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1 横領の罪と「横領」の語と

 1907年制定の我が現行刑法(明治40年法律第45号)の第38章の章名は「横領の罪」とされ,同章冒頭の同法2521項は「自己の占有する他人の物を横領した者は,5年以下の懲役に処する。」と規定しています。

「横領」とは,国語辞典的には「人の物を不法に自分のものとすること。横取りすること。横奪。押領(おうりょう)。」という意味であるものとされています(『日本国語大辞典第二版第2巻』(小学館・2001年)885頁)。

法律的には,刑法2521項の単純横領罪について「「横領」とは,自己の占有する他人の物を不法に領得することをいい,それは,不法領得の意思を実現するすべての行為を意味する。その不法行為の意思が確定的に外部に発現されたとき,本罪は既遂になる。」ということであって(末永秀夫=絹川信博=坂井靖=大仲土和=長野哲生=室井和弘=中村芳生『-5訂版-犯罪事実記載の実務 刑法犯』(近代警察社・2007年)533頁。下線は筆者によるもの),具体的には,「売却,入質,貸与,贈与,転貸(以上は物の法律的処分),費消(物の物質的処分),拐帯,抑留,隠匿,着服(以上は物の事実的処分)などによって行なわれる」ものとされています(同頁)。なお,不法領得の意思の存在それ自体のみでは犯罪とはならず,行為を要するわけです。

 「横領」は,今日,広く理解された日常的概念であるように思われます。

 

2 明治の新造語であった「横領」

 しかしながら,「横領」は,実は明治時代における新造語であって,我が日本語の伝統的語彙には含まれていないものだったのでした。

『日本国語大辞典第二版第2巻』には「「横領」の語形は明治期まで資料に見当たらないが,明治15年〔1882年〕までに脱稿したとされる「稿本日本辞書言海」に「わうりやう 横領 恣ニ他ノ物ヲ奪フ事,ヨコドリ,横奪,侵略」とあり,挙例に見られるように明治中期に至って使用が定着したか。「おうりょう(押領)」の語誌。」とあります(885頁)。ここでの「挙例」中の一番早期のものは,「*内地雑居未来之夢(1886)(坪内逍遥)11「お店をあの儘に横領(ワウリャウ)して,自己(うぬ)が物にして踏張らうといふ了見」」です(同頁)。

したがって,1880717日に布告された我が旧刑法(明治13年太政官布告第36号。188211日から施行(明治14年太政官布告第36号))には,実は「横領」の名の罪は無かったのでした。

(なお,「押領」の「語誌」には,「〔略〕所領を奪う意で中世に多用されたが,対象が土地だけではなく金品に及ぶようになって「横領」へと変化していったものか。」とあります(『日本国語大辞典第二版第2巻』885頁)。すなわち「横領」は,元々は不動産侵奪(刑法235条の2参照)から始まったということでしょうか。)

 

3 旧刑法393条,395条,397条等

 「横領」の語の確立していなかった当時,「横領」の名の罪は無かったとはいえ,現行刑法252条の罪に対応する罪は,旧刑法第3編「身体財産ニ対スル重罪軽罪」の第2章「財産ニ対スル罪」中第5節「詐欺取財ノ罪及ヒ受寄財物ニ関スル罪」において,次のように規定されていました。

 

  第393条 他人ノ動産不動産ヲ冒認シテ販売交換シ又ハ抵当典物ト為シタル者ハ詐欺取財ヲ以テ論ス〔2月以上4年以下の重禁錮に処し,4円以上40円以下の罰金を附加〕

   自己ノ不動産ト雖モ已ニ抵当典物ト為シタルヲ欺隠シテ他人ニ売与シ又ハ重()テ抵当典物ト為シタル者亦同シ

  第394条 前数条ニ記載シタル罪ヲ犯シタル者ハ6月以上2年以下ノ監視ニ付ス〔「監視」は「主刑ノ終リタル後仍ホ将来ヲ撿束スル為メ警察官吏ヲシテ犯人ノ行状ヲ監視セシムル者」です(旧刑法附則(明治14年太政官布告第67号)21条)。〕

  第395条 受寄ノ財物借用物又ハ典物其他委託ヲ受ケタル金額物件ヲ費消シタル者ハ1月以上2年以下ノ重禁錮ニ処ス若シ騙取拐帯其他詐欺ノ所為アル者ハ詐欺取財ヲ以テ論ス

  第396条 自己ノ所有ニ係ルト雖モ官署ヨリ差押ヘタル物件ヲ蔵匿脱漏シタル者ハ1月以上6月以下ノ重禁錮ニ処ス但家資分散ノ際此罪ヲ犯シタル者ハ第388条ノ例ニ照シテ処断ス〔2月以上4年以下ノ重禁錮。なお,家資分散は,非商人のための破産手続です。〕

  第397条 此節ニ記載シタル罪ヲ犯サントシテ未タ遂ケサル者ハ未遂犯罪ノ例ニ照ラシテ処断ス〔已に遂げたる者の刑に1等又は2等を減ずる〕

  第398条 此節ニ記載シタル罪ヲ犯シタル者第377条ニ掲ケタル親属〔祖父母,父母,夫妻,子,孫及びその配偶者又は同居の兄弟姉妹〕ニ係ル時ハ其罪ヲ論セス

 

旧刑法393条の罪が,前記1の物の法律的処分に係る横領罪に対応するようです。しかし,詐欺取財をもって論ずるものとされています。「典物」の「典」は,「質に入れる」の意味ですが(『角川新字源』(123版・1978年)),広義には担保権を設定するということになりましょう。

旧刑法395条前段の罪は,前記1の物の物質的処分に係る横領罪に対応するようです。しかし,後段の「騙取拐帯其他詐欺ノ所為アル者ハ詐欺取材ヲ以テ論ス」るものとされる「騙取拐帯其他詐欺ノ所為」が,前記1の物の事実的処分に係る横領罪に正確に対応するものかどうかは分かりづらいところです。

 

4 旧刑法393

 

(1)1877年司法省案

旧刑法393条は,187711月の司法卿への上申案では「第437条 他人ノ動産不動産ヲ冒認シ人ヲ騙瞞シテ販売交換シタル者又ハ抵当典物ト為シタル者ハ詐欺取財ヲ以テ論ス/自己所有ノ不動産ト雖モ已ニ抵当ト為シタルヲ欺隠シテ他人ニ売典〔与〕シ又ハ重ネテ抵当ト為シタル者亦同シ但判決ノ前ニ於テ抵当ノ金額ヲ弁償シタル者ハ其罪ヲ論〔免〕ス」というものでした(『日本刑法草案会議筆記第分冊』(早稲田大学出版部・1977年)2441-2442頁)。

同年8月のフランス語文案では,“437. Est encore coupable d’escroquerie et puni des peines portées à l’article 434 celui qui, à l’aide de manœuvres frauduleuses, a vendu ou cédé à titre onéreux, hypothéqué ou donné en nantissement un immeuble ou un meuble dont il savait n’être pas propriétaire, ou qui, étant propriétaire, a vendu ou hypothéqué un immeuble, en dissimulant, à l’aide de mêmes manœuvres, tout ou partie des hypothèques dont il était grevé./ Le coupable, dans ce dernier cas, sera exempt de peine, s’il a remboursé, avant la condamnation, les créances hypothécaires par lui dissimulées.”となっていました。

“Nemo plus juris ad alium transferre potest quam ipse habet”(何人も自己の有する権利より大きな権利を他者に移転することはできない)原則を前提に,所有権を得られなかった買主,抵当権を取得できなかった抵当権者等を被害者とするものでしょうか。しかし,現在,不動産の二重売買の場合であっても第2の買主が先に登記を備えれば当該買主は所有権者になれますし(民法(明治29年法律第89号)177条),動産の場合には善意無過失の買主に即時取得の保護があります(同法192条)。ここで,1877年当時においては所有権を有さない者を売主とする売買によって買主は所有権を取得できなかったかどうかを検討しておく必要があるようです。

 

(2)1877年段階における無権利者から物を購入した場合における所有権取得の可否

 

ア 不動産:物権変動の効力要件としての地券制度及び公証制度

まず,不動産。「明治維新とともに,旧幕時代の土地取引の禁令が解除され(明治五年太政官布告50号),土地の所有と取引の自由が認められるにいたったが,同時に近代的な地租制度を確立するための手段として地券制度が定められた(明治五年大蔵省達25号)。すなわち,土地の売買譲渡があるごとに(後には所有者一般に),府知事県令(後に郡役所に移管さる)が地券(所在・面積・石高・地代金・持主名等を記載)正副2通を作成し,正本は地主に交付し,副本は地券台帳に編綴した。この地券制度のもとでは,地券の交付ないし裏書(府県庁が記入する)が土地所有権移転の効力発生要件とされた(初期には罰則により強制された)。/〔略〕地券制度によっては覆われえない土地の担保権設定や建物に関する物権変動につき,公証制度が採用された(明治6-8年)。その方法は,物権変動に関する証文に戸長が奥書・割印(公簿との)するものであるが,かかる公証制度は後に土地所有権にも拡げられた(明治13年)。なお,右公証は規定上は物権変動の効力発生要件とされたが,実際の運用上は第三者対抗要件とされていた。」ということですので(幾代通『不動産登記法』(有斐閣・1957年)3-4頁),1877年(明治10年)当時には,土地の所有権の移転については地券制度,その他不動産の物権変動については公証制度(奥書割印制度)がいずれも効力発生要件として存在していたということでしょう(「実際の運用上は第三者対抗要件とされていた」というのは,お上の手を煩わすことを厭う人民たる当事者間においては,公証を受けぬまま物権変動があるものとして通用していたということであって,司法省当局の建前は,飽くまでも効力発生要件であるものとしていたのでしょう。)。

未公証の売買の後に当該売主を売主として同一不動産について更に売買がされた場合において当該後からの売買について公証がされたときは,前の売買の買主はそもそも所有権を全然取得しておらず,後の売買の買主は完全な所有権者から有効に所有権を取得したということになります。自分の物を売っただけの売主に,横領罪(現行刑法2521項)が成立するということはないわけです。他方,公証された売買(したがって,所有権は買主に有効に移転して売主は無権利者となる。)の後に更に当該売主が同一不動産を他の者に対して売るというようなことは,後の売買の買主があらかじめしっかり戸長に確認するお上の制度を弁えた人物である限りは生じない建前のようです。

 

イ 動産:即時取得(即時時効)未導入

動産については,現行民法192条の案文を審議した1894529日の法典調査会の第16回議事速記録において,同条に係る参照条文は,旧民法証拠編(明治23年法律第28号)144条,フランス民法2279条,ロシア民法317条,イタリア民法707条,スイス債務法205条及びスペイン民法464条が挙げられているだけです(『法典調査会民法議事速記録第6巻』(日本学術振興会・1936年)163丁表裏)。即時時効(旧民法証拠編144条)ないしは即時取得制度は新規の輸入制度であったということでしょうか。1894529日の段階でなお土方寧は即時取得の効果について「私ノ考ヘデハ本条〔民法192条〕ニ所謂色々ノ条件ト云フモノガ具ツテ居ツテ他人ノ物ヲ取得スルトキニハ真ノ所有主即チ自分ヨリ優ツタ権利ヲ持テ居ル人ヨリ()()即チ一般ノ人ニ対シテハ所有権ヲ取得シタモノト看做スト云フコトニシテ全ク第三者ノ方ニ取ラナクテハナラヌト思ヒマス」と発言し(下線及び傍点は筆者によるもの),「夫レナラ丸デ削ツテ仕舞ハナケレバ徃カヌ」と梅謙次郎に否定されています(『法典調査会民法議事速記録第6巻』169丁裏-170丁表)。確かに,自らを所有権者であると思う善意の占有者は,結局はその物の真の所有権者からの返還請求に応じなくてはならないとはいえ,その間果実を取得でき(民法1891項),その責めに帰すべき事由によって占有物を滅失又は損傷させてしまったとしてもその滅失又は損傷によって現に利益を受けている限度において回復者に賠償をすればよいだけである(同法191条)との規定が既にあります。

 

(3)旧刑法393条起草時の鶴田=ボワソナアド問答

ところで,旧刑法393条の規定の原型は,司法省において,187612月より前の段階で,同省の鶴田皓の提議に基づき,フランスからのお雇い外国人であるボワソナアドによって起草されたものでした。なお,鶴田皓は「同じ肥前出身の大木喬任〔司法卿〕の信頼が厚かったといわれており,また,パリでボワソナアドから刑法などの講義を受け,ヨオロッパ法にも,一応の知見をもっていた」人物です(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波文庫・1998年)113頁)。

 

 鶴田 又爰ニ議定スヘキ一事アリ即二重転売ノ罪之レナリ例ハ甲者ヘ売渡スヘキ契約ヲ為シ其手付金ヲ受ケ取タル上又乙者ヘ売渡シ其代価ノ金額ヲ欺キ取タルノ類ヲ云フ之レハ矢張詐偽取財ヲ以テ論セサルヲ得ス

 Boissonade 其二重転売ハ固ヨリ詐偽取財ヲ以テ論セサルヲ得ス即第3条〔旧刑法390条の詐欺取財の罪の原型規定〕ノ「其他偽計ヲ用ヒテ金額物件云々」ノ内ニ含(ママ)スヘキ積ナリ

 鶴 然シ二重転売ヲ以テ第3条ノ〔「〕其他偽計ヲ用ヒテ金額物件云々」ノ内ニ含畜セシメントスルハ少シ無理ナリ故ニ此二重転売ノ詐偽取財ヲ以テ論スヘキ主意ハ別ニ1条ヲ以テ特書センコトヲ要ス

 

  此時教師ヨリ加条ノ粗案ヲ出ス

 

B 然ラハ別ニ左ノ主意ヲ以テ1条ヲ加フヘシ

 

  第 条 故意ヲ以テ己レニ属セサル動産ヲ要償ノ契約ヲ以テ譲シ又ハ典物ト為シタル事ヲ欺隠シテ売リ又ハ他ヘ書入ト為シタル者ハ詐偽取財ヲ以テ論ス

〔筆者註:「徳川時代に諸道具または品物の書入(〇〇)と称せしもの」は,質ならざる「動産抵当」のことです(中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』(岩波文庫・1984年)24頁)。〕

 

 鶴 此条ヘ動産(〇〇)云々ト記シテ不動産ヲ記セサルハ差〔蓋〕シ不動産ニハ二重転売スルコトナシトスルナラン

  然シ例ハ甲ノ狭小ナル地ヲ売ランカ為メ乙ノ広大ナル地ヲ人ニ示シ其広大ナル地ノ価額ヲ受取ルノ類ナキニアラス

  最モ仏国ニテハ不動産ノ売買ハイ()テーキ役所ニ於テ登記スヘキ規則アルニ付詐偽シテ売買スルコトナキ筈ナレ𪜈(トモ)日本ニテハ未タ〔「〕イボテーキ」役所ノ規則モ十分ナラス故ニ或ヒハ区戸長ト犯人ト私和シテ詐偽スルコトナキニモアラス故ニ日本ニテハ此条ヘ不動産(〇〇〇)ノ字ヲモ掲ケ置カンコトヲ要ス

  〔筆者註:フランスの「イポテーク役所」(bureau des hypothèquesに関しては,「民法177条とフランス1855323日法」記事を御参照ください(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1068990781.html)。〕

 

 B 仏国ニテハ不動産ノ売買ニ付テ詐偽スル者ナキ筈ナリ若シ之ヲ詐偽スル者アリタル時ハ民事上ニ於テ損害ノ償ヲ求ムル而已ナリ何トナレハ地面家屋等ノ不動産ハ他ヘ転輾セス何時迠モ其形迹ノ現在スル故ニ仮令一旦詐偽セラルトモ再ヒ其詐偽ヲ見出シ易キモノナレハナリ

  〔筆者註:これは,不動産取引についての詐欺は,どうせいつかは発覚するのであえて行う者はいないだろう,という趣旨でしょうか。〕

  然ルニ動産ハ他ヘ転輾シ竟ニ其形迹ヲ現在セサルニ至ル故ニ一旦詐偽セラレタル以上ハ到底其損害ヲ受クルヲ免レス仍テ動産ノ二重転売ハ詐偽取財ヲ以テ論スヘキナレ𪜈(トモ)不動産ハ之ヲ罪ト為スニ及ハサルヘシト思考ス

  〔筆者註:ここでのボワソナアド発言の趣旨は分かりにくいところですが,実は旧刑法393条の罪は,第1買主に対する横領の罪と第2買主に対する詐欺の罪との観念的競合であるものと考えられていたところでした。すなわち,鶴田皓が理解するところ「一体此前段ノ己レニ属セサル動産不動産ヲ要償契約ヲ以テ附与シ云々」ハ盗罪ト詐偽取財ト2罪ノ性質ヲ含畜スルニ似タリ何トナレハ其他人ニ属スル動産不動産ヲ己レノ所有物同様私ニ販売シ又ハ典物ト為ス点ヨリ論スレハ盗罪ノ性質ナリ又之ヲ己レノ所有物ナリト云ヒ他人ヲ欺キ販売又ハ典物ト為シテ利益ヲ得ル点ヨリ論スレハ詐偽取財ノ性質ナレハナリ」であって,同人が更に「然ルニ之ヲ詐偽取財ニ引付テ論スルハ盗罪ト詐偽取財トノ2倶発ト為シ其一ノ重キニ従テ処断スル主意ナリヤ」とボワソナアドに問うたところ,ボワソナアドは「然リ道理上ヨリ論スレハ固ヨリ貴説ノ如クナレ𪜈(トモ)其詐偽取財ノ成立タル以上ハ其以前ノ所為ハ之ヲ総テ1罪ヲ犯ス為メ数多ノ刑名ニ触レタル者ト見做サルヽ(ママ)ヲ得ス」と回答しています(『日本刑法草案会議筆記第分冊2488-2489頁)。このボワソナアド回答は,牽連犯規定(現行刑法541項後段。旧刑法には牽連犯規定はありませんでした。牽連犯規定に関しては,江藤隆之「牽連犯の来歴――その3つの謎を解く――」桃山法学33号(2020年)41頁以下が興味深いですね。)の先駆となるべき思考を示すものでもありましょう(また,『日本刑法草案会議筆記第分冊』2532頁では,旧刑法395条の前身条文案について「此蔵匿拐帯シタル物品ヲ以テ他人ヘ売却シテ利ヲ得タル時ハ前条〔旧刑法393条の前身条文案〕ノ詐偽取財ヲ以テ論スヘキナラン」との鶴田の問いに対してボワソナアドは「然リ此背信ノ罪〔旧刑法395条の前身条文案〕ハ蔵匿拐帯消費シタル而已ヲ以テ本罪ト為ス」と述べています。)。なお,動産の二重売買問題については,フランスにおいてはナポレオンの民法典1141条によって解決が与えられていたので,当該解決に慣れていたであろうボワソナアドにとっては,Nemo plus juris ad alium transferre potest quam ipse habet”原則が貫徹する場合における当該問題を改めて考えることには当初戸惑いがあったかもしれません。ナポレオンの民法典1141条はいわく,“Si la chose qu’on s’est obligé de donner ou de livrer à deux personnes successivement, est purement mobilière, celle des deux qui en a été mise en possession réelle est préférée et en demeure propriétaire, encore que son titre soit postérieur en date, pourvu toutefois que la possession soit de bonne foi.”2の相手方に順次与え又は引き渡されるべく義務付けられた物が純粋な動産の性質を有する場合においては,当該両者中先に現実の占有を得た者が,その権原の日付が劣後するものであっても,優先され,かつ,その所有者となる。ただし,当該占有が善意によるものであるときに限る。)と(我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)346条も「所有者カ1箇ノ有体動産ヲ2箇ノ合意ヲ以テ各別ニ2人ニ与ヘタルトキハ其2人中現ニ占有スル者ハ証書ノ日附ハ後ナリトモ其所有者タリ但其者カ自己ノ合意ヲ為ス当時ニ於テ前ノ合意ヲ知ラス且前ノ合意ヲ為シタル者ノ財産ヲ管理スル責任ナキコトヲ要ス/此規則ハ無記名証券ニ之ヲ適用ス」と規定しています。)。〕

 鶴 然ラハ不動産ヲ区戸長ト私和シテ二重転売又ハ二重ノ抵当ト為シタル時ハ其区戸長而已ヲ罰シ其本人ハ罰セサルヤ

 B 然リ其本人ヘ対シテハ民事上ニ於テ損害ノ償ヲ求ムル而已ナリ

 鶴 然シ日本ニテハ未タ「イホテーキ」ノ規則十分ナラサル故ニ不動産ニテモ或ハ之ヲ二重転売又ハ二重抵当ト為ス者ナキヲ保シ難シ故ニ右加条ノ粗案中ヘ不動産(〇〇〇)ノ字ヲ掲ケ置カンコトヲ要ス

 B 然ラハ先ツ貴説ノ如ク不動産(〇〇〇)ノ字ヲ之レニ掲ケ置クヘシ但他日「イボテーキ」ノ規則十分ニ確シタル時ハ全ク不用ニ属スヘシ即右加条ノ粗案ヲ左ノ如ク改ムヘシ

 

  第 条 故意ヲ以テ己レニ属セサル動産不動産ヲ要償ノ契約ヲ以テ譲与シ又ハ不動産ヲ書入ト為シ又ハ動産ヲ典物ト為シ又ハ所有者已ニ其不動産ヲ書入ト為シタル事ヲ欺隠シテ他人ヘ売渡シ又ハ他人ヘ書入ト為シタル者ハ詐偽取財ヲ以テ論シ前同刑ニ処ス

 

 鶴 右ノ主意ニテ別ニ1条ヲ置クハ最モ余カ説ニ適スル者トス

 B 右ノ主意ニ付テ再考スルニ〔「〕不動産云々」ノ事ヲ掲ケ置クハ至極良法ナリ

  仏国ニテモ「イボテーキ」ノ規則アル故ニ必ス登記役所ヘ徃テ其真偽ヲ検閲スレハ二重転売等ノ害ヲ受クルコトナキ筈ナレ𪜈(トモ)若シ其本人ノ辞ヲ信シ之ヲ検閲セサル時ハ其害ヲ受クルコトナシトハ保シ難キ恐レアレハナリ

 鶴 然ラハ不動産ノ二重転売ハ仏国ニテハ民事ノ償ト為ス而已ナレ𪜈(トモ)日本ニテハ之ヲ刑事ニ論スルヲ適当ト為スノ貴説ナリ

 B 然リ

   (『日本刑法草案会議筆記第分冊2475-2477頁)

 

(4)ボワソナアド解説

 187711月上申案437条における「他人ノ動産不動産ヲ冒認シ人ヲ騙瞞シテ販売交換シタル者又ハ抵当典物ト為シタル者」及び「自己所有ノ不動産ト雖モ已ニ抵当ト為シタルヲ欺隠シテ他人ニ売与シ又ハ重ネテ抵当ト為シタル者」の意味に関しては,後年ボワソナアドが解説を書いています(ただし,フランス語文は“celui qui, à l’aide de manœuvres frauduleuses, a frauduleusement vendu ou cédé à titre onéreux, hypothéqué ou donné en nantissement, un immeuble ou un meuble dont il savait n’être pas propriétaire, ou qui, étant propriétaire, a vendu ou hypothéqué un immeuble, consenti une aliénation, une hypothèque ou un droit réel quelconque sur ledit bien, en dissimulant, à l’aide de mêmes manœuvres frauduleusement, tout ou partie des hypothèques autres droits réel dont il était grevé.”(自己がその所有者ではないことを知っている不動産若しくは動産を欺罔行為に基づき売り,有償で譲渡し,それに抵当権を設定し,若しくは担保として供与する者又は,それが負担する他の物権の存在の全部若しくは一部を欺罔行為に基づき隠蔽して,当該物件に係る譲渡,抵当権設定又はその他の物権の設定の合意をするその所有者である者(新4343号)。))となっていて,18778月のものとは若干の相違があります(Gve. Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour L’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire; Tokio, 1886: p.1146)。)。

 

   恐らくフランスでは,ここで詐欺(escroquerie)の第3類型として規定された欺罔行為(fraude)を罰することは難しいであろう。当該行為は,同国ではローマ起源の転売(ステ)詐欺(リョナ)stellionat)という名で呼ばれている。しかし,ステリョナは,損害賠償だけを生じさせる私法上の犯罪としてのみ認識されている(フランス民法2059条,2066条及び2136条参照)。(b

 

     (b)ステリョナ行為者に対する唯一の厳格な取扱いは,損害賠償を保証させるための身体拘束であった(前掲各条参照)。しかしそれは,私法事項に係る身体拘束の一般的廃止の一環として,1867722日法により消滅した。

 

しかし,譲渡人が当該権利を有していることに係るここで規定されている欺瞞行為(tromperie)が,虚言的歪曲(altérations mensongères)のみにとどまらず,当該権利が存在するものと誤信させる欺罔工作又は姦策に基づくもの(appuyée de manœuvres frauduleuses ou d’artifices)であるときには,フランス刑法405条によって罰せられる詐欺をそこに見ることが可能であり,かつ,必要でもあることになるものと筆者には思われる。

ともあれ,この日本法案に当該困難はないであろう。先行し,かつ,当該権利と両立しない物権のために当該法律行為が約束の効果を生じない場合に係る,有償であり,主従各様であるところの物権の多様な在り方に対応できるように努力がされたところである〔筆者註:18776-8月段階においてボワソナアドは「後来ハ動産ヲ抵当ト為ス法ハ廃セサル可カラス」と主張していましたが(『日本刑法草案会議筆記第分冊』2525頁),当該主張は撤回されたもののように思われます。〕2度繰り返される「欺罔行為に基づき(frauduleusement)」の語の使用は,誤りや見落としであるものを処罰から免れさせるために十分である。しかし,法はここで精確に語の本来の意味での工作又は姦策の存在を求めることはしていない。目的物を,彼の物であるもの又は設定される権利と両立しない物権を負担するものではないものとして提示することで十分である。そして,当該法律行為は有償であるものと想定され,必然的に対価の約定又は受領があるのであるから,姦策性は十分なのである。

  (Boissonade, pp.1155-1156

 

 人の悪いすれっからしのフランス人の国ではステリョナ程度では不可罰とする伝統があるので二重売買について詐欺の成立を認めることは難しいが,他人は皆自分のために善意をもって献身奉仕してくれるものと図々しく信じている素直な心の日本人の国では,どしどし無慈悲に処罰しても問題はなかろう,ということでしょうか。

 

(5)ステリョナ

 なお,1804年のナポレオンの民法典2059条は,次のとおりでした。

 

2059.

La contrainte par corps a lieu, en matière civile, pour le stellionat.

Il y a stellionat,

Lorsqu’on vend ou qu’on hypothèque un immeuble dont on sait n’être pas propriétaire;

Lorsqu’on présente comme libres des biens hypothéqués, ou que l’on déclare des hypothèques moindres que celles dont ces biens sont chargés.

    

  第2059条 私法事項に係る身体拘束は,転売(ステ)詐欺(リョナ)について行われる。

    次の場合には,ステリョナがあるものとする。

    自分が所有者ではないものと知っている不動産を売り,又はそれに抵当権を設定する場合

    抵当権を負担する物件を当該負担のないものとして提示し,又は当該物件が負担するものよりも少ないものとして抵当権を申告する場合

  

 ステリョナが動産については認められないのは,同法1141条があるからでしょう。目的動産に係る現実の占有の取得と代金の支払との同時履行関係が維持される限り,当該目的物の所有権を取得できなかった買主も,当該代金についての損害を被ることはないわけです。当該動産の所有権を実際に取得していれば代金額を超えて得べかりしものであった利益に係る損害の問題は残るのでしょうが,その賠償を確保するために売主の身体を拘束するまでの必要はない,というわけだったのでしょう。しかしてそうであれば,いわんや詐欺罪横領罪の成立においてをや,ということになっていたものと思われます。

 

5 旧刑法395

 

(1)1877年司法省案及びナポレオンの刑法典408

 旧刑法395条の前身規定を187711月の司法卿宛て上申案及び同年8月のフランス語案について見ると,次のとおりでした。

 

  第438条 賃借恩借ノ物品又ハ典物受寄品其他委託ヲ受タル金額物品ヲ蔵匿拐帯シ若クハ費消シタル者ハ背信ノ罪ト為シ1月以上1年以下ノ重禁錮2円以上20円以下ノ罰金ニ処ス

   若シ水火震災其他非常ノ変ニ際シ委託ヲ受ケタル物品ニ係ル時ハ1等ヲ加フ

   (『日本刑法草案会議筆記第分冊』2442頁)

 

438. Est coupable d’abus de confiance et puni d’un emprisonnement avec travail de 1 mois à 1 an et d’une amende de 2 à 20 yens, celui qui a frauduleusement détourné, dissimulé ou dissipé des sommes, valeurs ou effet mobiliers quelconques qui lui avaient été confiés à titre de louage, de dépôt, de mandat, de gage ou de prêt à usage.

La peine sera augmentée d’un degré, en cas de dépôt confié pendant un incendie, une inondation ou une des autres calamités prévues à l’article 412.

 

 また,1810年のナポレオンの刑法典4081項は次のとおりでした。なお,下線が付されているのは,1832年法及び1863年法による追加(cf. Boissonade, p.1159)の部分です。

 

ARTICLE 408.

Quiconque aura détourné ou dissipé, au préjudice du propriétaire, possesseur ou détenteur, des effets, deniers, marchandises, billets, quittances ou tous autres écrits contenant ou opérant obligation ou décharge, qui ne lui auraient été remis qu'à titre de louage, de dépôt, de mandate, de nantissement, de prêt à usage, ou pour un travail salarié ou non salarié, à la charge de les rendre ou représenter, ou d'en faire un usage ou un emploi déterminé, sera puni des peines portées dans l'article 406.

  (専ら賃貸借,寄託,委任,担保の受領,使用貸借により,又は有償若しくは無償の仕事のために,返還若しくは再提出をし,又は決められた使用若しくは用途に用いる条件で預かった財産,金銭,商品,手形,受取証書又は義務若しくは弁済をその内容若しくは効果とする書面を,その所有者,占有者又は所持者の利益に反して脱漏又は費消した(aura détourné ou dissipé)者は,第406条に規定する刑に処せられる。)

 

 ここでいう第406条の刑とは,2月以上2年以下の重禁錮及び被害者に対する返還額と損害賠償額との合計額の4分の1を超えない25フラン以上の罰金並びに場合によっては停止公権でした。

 

(2)「脱漏」又は「拐帯」(détourner),「蔵匿」(dissimuler)及び「費消」(dissiper)の語義穿鑿

 フランス語の“détourner”の訳語は,我が旧刑法の立案過程において,「脱漏」から「拐帯」に改められています。鶴田皓によれば「元来蔵匿(〇〇)脱漏(〇〇)ト畢竟一事ナリ故ニ脱漏(〇〇)ノ字ヲ省キ之ニ換フルニ拐帯(〇〇)ノ字ヲ以テ塡スヘシ」ということでした(『日本刑法草案会議筆記第分冊』2506頁)。「拐帯」とは「①人をかどわかして売る。②人の財物を持ちにげする。」との意味です(『角川新字源』)。「蔵匿(〇〇)脱漏(〇〇)ト畢竟一事」と鶴田は言いますが,「脱漏」がそこに含まれるという「蔵匿」こと“dissimuler”は,むしろナポレオンの刑法典408条の構成要件に含まれてはいなかったのでした。

Le Nouveau Petit Robert (1993)によれば,“détourner”は,「方向を変える(changer la direction de (qqch.))」,「流れを変える(changer le cours de)」,「逸走させる(écarter (qqch) du chemin à suivre)」というような意味ですが,法律用語としては「(所有者から託された物件を)当該所有者に回復することが不可能となる状態に(dans l’impossibilité de restituer)自らを故意に置くこと。それのために定められたものとは異なる使用をし,又は用途に用いること。」ということになるようです。同辞書はまた“restituer”は「(不法又は違法(illégalement ou injustement)にある人から得た物を)その人に返還すること」であるとしていますから,「背信ノ罪ハ盗罪ト同シク一旦其所有主ヲ害スル意ニ出テ蔵匿脱漏スルトモ其所有主ノ覚知セサル内ニ悔悟シテ先キニ蔵匿脱漏シタル金額物件ヲ旧ノ如ク償ヒ置ケハ其先キ蔵匿脱漏シタル罪ハ免スヘキ者トス」というボワソナアドの発言が想起されるところです(『日本刑法草案会議筆記第Ⅳ分冊』2491頁。同所で続けてボワソナアドは「故ニ日本文ニハ損害ヲ為シタル者云々」ニ作ルヘシ」と付言しています。)。

更に同じLe Nouveau Petit Robert“dissiper”を見ると,これは,「散逸させる(anéantir en dispersant)」とか「浪費・蕩尽する(dépenser sans compter --- détruire ou aliéner)」ということのようです。

“dissimuler”は「隠す」ということでよいのでしょう。

 

(3)未遂処罰規定:旧刑法397

 

ア 詐欺取財ノ罪と受寄財物ニ関スル罪との(かすがい)

 旧刑法397条は,旧刑法第3編第2章第5節が「詐欺取財ノ罪及ヒ受寄財物ニ関スル罪」との一つの節であって,「詐欺取財ノ罪」の節と「受寄財物ニ関スル罪」の節との二つの節に分離されなかった原因となった規定です。

それまでの「倒産詐偽取財背信ノ罪」の節(『日本刑法草案会議筆記第分冊』2493頁)を「倒産。詐偽取財。背信ノ罪ヲ3節ニ分ケ」ることになり(同2513頁),18776月中には「第3節 倒産ノ罪」(同2514頁),「第4節 詐欺取財ノ罪」(同2518頁)及び「第5節 背信ノ罪」(同2530頁)の3節分立案が出来たのですが,未遂犯処罰規定は背信ノ罪の節にはあっても(同2531頁),詐欺取財ノ罪の節にはなかったのでした(同2518-2519頁)。鶴田はその不均衡を指摘して問題視し,詐欺取財は契約成立をもって既遂となると主張するボワソナアドとの妥協の結果,「詐欺取財ノ罪」の節と「背信ノ罪」の節とは再び一つにまとめられることになったのでした。

 

  鶴田皓 〔略〕未遂犯罪ノ刑ニ照シ云々ノ法ハ詐偽取財ニ置カサルニ付背信ノ罪ニモ置カスシテ相当ナラン元来詐偽取財ニハ或ヒハ「タンタチーフ」ト為スヘキ場合ナキニアラサルヘシ例ハ甲者ヨリ砂糖ヲ売リ渡ス契約ヲ為シ而シテ乙者ニテ現ニ之ヲ受取ラントスル時其砂糖ノ内ヘ土砂ヲ混和シアル見顕シタルノ類之ナリ

  ボワソナアド 然シ甲者ニテニ契約ヲ為シ而シテ乙者ヨリ砂糖ノ代価ヲ受取タレハ即詐偽取財ノ本罪ト為スヘシ

  鶴 然シ甲者ニテ乙者ヨリ其砂糖ノ代価ヲ受取ラサル以前ナレハ仮令契約ヲ為ストモ詐偽取財ノ本罪トハ為シ難シ即其タンタチーフト為スヘキナラン

  B 然シ其已ニ契約ヲ為シタル以上ハ代価ヲ受取ルト否トニ拘ハラス詐偽取財ノ本罪ト為シテ相当ナリ

  鶴 然シ其代価ヲ受取ラサル以前ハ詐偽取財ノ取財ト云フ本義ニ適セス故ニタンタチーフト為スヘシ

 

     此時教師ニテハ右契約ヲ為ス以上ハ詐偽取財ノ本罪ト為スヘキ説ヲ反復主張ス

 

  鶴 右ノ(ママ)論ハ暫ク置キ詐偽取財背信ノ罪ニ此条ノ如ク未遂犯罪ヲ罰スル法ヲ置クヘキカ否サルカヲ決議センコトヲ要ス

   尤支那律ニハ詐偽シテ未タ財ヲ得サルノ明文アリ之レハ即〔「〕タンタチーフ」ヲ罰スル法ナリ

   然シ契約而已ニテ詐偽取財ノ本罪ト為スナレハ詐偽取財ニハタンタチーフト為スヘキ場合ナカルヘシ

   然シ実際ニテハ詐偽取財ニハタンタチーフト為スヘキ場合ナキニアラス却テ背信ノ罪ニハタンタチーフト為スヘキ場合ナカルヘシ

  B 然ラハ此条ハ依然存シ置キ而シテ背信ノ罪ヲ詐偽取財ニ併1節中ニ置クヘシ

  鶴 然リ之レヲ1節中ニ置キ而シテ此条ヲ詐偽取財ト背信ノ罪トニ係ラシムル様ニ為スヘシ

  B 然リ

    (『日本刑法草案会議筆記第分冊』2539-2540頁)

 

イ 後日のボワソナアド解説

鶴田は背信ノ罪に係る「蔵匿拐帯シ若クハ費消」行為には「タンタチーフ(未遂行為)ト為スヘキ場合ナカルヘシ」と解していましたが,ボワソナアドはそうは思ってはいないところでした。すなわち後日にいわく,「通常の背信ノ罪においては,この〔実行の着手と既遂との〕分別は〔詐欺取財の場合よりも〕識別することがより難しい」が,「受託者が委託を受けた物の脱漏(détourner),蔵匿(dissimuler)又は損傷(détérioer)を始めたときには,更に背信の罪の未遂の成立を観念することができる。船長の不正の場合には,進むべき航路から正当な理由なしに既に逸れたときを捉えれば,未遂の成立は極めて明瞭であり得る。」と(Boissonade, pp.1173-1174)。これは前記1の物の事実的又は物質的処分の場合に係るものですね。

他方,詐欺取財の既遂の時期については,ボワソナアドは鶴田説に譲歩したようであって,「欺罔工作をされて財物を引き渡すべき意思形成に至った者が,当該引渡しを実行する前に危険を警告されたとき,又は少なくとも引渡しを始めただけであるときには,詐欺取財の未遂の成立がある」ものと述べています(Boissonade, p.1173)。

なお,ボワソナアドは,フランス刑法においては背信の罪(当時の第4003項(「被差押者であって,差押えを受け,かつ,同人に保管を命ぜられた物件を破壊し,若しくは脱漏し,又は破壊若しくは脱漏しようとしたものは,第406条に規定する刑に処せられる。」)の罪を除く。)に未遂処罰規定はないと述べつつ(Boissonade, p.1173),ナポレオンの刑法典408条の違反者に科される罰金の額が「被害者に対する返還額と損害賠償額との合計額の4分の1を超えない25フラン以上の罰金」であることによる同条に係る未遂処罰の困難性を指摘しています。「というのは,未遂が成立しただけである場合,返還債務又は損害賠償債務が生ずることは稀だからである。」と(Boissonade, p.1173 (m)。ただし,1810年の法典にその後加えられた上記当時のフランス刑法4003項の未遂処罰規定は,そのことに頓着しなかったようです。)。我が旧民法395条の罰則はこのような不都合をもたらす価額比例(ad valorem)方式ではありませんでした。

 

(4)条文解釈

蔵匿拐帯をも構成要件に含む187711月の司法卿への上申案4381項とは異なり,旧刑法395条前段は,費消のみが問題とされています。また,同条後段は読みづらい。

 

ア 後段の解釈

 

(ア)ボワソナアド説

旧刑法395条後段を先に論ずれは,当該部分は,ボワソナアドによれば,「騙取,拐帯其他詐欺ノ所為」とは読まずに,「騙取拐帯」と四文字熟語にして,「騙取拐帯その他の詐欺の所為」と読むべきものとされるようです。当該部分の趣旨をボワソナアドは“Les peines de l’escroquerie seront prononcées dans tous les cas où la détention précaire aurait été obtenue par des manœuvres frauduleuses avec intention d’en détourner ou d’en détruire l’objet ultérieurement(それによってその後当該物件を脱漏し,又は損壊する意図を伴う欺罔工作によって仮の所持が取得された全ての場合においては,詐欺取財の罪の刑が宣告される。)と解していたところです(Boissonade, pp.1148-1149)。この場合,「当該欺罔工作の時に,その後の脱漏の意思が既に存在していなければならない」ことに注意しなければなりません(Boissonade, p.1164)。

「拡張を要さずに法の正常な解釈によってこの刑〔詐欺取財の刑〕の適用に至るべきことについては疑いがない。しかしながら,法自身がそのことを明らかにしている方がよりよいのである。」ということですから(Boissonade, p.1164),為念規定です。

 

(イ)高木豊三説

しかし,高木豊三🎴(弄花事件時(1892年)は大審院判事)は旧刑法395条後段について「是レ亦他人ノ信任委託スル所ニシテ自己ノ手中ニ在ル物件ニ係ルト雖モ騙取拐帯其他詐欺ノ所為アル以上ハ即チ詐欺取財ト異ナル無シ」と説いており(高木豊三『刑法義解第7巻』(時習社=博聞社・1881年)1034頁),信任委託を受けて占有している物について更に騙取拐帯其他詐欺ノ所為がされた場合に係る規定であるものと解していたようであります。

 

(ウ)磯部四郎説

磯部四郎🎴(弄花事件時は大審院検事)は,大体ボワソナアド説のようですが,「騙取拐帯」四文字熟語説を採らず,「騙取,拐帯,其他詐欺ノ所為」と読んで,旧刑法395条後段は「拐帯」に係る特別規定であるものだとするようです。

 

 又()()拐帯其他詐(ママ)ノ所為アル者ハ詐偽取財ヲ以テ論ストハ本条後段ノ明示スル所ナリ「詐偽ノ所為」トハ信用ヲ置カシムルカ為メ欺罔手段ヲ施シ遂ニ寄託ヲ為サシメテ之ヲ費消シタル所為等ヲ云フニ外ナラスシテ是等ハ当然詐偽罪ヲ構成シ特ニ明文ヲ掲クルノ必要ナキカ如シ〔筆者註:以上はボワソナアドの説く為念規定説と同旨です。〕然レ𪜈(トモ)単純ノ詐偽トハ自ラ異ナル所アルノミナラス拐帯ノ如キハ全ク其性質ヲ異ニセリ「拐帯」トハ例ヘハ土方人足ニ鋤鍬等ヲ交付シテ土工ヲ為サシメタルノ際之ヲ持去テ費消シタル所為等ヲ云フ此所為ハ純然タル詐偽ト云フヲ得ス何トナレハ工事ノ為メ被害者ヨリ交付シタルモノニシテ犯者自ラ進ンテ之ヲ取リタルニハアラサレハナリ是特ニ「詐偽取財ヲ以テ論ス」トノ明文ヲ要シタル所以ナリ

 (磯部四郎『増補改正刑法講義下巻』(八尾書店・1893年)1034-1035頁)

 

 「持去テ費消シタル所為等」である「拐帯」は,同条前段の通常の「費消」よりも重く詐欺取財ノ罪の刑をもって罰するのだ,ということのようですが,果たしてこの重罰化を正当化するほどの相違が存在するものかどうか,悩ましいところです。

 

(エ)当局の説=高木説

 しかしながら,御当局は高木🎴説を採ったものでしょう。

1901年段階の法典調査会は,旧刑法395条について「現行法ハ又受寄財物ヲ費消スルカ又ハ騙取,拐帯等ノ行為ヲ為スニ非サレハ罪ト為ササルヲ以テ」,「修正案ハ改メテ費消又ハ拐帯等ノ行為ニ至ラストモ既ニ横領ノ行為アリタル場合ニハ之ヲ罪ト為シ」という認識を示しています(法典調査会編纂『刑法改正案理由書 附刑法改正要旨』(上田書店・1901年)225頁)。

 

イ 高木説に基づく条文全体の解釈

御当局の見解が上記ア(エ)のとおりであれば,高木🎴説的に旧刑法395条を解釈すべきことになります。

 

(ア)体系論

高木🎴によれば「此条ハ人ノ信任シテ寄託又ハ占有又ハ使用セシメタル物件ヲ擅ニ費消シ及ヒ騙取拐帯其他詐欺ノ所為ヲ以テ財ヲ取ル者ノ罪ヲ定ムルナリ」ということですから(高木1032頁。下線は筆者によるもの),旧刑法395条は,太政官刑法草案審査局での修正を経て1879625日付けで柳原前光刑法草案審査総裁から三条実美太政大臣に上申された「刑法審査修正案」において,旧刑法395条は既に最終的な形になっていました。また,同条は「旧律所謂費用受寄財産ニ類スル所為ヲ総称スル」ものだとされていますから(高木1025頁),その間新律綱領=改定律例的思考による修正があったものかもしれません。明治三年十二月二十日(187129日)頒布の新律綱領の賊盗律には監守自盗ということで「凡(アラタ)(メヤク)(アヅカ)(リヤク)。自ラ監守スル所ノ。財物ヲ盗ム者ハ。主従ヲ分タス。贓ヲ併セテ。罪ヲ論シ。窃盗ニ。2等ヲ加フ。」云々(以下「1両以下。杖70」から「200両以上。絞」までの刑が掲げられています。)とありました。),もはやボワソナード的に背信の罪(abus de confiance)一本であるものではなく,費消の罪と取財(拐帯等)の罪との二本立てとされた上で,後者は同じ取財の罪として詐欺取財をもって論ずることとされた,ということでしょう。

毀棄罪と領得財との関係が想起されるところ,それでは背信の罪はどこへ行ったのかといえば,旧刑法395条を含む節の節名はもはや「詐欺取財及ヒ背信ノ罪」ではなく,「詐欺取財ノ罪及ヒ受寄財物ニ関スル罪」となっています(下線は筆者によるもの。なお,「刑法審査修正案」での節名は「詐欺取財及ヒ受寄財物ニ関スル罪」でした。)。受寄財物に係る背信の罪ではなく,受寄財物に係る費消及び取財の罪ということであるように思われます(ただし,ナポレオンの刑法典においては,第3編第2章の財産に対する罪は盗罪(vols),破産,詐欺取財及びその他の欺罔行為に関する罪(banqueroutes, escroqueries et autres espèces de fraude)並びに損壊傷害に関する罪(destructions, dégradations, dommages)の三つの節に分類されていますが,背信の罪は第2節に属し,盗罪にも損壊傷害の罪にも分類されていません。)。187711月の司法卿宛て上申案4381項にあった「蔵匿」が旧刑法395条では落ちているのは,拐帯とは異なり蔵匿ではいまだ取財性がないから,ということなのでしょう。(なお,ボワソナアドは,「脱漏隠匿」は「盗取」よりも広い概念(「一体盗取スル而已ニアラス」)であると考えていたようです(『日本刑法草案会議筆記第Ⅳ分冊』2469頁)。)

 

(イ)「費消」論

旧刑法395条の「費消」については,「費消(○○)シタル(○○○)トハ費用消耗ノ義ニシテ必スシモ全部ノ費消ヲ云フニ非ス」とされています(高木1033頁。下線は筆者によるもの)。ここでの「費用」は,「①ついえ。入費。」の意味(『角川新字源』)ではなく,「②つかう。消費。」(同)のうちの「消費」の意味でしょう(少なくとも司法省案の元となったフランス語は“dissiper”です。)。

しかし,我が国刑事法実務界の一部では,ボワソナアド刑法学の影響が抜きがたく残っていたのではないでしょうか。磯部四郎🎴は,旧刑法395条の「費消」について「脱漏(détourner),蔵匿(dissimuler)又ハ費消(dissiper)」的解釈を維持しています。

 

 「費消」トハ必シモ減尽ニ帰セシメタルノミヲ云フニアラス所有者ヨリ返還ヲ促サレテ之ヲ返還セス又ハ返還スルコト能ハサルニ至ラシメタルヲ以テ足レリトス代替物タル米穀ノ如キハ之ヲ食シ尽スコトヲ得ヘシト雖モ金属製ノ特定物ノ如キハ決シテ其躰ヲ消滅ニ帰セシムルコトヲ得ヘキモノニアラス加害者ノ手裏ニ存セスト雖モ必ス何レノ処(ママ)ニカ存在スルコトヲ想像スヘシ故ニ費消ハ返還セス又ハ返還スルコト能ハサルニ至ラシメタルノ謂ヒタルニ外ナラス故ニ又蔵匿脱漏シタルトキト雖モ返還セサルニ至テハ費消ヲ以テ論セサルヘカラス背信ノ責メハ之ヲ自己ノ手裡ニ蔵匿シテ返還セサルト他人ノ手裡ニ帰セシメテ返還セサルトニ因テ消長スヘキモノニアラス唯タ返還セサルヲ以テ背信ノ所為トセサルヘカラス或ル論者ハ物躰ヲ消滅ニ帰セシメタルニアラサレハ費消ト云フヲ得スト云フト雖モ是レ特ニ代替物ノ場合ニ就テ云フヘキノミ特定物ニ関シテハ不通ノ説タルヲ免レス

 (磯部1032頁)

 

 磯部🎴は,現行刑法の政府提出法案が第23回帝国議会で協賛せられた際の衆議院刑法改正案委員長です。

Boissonade Tower1
Boissonade Tower2
ボワソナアド来日から150年(法政大学Boissonade Tower

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(前編):モーセ,ソロモン,アウグストゥス,モンテスキュー,ナポレオン,カンバセレス及びミラボー

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080442857.html



7 西暦1872年の監獄則(明治五年太政官第378号布告)及び西暦1881年の監獄則(明治14年太政官第81号達)

 

明治五年十一月二十七日(18721227日)の我が監獄則中典造十二条の第10条懲治監には,次のような規定がありました。第3項に御注目ください。

 

    第10条懲治監

 此監亦界区ヲ別チ他監ト往来セシメス罪囚ヲ遇スル他監ニ比スレハ稍寛ナルヘシ

 20歳以下懲役満期ニ至リ悪心未タ悛ラサル者或ハ貧窶営生ノ計ナク再ヒ悪意ヲ挟ムニ嫌アルモノハ獄司之ヲ懇諭シテ長ク此監ニ留メテ営生ノ業ヲ勉励セシム21歳以上ト雖モ逆意殺心ヲ挟ム者ハ獄司ヨリ裁判官ニ告ケ尚此監ニ留ム

 平民其子弟ノ不良ヲ憂フルモノアリ此監ニ入ン(こと)ヲ請フモノハ之ヲ聴ス

 〔第4項以下略〕

 

懲治監は,1881年に至って,明治14年太政官第81号達の監獄則では「懲治人ヲ懲治スルノ所」たる懲治場となり(同則13款),同則19条は,懲治人を定義して,旧刑法(明治13年太政官布告第36号)79条,80条及び82条の不論罪に係る幼年の者及び瘖啞者(明治14年監獄則191款)並びに「尊属親ノ請願ニ由テ懲治場ニ入リタル者」を掲げています(同条2款)。この尊属親の請願による懲治人については,「前条第2款ニ記載シタル懲治人ハ戸長ノ証票ヲ具スルニ非サレハ入場ヲ許サス但在場ノ時間ハ6個月ヲ1期トシ2年ニ過ルヲ得ス」(明治14年監獄則201項)及び「入場ヲ請ヒシ尊属親ヨリ懲治人ノ行状ヲ試ル為メ宅舎ニ帯往セント請フトキハ其情状ニ由リ之ヲ許スヘシ」(同条2項)という規定がありました。

 しかし,懲治場は,明治22年勅令第93号の監獄則では専ら「不論罪ニ係ル幼者及瘖啞者ヲ懲治スル所」となってしまっています(同則16号)。なお,明治22年勅令第93号は1889713日の官報で布告されていますが,その施行日は,公文式(明治19年勅令第1号)10条から12条までの規定によったのでしょう。

その附則2項で明治22年の監獄則を廃止した監獄法(明治41年法律第28号)は現行刑法(明治40年法律第45号)と共に1908101日から施行されたものですが(監獄法附則1項,明治41年勅令第163号),そこには懲治場の規定はありません(ただし,懲治人に関する明治22年の監獄則の規定は当分の内なお効力を有する旨の規定はありました(同法附則2項ただし書。また,刑法施行法(明治41年法律第29号)16条)。)。

なお,現行刑法の施行は旧少年法(大正11年法律第42号)のそれを伴うものではなく(後者の法律番号参照),旧少年法の施行は,192311日(同法附則及び大正11年勅令第487号)を待つことになります。

 

8 西暦1890年の旧民法人事編


(1)旧民法人事編の規定


  第149条 親権ハ父之ヲ行フ

   父死亡シ又ハ親権ヲ行フ能ハサルトキハ母之ヲ行フ

   父又ハ母其家ヲ去リタルトキハ親権ヲ行フコトヲ得ス

 

  第151条 父又ハ母ハ子ヲ懲戒スル権ヲ有ス但過度ノ懲戒ヲ加フルコトヲ得ス

  第152条 子ノ行状ニ付キ重大ナル不満意ノ事由アルトキハ父又ハ母ハ区裁判所ニ申請シテ其子ヲ感化場又ハ懲戒場ニ入ルルコトヲ得

   入場ノ日数ハ6个月ヲ超過セサル期間内ニ於テ之ヲ定ム可シ但父又ハ母ハ裁判所ニ申請シテ更ニ其日数ヲ増減スルコトヲ得

   右申請ニ付テハ総テ裁判上ノ書面及ヒ手続ヲ用ユルコトヲ得ス

   裁判所ハ検事ノ意見ヲ聴キテ決定ヲ為ス可シ父,母及ヒ子ハ其決定ニ対シテ抗告ヲ為スコトヲ得

 

旧民法人事編151条は,ナポレオンの民法典375条を承けたもののようではありますが,フランスでは「日常的な懲戒権は,「監護権の存在からも出てくる」が,「自然に慣習上存する」(谷口知平『現在外国法典叢書(14)佛蘭西民法[1]人事法』有斐閣1937 p.361ものとされる」とのことですから(広井多鶴子「親の懲戒権の歴史-近代日本における懲戒権の「教育化」過程-」教育学研究632号(19966月)17頁註2)),我が国産規定なのでしょう。確かに,ナポレオンの民法典375条は厳密にいえば懲戒の手段(moyens de correction)たるその次条以下の拘禁について,更にその前身である1802930日国務院提出案6条は矯正の施設に拘禁させる父の権能についていきなり語っているものであって,いずれもそれに先立つ懲戒権それ自体を基礎付けるものではありません。旧民法人事編151条の前身は,熊野敏三,光明寺三郎,黒田綱彦,高野真遜,磯部四郎🎴及び井上正一が分担執筆し,18887月頃に起草が終了(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1977年(1998年追補))157頁)した旧民法人事編第一草案の第243条(「父若クハ母ハ家内ニ於テ其子ヲ懲戒スルノ権ヲ有ス但シ過度ノ懲戒ヲ加フルコトヲ得ス」)であったところですが,そこにおいて「画期的」であったのはただし書で,理由書によれば「「我国ノ如キ父母・・・懲戒モ往々過度残酷ニ流ル」,ゆえに「過度ノ懲戒ヲ禁」じる必要があるという趣旨」で設けられ,更に親権の失権制度までも準備されていたのでした(小口恵巳子「明治民法編纂過程における親の懲戒権-名誉維持機能をめぐって-」比較家族史研究20号(2005年)71頁)。その際の起草委員らの意気込みは,これも理由書によれば,「此思想〔「親権ハ父母ノ利益ノ為メ之ヲ与フルモノニ非ス」,「子ノ教育ノ為」であるとの思想〕ハ我国ノ親族法ニ反スヘシト雖モ従来ノ慣習ヲ維持スルヲ得ヘカラス」,「其原則ヲ一変セスンハ是等ノ不都合ヲ改正スルヲ得ヘカラス」」(小口77頁)という勢いであって,「かなりヨオロッパ的,進歩的」であるのみならず(大久保157頁),むしろフランス民法よりも更に「進歩的」であったように思われます。当時の「仏国学者中ニハ民法ノ頒布以来父母ノ権力微弱ト為リタルコトヲ歎息シ羅馬ノ古制ヲ追慕スル者」がなおあったようです(旧民法人事編第一草案理由書『明治文化資料叢書第3巻 法律編上』(風間書房・1959年)183頁(熊野敏三起稿))。

旧民法人事編152条は,フランス的伝統が原則とするナポレオンの民法典376条には倣ってはいません。同法典377条以下の規定に倣っています。

旧民法人事編1524項は入場申請に関する決定に対する抗告を認めていますが,父の権威のために父子間の争訟を避けようという1802930日の国務院審議におけるブウレ発言の立場からするとどうしたものでしょうか。旧民事訴訟法(明治23年法律第29号)4622項には「抗告裁判所ハ抗告人ト反対ノ利害関係ヲ有スル者ニ抗告ヲ通知シテ書面上ノ陳述ヲ為サシムルコトヲ得」とありました。ナポレオンの民法典3822項の手続においては,父子直接対決ということにはならないようです。

 

(2)西暦1888年の旧民法人事編第一草案244条及び245

なお,旧民法人事編152条の前身は,その第一草案の第244条及び第245条ですが,両条の文言及びその理由は,次のとおりです。

 

 第244条 父若クハ母其子ノ行状ニ付重大ナル不満ノ事由ヲ有スルトキハ地方裁判所長ニ請願シテ其子ヲ相当ノ感化場若クハ懲戒場ニ入ルコトヲ得

  此請願ハ口頭ニテ之ヲ為スコトヲ得ヘク又拘引状ニハ其事由ヲ明示シ且ツ其他裁判上ノ書面及ヒ手続ヲ用ユルコトヲ得ス

  入場ノ日数ハ16年未満ノ子ナレハ3个月又満16年以上ノ子ナレハ6个月ヲ超過スルコトヲ得ス但シ父若クハ母ハ常ニ裁判所長ニ請願シテ其日数ヲ延長シ又ハ減縮スルコトヲ得(仏第375条以下,伊第222条)

 第245条 父母及ヒ子ハ裁判所長ノ決定ニ対シテ控訴院長ニ抗告スルコトヲ得

  所長及ヒ院長ハ検事ノ意見ヲ聴キ裁判ス可シ(伊第223条)

 (理由)若シ子ノ性質不良ニシテ尋常ノ懲戒ヲ以テ之ヲ改心セシムル能ハサルトキハ法律ハ一層厳酷ナル懲戒処分ヲ用フルコトヲ允許ス即チ其子ヲ拘留セシムルノ権是レナリ本条ハ其手続ヲ規定スルモノトス父母ハ其事由ヲ具シテ地方裁判所長ニ請願スヘシ所長ハ其事情ヲ調査シ検事ノ意見ヲ聴キ其請願ノ允当ナルトキハ其允許ヲ与フヘシ此拘留ハ子ノ為メ一生ノ恥辱トナルヘケレハ成ル可ク之ヲ秘密ニシ其痕跡ヲ留メサルヲ要ス故ニ其請求ハ口頭ニテモ之ヲ為スヲ得ヘク且ツ一切ノ書類及ヒ手続ヲ要セサルモノトス拘引状云々ハ之ヲ削除スヘシ然レトモ其子ヲ拘留スヘキ場所ハ如何是レ特別ノ懲戒場タラサルヘカラス若シ之ヲ普通ノ監獄ニ入レ罪囚ト同居セシムルトキハ懲戒ニ非ラスシテ却テ悪性ヲ進ムルニ至ルヘシ拘留ノ日数ハ子ノ年齢ニ従ヒ之ヲ定メ満16年以下ナレハ3ケ月又16年以上ナレハ6ケ月ヲ超ユヘカラサルモノトナセリ但シ場合ニ由リ其期限ヲ伸縮スルヲ得ヘシ若シ子其拘留ヲ不当ト信スルトキハ之ヲ控訴院長ニ抗告スルヲ得ヘシ

   (旧民法人事編第一草案理由書187頁(熊野))

 

「拘引状云々ハ之ヲ削除スヘシ」と条文批判をしている熊野敏三は,「理由」は起稿したものの,当該条項の起草担当者ではなかったのでしょう。確かに,「拘引状ニハ其事由ヲ明示シ」では,ナポレオンの民法典3781項(身体拘束令状に理由は記載されない。)と正反対になっておかしい。あるいは,「拘引状ニハ其の事由ヲ明示シ〔する〕コトヲ得ス」の積もりだったのかもしれませんが,それでも誤訳的仏文和訳だったというべきなのでしょう(筆者も人様のことは言えませんが。)。しかし,「拘引状」が消えてしまうと,ミラボー的問題児の身柄を強制的に抑える肝腎の手段がないことになって,同人が同意して自ら感化場又は懲戒場に入ってくれなければいかんともし難いことになり,かつ,素直に感化場又は懲戒場に入ってくれるようなよい子には,そもそもそこまでの懲戒は不要であるということにはならなかったでしょうか。

 

9 西暦1898年の民法第4編第5編(明治31年法律第9号)及び旧非訟事件手続法(明治31年法律第14号)

 

(1)親権

 

  民法877条 子ハ其家ニ在ル父ノ親権ニ服ス但独立ノ生計ヲ立ツル成年者ハ此限ニ在ラス  

   父カ知レサルトキ,死亡シタルトキ,家ヲ去リタルトキ又ハ親権ヲ行フコト能ハサルトキハ家ニ在ル母之ヲ行フ

 

 親権について,梅謙次郎は次のように説明しています。

 

  我邦に於ては,従来,法律上確然親権を認めたるの迹なし。唯,事実に於て多少之に類するものなきに非ずと雖も,戸主権熾なりしが為めに十分の発達を為すことを得ざりしなり。維新後に至りては漸く戸主権の必要を減じたるを以て,茲に親権の必要を生じ,民法施行前に在りても父は父として子の代理人となり,子の財産に付き全権を有するものとせるが如し。是れ即ち親権なりと謂ふも可なり。然りと雖も,其父は子の身上に付き果して如何なる権力を有せしか頗る不明に属す。又其財産に付ても多少の制限なくんば竟に子の財産は,寧ろ父の財産たるかの観あるを免れず。

  (梅謙次郎『民法要義巻之四 親族編(第22版)』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1912年)342-343頁。原文は片仮名書き,句読点・濁点なし。)

 

  蓋し親権は,自然の愛情を基礎とし,父をして子の監護,教育等を掌らしむるものな〔り〕。

  (梅346-347頁)

 

「自然の愛情を基礎」とする梅の考え方の根底は,ローマ法的というよりはフランス法的なのでしょう。

 

(2)懲戒権

 

ア 条文

 

  民法882条 親権ヲ行フ父又ハ母ハ必要ナル範囲内ニ於テ自ラ其子ヲ懲戒シ又ハ裁判所ノ許可ヲ得テ之ヲ懲戒場ニ入ルルコトヲ得

   子ヲ懲戒場ニ入ルル期間ハ6个月以下ノ範囲内ニ於テ裁判所之ヲ定ム但此期間ハ父又ハ母ノ請求ニ因リ何時ニテモ之ヲ短縮スルコトヲ得

 

民法旧882条の参照条文としては,旧民法人事編151条及び152条,フランス民法375条から383条まで,オーストリア民法145条,イタリア民法222条,チューリッヒ民法662条,スペイン民法156条から158条まで,ベルギー民法草案3612項及び363条並びにドイツ民法第1草案1504条及び同第2草案15262項が挙げられており(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第50巻』6丁裏-7丁表),1896115日の第152回会合において梅謙次郎が「本条ハ人事編ノ第151条及ヒ第152条ト同シモノテアリマス」と述べていますから(民法議事速記録507丁表),民法旧882条はフランス民法の影響を色濃く受けた条文であったものといってよいのでしょう。

 

イ ドイツ民法(参考)

ちなみにドイツ民法第1草案1504条は,次のとおりでした。

 

§. 1504.

      Die Sorge für die Person umfaßt insbesondere die Sorge für die Erziehung des Kindes und die Aufsicht über dasselbe. Sie gewährt die Befugniß, bei Ausübung des Erziehungsrechtes angemessene Zuchtmittel anzuwenden.

  (身上に対する配慮は,特に,子の教育に対する配慮及びその子の監督を包含するものであるとともに,教育権の行使に当たって,相応な懲戒手段を用いる権限を与えるものである。)

      Das Vormundschaftsgericht hat den Berechtigten auf dessen Antrag durch geeignete Zwangsmaßregeln in der Ausübung des elterlichen Zuchtrechtes nach verständigem Ermessen zu unterstützen.

  (後見裁判所は,当該権利者からの申立てがあるときには,適切な強制手段を執ることにより,親の懲戒権の行使において権利者を賢慮ある裁量をもって支援しなければならない。)

 

 結果として,ドイツ民法1631条は次のとおりとなりました。

 

§. 1631.

   Die Sorge für die Person des Kindes umfaßt das Recht und die Pflicht, das Kind zu erziehen, zu beaufsichtigen und seinen Aufenthalt zu bestimmen.

  (子の身上に対する配慮は,子を教育し,監督し,及びその居所を定める権利及び義務を包含する。)

      Der Vater kann kraft des Erziehungsrechts angemessene Zuchtmittel gegen das Kind anwenden. Auf seinen Antrag hat das Vormundschaftsgericht ihn durch Anwendung geeigneter Zuchtmittel zu unterstützen.

