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9 準消費貸借山域の鳥瞰図

 以上の検討を経て,前記33)の6箇の問題をどう考えるべきでしょうか。

 

(1)旧債務の存否

旧債務は存続するのか消滅するのかの問題(①)については,民法起草者である富井も梅も,準消費貸借においては旧債務が消滅するものと考えていた,というのが筆者の認識です。

新旧債務の「同一性」の問題について我妻は「判例は,最初は,常に同一性を失うとなし(大判大正912272096頁参照),ついで,当事者の意思によるも原則として同一性を失わないと解し(大判昭和8224265頁参照),最後に,この見解を維持しながら,時効などについては,これを制限すべしとするもののようである(大判昭和86131484頁〔略〕)」とまとめています(我妻Ⅴ₂・367頁)。

当初の判例が「常に同一性を失うとなし」たのは,起草者の意思(更改型)に忠実な解釈であったというべきでしょう。

その後の「当事者の意思によるも原則として同一性を失わない」との解釈は,日本民法に即した固有の解釈というよりも,Protokolleにおける議論に現れたドイツ民法旧6072項流の解釈(債務変更型)を輸入したものでしょう。「ドイツ学説継受期には,〔準消費貸借は〕新旧債務が同一性を保つ〔――したがって,原因の交替する更改と同じものではない――〕固有の制度だとする説が多く主張され」たこと(柴崎41-42頁)の影響であるわけです。このドイツ流の解釈の導入の呼び水となり,またそれを容易にした理由の一つは,日本民法588条(の前半)の文言とドイツ民法旧6072項のそれとの類似性でしょう。準消費貸借について我妻は「思うに,当事者が全然同一性のない債務を成立させる契約をすることは可能である。」と説くに至っていますが(我妻Ⅴ₂・367頁),これは,同一性が維持されることを原則とするものであって,債務変更型のドイツ民法式の思考でしょう(更改制度を設けていない同法下でも,明文はないが――したがって例外的に――更改契約は可能であることは,前記62)のとおりです。)。

しかし,日本民法588条の後半の文言は新債務の発生を意味するもの(したがって旧債務は消滅しなければならない。)と解するときには(前記4及び61)参照),「当事者の意思によるも原則として同一性を失わない」とする解釈は,条文の文理に背反するのではないか,と気になるところです(同条は「みなす」とまでいっています。これについては,梅が「当事者ノ意思ニ任カセルト云フト動モスレバ意思ノ不明ナル為メニ問題ヲ生スル」との老爺心ないしは老婆心的見解を示していたところでした(前記4)。)。平成29年法律第44号による民法588条の改正は,新旧債務が同一性を失わないことを原則とすること(現在の判例と解されます(渡邊・新旧130頁)。)を立法的に改めて確認するものとしては,あるいは不十分なものだったのかもしれません。平成=令和流の「やってる感」的には,「金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合においては,当事者はその物を消費貸借の目的とすることを約することができる。」とまでの改正をも選択肢に入れるべきだったのではないかとは,軽薄な後知恵的思案でしようか。しかし,日本民法588条は,頭はドイツ式(債務変更型)・尻尾はフランス式(更改型)の藪山の鵺であると考えられ得るところ,そうであるのであれば,このねじくれた怪鳥――「わが民法の伝統的解釈態度は,かなり特殊なものである。第一に,あまり条文の文字を尊重せず(文理解釈をしない),たやすく条文の文字を言いかえてしまう。〔略〕第二に,立法者・起草者の意図を全くといってよいほど考慮しない。第三に,〔略〕わが民法学はドイツ民法学の影響が強く,フランス式民法をドイツ式に体系化し解釈するという,奇妙な状況を呈している。」(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)61-62頁註(1))――の退治は,全くの無意味ということにはならないでしょう。

 

(2)更改との関係

旧債務が消滅するとした場合における準消費貸借と更改との関係の問題(②)については,債務の要素を変更するものではないから準消費貸借は更改ではなく(民法旧5131項反対解釈),要物性に代えるに債務免除の利益に係る出捐をもってする要物性が緩和された消費貸借なのだ(債務免除説。梅三591-592頁),ということになるのでしょう。

なお,平成29年法律第44号による改正後の民法5131号は,「従前の給付の内容について重要な変更をするもの」である新たな債務を従前の債務に代えて発生させる契約をもって,更改による従前の債務の消滅をもたらす契約であるものとしていますが,改正後の同条は,改正前の同条1項における「債務の要素」の具体的な意味を読み取り得るようにするため,その明確化を図ったものとされています(筒井=村松208頁)。したがって,従来の民法旧513条に関する解釈は維持されるものと解してよいのでしょう。ちなみに,旧民法財産編490条は「当事者カ期限,条件又ハ担保ノ加減ニ因リ又ハ履行ノ場所若クハ負担物ノ数量,品質ノ変更ニ因リテ単ニ義務ノ体様ヲ変スルトキハ之ヲ更改ト為サス/商証券ヲ以テスル債務ノ弁済ハ其証券ニ債務ノ原因ヲ指示シタルトキハ更改ヲ為サス従来ノ債務ノ追認ハ其証書ニ執行文アルトキト雖モ亦同シ」と規定していましたところ,これについて梅謙次郎は,条件の加減は更改をもたらすものと変更し(民法議事速記録第23103丁表-104丁表。民法旧5132項),負担物の数量,品質の変更は目的を変ずるのである(そもそも義務の体様とはならない。)からこれも同様とし(同104丁裏-105丁表。民法旧5131項に含まれるとの解釈。ただし,「数量ノ変更ハ往往ニシテ旧債務ニ一ノ新債務ヲ加ヘ又ハ原債務ノ一部ノ消滅ヲ約スルニ過キサルコトアリ須ラク当事者ノ意思ヲ探究シテ之ヲ決スヘキモノトス」とされています(梅三356頁)。),「商証券ヲ以テスル債務ノ弁済ハ其証券ニ債務ノ原因ヲ指示シタルトキハ更改ヲ為サス」の部分を「債務ノ履行ニ代ヘテ為替手形ヲ発行スル亦同シ〔債務の要素を変更するものとみなす〕」に改めています(同105丁表-107丁表。平成16年法律第147号による改正前民法5132項後段)。

 

(3)要物性緩和論の由来

上記(2)の議論は,要物性緩和論の由来の問題(③)に対する解答ともなります。消費貸借の要物性を緩和するために準消費貸借の制度が設けられたのではなくて,金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において当事者がその物を消費貸借の目的とすることを約してしまうという実態が先にあって,当該実態の法律構成のために要物性の緩和ということがされたのだ,ということになるのでしょう。

なお,我妻は「民法の要物性は既存の債務の存在で足る」といい(前記21)),法務省御当局は「消費貸借によらない物の返還債務を消費貸借の目的とする消費貸借」といっていますが(前記22)),既存債務がそのまま消費貸借の債務に採用される(名義が変わる)ということは,債務の名義の変更を認めない梅謙次郎の許すところではなかったでしょう。民法588条は給付義務の対象「物を消費貸借の目的〔物〕とする」と規定して,飽くまでも物レヴェルでの記述にとどめています。物の占有を問題にした占有改定説の名残ともいうべきでしょうか。

 

(4)準消費貸借の消滅時効

準消費貸借の消滅時効問題(④)は,梅が最も苦心したところです。梅の頑張りを尊重すれば,更改型の場合においてのみ消費貸借債務に係る時効期間が適用され,債務変更型の場合には既存債務に係る時効期間が適用されるものとせざるを得ません(また,渡邊・新旧154-155頁参照)。

新旧債務の同一性の有無にかかわらず判例は「最後には,時効については,常に別個に解すべきものと改めたとみてよいようである(大判昭和86131484頁)。最後の態度を正当とする。」ということであれば(我妻Ⅴ₂・368頁),常に消費貸借債務の時効となるわけですが,債務変更型の場合であって従前の債務の時効期間が消費貸借債務のそれよりも短いときにはいかがなものでしょうか。梅の意思の蹂躙問題はさておいても,民法146条の規定に鑑みるに,融通が利き過ぎるように思われます。(なお,民法146条の反対解釈により有効とされている時効期間を短くする合意が,別途可能であることはもちろんでしょう。)

ちなみに,大審院昭和8613日判決は,新旧債務の同一性が維持される場合においては「此の場合債務そのものは則ち従前の債務に外ならざるが故に厳格に云はば〔後に〕商行為により生じたる債務てふものは固より以て存すべくもあらず」であるが,「当事者の意思は此の債務をして爾今以後民法にもあれ商法にもあれ広く消費貸借に関する規定の支配を受けしめむとするに在」るのだから「準消費貸借締結自体が商行為なる以上商法中「商行為ニ因リテ生シタル債務」に関する規定の如きは総て其の適用あるものと解するを以て当事者の意思に合へりと為す」と判示しており(判決文の引用は渡邊・新旧119-120頁における紹介に基づくもの),当事者の意思に基づいて債権の消滅時効期間(平成29年法律第45号による削除前の商法(明治32年法律第48号)522条は,商事消滅時効の期間を,債権消滅時効の原則規定である民法旧1671項の10年よりも短い5年としていました。)を選択することができるかのような言明となっていました。当該判示については,「しかし,この判決の事件で準消費貸借の目的となった債務は機械器具の使用の対価とも,組合事業を一組合員が機械器具を使用し原料品等を処分する権利を与えられ単独で経営することを許された対価ともいわれる。前者だと動産の損料として民法〔旧〕1745号で時効は1年となるのであろうか。後者だと商行為として5年となろう。いずれにしても時効は完成しているので,時効はもとの債務の時効かそれとも準消費貸借債務の時効で,商行為なら5年であるなどと議論する必要はなかったように思われる。」との傍論性の指摘があり(来栖三郎『契約法』(有斐閣・1974年)268頁),更に「のみならず,当事者の意思が債務の同一性を維持するにある場合にも,準消費貸借によって,時効期間が変るとすることは,却って時効が当事者の意思によって左右されることをみとめることにならないだろうか。」との懸念も表明されています(同頁)。

いずれにせよ,平成29年法律第44号及び第45号による民商法の改正によって時効制度は単純化され,民法旧170条から174条までの短期消滅時効に係る規定も削除されていますから,準消費貸借の消滅時効をどう考えるべきかの問題は,その重要性を大きく失ってはいるとはいい得るところでしょう(渡邊・新旧154頁註(51)参照)。

 

(5)旧債務に伴っていた抗弁並びに担保及び保証の存否

旧債務に伴っていた抗弁並びに担保及び保証がどうなるかの問題(⑤)については,ドイツ法的解釈を貫けば,債務変更型なので原則としては全部残るが(ドイツ法における担保権及び抗弁権につき,渡邊・ドイツ124頁参照),当事者の意思によって変わり得ることはもちろん,ということになるのでしょう。当事者の意思の尊重は,Protokolleの議論において,他方の側(die andere Seite)が強調していたところです。なお,当事者の意思の解釈について我妻は,「然し,準消費貸借をする当事者の普通の意思には,おのずから一定の内容がある。それは,既存の債務に消費貸借としての性格を与えることである。従つて,この普通の意思を解釈の規準としなければならない。」と説いています(我妻Ⅴ₂・367頁)。ただし,「普通の意思」でない意思による,純消費貸借ならざる準消費貸借の存在は,排除されてはいないのでしょう(準消費貸借について,同時履行の抗弁権を我妻は認めてはいませんが(消費貸借は本来片務契約なので(民法587条),双務契約に係るものである同時履行の抗弁権(同法533条)が準消費貸借に認められるのはおかしい,ということでしょう。),認める判例があります(我妻Ⅴ₂・367頁)。)。

ところで,準消費貸借においては「先取特権(民法322条,328条)がない」とされますが(星野Ⅳ・171頁),これはボワソナアドの前記見解(前記7)及び「〔売買の代金を目的として〕消費貸借ト為スノ利益ハ〔略〕先取特権ナキトニ在ルヘシ(322328)」との梅の説明(梅三591頁)に倣ったものでしょうか。ボワソナアドも梅も旧債務が消滅するとの説であったので,旧債務に伴う抗弁並びに担保及び保証が全滅するのは当然ですが,債務変更型の準消費貸借においても同様とまで解し得るかどうかは疑問です。ドイツ民法では,我が先取物権に対応する担保物権は法定質権とされているそうですから,質権が存続するのであれば先取特権も存続するものとしてよいのではないでしょうか(下記筆者註2参照)

 

(6)要件事実論

要件事実論における被告説・原告説の争い(⑥)については,法律要件分類説の建前からすると,やはり原告説ということになるようです(梅本345-347頁参照)。

この点について付言すれば,ドイツ民法流の債務変更型理論に素直に従えば原告説ということになり,ただし当事者の合意次第では被告説となる場合もあり得る(Protokolleにおけるdie andere Seiteの議論参照),ということにもなるのでしょう。

ちなみに,Protokolleにおけるdie eine Seiteからの説明に「訴訟においては,原告は,被告が当該価額を受領したことを主張立証(nachweisen)しなければならない。当該主張立証に当たっては,被告が当該受領を争ったときは,消費貸借債務に変じた債権債務関係にまで遡らなければならない。」とあるのは,折衷的で面白い。被告説で訴状を書いてもよいが,被告が当該価額(Valuta)の受領を争うのならば,結局原告説に戻って当初の債権の成立まで遡らなければならなくなるというわけです。なお,ローマ法において,類似の取扱いがされていたようです。すなわち,ローマ法上の問答契約(ユスティニアヌス時代には,証書作成及びその上における“et stipulatus spopondi(要約せられて諾約候)との形式的約款の挿入を要する要式契約)は原則として「原因の記載のない場合には,原因が有効に成立していない場合にも有効に成立」し,訴えられたときには「原因不存在の挙証責任は固より諾約者にあ」ったものの,例外として,「若し金銭消費貸借を原因として問答契約がなされ,その証書が作成せられたときは,金銭不受領の抗弁(exceptio non numeratae pecuniae)の対抗が許され,成立の日附より1年(当初),5年(ヂ〔オクレティアヌス〕帝以来),2年(ユ〔スティニアヌス〕帝)内ならば,原因存在の証明を債権者がなすことを要する」ものとされていたそうです(原田173-175頁)。ローマ法では「利息は問答契約の形で約さねば発生せず」ということだったので,消費貸借(「代替物給付の債務を消費貸借上の債務に肩替することも許され」ていました。)は,「実際上問答契約で行われた」そうです(原田177-178頁)。

しかし,現在のドイツ民法学においては,「準消費貸借の合意がなされた場合に,〔略〕旧債務の不存在に基づく無効性については債務者に証明責任が負わされる。」ということになっているそうです(渡邊・ドイツ126頁)。Protokolleにおけるdie eine Seiteによる上記説明において想定されていたものとは異なった取扱いです。ドイツ人らも,文献考証の末,被告説を採る日本の判例理論に学んだのでしょうか。それとも,Protokolleにおいてdie andere Seiteが「いつもきちんと約されるものではない」と言っていた,「価額の受領の証明のために当初の法的基礎に遡る必要はない」とする「承認」が――債務承認まではいかないものの――その後,「いつもきちんと約されるもの」であるという推定を受けるようになったものでしょうか。

(なお,被告説を採ったものとして有名な我が前記最判昭和43216日の上告理由(弁護士小松亀一法律事務所のウェブサイトにありました。)を見ると,債務者は「一口の借金を返済しては又借(ママ)るといつたことを繰り返していたところ,残元金額は準消費貸借の公正証書にある98万円ではなく7万円にすぎないとして,98万円の支払を求める債権者と争っていたようです(すなわち,累次の弁済によって91万円分は消滅していたのだ,ということであったように思われます。)。原告説においても「旧債務の発生原因事実が要件事実で,その障害,消滅事由が抗弁に回るとの説」があるそうですが(岡口533頁の紹介する村上博巳説。また,『「10訂民事判決起案の手引」別冊 事実摘示記載例集』6頁は「準消費貸借契約の成立を主張する側で旧債務の発生原因事実〔筆者註:「存在」ではありません。〕を主張すべきであるとする見解」を原告説としています。),弁済による旧債務消滅の主張は被告の抗弁に回るとの解釈も,原告説内で可能なのでしょう。そうであれば,「明確に証明責任があるという説示は余り見られず,準消費貸借契約を示す借用書をはじめとする書面があることをもって,旧債務の存在を推定する」ものとし「結論として債務者に証明責任を負わせることに」なっていた(梅本345頁における,最判昭和43216日前の諸判例に係るまとめ。宇野栄一郎解説(『最高裁判所判例解説民事篇(上)昭和43年度』(法曹会)269-270頁)では「大審院は一般に,借用証書,消費貸借証書の授受が確定されている事案については,準消費貸借における旧債務の存否については,債務者が不存在の事実を立証することを要すると考えてきたようである。ただそれが,債務者に旧債務発生の権利根拠事実の不存在について立証責任ありとするのか,或いは,準消費貸借契約の成立が確定される場合には旧債務の存在が事実上推定され,債務者に反証を挙げる立証の必要があるということにとどまるものか必ずしも明らかではない。」)ことを前提に,当該最高裁判所判決(これも,「原審は証拠により〔略〕残元金合計98万円の返還債務を目的とする準消費貸借が締結された事実を認定」したことに言及しています。)における「旧債務の存否については〔略〕旧債務の不存在を事由に準消費貸借の効力を争う者においてその事実の立証責任を負うものと解する」との判示の部分は,権利障害事由及び権利消滅事由については本来の法律要件分類説(原告説)からしても当然のことを述べたものとして,権利の発生原因事実については当該事案における書証の存在による影響について述べたものとして理解することもあるいは可能かもしれません。すなわち,例の宇野調査官は「右にいう〔準消費貸借契約の効力を争う者がその立証責任を負担すべき〕旧債務の不存在の事実とは,旧債務につきその権利障害事実および権利滅却事実の存在をいうことはもとより,本件事案の内容に照らせば,権利根拠事実の不存在をも包含していると解すべきものであろう。」と書いているそうですが(梅本345頁。下線は筆者によるもの),そこでの「本件事案の内容」とは具体的には準消費貸借の締結に係る書証の存在であって,本件事案では当該書証(当該債権につきその譲渡後にされた債務確認及び弁済方法に係る合意に関する債務者作成の公正証書作成嘱託代理委任状並びに準消費貸借契約成立の際締結された保証契約に係る保証人の誓約書)の存在により旧債務の発生原因事実の存在が推定されて「権利根拠事実の不存在をも包含」ということになってしまったものの,旧債務の発生原因事実の不存在について債務者が当然かつ常に主張立証責任を負うものとまで同調査官は解しているものではない,と考えることも可能ではないでしょうか。)

ところで,Motiveによれば,ドイツ民法旧6072項の規定は,exceptio non numeratae pecuniaeが被告債務者から提起されたときに,そこで原告債権者が直ちに敗訴ということにならず更に原因存在の証明に進んで争うことができるようにするために,用心のために設けられたものでした。しかし,原告債権者の訴状が最初から原告説で書かれているのであれば,当該用心は不要であったはずです。2002年のドイツ民法改正によって同法旧6072項の制度に係る規定は削られたそうで,その理由は,「準消費貸借は単に「私的自治に基づく契約による内容形成および変更の自由」を規定した一般条項であるBGB3111項から導かれるにすぎない」から(渡邊・新旧156頁註(52))ないしは「債務法改正によって消費貸借も諾成契約として規律されたため,消費貸借への内容変更も私的自治上の内容変更の自由(契約自由の一般原則,BGB3111項)によって端的に規律されるにすぎない」からであるとされていますが(渡邊・ドイツ121頁),そこには上記のような訴訟手続的観点からの見切りも含まれていたものかどうか。(なお,ドイツ民法3111項の原文は,„Zur Begründung eines Schuldverhältnisses durch Rechtsgeschäft sowie zur Änderung des Inhalts eines Schuldverhältnisses ist ein Vertrag zwischen den Beteiligten erforderlich, soweit nicht das Gesetz ein anderes vorschreibt.(債権債務関係の法律行為による創設及び債権債務関係の内容の変更のためには,法律が別異に規定していない限り,当事者間の契約が必要である。)です。我が旧民法財産編も,その第2951号で義務は合意により生ずるものとしつつ(同条2号ないしは4号は,不当ノ利得,不正ノ損害及び法律ノ規定によっても義務が生ずるものとしています。),第2961項で「合意トハ物権ト人権トヲ問ハス或ル権利ヲ創設シ若クハ移転シ又ハ之ヲ変更シ若クハ消滅セシムルヲ目的トスル二人又ハ数人ノ意思ノ合致ヲ謂フ」と規定していました(下線は筆者によるもの)。)

翻って我が平成29年法律第44号による民法改正も,準消費貸借について,ドイツ流の債務変更型であるものときっぱり解釈することとし,かつ,司法研修所における原告説による司法修習生教育の徹底を前提とすることとすれば,一気に第588条の削除まで進み得たものなのかもしれません。201287日の法制審議会民法(債権関係)部会第54回会議において中田裕康委員から準消費貸借について「そもそも588条を置く必要があるかどうかについては,検討する必要があると思います。」との問題提起があり,山野目章夫幹事もそれに和していましたが(同会議議事録34-35頁),当該問題提起は結局,夏空を揺らぎ飛ぶ尻切れ蜻蛉(とんぼ)に終わってしまったようです。しかしそれとも,尻切れ蜻蛉は言い過ぎで,藪の向こうにおいてしっかりとした検討がされておりその結果,「最終法案の段階に至っては,書面による諾成的消費貸借契約の導入のみならず,従来通りの要物的消費貸借契約も維持されたため,従来と同様の準消費貸借の規定が意義を有すると考えられたとみることができる。」(渡邊・ドイツ148-149頁)ということとなったのでしょうか。

Parturient montes⛰⛰🌋nascetur ridiculus mus🐀

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5 概念図その1:ドイツ民法草案のMotive und Protokolle

 ところで,ドイツ民法第一草案には理由書(Motive)が,第二草案には第二草案に関する委員会議事録(Protokolle)が存在しています。

 Motive及びProtokolleの当該部分の拙訳は,次のとおりです。

 

 ドイツ民法第一草案理由書

 

  第454

   それ自身確かに事柄に即したものである第454条の規定(ザクセン法1071条,ヘッセン法案136条,バイエルン法案622条,ドレスデン法案527条,ヴィントシャイト§37011参照)の採用は,少なくとも,用心によって要請されるものと見受けられる。それによって,消費貸借の目的返還の訴えを同条に掲げる合意に基づき提起した債権者は,次のような債務者の抗弁,すなわち,個々に決められた一定量の代替物を所有物として交付することを概念上前提とする消費貸借の目的(ein Darlehen)を彼は受領していない,したがって,不法の基礎の上に立つ当該請求は棄却されるべきである,との抗弁から守られるのである。当該規定がなければ,そのような抗弁を提出する債務者を排斥できるかどうか,疑問なしということには全くならないものである。当該事案は,当該危険を予防されざるべきものとするには,余りにも頻繁かつ重大なのである。ところで,当該規定は,既存の債務の拘束力について抗弁の付着していないことを前提としており,債務者が先行する債権債務関係に基づく抗弁により防御することができるか否か,また,できるとしてどの範囲においてかについて規定するものでは全くない。このことについては,他の規定によって決定されるものである。

  (Motive S.312

 

 ドイツ民法第二草案に関する委員会議事録

 

   第454条に対して,次のように規定されるべしとの動議が提出された。

 

    ある者が,相手方に対して,金銭又はその他の代替物に係る債務を負う場合においては,両者間において,当該債務の目的について,以後消費貸借の目的としての債務が負担されるべきものとする旨の合意をすることができる。

 

   草案は当該動議の規定振りによることとなった。

一方の側から(Von einer Seite),第454条の内容及び射程に関して,以下のことが強調された。

 

     訴訟においては,原告は,被告が当該価額を受領したことを主張立証しなければならない。当該主張立証に当たっては,被告が当該受領を争ったときは,消費貸借債務に変じた債権債務関係にまで遡らなければならない。また,今日の法は,短期時効期間に服するものであっても,存在する全ての債務に対して,消費貸借債務の性質を付与する可能性を認めている〔筆者註:ドイツ民法第二草案1831項(ドイツ民法旧2181項)によれば,執行証書(ドイツ民事訴訟法79415号)を組めば,本来は短期時効期間に服する債務の消滅時効期間も30年(ドイツ民法旧195条おける普通時効期間)に延びることになっていました。ちなみに,商人の非業務用商品代金債権の消滅時効期間は2年でした(ドイツ民法旧19611号)。他方,ドイツ民法旧2251文は,時効を排除し,又はその完成を難しくする法律行為を認めていませんでした。〕。しかし,この取扱いは,それによって既存の債務が消滅させられ,かつ,その価値をもって新債務が創設されるものと,ローマ法の意味で観念されるものではない。むしろそれは,今日の法観念に従って,既存の債務を今後はあたかも最初から消費貸借債務として創設されていたものとして存続するものに変更することに専らかかわるものである。旧債務の担保(Pfänder〔筆者註:なお,ドイツ民法においては,我が留置権に相当するものは「これを,Zurückbehaltungsrecht§§273, 274)とし,あくまでも同一債権関係から生じた二つの債権の間の拒絶権能として,債権編の総則の中に規定する。従って,学者はこれを債権的拒絶権能として,同時履行の抗弁権(同法320条)を包含する広い概念と解している」ということであり(我妻榮『新訂担保物権法(民法講義Ⅲ)』(岩波書店・1968年(1971年補正))21頁),我が先取特権に相当するものについては「債務者の総財産の上の優先弁済権のみならず不動産の上の優先弁済権をも廃止し,ただ特定の動産の上の優先弁済権を散在的に認めたに過ぎない。しかもこれを法定質権(gesetzliches Pfandrecht)となし,債権と目的物との場所的関係を考慮して公示の原則をできるだけ守ろうとしている。」とのことです(同51頁)。〕)及び保証人は消滅せず,依然として存続する。実業界においては,債務額の確定約束が消費貸借債務への変更によってされることが非常に多く,かつ,それに伴い債務証書(消費貸借証書)が作成されるのが一般である。実際のところ,これは,債権債務関係の承認であって価額の確定されるものにかかわるものである。債務を消費貸借債務として表示することは,特に抽象的約束に適している。債権債務関係は,当該変更によって,従前の法的基礎から解放されるのである。消費貸借は最初から丸められた関係を作出し,それ自体の中に,過去において胚胎し,その成立と共に締結され,出来上がった法的基礎を有している。消費貸借からは,受領者に係る拘束のみが生じ,当該拘束に反作用する貸主の義務は生じない。それにより,内容的には,消費貸借債務と抽象的債務約束との間には差異は存在しない。当初の法的基礎(売買,交換等)の影響から債務を引き離す目的のために,債務の変更は生ずるのである。確定した価額の消費貸借債務への債務変更に係るこの意味は,第683条〔債務約束に関する規定〕において考慮されるべきものである。

 

この説明に対して,他方の側から(von anderer Seite),第454条に係る事例は非常に多様であり得るものであるとの異議が述べられた。消費貸借債務への債権債務関係の変更に伴い,承認は,価額の受領の証明のために当初の法的基礎に遡る必要はないとの意味で,いつもきちんと約されるものではない。他方,確かに,当事者の意図に基づいて,変更と同時に本来の債務承認がされるべき場合も生ずるのである。合意の当事者が一方の意味かそれとも他方の意味を付与しようとしていたかどうかは,具体的な場合の情況からのみ解明されるものである。

  (Protokolle Band II. (Guttentag, Berlin: 1898) SS.42-43

 

債務約束(Schuldversprechen)及び債務承認(Schuldanerkenntniß)は,「債権の発生を目的とする無因契約」で,「契約の一方当事者が他方に対して,一定の債務を負担する旨――新たに独立の債務を負担する形式(ド民の債務約束)でも,従来の債務関係を清算した結果として一定の債務のあることを承認する形式(ド民の債務承認〔略〕)でもよい――を約束することによつて,その債務者は無因の債務(債務を負担するに至つた原因たる事実に基づく抗弁はできない)を負担するもの」です(我妻榮『債権各論上巻(民法講義Ⅴ₁)』(岩波書店・1954年)53頁)。これらについては「わが民法は,かような契約を認めていないけれども,契約自由の原則からいつて,有効に成立することは疑いないものであろう」とされています(我妻Ⅴ₁・54頁)。

上記無因の債務改変のみならず,そこまでは至らない,「旧債務が新しい消費貸借債務に完全に置き換えられることによって,その債務が消滅する」有因の債務改変も可能です(渡邊力「ドイツにおける準消費貸借と債務関係(契約内容)変更の枠組み」法と政治682号(20178月)125頁)。

 

6 当初山行計画:富井及び梅の準消費貸借理論(占有改定説から債務免除説へ)

 

(1)更改型理論

富井は,消費貸借契約の成立に必要な金銭その他の物の交付(借主が「受け取る」)は,必ずしも現実の引渡し(民法1821項)によるものに限られず,簡易の引渡し(同条2項)でも可能であると考えていたわけです。この場合において,この簡易の引渡しは具体的にはどのような形で現れるかといえば,「即チ一度売主ニ〔代金を〕交付シテ更ニ借主トシテ,交付ヲ受クルト云フ如キ無益ナル手数ヲ要セス(第588条),此レハ先キニノヘタル簡易引渡ニヨル占有ノ移転ナリ」ということのようです(「明治45年度(東大)富井博士述 債権法講義 下巻」(非売品。表紙に「此講義ハ同志ノ者相寄リ茲ニ45部ヲ限リ謄写ニ附シ配本セリ,本書ハ即チ其1部也」とあります。)250頁)。つまり,売買代金支払債務に係る金銭を目的とする消費貸借がされるときには,当該代金支払債務に係る金銭をいったん売主に交付して(これで,代金債務は弁済されて消滅します。),それから当該金銭を消費貸借の目的として売主(貸主)が買主(借主)に交付するのが本則であるが,金銭のやり取りについては省略してもよいというわけです。この金銭のやり取りの省略をどう法律構成するかについては,簡易の引渡しだけでは道具不足のようですが,「占有改定説は,〔略〕起草委員が当初構想していた方法であった」ということで(柴崎暁「「給付の内容について」の「重要な変更」――平成29年改正債権法(新債権編)における客観的更改の概念――」比較法学521号(20186月)43頁註(4)),占有改定説というからには占有改定(民法183条)も道具として使い得るようです。そうであれば,買主が代金を占有改定で弁済した上で,続いて売主(貸主)から借主(買主)への消費貸借の目的の交付は,借主(買主)が売主(貸主)のために代理占有している代金に係る金銭の簡易の引渡しによってされる,という構成なのでしょう。しかし,買主(借主)の手もとが「からつぽう」であれば――無に対する占有は無意味ですので――そもそも代金に係る金銭の占有改定もその簡易の引渡しも観念できないことになり,その困難に富井は気付いて,債務者が「からつぽう」であったときも対応できるドイツ民法流の準消費貸借規定の導入となったのでしょう。

