Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

カテゴリ: ドイツ

1 「世界が東京に押し寄せる!」2020年を前に

早や令和も第2年になろうとしています。令和2年夏には,札幌と東京とで夏季オリンピック競技会が開催されます。

夏季オリンピックの華にしてクライマックスたるマラソン競技が開催される札幌においては,準備が順調に進んでいることでしょう。とはいえ札幌市民が沿道で応援しようにも,暑さ対策ということで,競技開始時刻は朝早いようです。これは,実は米国の放送事業者の御都合により同国東海岸時間に合わさせられてしまうものだとも言われているようですが,150年前開基の札幌の創成期においては米国出身の同市関係者も多かったところですから,米国人のわがまま云々などとひがんだりせずに札幌市民はおおらかに対応するのでしょう。

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Horace Capron from Massachusetts(札幌市中央区大通公園)


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William S. Clark from Massachusetts(札幌市北区北海道大学構内)

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Edwin Dun from Ohio(札幌市南区真駒内)

 他方,東京都においては,同都の都庁の「2020年夏/世界が東京に押し寄せる!」との警告ポスターが地下鉄駅構内(特に都営地下鉄のもの)などに貼ってあるのを見て,筆者はぎょっとしたものです。「これは・・・Aux armes, citoyens! In the coming summer of 2020, alien nations will swarm out of far corners of the world into Tokyo!”という呼びかけかいな。いかがなものかな。しかし,これから押し寄せてくるという人たちは,既に適法に居住しているところの本邦外出身者(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年法律第68号)2条参照)ではないから,本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律的にはいいのかな。しかし,東京都のお役人たちはオリンピックで外国から人が大勢集まってしまうことに迷惑を感じてしまっているのかな。しかし,そんなに迷惑ならば,そもそも,高い都民税を使って余計なオリンピックなどわざわざしなければよいのに。」というわけです。

とはいえ,外国人が押し寄せる押し寄せる大変だ大変だといっても,狼少年的な杞憂に終わることもあるようです。出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号)を改正する平成30年法律第102号の成立・施行によって「一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人材を幅広く受け入れていく仕組み」たる特定技能外国人の在留資格制度が20194月から鳴り物入りで始まりましたが(「ウァレンス政権の入国在留管理政策に関して」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1072912488.html)参照),法務省のウェブ・ページ(http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri07_00215.html)を見ると,同年9月末における特定技能1号資格による在留外国人はわずか219人しかいないそうです。日本は日本人自身がうぬぼれているほど人気のある豊かで上品な国ではもはやないのではないのか,という反省も,もしかしたら無用ではないものでしょう。

 

2 対女性交際における日本人男子とドイツ人男子との違い

ところで我が国の品ないしは品格の有無をいいだすと,そもそも日本人男子は国際的に見てお下劣だ,ということで従来からよくお叱りを受けてきたところです。それに引き比べると西洋人男子は上級だよね,ということになるようです。

 

   〔前略〕欧洲人の同人種間良家の女に対する感情はこれを我国人に比すれば,甚だ高尚なるを見る。単に表面の観察を以てするも,中江篤介氏が一年有半に云へる如く,欧洲人は,我国人の如く,良家の女子の(おもて)を見て,心に婬褻の事を想ひ,口に卑猥の言を出すこと無し。進んで婚姻の事に至れば,良家の男女は,多少の日子を費して相交り相知り,愛情を生ずるに非では,礼を行はず。嘗て一士官の利害上より富家の(むすめ)を娶り,一年余の間同衾せず,後に愛情を表白して,同衾するに至れりと云ふ話説あり。此の如きは彼十字軍後の武士道に伴へる,女子を尊崇する遺風にして,一説にはMADONNA信仰より淵源すと云ふ。此思想より見るときは,我国の婚姻は殆ど強姦に近き者となる。(森林太郎「北清事件の一面の観察」(19011223日於小倉偕行社)『鷗外選集第13巻 評論・随筆三』(岩波書店・1979年)71頁)

 

 日本人妻に対する日本人夫は皆強姦犯のようなものだ,という比喩はすさまじい。

 兆民中江篤介の『一年有半』(19019月)には次の一節があります。

 

   わが邦男子,その少壮婦人に接する,(ただち)に肉慾晦事に想及す,故にこれと()話する往々男女の事に及ぶを常とす,良家夫人に対するもほとんど妓輩におけると異なるなし。而して人これを怪まず,即ち当話婦人もまたこれを以て非礼と為して(いか)ることなし。これ風俗の日々に崩壊して,而して令嬢令夫人の交際の高尚に赴かざる所以(ゆゑん)なり,これ(すみや)かに改むべし。(中江兆民『一年有半・続一年有半』(岩波文庫・1995年)66-67頁)

 

 芸妓輩が令嬢令夫人を高尚な男子との交際から疎外する機序については,これも『一年有半』において次のごとし。

 

   〔前略〕かつ彼輩その業たる,専ら杯酌に侍し宴興を(たす)くるにありて,而して(しん)(しん)の徒これを聘する者,初めより褻瀆を事として少も敬意を表するを要せず,良家の令嬢令夫人に接するに比すれば,(おのづか)(ほしいまま)にしていささかの慎謹を(もち)ゐざるが故に,自然に令嬢令夫人をして,男子との交際外に斥けられざるを得ざらしむ。わが邦婦女の交際の趣味を解せざるは,芸妓ありて男子の歓を(ほしいまま)にするがためなり。(中江48頁)

 

 であるからむしろ女の敵は女か,と言うのは男の側からのいわゆるセクハラ的無責任・身勝手発言ということになるのでしょう。いけません。

 しかしながら,西洋人男子といえども常にお上品な聖人君子であるわけではありません。北清事変(義和団事件)中19008月の八か国(日米英仏独墺伊露)連合軍による在北京列国公使館の解放に際して「各国の将兵,略奪・惨殺・焼毀などをつづける」と歴史年表にあります(『近代日本総合年表第四版』(岩波書店・2001年)165頁)。この「各国の将兵」の西洋人男子ら(特にドイツ兵が目立ったようです。)の悪魔的狂態を前にして,むしろお下劣では本家のはずの日本人男子の方が引いてしまっていたようです。鷗外森林太郎,解説していわく。

 

   〔北清事変におけるドイツ兵の〕所謂(いはゆる)敗徳汚行中,婦女を犯したるは其の主なる者の一なり。皮相の観察を以てすれば,強姦の悪業たるは,東西殊なることなし。これを敢てするものゝ彼我の多少は,直ちに比較して二者の道義心を(はか)るに堪へたるが如し。然れども実は此間,少くもの顧慮す()き条件あらん。

   今省略してこれを言はん。第一,欧米白皙(はくせき)人の黄色,黒色若くは褐色人に対する感情は,頗る冷酷にして,全く白皙人相互の感情と殊なり。これを我国人の支那人に対する感情に比すれば,其懸隔甚だ大なり。何を以て然るか。欧米人は自ら信じて,世界最上の人と為す。一の因なり。欧米人は,縦令(たとへ)悉く中心より基督教を信ずるに非ざるも,殆ど皆新旧約全書を挟んで小学校に往反したるものなり。此間父兄及教師は異教の民を蔑視する心を注入せり。二の因なり。猶此条件は次の者と相関聯す。第二,欧米人は賤業婦を蔑視すること我邦人に倍()し,随て其の婦女を虐遇する習慣には,我邦人の知るに及ばざる所の者あり。我邦人は藝娼妓にもてんと欲す。ほれられんと欲す。欧米人は賤業婦を貨物視し,これに暴力を加へて怪まず。此虐遇の習慣は,或は戦敗国の異色人種に対して発動することを免れざりしならん。第三,欧米軍人は洒脱磊落にして狭斜の豪遊を為し,又同僚相爾汝(じじよ)する間に於いて,公会に非ざる限は,汚瀆の事を談ずるを怪まず。婦女を虐遇したる事と雖,又忌むことなし。〔後略〕(森69-70頁)

 

 「彼我の多少」は,無論ドイツ兵が多く,日本兵については少なかったのです。そこで「直ちに比較して二者の道義心を(はか)」れば,実は日本人男子の方がドイツ人男子よりも高尚な道義心を有していたことになっていたところなのでした。(とはいえ,1942年に至ると昭和17年法律第35号(同年219日裁可,同月20日公布)によって我が陸軍刑法(明治41年法律第46号)の第9章の章名が「掠奪ノ罪」から「掠奪及強姦ノ罪」に改められるとともに,同法に第88条ノ2が加えられて「戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ1年以上ノ懲役ニ処ス/前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ3年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ懲役ニ処ス」と特に規定されるに至っています。これは,非親告罪(昭和17年法律第35号附則2項参照)であって,未遂も罰せられました(陸軍刑法89条)。(当時は,刑法177条の強姦罪(国民の国外犯も処罰(同法35号))の刑は2年以上の有期懲役で,かつ,同罪は親告罪であり(同法180条),また強姦致死傷罪の刑は無期又は3年以上の懲役でした(同法181条)。)盧溝橋事件から4年半たって,大陸の我が軍の軍紀は,残念ながら紊れていたのでしょう。)

 しかしながら,女性に「もてんと欲す。ほれられんと欲す。」の男子と,女性を「貨物視し,これに暴力を加へて怪まず。」かつ「婦女を虐遇する習慣」を有する男子とは,妻から見た夫としてはどうでしょうか。前者の方が外の女性に余計なお金と時間とをついつい浪費してしまうのに対して,後者の方が冷酷な分なだけ余計な後腐れなく済むものでしょうか。女の敵は女,というような陳腐な感慨の繰り返しは,これまたいわゆるセクハラ的なものとして,許されません。


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»Maibaum« aus München札幌市中央区大通公園
 

3 事後強盗をめぐる日独比較

 

(1)ヴェーデキントの「伯母殺し」

 

ア 詩と犯罪

 

(ア)詩

 狂暴なドイツ青年といえば,筆者はヴェーデキント(Frank Wedekind 1864-1918)のDer Tantenmörderを想起してしまうところです(生野幸吉=檜山哲彦編『ドイツ名詩選』(岩波文庫・1993年)174-177頁「伯母殺し」(檜山哲彦訳)参照)。

 

  Ich hab meine Tante geschlachtet,

    Meine Tante war alt und schwach;

    Ich hatte bei ihr übernachtet

    Und grub in den Kisten-Kasten nach.

 

    Da fand ich goldene Haufen,

    Fand auch an Papieren gar viel

    Und hörte die alte Tante schnaufen

    Ohne Mitleid und Zartgefühl.

 

    Was nutzt es, daß sie sich noch härme ----

    Nacht war es rings um mich her ----

    Ich stieß ihr den Dolch in die Därme,

    Die Tante schnaufte nicht mehr.

 

    Das Geld war schwer zu tragen,

    Viel schwerer die Tante noch.

    Ich faßte sie bebend am Kragen

    Und stieß sie ins tiefe Kellerloch. ----

 

    Ich hab meine Tante geschlachtet,

    Meine Tante war alt und schwach;

    Ihr aber, o Richter, ihr trachtet

    Meiner blühenden Jugend-Jugend nach.

 

(イ)殺人及び窃盗

 この青年,自分の伯母(叔母)(meine Tante)を,「そのはらわたにナイフを突き刺して(Ich stieß ihr den Dolch in die Därme)」「殺しちまった(Ich hab meine Tante geschlachtet)」(刑法(明治40年法律第45号)199条「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」)のみならず,その前に同女の長持・箱類をあさった上で(Und grub in den Kisten-Kasten nach)「糞たくさんの金」及び多量の有価証券(Papiereを,筆者は法律家的偏屈でWertpapiereの略であろうと見て「有価証券」と訳します。檜山訳では「お(さつ)です。探し出してDa fand ich goldene Haufen, / Fand auch an Papieren gar viel),窃取していたところです(刑法235条「他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」)

窃取というのは,「おばちゃんばばあが荒い息づかいをしているのが聞こえたけれど,同情とか思いやりなんざ感じなかった(Und hörte die alte Tante schnaufen / Ohne Mitleid und Zartgefühl.)」ということですから,伯母さんは呼吸に苦しみながらも眠っていたようだからですし(伯母さんが起きていて現認し,青年による金銭及び有価証券の取得に承諾を与えていたわけではないでしょう。),見つけただけではなくて領得までしたのであって,領得後の「金は運ぶのに重かった(Das Geld war schwer zu tragen)」との供述があるところです。

 

(ウ)死体遺棄

金銭よりもっと重い伯母の死体を震えながらも襟髪つかんで地下の穴蔵深くに放り込むという(Viel schwerer die Tante noch. / Ich faßte sie bebend am Kragen / Und stieß sie ins tiefe Kellerloch)死体遺棄の罪も犯しています(刑法190条「死体,遺骨,遺髪又は棺に納めてある物を損壊し,遺棄し,又は領得した者は,3年以下の懲役に処する。」)。「殺人犯人が死体を現場にそのまま放置する行為は,〔死体〕遺棄ではない」ところ,死体遺棄成立のためには死体を「犯跡を隠蔽しようとして移動したり,隠したりすることを要する」のですが(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)499頁),そこまでやってしまっています。なお,判例上,殺人罪と死体遺棄罪とは牽連犯(刑法541項「〔略〕犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは,その最も重い刑により処断する。」)となるものとはされていません。

 

(エ)住居侵入(保留)

伯母さん宅に泊まった(Ich hatte bei ihr übernachtet)その晩における,周囲はぐるりと夜(Nacht war es rings um mich her)の闇の中での犯行ですが,その夜に伯母さん宅に泊まり込んだことは窃盗ないしは殺人の目的をもってした伯母さんの住居への侵入であったとして住居侵入罪(刑法130条「正当な理由がないのに,人の住居若しくは人の看守する邸宅,建造物若しくは艦船に侵入し,又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は,3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」)の成立までを認めるべきかどうかは微妙です。最高裁判所大法廷の昭和24722日判決(刑集381363)は「強盗の意図を隠して「今晩は」と挨拶し,家人が「おはいり」と答えたのに応じて住居にはいつた場合には,外見上家人の承諾があつたように見えても,真実においてはその承諾を欠くものであることは,言うまでもないことである。されば,〔略〕住居侵入の事実を肯認することができるのである。」と判示してはいるのですが(なお,この判例の事案は,若い男の3人組(一人は18歳未満の少年だといいますから,皆若かったのでしょう。)のうち一人が1948131日の23時頃(夜遅いですね。)に香川県の現在の三豊市の農家(世帯主の名前からすると女所帯であったようです。また,海に近い開けたところ(横に人家があると被告人が供述しています。)であったようで,人里離れた山奥ではありません。)の表口で「今晩は今晩は」と連呼したところ,丁度その頃目が覚めていた長女(24歳)が当該今晩はと言う低い声を聞いたので「おはいり」と言ったのになかなか3人は這入って来ず,そこで同女が寝床の中から起き出して庭に出て表入口の雨戸を開けてあげて,また「おはいり」と言いつつ頭を下げ云々(「丁度その頃目が覚めていた」から「云々」までは,弁護人の引用した同女に係る司法警察官作成の関係人聴取書の記載によります。),それから3人組は当該家屋(の表の土間)に入って所携の匕首の鞘を払って同女に突き付けて脅迫した上で金品を強取しようとしたが家人に騒ぎ立てられたためその目的を遂げなかった,というものでした。被告人の供述によると,3人組は,お這入りなさいと言う同女にいて表口家屋内に這入ったうです。所帯真夜中ない招じ入ってしょうか。大胆。また,寝床の中にいたままで「おはいり」と言って,そのまま自分が寝床の中にいる状態で来客を迎えようということであったのならば,横着ですね。というどうも連想が飛びますが,我が国の古俗たる若衆制に関する次のような記述を筆者は思い出してしまったところです。いわく,「若衆たちはムラの祭礼を執行する一方,自分の集落むらの娘たちについては自分たちで彼女らを支配しているとおもっていた。一種の神聖意識というべき感覚で,他村の若衆がムラに忍んでくるのをゆるさなかった。/かれらは,夜中,気に入ったムラの娘の家の雨戸をあけ,ひそかに通じる。一人の娘に複数の若衆がかよってくる場合がしばしばあったが,もし彼女が妊娠した場合,娘の側に,父親はだれだと指名する権利があった。」と(司馬遼太郎「若衆制」『この国のかたち 一』(文藝春秋・1990年)195頁)。またいわく,「高度成長へと緩やかに時代が動きだしていた1957年の『米』は,『青い山脈』(1949)で知られる今井正監督の最初のカラー映画ですが,霞ケ浦近辺の半農半漁の村落に暮らす若き男女の青春を描いて郷愁を誘います。隣村に集団でナンパ(夜這い?)に向かう船中でのアドバイスは,「俺,長男だッて言うンだぞ。次男だの三男だの言ってみれバヨ,どんな娘でも相手にしねエゾ」・・・」と(與那覇潤『中国化する日本』(文藝春秋・2011年)102頁)。「村落における若衆制は,ポリネシア,メラネシア,インドネシアなど太平洋諸島全円にひろく存在しているもので,中国(古代の越人の地だった福建省や広東省には存在したろう)や朝鮮には存在しない」そうですが(司馬193頁),ドイツにも無いのでしょう。),一応消極に取り扱うべきでしょうか。伯母さん宅に泊まっているうちに窃盗の犯意が生じたようでもあるからです。ただし,伯母殺しの兇器(Dolch)が伯母さん宅の台所辺りにあったナイフではなく青年が事前の計画に基づき自ら持参した短刀(檜山訳では「匕首」となっています。)であったのならば,別異に解すべきものでしょう。

Dolchの訳として小学館の『独和大辞典(第2版)コンパクト版』(2000年)に「⦅話⦆(Messer)ナイフ」とあったので,筆者はこの青年の供述は口語的だなと思ってこちらを採用したのですが,本来Dolchは「短剣,短刀」です。

 

イ 老婆の資産と青年の無資産と

 伯母さんの「糞たくさんの金」(Haufenには,お下劣ながら「(一かたまりの)糞便」という意味があるそうです。)及び多量の有価証券の価額はどれくらいかと,我が総務省統計局の平成26年全国消費実態調査の結果を見ると,2014年の70歳以上の女性単身世帯における平均貯蓄現在高は1432万円,うち有価証券分は2501千円,平均負債現在高は408千円(したがって,ネットではプラス13912千円)となっています。平均年間収入は2149千円,また,持ち家率は83.4パーセントです。

これに対して30歳未満の単身世帯男子はどうかといえば,同じ統計で見るに,平均貯蓄現在高は1908千円,うち有価証券分69千円,平均負債現在高4396千円(したがって,ネットではマイナス2488千円),平均年間収入3822千円,持ち家率14.1パーセントとなっています。我が伯母殺し青年は,上記のような政府の統計調査にまでわざわざ協力する意識の高い立派な30歳未満男子層(上記統計数字は,この層に係るものということになるのでしょう。)に属するものではなく,そのはるか下までこぼれ落ちてしまっている存在でしょうから,もっと悲惨な経済状況にあるのでしょう。

 

ウ 病身の老婆と華やぐ元気と若さの青年と

 「おばちゃんこれ以上悲しんでみたり嘆いてみたりしたって仕方がないだろ(Was nutzt es, daß sie sich noch härme)」と青年は思ったというのですが,伯母さんは何について悲しみ嘆くのか。大事にしていた虎の子の金銭及び有価証券がなくなってしまっていることについてか。しかし,「おばちゃん,ばばあでよぼよぼだった(Meine Tante war alt und schwach)」ということが繰り返されて強調されおり,「おばちゃんの荒い息づかいは止まった(Die Tante schnaufte nicht mehr)」と伯母さんの苦しそうな荒い息づかいに青年の注意は向けられていたのであるとも主張し得るところ,弁護人としては,いやいや青年は歳を取って健康状態が悪化している自分の伯母の身体的苦痛についてこれ以上見ていることは忍び難いと思っていたのです,と主張するのでしょう。

 老人は,確かにお医者さんの厄介になるばかりで,自らの心身の衰えを悲しみ嘆く日々を過ごすこととなるのでしょう。厚生労働省の「平成29年度国民医療費の概況」を見ると,2017年度の人口一人当たり国民医療費(保険診療の対象となり得る傷病の治療に要した費用)は,二十代前半男子が738百円,二十代後半男子は887百円であるのに対して,七十代前半女子は5677百円,七十代後半女子が7112百円,八十代前半女子が8639百万円で,85歳以上女子は大台を超えて10342百円となっています。

 ちなみに,2017年度の国民全体での一人当たり国民医療費は3399百円です。年代別に見て医療費額が一番低いのは十代後半で833百円,一番高いのは85歳以上で10829百円です。変な計算ですが,医療費額だけで比べると,十代後半と比べて八十代後半以降は13倍以上不健康であるということになります。

健康保険料の負担は重い。さりとて自分も「元を取る」んだとわざわざ病気になろうとするのは変な話です。健康保険料の年間納付総額から自己の年間国民医療費総額を減じて得られる差が相当しんどい額となってしまう者は,公共交通機関を利用して病院等に通わねばならない方々のためにも有益な存在として,せめて打ちひしがれて優先席に座っていても許されるということになるものでしょうか。しかし,そのようなせこいことを考える連中は,裁判官のように厳しく断罪する冷たい視線が周囲から自分に浴びせかけられているように感じてようやく初めて「ところであんたたち,やれやれ裁判官様方よ,あんたたちは,俺の華やぐ元気と若さと(したがって席を譲ってくれること)を狙っているんだね(Ihr aber, o Richter, ihr trachtet / Meiner blühenden Jugend-Jugend nach.)」と心の内でぼやいてから渋々席を立つような連中なのでしょうが,お下劣です。華やぐ元気と若さとを謳歌する青年男女は,自ら進んで弱い者を助け,これからの長い人生,素晴らしい我が祖国日本の少子高齢化社会を支えるために生きていかなければなりません。

 

(2)日本刑法238条(及び240条)をめぐる問題

 さて,問題は,伯母殺し青年の前記窃盗及び殺人行為は,併せて事後強盗(刑法238条「窃盗が,財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために,暴行又は脅迫をしたときは,強盗として論ずる。」)を構成するものとなるかどうかです。ライン川を挟んでドイツのヴェーデキントもフランスのユゴーも,どういうわけか事後強盗問題で筆者を悩ませます(ジャン・ヴァルジャンをモデルとする鬼坂による事後強盗に関しては「「和歌山の野道で盗られた一厘銭」をめぐる空想」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1046231399.html)を参照)。

