カテゴリ: 憲法

(上):秩父宮雍仁親王火葬の前例等

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(中):墓埋法143項の規定は「皇族の場合を考慮していない」ことに関して

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(「3 昭和28年衛環第2号の検討」の続き)


(2)「2」について:陵墓に係る墓埋法41項の特別法としての皇室典範27

 火葬許可証は,火葬それ自体のみならず,その後焼骨の埋蔵をするためにもなお必要です。すなわち,墓埋法141項はいわく,「墓地の管理者は,第8条の規定による埋葬許可証,改葬許可証又は火葬許可証を受理した後でなければ,埋葬又は焼骨の埋蔵をさせてはならない。」と(なお,この火葬許可証には,火葬場の管理者による火葬を行った日時の記入並びに署名及び押印があります(墓埋法162項,墓埋法施行規則8条)。)。昭和28112日衛環第2号の記の2は,火葬許可証無き焼骨の埋蔵の段階において,その可否に係る問題に関するものでしょう。

 

ア 皇室典範27条及び陵墓

昭和28112日衛環第2号の記の2において環境衛生課長は,皇室典範27条に言及します。同条は「天皇,皇后,太皇太后及び皇太后を葬る所を陵,その他の皇族を葬る所を墓とし,陵及び墓に関する事項は,これを陵籍及び墓籍に登録する。」と規定するものです。皇室典範附則3項は「現在の陵及び墓は,これを第27条の陵及び墓とする。」と規定しているところ,皇室陵墓令(大正15年皇室令第12号)1条の規定は「天皇太皇太后皇太后皇后ノ墳塋ヲ陵トス」と,同令2条の規定は「皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王ノ墳ヲ墓トス」とするものです。

「葬」は,「〔艸を上下に二つ重ねた字〕バウ→サウ(〔略〕くさむら)の中に死(しかばね)を納めたさまにより,死体を「ほうむる」意を表わす」そうです(『角川新字源』(第123版・1978年))。であれば,「葬る所」は埋葬ないしは埋蔵をする所ではあっても,死体を焼く所ではないようです。

「墳」は「土と,音符賁フン(もりあがる意→肥ヒ)とから成り,土を高くもり上げた墓の意を表わす」そうです(『角川新字源』)。「塋」は「音符〔かんむりの部分〕ケイエイ,めぐらす意縈エイ」からなり,「はか。つか。墓地。」の外「いとなむ。」の意味があるそうです(同)。

不動産である陵墓は,行政財産たる皇室用財産として国有財産となっています(国有財産法(昭和23年法律第73号)213号参照)。武蔵陵墓地もこの陵墓たる皇室用財産でしょう。内閣総理大臣の管理に服し(国有財産法5条,42項),それは宮内庁の所掌事務となります(宮内庁法(昭和22年法律第70号)214号は「皇室用財産を管理すること」を,同条12号は「陵墓に関すること」を同庁の所掌事務とします。)。

 

イ 墓埋法41項並びに墓地及び墳墓

また,墓埋法41項は「埋葬又は焼骨の埋蔵は,墓地以外の区域に,これを行つてはならない。」と規定しています。同条の規定に違反した者については墓埋法211号に罰則規定があります(同法14条の規定に違反した者と同じ号。なお,更に「行為の態様によっては刑法第190条の死体遺棄罪に問われることがある。」とされ,大審院大正1434日判決が参考として挙げられています(生活衛生法規研究会19頁)。当該判決はいわく,「死体の埋葬とは,死者の遺骸を一定の墳墓に収容し,其の死後安静する場所として後人をして之を追憶紀念することを得せしむるを以て目的とするものなれば,必ずしも葬祭の儀式を営むの要なきも,道義上首肯すべからざる事情の下に単に死体を土中に埋蔵放置したるが如きは,未以て埋葬と云うべからざるを以て死体を遺棄したるものと云はざるを得ず。」と。)。

「官許ノ墓地外ニ於テ私ニ埋葬シタル者」を3日以上10日以下の拘留又は1円以上195銭の科料に処するものと規定する旧刑法4251318778月段階のフランス語文では,軽罪として,“Quiconque aura, sans une permission spéciale de l’autorité compétente, procédé à une inhumation dans un lieu autre que l’un de ceux consacrés aux sépultures, sera puni d’une amende de 10 à 50 yens. / Sont exceptés les cas d’inhumations urgentes où le transport des morts aux sépultures publiques serait difficile ou dangeruex; mais à la charge d’une déclaration immédiate à l’autorité locale.(「当局の特別の許可を受けずに,墓地として指定された場所以外の場所で埋葬を行う者は,10円から50円までの罰金に処せられる。/死者を公的墓地に運搬することが困難又は危険であるときにおける緊急埋葬については,この限りでない。ただし,直ちに届け出ることを要する。」)と規定されていました。)に関してその趣旨を尋ねれば,ボワソナアドが,その同号改正提案(18778月段階案と同じ条文に成規の手続によらぬ墳墓の発掘又は変更の罪に係る構成要件の1項を第3項として加えたもの(Boissonade, pp.775-776))について説明するところがあります。いわく,「公的墓地の場所は,行政によって,できるだけ公衆衛生を確保すべき条件において選択されねばならない。住宅地から余りにも近過ぎる所は避けられねばならず,水源地たる高地を選んではならず,また,各埋葬は,死体からの滲出物を避けるために十分な深さをもってされねばならない。更に,死者への崇敬を確保するためにされる当局の見回りの効率のためには,相当多数のものがまとまった形で埋葬がされるということが便宜である。/各々がその所有地において,又は公的墓地として定められた場所以外の場所で,その親族を埋葬する自由を有するとしたならば,上記の用心は無駄なものにならざるを得ないということが了解されるところである。/また,後になってから遺骸が発見されたときに,それについて確実なことを知る手段のないまま,重罪が犯されたのではないかと懸念しなければならないという不都合も生じることであろう。」と(Boissonade, pp.794-795)。

「墓地」とは,「墳墓を設けるために,墓地として都道府県知事(市又は特別区にあつては,市長又は区長。以下同じ。)の許可を受けた区域」をいい(墓埋法25項),「墳墓」とは,「死体を埋葬し,又は焼骨を埋蔵する施設」をいいます(同条4項)。墓地に係る都道府県知事の許可については,墓埋法10条に規定があります(同条1項は墓地の「経営」といいますが,個人墓地を設けるにも墓埋法10条の許可が必要であるとされています(昭和271025日付け衛発第1025号厚生省衛生局長から京都府知事宛て回答「個人墓地の疑義について」(生活衛生法規研究会119-120頁))。)

陵墓地について,墓埋法10条の許可がされているということはないでしょう。

 

ウ 環境衛生課長の判断

昭和28112日衛環第2号における環境衛生課長の判断は,皇室典範27条の陵墓は墓埋法上の墓地に係る墳墓ではないが,同条によって,陵墓において天皇・皇族を埋葬し,又はその焼骨を埋蔵することは,墓埋法の特別法たる皇室典範によって合法なものとされていることとなる,その際陵墓の管理者による埋葬許可証又は火葬許可証の受理など当然不要である,というものでしょう。

 

(3)「3」について:過度の一般命題化

ところで,昭和28112日衛環第2号の記の3における「墓地,埋葬等に関する法律は皇族には適用されない」との言明は,筆者には――環境衛生課長の筆の滑りによるものなのでしょうか――過度の一般命題化であるように思われます。

その第71項において「皇族ノ身位其ノ他ノ権義ニ関スル規程ハ此ノ典範ニ定メタルモノノ外別ニ之ヲ定ム」と規定していた明治40年の皇室典範増補は,皇室典範本体等及び皇室令と共に日本国憲法下においては廃止されたものとなっているところです。天皇・皇族にも日本国憲法下の法令が一般的に適用されるというところから出発しなければなりません。天皇・皇族に対する法令の適用除外は,例外的かつ具体的であるべきです。例えば,皇族だからとて,薨去後24時間たたぬうちに埋葬又は火葬されてしまっては,実は仮死状態にすぎなかったときには困るでしょうし(墓埋法3条,211号参照),死体の埋葬又は焼骨の埋蔵を陵墓でも墓地でもない場所でしたり,火葬場以外の施設で火葬をしてはいけないのでしょうし(同法4条参照。同条2項の法文は「火葬は,火葬場以外の施設でこれを行つてはならない。」です。),墓地,納骨堂又は火葬場の経営を,墓埋法10条の都道府県知事(なお,同法25項括弧書きにより,市長及び特別区の区長も含まれます。)の許可なしに勝手にしてはならないでしょう。

環境衛生課長としては,これ以上皇室とかかわるのは畏れ多過ぎるので,政府高官として有するその所管法令解釈権限をもって明治典憲体制風の墓埋法適用除外の特権を天皇及び皇族方に献上申し上げ,顔を覆い,目を伏せ,以後御勘弁してもらうつもりだったということかもしれません。

 

 Abscondit…faciem suam non enim audebat aspicere contra deum (Ex 3,6)

 

しかしながら,墓埋法を制定した,国の唯一の立法機関である国会との関係はどうなるのでしょうか。良識ある議員諸賢の心が頑なになるということはないと考えてよいのでしょうか。

 

 Induravitque Dominus cor Pharaonis regis Aegypti (Ex 14,8)

 

4 墓埋法と「今後の御陵及び御喪儀のあり方について」との関係

さて,以上見てきた墓埋法の諸規定と,前記20131114日付け宮内庁「今後の御陵及び御喪儀のあり方について」の21)(イ)「御火葬施設の確保」において示された同庁の目論見とはうまく整合するものかどうか。

 

(1)墓埋法の適用:八王子市長の大権限

「墓地,埋葬等に関する法律は皇族には適用されない」(昭和28112日衛環第2号の記の3)ということであれば,墓埋法の検討ははなから不要であるようです。しかし,天皇・皇族について墓埋法の一般的適用除外があるものとは筆者としては考えにくいということは,前記33)のとおりです。またそもそも,「御火葬施設」が内廷費で維持される皇室の私的施設ではなく,宮内庁に属する国の施設であれば――宮内庁長官以下の宮内庁職員になれば皇族になるというわけではないでしょうから――墓埋法皇族不適用論のみではなお不十分でしょう。国のする埋葬及び火葬にも墓埋法の適用があるのであって,それゆえに自衛隊法115条の4は,墓埋法の例外的適用除外規定として,「墓地,埋葬等に関する法律(昭和23年法律第48号)第4条及び第5条第1項の規定は,第76条第1項(第1号に係る部分に限る。)の規定により出動を命ぜられた自衛隊の行動に係る地域において死亡した当該自衛隊の隊員及び抑留対象者〔略〕の死体の埋葬及び火葬であつて当該自衛隊の部隊等が行うものについては,適用しない。」と規定しているところです。(なお,自衛隊法7611号ならぬ同項2号の事態に際しての自衛隊の出動は国外派遣になるところ,そもそも墓埋法は日本国外では適用されないものでしょう。)

「御火葬施設」を設けるにも墓埋法101項の許可が必要である場合,それが八王子市長房町の武蔵陵墓地内に設けられるのならば,許可権者は八王子市長となります(前記のとおり,墓埋法25項括弧書きによって,同法の「都道府県知事」は,市又は特別区にあっては,市長又は区長です。)。

 

ア 火葬場の経営主体等の問題

そこで,八王子市墓地等の経営の許可等に関する条例(平成19年八王子市条例第29号)を見てみると,その第31項には次のようにあります。

 

  (墓地等の経営主体等)

3条 墓地等〔筆者註:火葬場を含みます(同条例1条)。〕を経営しようとする者は,次の各号のいずれかに該当する者でなければならない。ただし,特別の理由がある場合であって,市長が,公衆衛生その他公共の福祉の見地から支障がないと認めたときは,この限りでない。

1) 地方公共団体

2) 宗教法人法(昭和26年法律第126号)第4条第2項に規定する宗教法人で,同法に基づき登記された事務所を市内に有し,かつ,永続的に墓地等を経営しようとするもの(以下「宗教法人」という。)

3) 墓地等の経営を行うことを目的とする,公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律(平成18年法律第49号)第2条第3号の公益法人で,一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(平成18年法律第48号)に基づき登記された事務所を市内に有し,かつ,永続的に墓地等を経営しようとするもの(以下「公益法人」という。)

 

 皇室も宮内庁も,地方公共団体でも宗教法人でも公益法人でもないところです。

 火葬場の経営者が地方公共団体,宗教法人,公益法人等でなければならない理由は,その永続性(上記条例312号及び3号各後段参照)と非営利性の確保のためであるそうです。すなわち,昭和4345日付けの厚生省環境衛生課長から各都道府県,各指定都市衛生主管部局長宛て通知「墓地,納骨堂又は火葬場の経営の許可の取扱いについて」において同課長はいわく,「従来,墓地,納骨堂又は火葬場の経営主体については,昭和2193日付け発警第85号内務省警保局長,厚生省衛生局長連名通知及び昭和23913日付け厚生省発衛第9号厚生次官通知により,原則として市町村等の地方公共団体でなければならず,これにより難い事情がある場合であっても宗教法人,公益法人等に限ることとされてきたところである。これは墓地等の経営については,その永続性と非営利性が確保されなければならないという趣旨によるものであり,この見解は現時点においてもなんら変更されているものではない。従って,墓地等の経営の許可にあたっては,今後とも上記通知の趣旨に十分御留意のうえ,処理されたい。」と(生活衛生法規研究会143-144頁)。

 「御火葬施設」の設置は「特別の理由がある場合であって」かつ「公衆衛生その他公共の福祉の見地から支障がない」のだと主張して,よって上意のとおり直ちに許可をすべしと八王子市長を説得しようにも,「その都度設け」られる火葬場は永続性を欠くからそんなものを許可したら厚生労働省に叱られる,と抵抗される可能性があります。

 

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(上):秩父宮雍仁親王火葬の前例等

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3 昭和28年衛環第2号の検討

 

(1)「1」について:墓埋法と戸籍法との結合及び天皇・皇族についてのその欠如等

 

ア 墓埋法に基づく火葬の許可と戸籍法に基づく死亡の届出等との結合

現在の墓埋法52(「前項〔「埋葬,火葬又は改葬を行おうとする者は,厚生労働省令で定めるところにより,市町村長(特別区の区長を含む。以下同じ。)の許可を受けなければならない。」〕の許可は,埋葬及び火葬に係るものにあつては死亡若しくは死産の届出を受理し,死亡の報告若しくは死産の通知を受け,又は船舶の船長から死亡若しくは死産に関する航海日誌の謄本の送付を受けた市町村長が,改葬に係るものにあつては死体又は焼骨の現に存する地の市町村長が行なうものとする。」)にいう「死亡の届出」とは何かといえば,「戸籍法第25条,第88条又は第93条において準用する第56条の規定に基づく届出をいう。すなわち,死亡者本人の本籍地,届出人の所在地,死亡地(それが明らかでないときは最初の発見地,汽車等の交通機関の中での死亡の場合は死体を降ろした地,航海日誌を備えない船舶の中での死亡の場合は最初の入港地)の市町村長に対して届出をすることができる。」ということだそうです(生活衛生法規研究会22頁)。航海日誌の謄本の送付については,戸籍法93条の準用する同法55条に規定があるところです。

