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第1 おさらい:奈良家庭裁判所平成291215日判決における傍論の前例

今からちょうど年前(2021119日)の「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律(令和2年法律第76号)に関して」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078236437.html)において筆者は,夫の精子を用いた妻に対する人工授精(AIH=Artificial Insemination with Husband’s semen)について「ほとんど問題はない。〔AIHにより懐胎され生まれた子は〕普通の嫡出子として取扱うべきである。」とする我妻榮の見解(同『親族法』(有斐閣・1961年)229頁)を引用しつつ,その「ほとんど」の場合に含まれない例外的状況の問題として,夫の精子によって受精した妻の卵子が凍結保存され,その後当該受精卵(=胚)によって当該妻が懐胎出産した子に対して,同意の不存在を理由に当該夫が実親子(父子)関係不存在確認の訴え(人事訴訟法(平成15年法律第109号)22号)を提起した事案(第一審・奈良家庭裁判所平成291215日判決,控訴審・大阪高等裁判所平成30426日判決,上告審・最高裁判所令和元年65日決定(民事訴訟法(平成8年法律第109号)312条に定める上告事由に該当しないため棄却(稲葉実香「生殖補助医療と親子関係(一)」金沢法学632号(20213月)41頁以下の55頁註10参照)))について御紹介するところがありました。

当該事案については,当該夫婦の関係は当該の子について嫡出推定(民法(明治29年法律第89号)772条)が及ぶに十分なものであったそうで(新聞報道によれば「別居していたが,旅行に出かけるなど夫婦の実態は失われていなかった」),嫡出否認の訴え(同法775条)によるべきであったのに当該訴えではなく実親子関係不存在確認の訴えを提起した,ということで夫の敗訴となっています。その際第一審の奈良家庭裁判所は「生殖補助医療の目的に照らせば,妻とともに生殖補助医療行為を受ける夫が,その医療行為の結果,仮に子が誕生すれば,それを夫と妻との間の子として受け入れることについて同意していることが,少なくとも上記医療行為を正当化するために必要である。以上によれば,生殖補助医療において,夫と子との間に民法が定める親子関係を形成するためには,夫の同意があることが必要であると解するべきである。」,「個別の移植時において精子提供者が移植に同意しないということも生じうるものであるから,移植をする時期に改めて精子提供者である夫の同意が必要であると解するべきである。」と判示していますが(稲葉53-54頁),当該判示は裁判官の学説たる傍論(obiter dictum=道行き(iterのついで(obに言われたこと(dictum)にすぎないものと取り扱われるべきものでありました。すなわち,夫敗訴の結論は,嫡出否認の訴えではなく実親子関係不存在確認の訴えを提起した,という入口を間違えた論段階で既に出てしまっていたところです。なお,実親子関係不存在確認の訴えとは異なり,嫡出否認の訴えは,「夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない」ものです(民法777条)。入口を間違えた論というよりもむしろ,制限時間オーヴァー論というべきかもしれません。

AIH型(夫の精子を用いて妻が懐胎出産することを目的とする生殖補助医療には,人工授精によるものの外に体外受精及び体外受精胚移植によるものもあるので,AIHといいます。)の生殖補助医療において妻による子の懐胎出産に夫の同意が存在しない場合における法律問題(これには,①夫と子との間における実親子(父子)関係の成否の問題並びに②妻及び生殖補助医療提供者に対する夫からの損害賠償請求の可否の問題があります。)に関する筆者の実務家(弁護士として家事事件の受任を承っております(電話:大志わかば法律事務所03-6868-3194,電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp)。大学の非常勤講師として学生諸君に民法を講じてもおります。よろずお気軽に御相談ください。)としての検討の深化及び解明のためには,その後更に裁判例が現れることが待たれていたところでした。

 

第2 大阪家庭裁判所令和元年1128年判決(令和元年大阪家裁判決):実親子(父子)関係の成否の問題

無論,種々の問題を惹起しつつ進む生殖補助医療の発展はとどまるところはなく,その後,凍結保存されていた受精卵(胚)を用いて妻が懐胎出産した子について夫がその子との父子関係の不存在を主張するという同様の事案(夫の精子によって妻の卵子が受精したもの)で,きちんと嫡出否認の訴えをもって争われたものに係る判決が現れました。大阪家庭裁判所平成28年家(ホ)第568号嫡出否認請求事件平成29年家(ホ)第272号親子関係不存在確認請求事件令和元年1128日判決です(第272号は却下,第568号は棄却。松井千鶴子裁判長,西田政博裁判官及び田中一孝裁判官。確定。各種データベースにはありますが,公刊雑誌には未掲載のようです。「原告は,当庁に対し,平成281221日に甲事件〔嫡出否認請求事件〕を,平成29621日に乙事件〔親子関係不存在確認請求事件〕をそれぞれ提起した。」ということですから,二宮周平編『新注釈民法(17)親族(1)』(有斐閣・2017年)683頁(石井美智子)の紹介する「2017年〔平成29年〕1月と2月に奈良と大阪の2つのケースが明らかになっている(毎日新聞20174日付朝刊,読売新聞2017221日付朝刊)」もののうちの大阪の分でしょう。)。

当該大阪家庭裁判所判決(以下「令和元年大阪家裁判決」といいます。)の法律論は,2本立てになっています。本論の外に――当該本論の迫力を大いに減殺してしまうのですが――仮定論があるところです。以下,本論及び仮定論のそれぞれについて検討しましょう。

 

1 本論:自然生殖で生まれた子と同様に解する説

まずは本論です。

 

(1)判示

令和元年大阪家裁判決は,その本論において,嫡出推定の及ぶ範囲に係る判例の外観説を前提に(「民法772条所定の期間内に妻が懐胎,出産した子について,妻がその子を懐胎すべき時期に,外観上,既に夫婦が事実上の離婚をして夫婦の実態が失われ,又は夫婦が遠隔地に居住して夫婦間に性的関係を持つ機会がないことが明らかであるなどの事情がある場合に限り,その子は同条の嫡出推定が及ばない子として,親子関係不存在確認の訴えの提起が認められる」),当該事案に係る子には嫡出推定が及ぶものと判断した上で,「原告〔夫〕と被告〔子〕との間に生物学上の父子関係が認められることは前記112)で指摘したとおり〔すなわち,「被告〔の〕母〔原告の妻〕は,平成27422日,本件クリニックにおいて,前記(2)のとおり,平成26415日に凍結保存されていた受精卵(胚)〔すなわち,「平成26410日に原告が提供した精子と被告母が提供した卵子を使用して作製された受精卵(胚)は培養され,同月15日,凍結保存された。」〕を融解させて被告母に移植する本件移植により,被告を懐胎し,●●●被告を出産した。」〕であり,原告の嫡出否認の請求は理由がない。」と夫の主張を一刀両断にしています。

「生物学上の父子関係」のみがいわれているということは,夫の同意の有無は問題にならないということでしょう。(なお,ここでの「生物学上の父子関係」は,子がそこから育った受精卵に授精した精子の提供者(提供の方法は性交渉に限定されない。)とその子との間の関係のことと解されます。)

大阪家庭裁判所は続けていわく。「これに対し,原告は,被告が,自然生殖ではなく,生殖補助医療である凍結受精卵(胚)・融解移植により出生していることから,本件移植につき,父である原告の同意がない本件では,原告と被告との間の法律上の父子関係は認められないと主張するが,生殖補助医療によって出生した子についての法律上の親子関係に関する立法がなされていない現状においては,上記子の法律上の父子関係については自然生殖によって生まれた子と同様に解するのが相当であることは前記21)で指摘したとおりであり〔すなわち,「生殖補助医療によって出生した子についても,法律上の親子関係を早期に安定させ,身分関係の法的安定を保持する必要があることは自然生殖によって生まれた子と同様であり,生殖補助医療によって出生した子についての法律上の親子関係に関する立法がなされていない現状においては,上記子の法律上の父子関係については自然生殖によって生まれた子と同様に解するのが相当である。」〕,採用の限りではない。」と。

 

(2)「自然生殖によって生まれた子と同様に解する」意味

 妻が生殖補助医療によって出産した子について,夫との法律的父子関係を「自然生殖によって生まれた子と同様に解する」という場合,(ア)民法772条の嫡出推定の場面並びに(イ)当該推定の及ぶときに係る同法774条・775条の嫡出否認訴訟の要件事実に関する場面及び(ウ)当該推定が及ばないときに係る実親子(父子)関係不存在確認訴訟の要件事実に関する場面があることになります。

 

ア 嫡出推定

民法772条の嫡出推定の場面については,生殖補助医療によって出生した子についてもその出生日は当然観念できますし(同条2項),その懐胎された時期を基準とすること(同条1項)も容易に承認できます。妻の懐胎は,専ら母体側の事情です。

 

 Ecce virgo concipiet et pariet filium…(Is 7,14)

 

イ 嫡出否認訴訟の要件事実

 

(ア)生物学上の父子関係の不存在

 嫡出推定が及ぶときに係る嫡出否認訴訟の要件事実の場面については,子の嫡出を否認しようとする夫が主張立証すべき事実として「自然血縁的父子関係の不存在」が挙げられています(岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 下』(ぎょうせい・2007年)255頁)。父たらんとする意思の不存在はそこでは挙げられていません。専ら「子カ何人ノ胤ナルカ」が問題となるものでしょう(梅謙次郎『民法要義巻之四 親族編 第二十二版』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1912年)245頁)。

令和元年大阪家裁判決が,生殖補助医療によって生まれた子についても「自然生殖によって生まれた子と同様に解する」とあらかじめ宣言しているにもかかわらず,なお執拗に,生殖補助医療はそもそも不自然だからそれによって生まれた子には「自然血縁的父子関係」はおよそあり得ないのだ,我妻榮も嫡出子は「〔母と〕夫との性的交渉によって懐胎された子でなければならない。」と言っているのだ(我妻214頁)と頑張ってしまえば,「自然血縁的父子関係」の存在は認知の訴え(民法787条)の要件事実でもありますから(岡口259頁),生殖補助医療によって出生した子は,そもそも実父を有すべきものではないことになってしまいます。しかしながら我妻榮も,その嫡出子に係る定義について一貫せず,AIHによる出生子について,前記のとおり普通の嫡出子として取り扱うべきものとしています。過去の裁判例の用語としても,最高裁判所平成1894日判決・民集6072563頁の原審である高松高等裁判所平成16716日判決は「人工(ママ)精の方法による懐胎の場合において,認知請求が認められるためには,認知を認めることを不相当とする特段の事情が存しない限り,子と事実上の父との間に自然血縁的な親子関係が存在することに加えて,事実上の父の当該懐胎についての同意が存するという要件を充足することが必要であり,かつ,それで十分である」と判示しており(下線は筆者によるもの),生殖補助医療によって出生した子にも「自然血縁的父子関係」が存在することが前提となっています。いずれにせよ,令和元年大阪家裁判決における「生物学上の父子関係」という用語には,「自然」か「不自然」か云々に関する面倒な議論を避ける意味もあったものでしょう。

 

(イ)ナポレオンの民法典との比較等

なお,民法774条の前身規定案(「前条ノ場合ニ於テ子ノ嫡出子ナルコトヲ否認スル権利ハ夫ノミニ属ス」)についての富井政章の説明には「仏蘭西其他多クノ国ノ民法ヲ見ルト云フト種々ノ規定カアルヤウテアリマス夫ハ前条〔民法772条に対応する規定〕ノ場合ニ於テ遠方ニ居ツタトカ或ハ同居カ不能テアツタトカ云フコトヲ証明シナケレハナラヌトカ或ハ妻ノ姦通ヲ証明シタ丈ケテハ推定ハ(〔くず〕)レナイトカ或ハ(ママ)体上ノ無勢力夫レ丈ケテハ推定ヲ覆ヘス丈ケノ力ヲ持タナイトカ云フヤウナ趣意ノ規定カアリマスガ之ハ何レモ不必要ナ規定テアツテ全ク事実論トシテ置テ宜カラウト云フ考テ置カヌテアリマシタとあります(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第50巻』143丁裏-144丁表)。

対応するフランス法の条項は,ナポレオンの民法典の第312条から第316条までとされているところ(民法議事速記録第50143丁裏),それらの法文は次のとおりです(ただし,1804年段階のもの。拙訳は,8年前の「ナポレオンの民法典とナポレオンの子どもたち」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2166630.html)のものの再録ということになります。)

 

312.

L’enfant conçu pendant le mariage, a pour père le mari.

(婚姻中に懐胎された子は,夫を父とする。)

Néanmoins celui-ci pourra désavouer l’enfant, s’il prouve que, pendant le temps qui a couru depuis le trois-centième jusqu’au cent-quatre-vingtième jour avant la naissance de cet enfant, il était, soit par cause d’éloignement, soit par l’effet de quelque accident, dans l’impossibilité physique de cohabiter avec sa femme.

(しかしながら,夫は,子の出生前300日目から同じく180日目までの期間において,遠隔地にいたことにより,又は何らかの事故により,その妻と同棲することが物理的に不可能であったことを証明した場合には,その子を否認することができる。)

 

313.

Le mari ne pourra, en alléguant son impuissance naturelle, désavouer l’enfant : il ne pourra le désavouer même pour cause d’adultère, à moins que la naissance ne lui ait été cachée, auquel cas il sera admis à proposer tous les faits propres à justifier qu’il n’en est pas le père.

(夫は,自己の性的不能を理由として,子を否認することはできない。夫は,同人に子の出生が隠避された場合を除き,妻の不倫を理由としてもその子を否認することはできない。ただし,上記の〔子の出生が隠避された〕場合においては,夫は,その子の父ではないことを理由付けるために適当な全ての事実を主張することが許される。)

 

314.

L’enfant né avant le cent-quatre-vingtième jour du mariage, ne pourra être désavoué par le mari, dans les cas suivans : 1.o s’il a eu connaissance de la grossesse avant le mariage ; 2.o s’il a assisté à l’acte de naissance, et si cet acte est signé de lui, ou contient sa déclaration qu’il ne sait signer ; 3.o si l’enfant n’est pas déclaré viable.

(婚姻から180日目より前に生まれた子は,次の各場合には,夫によって否認され得ない。第1,同人が婚姻前に妊娠を知っていた場合,第2,同人が出生証書に関与し,かつ,当該証書が同人によって署名され,又は署名することができない旨の同人の宣言が記されている場合,第3,子が生育力あるものと認められない場合。)

 

315.

La légitimité de l’enfant né trois cents jours après la dissolution du mariage, pourra être contestée.

(婚姻の解消から300日後に生まれた子の嫡出性は,争うことができる。)

 

316.

Dans les divers cas où le mari est autorisé à réclamer, il devra le faire, dans le mois, s’il se trouve sur les lieux de la naissance de l’enfant ;

(夫が異議を主張することが認められる場合には,同人がその子の出生の場所にあるときは,1箇月以内にしなければならない。)

Dans les deux mois après son retour, si, à la même époque, il est absent ;

(出生時に不在であったときは,帰還後2箇月以内にしなければならない。)

Dans les deux mois après la découverte de la fraude, si on lui avait caché la naissance de l’enfant.

(同人にその子の出生が隠避されていたときは,欺罔の発見後2箇月以内にしなければならない。)

 

 ナポレオンの民法典においては例外的にのみ認められる「その子の父ではないことを理由付けるために適当な全ての事実を主張すること」(同法典313条末段)が,日本民法の嫡出否認の訴えにおいては常に認められることになっています。とはいえ,生殖補助医療出現より前の時代のことですから,自分の胤による子ではあるがその懐胎は自分の同意に基づくものではない,なる嫡出否認事由は,日本民法の制定時には想定されてはいないものでしょう。(ちなみに,富井政章はナポレオンの民法典の第312条以下を証拠法的なものと捉えていたようですが(ナポレオンの民法典3121項を承けた旧民法人事編(明治23年法律第98号)911項の「婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子トス」を「之ハドウモ「推定ス」テナクテハナラヌト思ヒマス固ヨリ反証ヲ許ス事柄テアリマス〔略〕此場合ニハ「子トス」ト断定シテアリマス之ハ甚タ穏カテナイト思ヒマスカラ「推定ス」ニ直(ママ)シマシタ」と修正してもいます(民法議事速記録第50109丁裏-110丁表)。),それらの条項は実体法的なものでもあったところです(「民法は,嫡出子の定義を定めていない。」ということ(我妻215頁)になったのは,富井らが旧民法人事編911項の規定を改めてしまったせいでしょう。)。「フランス法においては,親子法は様々な訴権によって構成されているが,そこでの訴権は,他の場合と同様に,手続・実体の融合したもの(分離していないもの)としてとらえられていると見るべきではないか。」と説かれているところです(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)132頁)。)

 昔から,人違いで結婚してしまった(imposuit mihi),目許醜い(lippis oculis),嫌いな(despecta, humiliata)嫁が,第三者の生殖補助で妊娠して(Dominus aperuit vulvam ejus)子を産んだのであっても(genuit filium),胤が自分のもの(fortitudo mea)であるのなら,その子はやはり自分の子です。

 

       [Laban] habebat vero filias duas. Nomen majoris Lia. Minor appellabatur Rahel.

Sed Lia lippis erat oculis,

       Rahel decora facie et venusto aspectu,

quam diligens Jacob ait:

Serviam tibi pro Rahel filia tua minore septem annis. (Gn 29,16-18)

 

  …vocatis multis amicorum turbis ad convivium, [Laban] fecit nuptias,

       et vespere filiam suam Liam introduxit ad eum

       …ad quam cum ex more Jacob fuisset ingressus,

       facto mane, vidit Liam et dixit ad socerum:

       Quid est quod facere voluisti?

       Nonne pro Rahel servivi tibi? Quare imposuisti mihi? (Gn 29,22-25)

 

       Videns autem Dominus quod [Jacob] despiceret Liam aperuit vulvam ejus…

       quae conceptum genuit filium vocavitque nomen ejus Ruben, dicens:

       Vidit Dominus humilitatem meam. Nunc amabit me vir meus. (Gn 29,31-32)

 

       Ruben, primogenitus meus,

       tu fortitudo mea… (Gn 49,3)

 

(ウ)子をもうけることに係る夫の「自己決定権」

令和元年大阪家裁判決事件において原告である夫は,判決文によれば,「原告の同意がない以上」「本件移植は,原告の自己決定権という重要な基本的人権を侵害するものであり,正当な医療とはいえず,許されないから,原告と被告との間の法律上の親子(父子)関係は認められるべきではない。」と主張していたところです。ここでの「原告の同意」は,「凍結受精卵(胚)を融解し,母胎に移植する時期に必要とすべきである」とされており,胚の母胎への移植時に存在する必要があったものとされています。また,「原告の自己決定権」といわれるだけでは何に関する自己決定権であるのか分かりませんが,これは,文脈上「子をもうけること」に係る自己決定の権利のことであるものと解されます。

しかし,ここで原告の「自己決定権」を侵害し得た者はその妻又は当該生殖補助医療を行った医師であって,生まれた子には関係がありませんから,当該「侵害」が当該子との父子関係の有無に影響を与えるのだとの主張には,当該子の立場からすると少々納得し難いところがあるようでもあります。

令和元年大阪家裁判決の本論においては,原告の主張に係るその「自己決定権」に言及して応答するところがありません。難しい議論をして状況を流動化させるよりも,ルールに関する明確性・安定性を求め(「法律上の親子関係を早期に安定させ,身分関係の法的安定を保持する必要」ということは,ルール及びその適用の明確性・安定性が必要であるということでしょう。),生殖補助医療により出生した子の法律上の父子関係についても「自然生殖によって生まれた子と同様に解するのが相当」であるものと判断されたものでしょう。

 

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3 1886年のボワソナアド提案:軽罪としての侮辱罪及び違警罪としての侮辱罪

 

(1)ボワソナアドの提案

 

ア 軽罪としての侮辱罪

1886年の『註釈付き改訂日本帝国刑法案』において,ボワソナアドは,違警罪にとどまらない,軽罪(délit)としての侮辱罪を提案しています。

 

  400 bis.  L’injure, l’offense, l’outrage, ne contenant pas l’imputation d’un fait déshonorant ou d’un vice déterminé, commis envers un particulier, sans provocation, publiquement, par parole ou par écrit, seront punis d’un emprisonnement simple de 11 jours à 1 mois et d’une amende de 2 à 10 yens, ou de l’une de ces deux peines seulement.

