でした(昭和161126日文部省告示第840号)。(とき)いずれもキリスト教国たる対英米蘭戦開戦前夜。ここに遂に国家社会を誤るの結果を齎」すこととなったものか,ならなかったものか。大戦中の1942年11月26日の木曜日午前には,昭和天皇が宮中「西溜ノ間に出御され,今般宗教団体の管長及び教団統理者会同に参列の文部大臣橋田邦彦ほか,神道大教管長林五助を始め教派神道管長13名,天台宗管長渋谷慈鎧を始め仏教各宗派管長28名,及び日本天主公教教団統理者土井辰雄始め基督教教団統理者2名に謁を賜う。」ということがありました(宮内庁『昭和天皇実録 第八』(東京書籍・2016年)845頁)。

 

4 ポツダム宣言,「人権指令」及び昭和20年勅令第718号・第719

1945年8月14日に我が国はポツダム宣言を受諾。同宣言第10項には「言論,宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」とありました。同年10月4日にGHQから発せられたSCAPIN93Subject: Removal of Restrictions on Political, Civil, and Religious Liberties. いわゆる「人権指令」)は,宗教団体法を,廃止又は直ちにその規定の施行を中止すべき法令(1.a)に含めていました(1. b(15))。「思想,宗教,集会(assembly)及び言論(天皇,帝室制度(Imperial Institution)及び帝国政府に係る制約のない議論を含む。)の自由の制限を定め,又は維持するもの」(1.a(1))の一つとしてでしょう。「官僚政治家若くは右傾思想家は,暗々裏に此〔宗教団体〕法案を以て,思想若くは信仰を監督して,善導し得るものなりと誤信しては居らぬか。是れ思はざるの甚しきものである。」との仏教徒の批判(宗教団体法案反対仏教徒同盟7頁)は,米国人にとっても共感するところが多かったのでしょう。宗教団体法は,ポツダム勅令である昭和20年勅令第718号により,「信教自由ノ保全ヲ図ル為」19451228日から廃止されました。大日本帝国憲法28条は「信教ノ自由」を保障していたにもかかわらず更に当該勅令によって「信教ノ自由ノ保全ヲ図ル」必要があったとは,宗教団体法は,大日本帝国憲法違反の余計な法律だったということでしょうか。ただし,昭和20年勅令第718号と同時に発せられた宗教法人令の第1条1項は「神道教派,仏教宗派及基督教其ノ他ノ宗教ノ教団並ニ神社(神宮ヲ含ム以下同ジ),寺院及教会(修道会等ヲ含ム以下同ジ)ハ本令ニ依リ之ヲ法人ト為スコトヲ得」(宗教法人法附則2項による廃止の前の条文)と宗教団体法1条と似た書き振りの規定をしており,キリスト教国の軍隊を中心とする連合国軍の占領下,キリスト教が我が国における宗教であることの特段の明示は続いていました。

承前(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1056356619.html

 

ウ その他及び法案賛成論の勝利

未成年者喫煙禁止法案に対する貴族院本会議における賛成意見の理由付けは,風紀論(久保田議員)及び浪費防止論(村田議員)のほか,「教育上の点からして此法案を(ママ)賛成する」意見(伊澤修二議員(唱歌「紀元節」の作曲家)のもの。前記貴族院議事速記録第28641頁。同議員は「本日も本員は少しく職務上の差支(さしつかえ)で午後に出席して参りましたが,其途中で既に或る未成年の生徒(ママ)がプカプカしがー」をやってるのを見掛けたのである」と憤慨)がありました。残りはやはり強兵論であって,「煙草を呑む為に徴兵に取られぬやうになっては甚だ憂ふべきことであるから,どうしても禁じなければならぬから此案の通りにしたいと思ひます」ということでした(兒玉淳一郎議員長州出身の元大審院判事)。前記貴族院議事速記録第28641頁)。

貴族院本会議は,1900年2月19日,衆議院提出の未成年者喫煙禁止法案を可決しています。

 

4 第14回帝国議会衆議院における議論

根本正代議士らが原案を提出した衆議院では,特段の反対はありませんでした(18991219日の本会議において,「(「異議なし異議なし」と呼(ママ)者あり」ということで,「御異議がなければ,委員会の修正(どおり)確定致します」(片岡健吉議長)ということになっていました(前記衆議院議事速記録第10171頁)。)。賛成を前提に,条文の解釈論に関係がある議論がされています。

 

(1)「18歳未満ノ幼者」から未成年者へ

18991214日の衆議院幼者喫煙禁止法案審査特別委員会においてはまず,原案の「18歳未満ノ幼者」について,根本正委員から,「全体私の望は,丁年以下(くらい)にしたいと思ふのでありますけれども,さうなりますると反対も多くなって此案の通過することも困難であらうと云ふ懸念から,先づ亜米利加の法に則って18歳と致しました」と,本来は満20年未満の未成年者(民法旧3条・現4条参照。「丁年」は,一人前に成長した年齢のこと。)に喫煙を禁ずることにしたかったというそもそもの思いが表明されています(第14回帝国議会衆議院幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第1号1頁。なお,原文は片仮名書き)。

その後,「(こと)に学校の生徒,制服を着て学校の制帽を(かぶっ)て紙巻煙草を指に挟んで往来して居るのを見ると,煙草を喫むの有害無害よりは実に憎らしくして,あんな奴に十分の学問が出来るものかと云ふ感が起る」という井上角五郎委員(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第1号2頁)から,第1条に関し「但官私学校ノ生徒ハ18歳以上ノ者ト雖煙草ヲ喫スルコトヲ得ス」というただし書を付けたらどうかという提案がされています(同頁)。同委員としては,「元来昔は煙草を喫んでも生徒の場合――学校に行って稽古をする中とか,或は剣術の稽古でもして居る間は,縦令(たとい)成年者と(いえども)煙草を喫むことは禁じてある例は,其藩々に依って幾らもある,それで詰り此案には賛成しますとした」(同頁)ということだからでしょう。なお,井上委員は,法案の衆議院への提出時の賛成者の一人であり(根本9頁参照),更には日清戦争前の朝鮮国との関係でも有名です(福沢諭吉の『福翁自伝』(1899年)に「・・・明治20年ごろかと思う。井上角五郎が朝鮮でなんとやらしたというので捕えられて,そのときの騒動というものはたいへんで,警察の役人が来て私方の家捜しサ。それから井上がなにか吟味に会うて,福沢諭吉に証人になって出てこいと言って,私をわざわざ裁判所に呼び出してタワイモないことをさんざん尋ねて,ドウカしたら福沢も科人の仲間にしたいというような風が見えました。」とあります。)

これに,酒造家大村家出身の大村和吉郎委員が,「私はもう一歩を進めまして,丁年に達するまで,即ち未成年者は(あまね)く煙草を喫めないことに是非致したいと井上案に加上します(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第1号3頁)。

ただし,井上修正案については,他の点においては幼者喫煙禁止法に賛成しながらも,文部省の政府委員(澤柳政太郎)が反対します。「大学の学生抔にな(ママ)したならば,随分分別も出来て居りますから,自由に任せて置きました方が(かえっ)て其者の発達のために宜しからうと思ひます」(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第1号3頁),「又悪い所は責めて往かなければなりませぬけれども,余り其の自由の意志を束縛致して,自ら重じ自ら制すると云ふやうな範囲を狭めて往くのは,甚だ宜くなからうと云ふやうに考へまする(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第1号5頁)等々の理由が述べられていますが,要するに官僚的には,巡査が取り締まってくれるのはもうけものだけど,文部省及びその管下教育機関に他より重い責任を課して,おっさんじみてきた学生生徒の禁煙指導まであえてさせるのは勘弁してくれ,ということでしょうか。

禁煙年齢を満18年未満から満20年未満に引き上げる大村修正に理由付けを与えたのは,足尾鉱毒事件の田中正造委員及び京都嵯峨の小松喜平治委員です。田中委員が「・・・丁年になって軍人になったときに,軍人が煙草を喫む癖があると,軍に出たときに煙草の(なくな)ったときなどは勇気の(くじ)けると云ふので,どうしても煙草を喫む兵隊は極往けぬさうです,第一邪魔になる,故に軍人には煙草を喫ませない癖を附けたい,20歳までは喫ませないと云ふことになると,兵隊に這入ったときに煙草を喫まずに居るかも知れない・・・」との考察を述べた後,それを受けて小松委員が「・・・煙草と云ふものは唯今田中君の御話の通り,喫む癖が附けば一朝にして止めることが出来ませぬから,18歳迄禁ずると云ふことならば,寧ろ未丁年者に喫ませないのが当然であろうと思ひますから,大村君に賛成致します」と発言して,会議の流れを作っています(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第1号4頁)。強兵論ということになるのでしょう。

大村修正は採用するが井上提案に係るただし書を取り入れないこととして,未成年者喫煙禁止法の原始規定1条の規定を最終的にまとめたのは,田中正造委員の次の発言でした。

 

 私は単純に20歳を以てと云ふことに賛成で,未成年者以上の者に向って斯う云ふ干渉をしては,こちらから斯う云ふ事をすると智識の発達がなくなって来る,自分自ら顧みて考へさせるのが必要であると,そこだけが〔文部省の〕政府委員の説明のやうに聞いて居ります,さうすると矢張り其方が穏当のやうに思ひますので,20歳と云ふ単純なるものを賛成致します(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第1号5頁)

 

(2)「監督スル責任アル者」から親権者へ

 根本代議士らの原案3条の「監督スル責任アル者」には学校長や学校の教員は含まれるものかどうか, 問題となるところでした。ここは,当該問題に係る論点をうまく捉えた文部省の澤柳政太郎政府委員の誘導答弁が素晴らしかったところです。

 

・・・此辺を明らかにせられたいと思ひます,それで是が若し幼者に対して親権を行ふ者と――親の権を行ふと云ふやうな具合にありましたならば,民法の上に於てそれは親権を行ふと云ふこともありますから,明かにならうかと思ひますが,是だけではどうも矢張り明かでないと考へるのであります(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第1号5頁)

 

学校長や学校の教員は,親権ヲ行フ者ではありません。

澤柳政府委員の誘導答弁のあった翌日の18991215日,根本委員から衆議院幼者喫煙禁止法案審査特別委員会に対して,法案3条を「未成年者ニ対シ親権ヲ行フモノ情ヲ知リテ其喫(ママ)ヲ制止セザルトキハ拾銭以上壱円以下ノ科料ニ処ス/親権ヲ行フモノニ代リテ未成年者ヲ監督スルモノ又前項ニ拠リテ処断スと修正すべき旨の提案がされています(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第2号1頁)。同委員の説明では,「学校職員の如きものは,茲に含みませぬ」し,また,「雇主と云ふものは〔罪を〕受けない」ということとなっています(同頁)。したがって,立法者意思的には,「生徒がたばこを吸っているのに学校が見て見ぬふりをするのは,未成年者喫煙禁止法違反の犯罪だ。」とはいえないことになります。澤柳政府委員のgood jobでしたね。また,「アルバイト先で高校生の我が子がたばこを覚えてしまった。未成年者と知って雇っておきながら,どういう監督をしていたのか。雇用者は未成年者喫煙禁止法違反の犯罪者だ。」というような苦情も,これまた根本委員の考えからすると,少々お門違いということになるようです(未成年者飲酒禁止法1条2項の「親権者ニ代リテ之ヲ監督スル者」についてですが,宇都宮家栃木支判平成16年9月30http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/252/006252_hanrei.pdfを参照。なお,当該判決を下した山田敏彦判事は,現在,石割桜で有名な盛岡地方裁判所・家庭裁判所の所長を務めておられるようです。)。未成年者喫煙禁止法3条2項の「親権ヲ行フ者ニ代リテ未成年者ヲ監督スル者」とは,根本委員によれば,「父母に代はるもの,例へば私が地方から出て居る生徒を頼まれて,どうか御前さんの所へ置いて呉れと云ふときは,親に代って其罰を受けると云ふやうにしたら宜しからうと思ひます」ということでありました(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第2号1頁)。

 

(3)行政警察的予防線

なお,政府委員内務省参与官法学博士一木喜徳郎が,18991215日の衆議院幼者喫煙禁止法案審査特別委員会において,未成年者喫煙禁止法の実施が可能な範囲の見通しについてあらかじめ述べています。いわく,「此法案の趣旨は,至極結構なことであると政府に於ても考へます」,しかし「家の内で烟草を喫んで居る者までも,一々此法を励行致しますると,随分苛察であるのみならず,実際其局に当るものも非常に困難であらうと思ひます」,しかしながら「詰り往来で煙草を吹かせて居るものがある,今日は法がないために之を差止めることが出来ない,そんなことからして子供が見習って煙草を喫ふと云ふことが生じて来ます,それ等の者を止める,警察官がそう云ふものを見付け次第差止めて,さうして喫(ママ)の器具を取上げると云ふことだけのことでございますれば,実行のことに於ても別段困難のことはなからうと思ひます,それ迄のことで幾らか法案の精神は達せられることでありませうと察せられるが,眼前に絶対に(ママ)者の喫(ママ)を差止めてしまふ迄に,効を収めると云ふことはむづかしからうと思ひます」,ところで「第1条の未成年者と云ふのは,余り広過ぎはしないであらうか」,「先づ然らばどれ位の所を定めたら宜からうか,是は見込次第なのでありますが,大体14歳――若い年で15と云ふ位の所で,適度でなからうかと云ふ考を有って居ります」,「少さなものが段々煙草を喫むものが殖えて来ると云ふことを防ぐには,是まで余り慣例のない所,14歳以下位に向って此禁を施したならば,適当ではないかと云ふ考で,大躰に於きまして,此法案を実施することが,先刻申述べました趣意なれば,別段()()なからうと思ひます,それだけを申述べます」と(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第2号頁)。

法律では20歳未満の者は喫煙禁止で警察が煙草や器具を没収できることになっているけど,実際は路上でたばこを吹かしている14歳以下くらいの子供しか取り締まらないよ,そもそも路上で児童がたばこを吸うことを完全になくすことはできないよ,との予防線です。現在の国会であれば,「国会制定の法律を誠実に執行しないつもりか,けしからん。」との騒ぎにもなりそうですが,そこは明治の帝国議会です。井上角五郎委員が「勿論取締を厳重にする寛にすると云ふは,其時の当局の考次第のことでありますから,吾々は是非寛になさるが宜しいとも言ひませぬ,厳重にしなければならぬとも言ひませぬ」云々と取締当局の広い裁量を是認する発言をしたところ,特別委員会は,大村和吉郎委員の「井上君と同感であります」との発言に続いて「「賛成」と云ふ者あり」ということになりました(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第2号8頁)。中学校を卒業したような年長の少年らにはもう警察は強制的に喫煙の差止めはしないから,後は家庭のしつけ及び学校の教育に基づく本人の自覚の出番であるよということが,未成年者喫煙禁止法の制定時においての,後の法制局長官,文部大臣,内務大臣,宮内大臣及び枢密院議長である一木喜徳郎によるそもそもの整理であったと解され得るわけです。

とはいえ,一木政府委員の整理は,飽くまで行政警察の立場からするもので,司法権の発動を掣肘するものではなかったものです。家の中での喫煙であっても,20歳未満の者による当該喫煙について情を知りながら制止しなかった親権を行う者が科料に処された裁判例は,多々あります(甲府家判昭和33年2月8日・家月1036719歳,実父,「自宅において」(下線は筆者によるもの)),大津家判昭和39年2月21日・家月16710416歳,母,「自宅において」),金沢家判昭和39年4月27日・家月16919416歳,実母,「自宅において」),札幌家小樽支判昭和39年5月27日・家月161117616歳,母,「自宅において」),札幌家小樽支判昭和39年6月24日・家月16128117ないしは18歳,母,「自宅において」)等)。

 

5 禁煙論者たち

 

(1)転向者たち

ところで,禁煙の義務化は,以前は喫煙家であったもののその後禁煙に成功した人が特に熱心になるものでしょうか。第14回帝国議会の幼者喫煙禁止法案審査特別委員会においては,井上角五郎委員及び大村和吉郎委員が自らの喫煙をやめた素晴らしい経験について雄弁に語っています(前記幼者喫煙禁止法案審査特別委員会速記録第1号2頁,4頁)。かつてドイツで禁煙運動を強力に進めたアドルフ・ヒトラーも,喫煙者から禁煙者への転向者だったそうです。

 

(2)転向,再転向,懺悔:田中正造の挫折

しかして,実は,よい兵隊になるために未成年者はたばこを吸うなとのたまわった夫子・田中正造自身は,自分ではたばこをやめられない人間でした。田中正造の1911年6月23日の日記にいわく。

 

○巣鴨町安部磯雄氏厳父権之丞君,年77。昨22日朝,予早く同家に至る。・・・老人の部屋に入れられ,火と湯を賜はる。談話年数に及ぶ,予年70。安部老人は77。予問ふ,酒は如何。老人答,酒も烟草も茶も湯も飲まず,只だ水のみと。予大に感ず。予は(ママ)茶と烟草とをのめり,老に及ばざるを()づ。よりて今日より茶をやめて水を呑む事とせり。・・・

 ・・・年59にして,酒毒を怖れて之を禁じたりしも・・・さて水の一条は(すで)に老人の門に入るも,烟草の一事を奈何せん。聖書に古き皮袋に新しき酒を容るなかれとあり。染致せる悪習慣の可怖(おそるべき),此の如し。予大に悔(ママ)たり。・・・(木下尚江編『田中正造之生涯』(国民図書・1928年)646647頁)

 

70歳の1911年6月に至って,その人生においてたばこをやめられなかったことを告白懺悔(ざんげ)しているところです。ところが,その9年前,1902年1月に出版された徂堂岩崎勝三郎の『田中正造奇行談』(大学館)には,「田中翁が(その)昔には煙草も(すっ)たし,酒も飲んだといふ話は聞て()るが,今日(こんにち)は絶対的()めて仕舞つた,先年も前橋の教会堂で独り演説をした事がある,其時にも種々(いろいろ)の理由を()べて,自分は今後決して,煙草も()はねば酒も飲まんと云つて断言をした,()れからは,如何(どん)な事があつても,()(ママ)もしないが(のみ)もせず,()()とふ今日(きょう)迄押し通して仕舞つたさうだが,言行一致せざる世に,(おう)の如きは実に学ばれぬ事である。」と記載されています(2021頁)。田中正造は,1901年末頃には「絶対的」な禁煙を誇っていたわけです。しかしながら,その後やはり再びたばこに手を出してしまったようですから,確かに世間のみならず,田中正造にとっても言行一致は難しいものでした。

なお,前記晩年の日記によれば,田中正造の禁酒開始は59歳の時。1841年生まれの田中正造が59歳といえば,正に未成年者喫煙禁止法が成立し施行された1900年のことですから,あるいは田中正造は,同法の法案審議又は成立施行を機に隗より始めて禁煙をも試みたものかもしれません(ちなみに,禁酒に関係する未成年者飲酒禁止法(大正11年法律第20号)の裁可・施行は田中正造没後の1922年のことです。)。自分が絶対的に禁煙するから未成年者もたばこを吸うなと言いつつ,やっぱりまたたばこを始めてしまった田中翁でした,ということでしょうか。

 

6 2000年改正

 

(1)概要

平成12年法律第134号による2000年改正によって,未成年者喫煙禁止法3条1項の科料刑について「1円以下ノ」との文言が削られたほか(これは形式的な改正ですね。),「満20年ニ至ラサル者ニ其ノ自用ニ供スルモノナルコトヲ知リテ煙草又ハ器具ヲ販売シタル者」に係る刑が2万円以下の罰金から50万円以下の罰金になり,更に両罰規定が設けられています。

 

(2)趣旨説明

平成12年法律第134号に係る法案は,第150回国会の衆議院地方行政委員会によって起草されています。当該法案の趣旨について,200011月9日,同委員会の増田敏男委員長はいわく(第150回国会衆議院地方行政委員会議録第5号1‐2頁)。

 

 近年,少年によるおやじ狩り等と称する路上強盗やひったくりの急増,覚せい剤等の薬物汚染や性の逸脱行動の拡大など,少年の非行や問題行動は深刻な社会問題となっております。

