2022年05月

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079619346.html:(前編:「三島,東京及び諸県から旧刑法へ」)からの続き


(3)傾向犯か否か:ボワソナアドの消極説

 ボワソナアドの強制わいせつ罪解説を見ると,「主に犯人がわいせつ傾向の満足(une satisfaction impudique)を意図している場合を念頭にここでは法が設けられているのではあるが,動機としては好奇心又は感情を傷つけ,若しくは侮辱する意思のみであった場合であっても可罰性が低下するものではない。当該行為は他者の性的羞恥心を侵害する性質のものである,ということを彼は認識していたという点に本質はあるのである。」とありました(Boissonade, p.1022)。(旧刑法258条の公然わいせつ罪におけるわいせつな行為については,ボワソナアドは「法の精神の内にあるためには,当該行為は,淫奔な情動(une passion lubrique)を満足させる目的をもってされなければならない。」と一応は述べつつも,「したがって,他の人々の目の毒となろうとする意図(une intention de blesser les yeux étrangers)が別にない限り,公の場所又は公衆の視界内の場所において,完全なものを含む裸体で入浴する行為は,わいせつ行為とはいえない。なお単なる違警罪にとどまる。」と(Boissonade, p.807),やはり他者が受ける印象に係る行為者の意思を重視しています。また,その少し前では,「他人の性的羞恥心を害する意図が無くとも,行為者が,他の人々に見られ得るということを知っていれば,〔公然わいせつの〕犯罪は成立する。このような場合,注意の欠如は,良き品位の敬重に係る可罰的な無頓着なのである。」と述べてもいます(ibid. p.806)。)

ところがこれに対して我が判例は,従来,「刑法176条前段のいわゆる強制わいせつ罪が成立するためには,その行為が犯人の性欲を刺戟興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれることを要し,婦女を脅迫し裸にして撮影する行為であつても,これが専らその婦女に報復し,または,これを侮辱し,虐待する目的に出たときは,強要罪その他の罪を構成するのは格別,強制わいせつの罪は成立しないものというべきである。」と判示し,強制わいせつ罪=傾向犯説を採っていました(最高裁判所昭和45129日判決刑集2411頁(ただし,入江俊郎裁判官の反対意見(長部謹吾裁判官同調)あり。))。

2017年に至ってやっと,「刑法176条にいうわいせつな行為に当たるか否かの判断を行うためには,行為そのものが持つ性的性質の有無及び程度を十分に踏まえた上で,事案によっては,当該行為が行われた際の具体的状況等の諸般の事情をも総合考慮し,社会通念に照らし,その行為に性的な意味があるといえるか否かや,その性的な意味合いの強さを個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断せざるを得ないことになる。したがって,そのような個別具体的な事情の一つとして,行為者の目的等の主観的事情を判断要素として考慮すべき場合があり得ることは否定し難い。しかし,そのような場合があるとしても,故意以外の行為者の性的意図を一律に強制わいせつ罪の成立要件とすることは相当でなく,昭和45年判例の解釈は変更されるべきである。」と強制わいせつ罪=傾向犯説の判例が放棄されており(最高裁判所大法廷平成291129日判決刑集719467頁),当初のボワソナアド的解釈への復帰がされています。随分大きな回り道であったように思われます。ちなみに,わいせつ行為性の認定に当たっては「個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断」すべきことについては,ボワソナアドも「それは,公訴が提起された事実について,事案の情況(circonstances du fait)を,ここでは恐らく他の全ての犯罪類型よりもよりよく考慮に入れた上で,裁判所が慎重に決すべきものである。」と述べていました(Boissonade, p.1020)。

 

(4)言葉によるわいせつ行為の可否:ボワソナアドの消極説

 なお,公然わいせつ罪に係る刑法174条についてですが,「本条のわいせつな行為には言語による場合も含み得る(平野271頁,大塚516頁)。実際にはほとんど問題になり得ないが,公衆の面前で極端にわいせつな内容を怒鳴り続ければ本条に該当することも考えられる。」と説かれています(前田481頁)。

