2022年02月

1 南米のサッカー名門国からキック・オフ

 今年(2022年)もまたサッカー・ワールド・カップ大会が開催されます。もう22回目で開催地はカタールになります。頑張れニッポン!

(早いもので,我が国で「感動」のサッカー・ワールド・カップ大会が開催されてから,もう20年です。http://donttreadonme.blog.jp/archives/1071112369.html)。

 このサッカー・ワールド・カップの最初の大会(1930年)の開催地となり,同国人のチームが当該第1回大会及び1950年の第4回大会で優勝した栄光に包まれた国はどこかといえば,南米大陸のウルグアイ東方共和国(República Oriental del Uruguay)です。今年の大会においては,我が邦人のチームもその栄光にあやかりたいものです。

 しかし,あやかるといっても,日本国とウルグアイ東方共和国との間に共通性・類似性って余りないのではないか,そもそも両国は,地球🌏上において表裏正反対の位置にあるんだぜ,とは大方の御意見でしょう。これに対して,いや,両国は実は同じなのだ,と力技で強弁しようとするのが本稿の目的です。

 

2 ウルグアイ東方共和国の国号の謎

 さて,ウルグアイ東方共和国(República Oriental del Uruguay. 英語ではOriental Republic of Uruguay)という国号の謎から本稿は始まります。なぜ「東方」という形容詞が入っているのか,不思議ですよね。

 この東方は何に対する東方なのかというと,どうも独立前の同国の場所にあったBanda Orientalという州名に由来するそうです。ウルグアイ東方共和国の西部国境線はウルグアイ川という同名の川で,スペイン領時代のBanda Orientalという州名は,そのまま(ウルグアイ川の)東方地という意味であったようです。現在「ウルグアイ」は国の名たる固有名詞でもありますが,独立後最初の1830年憲法1条にあるEstado Oriental del Uruguayとの国号は,国(estado: 英語の“state”)であってウルグアイ川の東方にあるものというように,普通名詞であるEstado(国)に地理的限定修飾句(Oriental del Uruguay)が付いた普通名詞的国号として印象されていたもののようにも思われます。当該憲法の前文は,神への言及に続いて,“Nosotros, los Representantes nombrados por los Pueblos situados a la parte Oriental del Río Uruguay…”(筆者のあやしい翻訳では,“We, the Representatives named for the Peoples situated in the Oriental part of the River Uruguay…”又は「我らウルグアイ川(Río)の東部(parte Oriental)所在の諸人民のために任命された代表者らは・・・」)と始まっているからです。

 ウルグアイ川の西は,アルゼンチン共和国です。スペイン領ラ・プラタ川副王領時代は,ウルグアイ川の東も西も同一の副王領内にあったところです。スペインからの独立後,後のウルグアイ東方共和国の地は一時ブラジル治下にありましたが,戦争を経て,ブラジルとアルゼンチンとの間の1828年のモンテビデオ条約によってウルグアイ(川)東方国の独立という運びになっています。すなわち,ウルグアイ東方共和国における「東方」の語は,アルゼンチン共和国から見ての「東方」という意味になりますところ,上記の歴史に鑑みると,同国とのつながりを示唆するようでもあり,断絶を強調するようでもあります。

 

3 普通名詞的国号

 ところで,普通名詞的国号といわれると,固有名詞抜きの国号というものがあるのか,ということが問題になります。実は,それは,あります。例えば,今は亡きソヴィエト社会主義共和国連邦が普通名詞国号の国です(19911226年に消滅宣言。こちらももう崩壊後30年たってしまっているのですね。)。「ソヴィエト」と日本語訳されている部分は,ロシア語🐻では形容詞Советских(複数生格形(ドイツ語文法ならば複数2格というところです。))であって,その元の名詞であるсоветは,会議,協議会,評議会,理事会等の意味の普通名詞です。会議式の社会主義共和国の連邦☭ということですが,何だかもっさりしています。更に社会主義☭仲間では,現在その首都の北京で冬季オリンピック競技大会⛷⛸🏂🥌が開催(202224日から同月20日まで)されている中華人民共和国🐼も,「中華」を固有名詞(China)又はそれに基づく形容詞(Chinese)と解さなければ(ただし,同国政府はどうもそう解するようです(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1077950740.html)。なお,「中華」をあえて非固有名詞的に英語訳すると,“center of civilization”又は“most civilized”でしょう。),同様の普通名詞型普遍国家です(「会議式」は,「中華」よりも謙遜ですね。)。

おフランスの国号も,フランス式なることを意味する形容詞によって固有名詞風の傾きが加えられていますが,普遍国家を志向するものでしょう。La République françaiseであって,la République de Franceではありません。後者であれば,フランスという国があってそれが共和政体であるということでしょう。しかし,前者は,共和国があって,それがフランス式であるということでしょう(la République à la française)。アウグストゥスのprincipatus以来力を失った古代ローマ時代における共和政・共和国の正統の衣鉢を継ぐのは我々であって,そもそもres publica(共和国,国家,国事,政務,公事)は,à la romaineよりも,à la françaiseに組織し,運営するのが正しいのだ,ということでしょう(他の共和国を称する国々との区別のための必要もあるのでしょうが。)。フランスの大統領は,Président de Franceではなく,Président de la Républiqueと呼ばれます。(更にla République françaiseの普遍志向を示す例としては,その1793年憲法4条の外国人参政権条項があります。)Die Bundesrepublik Deutschlandは,ドイツという国があって,それは連邦共和政体を採っているということでしょう。これに対して,1990103日に消滅したdie Deutsche Demokratische Republikは,ドイツ風の民主主義共和国ということですね。ドイツという国であるよりも,人類の普遍的理想の実現に向かって進む民主主義共和国(社会主義国☭)であることの方が重要だったのでしょう。

 さて,いよいよ我が国の国号です。

 

4 近代における我が国の新旧国号:日本国及び大日本帝国

 

(1)日本国

 我が国の憲法は「日本国憲法」ですから,我が国の国号は,日本国なのでしょう。日本「国」が国号であって,単なる日本は国号ではないことになります。実は日本語における「日本」は形容詞なのでしょう。しかして,我が国の憲法の英語名はConstitution of Japan”です。そうであれば英語のJapan”は,国である旨の観念をそこに含み込んでいる名詞であるようです。「日本」に対応する英語の単語は,形容詞たるJapanese”でしょうか。

 

(2)大日本帝国

 

ア 明治天皇による勅定及び昭和天皇による変更

 現行憲法に先行する我が国の憲法の題名は「大日本帝国憲法」でした。したがって,19461029日の日本国憲法裁可によって,昭和天皇は,祖父・明治大帝が勅定し,1889211日に発布せられた大日本帝国という我が国号を,日本国に改めてしまったことになります。

 「大」が失われては気宇がちぢこまっていけない,例えば我が隣国はその国号に堂々「大」を冠し,しかしてその国民は,今や我々いじけた日本国民よりも豊かになっているではないか(購買力平価で一人当たり国内総生産を比較した場合),などと慷慨😡するのは,大日本帝国憲法案の起草者の一人である井上毅に言わせれば,少々方向違いかもしれません。

 

イ 「大」日本帝国

 実は大日本帝国憲法1条の文言(「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」)は,枢密院に諮詢された案の段階では,「大」抜きの「日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」との表現を採っていたのでした。

 これについては,1888618日午後の枢密院会議において,それまでに一通り審議が終った明治皇室典範1条の文言(「大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」)との横並び論から,寺島宗則が問題視します。

 

  31番(寺島) 皇室典範ニハ大日本(○○○)トア(ママ)ヲ此憲法ニハ只日本(○○)トノミアリ故ニ此憲法ニモ()ノ字ヲ置キ憲法ト皇室典範トノ文体ヲ一様ナラシメン(こと)ヲ望ム

 

 当該要求に,森有礼,大木喬任及び土方久元が賛同します。

 これに対する井上毅の反論及びその後の展開は次のとおり。

 

  番外(井上) 皇室典範ニハ大日本ト書ケ𪜈(ども)憲法ハ内外ノ関係モアレハ大ノ字ヲ書クコト不可ナルカ如シ若シ憲法ト皇室典範ト一様ノ文字ヲ要スルモノナレハ寧ロ叡旨ヲ受テ典範ニアル()ノ字ヲ刪リ憲法ト一様ニセンコトヲ望ム英国ニ於テ大英国(グレイト,ブリタン)ト云フ所以ハ仏国ニアル「ブリタン」ト区別スルノ意ナリ又大清,大朝鮮ト云フモノハ大ノ字ヲ国名ノ上ニ冠シテ自ラ尊大ニスルノ嫌ヒアリ寧ロ大ノ字ヲ刪リ単ニ日本ト称スルコト穏当ナラン

 

  14番(森) 大ノ字ヲ置クハ自ラ誇大ニスルノ嫌アルヤ否ニ係ハラス典範ト憲法ト国号ヲ異ニスルハ目立ツモノナレハ之ヲ刪ルコト至当ナラン

 

  17番(吉田〔清成〕) 典範ニハ已ニ大日本トアリ又此憲法ノ目録ニモ亦大日本トアリ故ニ原案者ハ勿論同一ニスルノ意ナラン

 

  議長〔伊藤博文〕 此事ハ別ニ各員ノ表決ヲ取ラスシテ()ノ字ヲ加ヘテ可ナラン故ニ書記官ニ命シ()ノ字ヲ加ヘ本案ニ

 

大日本帝国の「大」の字は,議事の紛糾を恐れた伊藤枢密院議長がその場において職権で加えることにしてしまったもののようで,領土・人口・GDPをこれから大きくしようというような深謀遠慮があって付けられたものではないようです。

 

ウ 大日本「国」皇位 vs. 大日本「帝国」

ところが奇妙なことがあります。当時の関係者は憲法も皇室典範も「大」日本でそろったことに満足してしまい,明治皇室典範1条では「大日本国皇位」と「国」であるのに対し,大日本帝国憲法1条では「大日本帝国」と「帝国」であるという,残された相違については問題にしていないのです。

この点については,佐々木惣一が疑問視しており,後に『明治憲法成立史』(有斐閣・1960-1962年)を出版することになる稲田正次東京教育大学教授に問い合わせたりしたようですが,結論は「旧皇室典範と大日本帝国憲法とが我国を指示するのに,別異の語を用ゐてゐるの理由は,依然として明かでない」ということになっています(佐々木惣一「わが国号の考究」『憲法学論文選一』(有斐閣・1956年)47頁)。佐々木は,明治皇室典範1条で「大日本帝国皇位といふとせば,帝と皇との両語の位置に基き,其の語感調はざるものがあるとして,大日本国皇位としたのではないか」と推測しつつ,「稲田教授も私と同様の意見の如くである。」と述べています(佐々木49頁。稲田教授の佐々木への書簡には「削除の理由は御説の通り帝と皇と2字あるは聊か重複の感もあり語調宜しからざるが為と推察被致候(いたされそうろう)或は起草者としては大日本国は大日本帝国の略称位に軽く考へ典範憲法間別に国号の不一致無之(これなき)ものと単純に思ひ居たるものと被存候(ぞんぜられそうろう)」とあったそうです。)。しかし,語感の問題で片付けてしまってよいものでしょうか。