 (Boissonade, p.1049

 (第400条の2 挑発されることなく,破廉恥な行為又は特定の悪徳(悪事醜行)を摘発せずして,公然と(publiquement)口頭又は文書で私人(particulier)を侮辱した者は.11日以上1月以下の軽禁錮及び2円以上10円以下の罰金に処し,又はそのいずれかの刑を科する。)

 

 第400条の2が含まれる節名は,1877年案のものから変わらず“Des crimes et délits contre la réputation d’autrui”のままでした。他人の評判(réputation)に対する罪ということであれば,ボワソナアドは,侮辱罪の保護法益は外部的名誉であるものと考えていたように思われます(ボワソナアドは同節の冒頭解説で人のhonneur及びdignitéの保護をいいつつ,そこでのhonneurは他人による評価(l’estime des autres)だとしています(Boissonade, pp.1051-1052)。)。フランス法系の考え方は「外部的名誉の毀損を中心とし」,「主観的感情の侵害を中心とするドイツ法系の考へ方と趣を異に」するものです(小野・名誉の保護90頁)。ちなみに,現在の刑法の英語訳でも第34章の章名は“Crimes against Reputation”になっているようです。

 

イ 違警罪としての侮辱罪

 軽罪としての侮辱罪の提案に伴い,違警罪としての侮辱罪の構成要件も修正されています。

 

   489.  Seront punis de 1 à 2 jours d’arrêts et de 50 sens à 1 yen 50 sens d’amende, ou de l’une de ces deux peines seulement:

     Ceux qui auront, par paroles ou par gestes, commis une injure ou une offense simple contre un particulier, en présence d’une ou plusieurs personnes étrangères;

  (Boissonade, p. 1277

  (第489条 次の各号の一に該当する者は,1日以上2日以下の拘留及び50銭以上150銭以下の科料に処し,又はそのいずれかの刑を科する。

    一 一又は複数の不特定人の現在する場所において,言語又は動作をもって私人を罵詈嘲弄(une injure ou une offense simple)した者)

 

なお,1886年案においては,違警罪に係る第4編においても章及び節が設けられて条文整理がされています。すなわち,同編は第1章「公益ニ関スル違警罪(Des contraventions contre la chose publique)」と第2章「私人に対する違警罪(Des contraventions contre les particuliers)」との二つに分かれ,第2章は更に第1節「身体ニ対スル違警罪(Des contraventions contre les personnes)」と第2節「財産ニ対スル違警罪(Des contraventions contre les biens)」とに分かたれました。しかして,第489条は,第2章第1節中に設けられていました。

 

(2)ボワソナアドの解説

 

ア 軽罪としての侮辱罪

 

(ア)ボワソナアド

軽罪としての侮辱罪に係る第400条の2に関するボワソナアドの解説は,次のとおりでした。

 

18778月の〕刑法草案は,口頭又は文書による侮辱(l’injure verbale ou écrite)であって名誉毀損(diffamation)の性質を有さいないものに関する規定をここに〔軽罪として〕設けていなかった。口頭の侮辱を違警罪として罰するにとどめていたものである(第47620号)。そこには一つの欠缺(けんけつ)une lacune)があったものと信ずる。公然と私人に向けられた侮辱(l’injure, l’offense, l’outrage)は,文書によるものであっても口頭によるものであっても,決闘を挑むためという目的〔〈旧刑法編纂の際「ボアソナードと日本側委員との間で,「元来,罵詈は闘殴のタンタチーフのようなもの」という発言が見られ」たそうです(嘉門7頁註9)。〉〕がある(前記第3節の2の第1条において規定されている場合)のではないときであっても,軽罪のうちに数えられなければならない。面目(considération)に対する侵害が軽いことに応じて,その刑が軽くなければならないだけである。また,禁錮は定役を伴わないものであり〔重禁錮ならば定役に服する(旧刑法241項)。〕,裁判所は罰金を科するにとどめることもできる。

法は,侮辱(une injure, une offense ou un outrage)を構成する表現の性格付けを試みる必要があるものとは信じない。すなわち,侮辱(l’injure)を罰する他の場合(第132条及び第169条)においてもそれはされていない。フランスのプレス法は,「全ての侮辱的表現(expression outrageante),軽蔑の語(terme de mépris)又は罵言(invective)」(第29条)について語ることによって,全ての困難を予防してはいない。侮辱(l’injure, l’offense, l’outrage)を構成するものの評価は,常に裁判所に委ねられる。侮辱者及び被侮辱者の各事情,前者の教育,なかんずくその意図.居合わせた人々の種類等がその際考慮されるのである。

しかし,可罰的侮辱の構成要素がここに二つある。それらは,いわば2個の消極的条件である。

すなわち,①侮辱は「破廉恥な行為又は特定の悪徳の摘発を含まない」ものでなければならない。そうでなければ,名誉毀損(diffamation)の事案ということになる。②それは,同じように侮辱的な(injurieux ou offensants)言葉又は行為によって「挑発された」ものであってはならない。反対の場合には,各当事者が告訴できないものとは宣言されない限りにおいて,最初の侮辱者のみが可罰的である。

  (Boissonade, pp. 1060-1061

 

 フランスの1881729日のプレスの自由に関する法律29条及び33条が,ボワソナアドの1886年案400条の2に係る参照条文として掲げられています(Boissonade, p.1049)。

当該1881年プレスの自由法の第29条は名誉毀損と侮辱との分類に係る規定であって,その第1項は「当該行為(le fait)が摘発された当の人(personne)又は団体(corps)の名誉(honneur)又は面目(considération)の侵害をもたらす行為に係る(d’un fait)全ての言及(allégation)又は摘発(imputation)は,名誉毀損(diffamation)である。」と,第2項は「全ての侮辱的表現,軽蔑の語又は罵言であって何らの行為の(d’aucun fait)摘発を含まないものは,侮辱(injure)である。」と規定していました。

また,1881年プレスの自由法33条はその第1項で「この法律の第30条及び第31条に規定されている団体又は人に対して同じ方法で〔裁判所(cours, tribunaux),陸海軍,法定の団体(corps constitués)及び公行政機関に対し,並びにその職務又は資格ゆえに大臣,議員,官吏,公の権威の受託者若しくは代理人,国家から報酬を得ている宗派の聖職者,公のサービス若しくは職務に服している市民,陪審員又はその証言ゆえに証人に対して,公共の場所若しくは集会における演説,叫び若しくは威嚇によって,文書若しくは公共の場所若しくは集会において販売に付され,若しくは展示されて販売され若しくは配布された印刷物によって,又は公衆が見ることのできるプラカード若しくは張り紙によって,並びに図画,版画,絵画,標章又は画像の販売,配布又は展示によって〕侮辱をした者は,6日以上3月以下の禁錮及び18フラン以上500フラン以下の罰金に処し,又はそのいずれかの刑を科する。」と,第2項で「挑発が先行することなしに同様の方法で私人(particulier)を侮辱した者は,5日以上2月以下の禁錮及び16フラン以上300フラン以下の罰金に処し,又はそのいずれかの刑を科する。」と,第3項は「侮辱が公然とされなかったときは,刑法第471条に定める刑〔1フラン以上5フラン以下の科料(1810年)〕のみが科される。」と規定していました。

 なお,injure, offense及びoutrage相互間の違いは何かといえば,その改訂刑法案169条の解説において,ボワソナアドは次のように述べています。

 

   我々はここに,offense, injure, outrageという三つの表現を見出すが,それらは重さに係る単純なニュアンス(simples nuances de gravité)を示すだけのものであって,刑に変化をもたらすものではない。

   (Boissonade, p. 571

 

筆者の手もとのLe Nouveau Petit Robert1993年)には,injureの古義として“Offense grave et délibérée”とあり,outrageの語義は“Offense ou injure extrêmement grave”とありますから,重さの順は,offense injure outrageとなるのでしょう。

 

(イ)フランス法的背景

ところで,旧刑法で軽罪としての侮辱罪が設けられなかった欠缺(lacune)の原因は何だったのでしょうか。どうも,今年(2021年)が死後200年になるナポレオンのようです。

1810年のナポレオンの刑法典375条は「何らの精確な行為の摘発を含まない侮辱であって,特定の悪徳を摘発するものについては,公共の場所若しくは集会において表示され,又は拡散若しくは配布に係る文書(印刷されたものに限られない。)に記入されたときは,その刑は16フラン以上500フラン以下の罰金である。(Quant aux injures ou aux expressions outrageantes qui ne renfermeraient l'imputation d'aucun fait précis, mais celle d'un vice déterminé, si elles ont été proférées, dans des lieux ou réunions publics, ou insérées dans des écrits imprimés ou non, qui auraient été répandus et distribués, la peine sera d'une amende de seize francs à cinq cents francs.)」と規定し,続いて同法典376条は「他の全ての侮辱であって,重大性及び公然性というこの二重の性質を有さないものは,違警罪の刑にしか当たらない。(Toutes autres injures ou expressions outrageantes qui n'auront pas eu ce double caractère de gravité et de publicité, ne donneront lieu qu'à des peines de simple police.)」と規定しており,違警罪に係る同法典47111号は「挑発されずに人を侮辱した者であって,それが第367条から第378条まで〔誣言(calomnies),侮辱(injures)及び秘密の漏洩に関する条項群〕に規定されていないものであるもの(Ceux qui, sans avoir été provoqués, auront proféré contre quelqu'un des injures, autres que celles prévues depuis l'article 367 jusque et compris l'article 378)」は1フラン以上5フラン以下の科料に処せられるものと規定していました。ナポレオンの刑法典375条は「侮辱」(injures, expressions outrageantes)といいますが,「特定の悪徳」を適発するのであれば我が1877年司法省案的(ボワソナアド的)には誹毀の罪(後に名誉毀損罪となるもの)ですから,結局ナポレオンの刑法典においては,(日本法的意味での)侮辱罪は,違警罪でしかなかったわけです。

ナポレオンの刑法典の誣言及び侮辱に関する規定は,後に1819517日法に移されますが,同法においても,特定の悪徳の摘発を含まず,又は公然とされたものではない侮辱は1フラン以上5フラン以下の科料に処せられるものとされていました(同法20条)。私人に対する侮辱は16フラン以上500フラン以下の罰金(軽罪の刑)に処せられるものとするという一見して原則規定であるような規定があっても(1819517日法192項),そのためには特定の悪徳を摘発し,かつ,公然とされる必要があったわけです。すなわち,ナポレオンの刑法典時代と変わっていなかったわけです。(〈旧刑法編纂の際「日本側委員である鶴田皓は,罵詈が喧嘩の原因となることが問題である以上,「公然」の字を削除すべきとしたが,ボアソナードは,対面の罵詈はフランスでは無罪であることや,実際上の証明の困難性を理由に,公然性要件の必要性を説き,維持されることとなった」そうですが(嘉門7頁),ここでのボワソナアドのフランス法の説明は,条文だけからでは分かりづらいところです。〉)

と,以上において筆者はimputationを「摘発」と訳して「摘示」としていませんが,これには理由があります。ジョゼフ・カルノー(フランス革命戦争における「勝利の組織者」ラザールの兄たるこちらは法律家)が,そのExamen des Lois des 17, 26 mai; 9 juin 1819, et 31 mars 1820 (Chez Nève, Libraire de la Cour de Cassation, Paris; 1821 (Nouvelle Édition))なる書物において,1819517日法における名誉毀損罪の成立に関し,imputationのみならず単純なallégation(筆者は「言及」と訳しました。)でも成立するものであると指摘した上で,それは「したがって,告発を繰り返したrépéter l’inculpation)だけではあるが,それについて摘発imputation)をした者と同様に,名誉毀損者として処罰されなければならない」旨記していたからです(p.36)。「摘示」と「摘発」との語義の違いについては,「〔日本刑法230条の〕事実の摘示といふは,必ずしも非公知の事実を摘発するの意味ではない。公知の事実であつても,之を摘示し,殊に之を主張することに依つて,人をして其の真実なることを信ぜしむる場合の如き,名誉毀損の成立あることは疑ひない」一方,我が「旧刑法(第358条)は悪事醜行の「摘発」を必要とし,その解釈として判例は「公衆の認知せざる人の悪事醜行を暴露することなり」とした」と説明されています(小野・名誉の保護280頁)。

筆者が「特定の悪徳」と訳したvice déterminéについてのカルノーの説明は,「vice déterminéによって法は,肉体的欠陥une imperfection corporelle)の単純な摘発を意図してはいない。そのような摘発は,その対象となった者に対して不愉快なもの(quelque chose de désagréable)であり得ることは確かである。しかし,それは本来の侮辱une injure proprement dite)ではない。特定の悪徳の摘発は,法又は公の道徳la morale publique)の目において非難されるべきことをする(faire quelque chose de répréhensible習慣的傾向une disposition habituelle)のそれ以外のものではあり得ない。」というものでした(Carnot, p.58)。

フランス法においては,vice déterminéfaitには含まれないようです。侮辱の定義(1881729日法292項と同じもの)に関してカルノーは,「侮辱的表現,軽蔑の語又は罵言が何ら行為の摘発l’imputation d’aucun faitを含まないときは,単純な侮辱であって名誉毀損ではない。そこから,特定の悪徳の摘発も,告発(prévention)の性質を変えるものではないということになる。〔すなわち,名誉毀損になるものではない。〕なおも侮辱injure)があるばかりである。」といっています(Carnot, p.37)。この点ボワソナアド式日本法とは異なるようです(vice déterminéの摘発も,「悪事醜行」の摘発を「誹毀」でもってまとめる旧刑法358条の原案たる18778月案398条の構成要件となっていました。)。しかし,フランス1881729日法になると,侮辱を違警罪ではなく軽罪として処罰するための要件として,公然性は依然求めるものの,特定の悪徳の摘発はもはや求めないこととなっていたわけです。

フランス法の名誉毀損の定義はナポレオンの刑法典3671項の誣言(calomnieの定義から由来し,同項は「個人について,もしそれが事実であれば当該表示対象者を重罪若しくは軽罪の訴追の対象たらしめ,又はなお同人を市民の軽蔑若しくは憎悪にさらすこととはなる何らかの行為(quelconque des faits)を摘発」することを構成要件としていましたので(cf. Carnot, p.36),ここでのfaits(行為)は広い意味での事実ではなく,犯罪を構成し得るような限定的なものでなければならないわけだったのでしょう。これに対して日本刑法230条の「事実」は,「具体的には,政治的・社会的能力,さらに学問的能力,身分,職業に関すること,さらに被害者の性格,身体的・精神的な特徴や能力に関する等,社会生活上評価の対象となり得るものを広く含む」とされています(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)153頁)。

 

(ウ)付論:讒謗律に関して

なお,フランス法的背景といえば,明治政府による言論取締りの法として著名な1875年の我が讒謗律は,小野清一郎によって,イギリス法の影響下に制定されたものと説かれていましたが(小野・名誉の保護126-128頁),1967年には奥平康弘助教授(当時)によってフランス法を母法とするものであるとする説が唱えられています(手塚1-2頁による紹介。同5頁註(3)によれば,奥平説は,奥平康弘「日本出版警察法制の歴史的研究序説(4)」法律時報39872頁において提唱されたものです。)。

小野は,讒謗律1条の「凡ソ事実ノ有無ヲ論セス人ノ栄誉ヲ害スヘキノ行事ヲ摘発公布スル者之ヲ讒毀トス人ノ行事ヲ挙ルニ非スシテ悪名ヲ以テ人ニ加ヘ公布スル者之ヲ誹謗トス著作文書若クハ画図肖像ヲ用ヒ展観シ若クハ発売シ若クハ貼示シテ人ヲ讒毀シ若クハ誹謗スル者ハ下ノ条別ニ従テ罪ヲ科ス」との条文について論じて,「茲に「事実の有無を論ぜず」とあるも恐らく1843年の誹謗文書法以前に於けるイギリス普通法の思想に依つたもの」とし,更に「なほ,讒毀又は誹謗が文書図書に依る場合に於て之を処罰すべきものとしてゐることもイギリスの‘libel’の観念を継受した証左である」とイギリス法の影響を主張しています(小野・名誉の保護127頁)。しかし,前者については,フランス1819517日法の名誉毀損についても―――名誉毀損の定義規定には「事実の有無を論ぜず」との明文はありませんでしたが――カルノーは,「517日法によってそれ〔名誉毀損〕がそう定義されているとおり,それ〔名誉毀損〕は全ての侮辱的な行為(tout fait injurieux)に係る摘発又は言及によって成立する。事実の証明が認められないときは,たとえそれが事実であっても(fût-il même vrai)そうなのである。」と述べています(Carnot, p.35)。(事実の証明が認められる場合は,後に見る1819526日法(同月17日法とは関連しますが,別の法律です。)201項において限定的に定められていました。)後者については,あるいは単に,讒謗律の布告された1875628日の前段階においては,我が国ではなお演説というものが一般的なものではなかったということを考えるべきかもしれません。187412月に刊行された『学問のすゝめ』12編において福沢諭吉いわく。「演説とは,英語にてスピイチと云ひ,大勢の人を会して説を述べ,席上にて(わが)思ふ所を人に(つたう)るの法なり。我国には(いにしえ)より其法あるを聞かず,寺院の説法などは先づ此類なる可し。」,「然るに学問の道に於て,談話,演説の大切なるは既に明白にして,今日これを実に行ふ者なきは何ぞや。」と(第1回の三田演説会の開催は,1874627日のことでした。)。すなわち,讒謗律布告の当時の「自由民権論者の活動は,もつぱら新聞,雑誌その他の出版物を舞台として行われ,政談演説は一般にまだ普及していなかつた」のでした(手塚3頁)。

讒謗律の法定刑とフランス1819517日法のそれとを比較すると(なお,讒謗律の讒毀は専ら摘発に係るものであること等,構成要件の細かいところには違いがあり得ることには注意),次のとおりです。

天皇に対する讒毀又は誹謗は3月以上3年以下の禁獄及び50円以上1000円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されたのに対して(讒謗律2条),フランス国王に対するそれは6月以上5年以下の禁錮及び500フラン以上1万フラン以下の罰金並びに場合により公権剥奪も付加されるものでした(1819517日法9条)。

皇族に対する讒毀又は誹謗は15日以上2年半以下の禁獄及び15円以上700円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されたのに対して(讒謗律3条),フランス王族に対するそれは1月以上3年以下の禁錮及び100フラン以上5000フランの罰金でした(1819517日法10条)。

日本帝国の官吏の職務に関する讒毀は10日以上2年以下の禁獄及び10円以上500円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され,同じく誹謗は5日以上1年以下の禁獄及び5円以上300円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されたのに対し(讒謗律4条),フランス王国の官吏の職務に関する名誉毀損は8日以上18月以下の禁錮及び50フラン以上3000フラン以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され(1819517日法16条。裁判所又は法定の団体に対しては15日以上2年以下の禁錮及び50フラン以上4000フラン以下の罰金(同法15条)),侮辱は5日以上1年以下の禁錮及び25フラン以上2000フラン以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されました(同法191項。裁判所又は法定の団体に対しては15日以上2年以下の禁錮及び50フラン以上4000フラン以下の罰金(同法15条。Cf. Carnot, pp.38-39))。

日本帝国の華士族平民に対する讒毀は7日以上1年半以下の禁獄及び5円以上300円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され,誹謗は3円以上100円以下の罰金に処されたのに対し(讒謗律5条),フランス王国の私人に対する名誉毀損は5日以上1年以下の禁錮及び25フラン以上2000フラン以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され(1819517日法18条),侮辱は16フラン以上500フラン以下の罰金に処されました(同法192項。ただし,特定の悪徳の摘発を含まず,又は公然とされたものでない侮辱の刑は1フラン以上5フラン以下の科料(同法20条,フランス刑法471条))。こうしてみると,讒謗律1条にいう誹謗に係る「悪名ヲ以テ人ニ加ヘ」とは,vice déterminéimputationすることのようでもあります。(なお,讒謗律5条違反の刑の相場は「大概罰金5円に定まつて居た」そうです(手塚5頁註(10)の引用する宮武外骨)。)

讒謗律71項(「若シ讒毀ヲ受ルノ事刑法ニ触ルヽ者検官ヨリ其事ヲ糾治スルカ若クハ讒毀スル者ヨリ検官若クハ法官ニ告発シタル時ハ讒毀ノ罪ヲ治ムルヿヲ中止シ以テ事案ノ決ヲ俟チ其ノ被告人罪ニ坐スル時ハ讒毀ノ罪ヲ論セス」)に対応する条項は,「事案ノ決ヲ俟チ」までは1819526日法25条,「其ノ被告人罪ニ坐スル」以後はcalomnie(誣言)に係るナポレオンの刑法典370条でした(1819526日法201項は,名誉毀損(diffamation)について事実の証明が許される場合を,公の権威の受託者若しくは代理人又は公的資格で行動した全ての者に対する摘発であって,その職務に関する行動に係るものの場合に限定しています。「其の他の場合には全然真実の証明を許さざることとした」ものです(小野・名誉の保護450頁)。)。官吏の職務に関する讒毀及び誹謗並びに華士族平民に対するそれらの罪は親告罪である旨規定する讒謗律8条に対応する条項は,1819526日法5条でした。

 

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(上)日本民法:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900158.html

(中)旧民法及びローマ法:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900161.html


8 フランス民法673

フランス民法を見てみましょう。

 

(1)条文及びその沿革

民法233条に対応する条項は,ボナパルト第一統領政権下の1804年の段階ではフランス民法672条に,1881820日法による改正後は673条にあって,同条は,1921212日法によって更に改正されています。

共和暦12(ブリュ)(メール)4日(18031126日)に国務院(コンセイユ・デタ)に提出された案には当該条項はありませんでしたが,同12(ニヴォ)(ーズ)14日(180415日)の同院提出案に第665条として出現しています。

 

Code napoléon (1804)

1804年ナポレオン法典)

Art. 672.

Le voisin peut exiger que les arbres et haies plantés à une moindre distance soient arrachés.

  (隣人は,必要な距離を保たずに栽植された木及び生垣を抜去することを請求することができる。)

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres du voisin, peut contraindre celui-ci à couper ces branches.

  (その所有物の上に隣人の木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。)

Si ce sont les racines qui avancent sur son héritage, il a droit de les y couper lui-même.

  (彼の地所に延びて来たものが根である場合においては,彼はそれをそこにおいて自ら截去する権利を有する。)

 

Après la Loi du 20 août 1881

1881820日法による改正後)

Art. 673.

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres du voisin peut contraindre celui-ci à les couper. Les fruits tombés naturellement de ces branches lui appartiennent.

  (その所有物の上に隣人の木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。当該枝から自然に落下した果実は,同人に属する。)

Si ce sont les racines qui avancent sur son héritage, il a le droit de les y couper lui-même.

(彼の地所に延びて来たものが根である場合においては,彼はそれをそこにおいて自ら截去する権利を有する。)

Le droit de couper les racines ou de faire couper les branches est imprescriptible.

  (根を截去し,又は木の枝を剪除させる権利は,消滅時効にかからない。)

 

Après la Loi du 12 février 1921

1921212日法による改正後)

Art. 673.

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres, arbustes et arbrisseaux du voisin peut contraindre celui-ci à les couper. Les fruits tombés naturellement de ces branches lui appartiennent.

(その所有物の上に隣人の木,小低木及び低木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。当該枝から自然に落下した果実は,同人に属する。)

Si ce sont les racines, ronces ou brindilles qui avancent sur son héritage, il a le droit de les couper lui-même à la limite de la ligne séparative.