しかしながら,ボワソナアドは,旧刑法258条の公然わいせつ罪に関し,「猥褻ノ所行」の部分が “un acte contraire à la pudeur”であるフランス語文について,「まず全ての破廉恥,卑猥又は淫らな(déshonnêtes, licencieuses ou obscènes)言葉又は歌謡(paroles ou chansons)は,除外されなければならない。これらは,道徳上いかにとがめられるべきものであっても,所行acte行為))という表現には当てはまらない。また,善良な人々に一過性の印象を与えるだけで,良き品位に対して同じ危険をもたらすものでもない。」と述べていました(Boissonade, p.806)。強制わいせつ罪におけるわいせつ行為についても,ボワソナアドの説くところは,「しかし筆者は,被害者に対して向けられた卑猥又は更に淫らな言説(discours)にこれらの規定を適用することはできないことに言及しなければならない。言葉は行為ではなく,法は「行為について」(“d’actes”)しか語っていないのである。」というものでした(Boissonade, p.1020)。

 

(5)性的羞恥心(pudeur)とわいせつ(猥褻)と

 

 Pudeur”

 ところでボワソナアドは,「子供に卑猥又は淫らな図画又は表象(dessins ou emblèmes)を示した者」には,旧刑法346条前段の適用があり得るものと考えていたようです(Boissonade, p.1020)。「すなわち,このような事案においては,画像(image)は実物と同様に,子供の性的羞恥心(la pudeur)及び操行(les mœurs)にとって危険であり得るからである。」ということでした(ibid.)。このくだりは,「強制わいせつ罪は,「性的自由・自己決定の侵害」で説明するのは妥当ではなく,広く性的人格権の侵害を処罰するものなのである。」との説(前田119頁)に親和的であるものというべきでしょうか。「性的人格権」という概念は漠としていますが,「幼女についても性的羞恥心を認めることができる(7歳の女児に対する強制わいせつの事案につき,新潟地判昭63826判時1299152参照)。」とありますから(前田119頁註7),そこにpudeurは含まれているのでしょう。

 なお,新潟地方裁判所昭和63826日判決はどのようなものかといえば,当該判決に係る罪となるべき事実は,「被告人は,昭和63年〔1988年〕531日午後3時ころ,新潟県西蒲原郡〇〇町大字◎◎×××番地×△△△△△方墓地内において,A子(昭和56年〔1981年〕54日生)を籾殻袋の上に座らせ,同女のポロシャツの前ボタン三つを全部外した上,そこから手を差し入れて,同女の右乳部を多数回撫でまわし,更に,スカートの中に手を差し入れてパンツの上から同女の臀部を撫で,もって,13歳未満の女子に対しわいせつの行為をしたものである。」というものでした。これに対して弁護人が,被告人は無罪であるとして「小学校1年生の女児は,その胸(乳部)も臀部も未だ何ら男児と異なるところなく,その身体的発達段階と社会一般の通念からして,胸や臀部が性の象徴性を備えていると言うことはできず,かかる胸や臀部を触ることは,けしからぬ行為ではあるが,未だ社会一般の性秩序を乱す程度に至っておらず,また,性的羞恥悪感を招来するものであると決め付けることは困難であるから,被告人の行為をもってわいせつ行為ということはできず,従って,被告人は無罪である。」と主張したものの,奥林潔裁判官は当該主張を採用せず,刑法176条後段の罪(累犯加重あり。)の成立を認めて14月の懲役を宣告しています(求刑懲役3年)。弁護人の主張を排斥して被告人の所為がわいせつ行為であること認めた判示において,同裁判官はいわく。「右認定事実によれば,右A子は,性的に未熟で乳房も未発達であって〔「身長約125センチメートル,体重約25キログラム」〕男児のそれと異なるところはないとはいえ,同児は,女性としての自己を意識しており,被告人から乳部や臀部を触られて羞恥心と嫌悪感を抱き〔「乳部を触ってきたため,気持ちが悪く,恐ろしくて泣き出したくなり,臀部を触られたときには,嫌で嫌で仕方がなかった」。犯行日の午後5時過ぎ頃祖母に対し「「あのおじさんエッチなおじさんなんよ。」と報告」し,祖母が「「何されたの」と訊き返したところ」本件被害状況を「恥ずかしそうに話した。」〕,被告人から逃げ出したかったが,同人を恐れてこれができずにいたものであり,同児の周囲の者は,これまで同児を女の子として見守ってきており,同児の母E子は,自己の子供が本件被害に遭ったことを学校等に知られたことについて,同児の将来を考えて心配しており,同児の父親らも本件被害内容を聞いて被告人に対する厳罰を求めていること(E子の検察官に対する供述調書,B子〔祖母〕の司法警察員に対する供述調書及びD〔父〕作成の告訴状),一方被告人は,同児の乳部や臀部を触ることにより性的に興奮をしており〔「右犯行により,被告人の胸はどきどきして,陰茎も勃起し」〕,そもそも被告人は当初からその目的で右所為に出たものであって,この種犯行を繰り返す傾向も顕著であり,そうすると,被告人の右所為は,強制わいせつ罪のわいせつ行為に当たるといえる。」と。すなわち,判例上のわいせつ概念からすると,被害者A子の「性的羞恥心」が害されたこと及び被告人において「徒に性欲を興奮または刺激せしめ」られた情況があったこと並びに被害者の周囲における「善良な性的道義観念に反すること」であったことが必要であったわけなのでしょう。

