1 はじめに

 日本国憲法74条は,「法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。」と規定しています。

 同条にいう主任の国務大臣の署名及び内閣総理大臣の連署とは何だ,ということが今回の主題です。

 例のごとく,またまた長大なものになってしまいましたが,御寛恕ください。

  ただし,お急ぎの方のために憲法74条の由来に関する本件小咄の主要点のみ述べれば,19462月のGHQ内における日本国憲法の草案作成作業段階においては,①同条の前身規定は,当初は「首相」による法令の公布に関するものであったこと及び②できあがった同条においては主任の国務大臣が署名して内閣総理大臣が連署するということで主従が逆転したような規定になっていますが,この逆転については,GHQ内において強い首相(a strong executive)を設けるべきだとする意見がある程度認められかけて条文が作成された後に逆転があって,連帯責任制の集団である内閣に行政権が属するものとする現行憲法65条等の条文ができた,という流れの中で解釈論を考える必要性があるのではないか,ということです。


2 政府の憲法74条解釈


(1)現行解釈

 憲法74条の署名及び連署は,官庁筋においては,次のように解されています。

 


・・・主任の国務大臣の署名が,当該法律又は政令についての執行責任(この場合の「執行」とは,憲法73条でいう「執行」と同様に,法律制定の目的が具体的に達せられるために必要と考えられるあらゆる措置をとることをいうと考えられる。)を明らかにするものであるのに対して,内閣総理大臣の連署は,内閣の首長であり,代表者である資格において,その責任を明らかにするためにするものである。内閣総理大臣も,その法律又は政令について「主任の国務大臣」である場合は,署名の順位は,内閣総理大臣を冒頭とし,その他の主任の大臣は,これに次ぐものとする取扱いである。・・・(吉国一郎ほか共編『法令用語辞典
<第八次改訂版>』(学陽書房・2001年)759頁)


・・・右の署名とは自らその氏名を記すことをいい,連署とは他の者の署名に添えて自らその氏名を記すことをいう。法律及び政令について,主任の国務大臣の署名及び内閣の首長たる内閣総理大臣の連署が必要とされるのは,法律にあってはその執行の責任を,政令にあってはその制定及び執行の責任を明らかにするためにほかならない。(前田正道編『ワークブック法制執務<全訂>』(ぎょうせい・1983年)26頁)


・・・「副署」は,憲法74条によつて法律及び政令についてされる主任の国務大臣の「署名」及び内閣総理大臣の「連署」とは,その性質を異にする。前者は,内閣の助言と承認があつた証拠としてされるものであり,後者は,法律及び政令の執行責任・・・を明らかにするためにされるものである。したがつて,法律及び政令については,まず主任の国務大臣の署名及び内閣総理大臣の連署がされた後,その公布をするについて更に天皇の親署に添えて内閣総理大臣の副署がされることが必要である(なお,公布されるべき条約についても,同様の取扱いがされており,憲法改正の際にも同様の取扱いがされるべきものであろう。けだし,憲法改正及び条約についても,法律及び政令の場合と取扱いを異にすべき理由はないからである。)。(吉国ほか・前掲643頁)


 法律及び政令を公布するに当たって必要とされる主任の国務大臣の署名及び内閣総理大臣の連署は,法令の末尾においてされる。(前田・前掲660頁)


 そもそもにさかのぼると,1946921日,第90回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会において,子爵松平親義委員の質疑に対する金森徳次郎国務大臣の答弁は,次のとおりでした。



・・・今回の法律及び政令と,是は天皇の御裁可を本質的には要しないものであります,公布は天皇の御権能に属して居りまするけれども,決定は天皇の御権能に属して居りませぬ,そこで国務大臣が署名すると云ふことは,在来の如く,
法律勅令の裁可に対する輔弼と云ふ意味を直接には持ち得ない訳でありますけれども,既に法律及び政令が出来ますれば,それに対して十分執行の責任を負はなければならぬのであります,法律に付きましては,是はまあ国会で出来ましたものでありますから,執行責任と云ふことに重点が置かれるものと思ふのであります,政令に付きましては,是は内閣が議決したものでありますが故に,其の方面の責任と,執行の責任と云ふものを明かにする何等かの形式上の要請があると思ひます,併し是は勿論署名したから責任が出るかと云ふことではありませぬけれども,署名した限りは,責任の所在は非常にはつきりして居る,詰り自分の知らない書類ではありませぬ,署名すれば必ず中身に付いて熟知して判断して居る筈でありますから,それで法律の場合には執行責任を明かにすることになり,政令の場合にはその制定と執行との両面に於て,責任を或意味に於て明かにする,斯う云ふ効果を持つものと考ふる次第であります(第90回帝国議会帝国憲法改正案特別委員会議事速記録第1941頁。原文は片仮名書き)


 法律の執行責任については,従来は,大日本帝国憲法6条(「天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」)に関して「併し法律の執行を命ずる行為は,各個の法律に付いて別々に行はるのではなく,官制現在の各省設置法等に対応に依つて一般的に命ぜられて居るに止まる。官制に依り法律を執行すべき職務を有つて居る者は,各個の法律に付き特別の命令あるを待たずして,当然にその執行の任に当るのである。」とされていたのですが(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)178頁),敗戦を経ると,やはり,国務大臣以下敗戦国政府の行政各部がちゃんと法律を執行するのか信用ならぬ,署名せよ,ということになったのでしょうか。