富井のMotive理解は(Protokolle1895年末当時の我が国ではまだ見ることができなかったのではないでしょうか。),他の債務に基づく給付の目的を消費貸借の目的とした場合における貸主(債権者)からの消費貸借に基づく返還請求に対する借主(債務者)の「消費貸借の目的を〔自分〕は受領していない」との「抗弁(Einwand)」に対しては,本来,当該目的に係る占有改定・簡易の引渡しの意思表示の主張立証で対応できるのであるが,ドイツにおいても債務者が「からつぽう」のときには「そのような抗弁を提出する債務者を排斥」できないという危険があり,その用心のためにドイツ民法第一草案454条は置かれたのだ,ということになるのでしょう。

富井の準消費貸借理解では旧債務の弁済がいったんはされるので,準消費貸借においては,旧債務は消滅して新債務が成立するのだ(更改型)ということになるわけです。すなわち,日本民法588条においては新たな消費貸借契約が成立したものとみなされますから,旧債務はその新らたな消費貸借の債務と併存するわけにはいかず(併存するとなると債務者は二重の債務を負うことになってしまいます。),消滅するしかないわけでしょう(渡邊力「準消費貸借からみる契約内容の変更と新旧債務の関係」法と政治671号(20165月)128頁における大審院の最初期判例の背景解釈参照)。

梅謙次郎は,「本条〔588条〕ノ規定ニ依レハ前例〔代金支払債務に係る金銭を消費貸借の目的とする例〕ニ於テ買主ハ代価支払ノ義務ヲ履行シ更ニ同一ノ金額ヲ消費貸借トシテ受取リタルト同シク前債務ハ当事者ノ意思ニ因リ消滅シ(免除)更ニ買主ハ借主トシテ新ナル義務ヲ負フモノト謂フ(ママ)と述べていて(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第三十三版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)591-592頁),代金支払債務は弁済で消滅するものとはせずに「ト同シク」で続けて,「当事者ノ意思」に基づく免除(単独行為の免除(民法519条)ではなく,免除契約ということでしょう。)で消滅するものとしています。「旧債務の免除による利得(出捐)を以て物の交付に該当するとみる説」たる債務免除説でしょう(柴崎43頁註(4))。この説であれば,債務者の手もとが「からつぽう」でも,占有改定説のように難渋することはありません。いずれにせよ,旧債務は消滅してしまう更改型です。

 

(2)参照:ドイツ民法の理論(債務変更型)

これに対して,ドイツ人らのProtokolleにおける議論においては,一方の側(die eine Seite)が「それによって既存の債務が消滅させられ,かつ,その価値をもって新債務が創設されるものと,ローマ法の意味で観念されるものではない」,すなわち更改(novatio)ではないのだ,とドイツ民法旧6072項の制度を説明しているのに対し,当事者の意思の重要性を指摘する他方の側(die andere Seite)もその説明に反対はしていません。債務変更型のものであるとの理解です(ドイツ民法においては債務変更型が原則であることにつき,渡邊・ドイツ125-126頁参照)。これは,ドイツ民法にはそもそも更改の制度がないからでもありましょう。「近代法では債権債務自体の譲渡引受が自由に認められているので,更改の意味はあまりなく,ドイツ民法は従つてこれを規定していない」ところです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)245頁)。(「但し同法の下においても契約自由の原則によって更改契約は有効と認められている(Oertmann, Vorbem. 3a z. §362 ff.)」そうではあります(我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1964年(補注1972年))360頁)。)

なお,更改に係る日本民法513条の原案の参照条文としてドイツ民法第二草案3132項及び357条が掲げられています(『法典調査会民法議事速記録第23巻』(日本学術振興会)100丁裏)。しかし,そこでの後者は,債務引受けの規定です(„Eine Schuld kann von einem Dritten durch Vertrag mit dem Gläubiger in der Weise übernommen werden, daß der Dritte an die Stelle des bisherigen Schuldners tritt.(債務は,第三者と債権者との契約によって,当該第三者がそれまでの債務者に代わる形で引き受けられることができる。))。前者は,代物弁済に関して,更改成立の例外性を規定するものです(„Hat der Schuldner zum Zwecke der Befriedigung des Gläubigers diesem gegenüber eine neue Verbindlichkeit übernommen, so ist im Zweifel nicht anzunehmen, daß die Verbindlichkeit an Erfüllungsstatt übernommen ist.(債務者が債権者の満足のために同人に対して新しい拘束を引き受けた場合において,疑いがあるときは,当該拘束は履行に代えて引き受けられたものとは推定されないものとする。))。ちなみに,準消費貸借によって給付物は変更されませんから,この点で,それまでの「給付に代えて他の給付をする」代物弁済(民法482条)とは異なります。

 

7 概念図その2:旧民法489条2号及びボワソナアドのProjet(更改説)

ところで,我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)においては,実は準消費貸借は更改の一種だったのでした(同編4892号。梅三590頁は同号を民法588条の対照箇条として掲げています。)。

旧民法財産編489条の条文は,次のとおり。

 

 第489条 更改即チ旧義務ノ新義務ニ変更スルコトハ左ノ場合ニ於テ成ル

  第一 当事者カ義務ノ新目的ヲ以テ旧目的ニ代フル合意ヲ為ストキ

  第二 当事者カ義務ノ目的ヲ変セスシテ其原因ヲ変スル合意ヲ為ストキ

  第三 新債務者カ旧債務者ニ替ハルトキ

  第四 新債権者カ旧債権者ニ替ハルトキ

 

  Art. 489.  La novation, ou changement d’une première obligation en une nouvelle obligation, a lieu:

      Lorsque les parties conviennent d’un nouvel objet de l’obligation substitué au premier;

      Lorsque, l’objet dû restant le même, les parties conviennent qu’il sera dû à un autre titre ou par une autre cause;

      Lorsqu’un nouveau débiteur prend la place de l’ancien;

  Lorsqu’un nouveau créancier est substitué au premier.

 

 ボワソナアド草案の対応条項(第511条)に係るその第2号解説を訳出すると次のとおりとなります。

 

   553.――第2の場合。当事者の変更も目的の変更も存在しない。しかしながら,原因cause)の変更が存在する。例えば,債務者が売買の代金又は賃貸借の賃料として一定額の金銭債務を負っている場合において,その支払に窮したとき,それを消費貸借の名義(titre)で負うことにする許しを債権者から得る。債権者は,もちろん,債務者に対して,それでもって従前の債務を弁済すべき貸付けをすることができる。彼はまた,弁済を受領した上で,直ちに同額の貸付けをすることができる。しかし,単純な合意によって債務の名義又は原因を変更する方がより単純である。

   債務者が賃貸借名義で債務を負い続ける代わりに今後は消費貸借名義で債務を負うということには,利害なきにしもあらずである。消費貸借の債務は30年の普通時効にかかるが(第1487条〔旧民法証拠編(明治23年法律第28号)150条〕),賃貸借のそれは5年である(第1494条〔旧民法証拠編1564号(借家賃又は借地賃)〕)。消費貸借債権は何らの先取特権によっても担保されていないが,賃貸借については(少なくとも不動産のそれについては),多くの場合先取特権付きである(第1152条)。かくして,更改は債権者にとって,訴権行使の期限については有利であり,担保については不利ということになる。

   原因の変更による更改は常に両当事者によって自発的に行われ得る,及び全ての原因が両当事者によって他のものに変更され得る,と信ぜらるべきものではない。したがって,前例の反対は認められ得ない。真に貸され,又は売られた物がなければ賃料又は代金prix)は存在しないのであるから,消費貸借名義による債務が今後売買又は賃貸借名義のものになる旨両当事者が合意することはできないであろう。また,消費貸借債務から売買代金債務へという,そうされたものと両当事者が主張するこの変換自体が,貸主にとっては非常に危険であり得る。というのは,債務者は売却された物の不存在を容易に証明して,原因の欠如に基づき,支払を拒むに至るであろうからである。これに対して,消費貸借の原因を装うことが許されるときには,前記のとおり,債務者が受領した価額によって同人のための真の消費貸借が実現できるであろうし,又は,先行する負担(dette)からの解放に必要な価額を同人に貸し付けることができるであろうということになる。更改においては,相互的な2個の金額の給付に代えて,何ごともなされないこととなる。しかしながら,債務の全ての原因,全ての合意が,2個の引渡しに係るこの虚構(フィクション)になじむものではない。

   なお,原因の変更の手段は,消費貸借のみではない。何らかの原因を有する金銭支払又は商品引渡に係る負担を寄託に変ずることは,同様に容易である。債務の目的物が債務者によって調達された上で,それが直ちに寄託の名義で同人に委ねられたものと常に観念されることとなろう。特定物の寄託も使用貸借に変更され得るであろうし,その逆も同様であろう。名義又は原因の変更の例としては,事務管理に基づく債務が,本人の追認によって委任による債務に変更される場合も挙げることができる。

  (Gve Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations (Tokio, 1891 (Nouvelle Édition)) pp.679-681

 

 準消費貸借に係る富井の占有改定説は,ボワソナアドの上記所説に淵源するものでしょう。

 また,ボワソナアドの所説においては寄託への更改の事例が出て来ますが,これを見ると,平成29年法律第44号による改正後の民法では消費寄託に係る第666条において第588条の準用がなくなったことに関する懸念が表明されていること(柴崎53-54頁)が想起されます。これについては,銀行等の預貯金口座開設者が「からつぽう」であることはないから第588条の準用がなくとも大丈夫であって当該懸念は不要である,という整理だったのでしょうか(しかし,準用条項からの第588条の消滅は,「「要綱仮案」に関する作業の中で唐突に削除が提案され,さしたる議論もないままに承認された」そうです(柴崎53頁)。なお,筒井=村松368頁は「新法には準消費寄託について根拠規定はないが,無名契約として認めることは可能であると考えられる。」としています。)。

旧民法財産編489条は,フランス民法旧1271条を下敷きにしています(Boissonade, p.671)。

 同条の文言は,次のとおり。

 

  Art. 1271  La novation s’opère de trois manières:

        Lorsque le débiteur contracte envers son créancier une nouvelle dette qui est substitué à l’ancienne, laquelle est éteinte;

  Lorsqu’un nouveau débiteur est substitué à l’ancien qui est déchargé par le créancier;

 Lorsque, par l’effet d’un nouvel engagement, un nouveau créancier est substitué à l’ancien, envers lequel le débiteur se trouve déchargé.

  (第1271条 更改は,3箇の場合において生ずる。)

   (一 債務者が債権者に対して,新負担であって旧負担に代わるものを負い,当該旧負担が消滅するとき。) 

   (二 新債務者が旧債務者に替わり,後者が債権者によって債務を免ぜられたとき。)

   (三 新しい約束の効果によって,新債権者が旧債権者に替わり,後者に対して債務者が債務を負わなくなるとき。)

 

フランス民法旧1271条は更改成立について三つの場合しか認めていませんが,ボワソナアドによれば,「原因の変更によって生ずるものを排除する意図を有し得たものではない。」とされています(Boissonade, p.678。また,柴崎49頁註(14))。イタリア民法12301項は,原因(titolo)の変更による更改を認めています(柴崎41頁註(1))。

原因(コーズ)は,厄介です。「講学上は,「債務のコーズ」は有償双務契約においては,債務者に対して相手方が負う債務の「objet」とされ」(森田修「契約法――フランスにおけるコーズ論の現段階――」岩村正彦=大村敦志=齋藤哲志編,荻村慎一郎等『現代フランス法の論点』(東京大学出版会・2021年)164頁),「これに対して要物契約の「債務のコーズ」は,契約成立に先行して交付された物の中に存在し,無償契約の「債務のコーズ」は,債務者を動機づけた「恵与の意図」の中に存在する」そうです(森田183-184頁註11))。売買に基づく代金支払債務を消費貸借に基づく貸金返還債務に変更することが「原因ヲ変スル」ことになるのは,前者のコーズは売買の目的たる財産権であったのに対して,後者のコーズは(交付済みの)金銭であって,両者異なっているからだ,ということでしょうか。現在の日本民法においては,旧民法にあった原因(コーズ)概念を排除しています。すなわち,梅によれば「所謂原因ハ我輩ノ言フ所ノ目的ニ過キス蓋シ売主ノ方ニ於テ契約ノ原因タル買主カ金銭ヲ支払フノ義務ハ買主ノ方ニ於テ契約ノ目的ニ過キス買主ノ方ニ於テ契約ノ原因タル売主カ権利ヲ移転スルノ義務ハ売主ノ方ニ於テ契約ノ目的ニ過キサルコトハ仏法学者ノ皆認ムル所ナリ若シ然ラハ原因ト云ヒ目的ト云フモ唯其観察者ヲ異ニスルノ名称ニシテ彼我地ヲ易フレハ原因モ亦目的ト為ルコト明カナリ故ニ寧ロ之ヲ目的ト称スルヲ妥当トスというわけであり(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編(第三十三版)(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1911年)223-224頁。句読点は筆者が補ったもの。なお,梅のここでいう「法律行為ノ目的」は「法律行為ノ履行ニ因リ生スヘキ事項又ハ其事項ニ繋レル物」です(同222頁)。),また,無償行為である贈与や免除については,「目的ノ外ニ相手方ノ誰タルカモ亦其要素タルコトアルモノトシテ可ナリ」ということになり(同224頁。なお,ここでは原因不要論が法律行為の要素の錯誤に係る民法95条に即して論ぜられています。),原因(コーズ)概念を使わなくても法律行為の目的又は相手方概念を用いて説明は可能だ,ということであるからであるようです。


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(上)日本民法:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900158.html

(中)旧民法及びローマ法:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900161.html


8 フランス民法673

フランス民法を見てみましょう。

 

(1)条文及びその沿革

民法233条に対応する条項は,ボナパルト第一統領政権下の1804年の段階ではフランス民法672条に,1881820日法による改正後は673条にあって,同条は,1921212日法によって更に改正されています。

共和暦12(ブリュ)(メール)4日(18031126日)に国務院(コンセイユ・デタ)に提出された案には当該条項はありませんでしたが,同12(ニヴォ)(ーズ)14日(180415日)の同院提出案に第665条として出現しています。

 

Code napoléon (1804)

1804年ナポレオン法典)

Art. 672.

Le voisin peut exiger que les arbres et haies plantés à une moindre distance soient arrachés.

  (隣人は,必要な距離を保たずに栽植された木及び生垣を抜去することを請求することができる。)

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres du voisin, peut contraindre celui-ci à couper ces branches.

  (その所有物の上に隣人の木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。)

Si ce sont les racines qui avancent sur son héritage, il a droit de les y couper lui-même.

  (彼の地所に延びて来たものが根である場合においては,彼はそれをそこにおいて自ら截去する権利を有する。)

 

Après la Loi du 20 août 1881

1881820日法による改正後)

Art. 673.

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres du voisin peut contraindre celui-ci à les couper. Les fruits tombés naturellement de ces branches lui appartiennent.

  (その所有物の上に隣人の木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。当該枝から自然に落下した果実は,同人に属する。)

Si ce sont les racines qui avancent sur son héritage, il a le droit de les y couper lui-même.

(彼の地所に延びて来たものが根である場合においては,彼はそれをそこにおいて自ら截去する権利を有する。)

Le droit de couper les racines ou de faire couper les branches est imprescriptible.

  (根を截去し,又は木の枝を剪除させる権利は,消滅時効にかからない。)

 

Après la Loi du 12 février 1921

1921212日法による改正後)

Art. 673.

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres, arbustes et arbrisseaux du voisin peut contraindre celui-ci à les couper. Les fruits tombés naturellement de ces branches lui appartiennent.

(その所有物の上に隣人の木,小低木及び低木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。当該枝から自然に落下した果実は,同人に属する。)

Si ce sont les racines, ronces ou brindilles qui avancent sur son héritage, il a le droit de les couper lui-même à la limite de la ligne séparative.

(彼の地所に延びて来たものが根,茨又は小枝である場合においては,彼はそれらを境界線において自ら截去する権利を有する。)

Le droit de couper les racines, ronces et brindilles ou de faire couper les branches des arbres, arbustes et arbrisseaux est imprescriptible.

  (根,茨及び小枝を截去し,又は木,小低木及び低木の枝を剪除させる権利は,消滅時効にかからない。)

 

(2)破毀院1965年4月6日判決

 フランス民法673条の趣旨については,次のフランス破毀院民事第1196546日判決(61-11025)が参考になります。

 

   2項目にわたる上告理由については――

      攻撃されている原審による是認判決の確認した事実によれば,Xに属する所有地に要保持適正距離に係る規則に従った距離を隣地から保って2本のポプラの木が栽植されていたところ,それらの根が,隣人Yの地所に侵入し,そこにおいて損害をもたらしたこと,

   彼の木によってこのようにして惹起された被害についてXは責任を負うと宣告したことについて控訴院に対する不服が申し立てられたこと,すなわち,〔当該不服申立てに係る上告理由の主張するところは,〕第1に,民法673条は,根の侵襲に係る責任(la faute d’immissio de racines)を設定したものではなく,根がその土地に侵入した当該土地所有者の利益のために,添付に係る一つの場合について規整したものであって,当該根は同人のものとなりもはや相隣関係問題に係る請求の目的とならなくなるものである(…organise un cas d’accession au profit du propriétaire, sur le fonds duquel pénétrent des racines, qui, devenant la chose de ce dernier, ne peuvent plus faire l’objet d’une réclamation pour troubles de voisinage)とのこと,

   第2に,上告によれば,損害被害者である寡婦Yの懈怠(négligence)は,民法673条が彼女に与えている,オージュロー(Augerau)の木から延びた根を截去する権利を知らなかったことによるとのことに鑑み,

 

   しかしながら,攻撃されている判決は,立法者は民法673条の規定によって,発生した損害の賠償を受ける権利を制限すること(restreindre le droit à réparation du dommage réalisé)を意図していたものではなく,反対に,隣人の利益のための手段を設けることによってより有効な保護の確保(assurer une protection plus efficace en instituant des mesures de prévention au profit des voisins)を図っていたものであるということを正当な資格でもって(à juste titre)強調している(souligne)こと,

   控訴院は,このことから,木の所有者は,それが規定の距離を保って栽植されたものであっても,隣の地所に延びた根によって惹起された損害について責任を負うものであるという結論を導き出し得たことに鑑み,

   並びに,事実審の裁判官が職権をもって,被害が発生する時まで彼女の不動産に脅威を与えつつある危険を知らなかった寡婦Yには何ら懈怠はなかったものと認めたこと,

   かくして,上告理由はその両項目のいずれについても受け容れられないことに鑑み,

   以上の理由をもって,X対寡婦Y事件(61-11025パリ控訴院19601213日判決に対する上告を棄却する。

 

 上告理由の拠った,侵入した根の所有権に係る土地所有者帰属説は,破毀院の採用するところとはならなかったわけでしょう。

 

(3)破毀院2010年6月30日判決

 なお,我妻榮は,民法2331項について,「竹木の枝が境界線を越えていても相隣者に何らの害を与えない場合に,剪除を請求するのは,権利の濫用となる。多少の損害を与える場合にも,剪除することの損害がさらに大きいときは,第209条を類推して,償金を請求することができるだけだと解すべきではあるまいか(ス民6872項〔ママ。同項は越境した枝に成った果実の所有権に関する規定ですので,同条1項のことと解すべきでしょう。〕参照)」と説いています(我妻Ⅱ・295頁(なお,同書の第1版は1932年,改訂第1版は1952年に発行されています。)。また,能見=加藤編273頁(松尾))。新潟地方裁判所昭和391222日判決下民集15123027頁も「ところで,民法2331項によれば,隣地の樹木の枝が境界線を越え他人の地内にさしかゝつた場合には,その樹木の所有者をして枝を剪除させることができるのであるが,相隣接する不動産の利用をそれぞれ充分に全うさせるために,その各所有権の内容を制限し,また各所有者に協力義務を課する等その権利関係相互に調節を加えている同法の相隣関係規定の趣旨に照らすとき,右越境樹枝剪除の請求も,当該越境樹枝により何等の被害も蒙つていないか,あるいは蒙つていてもそれが極めて僅少であるにも拘らずその剪除を請求したり,又はその剪除によつて,被害者が回復する利益が僅少なのに対比して樹木所有者が受ける損害が不当に大きすぎる場合には,いわゆる権利濫用としてその効力を生じないと解さなければならない。従つて結局越境樹枝の剪除を行うに際しても,単に越境部分のすべてについて漫然それを行うことは許されず,前記相隣関係の規定が設けられた趣旨から,当事者双方の具体的利害を充分に較量してその妥当な範囲を定めなければならないと解すべきである。」と判示しています(15本の樹木の枝が隣地に越境していたのに対し,同裁判所は11本についてのみ剪除を命じ,かつ,剪除すべきものとされた枝の部分も越境部分全部ではありませんでした。)。しかしながら,我が民法と直系関係にあるフランス民法にではなく,傍系関係のスイス民法に拠るのはいかがなものでしょうか。

フランス破毀院民事第3部の2010630日判決(09-16.257)は,隣地のヒマラヤ杉(樹齢100年超)の枝の剪除を請求する訴えを,①当該樹木自体を伐採するのでなければ,枝の剪除では5メートル以上の高さから落下する針葉による迷惑は解消されないこと,②剪除請求者らは,木の多い地にあるその土地を入手する際に庭やプールを定期的に掃除しなければならなくなることを当然知っていたこと,③同人らは当該樹木の生長が弱まっていることを知り得たこと,④同人らは当該樹木の寿命を侵害する意図を有していないこと及び⑤彼らの訴えが濫用(abus)になることなしに境界内に全ての枝が収まるようにさせることを請求することはできないこと,との理由をもって退けたリヨン控訴院の2009611日判決を,フランス民法6731項前段及び3項に違背するものとして破棄しています。判決要旨は,「隣地から越境してきた木の枝に対する土地所有者の消滅時効にかからない権利には何らの制限も加えることができないところ,原告らはその訴えが濫用になることなしに境界内に全ての木の枝が収まるようにさせることはできない旨を摘示して木の剪定の請求を排斥した控訴院は,民法673条に違背する。」というようなものになっています(Bulletin 2010, III, n˚137)。無慈悲です。

(なお,ヒマラヤ杉仲間の事件としては,大阪高等裁判所平成元年914日判決判タ715180頁があります。枝が延びて迷惑な別荘地のヒマラヤ杉3本(樹齢約30年)を隣地の旅館主が伐採してしまったものですが,民法2331項等を援用しての,自救行為であるから不法行為は成立しないとの旅館主側の主張は排斥されています。「本件ヒマラヤ杉の枝が境界を越えて伸びており,そのため本件〔旅館〕建物の看板が見えにくくなり,あるいは車両等の通行の妨害となっていたとしても,控訴人〔旅館主〕らがなし得るのは枝のせん除にとどまり,木そのものを伐採することは許されない。」というわけです。ちなみに,旅館の土地に1番近いヒマラヤ杉は境界線から約1.7メートルしか離れていなかったそうですから(木の正確な高さは判決書からは不明ですが,当然2メートルは超えていたでしょう。),フランス民法6711項及び6721項の適用があれば,原則として,当該樹木の抜去又は高さ2メートル以下までの剪定を請求できたはずです。この場合,原告は特定の損害(un préjudice particulierの証明を要しないものとされています(フランス破毀院民事第32000516日判決(98-22.382))。)

                          

9 ドイツ民法第一草案

 竹木がドイツ民法流に土地の本質的構成部分(wesentlicher Bestandteil)であるのであれば,前者の後者に対する独立性は弱いことになるはずです。したがって,当該独立性の弱さを前提とすれば,竹木の一部分を構成するものである根が,そうではあっても当該竹木本体とは別に,侵入した隣りの土地にその本質的構成部分として付合してその所有権に包含されるべきこと,及びその結果,一の植物の一部に他の部分とは別個の所有権が存在することにはなるがそのことは可能であり,またむしろそれが必然であること,を是認する理解が自然に出て来るようになるもののように思われます。すなわち,越境した根の所有権に係る土地所有者帰属説は,あるいはドイツ民法的な法律構成なのではないかと考えられるところです。

 そうであれば,ドイツにおいて実際に土地所有者帰属説が採られているものかどうかが気になるところです。ドイツ民法を調べるに当たっては,筆者としてはついドイツ民法第一草案の理由書(Motive)に当たるのが便利であるものですから本稿における調査はそこまでにとどめることとし,以下においてはドイツ民法第一草案の第784条及び第861条並びにMotiveにおける後者の解説を訳出します。

 

  第784条 土地の本質的構成部分には,土とつながっている限りにおいてその産出物が属する。

    種子は播種によって,植物は根付いたときに,土地の本質的構成部分となる(eine Pflanze wird, wenn sie Wurzel gefaßt hat, wesentlicher Bestandtheil des Grundstückes.)。

 

  §861

   Wenn Zweige oder Wurzeln eines auf einem Grundstücke stehenden Baumes oder Strauches in das Nachbargrundstück hinüberragen, so kann der Eigenthümer des letzteren Grundstückes verlangen, daß das Hinüberragende von dem Eigenthümer des anderen Grundstückes von diesem aus beseitigt wird. Erfolgt die Beseitigung nicht binnen drei Tagen, nachdem der Inhaber des Grundstückes, auf welchem der Baum oder Strauch sich befindet, dazu aufgefordert ist, so ist der Eigenthümer des Nachbargrundstückes auch befugt, die hinüberragenden Zweige und Wurzeln selbst abzutrennen und die abgetrennten Stücke ohne Entschädigung sich zuzueignen.

  (ある土地上に生立する樹木又は灌木の枝又は根が隣地に越境した場合においては,当該隣地の所有者は,相手方土地所有者によって当該隣地から越境物が除去されることを求めることができる。当該樹木又は灌木が存在する土地の占有者にその旨要求されてから3日以内に当該除去がされなかったときは,隣地の所有者も,越境した枝及び根を自ら切り取ること並びに切り取った物を補償なしに自己のものとすることが認められる。)

 

  第861条解説

   第861条の第1文は,当該所有者は越境した根及び枝の除去を所有権に基づく否認の訴え(妨害排除請求の訴え)によって(mit der negatorischen Eigenthumsklage)請求することができること(第943条)に注意を喚起する。それによって,特に,次の文で規定される自救権が通常の法的手段と併存するものであること及びそれがプロイセンの理論が主張するように隣人のための排他的な唯一の保護手段を設けるものではないことを明らかにするためである。枝及び根が越境して生長することは確かに間接的侵襲にすぎず,人の行為の直接の結果ではない。しかし,当該事情は,この種の突出を被ることが隣地所有権に対する障害である事実を何ら変えるものではない。隣人はある程度の高さ――地表カラ15(ペデス)ノ高サ〔ラテン語〕――からはこの種の突出を受忍しなければならないとの法律上の所有権の制限は,確かにときおり普通法理論において及び自力での除去を一定の高さまでのみにおいて認める地方的規則の結果として唱道されるが,近代的立法においては認められていないものである。

   枝及び根の越境は,それに対して実力での防衛が可能である禁止された自力の行使行為ではないので,法が沈黙している限りにおいては,隣人は,否認訴権的法的手段(das negatorische Rechtsmittel)によるしかないという限定的状況に置かれるであろう。根の除去のためには,普通法は特段の定めをしていない。枝の張出しの除去は,その枝を耕地の上に地表カラ15(ペデス)ノ高サに,又はその枝を家の上に突き出した樹木の所有者が自ら張出部分を除去しないときは,隣人が当該張出部分を伐り取って自らのものとすることができるものとする樹木伐除命令(interdictum de arboribus caedendis 〔伐られるべき木の命令〕)によって,そこでは規律されている。プロイセン一般ラント法は,越境する枝及び根に係る自力除去権を隣人に与えるが,それを自分のものとすることは認めていない。フランス民法は,根の截去のみを認める。ザクセン法は,截去した根を当該隣人に属すべきものとする点を除いて,プロイセン法と同一である。

   草案は,植物学的表現は違いをもたらさないことを明らかにするため,及び灌木の張出し,取り分け生垣に係るそれが特に多いことから,樹木に加えて灌木にも言及している。更に草案は,枝及び根の双方を考慮しつつ自力での除去の許容について定めるとともに,低い位地の枝についての制約を設けていない。この種の区別を正当化する十分な理由が欠けているとともに,そのような区別は,法律の実際の運用を難しくするからである。事前の求めの必要性の規定及び自らの手による除去のために与えられた期間によって,樹木の所有者に対して厳し過ぎないかとの各懸念は除去されている。截去した物を自らのものとすることを隣人に認めるその次の規定は,単純であるとの長所を有するとともに,当該取得者が截去の手間(Mühe)を負担したことから,公正(Billigkeit)にかなうものである。

 

隣地から木の根の侵入を被った土地の所有者は,当該侵入根の除去を求めて当該土地の所有権に基づく妨害排除請求ができるというのですから,当該木の根の所有権は隣地の木の所有者になお属しているわけでしょう。また,截去した侵入根の所有権取得の理由も,既に当該侵入根が截去者の土地に付合していたことにではなくて,手間賃代りとして截去者に与えることの公正性に求められています。越境根の所有権に係る土地所有者帰属説は,ドイツにおいても採用されていないようです。

なお,枝の除去について,高さ15(ペデス)より上の高いものが除去されるのが原則なのか下の低いものが除去されるのが原則なのかはっきりしないのですが(特に耕地の上に枝が突き出した場合は,ドイツ語原文自体がはっきりしない表現を採っています。15(ペデス)より上又は下のものがどうなるものかがそこでは不明で,首をひねりながらの翻訳となりました。),これはローマ法自体がはっきりしていなかったので,ドイツ人も参ってしまっていたものでしょうか。この点に関するローマ法の昏迷状況に係る説明は,いわく,「樹木の枝が隣の家屋を覆うを許さず。〔略〕又樹木の枝が隣の田地を覆う場合は其の枝が15ペデスpedes (foot)[歩尺]或はそれ以上に達するときはこれを伐り採ることを要せざるも15ペデス以下の枝はことごとくこれを伐り取らざるべからず。但しこの15ペデス以上或は以下についてDigestaの中の文面が甚だ不明瞭なるために,これについて異論あり。異論とは,15ペデス以上の枝はかえってこれを伐り採ることを要す。而して15ペデス以下の枝はこれらを伐り採ることを要せずと。」と(吉原編85頁)。

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(上)『法典調査会民法議事速記録』等(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078842084.html


2 ドイツ民法草案

ところで,穂積陳重は我が民法545条の原案起草に当たってドイツ民法草案を参考にしたようですが(参照条文として,ドイツ帝国のものとしては,ドイツ民法第一草案427条,同第二草案298条,同商法354条,プロイセン国法第1部第11331条,ザクセン法911条から914条まで及び1109条並びにバイエルン草案第2326条,362条及び368条が挙げられています(民法議事速記録第25109丁表)。),ドイツ民法の当該草案はどのようなもので,当時のドイツにおける議論はどのようなものだったのでしょうか。

 

(1)ドイツ民法第一草案427

まず,1888年のドイツ民法第一草案427条。

 

  Der Rücktritt bewirkt, daß die Vertragschließenden unter einander so berechtigt und verpflichtet sind, wie wenn der Vertrag nicht geschlossen worden wäre, insbesondere, daß kein Theil eine nach dem Vertrage ihm gebührende Leistung in Anspruch nehmen kann, und daß jeder Theil verpflichtet ist, dem anderen Theile die empfangenen Leistungen zurückzugewähren.

