2017年10月

 グリム童話に「賢い人々(Die klugen Leute)」というお話があります(KHM Nr.104)。これがなかなか法律学的に興味深いところです。

 

1 代理

 農家のハンスが3日間家を空けることにし,その間の農畜産業経営について妻に代理権の授与を行います。

 

「トリネ(Trine)や,おれはこれから遠くに出かけて,三日ほど留守にする。その間に家畜商人がやって来て,うちの3頭の牝牛を買いたいと言ってきたら,売ってもよい。けれども200ターレルでなきゃだめだ。それより少ない額ではだめだぞ。分かったね。」「神さまの御名において行ってらっしゃい」と妻は答えた。「それはうまくやるわ。」「そうだぞ,お前!」と夫は言った。「お前は小さい子供の時に頭から落っこちて,それが今の今まで尾をひいているからな。だが,これはお前に言っておくがな,もしばかなことをやらかしたら,おれはお前の背中を真っ青にしてやるからな。色を塗るんじゃないぞ。おれが今この手に持っている杖一本でやるのだぞ。その痕は,まる一年残って,とれるのはやっとそれからだからな。」

 

心配ならばトリネに代理権を授与しなければよかったのですが,授与してしまった以上,それは有効です。我が民法(明治29年法律第89号)102条は「代理人は,行為能力者であることを要しない。」と規定しています。「本人があえて無能力者を代理人にするなら,なにも差支えはない」わけです(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)213頁)。ドイツ民法165条は,「代理人によって,又は代理人に対してされた意思表示の効力は,当該代理人の行為能力が制限されていること(dass der Vertreter in der Geschäftsfähigkeit beschränkt ist)によって妨げられない。」と宣言しています。

 牝牛3頭の所有権は,ハンスに属していたのでしょう。

 

2 日常家事債務

 ところで,農家で牝牛3頭を売却するということは,さすがに日常の家事に関することではないでしょう。
 我が民法
761条は「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは,他の一方は,これによって生じた債務について,連帯してその責任を負う。ただし,第三者に対し責任を負わない旨を予告した場合は,この限りでない。」と規定しているところから,「日常家事に夫婦の財産を処分することも含めざるを得ず(たとえば家具を新しく買い替える場合に古い家具を中古品として売るなど),761条が当然の前提としている原則として,相互の代理権を肯定してよいだろう。」とされ(内田貴『民法Ⅳ親族・相続』(東京大学出版会・2002年)44頁。判例として,最判昭和441218日民集23122476),「妻は,夫婦共同生活の運営に必要な限りでは,夫名義の借財をする権限を有するのみならず,夫名義の財産を処分する権限をも有する。」とされていますが(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)108頁),「日常の家事」という縛りがあります。
 「「日常の家事」とは,未成熟の子を含む夫婦の共同生活に通常必要とされる一切の事項を含む。家族の食料・光熱・衣料などの買入,保健・娯楽・医療,子女の養育・教育,家具・調度品の購入などは当然に含まれる(夫婦それぞれの所有動産に火災保険をつけることも含まれる(大判昭和
1212月8日民集1764頁は旧法の下で夫の管理権が及ぶという))。問題となるのは,これらの目的のために資金を調達する行為――既存の財産の処分と借財――だが,これも,普通に家政の処理と認められる範囲内(例えば月末の支払いのやりくりのための質入・借財など)においてはもとよりのこと,これを逸脱する場合でも,当該夫婦の共同生活にとくに必要な資金調達のためのものは,なお含まれると解すべきものと思う・・・。ただし,以上のすべてについて,その範囲は,各夫婦共同生活の社会的地位・職業・資産・収入などによって異なるのみならず,当該共同生活の存在する地域社会の慣行によっても異なる。」とされているところです(我妻・親族法106頁)。
 日常家事の範囲を越えた越権行為が配偶者の一方によってされた場合において(原則は無権代理),越権行為の相手方である第三者をどう保護すべきかについては,「当該越権行為の相手方である第三者においてその行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるときにかぎり,民法110条の趣旨を類推適用して,その第三者の保護をはかれば足りる」とされています(前記最判)。我が民法110条は「前条本文の規定は,代理人がその権限外の行為をした場合において,第三者が代理人の権限があると信ずべき正当な理由があるときについて準用する。〔代理人が第三者との間でした行為についてその責任を負う。〕」と規定しています。判例が「民法110条の適用」ではなく「民法110条の趣旨を類推適用」といっているのは,「〔民法110条の法理〕の適用されるのは,あくまでも,相手方が日常の家事の範囲内と信じた場合に限るべきであって,それ以外の行為について特別の代理権があったと信じた場合には及ばないと解する。従って,〔権限外の行為について権限があると信じた場合に係る〕110条が適用されるとせずに,110条の趣旨を類推すべし,というのである。」ということでしょう(我妻・親族法111頁)。

昭和22年法律第222号によって改正される前の明治31年法律第9号804条では,「日常ノ家事ニ付テハ妻ハ夫ノ代理人ト看做ス/夫ハ前項ノ代理権ノ全部又ハ一部ヲ否認スルコトヲ得但之ヲ以テ善意ノ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス」と規定されていました。
 ドイツ民法1357条は,「各配偶者は,家族生活に係る必要の相当な充足のための(zur angemessenen Deckung des Lebensbedarfs der Familie)行為を他方配偶者のためにも有効に行う権限を有する(ist berechtigt...zu besorgen)。当該行為によって,事情による例外の場合を除いて,両配偶者は,権利を取得し,及び義務を負う。/一方配偶者は,自分のために他方配偶者が有効に行為を行う権限を制限し,又は否認することができる。当該制限又は否認に十分な理由(ausreichender Grund)がないときは,家庭裁判所は,申立てによってそれらを取り消さなければならない(hat...aufzuheben)。当該制限又は否認は,第1412条に従ってのみ第三者に対して効力を生ずる。/配偶者が別居している(getrennt leben)ときは,第1項は適用されない。」と規定しています。

 

3 売買契約と同時履行の抗弁及び所有権移転の時期

夫が出立した翌日,トリネのところに家畜商人がやって来ます。3頭の牝牛を見て,そして200ターレルの代金額を聞いた家畜商人は言います。

 

「喜んでその額はお支払します。この牛たちは,安く見積もっても(unter Brüdern)それだけの値打ちはありますからね。早速牛たちを連れて行かせてもらいましょう。」

 

 売買契約成立です。

直ちに家畜商人は牝牛たちを鎖から外し,牛小屋から引き出し,中庭を抜けて牝牛3頭と正に立ち去ろうとしたところ,トリネはその袖を捉えて言います。

 

  「あんた,まず私に200ターレルを払ってくれなきゃいけないよ。そうじゃなきゃ,あんたを行かせるわけにはいかないね。」

 

これは,同時履行の抗弁ですね。民法533条は「双務契約の当事者の一方は,相手方がその債務の履行を提供するまでは,自己の債務の履行を拒むことができる。ただし,相手方の債務が弁済期にないときは,この限りでない。」と規定しています。ドイツ民法320条は,「双務契約により(aus einem gegenseitigen Vertrag)義務を負う者は,先に給付する義務を負っている場合を除き,反対給付の実現まで自己の負担する給付(die ihm obliegende Leistung)を拒絶することができる。複数の者に対して給付がされるべき場合においては(Hat die Leistung an mehrere zu erfolgen),それぞれの者に対し(dem einzelnen)彼に帰属する給付の部分(der ihm gebührende Teil)が,全ての反対給付の実現まで拒絶され得る。第273条第3項の規定〔我が民法301条に相当〕は,準用されない。/一方から一部の給付がされた場合においては,事情にかんがみ,特に遅滞している部分の相対的些少性のゆえをもって(wegen verhältnismäßiger Geringfügigkeit),拒絶が信義則(Treu und Glauben)に抵触するときは,その限りにおいて反対給付は拒絶されることができない。」と規定しています。

