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9 準消費貸借山域の鳥瞰図
以上の検討を経て,前記3(3)の6箇の問題をどう考えるべきでしょうか。
(1)旧債務の存否
旧債務は存続するのか消滅するのかの問題(①)については,民法起草者である富井も梅も,準消費貸借においては旧債務が消滅するものと考えていた,というのが筆者の認識です。
新旧債務の「同一性」の問題について我妻は「判例は,最初は,常に同一性を失うとなし(大判大正9・12・27民2096頁参照),ついで,当事者の意思によるも原則として同一性を失わないと解し(大判昭和8・2・24民265頁参照),最後に,この見解を維持しながら,時効などについては,これを制限すべしとするもののようである(大判昭和8・6・13民1484頁〔略〕)」とまとめています(我妻Ⅴ₂・367頁)。
当初の判例が「常に同一性を失うとなし」たのは,起草者の意思(更改型)に忠実な解釈であったというべきでしょう。
その後の「当事者の意思によるも原則として同一性を失わない」との解釈は,日本民法に即した固有の解釈というよりも,Protokolleにおける議論に現れたドイツ民法旧607条2項流の解釈(債務変更型)を輸入したものでしょう。「ドイツ学説継受期には,〔準消費貸借は〕新旧債務が同一性を保つ〔――したがって,原因の交替する更改と同じものではない――〕固有の制度だとする説が多く主張され」たこと(柴崎41-42頁)の影響であるわけです。このドイツ流の解釈の導入の呼び水となり,またそれを容易にした理由の一つは,日本民法588条(の前半)の文言とドイツ民法旧607条2項のそれとの類似性でしょう。準消費貸借について我妻は「思うに,当事者が全然同一性のない債務を成立させる契約をすることは可能である。」と説くに至っていますが(我妻Ⅴ₂・367頁),これは,同一性が維持されることを原則とするものであって,債務変更型のドイツ民法式の思考でしょう(更改制度を設けていない同法下でも,明文はないが――したがって例外的に――更改契約は可能であることは,前記6(2)のとおりです。)。
しかし,日本民法588条の後半の文言は新債務の発生を意味するもの(したがって旧債務は消滅しなければならない。)と解するときには(前記4及び6(1)参照),「当事者の意思によるも原則として同一性を失わない」とする解釈は,条文の文理に背反するのではないか,と気になるところです(同条は「みなす」とまでいっています。これについては,梅が「当事者ノ意思ニ任カセルト云フト動モスレバ意思ノ不明ナル為メニ問題ヲ生スル」との老爺心ないしは老婆心的見解を示していたところでした(前記4)。)。平成29年法律第44号による民法588条の改正は,新旧債務が同一性を失わないことを原則とすること(現在の判例と解されます(渡邊・新旧130頁)。)を立法的に改めて確認するものとしては,あるいは不十分なものだったのかもしれません。平成=令和流の「やってる感」的には,「金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合においては,当事者はその物を消費貸借の目的とすることを約することができる。」とまでの改正をも選択肢に入れるべきだったのではないかとは,軽薄な後知恵的思案でしようか。しかし,日本民法588条は,頭はドイツ式(債務変更型)・尻尾はフランス式(更改型)の藪山の鵺であると考えられ得るところ,そうであるのであれば,このねじくれた怪鳥――「わが民法の伝統的解釈態度は,かなり特殊なものである。第一に,あまり条文の文字を尊重せず(文理解釈をしない),たやすく条文の文字を言いかえてしまう。〔略〕第二に,立法者・起草者の意図を全くといってよいほど考慮しない。第三に,〔略〕わが民法学はドイツ民法学の影響が強く,フランス式民法をドイツ式に体系化し解釈するという,奇妙な状況を呈している。」(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)61-62頁註(1))――の退治は,全くの無意味ということにはならないでしょう。
(2)更改との関係
旧債務が消滅するとした場合における準消費貸借と更改との関係の問題(②)については,債務の要素を変更するものではないから準消費貸借は更改ではなく(民法旧513条1項反対解釈),要物性に代えるに債務免除の利益に係る出捐をもってする要物性が緩和された消費貸借なのだ(債務免除説。梅三591-592頁),ということになるのでしょう。