 まず,刑法238条の「暴行又は脅迫」に殺害行為は含まれないのだ,という議論があり得ます。

 しかし,上告審弁護人鈴木喜三郎(これは,検事総長の経験者であって,後に司法大臣となる鈴木喜三郎でしょうか。)のそのような屁理屈に対して,大審院は,殺害行為は暴行に含まれるとし,「〔刑法238条の〕暴行トハ被害者ノ反抗ヲ抑圧スルニ足ルヘキ行為ヲ謂ヒ而シテ殺害行為ハ被害者ノ反抗ヲ全然不能ナラシムヘキモノナレハ之ヲ以テ暴行ト目スヘキコト固ヨリ論ヲ俟タス」と判示しています(大判大15223日刑集546)。

 強盗犯人が故意をもって人を殺したときの適用法条についても,①刑法240(「強盗が,人を負傷させたときは無期又は6年以上の懲役に処し,死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。」)後段のみか,②同法240条後段と同法199条との観念的競合(同法541項「1個の行為が2個以上の罪名に触れ〔略〕るときは,その最も重い刑により処断す。」)となるか,又は③同法236(「暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は,強盗の罪とし,5年以上の有期懲役に処する。/前項の方法により,財産上不法の利益を得,又は他人にこれを得させた者も,同項と同様とする。」)と同法199条との観念的競合若しくは併合罪(同法45条以下)となるか,との3説があります(前田254-255頁)。判例は,「強盗の機会に殺人行為が行われる場合には刑法240条後段を適用すべきもの」と判示して(最判昭3281日刑集1182065),①説を採用しています(なお,当該判示は,上告理由に当たらない旨の判断が示された上で付加された括弧書き中におけるなお書き判示でした。)。

 伯母殺し青年が伯母さんを殺した目的は,「財物を得てこれを取り返されることを防」ぐためか,「逮捕を免れ」るためか,それとも「罪跡を隠滅するため」か。これらの目的のうちのいずれかの目的がなければ,事後強盗は成立しません(前田242頁参照)。ただし,必要なのは窃盗犯人側の目的ばかりであって,「窃盗が財物の取還を拒き又は逮捕を免かれ若しくは罪跡を湮滅する為暴行又は脅迫を加へた以上」は,「被害者において財産を取還せんとし又は加害者を逮捕せんとする行為を為したと否とに拘はらず強盗を以て論」ぜられます(最判昭221129日刑集140)。

 伯母殺し青年の供述には「財物の取還を拒き又は逮捕を免かれ若しくは罪跡を湮滅する」との目的は直接現れていないのですが,しかし,常識的に考えると「罪跡を隠滅するため」にやったな,と思われるところです。

前記大審院大正15223日判決の事案も「〔被告人が〕更ニ2階ニ上リY某ノ蒲団ノ下ヲ捜リタル処同人カ目ヲ醒シタル為メ右窃取ノ目的ヲ達セス然ルニ被告人ハ右Y某ト(かね)テ面識ノ間柄ナルヲ以テ茲ニ犯罪ノ発覚センコトヲ怖レ其ノ罪跡ヲ湮滅スル為メY某ヲ殺害スヘシト決意シ携ヘ行キタル短刀(大正13年押第90号ノ1)ヲ揮ツテ同人ノ右頸部ヲ突刺シ動静両脈ヲ切断シテ即死セシメタルモノ」でした。

千葉地方裁判所木更津支部昭和53316日判決(判時903109)の事案も,被告人の自宅内で酒に酔って寝入っている被害者O(当時39年の離婚経験のある男性,9歳の一人娘を実家に預けて単身生活中。前夜20時頃から木更津市内の呑み屋を6軒,被告人におごりつつ同人とはしごをし,翌朝4時頃タクシーで被告人宅近くまで来たところで被告人に誘われて同人宅に上がり込み,炬燵に入って清酒をコップ3杯くらい飲んでごろ寝,更に720分ないしは30分ころに目覚めてコップ2杯くらいを飲み,8時過ぎ用便を済ませて家に帰ろうと言ったが腰がまだふらついていて玄関隣の6畳間に布団を敷いてもらって寝入ってしまったもの)の背広(Oが着たまま寝たので被告人が先に脱がしてやって部屋の鴨居に吊るしておいたもの)の左内ポケットから取り出した財布及び外側ポケット内から現金合計約53000円を830分頃にふと窃取した被告人が,同日19時過ぎに至って北側3畳の板の間(これは,金銭窃取後下記のとおりOの殺害を決意した被告人に8時半過ぎに引きずり込まれていた場所)でなお昏々と眠り続けているOを「北側3畳の間の手製ベッドの上に血で汚れないようにカーペットを敷き,台所から〔略〕あじ切り包丁を持ち出し,さらにベッドの側に立ち右カーペットの上に寝入っているOを両手で抱き上げて頭を南向きにして横たえ,被告人に背を向けている同人の上体を起こすようにして被告人の方に向け,長袖ワイシャツのボタンをはずすなどして胸をはだけたうえ,所携の右あじ切り包丁で同人の左胸部を心臓めがけて2回突き刺し,よって左乳部刺創による肺動脈損傷による失血死によりその場で同人を死亡させた」ものですが,その朝の窃盗後間もなく生じた「同人〔O〕が起きた際に右窃盗の犯行が発覚することをおそれて,罪跡を湮滅するため同人を殺害すること〔略〕を決意し」た決意が10時間半以上持続していたものと認定されています。「なるほど本件窃盗行為と殺害行為との間には弁護人指摘のとおり約11時間位の長時間の時間的間隔があるが,前記認定のとおり被告人は窃盗行為の後まもなく罪跡湮滅のため被害者に対する殺意を生じ,犯行を容易にするため被害者を別の部屋に移し,台所に同人殺害に使用するための兇器である包丁を取りに行こうとしたところに突然たまたま友人2名が来訪した意外の障害に本件殺害の犯行をそれ以上継続することができなかったものの,その時点ですでに本件殺害の犯行の着手に密接した行為を行っており,友人らが来てからも極力家をあけないように努め,また被害者が起きてこないように気を配っており,友人らが帰ってしまってからまもなく本件殺害の犯行に及んでいるのであって,この間殺意は依然として継続していたものと推認される。」というのが千葉地方裁判所木更津支部の判示です。

これらの前例を前にドイツの伯母殺し青年の弁護人は,被告人はその伯母の身体的・精神的苦痛を取り除いてあげるために伯母殺し行為をしてしまったのであって「罪跡を隠滅するため」などということは全く考えておりませんでした,と頑張ることになります。

 

(3)ドイツ刑法252条並びに旧刑法382条及びボワソナアド

 しかし,「罪跡を隠滅するため」との目的の存在を否認する前記の弁護人の頑張りの必要は,特殊日本的なものかもしれません。事後強盗に係るドイツ刑法252条は,次のような規定だからです。

 

  Wer, bei einem Diebstahl auf frischer Tat betroffen, gegen eine Person Gewalt verübt oder Drohungen mit gegenwärtiger Gefahr für Leib oder Leben anwendet, um sich im Besitz des gestohlenen Gutes zu erhalten, ist gleich einem Räuber zu bestrafen.

  (窃盗の際犯行現場において発覚し,盗品の占有を保持するために,人に暴行を加え,又は身体若しくは生命に対する現在の危険をもって脅迫を行った者は,強盗と同様に処断される。)

 

窃盗(Diebstahl)をした者が「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」に暴行又は脅迫を行っても,なお強盗(Räuber)扱いはされないということです。

フランス人ボワソナアドの起草に係る旧刑法(明治13年太政官布告第36号)382条もドイツ刑法252条と同様に「窃盗財ヲ得テ其取還ヲ拒ク為メ臨時暴行脅迫ヲ為シタル者ハ強盗ヲ以テ論ス」とのみ規定していました。ボワソナアド原文の『刑法草案注釈巻之下』(司法省・1886年)の659頁には「犯者其所為ノ発露シタルニ因リ盗取物ヲ保存センカ為メ暴行又ハ脅迫ヲ用ヰルトキハ始メニハ窃カニ盗取セシト雖モ之レヲ「強盗」ト看做ス(こと)当然ナリ蓋シ此場合ニ於テハ或ハ暴行ヲ加ヘントノ予謀アラサルヘキモ其大胆心ト人身ノ危険トハ之レナシトスルヲ得サレハナリ/然レトモ犯者窃盗ニ着手シタル後チ逃走ヲ容易ナラシメントノ目的ヲ以テ人ニ暴行ヲ加ヘタルトキハ其所為ヲ強盗ト称セサルヘシ此場合ニ於テハ犯罪ノ合併即チ窃盗ノ未遂犯ト暴行又ハ脅迫(暴行ハ他ニ犯罪ノ附着スルヿナシト雖モ罰セラルモノナリ)トノ俱発アレハナリ」とあります。

「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」は,1907年の現行刑法制定に当たり新たに付加され,窃盗犯を強盗犯並みに取り扱う範囲が拡張されたものということになります。日本人は,白皙人よりも生真面目で厳しい。

しかし,「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」は,つまりは「逃走ヲ容易ナラシメントノ目的」ということではないでしょうか。ということであると,現行刑法238条においては,ボワソナアドが明示的に強盗扱いしないとした場合が強盗扱いされるということになってしまっていたのでした。

ところで,事後強盗成立に必要な暴行・脅迫に係る「反抗を抑圧する程度」を通常の強取の場合よりも厳しく認定すべきものとする一連の裁判例があり(窃盗犯が「逮捕を免れ」ようとする事案に主に係るもののようです。強盗傷人では刑が重過ぎるという配慮によるものです。),これに対して「ただ,逮捕を免れるにはより大きな暴行・脅迫が必要だとするのは説得性を欠くようにも思われる」と苦慮する学説が存在するところですが(前田245-246頁),泉下のボワソナアドとしては,だから窃盗犯が逮捕を免れるために暴行・脅迫しても事後強盗にならないんだよと言っておいたでしょう,西洋流では本来事後強盗に含まれないとされる類型まで日本人のさかしらで事後強盗に加えたから面倒なことになっているんですよ,と嘆息しているものかどうか。(なお,平成7年法律第91号による改正前の刑法238条は「窃盗財物ヲ得テ其取還ヲ拒キ又ハ逮捕ヲ免レ若クハ罪跡ヲ湮滅スル為メ暴行又ハ脅迫ヲ為シタルトキハ強盗ヲ以テ論ス」と規定されていて(下線は筆者によるもの),「又は」は一番大きな選択的連結に用いられ「若しくは」それより小さな選択的連結に用いられますから,同条における三つの目的は,旧刑法以来の「其取還ヲ拒キ」と現行刑法からの「逮捕ヲ免レ」及び「罪跡ヲ湮滅スル」との二つのグループに分かれるということが読み取り得る書き振りとなっていました。これに対して平成7年法律第91号による改正後の刑法238条は「財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために」とのっぺらぼうに規定していますから,3者は同一平面において単純に並べられていることになります。)

  

(4)日本の木更津事件の罪と罰とドイツの伯母殺し事件の罪と罰

前記千葉地方裁判所木更津支部昭和53316日判決の事案においては,被告人は更に死体損壊(死体をバラバラにした。)及び死体遺棄(バラバラにした死体の各部を土中に埋めたり水溜まりに投棄したりした。)をも犯しています。バラバラにされた死体の部分うち「冷蔵庫に入れておいた大腿部の肉を食べてみる気になり,右肉を取り出して前記包丁で薄く刺身状に十切れぐらいに切ってフライパンで焼き,味塩をふりかけて焼肉にして皿に盛って食べようとしたが,いやな臭いがしたため食べるのをやめ内臓の入ったビニール袋の中に捨て,今度は同じく冷蔵庫に入れてあった陰部を取り出してまな板の上で陰のうと陰茎に切断したうえ,陰のうの切り口から睾丸を押し出し,また陰茎を尿道に沿って切り開くなどして弄ぶなどした後,陰のうの一部は両上,下肢のダンボール箱に,残りはごみを入れる紙袋の中に捨てた。」というのですから,ひどい。「死者に対する冒瀆行為としてこれに過ぎるものはなく,まさに天人ともに許されない行為というほかはない。」との千葉地方裁判所木更津支部の裁判官らの激しい憤りはもっともです。

と,思わず我が日本の事後強盗殺人事件の猟奇性に胸が悪くなってしまったところですが,窃盗,殺人及び死体遺棄(及び損壊)の罪ということではドイツの伯母殺し青年の犯した罪のリスト(窃盗,殺人及び死体遺棄)と揃ってはいるところです。

ということで,Der Tantenmörderの文学鑑賞においても適用法条や量刑相場という無粋なことが気になる法律家のさがとして,木更津事件判決の「法令の適用」の部分を見てみると次のようになっていました。

 

  被告人の判示1の所為〔事後強盗(窃盗及び殺人)〕は刑法240条後段(238条)に,判示第2の所為〔死体損壊及び遺棄〕は包括して同法190条に該当し,以上は同法45条前段〔「確定裁判を経ていない2個以上の罪を併合罪とする。」〕の併合罪であるが,後記の情状〔計画的な犯行ではないこと,被害者に対する殺害方法自体は通常の殺人に比べて特に残虐とはいえないこと,矯正不可能とはいえないこと(無前科でもあった。)及びある程度改悛の情が認められること〕を考慮して判示第1の罪の刑につき無期懲役刑を選択するのを相当と認め,同法462項本文〔「併合罪のうちの1個の罪について無期の懲役又は禁錮に処するときも,他の刑を科さない。」〕を適用して他の刑を併科せず被告人を無期懲役に処すべく押収してあるあじ切り包丁1丁は判示第1の強盗殺人の用に供した物で犯人以外の者に属しないから,同法1912〔「犯罪行為の用に供し,又は供しようとしたもの」は没収することができる。〕2〔「没収は,犯人以外の者に属しない物に限り,これをすることができる。ただし,犯人以外の者に属する物であっても,犯罪の後にその者が情を知って取得したものであるときは,これを没収することができる。」〕を適用してこれを没収することとする。

  訴訟費用については刑事訴訟法1811項但書〔「但し,被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるときは,この限りでない。」〕により被告人に負担させないこととする。

 

 無期懲役。「罪跡を隠滅するため」に暴行(殺人を含む。)又は脅迫をしたときも窃盗犯が強盗犯扱いになってしまって(刑法238条),しかして強盗犯が人を殺すと法定刑としては死刑又は無期懲役しかないということ(同法240条)が大きいところです。

 なお,我が刑法240条に対応するドイツ刑法251条は,次のとおり。

 

  Verursacht der Täter durch den Raub (§§ 249 und 250) wenigstens leichtfertig den Tod eines anderen Menschen, so ist die Strafe lebenslange Freiheitsstrafe oder Freiheitsstrafe nicht unter zehn Jahren.

  (犯人が強取行為(第249条及び第250条)によって少なくとも過失をもって(leichtfertig)他人の死をもたらしたときは,刑は,終身自由刑又は10年以上の自由刑である。)

 

事後強盗規定がドイツ刑法252条並みであったならば,木更津事件の犯人は事後強盗犯とはならず,窃盗,殺人及び死体損壊遺棄の3罪が併合罪となっていたのでしょう。ヴェーデキントの伯母殺し青年についても,そのようになるのでしょう。

しかし,ドイツ刑法211条は,厳しい。

 

 (1) Der Mörder wird mit lebenslanger Freiheitsstrafe bestraft.

(2) Mörder ist, wer

aus Mordlust, zur Befriedigung des Geschlechtstriebs, aus Habgier oder sonst aus niedrigen Beweggründen,

heimtückisch oder grausam oder mit gemeingefährlichen Mitteln oder

um eine andere Straftat zu ermöglichen oder zu verdecken,

einen Menschen tötet.

 ((1)謀殺犯は,終身自由刑に処す。

  2)謀殺犯とは,

    性衝動の満足のための殺意,利得欲若しくは他の低劣な動機から,

    陰険に,若しくは残虐に,若しくは公共に害のある手段をもって,又は

    他の犯罪行為を可能とするために,若しくは隠蔽するために,

   人を殺す者である。)

 

 ドイツの伯母殺し青年も,金銭及び有価証券の窃盗という他の犯罪行為を隠蔽するため(zu verdecken)に伯母さんを殺したのだということになれば,我が木更津事件の犯人が無期懲役刑に処せられたのと同様,謀殺犯として終身自由刑に処せられそうでもあります。

 結論としての罰が,妙に収束してきてしまいました。洋は東西異なっていても,法律家の世界においては,何やら不思議な統一的親和力があるということでしょうか。

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    Immensee (1851)

  蜜蜂湖1851

  Es war sonnige Nachmittagsstille; nur nebenan schnurrte der Mutter Spinnrad, und von Zeit zu Zeit wurde Reinhards gedämpfte Stimme gehört, wenn er die Ordnungen und Klassen der Pflanzen nannte oder Elisabeths ungeschickte Aussprache der lateinischen Namen korrigierte.

     日差しの明るい午後の静寂(しじま)であった。ただ隣室で母の糸車が鳴っており,時折,植物の綱目名を挙げときにあるいエリーザベトのぎこちないラテン語名の発音を訂正するときに,ラインハルトの低い声が聞こえるだけであった。

 

      Bald ging es wieder sanft empor, und nun verschwand rechts und links die Holzung; statt dessen streckten sich dichtbelaubte Weinhügel am Wege entlang; zu beiden Seiten desselben standen blühende Obstbäume voll summender, wühlender Bienen.

  やがて道は再び緩やかな上り坂となった,そして左右の林が消えた。それに代わって,葉のよく茂った葡萄畑の丘陵が道に沿って開けた。道の両側には花盛りの果樹が並び,それらは,ぶんぶんうなり,花にもぐって蜜を集める蜜蜂でいっぱいであった。

 

      BGB § 961 Eigentumsverlust bei Bienenschwärmen (1896)

Zieht ein Bienenschwarm aus, so wird er herrenlos, wenn nicht der Eigentümer ihn unverzüglich verfolgt oder wenn der Eigentümer die Verfolgung aufgibt.

ドイツ民法961条(蜂群に係る所有権喪失)(1896年)

蜂群が飛び去った場合であって,所有者が遅滞なくそれを追跡しなかったとき,又は所有者が追跡を放棄したときは,その群れは無主となる。

(註:養蜂振興法(昭和30年法律第180号)1条において「蜜蜂の群(以下「蜂群」という。)」と,特に用語の指定がされています。蜂群(ほうぐん)というのはちょっとなじみのない言葉ですあしからず。)

 

Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.373 (1888)(インターネット上で見ることができる当該理由書の原文は髭文字で印刷されているので,非髭文字体でここに書き写すことにもなにがしかの意味はあるでしょう。)

2. Die Bienen gehören zu den wilden aber zähmbaren Thieren. Der Eigenthumsverlust in Folge Rückerlangung der natürlichen Freiheit bestimmt sich also nach § 905 Abs. 2, 3 [Gefangene wilde Thiere werden herrenlos, wenn sie die natürliche Freiheit wiedererlangen. / Gezähmte Thiere werden herrenlos, wenn sie die Gewohnheit, an den ihnen bestimmten Ort zurückzukehren, ablegen.]. Die Bienenschwärme fliegen frei umher. Das Band, welches dieselben in der Inhabung und unter der Herrschaft des Eigenthümers erhält, ist die Gewöhnung an eine bestimmte Bienenwohnung. Diese Gewöhnung wird nicht durch allmähliche Verwilderung abgelegt, sondern es liegt in der Natur der Bienen, daß periodisch in Folge der im Stocke erfolgten Aufzucht junger Brut ein Bienenhaufe den plötzlichen Entschluß der Auswanderung behufs Begründung einer neuen Kolonie faßt- und auszieht. Der ausziehende Bienenhaufe hat die consuetudo revertendi abgelegt. Die Frage bleibt, in welchem Augenblicke diese Ablegung der Rückkehrgewohnheit zur Aufhebung des Eigenthumes führe. Mit dem Beginne des Ausziehens ist die thatsächliche Gewalt des Eigenthümers noch nicht aufgehoben und bis zu der Entziehung dieser Gewalt bleibt selbstverständlich das Eigenthum bestehen. Bezüglich des Zeitpunktes der definitiven Aushebung der Inhabung und des Besitzes könnte man vielleicht auch ohne besondere gesetzliche Bestimmung zu dem in § 906 bestimmten Resultate [Ein ausgezogener Bienenschwarm wird herrenlos, wenn der Eigenthümer denselben nicht unverzüglich verfolgt, oder wenn der Eigenthümer die Verfolgung aufgiebt oder den Schwarm dergestalt aus dem Gesichte verliert, daß er nicht mehr weiß, wo derselbe sich befindet] gelangen. Der vorliegende Fall hat eine gewisse Aehnlichkeit mit dem Falle der Nacheile (§ 815 Abs. 2 [Ist eine bewegliche Sache dem Inhaber durch verbotene Eigenmacht weggenommen, so ist derselbe berechtigt, dem auf der That betroffenen oder bei sofortiger Nacheile erreichten Thäter die Sache mit Gewalt wieder abzunehmen. Im Falle der Wiederabnahme ist der Besitz als nicht unterbrochen anzusehen.]). So lange die Verfolgung dauert, ist Besitz und Inhabung und damit das Eigenthum noch nicht definitiv verloren. In einigen Gesetzgebungen sind Fristen für das Einfangen gesetzt, nach deren Ablauf erst die Herrenlosigkeit eintritt; doch hat man sich bei dem [sic] neuerdings in Ansehung einer Neuordnung des Bienenrechtes von sachverständiger Seite gemachten Vorschlägen nicht für eine derartige Fristbestimmung ausgesprochen. 