なお,我が判例によれば,売買契約成立当時その財産権が売主に帰属していたときは,当該財産権は,原則として,当然に買主に移転するとされていますので(大判大2・1025民録19857,最判昭33・6・20民集12101585),牝牛3頭の所有者である夫の代理人であるトリネと家畜商人との間で当該牝牛3頭を代金200ターレルで当該家畜商人に売るという売買契約が成立したときには,その時において当然に所有権が家畜商人に移っているということになります。しかしながら,ドイツにおいては,状況は異なります。ドイツ民法929条は「動産の所有権の移転(Übertragung des Eigentums an einer beweglichen Sache)のためには,所有者が承継人(Erwerber)に目的物を引き渡し(übergibt),かつ,両者が所有権が移動(übergehen)すべきことに合意していること(einig)が必要である。承継人が目的物を占有している場合においては,所有権の移動についての合意をもって足りる。」と規定しているからです。したがって,トリネから家畜商人への引渡しが完了しておらず,かつ,同女は所有権の移転にはまだ合意していないようなので,牝牛3頭の所有権は,この段階ではまだトリネの夫であるハンスにあります。(「ドイツでは,契約(法律行為)が,債権を発生させる債権契約(行為)と物権を発生〔又は移転〕させる物権契約(行為)とに分かれ,前者が後者の原因(行為)であるが,前者(原因行為)と後者(物権行為)とは峻別され,前者の無効・取消は後者に影響しない(物権行為の無因性)〔ただし,「当事者間で不当利得返還としての物権の返還が問題になる」〕。物権契約(行為)と登記〔又は〕引渡とによって物権が移転する」と(星野英一『民法概論Ⅱ(物権・担保物権)』(良書普及会・1980年)32‐33頁)理屈っぽく晦渋に説かれていたことの背景には,上記のようなドイツ民法の条文があったのでした。)

「双務契約」とは,「契約の各当事者が互に対価的な意義を有する債務を負担する契約」で,「そうでない契約が片務契約」とされています(我妻榮『債権各論上巻(民法講義Ⅴ₁)』(岩波書店・1954年)49頁)。売買は「当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し,相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって,その効力を生ずる」ものであって(民法555条),売主(トリネに代理されたハンス)は財産権移転債務(「観念的に財産権を買主に取得させることのほか,目的物の占有を買主に取得させること及び登記等の対抗要件を買主に取得させることをも含んでいる」とされています(司法研修所『増補民事訴訟における要件事実第一巻』(1986年)138頁)。),買主(家畜商人)は代金(200ターレル)支払債務という,互いに対価的な意義を有する債務を負担しており,典型的な双務契約であるということになります(我妻Ⅴ₁49頁)。

民法533条ただし書は「相手方の債務が弁済期にないときは,この限りでない。」と規定しているので,トリネ主張の同時履行の抗弁は,家畜商人の代金(200ターレル)支払債務が弁済期にないときには効き目がないことになります。しかしながら,心配に及ばず,「契約上の義務は,一般に,特に期限の合意がない限り,契約成立と同時に直ちに履行すべきもの」であるので(司法研修所138頁),他に期限の合意がない限り,家畜商人の代金支払債務は既に弁済期にあるわけです。

 

4 動産の売買の先取特権

しかし,家畜商人は,トリネの同時履行の抗弁を,うまいこと言って引っ込めさせます。

 

「おっしゃるとおりです。」と男は答えた。「ただ,わたくしは,がま口を腹巻に入れて来るのを忘れてしまったところです。けれども心配には及びません。わたくしがお支払するまでの担保を御提供します。2頭の牝牛は引き取らせていただきますが,3頭目はこちらに残しておきます。それであなたには立派な担保(ein gutes Pfand)があるということになるのです。」妻は納得し,男が自分の牝牛を連れて出て行くのを見送った。そして考えた。「あたしがこんなに賢くやったって知ったら,ハンスはどんなに喜ぶのかしら。」

 

 Pfandは質物とも訳せますが,この3頭目の牝牛の所有権は,ドイツ民法上はいまだ家畜商人に移転しておらず,そもそも債権者たるハンスに残っているのですね。すなわち,当該牝牛については,家畜商人から代金の支払提供のないまま,トリネ及びハンスの側において単に売買契約に係る売主としての債務が履行されていない状態です。家畜商人は当該牝牛については引渡しの請求を引っ込めているので,同時履行の抗弁を発動させるまでもないところです。

 ところで,家畜商人が連れ去ってしまった牝牛2頭については,その代金債権について何の担保もないのかといえば,実はなお先取特権(さきどりとっけん)というものがあります。我が民法311条5号によれば,動産の売買によって生じた債権を有する者は,債務者の特定の動産について先取特権を有するとされ,同法321条は「動産の売買の先取特権は,動産の代価及びその利息に関し,その動産について存在する。」と規定しています。「その趣旨は,売却がなされたからこそその物が債務者=買主の財産となり,債務者=買主の債権者が差し押さえることができるようになったのだから,売主を特に優先させるのが公平であるという点にある」とされています(星野Ⅱ204頁)。動産に対する強制執行において,「先取特権・・・を有する者は,その権利を証する文書を提出して,配当要求をすることができる。」とされているところです(民事執行法(昭和54年法律第4号)133条)。しかし,家畜商人ですから,買い取ったハンスの牝牛2頭は間もなく更に転売されてしまい,新たな買主に引き渡されてしまうことでしょう(商法(明治32年法律第48号)501条1号は「利益を得て譲渡する意思をもってする動産・・・の有価取得又はその取得したものの譲渡を目的とする行為」を,真っ先に商行為としています。「商人」とは「自己の名をもって商行為をすることを業とする者」です(同法4条1項)。)。そのように転売して引き渡されてしまうということになると,「先取特権は,債務者がその目的である動産をその第三取得者に引き渡した後は,その動産について行使することができない。」ということになってしまいます(民法333条)。余り頼りにはなりません。

 なお,売買の代金の「利息」については,我が民法575条2項が「買主は,引渡しの日から,代金の利息を支払う義務を負う。ただし,代金の支払について期限があるときは,その期限が到来するまでは,利息を支払うことを要しない。」と規定しています。

 

5 DV法の解説は,なし

 三日たって旅から帰って来たハンスは,家畜商人にまんまとだまされた上にそのことにも気付いていないトリネに大いに腹を立てます。ここでハンスが前言どおりトリネをシデ材の(hagebüchnen)杖で打擲(ちょうちゃく)したのならば,本稿脱線配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(平成13年法律第31号)に関する解説を長々としなければならなくなります。しかしながら,ハンスはトリネが可哀想になりました。なお三日間世間を見てみて,その間にトリネよりもお人よし(noch einfältiger)な者に遭遇したのならば,トリネを赦してやることにしました。

 

6 原始的不能の債権に係る契約の効力等

 ハンスが大きな道の傍らで石に腰かけて待っていると,干し草を積んだ格子枠車に乗ったちょっと様子のおかしい(車を牽く牛の荷が軽くなるように,干し草の上に座らずに,車の上に立っている)女性が来たので,その車の前に飛び出して妙な具合に駆け回り「わたくしは天国から落ちてきた者です。どうやって戻ったらよいのか分かりません。天国にまで乗せて行ってもらえませんか?」と言ってみれば,お人よしの女性は,3年前に亡くなった夫のあの世での様子を訊いてきます。ハンスは,彼女の夫はあの世で羊飼いをやっているけれどもそれは大変な仕事で,服がボロボロになっていると答えます。彼女は驚き,ハンスに対して夫に対する差し入れを頼みます。衣服はだめだと言われたので(確かに刑事収容施設でも,紐がついている衣服などは差し入れできません。),お金を差し入れることにし,家から財布を取って来て,ハンスのポケットにねじ込みます。

 

 立ち去る前に,彼女は彼の親切(Gefälligkeit)に対してなお千回も(noch tausendmal)お礼をした。

 

