Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

カテゴリ: 民法

1 新しい相続法の施行(201971日)

 平成30年法律第72号が今年(2019年)71日から施行され(同法附則1条本文及びそれに基づく平成30年政令第316号),同日以後に被相続人が死亡して開始された相続(民法882条)については新しい相続法が適用されることになっています(平成30年法律第72号附則2条参照)。

 ところで,平成30年法律第72号によって追加された諸規定中,筆者に特に興味深く思われた条項が二つあります。「遺産の分割の方法の指定として遺産に属する特定の財産を共同相続人の一人又は数人に承継させる旨の遺言(以下「特定財産承継遺言」という。)があったときは,遺言執行者は,当該共同相続人が第899条の21項に規定する対抗要件を備えるために必要な行為をすることができる。」という民法10142項及び同項において言及されている同法899条の21項(「相続による権利の承継は,遺産の分割によるものかどうかにかかわらず,次条及び第901条の規定により算定した相続分〔法定相続分〕を超える部分については,登記,登録その他の対抗要件を備えなければ,第三者に対抗することができない。」)の二つの条項です。

 

2 香川判決から特定財産承継遺言に関する規定の導入まで

実は,特定財産承継遺言に関する規定の民法への導入とは,東京大学出版会の民法教科書シリーズで有名な内田貴・元法務省参与の東京大学法学部教授時代の主張(「私見」)等の諸学説が圧伏せられた上での,いわゆる「相続させる」遺言に関する判例理論の実定法化でした。内田元参与の当該「私見」は,「私は,遺産分割方法の指定は,本来想定されていたように,現物分割か換価分割かなどの分割方法の指定に限り,処分行為は遺贈によって行なうのが筋だと思う。その点で,税法や登記手続上の考慮を民法の論理に優先させたように見える本件判決〔最高裁判所平成3419日判決民集454477頁〕には反対である。」(内田貴『民法Ⅳ親族・相続』(東京大学出版会・2002年)484頁)というものでした。司法試験受験者その他の読者には印象的な記述であったであろうと思われます。(なお,判例はあったものの,「旧法〔平成30年法律第72号による改正前の民法〕においては,特定財産承継遺言については,規定上の根拠が必ずしも明確でな」いものと解されていたところです(堂薗幹一郎=野口宣大編著『一問一答 新しい相続法――平成30年民法等(相続法)改正,遺言書保管法の解説』(商事法務・2019年)142頁)。)

 上記最判平成3419日の「本件判決」は,当該判決を出した最高裁判所第二小法廷の香川保一裁判長の名を冠して「香川判決」と呼ばれるそうです(内田483頁)。香川判決は,次のように判示しています。

 

   被相続人の遺産の承継関係に関する遺言については,遺言書において表明されている遺言者の意思を尊重して合理的にその趣旨を解釈すべきものであるところ,遺言者は,各相続人との関係にあっては,その者と各相続人との身分関係及び生活関係,各相続人の現在及び将来の生活状況及び資力その他の経済関係,特定の不動産その他の遺産についての特定の相続人のかかわりあいの関係等各般の事情を配慮して遺言をするのであるから,遺言書において特定の遺産を特定の相続人に「相続させる」趣旨の遺言者の意思が表明されている場合,当該相続人も当該遺産を他の共同相続人と共にではあるが当然相続する地位にあることにかんがみれば1,遺言者の意思は,右の各般の事情を配慮して,当該遺産を当該相続人をして,他の共同相続人と共にではなくして,単独で相続させようとする趣旨のものと解するのが当然の合理的な意思解釈というべきであり,遺言書の記載から,その趣旨が遺贈であることが明らかであるか又は遺贈と解すべき特段の事情がない限り,遺贈と解すべきではない。そして,右の「相続させる」趣旨の遺言,すなわち,特定の遺産を特定の相続人に単独で相続により承継させようとする遺言は,前記の各般の事情を配慮しての被相続人の意思として当然あり得る合理的な遺産の分割の方法を定めるものであって,民法908条において被相続人が遺言で遺産の分割の方法を定めることができるとしているのも2,遺産の分割の方法として,このような特定の遺産を特定の相続人に単独で相続により承継させることをも遺言で定めることを可能にするために外ならない。したがって,右の「相続させる」趣旨の遺言は,正に同条にいう遺産の分割の方法を定めた遺言であり,他の共同相続人も右の遺言に拘束され,これと異なる遺産分割の協議3,さらには審判4もなし得ないのであるから,このような遺言にあっては,遺言者の意思に合致するものとして,遺産の一部である当該遺産を当該相続人に帰属させる遺産の一部の分割がなされたのと同様の遺産の承継関係を生ぜしめるものであり,当該遺言において相続による承継を当該相続人の受諾の意思表示にかからせたなどの特段の事情のない限り,何らの行為を要せずして,被相続人の死亡の時(遺言の効力の生じた時5)に直ちに当該遺産が当該相続人に相続により承継されるものと解すべきである。そしてその場合,遺産分割の協議又は審判においては,当該遺産の承継を参酌して残余の遺産の分割がされることはいうまでもないとしても6,当該遺産については,右の協議又は審判を経る余地はないものというべきである。もっとも,そのような場合においても,当該特定の相続人はなお相続の放棄の自由を有するのであるから7,その者が所定の相続の放棄をしたときは8,さかのぼって当該遺産がその者に相続されなかったことになるのはもちろんであり9,また,場合によっては,他の相続人の遺留分減殺請求権の行使を妨げるものではない10

 

註(1)民法898条「相続人が数人あるときは,相続財産は,その共有に属する。」

註(2)民法908条「被相続人は,遺言で,遺産の分割の方法を定め,若しくはこれを定めることを第三者に委託し,又は相続開始の時から5年を超えない期間を定めて,遺産の分割を禁ずることができる。」

註(3)民法9071項「共同相続人は,次条〔908条〕の規定により被相続人が遺言で禁じた場合を除き,いつでも,その協議で,遺産の全部又は一部の分割をすることができる。」

註(4)民法9072項「遺産の分割について,共同相続人間に協議が調わないとき,又は協議をすることができないときは,各共同相続人は,その全部又は一部の分割を家庭裁判所に請求することができる。ただし,遺産の一部を分割することにより他の共同相続人の利益を害するおそれがある場合におけるその一部の分割については,この限りでない。」

註(5)民法9851項「遺言は,遺言者の死亡の時からその効力を生ずる。」

註(6)「分割にあたって,この家作は何某相続人へ割り当てよ,という意味であるから,分割方法の指定には違いない。/もしその家作の価額が,何某相続人の法定相続分を(ママ)廻っているに拘わらず,何某はそれだけをもって満足せよという意味であるならば,それは分割方法の指定であるとともに,相続分の指定でもある。もしまた,法定相続分に達しない不足分は,別に遺産中から,補充的の分割をうけよ,という意味であるならば,法定相続分の変更は少しもないのであるから,単なる分割方法の指定と見るべきであろう。/これを要するに,家作の価額が法定相続分を超える場合は,原則として法定相続分の変更であり,それは相続分の指定を含む分割方法の指定ということになる。ただもし,法定相続分を超過する価額だけ,他の共同相続人に補償すべきことを命じているような特別な意思がうかがわれる場合のみ,それは単なる分割方法の指定となるであろう。」(中川善之助『相続法』(有斐閣・1964年)172-173頁)

註(7)民法9151項「相続人は,自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に,相続について,単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし,この期間は,利害関係人又は検察官の請求によって,家庭裁判所において伸長することができる。」

註(8)民法938条「相続の放棄をしようとする者は,その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。」

註(9)民法939条「相続の放棄をした者は,その相続に関しては,初めから相続人とならなかったものとみなす。」

註(10)民法10461項「遺留分権利者及びその承継人は,受遺者(特定財産承継遺言により財産を承継し又は相続分の指定を受けた相続人を含む。以下この章において同じ。)又は受贈者に対し,遺留分侵害額に相当する金銭の支払を請求することができる。」

 

3 香川判決批判

 

(1)内田元参与の「私見」

 内田元参与の前記「私見」においては,香川判決に対し,①民法908条の「遺産分割の方法」の限定性(「現物分割か換価分割か」というようなものに限定されるべきである。)に反するのではないかとの問題性,②税法上の考慮を民法の論理に優先させることの問題性及び③登記手続上の考慮についても同じく民法の論理に優先させることの問題性が指摘されていました。(その前提として,「遺産の分割は,最終的には相続人が決めるべきこと」なのに被相続人に「過大な権力」を与えることになること及び遺贈との重複が問題視されています(内田483-484頁)。)

このうち,②の税法上の考慮とは,登録免許税額が,「遺贈は贈与扱いになって課税標準額の1000分の25であるが,相続扱いだと1000分の6となり,4分の1以下で済むのである。」ということでしたが(内田482頁),この不均衡は,平成15年法律第85条による登録免許税法(昭和42年法律第35号)17条新1項の規定(「所有権の相続(相続人に対する遺贈を含む。以下同じ。)」と定義(下線は筆者によるもの))によって200341日から解消されています。現在,登録免許税額は,相続によるものであっても,相続人に対する遺贈によるものであっても,いずれも不動産の価額の1000分の4となっています(登録免許税法別表第1一(二)イ(ちなみに,200341日から2006331日までに登記を受ける場合は,平成15年法律第812条によって改正された租税特別措置法(昭和32年法律第26号)721項の規定により1000分の2となっていました。)。免税措置として,租税特別措置法の現84条の23)。(なお,「この税率は,2003(平成15)年には両方同一となり,その後また変更。2013年現在は4‰と20‰になっている(登税別表一,一(二)イ,ハ)」との記述(谷口知平=久貴忠彦編『新版注釈民法(27)相続(2)(補訂版)』(有斐閣・2013年)408頁)の解釈は難しいところです。)

③の登記手続については,相続による権利の移転の場合は登記権利者が単独で申請できるのに対して(不動産登記法(平成16年法律第123号)632項),遺贈の場合は遺言執行者(民法10122項)又は相続人と受遺者との共同申請によらねばならないものとされています(不動産登記法60条)。

 

(2)伊藤教授の「呪詛」

しかして内田元参与の「私見」①の「遺産分割の方法」の限定性ですが,これについては伊藤昌司教授が次のように詳しく述べています。

 

  〔民法908条の「被相続人は,遺言で,遺産の分割の方法を定め」との規定が遺言による財産処分(同法964条)に当たるかについては〕筆者〔伊藤教授〕は次の理由で否定する。①民法の規定上,遺言による財産処分の代表が遺贈であるのは疑いない〔また,民法964条の「「財産の・・・処分」とは遺贈を意味するものと解されてきた」ところであって(伊藤昌司「「相続させる」遺言は遺贈と異なる財産処分であるか」法政研究57巻(1991年)4170頁),かつ,平成16年法律第147号によって同条に付された見出しは「包括遺贈及び特定遺贈」です。〕。なぜなら,民法は,遺贈について多くの条文を用意し〔略〕,他の死因財産処分(死因贈与・遺言寄附行為)には遺贈の規定を準用しているが(554,旧41〔Ⅱ「遺言ヲ以テ寄附行為ヲ為ストキハ遺贈ニ関スル規定ヲ準用ス」〕(一般法人158〔「遺言で財産の拠出をするときは,その性質に反しない限り,民法の遺贈に関する規定を準用する。」〕)),本条の指定には準用しない。②被相続人による財産処分は(生前贈与,遺贈,そして死因贈与も寄附行為も)遺留分を侵害するおそれがあり,その場合には減殺請求できる(〔平成30年法律第72号による改正前の民法〕1031〔条は「遺留分権利者及びその承継人は,遺留分を保全するのに必要な限度で,遺贈及び前条に掲げる贈与の減殺を請求することができる。」と規定〕)。ところが,遺贈の規定が準用されない本条の指定は減殺請求の対象にも含まれていないばかりか,本条の指定による遺留分侵害の可能性さえも想定されていない。〔遺留分侵害の可能性に言及しない民法908条に対して,平成30年法律第72号による改正前の民法9021項は「被相続人は,前2条の規定にかかわらず,遺言で,共同相続人の相続分を定め,又はこれを定めることを第三者に委託することができる。ただし,被相続人又は第三者は,遺留分に関する規定に違反することができない。」と,同じく964条は「遺言者は,包括又は特定の名義で,その財産の全部又は一部を処分することができる。ただし,遺留分に関する規定に違反することができない。」と規定しており,遺留分侵害の可能性を前提に各ただし書が置かれていました。〕③本条による遺産分割禁止の遺言がある場合のみは遺産分割協議ができないけれども(907Ⅰ・Ⅱ),本条の指定がなされても協議分割が,したがって裁判分割ができる。このことは,本条の指定がいずれの方式による遺産分割とも重なりうる内容のものであること,つまりは家事事件手続法195〔「家庭裁判所は,遺産の分割の審判をする場合において,特別の事情があると認めるときは,遺産の分割の方法として,共同相続人の一人又は数人に他の共同相続人に対する債務を負担させて,現物の分割に代えることができる。」〕(旧家審規109〔「家庭裁判所は,特別の事由があると認めるときは,遺産の分割の方法として,共同相続人の一人又は数人に他の共同相続人に対し債務を負担させて,現物をもつてする分割に代えることができる。」〕)にいう「遺産の分割の方法」,すなわち補償(代償)分割,換価分割(家事194),現物分割といった手法を強く示唆している(少なくとも,旧家審規109の用語は,本条に合わせて立案されたに違いない)からである。(谷口=久貴406-407頁)

 

香川判決及び平成30年法律第72号による今次民法改正の支持者からすれば,①民法908条の遺産の分割の方法の指定に遺贈の規定を準用しないのは同条の指定と遺贈とは別だから当然であったし(「財産処分ではあるが遺贈とは全く異なる性質のものであるが故に準用規定がない」又は「財産処分であるかどうかは準用規定の有無とは無関係」(伊藤172頁参照)),遺贈の規定の準用がどうしても必要だというのならば,現在の民法10471項括弧書きでは,特定財産承継遺言による財産の承継は遺贈に含まれるものとなっている,②遺留分侵害の問題については今次改正で対応済みである(民法10461項括弧書き,10471項括弧書き),また,民法起草者は旧1010条(現908条の前身)について「本条ハ単ニ分割ノ方法ニ付テ規定スルモノニシテ其結果遺留分ヲ侵スコトヲ得サルハ固ヨリ言フヲ竣タサル所ナリ」と述べて遺留分侵害の可能性をも想定していた(梅謙次郎『民法要義巻之五(第18版)』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)135頁),及び③条文はともかくも特定財産承継遺言によって承継された遺産については遺産分割の協議又は審判を経る余地がないことは香川判決で判示済みであった,また,民法起草者も旧1010条(現908条の前身)について「蓋シ被相続人ハ甲ノ財産ヲ以テ必ス太郎ノ手ニ在ラシメ乙ノ財産ヲ以テ必ス次郎ノ手ニ欲スルコトアルヘ」きことをも前提として解説していた(梅134頁),といった反論があるところでしょうか。

とはいえ伊藤昌司教授は,香川判決は「その裁判長が法務省在勤時に推進した不合理な登記実務〔「「相続させる」(あるいは「遺産分割の方法を指定する」)文言の遺言書を添付して移転登記を申請する場合には,これが遺贈同様の財産処分であって保存行為ではないことが公言されていながら,相続登記一般の単独申請とは内容の異なる「単独申請」,つまり共同相続人の一部である当該遺言の受益者のみによる申請でも(他の共同相続人の同意を証する書面も印鑑も印鑑証明も必要なしに)単独名義登記が許される」,また,「遺産分割協議書の偽造よりも遺言書の偽造の方がより簡単で,可能性もより高いだけでなく,1023条以下の抵触により無効となった遺言書が登記に用いられることも大いにありうる」〕に判例の重みを加えるものとなった」と述べ(谷口=久貴412頁・410-411頁),更に「筆者には相続法解釈学の鬼子としか思えない香川判決」と呼ばわって(谷口=久貴414頁),辛辣です。否,辛辣というよりは,大村敦志教授によれば,「異例の情熱」に支えられた「呪詛」ということになります(大村敦志『フランス民法――日本における研究状況』(信山社・2010年)96-97頁)。(なお,今次民法改正に係る平成30年法律第72号制定の基礎となった法制審議会の「民法(相続関係)等の改正に関する要綱」(2018216日)の案を作成した同審議会の民法(相続関係)部会の部会長は,大村教授でした(堂薗=野口5-6頁)。)

また,「スイス民法6083項は,遺産に属する特定財産を一相続人に指定することは,被相続人の反対意思がうかがえない限り,単なる分割方法の指定であって,遺贈ではない,といっている」ことから(中川177頁註(1)),民法902条の相続分の指定が特定財産を指示する形で行われたときは,これは「遺産に属する特定の財産を,特定の相続人に帰属せしめようという意思表示であるから,私はこれを遺贈と見ることは,原則的に,不当であると思う。/しかし分割方法の指定であるという性質は含まれている。分割にあたって,この家作は何某相続人へ割当てよ,という意味であるから,分割方法の指定には違いない。」(中川172頁)とする「日本の家族法学の父ともいえる中川善之助教授」(内田4頁)の解釈に対して,伊藤昌司教授は,「しかしながら,スイス法のこの規定は,筆者が調べた限りでは,当該処分の目的財産は名宛人の相続分に充当するのが原則であることを定めたものであり,各相続人が承継する財産の価額間の比率自体を増減させないこと,名宛人が遺留分権利者であれば,自由分にではなく遺留分に充当すべきことを意味している」のであって「遺贈とは別個に「分割方法の指定」という財産処分を認める規定ではない。」と批判しています(谷口=久貴415頁)。伊藤教授にとっては,中川相続法学は「「曖昧な基本概念」と「立法論的提言」に満ちた」ものにすぎず,「否定」されるべきものです(大村123頁)。「過去の学説は,ローマ法的・ドイツ法的な相続観・遺贈観をわが民法の条文解釈に力ずくでネジ込もうとしたり,そのような先入主からスイス民法規定を,条文の表面的理解のみで我田引水して,わが相続法規の論理構造をかき乱してきたのである。」ということになります(谷口=久貴415頁(伊藤))。

 

(3)スイス民法608

問題のスイス民法608条は,フランス語文では次のとおりとなります。

 

Art. 608

 

B. Règles de partage

I. Dispositions du défunt

1  Le disposant peut, par testament ou pacte successoral, prescrire à ses héritiers certaines règles pour le partage et la formation des lots.

2  Ces règles sont obligatoires pour les héritiers, sous réserve de rétablir, le cas échéant, l’égalité des lots à laquelle le disposant n’aurait pas eu l’intention de porter atteinte.

3  L’attribution d’un objet de la succession à l’un des héritiers n’est pas réputée legs, mais simple règle de partage, si la disposition ne révèle pas une intention contraire de son auteur.

 

ドイツ語文では次のとおり。

 

Art. 608

 

B. Ordnung der Teilung

I. Verfügung des Erblassers

  

1  Der Erblasser ist befugt, durch Verfügung von Todes wegen seinen Erben Vorschriften über die Teilung und Bildung der Teile zu machen.

2  Unter Vorbehalt der Ausgleichung bei einer Ungleichheit der Teile, die der Erblasser nicht beabsichtigt hat, sind diese Vorschriften für die Erben verbindlich.

3  Ist nicht ein anderer Wille des Erblassers aus der Verfügung ersichtlich, so gilt die Zuweisung einer Erbschaftssache an einen Erben als eine blosse Teilungsvorschrift und nicht als Vermächtnis.

 

 拙訳をつけると次のようになりましょうか。

 

608

  B. 分割の規則

  Ⅰ 被相続人の処分

 1 処分者は,遺言又は相続に係る合意(「死因処分」と総称する。)により,その相続人に対し,相続による取得分の分割及び組織に係る一定の規則を定めることができる。

 2 当該規則は,相続人を拘束する。ただし,必要となった場合においては,処分者がそれを侵害する意図を有していなかった相続による取得分の平等の回復ができるものとする。

 3 相続財産のうちのある物の一の相続人への割り当ては,当該処分がそれを行った者の反対の意図を明らかにしていない場合においては,遺贈ではなく,単なる分割の規則とみなされる。

 

 伊藤教授の前記指摘は,第2項の規定に関係するものでしょうか。第3項については,遺贈ではない点については仕方がないので,そうではあっても「「分割方法の指定」という財産処分を認める規定ではない」と論じられることになったものでしょう。

 なお,筆者は,スイス民法6083項のsimple règle de partageないしはeine blosse Teilungsvorschriftを「単なる分割方法の指定」ではなく「単なる分割の規則」と訳したところです(attributionないしはZuweisungとの訳し分け)。しかし,こう訳してしまうと,当該「規則」に従った共同相続人間での遺産の分割が更に必要となるようにも思われます。香川判決の調査官解説では「遺産分割方法というと,相続人間で行う遺産分割協議の基準が連想されるかもしれない。しかし,遺産を主体にみた上で,被相続人がする遺産分割の指定(特定の遺産が一部の場合は一部分割の指定)と捉えれば,当該遺産については相続人が更に加えて遺産分割する余地はないと素直に考えることができ,本判決〔香川判決〕の意図するところは明らかとなろう。」と述べられていますが(『最高裁判所判例解説民事篇(平成三年度)』(法曹会・1994年)226-227頁(塩月秀平)),スイス民法608条の「規則(règle, Vorschriftは,遺産を直接対象とするものではなく,正に相続人を名宛人にしているものです(à ses héritiers, seinen Erben)。したがって,相続人を名宛人とする「遺産分割方法の指定とすれば,〔共同相続人間の〕分割の協議または調停においてそのように決められるはず」べきものであり,それにとどまる,したがって,直接の効果を認める香川判決は「新しい(民法にない)型の遺言による処分を認めたものと見るのが素直な見方のように思われる」ともなおいえそうです(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)165頁参照)。

  

(4)多田判決

となると,香川判決の前に「長らくリーディング・ケースとして機能していた」(内田483頁)とされる多田判決(東京高等裁判所昭和45330日判決高裁判例集232135頁(裁判長・多田貞治,裁判官・上野正秋,裁判官・岡垣学))が,改めて想起されて来るところです(なお,多田判決は上告棄却により確定していますが,上告審判決は積極的な理由を示しておらず,上告棄却に至る判断過程は明らかでないとされています(塩月220頁)。)。

多田判決は,「相続させる」遺言の性質を,特段の事情がない限り遺産分割方法の指定ないしは相続分の指定を伴う遺産分割方法の指定としつつ,遺産分割手続はなお必要であるとして,判示していわく。

 

よつて案ずるに,被相続人が自己の所有に属する特定の財産を特定の共同相続人に取得させる旨の指示を遺言でした場合に,これを相続分の指定,遺産分割方法の指定もしくは遺贈のいずれとみるべきかは,被相続人の意思解釈の問題にほかならないが,被相続人において右の財産を相続財産の範囲から除外し,右特定の相続人が相続を承認すると否とにかかわりなく(たとえばその相続人が相続を放棄したとしても),その相続人に取得させようとするなど特別な事情がある場合は格別,一般には遺産分割に際し特定の相続人に特定の財産を取得させるべきことを指示する遺産分割方法の指定であり,もしその特定の財産が特定の相続人の法定相続分の割合を超える場合には相続分の指定を伴なう遺産分割方法を定めたものであると解するのが相当である。〔略〕

Fの遺言の趣旨が右のとおりであるとすれば,同人の遺産を相続した共同相続人の間で遺産分割の協議または調停をするに際しては,右遺産の趣旨をできるだけ尊重すべく,遺産分割が審判によつて行われるときは右遺言の趣旨に従わねばならぬのはもとよりであり,その結果第一審原告が本件第二建物の所有権を取得する旨の遺産分割が成立した場合には,同人は相続開始の時にさかのぼり右所有権取得を付与されることになる。しかしながら,それがいかなる方法によつてなされるにせよ,右遺産分割が成立するにいたるまでは,第一審原告は単にFの相続財産たる本件建物につき同人の死亡当時の配偶者として民法の定めるところによつて3分の1の共有持分(法定相続分)を有するにとどまり,ただ将来財産分割によつて右建物の所有権を取得しうる地位を有するけれども,未だ遺産分割のされていない今日にあつては右建物につき確定的な所有権を有するものではない。してみると,Fの遺言によつて直ちに本件第二建物の確定的な所有権を取得したことを前提とする第一審原告の第一審被告A5名に対する請求は,その余の点につき判断するまでもなく,すべてその理由なしとしなければならない。

 

(5)フランス民法の尊属分割中の遺言分割をめぐる議論

 ただし,民法旧1010条(現908条の前身)はフランス民法の「生前行為による贈与分割の規定を除外した遺言分割の規定に由来」し,「フランス民法の尊属分割(父母等の尊属が財産の分割をする制度)中の遺言分割のメリットは,一般に協議分割や裁判上の分割に伴う不都合を回避し,遺産の合理的な分配を可能にすること」にあるところ,また,「フランス民法の尊属分配中の遺言分配の制度は,遺産共有の状態を経ないで遺産分割の効果を生じさせるもの」であるとの説明もあるようです(塩月223頁の紹介する水野謙「『相続させる』旨の遺言に関する一視点」(法時62778頁)及び島津一郎「分割方法指定遺言の性質と効力」(判時13743頁))。

しかし,これに対して伊藤昌司教授は,「潮見〔佳男〕の著書が908条の沿革をフランスの尊属分割に結びつけた学説〔略〕を厳しく批判したように,吉田〔克己〕もこの主張には根拠がなく,また,香川判決の意図とフランスの尊属分割の制度趣旨が全く矛盾することなどを克明に批判している」と学界における批判の存在を紹介しています(谷口=久貴418頁)。

 上記の諸紹介においては,肝腎の御本尊の「尊属分割中の遺言分割」ないしは「尊属分配中の遺言分配」の条文が具体的に記されていないのですが,現在のフランス民法1075条,1075条の1及び1079条は次のとおり。

 

  Art. 1075  Toute personne peut faire, entre ses héritiers présomptifs, la distribution et le partage de ses biens et de ses droits.

      (全ての人は,彼の推定相続人の間における彼の財産及び彼の権利の分配及び分割をすることができる。)

        Cet acte peut se faire sous forme de donation-partage ou de testament-partage. Il est soumis aux formalités, conditions et règles prescrites pour les donations entre vifs dans le premier cas et pour des testaments dans le second.

   (当該行為は,贈与分割又は遺言分割の形式で行われることができる。前者は生者間贈与について定められた方式,条件及び規則に,後者は遺言についてのそれらに従う。)

 

  Art. 1075-1  Toute personne peut également faire la distribution et le partage de ses biens et de ses droits entre des descendants de degrés différents, qu’ils soient ou non ses héritiers présomptifs.

   (全ての人は,同様に,彼の推定相続人であるか否かにかかわらず,異なる親等の卑属間における彼の財産及び彼の権利の分配及び分割をすることができる。)

 

  Art. 1079  Le testament-partage produit les effets d’un partage. Ses béneficiaires ne peuvent renoncer à se prévaloir du testament pour réclamer un nouveau partage de la succession.

   (遺言分割は,分割の効果を生ずる。その受益者らは,遺産の新たな分割を求めるために当該遺言の援用を放棄することはできない。)

 

 これが,1804年のナポレオンの民法典では次のようになっていました。当時「父,母又は他の尊属らによってされる彼らの卑属間における分割について」の節は第1075条から第1080条までありましたが,現在の第1079条に該当する規定はありませんでした。

 

  Art. 1075  Les père et mère et autres ascendans pourront faire, entre leurs enfans et descendans, la distribution et le partage de leurs biens.

   (父母及び他の尊属らは,彼らの子ら及び卑属らの間における彼らの財産の分配及び分割をすることができる。)

 

       Art. 1076  Ces partages pourront être faits par actes entre-vifs ou testamentaires, avec les formalités, conditions et règles prescrites pour les donations entre-vifs et testamens.

   (当該分割は,生者間贈与及び遺言について定められた方式,条件及び規則により,生者間の又は遺言の行為によって行われることができる。)

         Les partages faits par actes entre-vifs ne pourront avoir pour objet que les biens présens.

   (生者間の行為による分割は,現存する財産以外のものを目的とすることができない。)

   

  Art. 1077  Si tous les biens que l’ascendant laissera au jour de son décès n’ont pas  été compris dan le partage, ceux de ces biens qui n’y auront pas été compris, seront partagés conformément à la loi.

 (尊属が彼の死の日に遺す財産の全てが分割に含まれていない場合においては,当該財産のうちそこに含まれないものは,法律に従って分割される。)

 

  Art. 1078  Si le partage n’est pas fait entre tous les enfans qui existeront à l’époque du décès et les descendans de ceux prédécédés, le partage sera nul pour le tout. Il en pourra être provoqué un nouveau dans la form légale, soit par les enfans ou descendans qui n’y auront reçu aucune part, soit même par ceux entre qui le partage aurait été fait.  

   (死亡時に現存する子ら及びそれより以前に死亡した子らの卑属らの全員の間で分割がされない場合においては,当該分割は,全員について無効となる。何らの分割も受けない子ら若しくは卑属らは,又はそれらの間において当該分割がされるものとされていた者らも,法の定めるところによる新らたな分割を求めることができる。)

 

  Art. 1079  Le partage fait par l’ascendant pourra être attaqué pour cause de lésion de plus du quart; il pourra l’être aussi dans le cas où il résulterait du partage et des disposiotions faites par préciput, que l’un des copartagés aurait un avantage plus grand que la loi ne le permet.

   (尊属のした分割は,4分の1を超える侵害を理由として攻撃され得る。分割及び先取的処分の結果,共に分割を受けた者らのうちの一人が法律の認めるものよりも大きな優位を有することとなるときも同様である。)

 

  Art. 1080  L’enfant qui, pour une des causes exprimées en l’article précédent, attaquera le partage fait par l’ascendant, devra faire l’avance des frais de l’estimation; et il les supportera en définitif, ainsi que les dépens de la contestation, si la réclamation n’est pas fondée.

   (前条に定める理由の一に基づき尊属のした分割を攻撃する子は,評価の経費の前払をしなければならない。同人は,請求に理由がないものとされたときは,訴訟費用とともに,当該前払に係る経費を確定的に負担する。)

  

  ナポレオンの民法典の第1078条を見ると,遺言分割と遺贈との違いが分かるような気がします。遺言分割は全員を対象としてその間で遺産を分け合わせるもの(みんな仲良くするように遺産を分配及び分割するのが尊属たるものの腕の見せどころということになったのでしょう。)とされていますが,遺贈は特定の者だけを対象として(他の者は取りあえず無視して)財産を与えるものということで切り分けができそうです。「我が子何某に〇を遺贈する」と書かずに「我が子何某に〇を相続させる」と書いただけで,何某の他の兄弟姉妹に言及しないのであれば,遺言分割ということにはならなかったものでしょう。

 遺言分割の効果は,「遺言者の死亡の日から,共同相続人間において,〔卑属が〕自分達で分割を行った場合と同様の効果を生じさせる。なお,分割の主たる効果は,共有を終了させることである。」ということだそうです(室木絢子「フランスの遺言分割制度:「相続させる」旨の遺言への示唆を求めて」北大法学研究科ジュニア・リサーチ・ジャーナル13号(2007年)77頁)。

 民法旧1010条(現908条)の起草に際しては,ナポレオンの民法典の第1075条から第1078条までが参照条文として挙げられていた等の事実はあるそうです(室木83-84頁)。

  なお,ローマ法における類似の制度については,遺産の共有に関して,「尊属が相続財産の分配をなすことも古典時代より行われ,別に特則はなかつたが,ユ〔スティニアヌス〕帝は書面の作成を要求している。この尊属の分配(divisio parentum)はただ遺産分割訴訟に於ける審判人の裁定に対する参考資料となるに過ぎない」と説明されています(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)360頁)。

4 相続による権利の承継に係る対抗要件主義導入の理由

 民法899条の2の新設の理由は,「旧法の下では,特定財産承継遺言(相続させる旨の遺言のうち遺産分割方法の指定がされたもの)や相続分の指定がされた場合のように,遺言による権利変動のうち相続を原因とするものについて,判例は,登記等の対抗要件を備えなくても,その権利の取得を第三者に対抗することができると判示していた(特定財産承継遺言につき最二判平成14610日家月55177頁。相続分の指定につき最二判平成5719日家月46523頁)」ことによる「遺言の有無及び内容を知る手段を有していない相続債権者や被相続人の債務者に不測の損害をあたえるおそれ」の除去等とされています(堂薗=野口160-161頁)。従来の「判例の考え方によると,遺言によって利益を受ける相続人が登記等の対抗要件を備えようとするインセンティブが働かない結果,その分だけ実体的な権利と公示の不一致が生ずる場面が増えることになり,取引の安全が害され,ひいては不動産登記制度等の対抗要件制度に対する信頼を害するおそれがある」ため(堂薗=野口160頁),そのおそれの除去も目的に含まれているようです。

 

5 不動産登記に関する不一致問題

 

(1)実体的な権利と公示との不一致及び公信の原則の不採用

不動産に係る実体的な権利と登記による公示との不一致は,困った問題です。

なお,我が国においては,不動産登記について,「物権の存在を推測させる表象(登記・登録・占有等)を信頼した者は,たといその表象が実質的の権利を伴なわない空虚なものであった場合にも,なおその信頼を保護されねばならない,という原則」たる公信の原則(我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義Ⅱ)』(岩波書店・1983年)43頁)は認められていません。「不動産物権の表象たる登記に公信力がないことについては,とくに規定があるわけではない。しかし,真実権利をもたない者から権利を譲り受けることができるというのは,法律理論として全く異例のことだから,公信力を認める規定がない以上,公信力はないと解さなければならない。」とされています(我妻=有泉213頁)。

 

(2)地番と住居表示との不一致及び「ブルーマップ」

しかし,不動産登記に関する不一致問題といえば,土地に係る地番表示と住居表示との不整合の問題もあります。

地番は,一筆の土地ごとに付されます(不動産登記法217号・35条,3412号)。

これに対して住居表示は,住居表示に関する法律(昭和37年法律第119号)2条によれば,建物その他の工作物につけられる住居表示のための番号たる住居番号が最小単位となっています。ただし,住居番号といっても実際には,「街区方式による住居表示の実施基準」(昭和38年自治省告示第117号(住居表示に関する法律12条参照))の5によれば,市町村(又はこれを区分した一定区域)の中心に近い街区の角を起点として原則として右廻りに街区の境界線をあらかじめ市町村で定める一定の間隔(概ね10ないしは15メートル)に区切って当該間隔に順次つけられた基礎番号のうち,当該建物等の主要な出入口又は道路への通路が街区境界線(道路)に接している所のものが,当該建物等の住居番号としてつけられます。(なお,住居表示の方法には街区方式(住居表示に関する法律21号)及び道路方式(同条2号)があるところ,「街区」とは,「町又は字の区域を道路,鉄道若しくは軌道の線路その他の恒久的な施設又は河川,水路等によつて区画した場合におけるその区画された地域」をいいます(同条1号)。)

地番と住居表示との不一致に関しては,福島地方法務局のウェブ・ページにおいて,次のように記載されています(「Q 住宅地図から土地の所有者を調べるには?」に対する回答)。

 

  住宅地図については,住んでいる人の氏名(土地・建物の所有者とは限らない)と住所が表示されています。

住所については,住居表示の実施地区(都市部などで,〇〇番〇〇号)と非実施地区(都市部以外で,〇〇番地)とがあります。

住居表示の番号(住所)は,土地の地番と違うことから,そのままでは,法務局で登記簿の閲覧等を請求して,土地の所有者を調べることはできません。そこで,建物に住んでいる人や所有者等から地番を確認するか,隣接の地番が分かれば,それを基に法務局備付けの公図から目的の地番を探すことになります。

住居表示の未実施地区では,住所と地番が同じである場合が多いので,住宅地図に表示されている住所(地番)で,法務局へ登記簿の閲覧等を請求することができますが,同一でない場合もありますので,その場合は,隣接の地番が分かれば,それを基に法務局備付けの公図で目的の地番を探すことになります。

なお,住宅地図に地番(ママ)記載した「ブルーマップ」(社団法人民事法情報センター発行)を備え付けた法務局もありますので,それを利用していただくこともできますが,都市部のみ発行のため,利用できない場合があります。

 

住宅地図に地番が青字で併せ記載された「ブルーマップ」は,不動産登記に関係する仕事をする者にとっては非常に便利なものです。

  

6 「ブルーマップ」発行体たりし民事法情報センターの悪夢

前記「ブルーマップ」の発行体たる「社団法人民事法情報センター」は社会に大きな貢献をしている社団法人である,ということになります。

「このブルーマップにつきましては,住居表示と重ね合わせることによって大変便利になるのではないかという,もともとそういう考え方を提供したのはこの〔民事法〕情報センターと聞きました。」とは2010416日の衆議院法務委員会における千葉景子法務大臣の答弁です(174回国会衆議院法務委員会議録第77頁)。民事法情報センターは,2008年度には「ブルーマップ」を11480万円分売り上げ,費用・租税公課額2700万円を差し引いて9千万円近い利益を上げていたとされています(174回国会衆議院法務委員会議録第77頁(竹田光明委員))。

しかしながら,実は現在「ブルーマップ」を発行しているのは民事法情報センターではなく,株式会社ゼンリンです。それでは社団法人民事法情報センターはその間どうしたのかといえば,次のようなことになってしまったそうです(毎日新聞2010427日朝刊1422面)。

 

 法相ら要請,解散へ

 理事長に無利子融資の法人

  法務省所管の社団法人「民事法情報センター」(東京都新宿区)が理事長に無利子・無担保で1500万円を貸し付けていた問題で同センターは26日,解散する方針を決めた。千葉景子法相ら政務三役が法務省を通じて働きかけた結果で,約4億円の内部留保は国庫に寄付する見通し。今後,会員の4分の3以上の賛成を取り付け,6月までに総会を開いて正式に解散する。

  この問題は「事業仕分け第2弾」の準備として民主党の新人議員が公益法人を対象に行った調査で判明。民主党政権の一連の見直しの中で問題となった公益法人が解散するのは初めてと見られる。

  同センターは093月,理事長を務める元最高裁判事のK氏に1500万円を貸し付けた。借用書は作成したが,返済期限は設けず「長期貸付金」として処理した。また,センターが借りているビル内にK氏が共同経営する法律事務所が066月から入居していたことも判明。年間約340万円の家賃を受け取っているが,入居時に敷金や保証金は受け取っていなかった。

  K氏は8691年に最高裁判事を務め,同年にセンター理事に就任し,05年から理事長。センターは86年に設立され,登記所に備え付けの地図帳「ブルーマップ」や月刊誌を発行している。【田中成之】

 

 この「民主党の新人議員」とは誰かといえば,竹田光明衆議院議員及び山尾志桜里衆議院議員でした(第174回国会衆議院法務委員会議録第75頁・7頁(竹田委員))。

なお,2010416日の衆議院法務委員会における千葉法務大臣の答弁によると,理事長への1500万円の貸付金は,同月15日に返還されています(174回国会衆議院法務委員会議録第76頁。利息等の支払はなし。)。

本件は,2010413日の読売新聞朝刊(1439面)の記事(「1500万円無利子・無担保貸し/元最高裁判事の理事長に/法務省所管法人」)から火が付いたようで,同日直ちに千葉法務大臣から民事法情報センターへの臨時検査の指示があり,同月14日に臨時検査が早速行われています(174回国会衆議院法務委員会議録第75頁(千葉法務大臣))。

上記読売新聞の記事によれば,「センターによると,昨年2009年〕3月,K氏に1500万円を無担保で貸し付けた際,借用書を作成したものの,利息や返済期限は明記していなかった。貸し付けにあたって,理事長と常務理事各1人,さらに無報酬の非常勤理事10人で構成する理事会で事前に審議したこともなく,同年6月に「理事長に貸し付けた」と報告されただけだった。センターの2008年度決算報告書には「長期貸付金」として記載されている。/センターでは同じ昨年3月,理事長の報酬を月50万円から100万円に,常務理事の報酬も50万円から70万円にする報酬の改定も実施したが,これも6月の理事会まで報告していなかった。/1500万円をどんな目的で貸し付けたのかについて,センターのI常務理事は「当時,使用目的ははっきりとは聞いていなかった」としている。」ということでした。

更に読売新聞の当該記事は,当時88歳のK理事長の肉声をも伝えていて(「理事長「懸賞論文の費用に」」),興味深いところです。

 

  K氏は今月,数回にわたって読売新聞の取材に応じ,「1500万円は懸賞論文の費用に使ったもので,私的なことに使ったわけではない」と語り,報酬についても「職員の給与を上げた時に一緒に増額しただけ」と話した。

  ――懸賞論文とは何か

   「『K登記研究奨励基金』という名前で毎年,全国の法務局職員を対象に懸賞論文を実施していた。その費用に使った。賞金は1位が30万円。昨年度の応募は10件ほどだった」

 ――私的に使っていなくても問題ではないか

  「センターは,お金を相当持っている。それを有効に使わないといけない」

 ――センターからなぜ資金を借りたのか

「懸賞論文の事業はいずれセンターに引き継ぐつもりだった。事務手続き上,貸し付けという形を取ったが,寄付と同じ。利息を払わなくても問題はない」

  ――では,返済しないのか

   「6月までに,全額をきちんと返済する」

 

 さて,2010416日の衆議院法務委員会において竹田光明委員は,民事法情報センターについて「交通違反の取り締まりをしていたらいきなり殺人犯が出てきた,そのような気分でございます。」と冒頭厳しい発言を行った上で(174回国会衆議院法務委員会議録第75頁),「理事長は,民事法情報センターのお金も自分のお金も日ごろから一緒になっているんじゃないか,そういうふうな印象を強く持ちました。」(同6頁)と述べつつ,「法人がこれだけの大金を貸し出すに当たって理事会の決議は必要ではないということは問題だと思いますが,大臣,いかがでしょうか。」と問うたところですが(同頁),これに対して千葉大臣は「確かにこれは定款の定めで行うものでございますので,法的には法令違反というようなことにはならないかと思います」と答弁しています(同頁)。

これについては,2008121日から施行された一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(平成18年法律第48号。以下「一般社団・財団法人法」といいます。)8412号及921項並びに一般社団法人及び一般財団法人に関する法律及び公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成18年法律第50号。以下「一般社団・財団法人法等整備等法」といいます。)401項及び49条括弧書きからすると,確かに20093月にされた民事法情報センターから同センター理事長への金銭貸付けには同センターの理事会の事前承認がなければならないように一見思われるところです。しかしながら,他方,一般社団・財団法人法等整備等法803項は「旧社団法人の定款における理事会又は会計監査人を置く旨の定めは,それぞれ一般社団・財団法人法に規定する理事会又は会計監査人を置く旨の定めとしての効力を有しない。」と規定していますので,どうも社団法人民事法情報センターの「理事会」は一般社団・財団法人法602項の理事会ではなかったということのようです。そうであれば,民事法情報センターには一般社団・財団法人法等整備等法49条の適用があって民法旧57条(「法人と理事との利益が相反する事項については,理事は,代理権を有しない。この場合においては,裁判所は,利害関係人又は検察官の請求により,特別代理人を選任しなければならない。」)の例によることとなったところ,民法旧57条の解釈としては,「数人の理事があり,その一部の者と法人との利益相反する場合には,他の理事が代表して妨げない」(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)171頁),すなわち常務理事が法人を代表して理事長に貸付けを行えば大丈夫ということであったようです(ただし,四宮和夫『民法総則(第四版)』(弘文堂・1986年)107頁註(4)(c)は「理事たちの親密さを考えると,禁止されると解すべきだろう」と反対)。

また,読売新聞の前記記事には「法務省民事局商事課の話」として「貸付金の目的が法人の設立目的と合致しているかどうかが問題」であるとのコメントが出ていましたが,この点も「クロ」とはならなかったものでしょう(一般社団・財団法人法762項は「理事が二人以上ある場合には,一般社団法人の業務は,定款に別段の定めがある場合を除き,理事の過半数をもって決定する。」と規定しています(下線は筆者によるもの)。)。

なお,民事法情報センターと同センター理事長との間の金銭消費貸借は商人間の金銭消費貸借ではないので,そうなると無利息が原則でした(商法5131項及び平成29年法律第44号による改正後の民法5891項)。

 「理事会の決議もなく,理事長と常務理事のお手盛りで役員の報酬が引き上げられる,こういうことはやはり問題じゃないかと私は思いますが,大臣,いかがでしょうか。」との竹田委員の質疑に対しても,千葉法務大臣は「これもまた,確かに法違反ということではないとは思います」と答弁しています(174回国会衆議院法務委員会議録第76頁)。確かに,一般社団・財団法人法89条は「理事の報酬等(報酬,賞与その他の職務執行の対価として一般社団法人等から受ける財産上の利益をいう。以下同じ。)は,定款にその額を定めていないときは,社員総会の決議によって定める。」と規定しているものの,社団法人民事法情報センターがそうであった特例民法法人には,同条の規定は適用されていませんでした(一般社団・財団法人法等整備等法501項)。

 竹田委員は,「社団法人である民事法情報センターの敷地(ママ)を,これは民間から借りていると思うんですが,その一部又貸ししているというのは,これはどういうものなのか。本当に,あきれ,あきれ,あきれた事態だと思っております。との感想を述べていますが(174回国会衆議院法務委員会議録第77頁),賃貸人との関係については,賃借物の転貸についてその承諾(民法6121項)を得たものであれば問題はないところです。賃借地上の自社ビルの一部を第三者に賃貸するのであれば,そもそも賃借地の転貸にはなりません。

 「実務においては,建物等を賃貸借するに当たって敷金が授受される事例が多く見られる」そうです(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)327頁)。しかし,だからといって必ず敷金を授受しなければならないことにはならないでしょう。

 「千葉景子法相ら政務三役が法務省を通じて働きかけた結果」の社員総会の決議による解散(一般社団・財団法人法1483号,一般社団・財団法人法等整備等法85条・民法旧69条)となったのは,社団法人民事法情報センターがその目的以外の事業をし,又は設立の許可を受けた条件若しくは監督上の命令に違反し,その他公益を害すべき行為をしたもの(一般社団・財団法人法等整備等法981項)とは認められず,法務省としては一般社団・財団法人法等整備等法982項の解散命令(なお,同法63条・一般社団・財団法人法1487号)を発するに至ることができないので,「この民事法情報センターが,まさに理事長の公私混同,そして法人の私物化の疑いが極めて濃いということは,私自身大変大きな問題だと思っておりますし,また,そもそも,公益法人の趣旨からいって,本当に存在価値があるんだろうかという気持ちを抱いてお」るところ(174回国会衆議院法務委員会議録第78頁(加藤公一法務副大臣)),「これまで表面に出てこなかったうみを出し切り,民主党中心の政権にかわって本当によかったと国民の皆様に思っていただけるように,目に見える形でぜひ成果を上げ」るべく(同頁(竹田委員)),当時の鳩山由紀夫内閣下の民主党政権として同センターの社員の忖度を求めることとなったものでしょう。

 「特例民法法人の清算については,なお従前の例による。」ということで(一般社団・財団法人法等整備等法651項),社団法人民事法情報センターの清算後残余財産は,定款で指定した者(民法旧721項)がなく,また,社員総会の決議を経,かつ,主務官庁(一般社団・財団法人法等整備等法95条参照)の許可を得てする理事の処分(民法旧722項)もなければ,最終的に国庫に帰属することとなっていました(同条3項。また,一般社団・財団法人法2393項参照)。これは「国庫の一般収入」となるものとされていました(我妻192頁)。しかし,「国庫に寄付」ということになれば,民法旧722項の理事の処分となったものでしょうか。

1948130日の閣議決定である「官公庁に対する寄附金等の抑制について」の第3項は「自発的行為による寄附の場合においても,割当の方法によるものではなく,且つ主務大臣が弊害を生ずる恐れがないと認めたものの外その受納はこれを禁止すること。」として,国に対する寄附の受納の可否は主務大臣が決定するものとし,同第4項は「前項によつて主務大臣が寄付の受納を認めた場合」においては「醵金にあつては,これを歳入に繰入,醵金の主旨を考慮の上予算的措置を講ずるものとすること。」とありました。ただし,当該閣議決定の第2項は,「官庁自身による場合はもとより,後援団体を通じてなす場合においても寄附金の募集は厳にこれを禁止すること。」と定めていました。したがって,「解散せい,残余財産は寄附せい。」との埋蔵金発掘的「働きかけ」はなかったものでしょう。




 


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第1 Meine Bibliothek ist Makulatur.