 ということで,起草者らの意図を何とか探るべく,伊東巳代治による大日本帝国憲法及び明治皇室典範の英語訳に当ってみると,大日本帝国はthe Empire of Japanであり,大日本国皇位はthe Imperial Throne of Japanであることが分かります。確かに,「大日本帝国皇位」=“the Imperial Throne of the Empire of Japan”では長過ぎますし,語調というよりも語義の点で,「“The Imperial Throne of Japan”といっておけば,Imperial ThroneのあるJapanEmpireであることは,当然分かるじゃないか」ということになります。発生的にも,具体的な人(king)ないしはその地位(royal throne)が先であって,かつ,主であり,その働きに応じて制度(king-dom)は後からついて来るものでしょう。The King of Englandがいて,それからthe Kingdom of Englandがあるのであり,the King of the Kingdom of Englandでは何やら語義が内部で循環した称号になってしまいます。なお,大日本帝国憲法1条によって当時の我が国の正式名称が定められたことに関し,そこでの帝国=Empireの意味については,「外交上の用語としては,それ等の西洋語に於いての総ての差異〔Emperor, King, Grand Duke, etc.〕に拘らず,日本語に於いては,苟も一国の君主である限りは,等しく「皇帝」と称する慣例である。若し此の外交上の用語の慣例に従へば,帝国とは単に君主国といふと同意語であつて毫も大国の意を包含しないものである。わが国の公の名称を大日本帝国といふのも,亦その意に解すべきもので,敢て大国であることを誇称する意味を含むものではなく,唯天皇の統治の下に属する国であること,言ひ換ふればその君主国であることを示すだけの意味を有つものと解するのが正当であらう。」と説明されています(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)79頁)。

The Empire of Japan(大日本帝国)は,日本国(Japan)という国であって君主政体をとっているものを意味することになります。なおここでは,大日本=形容詞,帝国=名詞であるとして,ヨーロッパ語で“the Japanese Empire”となるのだと解してはならないことに注意しなければなりません。“The Japanese Empire”ということになれば,普遍的なものたるthe Empire(原型は古代ローマ帝国)に日本風(à la japonaise)との形容詞が付いただけのものとなり,その版図は必ずしもポツダム宣言第8項流に本州,北海道,九州及び四国並びに附属の諸小島に限局される必要のないものとなるのだと解し得ることになり,なかなか剣呑です。

The Imperial Throne of Japanは素直に,日本国の皇位ということになります。

「大日本帝国皇位(the Imperial Throne of the Empire of Japan)」が不可とされた理由は,またうがって考えれば,断頭台の露と消えたルイ16世と,痛風等に悩みながらも王位にあって天寿を全うしたその弟であるルイ18世との運命の違いに求められ得るかもしれません。フランスの王(Roi de France)の称号を保持していたルイ16世は,1791年憲法により,フランス人の王(Roi des Français)とされています。しかしてその後の経緯は周知のとおりです(1791年憲法は「王の身体は不可侵かつ神聖である。」とも規定していましたが(大日本帝国憲法3条参照),フランス人の憲法規範意識は当てにはなりませんでした。)。他方,ルイ18世は,王政復古後,伝統的なフランスの王(Roi de France)として統治しました。統治の当の客体に支えられる王権は危うく,統治の正統性は抽象的な国体に求められるべしということにはならないでしょうか。しかして,大日本帝国憲法1条にいう帝国は,突き詰めれば,天皇にとっての統治の客体たる領土内の臣民でした。『憲法義解』の第1条解説は天皇の大日本帝国統治につきいわく,「統治は大位に居り,大権を統べて国土及臣民を治むるなり。」と。更に美濃部達吉はいわく,「天皇が帝国を統治したまふと言へば,日本の一切の領土が天皇の統治の下に属することを意味し,更に正確に言へば,その土地の上に在る一切の人民が天皇の統治したまふところたることを意味する。統治とは領有と異なり,土地を所有することを意味するのではなく,土地を活動の舞台としてその土地に住む人々を統括し支配することの意である。」と(美濃部76頁)。“The Imperial Throne of the Japanese country and subjects”では,地方人民主権政体の国の元首のごとし,となります。

 

エ 「日本帝国」使用の勅許

しかし,以上の屁理屈を吹き飛ばすような表現が,明治天皇によって明治皇室典範に付された上諭にあります。いわく,「天祐ヲ享有シタル我カ日本帝国ノ宝祚ハ万世一系歴代継承シテ以テ朕カ身ニ至ル」云々。何と「日本帝国ノ宝祚」です。宝祚とは,天子の位の意味です。

この上諭の起草に井上毅が関与していたのならば,「大」日本帝国ではなく日本帝国であることは,「大」不要論者である井上による,寺島,大木,土方,吉田及び伊藤に対する当てつけかもしれません。しかし,当てつけ以前に,同一の明治天皇が作成する文書間での表現の不統一はいかがなものでしょうか。うっかりすると,とんでもない不敬事件になりそうです(とはいえ,伊藤博文名義の『憲法義解』の第1条解説文は,「我が日本帝国は一系の皇統と相依て終始し」云々といい,「大日本帝国」の語を使用していません。伊藤は「大」を付さぬことを認容していたのでしょう。)。しかしとにかく,いろいろ考えるに,この辺についての調和的解釈は,国家の法たる大日本帝国憲法と皇室の家法たる明治皇室典範とはその性質及び適用対象が全く異なるのだ,という理論(井上毅の理論ですが,後に公式令(明治40年勅令第6号)の制定によって破られます。)によるべきもののようでもあります。つまり,臣民並びに外国及び外国人に対するところの(したがって外向きかつ正式のものである)我が国の国号は憲法の定める大日本帝国である一方,身内の皇族を対象とする皇室の家法たる明治皇室典範及びその上諭においては,国家の法によるその縛りに盲従するには及ばないというわけです。「大」日本帝国といわなかったのは,臣民らとは違って,皇室内ではやたらと誇大表現は使わない,ということになるのでしょう。

明治皇室典範1条の「大日本国皇位」にいう「大日本」は,瓊瓊杵尊が降臨し,ないしは神武天皇がそこにおいて即位すべき対象であった(したがって帝国ではまだない)「蛍火(ほたるびなす)(ひかる)神及蠅声(さばへなす)(あしき)神」を「(さはに)有」し,また「草木」が「(みな)(よく)言語(ものいふこと)」ある葦原(あしはらの)中国(なかつくに)(『日本書紀』巻第二神代下)をもその対象に含み得る,皇室が原始的に有する我が国の統治権の根源に遡っての表現でしょうか。他方,上諭における「日本帝国ノ宝祚」は,神武天皇以来の「万世一系歴代継承」してきた歴史的な皇位を指すもので,その間の我が国は確かに帝国であったわけです。

なお,明治皇室典範上諭の前記部分の伊東による英語訳文は,“The Imperial Throne of Japan, enjoying the Grace of Heaven and everlasting from ages eternal in an unbroken line of succession, has been transmitted to Us through successive reigns.”です。英語では,大日本国皇位も日本帝国ノ宝祚も,同じ“the Imperial Throne of Japan”なのでした。

 

オ 下関条約における用法

1895年の下関条約においては,明治天皇は「大日本国皇帝」,光緒帝は「大清国皇帝」と表現され,本文では「日本国」及び「清国」の語が用いられ,記名調印者の肩書表記は「大日本帝国全権辨理大臣」及び「大清帝国欽差全権大臣」となっていました。皇帝(天皇)の帝国であって,大臣は当該帝国に属するものの,帝国の皇帝(天皇)ではないわけです。

 大と帝国との間の,日本ないしは日本国の語源探究が残っています。

 

5 「日本」の由来

 

(1)「日本」国の国号採用の時期

 まず,日本国の国号が採用された時期が問題となります。

 

ア 天智朝(670年)説

ひとまずは,天智天皇によって670年(唐の咸亨元年)に採用されたものと考えるべきでしょうか。

 

ところでこの〔668年に大津で即位式を挙げた天智天皇の制定に係る〕『近江令』で,「日本」という国号がはじめて採用されたものらしい。唐は663年に百済の平定を完了したあと,668年,ちょうど天智天皇の即位の年に,こんどは平壌城を攻め落とし,高句麗国を滅ぼしたのだったが,唐の記録によると,翌々670年の陰暦三月,倭国王が使を遣わしてきて,高句麗の平定を賀した,という。だからこの遣唐使が国を出た時には,国号はまだ倭国だったのである。

ところが朝鮮半島の新羅国の記録では,この同じ670年の年末,陰暦十二月に「倭国が号を日本と更めた。自ら言うところでは,日の出る所に近いので,もって名としたという」と伝えられている。これはその書きぶりから見て,この時に日本国の使者が到着して通告したことのようだから,この遣新羅使が国を出た時には,国号はすでに日本国に変わっていたことになる。だから日本という新しい国号が採用されたのは670年か,早くても669年の後半でなければならない。

  (岡田英弘『倭国』(中公新書・1977年)151-152頁)

 

 咸亨元年の倭の使いに関しては『新唐書』巻二百二十列伝第百四十五東夷に「日本,古倭奴也。〔中略〕咸亨元年,遣使賀平高麗。後稍習夏音,悪倭名,更号日本。使者自言,国近日所出,以為名。或云日本乃小国,為倭所并,故冒其号。使者不以情,故疑焉。又妄誇其国都方数千里,南,西尽海,東,北限大山,其外即毛人云。〔後略〕」とあるところです。当該咸亨元年の遣唐使の発遣の時期については,『日本書紀』巻二十七天智天皇八年条(翌天智天皇九年が唐の咸亨元年です。なお,天智天皇の即位年は天智天皇七年です。)に「是年,遣小錦中(せうきむちう)河内(かふちの)(あたひ)(くぢら)等,使於大唐。」とあります。

670年(早くとも669年後半)説は,〔(いにしえ)の倭が〕高〔句〕麗を平らげたことを賀する遣いを咸亨元年(670年)に遣わしたが,〔倭は〕その「後」に(やや)夏音を習って倭の名を(にく)み,更めて日本と号した,ということから,唐の高句麗平定を咸亨元年に唐で賀した遣唐使の発遣時には我が国の国号は依然として倭国であっただろうとするものでしょう。これに関して1339年成立の『神皇正統記』において北畠親房は,「唐書「高宗咸亨年中に倭国の使始てあらためて日本と号す。其国東にあり。日の出所に近きをいふ。」と載せたり。此事我国の古記にはたしかならず。」と書いています(岩佐正校注『神皇正統記』(岩波文庫・1975年)18頁)。北畠は,『新唐書』にある「後」の字を省いて読んだものでしょうか。

『新唐書』は,北宋の欧陽脩・宋祁らが勅命を受けて11世紀に作ったものです。

唐の咸亨元年に係る新羅の記録は,『三国史記』巻六新羅本紀第六文武王上の同王十年条に「十二月,〔中略〕倭国更号日本,自言近日所出以為名。」とあります。我が国の記録には,同年「秋九月辛未朔〔一日〕,遣阿曇連頰垂(あづみのむらじつらたり)於新羅。とあります(『日本書紀』巻二十七天智天皇九年条)。

『三国史記』は,高麗の金富軾らによって12世紀に作られたものです。

 

イ 孝徳朝説

しかし,日本国の国号は,もっと早く孝徳天皇の時代に採用されたものだとする説があります。

 

  「日本」という国号の成立は,推古朝より少しのちになるようだ。大化改新(645年)のころ,たぶん大化の年号とともに制定されたのではなかろうか。『隋書』には「日本」という語はみえず,『旧唐書』日本伝には,貞観二十二年(648・大化四)に日本から使いがきたことを記したあとに,

  「日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるをもって,故に日本をもって名と為す」

 とある。つまり,隋への国書にみえる「日出処天子」の「日出処」をいいかえたものである。『新唐書』日本伝には,「後稍〻夏音を習い,倭の名を悪み,更めて日本と号す」とある。〔略〕

  それにしても,日本とはなかなか壮大な国名である。中国にまけまいとする新興国のもえあがるような気魄が,この国号にもあらわれている。

 (直木孝次郎『日本の歴史2 古代国家の成立』(中央公論者・1965年)112-113頁)

 

