Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

カテゴリ: 行政法

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我,日本の柱とならん(東京都大田区池上本門寺)

1 電波的無

 筆者はかつて電波法(昭和25年法律第131号)関係の仕事をしていたのですが,電波を利用した通信は無線通信ということで,「無」の付く略号をよく見たものです。

 

   無,というのはニヒルだなぁ。

   色即是空。煩悩を去った涅槃の境地に近い業界なのかしらね,これは。

 

 と思ったものですが,実は電波法の規定自体が,深い煩悩を蔵するものとなっています。冒頭部総則の第2条等から若干御紹介しましょう。

 電波法22号は「「無線電信」とは,電波を利用して,符号を送り,又は受けるための通信設備をいう。」と,同条3号は「「無線電話」とは,電波を利用して,音声その他の音響を送り,又は受けるための通信設備をいう。」と定義しています。したがって,同条4号の「無線設備」も通信設備かといえば,実は案に相違してそうではないのです。同号は,「「無線設備」とは,無線電信,無線電話その他電波を送り,又は受けるための電気的設備をいう。」と定義していて,無線設備は通信設備に限定されてはいません。電波法2条に関して,「ここに通信設備という語を使用しているがこの通信とは意思,観念,感情等の人の精神活動を伝達することをいう」とされていますから(荘宏=松田英一=村井修一『電波法放送法電波監理委員会設置法詳解』(日信出版・1950年)(以下,かつての業界での言い方に倣って「三法詳解」といいます。)81-82頁),「人の精神活動を伝達」するものではない「ラジオゾンデ,レーダー,方向探知機等は無線設備」ではあっても(三法詳解82頁),確かに通信設備ではないのでしょう。なかなか面倒臭い。「放送は音響送受のみを行う限りその設備は無線電話であるが,テレビジョンは放送の形式により行われてもそれは無線電話ではない無線設備でありトーキーを伴うときは無線電話との混合設備となる」ということですから(三法詳解82頁),指先をシャカシャカ仏の名のように動かしてはいるもののいかにも煩悩まみれに背中を丸めて皆さんのぞき込んでいるスマート・フォンの類は,専ら無線電話である,ということではなくて,無線電話との混合設備たる無線設備なのでしょう。

 更にまた電波法が面倒なのは,同法41項の無線局の免許又は同法27条の181項の無線局の登録の対象は無線設備ではないことです。すなわち,無線局と無線設備とは別のものなのです。電波法25号は,「「無線局」とは,無線設備及び無線設備の操作を行う者の総体をいう。但し,受信のみを目的とするものを含まない。」と規定しています。例えていえば,電波によって鉄人28号を操縦する正太郎君と当該電波を発射するリモコンとの総体が無線局であって,リモコンそれのみではいかに大事であっても無線設備にすぎないということになります(電波法25号本文)。鉄人28号は,電波を受けて操縦されていることは確かですが,自らは電波を発射しないのであれば無線設備(電波を受けるための電気的設備)ではあっても無線局ではないということになります(電波法25号ただし書)。この無線局の概念については,「無線設備とその操作を行う者とを包含する一つの運行体を無線局といい,免許その他の点で単なる無線設備とは異る法の規律の下に置かれている。」と説明されています(三法詳解83頁)。当該「運行体」について,塩野宏教授の論文には,「法は端的に,人的物的総合体と定義しているのであって,伝統的な行政法学上の用語をもってすれば,組織法的な意味での営造物が無線局ではないであろうか」と述べられています(塩野宏「放送事業と行政介入―放送局免許法制を中心として―」同『放送法制の課題』(有斐閣・1989年)81頁注(44))。

「営造物」については,「国又は公共団体により特定の公の目的に供される人的物的施設の統一体をいうのが通常の用法である。地方財政法23条〔略〕等において使用されているが,個々の設備を指すのでなく,一定の目的の下に統一して考えられる施設の全体を指す。学問上は,「公企業」という場合が多い。」と説明されています(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)33頁)。地方財政法(昭和23年法律第109号)231項は「地方公共団体が管理する国の営造物で当該地方公共団体がその管理に要する経費を負担するものについては,当該地方公共団体は,条例の定めるところにより,当該営造物の使用について使用料を徴収することができる。」と規定しています。1936年段階の行政法学においては,営造物の例として官立の大学,郵便,鉄道及び簡易生命保険が挙げられつつ(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)482頁),法人格までを有する営造物法人の「実例は唯我が歴史的な固有の制度としての神宮及び神社に於いてのみ,これを見ることが出来る。」とされていました(同661頁)。より最近の説明では,「法人格を有する独立営造物を営造物法人ということがある。三公社とか地方住宅供給公社・地方道路公社・土地開発公社・港務局等は独立営造物の例とされ,国公立学校・図書館・病院等は非独立営造物の例としてあげられる。」とされています(田中二郎『新版行政法中巻全訂第2版』(弘文堂・1976年)327頁)。「三公社」とは,かつての日本国有鉄道,日本電信電話公社及び日本専売公社のことです。なお,国家賠償法(昭和22年法律第125号)21項の「営造物」は「組織法的な意味での営造物」ではありません。同項の営造物は「行政主体により特定の公の目的に供用される建設物又は物的設備」を指すものであって「大体,公物の概念に相当」し,「特に営造物の概念を構成する必要はない」ものです(田中325頁)。

 「組織法的な意味での営造物」たる無線局には人の要素が入って来ます。我々法律家も,時に人でなし呼ばわりされますが,やはり人です。しかし,困ったことに,無線通信を愛好する法律家協会は「無法協」であるということです(山内貴博「無線通信と法の支配~「無法協」へのお誘い~」自由と正義6611号(201511月号)8頁)。何と,法律家であっても,無線通信絡みでは,電波法もものかは「無法」状態となるのです。仏「法」僧の三宝への帰依を通じた涅槃の境地どころか,由々しい事態です。

 「無」の語は軽々に用いるべきではないのでしょう。

 しかしながら,我々の貴重する諸権利も,所詮形無きものなのです。

 

  或ハ之〔工業所有権〕ヲ無形財産権〔略〕ト称スル者アリト雖モ,総テノ権利ハ皆無形ニシテ有形ノ財産権アルニ非ズ,唯権利ノ目的物ガ或ハ有体物タリ或ハ無体物タルノミ,故ニ無形財産権ノ名称ハ取ラズ(美濃部達吉『行政法撮要下巻〔第3版〕』(有斐閣・1938年)522頁)

 

「総テノ権利ハ皆無形ニシテ」と言われれば,確かにごもっとも,と答えざるを得ません。

 

2 無から知へ

しかし,「無体物権」という名称(美濃部・撮要下522頁)もやはり何やら物哀しいのか,日本人は「知的」なるものが好きなのか,最近は知的財産権という言葉が用いられます。「知的財産権」とは,「特許権,実用新案権,育成者権,意匠権,著作権,商標権その他の知的財産に関して法令により定められた権利又は法律上保護される利益に係る権利」をいいます(知的財産基本法(平成14年法律第122号)22項)。21世紀においては「内外の社会経済情勢の変化に伴い,我が国産業の国際競争力の強化を図ることの必要性が増大している状況」であるので,「新たな知的財産の創造及びその効果的な活用による付加価値の創出を基軸とする活力ある経済社会を実現する」のだ,「知的財産の創造,保護及び活用」が重要なのだということです(知的財産基本法1条参照)。

しかして我々人民は,知的財産との関係でお国からどのように教育されてしまうのかといえば,「国は,国民が広く知的財産に対する理解と関心を深めることにより,知的財産権が尊重される社会が実現できるよう,知的財産に関する教育及び学習の振興並びに広報活動等を通じた知的財産に関する知識の普及のために必要な施策を講ずるものとする。」ということです(知的財産基本法21条)。当該国民の「理解と関心」は,まず,「知的財産権」って何だかすごいのだぞ,そのすごい「知的財産権」を自分も持っているのかなと見回せばここにあったぞ,だからそのすごいこの「知的財産権」を皆は尊重しなければいけないのだぞ,というようなところから始まるのでしょうか。お互い気遣いが必要です。

 

3 「物に関するパブリシティ権」と所有権

 知的財産権の尊重が進んだ昨今は,「物に関するパブリシティ権」までが主張されているそうです。「パブリシティ権は,著名人などの氏名・肖像に伴う経済的価値を保護するものであるが,物や動物にもパブリシティ権があるとする捉え方もある。ある物や動物の形態等が経済的価値を有する場合に,その利用をコントロールする権利として捉える考え方である。」とのことです(作花文雄『詳解 著作権法(第5版)』(ぎょうせい・2018年)161頁)。

 「物に関するパブリシティ権」に関しては,「物や動物等の所有権の使用・収益権の権利内容として,どの範囲にまで及ぶかという観点から,いくつかの判決が出されている」そうです(作花161頁)。「有体物に対する排他的支配権である所有権の射程を無体財産権的に構成しているとも考えられる。」とのことです(作花161頁)。

所有権の効力の問題ということですが,我が民法206条は,所有権の内容を「所有者は,法令の制限内において,自由にその所有物の使用,収益及び処分をする権利を有する。」と規定しています。旧民法財産編(明治23年法律第28号)30条では「所有権トハ自由ニ物ノ使用,収益及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ謂フ/此権利ハ法律又ハ合意又ハ遺言ヲ以テスルニ非サレハ之ヲ制限スルコトヲ得ス」と規定されていたところです。フランス民法544条には 

“La propriété est le droit de jouir et disposer des choses de la manière la plus absolue, pourvu qu’on n’en fasse pas un usage prohibé par les lois ou par les règlements.”(所有権は,法令によって禁じられた用法ではない限りにおいて,最も絶対的な方法によって物を使用収益し,及び処分する権利である。)と規定されています。ローマ法学の後期注釈学派(13世紀半ばから16世紀初頭まで)の定義では,“Dominium est ius utendi e abutendi re sua, quatenus iuris ratio patitur.”(所有権(dominium)とは,自己の物(res sua)を法理(juris ratio)が許容する(pati)範囲内で(quatenus)使用し(uti),及び消費する(abuti)権利(jus)である。)ということであったそうです(O.ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法―ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)166頁参照)。Dominiumとは,厳めしい。

 

   東京地裁昭和52317日判決「広告宣伝用ガス気球」事件(判例時報86864頁)では,「所有者は,その所有権の範囲を逸脱しもしくは他人の権利・利益を侵奪する等の場合を除いて,その所有物を,如何なる手段・方法によっても,使用収益することができる(従って,所有物を撮影してその影像を利用して使用収益することもできる。),と解すべきである。さらに,第三者は・・・他人の所有物を如何なる手段・方法であっても使用収益することが許されない(従って,他人の所有物を撮影してその影像を利用して使用収益することも許されない。),と解すべきである。」とされている(ただし,本件事案では,原告の権利を侵害することについての予見可能性がなかったとして請求は棄却)

   高知地裁昭和591029日判決「長尾鶏」事件(判例タイムズ559290頁)は,本件被告が長年の品種改良の末に育成した長尾鶏を本件原告が写真撮影し観光写真として販売したことに対して,本件被告が著作権侵害等を理由として本件原告を被告として提訴し,後日請求放棄したが,この本件被告の提訴により本件原告が精神的苦痛等を被ったとして損害賠償請求した事件である。

   本判決では,長尾鶏の著作物性を否定した上で,「本件長尾鶏には・・・独特な美しさがあり,その管理,飼育にもそれなりの工夫と人知れぬ苦労があり,永年の努力のつみ重ねの結果,ようやくにしてこれが育て上げられたものであることを考えると,本件長尾鶏を写真にとったうえ絵葉書等に複製し,他に販売することは,右長尾鶏所有者の権利の範囲内に属するものというべく,その所有者の承諾を得ることなくして右写真を複製して絵葉書にして他に販売する所為は,右所有権者の権利を侵害するものとして不法行為の要件を備えるものとみられ,右権利を侵害した者はその損害を賠償する義務がある。」(したがって以前した本件被告の提訴は「主張する権利が立証不能な違法不当なものであるとまではいえない」「被告が提起した訴が原告主張の如き不法行為に当たるとは認めがたい」)と判示されている。

   神戸地裁平成31128日判決「サロンクルーザー」事件(判例時報1412136頁)では,「原告は,本件クルーザーの所有者として,同艇の写真等が第三者によって無断でその宣伝広告等に使用されることがない権利を有していることが明らかである。」と判示されている(ただし,被告は本件クルーザーの写真を雑誌に掲載されたことにより「原告が蒙った損害を賠償すべき責任があるといわざるを得ない」と判示されているものの,実際に認定された損害の内容としては本件クルーザーのパブリシティ的価値というよりも,本件クルーザーが売りに出されているとの誤解,原告経営のホテルの経営悪化などに係る「信用,名誉の侵害による原告の損害は,弁護士費用分も含めて100万円が相当」とされている)

  (作花161-162頁)

 

 私の所有物を無断で写真撮影してその影像を勝手に使用収益するのはひどいじゃないですか!との所有者の怒りは正当なものであって,当該怒れる所有権者から不法行為に基づく損害賠償請求の訴えを起こされても,(実際に損害の賠償までせねばならなくなるかどうかはともかくも)横着に写真撮影等をしてしまった者は訴訟対応の苦労を甘受しなければならない,ということでしょうか。なかなか剣呑です。銅像等を自分で撮影した写真を当ブログに掲載することの多い筆者としてはドキドキしてしまいます。「このような一連の判決には,所有権と知的財産権との法制的な関係が整理されて判示されておらず,判然としない面が残る。」とは(作花162頁),もっともな批判です。

 さすがに最高裁判所第二小法廷昭和59120日判決(民集3811頁)は,「所有権は有体物をその客体とする権利であるから,美術の著作物の原作品に対する所有権は,その有体物の面に対する排他的支配権能であるにとどまり,無体物である美術の著作物自体を直接排他的に支配する権能ではない」,著作権法(昭和45年法律第48号)451項及び47条の定めも「所有権が無体物の面に対する排他的支配権能までも含むものであることを認める趣旨のものではない」と判示しています(「顔真卿自書建中告身帖」事件)。

ただし,上記最高裁判所判決の次の判示部分は少し考えさせられるところです。いわく,「博物館や美術館において,著作権が現存しない著作物の原作品の観覧や写真撮影について料金を徴収し,あるいは写真撮影をするのに許可を要するとしているのは,原作品の有体物の面に対する所有権に縁由するものと解すべきであるから,右の料金の徴収等の事実は,一見所有権者が無体物である著作物の複製等を許諾する権利を専有することを示しているかのようにみえるとしても,それは,所有権者が無体物である著作物を体現している有体物としての原作品を所有していることから生じる反射的効果にすぎないのである。」と。すなわち,物の写真撮影に許可を要することは,たとえ「反射的効果」にすぎないとしても,当該物自体の所有権に基づいて求め得るものなのであると解し得るような判示であるとも思われます。しかし,やはり「反射的効果」なのですから,当該物の所有権に直接根拠を有するものではないのでしょう。筆者としては,「美術館所蔵(著作権を有していない場合)の絵画について,観覧者が写真撮影することを美術館の管理権により規制することは可能」(作花162頁)というような表現の方が落ち着くのですが,どうでしょうか。「対象物が著作権の原作品や複製物である場合などは別として,通常の有体物である場合,その写真撮影などは,それ自体としては一般的には当該所有者の権利侵害とはならないものと考えられる。」(作花164頁)というのが,常識的な見解というものでしょう。

東京地方裁判所平成1473日判決(判時1793128頁・判タ1102175頁)は,長野県北安曇郡池田町の(かえで)(acer)の大木(「大峰高原の大かえで」)及び当該楓の生育している土地の所有者による当該楓の所有権に基づく当該楓の写真を掲載した写真集書籍の出版差止めの請求について「所有権は有体物をその客体とする権利であるから,本件かえでに対する所有権の内容は,有体物としての本件かえでを排他的に支配する権能にとどまるのであって,本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版したりする排他的権能を包含するものではない。そして,第三者が本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版,販売したとしても,有体物としての本件かえでを排他的に支配する権能を侵害したということはできない。したがって,本件書籍を出版,販売等したことにより,原告の本件かえでに対する所有権が侵害されたということはできない。/したがって,原告の上記主張〔「本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版等する権利は,本件かえでの所有者たる原告のみが排他的に有する」〕は,主張自体失当である。」と一刀両断にしています。原告による前記「広告宣伝用ガス気球」事件,「長尾鶏」事件及び「サロンクルーザー」事件各判決の援用も空しかったところです。当該楓に係る所有権の侵害が認められなかった以上,当該楓の所有権侵害の不法行為に基づく原告の損害賠償請求も棄却されています。ただし,裁判所は,木を見てその所在する土地を見なかったもののようである原告に対して,土地の所有権の効能に注意を向けるべく付言しています。いわく,「しかし,原告が,本件土地上に所在する本件かえでの生育環境の悪化を憂慮して,本件かえでの生育等に悪影響を及ぼすような第三者の行為を阻止するためであれば,本件土地の所有権の作用により,本件かえでを保全する目的を達成することができる。既に述べたとおり,現に,原告は,本件土地への立ち入りに際しては,本件かえでの生育等に悪影響を及ぼす可能性のある行為をしてはならないこと,許可なく本件かえでを営利目的で撮影してはならないことを公示しているのであるから,第三者が上記の趣旨に反して本件土地に立ち入る場合には,原告は当該立入り行為を排除することもできるし,上記第三者には不法行為も成立する。」と。


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こちらは,みずなら(quercus crispula)の木(札幌市南区真駒内泉町)

 

4 公開の美術の著作物等と著作権法46

 ところで,屋外で撮る銅像等の美術の著作物及び建物の写真については,著作権法46条に救済規定があります。

 

   (公開の美術の著作物等の利用)                          

46 美術の著作物でその原作品が前条第2項に規定する屋外の場所〔街路,公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所又は建造物の外壁その他一般公衆の見やすい屋外の場所〕に恒常的に設置されているもの又は建築の著作物は,次に掲げる場合を除き,いずれの方法によるかを問わず,利用することができる。

   一 彫刻を増製し,又はその増製物の譲渡により公衆に提供する場合

   二 建築の著作物を建築により複製し,又はその複製物の譲渡により公衆に提供する場合 

   三 前条第2項に規定する屋外の場所に恒常的に設置するために複製する場合

   四 専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し,又はその複製物を販売する場合

 

 「街路,公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所」については,「仮に私有地であっても一般公衆に開放されていれば該当する」とされ(作花372頁),かつ,「入場に際して料金が必要とされていても,すべからく「一般公衆に開放されている屋外の場所」でないということにはならない。当該場所と美術作品の位置づけとの相関関係により捉えるべきである。例えば,入場料を徴収する公園の中に彫像を設置する場合,公園の入場料は徴収されるとしても,当該公園に入場した者は,自由にその中にある彫像を観覧することができ,また,その入場料は当該観覧の対価としての趣旨はないと通常では考えられ,その意味では「一般公衆に開放されている屋外の場所」に設置されていると考えられる」とされる一方(同373頁),「美術館内や美術館の中庭などは屋外ではないと解される。美術館の前庭で外部から観覧できる位置に設置されている美術作品の場合,入場者に対して観覧させる目的で設置されていると考えられ,美術館のこのような設置態様は「一般公衆に開放されている屋外の場所」への設置とは言えない」とされています(同372頁)。