 少年非行は,平成8年から連続して悪化,深刻化の傾向を示しており,強盗,殺人などの凶悪犯の検挙人員も高水準で推移しております。

 特に,最近の少年非行は,それまでに非行を犯したことのない少年が短絡的動機から重大な非行に走る,いわゆるいきなり型非行が目立っておりますが,こうした少年の多くにおいて,重大な非行に至るまでには,喫煙や飲酒などの問題行動があることが指摘されております。

 そして,このような問題行動が,路上,駅構内・列車内,繁華街で公然と行われる傾向が強いものとなっている一方,たばこや酒類を販売する業者の一部が,相手方が20歳未満であることを知り,または知り得る場合であっても必要な注意を払わずに,たばこや酒類を販売している実態があります。

 少年の喫煙,飲酒は,少年自身の問題だけではなく,社会の責任の問題でもあります。

 平成11年に未成年者飲酒禁止法の改正により,未成年者に対して酒類を提供した場合における両罰規定が導入されたところでありますが,未成年者の健全な育成を図るため,未成年者に対するたばこ等の販売禁止違反に対しても両罰規定を設けるとともに,酒類の提供及びたばこ等の販売禁止違反に対する罰則を強化する必要があることから,本起草案を提出することとした次第であります。

 

 「おやじ狩り」防止のための法律だったのでしょうか。(しかし,さすがにこの表現は「おやじ」らにとって悔しいものですから,そのゆえでしょうか,20001127日の参議院地方行政・警察委員会における増田委員長の趣旨説明からは「おやじ狩り」の語は消えています(第150回国会参議院地方行政・警察委員会会議録第5号9頁)。)

101年前にされた未成年者喫煙禁止法案に関する議論においては,提案者の根本正代議士は,たばこについて,「若し此の如き神経を麻痺し智覚を遅鈍にするものを,幼少の子供が喫しますれば,日本帝國人民の元気を消滅するに至る訳であります」という消極的の認識を示していたのですが,100年もたつとたばこの性質も逆転し,かえって少年の行動の「悪化,深刻化」及び「凶悪」化をもたらす積極的かつ過激な刺戟を有するものとなってしまったかのような印象を受けます。(確かに,いずれもたばこをプカプカさせるチャーチル,スターリン及びルーズヴェルト配下の英ソ米の精強な兵士らに敗れたこちらは両者とも潔癖な嫌煙・禁煙のファシストたる独伊の指導者のうち,ヒトラーはベルリンの地下壕内で自殺を余儀なくされ,ムッソリーニは処刑後ミラノで人民らにより遺体が辱められ逆さに吊るされています。)

「重大な非行に至るまでには,喫煙や飲酒などの問題行動があることが指摘されております」というのは,それはそうなのでしょうが,正確にいえば「問題行動」たる喫煙は症状にすぎず,当該「問題行動」の原因は別にあるのではないでしょうか。症状のみ抑えたとしても,それが同時に原因の治療・解消であるわけではないでしょう。

とはいえ,満20年に至らざる者らの喫煙が相変わらず「駅構内・列車内,繁華街で公然と行われる」のであれば,井上角五郎代議士,伊澤修二貴族院議員ら明治帝国議会の硬派議員団はよみがえり,根本代議士案ではまだ足りなかったわい若い者は生意気だわいと未成年者喫煙禁止法の罰則の強化に賛成したことではありましょう。

 

(3)酒類小売自由化との関係

なかなか分かりにくい増田委員長の趣旨説明だったのですが,実は,当該委員会案起草の背景には,「実は酒類の販売業の免許に関係いたしまして,それの規制緩和に当たって環境整備をする,要するに公正な取引環境を整備する,あるいは,ただいまのような社会的規制を強化する,そういうような前提条件を整える,その一環としての趣旨もあるわけでございます。」(滝実委員。前記地方行政委員会議録第5号2頁),「今回の法案につきましては,8月29日の政府・与党合意において,酒類小売業免許の規制緩和を円滑に進めるため,環境整備としてとることとされた措置の一つというふうにも承知しております。」(塚原治政府参考人(国税庁長官官房国税審議官)。同会議録5頁)というような大人の事情があったものです。酒類の小売の自由化をするに当たって自由化反対論者の反対理由の一つ(酒類の小売の自由化がされたら未成年者の飲酒が増えるおそれがある,というようなものでしょう。)をつぶすためにする未成年者飲酒禁止法の罰則強化に,未成年者喫煙禁止法もつき合わされたということでしょう。

 

7 2001年改正

未成年者喫煙禁止法に現行4条(「煙草又ハ器具ヲ販売スル者ハ満20年ニ至ラザル者ノ喫煙ノ防止ニ資スル為年齢ノ確認其ノ他ノ必要ナル措置ヲ講ズルモノトス」)を挿入した平成13年法律第152号の法案も,衆議院の委員会起草に係るものでした。しかしながら,当該法案を決定した第153回国会衆議院内閣委員会の20011128日の会議においては,大畠章宏委員長からの草案の趣旨及び内容説明のみがされ,質疑答弁はされていません(第153回国会衆議院内閣委員会議録第3号20頁)。

大畠委員長による趣旨説明の前半は平成12年法律第134号に係る法案についての前記増田委員長による説明とほぼ同じで,結局当該草案提出の趣旨の要点は,「昨年,未成年者喫煙禁止法及び未成年者飲酒禁止法の改正により,未成年者に対するたばこ等の販売禁止違反に対しても両罰規定を設け,さらに,たばこ等の販売及び酒類の提供禁止違反に対する罰則を強化する措置が講じられたところであります。/しかしながら,依然として,20歳未満の者に対して,たばこや酒類を販売している実態がなくならない状況にあります。/そこで,今回,未成年者の喫煙及び飲酒の防止に一層資するため,たばこの販売業者等において年齢の確認その他の必要な措置を講ずる必要があることから,本起草案を提出することとした次第であります。」というものにすぎませんでした(前記衆議院内閣委員会議録第3号20頁)。

法案に関する質疑答弁は200112月4日の参議院内閣委員会でされています。
 まず,衆議院内閣委員長代理たる元通商産業省秀才官僚の佐藤剛男衆議院議員は,「・・・「年齢ノ確認」というものを例示規定に入れているわけでございます。確認の,確認その他のと違うところがみそであります。」と答弁していますが(第
153回国会参議院内閣委員会会議録第8号2頁),難しい。うまく理解されたものであるのかどうか。これは,当該条文の「其ノ他ノ」について,「「その他」は・・・「その他」の前にある字句と「その他」の後にある字句とが並列の関係にある場合に,「その他の」は・・・「その他の」の前にある字句が「その他の」の後にある,より内容の広い意味を有する字句の例示として,その一部を成している場合に用いられる」(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)620頁)とする法制執務上の約束ごとを踏まえた上で「其ノ他」としなかった精緻な立法であるという自賛でしょう。「満20年ニ至ラザル者ノ喫煙ノ防止ニ資スル為・・・必要ナル措置ヲ講ズルモノ」とする一方,当該「必要ナル措置」の例示として「年齢ノ確認」が示されているという意味です(例示にすぎないので,あらゆる場合に必ず年齢ノ確認をしなければならないということにはなりません。)。

「講ズルモノトス」の規範としての性格についての佐藤衆議院議員の答弁は,要するに,「・・・訓示規定という形の・・・そういうたぐいに属する範疇のものでございます。」ということのようです(前記参議院内閣委員会会議録第8号3頁)。

「講ズルモノトス」規定が犯罪構成要件に結びつくということはないのだねという念押し質問に対する佐藤衆議院議員の答弁は,「・・・そういうものとすぐに直結するものではございません。そういう,条文は別でございます。ということで御理解をいただきたい。」ということになっています(参議院内閣委員会会議録第8号3頁)。

 

8 未成年喫煙禁止法5条の「知リテ」の意味等

最後に,未成年者喫煙禁止法現行5条(「満20年ニ至ラサル者ニ其ノ自用ニ供スルモノナルコトヲ知リテ煙草又ハ器具ヲ販売シタル者ハ50万円以下ノ罰金ニ処ス」)の犯罪構成要件における「知リテ」の解釈に関する興味深い裁判例を紹介します。

丸亀簡判平成261027日(平成25年(ろ)第2号)は当該「知リテ」は確定的認識に限られるものとはせず,「自ら喫煙するものであるかもしれないことを認識しながら,あえて・・・販売」すれば有罪となるものとしています。当該被告人が当該被販売者は「満20年ニ至ラサル者」であるものと認識していたかどうかの点を問題として逆転無罪判決を出した控訴審の高松高判平成27年9月15日(平成26年(う)第266号)においても,上記「知リテ」を確定的認識に限定しないことは問題とはされていません。

はてさて,しかし,少なくともタスポ等の導入前のたばこ自動販売機の設置者は,当該自動販売機から満20年に至らざる者が自ら喫煙するたばこを購入することが「あるかもしれないことを認識しながら,あえて」当該自動販売機を設置したのではなかったでしょうか。とはいえ,未成年者喫煙禁止法現行5条の罪の公訴時効期間は,3年であるところです(刑事訴訟法250条2項6号)。
 なお,未成年者喫煙禁止法現行5条にいう「煙草」の「自用」は,自ら「煙草ヲ喫スルコト」でしょう(同法1条)。「煙草」こと「たばこ」は,たばこ事業法(昭和59年法律第68号)2条1号において「タバコ属の植物をいう。」と定義されています。タンポポを主原料とした製造たばこ代用品(たばこ事業法38条。第101回国会衆議院大蔵委員会議録第29号35頁の小野博義政府委員(大蔵大臣官房日本専売公社監理官)の答弁参照)などを20歳未満の者が喫煙しても,タンポポはキク科タンポポ属に属していてナス科タバコ属に属してはいませんから,未成年者喫煙禁止法1条違反にはならないのでしょう。ところで,「喫スル」の「喫」なのですが,『岩波国語辞典第4版』(1986年)の解義では「(口で)かむ。口からのどを通して腹の中へと入れる。くう。くらう。たべる。のむ。身に受ける。」とされています。口偏がついているから,口を使わなければならないというのでしょう。それでは,かぎ用製造たばこ(たばこ事業法2条3号参照)をかぐことは,「煙草ヲ喫スルコト」にならないのかどうか,悩ましいところです。しかし,喫煙用製造たばこに火をつけて,口でくわえずに鼻孔に差し込んで吸ったらどうなるのか,さすがにこれを喫煙にならないというのはなかなか辛いところです。「嗅」の字の部首は鼻ではなくて口偏だから,鼻のみを使っても口偏の「喫」に含まれるものであるのかどうか。とはいえ,学生時代知人であった某歯科大学生が酔っ払い宴会での持ち芸にしていた「ホタル」においては,点火された喫煙用製造たばこが用いられた箇所は口は口でも出口の方でしたから,「煙草ヲ喫スルコト」にはならない・・・と思います

 かつて住んでいた集合住宅で,夜間ないしは早朝の人気(ひとけ)あるべくもない時刻に階段を上って又は下ってつと曲がると,薄明りの中で人目を忍び,かつ,(いと)しげにたばこを吸いいる近くの住人にばったり鉢合わせしてドッキリびっくりさせられたことが何度かありました。ヴェランダ(ほたる)族も昔の話。自らが夫であり父である家族の住むアパートメントの室内はおろかヴェランダでの喫煙すらも許されず(洗濯物等にたばこの臭いがうつることが当然許されないのでしょう。),とうとう廊下ないしは階段に流謫の身をかこつこととはなった可哀想なニコチン好きの(わび)しい姿でありました。

 たばこは東洋における文明と強兵との(さきがけ)たる我が日本帝国人民の元気の敵なりと,国を愛し国を憂うる議員諸賢の怒号する帝国議会の協賛を得,明治大帝の裁可を得たる未成年者喫煙禁止法(明治33年法律第33号)が施行せられて117回目の春,同法に関して不図(ふと)調査の思いを発し,いささか調べ得たことを文字にしてはみたのですが,以下思わず長いものとなりました。

 

1 法文及び若干の註

 

朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル未成年者喫煙禁止法ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

 

  御 名  御 璽

 

     明治33年3月6日(官報3月7日)

          内閣総理大臣 侯爵山縣有朋

          内務大臣 侯爵西郷從道

法律第33

未成年者喫煙禁止法

第1条 20年ニ至ラサル者(1)②ハ煙草ヲ喫スルコトヲ得ス

第2条 前条ニ違反シタル者アルトキハ行政ノ処分ヲ以テ喫煙ノ為ニ所持スル煙草及器具ヲ没収ス

第3条 未成年者ニ対シテ親権ヲ行フ者情ヲ知リテ其ノ喫煙ヲ制止セサルトキハ(2)④科料ニ処ス 

 親権ヲ行フ者ニ代リテ未成年者ヲ監督スル者亦前項ニ依リテ処断ス

第4条 煙草又ハ器具ヲ販売スル者ハ満20年ニ至ラザル者ノ喫煙ノ防止ニ資スル為年齢ノ確認其ノ他ノ必要ナル措置ヲ講ズルモノトス(3)

第5条(4) 20年ニ至ラサル者(1)⑤ニ其ノ自用ニ供スルモノナルコトヲ知リテ煙草又ハ器具ヲ販売シタル者ハ50万円(5)⑥以下ノ罰金ニ処ス

第6条(4) 法人ノ代表者又ハ法人若ハ人ノ代理人,使用人其ノ他ノ従業者ガ其ノ法人又ハ人ノ業務ニ関シ前条ノ違反行為ヲ為シタルトキハ行為者ヲ罰スルノ外其ノ法人又ハ人ニ対シ同条ノ刑ヲ科ス(6)

   附 則

本法ハ明治33年4月1日ヨリ之ヲ施行ス

 

条文中の(1)から(6)までの註は,1900年3月6日に明治天皇の裁可により成立(大日本帝国憲法5条・6条)した時の未成年者喫煙禁止法の原始規定と現行規定との相違に係るものです。(また,①から⑥までの註は,後記のとおり,第14回帝国議会の衆議院に茨城県選出の根本(しょう)衆議院議員らが提出した当初の法案に係るものです。

註(1)の部分は,立法時の原始規定では「未成年者」でした。昭和22年法律第223号(「民法の改正に伴う関係法律の整理に関する法律」は件名)23条により,1948年1月1日から改められています(同法29条参照)。現在,民法753条は「未成年者が婚姻をしたときは,これによって成年に達したものとみなす。」と規定していますが,これは昭和22年法律第222号による新しい規定で,同法による改正前の民「法は,一方,未成年者は親権または後見に服し,婚姻をしてもこの状態は変わらないものとするとともに,他方,妻は無能力者として夫の支配の下に立つものとし」ていたところです(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)93頁)。「公職選挙法,未成年者喫煙禁止法,未成年者飲酒禁止法などの適用では,依然として未成年者とされることはいうまでもない。」とされていますが(我妻95頁註(4)),解釈論以前に,昭和22年法律第223号によって法律の条文自体に改正が加えられていたわけです。

註(2)の部分に,原始規定では「1円以下ノ」が入っていました。なお,1900年当時施行されていた旧刑法(明治13年太政官布告第36号)29条には「科料ハ5銭以上1円95銭以下ト為シ仍ホ各本条ニ於テ其多寡ヲ区別ス」と規定されていました。「1円以下ノ」は,平成1212月1日法律第134号(「未成年者喫煙禁止法及び未成年者飲酒禁止法の一部を改正する法律」との題名)1条によって,20001231日から削られています(同法附則参照)。当該改正より前において「科料は,1000円以上1万円未満とする。」と規定する刑法17条との折り合いは,罰金等臨時措置法(昭和23年法律第251号)2条3項によって,額の定めのない科料ということにされていてついていたものです。

註(3)の条項(現行4条の規定)は,原始規定にはありませんでした。平成131212日法律第152号(「未成年者喫煙禁止法及び未成年者飲酒禁止法の一部を改正する法律」との題名)1条によって,20011212日から現行4条が加えられたものです(同法附則1項参照)。

註(4)に係る「第5条」及び「第6条」は,原始規定にはありませんでした。未成年者喫煙禁止法の原始規定では,現行5条が第4条であり,かつ,同法は第4条までしかありませんでした。上記平成13年法律第152号1条により,当時の第4条及び第5条がそれぞれ新しい第5条及び第6条に,20011212日から移されています。

註(5)の部分は,原始規定では「10円」でした。罰金刑なので,旧刑法上の軽罪です(同法8条3号)。190810月1日施行の現行刑法15条本文では当初「罰金ハ20円以上トス」とされていたので10円以下の罰金規定が存続し得たかどうかというと,平成3年法律第31号による改正以前の刑法施行法(明治41年法律第29号)20条は「他ノ法律ニ定メタル刑ニ付テハ其期間又ハ金額ヲ変更セス但他ノ法律中特ニ期間又ハ金額ヲ定メサル刑ニ付テハ仍ホ旧刑法総則中期間又ハ金額ニ関スル規定ニ従フ」と規定していました。しかし,罰金等臨時措置法の旧4条1項本文により,科刑上,1949年2月1日からは(同法附則1項参照),未成年者喫煙禁止法の「10円以下ノ罰金」は2000円以下の罰金ということになりました。1972年7月1日からは8000円以下の罰金となり(昭和41年法律第61号),平成3年法律第31号による改正により1991年5月7日からは2万円以下の罰金となっています(罰金等臨時措置法2条1項本文)。最終的には前記平成12年法律第134号1条によって,20001231日から,未成年者喫煙禁止法自身の条文において「10円以下ノ罰金」が「50万円以下ノ罰金」に改められています。

註(6)の条項(現行6条の規定)は,両罰規定ですが,原始規定にはありませんでした。前記平成12年法律第134号1条によって20001231日から,当初は「第5条」として加えられたものです。

未成年者喫煙禁止法は,議員立法でした(大日本帝国憲法38条後段)。189912月6日付けで衆議院に根本正代議士外4名によって提出された法案の当初の題名は「幼者喫煙禁止法」で,第1条冒頭は「18歳未満ノ幼者」とされ(現在であれば「幼者」ではなく「児童」との語が用いられたでしょう(児童福祉法(昭和22年法律第164号)4条1項等参照)。),喫煙制止義務者は「第1条ノ幼者ヲ監督スル責任アル者」であって,第3条に第2項はなく,科料の額は「10銭以上1円以下」,たばこ又は器具を売ってはならない相手は「第1条ノ幼者」であり,罰金の額は「2円以上10円以下」とされていました。

 

2 根本正衆議院議員の法案提出趣旨

18991212日の衆議院本会議における根本正代議士による堂々の法案趣旨説明は次のとおりでした(第14回帝国議会衆議院議事速記録第7号83頁。なお,原文は片仮名書き)。

 