(彼の地所に延びて来たものが根,茨又は小枝である場合においては,彼はそれらを境界線において自ら截去する権利を有する。)

Le droit de couper les racines, ronces et brindilles ou de faire couper les branches des arbres, arbustes et arbrisseaux est imprescriptible.

  (根,茨及び小枝を截去し,又は木,小低木及び低木の枝を剪除させる権利は,消滅時効にかからない。)

 

(2)破毀院1965年4月6日判決

 フランス民法673条の趣旨については,次のフランス破毀院民事第1196546日判決(61-11025)が参考になります。

 

   2項目にわたる上告理由については――

      攻撃されている原審による是認判決の確認した事実によれば,Xに属する所有地に要保持適正距離に係る規則に従った距離を隣地から保って2本のポプラの木が栽植されていたところ,それらの根が,隣人Yの地所に侵入し,そこにおいて損害をもたらしたこと,

   彼の木によってこのようにして惹起された被害についてXは責任を負うと宣告したことについて控訴院に対する不服が申し立てられたこと,すなわち,〔当該不服申立てに係る上告理由の主張するところは,〕第1に,民法673条は,根の侵襲に係る責任(la faute d’immissio de racines)を設定したものではなく,根がその土地に侵入した当該土地所有者の利益のために,添付に係る一つの場合について規整したものであって,当該根は同人のものとなりもはや相隣関係問題に係る請求の目的とならなくなるものである(…organise un cas d’accession au profit du propriétaire, sur le fonds duquel pénétrent des racines, qui, devenant la chose de ce dernier, ne peuvent plus faire l’objet d’une réclamation pour troubles de voisinage)とのこと,

   第2に,上告によれば,損害被害者である寡婦Yの懈怠(négligence)は,民法673条が彼女に与えている,オージュロー(Augerau)の木から延びた根を截去する権利を知らなかったことによるとのことに鑑み,

 

   しかしながら,攻撃されている判決は,立法者は民法673条の規定によって,発生した損害の賠償を受ける権利を制限すること(restreindre le droit à réparation du dommage réalisé)を意図していたものではなく,反対に,隣人の利益のための手段を設けることによってより有効な保護の確保(assurer une protection plus efficace en instituant des mesures de prévention au profit des voisins)を図っていたものであるということを正当な資格でもって(à juste titre)強調している(souligne)こと,

   控訴院は,このことから,木の所有者は,それが規定の距離を保って栽植されたものであっても,隣の地所に延びた根によって惹起された損害について責任を負うものであるという結論を導き出し得たことに鑑み,

   並びに,事実審の裁判官が職権をもって,被害が発生する時まで彼女の不動産に脅威を与えつつある危険を知らなかった寡婦Yには何ら懈怠はなかったものと認めたこと,

   かくして,上告理由はその両項目のいずれについても受け容れられないことに鑑み,

   以上の理由をもって,X対寡婦Y事件(61-11025パリ控訴院19601213日判決に対する上告を棄却する。

 

 上告理由の拠った,侵入した根の所有権に係る土地所有者帰属説は,破毀院の採用するところとはならなかったわけでしょう。

 

(3)破毀院2010年6月30日判決

 なお,我妻榮は,民法2331項について,「竹木の枝が境界線を越えていても相隣者に何らの害を与えない場合に,剪除を請求するのは,権利の濫用となる。多少の損害を与える場合にも,剪除することの損害がさらに大きいときは,第209条を類推して,償金を請求することができるだけだと解すべきではあるまいか(ス民6872項〔ママ。同項は越境した枝に成った果実の所有権に関する規定ですので,同条1項のことと解すべきでしょう。〕参照)」と説いています(我妻Ⅱ・295頁(なお,同書の第1版は1932年,改訂第1版は1952年に発行されています。)。また,能見=加藤編273頁(松尾))。新潟地方裁判所昭和391222日判決下民集15123027頁も「ところで,民法2331項によれば,隣地の樹木の枝が境界線を越え他人の地内にさしかゝつた場合には,その樹木の所有者をして枝を剪除させることができるのであるが,相隣接する不動産の利用をそれぞれ充分に全うさせるために,その各所有権の内容を制限し,また各所有者に協力義務を課する等その権利関係相互に調節を加えている同法の相隣関係規定の趣旨に照らすとき,右越境樹枝剪除の請求も,当該越境樹枝により何等の被害も蒙つていないか,あるいは蒙つていてもそれが極めて僅少であるにも拘らずその剪除を請求したり,又はその剪除によつて,被害者が回復する利益が僅少なのに対比して樹木所有者が受ける損害が不当に大きすぎる場合には,いわゆる権利濫用としてその効力を生じないと解さなければならない。従つて結局越境樹枝の剪除を行うに際しても,単に越境部分のすべてについて漫然それを行うことは許されず,前記相隣関係の規定が設けられた趣旨から,当事者双方の具体的利害を充分に較量してその妥当な範囲を定めなければならないと解すべきである。」と判示しています(15本の樹木の枝が隣地に越境していたのに対し,同裁判所は11本についてのみ剪除を命じ,かつ,剪除すべきものとされた枝の部分も越境部分全部ではありませんでした。)。しかしながら,我が民法と直系関係にあるフランス民法にではなく,傍系関係のスイス民法に拠るのはいかがなものでしょうか。

フランス破毀院民事第3部の2010630日判決(09-16.257)は,隣地のヒマラヤ杉(樹齢100年超)の枝の剪除を請求する訴えを,①当該樹木自体を伐採するのでなければ,枝の剪除では5メートル以上の高さから落下する針葉による迷惑は解消されないこと,②剪除請求者らは,木の多い地にあるその土地を入手する際に庭やプールを定期的に掃除しなければならなくなることを当然知っていたこと,③同人らは当該樹木の生長が弱まっていることを知り得たこと,④同人らは当該樹木の寿命を侵害する意図を有していないこと及び⑤彼らの訴えが濫用(abus)になることなしに境界内に全ての枝が収まるようにさせることを請求することはできないこと,との理由をもって退けたリヨン控訴院の2009611日判決を,フランス民法6731項前段及び3項に違背するものとして破棄しています。判決要旨は,「隣地から越境してきた木の枝に対する土地所有者の消滅時効にかからない権利には何らの制限も加えることができないところ,原告らはその訴えが濫用になることなしに境界内に全ての木の枝が収まるようにさせることはできない旨を摘示して木の剪定の請求を排斥した控訴院は,民法673条に違背する。」というようなものになっています(Bulletin 2010, III, n˚137)。無慈悲です。

(なお,ヒマラヤ杉仲間の事件としては,大阪高等裁判所平成元年914日判決判タ715180頁があります。枝が延びて迷惑な別荘地のヒマラヤ杉3本(樹齢約30年)を隣地の旅館主が伐採してしまったものですが,民法2331項等を援用しての,自救行為であるから不法行為は成立しないとの旅館主側の主張は排斥されています。「本件ヒマラヤ杉の枝が境界を越えて伸びており,そのため本件〔旅館〕建物の看板が見えにくくなり,あるいは車両等の通行の妨害となっていたとしても,控訴人〔旅館主〕らがなし得るのは枝のせん除にとどまり,木そのものを伐採することは許されない。」というわけです。ちなみに,旅館の土地に1番近いヒマラヤ杉は境界線から約1.7メートルしか離れていなかったそうですから(木の正確な高さは判決書からは不明ですが,当然2メートルは超えていたでしょう。),フランス民法6711項及び6721項の適用があれば,原則として,当該樹木の抜去又は高さ2メートル以下までの剪定を請求できたはずです。この場合,原告は特定の損害(un préjudice particulierの証明を要しないものとされています(フランス破毀院民事第32000516日判決(98-22.382))。)

                          

9 ドイツ民法第一草案

 竹木がドイツ民法流に土地の本質的構成部分(wesentlicher Bestandteil)であるのであれば,前者の後者に対する独立性は弱いことになるはずです。したがって,当該独立性の弱さを前提とすれば,竹木の一部分を構成するものである根が,そうではあっても当該竹木本体とは別に,侵入した隣りの土地にその本質的構成部分として付合してその所有権に包含されるべきこと,及びその結果,一の植物の一部に他の部分とは別個の所有権が存在することにはなるがそのことは可能であり,またむしろそれが必然であること,を是認する理解が自然に出て来るようになるもののように思われます。すなわち,越境した根の所有権に係る土地所有者帰属説は,あるいはドイツ民法的な法律構成なのではないかと考えられるところです。

 そうであれば,ドイツにおいて実際に土地所有者帰属説が採られているものかどうかが気になるところです。ドイツ民法を調べるに当たっては,筆者としてはついドイツ民法第一草案の理由書(Motive)に当たるのが便利であるものですから本稿における調査はそこまでにとどめることとし,以下においてはドイツ民法第一草案の第784条及び第861条並びにMotiveにおける後者の解説を訳出します。

 

  第784条 土地の本質的構成部分には,土とつながっている限りにおいてその産出物が属する。

    種子は播種によって,植物は根付いたときに,土地の本質的構成部分となる(eine Pflanze wird, wenn sie Wurzel gefaßt hat, wesentlicher Bestandtheil des Grundstückes.)。

 

  §861

   Wenn Zweige oder Wurzeln eines auf einem Grundstücke stehenden Baumes oder Strauches in das Nachbargrundstück hinüberragen, so kann der Eigenthümer des letzteren Grundstückes verlangen, daß das Hinüberragende von dem Eigenthümer des anderen Grundstückes von diesem aus beseitigt wird. Erfolgt die Beseitigung nicht binnen drei Tagen, nachdem der Inhaber des Grundstückes, auf welchem der Baum oder Strauch sich befindet, dazu aufgefordert ist, so ist der Eigenthümer des Nachbargrundstückes auch befugt, die hinüberragenden Zweige und Wurzeln selbst abzutrennen und die abgetrennten Stücke ohne Entschädigung sich zuzueignen.

  (ある土地上に生立する樹木又は灌木の枝又は根が隣地に越境した場合においては,当該隣地の所有者は,相手方土地所有者によって当該隣地から越境物が除去されることを求めることができる。当該樹木又は灌木が存在する土地の占有者にその旨要求されてから3日以内に当該除去がされなかったときは,隣地の所有者も,越境した枝及び根を自ら切り取ること並びに切り取った物を補償なしに自己のものとすることが認められる。)

 

  第861条解説

   第861条の第1文は,当該所有者は越境した根及び枝の除去を所有権に基づく否認の訴え(妨害排除請求の訴え)によって(mit der negatorischen Eigenthumsklage)請求することができること(第943条)に注意を喚起する。それによって,特に,次の文で規定される自救権が通常の法的手段と併存するものであること及びそれがプロイセンの理論が主張するように隣人のための排他的な唯一の保護手段を設けるものではないことを明らかにするためである。枝及び根が越境して生長することは確かに間接的侵襲にすぎず,人の行為の直接の結果ではない。しかし,当該事情は,この種の突出を被ることが隣地所有権に対する障害である事実を何ら変えるものではない。隣人はある程度の高さ――地表カラ15(ペデス)ノ高サ〔ラテン語〕――からはこの種の突出を受忍しなければならないとの法律上の所有権の制限は,確かにときおり普通法理論において及び自力での除去を一定の高さまでのみにおいて認める地方的規則の結果として唱道されるが,近代的立法においては認められていないものである。

   枝及び根の越境は,それに対して実力での防衛が可能である禁止された自力の行使行為ではないので,法が沈黙している限りにおいては,隣人は,否認訴権的法的手段(das negatorische Rechtsmittel)によるしかないという限定的状況に置かれるであろう。根の除去のためには,普通法は特段の定めをしていない。枝の張出しの除去は,その枝を耕地の上に地表カラ15(ペデス)ノ高サに,又はその枝を家の上に突き出した樹木の所有者が自ら張出部分を除去しないときは,隣人が当該張出部分を伐り取って自らのものとすることができるものとする樹木伐除命令(interdictum de arboribus caedendis 〔伐られるべき木の命令〕)によって,そこでは規律されている。プロイセン一般ラント法は,越境する枝及び根に係る自力除去権を隣人に与えるが,それを自分のものとすることは認めていない。フランス民法は,根の截去のみを認める。ザクセン法は,截去した根を当該隣人に属すべきものとする点を除いて,プロイセン法と同一である。

   草案は,植物学的表現は違いをもたらさないことを明らかにするため,及び灌木の張出し,取り分け生垣に係るそれが特に多いことから,樹木に加えて灌木にも言及している。更に草案は,枝及び根の双方を考慮しつつ自力での除去の許容について定めるとともに,低い位地の枝についての制約を設けていない。この種の区別を正当化する十分な理由が欠けているとともに,そのような区別は,法律の実際の運用を難しくするからである。事前の求めの必要性の規定及び自らの手による除去のために与えられた期間によって,樹木の所有者に対して厳し過ぎないかとの各懸念は除去されている。截去した物を自らのものとすることを隣人に認めるその次の規定は,単純であるとの長所を有するとともに,当該取得者が截去の手間(Mühe)を負担したことから,公正(Billigkeit)にかなうものである。

 

隣地から木の根の侵入を被った土地の所有者は,当該侵入根の除去を求めて当該土地の所有権に基づく妨害排除請求ができるというのですから,当該木の根の所有権は隣地の木の所有者になお属しているわけでしょう。また,截去した侵入根の所有権取得の理由も,既に当該侵入根が截去者の土地に付合していたことにではなくて,手間賃代りとして截去者に与えることの公正性に求められています。越境根の所有権に係る土地所有者帰属説は,ドイツにおいても採用されていないようです。

なお,枝の除去について,高さ15(ペデス)より上の高いものが除去されるのが原則なのか下の低いものが除去されるのが原則なのかはっきりしないのですが(特に耕地の上に枝が突き出した場合は,ドイツ語原文自体がはっきりしない表現を採っています。15(ペデス)より上又は下のものがどうなるものかがそこでは不明で,首をひねりながらの翻訳となりました。),これはローマ法自体がはっきりしていなかったので,ドイツ人も参ってしまっていたものでしょうか。この点に関するローマ法の昏迷状況に係る説明は,いわく,「樹木の枝が隣の家屋を覆うを許さず。〔略〕又樹木の枝が隣の田地を覆う場合は其の枝が15ペデスpedes (foot)[歩尺]或はそれ以上に達するときはこれを伐り採ることを要せざるも15ペデス以下の枝はことごとくこれを伐り取らざるべからず。但しこの15ペデス以上或は以下についてDigestaの中の文面が甚だ不明瞭なるために,これについて異論あり。異論とは,15ペデス以上の枝はかえってこれを伐り採ることを要す。而して15ペデス以下の枝はこれらを伐り採ることを要せずと。」と(吉原編85頁)。

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(上)『法典調査会民法議事速記録』等(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078842084.html

(中)ドイツ民法草案等(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078842106.html


4 旧民法

現行民法545条の旧民法における前身規定は,同法財産編4092項,421条,424条及び561条並びに同法財産取得編81条とされています(民法議事速記録第25108丁裏)。

 

 旧民法財産編4092項 解除ノ条件ノ成就スルトキハ当時者ヲシテ合意前ノ各自ノ地位ニ復セシム

  (フランス語文は前掲)

 

 旧民法財産編421条 凡ソ双務契約ニハ義務ヲ履行シ又ハ履行ノ言込ヲ為セル当事者ノ一方ノ利益ノ為メ他ノ一方ノ義務不履行ノ場合ニ於テ常ニ解除条件ヲ包含ス

  (Dans tout contrat synallagmatique, la condition résolutoire est toujours sous-entendue au profit de la partie qui a exécuté ses obligations ou qui offre de le faire, pour le cas où l’autre partie ne remplirait pas les siennes.

  此場合ニ於テ解除ハ当然行ハレス損害ヲ受ケタル一方ヨリ之ヲ請求スルコトヲ要ス然レトモ裁判所ハ第406条ニ従ヒ他ノ一方ニ恩恵上ノ期限ヲ許与スルコトヲ得

  (Dans ce cas, la résolution n’a pas lieu de plein droit: elle doit être demandée en justice par la partie lésée; mais le tribunal peut accorder à l’autre un délai de grâce, conformément à l’article 406.

 

 旧民法財産編424条 裁判上ニテ解除ヲ請求シ又ハ援用スル当事者ハ其受ケタル損害ノ賠償ヲ求ムルコトヲ得

  (La partie qui demande ou invoque la résolution, peut, en outre, obtenir la réparation du préjudice éprouvé.

 

 旧民法財産編561条 義務ハ第409条,第421条及ヒ第422条ニ従ヒ明示ニテ要約シタル解除又ハ裁判上得タル解除ニ因リテ消滅ス

  (Les obligations s’éteignent par la résolution ou résiliation, stipulée expressément ou obtenue en justice, conformément aux articles 409, 421 et 422.

  解除ヲ請求ス可キトキハ其解除訴権ハ通常ノ時効期間ニ従フ但法律ヲ以テ其期間ヲ短縮シタル場合ハ此限ニ在ラス

  (Lorsque la résolution doit être demandée en justice, l’action résolutoire ne se prescrit que par le laps de temps de la prescription ordinaire, sauf le cas où la loi fixe un délai plus court.

 

 旧民法財産取得編81条〔売買の解除〕 当事者ノ一方カ上ニ定メタル義務其他特ニ負担スル義務ノ全部若クハ一分ノ履行ヲ欠キタルトキハ他ノ一方ハ財産編第421条乃至第424条ニ従ヒ裁判上ニテ契約ノ解除ヲ請求シ且損害アレハ其賠償ヲ要求スルコトヲ得

  (Si l’une des parties manque à remplir tout ou partie de ses obligations, telles qu’elles sont déterminées ci-dessus ou de toutes autres obligations auxquelles elle se serait spécialement soumise, l’autre peut demander en justice la résolution du contrat, avec indemnité de ses pertes, s’il y a lieu, conformément aux articles 421 à 424 du Livre des Biens.

  当事者カ解除ヲ明約シタルトキハ裁判所ハ恩恵期間ヲ許与シテ其解除ヲ延ヘシムルコトヲ得ス然レトモ此解除ハ履行ヲ欠キタル当事者ヲ遅滞ニ付シタルモ猶ホ履行セサルトキニ非サレハ当然其効力ヲ生セス

  (Si la résolution a été expressément stipulée entre les parties, le tribunal ne peut la retarder par la concession d’un délai de grâce; mais elle ne produit son effet de plein droit que si la partie qui manque à executer a été inutilement mise en demeure.

 

 我が旧民法の母法は,フランス民法です。2016101日より前の同法1183条及び1184条は,次のとおりでした。

 

Article 1183

La condition résolutoire est celle qui, lorsqu'elle s'accomplit, opère la révocation de l'obligation, et qui remet les choses au même état que si l'obligation n'avait pas existé.

  (解除条件は,それが成就したときに,債務の効力を失わせ,かつ,その債務が存在しなかった場合と同様の状態に事態を復元させるものである。)

Elle ne suspend point l'exécution de l'obligation ; elle oblige seulement le créancier à restituer ce qu'il a reçu, dans le cas où l'événement prévu par la condition arrive.

  (当該条件は,債務の履行を停止させない。それは,条件によって定められた事件が発生したときに,専ら債権者をして受領したものを返還させる。)

Article 1184

La condition résolutoire est toujours sous-entendue dans les contrats synallagmatiques, pour le cas où l'une des deux parties ne satisfera point à son engagement.

  (解除条件は,当事者の一方がその約束を何ら果さない場合について,双務契約に常に包含される。)

Dans ce cas, le contrat n'est point résolu de plein droit. La partie envers laquelle l'engagement n'a point été exécuté, a le choix ou de forcer l'autre à l'exécution de la convention lorsqu'elle est possible, ou d'en demander la résolution avec dommages et intérêts.

  (前項に規定する場合において,契約は当然解除されない。約束の履行を受けなかった当事者は,それが可能なときの合意の履行の強制又は損害賠償の請求と共にするその解除の請求を選択できる。)
La résolution doit être demandée en justice, et il peut être accordé au défendeur un délai selon les circonstances.

