Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

カテゴリ: フランス

1 不動産登記及び民法177条並びに対抗問題
 職業柄,不動産の登記の申請手続を自らすることがあります。(なお,登記をするのは登記所に勤務する登記官であって,申請人ではありません。不動産登記法(平成16年法律第123号)11条は「登記は,登記官が登記簿に登記事項を記録することによって行う。」と規定しています。)

 不動産の登記といえば,まず民法(明治29年法律第89号)177条が想起されます。同条は,大学法学部の学生にとっての民法学習におけるつまづゆうなるものの一つではないでしょうか。

 

 (不動産に関する物権の変動の対抗要件)

 第177条 不動産に関する物権の得喪及び変更は,不動産登記法(平成16年法律第123号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ,第三者に対抗することができない。

 

この民法177条に関する知識は,それを持っていると他人を出し抜くことができる法律の知識の典型のような感じが初学者にはするでしょう。

 

・・・甲乙の売買契約により甲の土地の所有権は乙に移転するというのが民法の原則であるが,甲はなお同じ土地について丙と有効に売買契約を結べる。

しかし,土地の所有権はひとつであるから,たとえ有効な売買契約が2つあっても2人の買主がともに所有権を取得するというわけにはいかない。そこで,このとき乙と丙のどちらが勝つかを決めておく必要がある。ひとつの考え方として,甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考えることも可能である。しかし,民法は,不動産については登記の先後で決めることにした(177条)。つまり,丙が甲から先に登記の移転を受けると,乙に優先するのである。したがって,結果的に,甲乙の売買による所有権の移転は確定的なものではなかったことになる。このときの登記を対抗要件と呼び,二重譲渡のように対抗要件で優先劣後を決める問題を対抗問題という・・・(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)53頁)。

2 「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」 

「ひとつの考え方として,甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考えることも可能である。」というのならばその考え方を素直に採用すればよいではないか,と考えたくなるところです。

 

  ・・・ものによっては,うっかりすると〔民法典には書かれていないけれども,条文と同じ価値をもっているような法命題・準則に〕気が付かないことがあります。「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」の原則などです。私自身の学生時代の経験をいいますと,この命題は,民法では教わった記憶がなく――居眠りをしていたのかもしれませんが――ローマ法の講義と,ドイツ法の講義で教わったことを覚えています。(星野英一『民法のもう一つの学び方(補訂版)』(有斐閣・2006年)93頁)

 

「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」ということであれば,ますます売買の先後で決めればよいではないか,登記の先後で出し抜くことを認めるとは,制度を知らない普通の人間は損をするみたいでいやらしいなぁ・・・などという違和感を抱懐し続けると,法律学習から脱落してしまう危険があります。

3 フランス法における制度の変遷

しかしながら,実際に,「甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考え」,そのように民法を制定した例があります。1804年のナポレオンの民法典です。

 

  〔意思主義と対抗要件主義の組合せという我が国のやり方は,〕フランス民法に由来するが,フランスでは,1804年の民法典においては,177条にあたる規定がなく,先に買った者が,万人に対する関係で完全に所有権を取得し,後から買った者は負けるということになっていた。(星野英一『民法概論Ⅱ(物権・担保物権)』(良書普及会・1980年)40頁)

 

 ところが,ナポレオンの民法典における上記制度は,甥のナポレオン3世の時代に現在の日本のやり方の形に変更されます。

 

 しかし,これでは,不動産を占有するので所有者だと信じて買ったり,これに抵当権をつけても,先に買った者がいるならばこれに負けることになり,非常に取引の安全を害する。そこで,約50年後の1855年に,先に買っても,登記をしないと後から買って登記をした者に負けるということにした。取引の安全を保護するための制度だが,第三者の保護に値する事情を考慮せず,権利取得者でも登記を怠った者は保護されないという面から規定したのである。ただ,その結果,不動産を買おうとする者は,売主に登記があるならば,これを買って登記を自分に移せば,先に買った者があっても安心だ,ということになった。日本民法は,フランスにおける50年の発展の結論だけをいわば平面的に採用したのである。そのために,わかりにくい制度となっているが,この沿革を考えれば,たやすく理解できるであろう。(星野・概論Ⅱ・4041頁)

 

 「たやすく理解できるであろう」といわれても,まだなかなか難しい。


4 フランス1855年3月23日法

ところで,フランスの民法典(Code Civil)の本体が1855年に改正されたかといわれれば,そうではないようです。1855年3月23日法という特別法が制定されています。

同法の拙訳は,次のとおり。(同法はフランス政府のLegifranceサイトでは見ることができませんので,ここで紹介することに何らかの意義はあるのでしょう。条文の出典は後出のトロロンのコンメンタールです。同法の概要については,つとに星野英一「フランスにおける不動産物権公示制度の沿革の概観」同『民法論集第2巻』(有斐閣・1970年)49頁以下において紹介されています。なお,同法は現在は1955年1月4日のデクレ(Décret n˚ 55-22 du 4 janvier 1955)に代わっています。)

 

第1条 財産の状況に係る次に掲げる事項は,抵当局において(au bureau des hypothèques)謄記される(sont transcrits)。

 一 不動産の所有権又は抵当に親しむ物権(droits réels susceptibles d’hypothèque)の移転を伴う生者間における全ての証書による行為(acte)〔筆者註:acteには,行為という意味と証書という意味とがあります。星野「沿革」・論集第2巻95頁等の整理では,フランス法において登簿されるacteとは証書のことであるとされています。

 二 上記の権利の放棄に係る全ての証書による行為

 三 前各号において示された性質の口頭合意(une convention verbale)の存在を宣言する全ての裁判(jugement

 四 共有物競売(licitation)において共同相続人の一人又は共有者の一人のためにされるもの(celui rendu … au profit d’un cohéritier ou d’un copartageant)を除く全ての競落許可(adjudication)の裁判〔筆者註:「共同相続人または共有者間における分割のための競売・・・において共有者の一人が競落人となったときは除かれる」のは,「共有分割と同じ関係だから」だそうです(星野「沿革」・論集第2巻52頁)。「相続財産の分割については,分割部分を受けた者は初めからその部分につき単独で直接に被相続人から相続したことになり(民883条),分割は最初からのこの状態を確認するにすぎないもので,移転行為でなく確認行為であると解されている。この理は一般原則であるとされ」ているそうです(星野「沿革」・論集第2巻54頁)。〕

 

第2条 次に掲げる事項も同様に謄記される。

 一 不動産質権(antichrèse),地役権(servitude),使用権(usage)及び住居権(habitation)の設定に係る全ての証書による行為(Tout acte constitutif)〔筆者註:我が民法の不動産質権のフランス語訳は,富井政章及び本野一郎によれば,droit de gage sur les immeublesです(第2編第9章第3節の節名)。使用権及び住居権についいては,星野「沿革」・論集第2巻48頁註11において「使用権とは,他人の物の使用をなしうる権利であり(もっとも,収益を全くなしえないのか否かの点,および,なしうるとしてその範囲につき,問題がある),住居権とは,他人の家屋を使用しうる権利である。」と説明されています。我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)110条1項には「使用権ハ使用者及ヒ其家族ノ需要ノ程度ニ限ルノ用益権ナリ」と,同条2項には「住居権ハ建物ノ使用権ナリ」と定義されています。〕

 二 上記の権利の放棄に係る全ての証書による行為

 三 当該権利の口頭合意による存在を宣言する全ての裁判

 四 18年を超える期間の賃貸借(les baux

 五 前号の期間より短い期間の賃貸借であっても,3年分の期限未到来の賃料又は小作料(fermages)に相当する金額の受領又は譲渡(quittance ou cession)を証する全ての証書による行為又は裁判

 

第3条 前各条に掲げる証書による行為及び裁判から生ずる権利は,謄記されるまでは,当該不動産に係る権利を有し,かつ,法律の定めるところに従い当該権利を保存した(qui les ont conservés)第三者に対抗することができない(ne peuvent être opposés)。

謄記されなかった賃貸借は,18年の期間を超えて第三者に対抗することは決してできない(ne peuvent jamais)。

 

 第4条 謄記された証書による行為の解除(résolution),無効(nullité)又は取消し(rescision)の全ての裁判は,確定した日から1月以内に,登記簿にされた謄記の欄外に付記されなければならない(doit…être mentionné en marge de la transcription faite sur le registre)。

   当該裁判を獲得した代訴人(avouéは,自ら作成し,かつ,署名した明細書(un bordereau)を登記官(conservateur)に提出して当該付記がされるようにする義務を負い,違反した場合においては100フランの罰金(amende)を科される。登記官は,代訴人に対して,その調書に係る受取証(récépisséを交付する。

 

 第5条 登記官は,請求があったときは,その責任において,前各条において規定された謄記及び付記に係る抄本又は謄本を発行する(délivre…l’état spécial ou général des transcriptions et mentions)。

 

 第6条 謄記がされてからは,先取特権者又はナポレオン法典第2123条〔裁判上の抵当権〕,第2127条〔公正証書による約定抵当権〕及び第2128条〔外国における契約に基づく抵当権〕に基づく抵当権者は,従前の所有者について(sur le précédent propriétaire)有効に登記(inscription)をすることができない。〔筆者註:裁判上の抵当権については,「裁判上の抵当権とは,裁判を得た者のために,債務者の財産に対して法律上当然に発生する抵当権であって,法定抵当権におけると同様,債務者の現在および将来のすべての不動産に対して効力が及ぶものである」と説明されています(星野「沿革」・論集第2巻23頁註6)。〕

   しかしながら,売主又は共有者は,売買又は共有物の分割から45日以内は,当該期間内にされた全ての証書による行為の謄記にかかわらず,ナポレオン法典第2108条〔不動産売買に関する先取特権〕及び第2109条〔共有物分割に関する先取特権〕により彼らが取得した先取特権を有効に登記することができる。

   民事訴訟法第834条及び第835条は,削除される。〔筆者註:星野「沿革」・論集第2巻26頁にこの両条の訳がありますが,民事訴訟法834条によれば,抵当不動産譲渡及びその謄記があってもその後なお2週間はナポレオン法典2123条,2127条及び2128条に基づく当該譲渡前の抵当権者は登記ができるものとされていました(ただし,2108条及び2109条の権利者を害することを得ない。)。〕

 

 第7条 ナポレオン法典第1654条〔買主の代金支払債務不履行に基づく売主の売買契約解除権〕に規定する解除は,売主の先取特権の消滅後は,当該不動産に係る権利の移転を買主から受け,かつ,当該権利の保存のための法律に従った第三者を害する場合は行うことができない。

 

 第8条 寡婦(veuve),成年者となった未成年者,禁治産の宣告の取消しを受けた禁治産者,これらの者の相続人又は承継人が婚姻の解消又は後見の終了後から1年以内に登記しなかった場合においては,上記の者の抵当は,第三者との関係においては,その後に登記がされた日付のものとする(ne date que du jour des inscriptions prises ultérieurement)。〔筆者註:この条は,妻並びに未成年者及び成年被後見人の法定抵当権(登記を要しない(ナポレオンの民法典2135条)。)に関する規定であって,「法定抵当権とは,法律上当然に一定の債権について与えられるもので(2117条1項),妻がその債権等につき夫の財産に対して有するもの,未成年者および禁治産者がその債権等につき後見人の財産に対して有するもの,国,地方公共団体および営造物がその債権等につき収税官吏および会計官吏の財産に対して有するもの,の3種がある(2121条)。」と紹介されています(星野「沿革」・論集第2巻22‐23頁註6)。なお,星野「沿革」・論集第2巻51頁は,この1855年3月23日法8条について「1年内に登記をしないともはや第三者に対抗することができない。」と記しています。〕

 

 第9条 妻(les femmes)がその法定抵当を譲渡し,又は放棄することができる場合においては,それらの譲渡及び放棄は公署証書(acte authentique)によってされなければならず,並びに譲受人は,彼らのためにされた当該抵当の登記によらなければ,又は既存の登記の欄外における代位の付記(mention de la subrogation)によらなければ,第三者との関係においては,当該権利を取得することができない。

   譲渡又は放棄を受けた者の間における妻の抵当権の行使の順位は,登記又は付記の日付によって定まる。

 

 第10条 この法は,1856年1月1日から施行する。

 

 第11条 上記第1条,第2条,第3条,第4条及び第9条は,1856年1月1日より前に確定日付を付された証書による行為及び下された裁判には適用されない。

   それらの効果は,その下でそれらが行われた法令による。

   謄記はされていないが前記の期日より前の確定日付のある証書による行為の解除,無効又は取消しの裁判は,この法律の第4条に従い謄記されなければならない。

   その先取特権がこの法律の施行の時に消滅している売主は,第三者に対して,ナポレオン法典第1654条の規定による自らの解除(l’action résolutoire qui lui appartient aux termes de l’article 1654 du Code Napoléon)を前記の期日から6月以内にその行為を抵当局に登記することによって保存することができる。

       10条により必要となる登記は,本法律が施行される日から1年以内にされなければならない。当該期間内に登記がされないときは,法定抵当はその後にそれが登記された日付による順位を得る(ne prend rang que du jour où elle ultérieurement inscrite)。

   贈与(donation)に係る,又は返還を条件とする規定(des dispositions à charge de rendre)を含む証書による行為の謄記に関するナポレオン法典の規定については従前のとおりである(Il n’est point dérogé aux)。それらの規定は,執行を受け続ける(continueront à recevoir leur exécution)。

 

 第12条 特別法により徴収すべき手数料(droits)が定められるまでは,証書による行為又は裁判の謄記であって,この法律の前には当該手続に服するものとされていなかったものは,1フランの定額手数料と引き換えにされる。

  

 「謄記」という見慣れぬ用語については,次の説明を御覧ください。

 

・・・「謄記transcription」と「登記inscription」の使い分けについてである。transcriptionとは文字通りには転記することであるが,フランスにおける不動産の公示は,原因証書(売買契約書)の写しを綴じ込むことによって行われており,原因証書とは別に権利関係が登録されるわけではない。transcriptionという用語はこのことを示すものである。(大村敦志『フランス民法』(信山社出版・2010年)148頁)

 ただし,謄記の方法が,文字どおりの証書の筆写(transcription)から当事者によって提出された証書を編綴するシステムになったのは,1921年7月24日法(Loi relative à la suppression du registre de la transcription et modifiant la loi du 23 mars 1855 et les art. 1069, 2181 et 2182 du Code civil),1921年8月28日命令(Décret fixant le type et le coût des formules destinées à la rédaction des documents déposés aux conservations des hypothèques)及び192110月6日命令(Décret fixant le prix des bordereaux de transcription hypothécaire)による制度改正がされてからのことです(星野「沿革」・論集第2巻7778頁。また,同「フランスにおける1955年以降の不動産物権公示制度の改正」論集第2巻111頁)。


5 トロロンのコンメンタール 

1855年3月23日法については,第二帝政フランスの元老院議長にして破毀院院長(Premier Président)たるレイモン=テオドール・トロロン(Troplong)によるコンメンタールであるCommentaire de la Loi du 23 mars 1855 sur la Transcription en Matière Hypothècaire≫(抵当関係謄記に関する1855年3月23日法逐条解説)1856年にパリのCharles Hingrayから出ており,これは現在インターネット上で読むことができます。実に浩瀚なものです。おしゃれたるべき書籍の狙いや書籍としての編集上の事由から一次資料に基づく整理の多くを削除するような横着なことをすることなく,むしろ長過ぎる(trop long)くらいのこのような大著を出す西洋知識人の知的タフネスには,非常に知識に富んでいて聡明である程度であるところの我が国の学者諸賢では太刀打ちできないものでしょうか。無論,仕事に厳しい法律実務家は,婦女子生徒にもめちゃくちゃフレンドリーであるというようなことはなく,かえって迷惑がられ,悪くすると嫌われてしまうのでしょうが。

そのトロロンによる1855年3月23日法第3条解説の冒頭部分(167169頁)を以下訳出します。

 

142. 第3条は,謄記(transcription)の効果を定める。

 ナポレオン法典の原則によれば,合意(consentement)は,当事者間においても,第三者との関係でも,所有権(propriété)を移転せしめる。売買は,その締結により,買主を所有者とする。権利を失った売主(le vendeur dépouillé)は,譲渡された不動産に係る何らの権利ももはや与えることはできない。このように,誠実(la bonne foi)は欲するであって,そこからのインスピレーションがこの制度(ce système)の導き(guide)となったのである。売買について知らずに,所有者だと思って売主と取引をした者は,買主に対して何らの権利も絶対的に有さない。本人(leur auteur)が有する以上の権利を人々は取得することはできない。当該本人は,既に権利を失っているので,彼らに何も移転することはできないのである。

 唯一,約定(convention)が証明されなければならない。しかして,第三者との関係では,証書(acte)は,確定日付あるものとなった時から(du moment où sa date est certaine)しかその示す約定の存在を証明しないのである〔筆者註:ナポレオン法典1328条が「私署証書は,第三者に対しては,それらが登録された日,それらに署名した者若しくは署名した数名中の一人の死亡の日又は封印調書若しくは目録調書のような官公吏によって作成された証書においてそれらの内容が確認された日以外の日付を有さない。」と規定していました。〕。したがって,第三者との関係では,所有権の移転は,その先行性の証明となる証書の存在という条件の下に置かれることになる。同一の財産に係る2名の前後する買主の間においては,契約書が先に確定日付を受けた者が他の者に対して勝つのである。これが,ナポレオン法典による立法に基づく状況である。これが,1855年3月23日法まで支配した理論である。

 

143. しかしながら,不動産信用の必要(les nécessités du crédit foncier〔なお,「フランスでは1852年に抵当貸付銀行(Crédit foncier)というものができ」たそうです(星野英一「物権変動論における「対抗」問題と「公信」問題」同『民法論集第6巻』(有斐閣・1986年)145頁)。また,星野「沿革」・論集第2巻49頁(ここでは「土地信用銀行」と訳されています。)参照〕によって起動されたものであるこの法律は,前記の原則に抵触し,ナポレオン法典はその点において重大な変更を被ることとなった。もちろん,当事者及び彼らの承継人間においては,所有権の変動は常に合意のみによって行われるのであって,ナポレオン法典の母なる理念(l’idée mère),すなわち深く哲学的かつ倫理的な理念(idée profondément philosophique et morale)は,その全効力の中に存続する。しかしながら,第三者との関係においては,以後変動は,公の登記簿に証書が謄記されることによって(par la transcription du titre sur un registre public)初めて達成されるのである。謄記がされるまでは,売主は,当事者及び彼らの包括承継人(leurs successeurs universels)以外の者との関係では所有権の属性(les attributs de la propriétéを保持している。彼によって第三者に移転され,かつ,しかるべく正規化された(dûment régularisés)権利は,時期的には先行していてもその証書をいまだに謄記していなかった買主に対して対抗することができるのである。買主は,それらその契約を公告した第三者に対して,当該本人(son auteur)は彼自身有していなかった権利を彼らに移転することはできなかったのだと言うことをもはや許されない。買主は,少なくとも第三者との関係では,謄記によって日付をはっきりさせず(en ne prenant pas date contre lui par la transcription),売主は権利を失っていないと公衆が信ずることを正当化してしまった(en autorisant)ことによって,売主がそれらの権利をなお有するものとしたのである(l’a laissé investi de ces droits)。彼は,競合する権利に対抗されることによって被った損害について,自分のみを(à lui seul)及びその懈怠を(à sa négligence)咎めるべきである(doit imputer)。

 以上からして,所有権の移転は,現在は二重の原則によって規律されていることになる。当事者間においては,それは合意から生ずる。第三者との関係では,証書の謄記をもってその日付とする(elle ne date que de la transcription du titre)。同一の不動産に係る物権を主張する2名の間では,公示の法律に先に適合するようにした者が(celle qui se sera conformée la première à la loi de la publicité),その主張について勝利を得るのである。

 

144.以上のように論じたところで(Ceci posé),当該状況下においては,通常の理論では単なる承継人であって本人を代表し(représentant son auteur)かつ譲渡人の写し絵(image du cédant)であるところの者が,他の者のためにされた当該本人に由来するところの行為(les actes émanés de cet auteur)を争うことのできる第三者となるように見える。周知のとおり,当該二重効(ce dualisme)は,法においては新奇なものではない。どのようにして同一の個人が,ある場合には譲渡人の承継人であり,他の場合にはそうではないこととなり得るかについては,他の書物で示し置いたところである。

 難しい点は,どのような場合に第三者の利益が生じ,どのような他の場合に1855年3月23日法にかかわらずナポレオン法典の規定がそのまま適用される(demeure intacte)かを知ることにある。

 まず,買主は,その契約書を謄記していなくとも,売主に対しては,取得した不動産を請求する権利を有する。公示の規定は,このような仮定例のために設けられたものでないことは明白である。当事者は彼らの締結した契約を知らないものではなく,かつ,彼らに関しては公告は無用のものである。

 

 星野英一教授の以下のような論述には,上記トロロンの説明を彷彿とさせるものがあるように感じられます。

 

  ・・・つぎの疑問が出るかもしれない。甲は乙に完全に所有権を移したのなら,丙に移すべき権利を持っていないではないかということである。この点の説明は難しいように見えるが,実はなんのこともない。甲乙間において乙に完全に所有権が移っているということは,乙は甲に対して所有権から生ずる法律効果を主張でき,甲は乙に対して所有権から生ずる効果を主張できない,ということである。しかし,乙は丙に対しては所有権から生ずる効果を主張できないのであり,その限りで,乙の権利は不完全なものであり,甲になにものか,つまり,丙に登記を移転し,その結果乙が丙に所有権を対抗できなくなって,結局丙が完全な意味で所有権者になるようにすることのできる権能が残っている,ということである。(星野・概論Ⅱ・39頁)

 

  所有権を,ある物質的存在のように考えると,ある物の所有権はどこかにしかないことになり,甲から乙に移った以上甲から丙には移りえない,ということにもなりそうだが,所有権とは,そのような存在でなく,要するに誰かが他の人にある法律効果を主張するさいの根拠として用いられる観念的存在にすぎない。故に,乙は甲に対しては所有権を主張しうるが,丙に対してはそう主張できない,甲は乙に対しては所有権を主張できないが,丙に対してはこれを移転しうる,と考えることになんらおかしなところはないのである。このことは,所有権に限ったことではなく,法律概念にはこのようなものが多い。その実体化(物質的存在のように考えること)は誤りであることをはっきり弁えなければならない。どうしても実体的に考えたいのなら,先に述べたように乙の持っている「所有権」は,完全なものでなく「所有権マイナスα」であり,甲にαが残っている,といえばよい。そのαは,強力なもので,丙に移転され登記がされると,乙にある「所有権マイナスα」を否定する力を有するというわけである。いったん甲から乙に所有権が完全に移転する以上,甲にはもはやなにも残らないから,二重譲渡は論理的に不可能である,などといわれ,この点を説明しようとして,古くから色々の説が唱えられており,最近も新しい説が出ている。しかし,そもそもをいえば,もしも176条しかないならば二重譲渡は不可能だが,177条,178条がある以上,そんなことはなく,そのような説明は不要なのである。(星野・概論Ⅱ・3940頁)

 

 未謄記の買主間における優劣に関するトロロンの次の議論も面白いところです(177頁)。

 

 151. 謄記をしていない買主間においては,一方から他方に対して1855年3月23日法が援用されることはできない。なおもナポレオン法典の規律下にあるところであって,他方との関係における証書の日付の先行性によって紛争は解決せられるのである。第2の買主は,空しく第1の買主に対して言うであろう。もしあなたがあなたの取得を公示していたのならば,私は購入することはなかったでしょう,あなたの落ち度(faute)が私を誤りに陥らせたのです,と。第1の買主は論理的に(avec raison)答えるであろう。現在の原則によれば,あなたの購入を他のだれよりも先に謄記したときにならなければ,あなたは所有権について確実なものと保証されていないのです。で,あなたは何もしていませんでしたね。

 

 6 「日本民法の不動産物権変動制度」講演その他

 トロロンのコンメンタールの第151項を読んで面白がるのはméchantでしょうか。しかし,大村敦志教授の著書に次のようなくだりがあるところです。

 

  ・・・〔不動産物権変動におけるフランス法主義に関する研究者である〕滝沢〔聿代〕はここ〔「法定取得+失権」説と呼ばれる滝沢の見解〕から重要な解釈論的な帰結を導く。それは,「第一譲渡優先の原則」あるいは「非対称性の法理」とでも言うべき帰結である。滝沢によれば,第二買主は登記を備えることによって初めて権利を取得するのであり,登記以前に所有権を有するのは第一買主である。第一買主は登記を備えた第二買主に対抗することはできないが,第二買主が登記を備えるまでは第一買主はその権利を対外的に主張できるというのである。つまり,双方未登記の第一買主と第二買主とでは前者が優先する,言い換えれば,両者の立場は対等ではないというわけである。

  以上に対して,星野〔英一〕は異を唱えた(星野「日本民法の不動産物権変動制度」同『民法論集第6巻』〔1986,初出は1980〕)。星野の論点は次の3点にあった。一つは,議論の仕方についてである。滝沢のような議論はフランスではなされていないのであり,無用の法律構成であるというのである。もう一つは,歴史的な経緯の異同についてである。フランスでは,意思主義は1804年の民法典によって,対抗要件主義は1855年の登記法によってそれぞれ導入されたのに対して,日本では,両者は同時にセットとして民法典に書き込まれたことを重視すべきであるというのである。それゆえ最後に,フランス法では第一買主と第二買主の地位が非対称であるとしても,日本では両者を対称的に考えるべきであるというのである。(大村150頁)


 ここで大村教授は星野教授の「日本民法の不動産物権変動制度 ――母法フランス法と対比しつつ――」講演を典拠として挙げていますが,同講演において星野教授が滝沢説(ないしはその方法)に「異を唱えた」という部分は,筆者の一読したところ,以下のようなものです。

 

 ・・・先に述べたような立場〔「・・・プロセスとしてどうしても,文理解釈,論理解釈といわれる操作から出発し,つぎに立法者や起草者がどう考えたかを探究し,進んで立法にさいしてもととなった外国法やその歴史に遡って調べなければなりません。これは,少なくとも学者にとって必要な作業です。これらの基礎的な作業を経たうえで,現在の立場から,先に述べた利益考量・価値判断をするわけです。その論証のしかたとしては,たとえば,日本の民法は,立法者の考え方そして立法のもととなっている外国法によれば,こういうもの,こう解釈されるべきものであった,しかし現在においては,社会情勢が立法者の前提としていたところと変わっていたり,人々の考え方が変わっているので,今日ではそれは取り得ない,としたうえで,現在の解釈としてはこうあるべきだ,というふうに論ずるわけです。」という立場〕から日本民法を理解するために,その沿革,そしてフランス民法の沿革に遡ったよい研究をした滝沢助教授が,この点〔二重譲渡の可能性の説明〕になると一転して――というより実はそもそも同氏の問題意識というか問題の出発点がそこにあるのですが――,フランスの学者もほとんど問題にしていないところの――このことは同氏の研究からも明らかです――二重譲渡の可能性ないし第二買主の権利取得の説明に苦心しているのは,やや一貫しない感があります。ここでも,というよりここでこそ――というのは日本民法もこの点では同じ,というより始めから二つの規定〔176条及び177条〕を併存させているのですから――,もっとあっさりと,フランス式で押しとおすほうが当初の方法に忠実であり,すなおではなかったか,と思われるのです。つまり,同助教授はせっかく立派な実証的研究をしているのに,ドイツ法学的(?)問題意識をもってフランス法をかなり強引に利用したように思われます。それとも,日本の学説が盛んに議論している問題だから,日本に密着した問題だということでしょうか。それなら一応わかりますが,日本の学界において盛んに問題とされているものがあまり問題とするほどのものではない〔すなわち,「どちらの問題〔二重譲渡の説明及び物権の「得喪及ヒ変更」の範囲〕についても,文理解釈・論理解釈ではわからないため,立法者,起草者,場合によりそのもととなった法律に遡らねばならないので,それなしの議論は,いわば砂上の楼閣になりかねないのです。率直に言って,従来の議論は,我妻〔榮〕先生のものでさえその辺が不十分で,現在もその弱い基盤の上に議論されているために,迷路に陥っている感がありました。」という情況〕,ということを外国法を参考にして明らかにするのも重要な意義のあることであり,私はこの問題についてはむしろそれが必要だと考えるものです。しかし,これも法律学の任務に関する考え方の違いによるものでしょうか。ただ,少なくとも,前述したやや一貫しない感じの所についての説明は必要でしょう。(星野・論集第6巻9495頁,107108頁)

 

上記部分は,「滝沢〔聿代「物権変動における意思主義・対抗要件主義の継受(一)~(五完)」法学協会雑誌93巻9号,11号,12号,94巻4号,7号(昭和5152年)〕によって,ようやく論議のためのほぼゆるぎない基礎が確立されたといってよい,ただ後に二,三の点について述べるように,同論文にもなおこの点〔立法者・起草者,そのもととなった外国法に遡った議論〕でも若干の不統一ないし不徹底が見られるのは惜しい。」(星野「日本民法の」・論集第6巻97頁註8)とされた「二,三の点」に係るものでしょう。