 (解除により,契約締結者は相互に,当該契約が締結されなかった場合と同様の権利を有し,及び義務を負う状態となる。特に,いずれの当事者も当該契約により同人に与えられる給付を請求することはできず,かつ,各当事者は受領した給付を相手方に返還する義務を負う。)

   Eine empfangene Geldsumme ist mit Zinsen von der Zeit des Empfanges an, andere Gegenstände sind mit Zuwachs und allen Nutzungen zurückzugewähren, auch ist wegen der nicht gezogenen Nutzungen und wegen Verschlechterungen Ersatz zu leisten, soweit bei Anwendung der Sorgfalt eines ordentlichen Hausvaters die Nutzungen gezogen und die Verschlechterungen abgewendet worden sein würden.

  (受領された金額は受領の時からの利息と共に,他の目的物は増加及び全ての収益と共に返還されるべきものである。善き家庭の父の注意を尽くせば利益が収取され,及び劣化が回避されたであろう限りにおいて,収取されなかった利益及び劣化に係る代償も給付されるべきものである。)

   Wegen Verwendungen hat der zur Zurückgabe Verpflichtete die Rechte, welche dem Besitzer gegen den Eigenthümer zustehen.

  (支出した費用について,返還義務者は,占有者が所有者に対して有する権利を有する。)

   Kann der Empfänger einen Gegenstand nicht zurückgewähren, so ist er zur Ersatzleistung nur dann nicht verpflichtet, wenn ihm weder Vorsatz noch Fahrlässigkeit zur Last fällt.

  (受領者は,受領物を返還できない場合においては,故意及び過失が同人に帰せられないときに限り,代償給付の義務を負わない。)

 

 第一草案理由書(Motive)は,同条について次のように解説します。

 

  〔前略〕解除の意思表示(Rücktrittserklärung)によって,直接,両当事者のために(第426条第1項及び第2項),あたかも当該契約が締結されなかったごとくに,当該契約に基づく請求に対する独立の(時効にかからない)抗弁並びに返還に係る人的(persönlich)請求権及び人的義務が生ぜしめられる。原状回復義務(obligatio ad restituendum in integrum)である。債権的返還請求権に係る(des obligatorischen Restitutionsanspruches)この規格化は,解除の訴え(Wandelungsklage)に関係するところの権利と連結している(ヴィントシャイト394条第2,ザクセン法914条以下)。〔中略〕当該原則の定立と共に本案は,疑わしいときは解除による解除条件(Resolutivbedingung des Rücktrittes)の下に契約は締結されたものとみなされるという観念に――現存の諸法律においては,解除の効果を解除条件の成就に係る規定によって規整することは一般的ではなく,あるいは解除条件の成就がその結果として返還義務(die Verpflichtung zur Restitution)しかもたらさないにもかかわらず――規範として(für die Regel)依拠している通用の法律とは,その点において異なっているのである(ヴィントシャイト323条,プロイセン国法第1部第11331条,332条及び272条以下,フランス民法1184条,オーストリア法919条,1083条及び1084条,ザクセン法1107条以下,1111条,1115条,1436条及び1438条,スイス法1783項,ヘッセン草案第4部第251条,56条,57条,58条,59条以下,62条及び69-71条,バイエルン草案356条,362条,363条,364条,365条,368条,369条及び374-376条並びにドレスデン草案457条,459-463条,468条,473条,132条及び134条を見よ。)。取引の安全は,解除条件の帰結(当然直ちに生ずる(ipso jure)財産権の復帰,物権的拘束)を遠ざけておくことを要求する。本案の原則――これにより解除(Rücktritt)は当事者間における債権的法律関係のみを生じさせ,また,それにより同人らの間では契約がその効力において遡及的に(rückwärts)廃されるもの――は,両当事者の意思(Intention)の規則についてと同様,解除権の本質にもふさわしいものである。もし解除の意思表示が解除条件として働くのならば,両当事者はそのことを特約していなければならない。他者の債権に係る第三取得者の悪意は当該取得を妨げもせず当該取得者に損害賠償の義務を負わせないものとする本案の原則及び更に原理からは,同時に,解除権者は第三取得者に対して何らの請求権も有しないということが帰結される。

   第2項の規定は,原則の敷衍を含むとともに,そこにおいて,契約に基づきなされた給付は,単に理由なしにされたものとして返還請求権の規則に従って返還請求され得るものではないという当該原則の意味を明らかにする。原状回復への拘束から(Aus der Verbindlichkeit zur Herstellung des früheren Zustandes),相手方からと同様,解除権者から,受領した金額は受領した時からの利息(第217条)と共に,他の目的物は増加(第782条以下)及び全ての利益(第793条)と共に返還請求されるべきものであることが帰結される。当該原則により,返還義務者は,相手方を,具体的な状況により必要となるところの,契約がそもそも締結されなかったかのような状態に戻すための措置をするよう義務付けられる。当該契約に基づき生ずることとなった拘束からの解放及び当該契約に基づきなされた役務に対する代償給付もこれに属する。当初から解除(Rücktritt)の可能性が存在したということに鑑み,更に,各契約締結者の解除前からのものを含む過失に対する責任が理由付けられることとともに,このことから,善き家庭の父の注意を尽くせば利益が収取され,劣化が回避されたであろう限りにおいて,収取されなかった利益の又は劣化に係る代償給付の義務が帰結される。費用支出に基づき,返還義務者には,所有権主張者に対する占有者に帰属するものと同じ権利が認められる(第3項,第936条以下。ザクセン法1109条,1115条,1436条及び913条,ヘッセン草案第4部第157条,62条及び71条並びに第4部第2172条及び173条,バイエルン草案326条,362条,368条及び376条並びにドレスデン草案182条,168条,169条,460条以下及び473条参照)。第4項の規定は,既述の原理の帰結を述べるにすぎない。すなわち,ここにおいても,返還の不能(Unmöglichkeit)は,羈束からの解放としてのみ観念されるべきものなのである。

 

怪し気な翻訳ですが,要は,解約の解除の効果に係る理論構成としては間接効果説であり(「間接効果説は,解除によつて,未履行の債務については,履行を拒絶する抗弁権を生じ,既履行のものについては,新たに返還債務を生ずると説く」(我妻190頁)。),フランス民法11841項及び我が旧民法財産編4211項流の双務契約に解除条件が包含されているものとする構成は採らないということのようです。(なお,フランス及び我が国においては,解除条件は本来遡及効を有していたものです(フランス民法11831項,旧民法財産編4092項)。民法1272項が条件に遡及効がないことにしたのは,「当事者ノ意思及ヒ実際ノ便宜ヨリ之ヲ考フレハ或ハ其効力ヲ既往ニ遡ラシムルヲ可トスヘキカ」と悩みつつも,「一ニハ現在ノ事実ノ効力カ既往ニ遡ルハ普通ノ法理ニ反スルモノナルト一ニハ其効力カ既往ニ遡ルカ為メ第三者ノ権利ヲ攪乱シ又当事者間ニ於テモ既往ノ事実ニ変更ヲ生セシムルニ至リ大ニ不便ヲ感スルコトナシトセサルトヲ以テナリ」との理由であるそうです(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編(第33版)』(法政大学=有斐閣書房・1911年)332-333頁)。無論,これについては当事者の意思により変更が可能です(民法1273項)。)

 

(2)ドイツ民法第二草案298

1894-95年のドイツ民法第二草案298条は次のようになっています。

 

   Hat sich bei einem Vertrag ein Theil den Rücktritt vorbehalten, so sind die Parteien, wenn der Rücktritt erfolgt, unter einander so verpflichtet, wie wenn der Vertrag nicht geschlossen wäre. Jeder Theil ist berechtigt, die ihm nach dem Vertrag obliegende Leistung zu verweigern, und verpflichtet, eine empfangene Leistung zurückzugewähren. Für geleistete Dienste sowie für die Ueberlassung des Gebrauchs oder der Benutzung einer Sache ist der Werth zu vergüten.

  (契約において一当事者が解除を留保している場合において,解除がされたときには,両当事者は,当該契約が締結されなかった場合と同様の相互の義務関係にあることとなる。各当事者は,当該契約によって同人に義務付けられた給付をすることを拒む権利を有し,かつ,受領した給付を返還する義務を負う。提供された役務に対して,及び物の使用又は収益の許与に対しては,価額が償還されるものとする。)

   Die Ansprüche auf Herausgabe oder Vergütung von Nutzungen sowie auf Schadensersatz wegen Unterganges oder Verschlechterung und der Anspruch auf Ersatz von Verwendungen bestimmen sich nach den Vorschriften, welche für das Verhältniß zwischen dem Eigenthümer und dem Besitzer vom Eintritte der Rechtshängigkeit des Eigenthumsanspruchs an gelten. Eine Geldsumme ist von der Zeit des Empfanges an zu verzinsen.

  (返還及び収益の償還並びに滅失又は劣化に係る損害賠償の請求並びに費用償還の請求については,本権に係る訴訟が係属してからの所有者と占有者との関係に係る規定の例による。受領の時から利息額が生ずるものとする。)

 

1項においては,未履行債務に対する抗弁構成が明確化されています。ドイツ民法第二草案までの段階では,いわゆる直接効果説の影は極めて薄いところでした。

 第一草案に関する議事録を見ると,次のような議論がされています(Protokolle 93. VI)。

 

427条について,次の提案がされた。

1. 第一草案の規定は,次の条項によって置き換えられるべきである。

 

   契約において一当事者が解除を留保している場合においては,解除は,当該契約を原因とする債務関係が消滅(erlischt)するという効力(Wirkung)を有する。両当事者は,当該契約が締結されなかった場合と同様の相互の義務関係にあることとなる。

   各当事者は,相手方に対し,受領した給付を返還する義務を負う。受領された金額は受領の時からの利息と共に償還されるものとし,他の物は増加及び全ての収益と共に返還されるものとする。受領された役務の給付に対しては,給付の時の価額が償還されるものとする。

   収取されなかった収益に関して,返還されるべき物の維持及び保管の責任に関して,並びに当該物に係る費用に関しては,本権に係る訴訟が係属してからの所有者と占有者との法律関係に係る規定が準用される。

 

2. 上記の提案については,第2項の第2文は削られるべきであり,第3項の最初の部分は「返還及び収益の償還に関して,」云々とされるべきであり,第3項に「受領された金額については,受領の時から利息が支払われるものとする。」との文が加えられるべきである。

 

   a) 第1の提案は,その第1文において,第一草案と次の点で相違する。すなわち,当該提案は,契約を原因とする債務関係を解除によって消滅させるものとしているのに対し,第一草案においては,債務関係は存続し,かつ,解除に基づいては抗弁のみが与えられるべきものとされている。当該提案のためには,次のように論じられた。

   第一草案における法律構成の基礎たる前提は,両当事者は当該契約はもはや存在しないものとして振る舞うべきものとしているにもかかわらず契約は存続するというものであるが,自然な理解に反するものである。実体法的抗弁は不可欠の法形式ではあるが,時効と同じようにそれと共に特別の目的が達成されるべき場合においてのみ援用されるものである。ここにおいては,当該法形式を用いる必要性が認められない。第一草案理由書281頁〔前記引用部分〕は,第一草案の奇異の感じを抱かせる法律構成を正当化するに当たって,解除が直接作用すること(die unmittelbare Wirkung des Rücktritts)は,債務の履行のためにされた物権行為(所有権の移転,地役権の設定等)を解除条件に適用される原理によって無効化し,かくして取引の安全を危殆化するという事態をもたらすという理由付けをもってした。これは誤りである。直接廃棄されるものは,債務関係,すなわち有因行為のみである。有因行為のためになされた物権関係の変動はそれとして存続し,両当事者は,しかし,反対の法律行為をもってそれを取り除くことを義務付けられるのである。解除後になお再び契約関係についてそのままにしておこうと両当事者が欲する場合において新たな契約の締結を省略することができるという点においても,第一草案の法律構成の利点なるものを認めることはできない。実行された解除を取り除くためには,その都度契約が必要である。解除によって廃棄された契約の有効化のためには一定の形式が必要である場合においても,無形式の合意をもって再び効力を持たせることは認められ得ないのである。

   当該陳述に対しては次のような異議があった。いわく,提案された規定は,物権契約に対する(債務関係法の外においても)その適用において,第一草案理由書において定められた原則からすると受け容れることができないものと思われると。これに対しては,もちろん,物権契約に関してはそもそも解除について論ずることはできないとの見解が主張された。当該見解も,専ら他の側から争われた。また,同時に,提案された文は「債務関係」との語が既に示しているように債権契約についてのみ関係するものである,という点にも注意喚起がされた。多数の者は当該理解に傾きつつも,第1の提案がその第1文において意図した第一草案の変更には大きな意義を見出さなかった。

   変更案は却下された。

   その理由は以下のとおりである。

   実務的には,ある必要な形式及びその費用の支出を繰り返すことによる契約の更新の省略が,第一草案によればなされる,ということがせいぜい考慮され得るにすぎない。この点を重視しないのであれば,問題は,第1の提案における専ら理論的な第1文が表現しようとする法律構成の相違のみにかかわる。双方の法律構成に対して,正当化の弁が述べられた。第1の提案の法律構成の方が自然な理解に近いということについては,疑いが存する。両当事者の見解によればむしろ,留保された解除が実行されたときは,当該契約はその時から消滅するのではなく,遡及的に無効となるのである(der Vertrag nicht erst von jetzt an erlöschen, sondern rückwärts hinfällig werden)。当該見解に対して,第一草案は,全体的にではないとしても,物権的効力(dingliche Wirkung)が〔契約の〕消滅について(dem Erlöschen)遡って(ex tunc)認められる,という顧慮をしているところである。

   b) 第一草案の第1項は――第1の提案は実質的にはその第1文においてのみ相違していたところであるが,同文の却下後――承認された。

   第2項については,他の点では専ら字句修正的な第2の提案が,「増加と共に(mit Zuwachs)」の文字を削るべきものとしている。

   これに関して委員会は,以下のように考慮した上,同意を表明した。

   増加の概念は,何の問題もなしに自明のものであるものではないし,いずれにせよここにおいては不可欠ではない。当該概念を第1878条において維持することを欲し,かつ,そうしなければならないのであれば,その旨留保することができる。第427条のためには,土地の構成物に関する一般規定――というのは,少なくとも主だったところでは,それについてのみ増加が問題となり得るからである(プロイセン国法第1部第9222条)――で申し分なく十分である。土地が返還されなければならない場合においては,それはその全ての構成物と共に返還されるべきことは自明のことである。第2項において増加を特に強調することは,費用をかけて生じた増加に第3項の適用があることを分かりにくくする。

   c) 第1の提案の第2項第2(ママ)文において提案された,受領された役務の給付は返還されるべきものとする,種類に関する第一草案に対する補充は承認された。

   第3項については,実質的に異議は唱えられなかった。

   d) 第4項は,第1の提案に倣って削られた。ここで示された規定は,第一草案の第2項及び第3項の条文が第1の提案の第3項によってこうむった変容を通じて大部分カヴァーされているとみなされ,また,部分的には,第429条がより分かりやすく表現していること〔「解除権者が受領した物がその責めに帰すべからざる事由によって滅失したときは,解除権はなお存続する。」〕と同じことを述べている限りにおいて,当該パラグラフとの関係では余計なものとみなされる。

 

契約の解除による消滅,ということはさすがになおも由々しいものだったのでしょうか。ローマ法について,「bona fides上,契約はたとえ不履行があっても一方当事者から解消しうるものではないし,不履行に備えるためにこそ,契約は存在していなくてはならない。当事者の意思のみによる解除の制度はついにローマ法では登場しない」と説かれています(木庭顕『新版ローマ法案内 現代の法律家のために』(勁草書房・2017年)147頁)。

なお,ローマ法上の売買の付加的約款中「一定期間内に代価の支払なき場合に売買を解除する約款」であるlex commissoria(ドイツ普通法時代に契約の解除理論構成の材料に用いられたもの)については,「当初は停止条件的に理解せられていた」そうです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)188-189頁)。ここでの「停止条件」は我が民法1271項のそれでしょうから,lex commissoriaに基づく契約解除の効力は遡及的ではなかったものでしょう。

 

3 解除条件成就の遡及効に関して

解除条件の成就に遡及効がある場合(民法1273項参照)に関しては,我が国においては,「この遡及効は,物権的(絶対的)に生ずるものか,それとも,債権的(相対的)に生ずるものか。ドイツ民法は,明文規定(ド民159)をもつて債権的効力を生ずるものとしている。わが民法にはこれに対比すべき規定はない。多くの学説は,物権的にその効力を生じ,当事者間においてのみならず第三者との間においてもその効力を生ずるものと解している(鳩山537,三潴502,近藤461,今泉434)。それによつて被ることあるべき第三者の不利益は,対抗要件等(177178192467)によつて防止せられるからという(行判大6410新聞126029)。」とのことだそうです(於保編331頁(金山))。ドイツ民法159条は「法律行為の内容が,条件の成就に結び付けられた効果は既往に遡るものとしている場合においては,条件が成就したときには,各当事者は,当該既往の時点において当該効果が生じた場合に彼らが有すべきであったものを相互に与えるように義務付けられる。」と規定しています。

契約の解除に遡及効を認める直接効果説下においては,「解除の影響を受けない〔民法5451項ただし書〕の第三者とは,解除された契約から生じた法律効果を基礎として,解除までに,新たな権利を取得したものである(942項や963項の第三者の意味に同じ〔略〕)。契約の目的物の譲受人や目的物の上に抵当権・質権などを取得した者――但し,対抗要件を備えた者でなければならないことはいうまでもない(大判大正10517929頁)――は,第三者である」(我妻198頁。下線は筆者によるもの),「解除の遡及効が第三者の権利を害し得ないとう制限は,もとより,解除前の第三者に対する関係をいうに過ぎない。解除された後の第三者との関係は,対抗要件の問題として解決すべきである。」(我妻199頁)ということになっています。対抗要件が大活躍です。なお,「解除前の第三者に登記が要求されるのは,解除権者と対抗関係に立つからではなく,保護に値する第三者となるには権利者としてなすべきことを全て終えていなければならない,という発想による(〔解除の遡及効を前提とした上での〕権利保護資格要件の考え方〔略〕)。そうだとすると,第三者は解除までに登記を取得する必要がありそうである。〔中略〕少なくとも返還請求を受けるまでに第三者は登記をそなえていることが必要であり,かつ,解除権者自身は登記なくして未登記の第三者に勝てると考えるべきだろう。」との主張(内田貴『民法Ⅱ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)100頁)は飽くまでも一学説であって,「判例は,対抗関係説に立っているようにみられる(大判大10.5.17民録27.929,最判昭33.6.14民集12.9.144966],最判昭58.7.5集民139.259)。解除の効果について,いわゆる直接効果説の見解に立つことを前提とした場合にも,解除者と第三者の関係を対抗関係と解することは可能であると思われる。対抗関係説によれば,Yが〔Xを売主,Aを買主とする売買契約の解除前に更にAから目的物を購入した〕解除前の第三者であるとの主張の法的構成については,目的物がAX間,AY間で二重に譲渡された場合と同様に解することができる」ものです(司法研修所『改訂 紛争類型別の要件事実 民事訴訟における攻撃防御の構造』(司法研修所・20069月)120頁)。

 

(下)旧民法等(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078842113.html

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1 教科書的説明とそれに対する感想

 

(1)教科書的説明

 民法(明治29年法律第89号)399条は,次のように規定しています。

 

  (債権の目的)

  第399条 債権は,金銭に見積もることができないものであっても,その目的とすることができる。

 

何となく読み飛ばしてしまう条文です。標準的民法教科書の一つにおいて次のように説明されても,「はあ,そうですか。」というだけで,さして印象に残らなかったところです(少なくとも筆者には)。

 

  (4) 給付の経済性 〔債務者のなすべき行為たる給付が法律上保護に値するために必要な4要件中〕以上三つの要件〔(1)給付の適法性,(2)給付の可能性(筆者註:ただし,民法412条の22項)及び(3)給付の確定性〕とは別だが,給付の内容は経済性をもたなくてもよい(399条)。取引上は,給付が経済的目的に奉仕する場合が普通であろう。けれども,これにこだわらず,給付の内容が経済的性質をもたないものであっても,法律上保護に値するものならば債権の成立に妨げとはならない,との趣旨である。このような内容の債権でも債務不履行になれば金銭による損害賠償に訴えざるをえないわけだから財産性はあるのだ,という考え方もある。結果論的にはそうもいえる。(遠藤浩等編『民法(4)債権総論(第3版)』(有斐閣双書・1987年)10頁(新田孝二))

 

(2)感想

 

ア 「法律上保護に値するもの」とは何か(附:ドイツ民法草案の見解に関して)

 給付が法律上保護されるためには「法律上保護に値するもの」であることを要する,ということであれば,これはtautologyというものでしょう。

「法律上保護に値するもの」であるには「経済性」は必ずしも必要ではないとされつつも,それでは積極的には何が要件なのだという問いに対する回答は,「法律上保護に値するもの」であることである,との当初の命題以外与えられていないところです。我妻榮に当たってみても,「給付は「金銭ニ見積ルコトヲ得ザルモノ」でも債権の目的とすることができる(399条)。ドイツ普通法時代に争のあった点を解決したものである。ドイツ,フランス両民法には明文はないが,通説はわが民法と同様に解している(但しド民法理由書は消極的見解であり,これを支持する者も相当ある。債権の範囲が不明となるという理由である(Oertmann, §241, 1b))。」と学界事情の一端が明らかにされてはいるものの(我妻榮『新訂 債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)22-23頁),結局,「金銭に見積りえない給付については,法律的効力を認むべからず,という一般的な原則は存在しない。かような給付も,これに対して法律的効果を認めることを至当とする限りにおいては,債権たる効力を認めるべきである」との記述があるばかりです(我妻Ⅳ・23頁)。(なお,ドイツ普通法とは,「地域的・身分的に激しく分裂していたドイツの「地方特別法(Partikularrechte)」に対し,継受されたローマ法は,その間隙を埋める「共通法=普通法(gemeines Recht)」と呼ばれ,高度に発展した取引法上の必要に対応していた」ものであって,「ドイツ民法典190011日から施行〕編纂は,実際上,適用されていた普通法上の規範を汲み上げることから始められた」そうです(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法――ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)48頁)。)

(以下附論)

しかし,「ド民法理由書は消極的見解」であるとの我妻の紹介はいかがなものでしょうか。ドイツ民法第一草案206条(「債務関係の目的は,債務者の作為又は不作為(給付)であり得る。(Gegenstand eines Schuldverhältnisses kann ein Thun oder ein Unterlassen des Schuldners (Leistung) sein.)」)に関して,余計なことながら筆者がその理由書(Motive zu dem Entwurfe eines Bürgerlichen Gesetzbuches für das Deutsche Reich, Bd. II (Amtliche Ausgabe, 1888))を検するに,「財産権的利益(vermögensrechtliches Interesse)は,〔略〕当草案の見解によれば,債務の本質(Wesen der Obligation)に属しない。」(S.5),「債権者の財産権的利益は,当見解によれば,債務の本質に属しない。当該事案において法的な義務付け意思(Verpflichtungswille)が認められるかに係る証明を前提として,かつ,公序良俗に反する法律行為の無効(Hinfälligkeit)に係る規定を別として,債務関係の効力は,債権者が給付について他の保護に値する利益(anderes schutzwürdiges Interesse)を有していないことをもってしても争うことはできない。」(S.3. ただし,「保護に値する利益」不要論は,後に撤回されます。)というような記述があるところです。これは「消極的見解」ではなく,積極的見解でしょう。

第二草案205条(「債務関係に基づき,債権者は,債務者から給付を請求する権利を有する。給付は,作為又は不作為たることができる。(Kraft des Schuldverhältnisses ist der Gläubiger berechticht, von dem Schuldner eine Leistung zu fordern. Die Leistung kann in einem Thun oder einem Unterlassen bestehen.)」)に関する委員会審議録(Protokolle der Kommission für die zweite Lesung des Entwurfs des Bürgerliches Gesetzbuchs, Band II. 1897)を検すると,第一草案206条に関し,「債務関係の目的たり得るものは,財産的利益を有する給付(作為又は不作為)に限られる。(Gegenstand eines Schuldverhältnisses kann nur eine Leistung (Thun oder Unterlassen) von Vermögensinteresse sein.)」との内容を加えよとの提案及び「財産的価値を有しない給付は,その強制が取引慣行に反することになるときは,債務関係の目的たり得ない。(Eine Leistung, welche keinen Vermögenswerth hat, kann nicht Gegenstand eines Schuldverhältnisses sein, wenn es der Verkehrssitte widerstreiten würde, sie zu erzwingen.)」との項を加えよとの提案があったものの,いずれの提案も委員会において却下(ablehnen)されていたところです(S.279)。なお,同委員会は,第一草案の理由書における言明を修正して「保護に値する利益(schutzwürdiges Interesse)は,理由書3頁における言明にかかわらず,当然要求されなければならない。しかしながら,個人の自由に係る法によって認められている領域内に留まっている全ての利益は,保護に値するのである。拘束(Verbindlichkeit)の受容が法又は善良の風俗に反するものであってはならない,という制限以外の制限は,不要である。」との理解を示しています(Protokolle II S.281)。

「独乙民法草案ノ如キハ断然〔略〕債権ノ目的ハ必スシモ金銭ニ見積リ得ヘキモノタルヲ要セサルコトヲ明ニセリ(独一草206,同二草205,)」です(岡松参太郎『註釈民法理由 下巻』(有斐閣書房・1897年)16頁)。

なお,現在のドイツ民法241条は,「債務関係に基づき,債権者は,債務者から給付を請求する権利を有する。給付は,不作為たることもできる。/債務関係は,その内容に従い,相手方の権利,法的財産及び利益を配慮するように各当事者を義務付けることができる。(Kraft des Schuldverhältnisses ist der Gläubiger berechticht, von dem Schuldner eine Leistung zu fordern. Die Leistung kann auch in einem Unterlassen bestehen. / Das Schuldverhältnis kann nach seinem Inhalt jeden Teil zur Rücksicht auf die Rechte, Rechtsgüter und Interessen des anderen Teils verpflichten.)」と規定しています。

ついでながら,ドイツ民法第一草案206条に関し,「債務関係の目的たり得るものは,財産的利益を有する給付(作為又は不作為)に限られる。」との内容を加えよと主張した提案者の理由とするところは次のようなものでした。いわく,「その実現に債権者が財産的利益を有さない義務の義務付けをもって真正の債務関係であるものと認定することは,より新たな法の発展及び近代の取引の要求に対応するゆえんのものではない。当該認定は,一方において,財産権(Vermögensrechte)として必然的に金銭的価値(Geldwerthを有さねばならない債権(Forderungsrechte)と身分権(Familienrechte)との区別をなみすることになり,他方において,現行法からの,深くまで及び,かつ,高度に懸念される逸脱をもたらすことになる。ドイツの裁判所の実務(Praxis)として現れているところの当該法によれば,現実的執行(Naturalexekution)の方法による直接強制の可能性(direkte Erzwingbarkeit)は,物の給付及び非自由労働(operae illiberales)に係る対人権(obligatorische Rechte)にのみ認められ,これ対して,自由労働(operae liberales)に対する請求(Ansprüche)は否認されている。委託された事務の実行を求める委任者の受任者に対する,出版社の著作者に対する,定款上の総会出席義務の履行を求める団体のその構成員に対する権利等のごとし。全てのこのような義務は直接強制され得るものであると宣明することが求められるということであれば,契約の自由は無際限に拡張され,そして国家の裁判権に対してふさわしからぬ職務が要求されることになる。」と(Protokolle II S.280)。ここには「金銭的価値(Geldwerth)」との語が出て来ます。(なお,「契約の自由は無際限に拡張され,そして国家の裁判権に対してふさわしからぬ職務が要求されることになる。」とは,「或ハ斯ウ云フ法律ガアリマスレバ恐ラクハ私ハ猥リニ訴訟ヲ起シテ少シモ金銭ニ見積ルベキ利益ガナイデモ宜シイト云フコトガ明言シテアル以上ハ或ハ之ヲ極端ニ解釈シマシテ普通ノ約束事デモ一々之ヲ裁判所ニ持ツテ往ツテ裁判ヲ仰グコトガ出来ルカノ様ニ人ガ想像スル恐レハアルマイカト思フノデス〔略〕夫レ故此規定ヲ設ケルノハ恐ラクハ習慣ニ背クシ又ハ猥ニ訴訟ヲ起スト云フヤウナ畏レモアラウト思ヒマス」との,兄である陳重の提案に係る我が民法399条(の原案)不要論を唱える穂積八束の口吻を彷彿とさせるところがあります(第55回法典調査会(1895111日)(法務大臣官房司法法制調査部監修『日本近代立法資料叢書2 法典調査会民法議事速記録二』(㈳商事法務研究会・1984年)970-971頁))。八束は,「民法出デテ忠孝亡ブ」ことを避けるためならば,不悌たることも辞さなかったわけです。)

 