 前回2019314日の掲載記事は,「仮想通貨交換業者の分別管理義務に関する思案分別」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1074204067.html)というものでした。ところが早速,当該記事掲載の翌日(15日)の閣議において,情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律案が決定され,当該議案は同日内閣総理大臣から衆議院に提出されました(第198回国会閣法第49号。同日参議院にも予備審査議案として送付されています(国会法(昭和22年法律第79号)58条参照)。)。当該法改正が実現すれば,仮想通貨交換業者等をめぐる法制度に大きな変動がもたらされます。苦心の上記拙文も,あっと言う間に非現行化というわけです。

法律などという当てにならないものを憑代(よりしろ)として学者ぶるなどということは,空しいことです。

 

  Indem die Wissenschaft das Zufällige zu ihrem Gegenstande macht, wird sie selbst zur Zufälligkeit; drei berichtigende Worte des Gesetzgebers und ganze Bibliotheken werden zu Makulatur. (von Kirchmann, Die Wertlosigkeit der Jurisprudenz als Wissenschaft. 1848)

  (当該学問は,不確かなものをその対象とすることによって,自らが不確かなものとなる。立法者が3度訂正の語を発すれば,一大文献群が反故の山となる。(フォン・キルヒマン「法学の学問としての無価値性」1848年))

 

第2 「等」の話

 さて,「・・・資金決済に関する法律等の一部を改正する法律」といった場合の,この題名における「等」は曲者です。この僅か1文字から,3以上の多数の法律が改正されることを読み取って,覚悟しなければなりません。

 

   一部改正法には,その本則において,1の法律を改正するものと2以上の法律を改正するものとがあるが〔略〕,2以上の法律を1の一部改正法の本則で改正する場合において,改正される法律が2であるときと,3以上であるときとでは,題名の付け方に差がある。その数が2であるときは,原則として,〔略〕「A法及びB法の一部を改正する法律」という題名を付け,その数が3以上であるときは,〔略〕「A法等の一部を改正する法律」という題名を付ける。(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)351-352頁)

 

今次国会に提出された情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律案の本則においては,13法律について一部改正が行われます。すなわち,資金決済に関する法律(平成21年法律第59号)(第1条),金融商品取引法(昭和23年法律第25号)(第2条),金融商品の販売等に関する法律(平成12年法律第101号)(第3条),農業協同組合法(昭和22年法律第132号)(第4条),水産業協同組合法(昭和23年法律第242号)(第5条),中小企業等協同組合法(昭和24年法律第181号)(第6条),信用金庫法(昭和26年法律第238号)(第7条),長期信用銀行法(昭和27年法律第187号)(第8条),労働金庫法(昭和28年法律第227号)(第9条),銀行法(昭和56年法律第59号)(第10条),保険業法(平成7年法律第105号)(第11条),農林中央金庫法(平成13年法律第93号)(第12条)及び金融機関等が行う特定金融取引の一括清算に関する法律(平成10年法律第108号)(第13条)の13です。題名の「等」には,12の法律が隠されていたのでした。なお,改正時期は,改正法の公布の日から起算して1年を超えない範囲内において政令で定める日からということになります(附則1条)。あるいは202041日あたりでしょうか。

(なお,「等」に関しては,2014127日に掲載した「「等」に注意すべきこと等」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2806453.html)も御参照ください。)

 

第3 情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律案1条研究

今回は,情報通信技術の進展に伴う金融取引の多様化に対応するための資金決済に関する法律等の一部を改正する法律(案)の第1条による一部改正によって,資金決済に関する法律(以下「資金決済法」といいます。)が来年以降どのように変わるのかを見ておきたいと思います。

 

1 「仮想通貨」から「暗号資産」へ

まず,「仮想通貨」との呼称が,「暗号資産」に変わります。

これは,先般終了した金融庁の仮想通貨交換業等に関する研究会(座長は神田秀樹教授)の報告書(20181221日。以下「研究会報告書」といいます。)において,「最近では,国際的な議論の場において,“crypto-asset”(「暗号資産」)との表現が用いられつつある。また,現行の資金決済法において,仮想通貨交換業者に対して,法定通貨との誤認防止のための顧客への説明義務を課しているが,なお「仮想通貨」の呼称は誤解を生みやすい,との指摘もある。」ということから「法令上,「仮想通貨」の呼称を「暗号資産」に変更することが考えられる。」と提案されていたものです(31頁)。

 

2 電子記録移転権利を表示するものの暗号資産からの除外(2条5項)

仮想通貨改め暗号資産の定義に係る資金決済法25項には新たに,「ただし,金融商品取引法(昭和23年法律第25号)第2条第3項に規定する電子記録移転権利を表示するものを除く。」とのただし書が付されることになります。改正後の金融商品取引法23項に規定する電子記録移転権利を表示するものであれば,資金決済法25項各号に一見該当するものであっても暗号資産とはならない,ということのようです。

それでは電子記録移転権利とは何かといえば,金融商品取引法22項各号に掲げる権利であって,電子情報処理組織を用いて移転することができる財産的価値(電子機器その他の物に電子的方法により記録されるものに限る。)に表示される場合(流通性その他の事情を勘案して内閣府令で定める場合を除く。)のものであるそうです(改正後金融商品取引法23項の第2括弧書き)。金融商品取引法22項各号に掲げる権利については,そもそも,「証券又は証書に表示されるべき権利以外の権利であつても有価証券とみなして,この法律〔金融商品取引法〕の規定を適用する」とされていたものです(同項柱書)。(なお,従来からも資金決済法25項においては,本邦通貨若しくは外国通貨又は通貨建資産たる財産的価値は,一見仮想通貨に含まれるもののようであっても,仮想通貨に含まれないものとされていました。)

 

3 仮想通貨カストディ業務の暗号資産交換業取り込み(2条7項)

資金決済法27項の改正による新たな「暗号資産交換業」は,従来の仮想通貨交換業よりも広い範囲のものとなります。すなわち,改正後資金決済法27項の新たな第4号は「他人のために暗号資産の管理をすること(当該管理を業として行うことにつき他の法律に特別の規定のある場合を除く。)。」(「暗号資産の管理」)を業として行うことを暗号資産交換業に含まれるものとしているところです。従来は,その行う仮想通貨の交換等に関して利用者の仮想通貨を管理する管理行為に限って仮想通貨交換業に含まれるものとしていましたが(現行資金決済法273号),「その行う前2号の行為〔仮想通貨の交換等〕に関して」との縛りが撤廃されたものです。

これまで,「仮想通貨の売買等〔仮想通貨の売買・交換やそれらの媒介・取次ぎ・代理〕は行わないが,顧客の仮想通貨を管理し,顧客の指図に基づき顧客が指定する先のアドレスに仮想通貨を移転させる業務(以下「仮想通貨カストディ業務」)を行う者も存在するが,当該業務は,仮想通貨の売買等を伴わないため,仮想通貨交換業には該当しない。」とされていたところ(研究会報告書14頁),「決済に関連するサービスとして,一定の規制を設けた上で,業務の適正かつ確実な遂行を確保していく必要があると考えられ」て(同頁),当該仮想通貨カストディ業務も暗号資産交換業に含まれるものとされたわけでしょう。

 

4 一般社団法人日本仮想通貨交換業協会の重用(63条の5第1項6号)

暗号資産交換業者の登録に係る登録拒否事由として,「暗号資産交換業者をその会員(第87条第2号に規定する会員をいう。)とする認定資金決済事業者協会に加入しない法人であって,当該認定資金決済事業者協会の定款その他の規則(暗号資産交換業の利用者の保護又は暗号資産交換業の適正かつ確実な遂行に関するものに限る。)に準ずる内容の社内規則を作成していないもの又は当該社内規則を遵守するための体制を整備していないもの」が加えられています(改正後資金決済法63条の516号)。(なお,改正後資金決済法872号は,「前払式支払手段発行者,資金移動業者又は暗号資産交換業者を社員(以下この章において「会員」という。)とする旨の〔一般社団法人の〕定款の定めがあること。」と規定しています。「社員」(一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(平成18年法律第48号)1115号等参照)を「会員」と言い換えてしまっているので特に「(第87条第2号に規定する会員をいう。)」と言及されているのでしょう。)

上記改正後資金決済法63条の516号の事由は,同様に登録制度及び認定資金決済事業者協会制度を採用している第三者型前払式支払手段に係る第三者型発行者又は資金移動業者については規定されていないところの,新たな追加的登録拒否事由となっています(前者については資金決済法10条を,後者については同法40条を参照)。

また,暗号資産交換業者については一般社団法人日本仮想通貨交換業協会が20181024日に資金決済法87条の認定を受けて認定資金決済事業者協会となっているところですが,改正後資金決済法63条の516号は,暗号資産交換業者をその会員とする認定資金決済事業者協会が今後常時存在し続けていくものであることを前提としているようです。一般社団法人日本仮想通貨交換業協会に対して,金融庁は資金決済法962項の認定取消権を発動しないものとしているのでしょうか。美濃部達吉の1940年の著作において,産業統制に係る同業者の協同組合に関して「時としては,啻に組合員に対してのみならず,組合員以外の者でも,組合地区内で同種の産業を営む者に対し,政府が組合の統制決定に従ふべきことを命じ得るものとして居ることが有る。商業組合法(9条)・工業組合法(8条)・貿易組合法(1862条)は其の例である。此の規定あるが為めに,此等の組合は任意加入の組合であるに拘らず,統制決定に関する限りは,行政官庁の監督の下に,強制加入の組合と同様の機能を発動し得るのである。」との記述があったことが想起されなどします(美濃部達吉『日本行政法下巻』(有斐閣・1940年)417-418頁)。

改正後資金決済法63条の516号は,「必要に応じて行政当局による監督権限の行使を可能とする法令に基づく規制と,環境変化に応じて柔軟かつ機動的な対応を行い得る認定協会の自主規制規則との連携が重要であると考えられ」たことにより,求められていた規定です(研究会報告書9頁)。

 

5 「商号」と「名称」とに係る厳密論理ごりごり改正(63条の5第1項7号)

改正後資金決済法63条の517号は,現在の同項6号が「他の仮想通貨交換業者が現に用いている商号若しくは名称と同一の商号若しくは名称又は他の仮想通貨交換業者と誤認されるおそれのある商号若しくは名称を用いようとする法人」(下線は筆者)であることを登録の拒否事由とする旨規定していることを改め,「他の暗号資産交換業者が現に用いている商号と同一の商号又は他の暗号資産交換業者と誤認されるおそれのある商号を用いようとする法人」として,「名称」を排除しています。

これは,資金決済法63条の511号見合いの厳密論理ごりごり改正というべきでしょう。

そもそも暗号資産交換業者は株式会社又は外国会社でしかあり得ないのですが(資金決済法63条の511号参照),株式会社がその一である会社(会社法(平成17年法律第86号)21号)の名称は商号でしかあり得ず(同法61項),外国会社は外国会社の登記をするまでは日本において取引を継続してすることができないところ(同法8181項),外国会社の登記においては「商号」が登記されることになるからでしょう(同法9332項柱書き及び91132号,9122号,9132号又は9142号)。資金移動業者についても,こっそり同様の改正が行われることになります(資金決済法401号及び6号参照)。

(「こっそり」改正については,2014115日掲載の「会社法改正の年に当たって(又は「こっそり」改正のはなし)」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2471090.html)も御参照ください。)

 

6 金融商品取引法違反の登録拒否事由化(63条の5第1項9号及び11号ニ)

改正後資金決済法63条の519号(現行8号)及び11号ニにおいて金融商品取引法違反の前科が登録拒否事由に加えられるのは,暗号資産関係の規制が改正後金融商品取引法に導入されるからでしょう(例えば,同法2243号の2によって,暗号資産は同法上の「金融商品」とされます(ちなみに,同項3号は,通貨を金融商品としています。)。)。

 

7 取扱暗号資産並びに暗号資産交換業の内容及び方法の変更に係る事前届出義務(65条の6第1項)

 改正後資金決済法63条の61項は,「取り扱う暗号資産の名称」(同法63条の317号)及び「暗号資産交換業の内容及び方法」(同項8号)の変更については従来の仮想通貨交換業者は事後に届け出ればよかったところ,暗号資産交換業者は事前に届け出るべきものと変更しています。

「移転記録が公開されずマネロンに利用されやすいなどの問題がある暗号資産が登場」(金融庁作成の国会審議参考用説明資料(20193月。以下「金融庁説明資料」といいます。)3頁)していることを承けての監督強化ということになります。「仮想通貨交換業者が取り扱う仮想通貨の変更を事前届出の対象とし,行政当局が,必要に応じて,認定協会とも連携しつつ,柔軟かつ機動的な対応を行い得る枠組み」(研究会報告書10頁)が構築されるのだ,ということでしょう。具体的には,一般社団法人日本仮想通貨交換業協会の事務局による快刀乱麻を断つ活躍が期待されているのでしょうか。

 

8 利用者の保護等に関する措置に係る規制強化・罰則導入

 従来の資金決済法63条の10は「仮想通貨交換業者は,内閣府令で定めるところにより,その取り扱う仮想通貨と本邦通貨又は外国通貨との誤認を防止するための説明,手数料その他の仮想通貨交換業に係る契約の内容についての情報の提供その他の仮想通貨交換業の利用者の保護を図り,及び仮想通貨交換業の適正かつ確実な遂行を確保するために必要な措置を講じなければならない。」と規定していましたが(下線は筆者),違反に対する罰則はありませんでした。

 

(1)広告における表示必要事項規制(63条の9の2及び112条9号)

 ところが,改正後資金決済法により新設される同法63条の92は,暗号資産交換業者のする暗号資産交換業に関する広告について,内閣府令で定めるところにより,①暗号資産交換業者の商号,②暗号資産交換業者である旨及びその登録番号,③暗号資産は本邦通貨又は外国通貨ではないこと並びに④暗号資産の性質であって利用者の判断に影響を及ぼすこととなる重要なものとして内閣府令で定めるものを表示すべきことを義務付けており,かつ,同条に規定する事項を表示しなかった者は,同法1129号により,6月以下の懲役若しくは50万円以下の罰金に処され,又はこれを併科されることになります(同法11514号に両罰規定あり。)。

 

(2)禁止行為規制(63条の9の3並びに109条8号及び112条10号)

 また,こちらも新設条項である改正後資金決済法63条の93は,暗号資産交換業者又はその役員若しくは使用人に係る禁止行為を掲げています。当該罪と罰とのカタログは,次のとおりとなります。

改正後資金決済法63条の931号の禁止行為は「暗号資産交換業の利用者を相手方として第2条第7項各号に掲げる行為〔暗号資産交換業に係る行為〕を行うことを内容とする契約の締結又はその勧誘〔略〕をするに際し,虚偽の表示をし,又は暗号資産の性質その他内閣府令で定める事項〔略〕についてその相手方を誤認させるような表示をする行為」です。当該禁止行為を行った者は,同法1098号によって罰せられます(1年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金又はこれを併科(同法11512号の両罰規定により法人には特に2億円以下の罰金刑))。

改正後資金決済法63条の932号の禁止行為は「その行う暗号資産交換業に関して広告をするに際し,虚偽の表示をし,又は〔暗号資産の性質その他内閣府令で定める事項〕について人を誤認させるような表示をする行為」であり,第3号の禁止行為は「〔暗号資産交換業の利用者を相手方として第2条第7項各号に掲げる行為〔暗号資産交換業に係る行為〕を行うことを内容とする契約の締結又はその勧誘〕をするに際し,又はその行う暗号資産交換業に関して広告をするに際し,支払手段として利用する目的ではなく,専ら利益を図る目的で暗号資産の売買又は他の暗号資産との交換を行うことを助長するような表示をする行為です(下線は筆者)。これらの禁止行為を行った者は,同法11210号によって罰せられます(6月以下の懲役若しくは50万円以下の罰金又はこれを併科(同法11514号に両罰規定))。

 虚偽の表示や人を誤認させるような表示がいけないのは当然のこととしても(改正後資金決済法63条の931号・2号),「支払手段として利用する目的ではなく,専ら利益を図る目的で暗号資産の売買又は他の暗号資産との交換を行うことを助長するような表示をする行為」が犯罪とされてしまうこと(同条3号)は厄介です。現実には,暗号資産を支払手段として実際に利用しており,又は利用しようとしている人は,多数派ではないようであるからです(例えば老舗のビットコインであっても支払手段としての使い勝手は悪く,「ビットコインの取引は,最大でも世界全体で1秒間に7件しか行うことができませんでした(これは,10分間では4200件,1日では約60万件にあたります)。しかし,ビットコインの取引件数が増える中で,取引量がこのブロックサイズの上限を上回るようになってしまいました。取引量がブロックの容量を超えて,取引の渋滞や承認の遅延が発生してしまったのです。」というような事情だったそうです(中島真志『アフター・ビットコイン』(新潮社・2017年)90頁)。)。また,そもそもhomo economicusの行う経済取引の動機が利益を図ることでないわけがないところであって,利益を図るべしと言うななどとは「余計なお世話である」感があります。ただし,当該条文の文言に再び戻ってよく読んでみると,「専ら利益を図る目的で暗号資産の売買又は他の暗号資産との交換を行うことを助長するような表示」であって初めて犯罪なのですから,これが「専ら」ではなく「主に」ならば,少なくとも犯罪捜査当局筋の問題とはならないものと考えてよいものではありましょうか。悩ましいところです。(「助長」については,「宋人有閔其苗之不長而揠之者,芒芒然帰,謂其人曰,今日病矣,予助苗長矣,其子趨而往視之,苗則槁矣」との出典(孟子・公孫丑章句上)に忠実に解釈すると,暗号資産交換業利用者が「といしい結果強引揠之者これをぬけるものないしょう。)

しかしながら,「仮想通貨交換業者による積極的な広告等により,仮想通貨の値上がり益を期待した投機的取引が助長され」ていること(研究会報告書8頁)自体が問題であって「投機的取引を助長する広告・勧誘」は行わないことを求めることが適当と考えられる(同9頁)ということであれば,業規制当局筋の解釈・運用は厳しいものとなるのでしょう。投機については,“ “Speculation” has an ugly ring, but a successful derivatives market needs speculators who are prepared to take on risk and provide more cautious people…with the protection they need.”(「投機」には醜い響きがある。しかしながら,デリバティブ市場が成功するためには,リスクを取る準備があり,そして〔略〕より慎重な人々に対して彼らが必要とする保護を与える投機家が必要なのである。)などともいわれており(Brealey and Myers, Principles of Corporate Finance, 7th ed., McGraw-Hill, 2003, p.773),経済社会全体として効用はあるはずなのですが,暗号資産の市場における事情は異なるのでしょうか。「仮想通貨デリバティブ取引については,原資産である仮想通貨の有用性についての評価が定まっておらず,また,現時点では専ら投機を助長している,との指摘もある中で,その積極的な社会的意義を見出し難い。」との厳しい評価が下されているところです(研究会報告書16頁)。

 なお,改正後資金決済法63条の10には新たに第2項が設けられ,同項は「暗号資産交換業者は,暗号資産交換業の利用者に信用を供与して暗号資産の交換等を行う場合には,前項に規定する措置のほか,内閣府令で定めるところにより,当該暗号資産の交換等に係る契約の内容についての情報の提供その他の当該暗号資産の交換等に係る業務の利用者の保護を図り,及び当該業務の適正かつ確実な遂行を確保するために必要な措置を講じなければならない。」と規定しています。暗号資産交換業者から信用の供与を受けることまでして暗号資産の売買・交換をしてしまう利用者の存在自体は,御当局としても容認せざるを得ないということなのでしょう。従来の状況は,「仮想通貨の売買・交換を業として行うことは資金決済法の規制対象とされているが,仮想通貨信用取引自体に対する金融規制は設けられていない。」というものであったところです(研究会報告書18頁)。

 

9 受託金銭及び受託暗号資産の分別管理義務並びに履行保証暗号資産

 

(1)受託金銭の管理(63条の11第1項)

 従来の資金決済法63条の111項では,仮想通貨交換業者は利用者の金銭を分別管理するだけでよいとされていました。しかしながら,改正後資金決済法63条の111項では,利用者の金銭については内閣府令で定めるところにより信託会社等(資金決済法216項参照)への信託もしなければならないものとされています。仮想通貨交換業者に係る「制度の施行時と比べて,受託金銭の額が高額になってきているほか,検査・モニタリングを通じて,仮想通貨交換業者による受託金銭の流用事案も確認されている」ことから,「受託金銭については,流用防止及び倒産隔離を図る観点から,仮想通貨交換業者に対し,信託義務を課すことが適当と考えられ」たこと(研究会報告書7頁)によるものです。

 

(2)受託暗号資産の管理(63条の11第2項)

 受託暗号資産については,信託の義務付けは検討されたものの,結局その導入には至っていません(研究会報告書6頁参照)。しかしながら,従来の分別管理義務に加えて,「この場合〔分別管理に係る改正後資金決済法63条の112項前段の場合〕において,当該暗号資産交換業者は,利用者の暗号資産(利用者の利便の確保及び暗号資産交換業の円滑な遂行を図るために必要なものとして内閣府令で定める要件に該当するものを除く。)を利用者の保護に欠けるおそれが少ないものとして内閣府令で定める方法で管理しなければならない。」と,その方法についての新たな義務が規定されています(同項後段)。「仮想通貨交換業者には,セキュリティ対策の観点から,可能な限り,受託仮想通貨の移転に必要な秘密鍵をコールドウォレット(オフライン)で管理することが求められ」ているところです(研究会報告書3頁)。金融庁説明資料では「コールドウォレット」で管理することを義務付けるものとされています(2頁。下線は筆者)。

 

(3)履行保証暗号資産(63条の11の2及び108条3号)

 他方,「こうしたセキュリティ対策に加えて,流出事案が生じた場合の〔略〕顧客に対する弁済原資が確保されていることも,利用者保護の観点から重要と考えられる」ことから,暗号資産交換業者に対し「ホットウォレットで秘密鍵を管理する受託仮想通貨に相当する額以上の純資産額及び弁済原資(同種・同量以上の仮想通貨)の保持を求めることが適当と考えられ」(研究会報告書4頁。外部のネットワークに接続されたウォレットは「ホットウォレット」と呼ばれています(同3頁註8)。),改正後資金決済法63条の1121項は履行保証暗号資産制度を導入し,「暗号資産交換業者は,前条第2項に規定する内閣府令で定める要件に該当する暗号資産〔ホットウォレット(金融庁説明資料2頁参照)で秘密鍵を管理することが認められる暗号資産〕と同じ種類及び数量の暗号資産(以下この項,第63条の1921項及び第108条第3号において「履行保証暗号資産」という。)を自己の暗号資産として保有し,内閣府令で定めるところにより,履行保証暗号資産以外の自己の暗号資産と分別して管理しなければならない。この場合において,当該暗号資産交換業者は,履行保証暗号資産を利用者の保護に欠けるおそれが少ないものとして内閣府令で定める方法で管理しなければならない。」と規定しています。

なお,「ホットウォレットで秘密鍵を管理する受託仮想通貨に相当する額以上の純資産額」の保持義務が採用されなかった理由については,いわく。「弁済資金として金銭等の安全資産の保持を求めることも考えられるが,仮想通貨交換業者が顧客に対して負っている義務は受託仮想通貨を返還することであることや,安全資産の保持額が仮想通貨の価格変動により弁済必要額に満たなくなる場合があり得ること等に留意が必要と考えられる。また,仮に受託仮想通貨が流出したとしても,仮想通貨交換業者が顧客に対して受託仮想通貨を返還する義務が当然に消滅するわけではないことを踏まえても,弁済原資としては同種の仮想通貨の保持を求めることが適当と考えられる。」と(研究会報告書4-5頁註11)。

暗号資産交換業者には,ホットウォレット保管分に相当する同種・同量の暗号資産を重ねて別途購入等して確保し,かつ,保管しなければならない(寝かせておく)負担が新たに生ずることになります。また,履行保証暗号資産の管理の状況については,定期に,公認会計士又は監査法人の監査を受けなければなりません(改正後資金決済法63条の1122項)。

改正後資金決済法63条の192については,次の10で説明します。

改正後資金決済法1083号は,「第63条の1121項前段の規定に違反して,履行保証暗号資産を保有せず,又は履行保証暗号資産を履行保証暗号資産以外の自己の暗号資産と分別して管理しなかった者」を2年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金に処し,又はこれを併科するものとしています(同法11511号の両罰規定により,法人は特に3億円以下の罰金刑が科せられます。)。

 

10 対象暗号資産の弁済等(63条の19の2及び63条の19の3)

 新たに設けられる改正後資金決済法63条の192及び63条の193は,次のように規定しています。

 

   (対象暗号資産の弁済)

  第63条の19の2 暗号資産交換業者との間で当該暗号資産交換業者が暗号資産の管理を行うことを内容とする契約を締結した者は,当該暗号資産交換業者に対して有する暗号資産の移転を目的とする債権に関し,対象暗号資産(当該暗号資産交換業者が第63条の112項の規定により自己の暗号資産と分別して管理するその暗号資産交換業の利用者の暗号資産及び履行保証暗号資産をいう。)について,他の債権者に先立ち弁済を受ける権利を有する。

  2 民法(明治29年法律第89号)第333条の規定は,前項の権利について準用する。

  3 第1項の権利の実行に関し,必要な事項は,政令で定める。

 

   (対象暗号資産の弁済への協力)

  第63条の19の3 暗号資産交換業者から暗号資産の管理の委託を受けた者その他の当該暗号資産交換業者の関係者は,当該暗号資産交換業者がその行う暗号資産交換業に関し管理する利用者の暗号資産に係る前条第1項の権利の実行に関し内閣総理大臣から必要な協力を求められた場合には,これに応ずるよう努めるものとする。

 

 改正資決済法63条の1921項の権利に係る制度導入は,暗号資産交換業者の管理に係る利用者からの受託暗号資産については当該利用者に対して信託受益権も取戻権も(研究会報告書5頁註12参照)認められていないとの認識に基づくものなのでしょう。「資金決済法上,分別管理された顧客の仮想通貨は交換業者破産時に信託財産とみなし破産財産に属しない旨明記」することも,「取戻権構成」により「交換業者倒産時に特定性が担保された顧客分の仮想通貨は交換業者の一般債権者の弁済原資とならずに顧客に返還される旨明記」することも(小野傑「仮想通貨交換業者の分別管理義務」金融法務事情2013号(20181210日号)1頁)されなかったということになるのでしょう。先取特権(「先取特権者は,この法律その他の法律の規定に従い,その債務者の財産について,他の債権者に先立って自己の債務の弁済を受ける権利を有する」(民法303条))的に「顧客の仮想通貨交換業者に対する受託仮想通貨の返還請求権を優先弁済の対象とすること」とした上で(研究会報告書6-7頁参照),「受託仮想通貨の返還請求権を優先弁済の対象とすることについては,他の債権者との関係にも留意が必要との意見もあった。こうした意見も踏まえ,優先弁済権の目的財産を,仮想通貨交換業者の総財産ではなく,例えば,本来的に顧客以外の債権者のための財産とはいえない受託仮想通貨と,〔略〕流出リスクに備えて顧客のために保持を求める弁済原資(同種の仮想通貨)に限定するといった対応も考えられる。」とされていたところに鑑み(同7頁註16),結論として,正に当該「限定するといった対応」が採用されたものでしょう。

ちなみに民法333条は,「先取特権は,債務者がその目的である動産をその第三取得者に引き渡した後は,その動産について行使することができない。」と規定しています。暗号資産に即していえば,いったんネットワーク上に流出してしまったら仕方がない,ということでしょう。

なお,先取特権は民法の物権編に規定されていますが,一般の先取特権であればその目的物は債務者の総財産であって(民法306条),物たる有体物(同法85条)には限定されず,「債権その他の財産のすべてを含む。」とされています(我妻榮『新訂担保物権法(民法講義Ⅲ)』(岩波書店・1968年)76頁。また,58頁)。ただし,「法律上執行の目的とならないものはおのずから除外される。なお,この場合にも総財産は1個のものとみられるのではなく,すべての財産のそれぞれの上に先取特権が成立するものとみる。」とされています(我妻Ⅲ・76頁)。目的たる対象暗号資産に対する執行の方法は,正に改正後資金決済法63条の1923項の政令を待つ,ということなのでしょう。

 

ちなみに,先取特権の実行であれば,担保権の実行としての競売(民事執行法(昭和54年法律第4号)第3章の章名参照。また,旧競売法(明治31年法律第15号)3条・22条)ということになるのでしょう。しかして,暗号資産は民事執行法1671項に規定する「その他の財産権」だとすると,それを目的とする先取特権の実行の要件等は同法193条によることになります。すなわち,暗号資産を管理する暗号資産交換業者の普通裁判籍の所在地を管轄する裁判所が執行裁判所となり(民事執行法1932項・1671項・1441項),担保権の存在を証する文書の提出によって(同法1931項),当該執行裁判所の差押命令によって実行が開始されることになるのでしょう(同条2項・同法1671項・143条)。配当要求は,執行力のある債務名義の正本を有する債権者及び文書により先取特権を有することを証明した債権者がすることができることになるようです(民事執行法1932項・1671項・1541項)。執行官が必ず暗号資産の引渡しを受けねばならないのでは大変でしょうから(民事執行法163条参照),執行裁判所の譲渡命令,売却命令,管理命令又は適当な方法による換価を命ずる命令によって執行されるのでしょうか(同法1932項・1671項・161条)。

改正後資金決済法63条の1921項の優先弁済権の対象である暗号資産の移転を目的とする債権は,金銭の支払を目的とする債権というわけには直ちにはいきません。先取特権の実行の場合は,履行に代わる損害賠償の債権について申立てをすることとなるのでしょうか(不動産登記法(平成16年法律第123号)8311号括弧書き参照。また,担保権の実行の申立書の記載事項に係る民事執行規則(昭和54年最高裁判所規則第5号)17012号の「被担保債権の表示」については,「債権者が当該担保権の実行の手続において配当等を受けようとする金額を明らかにするものである」,「したがって,元本債権だけでなく,利息及び遅延損害金についても配当等を受けようとするときは,その金額又は利率及び起算日をも記載すべきである」ものとされています(最高裁判所事務総局民事局監修『条解民事執行規則(第三版)』(司法協会・2007年)607-608頁。下線は筆者)。)。平成29年法律第44号による改正後民法では第41523号及び第417条に基づき金銭債権に変ぜしめられることになります。ただし,暗号資産の管理について寄託構成を採用する場合であって(片岡義広「仮想通貨の私法的性質の論点」LIBRA174号(20174月号)は,「準寄託」として考えられるであろうとします(16-17頁)。),寄託契約の告知による終了に基づき寄託物の返還請求がされると解するときは(我妻榮『債権各論中巻二(民法講義Ⅴ₃)』(岩波書店・1962年)723頁),当該返還債務について同法41523号後段の「債務の不履行による契約の解除権が発生」することは(解除すべき契約は既に終了しているのであるから)もはやないということになりそうにも思われます。ここは,解釈で補充して対応するのでしょう。我妻榮は,履行遅滞に基づく填補賠償の請求について,「債権者は,一定の期間を定めて催告した上で,期間徒過の後は,解除によって自己の債務を消滅させることなしにも填補賠償を請求する権利を取得する」と解すると述べた上で,「遺贈による債務のように契約に基づかないもの」(したがって,これについては契約の解除権の発生は観念されません。)などにおいて「債権者にとって妥当な結果となる」とその理由を挙げていたところです(『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1964年)114頁)。

なお,別除権(破産法(平成16年法律第75号)29項)である場合,破産手続によらないで行使できますが(同法651項),やはり民事執行法等によるその「基礎である担保権本来の実行方法によること」となります(伊藤眞『破産法(第4版)』(有斐閣・2005年)319頁)。非金銭債権を金銭債権に転化し(破産法10321号イ),破産債権者として破産手続に参加する場合(同条1項),その破産債権が優先的破産債権(同法98条)であるとよいのですが,優先的破産債権は「一般の先取特権その他一般の優先権がある」破産債権とされています(同条1項)。「優先的破産債権の基礎となるのは,民法その他の法律にもとづく一般の先取特権および企業担保権など」です(伊藤194-195頁)。これらは債務者の総財産を担保の目的としています(民法306条柱書き,企業担保法(昭和33年法律第106号)21項)。

ただし,改正資決済法63条の192及び63条の193の見出しは「対象暗号資産の弁済」といっています。「暗号資産の移転を目的とする債権に関し」(改正資決済法63条の1921項),対象暗号資産そのものによる弁済(「対象暗号資産の弁済」)を優先的に受けることが改正資決済法63条の1921項の権利なのだ,ということなのでしょう。

 

改正後資金決済法63条の193の規定は,「土屋雅一「ビットコインと税務」税大ジャーナル23号(2014年)8182頁は,〔ビットコインの移転に要する暗号の記録媒体が〕紙媒体になれば差押可能財産とできるが,滞納者から暗号解読のパスワードを聞き出す方法に問題があることを指摘している。」という記述(鈴木尊明「ビットコインを客体とする所有権の成立が否定された事例」TKCローライブラリー新・判例解説Watch民法(財産法)No.1072016219日掲載)4頁註11)などを想起させるところです。また,執行裁判所又は執行官ではなく(民事執行法2条参照),金融庁(内閣総理大臣)が,私権であろうところの改正後資金決済法63条の1921項の優先弁済権の実行に関与するという仕組みも興味深いところです。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

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1 利用者財産の分別管理に係る仮想通貨交換業者の義務に関する法令の規定

 「利用者財産の管理」との見出しを付された資金決済に関する法律(平成21年法律第59号。以下「資金決済法」といいます。)63条の11は,その第1項で「仮想通貨交換業者は,その行う仮想通貨交換業に関して,内閣府令で定めるところにより,仮想通貨交換業の利用者の金銭又は仮想通貨を自己の金銭又は仮想通貨と分別して管理しなければならない。」と規定し,第2項では「仮想通貨交換業者は,前項の規定による管理の状況について,内閣府令で定めるところにより,定期に,公認会計士(公認会計士法(昭和23年法律第103号)第16条の25項に規定する外国公認会計士を含む。第63条の143項において同じ。)又は監査法人の監査を受けなければならない。」と規定しています。

 上記資金決済法63条の111項の「内閣府令で定めるところ」は,仮想通貨交換業者に関する内閣府令(平成29年内閣府令第7号。以下「仮想通貨交換業者府令」といいます。)20条において次のように規定されています。

 

   (利用者財産の管理)

  第20条 仮想通貨交換業者は,法第63条の111項の規定に基づき仮想通貨交換業の利用者の金銭を管理するときは,次に掲げる方法により,当該金銭を管理しなければならない。

   一 預金銀行等への預金又は貯金(当該金銭であることがその名義により明らかなものに限る。)

   二 信託業務を営む金融機関等への金銭信託で元本補填の契約のあるもの

  2 仮想通貨交換業者は,法第63条の111項の規定に基づき利用者の仮想通貨を管理するときは,次の各号に掲げる仮想通貨の区分に応じ,当該各号に定める方法により,当該仮想通貨を管理しなければならない。

   一 仮想通貨交換業者が自己で管理する仮想通貨 利用者の仮想通貨と自己の固有財産である仮想通貨とを明確に区分し,かつ,当該利用者の仮想通貨についてどの利用者の仮想通貨であるかが直ちに判別できる状態(当該利用者の仮想通貨に係る各利用者の数量が自己の帳簿により直ちに判別できる状態を含む。次号において同じ。)で管理する方法

   二 仮想通貨交換業者が第三者をして管理させる仮想通貨 当該第三者において,利用者の仮想通貨と自己の固有財産である仮想通貨とを明確に区分させ,かつ,当該利用者の仮想通貨についてどの利用者の仮想通貨であるかが直ちに判別できる状態で管理させる方法

 

分別して管理する分別管理はブンベツ管理であってフンベツ管理ではありません。委任事務の処理は,分別(ふんべつ)をもって管理すべきものというよりは,「委任の本旨に従い,善良な管理者の注意をもって」行うべきものとされています(民法(明治29年法律第89号)644条)。商人による寄託物の保管についても同様,分別(ふんべつ)の語は用いられず,「商人がその営業の範囲内において寄託を受けた場合には,報酬を受けないときであっても,善良な管理者の注意をもって,寄託物を保管しなければならない。」とされています(平成30年法律第29号による改正後の商法(明治32年法律第48号)595条)。

