2017年05月

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 Imperial Palace, Tokyo

According to an article of The Economist (“Banyan/ The shrinking monarchy”, May 27, 2017), “the cabinet of Shinzo Abe, the prime minister, approved a bill last week
[May 19, 2017] to allow for the emperor’s abdication” and “the Diet is likely to pass an abdication law next month [June 2017]”.

Under the new law His Imperial Majesty Emperor Akihito is thought to abdicate in late 2018 with dignity (though He “is said to have been offended when conservative scholars last year [in 2016] said he should just stick to praying and carrying out Shinto rituals” in the pre-drafting hearings for the “abdication” law), unlike the hapless infantile Emperor Chûkyô, who was deposed ignominiously by rampant savage samurai subjects nearly eight hundred years ago. (On the other hand, though the recalcitrant barons had gone so far as to force King John to sign the Magna Carta in 1215, the English subjects were lenient enough to let him remain king. In the 13th century, at least, the Japanese may have been more republican than the English. Later, in 1688/89 even the Convention Parliament of England dared not depose King James II, but found instead the Throne already vacated.(...whereas the said late King James the Second haveing Abdicated the Government and the Throne thereby Vacant...))

Unlike in Japan, where “Mr. Abe, an arch-conservative himself on matters of the imperial family”, is now the Prime Minister, in this age of republicanism monarchies elsewhere may be being threatened by silent revolutions proceeding slowly with such innocent-looking legislations as shown below.  

 

Special Act to the Royal House Law for the King’s Retirement, etc.

 

Article 1

Considering that having performed sincerely as the Symbol of the State and of the unity of the people such official activities as visits to various parts of the country and consolation of those affected by disasters as well as the acts provided for in the Constitution in matters of state for the very long period of nearly thirty years since His Ascension to the Royal Throne on the first day of His Reign and attained more than eighty years of high age, His Majesty King is now deeply concerned that it should become difficult for Him to continue to perform such activities by Himself as King;

Considering on the other hand that the Good People of this country are adoring deeply His Majesty King, who has sincerely performed such activities mentioned above into such high age, understanding such feelings of His Majesty King as mentioned above, and sympathizing with such feelings;

And considering that the His Highness Crown Prince, the Royal Heir, has attained nearly sixty years of age and has been performing diligently such official activities as the acts provided for in the Constitution in matters of state as Delegate of His Majesty King for long time by now;

We [, the representatives of the Good People of this country in the National Convention assembled,] do now ordain and establish this Act [without the Sanction by His Majesty King Himself] to provide for the realization of His Majesty King’s retirement from the Throne and of the Enthronement of the Royal Heir, as an exception of the existing provisions of the Royal House Law, and for supplementary arrangements, including those concerning His Majesty King’s status after the retirement.

 

Article 2

When the first day of the enforcement of this Act has passed, the King shall be made [by this Act] to have retired from the Throne [with no particular Royal Will to have been expressed] and the Royal Heir shall be made to have ascended to the Throne immediately.

 

……………….

 

Supplementary Article 1

This Act shall come into force within three years from the day of its promulgation, with the date of enforcement to be determined by a Cabinet Order [, the enactment of which does not require any Sanction by His Majesty King]. (…)

When the Cabinet Order of the precedent paragraph is to be enacted, the Prime Minister must consult beforehand opinions of the Royal House Council [, of which His Majesty King is not a member].

 

……………….

 

Is the above-provided king’s retirement a case of abdication or deposition (dethronement)?

Though said to be concerned with his very old age and accompanying fragility, the king does not seem to have expressed explicitly his will to abdicate. His ministers and the representatives of the people, on their part, do not seem to consider the will of the king essential. Isn’t an abdication to be based on the clearly-expressed will of the monarch to do so? When the will of the people makes the royal throne vacant through the form of democratic legislation, with the very will of the monarch playing no formal role, shouldn't it be called a dethronement?

If it is a case of abdication, the above law can be called monarchist. (Being a human being himself, a monarch should be allowed to abdicate when circumstances require.) If deposition (dethronement), it is rashly and rudely republican.

A rudimentary non-native user of English, however, I cannot decide by myself by which term the above-shown royal retirement act should be titled: an “abdication” law or a “deposition” law.


Le Roi est déposé,

Vive le Roi!

Vive la République! 


 

Masatoshi Saitoh, attorney at law

Taishi-Wakaba Law Office

2nd floor, Shibuya 3-chome Square Building,

5-16, Shibuya 3-chome, Shibuya-ku, Tokyo. 150-0002

e-mail: saitoh@taishi-wakaba.jp


2頭の一角獣
  Duo unicornui bene dicunt novae publicae REI VAlde! (Meijijingu-gaien, Tokyo) 


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1 内田貴『民法Ⅳ』と浅田次郎「ラブ・レター」

 東京大学出版会の『民法Ⅰ~Ⅳ』教科書シリーズで有名な内田貴教授は,現在弁護士をされているそうです。

 専ら民事法関係の仕事をされるわけでしょうか(最高裁判所平成28年7月8日判決・判時232253頁の被上告人訴訟代理人など)。しかし,刑事弁護でも御活躍いただきたいところです。

 

 内田貴教授の『民法Ⅳ 親族・相続』(2002年)6364頁に「白蘭の婚姻意思」というコラムがあります。

 

  外国人の日本での不法就労を可能とするための仮装結婚が,ときにニュースになる。そのような行為も目的を達すれば有効だなどと言ってよいのだろうか。ベストセラーとなった浅田次郎の『鉄道員(〔ぽっぽや〕)』(集英社,1997年)に収録されている「ラブ〔・〕レター」という小説が,まさにそのような婚姻を描いている。中国人女性(ぱい)(らん)新宿歌舞伎町の裏ビデオ屋の雇われ店長である吾郎との婚姻届を出し,房総半島の先端付近にある千倉という町で不純な稼ぎをしていたが,やがて病死する。死を前にした白蘭は,会ったこともない夫の吾郎に宛てて感謝の手紙を書いた。遺体を荼毘に付すため千倉に赴いた吾郎はこの手紙を読む。

  さて,白蘭の手紙がいかに読者の涙を誘ったとしても,見たこともない男との婚姻など無効とすべきではないだろうか。

  〔中略〕小説とは逆に,白蘭ではなく吾郎が病死し,法律上の妻である白蘭と吾郎の親〔ママ。小説中の吾郎の夢によれば,吾郎の両親は既に亡くなり,オホーツク海沿いの湖のほとりにある漁村に兄が一人いることになっていました。〕との間で相続争いが生じたとしたらどうだろうか。伝統的な民法学説は,吾郎と白蘭の婚姻は無効だから,白蘭に相続権はないと言うだろう。しかし,たとえ不法就労を助けるという目的であれ,法律上の婚姻をすれば戸籍上の配偶者に相続権が生ずることは当事者にはわかっていたことである。それを覚悟して婚姻届を出し,当事者間では目的を達した以上,評価規範としては婚姻を有効として相続権をめぐる紛争を処理すべきだというのが本書の立場である。つまり,評価規範としては,見たこともない相手との婚姻も有効となりうる。法制度としての婚姻を当事者が利用した以上,第三者が口を挟むべきではない,という考え方であるが,読者はどのように考えられるだろうか。

