1 「悪法」たちの廃止

 先の大戦下の我が国民経済の運行に多大の影響を与えたお騒がせ法律である輸出入品等に関する臨時措置に関する法律(昭和12年法律第92)は,昭和20年法律第49号によって,1946116日に廃止されました。また,輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の兄弟分である国家総動員法は,昭和20年法律第44号によって194641日から廃止されています。

 国家総動員法とは「悪法」仲間であった治安維持法(長尾龍一「二つの「悪法」」ジュリ769号参照)は,「聯合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為」ということで,昭和20年勅令第542号に基づくポツダム勅令である昭和20年勅令第575号によって,帝国議会の協賛を経ずに19451015日に廃止されています。GHQに目をつけられてポツダム命令でばっさり廃止された治安維持法に比べれば,帝国議会の協賛を経た法律による廃止といういわばノーマルな終わり方をした国家総動員法や輸出入品等に関する臨時措置に関する法律は,同じ「悪法」といっても,治安維持法に比べれば罪が軽かったということでしょうか。国家総動員法に基づいて統制経済の運行に携わっている企画院内の「赤を潰す」ために,1941年の企画院事件では治安維持法が発動されたところですが,「悪法」同士のこのけんかにおいては,歴史の発展法則に照らして実は国家総動員法側に理があった,ということになるわけなのでしょう。


2 昭和20年法律第49号と昭和12年法律第92 

 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律等を廃止した昭和20年法律第49号の本文及び附則(本文には条は無いのに,附則は12条ありました。)の第1条は,次のとおりです。



法律第
49

左ノ法律ハ之ヲ廃止ス

 石油業法

 自動車製造事業法

 人造石油製造事業法

 製鉄事業法

 工作機械製造事業法

 航空機製造事業法

 軽金属製造事業法

 有機合成事業法

 重要機械製造事業法

 石油専売法

 戦時行政特例法

 軍需会社法

 昭和12年法律第92

 昭和17年法律第15

   附 則

1条本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム


 自省の権限の確保拡大を大切にする商工官僚ならば,「ああ,せっかくの業法たちが,わが省の権限が・・・ああ,もったいないもったいない」と涙が出たであろう法律ですね,昭和20年法律第49号は。


3 法令の題名と件名

 ところで,昭和20年法律第49号の本文では,廃止される法律として,「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律」が挙げられていません。代わりに無愛想に「昭和12年法律第92」とのみ掲げられています。これは一体どうしたわけでしょう。

 実は,昭和12年法律第92号には,その固有の呼び名である「題名」が付けられていなかったのです。題名のない法律だったのです。


(1)題名

 法令の題名は,その法令に固有のものであり,かつ,その法令の一部を成します(前田正道編『ワークブック法制執務<全訂>』(ぎょうせい・1982年)131-132)。そして「現在では,法令には,原則として題名が付けられることとなっており,少なくとも,法律及び政令には,すべて題名が付けられている」のですが,「昭和22年ごろまでは,法律においても,題名が付けられるものと付けられないものとがあり,重要な法令は別として,既存の法令の一部を改正する法令,一時的な問題を処理するために制定される法令,内容の比較的重要でない法令,簡潔な題名を付けることが困難な法令等については,むしろ題名が付けられないのが通例」でした(前田・前掲121頁)。昭和12年法律第92号はその一例ですし,また,昭和20年法律第49号も同様です。

 昭和12年法律第92号の場合は,「一時的な問題を処理するために制定される法令」だから,あえて正式に題名を付けなかったということであるように思われます。それとも,「物品需給関係調整法」などというように,がんばって簡潔に名前を付けると,経済統制色(「色」ということになるのでしょうか。)がはっきりし過ぎて角が立つと心配されたのでしょうか。


(2)件名

 では,昭和12年法律第92号の呼び名とされている「輸出入品等に関する臨時措置に関する法律」とは,その題名でないのならば何なのだ,ということになりますが,これは「件名」であるということになります。

 件名とは,「題名の付いていない法令については,その法令の公布文に引用されている字句をもって,その法令の同一性を表す名称としている」ところの「その法令についての便宜的な呼び名」のことです(前田・前掲131頁)。

 なお「公布文」とは,「公布者の意思を表明する文書をいい,公布文は,公布される法令の冒頭に付けられ」ますが,その「法令の一部を成すものではない」ものです(前田・前掲20頁)。公布文は,大日本帝国憲法下の公式令(明治40年勅令第6号)における「上諭」に相当します(法律について同令6条。裁可も含まれるから,単なる「公布」文ではない。)。