 諸君,茲に本員等が喫煙禁止法案を提出致しました理由を極簡短に述べます,此法案は近来小学校の子供が輸入の巻煙草を吸ふ者が日々増加しまして,此儘に棄置きましたならば我帝国人民をして,或は支那の今日に於ける有様,又遂に印度の如き結果を見ねばならぬと大に憂ふる所であります,それはどう云ふ訳であるかと申しまするなれば,此煙草と云ふものは阿片の如く「ナコチック」及「ニコチン」を含有するものでありまして,若し此の如き神経を麻痺し智覚を遅鈍にするものを,幼少の子供が喫しますれば,日本帝国人民の元気を消滅するに至る訳であります,それ故に此子供が煙草を喫むと云ふことは,国是として廃さねばならぬことでございます,此事と云ふものは実に文明の各国に於て行れる法律であります,既に独逸に於ては16歳以下の子供に煙草を喫ませませぬです,それはどう云ふ訳であるかと云ひますると,唯今申上げたる訳で,第一軍人たるに不適当たらしむる故であります,又亜米利加の一新報を見ますれば,西班牙と亜米利加が戦争をしました時分に各地方から兵卒を呼びまして,其内取除けられた青年があります,其取除けられた青年の100人の中90人は幼少より煙草を喫んだものであると云ふことが書いてあります,加之(しかのみ)ならず現に東京に駐在する所の米国特命全権公使「バック」君の御話を聴きました所が,先生が生れた故郷なるヴォルヂニア州と云ふ所は,諸君が御承知の通,煙草を製造して外国に輸(ママ)する大なる一煙草国であります,然れども20歳以上の人には害は少いが,18歳以下の人には宜しくないものであると云ふて,ヴォルヂニア州では18歳以下の子供には,一切煙草を売ることを法律を以て禁じてあると云ふことを,実に此公使より私が承った所であります,独りヴォルヂニア州のみならず,紐育(ニューヨーク)州でも通である,紐育州では1889年,即ち今を距ること10年前に此法律を施行致しました,又アイオ()州でも其通であります,斯の如き好き例が沢山ありますからして,此等のことは詳しく御話しませぬけれども,実に(いやしく)も国庫の補助を受けて居る学校の生徒が,煙草を喫むと云ふことは実に宜しくないこと思ひます(「同感」と呼(ママ)者あり)唯一言を御話します,1891年に亜米利加の「エール」大学校に於て,生徒が147人の一組の生徒があります,此4年間の結果を調べて見ました所が煙草を喫む人が70人あって,禁煙した者が77人あります,それで色調べて見ました所が,丈の高さが煙草を喫まない人は2割4分高くなって居る,又胸の囲りを計って見ますれば,2割6分7厘広くなって居ったと云ふことであります,殊更に肺に関係したことは(おびただ)しいものであって,7割7分5厘程のものになって居る,其他ボルマント州の如きは,小学校に於て教師と生徒と共に禁じてあります,又米国ウヱスト,ポエント陸軍兵学校に於ても禁じてある,又アナポリス海軍兵学校に於ても禁じてある,実に此法律は日本をして東洋に於て欧米列国に優る所の国にするならば,他日此国の父母と為る小学校の生徒に煙草を喫ませると云ふことはありませぬです,どうか此帝国をして世界に輝く国とせんとするならば,支那や印度の真似をせずに,どうか此文明国の法律を御採用あらんことを希望します

 

たばこを吸うと(から)天竺(てんじく)の人のようになっちゃうぞ,ということだったようです。無論,大昔の孔子も釈迦もたばこは吸っていなかったはずですから,米国留学経験者たる根本代議士とても儒教・仏教の排斥までは考えてはいなかったのでしょう。19世紀末の興隆する大日本帝国の臣民の眼から見ると,唐・天竺は衰亡文明の代名詞のようなものだったごとし。しかし,21世紀の今日,新興経済大国たる中華人民共和国及びインドの両国民から見ると,むしろ我が日本国こそが停滞ないしは衰退の中に恍惚とした活力のない過去の経済大国として印象されているようにも懸念されます。たばこさえ吸えば中華人民共和国経済及びインド経済のごとき活力を我が日本経済も取り戻すというのならば,日本国民こぞって煙突のごとくたばこを猛然と吸ってみるということもあり得るでしょうか。しかし,税収面での貢献はともかくも(国の平成28年度予算案に係る財務省資料を見ると,2016年度におけるたばこ税徴収概算額は9230億円でした。),経済政策としては相手にされないでしょう。

「どうか此帝国をして世界に輝く国とせんとするならば」,随分先のことを考えて子供の心配もよいのですが,今の大人が現下のそれぞれの課題に自ら全力で取り組み,立派な仕事をして来るべき世代にまず範を示し置くべきことも重要であるようにも思われます。

それはともかくとして,まずは強兵論なのでしょう。カイゼルのドイツでは,子供が軍人として不適当とならぬように16歳以下の子供にはたばこを吸わせない,米国の陸軍士官学校及び海軍兵学校はいずれも生徒にたばこを吸わせない,たばこを吸わない方が身体が強健になる(「エール」大学校の統計の数字の意味は根本代議士の説明の速記からは分かりにくいのですが,189912月6日に衆議院に提出された法案に付された理由(『衆議院議員根本正第十四回帝国議会報告』(根本正・1900年)1011頁参照)においては「禁煙者77人は喫煙者70人に勝ること重量2割4分・・・の増加」ということで,「2割4分」背が高いのではなく,体重が「2割4分」より増えているということだったようです。とすると,胸囲のみならず腹囲も非喫煙者の方が増加が大きかったのでしょうか。また,「肺に関係したこと」とは「肺量」であって,「肺量」が「禁煙者は喫煙者よりも平均多量なること7割7分5厘なり」ということだったそうです。),たばこを吸うと現役として兵役に服さないようになってしまうぞ(ただし,1898年の米西戦争の際の米軍兵士が全員非喫煙者であったわけではないでしょうし,むしろ喫煙者の方が兵士中の多数者だったかもしれません。上記衆議院提出の法案理由では「米西戦争に於て軍医の為に兵役より排斥せられたる青年の100分の90は喫煙の悪結果に基くと云ふ」ということではありました。なお,当該法案理由には,「「バック」君の言に「ヴヲルジニア」州及「アイオワ」州の如く18歳以下の者に対し煙草販売禁止法を施行せる各州の少年を喫煙する他州に比するに徴兵検査の成蹟頗る良結果を呈せりと云ふ」ともありました。)その他云々。

Peaceというたばこの銘柄がありますが,そこでの平和(ピース)は,健全な愛国的兵士像に背を向けた兵役忌避者的平和ということでしょうか。民族間闘争の世界に喜々として飛び込む,溢るる健康はそこにはないのでしょう。

 ・・・〔1914年の〕クリスマスの日,フランスの前線では銃砲撃が止まった。英国及びドイツの兵士らは無人(ノーマンズ)地帯(ランド)言葉たばこ(シガレット)交換た。サッカ試合た。翌日た。司令部強硬叱責銃砲撃徐々た。銃後におい戦勝交換てい殺戮for the slaughter of the men who were exchanging cigarettes)を求めて捧げられていた。・・・(A.J.P. Taylor, The First World War (Penguin Books, 1963) p.65

ところで,「実に苟も国庫の補助を受けて居る学校の生徒が,煙草を喫むと云ふことは実に宜しくないこと思ひます(「同感」と呼ふ者あり)」というくだりはどうでしょうか(このくだりは,衆議院提出の法案理由には書かれてありません。)。「苟も国庫の補助を受けて居る」のは19世紀末の当時は学校の生徒だけだったのかもしれませんが,現在の我が福祉国家においては,「国庫の補助を受けて居る」者は数多く,特別視して直ちに特に厳重な生活規制の対象とするわけにもいかないでしょう。結局は,学生の本分として「煙草を喫むと云ふことは実に宜しくない」ということに話は収斂し,しからば当該「学生の本分」は何かということになれば,良き貔貅(ひきゅう)たれ,ということになるのでしょう。しかし,ユーラシアの残酷を離れての太古からの平和国家たる我が国の代議士諸賢が, そこまで徹底したスパルタ的軍国主義者だったと考えてよいものかどうか。単に,学生のくせに偉そうにたばこなんか吸いやがって生意気だ,行儀が悪い,ということだったのかもしれません。
 

3 第14回帝国議会貴族院における議論

 

(1)未成年者喫煙禁止法案反対論

14回帝国議会の審議においては,貴族院本会議における未成年者喫煙禁止法案(衆議院から貴族院に18991219日付けで提出された法案における題名。なお,衆議院からの提出の際には,法案は成立時の原始規定と同じ形になっていました。)に対する反対意見及びそれをめぐる議論(1900年2月19日)が,まず興味深いところです。

 

ア 二条基弘委員長報告

実は,貴族院の未成年者喫煙禁止法案特別委員会においては,未成年者喫煙禁止法案は否決されていました。未成年者喫煙禁止法案特別委員長の二条基弘公爵(後光厳天皇を擁立したあの二条良基http://donttreadonme.blog.jp/archives/1003236277.htmlの子孫ですね。)が1900年2月19日の貴族院本会議で報告するには,「先づ此条文を皆読みました所が,中に之を解釈するにもむづかしい話で,実際今日の有様に於て此案の通りに,此案を出して十分に取締が出来るかと云ふことは甚だ疑はしい話で,到底是はむづかしいことであらう」,「若し此法のやうなことにしますれば子供が煙草を持って歩いた所がそれが果して自分が喫むのか否やは中管理者の分ることではありますまい,又果して聞いた所が(いつわ)って是はさうでないと言へばそれまでの話で,即ち認定問題に移って来ることでありますから,即ち到底其成績を顕すことはむづかしいことである,「然るに此未成年者ばかりの喫煙を禁ずると云ふことは主意に於ては誰も皆賛成をして居るので,さりながら此事柄は法律を以て制裁を加ふべきものであるや否やと云ふ所に於きましては(いず)も皆法律を以てやるべきものではあるまい,是は必ず学校とか又は即ち家庭教育の父兄たる者の責任に於てやるべきことが至当のことであらう」,「若し是は大体の目的として衛生上に害があると云ふやうなことになればまだ是よりも他に非常に害になるものもありまする,それを止めずして単に之を止むると云ふことは行くまい」,「若しもそれが行政命令〔文部省令〕で出来ると云ふやうなことになれば斯様なる法律を今出してやるのは甚だ宜しくないからして,是は行政命令の方に任せた方が宜しからうと云ふので,是は政府の方で断然其手続をやって貰ひたいと云ふ精神からして,委員会に於きまして是は否決になった訳であります」というようなことでありました(第14回帝国議会貴族院議事速記録第28639頁。原文は片仮名書き。なお,国立国会図書館のウェッブ・サイトを見ても貴族院未成年者喫煙禁止法案特別委員会の速記録はないようです。)。取締りの実効性の問題のほか,親権の行使ないしは学校教育に係る文部省令等で対応すべきであって法律を用いるまでもないこと,及びより有害ではあるが禁止されていない物がたばこのほかにあることとの衡量論が否決の理由とされているということでしょう。

 

イ 『学問のすゝめ』の小幡篤次郎

かつて福沢諭吉の『学問のすめ』初篇に共著者として名を連ねていた小幡篤次郎議員は,未成年者喫煙禁止法案特別委員会の法案否決論に賛成でした。いわく,「・・・如何にも煙草を未成年者が呑むと云ふは宜しくないと云ふことは勿論(もちろん)御同意でございますが,之を親の権柄で禁ずることは当り前で,それを親の権柄が通らない為に政府の力を借りて止める(など)と云ふことは甚だどうも教育上の主義を得ない,又今一つは之を制しまするには巡査の力を借らなくてはならぬ,子供が途中で巡査に(とが)られて煙草を取上げられる抔と云ふことは煙草を呑むよりも一層恥づべきことと思ふ,是は否決すべきものと思ひます」と(前記貴族院議事速記録第28641頁)。家庭内でしつけるべきことについてまで,法が家に入ってはならぬということでしょう。

 

(2)未成年者喫煙禁止法案賛成論

 

ア 後の文部大臣たる久保田譲

しかし,我が国の為政者は,我が人民の自主的しつけ力・自律力には悲観的です。後に文部大臣となる久保田譲議員はいわく。

 

・・・私は此事は衛生上の関係よりも(むし)ろ青年風紀を維持する上から本案の成立することを希望致します,成る程特別委員長の申されましたやうに斯の如きことは社会の制裁並に家庭の取締等が能く届いてある国であるならば必ず法律を以て制定するには及びますまい,小さい小学の子供抔が一家の内で煙草を吸ったり或は往来で煙草を吸ふやうなことは文明の諸国では其例を見ない所である,それで父兄なり家庭なりで能く是等の教訓が届いて取締の届くことであれば決して法律抔の世話になることはありますまい,(しかし)ながら我国に於ては家庭の有様がなかなかさう云ふ訳には参りませぬ,中以上の所では或は制裁もあるか知りませぬが,中以下の家庭に於てはなかなか左様なことは一向頓著をして居らぬ,それ故に小学校の子供が十や十二三の子供が往来を煙草を(くわ)へて歩いて居ると云ふのは如何にも一国の風紀を(みだ)る,それから一見して其国民の遊惰なることを知らる有様であります,誠に慨歎に堪へぬのであります・・・若し又之を今日此処(ここ)で断じて否決をしたならば其影響は如何でありませう,斯の如きことは帝国議会に於ては必要を認めぬと云ふことになる,さうすると其反動は益〻斯の如き風儀の悪いことが盛に行はるやうになりますから最も恐るべきことである・・・(前記貴族院議事速記録第28640頁)

 

イ 「鬼門」村田保と慶安御触書

フランス人ボアソナードらの旧民法は「倫常を紊」り,「慣習に(もと)る」と主張した執拗で徹底的な法典延期論者にして,「性格が執拗,偏狭」,「貴族院における「鬼門」」たる村田保議員(大久保泰甫『ボアソナアド』(岩波新書・1998年)178頁,163164頁参照)も,未成年者喫煙禁止法案に賛成でした。しかし,法案に対する賛成意見を述べる際の村田議員の口吻からは,旧民法人事編を排してせっかく制定された明治31年法律第9号の民法第4編に規定された親権は必ずしも強いものではないものと認識していたことが窺われます。

 

・・・未成年者ニ対シテ親権ヲ行フ者ガ情ヲ知ッテ制シナイトキハ科料ニ処スとあります,若し此法案がなければ自分の子が煙草を呑んで居っても止めることは出来ない,御同様に同じことである,所が此法案が出来れば未成年者は煙草を呑むことが出来ぬと云ふことが出来る,さうして若し幼年者が煙草呑んだらば親が罰されると云ふことになるから,子として自分の親が罰せらると云ふことになれば子たる者はどうしても呑むことは出来まいと思ひます・・・(前記貴族院議事速記録第28640頁)

 

 親権者たる明治の親父(民法旧877条によれば親権者は原則その子の家に在る父)も,監護ないしは教育の方針に係る親権者たる自己の権威のみをもってしては子に対して「こらっ,子供のくせにたばこなんか吸うんじゃない。」と言えず,「何だよぉ,オヤジィ,自分がたばこ吸っているくせに勝手なこと言うなよぉ。」と反論(「御同様に同じことである」)をされればたちまち腰砕けになっていたということのようです。そうであれば,村田議員の認識は甘い。そもそも親権者の権威に服さぬ反抗的な子は,「あのぉ,たばこを吸われちゃうと,私が警察に科料1円を取られちゃうんで,止めてくれませんでしょうか・・・」と父親におずおずと言われても,かえって,「ハァ,このオヤジ,何言ってんの?わけわかんねー。1円払えばいいじゃん,うぜぇなぁ,払えよォ。」とあきれて笑い,たばこの煙を吹きかけるだけでしょう。(ちなみに,警察が科料を支払わせることについては,1900年当時は,違警罪即決例(明治18年太政官布告第31号)により,違警罪たる科料の罪(旧刑法9条2号)については警察署長若しくは分署長又はその代理たる官吏が即決することができ(同例1条),必要なときは科料を仮納させることができたところです(同例8条,9条)。即決の言渡しに対しては,正式の裁判を請求できることとなってはいました(同例3条)。)

 なお,村田議員にとっての未成年者が喫煙することに伴う弊害は,「内証で煙草を呑んで之が為に金を費すことが非常である,それのみならず学校の生徒は煙草の為にまるで学費を費したと云ふことを聞いて居る,それで随分此弊害と云ふものは恐ろしいものである」ということで(前記貴族院議事速記録第28640頁),実は子供によるお小遣いの無駄遣いでした。

 「中以下の家庭」の「遊惰」なる人民に対しては,徳川幕府がその百姓らに対してしたように,明治国家が自ら細かく生活に介入して啓蒙せざるを得ず,かつ,たばこはそもそも代物(だいもつ)(代金)多く()不経済なものでありました。

 

 一 たは(たば)()のみ申間敷(もうすまじく)(そうろう),是ハ食にも不成(ならず),結句以来(わずらい)(なる)ものに候,其上(ひま)もかけ代物(だいもつ)(ママ),火の用心も(あしく)候,万事ニ損成ものニ候事(慶安御触書)

 

後編に続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1056356752.html


DSCF0054
JR北海道・札幌駅の特急オホーツク


1 鉄道をめぐる父と子

 前回の記事(「鉄音を聞きながら:鉄道関係法のささやかな愉しみ」)では,鉄道営業法(明治33年法律第65号)の罰則関係の話などをしてしまいましたが,無論,鉄道関係法規は,刑事法ばかりではなく,民事法,行政法まで多様な広がりを持ちます。

 民事法中,鉄道運輸に関係するのは,商法(明治32年法律第48号)の運送営業の章(第28章。第569条以下)になります。

 ところで,我が国の商法学者中,鉄道とのかかわりが深い人物といえば,やはり松本烝治博士(東京帝国大学教授・法制局長官・関西大学学長・商工大臣・憲法担当国務大臣・第一東京弁護士会会長。18771014日生れ・1954108日没)でしょう。父の荘一郎は我が国の鉄道官僚のトップに上り(鉄道庁長官,逓信省鉄道局長,鉄道作業局長官),自らも南満洲鉄道株式会社の理事,副総裁となっています。

 松本烝治博士の「風ぼうは,丸いチーズに細い眼と口ヒゲをはめこんだように,一見して春風を感じさせるふくよかな温容」で,「人あたりもよく,誰にたいしてもいんぎん,丁寧」でありましたが,「かんしゃく持ち」で「なかなかの激情家」でもありました(児島襄『史録 日本国憲法』(文春文庫・1986年(単行本1972年))86頁)。女婿・田中耕太郎(東京帝国大学教授・文部大臣・最高裁判所長官)には,「考え方や頭の働き方は社会科学的または哲学的思想的というよりも,自然科学的という感じ」で,「技術家的な自由主義者」と評されています(児島89頁)。松本烝治博士は「分析的緻密な法律論を展開」したのに対し,田中耕太郎教授は「総合的な方面に商法研究を進められて,松本先生の説を乗り越えようとし,商法学はさらに新しい進展を遂げた」と評されています(鈴木竹雄「松本烝治先生の人と業績」(1989年)・松本烝治『私法論文集』(巌松堂書店・1926年,有斐閣・1989年復刻版))。

 さて,今回は,鉄道ネタの中でも,商法の問題を取り上げます。乗車券の法的性格に関する問題です。

 


2 松本烝治の乗車券論

 


(1)鉄道の乗車券

松本烝治博士の鉄道乗車券論は,次のとおり。当時のドイツの学説に,まずは依拠したものでした。

 


  鉄道乗車券の性質に付ては,独逸に於ては学者の之を論議するもの少からずと雖も,之を以て鉄道をして運送を為さしむべき契約上の権利を表彰する有価証券と解するを通説とす。其説明に依れば,乗車券を買求むるに当りて旅客運送契約が締結せられ,乗車券は其運送契約上の旅客の権利を表彰し,鉄道は其所持人に対して義務を履行すべきものなるを以て,一個の無記名証券に外ならずとす。・・・余も亦,此通説を正当とす。(松本「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」(1916年)『私法論文集』962963頁(同書の原文は,片仮名書き,濁点・半濁点,句読点無し。))

 


 そこから更に松本博士の学説が展開されます。

 


 ・・・唯,鉄道乗車券を買求むるを以て運送契約の締結と観るは一般社会見解に反するが故に,寧ろ運送契約上の(精確に言へば運送契約より生ずるものと同一の)権利を表彰する有価証券が売買授受せらるるものと解すること,却て適切ならむと思料す。・・・而して卑見に依れば,乗車券が有価証券たる性質は,運送の開始のためにする改鋏に因りて終了するものたり。何となれば,鉄道は特定の道程,特定の一人を運送する義務を負ふ者なるが故に,運送の開始に因り其乗車券の表彰する債権の履行が始まり,復之を他人に譲渡することを得ざるに至るものなればなり。即ち,鉄道乗車券は,無記名有価証券なれども,改鋏に因りて単純なる証拠の為めにする証券と変化するなり。精確に言へば・・・改鋏は,有価証券たる乗車券を回収し,之に代ふるに単純なる証拠の為めにする乗車券を交付するの行為と観察すべきなり。・・・(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』963964頁)

 


 この松本説が,大体において,鉄道乗車券についての我が商法学会の通説であるようです。(なお,鋏を入れる改鋏は,今はスタンプを挟み押すことをもって代替されていますね。)

 


  通説によれば,運送契約は乗車券購入のとき成立し,乗車券は運送債権を表章する有価証券とみとめられる。すなわち,通常の乗車券は特定区間の個別的運送についての通用期限付きの無記名証券(ただし鋏を入れた後は証拠証券となる)とされ〔る。〕(鈴木竹雄『新版 商行為法・保険法・海商法 全訂第二版』(弘文堂・1993年)54頁。ただし, これはドイツの通説寄りですね。