しかし,この説における『旧唐書』の読み方は少々不思議です。『旧唐書』巻百九十九上列伝第百四十九上東夷においては,倭国の伝と日本国の伝とが別に立てられているのです。倭国伝は「倭国者,古倭奴国也。」から始まって,その最後の部分が「貞観五年,遣使献方物。太宗矜其道遠,敕所司無令貢,又遣新州刺史高表仁持節往撫之。表仁無綏遠之才,与王子争礼,不宣朝命而還。至二十二年,又附新羅奉表,以通起居。」です。貞観二十二年(大化四年)に新羅に附して表を奉り,もって起居を通じたのは,倭国であって,日本国ではないようです。なお,貞観二十二年には,前年(大化三年)に我が国の孝徳朝を訪問していた新羅の金春秋(後の同国太宗武烈王)が,唐に使いしています。

『旧唐書』では倭国伝の直後が日本国伝ですが,日本国伝の冒頭部分は次のとおりです。

 

日本国者,倭国之別種也。以其国在日辺,故以日本為名。或曰:倭国自悪其名不雅,改為日本。或云:日本旧小国,併倭国之地。其人入朝者,多自矜大,不以実対,故中国疑焉。又云:其国界東西南北各数千里,西界,南界咸至大海,東界,北界有大山為限,山外即毛人之国。

 

 飽くまでも日本国は倭国とは別種であるものとされています。

 『旧唐書』は,五代の後晉の劉昫が,勅命を奉じて10世紀に著したものです。

 

ウ 702年の対唐(周)披露

なお,日本国の国号が採用された時期に関しては,8世紀初めの周(唐もこの時国号を変えていました。)の長安二年(我が大宝二年。702年)に武則天に謁見した我が遣唐使が「日本国」から派遣されたものであることについては,争いはないようです(『旧唐書』東夷伝には長安三年とありますが,長安二年でよいようです(神野志隆光『「日本」 国号の由来と歴史』(講談社学術文庫・2016年)14頁)。)。『三国史記』による670年説をどう補強するかが問題になるのでしょう(同書は評判が余りよくないようです。いわく,「『三国史記』文武王咸亨元年に,倭国を改めて日本国と号したという記事は,『新唐書』によったものである。〔略〕『三国史記』は信ずるに足りず,そもそも,中世文献である『三国史記』を根拠とすることはできない。」と(神野志235-236頁)。)。

これに関しては,『旧唐書』も『新唐書』も共に,倭国が倭の名を嫌った結果その号を更めた,という話のほかに,「或いは云ふ」ということで,倭国と小国である日本国との並立から併合へという動き,すなわち争いがあった話を伝えていることが注目されます。しかも,その間のことについては,唐への我が国からの使者はどうもいい加減な受け答えをしていたようです(『旧唐書』では「実を以て対へず,故に中国は疑ふ。」,『新唐書』では「使者情を以てせず,故に疑ふ。」)。外国に積極的に話したくない我が国のこの頃の内紛といえば,咸亨三年(672年)の壬申の乱でしょうか。天智天皇の正統を継ぐ大津朝廷側が日本国という国号を採用していたとすれば,『新唐書』の「日本は(すなは)ち小国,倭の幷せる所と為る,故に其の号を冒す。」という記述が,壬申の乱及びそれ以後の経過をうまく表しているように思われます。天智天皇は日本国という新しい国号を採用したが,新国号派は少数にとどまり,その死後,守旧派(倭)を率いた大海人皇子に大津朝廷(日本国)は滅ぼされた,しかし結局,新国号の理念が天武=持統=文武朝において最終的には貫徹するに至った(冒其号),ということでしょうか。明治から大正にかけてもっとも強力であったとされる壬申の乱原因論である「天智天皇の急進主義にたいする大海人皇子の反動的内乱とするみかた」(直木334頁)には,確かに分かりやすいところがあります。

以上,日本国という国号の採用時期に関する議論はこれくらいにして,一応670年に天智天皇が採用したとの説を採り,国号変更の原因及び「日本国」採択の理由について考えましょう。

 

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(上):藪山から登山口に戻る。

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079396029.html

(中):概念図及び当初山行計画

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079396057.html


9 準消費貸借山域の鳥瞰図

 以上の検討を経て,前記33)の6箇の問題をどう考えるべきでしょうか。

 

(1)旧債務の存否

旧債務は存続するのか消滅するのかの問題(①)については,民法起草者である富井も梅も,準消費貸借においては旧債務が消滅するものと考えていた,というのが筆者の認識です。

新旧債務の「同一性」の問題について我妻は「判例は,最初は,常に同一性を失うとなし(大判大正912272096頁参照),ついで,当事者の意思によるも原則として同一性を失わないと解し(大判昭和8224265頁参照),最後に,この見解を維持しながら,時効などについては,これを制限すべしとするもののようである(大判昭和86131484頁〔略〕)」とまとめています(我妻Ⅴ₂・367頁)。

当初の判例が「常に同一性を失うとなし」たのは,起草者の意思(更改型)に忠実な解釈であったというべきでしょう。

その後の「当事者の意思によるも原則として同一性を失わない」との解釈は,日本民法に即した固有の解釈というよりも,Protokolleにおける議論に現れたドイツ民法旧6072項流の解釈(債務変更型)を輸入したものでしょう。「ドイツ学説継受期には,〔準消費貸借は〕新旧債務が同一性を保つ〔――したがって,原因の交替する更改と同じものではない――〕固有の制度だとする説が多く主張され」たこと(柴崎41-42頁)の影響であるわけです。このドイツ流の解釈の導入の呼び水となり,またそれを容易にした理由の一つは,日本民法588条(の前半)の文言とドイツ民法旧6072項のそれとの類似性でしょう。準消費貸借について我妻は「思うに,当事者が全然同一性のない債務を成立させる契約をすることは可能である。」と説くに至っていますが(我妻Ⅴ₂・367頁),これは,同一性が維持されることを原則とするものであって,債務変更型のドイツ民法式の思考でしょう(更改制度を設けていない同法下でも,明文はないが――したがって例外的に――更改契約は可能であることは,前記62)のとおりです。)。

しかし,日本民法588条の後半の文言は新債務の発生を意味するもの(したがって旧債務は消滅しなければならない。)と解するときには(前記4及び61)参照),「当事者の意思によるも原則として同一性を失わない」とする解釈は,条文の文理に背反するのではないか,と気になるところです(同条は「みなす」とまでいっています。これについては,梅が「当事者ノ意思ニ任カセルト云フト動モスレバ意思ノ不明ナル為メニ問題ヲ生スル」との老爺心ないしは老婆心的見解を示していたところでした(前記4)。)。平成29年法律第44号による民法588条の改正は,新旧債務が同一性を失わないことを原則とすること(現在の判例と解されます(渡邊・新旧130頁)。)を立法的に改めて確認するものとしては,あるいは不十分なものだったのかもしれません。平成=令和流の「やってる感」的には,「金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合においては,当事者はその物を消費貸借の目的とすることを約することができる。」とまでの改正をも選択肢に入れるべきだったのではないかとは,軽薄な後知恵的思案でしようか。しかし,日本民法588条は,頭はドイツ式(債務変更型)・尻尾はフランス式(更改型)の藪山の鵺であると考えられ得るところ,そうであるのであれば,このねじくれた怪鳥――「わが民法の伝統的解釈態度は,かなり特殊なものである。第一に,あまり条文の文字を尊重せず(文理解釈をしない),たやすく条文の文字を言いかえてしまう。〔略〕第二に,立法者・起草者の意図を全くといってよいほど考慮しない。第三に,〔略〕わが民法学はドイツ民法学の影響が強く,フランス式民法をドイツ式に体系化し解釈するという,奇妙な状況を呈している。」(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)61-62頁註(1))――の退治は,全くの無意味ということにはならないでしょう。

 

(2)更改との関係

旧債務が消滅するとした場合における準消費貸借と更改との関係の問題(②)については,債務の要素を変更するものではないから準消費貸借は更改ではなく(民法旧5131項反対解釈),要物性に代えるに債務免除の利益に係る出捐をもってする要物性が緩和された消費貸借なのだ(債務免除説。梅三591-592頁),ということになるのでしょう。

なお,平成29年法律第44号による改正後の民法5131号は,「従前の給付の内容について重要な変更をするもの」である新たな債務を従前の債務に代えて発生させる契約をもって,更改による従前の債務の消滅をもたらす契約であるものとしていますが,改正後の同条は,改正前の同条1項における「債務の要素」の具体的な意味を読み取り得るようにするため,その明確化を図ったものとされています(筒井=村松208頁)。したがって,従来の民法旧513条に関する解釈は維持されるものと解してよいのでしょう。ちなみに,旧民法財産編490条は「当事者カ期限,条件又ハ担保ノ加減ニ因リ又ハ履行ノ場所若クハ負担物ノ数量,品質ノ変更ニ因リテ単ニ義務ノ体様ヲ変スルトキハ之ヲ更改ト為サス/商証券ヲ以テスル債務ノ弁済ハ其証券ニ債務ノ原因ヲ指示シタルトキハ更改ヲ為サス従来ノ債務ノ追認ハ其証書ニ執行文アルトキト雖モ亦同シ」と規定していましたところ,これについて梅謙次郎は,条件の加減は更改をもたらすものと変更し(民法議事速記録第23103丁表-104丁表。民法旧5132項),負担物の数量,品質の変更は目的を変ずるのである(そもそも義務の体様とはならない。)からこれも同様とし(同104丁裏-105丁表。民法旧5131項に含まれるとの解釈。ただし,「数量ノ変更ハ往往ニシテ旧債務ニ一ノ新債務ヲ加ヘ又ハ原債務ノ一部ノ消滅ヲ約スルニ過キサルコトアリ須ラク当事者ノ意思ヲ探究シテ之ヲ決スヘキモノトス」とされています(梅三356頁)。),「商証券ヲ以テスル債務ノ弁済ハ其証券ニ債務ノ原因ヲ指示シタルトキハ更改ヲ為サス」の部分を「債務ノ履行ニ代ヘテ為替手形ヲ発行スル亦同シ〔債務の要素を変更するものとみなす〕」に改めています(同105丁表-107丁表。平成16年法律第147号による改正前民法5132項後段)。

 

(3)要物性緩和論の由来

上記(2)の議論は,要物性緩和論の由来の問題(③)に対する解答ともなります。消費貸借の要物性を緩和するために準消費貸借の制度が設けられたのではなくて,金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において当事者がその物を消費貸借の目的とすることを約してしまうという実態が先にあって,当該実態の法律構成のために要物性の緩和ということがされたのだ,ということになるのでしょう。

なお,我妻は「民法の要物性は既存の債務の存在で足る」といい(前記21)),法務省御当局は「消費貸借によらない物の返還債務を消費貸借の目的とする消費貸借」といっていますが(前記22)),既存債務がそのまま消費貸借の債務に採用される(名義が変わる)ということは,債務の名義の変更を認めない梅謙次郎の許すところではなかったでしょう。民法588条は給付義務の対象「物を消費貸借の目的〔物〕とする」と規定して,飽くまでも物レヴェルでの記述にとどめています。物の占有を問題にした占有改定説の名残ともいうべきでしょうか。

 

(4)準消費貸借の消滅時効

準消費貸借の消滅時効問題(④)は,梅が最も苦心したところです。梅の頑張りを尊重すれば,更改型の場合においてのみ消費貸借債務に係る時効期間が適用され,債務変更型の場合には既存債務に係る時効期間が適用されるものとせざるを得ません(また,渡邊・新旧154-155頁参照)。

新旧債務の同一性の有無にかかわらず判例は「最後には,時効については,常に別個に解すべきものと改めたとみてよいようである(大判昭和86131484頁)。最後の態度を正当とする。」ということであれば(我妻Ⅴ₂・368頁),常に消費貸借債務の時効となるわけですが,債務変更型の場合であって従前の債務の時効期間が消費貸借債務のそれよりも短いときにはいかがなものでしょうか。梅の意思の蹂躙問題はさておいても,民法146条の規定に鑑みるに,融通が利き過ぎるように思われます。(なお,民法146条の反対解釈により有効とされている時効期間を短くする合意が,別途可能であることはもちろんでしょう。)