 お人よしの女性が家に帰って,畑から戻って来た息子に対して天国からやって来た人の話をすると,息子も天国から来た人と話をしたいと思い,馬に乗って追いかけます。柳の木の下で折から財布の中のお金を数えようとしていたハンスに遭った息子は,天国から来た人を見なかったかと尋ねます。

 

 「ああ」とお百姓は答えた。「その人は帰りましたよ。あそこの山を登ってね。そこからだといくらか近いんですね。急いで駆ければ,まだ追いつけますよ。」

 

けれども息子は,疲れていたのでもう進めません。そこで,代わりに馬に乗って追いかけ,天国の人に戻ってくるよう説得してくれよとハンスに頼みます。

 

「やれやれ」とお百姓は考えた。「こいつもあれか,ランプはあっても芯が無いって連中の仲間だな。」「何の,あなたのために一肌脱がないってことがありますかい。」と彼は言い,馬にまたがり,全速で駆け去った。

 

息子は夜になるまで待ったけれども,ハンスも天国の人も戻って来ません。しかし,息子がたたずんでいる場所はドイツであって日本ではないとはいえ,世の中は,よい人よい子ばかりなのです。

 

「きっと」と彼は考えた。「天国の人はひどく急いでいて,戻ろうとはしなかったんだな。それであのお百姓は,天国の人に,おれの親父のところに持って行ってくれって,天国の人に馬を渡したんだな。」

 

あの世にいる亡夫に金銭の差し入れをしてくれ,又は天国の人に追いついて戻ってくるよう説得してくれとの頼みがあって(契約の申込み),ハンスはいずれの頼みについても請け合っています(承諾)。詐欺(民法96条1項)かといえば,お人よしの女性もその息子も一方的な思い込みで勝手に申込みの意思表示をしてきているので,ちょっと当てはまらないようではあります。両者の申込みに係る契約の種類は,請負(民法632条)といおうにも報酬の約束がないので,無償の準委任(同法656条)でしょうか。しかし,「原始的に不能なことについては,債権は成立しない〔略〕。従つて,その契約は効力を生じない(無効である)」ということ(我妻Ⅴ₁80頁)になるようです。現在のドイツ民法306条2項及び3項は「条項(die Bestimmungen)が契約の構成部分とならず,又は無効である場合においては,契約の内容は,法律の規定による(nach den gesetzlichen Vorschriften)ものとする(richtet sich)。/前項により見込まれる変更を考慮に入れてもそれに拘束されること(das Festhalten an ihm)が一方当事者に対して酷に過ぎるもの(eine unzumutbare Härte)となるときは,契約は無効である。」と規定しています。

しかし,平成29年法律第44号による改正後の民法412条の2第2項は「契約に基づく債務の履行がその契約の成立の時に不能であったことは,第415条の規定によりその履行の不能によって生じた損害の賠償を請求することを妨げない。」と規定しています。債務の履行が原始的不能であってもその契約は有効であるということでしょうか。(ただし,これについては,改正後民法412条の2第2項の文言に関して「原始的に不能な給付を目的とする契約の効力が常に無効であるとの立場に立つものではないということまでは明らかであるが,原則,無効・有効,どちらの立場に立つのか明確ではなく,非常にわかりにくいと言わざるをえない。」との批判がつとにあったところです(角紀代恵「債権法改正案について――原始的不能概念の廃棄を中心に」『経済法の現代的課題 舟田正之先生古稀祝賀』(有斐閣・2017年)131頁)。これに対して,筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)72頁は,同項に関して「契約に基づく債務が原始的不能の場合であっても,債務不履行に基づく損害賠償請求をすることは妨げられないとしている」ものであるとは述べてはいますが,債務が原始的不能であっても契約は原則として有効であるとまでは明言していません。)契約が有効ということになれば,お人よしの女性とその息子とが財布及びその中の金銭並びに馬の返還をハンスに請求するには,それぞれの準委任契約を解除しなければならなくなるのでしょうか。解除は,相手方に対する意思表示によってしなければならないところです(民法540条1項)。

無論,グリム童話の世界は,ドイツ民法の適用下ではあります。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電話:0368683194

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 


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1 契約書チェックと「直接損害」

 企業法務の仕事の一環として,契約書のチェックがあります。

 契約書のチェックをしていて悩まされる問題は多々ありますが,次のような条項がいつも出て来るので,当該条項をどう解釈すべきか,修正すべきか否か,修正するのならどのようにすべきか,という問題が,皆さん頭痛の種となっているのではないでしょうか。

 

 (損害賠償)

第〇条 甲又は乙は,相手方が本契約に違反したことにより損害を被ったときは,相手方に対して被った直接損害に限り賠償請求をできるものとする。

 

 筆者において下線を付した「直接損害」なるものの概念が,分からないのです。

 

2 法令用語辞典・法律学辞典及び不法行為法学・債権総論と「直接損害」

 契約書案を持ち込んで来た悩みなき担当者は,「弁護士なのに「直接損害」の意味すら分からないんですか?」というような様子をしているので,こちらはなかなか弱音を吐けず,まずは自分で調べることになります。しかし,法令用語辞典・法律学辞典の類,更に不法行為法学及び債権総論の書物からは,はかばかしい解決が得られません。

 

(1)法令用語辞典

 吉国一郎等編『法令用語辞典<第八次改訂版>』(学陽書房・2001年)においては,「直接強制」,「直接請求」及び「直接選挙」の語は解説されているのですが,「直接損害」の語は取り上げられておらず,ついでながら「間接損害」も掲載されていません。同書は,内閣法制局関係者が執筆しているものですので,すなわちこれは,「直接損害」は我が国の法令用語ではないということでしょうか。

 

(2)法律学辞典と会社法学上の「直接損害・間接損害」

 金子宏等編集代表『法律学小辞典 第4版補訂版』(有斐閣・2008年)には,「直接損害」について定義があるのですが,株式会社の取締役,会計参与,監査役,執行役又は会計監査人の損害賠償責任に関する講学上の概念であって,契約当事者間一般における債務不履行による損害賠償の範囲に係る法令上の概念とはいえないようです。同辞典における「直接損害」の定義は,次のとおり。

 

  株式会社の役員等(会社423①)の悪意・重過失による任務懈怠(けたい)によって第三者が直接に損害を被った場合のその損害をいう。任務懈怠により株式会社に損害が生じ,その結果として第三者が損害を被るわけではない点で,間接損害と区別される。会社法429条1項(役員等の第三者に対する損害賠償責任)にいう「損害」には,直接損害と間接損害のいずれも含まれるというのが,判例である(最大判昭和441126民集23112150)。(金子等編871頁)

 

 会社法(平成17年法律第86号)423条1項は,株式会社の取締役,会計参与,監査役,執行役又は会計監査人をもって同法第2編第4章第11節(役員等の損害賠償責任)における「役員等」であるものと定義しています。また,同節はまず役員等の株式会社に対する損害賠償責任について規定していますから(同法423条以下),ここでの「第三者」とは当該役員等がその機関であるところの株式会社以外の者ということになります。

 会社法429条1項は「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは,当該役員等は,これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。」と規定しています。(他の役員等も当該損害を賠償する責任を負うときは,これらの者は連帯債務者となります(同法430条)。)

 第三者に「直接損害」(「典型的には,会社が倒産に瀕した時期に取締役が返済見込みのない金銭借入れ,代金支払の見込みのない商品購入等を行ったことにより契約相手方である第三者が被る損害である。」)を被らせる(会社には損害が無い。)役員等の悪意・重過失による任務懈怠は,当該任務懈怠行為における「契約相手方に対する不法行為(民709条)にも当たり得るが(最判昭和47・9・21判時68488頁),判例によれば,不法行為は第三者に対する加害についての故意・過失を要件とするのに対し,この責任は,取締役の会社に対する任務懈怠についての悪意・重過失を要件とする点が異なるという(最判昭和441126民集23112150頁)。」と説明されています(江頭憲治郎『株式会社法 第6版』(有斐閣・2015年)505頁)。