なお,星野教授も,滝沢「物権変動における意思主義・対抗要件主義の継受」論文を引用しつつ,「同条〔民法177条〕をあえて説明すれば,物権を取得しても登記をしないでいて第三者が登記をすると失権する規定だともいえましょう」と述べています(星野「日本民法の」・論集第6巻115頁)。また,「同条〔民法177条〕は物権を取得したが登記を怠った者の懈怠を咎めるという客観的意味を持つ規定だといってもよいでしょう。」との星野教授の理解(星野「日本民法の」・論集第6巻115頁)は,トロロンの前記コンメンタール第143項第1段落の最終部分と符合するようですが,この点に係る「民法の起草者もそんなことは言っていない」との石田喜久夫教授の批判に関し星野教授は,「民法の構造に立った理解として,滝沢助教授および私の理解以外にうまい理解のしかたがほかにあれば再考するにやぶさかではない。」と述べています(星野「日本民法の」・論集第6巻121頁註9)。少なくともこれらの点においては,星野教授は滝沢説に「異を唱えた」ものではないでしょう。(なお,石田教授と星野教授とは,「私どもは,公刊された文章でかなり厳しい批判をしあいました。契約の基本原理から,多方面の解釈論に及びます。個人的な会話においても悪口をいいあっていましたが,学者としても,人間としても,互いに尊敬しあい,心が通じていたからだと信じています。」という間柄でした(星野英一『法学者のこころ』(有斐閣・2002年)288頁)。)

そもそも1977年2月11日に広島市における全国青年司法書士連絡協議会大会おいてされた星野教授の「日本民法の不動産物権変動制度」講演は,「幸い,この点に関する優れた研究〔滝沢「物権変動における意思主義・対抗要件主義の継受(一)~(五完)」〕が最近発表されましたので,これを参考にしながらお話を進める」こととしたというものでした(星野・論集第6巻89頁)。

 

7 第三者の善意要件に関して 

 なお,ボアソナアドの旧民法財産編350条1項は「第348条ニ掲ケタル行為,判決又ハ命令ノ効力ニ因リテ取得シ変更シ又ハ取回シタル物権ハ其登記ヲ為スマテハ仍ホ名義上ノ所有者ト此物権ニ付キ約束シタル者又ハ其所有者ヨリ此物権ト相容レサル権利ヲ取得シタル者ニ対抗スルコトヲ得ス但其者ノ善意ニシテ且其行為ノ登記ヲ要スルモノナルトキハ之ヲ為シタルトキニ限ル」と規定して,第三者に善意を要求していました。初学者的には違和感の無い結果となったようです。しかしながら,いろいろ問題があるということで当該規定は現行民法には採用されなかったのでしょうか。残念ながら本稿においては,そこまで現行民法の編纂過程を調べて論ずるには至らなかったところです。(この点については,多田利隆西南学院大学法科大学院教授の「民法177条と信頼保護」論文(西南学院大学法学論集47巻2=3号(2015年)129頁以下)において現行民法の起草者である穂積陳重,富井政章及び梅謙次郎の見解が紹介されており(「不動産登記が「公益ニ基ク」公示方法として十分な効果をあげるためには「絶対的」のもの〔「第三者の善意・悪意に応じて取り扱いを分けるという相対的な取り扱いはしないということ」〕でなければならないからだというのである」(穂積について),「其意思ノ善悪ニ関シテ争議ヲ生シ挙証ノ困難ナルカ為メニ善意者ニシテ悪意者ト認定セラルルコト往々コレナキヲ保セズ。故ニ法律ハ第三者ノ利益ト共ニ取引ノ安全ヲ保証スルタメニ上記ノ区別ワ採用セザリシモノト謂ウベシ」(富井の『民法原論 第二巻 物権』における記述の紹介)及び「実際には善意・悪意の区別は困難であって,第三者によって物権変動を認めたり否定したりすると「頗ル法律関係ヲ錯雑ナラシムルモノニシテ実際ノ不便少カラス」,したがって,「第三者ノ善意悪意ヲ問ハス登記アレハ何人ト雖モ之ヲ知ラスト云フコトヲ得ス登記ナケレバ何人モ之ヲ知ラサルモノト看做シ畢竟第三者ニ対シテハ登記ノ有無ニ因リテ権利確定スヘキモノトセル」立場を採用したのだと説明」(梅の『民法要義 巻之二 物権篇』の記述に関して)),「そこでは共通して,本来であれば善意の第三者のみを保護すべきであるが,公示制度の実効性を高めることや,善意・悪意をめぐる争いの弊害を防ぐことなど,実際上あるいは便宜上の理由によって,具体的な善意要件は掲げなかったことが説かれている」と総括されています(131‐133頁)。)
 ところで,トロロンは前掲書において1855年3月23日法第3条に関してつとに次のように述べていました(229230頁)。

 

 190.謄記を援用する者に対してはまた,それは悪意(mauvaise foi)によってされたものであると主張して対抗することができる。しかし,ここでいう悪意とは何を意味するのであろうか?

取り急ぎ述べれば,謄記されていない先行する売買に係る単純な認識(la simple connaissance)は,同一の不動産を新たに買った者を悪意あるもの(en état de mauvaise foi)とはしない。このことは,贈与の謄記に関して,既に確立されたものとなっている。しかして共和暦13年テルミドール3日に破毀院は,ブリュメール法〔共和暦7年ブリュメール11日(179811月1日)の抵当貸付法(Loi de crédit hypothécaire)であって,同法の内容については星野「沿革」・論集第2巻9頁・13‐14頁註5を,所有権の移転を第三者に対抗するためには謄記が必要であるとする同法の規定がナポレオンの民法典においては採用されなかった経緯については星野「沿革」・論集2巻16頁・17頁註5註6(「ある者は,不注意か手違いのためであろうかと疑い,ある者は,部会が最後の瞬間に思い直して意見を変えたのであろうか,という」)を参照〕を適用してそのように裁判している。

  「(同院は当該判決(arrêt)においていわく)最初の売買が謄記されておらず,かつ,したがって所有権の移転がない限りにおいては,既に他者に売られていることを知り得た不動産を買う者を不正行為(fraude)をもってとがめる(accuser)ことはできない。法律によって提供された有利な機会から利益を得ることは不正行為ではないからである(car il n’y a pas fraude à profiter d’un avantage offert par la loi)。しかして,証書を謄記させるために同様の注意(une égale dilligence)を用いなかったのならば,最初の買主は自分自身を咎めるべきである。」

  しかしながら,第2の買主は,第1の買主が自らの懈怠によるというよりも売主によって第2の買主と共謀の上(avec complicité)共同してされた陰謀(une manœuvre concertée)の犠牲者であるという場合においては,第1の買主を裏切る(tromper)ために売主によって企まれた(machinée)不正行為に加担したものである。この場合においては,著しく格別な悪意(la plus insigne mauvaise foi)による行為(acte)を謄記によって掩護(couvrir)せしめることは不可能である。この意見は,新法を提案するに当たっての政府のものである。実際に,提案理由中には次のようにある。「同一の不動産又は同一の物権について同一の権利者(propriétaire)によって2ないしは多数の譲渡(aliénations)がされた場合においては,最初に謄記されたものが他の全てのものを排除する(exclurait)。ただし,最初に当該手続(cette formalité)を充足した(a rempli)者が不正行為(fraude)に加担していない(n’eût participé)ときに限る。」と。


弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

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1 分娩による母子関係の成立(判例)

 「生んだのは私です。」と女性が啖呵を切れば男は引っ込む。「母は強し。」ですね。

 しかし,法律的には,「母」とは何でしょう。

 民法の代表的な「教科書」を見てみると,「母子関係の発生に母の認知を要するかについては,学説が分かれていた。現在では,判例・通説は分娩の事実によって母子関係は成立するから認知は不要としている。」とあります(内田貴『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)196頁)。当該判例たる最高裁判所昭和37年4月27日判決(民集1671247)は,「母とその非嫡出子との間の親子関係は,原則として,母の認知を俟たず,分娩の事実により当然発生すると解するのが相当であるから,被上告人〔母〕が上告人〔子〕を認知した事実を確定することなく,その分娩の事実を認定したのみで,その間に親子関係の存在を認めた原判決は正当である。」と判示しています。

 当たり前でしょ,そもそも「母子関係の発生に母の認知を要する」なんて何てお馬鹿なことを言っているのかしら,というのが大方の反応でしょう。

 しかし,民法には困った条文があるのです。

 

 第779条 嫡出でない子は,その父又は母がこれを認知することができる。(下線は筆者によるもの)

 

 素直に読めば,「嫡出でない子」については,その子を分娩した女性であっても改めて認知するまではその子の法律上の母ではないということになるようです。

なお,ここで,「嫡出でない子」の定義が問題になりますが,「嫡出子」については,「婚姻関係にある夫婦から生まれた子」(内田169頁),あるいは「婚姻関係にある男女の間の子」ということになり(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)214頁),かつ,その子は「夫との性的交渉によって懐胎された子でなければならない。」とされています(我妻214頁)。「嫡出でない子」は,「父と母との間に婚姻関係のない子」ですから(我妻230頁),婚姻していない女性が生んだ子(「未婚の子」)及び人妻の生んだ子であるが夫との性的交渉により懐胎された子でないもの(「母の姦通の子」)ということになるのでしょう。

 前記昭和37年最高裁判所判決までの古い判例は,「民法が,非嫡出子と親との関係は,父についても,母についても,認知によって生ずるものとして差別を設けない」ことから,民法の条文どおりの解釈を採っていて,非嫡出子を分娩した女性が出生届をしたときは母の認知の効力を認めるものの,原則として非嫡出子とその子を生んだ女性との関係については「分娩の事実があっても「生理的ニハ親子ナリト雖モ,法律上ハ未ダ以テ親子関係ヲ発生スルニ至ラズ」」としていたそうです(我妻248頁)。この判例の態度を谷口知平教授は支持していて「(ⅰ)母の姦通の子や未婚の子が虚偽の届出または棄児として,身分をかくそうとしている場合に,第三者から出生の秘密をあばくことは許さるべきではない。子の朗らかな成人のためにその意思を尊重し,母または子のいずれかの発意と希望があるときにのみ母子関係を認むべきだ。(ⅱ)養育しなかった生母が,子の成人の後に,子の希望しないにもかかわらず,母子関係を認め,子に扶養義務を負わせたり(認知を必要とすれば子の承諾を要する(782条)),母の相続権を認める(認知を必要とすれば,子の死亡後は,直系卑属のあるとき(母の相続権のないとき)でないとできない(783条2項))のは不当である。」と主張していたとされています(我妻249頁)。「わが民法においては親子関係については英米法の自然血縁親子主義を採らず,親子関係を,法律関係とする社会的法律関係主義ともいうべきものを採用している。」ということでしょう(谷口知平『戸籍法』(有斐閣・1957年)170頁)。

これら当時の判例及び学説に対して我妻榮は,「非嫡出子と母との関係は,その成立についても,成立した関係の内容についても,嫡出子と区別しない,というのが立法の進路であり,その途に横たわる障害については合理性を見出しえない」と宣言し(我妻232頁),「母との関係は,生理的なつながり(分娩)があれば足りる。母の認知または裁判を必要としない。従って,何人も,何時でも,この事実を主張することができる。母の認知という特別の制度は不要となる」(同235頁)との解釈論を展開していました。母子関係について「なお認知または裁判によって成立するものとしている」フランス民法的解釈から,「出生によって当然に母子関係が生ずる」とするドイツ民法及びスイス民法的解釈へと(我妻231頁参照,解釈を変更せしめようとし,前記昭和37年最高裁判所判決によってその目的が達成されるに至ったわけです。当該判例変更の理由について,当該判決に係る裁判長裁判官であった藤田八郎最高裁判所判事は,当該判決言渡しの4年後,「父と嫡出でない子の生理的な事実上のつながりは甚だ機微であって,今日の科学智識をもってしても,必ずしも明確に認識し難いのに反して,母と嫡出でない子のそれは,分娩出産という極めて明瞭な事実関係によって把握されるということに縁由するのである。」と明らかにしています(藤田八郎「「母の認知」に関する最高裁判所の判決について」駒澤大學法學部研究紀要24号(1966年4月)16頁)。ただし,これだけのようです。

以上の点に関しては,かつて,「ナポレオンの民法典とナポレオンの子どもたち」の記事で御紹介したところです(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2166630.html)。

 

2 法律の明文vs.血縁主義(事実主義)

 

(1)我妻榮の覚悟

我妻榮は,嫡出でない子に係る母子関係の成立には母による認知を不要とする自説を提示するに当たって,「非嫡出子と母との関係は,分娩という事実(生理的なつながり)によって当然発生すると解するときは,民法その他の法令の規定中の父または母の認知という文字から「または母」を削除して解釈することになる。解釈論として無理だと非難されるであろうが,止むをえないと考える。」との覚悟を開陳しています(我妻249頁)。確かに,法律に明らかに書いてある「又は母」を公然無視するのですから,立法府たる国会の尊厳に正面から盾突く不穏な解釈であるとともに,民法第4編及び第5編を全部改正した昭和22年法律第222号の法案起草関係者の一人としては立場上少々いかがなものかと思わせる解釈です(我妻榮自身としては,「戦後の大改正には,責任者の一人ともなった」が,「身分法は,私の身についていないらしい。大学では,随意科目・・・といっても,時間割にも組んでなかった。鳩山先生が,学生の希望を入れて,時間割外に講義をして下さったのだから,正式の随意科目でもなかったかもしれない。むろん試験もなかった。そのためか,どうも身についていない。」と弁明しているのですが(我妻・しおり「執筆を終えて」)。)。

 

(2)最高裁判所の妥協と「折衷説」

この点,前記最高裁判所昭和37年判決は,法律の条文の明文を完全に無視することになるというドラスティックな解釈変更を避けるためか「原則として,母の認知を俟たず,分娩の事実により当然発生すると解する」と判示して(下線は筆者によるもの),嫡出でない子に係る母による認知の規定が働き得る余地を残す形にしたように思われます。嫡出でない子の母による認知は,「棄児の場合」にはあり得ると解釈されているそうです(内田196頁)。

しかしながら,「これに対しては鈴木禄弥教授が「はなはだしく便宜的かつ非論理的」だと批判」し,「母子関係に原則として認知不要とする立場は血縁主義(事実主義)を根拠にしているが,そうであるなら,棄児であろうとなかろうと認知は不要としないとおかしい」と述べているそうです(内田197頁)。「便宜的」なのは,国会との正面衝突を避けるために正に便宜的に設けた「例外」の辻褄合わせなんだから仕方がないよ,ということにでもなるのでしょうか。民法779条の文言は男女平等に書かれていますから,同条については,憲法14条1項などを動員して「女性差別だ」として大胆に一部の文言を無効とする違憲判決をするわけにもいかなかったのでしょう。

以上の点についてはそもそも,藤田最高裁判所判事が,「〔(母の認知の存在を前提とする)最高裁判所昭和29年4月30日判決(民集84118)によれば〕認知の法律上の性質〔親子関係の確認ではなく創設〕について,父と母を区別しないのであって,今更,母の認知に,その法律上の性質に関し別異の解釈を施すの余地もなく,従来の大審院判例の趨向をも考慮しつつ,いわゆる認知説によって生ずる不都合を避けながら,法文の文理をも全然無視しないという,妥協的な態度をとって,この最高裁判決はいわゆる「折衷説」の立場に立ったものと理解されるのである。」と述べていました(藤田16頁)。

 

(3)現場の状況

ちなみに,インターネット上で認知の届書の書式を札幌市役所及び下野市役所について見てみると,「認知する父」とのみ印刷してあって,認知する母があることが想定されていないものとなっています(なお,戸籍法施行規則59条では出生,婚姻,離婚及び死亡の届出の様式について規定されていますが(戸籍法28条参照),そこに認知の届出の様式は含まれていません。すなわち,「認知届は法律上届出様式が定まっていない」わけです(内田190頁)。)。

 

3 ドイツ民法及びフランス民法と日本民法

 

(1)日本民法の解釈とその「母法」

我が民法の「実親子法は,日本的な極端な血縁主義が肯定されて,民事身分の根幹である親子関係の設定について法的な規律をいかに設計するかという議論は行われないこと」になったとみられていますが(水野紀子「比較法的にみた現在の日本民法―家族法」『民法典の百年Ⅰ』(有斐閣・1998年)661頁),民法779条の解釈も,「母法を学ぶことを基礎にして民法の条文の意味を解釈するという姿勢が財産法より弱」い中生み出された「民法の条文が本来もっていた機能を理解しない独自の日本的解釈」だったのでしょうか(同676頁参照)。ただし,我が民法の「母法」が何であるかには多様な見解があり得るようです。ドイツ法及びフランス法が民法の母法と解されていますが(水野662頁),民法779条は,ドイツ民法を継受したものなのでしょうか,フランス民法を継受したものなのでしょうか。

 

(2)ドイツ民法における母子関係の成立:分娩

ドイツ民法1591条は,「子の母は,その子を分娩した女(Frau)である。(Mutter eines Kindes ist die Frau,die es geboren hat.)」と規定しています。

 

(3)フランス民法における母子関係の成立:出生証書,任意認知又は身分占有

 フランス民法310条の1は「親子関係は,本章第2節に規定する条件に基づき,法律の効果により,任意認知により,又は公知証書によって証明された身分占有によって法律的に成立する。/当該関係は,本章第3節に規定する条件に基づき, 裁判によっても成立する。(La filiation est légalement établie, dans les conditions prévues au chapitre II du présent titre, par l’effet de la loi, par la reconnaissance volontaire ou par la possession d’état constatée par un acte de notoriété.Elle peut aussi l'être par jugement dans les conditions prévues au chapitre III du présent titre.)」と規定し,それを受けて第2節第1款「法律の効果による親子関係の成立(De l’Établissement de la Filiation par l’Effet de la Loi)」中の同法311条の25は,「母に係る親子関係は,子の出生証書における母の指定によって成立する。(La filiation est établie, à l’égard de la mère, par la designation de celle-ci dans l’acte de naissance de l’enfant.)」と規定しています。これに関して,出生証書に係る同法57条1項後段には「子の父母の双方又はその一方が戸籍吏に指定されないときは,当該事項について帳簿に何らの記載もされないものとする。(Si les père et mère de l’enfant, ou l’un d’eux, ne sont pas désignés à l’officier de l’état civil, il ne sera fait sur les registres aucune mention à ce sujet.)」との規定があります。

フランス民法316条1項は「親子関係は,本節第1款〔第311条の25を含む。〕に規定する条件によって成立しない場合においては,出生の前又は後にされる父性又は母性に係る認知によって成立し得る。(Lorsque la filiation n’est pas établie dans les conditions prévues à la section I du présent chapitre, elle peut l’être par une reconnaissance de paternité ou de maternité, faite avant ou après la naissance.)」と規定しています。同法316条3項は「認知は,出生証書において,戸籍吏に受理された証書によって,又はその他公署証書によってされる。(Elle est faite dans l’acte de naissance, par acte reçu par l’officier de l’état civil ou par tout autre acte authentique.)」と規定しています。なお,フランス民法56条1項によると,子を分娩した女性自身は出生届をすべき者とはされていません(「子の出生は,父により,又は父がない場合は医師,助産婦,保健衛生担当吏その他の分娩に立ち会った他の者によって届け出られるものとする。さらには,母がその住所外で分娩したときは,その元において分娩がされた者によってされるものとする。(La naissance de l’enfant sera déclarée par le père, ou, à défaut du père, par les docteurs en médecine ou en chirurgie, sages-femmes, officiers de santé ou autres personnes qui auront assisté à l’accouchement; et, lorsque la mère sera accouchée hors de son domicile, par la personne chez lui elle sera accouchée.)」)。

フランス民法317条1項は「両親のそれぞれ又は子は,反証のない限り身分占有を証明するものである公知証書を交付するよう,出生地又は住所地の小審裁判所の裁判官に対し請求することができる。(Chacun des parents ou l’enfant peut demander au juge du tribunal d’instance du lieu de naissance ou de leur domicile que lui soit délivré un acte de notoriété qui fera foi de la possession d’état jusqu’à preuve contraire.)」と規定しています。

 

(4)日本民法の採っていた主義は何か

 ドイツ民法の場合は,嫡出でない子を分娩した女性も当該分娩の事実により直ちにその子の母になります。フランス民法の場合は,嫡出である子を分娩した女性についても当該分娩の事実だけでは直ちにその子の母とはなりません(フランス「現行法の下では,法的母子関係は自然子のみならず嫡出子についても,分娩の事実により当然に確定するとは考えられていない。」とされています(西希代子「母子関係成立に関する一考察―フランスにおける匿名出産を手がかりとして―」本郷法政紀要10号(2001年)403頁)。)。翻って我が日本民法はどうかといえば,嫡出でない子に係る第779条はあるものの,実は,嫡出である子を分娩した女性とその子との母子関係の成立に関する規定はありません。

 この点嫡出でない子に関し,旧民法人事編(明治23年法律第98号)には母による認知に係る規定はなかったにもかかわらず(我が旧慣においても母の認知ということはなかったとされています(藤田1213頁)。)その後民法779条(旧827条)に母による認知の規定を入れることについて,梅謙次郎は次のように述べていたそうです。いわく,「生んだ母の名前で届けると姦通になるから之を他人の子にするか或は殺して仕舞うか捨てて仕舞う甚だ忌はしいことであるが西洋にはある」,そこで「原則は母の名前を書いて出すべきことであるが戸籍吏はそれを追窮して問ふことは出来ぬ」,それでも「十の八九は私生子は母の名で届けるから斯うなつても実際母なし子は滅多にはないと思ふ」と(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)155頁による。)。すなわち,母による認知を要するのは子の出生届にその子を生んだ「母」が記載されていなかった場合である,つまり,嫡出でない子については出生届において母が明らかにされないことがあるだろうとされ(なお, この民法起草時の認識とは反対に旧民法においては,母の知れない子はないものと見ていたところです(大村154頁参照)。父ノ知レサル子たる私生子(同法人事編96条)について同法人事編97条は「私生子ハ出生証書ヲ以テ之ヲ証ス但身分ノ占有ニ関スル規定ヲ適用ス」と規定していて「証ス」る対象が不明瞭ですが,同条の属する節の題名が「親子ノ分限ノ証拠」であり,かつ,定義上私生子の父は知れないのですから,同条における「証ス」る対象事実は母子関係だったのでしょう。すなわち,私生子を分娩した女性を母とする出生証書が作成されること又は当該子による当該女性の子としての身分占有(同法人事編94条)があることが前提とされています。),また,嫡出でない子であってもその分娩をした女性が母として出生届をすれば母のある子となる,ということであるようです。(なお,藤田13頁によれば,そもそも民法中修正案理由書には次のようにまとまった記述がありました。いわく,「既成法典ニ於テハ父ノ知レサル子ヲ私生子トシ父ノ認知シタル私生子ヲ庶子ト為シタルニ拘ラス母ノ知レサル子ニ関スル規定ヲ設ケス是レ蓋シ母ノ知レサル場合ナキモノト認メタルカ為メナラン,今若シ母ハ毎ニ出生ノ届出ヲ為スモノトセハ母ノ知レサル場合決シテ之ナカルヘシト雖モ或ハ母カ出生子ヲ棄テ又ハ母カ法律ニ違反シテ出生ノ届出ヲ為サス後ニ至リテ認知ヲ為スコトアルヘキカ故ニ本案ニ於テハ母ノ知レサル場合アルモノト認メ父又ハ母ニ於テ私生子の認知ヲ為スコトヲ得ルモノト定メタリ」。この母の認知の制度は,「フランス法の影響を受け」たものと認識されています(藤田13頁)。)

以上の議論では,嫡出である子については分娩した女性を母とする出生届が当然されるものであるということが前提とされているようです(専ら嫡出でない子について母を明らかにする出生届がされないことが懸念されています。)。そうであれば,嫡出である子たるべく分娩された子も当該分娩をした女性を母とする出生届がされなければ,当然されるべきことがされていないことになるので,そのままではやはり「母なし子」になる,というフランス民法的に一貫した解釈も可能であるようにも思われます。谷口知平教授は,嫡出子に係る母子関係についても「母子としての戸籍記載は勿論,血縁母子関係の存在を推定せしめるが・・・親子の如き身分の存否については,戸籍記載を唯一の証拠として身分関係の対世的統一取扱を確保することにし,先ず,人事訴訟を以て確定の上戸籍訂正をしてからでなければ,一切の訴訟において親子でないことを前提とする判断をなし得ないとする解釈が妥当だ」と,戸籍記載を重視する見解を表明しています(谷口74-75頁)。確かに,そもそも旧民法人事編92条は「嫡出子ハ出生証書ヲ以テ之ヲ証ス」と,同93条は「出生証書ヲ呈示スル能ハサルトキハ親子ノ分限ハ嫡出子タル身分ノ占有ヲ以テ之ヲ証スルコトヲ得但第291条ノ規定〔帳簿に問題があり,又は証書が作られなかったときは「証人又ハ私ノ書類ヲ以テ先ツ其事実ヲ証シ且身分上ノ事件ヲ証スルコトヲ得」〕ノ適用ヲ妨ケス」と,分娩の事実を直接援用しない形で規定していたところです。

しかし,民法779条の反対解釈からすると,嫡出である子を分娩した女性は認知を要さずにその子の母となる,すなわち分娩の事実から直ちに母子関係が成立するものとする,とここはドイツ民法流に解することも自然なようでもあります。とはいえ,やはり,「わが民法の規定にはフランス民法の影響が大きいのに,わが民法学はドイツ民法学の影響が強く,フランス式民法をドイツ式に体系化し解釈するという,奇妙な状況」(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)62頁)の一環であるということになるのかもしれませんが。

 

4 匿名出産制度について

ところで,「母子の絆は父子のそれよりも強い(意思で左右されるようなものではない)。」といわれていますが(内田198頁),万古不変全世界共通の原理ではないようにも思われます。子を生む女性の意思によって,当該女性とその子との絆を明らかにしないという選択を認める制度(匿名出産制度)がフランス民法にあるからです。同法325条は「母の捜索」を認めているのですが,その次の条が匿名出産制度について規定します。

 

326条 分娩に際して,母は,その入院及びその身元に係る秘密が保持されることを請求することができる。(Lors de l’accouchement, la mère peut demander que le secret de son admission et de son identité soit préservé.

 

「フランス人として個人の自由や権利を尊重することを当然のこととする・・・気持ちや人格」を有するのがフランス女性であるということでしょうか(東京高等裁判所平成26612日判決(判時223747)参照。なお,羽生香織「実親子関係確定における真実主義の限界」一橋法学7巻3号(200811月)1017頁は,「個人の自由の尊重要請に基づく真実主義の制限」が匿名出産から生まれた子に関して存在すると述べています。)。

歴史的に見ると,フランスでの匿名出産制度は,1556年にアンリ2世が出生隠滅を厳禁し,妊娠した女性に妊娠・分娩届の提出を義務付ける勅令を発布したことを直接の契機として,パリ施療院(Hôtel-Dieu de Paris)等による組織的対策として始まったそうです(西400頁)。その後も,「1804年に成立した民法典には匿名出産について直接規定する条項はなかったが,匿名出産を間接的に認める,あるいは意識した条項は存在していた。例えば,57条原始規定は,出生証書には,「出生の日時,場所,子の性別,子に与えられる名,父母の氏名,職業,住所,及び証人のそれら」を記載するものとしていたが,施行当初から,父母の名を記載しないことは認められていた。」という状況であったそうです(西402頁)。ナポレオン1世没落後のパルマ公国の女公マリー=ルイーズも,当該制度を利用したものか。

 

La vérité est un charbon ardent qu’il ne faut manier qu’avec d’infinies précautions.(P. HEBRAUD)

 

匿名出産制度はフランス以外の国にもあるのですが,ドイツ民法の場合,女性は分娩の事実によって当該分娩によって生まれた子の母になってしまうので,同法では親権停止のテクニックが採用されています。

 

1674a 妊娠葛藤法第25条第1項に基づき秘匿されて出生した子に対する母の親権は停止する。同人が家庭裁判所に対してその子の出生登録に必要な申立てをしたものと当該裁判所が確認したときは,その親権は復活する。(Die elterliche Sorge der Mutter für ein nach §25 Absatz 1 des Schwangerschaftskonfliktgesetzes vertraulich geborenes Kind ruht. Ihre elterliche Sorge lebt wieder auf, wenn das Familiengericht feststellt, dass sie ihm gegenüber die für den Geburtseintrag ihres Kindes erforderlichen Angaben gemacht hat.