  (父は,教育権に基づき,相応な懲戒手段を子に対して用いることができる。父の申立てがあるときには,後見裁判所は,適切な懲戒手段を用いることによって同人を支援しなければならない。)

 

ウ 懲戒権に関する学説

 懲戒権については,次のように説かれ,ないしは観察されています。

 

  蓋し懲戒権は,主として教育権の結果なりと雖も,我邦に於ては之を未成年者に限らざるを以て,必ずしも教育権の結果なりと為すことを得ず。而して懲戒権の作用は敢て一定せず。或は之を叱責することあり,或は之を打擲することあり,或は之を一室内に監禁することあり。此等は皆,親権者が自己の一存にて施すことを得る所なり。唯,其程度惨酷に陥らざることを要す。法文には「必要ナル範囲内ニ於テ」と云ひ,実に已むことを得ざる場合に於てのみ懲戒を為すべきことを明かにせり。而して其方法も,亦自ら其範囲を脱することを得ざるものとす(若し惨酷に失するときは,896〔親権の喪失〕の制裁あり。)。

  (梅355-356頁)

 

  懲戒権は監護・教育には収まりきらない特殊な性質を持っている。おそらくこれは,親権が私的な権力であることが端的に表れている,と見るべきだろう。父は子に対して自律的な権力を有しており,子が社会に対して迷惑を及ぼさないよう,予防をする義務を負い権利を有するというわけである。

  (大村254頁)

 

懲戒権の対象となる子を未成年者に限るように起草委員の原案を改めるべきではないかという提案が法典調査会の第152回会合で井上正一から出ましたが,当該提案は賛成少数で否決されています(民法議事速記録5011丁表-12丁表)。その際原案維持(すなわち,成年の子も親権に服する以上懲戒の対象とする。)の方向で「実際ハ未成年者ヨリ成年者カ困ルカモ知レヌ未成年ハ始末カ付クガ成年ニ為ルト始末ノ付カヌコトカアラウト思ヒマス」(民法議事速記録5012丁表)と発言したのが村田保であったのが(筆者には)面白いところです。人間齢を取ると素直さを失って始末に困るようになる,ということでしょうが,夫子自身も,「村田は性格が執拗,偏狭という評を受け,貴族院における「鬼門」だといわれた」そうです(大久保164頁)。

 

エ 懲戒場に関して

 

(ア)梅謙次郎の説明

 

  親権者は尚ほ進んで之を懲戒場に入るることを得べし。唯,是が為めには特に裁判所の許可を得ることを必要とせり。蓋し子の身体を拘束すること殊に甚しく,且,其処分が子の徳育,智育,体育に重大なる影響を及ぼすべきを以て,単に親権者の一存に任せず,裁判所に於て果して其必要なるや否やを審査し,又之を必要なりとするも,其期間の長短に付き裁判所に於て必要と認めたる範囲内に於てのみ之を許すべきものとせり。而して,如何なる場合に於ても其期間は6个月を超ゆることを得ざるものとし,尚ほ一旦定めたる期間も亦親権者の請求に因り何時にても之を短縮することを得るものとせり。

  (梅356頁)

 

旧民法人事編1521項の「感化場又ハ懲戒場」から感化場が落ちたことについて梅は,「字ノ如ク感化丈ケテアルナラハ寧ロ之ハ教育上ニ属スヘキモノト思ヒマス夫レテアレハ之ハ教育権ノ範囲内テ態々裁判所ヲ煩スコトヲ要セス父カ勝手ニ出来ル事テアラウト思ヒマス」と述べる一方,「若シ又感化場ト云フ名ハアツテモ矢張リ幾分カ懲戒ノ方法ヲ用ヰルモノテ身体ヲ拘束スルトカ苦痛ヲ与ヘルトカ云フモノテアレハ矢張リ法律ノ上カラ見レハ懲戒場テアリマス詰リ此箇条ノ精神ト云フモノハ子ヲ監禁スルノテアリマス其監禁スルコトハ幾ラ父ト雖モ勝手ニハ出来ヌ幾ラ父ト雖モ裁判所ノ許可ヲ得ナケレハナラヌト云フコトテアラウト思ヒマス」と弁じて,懲戒場の機能における拘禁(détention)の本質性を明らかにしています(民法議事速記録507丁表裏)。

ただし,フランス語の“correction”は「懲戒」と訳し得るものの,“maison de correction”には「感化院」という訳が現在あるところです(1938年のフランス映画『格子なき牢獄(Prison sans barreaux)』の舞台であるmaison de correctionは,「感化院」であるとされています。わざわざ「格子なき」というのですから,感化院には通常は格子があるわけでしょう。)。これに対して,我が国初の感化院は1883年に池上雪枝が大阪の自宅に開設したものだそうですが,自宅であったそうですから,その周囲を格子で囲みはしなかったものでしょう。1885107日には高瀬眞卿により東京の本郷区湯島称仰院内に私立予備感化院が開設されていますが,これはお寺ですね。フランス式の方が,日本式よりごついのでしょう。

梅はフランス式で考えていたのでしょうが,感化場ではない懲戒場とは,具体的には何でしょうか。

 

   懲戒場(〇〇〇)とは如何なる場所なるか民法に於て之を定めざるのみならず,民法施行法其他の法令に於て未だ之を定むるものあらず。故に裁判所は,親権者の意見を聴き,適当の懲戒場を指定することを得べし。然と雖も,将来に於ては之に付き一定の規定を設くる必要あるべし。

  (梅356-357頁)

 

ただし,梅は,旧刑法79条(また,80条及び82条)の懲治場との関係については,当該施設において「刑事ノ被告人カ出マシテサウシテ年齢ノ理由ヲ以テ放免サレタ者ト又普通ノ唯タ暴ハレ小僧ト一緒ニスルト云フコトハ如何テアラウカ」,「例ヘハ無闇ト近所ノ子供ト喧嘩ヲシテ困ルト云フヤウナ事丈ケテ別ニ盗坊ヲスルト云フヤウナ者テモナイ者ヲ刑事ノ被告人ト一緒ニスルト云フコトハ危険テアラウト思ヒマス」ということで,「可成ハ別ナ処ヘ入レルコトカ出来ルナラハ別ノ所ニ入レタイト云フ考ヲ持ツテ居リマスカラ夫レテ態サト「懲治場」ト云フ字ヲ避ケマシタ」と述べています(民法議事速記録509丁表)。

また,梅は家内懲戒場を認めていたようであって,「此「相当ノ」ト云フコトカ這入ツテ居ル以上ハ親カ内ニ檻テモ造ツテ入レルト云フコトナラハ夫レヲモ許ス積リテアリマスカ」との横田國臣の質問に対して,「私ハ其積リテアリマス身分テモアル人ハ其方カ却テ宜シイカモ知レヌ」と回答しています(民法議事速記録509丁裏-10丁表)。しかし,当該問答がされた際の条文案は「親権ヲ行フ父又ハ母ハ必要ナル範囲内ニ於テ自ラ其子ヲ懲戒シ又ハ裁判所ノ許可ヲ得テ之ヲ相当ノ懲戒場ニ入ルルコトヲ得」というものであったのでしたが(下線は筆者によるもの),当該「相当ノ」の文言は,法律となった民法旧8821項からは落ちています。したがって,やはり「懲戒場」は「公の施設であることはいうまでもない」(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)331頁)という整理になるのでしょうか。後記17で見る平成23年法律第61号による懲戒場関係規定の削除に当たっては,法定の懲戒場の不存在がすなわち懲戒場の不存在としてその理由とされていること等に鑑みると,梅の意思にかかわらず,懲戒場=公の施設説が公定説となったものでしょう。


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20233月の称仰院(東京都文京区湯島四丁目)


(イ)手続規定

 

  旧非訟事件手続法13条 審問ハ之ヲ公行セス但裁判所ハ相当ト認ムル者ノ傍聴ヲ許スコトヲ得

 

  旧非訟事件手続法15条 検事ハ事件ニ付キ意見ヲ述ヘ審問ヲ為ス場合ニ於テハ之ニ立会フコトヲ得

   事件及ヒ審問期日ハ検事ニ之ヲ通知スヘシ

 

  旧非訟事件手続法20条 裁判ニ因リテ権利ヲ害セラレタリトスル者ハ其裁判ニ対シテ抗告ヲ為スコトヲ得

   申立ニ因リテノミ裁判ヲ為ス場合ニ於テ申立ヲ却下シタル裁判ニ対シテハ申立人ニ限リ抗告ヲ為スコトヲ得

 

  旧非訟事件手続法25条 抗告ニハ前5条ニ定メタルモノヲ除ク外民事訴訟法ノ抗告ニ関スル規定ヲ準用ス

 

  旧非訟事件手続法92条 子ノ懲戒ニ関スル事件ハ子ノ住所地ノ区裁判所ノ管轄トス

   検事ハ前項ノ許可ヲ与ヘタル裁判ニ対シテ抗告ヲ為スコトヲ得

   第78条ノ規定〔抗告手続の費用及び抗告人の負担に帰した前審の費用の負担者を定めるもの〕ハ前項ノ抗告ニ之ヲ準用ス

 

10 西暦17世紀末-18世紀前半の日本国

懲戒場に関する梅の所論がどうしても抽象的になってしまうのは,公の施設としてのhôpitaux générauxVincennes城等に対応するものが,我が国には現実のものとしてなかったからでしょうか。

我が国の伝統的な子の懲戒観及び懲戒方法はどのようなものだったのか,時代は前後しますが,ここで江戸時代の様子を見てみましょう。

 

   父母は子を懲戒(〇〇)するの権利を有す。西沢与四作「風流今平家」〔元禄十六年(1703年)〕五六之巻第三に

    「入道耳にいれず,()()()()くゝり(〇〇〇)せつ(〇〇)かん(〇〇)する(〇〇)()誰何(〇〇)といはん(〇〇〇〇),汝等がしる事にあらず」

とあるはその一例なり。この懲戒権に基づきて親はまた,子を座敷牢に監禁することを得,(みやこ)(にしき)作「風流日本(やまと)荘子(そうじ)」(元禄十五年1702年))巻之二(勘当の智恵袋の段)に,

    「父母今は詮方尽,流石(さすが)名高き山下さへ,閉口せし上からは,外の評議に及まじ,(さて)是非もなき仕合と,おどり揚つて腹立し,座敷(〇〇)()に入置,さま〔ざま〕のせつかん目も当られず,一門を初め親しき友どち集り,色替品替詫言すれど,さら〔さら〕以て聞入れず,終に公に訴へ元禄十三辰1700年〕の秋,あり〔あり〕と勘当帳にしるし,(あわせ)壱枚あたへ,それから直に追出す」

とあり。また後に出す「傾城歌三味線」〔享保十七年(1732年)〕にも,「或時は座敷(〇〇)()に追込まれ,又或時は内証勘当して云々」と見えたり。

 父母が子を勘当(〇〇)することもまた,その懲戒権の行使なり。〔後略〕

(中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』(岩波文庫・1984年)170頁)  

 

 座敷牢への監禁措置のためには,公儀のお許しは不要であったわけでしょう。

ただし,「親が願い出て「官獄」に入れたり,放蕩の子を他領の親類に預けるといった制度・慣習は従来から存在」してはいたそうです(広井13頁)。それらはどのようなものかといえば,「『全国民事慣例類集』によれば,「官ニテ厳戒シ手鎖足鎖ヲ加エテ拘留シ或ハ其家ニ付シテ監守セシム」(伊賀)といった監禁や,「辺土ノ村」(対馬)へ移したり,「遠島」(大隅)にするといった「流罪」の場合もあった」そうです(広井13頁)。しかしながら,あるいは当該「制度・慣習」は全国的かつ強固なものではなく,それゆえに1889年の監獄則による請願懲治廃止及び1898年の現行民法施行時における法定懲戒場不存在状態が生じていたのではないでしょうか。

 

11 西暦1900年の感化法(明治33年法律第37号)及び1933年の少年教護法(昭和8年法律第55号)

 

(1)感化法

梅謙次郎が民法旧882条の懲戒場について「将来に於ては之に付き一定の規定を設くる必要あるべし」と述べたのは,1899年のことでしたが(梅初版発行年),その翌年に当該規定が整備されています。感化法です(190039日裁可,同月10日布告)。ただし,感化法制定のための主な推進力としては,梅らの不満もあったのでしょうが,18971月の英照皇太后大喪の際に各府県等に御下賜のあった慈恵救済資金の使用先の一つに感化院が想定されていたということがあったようです(第14回帝国議会貴族院感化法案特別委員会議事速記録第12-4頁参照)。(なお,感化法の施行日は「府県会ノ決議ヲ経地方長官ノ具申ニ依リ内務大臣之ヲ定ム」ということで(同法14条),全国一律ではありませんでした。当初の政府案では,勅令で施行日を定めることとしていたものが衆議院において修正されたものです。)

感化法53号は,「裁判所ノ許可ヲ経テ懲戒場ニ入ルヘキ者」を感化院の入院者として規定しています。同号による入院者は,民法旧882条の子は未成年者に限られないものとする法意に忠実に,20歳を超えても在院できることになっています(感化法6条)。

しかし,親権の行使として子を懲戒場たる感化院に入れた父又は母は,財産の管理を除いて在院又は仮退院中の子に対して親権を行うことができなくなるという規定(感化法82項・3項。感化院長が親権を行使(同条1項))は,感化院に子の世話をお願いする以上仕方がないとしても(なお,現在,児童福祉施設に入所中の子の親権者はなお親権を行い得るものとされつつ(児童福祉法(昭和22年法律第164号)471項),児童福祉施設の長に監護・教育に関して措置をする権限が認められています(同条3-5項)。),子を退院させて自己の親権行使を再開させることが自由にできなければ本来の親権者としては変なことではあります。ところが,感化法では在院者の親族又は後見人が子を退院させようとすると地方長官に出願して許可を受けなければならないことになっています(同法12条(1度不許可となると6箇月は再出願不可(2項))・13条(不許可処分には訴願が可能))。そこで民法旧8822項により期間短縮をしようとすると,今度は裁判所の裁判が必要なようでもあります。親権を発揮したつもりが,実は自ら親権を制限ないしは停止したような形になるというのはどうしたものでしょうか(ナポレオンの民法典379条参照)。

また,旧民法人事編152条の「感化場」を排し置いた梅としては,民法旧882条の「懲戒場」とは感化院のことである,となってしまった成り行きをどう思ったものでしょうか。ただし,感化院法9条は「感化院長ハ命令ノ定ムル所ニ依リ在院者ニ対シ必要ナル検束ヲ加フルコトヲ得」と規定していますから,拘禁と全く無縁の施設ではないようではあります。しかし,この「検束」は,「矢張リ親権ノ作用ノ懲戒ニ過ギナイノデアリマス,〔略〕大体検束ト申シマスモノハ民法ナドニ申シテ居ル親ノ懲戒権ノ範囲ニ止マル積リデアリマスガ,其懲戒ノ手段トシテハ或ハ禁足ヲスルトカ若クハ必要ニ応ジマシテハ1食或ハ2食ヲ減食ヲ致シマス,又ハ一室ニ閉禁ヲスルトカ云フヤウナ懲戒手段ヲ加ヘル考デアル,是ガ若シ此規定ガゴザイマセヌト不法監禁デアルト云フヤウナ疑ヲ来スモノデゴザリマスカラ,明ニ此明文ヲ掲ゲタ方ガ明瞭ニナッテ宜カラウト云フ考デ検束ト云フ字ヲ加ヘマシタノデアリマス」ということであって(第14回帝国議会貴族院感化法案特別委員会議事速記録第14頁(小河滋二郎説明員)),感化法9条は,同法81項の感化院長の親権行使規定で本来十分であるものの誤解なきよう念のために設けた規定であるという位置付けでした。感化院は,親権を行う父又は母のためにその懲戒権の実行を専ら担当するものであるというわけではなく,親権を代行しつつ必要があれば検束を含む懲戒権の行使もするものである,ということのようです。

感化院は地方長官が管理するのが原則でしたが(感化法2条),内務大臣の認可を受けた民営の代用感化院も認められていました(同法4条)。

なお,「地方長官ハ在院者ノ扶養義務者ヨリ在院費ノ全部又ハ一部ヲ徴収スルコトヲ得」との規定(感化法111項)は,1804年のフランス民法3782項を彷彿とさせるものがあります。

明治41年法律第43号(同法の施行は,旧法例(明治31年法律第10号)1条により1908428日から)による改正後の感化法52号は「18歳未満ノ者ニシテ親権者又ハ後見人ヨリ入院ヲ出願シ地方長官ニ於テ其ノ必要ヲ認メタル者」も感化院への入院者としています(それまでの同号は「懲治場留置ノ言渡ヲ受ケタル幼者」でしたが,同年101日から施行の現行刑法では,そのような懲治場留置の幼者はいなくなります。)。受け身の裁判所よりも,積極的においコラしてくる府県庁の方が,臣民には親しまれていたのでしょうか。あるいは,「司法的措置に対抗しつつ,より教育的な子どもの保護を制度化しようとする行政的措置の流れ」(広井20頁註76))をそこに見るべきでしょうか。

 

(2)少年教護法

感化法は,1934101日からの少年教護法の施行によって廃止され(同法附則2項),従来の感化院及び代用感化院は,同法による少年教護院となりました(同法附則4項・5項)。少年教護院の入院者に「裁判所ノ許可ヲ得テ懲戒場ニ入ルベキ者」が含まれることについては少年教護法814号に,その年齢が20歳を超えてよいことについては同法11条に規定があります。また,「少年ニシテ親権者又ハ後見人ヨリ入院ノ出願アリタル者」も地方長官は少年教護院に入所させることになっていましたが(少年教護法812号),ここでの「少年」は,「14歳ニ満タザル者ニシテ不良行為ヲ為シ又ハ不良行為ヲ為ス虞アル者」です(同法1条)。

少年教護法は,児童福祉法によって,194811日から廃止されました(同法65条・63条)。従来の少年教護院は,児童福祉法44条の教護院となり(同法67条),当該教護院は,平成9年法律第74号による児童福祉法の改正の結果,199841日からは児童自立支援施設となっています(平成9年法律第74号附則1条・附則51項)。

 

12 西暦1922年の矯正院法(大正11年法律第43号)

旧少年法に併せて矯正院法が制定され,192311日から施行されています(同法附則及び大正11年勅令第487号)。矯正院法1条は「矯正院ハ少年審判所ヨリ送致シタル者及民法第882条ノ規定ニ依リ入院ノ許可アリタル者ヲ収容スル所トス」と規定しています。ただし,「矯正院ニ収容シタル者ノ在院ハ23歳ヲ超ユルコトヲ得ス」とされていました(矯正院法2条)。

感化院は内務省の所管でしたが,矯正院は司法省の所管でした(矯正院法7条)。

矯正院法は,旧少年院法(昭和23年法律第169号)19条によって194911日から(同法18条)廃止されています。

 

13 フランスにおける父の懲戒権のその後

 

(1)19351030日のデクレ

193568日にフランス共和国では,我が国家総動員法(昭和13年法律第55号)も三舎を避くべき法律が成立し(1935316日にドイツがヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備宣言を発していますが,戦争はまだ始まってはいません。),ラヴァルを首相とする当時の政府に,「フラン通貨の防衛及び投機との戦いを確乎たるものとするために」,法律と同じ効力を有するデクレを同年1031日を期限として発することのできる授権がされます。

同年1030日,どういうわけかこれもフラン防衛のためであるということで,駆け込み的に,父の子に対する懲戒権に係る民法376条以下の改正が同日付けのデクレによってされます(官報掲載は同月31日)。大統領宛ての内閣報告書によれば,新制度は,従来のものと違い,「懲罰の性格を失っており(…perdent leur caractère de pénalité),専ら子の利益のためのもの」であるとされています。もはや懲戒ではなく,矯正の権ということになるのでしょう。主な被改正条項を見てみましょう。

新第376条は,次のとおり(デクレ1条)。

 

  子が満16歳未満であるときは,父は,司法当局をしてその託置(placement)を命じさせることができる。そのために,民事裁判所の所長は,申立てがあったときは身体拘束令状を発付しなければならない。民事裁判所の所長は更に,その定める期間(ただし,成年期には及ばない。)について,観護教育施設(maison d’éducation surveillée),慈善教育施設(institution charitable)又はその他行政当局若しくは裁判所によって認可され,かつ,子の監護(garde)及び教育を確保する責めを負う者を指定する。

 

 新377条は,次のとおり(デクレ2条)。

 

   満16歳から成年又は解放までのときは,父は,その子の託置を請求することができる。請求は民事裁判所の所長に宛ててされ,当該所長は,検察官の意見により,身体拘束令状を発して,前条に規定する条件における子の監護を確保することができる。

 

 新379条は,次のとおり(デクレ3条)。

 

   命じられた監護措置は,検察官の要求又は父若しくはその他当該措置を求めた者の請求に基づき,裁判所の所長によって,いつでも撤回され,又は変更されることができる。

 

(2)1945年9月1日のオルドナンス

 194591日,対独敗戦後ヴィシー政権に参画していたラヴァル元首相は獄中にあって,同年10月の裁判(及び同月15日の国家叛逆罪による刑死。ただし,ギロチンによる斬首ではなく,銃殺です。)を待っていたところですが,臨時政府のド=ゴールはオルドナンス(n˚45-1967)を発し(官報掲載は同年92日),ラヴァル政権によって改正されていたフランス民法における子の矯正に関する父の権力条項(375条から382条まで)は更に全面改正されます。理由書によれば,父の恣意を避けるために,全ての場合において矯正措置は司法当局の自由な判断に服するものとされ(旧376条関係),②矯正措置の請求権は,もはや父のみにではなく,母及び子の監護権者一般に認められ,③専ら子の利益のために矯正措置が採られるよう,その裁判手続が改善され,④裁判所の職権による矯正措置の撤回及び変更,託置を請求しなかった親による変更の請求並びに検察官及び矯正措置請求者による不服の申立てがそれぞれ認められることとなり,最後に,⑤託置された未成年者の賄い費用負担の国庫による全部又は一部の肩代わり制度の導入がされています。

 改正後のフランス民法の条項は,次のとおり。

 

  第375条 21歳未満の未成年者の父,母又は監護権者は,子について重大な不満意の事由があるときは,当該未成年者の住所地の少年裁判所(tribunal pour enfants)の所長に対して,父性的矯正措置(mesure de correction paternelle)を同人について採るよう求める申立てをすることができる。

    当該の子に対して監護権を行使していない父又は母も,監護権を喪失していない限り,申立てをすることができる。

 

  第376条 所長は,申立の評価のために有益な全ての情報を取得するものとする。特に,資格のある者による,当該家族の物的及び心的状況についての,当該の子の性格及び前歴ついての並びに同人が個人財産を有しているか及び職業を営んでいるかを知るための調査を行わなければならない。

    調査期間中において未成年者の身柄を確保する必要があると判断するときは,所長は,上訴にかかわらず執行することができる仮監護命令をもって,当該未成年者の利益にかなうものと判断される託置措置を執り,及び,必要があれば,観護教育施設への付託をすることができる。

    当該所長は,前項の措置を執る権限を,未成年者の居所の少年裁判所の所長に委託することができる。

 

  第377条 検察官の意見のほか,所長は,未成年者,申立人及び,必要があれば,申立てをしなかった父又は母の陳述を聴いて裁判する。

    有益であると認められるときは,未成年者の託置を命ずる。その際所長はそのために,その定める期間(ただし,成年期には及ばない。)について,観護教育施設,慈善教育施設又はその他行政若しくは司法当局によって認可され,かつ,子の監護及び教育を確保する責めを負う者を指定する。

 

  第378条 前条の命令は,上訴にかかわらず仮に執行される。

 

  第379条 第376条,第2(ママ)77条〔第377条〕及び第381条に基づき所長のした命令に対しては,検察官,父性的矯正措置を受けた未成年者,申立人及び申立てをしなかった父又は母であって手続に関与したものは,10日以内に,裁判所に対する書面により抗告することができる。

 

380条 前条の抗告に対する裁判は,当事者の陳述を聴き又は当事者を適式に呼び出した上で,検察官の意見を聴いて,控訴院の未成年事件担当部がする。

 

  第381条 採られた措置は,職権により,検察官の申立てにより,その他措置申立権を有する者又は未成年者の請求により,当該命令をした司法当局によって撤回され,又は変更されることができる。

 

  第382条 親族(les parents)は,その貧困を証明することにより,託置を命ずる司法当局から,未成年者の賄い費用負担の全部又は一部の免除を受けることができる。免除された費用は,国庫が負担する。

 

 何だかフランス民法が日本民法に追いついてきたような感じがします。

 

(3)19581223日のオルドナンス

 ところがフランス共和国は,更に我が日本国を出し抜きます。その年105日に第五共和制憲法を公布したばかりの19581223日,ド=ゴール首相の政府はオルドナンス(n˚58-1301)を発し(官報掲載は同月24日),その第1条によって父性的矯正措置(フランス民法375条から382条まで)を廃して,育成扶助措置(mesures d’assistance éducative)に入れ替えてしまったのでした。

 当該改正後のフランス民法375条は「その健康,安全,徳性又は教育が危うくなっている21歳未満の未成年者(Les mineurs de vingt et un ans dont la santé, la sécurité, la moralité ou l’éducation sont compromises)は,以下第375条の1から第382条までに規定する条件による育成扶助措置を受けることができる。」と規定していて,もはや親がその子について「重大な不満意の事由」を有しているかどうかは問題になっていません。また,同じく改正後のフランス民法375条の11項は,未成年者自身からも育成扶助を求めて裁判官に対して申立てをすることができるものとしています。子本位の制度の作りになっているわけです。

 

14 西暦1948年の我が民法(昭和22年法律第222号による改正(194811日)後のもの)

 

(1)条文

 

  第818条 成年に達しない子は,父母の親権に属する。

    子が養子であるときは,養親の親権に服する。

    親権は,父母の婚姻中は,父母が共同してこれを行う。但し,父母の一方が親権を行うことができないときは,他の一方が,これを行う。

 

  第822条 親権を行う者は,必要な範囲内で自らその子を懲戒し,又は家庭裁判所の許可を得て,これを懲戒場に入れることができる。

    子を懲戒場に入れる期間は,6箇月以下の範囲内で,家庭裁判所がこれを定める。但し,この期間は,親権を行う者の請求によつて,何時でも,これを短縮することができる。

 

(2)学説

 

現行民法の規定(822条)は明治民法の規定を引き継いでいるが,「懲戒場」はもはや存在しない。また,懲戒権に服するのは未成年の子に限られる。そうだとすると,起草者たちの認識とは異なり,懲戒権は監護・教育権に含まれると考えてもよいことになる。こう考えるならば,懲戒権の規定も廃止してもよいということになる。ただし,ここでも若干の配慮が必要になる〔略〕。

  (大村254頁)

 

   ()監護教育のためには,時に「愛の鞭」を必要とする。しかし,その限界は,社会の倫理観念によって定まる。これを越える場合には,親権の濫用であるばかりでなく,暴行罪を構成する(大刑判明治3721日刑録122頁,札幌高裁函館支部刑判昭和28218日高裁刑集61128頁)。()「家庭裁判所の許可を得て,懲戒場に入れる」という制度は,現行法の下では存在しない。ここにいう懲戒場は公の施設であることはいうまでもない。ところが,現行制度でこれに当るものは,児童福祉法による教護院(同法44条参照)と少年法による少年院(同法24条,少年院法1条参照)とであるが,いずれも親権者の申請によって未成年の子を入所させる途を開いていない(少年法24条,児童福祉法27条参照(少年院法の前身たる矯正院法では認められていた))。

  (我妻330-331頁)

 

 なお,我妻が「少年院法の前身たる矯正院法では認められていた」という部分には,感化法及び少年教護法も付け加えられるべきものでしょう。

 

   親権者はその子をこれらの施設〔少年院,教護院など〕に入れる処分に同意しまたはすすんで申請することができる。民法はこのような親の責務を定めたものと解すべきである。

  (我妻榮=有泉亨著,遠藤浩補訂『新版民法3 親族法・相続法』(一粒社・1992年)179頁)

 

この学説では,親の権利ないしは権限ではなく「責務」であるものとしつつ,義務とまではしていません。

少年法(昭和23年法律第168号)313号の虞犯少年について,保護者(少年に対して法律上監護教育の義務ある者及び少年を現に監護する者(同法22項))は,家庭裁判所に通告ができます(同法6条)。

児童相談所に相談があり(児童福祉法1112号ロ・123項(202341日の前は2項))又は要保護児童(保護者のない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認められる児童(同法6条の38項))発見の通告があると(同法251項),相談又は通告を受けた児童相談所長がその旨都道府県知事に報告をして(同法2611号),当該報告を受けた都道府県知事が当該児童を児童自立支援施設に入所させる(同法2713号)ということがあり,また,当該入所措置には親権者の同意が必要である(同条4項)ということがあるところです。

ただし,少年院への収容についてですが,「特に親権者は,家庭裁判所に通告し,または児童相談所に相談して知事が家庭裁判所への送致措置をとった結果として(少6,児福27),家庭裁判所の行う保護処分を受けることを通して少年院収容の強制的な矯正教育を受けることもありうるが,それも本条〔民法822条〕にかかわる親権者個人の懲戒権の実行としてではない。」とされています(於保不二雄=中川淳編『新版注釈民法(25)親族(5)(改訂版)』(有斐閣・2004年)115頁(明山和夫=國府剛))。

 

   親権者にこのような懲戒権が与えられていることの法的な意味は,子の監護教育上必要な範囲で実力を行使しても,親権者が民事・刑事上の責任を問われることはないという点にあるに過ぎない。規定にある懲戒(ママ)に該当する施設は,戦後の児童福祉法・少年院法の制定とともに存在しなくなった(したがって,懲戒場に入れる期間について規定する8222項の意味は失われている)。

   懲戒権も必要な範囲を超えると親権の濫用となり(いわゆる児童虐待〔略〕),親権喪失原因になるとともに,暴行罪を構成する。

  (内田貴『民法 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)212頁)

 

 懲戒場に該当する施設はもはや存在しない,その結果(旧)8222項の意味も失われているのだ,と淡白に説明を受けて,やれ民法の勉強は覚えることばかりではなく実は覚えないということもあるのだなと安易に安堵した学生は,当面の試験を前に当該安直な感想を早々に忘れつつ,それでも心の奥底に何やら物足りない思いをその後長く抱き続けることとなったのでした。

 

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はじめに

20221210日に成立し,同月16日に公布された令和4年法律第102号の第1条によって,民法(明治29年法律第89号)の一部がまた改正されることとなり(令和4年法律第102号は,一部を除いて,2024615日以前の政令で定める日から施行されます(同法附則1条本文)。),そのうちの更に一部は公布の日である20221216日から既に改正されてしまっています(令和4年法律第102号附則1条ただし書)。2023年度版の各種「六法」が2022年の秋に出てしまった直後の改正であって,20234月の新学期からの民法(親族編)の学びにとっては余り嬉しくない時期の改正です。

令和4年法律第102号による民法改正の内容は,提出された法案に内閣が付記した「理由」によれば,「子の権利利益を保護する観点から,嫡出の推定が及ぶ範囲の見直し及びこれに伴う女性に係る再婚禁止期間の廃止,嫡出否認をすることができる者の範囲の拡大及び出訴期間の伸長,事実に反する認知についてその効力を争うことができる期間の設置等の措置を講ずるとともに,親権者の懲戒権に係る規定を削除し,子の監護及び教育において子の人格を尊重する義務を定める等の措置を講ずる」というものです。女性に係る再婚禁止期間の廃止は,愛する彼女の婚姻解消又は取消後直ちに再婚してもらいたい人妻好き男性にとっての朗報でしょうが,子の嫡出推定及び嫡出否認並びに認知に関する改正は――難しい女性との関係又は女性との難しい関係の無い者にとっては余計なこととはいえ――男性が父となることないしは父であることについての意味を改めて考えさせるものでありそうです。子の父であるということは,まずは法的な問題なのです。親権者の懲戒権に係る規定(旧822条)の削除並びに子の監護及び教育における子の人格尊重義務の規定(新821条)は,父母双方にかかわるものですが,頑固親父,雷親父その他の厳父の存在はもはや許されなくなるものかどうか,これも父の在り方にとってあるいは小さくない影響を及ぼし得るものでしょう。

本稿は,令和4年法律第102号附則1条ただし書によって既に施行されてしまっている「民法第822条を削り,同法第821条を同法第822条とし,同法第820条の次に1条を加える改正」に触発されて,旧822条に規定されていた親権者の懲戒権及び更にその昔同条に規定されていた懲戒場に関して,諸書からの抜き書き風随想をものしてみようとしたものです。どうもヨーロッパその他の西方異教の獰猛な男どもは,我々柔和かつ善良な日本男児とは異なり,歴史的に,婦女子を暴力的かつ権力的に扱ってきていたものであって,したがって,西洋かぶれの民法旧822条はそもそも我が国体・良俗には合わなかったのだ,令和の御代に至って同条を削ったことは,あるべき姿に戻っただけである,と当初は簡単に片付けるつもりだったのでしたが,確かに父子関係は各国の国体・政体・民俗の重要な要素をなすものであるのでなかなか面白く,ローマやらフランスやらへの脱線(といっても,おフランスは我が母法国(ああ,法国ではないのですね。)なので,脱線というよりは,長逗留でしょう。)をするうちに,ついつい長いものとなってしまいました。

なお,令和4年法律第102号附則1条ただし書をもって施行が特に急がれた改正は,実は民法のそれではなく,児童虐待の防止等に関する法律(平成12年法律第82号)141項の規定の差し替え(令和4年法律第1024)であったかもしれません(後編の19及び20参照)。


1 西暦紀元前13世紀のシナイ半島

 

    Honora patrem tuum et matrem tuam, ut sis longevus super terram quam Dominus Deus tuus dabit tibi.

  (Ex 20, 12

    汝の父母を敬へ。是は汝の神ヱホバの汝にたまふ所の地に汝の生命の長からんためなり。

 

これは,心温まる親孝行の勧めでしょうか。しかし,うがって読めば,単純にそのようなものではないかも知れず,異民族をgenocideしつつ流血と共にこれから侵入する敵地・カナンにおける民族の安全保障のための組織規律にかかわる掟のようでもあります。

 

2 西暦紀元前53世紀の中近東

 

  Qui parcit virgae suae odit filium suum; qui autem diligit illum instanter erudit. (Prv 13, 24)

  鞭をくはへざる者はその子を憎むなり。子を愛する者はしきりに之をいましむ。

 

  Noli subtrahere a puero disciplinam; si enim percusseris eum virga, non morietur. (Prv 23, 13)

  子を懲すことを為さざるなかれ。鞭をもて彼を打とも死ることあらじ。

 

  Erudi filium tuum ne desperes; ad interfectionem autem ejus ne ponas animam tuam. (Prv 19, 18)

  望ある間に汝の子を打て。これを殺すこころを起すなかれ。

 

これは・・・ひどい。「児童の身体に外傷が生じ,又は生じるおそれのある暴行を加えること」たる児童虐待(児童虐待の防止等に関する法律21号)など及びもつかぬ嗜虐の行為をぬけぬけと宣揚する鬼畜の暴言です。外傷が生ずるおそれだけで震撼してしまうユーラシア大陸東方沖の我が平和愛好民族には想像を絶する修羅の世界です。死んでしまってはさすがにまずいが,半殺しは当たり前であって,しかもそれがどういうわけか世にも有り難い親の愛だというのですね。正しさに酔ってへとへとになるまで我が子を鞭打ち続ける宗教的なまで真面目な人々は,恐ろしい。これに比べれば,冷静に買主の不安心理を計測しつつ安心の壺を恩着せがましく売り歩くやり手の人々の方が,善をなす気はなくとも,あるいはより害が少ない存在ではないでしょうか。

 

3 西暦紀元前後のローマ

 

(1)アウグストゥスによる三つのおでき懲戒

 

Sed laetum eum atque fidentem et subole et disciplina domus Fortuna destituit. Julias, filiam et neptem, omnibus probris contaminatas relegavit; ….. Tertium nepotem Agrippam simulque privignum Tiberium adoptavit in foro lege curiata; ex quibus Agrippam brevi ob ingenium sordidum ac ferox abdicavit seposuitque Surrentum. ….. Relegatae usum vini omnemque delicatiorem cultum ademit neque adiri a quoquam libero servove nisi se consulto permisit, ….. Ex nepte Julia post damnationem editum infantem adgnosci alique vetuit. Agrippam nihilo tractabiliorem, immo in dies amentiorem, in insulam transportavit saepsitque insuper custodia militum. ….. Nec aliter eos appellare quam tris vomicas ac tria carcinomata sua.

(Suetonius, De Vita Caesarum, Divus Augustus: 65)

けれども〔sed〕運命の女神は〔Fortuna〕,一家の子孫とその薫陶に〔et subole et disciplinā domūs〕喜ばしい期待と自信を抱いていたアウグストゥスを〔eum (Augustum) laetum atque fidentem〕見捨てたのである〔destituit〕。娘と孫娘の〔filiam et neptem〕ユリアは〔Julias〕,あらゆるふしだらで〔omnibus probris〕穢れたとして〔contaminatas〕島に流した〔relegavit〕。〔略〕3番目の孫アグリッパ〔tertium nepotem Agrippam〕と同時に〔simul〕継子ティベリウスと〔privignum Tiberium〕も,民会法に則り〔lege curiatā〕広場で〔in foro〕養子縁組を結ぶ〔adoptavit〕。このうち〔ex quibus〕アグリッパの方は〔Agrippam〕,まもなく〔brevi〕野卑で粗暴な性格のため〔ob ingenium sordidum ac ferox〕勘当し〔abdicavit〕,スレントゥムへ〔Surrentum〕隔離した〔seposuit〕。〔略〕追放した娘からは〔relegatae〕飲酒を〔usum vini〕始め,快適で優雅な暮しに必要な一切の手段を〔omnem delicatiorem cultum〕とりあげ〔ademit〕,誰であろうと自由の身分の人でも奴隷でも〔a quoquam libero servove〕,自分に相談せずに〔nisi se consulto〕面接することは許さなかった〔neque permisit adiri〕。〔略〕孫娘ユリアが〔ex nepte Juliā(孫娘ユリアから)〕,断罪された後で〔post damnationem〕生んだ赤ん坊を〔editum infantem(生まれた赤ん坊に対して)〕,アウグストゥスは認知し養育することを〔adgnosci et ali(認知されること及び養育されることを)〕拒否した〔vetuit〕。孫のアグリッパは〔Agrippam〕従順になるどころか,日に日にますます気違いじみてきたので〔nihilo tractabiliorem, immo in dies amentiorem〕,島へ転送した〔in insulam transportavit〕上に〔insuper〕,幽閉し〔saepsit〕兵士の監視をつけた〔custodiā militum〕。〔中略〕そして彼らを〔eos〕終始ただ〔nec aliter…quam〕,「わたしの三つのおでき(﹅﹅﹅)tris vomicas〕」とか「三つの癌」〔ac tria carcinomata sua〕とのみ呼んでいた〔appellare (solebat)〕。

(スエトニウス,国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(上)』(岩波文庫・1986年)161-162頁)

 

(2)ローマ法における家父権

 

   ローマ法によれば,子供は生涯にわたって「家父権」に服した。父親が生きている限り,60歳になってもまだこの「家父権」に服しているということがあり得たし,執政官もまたそうであった。従って,そのような父を持つ子供は,その祖父の権力下におかれていたわけである。

   これに対して,「母権」のようなものは存在せず,従って,「親権」というものもない。そのかぎりで,家族の構成は,極端に家父長主義的であった。しかも,古典期の学説によると,父親は,妻を含む家族成員の全てに対して「生殺与奪の権利(ius vitae ac necis)」を有していた。これは,実際上,ある種の刑罰権として家内裁判の基礎をなしたものである。このような極端な法の中に,大ローマ帝国内部での,ほとんど君主制度に近い木目細かに監督された初期の経済的一体性を持った集団としての家父長主義的家族の興隆が,反映している。

  (オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法――ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)149頁)

 

「ほとんど君主制度に近い・・・家父長主義的家族」の理念型は共和政下の貴族階層の中にあったのでしょうが,これに関しては,次のような説明があります。

 

  〔共和革命後のローマの政治制度の成立にとって〕最も重要であったのが,政治という活動を直接担う階層の創出である。上位の権力や権威に制約されない頂点を複数確保し続けるという意義を有した。政治はさしあたりこれら頂点の自由な横断的連帯として成立した。ギリシャでもそうであったが,このために身分制,つまり貴族制が採用される。言うならば,世襲により頂点が維持され続ける仕組の「王」=王制を複数設定するのである。patriciと呼ばれる人々が系譜により特定され,彼らのうち独立の各系譜現頂点は〔略〕「父達」(patres)と呼ばれた。そしてpatriciの中から300人が(ただし選挙ではなく職権で)選ばれ元老院(senatus)を構成した。〔後略〕

 (木庭顕『新版 ローマ法案内――現代の法律家のために』(勁草書房・2017年)18頁)


Lupa Romana4

Patriam potestatem nondum habent.

 

(3)モンテスキューによるローマの家父権とローマ共和政との関係解説

しかし,アウグストゥスはなお自らの家族(おでき)に家父権を断乎行使したわけですが,当該家父権自体は,夫子御導入の元首政体がそれに取って代わってしまった共和政体の重要な支柱の一つであったとは,18世紀フランスの啓蒙主義者の観察であるようです。民衆政体の原理にとって有益なもの(moyen de favoriser le principe de la démocratie)の一つとして,モンテスキューは家父権を挙げます。

 

  家父権(l’autorité paternelle)は,良俗(les mœurs)の維持のために,なお非常に有用である。既に述べたように,共和政体には,他の政体におけるような抑圧的な力は存在しない。したがって,法はその欠缺の補充の途を求めねばならず,それを家父権によってなすのである。

  ローマでは,父たちは子らに対して生殺与奪の権を有していたe。スパルタでは全ての父が,他者の子に対する懲戒権を有していた。

  家父の権力(la puissance paternelle)は,ローマにおいては,共和政体と共に衰微した。風俗が純良であって申し分のない君主政下にあっては,各個人が官の権力の下に生活するということが望まれるのである。

  若者を依存状態に慣れさせたローマ法は,長期の未成年期を設けた。この例に倣ったことは,恐らく間違いであったろう。君主政下にあっては,そこまでの規制は必要ではないのである。

  共和政体下における当該従属関係が,そこにおいて――ローマにおいてそのように規整されていたように――生きている限り父はその子らの財産の主であることを求めさせ得たものであろう。しかしながらそれは,君主政の精神ではないのである。

 

 e)共和政体のためにいかに有益にこの権力が行使されたかをローマ史に見ることができる。最悪の腐敗の時代についてのみ述べよう。アウルス・フルウィウスは〔国家を転覆せしめようとする陰謀家〕カティリナに会うために外出していた。彼の父は彼を呼び戻し,彼を死なしめた(サルスティウス『カティリナの戦争〔陰謀〕』)。他の多くの市民も同様のことをした(ディオン〔・カッシウス〕第3736)。

Montesquieu, De l’Esprit des lois: Livre V, Chapitre VII

 

共和国を民衆政的腐敗堕落から守るのは,共和主義的頑固親父の神聖な義務であって,お上のガイドラインを慎重謙虚に待つなどと称しての偸安退嬰は許されない,ということでしょう。

 

  〔エルバ島における皇帝執務室の中〕

 皇帝ナポレオン: 私は,皇帝だぞ。

 市民ポン(=「石頭の共和主義者」): わっ,わしは市民です。

        〔ポンの両脚は震えている。〕

  〔皇帝執務室の外〕

 近衛兵A: 毎日喧嘩しているな。

 近衛兵B: うむ。

       あの爺ィ,とっちめるか。

 近衛兵A: おう。

 ベルトラン将軍: やめておけ。

   せっかくケンカ相手ができたのだ。

   皇帝の楽しみを邪魔するな。

 近衛兵A: はい?

  〔再び皇帝執務室の中〕

 P: わしを牢に,ぶち込めばええだろ。

 N: 君は法を破っていない。

   私は暴君ではない。

   だが,

    (バアン)

     〔NPの左胸に何かを叩き付ける。〕

  P: (勲章!)

  N: 君は勇敢で心正しい。

    さらにこの私を何度も負かした。

  P: あ・・・

    ありがとうございます。

    伯爵(●●)

  〔Pのいつもの言い間違いに,Nは口もとを歪めている。〕

  N: あんたは,男だ。

  (長谷川哲也「ナポレオン-覇道進撃-」129; Young Kingアワーズ 334号(202111月)538-541頁)

 

なお,君主政体(gouvernement monarchique)及び専制政体(gouvernement despotique)においては,前者には法の力(la force des lois),後者には常に行使の用意がある権力者の腕力(le bras du prince toujours levéがあるので,実直(probité)が政体の保持ないしは支持のためにさほど必要であるものとはされていないのに対して,民衆国においては,それを動かす力として更に(un resort de plus)徳(vertu)が,その原理として必要であるものとされています(cf. Montesquieu: III, 3)。しかして,共和国(république)における徳は,共和国に対する愛(amour de la république)であって,それは知識によって得られるものではなく,感情的なものであるそうです(cf. Montesquieu: V, 2)。この共和国に対する愛は,民衆政体においては,平等(égalité)及び質素(frugalité)に対する愛ということになります(cf. Montesquieu: V, 3)。

ちなみに,徳に代わる,君主政体における原理は,名誉(honneur)です(cf. Montesquieu: III, 6-7)。

 

4 西暦1790824:革命期フランス王国の司法組織に関する法律(Loi sur l’Organisation judiciaire

 

Titre X.  Des bureaux de paix et du tribunal de famille

(第10章 治安調停所及び家内裁判廷に関して)

 

Article 15.

Si un père ou une mère, ou un aïeul, ou un tuteur, a des sujets de mécontentement très-graves sur la conduite d’une enfant ou d’un pupille dont il ne puisse plus réprimer les écarts, il pourra porter sa plainte au tribunal domestique de la famille assemblée, au nombre de huit parens les plus proches ou de six au moins, s’il n’est pas possible d’en réunie un plus grand nombre; et à défaut de parens, il y sera suppléé par des amis ou des voisins.

  (子又は未成年被後見人の行状について重大な不満意の事由があり,かつ,その非行をもはや抑止することのできない父若しくは母若しくは直系尊属又は未成年後見人は,8名又はそれより多くの人数を集めることができないときは少なくとも6名の最近親の親族(ただし,親族の曠欠の場合には,友人又は隣人をもって代えることができる。)が参集した一族の内的裁判廷に訴えを起こすことができる。)

Article 16.

Le tribunal de famille, après avoir vérifié les sujets de plainte, pourra arrêter que l’enfant, s’il est âgé de moins de vingt ans accomplis, sera renfermé pendant un temps qui ne pourra excéder celui d’une année, dans les cas les plus graves.

  (家内裁判廷は,訴えの対象事項について確認をした後,事案が最も重い場合であって,その年齢が満20歳未満であるときは,1年の期間を超えない期間において子が監禁されるものとする裁判をすることができる。)

Article 17.

L’arrêté de la famille ne pourra être exécuté qu’après avoir été présenté au président du tribunal de district, qui en ordonnera ou refusera l’exécution, ou en tempérera les dispositions, après avoir entendu le commissaire du Roi, chargé de vérifier, sans forme judiciaire, les motifs qui auront déterminé la famille.

  (一族の裁判は,地区の裁判所の所長に提出された後でなければ執行されることができない。当該所長は,国王の検察官の意見を聴いた上で,裁判の執行を命じ,若しくは拒絶し,又はその内容を緩和するものとする。当該検察官は,司法手続によらずに,一族の決定の理由を確認する責務を有する。)


 1790824日の司法組織に関する法律第1015条以下の制度は,「共和暦4年風月9日〔1796228日〕のデクレによって家族裁判所〔tribunal de famille〕が廃止されたのちも,通常裁判所の関与による懲戒制度として残」ったそうです(稲本洋之助『フランスの家族法』(東京大学出版会・1985年)381頁)。


5 西暦1804年のフランス民法(ナポレオンの民法典)

 

(1)条文

 

TITRE IX

DE LA PUISSANCE PATERNELLE

(第9章 父の権力について)

 

371.

L’enfant, à tout âge, doit honneur et respect à ses père et mère.

(子は,いかなる年齢であっても,父母を敬い,尊ばなくてはならない。)

372.

Il reste sous leur autorité jusqu’à sa majorité ou son émancipation.

(子は,成年又は解放まで,父母の権威の下にある。)

373.

Le père seul exerce cette autorité durant le mariage.

(婚姻中は,専ら父が当該権威を行使する。)

 

375.

Le père qui aura des sujets de mécontentement très-graves sur la conduite d’un enfant, aura les moyens de correction suivans.

  (子の行状について重大な不満意の事由がある父は,以下の懲戒手段を有する。)

376.

Si l’enfant est âgé de moins de seize ans commencés, le père pourra le faire détenir pendant un temps qui ne pourra excéder un mois; et, à cet effet, le président du tribunal d’arrondissement devra, sur sa demande, délivrer l’ordre d’arrestation.

  (子が満16歳未満であるときは,父は1月を超えない期間において子を拘禁させることができる。そのために,区裁判所の所長は,申立てがあったときは身体拘束令状を発付しなければならない。)

377.

Depuis l’âge de seize ans commencés jusqu’à la majorité ou l’émancipation, le père pourra seulement requérir la détention de son enfant pendant six mois au plus; il s’adressera au président dudit tribunal, qui, après en avoir conféré avec le commissaire du Gouvernement, délivrera l’ordre d’arrestation ou le refusera, et pourra, dans le premier cas, abréger le temps de la détention requis par le père.

  (満16歳から成年又は解放までのときは,父は,最長6月間のその子の拘禁を請求することのみができる。請求は区裁判所の所長に宛ててされ,当該所長は,検察官と協議の上,身体拘束令状を発付し,又は請求を却下する。身体拘束令状を発付するときは,父によって求められた拘禁の期間を短縮することができる。)

378.

Il n’y aura, dans l’un et l’autre cas, aucune écriture ni formalité judiciaire, si ce n’est l’ordre même d’arrestation, dans lequel les motifs n’en seront pas énoncés.

  (前2条の場合においては,身体拘束の令状自体を除いて,裁判上の書面及び手続を用いず,身体拘束令状に理由は記載されない。)

Le père sera seulement tenu de souscrire une soumission de payer tous les frais, et de fournir les alimens convenables.

  (父は,全ての費用を支払い,かつ,適当な食糧を支給する旨の引受書に署名をしなければならないだけである。)

379.

Le père est toujours maître d’abréger la durée de la détention par lui ordonnée ou requise. Si après sa sortie l’enfant tombe dans de nouveaux écarts, la détention pourra être de nouveau ordonnée de la manière prescrite aux articles précédens.

  (父は,いつでも,その指示し,又は請求した拘禁の期間を短縮することができる。釈放後子が新たな非行に陥ったときは,前数条において定められた手続によって,新たに拘禁が命ぜられ得る。)

380.

Si le père est remarié, il sera tenu, pour faire détenir son enfant du premier lit, lors même qu’il serait âgé de moins de seize ans, de se conformer à l’article 377.

  (父が再婚した場合においては,前婚による子を拘禁させるには,その子が16歳未満であっても,第377条に従って手続をしなければならない。)

381.

La mère survivante et non remariée ne pourra faire détenir un enfant qu’avec le concours des deux plus proches parens paternels, et par voie de réquisition, conformément à l’article 377.

  (寡婦となり,かつ,再婚していない母は,父方の最近親の親族2名の同意があり,かつ,第377条に従った請求の方法によってでなければ,子を拘禁させることができない。)

382.

Lorsque l’enfant aura des biens personnels, ou lorsqu’il exercera un état, sa détention ne pourra, même au-dessous de seize ans, avoir lieu que par voie de réquisition, en la forme prescrite par l’article 377.

  (子が個人財産を有し,又は職業を営んでいる場合においては,16歳未満のときであっても,第377条に規定された形式での請求によってでなければ拘禁は行われない。)

L’enfant détenu pourra adresser un mémoire au commissaire du Gouvernement près le tribunal d’appel. Ce commissaire se fera rendre compte par celui près le tribunal de première instance, et fera son rapport au président du tribunal d’appel, qui, après en avoir donné avis au père, et après avoir recueilli tous les renseignemens, pourra révoquer ou modifier l’ordre délivré par le président du tribunal de première instance.

  (拘禁された子は,控訴院に対応する検察官に意見書を提出することができる。当該検察官は,第一審裁判所に対応する検察官に報告をさせた上で,自らの報告を控訴院長に対して行う。当該院長は,父に意見を通知し,かつ,全ての記録を受領した上で,第一審裁判所の所長によって発せられた命令を撤回し,又は変更することができる。)

383.

Les articles 376, 377, 378 et 379 seront communs aux pères et mères des enfans naturels légalement reconnus.

  (第376条,第377条,第378条及び第379条は,認知された非嫡出子の父及び母にも共通である。)

 

(2)国務院における審議模様

1804年のナポレオンの民法典における前記条文に関するそもそも論について理解するため,共和国(まだ帝国ではありません。)11葡萄(ヴァンデミ)(エール)8日(1802930日)の国務院(コンセイユ・デタ)における審議模様を見てみましょう(Procès-Verbaux du Conseil d’État, contenant la Discussion du Projet de Code Civil, Tome II; L’Imprimerie de la République (Paris, 1804): pp.43-52)。

当日の議長は,「諸君,休んでるヒマは無いぞ。国民が民法典を待っている。」と叱咤する(長谷川哲也『ナポレオン-覇道進撃-第3巻』(少年画報社・2012年)123頁参照)精力的かつ野心的な若きボナパルト(Bonaparte)終身第一統領(まだ皇帝ではありません。)ではなく,いい男・カンバセレス(Cambacérès)第二統領であって,報告者はビゴ=プレアムヌ(Bigot-Préameneu)でした。

 

ナポレオンの民法典371条に係る原案は,法律となったものと同じ内容でした。当該原案について,ベレンジェ(Bérenger)が,法律事項(disposition législative)がないから削るべきだと言いますが,ブウレ(Boulay)は婚姻の章に配偶者の義務について述べる条項を置いたのと同様,息子であることによって課される義務を章の冒頭に置くことは有用であると反論し,更にビゴ=プレアムヌが,当該条項は,他の条項はその結果を展開し確定するだけであるという関係にあるところの諸原則を含むものであること,及び他にも多くの場合において裁判官の一つの拠り所となるものであることを付言し,そのまま採択されます。

cf. Conseil d’État, p.44

 

 「「子の義務」に関する規定は,「親の義務」を基礎づけるのである。親の義務性の強調とのバランスをとるためにこの種の規定を置くことは,日本法でも考えられるのではないか。」といわれています(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)258頁)。

 

ナポレオンの民法典372条に係る原案は,「又は解放まで」のところが「又は婚姻による解放まで」となっていて,成年以外の親権を脱する事由を婚姻に限定するものでした。結果として,トレイラアル(Treilhard)の提案に基づき「婚姻により」との限定句が削られています。

当該結果自体は単純ですが,その間トロンシェ(Tronchet)からフランス私法の歴史に関する蘊蓄ばなしがありました。いわく,慣習法地域(北部)では法律行為による解放(émancipation par acte)ということはなく,そこでは,父の権力は保護のための権威(autorité de protection)にすぎず,成年に達するか婚姻するかまでしか続かなかった,これに対して成文法地域(南部)においては法律行為によって解放とするということがあったのは,そこでは父の権力は,身体及び財産についての絶対的かつ永久的なものであったからなのだ,ところが当院は財産関係の父の権力を慣習法地域式に作ったのだから,よって,法律行為によって解放するということにはならないのではないか,というわけです。また,トレイラアルは,トロンシェの紹介したもののほかに18歳での法定解放(émancipation légale)というものがあると付け足しますが,こちらは未成年被後見人に関するものです。ビゴ=プレアムヌは,交通整理を試みて,それぞれの種類の解放について固有の規定は法律で定められるのであるから混乱を恐れる必要はないと述べ,また,確かに新法においては古い成文法ほどには父の権力からの解放は必要ないであろうが,現在審議中の(父の権力に関する)当章の全条項の適用を排除するのであるから,効用がないわけではない,解放された子は父の居宅を離れてよいし,もう拘禁施設(maison de détention)に入れられることは許されないし,父母による財産の利用は終了する,これらの関係では重要な効果があるのだ,と述べています。

cf. Conseil d’État, pp.44-47

 

 家父権からの解放(emancipatio)は,ローマ法では「いくつかの法律行為の組み合わせによって行われた。すなわち,子供は,先ず親から第三者に「譲渡」され,これによって生じた「召使い」の状態から,その譲受人によって「棍棒による解放(manumissio vindicta)」の手段で解放された。そこで,子供は再びもとの家父権に服することになる。このようなことが,さらに二度繰り返されると,最終的に子供は家父権から自由となる。〔略〕この儀式は,「十二表法」にある「もし父がその息子を三度売ったなら,息子は父から自由になるべし(Si pater filium ter venum du(u)it [venumdet] filius a pater [sic (patre)] liber esto)」という文章を利用したものである。」とのことです(ベーレンツ=河上150頁)。フランス成文法地域での法律行為による解放も,この流れを汲むものだったのでしょうか。

 なお,我が旧民法人事編(明治23年法律第98号)213条以下には,自治産の制度がありました。

 

   ナポレオンの民法典373条に係る原案は,法律となったものと同じ内容でした。ルニョ(Regnaud)が,父が長期間不在のときには当該権威は母によって行使されるものと決定すべきである,提示された案のままではその間子が監督されない状態になってしまう,などと細かいことを言いましたが,トロンシェからその辺のことは不在者の章において規定されていると指摘されて,原案どおり採択となりました。

  (Conseil d’État, p.47

 

 ナポレオンの民法典375条以下の条項に対応する原案の審議は,次の原案3箇条をまず一括して始められました。

 

Art. VI.

Le père qui aura des sujets de mécontentement très-graves sur la conduite d’un enfant dont il n’aura pu réprimer les écarts, pourra le faire détenir dans une maison de correction.

   (子の行状について重大な不満意の事由があり,かつ,その非行を抑止することのできない父は,その子を矯正の施設に拘禁させることができる。)

Art. VII..

À cet effet, il s’adressera au président du tribunal de l’arrondissement, qui, sur sa demande, devra délivrer l’ordre d’arrestation nécessaire, après avoir fait souscrire par le père une soumission de payer tous les frais, et de fournir les alimens convenables.

   (そのために,区裁判所の所長に宛てて申立てをするものとし,当該所長は,父の申立てがあったときは,全ての費用を支払い,かつ,適当な食糧を支給する旨の引受書に当該父の署名を得た上で,必要な身体拘束令状を発付しなければならない。)

    L’ordre d’arrestation devra exprimer la durée de la détention et la maison qui sera choisie par le père.

   (身体拘束令状には,拘禁期間及び父によって選択された施設が記載されなければならない。)

Art. VIII.

La détention ne pourra, pour la première fois, excéder six mois: elle pourra durer une année, si l’enfant, redevenu libre, retombe dans les écarts qui l’avaient motivée.

   (初回の拘禁期間は6月を超えることができない。ただし,釈放後,前の拘禁の原因となったものと同じ非行に子が陥ったときは,拘禁を1年続けることができる。)

    Dans tous les cas, le père sera le maître d’en abréger la durée.

   (全ての場合において,父は,いつでも,拘禁期間を短縮することができる。)

 

 出来上がりのナポレオンの民法典375条以下と比較すると,原案では,子の年齢による区別も,その職業・財産の有無による区別もなしに,およそ父から子の拘禁を要求されると,区裁判所の所長殿は,費用及び食糧の提供の約束がされる限り,言われるがまま身体拘束令状を発しなければならないという仕組みになっています。身体の自由の剥奪を実現するためには国家の手によらなければならないとはいえ,子に対する父の権力の絶対性が際立っています。当該絶対性は,国務院における審議を経て緩和されたわけですが,当該緩和は,カンバセレス第二統領による修正の指示によるものです。「🌈色執政」たるカンバセレス(長谷川哲也『ナポレオン-覇道進撃-第4巻』(少年画報社・2013年)61頁)には,自らが父になるなどという気遣いはなかったのでしょうが,やはり,男の子に優しいのでした。

 絶対的であるとともに国家的手段を用いるものである父による子の拘禁権の淵源は,ベルリエ(Berlier)による下記の原案批判発言から推すに,モンテスキュー経由のローマ法的家父権の共和主義的復活と旧体制(アンシャン・レジーム)下の国王による封印状(lettre de cachet)制度の承継とが合流したmariageの結果ということになるようです。国父たるルイ16世が斬首されてしまった以上,父の権力の発動権能が個々の父に戻るということは当然であると同時に,フランス的伝統として,国家権力がその執行を担わせられるということになったものか。具体的な審議状況を見てみましょう。

 

    第6条,第7条及び第8条が議に付される。

    ビゴ=プレアムヌ評定官いわく,父の申立てと身体拘束令状発付との間に3日の期間を置くことが適当であるというのが起草委員会(la section)における意見である,と。

    ベルリエ評定官いわく,第6条は修正されなければならない,と。皆が父に与えようとしている権利に私は反対するものではない。しかしながら,この権利の行使が,他のいかなる権威の同意もなしに,一人の父の意思又は恣意のみによってされるべきものとは私は信じない。しかして本発言者としては,監禁の申立てについて審査も却下もできない裁判官なる者が,当該権威であるものと見ることはできない。

    諸君は,父たちは一般的に正しいと言うのか!しかしながら,当該与件を否定しないにしても,法は,悪意ある,又は少なくとも易怒性の父たちがこの権利を付与されたことによって行い得る濫用を予防しなければならない。

    諸君は,モンテスキュー及び他の著述家を,家父権擁護のために引用するのか?しかし,本発言者は,当該権力について争うものでは全くない。本発言者は,当該権力を,我々の良俗にとって適切な限界内に封ずることを専ら求めるものである。本発言者は,父の権威を認める。しかし,父による専制を排するものであり,かつ,専制は,国家においてよりも家庭においてよく妥当するものではないと信ずるものである。

    続いてベルリエ評定官は,王制下における状況がどのようなものであったかを検討していわく,親族による協議が,一家の息子の監禁に係る封印状(lettres de cachet)に先行しないということは非常に稀であった,と。

    いわく,本発言者は封印状及び旧体制を称賛しようとするものでは更にない,しかし,我々の新しい制度が君主政下の当該慣行との比較において劣ったものと評価され得ることがないよう用心しようではないか,したがって,本件と同じように重要な行為が問題となるときには,父の権威に加えて,明らかにし,又は控制する権力の存在が必要となるのである,と。

    当該権力はどのようなものであろうか?通常裁判所であろうか,又はその構成員によるものであろうか?それは親族会(conseil de famille)であろうか?

    多くの場合において,法的強制手段を要する事件を司法に委ねることが非常に微妙かつ難しいことになり得るのであり,当該考慮が,ベルリエ評定官をして,親族会に対する選好を表明せしめる。
 その意見表明を終えるに当たって,同評定官は,1790824日法及び多くの控訴院――特に,本件提案に係る権利に対して全て制限を求めるレンヌ,アンジェ,ブリュッセル及びポワチエの控訴院――の意見を援用する。

    ビゴ=プレアムヌ評定官が,当該条項の理由を説明する。

    同条は,次のような正当な前提の上に立つものである。父は,専ら,愛情(un sentiment d’affection)によって,かつ,子の利益のためにその権威を行使するものであること,父は,専ら,その愛する子を,その名誉を損なうことなく,名誉ある道(le chemin de l’honneur)に立ち戻らせるために行為するものであること,しかし,この優しさ(tendresse)自体が,懲戒を行う(corriger)べく父を義務付けること。これが,実際のところ,最も通常の場合(le cas le plus ordinaire)であって,したがって,法が前提としなければならないものなのである(celui par conséquent que la loi doit supposer)。1790824日法は,父に十分大きな権威を与えたものであるものとは観察されない。良俗,社会及び子ら自身のその利益とするところが,父の権力がより大きな範囲にわたることを求めるのである。警察担当官の証言するところでは,不幸な父らはしきりに,彼らの子らの不行跡問題を裁判所に引き継がなくてもよいような懲戒権を求めているのである。しかしながら,起草委員会は,父の権威の行使を和らげる必要があると信じた。しかしてその観点から,当該委員会は,裁判所の所長から身体拘束令状の発付を受けることを父に義務付けるものである。

    ブウレ評定官いわく,起草委員会は一族の前のものであろうとなかろうと父子間の全ての争訟を防止しようとしていたものである,と。すなわち,父が敗れた場合,その権威の大きな部分も同時に失われてしまうのである。また,一族は,余りにも多くの場合分裂しており,その各員は,余りにも多くの場合,その将来についての審議のために招集された当の未成年者の利害よりも自分の子らの利害の方に関心を有しているのであって,この両者の利害が競合する場合,後者が前者を全面的に圧伏するということが懸念されるのである。

    トレイラアル評定官いわく,子らの咎は通常,父たちの弱さ,無配慮又は悪い手本の結果である,したがって父たちに絶対的な信頼を寄せるわけにはいかない,と。他方,息子の懲戒を裁判沙汰にするということは,よくよく避けられなければならないのである。しかしながら,身体拘束令状の発付前に一族の意見を聴くことを裁判所所長に義務付ければ,調和が得られるのである。この令状には,更に,理由が記載されてはならない。

    カンバセレス統領いわく,2件の修正提案はいずれも不十分であると信ずる,と。

    非常に多くの場合において,憎悪と利害とが,血が結び付けるものを分裂させていることに鑑みると,一族の同意を要するものとすることを私は望むものではない。本職は,全ての紛争に係る中正かつ自然な裁判者である通常裁判所を選好するものである。

    また,父の申立てと身体拘束令状発付との間に置かれる3日の期間は長すぎるものと思う。子が企み,かつ,正に実行しようとしている犯罪を防止するということが必要となるからである。

    しかしながら,子の年齢及びその置かれた状況についてされる考慮に従って,父の権力を規制することは非常に重要である。

    既に社会的地位もあるであろう20歳と10箇月の青年を,15歳の少年同様に,父による懲戒に服させるべきものではない。

    12歳の児童をその一存で数日間監禁させる権利を父に与えることが理にかなっているのと同程度に,よい教育を受けた年若い青年であって早熟な才能を示そうとしているもの(un jeune adolescent d’une éducation soignée, et qui annoncerait des talens précoces)を父に委ね,いわば彼の裁量に任すということは不当なことであろう。父たちがいかほどの信頼に値するとしても,全員が同様に優秀かつ有徳であるという誤った仮定の上に,法は基礎付けられるべきものではない。法は,衡平との間にバランスを保たねばならず,厳しい法はしばしば国家の革命を準備するということを忘れてはならない。

    したがって,裁判所の所長及び検察官には,父が16歳を超えた若者を監禁しようするとき又は16歳未満の子を一定の日数を超えて拘禁させようとするときにおいて,その理由を検討する権限が与えられなければならない。

    彼らには,身体拘束令状の発付を拒絶し,また,拘禁の期間を定めることが許されなければならない。

    〔後略〕

    これら各種の修正は,採択された。

   (Conseil d’État, pp.48-51) 

 

 16歳以上の「よい教育を受けた年若い青年(男性形です。)であって早熟な才能を示そうとしているもの」には,第二統領閣下は,ウホッ!と格別の配慮をしてくださったものでしょう。いや「チュッ,チュッ,チュッ」でしょうか。

 

   🌈: 今夜はわたしと一緒に・・・

   若い髭の軍人: もちろんです,カンバセレス執政閣下。

   🌈: 堅苦しいな,ジャンちゃんとでも呼んでくれ。

   髭: はい,ジャンちゃん。

    (チュッ,チュッ,チュッ)

   (長谷川・覇道460頁)

 

ここで採択された制度ともはや調和しない,として削られた原案の第9条は,「父が再婚したときは,前婚の子を拘禁させるには,その子の母方の最近親の親族2名の同意がなければならない。」と規定するものでした(Conseil d’État, pp.51, 44)。出来上がりのナポレオンの民法典380条と比べてみると,当該制度(システム)の採択とは,父権行使の規制を行う者を親族ではなく裁判所とする旨の決定のことのようです。

ナポレオンの民法典381条に「かつ,再婚していない」との修飾句が付されているのは,「子に対する権力を再婚した母に保持させることには大きな難点がある。寡婦であるときに当該権力を彼女に与えるということが,既に大したことだったのである。」とのカンバセレス第二統領発言を承けてのビゴ=プレアムヌによる修正の結果です(Conseil d’État, p.51)。新しいボーイ・フレンドのみならず,前夫の息子までをも支配し続けようとする欲張り女は許せない,との憤り(死別ならぬ離別のときはなおさらでしょう)があったものでしょうか。(なお,ナポレオンの民法典381条の文言自体は,寡婦は再婚するとかえって子の父方親族からの掣肘なく子を拘禁させることができるようになるようにも読めますが,それは誤読ということになるのでしょう。)ちなみに同条については,19351030日のデクレに係るラヴァル内閣のルブラン大統領宛て報告書(同月31日付けフランス共和国官報11466頁)において,「立法者は,母の2番目の夫の憎悪を恐れたのである。」との忖度的理解が示されています。しかし,自らを女の夫の立場に置いて考えるというところまで,「🌈色執政」の頭は回ったものでしょうか。

ナポレオンの民法典383条は,非嫡出子であっても認知されたものの父及び母に父の権力を認めていますが,これについては,ブウレが「父の権力(puissance paternelle)は婚姻(mariage)に由来するのであるから,その対象は嫡出子に限定されるべきである」と反対意見を述べたのに対し,トロンシェが「出生のみ(la naissance seule)で,父とその生物学的子(enfans naturels)との間の義務が創設されるのである。非嫡出子(enfans naturels)らは,何者かによる監督(direction)の下になければならない。したがって,彼らを世話するように自然(la nature)によって義務付けられる者の監督下に当該の子らを置くことは正当なことなのである。」と反論しています(Conseil d’État, pp.51-52)。ナポレオンの民法典がトロンシェの所論に与したものであるのならば,“puissance paternelle”は「父の権力」であって,「家父権」ではないのでしょう。ブウレの考え方はローマ法的なのでしょう。ローマ法においては「合法婚姻の子のみ父に従い,父又はその家長の家父権に服する」とされ(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)296頁),家父権が取得される場合は,「合法婚姻よりの出生」,「養子縁組」及び「準正」とされています(同286-292頁)

 

(3)制度の利用状況

 ナポレオンの民法典375条以下の懲戒制度の利用状況については,次のように紹介されています。

  

  〔前略〕リペェル/ブゥランジェが引用する司法省統計では,1875年~1895年の年平均は1,200件弱,1901年~1910年の年平均は800件弱であり,その85%は――別の調査によれば――貧困家庭の子を対象とするものであった。1913年の数字では,男子271人,女子233人(その3分の2は,パリのセェヌ民事裁判所長管轄事件),1931年ではさらに減少して男子69人,女子42人となり,制度の存在理由は,その威嚇的効果を考慮しても大きく失われたことを否定することができない。Ripert et Boulanger, Traité de droit civil, t. I, n˚2305.