ちなみに,大審院昭和8613日判決は,新旧債務の同一性が維持される場合においては「此の場合債務そのものは則ち従前の債務に外ならざるが故に厳格に云はば〔後に〕商行為により生じたる債務てふものは固より以て存すべくもあらず」であるが,「当事者の意思は此の債務をして爾今以後民法にもあれ商法にもあれ広く消費貸借に関する規定の支配を受けしめむとするに在」るのだから「準消費貸借締結自体が商行為なる以上商法中「商行為ニ因リテ生シタル債務」に関する規定の如きは総て其の適用あるものと解するを以て当事者の意思に合へりと為す」と判示しており(判決文の引用は渡邊・新旧119-120頁における紹介に基づくもの),当事者の意思に基づいて債権の消滅時効期間(平成29年法律第45号による削除前の商法(明治32年法律第48号)522条は,商事消滅時効の期間を,債権消滅時効の原則規定である民法旧1671項の10年よりも短い5年としていました。)を選択することができるかのような言明となっていました。当該判示については,「しかし,この判決の事件で準消費貸借の目的となった債務は機械器具の使用の対価とも,組合事業を一組合員が機械器具を使用し原料品等を処分する権利を与えられ単独で経営することを許された対価ともいわれる。前者だと動産の損料として民法〔旧〕1745号で時効は1年となるのであろうか。後者だと商行為として5年となろう。いずれにしても時効は完成しているので,時効はもとの債務の時効かそれとも準消費貸借債務の時効で,商行為なら5年であるなどと議論する必要はなかったように思われる。」との傍論性の指摘があり(来栖三郎『契約法』(有斐閣・1974年)268頁),更に「のみならず,当事者の意思が債務の同一性を維持するにある場合にも,準消費貸借によって,時効期間が変るとすることは,却って時効が当事者の意思によって左右されることをみとめることにならないだろうか。」との懸念も表明されています(同頁)。

いずれにせよ,平成29年法律第44号及び第45号による民商法の改正によって時効制度は単純化され,民法旧170条から174条までの短期消滅時効に係る規定も削除されていますから,準消費貸借の消滅時効をどう考えるべきかの問題は,その重要性を大きく失ってはいるとはいい得るところでしょう(渡邊・新旧154頁註(51)参照)。

 

(5)旧債務に伴っていた抗弁並びに担保及び保証の存否

旧債務に伴っていた抗弁並びに担保及び保証がどうなるかの問題(⑤)については,ドイツ法的解釈を貫けば,債務変更型なので原則としては全部残るが(ドイツ法における担保権及び抗弁権につき,渡邊・ドイツ124頁参照),当事者の意思によって変わり得ることはもちろん,ということになるのでしょう。当事者の意思の尊重は,Protokolleの議論において,他方の側(die andere Seite)が強調していたところです。なお,当事者の意思の解釈について我妻は,「然し,準消費貸借をする当事者の普通の意思には,おのずから一定の内容がある。それは,既存の債務に消費貸借としての性格を与えることである。従つて,この普通の意思を解釈の規準としなければならない。」と説いています(我妻Ⅴ₂・367頁)。ただし,「普通の意思」でない意思による,純消費貸借ならざる準消費貸借の存在は,排除されてはいないのでしょう(準消費貸借について,同時履行の抗弁権を我妻は認めてはいませんが(消費貸借は本来片務契約なので(民法587条),双務契約に係るものである同時履行の抗弁権(同法533条)が準消費貸借に認められるのはおかしい,ということでしょう。),認める判例があります(我妻Ⅴ₂・367頁)。)。

ところで,準消費貸借においては「先取特権(民法322条,328条)がない」とされますが(星野Ⅳ・171頁),これはボワソナアドの前記見解(前記7)及び「〔売買の代金を目的として〕消費貸借ト為スノ利益ハ〔略〕先取特権ナキトニ在ルヘシ(322328)」との梅の説明(梅三591頁)に倣ったものでしょうか。ボワソナアドも梅も旧債務が消滅するとの説であったので,旧債務に伴う抗弁並びに担保及び保証が全滅するのは当然ですが,債務変更型の準消費貸借においても同様とまで解し得るかどうかは疑問です。ドイツ民法では,我が先取物権に対応する担保物権は法定質権とされているそうですから,質権が存続するのであれば先取特権も存続するものとしてよいのではないでしょうか(下記筆者註2参照)

 

(6)要件事実論

要件事実論における被告説・原告説の争い(⑥)については,法律要件分類説の建前からすると,やはり原告説ということになるようです(梅本345-347頁参照)。

この点について付言すれば,ドイツ民法流の債務変更型理論に素直に従えば原告説ということになり,ただし当事者の合意次第では被告説となる場合もあり得る(Protokolleにおけるdie andere Seiteの議論参照),ということにもなるのでしょう。

ちなみに,Protokolleにおけるdie eine Seiteからの説明に「訴訟においては,原告は,被告が当該価額を受領したことを主張立証(nachweisen)しなければならない。当該主張立証に当たっては,被告が当該受領を争ったときは,消費貸借債務に変じた債権債務関係にまで遡らなければならない。」とあるのは,折衷的で面白い。被告説で訴状を書いてもよいが,被告が当該価額(Valuta)の受領を争うのならば,結局原告説に戻って当初の債権の成立まで遡らなければならなくなるというわけです。なお,ローマ法において,類似の取扱いがされていたようです。すなわち,ローマ法上の問答契約(ユスティニアヌス時代には,証書作成及びその上における“et stipulatus spopondi(要約せられて諾約候)との形式的約款の挿入を要する要式契約)は原則として「原因の記載のない場合には,原因が有効に成立していない場合にも有効に成立」し,訴えられたときには「原因不存在の挙証責任は固より諾約者にあ」ったものの,例外として,「若し金銭消費貸借を原因として問答契約がなされ,その証書が作成せられたときは,金銭不受領の抗弁(exceptio non numeratae pecuniae)の対抗が許され,成立の日附より1年(当初),5年(ヂ〔オクレティアヌス〕帝以来),2年(ユ〔スティニアヌス〕帝)内ならば,原因存在の証明を債権者がなすことを要する」ものとされていたそうです(原田173-175頁)。ローマ法では「利息は問答契約の形で約さねば発生せず」ということだったので,消費貸借(「代替物給付の債務を消費貸借上の債務に肩替することも許され」ていました。)は,「実際上問答契約で行われた」そうです(原田177-178頁)。

しかし,現在のドイツ民法学においては,「準消費貸借の合意がなされた場合に,〔略〕旧債務の不存在に基づく無効性については債務者に証明責任が負わされる。」ということになっているそうです(渡邊・ドイツ126頁)。Protokolleにおけるdie eine Seiteによる上記説明において想定されていたものとは異なった取扱いです。ドイツ人らも,文献考証の末,被告説を採る日本の判例理論に学んだのでしょうか。それとも,Protokolleにおいてdie andere Seiteが「いつもきちんと約されるものではない」と言っていた,「価額の受領の証明のために当初の法的基礎に遡る必要はない」とする「承認」が――債務承認まではいかないものの――その後,「いつもきちんと約されるもの」であるという推定を受けるようになったものでしょうか。

(なお,被告説を採ったものとして有名な我が前記最判昭和43216日の上告理由(弁護士小松亀一法律事務所のウェブサイトにありました。)を見ると,債務者は「一口の借金を返済しては又借(ママ)るといつたことを繰り返していたところ,残元金額は準消費貸借の公正証書にある98万円ではなく7万円にすぎないとして,98万円の支払を求める債権者と争っていたようです(すなわち,累次の弁済によって91万円分は消滅していたのだ,ということであったように思われます。)。原告説においても「旧債務の発生原因事実が要件事実で,その障害,消滅事由が抗弁に回るとの説」があるそうですが(岡口533頁の紹介する村上博巳説。また,『「10訂民事判決起案の手引」別冊 事実摘示記載例集』6頁は「準消費貸借契約の成立を主張する側で旧債務の発生原因事実〔筆者註:「存在」ではありません。〕を主張すべきであるとする見解」を原告説としています。),弁済による旧債務消滅の主張は被告の抗弁に回るとの解釈も,原告説内で可能なのでしょう。そうであれば,「明確に証明責任があるという説示は余り見られず,準消費貸借契約を示す借用書をはじめとする書面があることをもって,旧債務の存在を推定する」ものとし「結論として債務者に証明責任を負わせることに」なっていた(梅本345頁における,最判昭和43216日前の諸判例に係るまとめ。宇野栄一郎解説(『最高裁判所判例解説民事篇(上)昭和43年度』(法曹会)269-270頁)では「大審院は一般に,借用証書,消費貸借証書の授受が確定されている事案については,準消費貸借における旧債務の存否については,債務者が不存在の事実を立証することを要すると考えてきたようである。ただそれが,債務者に旧債務発生の権利根拠事実の不存在について立証責任ありとするのか,或いは,準消費貸借契約の成立が確定される場合には旧債務の存在が事実上推定され,債務者に反証を挙げる立証の必要があるということにとどまるものか必ずしも明らかではない。」)ことを前提に,当該最高裁判所判決(これも,「原審は証拠により〔略〕残元金合計98万円の返還債務を目的とする準消費貸借が締結された事実を認定」したことに言及しています。)における「旧債務の存否については〔略〕旧債務の不存在を事由に準消費貸借の効力を争う者においてその事実の立証責任を負うものと解する」との判示の部分は,権利障害事由及び権利消滅事由については本来の法律要件分類説(原告説)からしても当然のことを述べたものとして,権利の発生原因事実については当該事案における書証の存在による影響について述べたものとして理解することもあるいは可能かもしれません。すなわち,例の宇野調査官は「右にいう〔準消費貸借契約の効力を争う者がその立証責任を負担すべき〕旧債務の不存在の事実とは,旧債務につきその権利障害事実および権利滅却事実の存在をいうことはもとより,本件事案の内容に照らせば,権利根拠事実の不存在をも包含していると解すべきものであろう。」と書いているそうですが(梅本345頁。下線は筆者によるもの),そこでの「本件事案の内容」とは具体的には準消費貸借の締結に係る書証の存在であって,本件事案では当該書証(当該債権につきその譲渡後にされた債務確認及び弁済方法に係る合意に関する債務者作成の公正証書作成嘱託代理委任状並びに準消費貸借契約成立の際締結された保証契約に係る保証人の誓約書)の存在により旧債務の発生原因事実の存在が推定されて「権利根拠事実の不存在をも包含」ということになってしまったものの,旧債務の発生原因事実の不存在について債務者が当然かつ常に主張立証責任を負うものとまで同調査官は解しているものではない,と考えることも可能ではないでしょうか。)