なお,平成29年法律第44号による改正後の民法513条1号は,「従前の給付の内容について重要な変更をするもの」である新たな債務を従前の債務に代えて発生させる契約をもって,更改による従前の債務の消滅をもたらす契約であるものとしていますが,改正後の同条は,改正前の同条1項における「債務の要素」の具体的な意味を読み取り得るようにするため,その明確化を図ったものとされています(筒井=村松208頁)。したがって,従来の民法旧513条に関する解釈は維持されるものと解してよいのでしょう。ちなみに,旧民法財産編490条は「当事者カ期限,条件又ハ担保ノ加減ニ因リ又ハ履行ノ場所若クハ負担物ノ数量,品質ノ変更ニ因リテ単ニ義務ノ体様ヲ変スルトキハ之ヲ更改ト為サス/商証券ヲ以テスル債務ノ弁済ハ其証券ニ債務ノ原因ヲ指示シタルトキハ更改ヲ為サス従来ノ債務ノ追認ハ其証書ニ執行文アルトキト雖モ亦同シ」と規定していましたところ,これについて梅謙次郎は,条件の加減は更改をもたらすものと変更し(民法議事速記録第23巻103丁表-104丁表。民法旧513条2項),負担物の数量,品質の変更は目的を変ずるのである(そもそも義務の体様とはならない。)からこれも同様とし(同104丁裏-105丁表。民法旧513条1項に含まれるとの解釈。ただし,「数量ノ変更ハ往往ニシテ旧債務ニ一ノ新債務ヲ加ヘ又ハ原債務ノ一部ノ消滅ヲ約スルニ過キサルコトアリ須ラク当事者ノ意思ヲ探究シテ之ヲ決スヘキモノトス」とされています(梅三356頁)。),「商証券ヲ以テスル債務ノ弁済ハ其証券ニ債務ノ原因ヲ指示シタルトキハ更改ヲ為サス」の部分を「債務ノ履行ニ代ヘテ為替手形ヲ発行スル亦同シ〔債務の要素を変更するものとみなす〕」に改めています(同105丁表-107丁表。平成16年法律第147号による改正前民法513条2項後段)。
(3)要物性緩和論の由来
上記(2)の議論は,要物性緩和論の由来の問題(③)に対する解答ともなります。消費貸借の要物性を緩和するために準消費貸借の制度が設けられたのではなくて,金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において当事者がその物を消費貸借の目的とすることを約してしまうという実態が先にあって,当該実態の法律構成のために要物性の緩和ということがされたのだ,ということになるのでしょう。
なお,我妻は「民法の要物性は既存の債務の存在で足る」といい(前記2(1)),法務省御当局は「消費貸借によらない物の返還債務を消費貸借の目的とする消費貸借」といっていますが(前記2(2)),既存債務がそのまま消費貸借の債務に採用される(名義が変わる)ということは,債務の名義の変更を認めない梅謙次郎の許すところではなかったでしょう。民法588条は給付義務の対象「物を消費貸借の目的〔物〕とする」と規定して,飽くまでも物レヴェルでの記述にとどめています。物の占有を問題にした占有改定説の名残ともいうべきでしょうか。
(4)準消費貸借の消滅時効
準消費貸借の消滅時効問題(④)は,梅が最も苦心したところです。梅の頑張りを尊重すれば,更改型の場合においてのみ消費貸借債務に係る時効期間が適用され,債務変更型の場合には既存債務に係る時効期間が適用されるものとせざるを得ません(また,渡邊・新旧154-155頁参照)。
新旧債務の同一性の有無にかかわらず判例は「最後には,時効については,常に別個に解すべきものと改めたとみてよいようである(大判昭和8・6・13民1484頁)。最後の態度を正当とする。」ということであれば(我妻Ⅴ₂・368頁),常に消費貸借債務の時効となるわけですが,債務変更型の場合であって従前の債務の時効期間が消費貸借債務のそれよりも短いときにはいかがなものでしょうか。梅の意思の蹂躙問題はさておいても,民法146条の規定に鑑みるに,融通が利き過ぎるように思われます。(なお,民法146条の反対解釈により有効とされている時効期間を短くする合意が,別途可能であることはもちろんでしょう。)
ちなみに,大審院昭和8年6月13日判決は,新旧債務の同一性が維持される場合においては「此の場合債務そのものは則ち従前の債務に外ならざるが故に厳格に云はば〔後に〕商行為により生じたる債務てふものは固より以て存すべくもあらず」であるが,「当事者の意思は此の債務をして爾今以後民法にもあれ商法にもあれ広く消費貸借に関する規定の支配を受けしめむとするに在」るのだから「準消費貸借締結自体が商行為なる以上商法中「商行為ニ因リテ生シタル債務」に関する規定の如きは総て其の適用あるものと解するを以て当事者の意思に合へりと為す」と判示しており(判決文の引用は渡邊・新旧119-120頁における紹介に基づくもの),当事者の意思に基づいて債権の消滅時効期間(平成29年法律第45号による削除前の商法(明治32年法律第48号)522条は,商事消滅時効の期間を,債権消滅時効の原則規定である民法旧167条1項の10年よりも短い5年としていました。)