 


  ・・・乗車前に発行される〔乗車券〕は,通常は運送債権を表彰する有価証券と解される。したがって,一般の無記名式乗車券は,証券の引渡により自由に譲渡することができる。しかし,一旦運送が開始された後(改札制度のあるときは,改札の後)は,運送人は特定人に対してのみ義務を負い,乗車券の譲渡は許されなくなる。以上に対し,乗車後に発行されるものは,運送賃の支払を証明する単なる証拠証券である。(西原寛一『商行為法』(有斐閣・1960年)333頁)

 


  通常の無記名乗車券は,通説によれば,運送請求権を表章する有価証券であり,引渡により自由に譲渡することができる。ただし,改鋏後は,特定人を運送する義務を負担するから,譲渡は許されない。しかし,乗車中請求あり次第いつでも呈示し,また取集めに際しては渡さなければならない(鉄道営業18条)から,有価証券としての性質を有する。(河本一郎『手形法・小切手法 商法講義』(上柳克郎=北沢正啓=鴻常夫=竹内昭夫編,有斐閣・1978年)26頁)

 


 なお,改鋏後の鉄道乗車券が有価証券であるとするか否かは,有価証券の定義いかんによります。「「有価証券とは,財産的価値のある私権を表章する証券であって,その権利を移転しまたは行使するのに,証券を交付しまたは占有することを必要とするものをいう」との定義が通説になっている。」とされているのに対して(河本24頁),権利の移転及び行使に証券が必要だとする説も有力だからです。なお,鉄道営業法18条は,「旅客ハ鉄道係員ノ請求アリタルトキハ何時ニテモ乗車券ヲ呈示シ検査ヲ受クヘシ/有効ノ乗車券ヲ所持セス又ハ乗車券ノ検査ヲ拒ミ又ハ収集ノ際之ヲ渡ササル者ハ鉄道運輸規程ノ定ムル所ニ依リ割増運賃ヲ支払フヘシ/前項ノ場合ニ於テ乗車停車場不明ナルトキハ其ノ列車ノ出発停車場ヨリ運賃ヲ計算ス」と規定しています。

 


(2)電車(軌道)の乗車券

 さて,松本烝治博士は,鉄道の乗車券が「鉄道をして運送を為さしむべき契約上の権利を表彰する有価証券」であるという解釈は,「其儘之を電車の復券及び回数券に応用して毫も不可なる所あるを観ず。」としています(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』964頁)。「是等の乗車券は,亦運送契約上の権利を表彰する無記名証券たり。之を売買贈与するは実際上頻繁に行はるる所にして,電気局自身も亦回数券が年末年始の贈答用に供せらるることを期待して特に之を売出すを常とす」るからです(同頁)。権利の移転及び行使に用いられる電車の復券及び回数券は当然有価証券であって,そうであればそこに表章されている権利は「運送契約上の(精確に言へば運送契約より生ずるものと同一の)権利」だということのようです。

 なお,松本烝治博士の立論においては,電車の片道券及び往復券の往券は,回数券及び往復券の復券とは異なるものとされています。なぜ異なるのかを理解するには,当時の路面電車の乗車方法を知らなければなりません。

 


 ・・・片道券及び往券は,乗客が之を買求めたる電車に於ける運送の賃金を支払ひたることを証する単純なる証票たるに過ぎずして,有価証券に非ず。車掌は之を乗客に交付するに当りて必ず入鋏することを要す。又,乗客は之を他人に譲渡すことを得ざるや勿論なり。(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』962頁)・・・鉄道に於ては乗車券所持人に非ざれば之が運送を開始せざるを常とするも,電車に於ては別に車内に於て賃金を支払ふ方法を認め,乗車券所持人に非ざるも之が乗車を拒むことな〔し〕・・・(同964頁)

 


・・・之に反して〔電車の〕復券及び回数券は乗客の請求に因りて始めて入鋏せらるるものにして,其入鋏前に於ては自由に之を譲渡すことを得。余は之を以て通常の鉄道乗車券と全然同一性質を有する有価証券なりとす。(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』962頁)

 


 軌道条例(明治23年法律第71号)に基づく軌道である路面電車では,あらかじめ乗車券を買っておくのは例外であって,正則は,電車に乗車後車内で賃金を支払って入鋏された片道券を受け取ることだったようです。

 


3 岡松参太郎及び大審院の乗車券論

 


(1)電車乗車券に係る岡松説

 ところで,松本烝治博士の論敵の岡松参太郎博士は,電車片道券の正則性から,その性質を復券及び回数券にも推し及ぼしたようです。

 


  岡松博士は,電車乗車券は其回数券なると復券なると将た片道券なるとに依り異ることなしとする前提に立ち,片道券は有価証券に非ずして単純なる賃金支払の証拠に過ぎざるを以て,回数券又は復券も亦有価証券たることなしと断定せらる。(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』965頁)

 


 それでは,岡松説では電車の乗車券の性質はどのようなものかといえば,次のようなものだったそうです。

 


  岡松博士は又「現に電車に乗車し其運送の為めに利用する乗車券なるも,運送契約の成立其ものとは無関係なり。即ち営業者の為に賃銭支払の認識票となり,之が為に乗客は降車の請求を受けず,又再度支払の請求を受けざるに至るの便益あるに過ぎず。未だ使用せざる乗車券は,若し電車に乗車する際之を提示せば其金額に相当する支払ありたることを認識する証票と為るべきものたるに過ぎず。」云云勿論法律上の性質には差異あるも,郵便切手の売下は其売下に因り運送契約を締結するものにあらざるに於ては一なり。従て,其売下の後郵便税を改正するも旧税に従ひ運送すべき義務なきと一般なり。」と論結せらる。(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』967頁)

 


 電車の乗車券は電車の乗車券なのだから性質はいずれも同じと考える岡松博士に対して,「分析的緻密な」松本博士は,電車の乗車券であっても,証拠証券にすぎない片道券及び往券と有価証券である復券及び回数券とは厳格に分別せられねばならないとするものでありました。

 


(2)電車乗車券に係る大審院の判例

 松本=岡松論争の翌年の大審院(たいしんいん)大正6年2月3日判決(民録2335頁)は,岡松説を採用します。

 


 Y(東京市)と乗客との間に於ける乗車契約は,乗車の時を以て成立するものにして,Yは其当時に於て実施せらるる運送条件に従ひ乗客を運送する私法上の義務を負担すると同時に,乗客も亦其当時に於て効力ある賃金率に従ひ乗車賃を支払ふ義務あるものとす。」

 「往復券・回数券の発行は,他日に於けるYと乗客との運送契約を予想し,之を以て乗車賃の支払に充つるの目的を以て発行せらるるものにして,其票券は,現行の乗車賃4銭と通行税を支払ひたることを証し乗車賃に代用せらるる一種の票券なりと解するを相当とす。故に,此票券の授受に因りYは其所持人に対して運送義務を負担するものにあらずして,唯票券を所持する乗客が乗車の際其票券を提出するに於ては,乗車賃金に代へて之を受領するの責務を負担するに過ぎざるものとす。」

 「是等票券を以て一種の無記名証券なりとし,之を発行したるYをして其所持人に対し運送の義務を負担せしむべきものと解釈すべきの問題に付きては,Yが内務省の認可を経て告示したる賃金表中此解釈を是認すべき何等の憑拠なく,此種の票券を以て無記名証券と看作すべき何等法律の規定なく,票券の内容も亦往復券・回数券たることを表示するに止まり,Yに於て運送義務を負担したることを表示すべき文言の記載あることなければ,他に其無記名証券性を肯定すべき事由の存せざる限りは,之を否定するを相当とす。」

 「往復券の復券殊に回数券が取引上に於て融通性を有することは,毫も其証券的性質を肯定するの根拠たるを得ず。何となれば,是等票券は縦令其性質に於て無記名証券にあらざるも,電車賃に代用せられ其所持人は乗車の際之を車掌に交付するに因りて電車賃の支払を免がるる以上は,其票券は,一種の有価物として売買譲与の目的たるを得ること郵便切手に於けると毫も異なる所なきを以てなり。」

「当院は・・・往復券・回数乗車券の性質より演繹し,其証券的性質を否定すると同時に,回数乗車券の発売に際しYと乗客との間に於ける運送契約若くは其予約の存在を否定し,是等票券を以て乗車賃に代用せらるる票券なりと断定するものなり。従て,往復券・回数券を購買したる者及其承継人は,乗車賃低減の場合に於て過払金として差額の返還を請求し得ると同時に,其増額の場合に付き其差額を支払ふことを要し,乗車賃を前払したるの故を以て其差額を僥倖することを得ざるものとす。」(原文は,片仮名書き,濁点・半濁点,句読点無し。) 

 


(3)電車乗車券判例に対する学説の批判

 「本件回数乗車券はその所持人を運送するというYに対する請求権が表章されている有価証券と解される」とされ(柴田和史「102 回数乗車券の性質」別冊ジュリ『商法(総則・商行為)判例百選[第5版]』(2008年)207頁),「問題となるのは,回数乗車券である。判例は,それが運送債権を表彰するものでなく,運送賃の前払を証する単なる票券ないし運送賃代用の票券にすぎないとする。しかし,旅客が最大の義務である運送賃の支払を終えながら,何らの権利の発生をも認められないのは,当事者の意思に適合しない。回数乗車券も,通用区間の指定(時には通用期間も指定)のある包括的運送契約上の権利を表彰する有価証券と解してよい」と述べられ(西原333頁),また,「回数乗車券も,包括的な運送についての無記名証券となるが,それでは,運賃値上げのとき追加払の要求がみとめられなくなるとして,回数乗車券は運送賃の前払を証する単なる票券にすぎないと解する説もある。しかし,有価証券と解したところで,通用期限の定めのない場合に,当然に追加払を要求できないことになるわけではないと思う。」とされており(鈴木54頁),電車の回数乗車券の無記名有価証券性を否定した上記大審院判例は,一般に学説の反対を受けているようです。

 中でも法政大学の柴田和史教授は研究熱心で,松本=岡松論争時における東京市の路面電車の回数乗車券の現物を確認した上で,いわく。

 


 ・・・最初に本件回数乗車券の外観形状を確認しておくことが重要である。本件回数乗車券の単券には,発行者である「東京市」の記載および「回数乗車券」の記載があるものの,乗車区間,有効期限,発行年月日および金額の記載はなかった(林順信『東京・市電と街並み』[1983]152頁の写真参照。なお,金額について,松本烝治「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」〔『私法論文集』967頁〕)。この点,一般的に発行されている回数乗車券の単券に金額が記載されていることから,近時の多くの学説が本件回数乗車券の単券にも金額の記載があるものとして本件判決を論じているが,事実と議論の前提に齟齬があると思われる。単券に金額の記載がないのであるから,票券説,金銭代用(証)券説・・・は立論の根拠を欠くことになろう〔。〕(柴田207頁)

 


 「近時の多くの学説」の一例としては,次のようなものがあります。

 


  無記名回数乗車券については,包括的運送債権を表章した有価証券か,後日成立すべき運送契約を予想してその運賃の前払があったことを証明する金銭代用証券かで争いがある。このような無記名回数乗車券の法的性格を論じる実益としては,発効後運賃の値上りがあったときに,回数券の所持人が運送を請求するためには,追加払が必要か,そのような必要はないのかという形で問題になる。

  大審院は,市電の回数乗車券について,運送人である東京市は,その所持人に運送債務を負担するものではなく,証券を所持する乗客が乗車の際にその証券を提出する場合に乗車賃に代えてこれを受領する債務を負担するにすぎないとして,差額を支払わなければならないという後者の立場をとった(大判大正623日民録2335頁〔百選〔第5版〕102〕)。

 この問題については,無記名回数乗車券といっても,一律に解すべきではないであろう。東京市電の回数乗車券のように,乗車区間も通用期間も限定していないで単に金額のみを表示した回数乗車券については,その証券所持人と運送人との間に運送契約が締結されており,したがって回数乗車券が運送債権を表章しているとは解し難く,大審院の判例の立場を支持すべきであろう。しかし,これに対して,乗車区間も通用期限も限定したものについては,すでに所持人と運送人との間に運送契約が締結されたものと考えるべきであり,したがって追加払は必要ないと解すべきであろう。(近藤光男『商法総則・商行為法〔第5版補訂版〕』(有斐閣・2008年)223224頁。下線は引用者)

 


 近藤光男教授は,丁寧に,自説と共に柴田教授の前記辛口判例評釈を併読するように指示しています。

 ところで,柴田教授は,「本件回数乗車券の券面には発行者Y,および,乗車券である旨の記載があることから,債務者であるYがその営業している乗車区間の範囲内において電車運送をなすべき給付の約束を表示しているものと考えることができる(松本烝治「電車乗車券の性質に関して岡松博士に答ふ」〔『私法論文集』975頁〕)。筆者もこの立場に従い本件回数乗車券の法的性質は有価証券であると考える。」とされた上で,「なお,乗車区間の記載も金額の記載もなければ,どこからどこまでの運送債権を表章するか確定できないのではないかとする反論が予想されるが,当時の東京市電は全区間一律料金だったのでそのような記載がなくても問題はなかったのである。」と述べられていますが(柴田207頁),ここのなお書き部分は,両刃の剣ともなりそうです。「全区間一律料金」だったので当然のこととして区間の記載がなくても問題がなかったのだとするのならば,乗車賃が4銭であることも当然のこととして,回数券の単券に金額の記載がなくとも問題がなかったものといい得るであろうからです。

 


(4)乗合自動車乗車券に係る大審院の判例

 ところで,大審院は,昭和14年2月1日判決(民集18277頁)で,今度は乗合自動車の回数券(「発行者ノ名義其ノ回数乗車券ナルコト各停留所区間料金等ヲ印刷シ其ノ特定ノ宛名ヲ記載シ居ラサル」もの)について,「本件ノ如キ回数乗車券ハ運送業者ト公衆トノ間ニ他日成立スヘキ運送契約ヲ予想シ其ノ乗車賃ノ前払アリタルコトヲ証シ即チ乗車賃ニ代用セラルル一種ノ票券ニシテ之カ発行ニヨリ其ノ所持人トノ間ニ旅客運送契約又ハ其ノ予約成立スルモノニアラス右運送契約ハ唯公衆カ乗車ノ都度乗客ト運送業者トノ間ニ成立スルモノト解スルヲ相当トス之ト同趣旨ノ見解ハ当院判決ノ曩ニ判示セル所ニシテ(大正・・・6年2月3日判決参照)・・・本件ニ付敢テ別異ノ解釈ヲ容ルヘキ特殊ノ事情アルヲ見ス」と判示しています。市電の回数券における東京市の記載ほど横着ではなく,「各停留所区間料金等」まで記載されていましたが,なお「乗車賃ニ代用セラルル一種ノ票券」にすぎないとされています。「各停留所・区間」(上柳克郎「回数乗車券の性質」別冊ジュリ『運輸判例百選』(1971年)160頁)が記載されていても,依然として「運送契約上の(精確に言へば運送契約より生ずるものと同一の)権利」を表章した有価証券にはならないようです(なお,「料金」の記載があることだけでもって直ちに「乗車賃ニ代用セラルル一種ノ票券」にされたということではないでしょう。)。

 判例と学説が,真っ向から対立しているように見えます。

 


4 無記名有価証券性認定のための要件論

 


(1)大審院の立場

 ここで改めて注目すべきものと思われるのが,大審院の大正6年2月3日判決のうち次の部分です。

 


  是等票券を以て一種の無記名証券なりとし,之を発行したるYをして其所持人に対し運送の義務を負担せしむべきものと解釈すべきの問題に付きては,Yが内務省の認可を経て告示したる賃金表中此解釈を是認すべき何等の憑拠なく,此種の票券を以て無記名証券と看作すべき何等法律の規定なく,票券の内容も亦往復券・回数券たることを表示するに止まり,Yに於て運送義務を負担したることを表示すべき文言の記載あることなければ,他に其無記名証券性を肯定すべき事由の存せざる限りは,之を否定するを相当とす。

 


 大審院は,票券の無記名有価証券性を認めるのに慎重であり,契約におけるその旨の規定,法律の規定又は当該義務を負担した旨を表示する当該票券上の記載がなければ,容易には有価証券とは認めないという立場を採っているものと解し得る判示です。

 


(2)松本=岡松論争

 これは,松本=岡松論争における岡松博士の立場に近いもののようです。

 


  岡松博士は無記名証券たるには一定の形式を要すとし,鉄道乗車券,電車回数券の如き類は,此形式を缺くを以て無記名証券たることなしとす。是れ博士論文の中核にして,余の架空の謬想とする所なり。更に詳言すれば,博士は第一に無記名証券たる為めには,(一)一定の給付の約束,(二)所持人に弁済すべき約束,(三)債務者の署名又は記名を記載せるものたるを要すとし,其結果,乗車券類は此形式を具備せざるを以て無記名証券たることなしとし,第二に乗車券類は,若し其所持人に対して債務を負担する意思を以て発行せられたる場合に於ては,独逸民法第807条の特別規定に依り無記名票として無記名証券と同視せらるることを得べきも,此の如き特別規定なき我法律の下に於ては同一の効力を生ずることを得ざるものとす。(松本烝治「電車乗車券ノ性質ニ関シテ岡松博士ニ答フ」(1916年)松本『私法論文集』973974頁)

 


 岡松博士の無記名有価証券三要件は,ドイツ民法793条によるものとされます(「電車乗車券ノ性質ニ関シテ岡松博士ニ答フ」『私法論文集』974頁)。同条は,次のとおり。

 


 793 ある者が,当該証券(Urkunde)の所持人に一定の給付(eine Leistung)を約束する(所持人に対する債務文言(Schuldverschreibung))証券を発行した場合においては,同人から所持人は,当該証券について無権利者であるときを除き,約束に応じた給付を請求することができる。ただし,発行者は,無権利者である所持人に対して給付をしたときは,債務を免れる。

 2 記名(Unterzeichnung)の効力は,当該証券に記載された条件により,特別の形式の遵守にかからしめることができる。記名は,機械的に複製される署名(Namensunterschrift)をもって足りる。

 


「独逸民法は通常の無記名証券に上述の要件の定を為すが故に,乗車券,入場券の類に付て第807条の規定に依り特に無記名証券に関する多数の規定を準用する旨を定むるの必要を生じたもの」とされています(「電車乗車券ノ性質ニ関シテ岡松博士ニ答フ」『私法論文集』974頁)。ドイツ民法807条は,次のとおり。

 


807 債権者が記載されていない票券(Karten, Marken)又は類似の証券が,所持人に一定の給付をすることを同人が義務付けられる意思であるものとみなされる(sich ergibt)状況において発行者から交付された場合においては,第793条第1項並びに第794条,第796条及び第797条の規定が準用される。

 


松本烝治博士は,我が国の民商法にはドイツ民法793条に対応する規定がないことから,同法807条に対応する規定がなくとも,我が国においては「寧ろ所持人に対して義務を負担する意思を以て発行せられたる乗車券,入場券の類は多くは我法律の下に於ける真正の無記名証券なりとする直接方法を採」るものとしています(「電車乗車券ノ性質ニ関シテ岡松博士ニ答フ」『私法論文集』975頁)。「余が通常の鉄道乗車券又は問題の電車復券又は回数券を無記名証券なりとするは,其発行者が所持人に対して義務を負担する意思を以て発行したるものと認定するが故なり」というわけです(同976頁)。

しかしながら,この松本博士の論理の弱点は,発行者から「いやいやそんな意思はありませんでした」と否認されてしまうと窮してしまうことです。「独逸民法前の学説に依りて,積極的に所持人に弁済すべき旨の記載なきも,其所持人証券たるを得べきもの」(「電車乗車券ノ性質ニ関シテ岡松博士ニ答フ」『私法論文集』975頁)も,「証券面の文言又は発行に関する規約若くは慣習」ないしは「他の事情」によって認定されていたようです(同974頁)。発行者の意思の独断的「認定」だけではなかなか弱いでしょう。松本博士はまた,「我国に行はるる無記名社債券には、所持人に弁済すべき旨の明瞭なる記載を缺くもの少なからず存在するが如し。〔岡松〕博士の説に依れば,是等の社債券は無記名証券に非ざるものと為る。」とも反論していますが(同975頁),社債券については,その有価証券性について定める法令が存在しているところです。