「善良な管理者の注意」とは何かといえば,富井政章及び本野一郎による民法644条のフランス語訳によれば“les soins d’un bon administrateur”とあります。旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)2391項には「代理人ハ委任事件ヲ成就セシムルコトニ付テハ善良ナル管理人タルノ注意ヲ為ス責ニ任ス」とあるのでフランス民法由来の概念かとも思うのですが,フランス民法19921項は“Le mandataire répond non seulement du dol, mais encore des fautes qu’il commet dans sa gestion.”(受任者は,詐欺のみならず,その事務処理における過失についても責任を負う。)と,同条2項は“Néanmoins la responsabilité relative aux fautes est appliquée moins rigoureusement à celui dont le mandat est gratuit qu’à celui qui reçoit un salaire.”(しかしながら,過失に係る責任は,無償の委任に係る者に対しては,報酬を受領する者よりもより厳格でないものとして適用される。)と規定するのみです。「善良な管理者の注意」との言い回しは,何やら日本における発明のようであるように思われます。2019415日の追記:我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)26頁においては「善良なる管理者の注意」は「ドイツ民法に“in Verkehr erforderliche Sorgfalt”というに同じ」と説明されていますが,このドイツ語は,取引において(in Verkehr)必要な(erforderliche)注意(Sorgfalt)という意味です。「善良な管理者」の語源としてはしっくりしません。そこで,横着をせずに梅謙次郎の著書に遡れば,民法400条の解説にありました。語源はローマ法のpaterfamiliasです。いわく,「軽過失ヲ別チテ抽象的〇〇〇成形的〇〇〇Culpa levis in abstracto ve in concreto)ノ2ト為スハ多少理由ナキニ非ス例ヘハ売主カ其売却シタル物ヲ保存スルニ付テハ善良〇〇ナル〇〇管理者〇〇〇Bonus paterfamilias良家〇〇ト訳スヘキカ)カ通常加フル所ノ注意ヲ加フヘキモ無償ニテ寄託ヲ受ケタル者ハ受寄物ヲ保存スルニハ唯自己ノ財産ニ付テ平生加フル所ノ注意ヲ加フレハ則チ足ルカ如キ是ナリ(〔民法〕659〔条〕)即チ甲ハ抽象的ニシテ乙ハ成形的ナリ」と(梅謙次郎『民法要義巻之三債権 訂正増補第20版』(和仏法律学校=書肆明法堂・1903年)12頁)。このローマの善良なpaterfamiliasは,優しい「マイホーム・パパ」であるかといえば,そうではありません。「古典期の学説によると,父親は,妻を含む家族成員の全てに対して「生殺与奪の権利(ius vitae ac necis)」を有していた。これは,実際上,ある種の刑罰権として家内裁判の基礎をなしたものである。」という怖い人であり,かつ,「ローマの家父・家長の権能は大変に強力で,統一的・排他的・一方的・絶対的・画一的な支配をもって家族に君臨した。彼は,家族構成員の法的人格を完全に吸収し,対外的交渉を全て担当して家族を代表し,権利義務の帰属点となった。」とされています(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法―ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)149頁)。ちなみに,necisはラテン語女性名詞nexの属格形で,このnexには殺害,殺すこと,死のような禍々まがまがしい意味があります。やれ飛行機は墜落せずに無事だったわいと成田空港にくたびれて到着した教養人に対して「次はNexに乗ってください(in Nece vehere)」と告げるのはちょっといかがなものでしょうか。我がJR東日本の成田エクスプレスの略称は,そこをおもんぱかってか,N’EXと,アポストロフィを打ってラテン語の綴りと相違せしめてあります。)

以上はさておき,仮想通貨交換業者折角の分別管理には,どのような効能があるのか思案分別してみましょう。

(ちなみに,片岡義広「仮想通貨の私法的性質の論点」LIBRA174号(20174月号)17頁には,仮想通貨交換業者が倒産したときの取扱いについて,「〔仮想通貨が〕仮想通貨保有者のものとして〔仮想通貨交換業者のもとで〕分別管理がなされている限りは,明文規定はないものの,信託法251項〔「受託者が破産手続開始の決定を受けた場合であっても,信託財産に属する財産は,破産財団に属しない。」〕を準用し,分別管理された仮想通貨保有者の財産として取り扱い,同種同量の仮想通貨をそれぞれ返還すべきであると考える。なお,その総量が不足する場合には,管財人としては,プロラタ(数量按分)となるが,いずれの場合も,一般先取特権(民法306条)があるのと同様に一般倒産債権者からは優先した金銭配当をする便宜も認められてよいと考える(破産法981項〔「破産財団に属する財産につき一般の先取特権その他一般の優先権がある破産債権〔略〕は,他の破産債権に優先する。」〕参照)。そう考えることが,公法(規制法)でありつつも,改正資金決済法が分別管理を要求した趣旨に適うものと考える。」と述べ,更に「換言すれば,改正資金決済法が分別管理を求めたのは,かかる私法上の法律効果が生じることを前提に(期待して)規定したものといいうる。」と付言しています(同頁(註20))。)

 

2 利用者財産の分別管理を仮想通貨交換業者に義務付けた趣旨:不正対策

 

(1)資金決済法63条の11

資金決済法63条の111項の趣旨については,2016524日の参議院財政金融委員会において,資金決済法改正による仮想通貨交換業者の登録制度の採用に関し,池田唯一政府参考人(金融庁総務企画局長)から答弁があり,「今回の仮想通貨交換業者につきましては,顧客から預かった財産を事業者の財産と分別して管理する義務が課されているなど,事業者において顧客の資産を自由に運用するものではないということ」であるとのことでした(第190回国会参議院財政金融委員会会議録第1419頁)。

より直接的には,仮想通貨交換業者又はその関係者による不正行為の防止が目的であるようです。同年427日の衆議院財務金融委員会における麻生太郎金融担当国務大臣の答弁にいわく。「いわゆる仮想通貨と法定通貨というものを交換するのをもってなりわいとしているという業者が,言われましたように,一昨年,破綻をして,その代表者が顧客の資金を着服した,横領したなどの容疑,嫌疑によって逮捕ということになったところであります。マウントゴックスというので一躍有名になりましたが,これは渋谷にあった会社だと記憶しますけれども。/私どもは,今回この法案を提出させていただくに当たりましては,こういった問題が発生していることに加えまして,いわゆる仮想通貨を利用する人たちの預けた財産,ビットコインを含む,現預金も含めまして,そういったものと自分たちの持っている会社等の財産というものをきちんと分別管理する義務というものを課すとともに,これは当然のこととして,適正な管理や,会社をやりますときには,財務諸表,比較貸借対照表,財産目録等々そういったものをきちっとした正確性を担保するために,公認会計士の外部監査というものを受ける義務を課しております。」と(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第169-10頁)。

マウントゴックス社の内情は,池田唯一政府参考人の答弁するところでは,「マウントゴックス社が利用者から預かった金銭やビットコインを流出させていたその実態ということについては,〔略〕破綻に至る以前から債務超過に陥っていた,それから,顧客の資産と代表者あるいは会社の資産とが混同されていたというような点が,破産手続の過程で示されている資料等で報告されているところでございます。」とのことでした(第190回国会衆議院財務金融委員会議録第169頁)。すなわち,「警視庁の調べで,ハッカーによるサイバー攻撃により消失したと言われていたビットコインの大部分は,実は,元社長のマルク・カルプレスが外部の口座に送金するなどして横領していたことが分かったのです。つまり,外部のハッカーによる犯行ではなく,犯人は「ハッカーにやられた」と言って被害者役を演じていた取引所の社長その人だったのです。このためカルプレス被告は,20159月に業務上横領などで起訴されました。」ということでした(中島真志『アフター・ビットコイン 仮想通貨とブロックチェーンの次なる覇者』(新潮社・2017年)59頁)。

 (本記事掲載の翌日の追記:上記起訴に係るカルプレス氏の業務上横領等被告事件の一審判決が2019315日に東京地方裁判所で下されましたが,何と,業務上横領及びその予備的訴因の会社法違反(特別背任)は無罪,私電磁的記録不正作出・同供用罪については懲役26月の有罪でしたが4年の執行猶予が付いたそうです。同日付け(同日1340分に更新)の日本経済新聞のウェブ・サイトの記事によると,大量消失したビットコインは「ハッキングされて盗まれた」と被告人は主張していたところ,結局「警視庁の捜査でも,〔ビット〕コイン消失の原因は解明されないままとなっている」そうです。また,金銭についても裁判所は「利用者が〔マウントゴックス〕社に送金した金銭は,同社に帰属すると指摘。金銭が利用者に帰属することを前提にした検察側の主張は採用できない」と判断したそうです。)
 

(2)仮想通貨交換業者府令20

仮想通貨交換業者府令202項の由来については,金融庁の仮想通貨交換業等に関する研究会(座長・神田秀樹教授)の第6回会合(2018103日)に事務局から提出された資料(資料3「討議資料」5頁)には,資金決済法仮想通貨交換業者の倒産リスク問題に関して「資金決済法では,信託法を含め,仮想通貨の私法上の位置付けが明確でない中で,少なくとも過去の破綻事例のような顧客財産の流用を防止する観点から,仮想通貨の分別管理方法として,〔信託を用いて保全するのではなく,〕②〔自己又は委託先において顧客毎の財産を直ちに判別できる状態で管理する方法〕を規定した。」と述べられています(下線は筆者によるもの。仮想通貨交換業等に関する報告書(仮想通貨交換業等に関する研究会・20181221日)5頁も「顧客財産の流用を防止する観点」を理由として挙げています。)。

金銭の分別管理に係る同条1項の由来については,「受託金銭については,資金決済法上,仮想通貨に信託義務を課さない中で,金銭についてのみ信託を行うこととしても,どこまで利用者保護の実効性があるか疑問であるとの指摘等を踏まえ,金銭の分別管理方法としては,自己資金とは別の預貯金口座又は金銭信託で管理することを規定している」ということでした(仮想通貨交換業等に関する研究会(第6回)資料37頁)。

 

3 利用者財産の分別管理といわゆる倒産隔離

 利用者財産の分別管理と,いわゆる倒産隔離との関係についてはどうでしょうか。

「取戻権」との見出しが付された破産法(平成16年法律第75号)62条は,「破産手続の開始は,破産者に属しない財産を破産財団から取り戻す権利〔略〕に影響を及ぼさない。」と規定しているところです。

 

(1)金融商品取引業者等の例:倒産隔離可能

倒産隔離に関して,仮想通貨交換業者と金融商品取引業者等(金融商品取引業者又は登録金融機関(金融商品取引法(昭和23年法律第25号。以下「金商法」といいます。)34条))との横並び論の観点から,まず金融商品取引業者等に係る顧客資産の分別管理の仕組みについての説明を見てみましょう。

すなわち,金融商品取引業者等については,「金融商品取引業者においては,顧客から(所有権の移転を伴う)消費寄託により預かった金銭については,顧客を受益者とする信託業務が課されている〔金商法43条の22項〕。一方で,顧客から(所有権の移転を伴わない)寄託により預かった有価証券については,顧客毎の財産を直ちに判別できる状態で管理することが求められている〔金商法43条の21項〕。/これにより,金融商品取引業者において分別管理が適切になされている限り,仮に当該金融商品取引業者が破綻したとしても,顧客は,金銭については信託受益権の行使により,有価証券については所有権に基づく取戻権の行使により〔破産法62条〕,いずれも弁済を受けることが可能な仕組みとなっている。」とされています(仮想通貨交換業等に関する報告書5頁(註12))。

 

(2)仮想通貨交換業者の場合

 

ア 消極的見解

これに対して仮想通貨交換業者に係る分別管理の仕組みは当該仮想通貨交換業者の破綻のときにどう働くかといえば,こちらは心もとない状況となっています。

仮想通貨交換業等に関する研究会の第7回会合(20181019日)に事務局から提出された資料(資料4「補足資料」5頁)によれば,顧客の金銭を仮想通貨交換業者が預かって仮想通貨交換業者府令2011号に基づき「預貯金口座で管理する場合,倒産隔離機能なし」(下線は原文)ということで当該顧客の金銭は保全されないものとされ,顧客の仮想通貨を同条21号に基づき「自己の仮想通貨と明確に区分し,顧客毎の数量を直ちに判別できる状態で管理」しても当該仮想通貨については,「倒産隔離が機能しない可能性(仮想通貨に係る私法上の位置付けが不明確なため)」(下線は原文)があるものとされています(仮想通貨交換業等に関する報告書6頁にも「仮想通貨交換業者が適切に分別管理を行っていたとしても,受託仮想通貨について倒産隔離が有効に機能するかどうかは定かとなっていない。」とあります。)。

 

イ 別預貯金口座による金銭の分別管理

預貯金口座による金銭の分別管理については,「当該金銭〔「利用者の金銭」ということでしょう。〕であることがその名義により明らか」であっても(仮想通貨交換業者府令2011号括弧書き),金融庁としては,当該預貯金債権は仮想通貨交換業者に帰属し,利用者には帰属しないと解しているのでしょう。
 (なお,最判平成
15221日民集57295頁は,被上告人損害保険会社(B火災海上保険(株))の代理店である訴外会社(D建設工業(株))が被上告人の保険契約者から収受した保険料を自己の財産と分別して管理するために上告人である信用組合において開設を受けた預金口座である「本件預金口座の名義である「B火災海上保険(株)代理店D建設工業(株)F」が預金者として訴外会社〔D建設工業(株)〕ではなく被上告人〔B火災海上保険(株)〕を表示しているものとは認められない」とした上で,通帳及び届出印の保管並びに本件預金口座に係る入金及び払戻事務を行っていたのは訴外会社であったから「本件預金口座の管理者は,名実ともに訴外会社」であると認め,(「訴外会社は,被上告人を代理して保険契約者から収受した保険料を専用の金庫ないし集金袋で保管し,他の金銭と混同していなかった」と原審が認定しているとしても)「金銭については,占有と所有が結合しているため,金銭の所有権は常に金銭の受領者(占有者)である受任者に帰属し,受任者は同額の金銭を委任者に支払うべき義務を負うことになるにすぎない」から「被上告人の代理人である訴外会社が保険契約者から収受した保険料の所有権はいったん訴外会社に帰属」するのであって「本件預金の原資は,訴外会社が所有していた金銭にほかならない」とし,「本件事実関係の下においては,本件預金債権は,被上告人にではなく,訴外会社に帰属するというべきである。訴外会社が本件預金債権を訴外会社の他の財産と明確に区分して管理していたり,あるいは,本件預金の目的や使途について訴外会社と被上告人との間の契約によって制限が設けられ,本件預金口座が被上告人に交付されるべき金銭を一時入金しておくための専用口座であるという事情があるからといって,これが金融機関である上告人に対する関係で本件預金債権の帰属者の認定を左右する事情になるわけではない。」と判示しています。)

仮想通貨交換業者府令201項には2種の分別管理の方法が規定されているところ,金銭信託に係る金商法43条の22項に対応するのは仮想通貨交換業者府令2012号の方法であるから顧客財産である金銭の保全に万全を期するのならそちらを使うべし,ということのようです。

 

ウ 仮想通貨交換業者における仮想通貨の分別管理

「自己の仮想通貨と明確に区分し,顧客毎の数量を直ちに判別できる状態で管理」しても当該仮想通貨については「倒産隔離が機能しない可能性(仮想通貨に係る私法上の位置付けが不明確なため)」があるとの問題意識は何かといえば,有価証券については「分別管理が適切になされていれば,顧客財産は保全」されて,これは「顧客は有価証券の所有権に基づき,財産を取り戻せる私法上の権利」に基づくものである一方(仮想通貨交換業等に関する研究会(第7回)資料45頁。下線は原文),これに対して仮想通貨については,取戻権(破産法62条)の基礎となる権利が観念できないのではないか,というもののようです。

 

4 仮想通貨を客体とする所有権の否定:東京地方裁判所平成27年8月5日判決

取戻権の基礎となる権利の典型としては,有価証券についていわれているように所有権(民法206条)があります。しかしながら,マウントゴックス社の破産事件に関して東京地方裁判所民事第28部平成2785日判決(平成26年(ワ)第33320号ビットコイン引渡等請求事件。裁判長裁判官は元司法研修所民事裁判教官の倉地真寿美判事)は,代表的仮想通貨であるビットコインに係る所有権の存在を否定しています。いわく。

 

 (2)所有権の客体となる要件について

 ア 所有権は,法令の制限内において,自由にその所有物の使用,収益及び処分をする権利であるところ(民法206条),その客体である所有「物」は,民法85条において「有体物」であると定義されている。有体物とは,液体,気体及び固体といった空間の一部を占めるものを意味し,債権や著作権などの権利や自然力(電気,熱,光)のような無体物に対する概念であるから,民法は原則として,所有物を含む物権の客体(対象)を有体物に限定しているものである(なお,権利を対象とする権利質(民法362条)等民法には物権の客体を有体物とする原則に対する明文の例外規定があり,著作権や特許権等特別法により排他的効力を有する権利が認められているが,これらにより民法の上記原則が変容しているとは解されない。)。

また,所有権の対象となるには,有体物であることのほかに,所有権が客体である「物」に対する他人の利用を排除することができる権利であることから排他的に支配可能であること(排他的支配可能性)が,個人の尊厳が法の基本原理であることから非人格性が,要件となると解される。

  イ 原告は,所有権の客体となるのは「有体物」であるとはしているものの,法律上の排他的な支配可能性があるものは「有体物」に該当する旨の主張をする。原告のこの主張は,所有権の対象になるか否かの判断において,有体性の要件を考慮せず,排他的支配可能性の有無のみによって決すべきであると主張するものと解される。

   このような考えによった場合,知的財産権等の排他的効力を有する権利も所有権の対象となることになり,「権利の所有権」という観念を承認することにもなるが,「権利を所有する」とは当該権利がある者に帰属していることを意味するに過ぎないのであり,物権と債権を峻別している民法の原則や同法85条の明文に反してまで「有体物」の概念を拡張する必要は認められない。したがって,上記のような帰結を招く原告の主張は採用できない。

 〔略〕

ウ 以上で述べたところからすれば,所有権の対象となるか否かについては,有体性及び排他的支配可能性(本件では,非人格性の要件は問題とならないので,以下においては省略する。)が認められるか否かにより判断すべきである。

3)ビットコインについての検討

ア ビットコインは,「デジタル通貨(デジタル技術により創られたオルタナティヴ通貨)」あるいは「暗号学的通貨」であるとされており〔略〕,本件取引所の利用規約においても,「インターネット上のコモディティ」とされていること〔略〕,その仕組みや技術は専らインターネット上のネットワークを利用したものであること〔略〕からすると,ビットコインには空間の一部を占めるものという有体性がないことは明らかである。

イ〔略〕

(ア)ビットコインネットワークの開始以降に作成された「トランザクションデータ」(送付元となるビットコインアドレスに関する情報,送付先となるビットコインアドレス及び送付するビットコインの数値から形成されるデータ等)のうち,「マイニング」(ビットコインネットワークの参加者がトランザクションを対象として,一定の計算行為を行うこと)の対象となった全てのものが記録された「ブロックチェーン」が存在する。ビットコインネットワークに参加しようとする者は誰でも,インターネット上で公開されている電磁的記録であるブロックチェーンを,参加者各自のコンピュータ等の端末に保有することができる。したがって,ブロックチェーンに関するデータは多数の参加者が保有している。

(イ)ビットコインネットワークの参加者は,ビットコインの送付先を指定するための識別情報となるビットコインアドレスを作成することができ,同アドレスの識別情報はデジタル署名の公開鍵(検証鍵)をもとに生成され,これとペアになる秘密鍵(署名鍵)が存在する。秘密鍵は,当該アドレスを作成した参加者が管理・把握するものであり,他に開示されない。

(ウ)一定数のビットコインをあるビットコインアドレス(口座A)から他のビットコインアドレス(口座B)に送付するという結果を生じさせるには,ビットコインネットワークにおいて,①送付元の口座Aの秘密鍵を管理・把握する参加者が,口座Aから口座Bに一定数のビットコインを振り替えるという記録(トランザクション)を上記秘密鍵を利用して作成する,②送付元の口座Aの秘密鍵を管理・把握する参加者が,作成したトランザクションを他のネットワーク参加者(オンラインになっている参加者から無作為に選択され,送付先の口座の秘密鍵を管理・把握する参加者に限られない。)に送信する,③トランザクションを受信した参加者が,当該トランザクションについて,送付元となる口座Aの秘密鍵によって作成されたものであるか否か及び送付させるビットコインの数値が送付元である口座Aに関しブロックチェーンに記録された全てのトランザクションに基づいて差引計算した数値を下回ることを検証する,④検証により上記各点が確認されれば,検証した参加者は,当該トランザクションを他の参加者に対しインターネットを通じて転送し,この転送が繰り返されることにより,当該トランザクションがビットコインネットワークにより広く拡散される,⑤拡散されたトランザクションがマイニングの対象となり,マイニングされることによってブロックチェーンに記録されること,が必要である。

 このように,口座Aから口座Bへのビットコインの送付は,口座Aから口座Bに「送付されるビットコインを表象する電磁的記録」の送付により行われるのではなく,その実現には,送付の当事者以外の関与が必要である。

(エ)特定の参加者が作成し,管理するビットコインアドレスにおけるビットコインの有高(残量)は,ブロックチェーン上に記録されている同アドレスと関係するビットコインの全取引を差引計算した結果算出される数量であり,当該ビットコインアドレスに,有高に相当するビットコイン自体を表象する電磁的記録は存在しない。

 上記のようなビットコインの仕組み,それに基づく特定のビットコインアドレスを作成し,その秘密鍵を管理する者が当該アドレスにおいてビットコインの残量を有していることの意味に照らせば,ビットコインアドレスの秘密鍵の管理者が,当該アドレスにおいて当該残量のビットコインを排他的に支配しているとは認められない。

ウ 上記で検討したところによれば,ビットコインが所有権の客体となるために必要な有体性及び排他的支配可能性を有するとは認められない。したがって,ビットコインは物権である所有権の客体とはならないというべきである。

 

 仮想通貨が所有権の客体には当たらないことについては,学説上も異論がないようです(森田宏樹「仮想通貨の私法上の性質について」金融法務事情2095号(2018810日号)15頁)。

ところで,前記(2)イにおいて東京地方裁判所は,「法律上の排他的な支配可能性があるものは「有体物」に該当する旨」の原告の主張を排斥しています。そうであれば,(3)アでビットコインには有体性がないことが明らかである旨認定した以上は,(3)イで更に排他的支配可能性の有無の検討までを行う必要はなかったように思われます。しかしながら当該検討がされた理由を忖度するに,あるいは我妻榮が次のように説いていたために為念的になされたのでしょうか。いわく,「私は,法律における「有体物」を「法律上の排他的支配の可能性」という意義に解し,物の観念を拡張すべきものと考える。権利の主体としての人が生理学上の観念でないのと同様,権利の客体としての物も物理学上の観念ではない。従って,法律は,その理想に基づいて,この観念の内容を決定することができるはずだからである」と(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)202頁)。それともまた,「〔民法85〕条は,物に関する他の規定を必要に応じ無体物に関して類推適用すること(例,主たる権利と従たる権利)を妨げるものではなく」,「有体物以外のものについては,むしろ,法の欠缺と考え,その性質と問題に応じて物または物権に関する規定を類推適用すれば足りる」との指摘(四宮和夫『民法総則(第四版)』(弘文堂・1986年)120頁・121頁註(1)。また,『新注釈民法(1)総則(1)』(有斐閣・2018年)787頁(小野秀誠))を踏まえて,類推適用の要否を判断するための吟味を行ったということになるのでしょうか。

これらとは別に,「実は,特定の取引所で管理していたビットコインを別の取引所に移転させる場合に,紙媒体に暗号を印字する形で,物理的な表象にすることができる。この場合,有体性が認められるため,この紙媒体自体の所有権が問題になる可能性がある。それを見越して,そもそもビットコインには支配可能性がないから,所有権の客体とはなり得ないと示したのではないだろうか。」と説くものもあります(鈴木尊明「ビットコインを客体とする所有権の成立が否定された事例」TKCローライブラリー新・判例解説Watch・民法(財産法)No.1072016219日)3頁)。

 所有権の対象に係る「排他的支配可能性」については「海洋や天体等を除外する際に持ち出されるのが一般的である」とされます(鈴木3頁。また,四宮122頁,我妻Ⅰ・203頁)。しかしながら,「現行法上の物権の本質は「一定の物を直接に支配して利益を受ける排他的の権利である」ということができる。」というテーゼ(我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義Ⅱ)』(岩波書店・1984年)9頁)から出発すれば(なお,所有権は物権の代表的なものです。),「物権が目的物の直接の支配権であることは目的物の特定性(・・・)を要求する。種類と数量だけで定められたものについては,債権は成立しうるが(401条参照),物権は成立しえない。」ということ(我妻Ⅱ・11頁)と関係しそうです。「特定の参加者が作成し,管理するビットコインアドレスにおけるビットコインの有高(残量)は,ブロックチェーン上に記録されている同アドレスと関係するビットコインの全取引を差引計算した結果算出される数量であり,当該ビットコインアドレスに,有高に相当するビットコイン自体を表象する電磁的記録は存在しない」と東京地方裁判所平成2785日判決は判示するところ,「差引計算した結果算出された数量」は正に差引計算によって定められた数量にすぎません。

(しかしながら,小野傑「仮想通貨交換業者の分別管理義務」金融法務事情2013号(20181210日号)1頁は,仮想通貨交換業者破綻時の倒産隔離のための仮想通貨に係る「取戻権構成」による立法提案に際して「コールドウォレットに分別管理された顧客分の仮想通貨は特定性に疑義はなく,ホットウォレットに混蔵管理された仮想通貨も交換業者の顧客口座管理により特定性は担保されてお」ると論じています。)

(また,「ビットコインアドレスに,有高に相当するビットコイン自体を表象する電磁的記録は存在しない」とされているのですから,「仮想通貨は,電磁的記録(民法4463項括弧書き)である」ということであれば(片岡12頁),ビットコインアドレスには仮想通貨(電磁的記録)は存在していないことになります。)

 

5 金銭に係る「占有=所有権」理論と倒産隔離並びに仮想通貨の帰属及び移転の法的仕組み

 しかしそもそも,仮想通貨は通貨(本邦通貨及び外国通貨)ではないとはいえ(資金決済法25項参照),本家である通貨(金銭)について見れば,金銭の所有権に基づいて破産財団から当該金銭を取り戻すということはそもそも可能なのでしょうか。「Aの金銭を騙取したBが破産した場合や他の債権者から強制執行を受けた場合に,Aに取戻権や第三者異議権が認められるか」という問題であるところの「他の債権者との関係で金銭の原所有者の権利にどの程度物権的保護を与えるか,とくに優先的効力を認めるかの問題」については,「見解の対立が大きい」とされつつ(能見善久「金銭の法律上の地位」『民法講座 別巻Ⅰ』(有斐閣・1990年)124頁),金銭に係る「占有=所有権」理論を採る「通説・判例の立場からの言及はないが,当然否定することになろう。」と説かれていました(能見・同頁註(41))。

「占有=所有権」理論について通説は,「金銭(紙幣を含む貨幣)は,動産の一種であるが,それが通貨として存在する限り,金銭が体現する抽象的・観念的な価値は金銭そのものを離れては存在しえない。したがって,金銭という物質の占有者が,その価値の排他的支配者と認められる。そして,金銭が骨董品としてではなく,通貨として取引関係に立ち現れる限り,それが体現する観念的な価値が存在のすべてであるから,金銭はその占有者の所有に属すると言うことができる。判例も,不当利得に関連してであるが,金銭の所有権は,原則として占有の移転に従って移転するものであって,騙取された場合にも騙取者の所有となるという(最判昭和291151675頁。なお最判昭和39124判時36526頁)。〔略〕金銭の所有権の移転については,引渡は対抗要件ではなく,成立要件とするもので,近時の通説と言ってよかろう」と説いています(我妻Ⅱ・185-186頁)。

仮想通貨についても,森田宏樹教授は「仮想通貨の帰属および移転には,現金通貨および預金通貨とそれぞれに共通するメカニズムを見出すことができるように思われる。」と述べた上で,「仮想通貨は,財産権であるが,その保有者に排他的に帰属するのは,支払単位という価値的権能〔「金銭債務の債務免責力という権能であって,物を客体とする物権でも,債務者の行為を目的とする債権でもない。」〕であり,その帰属および移転を実体化する通貨媒体〔支払単位が「ある者に排他的に帰属している状態を創り出す」ためのものである「社会において一定の支払単位が組み込まれたものと合意され,かつ,それを通じて価値の帰属を実体的にトレースすることを可能とするような一定の媒体」(森田18頁)〕および通貨手段〔「特定の通貨媒体に係る「支払単位」を特定の者から他の者へと移転することを実現する」もの(森田18頁)。なお,「金銭債務の弁済に用いられる各種の「決済方法」は,それを構成する「通貨媒体」と「通貨手段」との組合せによって法的に把握することが可能となる」とされています(森田18頁)。〕であるブロックチェーン上の記録を離れてその存在を認識しえないものである。このような価値的権能の帰属および移転については,現金通貨および預金通貨のいずれにおいても,その特定による観念的な帰属ないし移転を認めない固有の法理が妥当しており,仮想通貨においてもこれと同様の規律が妥当すべきものといえよう。」と論じています(森田21頁)。

現金通貨の帰属及び移転に関する法理は,「支払単位を組み込まれた通貨媒体は有体物であるが,通貨の所有権移転においては,有体物に関する規律は修正ないし排除されて適用されることになる。その結果,占有の移転とは離れて,観念的な所有権の移転は認められない。つまり,通貨媒体の占有と価値的権能(支払単位)の帰属とが結び付く」というものであり(森田19頁),預金通貨の帰属及び移転に関する法理は,「流動性のある預金口座にあっては,入金記帳ごとに成立原因を更新する1個の残高債権が存在するのであって,入金記帳によって個別の預入金はその特定性を失い,預金債権が分属することはない。このことは,預金口座の「流動性」は,現金通貨における価値的権能について特定性を観念しえないのと同一の機能を果たしていると捉えることができ」,及び「預金口座に係る預金債権については,判例において,流動性預金口座に存する預金債権は,当該預金契約の当事者としての預金口座の出入金の権限を有する預金者に帰属するという理論が確立されつつある。この点でも,現金通貨において,通貨媒体である有体物を「占有」する者に価値的権能が帰属するという法理と同じ機能を認めることができ」るというものです(森田19-20頁)。

 

6 仮想通貨を寄託物とする寄託か仮想通貨の管理の委任か

 前記東京地方裁判所平成2785日判決は,ビットコインは所有権の客体とならないことを前提に,マウントゴックス社とその利用者との間においてビットコインに係る「寄託物の所有権を前提とする寄託契約の成立も認められない」と判示しています。寄託契約に関して,寄託の「目的物の所有権の帰属には関係がない。寄託者の所有に属さない物でも,寄託者は契約上の債権として返還請求権をもつ(大判大正75241008頁(寄託者が寄託物の遺産相続人でなかつたことが判明しても返還請求権に影響なし))」と説かれていること(我妻榮『債権各論中巻二(民法講義Ⅴ)』(岩波書店・1962年)704頁)との関係で違和感のある表現です。しかしながらこれは,自分はマウントゴックス社を受寄者とするビットコインに係る混蔵寄託契約の寄託者であった旨原告が主張していたことによるものでしょう。混蔵寄託は,平成29年法律第44号による改正後(202041日以降(同法附則1条,平成29年政令第309号))の民法(以下「改正後民法」といいます。)では「混合寄託」として第665条の2に規定されています。混蔵寄託の場合「受寄者は,混合物の所有権を取得しない。混合物は,本来の所有者の,寄託された数量に応じた持分による,共有となる。」とされています(我妻Ⅴ₃・717頁。また,『新注釈民法(14)債権(7)』(有斐閣・2018年)429-430頁(𠮷永一行))。

 むしろ,寄託契約の成否については,ビットコインが所有権の客体となり得る有体物ではないことが問題だったのでしょう。無体物を目的物とする寄託の成否については,学説において「民法においては「物」とは有体物をいう(85条)から,〔改正後民法〕657条の文言〔「寄託は,当事者の一方がある物を保管することを相手方に委託し,相手方がこれを承諾することによって,その効力を生ずる。」〕上,無体物は寄託の目的物として含まれていない。無体物については,「保管」も「返還」も観念しえないこと,また,実際上も,例えば株式等振替制度によってペーパーレス化された有価証券の保管にしろ,著作権その他の知的財産権の管理の委託にしろ,委任と性質決定すれば足りること〔略〕からすると,あえて無体物を寄託の目的物に含める必要はないと考えられる。」と説かれています(『新注釈民法(14)』366頁(𠮷永))。委任,だそうです。

 (しかしながら,片岡17頁は「仮想通貨の管理を委託する場合は,その受託者に裁量がなく単なる保管の趣旨であるのが通常であろうから,特段の金融的な商品を組成するような場合を除き,信託ではなく,準寄託として考えられるであろう」としており,委任構成は採られていません。なお,ここでの「準寄託」の語は,「民法の寄託も有体物についてのものだが,〔略〕仮想通貨も物権又は準物権と同様の構造を有するから,契約自由の原則もあって(民法改正案521条),寄託と同様の法律関係が適用されるべきであり,「準寄託」ということとするものである」との趣旨のものであるそうです(片岡16頁(註17))。小野傑1頁にも「ホットウォレットに混蔵保管された仮想通貨」という表現があります。)

 

7 受任者の委任者に対する仮想通貨「引渡」債務と履行不能の不能

 

(1)民法646条1項

 委任に係る民法6461項は「受任者は,委任事務を処理するに当たって受け取った金銭その他の物を委任者に引き渡さなければならない。その収取した果実についても同様とする。」と,同条2項は「受任者は,委任者のために自己の名で取得した権利を委任者に移転しなければならない。」と規定しています。

                  

(2)履行不能の不能

 民法6461項の金銭の引渡債務は金銭債務ということになるのでしょう。しかして金銭債務については,「金銭債務の不履行の態様としては履行遅滞しかないと考えられている。換言すれば金銭債務は履行不能にならないと解されている。こう解することは,第一に,金銭債務については不可抗力を抗弁としえないことと相俟って,履行不能を理由に債務が消滅することがないことを意味し,第二に,期限前に債務不履行責任が生じることがないことを意味しよう。」と説かれています(能見140頁)。金銭債務が履行不能にならないと解する理由は,「金銭債権は,一定額の金銭の給付を目的とする債権である。種類債権の一種とみることをえないでもないが,目的物の範囲を限定する抽象的・一般的な標準さえなく,数量をもって表示された一定の貨幣価値を目的とし,これを実現する物(貨幣)自体が全く問題とされない点で,債権の内容は,種類債権より更に一層抽象的である。その結果,普通の種類債権のように目的物の特定という観念はなく,また履行不能もない」ということであって(我妻Ⅳ・35頁),種類債務性を更に発展させた「抽象性」に求められているようです。仮想通貨の「引渡」債務についても,数量をもって表示された一定の財産的価値を目的とし,これを実現する物(有体物)自体が全く問題とされていないのですから(資金決済法25項参照),金銭債務同様に履行不能はない,ということになりそうです。

仮想通貨交換業等に関する報告書においても,「仮に受託仮想通貨が流出したとしても,仮想通貨交換業者が顧客に対して受託仮想通貨を返還する義務が当然に消滅するわけではない」と説かれています(4-5頁(註11))。仮想通貨交換業等に関する研究会の第6回会合(2018103日)において加藤貴仁教授から,「〔略〕顧客と仮想通貨業者の契約によって異なるかもしれませんけれど,コインチェックの事例でも,テックビューロ―の事例でも,仮想通貨は確かに不正に流出しましたが,流出したことによって,仮想通貨交換業者の仮想通貨を返す義務はなくなってはいないはずです。つまり,交換業者は,顧客から預かった仮想通貨を流出させても,倒産しない限り,仮想通貨を返還する義務を負い続けるということです。仮想通貨を返還する義務を果たすということは,顧客が別の仮想通貨交換業者に開いた口座に移す,もしくは顧客がブロックチェーン上に持っているウォレットに移すといったことを意味します。」との発言があったところです。
 (2019415日の追記:ところが,上記のような行政当局の整理に対して,別異に解する裁判例があります。前記マウントゴックス社破産事件に係るこちらは東京地判平成30131日判時2387108頁です。いわく。「ビットコイン(電磁的記録)を有する者の権利の法的性質については,必ずしも明らかではないが,少なくともビットコインを仮想通貨として認める場合においては,通貨類似の取扱をすることを求める債権(破産法10321号イの「金銭の支払を目的としない債権」)としての側面を有するものと解され,同債権(以下「コイン債権」という。)は,ビットコイン(電磁的記録)が電子情報処理組織を用いて移転したときは,その性質上,一緒に移転するものと解される。〔届出破産債権が一部しか認められなかったことを不服として破産債権査定異議の訴えを提起した〕原告は,原告が破産会社に対してビットコインの返還請求権を有するとして,破産債権の届出をしたものであるが,ビットコイン自体は電磁的記録であって返還をすることはできないから,原告は,コイン債権について,破産法10321号イの「金銭の支払を目的としない債権」として,破産手続開始時における評価額をもって,破産債権として届け出たものと解される。原告が主張するように破産会社の代表者が原告のビットコインを引き出して喪失させたのであれば,既にビットコインは他に移転し,同時にコイン債権も他に移転したことになるから,破産手続開始時において,原告は破産会社に対し,コイン債権を有しなかったことになる。本件届出債権は,原告が破産会社に対してコイン債権を有することを前提とするものと解されるところ,その前提を欠くことになるから,原告の上記主張は,結論を左右するものとはいえない。」と。当該判決では「ビットコイン自体は電磁的記録」であるものと解していますが,資金決済法25項における定義は仮想通貨を「財産的価値」としています。「電子的方法により記録」されている「財産的価値」といった場合,そこでの「財産的価値」とその記録たる「電磁的記録」とはやはり別物でしょう。前記東京地方裁判所平成2785日判決は「口座Aから口座Bへのビットコインの送付は,口座Aから口座Bに「送付されるビットコインを表象する電磁的記録」の送付により行われるのではなく」,かつ,「ビットコインアドレスに,有高に相当するビットコイン自体を表象する電磁的記録は存在しない」と判示しています。特定の電磁的記録によって表象される特定のビットコインというものはないのでしょう。(なお,特定物の寄託の場合,その特定物が滅失すれば当該寄託物返還債務は履行不能になります。ちなみに,債務不履行による損害賠償債権は金銭債権ですから(民法417条),破産法10321号イの金銭の支払を目的としない債権にはなりません。)また,平成30131日判決のいう「コイン債権」とは「ビットコイン〔について〕通貨類似の取扱をすることを求める債権」ということであって,かつ,その債務者は「ビットコイン〔略〕の預かり業務や利用者間のビットコインの売買の仲介業務」を行っていた破産会社マウントゴックスということであるようです。しかし,仮想通貨の管理を受任した仮想通貨交換業者(資金決済法273号)が当該利用者に対して負う債務は,現にその管理に係る仮想通貨について「通貨類似の取扱」をすることだけなのでしょうか。)

 

(3)SALUS UXORIS MEAE ?