  (稲本93-94頁註(47))

 

6 西暦18世紀フランス王国旧体制下の封印状

 さて,ここで,時間は前後しますが,18世紀のフランス王国旧体制下における封印状(lettre de cachet)の働きを見てみましょう。

 封印状とは,「一般的には《国王の命令が書かれ,(国王の署名及び)国務大臣の副署がなされ,国王の印璽で封印された書状》と定義付けられ」,そのうち「特定の個人や団体にその意思を知らせるもので,該当者に宛てられ,封をし,封印を押した非公開の書状lettre close」が「一般に封印状と称されるもの」です(小野義美「フランス・アンシアン・レジーム期における封印状について」比較家族史研究2号(1987年)51-52頁)。

 

   18世紀のパリ市民は貴賤を問わず,家庭内で生じた深刻なトラブルを国王に訴え出ることで,その解決を図ることができた。一般の市民が,それも下層階級に属する市民までもが,殴打する夫を,酒浸りの妻を,駆け落ちした娘を,遊蕩に耽る息子を,(まかない)費の支払いを条件として総合施療院(hôpital général)に監禁してくれるよう王権に縋り出たのである。

   庶民からのこうした切実な請願に対して国王は,当事者の監禁を命ずる封印状(lettre de cachet)を発してこれに応えた。驚くべきことに君主自らが,政治や外交といった国事からすれば何とも些細な最下層階級の家庭生活にまで介入し,庶民の乏しい暮しをいっそう惨めなものとしている家族の一員を,裁判にかけることもなければ期間も定めない,拘留措置によって罰したのである。

   もちろん庶民が畏れ多くも国王にじかに願い出たわけではない。両者を仲介し,封印状による監禁という解決策を推進したのが,当時のパリ警察を統括する立場にあった警察総監(lieutenant général de police)である。〔後略〕

  (田中寛一「18世紀のパリ警察と家族封印状」仏語仏文学41巻(2015年)113頁)

 

  〔前略〕この警察総監がさまざまな警察事案を解決するにあたり,柔軟で単純で迅速な国王封印状制度を好んで多用したのである。徒党を組んだ労働争議の首謀者,公序良俗を乱す売春婦,騒乱の扇動者と化す喜劇役者や大道芸人,もはや火刑に処せられはしない魔女は,これが封印状によって監獄や施療院へ送り込んだ常連である。

   だからこそ一般市民も,民事案件に過ぎない家庭内の混乱を収拾するべく,国王からの封印状を取り付けてくれるよう警察総監に依頼することができた。封印状による監禁は法制上の刑罰ではなく,その性質から逮捕も秘密裏に行われるので,醜聞を撒き散らさずに済んだからである。警察総監にしても,民政を掌握している以上はその苦情処理も引き受けざるを得ず,持ち込まれた民事案件に介入せざるを得なかったが,むしろ「18世紀にあって警察は,そのままが民衆の幸福を建設するというひとつの夢の上に築かれている」Arlette Farge et Michel Foucault, Le désordre des familles, Gallimard/Julliard, 1982, p.345という命題からすれば,進んでこれを受け付けていたとも言えるだろう。「パリでの家族に対する監禁要請は首都に特有の手続を経る。名家はその訴え(請願書)を国王その人にあるいは宮内大臣に差し出す。請願書が注意深く吟味されるのは,国王の臨席する閣議においてである。庶民はまったく異なる手続を踏む。彼らは警察総監に請願書を提出する。総監はこれを執務室で吟味し,調査を指揮し,判断を下す。調査は必然的に地区担当警視に案件を知らしめる。警視はその情報収集権限を警部に委ねる。(・・・)情報を得た総監は大臣宛に詳細な報告書を作成し,国務大臣が命令を発送するのを待つのである。それが少なくともルイ14世下に用いられた最も習慣的手続である。これがルイ15世の治世下になると,たちまち変形し,次第に速度を増すのである。よく見かけるのは警察総監がごく短い所見しか記さず,もはや国王の返答を待つことさえなく国王命令の執行に努める姿である」Farge et Foucault, pp.15-16

   だがこうして封印状を執行された庶民が収監される施設は,身分あり高貴なる者を待遇よく監禁したバスチーユやヴァンセンヌといった国家監獄でない。民衆には民衆のための監禁施設が整備されていたのである。すなわち1657年の王令により開設されていた総合施療院がそれである。本来は当時の飢饉と疫病に苦しむ生活困窮者を収容する慈善的な目的で設置されたビセートルやサルペトリエールといった施療院が,物乞いや浮浪者のみならず,警察総監が封印状によって送り込んできた,放浪者・淫蕩家・浪費家・同性愛者・性倒錯者・瀆神者・魔術師・売春婦・性病患者・自殺未遂者・精神病者などなど,不道徳または非理性にある者すべてを公共福祉の一環として閉じ込め,これを監禁したのである。〔後略〕

  (田中114-115頁)

 

   もとより封印状とは,周知のように,反乱を企てた貴族とか不実を働いた臣下といった国事犯の追放または監禁を,一切の司法手続を経ることなく国王が専横的に命ずるために認めた書状を意味し,その措置は王権神授に基づく国王留保裁判権の一環としての行政処分と解されたが,確かにヴォルテールやディドロのように,何らかの筆禍事件により国王の逆鱗に触れたことで監禁された例も少なくはない。「封印状というのは法律とか政令ではなくて,一人の人物に個人的に関わって何かをするように強制する国王命令でした。封印状により誰かに結婚するよう強制することさえできました。けれども大部分の場合,それは処罰の道具だったのです」Foucault, La vérité et la forme juridique›, Dits et écrits, tome 2, Gallimard, 1994, p.601

  (田中116頁)

 

   ルイ15世の治世後半1741年から1775年の35年間で2万通を超える国王命令が発されたといい,確かに濫用の目立った封印状ではあったが,その大部分はしかし,庶民からの請願によって発令された家族封印状であって,君主の専横のみの結果ではなかった。家庭生活を悲嘆の淵へと追い込んだ家族の一員を排除することによって事態の収拾を図るべく,身内により請願された結果に過ぎず,その実態は国王の慈悲による一種の「公共サーヴィス」に他ならなかったのである。だから書面が画一的で半ばは印刷されており,国王は令状執行官と被監禁者の名前およびその投獄先,それに決定の日付を記入するだけでよかったというのも当然であろう。

  (田中117頁)

 

   親子間の衝突には,盗癖・非行・同棲・淫行・放蕩・怠惰などを訴因として挙げることができるが,その底には利害の対立が隠されている場合が多い。「(・・・)それは後見行為を弁明すべき時期が両親に訪れたときに,あるいは最初の結婚でできた子供がその権利を,義父母または再婚でできた子供に対して主張するときに起こるのである」Farge et Foucault, p.159

  (田中131-132頁)

 

 封印状の濫用については旧体制下において既に高等法院の批判があり,政府側にも改善に向けた動きがあります。

 

  〔前略〕1770年,租税法院長Maleshelbesも建言書を草し,その濫用を批判した。彼は後に国務大臣になり,全監獄について監禁者と監禁理由を調査したり,あるいは一時的ではあったが,家族問題のための封印状の濫用を防止すべく家族裁判所tribunal de familleを組織化した。〔後略〕

  (小野・アンシアン55-56頁)

 

  〔前略〕更に1784年には宮内大臣Breteuilが地方長官及びパリ警視総監に対し封印状の濫用を防止すべく注目すべき「回状circulaire」を発した。この「回状」はとくに家族問題のための封印状に対し大きな制約を加えるものであった。先ず監禁期間について問題とし,精神病者や犯罪者についてはともかくも,不身持,不品行,浪費等による監禁については「矯正」が目的故,原則として12年を越えてはならないとする。次に家族員に対する監禁請求について,未成年者に関しては父母の一致した要請では足らず23人の主だった親族の署名が必要である。夫の妻に対する,あるいは妻の夫に対する監禁請求については最大の慎重さで対処することが必要である。更に,もはや親族の支配下にない成人に対しては,治安当局の注意をひくに足る犯罪のない場合には,たとえ家族の一致した要請があっても監禁されてはならない,とした。〔後略〕

  (小野・アンシアン56頁)

 

「以上の如く封印状の濫用に対する批判や対策が相次いだが,実態は改められなかった」まま(小野・アンシアン56頁),ルイ16世治下のフランス王国は,1789年を迎えます。

 

   1789年に三部会が召集されることになり,それに向けて各層からの陳情書cahier de doléanceが多数提出され,その殆ど全てが市民的自由の保障と封印状の廃止を要求した。ただ,家族問題のための封印状については,全廃ではなく,親族会assemblée de familleの公正な判断に基づく封印状の必要性を主張するものもあった。封印状廃止問題が積極化したのは立憲議会assemblée constituanteにおいてであった。178911月にはCastellane伯爵,Mirabeau伯爵ら4名による封印状委員会が組織され,委員会は,封印状により監禁されている者の調査をした上で,封印状廃止に関するデクレ草案を議会に提出した。デクレ草案は1790316日可決され,326日裁可・公布された。〔後略〕

(小野・アンシアン56頁)

 

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(起)「1年以上延滞」と「1年分以上延滞」との間

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080258052.html

(承)旧民法財産編3941

    http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080258062.html



4 フランス民法旧1154

旧民法財産編3941項がそれに由来するフランス民法旧1154条は,次のように規定していました。(他方,同法旧1155条は,我が旧民法財産編3942項及び3項に対応する条項です。)

 

  Art. 1154  Les intérêts échus des capitaux peuvent produire des intérêts, ou par une demande judiciaire, ou par une convention spéciale, pourvu que, soit dans la demande, soit dans la convention, il s’agisse d’intérêts dus au moins pour une année entière.

  (元本の利息であって発生したものは,裁判上の請求又は特別の合意により,利息を生ずることができる。ただし,請求又は合意のいずれも,支払を要すべき(未払)利息であって少なくとも丸1年間分のものに係るものでなければならない。)(翻訳上難しかったのが“intérêts dus au moins pour une année entière”の部分です。ここでは“pour”が用いられていて“pendant”ではありませんから,「支払を要すべき利息であって少なくとも丸1年間分のもの」であって,「少なくとも丸1間延滞した利息」ではないものと判断しています。)

 

なお,フランス民法旧1154条の文言が,フランス語で読むと(むしろフランス語で読むのが本当なのですが。),重利許容の高らかな宣言から始まる形となっているのは,「複利(anatocismus)の契約は前51年の元老院議決より禁止せられている。」(原田157頁)とのローマ法以来の旧習を打破するのだとの意気込みを示すものでしょうか。

実は,共和暦12(ブリュ)(メール)11日(1803113日)の国務院(コンセイユ・デタ)の審議に付されたフランス民法旧1154条対応条文案(「第511項」)は,“Il n’est point dû d’intérêts d’intérêts.(「利息の利息によって支払が義務付けられることはない。」)と規定するものだったのでした(Procès-Verbaux du Conseil d’État, contenant la discussion du Projet de Code Civil, An XII. [Tome III], Paris, 1803; p.213)。これが,共和暦12霜月(フリメール)16日(1803128日)にビゴ=プレアムヌ(Bigot-Préameneu)から提出された修正案(「第55条」)においては,既にフランス民法旧1154条の条文となっています(Conseil d’État, p.322)。その間,霧月11日の国務院での審議(Conseil d’État, pp.256-261)においては,どのような議論がされていたものか。以下御紹介します。

 

ずルニョ(Regnaud)が,実際には終身年金権の年金については利息が認められていると言い出し,当該例外が認められます(我が旧民法財産編3942項参照)。

次にペレ(Pelet)が案文について,利息を締めて(liquider)元本に組み入れるという現に存在している慣行を廃止しようとしているのか,債権者が利息を元本に組み入れることによって強制執行による困難から債務者を免れさせてやるということもあるのだ,それに,利息が農地や建物の賃料よりも不利に扱われるのはなぜなのだ,と疑義を呈します。

ここでカンバセレス(Cambacérès)第二統領(第一統領は,あのボナパルトです。)が,原案511項の意味に係る考察を述べます。いわく,「当該規定は,専ら,裁判官が利息の利息の支払(une condamnation d’intérêts des intérêts)を命ずることを妨げようとするものですね。例えば,何年も延滞している金額及びその支払遅滞を理由とする利息の支払を債権者が求める場合,裁判所は,その双方を彼に認めます。しかし,裁判所は,元本から生じたものの支払の遅滞に係る利息〔利息の利息〕を同様に彼に認めることはできません。とはいえ,例えば新たな合意によって両当事者が共に取り決め,かつ,例えば元の元本に,既発生の利息を加え――当該新たな信用の対価たる利息に係る約定と共に――その全てについて債権者が債務者に対して新たな信用を供与した場合においては,当該約定がその効力を有すべきことについての疑問は全くありません。」と。

いい男(長谷川哲也『ナポレオン~覇道進撃~第4巻』(少年画報社・2013年)60-61頁参照の当該発言に対し,ビゴ=プレアムヌ及びトレイラアル(Treilhard)が,起草委員会(la section)はその意思をもって起草したのです,と直ちに協賛の意を表します。

マルヴィル(Maleville)は,当事者の合意によるものをも対象に含む重利全面禁遏原則の歴史を説きつつ,「タキトゥスいわく,Vetus urbi faenore malum(この都市に,利息による害悪は,古くからのものである)と。家庭,更には国家を滅ぼすためにこれより確かな手段はないのであります。ささやかな負債であっても,絶え間なく(sans cesse)新たな利息を他の利息について生じさせることにより,そのようにして当該負債を増大させしむることを貪欲な債権者に許したならば,その累増の厖大及び迅速(l’énorme et rapide progression)は,ほとんど観念しがたいものとなるのであります。」と獅子吼します。しかし,結論としては,重利は結局根絶できぬものではある,しかし法律で正面から認めることはやめてくれ,ということになります。いわく,「もちろん,監獄に入っている(dans les fers)債務者に請求する債権者が,彼に対し,既に生じた利息を,彼に貸し付けられた新たな元本として認めさせることを妨げることはできません。しかし,法が,彼にこの方法を示してやる必要はありません。また,何よりも,法は,利息の利息を正式かつ直截に肯認してはならないのであります。」と。

カンバセレスの発言にウホッと思ったのか,ペレは,自分の発言は,当事者による組入れについてではなく,裁判によって精算された(liquidés judiciairement)利息についてされたものである,と述べます。

ルニョは,示談によるものであっても裁判によるものであっても,全ての清算(liquidation)について,負債となる金額の総体について利息を生ぜしめるという同様の効果があるようにすべきだ,と求めます。裁判でも認めろというわけですから,すなわちこれは,原案に対する修正要求です。

これに対してレアル(Réal)は,利息が利息を生むようにするために債権者が3箇月ごとに債務者を出頭させるというような極めて大きな濫用がされるだろう,と後ろ向きかつ原案維持的な予言をします。

ここでガリ(Gally)が,債権譲渡の結果,譲渡された利息には利息が生ずるようになるのではないかと言い出し,マルヴィル,ジョリヴェ(Jollivet)及びトロンシェ(Tronchet)の間でひとしきり議論があります。

当該脱線的議論の終わったところで,ビゴ=プレアムヌが,清算された利息についての利息は支払が義務付けられるべきものかどうか国務院の見解が示されるべきだと発言したところ,ベルリエ(Berlier)は当事者の合意によるものと裁判によるものとを分けて議論すべきだとの原案維持的な分類学説を表明し,これに対してルニョは,両者間に違いはなかろうと言います。ベルリエは,合意による場合においては債務者がいったん弁済すると同時に同額の新たな利息約定付き貸付けがされたものと擬制されて新たな信用の供与がされたことになるが,裁判においては専ら既発生の利息債権に係る執行力が認められるのであって債務者にその支払が猶予されるわけではない,それに加えて裁判の通達と同時に更に利息に利息が当然発生するものとされるならば債務者に酷に過ぎると反論します。

トロンシェは,古法ではそのような(当事者の合意によるものと裁判によるものとの)区別はなかった,専ら高利(usure)対策であった,利息の混合された金額についての利息の支払を求めることはパリでは認められていなかったことは争われない,風俗が改善されていないのに立法者が(重利に対して)より甘い顔を見せるべきではない,と述べます。トロンシェは重利反対派です。

ペレは,自分の発言は高利に関するものではなかったと言います。

重利容認派のルニョは,(いわゆる高利に対する)過酷な政策は風俗を矯正するよりは悪化させ,悪意の債務者に支払を怠ることに利益を見出さしめ,債権者及びその家族に害を及ぼすであろうと述べるとともに,更に,しかし利息の利息は当然に発生すべきものではないので,利息を元本に組み入れる請求(筆者註:この請求は,裁判外のものでよいのでしょう。)の日から生ずるものとするのがよい,と提案します。

ここでカンバセレスが,高利について,「金銭の利息が法律で一定されない以上,大多数の約定が高利的であるものと判断することは難しいでしょう。商業界の動きは,利息の評価について,不確か,かつ,しばしば幻想的なものにすぎない基準しか与えてくれないものですから。」と述べます。ルニョの提案に対しては,利息が当然のものとして債務者の同意なしに生ずるようになるという点において不正義を生ずることになってしまう,というのが第二統領の判断でした。

「しかし,両当事者が歩み寄り,既発生の利息を元本に組み入れると共にその全体について合理的かつ穏当な利息を約束することによって支払を猶予することに合意したときは,これは債権者が債務者に供与した新たな元本となります。ですから,元本に本来は利息として支払われるべきであったものが混合されているからといって,債務者の誓言がこのような取決めを駄目にできるということは不正義ということになります。」というカンバセレス発言に続く,ビゴ=プレアムヌの次の言明が注目されるべきものです。

 

少なくとも丸1年間分の未払利息(intérêts dus au moins pour une année entière)に係るものでなければ,利息の利息は支払を求められ,又は合意される(être exigés ou convenus)ことができない,という手当てを少なくともする必要がありますね。

 

トロンシェ及びレアル並びにマルヴィルへの譲歩でしょうか。フランス民法旧1154条並びに我が旧民法財産編3941項及び現行民法405条の起源は,実にここにあったのでした。

なおもトロンシェが,「この,発生した利息と元本との自発的併合というやつが,一家の息子をすってんてんにするために高利貸しが用いた手段なんですがね。」と否定的な発言をしますが,いい男・カンバセレスは,「しかしここでは,成熟し,かつ,彼らの権利を行使している人々が問題となっているのですよ。」と述べ,トロンシェ発言を未成年者保護的な対策に係るものとして片付けてしまいます。第二統領は更に「高利を禁遏しようとするならば,何よりも利率を一定し,それを超過する者に対する刑罰を再導入しなければなりません。そこまでしなければ,全ての対策は幻想です。」と述べます。ウホッ,利息の元本組入れ頻度の制限は,高利禁遏策として,いい男からは高く評価されてはいないもののようです。あるいは「いい男」は,後記6で御紹介するeにちなんで,重利問題の場面においては「e男」と呼んでもよいものでしょうか。

ラクエ(Lacuée)が,債務者に甘すぎると債権者が借金をしなければならないことになって彼自身が債務者になってしまう,と述べて,重利容認の方向に背を押します。

最後にトレイラアルの発言(利息の支払請求の裁判においては当該利息の利息が認められていたこと及び利息付き貸付けが認められるようになった以上は当該貸付けに係る利息についても従来からのものと同様の規整がされるべきことについて)があって当日の審議は終了し,原案は起草委員会の再考に付されたのでした。


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第1 おさらい:奈良家庭裁判所平成291215日判決における傍論の前例

今からちょうど年前(2021119日)の「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律(令和2年法律第76号)に関して」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078236437.html)において筆者は,夫の精子を用いた妻に対する人工授精(AIH=Artificial Insemination with Husband’s semen)について「ほとんど問題はない。〔AIHにより懐胎され生まれた子は〕普通の嫡出子として取扱うべきである。」とする我妻榮の見解(同『親族法』(有斐閣・1961年)229頁)を引用しつつ,その「ほとんど」の場合に含まれない例外的状況の問題として,夫の精子によって受精した妻の卵子が凍結保存され,その後当該受精卵(=胚)によって当該妻が懐胎出産した子に対して,同意の不存在を理由に当該夫が実親子(父子)関係不存在確認の訴え(人事訴訟法(平成15年法律第109号)22号)を提起した事案(第一審・奈良家庭裁判所平成291215日判決,控訴審・大阪高等裁判所平成30426日判決,上告審・最高裁判所令和元年65日決定(民事訴訟法(平成8年法律第109号)312条に定める上告事由に該当しないため棄却(稲葉実香「生殖補助医療と親子関係(一)」金沢法学632号(20213月)41頁以下の55頁註10参照)))について御紹介するところがありました。

当該事案については,当該夫婦の関係は当該の子について嫡出推定(民法(明治29年法律第89号)772条)が及ぶに十分なものであったそうで(新聞報道によれば「別居していたが,旅行に出かけるなど夫婦の実態は失われていなかった」),嫡出否認の訴え(同法775条)によるべきであったのに当該訴えではなく実親子関係不存在確認の訴えを提起した,ということで夫の敗訴となっています。その際第一審の奈良家庭裁判所は「生殖補助医療の目的に照らせば,妻とともに生殖補助医療行為を受ける夫が,その医療行為の結果,仮に子が誕生すれば,それを夫と妻との間の子として受け入れることについて同意していることが,少なくとも上記医療行為を正当化するために必要である。以上によれば,生殖補助医療において,夫と子との間に民法が定める親子関係を形成するためには,夫の同意があることが必要であると解するべきである。」,「個別の移植時において精子提供者が移植に同意しないということも生じうるものであるから,移植をする時期に改めて精子提供者である夫の同意が必要であると解するべきである。」と判示していますが(稲葉53-54頁),当該判示は裁判官の学説たる傍論(obiter dictum=道行き(iterのついで(obに言われたこと(dictum)にすぎないものと取り扱われるべきものでありました。すなわち,夫敗訴の結論は,嫡出否認の訴えではなく実親子関係不存在確認の訴えを提起した,という入口を間違えた論段階で既に出てしまっていたところです。なお,実親子関係不存在確認の訴えとは異なり,嫡出否認の訴えは,「夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない」ものです(民法777条)。入口を間違えた論というよりもむしろ,制限時間オーヴァー論というべきかもしれません。

AIH型(夫の精子を用いて妻が懐胎出産することを目的とする生殖補助医療には,人工授精によるものの外に体外受精及び体外受精胚移植によるものもあるので,AIHといいます。)の生殖補助医療において妻による子の懐胎出産に夫の同意が存在しない場合における法律問題(これには,①夫と子との間における実親子(父子)関係の成否の問題並びに②妻及び生殖補助医療提供者に対する夫からの損害賠償請求の可否の問題があります。)に関する筆者の実務家(弁護士として家事事件の受任を承っております(電話:大志わかば法律事務所03-6868-3194,電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp)。大学の非常勤講師として学生諸君に民法を講じてもおります。よろずお気軽に御相談ください。)としての検討の深化及び解明のためには,その後更に裁判例が現れることが待たれていたところでした。

 

第2 大阪家庭裁判所令和元年1128年判決(令和元年大阪家裁判決):実親子(父子)関係の成否の問題

無論,種々の問題を惹起しつつ進む生殖補助医療の発展はとどまるところはなく,その後,凍結保存されていた受精卵(胚)を用いて妻が懐胎出産した子について夫がその子との父子関係の不存在を主張するという同様の事案(夫の精子によって妻の卵子が受精したもの)で,きちんと嫡出否認の訴えをもって争われたものに係る判決が現れました。大阪家庭裁判所平成28年家(ホ)第568号嫡出否認請求事件平成29年家(ホ)第272号親子関係不存在確認請求事件令和元年1128日判決です(第272号は却下,第568号は棄却。松井千鶴子裁判長,西田政博裁判官及び田中一孝裁判官。確定。各種データベースにはありますが,公刊雑誌には未掲載のようです。「原告は,当庁に対し,平成281221日に甲事件〔嫡出否認請求事件〕を,平成29621日に乙事件〔親子関係不存在確認請求事件〕をそれぞれ提起した。」ということですから,二宮周平編『新注釈民法(17)親族(1)』(有斐閣・2017年)683頁(石井美智子)の紹介する「2017年〔平成29年〕1月と2月に奈良と大阪の2つのケースが明らかになっている(毎日新聞20174日付朝刊,読売新聞2017221日付朝刊)」もののうちの大阪の分でしょう。)。

当該大阪家庭裁判所判決(以下「令和元年大阪家裁判決」といいます。)の法律論は,2本立てになっています。本論の外に――当該本論の迫力を大いに減殺してしまうのですが――仮定論があるところです。以下,本論及び仮定論のそれぞれについて検討しましょう。

 

1 本論:自然生殖で生まれた子と同様に解する説

まずは本論です。

 

(1)判示

令和元年大阪家裁判決は,その本論において,嫡出推定の及ぶ範囲に係る判例の外観説を前提に(「民法772条所定の期間内に妻が懐胎,出産した子について,妻がその子を懐胎すべき時期に,外観上,既に夫婦が事実上の離婚をして夫婦の実態が失われ,又は夫婦が遠隔地に居住して夫婦間に性的関係を持つ機会がないことが明らかであるなどの事情がある場合に限り,その子は同条の嫡出推定が及ばない子として,親子関係不存在確認の訴えの提起が認められる」),当該事案に係る子には嫡出推定が及ぶものと判断した上で,「原告〔夫〕と被告〔子〕との間に生物学上の父子関係が認められることは前記112)で指摘したとおり〔すなわち,「被告〔の〕母〔原告の妻〕は,平成27422日,本件クリニックにおいて,前記(2)のとおり,平成26415日に凍結保存されていた受精卵(胚)〔すなわち,「平成26410日に原告が提供した精子と被告母が提供した卵子を使用して作製された受精卵(胚)は培養され,同月15日,凍結保存された。」〕を融解させて被告母に移植する本件移植により,被告を懐胎し,●●●被告を出産した。」〕であり,原告の嫡出否認の請求は理由がない。」と夫の主張を一刀両断にしています。

「生物学上の父子関係」のみがいわれているということは,夫の同意の有無は問題にならないということでしょう。(なお,ここでの「生物学上の父子関係」は,子がそこから育った受精卵に授精した精子の提供者(提供の方法は性交渉に限定されない。)とその子との間の関係のことと解されます。)

大阪家庭裁判所は続けていわく。「これに対し,原告は,被告が,自然生殖ではなく,生殖補助医療である凍結受精卵(胚)・融解移植により出生していることから,本件移植につき,父である原告の同意がない本件では,原告と被告との間の法律上の父子関係は認められないと主張するが,生殖補助医療によって出生した子についての法律上の親子関係に関する立法がなされていない現状においては,上記子の法律上の父子関係については自然生殖によって生まれた子と同様に解するのが相当であることは前記21)で指摘したとおりであり〔すなわち,「生殖補助医療によって出生した子についても,法律上の親子関係を早期に安定させ,身分関係の法的安定を保持する必要があることは自然生殖によって生まれた子と同様であり,生殖補助医療によって出生した子についての法律上の親子関係に関する立法がなされていない現状においては,上記子の法律上の父子関係については自然生殖によって生まれた子と同様に解するのが相当である。」〕,採用の限りではない。」と。

 

(2)「自然生殖によって生まれた子と同様に解する」意味

 妻が生殖補助医療によって出産した子について,夫との法律的父子関係を「自然生殖によって生まれた子と同様に解する」という場合,(ア)民法772条の嫡出推定の場面並びに(イ)当該推定の及ぶときに係る同法774条・775条の嫡出否認訴訟の要件事実に関する場面及び(ウ)当該推定が及ばないときに係る実親子(父子)関係不存在確認訴訟の要件事実に関する場面があることになります。

 

ア 嫡出推定

民法772条の嫡出推定の場面については,生殖補助医療によって出生した子についてもその出生日は当然観念できますし(同条2項),その懐胎された時期を基準とすること(同条1項)も容易に承認できます。妻の懐胎は,専ら母体側の事情です。

 

 Ecce virgo concipiet et pariet filium…(Is 7,14)

 

イ 嫡出否認訴訟の要件事実

 

(ア)生物学上の父子関係の不存在

 嫡出推定が及ぶときに係る嫡出否認訴訟の要件事実の場面については,子の嫡出を否認しようとする夫が主張立証すべき事実として「自然血縁的父子関係の不存在」が挙げられています(岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 下』(ぎょうせい・2007年)255頁)。父たらんとする意思の不存在はそこでは挙げられていません。専ら「子カ何人ノ胤ナルカ」が問題となるものでしょう(梅謙次郎『民法要義巻之四 親族編 第二十二版』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1912年)245頁)。

令和元年大阪家裁判決が,生殖補助医療によって生まれた子についても「自然生殖によって生まれた子と同様に解する」とあらかじめ宣言しているにもかかわらず,なお執拗に,生殖補助医療はそもそも不自然だからそれによって生まれた子には「自然血縁的父子関係」はおよそあり得ないのだ,我妻榮も嫡出子は「〔母と〕夫との性的交渉によって懐胎された子でなければならない。」と言っているのだ(我妻214頁)と頑張ってしまえば,「自然血縁的父子関係」の存在は認知の訴え(民法787条)の要件事実でもありますから(岡口259頁),生殖補助医療によって出生した子は,そもそも実父を有すべきものではないことになってしまいます。しかしながら我妻榮も,その嫡出子に係る定義について一貫せず,AIHによる出生子について,前記のとおり普通の嫡出子として取り扱うべきものとしています。過去の裁判例の用語としても,最高裁判所平成1894日判決・民集6072563頁の原審である高松高等裁判所平成16716日判決は「人工(ママ)精の方法による懐胎の場合において,認知請求が認められるためには,認知を認めることを不相当とする特段の事情が存しない限り,子と事実上の父との間に自然血縁的な親子関係が存在することに加えて,事実上の父の当該懐胎についての同意が存するという要件を充足することが必要であり,かつ,それで十分である」と判示しており(下線は筆者によるもの),生殖補助医療によって出生した子にも「自然血縁的父子関係」が存在することが前提となっています。いずれにせよ,令和元年大阪家裁判決における「生物学上の父子関係」という用語には,「自然」か「不自然」か云々に関する面倒な議論を避ける意味もあったものでしょう。

 

(イ)ナポレオンの民法典との比較等

なお,民法774条の前身規定案(「前条ノ場合ニ於テ子ノ嫡出子ナルコトヲ否認スル権利ハ夫ノミニ属ス」)についての富井政章の説明には「仏蘭西其他多クノ国ノ民法ヲ見ルト云フト種々ノ規定カアルヤウテアリマス夫ハ前条〔民法772条に対応する規定〕ノ場合ニ於テ遠方ニ居ツタトカ或ハ同居カ不能テアツタトカ云フコトヲ証明シナケレハナラヌトカ或ハ妻ノ姦通ヲ証明シタ丈ケテハ推定ハ(〔くず〕)レナイトカ或ハ(ママ)体上ノ無勢力夫レ丈ケテハ推定ヲ覆ヘス丈ケノ力ヲ持タナイトカ云フヤウナ趣意ノ規定カアリマスガ之ハ何レモ不必要ナ規定テアツテ全ク事実論トシテ置テ宜カラウト云フ考テ置カヌテアリマシタとあります(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第50巻』143丁裏-144丁表)。

対応するフランス法の条項は,ナポレオンの民法典の第312条から第316条までとされているところ(民法議事速記録第50143丁裏),それらの法文は次のとおりです(ただし,1804年段階のもの。拙訳は,8年前の「ナポレオンの民法典とナポレオンの子どもたち」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2166630.html)のものの再録ということになります。)

 

312.

L’enfant conçu pendant le mariage, a pour père le mari.

(婚姻中に懐胎された子は,夫を父とする。)

Néanmoins celui-ci pourra désavouer l’enfant, s’il prouve que, pendant le temps qui a couru depuis le trois-centième jusqu’au cent-quatre-vingtième jour avant la naissance de cet enfant, il était, soit par cause d’éloignement, soit par l’effet de quelque accident, dans l’impossibilité physique de cohabiter avec sa femme.

(しかしながら,夫は,子の出生前300日目から同じく180日目までの期間において,遠隔地にいたことにより,又は何らかの事故により,その妻と同棲することが物理的に不可能であったことを証明した場合には,その子を否認することができる。)

 

313.

Le mari ne pourra, en alléguant son impuissance naturelle, désavouer l’enfant : il ne pourra le désavouer même pour cause d’adultère, à moins que la naissance ne lui ait été cachée, auquel cas il sera admis à proposer tous les faits propres à justifier qu’il n’en est pas le père.

(夫は,自己の性的不能を理由として,子を否認することはできない。夫は,同人に子の出生が隠避された場合を除き,妻の不倫を理由としてもその子を否認することはできない。ただし,上記の〔子の出生が隠避された〕場合においては,夫は,その子の父ではないことを理由付けるために適当な全ての事実を主張することが許される。)

 

314.

L’enfant né avant le cent-quatre-vingtième jour du mariage, ne pourra être désavoué par le mari, dans les cas suivans : 1.o s’il a eu connaissance de la grossesse avant le mariage ; 2.o s’il a assisté à l’acte de naissance, et si cet acte est signé de lui, ou contient sa déclaration qu’il ne sait signer ; 3.o si l’enfant n’est pas déclaré viable.

(婚姻から180日目より前に生まれた子は,次の各場合には,夫によって否認され得ない。第1,同人が婚姻前に妊娠を知っていた場合,第2,同人が出生証書に関与し,かつ,当該証書が同人によって署名され,又は署名することができない旨の同人の宣言が記されている場合,第3,子が生育力あるものと認められない場合。)

 

315.

La légitimité de l’enfant né trois cents jours après la dissolution du mariage, pourra être contestée.

(婚姻の解消から300日後に生まれた子の嫡出性は,争うことができる。)

 

316.

Dans les divers cas où le mari est autorisé à réclamer, il devra le faire, dans le mois, s’il se trouve sur les lieux de la naissance de l’enfant ;

(夫が異議を主張することが認められる場合には,同人がその子の出生の場所にあるときは,1箇月以内にしなければならない。)

Dans les deux mois après son retour, si, à la même époque, il est absent ;

(出生時に不在であったときは,帰還後2箇月以内にしなければならない。)

Dans les deux mois après la découverte de la fraude, si on lui avait caché la naissance de l’enfant.

(同人にその子の出生が隠避されていたときは,欺罔の発見後2箇月以内にしなければならない。)

 

 ナポレオンの民法典においては例外的にのみ認められる「その子の父ではないことを理由付けるために適当な全ての事実を主張すること」(同法典313条末段)が,日本民法の嫡出否認の訴えにおいては常に認められることになっています。とはいえ,生殖補助医療出現より前の時代のことですから,自分の胤による子ではあるがその懐胎は自分の同意に基づくものではない,なる嫡出否認事由は,日本民法の制定時には想定されてはいないものでしょう。(ちなみに,富井政章はナポレオンの民法典の第312条以下を証拠法的なものと捉えていたようですが(ナポレオンの民法典3121項を承けた旧民法人事編(明治23年法律第98号)911項の「婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子トス」を「之ハドウモ「推定ス」テナクテハナラヌト思ヒマス固ヨリ反証ヲ許ス事柄テアリマス〔略〕此場合ニハ「子トス」ト断定シテアリマス之ハ甚タ穏カテナイト思ヒマスカラ「推定ス」ニ直(ママ)シマシタ」と修正してもいます(民法議事速記録第50109丁裏-110丁表)。),それらの条項は実体法的なものでもあったところです(「民法は,嫡出子の定義を定めていない。」ということ(我妻215頁)になったのは,富井らが旧民法人事編911項の規定を改めてしまったせいでしょう。)。「フランス法においては,親子法は様々な訴権によって構成されているが,そこでの訴権は,他の場合と同様に,手続・実体の融合したもの(分離していないもの)としてとらえられていると見るべきではないか。」と説かれているところです(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)132頁)。)

 昔から,人違いで結婚してしまった(imposuit mihi),目許醜い(lippis oculis),嫌いな(despecta, humiliata)嫁が,第三者の生殖補助で妊娠して(Dominus aperuit vulvam ejus)子を産んだのであっても(genuit filium),胤が自分のもの(fortitudo mea)であるのなら,その子はやはり自分の子です。

 

       [Laban] habebat vero filias duas. Nomen majoris Lia. Minor appellabatur Rahel.

Sed Lia lippis erat oculis,

       Rahel decora facie et venusto aspectu,

quam diligens Jacob ait:

Serviam tibi pro Rahel filia tua minore septem annis. (Gn 29,16-18)

 

  …vocatis multis amicorum turbis ad convivium, [Laban] fecit nuptias,

       et vespere filiam suam Liam introduxit ad eum

       …ad quam cum ex more Jacob fuisset ingressus,

       facto mane, vidit Liam et dixit ad socerum:

       Quid est quod facere voluisti?

       Nonne pro Rahel servivi tibi? Quare imposuisti mihi? (Gn 29,22-25)

 

       Videns autem Dominus quod [Jacob] despiceret Liam aperuit vulvam ejus…

       quae conceptum genuit filium vocavitque nomen ejus Ruben, dicens:

       Vidit Dominus humilitatem meam. Nunc amabit me vir meus. (Gn 29,31-32)

 

       Ruben, primogenitus meus,

       tu fortitudo mea… (Gn 49,3)

 

(ウ)子をもうけることに係る夫の「自己決定権」

令和元年大阪家裁判決事件において原告である夫は,判決文によれば,「原告の同意がない以上」「本件移植は,原告の自己決定権という重要な基本的人権を侵害するものであり,正当な医療とはいえず,許されないから,原告と被告との間の法律上の親子(父子)関係は認められるべきではない。」と主張していたところです。ここでの「原告の同意」は,「凍結受精卵(胚)を融解し,母胎に移植する時期に必要とすべきである」とされており,胚の母胎への移植時に存在する必要があったものとされています。また,「原告の自己決定権」といわれるだけでは何に関する自己決定権であるのか分かりませんが,これは,文脈上「子をもうけること」に係る自己決定の権利のことであるものと解されます。

しかし,ここで原告の「自己決定権」を侵害し得た者はその妻又は当該生殖補助医療を行った医師であって,生まれた子には関係がありませんから,当該「侵害」が当該子との父子関係の有無に影響を与えるのだとの主張には,当該子の立場からすると少々納得し難いところがあるようでもあります。

令和元年大阪家裁判決の本論においては,原告の主張に係るその「自己決定権」に言及して応答するところがありません。難しい議論をして状況を流動化させるよりも,ルールに関する明確性・安定性を求め(「法律上の親子関係を早期に安定させ,身分関係の法的安定を保持する必要」ということは,ルール及びその適用の明確性・安定性が必要であるということでしょう。),生殖補助医療により出生した子の法律上の父子関係についても「自然生殖によって生まれた子と同様に解するのが相当」であるものと判断されたものでしょう。

 

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3 1886年のボワソナアド提案:軽罪としての侮辱罪及び違警罪としての侮辱罪

 

(1)ボワソナアドの提案

 

ア 軽罪としての侮辱罪

1886年の『註釈付き改訂日本帝国刑法案』において,ボワソナアドは,違警罪にとどまらない,軽罪(délit)としての侮辱罪を提案しています。

 

  400 bis.  L’injure, l’offense, l’outrage, ne contenant pas l’imputation d’un fait déshonorant ou d’un vice déterminé, commis envers un particulier, sans provocation, publiquement, par parole ou par écrit, seront punis d’un emprisonnement simple de 11 jours à 1 mois et d’une amende de 2 à 10 yens, ou de l’une de ces deux peines seulement.

 (Boissonade, p.1049

 (第400条の2 挑発されることなく,破廉恥な行為又は特定の悪徳(悪事醜行)を摘発せずして,公然と(publiquement)口頭又は文書で私人(particulier)を侮辱した者は.11日以上1月以下の軽禁錮及び2円以上10円以下の罰金に処し,又はそのいずれかの刑を科する。)

 

 第400条の2が含まれる節名は,1877年案のものから変わらず“Des crimes et délits contre la réputation d’autrui”のままでした。他人の評判(réputation)に対する罪ということであれば,ボワソナアドは,侮辱罪の保護法益は外部的名誉であるものと考えていたように思われます(ボワソナアドは同節の冒頭解説で人のhonneur及びdignitéの保護をいいつつ,そこでのhonneurは他人による評価(l’estime des autres)だとしています(Boissonade, pp.1051-1052)。)。フランス法系の考え方は「外部的名誉の毀損を中心とし」,「主観的感情の侵害を中心とするドイツ法系の考へ方と趣を異に」するものです(小野・名誉の保護90頁)。ちなみに,現在の刑法の英語訳でも第34章の章名は“Crimes against Reputation”になっているようです。

 

イ 違警罪としての侮辱罪

 軽罪としての侮辱罪の提案に伴い,違警罪としての侮辱罪の構成要件も修正されています。

 

   489.  Seront punis de 1 à 2 jours d’arrêts et de 50 sens à 1 yen 50 sens d’amende, ou de l’une de ces deux peines seulement:

     Ceux qui auront, par paroles ou par gestes, commis une injure ou une offense simple contre un particulier, en présence d’une ou plusieurs personnes étrangères;

  (Boissonade, p. 1277

  (第489条 次の各号の一に該当する者は,1日以上2日以下の拘留及び50銭以上150銭以下の科料に処し,又はそのいずれかの刑を科する。

    一 一又は複数の不特定人の現在する場所において,言語又は動作をもって私人を罵詈嘲弄(une injure ou une offense simple)した者)

 

なお,1886年案においては,違警罪に係る第4編においても章及び節が設けられて条文整理がされています。すなわち,同編は第1章「公益ニ関スル違警罪(Des contraventions contre la chose publique)」と第2章「私人に対する違警罪(Des contraventions contre les particuliers)」との二つに分かれ,第2章は更に第1節「身体ニ対スル違警罪(Des contraventions contre les personnes)」と第2節「財産ニ対スル違警罪(Des contraventions contre les biens)」とに分かたれました。しかして,第489条は,第2章第1節中に設けられていました。

 

(2)ボワソナアドの解説

 

ア 軽罪としての侮辱罪

 

(ア)ボワソナアド

軽罪としての侮辱罪に係る第400条の2に関するボワソナアドの解説は,次のとおりでした。

 

18778月の〕刑法草案は,口頭又は文書による侮辱(l’injure verbale ou écrite)であって名誉毀損(diffamation)の性質を有さいないものに関する規定をここに〔軽罪として〕設けていなかった。口頭の侮辱を違警罪として罰するにとどめていたものである(第47620号)。そこには一つの欠缺(けんけつ)une lacune)があったものと信ずる。公然と私人に向けられた侮辱(l’injure, l’offense, l’outrage)は,文書によるものであっても口頭によるものであっても,決闘を挑むためという目的〔〈旧刑法編纂の際「ボアソナードと日本側委員との間で,「元来,罵詈は闘殴のタンタチーフのようなもの」という発言が見られ」たそうです(嘉門7頁註9)。〉〕がある(前記第3節の2の第1条において規定されている場合)のではないときであっても,軽罪のうちに数えられなければならない。面目(considération)に対する侵害が軽いことに応じて,その刑が軽くなければならないだけである。また,禁錮は定役を伴わないものであり〔重禁錮ならば定役に服する(旧刑法241項)。〕,裁判所は罰金を科するにとどめることもできる。

法は,侮辱(une injure, une offense ou un outrage)を構成する表現の性格付けを試みる必要があるものとは信じない。すなわち,侮辱(l’injure)を罰する他の場合(第132条及び第169条)においてもそれはされていない。フランスのプレス法は,「全ての侮辱的表現(expression outrageante),軽蔑の語(terme de mépris)又は罵言(invective)」(第29条)について語ることによって,全ての困難を予防してはいない。侮辱(l’injure, l’offense, l’outrage)を構成するものの評価は,常に裁判所に委ねられる。侮辱者及び被侮辱者の各事情,前者の教育,なかんずくその意図.居合わせた人々の種類等がその際考慮されるのである。

しかし,可罰的侮辱の構成要素がここに二つある。それらは,いわば2個の消極的条件である。

すなわち,①侮辱は「破廉恥な行為又は特定の悪徳の摘発を含まない」ものでなければならない。そうでなければ,名誉毀損(diffamation)の事案ということになる。〔筆者註:反対解釈すると,「破廉恥な行為又は特定の悪徳の摘発」以外の事実の摘示を伴うものも侮辱罪に包含されることになります。〕②それは,同じように侮辱的な(injurieux ou offensants)言葉又は行為によって「挑発された」ものであってはならない。反対の場合には,各当事者が告訴できないものとは宣言されない限りにおいて,最初の侮辱者のみが可罰的である。

  (Boissonade, pp. 1060-1061

 

 フランスの1881729日のプレスの自由に関する法律29条及び33条が,ボワソナアドの1886年案400条の2に係る参照条文として掲げられています(Boissonade, p.1049)。

当該1881年プレスの自由法の第29条は名誉毀損と侮辱との分類に係る規定であって,その第1項は「当該行為(le fait)が摘発された当の人(personne)又は団体(corps)の名誉(honneur)又は面目(considération)の侵害をもたらす行為に係る(d’un fait)全ての言及(allégation)又は摘発(imputation)は,名誉毀損(diffamation)である。」と,第2項は「全ての侮辱的表現,軽蔑の語又は罵言であって何らの行為の(d’aucun fait)摘発を含まないものは,侮辱(injure)である。」と規定していました。

また,1881年プレスの自由法33条はその第1項で「この法律の第30条及び第31条に規定されている団体又は人に対して同じ方法で〔裁判所(cours, tribunaux),陸海軍,法定の団体(corps constitués)及び公行政機関に対し,並びにその職務又は資格ゆえに大臣,議員,官吏,公の権威の受託者若しくは代理人,国家から報酬を得ている宗派の聖職者,公のサービス若しくは職務に服している市民,陪審員又はその証言ゆえに証人に対して,公共の場所若しくは集会における演説,叫び若しくは威嚇によって,文書若しくは公共の場所若しくは集会において販売に付され,若しくは展示されて販売され若しくは配布された印刷物によって,又は公衆が見ることのできるプラカード若しくは張り紙によって,並びに図画,版画,絵画,標章又は画像の販売,配布又は展示によって〕侮辱をした者は,6日以上3月以下の禁錮及び18フラン以上500フラン以下の罰金に処し,又はそのいずれかの刑を科する。」と,第2項で「挑発が先行することなしに同様の方法で私人(particulier)を侮辱した者は,5日以上2月以下の禁錮及び16フラン以上300フラン以下の罰金に処し,又はそのいずれかの刑を科する。」と,第3項は「侮辱が公然とされなかったときは,刑法第471条に定める刑〔1フラン以上5フラン以下の科料(1810年)〕のみが科される。」と規定していました。

 なお,injure, offense及びoutrage相互間の違いは何かといえば,その改訂刑法案169条の解説において,ボワソナアドは次のように述べています。

 

   我々はここに,offense, injure, outrageという三つの表現を見出すが,それらは重さに係る単純なニュアンス(simples nuances de gravité)を示すだけのものであって,刑に変化をもたらすものではない。

   (Boissonade, p. 571

 

筆者の手もとのLe Nouveau Petit Robert1993年)には,injureの古義として“Offense grave et délibérée”とあり,outrageの語義は“Offense ou injure extrêmement grave”とありますから,重さの順は,offense injure outrageとなるのでしょう。

 

(イ)フランス法的背景

ところで,旧刑法で軽罪としての侮辱罪が設けられなかった欠缺(lacune)の原因は何だったのでしょうか。どうも,今年(2021年)が死後200年になるナポレオンのようです。(前記1881年プレスの自由法は,我が旧刑法制定の翌年の法律です。)

1810年のナポレオンの刑法典375条は「何らの精確な行為の摘発を含まない侮辱であって,特定の悪徳を摘発するものについては,公共の場所若しくは集会において表示され,又は拡散若しくは配布に係る文書(印刷されたものに限られない。)に記入されたときは,その刑は16フラン以上500フラン以下の罰金である。(Quant aux injures ou aux expressions outrageantes qui ne renfermeraient l'imputation d'aucun fait précis, mais celle d'un vice déterminé, si elles ont été proférées, dans des lieux ou réunions publics, ou insérées dans des écrits imprimés ou non, qui auraient été répandus et distribués, la peine sera d'une amende de seize francs à cinq cents francs.)」と規定し,続いて同法典376条は「他の全ての侮辱であって,重大性及び公然性というこの二重の性質を有さないものは,違警罪の刑にしか当たらない。(Toutes autres injures ou expressions outrageantes qui n'auront pas eu ce double caractère de gravité et de publicité, ne donneront lieu qu'à des peines de simple police.)」と規定しており,違警罪に係る同法典47111号は「挑発されずに人を侮辱した者であって,それが第367条から第378条まで〔誣言(calomnies),侮辱(injures)及び秘密の漏洩に関する条項群〕に規定されていないものであるもの(Ceux qui, sans avoir été provoqués, auront proféré contre quelqu'un des injures, autres que celles prévues depuis l'article 367 jusque et compris l'article 378)」は1フラン以上5フラン以下の科料に処せられるものと規定していました。ナポレオンの刑法典375条は「侮辱」(injures, expressions outrageantes)といいますが,「特定の悪徳」を適発するのであれば我が1877年司法省案的(ボワソナアド的)には誹毀の罪(後に名誉毀損罪となるもの)ですから,結局ナポレオンの刑法典においては,(日本法的意味での)侮辱罪は,違警罪でしかなかったわけです(ここでは,ナポレオンの刑法典376条における「重大性」を,同375条の「特定の悪徳を摘発するもの」の言い換えと解します。)

ナポレオンの刑法典の誣言及び侮辱に関する規定は,後に1819517日法に移されますが,同法においても,特定の悪徳の摘発を含まず,又は公然とされたものではない侮辱は1フラン以上5フラン以下の科料に処せられるものとされていました(同法20条)。私人に対する侮辱は16フラン以上500フラン以下の罰金(軽罪の刑)に処せられるものとするという一見して原則規定であるような規定があっても(1819517日法192項),そのためには特定の悪徳を摘発し,かつ,公然とされる必要があったわけです。すなわち,ナポレオンの刑法典時代と変わっていなかったわけです。(〈旧刑法編纂の際「日本側委員である鶴田皓は,罵詈が喧嘩の原因となることが問題である以上,「公然」の字を削除すべきとしたが,ボアソナードは,対面の罵詈はフランスでは無罪であることや,実際上の証明の困難性を理由に,公然性要件の必要性を説き,維持されることとなった」そうですが(嘉門7頁),ここでのボワソナアドのフランス法の説明は,条文だけからでは分かりづらいところです。〉)

と,以上において筆者はimputationを「摘発」と訳して「摘示」としていませんが,これには理由があります。ジョゼフ・カルノー(フランス革命戦争における「勝利の組織者」ラザールの兄たるこちらは法律家)が,そのExamen des Lois des 17, 26 mai; 9 juin 1819, et 31 mars 1820 (Chez Nève, Libraire de la Cour de Cassation, Paris; 1821 (Nouvelle Édition))なる書物において,1819517日法における名誉毀損罪の成立に関し,imputationのみならず単純なallégation(筆者は「言及」と訳しました。)でも成立するものであると指摘した上で,それは「したがって,告発を繰り返したrépéter l’inculpation)だけではあるが,それについて摘発imputation)をした者と同様に,名誉毀損者として処罰されなければならない」旨記していたからです(p.36)。「摘示」と「摘発」との語義の違いについては,「〔日本刑法230条の〕事実の摘示といふは,必ずしも非公知の事実を摘発するの意味ではない。公知の事実であつても,之を摘示し,殊に之を主張することに依つて,人をして其の真実なることを信ぜしむる場合の如き,名誉毀損の成立あることは疑ひない」一方,我が「旧刑法(第358条)は悪事醜行の「摘発」を必要とし,その解釈として判例は「公衆の認知せざる人の悪事醜行を暴露することなり」とした」と説明されています(小野・名誉の保護280頁)。

筆者が「特定の悪徳」と訳したvice déterminéについてのカルノーの説明は,「vice déterminéによって法は,肉体的欠陥une imperfection corporelle)の単純な摘発を意図してはいない。そのような摘発は,その対象となった者に対して不愉快なもの(quelque chose de désagréable)であり得ることは確かである。しかし,それは本来の侮辱une injure proprement dite)ではない。特定の悪徳の摘発は,法又は公の道徳la morale publique)の目において非難されるべきことをする(faire quelque chose de répréhensible習慣的傾向une disposition habituelle)のそれ以外のものではあり得ない。」というものでした(Carnot, p.58)。

フランス法においては,vice déterminéfaitには含まれないようです。侮辱の定義(1881729日法292項と同じもの)に関してカルノーは,「侮辱的表現,軽蔑の語又は罵言が何ら行為の摘発l’imputation d’aucun faitを含まないときは,単純な侮辱であって名誉毀損ではない。そこから,特定の悪徳の摘発も,告発(prévention)の性質を変えるものではないということになる。〔すなわち,名誉毀損になるものではない。〕なおも侮辱injure)があるばかりである。」といっています(Carnot, p.37)。この点ボワソナアド式日本法とは異なるようです(vice déterminéの摘発も,「悪事醜行」の摘発を「誹毀」でもってまとめる旧刑法358条の原案たる18778月案398条の構成要件となっていました。)。しかし,フランス1881729日法になると,侮辱を違警罪ではなく軽罪として処罰するための要件として,公然性は依然求めるものの,特定の悪徳の摘発はもはや求めないこととなっていたわけです。

フランス法の名誉毀損の定義はナポレオンの刑法典3671項の誣言(calomnieの定義から由来し,同項は「個人について,もしそれが事実であれば当該表示対象者を重罪若しくは軽罪の訴追の対象たらしめ,又はなお同人を市民の軽蔑若しくは憎悪にさらすこととはなる何らかの行為(quelconque des faits)を摘発」することを構成要件としていましたので(cf. Carnot, p.36),ここでのfaits(行為)は広い意味での事実ではなく,犯罪を構成し得るような限定的なものでなければならないわけだったのでしょう。これに対して日本刑法230条の「事実」は,「具体的には,政治的・社会的能力,さらに学問的能力,身分,職業に関すること,さらに被害者の性格,身体的・精神的な特徴や能力に関する等,社会生活上評価の対象となり得るものを広く含む」とされています(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)153頁)。

 

(ウ)付論:讒謗律に関して

なお,フランス法的背景といえば,明治政府による言論取締りの法として著名な1875年の我が讒謗律は,小野清一郎によって,イギリス法の影響下に制定されたものと説かれていましたが(小野・名誉の保護126-128頁),1967年には奥平康弘助教授(当時)によってフランス法を母法とするものであるとする説が唱えられています(手塚1-2頁による紹介。同5頁註(3)によれば,奥平説は,奥平康弘「日本出版警察法制の歴史的研究序説(4)」法律時報39872頁において提唱されたものです。)。

小野は,讒謗律1条の「凡ソ事実ノ有無ヲ論セス人ノ栄誉ヲ害スヘキノ行事ヲ摘発公布スル者之ヲ讒毀トス人ノ行事ヲ挙ルニ非スシテ悪名ヲ以テ人ニ加ヘ公布スル者之ヲ誹謗トス著作文書若クハ画図肖像ヲ用ヒ展観シ若クハ発売シ若クハ貼示シテ人ヲ讒毀シ若クハ誹謗スル者ハ下ノ条別ニ従テ罪ヲ科ス」との条文について論じて,「茲に「事実の有無を論ぜず」とあるも恐らく1843年の誹謗文書法以前に於けるイギリス普通法の思想に依つたもの」とし,更に「なほ,讒毀又は誹謗が文書図書に依る場合に於て之を処罰すべきものとしてゐることもイギリスの‘libel’の観念を継受した証左である」とイギリス法の影響を主張しています(小野・名誉の保護127頁)。しかし,前者については,フランス1819517日法の名誉毀損についても―――名誉毀損の定義規定には「事実の有無を論ぜず」との明文はありませんでしたが――カルノーは,「517日法によってそれ〔名誉毀損〕がそう定義されているとおり,それ〔名誉毀損〕は全ての侮辱的な〔古風には,「不正な」〕行為(tout fait injurieux)に係る摘発又は言及によって成立する。事実の証明が認められないときは,たとえそれが事実であっても(fût-il même vrai)そうなのである。」と述べています(Carnot, p.35)。(事実の証明が認められる場合は,後に見る1819526日法(同月17日法とは関連しますが,別の法律です。)201項において限定的に定められていました。)後者については,あるいは単に,讒謗律の布告された1875628日の前段階においては,我が国ではなお演説というものが一般的なものではなかったということを考えるべきかもしれません。187412月に刊行された『学問のすゝめ』12編において福沢諭吉いわく。「演説とは,英語にてスピイチと云ひ,大勢の人を会して説を述べ,席上にて(わが)思ふ所を人に(つたう)るの法なり。我国には(いにしえ)より其法あるを聞かず,寺院の説法などは先づ此類なる可し。」,「然るに学問の道に於て,談話,演説の大切なるは既に明白にして,今日これを実に行ふ者なきは何ぞや。」と(第1回の三田演説会の開催は,1874627日のことでした。)。すなわち,讒謗律布告の当時の「自由民権論者の活動は,もつぱら新聞,雑誌その他の出版物を舞台として行われ,政談演説は一般にまだ普及していなかつた」のでした(手塚3頁)。

讒謗律の法定刑とフランス1819517日法のそれとを比較すると(なお,讒謗律の讒毀は専ら摘発に係るものであること等,構成要件の細かいところには違いがあり得ることには注意),次のとおりです。

天皇に対する讒毀又は誹謗は3月以上3年以下の禁獄及び50円以上1000円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されたのに対して(讒謗律2条),フランス国王に対するそれは6月以上5年以下の禁錮及び500フラン以上1万フラン以下の罰金並びに場合により公権剥奪も付加されるものでした(1819517日法9条)。

皇族に対する讒毀又は誹謗は15日以上2年半以下の禁獄及び15円以上700円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されたのに対して(讒謗律3条),フランス王族に対するそれは1月以上3年以下の禁錮及び100フラン以上5000フランの罰金でした(1819517日法10条)。

日本帝国の官吏の職務に関する讒毀は10日以上2年以下の禁獄及び10円以上500円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され,同じく誹謗は5日以上1年以下の禁獄及び5円以上300円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されたのに対し(讒謗律4条),フランス王国の官吏の職務に関する名誉毀損は8日以上18月以下の禁錮及び50フラン以上3000フラン以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され(1819517日法16条。裁判所又は法定の団体に対しては15日以上2年以下の禁錮及び50フラン以上4000フラン以下の罰金(同法15条)),侮辱は5日以上1年以下の禁錮及び25フラン以上2000フラン以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されました(同法191項。裁判所又は法定の団体に対しては15日以上2年以下の禁錮及び50フラン以上4000フラン以下の罰金(同法15条。Cf. Carnot, pp.38-39))。

日本帝国の華士族平民に対する讒毀は7日以上1年半以下の禁獄及び5円以上300円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され,誹謗は3円以上100円以下の罰金に処されたのに対し(讒謗律5条),フランス王国の私人に対する名誉毀損は5日以上1年以下の禁錮及び25フラン以上2000フラン以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され(1819517日法18条),侮辱は16フラン以上500フラン以下の罰金に処されました(同法192項。ただし,特定の悪徳の摘発を含まず,又は公然とされたものでない侮辱の刑は1フラン以上5フラン以下の科料(同法20条,フランス刑法471条))。こうしてみると,讒謗律1条にいう誹謗に係る「悪名ヲ以テ人ニ加ヘ」とは,vice déterminéimputationすることのようでもあります。(なお,讒謗律5条違反の刑の相場は「大概罰金5円に定まつて居た」そうです(手塚5頁註(10)の引用する宮武外骨)。)

讒謗律71項(「若シ讒毀ヲ受ルノ事刑法ニ触ルヽ者検官ヨリ其事ヲ糾治スルカ若クハ讒毀スル者ヨリ検官若クハ法官ニ告発シタル時ハ讒毀ノ罪ヲ治ムルヿヲ中止シ以テ事案ノ決ヲ俟チ其ノ被告人罪ニ坐スル時ハ讒毀ノ罪ヲ論セス」)に対応する条項は,「事案ノ決ヲ俟チ」までは1819526日法25条,「其ノ被告人罪ニ坐スル」以後はcalomnie(誣言)に係るナポレオンの刑法典370条でした(1819526日法201項は,名誉毀損(diffamation)について事実の証明が許される場合を,公の権威の受託者若しくは代理人又は公的資格で行動した全ての者に対する摘発であって,その職務に関する行動に係るものの場合に限定しています。「其の他の場合には全然真実の証明を許さざることとした」ものです(小野・名誉の保護450頁)。)。官吏の職務に関する讒毀及び誹謗並びに華士族平民に対するそれらの罪は親告罪である旨規定する讒謗律8条に対応する条項は,1819526日法5条でした。

 

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(上)日本民法:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900158.html

(中)旧民法及びローマ法:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900161.html


8 フランス民法673

フランス民法を見てみましょう。

 

(1)条文及びその沿革

民法233条に対応する条項は,ボナパルト第一統領政権下の1804年の段階ではフランス民法672条に,1881820日法による改正後は673条にあって,同条は,1921212日法によって更に改正されています。

共和暦12(ブリュ)(メール)4日(18031126日)に国務院(コンセイユ・デタ)に提出された案には当該条項はありませんでしたが,同12(ニヴォ)(ーズ)14日(180415日)の同院提出案に第665条として出現しています。

 

Code napoléon (1804)

1804年ナポレオン法典)

Art. 672.

Le voisin peut exiger que les arbres et haies plantés à une moindre distance soient arrachés.

  (隣人は,必要な距離を保たずに栽植された木及び生垣を抜去することを請求することができる。)

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres du voisin, peut contraindre celui-ci à couper ces branches.

  (その所有物の上に隣人の木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。)

Si ce sont les racines qui avancent sur son héritage, il a droit de les y couper lui-même.

  (彼の地所に延びて来たものが根である場合においては,彼はそれをそこにおいて自ら截去する権利を有する。)

 

Après la Loi du 20 août 1881

1881820日法による改正後)

Art. 673.

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres du voisin peut contraindre celui-ci à les couper. Les fruits tombés naturellement de ces branches lui appartiennent.

  (その所有物の上に隣人の木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。当該枝から自然に落下した果実は,同人に属する。)

Si ce sont les racines qui avancent sur son héritage, il a le droit de les y couper lui-même.

(彼の地所に延びて来たものが根である場合においては,彼はそれをそこにおいて自ら截去する権利を有する。)

Le droit de couper les racines ou de faire couper les branches est imprescriptible.

  (根を截去し,又は木の枝を剪除させる権利は,消滅時効にかからない。)

 

Après la Loi du 12 février 1921

1921212日法による改正後)

Art. 673.

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres, arbustes et arbrisseaux du voisin peut contraindre celui-ci à les couper. Les fruits tombés naturellement de ces branches lui appartiennent.

(その所有物の上に隣人の木,小低木及び低木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。当該枝から自然に落下した果実は,同人に属する。)

Si ce sont les racines, ronces ou brindilles qui avancent sur son héritage, il a le droit de les couper lui-même à la limite de la ligne séparative.

(彼の地所に延びて来たものが根,茨又は小枝である場合においては,彼はそれらを境界線において自ら截去する権利を有する。)

Le droit de couper les racines, ronces et brindilles ou de faire couper les branches des arbres, arbustes et arbrisseaux est imprescriptible.

  (根,茨及び小枝を截去し,又は木,小低木及び低木の枝を剪除させる権利は,消滅時効にかからない。)

 

(2)破毀院1965年4月6日判決

 フランス民法673条の趣旨については,次のフランス破毀院民事第1196546日判決(61-11025)が参考になります。

 

   2項目にわたる上告理由については――

      攻撃されている原審による是認判決の確認した事実によれば,Xに属する所有地に要保持適正距離に係る規則に従った距離を隣地から保って2本のポプラの木が栽植されていたところ,それらの根が,隣人Yの地所に侵入し,そこにおいて損害をもたらしたこと,

   彼の木によってこのようにして惹起された被害についてXは責任を負うと宣告したことについて控訴院に対する不服が申し立てられたこと,すなわち,〔当該不服申立てに係る上告理由の主張するところは,〕第1に,民法673条は,根の侵襲に係る責任(la faute d’immissio de racines)を設定したものではなく,根がその土地に侵入した当該土地所有者の利益のために,添付に係る一つの場合について規整したものであって,当該根は同人のものとなりもはや相隣関係問題に係る請求の目的とならなくなるものである(…organise un cas d’accession au profit du propriétaire, sur le fonds duquel pénétrent des racines, qui, devenant la chose de ce dernier, ne peuvent plus faire l’objet d’une réclamation pour troubles de voisinage)とのこと,

   第2に,上告によれば,損害被害者である寡婦Yの懈怠(négligence)は,民法673条が彼女に与えている,オージュロー(Augerau)の木から延びた根を截去する権利を知らなかったことによるとのことに鑑み,

 

   しかしながら,攻撃されている判決は,立法者は民法673条の規定によって,発生した損害の賠償を受ける権利を制限すること(restreindre le droit à réparation du dommage réalisé)を意図していたものではなく,反対に,隣人の利益のための手段を設けることによってより有効な保護の確保(assurer une protection plus efficace en instituant des mesures de prévention au profit des voisins)を図っていたものであるということを正当な資格でもって(à juste titre)強調している(souligne)こと,

   控訴院は,このことから,木の所有者は,それが規定の距離を保って栽植されたものであっても,隣の地所に延びた根によって惹起された損害について責任を負うものであるという結論を導き出し得たことに鑑み,

   並びに,事実審の裁判官が職権をもって,被害が発生する時まで彼女の不動産に脅威を与えつつある危険を知らなかった寡婦Yには何ら懈怠はなかったものと認めたこと,

   かくして,上告理由はその両項目のいずれについても受け容れられないことに鑑み,

   以上の理由をもって,X対寡婦Y事件(61-11025パリ控訴院19601213日判決に対する上告を棄却する。

 

 上告理由の拠った,侵入した根の所有権に係る土地所有者帰属説は,破毀院の採用するところとはならなかったわけでしょう。

 

(3)破毀院2010年6月30日判決

 なお,我妻榮は,民法2331項について,「竹木の枝が境界線を越えていても相隣者に何らの害を与えない場合に,剪除を請求するのは,権利の濫用となる。多少の損害を与える場合にも,剪除することの損害がさらに大きいときは,第209条を類推して,償金を請求することができるだけだと解すべきではあるまいか(ス民6872項〔ママ。同項は越境した枝に成った果実の所有権に関する規定ですので,同条1項のことと解すべきでしょう。〕参照)」と説いています(我妻Ⅱ・295頁(なお,同書の第1版は1932年,改訂第1版は1952年に発行されています。)。また,能見=加藤編273頁(松尾))。新潟地方裁判所昭和391222日判決下民集15123027頁も「ところで,民法2331項によれば,隣地の樹木の枝が境界線を越え他人の地内にさしかゝつた場合には,その樹木の所有者をして枝を剪除させることができるのであるが,相隣接する不動産の利用をそれぞれ充分に全うさせるために,その各所有権の内容を制限し,また各所有者に協力義務を課する等その権利関係相互に調節を加えている同法の相隣関係規定の趣旨に照らすとき,右越境樹枝剪除の請求も,当該越境樹枝により何等の被害も蒙つていないか,あるいは蒙つていてもそれが極めて僅少であるにも拘らずその剪除を請求したり,又はその剪除によつて,被害者が回復する利益が僅少なのに対比して樹木所有者が受ける損害が不当に大きすぎる場合には,いわゆる権利濫用としてその効力を生じないと解さなければならない。従つて結局越境樹枝の剪除を行うに際しても,単に越境部分のすべてについて漫然それを行うことは許されず,前記相隣関係の規定が設けられた趣旨から,当事者双方の具体的利害を充分に較量してその妥当な範囲を定めなければならないと解すべきである。」と判示しています(15本の樹木の枝が隣地に越境していたのに対し,同裁判所は11本についてのみ剪除を命じ,かつ,剪除すべきものとされた枝の部分も越境部分全部ではありませんでした。)。しかしながら,我が民法と直系関係にあるフランス民法にではなく,傍系関係のスイス民法に拠るのはいかがなものでしょうか。

フランス破毀院民事第3部の2010630日判決(09-16.257)は,隣地のヒマラヤ杉(樹齢100年超)の枝の剪除を請求する訴えを,①当該樹木自体を伐採するのでなければ,枝の剪除では5メートル以上の高さから落下する針葉による迷惑は解消されないこと,②剪除請求者らは,木の多い地にあるその土地を入手する際に庭やプールを定期的に掃除しなければならなくなることを当然知っていたこと,③同人らは当該樹木の生長が弱まっていることを知り得たこと,④同人らは当該樹木の寿命を侵害する意図を有していないこと及び⑤彼らの訴えが濫用(abus)になることなしに境界内に全ての枝が収まるようにさせることを請求することはできないこと,との理由をもって退けたリヨン控訴院の2009611日判決を,フランス民法6731項前段及び3項に違背するものとして破棄しています。判決要旨は,「隣地から越境してきた木の枝に対する土地所有者の消滅時効にかからない権利には何らの制限も加えることができないところ,原告らはその訴えが濫用になることなしに境界内に全ての木の枝が収まるようにさせることはできない旨を摘示して木の剪定の請求を排斥した控訴院は,民法673条に違背する。」というようなものになっています(Bulletin 2010, III, n˚137)。無慈悲です。

(なお,ヒマラヤ杉仲間の事件としては,大阪高等裁判所平成元年914日判決判タ715180頁があります。枝が延びて迷惑な別荘地のヒマラヤ杉3本(樹齢約30年)を隣地の旅館主が伐採してしまったものですが,民法2331項等を援用しての,自救行為であるから不法行為は成立しないとの旅館主側の主張は排斥されています。「本件ヒマラヤ杉の枝が境界を越えて伸びており,そのため本件〔旅館〕建物の看板が見えにくくなり,あるいは車両等の通行の妨害となっていたとしても,控訴人〔旅館主〕らがなし得るのは枝のせん除にとどまり,木そのものを伐採することは許されない。」というわけです。ちなみに,旅館の土地に1番近いヒマラヤ杉は境界線から約1.7メートルしか離れていなかったそうですから(木の正確な高さは判決書からは不明ですが,当然2メートルは超えていたでしょう。),フランス民法6711項及び6721項の適用があれば,原則として,当該樹木の抜去又は高さ2メートル以下までの剪定を請求できたはずです。この場合,原告は特定の損害(un préjudice particulierの証明を要しないものとされています(フランス破毀院民事第32000516日判決(98-22.382))。)

                          

9 ドイツ民法第一草案

 竹木がドイツ民法流に土地の本質的構成部分(wesentlicher Bestandteil)であるのであれば,前者の後者に対する独立性は弱いことになるはずです。したがって,当該独立性の弱さを前提とすれば,竹木の一部分を構成するものである根が,そうではあっても当該竹木本体とは別に,侵入した隣りの土地にその本質的構成部分として付合してその所有権に包含されるべきこと,及びその結果,一の植物の一部に他の部分とは別個の所有権が存在することにはなるがそのことは可能であり,またむしろそれが必然であること,を是認する理解が自然に出て来るようになるもののように思われます。すなわち,越境した根の所有権に係る土地所有者帰属説は,あるいはドイツ民法的な法律構成なのではないかと考えられるところです。

 そうであれば,ドイツにおいて実際に土地所有者帰属説が採られているものかどうかが気になるところです。ドイツ民法を調べるに当たっては,筆者としてはついドイツ民法第一草案の理由書(Motive)に当たるのが便利であるものですから本稿における調査はそこまでにとどめることとし,以下においてはドイツ民法第一草案の第784条及び第861条並びにMotiveにおける後者の解説を訳出します。

 

  第784条 土地の本質的構成部分には,土とつながっている限りにおいてその産出物が属する。

    種子は播種によって,植物は根付いたときに,土地の本質的構成部分となる(eine Pflanze wird, wenn sie Wurzel gefaßt hat, wesentlicher Bestandtheil des Grundstückes.)。

 

  §861

   Wenn Zweige oder Wurzeln eines auf einem Grundstücke stehenden Baumes oder Strauches in das Nachbargrundstück hinüberragen, so kann der Eigenthümer des letzteren Grundstückes verlangen, daß das Hinüberragende von dem Eigenthümer des anderen Grundstückes von diesem aus beseitigt wird. Erfolgt die Beseitigung nicht binnen drei Tagen, nachdem der Inhaber des Grundstückes, auf welchem der Baum oder Strauch sich befindet, dazu aufgefordert ist, so ist der Eigenthümer des Nachbargrundstückes auch befugt, die hinüberragenden Zweige und Wurzeln selbst abzutrennen und die abgetrennten Stücke ohne Entschädigung sich zuzueignen.