 著作権法461号の場合は,「彫刻(この彫刻には彫塑を含む)を彫刻としてそのレプリカを作成する場合」です(作花374頁)。

 なお,著作権法4813号によって,同法46条の規定により著作物を利用する場合において「その出所を明示する慣行があるとき」は当該著作物の出所を明示しなければならないものとされていますので(違反者には同法122条により50万円以下の罰金),当該慣行が存在しているかどうかが問題となります。この点,文化庁ウェブ・サイトの「著作権なるほど質問箱」の「著作権QA」における著作権法46条に係る質問(「公園に設置されている彫刻は,屋外の場所に恒常的に置いてある美術の著作物として,大幅な自由利用が認められていると考えていいのですか。」)に対する回答は,出所の明示義務に触れていません(「販売を目的として複製すること,屋外の場所に恒常的に設置するために複製することなど著作権法で定める限られた場合を除き,複製,公衆送信などの利用方法を問わず,著作権者の了解なしに,彫刻を利用することができます(第46条)。例えば,当該彫刻を写真に撮って無料頒布のカレンダーに入れることや,ドラマの撮影の背景にすることなども自由に行うことができます。」)。すなわち当局としては,出所明示の慣行の存在を認識してはいないということなのでしょうか。なお,この「出所の明示」を行うことになったときには,「当該著作物につき表示されている著作者名」を示さなければならないほか(著作権法482項),著作物の題号の表示は基本的な事柄であり,美術作品の場合であれば作品の所有者や設置場所などの表示が望まれるそうですから(作花393-394頁),なかなか大変です。

 著作権法46条の趣旨については,「横浜市営バス車体絵画掲載」事件に係る東京地方裁判所平成13725日判決(判時1758137頁・判タ1067297頁)において「美術の著作物の原作品が,不特定多数の者が自由に見ることができるような屋外の場所に恒常的に設置された場合,仮に,当該著作物の利用に対して著作権に基づく権利主張を何らの制限なく認めることになると,一般人の行動の自由を過度に抑制することになって好ましくないこと,このような場合には,一般人による自由利用を許すのが社会的慣行に合致していること,さらに,多くは著作者の意思にも沿うと解して差し支えないこと等の点を総合考慮して,屋外の場所に恒常的に設置された美術の著作物については,一般人による利用を原則的に自由にした」ものと判示されています。

 ところで,市営バスは移動し,また夜間は車庫内に駐車されるので,市営バスの車体に描かれた美術の著作物は「恒常的に設置されているもの」ではないのではないかが問題になり得ます。しかしながら,上記東京地方裁判所判決は,「広く,美術の著作物一般について,保安上等の理由から,夜間,一般人の入場や観覧を禁止することは通常あり得るのであって,このような観覧に対する制限を設けたからといって,恒常性の要請に反するとして同規定〔著作権法46条柱書き〕の適用を排斥する合理性はない。」,「確かに,同規定が適用されるものとしては,公園や公道に置かれた銅像等が典型的な例といえる。しかし,不特定多数の者が自由に見ることができる屋外に置かれた美術の著作物については,広く公衆が自由に利用できるとするのが,一般人の行動の自由の観点から好ましいなどの同規定の前記趣旨に照らすならば,「設置」の意義について,不動産に固着されたもの,あるいは一定の場所に固定されたもののような典型的な例に限定して解する合理性はないというべきである。」と判示して,継続的に運行される市営バスの車体に描かれた美術の著作物について著作権法46条柱書きの適用を認めました。

 

5 著作権法46条から民法861項へ

 前記「横浜市営バス車体絵画掲載」事件判決によれば,著作権法46条の「恒常的に設置」は,民法861項の「定着物」の「定着」とは異なる概念であるということになります。民法861項は「土地及びその定着物は,不動産とする。」と規定し,同条2項は「不動産以外の物は,すべて動産とする。」と規定しているところ,動き回るバスは不動産ではなく,動産であることは明らかです(旧民法財産編11条本文は「自力又ハ他力ニ因リテ遷移スルコトヲ得ル物ハ性質ニ因ル動産タリ」と規定していました。)。

なお,「不動産に固着されたもの,あるいは一定の場所に固定されたもののような典型的な例」としての「公園や公道に置かれた銅像等」は,民法861項の土地の定着物ということになるのでしょう。「土地の定着物」とは,「(a)土地に附着する物であって,(b)継続的に一定の土地に附着させて使用されることが,その物の取引上の性質と認められるものである。」とされています(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)212頁)。「「定着物」とは,土地に固定されており,取引観念上継続的に固定されて使用されるものをいう。例えば,建物,銅像,線路,植物の苗などである。」と説明されており(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)300頁),すなわち銅像は不動産の一典型ということになります。フランス民法には,“Quant aux statues, elles sont immeubles lorsqu’elles sont placées dans une niche pratiquée exprès pour les recevoir, encore qu’elles puissent être enlevées sans fracture ou détérioration.” (彫像については,その設置のために殊更に使用される壁龕に据え付けられた場合には,破壊又は破損なしに除去し得るときであっても不動産である。)という規定があります(同法5254項)。旧民法財産編9条は「動産ノ所有者カ其土地又ハ建物ノ利用,便益若クハ粧飾ノ為メニ永遠又ハ不定ノ時間其土地又ハ建物ニ備附ケタル動産ハ性質ノ何タルヲ問ハス用方ニ因ル不動産タリ」とし,当該用方ニ因ル不動産の例として同条の第9は,「建物ニ備ヘ」られ「毀損スルニ非サレハ取離スコトヲ得サル〔略〕彫刻物其他各種ノ粧飾物」を挙げています。

 

6 銅像等とその定着する土地との関係

 ところで銅像等は,その定着する土地とは別個の独自の不動産たり得るのでしょうか。

「定着物は,すべて不動産であるが,その不動産としてのとり扱いには,差異がある。(a)一は,土地と離れて独立の不動産とみられるものであって,建物はその典型的なものであり,(b)二は,その定着する土地の一部分とされ,土地に関する権利の変動に随伴するものであって,石垣・溝渠・沓脱石などがこれに属する。前者は,独立して物権の客体となるが,後者は,原則として,土地に定着したままでは独立の物権の客体となることができず,ただ債権関係が成立しうるだけである。そして,(c)樹木は,あたかもこの中間に位するものである〔略〕。結局,土地から離れて独立の不動産となりうる定着物は,建物,立木法による立木,立木法の適用を受けない樹木の集団,個々の樹木である。」(我妻213頁)とだけいわれると,そこにおいて「土地から離れて独立の不動産となりうる定着物」として挙示されていない銅像は,「石垣・溝渠・沓脱石など」と同様に,「その定着する土地の一部分とされ,土地に関する権利の変動に随伴するもの」ということになりそうです。

しかし,銅像は,線路・鉄管・庭石(場合による)などと同様に,「一般には土地の構成部分だが,それだけの取引も不可能ではなく,それだけの所有権を取得したときは,明認方法を対抗要件とする(庭石につき大判昭9725判決全集1-8-6)」と説かれています(四宮和夫『民法総則(第四版)』(弘文堂・1986年)127頁)。その背景として,銅像等については,一般の立木(りゅうぼく)と同様に,原則としては「不動産の所有者は,その不動産に従として付合した物の所有権を取得する。」として,それが付合する土地所有者の所有物となるものの(民法242条本文),権原によって付属させられたときには例外として「権原によってその物を附属させた他人の権利を妨げない。」との規定(同条ただし書)が適用されるものと解されているところです(四宮129頁補注)。民法242条ただし書の「「権利を妨げない」というのは,その者が所有権を留保する,という意味であって,単に除去または復旧の権利を有するという意味ではない」とされています(我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義Ⅱ)』(岩波書店・1984年)309頁)。

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弘法大師像(千葉県成田市成田山新勝寺)


 これに対して「石垣(大判大7413民録24-669)・敷石・くつぬぎ石・トンネル・井戸・舗装・庭石(場合による)などは,独立の所有権の客体となることはない」ものとされ(四宮126頁),民法に規定のない「土地の構成部分」という特殊な類型であるものとされています(同129頁補注。民法242条ただし書の適用はないものとされます。)。「土地の構成部分」概念については,最高裁判所昭和37329日判決(民集163643頁)において「民法861項にいう土地の定着物とは,土地の構成部分ではないが土地に附着せしめられ且つその土地に永続的に附着せしめられた状態において使用されることがその物の取引上の性質であるものをいう」と傍論ながら触れられています(下線は筆者によるもの)。「民法861項にいう土地の定着物」とは土地以外の不動産のことですから,結局「土地の構成部分」は,正に土地の構成部分として,土地の定着物としての不動産とはならないということなのでしょう。

 

7 一物一権

 ここで「一物一権主義」に触れておきましょう。当該主義について標準的に説かれているところは,「1個の物権の目的物は1個の物であることを必要とする。1個の物の上に1個の所有権が,1個の所有権は1個の物の上に成立するのが原則である(一物一権主義)。共有は1個の所有権の分属である。数個の物の上に1個の物権を成立させることはできない。目的物の特定性・独立性を確実にし,公示に便ならしめるためである。」ということでしょう(我妻=有泉15-16頁。また,内田305頁)。更に,「1個の物の一部分には独立の物権は存在しえず」ともいわれているとされています(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)162頁,同『民法概論Ⅱ(物権・担保物件)』(良書普及会・1980年)16頁)。

 それでは「1個の物」とは何だ,ということが次に問題になりますが,銅像等に係る本件絡みでは,「経済的に一応1個の物としてその価値を認められるが,構成物のそれぞれが,なお独立の価値を認められる場合(例えば地上の樹木・家屋の造作・果樹の果実)においては,法律上も,一応1個の物とする。しかし,(a)これを結合させた者が,これを結合させる正当な権(ママ)を有した場合には,この者の権利を否定すべきではないから,その者のために,独立の物としての存在を是認すべきである(242条但書参照)。また,(b)とくに独立の物として取引をなし,相当の公示方法を備えるときは,独立の物としての存在を是認すべきである」と説かれています(我妻205頁)。原則として,土地及びその上の樹木(銅像)は併せて1個の土地となるということでしょう。しかしこれに対しては,「民法242条も,起草者によれば,土地とは別個の物だが土地所有権者の所有に帰するとする趣旨だった」し,植物は土地とは別個の物と立法者も考えていたとの指摘があります(星野Ⅰ・161-162頁)。確かに,梅謙次郎は民法242条について「不動産ニ附着シタル物ハ慣習上之ヲ別物トシテ観察スルモノ多キカ故ニ本条〔242条〕ニ於テハ概シテ之ヲ2物トシテ観察セリ例ヘハ土地ニ建築シタル家屋之ニ栽植シタル草木ノ如シ然リト雖モ場合ニ因リテハ到底2物トシテ之ヲ観ルコト能ハサルコトアリ例ヘハ木材ヲ以テ家屋ノ一部ニ使用シタルカ如キ又ハ壁土若クハ漆喰ヲ以テ建物,塗池其他ノ工作物ニ使用シタルカ如キ此類ナリ」と述べています(梅謙次郎『民法要義巻之二物権篇』(和仏法律学校=明法堂・1896年)152頁)。(なお,ここで付合の例として「土地ニ建築シタル家屋」が梅謙次郎によって挙げられていることは興味深いところです。「土地に建物を建てたときは,建物は土地とは別個の物であり,本条〔民法242条〕の適用がない」(星野Ⅱ・124頁)とは当初直ちにはいえず,「請負人が全ての材料を提供して建築した場合について,かつては,建物の土地への付合が問題になった。しかし,判例(大判明37622民録10861,大判大31226民録201208)と学説(鳩山秀夫・日本債権法各論(下)〔大9578,末弘厳太郎・債権各論〔大8695等)によって請負建築の建物は土地に付合しないとされた。」という経緯があったようです(五十嵐清=瀬川信久『新版注釈民法(7)物権(2)』(有斐閣・2007年)403-404頁)。)

 何だかますます分かりにくいですね。これは,一物一権「主義」が悪いのでしょうか。当該主義については,「この考え方は,ドイツ法に強いが,必ずしもすべての立法に存在するものではなく,我が学説はドイツの影響によって」言っているとのことです(星野Ⅱ・16頁)。ドイツ式です。ドイツ民法93条には,“Bestandteile einer Sache, die voneinander nicht getrennt werden können, ohne dass der eine oder der andere zerstört oder in seinem Wesen verändert wird (wesentliche Brstandteile), können nicht Gegenstand besonderer Rechte sein.”(物の構成要素であって,一方又は他方が,毀損され,又はその本質が変ぜられなければ相互に分離することができないもの(本質的構成要素)は,個別の権利の目的となることができない。)と規定されています。

土地及びその定着物に関しては,「ドイツ民法では,土地のみが不動産であり,建物や土地と結合した土地の産物は,土地の本質的構成部分となる(ド民9411文)。種は蒔くことによって,樹木は植えることによって土地の本質的構成部分となる(同項2文)。」とされています(小野秀誠『新注釈民法(1)総則(1)』(有斐閣・2018年)799頁)。「ドイツ民法は,動産と土地(Grundstück)とを対立させ」るということです(我妻211頁)。問題のドイツ民法941項は,“Zu den wesentlichen Bestandteilen eines Grundstück gehören die mit dem Grund und Boden fest verbundenen Sachen, insbesondere Gebäude, sowie die Erzeugnisse des Grundstücks, so lange sie mit dem Boden zusammenhängen. Samen wird mit dem Aussäen, eine Pflanze wird mit dem Einpflanzen wesntlicher Bestandteil des Gründstücks.”(当該地所に固着させられた物,特に建物及び地面に結合している限りにおいて当該土地の産物は,土地の本質的構成要素である。種子は播種によって,植物は植栽によって当該土地の本質的構成要素となる。)と規定しています。(ただし,同法951項本文には“Zu den Bestandteilen eines Grundstücks gehören solche Sachen nicht, die nur zu einem vorübergehenden Zweck mit dem Grund und Boden verbunden sind.”(一時的な目的のみのために当該地所に付合させられた物は,土地の本質的構成要素ではない。)とあります。)更にドイツ民法は周到に所有権の面に係る規定をも有していて,同法946条は“Wird eine brwegliche Sache mit einem Grundstück dergestalt verbunden, dass sie wesentlicher Bestandteil des Grundstücks wird, so erstreckt sich das Eigentum an dem Grundstück auf diese Sache.” (動産が土地に当該土地の本質的構成要素となるように付合させられたときは,当該土地に係る所有権が当該動産に及ぶ。)と規定しています。単に土地の所有者が当該動産の所有権を取得するのではなく,土地所有権が当該動産をも呑み込んでしまうわけです。

フランス民法については,「フランス民法は,土地と一体をなす建物などは,性質による不動産immeuble par naturnature,土地に従属する物(民法の従物に近いもの)は,用途による不動産(immeuble par destination)と称する(フ民517条以下)。いずれにおいても,建物を独立の不動産としない点でわが民法と異なる。」ということですから(我妻211頁),「ドイツ・フランスなどでは,地上物は土地所有権に吸収され」て「建物は土地所有権に吸収される」(四宮和夫=能見善久『民法総則(第九版)』(弘文堂・2018年)191頁)ということでよいのでしょうか。しかし,これに対しては,「フランス民法は,土地および建物は「性質による不動産」immeuble par naturnatureとされる(518条)ので,建物は土地の所有権と別個の不動産所有権の目的となるが,建物は反証のない限り土地所有者に属するものと推定される(553条〔略〕)」という非一物説的見解もあります(水本浩「借地の法政策上いま最も重要な課題」日本不動産学会誌1012号(19957月)99頁)。フランス民法518条は “Les fonds de terre et les bâtiments sont immeubles par leur nature.”(土地及び建物は,性質による不動産である。)と,同法553条は“Toutes constructions, plantations et ouvrages sur un terrain ou dans l’intérieur, sont présumés faits par le propriétaire à ses frais et lui appartenir, si le contraire n’est prouvé; sans préjudice de la propriété qu’un tier pourrait avoir acquise ou pourrait acquérir par prescription, soit d’un souterrain sous le bâtiment d’autrui, soit de toute autre partie du bâtiment.”(土地の上又は内部の全ての建造物,植栽物及び工作物は,反証のない限り,所有者がその費用によってなしたものであり,かつ,彼に帰属するものと推定される。ただし,第三者が時効により取得した,又は取得することのある,あるいは他者所有建物の下の地窖,あるいは当該建物の全ての他の部分の所有権を妨げない。)と規定しています。我が旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)81項及び2項は「建築其他ノ工作及ヒ植物ハ総テ其附著セル土地又ハ建物ノ所有者カ自費ニテ之ヲ築造シ又ハ栽植シタリトノ推定ヲ受ク但反対ノ証拠アルトキハ此限ニ在ラス/右建築其他ノ工作物ノ所有権ハ土地又ハ建物ノ所有者ニ属ス但権原又ハ時効ニ因リテ第三者ノ得タル権利ヲ妨ケス」と規定していました。なお,フランス民法5521項は “La propriété du sol emporte la propriété du dessus et du dessous. ”(土地の所有権は,上方及び下方の所有権を伴う。)と規定していますが,これは,「不動産に関する添付の権利について」(Du droit d’accession relativement aux choses immobilières)の款の冒頭規定です。

この辺に関しては “Superficies solo cedit.”との法諺がよく引用されます。しかしてその実体はいかにというと,古代ローマのガイウスの『法学提要』2.73には,“Praeterea id, quod in solo nostro ab aliquo aedificatum est, quamvis ille suo nomine aedificaverit, jure naturali nostrum fit, quia superficies solo cedit.”(さらには(praeterea),何者かによって(ab aliquo)我々の土地に(in solo nostro)建築された物は(id, quod…aedificatum est),彼が(ille)自分の名前で(suo nomine)建築した(aedificaverit)としても(quamvis),自然法により(jure naturali)我々のもの(nostrum)になる(fit)。これすなわち(quia),地上物は(superficies)土地(solum)に従う(cedere)のである。)とあったところです。ユスティニアヌスの『学説彙纂』41.1.7.10(ガイウス)の第1文にも“Cum in suo loco aliquis aliena materia aedificaverit, ipse dominus intellegitur aedificii, quia omne quod inaedificatur solo cedit.”(自分の地所に(in suo loco)他の者が(aliquis)他の材料をもって(aliena materia)建築を行った(aedificaverit)ときは(cum),〔当該地所の所有者〕自身が(ipse)建築物の所有者(dominus…aedificii)と認められる(intellegitur)。これすなわち,全て建築された物は(omne quod inaedificatur)土地に従うのである。)とあります。Cedere(フランス語のcéder)の意味が問題です。

 

8 銅像等のみの取引

いろいろ脱線してきましたが,土地とは別に銅像等のみについて取引をするときはどうしたらよいのかという点が筆者には気になりますので,庭石の取引に係る大審院昭和9725日判決(大審院判決全集1-8-6)を見てみましょう。

これはどうも立山を仰ぐ富山市界隈での事件だったようで,宅地上にある庭石の所有権者がだれかが争われたものです。当該宅地上に庭石(約40個)を設置した元地主がその後当該宅地及びその上の建物に抵当権を設定し(抵当権者は(株)岩瀬銀行),当該抵当権が結局実行されてXが競落により193059日に当該抵当不動産の所有権を取得したところ,問題の庭石は当該競落前の1929830日に元地主から第三者に売却されてその際公証人から証書に確定日付(民法施行法(明治31年法律第11号)4条「証書ハ確定日附アルニ非サレハ第三者ニ対シ其作成ノ日ニ付キ完全ナル証拠力ヲ有セス」)を得,かつ,簡易の引渡し(民法1822項。当該第三者は既に当該宅地上の建物に住んでいたのでしょう。)がされており,更に競落後の1931912日に当該第三者からYに売却されていたという事案です。当該庭石は動産にあらざる土地の定着物(したがって不動産)であるとの原審の認定が前提となっています。元地主による抵当権の設定がYの前主に対する1929830日の庭石の売却前なのか後なのかが判決文からははっきりしないのですが(一応,抵当権の設定は庭石のYの前主への売却の後だったものと解します。),大審院は「土地ノ定着物ノミ他人ニ譲渡シタルトキハ買受人ニ於テ其所有権取得ヲ第三者カ明認シ得ヘキ方法ヲ採ルニアラサレハ其取得ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス而シテ原審ハ上告人〔YYの前主も含むのでしょう。〕ニ於テ本件定着物ノ所有権取得ヲ明認シ得ヘキ方法ハ毫モ講セラレサリシ事実ヲ確定シ上告人〔Y〕ハ本件物件ノ所有権取得ヲ第三者タル被上告人〔X〕ニ対抗スルコトヲ得サルモノト判定シタルコト判文上明白ニシテ毫モ違法ノ点アルコトナシ」と判示して,Xを勝たせました。