を選択することができるかのような言明となっていました。当該判示については,「しかし,この判決の事件で準消費貸借の目的となった債務は機械器具の使用の対価とも,組合事業を一組合員が機械器具を使用し原料品等を処分する権利を与えられ単独で経営することを許された対価ともいわれる。前者だと動産の損料として民法〔旧〕174条5号で時効は1年となるのであろうか。後者だと商行為として5年となろう。いずれにしても時効は完成しているので,時効はもとの債務の時効かそれとも準消費貸借債務の時効で,商行為なら5年であるなどと議論する必要はなかったように思われる。」との傍論性の指摘があり(来栖三郎『契約法』(有斐閣・1974年)268頁),更に「のみならず,当事者の意思が債務の同一性を維持するにある場合にも,準消費貸借によって,時効期間が変るとすることは,却って時効が当事者の意思によって左右されることをみとめることにならないだろうか。」との懸念も表明されています(同頁)。
いずれにせよ,平成29年法律第44号及び第45号による民商法の改正によって時効制度は単純化され,民法旧170条から174条までの短期消滅時効に係る規定も削除されていますから,準消費貸借の消滅時効をどう考えるべきかの問題は,その重要性を大きく失ってはいるとはいい得るところでしょう(渡邊・新旧154頁註(51)参照)。
(5)旧債務に伴っていた抗弁並びに担保及び保証の存否
旧債務に伴っていた抗弁並びに担保及び保証がどうなるかの問題(⑤)については,ドイツ法的解釈を貫けば,債務変更型なので原則としては全部残るが(ドイツ法における担保権及び抗弁権につき,渡邊・ドイツ124頁参照),当事者の意思によって変わり得ることはもちろん,ということになるのでしょう。当事者の意思の尊重は,Protokolleの議論において,他方の側(die andere Seite)が強調していたところです。なお,当事者の意思の解釈について我妻は,「然し,準消費貸借をする当事者の普通の意思には,おのずから一定の内容がある。それは,既存の債務に消費貸借としての性格を与えることである。従つて,この普通の意思を解釈の規準としなければならない。」と説いています(我妻Ⅴ₂・367頁)。ただし,「普通の意思」でない意思による,純消費貸借ならざる準消費貸借の存在は,排除されてはいないのでしょう(準消費貸借について,同時履行の抗弁権を我妻は認めてはいませんが(消費貸借は本来片務契約なので(民法587条),双務契約に係るものである同時履行の抗弁権(同法533条)が準消費貸借に認められるのはおかしい,ということでしょう。),認める判例があります(我妻Ⅴ₂・367頁)。)。
ところで,準消費貸借においては「先取特権(民法322条,328条)がない」とされますが(星野Ⅳ・171頁),これはボワソナアドの前記見解(前記7)及び「〔売買の代金を目的として〕消費貸借ト為スノ利益ハ〔略〕先取特権ナキトニ在ルヘシ(322,328)」との梅の説明(梅三591頁)に倣ったものでしょうか。ボワソナアドも梅も旧債務が消滅するとの説であったので,旧債務に伴う抗弁並びに担保及び保証が全滅するのは当然ですが,債務変更型の準消費貸借においても同様とまで解し得るかどうかは疑問です。ドイツ民法では,我が先取物権に対応する担保物権は法定質権とされているそうですから,質権が存続するのであれば先取特権も存続するものとしてよいのではないでしょうか(下記筆者註2参照)。
(6)要件事実論
要件事実論における被告説・原告説の争い(⑥)については,法律要件分類説の建前からすると,やはり原告説ということになるようです(梅本345-347頁参照)。
この点について付言すれば,ドイツ民法流の債務変更型理論に素直に従えば原告説ということになり,ただし当事者の合意次第では被告説となる場合もあり得る(Protokolleにおけるdie andere Seiteの議論参照),ということにもなるのでしょう。