 また,金森国務大臣の答弁がところどころにおいて,「ものと思ふのであります」,「あると思ひます」,「或意味に於て」等断定口調になり得ていないのは,同国務大臣が自ら起草したわけではないことによる心のひるみの現れでしょうか。

 この点,確かに,大日本帝国憲法改正案の帝国議会提出に先立って,政府の法制局内部においても,見解は当初から一定のものとして確立してはいなかったようです。


(2)政府解釈確立までの揺らぎ


ア 1946年4月

 大日本帝国憲法改正案審議に向けた,19464月の法制局の「憲法改正草案逐条説明(第4輯)」には,いわく。



70日本国憲法74

 本条は法律及び政令の形式の一端を規定致したものでありまして,此等には,すべて主任の国務大臣が署名し尚内閣総理大臣が連署すべきものと致したのであります。これは,特に政令については,現行制度の下に於ける副署と同じ様に国務大臣の責任を明ならしめるものであると共に,国の法律及び政令としての体を整備せしめんとするものであります。


 (なお,以下,日本国憲法制定経緯に係る関係資料については,国立国会図書館ウェッブサイト電子展示会「日本国憲法の誕生」参照。関係資料がこのように使いやすい形で提供されている以上は使わなければならず,便利であるということはかえって大変になるということでもあります。) 


 「現行制度の下に於ける副署と同じ様に国務大臣の責任を明ならしめるものである」というのは,「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と規定する大日本帝国憲法552項の規定に係る国務大臣の責任と同じ,ということでしょうか。しかし,同項の副署に係る国務大臣の責任は,統治権の総攬者にして神聖不可侵である天皇に対する輔弼責任でしょう。上記「逐条説明」の文言は,日本国憲法下では,ちょっと問題のある言い回しのようです。

 帝国憲法552項については,「副署を為した大臣はそれに依つて当然その責任者であることが証明せられるのであるが,副署に依つて始めて責任を生ずるのではなく,輔弼したことに因つて責任を生ずるので,輔弼者としてその議に預つた者は仮令副署せずとも,その責を免ることを得ないのである。此の点に於いても,憲法義解に『副署ハ以テ大臣ノ責任ヲ表示スヘキモ副署ニ依テ始メテ責任ヲ生スルニ非サルナリ』と曰つて居るのは,正当な説明である。」(美濃部・前掲519-520頁),「副署は輔弼を外形的に証明するもので,輔弼の範囲と副署すべき範囲とは当然一致しなければならぬことは,言ふまでもない。」(同516頁)と説明されていました。『憲法義解』の解説は,「大臣の副署は左の二様の効果を生ず。一に,法律勅令及其の他国事に係る詔勅は大臣の副署に依て始めて実施の力を得。大臣の副署なき者は従て詔命の効なく,外に付して宣下するも所司の官吏之を奉行することを得ざるなり。二に,大臣の副署は大臣担当の権と責任の義を表示する者なり。蓋国務大臣は内外を貫流する王命の溝渠たり。而して副署に依て其の義を昭明にするなり。」となっています。

 「特に政令」といわれているのは,政令という法形式が日本国憲法によって初めて導入されたからでしょう。


 また,同じく19464月付けの法制局「憲法改正草案に関する想定問答」(第6輯)には日本国憲法74条の規定について,次のように記されていました。



問 法律の署名は,いかなる意味をもつか。

答 法律は,原則として,両院の可決のあつたときに成立する(5559)。

 そこでこの署名は法律成立後の手続となるのであるが,法律公布の際,天皇に対し補佐と同意に任ずる者は,内閣であるし,又法律を施行し,その実施のための政令を制定するのも,内閣であるので,成立後主任の大臣に副署させ,成立の事実を確認して,次の事実に移らせることとしたのである。


問 政令はこの署名のあつたときに成立するか。

答 然り,この点法律と異なる


問 主任の国務大臣の意義如何

答 各国務大臣は,それぞれ主務をもつことを予定した規定である。従つて各省大臣の制か,これに近き制度が新憲法でも考へられてゐると見ねばならない。なほ内閣総理大臣もその主務については,ここにいはゆる主任の国務大臣であることは,言をまたない。


問 内閣総理大臣の連署はいかなる意味か。

答 内閣総理大臣は内閣の首長だからであるとともに,またその行政各部の指揮監督権に基くものである。


 2番目の問答では,政令は主任の国務大臣の署名(及び内閣総理大臣の連署)があった時に成立するものとしていますが,この見解は,帝国議会における前記の金森国務大臣答弁においては放棄されています(「既に法律及び政令が出来ますれば」,「政令に付きましては,是は内閣が議決したもの」)。 