民法施行法4条の規定は,平成29年法律第45号によって202041日から(平成29年政令第309号)削除されます。ナポレオンの民法典の第1328条も既に改正されてしまっています。

元地主の設定に係る岩瀬銀行を抵当権者とする本件宅地建物を目的とした抵当権の効力が本件庭石に及んでいたとして,その説明はどうなるのでしょうか。当該宅地の定着物たる本件庭石は本来当該宅地の一部であるから,明認方法を施して土地から分離の上更に所有権を移転してその明認方法をも施しておかなければ,抵当権の目的たる土地そのものとして抵当権の効力が及び(そもそも明認方法が施されていない場合),又はなお抵当権設定者の所有に係る従物(民法871項)として抵当権の効力が及ぶ(同法370条)のだ(土地からの分離に係る明認方法はあるが,次段階の所有権移転に係る第三者対抗要件たる明認方法まではない場合),ということになるでしょうか。「この場合の庭石は,未分離果実と異なり,明認方法をほどこさないと土地所有権に吸収され,独立の取引対象とならない。したがって,明認方法は,それによって庭石を土地から分離し,土地から独立して処分できる対象であることを示す,分離公示機能の意味もあるのではないか。その上で,対抗要件としての意味も有する。」との能見善久教授の見解(四宮=能見193頁)に従った上で,煩瑣に考えると上記のような細かい説明もできそうであるところです。なお,土地の所有権者がその土地上の自己所有の定着物について分離公示のための明認方法をあらかじめわざわざ施すというのも変な話のようですが,前主から取得した土地上に当該土地取得に係る移転登記がされない間に立木を植栽していたところ前主が当該土地を第三者に売って移転登記を経たために当該立木の所有権の所在が争われることとなった事案に係る最高裁判所昭和3531日判決(民集143307頁)は,「〔民法242条ただし書の類推により本件立木の地盤への付合が遡って否定されることに係る〕立木所有権の地盤所有権からの分離は,立木が地盤に附合したまま移転する本来の物権変動の効果を立木について制限することになるのであるから,その物権的効果を第三者に対抗するためには,少なくとも立木所有権を公示する対抗要件を必要とすると解せられるところ,原審確定の事実によれば,被上告人ら〔当該地盤の二重売買における移転登記を経た第2買主の後主(登記済み)〕の本件山林所有権の取得は地盤の上の立木をその売買の目的から除外してなされたものとは認められず,かつ,被上告人らの山林取得当時には上告人〔登記を経なかった第1買主〕の施した立木の明認方法は既に消滅してしまつていたというのであるから,上告人の本件立木所有権は結局被上告人らに対抗しえないものと言わなければならない。」と判示しています。

これについては,前記梅謙次郎の考え方に従い,宅地と庭石と,又は地盤と立木とを最初から「2物トシテ観察」すれば,土地からの分離の公示のための明認方法は不要ということになるのでしょう。しかしながら,梅説の復活というのも今更遅すぎるでしょう。前記最高裁判所昭和3531日判決に関して中尾英俊西南学院大学教授による,そもそも「立木が土地の一部であると解するべきではない」との主張がありますが(同『民法判例百選Ⅰ総則・物権(第三版)』(有斐閣・1989年)135頁(第63事件)),「植物は植栽によって当該土地の本質的構成要素となる」とするドイツ民法941項的解釈の力の方が強そうです。前記楓事件に係る東京地方裁判所平成1473日判決では,楓の所有権のほかに「念のために」当該楓の生育している土地の所有権について,立入りによる不法行為の成否を「進んで検討」していますが(結果は否定),楓と土地とが分離していない一物を構成するものであれば「楓の所有権」は土地の所有権をも意味し得るので,確かに必要な検討であったということになるのでしょう。

なお,従物は動産に限られるか,不動産も含まれるか,という問題もあります。庭石と宅地とが一つの物ではなく2物であって,かつ,庭石が不動産であっても,宅地に係る売却等の処分の際には民法872項により庭石はその従物として主物たる宅地の処分に従うのか,という問題です。ドイツ民法971項第1文では,従物は動産に限定されています。いわく,“Zubehör sind bewegliche Sachen, die, ohne Bestandteile der Hauptsache zu sein, dem wirtschaftlichen Zwecke der Hauptsache zu dienen bestimmt sind und zu ihr in einem dieser Bestimmung entsprechenden räumlichen Verhältnis stehen.”(従物は,動産であって,主物の構成要素たることなく,主物の経済的目的に役立つべく定められ,かつ,当該用途に対応するそれ〔主物〕との空間的関係にあるものである。)

しかしながら,我が民法では「主物・従物ともに動産たると不動産たるとを問わない。2個の不動産の間にも,この関係は成立しうる。例えば納屋・茶の間等も従物となりうる(大判大正77101441頁(納屋,便所,湯殿の例),大決大正10781313頁(判民112事件我妻評釈,増築された茶の間と抵当権の効力に関する)参照)。農場の小屋などもそうである。」ということになります(我妻224頁。また,四宮135頁,小野秀誠『新注釈民法(1)』809-810頁)。梅謙次郎も不動産に付合した従たる物について「附合物カ独立ノ存在ヲ有スル場合ト雖モ多クハ従ハ主ニ従フ(Accessorium sequitur principale)ノ原則ニ拠リ主タル不動産ヲ処分スルトキハ従タル物モ亦共ニ処分セラレタルモノト看做スヘキヲ以テ其従物カ独立ノ一物ヲ成スヤ否ヤヲ論スル必要ナキコト多カルヘシ(872項〔略〕)但家屋ハ土地ノ従物ト看做サス」と述べていました(梅152頁)。

 

9 「五重塔」

ところで,従物の例として「五重塔」が挙げられています(四宮129頁)。五重塔といえば不動産たる堂々とした建物が想起されます。無論,前記のとおり,不動産たる従物というものもあり得ます。

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五重塔(池上本門寺)


 しかしながら,判例(大判昭和15416日評論29巻民370頁)に出て来る「五重塔」は,料理店の庭ないしは庭園に配置されたもののようです(四宮135頁注(1),我妻223頁,小野『新注釈民法(1)』810頁)。五重塔までをもそこに建立する随分大きくかつ豪勢な庭を有する料理店があったものです。一体そんな料理屋はどこにあったのかいなと気になって,原典の掲載誌に当たってみると,当該「五重塔」は,「本訴物件タル石灯籠8個花崗岩七福神一揃花崗岩五重塔1基石ノ唐獅子1個ハ訴外〔略〕カ其所在土地ヲ営業(料理店)家屋ノ用地トシテ堀池,庭園ヲ築造シ之ニ風致ヲ添フル為其ノ地上ニ接触シテ配置シタルモノニシテ何レモ〔訴外者〕ノ営業ノ目的ニ資スルカ為主物タル其ノ所在土地ノ常用ニ供シタル従物」のうちの一つでした。花崗岩製の「五重塔」であれば,むしろ五輪塔・五層塔の類だったのではないでしょうか。また,「地上ニ接触シテ配置」したものにすぎず,更に石灯籠は動産とされていますから(四宮126頁及び小野『新注釈民法(1)』801頁が引用する大判大10810民録271480頁),本件「五重塔」は建物たる不動産ではなく,動産だったのでしょう。

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五輪塔(池上本門寺)


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五層塔(ただし元は十一層塔)(池上本門寺)

10 民事執行法その他

民事執行法(昭和54年法律第4号)においては,「登記することができない土地の定着物」は動産として扱われます(同法1221項)。これについては,『民事弁護教材改訂民事執行(補正版)』(司法研修所・2005年)に,「登記することのできない土地の定着物には,土地上の庭石,石灯籠,建設中の建物,容易に土地から分離できるガソリンスタンドの給油設備がある。」とあります(63頁注(2))。当該例示のものは全て動産にあらず,ということになるのでしょうか。しかしながら,取り外しの困難でない(取り外しのできる)庭石は土地の構成部分ではない従物とされ(最高裁判所昭和44328日判決(民集233699頁)),石灯籠については前記のように動産とする裁判例がありましたし,工場内においてコンクリートの土台にボルトで固着された程度ではそもそも定着物ではないとする裁判例もあります(我妻213頁が引用する大判昭和41019新聞308115頁)。

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石灯籠=動産(東京都文京区六義園)

 くたびれました。空の鳥,地の獣等をかたどった銅像等にあるいは語りかけ(adorare),あるいは拝礼し(colere),心を安らげ,励ましたいとも思います。しかしながら,そういうことは絶対に許さない,四代祟るぞ,との強硬な要求をする律法もあります。

 

non facies tibi sculptile

neque omnem similitudinem quae est in caelo desuper et quae in terra deorsum

nec eorum quae sunt in aquis sub terra

non adorabis ea neque coles

ego sum Dominus Deus tuus fortis zelotes

visitans iniquitatem patrum in filiis

in tertiam et quartam generationem eorum qui oderunt me

(Ex 20, 4-5)


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Avis est in caelo desuper...(池上本門寺)

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Aper est in terra deorsum.(千葉県成田市)
 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

150-0002 東京都渋谷区渋谷三丁目516 渋谷三丁目スクエアビル2

電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp  

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Libera nos a malo!(函館ハリストス正教会)


 どうも筆者の悪癖で,毎年年内には年賀状がなかなか出せないところです。毎年正月少し遅れた年賀状を受け取らされることとなってしまっておられる関係の皆様には申し訳なく思っております。

 しかしながら,こうなると少々開き直りで,「そもそも年賀状ってどういう由来があるのだ。」ということがふと気になり,当該沿革を調べた上でその中で己れの所為(又は不所為)を位置付けようかと思った次第です。おいおいそんな好事家的なblog記事を書く暇があれば,とっとと年賀状を出せよ,というお叱りは,あえて甘受するところです。

 

1 年賀郵便特別取扱いの開始等

 さて,『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年)の「年賀状」,「年賀郵便特別扱」又は「年賀郵便用切手」関係の記載を拾うと,次のようになります。なお,郵便事業は,200710月1日からは民営化ということで現在は日本郵便株式会社によって行われていますが,2003年4月1日から2007年9月30日までは日本郵政公社によって行われ,2003年3月31日以前は政府(逓信省等,郵政省,郵政事業庁)直営でした。(なお,「郵便創業の日」とされている1871年4月20日はすなわち明治四年三月一日であって,同日に郵便物の第1便が発足したものです。東京・京都・大阪間における郵便開始が定められたのは1871年3月14日(明治四年一月二十四日)のことでした。)

 

 18991216日 逓信省,年賀郵便特別取扱制(元旦配達,指定局でのみ受付)実施を決定

 1927年1月1日 年賀状(東京都36局),282万通に激減(‘26年,3595万通)

 193512月1日 初の年賀郵便用切手発行

 194011月6日 逓信省,年賀郵便特別扱停止

 194812月1日 年賀郵便の特別取扱い復活

 

 1899年(明治32年)1216日には年賀郵便特別取扱制の「実施を決定」ということで,いつ実施されたのかがはっきりしないのですが,これは1900年(明治33年)1月の年賀状からということでしょう。「勾留とは,被疑者・被告人を拘束する裁判およびその執行をいう。」との勾留の定義(田宮裕『刑事訴訟法(新版)』(有斐閣・1996年)82頁)の話になぞらえると,勾留の裁判がされた日付は分かるけれども,勾留状を執行した年月日時(刑事訴訟規則75条1項)及び勾留した年月日時(同条3項)は分からぬぞ,という形の記載です。(なお,勾留に関しては,2015年1月22日付けの「勾留の裁判に対する準抗告をめぐって(認容決定にちなんで)」記事において,筆者の思い付きめいたことを書いたことがあります。http://donttreadonme.blog.jp/archives/1018177028.html

 郵政研究所附属資料館(逓信総合博物館)の『―人と人の心を結ぶ―年賀状の歴史と話題』(199611月。インターネットに掲載されています。)によれば,「明治32年〔1899年〕12月に,初めて一部の局で年賀郵便物の特別取扱を実施しました。1220日から30日までに,特に指定した郵便局へ出された年賀状は,翌年1月1日の日付印を押して配達局へ送っておき,元旦の最先便から配達する仕組みでした。これが現在も行われている特別取扱制度の起源です。」ということでした(11頁)。引き続き「翌明治33年〔1900年〕には年賀状郵便物特別取扱規程を定めて,特別取扱を全国の集配郵便局に拡げ,明治38年〔1905年〕12月からは全ての局で取扱うこととしました。/制度としての確立は明治39年〔1906年〕12月の年賀特別郵便規則の施行によります。この当時は,差出通数10通以上の制限があり,束ねて「年賀郵便」と記載した札を付け,窓口へ差出しました。」ということになります(郵政研究所附属資料館11頁)。年賀状郵便物特別取扱規程が定められたのは1900年(明治33年)も押し詰まった同年の12月で,「取扱い期間は12月中,把束して記票を付し,局に差出す」ということで,1905年(明治38年)12月の制度では「20通以上,種類(第何種)を問わず束ねて,年賀郵便と記載した札を付け,局窓口に差し出す」ということだったそうです(郵政研究所附属資料館10頁)。

 

2 年賀特別郵便規則

 

(1)条文

 1906年(明治39年)12月1日から施行された年賀特別郵便規則(明治39年逓信省令第51号)は,次のとおりのものでした。

 

 年賀特別郵便規則左ノ通相定ム

     明治39年11月29日       逓信大臣山縣伊三郎

    年賀特別郵便規則

第1条 10通以上ノ年賀郵便物ハ本規則ニ依リ予メ之ヲ郵便局ニ差出シ特別取扱ヲ請求スルコトヲ得

 第2条 特別取扱ヲ為ス年賀郵便物ハ料金完納ノ普通通常郵便物ニ限ル

 第3条 特別取扱ヲ為ス年賀郵便物ノ引受期間ハ毎年12月15日ヨリ29日マテトス

 第4条 特別取扱ニ依ル年賀郵便物ヲ差出ストキハ之ヲ1束トシ年賀郵便ト記載セル附札ヲ為スヘシ

 第5条 本規則ニ依リ差出タル年賀郵便物ハ翌年1月1日引受ノモノト看做シ当日最先便ヨリ配達ヲ開始ス

  前項ノ郵便物ハ到著日附印ヲ押捺セス

 第6条 本規則ニ定ムル事項ノ外一般ノ規定ニ依ル

    附 則

 第7条 本令ハ明治39年12月1日ヨリ之ヲ施行ス

 

山縣伊三郎は,長州出身の明治維新の元勲である山縣有朋の甥(有朋の姉の子)にして,かつ,養子です。

 

(2)省令の法形式

 「制度としての確立」(郵政研究所附属資料館11頁)ということの意味は,年賀特別郵便規則は,それまでの年賀状郵便物特別取扱規程等とは異なり,正式の法形式の一である省令であるということでしょう(公文式(明治19年勅令第1号)4条・5条・7条)。各省官制通則(明治26年勅令第122号)4条には「各省大臣ハ主任ノ事務ニ付其ノ職権若クハ特別ノ委任ニ依リ省令ヲ発スルコトヲ得」と規定しています。同条については,同条での「職権に依つて発する命令は,特定の事項に付き特別の委任あるを待たず,官制に依る一般的の委任に基づき,大臣の自ら必要と認むる所に依り発するもので,〔大日本帝国〕憲法第9条〔「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」〕に天皇は何々の命令を『発シ又ハ発セシム』とある規定に基づき,官制に依り一般的に委任せられて居るのであるから,其の委任の範囲は唯憲法第9条に依る命令にのみ止まるものと解すべきことは勿論である。憲法第9条に依る命令は,執行命令・警察命令・行政規則の3種に分ち得べきもので,随つて職権に依る省令を以つて定め得べき範囲も,此等の3種の命令に限るものである。」と説かれた上で,「即ち各省大臣は其の主任事務に付き法律勅令に抵触しない限度に於いて,或は法律又は勅令を執行するに必要な施行規則〔執行命令〕を,或は公共の安寧秩序を保持する為めに人民に或る事を禁止し又は命令する定め〔警察命令〕を,或は人民の福利を増進する為めにする公の施設に付き其の利用の条件に関する定め〔行政規則〕を,省令を以つて規定することが出来るのである。」と説明されています(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)408409頁)。

 

(3)営造物規則性

 省令ではなかった年賀状郵便物特別取扱規程等は,それでは正統性を欠く違法なものかといえばそういうことはなく,「営造物規則は性質上法規ではなく行政規則の一種に外ならぬのであるから,法規命令の形式を以つて正式に公布することを要するものではなく,適宜の形式を以つて定め,適当の方法に依り其の効力を受くべき者に周知せしむる為めに告示するを以つて足れりとする。〔中略〕或は一枚刷若くは小冊子に印刷して有料又は無料で利用者に配付し,或は利用者の周知し得べき適当の場所に掲示する等は,其の告示の通常の方法である。唯営造物の利用が広く一般人民に普及し,一般人民をして普くこれを周知せしむる必要ある場合には,性質上は営造物規則たるものでも,省令又は府県令等法規命令の形式を以つて定められて居るものが少くない。」ということになっていました(美濃部達吉『日本行政法 下巻』(有斐閣・1940年)636637頁)。営造物規則とは,「営造物の役務及びその利用の条件に関する規律は,法律命令に抵触せざる範囲に於いて,管理者の当然の権限としてこれを定むることが出来る。営造物管理者の定むる此等の規律を営造物規則(Anstaltsordnung)と称する」というものであって(美濃部・下635頁),その効力の根拠は,「利用者に対しては,利用関係の成立が自由契約に基づく場合には利用者は其の関係に立入ると共に当然管理者の定むる規則に服従すべきことを承諾したものと認めらるるものであり,利用強制の場合にも,利用を強制すること自身は法律の規定を要するが,法律が利用強制を規定すれば其の規定の中には当然利用者に対して其の利用に関し営造物管理者の定むる規則に従ふべき義務を命ずる趣旨をも含んで居るものと解すべきことに在る。それは営造物職員と利用者との間にのみ効力を有するものであるから,其の利用に関係なき第三者を拘束する力を有し得ないことは勿論,他の行政庁又は裁判所を拘束する力も無く,随つて規則違反に対する制裁としては,唯利用権の停止又は排除を定め得べきに止まり,刑罰又は過料の制裁を定め得べきものではない。」(美濃部・下636頁),ただし「法律又は法規命令の形式を以つて定められて居る場合には,其の規定の違反に対して罰則の制裁の定められて居るものが少くない。」(美濃部・下631頁)とされていました。郵便関係については「郵便に付いて言へば,郵便法〔明治33年法律第54号〕は郵便の独占・郵便負担・郵便特権等に付いての定めで,勿論単純な営造物規則ではないが,其の下に於いて定められて居る郵便規則・航空郵便規則・郵便物包装規則・速達郵便規則の類は,概ね性質上は営造物規則たるもので,而も形式上は何れも逓信省令として公布せられて居る。」と紹介されています(美濃部・下637頁)。

 

3 内国郵便約款における規定

 現在の日本郵便株式会社の内国郵便約款(平成2410月1日・最近改正平成2910月2日)の第146条,第148条及び第149条は,次のように規定しています。

 

  (年賀特別郵便の取扱い)

 第146条 当社は,郵便物を12月15日から12月28日までの間に引き受け(引受開始日については,1週間を限度として繰り下げることがあります。),料金別納又は料金後納とするものの場合を除きこれに翌年1月1日付けの通信日付印を押印し,翌年1月1日の最先便からこれを配達する年賀特別郵便の取扱いをします。ただし,通信日付印の押印は,その郵便物が料額印面の付いた郵便葉書であるときは,これを省略することがあります。

 2 年賀特別郵便の取扱いは,次に掲げる郵便物につき,これをします。

(1)第一種郵便物(郵便書簡及び料金表に規定する定形郵便物に限ります。)

(2)通常葉書

(3)点字郵便物(料金表に定める定形郵便物の大きさ,形状及び重量に準ずるものに限ります。)