 「仮想通貨は確かに不正に流出しましたが,流出したことによって,仮想通貨交換業者の仮想通貨を返す義務はなくなってはいない」ということになると,仮想通貨交換業者としては泣きっ面に蜂のような状況になります。「倒産しない限り,仮想通貨を返還する義務を負い続ける」ということであれば会社はお取潰しで従業員は路頭に迷わなければならないというのが御当局方面のお考えか,と関係者は愕然,武士の情けもあらばこそとの嫋々たる嘆きが続きます。

そうだ契約約款に事業者は消費者に対し損害賠償の責任を一切負わない旨規定しておけばよいのではないか,そうだそうだそう書こう,という発想も出て来ます。しかし,これはいささか短絡的です。問題は債務の履行不能後の損害賠償ではなくて(ただし,小野傑1頁記載の「ホットウォレットに混蔵保管された仮想通貨の一部がサイバー攻撃等で流出した場合の顧客保護の在り方であるが,交換業者にはホットウォレットの管理責任があり,金銭賠償による場合の顧客の価格変動リスク回避のため,信託法における受託者の原状回復責任にならい,現物返還を原則とすることが考えられよう。」の部分は,金銭「賠償」といい,かつ,わざわざ信託法を援用しているところからすると,損害賠償責任を論じているものと思われます。),履行不能とならずに残っている元からの債務の履行そのものだからです。(なお,事業者は消費者に対して損害賠償責任を一切負わないとまで書くと,当該条項はかえって無効となります(消費者契約法(平成12年法律第61号)811号・3号)。)
 何か救済策はないものか。

この点,我妻榮が民法6461項に関して述べることころが参考になりそうです。我妻は,金銭に係る「占有=所有権」理論採用前の古い大審院判決を批判して(「判例は,受任者が代理権を有し委任者の代理人として事務を処理した場合には,第三者から受け取る金銭の所有権も委任者に帰属するという。そして,この前提で,受任者が盗難にあつたときは返還義務は履行不能になるとい〔う〕(大判明治3435313頁)」が「然し,金銭について所有権を問題とすることは妥当を欠く」(のでおかしい)。),「受任者は,受取つた金を返還すれば足りる。必ずしも受取つたその金銭を返還する必要はないというべきである」と述べつつも,続いての括弧書きで,「(前掲〔略〕の判決のうち,〔略〕盗難の場合は,むしろ6503項の趣旨を類推して責任なしというべきものと思う)」と説いています(我妻Ⅴ₃・678頁。下線は筆者によるもの。ただし,『新注釈民法(14)』281頁(一木孝之)は当該我妻説に対してなお大判明治3435判例との抵触を問題としています。)。なるほど,民法6503項という手があったのでした。

民法6503項は「受任者は,委任事務を処理するため自己に過失なく損害を受けたときは,委任者に対し,その賠償を請求することができる。」と規定する条項です。同条に関しては,「「事務処理の過程で受任者に生じる不利益等を填補する委任者の責任」を構想することが可能である。」とされています(『新注釈民法(14)』308頁(一木))。

市場から有価証券(NTT株券)を購入して委任者に帰属せしめた受任者が当該有価証券の購入代金について民法6503項に基づく損害賠償請求を委任者に対して行ったので,委任者が当該損害賠償金支払債務の不存在の確認を求めた訴えについて,委任者は受任者に対して「民法6503項に基づき,損害賠償義務を負うことになる」と判示した裁判例があります(大阪高判平成12731日判タ1074216頁)。当該受任者による当該NTT株券の購入が「委任事務を処理するため」のものかどうかが争われたのですが(本件は,委任者が当該NTT株券の売却を受任者(証券会社)に委託していたところ,当該株券が盗難届の出ている事故株券であったため,当該株券を市場で既に売却していた受任者が東京証券取引所の「事故株券及び権利の引渡未済の処理に関する申合」(19491210日実施)に基づく義務の遂行として買戻しを行った案件でした。),裁判所は「本件株券は,証券取引所の開設する市場において取引されるのであるから,右市場において商慣習となっている申合に従って処理されるべきは当然であるところ,第一審被告〔受任者〕は,委任契約に基づき,本件株券を売買したものの,東証申合に基づき,本件株券を買い戻さざるを得なくなったものであるから,右買戻しは,委任事務の処理の一環と認められる。」と判示して「委任事務を処理するため」のものであると認めています(買い戻したNTT株券の所有権は商法5522項に基づき委任者に帰属)。この事案に比べれば,仮想通貨の委任者への「引渡し」のための調達は,当該「引渡し」(民法6461項参照)という「委任事務を処理するため」のものであるということは容易に認められるでしょう。問題は,当該「調達」を必要とすることになった原因(仮想通貨の流出等)の発生について受任者(仮想通貨交換事業者)にbon administrateurとして過失がなかったかどうかでしょう(無過失の立証責任は受任者にあります(我妻Ⅴ₃・685頁,『新注釈民法(14)』316頁(一木))。)。委任者については,自分に過失がなくとも(例えば,仮想通貨交換業者からの仮想通貨の流出について自分には過失がなくとも)損害賠償しなければならない無過失責任とされています(我妻Ⅴ₃・685頁,『新注釈民法(14)』317頁(一木))。

 なお,消費寄託構成の場合(片岡17頁には,仮想通貨交換業者による利用者の仮想通貨の管理について,「仮想通貨は,財産的価値単位として均一の抽象的な存在であるから,準消費寄託というべき性質のもの」との記述があります。),「消費寄託にあつては,目的物の滅失の危険は受寄者が負担する,といわれる」とされていますが(我妻Ⅴ₃・727頁),そうとはされつつも「団体の役員や財産の管理人などが,その職務の一部として金銭を保管する場合には,委任事務の処理とみるべきであつて,その責任は,専ら委任の規定に従つて定められるべきである」とされています(我妻Ⅴ₃同頁)。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

150-0002 東京都渋谷区渋谷三丁目5-16 渋谷三丁目スクエアビル2

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp 

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我,日本の柱とならん(東京都大田区池上本門寺)

1 電波的無

 筆者はかつて電波法(昭和25年法律第131号)関係の仕事をしていたのですが,電波を利用した通信は無線通信ということで,「無」の付く略号をよく見たものです。

 

   無,というのはニヒルだなぁ。

   色即是空。煩悩を去った涅槃の境地に近い業界なのかしらね,これは。

 

 と思ったものですが,実は電波法の規定自体が,深い煩悩を蔵するものとなっています。冒頭部総則の第2条等から若干御紹介しましょう。

 電波法22号は「「無線電信」とは,電波を利用して,符号を送り,又は受けるための通信設備をいう。」と,同条3号は「「無線電話」とは,電波を利用して,音声その他の音響を送り,又は受けるための通信設備をいう。」と定義しています。したがって,同条4号の「無線設備」も通信設備かといえば,実は案に相違してそうではないのです。同号は,「「無線設備」とは,無線電信,無線電話その他電波を送り,又は受けるための電気的設備をいう。」と定義していて,無線設備は通信設備に限定されてはいません。電波法2条に関して,「ここに通信設備という語を使用しているがこの通信とは意思,観念,感情等の人の精神活動を伝達することをいう」とされていますから(荘宏=松田英一=村井修一『電波法放送法電波監理委員会設置法詳解』(日信出版・1950年)(以下,かつての業界での言い方に倣って「三法詳解」といいます。)81-82頁),「人の精神活動を伝達」するものではない「ラジオゾンデ,レーダー,方向探知機等は無線設備」ではあっても(三法詳解82頁),確かに通信設備ではないのでしょう。なかなか面倒臭い。「放送は音響送受のみを行う限りその設備は無線電話であるが,テレビジョンは放送の形式により行われてもそれは無線電話ではない無線設備でありトーキーを伴うときは無線電話との混合設備となる」ということですから(三法詳解82頁),指先をシャカシャカ仏の名のように動かしてはいるもののいかにも煩悩まみれに背中を丸めて皆さんのぞき込んでいるスマート・フォンの類は,専ら無線電話である,ということではなくて,無線電話との混合設備たる無線設備なのでしょう。

 更にまた電波法が面倒なのは,同法41項の無線局の免許又は同法27条の181項の無線局の登録の対象は無線設備ではないことです。すなわち,無線局と無線設備とは別のものなのです。電波法25号は,「「無線局」とは,無線設備及び無線設備の操作を行う者の総体をいう。但し,受信のみを目的とするものを含まない。」と規定しています。例えていえば,電波によって鉄人28号を操縦する正太郎君と当該電波を発射するリモコンとの総体が無線局であって,リモコンそれのみではいかに大事であっても無線設備にすぎないということになります(電波法25号本文)。鉄人28号は,電波を受けて操縦されていることは確かですが,自らは電波を発射しないのであれば無線設備(電波を受けるための電気的設備)ではあっても無線局ではないということになります(電波法25号ただし書)。この無線局の概念については,「無線設備とその操作を行う者とを包含する一つの運行体を無線局といい,免許その他の点で単なる無線設備とは異る法の規律の下に置かれている。」と説明されています(三法詳解83頁)。当該「運行体」について,塩野宏教授の論文には,「法は端的に,人的物的総合体と定義しているのであって,伝統的な行政法学上の用語をもってすれば,組織法的な意味での営造物が無線局ではないであろうか」と述べられています(塩野宏「放送事業と行政介入―放送局免許法制を中心として―」同『放送法制の課題』(有斐閣・1989年)81頁注(44))。

「営造物」については,「国又は公共団体により特定の公の目的に供される人的物的施設の統一体をいうのが通常の用法である。地方財政法23条〔略〕等において使用されているが,個々の設備を指すのでなく,一定の目的の下に統一して考えられる施設の全体を指す。学問上は,「公企業」という場合が多い。」と説明されています(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)33頁)。地方財政法(昭和23年法律第109号)231項は「地方公共団体が管理する国の営造物で当該地方公共団体がその管理に要する経費を負担するものについては,当該地方公共団体は,条例の定めるところにより,当該営造物の使用について使用料を徴収することができる。」と規定しています。1936年段階の行政法学においては,営造物の例として官立の大学,郵便,鉄道及び簡易生命保険が挙げられつつ(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)482頁),法人格までを有する営造物法人の「実例は唯我が歴史的な固有の制度としての神宮及び神社に於いてのみ,これを見ることが出来る。」とされていました(同661頁)。より最近の説明では,「法人格を有する独立営造物を営造物法人ということがある。三公社とか地方住宅供給公社・地方道路公社・土地開発公社・港務局等は独立営造物の例とされ,国公立学校・図書館・病院等は非独立営造物の例としてあげられる。」とされています(田中二郎『新版行政法中巻全訂第2版』(弘文堂・1976年)327頁)。「三公社」とは,かつての日本国有鉄道,日本電信電話公社及び日本専売公社のことです。なお,国家賠償法(昭和22年法律第125号)21項の「営造物」は「組織法的な意味での営造物」ではありません。同項の営造物は「行政主体により特定の公の目的に供用される建設物又は物的設備」を指すものであって「大体,公物の概念に相当」し,「特に営造物の概念を構成する必要はない」ものです(田中325頁)。

 「組織法的な意味での営造物」たる無線局には人の要素が入って来ます。我々法律家も,時に人でなし呼ばわりされますが,やはり人です。しかし,困ったことに,無線通信を愛好する法律家協会は「無法協」であるということです(山内貴博「無線通信と法の支配~「無法協」へのお誘い~」自由と正義6611号(201511月号)8頁)。何と,法律家であっても,無線通信絡みでは,電波法もものかは「無法」状態となるのです。仏「法」僧の三宝への帰依を通じた涅槃の境地どころか,由々しい事態です。

 「無」の語は軽々に用いるべきではないのでしょう。

 しかしながら,我々の貴重する諸権利も,所詮形無きものなのです。

 

  或ハ之〔工業所有権〕ヲ無形財産権〔略〕ト称スル者アリト雖モ,総テノ権利ハ皆無形ニシテ有形ノ財産権アルニ非ズ,唯権利ノ目的物ガ或ハ有体物タリ或ハ無体物タルノミ,故ニ無形財産権ノ名称ハ取ラズ(美濃部達吉『行政法撮要下巻〔第3版〕』(有斐閣・1938年)522頁)

 

「総テノ権利ハ皆無形ニシテ」と言われれば,確かにごもっとも,と答えざるを得ません。

 

2 無から知へ

しかし,「無体物権」という名称(美濃部・撮要下522頁)もやはり何やら物哀しいのか,日本人は「知的」なるものが好きなのか,最近は知的財産権という言葉が用いられます。「知的財産権」とは,「特許権,実用新案権,育成者権,意匠権,著作権,商標権その他の知的財産に関して法令により定められた権利又は法律上保護される利益に係る権利」をいいます(知的財産基本法(平成14年法律第122号)22項)。21世紀においては「内外の社会経済情勢の変化に伴い,我が国産業の国際競争力の強化を図ることの必要性が増大している状況」であるので,「新たな知的財産の創造及びその効果的な活用による付加価値の創出を基軸とする活力ある経済社会を実現する」のだ,「知的財産の創造,保護及び活用」が重要なのだということです(知的財産基本法1条参照)。

しかして我々人民は,知的財産との関係でお国からどのように教育されてしまうのかといえば,「国は,国民が広く知的財産に対する理解と関心を深めることにより,知的財産権が尊重される社会が実現できるよう,知的財産に関する教育及び学習の振興並びに広報活動等を通じた知的財産に関する知識の普及のために必要な施策を講ずるものとする。」ということです(知的財産基本法21条)。当該国民の「理解と関心」は,まず,「知的財産権」って何だかすごいのだぞ,そのすごい「知的財産権」を自分も持っているのかなと見回せばここにあったぞ,だからそのすごいこの「知的財産権」を皆は尊重しなければいけないのだぞ,というようなところから始まるのでしょうか。お互い気遣いが必要です。

 

3 「物に関するパブリシティ権」と所有権

 知的財産権の尊重が進んだ昨今は,「物に関するパブリシティ権」までが主張されているそうです。「パブリシティ権は,著名人などの氏名・肖像に伴う経済的価値を保護するものであるが,物や動物にもパブリシティ権があるとする捉え方もある。ある物や動物の形態等が経済的価値を有する場合に,その利用をコントロールする権利として捉える考え方である。」とのことです(作花文雄『詳解 著作権法(第5版)』(ぎょうせい・2018年)161頁)。

 「物に関するパブリシティ権」に関しては,「物や動物等の所有権の使用・収益権の権利内容として,どの範囲にまで及ぶかという観点から,いくつかの判決が出されている」そうです(作花161頁)。「有体物に対する排他的支配権である所有権の射程を無体財産権的に構成しているとも考えられる。」とのことです(作花161頁)。

所有権の効力の問題ということですが,我が民法206条は,所有権の内容を「所有者は,法令の制限内において,自由にその所有物の使用,収益及び処分をする権利を有する。」と規定しています。旧民法財産編(明治23年法律第28号)30条では「所有権トハ自由ニ物ノ使用,収益及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ謂フ/此権利ハ法律又ハ合意又ハ遺言ヲ以テスルニ非サレハ之ヲ制限スルコトヲ得ス」と規定されていたところです。フランス民法544条には 

“La propriété est le droit de jouir et disposer des choses de la manière la plus absolue, pourvu qu’on n’en fasse pas un usage prohibé par les lois ou par les règlements.”(所有権は,法令によって禁じられた用法ではない限りにおいて,最も絶対的な方法によって物を使用収益し,及び処分する権利である。)と規定されています。ローマ法学の後期注釈学派(13世紀半ばから16世紀初頭まで)の定義では,“Dominium est ius utendi e abutendi re sua, quatenus iuris ratio patitur.”(所有権(dominium)とは,自己の物(res sua)を法理(juris ratio)が許容する(pati)範囲内で(quatenus)使用し(uti),及び消費する(abuti)権利(jus)である。)ということであったそうです(O.ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法―ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)166頁参照)。Dominiumとは,厳めしい。

 

   東京地裁昭和52317日判決「広告宣伝用ガス気球」事件(判例時報86864頁)では,「所有者は,その所有権の範囲を逸脱しもしくは他人の権利・利益を侵奪する等の場合を除いて,その所有物を,如何なる手段・方法によっても,使用収益することができる(従って,所有物を撮影してその影像を利用して使用収益することもできる。),と解すべきである。さらに,第三者は・・・他人の所有物を如何なる手段・方法であっても使用収益することが許されない(従って,他人の所有物を撮影してその影像を利用して使用収益することも許されない。),と解すべきである。」とされている(ただし,本件事案では,原告の権利を侵害することについての予見可能性がなかったとして請求は棄却)

   高知地裁昭和591029日判決「長尾鶏」事件(判例タイムズ559290頁)は,本件被告が長年の品種改良の末に育成した長尾鶏を本件原告が写真撮影し観光写真として販売したことに対して,本件被告が著作権侵害等を理由として本件原告を被告として提訴し,後日請求放棄したが,この本件被告の提訴により本件原告が精神的苦痛等を被ったとして損害賠償請求した事件である。

   本判決では,長尾鶏の著作物性を否定した上で,「本件長尾鶏には・・・独特な美しさがあり,その管理,飼育にもそれなりの工夫と人知れぬ苦労があり,永年の努力のつみ重ねの結果,ようやくにしてこれが育て上げられたものであることを考えると,本件長尾鶏を写真にとったうえ絵葉書等に複製し,他に販売することは,右長尾鶏所有者の権利の範囲内に属するものというべく,その所有者の承諾を得ることなくして右写真を複製して絵葉書にして他に販売する所為は,右所有権者の権利を侵害するものとして不法行為の要件を備えるものとみられ,右権利を侵害した者はその損害を賠償する義務がある。」(したがって以前した本件被告の提訴は「主張する権利が立証不能な違法不当なものであるとまではいえない」「被告が提起した訴が原告主張の如き不法行為に当たるとは認めがたい」)と判示されている。

   神戸地裁平成31128日判決「サロンクルーザー」事件(判例時報1412136頁)では,「原告は,本件クルーザーの所有者として,同艇の写真等が第三者によって無断でその宣伝広告等に使用されることがない権利を有していることが明らかである。」と判示されている(ただし,被告は本件クルーザーの写真を雑誌に掲載されたことにより「原告が蒙った損害を賠償すべき責任があるといわざるを得ない」と判示されているものの,実際に認定された損害の内容としては本件クルーザーのパブリシティ的価値というよりも,本件クルーザーが売りに出されているとの誤解,原告経営のホテルの経営悪化などに係る「信用,名誉の侵害による原告の損害は,弁護士費用分も含めて100万円が相当」とされている)

  (作花161-162頁)

 

 私の所有物を無断で写真撮影してその影像を勝手に使用収益するのはひどいじゃないですか!との所有者の怒りは正当なものであって,当該怒れる所有権者から不法行為に基づく損害賠償請求の訴えを起こされても,(実際に損害の賠償までせねばならなくなるかどうかはともかくも)横着に写真撮影等をしてしまった者は訴訟対応の苦労を甘受しなければならない,ということでしょうか。なかなか剣呑です。銅像等を自分で撮影した写真を当ブログに掲載することの多い筆者としてはドキドキしてしまいます。「このような一連の判決には,所有権と知的財産権との法制的な関係が整理されて判示されておらず,判然としない面が残る。」とは(作花162頁),もっともな批判です。

 さすがに最高裁判所第二小法廷昭和59120日判決(民集3811頁)は,「所有権は有体物をその客体とする権利であるから,美術の著作物の原作品に対する所有権は,その有体物の面に対する排他的支配権能であるにとどまり,無体物である美術の著作物自体を直接排他的に支配する権能ではない」,著作権法(昭和45年法律第48号)451項及び47条の定めも「所有権が無体物の面に対する排他的支配権能までも含むものであることを認める趣旨のものではない」と判示しています(「顔真卿自書建中告身帖」事件)。

ただし,上記最高裁判所判決の次の判示部分は少し考えさせられるところです。いわく,「博物館や美術館において,著作権が現存しない著作物の原作品の観覧や写真撮影について料金を徴収し,あるいは写真撮影をするのに許可を要するとしているのは,原作品の有体物の面に対する所有権に縁由するものと解すべきであるから,右の料金の徴収等の事実は,一見所有権者が無体物である著作物の複製等を許諾する権利を専有することを示しているかのようにみえるとしても,それは,所有権者が無体物である著作物を体現している有体物としての原作品を所有していることから生じる反射的効果にすぎないのである。」と。すなわち,物の写真撮影に許可を要することは,たとえ「反射的効果」にすぎないとしても,当該物自体の所有権に基づいて求め得るものなのであると解し得るような判示であるとも思われます。しかし,やはり「反射的効果」なのですから,当該物の所有権に直接根拠を有するものではないのでしょう。筆者としては,「美術館所蔵(著作権を有していない場合)の絵画について,観覧者が写真撮影することを美術館の管理権により規制することは可能」(作花162頁)というような表現の方が落ち着くのですが,どうでしょうか。「対象物が著作権の原作品や複製物である場合などは別として,通常の有体物である場合,その写真撮影などは,それ自体としては一般的には当該所有者の権利侵害とはならないものと考えられる。」(作花164頁)というのが,常識的な見解というものでしょう。

東京地方裁判所平成1473日判決(判時1793128頁・判タ1102175頁)は,長野県北安曇郡池田町の(かえで)(acer)の大木(「大峰高原の大かえで」)及び当該楓の生育している土地の所有者による当該楓の所有権に基づく当該楓の写真を掲載した写真集書籍の出版差止めの請求について「所有権は有体物をその客体とする権利であるから,本件かえでに対する所有権の内容は,有体物としての本件かえでを排他的に支配する権能にとどまるのであって,本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版したりする排他的権能を包含するものではない。そして,第三者が本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版,販売したとしても,有体物としての本件かえでを排他的に支配する権能を侵害したということはできない。したがって,本件書籍を出版,販売等したことにより,原告の本件かえでに対する所有権が侵害されたということはできない。/したがって,原告の上記主張〔「本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版等する権利は,本件かえでの所有者たる原告のみが排他的に有する」〕は,主張自体失当である。」と一刀両断にしています。原告による前記「広告宣伝用ガス気球」事件,「長尾鶏」事件及び「サロンクルーザー」事件各判決の援用も空しかったところです。当該楓に係る所有権の侵害が認められなかった以上,当該楓の所有権侵害の不法行為に基づく原告の損害賠償請求も棄却されています。ただし,裁判所は,木を見てその所在する土地を見なかったもののようである原告に対して,土地の所有権の効能に注意を向けるべく付言しています。いわく,「しかし,原告が,本件土地上に所在する本件かえでの生育環境の悪化を憂慮して,本件かえでの生育等に悪影響を及ぼすような第三者の行為を阻止するためであれば,本件土地の所有権の作用により,本件かえでを保全する目的を達成することができる。既に述べたとおり,現に,原告は,本件土地への立ち入りに際しては,本件かえでの生育等に悪影響を及ぼす可能性のある行為をしてはならないこと,許可なく本件かえでを営利目的で撮影してはならないことを公示しているのであるから,第三者が上記の趣旨に反して本件土地に立ち入る場合には,原告は当該立入り行為を排除することもできるし,上記第三者には不法行為も成立する。」と。


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こちらは,みずなら(quercus crispula)の木(札幌市南区真駒内泉町)

 

4 公開の美術の著作物等と著作権法46

 ところで,屋外で撮る銅像等の美術の著作物及び建物の写真については,著作権法46条に救済規定があります。

 

   (公開の美術の著作物等の利用)                          

46 美術の著作物でその原作品が前条第2項に規定する屋外の場所〔街路,公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所又は建造物の外壁その他一般公衆の見やすい屋外の場所〕に恒常的に設置されているもの又は建築の著作物は,次に掲げる場合を除き,いずれの方法によるかを問わず,利用することができる。

   一 彫刻を増製し,又はその増製物の譲渡により公衆に提供する場合

   二 建築の著作物を建築により複製し,又はその複製物の譲渡により公衆に提供する場合 

   三 前条第2項に規定する屋外の場所に恒常的に設置するために複製する場合

   四 専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し,又はその複製物を販売する場合

 

 「街路,公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所」については,「仮に私有地であっても一般公衆に開放されていれば該当する」とされ(作花372頁),かつ,「入場に際して料金が必要とされていても,すべからく「一般公衆に開放されている屋外の場所」でないということにはならない。当該場所と美術作品の位置づけとの相関関係により捉えるべきである。例えば,入場料を徴収する公園の中に彫像を設置する場合,公園の入場料は徴収されるとしても,当該公園に入場した者は,自由にその中にある彫像を観覧することができ,また,その入場料は当該観覧の対価としての趣旨はないと通常では考えられ,その意味では「一般公衆に開放されている屋外の場所」に設置されていると考えられる」とされる一方(同373頁),「美術館内や美術館の中庭などは屋外ではないと解される。美術館の前庭で外部から観覧できる位置に設置されている美術作品の場合,入場者に対して観覧させる目的で設置されていると考えられ,美術館のこのような設置態様は「一般公衆に開放されている屋外の場所」への設置とは言えない」とされています(同372頁)。

 著作権法461号の場合は,「彫刻(この彫刻には彫塑を含む)を彫刻としてそのレプリカを作成する場合」です(作花374頁)。

 なお,著作権法4813号によって,同法46条の規定により著作物を利用する場合において「その出所を明示する慣行があるとき」は当該著作物の出所を明示しなければならないものとされていますので(違反者には同法122条により50万円以下の罰金),当該慣行が存在しているかどうかが問題となります。この点,文化庁ウェブ・サイトの「著作権なるほど質問箱」の「著作権QA」における著作権法46条に係る質問(「公園に設置されている彫刻は,屋外の場所に恒常的に置いてある美術の著作物として,大幅な自由利用が認められていると考えていいのですか。」)に対する回答は,出所の明示義務に触れていません(「販売を目的として複製すること,屋外の場所に恒常的に設置するために複製することなど著作権法で定める限られた場合を除き,複製,公衆送信などの利用方法を問わず,著作権者の了解なしに,彫刻を利用することができます(第46条)。例えば,当該彫刻を写真に撮って無料頒布のカレンダーに入れることや,ドラマの撮影の背景にすることなども自由に行うことができます。」)。すなわち当局としては,出所明示の慣行の存在を認識してはいないということなのでしょうか。なお,この「出所の明示」を行うことになったときには,「当該著作物につき表示されている著作者名」を示さなければならないほか(著作権法482項),著作物の題号の表示は基本的な事柄であり,美術作品の場合であれば作品の所有者や設置場所などの表示が望まれるそうですから(作花393-394頁),なかなか大変です。

 著作権法46条の趣旨については,「横浜市営バス車体絵画掲載」事件に係る東京地方裁判所平成13725日判決(判時1758137頁・判タ1067297頁)において「美術の著作物の原作品が,不特定多数の者が自由に見ることができるような屋外の場所に恒常的に設置された場合,仮に,当該著作物の利用に対して著作権に基づく権利主張を何らの制限なく認めることになると,一般人の行動の自由を過度に抑制することになって好ましくないこと,このような場合には,一般人による自由利用を許すのが社会的慣行に合致していること,さらに,多くは著作者の意思にも沿うと解して差し支えないこと等の点を総合考慮して,屋外の場所に恒常的に設置された美術の著作物については,一般人による利用を原則的に自由にした」ものと判示されています。

 ところで,市営バスは移動し,また夜間は車庫内に駐車されるので,市営バスの車体に描かれた美術の著作物は「恒常的に設置されているもの」ではないのではないかが問題になり得ます。しかしながら,上記東京地方裁判所判決は,「広く,美術の著作物一般について,保安上等の理由から,夜間,一般人の入場や観覧を禁止することは通常あり得るのであって,このような観覧に対する制限を設けたからといって,恒常性の要請に反するとして同規定〔著作権法46条柱書き〕の適用を排斥する合理性はない。」,「確かに,同規定が適用されるものとしては,公園や公道に置かれた銅像等が典型的な例といえる。しかし,不特定多数の者が自由に見ることができる屋外に置かれた美術の著作物については,広く公衆が自由に利用できるとするのが,一般人の行動の自由の観点から好ましいなどの同規定の前記趣旨に照らすならば,「設置」の意義について,不動産に固着されたもの,あるいは一定の場所に固定されたもののような典型的な例に限定して解する合理性はないというべきである。」と判示して,継続的に運行される市営バスの車体に描かれた美術の著作物について著作権法46条柱書きの適用を認めました。

 

5 著作権法46条から民法861項へ

 前記「横浜市営バス車体絵画掲載」事件判決によれば,著作権法46条の「恒常的に設置」は,民法861項の「定着物」の「定着」とは異なる概念であるということになります。民法861項は「土地及びその定着物は,不動産とする。」と規定し,同条2項は「不動産以外の物は,すべて動産とする。」と規定しているところ,動き回るバスは不動産ではなく,動産であることは明らかです(旧民法財産編11条本文は「自力又ハ他力ニ因リテ遷移スルコトヲ得ル物ハ性質ニ因ル動産タリ」と規定していました。)。

なお,「不動産に固着されたもの,あるいは一定の場所に固定されたもののような典型的な例」としての「公園や公道に置かれた銅像等」は,民法861項の土地の定着物ということになるのでしょう。「土地の定着物」とは,「(a)土地に附着する物であって,(b)継続的に一定の土地に附着させて使用されることが,その物の取引上の性質と認められるものである。」とされています(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)212頁)。「「定着物」とは,土地に固定されており,取引観念上継続的に固定されて使用されるものをいう。例えば,建物,銅像,線路,植物の苗などである。」と説明されており(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)300頁),すなわち銅像は不動産の一典型ということになります。フランス民法には,“Quant aux statues, elles sont immeubles lorsqu’elles sont placées dans une niche pratiquée exprès pour les recevoir, encore qu’elles puissent être enlevées sans fracture ou détérioration.” (彫像については,その設置のために殊更に使用される壁龕に据え付けられた場合には,破壊又は破損なしに除去し得るときであっても不動産である。)という規定があります(同法5254項)。旧民法財産編9条は「動産ノ所有者カ其土地又ハ建物ノ利用,便益若クハ粧飾ノ為メニ永遠又ハ不定ノ時間其土地又ハ建物ニ備附ケタル動産ハ性質ノ何タルヲ問ハス用方ニ因ル不動産タリ」とし,当該用方ニ因ル不動産の例として同条の第9は,「建物ニ備ヘ」られ「毀損スルニ非サレハ取離スコトヲ得サル〔略〕彫刻物其他各種ノ粧飾物」を挙げています。

 

6 銅像等とその定着する土地との関係

 ところで銅像等は,その定着する土地とは別個の独自の不動産たり得るのでしょうか。

「定着物は,すべて不動産であるが,その不動産としてのとり扱いには,差異がある。(a)一は,土地と離れて独立の不動産とみられるものであって,建物はその典型的なものであり,(b)二は,その定着する土地の一部分とされ,土地に関する権利の変動に随伴するものであって,石垣・溝渠・沓脱石などがこれに属する。前者は,独立して物権の客体となるが,後者は,原則として,土地に定着したままでは独立の物権の客体となることができず,ただ債権関係が成立しうるだけである。そして,(c)樹木は,あたかもこの中間に位するものである〔略〕。結局,土地から離れて独立の不動産となりうる定着物は,建物,立木法による立木,立木法の適用を受けない樹木の集団,個々の樹木である。」(我妻Ⅰ・213頁)とだけいわれると,そこにおいて「土地から離れて独立の不動産となりうる定着物」として挙示されていない銅像は,「石垣・溝渠・沓脱石など」と同様に,「その定着する土地の一部分とされ,土地に関する権利の変動に随伴するもの」ということになりそうです。

しかし,銅像は,線路・鉄管・庭石(場合による)などと同様に,「一般には土地の構成部分だが,それだけの取引も不可能ではなく,それだけの所有権を取得したときは,明認方法を対抗要件とする(庭石につき大判昭9725判決全集1-8-6)」と説かれています(四宮和夫『民法総則(第四版)』(弘文堂・1986年)127頁)。その背景として,銅像等については,一般の立木(りゅうぼく)と同様に,原則としては「不動産の所有者は,その不動産に従として付合した物の所有権を取得する。」として,それが付合する土地所有者の所有物となるものの(民法242条本文),権原によって付属させられたときには例外として「権原によってその物を附属させた他人の権利を妨げない。」との規定(同条ただし書)が適用されるものと解されているところです(四宮129頁補注)。民法242条ただし書の「「権利を妨げない」というのは,その者が所有権を留保する,という意味であって,単に除去または復旧の権利を有するという意味ではない」とされています(我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義Ⅱ)』(岩波書店・1984年)309頁)。

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弘法大師像(千葉県成田市成田山新勝寺)


 これに対して「石垣(大判大7413民録24-669)・敷石・くつぬぎ石・トンネル・井戸・舗装・庭石(場合による)などは,独立の所有権の客体となることはない」ものとされ(四宮126頁),民法に規定のない「土地の構成部分」という特殊な類型であるものとされています(同129頁補注。民法242条ただし書の適用はないものとされます。)。「土地の構成部分」概念については,最高裁判所昭和37329日判決(民集163643頁)において「民法861項にいう土地の定着物とは,土地の構成部分ではないが土地に附着せしめられ且つその土地に永続的に附着せしめられた状態において使用されることがその物の取引上の性質であるものをいう」と傍論ながら触れられています(下線は筆者によるもの)。「民法861項にいう土地の定着物」とは土地以外の不動産のことですから,結局「土地の構成部分」は,正に土地の構成部分として,土地の定着物としての不動産とはならないということなのでしょう。

 

7 一物一権

 ここで「一物一権主義」に触れておきましょう。当該主義について標準的に説かれているところは,「1個の物権の目的物は1個の物であることを必要とする。1個の物の上に1個の所有権が,1個の所有権は1個の物の上に成立するのが原則である(一物一権主義)。共有は1個の所有権の分属である。数個の物の上に1個の物権を成立させることはできない。目的物の特定性・独立性を確実にし,公示に便ならしめるためである。」ということでしょう(我妻=有泉15-16頁。また,内田305頁)。更に,「1個の物の一部分には独立の物権は存在しえず」ともいわれているとされています(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)162頁,同『民法概論Ⅱ(物権・担保物件)』(良書普及会・1980年)16頁)。

 それでは「1個の物」とは何だ,ということが次に問題になりますが,銅像等に係る本件絡みでは,「経済的に一応1個の物としてその価値を認められるが,構成物のそれぞれが,なお独立の価値を認められる場合(例えば地上の樹木・家屋の造作・果樹の果実)においては,法律上も,一応1個の物とする。しかし,(a)これを結合させた者が,これを結合させる正当な権(ママ)を有した場合には,この者の権利を否定すべきではないから,その者のために,独立の物としての存在を是認すべきである(242条但書参照)。また,(b)とくに独立の物として取引をなし,相当の公示方法を備えるときは,独立の物としての存在を是認すべきである」と説かれています(我妻Ⅰ・205頁)。原則として,土地及びその上の樹木(銅像)は併せて1個の土地となるということでしょう。しかしこれに対しては,「民法242条も,起草者によれば,土地とは別個の物だが土地所有権者の所有に帰するとする趣旨だった」し,植物は土地とは別個の物と立法者も考えていたとの指摘があります(星野Ⅰ・161-162頁)。確かに,梅謙次郎は民法242条について「不動産ニ附着シタル物ハ慣習上之ヲ別物トシテ観察スルモノ多キカ故ニ本条〔242条〕ニ於テハ概シテ之ヲ2物トシテ観察セリ例ヘハ土地ニ建築シタル家屋之ニ栽植シタル草木ノ如シ然リト雖モ場合ニ因リテハ到底2物トシテ之ヲ観ルコト能ハサルコトアリ例ヘハ木材ヲ以テ家屋ノ一部ニ使用シタルカ如キ又ハ壁土若クハ漆喰ヲ以テ建物,塗池其他ノ工作物ニ使用シタルカ如キ此類ナリ」と述べています(梅謙次郎『民法要義巻之二物権篇』(和仏法律学校=明法堂・1896年)152頁)。(なお,ここで付合の例として「土地ニ建築シタル家屋」が梅謙次郎によって挙げられていることは興味深いところです。「土地に建物を建てたときは,建物は土地とは別個の物であり,本条〔民法242条〕の適用がない」(星野Ⅱ・124頁)とは当初直ちにはいえず,「請負人が全ての材料を提供して建築した場合について,かつては,建物の土地への付合が問題になった。しかし,判例(大判明37622民録10861,大判大31226民録201208)と学説(鳩山秀夫・日本債権法各論(下)〔大9578,末弘厳太郎・債権各論〔大8695等)によって請負建築の建物は土地に付合しないとされた。」という経緯があったようです(五十嵐清=瀬川信久『新版注釈民法(7)物権(2)』(有斐閣・2007年)403-404頁)。)

 何だかますます分かりにくいですね。これは,一物一権「主義」が悪いのでしょうか。当該主義については,「この考え方は,ドイツ法に強いが,必ずしもすべての立法に存在するものではなく,我が学説はドイツの影響によって」言っているとのことです(星野Ⅱ・16頁)。ドイツ式です。ドイツ民法93条には,“Bestandteile einer Sache, die voneinander nicht getrennt werden können, ohne dass der eine oder der andere zerstört oder in seinem Wesen verändert wird (wesentliche Brstandteile), können nicht Gegenstand besonderer Rechte sein.”(物の構成要素であって,一方又は他方が,毀損され,又はその本質が変ぜられなければ相互に分離することができないもの(本質的構成要素)は,個別の権利の目的となることができない。)と規定されています。

土地及びその定着物に関しては,「ドイツ民法では,土地のみが不動産であり,建物や土地と結合した土地の産物は,土地の本質的構成部分となる(ド民9411文)。種は蒔くことによって,樹木は植えることによって土地の本質的構成部分となる(同項2文)。」とされています(小野秀誠『新注釈民法(1)総則(1)』(有斐閣・2018年)799頁)。「ドイツ民法は,動産と土地(Grundstück)とを対立させ」るということです(我妻Ⅰ・211頁)。問題のドイツ民法941項は,“Zu den wesentlichen Bestandteilen eines Grundstück gehören die mit dem Grund und Boden fest verbundenen Sachen, insbesondere Gebäude, sowie die Erzeugnisse des Grundstücks, so lange sie mit dem Boden zusammenhängen. Samen wird mit dem Aussäen, eine Pflanze wird mit dem Einpflanzen wesntlicher Bestandteil des Gründstücks.”(当該地所に固着させられた物,特に建物及び地面に結合している限りにおいて当該土地の産物は,土地の本質的構成要素である。種子は播種によって,植物は植栽によって当該土地の本質的構成要素となる。)と規定しています。(ただし,同法951項本文には“Zu den Bestandteilen eines Grundstücks gehören solche Sachen nicht, die nur zu einem vorübergehenden Zweck mit dem Grund und Boden verbunden sind.”(一時的な目的のみのために当該地所に付合させられた物は,土地の本質的構成要素ではない。)とあります。)更にドイツ民法は周到に所有権の面に係る規定をも有していて,同法946条は“Wird eine brwegliche Sache mit einem Grundstück dergestalt verbunden, dass sie wesentlicher Bestandteil des Grundstücks wird, so erstreckt sich das Eigentum an dem Grundstück auf diese Sache.” (動産が土地に当該土地の本質的構成要素となるように付合させられたときは,当該土地に係る所有権が当該動産に及ぶ。)と規定しています。単に土地の所有者が当該動産の所有権を取得するのではなく,土地所有権が当該動産をも呑み込んでしまうわけです。

フランス民法については,「フランス民法は,土地と一体をなす建物などは,性質による不動産immeuble par naturnature,土地に従属する物(民法の従物に近いもの)は,用途による不動産(immeuble par destination)と称する(フ民517条以下)。いずれにおいても,建物を独立の不動産としない点でわが民法と異なる。」ということですから(我妻Ⅰ・211頁),「ドイツ・フランスなどでは,地上物は土地所有権に吸収され」て「建物は土地所有権に吸収される」(四宮和夫=能見善久『民法総則(第九版)』(弘文堂・2018年)191頁)ということでよいのでしょうか。しかし,これに対しては,「フランス民法は,土地および建物は「性質による不動産」immeuble par naturnatureとされる(518条)ので,建物は土地の所有権と別個の不動産所有権の目的となるが,建物は反証のない限り土地所有者に属するものと推定される(553条〔略〕)」という非一物説的見解もあります(水本浩「借地の法政策上いま最も重要な課題」日本不動産学会誌1012号(19957月)99頁)。フランス民法518条は “Les fonds de terre et les bâtiments sont immeubles par leur nature.”(土地及び建物は,性質による不動産である。)と,同法553条は“Toutes constructions, plantations et ouvrages sur un terrain ou dans l’intérieur, sont présumés faits par le propriétaire à ses frais et lui appartenir, si le contraire n’est prouvé; sans préjudice de la propriété qu’un tier pourrait avoir acquise ou pourrait acquérir par prescription, soit d’un souterrain sous le bâtiment d’autrui, soit de toute autre partie du bâtiment.”(土地の上又は内部の全ての建造物,植栽物及び工作物は,反証のない限り,所有者がその費用によってなしたものであり,かつ,彼に帰属するものと推定される。ただし,第三者が時効により取得した,又は取得することのある,あるいは他者所有建物の下の地窖,あるいは当該建物の全ての他の部分の所有権を妨げない。)と規定しています。我が旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)81項及び2項は「建築其他ノ工作及ヒ植物ハ総テ其附著セル土地又ハ建物ノ所有者カ自費ニテ之ヲ築造シ又ハ栽植シタリトノ推定ヲ受ク但反対ノ証拠アルトキハ此限ニ在ラス/右建築其他ノ工作物ノ所有権ハ土地又ハ建物ノ所有者ニ属ス但権原又ハ時効ニ因リテ第三者ノ得タル権利ヲ妨ケス」と規定していました。なお,フランス民法5521項は “La propriété du sol emporte la propriété du dessus et du dessous. ”(土地の所有権は,上方及び下方の所有権を伴う。)と規定していますが,これは,「不動産に関する添付の権利について」(Du droit d’accession relativement aux choses immobilières)の款の冒頭規定です。

この辺に関しては “Superficies solo cedit.”との法諺がよく引用されます。しかしてその実体はいかにというと,古代ローマのガイウスの『法学提要』2.73には,“Praeterea id, quod in solo nostro ab aliquo aedificatum est, quamvis ille suo nomine aedificaverit, jure naturali nostrum fit, quia superficies solo cedit.”(さらには(praeterea),何者かによって(ab aliquo)我々の土地に(in solo nostro)建築された物は(id, quod…aedificatum est),彼が(ille)自分の名前で(suo nomine)建築した(aedificaverit)としても(quamvis),自然法により(jure naturali)我々のもの(nostrum)になる(fit)。これすなわち(quia),地上物は(superficies)土地(solum)に従う(cedere)のである。)とあったところです。ユスティニアヌスの『学説彙纂』41.1.7.10(ガイウス)の第1文にも“Cum in suo loco aliquis aliena materia aedificaverit, ipse dominus intellegitur aedificii, quia omne quod inaedificatur solo cedit.”(自分の地所に(in suo loco)他の者が(aliquis)他の材料をもって(aliena materia)建築を行った(aedificaverit)ときは(cum),〔当該地所の所有者〕自身が(ipse)建築物の所有者(dominus…aedificii)と認められる(intellegitur)。これすなわち,全て建築された物は(omne quod inaedificatur)土地に従うのである。)とあります。Cedere(フランス語のcéder)の意味が問題です。(なお,フランス法の位置付けは実は我妻榮にとっても微妙であったようで,「フランスでは,地上物は土地に附属する(superficies solo cedit)という原則は,〔ドイツ及びスイス〕両民法ほど徹底していない(同法553条は建物だけが時効取得されることを認めている)。その結果,宅地または農地の借主が建物を建設する承諾を得ているときは,その建設した建物は賃借人の所有に属するものとみられ,学者は,かような場合の賃借人の権利を「地上の権利(droit de superficie)と呼んでいる。」とのことです(我妻榮『債権各論中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1973395-396頁)。)

 

8 銅像等のみの取引

いろいろ脱線してきましたが,土地とは別に銅像等のみについて取引をするときはどうしたらよいのかという点が筆者には気になりますので,庭石の取引に係る大審院昭和9725日判決(大審院判決全集1-8-6)を見てみましょう。

これはどうも立山を仰ぐ富山市界隈での事件だったようで,宅地上にある庭石の所有権者がだれかが争われたものです。当該宅地上に庭石(約40個)を設置した元地主がその後当該宅地及びその上の建物に抵当権を設定し(抵当権者は(株)岩瀬銀行),当該抵当権が結局実行されてXが競落により193059日に当該抵当不動産の所有権を取得したところ,問題の庭石は当該競落前の1929830日に元地主から第三者に売却されてその際公証人から証書に確定日付(民法施行法(明治31年法律第11号)4条「証書ハ確定日附アルニ非サレハ第三者ニ対シ其作成ノ日ニ付キ完全ナル証拠力ヲ有セス」)を得,かつ,簡易の引渡し(民法1822項。当該第三者は既に当該宅地上の建物に住んでいたのでしょう。)がされており,更に競落後の1931912日に当該第三者からYに売却されていたという事案です。当該庭石は動産にあらざる土地の定着物(したがって不動産)であるとの原審の認定が前提となっています。元地主による抵当権の設定がYの前主に対する1929830日の庭石の売却前なのか後なのかが判決文からははっきりしないのですが(一応,抵当権の設定は庭石のYの前主への売却の後だったものと解します。),大審院は「土地ノ定着物ノミ他人ニ譲渡シタルトキハ買受人ニ於テ其所有権取得ヲ第三者カ明認シ得ヘキ方法ヲ採ルニアラサレハ其取得ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス而シテ原審ハ上告人〔YYの前主も含むのでしょう。〕ニ於テ本件定着物ノ所有権取得ヲ明認シ得ヘキ方法ハ毫モ講セラレサリシ事実ヲ確定シ上告人〔Y〕ハ本件物件ノ所有権取得ヲ第三者タル被上告人〔X〕ニ対抗スルコトヲ得サルモノト判定シタルコト判文上明白ニシテ毫モ違法ノ点アルコトナシ」と判示して,Xを勝たせました。

民法施行法4条の規定は,平成29年法律第45号によって202041日から(平成29年政令第309号)削除されます。ナポレオンの民法典の第1328条も既に改正されてしまっています。