  (解除は裁判所に請求されなければならない。裁判所は,被告に対し,事情に応じた期限を許与することができる。)

 

(1)旧民法財産編4211

「凡ソ双務契約ニハ義務ヲ履行シ又ハ履行ノ言込ヲ為セル当事者ノ一方ノ利益ノ為メ他ノ一方ノ義務不履行ノ場合ニ於テ常ニ解除条件ヲ包含ス」という旧民法財産編4211項(及びフランス民法旧11841項)の規定は双務契約の当事者の意思を推定した規定のように思われますが,なかなか面白い。ボワソナアドの説くところを聴きましょう。

 

  394. 黙示の解除条件(condition résolutoire tacite)は,双務契約(contrats synallagmatiques ou bilatéraux)における特有の効果の一つであって,かつ,既に〔ボワソナアド草案〕第318条〔旧民法財産編297条〕に関して述べたとおり(第22項),この種別の契約に多大の利益を与えるものである。フランス民法は,これについての一般原則を第1184条において規定し,かつ,種々の特定の契約――特に売買(第1610条及び第1654条から第1657条まで)及び賃貸借(第1741条)――について特則を設けている。イタリア民法は,当該原則を同一の文言で規定している(第1165条)。これら両法典にはなおいくつかの規定の欠缺があったところ,本案においてはそれらが補正されている。

   債務不履行によって不便を被る当事者に対して法律によって与えられた(accordée par la loi)この解除は,非常に大きな恩恵である。当該当事者がなし得ることが当初の行為(action originaire)に限定された場合においては,債務者に係る他の債権者らとの競争を余儀なくされて当該債務者の支払不能の累を被ることがあり得るところである。彼は彼自身の債務全部の履行を強いられた上で,彼が受け取るべきものの一部しか受け取ることができなくなるかもしれないのである。しかし,解除の手段によって,彼は,合意がそもそもなかったような当初の地位を回復することができる。彼が彼自身の債務をまだ履行していないときには,彼は,その債務者を解放すると同時にまた解放されるのである。彼が既に履行していたときには,現物又は代替物をもって,彼は,引き渡した物の返還を請求することができる。例えば,彼の合意のみをもって既に所有権を移転し,その上当該不動産を引き渡した不動産の売主は,買主に既に占有を移転し,かつ,権原(証書:titres)を与えてしまっている。当該買主は,定まった期日に代金を弁済しない。当該売主は,解除によって,所有権を回復し,かつ,売った物の占有を再び得ることができる。この権利は,買主に係る他の債権者らに先んじて代金の弁済を受けるために,解除を請求することなしに,売った物の差押え及び再売却を実行できる同様に貴重な権利である先取特権に類似したところがある(… a de l’analogie)。しかし,その利点自体のゆえに,解除権は,買主と取引をする第三者が不意打ちのおそれを抱かないように,本来の先取特権と同様の公示に服するものである(〔ボワソナアド草案〕第1188条及び第1276条の2を見よ。)。

売られた物を引き渡す動産,食料及び商品の売主にとって,事情はしかく良好ではない。一般に,彼は,第三取得者又は他の債権者に対しても優先して,現物で当該目的物を回復することはできない。解除は,常に,彼に債権しか与えない。ただ,当初取り決められた代金額ではなく,売られた物の現在の価額――これは増価している可能性がある――を回復し得るところである。

動産の先取特権について規定する折には,更に売主の保護のための他の手段が整えられるであろう(フランス民法2102条第4号及び同商法576条並びに本草案11382項参照)。

目的物が彼にとって便宜の時に引き渡されず,又はそれが約束された状態ではなかったときには,売主についてのみならず買主にとっても解除は役立つ。しかしながら,彼が既に代金を支払っていた場合は,その回復のために彼は,何らの先取特権もなしに,一般債権しか有しない。というのは,彼が支払った代金は,売主のもとで他の財貨と混和してしまっているからである。したがって,彼は,売主に支払能力があるときにのみ解除を用いることになる。しかしながら,売主の支払不能を知らずにうっかり解除してしまった場合には,彼は,少なくとも代金の返還までは留置権を行使することができるであろう(〔ボワソナアド草案〕第1096条を見よ。)。

Gve Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxisième, Droits Personnels et Obligations. Tokio, 1891. pp.454-456。なお,平井一雄「解除の効果についての覚書」獨協法学9号(197710月)50-51頁)

 

暗黙の解除条件の制度は,法律によって与えられたものとされていますが,「解除条件は,当事者の蓋然的意思の法律による解釈(par une interprétation faite par la loi de l’intention probable des parties)以外のものによって双務契約に付与されたものではない」ところです(Boissonade, p.458)。なお,「したがって,彼らは反対の意思を表示することができる。履行に係るこの保証は,公序(ordre public)に属するものではないからである。しかし,法律上の推定(présomption légale)を覆すためには,彼らは明白にその旨の放棄をしなければならない。」とされます(ibid.)。

契約の解除を先取特権と類似のものとして説明するというボワソナアドの視角は独創的なものであるようにも思われます。この点については,「なお,ボワソナードの見解が「黙示の解除条件」の法的基礎として,部分的にではあれ,先取特権の一種という解除条件の枠組みからは外れた法理論に依拠・連関していた実際の理由としては,わが国における(旧)民法典施行後の実務および理論上の参考に供するために,このような理論を示したのではないかとも思われる。法典施行後(法典論争の結果,旧民法典の施行は実現しなかったが),裁判上の解除として解除訴訟に現れることが容易に予想される紛争類型(不動産売買の解除事案)についてのみ,踏み込んだ先取特権〔と〕いう法的基礎を示したと考えられなくもない。だが,この点はあくまで筆者の推測の域を出ない。」と評されています(福本忍「ボワソナード旧民法典草案(Projet)における法定解除の法的基礎――『プロジェ・初版』を分析素材として――」九州国際大学法学論集23123号(20173月)295-296頁・註82)。ところで,ボワソナアドの説くところを読みつつ,筆者は,古代ローマにおける「契約責任の変貌」に関する次の文章を想起していたところでした。

 

  不履行の場合に何を請求しうるかであるが,この点でも原則が変化するわけではないにかかわらず実際には少しずつ今までにはありえなかった関心が浮上していく。農場を売ったとしよう。引き渡したが代金が支払われない。代金支払いについて過失を論ずる余地は少ないから,故意責任,そして重い懲罰的損害賠償,という筋道になる。こういう場合売った農場を取り戻そうという関心は希薄であろう。売った以上金銭を欲したはずである。ところがやがてその農場自体を取り戻したいという関心が生まれる。まさにそれしかないそれを別に売りたい,そしてまた賠償を取りたくとも相手に他に資産はなく,それを他の債権者と分けるなどまっぴらごめんだ,等々。売っておきながら反対方向の金銭の流れとの関係で紐つきであるという,あの観念の再浮上でもある。同時履行の抗弁権という諾成契約に相応しからぬ観念が,しかも契約当事者間の信義の名のもとに,生まれてくる事情でもある。

  〔略〕契約を一方当事者の主張に基づいて解消するという関心が現れる。引渡をしてしまっていても契約さえ解消できれば所有権は移らない。ここからはrei vindicatio〔所有権に基づく返還請求〕が使えるではないか,というのである。所有権者が半分纏っていたbona fidesの衣装をかなぐり捨てる瞬間である。〔後略〕

(木庭146-147頁)

 

 こうしてみると,ボワソナアドの視角は,むしろ正統的なものであったといい得るようです。

 なお,旧民法財産編4092項が解除条件成就の効果は合意前に遡及するものとしていましたから,旧民法財産編4211項の解除の効果も遡及したわけでしょう。また,旧民法財産編4211項の「義務不履行」状態にあると認められる者には,同条2項に係るボワソナアド解説によれば,「障碍に遮られた誠意ある債務者(débiteur embarrassé et de bonne foi)」も含まれたようです(Boissonade, p.458)。裁判所による恩恵上の期限の許与は,このような債務者に対してされるべきものと説かれています(ibid.)。

 

(2)旧民法財産編424

 旧民法財産編424条の損害ノ賠償と民法5454項の損害賠償との関係も難しい。

民法5454項の損害賠償については,「その性質は,債務不履行による損害賠償請求権であつて,解除の遡及効にもかかわらずなお存続するものと解すべきである。近時の通説である(スイス債務法と同様に消極的契約利益の賠償と解する少数の説もある〔略〕)。判例は,以前には,債権者を保護するために政策的に認められるものといつたことなどもあるが(大判大正610271867頁など(判民大正10年度78事件我妻評釈参照)),その後には,大体において,債権者を保護するために債務不履行の責任が残存するものだと解している(大判昭和8224251頁,同昭和86131437頁など)」ところであって(我妻200頁),「填補賠償額を算定する標準は,抽象的にいえば,契約が履行されたと同様の利益――履行期に履行されて,債権者の手に入つたと同様の利益――であつて,債務不履行の一般原則に従う」ものとされています(我妻201-202頁)。

これに対して,旧民法財産編424条の損害ノ賠償に関してボワソナアドが説くところは,異なります。いわく,「法は解除した当事者に「其受ケタル損害ノ賠償(la réparation du préjudice éprouvé)」しか認めず,かつ,得べかりし利益(gain manqués)の賠償は認めていないことが注目される。また,法は,通常用いられる表現であって,「その被った損失及び得られなかった得べかりし利益(la perte éprouvée et le gain manqué)」を含むところの(〔ボワソナアド草案〕第405条)dommages-intérêtsとの表現を避けている。実際のところ,解除をした者がその合意からの解放とそれから期待していた利益とを同時に得るということは,理性及び衡平に反することになろう。彼が第三者との新しい合意において得ることのできる当該利益を,彼が2度得ることはできない。日本の法案は,このように規定することによって,通常の形式(la formule ordinaire)に従って“des dommages-intérêts”を与えるものとする外国法典においては深刻な疑問を生ぜしめるであろう問題を断ち切ったものである。」と(Boissonade, p.461。なお,平井51-52頁)。「解除は事態を合意より前の時点の状態に置くことをその目的とするものの,当該結果は常に可能であるものではない。」ということですから(Boissonade, p.460),原状回復を超えた損害賠償は認められないということでしょう。すなわち,「解除に伴う損害賠償の範囲は,現物が返還された場合であれ,返還不能で価格による償還の場合であれ,解除時における目的物の客観的価格が限度」になるものと考えられていたようです(平井52頁)。

ボワソナアドの口吻であると,フランス民法旧11842項の損害賠償についても,得べかりし利益の賠償を含まず,かつ,原状回復が上限であるものと解するのが正しい,ということになるようです。我が旧民法及びフランス民法に係るボワソナアドの当該解釈を前提とすると,民法5454項に関して「わが民法は,フランス民法・旧民法に由来し,債務不履行により損害の生じた以上民法415条によりこれを賠償すべきものとの趣旨で,ただ反対の立法例もあるので念のため規定したとされる。」と言い切ること(星野Ⅳ・93頁。下線は筆者によるもの)はなかなか難しい。梅謙次郎は対照すべき条文として旧民法財産編424条を掲げつつ,民法5454項に関して「当事者ノ一方カ其不履行ニ因リテ相手方ニ損害ヲ生セシメタルトキハ必ス之ヲ賠償スヘキコト第415条ノ規定スル所ナリ而シテ是レ契約ノ解除ニ因リテ変更ヲ受クヘキ所ニ非サルナリ故ニ当事者ノ一方ノ不履行ニ因リテ相手者カ解除権ヲ行ヒタル場合ニ於テハ其解除ノ一般ノ効力ノ外相手方ヲシテ其不履行ヨリ生スル一切ノ損害ヲ賠償セシムルコトヲ得ヘシ(契約上ノ解除権ヲ行使スル場合其他不履行ニ因ラサル解除ノ場合ニ在リテモ若シ同時ニ契約ノ全部又ハ一部ノ不履行ノ事実アルトキハ同シク賠償ノ責ヲ生スルモノトス)」と述べていますが(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第33版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)453頁・454-455頁),ここでの旧民法財産編424条は,飽くまで単に対照されるだけのものだったのでしょう。

なお,穂積陳重の「既成法典〔すなわち旧民法〕抔ニ於テモ然ラハ解除ヲ請求スルカ損害賠償ヲ請求スルカト云フヤウニ選択ヲ為スコトノ出来ル場合抔モ徃々アルノテアリマス」との前記発言は,文言上解除と損害ノ賠償とが併存している旧民法財産編424条の存在を前提とすると理解が難しく,あるいは選択云々ということであればフランス民法旧11842項に関する言い間違いということになるのでしょうか。それとも,旧民法財産編424条の損害ノ賠償をボワソナアド流に正解した上で,同条の損害ノ賠償は原状回復の一部であって本来の損害賠償ではない,という判断が前提としてあったのでしょうか。

 

(3)旧民法財産編412

ところで,法典調査会の民法議事速記録にも梅謙次郎の『民法要義』にも民法545条に関して参照すべきものとして挙げられていないものの,なお同条に関して参考となるべき条文として旧民法財産編412条があります。

 

 旧民法財産編412条 条件ノ成就シタルトキハ物又ハ金銭ヲ引渡シ又ハ返還ス可キ当事者ハ其成就セサル間ニ収取シ又ハ満期ト為レル果実若クハ利息ヲ交付スルコトヲ要ス但当事者間ニ反対ノ意思アル証拠カ事情ヨリ生スルトキハ此限ニ在ラス

  (Lorsque la condition est accomplie, celle des parties qui doit livrer ou restituer une chose ou une somme d’argent doit en fournir les fruits ou intérêts perçus ou échus dans l’intervalle, à moins que la preuve d’une intention contraire des parties ne résulte des circonstances.

 

 ボワソナアドの解説は,次のとおり。

 

371. 〔ボワソナアド草案〕第432条〔すなわち旧民法財産編412条〕は,暫定的に収取される(intérimaires)果実及び利息について規定し,解除の効果を全からしめる。フランス及びイタリアの法典はひとしくこの点について沈黙しており,意見の相違をもたらしている。

 本案は,解除の自然な帰結をたどるものである。もし,解除が直接的なもので,かつ,移転された権利の受領者に対して成就したのであれば,同人は,一定の占有期間中において目的物の果実及び産物を収取できたのであるから,それらを返還する。他方,譲渡人は,代金を受領することができたのであるから,その利息を返還する。もし,停止条件の成就によって解除が間接的に作用するときは〔筆者註:旧民法では停止条件付法律行為の効力もその成立時に遡及し(同法財産編4091項),(遡及的)解除条件付法律行為の場合の裏返しのような形で,法律行為成立時と条件成就時との間における当事者間の法律関係が変動しました。〕,権利を譲渡した者は目的物を収取された果実と共に引き渡し,受領者は代金を利息と共に支払う。かくして事態は,第1の場合においては解除条件付合意がされなかった場合においてあるべきであった状態に至り,第2の場合においては停止条件付合意が無条件かつ単純であった場合においてあるべきであった状態に至る。

 〔ボワソナアド草案〕第432条〔すなわち旧民法財産編412条〕は,上記の解決を与えつつも,当事者の意図するところによって変更が可能であることを認める。実際にも,単純処理の目的のために,明示又は黙示に,条件の成否未定の間に一方当事者によって収取された果実を他方当事者から受領すべき代金の利息と相殺するように両当事者が認めることは可能である。当該相殺は,フランスにおいては遺憾にも,例外ではなくむしろ一般準則として認められているところであるが,日本においては裁判所によって極めて容易に認められるであろう。特に,合意と条件の成否決定との間の期間が長期にわたるときである。しかしながら,これは常に,状況によりもたらされた例外と観念されなければならない。

Boissonade, p.434

 

 フランス及びイタリア両民法には規定がなかったということで,穂積陳重はドイツ民法草案を参照したのでしょう。旧民法財産編412条は契約の解除の場合についてではなく条件成就の場合一般に係る規定である建前であったので,民法545条に係る参照条文とはされなかったものでしょうか。

 

跋 2021年の夏

 と以上長々と書いてきて,いささか収拾がつかなくなってきました。

 ここで原点に帰って,筆者の問題意識を再確認しておきましょう。

 そもそも本記事を起稿したのは,2021年夏の東京オリンピック大会開催に関する「開催都市契約に係るスイス債務法の適用等に関する走り書き(後編)」記事の「追記2:放送に関する払戻し契約」において(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078653594.html),平成29年法律第44号による民法改正を解説する筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)の228頁(注3)における民法536条新1項に係る御当局流解釈論を紹介したことが発端です。すなわち,当該解釈論によれば,民法536条新1項においては「債権者は履行拒絶権がある反対給付債務の履行を常に拒絶することができるのであり,このような履行拒絶権の内容からすると,この場合の反対給付債務については,そもそも給付保持を認める必要すらないことから,債務としては存在しないのと同様に評価することができる。そのため,新法においても,旧法と同様に,債権者は,既に反対給付債務を履行していたときには,不当利得として,給付したものの返還を請求することができると解される」ものとされ(下線は筆者によるもの),債務者は,原則的には「その利益の存する限度において」当該利益を返還する義務を負うことになるわけですが(民法703条),ここで債権者が一声「あなたは債務を履行することができなくなっていますから,この契約を解除します。」と債務者に契約解除の意思表示をすれば(同法54211号,5401項),債務者は債権者を「原状に復させる義務を負」い,かつ,受領の時からの金銭の利息の支払及び受領物から生じた果実の返還もしなければならないことになるわけです(同法5451-3項)。要するに,「契約解除」の単なる一声で,返還を受け得るものの範囲が結構増加することになります(民法703条と545条との違い)。実務上は,合理的な債権者としてはなるべく一声添えて契約の解除構成とし,債務者に対し,給付したものに係るより多くの返還の請求をすることになるのでしょうが(裁判所の対応としては,契約の解除構成でも不当利得構成でもよい,ということにはなるのでしょう。),たった一声で結果に大きな差が出るのは奇妙ではあり,実用法学論はともかくも,そもそも本来的にはどちらが「正しい」構成なのかしら,という危険な好奇心を抱いてしまったところです(「正しさ」の追求は,おおむね剣呑です。)。

 ということで,契約の解除の効果に係る民法545条を,最近筆者に対して気難しく反抗的な机上のPCをなだめつすかしつ,『法典調査会民法議事速記録』等を参照しながら調べ始めてみたわけです。

 民法545条の原状回復義務は,沿革的には次のように説明されるのでしょう。

契約の解除制度を構築する際,既にあった解除条件付法律行為の制度に拠ったところ(フランス民法旧11841項,旧民法財産編4211項),当時の解除条件成就の効果は法律行為成立以前に遡及するものであったため(フランス民法11831項,旧民法財産編4092項。民法1272項とは異なる。),契約の解除の効果として旧民法財産編412条的な原状回復義務が疑問なく当然のものとして取り入れられ(ドイツ民法第一草案42712項,ドイツ民法第二草案298条),それがそのまま残っている,ということでしょうか。契約の解除の制度なるものに係る抽象的かつ超越的な「本質」に基づくものではないのでしょう。

遡及的解除条件の双務契約への付加及びその成就の効果は当事者の意思の推定に基づくものとされていたもののようです。しかし,当該条件付加の目的は,ボワソナアドとしては担保物権的効果を主眼としていたようであって(以上本記事41)参照),その点では,原状回復義務は債権でしかない限りにおいては重視されなかったということになるようです。確かに,原状回復債権以前に本来の契約に基づく債権があったのであって,まずはその担保の心配をせよ,ということになるものでしょうか。また,契約の解除が民法5361項の場面に闖入するに至った原因は平成29年法律第44号による改正によって契約の解除に債務者の帰責事由を不要としたからなのですが,当該改正の理由は,債権者が「契約を解除してその拘束力を免れること」をより容易にするということのようであって(筒井=村松234頁等),契約の解除の効能としては,それに伴うところの原状回復には重きが置かれていないようです(そもそも,契約が履行されていたなら得たであろう利益(履行利益)の賠償を民法5454項の損害賠償として認める解釈は,契約が締結されなかった状態に戻すはずのものである同条1-3項にいう原状回復とは食い合わせが悪いところです。)。「解除の機能は,相手が債務不履行に陥った場合に,債権者を反対債務から解放し,債務者の遅れた履行を封じ,あるいは,自らが先履行して引き渡した目的物の取り戻しを認めることによって,債権者を保護することにある。」と説かれています(内田85-86頁)。契約の解除制度の主要目的が債権の担保及び契約の拘束力からの離脱という,これからどうする的問題のみに係るものであれば,契約の成立時からその解除時までの期間における法的効力及び効果をあえて後ろ向きに剥奪しようとする債権的な原状回復の努力は,どうも当該主要目的に正確に正対したものとはいえず,過剰感のあるものともいい得るように思われます。

 契約の解除制度の基礎付けを契約当事者の意思に置く場合,民法5361項の場面において,債務者が既に受領していた反対給付に係る返還義務を契約の解除に基づく原状回復義務とすることも(従前は不当利得に基づく返還義務でした。),契約当事者の意思の範囲内にあるものと観念し得るかどうか。202041日以降の当事者の意思は制度的にそうなのだ(平成29年法律第44号附則32条),と言われればそういうことにはなるのでしょう。そうだとすると,民法536条新1項に係る御当局流の解釈論は,契約が解除されるまでは当該契約に基づき既受領の反対給付を債務者は当然保持できるのだ,との契約当事者の意思もまた措定される場合,当該意思を余りにも軽んずるものであるとされてはしまわないものでしょうか。

 以下余談。

 話題を開催都市契約ないしは放送に関する払戻し契約関係から,東京オリンピック大会開催下(2021年夏)の我が国の情態いかんに移せば,これに関しては,新型コロナウィルス感染症の「感染爆発」下にあって,我々は80年ほど前のいつか来た道を再び歩んでいるのではないか,と懸念する声もあるようです。

 しかし,ちょうど80年前の19417月末の我が国の指導者に比べれば,現在の我が国の政治家・国民ははるかに立派です。

 1941730日水曜日の午前,昭和天皇と杉山元参謀総長(陸軍)とのやり取りにいわく。

  

  また天皇は,南部仏印進駐の結果,経済的圧迫を受けるに至りしことを御指摘になる。参謀総長より予期していたところにして当然と思う旨の奉答を受けられたため,予期しながら事前に奏上なきことを叱責される。(宮内庁『昭和天皇実録 第八』(東京書籍・2016年)445頁)

 

前年行った北部仏印進駐でも足らずに19417月にまた南部仏印進駐を更に行い,これに対して発動された関係諸国の経済的圧迫がけしからぬあの「ABCD包囲網」であるということで同年12月の対米英蘭開戦の災いに立ち至ったはずなのですが,いや,こういうことをしちゃえば当然ヤバくなることは分かっていました,と当の責任者からしゃあしゃあと言われると腹が立ちます。

前年以来重ねて緊急事態宣言を発しているにもかかわらず感染状況が改善しないところ,他方累次の宣言等によって国民が「経済的圧迫を受けるに至りしこと」を担当国務大臣に対して指摘すると,「予期していたところにして当然と思う」という他人事のような回答が返って来た,という悲劇には,今日の日本はまだ見舞われてはいないようです。

同じ1941730日の午後,今度は永野修身軍令部総長(海軍)です。

 

 永野より,前総長〔伏見宮博恭王〕と同様,できる限り戦争を回避したきも,三国同盟がある以上日米国交調整は不可能であること,その結果として石油の供給源を喪失することになれば,石油の現貯蔵量は2年分のみにしてジリ貧に陥るため,むしろこの際打って出るほかない旨の奉答を受けられる。天皇は,日米戦争の場合の結果如何につき御下問になり,提出された書面に記載の勝利の説明を信じるも,日本海海戦の如き大勝利は困難なるべき旨を述べられる。軍令部総長より,大勝利は勿論,勝ち得るや否やも覚束なき旨の奉答をお聞きになる。(宮内庁445-446頁)

 

 衆議院議員の任期満了まで2月余のみにしてジリ貧に陥るため,むしろこの際打って出るほかないとて,感染制圧に至る旨の説明が記載された書類と共に勇ましい新規大型施策の提案があったところ,その担当部署の長に対して「難しいんじゃないの」と牽制球を投げてみると,いや撲滅はもちろん効果があるかどうかも覚束ないんですとあっさり告白されてしまえば,脱力以前に深刻な事態です。しかし,このような漫画的事態(とはいえ,告白してしまっておけば,確実視される当該施策失敗の際に責任を負うのは,提案者ではなく採用者であるということにはなります。)が現在の永田町・霞が関のエリートによって展開されているということは,およそ考えられません。

 19417月末の大元帥とその両幕僚長との悲喜劇的やり取りにかんがみると,その4年後に我が民法等の立法資料の原本が甲府において灰燼に帰してしまうに至った成り行きも,何だか分かるような気がします。

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(上)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078601732.html(申命記第22章第5節,禮記及び違式詿違条例)


なお,東京違式詿違条例62条ただし書にいう「女ノ着袴」の「袴」を,和服の(はかま)のことと解さずに,厳格に漢文にいう「()」として読むと(「袴」は「絝」の別体),「ももひき。ズボン。」のことになります(『角川新字源』777頁)(註)。ヨーロッパでは,女性がズボンをはくということが,女性による男装というスキャンダラスな行為を象徴するものであったはずですが(以下に出て来るフランス共和国元老院のウペール議員の用いた表現参照),我が国では,もんぺをはいていても大和撫子であることに変わりはありません。

 

  Als Lola Lola zerstörte sie 1930 im FilmDer Blaue Engel die Welt der Scheinmoral, wurde zur Ikone einer freien Sexualtät; ihr bewusstes Tragen von Hosen bei öffentlichen Auftritten beförderte ein emanzipiertes Frauenbild.