3 年賀特別郵便とする郵便物(以下「年賀特別郵便物」といいます。)は,これを他の特殊取扱とすることができません。

 

 (年賀特別郵便物の表示)

第148条 年賀特別郵便物には,その旨を示す当社が別に定める表示をして差し出していただきます。ただし,通常葉書(配達地域指定年賀特別郵便とするものを除きます。)は,適当な通数ごとに1束とし,これに当社が別に定める記載をした付せんを添えて差し出すことができます。

 

(注1)当社が別に定める表示は,郵便物の表面の見やすい所に「年賀」の文字を明瞭に朱記するものとします。〔後略〕

(注2)当社が別に定める記載は,「年賀郵便」の文字を明瞭に記載するものとします。

 

  (年賀特別郵便の表示をして差し出された郵便物の取扱い)

 第149条 第146条(年賀特別郵便の取扱い)第1項の期間内に,その表面の見やすい所に年賀なる文字を朱記して差し出された同条第2項(1)から(3)までに掲げる郵便物又は通常葉書を適当な通数ごとに1束とし,これに年賀郵便なる文字を記載した付せんを添えて差し出されたものは,年賀特別郵便物(配達地域指定年賀特別郵便物を除きます。)として差し出されたものとみなします。

 

なお,年賀特別郵便等の通常葉書の郵便料金が62円ではなく52円であることについては,内国郵便約款41条に基づく料金表の「第2表 第二種郵便物の料金」の「第1 適用」の「2 特別料金」が次のように規定しており,「第2 料金額」の「2 特別料金」が「52円」と規定されていることによります。

 

 次のいずれかに該当する通常葉書については,第2の1(基本料金)の規定にかかわらず,第2の2(特別料金)に規定する料金を適用します。

(1)年賀特別郵便として差し出されたもの

(2)12月29日から翌年1月7日までの間にその表面の見やすい所に「年賀」の文字を明瞭に朱記して差し出されたものであって特殊取扱としないもの

 

4 郵便物の送達に関する利用関係の成立について

 内国郵便約款上は郵便物の差出し及び引受けの概念があるようです。「郵便物の送達に関する利用関係は,郵便官署と郵便物差出人との合意に依り成立」するものとされていたところ(美濃部・下619頁),年賀特別郵便規則1条によれば差出しに請求が伴うのですから,差出しが郵便利用契約の申込みであって引受けがその承諾ということになるのでしょうか。

しかし,そうではないようです。

広島逓信局に勤務していた後の革新官僚・奥村喜和男の1927年の著書においては,当時,「逓信部内に於ては一人の例外なく郵便物の送達義務は「引受ノ完了」を以つて発生すると解してゐる。」と報告されていました(奥村喜和男『郵便法論』(克明堂書店・1927年)14頁)。しかしながら,更に詳しく見ると実は逓信省の内部は分裂していて,「甲論者は送達義務の発生は郵便物を郵便凾に投入した時であるとなし,乙論者は郵便官署に取り集めて帰り引受検査をした時であるとなしその見解が一致してゐない。而もこの両説が部内に並び行はれてゐる。」という状態だったそうです(奥村14頁)。乙論者によれば,郵便物の差出しが郵便利用契約の申込みであって,郵便事業者側が引受検査を通じて承諾の意思表示をするものということとなるようです。甲論者によれば,郵便物の投函による差出しが承諾の意思表示ということになるようです。

学説上は,「郵便官署が広く郵便函を処々に設置して居るのは,これに投函せられた普通郵便物の配送を引受くべきことの一般的意思表示を為して居るもので,何人でもこれに郵便物を投函すれば,それに依つて直ちに合意が成立する」とされています(美濃部・下618619頁。また,同622623頁,奥村1518頁)。甲論者の採る結論が正しいということでしょう。ここでは,「引受け」概念は,申込みと承諾による契約の成立に関する精確な法律論を行うには無用であって,かつ,かえって議論を混乱させるものということになります。「何となれば「引受完了」を何時と見るべきかは何等法規の示すものなく,従つて各自の主観であつて郵便凾に投入の時とも亦引受検査の時とも解し得るから」です(奥村1415頁)。郵便ポストの存在が事業者からする郵便利用契約の申込みの意思表示であって,そこへの投函による郵便物の差出しが承諾の意思表示になるのですから,郵便利用契約の成立に当たっては当該差出しに対する改めての「引受け」の意思表示の出番はありません。
 日本郵便株式会社の内国郵便約款4条1項は,「郵便の利用の契約は,差出人が,この約款の定めるところにより郵便物を差し出した時に成立します。」と規定しています。

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 郵便利用契約の申込みの意思表示(やや右肩下がりに写っているのは御愛嬌です。)

 

5 年賀特別郵便の取扱いの特別性について

年賀特別郵便規則における特別性はどこにあったのでしょうか。同規則5条が特別取扱いの本体ということになります。

年賀特別郵便規則5条1項前段は「年賀郵便物ハ翌年1月1日引受ノモノト看做シ」と規定していますが,「翌年1月1日引受」まで郵便物の送達に関する利用関係が成立しないということではおかしいですから,ここでの「引受」は郵便物の送達に関する利用関係の成立の時期とは別の意味を有するものでしょう。昭和13年逓信省令第25号の郵便規則(同規則228条により年賀特別郵便規則は廃止されています。)213条の「年賀特別郵便物ニハ翌年1月1日附ノ通信日附印ヲ押捺シ翌年1月1日の最先便ヨリ之ヲ配達ス」との規定,内国郵便約款146条1項の「翌年1月1日付けの通信日付印を押印」との規定等からすると,消印の日付を翌年1月1日にするということのようです。明治33年逓信省令第42号の郵便規則11条は「郵便ニ関スル料金納付ノ為メニ用ヰタル郵便切手其ノ他郵便料金ヲ表彰スヘキ証票ハ郵便局所ニ於テ之ヲ消印ス」と規定していました。(なお,通信日付印については,昭和22年逓信省令第34号の郵便規則3条に「郵便局において郵便物の取扱に関し使用する日附印(通信日附印という。)の形式は,これを告示する。」との規定がありました。)ただし,郵便法(昭和22年法律第165号)30条には「汚染し,若しくはき損された郵便切手又は料額印面の汚染し,若しくはき損された郵便葉書若しくは郵便書簡は,これを無効とする。」とありますから(旧郵便法(明治33年法律第54号)31条も「郵便切手其ノ他郵便料金ヲ表彰スヘキ証票ノ汚斑毀損シタルモノハ其ノ効用ヲ失フ」と規定),郵便切手等に消印がされた以上はその日付がどうあれ直ちに無効となるものでしょう。

年賀特別郵便規則5条1項後段には翌年1月1日の「最先便ヨリ配達ヲ開始ス」とありますが,これは確かに,通常の郵便物が順次そのまま直ちに送達されて行く取扱いであるのとは異なる取扱いです。

年賀特別郵便規則5条2項には年賀郵便物について「到著日附印ヲ押捺セス」とありますが,これは現在では分かりにくいところです。明治の「当時の郵便物には引受局で行う消印の外,配達局でも到着日付印を押しましたが,明治31年〔1898年〕からは1月1日から5日まで葉書の到着日付印を省略し,更に明治34年〔1901年〕からは期間を7日間に延長しました。」(郵政研究所附属資料館11頁)という背景事情があったところです。

 

6 特別取扱いを開始せしめた事由

ここまで来て,いよいよ年賀郵便物の特別取扱を開始せしめた事由とは何かということになるのですが,これは全く「元旦に殺到する年賀状」(郵政研究所附属資料館11頁)の処理に音をあげた逓信省側の受動的対応の結果であって,積極的に年賀状の差出しを大衆に勧奨して増益を図るというものではなかったようです(そもそも通信事業特別会計法(昭和8年法律第41号)に基づき1934年度から通信事業特別会計が発足するまでは,郵便事業は一般会計に帰属していました。「益金は一般会計の財源として巻きあげられ」るだけだったようです(藤川靖「苛酷な国庫納付金」逓信外史刊行会編『逓信史話 中』(電気通信協会・1962年)163頁参照)。)。

 

 明治時代の一般家庭では,元旦に年始回りを済ませ,その後で年賀状を認めることが多かったようです。書初めと合わせて2日に書く人もありました。

 年賀状が増えるに従い,郵便局は一度に差出される郵便物処理のために多忙を極め,次第に対応が困難となってきました。(郵政研究所附属資料館11頁)

 

 明治時代も中頃になると年賀状が激増し,郵便局では押印係が元日から不眠不休で消印作業を行って,日付印軸を握る手の平はマメで腫れ上がるといった有様でした。(郵政研究所附属資料館9頁)

 

年始回りは本来元日に行われるものである以上,それを代替するためのものである年賀状の差出しも正しく元日にされるべきものであり,そのようにされたことの証として年賀状には同日付けの通信日付印が押印されてあるべきもの,という認識が,年賀状の交換を始めた我が人民の間には自然なものとしてあったということでしょう。年賀状の交換は郵便局側の官製キャンペーンに応ずる人工的なものとして始まったものではないようです。

年賀状の輻輳に対する郵便局側の対策は,1890年からの正月三が日間の集配度数の減便から始まり(郵政研究所附属資料館10頁・11頁),前記の1898年からの葉書の到着日付印の押印省略を経て,189912月の年賀郵便物特別取扱開始に至ったわけです。年賀状の差出しを元日から前月の後半に前倒し分散してもらい,それらの処理のための余裕を与えてもらおうということであったようです。すなわち年賀郵便物特別取扱いは,年賀状差出数拡大キャンペーンのためのものではなく,本来は郵便局の従業員の労苦の軽減のための工夫であったもののようです。

 

7 特別取扱いの意義に係る認識の変化及び先の大戦下の特別取扱停止

しかし,194011月6日の昭和15年逓信省令第64号(「年賀特別郵便ノ取扱ハ当分ノ内之ヲ停止ス」)による年賀郵便特別扱停止は,年賀郵便物特別取扱いの制度が当時既に国民に対する年賀状差出促進キャンペーンであるものとして認識されていたということによるもののように思われます。当該キャンペーンたる国の特別取扱いの停止に応じて,従順なる国民が素直に年賀状の差出しをやめるものと考えたということなのでしょう。しかし,人民が相互の私的交誼を飽くまでも変わらず尊重して年賀状を差し出し続けていたならば,年賀郵便特別取扱いなしには,郵便局は明治の中頃同様の労苦及び混乱に再び襲われることになってしまっていたのではないでしょうか。とはいえ,「昭和12年〔1937年〕に日華事変が起って時局が緊迫すると,あらゆる面で耐乏生活が求められ,その流れの中で紙の消費節約と国家資源確保という国策上の見地から,11月には年賀状停止の申合せが閣議決定され,差出しが抑制されます。年賀切手の発行は昭和13年〔1938年〕用を最後として中止され」ました(郵政研究所附属資料館13頁),という下ごしらえが第1次近衛内閣によってされていたので(同内閣は193712月の南京陥落の前から蒋介石相手にはなかなか勝てないと既に暗く考えていたものでしょうか,それとも単に当該事変を奇貨として革新官僚的統制経済体制下における正しいmottainai精神を国民に植え付けようとしたものでしょうか。いずれにせよ1939年には「時局緊迫のため年賀郵便減少」ということになっていたそうです(郵政研究所附属資料館12頁)。),第2次近衛内閣下194011月の年賀特別郵便取扱停止に対して大きな抵抗はもはやなかったものでしょう。(しかし,194011月は紀元二千六百年式典で盛り上がっていたはずなのに,年賀状は評判が悪かったのですね。ちなみに,193512月に最初に発行された年賀用切手の絵柄は渡辺崋山の「富嶽の図」でした(郵政研究所附属資料館12頁)。)

 

8 「ノルマ」に関する発言

ところで,年賀状の制度は現在また別の形で郵便局の従業員に犠牲を強いるものとなっているのだ,とおっしゃる国会議員がおられます。例えば,2015年6月8日の参議院行政監視委員会において,山本太郎委員から次のような発言がありました。

 

〔日本郵便株式会社の現場では〕大量の年賀はがきなどの販売に,5千枚から1万2千枚など,とにかくノルマを課せられると。売り切れなかったら自腹で買い取れと,自爆営業と呼ばれているものがあり,それを強要するパワハラも横行していたといいます。非正規が自爆営業を拒否すれば,減給や雇い止めもあり得るという。地獄ですよ,こんなの。地獄のシステム。
 〇〇参考人,もちろん,〇〇社長にも年賀はがきの自爆営業ノルマあるんですか,ないですよね。現場に押し付けて,上は関係ないと,ノルマもないと。

(第189回国会参議院行政監視委員会会議録第2号23頁)

 

 「ノルマ」は元はロシア語のнормаであって,ソヴィエト社会主義共和国連邦名物であったそうです。19221230日に成立した同連邦は69年もたずに19911226日に消滅宣言。とはいえ逆に,ノルマのシステムによって69年間ももたせたというべきでしょうか。ロシア革命百周年の年(2017年)が終るに当たって考えさせられるところです。

 

9 皇位継承と年賀郵便物数との関係等

 ところで,1927年1月1日に年賀状(東京都36局)が,282万通に激減したのは,その前月25日午前1時25分の大正天皇の崩御のゆえです。19261227日の昭和元年逓信省令第1号は「本日ヨリ年賀特別郵便規則及外国郵便規則ニ依ル年賀郵便物ノ引受ヲ為サス」と規定していましたが,当該省令が出たからであるというよりは,大多数の人は1225日までぐずぐず年賀状を出さずにいたところが(年賀郵便特別取扱いは12月15日からであったところ(年賀特別郵便規則3条),既に1926年12月14日には「〔同日〕午前11時30分,皇太子〔摂政宮裕仁親王〕・同妃はこの日東京への還啓をお取り止めになり,当分〔御不例の大正天皇が病床にある〕葉山に滞在される旨が発表される。還啓お取り止めが発表されるや,周囲に異常なる緊張が走り,御用邸前には新聞記者が蝟集し,物々しき有様となる。このため警衛も一層厳重となり,儀仗衛兵・憲兵・御警衛係等が増員される。」という情況になっていました(宮内庁『昭和天皇実録 第四』(東京書籍・2015年)588頁)。),大正天皇の崩御の報を聞いて結局年賀状を出さないことにした,ということなのでしょう。ところが,1927年1月2日には,昭和天皇に対し「新年につき,スウェーデン国皇帝グスタフ5世,英国皇帝ジョージ5世より祝電が寄せられる。いずれも答電を御発送になる。」と記録されています(宮内庁620頁)。必ずしも天皇の崩御があったからとて年賀状を自粛する必要は無いということでしょうか。なお,践祚直後の昭和天皇は,父帝崩御の日の1週間後の1927年1月1日夜から風邪気味になり,同月2日「午後1時40分,入沢〔達吉〕侍医頭・侍医八田善之進の拝診の際には,御体温37度8分,御脈拍102を数え,直ちに御仮床」になっていました(宮内庁620頁)。

 天皇の崩御が年末にあって日本郵便株式会社の年賀郵便物送達収入に大打撃が与えられるという事態を避けるという意味も,天皇崩御にあらざる皇位継承の発生原因に係る今年(2017年)6月の天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)は有しているということになるのでしょう。

 

10 結語

 さて,以上長々書いてきて,結論は何かといえば,年賀郵便特別取扱制度などがあるゆえに年賀状は12月中に出して翌年元旦に宛先に届くようにしなければならないもののように思うけれども,本来当該制度の発足当初は年賀状は元日に届くものではなくて元日に出すものだったのだ,だから12月中に年賀状が出せない人間は反社会的であるということにはならないのだ,新年になってから出せばよいのだ,ということになりましょうか。また,室町時代前期頃の『書礼作法抄』には「年始ノ状ニハ正月十五日マデ慶賀ヲバ書事(かくこと)ナリ。(これ)関東ノ旧規(なり)(ただし)(その)(とし)イマダ対面セヌ人ニハ廿(はつ)()(ころ)マデハ(かく)モクルシカラズ。」とあるそうです(郵政研究所附属資料館前掲)。結構余裕があるものです。残る問題は,1月7日を過ぎると52円の特別料金では差し出せなくなるということでしょう。

 

弁護士 齊藤雅俊

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16渋谷三丁目スクエアビル2階

大志わかば法律事務所

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 

よいお年を。

(前編からの続き)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1054087409.html

 

4 GHQ法務局とラジオ・コード的規定の採否

 

(1)第2回国会提出の放送法案とGHQのラジオ・コード

しかし,「日本側として何とかして復活実現させよう」と最終的には頑張ることになったにもかかわらず,第7回国会における内閣提出の放送法案においては現在の放送法4条1項(同法原始規定44条3項・53条)のような規定が当初は設けられていなかったのは,そもそもなぜだったのでしょうか。

実は,第2回国会に出した放送法案について194812月2日にGHQ法務局(LS)からされた罵倒が,逓信省(1949年6月1日から電気通信省電波庁)及びGHQ民間通信局のトラウマになっていたようです。

第2回国会に内閣が提出した放送法案には,次のような規定がありました(放送法制立法過程研究会164166頁,182183頁,189190頁参照)。

 

 (定義)

第2条 この法律においては,左の用語を各下記の意義に用いる。

  〔第1号から第8号まで略〕

 九 「一般放送局」とは,日本放送協会が施設した以外の放送局をいう。

  〔第10号及び第11号略〕

 十二 「放送番組」とは,公衆に直接提供する目的で行なわれる電気通信の内容をいう。

 

 (ニユース放送)

第4条 ニユース記事の放送については,左に掲げる原則に従わなければならない。

 一 厳格に真実を守ること。

 二 直接であると間接であるとにかかわらず,公安を害するものを含まないこと。

 三 事実に基き,且つ,完全に編集者の意見を含まないものであること。

 四 何等かの宣伝的意図に合うように着色されないこと。

 五 一部分を特に強調して何等かの宣伝的意図を強め,又は展開させないこと。

 六 一部の事実又は部分を省略することによつてゆがめられないこと。

 七 何等かの宣伝的意図を設け,又は展開するように,一の事項が不当に目立つような編集をしないこと。

2 時事評論,時事分析及び時事解説の放送についてもまた前項各号の原則に従わなければならない。〔参議院における修正案(194810月9日付け同議院通信委員会資料)では「時事分析及び時事解説の放送についても前号〔ママ〕の原則に従わなければならない。評論,演芸その他の放送であつて,その内容に明らかにニユース記事,時事分析及〔ママ〕時事解説を含むものも,また同様とする。」とされ(放送法制立法過程研究会200頁参照),全ての放送に適用があるものとされています。〕

3 〔放送法現行9条に相当する規定〕

 

 (放送番組の編集)

46条2項 〔日本放送〕協会は,放送番組の編集に当つては,左の各号の定めるところによらなければならない。

 一 公衆に対し,できるだけ完全に,世論の対象となつている事項を編集者の意見を加えないで放送すること。

 二 意見が対立している問題については,それぞれの意見を代表する者を通じて,あらゆる角度から論点を明らかにすること。

 三 成人教育及び学校教育の進展に寄与すること。

 四 音楽,文学及び娯楽等の分野において,常に最善の文化的な内容を保持すること。

 

 (政治的公平)

47条 協会の放送番組の編集は,政治的に公平でなければならない。

2 公選による公職の候補者に政見放送その他選挙運動に関する放送をさせたときは,その選挙における他の候補者に対しても申出により同一放送設備を使用し,同等な条件の時間において,同一時間数を与えなければならない。

 

 (免許の取消又は業務の停止)

68条1項 放送委員会は,免許人〔一般放送局(法案2条9号)の設置の免許を受けた者(法案58条1項)。なお,法案38条2項の規定では日本放送協会の設置する放送局に法案68条の準用はなし。〕が,左の各号の一に該当すると認めた場合には,当該免許を取り消し,又は1箇月以内の期間を定めて,業務の停止を命ずることができる。

 〔第1号略〕

 二 この法律又はこの法律に基く放送委員会規則に違反した場合

 〔第3号から第5号まで略〕

 