元地主の設定に係る岩瀬銀行を抵当権者とする本件宅地建物を目的とした抵当権の効力が本件庭石に及んでいたとして,その説明はどうなるのでしょうか。当該宅地の定着物たる本件庭石は本来当該宅地の一部であるから,明認方法を施して土地から分離の上更に所有権を移転してその明認方法をも施しておかなければ,抵当権の目的たる土地そのものとして抵当権の効力が及び(そもそも明認方法が施されていない場合),又はなお抵当権設定者の所有に係る従物(民法871項)として抵当権の効力が及ぶ(同法370条)のだ(土地からの分離に係る明認方法はあるが,次段階の所有権移転に係る第三者対抗要件たる明認方法まではない場合),ということになるでしょうか。「この場合の庭石は,未分離果実と異なり,明認方法をほどこさないと土地所有権に吸収され,独立の取引対象とならない。したがって,明認方法は,それによって庭石を土地から分離し,土地から独立して処分できる対象であることを示す,分離公示機能の意味もあるのではないか。その上で,対抗要件としての意味も有する。」との能見善久教授の見解(四宮=能見193頁)に従った上で,煩瑣に考えると上記のような細かい説明もできそうであるところです。なお,土地の所有権者がその土地上の自己所有の定着物について分離公示のための明認方法をあらかじめわざわざ施すというのも変な話のようですが,前主から取得した土地上に当該土地取得に係る移転登記がされない間に立木を植栽していたところ前主が当該土地を第三者に売って移転登記を経たために当該立木の所有権の所在が争われることとなった事案に係る最高裁判所昭和3531日判決(民集143307頁)は,「〔民法242条ただし書の類推により本件立木の地盤への付合が遡って否定されることに係る〕立木所有権の地盤所有権からの分離は,立木が地盤に附合したまま移転する本来の物権変動の効果を立木について制限することになるのであるから,その物権的効果を第三者に対抗するためには,少なくとも立木所有権を公示する対抗要件を必要とすると解せられるところ,原審確定の事実によれば,被上告人ら〔当該地盤の二重売買における移転登記を経た第2買主の後主(登記済み)〕の本件山林所有権の取得は地盤の上の立木をその売買の目的から除外してなされたものとは認められず,かつ,被上告人らの山林取得当時には上告人〔登記を経なかった第1買主〕の施した立木の明認方法は既に消滅してしまつていたというのであるから,上告人の本件立木所有権は結局被上告人らに対抗しえないものと言わなければならない。」と判示しています。

これについては,前記梅謙次郎の考え方に従い,宅地と庭石と,又は地盤と立木とを最初から「2物トシテ観察」すれば,土地からの分離の公示のための明認方法は不要ということになるのでしょう。しかしながら,梅説の復活というのも今更遅すぎるでしょう。前記最高裁判所昭和3531日判決に関して中尾英俊西南学院大学教授による,そもそも「立木が土地の一部であると解するべきではない」との主張がありますが(同『民法判例百選Ⅰ総則・物権(第三版)』(有斐閣・1989年)135頁(第63事件)),「植物は植栽によって当該土地の本質的構成要素となる」とするドイツ民法941項的解釈の力の方が強そうです。前記楓事件に係る東京地方裁判所平成1473日判決では,楓の所有権のほかに「念のために」当該楓の生育している土地の所有権について,立入りによる不法行為の成否を「進んで検討」していますが(結果は否定),楓と土地とが分離していない一物を構成するものであれば「楓の所有権」は土地の所有権をも意味し得るので,確かに必要な検討であったということになるのでしょう。

なお,従物は動産に限られるか,不動産も含まれるか,という問題もあります。庭石と宅地とが一つの物ではなく2物であって,かつ,庭石が不動産であっても,宅地に係る売却等の処分の際には民法872項により庭石はその従物として主物たる宅地の処分に従うのか,という問題です。ドイツ民法971項第1文では,従物は動産に限定されています。いわく,“Zubehör sind bewegliche Sachen, die, ohne Bestandteile der Hauptsache zu sein, dem wirtschaftlichen Zwecke der Hauptsache zu dienen bestimmt sind und zu ihr in einem dieser Bestimmung entsprechenden räumlichen Verhältnis stehen.”(従物は,動産であって,主物の構成要素たることなく,主物の経済的目的に役立つべく定められ,かつ,当該用途に対応するそれ〔主物〕との空間的関係にあるものである。)

しかしながら,我が民法では「主物・従物ともに動産たると不動産たるとを問わない。2個の不動産の間にも,この関係は成立しうる。例えば納屋・茶の間等も従物となりうる(大判大正77101441頁(納屋,便所,湯殿の例),大決大正10781313頁(判民112事件我妻評釈,増築された茶の間と抵当権の効力に関する)参照)。農場の小屋などもそうである。」ということになります(我妻Ⅰ・224頁。また,四宮135頁,小野秀誠『新注釈民法(1)』809-810頁)。梅謙次郎も不動産に付合した従たる物について「附合物カ独立ノ存在ヲ有スル場合ト雖モ多クハ従ハ主ニ従フ(Accessorium sequitur principale)ノ原則ニ拠リ主タル不動産ヲ処分スルトキハ従タル物モ亦共ニ処分セラレタルモノト看做スヘキヲ以テ其従物カ独立ノ一物ヲ成スヤ否ヤヲ論スル必要ナキコト多カルヘシ(872項〔略〕)但家屋ハ土地ノ従物ト看做サス」と述べていました(梅152頁)。

 

9 「五重塔」

ところで,従物の例として「五重塔」が挙げられています(四宮129頁)。五重塔といえば不動産たる堂々とした建物が想起されます。無論,前記のとおり,不動産たる従物というものもあり得ます。

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五重塔(池上本門寺)


 しかしながら,判例(大判昭和15416日評論29巻民370頁)に出て来る「五重塔」は,料理店の庭ないしは庭園に配置されたもののようです(四宮135頁注(1),我妻Ⅰ・223頁,小野『新注釈民法(1)』810頁)。五重塔までをもそこに建立する随分大きくかつ豪勢な庭を有する料理店があったものです。一体そんな料理屋はどこにあったのかいなと気になって,原典の掲載誌に当たってみると,当該「五重塔」は,「本訴物件タル石灯籠8個花崗岩七福神一揃花崗岩五重塔1基石ノ唐獅子1個ハ訴外〔略〕カ其所在土地ヲ営業(料理店)家屋ノ用地トシテ堀池,庭園ヲ築造シ之ニ風致ヲ添フル為其ノ地上ニ接触シテ配置シタルモノニシテ何レモ〔訴外者〕ノ営業ノ目的ニ資スルカ為主物タル其ノ所在土地ノ常用ニ供シタル従物」のうちの一つでした。花崗岩製の「五重塔」であれば,むしろ五輪塔・五層塔の類だったのではないでしょうか。また,「地上ニ接触シテ配置」したものにすぎず,更に石灯籠は動産とされていますから(四宮126頁及び小野『新注釈民法(1)』801頁が引用する大判大10810民録271480頁),本件「五重塔」は建物たる不動産ではなく,動産だったのでしょう。

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五輪塔(池上本門寺)


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五層塔(ただし元は十一層塔)(池上本門寺)

10 民事執行法その他

民事執行法(昭和54年法律第4号)においては,「登記することができない土地の定着物」は動産として扱われます(同法1221項)。これについては,『民事弁護教材改訂民事執行(補正版)』(司法研修所・2005年)に,「登記することのできない土地の定着物には,土地上の庭石,石灯籠,建設中の建物,容易に土地から分離できるガソリンスタンドの給油設備がある。」とあります(63頁注(2))。当該例示のものは全て動産にあらず,ということになるのでしょうか。しかしながら,取り外しの困難でない(取り外しのできる)庭石は土地の構成部分ではない従物とされ(最高裁判所昭和44328日判決(民集233699頁)),石灯籠については前記のように動産とする裁判例がありましたし,工場内においてコンクリートの土台にボルトで固着された程度ではそもそも定着物ではないとする裁判例もあります(我妻Ⅰ・213頁が引用する大判昭和41019新聞308115頁)。

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石灯籠=動産(東京都文京区六義園)

 くたびれました。空の鳥,地の獣等をかたどった銅像等にあるいは語りかけ(adorare),あるいは拝礼し(colere),心を安らげ,励ましたいとも思います。しかしながら,そういうことは絶対に許さない,四代祟るぞ,との強硬な要求をする律法もあります。

 

non facies tibi sculptile

neque omnem similitudinem quae est in caelo desuper et quae in terra deorsum

nec eorum quae sunt in aquis sub terra

non adorabis ea neque coles

ego sum Dominus Deus tuus fortis zelotes

visitans iniquitatem patrum in filiis

in tertiam et quartam generationem eorum qui oderunt me

(Ex 20, 4-5)


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Avis est in caelo desuper...(池上本門寺)

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Aper est in terra deorsum.(千葉県成田市)
 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

150-0002 東京都渋谷区渋谷三丁目516 渋谷三丁目スクエアビル2

電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp  

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Libera nos a malo!(函館ハリストス正教会)


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1 不法行為に係る日本民法の規定及び同法724条の今次改正

 

(1)民法の関係規定

 不法行為について,我が民法(明治29年法律第89号)の709条,710条,7151項及び724条は,それぞれ,「故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス」(709条),「他人ノ身体,自由又ハ名誉ヲ害シタル場合ト財産権ヲ害シタル場合トヲ問ハス前条ノ規定ニ依リテ損害賠償ノ責ニ任スル者ハ財産以外ノ損害ニ対シテモ其賠償ヲ為スコトヲ要ス」(710条),「或事業ノ為メニ他人ヲ使用スル者ハ被用者カ其事業ノ執行ニ付キ第三者ニ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス但使用者カ被用者ノ選任及ヒ其事業ノ監督ニ付キ相当ノ注意ヲ為シタルトキ又ハ相当ノ注意ヲ為スモ損害カ生スヘカリシトキハ此限ニ在ラス」(7151項)及び「不法行為ニ因ル損害賠償ノ請求権ハ被害者又ハ其法定代理人カ損害及ヒ加害者ヲ知リタル時ヨリ3年間之ヲ行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス不法行為ノ時ヨリ20年ヲ経過シタルトキ亦同シ」(724条)と規定していました。

 民法第1編から第3編までは,平成16年法律第147号によって200541日から片仮名書きから平仮名書きに変わりましたが,その際民法709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」に改められています。有名な大学湯事件判決(大審院(たいしんいん)大正141128日判決(民集4670頁))における,不法行為が成立する侵害対象に係る「其ノ侵害ノ対象ハ或ハ夫ノ所有権地上権債権無体財産権名誉権等所謂一ノ具体的権利ナルコトアルベク,或ハ此ト同一程度ノ厳密ナル意味ニ於テハ未ダ目スルニ権利ヲ以テスベカラザルモ而モ法律上保護セラルル一ノ利益ナルコトアルベク,否詳ク云ハバ吾人ノ法律観念上其ノ侵害ニ対シ不法行為ニ基ク救済ヲ与フルコトヲ必要トスト思惟スル一ノ利益ナルコトアルベシ。」との判示(幾代通著=徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)61頁における引用)を取り入れたものということになります。

札幌市東区の大学湯
札幌市東区の大学湯


(2)民法724条の今次改正及びその意味

 

ア 民法724条の今次改正

 今般の平成29年法律第44号による改正によって,民法724条は次のように改められます。

 

   (不法行為による損害賠償請求権の消滅時効)

  第724条 不法行為による損害賠償の請求権は,次に掲げる場合には,時効によって消滅する。

   一 被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないとき。

   二 不法行為の時から20年間行使しないとき。

 

今までの同条の文言(平成16年法律第147号による改正後は「不法行為による損害賠償の請求権は,被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは,時効によって消滅する。不法行為の時から20年を経過したときも,同様とする。」)を並び替えただけのように見えるけれども一体どこが違うのか,と戸惑われる方には,民法724条の見出しの新旧対照をお勧めします。見出しが各条に付されている場合,「見出しは,その条の一部を成すものと考えられている」ところです(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)156頁)。(なお,「見出しは,〔略〕古い法令の条文にはつけられていないものもあるが,〔略〕最近では,例外なく見出しが付けられる。」(前田155頁)ということであって,平成16年法律第147号による改正までの民法各条には,実は見出しが付されていませんでした。それまでは,「六法全書等の法令集において,条名の下に〔〇〇〇〕という形〔筆者註:括弧の形が( )ではないことに注意〕で見出しが付けられていることがあるが,これは,見出しの付けられていない法令(古い法令には,見出しが付けられていないものがかなりある。)について,編集者の立場から,利用者の検索等の便宜のために付けられたものであり,法令に本来付けられている見出しとは異なるものである」ということでした(前田159頁)。なお,日本国憲法の各条にも,現在いまだに見出しは付されていません。)平成16年法律第147号によって民法724条に初めて付された見出しは「不法行為による損害賠償請求権の期間の制限」であるのに対して,平成29年法律第44号による改正後の見出しは「不法行為による損害賠償請求権の消滅時効」と変化しています(下線は筆者によるもの)。

 平成29年法律第44号による改正後の民法724条の見出しには「等」はありませんから(「「等」に注意すべきこと等」http://donttreadonme.blog.jp/archives/2806453.html参照),同条における3年の期間も20年の期間もいずれも消滅時効期間ということになります。(これは,同条の本文の文言からも素直に読み取ることができます。)

 集合論的には,「損害賠償請求権の消滅時効」は「損害賠償請求権の期間の制限」に包含されます。全体集合である「損害賠償の期間の制限」に対して,「損害賠償請求の消滅時効」はその部分集合ということになるわけです。全体集合たる平成29年法律第44号による改正前の民法724条の「損害賠償請求権の期間の制限」に包含されるべき「損害賠償請求権の消滅時効」が空集合ではないことは,同条の文言を見るに,3年の期間の部分に「時効によって消滅する。」との文言が直接かかっていますから,当該3年の期間が消滅時効期間であるということによって明らかです。これに対して,平成29年法律第44号による改正前の民法724条の20年の期間は,部分集合たる「損害賠償請求権の消滅時効」には含まれずに当該部分集合に係る補集合を構成し得ることになります(民法126条に関してですが,「例えば第126条の定める二つの消滅時効期間のうち,5年の方は「時効ニ因リテ消滅ス」ることは明らかだが,20年の方は「亦同ジ」というだけだから,同じく「時効ニ因リテ消滅ス」なのか,同じく「消滅ス」なのか,必ずしも明らかではない。」と説かれています(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)438頁)。)。当該補集合が空集合であるのならば部分集合のみで十分であって民法724条の見出しは平成16年法律第147号によって最初に付けられた時のそもそもから「不法行為による損害賠償請求権の消滅時効」でよかったのだということにはなりますが,補集合が空集合ではないという余地があるがゆえの「損害賠償請求権の期間の制限」との表現であったというわけです。

 それでは,消滅時効期間以外のものであり得るところの平成29年法律第44号による改正前の民法724条の20年の期間は何であるのかというと,除斥期間である,ということになっています。我が最高裁判所の第一小法廷が平成元年1221日に下した判決(民集43122209頁)において「民法724条後段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。けだし,同条がその前段で3年の短期の時効について規定し,更に同条後段で20年の長期の時効を規定していると解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わず,むしろ同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。/これを本件についてみるに,被上告人らは,本件事故発生の日である昭和24214日から20年以上経過した後の昭和521217日に本訴を提起して損害賠償を求めたものであるところ,被上告人らの本件請求権は,すでに本訴提起前の右20年の除斥期間が経過した時点で法律上当然に消滅したことになる。そして,このような場合には,裁判所は,除斥期間の性質にかんがみ,本件請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても,右期間の経過により本件請求権が消滅したものと判断すべきであり,したがって,被上告人ら主張に係る信義則違反又は権利濫用の主張は,主張自体失当であって採用の限りではない。」と判示されているところです。

 

イ 除斥期間に関して

 除斥期間の制度と消滅時効の制度との相違については,内閣法制局筋において,「イ)除斥期間の効果は当然に生じ,時効のように当事者が裁判上援用することによつて生ずるものではない〔略〕。ロ)除斥期間については,停止がない〔筆者註:中断もないとされています。〕。ただし,除斥期間について時効の中断又は停止に関する規定の準用を認める学説もあり,判例上も,極めて限定的ながら,特例が認められている。ハ)除斥期間には,時効利益の放棄のような制度はない。ニ)除斥期間による権利の消滅については,遡及効を問題とする余地がない。」と説かれています(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)424頁)。

 上記の「判例上も,極めて限定的ながら,特例が認められている」ことに関して,平成29年法律第44号による改正前の民法724条後段の20年の除斥期間については,最高裁判所平成21428日判決(民集634853頁)が挙げられています(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)63頁)。しかしながら,当該判例は,「被害者を殺害した加害者が,被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し,そのために相続人はその事実を知ることができず,相続人が確定しないまま上記殺害の時から20年が経過した場合において,その後相続人が確定した時から6か月内に相続人が上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法160条の法理に照らし,同724条後段の効果は生じない」ということで「本件殺害行為に係る損害賠償請求権が消滅したということはできない。」としたものであって,加害者が殺人という人の道に反することを犯したものであってもそれだけではなく更に自ら「被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出」した場合であることが必要であり,しかもそれに加えて「相続人が確定した時から6か月内に相続人が上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権を行使」しなくてはならないものでした。平成29年法律第44号による改正前の民法160条は時効の停止に係る規定ですが,学説においては,除斥期間についても,「停止を認めないと,権利者にやや酷になるので,これだけは認めるべきであるとされている」とされていたところです(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)292頁)。

上記最高裁判所平成21428日判決のほかには,「下級審には,「被告が積極的に時効期間の経過による利益を放棄する意思を有している」と認められる特段の事情があれば除斥期間の規定を適用すべきではないとしたものがある(東京地判平成427日判時平成4425日臨増221頁(水俣病東京訴訟判決))。」との裁判例が,現在は弁護士である内田貴教授(当時)によって紹介されています(内田貴『民法Ⅱ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)436頁)。

 平成29年法律第44号による改正前の民法724条後段の20年の期間が除斥期間であることは「通説の立場」に判例が立ったものであるとされていたのですが(内田435頁。同弁護士も「通常の除斥期間とみてよい」としていました(同436頁)。ただし,幾代=徳本349頁は,民法724条後段に係る除斥期間説は有力説であるとの評価でした。),せっかくの学界の「通説」も,いざ実務に採用されてみると不都合な代物でありました。除斥期間によって損害賠償請求権が消滅してしまうとすると,やはり「長期間にわたって加害者に対する損害賠償請求をしなかったことに真にやむを得ない事情があると認められる事案においても,被害者の救済を図ることができないおそれ」があるし,前記最高裁判所平成21428日判決についても,「相続人確定後6箇月以内という短期間に訴訟提起等が必要になるのは酷ではないか」と指摘されていました(筒井=村松63頁)。このような議論を承けて,平成29年法律第44号による改正によって,民法724条後段の20年の期間は除斥期間から消滅時効期間に改められることとなったのでした(筒井=村松63頁)。

 

ウ 従来の民法724条の文言について

 あえて法文の文理を超越までして学者の「通説」を採って民法724条の20年の期間は除斥期間であると解釈してやったのに何だ,とは民法724条に係る平成29年法律第44号による改正に対する我が最高裁判所の憤懣ということになるでしょうか。

法文の文理を超越,というのは,「民法724条の「不法行為ノ時ヨリ20年」の期間については,規定上は時効とされるが,判例により,除斥期間と解されている。」というのが内閣法制局筋の評価であるからです(吉国等424頁。下線は筆者によるもの)。確かに,「取消権ハ追認ヲ為スコトヲ得ル時ヨリ5年間之ヲ行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス行為ノ時ヨリ20年ヲ経過シタルトキ亦同シ」と,平成29年法律第44号による改正前の民法724条と同じ形式で規定されていた民法126条の取消権の期間制限に関する定めについては,「判例は,法文に忠実に,〔略〕長期・短期いずれをも消滅時効と称している(大判明32103民録5912,大判昭1561民集19944)。」と評されていました(四宮和夫『民法総則(第四版)』(弘文堂・1986年)223頁。下線は筆者によるもの)。(なお,ついでながら,民法126条については平成29年法律第44号による改正は行われず,見出しも「取消権の期間の制限」のままです。これは,民法126条の20年の期間は「今日では,除斥期間〔略〕と解されている」とともに(星野237頁),同条の二つの期間について「取消権の性質上,両方とも除斥期間と解するのが正当であろうと思う。」との学説(我妻404頁)も存在している学界情況に配慮してのことでしょうか。)また,我が民法の「起草者は,「時効ニ因リテ消滅ス」と明文で定めている場合,およびそれに続いて「亦同シ」とある場合のみ消滅時効であり,その他の場合は除斥期間であるというつもりであった。」と解されていたところです(星野292頁)。現に,当該起草者の一人である梅謙次郎は民法724条について「本条ハ不法行為ニ因ル損害賠償ノ請求権ノ時効ヲ定メタルモノナリ」と宣言した上で,「不法行為ノ時ヨリ既ニ20年ヲ経過シタルトキハ其請求権ハ時効ニ因リテ消滅スヘキモノトセリ」と述べています(梅謙次郎『訂正増補第三十版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)917-918頁。下線は筆者によるもの)。これに対して,民法724条後段に係る我が最高裁判所平成元年1221日判決の判例の位置付けはどのようなものになるのかといえば,「わが民法の伝統的解釈態度は,かなり特殊なものである。第1に,あまり条文の文字を尊重せず(文理解釈をしない),たやすく条文の文字を言いかえてしまう。〔略〕第2に,立法者・起草者の意図を全くといってよいほど考慮しない。第3に,それではどんなやり方をしているのかというと,目的論的解釈をも相当採用しているが,特殊な論理解釈をすることが多い。すなわち,適当にある「理論」を作ってしまって,各規定はその表現である,従ってそう解釈せよと論ずる。」という解釈態度(星野61頁)の下,「特に最近の最高裁は,規定の文理に反するかなり大胆な解釈をしていることが少なくない」(星野36頁。下線は筆者によるもの)ところの顕著な一例ということになるのでしょう。立法者が何と言おうと我々が奉ずる正しい理論が優先されるのであって民法の規定の文言に反する解釈も当然許されるのであると最高裁判所が強烈に自覚しているとなると,平成29年法律第44号によって民法724条の文言を国会がいじっただけでは,同条後段に係る現在の判例の解釈が覆されるものとにわかにかつ安直に安心してはならないということになってしまいます。

 

エ 除斥期間の消滅時効期間への変化(日本民法のこれから)

 とはいえ,最高裁判所平成元年1221日判決の判例は大人しく覆されるのだということを前提に,平成29年法律第44号はその附則において民法724条の改正に伴う経過規定を設けています。すなわち,平成29年法律第44号の附則351項は「旧法第724条後段(旧法第934条第3項(旧法第936条第3項,第947条第3項,第950条第2項及び第957条第2項において準用する場合を含む。)において準用する場合を含む。)に規定する期間がこの法律の施行の際既に経過していた場合におけるその期間の制限については,なお従前の例による。」と規定しており,「新法の施行日において除斥期間が既に経過していなければ新法が適用され(附則第35条第1項),その損害賠償請求権については長期の権利消滅期間は消滅時効期間と扱われる」ことになります(筒井=村松386頁)。除斥期間が消滅時効期間に化けるわけです。また,「新法では消滅時効期間としているため,施行日前に中断・停止事由が生じていた場合や,施行日以後に時効の更新及び完成猶予の事由が生じた場合には,それらの事由に基づき時効の完成が妨げられることになる。また,加害者である債務者による時効の援用に対して施行日前に生じていた事情を根拠として信義則違反や権利濫用の主張が可能となる。」ということになります(筒井=村松387頁)。

 

2 大韓民国大法院20181030日判決並びに国際私法及び日韓民法

 

(1)大韓民国大法院20181030日判決:不法行為に基づく損害賠償請求事件

 さて,以上の我が民法724条に関する長々とした議論は筆者お得意の回り道及びそれに伴う道草であって,今回の本題である20181030日大韓民国大法院(新日鉄住金事件)判決に関する感想文を書くための前提作業でありました。当該判決については,1965622日に東京で作成され同年1218日に発効した財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第27号)の解釈を取り扱ったものとして議論がかまびすしいところですが,筆者の感想文は,そのような勇ましい議論に掉さすものではありません。当該判決の前提となったものであろう大韓民国の国際私法及び民法と我が民法との関係について興味を覚えたばかりです。

 本件大韓民国大法院20181030日判決については,張界満,市場淳子及び山本晴太の3氏による仮訳がインターネット上で公開されていますので当該仮訳を利用させていただきました。3氏に厚く御礼申し上げます。(当該判決については,我が「政府は,韓国大法院(最高裁)が新日鉄住金に対し,韓国人の元徴用工への賠償を命じた判決に反論する英語資料を作成した。国際会議の取材に訪れる海外メディアなどに配布し,判決は国際法違反だと国際世論に訴える狙いがある。」という報道(YOMIURI ONLINE 201811141550分)がありますが,そもそもの当該判決書の国内向けの翻訳は,上記3氏によるもののほかは今のところ筆者には見当たりません。)

 

http://justice.skr.jp/koreajudgements/12-5.pdf?fbclid=IwAR052r4iYHUgQAWcW0KM3amJrKH-QPEMrH5VihJP_NAJxTxWGw4PlQD01Jo


(追記:その後,アンジュ行政書士法律事務所(近内理加行政書士)による翻訳に接しました。https://angelaw.jp/2018/11/10/post-338/
 

 当該事案の原告らは大韓民国内在住の大韓民国民,被告は日本国内に本店を有する日本法人たる新日鉄住金株式会社であることは我が国内一般向け報道によっても理解され得たところでしたが,正確な訴訟物は何であったのかまでははっきりしていませんでした。本件大韓民国大法院20181030日判決の判決書上記仮訳(以下単に「本件判決書」といいます。)を見て,訴訟物は不法行為に基づく損害賠償請求権であったことが分かりました。「本件で問題となる原告らの損害賠償請求権は日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(以下「強制動員慰謝料請求権」という)である」とされています(本件判決書4.イ.1)。下線は筆者によるもの)。「原告らは被告に対して未払賃金や補償金を請求しているのではな」かったそうです(本件判決書4.イ.1))。

 上記「強制動員慰謝料請求権」を生ぜしめた不法行為は原告ごとに別々にあったわけですが,本感想文においては「原告2」に係る次の認定事実を念頭に置くことにしましょう。

 

   旧日本製鉄は1943年頃,平壌で大阪製鉄所の工員募集広告を出したが,その広告には大阪製鉄所で2年間訓練を受ければ技術を習得することができ,訓練終了後には韓半島の製鉄所で技術者として就職することができると記載されていた。〔略〕原告2は,19439月頃,上記広告をみて技術を習得して我が国で就職することができるという点にひかれて応募し,旧日本製鉄の募集担当者と面接して合格し,上記担当者の引率下に旧日本製鉄大阪製鉄所に行き,訓練工として労役に従事した。

   〔略〕原告2は,大阪製鉄所で18時間の3交代制で働き,ひと月に12回程度外出を許可され,ひと月に23円程度の小遣いだけを支給されたのみで,旧日本製鉄は賃金全額を支給すれば浪費する恐れがあるという理由をあげ,〔略〕原告2の同意を得ないまま彼ら名義の口座に賃金の大部分を一方的に入金し,その貯金通帳と印鑑を寄宿舎の舎監に保管させた。〔略〕原告2は火炉に石炭を入れて砕いて混ぜたり,鉄パイプの中に入って石炭の残物をとり除くなど,火傷の危険があり技術習得とは何ら関係がない非常につらい労役に従事したが,提供される食事の量は非常に少なかった。また,警察官がしばしば立ち寄り,彼らに「逃げても直ぐに捕まえられる」と言い,寄宿舎でも監視する者がいたため,逃亡を考えることも難しく,原告2は逃げだしたいと言ったことが発覚し,寄宿舎の舎監から殴打され体罰を受けた。

   そのような中で日本は19442月頃に訓練工たちを強制的に徴用し,それ以後〔略〕原告2に何らの対価も支給しなくなった。大阪製鉄所の工場は19453月頃にアメリカ合衆国軍隊の空襲で破壊され,この時訓練工らのうちの一部は死亡し,〔略〕原告2を含む他の訓練工らは19456月頃,咸鏡道清津に建設中の製鉄所に配置されて清津に移動した。〔略〕原告2は寄宿舎の舎監に日本で働いた賃金が入金された貯金通帳と印鑑を引き渡すよう要求したが,舎監は清津到着後も通帳と印鑑を返さず,清津で一日12時間もの間工場建設のための土木工事に従事しながら賃金は全く支給されなかった。〔略〕原告219458月頃,清津工場がソ連軍の攻撃により破壊されると,ソ連軍を避けてソウルに逃げ,ようやく日帝から解放された事実を知った。(本件判決書1.イ.3))

 

 外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律(平成28年法律第89号)の1611号,46条・108条,472項・1114号及び482項並びに労働基準法(昭和22年法律第49号)5条・117条,181項・1191号,941項及び95条・1201号などが想起されるところです。これらの法律の規定によって防遏が図られている劣悪な労働環境は,企業活動が「不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結」する場合にのみ生ずるものではないのでしょう。

(2)準拠法:日本法か大韓民国法か北朝鮮法か

 本件国際的な訴えの管轄権が大韓民国の裁判所に認められた理由に係る国際裁判管轄の問題(大韓民国の国際私法(http://www.geocities.jp/koreanlaws/kokusaisihou.html2条がありますが,同法附則2項の問題となるのでしょうか。なお,以下同法,大韓民国旧渉外私法,同国民法については篤志家による「韓国Web六法」を利用させていただきました。御礼申し上げます。)は本感想文ではスキップして,本件不法行為に基づく損害賠償請求事件における準拠法は何かという問題に直ちに移りましょう。(国際裁判管轄問題については,大韓民国大法院2012524日判決(三菱事件)の理由2に判示があります。当該判決には仮訳(http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/sengohosho/saibanrei_04_1.pdf)があります。)

 

ア 大韓民国国際私法附則2項,同国旧渉外私法13条及び日本国旧法例11

 準拠法の決定に係る法規範に関して,大韓民国の国際私法附則2項を見ると,「(準拠法適用の時間的範囲)この法律施行前〔施行日は200171日〕に生じた事項に対しては,従前の渉外私法による。ただし,この法律施行前後に継続する法律関係に関しては,この法律施行以後の法律関係に限り,この法律の規定を適用する。」とあります。したがって,先の大戦期(大日本帝国に係る降伏文書の調印は194592日)の出来事に基づく「強制動員慰謝料請求権」に係る訴えについては,大韓民国の旧渉外私法(www.geocities.jp/koreanlaws/syougaisihou.html)を見なければなりません。当該旧渉外私法13条には「(法定債権の成立及び効力)①事務管理,不当利得又は不法行為により生じた債権の成立及び効力は,その原因となった事実が発生した場所の法による。/②前項の規定は,外国で発生した事実が大韓民国の法律により,不法行為にならないときは,これを適用しない。/③外国で発生した事実が大韓民国の法律により不法行為になる場合であっても,被害者は,大韓民国の法律が認ママめた損害賠償その他の処分以外にこれを請求することができない。」とあります。何だか我が旧法例(明治31年法律第10号。法の適用に関する通則法(平成18年法律第78号)によって200711日から全部改正)11条に似ているなぁということになるのですが,それもそのはず,大韓民国旧渉外私法の附則2項を見ると,同法の施行(1962115日)までは我が旧法例が大韓民国内で適用されていたようです。同項によって我が明治45年勅令第21号が廃止されていますが,同令は191241日から「法例ハ之ヲ朝鮮ニ施行ス」とするものでした。

 2012524日の大韓民国大法院三菱事件判決の理由4イを見ると,「1962115日以前に発生した法律関係に適用される大韓民国の抵触法規は〔略〕,軍政法令21号を経て大韓民国制憲憲法付則第100条により「現行法令」として大韓民国の法秩序に編入された日本の「法例」」であるとされています。
  我が旧法例の111項は,「事務管理,不当利得又ハ不法行為ニ因リテ生スル債権ノ成立及ヒ効力ハ其原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律ニ依ル」と規定していました。


イ 統治権の変更と国法の不変更

 大日本帝国崩壊後も同帝国の法律(この場合は旧法例)が独立大韓民国内においてなお国法として施行されていたとはこれいかに,ということになるのですが,美濃部達吉による次の説明によって納得すべきでしょうか。

 

   〔前略〕総て国法の効力を有する窮竟の根拠は,国の統治権に在るのではなく社会的意識に在るのであり,随つて又統治権の変更に依つては必ずしも当然に国法の変更を来すものではないのである。

   領土の変更に伴ひ国法に如何なる影響があるかに付いては,国法の実質に付いて区別する必要が有る。国法の中で,国の統治権に必然に随伴すべき性質のものは,領土の変更に伴ひ当然変ずるものでなければならぬ。〔中略〕

   併しながら此等は何れも特別の性質に基く例外であつて,此等の例外を除いて,原則としては国法は領土の変更に依つて当然には変更せらるゝものではなく,特別の定に依るの外は,統治権の変更に拘らず尚旧来の国法が差当りはそのまゝ効力を継続するものと解するのが正当である。

   明治43年朝鮮併合の当時には,制令(43829日制令第1号)を以て特に

 

    朝鮮総督府設置ノ際朝鮮ニ於テ其ノ効力ヲ失フヘキ帝国法令及韓国法令ハ当分ノ内朝鮮総督ノ発シタル命令トシテ尚其ノ効力ヲ有ス

 

と定められた。『其ノ効力ヲ失フヘキ』と云つて居るのは,領土の変更と共に旧来の法令が当然その効力を失ふものであるとする見解を前提として居るのであるが,此の見解は不当であつて,その後段である『尚其ノ効力ヲ有ス』といふ方が,却て特別の規定を待たない当然の事理であるのである。(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)90-92頁)

 

ウ 不統一法国たりし大日本帝国

 「日本も第二次世界大戦〔における敗北による帝国の解体〕前は朝鮮・台湾には内地と異なる法律が行われていた」ところであって,大日本帝国は不統一法国でした(澤木敬郎=道垣内正人『国際私法入門〔第4版補訂版〕』(有斐閣・1998年)44頁参照)。「アメリカなどのように,一国内で州による異なる私法秩序が併存しているところでは,国内事件についての場所的適用規範である準国際私法が存在している」ところ(澤木=道垣内7頁),大日本帝国における準国際私法に係る法典としては共通法(大正7年法律第39号)が存在していました。朝鮮はそこでは独立の地域(法域)となっていました(同法11項)。

 

エ 大韓民国「旧法例11条1項」の解釈:加害行為地法主義か

 不法行為債権に係る大韓民国「旧法例111項」の解釈においては,そこにいう「其原因タル事実ノ発生シタル地」が何であるかが問題となります。同項の解釈について「母法国」たる我が国の解釈を参考にしてみれば,「法例111項は,不法行為について,原因たる事実の発生したる地の法律によると規定し,〔法廷地法主義に対するところの〕不法行為地法主義を採用している。これが加害行為地説をとるものか結果発生地説をとるものかは文理上決定することができないので,その解釈論は分かれている。不法行為の類型ごとの規定になっていない以上,両者が異なる場合には,被害者により近い損害発生地法によってその損害の回復をはかるべきであろう。」と説くものがあります(澤木=道垣内182頁)。旧法例111項(したがって大韓民国旧渉外私法131項)については「文理上決定することができ」ず,かつ,「解釈論は分かれている」まま,我が法の適用に関する通則法17条本文は結果発生地法主義を採っている一方,大韓民国国際私法321項は「不法行為は,その行為が行われた地の法による。」として加害行為地法主義を採っています(と少なくとも筆者には読まれます。)。大韓民国国際私法321項から遡及的に考えて,同国「旧法例111項」は加害行為地法主義を採っていたものとしましょう。(ただし,山本晴太弁護士の開設・管理に係る「法律事務所の資料アーカイブウェブサイト法院200923日三菱事件判決仮訳http://justice.skr.jp/koreajudgements/8-2.pdf)の理由4イ(2)(エ)1)を見ると,大韓民国旧渉外私法131項の不法行為に係る「その原因となった事実が発生した場所」には損害の結果発生地を含むというのが大韓民国大法院の判例であるそうです。)

 

オ 本件における加害行為地法:日本法

 しかしながら,「原告2」の精神的苦痛(本件判決書4.イ.1)④)に係る不法行為債権に係る加害行為地法は何でしょうか。「原告2」の動員に係る「組織的な欺罔」(本件判決書4.イ.1)②)がされた平壌の法でしょうか(同地の法は北朝鮮法か大韓民国法かがまた問題になります。我が国の裁判所であれば北朝鮮法も準拠法たり得るものとするのでしょうが(澤木=道垣内51頁参照),大韓民国大法院としては断乎同地の法は大韓民国法であるものとするのでしょう。),「幼い年齢で家族と離別し」て「劣悪な環境において危険な労働に従事し」,「強制的に貯金をさせられ」,「外出が制限され,常時監視され」,「苛酷な殴打を受けること」があった(本件判決書4.イ.1)③)場所の法,すなわち,大阪(19箇月くらい)の日本法でしょうか,それとも清津(2箇月くらい)の法(これも北朝鮮法ではなく大韓民国法であることにしましょう。)でしょうか。不法行為については加害行為ごとに訴訟物を異にするのですから(岡口基一『要件事実マニュアル第2版下巻』(ぎょうせい・2007年)141-142頁参照),大阪の分と平壌及び清津の分とで訴訟物を分けてくれればよかったのですが,「原告2」は一連の行為を通じて一つの加害行為があったもの(したがって訴訟物は1個)としているようでもあります。東京地方裁判所平成3924日判決(判時142980頁,判タ769280頁)は「違法行為の極めて重要な部分」が行われた場所を問題にしていますが,そういわれただけではなお,「原告2」に対する不法行為に係る「違法行為の極めて重要な部分」が行われた場所がどこであるかは決めかねます。「意思活動の行われた場所を不法行為地とする行動地法説」という表現(柏木昇「47不法行為―ノウハウの侵害」『渉外判例百選[第三版]』(有斐閣・1995年)97頁)に飛びついて,主に大阪で労働に服したことに加えて,旧日本製鉄株式会社の「意思活動」といえばその極めて重要な部分は当然日本内地で行われたものであるとして,「原告2」の受けた不法行為に係る不法行為地法は日本法であると考えるべきでしょうか。

 ちなみに,先の大戦中に大陸から日本内地に連れて来られて労務に服した中華民国(当時)国民からの服務先企業に対する訴えに係る東京地方裁判所平成15311日判決(訟月502439頁)は,旧法例111項に関し,「不法行為が複数の国にまたがるいわゆる隔地的不法行為の準拠法は,原則として,不法行為が行われたいずれかの地の法律となるが,ある国において不法行為の主要な部分が行われ,他の国においては,副次的又は軽微な部分しか行われていないときは,主要な部分が行われた地の法律によらなければ,最も密接な利害を有する地の公益が維持されないし,行為者の予測も困難になるから,その主要な部分が行われた国の法律が準拠法となると解すべきである。」と判示し,準拠法を日本法としています。

 なお,「損害の結果」たる「原告2」の精神的苦痛の発生地について考えると,夢も希望もあった平壌ではなく,実際に寄宿舎に暮らし労働に従事した大阪及び清津ということになるのではないでしょうか。
 

(3)大韓民国の不法行為法:日本民法の依用から大韓民国民法へ

 不法行為債権の成立(「不法行為能力,不法行為の主観的要件すなわち故意・過失,権利侵害,損害の発生,行為と結果の因果関係など」(澤木=道垣内183頁参照))及び効力(「損害賠償請求権者,賠償の方法,損害賠償の範囲,過失相殺,時効,共同不法行為の連帯責任,損害賠償請求権の譲渡性および相続性など」(澤木=道垣内183頁参照))に係る準拠法は,大韓民国「旧法例111項」によって大韓民国法と決まるのであろうか(北朝鮮法と決まる可能性は捨象),日本法と決まるのであろうかと以上考え,一応日本法であろうということにしたところですが,次に関連して,大韓民国法における不法行為法はどのようなものであったかについて検討しましょう。

 実は,大日本帝国時代の朝鮮においては,朝鮮民事令(明治45年制令第7号)11号によって,日本民法が,民事に関する事項について「本令其ノ他ノ法令ニ特別ノ規定アル場合ヲ除クノ外」依るべき法律の一つであるものとされていました。不法行為については,日本民法の依用に関する「特別ノ規定」である朝鮮民事令の10条から15条までの規定を見る限り,朝鮮においてもそのまま我が民法に依るべきものとされていたものと解されます。「かつて領土が拡張したときに,民法は新領土にも当然に適用されるものかについて,憲法の問題として,大いに議論された。そして,台湾,朝鮮及び樺太には,当然には民法の適用はないという前提で,それぞれ特別の法律〔筆者註:台湾は律令(台湾民事令),朝鮮では制令。樺太は,明治40年法律第25号に基づく勅令(明治40年勅令第9418号)〕を制定し,一定の制限の下に,民法をこれらの領域に適用〔筆者註:樺太では民法は施行され,台湾及び朝鮮では依用〕することにした。」ということです(我妻25-26頁)。

大韓民国民法の附則(www.geocities.jp/koreanlaws/min3.html271号によると,同法の施行される196011日(同附則28条)から「朝鮮民事令第1条の規定により準用された民法,民法施行法及び年齢計算に関する法律は廃止されていますので,これを反対解釈すると,大韓民国独立後も1959年末までは朝鮮民事令11号に基づく我が民法の依用体制は同国においてなお継続していたということでしょう。いわんや大韓民国独立前においてをや,ということになります。
 
(なお,日本の朝鮮に対する主権の喪失の時期がふと気になるのですが,実は諸説紛々,「日本が朝鮮に対する主権を喪失した時期については,ポツダム宣言の受諾,降伏文書の調印,大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の成立,対日平和条約の発効等が考えられる」という有様です(国際法事例研究会『日本の国際法事例研究(3)領土』(慶応通信・1990年)51頁(大森正仁))。日本による大韓民国の国家承認は,「連合国総司令部に派遣されていた韓国代表部に対し,対日平和条約発効〔1952428日〕後は,政府機関たる地位と領事相当の特権を与える旨の,わが国外務省から当該代表部宛の口上書による黙示承認」によるものであったとされています(国際法事例研究会『日本の国際法事例研究(1)国家承認』(慶応通信・1983年)68頁)。)