これに対して,雍仁親王薨去当時の墓埋法82項の死亡の届出に係る当時の戸籍法88条は「死亡の届出は,外国又は命令で定める地域で死亡があつた場合を除いては,死亡地でこれをしなければならない。但し,死亡地が明らかでないときは,死体が最初に発見された地で,汽車その他の交通機関の中で死亡があつたときは,死体をその交通機関から降ろした地で,航海日誌を備えない船舶の中で死亡があつたときは,その船舶が最初に入港した地で,これをしなければならない。」と規定していました(下線は筆者によるもの)。これを現在の戸籍法88条の「できる」規定と比較すると,現在の規定では同法25条による「事件本人の本籍地又は届出人の所在地」での死亡届出が原則となってしまい,死亡地ないしは死体の到着地の市町村長が死亡の届出を受けるものでは必ずしもなくなっています。墓埋法5条の趣旨は,「埋葬,火葬又は改葬を市町村長の許可に係らしめ,埋葬等が,国民の宗教的感情に適合し,かつ公衆衛生その他公共の福祉の見地から,支障なく行われるように,自由な埋葬等を禁ずるものである。」と説かれていますが(生活衛生法規研究会20頁。同法1(「この法律は,墓地,納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が,国民の宗教的感情に適合し,且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から,支障なく行われることを目的とする。」)参照),死亡地でも死体の到着地でもない地の市町村長は,公衆衛生云々といわれてもピンとこないのではないでしょうか。

いずれにせよ,戸籍法に基づく死亡の届出と墓埋法に基づく火葬の許可及び火葬許可証の交付とが結合されているわけです。

なお,墓埋法現52項にいう「死亡の報告」は「戸籍法第89条,第90条又は第92条の規定に基づく報告をいう」そうで(生活衛生法規研究会22頁),これも戸籍法の適用が前提となります。

 

ちなみに,墓埋法52項にいう「死産の届出」,「死産の通知」及び「死産に関する航海日誌の謄本の送付」は,「死産の届出に関する規程(昭和21年厚生省令第42号(昭和27年法律第120号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く厚生省関係諸命令の措置に関する法律」第3条の規定により,法律としての効力を有する。))の規定〔同令4条及び9条〕に基づく」ものです(生活衛生法規研究会22頁)。

しかし,昭和21年厚生省令第42号の第3条は「すべての死産は,この規程の定めるところにより,届出なければならない。」と規定し,同令第2条は「この規程で,死産とは妊娠第4月以後における死児の出産をいひ,死児とは出産後において心臓膊動,随意筋の運動及び呼吸のいづれをも認めないものをいふ。」と規定しているところ,皇族の死産に同令の適用はあるのでしょうか。同令7条は,父親を第1次的の届出義務者としていますから,畏れ多くも皇后陛下の御死産の場合には天皇陛下が千代田区長に対して届出をせねばならないのか,ということにもなりかねません。聯合国軍最高司令官の要求に係る事項を実施するため昭和20年勅令第542号に基づき1946930日に昭和21年厚生省令第42号を発した河合良成厚生大臣は,そこまでの共和国的な光景をも想定していたのでしょうか。

1946年当時はなお有効だった明治40年(1907年)211日の皇室典範増補8条は「法律命令中皇族ニ適用スヘキモノトシタル規定ハ此ノ典範又ハ之ニ基ツキ発スル規則ニ別段ノ条規ナキトキニ限リ之ヲ適用ス」と規定していましたところ,同条の解釈適用が問題になるところです。これについては,天皇の裁可に係る勅令ならばともかく,一国務大臣の発する省令は,そもそも法形式として「皇族ニ適用スヘキモノ」としてふさわしくないものと通常解されるところでしょうし,かつ,昭和21年厚生省令第42号には「皇族ニ適用スヘキ」旨の明文規定も無いところです。すなわち,昭和21年厚生省令第42号は天皇・皇族に適用がないものとして制定され,そのことは,その施行日(194753日)の前日を限り明治40年の皇室典範増補が廃止された日本国憲法の下でも変わっていない,と解釈すべきものなのでしょう。

 

イ 皇室典範26条による天皇・皇族に対する戸籍法の適用除外

皇室典範(昭和22年法律第3号)26条は「天皇及び皇族の身分に関する事項は,これを皇統譜に登録する。」と規定していて,確かに,天皇・皇族には戸籍はなく,戸籍法の適用はないわけです。

ちなみに,外国人も戸籍がありませんが,こちらについては,「外国人にも戸籍法の適用があり出生,死亡などの報告的届出義務を課せられ」ているところです(谷口知平『戸籍法』(有斐閣・1957年)54頁。戸籍法252項参照)。厚生省衛生局長は,外務省欧米局長宛ての昭和32415日付け衛発第292号回答において,戸籍法の適用との関係には言及してはいませんが,「埋葬許可は,死亡者の国籍の如何をとわず,本法〔墓埋法〕施行地で死亡した場合,死亡地の市町村長(特別区の区長を含む。以下同じ。)がこれを与えることとなっている。」と述べています(生活衛生法規研究会133-134頁。ただし,現在の戸籍法における外国人の死亡の届出は,死亡地でできることには変わりはありませんが(同法881項),届出人の所在地でするのが本則になっています(同法252項)。)。

 戸籍法の適用を受けぬ皇族たる雍仁親王の薨去の際には,同居の親族たる勢津子妃も藤沢市長に死亡届出をする義務(同法871号(当時は第2項なし))を有さず,仮に届出をしても「届出義務者でない者よりの届出は受理されるべきでない」ので(谷口55頁)結局受理されず,秩父宮家としては藤沢市長の火葬許可証を入手することができなかった,ということであったようです。

 なお,戸籍法上の死亡届出義務者に係る同法87条は,現在次のとおりです。

 

  87 次の者は,その順序に従つて,死亡の届出をしなければならない。ただし,順序にかかわらず届出をすることができる。

第一 同居の親族

第二 その他の同居者

第三 家主,地主又は家屋若しくは土地の管理人

 死亡の届出は,同居の親族以外の親族,後見人,保佐人,補助人,任意後見人及び任意後見受任者も,これをすることができる。

 

ウ それでも皇族の火葬は可能であるとの結論に関して

しかし,火葬許可証がない以上皇族の火葬を火葬場の管理者は行ってはならないものとは環境衛生課長は杓子定規に解していません。「第14条第3項の規定は皇族の場合を考慮していないもの」として,なお火葬の可能性を認めています。

 

(ア)墓埋法13

墓埋法13条が「墓地,納骨堂又は火葬場の管理者は,埋葬,埋蔵,収蔵又は火葬の求めを受けたときは,正当の理由がなければこれを拒んではならない。」と規定しているということが,火葬許容の方向に秤を傾けたということがあるでしょう。同条は,「埋火葬等の施行が円滑に行われ,死者に対する遺族等関係者の感情を損なうことを防止するとともに,公衆衛生その他公共の福祉に反する事態を招くことのないよう」にするためのものとされています(生活衛生法規研究会64頁。なお,同条については,後出(41)イ)の津地方裁判所昭和38621日判決に先立つものとしての内閣法制局意見(昭和35215日法制局一発第1号厚生省公衆衛生局長宛内閣法制局第1部長回答)があります(生活衛生法規研究会138-140頁)。)。当局は「遺族等関係者の感情」を重視するものと明言しているのであれば,確かに,心をこめて求めよさらば与えられん,です。

 

Petite et dabitur vobis, quaerite et invenietis, pulsate et aperietur vobis. (Mt 7,7)

 

(イ)墓埋法51項及び墓埋法施行規則14号並びに感染症予防等法30

更にこの点に関して墓埋法14条の趣旨を見てみると,「本条は,第5条及び第8条に定める埋火葬等の許可制度の実効を期するため,墓地等の管理者に対して正当な手続を経ない埋火葬等に応ずることを禁じた規定である。」とあります(生活衛生法規研究会65頁)。そうであると,市町村長による火葬の許可がそもそも何のためにあるのかを考えることも必要であるようです。

墓埋法51項の厚生労働省令である墓地,埋葬等に関する法律施行規則(昭和23年厚生省令第24号。以下「墓埋法施行規則」と略称します。)1条の第4号に,墓埋法51項の規定により埋葬又は火葬の許可を受けようとする者が市町村長に提出しなければならない申請書の記載事項として,「死因(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(平成10年法律第114号)第6条第2項から第4項まで及び第7項に規定する感染症,同条第8項に規定する感染症のうち同法第7条に規定する政令により当該感染症について同法第30条の規定が準用されるもの並びに同法第6条第9項に規定する感染症,その他の別)」とあるのが気になるところです。

感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(以下「感染症予防等法」と略称します。)62項から4項までに規定する感染症は,それぞれ「一類感染症」,「二類感染症」及び「三類感染症」です。同条7項に規定する感染症は「新型インフルエンザ等感染症」であって,これには,現代の恐怖の大王である新型コロナウイルス感染症が含まれます(同項3号)。同項8項に規定する感染症は「指定感染症」です。同条9項に規定する感染症は「新感染症」であって,これは,「人から人に伝染すると認められる疾病であって,既に知られている感染性の疾病とその病状又は治療の結果が明らかに異なるもので,当該疾病にかかった場合の病状の程度が重篤であり,かつ,当該疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるものをいう」ものです。

感染症予防等法30条は,次のとおりです。なお,新感染症についても,政令により一類感染症とみなされて同条が適用されることがあり得,また,都道府県知事が一類感染症とみなして同条に規定する措置の全部又は一部を実施することが可能です(感染症予防等法531項・501項)。

 

(死体の移動制限等)

30 都道府県知事は,一類感染症,二類感染症,三類感染症又は新型インフルエンザ等感染症の発生を予防し,又はそのまん延を防止するため必要があると認めるときは,当該感染症の病原体に汚染され,又は汚染された疑いがある死体の移動を制限し,又は禁止することができる。

2 一類感染症,二類感染症,三類感染症又は新型インフルエンザ等感染症の病原体に汚染され,又は汚染された疑いがある死体は,火葬しなければならない。ただし,十分な消毒を行い,都道府県知事の許可を受けたときは,埋葬することができる。

3 一類感染症,二類感染症,三類感染症又は新型インフルエンザ等感染症の病原体に汚染され,又は汚染された疑いがある死体は,24時間以内に火葬し,又は埋葬することができる。

 

 感染症予防等法302項を見ると,火葬はlast resortとして,結局常に許可されるべきもののようです。また,死体の移動を制限又は禁止しつつも,公衆衛生のためには放置するわけにはいかないということであれば,やはりその地で火葬されるのでしょう。

 それならば,火葬をするのになぜわざわざ墓埋法51項による市町村長の許可手続が必要なのかといえば,むしろ埋葬の許可を求める者に対して,火葬の許可を受けて当該死体を火葬するように窓口指導を行う機会を得るためのもののようでもあります。「埋葬又は火葬の許可申請は,戸籍法に基づく死亡届の提出と同時に行われる場合が多く,かつ,届出事項と重複するものがあることから,同一文書による取扱いの便法が認容されている〔昭和4152日付け環整第5032号環境衛生局長から愛知県知事宛て回答「墓地,埋葬等に関する法律施行規則第1条の申請について」〕。」とされていて(生活衛生法規研究会25頁)重みが無く,また,厚生事務次官から各都道府県知事宛て通知である昭和23913日付け厚生省発衛第9号「墓地,埋葬等に関する法律の施行に関する件」の3に「埋葬,火葬(ママ)及び改葬の許可は,原則として死亡届を出した市町村長の許可を受けることとし,統計上の統一を図った。」とあるので(生活衛生法規研究会105頁),何だか統計を取る目的ばかりのように思われて力が入らなかったのですが,確かに,感染症予防等法302項に鑑みるに明らかなとおり「公衆衛生」の見地(墓埋法1条参照)からして望ましく,かつ,時には専らそれによるべきものとされる葬法であるところの火葬への誘導機能は期待されてあるわけでしょう。

 感染症予防等法302項の「規定に違反したとき」は,「当該違反行為をした者は,100万円以下の罰金に処」せられます(同法776号)。

 

   しかし,感染症予防等法302項本文,776号の罪の構成要件は分かりにくいところです。同法302項ただし書に鑑みるに,当該死体の無許可埋葬が実行行為になるのでしょうか。そうであると,埋葬も火葬もせずに放棄した場合は,刑法190条の死体遺棄罪(3年以下の懲役)でなお問擬されるのでしょう(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)499頁参照)。死体遺棄罪に関しては,「不作為による死体遺棄罪が成立するのは,埋葬義務のある者に限られよう」と述べられています(前田499頁)。(なお,軽犯罪法(昭和23年法律第39号)118号は「自己の占有する場所内に,〔略〕死体若しくは死胎のあることを知りながら,速やかにこれを公務員に申し出なかつた者」を拘留又は科料に処するものと規定していますが,当該死体及び死胎については,「公務員をして処置させるまでもなく,その存在する場所の占有者自ら処置すべきものを含まないものと解する。また,〔略〕処置すべき者が判明しており,これらの者による処置が当然予想されるものについても同様である。したがって,〔略〕自宅療養中又は病院入院中の者が死亡した場合に,これを公務員に申し出ない行為などは,本号に当らない。」と説かれています(伊藤榮樹原著=勝丸充啓改訂『軽犯罪法 新装第2版』(立花書房・2013年)155頁)。同号の前身規定としては,旧刑法(明治13年太政官布告第36号)4258号が「自己ノ所有地内ニ死屍アル(こと)ヲ知テ官署ニ申告セス又ハ他所ニ移シタル者」18778月段階でのフランス語文では,“Ceux qui n’auront pas signalé à l’autorité locale la découverte par eux faite, dans leur propriété, d’un cadavre ou d’un corps humain inanimé ou l’auront transporté au dehors”3日以上10日以下の拘留又は1円以上195銭以下の科料に処するものとしていました。当該規定前段の趣旨は,ボワソナアドによれば,「死亡したと思われる者に,適時の救護をもたらし得ないということがないようにする」ということでした(Gve Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire; Tokio, 1886. p.1258)。)

当該「埋葬義務のある者」は誰かといえば,「専ら埋葬・祭祀・供養をなす権能と義務とを内容とする特殊のものと考えねばなら」ず,「その意味では放棄も許されない」ところの「屍体」の所有権(我妻榮『新訂民法総則(民法講義)』(岩波書店・1965年)203頁)が帰属する者でしょう。しかして死体の所有権は誰に帰属するかといえば,「判例は,相続によって相続人に帰属するという(大判大正107251408頁(家族の遺骨をその相続人が戸主の意に反して埋葬したので戸主から引渡請求をしたが認められない))。しかし,慣習法によって喪主たるべき人(〔民法(明治29年法律第89号)〕897条参照)に属すると解するのが正当と思う」ということになっています(我妻203頁)。「死体は,埋葬や供養をなす限りで権利の対象として認められる(東京高判昭62108家月40345頁,遺骨は祭祀主(ママ)者に属する。)」というわけです(山野目章夫編『新注釈民法(1)総則(1)』(有斐閣・2018年)790頁(小野秀誠))。東京高等裁判所昭和40719日判決・高集185506頁は刑法190条の死体遺棄罪の成立に関して「〔当該死体は〕被告人の妻子であるので,被告人は慣習上これらの死体の葬祭をなすべき義務のあることは明らか」と判示しています(下線は筆者によるもの)。以上をまとめる判例としては,「宗教家である被相続人と長年同居していた信者夫婦が遺骨を守っていたところ,相続人(養子)が祭祀主宰者として菩提寺に埋葬するため,遺骨の引渡しを求めた事案で,最高裁は,遺骨は慣習に従って祭祀を主宰すべき者とみられる相続人に帰属するとした原審を正当とした(最判平元・718家月4110128)。」というものがあります(谷口知平=久貴忠彦『新版注釈民法(27)相続(2)(補訂版)』(有斐閣・2013年)89頁(小脇一海=二宮周平))。死体ないしは焼骨の共同所有は法律関係を複雑なものにするでしょうから(遠藤浩等編『民法(9)相続(第3版)』(有斐閣・1987年)71頁(遠藤)参照),相続人帰属説よりはこちらの方がよいのでしょう。