 

(3)不法行為法学における「間接損害」

債務不履行ならぬ不法行為に関する我が法学用語には,「間接損害」というものがあります。

 

 直接には甲に対する加害行為がなされることによって,同時に,かねてから甲と特別の社会関係に立っている乙にも――この甲乙間の社会関係を媒介として――損害を与える,という場合がある。このような場合に,加害者は,甲に対する不法行為責任のほかに,乙に対する関係においても不法行為を負うべき場合があるのか。あるとすれば,それはいかなる要件のもとにおいてであり,またこの責任と,甲に対する責任とはいかなる関係に立つのかという〔問題を,〕「間接損害」ないし「間接被害者」と不法行為の問題,とよぶこともできよう。具体的には,甲の生命や身体が侵害されたことにより近親者乙がある種の損害を受けた場合〔略〕,および甲の生命・身体が侵害されることにより,甲の雇主たる乙企業が企業独自の損害――いわゆる「企業損害」――を受けた場合〔略〕,が主として問題になる。(幾代通著・徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)245頁)

 

とはいえ,この「間接損害」の概念も確乎としたものではなく,「企業損害」だけを「間接損害」の語で呼ぶこともあれば,「間接損害」の語を避けて「反射損害」の語を用いる学者もいるそうです(幾代246頁)。

「間接損害」以外の損害を「直接損害」ということにして,上記の不法行為法学的用法をパラレルに契約当事者間の債務不履行の場面に当てはめると,債務者の債権者に対する債務不履行によって当該債権者に対して与えられた損害は全て「直接損害」ということになって,わざわざ「直接」との形容詞を付する必要はなさそうです。前記条項の「相手方に対して被った直接損害に限り賠償請求をできるものとする。」との規定の意味は,債権者は自分以外の者に生じた損害の賠償を請求することはしない,という当たり前のことを確認した規定ということになります。面白くないですね。
 なお,不法行為法の議論においては,次のような指摘もあります。


  ・・・同一主体に生ずる損害としては,たしかに交通事故などの場合には,最初にまずごく単純明快な「直接的」といえるような損害が生じ,ついでこの損害があったということが原因(の一つ)となって後続の「間接的」損害が発生する,という場合が多いけれども,不法行為一般についてみれば,必ずしもこのような態様のものばかりとはかぎらない。一被害主体にとっての最初の損害それ自体が,加害者(と擬せられる者)の行為から発して必ずしも直線的でない複雑で複合的な事実的因果関係の連鎖によって初めて生ずる,という場合もある。このような場合をも視野に入れて考察するとき,「直接的結果(損害)」「間接的結果(損害)」という区分の実用法学上の有用性には疑問をいだかざるをえないのである。(幾代129頁)

 

(4)債権総論

不法行為ではなく,債務不履行により生じた損害に係る「直接損害」概念について説いた書物はないものか,ということで,我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)の事項索引に当たってみると,そこには「直接損害」も「間接損害」も見出しとして掲げられてはいません。内田貴『民法Ⅲ債権総論・担保物権』(東京大学出版会・1996年)の事項索引にも「直接損害」は見出しとなっておらず,「間接損害」とあるのはそこでも不法行為法上の概念としての掲載です(同書173175頁)。

どうもよく分からない。

 

3 小説的会話

 

「この,「直接損害」って何ですか。」

「えっ,先生は弁護士なんだから御存知なんじゃないですか。」

「いや,日本の法学上は,株式会社の役員等の第三者に対する損害賠償責任の場面において「直接損害」と「間接損害」との区別が論じられたり,不法行為法における「間接損害」の取扱いが問題になったりしていますけれども,債務不履行により生じた損害の賠償の範囲について「直接損害」が云々という議論はちょっと聞いたことがないですねぇ。うーん,民法416条では,第1項で「債務の不履行に対する損害賠償の請求は,これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的とする。」と,第2項で「特別の事情によって生じた損害であっても,当事者がその事情を予見し,又は予見することができたときは,債権者は,その賠償を請求することができる。」と規定しているんですが,第1項の損害は「通常損害」,第2項の損害は「特別損害」と呼ばれていて,「直接損害」の語は用いられていないんですよねぇ。契約書のこの「直接損害」条項は,民法416条とどう違うことになるんですかねぇ。」

「私は存じ上げません。先生がお考え下さい。」

「えっ。しかし,私にはこの「直接損害」の意味が分からないんで,困りましたねぇ。ここは日本民法416条の原則にそのまま乗っかってしまうことにして,この「直接損害」云々が含まれている条項はいっそ削ってしまいましょうか。契約書にわざわざ書かなくても,債務不履行によって債権者に損害を与えたら債務者は損害賠償しなきゃならないということは民法上当り前のことでしょう。」

「いや,契約書に書いておかないと,相手方が損害賠償に応じてくれない可能性があります。」

「(そんな屁理屈をこきそうな困った相手と何で契約を結ぶのかなぁ。)うーん,この条項は,あなたの部の契約書では昔から使っているんでしょ。」

「そうです。」

「そうだとしたら,昔からいる人もいるんでしょうから,だれか部内で「直接損害」の意味を知っている人はいませんかねぇ。」

「当部は法務部ではありません。」

「しかし,意味の分からぬ契約書をそのまま長いこと使っていたんですか。ちょっとこれは変だとか,気持ち悪いとか思わなかったんですか。」

「先生,細かいですねぇ。契約書なんてだれも細かく読みませんよ。」

「(うっ,それなら何で契約書のチェックを求めて来るんだろう。)困りましたねぇ。契約書はビジネスの基本ツールなんだけど,御存知ない,でやってこられましたか。困りましたねぇ。」

「先生,あなたは私たちが長年やってきたことを馬鹿にされるのですか。」

「いやいや,そんなことはありません。ただちょっと困っているだけです。(その「長年」のうちにだれかちゃんと調べてくれればよかったのになぁ。みんな長年しあわせに,何を考えて仕事をしていたのかしら。)・・・そうですねぇ,この「直接損害」の概念って,英文契約書の翻訳あたりからウィルスのように日本国内向けの契約書に侵入した,っていうことはないでしょうかね。その辺分かるような英文契約書とかその参考書とか,心当たりはありませんか。」

「何で契約書チェックを受けるのに,英文契約についてまでこちらで調べなければならないんですか。先生,それって,パワハラじゃないですか。」

「いやいや,パワハラなど滅相もない。(危ない,危ない,パワハラ認定がされると干されてしまう。)」

「先生は,英語はできないんですか。先生は,超一流法律事務所の先生方と違って,ナニが高くないって聞いてますからね,困りましたねぇ。」

「はは・・・。(良心的報酬額設定がかえって仇となるのかい。)」

「とにかく先生,こちらは締切りが迫っているんです。急いでいるんで早くチェックを済ませてください。先生のせいでみんなが迷惑するんです。」

「ははははいーぃ。」

 

4 英米法

 筆者が英米法の法律辞典類を見て,direct damagesとかdirect lossの定義を調べてみても,はっきりとしたことは分かりませんでした。

 ところが,最近某得意先企業の空いている役員室で作業をさせてもらっているとき,そこに置いてあった英米法辞典を見てピンと来るものがありました。(なお,この英米法辞典は,後で確認しましたが,Black’s Law Dictionaryの第10版ではありませんでした。)

 

 「これはやはり,Hadleyじゃないかな。」

 

(1)ハドリー事件判決と日本民法416

 我が民法(明治29年法律第89号)416条の規定がそれに由来する(平井宜雄『損害賠償法の理論』(東京大学出版会・1971年)146‐158頁参照)イングランドにおける1854年2月23日(嘉永七年二月二十三日ならば横浜応接所でペリー持参の献上品である汽車模型が円型レールで試運転された日なのですが,日本におけるその日はグレゴリオ暦では1854年3月21日です(『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年))。)のHadley v. Baxandale判決は,代表的民法教科書の一つにおいて,次のように紹介されています。