(4)日本民法724条後段と本件大韓民国大法院判決

 

ア 判決書の記載

ということで,本件判決書を読み進むと,民法724条に関係するものと思われる議論が出て来ます。

 

  5.上告理由第4点に関して

    差し戻し後の原審は,1965年に韓日間の国交が正常化したが請求権協定関連文書がすべて公開されていなかった状況において,請求権協定により大韓民国国民の日本国または日本国民に対する個人請求権までも包括的に解決されたとする見解が大韓民国内で広く受け入れられてきた事情など,その判示のような理由を挙げて,本件の訴訟提起当時まで原告らが被告に対して大韓民国で客観的に権利を行使できない障害事由があったと見ることが相当であるため,被告が消滅時効の完成を主張して原告らに対する債務の履行を拒絶することは著しく不当であり,信義誠実の原則に反する権利の濫用として許容することはできないと判断した。

    このような差戻し後の原審の判断もまた差戻判決の趣旨に従ったものであって,そこに上告理由の主張のような消滅時効に関する法理の誤解などの違法はない。

 

さきに考えたように本件不法行為に基づく「強制動員慰謝料請求権」に係る準拠法が日本法であるという前提で読むと,我が民法724条後段の規定に関する議論のようです。しかして大韓民国大法院は,同条の20年の期間は除斥期間ではなく,消滅時効期間であるものと解しているように見えます。

 

イ 大韓民国大法院による日本国最高裁判所判例に対する「違背」(準拠法が日本法である場合)

本来,日本民法解釈の総本山である我が最高裁判所の平成元年1221日判決の判例法理によれば,不法行為に基づく本件原告らの「強制動員慰謝料請求権」は,民法724条後段の除斥期間の経過によって,先の大戦の終結から20年たった19659月ころまでには「法律上当然に消滅」していたところです。したがって,大韓民国大法院は,上告理由云々以前に「除斥期間の性質にかんがみ,本件請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても,右期間の経過により本件請求権が消滅したものと判断すべきであり」,同条後段の適用を排除しようとする「信義則違反又は権利濫用の主張は,主張自体失当であって採用の限りではない」と厳然判示して原告らを一刀両断,真っ向唐竹割りにすべきだったはずです。また,日本国最高裁判所平成21428日判決の前例に拠ろうにも,「本件の訴訟提起当時まで原告らが被告に対して大韓民国で客観的に権利を行使できない障害事由」は被告である新日鉄住金株式会社が「殊更に作出」したものではありませんから,前提を欠くということになったはずです。

「外国法が準拠法となるということは,その外国法が当該外国において現実に適用されている意味内容において適用されるということである。外国法の条文のみを翻訳し,日本法の観念に従って解釈することは許されるものではない。判例法の場合,それにどのような権威が認められているかも,当該外国法秩序の中で決定されなければならない。」とは日本の法曹向けの日本の学者による訓戒ですが(澤木=道垣内53頁),このことは大韓民国においても同様でしょう。「日本民法の条文のみを翻訳し,大韓民国法の観念に従って解釈することは許されるものではない」ことになります。また,民法724条後段について論ずる本感想文の主旨からはそれますが,「その外国法が当該外国において現実に適用されている意味内容」ということは,本件においては,「日本民法が日本国において昭和40年法律第144号と共に現実に適用されている意味内容」ということになるのでしょう。昭和40年法律第144号の題名は,長いのですが,「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」といいます。

(なお,我が旧法例を継受した大韓民国旧渉外私法5条は「(社会秩序に反する外国法の規定)外国法によらなければならない場合においてその規定が善良な風俗その他社会秩序に違反する事項を内容とするものであるときは,これを適用しない」と規定していて,「規定の適用」結果を問題とする我が法の適用に関する通則法42条とは異なり,法の内容を問題とするもののように解され得ます。20年の除斥期間の規定は,それ自体では大韓民国の「善良な風俗その他社会秩序に違反する事項を内容とするもの」にはならないでしょう。ただし,「外国法ニ依ルヘキ場合ニ於テ其規定カ公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スルトキハ之ヲ適用セス」との我が旧法例の規定(平成元年法律第27号による改正前の30条)の解釈について東京地方裁判所平成5129日判決(判時144441頁,判タ81856頁)は,「公序条項を適用して外国法の適用を排除すべきかどうかは,当該外国法の内容自体が内国の法秩序と相容れないかどうかということではなく,当該外国法を適用して当該請求又は抗弁を認容し又は排斥することが内国の社会生活の秩序を害することになるかどうかによって決すべき」ものと述べています。ちなみに,本件判決書2.において,大韓民国大法院は,本件原審の「日本の韓半島と韓国人に対する植民支配が合法的であるという規範認識を前提に日帝の「国家総動員法」と「国民徴用令」を韓半島と〔略〕原告2に適用することが有効であると評価した以上,このような判決理由が含まれる本件日本判決をそのまま承認するのは大韓民国の善良な風俗やその他の社会秩序に違反するもの」との判断を是認しているところ,そこでは国家総動員法(昭和13年法律第55号)及び国民徴用令(昭和14年勅令第451号)の適用が問題とされていますが,昭和40年法律第144号には言及されていません。

しかしながら前記のような真っ向唐竹割り的判示がされなかったということは,日本民法724条後段の解釈において,大韓民国大法院が日本国最高裁判所の権威を否認し,自ら正当と信ずる独自の解釈を打ち出したということになるのでしょうか。無論このことは可能ではあります(裁判所法(昭和22年法律第59号)4条反対解釈)。なお,大日本帝国時代においても,内地の大審院の解釈と朝鮮高等法院の解釈とが統一される必要はなかったところです(「大審院は唯内地のみの最高裁判所で,各殖民地の司法機関は全く別個の系統を為して居」たのでした(美濃部597頁)。)。価値判断的にも,日本国最高裁判所の平成元年1221日判決に係る判例を,平成29年法律第44号の制定をもって覆すこととした我が国の国会及び内閣は,当該解釈に欣然左袒するものでしょう。(内田弁護士も,先の大戦後1949年の不発弾処理作業の際の爆発事故被害者による国家賠償法(昭和22年法律第125号)11項(同法4条によって民法724条が適用されます。)に基づく損害賠償請求を排斥した平成元年1221日判決について,「正義感覚に反することは異論がない」と述べています(内田436頁)。)

 と,以上,本件判決書の一読当初に思ったことをそのまま書いてしまったところがこの感想文が感想文たるゆえんで,現実には大韓民国大法院は日本国最高裁判所の民法724条後段解釈に楯突く気は毛頭なく,本件の準拠法は大韓民国法であるという前提で裁判をしたようです。すなわち,三菱事件に係る同院の2012524日判決は,その4エ(1)において,「「法例」によれば,不法行為に因る損害賠償請求権の成立と効力は不法行為の発生地の法律によることになるが(第11条),本件の不法行為地は大韓民国と日本にわたっているので,不法行為による損害賠償請求権に関して判断する準拠法は大韓民国法若しくは日本法になるであろう。しかし既に原告らは日本法が適用された日本訴訟で敗訴した点に照らして,自己により有利な準拠法として大韓民国法を選択しようという意思を持っていると推認されるので,大韓民国の裁判所は大韓民国法を準拠法にして判断すべきである。」と判示していたところです。どちらにすべきか裁判所が迷うときは有利な準拠法を求める原告の選択に従う,ということでしょうか。なかなか融通が利きます。我が国の法の適用に関する通則法21条も,不法行為の当事者による,不法行為の後における準拠法の変更について定めていますが,しかしながら,同条の「当事者」は原告単独ということではないはずです。

なお,本件新日鉄住金事件原審のソウル高等法院の2013710日判決(仮訳はhttp://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/sengohosho/saibanrei_06.pdf)の理由31)においては,準拠法を大韓民国法とする理由について,大法院の理由付け(原告の意思)に若干の追加がされています。いわく,「本件日本訴訟で敗訴した点に照らして,不法行為の被害者である原告らは自己により有利な準拠法として大韓民国法を選択しようという意思を有すると推認される事,このように準拠法となり得る複数の国家の法がある場合,法廷地の裁判所は当該事案との関連性の程度,被害者の権利保護の必要性と加害者の準拠法に対する予測可能性及び防御権保障等,当事者間の公平・衡平と正義,裁判の適正性等を併せて考慮し,準拠法を選択・決定することができると言えるが,このような要素を全て考慮すると大韓民国法を準拠法とするのが妥当であると解される事などを総合し,大韓民国法を準拠法として判断することにする。」

日本法と大韓民国法とを累積的に適用するというのでは駄目だったのでしょうね。

 それでは当事者の属人法でいくのではどうかといえば,南極大陸のように行為地に法が存在しない地で発生した不法行為について「折茂〔豊〕教授が,両当事者が互にその属人法を異にするときは双方の属人法を重畳的に適用すべきではなく,被告のそれを準拠法とすべきであろうか,とされている〔折茂・国際私法(各論)〔新版〕(1972年)184頁〕のは注目に値する。」とされています(田辺信彦「48不法行為―公海上の不法行為」『渉外判例百選8[第三版]』99頁)。となると本件の場合は,日本法となってしまいます。
 

ウ 消滅時効期間に変化済みとなった除斥期間(大韓民国法が準拠法である場合)

本件不法行為に基づく「強制動員慰謝料請求権」に係る準拠法が大韓民国法であった場合(大韓民国大法院はそう考えているらしいことは前記のとおり。)は,次のように考えるのでしょう。(なお,大日本帝国時代であれば,朝鮮民事令が日本民法を依用していたので,旧法例の準用による国際私法的判断過程(共通法22項)を経ずに共通法21項により,法廷地法である朝鮮法が適用されることになっていました(藤沼武男『共通法逐条解説』(非売品・1918年)16頁,19頁参照)。)

大韓民国民法766条(http://www.geocities.jp/koreanlaws/min2.html)は「①不法行為による損害賠償の請求権は,被害者又はその法定代理人がその損害及び加害者を知った日から3年間これを行使しなければ,時効により消滅する。/②不法行為をした日から10年を経過したときも,前項と同様である。」と規定しています。10年が経過したときは「前項と同様」に「時効により消滅する。」,と(少なくとも筆者には)読みやすくなっています。我が民法724条の20年が10年に短縮されていますが,これは,「第167条第1項ニ於テ債権ノ普通時効ヲ10年トシタル以上ハ本条末段ノ20年ハ或ハ之ヲ改メテ10年トスルヲ可トスヘキカ」との梅謙次郎の意見(梅918頁)が取り入れられたものかもしれません(大韓民国民法1621項(http://www.geocities.jp/koreanlaws/min1.html)も債権の消滅時効期間を10年としています)。

大韓民国民法の附則2条は「(本法の遡及効)本法の特別の規定がある場合のほかは,本法施行日前の事項に対してもこれを適用する。ただし,既に旧法により生じた効力に影響を及ぼさない。」と規定し,附則8条は「(時効に関する経過規定)①本法施行当時に,旧法の規定による時効期間を経過した権利は,本法の規定により取得又は消滅したものとみなす。/②本法施行当時に,旧法による消滅時効の期間を経過していなかった権利には,本法の時効に関する規定を適用する。/③〔略〕/④第1項及び第2項の規定は,時効期間でない法定期間に,これを準用する。」と規定しています。大韓民国民法の施行は196011日ですから,本件「強制動員慰謝料請求権」については,朝鮮民事令によって依用された民法724条後段の20年の除斥期間はいまだに経過していないところでした。この場合大韓民国民法附則84項及び2項並びに附則2条を当該除斥期間との関係でどのように解釈適用するかですが,やはり10年の時効期間に変じていたものとするのでしょう。除斥期間が消滅時効期間に化けることについては,実は大韓民国が我が国の先達であった,ということになります。


 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

150-0002 東京都渋谷区渋谷三丁目516 渋谷三丁目スクエアビル2

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp



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1 墓参り

 特別縁故者に対する相続財産分与審判の手続代理人の仕事(2018年2月25日の当ブログ記事「特別縁故者に対する相続財産分与制度等について」を御参照ください。http://donttreadonme.blog.jp/archives/1070203577.html)をしていて,亡くなった被相続人の人となり,周囲の人々との交渉等を調べて書面にまとめつつ,筆者はふと,明治・大正の文豪・森鷗外の手になる史伝物を思い出したことでした。筆者は当該手続事件の被相続人の墓にも詣でて調査を行ったのですが,鷗外もその史伝の主人公について同様のことをしています。19151030日(松本清張『両像・森鷗外』(文藝春秋・1994年)147頁参照)におけるその次第は次のとおり。

 

   わたくしは谷中(やなか)感応寺(かんのうじ)に往つて,抽斎の墓を訪ねた。墓は容易(たやす)く見附けられた。南向の本堂の西側に,西に面して立つてゐる。「抽斎澀江君墓碣銘」と云ふ(てん)(がく)も墓誌銘も,皆小島成斎の書である。漁村の文は頗る長い。後に〔抽斎の息子である澀江〕保さんに聞けば,これでも碑が余り大きくなるのを恐れて,割愛して刪除(さんぢよ)したものださうである。〔略〕

   わたくしは自己の敬愛してゐる抽斎と,其尊卑二属とに,香華(かうげ)を手向けて置いて感応寺を出た。(森鷗外『澀江抽斎』(1916年)その八)

 

 当該墓参を,70年後,昭和の文豪・松本清張が自ら再現しています。

 

   本年(昭和60年〔1985年〕)6月2日の午後,私は谷中に行った。感応寺は谷中霊園の南端に相対した西側道路から横通りに入ったところにある。小さな山門に「光照山感応寺」の古い扁額がかかっている。日蓮宗。門を入った正面の本堂は四注造,前に破風造の廂が付いている。墓地は本堂の向かって左側にある。広くない墓地には石塔が密集し,仕切りの各筋の径も人一人がようやく通れるくらいである。私は抽齋墓を容易(たやす)見つけることができず,本堂前に人は居らぬかとさがしたが,そこには小学2,3年生くらいの子供が5,6人遊んでいるだけだった。右側の庫裡(くり)へ行った。私を見て犬がほえた。

   住職は居るか居ないかわからない。私を墓地へ導いたのは14,5くらいの少女だった。

   抽齋墓は本堂西から二筋目を北に入ってすぐだった。(あおぐろ)い墓石は高さ2メートル,横1.5メートル,上がゆるやかな山形をなしている。篆額に当る上部は広く仕切ってそのスペースに「抽齋澀江君墓碣銘」と2行に篆書体文字が彫られてある。したがってその下の墓誌銘は方1メートルの中に長い海保漁村の文が楷書の細字で窮屈そうに埋められている。

   抽齋の墓に詣る人の有無を少女に聞くと,ときたまに人が見えるという。私が墓の形や篆額の文字を書体どおりにノートに写し取っていると,このお墓の方はどういう人ですかと少女はきいた。むかしのえらいお医者さんで学者ですと私は答えた。少女は,そうですか,どうぞごゆっくりと頭をさげて去った。(松本148149頁)

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   〔前略〕〔永井〕荷風ですら〔中略〕谷中感応寺までは足を伸ばしていない。また鷗外研究家諸氏の文章にも抽齋墓を訪ねたとは見えないようである。「鷗外写真アルバム」といった刊行物にも,この墓の写真は載っていない。私が一応満足したのはこうした理由からである。(松本150頁)

 

2 鷗外の史伝

ところで,鷗外の史伝物に対する清張の評言は,なかなか厳しい。1909年の「「半日」は純自然派だが,早くも細君の抗議に遇っている。つづけて書いて発表した「ヰタ〔・セクスアリス〕」は陸軍次官石本新六の戒飭(かいちょく)を受け,雑誌は発禁処分を受けた。どうも自然派は難物である。(松本280頁),「諸事百般の現象はすべて仮象である,それが存在するかのように映っているだけだと「かのやうに」〔1912年〕で遁げようとしても,それも不可能になってきた。天皇制が存在する限り,狭い潜水艦の室内に居るように,ちょっと身動きしただけでも,こっちの角,あっちの角にぶっつかってしまう。」(松本281頁),「歴史小説に筆を取った。が,歴史小説が現代の寓意と取られている以上,これも窮屈を感じてくる。」(松本281頁)という諸々の「危険」を避けつつあった果ての,要は安全な場所での衒学趣味が鷗外の史伝だ,というのです。

 

   官吏の道を踏みはずさないためには,文壇の外に立つことが必要であった。文学を第二義的にする故である。しかし,常に群小の上に聳立(しょうりつ)していなければならない。類なきペダンティックの文学がそれである。

   それは,何の危険物もない考証学者の伝記にとりかかったとき,存分にペダンティックの自由が発揮された。ジェネアロジックの方向というのは,くりかえして云うように,澀江保の「抽齋歿後」によって発想を得たものだが,そうは云わないで,魏収の名を出して,ペダンティックに糊塗するところなどはいかにも鷗外らしいのである。(松本282頁)

 

ここで出て来る魏収は,『角川新字源』によると,「506572。北斉の人。(きょ)鹿(ろく)(河北省)の人。(あざな)は伯起。北魏から北斉に仕え,中書令兼著作郎となり,「魏書」を編集した。」とあります。魏収の「魏書」は南北朝の北魏439年華北統一,534年滅亡)の歴史を記したもので,邪馬台国の「魏志」とは異なります。魏収について鷗外は,次のように述べていました。

 

  わたくしは此叙法〔「一人の事蹟を叙して其死に至つて足れりとせず,其人の裔孫のいかになりゆくかを追蹤して現今に及ぶ」叙法〕が人に殊なつてゐると云つた。しかし此叙法と近似したるものは絶無では無い。昔()(しう)は魏書を修むるに当つて,多く列伝中人物の末裔を載せ,後に(てう)(よく)17271814。清代前期の史学者・詩人。〕の難ずる所となつた。しかし収は曲筆して同世の故旧に(わたくし)したのである。一種陋劣なる目的を有してゐたのである。わたくしの無利害の述作とは違ふ。〔後略〕(森鷗外『伊沢蘭軒』19161917年)その三百七十)

 

 特別縁故者に対する相続財産分与の審判の申立書などは,どうしても「無利害の述作」というわけにはいかないので,鷗外にいわせればやはり「一種陋劣なる目的を有」するものになってしまうのでしょうか。とはいえ自営業者たる弁護士は,自分で食っていかねばなりません。

 「説明を入れたくて仕方がないのは鷗外の性分である。考証物にその自由を見出したのは鷗外の幸福である。」とは清張の『両像・森鷗外』の結語です(松本283頁)。説明に夢中になってしまって脱線することを,五十代半ばの鷗外は楽しんでいたのでしょうか。『伊沢蘭軒』の書き方についてですが,清張は次のように説明します。

 

   伊澤徳の「蘭軒略傳」「歴世略傳」を骨子にして,それを編年的に順序立て,「勝手気儘に」考証随筆として書きすすめて行くことである。この方法だと,鷗外の広博強識を以てすればいくらでも思うままに書ける。話は話を生み,枝から枝へと岐れ,煩瑣な梢を茂らせる。人物は次々と出て来きて,その小伝や軼事(いつじ)(逸事・逸話)はくりひろげられる。(松本194195頁)

 

3 京水と鷗外

 

(1)京水を追跡する鷗外

 前記のような脱線のうち,鷗外が特に力を入れたのが,澀江抽斎の「痘科の師」である「池田氏,名は(いん)(あざな)()(ちよう),通称は(ずゐ)(えい)(けい)(すゐ)と号した」池田京水(『抽斎』その十四)と池田独美との関係調査です。

 

   独美の家は門人の一人が養子になつて()いで,世瑞仙と称した。これは上野(かうづけの)(くに)桐生の人村岡善左衛門(じやう)(しん)の二男である。名は(しん)(あざな)(じう)(かう),又(ちよく)(けい)霧渓(むけい)と号した。(せい)寿館(じゆくわん)〔痘科の〕講座をも此人が継承した。

   〔略〕

   独美の初代瑞仙は素源家(もとげんけ)の名閥だとは云ふが,周防の岩国から起つて幕臣になり,駿河台の池田氏の宗家となつた。それに業を継ぐべき子がなかつたので,門下の俊才が入つて後を襲つた。(にはか)に見れば,なんの怪しむべき所もない。

   しかしこゝに問題の人物がある。それは抽斎の痘科の師となるべき池田(けい)(すゐ)である。

   京水は独美の子であつたか,甥であつたか不明である。向島嶺松寺に立つてゐた墓に刻してあつた誌銘には子としてあつたらしい。然るに2世瑞仙(しん)の子(ちよく)(をん)の撰んだ過去帖には,独美の弟(げん)(しゆん)の子だとしてある。子にもせよ甥にもせよ,独美の血族たる京水は宗家を嗣ぐことが出来ないで,自立して町医になり,下谷(したや)徒士(かち)(まち)に門戸を張つた。当時江戸には駿河台の官医世瑞仙と,徒士町の町医京水とが両立してゐたのである。(『抽斎』その十五)

 

   わたくしは抽斎の師となるべき人物を数へて(けい)(すゐ)に及ぶに当つて,こゝに京水の身上に関する疑を記して,世の人の教を受けたい。(『抽斎』その十六)

 

 「調べてみても京水の身もとはよくわからない。そこで穿鑿欲が出てくる。人に知られざる人の,そのまた謎への挑みである。「抽齋」を開始したのが大正5年〔1916年〕1月である。その前年から京水を探していたと思われるふしがある」(松本77頁)ということになります。「鷗外の京水に対するモノマニアックなまでの執拗な追跡」(松本206頁)がなされます。

 

(2)向島弘福寺

 ところで,被相続人の特別縁故者であるかどうかの該当性判断に当たっては被相続人の「死後における実質的供養の程度」も考慮されますから(広島高等裁判所平成15年3月28日決定(家月55巻9号60頁)等),特別縁故者に対する相続財産分与審判の手続代理人の仕事には被相続人の菩提寺から故人の「供養」に関する事情を聴取することも含まれ,筆者は,当該手続事件の依頼者に慫慂されてお寺の住職訪問をしたのでした。鷗外もまた,池田京水の身もと調査に当たって,住職訪問をしています。池田氏の墓があったという向島の嶺松寺を探しての帰り道です。

 

   わたくしは幼い時向島小梅村に住んでゐた。初の家は今須崎町になり,後の家は今小梅町になつてゐる。〔略〕

   わたくしは再び向島へ往つた。そして新小梅町,小梅町,須崎町の間を徘徊して捜索したが,嶺松寺と云ふ寺は無い。わたくしは絶望して(くびす)(めぐら)したが,道の(ついで)なので,須崎町弘福寺にある先考〔亡父〕の墓に詣でた。さて住職奥田墨汁師を(とぶら)つて久濶を叙した。対談の間に,わたくしが嶺松寺と池田氏の墓との事を語ると,墨汁師は意外にも(ふた)つながらこれを知つてゐた。

   墨汁師は云つた。嶺松寺は常泉寺の近傍にあつた。其(しん)(ゐき)内に池田氏の墓が数基並んで立つてゐたことを記憶してゐる。墓には多く誌銘が刻してあつた。然るに近い頃に嶺松寺は廃寺になつたと云ふのである。〔略〕(『抽斎』その十六

 

 向島牛頭山弘福寺の奥田住職は,親切です。

 

   弘福寺の現住墨汁師は大正5年〔1916年〕に入つてからも,捜索の手を(とど)めずにゐた。そしてとうとう下目黒村海福寺所蔵の池田氏過去帖と云ふものを借り出して,わたくしに見せてくれた。〔略〕

   此書の記する所は,わたくしのために創聞に属するものが頗る多い。就中(なかんづく)異とすべきは,独美に玄俊と云ふ弟があつて,それが宇野氏を(めと)つて,二人の間に出来た子が京水だと云ふ一事である。此書に拠れば,独美は一旦(てつ)京水を養つて子として置きながら,それに家を()がせず,更に門人村岡晉を養って子とし,それに業を継がせたことになる。(『抽斎』その十九)

 

   〔前略〕わたくしは撰者不詳の〔京水の〕墓誌の残欠に,京水が(そし)つてあるのを見ては,忌憚なきの甚だしきだと感じ,晉が〔自分に対する〕養父の賞美の語を記して,一の抑損の句をも著けぬのを見ては,簡傲(かんがう)も亦甚だしいと感ずることを禁じ得ない。わたくしには初代瑞仙独美,世瑞仙晉,京水の3人の間に或るドラアムが蔵せられてゐるやうに思はれてならない。〔後略〕(『抽斎』その二十)

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弘福寺(東京都墨田区向島)


(3)京水廃嫡一件

前記の「ドラアム」については,その後事情が判明します。「京水廃嫡一件」と鷗外によって名づけられるところの「池田の家の床下に埋蔵せられてゐた火薬」であって,ついには「爆発」(『蘭軒』その二百三十一(1917年))させられるに至ったものです。

 

ア 独美の養子・京水

廃嫡させられることとなった京水は,独美の弟・玄俊の子として天明六年(1786年)に京都に生まれ,生後間もなく伯父・独美の養子に迎えられたのでした。現在では「成年に達した者は,養子をすることができる」わけですが(民法792条),独美は元文元年(1736年)又は享保二十年(1735年)生まれですから(『蘭軒』その二百二十三),天明六年には当然既に成人に達しておりました(というか五十代ですね。)。なお,「幕藩時代の武士が養子を願い出るときは,17歳以上,通常は30歳以上の者に限って許される慣例であった。ただやむを得ない事情がある場合,たとえば奉公相勤め難い事情があるときは,30歳以下の者にも願い出を許した。しかし16歳以下の者には,絶対に養親資格を認めなかった」そうです(中川高男『新版注釈民法(24)親族(4)親子(2)養子§§79281711』(有斐閣・1994年)792条解説・153頁)。

 

 〔独美の弟・玄俊に天明〕六年〔1786年〕五月五日に三男が生まれた。名は貞之介であつた。是が後の京水である。貞之介の母〔宇野氏〕秀は此月二十六日に死んだ。恐くは産後の病であつただらう。〔略〕

  貞之介は(はゝ)を失つた直後に,伯父瑞仙〔独美〕の養子にせられて大坂に往つた。〔京水の〕自筆の巻物に「善郷〔独美〕養て兄弟二人を祐ると云意を用て〔貞之介を〕祐二と改む」と云つてある。「兄弟二人を祐る」とは,玄俊は家に女子が無いので,赤子(せきし)を兄に託して祐けられ,兄瑞仙は男子が無いので,貞之介の祐二を獲て(たす)けられたと云ふ意であらう。〔後略〕(『蘭軒』その二百二十七)

 

 「嬰幼児をその父母が他人の養子にやるという制度は,わが国では古くから行われた。そこには,親が子を自由に支配しうるとする思想があったであろうし,子の福祉を考えるよりは,収養する方の家の承継や,養子にやる親と貰う親との経済的な理由(実質的には子の売買)もあったであろう。濫用の弊も少なくはなかった。」と説かれてはいたところです(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)269頁)。現在では「養子となる者が15歳未満であるときは,その法定代理人が,これに代わって,縁組の承諾をすることができる。」(民法797条1項)と規定されるとともに,「未成年者を養子とするには,家庭裁判所の許可を得なければならない。ただし,自己又は配偶者の直系卑属を養子とする場合は,この限りでない。」とされています(同法798条)。民法798条本文の許可は,養子となるべき者の住所地を管轄する家庭裁判所の審判によってされます(家事事件手続法(平成23年法律第52号)39条,別表第一の61の項,161条)。

 

イ 独美の後妻・沢と「家庭の友」・佐々木文仲

 

   此推定にして誤らぬならば,瑞仙〔独美〕の3人目の妻沢は寛政七年〔1795年〕若しくは八年〔1796年〕に,養子祐二のゐる処へ迎へられたのである。沢は〔数え〕31歳若くは32歳で,祐二は10歳若くは11歳であつた。次で瑞仙が召されて江戸に来り,沢と祐二改杏春とを迎へ取つた。是が瑞仙62,沢33,杏春12の時である。(『蘭軒』その二百三十)

 

祐二が杏春と改められた由来については,「京水は「善郷〔独美〕(中略)〔幕府に〕実子の届に言上するに及て杏春と称す」と自記してゐる」そうです(『蘭軒』その二百二十九)。

ところで,「独美先生は還暦過ぎて,29歳も年下の若い奥さんをもらったのか,男のロマンだなぁ・・・」などと呑気なことを言ってはいけません。

 

  しかし其裏面には幾多の葛藤があつたものと看なくてはならない。わたくしは(のち)よりして前を顧み(くわ)よりして因を推し,錦橋瑞仙〔独美〕の妻沢(さいさは)を信任することが稍過ぎてゐたのではないかと疑ふ。其家に出入(いでいり)する佐々木文仲と云ふものをして,余りに深く内事に干渉するに至らしめたのではないかと疑ふ。佐々木は恐くは洋人の所謂「家庭の友」に類した地位を占むるに至つたのであらう。そして佐々木と沢との関係は,遂に養子杏春をしてこれが犠牲たらしめたのであらう。(『蘭軒』その二百三十一)

 

 「ここに云う洋人の所謂「家庭の友」とは,暗にその家の主人の黙認の(もと)にその妻と密通した男が公然と家庭に出入りすることの意味に当てているようである。とは清張の註釈です(松本76頁)。 

 

  夫と三十も年が違う沢は,自分よりずっと年下の若者を愛人にし,すでに衰老に達した瑞仙は,この後妻を寵愛しつつも佐々木との関係に眼をふさいでいたのである。(松本76頁)

 

古代ローマの2代目皇帝ティベリウスは60歳の男が50歳未満の女と結婚することを禁じ,いかなる場合でも60歳の男が罰を受けずに結婚することができないようにしたそうですが(De l’Esprit des lois XXIII, 21),このような不様な事態の発生を避けしめようとしたものでしょうか。なお,当該規定は4代目皇帝クラウディウスによって廃止されますが(スエトニウス『ローマ皇帝伝』(岩波文庫・1986年)「クラウディウス」第23章に,「元首ティベリウスが,60歳の人はもう子供が生めないかのように考えて,パピウス・ポッパエウス法に追加していた条規を〔クラウディウスは〕廃止した。」とあります(国原吉之助訳)。),クラウディウス自身が58歳の年(西暦紀元48年)になって結婚しており,25歳年下のその妻がネロの母のアグリッピナでした。しかし,クラウディウスは,その後7年目(54年)に毒殺されます。

 

 …per ipsam Agrippinam, quae boletum medicatum avidissimo ciborum talium obtulerat.

 

 クラウディウスはきのこ(boletus)が大好物で,一説によれば,毒をしみ込ませたきのこを食べさせられて死んだのでした。

 

ウ 京水辞嗣及び池田家のその後

 さて,独美先生が眼をふさぐのをよいことに,お沢さんと佐々木文仲とは散々悪乗りしたようです。京水少年は我慢がならない。

 

   京水自筆の巻物中参正池田家譜(よし)(なほ)〔京水〕の条には,「享和元年1801年〕病に依て嗣を辞するの後瑞英と改む」と書してある。嗣を辞したのと,杏春を瑞英と改めたのは,辛酉の出来事である。当時養父錦橋66,養母沢37,杏春の瑞英16であつた。(『蘭軒』その二百三十一)

 

当該辞嗣に関する事情について京水が書いたところを,鷗外は次のように紹介します。「種々謀計」というのは,お沢さんと文仲とがこもごも独美先生のところにやって来ては,京水についてあることないこと悪口を言い,告げ口してなどいたのでしょう。

 

   〔京水の家の〕生祠記は既に佚した。しかし京水は養父の幕府に呈した系図を写して,其後に数行の文を書した。わたくしは此書後に由つて生祠記の内容の一端を知ることを得た。京水の辞嗣は霧渓の受嗣と表裏をなしてゐて,其内情は(しも)の如くである。

   「右直郷(霧渓2世瑞仙晋)は初佐佐木文仲の弟子なり。文仲は於沢の方に愛せられて,遂に余を追て嗣とならむの志起り,種々謀計せしかど,余辞嗣の後にも養子の事(文仲自ら養子となる事)成らず,終に直郷に定まりたり。其間山脇道作の男玄智,瑞貞と云,堀本一甫の男某,田中俊庵の男,瑞亮と云,皆一旦は養子となれども,何れも於沢の方と文仲に追出されたり。善直(京水瑞英)誌。」(『蘭軒』その二百三十一)

 

京水辞嗣後,さすがに独美先生も,妻の愛人である佐々木文仲を自らの養子にさせられるところまでコケ(コキュ)にされることには耐えられなかったのでしょう。

しかしめげずに,お沢さんらは自分らに都合のよい弟子筋の2世瑞仙が養子になるまでは(2世瑞仙晉が正式に養嗣子となったのは,独美の死ぬる6箇月前の文化十三(1816年)年三月のことでした(『蘭軒』その二百三十二)。),不都合な養子3人を連続していびり出したのですか。恐ろしいですねぇ,お局様ですねぇ,後妻業ですねぇ。

 

4 後妻業

さて,後妻業。

 

(1)妻の相続権

現在は「被相続人の配偶者は,常に相続人となる」ものとされ(民法890条1項),「子及び配偶者が相続人であるときは,子の相続分及び配偶者の相続分は各2分の1」ということになります(同法900条1号)。しかしながら,江戸時代には「被相続人に子孫なくまた養子なくして死亡せるときは,その家名は()これを相続す。」ということでしたから(中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』(岩波文庫・1984年)202頁),反対解釈すれば,お沢さんとしては養子の京水がいては夫の独美の遺産に係る相続権が全く無かったわけです。(しかし,いずれにせよお沢さんが自ら幕府の官医の職を継ぐわけにはいかなかったでしょうから,都合のよい後任の養子は必要です。)なお,昭和22年法律第222号による改正前の民法では,「旧法の家督相続においては,初めから配偶者の法定相続権はなく,また遺産相続においても,直系卑属なき場合にのみ,配偶者の法定相続権は認められたに過ぎなかった」ところでした(中川善之助『相続法』(有斐閣・1964年)86頁)。「子は孝養を尽くすはずのものであり,その子が父の遺産を承継する以上,別に母が遺産の一部を相続する必要はさらにないと考えられていた」ものです(中川87頁)。しかし,お沢さんとしては,生意気な小僧と思われたのであろう京水少年の「孝養」は当てにならぬものと信ぜられ,聡明でフレンドリーな男性たる文仲との愛の方が頼りがいのあるものと思われたものなのでしょう。

 

(2)養子に対する離縁の訴え

 

ア 辣腕弁護士氏登場

ところで,現代において後妻業をやるような方にあっては,富裕かつ老耄の我が夫に養子などがあった場合,遺産の2分の1(民法900条1号)では我慢できない,自分が全財産を受けるという遺言書を夫に書かせても,養子の遺留分としてなお残る4分の1(同法1028条2号)が実に惜しい,そこで,辣腕弁護士氏(「弁護士は,他の弁護士・・・との関係において相互に名誉と信義を重んじる。」ものとされています(弁護士職務基本規程70条)。)を雇い,かつ,難しいことはもう面倒くさくなっている夫を外界から遮断してあげて,夫を励まし夫の名で,養子に対して離縁の訴えを提起せしめ(民法814条),又は家庭裁判所に廃除の請求をせしめ(同法892条。家事事件手続法39条,別表第一の86の項,188条),若しくは廃除の遺言をさせる(民法893条)という内助に及ぶということが,あり得ます。そうであるのならば,鷗外のいう「火薬」の晃々たる「爆発」的紛争は,昔も今も必ずしも珍しいものではないことになるようです。

 

イ 養父の住居権等

さて,離縁の訴えに先立つ離縁を求める家事調停(家事事件手続法257条)の申立書の写しの送付(同法256条)を受けた養子は驚きます。また,そこには「縁組を継続し難い重大な事由」(民法814条1項3号参照)云々として自分が「(そし)つてあるのを見ては,忌憚なきの甚だしきだと感じ」ざるを得ません。どうせこれはあの後妻の仕業であって養父の本意ではあるまいということで養父に会いに行くのですが,養父と同居している後妻(民法752条において「夫婦は同居」するものとされています。)によって,お前なんかともう会いたくないと言っているわよと言われて家に入ることを妨げられます。正当な理由がないのに人の住居に侵入すると3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処せられ(刑法130条前段),未遂も罰せられます(同法132条)。最高裁判所昭和58年4月8日判決・刑集37巻3号215頁は「刑法130条前段にいう「侵入シ」とは,他人の看守する建造物に管理権者の意思に反して立ち入ることをいう」と判示しています。

そこで知り合いの弁護士に相談して,先生,養父と会って話をしてくれないかと頼んでも,「弁護士職務基本規程52条に「弁護士は,相手方に法令上の資格を有する代理人が選任されたときは,正当な理由なく,その代理人の承諾を得ないで直接相手方と交渉してはならない。」とあるんで,相手方に弁護士が立てられている以上,それはおれにはできない。」と頼りないことを言われます。そこでやはり自分で何とか養父と直談判しようと気を取り直すのですが,これもまた,「おれを代理人にするのならそれはやめてくれ。」と当該弁護士に止められるでしょう。日本弁護士連合会弁護士倫理委員会編著の『解説弁護士職務基本規程 第3版』(日本弁護士連合会・2017年)には,弁護士職務基本規程52条に関して「依頼者が相手方本人と直接交渉をしようとしているのを知って,弁護士がこれを止めなかったからといって,直接本条に違反するものではないが,弁護士は,原則として,自らの依頼者に対してそのような直接交渉を慫慂すべきではない。むしろ,依頼者に対して,そのような直接交渉を思いとどまるよう,すすんで説得すべきであろう。」とあるところです(155頁)。養子とその弁護士との間の関係は早くもぎくしゃく。後妻さんが老耄の夫のために辣腕弁護士氏を雇った効用が早速現れます。智謀恐るべし。

 

ウ 養親子関係破綻の主張

辣腕弁護士氏は,裁判所にはなかなか現れぬ存在となっている原告たる養父の離縁意思の強固性及び養親子関係破綻の事実性を見てきたように(実際見てきたのでしょう。)執拗かつ熱心に言い募ります。それまで特段の問題はなかったところで養親子間の現実の交渉が後妻さんによって遮断されてしまっているのですから,両当事者間における現実の衝突ではなく,もはや専ら養父の一方的な感情なるものに関する議論とはなります。しかし,辣腕弁護士氏による一種忌憚なき(そし)りの言をいつまでも繰り返し読まされ聞かされ,更には「当事者間の感情的・経済的な争が極度に達した場合には――真実の親子なら,親権の喪失(834条・835条参照),相続の廃除(892条)などの手段によって処置すべきだが,人為的な親子関係において,しかも一方がその解消を望むときは――これ〔離縁〕を認めるのが至当であろう。」と民法学の権威から説かれてしまい(我妻306頁),また,「「縁組を継続し難い重大な事由があるとき」とは,養親子としての精神的経済的生活関係を維持もしくは回復することがきわめて困難なほどに縁組を破綻せしめる事由の存する場合の意味である。あるいはこれ以上縁組の継続を強制しても,正常な親子的社会関係の回復は期待できない場合といってもよい。「縁組を継続し難い重大な事由があるとき」〔略〕とは養親子関係の破綻のことであるというのは,すでに指摘したように,相手方の有責事由を必要としない」などと説明されると(深谷松男『新版注釈民法(24)親族(4)』814条解説・509510頁),養子側としては,自らに有責事由の無いことは明白ながら,とうとう最後は根負けということになるようです。

 

エ 金銭的解決

やはりお金の問題になるのでしょうか。「解釈論として,離縁の止むなきに至らしめた当事者は賠償責任を負うべきである(人訴は離縁の訴に附帯して訴えることを認める(人訴26条による7条の準用)〔人事訴訟法(平成15年法律第109条)17条〕)。」とされています(我妻309頁)。賠償の範囲は「縁組によって期待された合理的な親子関係が破綻したことによる精神的苦痛が主なものであろう」と解されつつ,「財産的損害についても,理論としては,肯定すべきである。」とのことです(我妻309頁)。しかしながら,「養子が養親の財産を相続する期待権を失ったことは計算されるべきではあるまい。」と説かれてしまうのは(我妻309頁),正に遺産相続目当ての後妻さんが実質的当事者としてその背後にいるようにも思われる離縁請求事件においては,いかがなものでしょうか。本来保護に値しないのだと辣腕弁護士氏が言い募っていた「財産を相続する期待権」がどういうわけか後妻さんについては反射的に堂々保護されることになって,何だか悔しいですね。

結局,判決で損害賠償をもらうよりも,和解で和解金を得る方がよさそうです。後妻さんとしても,その献身的かつ熱意ある愛護にもかかわらず訴訟が長引いている間に富裕かつ老耄の夫が死亡して,紛争相手の養子をも共同相続人とする相続が始まってしまっては面倒でしょう。

 

(3)再び池田家

とはいえ,池田京水のように四の五の言わずにすぱっと離縁してしまうような豪胆な人が当事者では,なかなかお金は動きません。

なお,京水の「廃嫡」は京水が満15歳の時のことのようですが,現行民法でも養子は満15歳になれば自ら養親と協議離縁をすることができます(同法811条1項・2項)。いずれにせよ,既に15歳にして己が俊才に恃むところがあり,事実逆境に打ち克って痘科医として名を成したのですから,池田京水は立派な大先生でした。

これに対して,佐々木文仲はどうなってしまったのでしょうか。池田宗家にいそいそとやって来てはお沢さんと小部屋に籠り,たまに小部屋を出れば,我は一流学者なりと自得しつつ2世瑞仙晉に対して師匠(づら)していつまでもかつての「弟子」にたかっていたのでは見苦しく,かつ,迷惑だったことでしょう。


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向島の森家址(東京都墨田区)

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

石見国津和野の出身とはいえ,鷗外には,隅田川にカモメ飛ぶ向島・小梅村の少年時代の思い出も大きなものだったのでしょう。

 
 

 

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1 未婚少子化社会及び特別縁故者に対する相続財産分与制度(民法958条の3)

 

(1)未婚少子化社会

 前回(2018年1月22日)の当ブログの記事(「離婚の本訴と反訴との関係,最大判昭和62年9月2日の一般論,離婚の動向その他に関して」)においては,国立社会保障・人口問題研究所の人口統計資料集(2017改訂版)の数字を引いて,2015年次における我が国の生涯未婚率(50歳時の未婚割合)は男性が23.37パーセント,女性が14.06パーセントであると御紹介したところです(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1069738803.html)。婚姻が少なくなるということは,婚姻外において子が生まれることは少ないという我が国における男女親子関係の特徴を前提とすれば(上記2017年改訂版人口統計資料集によれば,2015年次の出生総数に対する嫡出でない子の割合はなお2.29パーセントです。なお,この割合は1978年次には0.77パーセントだったのですが,1950年次(2.47パーセント)以前はむしろより高く,1920年次には8.25パーセントでした。),法定相続人の無いまま死亡する者の数が増加するということになります。一人っ子の場合,特にそうなります(一人の女性が再生産年齢(15歳から49歳まで)を経過する間に子供を生んだと仮定した場合の平均出生児数である合計特殊出生率は,2017年改訂版人口統計資料集によれば,2015年次において1.45です。)。