ドイツ民法第一草案理由書第3373頁(1888年)

2.蜜蜂は,野生ではあるが馴らすことができる動物に属する。したがって,自然の自由の再獲得の結果としての所有権喪失は,第一草案9052項・3項〔捕獲された野生の動物は,自然の自由を再獲得したときは,無主となる。/馴らされた動物は,戻るようしつけられた場所に戻る習性を失ったときは,無主となる。〕によるものである。蜂群は,自由に飛び回る。それらを所有者の所持及び支配の下に留める紐帯は,特定の巣箱に対する定着(Gewöhnung)である。この定着は,徐々に進行する野生化によって失われるものではない。むしろ,蜜蜂は次のような性質を有している。すなわち,定期的に,巣箱の中で若い虫たちの群れが増えた結果,一団の蜜蜂が,新しい定住地に住み着くために移住しようとの突然の決定を行い,かつ,飛び去るのである。この飛び去る一団の蜜蜂は,戻る習性(consuetudo revertendi)を失っている。残る問題は,どの瞬間において,戻る習性の喪失が所有権の消滅をもたらすかである。移動の開始によっては所有者の現実の力はなお消滅しないし,この実力がなくなるまでは所有権は明らかに存在し続ける。所持及び占有の確定的消滅の時点との関係では,特段の法の規定なしに,第一草案906条に規定する結果〔移動する蜂群は,所有者がそれを遅滞なく追跡しなかったとき又は所有者が追跡を放棄したとき若しくは当該群れを見失った結果もはやどこにいるのか分からなくなったときに無主となる。〕に到達することがひょっとしたら可能であったかもしれない。これは,第一草案8152項の追跡の場合〔禁じられた私力によって動産が所持者から奪われたときは,当該所持者は,現場で取り押さえられ,又は即時の追跡によって捕捉された当該行為者から,当該物件を実力で再び取り上げることができる。取戻しがあった場合は,占有は中断されなかったものとみなされる。〕とある程度類似しているところである。追跡が継続している間は,占有及び所持並びにこれらと共に所有権が確定的に失われることはないのである。その期間が経過したことによって初めて無主性が生ずるものとする,捕獲のための期間を定めたいくつかの立法例があるが,蜜蜂法の新秩序に係る考慮の上専門家の側から最近された提案においては,そのような期間の定めは提唱されていない。

 

BGB § 962 Verfolgungsrecht des Eigentümers (1896)

Der Eigentümer des Bienenschwarms darf bei der Verfolgung fremde Grundstücke betreten. Ist der Schwarm in eine fremde nicht besetzte Bienenwohnung eingezogen, so darf der Eigentümer des Schwarmes zum Zwecke des Einfangens die Wohnung öffnen und die Waben herausnehmen oder herausbrechen. Er hat den entstehenden Schaden zu ersetzen.

ドイツ民法962条(所有者の追跡権)(1896年)

蜂群の所有者は,追跡の際他人の土地に立ち入ることができる。群れが他人の空の巣箱(Bienenwohnung)に入ったときは,群れの所有者は,捕獲の目的で箱を開け,蜂の巣(Wabe)を取り出し,又は抜き取ることができる。彼は,生じた損害を賠償しなければならない。

 

Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.373 (1888)

3. Die Vorschriften des § 907 [Der Eigenthümer eines ausgezogenen Bienenschwarmes kann bei dem Verfolgen des Schwarmes fremde Grundstücke betreten und den Schwarm, wo derselbe sich angelegt hat, einfangen. / Ist der Schwarm in eine fremde, nicht besetzte Bienenwohnung eingezogen, so kann der verfolgende Eigenthümer zum Zwecke der Einfangung des Schwarmes die Wohnung öffnen, auch die Waben herausnehmen oder herausbrechen. / Die Vorschriften des §. 867 finden Anwendung.] beziehen sich auf den besonderen Fall der Anwendbarkeit des § 867 [Der Eigenthümer eines Grundstückes, auf dessen Gebiete eine fremde bewegliche Sache sich befindet, hat dem Eigenthümer oder bisherigen Inhaber der letzteren die zur Aufsuchung, Erlangung und Fortschaffung der Sache erforderlichen Handlungen zu gestatten. / Der Eigenthümer oder bisherige Inhaber der beweglichen Sache hat dem Eigenthümer des Grundstückes den aus diesen Handlungen entstandenen Schaden zu ersetzen und, wenn ein solcher zu besorgen ist, wegen Ersatzes desselben vorher Sicherheit zu leisten.], wenn die von einem fremden Grundstücke abzuholende Sache ein Bienenschwarm ist, und erweitern die Befugnisse des verfolgenden Eigenthümers insoweit, als durch die Sachlage geboten ist, wenn der Zweck des Einfangens erreicht werden soll. Die Natur des hier bestimmten Rechtes ist dieselbe, wie die Natur des in § 867 bestimmten Rechtes. Ein Vorgehen des Verfolgenden im Wege der Selbsthülfe ist nur insoweit erlaubt, als die in § 189 bestimmten Voraussetzungen zutreffen.

ドイツ民法第一草案理由書第3373頁(1888年)

3.第一草案907条の規定〔飛び去った蜂群の所有者は,当該群れの追跡の際他人の土地に立ち入り,かつ,当該群れをその移転先の場所で捕獲することができる。/群れが他人の空の巣箱に入ったときは,追跡中の所有者は,当該群れの捕獲の目的で当該箱を開けることができ,更に蜂の巣を取り出し,又は抜き取ることもできる。/第867条の規定が適用される。〕は,他人の土地から回収する物が蜂群である場合における第一草案867条〔その上に他人の動産が現在する土地の所有者は,当該動産の所有者又はそれまでの所持者に対して,その物の捜索,確保及び持ち去りのために必要な行為を許容しなければならない。/動産の所有者又はそれまでの所持者は,土地の所有者に対して,そのような行為から生じた損害を賠償しなくてはならず,必要があれば,その賠償のためにあらかじめ担保を提供しなければならない。〕の適用の特例に関するものであり,かつ,追跡中の所有者の権能を捕獲の目的が達成されるべく状況が必要とする限りにおいて拡張するものである。ここに規定される権利の性格は,第867条において規定される権利の性格と同様である。自救行為の手段としての追跡者の措置は,第一草案189条に規定する前提条件が満たされる限りにおいてのみ許される。

 

BGB § 963 Vereinigung von Bienenschwärmen

Vereinigen sich ausgezogene Bienenschwärme mehrerer Eigentümer, so werden die Eigentümer, welche ihre Schwärme verfolgt haben, Miteigentümer des eingefangenen Gesamtschwarms; die Anteile bestimmen sich nach der Zahl der verfolgten Schwärme.

ドイツ民法963条(蜂群の合体)

複数の所有者の飛び去った蜂群が合体した場合においては,彼らの群れの追跡を行った所有者は,捕獲された合体群の共有者となる。持分は,追跡のされた群れの数に応じて定まる。

 

Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.373 -374 (1888)

4. Die Vorschrift des §908 [Vereinigen sich mehrere ausgezogene Bienenschwärme verschiedener Eigenthümer bei dem Anlegen, so erwerben diejenigen Eigenthümer, welche ihre Schwärme verfolgt haben, an dem eingefangenen Gesammtschwarme das Miteigenthum nach Bruchtheilen; die Antheile bestimmen sich nach der Zahl der verfolgten Schwärme.] betrifft einen besonderen Fall der Anwendbarkeit des §892. Die hinzugefügte Besonderheit besteht darin, daß die Antheile der verschiedenen Eigenthümer an dem eingefangenen Gesammtschwarme, welcher sich möglicherweise durch einen herrenlosen Schwarm vergrößert haben kann, nach der Zahl der verfolgten Schwärme und nicht nach dem Werthverhältnisse dieser Schwärme sich bestimmen sollen. Eine solche durchgreifende Entscheidung erledigt in sachgemäßer Weise eine sonst schwer zu lösende Beweisfrage.

ドイツ民法第一草案理由書第3373-374頁(1888年)

4.第一草案908条の規定〔様々な所有者の複数の飛び去った蜂群が移転先において合体した場合には,彼らの群れの追跡を行った当該所有者は,捕獲された合体群について部分的な共同所有権を取得する。持分は,追跡のされた群れの数に応じて定まる。〕は第一草案892条の適用における特例に係るものである。付加的な特殊性は,捕獲された合体群(これは場合によっては無主の群れによって更に増大している可能性がある。)に対する様々な所有者の持分は,追跡のされた群れの数に応じて定められるべきものであり,これらの群れの価格関係に応ずべきものではないという点に存在する。このような思い切った決断によって,解決が難しいものともなり得る立証問題を実際的な方法によって取り除くものである。

 

      BGB § 964 Vermischung von Bienenschwärmen

Ist ein Bienenschwarm in eine fremde besetzte Bienenwohnung eingezogen, so erstrecken sich das Eigentum und die sonstigen Rechte an den Bienen, mit denen die Wohnung besetzt war, auf den eingezogenen Schwarm. Das Eigentum und die sonstigen Rechte an dem eingezogenen Schwarme erlöschen.

  ドイツ民法964条(蜂群の混和)

  蜂群が既に蜂群の入れられている他人の巣箱に入ったときは,当該巣箱に入れられていた蜜蜂に係る所有権及びその他の権利が,入ってきた当該群れに及ぶ。新たに入った群れに係る所有権及びその他の権利は,消滅する。

 

  Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.374 (1888)

  5. Die Vorschriften des §909 [Ist ein Bienenschwarm in eine fremde, besetzte Bienenwohnung eingezogen, so erstrecken sich das Eigentum und die sonstigen Rechte an den Bienen, mit welchen die Wohnung besetzt war, auch auf den eingezogenen Schwarm. Das Eigentum und die sonstigen Rechte, welche an dem letzteren bisher bestanden, erlöschen. Ein Anspruch wegen Bereicherung steht bem bisherigen Berechtigten gegen den neuen Eigenthümer nicht zu.] modifizieren die Bestimmungen über die Folgen einer Vermischung verschiedener Schwärme zu Ungunsten des Eigenthümers eines sog. Noth=, Hunger= oder Bettelschwarmes, welcher in eine fremde besetzte Bienenwohnung eingezogen ist. Nach sachverständiger Darstellung zieht zuweilen, besonders im Frühjahre oder Herbst, aus Mangel an Nahrung das gesammte Volk aus, wirft sich auf andere Stöcke, verursacht ein gegenseitiges Abstechen und bringt dadurch Schaden. Hier ist das Ausziehen Folge nachlässig betriebener Zucht; solche Völker bilden keine Schwärme im technischen Sinne, man nennt sie Bettel= und Hungerschwärme. Sie sollen nach den Vorschlägen der Bienenwirthe als herrenlos gelten. Es ist aber nicht über das Herrenloswerden solcher Schwärme eine besondere Bestimmung nöthig, sondern nur über die vermöge einer Art von commixtio erfolgende Eigenthumserwerbung, wenn der Schwarm mit einem fremden Schwarme durch Einziehen in dessen Wohnung sich vermischt. Mit Rücksicht auf die der Regel nach durch Vernachlässigung des bisherigen Eigenthümers des Bettelschwermes gegebene Ursache des Ausziehens und der Vermischung erledigt der Entwurf jeden möglichen Streit durch die durchgreifende Bestimmung, daß der Gesammtschwarm nach allen Richtungen unter das rechtliche Verhältniß des in der Wohnung bereits früher vorhandenen Schwarmes tritt und daß in Abweichung von der Vorschrift des §897 ein Bereicherungsanspruch des verlierenden bisherigen Eigenthümers des Bettelschwarmes ausgeschlossen ist. 

  ドイツ民法第一草案理由書第3374頁(1888年)

  5.第一草案909条の規定〔蜂群が既に蜂群の入れられている他人の巣箱に入ったときは,当該巣箱に入れられていた蜜蜂に係る所有権及びその他の権利が,入ってきた当該群れにも及ぶ。後者についてそれまで存在した所有権及びその他の権利は,消滅する。それまでの権利者に,新しい所有者に対する不当利得返還請求権は生じない。〕は,様々な群れによる混和の効果に関する規定を,他人の蜜蜂の巣箱に入り込んだいわゆる困窮,飢餓又は乞食蜂群Noth=, Hunger= oder Bettelschwarmの所有者の不利に修正するものである。専門家の述べるところによると,時折,特に春又は秋に,食物の不足により蜜蜂の集団Volk全体が飛び去り,他の巣箱に飛来して刺し殺し合いを惹起し,そしてそのことにより損害をもたらすことがある。ここでの飛び去りは,おろそかにされた飼育の結果である。そのような蜜蜂の集団は専門技術的な意味では群れを構成するものではなく,乞食及び飢餓蜂群と名付けられる。それらは,養蜂家の提案によれば無主であるものとみなされるべきものである。しかしながら,特則が必要であるのは,そのような群れが無主となることに関してではなく,むしろ専ら,当該群れが他の群れの巣箱に入り込むことによって当該他の群れと混和する場合における,一種の混合コンミクスティオによって招来される所有権の取得に関してである。定めに照らせば乞食蜂群のそれまでの所有者の怠慢によって与えられたところの飛び去り及び混和の原因に鑑みて,この案は,思い切った規定によって,可能性ある全ての紛争を取り除くものである。すなわち,全ての方面において合体群は,巣箱に既に早くから存在していた群れの法関係の下に入ること,及び第一草案897条の規定にかかわらず,権利を失う乞食蜂群のそれまでの所有者の不当利得返還請求権を排除することこれである。

 

   Institutiones Justiniani 2.1.14 (533)

      Apium quoque natura fera est. Itaque quae in arbore tua consederint, antequam a te alveo includantur, non magis tuae esse intelleguntur, quam volucres quae in tua arbore nidum fecerint: ideoque si alius eas incluserit, is earum dominus erit. Favos quoque si quos hae fecerint, quilibet eximere potest. Plane integra re, si provideris ingredientem in fundum tuum, potes eum jure prohibere, ne ingrediatur. Examen quod ex alveo tuo evolaverit eo usque tuum esse intellegitur donec in conspectu tuo est nec difficilis ejus persecutio est: alioquin occupantis fit.

  ユスティーニアーヌス『法学提要』第2編第114533年)

  同様に,蜜蜂(apis)の性質は,野生(ferus)である。したがって,汝の木に居着いた蜜蜂たちも,汝によって巣箱(alveus)に入れられる前においては,汝の木に巣(nidus)を作った鳥たちより以上に汝のものであるとはみなされない。したがって,それゆえに,別の者が当該蜜蜂たちを収容(includere)したときは,彼がそれらの所有者である。同様に,それらが蜂の巣(favus)を作ったときは,誰でもそれを取り出すことができる。もちろん,当然に,汝の地所に立ち入る者について予見したならば,汝は,法により,彼が立ち入らないように禁ずることができる。汝の巣箱から逃げ去った蜂群(examen)は,汝の視界内(in conspectu)にあり,その追跡が困難でない限りにおいては汝のものであるとみなされる。そうでなければ,先占者(occupans)のものとなる物となる。

  

1 ドイツ民法とローマ法等と

 

(1)ドイツ民法961

ドイツ民法961条は,ローマ法の“Examen quod ex alveo tuo evolaverit eo usque tuum esse intellegitur donec in conspectu tuo est nec difficilis ejus persecutio est: alioquin occupantis fit.”の法理に由来していることが分かります。ただし,見えなくなったらもうおしまい,というわけではありません(しかし,実際のところ,見えなくなったら追跡は難しいのでしょう。)。フランスの1791928日法(sur la police rurale)も,蜂群の所有者の追跡について期間制限を設けていませんでした(Boissonade, Projet de code civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un commentaire, Livre III, 1888. p.66)。すなわち,同法第1編第35条は,“Le propriétaire d’un essaim a le droit de le réclamer et de s’en ressaisir, tant qu’il n’a point cessé de le suivre; autrement l’essaim appartient au propriétaire du terrain sur lequel il s’est fixé.(蜂群(essain)の所有者は,その追跡を終止しない限りは,それに対する権利を主張し,かつ,再捕獲することができる。原則としては(autrement),蜂群は,それが定着した土地の所有者に帰属する。)と規定していたところです。

なお,上記ローマ法理の規定の対象となる事象は「既に採取され所有物になっている蜜蜂の群に分蜂または逃去が生じ,その捕獲に失敗した場合について規定しているものと考えられる。養蜂家が適切な処置をとらなかったために,蜂群が一体となって巣箱を逃げ出してしまったケースである。」(五十(やすた)()麻里子「蜜蜂は野か?――ローマ法における無主物先占に関する一考察」法政研究704号(200431日)20頁)とされていますが,ドイツ民法は,この分蜂及び逃去のうち分蜂のみを対象にして,逃去は念頭に置いていなかったそうです(五十君32頁註74)。(確かに,前記のドイツ民法第一草案理由書第3373頁の2の記載を見るとそのようですが,同374頁の5の乞食蜂群は以下に説明される逃去との関係でどう考えるべきでしょうか。)逃去は,冬の寒さの厳しくない地で見られる現象(五十君17頁)とされています。分蜂と逃去との相違は,「分蜂が古い群から新たな群が分かれる群の再生産であるのに対して,逃去は群全体がより良い環境を求めて巣を立ち去る現象なのである。したがって,分蜂においては一匹の女王蜂が働き蜂の一部と,時には雄蜂の一部を伴って巣を飛び立つのに対して,逃去では幼虫や貯蜜を残し全ての大人の蜜蜂が巣を去ってしまう。」ということです(五十君16頁)。逃去の場合,「群は数時間以内に巣を後にし,10分ほどで新たに巣を設ける場所へと移動する」そうですが,「他方,花や水が不足する場合には,蜜蜂は20日から25日かけて準備をし,卵やさなぎもあらかじめ働き蜂が食べたうえで,時には50キロメートル離れた場所まで移動する」そうです(五十君17頁)。

分蜂する蜜蜂たちのローマ時代における収容の様子は,ウァッロー(Varro)によれば,分蜂の数日前から巣門の前に蜂球が形成されているところ,激しく音が発せられて分蜂が始まり,「先に飛び立った蜜蜂は付近を飛び回って後続の蜜蜂を待」っているところで,「養蜂家は,蜂群がこのような状況にあることを発見したならば,「土を投げ付け,金を打ち鳴らして」これを脅かす一方,近くに蜜蜂の好むものを置いた巣箱を用意し,蜂群を誘導する。さらに,蜂群が巣箱に入った所を見計らって周囲に軽く煙をかけ,巣箱内に逃げ込むようしむける。すると蜂群は新しい巣箱に止まり,新しい蜂群が成立することとなるのである。」というものでした(五十君17-18頁)。

フランスの1791928日法第1編第35条後段の「原則としては,蜂群は,それが定着した土地の所有者に帰属する。」との規定は,巣箱への収容までを要件としないようですから,蜜蜂に係る“Itaque quae in arbore tua consederint, antequam a te alveo includantur, non magis tuae esse intelleguntur, quam volucres quae in tua arbore nidum fecerint: ideoque si alius eas incluserit, is earum dominus erit. Favos quoque si quos hae fecerint, quilibet eximere potest.”との法理とは異なるもののようです。ということは,ルイ16世時代のフランス王国においては,もはや古代ローマのように“apium natura fera est.”とは考えられておらず,蜜蜂は家畜扱いだったということでしょうか。1791928日法は同年106日にルイ16世の裁可を受けていますが,1792810日の事件の後にタンプル塔にあっても「時間つぶしのために希望して,257冊――たいていはラテンの古典作家である――もの優に図書館ぶんほども本を手に入れた」(ツヴァイク=関楠生訳『マリー・アントワネット』)教養人であった同王としては,裁可を求められた当該法案についてローマ法との関係で何か言いたいことがあったかもしれません。

 

(2)ドイツ民法962

ドイツ民法962条においては,“si provideris ingredientem in fundum tuum, potes eum jure prohibere, ne ingrediatur.”の法理(ただしこれは,無主物先占のための立入りに係るものですね。)とは異なり,養蜂家の所有権に配慮して,「蜂群所有者,追跡際他人土地ることができる。」とされています。前記フランス1791928日法も他人の土地内への追跡を所有者に認めていたそうです(Boissonade p.66)。

なお,ローマ時代の巣箱(alveus)は「直径30センチメートル,長さ90センチメートルの筒状に成型し,適切な場所に水平に置く。蜜蜂の出入口の反対側から蜂蜜の採取などの作業ができるよう,後部を閉じる際には後で取り外せるようにしておく。」というものであり(五十君15頁),材料にはいろいろなものがあって(ローマ帝国は広かったのです。),「コルクなどの樹皮,オオウイキョウの茎,植物を編んだ籠,空洞の丸木,木板」や「牛糞,土器,レンガさらには透明な角や石」が用いられていたそうです(五十君15頁)。現在の形の巣箱は,19世紀の発明であるそうですから(五十君15頁),ドイツ民法はこちらの方の近代的巣箱を想定しているものでしょう。ローマ時代には「人工的に与えられるものは外側の巣箱だけで,中の巣板は,蜜蜂達が,自身の体を物差にして六角形の巣房を両面に無駄なく組み合わせ,作って行くのに任せられていた」そうであり(五十君15頁),「採蜜の際にも蜂蜜の貯まった巣を壊して搾り取るしかなく,蜂群は再生できない場合が多かった」ことになります(五十君15頁)。

なお,蜜蜂たちを収容(includere)する方法はどうだったかといえば,「森の群を捕獲する方法(ratio capiendi silvestria examina)」においては,「巣が岩の窪みにある場合には,煙で蜜蜂を燻り出して音をたて,この音に驚いた蜜蜂が茂み等に蜂球を形成した所を,入れ物(vas)に収容」し,「巣が木のうろにあった場合には,巣の上下の木を切り,布に包んで持ち帰る」というものだったそうです(五十君16頁)。その後「筒を寝かせたような形状の巣箱に移され」,「こうしてはじめて「〔略〕巣箱に閉じ込められ」たものとされ,その獲取者の所有物」となりました(五十君19頁,94頁註94)。

 

(3)ドイツ民法963条及び964

ドイツ民法963条は日本民法245条・244条の混和の規定を(ただし,持分は,後者は価格の割合で決まるのに対し,前者は群れの数に応じて決まります。),ドイツ民法964条は日本民法245条・243条の混和の規定を彷彿とさせます(Vermischungは,正に「混和」です。)。

 

2 我が旧民法と民法と

 