 

 ・・・ハドリー事件とはどのような事案だったのだろうか。原告Xは製粉所を経営していたが,製粉機の回転軸(クランク・シャフト)が壊れて製粉機が動かなくなったので,その回転軸を遠方にある機械製作所に見本として送って,新しい回転軸を作ってもらうことにした。そこで,運送会社Yに対し,その運搬を依頼したが,Yの懈怠のために運送が遅れ,結局新しい回転軸は予定より数日遅れて届くことになった。その結果,その間Xの製粉所は操業の停止を余儀なくされ,操業していたら得られたであろう利益を失った。これを賠償請求したのが,この事件である〔略〕。

  〔原審はXの請求を認容したが,控訴審の本件〕判決は,契約違反に対する損害賠償を,契約締結時に当事者が予見しえた範囲に限定すべきだとし,当該回転軸がなければXの工場が操業を停止せざるを得なくなるかどうかは,Yにはわからなかったとして(予備の回転軸がある場合もあるから),結論的にはXの請求を認めなかった。(内田148頁)

 

我が民法416条1項の通常損害の賠償請求には債権者による「予見可能性の立証は不要であるが,〔同条2項の〕特別損害なら,債権者の方で「特別の事情」の予見可能性を立証する必要がある」とされています(内田149頁)。民法「416条で予見の対象となっているのは,「特別の事情」であって「損害」そのものではないことは,文言上も明らかである」ところです(内田149頁)。民法416条2項の予見の主体である「当事者」は,富井政章及び本野一郎のフランス語訳では“les parties”と複数の両当事者とされていますが(《Code Civil de L’Empire du Japon 1896》(新青出版・1997年)),判例・通説上は債務者とされ(内田151頁),予見の時期は,Hadley判決では契約締結時とされていましたが,我が判例・通説上は履行期ないしは不履行時とされています(内田152頁)。

 

(2)英米法学におけるハドリー事件判決解説と直接損害(Direct Damages)概念

英米法の法律家はどう言っているものかと“Hadley v. Baxandale”でインターネット検索をすると,カリフォルニア大学バークレー校ボールト・ホール法科大学院のメルヴィン・アロン・エイゼンバーグ教授の「ハドリー対バクセンデール原則」という論文が見つかりました(Melvin Aron Eisenberg, The Principle of Hadley v. Baxendale, 80 CAL. L. REV. 563 (1992))。以下同教授の当該論文により,ハドリー対バクセンデール事件及び判決並びにそこにおいて表明された原則を見てみましょう(なお,同教授は,「ハドリー対バクセンデール原則」のAufhebenを主張しています。)。

事件について。新しいシャフトの原型とすべく(as a pattern)壊れたクランク・シャフトが送られた先は,原製作者であるグリニッジのJoyce & Co.という会社でした。(なお,原告の製粉所はGloucesterにありました。)原告はその従業員を,Pickford & Co.の商号で営業している大きな運送事業者の現地事務所に行かせ,当該従業員はピックフォードの事務員に製粉所が止まったからシャフトは直ちに送られなければならないと告げたところ,当該事務員は正午までにシャフトを預かればその翌日にはグリニッジに届くと答えました。その翌日正午前に当該シャフトはピックフォードに委ねられ,ハドリーは運送賃として2ポンド4ペンス(追記:川元主税「ハドレイ対バクセンデール再読」名城法学6834号(2019年)45頁によれば,2ポンド4シリングを支払いました。ピックフォードの事務員は,急いで送ってくれと告げられています。しかしながら,運送は何らかの懈怠("by some neglect”)によって5日間遅れます。ピックフォードは荷物をロンドンに送ったのですが,シャフトをロンドンからグリニッジに直ちに鉄道で転送せずにそのまま数日止め置き,別の鉄製品と一緒に運河でジョイスに送ったのでした。その結果,製粉所は5日間余計に操業ができませんでした。原告(複数形になっています。(追記:当該製粉所は,Joseph及びJonahのハドリー兄弟によって経営されていました(川元43頁)。)300ポンドの損害賠償を請求したところ,一審判決(陪審)は100ポンド分を認容しました。(Eisenberg pp.563-564(追記:陪審員評議の結果認められた損害賠償額は,実は50ポンドであったようです(川元56頁,溜箭将之「損害賠償の範囲」『アメリカ法判例百選』(有斐閣・2012年)206頁)。)

ハドリーの製粉所の名前はCity Steam-Mills,ピックフォードの経営者がバクセンデールです(溜箭206頁)。(追記:川元44頁註67によれば,当該製粉所の名前は,正確にはCity Flour Millsです。

(なお,止まってしまった機械を製粉機ではなく「製麺機」であると紹介する書物もありますが(北川善太郎=潮見佳男「§416(損害賠償の範囲)」『新版注釈民法(10)Ⅱ債権(1)債権の目的・効力(2)』(有斐閣・2011年)334頁),ハドリーの製粉所で機械が止まって供給できなくなった商品は“flour, sharps, and bran”(小麦粉,(小麦の)二番粉及びぬか・ふすま)とされていて(Eisenberg p.564),パスタ類は挙げられていません。)

ところが,原告にとって,控訴(追記:正確には,陪審のした事実審理の再審理を求める申立てがされたということです(川元57頁)。)審の判決(Hadley v. Baxandale (1854), 9 Exch. 341, 156 Eng. Rep. 145)はがっかりものでした。

 

 〔控訴を受けた〕Exchequer Chamber1873年にCourt of Appealとなります(田中英夫『英米法総論上』(東京大学出版会・1980年)164頁)。(追記:ハドリー事件が取り扱われたのはCourt of Exchequer(財務府裁判所)であって,Exchequer Chamberではなく,「なお,ハドレイ事件の裁判所をCourt of Exchequer Chamber(財務府会議室裁判所)とする誤記が時折みられるが,これは中央裁判所〔財務府裁判所,王座裁判所(Court of King’s Bench)及び民訴裁判所(Court of Common Pleas)〕の判決に対する誤審審理を行う上訴裁判所(判決を下した裁判所以外の2つの裁判所の裁判官で構成される)であり,まったくの別物である」そうです(川元47頁註78)。)〕は判決を覆した。しかしながら,〔損害の〕遠隔性の理論(theory of remoteness)によってではなかった。その代わり,当該裁判所は,契約違反(a breach of contract)によって損害を被った(injured)当事者は,「自然に,すなわち,通常のことの成り行きによって生ずるものと・・・合理的に認められる(“reasonably be considered … [as] arising naturally, i.e., according to the usual course of things”」べきものである損害(damages)又は「当該契約の違反による蓋然的結果として,契約の締結時において両当事者の予期するところにあったものと合理的に想定され(reasonably be supposed to have been in the contemplation of both parties, at the time they made the contract, as the probable result of the breach of it”)」得るものである損害のみを回復することができると述べた。裁判所は,原告はいずれのテストも満足させることができなかったものと結論した。当該裁判所の判決の二つの肢(the two branches of the court’s holding)は,ハドリー対バクセンデールの第1及び第2のルール(the first and second rules of Hadley v. Baxandale)として知られるようになった。(Eisenberg p.564

 

ハドリー対バクセンデールの第1ルールは我が民法416条1項(「債務の不履行に対する損害賠償の請求は,これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的とする。」)に,同第2ルールは同条2項(「特別の事情によって生じた損害であっても,当事者がその事情を予見し,又は予見することができたときは,債権者は,その賠償を請求することができる。」)に対応するものであることは明らかです。ただし,ハドリー対バクセンデールでは,予期の対象は損害であって損害の原因たる事情の予見は問題になっておらず,予期の主体は契約の両当事者,予期の時期は契約の締結時です。

しかして,エイゼンバーグ論文の次の一節に至って,「直接損害」概念の英米法的淵源を尋ねんとする筆者の肩の荷は下りたのでした。

 