     (Edgar Wolfrum und Stefan Westermann, Die 101 Wichtigsten Personen der Deutschen Geschichte. (C.H.Beck, München, 2015) S.87)

  (1930年,映画『青い天使』の「ローラ・ローラ」として,彼女〔マレーネ・ディートリッヒ〕は見せかけの道徳(モラル)の世界を破壊し,自由な性の偶像(イコン)となった。公の場における彼女の意識的ズボン着用は,一つの解放された女性像をもたらした。)

 

4 共和国9年(ブリュ)(メール)26日セーヌ県警視総監命令第22号等

ボワソナアドの頑張りの背景には,それを支えるべきフランス法の規定があったように思われるところ,探してみると,今世紀に入ってから,フランス共和国の一元老院委員と同国政府との間で,次のようなやり取りがあったところです。

 

 アラン・ウペール君(コート・ドオル,UMP〔人民運動聯合〕)の書面による質問第00692号 

 (2012712日付け元老院公報1534頁掲載)

 アラン・ウペールは,政府の代表である女性の権利大臣の注意を,依然効力を有しているところの女性のズボン(パンタロン)着用を禁ずる18001117(ママ)日法の規定に向けて喚起する。具体的には,当該法――共和国9(ブリュ)(メール)26日法――は,「男装しようとする全ての女子は,その許可証を得るため,警視庁に出頭しなければならない。」と規定している。当該禁止は,ズボン(パンタロン)を女性が着用することを「当該女子が自転車のハンドル又は馬の手綱を把持する場合」に認める1892年及び1909年の2件の通達によって部分的に廃止されている。当該規定はもはや今日適用されないとしても,その象徴的重要性は,我々の現代的感性と衝突し得るものである。よって,同人は,同大臣に対し,当該規定を廃止する意思ありやと質問する。

 

 女性の権利省の回答

 (2013131日付け元老院公報339頁掲載)

 お尋ねの1800117日法は,「女子の異性装に関する命令」と題する共和国9(ブリュ)(メール)26日(1800117日)付けデュボワ警視総監の第22号命令である。ちなみに,当該命令は,先ず何より,彼女たちが男性のように装うことを妨げることによって,ある種の職務又は職業に女性が就くことを制限しようとするものであった。当該命令は,憲法及びフランスがヨーロッパと結んだ約束――なかんずく1946年憲法の前文,憲法第1条及び欧州人権条約――に銘記されている女性と男性との間における平等の原則と抵触している。当該抵触の結果,117日命令の明文によらざる廃止が生じたものであり,したがって,それは,全ての法的効力を剥奪されており,かつ,そのようなものとしてパリ警視庁に保存されている一片の古文書にすぎないものとなっている。

 

 共和国9(ブリュ)(メール)26日(1800117日)付けデュボワ警視総監の第22号命令は,次のとおり(Christine Bard, “Le DB 58 aux Archives de la Préfecture de Police”. Clio. Femmes, Genre, Histoire. octobre 1999)

 

  警視総監は,

  多くの女子が異性装をしている旨の報告を受け,かつ,健康上の理由cause de santé以外の理由では彼女らのうちいずれもその性の服装を廃することはできないものと確信し,

  異性装の女子は,必要に応じて提示できる特別の許可証を携帯できるようにならなければ,警察官による取り違え(méprises)をも含む数限りのない不都合(déagréments)にさらされることを考慮し,

  当該許可証は統一されたものであるべきこと及び本日まで異なった許可証が種々の当局から交付されていることを考慮し,

  最後に,本命令の発布後,成規の手続を履まずに男装する全ての女子は,その異性装を悪用する不法の意図(l’intention coupable d’abuser de son travestissement)を有するものと疑う理由を与えるものであることを考慮し,

  次のとおり定める。

  1 本日までにセーヌ県の副知事又は市長並びにサン・クルー,セーヴル及びムードンの各コミューンの市長によって交付された全ての異性装許可証(警視庁において交付されたものをも含む。)は,無効であり,そうあり続ける。

  2 男装しようとする全ての女子は,その許可証を得るため,警視庁に出頭しなければならない。

  3 当該許可証は,その署名の真正が正式に証明された保健吏(officier de santé)による証明書,並びにそれに加えて,申請者の氏名,職業及び住居を記した市長又は警察署長の証明書に基づかなければ与えられない。

  4 前各項の規定に従わずに異性装をするものと認められる全ての女子は,逮捕され,警視庁に引致される。

  5 この命令は,印刷され,セーヌ県全域並びにサン・クルー,セーヴル及びムードンの各コミューン内において掲示され,当該官吏による執行を確保するため,第15及び第17師団長,パリ要塞司令長官,セーヌ県及びセーヌ=オワーズ県の憲兵司令官,市長,警察署長並びに治安担当吏に送付される。

  警視総監デュボワ

 

「異性装を悪用する不法の意図」,すなわち男性と偽ることによる身元擬装を警戒する上記1800117日命令の発布の背景として,第一統領に対する同年1010日の共和主義者による暗殺の陰謀,同年1224日のサン・ニケーズ街における爆殺未遂事件といった出来事に象徴される,発足後1年のナポレオン・ボナパルトの統領政府(le Consulat)が治安強化を必要としていた世情があったと指摘されています(Bard: 11)。

1800117日命令に違反した罪に係る刑については,同命令自身は明らかにしていませんが,違警罪ということで科料又は5日未満の拘留ということになったはずとされ,例えば1830年にはつつましい研磨工であるペケ嬢に対して3フランの科料が科せられています(Bard: 18)。

しかし,一見して分かるように,女性の男装のみが問題とされていて,男性の女装については問題とされていません。「男性にとって,異性装は,女性的柔弱化と区別されたものとしては,疑いなく19世紀の初頭においてはなお考えることが難しかった。女性は,異性装によって,社会が彼女たちに拒否した自由を獲得する,しかし,男性は?」ということでしょうか(Bard: 14)。女性に対する警戒優先ということでは,前記申命記第22章第5節の立法趣旨⑥的です。ただし,1833531日の警視総監命令は,舞踏会,ダンス場,演奏会,宴会及び公の祝祭の主催者(entrepreneurs)が異性装をした者(男女を問わない。)の入場を認めることを禁止し,当該禁止は謝肉祭(カルナヴァル)の期間においてのみ警視庁の許可をもって解除されるものとしていました(Bard: 14)。1886年のボワソナアド刑法草案4864号にいう「公許ノ祭礼」の原風景は,フランスのカーニヴァルだったわけです。

なお,フランスの1810年刑法典の第259条は「自らに属しない服装,制服又は徽章(un costume, un uniforme ou une décoration)を公然僭用した者又は帝国の位階を詐称した者は,6月から2年までの禁錮に処せられる。」と規定していましたが,19世紀半ばのジャック=フランソワ・ルノダン(男性)はその女装について同条前段違反で何度も起訴されたにもかかわらず,常に放免されていましたし(同条は,我が軽犯罪法(昭和23年法律第39号)115号,警察犯処罰令220号(「官職,位記,勲爵,学位ヲ詐リ又ハ法令ノ定ムル服飾,徽章ヲ僭用シ若ハ之ニ類似ノモノヲ使用シタル者」を30日未満の拘留又は20円未満の科料に処する。)及び旧刑法231条(「官職位階ヲ詐称シ又ハ官ノ服飾徽章若クハ内外国ノ勲章ヲ僭用シタル者ハ15日以上2月以下ノ軽禁錮ニ処シ2円以上20円以下ノ罰金ヲ附加ス」)に類するものです。),1846年に行商人のクロード・ジルベール(男性)はその女装による公然猥褻のかど(l’inculpation d’outrage à la pudeur publique)で起訴されていますが,やはり無罪放免でした(Bard: 14)。

1800117日命令に基づく許可証を得ることができた女性は,「通常男性がするものとされている職業に従事する女性又は「髭の生えた女性のように,余りにも男性的なその外見のため,公道において好奇心の対象として曝される」女性」であったそうです(Bard: 6)。前者に係る理由が2013年の女性の権利省回答にいう「当該命令は,先ず何より,彼女たちが男性のように装うことを妨げることによって,ある種の職務又は職業に女性が就くことを制限しようとするものであった」という後付け的(デュボワは命令の趣旨として明示していません。)性格付けに対応し,後者はデュボワのいう「健康上の理由」を有する者に含まれるのでしょうか。女性の権利省の回答は,女性の男装を禁ずることは就職の場面において男女の平等原則を損ねるものであるとして,当該禁止規定の無効を導出するものですが,これは,申命記第22章第5節以来の異性装禁止の性格付けとして,同節に係る前記立法趣旨の⑤ないしは⑥を採ったような形になっています。

なお,かつての東京府知事の権限は他府県の知事のそれとは異なり,警察事務はそこには属しておらず(換言すると,現在とは異なり,府県知事は警察事務も所掌していました。),東京府における当該事務は警視庁が所掌していましたが,この「警視庁ノ制度ハ初メ仏国ノセイヌ県警察知事ノ制ニ倣ヒテ設置セラレタルモノ」です(美濃部達吉『行政法撮要 上巻(第4版)』(有斐閣・1933年)299頁)。デュボワは,ボナパルト政権下において創設された当該官職における初代在任者です(Bard: 11)。

 

5 米国における市条例

 米国では,1848年から1900年までの間に34の市が異性装を犯罪化する条例を制定し,1914年の第一次世界大戦勃発時までには更に11市が加わっています。Arresting Dress: Cross-Dressing, Law, and Fascination in Nineteenth-Century San Francisco”Duke University Press, 2014の著者であるサン・フランシスコ州立大学のC.シアーズ(Clare Sears)准教授によれば,これらの条例は,典型的には,売春取締りを主要な目的に,町の健全なイメージを醸成して中間層(ミドル・クラス・)家族(ファミリーズ)の移入を図ろうとする発展しつつあるフロンティア・タウンにおいて制定されたものだそうです。「当時は,異性装が行われる場合は多くは売春がらみでした。女性がある形で男装するということは,彼女はより冒険的であり,性的関係を結び得るより大きな可能性があるということを他の人々に伝えることでした。」,「実際は服装が問題なのではなかったのです。これらの条例は,淫らさを取り締まって,より性的に健全な町を作ろうと試みて制定されたのです。そして服装は,そこに達するための手段にすぎなかったのです。」とのことです。大きな拡がりをみせた風俗浄化運動(anti-indecency campaign)の一部として1863年にはかのサン・フランシスコ市においても「彼又は彼女の性に即するものではない服装」をして公然現れることを犯罪とする条例が制定され,19747月まで効力を保っていました。(以上,SF State News ウェブサイト: Beth Tagawa, “When cross-dressing was criminal: Book documents history of longtime San Francisco law”参照)

 なお,シアーズ准教授の前掲書の一書評(by John Carranza at notevenpast.org)によると,19世紀のサン・フランシスコでは,清国からの移民が,異性装をして上陸して来るのでけしからぬということで取り締まられていたそうです。男女不通衣裳の禁を破ったのであれば,米国法及びその執行の適正性いかんを云々する以前に,自民族の伝統的な礼の教えに背いていたことになるのでしょう。


(下)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078601799.html(東京地方裁判所令和元年12月12日判決)



註:絝と和服の(はかま)とのここでの使い分けは,絝であれば馬乗袴型のもののみがそう呼称される一方,行灯袴型のものも(はかま)には含まれるとの理解に基づいています。現在の女子学生が卒業式の際よく着用するものは,行灯袴ですので,ズボンとスカートとの対比ではスカートに該当することになります。女性がスカートを着用するのでは,そもそもabominabilisにはならないでしょう。

 いずれにせよ,女ノ着袴は男粧であるから(「縛裳爲袴」については,「女性の長いスカート風の衣裳」である裳を「縛って袴にしたとは,男装をしたこと」とあります(『新編日本古典文学全集2 日本書紀①』(小学館・1994年)63頁・註14)。),それを許すためにはただし書で外す必要があった,ということになります。しかし,俳優・歌妓・舞妓ならぬ堅気の女性にまで着袴による男粧を許すのですから,東京違式詿違条例62条は,宗教的徹底性を持った異性装の禁止であったとはいえないでしょう。

 また,(まち)高袴(だかばかま)(というものがあります。(まち)」は,袴の内股のところのことです。すなわち襠高袴は,絝ということになります。これについては,明治四年八月十八日(1871102日)に太政官から「平民(まち)高袴(だかばかま)(さき)羽織(はおり)着用可為(なすべきは)勝手事(かってたること)」とのお触れが出ています。これは換言すると,それまで襠高袴及び割羽織は士族(男ですね。)専用だったわけです。絝の男性性に係る一例証となるでしょうか。


追記:本稿掲載後,
1800117日のセーヌ県警視総監命令に関して,新實五穂「警察令にみる異性装の表徴」DRESSTUDY64号(2013年秋)24-31頁に接しました。 

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1 「確定日付のある証書」

 

(1)民法467条2項

 民法(明治29年法律第89号)4672項に「確定日付のある証書」という語が出て来ます。

 

   (債権の譲渡の対抗要件)

  467 債権の譲渡(現に発生していない債権の譲渡を含む。)は,譲渡人が債務者に通知をし,又は債務者が承諾をしなければ,債務者その他の第三者に対抗することができない。

  2 前項の通知又は承諾は,確定日付のある証書によってしなければ,債務者以外の第三者に対抗することができない。

 

民法467条の本野一郎及び富井政章によるフランス語訳Code Civil de l’Empire du Japon, Livres I, II & III(新青出版・1997年))は,次のとおり(ただし,第1項は,平成29年法律第44号による改正前の法文です。)。

 

  La cession d’une créance nominative n’est opposable au débiteur et aux autres tiers que si elle a été notifiée par le cédant au débiteur ou acceptée par celui-ci.

  La notification et l’acceptation, dont il est parlé à l’alinéa précedent, ne sont opposables aux tiers, autre que le débiteur, que si elles ont été faites dans un acte ayant date certaine.

 

 「確定日付」は,フランス語では“date certaine”ということになります。「証書」は,“acte”です。合わせて「確定日付のある証書」は,“un acte ayant date certaine”です。(なお,“acte”には「(法律)行為」との意味もあります。)

 

(2)民法施行法5条1項

 で,確定日付のある証書とは何ぞや,ということで民法中を探しても,分からないことになっています。民法467条の起草者である梅謙次郎は,1895322日の72法典調査会において「成程此確定日附ノ方法ト云フモノハ余程困難ニハ相違アリマセヌ,ケレトモ六ケ敷イカラト云ツテ規定シナイト云フ訳ニハ徃キマセヌカラ孰レ特別法ヲ以テ規定スヘキモノテアラウト考ヘマス」と述べていました(『法典調査会民法議事速記録第22巻』(日本学術振興会)139丁裏)。すなわち,当該特別法たる民法施行法(明治31年法律第11号)という,民法とはまた別の法律の第51項を見なければなりません。

 

  5 証書ハ左ノ場合ニ限リ確定日付アルモノトス

   一 公正証書ナルトキハ其日付ヲ以テ確定日付トス

   二 登記所又ハ公証人役場ニ於テ私署証書ニ日付アル印章ヲ押捺シタルトキハ其印章ノ日付ヲ以テ確定日付トス

   三 私署証書ノ署名者中ニ死亡シタル者アルトキハ其死亡ノ日ヨリ確定日付アルモノトス

   四 確定日付アル証書中ニ私署証書ヲ引用シタルトキハ其証書ノ日付ヲ以テ引用シタル私署証書ノ確定日付トス

   五 官庁又ハ公署ニ於テ私署証書ニ或事項ヲ記入シ之ニ日付ヲ記載シタルトキハ其日付ヲ以テ其証書ノ確定日付トス

   六 郵便認証司(郵便法(昭和22年法律第165号)第59条第1項ニ規定スル郵便認証司ヲ謂フ)ガ同法第58条第1号ニ規定スル内容証明ノ取扱ニ係ル認証ヲ為シタルトキハ同号ノ規定ニ従ヒテ記載シタル日付ヲ以テ確定日付トス

 

ア 柱書き

ここでいう「証書」とは,「紙片,帳簿,布その他の物に,文字その他の符号をもつて,何らかの思想又は事実を表示したもので,その表示された内容が証拠となり得る物,すなわち書証の対象となり得る文書」をいいます(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)400頁)

 

イ 第1号

民法施行法511号の「公正証書」は,公証人が作成するものに限られず,「公務員がその権限内において適法に作成した一切の証書」たる広義のものです(吉国等250頁)

 

ウ 第4号

民法施行法514号に関しては,「同号にいう「確定日付ある証書中に私署証書を引用したるとき」とは,確定日付ある証書それ自体に当該私署証書の存在とその同一性が明確に認識しうる程度にその作成者,作成日,内容等の全部又は一部が記載されていることをいうと解すべきである。」と判示する最高裁判所判決があります(昭和58322日・集民138303頁)。

 

エ 第5号

民法施行法515号の「官庁又ハ公署」は,郵政事業庁(かつては,郵便事業は政府直営でした。)の後身たる日本郵政公社の存続期間中(200341日から2007930日まで)は「官庁(日本郵政公社ヲ含ム)又ハ公署」となっていました(日本郵政公社法施行法(平成14年法律第98号)90条による改正)。ここでの「官庁又ハ公署」は,「国または地方公共団体等の事務執行機関一般を指すもの」です(奥村長生「101 市役所文書課係員が受け付けた事実を記入し受付日付を記載した債権譲渡通知書と確定日付のある証書」『最高裁判所判例解説民事篇(下)昭和43年度』(法曹会・1969年)931頁)。確定日付の付与に係る事務を郵便局〠で行わせてはどうかという話は,民法467条に係る審議を行った第72回法典調査会で既に出ていたところです(『法典調査会民法議事速記録第22巻』156丁表)

民法施行法515号に関する判例として,最高裁判所第一小法廷昭和431024日判決・民集22102245頁があります。横浜市を債務者とする債権の譲渡に関する事件に係るものです。いわく,「本件通告書と題する文書(乙第3号証)は,地方公共団体たる被上告人市〔債務者〕の文書受領権限のある市役所文書課係員が,同市役所の文書処理規定にもとづき,私署証書たる訴外D作成の本件債権譲渡通知の書面に,「横浜市役所受付昭和三四・八・一七・財第六三九号」との受付印を押捺し,その下部に P.M.4.25 と記入したものであるというのであるから,これは,公署たる被上告人市役所において,受付番号財639号をもつて受け付けた事実を記入し,これに昭和34817日午後425分なる受付日付を記載したものというべく,従つて,右証書は民法施行法55号所定の確定日付のある証書に該当するものと解すべきである。/してみれば,右通告書をもつて,未だ確定日付ある証書とはいえないとして,上告人の本訴請求を排斥した原判決は,民法施行法55号の解釈適用を誤り,ひいては,民法4672項の解釈適用を誤つた違法のあるものといわなければならない。」と。

民法施行法515号が「同号にいう「確定日附」の要件として,〔略〕私署証書に「或事項ヲ記入」することを要求しているのは,登記所または公証人役場が,「私署証書ニ確定日附ヲ附スルコト」自体を,その本来の職務としている(民法施行法52号,6条)のに対し,その他の官庁または公署はそのようなことをその本来の職務とするものではないため,登記所または公証人役場以外の官庁または公署が私署証書に単なる日付のみを記載するということは通常考えられず,したがって,そのような官庁または公署の単なる日付のみの記載をもってしてはいまだ「確定日附」とはいえないという消極的な理由からにすぎない,と解するのが相当」であり,判例,学説も結論的に同旨の見解に立つものと解されています(奥村932頁)。昭和43年最高裁判所判決は,当該消極的趣旨を前提として「或事項ヲ記入シ」とは「格別に制限的に解しなければならない理由はなく,官庁または公署がその職務権限に基づいて作成する文書,すなわち,公文書と認めうる記載さえあれば充分であると解し」た上で,更に,「「官庁又ハ公署」の作成する文書の記載内容には,私署証書,すなわち,私人の作成する文書の記載内容に比して,高度の信用性があると認められる」という信用性は,当該公署が債権譲渡の通知を受ける債務者であるという当事者の場合であっても同様に認められるということができるから,当該事案における「通告書」を民法施行法515号所定の確定日付のある証書に該当するものと認めたもの,と評価されています(奥村931-932頁)

 