ただし,死体の処分については別の配慮も必要であるとされています。「これまで学説は,遺体・遺骨を一括して,所有権の客体性,帰属原因,帰属者を議論してきたが〔略〕,両者には違いがある〔略〕。遺体の場合,特別な保存方法を用いない限り,腐敗が急激に進行することから,衛生上速やかに火葬など一定の処分をする必要があり,葬送を行う近親者に処分を委ねることが妥当である。」というわけです(谷口=久貴編88頁(小脇=二宮))。これは,葬送を行う者(近親者に限られず,戸籍法87条に基づき死亡届出をした者を含めて解してもよいように思われます。)のする死体の処分は事務管理(民法697条以下)として適法化されるということでしょうか。ちなみに,生活保護法(昭和25年法律第144号)182項は,「被保護者が死亡した場合において,その者の葬祭を行う扶養義務者がないとき」(同項1号)又は「死者に対しその葬祭を行う扶養義務者がない場合において,その遺留した金品で,葬祭を行うに必要な費用を満たすことのできないとき」(同項2号)において,「その葬祭を行う者があるときは,その者に対して,前項各号〔①検案,②死体の運搬,③火葬又は埋葬及び④納骨その他葬祭に必要なもの〕の葬祭扶助を行うことができる。」と規定しています

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1 宮内庁の「今後の御陵及び御喪儀のあり方について」(2013年)

 宮内庁が20131114日付けで発表した「今後の御陵及び御喪儀のあり方について」には,上皇及び上皇后(これらの称号については天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)31項及び41項を参照)の火葬について次のようにあります(「.検討内容」の「2.今後の御喪儀のあり方について」)。

 

  (1)御火葬の導入

(ア)御火葬導入の考え方

皇室の歴史における御葬法の変遷に鑑み,慎重に検討を行ったところ,

①皇室において御土葬,御火葬のどちらも行われてきた歴史があること,

      我が国の葬法のほとんどが,既に火葬になっていること,

      ③御葬法について,天皇の御意思を尊重する伝統があること,

      ④御火葬の導入によっても,その御身位にふさわしい御喪儀とすることが可能であること,

     から,御葬法として御火葬がふさわしいものと考えるに至った。

   (イ)御火葬施設の確保

御火葬の施設については,天皇皇后両陛下の御身位を重く受け止め,御専用の施設を設置する。

御専用の御火葬施設はその都度設け,御火葬後は,その資材・御火葬炉等を保存管理し,適切な利用を図るものとする。

御火葬施設は武蔵陵墓地内に設置することとし,その具体的な場所については,周辺環境に十分配慮し定める。

 

 上記(ア)②にあるように,我々日本国の人民には,火葬はなじみのあるものとなっています。しかしながら,なじみはあるというものの,いざ不幸があって火葬となると,火葬場には火葬許可証なるものを持っていかなくてはならないというようないろいろの手続があり,墓地,埋葬等に関する法律(昭和23年法律第48号。以下「墓埋法」と略称します。)という大法律との関係が厄介だったのでした。これに対して宮内庁は,上記「御火葬の導入」という検討結果を出すまで「この1年余,全庁挙げて検討に取り組み,また,議論が浅薄なものとならないよう,祭儀,歴史等について専門的な知見を有する方々のお考えをうかがい,取りまとめを行った」そうですから(「.はじめに」)――当該「専門的な知見を有する方々」には例示を見る限り法律家は含まれてはいないようであるものの――60年経過後の当該検討においては,1953年(昭和28年)1月におけるフライングのような遺漏はなかったものでしょう。(なお,2016年度,宮内庁は一般社団法人火葬研と武蔵陵墓地附属施設整備工事に伴う設計業務(御火葬施設の設計)の委託契約(金額9882000円)を締結しています。「一般的にはない火葬施設を設計するもの」であるそうです(宮内庁の情報公開資料)。)


DSCF1296(昭和天皇武蔵野陵)
昭和天皇武蔵野陵(東京都八王子市長房町武蔵陵墓地)


 

2 秩父宮雍仁親王の火葬(1953年)

 と,前段において,筆者は,「19531月におけるフライング」などと勿体ぶった表現を用いました。何があったのかというと,要は,同月には次のような出来事があったところです。

 

(1)表:宮中の動き

 

  4日 日曜日 胸部疾患等のため神奈川県藤沢市鵠沼の秩父宮別邸にて静養中の〔昭和天皇の弟宮である秩父宮〕(やす)(ひと)親王が,この日午前220分薨去する。〔昭和〕天皇は818分より御文庫において宮内庁長官田島道治の拝謁を受けられた後,直ちに御弔問のため同35分自動車にて皇后と共に御出門,955分秩父宮別邸に御到着になる。故雍仁親王妃勢津子の案内により雍仁親王とお別れの対面をされ,1046分秩父宮別邸を御発,午後零時5分還幸になる。これに先立つ午前10時,宮内庁より雍仁親王がこの日午前4()30()分薨去した旨が発表される。〔略〕

   〔略〕

  夕刻,御文庫において宮内庁長官田島道治の拝謁を受けられ,故雍仁親王の喪儀につき説明をお聞きになる。これに先立ち,宮内庁長官田島道治は宮内庁次長宇佐美毅・同秘書課長高尾亮一と共に,故雍仁親王妃勢津子と同件につき相談し,午後には宣仁親王・同妃と協議した。夜,宇佐美次長より喪儀は秩父宮家の喪儀として行い,喪儀委員長等は秩父宮家が委嘱すること,喪儀の日取り,喪主等については翌日午前再び秩父宮別邸で相談すること,皇太子〔現在の上皇〕の渡英〔同年62日のエリザベス2世女王戴冠式参列のためのもの〕に支障はないことなどが発表される。また翌日夕刻には,宇佐美次長より,喪儀は12日に行い,遺骸は故雍仁親王の遺志により火葬されること等が発表される。

  (宮内庁『昭和天皇実録 第十一』(東京書籍・2017年)479-482頁)

 

  12日 月曜日 この日,故雍仁親王斂葬の儀が執り行われる。〔略〕午前10時より豊島岡墓地において葬場の儀が行われる。〔略〕儀終了後,雍仁親王の遺骸は落合火葬場に運ばれ,遺言に従って火葬に付された後,墓所の儀が行われ,豊島岡墓地に愛用の品々と共に埋葬される。なお墓所には比翼塚形式の墓が営まれる。明治以降における皇族の火葬,及び比翼塚形式の墓の造営は初めてとなる。またこの度の喪儀では,従来の皇族の喪儀と異なり,参列者に制限が設けられず,葬場の儀に続いて一般の拝礼が行われた。さらに霊柩の移動に際して,多数のスポーツ関係者が奉仕した。なお,去る5日には,同じく遺言により雍仁親王の遺骸が神奈川県藤沢市鵠沼の秩父宮別邸において,元東京大学教授岡治道の執刀,財団法人結核予防会結核研究所長隈部英雄の助手,及び故雍仁親王の療養に尽力した主治医の遠藤繁清・寺尾殿治・坂口康蔵・児玉周一・折笠晴秀の立会いにより,解剖に付された。〔略〕

  (実録第十一486-487頁)

 

実は,雍仁親王の火葬に関する195314日から同月5日にかけての協議には,重要な政府高官が一人招かれていなかったようです。厚生省公衆衛生局環境衛生部環境衛生課長です。

 

(2)裏:東京都公衆衛生部長及び厚生省環境衛生課長の働き

 

ア 東京都公衆衛生部長の指示伺い及び墓埋法の関連条項(143項,211号等)

195315日夕刻の宮内庁次長の発表を聞いて数日がたち(書面の日付は同月10日),自分の管内で雍仁親王の火葬が行われるものと気付いた東京都公衆衛生部長が――困惑してのことでしょう――厚生省の環境衛生課長にお伺いを立ててきます。

 

 (問)墓地埋葬等に関する法律第14条第3〔「火葬場の管理者は,第8条の規定による火葬許可証又は改葬許可証を受理した後でなければ,火葬を行つてはならない。」〕に火葬場の管理者は第8条による「火葬許可証又は改葬許可証を受理した後でなければ火葬を行ってはならない」と規定されて居るが,皇族の方の転帰に際し,火葬に付さる場合は如何に取り扱うべきか,証明書は如何なる所から発行せられたものに基くべきか,少なくとも依頼により火葬すべきか,御指示を仰ぎたい。

  (生活衛生法規研究会監修『新版 逐条解説 墓地、埋葬等に関する法律(第2版)』(第一法規・2012年)120頁)

 

 当時,墓埋法81項は「市町村長が,前3条〔第5条から第7条まで〕の規定により,埋葬,改葬又は火葬の許可を与えるときは,埋葬許可証,改葬許可証又は火葬許可証を交付しなければならない。」と,同条2項は「市町村長は,死亡若しくは死産の届出を受理し,又は船舶の船長から,死亡若しくは死産に関する航海日誌の謄本の送付を受けた後でなければ,埋葬許可証又は火葬許可証を交付してはならない。」と規定し,同法51項は「埋葬又は火葬を行わうとする者は,死亡地又は死産地,死亡地又は死産地の判明しないときは,死体の発見地の市町村長(特別区の区長を含む。以下同じ。)の許可を受けなければならない。」と規定していました。墓埋法14条の「規定に違反した者」は「1000円以下の罰金又は拘留若しくは科料」に処せられました(同法211号。同法22条に両罰規定。当時の罰金等臨時措置法(昭和23年法律第251号)2条及び41項により,「1000円以下」の罰金額は1000円以上2000円以下となり,科料額は5円以上1000円未満。ついでながら,現在の墓埋法14条の刑は,2万円以下1万円以上の罰金(罰金等臨時措置法21項)又は拘留(刑法(明治40年法律第45号)16条により1日以上30日未満とされ,刑事施設に拘置)若しくは科料(同法17条により1000円以上1万円未満)です。)。

なお,墓埋法上,「埋葬」とは「死体(妊娠4箇月以上の死胎を含む。以下同じ。)を土中に葬ること」をいい(同法21項),「いわゆる「土葬」がこれに当たる」ものとされます(生活衛生法規研究会13頁)。「火葬」は,「死体を葬るために,これを焼くこと」です(墓埋法22項)。なお,死体は墳墓に「埋葬」されますが,焼骨は「埋蔵」されます(墓埋法24項参照)。「焼骨」とは何かについては,「死体を火葬した結果生ずるいわゆる遺骨であるが,遺族等が風俗・習慣によって正当に処分した残余のものは,刑法においても遺骨とはされない。」と説明されています(生活衛生法規研究会14頁)。

 秩父宮家から雍仁親王の遺体を火葬できるかと打診を受けた落合火葬場が,それでは火葬許可証を当日御持参くださいと言ったところ,えっそれにはどうしたらいいのと宮家側から反問されての問題発覚だったのでしょうか。実は以下に見るように,ここには法の欠缺があったのでした。人民流に単純に,雍仁親王の死亡地の藤沢市役所に戸籍法(昭和22年法律第224号)上の死亡届出をして(下記31)ア参照),藤沢市長から火葬許可証の交付を受ける,というわけにはいかなかったのでした。

いかに皇室尊崇の熱い心があろうとも,うっかり墓埋法143項,211号違反の犯罪者となって警察署や検察庁に呼び出された挙句(ここで「呼び出された」にとどまるのは,墓埋法21条の刑に係る罪については,住居及び氏名が明らかであり,かつ,逃亡のおそれがなければ,現行犯であっても逮捕はされず(刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)217条),定まった住居があり,かつ,検察官,検察事務官又は司法警察職員による取調べのための出頭の求めに応じている限りは,逮捕状による逮捕もされないからです(同法1991項)。なお,立法当初の罰金等臨時措置法71項参照),簡易裁判所の厄介になって(裁判所法(昭和22年法律第59号)3312号)2000円の罰金を取られたり,1日以上30日未満の期間でもって刑事施設に拘置されるのは,火葬場の管理者としては御免を蒙りたいところだったのでしょう。(なお,火葬場の「管理者」は,「自然人であり,〔略〕火葬場の運営及び管理についての事務取扱責任者」であって(生活衛生法規研究会63頁),火葬場の経営者(「ほとんどは法人」であるとされています(同頁)。)によって置かれ,その本籍,住所及び氏名は当該火葬場所在地の市町村長に届出がされます(墓埋法12条)。)

 

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1 大喪の礼経費の国庫負担

 1947年(昭和22年)53日から施行されている「皇室典範」という題名の昭和22年法律第3号の第24条は「皇位の継承があつたときは,即位の礼を行う。」と,同法25条は「天皇が崩じたときは,大喪の礼を行う。」と規定しています。この両条の規定の趣旨は即位の礼及び大喪の礼は国の事務として国費をもって行われるということだよね,と筆者は理解しています。皇室典範たる明治22年(1889年)の皇室典範等の下において,美濃部達吉が次のように説いていたところを承けた理解です。

 

  皇室ニ関スル儀礼ノ中或ハ国ノ大典トシテ国家ニ依リテ行ハルルモノアリ,①即位ノ礼,②大嘗祭,③大喪儀其ノ他ノ国葬ハ是ナリ。即位ノ礼及大嘗祭ハ皇室ノ最モ重要ナル儀礼ニシテ其ノ式ハ皇室令(〔明治〕42年皇室令1登極令)ノ定ムル所ナレドモ,同時ニ国家ノ大典ニ属スルガ故ニ,国ノ事務トシテ国費を以テ挙行セラル。其ノ事務ヲ掌理セシムル為ニ設置セラルル大礼使ハ皇室ノ機関ニ非ズシテ国家ノ機関ナリ〔大礼使は内閣総理大臣の管理に属し,その官制は皇室令ではなく勅令で定められました(大正2年勅令第303号(これは,1914411日に昭憲皇太后の崩御があったところ,同日付けの大正3年勅令第53号によりいったん廃止)・大正4年勅令第51号,昭和2年勅令第382号)。〕国葬モ亦国ノ事務ニ属ス,国葬令(大正15勅令324)ニ依レバ大喪儀,皇太子皇太子妃,皇太孫皇太孫妃,摂政ノ喪儀ハ国葬トシ〔同令1条・2条〕,其ノ他国家ニ偉勲アル者ニ付テモ特旨ニ依リ国葬ヲ賜フコトアリ〔同令31項〕。国葬ヲ賜フ特旨ハ勅書ヲ以テシ,内閣総理大臣之ヲ公告ス〔同条2項〕。此等ノ外皇室ノ儀礼ハ総テ皇室ノ事務トシテ行ハル。

  (美濃部達吉『改訂憲法撮要』(有斐閣・1946年)217-218頁。丸数字及び下線は筆者によるもの)

 

 即位の礼及び大嘗祭については,明治22年の皇室典範11条に「即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」と規定されていたところです。大嘗祭については,『皇室典範義解』の説明に「大嘗の祭は神武天皇元年以来歴代相因て大典とはせられたり。(けだし)天皇位に即き天祖及天神地祇を請饗(せいきやう)せらるゝの礼にして,一世に一たび行はるゝ者なり(天武天皇以来年毎に行ふを新嘗とし,一世に一たび行ふを大嘗とす)。」とあります。ただし,「第1代神武天皇が,倭の国の八十(やそ)(たけ)()を討つさい,タカミムスビノカミを祀って新嘗祭とみられる祭りを行った記事が,「日本書紀・神武紀」にある」ものの(村上重良『天皇の祭祀』(岩波新書・1977年)12-13頁),『日本書紀』の神武天皇元年条に大嘗祭挙行の記事はありません。