(1)旧民法と蜜蜂と

さて,実は我が国においても,旧民法(明治23年法律第28号)財産取得編132項には「群ヲ為シテ他ニ移転シタル蜜蜂ニ付テハ1週日間之ヲ追求スルコトヲ得」という規定がありました。これは,ボワソナアドの原案6212項では,À l’égard des abeilles qui se sont transportées en essaim sur le fonds voisin, elles peuvent y être suivies et réclamées pendant une semaine; toutefois, ce droit cesse après 3 jours, si le voisin les a prises et retenues.(群れをなして隣地に移動した蜜蜂については,1週間はそこへの追跡及び回復が可能である。しかしながら,隣人がそれらを捕獲し,かつ,保持したときは,当該権利は3日の後に消滅する。)であったものです(Boissonade p.36)。隣人が保持するとは,retunues prisonnières dans une ruche ou autrement(巣箱に入れるか他の方法で捕えておく)ということであったそうです(Boissonade p.67)。「隣地に」が「他ニ」になったのは,188842日の法律取調委員会における渡正元委員(元老院議官)の提案の結果です(法務大臣官房司法法制調査部監修『日本近代立法資料叢書9』(㈳商事法務研究会・1987年)「法律取調委員会民法草案財産取得編議事筆記」51頁)。これについては,「可笑クハ御座イマセンカ加様ナモノハ能サソウナモノデス蜂ガ必ズシモ隣ヘ往クト云フ極ツタモノデモアリマセンカラ」及び「蜂ナゾハ何処ヘ飛ンデ往クカ分リマスカ」と同日鶴田皓委員(元老院議官)に言われてしまっていたところです(法律取調委員会議事筆記50頁)。「隣人がそれらを捕獲し,かつ,保持したときは,当該権利は3日の後に消滅する」の部分を削ることは,これも同日,山田顕義委員長(司法大臣)が「隣人ダノ3日ダノト謂フコトハ刪ツテモ宜シウ御座イマセウ」と言い出していたところです(法律取調委員会議事筆記50頁)。ドイツ民法962条第3文のような損害賠償責任の規定が書かれなかった理由は,“cela va de soi, et même il est certain que la poursuite devrait être empêchée ou suspendue dans les cas où elle causerait des dommages difficiles à réparer.”(当然のことであり,また,償い難い損害が追跡によって惹起される場合には,追跡は妨げられ,又は中止されることになることがまた確かであるからである。)ということでした(Boissonade p.67)。

どういうわけか「不動産上ノ添附」の節の中にありました。ボワソナアドは,フランス1791928日法(当時も効力を有していました(Boissonade p.66)。)第1編第35条後段の規定を前提として,蜂群が定着した土地の所有者は,当該土地への添附によって当該蜂群の所有権を取得すると考えていたものでしょうか。そうだとすると,旧民法財産編(明治23年法律第28号)232項は「所有者ナキ不動産及ヒ相続人ナクシテ死亡シタル者ノ遺産ハ当然国ニ属ス」と規定していて無主の土地は我が国では無いのですから,我が国には無主の蜂群は存在しないものと考えられていたことになりそうです。

旧民法財産取得編132項は,ローマ法の“Examen quod ex alveo tuo evolaverit eo usque tuum esse intellegitur donec in conspectu tuo est nec difficilis ejus persecutio est.”の法理と比較すると,視界の中にあるか否か,追跡が困難か否かという要件を簡素化して,蜂群の移転(分蜂又は逃去(ニホンミツバチは,比較的寒い地域に生息するものであっても逃去を行うそうです(五十君32頁註74)。))後一律「1週日間」はなお前主の所有権が及ぶものとしたもののように解されます。期間無制限のフランス1791928日法と比較すると,追跡可能期間が短縮されたということになります(Boissonade p.67)。

 

(2)旧民法と魚及び鳩並びに野栖ノ動物と

旧民法財産取得編13条(全3項)の残りの条項をここで見ておくと,第1項は「私有池ノ魚又ハ鳩舎ノ鳩カ計策ヲ以テ誘引セラレ又ハ停留セラレタルニ非スシテ他ノ池又ハ鳩舎ニ移リタルトキ其所有者カ自己ノ所有ヲ証シテ1週日間ニ之ヲ要求セサレハ其魚又ハ鳩ハ現在ノ土地ノ所有者ニ属ス」と,第3項は「飼馴サレタルモ逃ケ易キ野栖ノ禽獣ニ付テハ善意ニテ之ヲ停留シタル者ニ対シ1个月間其回復ヲ為スコトヲ得」と規定していました。それぞれ,ボワソナアドの原案6211項では“Les poissons des étangs privés et les pigeons des colombiers qui passent dans un autre étang ou colombier, sans y avoir été attirés ou retenus par artifice, appartiennent au propriétaire chez lequel ils se sont établis, s’ils ne sont pas réclamés dans une semaine, avec justification de leur identité.”と,同条3項では“S’il s’agit d’animaux de nature sauvage, mais apprivoisés et fugitifs, la revendication pourra en être exercée pendant un mois contre celui qui les a recueillis de bonne foi.”とあったものを日本語訳したものです。なお,旧民法財産取得編133項の「飼馴サレタルモ逃ケ易キ野栖ノ動物」の語句における「逃ケ易キ」の語については,「仏原語ノ意義ヲ誤解シタルモノニシテケタル﹅﹅﹅ナリ」指摘ていす(本野一郎=正=日本民法義解 財産取得編債権担保社・189012月印行)56頁)。確かに,仏和辞典を検する限り,“fugitif”はそう解すべきです。

旧民法財産取得編131項は,当時のフランス民法564条(“Les pigeons, lapins, poissons, qui passent dans un autre colombier, garenne ou étang, appartiennent au propriétaire de ces objets, pourvu qu'ils n'y aient point été attirés par fraude et artifice.”(他の鳩舎,棲息地又は池に移った鳩,野兎,魚は,欺罔及び計策によって誘引されたものでなければ,当該物件の所有者に帰属する。))の承継規定ですね(同条は,同法第2編(財産編)第2章(所有権について)第2節(付合及び混和に係る添附について)の第2“Du droit d’accession relativement aux choses immobilières”(不動産に関する添附について)にありました。)。ボワソナアドが自ら,同項に対応する自分の原案はフランス民法564条を参考にした旨註記しています(Boissonade p.36)。ただし,フランス民法564条には無かった1週間の猶予期間が付されています。当該猶予期間を設けた理由は,フランス民法564条では,魚や鳩の所有権が,それらが自発的に移った(passés spontanément)先の隣人によって直ちに(immédiatement)取得されてしまうのでやや正義に欠ける(moins juste)ところ,当該隣人の新しい権利を当該動物の一種の意思(une sorte de volonté des animaux)にかからしめるのであれば一定の期間の経過を待つのが自然であること,並びに当該期間の経過は,前主における一種の放棄又は無関心(une sorte d’abandon ou d’indifférence)を示し,及び隣人に係る尊重すべき占有(une possession digne d’égards)を構成するからであるとされています(Boissonade pp.65-66)。

なお,当時のフランス民法はまた,その第524条において,les pigeons des colombiers(鳩舎の鳩),les lapins des garennes(棲息地の野兎)及びles poissons des étangs(池の魚)を用法による不動産として掲げていました

現行民法195条(「家畜以外の動物で他人が飼育していたものを占有する者は,その占有の開始の時に善意であり,かつ,その動物が飼主の占有を離れた時から1箇月以内に飼主から回復の請求を受けなかったときは,その動物について行使する権利を取得する。」)についてフランス留学組の梅謙次郎が「旧民法ニハ本条ノ規定ト同様ナル規定ヲ添附ノ章ニ置キ之ヲ以テ不動産ノ添附ニ関スルモノノ如クセルハ殆ト了解ニ苦シム所ナリ」と評したのは(梅謙次郎『民法要義巻之二(訂正増補第21版)』(法政大学=明法堂・1904年)58頁),専ら旧民法財産取得編133項についてでしょう。(ただし,同じくフランス留学組の富井政章は旧民法財産取得編13条について,全般的に,「既成法典ハ取得篇第13条ノ場合ヲ添附ノ場合トシテ規定シテ居ル是ハ少シ穏カデナイト思ヒマスル且例ノナイコトデアリマス」と述べています(法務大臣官房司法法制調査部監修『日本近代立法資料叢書2 法典調査会民法議事速記録二』(㈳商事法務研究会・1984年)11頁(1894911日))。しかしこれも,専ら第3項についての発言でしょうか。)

確かに,旧民法財産取得編133項の規定においては,野(せい)ノ禽獣が不動産との関係で添附したというよりは,当該野栖ノ禽獣を停留した者の停留(占有)行為がむしろ主要要件であるようです。

ボワソナアドは,旧民法財産取得編133項に対する原案には参考立法例を示しておらず(Boissonade p.36, pp.67-68),同項はボワソナアドの独自案のように思われます。ただし,同項を承けた民法195条の1894911日原案(第239条「所有ノ意思ヲ以テ他人ガ飼養セル野栖ノ動物ヲ占有スル者ハ其占有ノ始善意ナルトキハ其動物ノ所有権ヲ取得ス但20日内ニ所有者ヨリ返還ノ請求ヲ受ケタルトキハ此限ニ在ラズ」)の参照条文として,法典調査会には,旧民法財産取得編13条のほか,イタリア民法7132項,スペイン民法6123項,ドイツ民法第一草案9052項・3項及び同民法第二草案8752項・3項(第二草案の当該規定は既に現行ドイツ民法9602項・3項と同じ内容の規定です。)が挙げられていました(民法議事速記録二11頁)。しかしながら,少なくとも,フランス民法には対応する規定は無かったようです。なお,1894911日原案239条は,無主物先占に係る規定と遺失物及び埋蔵物に係る規定との間におかれていました。同条が旧民法財産取得編133項を承けたものであることは,「本条ハ原文ノ第3項ニ修正ヲ加ヘテ之ヲ採用シタノデアリマス」との富井政章発言によって明白です(民法議事速記録二11頁)。

  

(3)民法195条と蜜蜂と

 現行民法制定の際旧民法財産取得編131項及び2項の規定は削られました。その理由について,富井政章の説明はいわく。「第1項ヲ削除致シマシタ理由ハ私有池ノ魚デアルトカ或ハ鳩舎ノ鳩デアルトカ云フモノハ野栖ノ動物トハ見ラレマスマイ併シナガラ之等ノモノニ付テ原文ニ在ル如ク特別ノ規定ヲ設ケル必要ハ実際アルマイト考ヘタ之等ノ動物ハ少シ時日ヲ経レバ外観ガ変ツテ其所有者ニ於テ此金魚此鳩ハ吾所有デアルト云フ其物ノ同一ヲ証明スルコトハ実際甚ダ困難デアラウト思フ特別ノ規定ガナクテモ決シテ不都合ハナカラウト思ヒマス夫レモ実際屢々斯カル場合ガ生ズルモノデアレバ或ハ規定ガ要リマセウケレドモ滅多ニ然ウ云フ場合ハ生ズマイト思ヒマシタ其故ニ削リマシタ〔蜜蜂に関する〕第2項モ同ジ理由デ欧羅巴諸国ノ法典ニ細密ナ規定ガアリマスケレドモ日本ニハソンナ必要ハナカラウト思ヒマス」ということでした(民法議事速記録二11頁(1894911日))。

 1890年から始まっていた帝国議会で,民法法案の審議に当たる議員諸賢の玩弄物おもちゃにされるのがいやだった,ということはあったものやら,なかったものやら。つとに188842日の前記法律取調委員会において,清岡公張委員(元老院議官)が「此ガアリマスト民法一般ヲ愚弄スル口実ニナリマス蜜蜂トカ鳩舎中ノ鳩抔ト申スコトハ実ニ可笑シウ御座イマス」と発言していました(法律取調委員会議事筆記52頁)。

鳩ポッポ(相模原市南区)

鳩ぽっぽ(相模原市南区を徘徊中)

 そもそも旧民法に係る「法律取調委員会の蜜蜂に関する議論を見ても,蜜蜂に関する知識が乏しく,分蜂についてさえも十分に認識していなかったことがうががえる」との批評があるところです(五十君
35頁註112)。(同委員会における蜜蜂に関する発言を見てみると,尾崎忠治委員(大審院長)が「天草デハ蜜蜂ガ沢山出ルノデアノ蜜ハ何ウシテ取リマスルカ」と訊いたのに対して松岡康毅委員(大審院刑事第二局長,後に日本大学初代総長)が「采ルノデアリマス彼ノ辺デハ此等ニ就テ訴訟ハアリマセン」とやや明後日あさって方向の回答をしたり,栗塚省吾報告委員(後に1892年の弄花事件(大審院長以下の同院高官が「日本橋浜町の待合茶屋初音屋などで,しばしば芸妓を交え,花札を使用して金銭をかけ,くち••という事件大審一人(大久保日本近代法父 ボワソナアド』(岩波新書・1998年)177-178頁参照))が「大将ト称スルノハ女王ダソウデアリマス故ニ英国ノ王〔当時はヴィクトリア女王が在位〕ヲ蜂ダト謂ツテ居ル位デアリマス」との新知識を語ったりといった程度ではありましたが,山田委員長(司法大臣,日本大学学祖)が「私ノ国ナゾハ蜂ハ逃ルト大騒ヲ仕マスルガ大概村抔デ着クト人ノ中ニアロウトモ人ガ沢山掛ツテ竜吐水ヲ以テ方々ヘ往カン様ニ致シマス余程巧者ナ者デナケレバ之ヲ取ルコトハ出来マセン」との思い出(これは,蜂群の分蜂又は逃去があったときのことでしょうか。)を披露したりなどもしていました(法律取調委員会議事筆記50-51頁(188842日))。)確かに蜜蜂の位置付けは低かったようで,民法195条に関して梅謙次郎が挙げる生き物に蜜蜂は含まれていません。いわく,「家畜外〇〇〇動物〇〇トハ例ヘハ狐,狸,虎,熊,鶯,金糸雀,鯉,鮒,鯛等ノ如キ物ヲ謂フ之ニ反シテ牛,馬,犬,猫,家鴒,鶏,家鴨,金魚等ノ如キハ皆家畜ノ動物ナリ」と(梅59頁)。(なお,我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義Ⅱ)』(岩波書店・1983年)499頁には「ライオンも日本では家畜外ではない」とありますので,梅謙次郎のせっかくの説明にもかかわらず,虎には民法195条の適用はないのでしょう。)さらには,日本養蜂史の始まりの記事が『日本書紀』皇極天皇二年条の最後にありますが,「是年,百済太子余豊以蜜蜂房四枚,放養於三輪山。而終不蕃息。」,すなわち「つひうまらず」ということですから,繁殖失敗であり,なかなか我が国と蜜蜂とは相性がよくなかったところです。

蜜蜂は,前記民法195条にいう「家畜以外の動物」でしょうか,そうでないのでしょうか。“Apium natura fera est.”ですから,ローマ法では家畜以外の動物です。しかし我が国においては,「ニホンミツバチは自然状態でも生息することができるが,セイヨウミツバチは人の手を借りなければ生きていけない」ので,セイヨウミツバチは家畜であるが,ニホンミツバチは家畜以外の動物であると主張されています(五十君26頁)。ニホンミツバチとセイヨウミツバチとのこの法的位置付けの相違は,「ニホンミツバチは,キイロスズメバチやオオスズメバチからの攻撃に対し,優れた防衛行動をとって対処することができるが,セイヨウミツバチは全滅させられてしまう」ことに由来します(五十君35頁註117頁)。

なお,「家畜以外の動物」という表現は,「立法過程の当初の案では,「野栖ノ動物」(案239)となっていた。しかし,それでは旧民法(財産取得編13Ⅰ)と異なり魚や鳥などが含まれないおそれがあるとして,より広く包含させるため消極的側面から「家畜外ノ動物」と表現することとした(法典調査会民法議事9190裏以下)。」ということですが(川島武宜=川井健編『新版注釈民法(7)物権(2)』(有斐閣・2007年)230頁(好美清光),ちょっと分かりにくい。「野栖ノ動物」に魚や鳥などが含まれないのは,魚は水栖(animalia quae in mari nascuntur),鳥は空栖(animalia quae in caelo nascuntur)であって,野栖(animalia quae in terra nascuntur)ではないからだ,ということでしょうか。しかしそうだとすると,旧民法財産編133項の「野栖ノ禽獣」の(とり)は,空を飛ぶことのできない駝鳥の類ということになります。(これについては,民法議事速記録二13頁(1894911日)の高木豊三発言を見ると,実は「此野栖ノママコトニナリマスルト鳥獣マルコトニナルダラウヘル」ということで鳥は含まれており,高木は魚が含まれないことを問題としています。「池沼ノ魚類」をも含む「家畜外ノ動物」との表現は,同日の法典調査会における磯部四郎の発案に係ります(同17)。これに対して更に同日,「家畜トシマスト鶏抔ハ這入ラヌト云フ御説ガ段々アル様デスガ,若シ家畜ノ中ニ鶏ガ這入ラヌト云フ御説ナラバ家禽家畜ヲ除クノ外ノ動物トシテハ如何ガデセウ」との念入りな提案が尾崎三良からあったところです(同18頁)。鳥問題はここで出て来ます。

ところで,民法195条は,富井政章及び本野一郎によるフランス語訳では“Celui qui possède un animal non domestique apprivoisé par une autre personne, s’il a été de bonne foi au début de sa possession et si, cette personne n’a pas réclamé l’animal dans le mois qui suit sa fuite, acquiert le droit qu’il exerce sur cet animal.”となっています。「家畜以外の動物で他人が飼育していたもの(元は「他人カ飼養セシ家畜外ノ動物」)」は“un animal non domestique apprivoisé par une autre personne”ということになります。“apprivoisé”は,ボワソナアドの原案以来用いられているフランス語です。

お,『星の王子さま』か,と筆者は思ってしまうところです。

 

  ----Non, dit le petit prince. Je cherche des amis. Qu’est-ce que signifie “apprivoiser”?

  ----C’est une chose trop oubliée, dit le renard. Ça signifie “créer des liens...”

     ---- Créer des liens?

  ----Bien sûr, dit le renard. Tu n’est encore pour moi qu’un petit garçon tout semblable à cent mille petits garçons. Et je n’ai pas besoin de toi. Et tu n’as pas besoin de moi non plus. Je ne suis pour toi qu’un renard semblable à cent mille renards. Mais, si tu m’apprivoises, nous aurons besoin l’un de l’autre. Tu sera pour moi unique au monde. Je serai pour toi unique au monde...  

  ――ちがうよ,と小さな王子は言いました。ぼくは友だちを探しているんだ。で,“apprivoiser”ってどういう意味?

  ――それはひどく忘れられてしまったものなんだ,と狐は言いました。その意味は,「(きずな)を創る・・・」

  ――(きずな)を創る?

  ――もちろん,と狐は言いました。きみはまだぼくにとって,十万の小さな男の子とそっくりの一人の小さな男の子でしかない。ぼくはきみを必要としないし,きみもぼくを必要としない。ぼくはきみにとって,十万の狐と似た一匹の狐でしかない。けれども,もしきみがぼくをapprivoiserすれば,ぼくらはお互いが必要になるんだ。きみはぼくにとって世界でただ一人の存在になる。ぼくはきみにとって世界でただ一匹の存在になる。

 

ただし,ここでの狐の説明に係る“apprivoiser”は,無主物先占に係る「所有の意思をもって占有」(民法2391項)することまでを意味するものではないように思われます。
 ところで,日本民法195条の“apprivoisé(「飼育していた」)の語義は,ドイツ民法9603項の„gezähmt“(飼いならされた)とは異なるものであるように思われます。ボワソナアドは,“animaux apprivoisés”(飼馴らされた禽獣)について,“devenus familiers avec l’homme”(人と親しくなったもの(なお,ラテン語でres familiarisといえば,私有財産のことだそうです。))であると定義しつつ,その「飼馴らされた禽獣」が “fugitifs”(旧民法財産取得編133項の「逃ケ易キ」)であるとは,「それらが所有者のもとに戻らなくなったこと」(qu’ils ont cessé de revenir chez leur propriétaire)をいうものとしています(Boissonade p.67)。他方,ドイツ民法9603項は,「飼いならされた動物は,戻るべき場所としてならされた場所に戻る習性を失ったときには,無主となる。」(Ein gezähmtes Tier wird herrenlos, wenn es die Gewohnheit ablegt, an den ihm bestimmten Ort zurückzukehren.)と規定しています。ボワソナアドの原案の第6213項は,mais apprivoisés et fugitifsetでつないで表現していて,「飼いならされた」ことと「所有者のもとに戻らなくなったこと」とが両立するものとしています。これに対してドイツ民法9603項は,「戻るべき場所としてならされた場所に戻る習性を失ったとき」はもはやその動物は「飼いならされた」ものではない,ということを定めるものと解することができるところです。