オ 第6号

民法施行法516号は,郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成17年法律第102号)3条によって追加されたものです(併せて同条により,民法施行法51項中の「日附」が「日付」に改められました。)。従来は,民法施行法515号に含まれていたものです。内容証明郵便制度は,「郵便の送達により権利義務の発生保存移転若くは消滅等を証明せんとするものの利用に供するの目的を以て」(逓信省『郵便』(逓信省・1914年)48頁),当時の郵便規則(明治33年逓信省令第42号)が1910115日公布の逓信省令第106号によって改正されて,同月16日から発足しています(当時の逓信大臣は後藤新平)。

 

カ 第2項及び第3項

指定公証人が電磁的方式によって「日付情報」を付した「電磁的記録ニ記録セラレタル情報」を「確定日付アル証書ト看做ス」とともに,当該日付情報の日付をもって確定日付とする民法施行法52項及び3項は,商業登記法等の一部を改正する法律(平成12年法律第40号)3条によって追加されたものです。

 

(3)民法施行法旧4条

なお,民法施行法4条は,「証書ハ確定日附アルニ非サレハ第三者ニ対シ其作成ノ日ニ付キ完全ナル証拠力ヲ有セス」と従来規定していましたが,民法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成29年法律第45号)1条によって,202041日からさりげなく「削除」となっています。

民法施行法旧4条は,実は(有害)無益な規定であったにもかかわらず,従来何となく目こぼしされてきていたものであったのでしょうか。同条の削除は,「この規定は現在では意味を失ったと解されることによるものと思われる。」とされています(山本宣之「民法改正整備法案による改正の実像」産大法学511号(20174月)196頁)

 

本槁においては,民法施行法51項及び旧4条について調べてみたところを記していきます。

 

2 民法467条に係る先行規定

なお,ここで,民法467条に係る先行規定を掲げておきます。

 

(1)明治9年7月6日太政官布告第99号

先ず,明治976日太政官布告第99号。

 

 金穀等借用証書ヲ其貸主ヨリ他人ニ譲渡ス時ハ其借主ニ証書ヲ書換ヘシムヘシ若シ之ヲ書換ヘシメサルニ於テハ貸主ノ譲渡証書有之モ仍ホ譲渡ノ効ナキモノトス此布告候事

  但相続人ヘ譲渡候ハ此限ニアラス

 

当該太政官布告に言及しつつ梅謙次郎は,「我邦ニ於テハ従来債権ノ譲渡ヲ許ササルヲ本則トセシカ如シ(976日告99号参観)」と述べていました(梅謙次郎『訂正増補第33版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=有斐閣書房・1912年)204頁)

「外国人の起草した〔旧〕民法への反発から巻き起こった法典論争においては,「民法出テゝ忠孝亡フ」という有名なキャッチフレーズで争われた家族法の論点と並んで,財産法では債権譲渡が槍玉に挙げられた。(旧)民法典の施行延期を主張する延期派は,債権譲渡の自由は経済社会を攪乱し,弱肉強食を進めるものだと批判したのである。」とのことです(内田貴『民法Ⅲ 第4版 債権総論・担保物権』(東京大学出版会・2020年)245頁)

 

(2)旧民法財産編347条

続いて旧民法財産編(明治23年法律第28号)347条。

 

347 記名証券ノ譲受人ハ債務者ニ其譲受ヲ合式ニ告知シ又ハ債務者カ公正証書若クハ私署証書ヲ以テ之ヲ受諾シタル後ニ非サレハ自己ノ権利ヲ以テ譲渡人ノ承継人及ヒ債務者ニ対抗スルコトヲ得ス

 債務者ハ譲渡ヲ受諾シタルトキハ譲渡人ニ対スル抗弁ヲ以テ新債権者ニ対抗スルコトヲ得ス又譲渡ニ付テノ告知ノミニテハ債務者ヲシテ其告知後ニ生スル抗弁ノミヲ失ハシム

 右ノ行為ノ一ヲ為スマテハ債務者ノ弁済,免責ノ合意,譲渡人ノ債権者ヨリ為シタル払渡差押又ハ合式ニ告知シ若クハ受諾ヲ得タル新譲渡ハ総テ善意ニテ之ヲ為シタルモノトノ推定ヲ受ケ且之ヲ以テ懈怠ナル譲受人ニ対抗スルコトヲ得

 当事者ノ悪意ハ其自白ニ因ルニ非サレハ之ヲ証スルコトヲ得ス然レトモ譲渡人ト通謀シタル詐害アリシトキハ其通謀ハ通常ノ証拠方法ヲ以テ之ヲ証スルコトヲ得

 裏書ヲ以テスル商証券ノ譲渡ニ特別ナル規則ハ商法ヲ以テ之ヲ規定ス

 

(3)ボワソナアド草案367条

旧民法財産編347条は,ボワソナアド草案の367条に対応しますGustave Boissonade, Projet de Code Civil pour L’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations. Tokio, 1891; pp.202-203

 

  367. Le cessionnaire d’une créance nominative ne peut opposer son droit aux ayant[sic]-cause du cédant ou au débiteur cédé qu’à partir du moment où la cession a été dûment signifiée à ce dernier, ou acceptée par lui dans un acte authentique ou ayant date certaine.

  Le signification d’une cession faite sous seing privé doit être faite à la requête conjointe du cédant et du cessionnaire ou du cédant seul.

  L’acceptation du cédé l’empêche d’opposer au cessionnaire toutes les exceptions ou fins de non-recevoir qu’il eût pu opposer au cédant; la simple signification ne fait perdre au cédé que les exceptions nées depuis qu’elle a été faite.

   Jusqu’à l’un desdits actes, tous payements ou conventions libératoires du débiteur, toutes saisies-arrêts ou oppositions des créanciers du cédant, toutes acquisitions nouvelles de la créance, dûment signifiées ou acceptées, sont présumées faites de bonne foi et sont opposables au cessionnaire négligent.

   La mauvaise foi des ayant-cause ne peut être prouvée que par leur aveu fait par écrit ou en justice; toutefois, s’il y a eu fraude concertée avec le cédant, la collusion pourra être établie par tous les moyens ordinaires de preuve.

   Les règles particulières à la cession des effets de commerce, par voie d’endossement, sont établies au Code de Commerce.

 

(4)民法467条,旧民法財産編347条及びボワソナアド草案367条間の比較若干

 

ア 「記名証券」か「指名債権」か

 ボワソナアド草案3671項の“créance nominative”が旧民法財産編3471項では「記名証券」となっていますが,これはやはり「指名債権」と訳されるべきものだったのでしょう(平成29年法律第44号による改正前の民法4671項参照)。「指名債権トハ債権者ノ誰タルコト確定セルモノ」をいいます(梅208頁)

 

イ 「合式ニ告知」から譲受人通知主義を経て譲渡人通知主義へ

 民法4671項の譲渡人通知主義は,ボワソナアド草案3671(そのフランス語文言は,旧民法案審議当時も本稿のものと同じ(池田真朗『債権譲渡の研究(増補二版)』(弘文堂・2004年)28-29頁註(25))の「誤訳」により,旧民法財産編3471項においては譲受人が合式ニ告知するもののようになっていたところ(池田24-25頁),ボアソナアドの考えに「感服」した現行民法起草者によって採用されたものです(『法典調査会民法議事速記録第22巻』140丁表-141丁表)

ただし,ボワソナアド草案3672項は「私署証書によってされた譲渡に係る告知は,譲渡人及び譲受人共同の又は譲渡人単独の申請に基づいてされなければならない。」と規定するものなので,債権譲渡の当事者が自ら同条1項の告知を債務者に直接することは想定されておらず,申請を受けたお役所筋において債務者に対する告知を合式ニ(dûment)するものと考えられていたようです。旧民法において「告知」となっているフランス語の“signification”は,法律用語としては「[令状などの]通達」を意味するものとされています“signification d’un jugement par un huissier”は「執達吏による判決の通達」です。他方,“notification”は,法律用語ならぬ日常的な意味の語のようです。『ロワイヤル仏和中辞典』(旺文社・1985年))。わざわざ “dûment”の語をもって修飾しているのですから正にお役所の手を煩わすべきものなのでしょう。ボワソナアドは,「通達(signification)については,公証吏(officier public)によってされなければならないことから,これも確定日付を有することになるものである。」と述べていますBoissonade II, p.218。「執行官に通知してもらい,その執行官が何月何日何時に通知が着いたということを公正証書で証明するといった方法」が「債権譲渡法制の母法国フランスで用いられる方法であり,起草者もこれを想定していた」そうです(内田267頁)。ただし,ボワソナアドはともかく(池田35頁註(8)・80頁),梅謙次郎はそこまで具体的に「想定」していたものかどうか。梅は「執達吏カ只我々ノ手紙ヲ使ヒヲ以テヤル様ニ手数料ヲヤレハ持ツテ徃クトイフモノテハナイ執達吏規則ニ「告知及ヒ催告ヲ為スコト」トアリマスケレトモ告知及催告状ノ送達ヲ為スト云フコトハナイ「当事者ノ委任ニ依リ左ノ事務ヲ取扱フ」ト云フコトカアルカライツレ執達吏ニ依テ通知スルト云フトキハ所謂告知ニナツテ其証書自身カ証拠ニナルノテナクシテ執達吏カ其告知ノ手続ヲ履ンタノカ夫レカ証明ニナルト思フ」と述べています(『法典調査会民法議事速記録第22巻』164丁表裏)。「イツレ・・・其証書自身カ証拠ニナルノテナクシテ・・・夫レカ証明ニナルト思フ」ということで,曖昧であり,かつ,その手続は確定日付のある「証書」の証拠力(民法施行法旧4条参照)の発動の場ではないよというような口ぶりです(ただし,池田128頁註(20))

旧執達吏規則は,「規則」といっても法律(明治23年法律第51号)で(執行官法(昭和41年法律第111号)附則2条により19661231日から廃止(同法附則1条及び昭和41年政令第380号)),その旧執達吏規則2条の第1により,執達吏は当事者の委任によって「告知及催告ヲ為スコト」を「得」るものとされていたものです。なお,梅は「告知及催告状ノ送達ヲ為スト云フコトハナイ」と言っていましたが,現在の執行官法附則91項は「執行官は,当分の間,第1条に定めるもののほか,私法上の法律関係に関する告知書又は催告書の送付の事務を取り扱うものとする。」と規定しています。

 

ウ 「確定日付のある証書によってする」のは,通知又は承諾であってその証明ではない。

また,「古い判例には,4672項にいう「確定日付のある証書によって」とは,債務者が通知を受けたことを確定日付のある証書で証明せよということであって,単に確定日付のある証書で通知せよということではない,としたものもあった(大判明治36330日民録9-361)」そうですが,「大(連)判大正31222日(民録20-1146〔略〕)が明治36年判決を改め,確定日付のある証書による通知・承諾とは,通知・承諾が確定日付のある証書でなされることであって,通知・承諾が到達したこと〔「通知又ハ承諾アリタルコト」。ちなみに,最高裁判所昭和4937日判決・民集282174号は,確定日付のある債務者の承諾の場合は,到達の日時ではなく「確定日附のある債務者の承諾の日時の前後」を問題にしています。〕を確定日付のある証書で証明せよということではない,とした」ところです(内田267頁)。つとに第72回法典調査会において,民法4672項の文言を「前項ノ通知又ハ承諾ハ確定日附アル証書ヲ以テ証明スルニ非サレハ之ヲ以テ債務者以外ノ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス」とすべきではないか,「仮令ヒ確定日附ノアルモノテナクテモ執達吏ニ頼ンテ或ル通知証書ヲイツ幾日何々ノ証書ヲ誰々ノ所ニヤツタト云フコトテモ夫レテモ本条2項ノ目的ハ十分達シ得ラルルト思ヒマス」との田部芳の修正案(『法典調査会民法議事速記録第22巻』162丁裏)には,賛成がなかったところです(同164丁裏)

なお,前記明治36年大審院判決は,民法4672項の「確定日附アル証書ヲ以テスル」「通知」は主に執達吏によってされることを想定していたようで「而シテ債務者ニ於テ通知ヲ受ケタル事実ヲ確定日附アル証書ヲ以テ証明スルニハ種々ナル方法ニ依ルヲ得可キモ猶其中ニ就テ例ヘハ執達吏規則第2条第10条ニ依レハ執達吏ハ当事者ノ委任ニ依リ告知等ヲ為ス可キ職務ヲ有シ且正当ノ理由アルニ非サレハ之ヲ拒ムコトヲ得サル責任アリ且若シ正当ノ理由アリテ之ヲ拒ミ委任ヲ為スコトヲ得サル場合ニ於テハ第11条乃至第13条等其手続完備シアルニヨリ同法律ノ規定ニ従ヒ執達吏ニ委任シテ通知ヲ為サシメ執達吏カ職務ノ執行ニ付キ作製セル公正証書ヲ以テ証明スルカ如キハ譲渡人及ヒ譲受人ノ為メ他日安全ニ立証シ得可キモノナリ」と判示しています。

エ 債務者の承諾

 

(ア)確定日付の要否

債務者の承諾については,ボワソナアド草案3671項においては債務者の承諾は「公正証書若しくは確定日付のある私署証書」ですべきものとなっていたところ,旧民法財産編3471項では,当該私署証書に確定日付を要求しないものとされていました。旧民法の制定過程において,確定日付制度を採用すべきものとするボワソナアドの提案は却下されてしまっていたのでした。

 

(イ)「承諾」の性質

民法467条における債務者の承諾は,「承諾」との文言にもかかわらず,「債務者が,債権が譲渡された事実についての認識――譲渡の事実を了承する旨――を表明することである。従って,その性質は,通知と同じく,観念の表示である(通説)。判例は,かつて,異議を留めない承諾は意思表示であって,譲受人に対してすることを要する,といったことがある(大判大正61021510頁。但し傍論)。然し,その後は,異議を留めない承諾もすべて観念の通知としているようである(例えば,大判昭和97111516頁〔略〕)。」(我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)532頁)と,また,「ここでいう承諾は,通知の機能的代替物だから,契約の成立の際の「承諾」のような意思表示ではない。譲渡に対する「同意」でもない。単に債権譲渡の事実を認識した旨の債務者の表示であり,これも「観念の通知」とされる。承諾の相手は,譲渡人でも譲受人でもよいとされている。」(内田234頁)ということで,観念の表示であるものと解されています。そうであれば,せっかくの平成29年法律第44号による改正の機会に,民法467条の「承諾」の語を同法152条における用語に揃えて「承認」とでも改めておけばよかったのにそれをしなかったのは,将来債権譲渡についての事前の包括的承諾というような「実務で用いられる「承諾」は,単なる観念の通知というより,意思表示としての「同意」とみる余地がある」から(内田273頁)でしょうか。

この「承諾」の性質問題についての起草者の認識はどうだったかといえば,梅謙次郎は,あっさり,「債務者カ承諾スルト言ヘハ夫レハ一ツノ契約テアル其契約ハ固ヨリ有効テアル」と,意思表示である旨述べていました(『法典調査会民法議事速記録第22巻』138丁裏)。そうだとすると,承諾に係る民法4672項の証書(acte)は,法律行為(acte)たる契約に係る処分証書であるということになるようです(ただし,契約書については「厳密にいえば,契約条項の部分は処分証書であるが,契約書作成の日時,場所,立会人などの記載部分は報告文書であると考えられている」そうです(司法研修所『民事訴訟における事実認定』(法曹会・2007年)18頁(*26))。)。また,梅は,債務者の承諾が用いられる場合として,債権譲渡がされるより前の事前の承諾の例を挙げています(『法典調査会民法議事速記録第22巻』151丁裏-152丁表)。フランスの「破棄院は1878年に至って〔略〕,債務者と譲受人との関係においては,債務者のした承諾は,それが私署証書によるものでも,口頭でされたものでも,さらには黙示のものであってさえも,そこから生じた債務者の対人的な約束engagement personnel)は債務者を譲受人に拘束するに十分であり,債務者に対し,譲受人以外に弁済をすることを禁じるものである,と認め」ていたそうです(池田311頁。下線は筆者によるもの)


オ 民法467条はボワソナアド草案367条の如クか?

なお,梅は民法467条について「本案ニ於テハ本トノ草案ノ如ク外国ニ於テ之ト同シ方式ヲ採用シテ居ル国ニ於ケルカ如ク確定日附ヲ必要ト致シタ」と述べていますが(『法典調査会民法議事速記録第22巻』140丁表),同条2項について見ても(同条1項の通知及び承諾は,そもそも確定日付のある証書を必要としていません。),承諾の方式についてはともかくも,ボワソナアド草案3671項(旧民法財産編3471項)の「合式ニ告知」の方式をどう解釈していたものでしょうか。債権譲渡の通知の方式(確定日付のある証書による通知)については「本トノ草案ノ如ク外国ニ於テ之ト同シ方式ヲ採用シテ居ル国ニ於ケルカ如ク」の方式であるとは言い切れないのではないか,と思われます。ボワソナアドは「「書記局ノ吏員ニ依テ」とか,「執達吏又ハ書記ノ証書ヲ以テ」」の方式を想定していたそうですし(池田80頁),「フランス法にいうsignificationは,「通知」ではなく「送達(●●)」もしくは「送達による通知」である。つまりそれは,huissier(執達吏)によって,exploit(送達証書)をもって行われる」そうです(同74-75頁)。当該exploit(送達証書)は,すなわち公証吏ないしは執達吏のexploitであるそうですから(池田75頁・76頁。また,同292-293頁),委任者作成の私署証書を送達するということではないようです。

 

(5)フランス民法1690条及び1691条

さて,次はボワソナアドの母国フランスの民法1690条及び1691条です。

 

 Art. 1690 Le cessionnaire n’est saisi à l’égard des tiers que par la signification du transport faite au débiteur.

  Néanmoins le cessionnaire peut être également saisi par l’acceptation du transport faite par le débiteur dans un acte authentique.

  (譲受人は,第三者との関係では,債務者に対して譲渡の通達がなければ権利者ではない。

  (ただし,譲受人は,公正証書でされた債務者による譲渡の承諾によっても同様に権利者となることができる。)

 

ここでの“saisir”は,“mettre (qqn) en possession (de qqch)”の意味(Le Nouveau Petit Robert)でしょう。

 

  Art. 1691 Si, avant que le cédant ou le cessionnaire eût signifié le transport au débiteur, celui-ci avait payé le cédant, il sera valablement libéré.

  (譲渡人又は譲受人によって債務者に対する譲渡の通達がなさしめられた前に当該債務者が譲渡人に弁済していたときは,債務の消滅は有効である。)


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承前(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078025212.html


第5 フランス民法894条

 

1 影響の指摘

 民法549条の分かりにくさ(前出我妻Ⅴ₂223頁参照)に関しては,「フランス民法894条の規定の体裁に従ったがためであろう。」とも説かれています(柚木馨=高木多喜男編『新版注釈民法(14)債権(5)』(有斐閣・1993年)26頁(柚木馨=松川正毅))。

 

2 条文及びその解釈

 

(1)条文

フランス民法894条は,次のとおり。

 

  Art. 894   La donation entre vifs est un acte par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement de la chose donnée en faveur du donataire qui l’accepte.(生前贈与は,それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,それを受ける受贈者のために,被贈与物を委棄する行為である。)

 

(2)山口俊夫教授

フランス民法894条に係る山口俊夫教授の説明は,「生前贈与は,贈与者(donateur)が現実に(actuellement)かつ取消しえないものとして(irrévocablement),それを受諾する受贈者(donataire)に対し無償で自己の財産を与える法律行為(片務契約)である(894条)。」というものです(山口俊夫『概説フランス法 上』(東京大学出版会・1978年)526頁)。筆者の蕪雑な試訳よりもはるかにエレガントです。

 

(3)矢代操

しかし,筆者としては,矢代操による次のように古格な文章を面白く思います。

 

  今日は,〔フランス〕民法中無償名義にて財産を処置するの方法唯2箇あるのみ。生存中(○○○)()贈遺(○○)及び(○○)遺嘱(○○)()贈遺(○○)是なり〔フランス民法893条〕。其生存中の贈遺の定義は載せて第894条にあり。曰く,⦅生存中の贈遺とは,贈遺者贈遺(○○)()領承(○○)する(○○)受贈者の為め即時(○○)()確定(○○)()贈遺物を棄与する所為(○○)を云ふ⦆。此定義中に所為(○○)と記するは妥当ならず。蓋し契約と云ふの意にあるなり。何となれば遺嘱の贈遺は契約にあらずして唯一の所為なりと雖ども,生存中の贈遺は純粋の契約なればなり。

  又本文中に即時(○○)と記するの語に糊着するときは,生存中の贈遺の適法となるには其目的物を引渡し(○○○)受贈者之を占有するを要するものの如し。然れども決して其意に解釈す可からず。蓋し其即時とは,〔略〕生存中の贈遺は〔略〕贈遺の時直に其効を生す可しとの意にあるなり。故に其契約成立の後此執行は之を贈遺者の死去に至るまで遅引するを得可きなり。

  又此生存中の贈遺は遺嘱の贈遺と異にして,一たび贈遺を為したる以上は一般の契約の原則に従ひ法律に定めたる原由あるにあらざれば之を取消すを得ざるなり。(明治大学創立百周年記念学術叢書出版委員会編『仏国民法講義 矢代操講述』(明治大学・1985年)46-47頁)

 

(4)生前贈与は契約か否か

はて,「蓋し契約と云ふの意にあるなり」との矢代の指摘に従ってフランス民法894条の生前贈与(donation entre vifs)の定義を見ると,確かに行為(acte)であって,契約(contrat)でも合意(convention)でもないところです(なお,フランス民法1101条は,「契約(contrat)は,それにより一又は複数の者が他の一又は複数の者に対して,何事かを与え,なし,又はなさざる義務を負う合意(convention)である。」と定義しています。)。しかも当該行為を行う者は贈与者のみです(“un acte par lequel…et le donataire l’accepte.”とは規定されていません。)。