 法律たる「皇室典範」24条及び25条の規定をお金の問題に関するものとする理解は,筆者一人のものではありません。

 1946927日開催の臨時法制調査会第一部会に係るその議事要録には,次のような問答が記録されています。

 

  鈴木 即位の大礼,大(ママ)費は法律で予算を組むのか。

  高尾 しかり。

 

 ここでの「鈴木」は臨時法制調査会委員の衆議院議員・鈴木義男,「高尾」は同幹事の宮内省出仕・高尾亮一でしょう。

 

2 大喪の礼(非宗教的)≠大喪儀

 19461026日付けの臨時法制調査会の答申書に,皇室典範改正(ママ)法案要綱の一つの項として,

 

  即位の礼及び大喪儀に関し,規定を設けること。

 

とあります。

 上記臨時法制調査会の要綱に関し,明治22年の皇室典範11条並びに出来上がりの「皇室典範」法24条及び25条との比較においてここで注目すべきことは二つあります。既に大嘗祭が落ちていること及び「大喪」であっていまだに「大喪の礼」ではないことです。(なお,京都市民にとっては即位の礼の同市における挙行がなくなったことこそが最重大問題であるかもしれませんが,「〔明治〕13年〔1880年〕車駕京都に駐まる。〔明治天皇は〕旧都の荒廃を嘆惜したまひ,後の大礼を行ふ者は宜く此の地に於てすべしとの旨あり。」との立法事実(『皇室典範義解』)は,連合国軍の空襲で荒廃した他の諸都市を尻目に,戦災の無かった京都市にはもはや妥当しなかったものでしょう。)

 大嘗祭が落ちたのは,やはり,日本国憲法のいわゆる政教分離原則のゆえでしょう。19461217日の第91回帝国議会貴族院皇室典範案特別委員会において,元逓信省通信局外信課長の渡部信委員が「皇室典範」法案中になぜ大嘗祭の規定を設けなかったのかと質疑をしたところ,金森徳次郎国務大臣は,「此の憲法の下に,及び之に附随して出来て来まする所の諸般の制度は,宗教と云ふことを離れて設けられて行く,斯う云ふ原理を推論し得るものと思つて居ります」,「宗教的なる規定は,之を設けることは憲法の趣旨と背馳するもののやうに思はるゝのであります」ということを前提とした上で,「即位の礼と大嘗祭は,程度の差はありまするが,固より或思想を以て今迄一貫されて居つたものであらうと考へて居ります,けれども今後の合理的なる政治の面に於きましては,信仰に関係のない部面だけを採入れると云ふことにして大礼の規定を皇室典範に織込みまして,信仰的なる部面のことは国の制度の外に置くと云ふ考になつて居ります,従つてそれ〔大嘗祭〕は制度自身の上から見ますると,矢張り外に出てしまふことになりまして,恐らくは皇室の御儀式として,皇室内部の御儀式として続行せられて行くことであらうと想像を致して居ります」と答弁しています(同委員会議事速記録第26頁。また,同議会衆議院議事速記録第664頁及び69頁の同国務大臣答弁参照)。

 他方,「大喪儀」が「大喪の礼」になぜ変わったのかということについては,「皇室典範」法案に全員起立で賛成がされた19461125日の枢密院本会議における,当該法案に関する潮恵之輔審査委員長報告の次の部分に注目すべきでしょう。

 

  その他,新たに,即位の礼に対応して,天皇が崩じたときは,大喪の礼を行うことを定め,また,従前皇室陵墓令中に規定された事項を本案に移して陵墓に関する規定を置く。(第25条及び第27条)

 

専ら即位の礼に対応して大喪の礼を行うということですから,大喪の礼には大嘗祭に対応する宗教的な儀礼は含まれないということでしょう。大喪儀ならぬ大喪の礼を行うものとする規定となったのは,「大喪儀」との文言のままではそこには宗教的儀礼が含まれてしまう,ということにだれかが気付いた上での文言修正であったのではないでしょうか。

 

3 即位の礼に対応するものは大喪の礼か退位の礼か

と,ここまで調べが進んだところで,不図,安倍晋三内閣が2017519日に法案を提出し,全国民を代表する議員をもって組織される衆議院及び参議院によって構成される国会が当該法案に係る両議院の可決をもって同年69日に制定した法律であって,同月16日に当時の天皇たる現在の上皇がそれを公布することとなった天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)を,関連する法律として見てみると,その第33項に次のような規定があって,いささか筆者を悩ませるのでした。

 

 上皇の身分に関する事項の登録,喪儀及び陵墓については,天皇の例による。

 

ここでの悩みの種は,「上皇の喪儀については,天皇の例による。」の部分です。

(「例による」の意味については,「ある事項について,他の法令の下における制度又は手続を包括的に当てはめて適用することを表現する語として用いる。その意味では「準用する」〔略〕と余り変わらないともいえるが,「準用する」の場合はそこに示された法令の規定だけが準用の対象となるのに対し,「例による」の場合は,ある一定の手続なり事項なりが当該法律及びこれに基づく政令,省令等を含めて包括的に,その場合に当てはめられる点において異なる。」と説明されています(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)653頁)。)

「喪礼」ではなく「喪儀」なのですが,ひとまず単純に考えれば,「皇室典範」法25条の規定が「上皇が崩じたときは,大喪の礼を行う。」というふうに読み替えて適用されるのかな,と思われるところです。

しかしここで枢密院における説明を想起すると,「皇室典範」法25条の大喪の礼は,即位の礼に対応するものなのでした。天皇は崩御するまで在位する建前なので(明治22年の皇室典範10条・「皇室典範」法4条参照),退位の礼ならぬ大喪の礼がその在位せられた御代の締め括りとして即位の礼に対応するのだな,また,明治22年の皇室典範には無い天皇御大喪の際の儀礼に係る規定を昭和22年の「皇室典範」法に導入するためには前者の11条にある即位の礼との対応を指摘することによる新たな意義付けを行うことが必要だったのだな,と筆者は「対応して」の意味を解していたのですが・・・そういえば,上皇については,天皇の退位等に関する皇室典範特例法附則9(「この法律に定めるもののほか,この法律の施行に関し必要な事項は,政令で定める。」)に基づき当時の安倍内閣が制定した天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行令(平成3039日政令第44号)1条の規定(「天皇の退位等に関する皇室典範特例法(以下「法」という。)第2条の規定による天皇の退位に際しては,退位の礼を行う。」)による退位の礼が,その天皇としての在位の最終日である平成31年(2019年)430日に既に挙行済みだったのでした。平成2年(1990年)1112日の即位の礼に対応するものは,一見するに,この退位の礼でしょう。

 

4 2019430日の退位の礼:象徴≦代表

平成30年(2018年)43日の安倍内閣の閣議決定「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う国の儀式等の挙行に係る基本方針について」の第4によれば,天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行令1条にいう退位の礼とは,2019430日に宮中において行われた退位礼正殿の儀のことでした。すなわち,退位礼正殿の儀は,国事行為である国の儀式であって(退位礼正殿の儀以外の退位関連の儀式は,国の儀式ではなかった(皇室の儀式であった)ということでしょう。),その事務は宮内庁が行ったのでした(なお,平成31419日の閣議決定「退位礼正殿の儀を国の儀式として行うことについて」参照)。

ところで,退位礼正殿の儀の趣旨は,上記平成3043日の閣議決定によれば「天皇陛下が御退位前に最後に国民の代表に会われる儀式」とあるので(下線は筆者によるもの),筆者は,今更ながらぎょっとしたものでした。すなわち,日本国及び日本国民統合の象徴と日本国民の代表との顔合わせとは,Doppelgänger現象を連想させるところではありますが,それだけではありません。その地位が「日本国民の総意に基く」ものでしかない象徴の前に当の「主権の存する日本国民」の代表がぬっと現れるのは,象徴にその憲法的非力を感じさせるべきいささか威迫的ともいい得る絵柄ではないでしょうか。しかし,日本国憲法1(「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」)及び専ら国会の制定法によって天皇の廃立を定めるものである天皇の退位等に関する皇室典範特例法2(「天皇は,この法律の施行の日限り,退位し,皇嗣が,直ちに即位する。」)の法意をあえて視覚化するとなると,こうなるのでしょう。

「国民代表の辞」を述べたのは安倍晋三内閣総理大臣であり,それに対する天皇の「おことば」でも「国民を代表して,安倍内閣総理大臣の述べられた言葉」とありますから,退位礼正殿の儀においては,Citoyen安倍晋三が,主権の存する国民を一人で代表して,天皇の前に立ったわけです(2019419日に宮内庁長官が決定した「退位礼正殿の儀の細目について」には,「次に内閣総理大臣が御前に参進し,国民代表の辞を述べる。/次に天皇のおことばがある。」とあります。)。「大」がついても内閣総理大であることにとどまるのならば,文字の上だけでも下として天皇の前に謙遜なのですが(日本国憲法61項では,天皇が内閣総理大臣を任命します。),ここでの力点は,国民の代表であることにあるのでしょう。

あるいは特段深い考え無しに,無邪気に「国民代表」の語が用いられたのかもしれません。しかし,憲法的場面においては,日本国の主権は国民に存し(日本国憲法前文1項第1文・1条),国民の代表者は国政の権力を行使する者です(同前文1項第2文)。その前では天皇ないしは太上天皇も隠岐や佐渡まで吹っ飛んだ歴史的事実をも背景に有する我が乱臣賊子たる国民(北一輝の表現です。http://donttreadonme.blog.jp/archives/1066681538.html)の代表は,無力であるものでは全くなく,その正反対であって,そう無垢・無害な存在ではあり得ません。2019430日の安倍晋三国民代表の天皇に対する辞においても,「天皇陛下におかれましては,皇室典範特例法の定めるところにより,本日をもちまして御退位されます。」と,天皇の退位等に関する皇室典範特例法2条の趣旨の読み聞かせ(中川八洋筑波大学名誉教授ならば,もっと激しい表現であるところです。)がされています。退位の礼は,はなはだ重い儀式であったと評価すべきでしょう。(ちなみに隠岐・佐渡といえば,かのルイ16世に派遣せられたラ・ペルーズは,日本海を北上するその探検航海において,これらの島々を望見したことでしょうか。)

なお,一夜明けて令和元年(2019年)51日の今上天皇の即位後朝見の儀も「御即位後初めて国民の代表に会われる儀式」であって(前記平成3043日の閣議決定の第521)。下線は筆者によるもの),「次に天皇のおことばがある。/次に内閣総理大臣が御前に参進し,国民代表の辞を述べる。」という式次第でした(201951日の宮内庁長官決定「即位後朝見の儀の細目について」)。天皇が自らその「おことば」の冒頭において「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。」と宣言していますので,安倍晋三国民代表の天皇に対する辞においては「天皇陛下におかれましては,本日,皇位を継承されました。国民を挙げて心からお(よろこ)び申し上げます。」と,天皇の退位等に関する皇室典範特例法2条の法意に係るくどい念押し無しに,当該継承の事実の確認のみがされています。主権の存する国民は,「お慶び」です。これを平成元年(1989年)19日の即位後朝見の儀の前例と比較すると,当時の竹下登内閣総理大臣が述べたのは「国民代表の辞」というような高ぶったものではなく,「内閣総理大臣の奉答」というものでありました。20221010日追記:なお,令和元年51日の即位後朝見の儀における国民代表の辞の締め括りは「ここに,令和の御代(みよ)の平安と,皇室の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます。」であるのですが,「令和の御代」の意味するところは実は深長ではないかと気が付きました。令和の元号は,その前月,安倍国民代表の内閣自身が定めたものであって(平成31年政令第143号),その決定過程から排除されていた天皇にその「在位ノ称号」(美濃部185頁)として押し付けるのは厚かまし過ぎるでしょう。そうであれば,(安倍国民代表に率いられた)日本国民の令和の御代が銃撃事件などなく平安であることが祈念されるとともに,併せて皇室の弥栄もお祈り申し上げられた,ということになるのでしょう。ちなみに,平成元年19日の内閣総理大臣の奉答には,「平成の御代」という言葉はありませんし,天皇のおことばを承けて天皇に対して「国民一同,日本国憲法の下,天皇陛下を国民統合の象徴と仰ぎ,世界に開かれ,活力に満ち,文化豊かな日本を建設し,世界の平和と人類福祉の増進のため,更に最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます。」という形で締め括られています(下線は筆者によるもの)。これに対して令和元年51日の国民代表の辞における上記締め括り文の前の文は「私たちは,天皇陛下を国及び国民統合の象徴と仰ぎ,激動する国際情勢の中で,平和で,希望に満ちあふれ,誇りある日本の輝かしい未来,人々が美しく心を寄せ合う中で,文化が生まれ育つ時代を,創り上げていく決意であります。」というもので(下線は筆者によるもの),主権者国民らしい一方的宣言の形になっています。更に余計な感想を付け加えると,30年間の平成の衰退を経て,令和の初めの日本国民は,「世界に開かれ」た国民であることを諦めつつ「激動する国際情勢」に背を向けた一国的平和を望み,animal spirit的ないしは物的な「活力に満ち」ることはもうないものの,希望,誇り,美しい心の寄せ合いといった情緒的慰めをなおも求める文弱的存在となっていたということだったのだな,と改めて気付いたことでもありました。令和年間の新型コロナウイルスをめぐる動きは,当該傾向を更に促進するものでしょう。)

以上脱線が過ぎました。天皇の退位等に関する皇室典範特例法33項に戻りましょう。

 

5 退位の礼を前提とした皇室典範特例法33項の解釈論

19901112日の即位の礼に対応するものとしては既に退位の礼が2019430日に行われているのだから,上皇が崩じたときに大喪の礼を行うにはもはや及ばないのだ,とすることは可能でしょうか。

 

昭和天皇の大喪の礼は,国の儀式として,平成元年224日,新宿御苑において行われ,また,同日の(同所における)葬場殿の儀と(武蔵陵墓地内における)陵所の儀を中心として,昭和天皇の大喪儀が皇室の行事として行われました。陵名は,武蔵野陵(むさしののみささぎ)と定められました。

  (宮内庁「昭和天皇・香淳皇后」ウェブページ)

 

 昭和天皇崩御の際の前例を反対解釈すると,国の儀式たる大喪の礼が行われなくとも,なおも皇室の行事たる大喪儀は行われるわけです。大喪の礼がなければ喪儀全体が行なわれなくなるというものではありません。

 ということで,それでは全ては皇室にお任せして上皇の大喪の礼のことは放念しよう,それでいいよね(退位の礼と大喪の礼とを重ねて行うことは国費の無駄遣いである,などと細かく責め立てられても面倒だし,「〔1989〕年224日に,昭和天皇の「大喪の礼」が国事行為として挙行されたが,その際,皇室の宗教的行事としての「葬場殿の儀」と,場所的にも時間的にも区別が不分明な仕方で,国事行為としての大喪の礼が行われたことの憲法適合性が,〔政教分離の観点から〕問題とされた。」(樋口陽一『憲法』(青林書院・1998年)112頁)といわれているし,我が国からは天皇及び皇后しかその女王の国葬に参列ができなかったかの英国では1936年に自らの意思で退位したエドワード8世について1972528日のそれは「崩御」ではなくて「薨去」であって,国葬はされず(同年「65日にウィンザー城内セント・ジョージ教会にて〔略〕葬儀」),「若き日に会ひしはすでにいそとせまへけふなつかしくも君とかたりぬ」(1971104日パリ西郊ブローニュの森における御製)ということで1921年の訪英時以来仲良しだった昭和天皇もその葬儀には柩前に花環を供えただけだったから(宮内庁『昭和天皇実録 第十五』(東京書籍・2017年)561頁・353頁),まあ「弔問外交」にもならないだろうし,そもそも「国葬」にはもう懲りた。),ということになるかといえば,上皇の大喪の礼を行わないとなれば「上皇の喪儀については,天皇の例による。」という天皇の退位等に関する皇室典範特例法33項の規定はみっともない空振り規定となってしまうではないか,そんな解釈が許されてよいのか,という問題が残ります。