ドイツ民法9603項は,いったん飼いならされた野生動物も再び無主になり得ることを規定しているわけですが(ローマ法も同様),他方,ボワソナアドの原案の第6213項(並びにそれを承けた我が旧民法財産取得編133項及び民法195条)は,野生動物もいったん飼いならされた以上は無主になることを許してはくれないものとなっています。また,フランス人ボワソナアドによれば,飼いならされる前の捕まっただけの野生動物(les animaux sauvages, mais captifs)が逃失(échappés)しても,なお遺失物(épaves terrestres)扱いで(Boissonade p.68),無主物とはなりません。ドイツ人もローマ人も野生動物に対してその「自由」の回復を認めてさばさばしているのに対して,フランス人は業が深いもののように見えます。あるいはこれは,178984日,6日,7日,8日及び11日のデクレ3条をもって廃止された旧体制(ancien régime)下の狩猟権(le droit exclusive de la chasse)に対して存したフランス人民の怨念と何らかの関係があるものか。(「フランスでは15世紀以来,いはゆるRoture即ち小都市の市民及農民の狩猟を禁じて,領主に狩猟の権を帰せしめ,領地を有する者は狩猟の権をも有す(Qui a fief a droit de chasse)の原則を確立してゐた」ところ(栗生武夫「狩猟権及漁撈権」法学93号・4号(19403月・4月)第一節四(和田電子出版・2003年)),「庶民は狩猟から遠ざけられ,貴族のみがこれを独占するやうになつたが,かうなると,貴族の狩猟熱は益々高まるばかりであつた。彼等は彼等のなすべき公の任務を忘れて狩猟にのみ熱狂するやうになつたのである。それも猪狩とか鹿狩とかいふ荒々しい種類のものばかり好むやうになつたのである。彼等は猟期の娯楽を高めるために,平素から野猪の類を蕃殖させておく方針をとつたから,彼等の猟区に隣接する農民の田畑は,常住野猪の害に曝されてゐなければならなかつた。而もかうした野獣害(Jagdschaden)に対して,彼等は賠償の責任に任じなかつた。野獣の蕃殖は貴族の狩猟権そのものの中に含まれる当然の権能だと見られてゐたからである。農民は彼等の農作物を現に荒らしつつある鳥獣をば殺すことはできたが,殺した鳥獣は狩猟権者たる貴族に納付しなければならなかつた。又農民は彼等の農作物を保護するために田畑の周囲に障囲をめぐらすことはできたが,障囲の費用は自分で負担しなければならなかつた。それのみか猟期になると,農民は貴族の狩猟行為を援助するために勢子(Treiberdienst)その他の雑役にも服さねばならなかつたが,これもまた無償であつた。勢子の役目は,彼等が貴族に対して負ふ夫役労働の一種だとされてゐたからである。」という状況とはなり(栗生・同),その結果「貴族の狩猟権に対する農民の不平がフランス革命の一原因となつた」のでした(栗生・同註13)。狩猟が大好きだったルイ16世は,悪王だったのですな。「フランス革命は,封建制度の遺物として当時なほ残存してゐた貴族の諸特権を一撃的に払拭したが,封建的狩猟権即ち貴族がその身分特権として他人の土地においても狩猟をなしうるといふ権利もまたこの嵐のなかに覆滅し去つたのであつた。即ち178984日,国民議会(Assemblée nationale)は徹夜の会議を以て封建的諸特権――領主裁判権・十分の一税・夫役労働制・買官制等々の廃止を決議したが,封建的狩猟権の廃止もまた,この決議の一項目として包含されたのであつた。尤も同夜の決議は,貴族に対する民衆の反抗心を一時的に鎮静せしめんとする動機に出たので,決議条項の中には,あとから修正を受け内容を抜かれて,空文化したものもないではなかつたが,狩猟権に関するかぎりは,即時の実行を見たのであつた。けだし地方の農民は,84日夜の決議内容を伝聞するや,『封建特権は廃止された。狩猟特権もまた廃止された。狩猟は今や万人のものだ』と叫び,それぞれ自己の土地においての狩猟を開始し,貴族がその身分特権をふりかざして農民の土地へまで入猟して来るのを事実上阻止してしまつたからである。ゆゑに同夜の決議第1条の冒頭にいふ,国民議会は完全に封建制を破壊したり(L’Assemblée nationale détruit entièrement le régime féodal)の句は,狩猟権に関するかぎり,直ちに効力を発生したと見ねばならない。/即ちここに貴族身分を基礎として他人の土地へまで立入つて狩猟をなすといふ,封建型の狩猟権が廃止されて,土地所有者がそれぞれ自己の土地において狩猟をなすといふ,あくまでも土地所有権者を本位にした,市民社会型の狩猟権が発生した次第であつた。」ということになります(栗生・第一節五)。「地主狩猟主義(Grundeigentümerjagdrecht)」が採用されたわけですが,「地主狩猟主義の下においては,狩猟は単なる自由でなくして私法上の一権利」となり「地主が一定の猟区を設定し,一般人の入猟を排斥しつつ,独占的に狩猟を行ひうる」こととなります,すなわち「狩猟権者は自己の猟区における狩猟鳥獣を排他的に捕獲しうる」ところです(栗生・第一節七)。狩猟権者たる地主がその土地の上の鳥獣に排他的私権を有する以上,野生動物の側の「自由」は云々できないのではないか,ということになるようにも思われます。無主物先占は野生動物の自由を前提とするのでしょうが,これは地主等の狩猟権とは食い合わせが悪く,「ローマ継受法の規定にしてゲルマン固有法の規定のために,その適用を阻止されたものは多々あつたが,先占自由の原則もその一つだつたのである。即ちこれを現代に見るも,ローマ法に由来する先占自由の原則は,ゲルマン法に由来する狩猟権及漁撈権のために,その適用力の半以上を失墜せしめられてゐるありさまである。」ということになるようです(栗生・はじがき)。)

(また,歴史噺に関連しての余談ですが,我妻=有泉499頁が我が民法における無主の野生動物の捕獲による所有権取得(民法239条)に関して「山で捕獲したが,帰途逃げられた場合は無主物に戻ると解される」と述べていることは,我が国の民俗を反映しているようにも思われ,興味深く感じられるところです。「山」はなお動物たちの世界であって,人の世界である「里」に戻って初めて人の動物に対する所有権が確立するということでしょうか。)

所有権の対象たる動物であって逸走したもののうち家畜以外の動物については,民法195条が適用されます(我妻=有泉300)。飼いならされた(apprivoisé)ものであることまでは不要なのでしょうし(単に捕獲された(captif)だけのものも含む。),当該家畜以外の動物がapprivoisé et non fugitif(飼いならされ,かつ,所有者のもとに戻るもの)であっても家畜扱いはしないということでしょう。家畜については,民法240条(「遺失物は,遺失物法(平成18年法律第73号)の定めるところに従い公告をした後3箇月以内にその所有者が判明しないときは,これを拾得した者がその所有権を取得する。」)が,遺失物法21項(逸走した家畜は,準遺失物であるとされます。)及び同法3条によって準用されます。セイヨウミツバチを拾得(「物件の占有を始めること」(遺失物法22項))した者は,速やかに,そのセイヨウミツバチを養蜂家に返還し,又は警察署長に提出しなければならないことになります(同法41項)。犬又は猫ではないので,動物の愛護及び管理に関する法律(昭和48年法律第105号)353項による都道府県等による引取りはしてもらえません。

  


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 グリム童話に「賢い人々(Die klugen Leute)」というお話があります(KHM Nr.104)。これがなかなか法律学的に興味深いところです。

 

1 代理

 農家のハンスが3日間家を空けることにし,その間の農畜産業経営について妻に代理権の授与を行います。

 

「トリネ(Trine)や,おれはこれから遠くに出かけて,三日ほど留守にする。その間に家畜商人がやって来て,うちの3頭の牝牛を買いたいと言ってきたら,売ってもよい。けれども200ターレルでなきゃだめだ。それより少ない額ではだめだぞ。分かったね。」「神さまの御名において行ってらっしゃい」と妻は答えた。「それはうまくやるわ。」「そうだぞ,お前!」と夫は言った。「お前は小さい子供の時に頭から落っこちて,それが今の今まで尾をひいているからな。だが,これはお前に言っておくがな,もしばかなことをやらかしたら,おれはお前の背中を真っ青にしてやるからな。色を塗るんじゃないぞ。おれが今この手に持っている杖一本でやるのだぞ。その痕は,まる一年残って,とれるのはやっとそれからだからな。」

 

心配ならばトリネに代理権を授与しなければよかったのですが,授与してしまった以上,それは有効です。我が民法(明治29年法律第89号)102条は「代理人は,行為能力者であることを要しない。」と規定しています。「本人があえて無能力者を代理人にするなら,なにも差支えはない」わけです(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)213頁)。ドイツ民法165条は,「代理人によって,又は代理人に対してされた意思表示の効力は,当該代理人の行為能力が制限されていること(dass der Vertreter in der Geschäftsfähigkeit beschränkt ist)によって妨げられない。」と宣言しています。

 牝牛3頭の所有権は,ハンスに属していたのでしょう。

 

2 日常家事債務

 ところで,農家で牝牛3頭を売却するということは,さすがに日常の家事に関することではないでしょう。
 我が民法
761条は「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは,他の一方は,これによって生じた債務について,連帯してその責任を負う。ただし,第三者に対し責任を負わない旨を予告した場合は,この限りでない。」と規定しているところから,「日常家事に夫婦の財産を処分することも含めざるを得ず(たとえば家具を新しく買い替える場合に古い家具を中古品として売るなど),761条が当然の前提としている原則として,相互の代理権を肯定してよいだろう。」とされ(内田貴『民法Ⅳ親族・相続』(東京大学出版会・2002年)44頁。判例として,最判昭和441218日民集23122476),「妻は,夫婦共同生活の運営に必要な限りでは,夫名義の借財をする権限を有するのみならず,夫名義の財産を処分する権限をも有する。」とされていますが(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)108頁),「日常の家事」という縛りがあります。
 「「日常の家事」とは,未成熟の子を含む夫婦の共同生活に通常必要とされる一切の事項を含む。家族の食料・光熱・衣料などの買入,保健・娯楽・医療,子女の養育・教育,家具・調度品の購入などは当然に含まれる(夫婦それぞれの所有動産に火災保険をつけることも含まれる(大判昭和
1212月8日民集1764頁は旧法の下で夫の管理権が及ぶという))。問題となるのは,これらの目的のために資金を調達する行為――既存の財産の処分と借財――だが,これも,普通に家政の処理と認められる範囲内(例えば月末の支払いのやりくりのための質入・借財など)においてはもとよりのこと,これを逸脱する場合でも,当該夫婦の共同生活にとくに必要な資金調達のためのものは,なお含まれると解すべきものと思う・・・。ただし,以上のすべてについて,その範囲は,各夫婦共同生活の社会的地位・職業・資産・収入などによって異なるのみならず,当該共同生活の存在する地域社会の慣行によっても異なる。」とされているところです(我妻・親族法106頁)。
 日常家事の範囲を越えた越権行為が配偶者の一方によってされた場合において(原則は無権代理),越権行為の相手方である第三者をどう保護すべきかについては,「当該越権行為の相手方である第三者においてその行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるときにかぎり,民法110条の趣旨を類推適用して,その第三者の保護をはかれば足りる」とされています(前記最判)。我が民法110条は「前条本文の規定は,代理人がその権限外の行為をした場合において,第三者が代理人の権限があると信ずべき正当な理由があるときについて準用する。〔代理人が第三者との間でした行為についてその責任を負う。〕」と規定しています。判例が「民法110条の適用」ではなく「民法110条の趣旨を類推適用」といっているのは,「〔民法110条の法理〕の適用されるのは,あくまでも,相手方が日常の家事の範囲内と信じた場合に限るべきであって,それ以外の行為について特別の代理権があったと信じた場合には及ばないと解する。従って,〔権限外の行為について権限があると信じた場合に係る〕110条が適用されるとせずに,110条の趣旨を類推すべし,というのである。」ということでしょう(我妻・親族法111頁)。

昭和22年法律第222号によって改正される前の明治31年法律第9号804条では,「日常ノ家事ニ付テハ妻ハ夫ノ代理人ト看做ス/夫ハ前項ノ代理権ノ全部又ハ一部ヲ否認スルコトヲ得但之ヲ以テ善意ノ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス」と規定されていました。
 ドイツ民法1357条は,「各配偶者は,家族生活に係る必要の相当な充足のための(zur angemessenen Deckung des Lebensbedarfs der Familie)行為を他方配偶者のためにも有効に行う権限を有する(ist berechtigt...zu besorgen)。当該行為によって,事情による例外の場合を除いて,両配偶者は,権利を取得し,及び義務を負う。/一方配偶者は,自分のために他方配偶者が有効に行為を行う権限を制限し,又は否認することができる。当該制限又は否認に十分な理由(ausreichender Grund)がないときは,家庭裁判所は,申立てによってそれらを取り消さなければならない(hat...aufzuheben)。当該制限又は否認は,第1412条に従ってのみ第三者に対して効力を生ずる。/配偶者が別居している(getrennt leben)ときは,第1項は適用されない。」と規定しています。

 

3 売買契約と同時履行の抗弁及び所有権移転の時期

夫が出立した翌日,トリネのところに家畜商人がやって来ます。3頭の牝牛を見て,そして200ターレルの代金額を聞いた家畜商人は言います。

 

「喜んでその額はお支払します。この牛たちは,安く見積もっても(unter Brüdern)それだけの値打ちはありますからね。早速牛たちを連れて行かせてもらいましょう。」

 

 売買契約成立です。

直ちに家畜商人は牝牛たちを鎖から外し,牛小屋から引き出し,中庭を抜けて牝牛3頭と正に立ち去ろうとしたところ,トリネはその袖を捉えて言います。

 

  「あんた,まず私に200ターレルを払ってくれなきゃいけないよ。そうじゃなきゃ,あんたを行かせるわけにはいかないね。」

 

これは,同時履行の抗弁ですね。民法533条は「双務契約の当事者の一方は,相手方がその債務の履行を提供するまでは,自己の債務の履行を拒むことができる。ただし,相手方の債務が弁済期にないときは,この限りでない。」と規定しています。ドイツ民法320条は,「双務契約により(aus einem gegenseitigen Vertrag)義務を負う者は,先に給付する義務を負っている場合を除き,反対給付の実現まで自己の負担する給付(die ihm obliegende Leistung)を拒絶することができる。複数の者に対して給付がされるべき場合においては(Hat die Leistung an mehrere zu erfolgen),それぞれの者に対し(dem einzelnen)彼に帰属する給付の部分(der ihm gebührende Teil)が,全ての反対給付の実現まで拒絶され得る。第273条第3項の規定〔我が民法301条に相当〕は,準用されない。/一方から一部の給付がされた場合においては,事情にかんがみ,特に遅滞している部分の相対的些少性のゆえをもって(wegen verhältnismäßiger Geringfügigkeit),拒絶が信義則(Treu und Glauben)に抵触するときは,その限りにおいて反対給付は拒絶されることができない。」と規定しています。

なお,我が判例によれば,売買契約成立当時その財産権が売主に帰属していたときは,当該財産権は,原則として,当然に買主に移転するとされていますので(大判大2・1025民録19857,最判昭33・6・20民集12101585),牝牛3頭の所有者である夫の代理人であるトリネと家畜商人との間で当該牝牛3頭を代金200ターレルで当該家畜商人に売るという売買契約が成立したときには,その時において当然に所有権が家畜商人に移っているということになります。しかしながら,ドイツにおいては,状況は異なります。ドイツ民法929条は「動産の所有権の移転(Übertragung des Eigentums an einer beweglichen Sache)のためには,所有者が承継人(Erwerber)に目的物を引き渡し(übergibt),かつ,両者が所有権が移動(übergehen)すべきことに合意していること(einig)が必要である。承継人が目的物を占有している場合においては,所有権の移動についての合意をもって足りる。」と規定しているからです。したがって,トリネから家畜商人への引渡しが完了しておらず,かつ,同女は所有権の移転にはまだ合意していないようなので,牝牛3頭の所有権は,この段階ではまだトリネの夫であるハンスにあります。(「ドイツでは,契約(法律行為)が,債権を発生させる債権契約(行為)と物権を発生〔又は移転〕させる物権契約(行為)とに分かれ,前者が後者の原因(行為)であるが,前者(原因行為)と後者(物権行為)とは峻別され,前者の無効・取消は後者に影響しない(物権行為の無因性)〔ただし,「当事者間で不当利得返還としての物権の返還が問題になる」〕。物権契約(行為)と登記〔又は〕引渡とによって物権が移転する」と(星野英一『民法概論Ⅱ(物権・担保物権)』(良書普及会・1980年)32‐33頁)理屈っぽく晦渋に説かれていたことの背景には,上記のようなドイツ民法の条文があったのでした。)

「双務契約」とは,「契約の各当事者が互に対価的な意義を有する債務を負担する契約」で,「そうでない契約が片務契約」とされています(我妻榮『債権各論上巻(民法講義Ⅴ₁)』(岩波書店・1954年)49頁)。売買は「当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し,相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって,その効力を生ずる」ものであって(民法555条),売主(トリネに代理されたハンス)は財産権移転債務(「観念的に財産権を買主に取得させることのほか,目的物の占有を買主に取得させること及び登記等の対抗要件を買主に取得させることをも含んでいる」とされています(司法研修所『増補民事訴訟における要件事実第一巻』(1986年)138頁)。),買主(家畜商人)は代金(200ターレル)支払債務という,互いに対価的な意義を有する債務を負担しており,典型的な双務契約であるということになります(我妻Ⅴ₁49頁)。

民法555条ただし書は「相手方の債務が弁済期にないときは,この限りでない。」と規定しているので,トリネ主張の同時履行の抗弁は,家畜商人の代金(200ターレル)支払債務が弁済期にないときには効き目がないことになります。しかしながら,心配に及ばず,「契約上の義務は,一般に,特に期限の合意がない限り,契約成立と同時に直ちに履行すべきもの」であるので(司法研修所138頁),他に期限の合意がない限り,家畜商人の代金支払債務は既に弁済期にあるわけです。

 

4 動産の売買の先取特権

しかし,家畜商人は,トリネの同時履行の抗弁を,うまいこと言って引っ込めさせます。

 

「おっしゃるとおりです。」と男は答えた。「ただ,わたくしは,がま口を腹巻に入れて来るのを忘れてしまったところです。けれども心配には及びません。わたくしがお支払するまでの担保を御提供します。2頭の牝牛は引き取らせていただきますが,3頭目はこちらに残しておきます。それであなたには立派な担保(ein gutes Pfand)があるということになるのです。」妻は納得し,男が自分の牝牛を連れて出て行くのを見送った。そして考えた。「あたしがこんなに賢くやったって知ったら,ハンスはどんなに喜ぶのかしら。」

 

 Pfandは質物とも訳せますが,この3頭目の牝牛の所有権は,ドイツ民法上はいまだ家畜商人に移転しておらず,そもそも債権者たるハンスに残っているのですね。すなわち,当該牝牛については,家畜商人から代金の支払提供のないまま,トリネ及びハンスの側において単に売買契約に係る売主としての債務が履行されていない状態です。家畜商人は当該牝牛については引渡しの請求を引っ込めているので,同時履行の抗弁を発動させるまでもないところです。

 ところで,家畜商人が連れ去ってしまった牝牛2頭については,その代金債権について何の担保もないのかといえば,実はなお先取特権(さきどりとっけん)というものがあります。我が民法311条5号によれば,動産の売買によって生じた債権を有する者は,債務者の特定の動産について先取特権を有するとされ,同法321条は「動産の売買の先取特権は,動産の代価及びその利息に関し,その動産について存在する。」と規定しています。「その趣旨は,売却がなされたからこそその物が債務者=買主の財産となり,債務者=買主の債権者が差し押さえることができるようになったのだから,売主を特に優先させるのが公平であるという点にある」とされています(星野Ⅱ204頁)。動産に対する強制執行において,「先取特権・・・を有する者は,その権利を証する文書を提出して,配当要求をすることができる。」とされているところです(民事執行法(昭和54年法律第4号)133条)。しかし,家畜商人ですから,買い取ったハンスの牝牛2頭は間もなく更に転売されてしまい,新たな買主に引き渡されてしまうことでしょう(商法(明治32年法律第48号)501条1号は「利益を得て譲渡する意思をもってする動産・・・の有価取得又はその取得したものの譲渡を目的とする行為」を,真っ先に商行為としています。「商人」とは「自己の名をもって商行為をすることを業とする者」です(同法4条1項)。)。そのように転売して引き渡されてしまうということになると,「先取特権は,債務者がその目的である動産をその第三取得者に引き渡した後は,その動産について行使することができない。」ということになってしまいます(民法333条)。余り頼りにはなりません。

 なお,売買の代金の「利息」については,我が民法575条2項が「買主は,引渡しの日から,代金の利息を支払う義務を負う。ただし,代金の支払について期限があるときは,その期限が到来するまでは,利息を支払うことを要しない。」と規定しています。

 

5 DV法の解説は,なし

 三日たって旅から帰って来たハンスは,家畜商人にまんまとだまされた上にそのことにも気付いていないトリネに大いに腹を立てます。ここでハンスが前言どおりトリネをシデ材の(hagebüchnen)杖で打擲(ちょうちゃく)したのならば,本稿脱線配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(平成13年法律第31号)に関する解説を長々としなければならなくなります。しかしながら,ハンスはトリネが可哀想になりました。なお三日間世間を見てみて,その間にトリネよりもお人よし(noch einfältiger)な者に遭遇したのならば,トリネを赦してやることにしました。

 

6 原始的不能の債権に係る契約の効力等

 ハンスが大きな道の傍らで石に腰かけて待っていると,干し草を積んだ格子枠車に乗ったちょっと様子のおかしい(車を牽く牛の荷が軽くなるように,干し草の上に座らずに,車の上に立っている)女性が来たので,その車の前に飛び出して妙な具合に駆け回り「わたくしは天国から落ちてきた者です。どうやって戻ったらよいのか分かりません。天国にまで乗せて行ってもらえませんか?」と言ってみれば,お人よしの女性は,3年前に亡くなった夫のあの世での様子を訊いてきます。ハンスは,彼女の夫はあの世で羊飼いをやっているけれどもそれは大変な仕事で,服がボロボロになっていると答えます。彼女は驚き,ハンスに対して夫に対する差し入れを頼みます。衣服はだめだと言われたので(確かに刑事収容施設でも,紐がついている衣服などは差し入れできません。),お金を差し入れることにし,家から財布を取って来て,ハンスのポケットにねじ込みます。

 

 立ち去る前に,彼女は彼の親切(Gefälligkeit)に対してなお千回も(noch tausendmal)お礼をした。

 

 お人よしの女性が家に帰って,畑から戻って来た息子に対して天国からやって来た人の話をすると,息子も天国から来た人と話をしたいと思い,馬に乗って追いかけます。柳の木の下で折から財布の中のお金を数えようとしていたハンスに遭った息子は,天国から来た人を見なかったかと尋ねます。

 

 「ああ」とお百姓は答えた。「その人は帰りましたよ。あそこの山を登ってね。そこからだといくらか近いんですね。急いで駆ければ,まだ追いつけますよ。」

 

けれども息子は,疲れていたのでもう進めません。そこで,代わりに馬に乗って追いかけ,天国の人に戻ってくるよう説得してくれよとハンスに頼みます。

 

「やれやれ」とお百姓は考えた。「こいつもあれか,ランプはあっても芯が無いって連中の仲間だな。」「何の,あなたのために一肌脱がないってことがありますかい。」と彼は言い,馬にまたがり,全速で駆け去った。

 

息子は夜になるまで待ったけれども,ハンスも天国の人も戻って来ません。しかし,息子がたたずんでいる場所はドイツであって日本ではないとはいえ,世の中は,よい人よい子ばかりなのです。