こうしてみると,フランス民法931条と932条との関係も気になってくるところです。同法931条は“Tous actes portant donation entre vifs seront passés devant notaires dans la forme ordinaire des contrats; et il en restera minute, sous peine de nullité.”(生前贈与が記載される全ての証書は,公証人の前で,契約に係る通常の方式をもって作成される。また,その原本が保管され,しからざれば無効となる。)と規定しています。贈与者と受贈者とが共に当事者となって「契約に係る通常の方式」で証書が作成されるのならば,受贈者の出番もこれで終わりのはずです。しかしながら,同法932条はいわく。“La donation entre vifs n’engagera le donateur, et ne produira aucun effet, que du jour qu’elle aura été acceptée en termes exprès. / L’acceptation pourra être faite du vivant du donateur par un acte postérieur et authentique, dont il restera minute; mais alors la donation n’aura d’effet, à l’égard du donateur, que du jour où l’acte qui constatera cette acceptation lui aura été notifié.”(生前贈与は,それが明確な表示によって受諾された(acceptée)日からのみ贈与者を拘束し,及び効力を生ずる。/受諾(acceptation)は,贈与者の存命中において,事後の(postérieur)公署証書であって原本が保存されるものによってすることができる。しかしながら,この場合においては,贈与は,贈与者との関係では,当該受諾を証明する証書が同人に送達された日からのみ効力を生ずる。)と。すなわち,同条2項は,生前贈与がまずあることとされて,それとは別に,事後的に当該生前贈与の受諾があり得ることを前提としているようなのです(贈与者の意思表示とそれとが合致して初めて一つの合意ないし契約たる生前贈与が成立するということではないのならば,フランス民法9322項の“acceptation”に,契約に係るものたるべき「承諾」の語は用い難いところです。また,フランス民法894条で受贈者が受けるものである「それ」は,生前贈与ということになるようです。)。

梅謙次郎は「贈与(○○)Donatio, donation, Schenkung)ノ性質ニ付テハ古来各国ノ法律及ヒ学説一定セサル所ニシテ或ハ之ヲ契約トセス遺贈ヲモ此中ニ包含セシムルアリ或ハ贈与ヲ以テ贈与者ノ単独行為トシ受贈者ノ承諾ナキモ既ニ贈与ナル行為ハ成立スルモノトスルアリ」と述べていますが(梅謙次郎『訂正増補第30版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)462頁),これは実はフランス民法のことだったのでしょうか。

 

(5)コンセイユ・デタ

ここで,小樽商科大学ウェブ・サイトの「民法典に関するコンセイユ・デタ議事録(カンバセレス文庫)」を検すると,フランス民法894条の原案は,共和国11雨月(プリュヴィオーズ)7日(1803127日)に“La donation entre-vifs est un contrat par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement en faveur du donataire, de la propriété de la chose donnée.”(生前贈与は,それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,受贈者のために,被贈与物の所有権を委棄する契約である。)という形でビゴー・プレアムヌ(Bigot-Préameneu)からコンセイユ・デタ(国務院)に提出されており,同条に関する審議に入った劈頭ボナパルト第一執政閣下から「契約(contrat)っていうものは両当事者に相互的な負担を課するものだろう。よって,この表現は贈与にはうまく合わないようだな。」との御発言があり,ベレンジェ(Bérenger)があら捜しに追随して「この定義は,贈与者についてのみ述べて受贈者については述べていない点において不正確ですな。」と述べ,続いてルグノー(Regnaud)がそもそも定義規定は不必要なんじゃないのと言い出して法典における定義規定の要不要論に議論は脱線しつつ,その間トロンシェ(Tronchet)は「贈与及び遺言を定義することによってですな,我々は各行為に固有の性質を示そうとしており,そしてそこから両者を区別する相違点を引き出そうとしているのですよ。ここのところでは,両者を分かつ性質は,撤回可能性と不可撤回性ですな。」と指摘し,他方マルヴィル(Maleville)は「もし定義規定が必要であると判断されるのなら,贈与は“un acte par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement d’une chose, en faveur du donataire qui l’accepte.”(それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,それを受ける受贈者のために,ある物を委棄する行為である。)と定義できるのではないですか。」と,第一執政閣下の御指摘及びベレンジェ議員のいちゃもんを見事に取り入れた現行フランス民法894条の文言とほぼ同じ文言の案を早くも提示していたところですが,その場での結論は,一応,「同条は,「契約」(contrat)の語を「行為」(acte)の語に差し替えて,採択された。」ということでした。(Tome II, pp.321-323

 なお,ベレンジェが受贈者についての規定が必要だと言ったことの背景には,「生前贈与は,それによって,それを受諾する者がその条件を満たすべき義務を負う行為である。」,「また,全ての生前贈与は,相互的に拘束するもの(engagement réciproqueと観念されるので,与える者及び受諾する者の両当事者が関与することが不可欠である。このことは,宛先人が知っておらず,又は合意していないときは,恵与は存在するものとはなおみなされないものとするローマ法にかなうことである。」及び「全ての贈与について受諾は不可欠の要件であるので,それは明確な言葉でされることが求められる。」という認識がありました(カンバセレス文庫Ⅱ, p.804。共和国11花月(フロレアル)3日(1803423日)にコンセイユ・デタに提出された,立法府のための法案理由書)。正にフランス法では,「受贈者は贈与者に対して感謝の義務を負う。これは単なる精神的義務ではなく,〔略〕忘恩行為(ingratitude)は,一定の場合には贈与取消の制裁を蒙る」ところです(山口526-527頁)。(ボナパルト第一執政の前記認識との整合性をどううまくつけるかの問題はここでは措きます。)

 

第6 旧民法及びボワソナアド原案

 

1 旧民法

また,民法549条がその体裁に従うべき条文としては,フランス民法894条よりもより近い先例(というより以前にそもそもの改正対象)として,旧民法の関係規定があったところです。梅は,民法549条の参照条文として,旧民法財産取得編349条及び358条を掲げています(梅462頁)。当該両条は,次のとおり。

 

  第349条 贈与トハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ移転スル要式ノ合意ヲ謂フ

 

  第358条 贈与ハ分家ノ為メニスルモノト其他ノ原因ノ為メニスルモノトヲ問ハス普通ノ合意ノ成立ニ必要ナル条件ヲ具備スル外尚ホ公正証書ヲ以テスルニ非サレハ成立セス

   然レトモ慣習ノ贈物及ヒ単一ノ手渡ニ成ル贈与ニ付テハ此方式ヲ要セス

 

2 ボワソナアド原案

旧民法に先立つボワソナアド原案の第656条は,次のように贈与を定義しています(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, nouvelle édition, Tome Troisième, des Moyens d’Acquérir les Biens. (Tokio, 1891) p.170)。

 

Art. 656.   La donation entre-vifs est une convention par laquelle le donateur confère gratuitement ou sans équivalent, au donataire qui accepte, un droit réel ou un droit personnel; [894.]

Elle peut consister aussi dans la remise ou l’abandon gratuit d’un droit réel du donateur sur la chose du donataire ou d’un droit personnel contre lui.

  (第656条 生前贈与は,贈与者が,承諾をする受贈者に対して物権又は債権を無償又は対価なしに与える合意である。(フランス民法894条参照)

  ( 受贈者の物を目的とする物権又は同人に対する債権に係る無償の免除又は放棄もまた生前贈与とすることができる。)

 

ボワソナアドは,贈与を典型契約又は有名契約(contrat nommé)の一とし,「既に何度も言及された全ての法律効果,すなわち,物権又は債権の設定又は移転,変更又は消滅を生じさせることのできる唯一の無償合意(convention gratuite)である。これだけの可能な射程(étendue possible)を持つ他の契約は,有償である。もちろんなお他にも,使用貸借,寄託,委任のような無償又は無約因の契約が存在するが,それらは債権を生じさせるのみである。」と述べています(Boissonade III, p.172)。

ボワソナアド原案656条の解説は,次のとおり(Boissonade III, pp.172-173)。

 

   法は,生前贈与の定義から始める。その性質は,遺言とは異なり,合意(convention),すなわち意思の合致(un accord de volontés)である。疑いもなく,〔略〕人は自分の意思に反して受遺者となることはできない。しかし,遺贈は,受諾される(accepté)前に存在するのである。すなわち,受遺者は,それと知らずに,拒絶することなく取得するのである。他方,受贈者は,彼が欲する場合であって彼が欲する時にのみ取得するのである。すなわち,彼の承諾(acceptation)は,当該法律行為(l’acte)の成立自体(la formation même)のために必要なのである。

   フランスでは,法は明確な受諾(acceptation)を求めている(フランス民法894条及び932条)。感謝のためのものではない場合においては,その性質からして,受贈者を義務付けるものではないそのような行為〔生前贈与〕というもの〔があり得るなどということ〕には驚かされ得るところである。

   ここで条文は,承諾(acceptation)を求めているが,それ以上の具体的な規定は無い。すなわち,この承諾(acceptation)に要式的かつ明確な性格を与えることが適当であると判断されるのならば,贈与の方式について規定するときにそのことについての説明が必ずやされるであろう。

   当該定義は更に,贈与は利益を無償で〔下線部は原文イタリック〕与えるものであると我々に述べ,かつ,その文言が不確定性を残さないように,別の概念である「対価なしに」によって説明がされている。

   贈与者が受贈者に与えることのできる多様な利益が,同条の文言によって明らかになるようにされている。次のようなものである。

1に,物に係る物権。すなわち,所有権,用益権,使用権,地役権。

2に,債権(droit personnel)又は贈与者が債務者となり受贈者が債権者となる債権(créance)。

3に,贈与者が受贈者の物について有する用益権,使用権又は地上権のような物権の受贈者への移転(remise〔筆者註:これで当該物権は混同で消滅するはずです。〕又は放棄(abandon)。

4に,贈与者が受贈者に対して有していた債権についての受贈者の債務を消滅させる免除(remise)。

法は,これまで既に論ぜられた種々の区別,すなわち,まず特定物の所有権と種類物ないしは定量物の所有権との間の区別,及び次に作為債務と不作為債務との間の区別について再論する要を有しない。より特殊な事項であることから遺贈については再掲することが必要であると解されたこれらの区別は,合意が問題になっているところであるから,ここでは問題にならない。

 

第7 穂積陳重原案の背景忖度

 

1 不要式契約

 現行民法では,贈与は公正証書によることを要する要式契約ではありませんから(旧民法財産取得編3581項対照),旧民法財産取得編349条からその要式性を排除することとして条文を考えると「贈与トハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ移転スル合意ヲ謂フ」となります。

 

2 「移転スル」から「与える」へ

旧民法財産取得編349条では財産を「移転スル」こととなっていますが,現行民法549条では財産を「与える」ことになっています。これは,現行民法の贈与には,財産権の移転のみならず,財産権の設定等も含まれているからでしょう(なお,穂積陳重は「財産」について「物質的ノ権利ニシテ民法ニ認メラレテ居ル所ノ即チ物権,債権ノ全部ヲ含ム積リナノテアリマス」と述べています(民法議事速記録25141丁表)。)。いわく,「例ヘハ無償ニテ所有権,地上権,永小作権等ヲ移転若クハ設定スルハ勿論新ニ債権ヲ与ヘ又ハ既存ノ債権ノ為メニ無償ニテ質権,抵当権等ヲ与フルモ亦贈与ナリ之ニ反シテ相手方ノ利益ノ為メニ物権又ハ債権ヲ抛棄シ又ハ無利息ニテ金銭ヲ貸与シ其他無償ニテ自己ノ労力ヲ他人ノ用ニ供スル等ハ皆贈与ニ非ス」と(梅464頁)。

 

3 「合意」から「意思を表示し,相手方が受諾をする」へ

 

(1)民法549条の「趣旨」

 民法549条と旧民法財産取得編349条との相違は,更に,後者では単に「・・・合意ヲ謂フ」としていたところが前者では「・・・意思を表示し,相手方が受諾をすることによって,その効力を生ずる。」となっているところにあります。民法549条の趣旨は,穂積陳重によれば「贈与ノ効力ヲ生スル時ヲ定メマシタノテアリマス」,「本案ハ受諾ノ時ヨリ其効力ヲ生スルト云フコトヲ申シマシテ一方ニ於テハ此契約タル性質ヲ明カニ致シ一方ニハ何時カラシテ其効力ヲ生スルカト云フコトヲ示シタモノテアリマス」ということとなります(民法議事速記録25139丁表及び裏)。

しかし,贈与が契約であることは,贈与について規定する民法549条から554条までは同法第3編第2章の契約の章の第2節を構成しているところ,その章名からして明らかでしょう。更に,契約の成立については契約に係る総則たる同章の第1節中の「契約の成立」と題する第1款で既に規定されており(申込みと承諾とによる。),かつ,契約の効力の発生時期については,「契約上の義務は,一般に,特に期限の合意がない限り,契約成立と同時に直ちに履行すべきものである」ので(『増補民事訴訟における要件事実第1巻』(司法研修所・1986年)138頁),特殊な性質の契約でない限り,これらの点に関する規定は不要でしょう(民法549条は,これらの原則を修正するものではないでしょう。)。すなわち,筆者としては,穂積陳重のいう民法549条の前記趣旨には余り感心しないところです。

(2)民法550条との関係

 単純に考えれば,民法549条の原案は,「贈与ハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」ないしは「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」でよかったように思われます(終身定期金契約に係る同法689条参照)。

 しかし,民法550条(「書面によらない贈与は,各当事者が解除をすることができる。ただし,履行の終わった部分については,この限りでない。」)があって書面によらない贈与の拘束力は極めて弱いものになっていますので(同条について梅は「本条ハ贈与ヲ以テ要式契約トセル学説ノ遺物」であると指摘しています(梅464頁)。),他の典型契約同様の「約ス」という言葉では贈与者に対する拘束が強過ぎるものと思われたのかもしれません。そこで「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示スルコトニ因リテ其効力ヲ生ス」としてみると,今度は単独行為のようになってしまう。で,単独行為ではなく契約であることをはっきりさせるために「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示シ其相手方カ之ヲ承諾スルニ因リテ其効力ヲ生ス」とすると,お次はあるいは民法643条の委任の規定(受任者の「承諾」をいうもの)との関係で面白くない。同じ「承諾」であるのに,受任者は債務を負うのに受贈者は債務を負わないというのは変ではないか。ということで「受諾」の語を持って来たということはなかったでしょうか。

 と以上のように考えると一応もっともらしいのですが,第81回法典調査会において穂積陳重がそのような説明をせずに混乱してしまっているところからすると,違うようではあります。また,あえてフランス民法的発想を採るならば「全ての生前贈与は,相互的に拘束するもの」となるのですから,受贈者は何らの義務も負わないから「承諾」ではなく「受諾」なのだともいいにくいでしょう。

 それともあるいは民法550条との関係で,「承諾」であると契約が確定してしまうので,暫定的合意である場合(書面によらない贈与の場合)もあることをば示すために「受諾」ということにしたものか(梅によって「嫌ヤナ事ヲ承諾スル」と言われた際の「嫌ヤナ事」とは,この確定性を意味するのでしょうか。)。その上で,「暫定的合意であることを示すものです」と言ってしまうと,暫定的合意たる民法549条の贈与(書面によらないもの)は果たして契約か,また,要物契約だということになるとまだ契約は成立していないことになるのではないか云々ということで議論が面倒臭くなるので,「詰マリ感覚テアリマスナ」という,説明にならない説明的発言に留めたものであったのでしょうか。

穂積陳重は,第81回法典調査会で民法550条の原案(「贈与ハ書面ニ依リテ之ヲ為スニ非サレハ其履行ノ完了マテハ各当事者之ヲ取消スコトヲ得」)に関し「書面ナラバモウ完全ニ贈与契約ハ成立ツ」(民法議事速記録25146丁裏-147丁表)とは言いつつも,「書面テナクシテ口頭又ハ其他ノ意思表示ニ依テ為シタ贈与契約ハ如何ナモノテアルカ」という問題については,要式性を前提とする外国の法制における例として,①「此贈与契約ト云フモノハ成立タヌノテアル総テ成立タタヌノテアル手渡シヲシタナラバ之ヲ取返ヘスコトハ出来ヌ」とするもの〔筆者註:フランスでは,要式性の例外として,現実の手渡しによる現実贈与(don manuel)の有効性が判例で認められていますが,「しかし,現実の引渡が必要であるという要件から,現実贈与の約束なるものには効力を認めていない」そうです(柚木=高木28頁(柚木=松川))。この場合,必要な方式を欠くために無効である約束に法的に拘束されているものと誤信してされた出捐の履行は,返還請求可能の非債弁済と観念され得るようです(Vgl. Motive zu dem Entwurfe eines Bürgerlichen Gesetzbuches für das Deutsche Reich, Bd. II (Amtliche Ausgabe, 1888) S.295.)。(本稿の註1参照)並びに②「手渡ヲ以テ之ニヤツタトキニ於テハ其前カラ効力カアルト云フコトニナツテ居ル」もの及び③「前ニハ丸テ効力ガナカツタノテアルガ後トカラシテ其缺点ヲ補フト云フヤウナコトニナツテ居ル」もの〔筆者註:ドイツ民法5182項は„Der Mangel der Form wird durch die Bewirkung der versprochenen Leistung geheilt.“(方式の欠缺は,約束された給付の実現によって治癒される。)と規定しています。〕があると紹介した上で,「兎ニ角何時カラ契約トシテ成立ツカト云フコトハ能ク明カニナツテ居ラヌ」との残念な総括を述べ,更に旧民法〔財産取得編3582項〕について「此単一ノ手渡ニ為ル贈与ト云フコトハ贈与ノトキニ直クニ手渡ヲスルト云フコトテアラウト思ヒマス永イ間口頭ノ贈与ト云フモノガ成立ツテ居ルト云フコトテハアルマイト思フ」〔同項後段〕,「此慣習ノ贈物ト云フコトモ其範囲ガ明カテアリマセヌ」〔同項前段〕との解釈を語った上で,「夫故ニ書面ニ依ラナイモノハ兎ニ角贈与トシテ成立ツケレドモ其履行ノ完了ガアリマスルマテハ取消スコトガ出来ル」と述べるに留まっています(民法議事速記録25147丁表及び裏)。これはあるいは,方式を欠く贈与契約の拘束力欠如を前提とした上で,当該契約を無効としつつもその履行結果は是認することとした場合(債務がないのにした弁済ではないかとの問題を乗り越えることとした場合)の法律構成の難しさ(上記②及び③)を避けるために,契約は「兎ニ角」有効としつつ,拘束力の欠如をいう代わりに「取消し」の可能をいうことをもって置き換えたということでしょうか。この説明を思い付いて,筆者には自分なりに納得するところがあります。
 なお,この「取消し」の可能性は強行規定であって,弟の八束との兄弟対決において陳重は「書面ニ依ラスシテ取消サレヌ契約ヲ為スト云フヤウナ風ノコトハ許サナイ積リテアリマス」と述べています(民法議事速記録25169丁裏)。〔筆者註:ちなみに,米国では,“Because a gift involves no consideration or compensation, it must be completed by delivery of the gift to be effective. A gratuitous promise to make a gift is not binding.”ということになっているそうです(Smith et al., pp.1109-1110)。「英米法では捺印証書による贈与の場合にも特定履行を請求しえない」(来栖三郎『契約法』(有斐閣・1974年)235頁)。〕

また,穂積陳重の原案では「其履行ノ完了マテハ」当該贈与契約全体を取り消し得ることになっていましたが,第81回法典調査会での議論を経て出来上がった民法550条では「履行の終わった部分」以外の部分に対象が限定されてしまっています。これは,履行が終ったという事実の重みの方が優先されて,書面によらない贈与についてその諾成契約としての単位(契約の「取消し」は,その契約を単位としてされるべきものでしょう。)を重視しないということでしょう。当該修正も,書面によらない贈与も契約であるとの性格付けの意義を弱めるものでしょう。

我妻榮は,書面によらない贈与を「不完全な贈与」と呼んでいます(我妻Ⅴ₂230頁)。

 さてここまで来て不図気付くには,平成29年法律第44号による民法550条の改正が問題になりそうです。当該改正については,「旧法第550条本文は,各当事者は書面によらない贈与を「撤回」することができると定めていたが,ここでの「撤回」は契約の成立後にその効力を消滅させる行為を意味するものであった。もっとも,民法の他の条文ではこのような行為を意味する用語としては「解除」が用いられていることから,新法においては,民法中における用語の統一を図るため,「撤回」を「解除」に改めている(新法第550条本文)。」とされています(筒井=村松264頁)。しかしこれは,書面によらない贈与も堂々たる完全な普通の契約であることを前提とするものでしょう。すなわち,平成16年法律第147号による民法改正の結果として「意思表示に瑕疵があることを理由としないで契約の効力を消滅させる行為を意味する語として,「解除」と「撤回」が併存することとなったが」,用例を調べると,「この意味での撤回は同〔550〕条においてのみ用いられ」,「他方で,「撤回」の語については,同法第550条を除けば,意思表示の効力を消滅させる意味で用いられている」から,贈与という契約の効力の消滅に係るものである同条の「撤回」を「解除」に改めるということでした(法制審議会民法(債権関係)部会資料84-3「民法(債権関係)の改正に関する要綱案の原案(その1)補充説明」(20141216日)15頁)。一人ぼっちの550条を,「撤回」の仲間から省いて,「解除」の大勢に同調させようというわけです。20141216日の法制審議会民法(債権関係)部会第97回会議では,中田裕康委員から「これ自体は十分あり得ると思います。それから,要物契約が諾成化されたことに伴う引渡し前の解除という制度とも,恐らく平仄が合っているんだろうなとは思いまして,これでいいのかなという気もします。」と評されています(同会議議事録36頁)。(なお,当該改正は,深山雅也幹事にとって思い入れの深い,永年の懸案事項であったようで,次のような同幹事の発言があります。いわく,「今の「贈与」の点です。撤回を解除に変えるということについて,私はこの部会の当初,議論が始まった頃に,解除の方がいいのではないかという趣旨で,撤回という用語はあまりよくないということを申し上げた記憶があります。そのときは,ここは〔平成〕16年改正で変えたばかりなんだという御指摘を頂いて一蹴されて残念な思いをした覚えがあって,それで諦めていたところ〔筆者註:同部会第16回会議(20101019日)議事録6頁及び10頁参照〕,この土壇場で敗者復活したことについて非常に喜ばしく思っています。」と(同部会第97回会議議事録36頁)。ここで,「敗者復活」というのは,当該改正は,2014826日の民法(債権関係)の改正に関する要綱仮案には含まれていなかったからです。「この土壇場で」というのは,何やら,どさくさ紛れにという響きもあって不穏ですが,無論そのようなことはなかったものでしょう。)