 昭和12年法律第92号に付された昭和天皇の上諭に「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律」という字句が用いられていたので,当該字句が同法の同一性を表す便宜的な名称たる件名となったわけです。(昭和20年法律第49号の場合は,「石油業法外十三法律廃止法律」が件名。

 しかし,通常の六法では,法令の名称が題名なのか件名なのかが分からないように編集されてしまっていますね。

 件名しかない法令を他の法令において引用する場合,昭和20年法律第49号においては法令番号だけで引用されていましたが,「最近では,題名と同じように取り扱って,まず件名を掲げ,その下にその法令番号を括弧書きすることとされてい」ます(前田・前掲131頁)。しかしながら,件名はその法令の固有の名称ではありませんから,「題名を引用する場合と異なり,いわゆる地の文章に従って,片仮名書き・文語体の法令に引用するときは片仮名書き・文語体で,また平仮名書き・口語体の法令に引用するときは当該件名が片仮名書き・文語体であっても平仮名書き・口語体で引用してもよいこととされ,更に,件名に常用漢字でない漢字が用いられているときは,その字を平仮名書きにすることも許され」,また,「法令の内容が改正されることによって当初の公布文に書かれたところと異なることとなったときは,改正後の内容に即した件名を付けることができる」こととされています(前田・前掲132頁)。

 平仮名書きの刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)603項を見ると,片仮名書きの件名である「暴力行為等処罰ニ関スル法律」及び「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」が,それぞれ「暴力行為等処罰に関する法律」及び「経済関係罰則の整備に関する法律」と平仮名書きになっています。


4 昭和22年法律第54号と名のはなし


(1)題名の無い昭和22年法律第54号と橋本龍伍

 さて,題名の無い法律でありながら有名な法律として,占領下に制定施行された昭和22年法律第54号があります。大日本帝国憲法下最後の第92回帝国議会の終盤においてあわただしく協賛され,1947412日に昭和天皇によって裁可されて成立,同月14日に公布されたものです。

 同法の法案作成の中心人物は,経済安定本部にいた後の厚生大臣・文部大臣である橋本龍伍。元内閣総理大臣であった龍太郎及び元高知県知事である大二郎の兄弟の父親です。

 自分の息子には「龍太郎」・「大二郎」という立派な名前をつけておきながら,大二郎(1947112日生まれ)と同年生まれの昭和22年法律第54号には,橋本龍伍(又は関係者)はなぜ正式に題名を付さなかったのでしょうか。

 全くの新規立法である昭和22年法律第54号は「既存の法令の一部を改正する法令」ではないですし,有名な法律であって「内容の比較的重要でない法令」ではもちろんないわけですから,①「一時的な問題を処理するために制定される法令」であること,②「簡潔な題名を付けることが困難な法令」であること又は③その他(「等」)のいずれかの理由により,題名が付されないことになったようです(前田・前掲121頁参照)。①「まぁ,今のところは長い物に巻かれてアメリカさんのこの妙な気まぐれに付き合ってやるかぁ。いずれにせよ,占領がいつまでも続くものじゃないからね。」と考えられていたのか,②「アメリカさんの考え方は,日本の法律家・行政官には理解が難しいよなぁ。英米法系と大陸法系との違いってやつかな。法案は作らされたものの,自分でもこの法案は何だかよく分からん。統制経済で忙しいし。簡潔でいい題名が付けられん。」という状態だったものか,それとも③単に「ま,題名が無くてもいっか。」ということだったのか。立案担当者の間においてすら無理解があったのか,無関心があったのか。いずれにせよ法律にとっては余り幸せなことではありません。重要な大法律であるぞと名乗ろうにも,正式な題名が無いというのでは,ちょっと肩身が狭いでしょう。


(2)親の命名権と子の名を有する権利

 なお,親の「命名権」については,いわゆる「悪魔」ちゃん命名事件に係る東京家庭裁判所八王子支部平成6131日審判(判時148656頁)は,「出生子の命名権の本質については,①親権の一部であり,親は自由に子の名を選択し,命名できる,と解する説と,②子自身の固有の権利であるが,子はその権利を行使できないので,親が子のために事務管理的にこれを代理行使するに過ぎない,との説があるが,何れにしても民法13項により,命名権の濫用と見られるようなその行使は許されない。」と述べています(「悪魔」と命名するのは命名権の濫用であって,出生届の不受理が可能であるとした。ちなみに,谷口知平教授は,「名は出生届に際して附せられる,之を附する権利義務を誰が有するかは明かでない・・・法務当局の見解では従来の慣習に従い命名権者の範囲,順位が定まるとし,大体父・母を考える如くである(大正3年12月9日民1684号法務局長回答)。子を創造した者がそれを命名する権利義務があるともいえよう。併し人は人格権の一内容として自らの呼称を選定する権利ありともいいう」ると述べていました(同『戸籍法』(有斐閣・1957年)77頁)。)。しかしこれは命名権が行使される場合のその限界について論じているのであって,命名権が行使されない場合(名未定の出生届)にどうするかはまた別の問題のようです(なお,棄児については市町村長が氏名をつけます(戸籍法57条2項)。)。