 

「きっと」と彼は考えた。「天国の人はひどく急いでいて,戻ろうとはしなかったんだな。それであのお百姓は,天国の人に,おれの親父のところに持って行ってくれって,天国の人に馬を渡したんだな。」

 

あの世にいる亡夫に金銭の差し入れをしてくれ,又は天国の人に追いついて戻ってくるよう説得してくれとの頼みがあって(契約の申込み),ハンスはいずれの頼みについても請け合っています(承諾)。詐欺(民法96条1項)かといえば,お人よしの女性もその息子も一方的な思い込みで勝手に申込みの意思表示をしてきているので,ちょっと当てはまらないようではあります。両者の申込みに係る契約の種類は,請負(民法632条)といおうにも報酬の約束がないので,無償の準委任(同法656条)でしょうか。しかし,「原始的に不能なことについては,債権は成立しない〔略〕。従つて,その契約は効力を生じない(無効である)」ということ(我妻Ⅴ₁80頁)になるようです。現在のドイツ民法306条2項及び3項は「条項(die Bestimmungen)が契約の構成部分とならず,又は無効である場合においては,契約の内容は,法律の規定による(nach den gesetzlichen Vorschriften)ものとする(richtet sich)。/前項により見込まれる変更を考慮に入れてもそれに拘束されること(das Festhalten an ihm)が一方当事者に対して酷に過ぎるもの(eine unzumutbare Härte)となるときは,契約は無効である。」と規定しています。

しかし,平成29年法律第44号による改正後の民法412条の2第2項は「契約に基づく債務の履行がその契約の成立の時に不能であったことは,第415条の規定によりその履行の不能によって生じた損害の賠償を請求することを妨げない。」と規定しています。債務の履行が原始的不能であってもその契約は有効であるということでしょうか。(ただし,これについては,改正後民法412条の2第2項の文言に関して「原始的に不能な給付を目的とする契約の効力が常に無効であるとの立場に立つものではないということまでは明らかであるが,原則,無効・有効,どちらの立場に立つのか明確ではなく,非常にわかりにくいと言わざるをえない。」との批判がつとにあったところです(角紀代恵「債権法改正案について――原始的不能概念の廃棄を中心に」『経済法の現代的課題 舟田正之先生古稀祝賀』(有斐閣・2017年)131頁)。これに対して,筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)72頁は,同項に関して「契約に基づく債務が原始的不能の場合であっても,債務不履行に基づく損害賠償請求をすることは妨げられないとしている」ものであるとは述べてはいますが,債務が原始的不能であっても契約は原則として有効であるとまでは明言していません。)契約が有効ということになれば,お人よしの女性とその息子とが財布及びその中の金銭並びに馬の返還をハンスに請求するには,それぞれの準委任契約を解除しなければならなくなるのでしょうか。解除は,相手方に対する意思表示によってしなければならないところです(民法540条1項)。

無論,グリム童話の世界は,ドイツ民法の適用下ではあります。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電話:0368683194

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 

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1 大日本帝国憲法14条と31

 大日本帝国憲法141項は「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス」と,同条2項は「戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」と規定しています。これに対して,同憲法31条は「本章〔臣民権利義務の章〕ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」と規定しています。(なお,「戒厳」は,ドイツ語の「Belagerungszustand」,フランス語の「l’état de siège」に対応するものとされていますが,後2者は,直訳風には,「被包囲状態」ということですね。)

 美濃部達吉は,大日本帝国憲法31条に相当する規定として旧プロイセン憲法111条(「戦争又ハ内乱ニ際シ公共ノ安寧ニ対シ危害切迫スルトキハ時及場所ヲ限リ憲法第5条第6条第7条第27条第28条第29条第30条及第36条ノ効力ヲ停止スルコトヲ得。詳細ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」)を挙げつつ「併しプロイセン憲法の此の規定は即ち戒厳の宣告に付いての規定に外ならぬ。然るにわが憲法に於いては第14条に別に戒厳の事を定めて居るのであつて,若し本条〔第31条〕の規定を以てプロイセンの右の規定に相当するものと為さば,本条と第14条とは全く相重複したものとならねばならぬ。本条の規定が甚だ不明瞭な所以は此の点に在る。」と述べています(同『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)415頁)。大日本帝国憲法14条の戒厳の規定と同憲法31条の「非常大権」の規定との違いは何なのかが問題になっているわけです。(美濃部の大日本帝国憲法31条解釈については,「軍事機密『統帥参考』を読んでみる」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1000685083.html参照)

 

2 プロイセン憲法111条と関係条項

 なお,旧プロイセン憲法111条に掲げられた同憲法の諸条項は,次のとおり。

 

第5条 身体の自由(persönliche Freiheit)は,保障される。その制限,特に身柄拘束が許される条件及び方式については,法律で規定される。

第6条 住居は,不可侵である。そこへの立入り及び家宅捜索並びに信書及び書類の押収は,法律によって規定された場合及び方式においてのみ許される。

第7条 何人も,法律で定められた裁判官から阻隔されることはない(Niemand darf seinem gesetzlichen Richter entzogen werden.)。例外裁判所及び非常委員会は,認められない。

27条 各プロイセン人は,言葉,文章,印刷物又は図画的表現をもってその意見を自由に表明する権利を有する。

検閲は,導入され得ない。プレスの自由(Preßfreiheit)に係る全ての他の制限は,立法による。

28条 言葉,文章,印刷物又は図画的表現によって犯された違法行為は,一般の刑法に従って処罰される。

29条 全てのプロイセン人は,事前の官庁の許可を要さずに,平和的に,かつ,武器を携帯しないで,閉鎖された場所で(in geschlossenen Räumen)集会する権利を有する。

当該規定は,屋外での(unter freiem Himmel)集会には関係しない。屋外での集会は,事前の官庁の許可についても,法律の規定に服する。

30条 全てのプロイセン人は,刑法に反しない目的のために,結社する権利を有する。

法律によって,特に公安の維持のために,本条及び上記第29条において保障された権利の行使は規制される。

政治団体は,立法によって,制限及び一時的禁止に服せしめられ得る。

36条 兵力(bewaffnete Macht)は,国内の暴動の鎮圧及び法の執行のために,法律により定められた場合及び方式において,かつ,文官当局(Zivilbehörde)の要請に基づいてのみ使用されることができる。後者に関しては,法律は例外を定めるものとする。

 

3 プロイセン戒厳法とフリードリッヒ=ヴィルヘルム4世

 

(1)プロイセン戒厳法

 我が戒厳令(明治15年太政官布告第36号)はプロイセンの戒厳法(Gesetz über den Belagerungszustand vom 4. Juni 1851)の影響を受けたものでしょうが(ただし,日露戦争前の陸軍省内では「日本の戒厳令が1849年のフランス合囲法を参考に立案された」とされていたようです(大江志乃夫『戒厳令』(岩波新書・1978年)99頁参照)。),それでは当該プロイセン戒厳法はどのようなものであったのか。まずは,以下に訳出を試みます。インターネット上にあるwww.verfassungen.deのテキストが,底本です。

 

第1条 戦時において,敵に脅かされ又は既に一部占領された地方(Provinzen)においては,各要塞司令官は指揮下の要塞及びその周辺地帯(Ravonbezirke)を,ただし軍団司令官(der kommandirende General)は軍団管区又はその一部を,防衛の目的のために,戒厳状態にあると宣告する(in Belagerungszustand zu erklären)権限を有する。

第2条 暴動の場合(Fall eines Aufruhrs)においても,公安(die öffentliche Sicherheit)上急迫の危険があるときは,戒厳は,戦時又は平時を問わず宣告され得る。

戒厳宣告(Erklärung des Belagerungszustandes)は,そこで(alsdann)内閣(Staats-Ministerium)から発せられる。ただし,暫定的(provisorisch)かつ内閣による即時の確認(Bestätigung)又は撤回(Beseitigung)にかからしめられたものであり得る。急迫の場合においては,個別の場所及び地域に関して,該地における最高位軍事指揮官によって(durch den obersten Militairbefehlshaber in denselben),地方長官の要請に基づき(auf den Antrag des Verwaltungschefs des Regierungsbezirks),又は遅滞が危険をもたらすときは当該要請なしに,発せられ得る。

要塞においては,暫定的戒厳宣告は,要塞司令官から発せられる。

第3条 戒厳宣告は,太鼓の打鳴又は喇叭の吹鳴によって公示され,並びに更に地方自治体役場への連絡,公共の広場での掲示及び公衆向け新聞(öffentliche Blätter)によって遅滞なく周知される。戒厳の解止(Aufhebung)は,地方自治体役場への通知及び公衆向け新聞によって周知される。

第4条  戒厳宣告の公示(Bekanntmachung der Erklärung des Belagerungszustandes)に伴い,執行権は軍事指揮官に移譲される。文官当局及び地方自治体役場は,軍事指揮官の命令及び指示に従わなければならない。

その命令について,当該軍事指揮官は,個人的に責任を負う(persönlich verantwortlich)。

第5条  戒厳宣告に当たって憲法第5条,第6条,第7条,第27条,第28条,第29条,第30条及び第36条又はその一部の効力を時及び場所を限って停止することが必要であると認められた場合には,関係する規定が戒厳宣告の公示中に明示されるようにし,又は別の,同様の方法(第3条)で公示される命令において公布されるようにしなければならない。

上記の条項又はその一部の停止は,戒厳状態にあると宣告された地域及び戒厳期間中においてのみ効力を有する。

第6条 軍関係者には,戒厳期間中,戦時のための法令が適用される。この命令の第8条及び第9条も彼らに適用される。

第7条 戒厳状態にあると宣告された場所及び地域にあっては,部隊の指揮官(要塞においては,司令官)が部隊に所属する軍関係者全体に対して上級軍事裁判権(höhere Militairgerichtsbarkeit)を有する。

彼には,軍関係者に対する戦時法上の裁判(kriegsrechtlichen Erkenntnisse)を認可する(bestätigen)権利も帰属する。そこにおける例外は,平時における死刑判決のみである。これは,地方の軍司令官の認可(Bestätigung des kommandirenden Generals der Provinz)に服する。

下級裁判権の行使については,軍刑法典の規定のとおりである。

第8条 戒厳状態にあると宣告された場所又は地域において,故意による放火,故意による溢水の惹起,又は武装軍人若しくは文武の当局関係者に対する公然たる暴力による,及び武器若しくは危険な道具を用意しての攻撃若しくは反抗の罪を犯した者は,死刑に処する。

酌むべき情状がある場合は,死刑に代えて,10年以上20年以下の懲役に処することができる。

第9条 戒厳状態にあると宣告された場所及び地域において次に掲げる行為をした者は,既存の法律にそれより重い自由刑が規定されていない場合は,1年以下の軽懲役に処せられる。

a)敵又は叛徒の数,進軍方向又は勝利の風聞に関し,文武の当局をしてその措置において過誤を生ぜしめるおそれのある虚偽の風評を故意に拡散し,又は広めること。

b)戒厳宣告に当たって又はその期間中において軍事指揮官が公安のために発した禁制に違反し,又は当該違反をすることを求め,若しくはそそのかすこと。

c)暴動,反抗的行為,囚人の解放の犯罪又はその他第8条に規定された犯罪を行うよう,たとい成功しなくとも,求め,又はそそのかすこと。

d)軍人身分の者に対して,不服従の罪を犯し,又は軍の規律及び秩序に違反するよう誘うことを試みること。

10条 憲法第7条の停止下で軍法会議の管轄が生ずるときは(Wird...zur Anordnung von Kriegsgerichten geschritten),叛逆(Hochverrat),外敵通謀(Landesverrat),謀殺,暴動,反抗行為,鉄道及び電信の破壊,囚人の解放,集団反抗(Meuterei),強盗,略奪,恐喝,兵士の裏切りへ向けた誘惑の犯罪並びに第8条及び第9条において刑罰の定められた犯罪及び違反行為に係る予審(Untersuchung)及び審判(Aburtheilung)は,これらの犯罪及び違反行為が戒厳宣告及び戒厳の公示の後に着手され,又は続行された犯罪である限り,軍法会議が行う。

全王国に統一刑法典が施行されるまでは,ケルンのライン控訴裁判所管区においては,内外に係る国家の安全に対する犯罪及び違反行為(ライン刑法典第75条から第108条まで)は,叛逆及び外敵通謀とみなされる。

憲法第7条の停止が内閣から宣告されない場合は,平時においては,軍法会議によって開始された予審に係る判決の執行は,当該憲法条項の停止が内閣によって承認される(genehmigt ist)まで延期される。

11条 軍法会議は5名の裁判官によって構成される。そのうち2名は該地の司法裁判所の幹部によって指名された司法文官,3名は該地における指揮権を有する軍事指揮官によって任命される士官でなければならない。士官は,大尉以上の階級でなければならない。当該階級の士官が不足するときは,欠員は次位の階級の士官をもって補充される。

敵に包囲されている要塞において必用な数の司法文官がいないときは,責任ある軍事指揮官によって(von dem kommandirenden Militairbefehlshaber),市町村会の議員から(aus den Mitgliedern der Gemeindevertretung)補充される。要塞に司法文官がいない場合でも,軍法会議には一人の文民法務官がいるものとする(Ist kein richterlicher Civilbeamte in der Festung vorhanden, so ist stets ein Auditeur Civilmitglied des Kriegsgerichts)。

一地方全部又はその一部が戒厳状態にあると宣告された場合,軍法会議の数は,必要によって定められる。このような場合において,各軍法会議の管轄区域は,軍団司令官(der kommandirende General)が定める。

12条 軍法会議の期日において,裁判長は司法官(ein richterlicher Beamter)が務める。

裁判長は,軍法会議が事務(seine Geschäfte)を開始する前に,当該軍法会議の裁判官となった士官及び場合によっては司法官ではないにもかかわらず裁判官となった文民に対して,委嘱された司法官としての義務を良心と不偏不党性をもって,法に従って果たす旨宣誓させる。

士官である軍法会議裁判官を任命した軍事指揮官は,一人の法務官(Auditeur)又は法務官がいない場合は一人の士官を報告官(Berichterstatter)〔検察官〕として委嘱する。報告官は,法の適用及び運用に注意し,申立てを通じて真実を捜査することを求める義務を有する。報告官は,評決に加わらない。

手続事項の処理(Führung des Protokolls)のため,軍法会議裁判長によって指名され,同人によって宣誓させられる文官行政官(Beamter der Civilverwaltung)が,裁判所書記官(Gerichtsschreiber)として召致される。

13条 軍法会議における手続には,次の規定が適用される。

1 手続は口頭かつ公開である。ただし,公共の福祉の見地から適当と認めるときは,軍法会議は,公表される決定をもって,公開性を排除することができる。

2 被告人は,一人の弁護人によって弁護されることができる。一般刑法によれば(nach dem allgemeinen Strafrecht)1年以下の軽懲役より重い刑を科される犯罪又は違反行為の場合において,被告人が弁護人を選任しないときは,軍法会議裁判長は,職権で弁護人を付さなければならない。

3 報告官は,被告人出席の下,同人の責めに帰せられる事実を陳述する。

被告人は,当該事実についての意見陳述を求められ,続いて,他の証拠の申出を行う。

次に,報告官に対して尋問の結果及び法の適用に関する陳述が,最後に,被告人及び弁護人に対して意見陳述が認められる。

判決は,即時かつ非公開である軍法会議の評議において多数決で決せられ,直ちに被告人に宣告される。

4 軍法会議は,法定の刑を科し,若しくは無罪を宣告し,又は通常裁判官への(an den ordentlichen Richter)移送を命ずる。

無罪を宣告された者は,直ちに勾留から釈放される。通常裁判官への移送は,軍法会議が管轄を有しないものと認めた場合に行われる。この場合において,軍法会議は,勾留の継続又は終了について,判決において同時に別途定めをする。

5 判決書には,公判の日付,裁判官の氏名,被告人に対する公訴事実に対する同人の弁明の要旨,証拠調べに係る言及並びに事実問題及び法律問題に係る判断並びに当該判決が基づいた法令が記載されなければならず,全ての裁判官及び裁判所書記官によって署名されなければならない。

6 軍法会議の判決に対する上訴は,認められない。ただし,死刑に処する裁判は,第7条に規定する軍事指揮官の認可に服し,平時であれば地方の軍司令官の認可に服する。

7 死刑を除く全ての刑は裁判の宣告の後24時間以内に,死刑はそれに続く認可の公示から同期間内に,被宣告者に対して執行される。

8 死刑は,銃殺によって執行される。死刑に処する裁判が戒厳の解止の時になお執行されていなかった場合においては,その刑は,証明済みのものとして軍法会議によって認められた事実に対する戒厳を除外した場合の法的帰結たるべき刑に,通常裁判所によって(von den ordentlichen Gerichten)変更される。

14条 軍法会議の活動は,戒厳の終結(Beendigung)に伴い終了する。

15条 戒厳の解止後は,関連事項(Belagstücken)及びそれに属する審理(dazu gehörenden Verhandlungen)を含む軍法会議のした全ての判決並びに進行中の予審は,通常裁判所に移管される。通常裁判所は,軍法会議がなお審判していない事項については通常刑法に従い(nach den ordentlichen Strafgesetzen),及び第9条の場合に限り同条において規定された罰則に従って,裁判しなければならない。

16条 戒厳が宣告されていない場合であっても,戦争又は暴動の場合において公安に対する急迫の危険があるときは,憲法第5条,第6条,第27条,第28条,第29条,第30条及び第36条又はその一部は,内閣によって,期間及び場所を定めて,効力を停止されることができる。

17条 戒厳宣告並びにそれに伴う(第5条),又は第16条の場合に行われる,第5条及び第16条に掲げられた憲法の条項の停止(一部の停止を含む。)の宣告については,直ちに,それぞれ次の召集の際に両議院に(den Kammern)報告されなければならない。

18条 この法律と抵触するすべての規定は,廃止される。

この法律は,1849年5月10日の命令及び1849年7月4日の宣言(法律全書165頁及び250頁)に代わるものである。

 

     フリードリッヒ=ヴィルヘルム

     〔以下大臣の署名は略〕

 

 背景事情もよく知らないまま辞書だけを頼りに訳すのは,いささか大きな困難を伴いましたRavonbezirke」及び「Belagstücken」が特に難物で,手元のドイツ語辞書を引いても出てこないので,それぞれの訳は推測によるものです。他日の補正を期せざるを得ません。

 ただし,少なくとも訳してみて分かったのは,プロイセン王国の場合,戒厳宣告を発する主体として法文上,内閣(Staats-Ministerium)や軍の司令官は出てきますが,国王(König)は出てこないことです。

 

(2)フリードリッヒ=ヴィルヘルム4世

 なお,1851年6月4日のプロイセン戒厳法に署名したフリードリッヒ=ヴィルヘルムは,第4世(在位1840年‐1861年)でした。「父王〔フリードリッヒ=ヴィルヘルム3世〕は外交でも内政でも,自由主義と反動主義のあいだをさまよい,軍人気質が強かったが,新しい王は美貌の母ルイゼをしのばせる,ととのった顔つきをし,芸術や学問のディレッタントで,どこか文化のにおいをただよわせていた。国民は,プロイセンにも明るい時代がおとずれることを期待した。」とは,即位時のフリードリッヒ=ヴィルヘルム4世に関する描写です(井上幸治『世界の歴史12 ブルジョワの世紀』(中央公論社・1961年)283頁)。(父王フリードリッヒ=ヴィルヘルム3世とその王妃ルイゼとは,ナポレオン相手の戦いに苦労しています。)ワイマルの老ゲーテも1828年3月11日の段階において当時のプロイセン皇太子フリードリッヒ=ヴィルヘルムを高く評価していました。いわく,「私は今プロイセンの皇太子に,大きな期待を寄せている。私が彼について見聞したことのすべてから推測すると,彼は,そうとうな傑物だよ。また役に立つ才能豊かな人材をみとめて登用するということは,傑物にしてはじめてできることだ。なぜなら,何といっても類は友を呼び,自分自身偉大な才能をそなえている君主だけが,またその臣下や従僕の偉大な才能をそれ相応に認め,評価できるにちがいないからだ。『人材に道をひらけ!』とは,ナポレオンの有名な金言であった・・・」(山下肇訳『ゲーテとの対話』(岩波文庫・2012年))。ところが,フランス二月革命の1848年になると「フリードリヒ=ウィルヘルム4世は,即位以来,しだいに絶対君主になろうとしていた。興奮と銷沈をくりかえす安定性のない性格の持主で,西欧デモクラシーと対決する決意ばかりはかたかった。」というような人物になっていました(井上383頁)。同年3月18日のベルリンでの騒乱に際しては,王宮の窓からその様子を見つつ「「人民の暴力と違法には耳をかさない」と強気なことをいっていた」そうです(井上384頁)。その翌年になると,「〔1849年4月3日,フリードリヒ=ウィルヘルムは,帝冠と憲法をささげるフランクフルト議会の代表をポツダム宮殿に引見した。しかし王は,他の諸王侯の同意のあるまではこれをうけるわけにはいかない,と拒絶した。人民集会の手から,「恥辱の帝冠」をうけることはできないという意味だった。フリードリヒ=ウィルヘルムは,そこで,この憲法を支持した下院を解散し,フランクフルト議会の派遣議員に解任を申しわたした」ところです(井上397398頁)。「恥辱の帝冠」とはSchweinekrone(豚の冠)の訳のようですフリードリッヒ=ヴィルヘルム4世は子の無いまま歿し,プロイセン王位は,弟である後の初代ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルムが継ぎます。
 なお,フリードリッヒ=ヴィルヘルム4世の人材鑑識眼に関する逸話として,同王は1848年の「三月革命のとき,ある書類のビスマルクの名の余白に,「銃剣が無制限の支配をおこなうときにのみ採用すべき人物」と書きつけたといわれ,彼は王の意中の人物であった。」とされています(井上459頁)。 

 