 しかし,被害者が子供である場合,その性的羞恥心の侵害までを必ず厳格に求める必要は無いようにも思われます。12歳未満の男女に対する猥褻ノ所行に係る旧刑法346条前段の規定に関して,ボワソナアドいわく。

 

  この場合,暴行又は脅迫をもって当該子供に対する犯行がされる必要は無い。無垢それ自体が,子供らが危険を予知し,かつ,間に合ううちにそれ〔予知〕をすることを妨げるのである。恐らく,何らかの好奇心さえもが子供を危険にさらし,しかして,彼の操行を損い得る有害な印象が,彼の脳裡に長く留められることになるのである(et son imagination conservera longtemps une funeste impression qui peut gâter ses mœurs.)。

 (Boissonade, pp.1020-1021

 

 ここでは,子供の現在の性的羞恥心のみならず,子供の精神の将来における健全な成長(「慎み」としてのpudeurを持つようになること)も,保護法益に加えられているものでしょう。ボワソナアドによれば,「元来暴行脅迫ヲ用フルト否ラサルトヲ論セス猥褻ノ所行ヲ罰スルハ女子ノ淫心ヲ動カシ行状ヲ乱タスノ害アル故ナリ」なのです(法制審議会刑事法(性犯罪関係)部会第1回会議(2015112日)配布資料13「強制わいせつ罪及び強姦罪の制定経緯等について」2頁(日本刑法草案会議筆記に記録されたボワソナアドと鶴田皓との問答が紹介されています。))。我が旧刑法の起草準備段階において,「鶴田〔皓〕は,フランス法は子どもの性器をただ見るような行為に対しては刑罰が重すぎないか〔略〕,日本の刑法ではその程度のことは公然猥褻の時だけ罰すればいいのではないかと意見する。ボワソナードは,暴行が加わらなくとも子どもへの猥褻が罰せられなくてはならないのは,その行為が子どもの「淫行」を導き,そのために「終身ノ行状ヲ乱ス」〔略〕からであると説明する〔筆者註:ボワソナアドは更に幼者の「健康ヲ害スル恐レ」も挙げています(法制審議会資料2頁)。〕。しかし,鶴田は強姦ならいざ知らずただ単に性器を玩弄する目的での猥褻罪は、真面目に扱わなくてもいいのではないかと譲らない。」という場面があったそうです(高島122頁)。(実際には鶴田も「成程強姦ニアラサル以上ハ幼者ニ対シテハ真ニ淫事ヲ遂クル目的ニテ猥褻ノ所行ヲ為ス訳ニモアラス畢竟之ヲ玩弄スル迄ノ事ト見做サヽルヲ得ス故ニ貴説ニ従フヘシ」とボワソナアドに同意しています(法制審議会資料2頁)。)

 

イ 「猥褻」

 ところで,改めて考えてみると,フランス語の“acte contraire à la pudeur”を訳するに,なぜ「猥褻ノ所行」の語をもってしたのかが気になるところです。前者は保護法益の面から,それに反するものとして当該行為がいわば反射的に定義されています。これに対して後者は,専ら行為それ自体の性格を直接語ろうとするもののようです。「猥」の字は,本来は「犬がほえる声」wěi 🐕の意味だったようで,「みだり」と読めば「入りまじる意で,そうするいわれもないのにそうする。」との意味であるそうです(『角川新字源』(123版・1978年))。これが修飾する「褻」の字は,本来は「身につける衣,はだぎ」の意味で,やがて「なれる」,「けがれる」,「けがらわしい」といった意味が生じたようです(同)。そうであれば「猥褻」である典型的状況を想像してみれば,男女が発情期の犬のようになって,その下着が入り乱れているというような光景なのでしょうか。『禮記』の内則第十二にいう「男女不通衣裳」との教え(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078601732.html)が守られていない有様であるようです。なるほど。しかし,結局,肉体についてではなく衣裳の有様からする間接的表現だったのでしょうか。