 

「裏ビデオ屋」であって「裏DVD屋」でないところが前世紀風ですね。(ちなみに,刑事弁護の仕事をしていると,裏DVDに関係した事件があったりします。証拠が多くて閉口します。)

「目的の達成」とか「評価規範」といった言葉が出てきます。これは,婚姻の成立要件である婚姻意思(民法742条1号は「人違いその他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき」は婚姻は無効であると規定しています。)に係る内田教授の次の定式と関係します。

 

 「婚姻意思とは,法的婚姻に伴う法的効果を全面的に享受するという意思である。しかし,〔事後的な〕評価規範のレベルでは,たとえ一部の効果のみを目的とした婚姻届がなされた場合でも,結果的に婚姻の法的効果を全面的に生ぜしめて当事者間に問題を生じない場合には,有効な婚姻と認めて差し支えない」(内田63頁)

 

法的婚姻には数多くの法的効果(同居協力扶助義務(民法752条),貞操義務(同法770条1項1号),婚姻費用分担義務(同法760条),夫婦間で帰属不明の財産の共有推定(同法762条2項),日常家事債務連帯責任(同法761条),夫婦間契約取消権(同法754条),相続(同法890条),妻の懐胎した子の夫の子としての推定(同法772条),準正(同法789条),親族(姻族)関係の発生(同法725条),成年擬制(同法753条),夫婦の一方を死亡させた不法行為による他方配偶者の慰謝料請求権(同法711条),離婚の際の財産分与(同法768条)等)が伴いますが,これらの効果は一括して相伴うmenuであって,自分たちに都合のよい一部の効果のみを目的としてà la carte式に摘み食いするわけにはいきません。

吾郎と白蘭としては,白蘭が日本人の配偶者としての地位を得て,出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号。以下「入管法」といいます。)別表第2の上欄の日本人の配偶者等としての在留資格に在留資格を変更(入管法20条)することができるようになる効果のみを目的として婚姻届をした(民法739条1項)ということでしょう。
 (なお,婚姻の成立は吾郎については日本民法,白蘭については中華人民共和国民法により(法の適用に関する通則法(平成
18年法律第78号。以下「法適用法」といいます。)24条1項(旧法例(明治31年法律第10号)13条1項)。白蘭には,中華人民共和国の駐日代表機関が発給した証明書の添付が求められることになります(谷口知平『戸籍法』(有斐閣・1957年)107頁参照)。),婚姻の方式は日本民法及び戸籍法により(法適用法24条2項・3項(旧法例13条2項・3項)),婚姻の効力は日本民法による(法適用法25条(旧法例14条))こととなったもののようです。ちなみに,中華人民共和国婚姻法5条は,婚姻は男女双方の完全な自由意思によらなければならない旨規定しています。)

入管法の「「別表第2の上欄の在留資格をもつて在留する者」すなわち地位等類型資格をもって在留する外国人は,在留活動の範囲について〔入管法上〕何ら制限がないので,本法においてあらゆる活動に従事することができ」ます(坂中英徳=齋藤利男『出入国管理及び難民認定法逐条解説(改訂第四版)』(日本加除出版・2012年)366頁)。ただし,日本人の配偶者等の在留期間は,入管法2条の2第3項の法務省令である出入国管理及び難民認定法施行規則(昭和56年法務省令第54号。以下「入管法施行規則」といいます。)3条及び別表第2によれば,5年,3年,1年又は6月となります。入管法20条2項の法務省令である入管法施行規則20条2項及び別表第3によれば,白蘭は,日本人の配偶者等に在留資格を変更する申請をするに当たって,資料として「当該日本人〔吾郎〕との婚姻を証する文書及び住民票の写し」,「当該外国人〔白蘭〕又はその配偶者〔吾郎〕の職業及び収入に関する証明書」及び「本邦に居住する当該日本人〔吾郎〕の身元保証書」の提出を求められたようです。また,在留期間の更新(入管法21条)の都度「当該日本人〔吾郎〕の戸籍謄本及び住民票の写し」,「当該外国人〔白蘭〕,その配偶者〔吾郎〕・・・の職業及び収入に関する証明書」及び「本邦に居住する当該日本人〔吾郎〕の身元保証書」を提出していたことになります(入管法21条2項,入管法施行規則21条2項・別表第3の5)

(なお,入管法20条3項及び21条3項は「法務大臣は,当該外国人が提出した文書により・・・適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」と規定していますが,文書審査以外をしてはいけないわけではなく,同法20条3項につき「法務大臣は原則として書面審査により在留資格の変更の許否を決定するという趣旨である。しかし,法務大臣が適正な判断を行うために必要と認める場合には入国審査官をして外国人その他の関係人に対し出頭を求め,質問をし,又は文書の提出を求める等の事実の調査(第59条の2)をさせることができるほか,審査の実務においては,任意の方法により外国人の活動実態等を実地に見聞することが行われている。」と説明されています(坂中=齋藤454455頁)。)

内田教授は,「「婚姻には婚姻意思がなければならない(婚姻意思のない婚姻は無効である)」という法的ルールが〔事前の〕行為規範として働く場面では,〔略〕やはりその法的効果を全面的に享受するという意思をもって届出をなすべきであり,単なる便法としての婚姻〔略〕は望ましくないという議論は,十分説得的である。」としつつ,「しかし,ひとたび便法としての婚姻届〔略〕が受理されてしまった場合,この行為をどのように評価するかという局面では別の考慮が働く。たとえ婚姻の法的効果を全面的に享受する意思がなかった場合であっても,当事者が便法による目的をすでに達しており,婚姻の法的効果を全面的に発生させても当事者間にはもはや不都合は生じないという場合には(たとえば,当事者間には紛争がなく,もっぱら第三者との関係で紛争が生じている場合など),〔事後の〕評価規範を〔事前の〕行為規範から分離させて,実質的婚姻意思(全面的享受意思)がなくても婚姻は有効であるという扱いを認める余地がある。〔略〕最判昭和381128日〔略〕は,便法としての離婚がその目的を達した事案であるが,まさにこのような観点から正当化できるのである。」と説いています(内田62頁)。「最判昭和381128日」は,「旧法下の事件であるが,妻を戸主とする婚姻関係にある夫婦が,夫に戸主の地位を与えるための方便として,事実上の婚姻関係を維持しつつ協議離婚の届出を行ない,その後夫を戸主とする婚姻届を改めて出したという事案」であって,「訴訟は,妻の死後,戸籍上いったん離婚したことになっているために戦死した長男の遺族扶助料を受けられなくなった夫が,離婚の届出の無効を主張してものであるが,最高裁は便法としての離婚を有効とした」ものです(内田58頁)。

「〔以上の内田説が採用されたならば〕便法として婚姻届を出すことが増えるのではないかという心配があろう。しかし,〔当事者間で〕もめごとが生ずればいつ無効とされるかもしれないというリスクはあるのであって,それを覚悟して行なうなら,あえて問題とするまでもないだろう。なぜなら,便法としての婚姻届そのものは,道徳的に悪というわけではないからである。」というのが内田貴弁護士の価値判断です(内田63頁)。