ところで,Motiveによれば,ドイツ民法旧6072項の規定は,exceptio non numeratae pecuniaeが被告債務者から提起されたときに,そこで原告債権者が直ちに敗訴ということにならず更に原因存在の証明に進んで争うことができるようにするために,用心のために設けられたものでした。しかし,原告債権者の訴状が最初から原告説で書かれているのであれば,当該用心は不要であったはずです。2002年のドイツ民法改正によって同法旧6072項の制度に係る規定は削られたそうで,その理由は,「準消費貸借は単に「私的自治に基づく契約による内容形成および変更の自由」を規定した一般条項であるBGB3111項から導かれるにすぎない」から(渡邊・新旧156頁註(52))ないしは「債務法改正によって消費貸借も諾成契約として規律されたため,消費貸借への内容変更も私的自治上の内容変更の自由(契約自由の一般原則,BGB3111項)によって端的に規律されるにすぎない」からであるとされていますが(渡邊・ドイツ121頁),そこには上記のような訴訟手続的観点からの見切りも含まれていたものかどうか。(なお,ドイツ民法3111項の原文は,„Zur Begründung eines Schuldverhältnisses durch Rechtsgeschäft sowie zur Änderung des Inhalts eines Schuldverhältnisses ist ein Vertrag zwischen den Beteiligten erforderlich, soweit nicht das Gesetz ein anderes vorschreibt.(債権債務関係の法律行為による創設及び債権債務関係の内容の変更のためには,法律が別異に規定していない限り,当事者間の契約が必要である。)です。我が旧民法財産編も,その第2951号で義務は合意により生ずるものとしつつ(同条2号ないしは4号は,不当ノ利得,不正ノ損害及び法律ノ規定によっても義務が生ずるものとしています。),第2961項で「合意トハ物権ト人権トヲ問ハス或ル権利ヲ創設シ若クハ移転シ又ハ之ヲ変更シ若クハ消滅セシムルヲ目的トスル二人又ハ数人ノ意思ノ合致ヲ謂フ」と規定していました(下線は筆者によるもの)。)

翻って我が平成29年法律第44号による民法改正も,準消費貸借について,ドイツ流の債務変更型であるものときっぱり解釈することとし,かつ,司法研修所における原告説による司法修習生教育の徹底を前提とすることとすれば,一気に第588条の削除まで進み得たものなのかもしれません。201287日の法制審議会民法(債権関係)部会第54回会議において中田裕康委員から準消費貸借について「そもそも588条を置く必要があるかどうかについては,検討する必要があると思います。」との問題提起があり,山野目章夫幹事もそれに和していましたが(同会議議事録34-35頁),当該問題提起は結局,夏空を揺らぎ飛ぶ尻切れ蜻蛉(とんぼ)に終わってしまったようです。しかしそれとも,尻切れ蜻蛉は言い過ぎで,藪の向こうにおいてしっかりとした検討がされておりその結果,「最終法案の段階に至っては,書面による諾成的消費貸借契約の導入のみならず,従来通りの要物的消費貸借契約も維持されたため,従来と同様の準消費貸借の規定が意義を有すると考えられたとみることができる。」(渡邊・ドイツ148-149頁)ということとなったのでしょうか。

Parturient montes⛰⛰🌋nascetur ridiculus mus🐀

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(上):藪山から登山口に戻る。

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079396029.html


5 概念図その1:ドイツ民法草案のMotive und Protokolle

 ところで,ドイツ民法第一草案には理由書(Motive)が,第二草案には第二草案に関する委員会議事録(Protokolle)が存在しています。

 Motive及びProtokolleの当該部分の拙訳は,次のとおりです。

 

 ドイツ民法第一草案理由書

 

  第454

   それ自身確かに事柄に即したものである第454条の規定(ザクセン法1071条,ヘッセン法案136条,バイエルン法案622条,ドレスデン法案527条,ヴィントシャイト§37011参照)の採用は,少なくとも,用心によって要請されるものと見受けられる。それによって,消費貸借の目的返還の訴えを同条に掲げる合意に基づき提起した債権者は,次のような債務者の抗弁,すなわち,個々に決められた一定量の代替物を所有物として交付することを概念上前提とする消費貸借の目的(ein Darlehen)を彼は受領していない,したがって,不法の基礎の上に立つ当該請求は棄却されるべきである,との抗弁から守られるのである。当該規定がなければ,そのような抗弁を提出する債務者を排斥できるかどうか,疑問なしということには全くならないものである。当該事案は,当該危険を予防されざるべきものとするには,余りにも頻繁かつ重大なのである。ところで,当該規定は,既存の債務の拘束力について抗弁の付着していないことを前提としており,債務者が先行する債権債務関係に基づく抗弁により防御することができるか否か,また,できるとしてどの範囲においてかについて規定するものでは全くない。このことについては,他の規定によって決定されるものである。

  (Motive S.312

 

 ドイツ民法第二草案に関する委員会議事録

 

   第454条に対して,次のように規定されるべしとの動議が提出された。

 

    ある者が,相手方に対して,金銭又はその他の代替物に係る債務を負う場合においては,両者間において,当該債務の目的について,以後消費貸借の目的としての債務が負担されるべきものとする旨の合意をすることができる。

 

   草案は当該動議の規定振りによることとなった。

一方の側から(Von einer Seite),第454条の内容及び射程に関して,以下のことが強調された。

 

     訴訟においては,原告は,被告が当該価額を受領したことを主張立証しなければならない。当該主張立証に当たっては,被告が当該受領を争ったときは,消費貸借債務に変じた債権債務関係にまで遡らなければならない。また,今日の法は,短期時効期間に服するものであっても,存在する全ての債務に対して,消費貸借債務の性質を付与する可能性を認めている〔筆者註:ドイツ民法第二草案1831項(ドイツ民法旧2181項)によれば,執行証書(ドイツ民事訴訟法79415号)を組めば,本来は短期時効期間に服する債務の消滅時効期間も30年(ドイツ民法旧195条おける普通時効期間)に延びることになっていました。ちなみに,商人の非業務用商品代金債権の消滅時効期間は2年でした(ドイツ民法旧19611号)。他方,ドイツ民法旧2251文は,時効を排除し,又はその完成を難しくする法律行為を認めていませんでした。〕。しかし,この取扱いは,それによって既存の債務が消滅させられ,かつ,その価値をもって新債務が創設されるものと,ローマ法の意味で観念されるものではない。むしろそれは,今日の法観念に従って,既存の債務を今後はあたかも最初から消費貸借債務として創設されていたものとして存続するものに変更することに専らかかわるものである。旧債務の担保(Pfänder〔筆者註:なお,ドイツ民法においては,我が留置権に相当するものは「これを,Zurückbehaltungsrecht§§273, 274)とし,あくまでも同一債権関係から生じた二つの債権の間の拒絶権能として,債権編の総則の中に規定する。従って,学者はこれを債権的拒絶権能として,同時履行の抗弁権(同法320条)を包含する広い概念と解している」ということであり(我妻榮『新訂担保物権法(民法講義Ⅲ)』(岩波書店・1968年(1971年補正))21頁),我が先取特権に相当するものについては「債務者の総財産の上の優先弁済権のみならず不動産の上の優先弁済権をも廃止し,ただ特定の動産の上の優先弁済権を散在的に認めたに過ぎない。しかもこれを法定質権(gesetzliches Pfandrecht)となし,債権と目的物との場所的関係を考慮して公示の原則をできるだけ守ろうとしている。」とのことです(同51頁)。〕)及び保証人は消滅せず,依然として存続する。実業界においては,債務額の確定約束が消費貸借債務への変更によってされることが非常に多く,かつ,それに伴い債務証書(消費貸借証書)が作成されるのが一般である。実際のところ,これは,債権債務関係の承認であって価額の確定されるものにかかわるものである。債務を消費貸借債務として表示することは,特に抽象的約束に適している。債権債務関係は,当該変更によって,従前の法的基礎から解放されるのである。消費貸借は最初から丸められた関係を作出し,それ自体の中に,過去において胚胎し,その成立と共に締結され,出来上がった法的基礎を有している。消費貸借からは,受領者に係る拘束のみが生じ,当該拘束に反作用する貸主の義務は生じない。それにより,内容的には,消費貸借債務と抽象的債務約束との間には差異は存在しない。当初の法的基礎(売買,交換等)の影響から債務を引き離す目的のために,債務の変更は生ずるのである。確定した価額の消費貸借債務への債務変更に係るこの意味は,第683条〔債務約束に関する規定〕において考慮されるべきものである。

 

この説明に対して,他方の側から(von anderer Seite),第454条に係る事例は非常に多様であり得るものであるとの異議が述べられた。消費貸借債務への債権債務関係の変更に伴い,承認は,価額の受領の証明のために当初の法的基礎に遡る必要はないとの意味で,いつもきちんと約されるものではない。他方,確かに,当事者の意図に基づいて,変更と同時に本来の債務承認がされるべき場合も生ずるのである。合意の当事者が一方の意味かそれとも他方の意味を付与しようとしていたかどうかは,具体的な場合の情況からのみ解明されるものである。

  (Protokolle Band II. (Guttentag, Berlin: 1898) SS.42-43

 

債務約束(Schuldversprechen)及び債務承認(Schuldanerkenntniß)は,「債権の発生を目的とする無因契約」で,「契約の一方当事者が他方に対して,一定の債務を負担する旨――新たに独立の債務を負担する形式(ド民の債務約束)でも,従来の債務関係を清算した結果として一定の債務のあることを承認する形式(ド民の債務承認〔略〕)でもよい――を約束することによつて,その債務者は無因の債務(債務を負担するに至つた原因たる事実に基づく抗弁はできない)を負担するもの」です(我妻榮『債権各論上巻(民法講義Ⅴ₁)』(岩波書店・1954年)53頁)。これらについては「わが民法は,かような契約を認めていないけれども,契約自由の原則からいつて,有効に成立することは疑いないものであろう」とされています(我妻Ⅴ₁・54頁)。

上記無因の債務改変のみならず,そこまでは至らない,「旧債務が新しい消費貸借債務に完全に置き換えられることによって,その債務が消滅する」有因の債務改変も可能です(渡邊力「ドイツにおける準消費貸借と債務関係(契約内容)変更の枠組み」法と政治682号(20178月)125頁)。

 

6 当初山行計画:富井及び梅の準消費貸借理論(占有改定説から債務免除説へ)

 

(1)更改型理論

富井は,消費貸借契約の成立に必要な金銭その他の物の交付(借主が「受け取る」)は,必ずしも現実の引渡し(民法1821項)によるものに限られず,簡易の引渡し(同条2項)でも可能であると考えていたわけです。この場合において,この簡易の引渡しは具体的にはどのような形で現れるかといえば,「即チ一度売主ニ〔代金を〕交付シテ更ニ借主トシテ,交付ヲ受クルト云フ如キ無益ナル手数ヲ要セス(第588条),此レハ先キニノヘタル簡易引渡ニヨル占有ノ移転ナリ」ということのようです(「明治45年度(東大)富井博士述 債権法講義 下巻」(非売品。表紙に「此講義ハ同志ノ者相寄リ茲ニ45部ヲ限リ謄写ニ附シ配本セリ,本書ハ即チ其1部也」とあります。)250頁)。つまり,売買代金支払債務に係る金銭を目的とする消費貸借がされるときには,当該代金支払債務に係る金銭をいったん売主に交付して(これで,代金債務は弁済されて消滅します。),それから当該金銭を消費貸借の目的として売主(貸主)が買主(借主)に交付するのが本則であるが,金銭のやり取りについては省略してもよいというわけです。この金銭のやり取りの省略をどう法律構成するかについては,簡易の引渡しだけでは道具不足のようですが,「占有改定説は,〔略〕起草委員が当初構想していた方法であった」ということで(柴崎暁「「給付の内容について」の「重要な変更」――平成29年改正債権法(新債権編)における客観的更改の概念――」比較法学521号(20186月)43頁註(4)),占有改定説というからには占有改定(民法183条)も道具として使い得るようです。そうであれば,買主が代金を占有改定で弁済した上で,続いて売主(貸主)から借主(買主)への消費貸借の目的の交付は,借主(買主)が売主(貸主)のために代理占有している代金に係る金銭の簡易の引渡しによってされる,という構成なのでしょう。しかし,買主(借主)の手もとが「からつぽう」であれば――無に対する占有は無意味ですので――そもそも代金に係る金銭の占有改定もその簡易の引渡しも観念できないことになり,その困難に富井は気付いて,債務者が「からつぽう」であったときも対応できるドイツ民法流の準消費貸借規定の導入となったのでしょう。