 これに対して,民法549条において承諾ならぬ「受諾」の語にあえて固執した民法起草者らが,更に同法550条においては解除ならぬ「取消し」の語(同条の「解除」は,最初は「取消し」でした。「取消し」が「撤回」となったのは前記の平成16年法律第147号による改正の結果でした。ちなみに,富井=本野のフランス語訳では,民法550条の「取り消す」は“révoquer”,総則の「取り消す」は“annuler”,契約を「解除する」は“résilier”です。)をわざわざ用いたのは,彼らの深謀遠慮に基づくものではなかったと果たしていってよいものかどうか。(フランス民法的伝統の影をいうならば,生前贈与は契約にあらずとの前記ナポレオン・ボナパルト発言の重み及び贈与と遺贈との恵与(libéralités)としての統一的把握が挙げられるところです(「受諾」の語との関係で出て来た民法旧1217号及び旧142号は,いずれも贈与と遺贈とを一括りにする規定でした。また,「撤回」の語が示すものは,旧民法において「言消」(rétractation)又は「廃罷」(révocation)と呼称されたものを含んでいますが,旧民法においては廃罷は銷除,解除(本稿の註2参照)その他と共に義務の消滅事由の一つとされ(旧民法財産編4501項),贈与及び遺贈についてはその廃罷に係る規定があったところです(旧民法財産取得編363条から365条まで並びに399条から403条まで及び405条)。)。)

 とはいえ,民法549条の「受諾」の外堀が埋まりつつあるようにも思われます。同条の「受諾」の語は,早々に「承諾」に置き換えられるべきもの歟,それともなお保存されるべきもの歟。


 

  (註1)ドイツ民法第一草案の第440条は贈与契約の要式性を定めてその第1項は「ある者が他の者に何物かを贈与として給付する旨約束する契約は,その約束が裁判手続又は公証手続に係る方式で表示された場合にのみ有効である。(Der Vertrag, durch welchen Jemand sich verpflichtet, einem Anderen etwas schenkungsweise zu leisten, ist nur dann gültig, wenn das Versprechen in gerichtlicher oder notarieller Form erklärt ist.)」と規定し,続く同草案441条は「譲渡によって執行された贈与は,特別な方式の履践がない場合であっても有効である。(Die durch Veräußerung vollzogene Schenkung ist auch ohne Beobachtung einer besonderen Form gültig.)」と規定しています(ここの「譲渡」が誤訳でないことについては,以下を辛抱してお読みください。)。

   上記両条の関係について,第一草案理由書は,次のように説明しています(S.295)。ドイツ人は,理窟っぽい。

 

    第440441条の両規定は,自立しつつ並立しているものである。それらの隣接関係は,方式を欠く(受諾された(akzeptirten))贈与約束(Schenkungsversprechen)から,訴求不能ではあるものの,しかし履行のために給付された物の返還請求は許されない義務(自然義務(Naturalobligation))が発生すること,又は贈与約束の方式違背から生ずる無効性が執行によって治癒されることを意味するものではない。反対に,方式を欠き,又は方式に違背する贈与約束は,無効であり,かつ,執行によって事後的に治癒せられるものでもないのである。贈与者が,方式に違背し,したがって無効である契約の履行に法的に拘束されているという錯誤によって(solvendi causa(弁済されるべき事由により))給付した場合においては,第441条の意味において執行された贈与ではなく,存在するものと誤って前提された拘束力の実現があるだけである。したがって,存在しない債務(Nichtschuld)に係る給付に基づく返還請求に関する原則の適用がみられることになる。この結論は,反対の規定が欠缺しているところ(in Ermangelung entgegenstehender Bestimmungen),一般的法原則自体から生ずるものである〔略〕。このような場合,事実行為は,草案の意図するところの,譲渡によって執行された贈与である,との外観を有するだけである。贈与として給付されたのではなく,むしろ,〔有効な債務と誤解した無効な贈与債務を〕animo solvendi(弁済する意図で)されたものである。すなわち,有効な贈与約束の履行も,即自的にはそれ自体は贈与ではなく,存在する拘束力の実現であるがごとし,なのである。しかしながら,贈与者が,有効ではない贈与約束を見逃して(unter Absehen von dem ungültigen Schenkungsversprechen),ないしはその無効性の認識の下で(in Kenntnis von der Nichtichkeit des letzteren),贈与として給付すると約束したその物をanimo donandi(贈与する意図で)給付したときは,別様に判断される。そのときには,第441条によって有効な,独立の財産出捐が,すなわち,新しい,しかも執行済みの贈与が存在するのである。仮に,無効な約束がその動機をなしていたとしても,そうである。この法律関係は,先立つ約束なしに贈与者が直ちに「譲渡によって」受贈者に対してanimo domandi(贈与する意図で)贈与を執行する,かの場合と同一である。したがって,第441条の規定は,既存の(方式を欠く,又は方式に違背した)贈与約束を前提とするものでは全くないのである。それは,贈与者が既存の(無効な)約束を見逃して,又は先立つ約束なしに,被贈与物に応じた事実行為をもって贈与を執行したときに適用されるのである。



 (註
2)「解除」,「銷除」及び「廃罷」の使い分けについて,ボワソナアドは次のように説明しています(Boissonade II, pp.861-862)。

 

    慣用及び法律は,事実既に長いこと,「解除(résolution)」の語を,当該契約の成立後に生じた事情に基づく契約の廃棄(destruction)――ただし,合意又は法によってあらかじめ当該効果が付されている契約についてである――について使用するものと認めている。また,“résiliation”の語も,同じ意味で,特に賃貸借について,また場合によっては売買について,慣用に倣って法律において時に用いられる。「銷除(rescision)」の語は,〔略〕その成立における意思の合致(consentement)の瑕疵又はその際の無能力の理由をもって契約が廃棄される場合に用いられる。最後に,「廃罷(révocation)」の語は,まずもって,かつ,最も正確には,契約当事者が「その言葉を撤回する(retire sa parole)」,すなわち,譲渡した物を取り戻す(reprend ce qu’il a aliéné)場合に用いられる。特に,贈与の場合において,受贈者が忘恩的であり,又は課された負担の履行を欠くときである(フランス民法953条以下参照)。〔略〕

    「廃罷」の語は,また,債務者がした債権者の権利を詐害する譲渡又は約束を覆すためにされる債権者の訴訟(action)について用いられる。〔後略〕

 

なお,旧民法における契約の「解除」については,その財産編421条に「凡ソ双務契約ニハ義務ヲ履行シ又ハ履行ノ言込ヲ為セル当事者ノ一方ノ利益ノ為メ他ノ一方ノ義務不履行ノ場合ニ於テ常ニ解除条件ヲ包含ス/此場合ニ於テ解除(résolution)ハ当然行ハレス損害ヲ受ケタル一方ヨリ之ヲ請求スルコトヲ要ス然レトモ裁判所ハ第406条ニ従ヒ他ノ一方ニ恩恵上ノ期限ヲ許与スルコトヲ得」と規定していました(下線は筆者によるもの)。

  

 

 
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1 不動産登記及び民法177条並びに対抗問題
 職業柄,不動産の登記の申請手続を自らすることがあります。(なお,登記をするのは登記所に勤務する登記官であって,申請人ではありません。不動産登記法(平成16年法律第123号)11条は「登記は,登記官が登記簿に登記事項を記録することによって行う。」と規定しています。)

 不動産の登記といえば,まず民法(明治29年法律第89号)177条が想起されます。同条は,大学法学部の学生にとっての民法学習におけるつまづゆうなるものの一つではないでしょうか。

 

 (不動産に関する物権の変動の対抗要件)

 第177条 不動産に関する物権の得喪及び変更は,不動産登記法(平成16年法律第123号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ,第三者に対抗することができない。

 

この民法177条に関する知識は,それを持っていると他人を出し抜くことができる法律の知識の典型のような感じが初学者にはするでしょう。

 

・・・甲乙の売買契約により甲の土地の所有権は乙に移転するというのが民法の原則であるが,甲はなお同じ土地について丙と有効に売買契約を結べる。

しかし,土地の所有権はひとつであるから,たとえ有効な売買契約が2つあっても2人の買主がともに所有権を取得するというわけにはいかない。そこで,このとき乙と丙のどちらが勝つかを決めておく必要がある。ひとつの考え方として,甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考えることも可能である。しかし,民法は,不動産については登記の先後で決めることにした(177条)。つまり,丙が甲から先に登記の移転を受けると,乙に優先するのである。したがって,結果的に,甲乙の売買による所有権の移転は確定的なものではなかったことになる。このときの登記を対抗要件と呼び,二重譲渡のように対抗要件で優先劣後を決める問題を対抗問題という・・・(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)53頁)。

2 「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」 

「ひとつの考え方として,甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考えることも可能である。」というのならばその考え方を素直に採用すればよいではないか,と考えたくなるところです。

 

  ・・・ものによっては,うっかりすると〔民法典には書かれていないけれども,条文と同じ価値をもっているような法命題・準則に〕気が付かないことがあります。「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」の原則などです。私自身の学生時代の経験をいいますと,この命題は,民法では教わった記憶がなく――居眠りをしていたのかもしれませんが――ローマ法の講義と,ドイツ法の講義で教わったことを覚えています。(星野英一『民法のもう一つの学び方(補訂版)』(有斐閣・2006年)93頁)

 

「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」ということであれば,ますます売買の先後で決めればよいではないか,登記の先後で出し抜くことを認めるとは,制度を知らない普通の人間は損をするみたいでいやらしいなぁ・・・などという違和感を抱懐し続けると,法律学習から脱落してしまう危険があります。

3 フランス法における制度の変遷

しかしながら,実際に,「甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考え」,そのように民法を制定した例があります。1804年のナポレオンの民法典です。

 

  〔意思主義と対抗要件主義の組合せという我が国のやり方は,〕フランス民法に由来するが,フランスでは,1804年の民法典においては,177条にあたる規定がなく,先に買った者が,万人に対する関係で完全に所有権を取得し,後から買った者は負けるということになっていた。(星野英一『民法概論Ⅱ(物権・担保物権)』(良書普及会・1980年)40頁)

 

 ところが,ナポレオンの民法典における上記制度は,甥のナポレオン3世の時代に現在の日本のやり方の形に変更されます。

 

 しかし,これでは,不動産を占有するので所有者だと信じて買ったり,これに抵当権をつけても,先に買った者がいるならばこれに負けることになり,非常に取引の安全を害する。そこで,約50年後の1855年に,先に買っても,登記をしないと後から買って登記をした者に負けるということにした。取引の安全を保護するための制度だが,第三者の保護に値する事情を考慮せず,権利取得者でも登記を怠った者は保護されないという面から規定したのである。ただ,その結果,不動産を買おうとする者は,売主に登記があるならば,これを買って登記を自分に移せば,先に買った者があっても安心だ,ということになった。日本民法は,フランスにおける50年の発展の結論だけをいわば平面的に採用したのである。そのために,わかりにくい制度となっているが,この沿革を考えれば,たやすく理解できるであろう。(星野・概論Ⅱ・4041頁)

 

 「たやすく理解できるであろう」といわれても,まだなかなか難しい。


4 フランス1855年3月23日法

ところで,フランスの民法典(Code Civil)の本体が1855年に改正されたかといわれれば,そうではありません。1855年3月23日法という特別法が制定されています。

同法の拙訳は,次のとおり。(同法はフランス政府のLegifranceサイトでは見ることができませんので,ここで紹介することに何らかの意義はあるのでしょう。条文の出典は後出のトロロンのコンメンタールです。同法の概要については,つとに星野英一「フランスにおける不動産物権公示制度の沿革の概観」(1954年10月のシンポジウム報告に手を加えたもので初出1957年)同『民法論集第2巻』(有斐閣・1970年)49頁以下において紹介されています。なお,同法は現在は1955年1月4日のデクレ(Décret n˚ 55-22 du 4 janvier 1955)に代わっています。当該デクレについては,星野英一「フランスにおける1955年以降の不動産物権公示制度の改正」(初出1959年)同・論集第2巻107頁以下を参照ください。)

 

第1条 財産の状況に係る次に掲げる事項は,抵当局において(au bureau des hypothèques)謄記される(sont transcrits)。

 一 不動産の所有権又は抵当に親しむ物権(droits réels susceptibles d’hypothèque)の移転を伴う生者間における全ての証書による行為(acte)〔筆者註:acteには,行為という意味と証書という意味とがあります。星野「沿革」・論集第2巻95頁等の整理では,フランス法において登簿されるacteとは証書のことであるとされています。

 二 上記の権利の放棄に係る全ての証書による行為

 三 前各号において示された性質の口頭合意(une convention verbale)の存在を宣言する全ての裁判(jugement

 四 共有物競売(licitation)において共同相続人の一人又は共有者の一人のためにされるもの(celui rendu … au profit d’un cohéritier ou d’un copartageant)を除く全ての競落許可(adjudication)の裁判〔筆者註:「共同相続人または共有者間における分割のための競売・・・において共有者の一人が競落人となったときは除かれる」のは,「共有分割と同じ関係だから」だそうです(星野「沿革」・論集第2巻52頁)。「相続財産の分割については,分割部分を受けた者は初めからその部分につき単独で直接に被相続人から相続したことになり(民883条),分割は最初からのこの状態を確認するにすぎないもので,移転行為でなく確認行為であると解されている。この理は一般原則であるとされ」ているそうです(星野「沿革」・論集第2巻54頁)。〕

 

第2条 次に掲げる事項も同様に謄記される。

 一 不動産質権(antichrèse),地役権(servitude),使用権(usage)及び住居権(habitation)の設定に係る全ての証書による行為(Tout acte constitutif)〔筆者註:我が民法の不動産質権のフランス語訳は,富井政章及び本野一郎によれば,droit de gage sur les immeublesです(第2編第9章第3節の節名)。使用権及び住居権についいては,星野「沿革」・論集第2巻48頁註11において「使用権とは,他人の物の使用をなしうる権利であり(もっとも,収益を全くなしえないのか否かの点,および,なしうるとしてその範囲につき,問題がある),住居権とは,他人の家屋を使用しうる権利である。」と説明されています。我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)110条1項には「使用権ハ使用者及ヒ其家族ノ需要ノ程度ニ限ルノ用益権ナリ」と,同条2項には「住居権ハ建物ノ使用権ナリ」と定義されています。〕

 二 上記の権利の放棄に係る全ての証書による行為

 三 当該権利の口頭合意による存在を宣言する全ての裁判

 四 18年を超える期間の賃貸借(les baux

 五 前号の期間より短い期間の賃貸借であっても,3年分の期限未到来の賃料又は小作料(fermages)に相当する金額の受領又は譲渡(quittance ou cession)を証する全ての証書による行為又は裁判

 

第3条 前各条に掲げる証書による行為及び裁判から生ずる権利は,謄記されるまでは,当該不動産に係る権利を有し,かつ,法律の定めるところに従い当該権利を保存した(qui les ont conservés)第三者に対抗することができない(ne peuvent être opposés)。

謄記されなかった賃貸借は,18年の期間を超えて第三者に対抗することは決してできない(ne peuvent jamais)。

 

 第4条 謄記された証書による行為の解除(résolution),無効(nullité)又は取消し(rescision)の全ての裁判は,確定した日から1月以内に,登記簿にされた謄記の欄外に付記されなければならない(doit…être mentionné en marge de la transcription faite sur le registre)。

   当該裁判を獲得した代訴人(avouéは,自ら作成し,かつ,署名した明細書(un bordereau)を登記官(conservateur)に提出して当該付記がされるようにする義務を負い,違反した場合においては100フランの罰金(amende)を科される。登記官は,代訴人に対して,その明細書に係る受取証(récépisséを交付する。

 

 第5条 登記官は,請求があったときは,その責任において,前各条において規定された謄記及び付記に係る抄本又は謄本を発行する(délivre…l’état spécial ou général des transcriptions et mentions)。

 

 第6条 謄記がされてからは,先取特権者又はナポレオン法典第2123条〔裁判上の抵当権〕,第2127条〔公正証書による約定抵当権〕及び第2128条〔外国における契約に基づく抵当権〕に基づく抵当権者は,従前の所有者について(sur le précédent propriétaire)有効に登記(inscription)をすることができない。〔筆者註:裁判上の抵当権については,「裁判上の抵当権とは,裁判を得た者のために,債務者の財産に対して法律上当然に発生する抵当権であって,法定抵当権におけると同様,債務者の現在および将来のすべての不動産に対して効力が及ぶものである」と説明されています(星野「沿革」・論集第2巻23頁註6)。〕

   しかしながら,売主又は共有者は,売買又は共有物の分割から45日以内は,当該期間内にされた全ての証書による行為の謄記にかかわらず,ナポレオン法典第2108条〔不動産売買に関する先取特権〕及び第2109条〔共有物分割に関する先取特権〕により彼らが取得した先取特権を有効に登記することができる。

   民事訴訟法第834条及び第835条は,削除される。〔筆者註:星野「沿革」・論集第2巻26頁にこの両条の訳がありますが,民事訴訟法834条によれば,抵当不動産譲渡及びその謄記があってもその後なお2週間はナポレオン法典2123条,2127条及び2128条に基づく当該譲渡前の抵当権者は登記ができるものとされていました(ただし,2108条及び2109条の権利者を害することを得ない。)。〕

 

 第7条 ナポレオン法典第1654条〔買主の代金支払債務不履行に基づく売主の売買契約解除権〕に規定する解除は,売主の先取特権の消滅後は,当該不動産に係る権利の移転を買主から受け,かつ,当該権利の保存のための法律に従った第三者を害する場合は行うことができない。

 

 第8条 寡婦(veuve),成年者となった未成年者,禁治産の宣告の取消しを受けた禁治産者,これらの者の相続人又は承継人が婚姻の解消又は後見の終了後から1年以内に登記しなかった場合においては,上記の者の抵当は,第三者との関係においては,その後に登記がされた日付のものとする(ne date que du jour des inscriptions prises ultérieurement)。〔筆者註:この条は,妻並びに未成年者及び成年被後見人の法定抵当権(登記を要しなかった(ナポレオンの民法典2135条)。)に関する規定であって,「法定抵当権とは,法律上当然に一定の債権について与えられるもので(2117条1項),妻がその債権等につき夫の財産に対して有するもの,未成年者および禁治産者がその債権等につき後見人の財産に対して有するもの,国,地方公共団体および営造物がその債権等につき収税官吏および会計官吏の財産に対して有するもの,の3種がある(2121条)。」と紹介されています(星野「沿革」・論集第2巻22‐23頁註6)。なお,星野「沿革」・論集第2巻51頁は,この1855年3月23日法8条について「1年内に登記をしないともはや第三者に対抗することができない。」と記しています。〕

 

 第9条 妻(les femmes)がその法定抵当を譲渡し,又は放棄することができる場合においては,それらの譲渡及び放棄は公署証書(acte authentique)によってされなければならず,並びに譲受人は,彼らのためにされた当該抵当の登記によらなければ,又は既存の登記の欄外における代位の付記(mention de la subrogation)によらなければ,第三者との関係においては,当該権利を取得することができない。

   譲渡又は放棄を受けた者の間における妻の抵当権の行使の順位は,登記又は付記の日付によって定まる。

 

 第10条 この法は,1856年1月1日から施行する。

 

 第11条 上記第1条,第2条,第3条,第4条及び第9条は,1856年1月1日より前に確定日付を付された証書による行為及び下された裁判には適用されない。

   それらの効果は,その下でそれらが行われた法令による。

   謄記はされていないが前記の期日より前の確定日付のある証書による行為の解除,無効又は取消しの裁判は,この法律の第4条に従い謄記されなければならない。

   その先取特権がこの法律の施行の時に消滅している売主は,第三者に対して,ナポレオン法典第1654条の規定による自らの解除(l’action résolutoire qui lui appartient aux termes de l’article 1654 du Code Napoléon)を前記の期日から6月以内にその行為を抵当局に登記することによって保存することができる。

       10条により必要となる登記は,本法律が施行される日から1年以内にされなければならない。当該期間内に登記がされないときは,法定抵当はその後にそれが登記された日付による順位を得る(ne prend rang que du jour où elle ultérieurement inscrite)。

   贈与(donation)に係る,又は返還を条件とする規定(des dispositions à charge de rendre)を含む証書による行為の謄記に関するナポレオン法典の規定については従前のとおりである(Il n’est point dérogé aux)。それらの規定は,執行を受け続ける(continueront à recevoir leur exécution)。

 

 第12条 特別法により徴収すべき手数料(droits)が定められるまでは,証書による行為又は裁判の謄記であって,この法律の前には当該手続に服するものとされていなかったものは,1フランの定額手数料と引き換えにされる。

  

 「謄記」という見慣れぬ用語については,次の説明を御覧ください。

 

・・・「謄記transcription」と「登記inscription」の使い分けについてである。transcriptionとは文字通りには転記することであるが,フランスにおける不動産の公示は,原因証書(売買契約書)の写しを綴じ込むことによって行われており,原因証書とは別に権利関係が登録されるわけではない。transcriptionという用語はこのことを示すものである。(大村敦志『フランス民法』(信山社出版・2010年)148頁)

 ただし,謄記の方法が,文字どおりの証書の筆写(transcription)から当事者によって提出された証書を編綴するシステムになったのは,1921年7月24日法(Loi relative à la suppression du registre de la transcription et modifiant la loi du 23 mars 1855 et les art. 1069, 2181 et 2182 du Code civil