 1番目の問答には,「法律公布の際,天皇に対し補佐と同意に任ずる者は,内閣であるし」及び「副署」という文言があります。憲法74条の署名及び連署は天皇の公布行為に対する助言と承認の証拠であるという方向での解釈のようです。ここでの副署の語は,「西洋諸国のcounter-signature, contreseing, Gegenzeichnungの制に倣つたもので,副署とは天皇の御名に副へて署名することを謂ひ,単純な署名とは異なり,御名の親署あることを前提とするのである。」という解説(美濃部・前掲514頁)における意味で使われているものでしょう。


イ 1946年6月

 現在は,天皇に対する内閣の助言と承認に係る内閣総理大臣の副署と憲法74条の署名及び連署とは別のものであるという整理になっていますが,当該整理に至るまでには,なかなか時間がかかっています。

 19466月の法制局の「憲法改正草案に関する想定問答(増補第1輯)」には,なお次の記述(「備考」の部分)があります。



問 国務大臣が,天皇の行為に副署する規定をなぜ置かぬか。(現行
帝国憲法55Ⅱ参照

答 副署といふ制度は,内閣の助言と承認のあつたことの公証方法として今後もこれを残すことは考へられる。しかしかかる形式的制度は,憲法に明文ををく必要はなく,公式法とでもいつた法律で規定すれば十分である。

(備考)

 なほ法律及び政令については,70日本国憲法74の署名及び連署と公布の副署とをいかに考へるか研究を要する。


 憲法改正草案は19464月から5月にかけて既に枢密院審査委員会にかけられていたのですが,6月になっても依然考え中です。ちなみに,当該審査委員会においては,日本国憲法74条の署名及び連署についての直接の議論はありませんでした。


3 学説の憲法74条批判

 憲法74条の署名及び連署について,政府当局は苦心の末現行解釈にたどり着いたわけですが,苦労するということは実はそもそもの条文に問題があるということで,せっかくの苦労にもかかわらず,結局同条はよく分からん,という次のような学説の批判があります(宮沢俊義著・芦部信喜補訂『全訂 日本国憲法』(日本評論社・1978年))。



 法律および政令に対し,「主任の国務大臣」が署名することが,どういう意味をもつかは,かならずしも明確でない。

 法律についていえば,法律の制定者は国会である。したがって,制定者として署名するならば,国会の代表者としての衆議院議長が署名するのが適当であり,「主任の国務大臣」の署名は適当でないと考えられる。法律を執行することは,内閣の職務であるから,その法律の執行の責任者を示すことが趣旨であるならば,その内閣の代表者としての内閣総理大臣が署名することが適当と考えられるであろう。本条が特に「主任の国務大臣」の署名を必要としているのは,内閣の指揮監督のもとにおいて,その法律の執行を分担管理する責任者としての署名ということになるのであろう。(582頁)


 政令は内閣が制定するものであるから,制定者を明らかにするためには,内閣の代表者としての内閣総理大臣の署名が適当であると考えられる。それに対して「主任の大臣」の署名を必要とするのは,法律の場合についてのべられたと同様の趣旨と解するほかはない。(583頁)


 本条の定める「署名」または「連署」は,「主任の国務大臣」および内閣総理大臣にとって義務であり,これを拒否することは許されない。法律または政令は,それぞれ国会または内閣によって制定されるものであり,それらによって議決された以上,完全に成立したものである。本条に定める「主任の国務大臣」および内閣総理大臣の「署名」および「連署」は,まったく形式的なものにすぎず,これを拒否することはできないものと見るべきである。(584頁)


・・・「主任の国務大臣」または内閣総理大臣の署名または連署の有無が,その効力に影響をおよぼし得るものと解するのは妥当ではない。本条のいう「主任の国務大臣」の署名および内閣総理大臣の連署は,単に公証の趣旨をもつだけであり,それが欠けたとしても(実際問題としては,ほとんど生じ得ないことであるが),その効力には関係がないと見るのが正当であろう。(584頁) 


 かように,公布文における天皇の署名および内閣総理大臣の副署のほかに,本条による署名および連署が必要とされる理由は,十分とはいえないようである。

 ・・・要するに,本条の趣旨は十分に明確とはいいがたい。

 さきに指摘されたように,もしそれが制定者による公証の意味であるならば,法律の場合は,国会を代表して衆議院議長が署名するのが相当であろうし,政令の場合は,内閣を代表して内閣総理大臣が署名するのが相当であろう。また,執行の責任者としての公証の趣旨であるならば,行政権の主体である内閣の代表者としての内閣総理大臣が署名するのが相当であろう。すくなくとも,まず内閣総理大臣が署名し,第二次的に,主任の国務大臣が署名(連署)するほうが合理的なようにおもわれる。(585頁)


4 憲法74条の制定経緯


(1)1946年3月以降の案文の変遷

 法令における変な条文というのは,畢竟,その制定経緯に原因があります。

 そこで,日本国憲法74条の由来をさかのぼって行きましょう。

 同条の規定は,194632日の日本政府の憲法案(「松本烝治国務大臣案」)において既に次のようにあります。



77条 凡テノ法律及命令ハ主務大臣署名シ,内閣総理大臣之ニ副署スルコトヲ要ス


 同月4日から5日にかけてのGHQにおける法制局の佐藤達夫部長とGHQ民政局(Government Section)との折衝においては,「同年213日のGHQ草案66条(同年36日の要綱第70)問題ナシ 松本案ニアリ」ということで(佐藤達夫「三月四,五両日司令部ニ於ケル顛末」),その結果,日本政府の憲法改正草案要綱(同月6日)では次のとおりとなっています。



70 法律及命令ハ凡テ主務大臣署名シ内閣総理大臣之ニ副署スルコトヲ要スルコト


 現在の第74条の姿となったのは,194645日の口語化第1次草案で,これが同月17日に憲法改正草案として発表されています。次のとおり。



70条 法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。


 英文は,次のとおり。



All laws and cabinet orders shall be signed by the competent Minister of State and countersigned by the Prime Minister.