 皇室の行事としてのみ上皇の喪儀は行われるがそれは1989年に不文法として確立されたものである昭和天皇の大喪儀の例によるべしという規範が,日本国家の法律として,皇家を対象として定立されたのだ,との解釈を採れば辻褄は合うでしょうか。しかし,皇家の内事たる事項(皇室喪儀令は大正15年皇室令第11号であって,摂政が裁可したものの,法律でも勅令でもありませんでした。明治典憲体制下,皇室令は,大日本帝国憲法ならぬ皇室典範系列の法規範でした(公式令(明治40年勅令第6号)51項参照)。)についてあえて国家が前例踏襲を強いる規制は,皇室自治の大権の干犯でなければ天皇・皇族に対する人権侵害となるようにも思われます。とはいえ,天皇・皇族は日本国民の権利及び義務(日本国憲法3章)を有しない非国民であるからいいのだ,と強弁することもあるいは可能かもしれません。

 しかしながら,実は現在,上皇は,火葬を望む等,自らの喪儀等の在り方を昭和天皇のそれとは別のものとしようとしているそうです(20131114日付け宮内庁の「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」及び「今後の御陵及び御喪儀のあり方について」)。そうであれば,天皇の退位等に関する皇室典範特例法33項について妙な解釈を採用してあえて妙な波風を立てるべきではないでしょう。やはり,退位の礼は実施済みではあるものの,国の儀式として上皇の大喪の礼をも行うものとすることが,無難な選択ではないでしょうか。(当該大喪の礼も,平成元年内閣告示第4号「昭和天皇の大喪の礼の細目に関する件」の例によれば,天皇及び皇后が葬場殿前に進んだ上での一同黙祷,内閣総理大臣の拝礼・弔辞,衆議院議長の拝礼・弔詞,参議院議長の拝礼・弔詞及び最高裁判所長官の拝礼・弔辞並びに外国代表者の各拝礼及び参列者の一斉拝礼並びにその前後における葬場及び陵所への各葬列といったことどもで構成されることになるのでしょう。)

 横死した安倍晋三国民代表についても,国の儀式としての国葬儀が,岸田文雄内閣によって敢然挙行されたところです(2022927日)。

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1 はじめに

 前回(2022830日)の記事(「国葬儀とState Funeralとの異同に関して」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079923416.html)掲載後,202298日には英国のエリザベス2世女王の崩御があって同月19日には同国のState Funeralが現実に挙行され,更に同月27日の我が国葬儀においては弔辞中に山縣有朋による伊藤博文を悼む和歌(什)を引用するものがあって反響を呼び,筆者としては自らの予感能力的なもの(当該記事3及び1参照)の有無についていささか思うところがありました。しかしながら,筆者の記事が全く読まれていないことは結構なことで,ああ伊藤と山縣とに関するそのエピソードならば,電通の入れ知恵ならぬ元内閣総理大臣官房の広報関係者である齊藤弁護士のブログ記事からの転用でしょう,などとのテレビ・コンメンテーターによる軽薄な発言も無かったところでした。

 ということで,国葬関係噺が続きます。

 

2 国葬令の効力の有無に関する再論

 

(1)位階令との比較からする失効説に対する疑問

 さて,件名を国葬令とする大正15年勅令第324号については,「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で,法律を以て規定すべき事項を規定するものは,昭和221231日まで,法律と同一の効力を有するものとする。」とする昭和22年法律第72号の第1条によって,1947年(昭和22年)1231日限り効力を失っているものと我が国政府は解釈しています。筆者も,当該見解を承けた記事を書いたところです(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079865197.html)。

 しかしながら,天皇の栄典授与大権(大日本帝国憲法15条(「天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス」),日本国憲法77号「栄典を授与すること。」)に関する勅令仲間の位階令(大正15年勅令第325号)が現在政令としてなお効力を有していること(昭和22年政令第141項は,「日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定は,昭和22年法律第72号第1条に規定するものを除くの外,政令と同一の効力を有するものとする。」と規定しています。)との関係で,国葬令失効説にはなお釈然としないところが筆者には残ったのでした。

 

(2)受田衆議院議員対内閣法制局

 国葬令の効力の存否に係る問題の解明は,受田新吉衆議院議員が執念を燃やしていたところであり,同議員の質疑に基づき,当該問題に係る内閣法制局の解釈が国会答弁の形でいくつか残されています。

 

ア 吉國次長答弁:現行法令輯覧問題

 

  〇吉國(一〔郎〕)政府委員〔内閣法制次長〕 現行法令輯覧は,総理府の総務課で編さんはいたしておりますけれども,その内容につきましてまでしさいに私ども〔内閣法制局〕のほうで指導をいたしておるわけではございませんが,従来の解釈といたしましては,国葬令は昭和221231日限りその効力を失っておるというのが,ほぼ通説であろうと存じております。

  〇受田委員 通説であるならば,この廃止した法律,命令を法令輯覧の中に入れておるということは,どういう理由か,次会までに御答弁願いたい。

  〇吉國(一)政府委員 これは総理府の編さんでございますので,私が直接申し上げるわけにまいりませんが,何しろ具体的に廃止法律を出しまして,左に掲げる法律を廃止するというようなことで処理をいたしたものにつきましては議論がございませんが,その効力として解釈上失っているとかいうようなものにつきましては,議論のあるところでございます。そのような意味で,総理府におきましても国葬令がまだ効力を有するやいなやということにつきまして,確たる議論が立たないままにこれを掲げたもの,このような命令は,特に旧憲法施行前の太政官布告であるとかあるいは行政官布告等によりまして,旧憲法施行後に法律なり勅令なりの効力を持ちましたようなものにつきましては,現在でも疑義のあるようなものが若干ございます。そのようなものにつきましては,現行法令輯覧なり現行日本法規あるいはその他の法規集におきましても,その疑義の存するまま掲げてある例もございますので,国葬令も同様な例でございますというように考えております。

  196549日衆議院内閣委員会(第48回国会衆議院内閣委員会議録第304頁))

 

1965年当時,内閣総理大臣官房総務課編纂の現行法令輯覧に,国葬令はなお収載されていたのでした。

 

イ 林長官答弁:国葬令失効説の提示

 内閣法制局の奉ずる「通説」の由来するところは,1962226日の衆議院予算委員会第一分科会における林修三法制局長官の次の答弁でしょう。

 

  〇林(修)政府委員 御承知のように,これ〔国葬令〕は勅令で出ておりまして,結局,当時旧憲法下における独立命令であったと思うわけであります。従いまして,形式的に申しますと,ただいまにおいては効力は,まあちょっとないと言わざるを得ないと私は思います。しかし,これは御承知のように,実際新憲法後において問題がございましたのは,実は貞明皇后の御喪儀のときでございまして,このときには当時の政府当局は,国葬令に準じた,国葬令を実質的に踏襲したような考え方で御喪儀を営んだことになっておる,かように考えます。

  〇受田分科員 国葬令には天皇の大喪儀,それから「皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃及摂政タル親王内親王」等の喪儀は国葬とする。もう一つ,国家に偉勲のある者の死亡したときには特旨により国葬を賜う,こうあるわけです。しかし,これは現実に法律か何かで廃止してはいないのでしょう。

  〇林(修)政府委員 御承知のように,旧憲法と新憲法とでは,いわゆる行政機関と申しますか,による命令のきめ方が根本的に違うわけでございます。旧憲法時代は,御承知のように憲法第8条〔法律に代わる緊急勅令の規定〕あるいは第9条で,いわゆる天皇の独立命令という規定があったわけでございます。従って,今の大権事項,しかも一面においていわれる大権事項というものが憲法にいろいろ規定がございまして,この大権事項につきましては帝国議会は関与できないという解釈が法的解釈であります。従いまして,いわゆる大権事項,特に天皇の今の御喪儀というようなことについては,大権事項として,帝国議会の議決する法律によってはきめられないと考えられております。従って,勅令をもってきまっておったわけであります。新憲法は御承知のように,国会を唯一の立法機関とする規定を置きまして,行政機関による命令というものは,憲法第73条をごらんになるとわかりますが,あそこでは政令のことを直接言っておりますが,要するに法律を執行する命令あるいは法律の委任に基づく命令,この点にだけいわゆる行政機関の立法というものを認めておるわけであります。従いまして,新憲法下におきましては,旧憲法下の大権事項に属するような勅令で,結局において大部分が法律事項になった,かように考えられるわけであります。従いまして,新旧憲法の移り変わりにおきまして,御承知のように,昭和22年法律第72号という法律がございまして,旧憲法下のいわゆる独立命令で新憲法下においては法律をもって定めることを要する事項は,法律に移す。過渡的には,〔昭和〕22年の1231日までは独立命令も効力を持つ,かような法律をあの当時立法したわけでございます。その法律の規定によりまして,ただいまお話しの国葬令は,形式的には22年の末日限りで失効になっている。かように考えざるを得ないと思います。

  (第40回国会衆議院予算委員会第一分科会議録第740頁)

 

 林長官の上記答弁には明治皇室典範下の皇室令関係の説明が足りないようにも筆者には思われます。すなわち,大喪及び大喪儀については,国務に関する法規たる勅令によってではなく,いずれも皇室令である皇室服喪令(明治42年皇室令第12号)及び皇室喪儀令(大正15年皇室令第11号)によって規定されていました。皇室令は,「皇室典範ニ基ツク諸規則,宮内官制其ノ他皇室ノ事務ニ関シ勅定ヲ経タル規程ニシテ発表ヲ要スルモノ」(公式令(明治40年勅令第6号)51項)です。皇室の喪儀は,第一次的には,皇室の家長としての天皇に属する大権(皇室の大権)に係る事項であるのです。皇室の大権は,大日本帝国憲法上の天皇の大権ではありません。明治皇室典範系列の大権です。大日本帝国憲法に基づく勅令である――あるいは勅令でしかない――国葬令では,皇族の喪儀に関しては,大喪儀等を国葬として,それらの費用の国庫負担及び事務の政府取扱いが定められただけでした(同令1条及び2条)。

以上のことどもはともかくとして,林長官の前記答弁において問題なのは――国葬令が大日本帝国憲法9条の独立命令たる勅令であったのはそのとおりであるとして――日本国憲法の下では法律をもって定めることを要する規定は国葬令のどの部分であるのかが具体的に明示されていないことです。法律事項がなければ前記昭和22年政令第141項の規定によって国葬令はなお政令として効力を有しているということになってしまいますので,国葬令の効力に止めを刺すためには,そこまでの摘示をしなければならないところです。

 

ウ 高辻次長答弁:国葬令失効説の理由付け

 

(ア)国葬令3条1項及び5条の規定を理由とする一連の法令としての同令失効説

 林長官が提示した国葬令失効説については,1963329日の衆議院内閣委員会における高辻正巳内閣法制次長による次の答弁が追完をなすものなのでしょう。

 

  〇高辻政府委員 ただいま御指摘の勅令第324号,いわゆる国葬令〔筆者註:「国葬令」は,当該勅令の題名ではなく件名です。〕でございますが,御承知の通りに,国葬令自身を廃止した法令というものはございません。ございませんが,実はもうすでに御承知だと思いますが,昭和22年法律第72号という法律がございまして,〔略〕その立法によりまして,法律事項を規定しておるものは現在効力はない。22年の12月末日まではありましたけれども,その後はないということに相なっております。そこで,この国葬令が事実的に廃止されておりませんので,どうかという問題はございますが,この国葬令をながめて見ますと,「勅裁ヲ経テ之ヲ定ム」とか「特旨ニ依リ国葬ヲ賜フコトアルヘシ」とかいうような規定があります関係からいたしまして,ただいま瓜生〔順良宮内庁〕次長が御指摘になりましたように,現在は効力がないというのが相当であろうと思います。

  (第43回国会衆議院内閣委員会議録第1413頁。下線は筆者によるもの)

 

  〇高辻政府委員 仰せの通りに,全く現在の皇室典範における25条の「大喪の礼を行う。」大喪の礼の方式をいかにするかという問題は,法律事項ではないと思います。また実際上,国葬令の形式的ないろいろなやり方というものに準じて〔筆者註:ここは正確には「皇室喪儀令及び皇室服喪令の形式的ないろいろなやり方というものに準じて」でしょう。〕やって一向にかまわないことだと思います。ただ,今申し上げましたのは,国葬令の中で,「特旨ニ依リ国葬ヲ賜フ」とかあるいは「勅裁ヲ経テ之ヲ定ム」とかいうような点がありますために,これだけを取り出して,それが効力がないといえばそれまででございますけれども,やはり一連の規定としての意味を持つものでございますので,そういう意味で,これは現在一つの法律としての効力はないだろうというわけでございまして,〔受田委員の〕仰せの中心である大喪の礼をどうするかというのは,事実としてきめればいいと思います。

  (同14頁。下線は筆者によるもの)

 

内閣法制局によれば,国葬令中第31項の「国家ニ偉勲アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ〔天皇の〕特旨ニ依リ国葬ヲ賜フコトアルヘシ」との規定及び第5条の「皇族ニ非サル者国葬ノ場合ニ於テハ喪儀ノ式ハ内閣総理大臣〔が天皇の〕勅裁ヲ経テ之ヲ定ム」との規定が法律事項を定めるものであって,これらは19471231日限り失効し(昭和22年法律第721条),それに伴い「一連の規定としての意味を持つ」国葬令全体が失効した,ということになるようです。

 

(イ)位階令の解釈との整合性問題

前記の高辻次長説明については,まず,天皇が直接出て来るからいけないというのは,法律事項か否かの問題というよりも合憲か否かの憲法レヴェルの問題ではないか,そうであるのならば19471231日限りではなく,むしろ同年52日限りで失効したものと解すべきではないかという疑問が生じます。しかし,それ以前に,高辻次長の説明は,位階令に関する林法制局長官の次の解釈(1962226日衆議院予算委員会第一分科会)とそもそもどのように符合せしめられるべきものなのでしょうか。

 