  (ある土地上に生立する樹木又は灌木の枝又は根が隣地に越境した場合においては,当該隣地の所有者は,相手方土地所有者によって当該隣地から越境物が除去されることを求めることができる。当該樹木又は灌木が存在する土地の占有者にその旨要求されてから3日以内に当該除去がされなかったときは,隣地の所有者も,越境した枝及び根を自ら切り取ること並びに切り取った物を補償なしに自己のものとすることが認められる。)

 

  第861条解説

   第861条の第1文は,当該所有者は越境した根及び枝の除去を所有権に基づく否認の訴え(妨害排除請求の訴え)によって(mit der negatorischen Eigenthumsklage)請求することができること(第943条)に注意を喚起する。それによって,特に,次の文で規定される自救権が通常の法的手段と併存するものであること及びそれがプロイセンの理論が主張するように隣人のための排他的な唯一の保護手段を設けるものではないことを明らかにするためである。枝及び根が越境して生長することは確かに間接的侵襲にすぎず,人の行為の直接の結果ではない。しかし,当該事情は,この種の突出を被ることが隣地所有権に対する障害である事実を何ら変えるものではない。隣人はある程度の高さ――地表カラ15(ペデス)ノ高サ〔ラテン語〕――からはこの種の突出を受忍しなければならないとの法律上の所有権の制限は,確かにときおり普通法理論において及び自力での除去を一定の高さまでのみにおいて認める地方的規則の結果として唱道されるが,近代的立法においては認められていないものである。

   枝及び根の越境は,それに対して実力での防衛が可能である禁止された自力の行使行為ではないので,法が沈黙している限りにおいては,隣人は,否認訴権的法的手段(das negatorische Rechtsmittel)によるしかないという限定的状況に置かれるであろう。根の除去のためには,普通法は特段の定めをしていない。枝の張出しの除去は,その枝を耕地の上に地表カラ15(ペデス)ノ高サに,又はその枝を家の上に突き出した樹木の所有者が自ら張出部分を除去しないときは,隣人が当該張出部分を伐り取って自らのものとすることができるものとする樹木伐除命令(interdictum de arboribus caedendis 〔伐られるべき木の命令〕)によって,そこでは規律されている。プロイセン一般ラント法は,越境する枝及び根に係る自力除去権を隣人に与えるが,それを自分のものとすることは認めていない。フランス民法は,根の截去のみを認める。ザクセン法は,截去した根を当該隣人に属すべきものとする点を除いて,プロイセン法と同一である。

   草案は,植物学的表現は違いをもたらさないことを明らかにするため,及び灌木の張出し,取り分け生垣に係るそれが特に多いことから,樹木に加えて灌木にも言及している。更に草案は,枝及び根の双方を考慮しつつ自力での除去の許容について定めるとともに,低い位地の枝についての制約を設けていない。この種の区別を正当化する十分な理由が欠けているとともに,そのような区別は,法律の実際の運用を難しくするからである。事前の求めの必要性の規定及び自らの手による除去のために与えられた期間によって,樹木の所有者に対して厳し過ぎないかとの各懸念は除去されている。截去した物を自らのものとすることを隣人に認めるその次の規定は,単純であるとの長所を有するとともに,当該取得者が截去の手間(Mühe)を負担したことから,公正(Billigkeit)にかなうものである。

 

隣地から木の根の侵入を被った土地の所有者は,当該侵入根の除去を求めて当該土地の所有権に基づく妨害排除請求ができるというのですから,当該木の根の所有権は隣地の木の所有者になお属しているわけでしょう。また,截去した侵入根の所有権取得の理由も,既に当該侵入根が截去者の土地に付合していたことにではなくて,手間賃代りとして截去者に与えることの公正性に求められています。越境根の所有権に係る土地所有者帰属説は,ドイツにおいても採用されていないようです。

なお,枝の除去について,高さ15(ペデス)より上の高いものが除去されるのが原則なのか下の低いものが除去されるのが原則なのかはっきりしないのですが(特に耕地の上に枝が突き出した場合は,ドイツ語原文自体がはっきりしない表現を採っています。15(ペデス)より上又は下のものがどうなるものかがそこでは不明で,首をひねりながらの翻訳となりました。),これはローマ法自体がはっきりしていなかったので,ドイツ人も参ってしまっていたものでしょうか。この点に関するローマ法の昏迷状況に係る説明は,いわく,「樹木の枝が隣の家屋を覆うを許さず。〔略〕又樹木の枝が隣の田地を覆う場合は其の枝が15ペデスpedes (foot)[歩尺]或はそれ以上に達するときはこれを伐り採ることを要せざるも15ペデス以下の枝はことごとくこれを伐り取らざるべからず。但しこの15ペデス以上或は以下についてDigestaの中の文面が甚だ不明瞭なるために,これについて異論あり。異論とは,15ペデス以上の枝はかえってこれを伐り採ることを要す。而して15ペデス以下の枝はこれらを伐り採ることを要せずと。」と(吉原編85頁)。

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(上)『法典調査会民法議事速記録』等(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078842084.html

(中)ドイツ民法草案等(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078842106.html


4 旧民法

現行民法545条の旧民法における前身規定は,同法財産編4092項,421条,424条及び561条並びに同法財産取得編81条とされています(民法議事速記録第25108丁裏)。

 

 旧民法財産編4092項 解除ノ条件ノ成就スルトキハ当時者ヲシテ合意前ノ各自ノ地位ニ復セシム

  (フランス語文は前掲)

 

 旧民法財産編421条 凡ソ双務契約ニハ義務ヲ履行シ又ハ履行ノ言込ヲ為セル当事者ノ一方ノ利益ノ為メ他ノ一方ノ義務不履行ノ場合ニ於テ常ニ解除条件ヲ包含ス

  (Dans tout contrat synallagmatique, la condition résolutoire est toujours sous-entendue au profit de la partie qui a exécuté ses obligations ou qui offre de le faire, pour le cas où l’autre partie ne remplirait pas les siennes.

  此場合ニ於テ解除ハ当然行ハレス損害ヲ受ケタル一方ヨリ之ヲ請求スルコトヲ要ス然レトモ裁判所ハ第406条ニ従ヒ他ノ一方ニ恩恵上ノ期限ヲ許与スルコトヲ得

  (Dans ce cas, la résolution n’a pas lieu de plein droit: elle doit être demandée en justice par la partie lésée; mais le tribunal peut accorder à l’autre un délai de grâce, conformément à l’article 406.

 

 旧民法財産編424条 裁判上ニテ解除ヲ請求シ又ハ援用スル当事者ハ其受ケタル損害ノ賠償ヲ求ムルコトヲ得

  (La partie qui demande ou invoque la résolution, peut, en outre, obtenir la réparation du préjudice éprouvé.

 

 旧民法財産編561条 義務ハ第409条,第421条及ヒ第422条ニ従ヒ明示ニテ要約シタル解除又ハ裁判上得タル解除ニ因リテ消滅ス

  (Les obligations s’éteignent par la résolution ou résiliation, stipulée expressément ou obtenue en justice, conformément aux articles 409, 421 et 422.

  解除ヲ請求ス可キトキハ其解除訴権ハ通常ノ時効期間ニ従フ但法律ヲ以テ其期間ヲ短縮シタル場合ハ此限ニ在ラス

  (Lorsque la résolution doit être demandée en justice, l’action résolutoire ne se prescrit que par le laps de temps de la prescription ordinaire, sauf le cas où la loi fixe un délai plus court.

 

 旧民法財産取得編81条〔売買の解除〕 当事者ノ一方カ上ニ定メタル義務其他特ニ負担スル義務ノ全部若クハ一分ノ履行ヲ欠キタルトキハ他ノ一方ハ財産編第421条乃至第424条ニ従ヒ裁判上ニテ契約ノ解除ヲ請求シ且損害アレハ其賠償ヲ要求スルコトヲ得

  (Si l’une des parties manque à remplir tout ou partie de ses obligations, telles qu’elles sont déterminées ci-dessus ou de toutes autres obligations auxquelles elle se serait spécialement soumise, l’autre peut demander en justice la résolution du contrat, avec indemnité de ses pertes, s’il y a lieu, conformément aux articles 421 à 424 du Livre des Biens.

  当事者カ解除ヲ明約シタルトキハ裁判所ハ恩恵期間ヲ許与シテ其解除ヲ延ヘシムルコトヲ得ス然レトモ此解除ハ履行ヲ欠キタル当事者ヲ遅滞ニ付シタルモ猶ホ履行セサルトキニ非サレハ当然其効力ヲ生セス

  (Si la résolution a été expressément stipulée entre les parties, le tribunal ne peut la retarder par la concession d’un délai de grâce; mais elle ne produit son effet de plein droit que si la partie qui manque à executer a été inutilement mise en demeure.

 

 我が旧民法の母法は,フランス民法です。2016101日より前の同法1183条及び1184条は,次のとおりでした。

 

Article 1183

La condition résolutoire est celle qui, lorsqu'elle s'accomplit, opère la révocation de l'obligation, et qui remet les choses au même état que si l'obligation n'avait pas existé.

  (解除条件は,それが成就したときに,債務の効力を失わせ,かつ,その債務が存在しなかった場合と同様の状態に事態を復元させるものである。)

Elle ne suspend point l'exécution de l'obligation ; elle oblige seulement le créancier à restituer ce qu'il a reçu, dans le cas où l'événement prévu par la condition arrive.

  (当該条件は,債務の履行を停止させない。それは,条件によって定められた事件が発生したときに,専ら債権者をして受領したものを返還させる。)

Article 1184

La condition résolutoire est toujours sous-entendue dans les contrats synallagmatiques, pour le cas où l'une des deux parties ne satisfera point à son engagement.

  (解除条件は,当事者の一方がその約束を何ら果さない場合について,双務契約に常に包含される。)

Dans ce cas, le contrat n'est point résolu de plein droit. La partie envers laquelle l'engagement n'a point été exécuté, a le choix ou de forcer l'autre à l'exécution de la convention lorsqu'elle est possible, ou d'en demander la résolution avec dommages et intérêts.

  (前項に規定する場合において,契約は当然解除されない。約束の履行を受けなかった当事者は,それが可能なときの合意の履行の強制又は損害賠償の請求と共にするその解除の請求を選択できる。)
La résolution doit être demandée en justice, et il peut être accordé au défendeur un délai selon les circonstances.

  (解除は裁判所に請求されなければならない。裁判所は,被告に対し,事情に応じた期限を許与することができる。)

 

(1)旧民法財産編4211

「凡ソ双務契約ニハ義務ヲ履行シ又ハ履行ノ言込ヲ為セル当事者ノ一方ノ利益ノ為メ他ノ一方ノ義務不履行ノ場合ニ於テ常ニ解除条件ヲ包含ス」という旧民法財産編4211項(及びフランス民法旧11841項)の規定は双務契約の当事者の意思を推定した規定のように思われますが,なかなか面白い。ボワソナアドの説くところを聴きましょう。

 

  394. 黙示の解除条件(condition résolutoire tacite)は,双務契約(contrats synallagmatiques ou bilatéraux)における特有の効果の一つであって,かつ,既に〔ボワソナアド草案〕第318条〔旧民法財産編297条〕に関して述べたとおり(第22項),この種別の契約に多大の利益を与えるものである。フランス民法は,これについての一般原則を第1184条において規定し,かつ,種々の特定の契約――特に売買(第1610条及び第1654条から第1657条まで)及び賃貸借(第1741条)――について特則を設けている。イタリア民法は,当該原則を同一の文言で規定している(第1165条)。これら両法典にはなおいくつかの規定の欠缺があったところ,本案においてはそれらが補正されている。

   債務不履行によって不便を被る当事者に対して法律によって与えられた(accordée par la loi)この解除は,非常に大きな恩恵である。当該当事者がなし得ることが当初の行為(action originaire)に限定された場合においては,債務者に係る他の債権者らとの競争を余儀なくされて当該債務者の支払不能の累を被ることがあり得るところである。彼は彼自身の債務全部の履行を強いられた上で,彼が受け取るべきものの一部しか受け取ることができなくなるかもしれないのである。しかし,解除の手段によって,彼は,合意がそもそもなかったような当初の地位を回復することができる。彼が彼自身の債務をまだ履行していないときには,彼は,その債務者を解放すると同時にまた解放されるのである。彼が既に履行していたときには,現物又は代替物をもって,彼は,引き渡した物の返還を請求することができる。例えば,彼の合意のみをもって既に所有権を移転し,その上当該不動産を引き渡した不動産の売主は,買主に既に占有を移転し,かつ,権原(証書:titres)を与えてしまっている。当該買主は,定まった期日に代金を弁済しない。当該売主は,解除によって,所有権を回復し,かつ,売った物の占有を再び得ることができる。この権利は,買主に係る他の債権者らに先んじて代金の弁済を受けるために,解除を請求することなしに,売った物の差押え及び再売却を実行できる同様に貴重な権利である先取特権に類似したところがある(… a de l’analogie)。しかし,その利点自体のゆえに,解除権は,買主と取引をする第三者が不意打ちのおそれを抱かないように,本来の先取特権と同様の公示に服するものである(〔ボワソナアド草案〕第1188条及び第1276条の2を見よ。)。

売られた物を引き渡す動産,食料及び商品の売主にとって,事情はしかく良好ではない。一般に,彼は,第三取得者又は他の債権者に対しても優先して,現物で当該目的物を回復することはできない。解除は,常に,彼に債権しか与えない。ただ,当初取り決められた代金額ではなく,売られた物の現在の価額――これは増価している可能性がある――を回復し得るところである。

動産の先取特権について規定する折には,更に売主の保護のための他の手段が整えられるであろう(フランス民法2102条第4号及び同商法576条並びに本草案11382項参照)。

目的物が彼にとって便宜の時に引き渡されず,又はそれが約束された状態ではなかったときには,売主についてのみならず買主にとっても解除は役立つ。しかしながら,彼が既に代金を支払っていた場合は,その回復のために彼は,何らの先取特権もなしに,一般債権しか有しない。というのは,彼が支払った代金は,売主のもとで他の財貨と混和してしまっているからである。したがって,彼は,売主に支払能力があるときにのみ解除を用いることになる。しかしながら,売主の支払不能を知らずにうっかり解除してしまった場合には,彼は,少なくとも代金の返還までは留置権を行使することができるであろう(〔ボワソナアド草案〕第1096条を見よ。)。

Gve Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxisième, Droits Personnels et Obligations. Tokio, 1891. pp.454-456。なお,平井一雄「解除の効果についての覚書」獨協法学9号(197710月)50-51頁)

 

暗黙の解除条件の制度は,法律によって与えられたものとされていますが,「解除条件は,当事者の蓋然的意思の法律による解釈(par une interprétation faite par la loi de l’intention probable des parties)以外のものによって双務契約に付与されたものではない」ところです(Boissonade, p.458)。なお,「したがって,彼らは反対の意思を表示することができる。履行に係るこの保証は,公序(ordre public)に属するものではないからである。しかし,法律上の推定(présomption légale)を覆すためには,彼らは明白にその旨の放棄をしなければならない。」とされます(ibid.)。

契約の解除を先取特権と類似のものとして説明するというボワソナアドの視角は独創的なものであるようにも思われます。この点については,「なお,ボワソナードの見解が「黙示の解除条件」の法的基礎として,部分的にではあれ,先取特権の一種という解除条件の枠組みからは外れた法理論に依拠・連関していた実際の理由としては,わが国における(旧)民法典施行後の実務および理論上の参考に供するために,このような理論を示したのではないかとも思われる。法典施行後(法典論争の結果,旧民法典の施行は実現しなかったが),裁判上の解除として解除訴訟に現れることが容易に予想される紛争類型(不動産売買の解除事案)についてのみ,踏み込んだ先取特権〔と〕いう法的基礎を示したと考えられなくもない。だが,この点はあくまで筆者の推測の域を出ない。」と評されています(福本忍「ボワソナード旧民法典草案(Projet)における法定解除の法的基礎――『プロジェ・初版』を分析素材として――」九州国際大学法学論集23123号(20173月)295-296頁・註82)。ところで,ボワソナアドの説くところを読みつつ,筆者は,古代ローマにおける「契約責任の変貌」に関する次の文章を想起していたところでした。

 

  不履行の場合に何を請求しうるかであるが,この点でも原則が変化するわけではないにかかわらず実際には少しずつ今までにはありえなかった関心が浮上していく。農場を売ったとしよう。引き渡したが代金が支払われない。代金支払いについて過失を論ずる余地は少ないから,故意責任,そして重い懲罰的損害賠償,という筋道になる。こういう場合売った農場を取り戻そうという関心は希薄であろう。売った以上金銭を欲したはずである。ところがやがてその農場自体を取り戻したいという関心が生まれる。まさにそれしかないそれを別に売りたい,そしてまた賠償を取りたくとも相手に他に資産はなく,それを他の債権者と分けるなどまっぴらごめんだ,等々。売っておきながら反対方向の金銭の流れとの関係で紐つきであるという,あの観念の再浮上でもある。同時履行の抗弁権という諾成契約に相応しからぬ観念が,しかも契約当事者間の信義の名のもとに,生まれてくる事情でもある。

  〔略〕契約を一方当事者の主張に基づいて解消するという関心が現れる。引渡をしてしまっていても契約さえ解消できれば所有権は移らない。ここからはrei vindicatio〔所有権に基づく返還請求〕が使えるではないか,というのである。所有権者が半分纏っていたbona fidesの衣装をかなぐり捨てる瞬間である。〔後略〕

(木庭146-147頁)

 

 こうしてみると,ボワソナアドの視角は,むしろ正統的なものであったといい得るようです。

 なお,旧民法財産編4092項が解除条件成就の効果は合意前に遡及するものとしていましたから,旧民法財産編4211項の解除の効果も遡及したわけでしょう。また,旧民法財産編4211項の「義務不履行」状態にあると認められる者には,同条2項に係るボワソナアド解説によれば,「障碍に遮られた誠意ある債務者(débiteur embarrassé et de bonne foi)」も含まれたようです(Boissonade, p.458)。裁判所による恩恵上の期限の許与は,このような債務者に対してされるべきものと説かれています(ibid.)。

 

(2)旧民法財産編424

 旧民法財産編424条の損害ノ賠償と民法5454項の損害賠償との関係も難しい。

民法5454項の損害賠償については,「その性質は,債務不履行による損害賠償請求権であつて,解除の遡及効にもかかわらずなお存続するものと解すべきである。近時の通説である(スイス債務法と同様に消極的契約利益の賠償と解する少数の説もある〔略〕)。判例は,以前には,債権者を保護するために政策的に認められるものといつたことなどもあるが(大判大正610271867頁など(判民大正10年度78事件我妻評釈参照)),その後には,大体において,債権者を保護するために債務不履行の責任が残存するものだと解している(大判昭和8224251頁,同昭和86131437頁など)」ところであって(我妻200頁),「填補賠償額を算定する標準は,抽象的にいえば,契約が履行されたと同様の利益――履行期に履行されて,債権者の手に入つたと同様の利益――であつて,債務不履行の一般原則に従う」ものとされています(我妻201-202頁)。

これに対して,旧民法財産編424条の損害ノ賠償に関してボワソナアドが説くところは,異なります。いわく,「法は解除した当事者に「其受ケタル損害ノ賠償(la réparation du préjudice éprouvé)」しか認めず,かつ,得べかりし利益(gain manqués)の賠償は認めていないことが注目される。また,法は,通常用いられる表現であって,「その被った損失及び得られなかった得べかりし利益(la perte éprouvée et le gain manqué)」を含むところの(〔ボワソナアド草案〕第405条)dommages-intérêtsとの表現を避けている。実際のところ,解除をした者がその合意からの解放とそれから期待していた利益とを同時に得るということは,理性及び衡平に反することになろう。彼が第三者との新しい合意において得ることのできる当該利益を,彼が2度得ることはできない。日本の法案は,このように規定することによって,通常の形式(la formule ordinaire)に従って“des dommages-intérêts”を与えるものとする外国法典においては深刻な疑問を生ぜしめるであろう問題を断ち切ったものである。」と(Boissonade, p.461。なお,平井51-52頁)。「解除は事態を合意より前の時点の状態に置くことをその目的とするものの,当該結果は常に可能であるものではない。」ということですから(Boissonade, p.460),原状回復を超えた損害賠償は認められないということでしょう。すなわち,「解除に伴う損害賠償の範囲は,現物が返還された場合であれ,返還不能で価格による償還の場合であれ,解除時における目的物の客観的価格が限度」になるものと考えられていたようです(平井52頁)。

ボワソナアドの口吻であると,フランス民法旧11842項の損害賠償についても,得べかりし利益の賠償を含まず,かつ,原状回復が上限であるものと解するのが正しい,ということになるようです。我が旧民法及びフランス民法に係るボワソナアドの当該解釈を前提とすると,民法5454項に関して「わが民法は,フランス民法・旧民法に由来し,債務不履行により損害の生じた以上民法415条によりこれを賠償すべきものとの趣旨で,ただ反対の立法例もあるので念のため規定したとされる。」と言い切ること(星野Ⅳ・93頁。下線は筆者によるもの)はなかなか難しい。梅謙次郎は対照すべき条文として旧民法財産編424条を掲げつつ,民法5454項に関して「当事者ノ一方カ其不履行ニ因リテ相手方ニ損害ヲ生セシメタルトキハ必ス之ヲ賠償スヘキコト第415条ノ規定スル所ナリ而シテ是レ契約ノ解除ニ因リテ変更ヲ受クヘキ所ニ非サルナリ故ニ当事者ノ一方ノ不履行ニ因リテ相手者カ解除権ヲ行ヒタル場合ニ於テハ其解除ノ一般ノ効力ノ外相手方ヲシテ其不履行ヨリ生スル一切ノ損害ヲ賠償セシムルコトヲ得ヘシ(契約上ノ解除権ヲ行使スル場合其他不履行ニ因ラサル解除ノ場合ニ在リテモ若シ同時ニ契約ノ全部又ハ一部ノ不履行ノ事実アルトキハ同シク賠償ノ責ヲ生スルモノトス)」と述べていますが(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第33版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)453頁・454-455頁),ここでの旧民法財産編424条は,飽くまで単に対照されるだけのものだったのでしょう。

なお,穂積陳重の「既成法典〔すなわち旧民法〕抔ニ於テモ然ラハ解除ヲ請求スルカ損害賠償ヲ請求スルカト云フヤウニ選択ヲ為スコトノ出来ル場合抔モ徃々アルノテアリマス」との前記発言は,文言上解除と損害ノ賠償とが併存している旧民法財産編424条の存在を前提とすると理解が難しく,あるいは選択云々ということであればフランス民法旧11842項に関する言い間違いということになるのでしょうか。それとも,旧民法財産編424条の損害ノ賠償をボワソナアド流に正解した上で,同条の損害ノ賠償は原状回復の一部であって本来の損害賠償ではない,という判断が前提としてあったのでしょうか。

 

(3)旧民法財産編412

ところで,法典調査会の民法議事速記録にも梅謙次郎の『民法要義』にも民法545条に関して参照すべきものとして挙げられていないものの,なお同条に関して参考となるべき条文として旧民法財産編412条があります。

 

 旧民法財産編412条 条件ノ成就シタルトキハ物又ハ金銭ヲ引渡シ又ハ返還ス可キ当事者ハ其成就セサル間ニ収取シ又ハ満期ト為レル果実若クハ利息ヲ交付スルコトヲ要ス但当事者間ニ反対ノ意思アル証拠カ事情ヨリ生スルトキハ此限ニ在ラス

  (Lorsque la condition est accomplie, celle des parties qui doit livrer ou restituer une chose ou une somme d’argent doit en fournir les fruits ou intérêts perçus ou échus dans l’intervalle, à moins que la preuve d’une intention contraire des parties ne résulte des circonstances.

 

 ボワソナアドの解説は,次のとおり。

 

371. 〔ボワソナアド草案〕第432条〔すなわち旧民法財産編412条〕は,暫定的に収取される(intérimaires)果実及び利息について規定し,解除の効果を全からしめる。フランス及びイタリアの法典はひとしくこの点について沈黙しており,意見の相違をもたらしている。

 本案は,解除の自然な帰結をたどるものである。もし,解除が直接的なもので,かつ,移転された権利の受領者に対して成就したのであれば,同人は,一定の占有期間中において目的物の果実及び産物を収取できたのであるから,それらを返還する。他方,譲渡人は,代金を受領することができたのであるから,その利息を返還する。もし,停止条件の成就によって解除が間接的に作用するときは〔筆者註:旧民法では停止条件付法律行為の効力もその成立時に遡及し(同法財産編4091項),(遡及的)解除条件付法律行為の場合の裏返しのような形で,法律行為成立時と条件成就時との間における当事者間の法律関係が変動しました。〕,権利を譲渡した者は目的物を収取された果実と共に引き渡し,受領者は代金を利息と共に支払う。かくして事態は,第1の場合においては解除条件付合意がされなかった場合においてあるべきであった状態に至り,第2の場合においては停止条件付合意が無条件かつ単純であった場合においてあるべきであった状態に至る。

 〔ボワソナアド草案〕第432条〔すなわち旧民法財産編412条〕は,上記の解決を与えつつも,当事者の意図するところによって変更が可能であることを認める。実際にも,単純処理の目的のために,明示又は黙示に,条件の成否未定の間に一方当事者によって収取された果実を他方当事者から受領すべき代金の利息と相殺するように両当事者が認めることは可能である。当該相殺は,フランスにおいては遺憾にも,例外ではなくむしろ一般準則として認められているところであるが,日本においては裁判所によって極めて容易に認められるであろう。特に,合意と条件の成否決定との間の期間が長期にわたるときである。しかしながら,これは常に,状況によりもたらされた例外と観念されなければならない。

Boissonade, p.434

 

 フランス及びイタリア両民法には規定がなかったということで,穂積陳重はドイツ民法草案を参照したのでしょう。旧民法財産編412条は契約の解除の場合についてではなく条件成就の場合一般に係る規定である建前であったので,民法545条に係る参照条文とはされなかったものでしょうか。

 

跋 2021年の夏

 と以上長々と書いてきて,いささか収拾がつかなくなってきました。

 ここで原点に帰って,筆者の問題意識を再確認しておきましょう。

 そもそも本記事を起稿したのは,2021年夏の東京オリンピック大会開催に関する「開催都市契約に係るスイス債務法の適用等に関する走り書き(後編)」記事の「追記2:放送に関する払戻し契約」において(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078653594.html),平成29年法律第44号による民法改正を解説する筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)の228頁(注3)における民法536条新1項に係る御当局流解釈論を紹介したことが発端です。すなわち,当該解釈論によれば,民法536条新1項においては「債権者は履行拒絶権がある反対給付債務の履行を常に拒絶することができるのであり,このような履行拒絶権の内容からすると,この場合の反対給付債務については,そもそも給付保持を認める必要すらないことから,債務としては存在しないのと同様に評価することができる。そのため,新法においても,旧法と同様に,債権者は,既に反対給付債務を履行していたときには,不当利得として,給付したものの返還を請求することができると解される」ものとされ(下線は筆者によるもの),債務者は,原則的には「その利益の存する限度において」当該利益を返還する義務を負うことになるわけですが(民法703条),ここで債権者が一声「あなたは債務を履行することができなくなっていますから,この契約を解除します。」と債務者に契約解除の意思表示をすれば(同法54211号,5401項),債務者は債権者を「原状に復させる義務を負」い,かつ,受領の時からの金銭の利息の支払及び受領物から生じた果実の返還もしなければならないことになるわけです(同法5451-3項)。要するに,「契約解除」の単なる一声で,返還を受け得るものの範囲が結構増加することになります(民法703条と545条との違い)。実務上は,合理的な債権者としてはなるべく一声添えて契約の解除構成とし,債務者に対し,給付したものに係るより多くの返還の請求をすることになるのでしょうが(裁判所の対応としては,契約の解除構成でも不当利得構成でもよい,ということにはなるのでしょう。),たった一声で結果に大きな差が出るのは奇妙ではあり,実用法学論はともかくも,そもそも本来的にはどちらが「正しい」構成なのかしら,という危険な好奇心を抱いてしまったところです(「正しさ」の追求は,おおむね剣呑です。)。

 ということで,契約の解除の効果に係る民法545条を,最近筆者に対して気難しく反抗的な机上のPCをなだめつすかしつ,『法典調査会民法議事速記録』等を参照しながら調べ始めてみたわけです。

 民法545条の原状回復義務は,沿革的には次のように説明されるのでしょう。

契約の解除制度を構築する際,既にあった解除条件付法律行為の制度に拠ったところ(フランス民法旧11841項,旧民法財産編4211項),当時の解除条件成就の効果は法律行為成立以前に遡及するものであったため(フランス民法11831項,旧民法財産編4092項。民法1272項とは異なる。),契約の解除の効果として旧民法財産編412条的な原状回復義務が疑問なく当然のものとして取り入れられ(ドイツ民法第一草案42712項,ドイツ民法第二草案298条),それがそのまま残っている,ということでしょうか。契約の解除の制度なるものに係る抽象的かつ超越的な「本質」に基づくものではないのでしょう。

遡及的解除条件の双務契約への付加及びその成就の効果は当事者の意思の推定に基づくものとされていたもののようです。しかし,当該条件付加の目的は,ボワソナアドとしては担保物権的効果を主眼としていたようであって(以上本記事41)参照),その点では,原状回復義務は債権でしかない限りにおいては重視されなかったということになるようです。確かに,原状回復債権以前に本来の契約に基づく債権があったのであって,まずはその担保の心配をせよ,ということになるものでしょうか。また,契約の解除が民法5361項の場面に闖入するに至った原因は平成29年法律第44号による改正によって契約の解除に債務者の帰責事由を不要としたからなのですが,当該改正の理由は,債権者が「契約を解除してその拘束力を免れること」をより容易にするということのようであって(筒井=村松234頁等),契約の解除の効能としては,それに伴うところの原状回復には重きが置かれていないようです(そもそも,契約が履行されていたなら得たであろう利益(履行利益)の賠償を民法5454項の損害賠償として認める解釈は,契約が締結されなかった状態に戻すはずのものである同条1-3項にいう原状回復とは食い合わせが悪いところです。)。「解除の機能は,相手が債務不履行に陥った場合に,債権者を反対債務から解放し,債務者の遅れた履行を封じ,あるいは,自らが先履行して引き渡した目的物の取り戻しを認めることによって,債権者を保護することにある。」と説かれています(内田85-86頁)。契約の解除制度の主要目的が債権の担保及び契約の拘束力からの離脱という,これからどうする的問題のみに係るものであれば,契約の成立時からその解除時までの期間における法的効力及び効果をあえて後ろ向きに剥奪しようとする債権的な原状回復の努力は,どうも当該主要目的に正確に正対したものとはいえず,過剰感のあるものともいい得るように思われます。

 契約の解除制度の基礎付けを契約当事者の意思に置く場合,民法5361項の場面において,債務者が既に受領していた反対給付に係る返還義務を契約の解除に基づく原状回復義務とすることも(従前は不当利得に基づく返還義務でした。),契約当事者の意思の範囲内にあるものと観念し得るかどうか。202041日以降の当事者の意思は制度的にそうなのだ(平成29年法律第44号附則32条),と言われればそういうことにはなるのでしょう。そうだとすると,民法536条新1項に係る御当局流の解釈論は,契約が解除されるまでは当該契約に基づき既受領の反対給付を債務者は当然保持できるのだ,との契約当事者の意思もまた措定される場合,当該意思を余りにも軽んずるものであるとされてはしまわないものでしょうか。

 以下余談。

 話題を開催都市契約ないしは放送に関する払戻し契約関係から,東京オリンピック大会開催下(2021年夏)の我が国の情態いかんに移せば,これに関しては,新型コロナウィルス感染症の「感染爆発」下にあって,我々は80年ほど前のいつか来た道を再び歩んでいるのではないか,と懸念する声もあるようです。

 しかし,ちょうど80年前の19417月末の我が国の指導者に比べれば,現在の我が国の政治家・国民ははるかに立派です。

 1941730日水曜日の午前,昭和天皇と杉山元参謀総長(陸軍)とのやり取りにいわく。

  

  また天皇は,南部仏印進駐の結果,経済的圧迫を受けるに至りしことを御指摘になる。参謀総長より予期していたところにして当然と思う旨の奉答を受けられたため,予期しながら事前に奏上なきことを叱責される。(宮内庁『昭和天皇実録 第八』(東京書籍・2016年)445頁)

 

前年行った北部仏印進駐でも足らずに19417月にまた南部仏印進駐を更に行い,これに対して発動された関係諸国の経済的圧迫がけしからぬあの「ABCD包囲網」であるということで同年12月の対米英蘭開戦の災いに立ち至ったはずなのですが,いや,こういうことをしちゃえば当然ヤバくなることは分かっていました,と当の責任者からしゃあしゃあと言われると腹が立ちます。

前年以来重ねて緊急事態宣言を発しているにもかかわらず感染状況が改善しないところ,他方累次の宣言等によって国民が「経済的圧迫を受けるに至りしこと」を担当国務大臣に対して指摘すると,「予期していたところにして当然と思う」という他人事のような回答が返って来た,という悲劇には,今日の日本はまだ見舞われてはいないようです。

同じ1941730日の午後,今度は永野修身軍令部総長(海軍)です。

 

 永野より,前総長〔伏見宮博恭王〕と同様,できる限り戦争を回避したきも,三国同盟がある以上日米国交調整は不可能であること,その結果として石油の供給源を喪失することになれば,石油の現貯蔵量は2年分のみにしてジリ貧に陥るため,むしろこの際打って出るほかない旨の奉答を受けられる。天皇は,日米戦争の場合の結果如何につき御下問になり,提出された書面に記載の勝利の説明を信じるも,日本海海戦の如き大勝利は困難なるべき旨を述べられる。軍令部総長より,大勝利は勿論,勝ち得るや否やも覚束なき旨の奉答をお聞きになる。(宮内庁445-446頁)

 

 衆議院議員の任期満了まで2月余のみにしてジリ貧に陥るため,むしろこの際打って出るほかないとて,感染制圧に至る旨の説明が記載された書類と共に勇ましい新規大型施策の提案があったところ,その担当部署の長に対して「難しいんじゃないの」と牽制球を投げてみると,いや撲滅はもちろん効果があるかどうかも覚束ないんですとあっさり告白されてしまえば,脱力以前に深刻な事態です。しかし,このような漫画的事態(とはいえ,告白してしまっておけば,確実視される当該施策失敗の際に責任を負うのは,提案者ではなく採用者であるということにはなります。)が現在の永田町・霞が関のエリートによって展開されているということは,およそ考えられません。

 19417月末の大元帥とその両幕僚長との悲喜劇的やり取りにかんがみると,その4年後に我が民法等の立法資料の原本が甲府において灰燼に帰してしまうに至った成り行きも,何だか分かるような気がします。

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(上)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078601732.html(申命記第22章第5節,禮記及び違式詿違条例)


なお,東京違式詿違条例62条ただし書にいう「女ノ着袴」の「袴」を,和服の(はかま)のことと解さずに,厳格に漢文にいう「()」として読むと(「袴」は「絝」の別体),「ももひき。ズボン。」のことになります(『角川新字源』777頁)(註)。ヨーロッパでは,女性がズボンをはくということが,女性による男装というスキャンダラスな行為を象徴するものであったはずですが(以下に出て来るフランス共和国元老院のウペール議員の用いた表現参照),我が国では,もんぺをはいていても大和撫子であることに変わりはありません。

 

  Als Lola Lola zerstörte sie 1930 im FilmDer Blaue Engel die Welt der Scheinmoral, wurde zur Ikone einer freien Sexualtät; ihr bewusstes Tragen von Hosen bei öffentlichen Auftritten beförderte ein emanzipiertes Frauenbild.

     (Edgar Wolfrum und Stefan Westermann, Die 101 Wichtigsten Personen der Deutschen Geschichte. (C.H.Beck, München, 2015) S.87)

  (1930年,映画『青い天使』の「ローラ・ローラ」として,彼女〔マレーネ・ディートリッヒ〕は見せかけの道徳(モラル)の世界を破壊し,自由な性の偶像(イコン)となった。公の場における彼女の意識的ズボン着用は,一つの解放された女性像をもたらした。)

 

4 共和国9年(ブリュ)(メール)26日セーヌ県警視総監命令第22号等

ボワソナアドの頑張りの背景には,それを支えるべきフランス法の規定があったように思われるところ,探してみると,今世紀に入ってから,フランス共和国の一元老院委員と同国政府との間で,次のようなやり取りがあったところです。

 

 アラン・ウペール君(コート・ドオル,UMP〔人民運動聯合〕)の書面による質問第00692号 

 (2012712日付け元老院公報1534頁掲載)

 アラン・ウペールは,政府の代表である女性の権利大臣の注意を,依然効力を有しているところの女性のズボン(パンタロン)着用を禁ずる18001117(ママ)日法の規定に向けて喚起する。具体的には,当該法――共和国9(ブリュ)(メール)26日法――は,「男装しようとする全ての女子は,その許可証を得るため,警視庁に出頭しなければならない。」と規定している。当該禁止は,ズボン(パンタロン)を女性が着用することを「当該女子が自転車のハンドル又は馬の手綱を把持する場合」に認める1892年及び1909年の2件の通達によって部分的に廃止されている。当該規定はもはや今日適用されないとしても,その象徴的重要性は,我々の現代的感性と衝突し得るものである。よって,同人は,同大臣に対し,当該規定を廃止する意思ありやと質問する。

 

 女性の権利省の回答

 (2013131日付け元老院公報339頁掲載)

 お尋ねの1800117日法は,「女子の異性装に関する命令」と題する共和国9(ブリュ)(メール)26日(1800117日)付けデュボワ警視総監の第22号命令である。ちなみに,当該命令は,先ず何より,彼女たちが男性のように装うことを妨げることによって,ある種の職務又は職業に女性が就くことを制限しようとするものであった。当該命令は,憲法及びフランスがヨーロッパと結んだ約束――なかんずく1946年憲法の前文,憲法第1条及び欧州人権条約――に銘記されている女性と男性との間における平等の原則と抵触している。当該抵触の結果,117日命令の明文によらざる廃止が生じたものであり,したがって,それは,全ての法的効力を剥奪されており,かつ,そのようなものとしてパリ警視庁に保存されている一片の古文書にすぎないものとなっている。

 

 共和国9(ブリュ)(メール)26日(1800117日)付けデュボワ警視総監の第22号命令は,次のとおり(Christine Bard, “Le DB 58 aux Archives de la Préfecture de Police”. Clio. Femmes, Genre, Histoire. octobre 1999)

 

  警視総監は,

  多くの女子が異性装をしている旨の報告を受け,かつ,健康上の理由cause de santé以外の理由では彼女らのうちいずれもその性の服装を廃することはできないものと確信し,

  異性装の女子は,必要に応じて提示できる特別の許可証を携帯できるようにならなければ,警察官による取り違え(méprises)をも含む数限りのない不都合(déagréments)にさらされることを考慮し,

  当該許可証は統一されたものであるべきこと及び本日まで異なった許可証が種々の当局から交付されていることを考慮し,

  最後に,本命令の発布後,成規の手続を履まずに男装する全ての女子は,その異性装を悪用する不法の意図(l’intention coupable d’abuser de son travestissement)を有するものと疑う理由を与えるものであることを考慮し,

  次のとおり定める。

  1 本日までにセーヌ県の副知事又は市長並びにサン・クルー,セーヴル及びムードンの各コミューンの市長によって交付された全ての異性装許可証(警視庁において交付されたものをも含む。)は,無効であり,そうあり続ける。

  2 男装しようとする全ての女子は,その許可証を得るため,警視庁に出頭しなければならない。

  3 当該許可証は,その署名の真正が正式に証明された保健吏(officier de santé)による証明書,並びにそれに加えて,申請者の氏名,職業及び住居を記した市長又は警察署長の証明書に基づかなければ与えられない。

  4 前各項の規定に従わずに異性装をするものと認められる全ての女子は,逮捕され,警視庁に引致される。

  5 この命令は,印刷され,セーヌ県全域並びにサン・クルー,セーヴル及びムードンの各コミューン内において掲示され,当該官吏による執行を確保するため,第15及び第17師団長,パリ要塞司令長官,セーヌ県及びセーヌ=オワーズ県の憲兵司令官,市長,警察署長並びに治安担当吏に送付される。

  警視総監デュボワ

 

「異性装を悪用する不法の意図」,すなわち男性と偽ることによる身元擬装を警戒する上記1800117日命令の発布の背景として,第一統領に対する同年1010日の共和主義者による暗殺の陰謀,同年1224日のサン・ニケーズ街における爆殺未遂事件といった出来事に象徴される,発足後1年のナポレオン・ボナパルトの統領政府(le Consulat)が治安強化を必要としていた世情があったと指摘されています(Bard: 11)。

1800117日命令に違反した罪に係る刑については,同命令自身は明らかにしていませんが,違警罪ということで科料又は5日未満の拘留ということになったはずとされ,例えば1830年にはつつましい研磨工であるペケ嬢に対して3フランの科料が科せられています(Bard: 18)。

しかし,一見して分かるように,女性の男装のみが問題とされていて,男性の女装については問題とされていません。「男性にとって,異性装は,女性的柔弱化と区別されたものとしては,疑いなく19世紀の初頭においてはなお考えることが難しかった。女性は,異性装によって,社会が彼女たちに拒否した自由を獲得する,しかし,男性は?」ということでしょうか(Bard: 14)。女性に対する警戒優先ということでは,前記申命記第22章第5節の立法趣旨⑥的です。ただし,1833531日の警視総監命令は,舞踏会,ダンス場,演奏会,宴会及び公の祝祭の主催者(entrepreneurs)が異性装をした者(男女を問わない。)の入場を認めることを禁止し,当該禁止は謝肉祭(カルナヴァル)の期間においてのみ警視庁の許可をもって解除されるものとしていました(Bard: 14)。1886年のボワソナアド刑法草案4864号にいう「公許ノ祭礼」の原風景は,フランスのカーニヴァルだったわけです。

なお,フランスの1810年刑法典の第259条は「自らに属しない服装,制服又は徽章(un costume, un uniforme ou une décoration)を公然僭用した者又は帝国の位階を詐称した者は,6月から2年までの禁錮に処せられる。」と規定していましたが,19世紀半ばのジャック=フランソワ・ルノダン(男性)はその女装について同条前段違反で何度も起訴されたにもかかわらず,常に放免されていましたし(同条は,我が軽犯罪法(昭和23年法律第39号)115号,警察犯処罰令220号(「官職,位記,勲爵,学位ヲ詐リ又ハ法令ノ定ムル服飾,徽章ヲ僭用シ若ハ之ニ類似ノモノヲ使用シタル者」を30日未満の拘留又は20円未満の科料に処する。)及び旧刑法231条(「官職位階ヲ詐称シ又ハ官ノ服飾徽章若クハ内外国ノ勲章ヲ僭用シタル者ハ15日以上2月以下ノ軽禁錮ニ処シ2円以上20円以下ノ罰金ヲ附加ス」)に類するものです。),1846年に行商人のクロード・ジルベール(男性)はその女装による公然猥褻のかど(l’inculpation d’outrage à la pudeur publique)で起訴されていますが,やはり無罪放免でした(Bard: 14)。

1800117日命令に基づく許可証を得ることができた女性は,「通常男性がするものとされている職業に従事する女性又は「髭の生えた女性のように,余りにも男性的なその外見のため,公道において好奇心の対象として曝される」女性」であったそうです(Bard: 6)。前者に係る理由が2013年の女性の権利省回答にいう「当該命令は,先ず何より,彼女たちが男性のように装うことを妨げることによって,ある種の職務又は職業に女性が就くことを制限しようとするものであった」という後付け的(デュボワは命令の趣旨として明示していません。)性格付けに対応し,後者はデュボワのいう「健康上の理由」を有する者に含まれるのでしょうか。女性の権利省の回答は,女性の男装を禁ずることは就職の場面において男女の平等原則を損ねるものであるとして,当該禁止規定の無効を導出するものですが,これは,申命記第22章第5節以来の異性装禁止の性格付けとして,同節に係る前記立法趣旨の⑤ないしは⑥を採ったような形になっています。

なお,かつての東京府知事の権限は他府県の知事のそれとは異なり,警察事務はそこには属しておらず(換言すると,現在とは異なり,府県知事は警察事務も所掌していました。),東京府における当該事務は警視庁が所掌していましたが,この「警視庁ノ制度ハ初メ仏国ノセイヌ県警察知事ノ制ニ倣ヒテ設置セラレタルモノ」です(美濃部達吉『行政法撮要 上巻(第4版)』(有斐閣・1933年)299頁)。デュボワは,ボナパルト政権下において創設された当該官職における初代在任者です(Bard: 11)。

 

5 米国における市条例

 米国では,1848年から1900年までの間に34の市が異性装を犯罪化する条例を制定し,1914年の第一次世界大戦勃発時までには更に11市が加わっています。Arresting Dress: Cross-Dressing, Law, and Fascination in Nineteenth-Century San Francisco”Duke University Press, 2014の著者であるサン・フランシスコ州立大学のC.シアーズ(Clare Sears)准教授によれば,これらの条例は,典型的には,売春取締りを主要な目的に,町の健全なイメージを醸成して中間層(ミドル・クラス・)家族(ファミリーズ)の移入を図ろうとする発展しつつあるフロンティア・タウンにおいて制定されたものだそうです。「当時は,異性装が行われる場合は多くは売春がらみでした。女性がある形で男装するということは,彼女はより冒険的であり,性的関係を結び得るより大きな可能性があるということを他の人々に伝えることでした。」,「実際は服装が問題なのではなかったのです。これらの条例は,淫らさを取り締まって,より性的に健全な町を作ろうと試みて制定されたのです。そして服装は,そこに達するための手段にすぎなかったのです。」とのことです。大きな拡がりをみせた風俗浄化運動(anti-indecency campaign)の一部として1863年にはかのサン・フランシスコ市においても「彼又は彼女の性に即するものではない服装」をして公然現れることを犯罪とする条例が制定され,19747月まで効力を保っていました。(以上,SF State News ウェブサイト: Beth Tagawa, “When cross-dressing was criminal: Book documents history of longtime San Francisco law”参照)

 なお,シアーズ准教授の前掲書の一書評(by John Carranza at notevenpast.org)によると,19世紀のサン・フランシスコでは,清国からの移民が,異性装をして上陸して来るのでけしからぬということで取り締まられていたそうです。男女不通衣裳の禁を破ったのであれば,米国法及びその執行の適正性いかんを云々する以前に,自民族の伝統的な礼の教えに背いていたことになるのでしょう。


(下)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078601799.html(東京地方裁判所令和元年12月12日判決)



註:絝と和服の(はかま)とのここでの使い分けは,絝であれば馬乗袴型のもののみがそう呼称される一方,行灯袴型のものも(はかま)には含まれるとの理解に基づいています。現在の女子学生が卒業式の際よく着用するものは,行灯袴ですので,ズボンとスカートとの対比ではスカートに該当することになります。女性がスカートを着用するのでは,そもそもabominabilisにはならないでしょう。

 いずれにせよ,女ノ着袴は男粧であるから(「縛裳爲袴」については,「女性の長いスカート風の衣裳」である裳を「縛って袴にしたとは,男装をしたこと」とあります(『新編日本古典文学全集2 日本書紀①』(小学館・1994年)63頁・註14)。),それを許すためにはただし書で外す必要があった,ということになります。しかし,俳優・歌妓・舞妓ならぬ堅気の女性にまで着袴による男粧を許すのですから,東京違式詿違条例62条は,宗教的徹底性を持った異性装の禁止であったとはいえないでしょう。

 また,(まち)高袴(だかばかま)(というものがあります。(まち)」は,袴の内股のところのことです。すなわち襠高袴は,絝ということになります。これについては,明治四年八月十八日(1871102日)に太政官から「平民(まち)高袴(だかばかま)(さき)羽織(はおり)着用可為(なすべきは)勝手事(かってたること)」とのお触れが出ています。これは換言すると,それまで襠高袴及び割羽織は士族(男ですね。)専用だったわけです。絝の男性性に係る一例証となるでしょうか。


追記:本稿掲載後,
1800117日のセーヌ県警視総監命令に関して,新實五穂「警察令にみる異性装の表徴」DRESSTUDY64号(2013年秋)24-31頁に接しました。 

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1 「確定日付のある証書」

 

(1)民法467条2項

 民法(明治29年法律第89号)4672項に「確定日付のある証書」という語が出て来ます。

 

   (債権の譲渡の対抗要件)

  467 債権の譲渡(現に発生していない債権の譲渡を含む。)は,譲渡人が債務者に通知をし,又は債務者が承諾をしなければ,債務者その他の第三者に対抗することができない。

  2 前項の通知又は承諾は,確定日付のある証書によってしなければ,債務者以外の第三者に対抗することができない。

 

民法467条の本野一郎及び富井政章によるフランス語訳Code Civil de l’Empire du Japon, Livres I, II & III(新青出版・1997年))は,次のとおり(ただし,第1項は,平成29年法律第44号による改正前の法文です。)。

 

  La cession d’une créance nominative n’est opposable au débiteur et aux autres tiers que si elle a été notifiée par le cédant au débiteur ou acceptée par celui-ci.

  La notification et l’acceptation, dont il est parlé à l’alinéa précedent, ne sont opposables aux tiers, autre que le débiteur, que si elles ont été faites dans un acte ayant date certaine.

 

 「確定日付」は,フランス語では“date certaine”ということになります。「証書」は,“acte”です。合わせて「確定日付のある証書」は,“un acte ayant date certaine”です。(なお,“acte”には「(法律)行為」との意味もあります。)

 

(2)民法施行法5条1項

 で,確定日付のある証書とは何ぞや,ということで民法中を探しても,分からないことになっています。民法467条の起草者である梅謙次郎は,1895322日の72法典調査会において「成程此確定日附ノ方法ト云フモノハ余程困難ニハ相違アリマセヌ,ケレトモ六ケ敷イカラト云ツテ規定シナイト云フ訳ニハ徃キマセヌカラ孰レ特別法ヲ以テ規定スヘキモノテアラウト考ヘマス」と述べていました(『法典調査会民法議事速記録第22巻』(日本学術振興会)139丁裏)。すなわち,当該特別法たる民法施行法(明治31年法律第11号)という,民法とはまた別の法律の第51項を見なければなりません。

 

  5 証書ハ左ノ場合ニ限リ確定日付アルモノトス

   一 公正証書ナルトキハ其日付ヲ以テ確定日付トス

   二 登記所又ハ公証人役場ニ於テ私署証書ニ日付アル印章ヲ押捺シタルトキハ其印章ノ日付ヲ以テ確定日付トス

   三 私署証書ノ署名者中ニ死亡シタル者アルトキハ其死亡ノ日ヨリ確定日付アルモノトス

   四 確定日付アル証書中ニ私署証書ヲ引用シタルトキハ其証書ノ日付ヲ以テ引用シタル私署証書ノ確定日付トス

   五 官庁又ハ公署ニ於テ私署証書ニ或事項ヲ記入シ之ニ日付ヲ記載シタルトキハ其日付ヲ以テ其証書ノ確定日付トス

   六 郵便認証司(郵便法(昭和22年法律第165号)第59条第1項ニ規定スル郵便認証司ヲ謂フ)ガ同法第58条第1号ニ規定スル内容証明ノ取扱ニ係ル認証ヲ為シタルトキハ同号ノ規定ニ従ヒテ記載シタル日付ヲ以テ確定日付トス

 

ア 柱書き

ここでいう「証書」とは,「紙片,帳簿,布その他の物に,文字その他の符号をもつて,何らかの思想又は事実を表示したもので,その表示された内容が証拠となり得る物,すなわち書証の対象となり得る文書」をいいます(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)400頁)

 

イ 第1号

民法施行法511号の「公正証書」は,公証人が作成するものに限られず,「公務員がその権限内において適法に作成した一切の証書」たる広義のものです(吉国等250頁)

 

ウ 第4号

民法施行法514号に関しては,「同号にいう「確定日付ある証書中に私署証書を引用したるとき」とは,確定日付ある証書それ自体に当該私署証書の存在とその同一性が明確に認識しうる程度にその作成者,作成日,内容等の全部又は一部が記載されていることをいうと解すべきである。」と判示する最高裁判所判決があります(昭和58322日・集民138303頁)。

 

エ 第5号

民法施行法515号の「官庁又ハ公署」は,郵政事業庁(かつては,郵便事業は政府直営でした。)の後身たる日本郵政公社の存続期間中(200341日から2007930日まで)は「官庁(日本郵政公社ヲ含ム)又ハ公署」となっていました(日本郵政公社法施行法(平成14年法律第98号)90条による改正)。ここでの「官庁又ハ公署」は,「国または地方公共団体等の事務執行機関一般を指すもの」です(奥村長生「101 市役所文書課係員が受け付けた事実を記入し受付日付を記載した債権譲渡通知書と確定日付のある証書」『最高裁判所判例解説民事篇(下)昭和43年度』(法曹会・1969年)931頁)。確定日付の付与に係る事務を郵便局〠で行わせてはどうかという話は,民法467条に係る審議を行った第72回法典調査会で既に出ていたところです(『法典調査会民法議事速記録第22巻』156丁表)

民法施行法515号に関する判例として,最高裁判所第一小法廷昭和431024日判決・民集22102245頁があります。横浜市を債務者とする債権の譲渡に関する事件に係るものです。いわく,「本件通告書と題する文書(乙第3号証)は,地方公共団体たる被上告人市〔債務者〕の文書受領権限のある市役所文書課係員が,同市役所の文書処理規定にもとづき,私署証書たる訴外D作成の本件債権譲渡通知の書面に,「横浜市役所受付昭和三四・八・一七・財第六三九号」との受付印を押捺し,その下部に P.M.4.25 と記入したものであるというのであるから,これは,公署たる被上告人市役所において,受付番号財639号をもつて受け付けた事実を記入し,これに昭和34817日午後425分なる受付日付を記載したものというべく,従つて,右証書は民法施行法55号所定の確定日付のある証書に該当するものと解すべきである。/してみれば,右通告書をもつて,未だ確定日付ある証書とはいえないとして,上告人の本訴請求を排斥した原判決は,民法施行法55号の解釈適用を誤り,ひいては,民法4672項の解釈適用を誤つた違法のあるものといわなければならない。」と。

民法施行法515号が「同号にいう「確定日附」の要件として,〔略〕私署証書に「或事項ヲ記入」することを要求しているのは,登記所または公証人役場が,「私署証書ニ確定日附ヲ附スルコト」自体を,その本来の職務としている(民法施行法52号,6条)のに対し,その他の官庁または公署はそのようなことをその本来の職務とするものではないため,登記所または公証人役場以外の官庁または公署が私署証書に単なる日付のみを記載するということは通常考えられず,したがって,そのような官庁または公署の単なる日付のみの記載をもってしてはいまだ「確定日附」とはいえないという消極的な理由からにすぎない,と解するのが相当」であり,判例,学説も結論的に同旨の見解に立つものと解されています(奥村932頁)。昭和43年最高裁判所判決は,当該消極的趣旨を前提として「或事項ヲ記入シ」とは「格別に制限的に解しなければならない理由はなく,官庁または公署がその職務権限に基づいて作成する文書,すなわち,公文書と認めうる記載さえあれば充分であると解し」た上で,更に,「「官庁又ハ公署」の作成する文書の記載内容には,私署証書,すなわち,私人の作成する文書の記載内容に比して,高度の信用性があると認められる」という信用性は,当該公署が債権譲渡の通知を受ける債務者であるという当事者の場合であっても同様に認められるということができるから,当該事案における「通告書」を民法施行法515号所定の確定日付のある証書に該当するものと認めたもの,と評価されています(奥村931-932頁)

 

オ 第6号

民法施行法516号は,郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成17年法律第102号)3条によって追加されたものです(併せて同条により,民法施行法51項中の「日附」が「日付」に改められました。)。従来は,民法施行法515号に含まれていたものです。内容証明郵便制度は,「郵便の送達により権利義務の発生保存移転若くは消滅等を証明せんとするものの利用に供するの目的を以て」(逓信省『郵便』(逓信省・1914年)48頁),当時の郵便規則(明治33年逓信省令第42号)が1910115日公布の逓信省令第106号によって改正されて,同月16日から発足しています(当時の逓信大臣は後藤新平)。

 

カ 第2項及び第3項

指定公証人が電磁的方式によって「日付情報」を付した「電磁的記録ニ記録セラレタル情報」を「確定日付アル証書ト看做ス」とともに,当該日付情報の日付をもって確定日付とする民法施行法52項及び3項は,商業登記法等の一部を改正する法律(平成12年法律第40号)3条によって追加されたものです。

 

(3)民法施行法旧4条

なお,民法施行法4条は,「証書ハ確定日附アルニ非サレハ第三者ニ対シ其作成ノ日ニ付キ完全ナル証拠力ヲ有セス」と従来規定していましたが,民法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成29年法律第45号)1条によって,202041日からさりげなく「削除」となっています。

民法施行法旧4条は,実は(有害)無益な規定であったにもかかわらず,従来何となく目こぼしされてきていたものであったのでしょうか。同条の削除は,「この規定は現在では意味を失ったと解されることによるものと思われる。」とされています(山本宣之「民法改正整備法案による改正の実像」産大法学511号(20174月)196頁)

 

本槁においては,民法施行法51項及び旧4条について調べてみたところを記していきます。

 

2 民法467条に係る先行規定

なお,ここで,民法467条に係る先行規定を掲げておきます。

 

(1)明治9年7月6日太政官布告第99号

先ず,明治976日太政官布告第99号。

 

 金穀等借用証書ヲ其貸主ヨリ他人ニ譲渡ス時ハ其借主ニ証書ヲ書換ヘシムヘシ若シ之ヲ書換ヘシメサルニ於テハ貸主ノ譲渡証書有之モ仍ホ譲渡ノ効ナキモノトス此布告候事

  但相続人ヘ譲渡候ハ此限ニアラス

 

当該太政官布告に言及しつつ梅謙次郎は,「我邦ニ於テハ従来債権ノ譲渡ヲ許ササルヲ本則トセシカ如シ(976日告99号参観)」と述べていました(梅謙次郎『訂正増補第33版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=有斐閣書房・1912年)204頁)

「外国人の起草した〔旧〕民法への反発から巻き起こった法典論争においては,「民法出テゝ忠孝亡フ」という有名なキャッチフレーズで争われた家族法の論点と並んで,財産法では債権譲渡が槍玉に挙げられた。(旧)民法典の施行延期を主張する延期派は,債権譲渡の自由は経済社会を攪乱し,弱肉強食を進めるものだと批判したのである。」とのことです(内田貴『民法Ⅲ 第4版 債権総論・担保物権』(東京大学出版会・2020年)245頁)

 

(2)旧民法財産編347条

続いて旧民法財産編(明治23年法律第28号)347条。

 

347 記名証券ノ譲受人ハ債務者ニ其譲受ヲ合式ニ告知シ又ハ債務者カ公正証書若クハ私署証書ヲ以テ之ヲ受諾シタル後ニ非サレハ自己ノ権利ヲ以テ譲渡人ノ承継人及ヒ債務者ニ対抗スルコトヲ得ス

 債務者ハ譲渡ヲ受諾シタルトキハ譲渡人ニ対スル抗弁ヲ以テ新債権者ニ対抗スルコトヲ得ス又譲渡ニ付テノ告知ノミニテハ債務者ヲシテ其告知後ニ生スル抗弁ノミヲ失ハシム

 右ノ行為ノ一ヲ為スマテハ債務者ノ弁済,免責ノ合意,譲渡人ノ債権者ヨリ為シタル払渡差押又ハ合式ニ告知シ若クハ受諾ヲ得タル新譲渡ハ総テ善意ニテ之ヲ為シタルモノトノ推定ヲ受ケ且之ヲ以テ懈怠ナル譲受人ニ対抗スルコトヲ得

 当事者ノ悪意ハ其自白ニ因ルニ非サレハ之ヲ証スルコトヲ得ス然レトモ譲渡人ト通謀シタル詐害アリシトキハ其通謀ハ通常ノ証拠方法ヲ以テ之ヲ証スルコトヲ得

 裏書ヲ以テスル商証券ノ譲渡ニ特別ナル規則ハ商法ヲ以テ之ヲ規定ス

 

(3)ボワソナアド草案367条

旧民法財産編347条は,ボワソナアド草案の367条に対応しますGustave Boissonade, Projet de Code Civil pour L’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations. Tokio, 1891; pp.202-203

 

  367. Le cessionnaire d’une créance nominative ne peut opposer son droit aux ayant[sic]-cause du cédant ou au débiteur cédé qu’à partir du moment où la cession a été dûment signifiée à ce dernier, ou acceptée par lui dans un acte authentique ou ayant date certaine.

  Le signification d’une cession faite sous seing privé doit être faite à la requête conjointe du cédant et du cessionnaire ou du cédant seul.

  L’acceptation du cédé l’empêche d’opposer au cessionnaire toutes les exceptions ou fins de non-recevoir qu’il eût pu opposer au cédant; la simple signification ne fait perdre au cédé que les exceptions nées depuis qu’elle a été faite.

   Jusqu’à l’un desdits actes, tous payements ou conventions libératoires du débiteur, toutes saisies-arrêts ou oppositions des créanciers du cédant, toutes acquisitions nouvelles de la créance, dûment signifiées ou acceptées, sont présumées faites de bonne foi et sont opposables au cessionnaire négligent.

   La mauvaise foi des ayant-cause ne peut être prouvée que par leur aveu fait par écrit ou en justice; toutefois, s’il y a eu fraude concertée avec le cédant, la collusion pourra être établie par tous les moyens ordinaires de preuve.

   Les règles particulières à la cession des effets de commerce, par voie d’endossement, sont établies au Code de Commerce.