ちなみに,Protokolleにおけるdie eine Seiteからの説明に「訴訟においては,原告は,被告が当該価額を受領したことを主張立証(nachweisen)しなければならない。当該主張立証に当たっては,被告が当該受領を争ったときは,消費貸借債務に変じた債権債務関係にまで遡らなければならない。」とあるのは,折衷的で面白い。被告説で訴状を書いてもよいが,被告が当該価額(Valuta)の受領を争うのならば,結局原告説に戻って当初の債権の成立まで遡らなければならなくなるというわけです。なお,ローマ法において,類似の取扱いがされていたようです。すなわち,ローマ法上の問答契約(ユスティニアヌス時代には,証書作成及びその上における“et stipulatus spopondi(要約せられて諾約候)”との形式的約款の挿入を要する要式契約)は原則として「原因の記載のない場合には,原因が有効に成立していない場合にも有効に成立」し,訴えられたときには「原因不存在の挙証責任は固より諾約者にあ」ったものの,例外として,「若し金銭消費貸借を原因として問答契約がなされ,その証書が作成せられたときは,金銭不受領の抗弁(exceptio non numeratae pecuniae)の対抗が許され,成立の日附より1年(当初),5年(ヂ〔オクレティアヌス〕帝以来),2年(ユ〔スティニアヌス〕帝)内ならば,原因存在の証明を債権者がなすことを要する」ものとされていたそうです(原田173-175頁)。ローマ法では「利息は問答契約の形で約さねば発生せず」ということだったので,消費貸借(「代替物給付の債務を消費貸借上の債務に肩替することも許され」ていました。)は,「実際上問答契約で行われた」そうです(原田177-178頁)。
しかし,現在のドイツ民法学においては,「準消費貸借の合意がなされた場合に,〔略〕旧債務の不存在に基づく無効性については債務者に証明責任が負わされる。」ということになっているそうです(渡邊・ドイツ126頁)。Protokolleにおけるdie eine Seiteによる上記説明において想定されていたものとは異なった取扱いです。ドイツ人らも,文献考証の末,被告説を採る日本の判例理論に学んだのでしょうか。それとも,Protokolleにおいてdie andere Seiteが「いつもきちんと約されるものではない」と言っていた,「価額の受領の証明のために当初の法的基礎に遡る必要はない」とする「承認」が――債務承認まではいかないものの――その後,「いつもきちんと約されるもの」であるという推定を受けるようになったものでしょうか。
(なお,被告説を採ったものとして有名な我が前記最判昭和43年2月16日の上告理由(弁護士小松亀一法律事務所のウェブサイトにありました。)を見ると,債務者は「一口の借金を返済しては又借れるといつたことを繰り返していた」ところ,残元金額は準消費貸借の公正証書にある98万円ではなく7万円にすぎないとして,98万円の支払を求める債権者と争っていたようです(すなわち,累次の弁済によって91万円分は消滅していたのだ,ということであったように思われます。)。原告説においても「旧債務の発生原因事実が要件事実で,その障害,消滅事由が抗弁に回るとの説」があるそうですが(岡口533頁の紹介する村上博巳説。また,『「10訂民事判決起案の手引」別冊 事実摘示記載例集』6頁は「準消費貸借契約の成立を主張する側で旧債務の発生原因事実〔筆者註:「存在」ではありません。〕を主張すべきであるとする見解」を原告説としています。),弁済による旧債務消滅の主張は被告の抗弁に回るとの解釈も,原告説内で可能なのでしょう。そうであれば,「明確に証明責任があるという説示は余り見られず,準消費貸借契約を示す借用書をはじめとする書面があることをもって,旧債務の存在を推定する」ものとし「結論として債務者に証明責任を負わせることに」なっていた(梅本345頁における,最判昭和43年2月16日前の諸判例に係るまとめ。宇野栄一郎解説(『最高裁判所判例解説民事篇(上)昭和43年度』(法曹会)269-270頁)では「大審院は一般に,借用証書,消費貸借証書の授受が確定されている事案については,準消費貸借における旧債務の存否については,債務者が不存在の事実を立証することを要すると考えてきたようである。ただそれが,債務者に旧債務発生の権利根拠事実の不存在について立証責任ありとするのか,或いは,準消費貸借契約の成立が確定される場合には旧債務の存在が事実上推定され,債務者に反証を挙げる立証の必要があるということにとどまるものか必ずしも明らかではない。」)ことを前提に,当該最高裁判所判決(これも,「原審は証拠により〔略〕残元金合計98万円の返還債務を目的とする準消費貸借が締結された事実を認定」したことに言及しています。)における「旧債務の存否については〔略〕旧債務の不存在を事由に準消費貸借の効力を争う者においてその事実の立証責任を負うものと解する」との判示の部分は,権利障害事由及び権利消滅事由については本来の法律要件分類説(原告説)からしても当然のことを述べたものとして,権利の発生原因事実については当該事案における書証の存在による影響について述べたものとして理解することもあるいは可能かもしれません。