 上記憲法改正草案70条(現行憲法74条)と同年36日の要綱とは,「命令」が「政令」に代わったところが大きな変化ですが,これは同年42日に法制局幹部がGHQに民政局次長のケーディス大佐を訪問して了解を取ったようで,同日の訪問に係る「要綱の一部訂正の入江・佐藤・ケーヂス会談の覚」に挟まれた英文記載紙に"Following the discussion at the GHQ we have studied the draft constitution and desire to present the following observations:……Article 70. "Orders" is understood to be "cabinet orders"."とタイプ打ちされていました。


 結局,憲法74条の淵源は,1946213日に日本政府に交付されたGHQ草案66条にあって,「松本烝治国務大臣案」以降それが踏襲されているわけです。松本国務大臣が既に呑んでいたのですから,同年34日から5日にかけての折衝で「問題ナシ」であったのは当然でした。


(2)1946年2月のGHQ草案


ア 案文

 1946213日のGHQ草案66条は,次のとおりでした。



Article LXVI. The competent Minister of State shall sign and the Prime Minister shall countersign all acts of the Diet and executive orders.


一切ノ国会制定法及行政命令ハ当該国務大臣之ヲ署名シ総理大臣之ニ副署スヘシ(外務省罫紙の日本政府仮訳) 


イ ピーク委員会における案文作成

 GHQ民政局のPublic Administration Division内における憲法改正草案起草のための執行部担当委員会(The Committee on the Executive. Chairman: Cyrus H. Peake)での検討の跡を見てみましょう(Hussey Papers: Drafts of the Revised Constitution)。

 なお,同委員会委員長のサイラス・ピークは,コロンビア大学教授であったそうで(児島襄『史録 日本国憲法』(文春文庫・1986年(単行本は1972年))270頁),インターネットを調べると,同氏は,1933年には『フォーイン・アフェアーズ』誌に"Nationalism and Education in Modern China"という論説を発表しており,1961年にはコロンビア大学の企画に応じて,日本占領の思い出についてインタヴュー記録を残しているようです。1946223日にGHQ民政局に初めて出頭してそこで働き始めたドイツ出身のオプラー博士の回想によれば,ピーク博士は「親切で進歩的な学究であり,すぐに友達になった。彼は仕事初めの私を助けてくれた。彼は後に,かなりの期間国務省の学術研究課長をつとめ,その後カリフォルニア大学で教職についた。」とあります(アルフレッド・オプラー著,内藤頼博監訳,納谷廣美=高地茂世訳『日本占領と法制改革―GHQ担当者の回顧』(日本評論社・1990年)15頁・21頁)。

 さて,憲法74条に相当する条項のピーク委員会における最初の案は,タイプ打ちで次のとおりでした。



Article 8. Acts of the legislature and Executive Orders shall be promulgated by the Prime Minister after they are signed by him and countersigned by the competent Minister of State.

(第8条 立府部制定法及び執行部命令は,Prime Minister(首相)によって署名され,及び主任の国務大臣によって副署された後に,首相によって公布される。)


 これが,手書きで次のように直されて,日本国政府に交付されたGHQ草案になったようです(手書き部分はイタリック)。



Article 
6.  Acts of the Diet and Executive Orders shall be signed by the competent M. of State & countersigned by the P.M.

(第6条 国会制定法及び執行部命令は,主任の国務大臣によって署名され,及び首相によって連署されるものとする。)


 民政局のホイットニー局長に提出された報告書では,清書されて,次のようになっていました。



Article XXXIII. Acts of the Diet and executive orders shall be signed by the competent Minister of State and countersigned by the Prime Minister.


 単純に見ると,元々は法律及び命令の公布に関する規定ですね。執行部担当委員会では当初,法律及び命令はPrime Minister(首相)が公布(promulgate)するものと考えていたようです。

  (なお,"Prime Minister"をどう訳すかも実は頭をひねるところで,伊東巳代治による『憲法義解』の英訳では,内閣総理大臣は"Minister President of State"であって"Prime Minister"ではありません。そして,最初の日本政府のGHQ草案仮訳ではPrime Ministerは「総理大臣」であって,「内閣総理大臣」ではありませんでした。また,議院内閣制の本家である英国の首相のofficial title"First Lord of the Treasury"であると同国庶民院はウェッブサイトで紹介しており,10 Downing StreetFirst Lord of the Treasuryの官邸であると同国政府のウェッブサイトは説明しています。)