第2回国会の放送法案の第4条1項及び2項と同法案68条1項2号との関係は,現在の放送法4条1項と電波法76条1項との関係と極めてよく似ています。第2回国会の放送法案4条1項1号と放送法4条1項3号と, 及び第2回国会の放送法案4条1項2号と放送法4条1項1号とはいずれも対応関係がはっきりしています。放送法4条1項2号の「政治的に公平であること」が政治的「宣伝的意図」を排除すべきことを意味するのならば,同号は, 第2回国会の放送法案4条1項の4号,5号及び7号と対応することになります。

なお,1945年9月22日にGHQから我が国に下されたラジオ・コードと第2回国会の放送法案4条との承継関係は歴然としており,同法案4条1項各号及び第2項は,それぞれラジオ・コードの「一,報道番組」のAB及びFからJまでの各項並びにK項に対応し(なお,CからEまでの各項は聯合国批判及び進駐軍批判の禁止並びに聯合軍の動静の秘密保持に関するもの),参議院通信委員会の意図した第2回国会の放送法案4条2項の改正案も「劇,風刺物,脚色物,詩,寄席演劇,喜劇等ヲ含ム慰安番組ハ・・・報道放送ニ関スル第1項中ニ挙ゲラレタル諸要求ニ合致スベシ」とするラジオ・コードの「二,慰安番組」の規制に正に合致していました(放送法制立法過程研究会2324頁参照)。

 

(2)GHQ法務局の見解:ラジオ・コード的規定違憲論

このような第2回国会の放送法案に対するGHQ法務局の託宣(194812月2日)は,次のとおりでした(放送法制立法過程研究会207208頁,212213頁参照)。

 

・・・

二,第4条

 A この条文には,強く反対する。何故ならば,それは憲法第21条に規定せられている「表現の自由の保証〔ママ〕」と全く相容れないからである。現在書かれているまの第4条を適用するとすれば絶えずこの条文に違反しないで放送局を運用することは不可能であろう。反対の側から言えば,政府にその意志があれば,あらゆる種類の報道の真実〔realistic reporting〕あるいは,批評を抑えることに,この条文を利用することができるであろう。この条文は,戦前の警察国家〔former police state〕のもつていた思想統制機構〔thought control devices〕を再現し,放送を権力〔forces in power〕の宣伝機関〔propaganda vehicle〕としてしまう恐れがある。――これは,この立法の目的としているところは〔ママ〕,正反対である。放送が現在日本において,公の報道〔public information〕,教育機関として最も重要な手段〔most important means of communication〕であることを考えれば,上記の如き方向への発展(への可能性)の危険性は,如何に声を大にしても過ぎるということはない。

   例えば,第2項は,ニユース評論(News Comentary (sic))は,厳密に真実であり,編集者の意見を含まず,「着色」していないことを要求している。しかし「評論」とは,定義によれば「個人の意見」の発表であり,「報道上及び教育上の価値判断」の顕現である。条文にあるような制限の下に「評論」が不可能であること〔deprive … of their informative and educational values〕は,自明の理であろう。政治の面を離れても「制限」を実行することはむづかしい〔not workable〕。例えば,台風その他全国的天災等も第2項〔ママ〕第2号によつて報道するわけにはゆかなくなる。何故ならば,その報道は,公安を害する〔disturb public tranquility〕かもしれないからである。

 B この条文を,弁護するものは,それが1945年9月19SCAPIN33号〔ラジオ・コードの3日前に出されたプレス・コード「日本新聞規則ニ関スル覚書」〕に基いているというかもしれない。然し,SCAPINの内容と国内法とは,相違がなくてはならない。このSCAPIN33号は純然たる国内事件を規律しようとしたものではない。それは「占領に」関係あることのみを目的としている。このSCAPINは意見の制限や抑圧に用いられたことがないのみならず〔has this SCAPIN never been used for restriction or suppression of opinion〕,国内事件に関しては,それは1945年9月第660号及び1946年第99SCAPINによつて置きかえられている。

 C 言論の自由抑圧を一掃するため〔because of the sweeping prohibition of freedom of speechLSはこの第4条の全文削除を勧告する。何故なら放送の本来の目的は,「不偏不党」をも含めて第3章〔日本放送協会の章〕第46条,第47条で尽されているからである〔in as much as the reasonable objectives of broadcasting, including impartiality, are covered by the standards expressed in Chapter III, Articles 46 and 47〕。

  ・・・

 

 逓信省及びGHQ民間通信局の事務方としては,参りました,といったところだったのでしょう。「適切な意見と思はれるのでこれを取入れることとした」と伝えられています(荘=松田=村井37頁)。

  しかし,第2回国会の放送法案4条1項及び2項には, 「編集の詐術」等を防止するための真面目かつ立派でごもっともなことばかり書いてあるのですが,意外にもそれらを非難するGHQ法務局の前記意見をどう読むべきでしょうか。もしかしたら,「ごもっとも」なことばかり言う「真面目」かつ「立派」な人々こそが実は,言論の自由を扼殺して警察国家を招来する最も恐るべき危険な人々だということなのでしょうか。なかなか米国人の言うことは,我々善良かつ真面目な日本人にとっては難しいところです。

 また,LS意見のC項の意味するところは正確には何でしょうか。第2回国会の放送法案46条2項及び47条に書かれてある程度の番組準則であれば,日本放送協会のみならず一般的にも許されるということでしょうか。しかし,GHQ法務局は,番組準則については直接語らず,放送に係る妥当な目的(the reasonable objectives of broadcasting)が日本放送協会について定める上記法案の46条及び47条において準則(standards)の形で書かれてあるんだから,同法案4条までは不要であると言っているようです。日本における放送の目的が問題であり,それについては真面目な日本放送協会が果たすのであるから,他の「一般放送事業者」については気にしなくともよい,ということのように解釈され得ます。「一般放送事業者」の放送番組の編集に係る条項を設けなかったところからすると,第7回国会に放送法案を提出するに当たって,我が国政府はそのように理解していたように思われます。
 (なお,B項に出てくるプレス・コードについては,メリーランド大学プランゲ文書に保存されているものとしてインターネット上で紹介されている1945年9月21日版があり,それには前文が付いていて,当該前文によれば,プレス・コードは「日本に出版の自由を確立するため」発令されたものとされ,「出版を制限するもので無く,寧ろ日本の出版機関を教育し,出版の自由の責任と,重要性とを示さうとするものである(This PRESS CODE, rather than being one of restrictions of the press, is one which is designed to educate the press of the Japanese in the responsibilities and meaning of a free press.)。従って報道の真実性と宣伝の排除といふことに重点を置いてゐる(Emphasis is placed on the truth of news and the elimination of propaganda.)」ものであるとされていました。プランゲ文庫版の日本語訳は,日本の新聞記者諸賢の自尊心をおもんぱかった言葉づかいになっています。直訳調だと,「このプレス・コードは,取締り云々以前に,日本原住民連中の「報道機関」に,自由なプレスに伴う責任及びそもそも自由なプレスの何たるかを教育してやるために作成されたものなんだよ。うそニュースはいかんし,どこかの宣伝ばかりするようになってはいかんということを分からせてやろうってものなんだよ。」とも訳せそうな気がします。)
 

5 高塩修正のGHQ通過並びにGHQ説得の技術及びその副産物

 

(1)目糞鼻糞,袈裟の下の鎧等

 しかし,我が国においては,「一般放送事業者」だから「不真面目」でよい,ということにはなりません。やはり,せいぜい「おもしろまじめ」であって,飽くまでも真面目でなければ許されないのです。日本放送協会及び「一般放送事業者」を通じて適用されるべき番組準則は,やはり必要だったのです。

番組準則を導入する高塩修正に向けて,中村純一衆議院電気通信委員以下日本側は,どのようにGHQ民政局を説得したのか。

やはり,目糞鼻糞論というべきか(余り上品な比喩ではないですが。),GHQのラジオ・コードは御立派なものであったので今後とも当該御指導に引き続きあやかりたい,という方向からの口説きがあったようです。

 

塩野〔宏〕 放送法〔原始規定〕第44条第3項が〔1950年4月7日の〕衆議院修正で四原則をもって規律することとされたのですが,こういった文句もFCC〔米国の連邦通信委員会〕のレギュレーションを参考にしたのですか。

野村〔義男〕 これは,大体司令部〔GHQ〕から日本側に出たラジオ・コードあるいはプレス・コードをここへ入れたわけです。だから通ったので,日本側の発案で持って行ったらおそらく通らなかったでしょうね。・・・

  (1978年3月11日に東京・内幸町の飯野ビル(改築前)のレストラン・キャッスルでされた座談会から。放送法制立法過程研究会564頁)

 

自らが散々活用したラジオ・コードの例を出されてしまうとGHQもなかなか強い姿勢を続けられなかったようです(なお,前記GHQのGS文書に係るBox No.2205の26‐27コマ目にある1950年3月30日付け民政局宛て民間情報教育局(CIE)の照会回答文書では,「聯合国最高司令官のラジオ・コードの規定を採用することによって,修正案は,原案のいくつかの重要な点(several important details)を失うことになっている。協会は今や「公衆に関係がある事項について報道すること(inform listeners of all public issues)」を義務付けられないし,事実をまげてはならないとの制約が適用される範囲も「ニュース」のみに狭められている。これは,他の番組においては事実をまげてよいことを含意するものである。」と述べられています。)。それでも,袈裟衣の下の鎧たる電波法76条1項の修正案は,やはり見とがめられたのかもしれません(ただし,主役の民政局及び民間通信局はともかく民間情報教育局は,上記Box No.2205の33コマ目の1950年3月30日付け民政局宛て照会回答文書で「民間情報教育局は,このような性格の技術的立法には直接関係しないものであるが,〔電波法案に係る〕当該修正案に対する反対は無いところである。」と述べています。)。以下は想像になりますが,そこで日本側としてはGHQ法務局の以前の見解の手前もあり(そこでは,GHQのプレス・コードといえども占領目的に関するものはともかくも純粋の日本の内国事項に係る意見の制限又は抑圧にまでは用いられたことはないとの主張もされていました。自由と民主主義の国たることを標榜する米国の軍人としては,そういう建前でなければ受け付けられないのでしょう。),いやいやGHQさま放送法案の新しい第44条3項は「道徳的,社会的な基準」にすぎないものでありましてこれでもって電波法76条1項の行政処分をして憲法21条1項を弑逆するようなことはありません,御ラジオ・コードを超えるようなあつかましいことに用いるような意図は毛頭ございません,といったような言い訳がされたのではないかと思われます(飽くまでも想像です。なお,1950年3月16日付けの辻衆議院電気通信委員長からホイットニーGHQ民政局長宛ての前記書簡においては,「私どもが御提案申し上げた修正は占領政策に合致し(the amendments we proposed will coincide with the occupation policies),また,我が国の民主化を推進するものと確信しております。」と述べられていました。)。これが,1950年4月7日の衆議院電気通信委員会における,高塩修正に対する中村純一委員の賛成討論における前記発言につながったのではないでしょうか(飽くまでも想像です。)。

 

(2)取りもどすべき日本及び合格すべき司法試験答案について

さて,放送法4条1項に基づく電波法76条1項の処分の可否の問題に戻ります。

「できる」という側には,1945年9月22日のGHQのラジオ・コードを依然奉戴しているみたいで,「主権回復」から60年以上たち占領体制を脱却する自由と民主の我が国にふさわしくないという非難が可能なようではあります。しかし,「できない」という側にも,194812月2日のGHQ法務局の「押し付け憲法解釈」を依然奉戴しているみたいで,これも同じく,「主権回復」から60年以上たち占領体制を脱却する自由と民主の我が国にふさわしくないという非難が可能なようであります。はてさて,取りもどすべき日本は,どちらの側にあるのでしょうか。

とはいえ,194812月2日のGHQ法務局の意見のとおり,1995年の司法試験における憲法の前記設問に回答していたらどうなっていたことでしょうか。合憲性審査に係る「二重の基準」やら精神的自由権に係る「厳格な審査基準」やら「明白かつ現在の危険」基準やら「より制限的でないほかに選び得る手段の原則」やらがちゃんと書かれていないので,落第点でしょうか。そうだとすると,司法試験受験生的には,前記GHQ法務局的論証パターンは論外であって,したがって,放送法4条1項違反を理由に電波法76条1項の処分をすることは違憲であるとは電波法・放送法の立法過程の実務において正しく論証されてはいなかったのだ,日本の司法試験に合格していない米国人は困ったものだったのだ,ということになるようにも思われます。

(3)岸信介内閣による放送法改正(昭和34年法律第30号)

 ところで,1950年に成立した放送法の最初の本格的改正は,第2次岸信介内閣時代の1959年に成立した昭和34年法律第30号によってされたものです。電波法・放送法の運用も8年を超えたところでの改正であって,当時の政府当局の見解が反映されたものであったわけです。放送法の当該改正に向けた岸内閣の郵政大臣ら(電波監理委員会は,1952年に廃止され,放送を含む電波監理行政は郵政省に引き継がれていました。)の精励については,次のように紹介されています。(紹介者は,例の荘宏氏。荘氏は,1952年8月に電波監理総局の文書課長から郵政省電波監理局次長となって,その後1959年6月に東京郵政局長として転出するまで7年近く電波の「万年次長」を務めておられました。いやしくも「高級官僚」たる者は短い期間で「無責任に」ポストからポストへどんどん異動しては偉くなっていくはずなのですが,この塩漬け人事はなかなかのもの,郵政省は違ったようです。)

 

  かくて,この時期〔第1次岸内閣改造内閣発足時,すなわち1957年7月10日〕に就任した郵政大臣田中角栄氏は,テレビジョン局開設について全国的に大量の予備免許を与えるとともに,永年の懸案であった放送法の改正法律案を閣議を経て国会に提出した。予備免許は世人も驚くほどまことに迅速且つ果断の措置であったが,法案は政府の権力を番組面に加うることは毫もなく,番組についてはあくまで放送事業者の自主的規律を重んずるものであった。

  この法律案は国会審議の都合で成立するに至らなかったが,この案を基礎としこれに若干の修正を加えた案が,次の郵政大臣寺尾豊氏〔1958年6月12日就任〕によって作成され,閣議を経て国会に提出された。この案は国会において部分的に若干の修正を受けたが,大綱においては変わることなく成立した〔昭和34年法律第30号〕。その結果が現行〔19639月当時〕の放送法である。この改正の主要眼目は,良質放送番組の確保にあり,しかもその方法としては,法律において番組のあり方について明文を以て指示する以外は,一切を放送事業者の自律に求めることとし,官の権力はいささかも及ぼさないというものであった。

  この法律案の立案及び国会説明に,寺尾大臣は非常な努力をされた。夜も官舎に係官を呼び自ら逐条審議を続け,早朝も4時頃には起きて国会への準備をされたのである。しかもこの際見落してならないことは,この肝胆をくだいての努力が,放送の自由,言論表現の自由をまもるためのものであったことである。法律の立案権をもつということは,極めて大きな権力である。その力をもつ人が,この方向にこれほどの積極性を示したその良識と信念とには,十分の敬意が払われて然るべきである。(荘宏『放送制度論のために』(日本放送出版協会・1963年)221222頁)

 

 「法案は政府の権力を番組面に加うることは毫もなく,番組についてはあくまで放送事業者の自主的規律を重んずるものであった。」,「改正の主要眼目は,良質放送番組の確保にあり,しかもその方法としては,法律において番組のあり方について明文を以て指示する以外は,一切を放送事業者の自律に求めることとし,官の権力はいささかも及ぼさないというものであった。」ということです(下線は筆者)。したがってこれは,当時の政府当局者は,当時の放送法44条3項(現在の第4条1項)は「道徳的,社会的な基準」にすぎないとの中村純一委員の前記解釈を依然採用しており,かつ,それを前提としていたということでしょう。

 昭和34年法律第30号によって,番組基準(放送法現行5条参照)及び放送番組審議機関(同法現行6条及び7条参照)に関する制度が導入されたのですが,これらは,「放送法は,・・・各放送事業者が自らの判断と力によって自らの放送番組を適正なものにすることを求めている。そこには官憲の介入,干渉は全くない。放送番組については必要最少限度の準則を法が直接に定め,それ以外はすべて放送事業者の自律にまかされているのである。」という法制度を前提に,「そこでもう一段の工夫を加え」たものとされています(荘289頁)。

 どうも当時の政府当局は,放送法原始規定44条3項及び53(なお,高塩修正によって「一般放送事業者」にも放送法原始規定44条3項の準用が同53条を通じてあることになったの理由の一つとしては,「一般放送事業者」にも土地収用法の適用があるようにしようという(放送法原始規定49条参照)虫のよい提案が衆議院電気通信委員会からの原案段階であったからのようです。高塩修正の原案に係る放送法案53条について,GHQ民間情報教育局の前記1950年3月30日文書(Box No.2205の27コマ目)は,「第53条第3項――民間放送事業者に土地収用法の特権を認めることは,不必要であり,かつ,財産所有者に対して有害であるようである。私立の学校,新聞社及び劇団が同様の特権を有するものであるのかどうか,考えさせられる。」と批判しています。)に基づく電波法76条1項の運用停止等の処分はないものと考えていたようです。この状況において,それでは,当時の岸信介内閣総理大臣はどのように考えていたかというと,次のような答弁が,1959年3月10日の参議院逓信委員会でされています。

 

 ○森中守義君 ・・・あなたの手によって出される法案に対しては,すべての国民が不安と疑惑と嫌悪を持っておる。そういう岸内閣によっていずれ,先刻あなたのお答えからいくならば用意したいという放送法の改正は,防諜法あるいは軍機保護法の制定がそうそう簡単にいかぬ。従ってこの機会に事務的あるいは法体系の整備という一つの口実を設けて,その裏に隠れて日本放送協会や一般放送事業者に対する悪らつな政治的意図のもとに法改正が用意されないとは,私は残念ながら岸総理のもとにおいてはどうしても信頼ができません。・・・

 ○国務大臣(岸信介君)・・・しかしいずれの意味にいたしましても,今森中委員のお話のように,私は放送法を根本的に検討して,そして何かここに言論統制の意図を持ってこれを改正するというような考えは毛頭持っておりません。・・・決して政治的な特殊の意図をもって,特に言論の自由を統制し制限するというような意図のもとに,いかなる意味においても将来も放送法をそういう意図をもって改正するとか,検討するという意思は毛頭持っておらないことをここに明白に申し上げておきます。

 (第31回国会参議院逓信委員会会議録第1110頁)

 

放送法を改正せず,検討もしないというのですから,当然「言論の自由を統制し制限する」方向での解釈変更もしないということのようです。「いかなる意味においても将来も」というのですから,非常に重い言葉です。

岸信介の衣鉢を継ぐものと自己規定する政治家であれば,放送法4条1項と電波法76条1項との関係についての見解表明においてやや窮屈を感じざるを得ないことになるようです。

とはいえ,「不安と疑惑と嫌悪」やら「悪らつ」やら,一国の内閣総理大臣をボロクソに言う日本社会党の森中守義委員はなかなかのものでしたが,その同委員も見逃していた昭和34年法律第30号による「悪らつ」な改正条項が実は存在していたのではないでしょうか。同法による改正後の放送法44条4項及び51条に係る「・・・国内放送の放送番組の編集に当つては,・・・教養番組又は教育番組並びに報道番組及び娯楽番組を設け,放送番組の相互の間の調和を保つようにしなければならない。」との規定(前出)が,それです。娯楽番組をしっかり放送して庶民を満足させなければならないと法認したというのがよいところです。現在はとんと見かけなくなりましたが,かつてはプロ野球中継が大人気の放送番組でした。昭和34年法律第30号成立の翌年である1960年の1月19日,米国ワシントン市で新たな日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約が調印され,同条約をめぐっては,国会の承認(憲法61条・602項)を経ての同年6月23日の発効に向けて世情は騒然としたと伝えられていますが,無論,後楽園球場などは善良な庶民で満員でありました。難しい報道番組などを視聴して悲憤慷慨するよりも,ひいきのプロ野球チームを楽しく応援する方が,気が利いているようです。(とはいえ,「プロ野球」といわれると,覚せい剤取締法違反被疑事件ないしは被告事件弁護を最近は思い出してしまって楽しめないのは,弁護士の職業病でしょうか。) 