 〇受田分科員 そうしますと,位階勲等,位階令その他の分はどうなっているのですか。

 〇林(修)政府委員 これは私どものただいままでの考え方で申しますと,大体旧憲法前のやつは,御承知のように太政官布告その他で出ております。旧憲法時代においては,文化勲章令等は勅令で出ております。これの新憲法下における効力いかんという問題が御指摘のようにあるわけでございます。これにつきましては,新憲法におきましていわゆる栄典の授与というものは,実は天皇の国事行為になっております。従いまして,新憲法下においても,天皇はもちろん栄典授与の権限を持っておられるわけであります。ただし,それを独立しておやりになるわけではもちろんなくて,すべて内閣の助言と承認に基づいてやることになっております。従いまして,新憲法下において,天皇が,栄典,たとえば勲章あるいは位階そういうものを授与される場合には,実は個別的に内閣の助言と承認ということももちろん可能だと思います。しかし,たとえば内閣が助言と承認をやるについて,内閣がその助言と承認をやる基準を,たとえば内閣の定める命令,政令でございます,の形できめることは,新憲法下においても要するに法律的にいえば可能である,かように考えるわけでございます。従いまして,そういう意味におきましては,旧憲法前のいわゆる勲章に関する太政官布告あるいは旧憲法時代に出ました文化勲章令等の勅令,これも先ほど申しましたいわゆる独立命令は効力を失なう。法律をもって規定すべき事項は効力を失ないますけれども,今言ったような勲章とか位階等の授与についての内閣の助言と承認の基準をきめたと考えられます今のもろもろの勅令あるいは太政官布告は,新憲法下においても政令の効力を持って続いているのではないか,かように考えておる次第でございます。従いまして,形式的にはこれは残っておるとわれわれは考えております。その結果から申しまして,これは御承知だと思いますが,昭和30年に褒章条例の一部を改正して二つの例の褒章〔筆者註:黄綬褒章及び紫綬褒章〕を加えたことがございます。これは政令改正の形でやっております〔筆者註:昭和30年政令第7号による改正〕。褒章条例は御承知と思いますが,たしか太政官布告だと思いますが〔筆者註:明治14年太政官布告第63号〕,これは現在においてもなお効力を持っておる,かような考え方で対処しておるわけでございます。

 (第40回国会衆議院予算委員会第一分科会議録第740頁。下線は筆者によるもの)

 

 「昭和30年政令7号による褒章条例改正を,政府は,憲法41条にいう「立法」についてせまい「法規」概念を採る解釈を前提としたうえで,憲法77号(栄典の授与)を実施するための政令として説明した〔略〕。しかし,一般的規範の定立という意味での立法が法律によらなければならない〔略〕,という見地からすると,憲法736号にいう「憲法及び法律」は一体のものとして読まなければならず,内閣は,直接には法律を実施するためにしか政令を制定できない,と考えられなければならない。」ということで(樋口陽一『憲法』(青林書院・1998年)325頁),学説からは評判の悪い解釈です。しかし,そのことは措きましょう。

 天皇が特旨により国葬を賜うこと(国葬令31項)が天皇の行う国事行為たる「栄典を授与すること」(日本国憲法77号)に該当するのであれば,当該国事行為に係る内閣の助言と承認(同条柱書き)の基準を定めるものとして,位階令,文化勲章令(昭和12年勅令第9号),褒章条例同様,国葬令はなお政令の効力をもって存続するものとしてよさそうです。

 現在政令の効力をもって存続している位階令3条は,「前条ニ掲クル者〔「国家ニ勲功アリ又ハ表彰スヘキ効績アル者」(同令21号)並びに「在官者及在職者」(同条3号。なお同条2号は削除)〕死亡シタル場合ニ於テハ特旨ヲ以テ其ノ死亡ノ日ニ遡リ位ヲ追贈スルコトアルヘシ」と規定しており,これは国葬令31項と同じ構造の条文です。

 国葬令5条も,「皇族ニ非サル者〔皇族の喪儀の式を定める皇室喪儀令は,昭和22年皇室令第12号により194752日限りをもって廃止されています。〕国葬ノ場合ニ於テハ喪儀ノ式ハ当該事務を所掌する内閣府〔内閣府設置法(平成11年法律第89号)4333号(同号は,国の儀式に関する事務に関することを内閣府の所掌事務としています。なお,栄典の授与に関することも同項28号により内閣府の所掌事務です。〕の主任の大臣である内閣総理大臣〔同法62項〕が内閣の助言と承認による天皇の勅裁ヲ経テ之ヲ定ム」と読み替えればよさそうです。要は内閣府が企画立案して閣議決定をし,天皇に裁可せしめればよいのでしょう。

 

3 日本国憲法下における栄典の授与に係る天皇の国事行為に関して

 天皇の裁可といえば大日本帝国憲法めいていますが,日本国憲法下でも天皇は次のように執務しています。

 

  〔19637月〕12日 金曜日 生存者叙勲は,昭和21年〔1946年〕53日及び昭和28年〔1953年〕918日の閣議決定により,緊急を要するものを除いて停止されていたが,この日,生存者に対する叙勲の開始,及び「勲章,記章,褒章等の授与及び伝達式例」が閣議決定され,午後,これについての上奏書類を御裁可になる。なお,生存者叙勲は栄典制度に対する国民の期待その他の事情が考慮され,この度再開されることとなったが,生存者叙位は再開されなかった。

  (宮内庁『昭和天皇実録 第十三』(東京書籍・2017年)523頁。下線は筆者によるもの)

 

 すなわち,生存者叙勲を開始するという叡旨が示され,及びその伝達式例に係る勅裁がせられています。

 なお,194653日の閣議決定(というよりは当時はなお大日本帝国憲法下であったので,むしろ天皇の決定ということになりますが)は,次のようなものでした。

 

  この日,「官吏任用叙級令施行に伴ふ官吏に対する叙位及び叙勲並びに貴族院及び衆議院の議長,副議長,議員又は市町村長及び市町村助役に対する叙勲の取扱に関する件」が閣議決定され,午後8時,これについての上奏書類を御裁可になる。これにより官吏に対する現行の叙位・叙勲制度,貴族院及び衆議院の議長・副議長・議員又は市町村長及び市町村助役に対する現行の叙勲制度は,新憲法が制定され新たな栄典制度が確定するまでの間,一時停止される。またこれに伴い,叙位及び叙勲せられなかった者に対しては,新制度実現時に新制度を遡及適用するなどの方法により不利益を蒙らないように考慮することとされる。ただし,331日までに文武官叙位進階内則により初叙又は特旨叙位位階追陞を含むの資格の発生した者並びに叙勲内則により初叙進級の資格の発生した者に対しては,特に従前の例に依り叙位及び叙勲を取り扱うこと,在官在職中死没した官吏に対する叙位・叙勲については,民間功労者に対する死亡時の特旨叙位,又は叙勲・勲章加授の例に準じて取り扱うこととされる。

  この度叙位及び叙勲の取り扱いが決められたのは,これまで官吏に対する叙位・叙勲の取り扱いについては,文武官叙位進階内則又は叙勲内則に従い,官等あるいは在職年数により叙位・叙勲が行われていたところ,今般,官吏任用叙級令の施行に伴い官等が廃止されたことから,制度を改正する必要が生じたものの,現下の状勢に鑑み,新憲法が制定され新たな栄典制度が確定するまでの間,官吏への叙位・叙勲の取り扱いを一時停止する要があることによる。また貴族院及び衆議院の議長・副議長・議員又は市町村長及び市町村助役に対する叙勲についても,これまで叙勲内則中官吏の定例叙勲に関する規定を準用してきたところ,今般,官吏と同様に取り扱う必要が生じたことによる。

  (宮内庁『昭和天皇実録 第十』(東京書籍・2017年)108-109頁)

 

 ここでいう官吏に対する叙位・叙勲制度に係る「新たな栄典制度」の確定はどのような法形式をもってされることが予定されていたのでしょうか。1946417日発表の憲法改正草案の第694号では「法律の定める規準に従ひ,官吏に関する事務を掌理すること」は内閣の行う事務とされていましたところ(日本国憲法734号参照),叙位・叙勲制度を官吏本位のものと考えれば,それは法律によって定められなければならないものとも考えられ得たところでしょう。これに対して大日本帝国憲法下では,官吏に関する事務の基準を法律で定める必要はありませんでした(大日本帝国憲法10条)。

 1953918日の閣議決定は,次のようなものでした。

 

  生存者に対する叙勲について,原則としてその取扱を停止し,栄典制度を再検討した後に実施するという昭和21年以来の方針から,最近の状況に鑑み,緊急を要するものについては,現行の勲章を授与することとする旨が,この日閣議決定され,裁可される。

 (宮内庁『昭和天皇実録 第十一』(東京書籍・2017年)588頁)

 

 位階令23号に基づく在官者及び在職者に対する生存者叙位はなお再開されていませんが,憲法15条に関する昭和天皇の次の理解からすると,今後も再開はないのでしょう。

 

  〔幣原喜重郎内閣総理大臣による憲法改正草案の奏上に際し〕公務員の任免に関する第14現行第15について御懸念を示され,改正の要ある旨を仰せになる。〔略〕天皇は,〔略〕第14条に関し,特に宮内官吏の任免について御懸念を示される。翌日〔1946416日〕午前,侍従次長木下道雄をお召しになり,宮内官吏の任免については,天皇の認証を必要としたき旨の御希望を述べられる。なお政府は,17日,この草案前文を発表する。

  (実録第十94頁)

 

 1946417日発表の憲法改正案14条は,次のとおりでした。第2項と第3項との間に1項挿入されて,現在の日本国憲法15条となるものです。

 

14条 公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利である。
すべて公務員は,全体の奉仕者であつて,一部の奉仕者ではない。
すべて選挙における投票の秘密は,これを侵してはならない。選挙人は,その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

 

 すなわち,新たな憲法に基づく公務員は国民の奉仕者であって,もはや朕(天皇)が官吏にあらずということが昭和天皇に痛感されたものでしょう。タンプル塔内において,自ら親しく任じた忠義の臣ならざる,愛国者エベール率いる共和国の公務員らに取り巻かれていたルイ16世とその家族の姿が脳裡に浮かんでもいたものか。

 

  彼〔エベール〕はいかがわしい前歴の持主で,劇場の金を着服したかどで公けに告発され,職もなければためらうこともなく,狩り立られたけものが川に飛びこむように革命の流れに飛びこんで,うまくその流れに乗った。それは彼が,サンジュストの言うように「時代の気分と危険に応じて爬虫類のように器用に色を変える」ことによるのである。革命が血によごれればよごれるほど,彼の書く,というよりは汚物をぬったくる「ペール・デュシェーヌ」紙――最も低劣な革命の赤新聞――にとる彼の筆はいよいよ赤くなった。おそろしく低級な口調で――カミーユ・デムーランに言わせれば,「まるでセーヌがパリの下水の出口ででもあるかのように」――彼は下層階級,最下層階級の最も下劣な本能に媚び,〔略〕こうやって賤民に人気を博したおかげで,たっぷり金もうけをした上に市の委員会に地位を得,ますます大きな権力を握った。不幸にもマリー・アントワネットの運命はこの男の手にゆだねられたのである。

  (ツワイク,関楠生訳『マリー・アントワネット』(河出書房・1967年)355-356

 

 位階は,「推古天皇始めて冠位十二階を定め,諸臣に頒ち賜」うたことに起因します(『憲法義解』第15条解説)。国民の選定罷免に係る公務員であって天皇の臣ならざる者に天皇から叙位があるということは,十七条憲法時代に発する位階の本義に反しますし,日本国憲法151項・2項からしてもおかしいことでしょう。公務員たるもの,生きている間は専ら全体国民の奉仕者たるべし,死して後初めて,希望する者は天皇の直臣たることを許さるることあるべし(人民を背景に立つエベールの徒からは口汚く罵倒されるでしょうが),ということになるわけでしょう。

 しかし,国葬の場合,国葬を賜わる者は,定義上既に死んでいます。生存者叙位のような問題はないわけです。

国葬令の効力の有無問題に戻りましょう。

 


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1 はじめに

 前日(2022810日)掲載のブログ記事「国葬及び国葬令並びに国葬儀に関して」において,国葬対象者の死亡が国会開会中であったとき,その国葬費の手当ては予備費からの支出でよいのか,国会の予算議定権を尊重して補正予算の提出・議決の方途を執らなければならないかの問題に逢着したところです((中)の9エ)。

 

(上)大日本帝国憲法下の国葬令:

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079865191.html

(中)日本国憲法下の国葬令:

    http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079865197.html

(下)吉田茂の国葬儀の前例及びまとめ:

    http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079865200.html

 

 本稿ではつい,前稿では敬遠していた, 畏き辺りの大喪の礼等に係る前例を見てみましょう。

 

2 昭和天皇の大喪の礼

 198917日に崩御した昭和天皇に係る同年224日に行われた大喪の礼の経費は,当時は第114回通常国会の会期(19881230日から1989528日まで)中でありましたが,予備費から支出されています。帝国議会の協賛を経た昭和22年法律第3号たる皇室典範の第25条に「天皇が崩じたときは,大喪の礼を行う。」とあるので,昭和29416日閣議決定「予備費の使用について」以来の閣議決定における予備費支出可能4項目中の「令又は国庫債務負担行為により支出義務が発生した経費」ということで,補正予算の提出・議決の方途を採ることなく,予備費からの支出がされたものと考えられます。

当該予備費支出は,1991年の第122回国会に至って国会の承諾を得ていますが,その際問題となったのは昭和天皇武蔵野陵の鳥居の建設費が予備費から出たのはけしからぬ(日本社会党(第122回国会衆議院決算委員会議録第219頁(時崎雄司委員)及び同国会参議院決算委員会会議録第230頁(村田誠醇委員))),「絶対主義的天皇制を権威づけることを目的として制定された旧皇室諸(ママ)にのっとって行われた葬場殿の儀などを含む大喪の礼」等に関係する予備費支出は容認できない,また,陵は天皇家の私的なものであって,公的行事に使用する宮廷費(皇室経済法(昭和22年法律第4号)3条・5条)から支出されるのはおかしく,憲法の政教分離原則にも反する(日本共産党(第122回国会衆議院決算委員会議録第220頁(寺前嚴委員)及び同国会参議院決算委員会会議録第230頁(諌山博委員)))というようなものでした(なお,陵墓についても,法律たる皇室典範の第27条において規定されています。)。補正予算の提出・議決によらなかったこと自体は問題視されていません。


DSCF1296(昭和天皇武蔵野陵)
昭和天皇武蔵野陵の鳥居(東京都八王子市)


3 節子皇太后(貞明皇后)の「大喪儀」

 昭和天皇の母・節子皇太后(貞明皇后)の崩御(1951517日)も第10回通常国会の会期(19501210日から195165日まで)中でしたが,その喪儀の経費は予備費から支出されました。当該予備費支出は,1952年,第13回通常国会で承諾されています。

1952415日の衆議院決算委員会において,井之口政雄委員から「〔昭和〕26年度の分を見てみますと,皇室費として大分出ておるようであります。多摩東陵の分とか,皇族に必要な経費というようなものが,たくさんでておるようでありますが,こうした費用は,一般予算の中からまかなえるものではないでしょうか。冠婚葬祭について,官吏にしたところで,別にだれしも政府から特別の支給は受けておりません。こういう皇室費は,皇太后の葬儀に必要な経費その他陵の造営等についての経費が出ておりますが,こうした修理費とかいうものも,予備費からいつも出すような仕組みになっておるのですか。」との質疑がありました(第13回国会衆議院決算委員会議録第103頁)。これに対する東條猛猪政府委員(主計局次長)の答弁は,「宮廷費にいたしましても,天皇が国の象徴としてのお立場におきましての必要経費でありますが,それらの経費につきましても,きわめて金額は切り詰めたものになつております。従いまして,この予備費の内容でごらんをいただきますように,当初予算の編成にあたつて予想いたしておりません皇太后陛下の崩御せられたという場合におきましては,この大喪儀に必要な経費でありますとか,あるいは多摩東陵を造営いたしますような経費は,とうてい当初予算ではまかなえないわけでありまして,29百万円と3千何万円の予備金支出をいたしておるわけであります。」というものでしたが,Wikipediaでは「革命家」と紹介されている井之口委員から更に厳しい追及がされるということはありませんでした(同会議録第103-4頁)。