 

2 吾郎と白蘭の犯罪

しかしながら,吾郎と白蘭とが婚姻届を出した行為は,「道徳的に悪というわけではない」日中友好のほのぼのとした話であるどころか,犯罪行為なのです。

 

 (公正証書原本不実記載等)

刑法157条 公務員に対し虚偽の申立てをして,登記簿,戸籍簿その他の権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ,又は権利若しくは義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に不実の記録をさせた者は,5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

2 〔略〕

3 前2項の罪の未遂は,罰する。

 

 吾郎と白蘭との婚姻の方式は日本民法及び戸籍法によったものと解されるわけですが,「日本人と外国人との婚姻の届出があつたときは,その日本人について新戸籍を編成する。ただし,その者が戸籍の筆頭に記載した者であるときは,この限りでない。」と規定されています(戸籍法16条3項)。「日本人と外国人が婚姻した場合,婚姻の方式について日本法が準拠法になれば必ず婚姻届が出され,その外国人は日本戸籍に登載されないとしても,この婚姻は日本人配偶者の身分事項欄にその旨の記載がなされるので,婚姻関係の存在だけは戸籍簿上に表示される」ところです(澤木敬郎・道垣内正人『国際私法入門(第4版補訂版)』(有斐閣・1998年)136137頁)。「国籍の変更はないから日本人たる夫或は妻の戸籍に何国人某と婚姻の旨記載する。氏や戸籍の変更はない(夫婦の称する氏欄の記載の要がない)」ところ(谷口107頁),日本国民の高野吾郎と中華人民共和国民の康白蘭とが婚姻したからといって両者の氏が同一になるわけではありません(民法750条どおりというわけにはいきません。ただし,戸籍法107条2項により吾郎は婚姻から6箇月以内の届出で氏を康に変えることができたところでした。)。「外国人にも戸籍法の適用があり出生,死亡などの報告的届出義務を課せられ(日本在住の外国人間の子及び日本在住米国人と日本人間の子につき出生届出義務を認める,昭和24年3月23日民甲3961号民事局長回答),創設的届出も日本において為される身分行為についてはその方式につき日本法の適用がある結果,届出が認められる。但し外国人の戸籍簿はないから,届書はそのまま綴り置き戸籍に記載しない。ただ身分行為の当事者一方が日本人であるときは,その者の戸籍にのみ記載することとなる。」というわけです(谷口5455頁)。

吾郎の戸籍の身分事項欄に当該公務員によって記載又は記録(戸籍法119条1項)された白蘭との婚姻の事実が虚偽の申立てによる不実のものであれば,刑法157条1項の罪が,婚姻届をした吾郎及び白蘭について成立するようです。第一東京弁護士会刑事弁護委員会編『量刑調査報告集Ⅳ』(第一東京弁護士会・2015年)144145頁には「公正証書原本不実記載等」として2008年7月から2013年2月までを判決日とする19件の事案が報告されていますが,そのうち18件が吾郎・白蘭カップル同様の日本人と外国人との「偽装婚姻」事案となっています。大体執行猶予付きの判決となっていますが,さすがに同種前科3犯の被告人(日本人の「夫」)は実刑判決となっています。外国人の国籍は,ベトナム,中華人民共和国,大韓民国,フィリピン及びロシアとなっていて,その性別は女性ばかりではなく男性もあります。

 内田弁護士の前記理論は,見事に無視されている形です。

 実務は次の最高裁判所の判例(昭和441031日第二小法廷判決民集23101894頁)に従って動いているのでしょう。

 

 〔民法742条の〕「当事者間に婚姻をする意思がないとき」とは,当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指すものと解すべきであり,したがってたとえ婚姻の届出自体について当事者間に意思の合致があり,ひいて当事者間に,一応,所論法律上の夫婦という身分関係を設定する意思はあったと認めうる場合であっても,それが単に他の目的を達するための便法として仮託されたものにすぎないものであって,前述のように真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかった場合には,婚姻はその効力を生じないものと解すべきである。

  これを本件についてみるに,〔中略〕本件婚姻の届出に当たり,XYとの間には, B女に右両名間の嫡出子としての地位を〔民法789条により〕得させるための便法として婚姻の届出についての意思の合致はあったが,Xには,Y女との間に真に前述のような夫婦関係の設定を欲する効果意思はなかったというのであるから,右婚姻はその効力を生じないとした原審の判断は正当である。所論引用の判例〔便法的離婚を有効とした前記最判昭和381128日〕は,事案を異にし,本件に適切でない。

 

 内田弁護士の主張としては,最判昭和441031日の事案では「一方当事者が裏切った」ことによって「便法が失敗」したから「全面的に婚姻〔略〕の法的効果を生ぜしめることは,明らかに当事者の当初の意図に反する。そこで,原則通り行為規範をそのまま評価規範として用いて,結果的に意思を欠くから無効という判断」になったのだ(内田63頁),しかし,最判昭和381128日の事案では問題の便法的離婚について「当該身分行為の効果をめぐって当事者間に紛争が生じた場合」ではなかったのだ(夫婦間で紛争のないまま妻は既に死亡),最判昭和441031日で最高裁判所の言う「事案を異にし」とはそういう意味なのだ,だから,吾郎・白蘭間の「偽装婚姻」被告事件についても当事者である吾郎と白蘭との間で紛争がなかった以上両者の婚姻は有効ということでよいのだ,公正証書原本不実記載等の罪は成立しないのだ,検察官は所詮第三者にすぎないのだからそもそも余計な起訴などすべきではなかったのだ,ということになるのでしょうか。