なお,諸葛亮の『出師表』には「先帝不以臣卑鄙,猥自屈」とあって「猥」の字が用いられていますが,劉備が猥褻に,孔明の前において自ら枉屈したということであっては,「三顧の礼」も台無しです。

ちなみに,江村北海による1783年の『授業編』巻之八詩学第十一則には,「初学ノ徒タマ〔タマ〕艶詩情詩ノ題ヲ得テ作ルトモ,ズイブン猥褻ニ遠ザカリ清雅ナルヤウニ作ルベシ。俗ニイヤラシキトイフ体ノ心モ辞モナキヤウニ心ヲ付クベシ。是レ詩ヲ作ルノタシナミナリ。芙蓉詩集ノ中江南楽ノ詩ニ,開牕対郎賞〔(まど)を開き郎に対して賞す〕李妾桃郎顔トイフ句アリ。余ガイヤラシキトイフハ,カル類ヲ云。(けだし),李妾桃郎顔〔李は妾,桃は郎が顔。筆者思うに,妾郎=女郎でしょうか。〕トイフハ,語ヲモ成サズ句ヲモナサズ,漢土人ニハ有ルマジキ句ナリ。然レドモ其人ノ詩ニ,大雅久休矣吾今泛海槎〔槎は,いかだ〕トアレバ,自負モ亦大矣。アヤシムベシ。其他近人ノ詩集ヲ見レバ,贈妓〔妓に贈る〕,宿妓家〔妓家に宿す〕ナドノ詩少ナカラズ。余オモフニ,左様ノ事ハタトヘアリトモ,耻ラヒテ,遍ク人ヘ語リ聞ヱ,詩ニモ作リ,印刻シテアラハニ伝ユル事ハスマジキコトナルヲ。反リテカルコトヲ,俗ニイフ,人ニヒケラカスナドハ,冶遊〔芸妓遊び〕ヲヨキコトヽ思ヘルニヤ。アヤシムベシ。要スルニ,風雅ノ罪人トモイフヘシ」とあります。冶遊を題材に選べばそれは猥褻の詩となってしまうようです。風雅の漢詩人たるは,厳しい。


(6)未遂処罰の要否:ボワソナアドの消極説

旧刑法346条及び347条の罪は軽罪であり(同法8条),両罪について未遂処罰はなかったのですが(同法1132項),現行刑法180条(平成29年法律第72号の施行(2017713日から(同法附則1条))までは刑法179条)は,強制性交等とともに,強制わいせつの未遂をも罰する旨規定しています。この点については,ボワソナアドは眉を顰めたかもしれません。ボワソナアドは,意図的に強制わいせつの未遂を処罰しないこととしていたからです。

 

  ここでは,性的羞恥心に対する加害(l’attentat à pudeur)は,強姦の実行の着手(la tentative de viol)と混同されることになり得る。しかしながらそれは,当該加害が暴行をもってされたときであっても,大きな誤りである。実際,その性質が第389条〔旧刑法348条〕においてのみ示されている強姦は,更に精確に表現しなければならないとすると,暴行又は脅迫による女又は娘との男の性交であり,しかして,そのような行為は,犯人の意思から独立の情況によって着手され,又は中止されることはないものと理解されている。これら両条〔旧刑法346条及び347条〕にかかわる性的羞恥心に反する行為(les actes contraires à la pudeur)は,非常に異なっている。〔強姦と〕同一の目的を有するものではないから〔筆者註:ボワソナアドによれば「「暴行ヲ以テ猥褻ノ所行云々」トハ男女間ノ情欲ヲ遂クル目的ニアラサルトモ例ハ人ノ陰陽ヲ出シテ之ヲ玩弄スル類ヲ云フ」とのことでした(法制審議会資料1頁)。〕,たとい暴行又は脅迫をもって犯されたときであっても,そこまでの重大性を有するものではない。それらは,わいせつな接触(attouchements impudiques〔「おさわり」との表現は軽過ぎるでしょうか。〕)又は性的羞恥心が隠すことを命じている身体の部分の曝露という行為(le fait de découvrir les parties du corps que la pudeur ordonne de cacher〔「スカートめくり」の類でしょうか。〕)によって構成されるものにすぎない。これらの行為がいかにとがめられるべきものであるとしても,それらは強姦とはその性質において非常に異なっているので,その結果,犯罪的な意図を欠くものとも観念され得るものである。例を挙げれば,第1に,傷病者に対する看護の一環の場合,第2に,だれもいないと思って,ある人がその身体を十分に覆っていない場合である。