 

(4)民法467条,旧民法財産編347条及びボワソナアド草案367条間の比較若干

 

ア 「記名証券」か「指名債権」か

 ボワソナアド草案3671項の“créance nominative”が旧民法財産編3471項では「記名証券」となっていますが,これはやはり「指名債権」と訳されるべきものだったのでしょう(平成29年法律第44号による改正前の民法4671項参照)。「指名債権トハ債権者ノ誰タルコト確定セルモノ」をいいます(梅208頁)

 

イ 「合式ニ告知」から譲受人通知主義を経て譲渡人通知主義へ

 民法4671項の譲渡人通知主義は,ボワソナアド草案3671(そのフランス語文言は,旧民法案審議当時も本稿のものと同じ(池田真朗『債権譲渡の研究(増補二版)』(弘文堂・2004年)28-29頁註(25))の「誤訳」により,旧民法財産編3471項においては譲受人が合式ニ告知するもののようになっていたところ(池田24-25頁),ボアソナアドの考えに「感服」した現行民法起草者によって採用されたものです(『法典調査会民法議事速記録第22巻』140丁表-141丁表)

ただし,ボワソナアド草案3672項は「私署証書によってされた譲渡に係る告知は,譲渡人及び譲受人共同の又は譲渡人単独の申請に基づいてされなければならない。」と規定するものなので,債権譲渡の当事者が自ら同条1項の告知を債務者に直接することは想定されておらず,申請を受けたお役所筋において債務者に対する告知を合式ニ(dûment)するものと考えられていたようです。旧民法において「告知」となっているフランス語の“signification”は,法律用語としては「[令状などの]通達」を意味するものとされています“signification d’un jugement par un huissier”は「執達吏による判決の通達」です。他方,“notification”は,法律用語ならぬ日常的な意味の語のようです。『ロワイヤル仏和中辞典』(旺文社・1985年))。わざわざ “dûment”の語をもって修飾しているのですから正にお役所の手を煩わすべきものなのでしょう。ボワソナアドは,「通達(signification)については,公証吏(officier public)によってされなければならないことから,これも確定日付を有することになるものである。」と述べていますBoissonade II, p.218。「執行官に通知してもらい,その執行官が何月何日何時に通知が着いたということを公正証書で証明するといった方法」が「債権譲渡法制の母法国フランスで用いられる方法であり,起草者もこれを想定していた」そうです(内田267頁)。ただし,ボワソナアドはともかく(池田35頁註(8)・80頁),梅謙次郎はそこまで具体的に「想定」していたものかどうか。梅は「執達吏カ只我々ノ手紙ヲ使ヒヲ以テヤル様ニ手数料ヲヤレハ持ツテ徃クトイフモノテハナイ執達吏規則ニ「告知及ヒ催告ヲ為スコト」トアリマスケレトモ告知及催告状ノ送達ヲ為スト云フコトハナイ「当事者ノ委任ニ依リ左ノ事務ヲ取扱フ」ト云フコトカアルカライツレ執達吏ニ依テ通知スルト云フトキハ所謂告知ニナツテ其証書自身カ証拠ニナルノテナクシテ執達吏カ其告知ノ手続ヲ履ンタノカ夫レカ証明ニナルト思フ」と述べています(『法典調査会民法議事速記録第22巻』164丁表裏)。「イツレ・・・其証書自身カ証拠ニナルノテナクシテ・・・夫レカ証明ニナルト思フ」ということで,曖昧であり,かつ,その手続は確定日付のある「証書」の証拠力(民法施行法旧4条参照)の発動の場ではないよというような口ぶりです(ただし,池田128頁註(20))

旧執達吏規則は,「規則」といっても法律(明治23年法律第51号)で(執行官法(昭和41年法律第111号)附則2条により19661231日から廃止(同法附則1条及び昭和41年政令第380号)),その旧執達吏規則2条の第1により,執達吏は当事者の委任によって「告知及催告ヲ為スコト」を「得」るものとされていたものです。なお,梅は「告知及催告状ノ送達ヲ為スト云フコトハナイ」と言っていましたが,現在の執行官法附則91項は「執行官は,当分の間,第1条に定めるもののほか,私法上の法律関係に関する告知書又は催告書の送付の事務を取り扱うものとする。」と規定しています。

 

ウ 「確定日付のある証書によってする」のは,通知又は承諾であってその証明ではない。

また,「古い判例には,4672項にいう「確定日付のある証書によって」とは,債務者が通知を受けたことを確定日付のある証書で証明せよということであって,単に確定日付のある証書で通知せよということではない,としたものもあった(大判明治36330日民録9-361)」そうですが,「大(連)判大正31222日(民録20-1146〔略〕)が明治36年判決を改め,確定日付のある証書による通知・承諾とは,通知・承諾が確定日付のある証書でなされることであって,通知・承諾が到達したこと〔「通知又ハ承諾アリタルコト」。ちなみに,最高裁判所昭和4937日判決・民集282174号は,確定日付のある債務者の承諾の場合は,到達の日時ではなく「確定日附のある債務者の承諾の日時の前後」を問題にしています。〕を確定日付のある証書で証明せよということではない,とした」ところです(内田267頁)。つとに第72回法典調査会において,民法4672項の文言を「前項ノ通知又ハ承諾ハ確定日附アル証書ヲ以テ証明スルニ非サレハ之ヲ以テ債務者以外ノ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス」とすべきではないか,「仮令ヒ確定日附ノアルモノテナクテモ執達吏ニ頼ンテ或ル通知証書ヲイツ幾日何々ノ証書ヲ誰々ノ所ニヤツタト云フコトテモ夫レテモ本条2項ノ目的ハ十分達シ得ラルルト思ヒマス」との田部芳の修正案(『法典調査会民法議事速記録第22巻』162丁裏)には,賛成がなかったところです(同164丁裏)

なお,前記明治36年大審院判決は,民法4672項の「確定日附アル証書ヲ以テスル」「通知」は主に執達吏によってされることを想定していたようで「而シテ債務者ニ於テ通知ヲ受ケタル事実ヲ確定日附アル証書ヲ以テ証明スルニハ種々ナル方法ニ依ルヲ得可キモ猶其中ニ就テ例ヘハ執達吏規則第2条第10条ニ依レハ執達吏ハ当事者ノ委任ニ依リ告知等ヲ為ス可キ職務ヲ有シ且正当ノ理由アルニ非サレハ之ヲ拒ムコトヲ得サル責任アリ且若シ正当ノ理由アリテ之ヲ拒ミ委任ヲ為スコトヲ得サル場合ニ於テハ第11条乃至第13条等其手続完備シアルニヨリ同法律ノ規定ニ従ヒ執達吏ニ委任シテ通知ヲ為サシメ執達吏カ職務ノ執行ニ付キ作製セル公正証書ヲ以テ証明スルカ如キハ譲渡人及ヒ譲受人ノ為メ他日安全ニ立証シ得可キモノナリ」と判示しています。

エ 債務者の承諾

 

(ア)確定日付の要否

債務者の承諾については,ボワソナアド草案3671項においては債務者の承諾は「公正証書若しくは確定日付のある私署証書」ですべきものとなっていたところ,旧民法財産編3471項では,当該私署証書に確定日付を要求しないものとされていました。旧民法の制定過程において,確定日付制度を採用すべきものとするボワソナアドの提案は却下されてしまっていたのでした。

 

(イ)「承諾」の性質

民法467条における債務者の承諾は,「承諾」との文言にもかかわらず,「債務者が,債権が譲渡された事実についての認識――譲渡の事実を了承する旨――を表明することである。従って,その性質は,通知と同じく,観念の表示である(通説)。判例は,かつて,異議を留めない承諾は意思表示であって,譲受人に対してすることを要する,といったことがある(大判大正61021510頁。但し傍論)。然し,その後は,異議を留めない承諾もすべて観念の通知としているようである(例えば,大判昭和97111516頁〔略〕)。」(我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)532頁)と,また,「ここでいう承諾は,通知の機能的代替物だから,契約の成立の際の「承諾」のような意思表示ではない。譲渡に対する「同意」でもない。単に債権譲渡の事実を認識した旨の債務者の表示であり,これも「観念の通知」とされる。承諾の相手は,譲渡人でも譲受人でもよいとされている。」(内田234頁)ということで,観念の表示であるものと解されています。そうであれば,せっかくの平成29年法律第44号による改正の機会に,民法467条の「承諾」の語を同法152条における用語に揃えて「承認」とでも改めておけばよかったのにそれをしなかったのは,将来債権譲渡についての事前の包括的承諾というような「実務で用いられる「承諾」は,単なる観念の通知というより,意思表示としての「同意」とみる余地がある」から(内田273頁)でしょうか。

この「承諾」の性質問題についての起草者の認識はどうだったかといえば,梅謙次郎は,あっさり,「債務者カ承諾スルト言ヘハ夫レハ一ツノ契約テアル其契約ハ固ヨリ有効テアル」と,意思表示である旨述べていました(『法典調査会民法議事速記録第22巻』138丁裏)。そうだとすると,承諾に係る民法4672項の証書(acte)は,法律行為(acte)たる契約に係る処分証書であるということになるようです(ただし,契約書については「厳密にいえば,契約条項の部分は処分証書であるが,契約書作成の日時,場所,立会人などの記載部分は報告文書であると考えられている」そうです(司法研修所『民事訴訟における事実認定』(法曹会・2007年)18頁(*26))。)。また,梅は,債務者の承諾が用いられる場合として,債権譲渡がされるより前の事前の承諾の例を挙げています(『法典調査会民法議事速記録第22巻』151丁裏-152丁表)。フランスの「破棄院は1878年に至って〔略〕,債務者と譲受人との関係においては,債務者のした承諾は,それが私署証書によるものでも,口頭でされたものでも,さらには黙示のものであってさえも,そこから生じた債務者の対人的な約束engagement personnel)は債務者を譲受人に拘束するに十分であり,債務者に対し,譲受人以外に弁済をすることを禁じるものである,と認め」ていたそうです(池田311頁。下線は筆者によるもの)


オ 民法467条はボワソナアド草案367条の如クか?

なお,梅は民法467条について「本案ニ於テハ本トノ草案ノ如ク外国ニ於テ之ト同シ方式ヲ採用シテ居ル国ニ於ケルカ如ク確定日附ヲ必要ト致シタ」と述べていますが(『法典調査会民法議事速記録第22巻』140丁表),同条2項について見ても(同条1項の通知及び承諾は,そもそも確定日付のある証書を必要としていません。),承諾の方式についてはともかくも,ボワソナアド草案3671項(旧民法財産編3471項)の「合式ニ告知」の方式をどう解釈していたものでしょうか。債権譲渡の通知の方式(確定日付のある証書による通知)については「本トノ草案ノ如ク外国ニ於テ之ト同シ方式ヲ採用シテ居ル国ニ於ケルカ如ク」の方式であるとは言い切れないのではないか,と思われます。ボワソナアドは「「書記局ノ吏員ニ依テ」とか,「執達吏又ハ書記ノ証書ヲ以テ」」の方式を想定していたそうですし(池田80頁),「フランス法にいうsignificationは,「通知」ではなく「送達(●●)」もしくは「送達による通知」である。つまりそれは,huissier(執達吏)によって,exploit(送達証書)をもって行われる」そうです(同74-75頁)。当該exploit(送達証書)は,すなわち公証吏ないしは執達吏のexploitであるそうですから(池田75頁・76頁。また,同292-293頁),委任者作成の私署証書を送達するということではないようです。

 

(5)フランス民法1690条及び1691条

さて,次はボワソナアドの母国フランスの民法1690条及び1691条です。

 

 Art. 1690 Le cessionnaire n’est saisi à l’égard des tiers que par la signification du transport faite au débiteur.

  Néanmoins le cessionnaire peut être également saisi par l’acceptation du transport faite par le débiteur dans un acte authentique.

  (譲受人は,第三者との関係では,債務者に対して譲渡の通達がなければ権利者ではない。

  (ただし,譲受人は,公正証書でされた債務者による譲渡の承諾によっても同様に権利者となることができる。)

 

ここでの“saisir”は,“mettre (qqn) en possession (de qqch)”の意味(Le Nouveau Petit Robert)でしょう。

 

  Art. 1691 Si, avant que le cédant ou le cessionnaire eût signifié le transport au débiteur, celui-ci avait payé le cédant, il sera valablement libéré.

  (譲渡人又は譲受人によって債務者に対する譲渡の通達がなさしめられた前に当該債務者が譲渡人に弁済していたときは,債務の消滅は有効である。)


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承前(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078025212.html


第5 フランス民法894条

 

1 影響の指摘

 民法549条の分かりにくさ(前出我妻Ⅴ₂223頁参照)に関しては,「フランス民法894条の規定の体裁に従ったがためであろう。」とも説かれています(柚木馨=高木多喜男編『新版注釈民法(14)債権(5)』(有斐閣・1993年)26頁(柚木馨=松川正毅))。

 

2 条文及びその解釈

 

(1)条文

フランス民法894条は,次のとおり。

 

  Art. 894   La donation entre vifs est un acte par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement de la chose donnée en faveur du donataire qui l’accepte.(生前贈与は,それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,それを受ける受贈者のために,被贈与物を委棄する行為である。)

 

(2)山口俊夫教授

フランス民法894条に係る山口俊夫教授の説明は,「生前贈与は,贈与者(donateur)が現実に(actuellement)かつ取消しえないものとして(irrévocablement),それを受諾する受贈者(donataire)に対し無償で自己の財産を与える法律行為(片務契約)である(894条)。」というものです(山口俊夫『概説フランス法 上』(東京大学出版会・1978年)526頁)。筆者の蕪雑な試訳よりもはるかにエレガントです。

 

(3)矢代操

しかし,筆者としては,矢代操による次のように古格な文章を面白く思います。

 

  今日は,〔フランス〕民法中無償名義にて財産を処置するの方法唯2箇あるのみ。生存中(○○○)()贈遺(○○)及び(○○)遺嘱(○○)()贈遺(○○)是なり〔フランス民法893条〕。其生存中の贈遺の定義は載せて第894条にあり。曰く,⦅生存中の贈遺とは,贈遺者贈遺(○○)()領承(○○)する(○○)受贈者の為め即時(○○)()確定(○○)()贈遺物を棄与する所為(○○)を云ふ⦆。此定義中に所為(○○)と記するは妥当ならず。蓋し契約と云ふの意にあるなり。何となれば遺嘱の贈遺は契約にあらずして唯一の所為なりと雖ども,生存中の贈遺は純粋の契約なればなり。

  又本文中に即時(○○)と記するの語に糊着するときは,生存中の贈遺の適法となるには其目的物を引渡し(○○○)受贈者之を占有するを要するものの如し。然れども決して其意に解釈す可からず。蓋し其即時とは,〔略〕生存中の贈遺は〔略〕贈遺の時直に其効を生す可しとの意にあるなり。故に其契約成立の後此執行は之を贈遺者の死去に至るまで遅引するを得可きなり。

  又此生存中の贈遺は遺嘱の贈遺と異にして,一たび贈遺を為したる以上は一般の契約の原則に従ひ法律に定めたる原由あるにあらざれば之を取消すを得ざるなり。(明治大学創立百周年記念学術叢書出版委員会編『仏国民法講義 矢代操講述』(明治大学・1985年)46-47頁)

 

(4)生前贈与は契約か否か

はて,「蓋し契約と云ふの意にあるなり」との矢代の指摘に従ってフランス民法894条の生前贈与(donation entre vifs)の定義を見ると,確かに行為(acte)であって,契約(contrat)でも合意(convention)でもないところです(なお,フランス民法1101条は,「契約(contrat)は,それにより一又は複数の者が他の一又は複数の者に対して,何事かを与え,なし,又はなさざる義務を負う合意(convention)である。」と定義しています。)。しかも当該行為を行う者は贈与者のみです(“un acte par lequel…et le donataire l’accepte.”とは規定されていません。)。

こうしてみると,フランス民法931条と932条との関係も気になってくるところです。同法931条は“Tous actes portant donation entre vifs seront passés devant notaires dans la forme ordinaire des contrats; et il en restera minute, sous peine de nullité.”(生前贈与が記載される全ての証書は,公証人の前で,契約に係る通常の方式をもって作成される。また,その原本が保管され,しからざれば無効となる。)と規定しています。贈与者と受贈者とが共に当事者となって「契約に係る通常の方式」で証書が作成されるのならば,受贈者の出番もこれで終わりのはずです。しかしながら,同法932条はいわく。“La donation entre vifs n’engagera le donateur, et ne produira aucun effet, que du jour qu’elle aura été acceptée en termes exprès. / L’acceptation pourra être faite du vivant du donateur par un acte postérieur et authentique, dont il restera minute; mais alors la donation n’aura d’effet, à l’égard du donateur, que du jour où l’acte qui constatera cette acceptation lui aura été notifié.”(生前贈与は,それが明確な表示によって受諾された(acceptée)日からのみ贈与者を拘束し,及び効力を生ずる。/受諾(acceptation)は,贈与者の存命中において,事後の(postérieur)公署証書であって原本が保存されるものによってすることができる。しかしながら,この場合においては,贈与は,贈与者との関係では,当該受諾を証明する証書が同人に送達された日からのみ効力を生ずる。)と。すなわち,同条2項は,生前贈与がまずあることとされて,それとは別に,事後的に当該生前贈与の受諾があり得ることを前提としているようなのです(贈与者の意思表示とそれとが合致して初めて一つの合意ないし契約たる生前贈与が成立するということではないのならば,フランス民法9322項の“acceptation”に,契約に係るものたるべき「承諾」の語は用い難いところです。また,フランス民法894条で受贈者が受けるものである「それ」は,生前贈与ということになるようです。)。

梅謙次郎は「贈与(○○)Donatio, donation, Schenkung)ノ性質ニ付テハ古来各国ノ法律及ヒ学説一定セサル所ニシテ或ハ之ヲ契約トセス遺贈ヲモ此中ニ包含セシムルアリ或ハ贈与ヲ以テ贈与者ノ単独行為トシ受贈者ノ承諾ナキモ既ニ贈与ナル行為ハ成立スルモノトスルアリ」と述べていますが(梅謙次郎『訂正増補第30版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)462頁),これは実はフランス民法のことだったのでしょうか。

 

(5)コンセイユ・デタ

ここで,小樽商科大学ウェブ・サイトの「民法典に関するコンセイユ・デタ議事録(カンバセレス文庫)」を検すると,フランス民法894条の原案は,共和国11雨月(プリュヴィオーズ)7日(1803127日)に“La donation entre-vifs est un contrat par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement en faveur du donataire, de la propriété de la chose donnée.”(生前贈与は,それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,受贈者のために,被贈与物の所有権を委棄する契約である。)という形でビゴー・プレアムヌ(Bigot-Préameneu)からコンセイユ・デタ(国務院)に提出されており,同条に関する審議に入った劈頭ボナパルト第一執政閣下から「契約(contrat)っていうものは両当事者に相互的な負担を課するものだろう。よって,この表現は贈与にはうまく合わないようだな。」との御発言があり,ベレンジェ(Bérenger)があら捜しに追随して「この定義は,贈与者についてのみ述べて受贈者については述べていない点において不正確ですな。」と述べ,続いてルグノー(Regnaud)がそもそも定義規定は不必要なんじゃないのと言い出して法典における定義規定の要不要論に議論は脱線しつつ,その間トロンシェ(Tronchet)は「贈与及び遺言を定義することによってですな,我々は各行為に固有の性質を示そうとしており,そしてそこから両者を区別する相違点を引き出そうとしているのですよ。ここのところでは,両者を分かつ性質は,撤回可能性と不可撤回性ですな。」と指摘し,他方マルヴィル(Maleville)は「もし定義規定が必要であると判断されるのなら,贈与は“un acte par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement d’une chose, en faveur du donataire qui l’accepte.”(それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,それを受ける受贈者のために,ある物を委棄する行為である。)と定義できるのではないですか。」と,第一執政閣下の御指摘及びベレンジェ議員のいちゃもんを見事に取り入れた現行フランス民法894条の文言とほぼ同じ文言の案を早くも提示していたところですが,その場での結論は,一応,「同条は,「契約」(contrat)の語を「行為」(acte)の語に差し替えて,採択された。」ということでした。(Tome II, pp.321-323

 なお,ベレンジェが受贈者についての規定が必要だと言ったことの背景には,「生前贈与は,それによって,それを受諾する者がその条件を満たすべき義務を負う行為である。」,「また,全ての生前贈与は,相互的に拘束するもの(engagement réciproqueと観念されるので,与える者及び受諾する者の両当事者が関与することが不可欠である。このことは,宛先人が知っておらず,又は合意していないときは,恵与は存在するものとはなおみなされないものとするローマ法にかなうことである。」及び「全ての贈与について受諾は不可欠の要件であるので,それは明確な言葉でされることが求められる。」という認識がありました(カンバセレス文庫Ⅱ, p.804。共和国11花月(フロレアル)3日(1803423日)にコンセイユ・デタに提出された,立法府のための法案理由書)。正にフランス法では,「受贈者は贈与者に対して感謝の義務を負う。これは単なる精神的義務ではなく,〔略〕忘恩行為(ingratitude)は,一定の場合には贈与取消の制裁を蒙る」ところです(山口526-527頁)。(ボナパルト第一執政の前記認識との整合性をどううまくつけるかの問題はここでは措きます。)

 

第6 旧民法及びボワソナアド原案

 

1 旧民法

また,民法549条がその体裁に従うべき条文としては,フランス民法894条よりもより近い先例(というより以前にそもそもの改正対象)として,旧民法の関係規定があったところです。梅は,民法549条の参照条文として,旧民法財産取得編349条及び358条を掲げています(梅462頁)。当該両条は,次のとおり。

 

  第349条 贈与トハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ移転スル要式ノ合意ヲ謂フ

 

  第358条 贈与ハ分家ノ為メニスルモノト其他ノ原因ノ為メニスルモノトヲ問ハス普通ノ合意ノ成立ニ必要ナル条件ヲ具備スル外尚ホ公正証書ヲ以テスルニ非サレハ成立セス

   然レトモ慣習ノ贈物及ヒ単一ノ手渡ニ成ル贈与ニ付テハ此方式ヲ要セス

 

2 ボワソナアド原案

旧民法に先立つボワソナアド原案の第656条は,次のように贈与を定義しています(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, nouvelle édition, Tome Troisième, des Moyens d’Acquérir les Biens. (Tokio, 1891) p.170)。

 

Art. 656.   La donation entre-vifs est une convention par laquelle le donateur confère gratuitement ou sans équivalent, au donataire qui accepte, un droit réel ou un droit personnel; [894.]

Elle peut consister aussi dans la remise ou l’abandon gratuit d’un droit réel du donateur sur la chose du donataire ou d’un droit personnel contre lui.

  (第656条 生前贈与は,贈与者が,承諾をする受贈者に対して物権又は債権を無償又は対価なしに与える合意である。(フランス民法894条参照)

  ( 受贈者の物を目的とする物権又は同人に対する債権に係る無償の免除又は放棄もまた生前贈与とすることができる。)

 

ボワソナアドは,贈与を典型契約又は有名契約(contrat nommé)の一とし,「既に何度も言及された全ての法律効果,すなわち,物権又は債権の設定又は移転,変更又は消滅を生じさせることのできる唯一の無償合意(convention gratuite)である。これだけの可能な射程(étendue possible)を持つ他の契約は,有償である。もちろんなお他にも,使用貸借,寄託,委任のような無償又は無約因の契約が存在するが,それらは債権を生じさせるのみである。」と述べています(Boissonade III, p.172)。

ボワソナアド原案656条の解説は,次のとおり(Boissonade III, pp.172-173)。

 

   法は,生前贈与の定義から始める。その性質は,遺言とは異なり,合意(convention),すなわち意思の合致(un accord de volontés)である。疑いもなく,〔略〕人は自分の意思に反して受遺者となることはできない。しかし,遺贈は,受諾される(accepté)前に存在するのである。すなわち,受遺者は,それと知らずに,拒絶することなく取得するのである。他方,受贈者は,彼が欲する場合であって彼が欲する時にのみ取得するのである。すなわち,彼の承諾(acceptation)は,当該法律行為(l’acte)の成立自体(la formation même)のために必要なのである。

   フランスでは,法は明確な受諾(acceptation)を求めている(フランス民法894条及び932条)。感謝のためのものではない場合においては,その性質からして,受贈者を義務付けるものではないそのような行為〔生前贈与〕というもの〔があり得るなどということ〕には驚かされ得るところである。

   ここで条文は,承諾(acceptation)を求めているが,それ以上の具体的な規定は無い。すなわち,この承諾(acceptation)に要式的かつ明確な性格を与えることが適当であると判断されるのならば,贈与の方式について規定するときにそのことについての説明が必ずやされるであろう。

   当該定義は更に,贈与は利益を無償で〔下線部は原文イタリック〕与えるものであると我々に述べ,かつ,その文言が不確定性を残さないように,別の概念である「対価なしに」によって説明がされている。

   贈与者が受贈者に与えることのできる多様な利益が,同条の文言によって明らかになるようにされている。次のようなものである。

1に,物に係る物権。すなわち,所有権,用益権,使用権,地役権。

2に,債権(droit personnel)又は贈与者が債務者となり受贈者が債権者となる債権(créance)。

3に,贈与者が受贈者の物について有する用益権,使用権又は地上権のような物権の受贈者への移転(remise〔筆者註:これで当該物権は混同で消滅するはずです。〕又は放棄(abandon)。

4に,贈与者が受贈者に対して有していた債権についての受贈者の債務を消滅させる免除(remise)。

法は,これまで既に論ぜられた種々の区別,すなわち,まず特定物の所有権と種類物ないしは定量物の所有権との間の区別,及び次に作為債務と不作為債務との間の区別について再論する要を有しない。より特殊な事項であることから遺贈については再掲することが必要であると解されたこれらの区別は,合意が問題になっているところであるから,ここでは問題にならない。

 

第7 穂積陳重原案の背景忖度

 

1 不要式契約

 現行民法では,贈与は公正証書によることを要する要式契約ではありませんから(旧民法財産取得編3581項対照),旧民法財産取得編349条からその要式性を排除することとして条文を考えると「贈与トハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ移転スル合意ヲ謂フ」となります。

 

2 「移転スル」から「与える」へ

旧民法財産取得編349条では財産を「移転スル」こととなっていますが,現行民法549条では財産を「与える」ことになっています。これは,現行民法の贈与には,財産権の移転のみならず,財産権の設定等も含まれているからでしょう(なお,穂積陳重は「財産」について「物質的ノ権利ニシテ民法ニ認メラレテ居ル所ノ即チ物権,債権ノ全部ヲ含ム積リナノテアリマス」と述べています(民法議事速記録25141丁表)。)。いわく,「例ヘハ無償ニテ所有権,地上権,永小作権等ヲ移転若クハ設定スルハ勿論新ニ債権ヲ与ヘ又ハ既存ノ債権ノ為メニ無償ニテ質権,抵当権等ヲ与フルモ亦贈与ナリ之ニ反シテ相手方ノ利益ノ為メニ物権又ハ債権ヲ抛棄シ又ハ無利息ニテ金銭ヲ貸与シ其他無償ニテ自己ノ労力ヲ他人ノ用ニ供スル等ハ皆贈与ニ非ス」と(梅464頁)。

 

3 「合意」から「意思を表示し,相手方が受諾をする」へ

 

(1)民法549条の「趣旨」

 民法549条と旧民法財産取得編349条との相違は,更に,後者では単に「・・・合意ヲ謂フ」としていたところが前者では「・・・意思を表示し,相手方が受諾をすることによって,その効力を生ずる。」となっているところにあります。民法549条の趣旨は,穂積陳重によれば「贈与ノ効力ヲ生スル時ヲ定メマシタノテアリマス」,「本案ハ受諾ノ時ヨリ其効力ヲ生スルト云フコトヲ申シマシテ一方ニ於テハ此契約タル性質ヲ明カニ致シ一方ニハ何時カラシテ其効力ヲ生スルカト云フコトヲ示シタモノテアリマス」ということとなります(民法議事速記録25139丁表及び裏)。

しかし,贈与が契約であることは,贈与について規定する民法549条から554条までは同法第3編第2章の契約の章の第2節を構成しているところ,その章名からして明らかでしょう。更に,契約の成立については契約に係る総則たる同章の第1節中の「契約の成立」と題する第1款で既に規定されており(申込みと承諾とによる。),かつ,契約の効力の発生時期については,「契約上の義務は,一般に,特に期限の合意がない限り,契約成立と同時に直ちに履行すべきものである」ので(『増補民事訴訟における要件事実第1巻』(司法研修所・1986年)138頁),特殊な性質の契約でない限り,これらの点に関する規定は不要でしょう(民法549条は,これらの原則を修正するものではないでしょう。)。すなわち,筆者としては,穂積陳重のいう民法549条の前記趣旨には余り感心しないところです。

(2)民法550条との関係

 単純に考えれば,民法549条の原案は,「贈与ハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」ないしは「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」でよかったように思われます(終身定期金契約に係る同法689条参照)。

 しかし,民法550条(「書面によらない贈与は,各当事者が解除をすることができる。ただし,履行の終わった部分については,この限りでない。」)があって書面によらない贈与の拘束力は極めて弱いものになっていますので(同条について梅は「本条ハ贈与ヲ以テ要式契約トセル学説ノ遺物」であると指摘しています(梅464頁)。),他の典型契約同様の「約ス」という言葉では贈与者に対する拘束が強過ぎるものと思われたのかもしれません。そこで「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示スルコトニ因リテ其効力ヲ生ス」としてみると,今度は単独行為のようになってしまう。で,単独行為ではなく契約であることをはっきりさせるために「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示シ其相手方カ之ヲ承諾スルニ因リテ其効力ヲ生ス」とすると,お次はあるいは民法643条の委任の規定(受任者の「承諾」をいうもの)との関係で面白くない。同じ「承諾」であるのに,受任者は債務を負うのに受贈者は債務を負わないというのは変ではないか。ということで「受諾」の語を持って来たということはなかったでしょうか。

 と以上のように考えると一応もっともらしいのですが,第81回法典調査会において穂積陳重がそのような説明をせずに混乱してしまっているところからすると,違うようではあります。また,あえてフランス民法的発想を採るならば「全ての生前贈与は,相互的に拘束するもの」となるのですから,受贈者は何らの義務も負わないから「承諾」ではなく「受諾」なのだともいいにくいでしょう。

 それともあるいは民法550条との関係で,「承諾」であると契約が確定してしまうので,暫定的合意である場合(書面によらない贈与の場合)もあることをば示すために「受諾」ということにしたものか(梅によって「嫌ヤナ事ヲ承諾スル」と言われた際の「嫌ヤナ事」とは,この確定性を意味するのでしょうか。)。その上で,「暫定的合意であることを示すものです」と言ってしまうと,暫定的合意たる民法549条の贈与(書面によらないもの)は果たして契約か,また,要物契約だということになるとまだ契約は成立していないことになるのではないか云々ということで議論が面倒臭くなるので,「詰マリ感覚テアリマスナ」という,説明にならない説明的発言に留めたものであったのでしょうか。

穂積陳重は,第81回法典調査会で民法550条の原案(「贈与ハ書面ニ依リテ之ヲ為スニ非サレハ其履行ノ完了マテハ各当事者之ヲ取消スコトヲ得」)に関し「書面ナラバモウ完全ニ贈与契約ハ成立ツ」(民法議事速記録25146丁裏-147丁表)とは言いつつも,「書面テナクシテ口頭又ハ其他ノ意思表示ニ依テ為シタ贈与契約ハ如何ナモノテアルカ」という問題については,要式性を前提とする外国の法制における例として,①「此贈与契約ト云フモノハ成立タヌノテアル総テ成立タタヌノテアル手渡シヲシタナラバ之ヲ取返ヘスコトハ出来ヌ」とするもの〔筆者註:フランスでは,要式性の例外として,現実の手渡しによる現実贈与(don manuel)の有効性が判例で認められていますが,「しかし,現実の引渡が必要であるという要件から,現実贈与の約束なるものには効力を認めていない」そうです(柚木=高木28頁(柚木=松川))。この場合,必要な方式を欠くために無効である約束に法的に拘束されているものと誤信してされた出捐の履行は,返還請求可能の非債弁済と観念され得るようです(Vgl. Motive zu dem Entwurfe eines Bürgerlichen Gesetzbuches für das Deutsche Reich, Bd. II (Amtliche Ausgabe, 1888) S.295.)。(本稿の註1参照)並びに②「手渡ヲ以テ之ニヤツタトキニ於テハ其前カラ効力カアルト云フコトニナツテ居ル」もの及び③「前ニハ丸テ効力ガナカツタノテアルガ後トカラシテ其缺点ヲ補フト云フヤウナコトニナツテ居ル」もの〔筆者註:ドイツ民法5182項は„Der Mangel der Form wird durch die Bewirkung der versprochenen Leistung geheilt.“(方式の欠缺は,約束された給付の実現によって治癒される。)と規定しています。〕があると紹介した上で,「兎ニ角何時カラ契約トシテ成立ツカト云フコトハ能ク明カニナツテ居ラヌ」との残念な総括を述べ,更に旧民法〔財産取得編3582項〕について「此単一ノ手渡ニ為ル贈与ト云フコトハ贈与ノトキニ直クニ手渡ヲスルト云フコトテアラウト思ヒマス永イ間口頭ノ贈与ト云フモノガ成立ツテ居ルト云フコトテハアルマイト思フ」〔同項後段〕,「此慣習ノ贈物ト云フコトモ其範囲ガ明カテアリマセヌ」〔同項前段〕との解釈を語った上で,「夫故ニ書面ニ依ラナイモノハ兎ニ角贈与トシテ成立ツケレドモ其履行ノ完了ガアリマスルマテハ取消スコトガ出来ル」と述べるに留まっています(民法議事速記録25147丁表及び裏)。これはあるいは,方式を欠く贈与契約の拘束力欠如を前提とした上で,当該契約を無効としつつもその履行結果は是認することとした場合(債務がないのにした弁済ではないかとの問題を乗り越えることとした場合)の法律構成の難しさ(上記②及び③)を避けるために,契約は「兎ニ角」有効としつつ,拘束力の欠如をいう代わりに「取消し」の可能をいうことをもって置き換えたということでしょうか。この説明を思い付いて,筆者には自分なりに納得するところがあります。
 なお,この「取消し」の可能性は強行規定であって,弟の八束との兄弟対決において陳重は「書面ニ依ラスシテ取消サレヌ契約ヲ為スト云フヤウナ風ノコトハ許サナイ積リテアリマス」と述べています(民法議事速記録25169丁裏)。〔筆者註:ちなみに,米国では,“Because a gift involves no consideration or compensation, it must be completed by delivery of the gift to be effective. A gratuitous promise to make a gift is not binding.”ということになっているそうです(Smith et al., pp.1109-1110)。「英米法では捺印証書による贈与の場合にも特定履行を請求しえない」(来栖三郎『契約法』(有斐閣・1974年)235頁)。〕

また,穂積陳重の原案では「其履行ノ完了マテハ」当該贈与契約全体を取り消し得ることになっていましたが,第81回法典調査会での議論を経て出来上がった民法550条では「履行の終わった部分」以外の部分に対象が限定されてしまっています。これは,履行が終ったという事実の重みの方が優先されて,書面によらない贈与についてその諾成契約としての単位(契約の「取消し」は,その契約を単位としてされるべきものでしょう。)を重視しないということでしょう。当該修正も,書面によらない贈与も契約であるとの性格付けの意義を弱めるものでしょう。

我妻榮は,書面によらない贈与を「不完全な贈与」と呼んでいます(我妻Ⅴ₂230頁)。

 さてここまで来て不図気付くには,平成29年法律第44号による民法550条の改正が問題になりそうです。当該改正については,「旧法第550条本文は,各当事者は書面によらない贈与を「撤回」することができると定めていたが,ここでの「撤回」は契約の成立後にその効力を消滅させる行為を意味するものであった。もっとも,民法の他の条文ではこのような行為を意味する用語としては「解除」が用いられていることから,新法においては,民法中における用語の統一を図るため,「撤回」を「解除」に改めている(新法第550条本文)。」とされています(筒井=村松264頁)。しかしこれは,書面によらない贈与も堂々たる完全な普通の契約であることを前提とするものでしょう。すなわち,平成16年法律第147号による民法改正の結果として「意思表示に瑕疵があることを理由としないで契約の効力を消滅させる行為を意味する語として,「解除」と「撤回」が併存することとなったが」,用例を調べると,「この意味での撤回は同〔550〕条においてのみ用いられ」,「他方で,「撤回」の語については,同法第550条を除けば,意思表示の効力を消滅させる意味で用いられている」から,贈与という契約の効力の消滅に係るものである同条の「撤回」を「解除」に改めるということでした(法制審議会民法(債権関係)部会資料84-3「民法(債権関係)の改正に関する要綱案の原案(その1)補充説明」(20141216日)15頁)。一人ぼっちの550条を,「撤回」の仲間から省いて,「解除」の大勢に同調させようというわけです。20141216日の法制審議会民法(債権関係)部会第97回会議では,中田裕康委員から「これ自体は十分あり得ると思います。それから,要物契約が諾成化されたことに伴う引渡し前の解除という制度とも,恐らく平仄が合っているんだろうなとは思いまして,これでいいのかなという気もします。」と評されています(同会議議事録36頁)。(なお,当該改正は,深山雅也幹事にとって思い入れの深い,永年の懸案事項であったようで,次のような同幹事の発言があります。いわく,「今の「贈与」の点です。撤回を解除に変えるということについて,私はこの部会の当初,議論が始まった頃に,解除の方がいいのではないかという趣旨で,撤回という用語はあまりよくないということを申し上げた記憶があります。そのときは,ここは〔平成〕16年改正で変えたばかりなんだという御指摘を頂いて一蹴されて残念な思いをした覚えがあって,それで諦めていたところ〔筆者註:同部会第16回会議(20101019日)議事録6頁及び10頁参照〕,この土壇場で敗者復活したことについて非常に喜ばしく思っています。」と(同部会第97回会議議事録36頁)。ここで,「敗者復活」というのは,当該改正は,2014826日の民法(債権関係)の改正に関する要綱仮案には含まれていなかったからです。「この土壇場で」というのは,何やら,どさくさ紛れにという響きもあって不穏ですが,無論そのようなことはなかったものでしょう。)

 これに対して,民法549条において承諾ならぬ「受諾」の語にあえて固執した民法起草者らが,更に同法550条においては解除ならぬ「取消し」の語(同条の「解除」は,最初は「取消し」でした。「取消し」が「撤回」となったのは前記の平成16年法律第147号による改正の結果でした。ちなみに,富井=本野のフランス語訳では,民法550条の「取り消す」は“révoquer”,総則の「取り消す」は“annuler”,契約を「解除する」は“résilier”です。)をわざわざ用いたのは,彼らの深謀遠慮に基づくものではなかったと果たしていってよいものかどうか。(フランス民法的伝統の影をいうならば,生前贈与は契約にあらずとの前記ナポレオン・ボナパルト発言の重み及び贈与と遺贈との恵与(libéralités)としての統一的把握が挙げられるところです(「受諾」の語との関係で出て来た民法旧1217号及び旧142号は,いずれも贈与と遺贈とを一括りにする規定でした。また,「撤回」の語が示すものは,旧民法において「言消」(rétractation)又は「廃罷」(révocation)と呼称されたものを含んでいますが,旧民法においては廃罷は銷除,解除(本稿の註2参照)その他と共に義務の消滅事由の一つとされ(旧民法財産編4501項),贈与及び遺贈についてはその廃罷に係る規定があったところです(旧民法財産取得編363条から365条まで並びに399条から403条まで及び405条)。)。)

 とはいえ,民法549条の「受諾」の外堀が埋まりつつあるようにも思われます。同条の「受諾」の語は,早々に「承諾」に置き換えられるべきもの歟,それともなお保存されるべきもの歟。


 

  (註1)ドイツ民法第一草案の第440条は贈与契約の要式性を定めてその第1項は「ある者が他の者に何物かを贈与として給付する旨約束する契約は,その約束が裁判手続又は公証手続に係る方式で表示された場合にのみ有効である。(Der Vertrag, durch welchen Jemand sich verpflichtet, einem Anderen etwas schenkungsweise zu leisten, ist nur dann gültig, wenn das Versprechen in gerichtlicher oder notarieller Form erklärt ist.)」と規定し,続く同草案441条は「譲渡によって執行された贈与は,特別な方式の履践がない場合であっても有効である。(Die durch Veräußerung vollzogene Schenkung ist auch ohne Beobachtung einer besonderen Form gültig.)」と規定しています(ここの「譲渡」が誤訳でないことについては,以下を辛抱してお読みください。)。

   上記両条の関係について,第一草案理由書は,次のように説明しています(S.295)。ドイツ人は,理窟っぽい。

 

    第440441条の両規定は,自立しつつ並立しているものである。それらの隣接関係は,方式を欠く(受諾された(akzeptirten))贈与約束(Schenkungsversprechen)から,訴求不能ではあるものの,しかし履行のために給付された物の返還請求は許されない義務(自然義務(Naturalobligation))が発生すること,又は贈与約束の方式違背から生ずる無効性が執行によって治癒されることを意味するものではない。反対に,方式を欠き,又は方式に違背する贈与約束は,無効であり,かつ,執行によって事後的に治癒せられるものでもないのである。贈与者が,方式に違背し,したがって無効である契約の履行に法的に拘束されているという錯誤によって(solvendi causa(弁済されるべき事由により))給付した場合においては,第441条の意味において執行された贈与ではなく,存在するものと誤って前提された拘束力の実現があるだけである。したがって,存在しない債務(Nichtschuld)に係る給付に基づく返還請求に関する原則の適用がみられることになる。この結論は,反対の規定が欠缺しているところ(in Ermangelung entgegenstehender Bestimmungen),一般的法原則自体から生ずるものである〔略〕。このような場合,事実行為は,草案の意図するところの,譲渡によって執行された贈与である,との外観を有するだけである。贈与として給付されたのではなく,むしろ,〔有効な債務と誤解した無効な贈与債務を〕animo solvendi(弁済する意図で)されたものである。すなわち,有効な贈与約束の履行も,即自的にはそれ自体は贈与ではなく,存在する拘束力の実現であるがごとし,なのである。しかしながら,贈与者が,有効ではない贈与約束を見逃して(unter Absehen von dem ungültigen Schenkungsversprechen),ないしはその無効性の認識の下で(in Kenntnis von der Nichtichkeit des letzteren),贈与として給付すると約束したその物をanimo donandi(贈与する意図で)給付したときは,別様に判断される。そのときには,第441条によって有効な,独立の財産出捐が,すなわち,新しい,しかも執行済みの贈与が存在するのである。仮に,無効な約束がその動機をなしていたとしても,そうである。この法律関係は,先立つ約束なしに贈与者が直ちに「譲渡によって」受贈者に対してanimo domandi(贈与する意図で)贈与を執行する,かの場合と同一である。したがって,第441条の規定は,既存の(方式を欠く,又は方式に違背した)贈与約束を前提とするものでは全くないのである。それは,贈与者が既存の(無効な)約束を見逃して,又は先立つ約束なしに,被贈与物に応じた事実行為をもって贈与を執行したときに適用されるのである。



 (註
2)「解除」,「銷除」及び「廃罷」の使い分けについて,ボワソナアドは次のように説明しています(Boissonade II, pp.861-862)。

 

    慣用及び法律は,事実既に長いこと,「解除(résolution)」の語を,当該契約の成立後に生じた事情に基づく契約の廃棄(destruction)――ただし,合意又は法によってあらかじめ当該効果が付されている契約についてである――について使用するものと認めている。また,“résiliation”の語も,同じ意味で,特に賃貸借について,また場合によっては売買について,慣用に倣って法律において時に用いられる。「銷除(rescision)」の語は,〔略〕その成立における意思の合致(consentement)の瑕疵又はその際の無能力の理由をもって契約が廃棄される場合に用いられる。最後に,「廃罷(révocation)」の語は,まずもって,かつ,最も正確には,契約当事者が「その言葉を撤回する(retire sa parole)」,すなわち,譲渡した物を取り戻す(reprend ce qu’il a aliéné)場合に用いられる。特に,贈与の場合において,受贈者が忘恩的であり,又は課された負担の履行を欠くときである(フランス民法953条以下参照)。〔略〕

    「廃罷」の語は,また,債務者がした債権者の権利を詐害する譲渡又は約束を覆すためにされる債権者の訴訟(action)について用いられる。〔後略〕

 

なお,旧民法における契約の「解除」については,その財産編421条に「凡ソ双務契約ニハ義務ヲ履行シ又ハ履行ノ言込ヲ為セル当事者ノ一方ノ利益ノ為メ他ノ一方ノ義務不履行ノ場合ニ於テ常ニ解除条件ヲ包含ス/此場合ニ於テ解除(résolution)ハ当然行ハレス損害ヲ受ケタル一方ヨリ之ヲ請求スルコトヲ要ス然レトモ裁判所ハ第406条ニ従ヒ他ノ一方ニ恩恵上ノ期限ヲ許与スルコトヲ得」と規定していました(下線は筆者によるもの)。

  

 

 
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1 不動産登記及び民法177条並びに対抗問題
 職業柄,不動産の登記の申請手続を自らすることがあります。(なお,登記をするのは登記所に勤務する登記官であって,申請人ではありません。不動産登記法(平成16年法律第123号)11条は「登記は,登記官が登記簿に登記事項を記録することによって行う。」と規定しています。)

 不動産の登記といえば,まず民法(明治29年法律第89号)177条が想起されます。同条は,大学法学部の学生にとっての民法学習におけるつまづゆうなるものの一つではないでしょうか。

 

 (不動産に関する物権の変動の対抗要件)

 第177条 不動産に関する物権の得喪及び変更は,不動産登記法(平成16年法律第123号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ,第三者に対抗することができない。

 

この民法177条に関する知識は,それを持っていると他人を出し抜くことができる法律の知識の典型のような感じが初学者にはするでしょう。

 

・・・甲乙の売買契約により甲の土地の所有権は乙に移転するというのが民法の原則であるが,甲はなお同じ土地について丙と有効に売買契約を結べる。

しかし,土地の所有権はひとつであるから,たとえ有効な売買契約が2つあっても2人の買主がともに所有権を取得するというわけにはいかない。そこで,このとき乙と丙のどちらが勝つかを決めておく必要がある。ひとつの考え方として,甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考えることも可能である。しかし,民法は,不動産については登記の先後で決めることにした(177条)。つまり,丙が甲から先に登記の移転を受けると,乙に優先するのである。したがって,結果的に,甲乙の売買による所有権の移転は確定的なものではなかったことになる。このときの登記を対抗要件と呼び,二重譲渡のように対抗要件で優先劣後を決める問題を対抗問題という・・・(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)53頁)。

2 「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」 

「ひとつの考え方として,甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考えることも可能である。」というのならばその考え方を素直に採用すればよいではないか,と考えたくなるところです。

 

  ・・・ものによっては,うっかりすると〔民法典には書かれていないけれども,条文と同じ価値をもっているような法命題・準則に〕気が付かないことがあります。「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」の原則などです。私自身の学生時代の経験をいいますと,この命題は,民法では教わった記憶がなく――居眠りをしていたのかもしれませんが――ローマ法の講義と,ドイツ法の講義で教わったことを覚えています。(星野英一『民法のもう一つの学び方(補訂版)』(有斐閣・2006年)93頁)

 

「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」ということであれば,ますます売買の先後で決めればよいではないか,登記の先後で出し抜くことを認めるとは,制度を知らない普通の人間は損をするみたいでいやらしいなぁ・・・などという違和感を抱懐し続けると,法律学習から脱落してしまう危険があります。

3 フランス法における制度の変遷

しかしながら,実際に,「甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考え」,そのように民法を制定した例があります。1804年のナポレオンの民法典です。

 

  〔意思主義と対抗要件主義の組合せという我が国のやり方は,〕フランス民法に由来するが,フランスでは,1804年の民法典においては,177条にあたる規定がなく,先に買った者が,万人に対する関係で完全に所有権を取得し,後から買った者は負けるということになっていた。(星野英一『民法概論Ⅱ(物権・担保物権)』(良書普及会・1980年)40頁)

 

 ところが,ナポレオンの民法典における上記制度は,甥のナポレオン3世の時代に現在の日本のやり方の形に変更されます。

 

 しかし,これでは,不動産を占有するので所有者だと信じて買ったり,これに抵当権をつけても,先に買った者がいるならばこれに負けることになり,非常に取引の安全を害する。そこで,約50年後の1855年に,先に買っても,登記をしないと後から買って登記をした者に負けるということにした。取引の安全を保護するための制度だが,第三者の保護に値する事情を考慮せず,権利取得者でも登記を怠った者は保護されないという面から規定したのである。ただ,その結果,不動産を買おうとする者は,売主に登記があるならば,これを買って登記を自分に移せば,先に買った者があっても安心だ,ということになった。日本民法は,フランスにおける50年の発展の結論だけをいわば平面的に採用したのである。そのために,わかりにくい制度となっているが,この沿革を考えれば,たやすく理解できるであろう。(星野・概論Ⅱ・4041頁)

 

 「たやすく理解できるであろう」といわれても,まだなかなか難しい。


4 フランス1855年3月23日法

ところで,フランスの民法典(Code Civil)の本体が1855年に改正されたかといわれれば,そうではありません。1855年3月23日法という特別法が制定されています。

同法の拙訳は,次のとおり。(同法はフランス政府のLegifranceサイトでは見ることができませんので,ここで紹介することに何らかの意義はあるのでしょう。条文の出典は後出のトロロンのコンメンタールです。同法の概要については,つとに星野英一「フランスにおける不動産物権公示制度の沿革の概観」(1954年10月のシンポジウム報告に手を加えたもので初出1957年)同『民法論集第2巻』(有斐閣・1970年)49頁以下において紹介されています。なお,同法は現在は1955年1月4日のデクレ(Décret n˚ 55-22 du 4 janvier 1955)に代わっています。当該デクレについては,星野英一「フランスにおける1955年以降の不動産物権公示制度の改正」(初出1959年)同・論集第2巻107頁以下を参照ください。)

 

第1条 財産の状況に係る次に掲げる事項は,抵当局において(au bureau des hypothèques)謄記される(sont transcrits)。

 一 不動産の所有権又は抵当に親しむ物権(droits réels susceptibles d’hypothèque)の移転を伴う生者間における全ての証書による行為(acte)〔筆者註:acteには,行為という意味と証書という意味とがあります。星野「沿革」・論集第2巻95頁等の整理では,フランス法において登簿されるacteとは証書のことであるとされています。

 二 上記の権利の放棄に係る全ての証書による行為

 三 前各号において示された性質の口頭合意(une convention verbale)の存在を宣言する全ての裁判(jugement

 四 共有物競売(licitation)において共同相続人の一人又は共有者の一人のためにされるもの(celui rendu … au profit d’un cohéritier ou d’un copartageant)を除く全ての競落許可(adjudication)の裁判〔筆者註:「共同相続人または共有者間における分割のための競売・・・において共有者の一人が競落人となったときは除かれる」のは,「共有分割と同じ関係だから」だそうです(星野「沿革」・論集第2巻52頁)。「相続財産の分割については,分割部分を受けた者は初めからその部分につき単独で直接に被相続人から相続したことになり(民883条),分割は最初からのこの状態を確認するにすぎないもので,移転行為でなく確認行為であると解されている。この理は一般原則であるとされ」ているそうです(星野「沿革」・論集第2巻54頁)。〕

 

第2条 次に掲げる事項も同様に謄記される。

 一 不動産質権(antichrèse),地役権(servitude),使用権(usage)及び住居権(habitation)の設定に係る全ての証書による行為(Tout acte constitutif)〔筆者註:我が民法の不動産質権のフランス語訳は,富井政章及び本野一郎によれば,droit de gage sur les immeublesです(第2編第9章第3節の節名)。使用権及び住居権についいては,星野「沿革」・論集第2巻48頁註11において「使用権とは,他人の物の使用をなしうる権利であり(もっとも,収益を全くなしえないのか否かの点,および,なしうるとしてその範囲につき,問題がある),住居権とは,他人の家屋を使用しうる権利である。」と説明されています。我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)110条1項には「使用権ハ使用者及ヒ其家族ノ需要ノ程度ニ限ルノ用益権ナリ」と,同条2項には「住居権ハ建物ノ使用権ナリ」と定義されています。〕

 二 上記の権利の放棄に係る全ての証書による行為

 三 当該権利の口頭合意による存在を宣言する全ての裁判

 四 18年を超える期間の賃貸借(les baux

 五 前号の期間より短い期間の賃貸借であっても,3年分の期限未到来の賃料又は小作料(fermages)に相当する金額の受領又は譲渡(quittance ou cession)を証する全ての証書による行為又は裁判

 

第3条 前各条に掲げる証書による行為及び裁判から生ずる権利は,謄記されるまでは,当該不動産に係る権利を有し,かつ,法律の定めるところに従い当該権利を保存した(qui les ont conservés)第三者に対抗することができない(ne peuvent être opposés)。

謄記されなかった賃貸借は,18年の期間を超えて第三者に対抗することは決してできない(ne peuvent jamais)。

 

 第4条 謄記された証書による行為の解除(résolution),無効(nullité)又は取消し(rescision)の全ての裁判は,確定した日から1月以内に,登記簿にされた謄記の欄外に付記されなければならない(doit…être mentionné en marge de la transcription faite sur le registre)。

   当該裁判を獲得した代訴人(avouéは,自ら作成し,かつ,署名した明細書(un bordereau)を登記官(conservateur)に提出して当該付記がされるようにする義務を負い,違反した場合においては100フランの罰金(amende)を科される。登記官は,代訴人に対して,その明細書に係る受取証(récépisséを交付する。

 

 第5条 登記官は,請求があったときは,その責任において,前各条において規定された謄記及び付記に係る抄本又は謄本を発行する(délivre…l’état spécial ou général des transcriptions et mentions)。

 

 第6条 謄記がされてからは,先取特権者又はナポレオン法典第2123条〔裁判上の抵当権〕,第2127条〔公正証書による約定抵当権〕及び第2128条〔外国における契約に基づく抵当権〕に基づく抵当権者は,従前の所有者について(sur le précédent propriétaire)有効に登記(inscription)をすることができない。〔筆者註:裁判上の抵当権については,「裁判上の抵当権とは,裁判を得た者のために,債務者の財産に対して法律上当然に発生する抵当権であって,法定抵当権におけると同様,債務者の現在および将来のすべての不動産に対して効力が及ぶものである」と説明されています(星野「沿革」・論集第2巻23頁註6)。〕

   しかしながら,売主又は共有者は,売買又は共有物の分割から45日以内は,当該期間内にされた全ての証書による行為の謄記にかかわらず,ナポレオン法典第2108条〔不動産売買に関する先取特権〕及び第2109条〔共有物分割に関する先取特権〕により彼らが取得した先取特権を有効に登記することができる。

   民事訴訟法第834条及び第835条は,削除される。〔筆者註:星野「沿革」・論集第2巻26頁にこの両条の訳がありますが,民事訴訟法834条によれば,抵当不動産譲渡及びその謄記があってもその後なお2週間はナポレオン法典2123条,2127条及び2128条に基づく当該譲渡前の抵当権者は登記ができるものとされていました(ただし,2108条及び2109条の権利者を害することを得ない。)。〕

 

 第7条 ナポレオン法典第1654条〔買主の代金支払債務不履行に基づく売主の売買契約解除権〕に規定する解除は,売主の先取特権の消滅後は,当該不動産に係る権利の移転を買主から受け,かつ,当該権利の保存のための法律に従った第三者を害する場合は行うことができない。

 

 第8条 寡婦(veuve),成年者となった未成年者,禁治産の宣告の取消しを受けた禁治産者,これらの者の相続人又は承継人が婚姻の解消又は後見の終了後から1年以内に登記しなかった場合においては,上記の者の抵当は,第三者との関係においては,その後に登記がされた日付のものとする(ne date que du jour des inscriptions prises ultérieurement)。〔筆者註:この条は,妻並びに未成年者及び成年被後見人の法定抵当権(登記を要しなかった(ナポレオンの民法典2135条)。)に関する規定であって,「法定抵当権とは,法律上当然に一定の債権について与えられるもので(2117条1項),妻がその債権等につき夫の財産に対して有するもの,未成年者および禁治産者がその債権等につき後見人の財産に対して有するもの,国,地方公共団体および営造物がその債権等につき収税官吏および会計官吏の財産に対して有するもの,の3種がある(2121条)。」と紹介されています(星野「沿革」・論集第2巻22‐23頁註6)。なお,星野「沿革」・論集第2巻51頁は,この1855年3月23日法8条について「1年内に登記をしないともはや第三者に対抗することができない。」と記しています。〕

 

 第9条 妻(les femmes)がその法定抵当を譲渡し,又は放棄することができる場合においては,それらの譲渡及び放棄は公署証書(acte authentique)によってされなければならず,並びに譲受人は,彼らのためにされた当該抵当の登記によらなければ,又は既存の登記の欄外における代位の付記(mention de la subrogation)によらなければ,第三者との関係においては,当該権利を取得することができない。

   譲渡又は放棄を受けた者の間における妻の抵当権の行使の順位は,登記又は付記の日付によって定まる。

 

 第10条 この法は,1856年1月1日から施行する。

 

 第11条 上記第1条,第2条,第3条,第4条及び第9条は,1856年1月1日より前に確定日付を付された証書による行為及び下された裁判には適用されない。

   それらの効果は,その下でそれらが行われた法令による。

   謄記はされていないが前記の期日より前の確定日付のある証書による行為の解除,無効又は取消しの裁判は,この法律の第4条に従い謄記されなければならない。

   その先取特権がこの法律の施行の時に消滅している売主は,第三者に対して,ナポレオン法典第1654条の規定による自らの解除(l’action résolutoire qui lui appartient aux termes de l’article 1654 du Code Napoléon)を前記の期日から6月以内にその行為を抵当局に登記することによって保存することができる。

       10条により必要となる登記は,本法律が施行される日から1年以内にされなければならない。当該期間内に登記がされないときは,法定抵当はその後にそれが登記された日付による順位を得る(ne prend rang que du jour où elle ultérieurement inscrite)。

   贈与(donation)に係る,又は返還を条件とする規定(des dispositions à charge de rendre)を含む証書による行為の謄記に関するナポレオン法典の規定については従前のとおりである(Il n’est point dérogé aux)。それらの規定は,執行を受け続ける(continueront à recevoir leur exécution)。

 

 第12条 特別法により徴収すべき手数料(droits)が定められるまでは,証書による行為又は裁判の謄記であって,この法律の前には当該手続に服するものとされていなかったものは,1フランの定額手数料と引き換えにされる。

  

 「謄記」という見慣れぬ用語については,次の説明を御覧ください。

 

・・・「謄記transcription」と「登記inscription」の使い分けについてである。transcriptionとは文字通りには転記することであるが,フランスにおける不動産の公示は,原因証書(売買契約書)の写しを綴じ込むことによって行われており,原因証書とは別に権利関係が登録されるわけではない。transcriptionという用語はこのことを示すものである。(大村敦志『フランス民法』(信山社出版・2010年)148頁)

 ただし,謄記の方法が,文字どおりの証書の筆写(transcription)から当事者によって提出された証書を編綴するシステムになったのは,1921年7月24日法(Loi relative à la suppression du registre de la transcription et modifiant la loi du 23 mars 1855 et les art. 1069, 2181 et 2182 du Code civil),1921年8月28日命令(Décret fixant le type et le coût des formules destinées à la rédaction des documents déposés aux conservations des hypothèques)及び192110月6日命令(Décret fixant le prix des bordereaux de transcription hypothécaire)による制度改正がされてからのことです(星野「沿革」・論集第2巻7778頁。また,同「改正」・論集第2巻111頁)。


5 トロロンのコンメンタール 

1855年3月23日法については,第二帝政フランスの元老院議長にして破毀院院長(Premier Président)たるレイモン=テオドール・トロロン(Troplong)によるコンメンタールであるCommentaire de la Loi du 23 mars 1855 sur la Transcription en Matière Hypothècaire≫(抵当関係謄記に関する1855年3月23日法逐条解説)1856年にパリのCharles Hingrayから出ており,これは現在インターネット上で読むことができます。実に浩瀚なものです。おしゃれたるべき書籍の狙いや書籍としての編集上の事由から一次資料に基づく整理の多くを削除するような横着なことをすることなく,むしろ長過ぎる(trop long)くらいのこのような大著を出す西洋知識人の知的タフネスには,非常に知識に富んでいて聡明である程度であるところの我が国の一部学者諸賢では太刀打ちできないものでしょうか。無論,仕事に厳しい法律実務家は,婦女子生徒にもめちゃくちゃフレンドリーであるというようなことはなく,かえって迷惑がられ,悪くすると嫌われてしまうのでしょうが。

そのトロロンによる1855年3月23日法第3条解説の冒頭部分(167169頁)を以下訳出します。

 

142. 第3条は,謄記(transcription)の効果を定める。

 ナポレオン法典の原則によれば,合意(consentement)は,当事者間においても,第三者との関係でも,所有権(propriété)を移転せしめる。売買は,その締結により,買主を所有者とする。権利を失った売主(le vendeur dépouillé)は,譲渡された不動産に係る何らの権利ももはや与えることはできない。このように,誠実(la bonne foi)は欲するであって,そこからのインスピレーションがこの制度(ce système)の導き(guide)となったのである。売買について知らずに,所有者だと思って売主と取引をした者は,買主に対して何らの権利も絶対的に有さない。本人(leur auteur)が有する以上の権利を人々は取得することはできない。当該本人は,既に権利を失っているので,彼らに何も移転することはできないのである。

 唯一,約定(convention)が証明されなければならない。しかして,第三者との関係では,証書(acte)は,確定日付あるものとなった時から(du moment où sa date est certaine)しかその示す約定の存在を証明しないのである〔筆者註:ナポレオン法典1328条が「私署証書は,第三者に対しては,それらが登録された日,それらに署名した者若しくは署名した数名中の一人の死亡の日又は封印調書若しくは目録調書のような官公吏によって作成された証書においてそれらの内容が確認された日以外の日付を有さない。」と規定していました。〕。したがって,第三者との関係では,所有権の移転は,その先行性の証明となる証書の存在という条件の下に置かれることになる。同一の財産に係る2名の前後する買主の間においては,契約書が先に確定日付を受けた者が他の者に対して勝つのである。これが,ナポレオン法典による立法に基づく状況である。これが,1855年3月23日法まで支配した理論である。

 

143. しかしながら,不動産信用の必要(les nécessités du crédit foncier〔なお,「フランスでは1852年に抵当貸付銀行(Crédit foncier)というものができ」たそうです(星野英一「物権変動論における「対抗」問題と「公信」問題」同『民法論集第6巻』(有斐閣・1986年)145頁)。また,星野「沿革」・論集第2巻49頁(ここでは「土地信用銀行」と訳されています。)参照〕によって起動されたものであるこの法律は,前記の原則に抵触し,ナポレオン法典はその点において重大な変更を被ることとなった。もちろん,当事者及び彼らの承継人間においては,所有権の変動は常に合意のみによって行われるのであって,ナポレオン法典の母なる理念(l’idée mère),すなわち深く哲学的かつ倫理的な理念(idée profondément philosophique et morale)は,その全効力の中に存続する。しかしながら,第三者との関係においては,以後変動は,公の登記簿に証書が謄記されることによって(par la transcription du titre sur un registre public)初めて達成されるのである。謄記がされるまでは,売主は,当事者及び彼らの包括承継人(leurs successeurs universels)以外の者との関係では所有権の属性(les attributs de la propriétéを保持している。彼によって第三者に移転され,かつ,しかるべく正規化された(dûment régularisés)権利は,時期的には先行していてもその証書をいまだに謄記していなかった買主に対して対抗することができるのである。買主は,それらその契約を公告した第三者に対して,当該本人(son auteur)は彼自身有していなかった権利を彼らに移転することはできなかったのだと言うことをもはや許されない。買主は,少なくとも第三者との関係では,謄記によって日付をはっきりさせず(en ne prenant pas date contre lui par la transcription),売主は権利を失っていないと公衆が信ずることを正当化してしまった(en autorisant)ことによって,売主がそれらの権利をなお有するものとしたのである(l’a laissé investi de ces droits)。彼は,競合する権利に対抗されることによって被った損害について,自分のみを(à lui seul)及びその懈怠を(à sa négligence)咎めるべきである(doit imputer)。

 以上からして,所有権の移転は,現在は二重の原則によって規律されていることになる。当事者間においては,それは合意から生ずる。第三者との関係では,証書の謄記をもってその日付とする(elle ne date que de la transcription du titre)。同一の不動産に係る物権を主張する2名の間では,公示の法律に先に適合するようにした者が(celle qui se sera conformée la première à la loi de la publicité),その主張について勝利を得るのである。

 

144.以上のように論じたところで(Ceci posé),当該状況下においては,通常の理論では単なる承継人であって本人を代表し(représentant son auteur)かつ譲渡人の写し絵(image du cédant)であるところの者が,他の者のためにされた当該本人に由来するところの行為(les actes émanés de cet auteur)を争うことのできる第三者となるように見える。周知のとおり,当該二重効(ce dualisme)は,法においては新奇なものではない。どのようにして同一の個人が,ある場合には譲渡人の承継人であり,他の場合にはそうではないこととなり得るかについては,他の書物で示し置いたところである。

 難しい点は,どのような場合に第三者の利益が生じ,どのような他の場合に1855年3月23日法にかかわらずナポレオン法典の規定がそのまま適用される(demeure intacte)かを知ることにある。

 まず,買主は,その契約書を謄記していなくとも,売主に対しては,取得した不動産を請求する権利を有する。公示の規定は,このような仮定例のために設けられたものでないことは明白である。当事者は彼らの締結した契約を知らないものではなく,かつ,彼らに関しては公告は無用のものである。

 

 星野英一教授の以下のような論述には,上記トロロンの説明を彷彿とさせるものがあるように感じられます。

 

  ・・・つぎの疑問が出るかもしれない。甲は乙に完全に所有権を移したのなら,丙に移すべき権利を持っていないではないかということである。この点の説明は難しいように見えるが,実はなんのこともない。甲乙間において乙に完全に所有権が移っているということは,乙は甲に対して所有権から生ずる法律効果を主張でき,甲は乙に対して所有権から生ずる効果を主張できない,ということである。しかし,乙は丙に対しては所有権から生ずる効果を主張できないのであり,その限りで,乙の権利は不完全なものであり,甲になにものか,つまり,丙に登記を移転し,その結果乙が丙に所有権を対抗できなくなって,結局丙が完全な意味で所有権者になるようにすることのできる権能が残っている,ということである。(星野・概論Ⅱ・39頁)

 

  所有権を,ある物質的存在のように考えると,ある物の所有権はどこかにしかないことになり,甲から乙に移った以上甲から丙には移りえない,ということにもなりそうだが,所有権とは,そのような存在でなく,要するに誰かが他の人にある法律効果を主張するさいの根拠として用いられる観念的存在にすぎない。故に,乙は甲に対しては所有権を主張しうるが,丙に対してはそう主張できない,甲は乙に対しては所有権を主張できないが,丙に対してはこれを移転しうる,と考えることになんらおかしなところはないのである。このことは,所有権に限ったことではなく,法律概念にはこのようなものが多い。その実体化(物質的存在のように考えること)は誤りであることをはっきり弁えなければならない。どうしても実体的に考えたいのなら,先に述べたように乙の持っている「所有権」は,完全なものでなく「所有権マイナスα」であり,甲にαが残っている,といえばよい。そのαは,強力なもので,丙に移転され登記がされると,乙にある「所有権マイナスα」を否定する力を有するというわけである。いったん甲から乙に所有権が完全に移転する以上,甲にはもはやなにも残らないから,二重譲渡は論理的に不可能である,などといわれ,この点を説明しようとして,古くから色々の説が唱えられており,最近も新しい説が出ている。しかし,そもそもをいえば,もしも176条しかないならば二重譲渡は不可能だが,177条,178条がある以上,そんなことはなく,そのような説明は不要なのである。(星野・概論Ⅱ・3940頁)

 

 未謄記の買主間における優劣に関するトロロンの次の議論も面白いところです(177頁)。

 

 151. 謄記をしていない買主間においては,一方から他方に対して1855年3月23日法が援用されることはできない。なおもナポレオン法典の規律下にあるところであって,他方との関係における証書の日付の先行性によって紛争は解決せられるのである。第2の買主は,空しく第1の買主に対して言うであろう。もしあなたがあなたの取得を公示していたのならば,私は購入することはなかったでしょう,あなたの落ち度(faute)が私を誤りに陥らせたのです,と。第1の買主は論理的に(avec raison)答えるであろう。現在の原則によれば,あなたの購入を他のだれよりも先に謄記したときにならなければ,あなたは所有権について確実なものと保証されていないのです。で,あなたは何もしていませんでしたね。

 

 6 「日本民法の不動産物権変動制度」講演その他

 トロロンのコンメンタールの第151項を読んで面白がるのはméchantでしょうか。しかし,大村敦志教授の著書に次のようなくだりがあるところが,筆者の注意を惹いたのでした。

 

  ・・・〔不動産物権変動におけるフランス法主義に関する研究者である〕滝沢〔聿代〕はここ〔「法定取得+失権」説と呼ばれる滝沢の見解〕から重要な解釈論的な帰結を導く。それは,「第一譲渡優先の原則」あるいは「非対称性の法理」とでも言うべき帰結である。滝沢によれば,第二買主は登記を備えることによって初めて権利を取得するのであり,登記以前に所有権を有するのは第一買主である。第一買主は登記を備えた第二買主に対抗することはできないが,第二買主が登記を備えるまでは第一買主はその権利を対外的に主張できるというのである。つまり,双方未登記の第一買主と第二買主とでは前者が優先する,言い換えれば,両者の立場は対等ではないというわけである。

  以上に対して,星野〔英一〕は異を唱えた(星野「日本民法の不動産物権変動制度」同『民法論集第6巻』〔1986,初出は1980〕)。星野の論点は次の3点にあった。一つは,議論の仕方についてである。滝沢のような議論はフランスではなされていないのであり,無用の法律構成であるというのである。もう一つは,歴史的な経緯の異同についてである。フランスでは,意思主義は1804年の民法典によって,対抗要件主義は1855年の登記法によってそれぞれ導入されたのに対して,日本では,両者は同時にセットとして民法典に書き込まれたことを重視すべきであるというのである。それゆえ最後に,フランス法では第一買主と第二買主の地位が非対称であるとしても,日本では両者を対称的に考えるべきであるというのである。(大村150頁)


 ここで大村教授は星野教授の「日本民法の不動産物権変動制度 ――母法フランス法と対比しつつ――」講演を典拠として挙げていますが,同講演において星野教授が滝沢説(ないしはその方法)に「異を唱えた」という部分は,筆者の一読したところ,以下のようなものでした。

 

 ・・・先に述べたような立場〔「・・・プロセスとしてどうしても,文理解釈,論理解釈といわれる操作から出発し,つぎに立法者や起草者がどう考えたかを探究し,進んで立法にさいしてもととなった外国法やその歴史に遡って調べなければなりません。これは,少なくとも学者にとって必要な作業です。これらの基礎的な作業を経たうえで,現在の立場から,先に述べた利益考量・価値判断をするわけです。その論証のしかたとしては,たとえば,日本の民法は,立法者の考え方そして立法のもととなっている外国法によれば,こういうもの,こう解釈されるべきものであった,しかし現在においては,社会情勢が立法者の前提としていたところと変わっていたり,人々の考え方が変わっているので,今日ではそれは取り得ない,としたうえで,現在の解釈としてはこうあるべきだ,というふうに論ずるわけです。」という立場〕から日本民法を理解するために,その沿革,そしてフランス民法の沿革に遡ったよい研究をした滝沢助教授が,この点〔二重譲渡の可能性の説明〕になると一転して――というより実はそもそも同氏の問題意識というか問題の出発点がそこにあるのですが――,フランスの学者もほとんど問題にしていないところの――このことは同氏の研究からも明らかです――二重譲渡の可能性ないし第二買主の権利取得の説明に苦心しているのは,やや一貫しない感があります。ここでも,というよりここでこそ――というのは日本民法もこの点では同じ,というより始めから二つの規定〔176条及び177条〕を併存させているのですから――,もっとあっさりと,フランス式で押しとおすほうが当初の方法に忠実であり,すなおではなかったか,と思われるのです。つまり,同助教授はせっかく立派な実証的研究をしているのに,ドイツ法学的(?)問題意識をもってフランス法をかなり強引に利用したように思われます。それとも,日本の学説が盛んに議論している問題だから,日本に密着した問題だということでしょうか。それなら一応わかりますが,日本の学界において盛んに問題とされているものがあまり問題とするほどのものではない〔すなわち,「どちらの問題〔二重譲渡の説明及び物権の「得喪及ヒ変更」の範囲〕についても,文理解釈・論理解釈ではわからないため,立法者,起草者,場合によりそのもととなった法律に遡らねばならないので,それなしの議論は,いわば砂上の楼閣になりかねないのです。率直に言って,従来の議論は,我妻〔榮〕先生のものでさえその辺が不十分で,現在もその弱い基盤の上に議論されているために,迷路に陥っている感がありました。」という情況〕,ということを外国法を参考にして明らかにするのも重要な意義のあることであり,私はこの問題についてはむしろそれが必要だと考えるものです。しかし,これも法律学の任務に関する考え方の違いによるものでしょうか。ただ,少なくとも,前述したやや一貫しない感じの所についての説明は必要でしょう。(星野・論集第6巻9495頁,107108頁)

 

上記部分は,「滝沢〔聿代「物権変動における意思主義・対抗要件主義の継受(一)~(五完)」法学協会雑誌93巻9号,11号,12号,94巻4号,7号(昭和5152年)〕によって,ようやく論議のためのほぼゆるぎない基礎が確立されたといってよい,ただ後に二,三の点について述べるように,同論文にもなおこの点〔立法者・起草者,そのもととなった外国法に遡った議論〕でも若干の不統一ないし不徹底が見られるのは惜しい。」(星野「日本民法の」・論集第6巻97頁註8)とされた「二,三の点」に係るものでしょう。

なお,星野教授も,滝沢「物権変動における意思主義・対抗要件主義の継受」論文を引用しつつ,「同条〔民法177条〕をあえて説明すれば,物権を取得しても登記をしないでいて第三者が登記をすると失権する規定だともいえましょう」と述べています(星野「日本民法の」・論集第6巻115頁)。また,「同条〔民法177条〕は物権を取得したが登記を怠った者の懈怠を咎めるという客観的意味を持つ規定だといってもよいでしょう。」との星野教授の理解(星野「日本民法の」・論集第6巻115頁)は,トロロンの前記コンメンタール第143項第1段落の最終部分と符合するようですが,この点に係る「民法の起草者もそんなことは言っていない」との石田喜久夫教授の批判に関し星野教授は,「民法の構造に立った理解として,滝沢助教授および私の理解以外にうまい理解のしかたがほかにあれば再考するにやぶさかではない。」と述べています(星野「日本民法の」・論集第6巻121頁註9)。少なくともこれらの点においては,星野教授は滝沢説に「異を唱えた」ものではないでしょう。(なお,石田教授と星野教授とは,「私どもは,公刊された文章でかなり厳しい批判をしあいました。契約の基本原理から,多方面の解釈論に及びます。個人的な会話においても悪口をいいあっていましたが,学者としても,人間としても,互いに尊敬しあい,心が通じていたからだと信じています。」という間柄でした(星野英一『法学者のこころ』(有斐閣・2002年)288頁)。)

 そもそも1977年2月11日に広島市における全国青年司法書士連絡協議会大会おいてされた星野教授の「日本民法の不動産物権変動制度」講演は,「幸い,この点に関する優れた研究〔滝沢「物権変動における意思主義・対抗要件主義の継受(一)~(五完)」〕が最近発表されましたので,これを参考にしながらお話を進める」こととしたというものでした(星野・論集第6巻89頁)。(なお,大村敦志=道垣内弘人=森田宏樹=山本敬三『民法研究ハンドブック』(有斐閣・2000年)103頁においては,「二重譲渡において双方未登記の場合,フランスでは第一譲受人が優先するとされるのに対して,日本では双方とも相手方に優先しないとされる」というのが星野教授の認識であったとされています(下線は筆者によるもの)。)

 

7 第三者の善意要件に関して 

 なお,ボワソナアドの旧民法財産編350条1項は「第348条ニ掲ケタル行為,判決又ハ命令ノ効力ニ因リテ取得シ変更シ又ハ取回シタル物権ハ其登記ヲ為スマテハ仍ホ名義上ノ所有者ト此物権ニ付キ約束シタル者又ハ其所有者ヨリ此物権ト相容レサル権利ヲ取得シタル者ニ対抗スルコトヲ得ス但其者ノ善意ニシテ且其行為ノ登記ヲ要スルモノナルトキハ之ヲ為シタルトキニ限ル」と規定して,第三者に善意を要求していました。初学者的には違和感の無い結果となったようです。しかしながら,いろいろ問題があるということで当該規定は現行民法には採用されなかったのでしょうか。残念ながら本稿においては,そこまで現行民法の編纂過程を調べて論ずるには至らなかったところです。(この点については,多田利隆西南学院大学法科大学院教授の「民法177条と信頼保護」論文(西南学院大学法学論集47巻2=3号(2015年)129頁以下)において現行民法の起草者である穂積陳重,富井政章及び梅謙次郎の見解が紹介されており(「不動産登記が「公益ニ基ク」公示方法として十分な効果をあげるためには「絶対的」のもの〔「第三者の善意・悪意に応じて取り扱いを分けるという相対的な取り扱いはしないということ」〕でなければならないからだというのである」(穂積について),「其意思ノ善悪ニ関シテ争議ヲ生シ挙証ノ困難ナルカ為メニ善意者ニシテ悪意者ト認定セラルルコト往々コレナキヲ保セズ。故ニ法律ハ第三者ノ利益ト共ニ取引ノ安全ヲ保証スルタメニ上記ノ区別ワ採用セザリシモノト謂ウベシ」(富井の『民法原論 第二巻 物権』における記述の紹介)及び「実際には善意・悪意の区別は困難であって,第三者によって物権変動を認めたり否定したりすると「頗ル法律関係ヲ錯雑ナラシムルモノニシテ実際ノ不便少カラス」,したがって,「第三者ノ善意悪意ヲ問ハス登記アレハ何人ト雖モ之ヲ知ラスト云フコトヲ得ス登記ナケレバ何人モ之ヲ知ラサルモノト看做シ畢竟第三者ニ対シテハ登記ノ有無ニ因リテ権利確定スヘキモノトセル」立場を採用したのだと説明」(梅の『民法要義 巻之二 物権篇』の記述に関して)),「そこでは共通して,本来であれば善意の第三者のみを保護すべきであるが,公示制度の実効性を高めることや,善意・悪意をめぐる争いの弊害を防ぐことなど,実際上あるいは便宜上の理由によって,具体的な善意要件は掲げなかったことが説かれている」と総括されています(131‐133頁)。)
 ところで,トロロンは前掲書において1855年3月23日法第3条に関してつとに次のように述べていました(229230頁)。

 

 190.謄記を援用する者に対してはまた,それは悪意(mauvaise foi)によってされたものであると主張して対抗することができる。しかし,ここでいう悪意とは何を意味するのであろうか?