 ところで,児童の権利に関する条約71項は「・・・児童は,出生の時から氏名を有する権利・・・を有するものとし・・・」と訳されていますが,「出生の時から氏名を有する権利を有する」は,正文の英語では"shall have the right from birth to a name",フランス語では"a dès celle-ci sa naissancele droit à un nom"となっていて,必ずしもfamily namepersonal namenom de familleprénomとがそろっていなければならないというわけではなさそうです。歴史的には,正式な個人名が無くとも何とかやってはいけるようで,例えば,古代ローマの女性には個人名がつけられず,通常は氏族名(nomen gentile)だけで呼ばれていました。ユリアは個人名ではなく,ユリウス一族の女の意味であり,オクタウィアはオクタウィウス一族の女という意味です。さらにいえば,個人名がつけられる場合でも,西洋では親子で同じ名前をつけてしまったりしますね。アメリカ合衆国の先代大統領の名は,その父である第41代大統領と同じくGeorgeです。ブッシュ家では,バーバラ夫人が"George!"と呼ぶと,夫と長男とが同時に「はいっ」と反応したものか。

 これに対して,我が国では,子に親の名と同一の字で構成される名をつけることは,振り仮名をつけて読み方を変えても,「特定(識別)の困難」をもたらすものであってその出生届は戸籍法に反する違法なものになり,当該出生届の不受理は正当であるとされています(名古屋高決昭和38119判時36152。母「伸子」で,長女に「伸子しんこ」と命名した事案)。

 ちなみに,「悪魔」どころか,我が国の王朝貴族の女性の名前には「くそ(屎)」というのがあったようです。「源つくるが女(むすめ)」とされています。古今和歌集の1054番の歌の作者です。



    いとこなりける男によそへて人のいひければ    くそ

よそながらわが身にいとのよるといへばたいつはりにすぐばかりなり

 歌の趣旨は,いの字とばかりいちゃついて不当に他の人を差別的に取り扱っているものではありませんから御調査は無用です,ということでしょうか。


(3)昭和22年法律第54号の件名

 昭和22年法律第54号の件名は,無論「くそ法」というようなものではありません。上諭に基づくその件名は,「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」といいます。(なお,昭和22年法律第54号においては,上諭及び法令番号の次に,「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律目次」が冒頭に来る目次が付されていますが,当時は目次の冒頭は単なる「目次」ではなく,「刑事訴訟法目次」のように表記されたもののようです。刑事訴訟法の場合は,当該目次の次に「刑事訴訟法」という題名がしっかり掲げられていますが,昭和22年法律第54号においては当該題名部分に題名は掲げられておらず,いきなり「第1章 総則」が始まっています。)

 「題名のない法令は,改正の機会に,なるべく適当な題名を付けるように取り扱われている」そうですが(前田・前掲355頁),昭和22年法律第54号にはいまだに題名が付されていないのはなぜでしょうか。改めて題名を付するとなると,同法に対する様々な思い入れが未成熟なまま噴出し,議論が沸騰して収拾がつかなくなるおそれがあるからでしょうか。それともそもそも,いわゆる経済法ないしは競争法のアカデミズムにおいて,高尚ならざる法制執務的なこのような細かい実務問題には関心が払われていないからでしょうか。

 某立派な先生が最近書かれた独占禁止法の本の初版で「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」は昭和22年法律第54号の「題名」であるとの記述を見て,おっ,と思ったことがあります。ただし,幸いにしてすぐに間違いに気づかれたようで,第2版においては「こっそり」修正がされており,「件名」に差し替えられていましたが。しかしながら,この事例から推すと,専門家を自認する学者の方々でも,「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」は堂々たる正式な題名であるぞと無邪気に思っておられる先生はまだ多いのではないでしょうか。