1 緒論

 

(1)問題の所在

 電波法(昭和25年法律第131号)76条1項は,「総務大臣は,免許人等がこの法律,放送法若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは,3箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ,又は期間を定めて運用許容時間,周波数若しくは空中線電力を制限することができる。」と規定しています。この条項については,特に放送法(昭和25年法律第132号)4条1項との関係で,放送事業者が同項に違反するものと総務大臣が判断したときには,同大臣は当該放送事業者を免許人等とする無線局の運用の停止を命ずることができるかどうかという問題がよく話題とされます。

 放送法4条1項は,次のとおり。

 

  (国内放送等の放送番組の編集等)

 第4条 放送事業者は,国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては,次の各号の定めるところによらなければならない。

  一 公安及び善良な風俗を害しないこと。

  二 政治的に公平であること。

  三 報道は事実をまげないですること。

  四 意見が対立している問題については,できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 

1995年(なお, テレビ朝日の報道局長である椿貞良氏が日本民間放送連盟の会合において,細川護熙内閣の成立をもたらした衆議院議員総選挙の際非自由民主党政権樹立を意図した報道を社内に指示したと発言したいわゆる「椿事件」の発生は1993年です(同年7月18日第40回総選挙,8月9日細川内閣成立,9月21日当該民放連会合,10月13日産経新聞による当該発言の報道,同月20日椿氏辞任・退社)(『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年))。)の司法試験第二次試験における論文式試験の憲法の第1問においては,次のような問題が出題されています。

 

 放送法は,放送番組の編集に当たって「政治的に公平であること」,「意見が対立している問題については,できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を要求している。新聞と対比しつつ,視聴者及び放送事業者のそれぞれの視点から,その憲法上の問題点を論ぜよ。

 

 この問題文であれば電波法76条1項との関係を論ぜずにすむので,司法試験受験生としてはなお書きやすかったでしょうが,現実の「けしからぬ」放送事業者に対する電波法・放送法に基づく行政処分の可否という具体的な問題を前にするとなると,なかなか判断表明は難しいところでしょう。

 とはいえ,現実の問題が生じた場合は,当該問題に直面せずにいたずらに自己の伝来的予断を言い募るばかりというわけにはいかず,たとえ判断停止という結論に最終的には至ってしまうとしても,まず何らかの法学的検討はなされるべきでしょう。しかし,法学的検討といっても,受験秀才的答案構成を考えたり,高尚な憲法理論を華麗に論ずるのは当ブログ筆者の柄ではありません。

 

(2)いくつかの用語の解説

 なお,あらかじめ電波法76条1項及び放送法4条1項に出てくる諸概念について説明しておくと,次のとおりです。

 電波法76条1項にまず出てくる「免許人等」とは,同法「第14条第2項第2号の免許人又は第27条の23第1項の登録人」のことです(同法6条1項9号)。このうち「免許人」とは「無線局の免許を受けた者」であり(同法14条2項2号),「登録人」とは同法「第27条の18第1項の登録を受けた者」です(同法27条の23第1項)。免許人や登録人になるとどういうよいことがあるかというと,無線局を開設することができ(免許人につき電波法4条本文,登録人につき同条4号),更にその無線局は,交付された免許状(免許人の場合(同法14条))又は登録状(登録人の場合(同法27条の22))の記載に係る制限の下において運用され得る(同条52条から55条まで参照)ということになります。免許人等以外の者が無線局を開設すると1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられます(電波法110条1号)。

 なお,無線局と無線設備とは別概念で,無線設備は電気的設備にすぎない(電波法2条4号)のに対して,無線局は人をも含んで「無線設備及び無線設備の操作を行う者の総体をいう。但し,受信のみを目的とするものを含まない。」と定義されています(同条5号)。

 電波法76条1項にいう「これらの法律に基づく命令」は,行政処分のことではなくて(こちらは同項の「処分」),政令,電波監理委員会規則,郵政省令,総務省令といったものの総称としての命令です。

 電波法76条1項では単に「周波数」とされていますが,厳密には「電波の周波数」です。周波数にも音の周波数等いろいろあります。

 放送法4条1項の「放送事業者」は一見単純なようですが,実は「放送事業者」には「基幹放送事業者」と「一般放送事業者」とがあり(同法2条26号),「基幹放送事業者」は「認定基幹事業者及び特定地上基幹放送事業者」である一方(同条23号),「一般放送事業者」とは同法「第126条第1項の登録を受けた者及び第133条第1項の規定による届出をした者をいう。」ということになると(同法2条25号)もう何が何だか分からなくなってきます。しかしながら,「「特定地上基幹放送事業者」とは,電波法の規定により自己の地上基幹放送の業務に用いる放送局(以下「特定地上基幹放送局」という。)の免許を受けた者をいう。」ということですから(放送法2条22号),日本放送協会(NHK)やら「民放」やらの「地上波放送局」は,この特定地上基幹放送事業者ということになるようです。しかし,厳密かつ細かしい概念規定はまだまだ続きます。「地上基幹放送」とは「基幹放送であつて,衛星基幹放送及び移動受信用地上基幹放送以外のものをいう。」とされ(放送法2条15号),「基幹放送」とは「電波法(昭和25年法律第131号)の規定により放送をする無線局に専ら又は優先的に割り当てられるものとされた周波数の電波を使用する放送」であり(同条2号。なお,「放送をする無線局に専ら又は優先的に割り当てられるものとされた周波数」については電波法26条2項5号ア参照),「衛星基幹放送」は「人工衛星の放送局を用いて行われる基幹放送」であり(放送法2条13号),「移動受信用地上基幹放送」は「自動車その他の陸上を移動するものに設置して使用し,又は携帯して使用するための受信設備により受信されることを目的とする基幹放送であつて,衛星基幹放送以外のもの」だそうです(同条14号)。NOTTVはこの移動受信用地上基幹放送をやっていたのでしょう。何だか移動しながら視聴しないと怒られそうな基幹放送だったので落ち着かず,それゆえ結局潰れることになったのでしょうか。「放送局」についても丁寧に,「放送をする無線局」であるとの定義規定があります(放送法2条20号)。

 放送法4条1項の「国内放送」とは「国内において受信されることを目的とする放送」で(同法2条4号),「内外放送」とは「国内及び外国において受信されることを目的とする放送」です(同条12号)

 放送法4条1項の「放送番組」にも定義があって,「放送をする事項の種類,内容,分量及び配列」のことだそうです(同法2条28号)。

 

(3)原始規定

 どうも現在の放送法は,有線ラジオ放送業務の運用の規正に関する法律(昭和26年法律第135号),有線テレビジョン放送法(昭和47年法律第114号),電気通信役務利用放送法(平成13年法律第85号)及び有線放送電話に関する法律(昭和32年法律第152号)までをも取り込んでしまったので(平成22年法律第65号附則2条参照),かえって分かりづらい。電波法76条1項及び放送法4条1項に係る1950年の両法成立当初の原始規定を見てみましょう。

 

  (無線局の免許の取消等)

 電波法76条1項 電波監理委員会は,免許人がこの法律,放送法若しくはこれらの法律に基く命令又はこれらに基く処分に違反したときは,3箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ,又は期間を定めて運用許容時間,周波数若しくは空中線電力を制限することができる。

 

  (放送番組の編集)

 放送法44条3項 〔日本放送〕協会は,放送番組の編集に当つては,左の各号の定めるところによらなければならない。

  一 公安を害しないこと。

  二 政治的に公平であること。

  三 報道は事実をまげないですること。

  四 意見が対立している問題については,できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 

  (放送番組の編集)

 放送法53条 第44条第3項の規定は,一般放送事業者に準用する。

 

放送法の原始規定における「一般放送事業者」とは,「〔日本放送〕協会以外の放送事業者をいう。」とされており(同法旧51条括弧書き),「放送事業者」とは「電波法(昭和25年法律第131号)の規定により放送局の免許を受けた者」とされています(放送法旧4条1項括弧書き)。原始規定における「一般放送事業者」は,放送法の現段階における一般放送事業者ではなく,「特定地上基幹放送事業者であって日本放送協会ではないもの」です。

なお,放送法原始規定の第44条3項1号には「及び善良な風俗」が入っていませんが,当該部分が挿入されたのは,第2次岸信介内閣時代に制定された昭和34年法律第30号によってです。


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 東京都渋谷区神南にある日本放送協会の放送センター
 

2 電波法・放送法施行当時における電波監理総局の解釈

さて,これらの規定について,電波法・放送法及び電波監理委員会設置法(昭和25年法律第133号)の施行(1950年6月1日(「電波の日」)から)当時における電波監理委員会の事務局たる電波監理総局(電波監理委員会設置法20条1項)の人々がどのような解釈を与えていたかを知るべく,同総局の文書課長たる荘宏,放送課長たる松田英一及び法規課長たる村井修一の3氏共著の『電波法 放送法 電波監理委員会設置法詳解』(日信出版・1950年)を見てみたのですが,実はほとんど何も書かれていません。

電波法76条1項の解説においては,同項に基づく電波監理委員会の処分の単位に関する考察がされているだけで,同項にいう「・・・放送法若しくはこれらの法律に基く命令又はこれらに基く処分」(下線は筆者)に関して説くところがありません(荘=松田=村井221222頁参照)。

放送法旧44条3項については,「第3項は,放送番組の編集についての準則である。いわゆるラジオコードと称すべきものである。この外にも本法中にラジオコードに相当する規定があるが,これらは大綱を示しただけで,協会は更に詳細な放送準則を定め,それに従つて放送番組の編集を行うことになるであらう。」とだけ記されています(荘=松田=村井327頁)。ちなみに1950年当時はいまだテレビジョン放送はされていません。「ラジオコード」とは,当時日本を占領中のGHQからの指令たるSCAPIN43「日本ニ与フル放送準則(Memorandum Concerning Radio Code for Japan)」(1945年9月22日)にいうRadio Codeのことです(放送法制立法過程研究会『資料・占領下の放送立法』(東京大学出版会・1980年)2327頁参照)。

放送法旧53条については,「本条は,一般放送事業者の放送番組の編集について規定している。/第44条第3項各号は協会の放送番組編集の場合の放送準則いわゆるラジオコードに相当する事項であるが,一般放送も放送のもつ社会的影響から考えて公共的な色彩をもつものであるから,協会と同様の原則に従うことが要求せられるのである。」とのみ解説が付されています(荘=松田=村井334頁)。

 

3 高塩修正と中村委員発言

 

(1)内閣提出法案における欠缺並びに衆議院における修正及び追加

「何も書いてない。政府当局には何か隠し事があったのか。けしからん。総務大臣答えなさい。」と代議士の先生が居丈高に政府を攻撃されても,政府御当局の方々は困ってしまって,後知恵で理屈を頑張ってひねくり出すうちに,問題が難しくなるだけでしょう。

実は,電波法76条1項における行政処分の根拠としての「放送法」との文言並びに「放送番組の編集」に関する放送法旧44条3項及び旧53条(同法現行4条1項)の規定は,1950年4月7日の第7回国会衆議院電気通信委員会において高塩三郎委員から提出され採択された修正案(放送法制立法過程研究会339343頁参照)に基づくものです(電波法案については自由党,日本社会党,民主党,国民協同党及び農民協同党の共同提案,放送法案については自由党,民主党,国民協同党及び農民協同党の共同提案(第7回国会衆議院電気通信委員会議録第12号1頁))。電気通信省の電波庁の事務方が,GHQ民間通信局(C.A.ファイスナー氏等),法務府法制意見第三局(吉國一郎参事官)等と調整して作り上げた内閣提出法案には,そのような規定は無く(電波法76条1項の「放送法」関係部分及び放送法旧53条は高塩修正で追加),あるいは違った内容でした(放送法旧44条3項は高塩修正で変更)。自分が立案したのではないものとされている事項について,詳しい解説を書けと言われても建前上無理でしょう。

19491222日に国会に提出された電波法案76条1項並びに放送法案44条3項及び45条は,次のとおりでした(放送法制立法過程研究会315頁,282頁参照)。

 

(無線局の免許の取消等)

電波法案76条1項 電波監理委員会は,免許人がこの法律若しくはこの法律に基く命令又はこれらに基く処分に違反したときは,3箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ,又は期間を定めて運用許容時間,周波数若しくは空中線電力を制限することができる。

 

 (放送番組の編集)

放送法案44条3項 協会は,放送番組の編集に当つては,左の各号の定めるところによらなければならない。

 一 公衆に関係がある事項について,事実をまげないで報道すること。

 二 意見が対立している問題については,できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 三 音楽,文学,演芸,娯楽等の分野において,最善の内容を保持すること。

 

 (政治的公平)

放送法案45条 協会の放送番組の編集は,政治的に公平でなければならない。

2 協会が公選による公職の候補者に政見放送その他選挙運動に関する放送をさせた場合において,その選挙における他の候補者の請求があつたときは,同一の放送設備により,同等な条件の時刻において,同一時間の放送をさせなければならない。

 

 当初の内閣提出放送法案においては,放送番組の編集に関する規定は日本放送協会についてのみあって「一般放送事業者」(当時)についてはありませんでしたが,これは,1950年1月24日の衆議院電気通信委員会でされた網島毅電波監理長官の概要説明にいう「民間放送につきましては,できる限り自由に委せる方針にいたしましたので・・・第3章に最小限度必要な規定を単に2箇条〔放送番組の編集に関するものとしてのそれとしての条項は無し。〕設けているだけであります。将来民間放送がいかなる発達するか見透をつけることが困難でありますし,特権を認めたりこれに伴う監督を行いますよりは将来の発達の状況によりそこで適当に考慮をするのがよいと存ずるもでございます。」ということであったのでしょう(荘=松田=村井73頁)。

 放送法案44条3項を見ると,同項3号では「音楽,文学,演芸,娯楽等」の番組が放送されることが想定されており,何だかほのぼのしてきます。同項1号も「報道は事実をまげないですること。」ではなく,「報道すること。」になっています。こうしてみると,同項で問題となっている「放送番組」については,放送をする事項の内容ではなく,むしろその種類に重点があったようにも思われます(放送法2条28号(同法原始規定では4号)参照)。同項2号も,時事の評論,分析又は解説の放送番組の存在を前提としているものでしょうか(第2回国会に内閣から提出された放送法案4条2項(放送法制立法過程研究会165頁)参照)。放送をする事項の種類に係る規定の欠缺は後に気が付かれたらしく,昭和34年法律第30号によって,放送法旧44条に新たに第4項(「協会は,国内放送の放送番組の編集に当つては,特別な事業計画によるものを除くほか,教養番組又は教育番組並びに報道番組及び娯楽番組を設け,放送番組の相互の間の調和を保つようにしなければならない。」)が付け加えられています(同項は,昭和34年法律第30号で新たに設けられた放送法旧51条によって当時の「一般放送事業者」にも準用。放送法現行106条1項)。また,放送法案45条1項の「政治的に公平」については,同条2項との並びで考えると,主に政治家の選挙運動との関係が考えられていたようであり,かつ,その重点は,放送をする事項の内容よりも,むしろ分量や配列にあったようです(なお,放送法案45条2項と同様の規定は「一般放送事業者」に係る第52条にもあり,両者はそれぞれ放送法原始規定の第45条(候補者放送)及び第52条(候補者放送)となった後,現在は放送法13条(候補者放送)に統一されています。)。

 

(2)高塩修正の理由

前記高塩修正の理由について高塩委員は,次のように説明しています。いわく,「〔放送法案〕第44条は,協会の放送番組編集上の準則でありまして,その第3項は,いわゆるラジオ・コードに相当する規定でありますが,諸般の角度から検討の結果,修正案におきましては,公安を害しないこと,政治的に公平であること,報道は事実を曲げないですること,意見が対立している問題については,できるだけ多くの角度から論点を明らかにすることの4原則をもつて規律することが,最も適当であるとして,原案に対し所要の修正を施したものであります。/なおこれとともに放送事業は民間放送といえども,高度の公共性を帯びるものでありまするから,協会放送に対して要求されるこのラジオ・コードは,民間放送に対してもまた要求さるべきものであるとの見解に立つて,修正案は第52条の次に1条を設け,前述の4原則を一般放送事業者に準用することにいたしました。・・・〔電波法案〕第76条は,無線局の運用の停止,制限及び免許の取消しに関する規定でありますが,原案においては,これらの処分をなす場合を電波法またはこれに基く命令,処分に違反したときに限つておりまするのを,放送法関係の場合をも含めることに修正いたしました。」と(第7回国会衆議院電気通信委員会議録第1212頁)。

GHQから下されたいわゆるラジオ・コードが,所与のものとして前提とされています。電波法案76条に関する説明では,放送法の具体的にどの条項が運用停止等命令発動の根拠として想定されているのか必ずしも明らかではなく,なお不親切です。

 

(3)中村委員発言とその背景

 

ア 中村委員発言:「道徳的,社会的な基準」

高塩修正に係る放送法旧44条3項の規定の性格については,衆議院電気通信委員会における有力委員であった元逓信官僚(電務局長, 簡易保険局長)の中村純一委員による同委員会における高塩修正採択の際の賛成討論における発言があり,注目すべきものです。いわく,「・・・日本放送協会たると民間放送たるとを問わず,いやしくも放送が社会的な公共性を有するものである以上は,放送として当然守られなければならないところの道徳的,社会的な基準に関するものでありまして,これまた適当であると考えるものでございます。」と(第7回国会衆議院電気通信委員会議録第12号4頁)。

「法的基準」ではなく,飽くまでも「道徳的,社会的な基準」であるものとされています。

 

イ 中村委員と高塩修正案の作成経緯

なお,ここで中村委員の発言を注目すべきものと述べたのには,理由があります。1950年4月7日提出の高塩修正案の作成に関して,次のような事情があったからです。

 

 〔第7回国会における電波法案,放送法案及び電波監理委員会設置法案に係る〕両院の審査は極めて熱心に行なわれ,衆議院においては24年〔ママ。昭和25年(1950年)の誤り〕2月10日をもって3法案の公聴会も了したので,同11日から箱根奈良屋〔当時はまだ営業中〕別館で修正案作成の作業が行なわれた。参加した者は,衆院から電気通信委員会委員中村純一,同専門員吉田弘苗〔元逓信院電波局長〕,法制局第三部長鮫島真男等の諸氏,電波庁からは網島〔電波監理〕長官,野村〔義男〕法規経済部長等の諸氏で,総員9人であった。13日帰京したが,その後修正案は衆院内,衆参両院間,国会政府間で検討が続けられ,3月15日衆議院はその修正案をGSGovernment Section. 民政局〕の長ホイットニー氏宛に送附した〔なお,国立国会図書館のGHQ文書のうちGSに関する“Telecommunications Ministry 7th Diet 1950-02”(Box No.2205)の21‐22コマのホイットニー局長宛て辻寛一衆議院電気通信委員長の書簡の日付は,同月16日〕

 ・・・

 GHQの・・・強い意向に鑑み,衆議院も数次のGHQ折衝の後,設置法案については遂に委員長国務大臣は断念,政府提出案のままで進めることになった。電波法案,放送法案についてもGSは衆院修正案に対して意見を出してきた。前者に関するものは比較的簡単に解決したが,放送法案については,受信料の法定を廃そうとする点および日本放送協会予算に対する国会承認を政府認可に移そうとする点が,GSの容るるところとならなかったNHKの受信料を月額35円とする放送法案32条2項が削られ,修正放送法案37条4項により「・・・受信料の月額は,国会が,〔NHKの〕収支予算を承認することによつて,定める。」ことになった(放送法制立法過程研究会341342頁参照)。荘氏の記述ではよく分かりませんが,放送法案32条2項は吉國一郎参事官の意見によるものだったところ,修正放送法案37条4項はGHQの当初意見案に戻ったものです(放送法制立法過程研究会435‐436頁(吉國発言))。〕。結局これらの国会修正の動きは,いずれも政府がGHQと渡り合って承認を得られなかったものを,日本側として何とかして復活実現させようとの最後の努力であったが,主要点についてはGHQはいささかも応ずるところがなかったのである。