取り急ぎ述べれば,謄記されていない先行する売買に係る単純な認識(la simple connaissance)は,同一の不動産を新たに買った者を悪意あるもの(en état de mauvaise foi)とはしない。このことは,贈与の謄記に関して,既に確立されたものとなっている。しかして共和暦13年テルミドール3日に破毀院は,ブリュメール法〔共和暦7年ブリュメール11日(179811月1日)の抵当貸付法(Loi de crédit hypothécaire)であって,同法の内容については星野「沿革」・論集第2巻9頁・13‐14頁註5を,所有権の移転を第三者に対抗するためには謄記が必要であるとする同法の規定がナポレオンの民法典においては採用されなかった経緯については星野「沿革」・論集2巻16頁・17頁註5註6(「ある者は,不注意か手違いのためであろうかと疑い,ある者は,部会が最後の瞬間に思い直して意見を変えたのであろうか,という」)を参照〕を適用してそのように裁判している。

  「(同院は当該判決(arrêt)においていわく)最初の売買が謄記されておらず,かつ,したがって所有権の移転がない限りにおいては,既に他者に売られていることを知り得た不動産を買う者を不正行為(fraude)をもってとがめる(accuser)ことはできない。法律によって提供された有利な機会から利益を得ることは不正行為ではないからである(car il n’y a pas fraude à profiter d’un avantage offert par la loi)。しかして,証書を謄記させるために同様の注意(une égale dilligence)を用いなかったのならば,最初の買主は自分自身を咎めるべきである。」

  しかしながら,第2の買主は,第1の買主が自らの懈怠によるというよりも売主によって第2の買主と共謀の上(avec complicité)共同してされた陰謀(une manœuvre concertée)の犠牲者であるという場合においては,第1の買主を裏切る(tromper)ために売主によって企まれた(machinée)不正行為に加担したものである。この場合においては,著しく格別な悪意(la plus insigne mauvaise foi)による行為(acte)を謄記によって掩護(couvrir)せしめることは不可能である。この意見は,新法を提案するに当たっての政府のものである。実際に,提案理由中には次のようにある。「同一の不動産又は同一の物権について同一の権利者(propriétaire)によって2ないしは多数の譲渡(aliénations)がされた場合においては,最初に謄記されたものが他の全てのものを排除する(exclurait)。ただし,最初に当該手続(cette formalité)を充足した(a rempli)者が不正行為(fraude)に加担していない(n’eût participé)ときに限る。」と。


弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

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1 分娩による母子関係の成立(判例)

 「生んだのは私です。」と女性が啖呵を切れば男は引っ込む。「母は強し。」ですね。

 しかし,法律的には,「母」とは何でしょう。

 民法の代表的な「教科書」を見てみると,「母子関係の発生に母の認知を要するかについては,学説が分かれていた。現在では,判例・通説は分娩の事実によって母子関係は成立するから認知は不要としている。」とあります(内田貴『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)196頁)。当該判例たる最高裁判所昭和37年4月27日判決(民集1671247)は,「母とその非嫡出子との間の親子関係は,原則として,母の認知を俟たず,分娩の事実により当然発生すると解するのが相当であるから,被上告人〔母〕が上告人〔子〕を認知した事実を確定することなく,その分娩の事実を認定したのみで,その間に親子関係の存在を認めた原判決は正当である。」と判示しています。

 当たり前でしょ,そもそも「母子関係の発生に母の認知を要する」なんて何てお馬鹿なことを言っているのかしら,というのが大方の反応でしょう。

 しかし,民法には困った条文があるのです。

 

 第779条 嫡出でない子は,その父又は母がこれを認知することができる。(下線は筆者によるもの)

 

 素直に読めば,「嫡出でない子」については,その子を分娩した女性であっても改めて認知するまではその子の法律上の母ではないということになるようです。

なお,ここで,「嫡出でない子」の定義が問題になりますが,「嫡出子」については,「婚姻関係にある夫婦から生まれた子」(内田169頁),あるいは「婚姻関係にある男女の間の子」ということになり(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)214頁),かつ,その子は「夫との性的交渉によって懐胎された子でなければならない。」とされています(我妻214頁)。「嫡出でない子」は,「父と母との間に婚姻関係のない子」ですから(我妻230頁),婚姻していない女性が生んだ子(「未婚の子」)及び人妻の生んだ子であるが夫との性的交渉により懐胎された子でないもの(「母の姦通の子」)ということになるのでしょう。

 前記昭和37年最高裁判所判決までの古い判例は,「民法が,非嫡出子と親との関係は,父についても,母についても,認知によって生ずるものとして差別を設けない」ことから,民法の条文どおりの解釈を採っていて,非嫡出子を分娩した女性が出生届をしたときは母の認知の効力を認めるものの(なお,戸籍法(昭和22年法律第224号)522項は「嫡出でない子の出生の届出は,母がこれをしなければならない。」と規定しています。),原則として非嫡出子とその子を生んだ女性との関係については「分娩の事実があっても「生理的ニハ親子ナリト雖モ,法律上ハ未ダ以テ親子関係ヲ発生スルニ至ラズ」」としていたそうです(我妻248頁)。この判例の態度を谷口知平教授は支持していて「(ⅰ)母の姦通の子や未婚の子が虚偽の届出または棄児として,身分をかくそうとしている場合に,第三者から出生の秘密をあばくことは許さるべきではない。子の朗らかな成人のためにその意思を尊重し,母または子のいずれかの発意と希望があるときにのみ母子関係を認むべきだ。(ⅱ)養育しなかった生母が,子の成人の後に,子の希望しないにもかかわらず,母子関係を認め,子に扶養義務を負わせたり(認知を必要とすれば子の承諾を要する(782条)),母の相続権を認める(認知を必要とすれば,子の死亡後は,直系卑属のあるとき(母の相続権のないとき)でないとできない(783条2項))のは不当である。」と主張していたとされています(我妻249頁)。「わが民法においては親子関係については英米法の自然血縁親子主義を採らず,親子関係を,法律関係とする社会的法律関係主義ともいうべきものを採用している。」ということでしょう(谷口知平『戸籍法』(有斐閣・1957年)170頁)。

これら当時の判例及び学説に対して我妻榮は,「非嫡出子と母との関係は,その成立についても,成立した関係の内容についても,嫡出子と区別しない,というのが立法の進路であり,その途に横たわる障害については合理性を見出しえない」と宣言し(我妻232頁),「母との関係は,生理的なつながり(分娩)があれば足りる。母の認知または裁判を必要としない。従って,何人も,何時でも,この事実を主張することができる。母の認知という特別の制度は不要となる」(同235頁)との解釈論を展開していました。母子関係について「なお認知または裁判によって成立するものとしている」フランス民法的解釈から,「出生によって当然に母子関係が生ずる」とするドイツ民法及びスイス民法的解釈へと(我妻231頁参照,解釈を変更せしめようとし,前記昭和37年最高裁判所判決によってその目的が達成されるに至ったわけです。当該判例変更の理由について,当該判決に係る裁判長裁判官であった藤田八郎最高裁判所判事は,当該判決言渡しの4年後,「父と嫡出でない子の生理的な事実上のつながりは甚だ機微であって,今日の科学智識をもってしても,必ずしも明確に認識し難いのに反して,母と嫡出でない子のそれは,分娩出産という極めて明瞭な事実関係によって把握されるということに縁由するのである。」と明らかにしています(藤田八郎「「母の認知」に関する最高裁判所の判決について」駒澤大學法學部研究紀要24号(1966年4月)16頁)。ただし,これだけのようです。

以上の点に関しては,かつて,「ナポレオンの民法典とナポレオンの子どもたち」の記事で御紹介したところです(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2166630.html)。

 

2 法律の明文vs.血縁主義(事実主義)

 

(1)我妻榮の覚悟

我妻榮は,嫡出でない子に係る母子関係の成立には母による認知を不要とする自説を提示するに当たって,「非嫡出子と母との関係は,分娩という事実(生理的なつながり)によって当然発生すると解するときは,民法その他の法令の規定中の父または母の認知という文字から「または母」を削除して解釈することになる。解釈論として無理だと非難されるであろうが,止むをえないと考える。」との覚悟を開陳しています(我妻249頁)。確かに,法律に明らかに書いてある「又は母」を公然無視するのですから,立法府たる国会の尊厳に正面から盾突く不穏な解釈であるとともに,民法第4編及び第5編を全部改正した昭和22年法律第222号の法案起草関係者の一人としては立場上少々いかがなものかと思わせる解釈です(我妻榮自身としては,「戦後の大改正には,責任者の一人ともなった」が,「身分法は,私の身についていないらしい。大学では,随意科目・・・といっても,時間割にも組んでなかった。鳩山先生が,学生の希望を入れて,時間割外に講義をして下さったのだから,正式の随意科目でもなかったかもしれない。むろん試験もなかった。そのためか,どうも身についていない。」と弁明しているのですが(我妻・しおり「執筆を終えて」)。)。

 

(2)最高裁判所の妥協と「折衷説」

この点,前記最高裁判所昭和37年判決は,法律の条文の明文を完全に無視することになるというドラスティックな解釈変更を避けるためか「原則として,母の認知を俟たず,分娩の事実により当然発生すると解する」と判示して(下線は筆者によるもの),嫡出でない子に係る母による認知の規定が働き得る余地を残す形にしたように思われます。嫡出でない子の母による認知は,「棄児の場合」にはあり得ると解釈されているそうです(内田196頁)。

しかしながら,「これに対しては鈴木禄弥教授が「はなはだしく便宜的かつ非論理的」だと批判」し,「母子関係に原則として認知不要とする立場は血縁主義(事実主義)を根拠にしているが,そうであるなら,棄児であろうとなかろうと認知は不要としないとおかしい」と述べているそうです(内田197頁)。「便宜的」なのは,国会との正面衝突を避けるために正に便宜的に設けた「例外」の辻褄合わせなんだから仕方がないよ,ということにでもなるのでしょうか。民法779条の文言は男女平等に書かれていますから,同条については,憲法14条1項などを動員して「女性差別だ」として大胆に一部の文言を無効とする違憲判決をするわけにもいかなかったのでしょう。

以上の点についてはそもそも,藤田最高裁判所判事が,「〔(母の認知の存在を前提とする)最高裁判所昭和29年4月30日判決(民集84118)によれば〕認知の法律上の性質〔親子関係の確認ではなく創設〕について,父と母を区別しないのであって,今更,母の認知に,その法律上の性質に関し別異の解釈を施すの余地もなく,従来の大審院判例の趨向をも考慮しつつ,いわゆる認知説によって生ずる不都合を避けながら,法文の文理をも全然無視しないという,妥協的な態度をとって,この最高裁判決はいわゆる「折衷説」の立場に立ったものと理解されるのである。」と述べていました(藤田16頁)。

 

(3)現場の状況

ちなみに,インターネット上で認知の届書の書式を札幌市役所及び下野市役所について見てみると,「認知する父」とのみ印刷してあって,認知する母があることが想定されていないものとなっています(なお,戸籍法施行規則59条では出生,婚姻,離婚及び死亡の届出の様式について規定されていますが(戸籍法28条参照),そこに認知の届出の様式は含まれていません。すなわち,「認知届は法律上届出様式が定まっていない」わけです(内田190頁)。)。

 

3 ドイツ民法及びフランス民法と日本民法

 

(1)日本民法の解釈とその「母法」

我が民法の「実親子法は,日本的な極端な血縁主義が肯定されて,民事身分の根幹である親子関係の設定について法的な規律をいかに設計するかという議論は行われないこと」になったとみられていますが(水野紀子「比較法的にみた現在の日本民法―家族法」『民法典の百年Ⅰ』(有斐閣・1998年)661頁),民法779条の解釈も,「母法を学ぶことを基礎にして民法の条文の意味を解釈するという姿勢が財産法より弱」い中生み出された「民法の条文が本来もっていた機能を理解しない独自の日本的解釈」だったのでしょうか(同676頁参照)。ただし,我が民法の「母法」が何であるかには多様な見解があり得るようです。ドイツ法及びフランス法が民法の母法と解されていますが(水野662頁),民法779条は,ドイツ民法を継受したものなのでしょうか,フランス民法を継受したものなのでしょうか。

 

(2)ドイツ民法における母子関係の成立:分娩

ドイツ民法1591条は,「子の母は,その子を分娩した女(Frau)である。(Mutter eines Kindes ist die Frau,die es geboren hat.)」と規定しています。

 

(3)フランス民法における母子関係の成立:出生証書,任意認知又は身分占有

 フランス民法310条の1は「親子関係は,本章第2節に規定する条件に基づき,法律の効果により,任意認知により,又は公知証書によって証明された身分占有によって法律的に成立する。/当該関係は,本章第3節に規定する条件に基づき, 裁判によっても成立する。(La filiation est légalement établie, dans les conditions prévues au chapitre II du présent titre, par l’effet de la loi, par la reconnaissance volontaire ou par la possession d’état constatée par un acte de notoriété.Elle peut aussi l'être par jugement dans les conditions prévues au chapitre III du présent titre.)」と規定し,それを受けて第2節第1款「法律の効果による親子関係の成立(De l’Établissement de la Filiation par l’Effet de la Loi)」中の同法311条の25は,「母に係る親子関係は,子の出生証書における母の指定によって成立する。(La filiation est établie, à l’égard de la mère, par la designation de celle-ci dans l’acte de naissance de l’enfant.)」と規定しています。これに関して,出生証書に係る同法57条1項後段には「子の父母の双方又はその一方が戸籍吏に対して指定されないときは,当該事項について帳簿に何らの記載もされないものとする。(Si les père et mère de l’enfant, ou l’un d’eux, ne sont pas désignés à l’officier de l’état civil, il ne sera fait sur les registres aucune mention à ce sujet.)」との規定があります。

フランス民法316条1項は「親子関係は,本節第1款〔第311条の25を含む。〕に規定する条件によって成立しない場合においては,出生の前又は後にされる父性又は母性に係る認知によって成立し得る。(Lorsque la filiation n’est pas établie dans les conditions prévues à la section I du présent chapitre, elle peut l’être par une reconnaissance de paternité ou de maternité, faite avant ou après la naissance.)」と規定しています。同法316条3項は「認知は,出生証書において,戸籍吏に受理された証書によって,又はその他公署証書によってされる。(Elle est faite dans l’acte de naissance, par acte reçu par l’officier de l’état civil ou par tout autre acte authentique.)」と規定しています。なお,フランス民法56条1項によると,子を分娩した女性自身は出生届をすべき者とはされていません(「子の出生は,父により,又は父がない場合は医師,助産婦,保健衛生担当吏その他の分娩に立ち会った他の者によって届け出られるものとする。さらには,母がその住所外で分娩したときは,その元において分娩がされた者によってされるものとする。(La naissance de l’enfant sera déclarée par le père, ou, à défaut du père, par les docteurs en médecine ou en chirurgie, sages-femmes, officiers de santé ou autres personnes qui auront assisté à l’accouchement; et, lorsque la mère sera accouchée hors de son domicile, par la personne chez lui elle sera accouchée.)」)。

フランス民法317条1項は「両親のそれぞれ又は子は,反証のない限り身分占有を証明するものである公知証書を交付するよう,出生地又は住所地の小審裁判所の裁判官に対し請求することができる。(Chacun des parents ou l’enfant peut demander au juge du tribunal d’instance du lieu de naissance ou de leur domicile que lui soit délivré un acte de notoriété qui fera foi de la possession d’état jusqu’à preuve contraire.)」と規定しています。

 

(4)日本民法の採っていた主義は何か

 ドイツ民法の場合は,嫡出でない子を分娩した女性も当該分娩の事実により直ちにその子の母になります。フランス民法の場合は,嫡出である子を分娩した女性についても当該分娩の事実だけでは直ちにその子の母とはなりません(フランス「現行法の下では,法的母子関係は自然子のみならず嫡出子についても,分娩の事実により当然に確定するとは考えられていない。」とされています(西希代子「母子関係成立に関する一考察―フランスにおける匿名出産を手がかりとして―」本郷法政紀要10号(2001年)403頁)。)。翻って我が日本民法はどうかといえば,嫡出でない子に係る第779条はあるものの,実は,嫡出である子を分娩した女性とその子との母子関係の成立に関する規定はありません。

 この点嫡出でない子に関し,旧民法人事編(明治23年法律第98号)には母による認知に係る規定はなかったにもかかわらず(我が旧慣においても母の認知ということはなかったとされています(藤田1213頁)。)その後民法779条(旧827条)に母による認知の規定を入れることについて,梅謙次郎は次のように述べていたそうです。いわく,「生んだ母の名前で届けると姦通になるから之を他人の子にするか或は殺して仕舞うか捨てて仕舞う甚だ忌はしいことであるが西洋にはある」,そこで「原則は母の名前を書いて出すべきことであるが戸籍吏はそれを追窮して問ふことは出来ぬ」,それでも「十の八九は私生子は母の名で届けるから斯うなつても実際母なし子は滅多にはないと思ふ」と(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)155頁による。)。すなわち,母による認知を要するのは子の出生届にその子を生んだ「母」が記載されていなかった場合である,つまり,嫡出でない子については出生届において母が明らかにされないことがあるだろうとされ(なお, この民法起草時の認識とは反対に旧民法においては,母の知れない子はないものと見ていたところです(大村154頁参照)。父ノ知レサル子たる私生子(同法人事編96条)について同法人事編97条は「私生子ハ出生証書ヲ以テ之ヲ証ス但身分ノ占有ニ関スル規定ヲ適用ス」と規定していて「証ス」る対象が不明瞭ですが,同条の属する節の題名が「親子ノ分限ノ証拠」であり,かつ,定義上私生子の父は知れないのですから,同条における「証ス」る対象事実は母子関係だったのでしょう。すなわち,私生子を分娩した女性を母とする出生証書が作成されること又は当該子による当該女性の子としての身分占有(同法人事編94条)があることが前提とされています。),また,嫡出でない子であってもその分娩をした女性が母として出生届をすれば母のある子となる(旧戸籍法(大正3年法律第26722項後段は「嫡出子又ハ庶子ニ非サル子ノ出生ノ届出ハ母之ヲ為スコトヲ要ス」と規定していました。),ということであるようです。(なお,藤田13頁によれば,そもそも民法中修正案理由書には次のようにまとまった記述がありました。いわく,「既成法典ニ於テハ父ノ知レサル子ヲ私生子トシ父ノ認知シタル私生子ヲ庶子ト為シタルニ拘ラス母ノ知レサル子ニ関スル規定ヲ設ケス是レ蓋シ母ノ知レサル場合ナキモノト認メタルカ為メナラン,今若シ母ハ毎ニ出生ノ届出ヲ為スモノトセハ母ノ知レサル場合決シテ之ナカルヘシト雖モ或ハ母カ出生子ヲ棄テ又ハ母カ法律ニ違反シテ出生ノ届出ヲ為サス後ニ至リテ認知ヲ為スコトアルヘキカ故ニ本案ニ於テハ母ノ知レサル場合アルモノト認メ父又ハ母ニ於テ私生子の認知ヲ為スコトヲ得ルモノト定メタリ」。この母の認知の制度は,「フランス法の影響を受け」たものと認識されています(藤田13頁)。)

以上の議論では,嫡出である子については分娩した女性を母とする出生届が当然されるものであるということが前提とされているようです(専ら嫡出でない子について母を明らかにする出生届がされないことが懸念されています。)。そうであれば,嫡出である子たるべく分娩された子も当該分娩をした女性を母とする出生届がされなければ,当然されるべきことがされていないことになるので,そのままではやはり「母なし子」になる,というフランス民法的に一貫した解釈も可能であるようにも思われます。谷口知平教授は,嫡出子に係る母子関係についても「母子としての戸籍記載は勿論,血縁母子関係の存在を推定せしめるが・・・親子の如き身分の存否については,戸籍記載を唯一の証拠として身分関係の対世的統一取扱を確保することにし,先ず,人事訴訟を以て確定の上戸籍訂正をしてからでなければ,一切の訴訟において親子でないことを前提とする判断をなし得ないとする解釈が妥当だ」と,戸籍記載を重視する見解を表明しています(谷口74-75頁)。確かに,そもそも旧民法人事編92条は「嫡出子ハ出生証書ヲ以テ之ヲ証ス」と,同93条は「出生証書ヲ呈示スル能ハサルトキハ親子ノ分限ハ嫡出子タル身分ノ占有ヲ以テ之ヲ証スルコトヲ得但第291条ノ規定〔帳簿に問題があり,又は証書が作られなかったときは「証人又ハ私ノ書類ヲ以テ先ツ其事実ヲ証シ且身分上ノ事件ヲ証スルコトヲ得」〕ノ適用ヲ妨ケス」と,分娩の事実を直接援用しない形で規定していたところです。

しかし,民法779条の反対解釈からすると,嫡出である子を分娩した女性は認知を要さずにその子の母となる,すなわち分娩の事実から直ちに母子関係が成立するものとする,とここはドイツ民法流に解することも自然なようでもあります。(婚姻は,生まれ出た嬰児に対して,直ちに,父のみならず母をも与える制度であるということでしょうか。)とはいえ,やはり,「わが民法の規定にはフランス民法の影響が大きいのに,わが民法学はドイツ民法学の影響が強く,フランス式民法をドイツ式に体系化し解釈するという,奇妙な状況」(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)62頁)の一環であるということになるのかもしれませんが。

 

4 匿名出産制度について

ところで,「母子の絆は父子のそれよりも強い(意思で左右されるようなものではない)。」といわれていますが(内田198頁),万古不変全世界共通の原理ではないようにも思われます。子を生む女性の意思によって,当該女性とその子との絆を明らかにしないという選択を認める制度(匿名出産制度)がフランス民法にあるからです。同法325条は「母の捜索」を認めているのですが,その次の条が匿名出産制度について規定します。

 

326条 分娩に際して,母は,その入院及びその身元に係る秘密が保持されることを請求することができる。(Lors de l’accouchement, la mère peut demander que le secret de son admission et de son identité soit préservé.

 

「フランス人として個人の自由や権利を尊重することを当然のこととする・・・気持ちや人格」を有するのがフランス女性であるということでしょうか(東京高等裁判所平成26612日判決(判時223747)参照。なお,羽生香織「実親子関係確定における真実主義の限界」一橋法学7巻3号(200811月)1017頁は,「個人の自由の尊重要請に基づく真実主義の制限」が匿名出産から生まれた子に関して存在すると述べています。)。

歴史的に見ると,フランスでの匿名出産制度は,1556年にアンリ2世が出生隠滅を厳禁し,妊娠した女性に妊娠・分娩届の提出を義務付ける勅令を発布したことを直接の契機として,パリ施療院(Hôtel-Dieu de Paris)等による組織的対策として始まったそうです(西400頁)。その後も,「1804年に成立した民法典には匿名出産について直接規定する条項はなかったが,匿名出産を間接的に認める,あるいは意識した条項は存在していた。例えば,57条原始規定は,出生証書には,「出生の日時,場所,子の性別,子に与えられる名,父母の氏名,職業,住所,及び証人のそれら」を記載するものとしていたが,施行当初から,父母の名を記載しないことは認められていた。」という状況であったそうです(西402頁)。ナポレオン1世没落後のパルマ公国の女公マリー=ルイーズも,当該制度を利用したものか。

 

La vérité est un charbon ardent qu’il ne faut manier qu’avec d’infinies précautions.(P. HEBRAUD)

 

匿名出産制度はフランス以外の国にもあるのですが,ドイツ民法の場合,女性は分娩の事実によって当該分娩によって生まれた子の母になってしまうので,同法では親権停止のテクニックが採用されています。

 

1674a 妊娠葛藤法第25条第1項に基づき秘匿されて出生した子に対する母の親権は停止する。同人が家庭裁判所に対してその子の出生登録に必要な申立てをしたものと当該裁判所が確認したときは,その親権は復活する。(Die elterliche Sorge der Mutter für ein nach §25 Absatz 1 des Schwangerschaftskonfliktgesetzes vertraulich geborenes Kind ruht. Ihre elterliche Sorge lebt wieder auf, wenn das Familiengericht feststellt, dass sie ihm gegenüber die für den Geburtseintrag ihres Kindes erforderlichen Angaben gemacht hat.

 

 仏独のお話はこれくらいにして,我が日本民法の話に戻りましょう。

 

5 棄児に対する「母の認知」に関して

 前記最高裁判所昭和37年4月27日判決によって採用された母子親子関係の成立に係る分娩主義における例外について,藤田八郎最高裁判所判事は,母子親子関係が認知によって成立するものとされるこの例外の場合は,「判決にいうところの例外の場合とは棄児その他,分娩の事実の不分明な場合を指すものであることは,十分に理解されるのである。」と述べています(藤田16頁)。更に藤田最高裁判所判事は,棄児に対する母の認知について敷衍して説明しているところがあります。少し見てみましょう。

 まず,「棄児のごとく何人が分娩したか分明でない場合は例外として母の認知によって母子関係が発生する」ことにするとされています(藤田17頁)。そうであれば,この場合,認知をする女性も,当該棄児を自分が分娩したのかどうか分明ではないことになります。なお,分娩の事実の不分明性については,「分娩なる事実が社会事実として不明であるかぎり,法律の社会では,これを無視して無と同様に考えることもまた,やむを得ないのではあるまいか。」と説かれています(藤田18頁)。戸籍吏には実質的審査権がないということでよいのでしょうか。出生届の場合(戸籍法492項)とは異なって,母の認知の届書に出生証明書の添付が求められているわけではありません。

 任意認知の法的性質については,事実主義(血縁主義)を強調する我妻榮は,「事実の承認」であって,「父子関係の存在という事実を承認する届出」(父の認知の場合)であるとしています(我妻235頁)。「母の認知」(我妻榮自身は「母の認知」を認めていませんが)の場合は,分娩による母子関係の存在という事実が承認されるものということになるのでしょう。任意認知の法的性質を意思表示と解する立場(内田188頁等)では,「父または母と子の間に生理的なつながりのあることを前提とした上での父または母の意思表示」ということになるようです(我妻234頁)。しかし,そうだとすると,自分が分娩したのかどうか分明ではない棄児について母子関係の存在を承認し,又は当該棄児を分娩したという事実を前提とすることができぬまま母子関係を成立させる意思表示をすることを,「認知」と呼んでよいものかどうか。ここで違和感が生じます。むしろ養子縁組をすべき場合なのではないでしょうか。

上記の「違和感」については,藤田最高裁判所判事も認容するところです。「父の認知は,父子の事実上のつながりがあきらかな場合に,認知の効力を有するものであるのに,母の認知は,母子の事実上のつながりが不明の場合にはじめて認知の効力を生ずると解釈することは,同じく民法の規定する認知について余りにも父と母の間に格段の差異を作為するものであるとの非難も,もっともである」と述べられています(藤田18-19頁)。しかしながらそこで直ちに,「これは結局,父と母の間に子との事実上のつながりを探究する上に前に述べたような本質的な相違のあることに基因するものであって,これ亦やむを得ないとすべきであろう。」(藤田19頁)と最高裁判所判事閣下に堂々と開き直られてしまっては閉口するしかありません。さらには,男女間の取扱いの差異を正当化するために, いささか難しいことに不分明性における「男女平等論」が出てきます。「母子の事実上のつながりが不分明の場合に母の認知によって母子関係の成立をみとめることは不合理であると考えられるのであるが,実はかような事態は父の認知の場合にさらに多くあり得るのである。父子の事実上の関係が不分明のまま,父の認知によって法律上親子関係が発生せしめられた場合には,反対の事実が立証されないかぎり,この親子関係を打破る方途はないのである。・・・花柳界に生れた子を認知する父は,多かれ少かれ,この危険を負担しているものと云っても失言とは云えないであろう。」と論じられています(藤田20頁)。花柳界の女性と関係のある男性の話が出てくるあたり,藤田八郎最高裁判所判事は意外と洒脱な人物だったのかもしれません(大阪の旧藤田伝三郎家の養子だったそうです。)。

しかし,藤田最高裁判所判事のいう,事実上の親子のつながりを探究する上での父と母との間における「前に述べたような本質的な相違」とは,「父と嫡出でない子の生理的な事実上のつながりは甚だ機微であって,今日の科学智識をもってしても,必ずしも明確に認識し難いのに反して,母と嫡出でない子のそれは,分娩出産という極めて明瞭な事実関係によって把握されるということに縁由するのである。」ということでしょう(藤田16頁(前出))。そうであり,かつ,当該男女間の「本質的相違」を尊重して更に一貫させるのであれば,むしろ,母の認知においては父の認知におけるよりも更に強い生理的ないしは事実上の親子のつながり(分娩出産)の事実に係る認識が必要である,ということにならないでしょうか。男性の場合,父子関係は「機微」でよいのでしょうが,女性の場合,母子関係は本来「極めて明瞭な事実」であるはずです。

「生んだのは私です。」と母は赤裸々に事実を語るのに対し,その地位が機微に基づくところの「父」は,「男はつらいよ。」と子ら(特に息子ら)にしみじみ語りかけるということにならざるを得ないのかもしれません。

 

承認なしの個人(子)も承継なしの個人(親)も,苦しくてはかない。(大村310頁)

 

母と父とはやはり違うのでしょう。

しかし,母と父とが仲たがいして別居するようになり,更には離婚すると,その間にあって板挟みになる子らが可哀想ですね。せっかく別居している親と面会交流ができることになっても,「監護している親が監護していない親の悪口を言ったり,相手のことを子から聞き出そうと根掘り葉掘り尋ねる,というのでは子の精神的安定に良いわけはない」(内田135頁)。セント=ヘレナ島から遠く離れたパルマの女公の場合,長男のナポレオン2世とも別居したので,その分ライヒシュタット公は父母間の忠誠葛藤に悩まされずにすんだものでしょうか。

とはいえ,話を元に戻すと,そもそもDNA鑑定の発達した今日において,認知をしようとする女性と相手方である子との間において,たといその子が棄児であったとしても,当該女性による当該子の分娩の事実の有無が分明ではないということはあり得るでしょうか。DNA鑑定を行えば,それ自体は直接分娩の有無を証明するものではありませんが,当該鑑定の結果は分娩の事実の有無を推認するに当たっての非常に強力な間接事実であるはずです(生殖医療の話等が入ってくるとまた難しくなってきますが。)。


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(承前。http://donttreadonme.blog.jp/archives/1052466195.html)

5 裁判例

 裁判所の解釈をいくつか見てみましょう。

 

(1)昭和53年富山家庭裁判所審判

 富山家庭裁判所昭和531023日審判(昭和53年(家)第326号限定承認申述受理申立事件)(家月31942,判時917107頁)は,「前示・・・1ないし5の事実は,その動機が大口の相続債権者の示唆によるものであり,また,本件遺産中の積極財産の処分が,もつぱらその消極財産の弁済に充当するためなされたものであることを考慮に容れても,処分された積極財産が本件のすべての積極財産中に占める割合などからみて,その結果,本件遺産の範囲を不明確にし,かつ,一部相続債権者(特に大口の相続債権者)の本件相続債務に対する権利の行使を著しく困難ならしめ,ひいては本件相続債権者間に不公平をもたらすことになることはこれを否定できないので,前示のような行為は,民法921条第1号にいういわゆる法定単純承認に該当する事由と解せざるを得ない。」と判示しています。「1ないし5の事実」は,次のとおり。被相続人の妻M及び被相続人とMとの間の二人の息子が相談の上行った事実です。本件における被相続人は,生前事業をしていました。

 

 1 昭和53年2月27日,前示ロの普通預金から219,000円を払い戻し,これに申述人M所有の現金を加えて資金をつくり,

 2 同年3月6日ころ,前示ハの株式全部〔株式会社A,券面額合計2,485,000円〕を,株式会社Bに対する買掛金債務(手形取引による分で,前示ホ〔支払手形(合計約2800万円)〕の一部であり,1,000万円以上と推定される)の代物弁済として提供し,

 3 同年3月20日ころ,前示1の資金をもつて前示トの買掛金債務〔株式会社Bに対するもので手形取引外の分728,147円〕を弁済し,

 4 同日ころ,被相続人が生前に受領していた約束手形1枚(額面100万円),および,前示1の資金のうちの現金58万円をもつて,前示チの買掛金債権〔株式会社Aに対する買掛金1,580,866円〕を弁済し(残額866円の支払義務は免除されている),

 5 前示ニの売掛金債権〔C合資会社に対する売掛金(373,000円)〕全額を回収して,同年4月1日ころヘの買掛金債務〔株式会社Dに対する買掛金(304,956円)〕への弁済に充当し(過払分について申述人らはまだその返還を受けていない)た事実

 

1の前半を見ると,この場合,元本の領収は保存行為に当たらないということでしょうか。2は代物弁済ですが,代物弁済については「相続人・・・カ限定承認申述前為シタル前記代物弁済ハ其ノ目的タル不動産ノ所有権移転行為トシテ被相続人・・・ノ為シタル代物弁済予約ニ基クモノナルト否トニ拘ラス相続財産ノ一部ノ処分ニ外ナラサルモノトス」とする判例があります(大審院昭和12年1月30日判決・民集161)。株式の譲渡の部分が相続財産の一部の処分ということになるようです。3は弁済。4の「弁済」中約束手形による部分は代物弁済,現金部分は弁済でしょう。5は債権の取立て及び債務の弁済ですが,債権の取立てに関しては「上告人〔相続人〕が右のように妻W〔被相続人〕の有していた債権を取立てて,これを収受領得する行為は民法921条1号本文にいわゆる相続財産の一部を処分した場合に該当するもの」とする判例があります(最高裁判所昭和37621日判決・家月1410100)。この判例に関しては「単なる取立ては保存行為管理行為と考えるべきだろうから,取り立てた金を固有財産と明分して管理している事実が証明されれば法定単純承認は否定され得る」と説かれていますが(新版注釈民法(27)〔補訂版〕491頁(谷口知平=松川正毅)),当該学説に従えば,5では取り立てた金銭は分別管理されていたようですから,専ら弁済の方が問題とされたということになるのでしょうか。

本件審判の読み方は難しい。「1ないし5の事実」は,全体として民法921条1号の法定単純承認をもたらしているのか,それとも各個の事実がそれぞれ法定単純承認をもたらしているのか,という問題がまずあります。しかし,いずれにせよ,法定単純承認となることを避けたいのならば相続債権者に対する債務の弁済のためであっても積極財産の処分は一切許されないし,相続債権者に対する相続財産からの弁済もそもそも一切許されない,ということではないのでしょう。期限の到来した債務を弁済することは保存行為に該当するのが原則であるということを前提とした上で,当該審判については次のように解せられないでしょうか。すなわち,相続債権者に対する相続財産による弁済の場合においては,弁済をするに至った事情,積極財産中処分されたものの割合の大きさ,相続財産と固有財産との分別が不明確になった度合い及び他の相続債権者に及ぶ不利益の大きさを勘案して,民法921条1号ただし書の保存行為に当たらないことになることがあり得るし,相続債権者に対する弁済のために相続財産を処分する場合には,上記事項を勘案して上記保存行為に当たるものとされることがあり得るということを示した審判であるというふうに。

 

(2)昭和54年大阪高等裁判所決定

 行方不明となっていた男性(被相続人)が死亡したと警察から連絡を受けて,その妻及び子ら2名(相続人ら)が警察署に駆けつけて火葬場で被相続人の遺骨を貰い受けた際,同署から①「金2万0,423円の被相続人の所持金と,ほとんど無価値に近い着衣,財布などの雑品の引渡を受け」,②「その場で医院への治療費1万2,000円,火葬料3万5,000円の請求を受けたので,右被相続人の所持金に抗告人ら〔相続人ら〕の所持金を加えてこれを支払つた」行為に関して大阪高等裁判所昭和54年3月22日決定(家月311061,判時93851)は,①については「右のような些少の金品をもつて相続財産(積極財産)とは社会通念上認めることができない(このような経済的価値が皆無に等しい身回り品や火葬費用等に支払われるべき僅かな所持金は,同法〔民法〕897条所定の祭祀供用物の承継ないしこれに準ずるものとして慣習によつて処理すれば足りるものであるから,これをもつて,相続財産の帰趨を決すべきものではない)。」と判示し,②については「前示のとおり遺族として当然なすべき被相続人の火葬費用ならびに治療費残額の支払に充てたのは,人倫と道義上必然の行為であり,公平ないし信義則上やむを得ない事情に由来するものであつて,これをもつて,相続人が相続財産の存在を知つたとか,債務承継の意思を明確に表明したものとはいえないし,民法921条1号所定の「相続財産の一部を処分した」場合に該るものともいえないのであつて,右のような事実によつて抗告人〔相続人ら〕が相続の単純承認をしたものと擬制することはできない。」と判示しています。

なお,②に関する判示は,「医院への治療費1万2,000円,火葬料3万5,000円」の債務は相続財産たる消極財産には当たらないとする客観面の部分(「相続人が相続財産の存在を知つたとか・・・いえない」)と,「人倫と道義上必然の行為であり,公平ないし信義則上やむを得ない事情に由来する」弁済をもって債務承継の意思を表明したものと擬制することはできないとする主観面の部分(別の箇所で「921条による単純承認の擬制も相続人の意思を擬制する趣旨であると解すべき」と判示されています。)とに分けて理解すべきでしょうか。債務の種類及び額が問題になるようです。

 

(3)平成10年福岡高等裁判所宮崎支部決定

 福岡高等裁判所宮崎支部平成101222日決定(家月51549)は,「抗告人ら〔相続人ら〕代理人はその熟慮期間中に,本件保険契約によって受領した〔相続人らの固有財産である被相続人の死亡〕保険金〔200万円〕を,抗告人らの意向を受けて,被相続人の債務の一部である○○農業協同組合に対する借受金債務330万円の〔一部の〕弁済に充てた」行為について,「抗告人らのした熟慮期間中の被相続人の相続債務の一部弁済行為は,自らの固有財産である前記の死亡保険金をもってしたものであるから,これが相続財産の一部を処分したことにあたらないことは明らかである。」と判示して,相続人らの相続放棄の申述は受理されるべきものと判示しています。

 相続債権者に対する被相続人の債務の弁済は,相続人の固有財産からその資金を出しておけば法定単純承認になることはない,ということでしょうか。そうであれば,分かりやすい解釈です。

 しかし,自腹を切ってまでの弁済は,かえって「債務承継の意思を明確に表明したもの」(前記大阪高等裁判所決定参照)と解され,単純承認の黙示の意思表示が認定され得べきおそれがあるもののようにも思われます。

 なお,相続財産からの相続債権者に対する弁済は全て法定単純承認の事由となる,とまでの反対解釈をする必要はないのでしょう。

 

(4)平成27年東京地方裁判所判決

 東京地方裁判所平成27年3月30日判決(平成25年(ワ)第31643号求償金請求事件)は,平成25年5月21日の被相続人の死亡後熟慮期間中にその保証債務の弁済を行っていた相続人(主債務者でもある。その債務額は昭和631221日現在で1750842円であった。)がその後した相続の放棄に関して,「本件相続開始後弁済がされたのは,平成25年5月31日及び同年7月1日と,いずれもC〔被相続人〕の相続放棄の熟慮期間中のものであり・・・,かつ,本件相続開始後弁済は,期限が到来した債務の弁済として,法定単純承認事由に該当しない保存行為である(民法921条1号ただし書)。」と述べた上で,当該相続の放棄の有効性を前提とした判示をしています。弁済資金が,相続財産から出たのか相続人の固有財産から出たのかは問題にされていません。

 しかし,「本件相続開始後弁済は,期限が到来した債務の弁済として,法定単純承認事由に該当しない保存行為である(民法921条1号ただし書)」と端的に判示されると,民法103条の管理行為への該当性を問題とした当初の場面に戻って来たわけですね。すがすがしい感じがします。

 

6 フランス民法784

 なお,相続人による相続債権者に対する弁済に関する問題について参考になる規定はないかと探したところ,2006年法によって設けられたフランス民法784条(第3項4号は2015年法により挿入)が次のように規定していました(同条は,同条1項に対応する規定のみであったナポレオンの民法典の第779条を拡充したもの)。

 フランス民法では,相続の単純承認(l’acceptation pure et simple de la succession)は意思表示に基づくものであって,当該意思表示には明示のものと黙示のものとがあります(同法782条)。

 

 第784条 暫定相続人(le successible)が相続人と称さず,又は相続人としての立場をとらなければ(n’y a pas pris le titre ou la qualité d’héritier),純粋保存(purement conservatoires)若しくは調査(surveillance)の行為又は暫定的管理行為(les actes d’administration provisoire)は,相続の承認とされることなく行われることができる。

 ② 相続財産(la succession)の利益のために必要な他の全ての行為であって,暫定相続人が相続人と称さず,又は相続人としての立場をとらずに行おうとするものについては,裁判官の許可を得なければならない。

③ 次に掲げるものは純粋保存に係るものとみなされる(Sont réputés purement conservatoires)。

  一 葬式及び最後の疾病の費用,故人の負担に係る租税,家賃(loyers)並びに他の相続債務であってその決済が急を要するもの(dont le règlement est urgent)の支払(paiement

  二 相続財産に係る天然及び法定果実の収取(le recouvrement des fruits et revenus

des biens successoraux)又は損敗しやすい物の売却。ただし,当該資金が前号の債務の弁済に用いられ,又は公証人に寄託され,若しくは供託されたことを証明(justifier)しなければならない。

    三 消極財産の増加(l’aggravation du passif successoral)を避ける(éviter)ための行為

四 死亡した個人的使用者(particulier employeur)の労働者(salarié)に係る労働契約の終了(rupture)に関する行為,労働者に対する報酬及び損害賠償金の支払並びに契約の終了に係る書類の交付

 ④ 日常業務(opérations courantes)であって,相続財産(la succession)に依存した(dépendant)事業の活動の当面の継続に必要なものは,暫定的管理行為とみなされる。

 ⑤ 賃貸人又は賃借人としての賃貸借の更新であってそれをしなければ損害賠償金を支払わねばならないもの並びに故人によりなされ,かつ,事業の良好な運営(bon fonctionnement)のために必要な管理又は処分に係る決定の実行は,同様に,相続の黙示の承認(acceptation tacite)とされずに行われ得るものとみなされる。

 

およそ「期限が到来した債務の弁済」は全て純粋保存行為だとまでは広くかつ端的に規定されていません。第3項1号及び4号との関係からすると同項3号に債務の弁済まで読み込み得るのかどうかは考えさせられるところです(インターネットで調べると,同号の行為の例としては,賃借契約の解除及び応訴がパリのSabine Haddad弁護士によって挙げられていました。)。しかし,十分参考になる規定だと思われます。病院への支払,自宅の電気・ガス・水道等の料金支払はこれでいけそうです。無論,ことさらに「相続人として,親から相続した私の債務として承認して弁済します。」などと明示されると困ったことになるでしょうが。

 

 内田〔貴〕 私は〔星野英一〕先生の授業のプリントを下敷きにして講義を始めまして,そうやって徐々にできあがった講義ノートをもとに教科書を書いたものですから,私の教科書は星野理論を万人にわかるように書いたものであると言われるのです。・・・(星野英一『ときの流れを超えて』(有斐閣・2006年)225頁)

 

星野〔英一〕 ・・・解釈論の最後のところは利益考量・価値判断だけれども,まず条文を見る。初めは文法的な解釈つまり文理解釈や他の条文との関係から考える論理解釈をしますが,それだけではよくわからないので,日本のような継受法においては,その沿革の研究が不可欠だと考えていました。これは,「民法解釈論序説」で書いていることで,「日本民法典に与えたフランス民法の影響」の二つの論文は,一体のつもりです。・・・(星野・同書155頁)

 ・・・

  ・・・特に外国法は現地に行ってよく調べてきて,単に条文上のことを知るだけでなく,実際の運用を含めて各国の制度を理解するなどは,日本の制度の理解のためにも立法論にとっても大いに役立つことでいいことです。・・・(星野・同書328頁)

追記

20161013日から成年後見の事務の円滑化を図るための民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律(平成28年4月13日法律第27号)が施行され,民法873条の次に次の一条が加えられました。

 

  (成年被後見人の死亡後の成年後見人の権限)

 第873条の2 成年後見人は,成年被後見人が死亡した場合において,必要があるときは,成年被後見人の相続人の意思に反することが明らかなときを除き,相続人が相続財産を管理することができるに至るまで,次に掲げる行為をすることができる。ただし,第3号に掲げる行為をするには,家庭裁判所の許可を得なければならない。

  一 相続財産に属する特定の財産の保存に必要な行為

  二 相続財産に属する債務(弁済期が到来しているものに限る。)の弁済

  三 その死体の火葬又は埋葬に関する契約の締結その他相続財産の保存に必要な行為(前2号に掲げる行為を除く。)

 

民法873条の2第3号後段は「その他相続財産の保存に必要な行為(前2号に掲げる行為を除く。)」と規定していますので,わざわざ「相続財産の保存に必要な行為」から除かれている同条2号の「相続財産に属する債務(弁済期が到来しているものに限る。)の弁済」は,本来「相続財産の保存に必要な行為」であるということになります。相続財産の処分であっても民法921条1号ただし書の「保存行為」に該当するものとして法定単純承認をもたらすものではないものはどのようなものか,についての解釈問題にとっても重要な条文であることになるものでしょう。(ただし,四文字熟語の「保存行為」ではなく「相続財産の保存に必要な行為」という文言が用いられています。)

平成28年法律第27号は議員立法(衆議院内閣委員会)であったのですが,法務省のウェッブ・ページに,民法873条の2第2号及び第3号の「具体例」が示されています。同条2号については「成年被後見人の医療費,入院費及び公共料金等の支払」が掲げられ,同条3号については「遺体の火葬に関する契約の締結」並びに「成年後見人が管理していた成年被後見人所有に係る動産の寄託契約の締結(トランクルームの利用契約など)」,「成年被後見人の居室に関する電気・ガス・水道等供給契約の解約」及び「債務を弁済するための預貯金(成年被後見人名義口座)の払戻し」が掲げられています。

なお,民法873条の2第3号の前段と後段とは「その他の」ではなく「その他」で結ばれていますから,「その遺体の火葬又は埋葬に関する契約の締結」は,そもそも「相続財産の保存に必要な行為」ではないことになります(「「その他」は,・・・「その他」の前にある字句と「その他」の後にある字句とが並列の関係にある場合に,「その他の」は,・・・「その他の」の前にある字句が「その他の」の後にある,より内容の広い意味を有する字句の例示として,その一部を成している場合に用いられる。」(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)620頁))。遺骨についてですが,「遺骨については,戦前の判例に相続人に帰属するとしたものがあるが(大判大正10年7月25日民録271408),そもそも,被相続人の所有物とはいえないから相続の対象になるというのはおかしい」といわれています(内田Ⅳ・372頁)。

 

前編はこちら:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1052466195.html

    


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1 熟慮期間中の相続債権者への弁済に関する「教科書」の説明あるいはその欠缺

 

(1)Tout homme est mortel.

人はだれでもいつかは死にます。

ある人が死んだ際,当該故人(被相続人)は,通常,死亡するまで入院していた病院への支払や,自宅の電気・ガス・水道等の料金支払その他に係る債務を残しているものです。親の死に目に立ち会った子(子は相続人です(民法887条1項)。)は,相続財産を管理すべき者として早速これらの債務に係る債権者(相続債権者)に応接しなければなりません(同法918条1項参照)。しかし,当該被相続人は他にも借金を抱えているかもしれないから相続の放棄(民法939条)をすべきかもしれぬとその相続人が考えている場合,当該相続人は,病院以下の相続債権者にどう対応すべきか。相続の放棄をするためには,当該相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に,その旨を,被相続人の住所地を管轄する家庭裁判所に申述書の提出をもって申述しなければなりませんが(民法883条・915条1項・938条,家事事件手続法201条1項・5項),当該申述前に相続財産について保存行為ではない処分や長期の賃貸をうっかりしてしまうと,単純承認をしたということでもはや相続の放棄はできなくなります(民法920条・921条1号)。くわばらくわばら。さて,相続債権者に対する弁済は,法定単純承認を構成する相続財産の処分(民法921条1号)となるものか否か。親の死の時まで親身で面倒を見てくださったお医者さまや関係者には直ちに報酬を差し上げ,又は支払を済まさなければ人の道に反するし,さりとて,人の道が負債地獄につながる道となってしまっても恐ろしく,実は悩ましい問題です。

 

(2)「内田民法」

民法教科書の代表として,内田貴教授の『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)を調べてみましょう。

まず,民法921条1号について。

 

 民法は単純承認が意思表示によってなされることを前提としつつ,以下の3つの場合に単純承認がなされたものとみなすという規定を置いている。これを法定単純承認という。

 第1に,相続人が,選択権行使前に相続財産の全部または一部を処分したとき(921条1号)。ただし,保存行為および602条に定める短期の期間を超えない賃貸をすることはここでいう処分にはあたらない。(内田Ⅳ・344頁)

 

これは,民法の条文そのままですね。本件の問題についての参考にはならない。

ちなみに,「保存行為」についての内田教授の解説は,権限の定めのない代理人の権限について定める民法103条1号の保存行為について,次のようなものです。

 

「保存行為」,すなわち,財産の現状を維持する行為は当然になしうる(1号)。例えば,窓ガラスが割れたのでガラス屋で買ってくるとか(売買契約),雨漏りするので大工に屋根を直してもらうなど(請負契約)。(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)122頁)

 

これも,債権者に対する債務の弁済について触れるところがないですね。やはり参考にならない。

相続の承認又は放棄前の熟慮期間中(民法915条1項参照)における相続財産の管理に関する「内田民法」の説明もまた,参考になりません。

 

熟慮期間中,相続財産は不安定な状態に置かれる。そこで,その管理について民法は特に規定を置いている。すなわち,相続人は選択権を行使するまで,相続財産を「その固有財産におけると同一の注意を以て」管理しなければならない(918条1項)。そして,家庭裁判所は,利害関係人または検察官の請求により,いつでも相続財産の保存に必要な処分を命ずることができる(同条2項)。たとえば,財産管理人の選任などであり,その場合は,不在者の財産管理に関する総則の規定が準用される(同条3項)。(内田Ⅳ・348頁)

 

民法918条の条文そのままです。学生向けの「教科書」だから,これでよいのでしょうか。しかし,いかにもよくありそうな現実の問題について端的な回答を求めようとすると,つるつると,これほど取りつく島がないとは意外なことです。

本稿は,「教科書」の範囲を超えて,熟慮期間中の相続人による相続債権者に対する弁済が法定単純承認を構成するものになるのかどうかについて検討するものです。

 

(参照条文)

 

民法28条 管理人は,第103条に規定する権限を超える行為を必要とするときは,家庭裁判所の許可を得て,その行為をすることができる。〔以下略〕

 

同法103条 権限の定めのない代理人は,次に掲げる行為のみをする権限を有する。

 一 保存行為

 二 代理の目的である物又は権利の性質を変えない範囲内において,その利用又は改良を目的とする行為

 

同法883条 相続は,被相続人の住所において開始する。

 

同法887条1項 被相続人の子は,相続人となる。

 

同法915条1項 相続人は,自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に,相続について,単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし,この期間は,利害関係人又は検察官の請求によって,家庭裁判所において伸長することができる。

 

同法918条 相続人は,その固有財産におけるのと同一の注意をもって,相続財産を管理しなければならない。ただし,相続の承認又は放棄をしたときは,この限りでない。

2 家庭裁判所は,利害関係人又は検察官の請求によって,いつでも,相続財産の保存に必要な処分を命ずることができる。

3 第27条から第29条までの規定は,前項の規定により家庭裁判所が相続財産の管理人を選任した場合について準用する。

 

同法920条 相続人は,単純承認をしたときは,無限に被相続人の権利義務を承継する。

 

同法921条 次に掲げる場合には,相続人は,単純承認をしたものとみなす。

 一 相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし,保存行為及び第602条に定める期間を超えない賃貸をすることは,この限りでない。

 二 相続人が第915条第1項の期間内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき。

 三 相続人が,限定承認又は相続の放棄をした後であっても,相続財産の全部若しくは一部を隠匿し,私にこれを消費し,又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし,その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は,この限りでない。

 

同法927条1項 限定承認者は,限定承認をした後5日以内に,すべての相続債権者(相続財産に属する債務の債権者をいう。以下同じ。)及び受遺者に対し,限定承認をしたこと及び一定の期間内にその請求の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において,その期間は,2箇月を下ることができない。

 

同法928条 限定承認者は,前条第1項の期間の満了前には,相続債権者及び受遺者に対して弁済を拒むことができる。

 

同法938条 相続の放棄をしようとする者は,その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。

 

同法939条 相続の放棄をした者は,その相続に関しては,初めから相続人とならなかったものとみなす。

 

同法941条 相続債権者又は受遺者は,相続開始の時から3箇月以内に,相続人の財産の中から相続財産を分離することを家庭裁判所に請求することができる。相続財産が相続人の固有財産と混合しない間は,その期間の満了後も,同様とする。

2 家庭裁判所が前項の請求によって財産分離を命じたときは,その請求をした者は,5日以内に,他の相続債権者及び受遺者に対し,財産分離の命令があったこと及び一定の期間内に配当加入の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において,その期間は,2箇月を下ることができない。

〔第3項略〕

 

同法947条1項 相続人は,第941条第1項及び第2項の期間の満了前には,相続債権者及び受遺者に対して弁済を拒むことができる。

 

家事事件手続法201条 相続の承認及び放棄に関する審判事件(別表第1の89の項から95の項までの事項についての審判事件をいう〔相続の放棄の申述の受理は95の項の事項〕。)は,相続が開始した地を管轄する家庭裁判所の管轄に属する。

 〔第2項から第4項まで略〕

5 限定承認及びその取消し並びに相続の放棄及びその取消しの申述は,次に掲げる事項を記載した申述書を家庭裁判所に提出してしなければならない。

 一 当事者及び法定代理人

 二 限定承認若しくはその取消し又は相続の放棄若しくはその取消しをする旨

 〔第6項略〕

7 家庭裁判所は,第5項の申述の受理の審判をするときは,申述書にその旨を記載しなければならない。この場合において,当該審判は,申述書にその旨を記載した時に,その効力を生ずる。

 〔第8項から第10項まで略〕

 

2 民法921条1号の「保存行為」と同法103条1号の保存行為

 

(1)民法103条1号の保存行為

 前記のとおり,熟慮期間中の相続債権者に対する弁済が相続財産の処分であるとしても,民法921条1号ただし書の「保存行為」に該当するのであれば,当該弁済が法定単純承認をもたらすことはなく,相続人はなお相続の放棄をなし得るはずです。そして,民法918条3項は,家庭裁判所が熟慮期間中の相続財産の保存に必要な処分として命ずることのあることの中に相続財産の管理人の選任があり,かつ,当該財産管理人の権限には同法28条の規定が準用されることを明らかにしています。民法28条は,管理人の権限について同法「第103条に規定する権限」を問題にしています。民法918条3項に基づく相続財産の管理人についても同法103条が問題になるわけです。相続財産について問題になる民法921条1号の「保存行為」も,同法103条1号の保存行為と同じものと解してよいように一応思われます。

 民法103条1号の保存行為については,次のように説かれています(なお,各下線は筆者によるもの)。いわく,「保存行為とは,財産の現状を維持する行為である。家屋の修繕・消滅時効の中断などだけでなく,期限の到来した債務の弁済,腐敗し易い物の処分のように,財産の全体から見て現状の維持と認めるべき処分行為をも包含する。ただし,物価の変動を考慮し,下落のおそれの多いものを処分して騰貴する見込の強いものを購入することは,一般に,改良行為であって,保存行為には入らない。また,物の性質上滅失・毀損のおそれがあるのでなく,戦災で焼失するおそれがあるとして処分して金銭に変えることも,原則として,保存行為に入らないというべきであろう(最高判昭和2812281683頁(応召する夫から財産管理の委任を受けた妻は家屋売却の権限なし))。保存行為は代理人において無制限にすることができる。」と(我妻榮『新訂 民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)339340頁)。またいわく,「保存行為とは,財産の現状を維持する行為である。家屋修繕のための請負契約,時効中断,弁済期後の債務の弁済などである。」と(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)216頁)。更にいわく,「保存行為とは,財産の保全すなわち財産の現状を維持するのに必要ないつさいの行為をいう。家屋の修繕・消滅時効の中断などだけでなく,期限の到来した債務の弁済や腐敗し易い物の処分などのように,財産の全体から見て現状の維持と認めるべき処分行為をも包含すると一般に解されている(富井504,鳩山・註釈290,沼(1)171,我妻339。岡松・理由233は,元本の弁済はなしえないという)。」と(於保不二雄編『注釈民法(4)総則(4)』(有斐閣・1967年)49頁(浜上則雄))。期限の到来した債務の弁済は,保存行為ということになるようです。

なるほど,そうであればこそ,次のように説かれ得るわけでしょう。いわく,「・・・相続人は熟慮期間中といえども相続財産を管理・保存する義務を負担するのであるから(918条),その履行としての保存行為や短期賃貸借契約の締結(602条)はここにいう処分には該当しない。また遺族としての葬式費用の支出や,慣習に基づく軽微の形見分けや,あるいは賃借料の支払のようなものも,同様に処分にはならないと解すべきである。」と(我妻榮=有泉亨著・遠藤浩補訂『新版 民法3 親族法・相続法』(一粒社・1992年)327頁。下線は筆者による。)。賃借料の支払は,債務の弁済ですね。

 

(2)管理行為など(岡松説にちなんで)

さて,これで一件落着か。しかし,「岡松・理由233は,元本の弁済はなしえないという」(前記・注釈民法(4)49頁)という辺りが不気味です。岡松参太郎は電車の回数券の性質論において松本烝治を破った恐るべきライヴァルでした(「鉄道庁長官の息子と軌道の乗車券:鉄道関係法の細かな愉しみ」donttreadonme.blog.jp/archives/1003968039.html参照)。なお,「元本」とは,「貸金・賃貸した不動産などのように,利息・賃料その他法律にいう法定果実(88条2項)を生み出す財産」とされています(我妻83頁)。岡松博士の『註釈民法理由(総則編)』(有斐閣書房・1899年・訂正12版)を見てみると,「利息ノ弁済」は民法103条1号の保存行為であるとしつつ(232頁),同条で与えられる権限(管理行為をする権限(我妻339頁等))について「〔為ス能ハサル行為ノ重ナルモノハ訴訟,和解,裁判,売買,贈与,交換,物権ノ設定,元本ノ弁済等〕。」とあります(233頁)。

これは一体どういう根拠によるものか。当該引用括弧内部分を見ると,被保佐人が保佐人の同意を得ずになし得る行為に係る民法13条1項の列挙規定が想起されます。また,『註釈民法理由(総則編)』における民法103条の解説に当たって岡松博士が掲げる参照条文には旧民法人事編193条及び194条並びに財産取得編232条があります(230頁)。旧民法人事編193条は「後見人ハ未成年者ノ財産ニ付テハ管理ノ権ヲ有スルニ止マリ此権外ノ行為ハ法律ニ定メタル条件ニ依ルニ非サレハ之ヲ為スコトヲ得ス」と規定し(下線は筆者によるもの),同編194条の第1は「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」に関しては後見人は親族会の許可を得るべきものとしています。すなわち,そうしてみると,「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」は管理行為ではないわけです(なお,同条には,債務の弁済については親族会の許可を得べきものとする端的な規定はありません。)。旧民法財産取得編232条1項は「代理ニハ総理ノモノ有リ部理ノモノ有リ」と規定し,同条2項は「総理代理ハ為ス可キ行為ノ限定ナキ代理ニシテ委任者ノ資産ノ管理ノ行為ノミヲ包含ス」と規定しています(下線は筆者によるもの。なお,フランス民法1988条1項は「総理の委任(le mandate conçu en termes généraux)は,管理行為(les actes d’administration)のみを包含する。」と規定しています。)。したがって,岡松博士は,「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」は,権限の定めのない代理人に係る現行民法103条の権限(管理行為を行う権限)にも含まれないと書こうとして「元本ノ弁済」と書いてしまったのでしょうか。「元本ノ弁済」を,元本の利用の終了に係る「元本ノ弁済ヲ受ケルコト」を意味するものと考えるとよりもっともらしいところです。現行民法13条1項1号は,「元本を領収し,又は利用する」ためには,被保佐人は保佐人の同意を得なければならないものとしています。ちなみに,インターネットで見ることのできる大津家庭裁判所の説明書「保佐人の仕事と責任」(日付なし)には,元本の領収又は利用の例として,「預貯金の払い戻し」,「貸したお金を返してもらうこと」及び「お金を貸すこと(利息の定めがある場合)」の三つが挙げられています。しかし,岡松博士の元本ノ弁済=非管理行為説の意味するところは,なおよく分からないとしておくべきでしょう。(ところで,現民法の規定によれば,未成年後見人は,未成年被後見人に代わって元本を領収し,又は未成年被後見人が元本を領収することに同意することについては,後見監督人(かつては親族会)の同意を得る必要はありません(民法864条ただし書,旧929条ただし書)。民法13条1項1号の「元本の領収」の部分が除かれているのは,梅謙次郎によれば「準禁治産者ハ元本ヲ領収スルトキハ動モスレハ之ヲ浪費スルノ危険アルヲ以テ特ニ保佐人ノ同意ヲ得ヘキモノトセリト雖モ後見人ニ付テハ同一ノ理由ナキカ故ニ敢テ親族会ノ同意ヲ要セサルモノトス」ということであったそうです(梅謙次郎『民法要義巻之四』(和仏法律学校=明法堂・1899年)480頁)。当時の準禁治産者には,心神耗弱者のほか浪費者もなり得ました。)