 これが,主任の国務大臣の署名及び首相の副署ないしは連署(countersign)のみに関し規定し,公布については言及しない形の条項となったのは,法律及び政令は天皇が御璽を鈐して公布(proclaim)するという天皇,条約及び授権担当委員会(Emperor, Treaties and Enabling Committee)の次の条項(手書きで"1st draft"と記入あり。前掲Hussey Papers: Drafts of the Revised Constitution)との調整の結果,修正されたものでしょうか。



Article V. The Emperor's duties shall be:

To affix his official seal to and proclaim all Laws enacted by the Diet, all Cabinet Ordinances, all Amendments to this Constitution, and all Treaties and international Conventions;以下略

(第5条 天皇の義務は,

国会によって制定されたすべての法律,すべての内閣の命令,すべての憲法改正,並びにすべての条約及び国際協定に御璽を鈐し,並びに布告すること。以下略


 GHQによる日本国憲法草案の作成作業の開始に当たって194624日に行われた民政局の冒頭会議の議事記録(Summary Report on Meeting of the Government Section, 4 February 1946)の自由討議の概要(Points in Open Discussion)として,「憲法の起草に当たっては,民政局は,構成,見出し等(structure, headings, etc.)については現行の日本の憲法に従う。」,「・・・新しい憲法は,恐らく英国のものほど柔軟なものであるべきでない。なぜならば,英国のものは,憲法的権利についての単一かつな基本的な定義(single and cardinal definition of constitutional rights)を有していないからである。しかし,フランスのものほど精細に起草されたものではあるべきではない(but less precisely drawn-up than the French)。」などという発言が記録されていますから(児島・前掲269頁によればケーディス大佐の発言),GHQとしては,少なくとも成文憲法として,大日本帝国憲法及びフランスの憲法は参照したようです。

 そうなると,GHQ草案66条は,やはり,「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と規定する大日本帝国憲法552項の規定を引き継いだものと解すべきでしょうか。同項の伊東巳代治による英訳は,次のとおり。



All Laws, Imperial Ordinances and Imperial Rescripts of whatever kind, that relate to the affairs of the State, require the countersignature of a Minister of State.


 公式令61項によれば「法律ハ上諭ヲ附シテ之ヲ公布ス」るものとされ,同条2項は「前項ノ上諭ニハ帝国議会ノ協賛ヲ経タル旨ヲ記載シ親署ノ後御璽ヲ鈐シ内閣総理大臣年月日ヲ記入シ之ニ副署シ又ハ他ノ国務各大臣若ハ主任ノ国務大臣ト倶ニ之ニ副署ス」と規定していました。帝国憲法552項は,法律の公布に係る同憲法6条と関連した規定だったわけです。

 フランス第三共和政の1875225日の公権力の構成に関する法律3条は,大統領は「両議院によって可決されたときは法律を公布し,それら法律に注意し,かつ,それらの執行を確保する。」,「共和国大統領のすべての文書は,大臣によって副署されなければならない。(Chacun des actes du président de la République doit être contresigné par un ministre.)」と規定していました。同法6条によれば,大臣が政府の一般政策について両議院に対して連帯して責任を負うものとされる一方,大統領は国家反逆罪の場合以外は無答責とされているので(Le Président de la République n'est responsable que dans le cas de haute trahison.),同法3条の大臣の副署は,輔弼の副署ということであったようです。

 

 法律の公布をだれが行うかは,ピーク教授が気にしていたところです。GHQにおける日本の憲法草案起草作業開始直後の194625日の民政局の会議で,次のようなやり取りがありました(Ellerman Notes on Minutes of Government Section, Public Administration Division Meetings and Steering Committee Meetings between 5 February and 12 February inclusive)。



 ピーク氏が,執行権者(the executive)のいくつかの権限について,憲法に書き込むべきかどうかの問題を提起した。例えば,執行権者が首相の任命を宣すべきことを明記すべきかどうか?執行権者がすべての法律に押印し,それらを彼の名で公布する(promulgate)のか?ケーディス大佐は,これらの比較的重要でない権限は明記されるべきものではないと発言した。もしそれらの事項が憲法に書かれてしまうと,将来の手続変更は正式の憲法改正によってしかできないことになると。ハッシー中佐は,天皇又は執行権者は立法府に責任を負う内閣(Cabinet)の助言と承認とに基づいてのみ行為するということが明確に示されれば,国璽を鈐すること(the affixing of the state seal)は儀礼的手続と同様のものになる,と指摘した。


 アルフレッド・R・ハッシー中佐は,主に会社法専攻の民事弁護士であったそうです(児島・前掲270頁)。同中佐の人物は,前記オプラー博士によれば,次のようなものでした。いわく,「私の直接の上官であるハッセーは,軍に入る前はマサチューセッツで弁護士をしていたが,海軍の制服を誇りを持って着ていた。彼は有能な法曹であり,なかなか洗練された文章を書いたが,私には彼の日本人への接し方があまりにも権威主義的で,少し威張りすぎるように思えた。彼は英米法の教育を受け,そこで経験を積んできたので,大陸法や日本法の体系に対する理解を欠いており,この点で私が役に立つことになることは明らかであった。私のハッセーに対する関係はまずいものではなかったが,どちらかというと職務上のつきあいに限られていた。」と(オプラー20-21頁)。