ハドリー対バクセンデールの二つのルールの基礎の上にあって,契約法は,伝統的に,一方における一般又は直接損害general or direct damages)と他方における特別又は派生損害(special or consequential damages)とを区別してきた。一般又は直接損害は,買主〔債権者〕に係る特有の事情とは関係なく所与のタイプの不履行から生ずる損害である。一般損害の賠償は,ハドリー対バクセンデールの原則によって妨げられることは全くない。定義それ自体によって,そのような損害は「自然に,すなわち,通常のことの成り行きによって当該不履行から生ずるものと・・・合理的に認められる」べきものだからである。例えば,売主が物品売買契約に係る債務を履行しなかったときには,買主は,契約代金額と市場価格又は代替品の価格との差額に等しい損害を被るということは自然の成り行きである。この差額は,通常,一般損害として回復され得る。(Eisenberg p.565。下線による強調は筆者)

 

 何のことはない,実は「直接損害(direct damages)」≒「民法416条1項の通常損害(le préjudice qu’entraînerait l’inexécution, d’après le cours ordinaire des choses (富井=本野訳))」だったのでした。

 (なお,平井204頁は「イギリスにおいて,Hadley v. Baxendaleのルールは,動産売買法Sale of Good[s] Act (1893)が制定されるに及んでその51条および54条として規定されている。すなわち,51条1項は売主が買主に対し引渡をせず又は拒んだ場合において買主は損害賠償の訴を提起できる旨を定め,同2項はこの場合における賠償の範囲が売主の契約違反から事物の通常の経過にしたがって直接的かつ自然的に生じた損失であるべき旨を定める。〔略〕54条は,これに加えて特別損害の賠償を請求する買主の権利がこの法律によって影響を受けない旨を定めているのである。」と紹介しています(下線は筆者によるもの)。1893年法51条2項の文言は“The measure of damages is the estimated loss directly and naturally resulting, in the ordinary course of events, from the seller’s breach of contract.”というものです。ここで“direct”が副詞形で出てきています。Hadley v. Baxendaleでは“naturally, i.e., according to the usual course of things”であったものが,“directly and naturally, i.e., in the ordinary course of events”とパラフレーズされたものと解すべきなのでしょう。)


5 フランス民法

 我が民法416条のフランス語訳における“d’après le cours ordinaire des choses”と英語のaccording to the usual course of thingsとはよく似た表現ですが,これは,ハドリー対バクセンデール事件判決の理論が,「フランスのポチェという学者(フランス民法典に大きな影響を与えた学者)の理論の影響を受けているといわれ」ている(内田148頁)からでもあるのでしょうか。(なお,ポチェから英米法への影響は,スコットランド経由だったようです。すなわち,「Hadley事件の6年前にスコットランドの裁判所から貴族院に上告された事件があり,その時コテナム卿(Lord Cottenham)はスコットランド法にもとづいて意見を述べた。スコットランド法は大陸法系に属し,フランス民法に大きな影響を与えたポチエ(Pothier, Traité des Obligations, 1761)の学説にしたがっていた。この意見がHadley事件を審理した財務裁判所に大きな影響を与えたと言われる。」ということでした(平井156頁註(21))。)

 

  (b)〔債務不履行による損害の賠償の範囲〕の点の原則的な考え方および実際の範囲についての立法例は,大別して二つに分かれる。賠償すべき損害の範囲を比較的狭くしているもの(例えば英米,フランス)が多いが,比較的広く,建前としては全損害を賠償すべしとするもの(「完全賠償の原則」などと呼ばれる。ドイツ)もある。前者は,フランスのポチエ(Pothier)という学者(さらに古くはデュムーランDumoulin, Molinaeus)に由来する。ポチエの考えは,原則として債務者が契約時に予見可能であった損害のみ賠償すればよいとすること,故意の不履行の場合については過失による不履行の場合よりも賠償すべき損害の範囲を広くしていること(損害を直接損害・間接損害に分け,前者では間接損害の賠償まで,後者は直接損害の賠償に止まる,とある)に特色がある。後者は,これを批判し,いったん債務者に故意過失があって賠償すべきであるとされた以上は,その範囲は原則として損害のすべてに及ぶとするのが債権者のために必要であるとの立場に立ちつつ,あまり範囲が広がるのは適当でないとして,相当の範囲,つまり「相当因果関係」のある損害の範囲に止めようとするものである。〔略〕

  (c)わが民法は,416条でこれを定めているが,読めばわかるとおり,基本的には前者の立場をとっている。(α)これは,ポチエの影響を受けた英米法を参照にして作られたものである(民法〔34条〕,526条〔略〕などと共に英米法の影響を受けた規定の一つである。)ポチエを祖父とするとその孫ということになり,ポチエの子法であるフランス民法とは叔父おいの関係にあることになる(フランス民法と異なり,直接損害・間接損害の区別をしていない)。〔後略〕(星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』(良書普及会・1981年)6869頁。下線は筆者によるもの)

 

 フランス法には,「直接損害」と「間接損害」の区別があるようです。しかし,そこでいう「直接損害」は,ハドリー対バクセンデールの第1ルールについていわれる「直接損害(direct damages)」と同じものでしょうか,違うものでしょうか。

当該「叔父」法のフランス民法を見てみようと思いますが,実は同法は昨年(2016年)10月に改正があって,以前とは条文番号がずれたりなどしています。

 

1231条の2(旧1149条) 債権者に対する損害賠償は,以下の例外及び修正を別にして,一般に,その被った損失及び失われた利益についてである。

1231条の3(旧1150条) 不履行が重大な懈怠又は悪意(une faute lourde ou dolosive)によるものではない場合においては,債務者は,契約締結の時に予見され,又は予見されることができた(qui puvaient être prévus)損害賠償の責任のみを負う。

1231条の4(旧1151条) 契約の不履行が重大な懈怠又は悪意によるものである場合であっても,損害賠償は,不履行に接着しかつ直接の結果であるもの以外を含まない(les dommages et intérêts ne comprennet que ce qui est une suite immédiate et direct de l’inexécution)。

 

 債務者が悪意により(à une faute dolosive“dolosif”には仏和辞典的には「詐欺の」との訳語が当てられています。))債務不履行をした場合であっても,損害賠償の対象範囲は「間接損害」にまで及ぶものではなく,なおも「直接損害(une suite immédiate et direct)」にとどまるようです(星野教授による前記ポチエ説紹介の下線部分との関係は,ちょっと分かりづらいところです。)。

 

 〔フランス民法旧1151条(現1231条の4)〕では,間接の結果である損害は排除されている。しかも,フランス民法上,直接損害(dommage direct)は,損害の予見性とともに因果関係の制限の問題として理解されている(イタリア民法1223条も同旨)。直接損害・間接損害の古典的な例として,次のものをあげることができる。病気の馬を給付したところ,買主の所有している他の健康な馬にその病気が感染し,その馬も死亡した場合は,直接損害が発生している。他方,馬の死亡のために,農地の耕作ができず,収入を得られず,他の借金の返済にまわせず,その結果として財産の差押えを受けた場合は,(他の借金を返済できないという損害が生じているため)間接損害が発生している(Pothier, Traité des obligations)。(北川=潮見329頁)

 

  わが民法の起草者は,直接損害・間接損害という区別を〔略〕フランス流に解したうえで,直接の結果か間接の結果かという区別は不明確であるとして排斥した〔略〕。(北川=潮見329頁。また,332333頁)

 

6 民法416条の起草経緯管見

我が現行民法起草前のフランス法学者ボワソナアドによる我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)385条は,フランス民法旧1149条から旧1151条に倣って,次のように規定していました。

 

385条 損害賠償ハ債権者ノ受ケタル損失ノ償金及ヒ其失ヒタル利得ノ填補ヲ包含ス

 然レトモ債務者ノ悪意ナク懈怠ノミニ出テタル不履行又ハ遅延ニ付テハ損害賠償ハ当事者カ合意ノ時ニ予見シ又ハ予見スルヲ得ヘカリシ損失ト利得ノ喪失トノミヲ包含ス

 悪意ノ場合ニ於テハ予見スルヲ得サリシ損害ト雖モ不履行ヨリ生スル結果ニシテ避ク可カラサルモノタルトキハ債務者其賠償ヲ負担ス

 