イ 非経済性と財産性との関係

また,「給付の内容は経済性をもたなくてもよい。」と一方では宣言しつつ,「このような内容の債権でも債務不履行になれば金銭による損害賠償に訴えざるをえないわけだから財産性はあるのだ,という考え方もある。結果論的にはそうもいえる。」となおもぶつぶつ言うのは,何やら「経済性」に依然未練があるようで,すっきりしません。しかし,この非すっきり感は,そのような債権を財産といえるのかという当該債権の財産性いかんの問題(債権の財産性がここで問題となるのは,「私権は,〔略〕人格権・身分権・財産権・社員権に分けることができる」ところ,「債権は,物権・無体財産権とならんで,財産権に属する。」(遠藤等編1頁(水本浩)。下線は筆者によるもの)とされているからでしょう。)を,当該債権の法律的効力の有無(経済性は不要)の問題と分けずに続けてべったりと記述したことから生じたもののようです。我妻は,別の問題としてきちんと段落を分けた上で,「金銭に見積りえない給付を目的とする債権は財産権ではないという見解がある。然し,法律的強制を加え,その不履行について金銭賠償を請求することができるものである以上,これを財産権の一種といっても不都合はあるまい。ただその財産性の稀薄なことを注意すれば充分であろう。」と説いています(我妻Ⅳ・24頁)。

 

2 沿革からする説明

 

(1)内田貴『民法Ⅲ 債権総論・担保物権』

前記のようにすっきりしていなかったところ,内田貴・法務省元参与による次のような説明には,読んでいて,なるほどと感じさせられるところがありました。

 

  では,なぜこのような条文〔民法399条〕が入ったのだろうか。これは,功利主義とは別系統の思想を背景とする古代ローマ法以来の沿革によっている。ローマ法では,たとえば,教師・医師・弁護士等の仕事は,本来金銭に見積もり得ない精神的なものとされていた。もちろん,これらの仕事を目的とする契約(委任契約)は可能であったが,それは本来は無償であり,これらの金銭に見積もり得ない義務の履行を求めて,強制的にその内容を実現することはできないと考えられていた。ボワソナードもこのような立場をとっており,旧民法は,原則として金銭に見積もることのできるものに限って債権の目的とするという立場に立っていた。しかし,これでは不便であり,そもそも今日の感覚に合わない。そこで,そのような立場を否定するために,念のためこのような規定が入ったのである。(内田貴『民法Ⅲ 第4版 債権総論・担保物権』(東京大学出版会・2020年)25-26頁)

 

 沿革による説明は,筆者の性分に合っているようです。

 

(2)星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』

 ということで更に,内田教科書の当該記述の淵源は何処にありやということを探ってみたくなるのですが,これは,「私は〔星野英一〕先生の授業のプリントを下敷きにして講義を始めまして,そうやって徐々にできあがった講義ノートをもとに教科書を書いたものですから,私の教科書は星野理論を万人にわかるように書いたものであると言われるのです。」ということですから(星野英一『ときの流れを超えて』(有斐閣・2006年)225頁(内田貴発言)),星野英一教授の著書に当たるべきことになります。

 

   債権の目的は,「金銭ニ見積ルコトヲ得サルモノ」でもよいとの規定がある(民法399条)。旧民法は,反対に,金銭に見積ることのできるものに限って債権の目的としていたので(明文の規定があったわけではないが,若干の規定とボアソナードの解説とから明らかであるとされる),これを改める趣旨を明らかにするために置いた規定とされ,具体的には,教師・医師・弁護士などの仕事が挙げられている〔略〕。ただ,今日では,すべての事項は(右に挙げたものも)少なくとも主観的には金銭に評価されるのが通常であるので,同条は,「本来」金銭に見積ることのできないもの,という趣旨と読むべきであろう。古い下級審判決に,寺僧が依頼者の祖先のために永代常念仏を唱える旨の約束につき,外形上の行為を伴なう念仏を目的とする場合は有効としたものがある(東京地判大正2年月日不詳(ワ)922号新聞98625)。なお,他から蒙った精神的損害,より広く「財産以外ノ損害」につき賠償請求権のあることについては,明文の規定がある(民法710条,711条)。(星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』(良書普及会・1981年)11-12頁)

 

なるほどさてそれでは旧民法の当該「若干の規定」及びそれらに係る「ボアソナードの解説」を自分でも検証してみよう,と筆者は今更思い立ったわけです。しかしこれは,新型コロナウイルス感染症対策国民精神総動員時代にふさわしからぬ不要不急の用事をみだりに好む弛んだゆるキャラ非国民の所行というべきでしょうか。

なお,前記永代常念仏に係る東京地判大正2年月日不詳(ワ)922号新聞98625頁の判示するところは,「寺院又は僧侶に財物を贈与するも,其意僧侶をして念仏又は他の供養を為さしむるに存し,施物はその念仏供養を為すに就ての資となさんとする場合に於て之を受けたるものが念仏供養等を為すべきことを約したるときは,斯る契約は法律上有効なるを以て,之が当事者は之を履行すべき義務あり・・・。蓋し,浄土宗の教義として,・・・正助の業は之を一心に為すに非れば其功徳な〔く〕,而も斯る内心の作用に就ての契約は法律上の効力を生せずと雖も,誦経礼拝し,又は香華灯明食物を供養するが如きは外形上の行為にして,且念仏も亦単に心中仏を念ずるを以て足れりとせず,称名念仏すべきものなる・・・を以て」(以上,奥田昌道編『新版注釈民法(10)Ⅰ 債権(1)債権の目的・効力(1)』(有斐閣・2003年)158-159頁(金山正信・直樹)における引用),「斯ル外形上ノ行為ノ部分ニ付テノ契約ハ法律上有効ナリト謂フヘク従ツテ債務者ハ宗教上ノ儀式ニ従ヒ荘厳ニ之ヲ修スルノ義務アルモノニシテ唯之ヲ修スルニ当リ一心ニ為スヘキコトヲ強要スルヲ得サルニ過キサルモノトス」というものでした(奥田昌道編『注釈民法(10)債権(1)』(有斐閣・1987年)58頁(金山正信)における引用)

 

3 旧民法における関連条項

星野教授の著書にいう旧民法の「若干の規定」とは,旧民法財産編(明治23年法律第28号)293条及び3231項並びに同財産取得編266条ということになるようです(梅謙次郎『訂正増補第三十版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)9頁参照)。

 

 財産編第293条 人権即チ債権ハ常ニ義務ト対当ス

  義務ハ一人又ハ数人ヲシテ他ノ定マリタル一人又ハ数人ニ対シテ或ル物ヲ与ヘ又ハ或ル事ヲ為シ若クハ為ササルコトニ服従セシムル人定法又ハ自然法ノ羈絆ナリ

  義務ヲ負フ者ハ之ヲ債務者ト名ツケ義務ニ因リテ利益ヲ得ル者ハ之ヲ債権者ト名ツク

 

 財産編第323条 要約者カ合意ニ付キ金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ正当ノ利益ヲ有セサルトキハ其合意ハ原因ナキ為メ無効ナリ

  第三者ノ利益ノ為メニ要約ヲ為シ且之ニ過怠約款ヲ加ヘサルトキハ其要約ハ之ヲ要約者ニ於テ金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利益ヲ有セサルモノト看做ス

  然レトモ第三者ノ利益ニ於ケル要約ハ要約者カ自己ノ為メ為シタル要約ノ従タリ又ハ諾約者ニ為シタル贈与ノ従タル条件ナルトキハ有効ナリ

  右2箇ノ場合ニ於テ従タル条件ノ履行ヲ得サルトキハ要約者ハ単ニ合意ノ解除訴権又ハ過怠約款ノ履行訴権ヲ行フコトヲ得

 

 財産取得編第266条 医師,弁護士及ヒ学芸教師ハ雇傭人ト為ラス此等ノ者ハ其患者,訴訟人又ハ生徒ニ諾約シタル世話ヲ与ヘ又ハ与ヘ始メタル世話ヲ継続スルコトニ付キ法定ノ義務ナシ又患者,訴訟人又ハ生徒ハ此等ノ者ノ世話ヲ求メテ諾約ヲ得タル後其世話ヲ受クル責ニ任セス

  然レトモ実際世話ヲ与ヘタルトキハ相互ノ分限ト慣習及ヒ合意トヲ酌量シテ其謝金又ハ報酬ヲ裁判上ニテ要求スルコトヲ得

  此等ノ者ノ世話ヲ受クルコトヲ諾約シタル後正当ノ原因ナクシテ之ヲ受クルコトヲ拒絶シタル者ハ其拒絶ヨリ此等ノ者ニ金銭上ノ損害ヲ生セシメタルトキハ其賠償ノ責ニ任ス

  之ニ反シテ世話ヲ与フルコトヲ諾約シタル後正当ノ原因ナクシテ之ヲ拒絶シタル者ハ因リテ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス

 

 これらの条項に関する現行民法起草者の理解は,1895111日の第55回法典調査会における穂積陳重の説明によると,「既成法典ニ於キマシテモ矢張リ其債権ノ目的ハ帰スル所金銭ニ見積ルコトガ出来ナケレバナラヌト云フ主義ヲ取ツテ居ツタモノト解シマス」というもので,その根拠としては「夫レハ合意ニ関スル所ノ規定ニモ合意ハ金銭ニ見積ルモノデナケレバ原因ト為スコトハ出来ヌト云フコトガアリマス又雇用契約ノ場合ニ於テモ医師デアルトカ弁護士教師ノ様ナ者ノ義務,其勤労ト云フモノハ強ヒテ継続サセルコトハ出来ヌト云フ規定ガアリマス」ということで旧民法財産編3231項及び同法財産取得編2661項の規定が挙げられていました(第55回法典調査会議事速記録969頁)。

 

4 ボワソナアドのProjetにおける解説

星野教授の著書にいう「ボアソナードの解説」は,ボワソナアドのProjetについて見るべきものでしょう。穂積陳重の前記理解に沿う記述があるかどうか。

 

(1)旧民法財産編293条等に関して

 

ア 旧民法財産編293条

旧民法財産編293の原案(314条)についてボワソナアドは,「人権(droits personnels)は,物権と共に,人の資産(le patrimoine)を組成する財産(Biens)の総体(l’ensemble)をなす。」と述べつつ(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations. Tokio, 1891. p.2),「与えること(dare)とは,所有権又は他の物権を移転することである」(p.5),「為すこと(facere)とは,他者にとって有用又は有益な行為(un acte utile ou profitable)であって譲渡(dation)以外のものを実行することであって,肉体又は精神労働(un travail manuel ou intellectuel),使用人の仕事(un service personnel),仲立ち(une entremise),運搬(un voyage),特定の用途のための物の給付又は引渡し(une prestation ou livraison de chose pour un usage déterminé)のごとし」(pp.5-6)及び「為さざることとは,彼の財産についてであっても,又は他者の財産についてであっても債務者が原則として実行することができ,また合法である行為であって,債権者のより大きな利益のために実行しない旨約したものを差し控えることである。建物を賃貸し,又は商用地を譲渡した者が,賃借人又は譲受人の利益のために,彼らと競合するものとなるべき事業又は商業を行うことを自らに禁ずる場合のごとし。」(p.6)といった説明をしています。

旧民法財産編2931項にある「人権」の語は,「人権ト云フ字ハドウモ面白クナイノハ人権ト言ヘバ人ノ権デアリマスガ物権デモ人ノ権デアリマスガ物権デモ人ノ権デアリマスシ又対(ママ)権ト言ヒマシテモ矢張リ人ノ権デ只主タル目的ガ直接ノ物ニ関スルト云フ位デアリマシテドウモ此人権ト云フ字ハ能ク考ヘテ見マスト穏カデアリマセヌト思ヒマス人権消滅トカ人権ヲ譲渡ストカ人権ヲ抛棄スルトカドウモ斯ノ如キ場合ニ使ウ訳ニハ往キマセヌ55回法典調査会議事速記録966-967頁(穂積陳重)),「「各()天賦ノ()利」ノ意義ニモ之ヲ用ヒ日本ノ従来ノ慣例ニ視テ債権ト同一ノ意義ニ之ヲ用フルコト極メテ穏当ナラサルカ故ニ新民法ニ於テハ常ニ債権(〇〇)ナル文字ヲ用ヒ敢テ人権ナル文字ヲ用ヒス」ということで(梅2-3頁),現在は民法用語ではなくなっています。

旧民法財産編2932項の「人定法又ハ自然法ノ羈絆」とはものものしいのですが,同法財産編294条を見ると,「人定法ノ義務ハ其履行ニ付キ法律ノ許セル諸般ノ方法ニ依リテ債務者ヲ強要スルコトヲ得ルモノナリ/自然ノ義務ニ対シテハ訴権ヲ生セス」とあります。「法ノ羈絆」との語は,ローマ法用語のvinculum jurisに由来するものです(Boissonade II p.5)。

 

イ 自然の義務ないしは自然債務

 

(ア)起草者の見解

なお,旧民法財産編562条(「自然義務ノ履行ハ訴ノ方法ニ依リテモ相殺ノ抗弁ニ依リテモ之ヲ要求スルコトヲ得ス其履行ハ債務者ノ任意ナルコトヲ要シ之ヲ其良心ニ委ス」)以下にはあった自然義務(Obligation naturelle, Naturalobligation)ないしは自然債務の規定は現在の民法にはないのですが,梅謙次郎によれば,これは「元来羅馬法ノ如ク形式ニ拘泥スルノ極法律カ保護スヘキ権利ニシテ唯形式ニ缺クル所アルカ為メ之ヲ保護スルコト能ハサル場合ニ於テ其法律ノ不備ヲ矯正センカ為メニ完全ナル権利トシテ其効力ヲ認ムルコト能ハサルモ(ママ)メテハ是ヨリ自然義務ナルモノヲ生スルモノトシ之ニ幾分カ不完全ナル効力ヲ付スルヲ以テ已ムコトヲ得サルモノトセシハ敢テ怪シムニ足ラスト雖モ法律ノ進歩スルニ従ヒ凡ソ法律ノ保護スヘキ権利ハ総テ相当ノ方法ヲ以テ之ヲ保護スル以上ハ敢テ其外ニ所謂自然義務ナルモノヲ認ムルノ要ナシ是レ新民法ニ於テハ法律ニ定メタル普通ノ義務即チ法定義務ノ外一種異様ノ義務ヲ認ムルコトヲ為ササル所以ナリ但旧民法,仏民法等ノ如ク所謂原因(〇〇)ナルモノヲ以テ法律行為ノ要素トスルトキハ其原因ナキカ為メ無効タルヘキ法律行為尠カラサルヘキカ故ニ之ヲ有効トスル為メ往往自然義務ノ存在ヲ認ムルノ必要アルヘシト雖モ〔筆者註:ただし,旧民法財産編566条前段は「原因ノ欠缺〔略〕ノ為メ無効ナル合意ハ自然義務ヲ生スルコトヲ得ス」と規定していました。〕新民法ニ於テハ所謂原因ナルモノノ必要ヲ認メサルカ故ニ〔略〕益〻自然義務ノ必要ヲ認メサルナリ」ということでした(梅6-7頁)。

また,189362日の法典調査会第4回民法主査会において穂積陳重によって挙げられた,「既成法典ノ内デ最モ著シキ缺点ト思」われるもの(法典調査会民法主査会議事速記録1巻(日本学術振興会・1937324日写了)149丁裏)たる自然義務に関する規定(旧民法財産編第2部第4章)を,現行民法から削ることとした理由は次の諸点です。第1に「論理上ノ誤謬」を法典上に現わすべきではないということであって(151丁),①事後的な給付保持力だけあって(旧民法財産編5631項参照)後ろ向きである自然義務は義務としてふさわしくない(「日本ノ法典ニ於テ義務ト申シマスルモノハ常ニ人権ニ対(ママ)旧民法財産編2931項・2項参照),「然ルニ此自然義務ト云フモノハ作為若クハ不作為ノ義務ヲ尽サセル事ヲ法律デハ命ジテ居ナイ,唯法律ノ規定トナツテ現ハレルモノガ所謂自然義務ヲ尽シタ後ノ結果ノ事丈ケノコトテアル」(150丁表),「所謂自然ト云フ道徳上ノ義務ナルモノガアツテ夫レガ終リマシタ後ノ事丈ケガ書テアリマス」(150丁裏),「殊更ニ自然義務ト云フ事ヲ此処ニ掲ケテアリマスルト義務ト云フモノハ将来ニ於テ尽サシメルトアリナガラ又他ノ一方ニ於テ尽サシメル事ハ無イト云フコトニナリマスカラシテ即チ法典中ニ於テ前後撞着ノ事ヲ現ハスヤウニナツテ居ルト思ヒマス」(150丁裏)),②名称がおかしく,人定法ノ義務は自然ノ義務ではないから不自然な義務なのか,自然ノ義務は人定法ノ義務でない義務ならばそれを法律(人定法)たる民法典に規定してよいのか,という問題が提起され得る(「又此処ニ自然義務ト云フ事ヲ明カニ掲ケマシタトキハ他ノ義務所謂法定ノ義務ナルモノハ自然ノ道理ト云フモノニ反シテ居ル云フヤウナ意味モ自ラ現ハレルヤウナ嫌ヒモアリマス」(150丁裏),「又法定ノ義務ト云フ事ヲ言フト法定以外ノ義務ト云フモノ〔自然義務〕ヲ又法律デ定メルト云フヤウナ事ニナツテ法理上ノ誤謬ト云フモノヲ此内ニ含ムヤウニナリマス」(150丁裏)),及び③義務が消滅したはずなのに自然義務は存在する場合があって(旧民法財産編569条・570条参照)おかしい(「一方ニ於テハ義務ハ或ル原由ニ依テ消滅スルト云フ事ヲ法律デ殊更ニ定メテ置テ弁済トカ廃棄(ママ)トカ削除(ママ)トカメテキナガラテハ義務消滅原因アツタ義務シテル」等(151丁表)),というような点が指摘されています。第2は,「制裁ノ無イ権利義務ト云フモノガ存スルト云フ事ヲ公然認メルヤウニ」なることは避けたいこと(151丁裏)。第3は,「自然義務ニ関スル規程ト云フモノガ此義務自身ノ規程デ無クシテ或ル法律以外ノ義務ノ弁済ノ結果ト云フモノニ関スル規程デアリマスカラシテ此義務ト云フモノガ既ニ消ヘタ後ノ事ヲ規定スルノデアル,然レバ義務ノ規程デアリマセヌカラシテ縦令ヒ此規程カ入要デアルトシテモ他ノ所ニ之ヲ掲クヘキ」であること(151丁裏)。これは第1の①と関連しています。第4は,自然義務の「性質ト云フモノモ其範囲ト云フモノモ国ニ依リ人ニ依ツテ皆ナ変ツテ居リマスルモノテアリマスカラ一定ノ義務トシテ之ヲ法典ノ上ニ存シテ置ク事ハ宜クナイ」こと(151丁裏-152丁表)。第5は,自然義務の「弁済」は「法律上ノ目カラ言ヘハ義務ノ弁済デハ無」く「贈与ノ効果ヲ生スルモノデアル,即チ単純ノ手渡ニナル贈与ノ効果ヲ生スルモノ」と考えられること(152丁表)。最後に,「諸国ノ法典ニ於テモ我法典ノ如ク委シク緻密ナル事ニマデ立入ツテ此自然義務ノ規程ヲ掲ケタ所ハアリマセヌ,即チ言ハナクテモ宜イ事ヲ細カニ此処ニ挙ケテアルノテアリマシテ此各条デ御覧ニナルト他ノ場合ニ於テ既ニ当然分ツテ居ル結果ヲ殊更ニ列ヘテ居ルニ過キナイ事ガ多イノテアリマス」(152丁)とのボワソナアドのくどい仕事振り批判及び追認,更改又は質若しくは抵当の供与の目的となることによって自然義務が通常の法定の効力を生ずるようになる旨規定する旧民法財産編564条に関しての「之モ厳正ナル法理論カラ言ヘハ素ヨリ法律ノ規程ニ依テ是レヨリシテ新タニ法定ノ義務ノ生スル原因」であるのであって「是ニ依テ自然義務ナルモノガ存在シ継続スルト云フモノデハナイ」(152丁裏)との駄目押しがありました。

 

(イ)カフエー丸玉女給事件

しかし,起草者の前記見解に対して,カフエー丸玉女給事件判決(昭和10425日新聞38355頁)において大審院第一民事部(池田寅二郎裁判長)は注目すべき判示を行います。いわく,「案ずるに原判示に依れば上告人は大阪市南区道頓堀「カフエー」丸玉に於て女給を勤め居りし被上告人と遊興の上昭和81月頃より昵懇と為り其の歓心を買はんが為め将来同人をして独立して自活の途を立てしむべき資金として同年418日被上告人に対し金400円を与ふべき旨諾約したりと云ふに在るも叙上判示の如くんば上告人が被上告人と昵懇と為りしと云ふは被上告人が女給を勤め居りし「カフエー」に於て比較的短期間同人と遊興したる関係に過ぎずして他に深き縁故あるに非ず然らば斯る環境裡に於て縦しや一時の興に乗じ被上告人の歓心を買はんが為め判示の如き相当多額なる金員の供与を諾約することあるも之を以て被上告人に裁判上の請求権を付与する趣旨に出でたるものと速断するは相当ならず寧ろ斯る事情の下に於ける諾約は諾約者が自ら進で之を履行するときは債務の弁済たることを失はざらむも要約者に於て之が履行を強要することを得ざる特殊の債務関係を生ずるものと解するを以て原審認定の事実に即するものと云ふべく原審の如く民法上の贈与が成立するものと判断せむが為には贈与意思の基本事情に付更に首肯するに足るべき格段の事由を審査判示することを要するものとす」云々と。

 

ウ 道徳上の義務及び宗教上の義務

更に前記旧民法財産編294条に関しては,同条に係るボワソナアドの原案(315条)には後に削られた第3項があって,“La loi n’intervient pas dans l’exécution des obligations purement morales ni dans l’observation des devoirs religieux.”(法は,純然たる道徳上の義務の履行又は宗教上の義務の遵守には干与しない。)と規定していました。純然たる道徳上の義務又は宗教上の義務は,確かに現行民法399条を前提としても,同法上の債権の目的とはならないでしょう。「金銭に見積りえない給付を目的とする契約は,単に道徳・宗教などの規律を受けるだけで,法律的効力を生じないものと解すべき場合も絶無ではあるまい。」ということになります(我妻Ⅳ・23頁)。前記東京地判大正2年月日不詳(ワ)922号新聞98625頁も,「外形上の行為」をとらえて,そこに係る約束をもって法的に有効としたわけです(しかし,この判決の理論を推し進めれば,檀家に依頼されて仏教僧の唱える念仏には「一心ニ為ス」ものではない単なる「外形上」のものもあり得る,ということになりますから,かの津地鎮祭事件最高裁判所昭和52713日大法廷判決(民集314533頁)の追加反対意見において「神職は,単なる余興に出演したのではない。」との辛辣の言をもって当該地鎮祭を主宰した神職の尊厳のために獅子吼した藤林益三最高裁判所長官(1968年度の第一東京弁護士会常議員会議長)的発想からすれば,仏教及び仏教僧を侮辱する仏罰必至的判決であるということにもなりそうです。とはいえ藤林長官の潔癖は,基督教徒的生真面目というものであって(ちなみに,テオドシウス大帝的基督教信仰に従えば,新型コロナウイルス感染症の流行云々以前に,そもそも異教起源のオリンピック競技大会など最初から開催してはならないものなのでした。),たとえ念仏に心がこもっていなくても阿弥陀如来は衆生を必ず救ってくださるというところに仏教のおおらかな優越性があるのかもしれません。「念仏をとなえるにさいし「一心ニ為スヘキコトヲ強要スルコトヲ得サル」においては,文字通りの空念仏に帰する」(奥田編旧版58頁(金山正信))わけでは必ずしもないでしょう。「信ぜざれども,辺地懈慢,疑城胎宮にも往生して,果遂の願ゆへに,つゐに報土に生ずるは名号不可思議のちからなり。これすなはち,誓願不思議のゆへなれば,たひとつなるべし。」と『歎異鈔』にあります(しかし,やはり「浄土宗の教義として,・・・正助の業は之を一心に為すに非れば其功徳な」し,ということですので,藤林長官的憤慨は,なお有効であるようです。)。ボワソナアドによれば,「自己の天命を果し,かつ,同胞に対して有為の者たるべく,正直であり,かつ,規律ある生活を送る,というような,人の自己自身に対する義務についていえば,これは既に法的な義務ではなく,道徳上の義務である。」,「彼の悪徳(vices)が他者に直接かつ相当(appréciableな損害を与えない限り,法は干与しない。」ということでした(Boissonade II p.9)。1889年発布の大日本帝国憲法28条が信教の自由について規定していたことから(「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」),ボワソナアド原案3153項の維持は不要とされたとのことです(Boissonade II p.12 (1))。


後編に続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078124004.html 

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1 共同不法行為の謎

 

   共同不法行為とは,719条という1カ条の条文に規定されているに過ぎない制度であるが,従来から大きな論争点のひとつであり,その解釈は混迷を極めている。なぜだろうか。

   まず,「数人が共同の不法行為に因りて他人に損害を加へたるときは各自連帯にてその賠償の責に任ず」と規定する1項前段は,加害者に連帯責任を課すことにより被害者を保護した規定らしいことは分かるが,「共同の不法行為」とは何かが明らかではない。また,共同行為者中の孰れがその損害を加へたるかを知ること能はざるとき亦同じ」と規定する後段は,加害者不明の場合の規定らしいことは分かるが,「共同行為」とは何かが明らかではない。そして,「共同の不法行為」と「共同行為」との関係も明らかではない。

   これらの点について,起草者の考え方自体はっきりせず(というより一貫せず),かつその後の学説も,各人各様で対立している。そして,判例も,何をもって共同不法行為と考えているのか,必ずしもはっきりしない。このような混迷の原因は,何のために719条があるのかについてそもそも見解が一致しないところにある。

        (内田貴『民法Ⅱ債権各論』(東京大学出版会・1997年)486-487頁)

 

こういわれると,民法(明治29年法律第89号)719条は避けて通りたくなるのですが,そうもいきません。

 

   このように,〔民法719条は〕理論的に問題の多い制度であることに加えて,とくに公害訴訟との関連で,実践的にも,この制度の理解いかんが実際の訴訟の結論に影響を与えることとなったため,以来注目を集めるに至っているのである。(内田Ⅱ487頁)

 

 ということでやむなく,かつて筆者は,夫子・内田貴弁護士の学説に従って民法719条を整理して理解し人にも説明しようと試みたのですが,やはりうまくいかない。

 

  「内田先生のあの本,共同不法行為のところ,何書いているのかさっぱり分からない・・・」

 

 との,某学部長先生(現在は第一東京弁護士会所属の弁護士)からかつて伺った御意見が,誠にむべなるかなと筆者の記憶中に改めてよみがえったところです。

 しかし,「現在のところ,719条の適用領域を画する基準については諸説が乱立し,帰一するところを知らない状況である。判例の考え方も明確ではない。」ということですから(内田Ⅱ490頁),何らかのもっともらしい理屈に基づき何かを言う限りは完全に間違った妄言ということにはならないのでしょう。その意味では,本稿を書きつつ筆者はやや気楽です。

 

  (共同不法行為者の責任)

  第719条 数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは,各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも,同様とする。

  2 行為者を教唆した者及び幇助した者は,共同行為者とみなして,前項の規定を適用する。

 

2 旧民法財産編378条並びにドイツ民法830条及び840条1項

 

(1)旧民法財産編378条の条文

民法719条の前身規定として同法起草者の一人である梅謙次郎によって挙げられているものには外国法の規定はなく,旧民法財産編(明治23年法律第28号)378条のみが示されています(梅謙次郎『民法要義巻之三債権編(訂正増補第30版)』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)906頁)。

 

 第378条 本節〔第3節 不正ノ損害即チ犯罪及ヒ准犯罪〕ニ定メタル総テノ場合ニ於テ数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任シ各自ノ過失又ハ懈怠ノ部分ヲ知ル能ハサルトキハ各自全部ニ付キ義務ヲ負担ス但共謀ノ場合ニ於テハ其義務ハ連帯ナリ

 

(2)ドイツ民法830条及び840条1項の各条文

しかしながら,日本民法719条とドイツ民法(我が民法第1編から第3編までの公布と同年の1896年公布)830条とはよく似ています。

 

       §830

  (1) Haben mehrere durch eine gemeinschaftlich begangene unerlaubte Handlung einen Schaden verursacht, so ist jeder für den Schaden verantwortlich. Das Gleiche gilt, wenn sich nicht ermitteln lässt, wer von mehreren Beteiligten den Schaden durch seine Handlung verursacht hat.

  (2) Anstifter und Gehilfen stehen Mittätern gleich.

 

     第830条

  1 数人が一の共同(gemeinschaftlich)にされた不法行為によって一の損害を惹起したときは,各人は当該損害に対して責任を負う。数人の関与者のうち(von mehreren Beteiligten)だれがその行為によって損害を惹起したかを知ることができないときも,同様とする。

  2 教唆者及び幇助者は,共同行為者と同様である(stehen Mittätern gleich)。

 

ただし,日本民法7191項は連帯債務であることを明言していますが,ドイツ民法8301項では「各人は当該損害に対して責任を負う。」とだけあってその点がなおはっきりしていません。ドイツ民法8401項を見なくてはなりません。ドイツでも連帯債務です。

 

        §840

  (1) Sind für den aus einer unerlaubten Handlung entstehenden Schaden mehrere nebeneinander verantwortlich, so haften sie als Gesamtschuldner.

 

     第840条

  1 一の不法行為から生ずる損害に対して数人が併存的に(nebeneinander)責任を負うときは,当該数人は連帯債務者として(als Gesamtschuldner)責任を負う。

 

(3)ドイツ民法第一草案714条(1888年)の条文

ドイツ民法830条は,1888年の第一草案では次のとおりでした(ドイツ民法の草案やその理由書・議事録がインターネットで見ることができてしまうので,髭文字を読解せねばならず,かえって大変です。)。

 

     §714

Haben Mehrere durch gemeinsames Handeln, sei es als Anstifter, Thäter oder Gehülfen, einen Schaden verschuldet, so haften sie als Gesammtschuldner. Das Gleiche gilt, wenn im Falle eines von Mehreren verschuldeten Schadens von den Mehreren nicht gemeinsam gehandelt, der Antheil des Einzelnen an dem Schaden aber nicht zu ermitteln ist.