補遺:輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の裔



 戦後,治安維持法は連合国最高司令官の通達に基づいて廃止され,その適用にあたった思想検察,特高警察関係者は一斉に追放処分に処された。それに対し国家総動員法は,
2012月の第89臨時議会において,法律の形式をもって廃止されたが,その施行は2141日とされ,しかも同法に基づく諸勅令は,「国家総動員法上必要アルトキ」の語を「終戦後ノ事態ニ対処シ国民生活ノ維持及安定ヲ図ル為特ニ必要アルトキ」と読みかえて,更に6ヶ月間効力の延長が認められた。その間にこれらを承継する立法措置が多くとられて,総動員法附属勅令で,実質上は効力の存続を認められたものも多い。戦後復興の必要もまた統制経済を要求したのである。・・・(長尾龍一「帝国憲法と国家総動員法」『思想としての日本憲法史』(信山社・1997年)151頁)


 兄弟分の国家総動員法と同様,輸出入品等に関する臨時措置に関する法律も,その姿を変えつつ,その実質をなおも我が法体系中に存置させていました。同法を廃止した昭和20年法律第49号の附則91項は次のように規定していました。



本法施行ノ際現ニ存スル昭和
12年法律第92号ニ基ク命令又ハ処分ニ付テハ本法施行後6月ヲ限リ旧法ハ仍其ノ効力ヲ有ス此ノ場合ニ於テハ大東亜戦争ニ関聯シ国民経済ノ運行ヲ確保スル為トアルハ終戦後ノ事態ニ対処シ国民生活ノ維持及安定ヲ図ル為トス

 6箇月の執行猶予です。

 更に1946101日,臨時物資需給調整法(昭和21年法律第32号)が公布され,即日施行されました(同法附則1項)。

 同法の第11項及び第4条は,次のとおり。



1 主務大臣は,産業の回復及び振興に関し,経済安定本部総裁が定める基本的な政策及び計画の実施を確保するために,左に掲げる事項に関して,必要な命令をなすことができる。

一 経済安定本部総裁が定める方策に基く物資の割当又は配給

二 経済安定本部総裁が定める方策に基く供給の特に不足する物資の使用の制限又は禁止

三 経済安定本部総裁が定める方策に基く供給の特に不足する物資の生産(加工及び修理を含む。以下同じ。)若しくは出荷若しくは工事の施行又は物資の生産若しくは出荷若しくは工事の制限若しくは禁止

四 経済安定本部総裁が定める方策に基く供給の特に不足する物資又は遊休設備の譲渡,引渡又は貸与


第4条 第1条第1項の規定による命令に違反した者は,これを10年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。

 前項の罪を犯した者には,情状により,懲役及び罰金を併科することができる。

 

 この第4条の罰則は,昭和16年改正後の輸出入品等に関する臨時措置に関する法律5条の罰則よりも重い刑が定められています(7年以下→10年以下,5万円以下→10万円以下)。

 堂々と「臨時物資需給調整法」という題名が付されていますから,森田福市衆議院議員であっても,輸出入品等に関する臨時措置に関する法律のときのように,看板に偽りありと批判はできなかったでしょう。(「「等」に注意すべきこと等」http://donttreadonme.blog.jp/archives/2806453.html参照)

  ただし,森田福市は,前年194586日の原子爆弾の広島投下を受けて既に死去していました。

 なお,臨時物資需給調整法の上諭に農林大臣として副署したのは,企画院事件でひっぱられた和田博雄でした。他方,「を潰すこと一点張り」だった平沼騏一郎が,今や戦争犯罪人でひっぱられていました。

 臨時物資需給調整法は,「昭和2341日又は経済安定本部の廃止の時の何れか早い時に,その効力を失ふ。」とされていましたが(附則2項),毎年1年づつ失効が先延ばしされ(昭和23年法律第16号,昭和24年法律第21号,昭和25年法律第55号,昭和26年法律第74号),失効となったのは,195241日でした。

 統制経済は,いったん始めるとやめられなくなるのでしょうか。

 臨時物資需給調整法からバトンを引き継いだのが,今度は国際的供給不足物資等の需給調整に関する臨時措置に関する法律(昭和27年法律第23号)です。195241日から施行(同法附則1項)されました。これもまた,当初195341日に失効の予定が(同附則2項),順次195361日,195441日,195541日へと失効日が先送りになりました(昭和28年法律第24号,昭和28年法律第44号,昭和29年法律第23号)。

 何やら,今年こそは(今年度こそは)統制経済と別れます,と毎年決意を新たにしつつも,結局目標が達成できずに翌年なっても同様に,今年こそは(今年度こそは),と同じ望みへの再挑戦を誓い,かつ,1年の猶予を乞うということの繰り返しでしたね。人間的ではあります。