 

 仏独のお話はこれくらいにして,我が日本民法の話に戻りましょう。

 

5 棄児に対する「母の認知」に関して

 前記最高裁判所昭和37年4月27日判決によって採用された母子親子関係の成立に係る分娩主義における例外について,藤田八郎最高裁判所判事は,母子親子関係が認知によって成立するものとされるこの例外の場合は,「判決にいうところの例外の場合とは棄児その他,分娩の事実の不分明な場合を指すものであることは,十分に理解されるのである。」と述べています(藤田16頁)。更に藤田最高裁判所判事は,棄児に対する母の認知について敷衍して説明しているところがあります。少し見てみましょう。

 まず,「棄児のごとく何人が分娩したか分明でない場合は例外として母の認知によって母子関係が発生する」ことにするとされています(藤田17頁)。そうであれば,この場合,認知をする女性も,当該棄児を自分が分娩したのかどうか分明ではないことになります。なお,分娩の事実の不分明性については,「分娩なる事実が社会事実として不明であるかぎり,法律の社会では,これを無視して無と同様に考えることもまた,やむを得ないのではあるまいか。」と説かれています(藤田18頁)。戸籍吏には実質的審査権がないということでよいのでしょうか。出生届の場合(戸籍法492項)とは異なって,母の認知の届書に出生証明書の添付が求められているわけではありません。

 任意認知の法的性質については,事実主義(血縁主義)を強調する我妻榮は,「事実の承認」であって,「父子関係の存在という事実を承認する届出」(父の認知の場合)であるとしています(我妻235頁)。「母の認知」(我妻榮自身は「母の認知」を認めていませんが)の場合は,分娩による母子関係の存在という事実が承認されるものということになるのでしょう。任意認知の法的性質を意思表示と解する立場(内田188頁等)では,「父または母と子の間に生理的なつながりのあることを前提とした上での父または母の意思表示」ということになるようです(我妻234頁)。しかし,そうだとすると,自分が分娩したのかどうか分明ではない棄児について母子関係の存在を承認し,又は当該棄児を分娩したという事実を前提とすることができぬまま母子関係を成立させる意思表示をすることを,「認知」と呼んでよいものかどうか。ここで違和感が生じます。むしろ養子縁組をすべき場合なのではないでしょうか。

上記の「違和感」については,藤田最高裁判所判事も認容するところです。「父の認知は,父子の事実上のつながりがあきらかな場合に,認知の効力を有するものであるのに,母の認知は,母子の事実上のつながりが不明の場合にはじめて認知の効力を生ずると解釈することは,同じく民法の規定する認知について余りにも父と母の間に格段の差異を作為するものであるとの非難も,もっともである」と述べられています(藤田18-19頁)。しかしながらそこで直ちに,「これは結局,父と母の間に子との事実上のつながりを探究する上に前に述べたような本質的な相違のあることに基因するものであって,これ亦やむを得ないとすべきであろう。」(藤田19頁)と最高裁判所判事閣下に堂々と開き直られてしまっては閉口するしかありません。さらには,男女間の取扱いの差異を正当化するために, いささか難しいことに「男女平等論」が出てきます。「母子の事実上のつながりが不分明の場合に母の認知によって母子関係の成立をみとめることは不合理であると考えられるのであるが,実はかような事態は父の認知の場合にさらに多くあり得るのである。父子の事実上の関係が不分明のまま,父の認知によって法律上親子関係が発生せしめられた場合には,反対の事実が立証されないかぎり,この親子関係を打破る方途はないのである。・・・花柳界に生れた子を認知する父は,多かれ少かれ,この危険を負担しているものと云っても失言とは云えないであろう。」と論じられています(藤田20頁)。花柳界の女性と関係のある男性の話が出てくるあたり,藤田八郎最高裁判所判事は意外と洒脱な人物だったのかもしれません(大阪の旧藤田伝三郎家の養子だったそうです。)。

しかし,藤田最高裁判所判事のいう,事実上の親子のつながりを探究する上での父と母との間における「前に述べたような本質的な相違」とは,「父と嫡出でない子の生理的な事実上のつながりは甚だ機微であって,今日の科学智識をもってしても,必ずしも明確に認識し難いのに反して,母と嫡出でない子のそれは,分娩出産という極めて明瞭な事実関係によって把握されるということに縁由するのである。」ということでしょう(藤田16頁(前出))。そうであり,かつ,当該男女間の「本質的相違」を尊重して更に一貫させるのであれば,むしろ,母の認知においては父の認知におけるよりも更に強い生理的ないしは事実上の親子のつながり(分娩出産)の事実に係る認識が必要である,ということにならないでしょうか。男性の場合,父子関係は「機微」でよいのでしょうが,女性の場合,母子関係は本来「極めて明瞭な事実」であるはずです。

「生んだのは私です。」と母は赤裸々に事実を語るのに対し,その地位が機微に基づくところの「父」は,「男はつらいよ。」と子ら(特に息子ら)にしみじみ語りかけるということにならざるを得ないのかもしれません。

 

承認なしの個人(子)も承継なしの個人(親)も,苦しくてはかない。(大村310頁)

 

母と父とはやはり違うのでしょう。

しかし,母と父とが仲たがいして別居するようになり,更には離婚すると,その間にあって板挟みになる子らが可哀想ですね。せっかく別居している親と面会交流ができることになっても,「監護している親が監護していない親の悪口を言ったり,相手のことを子から聞き出そうと根掘り葉掘り尋ねる,というのでは子の精神的安定に良いわけはない」(内田135頁)。セント=ヘレナ島から遠く離れたパルマの女公の場合,長男のナポレオン2世とも別居したので,その分ライヒシュタット公は父母間の忠誠葛藤に悩まされずにすんだものでしょうか。

とはいえ,話を元に戻すと,そもそもDNA鑑定の発達した今日において,認知をしようとする女性と相手方である子との間において,たといその子が棄児であったとしても,当該女性による当該子の分娩の事実の有無が分明ではないということはあり得るでしょうか。DNA鑑定を行えば,それ自体は直接分娩の有無を証明するものではありませんが,当該鑑定の結果は分娩の事実の有無を推認するに当たっての非常に強力な間接事実であるはずです(生殖医療の話等が入ってくるとまた難しくなってきますが。)。

(承前。http://donttreadonme.blog.jp/archives/1052466195.html)

5 裁判例

 裁判所の解釈をいくつか見てみましょう。

 

(1)昭和53年富山家庭裁判所審判

 富山家庭裁判所昭和531023日審判(昭和53年(家)第326号限定承認申述受理申立事件)(家月31942,判時917107頁)は,「前示・・・1ないし5の事実は,その動機が大口の相続債権者の示唆によるものであり,また,本件遺産中の積極財産の処分が,もつぱらその消極財産の弁済に充当するためなされたものであることを考慮に容れても,処分された積極財産が本件のすべての積極財産中に占める割合などからみて,その結果,本件遺産の範囲を不明確にし,かつ,一部相続債権者(特に大口の相続債権者)の本件相続債務に対する権利の行使を著しく困難ならしめ,ひいては本件相続債権者間に不公平をもたらすことになることはこれを否定できないので,前示のような行為は,民法921条第1号にいういわゆる法定単純承認に該当する事由と解せざるを得ない。」と判示しています。「1ないし5の事実」は,次のとおり。被相続人の妻M及び被相続人とMとの間の二人の息子が相談の上行った事実です。本件における被相続人は,生前事業をしていました。

 

 1 昭和53年2月27日,前示ロの普通預金から219,000円を払い戻し,これに申述人M所有の現金を加えて資金をつくり,

 2 同年3月6日ころ,前示ハの株式全部〔株式会社A,券面額合計2,485,000円〕を,株式会社Bに対する買掛金債務(手形取引による分で,前示ホ〔支払手形(合計約2800万円)〕の一部であり,1,000万円以上と推定される)の代物弁済として提供し,

 3 同年3月20日ころ,前示1の資金をもつて前示トの買掛金債務〔株式会社Bに対するもので手形取引外の分728,147円〕を弁済し,

 4 同日ころ,被相続人が生前に受領していた約束手形1枚(額面100万円),および,前示1の資金のうちの現金58万円をもつて,前示チの買掛金債権〔株式会社Aに対する買掛金1,580,866円〕を弁済し(残額866円の支払義務は免除されている),

 5 前示ニの売掛金債権〔C合資会社に対する売掛金(373,000円)〕全額を回収して,同年4月1日ころヘの買掛金債務〔株式会社Dに対する買掛金(304,956円)〕への弁済に充当し(過払分について申述人らはまだその返還を受けていない)た事実

 

1の前半を見ると,この場合,元本の領収は保存行為に当たらないということでしょうか。2は代物弁済ですが,代物弁済については「相続人・・・カ限定承認申述前為シタル前記代物弁済ハ其ノ目的タル不動産ノ所有権移転行為トシテ被相続人・・・ノ為シタル代物弁済予約ニ基クモノナルト否トニ拘ラス相続財産ノ一部ノ処分ニ外ナラサルモノトス」とする判例があります(大審院昭和12年1月30日判決・民集161)。株式の譲渡の部分が相続財産の一部の処分ということになるようです。3は弁済。4の「弁済」中約束手形による部分は代物弁済,現金部分は弁済でしょう。5は債権の取立て及び債務の弁済ですが,債権の取立てに関しては「上告人〔相続人〕が右のように妻W〔被相続人〕の有していた債権を取立てて,これを収受領得する行為は民法921条1号本文にいわゆる相続財産の一部を処分した場合に該当するもの」とする判例があります(最高裁判所昭和37621日判決・家月1410100)。この判例に関しては「単なる取立ては保存行為管理行為と考えるべきだろうから,取り立てた金を固有財産と明分して管理している事実が証明されれば法定単純承認は否定され得る」と説かれていますが(新版注釈民法(27)〔補訂版〕491頁(谷口知平=松川正毅)),当該学説に従えば,5では取り立てた金銭は分別管理されていたようですから,専ら弁済の方が問題とされたということになるのでしょうか。

本件審判の読み方は難しい。「1ないし5の事実」は,全体として民法921条1号の法定単純承認をもたらしているのか,それとも各個の事実がそれぞれ法定単純承認をもたらしているのか,という問題がまずあります。しかし,いずれにせよ,法定単純承認となることを避けたいのならば相続債権者に対する債務の弁済のためであっても積極財産の処分は一切許されないし,相続債権者に対する相続財産からの弁済もそもそも一切許されない,ということではないのでしょう。期限の到来した債務を弁済することは保存行為に該当するのが原則であるということを前提とした上で,当該審判については次のように解せられないでしょうか。すなわち,相続債権者に対する相続財産による弁済の場合においては,弁済をするに至った事情,積極財産中処分されたものの割合の大きさ,相続財産と固有財産との分別が不明確になった度合い及び他の相続債権者に及ぶ不利益の大きさを勘案して,民法921条1号ただし書の保存行為に当たらないことになることがあり得るし,相続債権者に対する弁済のために相続財産を処分する場合には,上記事項を勘案して上記保存行為に当たるものとされることがあり得るということを示した審判であるというふうに。

 

(2)昭和54年大阪高等裁判所決定

 行方不明となっていた男性(被相続人)が死亡したと警察から連絡を受けて,その妻及び子ら2名(相続人ら)が警察署に駆けつけて火葬場で被相続人の遺骨を貰い受けた際,同署から①「金2万0,423円の被相続人の所持金と,ほとんど無価値に近い着衣,財布などの雑品の引渡を受け」,②「その場で医院への治療費1万2,000円,火葬料3万5,000円の請求を受けたので,右被相続人の所持金に抗告人ら〔相続人ら〕の所持金を加えてこれを支払つた」行為に関して大阪高等裁判所昭和54年3月22日決定(家月311061,判時93851)は,①については「右のような些少の金品をもつて相続財産(積極財産)とは社会通念上認めることができない(このような経済的価値が皆無に等しい身回り品や火葬費用等に支払われるべき僅かな所持金は,同法〔民法〕897条所定の祭祀供用物の承継ないしこれに準ずるものとして慣習によつて処理すれば足りるものであるから,これをもつて,相続財産の帰趨を決すべきものではない)。」と判示し,②については「前示のとおり遺族として当然なすべき被相続人の火葬費用ならびに治療費残額の支払に充てたのは,人倫と道義上必然の行為であり,公平ないし信義則上やむを得ない事情に由来するものであつて,これをもつて,相続人が相続財産の存在を知つたとか,債務承継の意思を明確に表明したものとはいえないし,民法921条1号所定の「相続財産の一部を処分した」場合に該るものともいえないのであつて,右のような事実によつて抗告人〔相続人ら〕が相続の単純承認をしたものと擬制することはできない。」と判示しています。

なお,②に関する判示は,「医院への治療費1万2,000円,火葬料3万5,000円」の債務は相続財産たる消極財産には当たらないとする客観面の部分(「相続人が相続財産の存在を知つたとか・・・いえない」)と,「人倫と道義上必然の行為であり,公平ないし信義則上やむを得ない事情に由来する」弁済をもって債務承継の意思を表明したものと擬制することはできないとする主観面の部分(別の箇所で「921条による単純承認の擬制も相続人の意思を擬制する趣旨であると解すべき」と判示されています。)とに分けて理解すべきでしょうか。債務の種類及び額が問題になるようです。

 

(3)平成10年福岡高等裁判所宮崎支部決定

 福岡高等裁判所宮崎支部平成101222日決定(家月51549)は,「抗告人ら〔相続人ら〕代理人はその熟慮期間中に,本件保険契約によって受領した〔相続人らの固有財産である被相続人の死亡〕保険金〔200万円〕を,抗告人らの意向を受けて,被相続人の債務の一部である○○農業協同組合に対する借受金債務330万円の〔一部の〕弁済に充てた」行為について,「抗告人らのした熟慮期間中の被相続人の相続債務の一部弁済行為は,自らの固有財産である前記の死亡保険金をもってしたものであるから,これが相続財産の一部を処分したことにあたらないことは明らかである。」と判示して,相続人らの相続放棄の申述は受理されるべきものと判示しています。

 相続債権者に対する被相続人の債務の弁済は,相続人の固有財産からその資金を出しておけば法定単純承認になることはない,ということでしょうか。そうであれば,分かりやすい解釈です。

 しかし,自腹を切ってまでの弁済は,かえって「債務承継の意思を明確に表明したもの」(前記大阪高等裁判所決定参照)と解され,単純承認の黙示の意思表示が認定され得べきおそれがあるもののようにも思われます。

 なお,相続財産からの相続債権者に対する弁済は全て法定単純承認の事由となる,とまでの反対解釈をする必要はないのでしょう。

 

(4)平成27年東京地方裁判所判決

 東京地方裁判所平成27年3月30日判決(平成25年(ワ)第31643号求償金請求事件)は,平成25年5月21日の被相続人の死亡後熟慮期間中にその保証債務の弁済を行っていた相続人(主債務者でもある。その債務額は昭和631221日現在で1750842円であった。)がその後した相続の放棄に関して,「本件相続開始後弁済がされたのは,平成25年5月31日及び同年7月1日と,いずれもC〔被相続人〕の相続放棄の熟慮期間中のものであり・・・,かつ,本件相続開始後弁済は,期限が到来した債務の弁済として,法定単純承認事由に該当しない保存行為である(民法921条1号ただし書)。」と述べた上で,当該相続の放棄の有効性を前提とした判示をしています。弁済資金が,相続財産から出たのか相続人の固有財産から出たのかは問題にされていません。

 しかし,「本件相続開始後弁済は,期限が到来した債務の弁済として,法定単純承認事由に該当しない保存行為である(民法921条1号ただし書)」と端的に判示されると,民法103条の管理行為への該当性を問題とした当初の場面に戻って来たわけですね。すがすがしい感じがします。

 

6 フランス民法784

 なお,相続人による相続債権者に対する弁済に関する問題について参考になる規定はないかと探したところ,2006年法によって設けられたフランス民法784条(第3項4号は2015年法により挿入)が次のように規定していました(同条は,同条1項に対応する規定のみであったナポレオンの民法典の第779条を拡充したもの)。

 フランス民法では,相続の単純承認(l’acceptation pure et simple de la succession)は意思表示に基づくものであって,当該意思表示には明示のものと黙示のものとがあります(同法782条)。

 

 第784条 暫定相続人(le successible)が相続人と称さず,又は相続人としての立場をとらなければ(n’y a pas pris le titre ou la qualité d’héritier),純粋保存(purement conservatoires)若しくは調査(surveillance)の行為又は暫定的管理行為(les actes d’administration provisoire)は,相続の承認とされることなく行われることができる。

 ② 相続財産(la succession)の利益のために必要な他の全ての行為であって,暫定相続人が相続人と称さず,又は相続人としての立場をとらずに行おうとするものについては,裁判官の許可を得なければならない。

③ 次に掲げるものは純粋保存に係るものとみなされる(Sont réputés purement conservatoires)。

  一 葬式及び最後の疾病の費用,故人の負担に係る租税,家賃(loyers)並びに他の相続債務であってその決済が急を要するもの(dont le règlement est urgent)の支払(paiement

  二 相続財産に係る天然及び法定果実の収取(le recouvrement des fruits et revenus

des biens successoraux)又は損敗しやすい物の売却。ただし,当該資金が前号の債務の弁済に用いられ,又は公証人に寄託され,若しくは供託されたことを証明(justifier)しなければならない。

    三 消極財産の増加(l’aggravation du passif successoral)を避ける(éviter)ための行為

四 死亡した個人的使用者(particulier employeur)の労働者(salarié)に係る労働契約の終了(rupture)に関する行為,労働者に対する報酬及び損害賠償金の支払並びに契約の終了に係る書類の交付

 ④ 日常業務(opérations courantes)であって,相続財産(la succession)に依存した(dépendant)事業の活動の当面の継続に必要なものは,暫定的管理行為とみなされる。

 ⑤ 賃貸人又は賃借人としての賃貸借の更新であってそれをしなければ損害賠償金を支払わねばならないもの並びに故人によりなされ,かつ,事業の良好な運営(bon fonctionnement)のために必要な管理又は処分に係る決定の実行は,同様に,相続の黙示の承認(acceptation tacite)とされずに行われ得るものとみなされる。

 

およそ「期限が到来した債務の弁済」は全て純粋保存行為だとまでは広くかつ端的に規定されていません。第3項1号及び4号との関係からすると同項3号に債務の弁済まで読み込み得るのかどうかは考えさせられるところです(インターネットで調べると,同号の行為の例としては,賃借契約の解除及び応訴がパリのSabine Haddad弁護士によって挙げられていました。)。しかし,十分参考になる規定だと思われます。病院への支払,自宅の電気・ガス・水道等の料金支払はこれでいけそうです。無論,ことさらに「相続人として,親から相続した私の債務として承認して弁済します。」などと明示されると困ったことになるでしょうが。

 

 内田〔貴〕 私は〔星野英一〕先生の授業のプリントを下敷きにして講義を始めまして,そうやって徐々にできあがった講義ノートをもとに教科書を書いたものですから,私の教科書は星野理論を万人にわかるように書いたものであると言われるのです。・・・(星野英一『ときの流れを超えて』(有斐閣・2006年)225頁)

 

星野〔英一〕 ・・・解釈論の最後のところは利益考量・価値判断だけれども,まず条文を見る。初めは文法的な解釈つまり文理解釈や他の条文との関係から考える論理解釈をしますが,それだけではよくわからないので,日本のような継受法においては,その沿革の研究が不可欠だと考えていました。これは,「民法解釈論序説」で書いていることで,「日本民法典に与えたフランス民法の影響」の二つの論文は,一体のつもりです。・・・(星野・同書155頁)

 ・・・

  ・・・特に外国法は現地に行ってよく調べてきて,単に条文上のことを知るだけでなく,実際の運用を含めて各国の制度を理解するなどは,日本の制度の理解のためにも立法論にとっても大いに役立つことでいいことです。・・・(星野・同書328頁)

追記

20161013日から成年後見の事務の円滑化を図るための民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律(平成28年4月13日法律第27号)が施行され,民法873条の次に次の一条が加えられました。

 

  (成年被後見人の死亡後の成年後見人の権限)

 第873条の2 成年後見人は,成年被後見人が死亡した場合において,必要があるときは,成年被後見人の相続人の意思に反することが明らかなときを除き,相続人が相続財産を管理することができるに至るまで,次に掲げる行為をすることができる。ただし,第3号に掲げる行為をするには,家庭裁判所の許可を得なければならない。

  一 相続財産に属する特定の財産の保存に必要な行為

  二 相続財産に属する債務(弁済期が到来しているものに限る。)の弁済

  三 その死体の火葬又は埋葬に関する契約の締結その他相続財産の保存に必要な行為(前2号に掲げる行為を除く。)

 

民法873条の2第3号後段は「その他相続財産の保存に必要な行為(前2号に掲げる行為を除く。)」と規定していますので,わざわざ「相続財産の保存に必要な行為」から除かれている同条2号の「相続財産に属する債務(弁済期が到来しているものに限る。)の弁済」は,本来「相続財産の保存に必要な行為」であるということになります。相続財産の処分であっても民法921条1号ただし書の「保存行為」に該当するものとして法定単純承認をもたらすものではないものはどのようなものか,についての解釈問題にとっても重要な条文であることになるものでしょう。(ただし,四文字熟語の「保存行為」ではなく「相続財産の保存に必要な行為」という文言が用いられています。)

平成28年法律第27号は議員立法(衆議院内閣委員会)であったのですが,法務省のウェッブ・ページに,民法873条の2第2号及び第3号の「具体例」が示されています。同条2号については「成年被後見人の医療費,入院費及び公共料金等の支払」が掲げられ,同条3号については「遺体の火葬に関する契約の締結」並びに「成年後見人が管理していた成年被後見人所有に係る動産の寄託契約の締結(トランクルームの利用契約など)」,「成年被後見人の居室に関する電気・ガス・水道等供給契約の解約」及び「債務を弁済するための預貯金(成年被後見人名義口座)の払戻し」が掲げられています。

なお,民法873条の2第3号の前段と後段とは「その他の」ではなく「その他」で結ばれていますから,「その遺体の火葬又は埋葬に関する契約の締結」は,そもそも「相続財産の保存に必要な行為」ではないことになります(「「その他」は,・・・「その他」の前にある字句と「その他」の後にある字句とが並列の関係にある場合に,「その他の」は,・・・「その他の」の前にある字句が「その他の」の後にある,より内容の広い意味を有する字句の例示として,その一部を成している場合に用いられる。」(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)620頁))。遺骨についてですが,「遺骨については,戦前の判例に相続人に帰属するとしたものがあるが(大判大正10年7月25日民録271408),そもそも,被相続人の所有物とはいえないから相続の対象になるというのはおかしい」といわれています(内田Ⅳ・372頁)。

 

前編はこちら:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1052466195.html

    

1 熟慮期間中の相続債権者への弁済に関する「教科書」の説明あるいはその欠缺

 

(1)Tout homme est mortel.

人はだれでもいつかは死にます。

ある人が死んだ際,当該故人(被相続人)は,通常,死亡するまで入院していた病院への支払や,自宅の電気・ガス・水道等の料金支払その他に係る債務を残しているものです。親の死に目に立ち会った子(子は相続人です(民法887条1項)。)は,相続財産を管理すべき者として早速これらの債務に係る債権者(相続債権者)に応接しなければなりません(同法918条1項参照)。しかし,当該被相続人は他にも借金を抱えているかもしれないから相続の放棄(民法939条)をすべきかもしれぬとその相続人が考えている場合,当該相続人は,病院以下の相続債権者にどう対応すべきか。相続の放棄をするためには,当該相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に,その旨を,被相続人の住所地を管轄する家庭裁判所に申述書の提出をもって申述しなければなりませんが(民法883条・915条1項・938条,家事事件手続法201条1項・5項),当該申述前に相続財産について保存行為ではない処分や長期の賃貸をうっかりしてしまうと,単純承認をしたということでもはや相続の放棄はできなくなります(民法920条・921条1号)。くわばらくわばら。さて,相続債権者に対する弁済は,法定単純承認を構成する相続財産の処分(民法921条1号)となるものか否か。親の死の時まで親身で面倒を見てくださったお医者さまや関係者には直ちに報酬を差し上げ,又は支払を済まさなければ人の道に反するし,さりとて,人の道が負債地獄につながる道となってしまっても恐ろしく,実は悩ましい問題です。

 

(2)「内田民法」

民法教科書の代表として,内田貴教授の『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)を調べてみましょう。

まず,民法921条1号について。

 

 民法は単純承認が意思表示によってなされることを前提としつつ,以下の3つの場合に単純承認がなされたものとみなすという規定を置いている。これを法定単純承認という。

 第1に,相続人が,選択権行使前に相続財産の全部または一部を処分したとき(921条1号)。ただし,保存行為および602条に定める短期の期間を超えない賃貸をすることはここでいう処分にはあたらない。(内田Ⅳ・344頁)

 

これは,民法の条文そのままですね。本件の問題についての参考にはならない。

ちなみに,「保存行為」についての内田教授の解説は,権限の定めのない代理人の権限について定める民法103条1号の保存行為について,次のようなものです。

 

「保存行為」,すなわち,財産の現状を維持する行為は当然になしうる(1号)。例えば,窓ガラスが割れたのでガラス屋で買ってくるとか(売買契約),雨漏りするので大工に屋根を直してもらうなど(請負契約)。(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)122頁)

 

これも,債権者に対する債務の弁済について触れるところがないですね。やはり参考にならない。

相続の承認又は放棄前の熟慮期間中(民法915条1項参照)における相続財産の管理に関する「内田民法」の説明もまた,参考になりません。

 

熟慮期間中,相続財産は不安定な状態に置かれる。そこで,その管理について民法は特に規定を置いている。すなわち,相続人は選択権を行使するまで,相続財産を「その固有財産におけると同一の注意を以て」管理しなければならない(918条1項)。そして,家庭裁判所は,利害関係人または検察官の請求により,いつでも相続財産の保存に必要な処分を命ずることができる(同条2項)。たとえば,財産管理人の選任などであり,その場合は,不在者の財産管理に関する総則の規定が準用される(同条3項)。(内田Ⅳ・348頁)

 

民法918条の条文そのままです。学生向けの「教科書」だから,これでよいのでしょうか。しかし,いかにもよくありそうな現実の問題について端的な回答を求めようとすると,つるつると,これほど取りつく島がないとは意外なことです。

本稿は,「教科書」の範囲を超えて,熟慮期間中の相続人による相続債権者に対する弁済が法定単純承認を構成するものになるのかどうかについて検討するものです。

 

(参照条文)

 

民法28条 管理人は,第103条に規定する権限を超える行為を必要とするときは,家庭裁判所の許可を得て,その行為をすることができる。〔以下略〕

 

同法103条 権限の定めのない代理人は,次に掲げる行為のみをする権限を有する。

 一 保存行為

 二 代理の目的である物又は権利の性質を変えない範囲内において,その利用又は改良を目的とする行為

 

同法883条 相続は,被相続人の住所において開始する。

 

同法887条1項 被相続人の子は,相続人となる。

 

同法915条1項 相続人は,自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に,相続について,単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし,この期間は,利害関係人又は検察官の請求によって,家庭裁判所において伸長することができる。

 

同法918条 相続人は,その固有財産におけるのと同一の注意をもって,相続財産を管理しなければならない。ただし,相続の承認又は放棄をしたときは,この限りでない。

2 家庭裁判所は,利害関係人又は検察官の請求によって,いつでも,相続財産の保存に必要な処分を命ずることができる。

3 第27条から第29条までの規定は,前項の規定により家庭裁判所が相続財産の管理人を選任した場合について準用する。

 

同法920条 相続人は,単純承認をしたときは,無限に被相続人の権利義務を承継する。

 

同法921条 次に掲げる場合には,相続人は,単純承認をしたものとみなす。

 一 相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし,保存行為及び第602条に定める期間を超えない賃貸をすることは,この限りでない。

 二 相続人が第915条第1項の期間内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき。

 三 相続人が,限定承認又は相続の放棄をした後であっても,相続財産の全部若しくは一部を隠匿し,私にこれを消費し,又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし,その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は,この限りでない。

 

同法927条1項 限定承認者は,限定承認をした後5日以内に,すべての相続債権者(相続財産に属する債務の債権者をいう。以下同じ。)及び受遺者に対し,限定承認をしたこと及び一定の期間内にその請求の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において,その期間は,2箇月を下ることができない。

 

同法928条 限定承認者は,前条第1項の期間の満了前には,相続債権者及び受遺者に対して弁済を拒むことができる。

 

同法938条 相続の放棄をしようとする者は,その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。

 

同法939条 相続の放棄をした者は,その相続に関しては,初めから相続人とならなかったものとみなす。

 

同法941条 相続債権者又は受遺者は,相続開始の時から3箇月以内に,相続人の財産の中から相続財産を分離することを家庭裁判所に請求することができる。相続財産が相続人の固有財産と混合しない間は,その期間の満了後も,同様とする。

2 家庭裁判所が前項の請求によって財産分離を命じたときは,その請求をした者は,5日以内に,他の相続債権者及び受遺者に対し,財産分離の命令があったこと及び一定の期間内に配当加入の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において,その期間は,2箇月を下ることができない。

〔第3項略〕

 