 

     第714条

数人が(Mehrere),教唆者,行為者又は幇助者のいずれかとして,「共同」の行為(gemeinsames Handeln)によって一の損害をひき起こした(verschuldet)ときは,連帯債務者(Gesammtschuldner)として責任を負う。数人によってひき起こされた一の損害について当該数人が「共同」に行為していなかった(nicht gemeinsam gehandelt)場合において,しかし当該損害に係る各人の寄与分(Antheil)を知ることができないときも,同様とする。

 

ここで「共同」と括弧がついているのは„gemeinsam“であって,括弧なしの共同である„gemeinschaftlich“との訳し分けを試みたものです。

„Antheil“を「寄与分」と訳してみましたが,どうでしょうか。「原因力の大小等」(我妻榮『事務管理・不当利得・不法行為』(日本評論社・1937年(第1版))194頁参照)ともいい得るものでしょうか。(なお,ある結果に対してある事実が原因であるかどうかは厳密にはディジタル的な有無の問題であって,アナログ的な大小の問題ではないところです。)

 このドイツ民法第一草案714条は,見たところ,我が旧民法財産編378条と同じようなところのある規定であるようです。

 まず,ドイツ民法第一草案714条の第1文(「数人が,教唆者,行為者又は幇助者のいずれかとして,「共同」の行為(gemeinsames Handeln)によって一の損害をひき起こしたときは,連帯債務者(Gesammtschuldner)として責任を負う。」)は,我が旧民法財産編378条ただし書(「共謀ノ場合(であってすなわち当該「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任」ずる場合)ニ於テハ其義務ハ連帯ナリ」)と同じ規定であるように思われます(当該ただし書においては教唆者及び幇助者の取扱いについては明文で取り上げられてはいませんが。)。

ドイツ民法第一草案714条の第2文は,当該数人の「共同」の行為(gemeinsames Handeln)ではない場合ではあるが,それらの者の全員が各々当該損害の発生に何らかの寄与をしているときに関する規定であると読むことができます。我が旧民法財産編378条本文も,同条ただし書の場合以外の場合(共謀ではない場合)を含んでおり,かつ,「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任シ各自ノ過失又ハ懈怠ノ部分ヲ知ル能ハサルトキハ各自全部ニ付キ義務ヲ負担ス」というのですから,共謀でない当該場合において「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任」ずるのは,当該数人のいずれについても損害の発生の原因行為をしていることが認められるときであるということを前提とするもののようです(当該損害を惹起した「過失又ハ懈怠」の各人における存在を前提としているものと解されます。ただし,「同一ノ所為」であって「損害」ではないのですが,次に見るボワソナアドの草案では「所為」は"fait"ですので,ここでは,なされた結果に重点を置いて理解すべきなのでしょう。)。しかしながら効果については,ドイツ民法第一草案第2文は連帯債務とするのに対し,我が旧民法財産編378条本文は全部義務とするところにおいて,両者は相違します。

 

(4)ボワソナアド草案398条

とここで,旧民法財産編378条が基づいたところのボワソナアドの草案398条及びその解説を見てみる必要があるようです。少々長い寄り道となります。

 

   398.  Dans tous les cas prévus à la présente Section, si plusieurs personnes sont responsables d’un même fait, sans qu’il soit possible de connaître la part de faute ou de négligence de chacune, l’obligation est intégrale pour chacune, conformément à l’article 1074.

      S’il y a eu entre elles concert dans l’intention de nuire, ells sont solidairement responsables. [C. it. 1156]

  Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations (Tokio, 1891) p.311

 

“concert dans l’intention de nuire”ですから,旧民法378条の「共謀」は,故意の加害に係る共謀ということになります。

イタリア民法典の第1156条が参考条文として挙げられていますが,残念ながら筆者はイタリア語をつまびらかにしません。

 ボワソナアド草案1074条とは,旧民法債権担保編(明治23年法律第28号)73条のことです。

 

       第4款 全部義務

  第73条 財産編第378条,第497条第2項及ヒ其他法律カ数人ノ債務者ノ義務ヲ其各自ニ対シ全部ノモノト定メタル場合ニ於テハ相互代理ニ付シタル連帯ノ効力ヲ適用スルコトヲ得ス但其総債務者又ハ其中ノ一人カ債務ノ全部ヲ弁済スル言渡ヲ受ケタルトキモ亦同シ

   然レトモ一人ノ債務者ノ為シタル弁済ハ債権者ニ対シ他ノ債務者ヲ免レシム又弁済シタル者ハ事務管理ノ訴権ニ依リ又ハ債権者ニ代位シテ得タル訴権ニ依リテ他ノ債務者ニ対シ其部分ニ付キ求償権ヲ有ス

 

             DE L’OBLIGATION SIMPLEMENT INTÉGRALE.

    ART. 1074. --- Dans le cas des articles 88, 152, 398, 519, 2e alinéa, et tous autres où l’obligation de plusieurs débiteurs est déclarée par la loi “intégrale ou pour le tout” à l’égard de chacun d’eux, il n’y a pas lieu de leur appliquer ceux des effets de la solidarité qui sont attachés au mandate réciproque, même après qu’ils ont, en tout ou en partie, subi la condemnation intégrale.

        Mais le payement fait par un seul libère tous les autres vis-à-vis du créancier, et celui qui a payé a son recours contre les autres pour leur part et portion, tant par l’action de gestion d’affaires que par les actions du créancier auxquelles il est subrogé de plein droit.

      Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Quatrième, Des Preuves et de la Prescription, Des sûretés ou Garanties. (Tokio, 1891) p.162

 

ボワソナアド草案3981項は全部義務となる場合を規定し,同条2項は連帯債務となる場合を規定します。ボワソナアドによる同条の解説は,いわく。

 

  我々はここ〔ボワソナアド草案398条〕において,複数の人の用益に供され,又は複数の人に賃貸された家屋の火災に関して既に見たところ(草案88条及び153条参照)の責任の規整と同様の規整を見出す。

  この節において法が過失あるものと推定するところの複数の者(personnes que la loi présume en faute)中の各人についてその過失又は懈怠(négligence)の部分(part)を知り,かつ,決定することが可能である場合においては,彼らに対して全部義務(une responsabilité intégrale)を課することは衡平を欠くこととなろう。しかしながら,各個の過失の程度に係る当該確認は,ほぼ常に不可能である。そこで(alors),法は,各人が過失全体について有責であるものとみなすのである。読者は,第1074条について,債務に係るこの形態(cette modalité des obligations)――連帯債務(solidarité)の隣人ではあるが,それと混同してはならない――についての詳細を知ることができる。

  均一又は不均一に定められた持分において(pour des parts)複数の人によって所有される動物によって,又はそのような建物の崩壊によって損害(dommage)が惹起された場合においては,人はあるいは躊躇するであろう。この場合においては,衡平は,損害を生じさせた物に係る彼の所有権の割合に応じた責任以外の責任を各人に課することを許さないようにあるいは思われるであろう。しかし,これは幻覚である。例えば,建物の半分の持分の共有者でしかない者であっても,その半分のみについて建物を維持し,及び修繕するということは許されず,全体についてしなければならなかったのである。より強い理由をもって,危険な動物について,彼はそれをその全体について管理しなければならなかったのである。すなわち,その一部分以外については動物が管理されずにあり得るというようなことはおよそ考えることができない。共有者の各権利の割合に応じて責任を分割するものとする反対説は,知らず知らずのうちに,委付(abandon noxal)に係るローマの古い理論の影響を被ってしまっているのである。すなわち,生物又は無生物によって惹起された損害に係る責任から,損害の被害者に当該物を委付することによって逃れることを許す法制下においては,各共有者の責任がその持分を超え得ないことは明白である。しかしながら,この上なくより合理的かつ衡平な現在の制度は,もはやそうではない。そこにおいては,責任は,所有者の懈怠の上にのみ基礎付けられるのである。しかして,監督(surveillance)は性質上不可分であるので,責任は全部に及ぶものでなければならないのである。

  復数の人による過失(la faute de plusieurs)が意図的かつ共謀に基づくもの(volontaire et concertée)である場合においては,そうであればそれは私法上の犯罪(un délit civil)を構成するのであって,法は,複数の人による刑法上の犯罪の場合と同様に,そうであれば当該債務は連帯solidaire)であるものと宣言する。全部義務(l’obligation simplement intégrale)よりもより厳格な連帯債務(l’obligation solidaire)については,第4編第1部(第1052条以下)において説明される1

 

(1)〔ボワソナアドの原註〕古い案文においては,全ての場合において連帯義務(la responsabilité solidaire)となるものとされていた。その後,ここに示された区分(distinction)を我々(nous)は提案し,しかして当該区分は正式法文(第378条)に採用された。

Boissonade, Tome II, pp332-333

 

 「この節において法が過失あるものと推定するところの複数の者中の各人についてその過失又は懈怠の部分を知り,かつ,決定することが可能である場合においては,彼らに対して全部義務を課することは衡平を欠くこととなろう。」とありますから,その過失又は懈怠が,部分(part)としてはいかに小さいにせよ,損害の原因となっていることは証明されている,ということが前提とされているものでしょう。

 なお,そもそも「この節において法が過失あるものと推定するところの複数の者中の各人についてその過失又は懈怠の部分を知り,かつ,決定することが可能である場合」以外の場合(その過失又は懈怠の部分を知り,かつ,決定することが不可能である場合)において,分割債務(民法427条)又は連合ノ義務(旧民法財産編440条)の規定によらないこととされているのは,「数人の〔略〕債務者が同一内容の給付を〔略〕履行すべき義務を有し,而して〔略〕一人のなす履行によつて消滅する同じ数個の債権債務関係」が「不法行為又は債務不履行によつて損害を発生した場合」に発生するものとされていたローマ法(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)273-274頁)以来の伝統のゆえでしょうか。

 ローマ法における委付の話も出て来ますが,これは,「家長主人が権力服従者の加害行為に関し罰金又は損害額を支払う(noxam sarcire)代りに,加害者,加害動物を委附して(noxae dedere, noxae datio)その責を免れるを特色とする訴権を加害訴権(actio noxalis)という。〔略〕当初に於ては委附が本来の債務で,ただ支払によつて委附債務を免れ得たと解せられる。委附の目的は被害者の復讐に任せるにあつた。」というものだったそうです(原田234-235頁)。

 ボワソナアド草案88条は,次のとおり。

 

    88.  Si les choses soumises à l’usufruit ont péri par un incendie, en tout ou en partie, l’usufruitier n’en est responsable que si sa faute est prouvée en avoir été la cause.

      S’il y a plusieurs usufruitiers, la responsabilité est intégrale à la charge de chacun de ceux qui sont en faute.

  (Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Premier, Des Droits Réels. (Tokio, 1890) pp.167-168

 

  第88条 用益権の目的である物の全部又は一部が火災により滅失した場合においては,用益者は,その過失が原因であったことの証明がない限り責任を負わない。

    用益者が複数であるときは,責任は,過失のあった者の各々について全部の支払となる。

 

 ボワソナアド草案882項についての同人の説明は,次のとおり。

 

法はまた,複数の共同用益者(plusieurs usufruitiers conjoints)が存在する場合であって,彼らについて共同の過失(faute collective)が立証されたときについて備えなければならなかった。この場合,彼らは連帯して責任を負うものと宣言すべきであったろうか,それとも彼らの責任を等分すべきであったろうか。これらの解決案のいずれも受け容れ難く思われた。すなわち,連帯は重きに過ぎ,分割は――一つの過失は複数の部分によってなされるものではないのであるから――非論理的であった。法は,中道を採るものである。すなわち,債務は全部義務であって(l’obligation sera intégrale ou pour le tout),連帯ではない。この解決は,第4編第1部において連帯債務(第1052条以下)及び全部義務(第1074条)がどのようなものであるかを読者が見たときに,よりよく理解されるであろう。(Boissonade, Tome I, pp.187-188

 

 ボワソナアド草案152条及び153条は,次のとおり。

 

 ..152.  Si les choses louées ont péri, en tout ou en partie, par un incendie, le preneur n’en est responsable que si l’incendie est prouvé avoir été causé par sa faute. [Contrà 1733.]

 

 ..153.  Au cas de plusieurs locataires de la même chose, tous ceux dont dont la faute est prouvée sont intégralement responsables de l’incendie.

  [Contrà 1734; L. fr. du 5 janv. 1883]

                                             Boissonade, Tome I, p.280

 

 第152条 賃借物の全部又は一部が火災により滅失した場合においては,賃借人は,当該火災はその過失を原因とするとの証明がない限り責任を負わない。(反対:フランス民法1733条)

 

  第153条 同一の物の賃借人が複数であるときは,そのうちその過失が証明された全ての者は,火災につき全部義務を負う。

  (反対:フランス民法1734条,フランス188315日法)

 

フランス民法1733条は賃借人の過失を推定し,同法1734条は連帯債務とし,フランス188315日法は,各自の住居の賃料に比例した責任を負うものとしていたそうです(Boissonade, Tome I, p.288)。

 

(5)ドイツ民法第一草案714条の理由書(Motive

 さて,再びドイツ民法第一草案714条。

 同条について,ドイツ民法第一草案理由書(Motive)は,次のように述べます。

 

教唆者,行為者又は幇助者のいずれかとして,「共同」の行為によって一の損害をひき起こした数人は,連帯債務者として責任を負う,という規定は,現行法を踏襲(wiedergeben)するものである。もっとも,普通法理論においては(in der gemeinrechtlichen Theorie),そのようなものとしての教唆者の責任について,異論がある。しかしながら,今日の法にとっては,そのような論争に意義は認められない。

同様の連帯債務者責任(die gleiche gesammtschuldnerische Haftung)が,数人によってひき起こされた一の損害の場合であって,当該数人が「共同」に行為しておらず(diese Mehreren nicht gemeinsam gehandelt haben),しかし当該損害に係る各人の寄与分を知ることができないときに生ずる(ザクセン法典第1495条,バイエルン草案第71条,ドレスデン草案第128条を参照)。この規定は,当該数人全員(die sämmtlichen Mehreren)が共通の不法行為の基礎に基づいて(nach allgemeinen Deliktsgrundsätzen)具体的な形で(in concreto)責任を負う(ein Verschulden trifft),という前提の限りにおいて(vorausgesetzt immer),どの行為が当該損害を直接(gerade)惹起したかが不確か(ungewiß)であるときにも特に適用を見るものである(greift namentlich auch Platz)。当該規定は,例えば,乱闘における(in Raufhändeln)致死事案(Tödtung)又は傷害事案(Körperverletzung)について実用的(praktisch)であろう。

事後援助者(Begünstiger)又は隠匿者(Hehler)の責任義務についての規定は,必要ではない。彼らが彼ら自らの行為によって(第704条及び第705条。刑法第257条以下参照)損害を惹起した限りにおいては,これらの者の損害賠償義務は自明のことである。他者の不法行為によって獲得された利益(Vortheile)について自ら不法行為をすることなく参与する(partizipiren)第三者は,その限りにおいて(insoweit)被害者に対して責めを負うものとする一般規定は,しかし,有益であるかもしれない(positiv wäre)。不法行為者(Delinquent)が参与を認めた第三者に対しての利得返還請求の可否の問題は,本草案の一般原則によって解決される。

 

 ここで,「どの行為が当該損害を直接惹起したかが不確かであるとき(wenn ungewiß ist, welche Handlung gerade den Schaden verursacht hat)」の問題は,寄与分の大小ではなく,そもそもの寄与(原因性)の有無に係る問題であるように思われます。ドイツ民法第一草案7142文の「しかし当該損害に係る各人の寄与分を知ることができないときder Antheil des Einzelnen an dem Schaden aber nicht zu ermitteln ist)」の文言の枠内にとどまるものか否か。


(6)ドイツ民法第二草案(1894年)に係る議事録(Protokolle)をめぐって

 ドイツ民法第一草案714条の文言は,同第二草案(1894年)753条において既に現行ドイツ民法830条の文言になっています。

 第一草案から第二草案への移行においてどのような議論があったのか。第二読会委員会の議事録(Protokolle der Kommission für die Zwite Lesung)は,いわく。

 

   その第1文に対しては異議の提起がなかった第714条について,第2文を次のようにすべきだとの提案がされた。

 

     数人が非共同的に行為し,かつ,だれの行為が損害を惹起したかを知ることができないときも,同様とする。Das Gleiche gilt, wenn Mehrere nicht gemeinschaftlich gehandelt haben und sich nicht ermitteln läßt, wessen Handlung den Schaden verursacht hat.

 

   当該提案は,採択された。ただし,文言(Fassung)については,編集委員会(die Red. Komm.)の審査(Prüfung)を受けるものとされた(blieb…vorbehalten)。

   当該提案は,第714条第2文の規定が次のような場合においても適用されることを明らかにしようとするものである。すなわち,違法な結果(ein rechtswidriger Erfolg)が,当該行為に係る数人の関与者の合同作業(das Zusammenwirken mehrerer an der Handlung Betheiligten)によってではなく,数人の関与者中の一人の行為(die Handlung eines von mehreren Betheiligten)によってもたらされたものの,当該行為を行った者(der Urheber)がだれであるか証明(nachweisen)できない場合である。したがって,当該行為をした数人中の(von den mehreren Handelnden)一人が当該損害を惹起したこと,当該損害は当該数人中のいずれによっても(von einem Jeden)惹起された可能性があること(möglicherweise...verursacht ist),及び行為者中の各人について(in der Person jedes der Handelnden),彼が損害惹起者(der Schädigende)であるときは,やはり不法行為責任を問い得ること(auch Verschuldung vorliegt)が前提されれば足りるものである。例えば,乱闘において(bei einem Raufhandel)数人がある一人に殴りかかり,かつ,当該殴打のうちの(von den Schlägen)一つが死をもたらした場合であって,当該致命的殴打がだれから直接出来したかが証明され得ないときには,第714条が適用され得なければならない。現草案によれば(nach dem Entw.),このような場合においては,第714条第1文の適用が疑わしくなるようなのである(würde...zweifelhaft sein)。

     委員会は,一の「共同」の非行に係る関与者の責任義務(Haftpflicht der an einem gemeinsamen Vergehen Betheiligten)をそのように法律上拡大することを承認した。

 

 前記議事録に記載された第7142文の改正案(以下「ドイツ民法83012文プロトコル案」又は単に「プロトコル案」といいます。)は,大胆です。

ドイツ民法83012文プロトコル案の文言であれば,「ある場所で喫煙した数人のうちの,だれかが吸いがらの始末を怠ったために出火した場合」(幾代通著=徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)228頁),「Aは猟に出かけ,Xを猪と間違えて猟銃で撃ってしまったが,同時に,同じく猟に来ていたBも,Xを猪と思って銃で撃った。弾丸は一発だけがXに命中し,Xは瀕死の重傷を負ったが,その弾丸がABいずれのものかが分からなかった(たまたま両者の銃が全く同じ物だったとしよう)」場合(内田Ⅱ489-490頁),山の上からハイカーA及びBがそれぞれ別々に不注意に石を投げて,そのうち一つの石が下の道を歩いていた人に当たって怪我をさせたが,その石を投げたのがAなのかBなのか分からない場合(内田Ⅱ492頁参照)等についても,ドイツ民法83011文の適用(「各人は当該損害に対して責任を負う」)があるものでしょう。「数人が非共同的に行為したとき(Mehrere nicht gemeinschaftlich gehandelt haben)」であっても大丈夫であることが明文化されているということは,心強いところです。

しかしながら,ドイツ民法案起草に係る編集委員会(die Red. Komm.)は,ドイツ民法83012文プロトコル案を大幅に修正しています。

一番大きな変更は,「非共同的に(nicht gemeinschaftlich)」との文言が落とされたことです。やはり,損害を惹起させたことの積極的証明のない者にまで当該損害に係る賠償責任を負わせるには,「共同的に行為する(gemeinschaftlich begehen)」ことは必須であると判断されたものでしょうか。これに対して,ドイツ民法第一草案7142文の場合は,損害に対する寄与分(Antheil)がどれだけかが既に云々されている段階の者に係る損害賠償の分量が問題になっていた(すなわち,既に因果関係は認められていた)ところです。

そうであれば,ドイツ民法83012文の意義は,「例えば,乱闘において数人がある一人に殴りかかり,かつ,当該殴打のうちの一つが死をもたらした場合であって,当該致命的殴打がだれから直接出来したかが証明され得ないときには,第〔830〕条が適用され得なければならない。〔かつての〕草案によれば,このような場合においては,第〔830〕条〔第1項〕第1文の適用が疑わしくなるようなのである。」という疑問を解消するための,為念的規定ということにすぎなかったものでしょうか。確かに,プロトコル案採択の趣旨も,「委員会は,一の「共同」の非行に係る関与者の責任義務(Haftpflicht der an einem gemeinsamen Vergehen Betheiligten)をそのように法律上拡大することを承認した。」ということであって,「一の「共同」の非行(ein gemeinsames Vergehen)」という縛りがかかっています。

ドイツ民法第一草案7142文に係る理由書の記述も「この規定は当該数人全員die sämmtlichen Mehrerenが共通の不法行為の基礎に基づいてnach allgemeinen Deliktsgrundsätzen具体的な形でin concreto責任を負うein Verschulden trifft),という前提の限りにおいてvorausgesetzt immer),どの行為が当該損害を直接gerade惹起したかが不確かungewißであるときにも特に適用を見るものであるgreift namentlich auch Platz。」というものであって,「共通の不法行為の基礎」という枠内限りでの適用拡大で満足し,それ以上の野心的主張はしていなかったところです。
 また,ドイツ民法83011文と同条2項とは共にgemeinschaftlich(又はgemeinsam)な場合であるので,その両者に挟まれた同12文もgemeinschaftlichな場合に係る規定であると解するのが自然でしょう(オセロ・ゲーム的思考:●○●→●●●)。

 ところで,ドイツ民法83012文ではプロトコル案とは異なり「非共同的に(nicht gemeinschaftlich)」との文言が落ちているのですが,そうなるとそれに対応する「数人が「共同」に行為していなかった(nicht gemeinsam gehandelt)場合」に係るドイツ民法第一草案7142文の規律はどこに行ってしまうのかが気になるところです(ドイツ民法83012文も同項1文と同様に共同(gemeinschaftlich)性の枠内にあると解する場合)。この点,ドイツ人は抜かりのないところで,ドイツ民法8401項が受皿規定になっています(ただし,「当該損害に係る各人の寄与分を知ることができないとき」に限らず,連帯債務となります。)。ドイツ民法8401項はドイツ民法第二草案7641項に由来していますが,ドイツ民法第二草案764条については,既にそこにおいてドイツ民法第一草案713条,714及び7362項が原規定である旨如才なく註記がしてありました(なお,法典調査会民法議事速記録41115丁を見ると,我が民法の第719条の起草に当たっての参照条文としてドイツ民法第一草案714条及び同第二草案753条(現行ドイツ民法830条)は挙げられていますが,同第二草案764条(現行ドイツ民法840条)には言及されていません。)。ドイツ民法8401項の「一の不法行為から生ずる損害に対して数人が併存的に責任を負うとき」との文言は,我が旧民法財産編378条本文の「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任」ずるときとの文言を彷彿とさせるようでもあります。

 

3 フランス語訳(富井=本野)から見た日本民法719条

「起草者の考え方自体はっきりせず(というより一貫せず)」と内田弁護士には評されているものの,現行民法の起草者の一人である富井政章が,本野一郎と共にした日本民法のフランス語訳(筆者の手元には,新青出版による1997年の復刻版があります。)における第719条は,次のとおり。

 

   ART. 719. --- Lorsque plusieurs personnes ont causé un dommage à une autre par un act illicite commis en commun, elles sont tenues solidairement à la réparation de ce dommage. Il en est de même, lorsqu’il est impossible de reconnaître lequel des coauteurs de l’acte a causé le dommage.

   L’instigateur et le complice sont considérés comme coauteurs.

 

 筆者の手許の辞典(Nouveau Petit Le Robert, 1993)では,“coauteur”とは“Participant à un crime commis par plusieurs autres, à degré égal de culpabilité”とされていますから,これは「共同正犯」ですね。

 また,富井=本野フランス語訳日本民法7191項第2文では“l’acte”と定冠詞付きの「行為」が問題となっていますから,同文は第1文の続き(その内容に関する敷衍)であって,第1文とは別の場面のことを新たに規定しようとするものではないようです。ドイツ民法83012文プロトコル案風に“Il en est de même, lorsqu’il est impossible de reconnaître lequel des acteurs qui n’agissaient pas en commun a causé le dommage.”と読み替えるのは,なかなか難しい。

 となると,民法71912文(後段)は,同項1文(前段)を承けて,共謀に基づき当該不法行為を行った当該数人の者たる「共同行為者」(les “coauteurs”)のうちだれの行為によって当該損害が惹起されたかまでが明らかにされずとも,その全員について連帯債務関係が生ずることには変わりがない旨が規定された,ということになるのでしょう。

 かくして日本民法7191項後段は,本来は,さきに筆者が理解したところのドイツ民法83012文に係る前記為念的趣旨と同じ趣旨の規定だったのでしょうか。そうだとすると,プロトコル案流に「〔民法7191項〕後段の規定の存在理由は,当該数人の者の間には〔同項前段〕の型におけるような主観的共同関係が存在しない場合にも,なお被害者の保護の機会を大きくするために特に政策的に認められた推定規定」であって,だれだか分からないがそのうちのだれかが吸いがらの始末を怠ったために出火したことは確かである事案における容疑者が属するのが「一般公衆が自由に出入りできる場所でたまたま同時に喫煙していた数人といったような」「偶然的な状況の場合であっても,本1項後段の適用を認めてよい」(幾代228-229頁・229頁註3),「ABいずれの行為と損害との間に事実的因果関係があるのか不明であるにもかかわらず,両者に連帯して全損害について賠償責任を負わせることを定めたのが〔民法7191項〕後段だというわけである」,「1項後段の法律的意味は,加害者が不明である限り因果(●●)関係(●●)()推定(●●)する(●●)というところにある」(内田490頁,492頁)とまで大胆に言い切ることは,類推適用の主張であればともかくも,躊躇されます。当該躊躇に対しては,「これに対しては,それでは責任を負わされる容疑者の範囲が不当に広くなる,との批判が出るかもしれないが,「加害者は,この数人のうちのだれかであり,この数人以外に疑いをかけることのできる者は一人もいない」という程度までの証明があり,かつ各人に因果関係の点を除いてそのほかの不法行為の要件がすべて揃っているときに本規定の適用があると解するならば,不当ではあるまい。」(幾代229頁註3)との叱咤があります。ドイツ民法83012文プロトコル案の提案者もそのようなことを言っていたところです。しかし,当該プロトコル案は結局そのままでは採用されず現行ドイツ民法83012文(及び日本民法7191項後段)の文言に変更されている,という事実の重みは厳として存在しています。民法7191項後段が「共同(●●)行為者(●●●)中・・・」といっているのがやや気になる点である」(幾代229頁註3。下線は筆者によるもの)程度どころか,いろいろ気になる筆者にとっては,大いに問題です。

(ただし,ドイツ民法83012文は„Das Gleiche gilt, wenn sie nicht ermitteln lässt, wer von mehreren Beteiligten den Schaden durch seine Handlung verursacht hat.“であってDas Gleiche gilt, wenn sie nicht ermitteln lässt, wer von den mehreren Beteiligten den Schaden durch seine Handlung verursacht hat.“ではなくかつ„Beteiligten“であって„Mittätern“ではないのでプロトコル案的解釈を許容する余地があるのだということになるのかもしれません。

  

4 主観的共同関係のない旧民法財産編378条本文の場合に係る適用条文の行方の問題

 

(1)削られた全部義務関係規定

ところで,前記見てきたところにかんがみ,日本民法719条をドイツ民法830条と同趣旨の規定と考え,日本民法7191項前段の規整対象は,「主観的共同関係のある場合の共同不法行為」すなわち「数人が共謀して強窃盗をしたり,他人に暴行を加えるなど,数人が共同する意識をもって行動した結果として他人に損害を与えた場合」であると解すると(幾代225頁),旧民法財産編378条との関係で問題が残ります。つまり,現行民法719条は旧民法財産編378条のただし書(共謀の場合に係ります。)に対応するものであると理解した場合,それでは爾余の旧民法財産編378条本文の規律(全部義務の場合を定める。)はどこへ行ってしまったのだろうか,という問題です。ドイツ民法の場合は同法8401項で拾い得るのですが(ただし,効果は連帯債務),我が民法においては見たところ規定を欠くようです。

「古い案文においては,全ての場合において連帯義務となるものとされていた。その後,ここに示された〔全部義務との〕区分を我々(nous)は提案し,しかして当該区分は正式法文(第378条)に採用された。」とProjetにおいてボワソナアドが自慢していた新工夫の全部義務の制度に係る規定が,現行日本民法では落とされてしまっていることと関係があるようです。

 

  連帯債務の性質に関しては,〔略〕連帯債務の中に共同連帯Korrealobligation)と単純連帯Blosssolidarobligation)とを分け,〔略〕第19世紀の中葉以後,〔略〕2種共に多数の債務が存するものであって,ただ前者はその多数の債務の間により一層緊密な関係があるに過ぎない,とする説がこれに代った。そして,近世の立法はいずれも,連帯債務の中に2種を区別することをしない(フ民1197条以下,ド民421条以下,ス債143条以下――ドイツ民法,スイス債務法は単純連帯の主要な場合である共同不法行為もこれを連帯債務とする(ド民830条〔筆者註:ここは,正確には,前記のとおり8401項でしょう。〕,ス債50条)。但しフランス民法には規定はない)。わが民法もまたこれにならった432条〔現在は436条〕以下,719条――旧民法は連帯債務の他に連帯でない全部義務を認める(財378条・439(ママ)条〔筆者註:「437条」の方がよいようです。〕以下)。その差は,前者においては債務者間に代理関係があり,後者においてはそうでない点にある(債担52条・73条))。(我妻榮『新訂債権総論』(岩波書店・1964年(第10刷は1972年))401頁。下線は筆者によるもの)

 

 どうでしょうか。「やっぱりもともとフランス民法には無かったし,ドイツ民法草案にも無いし,ボワソナアドの思い付きに係る新奇の「全部義務」などというものは,一度は我が民法に入れることにしたけれど,やめておいた方が「日本人は変だ」と言われなくて無難じゃないの」というような決定が現行民法の起草者間でされたかのように思わせられる記述です。ボワソナアドの渋面が目に浮かびます。

全部義務の日本民法典からの消滅に係る事情について,梅謙次郎は何と言っているかというと,次のごとし。

 