すなわち,例の宇野調査官は「右にいう〔準消費貸借契約の効力を争う者がその立証責任を負担すべき〕旧債務の不存在の事実とは,旧債務につきその権利障害事実および権利滅却事実の存在をいうことはもとより,本件事案の内容に照らせば,権利根拠事実の不存在をも包含していると解すべきものであろう。」と書いているそうですが(梅本345頁。下線は筆者によるもの),そこでの「本件事案の内容」とは具体的には準消費貸借の締結に係る書証の存在であって,本件事案では当該書証(当該債権につきその譲渡後にされた債務確認及び弁済方法に係る合意に関する債務者作成の公正証書作成嘱託代理委任状並びに準消費貸借契約成立の際締結された保証契約に係る保証人の誓約書)の存在により旧債務の発生原因事実の存在が推定されて「権利根拠事実の不存在をも包含」ということになってしまったものの,旧債務の発生原因事実の不存在について債務者が当然かつ常に主張立証責任を負うものとまで同調査官は解しているものではない,と考えることも可能ではないでしょうか。)
ところで,Motiveによれば,ドイツ民法旧607条2項の規定は,exceptio non numeratae pecuniaeが被告債務者から提起されたときに,そこで原告債権者が直ちに敗訴ということにならず更に原因存在の証明に進んで争うことができるようにするために,用心のために設けられたものでした。しかし,原告債権者の訴状が最初から原告説で書かれているのであれば,当該用心は不要であったはずです。2002年のドイツ民法改正によって同法旧607条2項の制度に係る規定は削られたそうで,その理由は,「準消費貸借は単に「私的自治に基づく契約による内容形成および変更の自由」を規定した一般条項であるBGB311条1項から導かれるにすぎない」から(渡邊・新旧156頁註(52))ないしは「債務法改正によって消費貸借も諾成契約として規律されたため,消費貸借への内容変更も私的自治上の内容変更の自由(契約自由の一般原則,BGB311条1項)によって端的に規律されるにすぎない」からであるとされていますが(渡邊・ドイツ121頁),そこには上記のような訴訟手続的観点からの見切りも含まれていたものかどうか。(なお,ドイツ民法311条1項の原文は,„Zur Begründung eines Schuldverhältnisses durch Rechtsgeschäft sowie zur Änderung des Inhalts eines Schuldverhältnisses ist ein Vertrag zwischen den Beteiligten erforderlich, soweit nicht das Gesetz ein anderes vorschreibt.(債権債務関係の法律行為による創設及び債権債務関係の内容の変更のためには,法律が別異に規定していない限り,当事者間の契約が必要である。)“です。我が旧民法財産編も,その第295条1号で義務は合意により生ずるものとしつつ(同条2号ないしは4号は,不当ノ利得,不正ノ損害及び法律ノ規定によっても義務が生ずるものとしています。),第296条1項で「合意トハ物権ト人権トヲ問ハス或ル権利ヲ創設シ若クハ移転シ又ハ之ヲ変更シ若クハ消滅セシムルヲ目的トスル二人又ハ数人ノ意思ノ合致ヲ謂フ」と規定していました(下線は筆者によるもの)。)
翻って我が平成29年法律第44号による民法改正も,準消費貸借について,ドイツ流の債務変更型であるものときっぱり解釈することとし,かつ,司法研修所における原告説による司法修習生教育の徹底を前提とすることとすれば,一気に第588条の削除まで進み得たものなのかもしれません。2012年8月7日の法制審議会民法(債権関係)部会第54回会議において中田裕康委員から準消費貸借について「そもそも588条を置く必要があるかどうかについては,検討する必要があると思います。」との問題提起があり,山野目章夫幹事もそれに和していましたが(同会議議事録34-35頁),当該問題提起は結局,夏空を揺らぎ飛ぶ尻切れ蜻蛉に終わってしまったようです。しかしそれとも,尻切れ蜻蛉は言い過ぎで,藪の向こうにおいてしっかりとした検討がされており,その結果,「最終法案の段階に至っては,書面による諾成的消費貸借契約の導入のみならず,従来通りの要物的消費貸借契約も維持されたため,従来と同様の準消費貸借の規定が意義を有すると考えられたとみることができる。」(渡邊・ドイツ148-149頁)ということとなったのでしょうか。
Parturient montes⛰⛰🌋nascetur ridiculus mus🐀
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