 (なお,筆者の手元のDallozCODE CIVIL (ÉDITION 2011)でフランス民法146条(Il n’y a pas de mariage lorsqu’il n’y a point de consentement.(合意がなければ,婚姻は存在しない。))の解説部分を見ると,19631120日にフランス破毀院第1民事部は,「夫婦関係とは異質な結果を得る目的のみをもって(ne…qu’en vue d’atteindre un résultat étranger à l’union matrimoniale)両当事者が挙式に出頭した場合には合意の欠缺をもって婚姻は無効であるとしても,これに反して,両配偶者が婚姻の法的効果を制限することができると信じ,かつ,特に両者の子に嫡出子としての地位(la situation d’enfant légitime)を与える目的のみのために合意を表明した場合には,婚姻は有効である。」と判示したようです。)
 (入管法74条の8第1項は「退去強制を免れさせる目的で,第24条第1号又は第2号に該当する外国人を蔵匿し,又は隠避させた者は,3年以下の懲役又は300万円以下の罰金に処する。」と規定していますが(同条2項は営利目的の場合刑を加重,同条3項は未遂処罰規定),入管法24条1号に該当する外国人とは同法3条の規定に違反して本邦に入った者(不法入国者(我が国の領海・領空に入った段階から(坂中=齋藤525頁))),同法24条2号に該当する外国人は入国審査官から上陸の許可等を受けないで本邦に上陸した者(不法上陸者)であって,白蘭は合法的に我が国に入国・上陸しているでしょうから,白蘭との「偽装婚姻」が入管法74条の8に触れるということにはならないでしょう。むしろ,平成28年法律第88号で整備され,2017年1月1日から施行されている入管法70条1項2号の2の罪(偽りその他不正の手段により在留資格の変更又は在留資格の更新の許可を受けた者等は3年以下の懲役若しくは禁錮若しくは300万円以下の罰金又はその懲役若しくは禁錮及び罰金を併科)及び同法74条の6の罪(営利の目的で同法70条1項2号の2に規定する行為の実行を容易にした者は3年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金又はこれを併科)が「偽装婚姻」に関係します。「偽りその他不正の手段」は,入管法22条の4第1項1号について「申請人が故意をもって行う偽変造文書,虚偽文書の提出若しくは提示又は虚偽の申立て等の不正行為をいう。」と説明されています(坂中=齋藤489頁)。「営利の目的で」は,入管法74条2項について「犯人が自ら財産上の利益を得,又は第三者に得させることを目的としてという意味」であるとされています(坂中=齋藤1016頁)。入管法74条の6の「実行を容易にした」行為については,「「営利の目的」が要件になっているが,行為態様の面からは何ら限定されていないから,「〔略〕実行を容易にした」といえる行為であれば本罪が成立する。」とされています(坂中=齋藤1027頁)。)


3 婚姻事件に係る検察官の民事的介入

 しかし,検察官は婚姻の有効・無効について全くの第三者でしょうか。

 

(1)検察官による婚姻の取消しの訴え

 

ア 日本

民法744条1項は「第731条から第736条までの規定に違反した婚姻〔婚姻適齢未満者の婚姻,重婚,再婚禁止期間違反の婚姻,近親婚,直系姻族間の婚姻又は養親子等の間の婚姻〕は,各当事者,その親族又は検察官から,その取消しを家庭裁判所に請求することができる。ただし,検察官は,当事者の一方が死亡した後は,これを請求することができない。」と規定しているところです。検察庁法(昭和22年法律第61号)4条に規定する検察官の職務に係る「公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務」に当たるものです。「前記のような要件違反の婚姻が存続することは,社会秩序に反するのみならず,国家的・公益的立場からみても不当であって放置すべきでないため,たとえ各当事者やその親族などが取消権を行使しなくても,公益の代表者たる検察官をして,その存続を解消させるべきだという理由によるものと思われる。」とされています(岡垣学『人事訴訟の研究』(第一法規・1980年)61頁)。

 

イ フランス

 母法国であるフランスの民法では,「婚姻取消の概念はなく,合意につき強迫などの瑕疵があって自由な同意がない場合(同法180条),同意権者の同意を得なかった場合(同法182条)には,その婚姻は相対的無効であり(理論上わが民法の婚姻取消に相当),特定の利害関係人が一定の期間内に無効の訴を提起することができるが,検察官が原告となることはない〔ただし,その後の改正により,第180条の自由な同意の無い場合は検察官も原告になり得ることになりました。〕。これに対して,不適齢婚,〔合意の不可欠性,出頭の必要性,〕重婚,近親婚に関する規定(同法144条・〔146条・146条の1・〕147条・161条‐163条)に違反して締結された公の秩序に関する実質的要件を欠く婚姻は絶対無効とし,これを配偶者自身,利害関係人のほか,検察官も公益の代表者として主当事者(Partieprincipale(sic))となり,これを攻撃するため婚姻無効の訴を提起することができるのみならず,その義務を負うものとしている(同法184条・190条)」そうです(岡垣6162頁)。フランス民法190条は「Le procureur de la République, dans tous les cas auxquels s’applique l’article 184, peut et doit demander la nullité du mariage, du vivant des deux époux, et les faire condamner à se séparer.(検察官は,第184条が適用される全ての事案において,両配偶者の生存中は,婚姻の無効を請求し,及び別居させることができ,かつ,そうしなければならない。)」と規定しています。

 フランスにおける婚姻事件への検察官による介入制度の淵源は,人事訴訟法(平成15年法律第109号)23条の検察官の一般的関与規定(「人事訴訟においては,裁判所又は受命裁判官若しくは受託裁判官は,必要があると認めるときは,検察官を期日に立ち会わせて事件につき意見を述べさせることができる。/検察官は,前項の規定により期日に立ち会う場合には,事実を主張し,又は証拠の申出をすることができる。」)に関して,次のように紹介されています。

 

 〔前略〕フランス法が婚姻事件につき検察官の一般的関与を認めた淵源を遡ると,近世教会法における防禦者(matrimonü)関与の制度にいたる。もともとローマ法には身分関係争訟に関する特別手続がなく,民事訴訟の原則がそのまま適用されており,右の特別手続を定めたのは教会法である。すなわち,近世ヨーロッパでは婚姻事件は教会(教会裁判所)の管轄に属しており,174111月3日の法令をもって,婚姻無効事件には防禦者が共助のために関与すべきものとし,これに婚姻を維持するための事情を探求し,また証拠資料を提出する職責を与えたため,防禦者は事件に関する一切の取調に立ち合うことを必要とした。――今日のバチカン教会婚姻法が,婚姻無効訴訟を審理する教会裁判所は,3名の裁判官,1名の公証人のほかに,被告の弁護人で婚姻の有効を主張して争うことを職務とする婚姻保護官(defensor vinculi)からなるとしているのは(同法1966条以下),この流れを引くものとみられる。――その後婚姻事件に関する管轄が教会から通常裁判所に移るとともに,フランスでは防禦者に代って公益の代表者たる検察官が訴訟に関与するものとされたのである。(岡垣116頁)

 

  フランスでは,人事訴訟のみならず民事事件全般につき,検察官の一般的関与の権限を認める1810年4月20日の法律(Sur l’organization(sic) de l’odre(sic) judiciaire et l’administration de la justice46条が現在でも有効である。検察官は当事者でない訴訟においても,法廷で裁判官に意見を述べるため,従たる当事者(partie jointe)として関与するのである。この関与は原則として任意的であって,検察官はとくに必要であると認めるときでなければ関与しない。しかし,破毀院の事件,人の身分および後見に関する事件その他検察官に対し事件の通知――記録の事前回付――をすべきものと法定されている事件ならびに裁判所が職権をもって検察官に対し通知すべきことを命じた事件(フランス民訴法83条)については,検察官の関与が必要的であって,意見の陳述をなすべきものとされている。(岡垣118頁)

 

  1810年4月20日の司法部門組織及び司法行政に関する法律46条は,次のとおり(どういうわけか,ルクセンブルク大公国の官報局のウェッブ・サイトにありました。)。

 

 46.

  En matière civile, le ministère public agit d’office dans les cas spécifiés par la loi.

  Il surveille l’exécution des lois, des arrêts et des jugements; il poursuit d’office cette exécution dans les dispositions qui intéressent l’ordre public.