  ピーク教授の委員会は,ハッシー中佐の意見を採り入れて,まず天皇ではなく内閣の首相(Prime Minister)を執行権者(the executive)として法律の公布者とした上で,当該公布に対する責任を明らかにするために主任の国務大臣による副署(countersigned by the competent Minister of State)を要するものとする第1次案を作成したのでしょうか。これは一つの仮説です。


ウ 強い首相の個人責任か内閣の集団責任か(エスマン中尉対ハッシー中佐)

 当初は首相が署名して主任の国務大臣が副署するものとされていたピーク委員会の案が,主任の国務大臣の署名があってそれに首相が連署するものという主従逆転の形になったことについては,GHQ草案作成の最終段階である1946212日の運営委員会(Steering Committee)会合における, 修正後草案の見直しに係る下記の逆転劇の前段階におけるピーク委員会における整理について考えるべきものと思われます。

 当該逆転劇の前提段階における事情としては,上記会合に先立つ同月8日の運営委員会とピーク委員会との打合せにおいて,ピーク委員会のミルトン・J・エスマン中尉が「執行権(the executive power)は,彼の内閣(his Cabinet)の首長としての首相に明確に属すべきものであって,集合体(a collective body)としての内閣に属すべきではない。」と強い執行権者(a strong executive)を求めて頑張り,ケーディス大佐及びピーク教授は同意はしなかったものの,ケーディス大佐は譲歩はして,「明確に他に配分されていない執行権(the residual executive power)は首相に属すべきものとし,執行権の章の最初の条は"The executive power is vested in the Cabinet."から「執行権は,内閣の首長としての首相に属する。(The executive power is vested in the Prime Minister as the head of the Cabinet.)」となるように改めればよい」と勧告していたところです。

  ケーディス大佐の上記譲歩を得て,ピーク委員会は勇躍,最終報告書作成に向けて,次のような修正案を起草します(以下この修正を「エスマン修正」といいましょう。)。

 まず,執行権の所在。執行権は,内閣にではなく,「他の国務大臣とともに内閣を構成する首相」に属するものとされます。


 The executive power is vested in the Prime Minister who together with other Ministers of State shall constitute the Cabinet. In the exercise of its power the Cabinet shall be collectively responsible to the Diet.

(執行権は,他の国務大臣とともに内閣を構成する首相に属する。その権限の行使において,内閣は,国会に対し連帯して責任を負う。)


 執行権者は首相なので,現行憲法731号(内閣は「法律を誠実に執行し,国務を総理する」。)及び第6号(内閣による政令の制定)に相当する規定は,主語が異なり,内閣の首長としての首相が主語になっています。


 In addition to other executive responsibilities, the Prime Minister as the head of the Cabinet shall:

  ...

 Faithfully execute laws and administer the affairs of State;

  ...

  Issue orders and regulations to carry out the provisions of this Constitution and the law, but no such order or regulation shall contain a penal provision;

 ...

(他の執行上の任務のほか,首相は,内閣の首長として,・・・法を誠実に執行し,及び国務を総理する・・・この憲法及び法律の規定を実行するために命令及び規則を発する。ただし,当該命令又は規則には罰則を設けることができない・・・)


 以上のような条項が設けられた一方,現行憲法74条に相当する条項は,既にこの段階で現在の姿に近い形に出来上がっていました。


 Acts of the Diet and executive orders shall be signed by the competent Minister of State and countersigned by the Prime Minister.

(国会制定法及び執行部命令は,主任の国務大臣によって署名され,及び首相によって連署されるものとする。)


 「エスマン修正」によれば,法の執行及び執行部命令の発出は内閣ではなくその首長である首相の任務なので,上記条項における主任の国務大臣の署名は,閣外に向けた意義を有するものというよりも,まず首相向けのものでしょう。国会に対する内閣の連帯責任とも関係はするのでしょうが,第一には閣内統制手続ということになりそうです。この考え方の元となるべき発想は,「エスマン修正」前のピーク委員会の当初の原案における,首相と国務大臣との関係についての次のような規定に既に表れていたというべきでしょう。



 The Prime Minister and his Cabinet discharge the following functions:

  ...

  See that the laws are faithfully and efficiently enforced. The efficient management of public business by the Ministers of State shall be his ultimate responsibility.

  ...

(首相及びその内閣は,次の事務を行う。・・・法律が誠実かつ効率的に施行されるようにすること。国務大臣による公務の効率的運営について,首相は最終責任を負う。・・・)


 Each Minister of State shall be guided by and personally responsible to the Prime Minister for the administration of his department.