 


5 鉄道の王国と長官の息子

軌道である路面電車(大正6年判決)及び乗合自動車(昭和14年判決)の回数乗車券について,大審院は松本烝治博士の無記名有価証券説を排斥しました。松本説は,学説の中にのみ生きて,判例には全く容れられないものなのでしょうか。否,松本烝治博士の父である荘一郎長官が準備した鉄道営業法の世界では,息子の説が生きることができます。「旅客ハ営業上別段ノ定アル場合ノ外運賃ヲ支払ヒ乗車券ヲ受クルニ非サレハ乗車スルコトヲ得ス」と規定する鉄道営業法15条1項があるのであって,鉄道と旅客との間においては,軌道や乗合自動車の場合のように「乗車契約は,乗車の時を以て成立するもの」というわけにはいかないことになっています。やはり,鉄道の乗車券は「鉄道をして運送を為さしむべき契約上の権利を表彰する有価証券」なのでしょう。鉄道営業法15条1項の規定が,鉄道の乗車券の無記名有価証券性の「何等法律の規定」たる根拠となるものでしょう。鉄道に係る当該解釈を「其儘之を〔軌道である〕電車の復券及び回数券に応用」しようとする試みは大審院の容れるところとはなりませんでしたが,鉄道の世界にまで軌道及び乗合自動車に係る大審院判例が跳ね返ってくるわけではありません。

鉄道営業法15条1項は,次のように説明されています。

 


鉄道運送契約の性質に付ては多少の議論ありて或は雇用契約の性質に属するものなりと云ふものあれとも普通法即ち民法に於ては請負契約の一種として之を認めたり蓋し運送契約は人又は物を目的地まて運送することを目的とする契約なれはなり(民法第632条)故に運送賃は其の運送を終了したるとき即ち人又は物の到達地に到達したるときに非されは之か請求を為すことを得さるなり(民法第624条及第633条)然れとも鉄道運送に付ては独り我邦のみならす各国に於ても運賃は乗車又は物品託送の前若は其の際に之か支払を為すへきものとし或は法令を以てし或は運送条件を以て之を規定すること殆と一般鉄道営業の慣例たり旧法即ち鉄道略則第1条に於ても(賃金の事「何人に不限鉄道の列車にて旅行せんと欲する者は先賃金を払ひ手形を受取るへし然らされは決して列車に乗るへからす」)と規定せり本条は之を襲用し従前の如く普通法の例外を認め本条第1項の規定を設けたるものなり即ち旅客は先つ運賃を支払ひて乗車券を受くるに非されば乗車するの権利なきものとす故に若し乗車券なくして乗車したる場合に於て運賃を免るるの目的に出てたるものなるときは50円以下の罰金に処せらる(第〔29〕条第1号)運賃を免るるの目的にあらすして全く乗車券を購求するの暇なく鉄道係員の認諾を得て乗車したる場合に於ては20銭以内の増払を請求せられ又其の認諾を得すして乗車したる場合に於ては普通運賃2倍以内の割増運賃を請求せらるるものとす(鉄道運輸規程第23条)然れとも鉄道に於て営業上別段の定め例へは乗車後に於て乗車券を発売し又は多人数乗車特約の場合に於て運賃の後払を認諾し又は特約にあらさるも乗車賃を後払とするの運送条件を提供しあるの場合の如きは増払又は割増運賃の支払を請求せらるることなくして乗車することを得るなり(『鉄道営業法註釈』(帝国鉄道協会・1901年)2930頁)

 


請負契約の成立を前提に,その報酬の支払時期についてまず特則が設けられたものと解するのが素直でしょう。「乗車券を受くるに非されば乗車するの権利なきものとす」ですから,「乗車するの権利」が乗車券に化体されているものでしょう。鉄道係員の認諾を受けても乗車券なしの乗車の場合には「20銭以内の増払」を請求されるのですから,「乗車契約は,乗車の時を以て成立する」のが正則であるわけはありません。鉄道営業法16条1項が「旅客カ乗車前旅行ヲ止メタルトキハ鉄道運輸規程ノ定ムル所ニ依リ運賃ノ払戻ヲ請求スルコトヲ得」とわざわざ規定しているのは,運送契約が既に成立しているからでしょう。「鉄道の詐欺又は強迫に因り乗車券を購求したる者又は乗車契約の要素に錯誤ありたる場合に於ては其の契約は取消又は無効となる」(帝国鉄道協会33頁)との表現は,「乗車券を買求むるに当りて旅客運送契約が締結せられ」ることを前提としています。鉄道営業法29条の罰則(「鉄道係員ノ許諾ヲ受ケスシテ左ノ所為ヲ為シタル者ハ50円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス/一 有効ノ乗車券ナクシテ乗車シタルトキ/二 乗車券ニ指示シタルモノヨリ優等ノ車ニ乗リタルトキ/三 乗車券ニ指示シタル停車場ニ於テ下車セサルトキ」)は,乗車券が「鉄道をして運送を為さしむべき契約上の権利を表彰する有価証券」であることを前提にしたものと解さなければ理解が難しいところです。

鉄道運輸規程(明治33逓信省令第36号)14条は,「乗車券ニハ通用区間及期限,客車ノ等級,運賃額並発行ノ日附ヲ記載スヘシ/特殊及臨時発行ノ乗車券ニ在リテハ前項ノ記載事項ヲ省略スルコトヲ得」と規定していました。これを見ると,前記東京市の路面電車の回数券は,堂々たる鉄道の乗車券と比べるといかにも横着でしたね。「本件回数乗車券に関しては,単券に金額も有効期限も記載しなかった発行者側の落ち度があまりにも大きく,このような迂闊な当事者を救済するために無理な理論を展開する必要はない」とも主張されるわけですが(柴田207頁),かえって鉄道の乗車券と同様に扱わない理由ともなります。

軌道と鉄道との違いにこだわるのも,いわゆる鉄道オタクの矜持でしょう。

 




1 「ゴールデン・ウィーク」と「国民の祝日」

 世は「ゴールデン・ウィーク」。これも国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)のおかげです。

 ということで,今回は国民の祝日に関する法律について書いてみようと思ったのですが,手元の「実務家向け」と銘打たれている六法を開いても,同法が掲載されていないのには閉口しました。かつては小さな六法にも掲載されていた記憶があるのですが,どうしたものでしょう。最近の六法編集委員・編集者には,「国民」の祝日を軽視する「非国民」が多いのでしょうか。

 ともあれ,いざというときのトホホのお上頼みで総務省行政管理局提供の法令データ提供システムで国民の祝日に関する法律を見ると,その第1条では「自由と平和を求めてやまない日本国民は,美しい風習を育てつつ,よりよき社会,より豊かな生活を築きあげるために,ここに国民こぞつて祝い,感謝し,又は記念する日を定め,これを「国民の祝日」と名づける。」とうたわれおり,第2条柱書きでは「「国民の祝日」を次のように定める。」と規定され,同条中「ゴールデン・ウィーク」関係部分は次のとおりとなっています。



 昭和の日  4月29日 激動の日々を経て,復興を遂げた昭和の時代を顧み,国の将来に思いをいたす。

 憲法記念日 5月3日  日本国憲法の施行を記念し,国の成長を期する。

 みどりの日 5月4日  自然に親しむとともにその恩恵に感謝し,豊かな心をはぐくむ。

 こどもの日 5月5日  こどもの人格を重んじ,こどもの幸福をはかるとともに,母に感謝する。



 なかなか味わい深い文章が並んでいますね。

 第1条冒頭の「自由と平和を求めてやまない日本国民」というのは,1948年当時の我が国民の実感だったものでしょう。しかしながら当該文言については,



・・・紳士諸君は唱えるであろう,平和,平和と。しかし,平和は存在しない。戦争は現実に始まっているのである。・・・鉄鎖と隷従とをもってあがなうべきほど,生命は貴く,平和は甘美なものであるのか。やめていただきたい,全能の神よ。・・・我に自由を与えよ,しからずんば死を与えよ。



と,平和と自由との野蛮な二者択一間において獅子吼したパトリック・ヘンリーを建国の父の一人に持つ米国人ら当時の占領当局の人々からしてみると,自由も平和もと欲張ってこともなげに両立せしめ得るものとする我が国の驚嘆すべき文化水準の高さを示すものと思われたことでしょう。

 昭和の日の項にいう「激動の日々を経て,復興を遂げた昭和の時代」という昭和時代の性格づけは,現在の平成の時代との対比においてされたものでしょうか(平成17年法律第43号)。しかしながら,まさか,我が国会議員の選良諸氏が,平成の時代について,「人に優しい穏便の日々を経て,衰退を遂げた平成の時代」になるものと考えているわけではないのでしょう。けれども,無論,国の将来に「思いをいたす」だけで実行が伴わないと,困るところではあります。

 憲法記念日の項の「国の成長を期する。」という文言も,高齢社会の現在からすると,感慨深いものがありますね。日本国憲法を教科書としてそこに書かれたことを学習しつつ成長すべき,なお成熟していない若き日本国とその国民という自己認識だったものでしょうか。(なお,1948年の国民の祝日に関する法律の制定当初には,9月の敬老の日はいまだありませんでした。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し,長寿を祝う。」といっても,多くの青年兵士の犠牲の末先の大戦をしくじったことについては,国家の指導的地位にあった老人たちはなかなか敬愛してもらうわけにはいかなかったのでしょう。敬老の日は,10月の体育の日と一緒に,建国記念の日が制定されたことで有名な昭和41年法律第86号による1966年の改正によって追加されたものです。ところで,この昭和41年法律第86号を見ると,「スポーツにしたしみ」(体育の日),かつ,「老人を敬愛」(敬老の日)すると「国を愛する心」(建国記念の日)が養われるようでもあり,何だか三題噺みたいでもあります。ちなみに,昭和41年法律第86号の法案は,議員立法主導の国民の祝日に関する法律の歴史では珍しく,内閣(佐藤榮作内閣)提出でした。もう一つ法案が内閣から提出された国民の祝日に関する法律の改正法は,今上天皇の誕生日である12月23日を天皇誕生日とし,4月29日を(旧)みどりの日とした平成元年法律第5号でした。)

 みどりの日の項は,苦労して書かれています。しかし,春分の日が既に「自然をたたえ,生物をいつくしむ。」ことになっているので,趣旨が重複しているようではあります。むしろ,憲法記念日とこどもの日という二つの「国民の祝日」の中間にはさまれた日であるミドル(middle)の日が転訛したものと解すべきか。(というのは後付けの理屈で,4月29日だったみどりの日が5月4日になったのは平成17年法律第43号によってです。)

 こどもの日は,母に感謝する日でもありました。しかし,男女共同参画社会の手前,父が感謝される日が無いということは不当な差別ではないでしょうか。国民の祝日に関する法律を合憲的に解釈するとして,父は,生物として,春分の日においていつくしまれる生物に含まれるということでしょうか,それともあるいは,男は,父になっても依然としてこどもだから,いつまでもこどもの日にこどもとして人格を重んじてもらい,幸福をはかってもらえるということでしょうか。



2 国民の祝日に関する法律に規定する休日

 さて,定められた「国民の祝日」の効果についてですが,これは,国民の祝日に関する法律の第3条に書かれています。



 第3条 「国民の祝日」は,休日とする。

 2 「国民の祝日」が日曜日に当たるときは,その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。

 3 その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る。)は,休日とする。

 

国民の祝日に関する法律の制定当初は,振替休日等に係る第2項以下は無かったんですけどねえ。

今年(2014年)の「ゴールデン・ウィーク」では5月6日の火曜日までが休日になっているのは,国民の祝日に関する法律3条2項の適用の結果です。5月4日のみどりの日が日曜日に当たったので,「その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日」である5月6日が休日になったものです(月曜日の5月5日はこどもの日であって「国民の祝日」だから,翌火曜日に繰り越し。)。

国民の祝日に関する法律3条3項は,現在,9月の第3月曜日である敬老の日と秋分の日との間において機能する規定となっています。来年(2015年)は,9月21日が敬老の日で,同月23日が秋分の日ですから,同月22日が同項の適用を受け,同月19日の土曜日から同月23日の水曜日までの5日間は,お役所等はお休みです。



3 法律と休日

 さて,上記のように,国民の祝日に関する法律は多大の効果を発揮しています。同法の規定次第で,皆さん休めることになったり休めなかったり一喜一憂です。我が国の①法律で,②休日であると規定されている以上,その日休まないのでは非国民みたいですからね。



(1)休む義務及び仕事をする権利の制限に係る法規性の問題



ア モーセの十戒

 休む義務(義務ですぞ。)ということについては,モーセの十戒が有名な先例です。いわく,「安息日を覚えて,これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神,主の安息であるから,なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ,娘,しもべ,はしため,家畜,またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに,天と地と海と,その中のすべてのものを造って,七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」(出エジプト記20811。また,申命記51215)。

この安息日を守らないと,死刑,であったようです。

「六日のあいだは仕事をしなさい。七日目は全き休みの安息日で,主のために聖である。すべて安息日に仕事をする者は必ず殺されるであろう」(出エジプト記3115)。「六日の間は仕事をしなさい。七日目はあなたがたの聖日で,主の全き休みの安息日であるから,この日に仕事をする者はだれでも殺されなければならない」(同352)。また,「七月の十日」の「贖罪の日」についても同様でした。いわく,「その日には,どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために,あなたがたの神,主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。すべてその日に身を悩まさない者は,民のうちから断たれるであろう。またすべてその日にどのような仕事をしても,その人をわたしは民のうちから滅ぼし去るであろう。あなたがたはどのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのすべてのすまいにおいて,代々ながく守るべき定めである。これはあなたがたの全き休みの安息日である。あなたがたは身を悩まさなければならない。またその月の九日の夕には,その夕から次の夕まで安息を守らなければならない」(レビ記232632)。なお,古代ユダヤでは,一日は日没に始まり,日没に終わったそうです(だから,キリストの最後の晩餐は木曜日のことではなくて金曜日)。



イ 昭和天皇の昭和2年勅令第25号と国民の祝日に関する法律

 しかし,国民の祝日に関する法律は,法形式としては「法律」なのですが,モーセの律法のように,国民に休む義務を課し,又は国民の仕事をする権利を制限するいわゆる法規たる事項を定めたものではありません。同法の附則2項は「昭和2年勅令第25号は,これを廃止する。」と規定していて,同法が昭和2年勅令第25号(休日に関する件)に代わるものであることを明らかにしていますが,日本国憲法下では,昭和2年勅令第25号は政令と同一の効力を有するものでしかなかったからです(昭和22年政令第14号1項)。政令で決め得る事項の限界について内閣法11条は,「政令には,法律の委任がなければ,義務を課し,又は権利を制限する規定を設けることができない。」と規定しています。昭和2年勅令第25号は法律の委任を受けたものではありませんでしたから,当然当該勅令の規定をもって国民に義務が課され,権利が制限されたものではなく,また,そうであれば,それを引き継いだ国民の祝日に関する法律も,直接国民に義務を課し,その権利を制限するものとは解されないものであるわけです。

そもそも同法が議員立法により第2回国会で制定されることになったきっかけは,新しい休日に関する命令を政令で定めるという動きが194712月上旬に政府においてあったことに対する国会側の反発であったそうです(194874日衆議院本会議における小川半次同議院文化委員長の発言参照)。本来は内閣制定の政令で決め得ることではあるが,内閣に代わって国会が定めることにした以上,鶏を割くに牛刀の類とはなりますが,法形式としては国会制定の法律となってしまったということのようです。

 なお,昭和2年勅令第25号は,次のとおり。



朕大正元年勅令第19号休日ニ関スル件改正ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

 御 名 御 璽

  昭和2年3月3日〔公布同月4日〕

     内閣総理大臣 若槻礼次郎

勅令第25

左ノ祭日及祝日ヲ休日トス

  元始祭    1月3日

  新年宴会   1月5日

  紀元節    2月11

  神武天皇祭  4月3日

  天長節    4月29

  神嘗祭    1017

  明治節    11月3日

  新嘗祭    1123

  大正天皇祭  1225

  春季皇霊祭  春分日

  秋季皇霊祭  秋分日

   附 則

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス



 おや,キリスト教国同様1225日もお休みだったのですね。

 ただし,同日は大正天皇の命日ということで休日なので,そうそうはしゃぐわけにはいかなかったものでしょう。
 ちなみに,昭和2年勅令第25号にいう「祭日及祝日」のうち,祭日は元始祭,神武天皇祭,神嘗祭,新嘗祭,大正天皇祭,春季皇霊祭及び秋季皇霊祭であって,祝日は新年宴会,紀元節,天長節及び明治節です。
 元始祭は,「年のはじめに天孫降臨,すなわち天津日嗣(皇位)の始源を祝う祭り」です(村上重良『天皇の祭祀』(岩波新書・1977年)76頁)。明治三年(1870年)一月三日に神祇官の八神殿に八神,天神地祇,歴代皇霊を鎮祭したことが起源ですから(村上76頁),必ずしも古来のものではありません。1月3日が元始祭の日となったのは,直接には上記明治三年一月三日の鎮祭に由来しますが,「1月4日には政始(まつりごとはじめ)の朝儀が行われるので,その前日で,宮中参賀〔元日及び2日〕のない3日が,元始祭の祭日として選ばれたのであろう。」とされています(村上77頁)。天皇守護の「八神」は,カミムスビ,タカミムスビ,タマツメムスビ,イクムスビ,タルムスビ,オホミヤノメ,ミケ及びコトシロヌシです(村上15頁)。「天神」は「ヤマト政権が信仰する神々」,「地祇」は「もともとの土地神」である「国神(くにつかみ)」です(村上9頁)。「皇霊」は,「神武天皇から前天皇にいたる歴代の天皇の霊と,故人となった皇后,皇妃,皇親等の霊の総称であり,天皇ないし皇室の祖先の霊」を意味します(村上87頁)。
 「元始祭は祝祭であるが,当日には宮中の祝宴はなく,1月5日に宮中で「新年宴会」が開かれるきまりになっていた」そうです(村上77頁)。
 神武天皇の崩御日は三月十一日と伝えられており,明治改暦後初年の1873年(明治6年)には天保暦三月十一日に当たる4月7日が神武天皇祭でしたが,古代には用いられていなかった天保暦に基づき,かつ,毎年移動する「この祭日には難点があるため,紀元節を2月11日と算出したのとは別の計算によったらしく,1874年(明治7)から,祭日を4月3日とさだめ」られました(村上86頁)。
 神嘗祭と新嘗祭との違いは何かといえば,「近代の皇室祭祀において,新嘗祭は,天皇が親祭する13の祭典中で,古代の皇室祭祀を受けついだ唯一の祭り」であるのに対し,「伊勢神宮の収穫祭である神嘗祭」は明治四年(1871年)から「新たに天皇が親祭する皇室祭祀に加えられた」ものです(村上71頁,73頁)。「新嘗祭の祭日は,701年(大宝元)の大宝令において,十一月下卯日,同月に3度卯日があるときは中卯日とさだめられた。この祭日は,イネの収穫期よりもかなり遅く,収穫祭としては不自然な感じを受ける。もともと新嘗祭は,晩秋の祭りであったろうが,5世紀ごろ,それまで宮中に祀っていたアマテラスオホミカミを外に遷して伊勢に祀ったのちは,皇祖神に新穀をささげる伊勢神宮の神嘗祭がまず行われ,そののちに重ねて新嘗祭が行われるようになったのであろう。また皇室神道の新嘗祭は,天皇の再生の儀礼としての性格が強いため,農耕社会でひろく見られる生命の再生の祭りである冬至祭と複合して,この祭日となったのかもしれない。」と考えられています(村上13‐14頁)。神嘗祭は九月十七日でしたが,「太陽暦の9月中旬では,新穀がまだ稔らないことから」,「1879年(明治12)にいたり,祭日を1ヵ月ずらして10月17日に改め」られました(村上74頁)。新嘗祭の日が11月23日なのは,明治改暦後初年の1873年(明治6年)11月の下卯日が23日だったからです(村上70頁)。天保暦の十一月下卯日は,グレゴリオ暦では12月下旬頃に当っていました。
 「神仏分離以前には,宮中の祖先祭祀は仏教式であったから,一般と同じく,春秋の彼岸会に,祖先の祭りが営まれてい」ました(村上89頁)。1878年(明治11年)に「綏靖天皇以下後桜町院天皇迄,御歴代の御式年御正辰共廃せられ」(歴代天皇の正辰日(命日)の祭祀だけで年百祭を超えてしまうので,整理して,まとめて祭祀することにしたわけです。),春分日及び秋分日にそれぞれ春季皇霊祭及び秋季皇霊祭を新設したことについては,「国民の生活に仏教行事として定着している春秋の彼岸の祖先まつりを,皇室祭祀の皇霊祭と直結するねらいがあったためであろう。」とされています(村上90‐91頁)。
 明治節は昭和2年勅令第25号で設けられ,明治天皇の誕生日(天保暦九月二十二日,グレゴリオ暦11月3日)は,明治時代の天長節,昭和時代からの明治節及び現在の文化の日と三つの祝日となったことになります。昭和天皇の誕生日(4月29日)も,天長節,天皇誕生日,(旧)みどりの日及び昭和の日と四つの祝日となりました。しかし,この点で最も偉大だったのは大正天皇だったかもしれません。大正元年9月4日勅令第19号(裁可同月3日)は大正天皇の誕生日である8月31日を天長節としましたが,「暑中のため」(村上126頁),大正2年7月18日勅令第259号(裁可同月16日)によって10月31日が天長節祝日として更に休日に加えられています。大正2年7月18日宮内省告示第15号によれば,8月31日には天長節祭のみが行われ,宮中における拝賀宴会は10月31日に行われました。大正時代は15年しかありませんでしたが,天皇の誕生日にちなむ休日は28日あったことになるようです。
 