(民事については,検察官(le ministère public)は,法律で定められた事件において職責として(d’office)訴訟の当事者となる(agit)。

 検察官は,法律並びに上級審及び下級審の裁判の執行を監督し,公の秩序にかかわる事項における当該執行は,職責として訴求する。)

 

 この辺,現在のフランス民事訴訟法は次のように規定しています。

 

Article 421

Le ministère public peut agir comme partie principale ou intervenir comme partie jointe. Il représente autrui dans les cas que la loi détermine.

(検察官は,訴訟の主たる当事者となり,又は従たる当事者として訴訟に関与することができる。検察官は,法律の定める事件において他者を代理する。)

 

Article 422

Le ministère public agit d’office dans les cas spécifiés par la loi.

(検察官は,法律で定められた事件において職責として訴訟の当事者となる。)

 

Article 423

En dehors de ces cas, il peut agir pour la défense de l’ordre public à l’occation des faits qui portent atteinte à celui-ci.

 (前条に規定する場合以外の場合において,検察官は,公の秩序に侵害を及ぼす事実があるときは,公の秩序の擁護のために訴訟の当事者となることができる。)

 

Article 424

Le ministère public est partie jointe lorsqu’il intervient pour faire connaître son avis sur l’application de la loi dans une affaire dont il a communication.

 (検察官は,事件通知があった事件について法の適用に係る意見を述べるために関与したときは,従たる当事者である。)

 

Article 425

Le ministère public doit avoir communication:

1° Des affaires relatives à la filiation, à l’organisation de la tutelle des mineurs, à l’ouverture ou à la modification des mesures judiciaires de protection juridique des majeurs ainsi que des actions engagées sur le fondement des dispositions des instruments internationaux et européens relatives au déplacement illicite international d’enfants;

2° Des procédures de sauvegarde, de redressement judiciaire et de liquidation judiciaire, des causes relatives à la responsabilité pécuniaire des dirigeants sociaux et des procédures de faillite personnelle ou relatives aux interdictions prévues par l’article L.653-8 du code de commerce.

Le ministère public doit également avoir communication de toutes les affaires dans lesquelles la loi dispose qu’il doit faire connaître son avis.

(次に掲げるものについては,検察官に対する事件通知がなければならない。

第1 親子関係,未成年者の後見組織関係,成年者の法的保護のための司法的手段の開始又は変更関係の事件並びに子供の国際的不法移送に係る国際的及び欧州的文書の規定に基づき提起された訴訟

第2 再生,法的更生及び法的清算の手続,会社役員の金銭的責任に関する訴訟並びに個人の破産又は商法典L第653条の8の規定する差止めに関する手続

それについて検察官が意見を述べなくてはならないと法律が定める全ての事件についても,検察官に対する事件通知がなければならない。)

 

Article 426

Le ministère public peut prendre communication de celles des autres affaires dans lesquelles il estime devoir intervenir.

(検察官は,その他の事件のうち関与する必要があると思料するものについて,事件通知を受けることができる。)

 

Article 427

Le juge peut d’office décider la communication d’une affaire au ministère public.

 (裁判官は,その職責に基づき,事件を検察官に事件通知することを決定することができる。)

 

Article 428

La communication au ministère public est, sauf disposition particulière, faite à la diligence du juge.

Elle doit avoir lieu en temps voulu pour ne pas retarder le jugement.

 (検察官に対する事件通知は,別段の定めがある場合を除いては,裁判官の発意により行う。

 事件通知は,裁判の遅滞をもたらさないように適切な時期に行われなければならない。)

 

Article 429

Lorsqu’il y a eu communication, le ministère public est avisé de la date de l’audience.

 (事件通知があったときには,検察官は弁論期日の通知を受ける。)

 

ウ ドイツ

ドイツはどうかといえば,第二次世界大戦敗戦前は「詐欺・強迫などの事由のある婚姻は取り消しうるものとし,特定の私人が一定の期間内に婚姻取消の訴を提起することができるが,検察官の原告適格を認めていない。しかし,重婚,近親婚などの制限に違反した婚姻は無効とし,該婚姻につき検察官および各配偶者などにその訴の原告適格を認めていた。ところが,〔略〕右の無効原因がある場合につき,第二次大戦後の婚姻法改正によって,西ドイツでは検察官の原告適格を全面的に否定した」そうです(岡垣62頁)。

 

(2)検察官による婚姻の無効の訴え(消極)

 民法742条1号に基づく婚姻の無効の訴え(人事訴訟法2条1号)の原告適格を検察官が有するか否かについては,しかしながら,「民法その他の法令で検察官が婚姻無効の訴について原告適格を有することを直接または間接に規定するものはなく,その訴訟物が〔略〕私法上の実体的権利であることを考えると,民法は婚姻取消の特殊性にかんがみ,とくに検察官に婚姻取消請求権なる実体法上の権利行使の権能を与えたものとみるべきであり,婚姻取消の訴につき検察官の原告適格が認められているからといって,婚姻無効の訴にこれを類推することは許されないというべきである。」と説かれています(岡垣66頁)。

婚姻関係の存否の確認の訴え(人事訴訟法2条1号)についても,「この訴における訴訟物は夫婦関係の存否確認請求権であって,その本質は実体私法上の権利であるところ,民法その他の法令で検察官にその権利を付与したとみるべき規定がないため」,婚姻の無効の訴えについてと同様「この訴についても検察官の原告適格を認めることができないであろう。」とされています(岡垣73頁)。

戸籍法116条2項は,適用の場面の無い空振り規定であるものと解されているところです(法務省の戸籍制度に関する研究会の第5回会合(2015年2月19日)に提出された資料5の「戸籍記載の正確性の担保について」6頁・11頁)。戸籍法116条は,「確定判決によつて戸籍の訂正をすべきときは,訴を提起した者は,判決が確定した日から1箇月以内に,判決の謄本を添附して,戸籍の訂正を申請しなければならない。/検察官が訴を提起した場合には,判決が確定した後に,遅滞なく戸籍の訂正を請求しなければならない。」と規定しています。これに対して,検察官の提起した婚姻取消しの訴えの勝訴判決に基づく戸籍記載の請求に係る戸籍法75条2項の規定は生きているわけです。

 

(3)検察官による民事的介入の実態

 婚姻の無効の訴えについて検察官には原告適格は無いものとされているところですが,そもそも検察官による婚姻の取消しの訴えの提起も,2001年4月1日から同年9月30日までの間に調査したところその間1件も無く,検察庁で「これについて実際にどういう手続をとっているかということも分からない」状態でした(法制審議会民事・人事訴訟法部会人事訴訟法分科会第3回会議(20011116日)議事録)。