我が旧民法財産編385条3項とフランス民法旧1151条(現1231条の4)との相違は,ボワソナアドによれば「間接の損害とは,たとえば,買主が転売契約上の債務を履行できなくなったために負うに至った巨大な賠償額のようなものであるが,フランス民法がこれを排して,悪意の不履行でも直接の損害に限定しているのは,不履行より直接生じた損害以外のものは義務不履行の確実な結果とはいえないことと,間接の損害は買主が注意すれば避けることができたものと推測されることによる。したがって,直接・間接の結果に代わって,債権者が損害を避けることができたかどうかが範囲決定の標準とされた」ということだそうです(北川=潮見330頁)。

しかし,いわゆる民法典論争を経て旧民法の施行延期,現行民法案の起草という流れとなり,債務不履行による損害の賠償の範囲に関する我が旧民法及び現行民法の各規定間に断絶が生じます。

法典調査会に提出された原案の410条は,次のとおり(北川=潮見332頁。下線は筆者によるもの)。

 

損害賠償ノ請求ハ通常ノ場合ニ於テ債務ノ不履行ヨリ生スヘキ損害ノ賠償ヲ為サシムルヲ以テ目的トス

当事者カ始メヨリ予見シ又ハ予見スルコトヲ得ヘカリシ損害ニ付テハ特別ノ事情ヨリ生シタルモノト雖モ其賠償ヲ請求スルコトヲ得

 

原案410条にも「予見」が出て来ますが,これは旧民法財産編385条の「予見」とは「異なる原理に基づいてい」ました(北川=潮見333頁)。「つまり,旧民法上,過失による不履行は予見された損害または予見可能な損害の賠償責任を生じさせ,故意による不履行は予見することのできなかった損害の賠償責任を生じさせていた(旧民法財産編385Ⅱ・Ⅲ)。これに対して,原案410条は,「債務関係ノ性質ヨリシテ」損害賠償の範囲および額を決めるうえでは,予見を標準とせざるをえないとの理解を基礎に据え,「特別の事情より生じた損害」の予見ないし予見可能性を標準としている(法典調査会民法議事速記録185455丁)。そして,「英吉利(など)ノ有名ナ判決例ノ規則(など)デモ詰リ之ニ帰スルノデアツテ通常ノ結果カラ予見シテ居レバ特別ノ結果デモ之ヲ償フコトヲ要スル如何ニモ穏カナ規則ジヤラウト思ヒマス」(法典調査会民法議事速記録1855丁)と述べられている。」と紹介されています(北川=潮見333334頁)。これは,旧民法では損害の分類基準として「避ク可カラサルモノ」か否か(避ク可カラサルモノであれば「直接損害」として損害賠償の範囲内,避けることができたのなら「間接損害」であって範囲外)をなお採用した上でその「避ク可カラサルモノ」枠内において悪意の無い懈怠者については予見可能性をもって更に損害賠償の範囲を限定するという構造であったのに対し,現行民法416条の原案では,損害賠償の範囲(大枠)自体を予見可能性でもって直接画するということになったということでしょう(「1項には「予見」という字句が入っていないが,「通常生スヘキ損害」は「予見スヘキモノ」(梅〔『民法要義巻之三』〕56)と考えられるものであるという理解からすれば,2項のみならず1項も含めて,「予見」という要素が,賠償されるべき損害の範囲を確定するための標準として捉えられていたとみるのが適切である」(北川=潮見334335頁)。)。「直接損害・間接損害」というフランス民法流の損害区分の概念がここで消えたわけです。

旧民法財産編385条に代わる我が民法「416条は,イギリス法の先例であるハドレー事件に大きく依拠して作られた面がある。1項の通常損害と2項の特別損害の区別は,ヨーロッパ大陸法においては一般的には認められていないものであり,すぐれてイギリス法的な区分であるといえる。」とされていますから(北川=潮見341頁),我が通常損害はハドリー対バクセンデール事件判決以来の英米法的「直接損害(direct damages)」に由来するものであるとしても,ヨーロッパ大陸法の雄たるフランス民法1231条の4的な「直接損害(une suite immédiate et direct)」とは異なることになるのでしょう。すなわち,英米法の「直接損害」とフランス法の「直接損害」とは異なるものとなることになるようです(前者は我が通常損害と親和的であるが,後者はそうではない。)。

 

7 予見可能性の意味をめぐって

 

(1)民法416

ところで,我が民法416条における「予見することができた(予見可能)」(les parties ont…pu prévoir(富井=本野訳))については,「予見可能とは,事実可能ということでなく,予見すべきであるという規範的な意味である」とされています(星野74頁)。しかし,これに対して前田達明教授は,「ハドレー事件,ドイツ法,フランス法は,どれも『事実としての予見可能性』を述べているし,ボアソナード草案405条2項を受けた旧民法財産編385条2項も,それを受けた416条2項も,『事実としての予見可能性』を規定したものとみるのが素直である」と,予見可能性の規範的把握(これでは「極端な言い方をするならば,信義則(1条2項)でもって損害賠償の範囲が定まるというのと同じことになってしまう」)に反対しています(北川=潮見415416頁)。

この論点に関しては,平成29年法律第44号による改正後の民法416条2項は「特別の事情によって生じた損害であっても,当事者がその事情を予見すべきであったときは,債権者は,その賠償を請求することができる。」となりますから(下線は筆者),我が国では規範的把握論者に軍配が上がったようです。(追記:筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)によれば,従来から「裁判実務においては,当事者が特別の事情を実際に予見していたといった事実の有無によるのではなく,当事者がその事情を予見すべきであったといえるか否かという規範的な評価により,特別の事情によって生じた損害が賠償の範囲に含まれるかが判断されていた。」とされています(77頁)。ただし,「例えば,不動産の売主が引渡債務を履行しなかったが,買主は既にその不動産について高額の違約金の定めがある転売契約を結んでいたという事案において,契約の締結後に買主が売主に対してその違約金の定めという特別の事情の存在を告げた場合に,当事者がその事情を予見していたとして,違約金に係る損害が全て賠償の範囲に含まれるとするのは相当でない。この場合に,規範的な評価により判断されると,賠償の範囲は,飽くまでも当事者が予見すべきであったと客観的に評価される事情によって生じた損害に限定される。」という解釈を「条文上も明確化するため」に平成29年法律第44号による改正がされるということは(筒井=村松77頁),従来の裁判実務の追認を超えて,大審院大正7年8月27日判決の判例(不履行時説)を覆して予見又は予見可能性の有無の判断時期を契約締結時に戻すということにもなるのでしょうか。)

 

(2)ハドリー事件判決

しかしながら,予見可能性が規範的に把握されるということは,我が民法416条がハドリー対バクセンデール事件判決の準則からより遠ざかるということにもなりそうです。

実は,ハドリー対バクセンデール事件判決の準則における予見可能性(foreseeability)は,「伝統的」に,「当該損害が予見され得たこと,及びそれ〔当該損害〕が発生する見込み(prospect)が限界的なものを超えており(more than marginal)又は取るに足らないものではない(not insignificant)ことのみではなく,事前的に見て(viewed ex ante),当該損害が結果することが蓋然的probable)又は高度に蓋然的(highly probable)であったことまでをも要求するもの」とされていたのでした(Eisenberg p.567)。「比較的素直に(in a relatively straightforward way)適用された場合であっても,ハドリー対バクセンデール原則は,逸失利益(lost profit)を典型的に排除し(typically cuts off),本来的に損害賠償を制限するものである。」ということになります(Eisenberg p.569)。逸失利益は,special or consequential damagesの典型とされていたのですが(Eisenberg p.565)。