 連帯債務ハ従来分チテ完全(○○)ナル(○○)連帯(○○)Solidarité parfaite)及ヒ不完全(○○○)ナル(○○)連帯(○○)Solidarité imparfaite)ノ2トセリ而シテ旧民法ニ於テハ甲ヲ単ニ連帯(○○)ト謂ヒ乙ヲ全部(○○)義務(○○)ト謂ヘリ而シテ2者ノ分ルル所ハ代理ノ有無ニ在リトセリ然レトモ新民法ニ於テハ連帯ヲ以テ必スシモ代理アルモノトセス而モ或場合ニ於テハ幾分カ代理ニ類スル関係ヲ生スルモノトセリ故ニ其性質タルヤ旧民法ノ連帯ト全部義務トノ中間ニ在ルモノト謂フヘシ而シテ当事者ハ旧民法ニ所謂全部義務ノ如キ義務ヲ約スルコト固ヨリ其自由ナリト雖モ余ノ信スル所ニ拠レハ特ニ此ノ如キ義務ヲ約スルコトハ蓋シ極メテ稀ナルヘク寧ロ純然タル連帯ヲ約スヘキノミ又立法者モ法律上数人ノ債務者ヲシテ各自債務ノ全部ニ付キ責ヲ負ハシメント欲スル場合ニ於テハ単ニ所謂全部義務アルモノト云ハスシテ寧ロ連帯債務アルモノトスヘキノミ故ニ新民法ニ於テハ連帯債務ノ外別ニ所謂全部義務ノ如キモノヲ規定セス但稀ニハ自ラ所謂全部義務ヲ生スルコトナキニ非スト雖モ特ニ法文ノ規定ヲ竢タスシテ其関係明白ナルヘキノミ例ヘハ第714条,第715条及ヒ第718条ノ場合ニ於テ無能力者ノ監督義務者及ヒ之ニ代ハリテ無能力者ヲ監督スル者,使用者及ヒ之ニ代ハリテ事業ヲ監督スル者,動物ノ占有者及ヒ之ニ代ハリテ動物ヲ保管スル者ハ皆各損害ノ全部ニ付キ賠償ノ責ニ任シ被害者ハ其孰レニ対シテモ之ヲ訴求スルコトヲ得ヘシ故ニ是レ旧民法ニ所謂全部義務ナラン然リト雖モ是等ノ場合ニ於テ被害者ハ其一人ヨリ賠償ヲ受クレハ復損害ナキカ故ニ更ニ他ノ者ニ対シテ賠償ヲ求ムルコトヲ得サルハ固ヨリニシテ又其義務者相互ノ関係ニ於テハ監督義務者,使用者,占有者ハ自己ニ代ハリテ監督,保管等ヲ為ス者ニ対シテ求償権ヲ有スヘキコトハ特ニ明文ヲ竢タスシテ明カナル所ナリ是レ本款ニ於テ単ニ連帯債務ニ付テノミ規定スル所以ナリ(梅103-105頁)

 

 つまり,旧民法財産編378条本文は,「法律上の全部義務の効果とその生ずる場合は当然であるから特に規定しないとして削除された」(星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』(良書普及会・1978年(補訂版1981年))169頁)ということになります。しかし,削除といっても,「旧民法の全部義務」は「民法の起草者も否定していなかった」わけで,「明文こそないが当然のこととされている」ところです(星野170頁・171頁)。

  

(2)民法427条の存在と719条1項の適用と

しかし,民法714条,715条及び718条の場合は条文があるから全部義務になることについてはよいとしても,甲倉庫会社が過って受寄物と異なる記載をした倉庫証券を寄託者乙に発行し,乙がこれを使用して丙銀行から金を詐取した事案(大判大正2426日民録19281頁の事案)における丙に対する甲乙の不法行為責任などについては,民法714条,715条又は718条のような特別条項がないことから,被害者原告としては,各債務者に対する損害賠償の全額請求を行うためには,それらの特別条項に代わる一般条項の適用を確保しなければならないところです。すなわち,不法行為についても,そのままでは,多数の債務者の債務は分割債務となることを原則とする民法427条の適用可能性があるからです。

我妻榮は,分割債務を生ずる場合にはどのようなものがあるかを検討する際「当事者の直接の意思(●●)()基づかず(●●●●)()数人の者が共同債務を負担する著しい例は,共同不法行為であるが,それについては連帯債務となる旨の規定がある(719〔略〕)。」と述べています(我妻・債権総論389頁。下線は筆者によるもの)。星野英一教授も,「民法上は,分割債権・債務が原則となっている」ところ,「なお,法律の定める場合,〔略〕その他(民法719など)連帯債務の要件を充たす場合(その主張・立証責任がある)にそれらになることはいうまでもない。」と述べています(星野147-148頁。下線は筆者によるもの)。内田弁護士も民法427条の適用について「ただし,給付が分割できない場合(不可分性)のほか,別段の意思表示があるときや,法律の規定のあるとき(442項,7191),あるいは特別の慣習のあるときは,427条の適用は排除される。」との見解を示しています(内田貴『民法Ⅲ債権総論・担保物権』(東京大学出版会・1996年)335頁。下線は筆者によるもの)。「共同の不法行為」であっても,放っておくと分割債務になってしまうぞということのようです。いわんや主体間に通謀又は共同の認識の無い場合においてをや。

民法7191項の「共同の不法行為」たるための要件として「当該数人間に共謀などの主観的共同関係があることを要せず客観的共同関係があれば足りる,というのが従来の判例・通説の見解であったように思われる」とされています(幾代225頁。前記大判大正2426日民録19281頁が判例のリーディング・ケース(我妻・事務管理等194頁註2参照))。しかしながら,これは,客観的共同関係しかない場合(主体間に通謀又は共同の認識の無い場合)について旧民法財産編378条本文(全部義務とする。)又はドイツ民法8401項(連帯債務とする。)のような受皿を欠く現行民法において,損害賠償債務の分割債務化を避けるための法文上の手掛かりを,「従来の判例・通説」が,窮余というか折角そこにあるということで7191項に求めただけ,ということではないでしょうか。これを,「共同の不法行為」の外延に係る堂々たる概念解釈の大問題としてしまうから混乱する(少なくとも学生時代の筆者は当惑しました。)ように思われます。

ところで,民法7191項前段の「共同の不法行為」たるには「当該数人間に共謀などの主観的共同関係があることを要せず客観的共同関係があれば足りる,という」従来の判例・通説の見解については,「なお,このような解釈は,旧民法(同財産編378条)を意識的に改めたと思われる民法起草者の意思にも一致する,というのが一般の理解である。」といわれています(幾代227頁註2)。なるほど。民法起草者の書き残したものを検討しなければなりません。

 

5 『民法要義巻之三』の共同不法行為解説に関して

梅謙次郎の民法719条解説を見てみましょう。

 

(1)総論

 

 本条〔719条〕ハ数人カ共同シテ一ノ不法行為ヲ為シタル場合ニ於テ各自連帯ノ責任ヲ負フヘキコトヲ定メタルモノナリ例ヘハ数人共謀シテ他人ノ家屋ヲ毀チタルトキハ其各自ハ被害者ノ請求ニ応シ家屋ノ代価及ヒ他ノ損害ノ全部ヲ賠償スヘク其他総テ連帯債務者ノ負フヘキ責任ヲ負フモノトス是レ他ナシ此場合ニ於テハ各加害者ノ行為皆損害ノ原因ナルカ故ニ被害者ハ其孰レニ対シテモ損害ノ全部ヲ請求スルコトヲ得ヘキハ殆ト論ヲ竢タサル所ナリ而シテ法律ハ特ニ被害者ノ便ヲ計リ加害者間ニ連帯ノ責任アルモノトシタルナリ(梅906-907頁。下線は筆者によるもの)

 

ア 主観的共同関係必要説か否か:719条1項前段

 まず,民法7191項前段の「共同の不法行為」は,共謀に基づきされた不法行為なのだとされているように一見思われます。

しかし,「例ヘハ」の語は「共同の不法行為」の一例として共謀に基づく不法行為を挙げるのだとの趣旨を示すものであり,共謀に基づかない「共同の不法行為」の存在をも前提としているのだ,との読解も可能です。「例ヘハ」の位置は「数人共謀シテ」の前であって,「数人共謀シテ例ヘハ他人ノ家屋ヲ毀チタルトキ」という語順とはなっていません。

 なお,穂積陳重は,民法719条(案文では727条)の文言について,1895107日の第121回法典調査会において「互ヒニ共謀ガアツタトカサウ云フヤウナコトヲ有無ヲ論スル必要ハ本案ニ於テハナイヤウニナツテ居ルノテアリマス」と述べ(法典調査会議事速記録41116丁),同月9日の第122回法典調査会においては共同の不法行為について「皆ガ故意カ又ハ過失ガアル或ル場合ニ於テハ共謀モアリマセウ又或ル場合ニ於テハ過失モアリマセウ」と述べています(同124。また,同127)。

 また,梅による122回法典調査会での「些細ノ違ヒシカナイノニ此場合ニ一方ハ全部〔義務〕ト見ル一方ハ連帯ト見ルノハ小刀細工テアルカラ両方トモ連帯トシタ」との発言は(法典調査会議事速記録41138丁),民法7191項は旧民法財産編378条における全部義務となる場合及び連帯債務となる場合のいずれについても連帯債務とする趣旨の規定である,との認識を示すものでしょう。

イ 同条外における解釈上の全部義務関係の発生を認めるものか。

注目すべきは,「各加害者ノ行為皆損害ノ原因ナルカ故ニ被害者ハ其孰レニ対シテモ損害ノ全部ヲ請求スルコトヲ得ヘキハ殆ト論ヲ竢タサル所ナリ」の部分です。「法律上の全部義務の効果とその生ずる場合は当然である」(星野169頁)ところの「当然」に「〔法律上の全部義務〕の生ずる場合」の一例が,ここに示されているということでしょうか。「当然」全部義務が生ずるのであるならば,民法7191項前段の意義は,専ら,全部義務関係から百尺竿頭一歩を進めて,「共同の不法行為」について「特ニ被害者ノ便ヲ計リ加害者間ニ連帯ノ責任アルモノトシタ」ことにあることになります。

しかし,当然全部義務になるのならば,わざわざ民法7191項前段を適用した上で,連帯債務であるぞとする法律の明文を更にわざわざ枉げてドイツ法学流(我妻・債権総論402頁参照)の「不真正連帯債務」とする(最判昭和5734日判時104287頁)などということは,とんだ迂路でした。梅謙次郎に言わせれば,連帯債務と全部義務との違いを云々することは「小刀細工」にすぎないのでしょうが。

 (2)同時行為者を共同行為者と見なすものとする解釈:719条1項後段

次の梅の記述は,難しい。

 

 右ハ数人カ共同ノ不法行為ニ因リテ一ノ損害ヲ加ヘタル場合ニ付テ論シタリ然ルニ往往ニシテ数人カ同時ニ不法行為ヲ為シ他人ニ一ノ損害ヲ生セシメタリト雖モ而モ其孰レノ行為カ之ヲ生セシメタルカヲ知ルコト能ハサルコトアリ例ヘハ数人同時ニ他人ノ家屋ニ向ヒテ石ヲ投シタルニ其一カ家屋ニ命中シテ其一部ヲ破壊シタリトセンニ其石ハ必ス一人ノ投シタルモノナリト雖モ誰カ其石ヲ投シタルカヲ知ルコト能ハス而シテ同時ニ石ヲ投セシ者数人アリトセハ法律ハ恰モ其共同ノ行為ニ因リテ損害ヲ生シタルモノノ如ク見做シ同シク連帯シテ其責ニ任スヘキモノトセリ是レ理論上ヨリ見レハ聊カ解シ難キモノアルニ似タレトモ而モ此場合ニ於テ連帯責任アルモノトセサレハ被害者ハ竟ニ誰ニ向テカ其賠償ヲ請求スルコトヲ得ンヤ故ニ立法者ハ特ニ被害者ヲ保護シ右ノ行為者全体ヲシテ連帯ノ責任ヲ負ハシメタルナリ蓋シ仮令実際ハ其一人ノ行為ニ因リテ損害カ生シタルニモセヨ各自皆其損害ヲ生セシムルノ意思アリタルカ故ニ之ヲシテ連帯ノ責任ヲ負ハシムルモ敢テ酷ニ失スルモノト為スヘカラサルナリ(梅907-908頁。下線は筆者によるもの)


 民法7191項後段については,第121回法典調査会において穂積陳重が「此「共同行為者中ノ孰レカ其損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ」即チ大勢ガ寄ツテたかツて人ヲ打ツ併シ誰ノ手ガ当ツタノカ誰ノ拳ガ当ツタノカ分ラヌト云フヤウナ場合ニ於テ若シ其加害者ト云フモノヲ差示ス,直接ニ害ヲ加ヘタ者丈ケヲ差示ストイフコトヲ要スルトナリマスレバ多クノ場合ニ於テ大勢ガ乱暴ヲ働イタトカ云フソンナ場合ニハ実際其証明ガ六ケ敷クシテ害ヲ受ケマシタ者ハ夫レ丈ケノ損ヲシナケレバナラヌ其場合ニ於テハ法律ノ保護ハナイト云フコトニナリマスソレ故ニ公益上カラシテ斯ノ如ク規定スルノガ相当テアラウト考ヘマス夫レカラ理由モナイコトハナイノテアリマスル即チ大勢ガ寄ツテ或行為ヲ為シタ一人々々ナラセナイカモ知ラヌ大勢ノ行為テ矢張リ或事ヲスルノテアリマスカラシテ直接ニ手ヲ下シタト下サヌトニ拘ラズ矢張リ勢ヒヲ出シテ其事ニ就イテハ何処マテモ法律ニ違ウテ居ル結果ヲ生スベキ事柄夫レヲ覚悟シテ自分ガシタノテアリマスカラ矢張リ斯ウ致シテ置キマシテ全ク純然タル道理モ立タヌコトモナイ併シ主トシテ公益上カラシテ斯ノ如キ規定ヲ置イタノテアリマス」と説明していたところです(法典調査会議事速記録41117-118丁)。

民法7191項後段の「共同行為者」について穂積は,第122回法典調査会において「此第2(ママ)〔文〕ノ共同行為者ト云フ場合モ固ヨリ第1(ママ)〔文〕ノ中ニ籠リマス積リデアリマス」と述べ,数人が共謀して人を殴る例を挙げています(法典調査会議事速記録41121-122丁)。しかして,穂積は更に「第2(ママ)〔文〕ニハサウ云フ関係〔共謀〕モナイ皆ガ起ツテ例ヘハ或ル事ニ激シテ皆ガ打チヤルト云フヤウナ風ノ時ニ当タリマセウト思ヒマス」と発言します(同123丁。また,同127丁)。主観的共同関係のある共同不法行為者については,そのうちだれが損害を加えたかが不明であっても,7191項後段の規定をまたずに同様の結果(全員の連帯責任)になるのは当然であるので(幾代228頁参照。同229頁註2は「この点は,民法典起草段階においても議論のあったところである」と報告しますが,法典調査会議事速記録41128丁の富井政章発言が分かりやすいでしょうか。),当該規定の独自の存在理由を考えてみた,ということでしょうか。しかし,「共同行為者」の文字の枠内でそこまで読み得るかどうか,「共同行為者ト云フコトニナルト兎ニ角予メ合同シテ居ツタヤウニシカ読メヌノテアリマス」「共同行為者ト云フト予メ意思ノ通謀ガアツタ人ダケニシカママヌヤウテアリマス」と磯部四郎🎴が疑問を提示します(同124-125丁)。

これに対する梅謙次郎の助け舟は,「共同行為者」の意味の拡張解釈論でした。「併シ乍ラ斯ウ云フ風ニ読メヌコトモナイ共同ト言ヘハ共ニ同ジクテアリマスカラ同時ニ同ジ行為ヲ為シタ其同ジト云フ幅ハ只一ツ手ヲ打ツトキガ同ジカ是レモ打チアレモ打ツト云フノガ同ジカソコハ見様テアリマスガアレヲ殴ツテヤラウト云フ約束ヲシナクテモソコヘ徃ツテ甲モ打チ乙モ打チ竟ニ死ンダドレガ打ツタノテ死ンダノカ分ラヌ此場合ニ共同行為者,共ニ同ジク為シタル行為ト云フコトニナラウ」と(法典調査会議事速記録41125丁)。

しかし,富井政章は,なおも通謀の存在を認定すべきものとするようです。いわく,「サウスレバ第2(ママ)〔文〕ノ方ハ例ヘハ酒ノ席ニ聘バレタ者ガ一時ニ己レモ殴ツテヤラウ己モ殴ツテヤラウ誰ガ殴ツタカ分ラヌト云フ場合ニ適用サレル同時ニト云フトモ矢張リ通謀シテ甲乙ノ2人ガ入ツテサウシテ実際甲ダケガ打ツタト云フヤウニ適用ガ読メル」と(法典調査会議事速記録41128-129丁)。

 『民法要義巻之三』では,梅は,民法7191項後段の「共同行為者」には同時行為者が含まれるものと「見做」される,と主張しています。「見做シ」なので,同時行為者は本来「共同ノ行為」をするものではないということが前提されています。したがって,第122回法典調査会における拡張解釈説から改説があったということになるのでしょう。しかしながら,民法7191項後段の法文自体には,当該見なし規定の存在を読み取り得せしめる文字はありません。

なかなか苦しいのですが,この窮屈な解釈を梅(及び穂積)は納得の上甘受しているということになるのでしょうか。民法7191項後段の法文については,「同時ニ不法行為ヲ為シタル者ノ中ノ孰レガ其損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ亦同シ」という修正案の可能性を梅自ら第122回法典調査会で発言し(法典調査会議事速記録41127丁),更に当該調査会において箕作麟祥議長から起草委員に対し「尚ホ文章ハ御考ヘヲ願ヒマス」との依頼がされていたのですが(同145丁),結局原案が維持されてしまっています。

  

(3)教唆者及び幇助者:719条2項

 梅の7192項解説は,次のとおりです。

 

  教唆者及ヒ幇助者ハ果シテ共同行為者ト為スヘキカ是レ刑法ニ於テハ稍〻疑ハシキ問題ニ属シ其制裁ニ付テモ亦一様ナラスト雖モ不法行為ヨリ生スル民法上ノ責任ニ付テハ之ヲ共同行為者ト看做セリ蓋シ理論上ニ於テモ純然タル共同行為ナリト謂フヘキ場合極メテ多ク又仮令純然タル共同行為ト視ルヘカラサル場合ト雖モ其行為ハ相連繋シテ密着離ルヘカラサル関係ヲ有スルカ故ニ之ヲシテ連帯責任ヲ負ハシムルハ固ヨリ至当ト謂フヘケレハナリ例ヘハ前例ニ於テ自ラ石ヲ投セスト雖モ他人ニ之ヲ投スヘキコトヲ教唆シタル者又ハ其投スヘキ石ヲ供給シタル者ハ皆之ヲ共同行為者ト看做スナリ(梅908頁)

    


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1 「世界が東京に押し寄せる!」2020年を前に

早や令和も第2年になろうとしています。令和2年夏には,札幌と東京とで夏季オリンピック競技会が開催されます。

夏季オリンピックの華にしてクライマックスたるマラソン競技が開催される札幌においては,準備が順調に進んでいることでしょう。とはいえ札幌市民が沿道で応援しようにも,暑さ対策ということで,競技開始時刻は朝早いようです。これは,実は米国の放送事業者の御都合により同国東海岸時間に合わさせられてしまうものだとも言われているようですが,150年前開基の札幌の創成期においては米国出身の同市関係者も多かったところですから,米国人のわがまま云々などとひがんだりせずに札幌市民はおおらかに対応するのでしょう。

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Horace Capron from Massachusetts(札幌市中央区大通公園)


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William S. Clark from Massachusetts(札幌市北区北海道大学構内)

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Edwin Dun from Ohio(札幌市南区真駒内)

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A Benson Bubbler from Portland, Oregon (札幌市中央区大通公園)

 他方,東京都においては,同都の都庁の「2020年夏/世界が東京に押し寄せる!」との警告ポスターが地下鉄駅構内(特に都営地下鉄のもの)などに貼ってあるのを見て,筆者はぎょっとしたものです。「これは・・・Aux armes, citoyens! In the coming summer of 2020, alien nations will swarm out of far corners of the world into Tokyo!”という呼びかけかいな。いかがなものかな。しかし,これから押し寄せてくるという人たちは,既に適法に居住しているところの本邦外出身者(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年法律第68号)2条参照)ではないから,本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律的にはいいのかな。しかし,東京都のお役人たちはオリンピックで外国から人が大勢集まってしまうことに迷惑を感じてしまっているのかな。しかし,そんなに迷惑ならば,そもそも,高い都民税を使って余計なオリンピックなどわざわざしなければよいのに。」というわけです。

とはいえ,外国人が押し寄せる押し寄せる大変だ大変だといっても,狼少年的な杞憂に終わることもあるようです。出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号)を改正する平成30年法律第102号の成立・施行によって「一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人材を幅広く受け入れていく仕組み」たる特定技能外国人の在留資格制度が20194月から鳴り物入りで始まりましたが(「ウァレンス政権の入国在留管理政策に関して」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1072912488.html)参照),法務省のウェブ・ページ(http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri07_00215.html)を見ると,同年9月末における特定技能1号資格による在留外国人はわずか219人しかいないそうです。日本は日本人自身がうぬぼれているほど人気のある豊かで上品な国ではもはやないのではないのか,という反省も,もしかしたら無用ではないものでしょう。

 

2 対女性交際における日本人男子とドイツ人男子との違い

ところで我が国の品ないしは品格の有無をいいだすと,そもそも日本人男子は国際的に見てお下劣だ,ということで従来からよくお叱りを受けてきたところです。それに引き比べると西洋人男子は上級だよね,ということになるようです。

 

   〔前略〕欧洲人の同人種間良家の女に対する感情はこれを我国人に比すれば,甚だ高尚なるを見る。単に表面の観察を以てするも,中江篤介氏が一年有半に云へる如く,欧洲人は,我国人の如く,良家の女子の(おもて)を見て,心に婬褻の事を想ひ,口に卑猥の言を出すこと無し。進んで婚姻の事に至れば,良家の男女は,多少の日子を費して相交り相知り,愛情を生ずるに非では,礼を行はず。嘗て一士官の利害上より富家の(むすめ)を娶り,一年余の間同衾せず,後に愛情を表白して,同衾するに至れりと云ふ話説あり。此の如きは彼十字軍後の武士道に伴へる,女子を尊崇する遺風にして,一説にはMADONNA信仰より淵源すと云ふ。此思想より見るときは,我国の婚姻は殆ど強姦に近き者となる。(森林太郎「北清事件の一面の観察」(19011223日於小倉偕行社)『鷗外選集第13巻 評論・随筆三』(岩波書店・1979年)71頁)

 

 日本人妻に対する日本人夫は皆強姦犯のようなものだ,という比喩はすさまじい。

 兆民中江篤介の『一年有半』(19019月)には次の一節があります。

 

   わが邦男子,その少壮婦人に接する,(ただち)に肉慾晦事に想及す,故にこれと()話する往々男女の事に及ぶを常とす,良家夫人に対するもほとんど妓輩におけると異なるなし。而して人これを怪まず,即ち当話婦人もまたこれを以て非礼と為して(いか)ることなし。これ風俗の日々に崩壊して,而して令嬢令夫人の交際の高尚に赴かざる所以(ゆゑん)なり,これ(すみや)かに改むべし。(中江兆民『一年有半・続一年有半』(岩波文庫・1995年)66-67頁)

 

 芸妓輩が令嬢令夫人を男子との高尚な交際から疎外する機序については,これも『一年有半』において次のごとし。

 

   〔前略〕かつ彼輩その業たる,専ら杯酌に侍し宴興を(たす)くるにありて,而して(しん)(しん)の徒これを聘する者,初めより褻瀆を事として少も敬意を表するを要せず,良家の令嬢令夫人に接するに比すれば,(おのづか)(ほしいまま)にしていささかの慎謹を(もち)ゐざるが故に,自然に令嬢令夫人をして,男子との交際外に斥けられざるを得ざらしむ。わが邦婦女の交際の趣味を解せざるは,芸妓ありて男子の歓を(ほしいまま)にするがためなり。(中江48頁)

 

 であるからむしろ女の敵は女か,と言うのは男の側からのいわゆるセクハラ的無責任・身勝手発言ということになるのでしょう。いけません。

 しかしながら,西洋人男子といえども常にお上品な聖人君子であるわけではありません。北清事変(義和団事件)中19008月の八か国(日米英仏独墺伊露)連合軍による在北京列国公使館の解放に際して「各国の将兵,略奪・惨殺・焼毀などをつづける」と歴史年表にあります(『近代日本総合年表第四版』(岩波書店・2001年)165頁)。この「各国の将兵」の西洋人男子ら(特にドイツ兵が目立ったようです。)の悪魔的狂態を前にして,むしろお下劣では本家のはずの日本人男子の方が引いてしまっていたようです。鷗外森林太郎,解説していわく。

 

   〔北清事変におけるドイツ兵の〕所謂(いはゆる)敗徳汚行中,婦女を犯したるは其の主なる者の一なり。皮相の観察を以てすれば,強姦の悪業たるは,東西殊なることなし。これを敢てするものゝ彼我の多少は,直ちに比較して二者の道義心を(はか)るに堪へたるが如し。然れども実は此間,少くもの顧慮す()き条件あらん。

   今省略してこれを言はん。第一,欧米白皙(はくせき)人の黄色,黒色若くは褐色人に対する感情は,頗る冷酷にして,全く白皙人相互の感情と殊なり。これを我国人の支那人に対する感情に比すれば,其懸隔甚だ大なり。何を以て然るか。欧米人は自ら信じて,世界最上の人と為す。一の因なり。欧米人は,縦令(たとへ)悉く中心より基督教を信ずるに非ざるも,殆ど皆新旧約全書を挟んで小学校に往反したるものなり。此間父兄及教師は異教の民を蔑視する心を注入せり。二の因なり。猶此条件は次の者と相関聯す。第二,欧米人は賤業婦を蔑視すること我邦人に倍()し,随て其の婦女を虐遇する習慣には,我邦人の知るに及ばざる所の者あり。我邦人は藝娼妓にもてんと欲す。ほれられんと欲す。欧米人は賤業婦を貨物視し,これに暴力を加へて怪まず。此虐遇の習慣は,或は戦敗国の異色人種に対して発動することを免れざりしならん。第三,欧米軍人は洒脱磊落にして狭斜の豪遊を為し,又同僚相爾汝(じじよ)する間に於いて,公会に非ざる限は,汚瀆の事を談ずるを怪まず。婦女を虐遇したる事と雖,又忌むことなし。〔後略〕(森69-70頁)

 

 「彼我の多少」は,無論ドイツ兵が多く,日本兵については少なかったのです。そこで「直ちに比較して二者の道義心を(はか)」れば,実は日本人男子の方がドイツ人男子よりも高尚な道義心を有していたことになっていたところなのでした。(とはいえ,1942年に至ると昭和17年法律第35号(同年219日裁可,同月20日公布)によって我が陸軍刑法(明治41年法律第46号)の第9章の章名が「掠奪ノ罪」から「掠奪及強姦ノ罪」に改められるとともに,同法に第88条ノ2が加えられて「戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ1年以上ノ懲役ニ処ス/前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ3年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ懲役ニ処ス」と特に規定されるに至っています。これは,非親告罪(昭和17年法律第35号附則2項参照)であって,未遂も罰せられました(陸軍刑法89条)。(当時は,刑法177条の強姦罪(国民の国外犯も処罰(同法35号))の刑は2年以上の有期懲役で,かつ,同罪は親告罪であり(同法180条),また強姦致死傷罪の刑は無期又は3年以上の懲役でした(同法181条)。)盧溝橋事件から4年半たって,大陸の我が軍の軍紀は,残念ながら紊れていたのでしょう。)

 しかしながら,女性に「もてんと欲す。ほれられんと欲す。」の男子と,一部の女性を「貨物視し,これに暴力を加へて怪まず。」かつ「婦女を虐遇する習慣」を有する男子とは,妻から見た夫としてはどうでしょうか。前者の方が外の女性に余計なお金と時間とをついつい浪費してしまうのに対して,後者の方が冷酷な分なだけ余計な後腐れなく済むものでしょうか。女の敵は女,というような陳腐な感慨の繰り返しは,これまたいわゆるセクハラ的なものとして,許されません。


DSCF0765(Maibaum)

»Maibaum« aus München札幌市中央区大通公園
 

3 事後強盗をめぐる日独比較

 

(1)ヴェーデキントの「伯母殺し」

 

ア 詩と犯罪

 

(ア)詩

 狂暴なドイツ青年といえば,筆者はヴェーデキント(Frank Wedekind 1864-1918)のDer Tantenmörderを想起してしまうところです(生野幸吉=檜山哲彦編『ドイツ名詩選』(岩波文庫・1993年)174-177頁「伯母殺し」(檜山哲彦訳)参照)。

 

 Ich hab meine Tante geschlachtet,

    Meine Tante war alt und schwach;

    Ich hatte bei ihr übernachtet

    Und grub in den Kisten-Kasten nach.

 

    Da fand ich goldene Haufen,

    Fand auch an Papieren gar viel

    Und hörte die alte Tante schnaufen

    Ohne Mitleid und Zartgefühl.

 

    Was nutzt es, daß sie sich noch härme ----

    Nacht war es rings um mich her ----

    Ich stieß ihr den Dolch in die Därme,

    Die Tante schnaufte nicht mehr.

 

    Das Geld war schwer zu tragen,

    Viel schwerer die Tante noch.

    Ich faßte sie bebend am Kragen

    Und stieß sie ins tiefe Kellerloch. ----

 

    Ich hab meine Tante geschlachtet,

    Meine Tante war alt und schwach;

    Ihr aber, o Richter, ihr trachtet

    Meiner blühenden Jugend-Jugend nach.