 また,検察官の一般的関与について,旧人事訴訟手続法(明治31年法律第13号)には下記のような条項があったところですが,同法5条1項は大審院も「検事ニ対スル一ノ訓示規定ニ外ナラ」ないとするに至り(大判大正9・1118民録261846頁),弁論期日に検察官が出席し立ち会わないことは裁判所が審理を行い判決をするにつきなんらの妨げにもならないとされていたところです(岡垣129頁・128頁)。同法6条については,「人事訴訟手続法6条・26条に「婚姻(又ハ縁組)ヲ維持スル為メ」という文言のあるのは,単に〔当時のドイツ民事訴訟法を範としたという〕沿革的な意味をもつにとどまり,一般に婚姻または縁組を維持するのが公益に合致することが多く,かつ,望ましいところでもあるので,その趣旨が示されているにすぎず,それ以上の意義をもつものではない。したがって,右人事訴訟手続法上の文言にもかかわらず,検察官は婚姻事件および養子縁組事件のすべてにつき,婚姻または縁組を維持する為めであると否とを論ぜず,事実および証拠方法を提出することが可能というべきである。」と説かれていました(岡垣149頁)。要は,旧人事訴訟手続法の規定と検察官の仕事の実際との間には齟齬があったところです。2001年4月1日から同年9月30日までの間に係属した人事訴訟事件について,検察庁は4248件の通知を受けていますが(旧人事訴訟手続法5条3項),「これに対して検察官の方がとった措置というのはゼロ件」でありました(法制審議会民事・人事訴訟法部会人事訴訟法分科会第3回会議(20011116日)議事録)。

 

 第5条 婚姻事件ニ付テハ検察官ハ弁論ニ立会ヒテ意見ヲ述フルコトヲ要ス

  検察官ハ受命裁判官又ハ受託裁判官ノ審問ニ立会ヒテ意見ヲ述フルコトヲ得

  事件及ヒ期日ハ検察官ニ之ヲ通知シ検察官カ立会ヒタル場合ニ於テハ其氏名及ヒ申立ヲ調書ニ記載スヘシ

 

 第6条 検察官ハ当事者ト為ラサルトキト雖モ婚姻ヲ維持スル為メ事実及ヒ証拠方法ヲ提出スルコトヲ得

 

(4)仏独における婚姻の無効の訴え

 

ア フランス

 これに対してフランスはどうか。「フランス民法は,その146条で,合意なきときは婚姻なしと規定し,婚姻は当事者の真に自由な合意の存在を要するという大原則を宣言するとともに,右の規定に違反して締結された婚姻は,前に婚姻取消の関係において述べたと同じく配偶者自身,利害関係人または検察官が主当事者としてこれを攻撃しうべく,検察官は配偶者双方の生存中にかぎって婚姻無効の訴を提起することができ,しかもこれを提起すべき義務を有するとしている(同法184条・190条)。さらに婚姻の形式的要件とされる公開性の欠如または無管轄の身分官吏の面前で挙式された婚姻は,配偶者自身,父母などのほか検察官もこれを攻撃するため,婚姻無効の訴を提起することができるとしている(同法191条)。」と報告されています(岡垣6667頁)。

 

イ ドイツ

 次は,ドイツ。「ドイツでは,もと民事訴訟法632条が婚姻無効の訴につき検察官の原告適格を認めるとともに,1938年の婚姻法は検察官のみが婚姻無効の訴を提起しうる場合,検察官および配偶者の一方が婚姻無効の訴を提起しうる場合,婚姻が当事者の一方の死亡や離婚によって解消後は検察官のみが原告適格を有すること,当事者双方が死亡したときは何びとも訴を提起しえない旨を規定し(同法21条ないし28条。同民訴法632条・636条・628条参照),1946年の婚姻法も手続的には同趣旨の規定をしていた(同法24条。1938年婚姻法28条において,検察官が訴を提起しうる場合についてはナチス的色彩が強度であったが,これが改正された点が著しく異る)。そのほか,同民事訴訟法640条3項後段は,検察官が子の両親に対して,または一方の親の死亡後生存する親に対して婚姻無効の訴を提起した場合に,判決確定前両親が死亡したときは,検察官は婚姻無効の訴を子に対する非嫡出確定の訴に変更すべきものとしていた。しかるに,西ドイツでは第二次大戦後1961年の改正婚姻法が非嫡出子確定の訴を削除したため,それにともなって右の制度も廃止されるにいたった。」とのことです(岡垣67頁)。

 

4 婚姻の無効の性質と刑事訴訟

 婚姻の無効の性質については,「多数説は当然無効説を支持」しているところ(すなわち,裁判による無効の宣言をもって無効となるとする形成無効説を採らない。),「判例も当然無効説に立つ(最判昭和34年7月3日民集13‐7‐905。その結果,人訴法2条1号の定める婚姻無効の訴えは確認の訴えと解することになる。ただし,同法24条により対世的効力がある)」ものとされています(内田82頁)。

 日本の民法の世界では検察官には婚姻の無効の訴えを吾郎及び白蘭を被告として提起する(人事訴訟法12条2項)原告適格はないにもかかわらず,刑法の世界では,婚姻の無効は当然無効であることを前提として,公正証書原本不実記載等の罪の容疑で吾郎及び白蘭を逮捕・勾留した上でぎゅうぎゅう取り調べ,公訴を提起して有罪判決を得て二人を前科者にしてしまうことができるという成り行きには,少々ねじれがあるようです。「婚姻意思」が無い婚姻であっても「社会秩序に反するのみならず,国家的・公益的立場からみても不当であって放置すべきでない」ほどのものではないから婚姻の無効の訴えについて検察官に原告適格を与えなかったものと考えれば,民事法の世界では関与を謝絶された検察官が,刑事法の世界で「夫婦たるもの必ず「食卓と床をともにする関係」たるべし(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)55頁参照),「社会で一般に夫婦関係と考えられているような男女の精神的・肉体的結合」あるべし(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)14頁参照),「永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真しな意思をもって共同生活を営む」べし(最高裁判所平成141017日判決・民集56巻8号1823頁参照)。そうでないのに婚姻届を出したけしからぬ男女は処罰する。」と出張(でば)って来ることにやややり過ぎ感があります。検察官が原告適格を有する婚姻取消事由のある婚姻を戸籍簿に記載又は記録させても,それらの婚姻は取消しまでは有効なので(民法748条1項),公正証書原本不実記載等の罪にならないこととの比較でも不思議な感じとなります。実質的には出入国管理の問題として立件されてきているのでしょうから,今後は入管法70条1項2号の2及び同法74条の6を適用するか(ただし,日本弁護士連合会の2015年3月19日付けの意見書の第2の1(2)は,従来の刑法157条による対処で十分だとしているようではあります。),あるいは後記フランス入管法L623‐1条のような規定を我が入管法にも設けて対処する方が分かりやすいかもしれません。

 
  
5 有罪判決の後始末:戸籍の訂正

 検察官が婚姻の取消しの訴えを提起して勝訴したときについては,前記の戸籍法75条2項が「裁判が確定した後に,遅滞なく戸籍記載の請求をしなければならない。」と規定しています。これに対して,吾郎と白蘭との婚姻が無効であることが公正証書原本不実記載等の罪に係る刑事事件の判決で明らかになり,当該判決が確定した場合は吾郎の戸籍をどう訂正すべきでしょうか。