なお,Koufos v. C. Czarnikow Ltd., [1969] 1 App. Cas. 350 [The Heron II] (1967)事件判決においてライド卿は,ハドリー対バクセンデール事件判決におけるオールダソン裁判官の思考を次のように解説します(Eisenberg p.579)。

 

〔彼は,〕明らかに,遅滞が製粉所の操業再開を妨げるだろうということが合理的に予見可能(reasonably foreseeable)ではなかった,ということを言おうとはしていなかったし,言おうとすることはできなかった。彼は単に,非常に多くの(in the great multitude)――これは,私は大多数(the great majority)という意味にとるが――場合には,それは起こらないものである(this would not happen)と述べただけである。彼は,予見できる結果と予見できない結果とをではなく,大多数の場合に生ずるものであるのでありそうな(likely)結果と,極少数の場合(in a small minority of cases)にのみ起るものであるのでありそうにない(unlikely)結果とを区別していたのである。・・・彼は,明らかに,大多数の場合において起る結果は,両当事者の予期の中(in the contemplation of the parties)にあったものと公正かつ合理的に認められるべき(should fairly and reasonably be regarded)であるが,相当な可能性として(as a substantial possibility)予見することはできるが極少数の場合にしか起こらない結果は,彼らの予期の中にあったものと認められるべきではないということを言おうとしていたのである。・・・

  

 ハドリー対バクセンデール事件判決について「今日では,この判例は,Koufos v. C. Czarnikow Ltd., [1969] 1 A.C. 350 [The Heron II]・・・に照らして,理解されなければならない。」とされていますが(田中英夫『英米法総論下』(東京大学出版会・1980年)539頁),なかなか難しい。The Heron II判決は,後にH. Parsons (Livestock) Ltd. v. Uttley Ingham & Co., [1978] 1 Q.B. 791 (Eng. C.A. 1977)において,デニング卿によって次のようにまとめられています(Eisenberg p.580)。

 

  契約違反の場合においては,裁判所は,当該結果が,合理的な人間(a reasonable man)が契約締結の際非常に大きな程度の蓋然性があるものとして(as being of a very substantial degree of probability予期するcontemplate)ようなものであったかどうかを検討しなければならない・・・

  不法行為の場合においては,裁判所は,当該結果が,合理的な人間が不法行為の際上記より相当低い程度の蓋然性があるものとして(as being of a much lower degree of probability予見するforesee)ようなものであったかどうかを検討しなければならない・・・

 

 ちょっとした可能性(possibility)ではだめで,高度の蓋然性(probability)がなければ債務不履行に基づく損害賠償の範囲内に入る前に足切りをされてしまうということでしょうか。契約締結時における予見(foresee)ないしは予期(contemplate)に係る損害の可能性ないしは蓋然性の程度が問題とされているのですね。これに対して我が民法416条では,損害の原因となった事情に係る債務不履行時における予見(prévoir)の有る無しないしは予見の可能性(pouvoir)の有る無しが問題になっているということのようです。

 

8 小括

 要するに,「直接損害」は英文契約書由来の概念であるとの前提で考えれば沿革的には我が民法416条の通常損害に対応するが,必ずしも一致はしない,そこで英米法的なものとして直接理解しようとしてみれば英米法の大変な勉強が必要になってしまってとてもじゃないがやってられない,さりとて日本法においては適当な対応概念が他に見当たらない(フランス法的な直接損害・間接損害の区別は現行民法起草時に放棄されている。),ということでしょう。概念が曖昧な語は,使用しない方が無難だと思うのですが,どうでしょうか。

 

9 ドイツ民法

 最後は附録です。「比較的広く,建前としては全損害を賠償すべしとするもの(「完全賠償の原則」などと呼ばれる。ドイツ)」と紹介されているライン川の向こうのドイツ民法における我が民法416条に係る対応条項を見ておきましょう。(なお,以下の条項は,「ドイツ民法典は,債務法総則の一部として債務不履行であると不法行為であるとを問わず,損害賠償一般に関する通則的規定(249‐255条)を有しており」といわれる(平井23頁)「通則的規定」に当たります。)ただし,翻訳は覚束ないところです。

 

  (損害賠償の(des Schadensersatzes)性質(Art)及び範囲)

 第249条 損害賠償の義務を負う者は,賠償を義務付けることとなった事情(Umstand)が生じなかった場合において存在したであろう状態を回復しなければならない。

 2 人身の傷害又は物の損壊による損害賠償をすべきときは,債権者は,原状回復(Herstellung)に代えてそれに必要な費用の額を請求することができる。物の損壊の場合には,現実に課されたときであって,かつ,その範囲内においてのみ,消費税(Umsatzsteuer)が,前文の必要な金額に含まれる。

  (期間設定後の金銭による損害賠償)

 第250条 債権者は,賠償義務者に対して,当該期間経過後に原状回復を拒絶するために,原状回復のための相当の(angemessene)期間を意思表示により定めることができる。原状回復が適時(rechtzeitig)にされない場合には,当該期間の経過後,債権者は金銭による賠償を請求することができ,原状回復請求権は消滅する(ist ausgeschlossen)。

  (期間設定を要しない金銭による損害賠償) 

251条 原状回復が不可能であるとき,又は債権者の補償(Entschädigung)のために不十分であるときは,賠償義務者は,債権者に対して,金銭で補償しなければならない。

2 原状回復が過大な費用によって(mit unverhältnismäßigen Aufwendungen)のみ可能である場合には,賠償義務者は,債権者を金銭で補償することができる。傷害を負った動物の治療行為(Heilbehandlung)によって生ずる費用は,その価額を著しく超えるだけでは過大ではない(sind nicht bereits dann unverhältnismäßig, wenn sie dessen Wert erheblich übersteigen)。

  (逸失利益)

 第252条 賠償されるべき損害には,逸失利益が含まれる。逸失された利益とは,物事の通常の成り行きに基づき(nach dem gewöhnlichen Lauf der Dinge),又は特別の事情(den besonderen Umständen),特に,執られた手配及び備えに基づき(nach den getroffenen Anstalten und Vorkehrungen),蓋然性(Wahrscheinlichkeit)をもって期待されることができた(erwartet werden konnte)利益である。

  (非物的損害(Immaterieller Schaden))

 第253条 財産上の損害(Vermögensschaden)ではない損害については,法律によって定められた場合にのみ金銭による補償を請求することができる。

 2 身体,健康,自由又は性的自己決定の(der sexuellen Selbstbestimmung)傷害又は侵害によって(wegen einer Verletzung)損害賠償がされるべきときは,財産上の損害ではない損害についても金銭による相当な補償(eine billige Entschädigung)を請求することができる。

  (双方の過失)

254条 損害の発生について被害者の過失(Verschulden des Beschädigten)があったときは(Hat…mitgewirkt),賠償(Ersatz)の義務又はなされるべき賠償の範囲は,どの程度まで損害が一方又は他方当事者によって主に(vorwiegend)生じさせられたかに係る事実を主要なもの(insbesondere)とするところの事情により定まる(hängt von den Umständen)。

2 被害者の過失が,債務者が知ることができず,若しくは知るべきもの(kennen musste)でもなかった特に高額な損害に係る危険(die Gefahr eines ungewöhnlich hohen Schadens)に債務者の注意を喚起しなかったこと,又は損害の回避若しくは減少について懈怠があったこと(dass er unterlassen hat, den Schaden abzuwenden oder zu mindern)に限り存在する場合(darauf beschränkt)においても,前項と同様である。第278条の規定〔履行補助者等の過失に係る債務者の責任〕が,準用される。

 (損害賠償請求権の譲渡)

 第255条 物又は権利の毀損(Verlust)に対して損害賠償(Schadensersatz)を行うべき者は,当該物の所有権又は当該権利の対第三者効に基づき賠償権利者に(dem Ersatzberechtigten)属する請求権の譲渡と引換えにのみ当該賠償の義務を負う。 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

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