(各国務大臣は,その主任の行政部門の管理について,首相の指示を受け,かつ,個別に首相に責任を負う。)


 ピーク委員会の案においては,章名は「執行権(The Executive)」とされていたので,その点執行権者が首相であっても問題がなかったところです。この点,GHQ草案以降は章名が「内閣(The Cabinet)」になってしまい,「エスマン修正」的考え方の余地が無くなっています。

 同月12日の運営委員会で,ハッシー中佐が,上記「エスマン修正」を覆します(児島・前掲294頁参照)。



 金曜午後の「執行権」についての会合に出席していなかったハッシー中佐が,文言の修正に対して重大な反対を表明した。ハッシー中佐は,我々は国会に連帯して責任を負う内閣制度(a cabinet system collectively responsible to the Diet)を設立しなければならないものであって,首相であろうが天皇であろうが,独任制の執行権者によって支配される政府の制度(a system of government dominated by the individual executive)を設立してはならない,と主張した。集団的ではなく個人的な責任(individual rather than collective responsibility)は,SWNCC228に反するばかりではなく,日本において物事がなされる流儀に全く一致しないのである(entirely inconsistent with the way things are done in Japan)。執行権の章の第1条は,最初の形の「執行権は,内閣に属する。(The executive power is vested in a Cabinet.)」に戻された。


 日本人は集団主義者であるから,個人責任には耐えられないだろう,ということでしょうか。

 ハッシー中佐は,親切な人だったのでしょう。

 ハッシー中佐による上記再修正によって振り子が逆方向に大きく振れて首相権限縮小の方向で見直しがされたので,法律命令すべてを首相一人が個人責任を負う形で署名するのは精神的,更には肉体的に耐えられないだろうから,主任の国務大臣にそれぞれ署名を割り振って首相は連署にとどまるということにすれば集団責任的でよいではないか,という発想で現行憲法74条の文言をあるいは解釈し直すべきことになったのではないか,という仮説が,ここで可能になるように思われます。(とはいえ,そもそもの「エスマン修正」をも踏まえて考えると,現在の政府の憲法74条解釈は,なかなか落ち着くべきところに落ち着いているようでもあります。)

 ちなみに,主任の国務大臣は,GHQ草案では,現行憲法の条項におけるものよりも国会に対してより直接的に責任を負い得るような形になっていました。すなわち,日本政府の仮訳で説明すると,「国会ハ諸般ノ国務大臣ヲ設定スヘシ(The Diet shall establish the several Ministers of State.)」(第552項),「内閣ハ其ノ首長タル総理大臣及国会ニ依リ授権セラルル其ノ他ノ国務大臣ヲ以テ構成ス(The Cabinet consists of a Prime Minister, who is its head, and such other Ministers of State as may be authorized by the Diet.)」(第611項),「総理大臣ハ国会ノ輔弼及協賛ヲ以テ国務大臣ヲ任命スヘシ(The Prime Minister shall with the advice and consent of the Diet appoint Ministers of State.)」(第621項)のような条項が存在していました。

 なお,SWNCC228はアメリカ合衆国の国務・陸軍・海軍調整委員会(State-War-Navy Coordinating Committee)のGHQあて指令文書「日本の統治体制の改革(Reform of the Japanese Governmental System)」(19461月7日改訂)で,そこでは,天皇制が維持される場合には,代議制立法部の助言と同意によって選ばれた国務大臣らが,立法部に連帯して責任を負う内閣を組織すべきもの(That the Ministers of State, chosen with the advice and consent of the representative legislative body, shall form a Cabinet. )とされていました(4.d.(1))。ここで国務大臣を任命する者としては,やはり通常の立憲君主制の例に倣い,天皇が想定されていたのでしょうか。憲法上のPrime-Ministershipは,ピーク委員会の発意によるものだったようです。SWNCCは,形式的とはいえ執行権者が天皇である場合を想定しており,執行権者を民主的正統性を持つPrime Ministerにする可能性までは考えていなかったとすれば,エスマン中尉的な強力な首相制度も,前提が異なるのであるからあえてSWNCC228に反するもの(hostile)ではないと解する余地があったように思われます。そうであれば,1946212日の運営委員会において現行憲法65条の規定を実質的に確定したハッシー中佐の議論の結局の決め手は,「日本において物事がなされる流儀」だったということが言い得るようにも思われます。

  ところで,エスマン中尉は,1918915日ペンシルヴァニア州ピッツバーグ市生まれで当時は27歳。実は問題の1946年2月12日には職務命令で日光観光中でした(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川文庫・2014年(単行本は1995年))317頁,267-268頁)。「彼は前途有望で分析的思考をする爽やかで率直な男であり,ずっと公務員をしていた。」とはオプラー博士によるエスマン中尉評です(オプラー23頁)。現在はコーネル大学の政治学名誉教授として,まだ存命のようです。((注)2015年2月7日に96歳で亡くなりました。)


5 おわりに:現代日本に生きる「良き伝統」


(1)自由民主党改憲草案

 ここで,「占領体制から脱却」した「自主憲法」を制定すべく2012427日に自由民主党が決定した同党の日本国憲法改正草案を見ると,第65条は「行政権は,この憲法に特別の定めのある場合を除き,内閣に属する。」と,第74条は「法律及び政令には,全て主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。」となっています。

 第74条は平仮名を漢字に改めただけですね。(しかし,非常事態における法律に代わる政令について,特別の規定は不要なのでしょうか。)