 

(3)民法921条1号の「保存行為」

 ところで,更に細かく考えてしまうと,民法103条1号の保存行為は管理行為の部分集合であるのに対して,同法921条1号ただし書の「保存行為」は,文言上,処分行為(「相続財産の全部又は一部を処分」)の部分集合となっているようです。しかして,管理行為と処分行為とは,対立するものとされています。「処分」とは,私法上「財産権の移転その他財産権について変動を与えることをいい,管理行為に対する意味に用いられる。」とされています(吉國一郎ほか編『法令用語辞典【第八次改訂版】』(学陽書房・2001年)428頁)。そうだとすると,民法921条1号ただし書の「保存行為」は,管理行為たる保存行為とは異なる処分行為たる「保存行為」ということになるのでしょうか。それともやはり管理行為たる保存行為なのでしょうか。この点は,「もっとも,財産全体の管理と個々の物又は権利の管理とでは,その管理も,おのずから異なるのであつて,財産の管理においては,その財産の一部を成している個々の物又は権利の処分も,その財産全体の保存,利用又は改良となつて,管理の範囲に包含されることもある(例―民法25Ⅰ・27Ⅰ・758Ⅱ・824828等)。」(吉國ほか編109頁)ということなのでしょう。民法918条1項に基づく管理行為は,個々の物又は権利に対するものではなく,財産を対象とするものですね。そうであれば,民法921条1号ただし書は,一見処分行為のように見える行為であっても,同法103条1号の保存行為に該当する行為や同条2号の利用行為中短期の賃貸に係る行為は管理行為であって処分行為には当たらないということを示すための為念規定ということになるのでしょう。なお,賃借権は旧民法では物権であったので,賃貸(賃借権の設定)は処分だったのでしょう。

 旧民法財産取得編323条1項の第1は,「相続財産ノ1箇又ハ数箇ニ付キ他人ノ為メニ所有権ヲ譲渡シ又ハ其他ノ物権ヲ設定シタルトキ」は「黙示ノ受諾アリトス」「但財産編第119条以下ノ制限ニ従ヒタル賃借権ノ設定ハ此限ニ在ラス」と規定していました。

 なお念のため,管理行為と民法921条1号の処分行為との関係及び同号の本文とただし書との関係について,梅謙次郎の説明を見てみましょう(梅謙次郎『民法要義巻之五〔第五版〕』(和仏法律学校=明法堂・1901年))。

 

 ・・・相続人ハ第1201条〔現行918条〕ノ規定ニ依リテ相続財産ヲ管理スル義務ヲ有スルカ故ニ(尚ホ10281040〔現行926940〕ヲ参観セヨ)処分行為ニ非サル純然タル管理行為ハ単ニ之ヲ為スノ権アルノミナラス寧ロ之ヲ為スノ義務アルモノト謂フヘシ故ニ相続財産ニ修繕ヲ加ヘ若クハ相続財産タル金銭ヲ確実ナル銀行ニ預入ルルカ如キハ相続人ノ尽スヘキ義務ニシテ為メニ単純承認ヲ為シタルモノト見做サルルノ恐ナシ(梅・五168頁)

 

 そもそも管理行為は,法定単純承認の事由とはならないのでした。

 

 ・・・尚ホ損敗シ易キ財産ヲ売却シテ其代価ヲ保管スルカ如キハ寧ロ其財産ヲ保存スルノ方法ト謂フヘク従テ学理ヨリ之ヲ言ヘハ処分ニ相違ナシト雖モ而モ保存行為トシテ純然タル管理行為中ニ包含セシムヘキコト第103条ニ付テ論シタルカ如シ又賃貸借ノ性質ニ付テハ多少ノ疑義アルヲ以テ立法者ハ第603条ニ於テ一定ノ期間ヲ超エサル賃貸借ニ限リ之ヲ管理行為ト見做スヘキコトヲ定メタリ是レ本条第1号但書ノ規定アル所以ナリ(梅・五168169頁)

 

民法921条1号ただし書は,要は,一見処分に見える行為であっても管理行為であれば管理行為であって処分行為ではない,という管理行為性を優先させる旨の規定であったようです。したがって,そこにおける「保存行為」は民法103条1号の保存行為より狭く,処分による保存行為ということになるようです。

 

3 中川理論:相続人による弁済=法定単純承認

 以上民法103条1号の保存行為について調べてみたところ,例外的に岡松参太郎博士の著書においては難しいことが書いてあるとはいえ,主要な学者らが同号の保存行為には期限の到来した債務の弁済が含まれると言っているのですから,民法918条1項の相続財産の管理において,相続人が相続債権者に対して期限の到来した債務を弁済しても,同法921条1号によって単純承認をしたものとみなされることはない,と一応はいえそうです。「拒絶権を行使しないで弁済した場合には有効な弁済であり,保存管理行為として放棄の権能を失わないものと解する。併し弁済資金を得るために相続財産を売却する行為は,本条〔918条〕第2項にいう「相続財産の保存に必要な処分」として家庭裁判所の処分命令を要するであろう。」ということになるのでしょう(中川善之助編『註釈相続法(上)』(有斐閣・1954年)235頁(谷口知平))。(なお,ここで「拒絶権」が出てくるのは,「限定承認をした場合には請求申出期間の満了前には弁済を拒絶しうるのであるから(928)態度決定前においては,弁済を拒絶しうると解しうるし,又相続債権者や受遺者が財産分離を請求しうる期間即ち相続開始より3箇月間は弁済を拒絶しうる(947)」からでしょう(同頁(谷口))。)

 しかし,現実はそう簡単ではありません。

 家族法学の大家・中川善之助博士が,民法918条1項に基づき相続財産を管理する相続人について,当該相続人が相続債権者に対して「拒絶権を行使しないでなした弁済は有効な弁済であるから,一種の遺産処分であり,相続人はこれによって,単純承認をしたものとみなされ(921条1号),限定承認及び放棄の自由を失う」と説いているからです(中川善之助『相続法』(有斐閣・1964年)241頁。下線は筆者によるもの)。松川正毅教授も「相続債務の弁済は,保存行為とはならず管理人の権限でないと考えている」ところです(谷口知平=久貴忠彦編『新版注釈民法(27)相続(2)〔補訂版〕』(有斐閣・2013年)484頁)。

 中川博士の場合,民法918条1項に基づき相続財産を管理する相続人の相続債権者に対する弁済拒否権は,民法の具体的な条文からではなく,その理論に基づき導出されているもののようです。

 

 ・・・直ちに限定承認の規定を熟慮期間に類推してよいか疑わしいようにも思われる。

  しかし限定承認もしくは放棄をなすかも知れない相続人は,一債権者に対する弁済が他の債権者を害する結果になりうることを予想しうるものと考えられるから,熟慮のために猶予された期間中は,弁済を拒絶すべきであり,従って拒絶しうるものと解すべきである。この弁済拒絶が,債権者の公平のために,権利として認められる以上,拒絶はまた義務たるの性質も与えられざるをえないことになり・・・(中川241頁)

 

「べき論」から拒絶権が,更に拒絶権の権利性から拒絶の義務が導出されています。

「この解釈は,必らずしも法的知識に豊かでない一般相続人にとっては,やや酷に過ぎる嫌いもある。」とは,中川博士が自ら認めるところです(中川241頁)。そこでこれについて同博士は,「しかし熟慮期間の後に,限定承認なり放棄なりが来る場合を想像すれば,選択の自由の代価として,相続人がこれだけの責任を負うことは,やむをえないといわなければなるまい。」と主張します(中川241頁)。しかしながらやはり,「必らずしも法的知識に豊かでない一般相続人にとっては,やや酷に過ぎる」解釈は,公定解釈としては採用し難いのではないでしょうか。

 

4 単純承認の「意思表示」と民法921条1号の「処分」

 なお,どのような行為が民法921条1号の処分に該当するかについての問題については,「わが国の多数説は,単純承認を意思表示と見ながら,しかし実際には,殆どの単純承認が921条にいわゆる法定単純承認であって,任意の意思表示としてなされることはないだろうといっている。殆どないというのは,稀にはあるというふうに聞えるが,私は寡聞にして未だ曽つて単純承認の意思表示のなされたということを聞かず,また民法にも,戸籍法にも単純承認の意思表示に関する規定はない。」(中川246頁)という事情が影響を及ぼしているようにも思われます。

 立法者は,単純承認を意思表示とし「単純承認ニ付テハ別段ノ規定ヲ設ケサルカ故ニ一切ノ方法ニ依リテ其意思表示ヲ為スコトヲ得ヘシ」とし(梅・五164頁),例として「被相続人ノ債権者及ヒ債務者ニ対シ自己カ相続人ト為リ将来被相続人ニ代ハリテ其権利義務ヲ有スヘキ旨ヲ通知シタルカ如キハ以テ黙示ノ単純承認ト為スヘキカ」と述べていました(梅・五164165頁)。黙示の意思表示それ自体の認定ということがこのように一方で想定されていたため,民法の現行921条は,例外的条項ということになっていたようです。いわく,「本条ノ場合ニ於テハ仮令相続人カ単純承認ヲ為スノ意思アラサリシコト明瞭ナル場合ニ於テモ仍ホ単純承認アルモノトス蓋シ立法者ノ見ル所ニ拠レハ本条ノ事実アリタルトキハ仮令本人ハ単純承認ノ意思ナキモ他人ヨリ之ヲ見レハ其意思アルモノト認メサルコトヲ得サルモノト見做シタルナリ」と(梅・五167頁)。本人の意思に反してでも意思表示の擬制をもたらすものですから,民法921条1号の処分は,本来は限定的に認定されるべきものだったのでしょう。

 しかしながら,「単純承認は相続人の意思表示による効果ではない」(中川246頁),「921条の場合にのみ単純承認が生」ずる(新版注釈民法(27)〔補訂版〕517頁(川井健))ということになると,当初は黙示の意思表示の認定として処理されるはずだった問題が,民法921条1号の「処分」該当性の問題として取り扱われることになり,そうであればその分同号の「処分」の範囲が弛緩せざるを得ないことになるように思われます。

(後編に続きます。
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1052466436.html)


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 民法733条 女は,前婚の解消又は取消しの日から6箇月を経過した後でなければ,再婚をすることができない。

 2 女が前婚の解消又は取消しの前から懐胎していた場合には,その出産の日から,前項の規定を適用しない。

 

1 最高裁判所大法廷平成271216日判決

 最近の最高裁判所大法廷平成271216日判決(平成25年(オ)第1079号損害賠償請求事件。以下「本件判例」といいます。)において,法廷意見は,「本件規定〔女性について6箇月の再婚禁止期間を定める民法733条1項の規定〕のうち100日の再婚禁止期間を設ける部分は,憲法14条1項にも,憲法24条2項にも違反するものではない。」と判示しつつ,「本件規定のうち100日超過部分〔本件規定のうち100日を超えて再婚禁止期間を設ける部分〕が憲法24条2項にいう両性の本質的平等に立脚したものでなくなっていたことも明らかであり,上記当時〔遅くとも上告人が前婚を解消した日(平成20年3月の某日)から100日を経過した時点〕において,同部分は,憲法14条1項に違反するとともに,憲法24条2項にも違反するに至っていた」ものとの違憲判断を示しています。

 女性が再婚する場合に係る待婚期間の制度については,かねてから「待婚期間の規定は、十分な根拠がなく,立法論として非難されている。」と説かれていましたが(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)31頁。なお,下線は筆者によるもの),最高裁判所は本件判例において違憲であるとの判断にまで踏み込んだのでした。

 

2 我妻榮の民法733条批判

 待婚期間規定に対して,我妻榮は次のように批判を加えていました(我妻3132頁)。

 

  第1に,この制度が父性決定の困難を避けるためなら,後婚がいやしくも成立した後は,〔民法744条に基づき〕取り消しても意味がない。少なくとも,この制度を届書受理の際にチェックするだけのものとして,取消権を廃止すべきである。

  第2に,父性推定の重複を避けるためには,――父性の推定は・・・,前婚の解消または取消後300日以内であって後婚の成立の日から200日以後だから〔民法772条〕――待婚期間は100日で足りるはずである。

  第3に,待婚期間の制限が除かれる場合(733条2項)をもっと広く定むべきである。

  第4に,以上の事情を考慮すると,待婚期間という制限そのものを廃止するのが一層賢明であろう。ことにわが国のように,再婚は,多くの場合,前婚の事実上の離婚と後婚の事実上の成立(内縁)を先行している実情の下では,弊害も多くはないであろう。

 

 民法733条を批判するに当たって我妻榮は,同条は「専ら父性確定に困難を生ずることに対する配慮」から設けられたものと解する立場を採っています(我妻3031頁)。

 

  妻は,婚姻が解消(夫の死亡または離婚)しても,あまりに早く再婚すべきものではない,とする制限は,以前から存在したが,それは別れた夫に対する「貞」を守る意味であった・・・。しかし,現在の待婚期間には,そうした意味はなく,専ら父性確定に困難を生ずることに対する配慮である。第2項の規定は,このことを示す。

 

3 待婚期間に係る梅謙次郎の説明

民法起草者の一人梅謙次郎は,民法733条の前身である民法旧767条(「女ハ前婚ノ解消又ハ取消ノ日ヨリ6个月ヲ経過シタル後ニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得ス/女カ前婚ノ解消又ハ取消ノ前ヨリ懐胎シタル場合ニ於テハ其分娩ノ日ヨリ前項ノ規定ヲ適用セス」)に関して,次のように説明しています(梅謙次郎『民法要義 巻之四 親族編 訂正増補第二十版』(法政大学・中外出版社・有斐閣書房・1910年)9193頁)。

 

 本条ノ規定ハ血統ノ混乱ヲ避ケンカ為メニ設ケタルモノナリ蓋シ一旦婚姻ヲ為シタル女カ其婚姻消滅ニ帰シタル後直チニ再婚ヲ為ストキハ其後生マレタル子ハ果シテ前婚ノ子ナルカ将タ後婚ノ子ナルカ之ヲ判断シ難キコト稀ナリトセス而シテ若シ其判断ヲ誤レハ竟ニ血統ヲ混乱スルニ至ルヘシ故ニ前婚消滅ノ後6个月ヲ経過スルニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得サルモノトセリ而シテ此6个月ノ期間ハ法医学者ノ意見〔本件判例に係る山浦善樹裁判官反対意見における説明によれば「懐胎の有無が女の体型から分かるのは6箇月であるとの片山国嘉医学博士(東京帝国大学教授)の意見」〕ヲ聴キテ之ヲ定メタルモノナリ

 ・・・

 民法施行前ニ在リテハ婚姻解消ノ後300日ヲ過クルニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得サルヲ原則トシ唯医師ノ診断書ニ由リ遺胎ノ徴ナキコトヲ証明スルトキハ例外トシテ再婚ヲ許シ若シ遺胎ノ徴アルトキハ分娩ノ後ニ非サレハ之ヲ許ササルコトトセリ〔明治7年(1874年)9月29日の太政官指令では「自今婦タル者夫死亡セシ日又ハ離縁ヲ受ケシ日ヨリ300日ヲ過サレハ再婚不相成候事/但遺胎ノ徴ナキ旨2人以上ノ証人アル者ハ此限ニアラス」とされていました。〕是レ稍本条ノ規定ニ類スルモノアリト雖モ若シ血統ノ混乱ヲ防ク理由ノミヨリ之ヲ言ヘハ300日ハ頗ル長キニ失スルモノト謂ハサルコトヲ得ス蓋シ仏国其他欧洲ニ於テハ300日ノ期間ヲ必要トスル例最モ多シト雖モ是レ皆沿革上倫理ニ基キタル理由ニ因レルモノニシテ夫ノ死ヲ待チテ直チニ再婚スルハ道義ニ反スルモノトスルコト恰モ大宝律ニ於テ夫ノ喪ニ居リ改嫁スル者ヲ罰スルト同一ノ精神ニ出タルモノナリ(戸婚律居夫喪改嫁条)然ルニ近世ノ法律ニ於テハ此理由ニ加フルニ血統ノ混乱ヲ防クノ目的ヲ以テシタルカ故ニ分娩後ハ可ナリトカ又ハ遺胎ノ徴ナケレハ可ナリトカ云ヘル例外ヲ認ムルニ至リシナリ然リト雖モ一旦斯ノ如キ例外ヲ認ムル以上ハ寧ロ血統ノ混乱ヲ防クノ目的ヲ以テ唯一ノ理由ト為シ苟モ其混乱ノ虞ナキ以上ハ可ナリトスルヲ妥当トス殊ニ再婚ヲ許ス以上ハ6月〔約180〕ト10月〔約300〕トノ間ニ倫理上著シキ差異アルヲ見ス是新民法ニ於テモ旧民法ニ於ケルカ如ク右ノ期間ヲ6个月トシタル所以ナリ 

 
4 6箇月の待婚期間の立法目的

 

(1)山浦反対意見

 梅謙次郎の上記『民法要義 巻之四』等を検討した山浦善樹裁判官は,本件判例に係る反対意見において「男性にとって再婚した女性が産んだ子の生物学上の父が誰かが重要で,前夫の遺胎に気付かず離婚直後の女性と結婚すると,生まれてきた子が自分と血縁がないのにこれを知らずに自分の法律上の子としてしまう場合が生じ得るため,これを避ける(つまりは,血統の混乱を防止する)という生物学的な視点が強く意識されていた。しかし,当時は血縁関係の有無について科学的な証明手段が存在しなかった(「造化ノ天秘ニ属セリ」ともいわれた。)ため,立法者は,筋違いではあるがその代替措置として一定期間,離婚等をした全ての女性の再婚を禁止するという手段をとることにしたのである。・・・多数意見は,本件規定の立法目的について,「父性の推定の重複を回避し,もって父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐこと」であるとするが,これは,血縁判定に関する科学技術の確立と家制度等の廃止という社会事情の変化により血統の混乱防止という古色蒼然とした目的では制度を維持し得なくなっていることから,立法目的を差し替えたもののように思える。・・・単に推定期間の重複を避けるだけであれば,重複も切れ目もない日数にすれば済むことは既に帝国議会でも明らかにされており,6箇月は熟慮の結果であって,正すべき計算違いではない。・・・民法の立案者は妻を迎える側の立場に立って前夫の遺胎を心配していたのであって,生まれてくる子の利益を確保するなどということは,帝国議会や法典調査会等においても全く述べられていない。」と述べています(下線は筆者によるもの)。

 しかし,「蓋シ一旦婚姻ヲ為シタル女カ其婚姻消滅ニ帰シタル後直チニ再婚ヲ為ストキハ其後生マレタル子ハ果シテ前婚ノ子ナルカ将タ後婚ノ子ナルカ之ヲ判断シ難キコト稀ナリトセス而シテ若シ其判断ヲ誤レハ竟ニ血統ヲ混乱スルニ至ルヘシ」といった場合の「血統」の「混乱」とは,再婚した母の出産した子について前夫及び後夫に係る嫡出の推定(民法772条2項,旧820条2項)が重複してしまうこと(前婚解消の日及び後婚成立の日が同日であれば,その日から200日経過後300日以内の100日間においては嫡出推定が重複によって父を定めることを目的とする訴え(同法773条,旧821条)が提起されたところ,生物学上の父でない方を父と定める判決又は合意に相当する審判(家事事件手続法277条)がされてしまう事態を指すように一応思われます(重複なく嫡出推定が働いていれば,少なくとも法律上の父子関係については「混乱」はないはずです。)。嫡出の推定が重複するこの場合を除けば,「生物学な視点」から問題になるのは,「前夫の子と推定されるが事実は後夫の子なので,紛争を生じる」場合(前夫との婚姻期間中にその妻と後夫とが関係を持ってしまった場合)及び「後夫の子と推定されるが事実は前夫の子なので,紛争を生じる」場合(妻が離婚後も前夫と関係を持っていた場合。後夫の視点からする,山浦裁判官のいう前記「血統の混乱」はこの場合を指すのでしょう。)であるようですが,これらの紛争は,嫡出推定の重複を防ぐために必要な期間を超えて再婚禁止期間をいくら長く設けても回避できるものではありません(本件判例に係る木内道祥裁判官の補足意見参照)。確かに,“Omnia vincit Amor et nos cedamus Amori.”(Vergilius)です。

 

(2)再婚の元人妻に係る妊娠の有無の確認及びその趣旨

 「血統ノ混乱ヲ避ケンカ為メ」には,元人妻を娶ろうとしてもちょっと待て,妊娠していないことがちゃんと分かってから嫁に迎えろよ,ということでしょうか。

旧民法人事編32条(「夫ノ失踪ニ原因スル離婚ノ場合ヲ除ク外女ハ前婚解消ノ後6个月内ニ再婚ヲ為スコトヲ得ス/此制禁ハ其分娩シタル日ヨリ止ム」)について,水内正史編纂の『日本民法人事編及相続法実用』(細謹舎・1891年)は「・・・茲ニ一ノ論スヘキハ血統ノ混淆ヨリ婚姻ヲ防止スルモノアルコト是ナリ即夫ノ失踪シタル為ニ婦ヲ離婚シタル場合ヲ除キ其他ノ原因ヨリ離婚トナル場合ニ於テハ女ハ前婚期ノ解消シタル後6ヶ月ハ必ス寡居ス可キモノニシテ6ヶ月以内ハ再婚スルコトヲ得ス是レ6ヶ月以内ニ再婚スルヿヲ許ストキハ其生レタル子ハ前夫ノ子ナルカ将タ後夫ノ子ナルカ得テ知リ能ハサレハナリ而シテ寡居ノ期間ヲ6ヶ月ト定メタルハ子ノ懐胎ヨリ分娩ニ至ル期間ハ通常280日ナレトモ時トシテハ180日以後ハ分娩スルコトアルヲ以テ180日即6ヶ月ヲ待ツトキハ前夫ノ子ヲ懐胎シタルニ於テハ其懐胎ヲ知リ得ヘク従テ其生レタル子ハ前夫ノ子ナルコトヲ知リ得レハナリ此故ニ此制禁ハ其胎児ノ分娩シタルトキハ必スシモ6ヶ月ヲ待ツヲ要セス其時ヨリ禁制ハ息ムモノトス(32)」と説いており(2728頁。下線は筆者によるもの),奥田義人講述の『民法人事編』(東京専門学校・1893年)は「()()失踪(・・)()源因(・・)する(・・)離婚(・・)()場合(・・)()除く(・・)外女(・・)()前婚(・・)解消(・・)()()6ヶ月内(・・・・)()再離(・・)〔ママ〕()()さる(・・)もの(・・)()なす(・・)()()()()制限(・・)()()なり(・・)(第32条)而して此の制限の目的は血統の混合を防止するに外ならさるものとす蓋し婚姻解消の後直ちに再婚をなすを許すことあらんか再婚の後生れたる子ハ果して前夫の子なるか将た又後夫の子なるか之れを判明ならしむるに難けれはなり其の前婚解消の後6ヶ月の経過を必要となすは懐胎より分娩に至るまての最短期を採りたること明かなり去りなから若充分に血統の混淆を防止せんと欲せハ此の最短期を採るを以て決して足れりとすへからさるは勿論なるのみならす既に通常出産の時期を300日となす以上は少なく共此時限間の経過を必要となさるへからさるか如し・・・」と説いていました(85頁)。ちなみに,旧民法人事編91条2項は「婚姻ノ儀式ヨリ180後又ハ夫ノ死亡若クハ離婚ヨリ300日内ニ生マレタル子ハ婚姻中ニ懐胎シタルモノト推定ス」と規定していました(下線は筆者によるもの)。

 しかし,民法旧767条1項の文言からすると,女性の前婚解消後正に6箇月がたってその間前婚期間中に懐胎したことが分かってしまった場合であっても,当事者がこれでいいのだと決断すれば,再婚は可能ということになります。ところが,これでいいのだと言って再婚したとしても,後婚夫婦間に生まれた子が直ちに後夫の法律上の子になるわけではありません。民法旧820条も「妻カ婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子ト推定ス/婚姻成立ノ日ヨリ200日後又ハ婚姻ノ解消若クハ取消ノ日ヨリ300日内ニ生レタル子ハ婚姻中ニ懐胎シタルモノト推定ス」と規定していました。すなわち,前婚中前夫の子を懐胎していた女性とその前婚解消後6箇月たって当該妊娠を確実に承知の上これでいいのだと婚姻した後夫にとって,新婚後3箇月足らずで妻から生まれてくる子(通常の妊娠期間は9箇月)は自分の子であるものとは推定されません(3箇月は約90日であって,200日には足りません。)。そうであれば,後の司法大臣たる奥田義人の前記講述中「もし充分に血統の混淆を防止せんと欲せハ此の最短期を採るを以て決して足れりとすへからさるは勿論なるのみならす既に通常出産の時期を300日となす以上は少なく共此時限間の経過を必要となさるへからさるか如し」の部分に注目すると,「血統の混淆」とは,再婚した元人妻が新しい夫との婚姻早々,前夫の子であることが嫡出推定から明らかな子を産む事態を実は指しているということでしょうか。本件判例に係る木内裁判官の補足意見における分類によれば,「前夫の子と推定され,それが事実であるが,婚姻後に前夫の子が出生すること自体により家庭の不和(紛争)が生じる」事態でしょう。

旧民法人事編32条及び民法旧767条は,嫡出推定の重複を避けることに加えて,当該重複を避けるために必要な期間(旧民法で120日,民法で100日)を超える部分については,恋する男性に対して,ほれた元人妻とはいえ,前夫の子を妊娠しているかいないかを前婚解消後6箇月の彼女の体型を自分の目で見て確認してから婚姻せよ,と確認の機会を持つべきものとした上で,当該確認の結果妊娠していることが現に分かっていたのにあえて婚姻するのならば「婚姻後に前夫の子が出生すること自体により家庭の不和(紛争)が生じる」ことは君の新家庭ではないものと我々は考えるからあとは自分でしっかりやってよ,と軽く突き放す趣旨の条項だったのでしょうか。彼女が妊娠しているかどうか分からないけどとにかく早く結婚したい,前夫の子が産まれても構わない,ぼくは彼女を深く愛しているから家庭の平和が乱されることなんかないんだと言い張るせっかちな男性もいるのでしょうが,実際に彼女が前夫の子かもしれない子を懐胎しているのが分かったら気が変わるかもしれないよなとあえて自由を制限する形で醒めた配慮をしてあげるのが親切というものだったのでしょうか。そうだとすると,一種の男性保護規定ですね。大村敦志教授の紹介による梅謙次郎の考え方によると,「兎に角婚姻をするときにまだ前の種を宿して居ることを知らぬで妻に迎へると云ふことがあります・・・さう云ふことと知つたならば夫れを貰うのでなかつたと云ふこともあるかも知れぬ」ということで〔(梅・法典調査会六93頁)〕,「「6ヶ月立つて居れば先夫の子が腹に居れば,・・・もう表面に表はれるから夫れを承知で貰つたものならば構はぬ」(法典調査会六94頁)ということ」だったそうです(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)2829頁)。なお,名古屋大学のwww.law.nagoya-ふu.ac.jp/jalii/arthis/1890/oldcivf2.htmlウェッブページによれば,旧民法人事編の待婚期間の長さは,第1草案及び再調査案においては嫡出推定の重複を避け,かつ,切れ目がないようにするためのきっちり4箇月(約120日)であったところ,法取委〔法律取調委員会〕上申案以後6箇月になっています。旧民法人事編の「第1草案」については「明治21年〔1888年〕7月頃に,「第1草案」の起草が終わった。分担執筆した幾人かの委員とは,熊野敏三,光明寺三郎,黒田綱彦,高野真遜,磯部四郎,井上正一であり,いずれもフランス法に強い「報告委員」が担当した。「第1草案」の内容は,かなりヨオロッパ的,進歩的なものであった。」と述べられ(大久保泰甫『日本近代法の父 ボアソナアド』(岩波新書・1998年)157頁),更に「その後,法律取調委員会の・・・本会議が開かれ,「第1案」「第2按」「再調査案」「最終案」と何回も審議修正の後,ようやく明治23年〔1890年〕4月1日に人事編が・・・完成し,山田〔顕義〕委員長から〔山県有朋〕総理大臣に提出された。」と紹介されています(同158頁)。

 

(3)本件判例

 本件判例の法廷意見は,民法旧767条が目的としたところは必ずしも一つに限られてはいなかったという認識を示しています。いわく,「旧民法767条1項において再婚禁止期間が6箇月と定められたことの根拠について,旧民法起訴時の立案担当者の説明等からすると,その当時は,専門家でも懐胎後6箇月程度経たないと懐胎の有無を確定することが困難であり,父子関係を確定するための医療や科学技術も未発達であった状況の下において,①再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,②再婚後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から,再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けようとしたものであったことがうかがわれる。③また,諸外国の法律において10箇月の再婚禁止期間を定める例がみられたという事情も影響している可能性がある。」と(①②③は筆者による挿入)。続けて,法廷意見は「しかし,その〔昭和22年法律第222号による民法改正〕後,医療や科学技術が発達した今日においては,上記のような各観点から,再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けることを正当化することは困難になったといわざるを得ない。」と述べていますが,ここで維持できなくなった観点は,②の「父子関係が争われる事態」における「父子関係」とは飽くまでも法的なものであると解せば,①及び③であろうなと一応思われます(③については判決文の後の部分で「また,かつては再婚禁止期間を定めていた諸外国が徐々にこれを廃止する立法をする傾向にあり,ドイツにおいては1998年(平成10年)施行の「親子法改革法」により,フランスにおいては2005年(平成17年)施行の「離婚に関する2004年5月26日の法律」により,いずれも再婚禁止期間の制度を廃止するに至っており,世界的には再婚禁止期間を設けない国が多くなっていることも公知の事実である。」と述べられています。)。

 ところで,本件判例の法廷意見は更にいわく,「・・・妻が婚姻前から懐胎していた子を産むことは再婚の場合に限られないことをも考慮すれば,再婚の場合に限って,①前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,②婚姻後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から,厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間を超えて婚姻を禁止する期間を設けることを正当化することは困難である。他にこれを正当化し得る根拠を見いだすこともできないことからすれば,本件規定のうち100日超過部分は合理性を欠いた過剰な制約を課すものとなっているというべきである。」と(①②は筆者による挿入)。さて,100日を超えた約80日の超過部分を設けることによって防止しようとした「婚姻後に生まれる子の父子関係が争われる事態」とはそもそも何でしょう。当該約80日間が設けられたことによって,前婚解消後6箇月で直ちに再婚した妻の産む子のうち後婚開始後約120日経過後200日経過前の期間内に生まれた子には前夫及び後夫いずれの嫡出推定も及ばないことになります。むしろ(認知のいかんをめぐって)父子関係が争われやすくなるようでもありました(昭和15年(1940年)1月23日の大審院連合部判決以前は,婚姻成立の日から200日たたないうちに生まれた子を非嫡出子としたものがありました(我妻215頁参照)。)。嫡出推定の切れ目がないよう前婚解消後100日経過時に直ちに再婚したがる女性には何やら後夫に対する隠し事があるように疑われ,後夫が争って,つい嫡出否認の訴えを提起したくなるということでしょうか。しかし,(DNA鑑定を通じて)嫡出否認の訴えが成功すればそもそも父子関係がなくなるので,この争い自体から積極的な「血統に混乱」は生じないでしょう。(なお,前提として,「厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間」の範囲内については②の観点は依然として有効であることが認められていると読むべきでしょうし,そう読まれます。)「再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けようとした」ことと②の「再婚後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点」との結び付きはそもそも強いものではなかったように思われます。また,前夫の嫡出推定期間内に生まれる子の生物学上の父が実は後夫である場合は,むしろ嫡出推定が重複する期間を設けて紛戦に持ち込み,父を定めることを目的とする訴えを活用して生物学上の父と法律上の父とが合致するようにし,もって「血統の混乱」を取り除くことにする方がよいのかもしれません。しかし,そのためには逆に,待婚期間は短ければ短い方がよく,理想的には零であるのがよいということになってしまうようです(なお,待婚期間がマイナスになるのは,重婚ということになります。)。この点については更に,大村教授は「嫡出推定は婚姻後直ちに働くとしてしまった上で,二つの推定の重複を正面から認めよう,という発想」があることを紹介しています(大村29頁)。

それでは,①の「再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点」と現在は「医療や科学技術が発達した」こととの関係はどうでしょうか。現在は6箇月たたなくとも妊娠の有無が早期に分かるから,そこまでの待婚期間は不要だということでしょう。しかし,「懐胎の有無が女の体型から分かるのは6箇月であるとの片山国嘉医学博士(東京帝国大学教授)の意見」においては「女の体型」という外見が重視されているようであり,女性が妊娠を秘匿している事態も懸念されているようではあります。妊娠検査薬があるといっても,女性の協力がなければ検査はできないでしょうが,その辺の事情には明治や昭和の昔と平成の現代とで変化が生じているものかどうか。

本件判例の法廷意見は,憲法24条1項は「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたもの」と解した上で「上記のような婚姻をするについての自由」は「十分尊重に値するもの」とし,さらには,再婚について,「昭和22年民法改正以降,我が国においては,社会状況及び経済状況の変化に伴い婚姻及び家族の実態が変化し,特に平成期に入った後においては,晩婚化が進む一方で,離婚件数及び再婚件数が増加するなど,再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっている事情も認めることができる」ものとしています。「婚姻をするについての自由」に係る憲法24条1項は昭和22年民法改正のそもそもの前提だったのですから,その後に①の「再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点」の有効性が減少したことについては,やはり,後者の「再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっている事情」が大きいのでしょうか。「再婚」するにはそもそも主に離婚が前提となるところ,離婚の絶対数が増えれば早く再婚したいという人の絶対数も増えているのでしょう。ちなみに,女性が初婚時よりも再婚時の方が良い妻になることが多いという精神分析学説がありますが(„Ich meine, es muß dem Beobachter auffallen, in einer wie ungewönlich großen Anzahl von Fällen das Weib in einer ersten Ehe frigid bleibt und sich unglücklich fühlt, während sie nach Lösung dieser Ehe ihrem zweiten Manne eine zärtliche und beglückende Frau wird.“(Sigmund Freud, Das Tabu der Virginität, 1918)),これは本件判例には関係ありません。

しかし,現代日本の家族は核家族化したとはいえ,「家庭の不和」の当事者としては,夫婦のみならず,子供も存在し得るところです。

 

5 待婚期間を不要とした実例:アウグストゥス

 

(1)アウグストゥスとリウィアとリウィアの前夫の子ドルスス

 ところで,前夫の子を懐胎しているものと知りつつ,当該人妻の前婚解消後直ちにこれでいいのだと婚姻してしまった情熱的な男性の有名な例としては,古代ローマの初代皇帝アウグストゥスがいます。

 

  〔スクリボニアとの〕離婚と同時にアウグストゥスは,リウィア・ドルシラを,ティベリウス・ネロの妻でたしかに身重ですらあったのにその夫婦仲を裂き,自分の妻とすると(前38年),終生変らず比類なく深く愛し大切にした。(スエトニウス「アウグストゥス」62(国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(上)』(岩波文庫・1986年)))

 

 前63年生まれのアウグストゥスは,前38年に25歳になりました。リウィアは前58年の生まれですから,アウグストゥスの5歳年下です。両者の婚姻後3箇月もたたずに生まれたリウィアの前夫ティベリウス・クラウディウス・ネロの息子がドルススです。

 

  〔4代目皇帝〕クラウディウス・カエサルの父ドルススは,かつて個人名をデキムスと,その後でネロと名のった。リウィアは,この人を懐妊したまま,アウグストゥスと結婚し,3ヶ月も経たぬ間に出産した(前38年)。そこでドルススは,継父の不義の子ではないかと疑われた。たしかにドルススの誕生と同時に,こんな詩句が人口に膾炙した。

  「幸運児には子供まで妊娠3ヶ月で生れるよ」

  ・・・

  ・・・アウグストゥスは,ドルススを生存中もこよなく愛していて,ある日元老院でも告白したように,遺書にいつも,息子たちと共同の相続人に指名していたほどである。

  そして〔前9年に〕彼が死ぬと,アウグストゥスは,集会で高く賞揚し,神々にこう祈ったのである。「神々よ,私の息子のカエサルたちも,ドルススのごとき人物たらしめよ。いつか私にも,彼に授けられたごとき名誉ある最期をたまわらんことを」

  アウグストゥスはドルススの記念碑に,自作の頌歌を刻銘しただけで満足せず,彼の伝記まで散文で書いた。(スエトニウス「クラウディウス」1(国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(下)』(岩波文庫・1986年)))

 

(2)アウグストゥス家の状況

しかし,共和政ローマの名門貴族クラウディウス一門(アッピア街道で有名なアッピウス・クラウディウス・カエクスもその一人)のティベリウス・クラウディウス・ネロ(前33年没)を法律上の父として持つドルススは,母の後夫であり,自分の生物学上の父とも噂されるアウグストゥスの元首政に対して批判的であったようです。

 

 〔ドルススの兄で2代目皇帝の〕ティベリウスは・・・弟ドルスス・・・の手紙を公開・・・した。その手紙の中で弟は,アウグストゥスに自由の政体を復活するように強制することで兄に相談をもちかけていた。(スエトニウス「ティベリウス」50(国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(上)』(岩波文庫・1986年)))

 

 少なくとも皇帝としてのアウグストゥスに対しては,反抗の意思があったわけです。

 

 ところでドルススには名声欲に劣らぬほど,民主的な性格が強かったと信じられている。

 ・・・彼はそうする力を持つ日がきたら,昔の共和政を復活させたいという希望を,日頃から隠していなかったといわれているからである。

 ここに,ある人らが大胆にも次のような説を伝えている根拠があると私は思うのである。

 ドルススはアウグストゥスに不信の念を抱かれ,属州から帰還を命じられても逡巡していて毒殺されたと。この説を私が紹介したのは,これが真実だとか,真相に近いと思ったからではなく,むしろこの説を黙殺したくなかったからにすぎない。(スエトニウス「クラウディウス」1)

 

 自分の本当の父親が誰であるのか悩むことがあったであろうドルススの心事を忖度することには興味深いものがあります。

 アウグストゥスの家庭は,余り平和ではありませんでした。

 

 〔アウグストゥスは,リウィアと再婚する際離婚した〕スクリボニアからユリアをもうける。リウィアからは熱烈に望んでいたのに一人の子供ももうけなかった。もっとも胎内に宿っていた赤子が月足らずで生まれたことはあるが。(スエトニウス「アウグストゥス」63

 

  娘と孫娘のユリアは,あらゆるふしだらで穢れたとして島に流した。(スエトニウス「アウグストゥス」65

 

6 待婚期間を回避した実例:ナポレオン

 

(1)ナポレオンの民法典

 「我々は,良俗のためには,離婚と2度目の婚姻との間に間隔を設けることが必要であると考えた。(Nous avons cru, pour l’honnêteté publique, devoir ménager une intervalle entre le divorce et un second mariage.)」と述べたのは,ナポレオンの民法典に係る起草者の一人であるポルタリスです(Discours préliminaire du premier projet de Code civil, 1801)。1804年のナポレオンの民法典における待婚期間に関する条項にはどのようなものがあったでしょうか。

 

 第228条 妻は,前婚の解消から10箇月が経過した後でなければ,新たに婚姻することができない。(La femme ne peut contracter un nouveau mariage qu’après dix mois révolus depuis la dissolution du mariage précédent.

 

これは我が民法733条1項及び旧767条1項並びに旧民法民事編32条1項に対応する規定ですね。ただし,待婚期間が6箇月ではなく10箇月になっています。また,ナポレオンの民法典228条は,離婚以外の事由による婚姻の解消(主に死別)の場合に適用がある規定です。

共和国10年葡萄月(ヴァンデミエール)14日(180110月6日)に国務院(コンセイユ・デタ)でされた民法典に関する審議の議事(同議事録http://archives.ih.otaru-uc.ac.jp/jspui/handle/123456789/53301第1巻294295頁)を見ると,同条の原案には,décence”(品位,節度)がそれを要請するであろうとして(ブーレ発言),後段として「夫も,当該解消から3箇月後でなければ,2度目の婚姻をすることができない。(le mari ne peut non plus contracter un second mariage qu’après trois mois depuis cette dissolution.)」という規定が付け足されていました。同条の原案に対する第一執政官ナポレオンの最初の感想は,「10箇月の期間は妻には十分長くはないな。」であり,司法大臣アブリアルが「我々の風習では,その期間は1年間で,喪の年(l’an de deuil)と呼ばれています。」と合の手を入れています。トロンシェが,「実際のところ,妻に対する禁制の目的は,la confusion de partを防ぐことであります。夫についてはそのような理由はありません。彼らの家計を維持する関係で妻の助力を必要とする耕作者,職人,そして人民階級の多くの諸個人にとっては,提案された期間は長過ぎます。」と発言しています。議長であるナポレオンが「アウグストゥスの例からすると妊娠中の女とも婚姻していたのだから,古代人はla confusion de partの不都合ということを気にしてはいなかったよな。夫の方については,規定せずに風習と慣例とに委ねるか,もっと長い期間婚姻を禁ずるかのどちらかだな。この点で民法典が,慣習よりもぬるいということになるのはまずい。」と総括し,結局同条については,後段を削った形で採択されています。しかして残った同条は,端的にla confusion de partを防ぐための条項であるかといえば,アウグストゥスの例に触れた最終発言によれば第一執政官はその点を重視していたようには見えず,さりとて「喪の年」を2箇月縮めたものであるとも言い切りにくいところです。(ただし,この10箇月の期間にはいわれがあるところで,古代ローマの2代目国王「ヌマは更に喪を年齢及び期間によつて定めた。例へば3歳以下の幼児が死んだ時には喪に服しない。もつと年上の子供も10歳まではその生きた年数だけの月数以上にはしない。如何なる年齢に対してもそれ以上にはせず,一番長い喪の期間は10箇月であつて,その間は夫を亡くした女たちは寡婦のままでゐる。その期限よりも前に結婚した女はヌマの法律に従つて胎児を持つてゐる牝牛を犠牲にしなければならな」かった,と伝えられています(プルタルコス「ヌマ」12(河野与一訳『プルターク英雄伝(一)』(岩波文庫・1952年)))。また,ヌマによる改暦より前のローマの暦では1年は10箇月であったものともされています(プルタルコス「ヌマ」18・19)。なお,“La confusion de part”“part”は「新生児」の意味で,「新生児に係る混乱」とは,要は新生児の父親が誰であるのか混乱していることです。これが我が国においては「血統ノ混乱」と訳されたものでしょうか。

離婚の場合については,特別規定があります。

 

296条 法定原因に基づき宣告された離婚の場合においては,離婚した女は,宣告された離婚から10箇月後でなければ再婚できない。(Dans le cas de divorce prononcé pour cause déterminée, la femme divorcée ne pourra se remarier que dix mois apès le divorce prononcé.

 

297条 合意離婚の場合においては,両配偶者のいずれも,離婚の宣告から3年後でなければ新たに婚姻することはできない。(Dans le cas de divorce par consentement mutuel, aucun des deux époux ne pourra contracter un nouveau mariage que trois ans après la pronunciation du divorce.

 

 面白いのが297条ですね。合意離婚の場合には,男女平等に待婚期間が3年になっています。ポルタリスらは当初は合意離婚制度に反対であったので(Le consentement mutuel ne peut donc dissoudre le mariage, quoiqu’il puisse dissoudre toute autre société.(ibid)),合意離婚を認めるに当たっては両配偶者に一定の制約を課することにしたのでしょう。男女平等の待婚期間であれば,我が最高裁判所も,日本国憲法14条1項及び24条2項に基づき当該規定を無効と宣言することはできないでしょう。

 ただ,ナポレオンの民法典297条が皇帝陛下にも適用がある(ないしは国民の手前自分の作った民法典にあからさまに反することはできない)ということになると,一つ大きな問題が存在することになったように思われます。

 18091215日に皇后ジョゼフィーヌと婚姻解消の合意をしたナポレオンが,どうして3年間待たずに1810年4月にマリー・ルイーズと婚姻できたのでしょうか。

 ジョゼフィーヌの昔の浮気を蒸し返して法定原因に基づく離婚(ナポレオンの民法典296条参照)とするのでは,皇帝陛下としては恰好が悪かったでしょう。どうしたものか。

 

(2)18091216日の元老院令

 実は,18091215日のナポレオンとジョゼフィーヌとの合意に基づく婚姻解消は,合意離婚ではなく,立法(同月16日付け元老院令)による婚姻解消という建前だったのでした。合意離婚でなければ,夫であるナポレオンが再婚できるまで3年間待つ必要はありません。

 上記元老院令は,その第1条で「皇帝ナポレオンと皇后ジョゼフィーヌとの間の婚姻は,解消される。(Le mariage contracté entre l’Empereur Napoléon et l’Impératrice Joséphine est dissous.)」と規定しています。

 大法官は,カンバセレス。ナポレオンに最終的に「婚姻解消,やらないか。」と言ったのは,フーシェでもタレイランでもなく彼だったものかどうか。いずれにせよ,厄介な法律問題を処理してくれたカンバセレスの手際には,皇帝陛下も「いい男」との評価を下したことでしょう。

 こじつけのようではありますが,1809年においても2015年においても,1216日は,離婚後の長い待婚期間の問題性が表面化された日でありました。



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1 和歌山の野道で盗られた一厘銭

 前回の記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1045278800.html「三百代言の世話料に関して」)を書いていて,和歌山県の野道において,いたいけな幸之助少年が寛永通宝一文銭(穴あき一厘銭)を鬼のように兇暴な男から強取される場面を想像するに至ったのですが,その有様を書いてみるとなると,ヴィクトル・ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』におけるプティ・ジェルヴェ事件のパロディになってしまうところです。プティ・ジェルヴェ事件では,南仏デーニュから約12キロメートル離れた人気の無い野道で,ミリエル司教に助けられたばかりのジャン・ヴァルジャンが,その夕方,約10歳のプティ・ジェルヴェ少年が歩きながらそれで遊んでいて落とした40スー(2フラン)銀貨を足で踏みつけ,更に同少年を追い払って奪ってしまったのでした。

 

  Comme le soleil déclinait au couchant, allongeant sur le sol l’ombre du moindre caillou, O’nisaka était assis derrière un buisson.

    Il entendit un bruit joyeux. Il tourna la tête, et vit venir par le sentier un petit Wakayamard d’une dizaine d’années qui chantait --- Ils sont lumineux, les produits de National! 

   L’enfant s’arrêta à côté du buisson sans voir O’nisaka et fit sauter son rin que jusque-là il avait reçu avec assez d’adresse sur le dos de sa main.

    Cette fois la pièce d’un rin lui échappa, et vint rouler vers la broussaille jusqu’à O’nisaka.

    O’nisaka posa le pied dessus.

    Cependant l’enfant avait suivi sa pièce du regard, et l’avait vu.

    Il ne s’étonna point et marcha droit à l’homme.

    C’était un lieu absolument solitaire. Aussi loin que le regard pouvait s’étendre, il n’y avait personne dans la plaine ni dans le sentier. Le soleil empourprait d’une lueur sanglante la face sauvage d’O’nisaka.

--- Monsieur, dit le petit Wakayamard, avec cette confiance de l’enfance qui se compose d’ignorance et d’innocence, --- ma pièce?

--- Comment t’appelles-tu? dit O’nisaka.

--- Kônosuké, monsieur.

--- Va-t’en, dit O’nisaka.

    --- Monsieur, reprit l’enfant, rendez-moi ma pièce.

    O’nisaka baissa la tête et ne répondit pas.

    --- Je veux ma pièce! ma pièce d’un rin trouée!

    L’enfant pleurait. La tête d’O’nisaka se releva. Il était toujours assis. Il étendit la main vers son bâton et se dressant brusquement tout debout, le pied toujours sur la pièce de cuivre, il cria d’une voix terrible: --- Veux-tu bien te sauver!

    L’enfant effaré le regarda, puis commença à trembler de la tête aux pieds, et, après quelques seconds de stupeur, se mit à s’enfuir en courant de toutes ses forces sans oser tourner le cou ni jeter un cri.

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「悲しみの道」の坂の先にいる鬼
 

2 日本刑法

 

(1)鬼坂の犯罪

 

ア 占有離脱物横領非該当

幸之助少年に対する鬼のように兇暴な,ジャン・ヴァルジャンならぬ鬼坂(O’nisaka)の行為は,我が現行刑法では,まず,やはり占有離脱物横領にはならないでしょう(同法254条は「遺失物,漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は,1年以下の懲役又は10万円以下の罰金若しくは科料に処する。」と規定)。和歌山の野道を通る幸之助少年は,放り上げつつ遊んでいた寛永通宝一文銭を手の甲で受け止め損ね,当該一文銭は,道端の藪のそばに腰を下ろしていた鬼坂のところまで転がって行ったのですが(Cette fois la pièce d’un rin lui échappa, et vint rouler vers la broussaille jusqu’à O’nisaka.),その間の距離も時間も短いようであり,かつ,幸之助少年は当該銅銭が鬼坂の足下まで転がる様を目で追いかけていて見失っていません(Cependant l’enfant avait suivi sa pièce du regard, et l’avait vu.)。すなわち,当該寛永通宝は,所有者である幸之助少年の占有を離れてはいないものと判断されます。

なお,幸之助少年の場合は被害品が被害者のもとから遠ざかって行ったのですが,それとは逆に被害者が被害品から遠ざかって行った場合について最高裁判所平成16年8月25日決定は,「〔前刑出所後いわゆるホームレス生活をしていた〕被告人が本件ポシェットを〔本件ベンチ上から〕領得したのは,被害者がこれを置き忘れてベンチから約27mしか離れていない場所まで歩いて行った時点であったことなど本件の事実関係の下では,その時点において,被害者が本件ポシェットのことを一時的に失念したまま現場から立ち去りつつあったことを考慮しても,被害者の本件ポシェットに対する占有はなお失われておらず,被告人の本件領得行為は窃盗罪に当たる」と判示しています。

 

イ 窃盗

そうなると,まず,鬼坂には窃盗罪が成立するように思われます(刑法235条は「他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」と規定)。足下に転がって来た幸之助少年の一文銭を鬼坂が踏みつけた行為(O’nisaka posa le pied dessus.)が窃取行為であって,それにより直ちに鬼坂が占有を取得し,既遂に達したと見るべきでしょう。

 

ウ 事後強盗

幸之助少年が自分の穴あき一厘銭(ma pièce d’un rin trouée)を返してくれと言ってきたのに対して窃盗犯・鬼坂は「あっちへ行け(Va-t’en.」と言うばかりで応じません。幸之助少年は泣き出します。これに対して鬼坂は,更に杖に手を伸ばし突然乱暴に立ち上がり,恐ろしい声で「失せやがるのが身のためだぞ!」と吠えたところ(Il étendit la main vers son bâton et se dressant brusquement tout debout, le pied toujours sur la pièce de cuivre, il cria d’une voix terrible: --- Veux-tu bien te sauver!),驚愕して鬼坂を見た幸之助少年は全身わなわなと震え出し,茫然自失,一目散に逃げ去ります(L’enfant effaré le regarda, puis commença à trembler de la tête aux pieds, et, après quelques seconds de stupeur, se mit à s’enfuir en courant de toutes ses forces sans oser tourner le cou ni jeter un cri.)。

これは,刑法238条の事後強盗でしょう。同条は,「窃盗が,財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために,暴行又は脅迫をしたときは,強盗として論ずる。」と規定しています。強盗は,5年以上の有期懲役に処されます(刑法236条1項。有期懲役の上限は20年(同法12条1項))。

なお,プティ・ジェルヴェ事件の際のジャン・ヴァルジャンのごとく,鬼坂も刑期を終えて間がなければ,再犯です(刑法56条1項「懲役に処せられた者がその執行を終わった日又はその執行の免除を得た日から5年以内に更に罪を犯した場合において,その者を有期懲役に処するときは,再犯とする。」)。再犯の場合,再犯加重で(刑法57条は「再犯の刑は,その罪について定めた懲役の長期の2倍以下とする。」と規定),当該事後強盗により,5年以上30年以内の範囲で懲役に処されることになります(同法14条2項は「有期の懲役又は禁錮を加重する場合においては30年にまで上げることができ,これを減軽する場合においては1月未満に下げることができる。」と規定)。

子供から小銭を奪って懲役30年とは,なかなか重いでしょうか。

 

(2)鬼坂の弁護

激発型の和歌山の暴れん坊将軍・鬼坂の弁護人としては,どのような弁護方針を採るべきか。

 

ア 裁判権の不存在

鬼坂が,例えば某国を代表する外交官たる閣下であれば,外交官特権を盾に,被疑者段階では身柄解放を要求し(外交関係に関するウィーン条約(昭和39年条約第14号)29条1・2文は「外交官の身体は,不可侵とする。外交官は,いかなる方法によっても抑留し又は拘禁することができない。」と規定),公訴が提起されたのなら公訴棄却の申立てをすることになるでしょう(同条約31条1項前段(「外交官は,接受国の刑事裁判権からの免除を享有する。」),刑事訴訟法338条1号。ただし,「刑訴法は,公訴棄却の裁判の申立権を認めていないのであるから,公訴棄却を求める申立は,職権の発動を促す意味をもつに過ぎず,したがつて,これに対して申立棄却の裁判をする義務はない」とされています(最決昭4572刑集247412)。)。

 

イ 可罰的違法性論

被害額が一厘にすぎず法益侵害が軽微であるとして無罪を主張すべきか。しかし,一厘事件判決(大判明431011刑録161620)は,行為が零細であり,かつ,危険性が無かったので,たばこ耕作者によるたばこ2.625グラムを手刻みとして消費した行為を葉煙草専売法(明治29年法律第35号)21条違反の犯罪を構成しないものとしたものと解されるのであって,前記鬼坂被告人の悪質な行為に危険性は無いとは「健全ナル共同生活上ノ観念」からして到底いえないでしょう。(また, 和歌山の幸之助少年の一厘銭がゴウライボーシ(カッパ)の変身したものであったなら, やはりその価値は零細であるとはいえません。)

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 かっぱ河太郎(東京都台東区合羽橋)
 東京では,「ゴウライボーシ」とは言わないようです。

 

ウ 示談

被害弁償をして示談で穏便に済ますことはできないか。しかし,富豪となった幸之助翁は,1厘の弁償金など歯牙にもかけず(明治17年の一厘銭は,筆者の行った古銭ショップでは45万倍の450円もしたのですが。),「国家国民の繁栄と世界平和の向上に寄与」することのない人にはもはや関心はないとて,鬼坂被告人に同情してはくれないのではないかと懸念されます。鬼坂被告人は,まず,「真に国家と国民を愛し,新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探求し,人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献」する人間にならなければなりません。

 

エ 占有離脱物との認識

鬼坂被告人は幸之助少年の当該寛永通宝一文銭を占有離脱物であるものとばかり思っていたという主張はどうでしょうか。占有離脱物横領ということになれば窃盗ではないので,窃盗犯が主体となる事後強盗とも関係がなくなります。東京高等裁判所昭和35年7月15日判決(下刑集2・7=8 989)は,午前8時頃の国鉄渋谷駅出札口横に置き忘れられたもののなお被害者の占有下にあると認められたカメラの持ち去り行為について,被告人は,窃盗の犯意ではなく,「遺失物横領の犯意でこれを持ち去つたものと認めるのが相当」と判示しています(なお,同判決は「刑法235条,第38条第2項,第254条を適用すべき」としていますが,これは客観的に窃盗罪を犯したのだから窃盗罪が成立し,科刑は刑法38条2項(「重い罪に当たるべき行為をしたのに,行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は,その重い罪によって処断することはできない。」)により占有離脱物横領罪のそれに限定されるということでしょうか。しかし,現在の考え方では,故意は占有離脱物横領なので,刑法254条に該当するということになります。(前田雅英『刑法総論講義[第4版]』(東京大学出版会・2006年)258頁参照)指定薬物を業として販売目的で陳列又は貯蔵していても,医薬品の陳列又は貯蔵の認識しかなければ,適用罰条は,医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律(昭和35年法律第145号)84条9号,24条1項であり,同法83条の9及び刑法38条2項は出て来ないわけです。)。

しかしながら,上記東京高等裁判所判決の事案は,原審の公判において,被告人が次のような供述をしていたような事案であったところです。

 

(問)女の人〔被害者〕がカメラを置いて行つたのは見なかつたか。

(答)見て居りません。

(問)被告人はその場にいた男の人に何と云つてカメラを持つて来たのか。

(答)これはあなたのカメラですかと尋ねたところ違うというので持つて行つたのです。

 

 幸之助少年が一厘銭を落とすところを鬼坂被告人が見ていたのであれば,当該一厘銭が幸之助少年の物であって,かつ,なおその占有下にあるという認識の存在は,なかなか争えないでしょう。

 

オ 不法領得の意思の不存在

鬼坂被告人が寛永通宝一文銭を踏みつけたのは,単に幸之助少年に意地悪をするためだけであって,「権利者ヲ排除シテ他人ノ物ヲ自己ノ所有物トシテ其経済的用方ニ従ヒ之ヲ利用若クハ処分スルノ意思」たる不法領得の意思(大判大4521刑録21663)は無かったのだ,という主張はどうでしょうか。「単タ物ヲ毀壊又ハ隠匿スル意思ヲ以テ他人ノ支配内ニ存スル物ヲ奪取スル行為ハ領得ノ意思ニ出テサルヲ以テ窃盗罪ヲ構成セサルヤ疑ヲ容レス」ということになり,校長を失脚させる目的で教育勅語の謄本等を持ち出して天井裏に隠匿する行為は窃盗には当たらないとされています(大判大4521)。なるほど。しかし,奪った一文銭でアメ玉を買って食べたり,古銭ショップに売りに行ったりしていては言い訳も難しくなるところです。ちなみに,寛永通宝は大量にあるので,古銭ショップでも安いです。

                                                     

カ 事後強盗としての脅迫の不存在

 事後強盗であるとの認定を阻止するために,鬼坂被告人が幸之助少年に吠えたといっても当該発言は刑法238条にいう脅迫には該当しない, と主張するのはどうでしょうか。

 

(ア)相手方の反抗を抑圧すべき程度の不足

“Veux-tu bien te sauver!”を「失せやがるのが身のためだぞ!」と訳したのは誤訳であって,本来の意味は「坊や,もう遅くなるからおうちに帰ろうね。」と優しく諭したにすぎない,すなわち,「恐怖心を生ぜしめる害悪の告知」(前田雅英『刑法各論講義[第4版]』(東京大学出版会・2007年)229頁)をしたものではないとはいえないでしょうか。しかし, あるいは通訳人又は翻訳人の先生がムッとするでしょう(刑法171条参照)。申し訳ない。

事後強盗の成立に必要な「刑法第238条ニ所謂暴行ハ相手方ノ反抗ヲ抑圧スベキ程度ノモノタルヲ要スル」ので(大判昭1928刑集231。大東亜戦争に際し燈火管制中の愛媛県の畑における西瓜泥棒に係る事案。戦時刑事特別法(昭和17年法律第64号)5条1項により,戦時に際し燈火管制中事後強盗を犯すと死刑又は無期若しくは10年以上の懲役でした。),脅迫も相手方の反抗を抑圧すべき程度のものであることが必要です。しかしながら,銀行の「現金出納の窓口事務を担当していた女子行員の○○(当時23歳)に対し,その顔をにらみつけながら,「金を出せ」と語気鋭く申し向け」た脅迫について(当時被告人は「33歳の男性であり,身長が約167センチメートル,体重が58キログラム位という通常の体格であって,目つきが鋭いようにもみられ・・・トレーナーにトレーニングパンツという服装であった」。なお,凶器等は示していません。),「社会通念上一般的に判断しても,銀行の窓口で執務している女子行員の反抗を抑圧するに足りる程度のものであった」として強盗の手段としての脅迫に該当するものと認定されている事例があります(東京高判昭62914判時1266149)。夕暮れ時(… le soleil déclinait au couchant, allongeant sur le sol l’ombre du moindre caillou…),人気の無い和歌山の野中の道端で(C’était un lieu absolument solitaire. Aussi loin que le regard pouvait s’étendre, il n’y avait personne dans la plaine ni dans le sentier.),血のような夕日に真っ赤に照らされた兇悪な形相の鬼坂被告人が(Le soleil empourprait d’une lueur sanglante la face sauvage d’O’nisaka.),杖に手を伸ばし,立ち上がり,恐ろしい声で約10歳の少年に吠えたのですから,やはり当該状況においては,社会通念上一般的に判断しても反抗を抑圧するに足りる程度の脅迫であったものと判断されるようであります。和歌山県の人が,罵声を浴びせかけられることに対して特に慣れているということもないでしょう。

 

(イ)財物の取還防止等目的の不存在

 鬼坂被告人は,単に幸之助少年に対してムカついて吠えたのであって,財物を「取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪証を隠滅する」目的で吠えたものではない,との主張はどうでしょうか。私人による現行犯逮捕の際逮捕者からネクタイを引っ張りまわされた窃盗犯が当該逮捕者に対して暴行を加えた事案について,「右暴行は,主として逮捕を免れるために出た行為というよりも,主として憤激の念から出た行為と評価すべき余地があるといつてよく,このような場合,事後強盗の成立を認めるのは相当ではない。」とする裁判例があり(札幌地判昭4739刑月43516),多年浮浪者として生活し,無銭飲食で有罪判決を受け執行猶予中の被告人が,たらこ1パック(時価約432円)を万引きし,店の前の路上で警備会社社員の女性(当時55歳)から「呼び止められ「おじさん,まだ会計が終わってないでしょう。始めから見ていたんですよ。」などと詰問されたことに憤激し,「てめえこの野郎,俺に因縁をつける気か。俺もヤクザだ,ただじゃすまねえぞ。」などと怒鳴りながら,同女の着衣をつかんで振り回すなどして路上に転倒させた上,うつぶせに倒れた同女に馬乗りとなり,その頸部を両手で絞めつけるなどの暴行を加え」た事案について,「被告人の暴行は,もっぱら,女性から万引きを指摘され,詰問されたことに対する立腹に出たものとの疑いが強く,事後強盗にいう財物の取還を防ぎ,あるいは逮捕を免れるためであると断定するには疑問が残る」として,事後強盗の成立を認めなかった裁判例もあります(東京地判平827判時1600160)。鬼坂被告人が,ふだんからスピッツのようにキャンキャンやたら吠えまくる人物であるのなら,裁判官もなるほどなと思ってくれるかもしれません。しかし現実には,正に幸之助少年の財物取戻要求に対して鬼坂被告人は吠えたものでありました。

 

3 フランス刑法

 

(1)1810年ナポレオン刑法典

 ところで,本家『レ・ミゼラブル』のプティ・ジェルヴェ事件(1815年発生)に対する適用法条は,ナポレオン刑法典(1810年)の383条です(http://ledroitcriminel.free.fr/)。

 

 ARTICLE 383.

  Les vols commis dans les chemins publics, emporteront également la peine des travaux forcés à perpétuité.

 

  383

 公道で犯された盗犯についても〔前条〕同様に,無期懲役刑が科せられる。

 

 いきなり無期懲役とは,重いですね。

しかも,重罪(crime)に係る前科者(Quiconque, ayant été condamné pour crime)が無期懲役刑が科されるべき重罪を犯した場合には,死刑に処せられます(ナポレオン刑法典56条5項: “Si le seconde crime entraîne la peine des travaux forcés à perpétuité, il sera condamné à la peine de mort.”)。斬首(“Tout condamné à mort aura la tête tranchée.(同刑法典12条))。ジャン・ヴァルジャン危うし。

 

(2)1791年刑法典

ですから当時のフランスで,夜間パン屋の陳列窓のガラスを割って格子の間から手を入れてパン1個を盗んだだけで懲役5年に処せられるということも,さもありなんです。

 

Ceci se passait en 1795. Jean Valjean fut traduit devant les tribunaux du temps pour vol avec effraction la nuit dans une maison habitée.

…Jean Valjean fut condamné à cinq ans de galères.

 

 ジャン・ヴァルジャンが処せられたのは5年のgalèresですから,これは5年の漕役と訳すべきか,懲役と訳すべきか。また,事件が起きたのは1795年のことですから,公訴事実によるところの「損壊を伴い夜間住居内において犯された盗犯」に科される刑が当時どうなっていたかを調べるためには,1791年のフランス刑法典を見るべきことになります。

 1791年フランス刑法典第2編第2章第2節財産に対する重罪及び軽罪の第6条及び第7条は,次のようなものでした(http://ledroitcriminel.free.fr/)。

 

 Article 6

  Tout autre vol commis sans violence envers des personne, à l’aide d’effraction faite, soit par le voleur, soit par son complice, sera puni de huit année de fers.

 

 Article 7

  La durée de la peine dudit crime sera augméentée de deux ans, par chacune des circonstances suivantes qui s’y trouvera réunie.

  La première, si l’effraction est faite aux portes et clôtures extérieures de bâtiments, maisons ou édifices;

  La deuxième, si le crime est commis dans une maison actuellement habitée ou servant à habitation;

  La troisième, si le crime a été commis la nuit;

  …

 

 第6条

人に向けられた暴行を伴わず,盗犯犯人又はその共犯よってなされた損壊を利用して犯された他の全ての盗犯は,8年の鉄鎖刑によって処罰される。

 

第7条

上記の重罪の刑期は,次に掲げる事由であってそれに伴うものごとに,各2年延長される。

第1,損壊が,建物,家屋又は建造物の外側の門戸牆壁に対してされたとき。

第2,当該重罪が,人の現に居住し又は人の居住に供される家屋内において犯されたとき。

第3,当該重罪が,夜間犯されたとき。

〔第4及び第5は略〕

 

 ジャン・ヴァルジャンのパン泥棒に対する刑罰は,懲役5年どころか,本来は鉄鎖刑14年(第6条の8年に加えて,第7条の第1から第3までで各2年(小計6年)の刑期延長があって,合計14年)であるべきものだったのではないでしょうか。

 ちなみに,鉄鎖刑においては,片足に重り球が鉄鎖でつながれることになり(1791年フランス刑法典第1編第1章第1節第7条),かつ,受刑者は国家のための強制労働に服しました(同節第6条)。また,受刑前には6時間公衆の面前でさらし者です(同節第28条)。

 いずれにせよ,ここまで書いてきて,ジャン・ヴァルジャンのパン泥棒の刑期がどのようにして5年と決まったのかを探るのが,大きな調査課題として残ってしまいました。



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1 南シナ海とサン・フランシスコ平和条約

 最近南シナ海関係のニュースが多いところですが,かつて南シナ海は,大日本帝国の海でもありました。

 先の大戦に係る我が国と連合国との間のサン・フランシスコ平和条約(日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)。1951年9月8日署名,1952年4月28日発効)2条(f)項には次のような規定があります。

 

 (f)日本国は,新南群島及び西沙群島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。

  (f)  Japan renounces all right, title and claim to the Spratly Islands and to the Paracel Islands.