同法947条1項 相続人は,第941条第1項及び第2項の期間の満了前には,相続債権者及び受遺者に対して弁済を拒むことができる。

 

家事事件手続法201条 相続の承認及び放棄に関する審判事件(別表第1の89の項から95の項までの事項についての審判事件をいう〔相続の放棄の申述の受理は95の項の事項〕。)は,相続が開始した地を管轄する家庭裁判所の管轄に属する。

 〔第2項から第4項まで略〕

5 限定承認及びその取消し並びに相続の放棄及びその取消しの申述は,次に掲げる事項を記載した申述書を家庭裁判所に提出してしなければならない。

 一 当事者及び法定代理人

 二 限定承認若しくはその取消し又は相続の放棄若しくはその取消しをする旨

 〔第6項略〕

7 家庭裁判所は,第5項の申述の受理の審判をするときは,申述書にその旨を記載しなければならない。この場合において,当該審判は,申述書にその旨を記載した時に,その効力を生ずる。

 〔第8項から第10項まで略〕

 

2 民法921条1号の「保存行為」と同法103条1号の保存行為

 

(1)民法103条1号の保存行為

 前記のとおり,熟慮期間中の相続債権者に対する弁済が相続財産の処分であるとしても,民法921条1号ただし書の「保存行為」に該当するのであれば,当該弁済が法定単純承認をもたらすことはなく,相続人はなお相続の放棄をなし得るはずです。そして,民法918条3項は,家庭裁判所が熟慮期間中の相続財産の保存に必要な処分として命ずることのあることの中に相続財産の管理人の選任があり,かつ,当該財産管理人の権限には同法28条の規定が準用されることを明らかにしています。民法28条は,管理人の権限について同法「第103条に規定する権限」を問題にしています。民法918条3項に基づく相続財産の管理人についても同法103条が問題になるわけです。相続財産について問題になる民法921条1号の「保存行為」も,同法103条1号の保存行為と同じものと解してよいように一応思われます。

 民法103条1号の保存行為については,次のように説かれています(なお,各下線は筆者によるもの)。いわく,「保存行為とは,財産の現状を維持する行為である。家屋の修繕・消滅時効の中断などだけでなく,期限の到来した債務の弁済,腐敗し易い物の処分のように,財産の全体から見て現状の維持と認めるべき処分行為をも包含する。ただし,物価の変動を考慮し,下落のおそれの多いものを処分して騰貴する見込の強いものを購入することは,一般に,改良行為であって,保存行為には入らない。また,物の性質上滅失・毀損のおそれがあるのでなく,戦災で焼失するおそれがあるとして処分して金銭に変えることも,原則として,保存行為に入らないというべきであろう(最高判昭和2812281683頁(応召する夫から財産管理の委任を受けた妻は家屋売却の権限なし))。保存行為は代理人において無制限にすることができる。」と(我妻榮『新訂 民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)339340頁)。またいわく,「保存行為とは,財産の現状を維持する行為である。家屋修繕のための請負契約,時効中断,弁済期後の債務の弁済などである。」と(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)216頁)。更にいわく,「保存行為とは,財産の保全すなわち財産の現状を維持するのに必要ないつさいの行為をいう。家屋の修繕・消滅時効の中断などだけでなく,期限の到来した債務の弁済や腐敗し易い物の処分などのように,財産の全体から見て現状の維持と認めるべき処分行為をも包含すると一般に解されている(富井504,鳩山・註釈290,沼(1)171,我妻339。岡松・理由233は,元本の弁済はなしえないという)。」と(於保不二雄編『注釈民法(4)総則(4)』(有斐閣・1967年)49頁(浜上則雄))。期限の到来した債務の弁済は,保存行為ということになるようです。

なるほど,そうであればこそ,次のように説かれ得るわけでしょう。いわく,「・・・相続人は熟慮期間中といえども相続財産を管理・保存する義務を負担するのであるから(918条),その履行としての保存行為や短期賃貸借契約の締結(602条)はここにいう処分には該当しない。また遺族としての葬式費用の支出や,慣習に基づく軽微の形見分けや,あるいは賃借料の支払のようなものも,同様に処分にはならないと解すべきである。」と(我妻榮=有泉亨著・遠藤浩補訂『新版 民法3 親族法・相続法』(一粒社・1992年)327頁。下線は筆者による。)。賃借料の支払は,債務の弁済ですね。

 

(2)管理行為など(岡松説にちなんで)

さて,これで一件落着か。しかし,「岡松・理由233は,元本の弁済はなしえないという」(前記・注釈民法(4)49頁)という辺りが不気味です。岡松参太郎は電車の回数券の性質論において松本烝治を破った恐るべきライヴァルでした(「鉄道庁長官の息子と軌道の乗車券:鉄道関係法の細かな愉しみ」donttreadonme.blog.jp/archives/1003968039.html参照)。なお,「元本」とは,「貸金・賃貸した不動産などのように,利息・賃料その他法律にいう法定果実(88条2項)を生み出す財産」とされています(我妻83頁)。岡松博士の『註釈民法理由(総則編)』(有斐閣書房・1899年・訂正12版)を見てみると,「利息ノ弁済」は民法103条1号の保存行為であるとしつつ(232頁),同条で与えられる権限(管理行為をする権限(我妻339頁等))について「〔為ス能ハサル行為ノ重ナルモノハ訴訟,和解,裁判,売買,贈与,交換,物権ノ設定,元本ノ弁済等〕。」とあります(233頁)。

これは一体どういう根拠によるものか。当該引用括弧内部分を見ると,被保佐人が保佐人の同意を得ずになし得る行為に係る民法13条1項の列挙規定が想起されます。また,『註釈民法理由(総則編)』における民法103条の解説に当たって岡松博士が掲げる参照条文には旧民法人事編193条及び194条並びに財産取得編232条があります(230頁)。旧民法人事編193条は「後見人ハ未成年者ノ財産ニ付テハ管理ノ権ヲ有スルニ止マリ此権外ノ行為ハ法律ニ定メタル条件ニ依ルニ非サレハ之ヲ為スコトヲ得ス」と規定し(下線は筆者によるもの),同編194条の第1は「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」に関しては後見人は親族会の許可を得るべきものとしています。すなわち,そうしてみると,「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」は管理行為ではないわけです(なお,同条には,債務の弁済については親族会の許可を得べきものとする端的な規定はありません。)。旧民法財産取得編232条1項は「代理ニハ総理ノモノ有リ部理ノモノ有リ」と規定し,同条2項は「総理代理ハ為ス可キ行為ノ限定ナキ代理ニシテ委任者ノ資産ノ管理ノ行為ノミヲ包含ス」と規定しています(下線は筆者によるもの。なお,フランス民法1988条1項は「総理の委任(le mandate conçu en termes généraux)は,管理行為(les actes d’administration)のみを包含する。」と規定しています。)。したがって,岡松博士は,「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」は,権限の定めのない代理人に係る現行民法103条の権限(管理行為を行う権限)にも含まれないと書こうとして「元本ノ弁済」と書いてしまったのでしょうか。「元本ノ弁済」を,元本の利用の終了に係る「元本ノ弁済ヲ受ケルコト」を意味するものと考えるとよりもっともらしいところです。現行民法13条1項1号は,「元本を領収し,又は利用する」ためには,被保佐人は保佐人の同意を得なければならないものとしています。ちなみに,インターネットで見ることのできる大津家庭裁判所の説明書「保佐人の仕事と責任」(日付なし)には,元本の領収又は利用の例として,「預貯金の払い戻し」,「貸したお金を返してもらうこと」及び「お金を貸すこと(利息の定めがある場合)」の三つが挙げられています。しかし,岡松博士の元本ノ弁済=非管理行為説の意味するところは,なおよく分からないとしておくべきでしょう。(ところで,現民法の規定によれば,未成年後見人は,未成年被後見人に代わって元本を領収し,又は未成年被後見人が元本を領収することに同意することについては,後見監督人(かつては親族会)の同意を得る必要はありません(民法864条ただし書,旧929条ただし書)。民法13条1項1号の「元本の領収」の部分が除かれているのは,梅謙次郎によれば「準禁治産者ハ元本ヲ領収スルトキハ動モスレハ之ヲ浪費スルノ危険アルヲ以テ特ニ保佐人ノ同意ヲ得ヘキモノトセリト雖モ後見人ニ付テハ同一ノ理由ナキカ故ニ敢テ親族会ノ同意ヲ要セサルモノトス」ということであったそうです(梅謙次郎『民法要義巻之四』(和仏法律学校=明法堂・1899年)480頁)。当時の準禁治産者には,心神耗弱者のほか浪費者もなり得ました。)

 

(3)民法921条1号の「保存行為」

 ところで,更に細かく考えてしまうと,民法103条1号の保存行為は管理行為の部分集合であるのに対して,同法921条1号ただし書の「保存行為」は,文言上,処分行為(「相続財産の全部又は一部を処分」)の部分集合となっているようです。しかして,管理行為と処分行為とは,対立するものとされています。「処分」とは,私法上「財産権の移転その他財産権について変動を与えることをいい,管理行為に対する意味に用いられる。」とされています(吉國一郎ほか編『法令用語辞典【第八次改訂版】』(学陽書房・2001年)428頁)。そうだとすると,民法921条1号ただし書の「保存行為」は,管理行為たる保存行為とは異なる処分行為たる「保存行為」ということになるのでしょうか。それともやはり管理行為たる保存行為なのでしょうか。この点は,「もっとも,財産全体の管理と個々の物又は権利の管理とでは,その管理も,おのずから異なるのであつて,財産の管理においては,その財産の一部を成している個々の物又は権利の処分も,その財産全体の保存,利用又は改良となつて,管理の範囲に包含されることもある(例―民法25Ⅰ・27Ⅰ・758Ⅱ・824828等)。」(吉國ほか編109頁)ということなのでしょう。民法918条1項に基づく管理行為は,個々の物又は権利に対するものではなく,財産を対象とするものですね。そうであれば,民法921条1号ただし書は,一見処分行為のように見える行為であっても,同法103条1号の保存行為に該当する行為や同条2号の利用行為中短期の賃貸に係る行為は管理行為であって処分行為には当たらないということを示すための為念規定ということになるのでしょう。なお,賃借権は旧民法では物権であったので,賃貸(賃借権の設定)は処分だったのでしょう。

 旧民法財産取得編323条1項の第1は,「相続財産ノ1箇又ハ数箇ニ付キ他人ノ為メニ所有権ヲ譲渡シ又ハ其他ノ物権ヲ設定シタルトキ」は「黙示ノ受諾アリトス」「但財産編第119条以下ノ制限ニ従ヒタル賃借権ノ設定ハ此限ニ在ラス」と規定していました。

 なお念のため,管理行為と民法921条1号の処分行為との関係及び同号の本文とただし書との関係について,梅謙次郎の説明を見てみましょう(梅謙次郎『民法要義巻之五〔第五版〕』(和仏法律学校=明法堂・1901年))。

 

 ・・・相続人ハ第1201条〔現行918条〕ノ規定ニ依リテ相続財産ヲ管理スル義務ヲ有スルカ故ニ(尚ホ10281040〔現行926940〕ヲ参観セヨ)処分行為ニ非サル純然タル管理行為ハ単ニ之ヲ為スノ権アルノミナラス寧ロ之ヲ為スノ義務アルモノト謂フヘシ故ニ相続財産ニ修繕ヲ加ヘ若クハ相続財産タル金銭ヲ確実ナル銀行ニ預入ルルカ如キハ相続人ノ尽スヘキ義務ニシテ為メニ単純承認ヲ為シタルモノト見做サルルノ恐ナシ(梅・五168頁)

 

 そもそも管理行為は,法定単純承認の事由とはならないのでした。

 

 ・・・尚ホ損敗シ易キ財産ヲ売却シテ其代価ヲ保管スルカ如キハ寧ロ其財産ヲ保存スルノ方法ト謂フヘク従テ学理ヨリ之ヲ言ヘハ処分ニ相違ナシト雖モ而モ保存行為トシテ純然タル管理行為中ニ包含セシムヘキコト第103条ニ付テ論シタルカ如シ又賃貸借ノ性質ニ付テハ多少ノ疑義アルヲ以テ立法者ハ第603条ニ於テ一定ノ期間ヲ超エサル賃貸借ニ限リ之ヲ管理行為ト見做スヘキコトヲ定メタリ是レ本条第1号但書ノ規定アル所以ナリ(梅・五168169頁)

 

民法921条1号ただし書は,要は,一見処分に見える行為であっても管理行為であれば管理行為であって処分行為ではない,という管理行為性を優先させる旨の規定であったようです。したがって,そこにおける「保存行為」は民法103条1号の保存行為より狭く,処分による保存行為ということになるようです。

 

3 中川理論:相続人による弁済=法定単純承認

 以上民法103条1号の保存行為について調べてみたところ,例外的に岡松参太郎博士の著書においては難しいことが書いてあるとはいえ,主要な学者らが同号の保存行為には期限の到来した債務の弁済が含まれると言っているのですから,民法918条1項の相続財産の管理において,相続人が相続債権者に対して期限の到来した債務を弁済しても,同法921条1号によって単純承認をしたものとみなされることはない,と一応はいえそうです。「拒絶権を行使しないで弁済した場合には有効な弁済であり,保存管理行為として放棄の権能を失わないものと解する。併し弁済資金を得るために相続財産を売却する行為は,本条〔918条〕第2項にいう「相続財産の保存に必要な処分」として家庭裁判所の処分命令を要するであろう。」ということになるのでしょう(中川善之助編『註釈相続法(上)』(有斐閣・1954年)235頁(谷口知平))。(なお,ここで「拒絶権」が出てくるのは,「限定承認をした場合には請求申出期間の満了前には弁済を拒絶しうるのであるから(928)態度決定前においては,弁済を拒絶しうると解しうるし,又相続債権者や受遺者が財産分離を請求しうる期間即ち相続開始より3箇月間は弁済を拒絶しうる(947)」からでしょう(同頁(谷口))。)

 しかし,現実はそう簡単ではありません。

 家族法学の大家・中川善之助博士が,民法918条1項に基づき相続財産を管理する相続人について,当該相続人が相続債権者に対して「拒絶権を行使しないでなした弁済は有効な弁済であるから,一種の遺産処分であり,相続人はこれによって,単純承認をしたものとみなされ(921条1号),限定承認及び放棄の自由を失う」と説いているからです(中川善之助『相続法』(有斐閣・1964年)241頁。下線は筆者によるもの)。松川正毅教授も「相続債務の弁済は,保存行為とはならず管理人の権限でないと考えている」ところです(谷口知平=久貴忠彦編『新版注釈民法(27)相続(2)〔補訂版〕』(有斐閣・2013年)484頁)。

 中川博士の場合,民法918条1項に基づき相続財産を管理する相続人の相続債権者に対する弁済拒否権は,民法の具体的な条文からではなく,その理論に基づき導出されているもののようです。

 

 ・・・直ちに限定承認の規定を熟慮期間に類推してよいか疑わしいようにも思われる。

  しかし限定承認もしくは放棄をなすかも知れない相続人は,一債権者に対する弁済が他の債権者を害する結果になりうることを予想しうるものと考えられるから,熟慮のために猶予された期間中は,弁済を拒絶すべきであり,従って拒絶しうるものと解すべきである。この弁済拒絶が,債権者の公平のために,権利として認められる以上,拒絶はまた義務たるの性質も与えられざるをえないことになり・・・(中川241頁)

 

「べき論」から拒絶権が,更に拒絶権の権利性から拒絶の義務が導出されています。

「この解釈は,必らずしも法的知識に豊かでない一般相続人にとっては,やや酷に過ぎる嫌いもある。」とは,中川博士が自ら認めるところです(中川241頁)。そこでこれについて同博士は,「しかし熟慮期間の後に,限定承認なり放棄なりが来る場合を想像すれば,選択の自由の代価として,相続人がこれだけの責任を負うことは,やむをえないといわなければなるまい。」と主張します(中川241頁)。しかしながらやはり,「必らずしも法的知識に豊かでない一般相続人にとっては,やや酷に過ぎる」解釈は,公定解釈としては採用し難いのではないでしょうか。

 

4 単純承認の「意思表示」と民法921条1号の「処分」

 なお,どのような行為が民法921条1号の処分に該当するかについての問題については,「わが国の多数説は,単純承認を意思表示と見ながら,しかし実際には,殆どの単純承認が921条にいわゆる法定単純承認であって,任意の意思表示としてなされることはないだろうといっている。殆どないというのは,稀にはあるというふうに聞えるが,私は寡聞にして未だ曽つて単純承認の意思表示のなされたということを聞かず,また民法にも,戸籍法にも単純承認の意思表示に関する規定はない。」(中川246頁)という事情が影響を及ぼしているようにも思われます。

 立法者は,単純承認を意思表示とし「単純承認ニ付テハ別段ノ規定ヲ設ケサルカ故ニ一切ノ方法ニ依リテ其意思表示ヲ為スコトヲ得ヘシ」とし(梅・五164頁),例として「被相続人ノ債権者及ヒ債務者ニ対シ自己カ相続人ト為リ将来被相続人ニ代ハリテ其権利義務ヲ有スヘキ旨ヲ通知シタルカ如キハ以テ黙示ノ単純承認ト為スヘキカ」と述べていました(梅・五164165頁)。黙示の意思表示それ自体の認定ということがこのように一方で想定されていたため,民法の現行921条は,例外的条項ということになっていたようです。いわく,「本条ノ場合ニ於テハ仮令相続人カ単純承認ヲ為スノ意思アラサリシコト明瞭ナル場合ニ於テモ仍ホ単純承認アルモノトス蓋シ立法者ノ見ル所ニ拠レハ本条ノ事実アリタルトキハ仮令本人ハ単純承認ノ意思ナキモ他人ヨリ之ヲ見レハ其意思アルモノト認メサルコトヲ得サルモノト見做シタルナリ」と(梅・五167頁)。本人の意思に反してでも意思表示の擬制をもたらすものですから,民法921条1号の処分は,本来は限定的に認定されるべきものだったのでしょう。

 しかしながら,「単純承認は相続人の意思表示による効果ではない」(中川246頁),「921条の場合にのみ単純承認が生」ずる(新版注釈民法(27)〔補訂版〕517頁(川井健))ということになると,当初は黙示の意思表示の認定として処理されるはずだった問題が,民法921条1号の「処分」該当性の問題として取り扱われることになり,そうであればその分同号の「処分」の範囲が弛緩せざるを得ないことになるように思われます。

(後編に続きます。
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1052466436.html)

 民法733条 女は,前婚の解消又は取消しの日から6箇月を経過した後でなければ,再婚をすることができない。

 2 女が前婚の解消又は取消しの前から懐胎していた場合には,その出産の日から,前項の規定を適用しない。

 

1 最高裁判所大法廷平成271216日判決

 最近の最高裁判所大法廷平成271216日判決(平成25年(オ)第1079号損害賠償請求事件。以下「本件判例」といいます。)において,法廷意見は,「本件規定〔女性について6箇月の再婚禁止期間を定める民法733条1項の規定〕のうち100日の再婚禁止期間を設ける部分は,憲法14条1項にも,憲法24条2項にも違反するものではない。」と判示しつつ,「本件規定のうち100日超過部分〔本件規定のうち100日を超えて再婚禁止期間を設ける部分〕が憲法24条2項にいう両性の本質的平等に立脚したものでなくなっていたことも明らかであり,上記当時〔遅くとも上告人が前婚を解消した日(平成20年3月の某日)から100日を経過した時点〕において,同部分は,憲法14条1項に違反するとともに,憲法24条2項にも違反するに至っていた」ものとの違憲判断を示しています。

 女性が再婚する場合に係る待婚期間の制度については,かねてから「待婚期間の規定は、十分な根拠がなく,立法論として非難されている。」と説かれていましたが(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)31頁。なお,下線は筆者によるもの),最高裁判所は本件判例において違憲であるとの判断にまで踏み込んだのでした。

 

2 我妻榮の民法733条批判

 待婚期間規定に対して,我妻榮は次のように批判を加えていました(我妻3132頁)。

 

  第1に,この制度が父性決定の困難を避けるためなら,後婚がいやしくも成立した後は,〔民法744条に基づき〕取り消しても意味がない。少なくとも,この制度を届書受理の際にチェックするだけのものとして,取消権を廃止すべきである。

  第2に,父性推定の重複を避けるためには,――父性の推定は・・・,前婚の解消または取消後300日以内であって後婚の成立の日から200日以後だから〔民法772条〕――待婚期間は100日で足りるはずである。

  第3に,待婚期間の制限が除かれる場合(733条2項)をもっと広く定むべきである。

  第4に,以上の事情を考慮すると,待婚期間という制限そのものを廃止するのが一層賢明であろう。ことにわが国のように,再婚は,多くの場合,前婚の事実上の離婚と後婚の事実上の成立(内縁)を先行している実情の下では,弊害も多くはないであろう。

 

 民法733条を批判するに当たって我妻榮は,同条は「専ら父性確定に困難を生ずることに対する配慮」から設けられたものと解する立場を採っています(我妻3031頁)。

 

  妻は,婚姻が解消(夫の死亡または離婚)しても,あまりに早く再婚すべきものではない,とする制限は,以前から存在したが,それは別れた夫に対する「貞」を守る意味であった・・・。しかし,現在の待婚期間には,そうした意味はなく,専ら父性確定に困難を生ずることに対する配慮である。第2項の規定は,このことを示す。

 

3 待婚期間に係る梅謙次郎の説明

民法起草者の一人梅謙次郎は,民法733条の前身である民法旧767条(「女ハ前婚ノ解消又ハ取消ノ日ヨリ6个月ヲ経過シタル後ニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得ス/女カ前婚ノ解消又ハ取消ノ前ヨリ懐胎シタル場合ニ於テハ其分娩ノ日ヨリ前項ノ規定ヲ適用セス」)に関して,次のように説明しています(梅謙次郎『民法要義 巻之四 親族編 訂正増補第二十版』(法政大学・中外出版社・有斐閣書房・1910年)9193頁)。

 

 本条ノ規定ハ血統ノ混乱ヲ避ケンカ為メニ設ケタルモノナリ蓋シ一旦婚姻ヲ為シタル女カ其婚姻消滅ニ帰シタル後直チニ再婚ヲ為ストキハ其後生マレタル子ハ果シテ前婚ノ子ナルカ将タ後婚ノ子ナルカ之ヲ判断シ難キコト稀ナリトセス而シテ若シ其判断ヲ誤レハ竟ニ血統ヲ混乱スルニ至ルヘシ故ニ前婚消滅ノ後6个月ヲ経過スルニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得サルモノトセリ而シテ此6个月ノ期間ハ法医学者ノ意見〔本件判例に係る山浦善樹裁判官反対意見における説明によれば「懐胎の有無が女の体型から分かるのは6箇月であるとの片山国嘉医学博士(東京帝国大学教授)の意見」〕ヲ聴キテ之ヲ定メタルモノナリ

 ・・・

 民法施行前ニ在リテハ婚姻解消ノ後300日ヲ過クルニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得サルヲ原則トシ唯医師ノ診断書ニ由リ遺胎ノ徴ナキコトヲ証明スルトキハ例外トシテ再婚ヲ許シ若シ遺胎ノ徴アルトキハ分娩ノ後ニ非サレハ之ヲ許ササルコトトセリ〔明治7年(1874年)9月29日の太政官指令では「自今婦タル者夫死亡セシ日又ハ離縁ヲ受ケシ日ヨリ300日ヲ過サレハ再婚不相成候事/但遺胎ノ徴ナキ旨2人以上ノ証人アル者ハ此限ニアラス」とされていました。〕是レ稍本条ノ規定ニ類スルモノアリト雖モ若シ血統ノ混乱ヲ防ク理由ノミヨリ之ヲ言ヘハ300日ハ頗ル長キニ失スルモノト謂ハサルコトヲ得ス蓋シ仏国其他欧洲ニ於テハ300日ノ期間ヲ必要トスル例最モ多シト雖モ是レ皆沿革上倫理ニ基キタル理由ニ因レルモノニシテ夫ノ死ヲ待チテ直チニ再婚スルハ道義ニ反スルモノトスルコト恰モ大宝律ニ於テ夫ノ喪ニ居リ改嫁スル者ヲ罰スルト同一ノ精神ニ出タルモノナリ(戸婚律居夫喪改嫁条)然ルニ近世ノ法律ニ於テハ此理由ニ加フルニ血統ノ混乱ヲ防クノ目的ヲ以テシタルカ故ニ分娩後ハ可ナリトカ又ハ遺胎ノ徴ナケレハ可ナリトカ云ヘル例外ヲ認ムルニ至リシナリ然リト雖モ一旦斯ノ如キ例外ヲ認ムル以上ハ寧ロ血統ノ混乱ヲ防クノ目的ヲ以テ唯一ノ理由ト為シ苟モ其混乱ノ虞ナキ以上ハ可ナリトスルヲ妥当トス殊ニ再婚ヲ許ス以上ハ6月ト10月トノ間ニ倫理上著シキ差異アルヲ見ス是新民法ニ於テモ旧民法ニ於ケルカ如ク右ノ期間ヲ6个月トシタル所以ナリ 

 
4 6箇月の待婚期間の立法目的

 

(1)山浦反対意見

 梅謙次郎の上記『民法要義 巻之四』等を検討した山浦善樹裁判官は,本件判例に係る反対意見において「男性にとって再婚した女性が産んだ子の生物学上の父が誰かが重要で,前夫の遺胎に気付かず離婚直後の女性と結婚すると,生まれてきた子が自分と血縁がないのにこれを知らずに自分の法律上の子としてしまう場合が生じ得るため,これを避ける(つまりは,血統の混乱を防止する)という生物学的な視点が強く意識されていた。しかし,当時は血縁関係の有無について科学的な証明手段が存在しなかった(「造化ノ天秘ニ属セリ」ともいわれた。)ため,立法者は,筋違いではあるがその代替措置として一定期間,離婚等をした全ての女性の再婚を禁止するという手段をとることにしたのである。・・・多数意見は,本件規定の立法目的について,「父性の推定の重複を回避し,もって父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐこと」であるとするが,これは,血縁判定に関する科学技術の確立と家制度等の廃止という社会事情の変化により血統の混乱防止という古色蒼然とした目的では制度を維持し得なくなっていることから,立法目的を差し替えたもののように思える。・・・単に推定期間の重複を避けるだけであれば,重複も切れ目もない日数にすれば済むことは既に帝国議会でも明らかにされており,6箇月は熟慮の結果であって,正すべき計算違いではない。・・・民法の立案者は妻を迎える側の立場に立って前夫の遺胎を心配していたのであって,生まれてくる子の利益を確保するなどということは,帝国議会や法典調査会等においても全く述べられていない。」と述べています。

 しかし,「蓋シ一旦婚姻ヲ為シタル女カ其婚姻消滅ニ帰シタル後直チニ再婚ヲ為ストキハ其後生マレタル子ハ果シテ前婚ノ子ナルカ将タ後婚ノ子ナルカ之ヲ判断シ難キコト稀ナリトセス而シテ若シ其判断ヲ誤レハ竟ニ血統ヲ混乱スルニ至ルヘシ」といった場合の「血統」の「混乱」とは,再婚した母の出産した子について前夫及び後夫に係る嫡出の推定(民法772条2項,旧820条2項)が重複してしまうことによって父を定めることを目的とする訴え(同法773条,旧821条)が提起されたところ,生物学上の父でない方を父と定める判決又は合意に相当する審判(家事事件手続法277条)がされてしまう事態を指すように一応思われます。嫡出の推定が重複するこの場合を除けば,「生物学な視点」から問題になるのは,「前夫の子と推定されるが事実は後夫の子なので,紛争を生じる」場合(前夫との婚姻期間中にその妻と後夫とが関係を持ってしまった場合)及び「後夫の子と推定されるが事実は前夫の子なので,紛争を生じる」場合(妻が離婚後も前夫と関係を持っていた場合。山浦裁判官のいう前記「血統の混乱」はこの場合を指すようです。)であるようですが,これらの紛争は,嫡出推定の重複を防ぐために必要な期間を超えて再婚禁止期間をいくら長く設けても回避できるものではありません(本件判例に係る木内道祥裁判官の補足意見参照)。

 