 

(2)相続人を定める我が民法の規定

 だれが相続人になるかに関する我が民法の規定は,あらまし次のとおりです。

 

  民法887条 被相続人の子は,相続人となる。

   〔子の代襲者等の相続権に関する第2項及び第3項は略〕

  同法890条 被相続人の配偶者は,常に相続人となる。〔配偶者の相続順位に関するただし書は略〕

  同法889条 次に掲げる者は,第887条の規定により相続人となるべき者がない場合には,次に掲げる順序の順位に従って相続人となる。

   一 被相続人の直系尊属。ただし,親等の異なる者の間では,その近い者を先にする。

   二 被相続人の兄弟姉妹

   〔被相続人の兄弟姉妹の代襲者の相続権に関する第2項は略〕

 

(3)相続人の無い場合及び相続財産法人

 相続人の無いことが明らかであるときは「相続人のあることが明らかでないとき」に含まれますから,当該相続においては,「相続財産は,法人とする。」ということになります(民法951条)。(なお,同条についての法哲学の長尾龍一教授の註釈は,「私なども学生の頃,〔中略〕民法951条の規定について,講義で,「乞食がふんどし一つで行き倒れになると,そのふんどしは法人になる」という話をきき,「ふんどしを盗めば法人格そのものを盗んだことになるから,回復請求権の主体がなくなって取り得になる」などときたない議論をしたことがある。」というものです(長尾龍一『法哲学入門』(日本評論社・1982年)31頁)。ただし,刑法的には,「盗んだ」といっても窃盗(同法235条)ではなく(死者からの窃盗が認められた最高裁判所昭和41年4月8日判決・刑集20巻4号207頁の事案は,人を殺害後財物奪取の意思を生じた当該犯人が当該被害者の財物を奪取したもの),占有離脱物横領(同法254条)の成否が問題になります。)

法人たる相続財産の管理人(民法952条1項。なお,唯一の相続財産たるふんどしも奪い去られてしまった行き倒れの乞食を被相続人とする相続財産の管理人の選任の請求をしても,「相続財産が存在しても管理費用さえも充たしえない程度のものであるとか,その他選任の必要を認めないときは,家庭裁判所は相続財産管理人を選任すべきではなく,請求を却下すべきである。」とされていますので(金山正信=高橋朋子『新版注釈民法(27)相続(2)相続の効果§§896959(補訂版)』(有斐閣・2013年)952条解説・690頁),却下されるのでしょう。)は,公告をして相続債権者及び受遺者に対して弁済をし(同法957条),更に相続人の捜索の公告(同法958条)をすることになりますが,「前条〔958条〕の期間〔同条の公告に係る相続人があるならばその権利を主張すべき期間であって,6箇月を下ることができないもの〕内に相続人としての権利を主張する者がないとき」は,「相続人並びに相続財産の管理人に知れなかった相続債権者及び受遺者は,その権利を行使することができない」ものと確定します(同法958条の2)。

 

(4)特別縁故者に対する相続財産分与制度(民法958条の3)

相続人としての権利を主張する者がなく相続人の権利行使はないものと確定した場合において活用されるべき規定が,「特別縁故者に対する相続財産の分与」との見出しが付された民法958条の3です。

 

958条の3 前条〔第958条の2〕の場合において,相当と認めるときは,家庭裁判所は,被相続人と生計を同じくしていた者,被相続人の療養看護に努めた者その他被相続人と特別の縁故があった者の請求によって,これらの者に,清算後残存すべき相続財産の全部又は一部を与えることができる。

2 前項の請求は,第958条の期間の満了後3箇月以内にしなければならない。

 

2 我が奮闘及び脱線

筆者は,この特別縁故者に対する相続財産分与の審判(家事事件手続法(平成23年法律第52号)39条,別表第一の101の項,203条以下)に係る手続代理人(同法22条。訴訟代理人(民事訴訟法54条)ではありません。)を務めたことがあります。

 

(1)狭き門か

当該審判手続の間,尊敬する先輩弁護士に「私は今,特別縁故者に対する相続財産分与の手続代理人をやっているんですがね,うまくいけばいいんですがねぇ。」と話したことがあったところ,ああ特別縁故者に対する相続財産分与か,それは大変だ,自分は2件やったことがあるけれど家庭裁判所は実に渋い,もうやりたくない案件だ,とのお言葉。大きな不安に包まれた記憶があります。

確かに,特別縁故者該当性に係る前例として引用される大阪高等裁判所昭和46年5月18日決定・家月24巻5号47頁は「同法条にいう被相続人と特別の縁故があつた者とはいかなる者を指すかは具体的に例を挙げることは困難であるけれども,同法条の立言の趣旨からみて同法条に例示する二つの場合に該当する者に準ずる程度に被相続人との間に具体的且つ現実的な精神的・物質的に密接な交渉のあつた者で,相続財産をその者に分与することが被相続人の意思に合致するであろうとみられる程度に特別の関係にあつた者というものと解するのが相当」と判示しているところ,これが,特別縁故者たるためには専ら「被相続人と生計を同じくしていた者」又は「被相続人の療養看護に努めた者」に準じろ,ということであれば狭き門です。当該決定は,抗告人(申立人)の特別縁故者性を否定しています。

しかし,そこにおいては,「同法条に例示する二つの場合に該当する者に準ずる」場合であること(「準ずる場合」)が求められているのではなく,「準ずる程度」の「具体的且つ現実的な精神的・物質的に密接な交渉」があった,との「交渉」の「程度」が求められているものと解すべきなのでしょう。しかしてその「交渉」及び「程度」はどれくらいの交渉の程度かといえば,当該大阪高等裁判所決定では抗告人(申立人)と被相続人との交渉が「いわゆる親類縁者として通例のこと」ないしは「親類縁者として世間一般通常のこと」であったかどうかが問題とされており,通常の親族間の交渉の程度を超えた交渉の程度がそれだ,ということのようです。平成になってからの裁判例を見ても,①「通常親族がなし又はなすべき相互扶助の程度を超えて援助,協力してきた」から(東京高等裁判所平成元年8月10日決定・家月42巻1号103頁。申立人は被相続人の伯母),②「被相続人と通常の親族としての交際ないし成年後見人の一般的職務の程度を超える親しい関係にあり,被相続人からも信頼を寄せられていたものと評価することができるから」(大阪高等裁判所平成201024日決定・家月61巻6号99頁。申立人は被相続人の父の妹の孫及びその夫),③「被相続人と申立人X₂〔被相続人の妻の従妹〕の関係は,通常の親戚付合いを超えた親密な関係にあったと認められ,また,被相続人が申立人X₂に財産の管理処分を託する遺言書を書いた旨伝えていたことからすれば,被相続人は,申立人X₂に相当程度の財産を遺す意向を有していたと認められる。これらの事情からすれば」(東京家庭裁判所平成24年4月20日審判・判時2275106頁),被相続人と特別の縁故があった者に該当するとする裁判例があるところです。

なお,特別縁故者は自然人に限られず,法人等でも特別縁故者として認められることができます。民法958条の3を導入すべく法案審議がされていた第40回国会の衆議院法務委員会において1962年2月23日に平賀健太政府委員(法務省民事局長検事)が,「必ずしもそういうふうに血族あるいは姻族関係があるという場合に限られませんので,たとえば孤独の老人が養老院でなくなった,若干の金品を残して死んだというような場合に,長年世話になった養老院にその遺産を与えるというようなことも考えられます。それからまた,これは非常に特殊な例かとも思うのでございますが,やはり孤独の老学者が大学の研究室をわが家同然にして生活してきた。その学者が蔵書その他のものを残して死亡したというような場合に,その蔵書なんかをその大学に与えるというようなことも,これは可能かと思います。」と,つとに答弁しています(第40回国会衆議院法務委員会議録第8号8頁)。

 

(2)脱線その1:ファウスト博士及びその研究室

1962年2月23日の前記国会答弁において平賀健太政府委員の想定する「老学者」と「研究室」とのイメージは,ファウスト博士とその研究室とのもののようなものでしょうか。

 

NACHT.

 

In einem hochgewölbten, engen, gothischen Zimmer

Faust unruhig auf seinem Sessel am Pulte.

 

・・・・・・

 

Weh! steck’ ich in dem Kerker noch?

Verfluchtes, dumpfes Mauerloch!

Wo selbst das liebe Himmelslicht

Trüb' durch gemahlte Scheiben bricht.

Beschränkt mit diesem Bücherhauf,

Den Würme nagen, Staub bedeckt,

Den, bis an's hohe Gewölb' hinauf,

Ein angeraucht Papier umsteckt;

Mit Gläsern, Büchsen rings umstellt,

Mit Instrumenten vollgepfropft,

Urväter Hausrath drein gestopft –

Das ist deine Welt! Das heißt eine Welt!

 

夜,高い天井の狭いゴシック風の部屋,牢獄,呪われたかび臭い壁の穴,虫が食い埃をかぶった天井まで届く本の山,たばこのやにが染みついた紙,ガラス容器,罐,器材,先祖伝来の古い家具・・・。

脱線ですね。

 

(3)脱線その2:「平賀書簡問題」

しかし脱線ついでにいえば,1962年の平賀政府委員は,後に1969年の「平賀書簡問題」の平賀所長として有名になります。

「平賀書簡問題」とは何かといえば,佐藤幸治教授の『憲法(第三版)』(青林書院・1995年)の事項索引には項目として堂々と立っているのですが,該当ページに当たると「地方裁判所長が,事件担当の裁判官に私信を送り,一定の方向を示唆したことが問題となったいわゆる平賀書簡問題がある。」というだけで(328頁),やや不親切です。

この点,樋口陽一教授の『憲法Ⅰ』(青林書院・1998年)における説明は,詳しい。

 

 〔裁判官の身分保障に関する〕本文でのべたさまざまの次元での問題が一連の出来事として集中的にあらわれたのが,1969年の平賀書簡事件をきっかけとする経緯である。憲法9条にかかわる長沼事件〔一審判決は1973年9月7日(判時71224頁)〕を審理していた札幌地方裁判所で,審理担当の福島重雄裁判長に,判断内容につき助言・示唆した書簡を送った平賀健太・同裁判所長に対し,札幌地裁裁判官会議〔裁判所法(昭和22年法律第59号)29条2項・3項〕が,「裁判権の行使に不当に影響を及ぼすおそれがある」との厳重注意処分を決定した(9月13日)。最高裁〔長官は石田和外〕も,9月20日,平賀所長を注意処分に付すとともに〔裁判所法80条1号〕,東京高裁判事に転出させた。この出来事につき,飯守重任鹿児島地家裁所長が自民党の外郭団体である国民協会の機関紙(10月1日号)に「平賀書簡問題の背景」と題する文章を寄せ,青年法律家協会〔略〕を問題として,事件を作り上げたのは「青法協加入の裁判官たちと,反体制弁護士集団と,これらを支援するマスコミ勢力」だとし,平賀書簡のような助言は今までも「例がなかったとは到底考えられない」として平賀前所長を擁護した。飯守所長が平賀書簡のような行為を「必要に応じて行なわれていたものと見てよい」としたことについては,福岡高裁が飯守所長を厳重注意処分に付した〔裁判所法80条2号〕。他方,平賀・福島両裁判官それぞれについて出されていた訴追請求〔裁判官弾劾法(昭和22年法律第137号)15条〕について,翌19701019日,裁判官訴追委員会〔同法5条以下。国会議員により構成される。〕は,平賀裁判官については,先輩としての老婆心から助言したもので裁判干渉ではないとして不訴追の決定をし,福島裁判官については,平賀書簡のコピーを東京の裁判官に送ってこれを公表するに任せたことにより裁判官会議非公開の原則〔下級裁判所事務処理規則(昭和23年最高裁判所規則第16号)15条1項本文〕に反して「職務上の義務に著しく違反」し〔裁判官弾劾法2条1号〕,青法協に加入したことにより「裁判官の威信」を失ったとして〔同条2号〕,不訴追ではなく訴追猶予の決定をした〔同法13条〕。〔後略〕(493494頁)

 

裁判官になってしまい,かつ,偉くなってしまうと,後輩裁判官とのお付き合いも,仕事に関する権威的講釈をせぬようおっかなびっくりになってしまわざるを得ないものでしょうか。

これに対して,検察官は,同一体です(司法研修所検察教官室『平成18年度 検察講義案』12頁参照)。

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札幌地方裁判所庁舎(札幌市中央区)

 

(4)脱線その3:検察官同一体の原則及びその相手方

とはいえ検察官はだれに向かって同一体かというと,在野の弁護士などはもちろん歯牙にもかけず,実は,裁判官に対してであったようです。

後の司法大臣にして元第一東京弁護士会会長たる貴族院議員岩田宙造,1935年1月29日の貴族院本会議における質問演説において獅子吼していわく。

 

〔前略〕検事が斯の如く予審判事〔旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)295条以下等参照〕に対して不当なる権力を持って居ると云ふことは,何に依って斯様な不当な権力を持つのであらうかと云ふことを考へて見たいのであります,是は所謂検事一体と云ふことを申すのでありまして,検事は上検事総長から下区裁判所の下級の検事に至りまする迄一体として働くのであります,で詰り上の命令に,服従しなければならぬことになって居る,なって居りまするから,普通は検事と云ふものは弱いものである,上官の命令通りに動かなければならぬから,自分の我意を,自分の独立した主張を通す訳にいかぬから,検事は普通弱いと言って居る,之に反し判事は各独立であって,上官の命令と雖も自分の意見に反すれば従ふ必要はないのでありますから,是は独立で,判事の地位は強いと普通に言って居るのであります,併ながら実際の結果はそれが反対の作用をして居る,検事は予審判事と対立を致しました場合に,検事の方は如何に下級の検事と雖も,検事総長と同じ力を以て予審判事に対抗し得るのであります,検事一体であるが故に・・・検事一体であるが故に其検事の言ふことは,検事総長が言ふことと同じ力を以て予審判事に向ふ,予審判事の方は独立でありまして,如何にも強いやうな地位に居りまするが,孤立である,孤立でありまするから,自分の言ふことは自分だけの力しかないのでありまして,決して上大審院長を初め其裁判官の同じ力を以て之に対抗すると云ふ力は無い,全く自分一個の力しかないのであります,でありまするから太刀打が出来ないと云ふことになる〔後略〕(第67回帝国議会貴族院議事速記録第6号51頁。原文は片仮名書き。なお,第一東京弁護士会会史編纂委員会編『われらの弁護士会史』(第一東京弁護士会・1971年)231232頁)

 

弱いように見える方が実は強く,強いように見える方が実は弱い。世の中には逆説が満ち満ちています。

閑話休題。

 

(5)特別縁故者該当性について

特別縁故の有無の決定は,申立人が「被相続人と生計を同じくしていた者」又は「被相続人の療養看護に努めた者」に準ずる者であるかどうかを直接検討してされるのではなく,広島高等裁判所平成15年3月28日決定・家月55巻9号60頁によれば,「その特別縁故の有無については,(1)①被相続人の生前における交際の程度,②被相続人が精神的・物質的に庇護恩恵を受けた程度,③死後における実質的供養の程度等の具体的実質的な縁故関係のほか,(2)被相続人との自然的血縁関係をも考慮して決すべきもの」とされています(番号及び下線は筆者によるもの)。

以上のゆえか,「判例上,特別縁故者に該当しないとして却下された事例は比較的少ない。」ということになります(梶村太市『裁判例からみた相続人不存在の場合における特別縁故者への相続財産分与審判の実務』(日本加除出版・2017年)42頁)。ただし,より詳しく見ると,次のような事情があります。

 

・・・たとえば2012(平成24)年の〔特別縁故者に対する相続財産の分与の審判事件の〕既済事件(総数1122件)について見てみれば,認容件数92882.7%),却下807.1%),取下げ1099.7%)となっている(2005年を見れば,認容率81.5%,却下率6.5%,取下げ率9.6%であり,それほどの違いはない)。〔家事事件手続法の〕別表一事件(旧甲類審判事件)は,もともと,認容率が高いといわれているが,その全既済事件につき,2012年の認容率は96.8%,却下率は0.4%,取下げ率2.3%であるから,別表一事件の中では,特別縁故者への相続財産分与事件の認容率は高くはないということになり,多少慎重に特別縁故関係の認定が行われるようになったといえる。他方,特別縁故者への相続財産分与事件取下げ率の高さは,依然続いている。この点について,実務家からは,死後縁故の問題との関連で,被相続人の死後,事務処理や祭祀法要等を行った者がこれら費用の清算を求めて特別縁故者としての相続財産分与を求めたような事例で,具体的・現実的縁故関係が認められないような場合は,直ちに申立てを却下せず,相続財産管理人にこれら費用の清算を認める権限外行為許可審判を出して,申立人に取下げを促しているという事情があるとの指摘がなされている・・・。(久貴忠彦=犬伏由子『新版注釈民法(27)相続(2)(補訂版)』958条の3解説・726頁)


「特別縁故者への相続財産分与申立ては,たとえ一部にせよ何らかの形で認容されることが多い」とともに「審理の途中で見込みなしと判断して取り下げられることも少なくない」わけです(梶村42頁)。

 

(6)全部分与か一部分与か

ところで,ここで「たとえ一部にせよ何らかの形で認容されることが多い」ということは,一部分与の審判が実は多いということなのでしょう。また,前記先輩弁護士の苦い体験談,丸山茂神奈川大学法務研究科教授が「特別縁故者と被相続人の意思―最近の審判例から―」(神奈川ロージャーナル9号23頁)で紹介している東京家庭裁判所平成28年5月30日審判(4分の1の一部分与)などが存在します。そうだとすると,次のような楽観的記述は,実は眉に唾をつけて読むべきものだったのでしょうか。

 

分与請求については,認容された「そのほとんどにおいては全部分与が認められている(一部分与事件は5%に満たない,と推測されたことがある(田中実ほか「特別縁故者に対する残存相続財産の分与制度をめぐる諸問題」私法30号(昭43151))。」(久貴=犬伏749頁)

 

「多くの審判例にあってかなり容易に多額の遺産の全部分与が認められている」(久貴=犬伏750頁)

 

 司法統計によると,2016年における特別縁故者に対する相続財産の分与の審判事件に係る既済件数の総数は984,そのうち認容は816件(82.9%),却下は86件(8.7%),取下げは77件(7.8%),その他5件となっています。しかしそこでは,認容された816件のうちどれだけが全部分与でどれだけが一部分与かの内訳はちょっと分かりません。「一部分与事件は5%に満たない」との「推測」は,今(2018年)を去る50年前の1968年(昭和43年)にされたものですから,安易かつ直ちに当てにしてはいけないもののようです。そもそも田中実=久貴忠彦=人見康子の当該「特別縁故者に対する残存相続財産の分与制度をめぐる諸問題」研究報告は,「制度発足の昭和37年から41年末までの相続財産の処分(家審9Ⅰ甲32の2〔民法第958条の3第1項の規定による相続財産の処分〕)審判事件申立数は672である。このうち,既済は534で,その内訳は,認容344,却下24,取下159,その他7,である」ところ,「37年10月より42年6月に至る間の,114審判事件(認容105,却下9)と4抗告事件(うち2件は取消差戻)」(審判事件申立人の内訳は「総数は149名であり,うち特別縁故者と認定された者123(うち3名は相当性なしとして却下),否定された者26」)を「報告の基礎として用いたもの」であって(私法30号150頁),その114審判事件及び4抗告事件について見れば「遺産の一部分与がなされることはきわめて少なく,本報告事例中では5件しかない。」というものだったのですから(同151頁),網羅的な調査ではないし,かつ,「報告の基礎」として用いられた事例に偏りがあった可能性もあり得るところです。また,既済534件中取下げが3割の159件では,正に「審理の途中で見込みなしと判断して取り下げられることも少なくない」状態だったわけです。

 

(7)相当性について

 民法958条の3第1項には実は二重のハードルが仕掛けられてあったのであって,でき得れば相続財産の全部の分与を受けようとする申立人は,①特別縁故者該当性のほか,②「相当と認めるときったは・・・相続財産の全部又は一部を与えることができる」ための相当性を,全部分与が受けられる程度までクリアしなければならないのでした。

 この相当性の基準について前記広島高等裁判所平成15年3月28日決定は,「被相続人と特別縁故者との縁故関係の厚薄,度合,特別縁故者の年齢,職業等に加えて,相続財産の種類,数額,状況,所在等の記録に現れた一切の事情を考慮して,上記分与すべき財産の種類,数額等を決定すべきものである」としています。

 しかし,これでは「すべては裁判所の裁量にかかり,明確な基準を見出すことはできない」ということで(久貴=犬伏749頁)抽象的に過ぎるようなので,どう対処すべきか。「親族が特別縁故者であるときは全部分与が容易に認められ,遠縁ないしは全くの他人がそれであるときには一部分与が考えられるというのであればそれは明らかに誤りである。特別縁故者としては親族であろうと他人であろうと等質でなければならない」(久貴=犬伏750頁)と裁判所に意見するより前に,足元を固めなくてはなりません。筆者は,全部分与を受けることを確保せむと申立書の補充書なるものを家庭裁判所に提出し,そこにおいて,「裁判例のうち一部分与となったものは枚挙にいとまがな」いとされたもの(梶村47頁)のうちから平成期の裁判例たる名古屋高等裁判所平成8年7月12日決定・家月481164頁,鳥取家庭裁判所平成201020日審判・家月61巻6号112頁,前記大阪高等裁判所平成201024日決定,前記東京家庭裁判所平成24年4月20日審判及び東京高等裁判所平成26年5月21日決定・判時227144頁の5件を取り上げ,それぞれについて一部分与の結論をもたらすこととなった理由であるものと考えられる特有の事情の摘出を試み,それらの特有の事情のような事情は筆者が手続代理人をしている案件においては無いのだと説明したのでした。更には,被相続人に関する諸事情の記述については申立書の段階では主に申立人の陳述に頼っていたのですが,追加的に被相続人のかつての知友親族に会い,ないしは電話をかけて,故人の人となり等を聴取しては聴取書又は電話聴取書にまとめて提出しています。Sachlichな実務家たるべき弁護士からのとんだ学者的学術論文ないしは伝記作家的文学作品の到来に,担当裁判官は苦笑されたことでしょう。

 

(8)Das Ende meines Kampfs

 筆者が頂いた審判書には,相当性判断の箇所において,申立人と被相続人との間の親族関係の存在(5親等の血族),申立人は長期間にわたって通常の親族としてのかかわりを超える援助を行っていて被相続人からも信頼を寄せられていたと考えられること並びに申立人は今後も継続して被相続人の祭祀を継続する意向を有すること及びその可能性の高さが摘示された上で,「相続財産から相続財産管理人の報酬を控除した残金を分与させるとしても,あながち不当とは言えない。」とのお言葉が記されていました。

 実質全部分与であります。しかし,「あながち不当とは言えない。」とは渋い表現です。

 とはいえ,これは,ボーダーライン・ケースではあるが何とか全部分与となることができたということでしょうか。ということは,もしかしたらそれは,担当代理人のお手柄なのかな,卓越した手腕なのかな・・・などと暫時図々しく自惚れかけていたのですが,人間自惚れると自惚れた分野において高転びに転ぶものです。

 

  …darum sollst du deine Tugenden lieben, -- denn du wirst an ihnen zu Grunde gehn. --

 

3 特別縁故者に対する相続財産分与に係る課税に関して

 最後に,税法関係についてもしっかりとフォローアップする弁護士として,特別縁故者に対する相続財産分与に係る課税に関して一言。

 特別縁故者に対する相続財産分与の「審判の確定により,特別縁故者は相続財産を取得することとなるが,その法的構成は,被相続人からの相続による承継取得ではなく,相続財産法人からの無償贈与である。」とされています(久貴=犬伏766頁。また,阿川清道「民法の一部を改正する法律について」曹時14巻4号66頁)。そこで,「当初は,所得税法による課税対象とされていた」とされています(久貴=犬伏767頁。また,梶村34頁,阿川66頁)。「贈与」だといわれるのに贈与税が課されないのはなぜかといえば,「法人からの贈与により取得した財産」の価額は贈与税の課税価格に算入されないのだ(相続税法(昭和25年法律第73号)21条の3第1項1号),と説明されたものなのでしょうか。現在の所得税法(昭和40年法律第33号)に当てはめると,「法人からの贈与」として一時所得(同法34条)になったということでしょうか(金子宏『租税法 第十七版』(弘文堂・2012年)247頁参照。なお,1964年3月26日に泉美之松政府委員(大蔵省主税局長)は参議院大蔵委員会において「従来は一時所得といたしておりました」と答弁していますが(第46回国会参議院大蔵委員会会議録第20号9頁),「法人からの贈与」だからというような理由付けまでは述べられていません。)。しかし,相続財産法人からの無償「贈与」といっても,不動産の所有権移転の登記を行う際の登記原因は「相続財産分与の審判」であって(久貴=犬伏766頁参照),贈与ではありません。(この点については,『法曹時報』1962年4月号の記事の段階において阿川清道法務省民事局第二課長は「不動産登記の関係では,相続登記ではなく,贈与による所有権移転登記手続をなすべきこととなるわけである。」との見解を示していましたが(阿川66頁),同年の昭和37年6月15日民事甲1606号法務省民事局長通達においては登記原因は「相続財産処分の審判」であるものとされています(沼辺愛一=藤島武雄「特別縁故者に対する相続財産の処分をめぐる諸問題」判タ155号76頁注3参照)。登記原因を「贈与」であるものとする第二課長の見解は,平賀健太局長のレヴェルで排斥されたということでしょうか。)また,神戸地方裁判所昭和58年11月14日判決・行集34巻11号1947頁は「財産分与は,従前は,相続財産法人に属していた財産を同法人から役務又は資産の譲渡の対価としてではなく取得するものであるから,所得税法に規定する一時所得に該当するものとして,所得税が課税されていた。」と判示しており,そこでは「贈与」の語が用いられてはいません。
 その後「昭和39年(法23)の相続税法3条の2(現4条)の新設によって,これ〔民法958条の3第1項による財産の取得〕が「遺贈に因り取得したものとみなす」とされて相続税の課税対象」となっています(久貴=犬伏767頁。また,梶村34頁)。他方所得税については,当該所得は「相続,遺贈又は個人からの贈与により取得するもの(相続税法(昭和25年法律第73号)の規定により相続,遺贈又は個人からの贈与により取得したものとみなされるものを含む。)」として,非課税となっています(所得税法9条1項16号)。

 「相続税法は,審判確定時ではなく相続開始時のそれが適用され,この場合の課税価格の算定に当たっては,分与審判に関する訴訟費用等の額を分与財産の価格から控除することはできないとされる(神戸地判昭和581114〔略〕)」とされています(梶村34頁)。前記神戸地方裁判所昭和581114日判決では,「特別縁故者は,自ら申立を行つてはじめて分与を受けうることになるものであるから,原告の主張する訴訟費用等は,被相続人の債務ではなく,また,被相続人に係る葬式費用でないこともいうまでもない。/従つて,右訴訟費用等が〔相続税〕法13条1項各号所定の遺産からの控除の対象となる債務に該当しないことは明らかである。」と判示されています課税価格に算入される価額から相続税法13条1項によって控除され得るものは,「被相続人の債務で相続開始の際現に存するもの(公租公課を含む。)」(同項1号)及び「被相続人に係る葬式費用」(同項2号)に係るもののみです。適用される相続税法は審判確定時のものであるべきだとする学説がありますが(金子528529頁),相続税課税が強化され気味の昨今,裁判所の見解でよろしいのではないでしょうか。なお,特別縁故者に対する相続財産分与の審判による財産取得に係る所得が一時所得であるのならば,「その収入を得るために支出した金額(その収入を生じた行為をするため,又はその収入を生じた原因の発生に伴い直接要した金額に限る。)」の控除が問題となったところでした(所得税法34条2項)。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

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1 離婚請求の本訴と離婚請求の反訴との関係について

 

(1)離婚請求訴訟に対する離婚請求の反訴

 裁判上の離婚について,我妻榮はその1961年の著書において「両当事者がともに離婚を希望しながら,ただ相手方の主張する離婚原因に承服しないために訴訟となり,被告からの反訴となって争われることも稀ではない。」と述べ(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)169頁),更に「反訴に関していえば,夫が婚姻を継続し難い重大な事由を理由として離婚の訴を提起し,妻はこれに応訴しながら,さらに,夫の不貞の行為を理由として反訴を提起し,本訴では原告敗訴,反訴では反訴原告勝訴となっている事例がすこぶる多い。慰藉料を請求しうるのは,離婚の訴でその原因として主張する事実によって生じた損害に限る(人訴7条2項)のだから,現行法の適用としては,そうする他はないのであろう。」と述べています(我妻186頁註(1))。(人事訴訟法(平成15年法律第109号)附則2条によって2004年4月1日から廃止された旧人事訴訟手続法(明治31年法律第13号)7条2項は,「他ノ訴ハ之ヲ前項ノ訴〔離婚の訴え等〕ニ併合シ又ハ其反訴トシテ提起スルコトヲ得ス但訴ノ原因タル事実ニ因リテ生シタル損害賠償ノ請求〔略〕ハ此限ニ在ラス」と規定していました。)

 その四十余年後においても,「夫が〔民法〕770条〔1項〕5号の破綻〔「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。」〕を理由に離婚請求し,他方,妻は1号の不貞行為を理由に離婚の反訴を提起した。これに対して,裁判所は,夫の請求は有責配偶者からの請求であり,判例〔最高裁判所大法廷昭和62年9月2日判決・民集41巻6号1423頁〕の挙げる要件〔「①「相当の長期間」の別居,②未成熟子の不存在,③相手方配偶者が過酷な状態に置かれる等,著しく社会正義に反する特段の事情の不存在」〕も満たさないとして棄却し,他方で,妻の反訴を認容するということがある。/妻からすれば,要するに離婚できるのだから,夫からの離婚請求にあっさり応じても同じことのように思えるが,どちらの請求が認められるかで慰謝料額に影響するから,反訴を起こす意味はある。」と説かれています(内田貴『民法Ⅳ親族・相続』(東京大学出版会・2002年)121122頁)。

 上記の各著書において挙げられた例を見る限りにおいては不貞行為をしたと問題にされるのはいつも夫の方ばかりであるように印象されます。しかしながら,無論,「妻が婚姻を継続し難い重大な事由(前記昭和62年最大判によれば「夫婦が婚姻の目的である共同生活を達成しえなくなり,その回復の見込みがなくなった場合」)を理由として離婚の訴を提起し,夫はこれに応訴しながら,さらに,妻の不貞の行為を理由として離婚の反訴を提起した。」という事件も存在します。現に筆者もそのようなこじれた事件で,原告・妻の訴訟代理人側の仕事をしたことがあります。

 

(2)有責配偶者からの本訴に対する離婚の反訴及びそれらの処理の実務

 

ア 有責配偶者からの本訴に対する離婚の反訴

 ところで,「裁判所は,夫の請求は有責配偶者からの請求であり,判例の挙げる要件も満たさないとして棄却し,他方で,妻の反訴を認容するということがある。」という前記記述に関しては,更に詳しく裁判例を見てみる必要があるようです。

 まず,当該記述のある教科書の紹介する最判昭和39年9月17日・民集18巻7号1461頁の事案は,「妻は,夫の態度はとうてい我慢できないから「離婚を継続し難い重大な事由」にあたると主張し(「悪意の遺棄」も主張),夫は妻の態度こそ「婚姻を継続し難い重大な事由」にあたるとして離婚を請求した。裁判では,妻からの請求は棄却され夫からの請求が認容されて,結局離婚が成立した。」というものですが(内田110頁),これは夫ではなく妻が敗訴したものです。当該事案においては最高裁判所では専ら妻の主張する夫による「悪意の遺棄」の成否が問題となっています(「前記認定の下においては,上告人〔妻〕が被上告人〔夫〕との婚姻関係の破綻について主たる責を負うべきであり〔妻が夫の意思に反して自分の兄らを夫婦の家庭に同居させて兄とばかり親密にして夫をないがしろにし,かつ,兄らのためにひそかに夫の財産から多額の支出をしたりしたので,夫が妻に対して同居を拒むようになったという事案〕,被上告人よりの扶助を受けざるに至つたのも,上告人自らが招いたものと認むべき以上,上告人はもはや被上告人に対して扶助請求権を主張し得ざるに至つたものというべく,従つて,被上告人が上告人を扶助しないことは,悪意の遺棄に該当しないものと為すべきである。」と判示)。

 その後,下級審裁判例等の分析に基づき,「「有責配偶者からの離婚請求は認められない」というルール」の適用に係る「絞り」として,「第一に,相手方に離婚意思があるときは,有責配偶者からの離婚請求でも否定されることはない(〔略〕最判昭2911・5,〔略〕最判291214は,一般論としてその旨を述べる)。相手方が離婚の反訴を提起しているような場合が,その典型的な例である(東京高判昭52・2・28判時85270,横浜地判昭6110・6判タ626198など)。」と断乎として説くものがあります(阿部徹『新版注釈民法(22)親族(2)』(有斐閣・2008年)395頁)。これに関しては,また,「下級審の裁判例においては,〔略〕相手方配偶者が反訴を提起する等離婚意思のある場合(長野地判昭和35年4月2日・判例時報22639頁,名古屋地半田支判昭和45年8月26日・下民集21巻7・8号1252頁,横浜地川崎支判昭和46年6月7日・判例時報67877頁,福岡地判昭和51年1月22日・判例タイムズ347278頁,東京高判昭和52年2月28日・判例時報85270頁,仙台地判昭和54年9月26日・判例タイムズ401149頁,東京高判昭和58年9月8日・判例時報1095106頁,浦和地判昭和59年9月19日・判例時報1140117頁),〔略〕有責配偶者からの離婚請求を認めるものがある。」と報告されるに至っています(門口正人[29]事件解説『最高裁判所判例解説民事篇昭和62年度』(法曹会・1990年)551頁。下線は筆者によるもの)。

 最判昭和2911月5日・民集8巻112023頁の「一般論」は「民法770条1項5号にかゝげる事由が,配偶者の一方のみの行為によつて惹起されたものと認めるのが相当である場合には,その者は相手方配偶者の意思に反して同号により離婚を求めることはできない」というものであり,最判昭和291214日・民集8巻122143頁のそれは「民法第770条1項5号は相手方の有責行為を必要とするものではないけれども,何人も自己の背徳行為により勝手に夫婦生活破綻の原因をつくりながらそれのみを理由として相手方がなお夫婦関係の継続を望むに拘わらず右法条により離婚を強制するが如きことは吾人の道徳観念の到底許さない処であつて,かかる請求を許容することは法の認めない処と解せざるを得ない。」というものでした(下線は筆者によるもの)。

 

イ 処理の実務

 前記アの多数の下級審裁判例については,裁判所ウェッブ・サイトの「裁判例情報」のウェッブ・ページからは見ることができなかったので端折ってしまいつつ,捷径をとって実務家裁判官のまとめるところを参照すれば,1995年当時には次のような実務の状況であったところです。

 

  離婚訴訟において,〔略〕反訴が提起されている場合に,①本訴,反訴の離婚原因の有無をすべて検討し判断するものと,②双方に離婚意思があるならば,「それ以上に立ち入った審理をするのは無意味である。それは訴訟経済的な観点からもいえるが,離婚するか否かはできるだけ当事者の合意でという離婚制度全体の枠のなかで考えると,被告の離婚意思が明らかになった段階で裁判所としてはそれ以上の審理・判断をさしひかえるのがむしろ望ましい」とする学説(阿部〔徹〕・総判研民法(50)「離婚原因」69頁)に従い,離婚原因の詳細について審理・判断することなく,婚姻を継続し難い重大な事由があるとして,双方の離婚請求を認容するものがある(長野地判昭和35・3・9下民集11巻3号496頁,横浜地川崎支判昭和46・6・7判時67877頁,横浜地判昭和6110・6判時1238116頁,東京地判昭和611222判時124986頁など)。従来,裁判例は①の例が多く,その場合に,有責配偶者からの請求を認めるか否かについて判断が分かれていたが,近時の傾向としては,有責であるか否かを問わず双方の離婚請求を認めるのが有力となっている。本訴,反訴において婚姻を継続し難い重大な事由があると主張している場合は右のように解されるが,問題となるのは,原告が本訴で不貞だけを主張している場合はどうかである。不貞と婚姻を継続し難い重大な事由との訴訟物は同一でないとすれば,少なくとも原告の請求を認容するためには不貞の事実を認定することが必要になってこよう。このような場合には,釈明権を行使して,原告に不貞のほかに,婚姻を継続し難い重大な事由をも離婚原因として主張させ,夫婦関係の内容に立ち入って判断するまでもなく,本訴,反訴の離婚請求をともに認容することができるとするのが,近時の実務の一般的な取扱いであるといえよう。(村重慶一「離婚原因の主張方法」『家族法判例百選[第五版]』(有斐閣・1995年)35頁。下線は筆者によるもの)

 

「異なる離婚原因を掲げて反訴が提起された場合も,双方に5号を主張させ,双方を認容するという扱いがなされることも多いとのことである。離婚の成否と離婚後の処理を切り離して,離婚訴訟を早く解決することをねらった実務の知恵であろう。」ということになります(内田122123頁)。無論,民法770条1項5号の婚姻を継続し難い重大な事由があるとして離婚を請求する本訴原告に対して,同号による当該請求は有責配偶者からのものであって信義則違反であるから認められないとの抗弁を維持しつつ当該被告が反訴原告として同項1号による相手方配偶者の不貞行為を事由とする離婚を請求し,かつ,頑として当該不貞行為事由の離婚請求一本槍に固執するのであれば,審理の結果当該不貞行為の存在が認定され,本訴原告の請求は不貞行為によって婚姻関係の破綻をもたらした有責配偶者からの請求であって,かつ,判例の挙げる①「相当の長期間」の別居,②未成熟子の不存在及び③相手方配偶者が過酷な状態に置かれる等の著しく社会正義に反する特段の事情の不存在の3要件も満たさないものであるとして棄却され(ただし,実務上「有責配偶者からの請求を認めるか否かについて判断が分かれていた」ことは前出のとおりです。),他方で,本訴被告の反訴は認容されるということもあり得るところではあります。

 筆者が本訴原告側において関与した事件では,民法770条1項5号に基づく本訴離婚請求に対して,しばらくは,有責配偶者による離婚請求であるから離婚は認められないなどと主張して抵抗していた被告がとうとう離婚を決意して提起した反訴においては,当初は同項1号の不貞行為及び2号の悪意の遺棄のみが主張されていましたが,結局同項5号の婚姻を継続し難い重大な事由があるとの事由も追加され,裁判所は,4年4箇月に及ぶ別居,その間夫婦として交流が行われたことはないこと及び当該夫婦はいずれも婚姻関係は破綻した旨を主張して離婚を請求していることという諸事実を認定した上で,本訴及び反訴の離婚請求をいずれも認めました(なお,人事訴訟においては,裁判所において当事者が自白した事実は証明することを要しないとする民事訴訟法179条等の適用はありません(人事訴訟法19条1項)。)。難件でしたが,筆者らの側は負けなかったわけです。

 

2 最大判昭和62年9月2日判決及び当該判決における一般論の位置付けに関して

ところで,筆者が関与した前記事案においては,原告が有責配偶者と認められた場合には更にどのような主張をするのかとの裁判所からのお題に対して筆者が起案して提出しておいた力作準備書面は結局出番がなかったところです。当該準備書面の起案に当たっては,別居期間が5年にも満たず,かつ,未成熟の子が2名あるという状況であったので,最高裁判所大法廷昭和62年9月2日判決に係る有責配偶者の離婚要求を認めるための前記いわゆる3要件の存在が大きな障害となっていました。そこで,筆者は,当該判例において具体的な当該3要件が提示されるに当たっての前段であった一般論部分に遡り,学説的論述を懸命に展開(こういうことをするのは,実務家としてはちょっと恥ずかしい)したところです。ちなみに,当該判例の調査官解説においても,当該一般論部分については,「右判示部分は,もとより判例部分ではないが,今後,有責配偶者からの離婚請求において,相手方から抗弁として信義則違背の主張がされることがありうるであろうから,傍論部分とはいえ,重要な意義を有することは否定できない」と指摘されていました(門口582頁)。

 

最高裁判所昭和62年9月2日大法廷判決(民集41巻6号1423頁)は,「有責配偶者からされた離婚請求であつても,夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び,その間に未成熟の子が存在しない場合には,相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り,当該請求は,有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすることはできない」と判示する。ところで,当該判示に係る定式のそもそもの前提として,同裁判所は,民法770条1項5号の事由による離婚請求が有責配偶者からされた場合において当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうかを判断するに当たっては,有責配偶者の責任の態様・程度を考慮するほか,①相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情,②離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態,③夫婦間の子,殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況,並びに④別居後に形成された生活関係を斟酌するとともに,⑤時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないと当該判決において述べているところである。すなわち,前記の定式は,有責配偶者の離婚請求であっても信義誠実の原則に照らして許されるかどうかについての上記の考慮・斟酌の結果当該請求が認められる場合の一つを示したものである。したがって,例えば未成熟の子が存在して当該定式を必ずしも満たさない場合であっても,有責配偶者からの離婚請求が認められ得るところである(最高裁判所平成6年2月8日判決・集民171417頁)。

 仮に〔本件の〕原告が有責配偶者であっても,前記昭和62年の最高裁判所大法廷判決が挙げる前記の各事情について考慮・斟酌すれば,その離婚請求は認容されるべきものであることは明らかである。〔本件における〕原告と被告との間の婚姻関係破綻に至る両者の責任の態様・程度については既に訴状で述べているところであるので,以下においては,前記の①ないし⑤の各事情について述べる。

 