 戸籍制度に関する研究会の第5回会合に提出された資料5「戸籍記載の正確性の担保について」に「偽装婚姻について,刑事訴訟法第498条第2項ただし書の規定により市区町村に通知があった件数は,統計を開始した平成201218日から平成261231日までの累計で448件に及ぶ。」とありますので(5頁(注17)),「偽装婚姻」に係る公正証書原本不実記載等の罪の裁判を執行する一環として,「〔偽造し,又は変造された〕物が公務所に属するときは,偽造又は変造の部分を公務所に通知して相当な処分をさせなければならない。」との刑事訴訟法498条2項ただし書に基づく処理をしているようです。(この「公務所への通知も,没収に準ずる処分であるから,押収されていると否とにかかわらず,490条および494条の規定に準じて,検察官がなすべきである。」とされています(松尾浩也監修・松本時夫=土本武司編集代表『条解刑事訴訟法 第3版増補版』(弘文堂・2006年)1008頁)。)通知を受ける公務所は上記会合に提出された参考資料6「戸籍訂正手続の概要」によれば本籍地の市区町村長であり,これらの市区町村長が届出人又は届出事件の本人に遅滞なく通知を行い(戸籍法24条1項),届出人又は届出事件の本人が戸籍法114条の家庭裁判所の許可審判(家事事件手続法(平成23年法律第52号)別表第1の124項)を得て市区町村長に訂正申請をするか,又は同法24条1項の通知ができないとき,若しくは通知をしても戸籍訂正の申請をする者がないときは,当該市区町村長が管轄法務局又は地方法務局の長の許可を得て職権で戸籍の訂正(同条2項)をすることになるようです。

ところが,「戸籍訂正の対象となる事件の内容が戸籍法114条によって処理するを相当とする場合には本人にその旨の通知をし,本人が訂正申請をしないときは戸籍法24条2項により監督法務局又は地方法務局長の許可を得て市町村長が職権訂正をすべきであり(昭和25年7月20日民甲1956号民事局長回答),そしてこの場合のみ市町村長の職権訂正を監督庁の長は許可する権限がある」ものの,「戸籍法116条によって処理するのを相当とするものに対しては許可の権限がないとせられる(昭和25年6月10日民甲1638号民事局長回答)。」ということであったようであって(谷口162頁),前記戸籍制度に関する研究会の第5回会合においても「戸籍法第114条の訂正は,創設的な届出が無効な場合が対象となるが,一つ条件があり,無効であることが戸籍面上明らかであることが必要とされている。例えば,婚姻届の届出がされ,戸籍に記載された後,夫か妻の(婚姻前の日付で)死亡届が出されて,死亡の記載がされたような場合が考えられる。」との,呼応するがごとき発言がありました(議事要旨3頁)。「戸籍法114条は,届出によって効力を生ずべき行為について戸籍の記載をした後に,その行為が無効であることを発見したときは,届出人または届出事件の本人は,家庭裁判所の許可を得て,戸籍の訂正を申請することができると定めている。だから,第三者が戸籍の訂正をするには審判または判決によらねばならないが,婚姻の当事者がなすには,この規定によって家庭裁判所の許可だけですることもできると解する余地がある。前記の116条は「確定判決によ(ママ)て戸籍の訂正をすべきときは,・・・」というだけで,いかなる場合には確定判決もしくは家裁の審判によるべく,いかなる場合には家裁の許可で足りるか,明らかでない。実際の取扱では,利害関係人の間に異議がないときは許可だけでよいとされており,判例〔大判大正13年2月15日(民集20頁),大判大正6年3月5日(民録93頁)〕も大体これを認めているようである。正当だと思う。」と説かれていたところですが(我妻57頁。大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)45頁は,簡単に,「婚姻が無効となった後,戸籍の記載はどうなるのだろうか。この場合,届出人または届出事件の本人は,家裁の許可を得て,戸籍の訂正を申請することができる。」と述べています。),しかし判例はそうだが「戸籍実務上は,無効が戸籍の記載のみによって明かな場合(戦死者との婚姻届の場合,昭和241114日民甲2651号民事局長回答。甲の既に認知した子を,乙が認知する届をなし受理記載され後の認知は無効となる場合,大正5年11月2日民1331号法務局長回答)は,114条の手続でよいが,戸籍面上明かでない場合は,当事者間の異議の有無にかかわらず116条の手続即ち確定判決又は審判を得て訂正すべきものと解せられている(昭和26年2月10日民甲209号民事局長回答)。」と言われていたところでした(谷口160頁)。利害関係者に異議のないまま戸籍法114条の手続を執ってくれれば,又は大げさながら婚姻の無効の訴えを提起して同法116条1項の手続を執ってくれればよいのですが,そうでない場合,同法24条2項に基づく職権訂正にはなおもひっかかりがあるようでもあります(「戸籍法116条によって処理するのを相当とするものに対しては〔管轄法務局又は地方法務局の長に〕許可の権限がないとせられる(昭和25年6月10日民甲1638号民事局長回答)。」)。すなわち,「訂正事項が身分関係に重大な影響を及ぼす場合には,職権で戸籍訂正を行うことができないと解する見解」もあるところです(「戸籍記載の正確性の担保について」9頁)。しかし,「実務上は,十分な資料により訂正事由があると認められる場合には,職権訂正手続を行っている」そうです(同頁)。

 

6 吾郎と白蘭の弁護方針

吾郎又は白蘭を公正証書原本不実記載等の罪の被告事件において弁護すべき弁護人は,前記内田理論を高唱して両者間の婚姻の有効性を力説する外には,どのような主張をすべきでしょうか。

愛,でしょうか。

前記Dallozのフランス民法146条(「合意がなければ,婚姻は存在しない。」)解説を見ると,「妻にその出身国から出国するためのヴィザを取得させ得るようにするのみの目的をもって挙式がされた婚姻は,合意の欠缺のゆえに無効である。」とされつつも(パリ大審裁判所1978年3月28日),「追求された目的――例えば,在留の権利,国籍の変更――が,婚姻の法的帰結を避けることなく真の夫婦関係において生活するという将来の両配偶者の意思を排除するものでなければ,偽装婚姻ではない。」とされています(ヴェルサイユ控訴院1990年6月15日)。フランス入管法L623‐1条1項も「在留資格(titre de séjour)若しくは引き離しから保護される利益を得る,若しくは得させる目的のみをもって,又はフランス国籍を取得する,若しくは取得させる目的のみをもって,婚姻し,又は子を認知する行為は,5年の禁錮又は15000ユーロの罰金に処せられる。この刑は,婚姻した外国人が配偶者に対してその意図を秘匿していたときも科される。」と規定しており,「目的のみをもって(aux seules fins)」が効いています。

しかし,吾郎は,前年の夏「戸籍の貸し賃」50万円を仲介の反社会的勢力からもらったきりで,白蘭とは一度も会ったことがなく,翌春同女が死んだ後になって初めてその名を知った有様です。トゥールーズ控訴院1994年4月5日も,同棲及び性的関係の不存在を,婚姻が在留資格目的で偽装されたものと認定するに当たって重視しています(前記Dallozフランス民法146条解説)。