(2)再婚の元人妻に係る妊娠の有無の確認及びその趣旨

 「血統ノ混乱ヲ避ケンカ為メ」には,元人妻を娶ろうとしてもちょっと待て,妊娠していないことがちゃんと分かってから嫁に迎えろよ,ということでしょうか。

旧民法人事編32条(「夫ノ失踪ニ原因スル離婚ノ場合ヲ除ク外女ハ前婚解消ノ後6个月内ニ再婚ヲ為スコトヲ得ス/此制禁ハ其分娩シタル日ヨリ止ム」)について,水内正史編纂の『日本民法人事編及相続法実用』(細謹舎・1891年)は「・・・茲ニ一ノ論スヘキハ血統ノ混淆ヨリ婚姻ヲ防止スルモノアルコト是ナリ即夫ノ失踪シタル為ニ婦ヲ離婚シタル場合ヲ除キ其他ノ原因ヨリ離婚トナル場合ニ於テハ女ハ前婚期ノ解消シタル後6ヶ月ハ必ス寡居ス可キモノニシテ6ヶ月以内ハ再婚スルコトヲ得ス是レ6ヶ月以内ニ再婚スルヿヲ許ストキハ其生レタル子ハ前夫ノ子ナルカ将タ後夫ノ子ナルカ得テ知リ能ハサレハナリ而シテ寡居ノ期間ヲ6ヶ月ト定メタルハ子ノ懐胎ヨリ分娩ニ至ル期間ハ通常280日ナレトモ時トシテハ180日以後ハ分娩スルコトアルヲ以テ180日即6ヶ月ヲ待ツトキハ前夫ノ子ヲ懐胎シタルニ於テハ其懐胎ヲ知リ得ヘク従テ其生レタル子ハ前夫ノ子ナルコトヲ知リ得レハナリ此故ニ此制禁ハ其胎児ノ分娩シタルトキハ必スシモ6ヶ月ヲ待ツヲ要セス其時ヨリ禁制ハ息ムモノトス(32)」と説いており(2728頁。下線は筆者によるもの),奥田義人講述の『民法人事編』(東京専門学校・1893年)は「()()失踪(・・)()源因(・・)する(・・)離婚(・・)()場合(・・)()除く(・・)外女(・・)()前婚(・・)解消(・・)()()6ヶ月内(・・・・)()再離(・・)〔ママ〕()()さる(・・)もの(・・)()なす(・・)()()()()制限(・・)()()なり(・・)(第32条)而して此の制限の目的は血統の混合を防止するに外ならさるものとす蓋し婚姻解消の後直ちに再婚をなすを許すことあらんか再婚の後生れたる子ハ果して前夫の子なるか将た又後夫の子なるか之れを判明ならしむるに難けれはなり其の前婚解消の後6ヶ月の経過を必要となすは懐胎より分娩に至るまての最短期を採りたること明かなり去りなから若充分に血統の混淆を防止せんと欲せハ此の最短期を採るを以て決して足れりとすへからさるは勿論なるのみならす既に通常出産の時期を300日となす以上は少なく共此時限間の経過を必要となさるへからさるか如し・・・」と説いていました(85頁)。ちなみに,旧民法人事編91条2項は「婚姻ノ儀式ヨリ180後又ハ夫ノ死亡若クハ離婚ヨリ300日内ニ生マレタル子ハ婚姻中ニ懐胎シタルモノト推定ス」と規定していました(下線は筆者によるもの)。

 しかし,民法旧767条1項の文言からすると,女性の前婚解消後正に6箇月がたってその間前婚期間中に懐胎したことが分かってしまった場合であっても,当事者がこれでいいのだと決断すれば,再婚は可能ということになります。ところが,これでいいのだと言って再婚したとしても,後婚夫婦間に生まれた子が直ちに後夫の法律上の子になるわけではありません。民法旧820条も「妻カ婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子ト推定ス/婚姻成立ノ日ヨリ200日後又ハ婚姻ノ解消若クハ取消ノ日ヨリ300日内ニ生レタル子ハ婚姻中ニ懐胎シタルモノト推定ス」と規定していました。すなわち,前婚中前夫の子を懐胎していた女性とその前婚解消後6箇月たって当該妊娠を確実に承知の上これでいいのだと婚姻した後夫にとって,新婚後3箇月足らずで妻から生まれてくる子は自分の子であるものとは推定されません。そうであれば,後の司法大臣たる奥田義人の前記講述中「(もし)充分に血統の混淆を防止せんと欲せハ此の最短期を採るを以て決して足れりとすへからさるは勿論なるのみならす既に通常出産の時期を300日となす以上は少なく共此時限間の経過を必要となさるへからさるか如し」の部分に注目すると,「血統の混淆」とは,再婚した元人妻が新しい夫との婚姻早々,前夫の子であることが嫡出推定から明らかな子を産む事態を実は指しているということでしょうか。本件判例に係る木内裁判官の補足意見における分類によれば,「前夫の子と推定され,それが事実であるが,婚姻後に前夫の子が出生すること自体により家庭の不和(紛争)が生じる」事態でしょう。

旧民法人事編32条及び民法旧767条は,嫡出推定の重複を避けることに加えて,当該重複を避けるために必要な期間(旧民法で120日,民法で100日)を超える部分については,恋する男性に対して,ほれた元人妻とはいえ,前夫の子を妊娠しているかいないかを前婚解消後6箇月の彼女の体型を自分の目で見て確認してから婚姻せよ,と確認の機会を持つべきものとした上で,当該確認の結果妊娠していることが現に分かっていたのにあえて婚姻するのならば「婚姻後に前夫の子が出生すること自体により家庭の不和(紛争)が生じる」ことは君の新家庭ではないものと我々は考えるからあとは自分でしっかりやってよ,と軽く突き放す趣旨の条項だったのでしょうか。彼女が妊娠しているかどうか分からないけどとにかく早く結婚したい,前夫の子が産まれても構わない,ぼくは彼女を深く愛しているから家庭の平和が乱されることなんかないんだと言い張るせっかちな男性もいるのでしょうが,実際に彼女が前夫の子かもしれない子を懐胎しているのが分かったら気が変わるかもしれないよなとあえて自由を制限する形で醒めた配慮をしてあげるのが親切というものだったのでしょうか。そうだとすると,一種の男性保護規定ですね。大村敦志教授の紹介による梅謙次郎の考え方によると,「兎に角婚姻をするときにまだ前の種を宿して居ることを知らぬで妻に迎へると云ふことがあります・・・さう云ふことと知つたならば夫れを貰うのでなかつたと云ふこともあるかも知れぬ」ということで〔(梅・法典調査会六93頁)〕,「「6ヶ月立つて居れば先夫の子が腹に居れば,・・・もう表面に表はれるから夫れを承知で貰つたものならば構はぬ」(法典調査会六94頁)ということ」だったそうです(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)2829頁)。なお,名古屋大学のwww.law.nagoya-ふu.ac.jp/jalii/arthis/1890/oldcivf2.htmlウェッブページによれば,旧民法人事編の待婚期間の長さは,第1草案及び再調査案においては嫡出推定の重複を避け,かつ,切れ目がないようにするためのきっちり4箇月(約120日)であったところ,法取委〔法律取調委員会〕上申案以後6箇月になっています。旧民法人事編の「第1草案」については「明治21年〔1888年〕7月頃に,「第1草案」の起草が終わった。分担執筆した幾人かの委員とは,熊野敏三,光明寺三郎,黒田綱彦,高野真遜,磯部四郎,井上正一であり,いずれもフランス法に強い「報告委員」が担当した。「第1草案」の内容は,かなりヨオロッパ的,進歩的なものであった。」と述べられ(大久保泰甫『日本近代法の父 ボアソナアド』(岩波新書・1998年)157頁),更に「その後,法律取調委員会の・・・本会議が開かれ,「第1案」「第2按」「再調査案」「最終案」と何回も審議修正の後,ようやく明治23年〔1890年〕4月1日に人事編が・・・完成し,山田〔顕義〕委員長から〔山県有朋〕総理大臣に提出された。」と紹介されています(同158頁)。

 

(3)本件判例

 本件判例の法廷意見は,民法旧767条が目的としたところは必ずしも一つに限られてはいなかったという認識を示しています。いわく,「旧民法767条1項において再婚禁止期間が6箇月と定められたことの根拠について,旧民法起訴時の立案担当者の説明等からすると,その当時は,専門家でも懐胎後6箇月程度経たないと懐胎の有無を確定することが困難であり,父子関係を確定するための医療や科学技術も未発達であった状況の下において,①再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,②再婚後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から,再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けようとしたものであったことがうかがわれる。③また,諸外国の法律において10箇月の再婚禁止期間を定める例がみられたという事情も影響している可能性がある。」と(①②③は筆者による挿入)。続けて,法廷意見は「しかし,その〔昭和22年法律第222号による民法改正〕後,医療や科学技術が発達した今日においては,上記のような各観点から,再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けることを正当化することは困難になったといわざるを得ない。」と述べていますが,ここで維持できなくなった観点は①及び③であろうなと一応思われます(③については判決文の後の部分で「また,かつては再婚禁止期間を定めていた諸外国が徐々にこれを廃止する立法をする傾向にあり,ドイツにおいては1998年(平成10年)施行の「親子法改革法」により,フランスにおいては2005年(平成17年)施行の「離婚に関する2004年5月26日の法律」により,いずれも再婚禁止期間の制度を廃止するに至っており,世界的には再婚禁止期間を設けない国が多くなっていることも公知の事実である。」と述べられています。)。

 ところで,本件判例の法廷意見は更にいわく,「・・・妻が婚姻前から懐胎していた子を産むことは再婚の場合に限られないことをも考慮すれば,再婚の場合に限って,①前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,②婚姻後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から,厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間を超えて婚姻を禁止する期間を設けることを正当化することは困難である。他にこれを正当化し得る根拠を見いだすこともできないことからすれば,本件規定のうち100日超過部分は合理性を欠いた過剰な制約を課すものとなっているというべきである。」と(①②は筆者による挿入)。さて,100日を超えた約80日の超過部分を設けることによって防止しようとした「婚姻後に生まれる子の父子関係が争われる事態」とはそもそも何でしょう。当該約80日間が設けられたことによって,前婚解消後6箇月で直ちに再婚した妻の産む子のうち後婚開始後約120日経過後200日経過前の期間内に生まれた子には前夫及び後夫いずれの嫡出推定も及ばないことになります。むしろ父子関係が争われやすくなるようでもありました(昭和15年(1940年)1月23日の大審院連合部判決以前は,婚姻成立の日から200日たたないうちに生まれた子を非嫡出子としたものがありました(我妻215頁参照)。)。嫡出推定の切れ目がないよう前婚解消後100日経過時に直ちに再婚したがる女性には何やら後夫に対する隠し事があるように疑われ,後夫が争って,つい嫡出否認の訴えを提起したくなるということでしょうか。しかし,嫡出否認の訴えが成功すればそもそも父子関係がなくなるので,この争い自体から積極的な「血統に混乱」は生じないでしょう。(なお,前提として,「厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間」の範囲内については②の観点は依然として有効であることが認められていると読むべきでしょうし,そう読まれます。)「再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けようとした」ことと②の「再婚後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点」との結び付きはそもそも強いものではなかったように思われます。また,前夫の嫡出推定期間内に生まれる子の生物学上の父が実は後夫である場合は,むしろ嫡出推定が重複する期間を設けて紛戦に持ち込み,父を定めることを目的とする訴えを活用して生物学上の父と法律上の父とが合致するようにし,もって「血統の混乱」を取り除くことにする方がよいのかもしれません。しかし,そのためには逆に,待婚期間は短ければ短い方がよく,理想的には零であるのがよいということになってしまうようです(なお,待婚期間がマイナスになるのは,重婚ということになります。)。この点については更に,大村教授は「嫡出推定は婚姻後直ちに働くとしてしまった上で,二つの推定の重複を正面から認めよう,という発想」があることを紹介しています(大村29頁)。

それでは,①の「再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点」と現在は「医療や科学技術が発達した」こととの関係はどうでしょうか。現在は6箇月たたなくとも妊娠の有無が早期に分かるから,そこまでの待婚期間は不要だということでしょう。しかし,「懐胎の有無が女の体型から分かるのは6箇月であるとの片山国嘉医学博士(東京帝国大学教授)の意見」においては「女の体型」という外見が重視されているようであり,女性が妊娠を秘匿している事態も懸念されているようではあります。妊娠検査薬があるといっても,女性の協力がなければ検査はできないでしょうが,その辺の事情には明治や昭和の昔と平成の現代とで変化が生じているものかどうか。

本件判例の法廷意見は,憲法24条1項は「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたもの」と解した上で「上記のような婚姻をするについての自由」は「十分尊重に値するもの」とし,さらには,再婚について,「昭和22年民法改正以降,我が国においては,社会状況及び経済状況の変化に伴い婚姻及び家族の実態が変化し,特に平成期に入った後においては,晩婚化が進む一方で,離婚件数及び再婚件数が増加するなど,再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっている事情も認めることができる」ものとしています。「婚姻をするについての自由」に係る憲法24条1項は昭和22年民法改正のそもそもの前提だったのですから,その後に①の「再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点」の有効性が減少したことについては,やはり,後者の「再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっている事情」が大きいのでしょうか。「再婚」するにはそもそも主に離婚が前提となるところ,離婚の絶対数が増えれば早く再婚したいという人の絶対数も増えているのでしょう。ちなみに,女性が初婚時よりも再婚時の方が良い妻になることが多いという精神分析学説がありますが(„Ich meine, es muß dem Beobachter auffallen, in einer wie ungewönlich großen Anzahl von Fällen das Weib in einer ersten Ehe frigid bleibt und sich unglücklich fühlt, während sie nach Lösung dieser Ehe ihrem zweiten Manne eine zärtliche und beglückende Frau wird.“(Sigmund Freud, Das Tabu der Virginität, 1918)),これは本件判例には関係ありません。

しかし,現代日本の家族は核家族化したとはいえ,「家庭の不和」の当事者としては,夫婦のみならず,子供も存在し得るところです。

 

5 待婚期間を不要とした実例:アウグストゥス

 

(1)アウグストゥスとリウィアとリウィアの前夫の子ドルスス

 ところで,前夫の子を懐胎しているものと知りつつ,当該人妻の前婚解消後直ちにこれでいいのだと婚姻してしまった情熱的な男性の有名な例としては,古代ローマの初代皇帝アウグストゥスがいます。

 

  〔スクリボニアとの〕離婚と同時にアウグストゥスは,リウィア・ドルシラを,ティベリウス・ネロの妻でたしかに身重ですらあったのにその夫婦仲を裂き,自分の妻とすると(前38年),終生変らず比類なく深く愛し大切にした。(スエトニウス「アウグストゥス」62(国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(上)』(岩波文庫・1986年)))

 

 前63年生まれのアウグストゥスは,前38年に25歳になりました。リウィアは前58年の生まれですから,アウグストゥスの5歳年下です。両者の婚姻後3箇月もたたずに生まれたリウィアの前夫ティベリウス・クラウディウス・ネロの息子がドルススです。

 

  〔4代目皇帝〕クラウディウス・カエサルの父ドルススは,かつて個人名をデキムスと,その後でネロと名のった。リウィアは,この人を懐妊したまま,アウグストゥスと結婚し,3ヶ月も経たぬ間に出産した(前38年)。そこでドルススは,継父の不義の子ではないかと疑われた。たしかにドルススの誕生と同時に,こんな詩句が人口に膾炙した。

  「幸運児には子供まで妊娠3ヶ月で生れるよ」

  ・・・

  ・・・アウグストゥスは,ドルススを生存中もこよなく愛していて,ある日元老院でも告白したように,遺書にいつも,息子たちと共同の相続人に指名していたほどである。

  そして〔前9年に〕彼が死ぬと,アウグストゥスは,集会で高く賞揚し,神々にこう祈ったのである。「神々よ,私の息子のカエサルたちも,ドルススのごとき人物たらしめよ。いつか私にも,彼に授けられたごとき名誉ある最期をたまわらんことを」

  アウグストゥスはドルススの記念碑に,自作の頌歌を刻銘しただけで満足せず,彼の伝記まで散文で書いた。(スエトニウス「クラウディウス」1(国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(下)』(岩波文庫・1986年)))

 

(2)アウグストゥス家の状況

しかし,共和政ローマの名門貴族クラウディウス一門(アッピア街道で有名なアッピウス・クラウディウス・カエクスもその一人)のティベリウス・クラウディウス・ネロ(前33年没)を法律上の父として持つドルススは,母の後夫であり,自分の生物学上の父とも噂されるアウグストゥスの元首政に対して批判的であったようです。

 

 〔ドルススの兄で2代目皇帝の〕ティベリウスは・・・弟ドルスス・・・の手紙を公開・・・した。その手紙の中で弟は,アウグストゥスに自由の政体を復活するように強制することで兄に相談をもちかけていた。(スエトニウス「ティベリウス」50(国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(上)』(岩波文庫・1986年)))

 

 少なくとも皇帝としてのアウグストゥスに対しては,反抗の意思があったわけです。

 

 ところでドルススには名声欲に劣らぬほど,民主的な性格が強かったと信じられている。

 ・・・彼はそうする力を持つ日がきたら,昔の共和政を復活させたいという希望を,日頃から隠していなかったといわれているからである。

 ここに,ある人らが大胆にも次のような説を伝えている根拠があると私は思うのである。

 ドルススはアウグストゥスに不信の念を抱かれ,属州から帰還を命じられても逡巡していて毒殺されたと。この説を私が紹介したのは,これが真実だとか,真相に近いと思ったからではなく,むしろこの説を黙殺したくなかったからにすぎない。(スエトニウス「クラウディウス」1)

 

 自分の本当の父親が誰であるのか悩むことがあったであろうドルススの心事を忖度することには興味深いものがあります。

 アウグストゥスの家庭は,余り平和ではありませんでした。

 

 〔アウグストゥスは,リウィアと再婚する際離婚した〕スクリボニアからユリアをもうける。リウィアからは熱烈に望んでいたのに一人の子供ももうけなかった。もっとも胎内に宿っていた赤子が月足らずで生まれたことはあるが。(スエトニウス「アウグストゥス」63

 

  娘と孫娘のユリアは,あらゆるふしだらで穢れたとして島に流した。(スエトニウス「アウグストゥス」65

 

6 待婚期間を回避した実例:ナポレオン

 

(1)ナポレオンの民法典

 「我々は,良俗のためには,離婚と2度目の婚姻との間に間隔を設けることが必要であると考えた。(Nous avons cru, pour l’honnêteté publique, devoir ménager une intervalle entre le divorce et un second mariage.)」と述べたのは,ナポレオンの民法典に係る起草者の一人であるポルタリスです(Discours préliminaire du premier projet de Code civil, 1801)。1804年のナポレオンの民法典における待婚期間に関する条項にはどのようなものがあったでしょうか。

 

 第228条 妻は,前婚の解消から10箇月が経過した後でなければ,新たに婚姻することができない。(La femme ne peut contracter un nouveau mariage qu’après dix mois révolus depuis la dissolution du mariage précédent.

 

これは我が民法733条1項及び旧767条1項並びに旧民法民事編32条1項に対応する規定ですね。ただし,待婚期間が6箇月ではなく10箇月になっています。また,ナポレオンの民法典228条は,離婚以外の事由による婚姻の解消(主に死別)の場合に適用がある規定です。

共和国10年葡萄月(ヴァンデミエール)14日(180110月6日)に国務院(コンセイユ・デタ)でされた民法典に関する審議の議事(同議事録http://archives.ih.otaru-uc.ac.jp/jspui/handle/123456789/53301第1巻294295頁)を見ると,同条の原案には,décence”(品位,節度)がそれを要請するであろうとして(ブーレ発言),後段として「夫も,当該解消から3箇月後でなければ,2度目の婚姻をすることができない。(le mari ne peut non plus contracter un second mariage qu’après trois mois depuis cette dissolution.)」という規定が付け足されていました。同条の原案に対する第一執政官ナポレオンの最初の感想は,「10箇月の期間は妻には十分長くはないな。」であり,司法大臣アブリアルが「我々の風習では,その期間は1年間で,喪の年(l’an de deuil)と呼ばれています。」と合の手を入れています。トロンシェが,「実際のところ,妻に対する禁制の目的は,la confusion de partを防ぐことであります。夫についてはそのような理由はありません。彼らの家計を維持する関係で妻の助力を必要とする耕作者,職人,そして人民階級の多くの諸個人にとっては,提案された期間は長過ぎます。」と発言しています。議長であるナポレオンが「アウグストゥスの例からすると妊娠中の女とも婚姻していたのだから,古代人はla confusion de partの不都合ということを気にしてはいなかったよな。夫の方については,規定せずに風習と慣例とに委ねるか,もっと長い期間婚姻を禁ずるかのどちらかだな。この点で民法典が,慣習よりもぬるいということになるのはまずい。」と総括し,結局同条については,後段を削った形で採択されています。しかして残った同条は,端的にla confusion de partを防ぐための条項であるかといえば,アウグストゥスの例に触れた最終発言によれば第一執政官はその点を重視していたようには見えず,さりとて「喪の年」を2箇月縮めたものであるとも言い切りにくいところです。(ただし,この10箇月の期間にはいわれがあるところで,古代ローマの2代目国王「ヌマは更に喪を年齢及び期間によつて定めた。例へば3歳以下の幼児が死んだ時には喪に服しない。もつと年上の子供も10歳まではその生きた年数だけの月数以上にはしない。如何なる年齢に対してもそれ以上にはせず,一番長い喪の期間は10箇月であつて,その間は夫を亡くした女たちは寡婦のままでゐる。その期限よりも前に結婚した女はヌマの法律に従つて胎児を持つてゐる牝牛を犠牲にしなければならな」かった,と伝えられています(プルタルコス「ヌマ」12(河野与一訳『プルターク英雄伝(一)』(岩波文庫・1952年)))。また,ヌマによる改暦より前のローマの暦では1年は10箇月であったものともされています(プルタルコス「ヌマ」18・19)。なお,“La confusion de part”“part”は「新生児」の意味で,「新生児に係る混乱」とは,要は新生児の父親が誰であるのか混乱していることです。これが我が国においては「血統ノ混乱」と訳されたものでしょうか。

離婚の場合については,特別規定があります。

 

296条 法定原因に基づき宣告された離婚の場合においては,離婚した女は,宣告された離婚から10箇月後でなければ再婚できない。(Dans le cas de divorce prononcé pour cause déterminée, la femme divorcée ne pourra se remarier que dix mois apès le divorce prononcé.

 

297条 合意離婚の場合においては,両配偶者のいずれも,離婚の宣告から3年後でなければ新たに婚姻することはできない。(Dans le cas de divorce par consentement mutuel, aucun des deux époux ne pourra contracter un nouveau mariage que trois ans après la pronunciation du divorce.

 

 面白いのが297条ですね。合意離婚の場合には,男女平等に待婚期間が3年になっています。ポルタリスらは当初は合意離婚制度に反対であったので(Le consentement mutuel ne peut donc dissoudre le mariage, quoiqu’il puisse dissoudre toute autre société.(ibid)),合意離婚を認めるに当たっては両配偶者に一定の制約を課することにしたのでしょう。男女平等の待婚期間であれば,我が最高裁判所も,日本国憲法14条1項及び24条2項に基づき当該規定を無効と宣言することはできないでしょう。

 ただ,ナポレオンの民法典297条が皇帝陛下にも適用がある(ないしは国民の手前自分の作った民法典にあからさまに反することはできない)ということになると,一つ大きな問題が存在することになったように思われます。

 18091215日に皇后ジョゼフィーヌと婚姻解消の合意をしたナポレオンが,どうして3年間待たずに1810年4月にマリー・ルイーズと婚姻できたのでしょうか。

 ジョゼフィーヌの昔の浮気を蒸し返して法定原因に基づく離婚(ナポレオンの民法典296条参照)とするのでは,皇帝陛下としては恰好が悪かったでしょう。どうしたものか。

 

(2)18091216日の元老院令

 実は,18091215日のナポレオンとジョゼフィーヌとの合意に基づく婚姻解消は,合意離婚ではなく,立法(同月16日付け元老院令)による婚姻解消という建前だったのでした。合意離婚でなければ,夫であるナポレオンが再婚できるまで3年間待つ必要はありません。

 上記元老院令は,その第1条で「皇帝ナポレオンと皇后ジョゼフィーヌとの間の婚姻は,解消される。(Le mariage contracté entre l’Empereur Napoléon et l’Impératrice Joséphine est dissous.)」と規定しています。

 大法官は,カンバセレス。ナポレオンに最終的に「婚姻解消,やらないか。」と言ったのは,フーシェでもタレイランでもなく彼だったものかどうか。いずれにせよ,厄介な法律問題を処理してくれたカンバセレスの手際には,皇帝陛下も「いい男」との評価を下したことでしょう。

 こじつけのようではありますが,1809年においても2015年においても,1216日は,離婚後の長い待婚期間の問題性が表面化された日でありました。

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1 和歌山の野道で盗られた一厘銭

 前回の記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1045278800.html「三百代言の世話料に関して」)を書いていて,和歌山県の野道において,いたいけな幸之助少年が寛永通宝一文銭(穴あき一厘銭)を鬼のように兇暴な男から強取される場面を想像するに至ったのですが,その有様を書いてみるとなると,ヴィクトル・ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』におけるプティ・ジェルヴェ事件のパロディになってしまうところです。プティ・ジェルヴェ事件では,南仏デーニュから約12キロメートル離れた人気の無い野道で,ミリエル司教に助けられたばかりのジャン・ヴァルジャンが,その夕方,約10歳のプティ・ジェルヴェ少年が歩きながらそれで遊んでいて落とした40スー(2フラン)銀貨を足で踏みつけ,更に同少年を追い払って奪ってしまったのでした。

 

  Comme le soleil déclinait au couchant, allongeant sur le sol l’ombre du moindre caillou, O’nisaka était assis derrière un buisson.

    Il entendit un bruit joyeux. Il tourna la tête, et vit venir par le sentier un petit Wakayamard d’une dizaine d’années qui chantait --- Ils sont lumineux, les produits de National! 

   L’enfant s’arrêta à côté du buisson sans voir O’nisaka et fit sauter son rin que jusque-là il avait reçu avec assez d’adresse sur le dos de sa main.

    Cette fois la pièce d’un rin lui échappa, et vint rouler vers la broussaille jusqu’à O’nisaka.

    O’nisaka posa le pied dessus.

    Cependant l’enfant avait suivi sa pièce du regard, et l’avait vu.

    Il ne s’étonna point et marcha droit à l’homme.

    C’était un lieu absolument solitaire. Aussi loin que le regard pouvait s’étendre, il n’y avait personne dans la plaine ni dans le sentier. Le soleil empourprait d’une lueur sanglante la face sauvage d’O’nisaka.

--- Monsieur, dit le petit Wakayamard, avec cette confiance de l’enfance qui se compose d’ignorance et d’innocence, --- ma pièce?

--- Comment t’appelles-tu? dit O’nisaka.

--- Kônosuké, monsieur.

--- Va-t’en, dit O’nisaka.

    --- Monsieur, reprit l’enfant, rendez-moi ma pièce.

    O’nisaka baissa la tête et ne répondit pas.

    --- Je veux ma pièce! ma pièce d’un rin trouée!

    L’enfant pleurait. La tête d’O’nisaka se releva. Il était toujours assis. Il étendit la main vers son bâton et se dressant brusquement tout debout, le pied toujours sur la pièce de cuivre, il cria d’une voix terrible: --- Veux-tu bien te sauver!

    L’enfant effaré le regarda, puis commença à trembler de la tête aux pieds, et, après quelques seconds de stupeur, se mit à s’enfuir en courant de toutes ses forces sans oser tourner le cou ni jeter un cri.