4 フランス1878年戒厳法の場合

 大日本帝国憲法起草期に施行されていたフランスの1878年4月3日の戒厳(l’état de siège)に関する法律においては,戒厳の宣告(déclaration)は法律によってされることが本則とされていました(同法1条2項)。ただし,両議院が会期外にあるときには,共和国大統領が,内閣の意見に基づいて,臨時に戒厳を宣告することができました(同法2条,3条。戒厳の継続又は解止は,両議院の判断に服しました(同法5条)。)。アルジェリアにおいては,通信が途絶した場合には,総督が,アルジェリアの全部又は一部が戒厳下にあることを宣告できました。他のフランス植民地においては,総督が戒厳宣告を行い,本国政府に直ちに報告すべきものとされていました(同法6条によって維持された1849年8月9日の戒厳に係る法律4条)。国境又は国内の要塞(places de guerre)又は軍事基地(postes militaires)においては,1791年7月10日の法律及び18111224日のデクレによって規定された場合には,軍事司令官が戒厳宣告をすることができ,当該司令官は政府に直ちに報告すべきものとされていました(1878年4月3日の法律6条によって維持された1849年8月9日の法律5条)。

 

5 大日本帝国憲法14

 以上,プロイセン及びフランスとの比較で見てみると,大日本帝国憲法14条1項には,戒厳の宣告についてフランス第三共和国流に議会が中心的な役割を果たすことを排除する一方,戒厳の宣告をプロイセン式に軍の司令官や内閣に任せるものとすることもせずに天皇自らが掌理するものとする,という意味があったもののように思われます。

 確かに,国立国会図書館ウェッブ・サイトにある「大日本帝国憲法(浄写三月案)」(1888年3月)記載の第14条の解説を見ると,「(附記)之ヲ欧洲各国ニ参照スルニ戒厳宣告ノ権ヲ以テ或ハ専ラ之ヲ議会ニ帰スルアリ  或ハ之ヲ内閣ニ委ヌルアリ 1881年法 独リ独逸帝国ノ憲法ニ於テ之ヲ皇帝ニ属シタルハ尤立憲ノ精義ヲ得ル者ナリ」とあって,大日本帝国憲法14条の主眼としては,戒厳宣告権を天皇に属するものとしたということがあるようです。

 ただし,大日本帝国憲法における天皇の戒厳宣告の大権については,「特に憲法又は法律に依り之を帷幄の大権に任ずることが明示されて居らぬ限りは,国務上の大権の作用として,言ひ換ふれば内閣の責任に属する行為として行はるのが,当然である。枢密院官制〔6条7号〕に依り戒厳の宣告が枢密院の諮詢を経べき事項として定められて居るのを見ても,わが国法が之を国務上の大権の行為として認めて居ることを知ることが出来る。」ということになっていました(美濃部282頁)。すなわち,天皇の独裁というわけではありません。公式令(明治40年勅令第6号)制定前の日清・日露戦争時の戒厳の宣告は,勅令の形式でされ,陸軍大臣のみならず内閣総理大臣も副署しています(美濃部283頁)。
 ちなみに,1882年に元老院の審査に付された戒厳令案においては,第3条に基づき戒厳の「布告」をする者は太政大臣であるものと記されていました(大江55頁参照)。しかしながら,元老院での審議を経て当該「太政大臣」の文字は削られ,制定された戒厳令では同令3条の「布告」の主体は明示されなくなりましたが,これは,「布告とは布告式にもとづいて勅旨を奉じ太政大臣が布告することに定められた制定公布の手続をへたものに限られ」たからだそうです(大江60頁)。「勅旨を奉」ずるわけですから,天皇の意思に基づくものであるわけです。 

 1887年8月完成同年10月修正の大日本帝国憲法の「夏島憲法案」の画像を見ますと,後の大日本帝国憲法14条については,当初は同条1項の規定に相当するものしかなかったところが,後から同条2項の前身規定(「戒厳ノ要件ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」)が別の筆跡で追記されています。同年4月30日成立のロエスレル草案76条2項「天皇ハ戒厳ヲ宣告スルノ権ヲ有ス其結果ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム(Er der Kaiser hat das Recht, den Belagerungszustand zu erklären; die Folgen desselben warden durch Gesetz bestimmt.)」(小嶋和司「ロエスレル「日本帝國憲法草案」について」『明治典憲体制の成立』(木鐸社・1988年)3031頁)の方向に戻ったとも評し得るでしょうか(ただし,「要件」と「効果」(Folgen)とはなお違いますが。)。大日本帝国憲法14条の第2項追加の趣旨は,1888年6月22日午後の枢密院会議において伊藤博文議長から明らかにされています。「外敵内乱其他非常〔「アジア歴史資料センター」のクレジットに隠れて1字見えず〕事変ニ遭遇シタルトキニハ戒厳ノ要件ハ其時機ニ応シテ定ムルモノニシテ予メ法律ヲ以テ之ヲ定メ置クコト頗ル困難ナラントス」云々という森有礼文部大臣の第14条2項削去論に対する回答です。

 

 ・・・抑戒厳令ハ平時ニ之ヲ施行スルモノニアラサレトモ予メ議会ノ議ヲ経タ法律ト為スヘキモノナリ何トナレハ戒厳ヲ宣告スレハ其地方ニ於テハ民権ヲ検束シ人民ノ自由権ヲ禁制スルモノナレハナリ但之ヲ実施スルヤ否ニ至テハ天皇陛下ノ権限ニシテ議会ノ議ヲ経ルニ及ハサルモノナリ

 

ただし,大日本帝国憲法第14条2項に「及効果」が入ったのは,1889年1月16日の枢密院会議の段階でした。大きな変更であるはずですが,その際に議論はありませんでした。なお,法令の形式をそれにより定めた公文式(明治19年勅令第1号)の施行後,戒厳令は,法律ではなく勅令の扱いであったところですが(戒厳令の改正が,法律ではなく,明治19年勅令第74号でされている。),大日本帝国憲法の発布に伴い法律レベル(勅令と異なり, 民選議院を含む帝国議会の協賛を要する。)に昇格したことになります。

 

6 戒厳令と大日本帝国憲法31

大日本憲法14条と31条との関係については,1888年6月27日午後の枢密院会議で,井上毅枢密院書記官長が「本条〔大日本帝国憲法31条〕ハ即チ明治15年発布ノ戒厳令ニ関係アルモノニシテ事変(○○)ノ文字ハ仏語ノニテ「インサルレクシヨン」ト云フ」と述べています。同じ会議で井上はまた,山田顕義司法大臣の大日本帝国憲法31条の「事変(○○)ノ文字ハ意味甚ク漠然タリ日本ノ戒厳令ヨリ転シテ来ルモノナルヤ若シ法律ノ明文ニ此文字ナケレハ本官ハ事変(○○)ノ文字ヲ内乱(○○)ト修正センコトヲ望ム」との発言に対して,「戒厳令第1条ニ「戦時若クハ事変(○○)ニ際シ」云々トアリ是レ即チ法律ノ明文ナリ」と答えています。大日本帝国憲法31条と14条(戒厳令)とは相互に関係あるものとあっさり認めていながら,美濃部達吉のように,両条が「相重複」して第31条の規定が「甚だ不明瞭」になっているとは考えていなかったようです。ただし,前記の1889年1月の修正によって戒厳の効果も法律によって定められることとなる前の段階における議論ではあります(すなわち,戒厳宣告の場合,臣民の権利は法律に基づかずとも制限され得るものとすると構想されていた段階での議論です。)。ちなみに,以上のような枢密院での議論は,美濃部は詳しくは知らなかったようです。1927年の段階で美濃部は,大日本帝国憲法案を審議した「枢密院に於ける議事録も今日まで秘密の中に匿されて居つて,吾々は全く之を知ることの便宜を得ないのは遺憾である。」と述べています(美濃部15頁)。

なお,「事変」に係る大日本帝国憲法31条の用語は,1889年1月29日午後の枢密院会議で,やはり「内乱」に一度改められています。伊藤博文の説明は,「単ニ事変トノミニテハ其区域分明ナラス故ニ内乱ト改ム戦時ハ主トシテ外国ニ対シテ云フ」とのことだったのですが,山田顕義はどう思ったことやら。しかしながら,「内乱」の文字はやはり「穏当ナラサル」ものだったようで,同月31日の枢密院会議の最後になって「国家事変」に最終的に改められています。榎本武揚逓信大臣が「事変」でよいではないかと発言したところ,伊藤枢密院議長の回答は「唯事変ノミニテハ瑣細ノ事変モ含蓄スルノ嫌ヒアリ故ニ国家事変トシタルナリ」ということでした。

大日本帝国憲法31条が戒厳に関係のあることが当然とされていたところで,森有礼の大日本帝国憲法14条2項(戒厳宣告要件法定条項)削去論があえて排斥され,実は1889年1月16日の段階に至ってから戒厳宣告の効果について法律で定める旨枢密院で明文化されているのですから,「本条〔大日本帝国憲法31条〕の規定の結果としては,戒厳の宣告せられた場合の外に,尚大本営の命令に依つても一般人民に対し軍事上必要なる命令を為し得るものと解せねばならぬ」もの(美濃部417418頁)であったと直ちに論断すべきものかどうか。「本条〔大日本帝国憲法31条〕の規定を以て戒厳の場合のみを意味するものと解するならば,本条は第14条と全然相重複し無意味の規定とならねばならぬ。」として(美濃部417頁),わざわざ統帥権の独立を前提とした議論(「本条〔大日本帝国憲法31条〕の大権は政務に関する天皇の大権に属するものではなく,陸海軍の大元帥としての天皇の大権に属するものである」(同416頁)。)までをすべきだったものかどうか。考えさせられるところです。あるいは,1889年1月16日にされた第14条2項の修正がもたらす第31条への跳ね返りを,当時の枢密顧問官らは後の枢密顧問官美濃部達吉ほど鋭く見通してはいなかったということはないでしょうか。(なお,国立国会図書館デジタルコレクションにある伊東巳代治関係文書の「憲法説明 説明(第二)」(1888年1月・同年2月条文修正)における大日本帝国憲法31条に対応する第35条(「本章ニ掲クル条規ハ戦時又ハ事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルヿナシ」)の朱書解説は,あっさりと,「本条ハ即チ・・・非常処分ノ変例ヲ掲ケ以テ本章ノ為ニ非常ノ変ヲ疏通スル者ナリ此ノ非常処分ヲ行フニ一個ノ方法アリ第一戒厳令ヲ宣告ス第二戒厳ノ一部ヲ行フコト是ナリ」と述べています。大日本帝国憲法の「第14条と第31条は完全な重複規定であり,第31条が第14条とは別個の非常大権を規定したものとは考えがたい。」という評価(大江77頁)は,「完全な重複」という表現において強過ぎますが,確かに,第31条が「別個の非常大権を規定したものとは考えがたい」ということでもよかったのではないでしょうか。) 

 

7 ドイツ帝国憲法68

なお,「大日本帝国憲法(浄写三月案)」によれば大日本帝国憲法14条1項の規定が参考としたのは1871年のドイツ帝国憲法ですが,当該憲法における戒厳に関する規定について,美濃部達吉は次のように紹介しています。

 

・・・旧ドイツ帝国憲法(68条)に依れば,皇帝が戒厳宣告の権を有するものとせられて居り,而も,それは第9章の「帝国軍隊」と題する章に規定せられて居り,且つドイツ帝国の前身である北ドイツ聯邦の憲法には,戒厳の宣告は元首(Reichspräsidium)の大権でなくして,大元帥(Bundesfeldherr)の大権であることが明示せられて居つた為に,旧ドイツ憲法に於いてもそれは大元帥としての皇帝の軍令大権に属するものと解せられ,随つてその宣告には国務大臣の副署を要しないものとせられて居た。(美濃部283頁)

 

  1871年ドイツ帝国憲法68条は,「皇帝は,連邦の領域において公安(die öffentliche Sicherheit)が脅かされているときは,当該地域について,戦争状態にあるもの(in Kriegszustand)と宣告できる。そのような宣告の要件,公布の方式及び効果について規定する帝国法律が発せられるまでは,1851年6月4日のプロイセン法(法律全書1851451頁以下)の規定が適用される。」と定めていました。1851年6月4日のプロイセン法とは,プロイセン戒厳法のことです。独立統帥権を有する大元帥が宣告する戒厳であっても,その要件及び効果は,法律で縛られていたのでした。(なお,我が国における戒厳の宣告の方式については,法律ではなく勅令である公式令で定められており,その第1条によって,詔書によるべきものでありましたが(美濃部283284頁参照),公式令施行後は本来の戒厳の宣告はされていません。日比谷焼打ち事件,関東大震災及び二・二六事件の際の「戒厳」は,戒厳令それ自体による本来の戒厳ではありませんでした(行政戒厳)。)。
 ところで,注意すべきは,ドイツ帝国は諸王国・自由都市から構成される連邦国家であったことです。プロイセン国王たる皇帝は,帝国内の他の王国・自由都市については,大元帥ではあっても,軍事その他の帝国管轄事項以外の分野では第一次的統治権者ではなかったはずです。天皇による戒厳の宣告及び戒厳宣告の効果の法定主義を規定するロエスレル草案76条は,「第1章 天皇(Vom Kaiser)」にではなく,「第6章 行政(Von der Verwaltung)」に置かれていたところです(なお,ロエスレル草案でも統帥関係の「第9条 天皇ハ陸海軍ノ最高命令ヲナシ平時戦時ニ於ケル兵員ヲ定メ及兵ニ関スル凡テノ指揮命令ヲナス」及び「第10条 天皇ハ宣戦講和ノ権ヲ有シ戦権ヲ施行スル為必要ナル勅令ヲ発ス」といった規定はやはり,「行政」の章ではなく,「天皇」の章にありました(小嶋12‐13頁)。)。ロエスレルらドイツの法学者も,戒厳の宣告は本来国務であって,ドイツ皇帝の大元帥としての戒厳宣告は,ドイツ帝国が連邦国家であるという事情ゆえのものとしていたと考えられるように思われます。

 
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1 責任と「責任」

責任というのは,難しい言葉です。

 

(1)日本語

 国語辞書的には,責任は,「人や団体が,なすべき務めとして,みずから引き受けなければならないもの。「それは彼の――だ」「――を取る」「――を果たす」」とされています(『岩波国語辞典 第四版』(1986年))。

 「なすべき務め」というから,責任は作為義務(なす債務)ということですね。その内容は,善良な管理者の注意義務で決まる(民法644条)ということになるようです。

 

(2)民法

 しかし,民法を勉強していると,違う「責任」が出てきて,頭を大いにひねることになります。

 

  執行力のうち,特に金銭債権について,債務者の一般財産への強制執行(差押え・換価)により債権の内容を実現する効力を摑取力(かくしゅりょく)といい,この摑取力に服することを,債務者の責任という。これに対して,債権の内容をそのままの形で強制的に実現する効力のことを貫徹力ということがある。(内田貴『民法Ⅲ債権総論・担保物件[第2版]』(東京大学出版会・2004年)111頁)

 

「○○力」が出てくると,自己啓発本みたいですね。

しかし,「債務者に責任があるのは当たり前だろう。」と普通に考えて(確かに,日本語では前記のとおり,責任=債務です。),この辺を気楽に読むと,少し先の頭の体操で難儀することになります。

 

 ・・・執行力のない債権はあるだろうか。/たとえば,執行しないとの特約をした債権はこれにあたる。判決はもらえる(したがって自然債務ではない)が,執行はできない。特に,金銭債権の場合,執行できないということは,債務者の一般財産が債務の引当になること(つまり責任)がない,ということを意味する。このため,責任なき債務と呼ばれる。(内田113頁)

 

「貧乏で財産がないから差し押さえるべき財産も無いということか。それで執行しないことにしてもらったのか。つまり,貧乏なくせに借金するのは無責任なやつということかな。」というわけではありません。「責任」なき債務の場合,債務者がどんなにお金持ちであっても債権者は債務者の財産に手をつけることができず,かつ,そのことは債務者の人格の道徳的評価とは無関係です。債務者の性格が無責任なのではなくて,債務に「責任」が伴っていないだけです。したがって,「責任」のない債務は,善意の第三者に債権譲渡されてもなおその「責任」のない性質を持続するものとされています(我妻榮『新訂債権総論』(岩波書店・1964年)74頁)。

 

  これに対して,責任だけがあって債務がない場合もある。たとえば,友人が借金するというので自分の土地を担保に提供し,抵当権を設定した場合である。このような人のことを物上保証人という。債務は負っていないが,友人が弁済しなければその土地が債務の引当になるという意味で責任のみを負っている。(内田113頁)

 

「なるほど。金を返さなきゃならないのは債務者で,物上保証人は抵当権設定のための書面に,債務者に頼まれてはんこを押しただけだからね。つまり,保証人は,自分が金を返すという債務を債権者に対して負わないってことだね。」とまとめると,間違いということになってしまうのが法律の困ったところです。物上保証人は債権者に対して債務者ではないのですが,「物上」のつかない保証人(「連帯」保証人を含む。)は,債権者に対して保証債務を負う債務者です。保証契約は,保証人と債務者との間の契約ではなくて,保証人と債権者との間の契約です。

 

(3)ゲルマン法とSchuld und Haftung

債務と「責任」とを分けて論ずる煩瑣な思考は,ゲルマン法由来であるそうです。

 

 一定の財産が債務の「引き当て」(担保)となっていること,いいかえれば,債務が履行されない場合にその債権の満足をえさせるために一定の財産が担保となっていることを「責任」(Haftung)という。債務(Schuld)は一定の給付をなすべしという法律的当為(rechtliches Sollen)を本質とするのに対し,責任はこの当為を強制的に実現する手段に当る。元来かような意味での債務と責任とを区別することは,ゲルマン法において顕著であったといわれている。そこでは,債務自体としては,常に法律的当為だけを内容とし,この当為を実行しない者が債権者の摑取力(Zugriffsmacht)に服すること,すなわち責任は,債務とは別個の観念とされた。殊に最初は,契約その他の事由によって債務を生じても,責任はこれに伴わず,責任は別に責任の発生自体を目的とする契約その他の原因によって始めて生じたものであり,またその責任も人格的責任(人格自体が債権者の摑取力に服する)と財産的責任とに大別され,それぞれ更に種々に区別されていた。・・・(我妻72頁)

 

 つまり,責任感あふるる債務者だから「責任」はいらない,ということになるわけです。すなわち,「おれが責任をもって金を返すって言ってるんだから,おれに「責任」まで負わせる必要はないだろう。」「そうだね,きみは責任を果たすから「責任」設定契約まではいらないね。」というような具合です。責任と「責任」とは食い合わせが悪いようです。

 なお,前記の人格的責任は,「ごめんなさい」と道徳的に謝罪をする責任のことではなく,「債奴,民事拘束」(我妻73頁)のように身体が抑えられ,いわばからだで償うことです。

 

2 「責任」のアヤ(und Verantwortung

 ところで,Schuld(債務,罪)とHaftung(「責任」)とは,ゲルマン人の後裔による次のドイツ文では意識的に使い分けられていたのでしょうか。

 

  Wir alle, ob schuldig oder nicht, ob alt oder jung, müssen die Vergangenheit annehmen. Wir alle sind von ihren Folgen betroffen und für sie in Haftung genommen.

 (我々は皆,罪があってもなくても,老いていても若くても,過去を受け入れなければなりません。我々皆に,その帰結はかかわるものであり,かつ,「責任」が及んでいるのです。)

 

 1985年5月8日にされたドイツ連邦共和国のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領によるドイツ終戦40周年記念日演説(我が国では「荒れ野の40年」演説として知られています。)の一節です。ヴァイツゼッカーは,東部戦線からの復員後,法律を勉強していました。(また,自分の父エルンスト(第三帝国の外交官)の戦争犯罪に係る裁判で弁護のために働いています。)

過去をannehmenするのを「引き受ける」と訳すると,債務引受けが連想されそうなので,別の訳語を採用してみました。「責任」は,能動態で引き受けるものとはされておらず,受動態で及んでいるものとされています。民法の用法ですと,SchuldはないけどHaftungだけ及んでいるということになるようです。„Wir alle, ob schuldig oder nicht, sind in Haftung genommen,“であれば,そういうことでよいのでしょうね。なお, ドイツ大統領官邸ウェッブサイトの英訳版では, 「責任」にliableの語が当てられています。

 前回のブログ記事(「「七十年」と「四十年」」)で,「我々のもとでは,政治責任の分野に,新たな世代が成長してきました。若者は,かつて起こったことには責任を負いません。しかしながら,彼らは,そこから歴史において生ずることに対して責任を負うのです。」とあっさり訳したヴァイツゼッカー演説の部分における「責任」(Verantwortung, verantwortlich)も,日本語の責任とはちょっと違うようです。名詞のVerantwortungには「申し開き,弁明」という意味もあり,動詞のverantwortenには「責任を負う」と共に「申し開きをする」という意味があります。英語のaccountabilityに対する従来の訳語である「説明責任」に該当するものでしょう(ただし, ドイツ大統領官邸ウェッブサイトの英訳版ではresponsibleの語が当てられています。)。すなわち,ドイツの若者は,そこ〔かつて起こったこと〕から(daraus)歴史において生ずる(wird。現在形)ことに対しては「説明責任」を負う(申し開きができるようにする)必要がある,ということのようです。

 責任又は「責任」を論ずるには,やはり,「言葉のアヤ」等「文学方面」をもよく研究しなければならないということを,ドイツ連邦共和国の貴族的(名前にvon付き)国家元首は示しているように思います。

 

 我が国では昭和天皇がその1月に崩御した1989年の11月,東西ドイツを分断するベルリンの壁が落ちた直後,ヴァイツゼッカー大統領は同市のポツダム広場を訪れました。あたかも東側のドイツ民主共和国の兵士たちが東西間の通路を啓開しつつありました。一士官が西側のドイツ連邦共和国大統領に気付きます。同士官は気を付けの姿勢をとり,報告します。

 

 「異常なしであります。大統領閣下。」

 

 リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは,今年(2015年)1月31日,94歳で歿しました。(Obituary, The Economist. February 14, 2015


(附記)ちなみに,ナチス・ドイツ滅亡直後の1945年5月29日に米国の首都ワシントンで行われたトーマス・マンの「ドイツとドイツ人」講演のドイツ語原稿においては,ドイツ人として生まれた者の「ドイツの運命及びドイツの責任」とのかかわりに関して,Man hat zu tun mit dem deutschen Schicksal und deutscher Schuld, wenn man als Deutscher geboren ist.という表現が見られます。Schuldであって,Haftungではありません。