富井のMotive理解は(Protokolle1895年末当時の我が国ではまだ見ることができなかったのではないでしょうか。),他の債務に基づく給付の目的を消費貸借の目的とした場合における貸主(債権者)からの消費貸借に基づく返還請求に対する借主(債務者)の「消費貸借の目的を〔自分〕は受領していない」との「抗弁(Einwand)」に対しては,本来,当該目的に係る占有改定・簡易の引渡しの意思表示の主張立証で対応できるのであるが,ドイツにおいても債務者が「からつぽう」のときには「そのような抗弁を提出する債務者を排斥」できないという危険があり,その用心のためにドイツ民法第一草案454条は置かれたのだ,ということになるのでしょう。

富井の準消費貸借理解では旧債務の弁済がいったんはされるので,準消費貸借においては,旧債務は消滅して新債務が成立するのだ(更改型)ということになるわけです。すなわち,日本民法588条においては新たな消費貸借契約が成立したものとみなされますから,旧債務はその新らたな消費貸借の債務と併存するわけにはいかず(併存するとなると債務者は二重の債務を負うことになってしまいます。),消滅するしかないわけでしょう(渡邊力「準消費貸借からみる契約内容の変更と新旧債務の関係」法と政治671号(20165月)128頁における大審院の最初期判例の背景解釈参照)。

梅謙次郎は,「本条〔588条〕ノ規定ニ依レハ前例〔代金支払債務に係る金銭を消費貸借の目的とする例〕ニ於テ買主ハ代価支払ノ義務ヲ履行シ更ニ同一ノ金額ヲ消費貸借トシテ受取リタルト同シク前債務ハ当事者ノ意思ニ因リ消滅シ(免除)更ニ買主ハ借主トシテ新ナル義務ヲ負フモノト謂フ(ママ)と述べていて(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第三十三版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)591-592頁),代金支払債務は弁済で消滅するものとはせずに「ト同シク」で続けて,「当事者ノ意思」に基づく免除(単独行為の免除(民法519条)ではなく,免除契約ということでしょう。)で消滅するものとしています。「旧債務の免除による利得(出捐)を以て物の交付に該当するとみる説」たる債務免除説でしょう(柴崎43頁註(4))。この説であれば,債務者の手もとが「からつぽう」でも,占有改定説のように難渋することはありません。いずれにせよ,旧債務は消滅してしまう更改型です。

 

(2)参照:ドイツ民法の理論(債務変更型)

これに対して,ドイツ人らのProtokolleにおける議論においては,一方の側(die eine Seite)が「それによって既存の債務が消滅させられ,かつ,その価値をもって新債務が創設されるものと,ローマ法の意味で観念されるものではない」,すなわち更改(novatio)ではないのだ,とドイツ民法旧6072項の制度を説明しているのに対し,当事者の意思の重要性を指摘する他方の側(die andere Seite)もその説明に反対はしていません。債務変更型のものであるとの理解です(ドイツ民法においては債務変更型が原則であることにつき,渡邊・ドイツ125-126頁参照)。これは,ドイツ民法にはそもそも更改の制度がないからでもありましょう。「近代法では債権債務自体の譲渡引受が自由に認められているので,更改の意味はあまりなく,ドイツ民法は従つてこれを規定していない」ところです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)245頁)。(「但し同法の下においても契約自由の原則によって更改契約は有効と認められている(Oertmann, Vorbem. 3a z. §362 ff.)」そうではあります(我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1964年(補注1972年))360頁)。)

なお,更改に係る日本民法513条の原案の参照条文としてドイツ民法第二草案3132項及び357条が掲げられています(『法典調査会民法議事速記録第23巻』(日本学術振興会)100丁裏)。しかし,そこでの後者は,債務引受けの規定です(„Eine Schuld kann von einem Dritten durch Vertrag mit dem Gläubiger in der Weise übernommen werden, daß der Dritte an die Stelle des bisherigen Schuldners tritt.(債務は,第三者と債権者との契約によって,当該第三者がそれまでの債務者に代わる形で引き受けられることができる。))。前者は,代物弁済に関して,更改成立の例外性を規定するものです(„Hat der Schuldner zum Zwecke der Befriedigung des Gläubigers diesem gegenüber eine neue Verbindlichkeit übernommen, so ist im Zweifel nicht anzunehmen, daß die Verbindlichkeit an Erfüllungsstatt übernommen ist.(債務者が債権者の満足のために同人に対して新しい拘束を引き受けた場合において,疑いがあるときは,当該拘束は履行に代えて引き受けられたものとは推定されないものとする。))。ちなみに,準消費貸借によって給付物は変更されませんから,この点で,それまでの「給付に代えて他の給付をする」代物弁済(民法482条)とは異なります。

 

7 概念図その2:旧民法489条2号及びボワソナアドのProjet(更改説)

ところで,我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)においては,実は準消費貸借は更改の一種だったのでした(同編4892号。梅三590頁は同号を民法588条の対照箇条として掲げています。)。

旧民法財産編489条の条文は,次のとおり。

 

 第489条 更改即チ旧義務ノ新義務ニ変更スルコトハ左ノ場合ニ於テ成ル

  第一 当事者カ義務ノ新目的ヲ以テ旧目的ニ代フル合意ヲ為ストキ

  第二 当事者カ義務ノ目的ヲ変セスシテ其原因ヲ変スル合意ヲ為ストキ

  第三 新債務者カ旧債務者ニ替ハルトキ

  第四 新債権者カ旧債権者ニ替ハルトキ

 

  Art. 489.  La novation, ou changement d’une première obligation en une nouvelle obligation, a lieu:

      Lorsque les parties conviennent d’un nouvel objet de l’obligation substitué au premier;

      Lorsque, l’objet dû restant le même, les parties conviennent qu’il sera dû à un autre titre ou par une autre cause;

      Lorsqu’un nouveau débiteur prend la place de l’ancien;

  Lorsqu’un nouveau créancier est substitué au premier.

 

 ボワソナアド草案の対応条項(第511条)に係るその第2号解説を訳出すると次のとおりとなります。

 

   553.――第2の場合。当事者の変更も目的の変更も存在しない。しかしながら,原因cause)の変更が存在する。例えば,債務者が売買の代金又は賃貸借の賃料として一定額の金銭債務を負っている場合において,その支払に窮したとき,それを消費貸借の名義(titre)で負うことにする許しを債権者から得る。債権者は,もちろん,債務者に対して,それでもって従前の債務を弁済すべき貸付けをすることができる。彼はまた,弁済を受領した上で,直ちに同額の貸付けをすることができる。しかし,単純な合意によって債務の名義又は原因を変更する方がより単純である。

   債務者が賃貸借名義で債務を負い続ける代わりに今後は消費貸借名義で債務を負うということには,利害なきにしもあらずである。消費貸借の債務は30年の普通時効にかかるが(第1487条〔旧民法証拠編(明治23年法律第28号)150条〕),賃貸借のそれは5年である(第1494条〔旧民法証拠編1564号(借家賃又は借地賃)〕)。消費貸借債権は何らの先取特権によっても担保されていないが,賃貸借については(少なくとも不動産のそれについては),多くの場合先取特権付きである(第1152条)。かくして,更改は債権者にとって,訴権行使の期限については有利であり,担保については不利ということになる。

   原因の変更による更改は常に両当事者によって自発的に行われ得る,及び全ての原因が両当事者によって他のものに変更され得る,と信ぜらるべきものではない。したがって,前例の反対は認められ得ない。真に貸され,又は売られた物がなければ賃料又は代金prix)は存在しないのであるから,消費貸借名義による債務が今後売買又は賃貸借名義のものになる旨両当事者が合意することはできないであろう。また,消費貸借債務から売買代金債務へという,そうされたものと両当事者が主張するこの変換自体が,貸主にとっては非常に危険であり得る。というのは,債務者は売却された物の不存在を容易に証明して,原因の欠如に基づき,支払を拒むに至るであろうからである。これに対して,消費貸借の原因を装うことが許されるときには,前記のとおり,債務者が受領した価額によって同人のための真の消費貸借が実現できるであろうし,又は,先行する負担(dette)からの解放に必要な価額を同人に貸し付けることができるであろうということになる。更改においては,相互的な2個の金額の給付に代えて,何ごともなされないこととなる。しかしながら,債務の全ての原因,全ての合意が,2個の引渡しに係るこの虚構(フィクション)になじむものではない。

   なお,原因の変更の手段は,消費貸借のみではない。何らかの原因を有する金銭支払又は商品引渡に係る負担を寄託に変ずることは,同様に容易である。債務の目的物が債務者によって調達された上で,それが直ちに寄託の名義で同人に委ねられたものと常に観念されることとなろう。特定物の寄託も使用貸借に変更され得るであろうし,その逆も同様であろう。名義又は原因の変更の例としては,事務管理に基づく債務が,本人の追認によって委任による債務に変更される場合も挙げることができる。

  (Gve Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations (Tokio, 1891 (Nouvelle Édition)) pp.679-681

 

 準消費貸借に係る富井の占有改定説は,ボワソナアドの上記所説に淵源するものでしょう。

 また,ボワソナアドの所説においては寄託への更改の事例が出て来ますが,これを見ると,平成29年法律第44号による改正後の民法では消費寄託に係る第666条において第588条の準用がなくなったことに関する懸念が表明されていること(柴崎53-54頁)が想起されます。これについては,銀行等の預貯金口座開設者が「からつぽう」であることはないから第588条の準用がなくとも大丈夫であって当該懸念は不要である,という整理だったのでしょうか(しかし,準用条項からの第588条の消滅は,「「要綱仮案」に関する作業の中で唐突に削除が提案され,さしたる議論もないままに承認された」そうです(柴崎53頁)。なお,筒井=村松368頁は「新法には準消費寄託について根拠規定はないが,無名契約として認めることは可能であると考えられる。」としています。)。

旧民法財産編489条は,フランス民法旧1271条を下敷きにしています(Boissonade, p.671)。

 同条の文言は,次のとおり。

 

  Art. 1271  La novation s’opère de trois manières:

        Lorsque le débiteur contracte envers son créancier une nouvelle dette qui est substitué à l’ancienne, laquelle est éteinte;

  Lorsqu’un nouveau débiteur est substitué à l’ancien qui est déchargé par le créancier;

 Lorsque, par l’effet d’un nouvel engagement, un nouveau créancier est substitué à l’ancien, envers lequel le débiteur se trouve déchargé.