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「悲しみの道」の坂の先にいる鬼
 

2 日本刑法

 

(1)鬼坂の犯罪

 

ア 占有離脱物横領非該当

幸之助少年に対する鬼のように兇暴な,ジャン・ヴァルジャンならぬ鬼坂(O’nisaka)の行為は,我が現行刑法では,まず,やはり占有離脱物横領にはならないでしょう(同法254条は「遺失物,漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は,1年以下の懲役又は10万円以下の罰金若しくは科料に処する。」と規定)。和歌山の野道を通る幸之助少年は,放り上げつつ遊んでいた寛永通宝一文銭を手の甲で受け止め損ね,当該一文銭は,道端の藪のそばに腰を下ろしていた鬼坂のところまで転がって行ったのですが(Cette fois la pièce d’un rin lui échappa, et vint rouler vers la broussaille jusqu’à O’nisaka.),その間の距離も時間も短いようであり,かつ,幸之助少年は当該銅銭が鬼坂の足下まで転がる様を目で追いかけていて見失っていません(Cependant l’enfant avait suivi sa pièce du regard, et l’avait vu.)。すなわち,当該寛永通宝は,所有者である幸之助少年の占有を離れてはいないものと判断されます。

なお,幸之助少年の場合は被害品が被害者のもとから遠ざかって行ったのですが,それとは逆に被害者が被害品から遠ざかって行った場合について最高裁判所平成16年8月25日決定は,「〔前刑出所後いわゆるホームレス生活をしていた〕被告人が本件ポシェットを〔本件ベンチ上から〕領得したのは,被害者がこれを置き忘れてベンチから約27mしか離れていない場所まで歩いて行った時点であったことなど本件の事実関係の下では,その時点において,被害者が本件ポシェットのことを一時的に失念したまま現場から立ち去りつつあったことを考慮しても,被害者の本件ポシェットに対する占有はなお失われておらず,被告人の本件領得行為は窃盗罪に当たる」と判示しています。

 

イ 窃盗

そうなると,まず,鬼坂には窃盗罪が成立するように思われます(刑法235条は「他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」と規定)。足下に転がって来た幸之助少年の一文銭を鬼坂が踏みつけた行為(O’nisaka posa le pied dessus.)が窃取行為であって,それにより直ちに鬼坂が占有を取得し,既遂に達したと見るべきでしょう。

 

ウ 事後強盗

幸之助少年が自分の穴あき一厘銭(ma pièce d’un rin trouée)を返してくれと言ってきたのに対して窃盗犯・鬼坂は「あっちへ行け(Va-t’en.」と言うばかりで応じません。幸之助少年は泣き出します。これに対して鬼坂は,更に杖に手を伸ばし突然乱暴に立ち上がり,恐ろしい声で「失せやがるのが身のためだぞ!」と吠えたところ(Il étendit la main vers son bâton et se dressant brusquement tout debout, le pied toujours sur la pièce de cuivre, il cria d’une voix terrible: --- Veux-tu bien te sauver!),驚愕して鬼坂を見た幸之助少年は全身わなわなと震え出し,茫然自失,一目散に逃げ去ります(L’enfant effaré le regarda, puis commença à trembler de la tête aux pieds, et, après quelques seconds de stupeur, se mit à s’enfuir en courant de toutes ses forces sans oser tourner le cou ni jeter un cri.)。

これは,刑法238条の事後強盗でしょう。同条は,「窃盗が,財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために,暴行又は脅迫をしたときは,強盗として論ずる。」と規定しています。強盗は,5年以上の有期懲役に処されます(刑法236条1項。有期懲役の上限は20年(同法12条1項))。

なお,プティ・ジェルヴェ事件の際のジャン・ヴァルジャンのごとく,鬼坂も刑期を終えて間がなければ,再犯です(刑法56条1項「懲役に処せられた者がその執行を終わった日又はその執行の免除を得た日から5年以内に更に罪を犯した場合において,その者を有期懲役に処するときは,再犯とする。」)。再犯の場合,再犯加重で(刑法57条は「再犯の刑は,その罪について定めた懲役の長期の2倍以下とする。」と規定),当該事後強盗により,5年以上30年以内の範囲で懲役に処されることになります(同法14条2項は「有期の懲役又は禁錮を加重する場合においては30年にまで上げることができ,これを減軽する場合においては1月未満に下げることができる。」と規定)。

子供から小銭を奪って懲役30年とは,なかなか重いでしょうか。

 

(2)鬼坂の弁護

激発型の和歌山の暴れん坊将軍・鬼坂の弁護人としては,どのような弁護方針を採るべきか。

 

ア 裁判権の不存在

鬼坂が,例えば某国を代表する外交官たる閣下であれば,外交官特権を盾に,被疑者段階では身柄解放を要求し(外交関係に関するウィーン条約(昭和39年条約第14号)29条1・2文は「外交官の身体は,不可侵とする。外交官は,いかなる方法によっても抑留し又は拘禁することができない。」と規定),公訴が提起されたのなら公訴棄却の申立てをすることになるでしょう(同条約31条1項前段(「外交官は,接受国の刑事裁判権からの免除を享有する。」),刑事訴訟法338条1号。ただし,「刑訴法は,公訴棄却の裁判の申立権を認めていないのであるから,公訴棄却を求める申立は,職権の発動を促す意味をもつに過ぎず,したがつて,これに対して申立棄却の裁判をする義務はない」とされています(最決昭4572刑集247412)。)。

 

イ 可罰的違法性論

被害額が一厘にすぎず法益侵害が軽微であるとして無罪を主張すべきか。しかし,一厘事件判決(大判明431011刑録161620)は,行為が零細であり,かつ,危険性が無かったので,たばこ耕作者によるたばこ2.625グラムを手刻みとして消費した行為を葉煙草専売法(明治29年法律第35号)21条違反の犯罪を構成しないものとしたものと解されるのであって,前記鬼坂被告人の悪質な行為に危険性は無いとは「健全ナル共同生活上ノ観念」からして到底いえないでしょう。(また, 和歌山の幸之助少年の一厘銭がゴウライボーシ(カッパ)の変身したものであったなら, やはりその価値は零細であるとはいえません。)

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 かっぱ河太郎(東京都台東区合羽橋)
 東京では,「ゴウライボーシ」とは言わないようです。

 

ウ 示談

被害弁償をして示談で穏便に済ますことはできないか。しかし,富豪となった幸之助翁は,1厘の弁償金など歯牙にもかけず(明治17年の一厘銭は,筆者の行った古銭ショップでは45万倍の450円もしたのですが。),「国家国民の繁栄と世界平和の向上に寄与」することのない人にはもはや関心はないとて,鬼坂被告人に同情してはくれないのではないかと懸念されます。鬼坂被告人は,まず,「真に国家と国民を愛し,新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探求し,人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献」する人間にならなければなりません。

 

エ 占有離脱物との認識

鬼坂被告人は幸之助少年の当該寛永通宝一文銭を占有離脱物であるものとばかり思っていたという主張はどうでしょうか。占有離脱物横領ということになれば窃盗ではないので,窃盗犯が主体となる事後強盗とも関係がなくなります。東京高等裁判所昭和35年7月15日判決(下刑集2・7=8 989)は,午前8時頃の国鉄渋谷駅出札口横に置き忘れられたもののなお被害者の占有下にあると認められたカメラの持ち去り行為について,被告人は,窃盗の犯意ではなく,「遺失物横領の犯意でこれを持ち去つたものと認めるのが相当」と判示しています(なお,同判決は「刑法235条,第38条第2項,第254条を適用すべき」としていますが,これは客観的に窃盗罪を犯したのだから窃盗罪が成立し,科刑は刑法38条2項(「重い罪に当たるべき行為をしたのに,行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は,その重い罪によって処断することはできない。」)により占有離脱物横領罪のそれに限定されるということでしょうか。しかし,現在の考え方では,故意は占有離脱物横領なので,刑法254条に該当するということになります。(前田雅英『刑法総論講義[第4版]』(東京大学出版会・2006年)258頁参照)指定薬物を業として販売目的で陳列又は貯蔵していても,医薬品の陳列又は貯蔵の認識しかなければ,適用罰条は,医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律(昭和35年法律第145号)84条9号,24条1項であり,同法83条の9及び刑法38条2項は出て来ないわけです。)。

しかしながら,上記東京高等裁判所判決の事案は,原審の公判において,被告人が次のような供述をしていたような事案であったところです。

 

(問)女の人〔被害者〕がカメラを置いて行つたのは見なかつたか。

(答)見て居りません。

(問)被告人はその場にいた男の人に何と云つてカメラを持つて来たのか。

(答)これはあなたのカメラですかと尋ねたところ違うというので持つて行つたのです。

 

 幸之助少年が一厘銭を落とすところを鬼坂被告人が見ていたのであれば,当該一厘銭が幸之助少年の物であって,かつ,なおその占有下にあるという認識の存在は,なかなか争えないでしょう。

 

オ 不法領得の意思の不存在

鬼坂被告人が寛永通宝一文銭を踏みつけたのは,単に幸之助少年に意地悪をするためだけであって,「権利者ヲ排除シテ他人ノ物ヲ自己ノ所有物トシテ其経済的用方ニ従ヒ之ヲ利用若クハ処分スルノ意思」たる不法領得の意思(大判大4521刑録21663)は無かったのだ,という主張はどうでしょうか。「単タ物ヲ毀壊又ハ隠匿スル意思ヲ以テ他人ノ支配内ニ存スル物ヲ奪取スル行為ハ領得ノ意思ニ出テサルヲ以テ窃盗罪ヲ構成セサルヤ疑ヲ容レス」ということになり,校長を失脚させる目的で教育勅語の謄本等を持ち出して天井裏に隠匿する行為は窃盗には当たらないとされています(大判大4521)。なるほど。しかし,奪った一文銭でアメ玉を買って食べたり,古銭ショップに売りに行ったりしていては言い訳も難しくなるところです。ちなみに,寛永通宝は大量にあるので,古銭ショップでも安いです。

                                                     

カ 事後強盗としての脅迫の不存在

 事後強盗であるとの認定を阻止するために,鬼坂被告人が幸之助少年に吠えたといっても当該発言は刑法238条にいう脅迫には該当しない, と主張するのはどうでしょうか。

 

(ア)相手方の反抗を抑圧すべき程度の不足

“Veux-tu bien te sauver!”を「失せやがるのが身のためだぞ!」と訳したのは誤訳であって,本来の意味は「坊や,もう遅くなるからおうちに帰ろうね。」と優しく諭したにすぎない,すなわち,「恐怖心を生ぜしめる害悪の告知」(前田雅英『刑法各論講義[第4版]』(東京大学出版会・2007年)229頁)をしたものではないとはいえないでしょうか。しかし, 通訳人又は翻訳人の先生がムッとするでしょう(刑法171条参照)。申し訳ない。

事後強盗の成立に必要な「刑法第238条ニ所謂暴行ハ相手方ノ反抗ヲ抑圧スベキ程度ノモノタルヲ要スル」ので(大判昭1928刑集231。大東亜戦争に際し燈火管制中の愛媛県の畑における西瓜泥棒に係る事案。戦時刑事特別法(昭和17年法律第64号)5条1項により,戦時に際し燈火管制中事後強盗を犯すと死刑又は無期若しくは10年以上の懲役でした。),脅迫も相手方の反抗を抑圧すべき程度のものであることが必要です。しかしながら,銀行の「現金出納の窓口事務を担当していた女子行員の○○(当時23歳)に対し,その顔をにらみつけながら,「金を出せ」と語気鋭く申し向け」た脅迫について(当時被告人は「33歳の男性であり,身長が約167センチメートル,体重が58キログラム位という通常の体格であって,目つきが鋭いようにもみられ・・・トレーナーにトレーニングパンツという服装であった」。なお,凶器等は示していません。),「社会通念上一般的に判断しても,銀行の窓口で執務している女子行員の反抗を抑圧するに足りる程度のものであった」として強盗の手段としての脅迫に該当するものと認定されている事例があります(東京高判昭62914判時1266149)。夕暮れ時(… le soleil déclinait au couchant, allongeant sur le sol l’ombre du moindre caillou…),人気の無い和歌山の野中の道端で(C’était un lieu absolument solitaire. Aussi loin que le regard pouvait s’étendre, il n’y avait personne dans la plaine ni dans le sentier.),血のような夕日に真っ赤に照らされた兇悪な形相の鬼坂被告人が(Le soleil empourprait d’une lueur sanglante la face sauvage d’O’nisaka.),杖に手を伸ばし,立ち上がり,恐ろしい声で約10歳の少年に吠えたのですから,やはり当該状況においては,社会通念上一般的に判断しても反抗を抑圧するに足りる程度の脅迫であったものと判断されるようであります。和歌山県の人が,罵声を浴びせかけられることに対して特に慣れているということもないでしょう。

 

(イ)財物の取還防止等目的の不存在

 鬼坂被告人は,単に幸之助少年に対してムカついて吠えたのであって,財物を「取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪証を隠滅する」目的で吠えたものではない,との主張はどうでしょうか。私人による現行犯逮捕の際逮捕者からネクタイを引っ張りまわされた窃盗犯が当該逮捕者に対して暴行を加えた事案について,「右暴行は,主として逮捕を免れるために出た行為というよりも,主として憤激の念から出た行為と評価すべき余地があるといつてよく,このような場合,事後強盗の成立を認めるのは相当ではない。」とする裁判例があり(札幌地判昭4739刑月43516),多年浮浪者として生活し,無銭飲食で有罪判決を受け執行猶予中の被告人が,たらこ1パック(時価約432円)を万引きし,店の前の路上で警備会社社員の女性(当時55歳)から「呼び止められ「おじさん,まだ会計が終わってないでしょう。始めから見ていたんですよ。」などと詰問されたことに憤激し,「てめえこの野郎,俺に因縁をつける気か。俺もヤクザだ,ただじゃすまねえぞ。」などと怒鳴りながら,同女の着衣をつかんで振り回すなどして路上に転倒させた上,うつぶせに倒れた同女に馬乗りとなり,その頸部を両手で絞めつけるなどの暴行を加え」た事案について,「被告人の暴行は,もっぱら,女性から万引きを指摘され,詰問されたことに対する立腹に出たものとの疑いが強く,事後強盗にいう財物の取還を防ぎ,あるいは逮捕を免れるためであると断定するには疑問が残る」として,事後強盗の成立を認めなかった裁判例もあります(東京地判平827判時1600160)。鬼坂被告人が,ふだんからスピッツのようにキャンキャンやたら吠えまくる人物であるのなら,裁判官もなるほどなと思ってくれるかもしれません。しかし現実には,正に幸之助少年の財物取戻要求に対して鬼坂被告人は吠えたものでありました。

 

3 フランス刑法

 

(1)1810年ナポレオン刑法典

 ところで,本家『レ・ミゼラブル』のプティ・ジェルヴェ事件(1815年発生)に対する適用法条は,ナポレオン刑法典(1810年)の383条です(http://ledroitcriminel.free.fr/)。

 

 ARTICLE 383.

  Les vols commis dans les chemins publics, emporteront également la peine des travaux forcés à perpétuité.

 

  383

 公道で犯された盗犯についても〔前条〕同様に,無期懲役刑が科せられる。

 

 いきなり無期懲役とは,重いですね。

しかも,重罪(crime)に係る前科者(Quiconque, ayant été condamné pour crime)が無期懲役刑が科されるべき重罪を犯した場合には,死刑に処せられます(ナポレオン刑法典56条5項: “Si le seconde crime entraîne la peine des travaux forcés à perpétuité, il sera condamné à la peine de mort.”)。斬首(“Tout condamné à mort aura la tête tranchée.(同刑法典12条))。ジャン・ヴァルジャン危うし。

 

(2)1791年刑法典

ですから当時のフランスで,夜間パン屋の陳列窓のガラスを割って格子の間から手を入れてパン1個を盗んだだけで懲役5年に処せられるということも,さもありなんです。

 

Ceci se passait en 1795. Jean Valjean fut traduit devant les tribunaux du temps pour vol avec effraction la nuit dans une maison habitée.

…Jean Valjean fut condamné à cinq ans de galères.

 

 ジャン・ヴァルジャンが処せられたのは5年のgalèresですから,これは5年の漕役と訳すべきか,懲役と訳すべきか。また,事件が起きたのは1795年のことですから,公訴事実によるところの「損壊を伴い夜間住居内において犯された盗犯」に科される刑が当時どうなっていたかを調べるためには,1791年のフランス刑法典を見るべきことになります。

 1791年フランス刑法典第2編第2章第2節財産に対する重罪及び軽罪の第6条及び第7条は,次のようなものでした(http://ledroitcriminel.free.fr/)。

 

 Article 6

  Tout autre vol commis sans violence envers des personne, à l’aide d’effraction faite, soit par le voleur, soit par son complice, sera puni de huit année de fers.

 

 Article 7

  La durée de la peine dudit crime sera augméentée de deux ans, par chacune des circonstances suivantes qui s’y trouvera réunie.

  La première, si l’effraction est faite aux portes et clôtures extérieures de bâtiments, maisons ou édifices;

  La deuxième, si le crime est commis dans une maison actuellement habitée ou servant à habitation;

  La troisième, si le crime a été commis la nuit;

  …

 

 第6条

人に向けられた暴行を伴わず,盗犯犯人又はその共犯よってなされた損壊を利用して犯された他の全ての盗犯は,8年の鉄鎖刑によって処罰される。

 

第7条

上記の重罪の刑期は,次に掲げる事由であってそれに伴うものごとに,各2年延長される。

第1,損壊が,建物,家屋又は建造物の外側の門戸牆壁に対してされたとき。

第2,当該重罪が,人の現に居住し又は人の居住に供される家屋内において犯されたとき。

第3,当該重罪が,夜間犯されたとき。

〔第4及び第5は略〕

 

 ジャン・ヴァルジャンのパン泥棒に対する刑罰は,懲役5年どころか,本来は鉄鎖刑14年(第6条の8年に加えて,第7条の第1から第3までで各2年(小計6年)の刑期延長があって,合計14年)であるべきものだったのではないでしょうか。

 ちなみに,鉄鎖刑においては,片足に重り球が鉄鎖でつながれることになり(1791年フランス刑法典第1編第1章第1節第7条),かつ,受刑者は国家のための強制労働に服しました(同節第6条)。また,受刑前には6時間公衆の面前でさらし者です(同節第28条)。

 いずれにせよ,ここまで書いてきて,ジャン・ヴァルジャンのパン泥棒の刑期がどのようにして5年と決まったのかを探るのが,大きな調査課題として残ってしまいました。

1 南シナ海とサン・フランシスコ平和条約

 最近南シナ海関係のニュースが多いところですが,かつて南シナ海は,大日本帝国の海でもありました。

 先の大戦に係る我が国と連合国との間のサン・フランシスコ平和条約(日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)。1951年9月8日署名,1952年4月28日発効)2条(f)項には次のような規定があります。

 

 (f)日本国は,新南群島及び西沙群島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。

  (f)  Japan renounces all right, title and claim to the Spratly Islands and to the Paracel Islands.

 

 ここにいう新南群島(Spratly Islands)は,現在では南沙諸島といわれる島々です。

 

2 大日本帝国領たりし新南(南沙)群島

 新南(南沙)群島については,

 

19381223日,日本は新南群島の領土編入を閣議決定し,1939年3月30日,日本政府は台湾総督府令(第31号)により,新南群島を台湾高雄市の管轄区域に編入した。(国際法事例研究会『日本の国際法事例研究(3)領土』(慶応通信・1990年)64頁(川島慶雄))

 

 ということで,第1次近衛内閣末期の19381223日(当時は皇太子であった今上天皇の5歳の誕生日ですが,「この日皇太子は〔昭和天皇のもとに〕参内予定のところ,軽微な風気につき,用心のため取り止め」となっています(宮内庁『昭和天皇実録第七』(東京書籍・2016年)690頁)。)の閣議決定を経て,同月28日に新南群島は台湾総督府の管轄下に入れられています(『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年))。アジア歴史資料センターのウェッブ・ページにある「新南群島ノ所属ニ関スル件」一件資料によると,同月27日に当該閣議決定(外甲116)に対する昭和天皇の裁可があり,同月28日はそれに基づく指令がされた日です。当該裁可の日(1938年12月27日)に昭和天皇は,「午後,1時間余にわたり内大臣湯浅倉平に謁を賜」った後に,「午後3時より1時間10分にわたり,御学問所において外務大臣有田八郎に謁を賜い,新南群島の所属の件につき奏上を受け」ています(『昭和天皇実録第七』694頁)。
 その後昭和14年台湾総督府令第31号を経て,新南群島は,先の大戦における敗戦による喪失まで大日本帝国の領土だったのでした。

 

3 フランス帝国主義の野望の摧かれたる「支那に属する」西沙群島

 新南群島が大日本帝国の領土であったのならば,同じサン・フランシスコ平和条約2条(f)項にある西沙群島(Paracel Islands)も大日本帝国の領土であったのではないか,とつい考えたくなるところです。インターネット上には,そのような推論からか,西沙群島はかつて大日本帝国の領土であったとの主張を掲載するウェッブ・ページも散見されます。しかしながら,考え過ぎでしょう。「西沙群島につきましては,いまだかつて日本は領土的主権を主張したことはございません。」とされています(1951年10月17日の衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における西村熊雄政府委員(外務省条約局長)の説明(第12回国会衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会議録2号11頁)。同月26日の参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における同政府委員の説明も同旨(第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録4号3頁))。むしろ,

 

  1938年7月4日,フランス政府は突然この群島〔西沙群島〕の決定的かつ完全な先占を日本政府〔第1次近衛内閣。宇垣一成外務大臣〕に通知した。これに対し,日本政府は同年7月12日付口上書で,「帝国政府としては西沙島の主権が支那に属するものと従来の見解を何ら変更するの必要及理由を認めず」と回答した。(国際法事例研究会6667頁(川島))

 

とされています。支那事変中であっても,「支那に属するもの」である西沙群島はなお「支那に属する」というのが我が国の立場であったようです。したがって,フランス帝国主義に対する姿勢は,厳しい。「194111月1日,駐日仏大使〔Charles Arsène-Henry〕より日本商社が西沙群島において現に実施しつつある燐鉱採掘事業を拡張する際には,〔仏領〕インドシナ官憲の許可を受けるよう申し入れたが,日本政府〔東条英機内閣。東郷茂徳外務大臣〕はフランスの同群島に対する主権を認めない以上,許可を受けるべき筋合のものではないとの回答」を行っています(国際法事例研究会67頁(川島))。1951年11月6日の参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会においても,草葉隆圓政府委員(外務政務次官)は,西沙群島について「日本政府はむしろこれを中国の領有ではないかということの意見を持つて参つた土地であります。」と答弁しています(第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録11号2頁)。

 それでは,サン・フランシスコ平和条約2条(f)項になぜ西沙諸島が入ったのかといえば,「アメリカ原案には,同群島についての記載はなかったが,フランスの主張によるものであろうが,最終案では日本は同群島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄するものとされ,同条約第2条(f)の規定となった。」とされています(国際法事例研究会67頁(川島))。フランス式心配の産物であったようです。1940年9月23日の我が軍の北部仏印進駐(第2次近衛内閣),1941年7月28日の南部仏印進駐(第3次近衛内閣),1945年3月9日の我が軍による仏領インドシナのフランス軍武装解除,更にヴェトナムにおけるバオ・ダイ政権の成立という一連の歴史の流れにおいて,フランスは,我が国にいじめられ続けて参っていたのでしょう。
 サン・フランシスコ平和条約2条(f)項では,日本は西沙群島に対する「すべての権利,権原及び請求権」を放棄するものとされていますが,実際には,専ら「西沙群島に対します一種の日本の立場」が「請求権」なるものとして放棄されるものと理解されていたようです(1951年11月5日の参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における西村政府委員の答弁(第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録10号26頁)参照)。「この最後の請求権は,財産的請求権という意味ではなく,領有関係の主張と申しましようか,そういうものを放棄させる趣旨でございます。」ということでした(同日の同委員会における同政府委員の答弁(同会議録同頁))。
 なお,1939年1月には,日本政府が天皇の勅裁を得て西沙群島の占領を決定したとの噂が欧州で立っていたようです。アジア歴史資料センターのウェッブ・ページにある内閣情報部の〔昭和〕14・1・30付けの情報第11号では,同盟通信からの来電(不発表)として「ロンドン27日発/日本政府は西沙諸島占領を計画中であり,既に旧臘〔1938年12月〕28日勅裁を仰いだとの風評もあるが,英国外交筋では日本軍の西沙島占領はあり得まいと見てゐる。」との情報を紹介しています。しかし,そもそも内閣情報部が付したのであろうその「情報」の表題の「西沙島占領決定説」において「西沙島」のルビが「パラセル」ではなく「プラタス」(東沙)となっているところがお粗末ではありました。 

 

4 新南群島領有までのフランス帝国主義との争い

 新南群島の領有は,無主地であったものを我が国が占領して領土に編入したという形式でされたのですが,そこでもやはり,フランス帝国主義との争いがありました。

 

  1933年7月24日,フランス政府は在仏日本大使館宛公文をもってスプラトリー島〔新南群島の西鳥島〕および他の5島の主権は今後フランスに属する旨を通知した。その理由はスプラトリー島は1930年4月,その他の島は1933年4月にフランス海軍が占領したことによるということにあった。(国際法事例研究会64頁(川島))

 

新南群島は,「1915(大正4)年,日本人平田末治が発見し,自ら平田群島と命名して,燐鉱石採集および漁業を経営した。」ものとも伝えられ(国際法事例研究会63頁),「1917~18年頃から,日本人がこの群島を踏査するようになり」,1921年にはラサ島燐鉱株式会社が政府の承認援助の下に燐鉱採掘に着手していましたが(「新南群島」は同社の命名による。),1929年4月に同社は経済不況のため操業を中止し,全員日本内地に引き揚げていたところです(国際法事例研究会63‐64頁(川島)参照)。(ただし,新南群島の領土編入に係る1938年12月23日の外甲116閣議決定書には上記の1915年に平田末治が発見して云々ということに係る記載は無く,「・・・新南群島ハ従来無主ノ礁島トシテ知ラレ大正6年〔1917年〕以降本邦人ハ外国人ガ全然之ヲ顧慮セザル前ニ於テ之ニ巨額ノ資本ヲ投下シ恒久ノ施設ヲ設ケテ帝国政府ノ承認及援助ノ下ニ其ノ開発ニ従事シ居リタル次第ナル処・・・」と,1917年以降の邦人の活動のみが言及されています。国際法事例研究会の本は,三田の慶応通信株式会社発行という慶応ブランドを背負ったものなのですが,「慶応」というだけで安心していいものやらどうやら。なかなか新南群島に係る「平田発見説」を伝える他の文献が見つかりません。というよりむしろ,国立国会図書館デジタルコレクションにある台湾高雄市湊町の平田末治述『最近の国情に鑑み特に青年諸君に寄す』(平田末治(非売品)・1936年4月)の表紙の地図を見れば,平田群島と新南群島とは別物で,西沙群島が平田群島とされていました。)

フランスは,ラサ島燐鉱株式会社の操業中止の隙に占領を試みたようです。

 

  これに対し,駐仏日本代理大使は,同群島〔新南群島〕はこれまで無主地であったところを日本が継続的に占領および使用したものであり,目下事業を一時中断しているが,日本政府の同群島に対して有する権原および利益は尊重されるべきであり,これに反してフランス政府の今回の先占宣言は国際法上実効的占有の完了を伴っていないと抗議し,その後も日仏間に同群島の帰属をめぐって応酬があった。(国際法事例研究会64頁(川島))
 

その後前記1938年12月23日の外甲116閣議決定書においては,「・・・而シテ昭和11年〔1936年〕本邦人ガ再ビ同群島〔新南群島〕ニ於テ開発ニ従事スルヤ仏国政府ハ之ニ対シ数次本件島嶼ニ於ケル仏国ノ主権ヲ主張シ最近ニ及ンデハ商船ヲ同島ニ派遣シ施設ヲ構築スル等我方ノ勧請ヲ無視シテ著々同島ノ占領ヲ実効的ナラシメントシツツアリ帝国政府ニ於テハ此ノ事態ニ深ク稽〔かんが〕ヘ各般ノ措置ヲ講ジテ同島ノ占有ヲ確保スルニ遺憾ナキヲ期シタル次第ナルガ仏国政府ノ飜意ノ絶望トナリタルニ鑑ミ帝国政府従来ノ権原ヲ明ニシ仏国政府ノ高圧策ニ対抗スルノ建前ヨリシテ此ノ際仏国ガ領土権ヲ主張スル諸島及右ト一連ノ新南群島諸島ガ帝国ノ所属タルコトヲ確定スルコト必要トナレリ」と述べられています。
 新南群島の大日本帝国編入に際しては,「その旨をフランスはじめ関係諸国に通告したが,フランスはもとより,英,米などの諸国もこれに抗議した。」とされています(国際法事例研究会
65頁(川島))。当時の中華民国政府からの抗議はなかったものでしょうか。

 

5 先の大戦後の台湾及び新南群島と日本国と中華民国との間の平和条約

とはいえ新南群島は,台湾の一部(高雄市所属)とされていたので,先の大戦後には,その命運を台湾と共にしたようです。蒋介石としては,お芋の形の台湾を取り返したら,その尻尾の先にフランス帝国主義から守って大日本帝国が育てた遺産の新南群島が付いていた,というような感じだったでしょうか。

 

 台湾は,第二次大戦末期1945年2月にフィリピンを掌握した米軍がここを素通りして4月に沖縄に上陸したこともあってか,9月2日の連合国最高司令官の一般命令第1号の占領地域分配では,蒋介石に授権された。1025日には受降典礼が行われ,中国は「台湾澎湖列島の日本陸海軍およびその補助部隊の投降」を受け「台湾澎湖列島の領土人民に対する統治権,軍政施設並びに資産を接収」し,同日より「台湾および澎湖列島は正式に中国の版図に再び入り,すべての土地,人民,政治はすでに中華民国国民政府の主権下におかれた」と声明した。こうして中華民国は台湾の自国編入措置を国内法的に完了させ,台湾をその一省とした。日本統治時代の州は県に改称され,台湾の一部に編入されていた新南(南沙)群島は切り離され,広東省に編入された。日本は対日平和条約において,帰属先を明示しないまま,単に「台湾及び澎湖諸島」と「新南群島」に対するすべての権利,権原および請求権を「放棄」した。そして,この放棄は1952年の日華平和条約によって「承認」された。日本の判例はこれにより台湾が中華民国に譲渡されたと解する(最判,昭3712月5日)・・・。(国際法事例研究会2728頁(芹田健太郎))

 

 日本国と中華民国との間の平和条約(昭和27年条約第10号。1952年4月28日台北で署名,同年8月5日発効)2条は,「日本国は,1951年9月8日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約(以下「サン・フランシスコ条約」という。)第2条に基き,台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄したことが承認される (is recognized)。」と規定していました。