前記昭和29416日閣議決定の前の時代ではありました。(なお,昭和27年(1952年)45日の閣議決定では,例外的に国会開会中も予備費の使用ができる場合は,大蔵大臣の指定する経費の外,①事業量の増加などに伴う経常の経費,②法令又は国庫債務負担行為により支出義務が発生した経費及び③その他比較的軽微と認められる経費だったそうです(大西祥世「憲法87条と国会の予備費承諾議決」立命館法学20154号(362号)15-16頁)。)


DSCF1295 (2)

貞明皇后多摩東陵(東京都八王子市)

 

4 大正天皇の大喪儀

 以上,その妻及び長男の喪儀及び大喪の礼に係る経費の国庫負担については,予備費の支出といういわば捷径が採られたのですが,大正天皇自身の大喪儀に係る経費については,若槻禮次郎内閣総理大臣及び片岡直溫大蔵大臣の下,帝国議会に予算追加案を堂々提出してその協賛を得る(大日本帝国憲法641項)との正攻法が執られています。

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3 吉田茂の国葬儀の前例

19671020日に死亡した吉田茂に対して,同月31日に国葬儀が行われています。当該国葬儀の経費ためには,同月30日の閣議で,一般会計予備費から18096千円の支出が決定されました(前田80頁註(37)。なお,当時は国会閉会中(第56回臨時国会と第57回臨時国会との間)でした。)。

 

(1)国葬との異同について

吉田の国葬儀は,身分上の国葬対象者以外の者に係る前記①から⑤までの国葬の構成要素のうち,死亡した「国家ニ偉勲アル者」のために(①)国の事務として国庫の負担で行われる喪儀が行なわれるもの()の2要素を充足するものではあったわけです(吉田の業績の「偉勲」性には議論があり得るでしょうが。)。国民に対しても弔意表明の呼びかけが広範にされたようです(⑤)。このような呼びかけがされれば,法的義務ではないものの周囲の皆が政府御推奨のマスクを着用しているのに自分だけがしていないと不謹慎な非国民のようできまりが悪いのと同様,我が善良な日本人民は弔意表明的自粛をついしてしまうものなのでしょう(ただし,前田74頁は「政府の「お願い」に対しては,国民は冷淡な対応をとった。」と評しています。)。(なお,吉田茂の国葬儀当日における吉田一色のテレビ及びラジオ並びに新聞の報道振りについては,196832日の衆議院予算委員会において,佐藤榮作内閣総理大臣は「政府は何もタッチしておりません。」と答弁していますが(第58回国会衆議院予算委員会議録第1110頁),実際には「吉田国葬においては,総理府広報室長を中心に各報道機関との折衝が行われ,報道機関との間で,取材配置や方法などに関する取材協定が結ばれる。さらに国葬儀委員会〔委員長は佐藤内閣総理大臣〕でも,ラジオ・テレビなどに協力を求めることを決定した。これを受けて各局は国葬を実況中継するとともに,その前後にも「ふさわしくない」ドラマや歌謡ショー,CM等の自粛・差替えを行っている。」ということであったようです(前田73頁)。)

しかし,廃朝を含む天皇の主体的役割という要素()がなければ,吉田茂の国葬儀を国葬たる喪儀と同視してよいものかどうか。

 

(2)昭和天皇の動静

 吉田茂の死亡からその国葬儀までの間の昭和天皇と佐藤榮作内閣総理大臣との交渉状況は次のとおり。

 

10月〕23日 月曜日 〔前略〕午後455分御泊所の埼玉県知事公館にお戻りになる〔筆者註:昭和天皇は同月22日から26日まで埼玉県行幸中〕。その後,拝謁・奏上室において内閣総理大臣佐藤栄作の拝謁を受けられ,佐藤首相より故吉田茂の従一位叙位・菊花賞頸飾の授与が決定したこと,及び先の東南アジア・オセアニア訪問についてお聞きになる。なお佐藤首相は去る8日からインドネシア国・オーストラリア国・ニュージーランド国・フィリピン国・ベトナム共和国を歴訪し,21日に帰国した。

(宮内庁『昭和天皇実録 第十四』(東京書籍・2017年)412-413頁)

 

 実はこの23日に開かれた臨時閣議で,吉田の叙位叙勲のみならず,国葬儀の挙行が決定されていたのでした(前田64-65頁)。

 

  〔10月〕27日 金曜日 夕刻,〔皇居〕拝謁の間において,内閣総理大臣佐藤栄作より文化勲章・秋の叙勲等についての内奏をお聞きになる。

  (実録十四420頁)

 

両者の間で吉田茂の国葬儀の話が出たとの明らかな記録はありません。当該国葬儀挙行に,天皇の意思の関与を認めることは難しいでしょう。

なお,昭和天皇には,吉田茂の死について次の御製があります。

 

 君のいさをけふも思ふかなこの秋はさびしくなりぬ大磯の里

 外国(とつくに)の人とむつみし君はなし思へばかなしこのをりふしに

 (実録十四408頁)

 

( 「いさを」というだけでは,偉勲ということには必ずしもならないでしょう。あるいは,佐藤内閣総理大臣から報告があった叙位の話に係る位階令の勲又は功だったかもしれません。

外国の人とむつむことのできる日本人は,昭和時代には珍しかったのでした。被占領下においてもそうだったのでしょう。

しかし最近は,気難しい米国大統領相手に接待ゴルフをしてニンジャ的にバンカーに転落してみせたり(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1071112369.html),「〔略〕,君と僕は同じ未来を見ている。」「ゴールまで,〔略〕,二人の力で,駆けて,駆け,駆け抜けようではありませんか。」と,筆者などからすると気恥ずかしい言葉で(いわゆるBL風というのでしょうか。),したたか,かつ,強面のロシア連邦大統領に呼びかけたりした(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073895005.html)優しい心根の内閣総理大臣もいたそうです。

 吉田茂の国葬儀の当日の昭和天皇の動静は次のとおり。

 

 〔10月〕31日 火曜日 午前,拝謁の間において,前皇宮警察本部警務部長山下禎造の拝謁を皇后と共にお受けになる。

 表三の間において,松栄会会員田島道治前宮内庁長官以下24名の拝謁を皇后と共に受けられる。

 午後,元内閣総理大臣吉田茂の国葬儀につき,天皇より勅使として侍従入江相政を,皇后より皇后宮使として侍従徳川義寛を葬場の日本武道館に差し遣わし,それぞれ拝礼させられる。またこの葬儀に際し,天皇・皇后より故吉田茂国葬儀委員長に生花を賜う。なお,国葬儀の模様は吹上御所において皇后と共にテレビにて御覧になる。また,米国大統領リンドン・ベインズ・ジョンソンの代理として国葬儀参列のため来日した元連合国最高司令官マシュー・バンカー・リッジウェイより,滞日中に受けた御厚誼への御礼と吉田への弔意が駐日米国大使を通じて伝えられる。これに対し,謝意を伝えるよう侍従長に仰せ付けられ,この日式武官より駐日米国大使へこの旨が伝達される。また,吉田の国葬儀のために来日したフィリピン国特派大使グレゴリオ・アバド並びにユーロヒオ・バラオ,ニカラグア国特派大使カルロス・マヌエル・ペレス・アロンソ駐日特命全権大使の信任状を受けられ,1130日これを御覧になる。

 (実録十四422-423頁)

 

 24年前の山本五十六国葬の日よりもくつろいでいる感じの記述です。

 

  〔19436月〕5日 土曜日 この日,故元帥海軍大将山本五十六国葬につき,廃朝を仰せ出される。侍従徳大寺実厚を勅使として日比谷公園内葬斎場に差し遣わし,玉串を供えられる。終日御文庫において過ごされ,生物学御研究所・内庭にもお出ましなし。ただし,側近の土曜定例御相伴はお許しになる。

  (実録九114頁)

 

なお,天皇の御使が葬式に来てくれるのは,国葬の喪儀又は国葬儀の場合に限られません。1948417日死去の鈴木貫太郎の葬儀に係る例は次のごとし。

 

 〔同月〕23日,葬儀執行につき,天皇・皇后より御使として侍従徳川義寛を葬儀場文京区護国寺に差し遣わし,焼香させられる。天皇・皇后・皇太后より祭粢料及び供物・花を賜い,天皇・皇后より菓子を賜う。また天皇・皇后より喪中御尋として夫人タカ元侍女に果物缶詰を賜う

 (実録十637頁)。

 

 御使であって勅使ではないのは,GHQ占領下という時節柄でしょうか。二・二六事件で殺害された両元内閣総理大臣高橋是清及び齋藤實の各葬儀には勅使が差遣されています(宮内庁『昭和天皇実録 第七』(東京書籍・2016年)57-58頁)。

 以上,吉田茂の国葬儀について天皇が主体的役割を果たしたという形はなかったものと認めるべきでしょう。その点で,当該国葬儀は国葬たる喪儀ではありません。

 

(3)国会における議論と予備費支出の承諾

 さて,吉田茂の国葬儀挙行を承けての国会における議論は次のとおり。

 

ア 受田衆議院議員vs.八木総理府総務副長官及び田中龍夫大臣:公式制度整備推進論

 1968312日の衆議院予算委員会第一分科会において民社党の受田新吉分科員が「吉田さんのその功績に対する報い方として,私,国葬というやり方にあえて反対するわけではございません。」と述べつつ「しかしこういうものを政府がかってにやるような制度というものに,私は疑義がある。きちっとした法律をつくり,そうして公式的ないろいろな〔略〕,こういう公式的なものをすみやかに制度化して,そこで国民が納得するように,国民の名における法律で,これがきちっとされるのが私は好ましいのであって,政府の行政措置で,こういう大事な組織上の,行政上の基本問題をいいかげんに処理されて,そして得々としておられることは許されないと思います。」と質したのに対して,八木徹雄政府委員(総理府総務副長官)は「〔略〕閣議決定という措置でやったと思うのでありますけれども,受田先生御指摘のとおり,いま御指摘のあった,かくかくの問題につきましては,ただ便宜的に措置するということは適当でないと思いますので,それが明文化できるように,上司に対して十分にひとつおぼしめしのほどを伝えて,善処してまいりたいと思います。」と,上司に下駄を預ける答弁をしています(第58回国会衆議院予算委員会第一分科会議録第128頁)。

 公式制度の整備に熱心な受田衆議院議員は,今度は同年43日の衆議院内閣委員会で,八木副長官の上司の田中龍夫総理府総務長官(国務大臣)に決意を迫りますが,同長官は真面目に頑張りますということでかわしています。いわく,「それからまた,いまこういうふうな問題が特に法律の規定によらないで慣習法的国葬なら国葬というものが一つできた,こういうふうなことからさらに積み上げていっておのずから出る結論,これは特に英米法的な慣習法を重んずる考え方もありましょう。しかしながら,何ぶんにも御皇室を中心とした典範の問題やらその他の問題の中には,ほんとうに御指摘になるような不備な点が多々あると存じますので,いまここでいついつまでにこうするのだということはお約束はできませんけれども,この問題につきましては,私は真剣にまじめにひとつ今日ただいまからでもいろいろと調査し検討してみたい,かように考えております。」と(第58回国会衆議院内閣委員会議録第818頁)。慣習法云々という発言が出たのは,生硬かつ優等生的な成文法主義者に対する閉口の気持ちゆえでしょうか。

 

イ 山崎参議院議員vs.田中大臣:「戦後におきます国民感情等」

 196849日の参議院内閣委員会では,田中長官は現在国葬法の制定は考えていない旨はっきり述べるに至っています。すなわち,日本社会党の山崎昇委員からの「少なくとも国民全体をあげて喪に服する場合,そういう場合には,それらしい根拠を設けておく必要があるんじゃないか。ただ,そのつどそのつど国費だけ出せばいいというものではないのではないか。そういう意味で,もう少し政府としてはこういう点について整備する必要があるんじゃないか。」との問いかけに対して同長官は,「お説のごとくに,当然,国葬法といったようなものも制定を行なうべきでございましょうけれども,まだ戦後におきます国民感情等が,最近の諸情勢のもとにおきましては,かような国葬法を制定するまでに立ち至っておらないというような考え方もございます。いずれはさようなことに相なるだろうと思いますが,今日の段階におきましては政府は考えておりません。」と答弁しています(第58回国会参議院内閣委員会会議録第1011頁)。

 この「戦後におきます国民感情等」なのですが,令和の御代の今となってはよく分からないところがあります。天皇が特旨により賜う国葬は,民主主義を奉ずる大衆政国家である我が日本国にはふさわしくないということでしょうか。それとも,国葬というと軍人臭くて嫌だということだったのでしょうか。

昭和に入ってからの国葬について見ると,行われたのは大正天皇の大喪儀並びに東郷平八郎,西園寺公望,山本五十六及び載仁親王の各喪儀であって,大正天皇を別とすれば西園寺公望以外は皆軍人です。このうち特に山本の喪儀の国葬化は,山本の事績が本当に国家に対する偉勲に相当するものであったのかがなお不明である戦争中にあって(真珠湾攻撃は,無邪気な日本臣民を喜ばせたものの,かえって米国民の偉大なエネルギーを覚醒させてしまった逆効果だったかもしれません。ネルソンならば,対ナポレオン戦争が続いているといっても,トラファルガー沖で仏西連合艦隊を圧倒しおえていましたが,山本の場合,勢いを増す敵軍の前に頽勢を挽回できることのないままあえなく討ち取られています。)――海軍当局が山本戦死の公表を長い間躊躇していたことにも鑑みると――問題隠蔽的な軍国的宣伝効果を専ら狙ってされたものではないかともあるいは考え得るかもしれません。すなわち,山本の戦死が昭和天皇に伝えられたのはその翌日の1943419日,山本の国葬に係る内奏があったのは更に1箇月後の同年518日で,その際「〔同日〕午後35分,御学問所において内閣総理大臣兼陸軍大臣東条英機に謁を賜い,来たる21日に海軍大将山本五十六戦死を公表する件の奏上,山本を大勲位功一級に叙す件並びに山本の国葬を6月に実施する件の内奏,及び大本営政府連絡会議・閣議関係の奏上を受けられる。」ということでしたから(実録九73頁・97頁),山本の戦死という不吉な事実を民草にあえて発表するためには,国葬等で山本をあらかじめ金ぴかにしておく必要があったわけでしょう。

 

ウ 省葬・庁葬及び華山衆議院議員の見解

 省葬・庁葬というものがあって,役所の公金で葬式を出すということがあります。

196856日の衆議院決算委員会において日本社会党の華山親義委員はその金の出元はどこかと船後正道政府委員(大蔵省主計局次長)に問うて,「各省の省葬,庁葬につきましては,その費用はおおむね庁費から支出いたしております。」との答弁を得た上で,「吉田茂氏の場合,社会党は吉田茂氏の国葬について,別にそのこと自体について,政府はおやりになるならやっても別に何とも言わないような態度をとってきた。それにつきましても,どうしてこれは内閣の庁費でやらないで予備費なんか出すのです。国と省と同じじゃないですか。」「それを庁費の中でおやりになったというならば,私はあまりどうとも思いませんけれども,予備費から出すというふうなことはどうかと思うのです。国葬ということについての準則が何もないのでしょう。」云々と自説を展開しています。これは,国葬儀の実施自体ではなく,予備費支出を必要とするほどの多額の出費をしたことがけしからぬとの批判なのでしょう。

なお,庁費については,「予算科目としての庁費は,目の一区分の名称であり,狭義には,事務遂行上必要な物の取得,維持又は役務の調達等の目的に充てる経費として区分された目の名称であるとされている。」との説明があります(会計検査院「国土交通省の地方整備局等における庁費等の予算執行に関する会計検査の結果についての報告書(要旨)」(20099月)1-2頁)。