 云々。

 調査官解説は,「夫婦が長期間にわたり別居をしている場合にも,信義則を適用するに当たって斟酌すべきであるとされた事情をなお考慮すべきであろうか。」との問いを発した上で(門口582頁。なお,ここにいう「信義則を適用するに当たって斟酌すべきであるとされた事情」とは,当該判例の一般論部分に挙示された上記諸事情のことでしょう。),「いずれにせよ,長期別居の場合になお考慮すべきは,相手方配偶者が離婚により被る苛酷な状況からの救済と未成熟子に対する監護養育の確保に限られることになる。これによって,当事者は,婚姻破綻の責任等の諸事情に係る主張立証から解放されてプライバシーも保護されることになる。」と結論付けています(門口583頁。下線は筆者によるもの)。これは,本来は一般論において挙示された諸事情を全て考慮して信義則違背の主張の当否を判断しなければならないのだが,①長期間の別居の場合には,②未成熟子に対する監護養育の確保及び③相手方配偶者が苛酷な状態に置かれることからの救済についてだけ考えればよいのだよ,ということでしょうか(「時の経過がこれらの諸事情に与える影響」とは,時の経過=長期間別居によってこの考慮事項限定効果がもたらされることになるということを意味する趣旨のように思われます。すなわち,調査官解説は「更に,本件が長期間〔本訴提起まで35年に及ぶ〕にわたる別居の事案であることにかんがみ,時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないと判示したものであろう。」と述べているところです(門口582頁)。)。ということであれば,「長期別居」に当たらない場合でも,そこで直ちに諦める必要はなく,一般論に立ち返って必要な諸事情を全てクリアすることに努めていけばよいということになるはずです。「ここにいう別居期間は,有責配偶者からの請求の否定法理を排斥する要件として,前記のような有責性を含む諸事情から解放するに足りるものでなければならず」とされているところ(門口584頁),「長期別居」によって直ちに「前記のような有責性を含む諸事情から解放」されなくとも,なお当該「諸事情」の個々について別途クリアしていくことは可能であるはずだからです。(民法770条1項5号の規定については,「同号所定の事由〔略〕につき責任のある一方の当事者からの離婚請求を許容すべきでないという趣旨までを読みとることはできない」と当該判例自体において判示されています。)また,未成熟子の不存在要件については,つとに「これは,本件事案を前提に,未成熟子のいない多くの場合を想定して子の利益に関する特別の配慮を要しないことを示したものであって,未成熟子が存在する場合に原則的破綻主義を放棄したものではないことはいうまでもない。したがって,未成熟子が存在する場合については,おそらく,離婚によって子の家庭的・教育的・精神的・経済的状況が根本的に悪くなり,その結果,子の福祉が害されることになるような特段の事情のあるときには,離婚をすることは許されないということになるのであろう。」とその趣旨が明らかにされていました(門口585頁)。

 

なお,東京高等裁判所(平成26年(ネ)第489号)平成26年6月12日判決(判時223747頁)は,「〔民法770条1項〕5号所定の事由による離婚請求が,その事由につき専ら責任のある一方の当事者(有責配偶者)からなされた場合において,その請求が信義誠実の原則に照らして許容されるか否かを判断するに当たっては,有責配偶者の責任の態様・程度はもとより,相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情,離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態及び夫婦間の子,特に未成熟子の監護・教育・福祉の状況,別居後に形成された生活関係等が斟酌されるべきである(最高裁昭和61年(オ)第260号同62年9月2日大法廷判決(民集41巻6号1423頁)」と判示した上で,これまで有責配偶者からの離婚請求が否定されてきた実質的な理由の一つは「一家の収入を支えている夫が,妻以外の女性と不倫や不貞の関係に及んで別居状態となり,そのような身勝手な夫からの離婚請求をそのまま認めてしまうことは,残された妻子が安定的な収入を断たれて経済的に不安定な状態に追い込まれてしまい,著しく社会正義に反する結果となるため,そのような事態を回避するという目的があったものと解される」としつつ,婚姻後別居までの期間約7年,別居期間約2年の夫婦間の事案において,6歳の長男及び4歳の長女の二人の子らを連れて別居している36ないし37歳の有責配偶者である妻からする41ないし42歳の夫に対する離婚請求を,夫婦としての信義則に反するものではないというべきであるとして認容している。また,札幌家庭裁判所(平成26年(家ホ)第20号)平成27年5月21日判決は,婚姻後別居までの期間が約17年,別居期間約1年半の夫婦間の事案において,38ないし39歳の有責配偶者である夫からする,16ないし17歳の長男及び14ないし15歳の長女の二人の子らを監護する39ないし40歳の妻に対する離婚請求を,信義則上許されないものということはできないとして認容している。

  おって,最高裁判所平成161118日判決(集民215657頁)は,同居期間約6年7箇月,別居期間約2年4箇月の夫婦間において,有責配偶者である33歳の夫からされた,両者間の7歳の子を監護している33歳の妻に対する離婚請求について,別居期間は相当の長期間に及んでいないとしているが,夫の離婚請求に対して妻が離婚を拒んでいた事案であったとともに,被告である妻は子宮内膜症に罹患していて,離婚により精神的・経済的に苛酷な状況に置かれることが想定されることが明らかであると認められていた事案であって,本件とは事案を異にするものである。ちなみに,当該事案においても,原審判決である広島高等裁判所(平成15年(ネ)第307号)平成151112日判決は,離婚を認めていたものである。

 

東京高等裁判所平成26年6月12日判決については,最高裁判所に上告がされたと伝わっているけれどもさてその後はどうなっているのであろうかとは皆気にしていたところですが,東京3弁護士会の法律相談センターのウェッブ・サイトに掲載されたコラム記事(2016年6月1日)によれば,上告受理申立てがされたもののそのまま確定したそうです。

 

3 離婚の動向等に関して

 

(1)離婚の動向に関して

ところで,個別の離婚事案の法律問題を離れて,離婚事件の趨勢は今後どうなるのかを考えてみると,事件数は増加というよりはむしろ減少するのではないかと思われます。

まず,そもそもの婚姻が減少し,生涯未婚率(50歳時の未婚割合)が増加しています。すなわち,国立社会保障・人口問題研究所の人口統計資料集(2017改訂版)によれば,我が国の2015年の生涯未婚率は,男性が23.37パーセント,女性が14.06パーセントとなっています。同年から50年前の1965年(昭和40年)に生まれた当該世代は,その二十代においてはバブル経済の恩恵を受けて明るく楽しく青春を謳歌したはずであるものの,初老の50歳になった時には,男性の約4人に1人,女性の約7人に1人は結婚できずに終わっていたのでした。その10年前の2005年においては,男性の生涯未婚率が15.96パーセント,女性の生涯未婚率が7.25パーセントだったところです。Japan as No.1時代の1990年においては,男性・女性のそれぞれについて,5.57パーセント及び4.33パーセントでした。

 同じ人口統計資料集によれば,1883年以来の我が国で離婚の総数が1番多かった年は2002年であって,289836件ありましたが,2015年には226215件になっています。ピークから約22パーセント減ということになります。判決による離婚が1番多かった年は2005年で3245件ありましたが,2015年には2383件になっています。こちらはピークから約26.6パーセント減です。離婚率は,1940年以前は総人口について,1947年以降は日本人人口1000について算出されていますが,2015年は1.81‰(パーミル)です。1947年以降で離婚率が最高であった年はこれも2002年で2.30‰でしたが,平成の世になって離婚が増えて嘆かわしいなどと速断してはならず,明治の聖代の1883年には3.38‰と,当該統計資料上の最高値を示しています。

 西洋でも離婚は最近減少傾向であるようです。「もしそれ〔婚姻〕が続くものであるようにしようとするのならば,統計的には,イングランド及びウェールズにおいて結婚する最悪の時代は1990年代半ばであった。1996年に結ばれた者たちのうち,11パーセントが結婚から5年目までに別れており,及び25パーセントが10年目までにそうなった。10年後に結婚したカップルはそれよりよくやっている。2006年に結婚したもののうちでは,8パーセントが5年目までに別れており,及び20パーセントが10年目までにそうなった。より最近の世代は,より堅確(steadfast)であるようである。」と報告されており,更に,「同様のことが他の国でも生じている。」と述べられています(“For Richer” of “Special Report: Marriage”, The Economist, November 25, 2017)。

 

(2)古く新しい関係に関して

ア 2種の同性婚の婚姻数及び3種の婚姻の離婚率

 新たな離婚市場の開拓(この言い方は変ですが)を模索する弁護士は,新たな婚姻の形にも注目すべきでしょうか。既に同性間の婚姻の法制化がされた国があり,これらの動きの影響を受けて,我が国はどうなるのかとの議論もあるところですが,婚姻あるところやはり離婚ありです。

 

  女性は,挙式により積極的である(Women have been keenest to go down the aisle. (筆者註:これはキリスト教会での挙式のイメージですね。))。英国,スウェーデン及びオランダにおいては,女性間の婚姻数が男性間のそれを上回っている。女性間の結合はまた,より破綻しやすい。同性婚を2001年に法制化したオランダにおいては,2005年に結ばれた両性婚中82.1パーセントは2016年において依然存続していたところである一方,女性間の婚姻については69.6パーセントのみであった。男性同性愛者が,コミットメントについてのチャンピオンである。彼らの婚姻中84.5パーセントが存続していた。(“Adam and Steve” of “Special Report: Marriage”, The Economist, November 25, 2017

 

女にとっても男にとっても,男のパートナーとの関係の方が長続きするということでしょうか。何だか変な一般化ではありますが。しかし,そもそも婚姻は,「父がその子らを養育しなければならないという自然の義務が,当該義務を負うべき者を定める婚姻制度を成立せしめた。(L’obligation naturelle qu’a le père de nourrir ses enfants, a fait établir le mariage, qui declare celui qui doit remplir cette obligation.)」ということに由来するものであって(De l’Esprit des lois,ⅩⅩⅢ, 2),男を義務付け大人たらしめて子に父を与えるためのものですから,婚姻というものに当たっては実は男の方が深刻真剣になるのでしょう。他方,女子会は,これまたいろいろ大変そうですね。

イ ネロ

なお,同性婚は,決して新しいものではありません。紀元1世紀の古代ローマでの話。

 

彼〔ネロ〕は少年スポルスの生殖腺を切りとり,さらに彼の性まで女に変えようと試み,嫁入り資金を与え花嫁のベールをかぶせ,結婚式をあげ,賑やかなお伴の行列と一緒に,自分の家に来させ,妻として迎えた。(国原吉之助訳・スエトニウス「ネロ28」『ローマ皇帝伝(下)』(岩波文庫・1986年)163頁)

ネロとスポルスとの婚姻を見て,確かに同性婚も悪くはないな,との評価がありました。

 “exstatque cuiusdam non inscitus iocus bene agi potuisse cum rebus humanis, si Domitius pater talem habuisset uxorem. ” 

「親父のドミティウスも,こんな妻を持てばよかったのに。」

 最後に解放奴隷ドリュポルスによって仕上げがなされた。この者に,ちょうどスポルスがネロに嫁いだように,今度はネロが嫁ぎ(「ネロ
29」国原・スエトニウス164頁)


ウ 神聖部隊
 ところで,男同士の愛こそ,なかなか恐ろしい。古代ギリシアは紀元前4世紀にスパルタに代わって覇権を握ったテーバイでの話。

 

  さて『神聖部隊』〔Sacred Band〕といふものは〔略〕或る人はこの部隊が愛慕するものと愛慕されるもの(当時の風習であつた少年愛を指す)から成つてゐたのだと云ふ。さうしてパンメネース(前4世紀テーバイの将軍)が戯れに云つた言葉を引用している。〔略〕愛慕者を被愛慕者の側に置かなければいけない〔that he should have joined lovers and their beloved〕。〔略〕愛慕を籠めた友情によつて纏まつた部隊は,愛慕者は被愛慕者に対して,被愛慕者は愛慕者に対して恥を感ずるから,危険の場合にお互のために踏み留まるので,崩れもせず敗れもしないからである。相手が居合はせなくても目の前に居合はせる他の人々に対してよりも恥を感ずるとすれば,これは一向不思議な事ではない。それはあの,倒れてゐるところへ敵が来て刺さうとしたのに対して胸に刀を突き通してくれと頼み『自分を愛慕する友が自分の屍体の背中に傷が附いてゐるのを見て羞しい思ひをすると困るから』と云つた話からもわかる。〔略〕さて,プラトーンも(『ファイドロス』255b『饗宴』179a)愛慕者を神の霊感を受けた友人と名づけてゐる〔Plato calls a lover a divine friend〕ところから見ても,前に云つた部隊が『神聖』と呼ばれたのも当然である。この部隊はカイローネイア(ボイオーティアー西境北部の町,前338年アテーナイとテーバイとの聯合軍がマケドニアのフィリッポス〔アレクサンドロス大王の父〕に敗れた場所)の戦まで敗れたことがなかつたと云はれてゐる。その戦の後に屍体を検分してゐたフィリッポスが,丁度その300人が皆武器を取つてサリーナ(マケドニア兵の長い槍)に抵抗した挙句,互に混ざつて倒れてゐる場所で立止まり,その部隊が愛慕者と被愛慕者から成ると聞いて感服し涙を流して云つたさうである。『この人々が恥づべき事をしたりされたりしたと考へる奴ら〔any man who suspects that these men either did or suffered anything that was base〕はみじめな死に方をするぞ。』(「ペロピダース18」河野与一訳『プルターク英雄伝(四)』(岩波文庫・1953年)118120頁。英語訳はDrydenによるもの)

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 

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 どうも筆者の悪癖で,毎年年内には年賀状がなかなか出せないところです。毎年正月少し遅れた年賀状を受け取らされることとなってしまっておられる関係の皆様には申し訳なく思っております。

 しかしながら,こうなると少々開き直りで,「そもそも年賀状ってどういう由来があるのだ。」ということがふと気になり,当該沿革を調べた上でその中で己れの所為(又は不所為)を位置付けようかと思った次第です。おいおいそんな好事家的なblog記事を書く暇があれば,とっとと年賀状を出せよ,というお叱りは,あえて甘受するところです。

 

1 年賀郵便特別取扱いの開始等

 さて,『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年)の「年賀状」,「年賀郵便特別扱」又は「年賀郵便用切手」関係の記載を拾うと,次のようになります。なお,郵便事業は,200710月1日からは民営化ということで現在は日本郵便株式会社によって行われていますが,2003年4月1日から2007年9月30日までは日本郵政公社によって行われ,2003年3月31日以前は政府(逓信省等,郵政省,郵政事業庁)直営でした。(なお,「郵便創業の日」とされている1871年4月20日はすなわち明治四年三月一日であって,同日に郵便物の第1便が発足したものです。東京・京都・大阪間における郵便開始が定められたのは1871年3月14日(明治四年一月二十四日)のことでした。)

 

 18991216日 逓信省,年賀郵便特別取扱制(元旦配達,指定局でのみ受付)実施を決定

 1927年1月1日 年賀状(東京都36局),282万通に激減(‘26年,3595万通)

 193512月1日 初の年賀郵便用切手発行

 194011月6日 逓信省,年賀郵便特別扱停止

 194812月1日 年賀郵便の特別取扱い復活

 

 1899年(明治32年)1216日には年賀郵便特別取扱制の「実施を決定」ということで,いつ実施されたのかがはっきりしないのですが,これは1900年(明治33年)1月の年賀状からということでしょう。「勾留とは,被疑者・被告人を拘束する裁判およびその執行をいう。」との勾留の定義(田宮裕『刑事訴訟法(新版)』(有斐閣・1996年)82頁)の話になぞらえると,勾留の裁判がされた日付は分かるけれども,勾留状を執行した年月日時(刑事訴訟規則75条1項)及び勾留した年月日時(同条3項)は分からぬぞ,という形の記載です。(なお,勾留に関しては,2015年1月22日付けの「勾留の裁判に対する準抗告をめぐって(認容決定にちなんで)」記事において,筆者の思い付きめいたことを書いたことがあります。http://donttreadonme.blog.jp/archives/1018177028.html

 郵政研究所附属資料館(逓信総合博物館)の『―人と人の心を結ぶ―年賀状の歴史と話題』(199611月。インターネットに掲載されています。)によれば,「明治32年〔1899年〕12月に,初めて一部の局で年賀郵便物の特別取扱を実施しました。1220日から30日までに,特に指定した郵便局へ出された年賀状は,翌年1月1日の日付印を押して配達局へ送っておき,元旦の最先便から配達する仕組みでした。これが現在も行われている特別取扱制度の起源です。」ということでした(11頁)。引き続き「翌明治33年〔1900年〕には年賀状郵便物特別取扱規程を定めて,特別取扱を全国の集配郵便局に拡げ,明治38年〔1905年〕12月からは全ての局で取扱うこととしました。/制度としての確立は明治39年〔1906年〕12月の年賀特別郵便規則の施行によります。この当時は,差出通数10通以上の制限があり,束ねて「年賀郵便」と記載した札を付け,窓口へ差出しました。」ということになります(郵政研究所附属資料館11頁)。年賀状郵便物特別取扱規程が定められたのは1900年(明治33年)も押し詰まった同年の12月で,「取扱い期間は12月中,把束して記票を付し,局に差出す」ということで,1905年(明治38年)12月の制度では「20通以上,種類(第何種)を問わず束ねて,年賀郵便と記載した札を付け,局窓口に差し出す」ということだったそうです(郵政研究所附属資料館10頁)。

 

2 年賀特別郵便規則

 

(1)条文

 1906年(明治39年)12月1日から施行された年賀特別郵便規則(明治39年逓信省令第51号)は,次のとおりのものでした。

 

 年賀特別郵便規則左ノ通相定ム

     明治39年11月29日       逓信大臣山縣伊三郎

    年賀特別郵便規則

第1条 10通以上ノ年賀郵便物ハ本規則ニ依リ予メ之ヲ郵便局ニ差出シ特別取扱ヲ請求スルコトヲ得

 第2条 特別取扱ヲ為ス年賀郵便物ハ料金完納ノ普通通常郵便物ニ限ル

 第3条 特別取扱ヲ為ス年賀郵便物ノ引受期間ハ毎年12月15日ヨリ29日マテトス

 第4条 特別取扱ニ依ル年賀郵便物ヲ差出ストキハ之ヲ1束トシ年賀郵便ト記載セル附札ヲ為スヘシ

 第5条 本規則ニ依リ差出タル年賀郵便物ハ翌年1月1日引受ノモノト看做シ当日最先便ヨリ配達ヲ開始ス

  前項ノ郵便物ハ到著日附印ヲ押捺セス

 第6条 本規則ニ定ムル事項ノ外一般ノ規定ニ依ル

    附 則

 第7条 本令ハ明治39年12月1日ヨリ之ヲ施行ス

 

山縣伊三郎は,長州出身の明治維新の元勲である山縣有朋の甥(有朋の姉の子)にして,かつ,養子です。

 

(2)省令の法形式

 「制度としての確立」(郵政研究所附属資料館11頁)ということの意味は,年賀特別郵便規則は,それまでの年賀状郵便物特別取扱規程等とは異なり,正式の法形式の一である省令であるということでしょう(公文式(明治19年勅令第1号)4条・5条・7条)。各省官制通則(明治26年勅令第122号)4条には「各省大臣ハ主任ノ事務ニ付其ノ職権若クハ特別ノ委任ニ依リ省令ヲ発スルコトヲ得」と規定しています。同条については,同条での「職権に依つて発する命令は,特定の事項に付き特別の委任あるを待たず,官制に依る一般的の委任に基づき,大臣の自ら必要と認むる所に依り発するもので,〔大日本帝国〕憲法第9条〔「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」〕に天皇は何々の命令を『発シ又ハ発セシム』とある規定に基づき,官制に依り一般的に委任せられて居るのであるから,其の委任の範囲は唯憲法第9条に依る命令にのみ止まるものと解すべきことは勿論である。憲法第9条に依る命令は,執行命令・警察命令・行政規則の3種に分ち得べきもので,随つて職権に依る省令を以つて定め得べき範囲も,此等の3種の命令に限るものである。」と説かれた上で,「即ち各省大臣は其の主任事務に付き法律勅令に抵触しない限度に於いて,或は法律又は勅令を執行するに必要な施行規則〔執行命令〕を,或は公共の安寧秩序を保持する為めに人民に或る事を禁止し又は命令する定め〔警察命令〕を,或は人民の福利を増進する為めにする公の施設に付き其の利用の条件に関する定め〔行政規則〕を,省令を以つて規定することが出来るのである。」と説明されています(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)408409頁)。

 

(3)営造物規則性

 省令ではなかった年賀状郵便物特別取扱規程等は,それでは正統性を欠く違法なものかといえばそういうことはなく,「営造物規則は性質上法規ではなく行政規則の一種に外ならぬのであるから,法規命令の形式を以つて正式に公布することを要するものではなく,適宜の形式を以つて定め,適当の方法に依り其の効力を受くべき者に周知せしむる為めに告示するを以つて足れりとする。〔中略〕或は一枚刷若くは小冊子に印刷して有料又は無料で利用者に配付し,或は利用者の周知し得べき適当の場所に掲示する等は,其の告示の通常の方法である。唯営造物の利用が広く一般人民に普及し,一般人民をして普くこれを周知せしむる必要ある場合には,性質上は営造物規則たるものでも,省令又は府県令等法規命令の形式を以つて定められて居るものが少くない。」ということになっていました(美濃部達吉『日本行政法 下巻』(有斐閣・1940年)636637頁)。営造物規則とは,「営造物の役務及びその利用の条件に関する規律は,法律命令に抵触せざる範囲に於いて,管理者の当然の権限としてこれを定むることが出来る。営造物管理者の定むる此等の規律を営造物規則(Anstaltsordnung)と称する」というものであって(美濃部・下635頁),その効力の根拠は,「利用者に対しては,利用関係の成立が自由契約に基づく場合には利用者は其の関係に立入ると共に当然管理者の定むる規則に服従すべきことを承諾したものと認めらるるものであり,利用強制の場合にも,利用を強制すること自身は法律の規定を要するが,法律が利用強制を規定すれば其の規定の中には当然利用者に対して其の利用に関し営造物管理者の定むる規則に従ふべき義務を命ずる趣旨をも含んで居るものと解すべきことに在る。それは営造物職員と利用者との間にのみ効力を有するものであるから,其の利用に関係なき第三者を拘束する力を有し得ないことは勿論,他の行政庁又は裁判所を拘束する力も無く,随つて規則違反に対する制裁としては,唯利用権の停止又は排除を定め得べきに止まり,刑罰又は過料の制裁を定め得べきものではない。」(美濃部・下636頁),ただし「法律又は法規命令の形式を以つて定められて居る場合には,其の規定の違反に対して罰則の制裁の定められて居るものが少くない。」(美濃部・下631頁)とされていました。郵便関係については「郵便に付いて言へば,郵便法〔明治33年法律第54号〕は郵便の独占・郵便負担・郵便特権等に付いての定めで,勿論単純な営造物規則ではないが,其の下に於いて定められて居る郵便規則・航空郵便規則・郵便物包装規則・速達郵便規則の類は,概ね性質上は営造物規則たるもので,而も形式上は何れも逓信省令として公布せられて居る。」と紹介されています(美濃部・下637頁)。

 

3 内国郵便約款における規定

 現在の日本郵便株式会社の内国郵便約款(平成2410月1日・最近改正平成2910月2日)の第146条,第148条及び第149条は,次のように規定しています。

 

  (年賀特別郵便の取扱い)

 第146条 当社は,郵便物を12月15日から12月28日までの間に引き受け(引受開始日については,1週間を限度として繰り下げることがあります。),料金別納又は料金後納とするものの場合を除きこれに翌年1月1日付けの通信日付印を押印し,翌年1月1日の最先便からこれを配達する年賀特別郵便の取扱いをします。ただし,通信日付印の押印は,その郵便物が料額印面の付いた郵便葉書であるときは,これを省略することがあります。

 2 年賀特別郵便の取扱いは,次に掲げる郵便物につき,これをします。

(1)第一種郵便物(郵便書簡及び料金表に規定する定形郵便物に限ります。)

(2)通常葉書

(3)点字郵便物(料金表に定める定形郵便物の大きさ,形状及び重量に準ずるものに限ります。)

3 年賀特別郵便とする郵便物(以下「年賀特別郵便物」といいます。)は,これを他の特殊取扱とすることができません。

 

 (年賀特別郵便物の表示)

第148条 年賀特別郵便物には,その旨を示す当社が別に定める表示をして差し出していただきます。ただし,通常葉書(配達地域指定年賀特別郵便とするものを除きます。)は,適当な通数ごとに1束とし,これに当社が別に定める記載をした付せんを添えて差し出すことができます。

 

(注1)当社が別に定める表示は,郵便物の表面の見やすい所に「年賀」の文字を明瞭に朱記するものとします。〔後略〕

(注2)当社が別に定める記載は,「年賀郵便」の文字を明瞭に記載するものとします。

 

  (年賀特別郵便の表示をして差し出された郵便物の取扱い)

 第149条 第146条(年賀特別郵便の取扱い)第1項の期間内に,その表面の見やすい所に年賀なる文字を朱記して差し出された同条第2項(1)から(3)までに掲げる郵便物又は通常葉書を適当な通数ごとに1束とし,これに年賀郵便なる文字を記載した付せんを添えて差し出されたものは,年賀特別郵便物(配達地域指定年賀特別郵便物を除きます。)として差し出されたものとみなします。

 

なお,年賀特別郵便等の通常葉書の郵便料金が62円ではなく52円であることについては,内国郵便約款41条に基づく料金表の「第2表 第二種郵便物の料金」の「第1 適用」の「2 特別料金」が次のように規定しており,「第2 料金額」の「2 特別料金」が「52円」と規定されていることによります。

 

 次のいずれかに該当する通常葉書については,第2の1(基本料金)の規定にかかわらず,第2の2(特別料金)に規定する料金を適用します。

(1)年賀特別郵便として差し出されたもの

(2)12月29日から翌年1月7日までの間にその表面の見やすい所に「年賀」の文字を明瞭に朱記して差し出されたものであって特殊取扱としないもの

 

4 郵便物の送達に関する利用関係の成立について

 内国郵便約款上は郵便物の差出し及び引受けの概念があるようです。「郵便物の送達に関する利用関係は,郵便官署と郵便物差出人との合意に依り成立」するものとされていたところ(美濃部・下619頁),年賀特別郵便規則1条によれば差出しに請求が伴うのですから,差出しが郵便利用契約の申込みであって引受けがその承諾ということになるのでしょうか。

しかし,そうではないようです。

広島逓信局に勤務していた後の革新官僚・奥村喜和男の1927年の著書においては,当時,「逓信部内に於ては一人の例外なく郵便物の送達義務は「引受ノ完了」を以つて発生すると解してゐる。」と報告されていました(奥村喜和男『郵便法論』(克明堂書店・1927年)14頁)。しかしながら,更に詳しく見ると実は逓信省の内部は分裂していて,「甲論者は送達義務の発生は郵便物を郵便凾に投入した時であるとなし,乙論者は郵便官署に取り集めて帰り引受検査をした時であるとなしその見解が一致してゐない。而もこの両説が部内に並び行はれてゐる。」という状態だったそうです(奥村14頁)。乙論者によれば,郵便物の差出しが郵便利用契約の申込みであって,郵便事業者側が引受検査を通じて承諾の意思表示をするものということとなるようです。甲論者によれば,郵便物の投函による差出しが承諾の意思表示ということになるようです。

学説上は,「郵便官署が広く郵便函を処々に設置して居るのは,これに投函せられた普通郵便物の配送を引受くべきことの一般的意思表示を為して居るもので,何人でもこれに郵便物を投函すれば,それに依つて直ちに合意が成立する」とされています(美濃部・下618619頁。また,同622623頁,奥村1518頁)。甲論者の採る結論が正しいということでしょう。ここでは,「引受け」概念は,申込みと承諾による契約の成立に関する精確な法律論を行うには無用であって,かつ,かえって議論を混乱させるものということになります。「何となれば「引受完了」を何時と見るべきかは何等法規の示すものなく,従つて各自の主観であつて郵便凾に投入の時とも亦引受検査の時とも解し得るから」です(奥村1415頁)。郵便ポストの存在が事業者からする郵便利用契約の申込みの意思表示であって,そこへの投函による郵便物の差出しが承諾の意思表示になるのですから,郵便利用契約の成立に当たっては当該差出しに対する改めての「引受け」の意思表示の出番はありません。
 日本郵便株式会社の内国郵便約款4条1項は,「郵便の利用の契約は,差出人が,この約款の定めるところにより郵便物を差し出した時に成立します。」と規定しています。

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 郵便利用契約の申込みの意思表示(やや右肩下がりに写っているのは御愛嬌です。)

 

5 年賀特別郵便の取扱いの特別性について

年賀特別郵便規則における特別性はどこにあったのでしょうか。同規則5条が特別取扱いの本体ということになります。

年賀特別郵便規則5条1項前段は「年賀郵便物ハ翌年1月1日引受ノモノト看做シ」と規定していますが,「翌年1月1日引受」まで郵便物の送達に関する利用関係が成立しないということではおかしいですから,ここでの「引受」は郵便物の送達に関する利用関係の成立の時期とは別の意味を有するものでしょう。昭和13年逓信省令第25号の郵便規則(同規則228条により年賀特別郵便規則は廃止されています。)213条の「年賀特別郵便物ニハ翌年1月1日附ノ通信日附印ヲ押捺シ翌年1月1日の最先便ヨリ之ヲ配達ス」との規定,内国郵便約款146条1項の「翌年1月1日付けの通信日付印を押印」との規定等からすると,消印の日付を翌年1月1日にするということのようです。明治33年逓信省令第42号の郵便規則11条は「郵便ニ関スル料金納付ノ為メニ用ヰタル郵便切手其ノ他郵便料金ヲ表彰スヘキ証票ハ郵便局所ニ於テ之ヲ消印ス」と規定していました。(なお,通信日付印については,昭和22年逓信省令第34号の郵便規則3条に「郵便局において郵便物の取扱に関し使用する日附印(通信日附印という。)の形式は,これを告示する。」との規定がありました。)ただし,郵便法(昭和22年法律第165号)30条には「汚染し,若しくはき損された郵便切手又は料額印面の汚染し,若しくはき損された郵便葉書若しくは郵便書簡は,これを無効とする。」とありますから(旧郵便法(明治33年法律第54号)31条も「郵便切手其ノ他郵便料金ヲ表彰スヘキ証票ノ汚斑毀損シタルモノハ其ノ効用ヲ失フ」と規定),郵便切手等に消印がされた以上はその日付がどうあれ直ちに無効となるものでしょう。

年賀特別郵便規則5条1項後段には翌年1月1日の「最先便ヨリ配達ヲ開始ス」とありますが,これは確かに,通常の郵便物が順次そのまま直ちに送達されて行く取扱いであるのとは異なる取扱いです。

年賀特別郵便規則5条2項には年賀郵便物について「到著日附印ヲ押捺セス」とありますが,これは現在では分かりにくいところです。明治の「当時の郵便物には引受局で行う消印の外,配達局でも到着日付印を押しましたが,明治31年〔1898年〕からは1月1日から5日まで葉書の到着日付印を省略し,更に明治34年〔1901年〕からは期間を7日間に延長しました。」(郵政研究所附属資料館11頁)という背景事情があったところです。

 

6 特別取扱いを開始せしめた事由

ここまで来て,いよいよ年賀郵便物の特別取扱を開始せしめた事由とは何かということになるのですが,これは全く「元旦に殺到する年賀状」(郵政研究所附属資料館11頁)の処理に音をあげた逓信省側の受動的対応の結果であって,積極的に年賀状の差出しを大衆に勧奨して増益を図るというものではなかったようです(そもそも通信事業特別会計法(昭和8年法律第41号)に基づき1934年度から通信事業特別会計が発足するまでは,郵便事業は一般会計に帰属していました。「益金は一般会計の財源として巻きあげられ」るだけだったようです(藤川靖「苛酷な国庫納付金」逓信外史刊行会編『逓信史話 中』(電気通信協会・1962年)163頁参照)。)。

 

 明治時代の一般家庭では,元旦に年始回りを済ませ,その後で年賀状を認めることが多かったようです。書初めと合わせて2日に書く人もありました。

 年賀状が増えるに従い,郵便局は一度に差出される郵便物処理のために多忙を極め,次第に対応が困難となってきました。(郵政研究所附属資料館11頁)

 

 明治時代も中頃になると年賀状が激増し,郵便局では押印係が元日から不眠不休で消印作業を行って,日付印軸を握る手の平はマメで腫れ上がるといった有様でした。(郵政研究所附属資料館9頁)

 

年始回りは本来元日に行われるものである以上,それを代替するためのものである年賀状の差出しも正しく元日にされるべきものであり,そのようにされたことの証として年賀状には同日付けの通信日付印が押印されてあるべきもの,という認識が,年賀状の交換を始めた我が人民の間には自然なものとしてあったということでしょう。年賀状の交換は郵便局側の官製キャンペーンに応ずる人工的なものとして始まったものではないようです。

年賀状の輻輳に対する郵便局側の対策は,1890年からの正月三が日間の集配度数の減便から始まり(郵政研究所附属資料館10頁・11頁),前記の1898年からの葉書の到着日付印の押印省略を経て,189912月の年賀郵便物特別取扱開始に至ったわけです。年賀状の差出しを元日から前月の後半に前倒し分散してもらい,それらの処理のための余裕を与えてもらおうということであったようです。すなわち年賀郵便物特別取扱いは,年賀状差出数拡大キャンペーンのためのものではなく,本来は郵便局の従業員の労苦の軽減のための工夫であったもののようです。

 

7 特別取扱いの意義に係る認識の変化及び先の大戦下の特別取扱停止

しかし,194011月6日の昭和15年逓信省令第64号(「年賀特別郵便ノ取扱ハ当分ノ内之ヲ停止ス」)による年賀郵便特別扱停止は,年賀郵便物特別取扱いの制度が当時既に国民に対する年賀状差出促進キャンペーンであるものとして認識されていたということによるもののように思われます。当該キャンペーンたる国の特別取扱いの停止に応じて,従順なる国民が素直に年賀状の差出しをやめるものと考えたということなのでしょう。しかし,人民が相互の私的交誼を飽くまでも変わらず尊重して年賀状を差し出し続けていたならば,年賀郵便特別取扱いなしには,郵便局は明治の中頃同様の労苦及び混乱に再び襲われることになってしまっていたのではないでしょうか。とはいえ,「昭和12年〔1937年〕に日華事変が起って時局が緊迫すると,あらゆる面で耐乏生活が求められ,その流れの中で紙の消費節約と国家資源確保という国策上の見地から,11月には年賀状停止の申合せが閣議決定され,差出しが抑制されます。年賀切手の発行は昭和13年〔1938年〕用を最後として中止され」ました(郵政研究所附属資料館13頁),という下ごしらえが第1次近衛内閣によってされていたので(同内閣は193712月の南京陥落の前から蒋介石相手にはなかなか勝てないと既に暗く考えていたものでしょうか,それとも単に当該事変を奇貨として革新官僚的統制経済体制下における正しいmottainai精神を国民に植え付けようとしたものでしょうか。いずれにせよ1939年には「時局緊迫のため年賀郵便減少」ということになっていたそうです(郵政研究所附属資料館12頁)。),第2次近衛内閣下194011月の年賀特別郵便取扱停止に対して大きな抵抗はもはやなかったものでしょう。(しかし,194011月は紀元二千六百年式典で盛り上がっていたはずなのに,年賀状は評判が悪かったのですね。ちなみに,193512月に最初に発行された年賀用切手の絵柄は渡辺崋山の「富嶽の図」でした(郵政研究所附属資料館12頁)。)

 

8 「ノルマ」に関する発言

ところで,年賀状の制度は現在また別の形で郵便局の従業員に犠牲を強いるものとなっているのだ,とおっしゃる国会議員がおられます。例えば,2015年6月8日の参議院行政監視委員会において,山本太郎委員から次のような発言がありました。

 

〔日本郵便株式会社の現場では〕大量の年賀はがきなどの販売に,5千枚から1万2千枚など,とにかくノルマを課せられると。売り切れなかったら自腹で買い取れと,自爆営業と呼ばれているものがあり,それを強要するパワハラも横行していたといいます。非正規が自爆営業を拒否すれば,減給や雇い止めもあり得るという。地獄ですよ,こんなの。地獄のシステム。
 〇〇参考人,もちろん,〇〇社長にも年賀はがきの自爆営業ノルマあるんですか,ないですよね。現場に押し付けて,上は関係ないと,ノルマもないと。

(第189回国会参議院行政監視委員会会議録第2号23頁)

 

 「ノルマ」は元はロシア語のнормаであって,ソヴィエト社会主義共和国連邦名物であったそうです。19221230日に成立した同連邦は69年もたずに19911226日に消滅宣言。とはいえ逆に,ノルマのシステムによって69年間ももたせたというべきでしょうか。ロシア革命百周年の年(2017年)が終るに当たって考えさせられるところです。

 

9 皇位継承と年賀郵便物数との関係等

 ところで,1927年1月1日に年賀状(東京都36局)が,282万通に激減したのは,その前月25日午前1時25分の大正天皇の崩御のゆえです。19261227日の昭和元年逓信省令第1号は「本日ヨリ年賀特別郵便規則及外国郵便規則ニ依ル年賀郵便物ノ引受ヲ為サス」と規定していましたが,当該省令が出たからであるというよりは,大多数の人は1225日までぐずぐず年賀状を出さずにいたところが(年賀郵便特別取扱いは12月15日からであったところ(年賀特別郵便規則3条),既に1926年12月14日には「〔同日〕午前11時30分,皇太子〔摂政宮裕仁親王〕・同妃はこの日東京への還啓をお取り止めになり,当分〔御不例の大正天皇が病床にある〕葉山に滞在される旨が発表される。還啓お取り止めが発表されるや,周囲に異常なる緊張が走り,御用邸前には新聞記者が蝟集し,物々しき有様となる。このため警衛も一層厳重となり,儀仗衛兵・憲兵・御警衛係等が増員される。」という情況になっていました(宮内庁『昭和天皇実録 第四』(東京書籍・2015年)588頁)。),大正天皇の崩御の報を聞いて結局年賀状を出さないことにした,ということなのでしょう。ところが,1927年1月2日には,昭和天皇に対し「新年につき,スウェーデン国皇帝グスタフ5世,英国皇帝ジョージ5世より祝電が寄せられる。いずれも答電を御発送になる。」と記録されています(宮内庁620頁)。必ずしも天皇の崩御があったからとて年賀状を自粛する必要は無いということでしょうか。なお,践祚直後の昭和天皇は,父帝崩御の日の1週間後の1927年1月1日夜から風邪気味になり,同月2日「午後1時40分,入沢〔達吉〕侍医頭・侍医八田善之進の拝診の際には,御体温37度8分,御脈拍102を数え,直ちに御仮床」になっていました(宮内庁620頁)。

 天皇の崩御が年末にあって日本郵便株式会社の年賀郵便物送達収入に大打撃が与えられるという事態を避けるという意味も,天皇崩御にあらざる皇位継承の発生原因に係る今年(2017年)6月の天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)は有しているということになるのでしょう。

 

10 結語

 さて,以上長々書いてきて,結論は何かといえば,年賀郵便特別取扱制度などがあるゆえに年賀状は12月中に出して翌年元旦に宛先に届くようにしなければならないもののように思うけれども,本来当該制度の発足当初は年賀状は元日に届くものではなくて元日に出すものだったのだ,だから12月中に年賀状が出せない人間は反社会的であるということにはならないのだ,新年になってから出せばよいのだ,ということになりましょうか。また,室町時代前期頃の『書礼作法抄』には「年始ノ状ニハ正月十五日マデ慶賀ヲバ書事(かくこと)ナリ。(これ)関東ノ旧規(なり)(ただし)(その)(とし)イマダ対面セヌ人ニハ廿(はつ)()(ころ)マデハ(かく)モクルシカラズ。」とあるそうです(郵政研究所附属資料館前掲)。結構余裕があるものです。残る問題は,1月7日を過ぎると52円の特別料金では差し出せなくなるということでしょう。

 

弁護士 齊藤雅俊

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16渋谷三丁目スクエアビル2階

大志わかば法律事務所

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 

よいお年を。

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1 不動産登記及び民法177条並びに対抗問題
 職業柄,不動産の登記の申請手続を自らすることがあります。(なお,登記をするのは登記所に勤務する登記官であって,申請人ではありません。不動産登記法(平成16年法律第123号)11条は「登記は,登記官が登記簿に登記事項を記録することによって行う。」と規定しています。)

 不動産の登記といえば,まず民法(明治29年法律第89号)177条が想起されます。同条は,大学法学部の学生にとっての民法学習におけるつまづゆうなるものの一つではないでしょうか。

 

 (不動産に関する物権の変動の対抗要件)

 第177条 不動産に関する物権の得喪及び変更は,不動産登記法(平成16年法律第123号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ,第三者に対抗することができない。

 

この民法177条に関する知識は,それを持っていると他人を出し抜くことができる法律の知識の典型のような感じが初学者にはするでしょう。

 

・・・甲乙の売買契約により甲の土地の所有権は乙に移転するというのが民法の原則であるが,甲はなお同じ土地について丙と有効に売買契約を結べる。

しかし,土地の所有権はひとつであるから,たとえ有効な売買契約が2つあっても2人の買主がともに所有権を取得するというわけにはいかない。そこで,このとき乙と丙のどちらが勝つかを決めておく必要がある。ひとつの考え方として,甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考えることも可能である。しかし,民法は,不動産については登記の先後で決めることにした(177条)。つまり,丙が甲から先に登記の移転を受けると,乙に優先するのである。したがって,結果的に,甲乙の売買による所有権の移転は確定的なものではなかったことになる。このときの登記を対抗要件と呼び,二重譲渡のように対抗要件で優先劣後を決める問題を対抗問題という・・・(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)53頁)。

2 「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」 

「ひとつの考え方として,甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考えることも可能である。」というのならばその考え方を素直に採用すればよいではないか,と考えたくなるところです。

 

  ・・・ものによっては,うっかりすると〔民法典には書かれていないけれども,条文と同じ価値をもっているような法命題・準則に〕気が付かないことがあります。「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」の原則などです。私自身の学生時代の経験をいいますと,この命題は,民法では教わった記憶がなく――居眠りをしていたのかもしれませんが――ローマ法の講義と,ドイツ法の講義で教わったことを覚えています。(星野英一『民法のもう一つの学び方(補訂版)』(有斐閣・2006年)93頁)

 

「誰も自己の有する以上の権利を他人に移転できない」ということであれば,ますます売買の先後で決めればよいではないか,登記の先後で出し抜くことを認めるとは,制度を知らない普通の人間は損をするみたいでいやらしいなぁ・・・などという違和感を抱懐し続けると,法律学習から脱落してしまう危険があります。

3 フランス法における制度の変遷

しかしながら,実際に,「甲が乙に売ったことにより乙が所有権者となり,丙は無権利者甲からの買主であるから所有権を取得できない,と考え」,そのように民法を制定した例があります。1804年のナポレオンの民法典です。<