 外国人登録法違反被告事件に係る昭和3712月5日の最高裁判所大法廷判決(刑集16121661頁)においては,「日本の国内法上台湾人としての法的地位をもつた人・・・は,台湾が日本国と中華民国との間の平和条約によつて,日本国から中華民国に譲渡されたのであるから,昭和27年8月5日同条約の発効により日本の国籍を喪失したことになるのである。」と判示されています。最高裁判所の当該多数意見に基づき考えれば,新南(南沙)群島は,日本国と中華民国との間の平和条約によって1952年8月5日に我が国から中華民国に譲渡されたことになるようです。(しかし,この最高裁判所的解釈は,外務省の心知らずというべきでしょう。表立ったものではありませんが(with no publicity)1952年5月に日本とフランスとは外交当局間で書簡を交換しており,そこにおいて岡崎勝男外務大臣は,日本国と中華民国との間の平和条約2条はサン・フランシスコ平和条約2条(f)項によって含意されたもの以外の特別な意義又は意味(special significance or meaning)を有するものと解釈されるべきではないとのフランス側の理解に同意しています(Tønneson, Stein. “The South China Sea in the Age of European Decline.” Modern Asian Studies 40.1 (2006): 43)。)

 普通は,領土の変更は,国際条約に基づくものでしょう。日本国と中華民国との間の平和条約も,最高裁判所によって(外務省の心はともかくも)領土の変更の原因となる国際条約であるものと考えられたのでしょう。

 

 領土ノ変更ハ国際条約ニ依リテ生ズルヲ普通トス。国際条約ノ外ニ新領土取得ノ原因トシテハ無主地ノ占領ヲ挙グルコトヲ得ベク〔モ〕・・・無主地ハ今日ニ於テハ殆ド其ノ跡ヲ絶チ・・・領土変更ノ通常ノ原因ハ専ラ国際条約ニ在リト謂フコトヲ得。(美濃部達吉『改訂憲法撮要』(有斐閣・1946年)126頁)

 

ただし,奥野健一裁判官は,前記最高裁判所昭和3712月5日判決に係る補足意見で,「私見によれば,わが国はポツダム宣言受諾により台湾等の領土権を放棄したものであり,日本国との平和条約及び日本国と中華民国との間の平和条約は,何れもこれを確認したものと解する。従つて本来の台湾人及びその子孫はわが国がポツダム宣言を受諾した時から,日本国籍を離脱したものと解すべき」と述べています。この点は,美濃部達吉も同様であったようで,1946年8月段階で,「台湾及澎湖列島ハ関東州租借地ト共ニ支那ニ復帰シ,朝鮮ハ独立ノ国家トナリ,樺太ハ蘇聯邦ニ帰属シ,南洋群島ハ米国ノ占領スル所トナリタリ。」と述べています(美濃部・撮要125頁)。「第三国人」とは「敗戦後の一時期,在日朝鮮人・同中国人を指して言った語」と定義されていますが(『新明解国語辞典 第五版』(三省堂・2002年)),これら美濃部枢密顧問官=奥野裁判官的なポツダム宣言の解釈(ポツダム宣言受諾物権行為説ともいうべきでしょうか。)に基づき生まれた言葉でしょうか。これに対して,後になってからの前記最高裁判所の多数意見(そこでは,同裁判所の判例(昭和36年4月5日大法廷判決・民集15巻4号657頁)は「日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位をもつた人は,日本国との平和条約発効により,日本の国籍を喪失したものと解している。」とも述べられています。)によれば,日本の国内法上で朝鮮人又は台湾人としての法的地位をもった人については,日本国との平和条約又は日本国と中華民国との間の平和条約の発効(それぞれ1952年4月28日,同年8月5日)前は,なお日本国籍が保持されていたようです。(朝鮮人としての法的地位をもった人と台湾人としての法的地位をもった人とで日本国籍の喪失の時期が違うのは,サン・フランシスコ平和条約2条(a)項では「日本国は,朝鮮の独立を承認」しているのに対して,同条(b)項は台湾及び澎湖諸島の独立を承認してはいないからでしょう。すなわち, 次のような考え方に由来するものでしょうか。いわく,「無人地を抛棄するのは,何人の権利をも侵害するものではないから,敢て立法権の行為を必要とすべき理由は無い」一方,「之に反して現に臣民の居住して居る土地を抛棄することは之を独立の一国として承認する場合にのみ可能であつて,之を無主地として全く領土の外に置くことは,憲法上許されないところと見るのが正当である。何となれば臣民は国家の保護を要求する権利を有するもので,国家は之をその保護から排除することを得ないものであるからである」(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)83頁)。)とはいえ,占領下の実際にあっては,「連合国総司令部の覚書は,あるいは朝鮮人を外国人と同様に取扱い,あるいは「非日本人」という言葉のうちに朝鮮人を含ませ,あるいは「外国人」という言葉のうちに朝鮮人を含ませていた」そうです(上記最判昭和36年4月5日)。なお,「連合国総司令部の覚書に基いて発せられた日本政府の「外国人登録令」〔昭和22年5月2日勅令第207号〕は,朝鮮人を当分の間外国人とみなし,これに入国の制限と登録を強制した」そうですが(上記最判昭和36年4月5日。外国人登録令11条1項は「台湾人のうち内務大臣の定めるもの〔外国人登録令施行規則(昭和22年内務省令第28号)10条によれば「台湾人で本邦外に在るもの及び本邦に在る台湾人で中華民国駐日代表団から登録証明書の発給を受けた者のうち,令第2条各号に掲げる者〔連合国軍又は外交関係者〕以外の者」〕及び朝鮮人は,この勅令の適用については,当分の間,これを外国人とみなす。」と規定),そこでは「みなす」が効いていて,台湾人及び朝鮮人は,なお完全に外国人ではないものとする認識が窺われます。

ちなみに,新南群島がそうであった無主地の領土編入の法形式については,「領土ノ変更ノ為ニ議会ノ議決ヲ経タルコトナシ。事実上ノ占領ニ依リ無主地ヲ領土ト為ス場合ハ条約ニ依ルニ非ズト雖モ,此ノ場合ニ於テモ毫モ臣民ノ自由ヲ制限シ又ハ其ノ権利ニ影響スルモノニ非ザルガ故ニ,法律ヲ以テスルヲ要スル理由ナク,天皇ノ大権ニ依リテ之ヲ為スコトヲ得。其ノ形式ニ於テハ必ズシモ勅令タルヲ要セズ」と説かれていました(美濃部・撮要129頁)。

 

6 日仏友好:Vive la France!

我が外務省のウェッブ・ページによれば,2015年6月7日にドイツのエルマウで安倍晋三内閣総理大臣とオランド・フランス大統領との間で日仏首脳会談があり,その席で安倍内閣総理大臣が「南シナ海では中国による埋め立てが急速に進展しており,この点について懸念を共有したい」と述べたところ,オランド大統領は「南シナ海の状況について懸念を共有する,安全,平和の確保のためには,力ではなく対話による解決が重要である」と答えたそうです。麗しい日仏関係です。

無論,オランド大統領は,「我がフランスによるパラセル(西沙)群島及びスプラトリー(南沙)群島の領有の邪魔をして,その結果としてはChineの南シナ海進出の露払いのような形になり,さらには力を用いて我が仏領インドシナの解体をもたらしたのはどこのどの国だったっけ。本来南シナ海は,フランス文明の海になるはずだったんだぞ。」などと考える意地悪な人ではないはずです。(なお,我が外務省には当然フランス贔屓の人々がいて,前記の1933年7月のフランス政府によるスプラトリー島等に係る領有宣言に関して,同月25日パリ発の在仏長岡大使より内田外務大臣宛の電報においては,「・・・仏国ノ領有ハ米国ニ帰属スルニ比シ遥ニ好都合ト存スルニ付若シ右諸島中本邦トノ経済関係上何分留保スヘキモノアラハ此ノ際之ニ対スル保障ヲ取付ケ且同島ノ軍事施設ニ付華府〔ワシントン〕条約適用ヲ見ルヘキモノナルコトヲ明カニシタル上承認セラルルコト然ルヘキヤニ存ス」と,フランスの領有を認めるべきものとする意見具申がされていました(『日本外交文書 昭和期Ⅱ第2部第2巻(昭和8年対欧米・国際関係)』929頁)。サン・フランシスコ平和条約の承認を求めるための参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における説明においても,西村政府委員(外務省条約局長)は「新南群島は1939年,日本が一方的に台湾の高雄市の管轄に属せしめた地域であります。その群島につきましては1933年以来,日本とフランスの間にいわゆる先占権について紛争があつて遂に外交上妥結に達しないで,日本のほうで一方的に領域変更の措置をとつた経緯がある地域であります。」と述べており(下線は筆者。第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録4号3頁),何やらフランスに同情的な雰囲気がにじんでいました(同政府委員は,この後パリで駐仏大使を務めます。)。2005年段階において,フランスはなお,スプラトリー群島に係る領有権の主張を公式には放棄していないようであると報告されています(Tønneson: 56)。)

ちなみに,日本軍進駐下の仏領インドシナの獄中にいたフランス人ピエール・ブールが後に書いた有名なSF小説が,『猿の惑星』でした。

  少々遅れましたが,明けましておめでとうございます。

 今年の初記事です

 また長々しいものになってしまいました。しかし,あえて開き直ってしまえば,生産性の高い一年の幕開けにふさわしい,ということではありましょう。


1 はじめに

 大陸軍(ダイリクグン)をもってヨーロッパを席捲したフランス皇帝ナポレオン1世(1769815日生まれ,18215551歳で没)には,複数の子どもがあったと伝えられています。(他方,大西洋の彼方のタイリクグンを率い,後にナポレオンの仇敵となるイギリスを相手に独立戦争を戦ったアメリカ合衆国のワシントン大統領には子どもは生まれませんでした。)

 公式には,皇后ジョゼフィーヌとの離婚後1810年に再婚したオーストリア皇女マリー・ルイーズとの間に生まれた夭折の嫡男ナポレオン2世(ローマ王,ライヒシュタット公。1811320日生まれ,183272221歳で没)の存在が認められているだけです。しかしながら,ナポレオンには,その他幾人かの「隠し子」があったところです。

 これらの子どもとナポレオンとの「父子」関係を,ナポレオンが自らの名の下に公布した1804年のフランス民法典(以下「ナポレオンの民法典」)を仏和辞書片手に参照しつつ,見てみることとしましょう。フランス法については門外漢であるとはいえ,ナポレオンの民法典における具体的な規定が,その後ヨーロッパ大陸法を継受して形成された我が国の民法の関係諸制度にどのような影響を与えているのかは,日本の法律家として,いささか興味のあるところです。

画像 002

立法者ナポレオン,Hôtel des Invalides, Paris

(ナポレオンの右手は「ローマ法/ユスティニアヌスの法学提要」を,左手は「ナポレオン法典/万人に平等かつ理解可能な正義」を指す。足下の言葉は「私の一箇の法典が,その簡明さによって,先行するすべての法律の総体よりも多大な福祉をフランスにもたらした。」)



2 実子かつナポレオンの嫡出子:ナポレオン2世 

 まず,ナポレオン2世。

 ナポレオン2世には,ナポレオンの民法典の「第1編 人事」,「第7章 父性(paternité)及び親子関係(filiation)」,「第1節 嫡出ないしは婚内子(enfans légitimes ou nés dans le mariage)の親子関係」(第312条から第318条まで)における次の規定がそのまま適用になります。



3121

 婚姻中に懐胎された子は,夫を父とする。

L'enfant conçu pendant le mariage, a pour père le mari.


 これは,我が民法7721項が「妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。」として,慎重な規定ぶりになっているのと比べると,子を主語とした,堂々たる原則宣言規定になっています。

 (なお,我が民法の規定からは,嫡出子は妻と「夫との性的交渉によって懐胎された子でなければならない」(我妻栄『親族法』(1961年)214頁)のが原則であるということになるようです。これに対して,「嫡出親子関係に関する限り,フランス法の出発点は『人為』にあり,『自然』は『人為』の枠の中で一定の役割を占めるに過ぎない」とされています(大村敦志『フランス民法―日本における研究状況』96頁)。ちなみに,明治23年法律第98号として公布されながら施行されないまま廃止された旧民法人事編911項は,ナポレオンの民法典3121項と同様「婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子トス」と規定していました。)

 ナポレオンとマリー・ルイーズとのパリでの結婚式は18104月のことだったそうですから,マリー・ルイーズがナポレオンとの婚姻中にナポレオン2世を懐胎したことについては問題はありません(妊娠期間はおおよそ9箇月)。2世は,1世の嫡出の子です。

 なお,わが民法7722項の「婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。」との規定に対応する規定は,ナポレオンの民法典では次のようになっています。



314

 婚姻から180日目より前に生まれた子は,次の各場合には,夫によって否認され得ない。第1,同人が婚姻前に妊娠を知っていた場合,第2,同人が出生証書に関与し(s'il a assisté à l'acte de naissance),かつ,当該証書が同人によって署名され,又は署名することができない旨の同人の宣言が記されている場合,第3,子が生育力あるもの(viable)と認められない場合。


315

 婚姻の解消から300日後に生まれた子の嫡出性は,争うことができる。


 なお,l'acte de naissance「出生証書」ではなく,「出生届」としたくもなったところですが,我が旧民法の規定から推すに,同法の母法国であるフランスにおいては,出生の届出があると証書(acte)が身分取扱吏の関与の下で作られるとともに,身分登録簿(le registre de l'état civil)に登録(inscrire)されていたもののようです。すなわち,旧民法によれば,出生があれば「届出」がされ(旧民法人事編95条,99条参照),当該「出生・・・ハ身分取扱吏ノ主管スル帳簿ニ之ヲ記載ス可」きものであるところ(同289条),その「帳簿ニ記載シタル証書ハ公正証書ノ証拠力ヲ有」するものとされ(同2901項本文),また,「身分取扱吏ノ詐欺若クハ過失ニ因リテ証書ヲ作ラサリシトキ」があるもの(同291条)とされている一方,本人は,出生証書を婚姻等の場合に提出すべきものとされていたところです(同441号等)。


3 実子であるが他の男性の嫡出子:アレクサンドル及びジョゼフィーヌ


(1)アレクサンドル・ヴァレウスキ伯爵

 ナポレオンの隠し子で最も有名なのは,ポーランド生まれで,後にナポレオン3世の政府の外務大臣にもなったアレクサンドル・ヴァレウスキ伯爵(181054日生まれ)でしょう。甥の3世よりも息子の方が当然1世によく似ているので,ヴァレウスキ家の外務大臣がボナパルト家の皇帝と勘違いされることも間々あったとか。ちなみに,1858年の日仏修好通商条約の締結は,アレクサンドル・ヴァレウスキ外務大臣時代の出来事です。

 さて,アレクサンドルの母親は,マリア・ヴァレウスカ。しかし,マリアは,1807年の初めポーランドでナポレオンに出会った当時既に,同地の貴族であるヴァレウスキ伯爵の妻でした。すなわち,アレクサンドルは,母マリアとヴァレウスキ伯爵との婚姻中に懐胎された子です。

 アレクサンドルが生まれた当時のポーランド(ワルシャワ大公国)における民法がどのようなものであったかはつまびらかにできないのですが,ナポレオンの民法典に則って考えると,前記3121項(同項の原則によれば,アレクサンドルの父は母の夫であるヴァレウスキ伯爵になる。)のほか次の条項が問題になります。



3122

 しかしながら,夫は,子の出生前300日目から同じく180日目までの期間において,遠隔地にいたこと(éloignement)により,又は何らかの事故により(par l'effet de quelque accident),その妻と同棲(cohabiter)することが物理的に不可能であったこと(l'impossibilité physique)を証明した場合には,その子を否認することができる。


313

 夫は,自己の性的不能(son impuissance naturelle)を理由として,子を否認することはできない。夫は,同人に子の出生が隠避された場合を除き(à moins que la naissance ne lui ait été cachée),妻の不倫を理由としても(même pour cause d'adultère)その子を否認することはできない。ただし,上記の場合においては,夫は,その子の父ではないことを理由づけるために適当なすべての事実を主張することが許される。


316

 夫が異議を主張(réclamer)することが認められる場合には,同人がその子の出生の場所にあるときは(s'il se trouve sur le lieux de la naissance de l'enfant),1箇月以内にしなければならない。

 出生時に不在であったときは,帰還後2箇月以内にしなければならない。

 同人にその子の出生が隠避されていたときは,欺罔の発見後2箇月以内にしなければならない。


 ヴァレウスキ伯爵がアレクサンドルの嫡出を否認することができた場合(アレクサンドルの出生は伯爵に隠避されていなかったようですから,ナポレオンの民法典313条ではなく3122項が問題になるのでしょう。また,マリア夫人は長くポーランドの家を離れてナポレオンと一緒にいたようです。)であっても,最短では, 181064日までに否認しなかったのであれば(同法典3161項参照),ことさら「認知」をするまでもなく,アレクサンドルの父はヴァレウスキ伯爵であると確定したわけです。


(2)モントロン伯爵令嬢ジョゼフィーヌ

 ナポレオンは,皇帝退位後も,別の機会に人妻に子を産ませています。

 1815年にセント・ヘレナ島に流されたナポレオンに,同島においてなおも仕えた側近の中に,モントロン伯爵夫妻がありました。その間無聊をかこつナポレオンとモントロン伯爵夫人との間には,一人の女児が生まれています。しかし,幼女ジョゼフィーヌ(1818126日生まれ,1819930日没)の父が,ナポレオンの民法典によれば,母の夫であるモントロン伯爵であることは,動かせないでしょう。

 すなわち,ジョゼフィーヌの出生はモントロン伯爵に隠避されていたわけではなく(ナポレオンの民法典313条参照),モントロン伯爵夫妻はどちらも狭いセント・ヘレナ島で生活していたのですから,「同棲することが物理的に不可能であった」わけでもないところです(同法典3122項参照)。したがって,夫であるモントロン伯爵による否認はできず,「婚姻中に懐胎された子は,夫を父とする。」とするナポレオンの民法典第3121項の原則が貫徹するのでしょう。


4 実子であるが「父が不在である子」:シャルル・レオン

 180612月(出生日は,インターネット上では,13日,15日等あって十分一定していません。)にエレオノール・ドゥニュエルから生まれたシャルル・レオンの場合は,法律の適用関係がどうなっていたのかまた難しいところです(なお,Léonというのは,Napoléonの最後の4文字ですね。。シャルル・レオンの身分登録簿には,母はエレオノール・ドゥニュエルであるが,父は不在(absent)として登録されていた(officiellement inscrit)とされています(La Fondation NapoléonのサイトにあるHenri Ramé氏による記事)。


(1)母の前夫の嫡出子とされる可能性

 ところで,実は,エレオノール・ドゥニュエルは1806429日に離婚が成立するまでは,ルヴェルという男の妻であったところです。

 通常の妊娠期間の長さから考えると,ルヴェルとの離婚の前にシャルル・レオンが懐胎されたのでしょうから,前記のとおり,ナポレオンの民法典の第3121項(また,同法典315条参照)によれば,シャルル・レオンはルヴェルの嫡出の子となるのが順当であったところです。どうしたものでしょう。

 とはいえ,実は,シャルル・レオンが懐胎されたころには,母エレオノール・ドゥニュエルの夫であるルヴェルは詐欺罪で収監されていたようですから(夫の収監で困ったエレオノールは,そこで,ナポレオンの妹であるカトリーヌの「朗読係」をすることになっていたわけです。),ナポレオンの民法典3122項に基づき,ルヴェルからシャルル・レオンが子であることを否認することは可能ではあったわけです。しかし,そのような訴訟沙汰が本当にあったものかどうか(なお,ナポレオンの民法典318条によれば,夫が訴訟外で子の否認をしても,1箇月内に訴え(une action en justice)を提起しなければ効力のないものとされています。)。いろいろと面倒ではなかったでしょうか。


(2)嫡出でない子の場合


ア ナポレオンによる認知に対する障害

 フランスにおける身分登録の手続に関する実際の詳細に立ち入るのはまた大変ですから,取りあえず,シャルル・レオンは,改めてルヴェルの嫡出子とされる可能性はないものと考えましょう。すなわち,シャルル・レオンは,婚姻外(hors mariage)で生まれた,嫡出でない子(enfant naturel)であるものとしましょう。

 その場合,ナポレオンによるシャルル・レオンの認知のいかんが次の問題になります。

 ナポレオンの民法典第1編第7章の「第3節 嫡出でない子」,「第2款 嫡出でない子の認知」(第334条から第342条まで)における第334条は,認知の手続について次のように規定しています。



334

 嫡出でない子の認知は,その出生証書においてされていなかった場合は,公署証書によって(par un acte authentique)されるものとする。


 一見単純です。しかしながら,1806年当時,ナポレオンにはジョゼフィーヌという正妻がいたところです。したがって,ナポレオンの民法典の次の条項の存在は,ナポレオンによるシャルル・レオンの認知の障害となったものでしょう。

 


335

 近親間又は不倫の関係から生まれた子(enfans nés d'un commerce incestueux ou adultérin)のためには,認知をすることができない。


 さすがに,皇帝陛下の不倫行為を示唆してしまうような身分登録はまずかったわけでしょう。


イ 「父の捜索」の否定

 同様に,エレオノール・ドゥニュエルの子であるシャルル・レオンから,ジョゼフィーヌという正妻のいるナポレオンに対して認知を求めることもできなかったところです。ナポレオンの民法典の次の条項は,このことを明らかにしています。



342

 第335条により認知が許されない場合においては,子は,父の捜索をすることも母の捜索をすることも許されない。


 ちなみに,母子関係は母の認知をまたず分娩の事実によって発生するとするのが我が国の判例(最判昭37427民集1671247)ですが,これに対して,民法の条文の文言どおり母の認知を要するものとする谷口知平教授の説は「母の姦通の子や未婚の子が虚偽の届出または棄児として,身分をかくそうとしている場合に,第三者から出生の秘密をあばくことは許さるべきではない。子の朗らかな成人のためにその意思を尊重し,母または子のいずれかの発意と希望があるときにのみ母子関係を認むべきだ」ということを実質的な根拠の一つとしているものとされているところ,当該谷口説を,我妻教授は,「虚偽の出生届を公認してまで,人情を尊重すべしとの立場には賛成しえない」,谷口「教授の懸念されることは,社会教育その他の手段によって解消すべきもの」と批判していたところです(我妻『親族法』248-249頁)。我妻教授は「非嫡出子と母との関係は,その成立についても,成立した関係の内容についても,嫡出子と区別しない,というのが立法の進路であり,その途に横たわる障害については合理性を見出しえない」として,フランス民法よりもドイツ民法・スイス民法(いずれも当時のもの)を評価して(同232頁,234頁)上記判例を先取りする説を唱えていました。

 しかしながら,ナポレオンの民法典については,その第335条との関係からして,「人情」論を別としても,認知を介さずに分娩の事実のみから直ちに母子関係を認めるものとすることに対するためらいが,立法者においてあったのではないでしょうか。

 なお,そもそもナポレオンの民法典340条が,「父の捜索は許さず」の原則を明らかにしていたところです。



340

 父の捜索は禁止される(La recherche de la paternité est interdite.)。かどわかし(enlèvement)の場合においては,当該かどわかしの時期が懐胎の時期と符合するときは,利害関係者の請求により,かどわかしを行った者(ravisseur)を子の父と宣言することができる。


 この規定と「同一」(我妻『親族法』233頁)とされるのが,我が民法施行前の,次に掲げる明治6年太政官21号の布告です(1873118日)。



妻妾ニ非サル婦女ニシテ分娩スル児子ハ一切私生ヲ以テ論シ其婦女ノ引受タルヘキ事

 但男子ヨリ己レノ子ト見留メ候上ハ婦女住所ノ戸長ニ請テ免許ヲ得候者ハ其子其男子ヲ父トスルヲ可得事


 父に対する認知請求権は,フランス革命時代に否定されるに至ったものとされますが,その理由としては,「革命以前にこの請求権が濫用されたこと」のほか,「平等の理想の他に,男女関係において,愛情とそこに向かう意思を尊重した(離婚の自由もそこから出てくる)」フランス革命時代において,「親子関係においても同様に血のつながりでなく,父としての愛情とそのような父になる意思が父子関係の基礎であると考えた」当該時代の法律家の「奇妙な論理」が挙げられています(星野英一『家族法』(1994年)112-113頁)。「通常生理的な父は子に対して愛情を持ち,父となる意思を持つが,そうでない場合には,父たることを強制することはできない」とされたわけです(同)。


(余話として)「司馬遼太郎の『歳月』の謎の読み方」補遺

 なお,明治6年太政官21号の布告は江藤新平司法卿時代のものですが,当該布告では妾(「妻妾」の「妾」)が公認されていたことになります。

 以前御紹介した司馬遼太郎の『歳月』には,江藤司法卿がフランスからの御雇外国人ブスケと「蓄妾問答」を行った場面があり,そこでは,ブスケとの議論に負けて妾の制度を「民法に組み入れる思案をすてた以上,江藤の法家的気分からいえば積極的にこの蓄妾の風を禁止する覚悟をした。上は当然,公卿,旧大名家にまで及ぶことであり,どのような排撃をうけるかわからなかったが,とにかくもここ数年のあいだには断固としてこの禁止を立法化し,違反の者に対しては容赦なく法をもってさばくつもりであった。」と,江藤司法卿の断固たる決意が力強く叙述されています。しかしながら,そもそも当該江藤司法卿の下で,妾の禁止はしないまま,かえってわざわざそれを公認してしまったような形の布告が出されてしまっていたことになります。

 となると,明治6年太政官21号の布告は上記「蓄妾問答」の前に出されたものでしょうか。しかしながら,「父の捜索は許さず」がフランス法由来の原則であるのならば,あえて当該原則を導入しようとする当該布告がフランスの法律家であるブスケの意見を徴さずに制定されたということは考えられにくいところです。『歳月』の描くような「蓄妾問答」がその際されたとなると,江藤新平は,実際には,「妾廃止」という考えに必ずしも小説で描かれているほどには固執していなかったということになるわけで,当該小説から受ける印象とは異なり,意外と妥協的ないしは便宜主義的な人物ということになるのかもしれません。

 井上清教授は,江藤新平の人物について,「本質的に保守官僚主義者であり,急進主義と見えるものは功業欲の発現にすぎない」,「貧窮のなかに成長した秀才官僚型の大物で,立身出世の機を見るに敏」と評しています(『日本の歴史20 明治維新』(中央公論社・1966年)350頁。なお,同書のしおりは,同教授と司馬遼太郎との対談)。


(余話の余話:補遺の補遺)

 江藤新平が妾廃止論者であった証拠としては,「明治五年十一月二十一日,司法卿江藤新平,司法大輔福岡孝悌両人より,「自今妾の名義を廃し,一家一夫一婦と定め度の件」を太政官に建議せり。」という事実があります(石井研堂『明治事物起原Ⅰ』(ちくま学芸文庫・1997年)269頁)。しかしながら,「翌6115なお,明治五年の十二月は2日間しかなかった。,太政官が,「伺の趣,御沙汰に不被及候事」と指令」し,江藤及び福岡の建白は採用されませんでした(石井・前掲270頁)。司法卿及び司法大輔の当該建議が退けられた明治6年(1873115日の3日後に,前記明治6年太政官21号の布告が出ています。なお,この布告は,同月13日の太政官宛て司法省伺が契機となって出されたものです(二宮周平「認知制度は誰のためにあるのか」立命館法学310号(2006年6号)316頁,村上一博「明治6年太政官第21号布告と私生子認知請求」法学論叢67巻2=3号(1995年1月)512頁)。ちなみに,当時戸籍事務を所管していたのは,民部省から当該事務を吸収していた大蔵省であって,司法省ではありませんでした(戸籍事務は,内務省設立以後は内務省に移る。)。江藤とブスケとのせっかくの「蓄妾問答」も,江藤のせっかくの妾廃止の「覚悟」も,政府内において十分かつ決定的な重要性を持ち得なかったということのようです。しかしながらそもそも,明治五年十一月二十一日(なお,村上一博「明治前期における妾と裁判」法律論叢71234頁では,同月二十三日に正院に提出されたとされる。)の妾廃止の建白は,上司である江藤新平と部下である福岡孝悌との連名で提出されています。偉い人とそうでない人との連名文書に係る通常の作成実態からすると,当該文書の実質的作成主体は偉くない方の人であるはずです。となると,妾廃止を言い出した本当の妾廃止論者は福岡孝悌であって,江藤は福岡ほどではなかったかもしれません。


5 実子ではないが「証明されない嫡出子」:アルベルティーヌ及びギヨーム

 以上は,ナポレオンが嫡出子又は隠し子の実父となった場合です。しかし,ナポレオンの「隠し子」というよりはナポレオンに隠された子ということになりますが,ナポレオンの妻がナポレオン以外の者を実父とする子を産んだ場合もあったところです。 