 

エ 田中大臣の行政措置優先論

 196859日の衆議院決算委員会において田中総理府総務長官は改めて「今後これに対する何らかの根拠法的なものはつくらないかという御趣旨でありますが,これは行政措置といたしまして,従来ありましたような国民全体が喪に服するといったようなものはむしろつくるべきではないので,国民全体が納得するような姿において,ほんとうに国家に対して偉勲を立てた方々に対する国民全体の盛り上がるその気持ちをくみまして,そのときに行政措置として国葬儀を行なうということが私は適当ではないかと存じます。/なお,御意見といたしまして,基準を定めるべきであるという御意見は承っておきます。」と答弁しています(第58回国会衆議院決算委員会議録第151頁)。天皇の特旨ではなく,国民全体の盛り上がる気持ちが決めるのだ,また,義務を課し権利を制限する法律事項は不要なのだ,という整理のようです。

ただし,所管の大臣の消極論に対して,水田三喜男大蔵大臣は積極論でした。いわく,「国葬儀につきましては,御承知のように法令の根拠はございません。だから,いまその基準をつくったらいいかどうかということについて長官からお答えがございましたが,私はやはり何らかの基準というものをつくっておく必要があると考えています。幸いに,法令の根拠はございませんが,貞明皇后の例がございますし,今回の吉田元総理の例もございますので,もう前例が幾つかここに重なっておりますから,基準をつくるということでしたら簡単に素晴らしいものが私はつくれるというふうに考えています。そうすれば,この予備費の支出もこれは問題がなくなることになりますので,私はやはり将来としてはそういうことは望ましいというふうに考えています。」と(同会議録2頁)。しかしこれは,財政当局的な規律・形式重視論というものでしょうか。文字で書かれた,いわば死んだ固定的基準は,あるいは年功序列的な,上がりを目指す出世双六の道案内のようなものに堕してしまって,その時々に生動する「国民全体の盛り上がるその気持ち」とうまく符合しないのではないでしょうか。

 

オ 日本社会党華山衆議院議員による吉田茂国葬儀違法論及び国会によるその不採択

 同じ196859日,吉田茂の国葬儀の費用を含む昭和42年度一般会計予備費使用総調書(その1)の承諾に係る衆議院決算委員会における採決がありました。その際それまで「吉田茂氏の国葬について,別にそのこと自体について,政府はおやりになるならやっても別に何とも言わないような態度をとってきた」日本社会党は反対に転じています。

日本社会党を代表して華山委員は,その討論においていわく,「ただいま討論に付せられました予備費使用等の承諾を求むる件に関して,日本社会党を代表し,次の諸事項については承諾し得ないことを申し述べます。〔中略〕第3に,吉田茂元総理の国葬儀の経費の支出についてであります。新憲法制定とともに多くの法令がそのまま継続された中において,旧憲法下の国葬に関する勅令は廃止されたのであります。そして皇室典範第25条に「天皇が崩じたときは,大喪の礼を行う。」とあって,これが国葬に関する唯一の規定であります。これを総合するに,新憲法下においては,天皇崩御の場合以外は国葬は行なわれないものと解すべきであって,吉田元総理が皇太后のなくなられたときに際し,国葬を行なわなかったのは,この理由に基づくものと私は承っております。吉田元総理の功績の評価は別個の問題として,法のたてまえとして,本件の支出には反対せざるを得ません。〔後略〕」と(第58回国会衆議院決算委員会議録第157頁)。

しかしこれは,皇室典範25条からする強引な反対解釈論なのですが,貞明皇后の大喪儀経費に係る国庫負担を当該大喪儀は国葬ではないからということで是認するのであれば,吉田茂の喪儀に係る国庫負担もこれは国葬であって国葬ではないからという理由で是認しなければならなくなります。弱い。華山委員独自の当該法律論は,国会の採用するところとはなりませんでした。

衆議院決算委員会は賛成多数で昭和42年度一般会計予備費使用総調書(その1)に承諾を与えるべきものとしています(第58回国会衆議院決算委員会議録第159頁)。510日の衆議院本会議においても賛成多数で承諾が与えられました(第58回国会衆議院会議録第321050頁)。

 参議院では,決算委員会で1968515日,本会議では同月17日,過半数の賛成を得て昭和42年度一般会計予備費使用総調書(その1)に承諾が与えられています。決算委員会では,討論も行われていません(第58回国会参議院決算委員会会議録第1816頁)。

 以上吉田茂の国葬儀の前例は,予備費支出の事後承諾という形で,国権の最高機関たる国会によって是認されたということになります。(なお,「吉田の国葬の際に,これを先例としないという社会党の申し入れ」があったそうですが(前田67-68頁),厳密にいえば,一政党の一方的申入れにすぎないものでしょう。)

 

4 まとめ:国葬と国葬儀との異同

 話は国葬ないしは国葬たる喪儀と国葬儀との異同に戻ります(ただし,身分上の国葬対象者に係るものはここでの議論から除きます。)。

 

(1)共通点:国庫による経費負担及び対象者の属性

両者の共通点は,いずれも国庫が経費を負担する国費葬であること及び対象者が「国家ニ偉勲アル者」(国葬たる喪儀)ないしはそのような者として評価されている者(国葬儀)であることです。

なお,「そのような者として評価されている者」と曖昧な表現になっているのは,2022714日の岸田文雄内閣総理大臣の記者会見における次の言明をどう解釈してよいのか悩ましいからです。

 

〔略〕元総理におかれては,憲政史上最長の88か月にわたり,卓越したリーダーシップと実行力をもって,厳しい内外情勢に直面する我が国のために内閣総理大臣の重責を担ったこと,②東日本大震災からの復興,③日本経済の再生,日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を様々な分野で残されたことなど,その御功績は誠にすばらしいものであります。
 外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けており,また,⑥民主主義の根幹たる選挙が行われている中,突然の蛮行により逝去されたものであり,⑦国の内外から幅広い哀悼,追悼の意が寄せられています。
 こうした点を勘案し,この秋に国葬儀の形式で〔略〕元総理の葬儀を行うことといたします。国葬儀を執り行うことで,〔略〕元総理を追悼するとともに,我が国は,暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示してまいります。あわせて,活力にあふれた日本を受け継ぎ,未来を切り拓いていくという気持ちを世界に示していきたいと考えています。

  (丸数字は筆者が加えたもの

 

 「国家ニ偉勲」があった,との端的な総括はされていません。

 しかし,①については,在職期間の長さそれ自体は偉勲とはならないでしょう。単に長く地位にしがみついてさえいれば偉いということになるのか,ということにもなりかねません。偉勲があったからこそ,その結果として長期在職になったのだということかもしれませんが,そうであればそのような偉勲の数々を個々具体的に挙示すべきでしょう。地位を長く保持する手段は――どこの組織でもあることですが――正攻法以外にもいろいろあるのです。また,「卓越したリーダーシップと実行力」は個人の資質の話で,その資質をもって国家のために何をしたのかが問題です。

 次に②及び③ですが,東日本大震災のショックを承けて止められた原子力発電所が動かぬまま盛夏・厳冬期等の大規模停電が懸念され,また,日本は今や衰退途下国(衰退は,上るのではなく下るのでしょう。)になってしまったとの認識が広まっている現在の状況下にあっては,違和感のある認識です。それとも偉勲あるリーダーの下で衰退途下国になってしまったのは,専ら愚昧なる人民の咎なのでしょうか。

外交関係に関する④及び⑤です。まず,④の「日米関係を基軸とした外交の展開」は,米国のリードにうまく乗ることができたということでしょうか。しかし,米国とうまくやりさえすれば日本国に対する偉勲になるというのも余り気宇壮大ではありませんし,むしろ専ら米国についてその偉大さ真面目さ寛大さが改めて認識されることとなるところです。⑤は,外国本位の評価であって,外国人が喜ぶことと日本国の利益となることとは必ずしも一致しません。しかしながら,「活力にあふれた」先進大国として「極めて高い評価」をもって世界から遇される花やかな日々は,衰廃老人国にはもう数えられてしまっているのでしょうから,去り行くよき時代に係る国際的な醍醐の花見――当該花見は豊臣秀吉の生前葬だったのでしょうか――的行事としてはあるいは適当かもしれません。

実は⑥及び⑦が重かったのかもしれません。しかし,⑥にいう人に殺害されることは,お気の毒ではありますが,国家に対するあるいは損失であるとはしても,偉勲にはならないでしょう。⑦についても,死後の他者からの哀悼・追悼が,遡って生前の本人の偉勲を創出するものではないでしょう。とはいえ,戦死した山本五十六国葬の前例があるところです。なお,選挙応援活動中に殺害されたことは,政治家としての殉職なのでしょうが,当該被応援候補者のための活動中の死であって,これを直接国家のために活動していて命を落としたものと同視することはできないでしょう。また,そもそも選挙というものは,必ずしもお行儀のよいものではなく,そこでは人がまま死ぬるものであったようです。南鼎三衆議院議員が山縣有朋批判に当たって言及していた1892年の第2回総選挙では,政府の選挙干渉下,各地で騒擾が起り,全国で25名の死者が出たそうです(無論,現在の新型コロナウイルス感染症に由来する被害に比べれば,大したことはないのでしょうが。)。

以上,「のような」という表現が採られたゆえんです。

 

(2)相違点:天皇の役割

国葬と国葬儀との相違点は,前者は天皇が賜うものであるのに対して,後者は内閣が決定し挙行するものであって,かつ,天皇が主体的な役割を果たす形のものではないことです。ただし,国葬儀と称することによって,後者は前者たる喪儀と同一・同格ではないか,という誤った印象が与えられ得るところです。(むしろそのような印象こそが国葬儀の重み有り難みを構成するものとして,意図的に「国葬儀」という名称が採用されたのではないか,と考えるのはうがち過ぎでしょう。いずれにせよ,天皇の栄典授与大権の干犯であるとか,不敬である云々の話にはならないのでしょう。なお,昭和以前の元号と平成以後の元号との性質の相違(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073399256.html),あるいは内閣の助言と承認に基づく天皇による叙勲と内閣総理大臣による国民栄誉賞授与との違いが,不図想起されるところです。)

 

(3)「国民喪ヲ服ス」:法的位置付けの相違及び結果の(恐らく)実質的類似

「国民喪ヲ服ス」ることについては,法的位置付けは国葬たる喪儀の場合と国葬儀の場合とで異なるのですが,自粛好きな我が国民性に鑑みるに,実質的な違いは余りなさそうです。むしろ積極的に,国葬儀なのになぜ休日にしてくれないんだとか,喪を服して休業するから国は補償金を出してくれ,あるいは喪服・喪章を購入するから国は補助金を出してくれと不平を鳴らす向きが多々あるかもしれません。Kishidanocrapeの配付は間に合うのでしょうか。

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(9)国葬令の効力の有無再考:昭和22年法律第721条との関係

 

ア 失効したとの取扱い

昭和22年法律第721条(「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で,法律を以て規定すべき事項を規定するものは,昭和221231日まで,法律と同一の効力を有するものとする。」)によって19471231日限り国葬令の法律事項規定は失効したとされています(廃止の手続は採られていません。なお,昭和22年政令第141項は「日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定は,昭和22年法律第72号第1条に規定するものを除くの外,政令と同一の効力を有するものとする。」と規定しています。)。しかし,細かく見てみるとどうでしょうか。

 

イ 逐条検討

 

(ア)第1条及び第2条:皇室典範25条との関係

身分上の国葬対象者に係る国葬令1条及び2条はそれらの喪儀が国葬であること(国庫による経費負担)を義務付けるものですが,これは昭和22年法律第3号たる皇室典範(194753日施行)の第25条(「天皇が崩じたときは,大喪の礼を行う。」)の反対解釈として,大行天皇の大喪儀以外の喪儀に係る国庫負担を国に対して法的に義務付ける効力を早くも194752日限り失ったということになるのでしょう。

しかし,大行天皇の大喪儀以外の喪儀をあえて国の儀式として行うことまでが禁止されているわけではなく,1951517日午後410分崩御の節子皇太后の喪儀の場合,同日「午後654分,宮内庁より皇太后崩御が発表される。それに引き続き内閣官房長官岡崎勝男・法務総裁大橋武夫・田島〔道治宮内庁〕長官が皇太后の大喪儀の挙行につき協議する。その後,天皇は侍従長三谷隆信を介し,故皇太后の御葬儀に関する政府の意向をお聞きになる。翌18日未明からは,大橋法務総裁・法務府法制意見長官佐藤達夫・田島長官等により大喪儀に関する法制問題が協議され,その結果,皇太后の大喪儀を国葬に準じて国の儀式として行うこととなる。」ということになりました(実録十一219頁)。ただし,理由付けは,国葬令31項的に,貞明皇后は国家に偉勲があったから経費を国庫負担にするのだ,という不敬なものではなかったでしょう。

 

(イ)第3条:「内閣の助言と承認により」の読み込みの可否

国葬令3条は,194753日からは「内閣の助言と承認により」(日本国憲法7条)が当然の前提として読み込まれているものとすれば,あるいは天皇の国事行為として国葬を賜うということで生き残ることができないものかどうか(同条7号参照。臣下の国葬には勅使差遣のみであって天皇のお出ましはないので,同条10号の「儀式を行ふこと」に当たるとするのは難しいようです。なお,後出の位階令(大正15年勅令第325号)3条・4条参照)。

 

(ウ)第4条:天皇の不自由と国民の自由な自粛と

4条中天皇の廃朝部分は,内閣の助言と承認ならぬ内閣制定の政令の効力として(昭和22年政令第141項参照),天皇の政務を拘束することは可能なのでしょう。

同条中国民が喪を服する部分は,義務を課し権利を制限する法律事項(内閣法(昭和22年法律第5号)11条参照)としては失効しているのでしょう(大日本帝国憲法下では法律によらずに義務を課し権利を制限できたことについては,同憲法9条参照。ただし,当時もそのように強い効力が国葬令4条後段にあったものと解されていたかははっきりしないところで,前記昭和9年内閣告示第3号発出に到るまでの事務当局内の議論においては,結局採用されなかったものの,喪を服することについては「国民ノ常識ニ委シテ全然之ヲ放任」すべしという意見もあったところです。)。しかし,思いやりの国における一種の自粛要請規定――三密回避ならぬ遏密をして,マスクならぬ喪章を付けましょうとの呼びかけ――としては,存在を否定し去ることはできないでしょう。

 

(エ)第5条:天皇の国政不関与

国葬令5条中「勅裁ヲ経テ」の部分は,内閣総理大臣を天皇が指導監督することになりますから,法律事項云々以前に現行憲法違反ということになりましょう(日本国憲法3条・41項後段参照)。

 

(オ)小括

このように破れ穴だらけのぼろぼろの姿では法令全体がもう立つことができないのだとして,国葬令は失効したものと判断されたのでしょう。

 

ウ 侵害留保の原則との関係

なお,国の事務として国庫の負担で喪儀を行うこと自体については,私人の自由・財産を侵害する行為ではありませんから,行政活動に対する法律の留保に係る侵害留保の原則に鑑みれば,そもそも法律をもってする根拠付けは不要であり,法律事項を規定する命令の規定の効力の失効に係る昭和22年法律第721条の触れるところではないはずです。予算の裏付けが得られれば――喪儀ですので,いわゆる政教分離に係る日本国憲法20条に抵触しない範囲内でという別の制約がありますが――行うことは可能である,ということになります。

 

エ 国会による財政統制との関係