   各行為の倫理的性質の相違に加えて,司法上の相違が存在する。すなわち,適法又は無関係な行為との混同がされない程度にまで十分その性格付けをすることができることから,強姦の実行の着手は可罰的である一方〔筆者註:なお,ボワソナアドは「而シ其強姦ノ目的ナル証古ナキ時ハ「暴行ヲ以テ猥褻ノ所行ヲ云々」ト為スベキ事アリ」と述べつつも,強姦未遂と強制わいせつとは「一体ハ其罪ノ性質ノ違ヒアリ」異なるものとしていました(法制審議会資料1頁。また,2頁)。〕,既遂の行為においてでなければ確実性をもって行為の犯罪性及び犯意を認定することができないため,性的羞恥心に反する行為の実行の着手は,法によって可罰的であるものと宣言されてはいないし,かつ,され得ないところである。言い換えれば,単なるなれなれしさ(une simple familiarité),いささか困ったいたずら(un jeu plus ou moins inconvenant)又は意図せざる若しくは偶然による行為(quelque fait involontaire et fortuit)ではない,ということを知ることは困難なのである。

  (Boissonade, pp.1018-1019

 

 現行刑法における強制わいせつ未遂処罰規定導入の理由は,「現行法〔旧刑法〕ハ唯強姦ノ未遂罪ヲ罰スト雖モ〔強制わいせつ〕ノ罪モ亦其必要アルヲ以テ」ということで,あっさりしています(法典調査会170頁)。未遂処罰規定がなくとも「〔強制わいせつの実行の着手〕が深刻にとがめられるべきものであるときには,その抑圧が達成され得ないものではない。すなわち,犯人が意図し,かつ,その実行が妨げられたより重大な行為が何であったとしても,実行行為の開始がそれ自体で性的羞恥心に対する侵害行為を構成し得るからである。」とのボワソナアドの予防線(Boissonade, p.1019)も空しかったわけです。

 

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1 大物主神の「犯罪」:強制わいせつ罪

 

  三島溝咋(みしまのみぞくひ)(むすめ),名は勢夜陀多良比売(せやだたらひめ),その容姿(かたち)(うる)()しくありき。故,美和の大物主神,見()でて,その美人の大便(くそ)まれる時,丹塗矢に()りて,その大便(くそ)まれる溝より流れ下りて,その美人の(ほと)を突きき。ここにその美人驚きて,立ち走りいすすきき〔あわてふためいた〕。すなはちその矢を()ち来て,床の()に置けば,忽ちに麗しき壮夫(をとこ)に成りて,すなはちその美人を(めと)して生める子,名は富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめの)命と謂ひ,亦の名は比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ) こはそのほとと云ふ事を悪みて,後に名を改めつるぞ。と謂ふ。(『古事記』神武天皇記)

 

これは刑法(明治40年法律第45号)176条の強制わいせつ罪(「13歳以上の者に対し,暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は,6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し,わいせつな行為をした者も,同様とする。」)に該当する行為ですね。同罪の暴行について「通説・判例は,暴行を手段とする場合に限らず,暴行自体がわいせつ行為である場合を含めている(大判大14121刑集4743)」ところ(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)119頁。また,大判大7820刑録241203),自ら「丹塗矢に化りて」,女子の意思に反して,それで「陰を突」くのは,暴行によるわいせつ行為です。

 

2 大審院の判例2題等:東京の歯科医師事件及び諸県の宴会事件

 

(1)東京の歯科医師事件

大審院第二刑事部の大正14年(れ)第1621号猥褻及歯科医師法違反被告事件同年121日判決(一審:東京区裁判所,二審:東京地方裁判所)に係る事案は,「大正13年〔1924年〕618日某歯科医院治療室ニ於テ某女当24年ノ需ニ応シ其ノ齲歯ノ治療ノ為1プロノコカイン水約半筒ヲ患部ニ注射シ治療台ニ横臥安静セシメタル際同女ノ意ニ反シテ着衣ノ裾ヨリ右手ヲ入レ其ノ陰部膣内ニ自己ノ右示指ヲ挿入シテ暴行ヲ加ヘ以テ猥褻行為ヲ為シタルモノ」です。刑法176「条ニ所謂暴行ハ如斯場合ヲ指称スルモノニ非ス暴行行為ヲ手段トシテ猥褻行為ヲ為シタルコトヲ要件トスルモノナリ」との弁護人の主張に対して大審院は,「刑法第176条ニ所謂暴行トハ被害者ノ身体ニ対シ不法ニ有形的ノ力ヲ加フルノ義ト解スヘク婦人ノ意思ニ反シ其ノ陰部膣内ニ指ヲ挿入スルカ如キハ暴行タルコト勿論ニシテ本件ノ猥褻行為ハ斯ル暴行行為ニヨリテ行ハレタルモノナレハ暴行行為自体カ同時ニ猥褻行為ト認メラルル場合ト雖同条ニ所謂暴行ヲ以テ猥褻行為ヲ為シタルモノニ該当スルコト明白ナリ論旨理由ナシ」と判示しています。