(2)「休日」の性格の問題

 ところで,そもそも国民の祝日に関する法律その他の法令にいうところの「休日」とはどういう意味でしょうか。



ア 3種類の「休日」

実は,休日にも三つの種類があります。

すなわち,休日とは「一般には,業務を行わない日をいう」のですが,第1には「ある種の事業や一定の地域において,一般的に業務の執行をしないものと慣習上定まっている日」と,民法142条等の用例が挙げられ(慣習によるもの),第2に「国,地方公共団体等の一般の機関が原則として職務の執行をしないものと定められた日」がそうであるとされ(お役所に係るもの),最後に「労働者が労働を休む日をいう」と労働基準法35条の意味での休日(契約によるもの)が挙げられています(吉国一郎ほか『法令用語辞典【第八次改訂版】』(学陽書房・2001年))。労働基準法35条は,その第1項で「使用者は,労働者に対して,毎週少くとも1回の休日を与えなければならない。」と,第2項で「前項の規定は,4週間を通じ4日以上の休日を与える使用者については適用しない。」と規定しています。



イ 国民の祝日に関する法律に規定する休日と慣習又は労働契約に基づく休日との別次元性 

 国民の祝日に関する法律3条にいう休日は,前記休日の3種類のうち,第1及び第3のものではどうやらない旨,1948年7月4日の衆議院本会議で,法案を提出した同議院文化委員会の小川半次委員長が言明しています。



 国民の祝日に関する法律3条の「この休日とは,いわゆる一般の休日の意味でありますので,これ以外の休日を決して排除するものではありません。すなわち第1には,ある社会,階級,地方の全般を通じて業務を休み,取引をなさない日,すなわち日曜日とか土曜日午後のいわゆる銀行休日とか,ぼんとかひがんなども,民法第142条,手形法第72条,第87条,なお小切手法第60条,第75条などに,いわゆる休日として当然残されるのであります。第2には,労働者が就業制限の一方法として毎週少くとも1回休む日も労働基準法上の休日となるわけであり,また,年末,年始にかけてのいわゆる官庁の休暇日なども依然として生きているわけであります。この点,世間に往々誤解がありますので,一応お断り申し上げておきます。」



 かつての民法142条は「期間ノ末日カ大祭日,日曜日其他ノ休日ニ当タルトキハ其日ニ取引ヲ為ササル慣習アル場合ニ限リ期間ハ其翌日ヲ以テ満了ス」と規定しており,よく読むと,「休日」であっても取引はされるものであることが原則となっていました。これは,現在の同条の規定である「期間の末日が日曜日,国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日その他の休日に当たるときは,その日に取引をしない慣習がある場合に限り,期間は,その翌日に満了する。」においてむしろより明らかになっており,国民の祝日に関する法律で定められた休日であっても,同法のみによっては当該休日に取引が行われることを妨げる効力はないことを前提とした規定になっています(取引が行われないものとされるのは,直接には同法によってではなく,慣習によってである。)。

これに対して,我が民法に影響を与えたドイツ民法を見ると,同法の193条は,現在,„Ist an einem bestimmten Tage oder innerhalb einer Frist eine Willenserklärung abzugeben oder eine Leistung zu bewirken und fällt der bestimmte Tag oder der letzte Tag der Frist auf einen Sonntag, einen am Erklärungs- oder Leistungsort staatlich anerkannten allgemeinen Feiertag oder einen Sonnabend, so tritt an die Stelle eines solchen Tages der nächste Werktag.(意思表示又は履行をある期日又はある期間内にすべき場合であって,当該期日又は当該期間の末日が,日曜日,意思表示若しくは履行の場所において国家的に認められた一般の休日又は土曜日に当たるときは,次の取引日をもってその日に替えるものとする。)と規定していて,取引をしない慣習の存在をまたずに,期日又は期間の末日が日曜日等に当たるときは端的にその日を次の取引日に振り替えるものとしています。こちらは,モーセの十戒以来,安息日には仕事をしないものだということが確乎たる法的確信となっているからでしょうか。(ちなみに,1919年のヴァイマル憲法の「第2編 ドイツ人の基本権および基本的義務」における「第3章 宗教および宗教団体」中第139条は,「日曜日および国の承認した祭日は,仕事の休日および精神的向上の日として,法律上保護される。」と規定しており(山田晟訳『人権宣言集』(岩波文庫・1957年)208-209頁),同条は現在もドイツ連邦共和国基本法の構成部分です(同法140条)。)ドイツにおける日曜日の様子は具体的にはどのようなものかといえば,少々昔の話になりますが小塩節教授によれば,「・・・友人の話で,彼は医者なのだが,週末に買ってきた苗木を1本,ある晴れた初夏の日曜日の午後,自分の家の広い庭の一隅に植えた。休息の日である日曜日に働いたかどで彼は訴えられ,裁判所に呼び出されて,有罪の判決を言い渡された。誰の邪魔をしたわけでもない。自分のホビーでやったことだ,と言い張ったがだめだった。/かなり距離のある隣家の3階か4階から,植え込み越しに望遠鏡で一生懸命彼の仕事を見ていたヒマな人が二,三人いたのである。彼らが,法によって定まっている安息日に精神的な被害を受けた,と告訴したのだという。」というようなものだそうです(小塩節『ドイツ語とドイツ人気質』(講談社学術文庫・1988年)91‐92頁)。民法起草者の一人である梅謙次郎は,「西洋ニ於テハ日曜日,大祭日等ニハ各人大抵皆其業ヲ休ミ一切ノ取引ヲ為ササルヲ以テ常トスルカ故ニ広ク本条〔日本民法142条〕ノ規定ヲ適用スルコト或ハ穏当ナラン」と述べていました(梅謙次郎『訂正増補第31版 民法要義 巻之一 総則編』(法政大学・有斐閣書房・1910年)362頁)。

なお,そもそも日本において日曜日を休むことにしたのは,院省使庁府県のお役人あての明治9年太政官達第27号が「従前一六日休暇ノ処来ル4月ヨリ日曜日ヲ以テ休暇ト被定候条此旨相達候事/但土曜日ハ正午12時ヨリ休暇タルヘキ事」(1876312日)と定めて以来,お役人の世界から始まったことであって,国民こぞってキリスト教に改宗して安息日を守ることにしたものではありません(なお,お役人の休みは一六日とされていても,31日は休みではありませんでした(下記明治6年太政官第2号布告参照)。)。梅謙次郎は「我邦ニ於テハ日曜日,大祭日等ニ其業ヲ休ム者ハ極メテ少数ニシテ未タ西洋ノ如キ慣習アラサルカ故ニ一般ニ此規定〔民法142条の規定〕ヲ適用セハ頗ル不当ノ結果ニ陥ルヘシ故ニ本条ニ於テハ此等ノ日ニ取引ヲ為ササル慣習アル場合ニ限リ此規定ヲ適用セリ」と言っていました(梅364頁)。
 (民法が制定された1896年当時における「大祭日」の用法について参考となるものとしては,1891年の小学校祝日大祭日儀式規程(明治24年文部省令第4号)があります。そこでは「祝日大祭日」として,紀元節,天長節,元始祭,神嘗祭及び新嘗祭(同規程1条),孝明天皇祭,春季皇霊祭,神武天皇祭及び秋季皇霊祭(同2条)並びに1月1日(同3条)が挙げられています。紀元節及び天長節並びに1月1日が祝日で(「1月1日も,「四方拝」の名称で,祝日の扱いを受けるようになった。」とされています(村上126頁)。),それ以外が大祭日ということになるのでしょうか。ただし,紀元節の日及び天長節の日並びに1月1日には宮中でそれぞれ紀元節祭及び天長節祭並びに歳旦祭が行われるので(皇室祭祀令(明治41年項皇室令第1号)9条,21条),これらについても祭日ではないとはいえません。しかしながら,紀元節祭は天皇が親祭する大祭であるのに対して(皇室祭祀令8条1項,9条),天長節祭及び歳旦祭は掌典長が祭典を行って天皇が拝礼する小祭です(同令20条1項,21条)。四方拝は,歳旦祭の当日にそれに先立ち(皇室祭祀令23条2項)天皇によって行われる儀式です。)
 ちなみに,民法142条の「その他の休日」について梅謙次郎は,「各地方ノ慣習上ノ休日ヲ云ヘルナリ例ヘハ1月2日ハ大祭日ニ非サルモ往往其業ヲ休ムノ慣習アリ又氏神ノ祭礼ニハ其業ヲ休ムノ慣習稀ナリトセス又旧外国人居留地ニ於テハ耶蘇教ノ祭日ニ其業ヲ休ムカ如キ是ナリ」と説明しています(梅364頁)。
 国民の祝日に関する法律に規定する休日が,ある労働者にとって労働基準法35条の休日になるかどうかも,直接には,当該労働者とその使用者との間の労働契約関係いかんによって決まります。国民の祝日に関する法律によって直ちに決まるものではありません。(「国民の祝日」に働いている労働者はたくさんおり,かつ,だからといって非国民であるわけではありません。「労基法上付与すべき休日は週1日であるので,「国民の祝日に関する法律」の定める「国民の祝日」は,労基法上の休日ではなく,週休日を与えている限り労基法上,休日としなくとも労基法違反は生じない」こととなっています(荒木尚志『労働法 第2版』(有斐閣・2013年)143頁)。)



ウ 官庁執務日と国民の祝日に関する法律

 となると,慣習も要さず,契約も要さずに,「「国民の祝日」は,休日とする。」等との国民の祝日に関する法律3条の規定の適用を直接受け得る受益者は,だれなのでしょうか。

 お役人のようです。

 

 ・・・国の制定した今の祝祭日は,当然官庁の休日になるわけであります・・・

 (苫米地義三国務大臣(内閣官房長官)の1948622日参議院文化委員会における国民の祝日に関する法律案に関する答弁)



そもそも昭和2年勅令第25号の休日に関する件も,本来は官吏の執務日に関する規定であって,直接人民の生活を規制するものではなかったはずです。美濃部達吉は『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)の「第2編 行政組織法」,「第3章 公の勤務法」,「第2節 官吏法」,「4 官吏の義務」という場所において,当該勅令に言及しています(次の最初の括弧書き)。



(ロ)官吏は休日(明治6太政官布告2号に依り1月1日より3日まで1229日より31日までを休暇とし,明治9太政官達27号に依り同年4月より日曜日を休暇とし,昭和2勅令25号により大祭祝日を改定し,これを休日と定めらる)又は賜暇休養・忌服等特別の場合を除くの外,執務時間(大正11閣令6号官庁執務時間)中は執務の場所に現在して執務を為すべき義務が有る。(711頁)

 

 なお,明治6年太政官第2号布告(187317日)は次のとおりでした(ただし,下線部は,同年623日の太政官221号布告で朝令暮改的に取消し)。



 自今休暇左ノ通被定候事

  1月1日ヨリ3日迄 6月28日ヨリ30日迄 1229日ヨリ31日迄

  毎月休暇是迄ノ通

   但大ノ月31日ハ休暇ニ非ス



 現在は法律が整備され,国民の祝日に関する法律に規定する休日とお役所の閉庁日とは明文をもって連動します。



    行政機関の休日に関する法律(昭和63年法律第91号)

  (行政機関の休日)

第1条 次の各号に掲げる日は,行政機関の休日とし,行政機関の執務は,原則として行わないものとする。

  一 日曜日及び土曜日

  二 国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日

  三 1229日から翌年の1月3日までの日(前号に掲げる日を除く。)

2 前項の「行政機関」とは,法律の規定に基づき内閣に置かれる各機関,内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれる各機関及び内閣の所轄の下に置かれる機関並びに会計検査院をいう。

3 第1項の規定は,行政機関の休日に各行政機関(前項に掲げる一の機関をいう。以下同じ。)がその所掌事務を遂行することを妨げるものではない。



    裁判所の休日に関する法律(昭和63年法律第93号)

  (裁判所の休日)

第1条 次の各号に掲げる日は,裁判所の休日とし,裁判所の執務は,原則として行わないものとする。

  一 日曜日及び土曜日

  二 国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日

  三 1229日から翌年の1月3日までの日(前号に掲げる日を除く。)

2 前項の規定は,裁判所の休日に裁判所が権限を行使することを妨げるものではない。



 しかし,お役人のみならず,立派な大企業にお勤めの方々も,多くは,国民の祝日に関する法律に規定する休日がそのまま休業日に連動する形の労働契約を締結されていることでしょう。

 なお,銀行法15条1項は「銀行の休日は,日曜日その他政令で定める日に限る。」と規定し,同項を承けた銀行法施行令5条1項は「法第15条第1項に規定する政令で定める日は,次に掲げる日とする。」と規定して,そこでは,国民の祝日に関する法律に規定する休日1231日から翌年の1月3日までの日(国民の祝日に関する法律に規定する休日を除く。)及び土曜日を掲げています(銀行法施行令5条1項1号から3号まで)。要は,国民の祝日に関する法律に規定する休日には銀行での振込送金はできず,また,自分の預金を引き出すときでも,わざわざ休日勤務してくださったATMさまに休日手数料を余計に支払わねばならないということになるわけです。



4 新たな「国民の祝日」としての「山の日」

 ところで,再来年(2016年)から,8月11日が新たに「国民の祝日」に加わるようです。



(1)第186回国会の国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案

 国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案が衛藤征士郎衆議院議員ほか9名から現在の第186回国会に提出され(衆第9号),衆議院内閣委員会で可決された後,今年(2014年)4月25日に衆議院本会議で可決され,現在参議院で審議中です。



    国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案

  国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)の一部を次のように改正する。

  第2条海の日の項の次に次のように加える。

   山の日  8月11日  山に親しむ機会を得て,山の恩恵に感謝する。

    附 則

  この法律は,平成28年1月1日から施行する。



 ここでの「山に親しむ機会を得て,山の恩恵に感謝する。」との「山の日」の趣旨は,さきに春分の日との関係で苦労しているように思われる旨申し述べたみどりの日の趣旨とまた重複していますね。みどりの日は「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し,豊かな心をはぐくむ」ことになっているので,「山の日」にいう「山」が自然の一部ということになると,なぜ既に自然全般に係るみどりの日があるのにまた殊更に山についてだけ別の「国民の祝日」が要るのか,ということになりそうです。みどりの日は「豊かな心」まで育まなくてはならなくて面倒だから,「山の日」の場合は山に親しんでも,気楽に,貧しい心のまま下山してよいよ,ということでしょうか。それとも「山の日」の「山」は,自然の山ではないのでしょうか。古文で山といえば延暦寺を指す場合もあるそうですから,比叡山延暦寺に親しむ機会を得て伝教大師最澄の恩恵に感謝する,ということでしょうか。三井寺や興福寺の僧兵が暴れそうですね。それとも,安息日に係るものをも含む十戒がモーセに授けられたシナイ山の「山の日」でしょうか。海の日の場合は「海の恩恵に感謝するとともに,海洋国日本の繁栄を願う。」ということで,通商の道としての海を考えれば,必ずしも自然としての海ばかりを見ているということにはならないようなのですが,「山の日」の場合はどう解すべきか。

また,国際連合総会決議による国際山の日(International Mountain Day)1211日という立派な日にあるのに,どうしてまた8月11日が「山の日」なのか。

国会の関係議事録がまだ国立国会図書館のウェッブ・サイトに掲載されていない段階で本稿を書いているのでなおよく分かりませんが,昨年(2013年)1030日の共同通信社のインターネット記事によると,「山の日」の議員連盟の事務局が同日の当該議員連盟の会合に,「山の日」の候補日として,①6月上旬,②海の日(7月第3月曜日)の翌日,③8月のお盆前又は④日曜日を祝日に定め振替休日を設けないとの4案を提示したところ,経済活動に影響の小さいお盆時期の8月12日にまずは決まったそうです。ところが,8月12日は1985年に日本航空ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落した大事故の日であるために,避けてくれということになり,結局20131122日の議員連盟の会合で,「企業が夏休みに入るお盆の時期を中心に再検討し,「家族で山に親しみ,国民全体が有効利用できる」として8月11日に落ち着いた。」ということだったそうです(20131122日共同通信社インターネット・ニュース)。
(注)なお,第186回国会衆議院内閣委員会議録第15号11頁(2014年4月23日の同委員会)及び同国会参議院内閣委員会会議録第16号1頁(同年5月22日の同委員会)を見ると,発議者の衛藤征士郎衆議院議員は「大自然の根本たる山と向き合い,その恩恵に感謝し,山との共存,共生を図ることは極めて有意義であります。」と説明していますから,「山の日」の「山」は,やはり自然の山ですね。また,同議員は,「多くの国民がお盆休み,夏休みでもあるこの期間に,大人も子供も,こぞって山に親しみ,山を考える日となるものと考えております。」とも更に述べています。


(2)弁護人は非国民か

「企業が夏休みに入るお盆の時期」であるのならば,正に慣習によって既に人民の世界は夏休み=休日であるので,国民の祝日に関する法律3条を発動して重ねて休日にし,お役人の勤務日を公的に減らして差し上げ,ATMについてわざわざ銀行に手数料を払うことにする必要はないように思うのですが,どうでしょう。

というのは,刑事弁護も行う弁護士として,「国民の祝日」ということでお役所や銀行が閉まってしまう休日が増えると困ってしまうことがあるからです。例えば,平日ではありませんから,拘置所における刑事被告人との接見・面会がどうしても制約されることになりますし(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律118条1項,刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律施行令2条1項),保釈請求をしたときも,検察官の意見及び裁判所の決定をじりじりしながら待ち,また,保釈金を調達するについても,休日には銀行送金ができないことになります。

「国民の祝日」が増えてみんなせっかく単純に喜んでいるのに何だ,和を乱すな,弁護士なんぞ非国民だ,との非難を覚悟してあえて申し上げれば,国民の祝日に関する法律という題名はややミスリーディングであり,やはり昭和2年勅令第25号の伝統等をも踏まえますと,「官公署及び銀行等の休日に関する法律」などという題名の方がより正確なものなのではないでしょうか。その方が,「国民の祝日」という言葉の輝きに幻惑されずに,より実質的な議論ができるように思われます。国民と一口にいいますが,現実には多様な立場の個人の集まりなのです。

無論,「国民の祝日」であろうが何であろうが,その日に仕事をすると死刑になるわけではない以上,正当な依頼者の方の信頼に応える必要のために休まず仕事をすることは,必ずしも平和でなければ豊かでもないわけではありますが,自由な弁護士の名誉とするところであります。


110822_120505
八幡平( ここも日本百名山の一つです。)