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1 戦後70

 今年(2015年)は,先の大戦が終わってから70周年ということで,「節目」の年ということになっています。

 

  なお,先の大戦の終結の日には諸説があり得ます。

終戦の詔書は1945年8月14日付けで作成され,同日付けの官報号外で公布されています。中立国経由の連合国に対するポツダム宣言受諾の通知もこの日にされています。

他方,1945年9月2日には,重光葵及び梅津美治郎がポツダム宣言の条項を「日本国天皇,日本国政府及び日本帝国大本営ノ命ニ依リ且ツ之ニ代リ受諾」し,並びに「日本帝国大本営並ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ聯合国ニ対スル無条件降伏ヲ布告」し,及び「日本帝国大本営ガ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ指揮官ニ対シ自身及其ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ガ無条件ニ降伏スベキ旨ノ命令ヲ直ニ発スルコトヲ命」ずる「降伏文書」が東京湾上において署名され,かつ,聯合国最高司令官及び各聯合国代表者によって受諾されました。

1945年8月15日は,正午に社団法人日本放送協会によって前記終戦の詔書(・・・「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇4国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ・・・」)の玉音放送がされた日です。

 

 2015年2月25日に内閣総理大臣官邸4階の大会議室で開催された20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(21世紀構想懇談会。「戦後70年談話」にかかわるものだそうです。)の第1回会合において,同懇談会座長の西室泰三日本郵政株式会社取締役兼代表執行役社長は「戦後70周年という節目の年に,大変重要な任務を果たす懇談会の座長にご指名いただき,非常に光栄であると同時に,身が引き締まる思いである」と挨拶したそうですが(内閣総理大臣官邸のウェッブサイトにある議事要旨),そこでは「70周年」が他の「○十周年」と異なる特段の「節目」である理由までは明らかにされていません。そこで,当該会合の冒頭でされた安倍晋三内閣総理大臣の挨拶(内閣総理大臣官邸ウェッブサイト)を見てみるのですが,「今年は,戦後70年目に当たる年であります。戦後産まれた赤ちゃんが,70歳を迎えることになります。」ということを超えた「70年目」の特別な意味についての言及はありません。初めはどんなに可愛い赤ちゃんでも,死なずに生きていれば,だれでもいつかは70歳の老爺老婆になるのは当たり前のことであって,1945年生れの赤ん坊についても変わりはありません。「未来の土台は過去と断絶したものではあり得ません。今申し上げたような先の大戦への反省,戦後70年の平和国家としての歩み,そしてその上に,これからの80年,90年,100年があります。」ということで,「70年」は,安倍内閣総理大臣によって80年,90年及び100年と単純に並べられていますから,むしろ,数ある十年区切りの中の単なる一つとしての「70年目」ということであるようです。さらにいえば, 20世紀を振り返り21世紀を構想する時期としてならば, 21世紀もなお浅かった戦後60年目の2005年の方がよかったようにも思われます。

 

2 「四十年」

 

(1)ドイツの戦後40

 政治家としては,自分の任期中にたまたま何かの「○十周年」があれば,これは幸いとその機会を活用して名を上げたいというのが普通かつ健康な反応でしょうが,それをそのまま言ってしまうと芸がないところです。この点,外国の政治家などはうまい。リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard von Weizsäcker)は1984年にドイツ連邦共和国の大統領に就任しましたが,たまたまその翌年の1985年の5月8日は,ヨーロッパにおける第二次世界大戦の終戦40周年記念日に当たりました。当日,ボンの連邦議会の演壇においてヴァイツゼッカーは,その記念演説を歴史に刻みつけるべく,40周年が25周年又は30周年とは異なった特別の意味のある節目であるゆえんを,ユダヤ教及びキリスト教の聖典を引きつつ解き明かします。

 

  多くの若い人たちが,この数箇月,自ら,そして私たちに問いかけました。なぜ,終戦後40年たって,過去についてのこんなにも活発な議論が起こったのであろうかと。なぜ,25年又は30年のときよりも,より活発なのであろうか?その内的必然性は,どこにあるのであろうか?

  このような質問に答えることは簡単ではありません。しかしながら,我々はその理由を,外からの影響に主として求めてはいけません。確かに,そのような影響は疑いもなく存在しましたが。

  四十年は,人の一生及び民族の運命に係る期間として,大きな役割を演ずるものであります。

  ここにおいても,私に,改めて旧約聖書を参照することをお許しいただきたい。その信仰にかかわりなく,すべての人のための深い洞察を蔵する旧約聖書を。そこでは,四十年は,何度も回帰し,かつ,本質にかかわる役割を演じております。

  四十年,歴史の新たな段階が約束の地への侵入と共に始まる前に,イスラエルの民は荒れ野に留まっていなければなりませんでした。

  四十年が,当初責任を有していた父の世代が完全に更迭されるために必要でした。

  また,他の場所(士師記)においては,援助及び救済の経験の記億がいかにしばしば四十年しか持続しなかったかが明らかにされています。記憶が剥落したとき,平穏の時は終わりました。

  すなわち,四十年は,常に大きな刻み目を意味するのです。当該期間は,人間の意識において作用します。それは,あるいは,新しくかつ善い未来への自信と共に来る,暗い時代の終わりとしてであります。あるいはまた,忘却の危険又は次代の人々への警告としてであります。両側面のいずれも,よくよくの考慮に値するものであります。

  我々のもとでは,政治責任の分野に,新たな世代が成長してきました。若者は,かつて起こったことには責任を負いません。しかしながら,彼らは,そこから歴史において生ずることに対して責任を負うのです。

 

当該演説の岩波書店による邦訳名である「荒れ野の40年」は,「四十年,歴史の新たな段階が約束の地への侵入と共に始まる前に,イスラエルの民は荒れ野に留まっていなければなりませんでした。」(Vierzig Jahre sollte Israel in der Wüste bleiben, bevor der neue Abschnitt in der Geschichte mit dem Einzug ins verheißene Land begann.)の部分から採ったものなのでしょうね。ドイツ連邦共和国大統領がドイツ終戦40周年記念日に「荒れ野の40年」なる演説をしたといわれれば,第二次世界大戦後のドイツ連邦共和国国民は40年間荒れ野にあるがごとき試練に気高く耐え,「対立を超え,寛容を求め,歴史に学ぶ」立派な道徳的国民になったのか,と思ってしまうのですが,看板に若干分かりにくいところがありました。実は「荒れ野の40年」は,直接には20世紀のドイツ人の話ではなくて,紀元前13世紀,モーセに率いられてエジプトを脱出したもののカナンの地に侵入するまで荒れ野を四十年さまよったイスラエルの民の内部における指導世代の交代についてのことでした。

 

(2)曠野の四十年

それではイスラエルの民はなぜ「荒れ野の40年」を経験しなければならなかったかといえば,その直接の原因は,かえって侵略のいくさ(「・・・汝の神ヱホバの汝に与へて産業となさしめたまふこの国々〔約束の地カナン〕の邑々(まちまち)においては呼吸(いき)する者を一人も生し存(おく)べからず 即ちヘテ人(びと)アモリ人カナン人ペリジ人ヒビ人ヱブズ人などは汝かならずこれを滅ぼし尽して汝の神ヱホバの汝に命じたまへる如くすべし」(申命記第2016-17))を避けたからのようでもありました。

エジプト脱出後,モーセは約束の地カナンに先遣隊を派遣して状況を偵察させます。

ところが,偵察の報告にいわく。

 

・・・その地に住む民は猛(たけ)くその邑々(まちまち)は堅固にして甚だ大(おほい)なり・・・(民数紀略1328)・・・我等はかの民の所に攻上ることを得ず彼らは我らよりも強ければなりと 彼等すなはちその窺ひたりし地の事をイスラエルの子孫(ひとびと)の中に悪(あし)く言ふらして云(いは)く我等が行巡りて窺ひたる地は其中に住む者を呑みほろぼす地なり且またその中に我等が見し民はみな身幹(たけ)たかき人なりし 我等またアナクの子ネピリムを彼処(かしこ)に見たり是ネピリムより出(いで)たる者なり我儕(われら)は自ら見るに蝗(いなご)のごとくまた彼らにも然(しか)見なされたり(同章31-33

 

カナンの住人は大きく強い。簡単には同地に侵入できないと知ったイスラエルの民は一晩中泣き叫び,モーセとアロンとを非難します。もうこんなのいやだ帰りたい,と。

 

・・・嗚呼我等はエジプトの国に死たらば善(よか)りしものを又はこの曠野(あらの)に死(しな)ば善らんものを 何とてヱホバ我等をこの地に導きいりて剣(つるぎ)に斃れしめんとし我らの妻子(つまこ)をして掠(かす)められしめんとするやエジプトに帰ること反(かへつ)て好からずやと 互に相語り我等一人の長(かしら)を立てエジプトに帰らんと云(いへ)り 是をもてモーセとアロンはイスラエルの子孫(ひとびと)の全会衆の前において俯伏(ひれふし)たり(民数紀略第142-5

 

俯伏す(ひれふす)というのですから,モーセとアロンとは土下座です。民衆を指導すべき政治家が人々の前で土下座するのは我が国の選挙運動ばかりではありません。

しかし,偉そうな態度で文句ばかり言って,言うことを聞かないイスラエルの民に対して神は怒ります。もうお前らのうち大人は約束の地に入れてやらん,四十年かけて総入れ替えだと。

 

・・・ヱホバ曰ふ我は活く汝等が我耳に言しごとく我汝等になすべし 汝らの屍はこの曠野に横(よこた)はらん即ち汝ら核数(かぞへ)られたる二十歳以上の者の中我に対ひて呟ける者は皆ことごとく此に斃るべし ヱフンネの子カルブとヌンの子ヨシュアを除くの外汝等は我が汝らを住(すま)しめんと手をあげて誓ひたりし地に至ることを得ず 汝等が掠められんと言たりし汝等の子女等(こどもら)を我導きて入ん彼等は汝らが顧みざるところの地を知るに至るべし 汝らの屍はかならずこの曠野に横はらん 汝らの子女等は汝らが屍となりて曠野に朽るまで四十年の間曠野に流蕩(さまよひ)て汝らの悸逆(はいぎやく)の罪にあたらん 汝らはかの地を窺ふに日数四十日を経たれば其一日を一年として汝等四十年の間その罪を任(お)ひ我(わ)が汝らを離(はなれ)たるを知べし 我ヱホバこれを言(いへ)り必ずこれをかの集(あつま)りて我に敵する悪(あし)き会衆に尽く行なふべし彼らはこの曠野に朽ち此に死(しに)うせん(民数紀略第1428-35

 

神のイスラエルの民総入れ替えは徹底していました。四十年のうちに曠野に朽ちて死に,約束の地カナンに入ることができなかった者には,モーセも含まれます。

メリバの地で,水が無いぞと荒れ狂う民を鎮めるべく,モーセは岩から水を出すことになりました。その際の神の指示は,杖を持って岩に向かって水を出すよう命ぜよ,でした。

 

モーセすなはちその命ぜられしごとくヱホバの前より杖を取り アロンとともに会衆を磐(いは)の前に集めて之に言けるは汝ら背反者等(そむくものども)よ聴け我等水をしてこの磐より汝らのために出しめん歟と モーセその手を挙げ杖をもて磐を二度(ふたたび)撃(うち)けるに水多く湧出(わきいで)たれば会衆とその獣畜(けもの)ともに飲り 時にヱホバ,モーセとアロンに言たまひけるは汝等は我を信ぜずしてイスラエルの子孫(ひとびと)の目の前に我の聖(きよき)を顕さざりしによりてこの会衆をわが之に与へし地に導きいることを得じと(民数紀略第209-12

 

 何で神が怒ってモーセとアロンとはカナンに入れさせないぞと決めたのか,一読しただけではちょっとよく分かりません。

 しかし,神をSuica式カード開発に携わった誇り高い電波技術者であるものとして考えると納得がいきます。せっかく非接触で水が出る(改札機を通ることができる)ようにしたのに何でわざわざ杖で磐を撃つ(カードで改札機をタッチする)必要があるのですか,わたくしの開発した技術を信用しないのですか,いつになったら分かってくれるんですか,というわけです。Suicaの場合は,実際の運用上,やはり電波の強さの関係でカードを改札機にぐっと近づけないとうまく作動しないので,それならいっそのことタッチするものであると利用方法を説明することにしてしまえ,ということになったそうですが,毎日Suicaで改札機を通る際メリバの水の話を思い出す筆者は,あえてSuicaを改札機に触れさせないようにして通ってみたりしています。

 

(3)日本の戦後40

 ところで,『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年)によれば,1985年8月14日に,「藤波官房長官,閣僚の靖国神社参拝につき,おはらい・玉ぐし捧呈・拍手は行わず一礼,供花の実費を公費とする公式参拝の新見解を発表」し,同月15日には,「中曽根首相,初めて内閣総理大臣の資格で参拝(野党・市民団体,一斉に抗議)」ということになっています。日本でも,戦後40年たって「新しくかつ善い未来への自信と共に来る,暗い時代の終わり」(Ende einer dunklen Zeit mit der Zuversicht auf eine neue und gute Zukunft)が感じられたものでしょうか。

 

3 「七十年」

 

(1)ユダ王国の滅亡とバビロン捕囚

 さて,戦後70年。

しかし,ヴァイツゼッカーの顰(ひそみ)に倣って旧約聖書に敗戦後「七十年」の用例を探すと,どうも紀元前6世紀初めの新バビロニア(カルデア)帝国に対するユダ王国の敗北(紀元前597年)及び滅亡(紀元前587年)並びにそれに伴うユダヤ民族指導層のバビロン捕囚(第1次連行(紀元前597年)及び第2次連行(紀元前587年))の話になってしまうようです。

 

 ・・・万軍のヱホバかく云たまふ汝ら我言(ことば)を聴かざれば 視よ我(われ)北の諸(すべて)の族(やから)と我僕(わがしもべ)なるバビロンの王ネブカデネザルを招きよせ此地(このくに〔ユダ王国〕)とその民と其四囲(そのまはり)の諸国(くにぐに)を攻滅(せめほろぼ)させしめて之を詫異物(おどろくべきもの)となし人の嗤笑(わらひ)となし永遠の荒地となさんとヱホバいひたまふ またわれ欣喜(よろこび)の声歓楽(たのしみ)の声新夫(はなむこ)の声新婦(はなよめ)の声磐磨(ひきうす)の音および燈(ともしび)の光を彼らの中にたえしめん この地はみな空曠(あれち)となり詫異物(おどろくべきもの)とならん又その諸国(くにぐに)は七十年の間バビロンの王につかふべし ヱホバいひたまふ七十年のをはりし後我バビロンの王と其民とカルデヤの地をその罪のために罰し永遠の空曠(あれち)となさん(ヱレミヤ記第258-12。紀元前605年のエレミヤの預言)

 

 ヱホバかくいひたまふバビロンに於て七十年満ちなばわれ汝らを眷(かへり)み我嘉言(わがよきことば)を汝らになして汝らをこの処に帰らしめん(ヱレミヤ記第第2910

 

 即ちヱホバ,カルデヤ人(びと)の王を之〔ヱルサレム〕に攻きたらせたまひければ彼その聖所の室(いへ)にて剣(つるぎ)をもて少者(わかきもの)を殺し童男(わらべ)をも童女(わらはめ)をも老人(おいびと)をも白髪(しらが)の者をも憐まざりき皆ひとしく彼の手に付(わた)したまへり 神の室(いへ)の諸(もろもろ)の大小の器皿(うつはもの)ヱホバの室(いへ)の貨財王とその牧伯等(つかさたち)の貨財など凡て之をバビロンに携へゆき 神の室(いへ)を焚(や)きヱルサレムの石垣を崩しその中の宮殿(みやみや)を尽く火にて焚(や)きその中(うち)の貴き器を尽く壊(そこ)なへり また剣(つるぎ)をのがれし者等(ものども)はバビロンに虜(とらは)れゆきて彼処(かしこ)にて彼とその子等(こら)の臣僕(しもべ)となりペルシヤの国の興るまで斯(かく)てありき 是ヱレミヤの口によりて伝はりしヱホバの言(ことば)の応ぜんがためなりき斯(かく)この地遂にその安息を享(うけ)たり即ち是はその荒をる間安息して終に七十年満ちぬ ペルシヤ王クロスの元年に当りヱホバ曩(さき)にヱレミヤの口によりて伝へたまひしその聖言(みことば)を成(なさ)んとてペルシヤ王クロスの心を感動したまひければ王すなはち宣命(みことのり)をつたへ詔書を出(いだ)して徧(あまね)く国中(こくちう)に告示(つげしめ)して云(いは)く ペルシヤ王クロスかく言ふ天の神ヱホバ地上の諸国を我に賜へりその家をユダのエルサレムに建(たつ)ることを我に命ず凡そ汝らの中(うち)もしその民たる者あらばその神ヱホバの助を得て上りゆけ(歴代志略下第3617-23

 

ネブカドネザル2世の新バビロニア軍によるエルサレムの破壊は紀元前587年,新バビロニアの滅亡は紀元前539年,ペルシヤ帝国のキュロス2世のエルサレム帰還の詔書は紀元前538年のことです(ただし,諸本によって年代が微妙に異なります。)。エレミヤは「七十年」続くと言ったものの,ユダ王国滅亡後,新バビロニア帝国は五十年ほどしか続かなかったことになります。

なお,エレミヤについては,後の東京大学教養学部長・総長である矢内原忠雄による伝記(『余の尊敬する人物』)が,先の大戦における対米英蘭戦前の1940年に岩波新書で出ていました。

 

(2)バビロン捕囚期の意義:Erinnerung

新バビロニアによってユダ王国は滅ぼされ,ダビデの子孫はもはや王ではなく,エルサレムの神殿も破壊され,民族の指導層はバビロンに連行されてしまいました。このバビロン捕囚期,ユダヤ人は全てを失ったかのように見えました。

 

・・・神とのつながりを保証する具体的なものは,すべて失われてしまったかのような状況だった。けれども全くすべてが失われてしまったのでもなかった,残っていたのは「思い出」である。(加藤隆『旧約聖書の誕生』(筑摩書房・2008年)205頁)

 

・・・捕囚の状態では,過去の出来事を想起することで,現在の神と民との関係が確認されている。・・・そして過去を想起して現在の神と民との関係を確認するというメンタリティーは,今日も存続している。(同206-207頁)

 

・・・出エジプトの出来事は捕囚時代のユダヤ人にとって,たいへん重要な意味をもつことになった。エジプトで奴隷状態にあったヘブライ人たちを,出エジプトの際に神が導いて解放した。捕囚時代のユダヤ人たちは,現在,バビロニア帝国の支配下で奴隷のような状態に置かれている。過去において神は自分たちの祖先を奴隷状態から解放したのだから,今,奴隷状態にある我々も神は必ず解放するに違いないと考えたのである。(同207頁)

 

 ここで,「思い出」ないしは「想起」が出て来ます。

 ヴァイツゼッカーの「荒れ野の40年」演説にも次のくだりがあったところです。

 

 ・・・思い出(Erinnerung)は,ユダヤ人の信仰を構成する(gehört)ものだからです。

  「忘却しようとする意思は,捕囚(Exil)を長引かせる。

 そして,救済の秘密は,思い出(Erinnerung)と言われる。」

  このよく引用されるユダヤ人の知恵の言葉が言わんとしていることは,確かに,神に対する信仰は歴史における神の働きに対する信仰である,ということであります。

 

(3)再び戦後70

 

ア Japanische Erinnerung?

 さて,日本は,戦後70年間,過去の何を思い出し,何を想起し続けたものか。

 どちらかというと,1945年の日本の敗戦は,紀元前587年のユダ王国の滅亡よりは紀元前597年の同王国の敗戦に似ていて,ただし,戦勝帝国に無謀な叛乱を起こして亡国にまで至るものではなかったもの(しかも,占領期間が七十年どころか7年(1952年4月28日の「主権回復」)で終わったもの),ということのように見えなくもないところです。亡国もなく離散もなければ,思い出,想起又はErinnerungに係る特段の必要は感じられなかったということでしょうか。基本的に我が国民は,人として自然なことですが,現在志向であるように思われます。

 

イ Das Joch des Imperiums

 紀元前597年のユダ王国の敗戦後の紀元前594年,預言者エレミヤは,同王国の新バビロニア帝国に対する服従の必要を説き,かつ,可視化させるべく,索(なわ)と軛(くびき)とを作って自分の項(うなじ)に置きます(エレミヤ記第272)。その姿で首都エルサレムをうろうろするのですから,嫌味で目障りですね。何だこんなもんみっともないと,卑屈な軛をエレミヤの項(うなじ)から取り上げて壊した上で,ネブカドネザルの覇権など2年のうちにこんなふうにぶっ壊されるのだ,と会衆の前で見得を切る預言者ハナニア(エレミヤ記第2810-11)の方が普通の「愛国者」らしいところです。エレミヤはいつも売国奴っぽい。しかし,こういう「愛国者」の熱気に当てられてしまって敗戦ユダ王国は新バビロニア帝国に叛旗を翻し,紀元前587年の悲惨な滅亡・亡国を招いたのですから,そういう勇ましい有力者のいなかった戦後日本は結構なことでした。

 

ウ Weltmachtwechsel

 とはいえ,「七十年」が経過して,さしもの戦勝帝国の覇権も揺らぎ,次の新秩序が見えて来たときにどう対処するのかは難しい問題です。仮にユダ王国が新バビロニア帝国下の優等生的属国として存続していた場合,キュロス大王率いるペルシヤ帝国勃興の新事態にはどのように対応したものでしょうか。「エレミヤ先生は「70年」と言っておられたから,まだ70年たっていない以上飽くまで新バビロニア帝国の軛を担い,共にペルシヤ人に抵抗すべきだ。必要ならばバビロニア様のために国外派兵もあり得べし。」と妙に杓子定規過ぎるのも,勝ち馬に乗り損ねてしまうようでいけなかったでしょう。

 しかし,機会主義的なのも,余り格調が高くないですね。

 「捕囚の七十年」でなければ,「古希の七十年」ですか。確かに,戦後70周年の今年2015年,我が国民の高齢化は,我が国にとって避けて通れない大問題です。

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 東京大学教養学部の矢内原公園(目黒区駒場)
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