 

(2)諸県の宴会事件

 

ア 判例

大審院第一刑事部の大正7年(れ)第1935号猥褻致傷ノ件同年820日判決(一審:宮崎地方裁判所,二審:長崎控訴院)に係る事案は「被告ハ大正7年〔1918年〕321日ノ夜宮崎県北諸県(もろかた)郡○○村大字×××△△△△方ニ於テ外14名ト酒宴中相共ニ同家下女◎◎◎◎ト互ニ調戯(からか)ヒ其他数名ノ者カ◎◎ヲ押シ倒シ居ルニ乗シ被告ハ指ヲ◎◎ノ陰部ニ突込ミ因テ陰部ニ治療20日余ヲ要スル創傷ヲ負ハシメタルモノナリ」というもので,被害者を押し倒していた者らと被告人との間の共犯関係は認められなかったものの,刑法178条の罪(「抗拒不能に乗じ」た準強制わいせつ(この「抗拒不能」については,「他人の行為により,縛られた状態であったり身動きできない重傷を負っている場合が考えられる」とされています(前田125頁註17)。))ではなく同法176条の罪を犯し,よって人を死傷させたものとして,同法1811項の強制わいせつ致傷罪(刑は無期又は3年以上の懲役)の成立が認められたものです。大審院は,「婦人ノ意思ニ反シテ指ヲ陰部ニ挿入スルカ如キハ其自体暴行ニ因リ猥褻行為ヲ為スモノト謂ハサルヘカラス原判決カ前示被告ノ行為ヲ刑法第176条ニ問擬シタルハ相当ナリ」と判示しています。

ところで,1918321日といえば,第一次世界大戦の終わりの始まりであるドイツ軍による西部戦線大攻勢発起の日であるとともに,(現在のとてつもなく恐ろしい新型コロナウイルス感染症パンデミック💀に比べれば児戯のごときものではありますが)スペイン風邪の世界的流行の前夜でもありました(「スペイン風邪に関して」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1077312171.html)。女性との戯れを伴う大勢での長夜の飲🍶に耽っていたとは(当然「マスク会食」ではなかったのでしょう。),当時の宮崎県人には自粛の心も,風邪等の感染症に係る弱者の命を守る優しさも思いやりの心も全く見られず,ゆるみ切っていたとしかいいようがありません。真面目な日向人は全て,神武天皇に率いられて遠い昔に東に去ってしまっていたものでしょうか。

 

イ 諸県のゆかり:泉媛及び髪長媛

しかし,大正時代の刑事事件はともかくも,日向国諸県の人々の宴会といえば,古代以来のゆかしい由来があるのです。『日本書紀』景行天皇十八年三月条に「始めて(ひな)(もり)に到ります。是の時に,石瀬(いはせの)河の()に人(ども)集へり。(ここ)天皇(すめらみこと),遥に(みそこなは)して,左右に(みことのり)して(のたまは)く,「其の集へるは何人(なにひと)ぞ。(けだ)(あた)か。」とのたまふ。乃ち()夷守・(をと)夷守二人を遣して()しめたまふ。乃ち弟夷守,還り(まゐき)(まを)して(まを)さく,「諸県君泉媛(もろがたきみいづみひめ),大御食(みあへ)(たてまつ)らむとするに依りて,其の(やから)(つど)へり」とまをす。」とありました。諸県の人々が,そのお姫様を奉じて,現在の宮崎県小林市辺り(同市は諸県の北西方向に所在します。)の岩瀬河畔まで出張って,第十二代天皇陛下歓迎の大宴会の準備をしていたのでした。「地方豪族の娘が天皇の食事を奉るのは服従の表象」だったそうです(小島憲之=直木孝次郎=西宮一民=蔵中進=毛利正守校注・訳『新編日本古典文学全集2 日本書紀①』(小学館・1994年)359頁註4)。『日本書紀』にその旨の記載はありませんが,景行天皇は,泉媛を始めとする諸県の人々との宴会の夜を愉快に堪能されたことでしょう。その際宴に集う人々の間においては,男女が互ニ調戯フ場面もあったかもしれません。