  第65条の改正については,これは,会計検査院及び地方自治の存在との関係をはっきりさせるためだけのものだというのならば,現在と実質的な変りはないということになります。しかし,これは,新たに規定されようとしている内閣総理大臣の権限,すなわち国防軍の最高指揮官としての権限,衆議院の解散の決定権及び行政各部の指揮監督・総合調整権との関係で改められるものとされています。これらの権限は,内閣総理大臣が内閣とは独立に行使するものとされているものです。確かに,天皇による衆議院の解散に対する「進言」は,内閣ではなく内閣総理大臣が単独でするという規定になっています(しかし,衆議院解散の進言について「内閣総理大臣がその責任を負う」とまで書いてないのはなぜでしょうか。天皇が責任を負うわけにはいかないので,やはり内閣が連帯責任で責任をかぶるのでしょうか。それとも,どうせ総選挙後に総辞職するからいいんでしょうか。)。そうであれば,内閣総理大臣は,憲法上,内閣の首長及び国務大臣であるだけの存在ではないことになるのでしょうから,第5章の章名が「内閣」のままでよいことにはならないのではないでしょうか。「内閣総理大臣及び内閣」とでも改めた方がよいのではないでしょうか。

 ただし,第5章の章名に変更がない以上は,上記の例外を除けば,いずれにせよ,「日本において物事がなされる流儀」である集団責任主義は,やはり,「和を尊び」,「互いに助け合う」我が国のなお「良き伝統」であるもの(自由民主党改憲草案の前文参照)として,少なくとも形式的には原則として尊重されているように思われます。

 ところでちなみに,現在の諸六法においては,日本国憲法及び大日本帝国憲法のいずれについても上諭が掲載され,それぞれ副署した吉田内閣及び黒田内閣の全閣僚の名前が冒頭において壮観に並ぶということになっています。しかしながら,現在の運用を前提にした現行憲法74条が憲法改正の場合にも類推適用されるとすれば,成立した憲法改正に係る天皇の公布文に副署者として名前が出るのは内閣総理大臣だけで,閣僚の署名は末尾に回るということになります。しかも,日本国憲法の改正手続に関する法律1411号などを見ますと,憲法改正案とは別にその新旧対照表が存在するものとされていますから,憲法の一部改正案は「改める」文によって作成されるもののように思われます。すなわち,そうであると,憲法の一部改正も「溶け込み方式」によるわけでして,苦心の末日本国憲法を改正し,各閣僚が力を込めてその末尾に署名をしてみても,憲法がいったん「溶け込み」を受けてしまうとそれらは行き場を失い,六法編集者によって,公布文ともども無情にも切り捨てられる運命をたどることになるようです(憲法改正の附則中の必要部分は編集者の判断を経て掲載されるでしょうが。)。「溶け込み」を受けつつも,「マッカーサー憲法」は形式においてなお健在というような出来上がりの姿になります。内閣の全精力を傾けてせっかく憲法を改正しても,だれの名前も六法には残らずに,結局相変わらず吉田内閣の閣僚名が冒頭に鎮座するというのでは,ちょっと悔しく,がっかりですね。そうであれば,全部改正の形式を採るべきか(しかし,自由民主党自身シングル・イシューごとの改正になろうと考えているようで,全部改正ということにはならないようです。また,国会法68条の3),又は帝国憲法時代の皇室典範が皇室典範増補という形で改正を受けたように,日本国憲法増補というような形式を考えるべきか。確かに,少なくとも,「日本国憲法の一部を改正する憲法案」という議案名や「日本国憲法の一部を改正する憲法」という題名は,ちょっと耳慣れないですね(「憲法改正」ということになるのでしょう。)。憲法96条2項の「この憲法と一体を成すものとして」という規定も考慮する必要があります。アメリカ合衆国憲法の改正は, 増補方式ですね。

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(黒田清隆銅像・札幌市大通公園)

(2)和を尊び,互いに助け合う日本人

 ところで,世界に冠たるそのharakiriが米国でも有名なはずの日本人が,個人責任主義者であると錯覚されなかったのはどういうことだったのでしょう。ハッシー中佐は,日本人のハラキリは,個人責任の結果ではなく,実は集団主義の意地悪のしわ寄せの結果なのではないか,と見るような,うがった観察眼を持つ嫌味な人物だったのでしょうか。しかし,そのような嫌味な知性の働きは,少なくとも今の日本社会では,パワハラでしょう。

 和を尊び,互いに助け合う日本人。

 しかし,皆が優秀,正直かつ優しく麗しくて,仕事は順調,したがって,割拠独善反目嫉視悪口告げ口サボタージュ,出る釘を叩き打ち,足を引っ張るなどは思いもよらず,そもそも鬱病になるような人など更に無い理想社会のお花畑にあっては,因果な話ではありますが,弁護士は居場所が無くなってしまうかもしれません。痛し痒しです。しかし,ハッシー弁護士ならば,「そりや洋の東西を問わず,杞憂だよ。日本人には独特なところもあるけど,だからといって特別上等なわけじゃないよ。」と威張って嫌味に笑ってすましてくれたような気がします。