(1)マリー・ルイーズとナイペルク伯爵

 ナポレオンの妻マリー・ルイーズは,実は,ナポレオンの没落後,オーストリア貴族のナイペルク伯爵と愛人関係になってしまい,二人の間には1817年にアルベルティーヌという女児が,1819年にはギヨームという男児が生まれています(名前はここではフランス語読みです。)。

 さて困ったことになりました。1819年には,マリー・ルイーズの夫であるナポレオンはまだセント・ヘレナ島で生きています。マリー・ルイーズが女公となったイタリアのパルマ公国の臣民の手前も問題です。上記の子らをマリー・ルイーズが分娩した事実は,秘密とされることになりました。

 この隠避は少なくともナポレオンに対しては成功し,最期までナポレオンは,前記事情は御存知なかったものと思われます。すなわち,ナポレオンは,1821年に死ぬ前のその遺言で,「私は最愛の妻マリ=ルイーズに満足の意を表したいと常に思っていた。私は最後の瞬間まで妻に対して最もやさしい感情を抱きつづけている。妻に頼む,どうか気を配って,私の息子(mon fils)の子供時代をまだ取りかこんでいる数々の陥穽から私の息子を守ってもらいたい。」(大塚幸男訳『ナポレオン言行録』(岩波文庫)201頁)と述べているからです。当該遺言での「私の息子(mon fils)」は単数形ですので,ナポレオン2世のみを指し,ギヨームは含まれないものでしょう。


(2)否認の不存在

 ナポレオンは大西洋の孤島であるセント・ヘレナ島に流されており,マリー・ルイーズがそこを訪れていないことは明らかですから,ナポレオンは,その民法典の第3122項に基づき,あるいはまた,子の出生が隠避されたことから第313条に基づき,第3121項によって自分の子であるとされているアルベルティーヌ及びギヨームについて,子であることの否認をすることができ,その際その否認は,同法典3163項により「欺罔の発見後2箇月以内」にすべきであったところです。しかしながら,当該否認をしないまま,ナポレオンは死んでしまいました。ナポレオンの民法典第1編第7章「第1節 嫡出ないしは婚内子の親子関係」の規定の建前からすると,ナポレオンの側からの否認(なお,同法典317条は夫の相続人(les héritiers)による否認が認められる場合について規定しています。)がされない以上,パルマのアルベルティーヌ及びギヨームは,ナポレオンの嫡出子であったわけです。


(3)証明の不存在

 しかしながら,ナポレオンとアルベルティーヌ及びギヨームとの父子関係は,ナポレオンの民法典第1編第7章「第2節 嫡出子の親子関係の証明」(第319条から第330条まで)との関係で,証明ができないもの,というのが正確なところであったようです。アルベルティーヌ及びギヨームには,ナポレオンの嫡出子としての出生証書及び身分登録(ナポレオンの民法典319条)も身分占有(同法典320条)もなかったはずだからです。

 アルベルティーヌ及びギヨームにはvon Montenuovo(モンテヌオヴォ)という氏が与えられていたところです(NeippergNeuberg(ドイツ語で「新山」)→Montenuovo(イタリア語で「新山」))。(なお,Wilhelm (ギヨーム)von Montenuovoは,オーストリア帝国のFürst(公爵又は侯爵)となりました。)



319

 嫡出子の親子関係は,身分登録簿(le registre de l'état civil)に登録された出生証書によって証明される。


320

 前条による証書(titre)がないときは,嫡出子身分の継続的占有(la possession constante de l'état d'enfant légitime)による。


322

 何人も,その出生の証書(titre de naissance)及び当該証書に合致する身分の占有によって与えられる身分と異なる身分を主張することはできない。

 また,反対に,何人も,出生の証書に合致する身分を占有している者の身分を争うことはできない。


 無論,身分登録が虚偽の場合については,ナポレオンの民法典3231項は,「・・・又は子が,虚偽の名前で(soit sous de faux noms),若しくは知れない父及び母から生まれたものとして(soit comme né de père et mère inconnus)登録された場合には,親子関係の証明は,証拠によることができる。」と規定していました。民事裁判所(tribunaux civils)のみが管轄を有する事件です(同法典326条)。

 しかしながら,身分登録と異なる親子関係の証明が認められる場合については制限的な規定があったのみならず(ナポレオンの民法典3232項,324条,325条),そもそもアルベルティーヌ及びギヨームが法律上はナポレオンの子であることをわざわざ証明しようとする者はいなかったようです。

 ちなみに,我が旧民法の親子法も「フランス法と同様」に,「証拠法的な色彩を強く帯びていた」ところです(大村『フランス民法』91頁)。

画像 003

ナポレオンの墓,Hôtel des Invalides, Paris



6 おわりに:最高裁判所平成25年12月10日決定

 実は,今回の記事を書くきっかけになったのは,先月出た,我が最高裁判所の平成251210日第三小法廷決定(平成25年(許)第5号戸籍訂正許可申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件)でした。次にその一部を掲げます。



「特例法
性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(平成15年法律第111号)41項は,性別の取扱いの変更の審判を受けた者は,民法その他の法令の規定の適用については,法律に別段の定めがある場合を除き,その性別につき他の性別に変わったものとみなす旨を規定している。したがって,特例法31項の規定に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者は,以後,法令の規定の適用について男性とみなされるため,民法の規定に基づき夫として婚姻することができるのみならず,婚姻中にその妻が子を懐胎したときは,同法772条の規定により,当該子は当該夫の子と推定されるというべきである。もっとも,民法7722項所定の期間内に妻が出産した子について,妻がその子を懐胎すべき時期に,既に夫婦が事実上の離婚をして夫婦の実態が失われ,又は遠隔地に居住して,夫婦間に性的関係を持つ機会がなかったことが明らかであるなどの事情が存在する場合には,その子は実質的には同条の推定を受けないことは,当審の判例とするところであるが(最高裁昭和43年(オ)第1184号同44529日第一小法廷判決・民集2361064頁,最高裁平成8年(オ)第380号同12314日第三小法廷判決・裁判集民事189497頁参照),性別の取扱いの変更の審判を受けた者については,妻との性的関係によって子をもうけることはおよそ想定できないものの,一方でそのような者に婚姻することを認めながら,他方で,その主要な効果である同条による嫡出の推定についての規定の適用を,妻との性的関係の結果もうけた子であり得ないことを理由に認めないとすることは相当でないというべきである。」


 ナポレオンが現在も生きているものとした場合,性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律が立法されたこと及び当該法律の第41項に係る最高裁判所の上記解釈についてどのような態度をとるのかは,分かりません。しかしながら,上記決定の引用部分の「もっとも」以下の判示については,ナポレオンは,その民法典の第3122項の規定(我が民法の第772条の推定を実質的に受けない場合に係る判例(特に上記決定において引用されている平成12年最高裁判決参照)のいわゆる外観説に符合)及び第313条の規定(「夫は,自己の性的不能を理由として,子を否認することはできない。」)に照らせば,是認できるものであるとの見解を表明するのではないでしょうか。

 ただし,「最後の瞬間まで・・・最もやさしい感情を抱きつづけてい」た「最愛の妻マリ=ルイーズ」に,アルベルティーヌ及びギヨームという自分のあずかり知らぬ子が生まれていたと知ったならば,嫡出父子関係ないしは嫡出否認の在り方について,改めてその見解に変化を生じさせるかもしれませんが。

 前記最高裁判所平成251210日決定においても,裁判官の意見は32に分かれていました。
(追記:最高裁判所第一小法廷平成26年7月17日判決は,DNA鑑定の結果生物学上は99.99パーセント以上他の男の子であるとされた子であっても,妻が婚姻中に懐胎した子であって嫡出推定が働く以上なお法律上は夫の子である,としました。)


補遺 出生証書に関するナポレオンの民法典の規定(抄)

  「2 実子かつナポレオンの嫡出子:ナポレオン2」の最後の部分で紹介した出生証書に関する旧民法の規定に対応するナポレオンの民法典の規定は,次のとおりです。



55

 出生届(déclarations de naissance)は,分娩から3日以内に(dans les trois jours de l'accouchement),その地の身分取扱吏に対してされるものとし,当該身分取扱吏に子が示されるものとする。


56

 子の出生は,父によって,若しくは父によることができないときは,医師,助産婦,衛生担当吏その他の分娩に立ち会った者によって,又は母がその住所外(hors de son domicile)で分娩した場合においては,分娩がされた場所を管理する者によって,届けられるものとする。

 続いて,2名の証人の立会いの下に,出生証書(l'acte de naissance)が作成されるものとする。


57

 出生証書(l'acte de naissance)には,出生の日,時刻及び場所,子の性別並びにその子に与えられる名,父母の氏名,職業及び住所並びに証人の氏名,職業及び住所が記載されるものとする。


40

 身分証書は,各市町村において,一つ又は複数の登録簿に(sur un ou plusieurs registres tenus doubles)登録されるものとする(seront inscrits)。


70

 身分取扱吏は,これから婚姻しようとする各配偶者の出生証書(l'acte de naissance)を提出させるものとする。同条以下略

1 大阪・道頓堀から大審院へ

 「カフェ丸玉」事件判決という民法関係の有名な判決があります。当該判決については,その判示するところが民法学上どのように位置付けられるか(「自然債務」だ云々),そもそも「カフェ丸玉」とは何か(大阪は道頓堀にあった丸玉という名前の「カフヱー」であるが,ここでいう「カフヱー」はフランス語で勉強するcafeとはまた違ったものであり,すなわち大正から改元された昭和の初めにおける我が国の「モボ・モガ」その他の言葉で表される世相の中で云々等,いろいろ論ずべき点がありますが,脱線すると例によって長くなりますので,省略します。

 で,そのカフェ丸玉事件についてかつて説明することがあり,

「えー,そこで,約束の400円を払ってくれよと女性の方からお客さんを被告にして訴えが提起されまして,400円上げるよと調子のいい約束をしてしまったお客さんは一審二審と負けてしまったのですが,大審院が昭和10425日に判決を出しまして┉┉

 とまできたところ,

「えっ,タイシンインですか。それは間違っているんじゃないですか。ダイシンインが正しい読み方ではないのですか。」

 と,配布資料に記された「大審院」との漢字表記を見ながらの,思わぬ質問がありました(大審院が現在の最高裁判所の前身であるということは,すんなり理解してもらえたのですが。)。

画像

 今回の記事は,その,大審院の「大」の読み方について,「タイシンイン」派の立場から,改めて考えてみようとするものです。

 

 まず,日本語は神道をシントウと読むことから分かるように澄んだ音をよしとするから,偉い裁判所は,タイシンインなのですよ,との説明が思いつかれますが,これは,現在の最高裁判所の偉い法廷である大法廷はタイホウテイではなく,ダイホウテイであることから,説得力のある説明ということにはならないようです。そもそも神社も,シンシャではなくジンジャですね。

 事典・辞書類を調べてみると,大審院の読み方については,ダイシンインが多数派です。ただし,タイシンインという読み方もあるものとはされています。穏便に両論併記主義がとられているということは,どちらか一方の読み方が正しいとする決め手となる根拠はいまだに無いということのようです。


2 呉音と漢音


(1)ダイとタイとの相違

 ところで,そもそも大の読み方に,ダイとタイとの2種類があるのはなぜでしょうか。

 前者のダイは,王仁博士によって5世紀前半に我が国に漢字が伝来されて以来の古い音である呉音,後者のタイは,7世紀初めからの遣隋使・遣唐使時代になって導入されたそれより新しい音である漢音です。ダイとタイとの違いは,呉音と漢音との違いということになります。


(2)呉音・漢音「対抗」史

 当初我が国においては,百済経由で渡来したかつての長江沿岸の音である呉音が専ら用いられていたわけですが,隋唐帝国の首都である長安・洛陽の音である漢音が8世紀の「グローバル・スタンダード」であるぞ,ということで,桓武天皇の延暦11年(792)には明経之徒(儒学学生)は漢音を学ぶべしとの勅令が出,翌延暦12年(793年)には仏僧に対しても同様の勅令が出ます。しかしながら,仏教界においては漢音公定化に対する反発が強く,延暦23年(804年)には漢音が必ずできなければならないということではないこととなり,漢音公定化が撤回され,呉音派が巻き返します。その後は仏教界は呉音の支配が続きます。また,律令を学ぶ明法道についても,漢音公定化は及ばず,呉音のまま明治維新まで継承されることになります。

 唐の滅亡(907)後の宋代以降,全般に,我が国においては漢音に対して呉音が優勢な形で時代は推移します。日本人にとって,呉音の方が漢音よりも一般に「やわらかい」感じがするからではないかと考えられています。

 その間,生硬な漢音は「厳格な武家倫理に親和的」ということもあってか,江戸期儒学は,漢音を採用します(中世儒学の担い手は呉音派の仏教僧侶でした。)。江戸時代後期には,「仏教呉音,儒教漢音」という「住み分け」が生じていたとされます。

 そして,明治維新。

 「律令の発音は基本的に呉音だったから,太政大臣とか文部省とか兵部省とか,呉音読みの制度が色々導入された┉┉。しかしこういう復古主義は,革新の時代にはふさわしくなく,ほどなく欧米文物の全面的導入時代となったのだが,その担い手は藩校において漢音で中国古典を学んだ官僚であった。そこで明治10年代には,公文書の世界は基本的に漢音が支配することとなった。熊本藩校出身の井上毅を中心として起稿され,明治22年に刊行された『憲法義解』は,漢音時代のもので,まあ「ぎかい」と読んだだろうな。」ということになりました。

 (以上,呉音と漢音との関係については,長尾龍一教授のウェッブ・サイト「OURANOS」のウェッブ・ページ「日本史の中の呉音と漢音」に掲載されている同教授の論文によりました。同ウェッブ・サイトの「独居独白(July 2013)」ウェッブ・ページの72日の項によると,同論文は紀要に採用されなかったものだそうですが,インターネットでアクセスでき,ありがたいことです。)

 「仏教呉音,儒教漢音」なので,徳高い僧侶は大徳(だいとく),大いに勉強した儒学者は大儒(たいじゅ)ということになるのでしょう。弘法大師はダイシですが,一緒に渡唐した遣唐大使の藤原葛野麻呂が「私は日本のダイシだ」と長安で言うと,「ダイシって何だ」と笑われたものでありましょう。大衆は,ダイシュであればお坊さんの群れ,タイシュウであれば一般の人々。大雪山は,ダイセッセンと読めば仏教発祥の地インドの北のヒマラヤ山脈,これに対して北海道の旭岳を主峰とする山塊は,ダイセツザンと呼ばれたり,タイセツザンと唱えられたり。そして,重大な法規である大法はタイホウですが,ダイホウとなると,世俗を超えた仏の教法ということになります。


3 大阪・北浜から大審院へ


(1)大審院の発足

 さて,「明治10年代には,公文書の世界は基本的に漢音が支配することとなった」ということですから,大審院の読み方については,まずその発足の時期が問題になります。

 大審院の発足は,明治8年(1875年)のことです。

 1875524日付け明治8年太政官第91号布告大審院諸裁判所職制章程が大審院の組織を定めており,その大審院章程1条は「大審院ハ民事刑事ノ上告ヲ受ケ上等裁判所以下ノ審判ノ不法ナル者ヲ破毀シテ全国法憲ノ統一ヲ主持スルノ所トス」と規定していました。(明治8612日の太政官の達によれば,控訴上告手続に係る明治8年太政官第93号布告の布告日である1875524日が大審院の開庁日。)

 この大審院諸裁判所職制章程は,その前月1875414日付けの明治8年太政官第59号布告が「┉┉元老院大審院被置候事┉┉」としていたことに基づくものですが,当該布告自体は更に同日付けの明治天皇の次の詔書に基づくものでした。



┉┉
朕今誓文ノ意ヲ拡充シ茲ニ元老院ヲ設ケ以テ立法ノ源ヲ広メ大審院ヲ置キ以テ審判ノ権ヲ鞏クシ又地方官ヲ召集シ以テ民情ヲ通シ公益ヲ図リ漸次ニ国家立憲ノ政体ヲ立テ汝衆庶ト倶ニ其慶ニ頼ラント欲ス┉┉


 立憲政体漸立の詔,あるいは漸次に立憲政体を立てるの詔と呼ばれているものです。

 この詔書はまた,同年1月から2月にかけて,大久保利通,木戸孝允及び板垣退助が大阪の料亭等で行ったいわゆる大阪会議の結果に基づくものでした。


(2)大阪会議

 前年木戸が去った後の政府において,外からは民権派及び鹿児島の西郷隆盛派の攻撃があり,内においては旧主家の島津久光左大臣からことごとに弾劾を受けて孤立感を深める大久保の政権を強化すべく,前々年江藤新平に追い落とされて下野中の井上馨が(江藤は,1874年の佐賀の乱で大久保政権に敗れ,同年4月13日梟首,既に故人。)木戸及び民権派の板垣を政府に復帰させるため画策した18751月から2月にかけての大阪会議は,「往年,坂本龍馬が薩長同盟をはかった故智にならい┉┉┉┉3人それぞれ偶然に落ちあったような形」で行われました(井上清『日本の歴史20 明治維新』(中央公論社・1966年)414頁)。したがって,現在イメージされるところの全員一同に会した「会議」とは異なります。木戸は187311月の段階で,伊藤博文から政体について意見を問われ,司法省と裁判所とを分離すべきこと,大臣・参議が立法・行政を共に行っている現状から他日必ず元老院及び下院の二院を立てるようにすべきことと述べていましたが(井上・前掲380頁),立憲政体漸立の詔の内容は,この線に沿ったものとなっています。すなわち,大阪会議の過程で,木戸は,次のような政府改革図案を作成していたところでしたが,大久保がそれをのんだというわけです。(18753月,木戸及び板垣は参議として政府に復帰。)


              天皇陛下

             ┉┉┉┉┉┉┉┉┉

                            内閣

             太政左右大臣

               参議        


              行 政    大審院    元老院(上)

                     地方官(下)

             

 正確には再現できていないのですが(現物の画像は,国立国会図書館ウェッブ・サイトの電子展示会「資料に見る日本の近代」第1章の110「大阪会議」を参照),天皇及び天皇を輔弼する内閣(大臣(太政大臣,左大臣及び右大臣)及び参議により構成)の下に,行政(参議と各省卿との分離は板垣の持論(井上・前掲417頁)。),大審院並びに元老院及び地方官(地方官会議)が並び,あたかも行政,司法及び立法の三権が分立するような形になっています。

 大阪会議は,1875211日に大久保,木戸,板垣,井上馨及び伊藤博文が集まって,締め。会場となった北浜の料亭加賀伊は,木戸によって新たに花外楼と命名され,政官界の大立者御用達の店に。現在もその名で営業しています(ただし,北浜の本店ビルは現在建替中。)。


4 パリ・セーヌ河畔から大審院へ


(1)フランス帰朝の法制官僚・井上毅

 大審院は,大阪での会合の過程において木戸孝允が既にその名前による設置を主張していたわけですが,木戸の提案の元となった大審院の概念はどこに由来するものだったのでしょうか。立憲政体という近代的な制度を指向しているわけですから,古代以来の律令というわけではないでしょう。 

 実は,大審院は,仏式の概念です。

 しかし,仏式といっても仏さまの仏教式ではなく,おふらんすのフランス式のことです。

 ここでまた,後の『憲法義解』の主起稿者,明治法制官僚の雄,井上毅が登場します。

 1872年から1873年まで司法省からフランスに留学していた井上毅は,滞仏中からフランスの最高裁判所に当たる「大審院」に関するノートないしは覚書を作成しており,帰国後1874年中にはいわゆる彼の司法四部作である『仏国大審院考』,『治罪法備考』,『王国建国法』及び『仏国司法三職考』をほぼまとめ上げ(これは,18751月には筆写のため植木枝盛に貸し出されなどしています。),1874年の「法制を論じ左院の議を駁す」で大審院の設置されるべきことを説き,1875年の大阪会議後の同年311日には大久保利通参議あてに大審院の設置を含む司法改革意見を提出,翌月14日の立憲政体漸立の詔は,実に井上毅自身の起草に係るものであったところです(木野主計『井上毅研究』(続群書類従完成会・1995年)参照)。すなわち,当時「大審院」といえば,井上毅の説く大審院のことであったわけでありましょう。フランス式であります。

 西洋起源の大審院でありますから,律令又は仏教由来の語として,ダイシンインと呉音で読まなければならない,ということにはならないことになります。欧米文物の全面的導入時代の先駆けとしては,むしろ漢音でタイシンインと読むべきだ,ということに一応なりそうです。

 しかしながら,日本語における一般的な呉音の優勢ということも考えなければなりません。大審院が,great審院の意味であるのであれば,実感的には,一般的にはやはりダイシンインと読むべきかと思われます。真面目に立派な仕事をする優秀な研究者を「大先生」と呼ぶときはダイセンセイですが,うっかり優雅な大学者に「先生はタイガクシャですね」とごあいさつ申し上げると大変です。「おれは怠学者かっ」とキレてしまうからです。


(2)Elle n'était pas grande.

 それでは,井上毅の推奨するフランス最終審裁判所である大審院は,フランス語では何といったのでしょうか。フランス語ですから,greatならぬgrandな裁判所という意味の文字が使われているのでしょうか。

 実は,フランスの大審院は,フランス語では別にgrandな裁判所ではありません。La Cour de cassation現在では文字どおりに破毀院と訳される名前の裁判所です。下級裁判所の「審判ノ不法ナル者ヲ破毀シテ全国法憲ノ統一ヲ主持スルノ所」として,即物的かつ無愛想に破毀院と名付けられたのでしょう(なお,我が現行の訴訟法では「破棄」の語が用いられるため,破棄院とも訳されますが,我が大審院の模範となったとのいにしえのゆかりを重視するのであれば,大審院章程の文字に忠実に破毀院とした方がよいのではないでしょうか。)。ルイ16世在位中1791年のフランス王国の憲法典第3篇(公権力について)第5章(司法権について)19条には「立法府のもとに,全王国に唯一の破毀裁判所(un seul tribunal de cassation)を設けるものとする。当該裁判所は,その権能として,裁判所によって下された終審としての裁判に対する破毀の請求について・・・宣告するものとする。」とありますから,そもそもの破毀裁判所は,立法府側の存在として,司法権プロパーの裁判所に対して喧嘩腰です。「破毀院」と訳すと後ろ向きでネガティヴなのですが,確かに仕方のないところです。しかしながら,そのままではとても我が国には受け入れられなかったのでしょうから,一番偉いということが分かり,かつ,ポジティヴでもある「大審院」という訳語が編み出されたものでしょう。(なお,フランスは,アンシャン・レジーム下の特権階級であった法服貴族に対する反感の歴史もあってか,裁判所に対する姿勢は全面肯定的なものではありません。例えば,フランス民法5条は,「裁判官は,係属された訴訟について,一般的及び法規的命題の形で裁判をしてはならない。」と,「判例法」に対して太い釘をさしています。)

 「大審院」という名前になったからとはいえ,井上毅ら政府上層部においては,その立派な名前によってうっかり自ら幻惑されることはなく,大審院は別にgrandeなものではないという事実は忘れられていません。大日本帝国憲法起草仲間の伊東巳代治による『憲法義解』の英訳本"Commentaries on the Constitution of the Empire of Japan (2nd ed.)"(中央大学・1906年)は"In the 8th year (1875), the Court of Cassation was established so as to maintain the unity of the law. In the same year, the functions of the Minister of Justice were settled to consist in exercising control over the judicial administration and not in interfering with trials."と当該部分を訳しており(113頁),飽くまでも大審院は"Court of Cassation"であって,日本語からの逆翻訳において迷走して"Grand Court of Justice"のようなものとされることはなかったところです。 

 明治5年(1872年)83日付け太政官の司法職務定制(司法省職制並ニ事務章程)の第2条は「司法省ハ全国法憲ヲ司リ各裁判所ヲ統括ス」と,第3条は「省務支分スル者3トス/裁判所 検事局/明法寮」と規定しており,裁判所は司法省に属するものとされていたものが,明治8年(1875)太政官第91号布告大審院諸裁判所職制章程によって裁判所は司法省から独立した形になり,それに伴い,明治858日司法省達第10号達の司法省職制における卿に係る条項の第1号ただし書は,確かに,司法卿は「裁判ニ干預セス」と規定していました。しかしながら,なお同号の本文は,司法卿は「諸裁判官ヲ監督シ庶務ヲ総判シ及検事ヲ管摂シ検務ヲ統理スルコトヲ掌ル」と規定しており,司法行政は依然として司法省が所管していたところです。「諸裁判官ヲ監督」する司法省に対しては,大審院もそれほどgreatではなかったものでしょう。

 ところで,そもそも大審院は,大・審院なのでしょうか,大審・院なのでしょうか,それとも三文字熟語なのでしょうか。

 ○審院という語は,現行法令においては,見たところ大審院しかありませんし,旧法令においても同様の結果でありそうです。井上毅の用いた翻訳語には「覆審院」があり(木野・前掲438頁等),また,cour d'assisesを「会審院」と訳しているようですが(木野・前掲75頁,77頁等),「覆審」はそれで一つの熟語ですから,前者は覆審・院ということになり,後者も,会して審理するから「会審」ということならば(assisesには会合・大会の意味があります。),前者に倣って会審・院と解すべきことになるでしょう。

 ということで,大審院は大審・院であると解することになると,下級裁判所の「審判ノ不法ナル者ヲ破毀」するための審判が「大審」ということになりそうです。しかし,下級裁判所の裁判官にとってはそうなのかもしれませんが,大審とは少々大仰なようです。また,現行法令においては,見たところ大審の語は大審院の語中でのみ使われているところであって,旧法令においても同様のこととなっているように思われます。大審なる概念の存在の説明は,なかなか容易なことではなさそうです。

 結局,「大審院」はそもそもが,ネガティヴな「破毀院」の語を避けるための,苦肉の仲人口による新作三文字熟語として考えるべきかもしれません。

 また,ちなみに,大審院の母法国フランスにおいては,現在,日本の地方裁判所に相当する大審裁判所(tribunal de grande instance)及び少額事件を取り扱う小審裁判所(tribunal d'instance)が第一審裁判所として存在しています。ここでの大審(grande instanceは,grandeが入っていること及び小審との対比から,やはりダイシンでしょう。そうであれば,母法国のgrandeな仕事をする第一審裁判所にダイシンを譲ってダイシンサイバンショとし,こちらのかつての終審裁判所はタイシンインであったということで住み分けてはどうでしょうか。


5 おわりに

 大審院はお寺でもなければ律令制官庁でもありませんから,ダイシンインと呉音で読む必要はありません。むしろ,近代フランスのCour de cassationをその原型とするものなのですから,文明開化時代における新規輸入の欧米文物制度の一つとして,藩校で儒学を学んだ士族出身の秀才法制官僚に倣って,漢音でタイシンインと読むべきことになりそうです。日常よく言う「大(だい)○○」と同様に,実感を込めてgreatダイシンインと言おうにも,大審院においては何が大(grande)なのかが具体的にははっきりしないところです。また,大審院法制の母法国であるフランスには現在,大審裁判所という裁判所が存在するので,そちらをダシンサイバンショと読んでこちらをタイシンインと読めば,混乱が避けられるようにも思われます。以上がタイシンイン派としての主張です。

 しかしながら,漢音でタイシンインと読まなければならない,というところまではいきません。呉音優勢下での呉音・漢音混用状態の中,我が国語においては,結局は理論ではなく慣習が決めるべき問題ではあります。そして,慣習を決める日常の運用においては,感覚的なものが占める位置は無視できないものであります。大審院の場合,まず文字面が問題になりますが,何やら寺院関係にありそうな漢字の並びでもあり(妙心寺内に大心院という名前の塔頭があり,ダイシンインと読まれているようです。),また,いよいよここで最後のお裁きかということになれば,やはり深くおごそかに,語頭を濁って読むべきものと感じられるのかもしれません。

 『憲法義解』も,ケンポウギゲと読んだ方が,正統的な漢音のケンポウギカイよりも何やら,御利益(りやく)がありそうに感じられます。


(なお,社団法人日本放送協会の放送用語並発音改善委員会は,1934411日,大審院の読みとして「大審院部内の伝統的な読み方を尊重して」タイシンインを採用していますが(すなわち大審院の人々の自称はタイシンイン),そこに至るまでの調査に係る極めて興味深い報告である塩田雄大「漢語の読み方はどのように決められてきたか」NHK放送文化研究所年報20079094頁)が,インターネットでアクセス可能になっています。1934年当時において既に「現代の中年以下の人は多く「ダイ」なり」という状況だったところ,二十代の青年からは「タイシンインといふと法律に凝り固まつてゐるやるだ」とある意味もっともな違和感が表明される一方,十代の高等女学校5年生の大多数(59名中57名)からは,「ダイシンインといふ方が重重しくて権威がある。タイシンインでは軽いやうで権威がない」という率直な感想が述べられていたそうです。その後,新憲法下の最高裁判所広報室が,1962年当時,日本放送協会に「ダイシンイン」と読むとの回答をしたことがあるようですが,同協会の放送用語委員会は「タイシンイン」を維持しています(同論文102頁注15)。



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