 かくて3法案修正案についてGSの承認がでたのは4月4日であった。ここにおいて衆院電通委は,4月7日,設置法案は政府提出原案のまま,また他の2法案にはGSOKを得た修正を加えて可決,翌8日3法案は電通委議決通りで衆院本会議を通過した。(荘宏「電波三法の制定」『逓信史話 下』(電気通信協会・1962年)360361頁)

 

高塩修正というよりは,実質的には奈良屋別館組の中村純一衆議院電気通信委員による修正であって,衆議院電気通信委員会を代表してGHQ民政局と折衝したのも中村委員が中心であったものと思われます。

放送法原始規定44条3項が「道徳的,社会的な基準」であるとの中村委員の前記発言は,対GHQ折衝を経て最終化された立法者意思の表明であったものと考えられます。中村委員は前記『電波法 放送法 電波監理委員会設置法詳解』の出版に際して援助をしたものとも同書のはしがきにおいて言及されており(「・・・併せて,三法律の成立につき国会の審議にも参画せられた衆議院議員中村純一先生(愛媛県選出)を始め本書出版に際して援助せられた各位の御好意に対して御礼を申し上げる。」),同委員の見解は,電波監理総局関係者によっても了解されていたものと解すべきことも裏書きされています。

 

(後編に続きます。)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1054087468.html

1 電気通信事業法6条(利用の公平)と憲法14条1項

 電気通信事業法(昭和59年法律第86号)6条は,「利用の公平」との見出しの下,「電気通信事業者は,電気通信役務の提供について,不当な差別的取扱いをしてはならない。」と規定しています。

当該規定については,電気通信行政当局の見解を示しているものと解されている『電気通信事業法逐条解説』(多賀谷一照=岡﨑俊一=岡崎毅=豊嶋基暢=藤野克編著。電気通信振興会・2008年)の43頁において,「憲法第14条第1項(法の下の平等)の規定を受けて不当な差別的取扱いを禁止するものである。」とされており,電気通信事業法6条にいう「不当な差別的取扱い」とは,「国籍,人種,性別,年齢,社会的身分,門地,職業,財産などによって,特定の利用者に差別的待遇を行うことである。」とされています(同書43-44頁)。憲法14条1項の列挙事項に「国籍,年齢,職業,財産など」が加わっています(同項は「すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。」と規定しています。)。

年齢による差別待遇を行うことが禁止されているのならば,未成年者であっても,他の契約とは違って電気通信役務利用契約を締結するに当たっては法定代理人の同意を得る必要(民法5条1項本文参照)が無い,ということになるのでしょうか。財産に基づく差別待遇がいけないのならば,電気通信役務利用料金の支払が絶対見込めない者に対してであっても,求められればお金持ちに対するときと同様に電気通信役務を提供しなければならないのでしょうか。そしてこれらの妙な主張を打破するためには,憲法14条にまで遡った議論が必要なのでしょうか。

「通信の秘密」に関する憲法21条2項のみならず,通信業界は,「利用の公平」という形でも憲法14条1項とお付き合いしなければならないことになっているようです。憲法好きな業界及び業界人ですね。

 

2 電気通信事業法6条と公衆電気通信法3条

電気通信事業法6条の前身は,公衆電気通信法(昭和28年法律第97号。電気通信事業法附則3条により1985年4月1日から廃止)3条でした。

 

(1)公衆電気通信法3条の解釈

実は,前記2008年の『電気通信事業法逐条解説』の電気通信事業法6条解釈は,次に掲げる1953年の公衆電気通信法3条解釈をほぼそのまま引き継いだものです(金光昭=吉田修三『公衆電気通信法解説』(日信出版・1953年)20-21頁)。

 

〔公衆電気通信法3〕条は公衆電気通信役務の提供に当つては〔日本電信電話〕公社や〔国際電信電話株式〕会社又はこれらに代つて事実上公衆電気通信役務を提供する者が国籍,人種,性別,年齢,信仰,社会的身分,門地,職業,財産等によつて利用者に差別待遇をなすことを禁止したものであつて,・・・「公共性」及び「民主化」の理念に基くものである。/然し乍ら本条は前述の様な理由に基いてサービスの内容を特定の人に特別の条件によつて提供することを禁止しているだけであつて,何人にも特定の条件によつてサービスを提供すること,換言すれば特殊の内容のサービスを公平に提供することを禁止するものではない。(例えば至急電報―法第14条参照―又は至急通話若しくは特別至急通話等―法第47条参照)又特定の人にだけ優先的に又は有利な条件でサービスを提供することは形式的には本条と矛盾するであろうが,それが公共的必要に基く場合,例えば非常電報(法第15条参照)緊急電報(法第16条参照)非常通話(法第49条参照)緊急通話(法第50条参照)の取扱や加入電話や専用の優先受理(法30条第2項及び第59条参照)及び公共上の必要に基く料金の減免(法第70条乃至第72条参照)等が本条と実質的に矛盾しないことはもとより言を俟たない所であろう。これは畢竟憲法第14条に規定する国民の平等性の保証が合理的な差別の禁止を意味しないことに基くものである。(法学協会編「註解日本国憲法」上巻164頁参照)尚本条に違反すると罰則にかかることになつている。(法第110条参照)

 

公衆電気通信法110条1項は「公衆電気通信業務に従事する者が正当な理由がないのに公衆電気通信役務の取扱をせず,又は不当な取扱をしたときは,これを3年以下の懲役又は5万円以下の罰金に処する。」と,同条2項は「前項の場合において金銭物品を収得したときは,これを没収する。その全部又は一部を没収することができないときは,その価額を追徴する。」と規定していました。

 

(2)GHQ民間通信局と逓信官僚

「民主化」やら憲法やら。逓信官僚並びにその流れを汲む郵政官僚及び電気通信官僚は,GHQの民間通信局から不信の念をもって見られていたようなので,厳しい憲法教育がされていたものでしょう。

日本国憲法施行後の1947年,GHQ民間通信局における郵便法(昭和22年法律第165号)の法案審査後の同年7月8日付け同局局内資料には,次のようにあります(同局分析課課長代理ファイスナー(C.A.Feissner)氏作成。GHQ/SCAP Records Box No.3208, Sheet No.CCS-00502)。

 

 新しい郵便法について,逓信省(MOC)郵便担当官と〔GHQ民間通信局の〕郵便課及び分析課との間で,詳細かつ逐条の議論が行われた。これは,およそ新しい法律に係る初めての審査であった――非常によく分かった(most revealing)――逓信省は,民主的法律というものを分かっていない(MOC has little conception of democratic laws)――不平等な課税――人民の基本権の侵害――逓信省の義務についての規定は無い――分析課は,逓信省に対して,郵便法について提示された原則に従って,他のすべての法律を書き直すよう要求した。

 

 ここで「不平等な課税」とは,旧郵便法(明治33年法律第54号)7条2項にあった「郵便専用ノ物件ハ何等ノ賦課ヲ受クルコトナシ」という規定のことでしょう。三等郵便局長(特定郵便局長)制度の下,三等郵便局長の私有財産であっても,「郵便専用ノ物件」ということになれば非課税扱いだったのでした。(「郵便専用物件はその性質上大部分は国有である。併しながら郵便自動車,郵便車等を始めとし,郵便専用物件であつて私人の所有に属するものも少くない。殊に請負制度である三等局長の私有に属するものが甚だ多い。郵便局々舎,机,椅子等の設備品は勿論,敷地に至る迄三等局に於ては私有物である」(奥村喜和男『郵便法論』(克明堂書店・1927年)89頁)。)「人民の基本権の侵害」の例としては,旧郵便法4条前段に「職務執行中ノ郵便逓送人郵便集配人及郵便専用車馬等ハ道路ニ障碍アリテ通行シ難キ場合ニ於テ墻壁又ハ欄柵ナキ宅地田畑其ノ他ノ場所ヲ通行スルコトヲ得」という規定があり,同法5条前段は「職務執行中ノ郵便逓送人郵便集配人及郵便専用舟車馬等事故ニ遭遇シタル場合ニ於テ郵便逓送人郵便集配人又ハ郵便吏員ヨリ助力ヲ求メラレタル者ハ正当ノ事由ナクシテ之ヲ拒ムコトヲ得ス」と規定し,同法6条1項には「職務執行中ノ郵便逓送人郵便集配人及郵便専用舟車馬等ニ対シテハ渡津,運河,道路,橋梁其ノ他ノ場所ニ於ケル通行銭ヲ請求スルコトヲ得ス」と規定されていました。違反者には罰金又は科料の制裁がありました(同法43条)。

 前記GHQ民間通信局局内資料作成者のファイスナー氏の人柄は,次のようなものでした。

 

  GHQにも記録に止めたい多くの人がいる。紙数の関係で他のすべての人を割愛するが,このファイスナー氏だけは是非ともここに書いておかねばならない。同氏は若いが実によく仕事をした。頭脳も明晰であった。態度は慇懃だったが,一旦思い込み,また言い出したことについては,パイプを斜めに銜えつつあらゆる反論を(ママ)底的に粉砕した。もともと少しく猜疑心が強いのじゃないかと思われる性格の上に,日本人にはずるい奴が多いという印象をどういう機会にか持ったのではないかと推察されるが,余りにもズバズバやったので,被害者が続出した。(荘宏「電波三法の制定」・逓信外史刊行会編『逓信史話 下』(電気通信協会・1962年)348-349頁)

 

 ファイスナー氏の最初の被害者は,郵便法案を突き返されて,新憲法にしっかり適合するように大修正するよう要求された逓信省郵務局の担当官たちだったのでしょう。

 

(3)郵便法5条と公衆電気通信法3条

  郵便法5条の「何人も,郵便の利用について差別されることがない。」との規定(見出しは「利用の公平」)については,「憲法の第14条に,「すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。」という規定がございますが,これはまあ郵便の利用の面から規定いたしまして,「何人も,郵便の利用について差別させることがない。」という利用の公平を規定いたしたのでございます。」と,19471113日,国会において政府委員(小笠原光寿逓信省郵務局長)から説明されています(第1回国会参議院通信委員会会議録3号3頁。また,同国会衆議院通信委員会議録18120頁参照。なお,公衆電気通信法3条については,1953年2月19日及び同月21日に同様の説明が政府委員(金光昭郵政大臣官房電気通信監理官)からされている(第15回国会参議院電気通信委員会会議録11号3頁及び同国会衆議院電気通信委員会議録20号9号)。)。

公衆電気通信法3条は,次のとおり。(なお,同条にいう公衆電気通信法41条2項の契約とは,日本電信電話公社(電電公社)とその加入者との間で締結される「加入者が構内交換設備に接続される内線電話機の一部により他人に通話させるための契約」です。)

 

(利用の公平)

第3条 日本電信電話公社(以下「公社」という。),第7条又は第8条の規定により公衆電気通信業務を委託された者及び第41条第2項の契約を公社と締結した者並びに国際電信電話株式会社(以下「会社」という。)及び第9条の規定により国際電気通信業務を委託された者は,公衆電気通信役務の提供について,差別的取扱いをしてはならない。

 

 要は,「電電公社等及び国際電信電話株式会社等は,公衆電気通信役務の提供について,差別的取扱いをしてはならない。」ということです。

 

(4)「不当な差別的取扱い」と「差別的取扱い」との違い

 しかし,注意深い読者の方々は何か気が付きませんか。

 そう,公衆電気通信法3条は端的に「差別的取扱いをしてはならない。」としているのに対して,電気通信事業法6条は,「不当な差別的取扱いをしてはならない。」と規定していて,差別的取扱いは原則禁止されていないが不当なものだけ禁止される,という形になっていることです。これに対して公衆電気通信法3条は,およそ差別的取扱いをしてはならないのが原則であるが公共的必要に基づくもののような合理的な差別取扱いは認められる,という形になっています。原則と例外とが逆転しています。

 原則として電電公社及び国際電信電話株式会社(KDD)にのみ公衆電気通信役務の提供が認められ,かつ,電電公社及びKDDは公権力であると解されていた(KDDについては議論があり得ましたが。)公衆電気通信法下の体制における「利用の公平」と,電気通信分野に競争原理が導入され電気通信役務は民営化された日本電信電話株式会社以下民間企業によって競争的に提供される建前になった電気通信事業法下の体制における「利用の公平」とは,「不当な」との3文字が入った時に異なるものとなったと考えるのが素直ではないでしょうか。電気通信役務提供の担い手が公権力から民間企業に変化したのですから,憲法14条1項の直接適用が当然ということにはならないでしょう。

 「不当な差別的取扱いをしてはならない。」という規定は,電気通信事業法6条に特有のものというわけではなく,多くの法令に見られます。例えば,電気事業法(昭和39年法律第170号)も,約款又は供給条件が「特定の者に対して不当な差別的取扱いをするものでないこと。」を問題としています(同法19条2項4号・5項3号・9項4号・13項4号,19条の2第2項3号,24条2項3号,24条の3第3項5号,24条の4第4項4号)。皆が皆,憲法14条1項の私人間適用ということではないでしょうし,そうであれば電気通信事業法6条もそのように解すべきではないでしょうか。

 

(5)「公平」の行方

 また,電気通信事業法施行から3年目に出た電気通信法制研究会編著の『逐条解説 電気通信事業法 附:日本電信電話株式会社法』(第一法規出版・1987年)では,電気通信事業法6条の「利用の公平とは,電気通信役務の提供のやり方を含む一般的な義務であって,その規定の対象は,すべての電気通信事業者に及ぶが,訓示的規定である。」とされていました(34頁)。憲法の私人間適用どころか,訓示的規定でしかないということでした。

 ちなみに,日本電信電話株式会社等に関する法律(昭和59年法律第85号)3条は,日本電信電話株式会社並びに東日本電信電話株式会社及び西日本電信電話株式会社が「電話の役務のあまねく日本全国における適切,公平かつ安定的な提供の確保に寄与」すべき旨定めていますが,ここでの「公平」は,1984年4月の政府提出法案には無く,参議院における修正によって追加されたものです(第102回国会参議院逓信委員会会議録4号(19841213日)28-29頁。『コンメンタールNTT法』(三省堂・2011年)117頁参照)。政府としては,電電公社民営化後の電気通信役務提供体制において「公平」を前面に出す意思はそもそも余り無かったということのようです。なお,参議院における上記修正は,198412月4日の政府委員(澤田茂生郵政省電気通信局長)の答弁(「あまねく公平」な電話の役務の提供について,「電気通信事業法の7条〔現行6条〕の中におきましても利用の公平とかいうことについて規定をいたしておりまして,・・・そういう趣旨は十分明定をしているつもりでございます。」(第102回国会参議院逓信委員会会議録2号8頁))にかかわらずされたものですから,電気通信事業法6条の「利用の公平」規定は国会議員にも余り頼りにされていなかったようです。

 

3 「法的安定性」

 ところで,「法的安定性は関係ない」わけではありません。

そのゆえか,新しい電気通信事業法6条における「不当な」の3文字追加の意味は大きなものではなく従来の公衆電気通信法3条と実質的には変わらない旨示唆するような答弁が,1984年7月11日,電気通信事業法案の国会審議において政府委員(小山森也郵政省電気通信局長)からされていました。

 

  これは要するに特定の利用者を正当な理由なく差別して取り扱ってはならないという趣旨でございまして,例えて申しますと,正当な理由というようなことを考えてみますと,福祉電話,こういったときは一般の利用者とは異なった料金でこれは差別しておりますが,差別というのは逆の意味になりますけれども,これはやはりほかの利用者の犠牲において福祉のための電話等をカバーしているわけでございます。ただしかし,そういったときには合理的な意味での区分を設けたものとしてこういったものは差別の中の不当な差別ではない,こういうような考えでございます。(第101回国会衆議院逓信委員会議録15号2頁)

 

「不当な差別的取扱い」が請求原因に来るのではなくて,依然として「差別的取扱い」との請求原因に対して「正当な理由」が抗弁となるような具合です。

質疑をした委員(松前仰衆議院議員)は,上記の答弁にやや不満であったようですが,「まあこれについて多く議論したくないのですけれども,「不当な差別」,そういう言葉が出てくると不当でない差別というのは一体あるのかというような感じがするわけですね。ですから,「不当な」という言葉は入れなくても「差別的」で十分じゃないだろうか。前の法律〔公衆電気通信法3条〕はたしかそういうふうになっていたと思うのですけれども,そういうことを申し上げておきたいと思います。」と述べて次の質疑に移っており(第101回国会衆議院逓信委員会議録15号2頁),政府委員もその場において追加説明をあえてしてはいません。

31年後の現在においても,通信管理主体に対する憲法上の「平等保障」義務の直接適用が説かれています。いわく,「憲法上の平等原則は公権力に対する客観的法規範と解するのが通説・判例であることにかんがみれば,私人たる通信事業者がこの原則に即した行為を実施する義務はただちに導かれないようにもみえる。しかし,「通信の自由を前提にそこから通信の秘密の保護を導く見解」に基づけば,憲法上,通信事業者その他の通信管理主体はその通信役務の利用者間の「平等」を保障すること(・・・「平等保障」という。)に対する義務を負うという帰結が導かれ得る」と(海野敦史「通信役務の利用における「法の下の平等」に関する序論的考察―米国オープンインターネット規制の概観―」情報通信学会誌32巻1号(2014年)26頁)。

1 法学と語学


(1)三ケ月教授の「法学入門」

 法学の学習は,外国語の学習にたとえられることがあります。1981年の4月から9月まで東京大学教養学部文科一類の新入生を対象に駒場においてされた「法学入門」の講義を基に著された『法学入門』(弘文堂・1982年)において,三ケ月章教授のたまわく。



・・・法を学ぶには,外国語を学ぶ場合とまったく同じく,反覆を気にしてはならず,むしろそれを意欲すべきなのである。何回も何回も異なる角度からではあるが同じ問題を撫で直すことが,法の学習には不可欠である。ただ忘れてはならないことは,同じ問題を撫で直すたびに,ちょうどらせん形の階段を昇るように,少しずつでもあれ高みに上ってゆかねばならないということであり,単なる繰り返しを重ねていればいいというものではないということである。・・・(「法学をこれから学ぼうと志す人たちに―凡例を兼ねて―」
6頁)


 さらにいえば,法学の履修と語学の履修との間には思わぬ類似性があることも,ここで指摘しておくべきだろう。

 (a)語学の学習というものは,いわば底のないものであり,一定の範囲内のものをマスターすればそれで終わるというものでは決してない。・・・一定の完結した理論や体系を観念的に消化すればそれで事足りるという性質のものではないのである。ところで法学の履修ということも,これと酷似する一面がある。・・・他者の思考の産物をただ取り込んだものを吐き出せるようになれば法学の履修が完成した,などといえるものではないのであって,わがものとした知識を無限に新しく生じてくる問題に適切な形で活用しうるような応用力を自らの中に貯えるということが,法学学習の一つの目標なのである。・・・

 (b)語学力をつけるためには,文法や構文の原理等の一定の規則を身につけることが基礎になければならないが,法を学ぶ場合にも似たような面があるわけである。また,語学力を伸ばすためには・・・苦心して単語を記憶するという労をふまねばならぬわけであるが,法律を学ぶについても,条文の内容はもちろん,過去の判例や現在の学説など法的思考の道具となるものを正確に記憶し,いつでもそれが取り出せるような形で頭の中に整頓しておくということが必要である。・・・「予習」と「復習」が不可欠であることでも,語学の学習と法学の履修の間には,大きな共通性があるのである。

 (c)・・・法を学ぶ者は,過去において少なくも一度は語学の学習という新しい壁にぶつかり,それと格闘してやがてそれを突き抜けたという経験をもつはずであるから,それを思い起こしてみれば,法の学習の過程で突き当たる戸惑いを克服する上で大きな参考となる・・・。(260-261頁)