また,諸県といえば,諸県君(うし)諸井(もろゐ)の娘であって,大鷦鷯(おほさざきの)(みこと)第十六代仁徳天皇)の妃となった髪長媛の出身地ということになります。美人が多いのでしょう。

髪長媛と大鷦鷯尊との間には,怪我が生じた云々といった悶着は生じなかったようです(『日本書紀』応神天皇十三年九月条)。

 

 道の(しり) こはだ嬢子(をとめ)を 神のごと 聞えしかど 相枕まく

  道の後 こはだ嬢子 争はず 寝しくをしぞ (うるは)しみ()

                                                   

 

3 旧刑法346条及び347条の猥褻ノ所行罪

 

(1)条文

現行刑法176条の前身規定は,旧刑法(明治13年太政官布告第36号)の第3編「身体財産ニ対スル重罪軽罪」中の第1章「身体ニ対スル罪」にある第11節「猥褻姦淫重婚ノ罪」の第346条に「12歳ニ満サル男女ニ対シ猥褻ノ所行ヲ為シ又ハ12歳以上ノ男女ニ対シ暴行脅迫ヲ以テ猥褻ノ所行ヲ為シタル者ハ1月以上1年以下ノ重禁錮ニ処シ2円以上20円以下ノ罰金ヲ附加ス」と,同法347条に「12歳ニ満サル男女ニ対シ暴行脅迫ヲ以テ猥褻ノ所行ヲ為シタル者ハ2月以上2年以下ノ重禁錮ニ処シ4円以上40円以下ノ罰金ヲ附加ス」とあった規定です。

(なお,旧刑法においては,公然猥褻罪(同法258条)及びに猥褻物等公然陳列販売罪(同法259条)は第2編「公益ニ関スル重罪軽罪」中の第6章「風俗ヲ害スル罪」において規定されており,これらの罪の保護法益と同法3111節の猥褻姦淫重婚ノ罪のそれとの分別が明らかにされていました。「〔現行〕刑法典は,強制わいせつ罪と強姦罪を社会法益の中に位置づけているが(22章〔「わいせつ,姦淫及び重婚の罪」〕),現在は一般に,個人法益に対する罪として捉えられている。〔略〕公然わいせつ罪,わいせつ物頒布罪等は,社会法益に対する罪(性的風俗に対する罪)として扱う。」ということであれば(前田117頁),分類学的正確性において現行刑法には旧刑法よりも劣るところがあり(大塚仁『刑法概説(各論)増補二版』(有斐閣・1980年)89頁註2参照),「現行法〔旧刑法〕第3編第1章第11節ノ猥褻,姦淫及ヒ重婚ノ罪モ身体ニ対スルヨリモ寧ロ風俗ヲ害スルモノト認メ」た(法典調査会編纂『刑法改正案理由書 附刑法改正要旨』(上田屋書店・1901年)166頁),そもそもの法典調査会の判断は間違っていたということになるのでしょう。)

旧刑法346条及び347条のフランス語文は,18778月のProjet de Code Pénal pour l’Empire du Japonにおいては,良き品位に対する(contre les bonnes mœurs)罪として,次のとおりでした(なお,旧刑法26章の風俗ヲ害スル罪は,フランス語文では,公道徳及び信仰の敬重に対する軽罪(délits contre la morale publique et le respect dû aux cultes)でした。)。

 

   386. Seront punis d’un emprisonnement avec travail de 1 mois à 1 an de d’une amende de 5 à 20 yens:

    1° Celui qui aura commis, sans violences, un acte contraire à la pudeur d’un enfant de l’un ou l’autre sexe âgé de moins de 12 ans accomplis;

        2° Celui qui aura commis le même acte avec violences ou menaces contre une personne de l’un ou de l’autre sexe âgée de plus de 12 ans.

 

      387. Si l’acte a été commis avec violences ou menaces contre un enfant ayant moins de 12 ans, la peine sera un emprisonnement de 2 mois à 2 ans et une amende de 10 à 40 yens.