  弁護士 齊藤雅俊
  大志わかば法律事務所 

  東京都渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203

  電話: 03-6868-3194 (法律に関する問題について,お気軽に御相談ください。) 


1 「等」に注意すべきこと

 官庁文を読むに当たっては「等」に注意し,その「等」が具体的に何を意味しているかを適宜よろしく確認しおくべきことを,前回の記事(「会社法改正の年に当たって(又は「こっそり」改正のはなし)」)中において御注意申し上げました。

 「えっ,この文章から何でこういうことになるんだ。そういうことは書かれてなかったぞ。」

 「いえいえ先生,それはここの「等」に含まれてございます。で,具体的には,こちらのより詳しい文書に書かれてございます。」

 といったやり取りが,日常的にされているものと思われます。お役人としては大真面目です。我が国のお役人には物堅いところがあって,「等」による合図も無いまま,書かれていないものを書かれているものとするまでの強弁は,さすがにしないところです。

 ――この先生,学問があるからってプライドが高いのはいいけど,自分で実際に資料に当たるっていう基本動作はしないのかい。横着だねぇ,あぶないねぇ・・・。

 などとは,内心思っているかもしれませんが。


2 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律等

(1)吉野信次元商工大臣の回想

 この「等」の威力を示す適例と思われるものに,第一次近衛内閣下の19379月に成立した輸出入品等に関する臨時措置に関する法律(昭和12年法律第92号)という法律がありました。ここでは,「輸出入品等」における「等」の字を見落としてはいけないのです。

 当時の吉野信次商工大臣の回想にいわく。



 一見貿易関係を律する法律のように思われるが,「等」という一字がくせものですね。輸出入関係以外になんでもやれるという法律なんです。・・・実際問題としては,原料などでは輸出入品に関係のない重要物資というものはほとんどないわけですから,物資の全面的統制の法律といってよいわけです。だから,代議士諸君の中には,輸出入品とあるから貿易統制の立法だと思ったら,なんぞ知らんや全面的に物資統制をやるので,看板に偽りがあるのではないかというような話をした人もありました。
(長尾龍一「帝国憲法と国家総動員法」『思想としての日本憲法史』(信山社・1997年)126-127頁において引用されている『昭和史の天皇』(読売新聞社)1681頁)


(2)1937年の日中衝突

 強力かつ広範な統制立法である輸出入品等に関する臨時措置に関する法律が制定された背景には,日中間の全面軍事衝突がありました。193764日の第一次近衛内閣発足の翌月,同年77日に華北において発生した盧溝橋事件を発端として,戦火が上海周辺にまで「飛び火」したものとされているものです。

 盧溝橋事件は,義和団事件を処理する北清事変最終議定書(1901年)に基づき北平(北京)・天津間の平津地区に駐屯していた我が支那駐屯軍(天津軍)の部隊が盧溝橋(Marco Polo Bridge)付近で夜間演習中,同軍と宋哲元(地方軍閥出身)の第29軍との間で起こった衝突ですが,事件発生から約1箇月後の193786日,中国中央の国防会議で蒋介石の構想,すなわち「華北の日本軍が南下して心臓部の武漢地区で中国を東西に分断されるのを防ぐため,華北では一部で遅滞作戦をやりつつ後退,主力を上海に集中し増兵してくると予想された日本軍に攻勢をかけ,主戦場を華北から華東へ誘致する戦略」が合意されて「国府は上海を戦場とする対日決戦」に進みます(秦郁彦『盧溝橋事件の研究』(東京大学出版会・1996年)345-346頁)。盧溝橋事件後の「平津作戦における第29軍の急速崩壊を見た蒋介石は華北決戦を断念し,「日本軍を上海に増兵させ,日本軍の作戦方向を変更させる」(蒋緯国『抗日戦争八年』57ページ)戦略を採用した」わけです(秦・前掲321頁)

 「1932年の第一次上海事件で戦った〔中国〕中央軍の精鋭第87師と第88師は,〔1937年〕811日に上海郊外の包囲攻撃線へ展開を終り,海軍も揚子江の江陰水域を封鎖・・・張治中将軍は13日未明を期し日本軍へ先制攻撃をかけたいと南京に要請し」,その日の夕方に日中両軍(日本側は兵力4000に増勢されていた海軍陸戦隊。これに対して,優勢な中国中央軍が攻勢的に進出。)の間で本格的戦闘が始まっています(秦・前掲346頁,322頁注(2))。中国中央軍にはファルケンハウゼン将軍以下46人の軍事顧問団がナチス政権下のドイツから派遣されており,ファルケンハウゼン将軍は自信満々,上海決戦の前月である1937721日のドイツ国防相への報告では,「蒋介石は戦争を決意した。これは局地戦ではなく,全面戦争である。ソ連の介入を懸念する日本は,全軍を中国に投入できないから,中国の勝利は困難ではない。中国軍の歩兵は優秀で,空軍はほぼ同勢,士気も高く,日本の勝利は疑わしい(Hsi-Huey Liang, pp.126-127)。」と述べていたとされています(秦・前掲372頁)

 盧溝橋事件から始まった日中間の事変処理のための動きとしては,ドイツが仲介する和平工作(トラウトマン工作)がありました。しかし,19371213日の南京占領を経て,1938116日,我が国政府はドイツの駐華大使トラウトマンを通じて蒋介石政権に対して和平交渉打切りを通告し,更に「爾後国民政府を対手とせず」との声明を発表して当該工作による和平の途を閉ざします。前日の同月15日に開催された大本営と政府との連絡会議においては,陸軍の参謀本部が,政府の和平交渉打切り案に強く反対しましたが,最後にはやむなく屈服しています。その時,前日の家族の慶事もあって近衛文麿内閣総理大臣は高揚していたのでしょうか。同月14日,近衛総理の次女である温子とその夫・細川護貞との間に長男が誕生しています。近衛総理のその孫息子には,護煕という名がつけられました。


(3)法律の概要

 193793日に召集され,同月4日に開会,同月8日に閉会した第72回帝国議会において協賛され(貴族院・衆議院いずれも反対無し。),同月9日に昭和天皇の裁可があって成立した輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の主要部分は,成立時において次のとおりです1937815日の南京政府断固膺懲声明から1箇月足らずでの,迅速な立法です。我が国のお役人は優秀ですね。)

 


朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

 御名御璽

昭和1299

 内閣総理大臣 公爵 近衛文麿

 外務大臣      廣田弘毅

 大蔵大臣      賀屋興宣

 農林大臣   伯爵 有馬頼寧

 商工大臣      吉野信次


法律第92

1 政府ハ支那事変ニ関聯シ国民経済ノ運行ヲ確保スル為特ニ必要アリト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ物品ヲ指定シ輸出又ハ輸入ノ制限又ハ禁止ヲ為スコトヲ得

2 政府ハ支那事変ニ関聯シ国民経済ノ運行ヲ確保スル為特ニ必要アリト認ムルトキハ輸入ノ制限其ノ他ノ事由ニ因リ需給関係ノ調整ヲ必要トスル物品ニ付左ノ措置ヲ為スコトヲ得

一 命令ノ定ムル所ニ依リ当該物品ヲ原料トスル製品ノ製造ニ関シ必要ナル事項ヲ命ジ又ハ制限ヲ為スコト

二 当該物品又ハ之ヲ原料トスル製品ノ配給,譲渡,使用又ハ消費ニ関シ必要ナル命令ヲ為スコト

3条略

第4条 第1条ノ規定ニ依リテ為ス制限又ハ禁止ニ違反シテ輸出又ハ輸入ヲ為シ又ハ為サントシタル者ハ3年以下ノ懲役又ハ1万円以下ノ罰金ニ処ス

前項ノ場合ニ於テハ輸出又ハ輸入ヲ為シ又ハ為サントシタル物品ニシテ犯人ノ所有シ又ハ所持スルモノヲ没収スルコトヲ得若シ其ノ全部又ハ一部ヲ没収スルコト能ハザルトキハ其ノ価額ヲ追徴スルコトヲ得

第5条 第2条ノ規定ニ依ル命令若ハ処分又ハ其ノ命令ニ基キテ為ス処分ニ違反シタル者ハ1年以下ノ懲役又ハ5000円以下ノ罰金ニ処ス

6条から第8条まで略

   附 則

本法ハ公布ノ日1937910ヨリ之ヲ施行ス

本法ハ支那事変終了後1年内ニ之ヲ廃止スルモノトス


 なるほど。天皇の上諭中「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律」の部分にある「等」に,強力かつ広範な第2条の規定が含まれていたわけです。「これが配給制,代用品の強制などの根拠法規」となったものです(長尾・前掲127頁)

 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律に基づき,1940年までに「物資節約の為めにする統制」として,「主として商工省令を以つて,鉄鋼・鉄屑・銅・白金・鉛・錫・アルミニウム・綿糸・綿製品・毛製品・皮革・揮発油及重油・新聞用巻取紙等種種の物資に付き,其の配給・売買・使用に関する厳重な制限」が設けられており(美濃部達吉『日本行政法 下巻』(有斐閣・1940年)433-434,また,  同法の「広汎な委任に基づき政府は其の需給関係の調整を必要とする物品に付き当該物品又は之を原料とする製品の譲渡価格をも調整する権限を有するものと解せられ」(同435-436頁),「物品販売価格取締規則(昭和13商令56)が発せられ,これに依り物価の統制を行つて居」たところです(同519頁)。ただし,物品販売価格取締規則は,国家総動員法(昭和13年法律第55号)19条に基づく価格等統制令(昭和14年勅令703号。同令21項本文によって原則として1939918日の価格が価格の上限とされる。同令17条により,内地では同年1020日から施行。)191項によって,後に廃止されています。


(4)法案の提出理由

ア 吉野商工大臣の説明

 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の法案提出の理由として,吉野信次商工大臣は,193795日の衆議院本会議で次のように述べています。(なお,帝国議会議事録の原文は片仮名書き)

 


 今次の事変の推移に鑑みまして,此非常時に対応しまするやうに,我が産業経済の体制を整へなければならないことは申す迄もないのでありまして,殊に軍需及び国防用として,或は又時局に緊要適切なる色々な事業用と致しまして,相当巨額の物資の需要があるのでありますから,是等の物資を潤沢且つ円滑に供給することに努めなければならないのであります,然るに我国資源の現状から申しますと,差当って外国から輸入致しまして,急の間に合せなければならない物が少くないのであります,そこで国際収支の関係から致しまして,或は物資の輸出制限を致しましたり,或は比較的不急不要なる物資は勿論のこと,国家産業上有用なる物に付きましても,尚幾許かの数量の輸入を抑制しまして,以て必要物資の輸入の増大に努めなければならない必要があるのであります,是が即ち本法案に於きまして,政府は必要に応じて輸出又は輸入の禁止制限を為し得ることを規定致しました理由であります,而して斯く物資の輸入を抑制致しまする結果,之を其儘自然に放置致して置きまする時は,価格の暴騰,供給の不安定などを来しまして,国民経済の運行に著しい支障を及ぼす虞がありますが故に,本法案は又需給関係の調整を必要とする物品に付きまして,政府は必要に応じて適当なる措置を為し得ることと致したのであります
(第72回帝国議会衆議院議事速記録第223-24


 「輸入の増大に努め」るために「輸入の禁止制限」をするというのは,矛盾した行動のようで,一読して分かりにくいところがあります。吉野商工大臣の言う「国際収支の関係」が,疑問を解くかぎのようです。



・・・然るに我国の最近の貿易の情勢は,申上ぐる迄もなく入超でございまして,国際収支の関係に於きまして,唯自然の成行に放任致して置きましたのでは,此上必要な物資を海外から輸入するの余地が乏しいのでありますから,どう致しましても必要な物資と云ふものの輸入を図りまして,戦闘行為の遂行と云ふものに妨げがないやうに致します為には,輸出入に関しまして相当な手加減と申しますか,制限の措置を講ずる必要がございますので,本法案の第
1条に於きまして,其趣旨を明に致しました次第であります・・・(吉野商工大臣・第72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第12頁)


 国際収支が「入超」だと,「自然の成行に放任致して置きましたのでは,此上必要な物資を海外から輸入するの余地が乏しい」ことになるとは,国際収支が入超で赤字であると円安になり,そうなると円建ての輸入品価額が高額になって輸入が大変になるということでしょうか。確かに,吉野商工大臣の答弁に,そのような趣旨のものがあります。



私も大体
賀屋興宣大蔵大臣と同じやうな考であります,此際此秋としては有ゆる努力を払ひまして,為替の水準を是非とも堅持致したいと考へます72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第239


 自国通貨の外国為替相場が高いことを喜び,安いことを憂うるというのは,現在の某国政府の外国為替相場に対する姿勢と正反対ですね。


イ 当時の通貨制度との関係

 当時の我が国の通貨制度は,次のようなものでした。

 


 
193112月以降「貨幣法が形式上に改正せられたのではないが,同法の定むる金本位の貨幣制度は停止せられ・・・即ち現在に於ける我が貨幣制度は,経済情勢から生じた已むを得ざる変態として,金本位制を離脱し紙幣本位制となつたものと謂ひ得べく,通貨の価格は金の相場に依つて定まらず,国の財政的信用,国際収支勘定,其の他国内国外の経済事情に依つて定まり,金本位制に於けるが如き貨幣価値の安定性を缺くこととなつた。・・・兌換の停止及び金輸出禁止の結果は,必然に銀行券の価格と金の価格との間に隔離を来すことは已むを得ない結果であり,随つて及ぶべきだけ通貨としての銀行券価格の動揺を避くる為めには,特別の統制作用が必要となる。外国為替管理法・産金法・金使用規則・金準備評価法・輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律等は何れも主として此の目的のために定められたものである。」(美濃部・前掲298-299頁)


 「外国為替管理法(昭和8法律28号)及びこれに基づく命令(昭和8大令7)は,昭和7年の資本逃避防止法に代ふる為めに制定せられたもので,これと等しく,主として資本の国外逃避及び為替の思惑取引を防止することを目的とするもの」でした(美濃部・前掲299-300頁)

 「産金法(昭和12法律59)・同法施行令(昭和12勅令454)・同法施行規則(昭和12商令16)・産金買上規則(昭和12大令32)は,国際収支勘定の不均衡より生ずる金の対外現送の必要に応じ金準備を成るべく豊富ならしむる為めに,国内の産金を増加しこれを政府に集中せしめんとすることを目的とするもの」でした(美濃部・前掲301頁) 

 「金使用規則(昭和12大令60)に依り,金を用ゐた製品の製造を制限し,及び金箔・金糸・金粉・金液の使用をも制限」されていましたが,これは,「金は国際収支の調整・邦貨価格の維持に缺くべからざるものであるから,已むを得ざる必要の外は,他の目的に使用することを禁止し,成るべく多くの金を貨幣制度の安定に資せしめよう」とするものとされていました(美濃部・前掲302頁)

 「金準備評価法(昭和1260)は,日本銀行(朝鮮銀行券・台湾銀行券を発行する朝鮮銀行・台湾銀行もこれに準ず)の兌換準備として保有する金の評価を,国際的時価に近き程度に換算することを目的とするもの」でした(美濃部・前掲302頁)

 そして,「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律・・・の中輸入貨物の制限は主として国際収支の調整を目的とするもので,臨時輸出入許可規則(昭和12商令23)に依り,政府の許可が無ければ輸入するを得ない品目を列記指定」していたわけです(美濃部・前掲303-304頁)


 しかしまた,円高維持のために国際収支の赤字縮小ないしは黒字化を目指し,そのために輸入規制を行うというのは,理論的にはそうなのでしょうが,今にしてみれば,真面目かつ先回りし過ぎる対策であったようにも思われます。「通貨の価格は金の相場に依つて定まらず,国の財政的信用,国際収支勘定,其の他国内国外の経済事情に依つて定ま」るわけなのですが,現在の某国は,国の財政は慢性的な赤字であり,貿易収支も赤字に転じているにもかかわらず,「其の他国内国外の経済事情」のゆえか,なお当該某国通貨の為替相場は高きにあって輸出が十分に伸びていないものとされているところです。


ウ クレジット設定・外債募集に係る消極見通し

 貿易収支が赤字でも,信用(クレジット)の供与を受けることができれば,輸入継続は可能であるはずですが,我が国のお役人は,真面目なので,なかなか楽観的な発想にはなれません。



・・・棉花の輸入に付きましても,若しクレヂットが設定出来ますれば,之に越したことはないのでありまして・・・其方面と話をするやうに進めて居る次第であります,唯計画を立てます時に,相手があることでありますから・・・出来ないものとしての計画は立てて居ります・・・
(吉野商工大臣・72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第220-21


・・・政府としては大体日本帝国の外債と云ふものを此の際募るかどうかと云ふことに付ては,必ずしも容易に募れるものとは考へて居らぬのであります・・・(吉野商工大臣・第72回帝国議会貴族院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案特別委員会議事速記録第23頁)


 相手方の中国はともかくも,そもそも諸外国が日本帝国の債券を買ってくれないだろうという状況認識です。前年1936731日の国際オリンピック委員会において,同年のベルリン・オリンピックに続く第12回オリンピックの開催地に首都・東京が,世界から評価されて選ばれた国の政府の大臣がする発言としては,元気が出ていないように思われます。世界に日本の力と心とが通じるとの自信が感じられません。(東京における第12回オリンピック開催の返上決定は,1938715日になってからのことですので,当時の我が国はなお次期オリンピックのホスト国でした。)あるいは,外国の力など借りるには及ばないとの自負心の,屈折した現れでもあったのでしょうか。


(5)「ぐるりから鋏を入れて,根さへ枯れぬ程度にして」おくことへの懸念

 衆議院の輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員であった田中源三郎代議士は,クレジット問題に触れつつ,我が国政府の真面目な秀才的こだわりに対する心配を表明していました。



・・・頑になって,さうして自分自身だけが何処も相手にして呉れないと云ふやうな,自分自らが卑屈な考を持たないでも宜しいと思ふ,私はもっとのんびりした考を以て,商売は別問題だと云ふ考でやれば,十分茲にクレヂットを民間側が為すことも出来るのでありまして,唯為替の基準が大切である,もう之に一生懸命になってしまって,何も彼も周囲から伐って行く,丁度伸び切って居る木をぐるりから鋏を入れて,根さへ枯れぬ程度にして置いたら宜い,さう云ふやり方のやうに思はれる・・・
72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第220


 田中代議士の心配した,「為替の基準」の一事にこだわって木をぐるりから鋏を入れて,根さへ枯れぬ程度にして置」くやり方というのは,恐らく,次のように想定されていた政府施策のことでしょう。



・・・仮に棉花なら棉花と云ふものを輸入を制限致しました,或は羊毛なら羊毛と云ふものを輸入を制限したと云ふ時には,国民に対して消費の節約,其のものだけに付いての節約と云ふことも御願する必要もありませうが,是等を原料とする生産業者・・・さう云ふものの仕事に対しまして,或は代用品と致しましてステーブル,フアイバーと云ふやうなものの混用を命ずるとか,それから又原料が国全体としては当分間に合ふ,唯何の某が余計持ち過ぎて居って,何の某が少く持って居ると云ふ場合には,若し之を其業全体として平均致します時には,当分輸入する必要がないと云ふ場合も生じて参ります,其時に多く持って居る人に対して,乏しい方にそれを分けてやると云ふやうなことを,御願する必要も段々生じて来ようかと思ふのであります・・・
(吉野商工大臣・第72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第12頁)


 大いに持てる活力を発揮し,生産力を拡大しようというときに,将来の円相場の下落予感に今からくよくよ反応して,いきなり消費の節約やら品質の落ちる代用品の使用やら自分の仕事に集中する前に他人の仕事準備の心配をするやら,身を縮めるところから始まるというのは,若干陰性かつ窮屈であるようにも思われますが,無論贅沢は敵であり,国を愛する心をもって努力せねばならなかったところであります。