 

(イ)殺人及び窃盗

 この青年,自分の伯母(叔母)(meine Tante)を,「そのはらわたにナイフを突き刺して(Ich stieß ihr den Dolch in die Därme)」「殺しちまった(Ich hab meine Tante geschlachtet)」(刑法(明治40年法律第45号)199条「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」)のみならず,その前に同女の長持・箱類をあさった上で(Und grub in den Kisten-Kasten nach)「糞たくさんの金」及び多量の有価証券(Papiereを,筆者は法律家的偏屈でWertpapiereの略であろうと見て「有価証券」と訳します。檜山訳では「お(さつ)です。探し出してDa fand ich goldene Haufen, / Fand auch an Papieren gar viel),窃取していたところです(刑法235条「他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」)

窃取というのは,「おばちゃんばばあが荒い息づかいをしているのが聞こえたけれど,同情とか思いやりなんざ感じなかった(Und hörte die alte Tante schnaufen / Ohne Mitleid und Zartgefühl.)」ということですから,伯母さんは呼吸に苦しみながらも眠っていたようだからですし(伯母さんが起きていて現認し,青年による金銭及び有価証券の取得に承諾を与えていたわけではないでしょう。),見つけただけではなくて領得までしたのであって,領得後の「金は運ぶのに重かった(Das Geld war schwer zu tragen)」との供述があるところです。

 

(ウ)死体遺棄

金銭よりもっと重い伯母の死体を震えながらも襟髪つかんで地下の穴蔵深くに放り込むという(Viel schwerer die Tante noch. / Ich faßte sie bebend am Kragen / Und stieß sie ins tiefe Kellerloch)死体遺棄の罪も犯しています(刑法190条「死体,遺骨,遺髪又は棺に納めてある物を損壊し,遺棄し,又は領得した者は,3年以下の懲役に処する。」)。「殺人犯人が死体を現場にそのまま放置する行為は,〔死体〕遺棄ではない」ところ,死体遺棄成立のためには死体を「犯跡を隠蔽しようとして移動したり,隠したりすることを要する」のですが(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)499頁),そこまでやってしまっています。なお,判例上,殺人罪と死体遺棄罪とは牽連犯(刑法541項「〔略〕犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは,その最も重い刑により処断する。」)となるものとはされていません。

 

(エ)住居侵入(保留)

伯母さん宅に泊まった(Ich hatte bei ihr übernachtet)その晩における,周囲はぐるりと夜(Nacht war es rings um mich her)の闇の中での犯行ですが,その夜に伯母さん宅に泊まり込んだことは窃盗ないしは殺人の目的をもってした伯母さんの住居への侵入であったとして住居侵入罪(刑法130条「正当な理由がないのに,人の住居若しくは人の看守する邸宅,建造物若しくは艦船に侵入し,又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は,3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」)の成立までを認めるべきかどうかは微妙です。最高裁判所大法廷の昭和24722日判決(刑集381363)は「強盗の意図を隠して「今晩は」と挨拶し,家人が「おはいり」と答えたのに応じて住居にはいつた場合には,外見上家人の承諾があつたように見えても,真実においてはその承諾を欠くものであることは,言うまでもないことである。されば,〔略〕住居侵入の事実を肯認することができるのである。」と判示してはいるのですが(なお,この判例の事案は,若い男の3人組(一人は18歳未満の少年だといいますから,皆若かったのでしょう。)のうち一人が1948131日の23時頃(夜遅いですね。)に香川県の現在の三豊市の農家(世帯主の名前からすると女所帯であったようです。また,海に近い開けたところ(横に人家があると被告人が供述しています。)であったようで,人里離れた山奥ではありません。)の表口で「今晩は今晩は」と連呼したところ,丁度その頃目が覚めていた長女(24歳)が当該今晩はと言う低い声を聞いたので「おはいり」と言ったのになかなか3人は這入って来ず,そこで同女が寝床の中から起き出して庭に出て表入口の雨戸を開けてあげて,また「おはいり」と言いつつ頭を下げ云々(「丁度その頃目が覚めていた」から「云々」までは,弁護人の引用した同女に係る司法警察官作成の関係人聴取書の記載によります。),それから3人組は当該家屋(の表の土間)に入って所携の匕首の鞘を払って同女に突き付けて脅迫した上で金品を強取しようとしたが家人に騒ぎ立てられたためその目的を遂げなかった,というものでした。被告人の供述によると,3人組は,お這入りなさいと言う同女にいて表口家屋内に這入ったうです。所帯真夜中ない招じ入ってしょうか。大胆。また,寝床の中にいたままで「おはいり」と言って,そのまま自分が寝床の中にいる状態で来客を迎えようということであったのならば,横着ですね。というどうも連想が飛びますが,我が国の古俗たる若衆制に関する次のような記述を筆者は思い出してしまったところです。いわく,「若衆たちはムラの祭礼を執行する一方,自分の集落むらの娘たちについては自分たちで彼女らを支配しているとおもっていた。一種の神聖意識というべき感覚で,他村の若衆がムラに忍んでくるのをゆるさなかった。/かれらは,夜中,気に入ったムラの娘の家の雨戸をあけ,ひそかに通じる。一人の娘に複数の若衆がかよってくる場合がしばしばあったが,もし彼女が妊娠した場合,娘の側に,父親はだれだと指名する権利があった。」と(司馬遼太郎「若衆制」『この国のかたち 一』(文藝春秋・1990年)195頁)。またいわく,「高度成長へと緩やかに時代が動きだしていた1957年の『米』は,『青い山脈』(1949)で知られる今井正監督の最初のカラー映画ですが,霞ケ浦近辺の半農半漁の村落に暮らす若き男女の青春を描いて郷愁を誘います。隣村に集団でナンパ(夜這い?)に向かう船中でのアドバイスは,「俺,長男だッて言うンだぞ。次男だの三男だの言ってみれバヨ,どんな娘でも相手にしねエゾ」・・・」と(與那覇潤『中国化する日本』(文藝春秋・2011年)102頁)。「村落における若衆制は,ポリネシア,メラネシア,インドネシアなど太平洋諸島全円にひろく存在しているもので,中国(古代の越人の地だった福建省や広東省には存在したろう)や朝鮮には存在しない」そうですが(司馬193頁),ドイツにも無いのでしょう。),一応消極に取り扱うべきでしょうか。伯母さん宅に泊まっているうちに窃盗の犯意が生じたようでもあるからです。ただし,伯母殺しの兇器(Dolch)が伯母さん宅の台所辺りにあったナイフではなく青年が事前の計画に基づき自ら持参した短刀(檜山訳では「匕首」となっています。)であったのならば,別異に解すべきものでしょう。

Dolchの訳として小学館の『独和大辞典(第2版)コンパクト版』(2000年)に「⦅話⦆(Messer)ナイフ」とあったので,筆者はこの青年の供述は口語的だなと思ってこちらを採用したのですが,本来Dolchは「短剣,短刀」です。

 

イ 老婆の資産と青年の無資産と

 伯母さんの「糞たくさんの金」(Haufenには,お下劣ながら「(一かたまりの)糞便」という意味があるそうです。)及び多量の有価証券の価額はどれくらいかと,我が総務省統計局の平成26年全国消費実態調査の結果を見ると,2014年の70歳以上の女性単身世帯における平均貯蓄現在高は1432万円,うち有価証券分は2501千円,平均負債現在高は408千円(したがって,ネットではプラス13912千円)となっています。平均年間収入は2149千円,また,持ち家率は83.4パーセントです。

これに対して30歳未満の単身世帯男子はどうかといえば,同じ統計で見るに,平均貯蓄現在高は1908千円,うち有価証券分69千円,平均負債現在高4396千円(したがって,ネットではマイナス2488千円),平均年間収入3822千円,持ち家率14.1パーセントとなっています。我が伯母殺し青年は,上記のような政府の統計調査にまでわざわざ協力する意識の高い立派な30歳未満男子層(上記統計数字は,この層に係るものということになるのでしょう。)に属するものではなく,そのはるか下までこぼれ落ちてしまっている存在でしょうから,もっと悲惨な経済状況にあるのでしょう。

 

ウ 病身の老婆と華やぐ元気と若さの青年と

 「おばちゃんこれ以上悲しんでみたり嘆いてみたりしたって仕方がないだろ(Was nutzt es, daß sie sich noch härme)」と青年は思ったというのですが,伯母さんは何について悲しみ嘆くのか。大事にしていた虎の子の金銭及び有価証券がなくなってしまっていることについてか。しかし,「おばちゃん,ばばあでよぼよぼだった(Meine Tante war alt und schwach)」ということが繰り返されて強調されおり,「おばちゃんの荒い息づかいは止まった(Die Tante schnaufte nicht mehr)」と伯母さんの苦しそうな荒い息づかいに青年の注意は向けられていたのであるとも主張し得るところ,弁護人としては,いやいや青年は歳を取って健康状態が悪化している自分の伯母の身体的苦痛についてこれ以上見ていることは忍び難いと思っていたのです,と主張するのでしょう。

 老人は,確かにお医者さんの厄介になるばかりで,自らの心身の衰えを悲しみ嘆く日々を過ごすこととなるのでしょう。厚生労働省の「平成29年度国民医療費の概況」を見ると,2017年度の人口一人当たり国民医療費(保険診療の対象となり得る傷病の治療に要した費用)は,二十代前半男子が738百円,二十代後半男子は887百円であるのに対して,七十代前半女子は5677百円,七十代後半女子が7112百円,八十代前半女子が8639百万円で,85歳以上女子は大台を超えて10342百円となっています。

 ちなみに,2017年度の国民全体での一人当たり国民医療費は3399百円です。年代別に見て医療費額が一番低いのは十代後半で833百円,一番高いのは85歳以上で10829百円です。変な計算ですが,医療費額だけで比べると,十代後半と比べて八十代後半以降は13倍以上不健康であるということになります。

健康保険料の負担は重い。さりとて自分も「元を取る」んだとわざわざ病気になろうとするのは変な話です。健康保険料の年間納付総額から自己の年間国民医療費総額を減じて得られる差が相当しんどい額となってしまう者は,公共交通機関を利用して病院等に通わねばならない方々のためにも有益な存在として,せめて打ちひしがれて優先席に座っていても許されるということになるものでしょうか。しかし,そのようなせこいことを考える連中は,裁判官のように厳しく断罪する冷たい視線が周囲から自分に浴びせかけられているように感じてようやく初めて「ところであんたたち,やれやれ裁判官様方よ,あんたたちは,俺の華やぐ元気と若さと(したがって席を譲ってくれること)を狙っているんだね(Ihr aber, o Richter, ihr trachtet / Meiner blühenden Jugend-Jugend nach.)」と心の内でぼやいてから渋々席を立つような連中なのでしょう。お下劣です。華やぐ元気と若さとを謳歌する青年男女は,自ら進んで弱い者を助け,これからの長い人生,素晴らしい我が祖国日本の少子高齢化社会を支えるために生きていかなければなりません。

 

(2)日本刑法238条(及び240条)をめぐる問題

 さて,問題は,伯母殺し青年の前記窃盗及び殺人行為は,併せて事後強盗(刑法238条「窃盗が,財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために,暴行又は脅迫をしたときは,強盗として論ずる。」)を構成するものとなるかどうかです。ライン川を挟んでドイツのヴェーデキントもフランスのユゴーも,どういうわけか事後強盗問題で筆者を悩ませます(ジャン・ヴァルジャンをモデルとする鬼坂による事後強盗に関しては「「和歌山の野道で盗られた一厘銭」をめぐる空想」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1046231399.html)を参照)。

 まず,刑法238条の「暴行又は脅迫」に殺害行為は含まれないのだ,という議論があり得ます。

 しかし,上告審弁護人鈴木喜三郎(これは,検事総長の経験者であって,後に司法大臣となる鈴木喜三郎でしょうか。)のそのような屁理屈に対して,大審院は,殺害行為は暴行に含まれるとし,「〔刑法238条の〕暴行トハ被害者ノ反抗ヲ抑圧スルニ足ルヘキ行為ヲ謂ヒ而シテ殺害行為ハ被害者ノ反抗ヲ全然不能ナラシムヘキモノナレハ之ヲ以テ暴行ト目スヘキコト固ヨリ論ヲ俟タス」と判示しています(大判大15223日刑集546)。

 強盗犯人が故意をもって人を殺したときの適用法条についても,①刑法240(「強盗が,人を負傷させたときは無期又は6年以上の懲役に処し,死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。」)後段のみか,②同法240条後段と同法199条との観念的競合(同法541項「1個の行為が2個以上の罪名に触れ〔略〕るときは,その最も重い刑により処断す。」)となるか,又は③同法236(「暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は,強盗の罪とし,5年以上の有期懲役に処する。/前項の方法により,財産上不法の利益を得,又は他人にこれを得させた者も,同項と同様とする。」)と同法199条との観念的競合若しくは併合罪(同法45条以下)となるか,との3説間での選択の問題があります(前田254-255頁)。判例は,「強盗の機会に殺人行為が行われる場合には刑法240条後段を適用すべきもの」と判示して(最判昭3281日刑集1182065),①説を採用しています(なお,当該判示は,上告理由に当たらない旨の判断が示された上で付加された括弧書き中におけるなお書き判示でした。)。

 伯母殺し青年が伯母さんを殺した目的は,「財物を得てこれを取り返されることを防」ぐためか,「逮捕を免れ」るためか,それとも「罪跡を隠滅するため」か。これらの目的のうちのいずれかの目的がなければ,事後強盗は成立しません(前田242頁参照)。ただし,必要なのは窃盗犯人側の目的ばかりであって,「窃盗が財物の取還を拒き又は逮捕を免かれ若しくは罪跡を湮滅する為暴行又は脅迫を加へた以上」は,「被害者において財産を取還せんとし又は加害者を逮捕せんとする行為を為したと否とに拘はらず強盗を以て論」ぜられます(最判昭221129日刑集140)。

 伯母殺し青年の供述には「財物の取還を拒き又は逮捕を免かれ若しくは罪跡を湮滅する」との目的は直接現れていないのですが,しかし,常識的に考えると「罪跡を隠滅するため」にやったな,と思われるところです。

前記大審院大正15223日判決の事案も「〔被告人が〕更ニ2階ニ上リY某ノ蒲団ノ下ヲ捜リタル処同人カ目ヲ醒シタル為メ右窃取ノ目的ヲ達セス然ルニ被告人ハ右Y某ト(かね)テ面識ノ間柄ナルヲ以テ茲ニ犯罪ノ発覚センコトヲ怖レ其ノ罪跡ヲ湮滅スル為メY某ヲ殺害スヘシト決意シ携ヘ行キタル短刀(大正13年押第90号ノ1)ヲ揮ツテ同人ノ右頸部ヲ突刺シ動静両脈ヲ切断シテ即死セシメタルモノ」でした。

千葉地方裁判所木更津支部昭和53316日判決(判時903109)の事案も,被告人の自宅内で酒に酔って寝入っている被害者O(当時39年の離婚経験のある男性,9歳の一人娘を実家に預けて単身生活中。前夜20時頃から木更津市内の呑み屋を6軒,被告人におごりつつ同人とはしごをし,翌朝4時頃タクシーで被告人宅近くまで来たところで被告人に誘われて同人宅に上がり込み,炬燵に入って清酒をコップ3杯くらい飲んでごろ寝,更に720分ないしは30分ころに目覚めてコップ2杯くらいを飲み,8時過ぎ用便を済ませて家に帰ろうと言ったが腰がまだふらついていて玄関隣の6畳間に布団を敷いてもらって寝入ってしまったもの)の背広(Oが着たまま寝たので被告人が先に脱がしてやって部屋の鴨居に吊るしておいたもの)の左内ポケットから取り出した財布及び外側ポケット内から現金合計約53000円を830分頃にふと窃取した被告人が,同日19時過ぎに至って北側3畳の板の間(これは,金銭窃取後下記のとおりOの殺害を決意した被告人に8時半過ぎに引きずり込まれていた場所)でなお昏々と眠り続けているOを「北側3畳の間の手製ベッドの上に血で汚れないようにカーペットを敷き,台所から〔略〕あじ切り包丁を持ち出し,さらにベッドの側に立ち右カーペットの上に寝入っているOを両手で抱き上げて頭を南向きにして横たえ,被告人に背を向けている同人の上体を起こすようにして被告人の方に向け,長袖ワイシャツのボタンをはずすなどして胸をはだけたうえ,所携の右あじ切り包丁で同人の左胸部を心臓めがけて2回突き刺し,よって左乳部刺創による肺動脈損傷による失血死によりその場で同人を死亡させた」ものですが,その朝の窃盗後間もなく生じた「同人〔O〕が起きた際に右窃盗の犯行が発覚することをおそれて,罪跡を湮滅するため同人を殺害すること〔略〕を決意し」た決意が10時間半以上持続していたものと認定されています。「なるほど本件窃盗行為と殺害行為との間には弁護人指摘のとおり約11時間位の長時間の時間的間隔があるが,前記認定のとおり被告人は窃盗行為の後まもなく罪跡湮滅のため被害者に対する殺意を生じ,犯行を容易にするため被害者を別の部屋に移し,台所に同人殺害に使用するための兇器である包丁を取りに行こうとしたところに突然たまたま友人2名が来訪した意外の障害に本件殺害の犯行をそれ以上継続することができなかったものの,その時点ですでに本件殺害の犯行の着手に密接した行為を行っており,友人らが来てからも極力家をあけないように努め,また被害者が起きてこないように気を配っており,友人らが帰ってしまってからまもなく本件殺害の犯行に及んでいるのであって,この間殺意は依然として継続していたものと推認される。」というのが千葉地方裁判所木更津支部の判示です。

これらの前例を前にドイツの伯母殺し青年の弁護人は,被告人はその伯母の身体的・精神的苦痛を取り除いてあげるために伯母殺し行為をしてしまったのであって「罪跡を隠滅するため」などということは全く考えておりませんでした,と頑張ることになります。

 

(3)ドイツ刑法252条並びに旧刑法382条及びボワソナアド

 しかし,「罪跡を隠滅するため」との目的の存在を否認する前記の弁護人の頑張りの必要は,特殊日本的なものかもしれません。事後強盗に係るドイツ刑法252条は,次のような規定だからです。

 

  Wer, bei einem Diebstahl auf frischer Tat betroffen, gegen eine Person Gewalt verübt oder Drohungen mit gegenwärtiger Gefahr für Leib oder Leben anwendet, um sich im Besitz des gestohlenen Gutes zu erhalten, ist gleich einem Räuber zu bestrafen.

  (窃盗の際犯行現場において発覚し,盗品の占有を保持するために,人に暴行を加え,又は身体若しくは生命に対する現在の危険をもって脅迫を行った者は,強盗と同様に処断される。)

 

窃盗(Diebstahl)をした者が「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」に暴行又は脅迫を行っても,なお強盗(Räuber)扱いはされないということです。

フランス人ボワソナアドの起草に係る旧刑法(明治13年太政官布告第36号)382条もドイツ刑法252条と同様に「窃盗財ヲ得テ其取還ヲ拒ク為メ臨時暴行脅迫ヲ為シタル者ハ強盗ヲ以テ論ス」とのみ規定していました。ボワソナアド原文の『刑法草案注釈巻之下』(司法省・1886年)の659頁には「犯者其所為ノ発露シタルニ因リ盗取物ヲ保存センカ為メ暴行又ハ脅迫ヲ用ヰルトキハ始メニハ窃カニ盗取セシト雖モ之レヲ「強盗」ト看做ス(こと)当然ナリ蓋シ此場合ニ於テハ或ハ暴行ヲ加ヘントノ予謀アラサルヘキモ其大胆心ト人身ノ危険トハ之レナシトスルヲ得サレハナリ/然レトモ犯者窃盗ニ着手シタル後チ逃走ヲ容易ナラシメントノ目的ヲ以テ人ニ暴行ヲ加ヘタルトキハ其所為ヲ強盗ト称セサルヘシ此場合ニ於テハ犯罪ノ合併即チ窃盗ノ未遂犯ト暴行又ハ脅迫(暴行ハ他ニ犯罪ノ附着スルヿナシト雖モ罰セラルモノナリ)トノ俱発アレハナリ」とあります。

「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」は,1907年の現行刑法制定に当たり新たに付加され,窃盗犯を強盗犯並みに取り扱う範囲が拡張されたものということになります。日本人は,白皙人よりも生真面目で厳しい。

しかし,「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」は,つまりは「逃走ヲ容易ナラシメントノ目的」ということではないでしょうか。ということであると,現行刑法238条においては,ボワソナアドが明示的に強盗扱いしないとした場合が強盗扱いされるということになってしまっていたのでした。

ところで,事後強盗成立に必要な暴行・脅迫に係る「反抗を抑圧する程度」を通常の強取の場合よりも厳しく認定すべきものとする一連の裁判例があり(窃盗犯が「逮捕を免れ」ようとする事案に主に係るもののようです。強盗傷人では刑が重過ぎるという配慮によるものです。),これに対して「ただ,逮捕を免れるにはより大きな暴行・脅迫が必要だとするのは説得性を欠くようにも思われる」と苦慮する学説が存在するところですが(前田245-246頁),泉下のボワソナアドとしては,だから窃盗犯が逮捕を免れるために暴行・脅迫しても事後強盗にならないんだよと言っておいたでしょう,西洋流では本来事後強盗に含まれないとされる類型まで日本人のさかしらで事後強盗に加えたから面倒なことになっているんですよ,と嘆息しているものかどうか。(なお,平成7年法律第91号による改正前の刑法238条は「窃盗財物ヲ得テ其取還ヲ拒キ又ハ逮捕ヲ免レ若クハ罪跡ヲ湮滅スル為メ暴行又ハ脅迫ヲ為シタルトキハ強盗ヲ以テ論ス」と規定されていて(下線は筆者によるもの),「又は」は一番大きな選択的連結に用いられ「若しくは」それより小さな選択的連結に用いられますから,同条における三つの目的は,旧刑法以来の「其取還ヲ拒キ」と現行刑法からの「逮捕ヲ免レ」及び「罪跡ヲ湮滅スル」との二つのグループに分かれるということが読み取り得る書き振りとなっていました。これに対して平成7年法律第91号による改正後の刑法238条は「財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために」とのっぺらぼうに規定していますから,3者は同一平面において単純に並べられていることになります。)

  

(4)日本の木更津事件の罪と罰とドイツの伯母殺し事件の罪と罰

前記千葉地方裁判所木更津支部昭和53316日判決の事案においては,被告人は更に死体損壊(死体をバラバラにした。)及び死体遺棄(バラバラにした死体の各部を土中に埋めたり水溜まりに投棄したりした。)をも犯しています。バラバラにされた死体の部分うち「冷蔵庫に入れておいた大腿部の肉を食べてみる気になり,右肉を取り出して前記包丁で薄く刺身状に十切れぐらいに切ってフライパンで焼き,味塩をふりかけて焼肉にして皿に盛って食べようとしたが,いやな臭いがしたため食べるのをやめ内臓の入ったビニール袋の中に捨て,今度は同じく冷蔵庫に入れてあった陰部を取り出してまな板の上で陰のうと陰茎に切断したうえ,陰のうの切り口から睾丸を押し出し,また陰茎を尿道に沿って切り開くなどして弄ぶなどした後,陰のうの一部は両上,下肢のダンボール箱に,残りはごみを入れる紙袋の中に捨てた。」というのですから,ひどい。「死者に対する冒瀆行為としてこれに過ぎるものはなく,まさに天人ともに許されない行為というほかはない。」との千葉地方裁判所木更津支部の裁判官らの激しい憤りはもっともです。

と,思わず我が日本の事後強盗殺人事件の猟奇性に胸が悪くなってしまったところですが,窃盗,殺人及び死体遺棄(及び損壊)の罪ということではドイツの伯母殺し青年の犯した罪のリスト(窃盗,殺人及び死体遺棄)と揃ってはいるところです。

ということで,Der Tantenmörderの文学鑑賞においても適用法条や量刑相場という無粋なことが気になる法律家のさがとして,木更津事件判決の「法令の適用」の部分を見てみると次のようになっていました。

 

  被告人の判示1の所為〔事後強盗(窃盗及び殺人)〕は刑法240条後段(238条)に,判示第2の所為〔死体損壊及び遺棄〕は包括して同法190条に該当し,以上は同法45条前段〔「確定裁判を経ていない2個以上の罪を併合罪とする。」〕の併合罪であるが,後記の情状〔計画的な犯行ではないこと,被害者に対する殺害方法自体は通常の殺人に比べて特に残虐とはいえないこと,矯正不可能とはいえないこと(無前科でもあった。)及びある程度改悛の情が認められること〕を考慮して判示第1の罪の刑につき無期懲役刑を選択するのを相当と認め,同法462項本文〔「併合罪のうちの1個の罪について無期の懲役又は禁錮に処するときも,他の刑を科さない。」〕を適用して他の刑を併科せず被告人を無期懲役に処すべく押収してあるあじ切り包丁1丁は判示第1の強盗殺人の用に供した物で犯人以外の者に属しないから,同法1912〔「犯罪行為の用に供し,又は供しようとしたもの」は没収することができる。〕2〔「没収は,犯人以外の者に属しない物に限り,これをすることができる。ただし,犯人以外の者に属する物であっても,犯罪の後にその者が情を知って取得したものであるときは,これを没収することができる。」〕を適用してこれを没収することとする。

  訴訟費用については刑事訴訟法1811項但書〔「但し,被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるときは,この限りでない。」〕により被告人に負担させないこととする。

 

 無期懲役。「罪跡を隠滅するため」に暴行(殺人を含む。)又は脅迫をしたときも窃盗犯が強盗犯扱いになってしまって(刑法238条),しかして強盗犯が人を殺すと法定刑としては死刑又は無期懲役しかないということ(同法240条)が大きいところです。

 なお,我が刑法240条に対応するドイツ刑法251条は,次のとおり。

 

  Verursacht der Täter durch den Raub (§§ 249 und 250) wenigstens leichtfertig den Tod eines anderen Menschen, so ist die Strafe lebenslange Freiheitsstrafe oder Freiheitsstrafe nicht unter zehn Jahren.

  (犯人が強取行為(第249条及び第250条)によって少なくとも過失をもって(leichtfertig)他人の死をもたらしたときは,刑は,終身自由刑又は10年以上の自由刑である。)

 

ところで,我が事後強盗規定がドイツ刑法252条並みであったならば,木更津事件の犯人は事後強盗犯とはならず,窃盗,殺人及び死体損壊遺棄の3罪が併合罪となっていたのでしょう。ヴェーデキントの伯母殺し青年についても,そのようになるのでしょう。

しかし,ドイツ刑法211条は,厳しい。

 

 (1) Der Mörder wird mit lebenslanger Freiheitsstrafe bestraft.

(2) Mörder ist, wer

aus Mordlust, zur Befriedigung des Geschlechtstriebs, aus Habgier oder sonst aus niedrigen Beweggründen,

heimtückisch oder grausam oder mit gemeingefährlichen Mitteln oder

um eine andere Straftat zu ermöglichen oder zu verdecken,

einen Menschen tötet.

 ((1)謀殺犯は,終身自由刑に処す。

  2)謀殺犯とは,

    性衝動の満足のための殺意,利得欲若しくは他の低劣な動機から,

    陰険に,若しくは残虐に,若しくは公共に害のある手段をもって,又は

    他の犯罪行為を可能とするために,若しくは隠蔽するために,

   人を殺す者である。)

 

 ドイツの伯母殺し青年も,金銭及び有価証券の窃盗という他の犯罪行為を隠蔽するため(zu verdecken)に伯母さんを殺したのだということになれば,我が木更津事件の犯人が無期懲役刑に処せられたのと同様,謀殺犯として終身自由刑に処せられそうでもあります。

 結論としての罰が,妙に収束してきてしまいました。洋は東西異なっていても,法律家の世界においては,何やら不思議な統一的親和力があるということでしょうか。




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旧制第二高等学校蜂章碑(仙台市青葉区片平丁)

Immensee (1851)

  蜜蜂湖1851

  Es war sonnige Nachmittagsstille; nur nebenan schnurrte der Mutter Spinnrad, und von Zeit zu Zeit wurde Reinhards gedämpfte Stimme gehört, wenn er die Ordnungen und Klassen der Pflanzen nannte oder Elisabeths ungeschickte Aussprache der lateinischen Namen korrigierte.

     日差しの明るい午後の静寂(しじま)であった。ただ隣室で母の糸車が鳴っており,時折,植物の綱目名を挙げときにあるいエリーザベトのぎこちないラテン語名の発音を訂正するときに,ラインハルトの低い声が聞こえるだけであった。

 

      Bald ging es wieder sanft empor, und nun verschwand rechts und links die Holzung; statt dessen streckten sich dichtbelaubte Weinhügel am Wege entlang; zu beiden Seiten desselben standen blühende Obstbäume voll summender, wühlender Bienen.

  やがて道は再び緩やかな上り坂となった,そして左右の林が消えた。それに代わって,葉のよく茂った葡萄畑の丘陵が道に沿って開けた。道の両側には花盛りの果樹が並び,それらは,ぶんぶんうなり,花にもぐって蜜を集める蜜蜂でいっぱいであった。

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      BGB § 961 Eigentumsverlust bei Bienenschwärmen (1896)

Zieht ein Bienenschwarm aus, so wird er herrenlos, wenn nicht der Eigentümer ihn unverzüglich verfolgt oder wenn der Eigentümer die Verfolgung aufgibt.

ドイツ民法961条(蜂群に係る所有権喪失)(1896年)

蜂群が飛び去った場合であって,所有者が遅滞なくそれを追跡しなかったとき又は所有者が追跡を放棄したときは,その群れは無主となる。

(註:養蜂振興法(昭和30年法律第180号)1条において「蜜蜂の群(以下「蜂群」という。)」と,特に用語の指定がされています。蜂群(ほうぐん)というのはちょっとなじみのない言葉ですあしからず。)

 

Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.373 (1888)(インターネット上で見ることができる当該理由書の原文は髭文字で印刷されているので,非髭文字体でここに書き写すことにもなにがしかの意味はあるでしょう。)

2. Die Bienen gehören zu den wilden aber zähmbaren Thieren. Der Eigenthumsverlust in Folge Rückerlangung der natürlichen Freiheit bestimmt sich also nach § 905 Abs. 2, 3 [Gefangene wilde Thiere werden herrenlos, wenn sie die natürliche Freiheit wiedererlangen. / Gezähmte Thiere werden herrenlos, wenn sie die Gewohnheit, an den ihnen bestimmten Ort zurückzukehren, ablegen.]. Die Bienenschwärme fliegen frei umher. Das Band, welches dieselben in der Inhabung und unter der Herrschaft des Eigenthümers erhält, ist die Gewöhnung an eine bestimmte Bienenwohnung. Diese Gewöhnung wird nicht durch allmähliche Verwilderung abgelegt, sondern es liegt in der Natur der Bienen, daß periodisch in Folge der im Stocke erfolgten Aufzucht junger Brut ein Bienenhaufe den plötzlichen Entschluß der Auswanderung behufs Begründung einer neuen Kolonie faßt- und auszieht. Der ausziehende Bienenhaufe hat die consuetudo revertendi abgelegt. Die Frage bleibt, in welchem Augenblicke diese Ablegung der Rückkehrgewohnheit zur Aufhebung des Eigenthumes führe. Mit dem Beginne des Ausziehens ist die thatsächliche Gewalt des Eigenthümers noch nicht aufgehoben und bis zu der Entziehung dieser Gewalt bleibt selbstverständlich das Eigenthum bestehen. Bezüglich des Zeitpunktes der definitiven Aushebung der Inhabung und des Besitzes könnte man vielleicht auch ohne besondere gesetzliche Bestimmung zu dem in § 906 bestimmten Resultate [Ein ausgezogener Bienenschwarm wird herrenlos, wenn der Eigenthümer denselben nicht unverzüglich verfolgt, oder wenn der Eigenthümer die Verfolgung aufgiebt oder den Schwarm dergestalt aus dem Gesichte verliert, daß er nicht mehr weiß, wo derselbe sich befindet] gelangen. Der vorliegende Fall hat eine gewisse Aehnlichkeit mit dem Falle der Nacheile (§ 815 Abs. 2 [Ist eine bewegliche Sache dem Inhaber durch verbotene Eigenmacht weggenommen, so ist derselbe berechtigt, dem auf der That betroffenen oder bei sofortiger Nacheile erreichten Thäter die Sache mit Gewalt wieder abzunehmen. Im Falle der Wiederabnahme ist der Besitz als nicht unterbrochen anzusehen.]). So lange die Verfolgung dauert, ist Besitz und Inhabung und damit das Eigenthum noch nicht definitiv verloren. In einigen Gesetzgebungen sind Fristen für das Einfangen gesetzt, nach deren Ablauf erst die Herrenlosigkeit eintritt; doch hat man sich bei dem [sic] neuerdings in Ansehung einer Neuordnung des Bienenrechtes von sachverständiger Seite gemachten Vorschlägen nicht für eine derartige Fristbestimmung ausgesprochen. 