  (第1271条 更改は,3箇の場合において生ずる。)

   (一 債務者が債権者に対して,新負担であって旧負担に代わるものを負い,当該旧負担が消滅するとき。) 

   (二 新債務者が旧債務者に替わり,後者が債権者によって債務を免ぜられたとき。)

   (三 新しい約束の効果によって,新債権者が旧債権者に替わり,後者に対して債務者が債務を負わなくなるとき。)

 

フランス民法旧1271条は更改成立について三つの場合しか認めていませんが,ボワソナアドによれば,「原因の変更によって生ずるものを排除する意図を有し得たものではない。」とされています(Boissonade, p.678。また,柴崎49頁註(14))。イタリア民法12301項は,原因(titolo)の変更による更改を認めています(柴崎41頁註(1))。

原因(コーズ)は,厄介です。「講学上は,「債務のコーズ」は有償双務契約においては,債務者に対して相手方が負う債務の「objet」とされ」(森田修「契約法――フランスにおけるコーズ論の現段階――」岩村正彦=大村敦志=齋藤哲志編,荻村慎一郎等『現代フランス法の論点』(東京大学出版会・2021年)164頁),「これに対して要物契約の「債務のコーズ」は,契約成立に先行して交付された物の中に存在し,無償契約の「債務のコーズ」は,債務者を動機づけた「恵与の意図」の中に存在する」そうです(森田183-184頁註11))。売買に基づく代金支払債務を消費貸借に基づく貸金返還債務に変更することが「原因ヲ変スル」ことになるのは,前者のコーズは売買の目的たる財産権であったのに対して,後者のコーズは(交付済みの)金銭であって,両者異なっているからだ,ということでしょうか。現在の日本民法においては,旧民法にあった原因(コーズ)概念を排除しています。すなわち,梅によれば「所謂原因ハ我輩ノ言フ所ノ目的ニ過キス蓋シ売主ノ方ニ於テ契約ノ原因タル買主カ金銭ヲ支払フノ義務ハ買主ノ方ニ於テ契約ノ目的ニ過キス買主ノ方ニ於テ契約ノ原因タル売主カ権利ヲ移転スルノ義務ハ売主ノ方ニ於テ契約ノ目的ニ過キサルコトハ仏法学者ノ皆認ムル所ナリ若シ然ラハ原因ト云ヒ目的ト云フモ唯其観察者ヲ異ニスルノ名称ニシテ彼我地ヲ易フレハ原因モ亦目的ト為ルコト明カナリ故ニ寧ロ之ヲ目的ト称スルヲ妥当トスというわけであり(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編(第三十三版)(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1911年)223-224頁。句読点は筆者が補ったもの。なお,梅のここでいう「法律行為ノ目的」は「法律行為ノ履行ニ因リ生スヘキ事項又ハ其事項ニ繋レル物」です(同222頁)。),また,無償行為である贈与や免除については,「目的ノ外ニ相手方ノ誰タルカモ亦其要素タルコトアルモノトシテ可ナリ」ということになり(同224頁。なお,ここでは原因不要論が法律行為の要素の錯誤に係る民法95条に即して論ぜられています。),原因(コーズ)概念を使わなくても法律行為の目的又は相手方概念を用いて説明は可能だ,ということであるからであるようです。


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1 条文

 民法(明治29年法律第89号)に次のような条項があります。

 

  (準消費貸借)

  第588条 金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において,当事者がその物を消費貸借の目的とすることを約したときは,消費貸借は,これによって成立したものとみなす。

 

平成29年法律第44号による202041日からの改正(同法附則1条,平成29年政令第309号)の前の条文は,次のとおりでした(下線は筆者によるもの)。

 

 (準消費貸借)

 第588条 消費貸借によらないで金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において,当事者がその物を消費貸借の目的とすることを約したときは,消費貸借は,これによって成立したものとみなす。

 

 更にその前,平成16年法律第147号による200541日からの改正(同法附則1条,平成17年政令第36号)の前の条文は,次のとおり。これが,明治天皇の裁可(大日本帝国憲法6条)に係るものです。

 

  第588条 消費貸借ニ因ラスシテ金銭其他ノ物ヲ給付スル義務ヲ負フ者アル場合ニ於テ当事者カ其物ヲ以テ消費貸借ノ目的ト為スコトヲ約シタルトキハ消費貸借ハ之ニ因リテ成立シタルモノト看做ス

 

2 準消費貸借の趣旨

 

(1)我妻榮の説明

準消費貸借の趣旨とするところは,我妻榮の説くところでは次のとおりでした。

なお,令和の読者のために,我妻説の民法学界における位置について付言すれば,「我妻栄『民法講義Ⅰ~Ⅴ₄』(岩波書店,1932年~71年)が,少なくとも戦後20年ほどの間は〔1945年頃~1965年頃ということになります。〕支配的な地位を占めていた(いわゆる「通説」であった)」ところです(大村敦志=道垣内弘人=森田宏樹=山本敬三『民法研究ハンドブック』(有斐閣・2000年)218頁)。

 

民法がかような規定を設けたのは,消費貸借の要物性を緩和しようとする目的であることは疑ない(ド〔イツ〕民〔法旧〕6072項も同旨を定める)。判例は,ややもすると,これを簡易の引渡によつて金銭の授受があつたとみなされる趣旨だと説く。然し,要物性を緩和して解するときは,強いて簡易の引渡の理論を援用する必要はない。民法の要物性は既存の債務の存在で足るという点まで緩和されているものと解するだけで充分であろう(大判昭和86131484頁は同旨を述べる〔後記筆者註1参照〕)。

  (我妻榮『債権各論中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1957年(補注1973年))365-366頁)

 

(2)受験秀才的早分かり

「準消費貸借=(民法587条の消費貸借が要物契約であることに対する)要物性の緩和」であるな,との定式で早分かりして準消費貸借の本質をつかんだ気になるのは,要領を貴ぶ受験秀才としては当然のところでしょう。

また,準消費貸借条項には,受験秀才好みの,文理に反する「落とし穴」がありました。

 

 〔前略〕民法は「消費貸借ニ因ラ(ママ)シテ」というが,既存の消費貸借上の債務を基礎として〔中略〕消費貸借を締結することも,さしつかえない(通説,判例も古くからこれを認める(大判明治4154519頁,大判大正212411頁等))。

 (我妻Ⅴ₂・366頁)

 

 我妻は「消費貸借を締結する」と書いていますが,正確には「当該債務における給付物を消費貸借の目的とすることを約する」ということになるのでしょう。

 この,受験秀才は上手に回避し,全く勉強していない横着者はかえって山勘で切り抜け(「既存の消費貸借に係る返還物を目的とする準消費貸借は可能か,などとあえて訊くのはひっかけであろう。消費貸借が消費貸借になるのならば同じことであって意味がないと判断して「不可」と答えるのが素直なのであろうが,ここはその逆張りだな。」というような思考ですね。),中途半端に条文の知識までのみはある受験者は落ち込むであろう「落とし穴」は,平成29年法律第44号によって塞がれたことになっています。

 

   旧法第588条は,消費貸借によらない物の返還債務を消費貸借の目的とする消費貸借(準消費貸借)を成立させることができるとしていたが,判例(大判大正2124日)は,消費貸借による物の返還債務を消費貸借の目的とする準消費貸借も認めていたことから,その旨を明確化している(新法第588条)。

  (筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)290頁)

 

なお,消費貸借の目的は物であって債務ではないはずなので,上記の文章にはちょっと不正確なところがあるようです。この点は,「民法の要性は既存の債務の存在で足る」という我妻の表現から,物と債務とが等号でつながれてしまったものでしょうか。

以上の2点の早分かり,すなわち,「準消費貸借=要物性の緩和」及び「既存の消費貸借に係る返還物を目的とする準消費貸借は可能」という知識まであれば天晴れ天下の受験秀才ということではあったのですが,進んで司法修習生になって要件事実論を学ばせられると,どんよりと暗い準消費貸借の深い藪に気が付くことになります。

 

3 準消費貸借の深い藪

 

(1)要件事実論:被告説及び原告説並びに二分説

 

ア 被告説vs.原告説

 

  準消費貸借に基づき,貸主が借主に対し目的物の返還を請求する場合に主張立証しなければならない要件は

  従前の債務の目的物と同種,同等,同量の金銭その他の代替物を返還する合意

 だけである。したがって,準消費貸借の合意の内容を明らかにするため,目的となった金銭その他の代替物を給付すべき旧債務を,特定できるように主張しなければならないが,その旧債務の存在についての主張立証は,準消費貸借の成立を主張する者の責任ではなく,かえってその不存在を主張し新債務の存在を争う相手方において,抗弁として主張立証しなければならない(大判大61151743頁,大9518823頁,大152151頁等)。

  右に反し,旧債務の成立については,準消費貸借の成立を主張する者に主張立証責任があるとする説もある。

 (司法研修所民事教官室編『民事訴訟における要件事実について』(司法研修所)53-54頁)

 

 上記のような内容の教材を交付されれば,「準消費貸借に基づくその目的の返還請求に係る要件事実論においては,原告がまず旧債務の発生原因事実を主張立証しなければならないものとする異端説(原告説)があるようだけれども,司法研修所の公認説は,旧債務の不存在が被告の抗弁に回るという説(被告説)なのだね,被告説さえ覚えておけば,二回試験(裁判所法(昭和22年法律第59号)671項の試験)の準備は完璧だね。」と早分かりしたくなるのも無理からぬところでしょう。

 ところが,司法研修所の他の教材を見ると,被告説を採る判例の存在もものかは,そこではむしろ原告説によって請求原因に係る争点整理がされており(司法研究所民事裁判教官室『第3版 民事訴訟第一審手続の解説 別冊記録に基づいて』(司法研修所・20044月)45頁),判決書の事実摘示も原告説によってされています(司法研修所民事裁判教官室『「10訂民事判決起案の手引」別冊 事実摘示記載例集』(司法研修所・20068月)6頁)。こうなると,つかの間の早分かりは当の司法研修所自身によって裏切られ,司法修習生は被告説と原告説との両方を丸暗記せざるを得ないことになり,弁護士となっては原告訴訟代理人として,苦しいながらも安全サイドをとって原告説で訴状を起案して主張立証活動をすることになります。

 すっきりしませんね。

 原告説の由来するところは「民法587条が金銭その他の物の交付と返還の合意を消費貸借契約の要件事実としている点を民法588条においてもパラレルに考え,旧債務の存在と返還の合意が準消費貸借契約の要件事実となると考える。」ということだそうです(村田渉=山野目章夫編著『要件事実論30講(第2版)』(弘文堂・2009年)189頁)。要物性(金銭その他の物の交付)に代えるに旧債務の存在をもってしていますから,これは,準消費貸借における「民法の要物性は既存の債務の存在で足るという点まで緩和されているものと解する」前記の我妻説からの演繹ですね。準消費貸借本質論における我妻説の理論的権威こそが,原告説をして,判例の左袒する被告説に拮抗ないしはむしろ優位に立たせている理由でしょうか。

なお,被告説の理由とするところは,こちらは現場的で,「準消費貸借契約を締結する際,旧債務の証書等は貸主から借主に返還されるのが取引の実情で,貸主が旧債務の存在を立証するのは困難であるとの理解」である(村田=山野目189頁)等と説かれています(最判昭和43216日民集222217頁に係る宇野栄一郎調査官の解説における紹介に基づく理解のようです(梅本吉彦「準消費貸借における実体法と手続法の交錯」専修法学論集130号(20177月)344-345頁・349頁註(25))。)。しかし,これに対しては批判があります。その一つにいわく,「判例は,準消費貸借に関する事案に限って,紛争実態に着目し,当事者が旧債務関係の証書を廃棄してしまうこと,取引関係が錯綜していて債権債務関係が明確でないこともある等の事情を理由に,法律要件分類説の原則論とは異なる立証の難易を基準とする公平の観念から判断基準を設定している。契約関係の当事者は当該契約から紛争が生じたときに備えているべきこと(ママ)である。契約関係においては,当事者はその証書を通常それぞれ保持し,保存しているのであり,火災をはじめ災害によってそれらが消失してしまっているといった特別の事情がない限り,債権者・債務者が自己の立場を守るために,関係文書を保存することは契約関係に内在する責務である。この問題に限って,今ただちに法律要件分類説の基本的立場を変更すべき理由はまったく見いだすことができ」ない,と(梅本345-346頁。更に同349頁註(27)には,「この類いの問題については,調査官解説も文献の考証に終始するのではなく,取引実態を詳細に調査する姿勢が必要なのではないか。最近の調査官解説を見ても,比較的司法試験受験生に多く読まれている概説書に依拠し,平板的に記述しているものが顕著である。限られた時間的制約の下で業務を遂行しているのであろうが,一層の研鑽を重ねることを心より期待する。」との手厳しい記述があります。)。

 