 

(2)“un acte contraire à la pudeur” vs. „unzüchtige Handlungen “

 我が刑法176条の「わいせつな行為」にいう「わいせつ」については,「「徒に性欲を興奮または刺激せしめ,かつ普通人の性的羞恥心を害し,善良な性的道義観念に反すること」という定義が維持されている(最判昭26510刑集561026)」そうですが(前田119-120頁),猥褻ノ所行が“un acte contraire à la pudeur”,すなわち「性的羞恥心に反する行為」ということであると,「徒に性欲を興奮または刺激せしめ」の部分は不要であるようにも思われます。被害者のpudeur(性的羞恥心)が受ける侵害に専ら着目せず,行為者の心情をも問題にするのは,unzüchtige Handlungen(わいせつ行為)概念を中心に強制わいせつ罪を構成したドイツ刑法旧176条の影響でしょうか。

 1871年ドイツ刑法の第176条は次のとおりでした。

 

  第176条 次に掲げる者は,10年以下の懲役〔Zuchthaus. 重罪の刑(同法11項)〕に処せられる。

   一 婦女に対して,暴力をもって(mit Gewalt)わいせつ行為をなす者又は生命若しくは身体に対する現在の危険をもって脅迫してわいせつ行為の受忍を余儀なくさせる者

   二 意思若しくは意識の無い状態にあり,又は精神障碍のある婦女を婚姻外において姦淫する者

   三 14歳未満の者とわいせつ行為をする者又はこれらの者をわいせつ行為の実行若しくは受忍に誤導する(verleitet)者

宥恕すべき事情(milderne Umständeがあるときは,6月以上の重禁錮〔Gefängnißstrafe. (軽罪の刑(同法12項)。最長期は5年(同法161項))〕に処する。

    本条の罪は,告訴を待ってこれを論ずる。ただし,公訴の提起後は,告訴を取り下げることはできない。

 

 「メツガーは,「いわゆる傾向犯(Tendenzdelikte)は,行為者の内心的傾向の徴表として表出される犯罪であり,この傾向は法規定の中に含まれる。性器に対するあらゆる接触は,医師の診察上の目的によらないのであれば,強制わいせつ罪における『わいせつ行為(unzüchtige Handlung)』に当たる。それはすなわち,当該行為が,性欲を刺戟興奮させまたは満足させるという傾向を伴ってなされたということである。」と主張した」そうです(神元隆賢「強制わいせつ罪における性的意図の法的性質と要否」法政論叢54巻(2018年)2103頁における引用)。

 我が旧刑法のフランス語文原案の起草者であるボワソナアドによる,旧刑法258条の公然わいせつ罪(「公然猥褻ノ所行ヲ為シタル者ハ3円以上30円以下ノ罰金ニ処ス」)に関する「わいせつな行為(acte contraire à la pudeur publique)」の定義は,「何よりも,そしてほとんど専ら,単数又は複数の男性又は女性の陰部(les parties sexuelles)を故意に公衆の目にさらす行為」というものでした(Gve Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accompagé d’un commentaire (Tokio, 1886): pp.806-807)。旧刑法の起草準備段階において,鶴田皓から「一人ニテ陰陽[性器]ヲ出シタル時」にも公然わいせつ罪になるのかと問われたボワソナードは,罪となると答えた上で,「然シ国ノ寒熱帯度ニ依テ自ラ慣習ノ異ル所アレハ一概ニ仏国ノ例ヲ推シテ論シ難シ 然シ陰器[性器]ヲ出シタル以上ハ何レニモ猥褻ノ所行ト為サゝルヲ得ス/故ニ日本ニテハ上肢位迄ヲ出シタル者ハ猥褻ノ所行ト罰スルニ及ハサルヘシ」と述べていたそうです(高島智世「ボワソナードの自然法思想と法の継受――『日本刑法草案会議筆記』の性犯罪規定を分析対象として――」金城大学紀要第12号(2012年)122)。

 公然わいせつ罪についてどうもピンと来ない様子である日本人を見ながら,ボワソナアドの脳裡には,『法の精神』における次の一節の記憶がよみがえったものかどうか。

 

   世界のほとんど全ての国民において守られている性的羞恥心(pudeur)に係る規則がある。それを,秩序の再建を常に目的としなければならないものである犯罪の処罰において破ることは,不条理である。

   〔中略〕

   日本の当局者が,公共の場において裸の女らをさらし者にし,更に彼女らをして四つん這いで動かしめた時,彼らは性的羞恥心を震駭せしめたのである。しかし,彼らが母を強いて・・・させようとし,息子を強いて・・・させようとした時――私は,全部は書けない――彼らは自然(nature)自体を震駭せしめたのである。

  (Montesquieu, De l’Esprit des lois (Paris, 1748: Livre XII, Chapitre XIV

 

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