ドイツ民法第一草案理由書第3373頁(1888年)

2.蜜蜂は,野生ではあるが馴らすことができる動物に属する。したがって,自然の自由の再獲得の結果としての所有権喪失は,第一草案9052項・3項〔捕獲された野生の動物は,自然の自由を再獲得したときは,無主となる。/馴らされた動物は,戻るようしつけられた場所に戻る習性を失ったときは,無主となる。〕によるものである。蜂群は,自由に飛び回る。それらを所有者の所持及び支配の下に留める紐帯は,特定の巣箱に対する定着(Gewöhnung)である。この定着は,徐々に進行する野生化によって失われるものではない。むしろ,蜜蜂は次のような性質を有している。すなわち,定期的に,巣箱の中で若い虫たちの群れが増えた結果,一団の蜜蜂が,新しい定住地に住み着くために移住しようとの突然の決定を行い,かつ,飛び去るのである。この飛び去る一団の蜜蜂は,戻る習性(consuetudo revertendi)を失っている。残る問題は,どの瞬間において,戻る習性の喪失が所有権の消滅をもたらすかである。移動の開始によっては所有者の現実の力はなお消滅しないし,この実力がなくなるまでは所有権は明らかに存在し続ける。所持及び占有の確定的消滅の時点との関係では,特段の法の規定なしに,第一草案906条に規定する結果〔移動する蜂群は,所有者がそれを遅滞なく追跡しなかったとき又は所有者が追跡を放棄したとき若しくは当該群れを見失った結果もはやどこにいるのか分からなくなったときに無主となる。〕に到達することがひょっとしたら可能であったかもしれない。これは,第一草案8152項の追跡の場合〔禁じられた私力によって動産が所持者から奪われたときは,当該所持者は,現場で取り押さえられ,又は即時の追跡によって捕捉された当該行為者から,当該物件を実力で再び取り上げることができる。取戻しがあった場合は,占有は中断されなかったものとみなされる。〕とある程度類似しているところである。追跡が継続している間は,占有及び所持並びにこれらと共に所有権が確定的に失われることはないのである。その期間が経過したことによって初めて無主性が生ずるものとする,捕獲のための期間を定めたいくつかの立法例があるが,蜜蜂法の新秩序に係る考慮の上専門家の側から最近された提案においては,そのような期間の定めは提唱されていない。

 

BGB § 962 Verfolgungsrecht des Eigentümers (1896)

Der Eigentümer des Bienenschwarms darf bei der Verfolgung fremde Grundstücke betreten. Ist der Schwarm in eine fremde nicht besetzte Bienenwohnung eingezogen, so darf der Eigentümer des Schwarmes zum Zwecke des Einfangens die Wohnung öffnen und die Waben herausnehmen oder herausbrechen. Er hat den entstehenden Schaden zu ersetzen.

ドイツ民法962条(所有者の追跡権)(1896年)

蜂群の所有者は,追跡の際他人の土地に立ち入ることができる。群れが他人の空の巣箱(Bienenwohnung)に入ったときは,群れの所有者は,捕獲の目的で箱を開け,蜂の巣(Wabe)を取り出し,又は抜き取ることができる。彼は,生じた損害を賠償しなければならない。

 

Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.373 (1888)

3. Die Vorschriften des § 907 [Der Eigenthümer eines ausgezogenen Bienenschwarmes kann bei dem Verfolgen des Schwarmes fremde Grundstücke betreten und den Schwarm, wo derselbe sich angelegt hat, einfangen. / Ist der Schwarm in eine fremde, nicht besetzte Bienenwohnung eingezogen, so kann der verfolgende Eigenthümer zum Zwecke der Einfangung des Schwarmes die Wohnung öffnen, auch die Waben herausnehmen oder herausbrechen. / Die Vorschriften des §. 867 finden Anwendung.] beziehen sich auf den besonderen Fall der Anwendbarkeit des § 867 [Der Eigenthümer eines Grundstückes, auf dessen Gebiete eine fremde bewegliche Sache sich befindet, hat dem Eigenthümer oder bisherigen Inhaber der letzteren die zur Aufsuchung, Erlangung und Fortschaffung der Sache erforderlichen Handlungen zu gestatten. / Der Eigenthümer oder bisherige Inhaber der beweglichen Sache hat dem Eigenthümer des Grundstückes den aus diesen Handlungen entstandenen Schaden zu ersetzen und, wenn ein solcher zu besorgen ist, wegen Ersatzes desselben vorher Sicherheit zu leisten.], wenn die von einem fremden Grundstücke abzuholende Sache ein Bienenschwarm ist, und erweitern die Befugnisse des verfolgenden Eigenthümers insoweit, als durch die Sachlage geboten ist, wenn der Zweck des Einfangens erreicht werden soll. Die Natur des hier bestimmten Rechtes ist dieselbe, wie die Natur des in § 867 bestimmten Rechtes. Ein Vorgehen des Verfolgenden im Wege der Selbsthülfe ist nur insoweit erlaubt, als die in § 189 bestimmten Voraussetzungen zutreffen.

ドイツ民法第一草案理由書第3373頁(1888年)

3.第一草案907条の規定〔飛び去った蜂群の所有者は,当該群れの追跡の際他人の土地に立ち入り,かつ,当該群れをその移転先の場所で捕獲することができる。/群れが他人の空の巣箱に入ったときは,追跡中の所有者は,当該群れの捕獲の目的で当該箱を開けることができ,更に蜂の巣を取り出し,又は抜き取ることもできる。/第867条の規定が適用される。〕は,他人の土地から回収する物が蜂群である場合における第一草案867条〔その上に他人の動産が現在する土地の所有者は,当該動産の所有者又はそれまでの所持者に対して,その物の捜索,確保及び持ち去りのために必要な行為を許容しなければならない。/動産の所有者又はそれまでの所持者は,土地の所有者に対して,そのような行為から生じた損害を賠償しなくてはならず,必要があれば,その賠償のためにあらかじめ担保を提供しなければならない。〕の適用の特例に関するものであり,かつ,追跡中の所有者の権能を捕獲の目的が達成されるべく状況が必要とする限りにおいて拡張するものである。ここに規定される権利の性格は,第867条において規定される権利の性格と同様である。自救行為の手段としての追跡者の措置は,第一草案189条に規定する前提条件が満たされる限りにおいてのみ許される。

 

BGB § 963 Vereinigung von Bienenschwärmen

Vereinigen sich ausgezogene Bienenschwärme mehrerer Eigentümer, so werden die Eigentümer, welche ihre Schwärme verfolgt haben, Miteigentümer des eingefangenen Gesamtschwarms; die Anteile bestimmen sich nach der Zahl der verfolgten Schwärme.

ドイツ民法963条(蜂群の合体)

複数の所有者の飛び去った蜂群が合体した場合においては,彼らの群れの追跡を行った所有者は,捕獲された合体群の共有者となる。持分は,追跡のされた群れの数に応じて定まる。

 

Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.373 -374 (1888)

4. Die Vorschrift des §908 [Vereinigen sich mehrere ausgezogene Bienenschwärme verschiedener Eigenthümer bei dem Anlegen, so erwerben diejenigen Eigenthümer, welche ihre Schwärme verfolgt haben, an dem eingefangenen Gesammtschwarme das Miteigenthum nach Bruchtheilen; die Antheile bestimmen sich nach der Zahl der verfolgten Schwärme.] betrifft einen besonderen Fall der Anwendbarkeit des §892. Die hinzugefügte Besonderheit besteht darin, daß die Antheile der verschiedenen Eigenthümer an dem eingefangenen Gesammtschwarme, welcher sich möglicherweise durch einen herrenlosen Schwarm vergrößert haben kann, nach der Zahl der verfolgten Schwärme und nicht nach dem Werthverhältnisse dieser Schwärme sich bestimmen sollen. Eine solche durchgreifende Entscheidung erledigt in sachgemäßer Weise eine sonst schwer zu lösende Beweisfrage.

ドイツ民法第一草案理由書第3373-374頁(1888年)

4.第一草案908条の規定〔様々な所有者の複数の飛び去った蜂群が移転先において合体した場合には,彼らの群れの追跡を行った当該所有者は,捕獲された合体群について部分的な共同所有権を取得する。持分は,追跡のされた群れの数に応じて定まる。〕は第一草案892条の適用における特例に係るものである。付加的な特殊性は,捕獲された合体群(これは場合によっては無主の群れによって更に増大している可能性がある。)に対する様々な所有者の持分は,追跡のされた群れの数に応じて定められるべきものであり,これらの群れの価格関係に応ずべきものではないという点に存在する。このような思い切った決断によって,解決が難しいものともなり得る立証問題を実際的な方法によって取り除くものである。

 

      BGB § 964 Vermischung von Bienenschwärmen

Ist ein Bienenschwarm in eine fremde besetzte Bienenwohnung eingezogen, so erstrecken sich das Eigentum und die sonstigen Rechte an den Bienen, mit denen die Wohnung besetzt war, auf den eingezogenen Schwarm. Das Eigentum und die sonstigen Rechte an dem eingezogenen Schwarme erlöschen.

  ドイツ民法964条(蜂群の混和)

  蜂群が既に蜂群の入れられている他人の巣箱に入ったときは,当該巣箱に入れられていた蜜蜂に係る所有権及びその他の権利が,入ってきた当該群れに及ぶ。新たに入った群れに係る所有権及びその他の権利は,消滅する。

 

  Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.374 (1888)

  5. Die Vorschriften des §909 [Ist ein Bienenschwarm in eine fremde, besetzte Bienenwohnung eingezogen, so erstrecken sich das Eigentum und die sonstigen Rechte an den Bienen, mit welchen die Wohnung besetzt war, auch auf den eingezogenen Schwarm. Das Eigentum und die sonstigen Rechte, welche an dem letzteren bisher bestanden, erlöschen. Ein Anspruch wegen Bereicherung steht bem bisherigen Berechtigten gegen den neuen Eigenthümer nicht zu.] modifizieren die Bestimmungen über die Folgen einer Vermischung verschiedener Schwärme zu Ungunsten des Eigenthümers eines sog. Noth=, Hunger= oder Bettelschwarmes, welcher in eine fremde besetzte Bienenwohnung eingezogen ist. Nach sachverständiger Darstellung zieht zuweilen, besonders im Frühjahre oder Herbst, aus Mangel an Nahrung das gesammte Volk aus, wirft sich auf andere Stöcke, verursacht ein gegenseitiges Abstechen und bringt dadurch Schaden. Hier ist das Ausziehen Folge nachlässig betriebener Zucht; solche Völker bilden keine Schwärme im technischen Sinne, man nennt sie Bettel= und Hungerschwärme. Sie sollen nach den Vorschlägen der Bienenwirthe als herrenlos gelten. Es ist aber nicht über das Herrenloswerden solcher Schwärme eine besondere Bestimmung nöthig, sondern nur über die vermöge einer Art von commixtio erfolgende Eigenthumserwerbung, wenn der Schwarm mit einem fremden Schwarme durch Einziehen in dessen Wohnung sich vermischt. Mit Rücksicht auf die der Regel nach durch Vernachlässigung des bisherigen Eigenthümers des Bettelschwermes gegebene Ursache des Ausziehens und der Vermischung erledigt der Entwurf jeden möglichen Streit durch die durchgreifende Bestimmung, daß der Gesammtschwarm nach allen Richtungen unter das rechtliche Verhältniß des in der Wohnung bereits früher vorhandenen Schwarmes tritt und daß in Abweichung von der Vorschrift des §897 ein Bereicherungsanspruch des verlierenden bisherigen Eigenthümers des Bettelschwarmes ausgeschlossen ist. 

  ドイツ民法第一草案理由書第3374頁(1888年)

  5.第一草案909条の規定〔蜂群が既に蜂群の入れられている他人の巣箱に入ったときは,当該巣箱に入れられていた蜜蜂に係る所有権及びその他の権利が,入ってきた当該群れにも及ぶ。後者についてそれまで存在した所有権及びその他の権利は,消滅する。それまでの権利者に,新しい所有者に対する不当利得返還請求権は生じない。〕は,様々な群れによる混和の効果に関する規定を,他人の蜜蜂の巣箱に入り込んだいわゆる困窮,飢餓又は乞食蜂群Noth=, Hunger= oder Bettelschwarmの所有者の不利に修正するものである。専門家の述べるところによると,時折,特に春又は秋に,食物の不足により蜜蜂の集団Volk全体が飛び去り,他の巣箱に飛来して刺し殺し合いを惹起し,そしてそのことにより損害をもたらすことがある。ここでの飛び去りは,おろそかにされた飼育の結果である。そのような蜜蜂の集団は専門技術的な意味では群れを構成するものではなく,乞食及び飢餓蜂群と名付けられる。それらは,養蜂家の提案によれば無主であるものとみなされるべきものである。しかしながら,特則が必要であるのは,そのような群れが無主となることに関してではなく,むしろ専ら,当該群れが他の群れの巣箱に入り込むことによって当該他の群れと混和する場合における,一種の混合コンミクスティオによって招来される所有権の取得に関してである。定めに照らせば乞食蜂群のそれまでの所有者の怠慢によって与えられたところの飛び去り及び混和の原因に鑑みて,この案は,思い切った規定によって,可能性ある全ての紛争を取り除くものである。すなわち,全ての方面において合体群は,巣箱に既に早くから存在していた群れの法関係の下に入ること,及び第一草案897条の規定にかかわらず,権利を失う乞食蜂群のそれまでの所有者の不当利得返還請求権を排除することこれである。

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旧制第二高等学校旧正門(仙台市青葉区片平丁)
 

  Institutiones Justiniani 2.1.14 (533)

      Apium quoque natura fera est. Itaque quae in arbore tua consederint, antequam a te alveo includantur, non magis tuae esse intelleguntur, quam volucres quae in tua arbore nidum fecerint: ideoque si alius eas incluserit, is earum dominus erit. Favos quoque si quos hae fecerint, quilibet eximere potest. Plane integra re, si provideris ingredientem in fundum tuum, potes eum jure prohibere, ne ingrediatur. Examen quod ex alveo tuo evolaverit eo usque tuum esse intellegitur donec in conspectu tuo est nec difficilis ejus persecutio est: alioquin occupantis fit.

  ユスティーニアーヌス『法学提要』第2編第114533年)

  同様に,蜜蜂(apis)の性質は,野生(ferus)である。したがって,汝の木に居着いた蜜蜂たちも,汝によって巣箱(alveus)に入れられる前においては,汝の木に巣(nidus)を作った鳥たちより以上に汝のものであるとはみなされない。したがって,それゆえに,別の者が当該蜜蜂たちを収容(includere)したときは,彼がそれらの所有者である。同様に,それらが蜂の巣(favus)を作ったときは,誰でもそれを取り出すことができる。もちろん,当然に,汝の地所に立ち入る者について予見したならば,汝は,法により,彼が立ち入らないように禁ずることができる。汝の巣箱から逃げ去った蜂群(examen)は,汝の視界内(in conspectu)にあり,その追跡が困難でない限りにおいては汝のものであるとみなされる。そうでなければ,先占者(occupans)のものとなる物となる。

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1 ドイツ民法とローマ法等と

 

(1)ドイツ民法961

ドイツ民法961条は,ローマ法の“Examen quod ex alveo tuo evolaverit eo usque tuum esse intellegitur donec in conspectu tuo est nec difficilis ejus persecutio est: alioquin occupantis fit.”の法理に由来していることが分かります。ただし,見えなくなったらもうおしまい,というわけではありません(しかし,実際のところ,見えなくなったら追跡は難しいのでしょう。)。フランスの1791928日法(sur la police rurale)も,蜂群の所有者の追跡について期間制限を設けていませんでした(Boissonade, Projet de code civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un commentaire, Livre III, 1888. p.66)。すなわち,同法第1編第35条は,“Le propriétaire d’un essaim a le droit de le réclamer et de s’en ressaisir, tant qu’il n’a point cessé de le suivre; autrement l’essaim appartient au propriétaire du terrain sur lequel il s’est fixé.(蜂群(essain)の所有者は,その追跡を終止しない限りは,それに対する権利を主張し,かつ,再捕獲することができる。原則としては(autrement),蜂群は,それが定着した土地の所有者に帰属する。)と規定していたところです。

なお,上記ローマ法理の規定の対象となる事象は「既に採取され所有物になっている蜜蜂の群に分蜂または逃去が生じ,その捕獲に失敗した場合について規定しているものと考えられる。養蜂家が適切な処置をとらなかったために,蜂群が一体となって巣箱を逃げ出してしまったケースである。」(五十(やすた)()麻里子「蜜蜂は野か?――ローマ法における無主物先占に関する一考察」法政研究704号(200431日)20頁)とされていますが,ドイツ民法は,この分蜂及び逃去のうち分蜂のみを対象にして,逃去は念頭に置いていなかったそうです(五十君32頁註74)。(確かに,前記のドイツ民法第一草案理由書第3373頁の2の記載を見るとそのようですが,同374頁の5の乞食蜂群は以下に説明される逃去との関係でどう考えるべきでしょうか。)逃去は,冬の寒さの厳しくない地で見られる現象(五十君17頁)とされています。分蜂と逃去との相違は,「分蜂が古い群から新たな群が分かれる群の再生産であるのに対して,逃去は群全体がより良い環境を求めて巣を立ち去る現象なのである。したがって,分蜂においては一匹の女王蜂が働き蜂の一部と,時には雄蜂の一部を伴って巣を飛び立つのに対して,逃去では幼虫や貯蜜を残し全ての大人の蜜蜂が巣を去ってしまう。」ということです(五十君16頁)。逃去の場合,「群は数時間以内に巣を後にし,10分ほどで新たに巣を設ける場所へと移動する」そうですが,「他方,花や水が不足する場合には,蜜蜂は20日から25日かけて準備をし,卵やさなぎもあらかじめ働き蜂が食べたうえで,時には50キロメートル離れた場所まで移動する」そうです(五十君17頁)。

分蜂する蜜蜂たちのローマ時代における収容の様子は,ウァッロー(Varro)によれば,分蜂の数日前から巣門の前に蜂球が形成されているところ,激しく音が発せられて分蜂が始まり,「先に飛び立った蜜蜂は付近を飛び回って後続の蜜蜂を待」っているところで,「養蜂家は,蜂群がこのような状況にあることを発見したならば,「土を投げ付け,金を打ち鳴らして」これを脅かす一方,近くに蜜蜂の好むものを置いた巣箱を用意し,蜂群を誘導する。さらに,蜂群が巣箱に入った所を見計らって周囲に軽く煙をかけ,巣箱内に逃げ込むようしむける。すると蜂群は新しい巣箱に止まり,新しい蜂群が成立することとなるのである。」というものでした(五十君17-18頁)。

フランスの1791928日法第1編第35条後段の「原則としては,蜂群は,それが定着した土地の所有者に帰属する。」との規定は,巣箱への収容までを要件としないようですから,蜜蜂に係る“Itaque quae in arbore tua consederint, antequam a te alveo includantur, non magis tuae esse intelleguntur, quam volucres quae in tua arbore nidum fecerint: ideoque si alius eas incluserit, is earum dominus erit. Favos quoque si quos hae fecerint, quilibet eximere potest.”との法理とは異なるもののようです。ということは,ルイ16世時代のフランス王国においては,もはや古代ローマのように“apium natura fera est.”とは考えられておらず,蜜蜂は家畜扱いだったということでしょうか。1791928日法は同年106日にルイ16世の裁可を受けていますが,1792810日の事件の後にタンプル塔にあっても「時間つぶしのために希望して,257冊――たいていはラテンの古典作家である――もの優に図書館ぶんほども本を手に入れた」(ツヴァイク=関楠生訳『マリー・アントワネット』)教養人であった同王としては,裁可を求められた当該法案についてローマ法との関係で何か言いたいことがあったかもしれません。

 

(2)ドイツ民法962

ドイツ民法962条においては,“si provideris ingredientem in fundum tuum, potes eum jure prohibere, ne ingrediatur.”の法理(ただしこれは,無主物先占のための立入りに係るものですね。)とは異なり,養蜂家の所有権に配慮して,「蜂群所有者,追跡際他人土地ることができる。」とされています。前記フランス1791928日法も他人の土地内への追跡を所有者に認めていたそうです(Boissonade p.66)。

なお,ローマ時代の巣箱(alveus)は「直径30センチメートル,長さ90センチメートルの筒状に成型し,適切な場所に水平に置く。蜜蜂の出入口の反対側から蜂蜜の採取などの作業ができるよう,後部を閉じる際には後で取り外せるようにしておく。」というものであり(五十君15頁),材料にはいろいろなものがあって(ローマ帝国は広かったのです。),「コルクなどの樹皮,オオウイキョウの茎,植物を編んだ籠,空洞の丸木,木板」や「牛糞,土器,レンガさらには透明な角や石」が用いられていたそうです(五十君15頁)。現在の形の巣箱は,19世紀の発明であるそうですから(五十君15頁),ドイツ民法はこちらの方の近代的巣箱を想定しているものでしょう。ローマ時代には「人工的に与えられるものは外側の巣箱だけで,中の巣板は,蜜蜂達が,自身の体を物差にして六角形の巣房を両面に無駄なく組み合わせ,作って行くのに任せられていた」そうであり(五十君15頁),「採蜜の際にも蜂蜜の貯まった巣を壊して搾り取るしかなく,蜂群は再生できない場合が多かった」ことになります(五十君15頁)。

なお,蜜蜂たちを収容(includere)する方法はどうだったかといえば,「森の群を捕獲する方法(ratio capiendi silvestria examina)」においては,「巣が岩の窪みにある場合には,煙で蜜蜂を燻り出して音をたて,この音に驚いた蜜蜂が茂み等に蜂球を形成した所を,入れ物(vas)に収容」し,「巣が木のうろにあった場合には,巣の上下の木を切り,布に包んで持ち帰る」というものだったそうです(五十君16頁)。その後「筒を寝かせたような形状の巣箱に移され」,「こうしてはじめて「〔略〕巣箱に閉じ込められ」たものとされ,その獲取者の所有物」となりました(五十君19頁,94頁註94)。

 

(3)ドイツ民法963条及び964

ドイツ民法963条は日本民法245条・244条の混和の規定を(ただし,持分は,後者は価格の割合で決まるのに対し,前者は群れの数に応じて決まります。),ドイツ民法964条は日本民法245条・243条の混和の規定を彷彿とさせます(Vermischungは,正に「混和」です。)。

 

2 我が旧民法と民法と

 

(1)旧民法と蜜蜂と

さて,実は我が国においても,旧民法(明治23年法律第28号)財産取得編132項には「群ヲ為シテ他ニ移転シタル蜜蜂ニ付テハ1週日間之ヲ追求スルコトヲ得」という規定がありました。これは,ボワソナアドの原案6212項では,À l’égard des abeilles qui se sont transportées en essaim sur le fonds voisin, elles peuvent y être suivies et réclamées pendant une semaine; toutefois, ce droit cesse après 3 jours, si le voisin les a prises et retenues.(群れをなして隣地に移動した蜜蜂については,1週間はそこへの追跡及び回復が可能である。しかしながら,隣人がそれらを捕獲し,かつ,保持したときは,当該権利は3日の後に消滅する。)であったものです(Boissonade p.36)。隣人が保持するとは,retunues prisonnières dans une ruche ou autrement(巣箱に入れるか他の方法で捕えておく)ということであったそうです(Boissonade p.67)。「隣地に」が「他ニ」になったのは,188842日の法律取調委員会における渡正元委員(元老院議官)の提案の結果です(法務大臣官房司法法制調査部監修『日本近代立法資料叢書9』(㈳商事法務研究会・1987年)「法律取調委員会民法草案財産取得編議事筆記」51頁)。これについては,「可笑クハ御座イマセンカ加様ナモノハ能サソウナモノデス蜂ガ必ズシモ隣ヘ往クト云フ極ツタモノデモアリマセンカラ」及び「蜂ナゾハ何処ヘ飛ンデ往クカ分リマスカ」と同日鶴田皓委員(元老院議官)に言われてしまっていたところです(法律取調委員会議事筆記50頁)。「隣人がそれらを捕獲し,かつ,保持したときは,当該権利は3日の後に消滅する」の部分を削ることは,これも同日,山田顕義委員長(司法大臣)が「隣人ダノ3日ダノト謂フコトハ刪ツテモ宜シウ御座イマセウ」と言い出していたところです(法律取調委員会議事筆記50頁)。ドイツ民法962条第3文のような損害賠償責任の規定が書かれなかった理由は,“cela va de soi, et même il est certain que la poursuite devrait être empêchée ou suspendue dans les cas où elle causerait des dommages difficiles à réparer.”(当然のことであり,また,償い難い損害が追跡によって惹起される場合には,追跡は妨げられ,又は中止されることになることがまた確かであるからである。)ということでした(Boissonade p.67)。

どういうわけか「不動産上ノ添附」の節の中にありました。ボワソナアドは,フランス1791928日法(当時も効力を有していました(Boissonade p.66)。)第1編第35条後段の規定を前提として,蜂群が定着した土地の所有者は,当該土地への添附によって当該蜂群の所有権を取得すると考えていたものでしょうか。そうだとすると,旧民法財産編(明治23年法律第28号)232項は「所有者ナキ不動産及ヒ相続人ナクシテ死亡シタル者ノ遺産ハ当然国ニ属ス」と規定していて無主の土地は我が国では無いのですから,我が国には無主の蜂群は存在しないものと考えられていたことになりそうです。

旧民法財産取得編132項は,ローマ法の“Examen quod ex alveo tuo evolaverit eo usque tuum esse intellegitur donec in conspectu tuo est nec difficilis ejus persecutio est.”の法理と比較すると,視界の中にあるか否か,追跡が困難か否かという要件を簡素化して,蜂群の移転(分蜂又は逃去(ニホンミツバチは,比較的寒い地域に生息するものであっても逃去を行うそうです(五十君32頁註74)。))後一律「1週日間」はなお前主の所有権が及ぶものとしたもののように解されます。期間無制限のフランス1791928日法と比較すると,追跡可能期間が短縮されたということになります(Boissonade p.67)。

 

(2)旧民法と魚及び鳩並びに野栖ノ動物と

旧民法財産取得編13条(全3項)の残りの条項をここで見ておくと,第1項は「私有池ノ魚又ハ鳩舎ノ鳩カ計策ヲ以テ誘引セラレ又ハ停留セラレタルニ非スシテ他ノ池又ハ鳩舎ニ移リタルトキ其所有者カ自己ノ所有ヲ証シテ1週日間ニ之ヲ要求セサレハ其魚又ハ鳩ハ現在ノ土地ノ所有者ニ属ス」と,第3項は「飼馴サレタルモ逃ケ易キ野栖ノ禽獣ニ付テハ善意ニテ之ヲ停留シタル者ニ対シ1个月間其回復ヲ為スコトヲ得」と規定していました。それぞれ,ボワソナアドの原案6211項では“Les poissons des étangs privés et les pigeons des colombiers qui passent dans un autre étang ou colombier, sans y avoir été attirés ou retenus par artifice, appartiennent au propriétaire chez lequel ils se sont établis, s’ils ne sont pas réclamés dans une semaine, avec justification de leur identité.”と,同条3項では“S’il s’agit d’animaux de nature sauvage, mais apprivoisés et fugitifs, la revendication pourra en être exercée pendant un mois contre celui qui les a recueillis de bonne foi.”とあったものを日本語訳したものです。なお,旧民法財産取得編133項の「飼馴サレタルモ逃ケ易キ野栖ノ動物」の語句における「逃ケ易キ」の語については,「仏原語ノ意義ヲ誤解シタルモノニシテケタル﹅﹅﹅ナリ」指摘ていす(本野一郎=正=日本民法義解 財産取得編債権担保社・189012月印行)56頁)。確かに,仏和辞典を検する限り,“fugitif”はそう解すべきです。

旧民法財産取得編131項は,当時のフランス民法564条(“Les pigeons, lapins, poissons, qui passent dans un autre colombier, garenne ou étang, appartiennent au propriétaire de ces objets, pourvu qu'ils n'y aient point été attirés par fraude et artifice.”(他の鳩舎,棲息地又は池に移った鳩,野兎,魚は,欺罔及び計策によって誘引されたものでなければ,当該物件の所有者に帰属する。))の承継規定ですね(同条は,同法第2編(財産編)第2章(所有権について)第2節(付合及び混和に係る添附について)の第2“Du droit d’accession relativement aux choses immobilières”(不動産に関する添附について)にありました。)。ボワソナアドが自ら,同項に対応する自分の原案はフランス民法564条を参考にした旨註記しています(Boissonade p.36)。ただし,フランス民法564条には無かった1週間の猶予期間が付されています。当該猶予期間を設けた理由は,フランス民法564条では,魚や鳩の所有権が,それらが自発的に移った(passés spontanément)先の隣人によって直ちに(immédiatement)取得されてしまうのでやや正義に欠ける(moins juste)ところ,当該隣人の新しい権利を当該動物の一種の意思(une sorte de volonté des animaux)にかからしめるのであれば一定の期間の経過を待つのが自然であること,並びに当該期間の経過は,前主における一種の放棄又は無関心(une sorte d’abandon ou d’indifférence)を示し,及び隣人に係る尊重すべき占有(une possession digne d’égards)を構成するからであるとされています(Boissonade pp.65-66)。

なお,当時のフランス民法はまた,そ