イ 二分説:債務変更型と更改型と

 すっきりしないまま更に探究を続けると,二分説というものが出て来ます。同説によると,準消費貸借には実は債務変更型と更改型という二つの型があって,債務変更型(既存の債権関係を維持したまま個々の事項に変更を加えるもの)の場合は原告説を採り,更改型(既存の債務を消滅させ新たにそれとは別個の債権関係を発生させるもの)の場合は被告説を採り,どちらの型か不明の場合は債務変更型として取り扱うべしということになります(岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 上』(ぎょうせい・2007年)534-535頁の紹介する松本博之説)。ここでまた疑問が生じます。はて,「既存の債権関係を維持」とはこれいかに,「旧債務」といったからには,準消費貸借においては既存の債務は当然消滅するのではなかったのか,すなわち準消費貸借は更改の一種ではなかったのか,というわけです。

 

(2)新旧債務の「同一性」問題

 

ア 更改との異同

準消費貸借と更改(民法513条から518条まで)との関係については,「準消費貸借においては,もとの債務と準消費貸借契約によって生じた債務との関係が問題となることが多い。更改〔略〕や和解〔略〕におけると共通の問題である。これを通常,両債務の「同一性」の有無の問題として論じている」ということで(星野英一『民法概論Ⅳ(契約)』(良書普及会・1994年)172頁),更改と準消費貸借とは併記されていますから,後者が前者に含まれるということではないようです。準消費貸借は更改ではないのでしょう。しかし,そうならば準消費貸借=債務変更型で一貫すればよいのですが,更改型のものも存在するのだといわれると,これは(ぬえ)ではないかということで,どう頭を整理してよいのか困ってしまいます。

 

イ 抗弁並びに担保及び保証の存否並びに消滅時効期間の基準

更に情況を悪化させることには,準消費貸借においては,従前の債務にそれぞれ伴っていた抗弁並びに担保及び保証は消滅しているのか,存続しているのか,また,準消費貸借の消滅時効は旧債務のそれと別箇に解すべきものかどうかというような問題があります(我妻Ⅴ₂・367-368頁参照)。新旧両債務の「同一性」の有無によって判断するのが素直なのでしょうが(例えば,抗弁並びに担保及び保証は,債務変更型ならば存続し,更改型ならば消滅する,消滅時効は,債務変更型ならば旧債務について考え,更改型ならば別箇に解する,というような思考方法),「一律に決すべきものではなく,いくつかの問題ごとに検討すべきものである」といわれ(星野Ⅳ・172頁),「「同一性」といっても無内容であり,決め手は当事者が準消費貸借をなした趣旨(当事者の意思)にある。」とされてしまうと(内田貴『民法Ⅲ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)243頁),取り付くホールドのないままずるずると斜面を滑り落ちる無力感に(さいな)まれます。

 

(3)小括

以上,準消費貸借については,①旧債務は存続するのか(債務変更型),消滅するのか(更改型),②消滅するとした場合においては更改との関係をどう説明するのか,③要物性緩和論はどこから由来するのか(「要物性を緩和しようとする目的」については,「それでは,なぜ消費貸借の要物性を緩和する規定を設ける必要性があるのかという疑問を誘うことになるのであるが,立法の必要性ということからはまったく説得力に欠けている。」と評されています(梅本324頁)。),④準消費貸借の消滅時効はどう考えるのか,⑤旧債務に伴っていた抗弁並びに担保及び保証はどうなるのか,並びに⑥旧債務の発生原因事実の主張立証責任が目的の返還を請求する原告にあるのか(原告説),旧債務の不存在が被告の抗弁に回るのか(被告説),といった問題があるようです。準消費貸借を蔽い込む深い藪山のどの稜線を辿れば,無事藪抜けができるのかどうか。ここはひたすら無暗に目先の藪と格闘するのではなく,まずは登山口に戻り,山域の概念図を眺め,そしてそもそもの当初の山行計画を振り返ってみるべきでしょう。

ここでの登山口は日本民法の立法経緯です。山域概念図は,その際参照された又は参照されるべきであった母法における理論ということになりましょう。民法起草者の意図が当初の山行計画であることはもちろんです。

 

4 登山口:法典調査会民法整理会

準消費貸借に係る条文は,民法の法案審議が一通り終わった後で開催された法典調査会の民法整理会において,18951230日(第12回の民法整理会),富井政章から提案され,更改の規定に関してされた己が議論を振り返る梅謙次郎の発言はあったものの,その日そのまま承認されています。

 

 富井政章君 次ニ移リマス前ニ,此ニ1箇条入レテ戴キタイ条ガアリマス。先ヅ初メニ其条文ヲ読上ゲマス。ソレカラ説明イタシマス。

 

  第586条 消費貸借ニ因ラスシテ金銭其他ノ物ヲ給付スル義務ヲ負フ者アル場合ニ於テ当事者カ其物ヲ以テ消費貸借ノ目的ト為スコトヲ約シタルトキハ消費貸借ハ之ニ因リテ成立シタルモノト看做ス

 

此規定ハ,左ノ様ナ場合ニ適用ガアル。例ヘバ,買主ガマダ代金ヲ払ツテ居ラナイ,即チ,(ママ)貸借ノ名称デナイ他ノ名義ニ於テ或ル物ヲ給付スル義務ヲ負(ママ)テ居ル,金銭其他ノ代替物ヲ給付スル義務ヲ負(ママ)テ居ル場合ニ,当事者ガ其物ヲ以テ消費貸借ノ目的トスル旨ヲ約シタトキハ,実際物ノ交付ガナイニ拘ハラズ消費貸借ハ法律ノ力ニ依テ成立シタモノト看ル。斯ウ云フ規定デアリマス。

此規定ハ,消費貸借ヲ以テ要物契約トスル以上ハドウモナクテハイカナイノデアラウト兼テカラ考ヘテ居リマシタ。昨日協議〔第11回の民法整理会は18951228日の開催なので,この「協議」は民法整理会の協議ではありません。〕ノ時ニ,此問題ニ付テ議スルコトヲ失念シタノデアリマス。ソレ()今朝協議シマシテ,ドウモアツタ方ガ宜カラウト云フノ()一致シテ遂ニ之ヲ提出スルコトニナリマシタ。

是ハ独逸民法草案抔ニハアル。実ハ初メカラ気附イテハ居ツタ。初メ消費貸借ノ規定ヲ書クトキニハ,無クテ済マウト思ツタ。其訳ハ,占有ノ規定デ足リ様ト思(ママ)テ居ツタ。此占有ノ章ノ第182条ニ,現実ノ占有ガナクテモ既ニ占有物ヲ所持シテ居ル場合ニハ占有権ノ譲渡ハ当事者ノ意思ノミニ依テ為スコトガ出来ルト云フコトガアリマス。是デ宜カラウト云フ雑トシタ考ヘ()置カナンダ。

併シ能ク能ク考ヘテ見マスト,成程今申シタ債務者ガ物ノ占有ヲ為シテ居レバ此規定デ宜シイ,併シ実際物ヲ占有シテ居ラヌ場合ガアル,却テサウ云フ場合ニ今申シタ訳ナ契約ガ起ルコトガ多イ。売買ノ代金トシテ金ヲ払ハナケレバナラヌ,丸デからつぽうデ一文モナイ,ソレヲ消費貸借ノ名義デ借リタコトニシテ居ル,サウ云フ場合ニハ182条ニ所謂占有物ヲ所持スル場合ニ於テト云フコトガ当リ憎イ。ソレデドウモ此規定ガアツタ方ガ便利デアラウト云フコトカラ,此規定ヲ置キタイト思ツタノデアリマス。何卒御採用ニナラムコトヲ希望シマス。

 

  梅 謙次郎君 一寸私モ関係ノアルコトデアリマスカラ説明致シマス。

実ハ更改ノ所デ書カウト思ツタガ,斯ウ云フ幅デ出サウト云フナラバ,賛成シタ方ガもつと広イ幅デ書カウト思ツタカラ反対シタ。

初メ売買ノ名義デ居ツタモノガ当事者ノ意思デ貸借ノ義務ヲ負フト広ク書クト,極端ノ場合ダガ,借リテ居ツタ物ヲ売却スル,交換ノ名義デ取ツタ物ヲ売買ニシヤウトカ,和解ノ名義デ取ツタ物ヲ売買ニシヤウトカ,契約ノ性質ノ違(ママ)物ヲ当事者ノ意思斗リテ勝手ニシヤウト云フノハ絶対的ニ反対ダト申シタノデ,多分意思解釈デ徃ケヤウト思ツタガ,併シ当事者ノ意思ニ任カセルト云フト動モスレバ意思ノ不明ナル為メニ問題ヲ生()ルト思ツテ之ヲ置クコトニ同意シタノデアリマス。

 

  議長(箕作麟祥君) ソレデハ他ニ御発議ガナケレバ,挿入ノ条ハ之ニ決シマス。

  (『民法整理会議事速記録第4巻』(日本学術振興会)94丁裏-96丁表。句読点及び改行は筆者が補ったもの)

 

「是ハ独逸(ドイツ)民法草案(など)ニハアル」ということですので,富井政章は,我が準消費貸借条項の起案に当たって当時のドイツ民法第一草案(1887年)及び第二草案(1894-1895年)を参考としたもののようです。両草案における準消費貸借関係規定は次のとおり。

 

ドイツ民法第一草案

§.454.

     Hat Jemand einem Anderen aus einem zwischen ihnen bestehenden Schuldverhältnisse eine Geldsumme zu zahlen oder andere vertretbare Sachen zu leisten, so kann zwischen denselben vereinbart werden, daß der Verpflichtete die Geldsumme oder die sonstigen vertretbaren Sachen als Darlehen schulden solle.

(ある者が,相手方に対して,両者間に存在する債権債務関係に基づき一定の金額の支払又はその他の代替物の給付をすべき義務を負う場合においては,当該両者間において,当該金額又はその他の代替物について,消費貸借の目的としての債務を義務者が負う旨の合意をすることができる。)

 

ドイツ民法第二草案(これは,1896年に制定されたドイツ民法旧607条と同じです。)

§.547.

     Wer Geld oder andere vertretbare Sachen als Darlehen empfangen hat, ist verpflichtet, dem Darleiher das Empfangene in Sachen von gleicher Art, Güte und Menge zurückzuerstatten.

     Wer Geld oder andere vertretbare Sachen aus einem anderen Grunde schuldet, kann mit dem Gläubiger vereinbaren, daß das Geld oder die Sachen als Darlehen geschuldet werden sollen.

(金銭又はその他の代替物を消費貸借の目的として受領した者は,貸主に対して,同じ種類,品質及び数量の物をもって受領物を返還する義務を負う。)

(他の原因により金銭又はその他の代替物に係る債務を負う者は,当該金銭又は物について,消費貸借の目的としての債務を負うものとする旨の合意を債権者とすることができる。)

 

 我が民法588条の書き振り(平成29年法律第44号による改正前)は,ドイツ民法第一草案454条よりも,第二草案5472項の方によりよく似ています。しかし,「消費貸借によらないで金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において,当事者その物を消費貸借の目的とすることを約することができる。」ではなく,「消費貸借によらないで金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において,当事者がその物を消費貸借の目的とすることを約したときは,消費貸借は,これによって成立したものとみなす。」と,ドイツ民法より一歩踏み込んで,当事者の合意の効果についてまで規定しています。新たな消費貸借契約が当該合意によって成立・登場するということでしょう。また,「みなす」なので,当該効果について例外は認められないのでしょう。富井政章=本野一郎のフランス語訳では,“Lorsque celui qui doit de l’argent ou d’autres choses à un autre titre qu’en vertu d’un prêt de consommation convient avec son créancier que l’argent ou les choses dont s’agit seront dus à l’avenier à titre de prêt, le prêt est considéré comme s’étant formé par ce fait.”となっています。


(中):概念図及び当初山行計画

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079396057.html

(下):山域鳥瞰図

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079396090.html


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