 なお,吉野信次商工大臣は,民本主義の吉野作造の弟。その商工官僚時代の部下に,岸信介がいました。


(6)1941年改正時の状況

 その後,昭和16年法律第20号によって,輸出入品等に関する臨時措置に関する法律5条の罰則の「1年」が「7年」に,「5000円」が「5万円」に改められ,輸出入品に係る同法1条よりも,国内統制に係る同法2条の方がその違反に対する刑罰が重くされています。輸出入品等に関する臨時措置に関する法律による統制の中心は「輸出入品」ではなく,「等」であることが明らかになったわけです。そもそもからして,物品について「需給関係ノ調整ヲ必要トスル」事由は,「輸入ノ制限」には限られず,「其ノ他ノ事由」でもよかったものでありました。

 前記の吉野元商工大臣の回想にある「看板に偽りがあるのではないかというような話をした」代議士とは,194127日,第76回帝国議会の衆議院昭和12年法律第92号中改正法律案(輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件)委員会において次のような発言をした森田福市衆議院議員であったように思われます。



―― 一体此の臨時輸出入措置法は,御承知の通りに是が出た時には臨時輸出入措置に関する法律だと思つて吾々議員は皆賛成した,所が其の後之に依つて国内の経済統制を行ふのだと云ふので,何に依つてそんなことが出来るかと言つたら,それは「其ノ他」と云ふ字があるではないか,「其ノ他」で全部やるのだ,本題の方は目的ぢやなかつた,実は「其ノ他」を使ふのにやつたのだと云ふ意味のことを後で聴いたのであります・・・
76回帝国議会衆議院昭和12年法律第92号中改正法律案(輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件)委員会議録(速記)第319頁)


 「本題の方は目的ぢやなかつた,実は「其ノ他」を使ふのにやつたのだ」というのが本当であれば,商工省には,知恵の黒光りする秀才官僚がいたものです。

 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律5条の罰則強化に係る昭和16年法律第20号の法案の提出理由中関係部分は次のとおりでした。

 


・・・事変下に於ける経済統制に関する諸方策は,主として本法律
輸出入品等に関する臨時措置に関する法律と昭和13年公布せられました国家総動員法の運用に依つてなされて居るのであります,経済統制に当りましては,極力経済界の実情に即したる方策を講じますると共に,其の実施に当りましても国民の自発的協力を期待致して居るのでありますが,経済統制違反件数が現に相当多数に上り,而も一度処罰を受けたにも拘らず尚ほ再三違反を繰返す者すら少くない実情でありまして,経済統制の効果を減殺して居りますことは,事変下真に遺憾に堪へぬ次第でございます,経済統制違反を敢てする事情は,色々の理由があらうと思ひまするが,現在の罰則は犯罪状況に照し軽きに失する点がございますので,此の際同法の罰則の一部を強化致し,以て戦時経済政策の実施を確保致したいと存ずる次第でございます・・・(小林一三商工大臣・第76回帝国議会衆議院議事速記録第1080頁)


 ここでいう「経済統制違反件数が現に相当多数に上」る状況とは具体的にはどのようなものかといえば,これはなかなかのものです。



・・・然るに経済統制法令違反の状況を見まするに,其の数に於て著しくなりまして,是は国家総動員法に基づくものとの合計ではありますが,昭和1511月末までに全国検事局に於て受理致しましたものが既に15万人を超え,殊に昨年下半期に於ける激増振は洵に著しきものがありまして,前年同期に比して数倍に上つて居りますのみならず,其の質に於ても悪化の一途を辿り,種々の脱法手段を弄し,或は証拠煙滅を図り,検挙に困難を加へつつあるのであります・・・
(秋山要政府委員(司法省刑事局長)・76回帝国議会衆議院昭和12年法律第92号中改正法律案(輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件)委員会議録(速記)第23


 15万人といえば,2013331日の我が陸上自衛隊の定員が151063人です。検事局としては,帝国臣民相手の経済統制戦において,既に赫々たる大戦果を挙げていたということになるのでしょうか。議員からも,決められた統制価格で売っては赤字になってしまう業者等の実例が多々委員会において紹介されており,不条理な状況下での混乱と違反とが日常化してしまっていたようです。

 しかしながら,喧嘩両成敗でしょう。国家総動員法の改正法案の審議も行われていた第76回帝国議会の開会中,同法の実施機関たる企画院の統制官僚たちが治安維持法違反で次々検挙されるという「企画院事件」が進行していました。当時の第二次近衛内閣の内務大臣は,「赤を潰すことと涜職官吏の征伐一点張」の平沼騏一郎でありました(長尾・前掲148-149頁参照。同「二つの「悪法」」ジュリ769号)また,商工次官となっていた岸信介は,企画院事件に関係しているとして小林一三商工大臣から引責を迫られ,1941年1月に商工次官の職から退いています(原彬久『岸信介』(岩波新書・1995年)84頁参照)。(ただし,岸は同年10月には東條内閣の商工大臣として大きく復活しています。) 

1 ワシントンの二つの生年月日:"Calendar (New Style) Act 1750"の前と後

 アメリカ独立戦争における大陸軍(タイリクグン)の総司令官ジョージ・ワシントンの誕生日は,222日です。しかしながら,ワシントンの生前には,211日にもワシントンの誕生日のお祝いがされていました。

 この11日の日付のずれはなぜかといえば,ユリウス暦(211)とグレゴリオ暦(222)との相違です。グレゴリオ暦はローマ教皇が定めたために,非カトリック諸国では採用が遅れ,ワシントンが生まれた時点においては,イギリスはなおユリウス暦を使用していたものです。正教会のロシアで起きた1917年の革命が,「3月革命」・「11月革命」ともいわれながらも,一般には現地での呼称に従いロシア二月革命・十月革命といわれているのと同じ仕組みです。

 ところで,ワシントン家の聖書には,ジョージ・ワシントンの誕生日時について,"was born ye 11th Day of February 1731/2 about 10 in the Morning."と,恐らく若きジョージ・ワシントンによって書かれたものと考えられている頁が貼り付けられています(マウント・ヴァーノンのGeorge Washington Wiredウェッブ・サイト)。さて,"ye 11th Day of February"はユリウス暦ということで分かるのですが(yeは,theのこと),"1731/2"とは何のことでしょうか。「1731年又は1732年」ということでしょうが,ワシントンは,うかつにも,自分の生まれた年がどちらの年だったのか実は分からなかったのでしょうか。ホワイト・ハウスのウェッブ・サイトにおけるワシントンの伝記では,アメリカ合衆国初代大統領の生まれた年を1732年としていますが,このように断定する自信はどこから来るのでしょうか。

 実は,年の初めは,必ずしもthe first day of Januaryではなかったところです。日本語では,月に序数詞を付けて1月,2月,3月・・・と呼称するので問題が分かりにくいのですが,January, February, March...との月の名は,大文字から始まることからも分かるように,固有名詞であって,実はJanuaryには,「第1の月」という意味は本来ありません。

 で,何を申し上げたいかというと,1751年までは,イギリスにおいては,大天使ガブリエルによるマリアに対する受胎告知の日であるthe 25th day of Marchから一年が始まっていたという事実です(ちなみに,わが民法でも,胎児は,不法行為の損害賠償請求及び相続については出生したものとみなされています(721条,886条。また,7831項)。)。1750年の法律(Calendar (New Style) Act 1750)によって,イギリスでは,1751年のthe 31st day of Decemberの翌日であるthe first day of January1752年の初日となり,1752年のSeptember2日の翌日が同月14日となるとともに(春分の日がMarch9日又は10日になっていたのを,325年のニケーア公会議の時の同月21日ころに戻す。),うるう日の置き方が,グレゴリオ暦方式になりました(1800年,1900年はうるう年ではない。)。

 すなわち,ワシントンが生まれた日は,グレゴリオ暦では1732年のthe 22nd day of Februaryであると同時に,当時のイギリスの暦では1731年のthe 11th day of Februaryだったのでした。

 ちなみに,マリアに対する受胎告知があった月は,福音書では「6番目の月」(ルカ1:26)とされていて,年の初めの月とは表示されていません。紀元前6世紀のバビロン捕囚後は,ユダヤ人の世俗暦の新年はティシュリの月(September-October)から始まっていたそうです。1年が12箇月だとすると,イエスが生まれたのは3番目の月(キスレヴの月:November-December)でしょうか。イエスが割礼を受け,命名されたのは,その誕生の1週間後とされていますが(ルカ2:21),なるほど,年の初めのthe first day of January1週間前がクリスマスになっていますね。(なお,"In the sixth month"は,福音書の前後の文脈からは,「(エリザベトが洗礼者ヨハネを身ごもった)6箇月目に」と解されているところです。その旨紛れのないように"In the sixth month of Elizabeth's pregnancy"と補って訳してある英文福音書もあります。とはいえ,洗礼者ヨハネの誕生日はJuneの24日に祝われますので,正に世俗暦の新年が始まるSeptember下旬のティシュリ月初めに懐妊があったということでしょうか。)


2 古代ローマの年初月: 軍国か平和か

 年の始まりは,春であったり,秋であったり,冬であったりいろいろです。要は立法者の決めの問題ということでしょう。

 現在のヨーロッパ語の月の名前は,古代ローマの月の名前に由来していますが,古代ローマでは,当初はMarchが年の1番目の月だったのが,後にJanuary1番目の月に変更されています。プルタルコスによれば,紀元前8世紀の初代王のロームルスはMarch1番目の月にしていましたが,2代目王のヌマがJanuary1番目の月に変更したそうです(その結果,7番目の月の意味のSeptember9番目の月になり,10番目の月の意味のDecember12番目の月へと,ずれが生じています。)。



 ヌマは又月の順序を変更した。第1の月であつたマルスの月を第3に置きヤーヌスの月を第1に置いたが,これはロームルスの時には第11で今第2にしてあるフェブルア(贖罪の浄め)の月は第12で最後になつてゐた。しかしこの二つの月ヤーヌアーリウスとフェブルアーリウスとはヌマが附加へたもので,最初は1年に10箇月しかなかつたと云つてゐる人も多い。

 

 ヌマが附け加へたもしくは置き換へた月の中・・・1月ヤーヌアーリウスの名はヤーヌスから来てゐる。私の解釈ではヌマはマルティウスがマルスの名を持つてゐるので首位から移し,あらゆる場合に武力よりも政治力を重んじようと欲したのだと思ふ。ヤーヌスは非常に古い時代の,精であつたか王であつたか,政治的な社交的な人で,人間の生活を動物的な野蛮なところから変化させたと云はれてゐる。このために人々はこれを顔の二つあるものとして表現し,人間の生活に一つの形から別の形を与へたものとしてゐる。

(以上,河野与一訳『プルターク英雄伝』(岩波文庫)第1173頁,174-175頁)



 双子の兄弟のレムスを殺したり,サビーニー人の娘を略奪したりした,戦争好きのロームルス王は軍神マルスのMarchを年の初めとしたのに対し,平和主義の哲人王ヌマは,それを改め,平和的かつ文化的なヤーヌス神のJanuaryを第1の月にしたわけです。年の初めの月は,みんなが睦む月ということになるわけでしょう。

 前記引用の後半部分は,Drydenの英訳では,河野与一訳の「あらゆる場合に武力よりも政治力を重んじようと欲したのだと思ふ」が「あらゆる機会をとらえて平和の術及び研究(arts and studies of peace)が戦争に係るそれら(those of war)より優先されるべきことを示そうとしたのだと思う」に,「政治的な社交的な人」が「市民的及び社会的な協和を重んじる人(a great lover of civil and social unity)」になっていますが,こちらの方がヌマの平和主義が分かりやすいでしょう。また,「顔の二つあるものとして表現し,人間の生活に一つの形から別の形を与へたものとしてゐる」も,Drydenでは「,それらのうちの一つから彼が人類を他の一つに移行せしめた二つの状態を示すために,顔の二つあるものとして表現している」になっています。

 古代ローマの暦法に紀元前45年から太陽暦を採用したのはカエサルです(1365日,4年ごとに1日のうるう日の,当人の名をとって呼ばれるユリウス暦)。その際,暦と季節とのずれを修正し「新しい年の11Kalendis Januariisから将来にかけて,季節の正しい推移と,いっそうぴったり符合するように」,前46年の「11月と12月の間inter Novembrem ac Decembremに,2ヶ月をはさ」んだため,もとからあったうるう月と合わせて,同年は15箇月になったそうです(国原吉之助訳・スエトニウス『ローマ皇帝伝』(岩波文庫)上巻48頁)。

 カエサルの時に季節との関係で2箇月ずらされてはいるのですが,プルタルコスによるヌマ暦の説明と,国原吉之助教授の上記スエトニウスの翻訳からすると,カエサルが年の初めの月を2箇月ずらしてMarchからJanuaryにしたというわけではないことになります。

 また,紀元前153年から執政官の就任日がthe first day of Januaryになったのでこの時からthe first day of Januaryが年の初めになったのだともいわれていますが,英語版のWikipedia"Roman Calendar"の項は,紀元前153年より前から年の初めはthe first day of Januaryだったらしい,としています。ただし,古代ローマでは,執政官(定員2名)の名前で呼ばれるその就任期(任期1年間)をもって年代を特定して表すことになっていたので(例えば「カエサルとビブルスが執政官のとき」),確かに,執政官の任期がいつから始まるかは重要であったところです。


3 現在の我が国の暦法法制: 明治五年太政官第337号の布告の効力

 我が国においては,年の初めは,かつての太陰太陽暦においては立春の日の近くの新月の日(ついたち)ということになっていました。太陽暦を採用し,年初日をグレゴリオ暦のthe first day of Januaryにしたのは,明治五年(1872年)十一月九日の太政官第337号の布告によってです。これにより,明治五年十二月二日の翌日が,明治6年すなわち1873年の11日となりました。

 この太政官の布告は,総務省の法令データ提供システムによって見ることができますから,現在も効力を持っている法令として扱われているようです(また,195037日の参議院文部委員会では,杉山専一郎法制局参事が,明治五年太政官第337号の布告は「廃止されていないという考え方でおります。」と答弁しています。)。

 暦法は,国民生活に大きな影響を与えますから,法の形式としては,政令以下の命令ではなくて,国会によって定められるべき法律として扱われるべきものでしょう。明治五年太政官第337号の布告は時刻に関する時刻ノ儀是迄昼夜長短ニ随ヒ十二時ニ相分チ候処今後改テ時辰儀時刻昼夜平分二十四時ニ定メ子刻ヨリ午刻迄ニ十二時ニ分チ午前幾時ト称シ午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ午後幾時ト称候事」という規定を含んでいましたが,同じく時刻に関する夏時刻法(昭和23年法律第29号)は,法律でした(同法は昭和27年法律第84号により廃止)。

 そうであれば,すなわち,明治五年太政官第337号の布告は,大日本帝国憲法761項の「法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス」との規定に基づき大日本帝国憲法下において法律として遵由の力を有し,引き続き194753日からは,日本国憲法98条の「この憲法は,国の最高法規であつて,その条規に反する法律,命令,詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は,その効力を有しない。」の反対解釈によって,日本国憲法の条規に反しない法律としてその効力を維持しているものと考えられることになります(例えば,明治17年太政官布告第32号の爆発物取締罰則のごとし。)。

 しかし,そうは簡単に問屋が卸しません。

 明治改暦に係る明治五年太政官第337号の布告は,大日本帝国憲法下では,帝国議会の協賛を経るべき法律としては扱われていなかったようであるからです。すなわち,当該布告は「4年毎ニ1日ノ閏ヲ置候事」とのみ規定していたので,グレゴリオ暦の置閏法では平年であるはずの1900年(明治33年)もうるう年になってしまうことが発覚して,同年を平年とすべく明治31年勅令第90号が追加で定められたのですが,当該追加改正の法形式は,法律ではなく勅令によるものでした(「神武天皇即位紀元年数ノ4ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ660ヲ減シテ100ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ4ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス」との内容。内閣総理大臣伊藤博文及び文部大臣外山正一が副署)。伊藤博文自身の『憲法義解』の第76条解説が,大日本帝国憲法施行前の法令について「而して法律として遵由の力あらしむる者にして若将来に於て改正を要するときは,其の前日に勅令布達を以て公布したるに拘らず,総て皆法律を以て挙行するを要すること知るべきなり。」と説いていたところです。其の前日に布告を以て公布したるに拘らず改正が勅令によって挙行されるものは,法律としてではなく,勅令として遵由の力あらしむる者でしょう。

 明治五年太政官第337号の布告が法律ではなく勅令だということになると,昭和22年法律第72号(日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律)1条との関係で問題が生じます。同条は,「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で,法律を以て規定すべき事項を規定するものは,昭和221231日まで,法律と同一の効力を有するものとする。」と規定しているからです。すなわち,明治五年太政官第337号の布告は明治31年勅令第90号と共に大日本帝国憲法下では勅令という命令として効力を有していたところ,その規定事項が日本国憲法下では法律をもって定めるものであるのならば,1948年(昭和23年)11日以降は失効したものと解され得るところです。

 しかしながら,明治五年太政官第337号の布告及び明治31年勅令第90号はいずれも総務省の法令データ提供システムにあり,なおも効力を有しているものとされています。そうだとすると,当該布告及び勅令は,日本国憲法下でも「法律を以て規定すべき事項を規定するもの」ではなく,したがって昭和22年法律第721条に規定する命令ではないものとして,昭和22年政令第14号(日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令)1項の「日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定は,昭和22年法律第72号第1条に規定するものを除くの外,政令と同一の効力を有するものとする。」との規定に基づき,政令として扱われているということになりそうです。

 であれば,内閣限りで,政令でもって,次のような改革を行うことも可能ということになりそうです。


 「会計年度と暦年がずれているのは不便だから,暦年においても,41日を年の初めとしよう。」

 「平和的かつ文化的なヤヌスの月を年の初めとするのはいかにも平和国家的・文化国家的で軟弱だから,武闘派のロームルス王に倣って,軍神マルスの月である3月を年の初めにしよう。」

 「ローマ教皇が定めたグレゴリオ暦を使用するのは,キリスト教国風でもあって面白くないから,古き良き日本を取り戻すべく,天保暦を復活させよう。」

 等々


 しかし,内閣限りの政令でこのようなことができるというのは,どうも変ですね。明治五年太政官第337号の布告及び明治31年勅令第90号は,やはり「法律を以て規定すべき事項を規定するもの」と解すべきように思われます。

 そうであれば,昭和22年法律第721条との関係で,194811日以降はこれらの布告及び勅令が廃止されているものとされるときにはどのように理解すべきでしょうか。これらの布告及び勅令は形式上は廃止されているものの,その規定内容は,法の適用に関する通則法3条の慣習法の内容をなしているものと解することになるのでしょうか。悩ましいところです。


4 暦法と翻訳

 さて,日本と西洋諸国とは,明治6年すなわち1873年より前には異なった暦法をそれぞれ用いていたため,明治五年以前の出来事をヨーロッパ語に翻訳するときは注意しなければなりません。

 例えば,第20代の内閣総理大臣である高橋是清の生年月日などは難しい。

 高橋是清は,嘉永七年閏七月二十七日生まれですが,嘉永七年は大体グレゴリオ暦の1854年に重なることから「嘉永七年=1854年」とし,かつ,明治五年以前はうるう月というものがあったことを現在の感覚で失念して(「閏」の文字をわけが分からないまま無視して)翻訳して,27th July 1854と訳すると,これはいけません。グレゴリオ暦の27th July 1854は,嘉永七年の七月(閏七月の前の月)三日になってしまいます。グレゴリオ暦への換算が面倒なときは,the 27th day of the intercalary month following the Seventh month of the 7th year of Kaei (ca. 1854)とでもすべきでしょうか。

 孝明天皇崩御は慶応二年十二月二十五日ですが,慶応二年は1866年に大部分重なることから早合点して,25th December 1866としてもいけません。孝明天皇崩御の日は,グレゴリオ暦では30th January 1867です。

   またお盆の「旧暦七月」を説明するのに,"July of the old lunisolar calendar"とするのもどうでしょうか。古代のローマ暦の由来を知っている人はかえって,「カエサルによる暦法改革以前のヌマ暦のJulyかな。カエサルの時には2箇月ずれていたそうだから,今のMayくらいの季節か。しかし,Julyの月名は太陽暦になってからのもののはずだが。変だな。」などと余計なことを考えてしまうかもしれません。"The Seventh month of the old lunisolar calendar"くらいでどうでしょうか。

120105_055208120105_052441

ワシントン生誕の地(George Washington Birthplace, Westmoreland Co., VA