 ところで,法学履修に当たっては語学学習の方法論が生かされるということのみが三ケ月教授によって説かれたわけではありませんでした。語学の習得は,また,それ自体として,来るべき時代の我が国の法律関係者にとって極めて重要な素養であるということも熱く説かれていました。



・・・自らのもつ問題を自主的に解決するためにも,目を外国の動向に注ぎ,ひろく世界の現況を見わたすという能力が,これからの法律家にとっても強く要求されることになる。そして,そのためには,これらの国の文献を自ら読破することが不可欠であるのはいうまでもない。・・・法に携わる者が,世界の動向を洞察するための最も基礎的な武器として語学力を磨くという必要は,今後も増大することはあっても減少する見込みはない・・・。(三ケ月・前掲260頁)


・・・今や,外国法を学び外国語をマスターするということは,これまでとは違った新しい意味を帯びてきつつあるということも,われわれは見抜かなければならない。それは右にみたように,世界各国が共通に解決しなければならない法律問題のために,日本もまた法の先進諸国とまったく同じ立場において競争し,場合によっては指導さえしなければならないということとも関連するし,また,日本の打ち出す独創的な解決方法が,諸外国の法律家の視線を浴びることが,これまでよりも繁くならざるをえないという事態とも対応する。今後日本の法に携わる者は,単に「自国のため」という狭い視野にとらわれることなく,ひろく世界共通の問題の解決のために自らの工夫を公開し,共通の問題と苦闘する諸外国での解決のための一つの参考例を提供し続けるということが,日本の法および法学の一つの新しい任務となってくるはずなのである。(274-275頁)


・・・日本が次に暗黙に目標として掲げたのは,経済力を背景として世界の列強に伍するということであった。このような努力はある程度は成果をあげたとはいいながら,そのような形を通じての国際社会への参画のみでは,一種の成金趣味という批判を免れることはできまい。これにくらべて,国際社会に真に尊敬されうる形で仲間入りをし,永続する形で影響力を及ぼしてゆくためには,文化的な面での貢献をなすことが必要であるはずである。(277頁) 


 当時の若者たちは,三ケ月教授から重い期待をかけられていたようです。しかし,"Japan as No. 1"の時期から,プラザ合意を経て,貿易摩擦,バブル経済の狂騒と崩壊,そして長い停滞の時代・・・どれだけの達成があったものか。少なくとも,日本にとってふさわしい必要な語学力を身につけた人材が足りていないではないかという慷慨は,結局昔の日本人の間でも今の日本人の間でも変わっていないようです。


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(2)「断片」の深み

 語学の学習は「底のない」ものではあります。しかし,一応の到達目標はどれくらいのものでしょうか。例えば,古代ギリシャ語については,「紙に書かれた断片を見ても,すぐこれがサッフォーのギリシャ語か,ルキアヌスのものか,プラトンのものか分かるようになる」レベルにまで至ると――「考えてみれば,われわれも清少納言と西鶴と漱石と芥川龍之介と大江健三郎のテキストを見せられれば,その区別はつくので」――ほぼ「母語のレベル」に達したことになるものであるとされ,また,そこまで古代ギリシャ語の知識のレベルを上げるための詳しい学習書とそれに附属の「二十数冊」の厖大な練習問題とが実はこの世には存在するということが紹介されています(千野栄一『外国語上達法』(岩波新書・1986年)92-93頁)。

 「ヨーロッパの伝統的な大学の「文献学」の卒業試験は,多くの場合一片のテキストが与えられ,そのテキストの書かれた時代と地方をいろいろな言語特徴から当てることなので,これが専門家のためのレベルということになる」そうです(千野・前掲93頁)。


 以上は外国語の学習のはなしです。それでは法学の履修効果はどのように現れるものでしょうか。

 一片のテキストから,どれくらいのことが当てられるものか,一つの興味深い断片を材料に検討してみましょう。


2 公社に関するテキスト分析


(1)あるテキスト

 ある法律関係書の中に,次のような一節がありました。



・・・同氏は内閣総理大臣の任命により○○公社の・・・総裁に就任・・・


 一見極めてもっともらしいテキストです。

 しかし,当該分野に関する経験,理解又は知識が相当ある人間がこれを読むと,当該テキストが書かれた環境について何ともいいようのない感覚に襲われてしまうものなのです。

 とはいえ,その感覚とはどのようなものかを御説明するためには,上記テキストを細かく分析することが必要ですね。


(2)様々な公社

 まず,「○○公社」の正体を探りましょう。

 法令用語としての「公社」については,吉国一郎ほか歴代内閣法制局長官共編の『法令用語辞典<第八次改定版>』(学陽書房・2001年)において,次のように説明されています。



 「公社」の用語は,昭和246月旧日本専売公社法(昭和23法律215号)により,それまでの大蔵省専売局が独立の公法人たる「日本専売公社」に改組された際初めて用いられた用語である。旧日本専売公社と同時に設立された旧日本国有鉄道には「公社」の名称は用いられなかつたが,昭和277月,「日本電信電話公社」が設立されるに及んで,これら3者を総称する用語として,しばしば「公社」の用語が用いられるようになつた。・・・ちなみに,「公社」の名称をもつ公法人としては,昭和31年に設立された原子燃料公社があつた・・・なお,地方住宅供給公社,地方道路公社及び土地開発公社は,それぞれ地方住宅供給公社法,地方道路公社法及び公有地の拡大の推進に関する法律に基づいて設立された特殊法人であつて,「公社」の名称を有するが,これらの設立は地方公共団体によつて行われ,その業務は地方公共団体の行政事務の処理に当たるものであるから,上記の政府関係法人たる「公社」と異なる。・・・(246-247頁)


 本件テキストにおいては,「○○公社」であってその名称中に「公社」が含まれていますから,「○○公社」が旧日本国有鉄道である可能性は排除されます。「内閣総理大臣」が総裁を任命するというのであるから日本国政府の関係法人であって,地方公共団体によって設立される地方住宅供給公社,地方道路公社及び土地開発公社も除かれます。そうであれば,「○○公社」は,旧日本専売公社か,旧日本電信電話公社か,旧原子燃料公社か,それともあるいは,2003年に設立され2007年に解散した旧日本郵政公社か。

 しかし,旧日本専売公社,旧日本電信電話公社,旧原子燃料公社及び旧日本郵政公社以外にも「公社」を名称に含む法人が存在し,ないしは存在していたのではないかなおも心配ではあります。そこで,国立国会図書館のウェッブ・サイトの「日本法令索引」ウェッブ・ページで,「公社」の文字を題名又は件名に含む法律,勅令及び政令について「制定法令検索」をかけてみたところ,やっぱり,次のような旧法律が見つかりました。


 連合国軍人等住宅公社法(昭和25年法律第82号)

 特別鉱害復旧臨時措置法(昭和25年法律第176号)


 特別鉱害復旧臨時措置法については,特別鉱害復旧公社解散令(昭和25年政令第355号)という関連政令があったところです。

 では,旧日本専売公社,旧日本電信電話公社,旧原子燃料公社,旧日本郵政公社,旧連合国軍人等住宅公社及び旧特別鉱害復旧公社について,それぞれのトップと,その任命権者について見てみましょう。


 まず,特別鉱害復旧公社。トップは理事長であって(特別鉱害復旧臨時措置法191-2項),「総裁」ではありません。理事長の任命権者は通商産業大臣(同法20条)。(ところで,この公社の主たる事務所は福岡市にあったのですね(同法141項)。)

 連合国軍人等住宅公社。トップは理事長で(連合国軍人等住宅公社法10条,111項),やはり「総裁」ではない。理事長は,「特別調達庁長官をもつてこれに充てる」ものとされていました(121項)。

 日本郵政公社。トップは堂々たる響きの総裁(日本郵政公社法(平成14年法律第97号)8条,101-2項,111項)。しかし,総裁の任命権者は,小泉純一郎内閣総理大臣自らが郵政民営化に熱心であったにもかかわらず,総務大臣となっていました(同法121項)。

 原子燃料公社。トップはやはり理事長(原子燃料公社法(昭和31年法律第94号)8条,91項)。マイナーな公社のトップでは,「総裁」とは名乗れないようです。しかし,原子燃料公社の理事長の任命権者は,内閣総理大臣です(同法101項)。

 日本電信電話公社。トップは総裁(日本電信電話公社法(昭和27年法律第250号)19条,201項)。総裁の任命権者は,おっ,内閣(同法211項)。

 最後に日本専売公社。トップはこれも総裁でしたが(日本専売公社法10条,111項),その任命権者は大蔵大臣でした(同法121項)。

 (ちなみに,日本国有鉄道ですが,トップはこれも重い職名の総裁で(日本国有鉄道法(昭和23年法律第256号)18条,191項),その任命権者は内閣でした(同法201項)。)


 以上見たところから,「総裁の人事の話だし,「内閣総理大臣内閣」だろうから,「○○公社」の○○には「電電」が入って,これは,日本電信電話公社のことを対象に書かれたテキストなんだね。」と推理した人は,正解です。本件テキストの実際は,



・・・同氏は内閣総理大臣の任命により電電公社の・・・総裁に就任・・・


と書かれていたものでした。

 しかし,脱力です。


(3)お花畑の発見

 なぜ脱力感にさいなまれるのか。

 堂々たる法律関係書籍中に本件テキストを書いてしまった人物は,そもそもの基礎的な1次資料である日本電信電話公社法の条文に注意して当たって裏をとらずに,ないしは,同じ傾向の現れということになりますが,「法的思考の道具となるものを正確に」記憶ないし理解しないまま勇敢にもものした作文をもって「仕事」をしたことにしてしまい,そして,そのように果敢な節約が許容され,かつ,更にそのような「仕事」が評価される環境にあって優美に盤踞しているものと想像されるからです。厳しい作法のアカデミズムの世界,とは全く異なった,お花畑ですね。前者にあっては,「他者の思考の産物をただ取り込んだものを吐き出」す場合であっても,それ相応の丁寧さが必要である云々ということでわずらわしいのでしょうが。

 しかし,


 内閣と内閣総理大臣とは,違います。

 法律の専門家は,両者を混同しないものです。


 とはいえ,脱力状態から気を取り直して考えれば,上記横着は,そこから問題意識が喚起され,さまざまな思考へと導かれるきっかけではあります。


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3 内閣と内閣総理大臣
(1)内閣
 

 内閣は,「その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する」ものと規定されています(憲法661項,内閣法2条)。合議体の機関であって,「内閣がその職権を行うのは,閣議によ」ります(内閣法41項)。


(2)内閣総理大臣とその三つの顔

 内閣総理大臣は,三つの顔を持っています。一つ目は前記の憲法及び内閣法の規定のとおり,内閣の首長です。ただし,飽くまでも首長であって,内閣それ自体ではありません。二つ目は,内閣府の長です(内閣府設置法(平成11年法律第89号)6条)。三つ目は,内閣官房,内閣法制局,国家安全保障会議といった内閣補助部局の主任の大臣です(内閣法24条,内閣法制局設置法(昭和27年法律第252号)7条,国家安全保障会議設置法(昭和61年法律第71号)13条)。


ア 内閣府について

 200116日に内閣府が発足するまでの総理府は,国家行政組織法(昭和23年法律第120号)上は他省と並びの国の行政機関とされていたので,総理府の長たる内閣総理大臣は各省の長である各省大臣(同法5条)と同じだよという説明が可能でした。しかしながら,内閣府は,国家行政組織法から外れて,同法に基づく「行政組織のため置かれる国の行政機関」(同法32項)ではなくなったので,ちょっと性格が複雑です。

 省は,「内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれる」(国家行政組織法33項)のに対し,内閣府は,端的に,「内閣に,内閣府を置く。」(内閣府設置法2条)とされて,内閣官房同様(内閣法121項),内閣に置かれます。「統轄」は,「上級の行政機関等がその管轄権の下にある他の下級の行政機関等を包括的に総合調整しつつ,すべること」(吉国ほか・前掲559頁)であるのに対して,「統轄」抜きですから,内閣との関係が直接的です。

 また,省は「行政事務をつかさどる機関」ですから,各省大臣は,「内閣法・・・にいう主任の大臣として,それぞれ行政事務を分担管理」します(国家行政組織法51項)。ところが,内閣府の長である内閣総理大臣は,「内閣府に係る事項についての内閣法にいう主任の大臣」ではあるのですが,内閣府設置法「第4条第3項に規定する事務を分担管理する」ものと規定されているだけであり(同法62項),同法4条に規定されている内閣府の所掌事務のうち,同条1項及び2項に掲げられたものについては当該「事務を分担管理する」ものとはされていません。「分担管理」は「行政事務を分担して管理すること」(吉国ほか・前掲663頁)ですが,それでは内閣府設置法41項及び2項の事務は内閣総理大臣によって分担管理されるべき行政事務ではないのか,ということになります。しかしながら,それはそのとおりであって,「閣議の事務を直接に補佐する事務及びこれに付随する事務(例えば,内閣官房及び内閣法制局の事務)のごときは,上記の意味での分担管理の対象とはされていない」のです(吉国ほか・前掲663頁)。すなわち,「内閣の職権に属する行政事務のうちには,その性質上,まれに,内閣総理大臣その他の国務大臣の分担管理に属させられることなく,その意味で,内閣に直接属すると認められる事務」があるところ,「内閣府設置法41項及び2項に規定する事務は,その性質上内閣に直接属すると認められる事務であるが,特に内閣総理大臣を主任の事務ママ。「大臣」の誤りでしょう。と定めているものといえよう(内閣府設置法3Ⅰ・Ⅱ・46Ⅱ)」とされています(吉国ほか・前掲379-380頁)。

 内閣府の所掌事務のうち,内閣府設置法41項及び2項に属するものは,200116日より前ならば内閣官房の所掌事務(内閣法122項・3項参照)とされ,内閣府設置法43項に属するものは総理府の所掌事務であった,というふうに考えるのが分かりやすいでしょう。なるほど,内閣府設置法41項及び2項の事務は同法31項の「任務」である「内閣の重要政策に関する内閣の事務を助けること」を達成するための事務とされていますが,当該任務を遂行するに当たっては,内閣府は本家の「内閣官房を助けるもの」とされています(同条3項)。


イ 主任の大臣について

 ところで,「主任の大臣」とは,「ある行政事務を主管する立場における大臣」(吉国ほか・前掲379頁)ないしは「行政事務を分担管理する立場における各大臣」(同663頁)とされています(内閣法31項,国家行政組織法51項)。他方,内閣府設置法41項及び2項の事務は「その性質上内閣に直接属すると認められる事務」であるので,内閣総理大臣は当該事務を分担管理していないのですが,それでもそれらの事務事項についての「内閣法にいう主任の大臣」は内閣総理大臣とされています(同法62項)。「主任の大臣」であるためには,定義上,当該行政事務を主管ないしは分担管理しなければならないはずなのに,当該事務を分担管理していなくても当該事務事項の「主任の大臣」であるというのはどういうことでしょうか。「主任の大臣」の定義が破綻していて,行政事務の分担管理は実はその要素ではないと考えるべきでしょうか。それとも,行政事務の分担管理を「主任の大臣」の要素とする原則は維持しつつ,「その性質上内閣に直接属すると認められる事務」については当該事務を分担管理しない大臣であっても「主任の大臣」とするという例外があるものと考えるべきでしょうか。歴代内閣法制局長官共編の『法令用語辞典<第八次改定版>』は後者の立場を採るもののように観察されます。



・・・もつとも,閣議の事務を直接に補佐する事務及びこれに付随する事務(例えば,内閣官房及び内閣法制局の事務)のごときは,上記の意味での分担管理
内閣の職権に属する行政事務の内閣総理大臣その他の国務大臣による分担管理の対象とはされていないが,この場合でも,これらの事務に関する法律,政令の署名などの必要(憲法74)から,別に主任の大臣が定められる(例えば,内閣法23ママ,内閣法制局設置法7)。(吉国ほか・前掲663頁)


 内閣官房,内閣法制局といった内閣補助部局の主任の大臣としての内閣総理大臣の三つ目の顔は,この,主任の大臣の本来の定義からすると例外的なものである,分担管理していないところの内閣の事務事項に係る主任の大臣としての顔ということになります。


 しかし,「これらの事務に関する法律,政令の署名などの必要(憲法74)から,別に主任の大臣が定められる」という説明には興味がそそられます。行政事務は主任の大臣間で分担管理されるということを我が憲法は前提としていて,「法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。」と規定する憲法74条は,当該前提に基づくと同時に当該前提の存在の証拠となるものである(「憲法は「行政各部」と「主任の大臣」について定め(72条・74条),法律の立案・運用について所管するものの存在を予定している。」(佐藤幸治『憲法第三版』(青林書院・1995年)219頁),というのが通常の説明なのですが,憲法74条の「署名」の必要から主任の大臣をひねくり出すという,逆立ちした論理がここに現れているように見えるからです。そうだとすると,そもそも憲法74条の存在が必要とされることとなった直接の理由であるものと解される同条の署名及び連署とは何なのだ,ということが問題になります。よく考えると,これらの署名及び連署の趣旨は分かりにくいところです。しかし,この問題は,ここで寄り道して論ずるには大き過ぎるでしょう。


(3)帝国憲法時代の内閣と内閣総理大臣 

 ところでちなみに,内閣及び内閣総理大臣が憲法上の存在ではなかった大日本帝国憲法の時代には,実は,内閣と内閣総理大臣との区別はあいまいであったところです。



 行政官庁としての総理大臣の職務に付いては,各省大臣と異なり,特別の一省を置かず,省に相当する名称としては,内閣と称して居る。故に内閣といふ語は,二の全く異つた意義に用ゐられて居り,或は全国務大臣の合議体を意味することが有り,或は内閣総理大臣を意味することも有る。内閣所属職員と曰ひ,内閣に隷すと曰ふやうな場合は,何れも内閣総理大臣の意味である。(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)418頁)


 内閣と内閣総理大臣とを混同した本件テキストの筆者は,戦前派の頽齢のお年寄りだったのではないかという推理も可能です。(近代的内閣制度発足に当たって,18851222日の明治18年太政官達第69号は「内閣総理大臣及外務内務大蔵陸軍海軍司法文部農商務逓信ノ諸大臣ヲ以テ内閣ヲ組織ス」としていましたが,同日の三条実美太政大臣による奉勅の達である内閣職権では,「内閣」職権といいつつ,本文中に「内閣総理大臣」はあっても「内閣」はありませんでした。)そうだとすると,体も弱いことでしょうし,今更余り難しいことをいうのもお気の毒ですね。

 

4 公社トップの任命権者としての内閣総理大臣と内閣

 内閣総理大臣がその理事長を任命した原子燃料公社は,内閣によって監督されるものではなく,内閣総理大臣によって監督されました(原子燃料公社法351項)。具体的には,当該事務は,総理府の外局である科学技術庁(科学技術庁設置法(昭和31年法律第49号)2条)の所掌でした(同法88号は「原子力研究所及び原子燃料公社に関すること。」を同庁原子力局の所掌事務とする。なお,科学技術庁の初代長官は,読売新聞・読売ジャイアンツ等で有名な正力松太郎でした。)。

 日本電信電話公社総裁が内閣総理大臣によって任命(閣議決定を経ない。)されたのならば,原子燃料公社との並びからいっても,電電公社は内閣総理大臣によって監督され,当該事務は総理府又はその外局の所掌とされるものであったはずです。しかしながら,現実には,電電公社総裁は内閣によって任命(閣議決定を経たもの)されたところ(辞令の紙の交付は内閣を代表して内閣総理大臣がしたかもしれませんが。),電電公社の監督事務は,内閣が自ら行うものではなく,また内閣総理大臣によって分担管理されるものでもなく,郵政大臣によって分担管理されるものとされ(日本電信電話公社法75条。総裁が内閣によって任命される仲間の国鉄も運輸大臣によって監督されていました(日本国有鉄道法52条)。),郵政大臣の当該事務は郵政省の所掌とされていました(郵政省設置法(昭和23年法律第244号)422号の2等)。


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