 

 ここにいう新南群島(Spratly Islands)は,現在では南沙諸島といわれる島々です。

 

2 大日本帝国領たりし新南(南沙)群島

 新南(南沙)群島については,

 

19381223日,日本は新南群島の領土編入を閣議決定し,1939年3月30日,日本政府は台湾総督府令(第31号)により,新南群島を台湾高雄市の管轄区域に編入した。(国際法事例研究会『日本の国際法事例研究(3)領土』(慶応通信・1990年)64頁(川島慶雄))

 

 ということで,第1次近衛内閣末期の19381223日(当時は皇太子であった今上天皇の5歳の誕生日ですが,「この日皇太子は〔昭和天皇のもとに〕参内予定のところ,軽微な風気につき,用心のため取り止め」となっています(宮内庁『昭和天皇実録第七』(東京書籍・2016年)690頁)。)の閣議決定を経て,同月28日に新南群島は台湾総督府の管轄下に入れられています(『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年))。アジア歴史資料センターのウェッブ・ページにある「新南群島ノ所属ニ関スル件」一件資料によると,同月27日に当該閣議決定(外甲116)に対する昭和天皇の裁可があり,同月28日はそれに基づく指令がされた日です。当該裁可の日(1938年12月27日)に昭和天皇は,「午後,1時間余にわたり内大臣湯浅倉平に謁を賜」った後に,「午後3時より1時間10分にわたり,御学問所において外務大臣有田八郎に謁を賜い,新南群島の所属の件につき奏上を受け」ています(『昭和天皇実録第七』694頁)。
 その後昭和14年台湾総督府令第31号を経て,新南群島は,先の大戦における敗戦による喪失まで大日本帝国の領土だったのでした。

 

3 フランス帝国主義の野望の摧かれたる「支那に属する」西沙群島

 新南群島が大日本帝国の領土であったのならば,同じサン・フランシスコ平和条約2条(f)項にある西沙群島(Paracel Islands)も大日本帝国の領土であったのではないか,とつい考えたくなるところです。インターネット上には,そのような推論からか,西沙群島はかつて大日本帝国の領土であったとの主張を掲載するウェッブ・ページも散見されます。しかしながら,考え過ぎでしょう。「西沙群島につきましては,いまだかつて日本は領土的主権を主張したことはございません。」とされています(1951年10月17日の衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における西村熊雄政府委員(外務省条約局長)の説明(第12回国会衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会議録2号11頁)。同月26日の参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における同政府委員の説明も同旨(第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録4号3頁))。むしろ,

 

  1938年7月4日,フランス政府は突然この群島〔西沙群島〕の決定的かつ完全な先占を日本政府〔第1次近衛内閣。宇垣一成外務大臣〕に通知した。これに対し,日本政府は同年7月12日付口上書で,「帝国政府としては西沙島の主権が支那に属するものと従来の見解を何ら変更するの必要及理由を認めず」と回答した。(国際法事例研究会6667頁(川島))

 

とされています。支那事変中であっても,「支那に属するもの」である西沙群島はなお「支那に属する」というのが我が国の立場であったようです。したがって,フランス帝国主義に対する姿勢は,厳しい。「194111月1日,駐日仏大使〔Charles Arsène-Henry〕より日本商社が西沙群島において現に実施しつつある燐鉱採掘事業を拡張する際には,〔仏領〕インドシナ官憲の許可を受けるよう申し入れたが,日本政府〔東条英機内閣。東郷茂徳外務大臣〕はフランスの同群島に対する主権を認めない以上,許可を受けるべき筋合のものではないとの回答」を行っています(国際法事例研究会67頁(川島))。1951年11月6日の参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会においても,草葉隆圓政府委員(外務政務次官)は,西沙群島について「日本政府はむしろこれを中国の領有ではないかということの意見を持つて参つた土地であります。」と答弁しています(第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録11号2頁)。

 それでは,サン・フランシスコ平和条約2条(f)項になぜ西沙諸島が入ったのかといえば,「アメリカ原案には,同群島についての記載はなかったが,フランスの主張によるものであろうが,最終案では日本は同群島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄するものとされ,同条約第2条(f)の規定となった。」とされています(国際法事例研究会67頁(川島))。フランス式心配の産物であったようです。1940年9月23日の我が軍の北部仏印進駐(第2次近衛内閣),1941年7月28日の南部仏印進駐(第3次近衛内閣),1945年3月9日の我が軍による仏領インドシナのフランス軍武装解除,更にヴェトナムにおけるバオ・ダイ政権の成立という一連の歴史の流れにおいて,フランスは,我が国にいじめられ続けて参っていたのでしょう。
 サン・フランシスコ平和条約2条(f)項では,日本は西沙群島に対する「すべての権利,権原及び請求権」を放棄するものとされていますが,実際には,専ら「西沙群島に対します一種の日本の立場」が「請求権」なるものとして放棄されるものと理解されていたようです(1951年11月5日の参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における西村政府委員の答弁(第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録10号26頁)参照)。「この最後の請求権は,財産的請求権という意味ではなく,領有関係の主張と申しましようか,そういうものを放棄させる趣旨でございます。」ということでした(同日の同委員会における同政府委員の答弁(同会議録同頁))。
 なお,1939年1月には,日本政府が天皇の勅裁を得て西沙群島の占領を決定したとの噂が欧州で立っていたようです。アジア歴史資料センターのウェッブ・ページにある内閣情報部の〔昭和〕14・1・30付けの情報第11号では,同盟通信からの来電(不発表)として「ロンドン27日発/日本政府は西沙諸島占領を計画中であり,既に旧臘〔1938年12月〕28日勅裁を仰いだとの風評もあるが,英国外交筋では日本軍の西沙島占領はあり得まいと見てゐる。」との情報を紹介しています。しかし,そもそも内閣情報部が付したのであろうその「情報」の表題の「西沙島占領決定説」において「西沙島」のルビが「パラセル」ではなく「プラタス」(東沙)となっているところがお粗末ではありました。 

 

4 新南群島領有までのフランス帝国主義との争い

 新南群島の領有は,無主地であったものを我が国が占領して領土に編入したという形式でされたのですが,そこでもやはり,フランス帝国主義との争いがありました。

 

  1933年7月24日,フランス政府は在仏日本大使館宛公文をもってスプラトリー島〔新南群島の西鳥島〕および他の5島の主権は今後フランスに属する旨を通知した。その理由はスプラトリー島は1930年4月,その他の島は1933年4月にフランス海軍が占領したことによるということにあった。(国際法事例研究会64頁(川島))

 

新南群島は,「1915(大正4)年,日本人平田末治が発見し,自ら平田群島と命名して,燐鉱石採集および漁業を経営した。」ものとも伝えられ(国際法事例研究会63頁),「1917~18年頃から,日本人がこの群島を踏査するようになり」,1921年にはラサ島燐鉱株式会社が政府の承認援助の下に燐鉱採掘に着手していましたが(「新南群島」は同社の命名による。),1929年4月に同社は経済不況のため操業を中止し,全員日本内地に引き揚げていたところです(国際法事例研究会63‐64頁(川島)参照)。(ただし,新南群島の領土編入に係る1938年12月23日の外甲116閣議決定書には上記の1915年に平田末治が発見して云々ということに係る記載は無く,「・・・新南群島ハ従来無主ノ礁島トシテ知ラレ大正6年〔1917年〕以降本邦人ハ外国人ガ全然之ヲ顧慮セザル前ニ於テ之ニ巨額ノ資本ヲ投下シ恒久ノ施設ヲ設ケテ帝国政府ノ承認及援助ノ下ニ其ノ開発ニ従事シ居リタル次第ナル処・・・」と,1917年以降の邦人の活動のみが言及されています。国際法事例研究会の本は,三田の慶応通信株式会社発行という慶応ブランドを背負ったものなのですが,「慶応」というだけで安心していいものやらどうやら。なかなか新南群島に係る「平田発見説」を伝える他の文献が見つかりません。というよりむしろ,国立国会図書館デジタルコレクションにある台湾高雄市湊町の平田末治述『最近の国情に鑑み特に青年諸君に寄す』(平田末治(非売品)・1936年4月)の表紙の地図を見れば,平田群島と新南群島とは別物で,西沙群島が平田群島とされていました。)

フランスは,ラサ島燐鉱株式会社の操業中止の隙に占領を試みたようです。

 

  これに対し,駐仏日本代理大使は,同群島〔新南群島〕はこれまで無主地であったところを日本が継続的に占領および使用したものであり,目下事業を一時中断しているが,日本政府の同群島に対して有する権原および利益は尊重されるべきであり,これに反してフランス政府の今回の先占宣言は国際法上実効的占有の完了を伴っていないと抗議し,その後も日仏間に同群島の帰属をめぐって応酬があった。(国際法事例研究会64頁(川島))
 

その後前記1938年12月23日の外甲116閣議決定書においては,「・・・而シテ昭和11年〔1936年〕本邦人ガ再ビ同群島〔新南群島〕ニ於テ開発ニ従事スルヤ仏国政府ハ之ニ対シ数次本件島嶼ニ於ケル仏国ノ主権ヲ主張シ最近ニ及ンデハ商船ヲ同島ニ派遣シ施設ヲ構築スル等我方ノ勧請ヲ無視シテ著々同島ノ占領ヲ実効的ナラシメントシツツアリ帝国政府ニ於テハ此ノ事態ニ深ク稽〔かんが〕ヘ各般ノ措置ヲ講ジテ同島ノ占有ヲ確保スルニ遺憾ナキヲ期シタル次第ナルガ仏国政府ノ飜意ノ絶望トナリタルニ鑑ミ帝国政府従来ノ権原ヲ明ニシ仏国政府ノ高圧策ニ対抗スルノ建前ヨリシテ此ノ際仏国ガ領土権ヲ主張スル諸島及右ト一連ノ新南群島諸島ガ帝国ノ所属タルコトヲ確定スルコト必要トナレリ」と述べられています。
 新南群島の大日本帝国編入に際しては,「その旨をフランスはじめ関係諸国に通告したが,フランスはもとより,英,米などの諸国もこれに抗議した。」とされています(国際法事例研究会
65頁(川島))。当時の中華民国政府からの抗議はなかったものでしょうか。

 

5 先の大戦後の台湾及び新南群島と日本国と中華民国との間の平和条約

とはいえ新南群島は,台湾の一部(高雄市所属)とされていたので,先の大戦後には,その命運を台湾と共にしたようです。蒋介石としては,お芋の形の台湾を取り返したら,その尻尾の先にフランス帝国主義から守って大日本帝国が育てた遺産の新南群島が付いていた,というような感じだったでしょうか。

 

 台湾は,第二次大戦末期1945年2月にフィリピンを掌握した米軍がここを素通りして4月に沖縄に上陸したこともあってか,9月2日の連合国最高司令官の一般命令第1号の占領地域分配では,蒋介石に授権された。1025日には受降典礼が行われ,中国は「台湾澎湖列島の日本陸海軍およびその補助部隊の投降」を受け「台湾澎湖列島の領土人民に対する統治権,軍政施設並びに資産を接収」し,同日より「台湾および澎湖列島は正式に中国の版図に再び入り,すべての土地,人民,政治はすでに中華民国国民政府の主権下におかれた」と声明した。こうして中華民国は台湾の自国編入措置を国内法的に完了させ,台湾をその一省とした。日本統治時代の州は県に改称され,台湾の一部に編入されていた新南(南沙)群島は切り離され,広東省に編入された。日本は対日平和条約において,帰属先を明示しないまま,単に「台湾及び澎湖諸島」と「新南群島」に対するすべての権利,権原および請求権を「放棄」した。そして,この放棄は1952年の日華平和条約によって「承認」された。日本の判例はこれにより台湾が中華民国に譲渡されたと解する(最判,昭3712月5日)・・・。(国際法事例研究会2728頁(芹田健太郎))

 

 日本国と中華民国との間の平和条約(昭和27年条約第10号。1952年4月28日台北で署名,同年8月5日発効)2条は,「日本国は,1951年9月8日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約(以下「サン・フランシスコ条約」という。)第2条に基き,台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄したことが承認される (is recognized)。」と規定していました。

 外国人登録法違反被告事件に係る昭和3712月5日の最高裁判所大法廷判決(刑集16121661頁)においては,「日本の国内法上台湾人としての法的地位をもつた人・・・は,台湾が日本国と中華民国との間の平和条約によつて,日本国から中華民国に譲渡されたのであるから,昭和27年8月5日同条約の発効により日本の国籍を喪失したことになるのである。」と判示されています。最高裁判所の当該多数意見に基づき考えれば,新南(南沙)群島は,日本国と中華民国との間の平和条約によって1952年8月5日に我が国から中華民国に譲渡されたことになるようです。(しかし,この最高裁判所的解釈は,外務省の心知らずというべきでしょう。表立ったものではありませんが(with no publicity)1952年5月に日本とフランスとは外交当局間で書簡を交換しており,そこにおいて岡崎勝男外務大臣は,日本国と中華民国との間の平和条約2条はサン・フランシスコ平和条約2条(f)項によって含意されたもの以外の特別な意義又は意味(special significance or meaning)を有するものと解釈されるべきではないとのフランス側の理解に同意しています(Tønneson, Stein. “The South China Sea in the Age of European Decline.” Modern Asian Studies 40.1 (2006): 43)。)

 普通は,領土の変更は,国際条約に基づくものでしょう。日本国と中華民国との間の平和条約も,最高裁判所によって(外務省の心はともかくも)領土の変更の原因となる国際条約であるものと考えられたのでしょう。

 

 領土ノ変更ハ国際条約ニ依リテ生ズルヲ普通トス。国際条約ノ外ニ新領土取得ノ原因トシテハ無主地ノ占領ヲ挙グルコトヲ得ベク〔モ〕・・・無主地ハ今日ニ於テハ殆ド其ノ跡ヲ絶チ・・・領土変更ノ通常ノ原因ハ専ラ国際条約ニ在リト謂フコトヲ得。(美濃部達吉『改訂憲法撮要』(有斐閣・1946年)126頁)

 

ただし,奥野健一裁判官は,前記最高裁判所昭和3712月5日判決に係る補足意見で,「私見によれば,わが国はポツダム宣言受諾により台湾等の領土権を放棄したものであり,日本国との平和条約及び日本国と中華民国との間の平和条約は,何れもこれを確認したものと解する。従つて本来の台湾人及びその子孫はわが国がポツダム宣言を受諾した時から,日本国籍を離脱したものと解すべき」と述べています。この点は,美濃部達吉も同様であったようで,1946年8月段階で,「台湾及澎湖列島ハ関東州租借地ト共ニ支那ニ復帰シ,朝鮮ハ独立ノ国家トナリ,樺太ハ蘇聯邦ニ帰属シ,南洋群島ハ米国ノ占領スル所トナリタリ。」と述べています(美濃部・撮要125頁)。「第三国人」とは「敗戦後の一時期,在日朝鮮人・同中国人を指して言った語」と定義されていますが(『新明解国語辞典 第五版』(三省堂・2002年)),これら美濃部枢密顧問官=奥野裁判官的なポツダム宣言の解釈(ポツダム宣言受諾物権行為説ともいうべきでしょうか。)に基づき生まれた言葉でしょうか。これに対して,後になってからの前記最高裁判所の多数意見(そこでは,同裁判所の判例(昭和36年4月5日大法廷判決・民集15巻4号657頁)は「日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位をもつた人は,日本国との平和条約発効により,日本の国籍を喪失したものと解している。」とも述べられています。)によれば,日本の国内法上で朝鮮人又は台湾人としての法的地位をもった人については,日本国との平和条約又は日本国と中華民国との間の平和条約の発効(それぞれ1952年4月28日,同年8月5日)前は,なお日本国籍が保持されていたようです。(朝鮮人としての法的地位をもった人と台湾人としての法的地位をもった人とで日本国籍の喪失の時期が違うのは,サン・フランシスコ平和条約2条(a)項では「日本国は,朝鮮の独立を承認」しているのに対して,同条(b)項は台湾及び澎湖諸島の独立を承認してはいないからでしょう。すなわち, 次のような考え方に由来するものでしょうか。いわく,「無人地を抛棄するのは,何人の権利をも侵害するものではないから,敢て立法権の行為を必要とすべき理由は無い」一方,「之に反して現に臣民の居住して居る土地を抛棄することは之を独立の一国として承認する場合にのみ可能であつて,之を無主地として全く領土の外に置くことは,憲法上許されないところと見るのが正当である。何となれば臣民は国家の保護を要求する権利を有するもので,国家は之をその保護から排除することを得ないものであるからである」(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)83頁)。)とはいえ,占領下の実際にあっては,「連合国総司令部の覚書は,あるいは朝鮮人を外国人と同様に取扱い,あるいは「非日本人」という言葉のうちに朝鮮人を含ませ,あるいは「外国人」という言葉のうちに朝鮮人を含ませていた」そうです(上記最判昭和36年4月5日)。なお,「連合国総司令部の覚書に基いて発せられた日本政府の「外国人登録令」〔昭和22年5月2日勅令第207号〕は,朝鮮人を当分の間外国人とみなし,これに入国の制限と登録を強制した」そうですが(上記最判昭和36年4月5日。外国人登録令11条1項は「台湾人のうち内務大臣の定めるもの〔外国人登録令施行規則(昭和22年内務省令第28号)10条によれば「台湾人で本邦外に在るもの及び本邦に在る台湾人で中華民国駐日代表団から登録証明書の発給を受けた者のうち,令第2条各号に掲げる者〔連合国軍又は外交関係者〕以外の者」〕及び朝鮮人は,この勅令の適用については,当分の間,これを外国人とみなす。」と規定),そこでは「みなす」が効いていて,台湾人及び朝鮮人は,なお完全に外国人ではないものとする認識が窺われます。

ちなみに,新南群島がそうであった無主地の領土編入の法形式については,「領土ノ変更ノ為ニ議会ノ議決ヲ経タルコトナシ。事実上ノ占領ニ依リ無主地ヲ領土ト為ス場合ハ条約ニ依ルニ非ズト雖モ,此ノ場合ニ於テモ毫モ臣民ノ自由ヲ制限シ又ハ其ノ権利ニ影響スルモノニ非ザルガ故ニ,法律ヲ以テスルヲ要スル理由ナク,天皇ノ大権ニ依リテ之ヲ為スコトヲ得。其ノ形式ニ於テハ必ズシモ勅令タルヲ要セズ」と説かれていました(美濃部・撮要129頁)。

 

6 日仏友好:Vive la France!

我が外務省のウェッブ・ページによれば,2015年6月7日にドイツのエルマウで安倍晋三内閣総理大臣とオランド・フランス大統領との間で日仏首脳会談があり,その席で安倍内閣総理大臣が「南シナ海では中国による埋め立てが急速に進展しており,この点について懸念を共有したい」と述べたところ,オランド大統領は「南シナ海の状況について懸念を共有する,安全,平和の確保のためには,力ではなく対話による解決が重要である」と答えたそうです。麗しい日仏関係です。

無論,オランド大統領は,「我がフランスによるパラセル(西沙)群島及びスプラトリー(南沙)群島の領有の邪魔をして,その結果としてはChineの南シナ海進出の露払いのような形になり,さらには力を用いて我が仏領インドシナの解体をもたらしたのはどこのどの国だったっけ。本来南シナ海は,フランス文明の海になるはずだったんだぞ。」などと考える意地悪な人ではないはずです。(なお,我が外務省には当然フランス贔屓の人々がいて,前記の1933年7月のフランス政府によるスプラトリー島等に係る領有宣言に関して,同月25日パリ発の在仏長岡大使より内田外務大臣宛の電報においては,「・・・仏国ノ領有ハ米国ニ帰属スルニ比シ遥ニ好都合ト存スルニ付若シ右諸島中本邦トノ経済関係上何分留保スヘキモノアラハ此ノ際之ニ対スル保障ヲ取付ケ且同島ノ軍事施設ニ付華府〔ワシントン〕条約適用ヲ見ルヘキモノナルコトヲ明カニシタル上承認セラルルコト然ルヘキヤニ存ス」と,フランスの領有を認めるべきものとする意見具申がされていました(『日本外交文書 昭和期Ⅱ第2部第2巻(昭和8年対欧米・国際関係)』929頁)。サン・フランシスコ平和条約の承認を求めるための参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における説明においても,西村政府委員(外務省条約局長)は「新南群島は1939年,日本が一方的に台湾の高雄市の管轄に属せしめた地域であります。その群島につきましては1933年以来,日本とフランスの間にいわゆる先占権について紛争があつて遂に外交上妥結に達しないで,日本のほうで一方的に領域変更の措置をとつた経緯がある地域であります。」と述べており(下線は筆者。第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録4号3頁),何やらフランスに同情的な雰囲気がにじんでいました(同政府委員は,この後パリで駐仏大使を務めます。)。2005年段階において,フランスはなお,スプラトリー群島に係る領有権の主張を公式には放棄していないようであると報告されています(Tønneson: 56)。)

ちなみに,日本軍進駐下の仏領インドシナの獄中にいたフランス人ピエール・ブールが後に書いた有名なSF小説が,『猿の惑星』でした。


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  少々遅れましたが,明けましておめでとうございます。

 今年の初記事です

 また長々しいものになってしまいました。しかし,あえて開き直ってしまえば,生産性の高い一年の幕開けにふさわしい,ということではありましょう。


1 はじめに

 大陸軍(ダイリクグン)をもってヨーロッパを席捲したフランス皇帝ナポレオン1世(1769815日生まれ,18215551歳で没)には,複数の子どもがあったと伝えられています。(他方,大西洋の彼方のタイリクグンを率い,後にナポレオンの仇敵となるイギリスを相手に独立戦争を戦ったアメリカ合衆国のワシントン大統領には子どもは生まれませんでした。)

 公式には,皇后ジョゼフィーヌとの離婚後1810年に再婚したオーストリア皇女マリー・ルイーズとの間に生まれた夭折の嫡男ナポレオン2世(ローマ王,ライヒシュタット公。1811320日生まれ,183272221歳で没)の存在が認められているだけです。しかしながら,ナポレオンには,その他幾人かの「隠し子」があったところです。

 これらの子どもとナポレオンとの「父子」関係を,ナポレオンが自らの名の下に公布した1804年のフランス民法典(以下「ナポレオンの民法典」)を仏和辞書片手に参照しつつ,見てみることとしましょう。フランス法については門外漢であるとはいえ,ナポレオンの民法典における具体的な規定が,その後ヨーロッパ大陸法を継受して形成された我が国の民法の関係諸制度にどのような影響を与えているのかは,日本の法律家として,いささか興味のあるところです。

画像 002

立法者ナポレオン,Hôtel des Invalides à Paris

(ナポレオンの右手は「ローマ法/ユスティニアヌスの法学提要」を,左手は「ナポレオン法典/万人に平等かつ理解可能な正義」を指す。足下の言葉は「私の一箇の法典が,その簡明さによって,先行するすべての法律の総体よりも多大な福祉をフランスにもたらした。」)



2 実子かつナポレオンの嫡出子:ナポレオン2世 

 まず,ナポレオン2世。

 ナポレオン2世には,ナポレオンの民法典の「第1編 人事」,「第7章 父性(paternité)及び親子関係(filiation)」,「第1節 嫡出ないしは婚内子(enfans légitimes ou nés dans le mariage)の親子関係」(第312条から第318条まで)における次の規定がそのまま適用になります。



3121

 婚姻中に懐胎された子は,夫を父とする。

L'enfant conçu pendant le mariage, a pour père le mari.


 これは,我が民法7721項が「妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。」として,慎重な規定ぶりになっているのと比べると,子を主語とした,堂々たる原則宣言規定になっています。

 (なお,我が民法の規定からは,嫡出子は妻と「夫との性的交渉によって懐胎された子でなければならない」(我妻栄『親族法』(1961年)214頁)のが原則であるということになるようです。これに対して,「嫡出親子関係に関する限り,フランス法の出発点は『人為』にあり,『自然』は『人為』の枠の中で一定の役割を占めるに過ぎない」とされています(大村敦志『フランス民法―日本における研究状況』2010年)96頁)。ちなみに,明治23年法律第98号として公布されながら施行されないまま廃止された旧民法人事編911項は,ナポレオンの民法典3121項と同様「婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子トス」と規定していました。)

 ナポレオンとマリー・ルイーズとのパリでの結婚式は18104月のことだったそうですから,マリー・ルイーズがナポレオンとの婚姻中にナポレオン2世を懐胎したことについては問題はありません(妊娠期間はおおよそ9箇月)。2世は,1世の嫡出の子です。

 なお,わが民法7722項の「婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。」との規定に対応する規定は,ナポレオンの民法典では次のようになっています。



314

 婚姻から180日目より前に生まれた子は,次の各場合には,夫によって否認され得ない。第1,同人が婚姻前に妊娠を知っていた場合,第2,同人が出生証書に関与し(s'il a assisté à l’acte de naissance),かつ,当該証書が同人によって署名され,又は署名することができない旨の同人の宣言が記されている場合,第3,子が生育力あるもの(viable)と認められない場合。


315

 婚姻の解消から300日後に生まれた子の嫡出性は,争うことができる。


 なお,l’acte de naissance「出生証書」ではなく,「出生届」としたくもなったところですが,我が旧民法の規定から推すに,同法の母法国であるフランスにおいては,出生の届出があると証書(acte)が身分取扱吏の関与の下で作られるとともに,身分登録簿(le registre de l'état civil)に登録(inscrire)されていたもののようです。すなわち,旧民法によれば,出生があれば「届出」がされ(旧民法人事編95条,99条参照),当該「出生・・・ハ身分取扱吏ノ主管スル帳簿ニ之ヲ記載ス可」きものであるところ(同289条),その「帳簿ニ記載シタル証書ハ公正証書ノ証拠力ヲ有」するものとされ(同2901項本文),また,「身分取扱吏ノ詐欺若クハ過失ニ因リテ証書ヲ作ラサリシトキ」があるもの(同291条)とされている一方,本人は,出生証書を婚姻等の場合に提出すべきものとされていたところです(同441号等)。


3 実子であるが他の男性の嫡出子:アレクサンドル及びジョゼフィーヌ


(1)アレクサンドル・ヴァレウスキ伯爵

 ナポレオンの隠し子で最も有名なのは,ポーランド生まれで,後にナポレオン3世の政府の外務大臣にもなったアレクサンドル・ヴァレウスキ伯爵(181054日生まれ)でしょう。甥の3世よりも息子の方が当然1世によく似ているので,ヴァレウスキ家の外務大臣がボナパルト家の皇帝と勘違いされることも間々あったとか。ちなみに,1858年の日仏修好通商条約の締結は,アレクサンドル・ヴァレウスキ外務大臣時代の出来事です。

 さて,アレクサンドルの母親は,マリア・ヴァレウスカ。しかし,マリアは,1807年の初めポーランドでナポレオンに出会った当時既に,同地の貴族であるヴァレウスキ伯爵の妻でした。すなわち,アレクサンドルは,母マリアとヴァレウスキ伯爵との婚姻中に懐胎された子です。

 アレクサンドルが生まれた当時のポーランド(ワルシャワ大公国)における民法がどのようなものであったかはつまびらかにできないのですが(追記:フランスのペルピニャン大学のLa Digithèque de Matériaux Juridiques et Politiquesに掲載されているワルシャワ大公国憲法(1807722日)のフランス語訳(Statut constitutionnel du duché de Varsovie)を見ると,その第69条に,「ナポレオンの民法典が,ワルシャワ大公国の民法たるものとする。(Le Code Napoléon formera la loi civile du duché de Varsovie.)」との規定がありました。),ナポレオンの民法典に則って考えると,前記3121項(同項の原則によれば,アレクサンドルの父は母の夫であるヴァレウスキ伯爵になる。)のほか次の条項が問題になります。



3122

 しかしながら,夫は,子の出生前300日目から同じく180日目までの期間において,遠隔地にいたこと(éloignement)により,又は何らかの事故により(par l'effet de quelque accident),その妻と同棲(cohabiter)することが物理的に不可能であったこと(l'impossibilité physique)を証明した場合には,その子を否認することができる。


313

 夫は,自己の性的不能(son impuissance naturelle)を理由として,子を否認することはできない。夫は,同人に子の出生が隠避された場合を除きà moins que la naissance ne lui ait été cachée),妻の不倫を理由としても(même pour cause d'adultère)その子を否認することはできない。ただし,上記の〔子の出生が隠避された〕場合においては,夫は,その子の父ではないことを理由づけるために適当なすべての事実を主張することが許される。


316

 夫が異議を主張(réclamer)することが認められる場合には,同人がその子の出生の場所にあるときは(s'il se trouve sur le lieux de la naissance de l'enfant),1箇月以内にしなければならない。

 出生時に不在であったときは,帰還後2箇月以内にしなければならない。

 同人にその子の出生が隠避されていたときは,欺罔の発見後2箇月以内にしなければならない。


 ヴァレウスキ伯爵がアレクサンドルの嫡出を否認することができた場合(アレクサンドルの出生は伯爵に隠避されていなかったようですから,ナポレオンの民法典313条ではなく3122項が問題になるのでしょう。また,マリア夫人は長くポーランドの家を離れてナポレオンと一緒にいたようです。)であっても,最短では, 181064日までに否認しなかったのであれば(同法典3161項参照),ことさら「認知」をするまでもなく,アレクサンドルの父はヴァレウスキ伯爵であると確定したわけです。


(2)モントロン伯爵令嬢ジョゼフィーヌ

 ナポレオンは,皇帝退位後も,別の機会に人妻に子を産ませています。

 1815年にセント・ヘレナ島に流されたナポレオンに,同島においてなおも仕えた側近の中に,モントロン伯爵夫妻がありました。その間無聊をかこつナポレオンとモントロン伯爵夫人との間には,一人の女児が生まれています。しかし,幼女ジョゼフィーヌ(1818126日生まれ,1819930日没)の父が,ナポレオンの民法典によれば,母の夫であるモントロン伯爵であることは,動かせないでしょう。

 すなわち,ジョゼフィーヌの出生はモントロン伯爵に隠避されていたわけではなく(ナポレオンの民法典313条参照),モントロン伯爵夫妻はどちらも狭いセント・ヘレナ島で生活していたのですから,「同棲することが物理的に不可能であった」わけでもないところです(同法典3122項参照)。したがって,夫であるモントロン伯爵による否認はできず,「婚姻中に懐胎された子は,夫を父とする。」とするナポレオンの民法典第3121項の原則が貫徹するのでしょう。


4 実子であるが「父が不在である子」:シャルル・レオン

 180612月(出生日は,インターネット上では,13日,15日等あって十分一定していません。)にエレオノール・ドゥニュエルから生まれたシャルル・レオンの場合は,法律の適用関係がどうなっていたのかまた難しいところです(なお,Léonというのは,Napoléonの最後の4文字ですね。。シャルル・レオンの身分登録簿には,母はエレオノール・ドゥニュエルであるが,父は不在(absent)として登録されていた(officiellement inscrit)とされています(La Fondation NapoléonのサイトにあるHenri Ramé氏による記事)。


(1)母の前夫の嫡出子とされる可能性

 ところで,実は,エレオノール・ドゥニュエルは1806429日に離婚が成立するまでは,ルヴェルという男の妻であったところです。

 通常の妊娠期間の長さから考えると,ルヴェルとの離婚の前にシャルル・レオンが懐胎されたのでしょうから,前記のとおり,ナポレオンの民法典の第3121項(また,同法典315条参照)によれば,シャルル・レオンはルヴェルの嫡出の子となるのが順当であったところです。どうしたものでしょう。

 とはいえ,実は,シャルル・レオンが懐胎されたころには,母エレオノール・ドゥニュエルの夫であるルヴェルは詐欺罪で収監されていたようですから(夫の収監で困ったエレオノールは,そこで,ナポレオンの妹であるカトリーヌの「朗読係」をすることになっていたわけです。),ナポレオンの民法典3122項に基づき,ルヴェルからシャルル・レオンが子であることを否認することは可能ではあったわけです。しかし,そのような訴訟沙汰が本当にあったものかどうか(なお,ナポレオンの民法典318条によれば,夫が訴訟外で子の否認をしても,1箇月内に訴え(une action en justice)を提起しなければ効力のないものとされています。)。いろいろと面倒ではなかったでしょうか。


(2)嫡出でない子の場合


ア ナポレオンによる認知に対する障害

 フランスにおける身分登録の手続に関する実際の詳細に立ち入るのはまた大変ですから,取りあえず,シャルル・レオンは,改めてルヴェルの嫡出子とされる可能性はないものと考えましょう。すなわち,シャルル・レオンは,婚姻外(hors mariage)で生まれた,嫡出でない子(enfant naturel)であるものとしましょう。

 その場合,ナポレオンによるシャルル・レオンの認知のいかんが次の問題になります。

 ナポレオンの民法典第1編第7章の「第3節 嫡出でない子」,「第2款 嫡出でない子の認知」(第334条から第342条まで)における第334条は,認知の手続について次のように規定しています。



334

 嫡出でない子の認知は,その出生証書においてされていなかった場合は,公署証書によって(par un acte authentique)されるものとする。


 一見単純です。しかしながら,1806年当時,ナポレオンにはジョゼフィーヌという正妻がいたところです。したがって,ナポレオンの民法典の次の条項の存在は,ナポレオンによるシャルル・レオンの認知の障害となったものでしょう。

 


335

 近親間又は不倫の関係から生まれた子(enfans nés d'un commerce incestueux ou adultérin)のためには,認知をすることができない。


 さすがに,皇帝陛下の不倫行為を示唆してしまうような身分登録をすることはまずかったわけでしょう。


イ 「父の捜索」の否定

 同様に,エレオノール・ドゥニュエルの子であるシャルル・レオンから,ジョゼフィーヌという正妻のいるナポレオンに対して認知を求めることもできなかったところです。ナポレオンの民法典の次の条項は,このことを明らかにしています。



342

 第335条により認知が許されない場合においては,子は,父の捜索をすることも母の捜索をすることも許されない。


 ちなみに,母子関係は母の認知をまたず分娩の事実によって発生するとするのが我が国の判例(最判昭37427民集1671247)ですが,これに対して,民法の条文の文言どおり母の認知を要するものとする谷口知平教授の説は「母の姦通の子や未婚の子が虚偽の届出または棄児として,身分をかくそうとしている場合に,第三者から出生の秘密をあばくことは許さるべきではない。子の朗らかな成人のためにその意思を尊重し,母または子のいずれかの発意と希望があるときにのみ母子関係を認むべきだ」ということを実質的な根拠の一つとしているものとされているところ,当該谷口説を,我妻教授は,「虚偽の出生届を公認してまで,人情を尊重すべしとの立場には賛成しえない」,谷口「教授の懸念されることは,社会教育その他の手段によって解消すべきもの」と批判していたところです(我妻『親族法』248-249頁)。我妻教授は「非嫡出子と母との関係は,その成立についても,成立した関係の内容についても,嫡出子と区別しない,というのが立法の進路であり,その途に横たわる障害については合理性を見出しえない」として,フランス民法よりもドイツ民法・スイス民法(いずれも当時のもの)を評価して(同232頁,234頁)上記判例を先取りする説を唱えていました。

 しかしながら,ナポレオンの民法典については,その第335条との関係からして,「人情」論を別としても,認知を介さずに分娩の事実のみから直ちに母子関係を認めるものとすることに対するためらいが,立法者においてあったのではないでしょうか。

 なお,そもそもナポレオンの民法典340条が,「父の捜索は許さず」の原則を明らかにしていたところです。



340

 父の捜索は禁止される(La recherche de la paternité est interdite.)。かどわかし(enlèvement)の場合においては,当該かどわかしの時期が懐胎の時期と符合するときは,利害関係者の請求により,かどわかしを行った者(ravisseur)を子の父と宣言することができる。


 この規定と「同一」(我妻『親族法』233頁)とされるのが,我が民法施行前の,次に掲げる明治6年太政官21号の布告です(1873118日)。



妻妾ニ非サル婦女ニシテ分娩スル児子ハ一切私生ヲ以テ論シ其婦女ノ引受タルヘキ事

 但男子ヨリ己レノ子ト見留メ候上ハ婦女住所ノ戸長ニ請テ免許ヲ得候者ハ其子其男子ヲ父トスルヲ可得事


 父に対する認知請求権は,フランス革命時代に否定されるに至ったものとされますが,その理由としては,「革命以前にこの請求権が濫用されたこと」のほか,「平等の理想の他に,男女関係において,愛情とそこに向かう意思を尊重した(離婚の自由もそこから出てくる)」フランス革命時代において,「親子関係においても同様に血のつながりでなく,父としての愛情とそのような父になる意思が父子関係の基礎であると考えた」当該時代の法律家の「奇妙な論理」が挙げられています(星野英一『家族法』(1994年)112-113頁)。「通常生理的な父は子に対して愛情を持ち,父となる意思を持つが,そうでない場合には,父たることを強制することはできない」とされたわけです(同)。


(余話として)「司馬遼太郎の『歳月』の謎の読み方」補遺

 なお,明治6年太政官21号の布告は江藤新平司法卿時代のものですが,当該布告では妾(「妻妾」の「妾」)が公認されていたことになります。

 以前御紹介した司馬遼太郎の『歳月』には,江藤司法卿がフランスからの御雇外国人ブスケと「蓄妾問答」を行った場面があり,そこでは,ブスケとの議論に負けて妾の制度を「民法に組み入れる思案をすてた以上,江藤の法家的気分からいえば積極的にこの蓄妾の風を禁止する覚悟をした。上は当然,公卿,旧大名家にまで及ぶことであり,どのような排撃をうけるかわからなかったが,とにかくもここ数年のあいだには断固としてこの禁止を立法化し,違反の者に対しては容赦なく法をもってさばくつもりであった。」と,江藤司法卿の断固たる決意が力強く叙述されています。しかしながら,そもそも当該江藤司法卿の下で,妾の禁止はしないまま,かえってわざわざそれを公認してしまったような形の布告が出されてしまっていたことになります。

 となると,明治6年太政官21号の布告は上記「蓄妾問答」の前に出されたものでしょうか。しかしながら,「父の捜索は許さず」がフランス法由来の原則であるのならば,あえて当該原則を導入しようとする当該布告がフランスの法律家であるブスケの意見を徴さずに制定されたということは考えられにくいところです。『歳月』の描くような「蓄妾問答」がその際されたとなると,江藤新平は,実際には,「妾廃止」という考えに必ずしも小説で描かれているほどには固執していなかったということになるわけで,当該小説から受ける印象とは異なり,意外と妥協的ないしは便宜主義的な人物ということになるのかもしれません。

 井上清教授は,江藤新平の人物について,「本質的に保守官僚主義者であり,急進主義と見えるものは功業欲の発現にすぎない」,「貧窮のなかに成長した秀才官僚型の大物で,立身出世の機を見るに敏」と評しています(『日本の歴史20 明治維新』(中央公論社・1966年)350頁。なお,同書のしおりは,同教授と司馬遼太郎との対談)。


(余話の余話:補遺の補遺)

 江藤新平が妾廃止論者であった証拠としては,「明治五年十一月二十一日,司法卿江藤新平,司法大輔福岡孝悌両人より,「自今妾の名義を廃し,一家一夫一婦と定め度の件」を太政官に建議せり。」という事実があります(石井研堂『明治事物起原Ⅰ』(ちくま学芸文庫・1997年)269頁)。しかしながら,「翌6115なお,明治五年の十二月は2日間しかなかった。,太政官が,「伺の趣,御沙汰に不被及候事」と指令」し,江藤及び福岡の建白は採用されませんでした(石井・前掲270頁)。司法卿及び司法大輔の当該建議が退けられた明治6年(1873115日の3日後に,前記明治6年太政官21号の布告が出ています。なお,この布告は,同月13日の太政官宛て司法省伺が契機となって出されたものです(二宮周平「認知制度は誰のためにあるのか」立命館法学310号(2006年6号)316頁,村上一博「明治6年太政官第21号布告と私生子認知請求」法学論叢67巻2=3号(1995年1月)512頁)。ちなみに,当時戸籍事務を所管していたのは,民部省から当該事務を吸収していた大蔵省であって,司法省ではありませんでした(戸籍事務は,内務省設立以後は内務省に移る。)。江藤とブスケとのせっかくの「蓄妾問答」も,江藤のせっかくの妾廃止の「覚悟」も,政府内において十分かつ決定的な重要性を持ち得なかったということのようです。しかしながらそもそも,明治五年十一月二十一日(なお,村上一博「明治前期における妾と裁判」法律論叢71234頁では,同月二十三日に正院に提出されたとされる。)の妾廃止の建白は,上司である江藤新平と部下である福岡孝悌との連名で提出されています。偉い人とそうでない人との連名文書に係る通常の作成実態からすると,当該文書の実質的作成主体は偉くない方の人であるはずです。となると,妾廃止を言い出した本当の妾廃止論者は福岡孝悌であって,江藤は福岡ほどではなかったかもしれません。


5 実子ではないが「証明されない嫡出子」:アルベルティーヌ及びギヨーム

 以上は,ナポレオンが嫡出子又は隠し子の実父となった場合です。しかし,ナポレオンの「隠し子」というよりはナポレオンに隠された子ということになりますが,ナポレオンの妻がナポレオン以外の者を実父とする子を産んだ場合もあったところです。 


(1)マリー・ルイーズとナイペルク伯爵

 ナポレオンの妻マリー・ルイーズは,実は,ナポレオンの没落後,オーストリア貴族のナイペルク伯爵と愛人関係になってしまい,二人の間には1817年にアルベルティーヌという女児が,1819年にはギヨームという男児が生まれています(名前はここではフランス語読みです。)。

 さて困ったことになりました。1819年には,マリー・ルイーズの夫であるナポレオンはまだセント・ヘレナ島で生きています。マリー・ルイーズが女公となったイタリアのパルマ公国の臣民の手前も問題です。上記の子らをマリー・ルイーズが分娩した事実は,秘密とされることになりました。

 この隠避は少なくともナポレオンに対しては成功し,最期までナポレオンは,前記事情は御存知なかったものと思われます。すなわち,ナポレオンは,1821年に死ぬ前のその遺言で,「私は最愛の妻マリ=ルイーズに満足の意を表したいと常に思っていた。私は最後の瞬間まで妻に対して最もやさしい感情を抱きつづけている。妻に頼む,どうか気を配って,私の息子(mon fils)の子供時代をまだ取りかこんでいる数々の陥穽から私の息子を守ってもらいたい。」(大塚幸男訳『ナポレオン言行録』(岩波文庫)201頁)と述べているからです。当該遺言での「私の息子(mon fils)」は単数形ですので,ナポレオン2世のみを指し,ギヨームは含まれないものでしょう。


(2)否認の不存在

 ナポレオンは大西洋の孤島であるセント・ヘレナ島に流されており,マリー・ルイーズがそこを訪れていないことは明らかですから,ナポレオンは,その民法典の第3122項に基づき,あるいはまた,子の出生が隠避されたことから第313条に基づき,第3121項によって自分の子であるとされているアルベルティーヌ及びギヨームについて,子であることの否認をすることができ,その際その否認は,同法典3163項により「欺罔の発見後2箇月以内」にすべきであったところです。しかしながら,当該否認をしないまま,ナポレオンは死んでしまいました。ナポレオンの民法典第1編第7章「第1節 嫡出ないしは婚内子の親子関係」の規定の建前からすると,ナポレオンの側からの否認(なお,同法典317条は夫の相続人(les héritiers)による否認が認められる場合について規定しています。)がされない以上,パルマのアルベルティーヌ及びギヨームは,ナポレオンの嫡出子であったわけです。


(3)証明の不存在

 しかしながら,ナポレオンとアルベルティーヌ及びギヨームとの父子関係は,ナポレオンの民法典第1編第7章「第2節 嫡出子の親子関係の証明」(第319条から第330条まで)との関係で,証明ができないもの,というのが正確なところであったようです。アルベルティーヌ及びギヨームには,ナポレオンの嫡出子としての出生証書及び身分登録(ナポレオンの民法典319条)も身分占有(同法典320条)もなかったはずだからです。

 アルベルティーヌ及びギヨームにはvon Montenuovo(モンテヌオヴォ)という氏が与えられていたところです(NeippergNeuberg(ドイツ語で「新山」)Montenuovo(イタリア語で「新山」))。(なお,Wilhelm(ギヨーム)von Montenuovoは,オーストリア帝国のFürst(公爵又は侯爵)となりました。)



319

 嫡出子の親子関係は,身分登録簿(le registre de l'état civil)に登録された出生証書によって証明される。


320

 前条による証書(titre)がないときは,嫡出子身分の継続的占有(la possession constante de l'état d'enfant légitime)による。


322

 何人も,その出生の証書(titre de naissance)及び当該証書に合致する身分の占有によって与えられる身分と異なる身分を主張することはできない。

 また,反対に,何人も,出生の証書に合致する身分を占有している者の身分を争うことはできない。


 無論,身分登録が虚偽の場合については,ナポレオンの民法典3231項は,「・・・又は子が,虚偽の名前で(soit sous de faux noms),若しくは知れない父及び母から生まれたものとして(soit comme né de père et mère inconnus)登録された場合には,親子関係の証明は,証拠によることができる。」と規定していました。民事裁判所(tribunaux civils)のみが管轄を有する事件です(同法典326条)。

 しかしながら,身分登録と異なる親子関係の証明が認められる場合については制限的な規定があったのみならず(ナポレオンの民法典3232項,324条,325条),そもそもアルベルティーヌ及びギヨームが法律上はナポレオンの子であることをわざわざ証明しようとする者はいなかったようです。

 ちなみに,我が旧民法の親子法も「フランス法と同様」に,「証拠法的な色彩を強く帯びていた」ところです(大村『フランス民法』91頁)。

画像 003

ナポレオンの墓,Hôtel des Invalides à Paris



6 おわりに:最高裁判所平成25年12月10日決定

 実は,今回の記事を書くきっかけになったのは,先月出た,我が最高裁判所の平成251210日第三小法廷決定(平成25年(許)第5号戸籍訂正許可申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件)でした。次にその一部を掲げます。



「特例法
性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(平成15年法律第111号)41項は,性別の取扱いの変更の審判を受けた者は,民法その他の法令の規定の適用については,法律に別段の定めがある場合を除き,その性別につき他の性別に変わったものとみなす旨を規定している。したがって,特例法31項の規定に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者は,以後,法令の規定の適用について男性とみなされるため,民法の規定に基づき夫として婚姻することができるのみならず,婚姻中にその妻が子を懐胎したときは,同法772条の規定により,当該子は当該夫の子と推定されるというべきである。もっとも,民法7722項所定の期間内に妻が出産した子について,妻がその子を懐胎すべき時期に,既に夫婦が事実上の離婚をして夫婦の実態が失われ,又は遠隔地に居住して,夫婦間に性的関係を持つ機会がなかったことが明らかであるなどの事情が存在する場合には,その子は実質的には同条の推定を受けないことは,当審の判例とするところであるが(最高裁昭和43年(オ)第1184号同44529日第一小法廷判決・民集2361064頁,最高裁平成8年(オ)第380号同12314日第三小法廷判決・裁判集民事189497頁参照),性別の取扱いの変更の審判を受けた者については,妻との性的関係によって子をもうけることはおよそ想定できないものの,一方でそのような者に婚姻することを認めながら,他方で,その主要な効果である同条による嫡出の推定についての規定の適用を,妻との性的関係の結果もうけた子であり得ないことを理由に認めないとすることは相当でないというべきである。」


 ナポレオンが現在も生きているものとした場合,性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律が立法されたこと及び当該法律の第41項に係る最高裁判所の上記解釈についてどのような態度をとるのかは,分かりません。しかしながら,上記決定の引用部分の「もっとも」以下の判示については,ナポレオンは,その民法典の第3122項の規定(我が民法の第772条の推定を実質的に受けない場合に係る判例(特に上記決定において引用されている平成12年最高裁判決参照)のいわゆる外観説に符合)及び第313条の規定(「夫は,自己の性的不能を理由として,子を否認することはできない。」)に照らせば,是認できるものであるとの見解を表明するのではないでしょうか。

 ただし,「最後の瞬間まで・・・最もやさしい感情を抱きつづけてい」た「最愛の妻マリ=ルイーズ」に,アルベルティーヌ及びギヨームという自分のあずかり知らぬ子が生まれていたと知ったならば,嫡出父子関係ないしは嫡出否認の在り方について,改めてその見解に変化を生じさせるかもしれませんが。

 前記最高裁判所平成251210日決定においても,裁判官の意見は32に分かれていました。
(追記:最高裁判所第一小法廷平成26年7月17日判決は,DNA鑑定の結果生物学上は99.99パーセント以上他の男の子であるとされた子であっても,妻が婚姻中に懐胎した子であって嫡出推定が働く以上なお法律上は夫の子である,としました。)


補遺 出生証書に関するナポレオンの民法典の規定(抄)

  「2 実子かつナポレオンの嫡出子:ナポレオン2」の最後の部分で紹介した出生証書に関する旧民法の規定に対応するナポレオンの民法典の規定は,次のとおりです。



55

 出生届(déclarations de naissance)は,分娩から3日以内に(dans les trois jours de l'accouchement),その地の身分取扱吏に対してされるものとし,当該身分取扱吏に子が示されるものとする。


56

 子の出生は,父によって,若しくは父によることができないときは,医師,助産婦,衛生担当吏その他の分娩に立ち会った者によって,又は母がその住所外(hors de son domicile)で分娩した場合においては,分娩がされた場所を管理する者によって,届けられるものとする。

 続いて,2名の証人の立会いの下に,出生証書(l'acte de naissance)が作成されるものとする。


57

 出生証書(l'acte de naissance)には,出生の日,時刻及び場所,子の性別並びにその子に与えられる名,父母の氏名,職業及び住所並びに証人の氏名,職業及び住所が記載されるものとする。


40

 身分証書は,各市町村において,一つ又は複数の登録簿に(sur un ou plusieurs registres tenus doubles)登録されるものとする(seront inscrits)。


70

 身分取扱吏は,これから婚姻しようとする各配偶者の出生証書(l'acte de naissance)を提出させるものとする。同条以下略

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1 大阪・道頓堀から大審院へ

 「カフェ丸玉」事件判決という民法関係の有名な判決があります。当該判決については,その判示するところが民法学上どのように位置付けられるか(「自然債務」だ云々),そもそも「カフェ丸玉」とは何か(大阪は道頓堀にあった丸玉という名前の「カフヱー」であるが,ここでいう「カフヱー」はフランス語で勉強するcafeとはまた違ったものであり,すなわち大正から改元された昭和の初めにおける我が国の「モボ・モガ」その他の言葉で表される世相の中で云々等,いろいろ論ずべき点がありますが,脱線すると例によって長くなりますので,省略します。

 で,そのカフェ丸玉事件についてかつて説明することがあり,

「えー,そこで,約束の400円を払ってくれよと女性の方からお客さんを被告にして訴えが提起されまして,400円上げるよと調子のいい約束をしてしまったお客さんは一審二審と負けてしまったのですが,大審院が昭和10425日に判決を出しまして┉┉

 とまできたところ,

「えっ,タイシンインですか。それは間違っているんじゃないですか。ダイシンインが正しい読み方ではないのですか。」

 と,配布資料に記された「大審院」との漢字表記を見ながらの,思わぬ質問がありました(大審院が現在の最高裁判所の前身であるということは,すんなり理解してもらえたのですが。)。

画像

 今回の記事は,その,大審院の「大」の読み方について,「タイシンイン」派の立場から,改めて考えてみようとするものです。

 

 まず,日本語は神道をシントウと読むことから分かるように澄んだ音をよしとするから,偉い裁判所は,タイシンインなのですよ,との説明が思いつかれますが,これは,現在の最高裁判所の偉い法廷である大法廷はタイホウテイではなく,ダイホウテイであることから,説得力のある説明ということにはならないようです。そもそも神社も,シンシャではなくジンジャですね。

 事典・辞書類を調べてみると,大審院の読み方については,ダイシンインが多数派です。ただし,タイシンインという読み方もあるものとはされています。穏便に両論併記主義がとられているということは,どちらか一方の読み方が正しいとする決め手となる根拠はいまだに無いということのようです。


2 呉音と漢音


(1)ダイとタイとの相違

 ところで,そもそも大の読み方に,ダイとタイとの2種類があるのはなぜでしょうか。

 前者のダイは,王仁博士によって5世紀前半に我が国に漢字が伝来されて以来の古い音である呉音,後者のタイは,7世紀初めからの遣隋使・遣唐使時代になって導入されたそれより新しい音である漢音です。ダイとタイとの違いは,呉音と漢音との違いということになります。


(2)呉音・漢音「対抗」史

 当初我が国においては,百済経由で渡来したかつての長江沿岸の音である呉音が専ら用いられていたわけですが,隋唐帝国の首都である長安・洛陽の音である漢音が8世紀の「グローバル・スタンダード」であるぞ,ということで,桓武天皇の延暦11年(792)には明経之徒(儒学学生)は漢音を学ぶべしとの勅令が出,翌延暦12年(793年)には仏僧に対しても同様の勅令が出ます。しかしながら,仏教界においては漢音公定化に対する反発が強く,延暦23年(804年)には漢音が必ずできなければならないということではないこととなり,漢音公定化が撤回され,呉音派が巻き返します。その後は仏教界は呉音の支配が続きます。また,律令を学ぶ明法道についても,漢音公定化は及ばず,呉音のまま明治維新まで継承されることになります。

 唐の滅亡(907)後の宋代以降,全般に,我が国においては漢音に対して呉音が優勢な形で時代は推移します。日本人にとって,呉音の方が漢音よりも一般に「やわらかい」感じがするからではないかと考えられています。

 その間,生硬な漢音は「厳格な武家倫理に親和的」ということもあってか,江戸期儒学は,漢音を採用します(中世儒学の担い手は呉音派の仏教僧侶でした。)。江戸時代後期には,「仏教呉音,儒教漢音」という「住み分け」が生じていたとされます。

 そして,明治維新。

 「律令の発音は基本的に呉音だったから,太政大臣とか文部省とか兵部省とか,呉音読みの制度が色々導入された┉┉。しかしこういう復古主義は,革新の時代にはふさわしくなく,ほどなく欧米文物の全面的導入時代となったのだが,その担い手は藩校において漢音で中国古典を学んだ官僚であった。そこで明治10年代には,公文書の世界は基本的に漢音が支配することとなった。熊本藩校出身の井上毅を中心として起稿され,明治22年に刊行された『憲法義解』は,漢音時代のもので,まあ「ぎかい」と読んだだろうな。」ということになりました。

 (以上,呉音と漢音との関係については,長尾龍一教授のウェッブ・サイト「OURANOS」のウェッブ・ページ「日本史の中の呉音と漢音」に掲載されている同教授の論文によりました。同ウェッブ・サイトの「独居独白(July 2013)」ウェッブ・ページの72日の項によると,同論文は紀要に採用されなかったものだそうですが,インターネットでアクセスでき,ありがたいことです。)

 「仏教呉音,儒教漢音」なので,徳高い僧侶は大徳(だいとく),大いに勉強した儒学者は大儒(たいじゅ)ということになるのでしょう。弘法大師はダイシですが,一緒に渡唐した遣唐大使の藤原葛野麻呂が「私は日本のダイシだ」と長安で言うと,「ダイシって何だ」と笑われたものでありましょう。大衆は,ダイシュであればお坊さんの群れ,タイシュウであれば一般の人々。大雪山は,ダイセッセンと読めば仏教発祥の地インドの北のヒマラヤ山脈,これに対して北海道の旭岳を主峰とする山塊は,ダイセツザンと呼ばれたり,タイセツザンと唱えられたり。そして,重大な法規である大法はタイホウですが,ダイホウとなると,世俗を超えた仏の教法ということになります。


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JR北海道の特急大雪1号(旭川駅構内)
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 特急大雪は,漢音で「たいせつ」と読みます。


3 大阪・北浜から大審院へ


(1)大審院の発足

 さて,「明治10年代には,公文書の世界は基本的に漢音が支配することとなった」ということですから,大審院の読み方については,まずその発足の時期が問題になります。

 大審院の発足は,明治8年(1875年)のことです。

 1875524日付け明治8年太政官第91号布告大審院諸裁判所職制章程が大審院の組織を定めており,その大審院章程1条は「大審院ハ民事刑事ノ上告ヲ受ケ上等裁判所以下ノ審判ノ不法ナル者ヲ破毀シテ全国法憲ノ統一ヲ主持スルノ所トス」と規定していました。(明治8612日の太政官の達によれば,控訴上告手続に係る明治8年太政官第93号布告の布告日である1875524日が大審院の開庁日。)

 この大審院諸裁判所職制章程は,その前月1875414日付けの明治8年太政官第59号布告が「┉┉元老院大審院被置候事┉┉」としていたことに基づくものですが,当該布告自体は更に同日付けの明治天皇の次の詔書に基づくものでした。



┉┉
朕今誓文ノ意ヲ拡充シ茲ニ元老院ヲ設ケ以テ立法ノ源ヲ広メ大審院ヲ置キ以テ審判ノ権ヲ鞏クシ又地方官ヲ召集シ以テ民情ヲ通シ公益ヲ図リ漸次ニ国家立憲ノ政体ヲ立テ汝衆庶ト倶ニ其慶ニ頼ラント欲ス┉┉


 立憲政体漸立の詔,あるいは漸次に立憲政体を立てるの詔と呼ばれているものです。

 この詔書はまた,同年1月から2月にかけて,大久保利通,木戸孝允及び板垣退助が大阪の料亭等で行ったいわゆる大阪会議の結果に基づくものでした。


(2)大阪会議

 前年木戸が去った後の政府において,外からは民権派及び鹿児島の西郷隆盛派の攻撃があり,内においては旧主家の島津久光左大臣からことごとに弾劾を受けて孤立感を深める大久保の政権を強化すべく,前々年江藤新平に追い落とされて下野中の井上馨が(江藤は,1874年の佐賀の乱で大久保政権に敗れ,同年4月13日梟首,既に故人。)木戸及び民権派の板垣を政府に復帰させるため画策した18751月から2月にかけての大阪会議は,「往年,坂本龍馬が薩長同盟をはかった故智にならい┉┉┉┉3人それぞれ偶然に落ちあったような形」で行われました(井上清『日本の歴史20 明治維新』(中央公論社・1966年)414頁)。したがって,現在イメージされるところの全員一同に会した「会議」とは異なります。木戸は187311月の段階で,伊藤博文から政体について意見を問われ,司法省と裁判所とを分離すべきこと,大臣・参議が立法・行政を共に行っている現状から他日必ず元老院及び下院の二院を立てるようにすべきことと述べていましたが(井上・前掲380頁),立憲政体漸立の詔の内容は,この線に沿ったものとなっています。すなわち,大阪会議の過程で,木戸は,次のような政府改革図案を作成していたところでしたが,大久保がそれをのんだというわけです。(18753月,木戸及び板垣は参議として政府に復帰。)


              天皇陛下

             ┉┉┉┉┉┉┉┉┉

                            内閣

             太政左右大臣

               参議        


              行 政    大審院    元老院(上)

                     地方官(下)

             

 正確には再現できていないのですが(現物の画像は,国立国会図書館ウェッブ・サイトの電子展示会「資料に見る日本の近代」第1章の110「大阪会議」を参照),天皇及び天皇を輔弼する内閣(大臣(太政大臣,左大臣及び右大臣)及び参議により構成)の下に,行政(参議と各省卿との分離は板垣の持論(井上・前掲417頁)。),大審院並びに元老院及び地方官(地方官会議)が並び,あたかも行政,司法及び立法の三権が分立するような形になっています。

 大阪会議は,1875211日に大久保,木戸,板垣,井上馨及び伊藤博文が集まって,締め。会場となった北浜の料亭加賀伊は,木戸によって新たに花外楼と命名され,政官界の大立者御用達の店に。現在もその名で営業しています(ただし,北浜の本店ビルは現在建替中。)。


4 パリ・セーヌ河畔から大審院へ


(1)フランス帰朝の法制官僚・井上毅

 大審院は,大阪での会合の過程において木戸孝允が既にその名前による設置を主張していたわけですが,木戸の提案の元となった大審院の概念はどこに由来するものだったのでしょうか。立憲政体という近代的な制度を指向しているわけですから,古代以来の律令というわけではないでしょう。 

 実は,大審院は,仏式の概念です。

 しかし,仏式といっても仏さまの仏教式ではなく,おふらんすのフランス式のことです。

 ここでまた,後の『憲法義解』の主起稿者,明治法制官僚の雄,井上毅が登場します。

 1872年から1873年まで司法省からフランスに留学していた井上毅は,滞仏中からフランスの最高裁判所に当たる「大審院」に関するノートないしは覚書を作成しており,帰国後1874年中にはいわゆる彼の司法四部作である『仏国大審院考』,『治罪法備考』,『王国建国法』及び『仏国司法三職考』をほぼまとめ上げ(これは,18751月には筆写のため植木枝盛に貸し出されなどしています。),1874年の「法制を論じ左院の議を駁す」で大審院の設置されるべきことを説き,1875年の大阪会議後の同年311日には大久保利通参議あてに大審院の設置を含む司法改革意見を提出,翌月14日の立憲政体漸立の詔は,実に井上毅自身の起草に係るものであったところです(木野主計『井上毅研究』(続群書類従完成会・1995年)参照)。すなわち,当時「大審院」といえば,井上毅の説く大審院のことであったわけでありましょう。フランス式であります。

 西洋起源の大審院でありますから,律令又は仏教由来の語として,ダイシンインと呉音で読まなければならない,ということにはならないことになります。欧米文物の全面的導入時代の先駆けとしては,むしろ漢音でタイシンインと読むべきだ,ということに一応なりそうです。

 しかしながら,日本語における一般的な呉音の優勢ということも考えなければなりません。大審院が,great審院の意味であるのであれば,実感的には,一般的にはやはりダイシンインと読むべきかと思われます。真面目に立派な仕事をする優秀な研究者を「大先生」と呼ぶときはダイセンセイですが,うっかり優雅な大学者に「先生はタイガクシャですね」とごあいさつ申し上げると大変です。「おれは怠学者かっ」とキレてしまうからです。


(2)Elle n'était pas grande.

 それでは,井上毅の推奨するフランス最終審裁判所である大審院は,フランス語では何といったのでしょうか。フランス語ですから,greatならぬgrandな裁判所という意味の文字が使われているのでしょうか。

 実は,フランスの大審院は,フランス語では別にgrandな裁判所ではありません。La Cour de cassation現在では文字どおりに破毀院と訳される名前の裁判所です。下級裁判所の「審判ノ不法ナル者ヲ破毀シテ全国法憲ノ統一ヲ主持スルノ所」として,即物的かつ無愛想に破毀院と名付けられたのでしょう(なお,我が現行の訴訟法では「破棄」の語が用いられるため,破棄院とも訳されますが,我が大審院の模範となったとのいにしえのゆかりを重視するのであれば,大審院章程の文字に忠実に破毀院とした方がよいのではないでしょうか。)。ルイ16世在位中1791年のフランス王国の憲法典第3篇(公権力について)第5章(司法権について)19条には「立法府のもとに,全王国に唯一の破毀裁判所(un seul tribunal de cassation)を設けるものとする。当該裁判所は,その権能として,裁判所によって下された終審としての裁判に対する破毀の請求について・・・宣告するものとする。」とありますから,そもそもの破毀裁判所は,立法府側の存在として,司法権プロパーの裁判所に対して喧嘩腰です。「破毀院」と訳すと後ろ向きでネガティヴなのですが,確かに仕方のないところです。しかしながら,そのままではとても我が国には受け入れられなかったのでしょうから,一番偉いということが分かり,かつ,ポジティヴでもある「大審院」という訳語が編み出されたものでしょう。(なお,フランスは,アンシャン・レジーム下の特権階級であった法服貴族に対する反感の歴史もあってか,裁判所に対する姿勢は全面肯定的なものではありません。例えば,フランス民法5条は,「裁判官は,係属された訴訟について,一般的及び法規的命題の形で裁判をしてはならない。」と,「判例法」に対して太い釘をさしています。)

 「大審院」という名前になったからとはいえ,井上毅ら政府上層部においては,その立派な名前によってうっかり自ら幻惑されることはなく,大審院は別にgrandeなものではないという事実は忘れられていません。大日本帝国憲法起草仲間の伊東巳代治による『憲法義解』の英訳本"Commentaries on the Constitution of the Empire of Japan (2nd ed.)"(中央大学・1906年)は"In the 8th year (1875), the Court of Cassation was established so as to maintain the unity of the law. In the same year, the functions of the Minister of Justice were settled to consist in exercising control over the judicial administration and not in interfering with trials."と当該部分を訳しており(113頁),飽くまでも大審院は"Court of Cassation"であって,日本語からの逆翻訳において迷走して"Grand Court of Justice"のようなものとされることはなかったところです。 

 明治5年(1872年)83日付け太政官の司法職務定制(司法省職制並ニ事務章程)の第2条は「司法省ハ全国法憲ヲ司リ各裁判所ヲ統括ス」と,第3条は「省務支分スル者3トス/裁判所 検事局/明法寮」と規定しており,裁判所は司法省に属するものとされていたものが,明治8年(1875)太政官第91号布告大審院諸裁判所職制章程によって裁判所は司法省から独立した形になり,それに伴い,明治858日司法省達第10号達の司法省職制における卿に係る条項の第1号ただし書は,確かに,司法卿は「裁判ニ干預セス」と規定していました。しかしながら,なお同号の本文は,司法卿は「諸裁判官ヲ監督シ庶務ヲ総判シ及検事ヲ管摂シ検務ヲ統理スルコトヲ掌ル」と規定しており,司法行政は依然として司法省が所管していたところです。「諸裁判官ヲ監督」する司法省に対しては,大審院もそれほどgreatではなかったものでしょう。

 ところで,そもそも大審院は,大・審院なのでしょうか,大審・院なのでしょうか,それとも三文字熟語なのでしょうか。

 ○審院という語は,現行法令においては,見たところ大審院しかありませんし,旧法令においても同様の結果でありそうです。井上毅の用いた翻訳語には「覆審院」があり(木野・前掲438頁等),また,cour d'assisesを「会審院」と訳しているようですが(木野・前掲75頁,77頁等),「覆審」はそれで一つの熟語ですから,前者は覆審・院ということになり,後者も,会して審理するから「会審」ということならば(assisesには会合・大会の意味があります。),前者に倣って会審・院と解すべきことになるでしょう。

 ということで,大審院は大審・院であると解することになると,下級裁判所の「審判ノ不法ナル者ヲ破毀」するための審判が「大審」ということになりそうです。しかし,下級裁判所の裁判官にとってはそうなのかもしれませんが,大審とは少々大仰なようです。また,現行法令においては,見たところ大審の語は大審院の語中でのみ使われているところであって,旧法令においても同様のこととなっているように思われます。大審なる概念の存在の説明は,なかなか容易なことではなさそうです。

 結局,「大審院」はそもそもが,ネガティヴな「破毀院」の語を避けるための,苦肉の仲人口による新作三文字熟語として考えるべきかもしれません。

 また,ちなみに,大審院の母法国フランスにおいては,現在,日本の地方裁判所に相当する大審裁判所(tribunal de grande instance)及び少額事件を取り扱う小審裁判所(tribunal d'instance)が第一審裁判所として存在しています。ここでの大審(grande instanceは,grandeが入っていること及び小審との対比から,やはりダイシンでしょう。そうであれば,母法国のgrandeな仕事をする第一審裁判所にダイシンを譲ってダイシンサイバンショとし,こちらのかつての終審裁判所はタイシンインであったということで住み分けてはどうでしょうか。


5 おわりに

 大審院はお寺でもなければ律令制官庁でもありませんから,ダイシンインと呉音で読む必要はありません。むしろ,近代フランスのCour de cassationをその原型とするものなのですから,文明開化時代における新規輸入の欧米文物制度の一つとして,藩校で儒学を学んだ士族出身の秀才法制官僚に倣って,漢音でタイシンインと読むべきことになりそうです。日常よく言う「大(だい)○○」と同様に,実感を込めてgreatダイシンインと言おうにも,大審院においては何が大(grande)なのかが具体的にははっきりしないところです。また,大審院法制の母法国であるフランスには現在,大審裁判所という裁判所が存在するので,そちらをダシンサイバンショと読んでこちらをタイシンインと読めば,混乱が避けられるようにも思われます。以上がタイシンイン派としての主張です。

 しかしながら,漢音でタイシンインと読まなければならない,というところまではいきません。呉音優勢下での呉音・漢音混用状態の中,我が国語においては,結局は理論ではなく慣習が決めるべき問題ではあります。そして,慣習を決める日常の運用においては,感覚的なものが占める位置は無視できないものであります。大審院の場合,まず文字面が問題になりますが,何やら寺院関係にありそうな漢字の並びでもあり(妙心寺内に大心院という名前の塔頭があり,ダイシンインと読まれているようです。),また,いよいよここで最後のお裁きかということになれば,やはり深くおごそかに,語頭を濁って読むべきものと感じられるのかもしれません。

 『憲法義解』も,ケンポウギゲと読んだ方が,正統的な漢音のケンポウギカイよりも何やら,御利益(りやく)がありそうに感じられます。


(なお,社団法人日本放送協会の放送用語並発音改善委員会は,1934411日,大審院の読みとして「大審院部内の伝統的な読み方を尊重して」タイシンインを採用していますが(すなわち大審院の人々の自称はタイシンイン),そこに至るまでの調査に係る極めて興味深い報告である塩田雄大「漢語の読み方はどのように決められてきたか」NHK放送文化研究所年報20079094頁)が,インターネットでアクセス可能になっています。1934年当時において既に「現代の中年以下の人は多く「ダイ」なり」という状況だったところ,二十代の青年からは「タイシンインといふと法律に凝り固まつてゐるやるだ」とある意味もっともな違和感が表明される一方,十代の高等女学校5年生の大多数(59名中57名)からは,「ダイシンインといふ方が重重しくて権威がある。タイシンインでは軽いやうで権威がない」という率直な感想が述べられていたそうです。その後,新憲法下の最高裁判所広報室が,1962年当時,日本放送協会に「ダイシンイン」と読むとの回答をしたことがあるようですが,同協会の放送用語委員会は「タイシンイン」を維持しています(同論文102頁注15)。



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