やはり内田弁護士の理論にすがるしかないのでしょうか。

 なお,内田弁護士の尽力によって吾郎と白蘭との間の婚姻は民法上有効であるものとされても,入管法上は白蘭の日本在留は必ずしも保証されません。「外国人が「日本人の配偶者」の身分を有する者として〔入管法〕別表第2所定の「日本人の配偶者等」の在留資格をもって本邦に在留するためには,単にその日本人配偶者との間に法律上有効な婚姻関係にあるだけでは足りず,当該外国人が本邦において行おうとする活動が日本人の配偶者の身分を有する者としての活動に該当することを要」し,「日本人との間に婚姻関係が法律上存続している外国人であっても,その婚姻関係が社会生活上の実質的基礎を失っている場合には,その者の活動は日本人の配偶者の身分を有する者としての活動に該当するということはでき」ず,そのような「外国人は,「日本人の配偶者等」の在留資格取得の要件を備えているということができない」からです(前記最高裁判所平成141017日判決)。(しかも「婚姻関係が社会生活上の実質的基礎を失っているかどうかの判断は客観的に行われるべきものであり,有責配偶者からの離婚請求が身分法秩序の観点からは信義則上制約されることがあるとしても,そのことは上記判断を左右する事由にはなり得ない」とされています(ということで,当該最高裁判所判決は,4年前に日本人の夫が別に女をつくって家を出て行って,その後は在留資格更新申請の際等を除いて夫に会うこともなく,また相互に経済的関係もなかったタイ人妻に係る日本人の配偶者等としての在留資格更新を不許可とした処分を是認しました。)。)入管法22条の4第1項7号は,日本人の配偶者等の在留資格で在留する日本人の配偶者たる外国人が,「その配偶者の身分を有する者としての活動を継続して6月以上行わないで在留していること(当該活動を行わないで在留していることにつき正当な事由がある場合を除く。)」を在留資格取消事由としています(同条7項により30日以内の出国期間を指定され,当該期間経過後は退去強制になります(同法24条2号の4)。)。「偽装婚姻一般に共通して見られる同居の欠如(配偶者の身分を有する者としての活動実体の欠如)は,本号〔入管法22条の4第1項7号〕にいう「配偶者としての活動を行わずに在留している場合」にも該当し,同居していないことにつき正当理由がないことも明らかであるので,本号の取消し事由は偽装婚姻対策上も有効であると考えられる。」と説かれています(坂中=齋藤498頁)。 


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1 三種ノ神器と後鳥羽天皇及び後醍醐天皇

 安徳天皇を奉じ三種ノ神器を具しての平家都落ちを承けて前年急遽践祚した第82代後鳥羽天皇の即位の大礼を,後白河法皇が翌七月に行おうとしていることに関する元暦元年(寿永三年)(1184年)六月廿八日の九条兼実日記(『玉葉』)の批判的記述。

 

 ・・・何況(なんぞいわんや)不帯剣璽(けんじをおびざる)即位之例出来者(いできたらば),後代乱逆之(もとい),只可在(このことに)此事(あるべし)・・・

 

 壇ノ浦の合戦において安徳天皇が崩御し,平家は滅亡,三種ノ神器のうち鏡及び璽は回収されたものの剣は失われてしまったのは,その翌年のことでした。
 承久三年の乱逆は,元暦元年から37年後のことです。九条家は,兼実の孫の道家の代となっていました。 

 また,頼山陽『日本外史』巻之五新田氏前記楠氏にいわく。

 

 〔建武三年(1336年),後醍醐〕帝の(けつ)(かえ)るや,〔足利〕尊氏(すで)に新帝〔光厳天皇〕の弟を擁立す。これを北朝光明帝となす。帝に神器を伝へんことを請ふ。〔後醍醐〕帝(ゆる)さず。尊氏,〔後醍醐〕帝を花山院に(とら)へ,従行の者僧(ゆう)(かく)らを殺し,その余を(こう)(しゅう)す。・・・〔三条〕(かげ)(しげ)(ひそか)に計を進め,(のが)れて大和に(みゆき)せしむ。〔後醍醐〕帝,夜,婦人の()を服し,(かい)(しょう)より出づ。(たす)けて馬に(のぼ)せ,景繁,神器を(にな)つて従ふ。・・・ここにおいて,行宮(あんぐう)を吉野に(),四方に号令す。(頼成一=頼惟勤訳『日本外史(上)』(岩波文庫・1976年)313314頁)

 

 同じく巻之七足利氏正記足利氏上にいわく。

 

 〔後醍醐〕帝,〔新田〕義貞をして,太子を奉じ越前に赴かしめ,(しこう)して()を命じて闕に還る。〔足利〕直義,兵に将としてこれを迎へ,(すなわ)ち新主〔光明天皇〕のために剣璽を請ふ。〔後醍醐〕帝,偽器(ぎき)を伝ふ。(頼成一=頼惟勤訳『日本外史(中)』(岩波文庫・1977年)26頁)

 

 しかし,偽器まで使って(あざむ)き給うのは,さすがにどうしたものでしょうか。

 

2 天皇の退位等に関する皇室典範特例法案要綱

昨日(2017年5月10日),京都新聞のウェッブ・サイトに「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案要綱」というものが掲載されていました。当該要綱(以下「本件要綱」といいます。)の第二「天皇の退位及び皇嗣の即位」には「天皇は,この法律の施行の日限り,退位し,皇嗣が,直ちに即位するものとすること。」とあり,第六「附則」の一「施行期日」には「1 この法律は,公布の日から起算して3年を超えない範囲内において政令で定める日から施行するものとすること。」とあります。すなわち,全国民を代表する議員によって組織された我が国会が,3年間の期間限定ながら,内閣(政令の制定者)に対し,在位中の天皇を皇位から去らしめ(「天皇は,この法律の施行の日限り,退位し」というのは,法律施行日の夜24時に天皇は退位の意思表示をするものとし,かつ,当該意思表示は直ちに効力を生ずるものとするという意味ではなくて,シンデレラが変身したごとく同時刻をもって天皇は自動的に皇位を失って上皇となるという意味でしょう。),皇嗣をもって天皇とする権限を授権するような形になっています。

 

3 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承と三種ノ神器

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承の際三種ノ神器はどうなるのかが気になるところです。

手がかりとなる規定は,本件要綱の第六の七「贈与税の非課税等」にあります。いわく,

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

 皇室経済法(昭和22年法律第4号)7条は,次のとおり。

 

 第7条 皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。

 

(1)皇室経済法7条をめぐる解釈論:相続法の特則か「金森徳次郎の深謀」か

 本件要綱の第六の七には「皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物」とあります。ところで,これは,皇位継承があったときに,皇室経済法7条によって直接,三種ノ神器その他の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権は,特段の法律行為を要さずに前天皇から新天皇に移転するということでしょうか。見出しには「贈与税の非課税等」とありますが,ここでの「等」は,皇室経済法7条のこの効力を指し示すものなのでしょうか。

 皇室経済法7条については,筆者はかつて(2014年5月)「「日本国民の総意に基づく」ことなどについて」と題するブログ記事で触れたことがあります。ここに再掲すると,次のごとし。

 

皇室経済法7条は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。」と規定しています。同条の趣旨について,19461216日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会において,金森徳次郎国務大臣は次のように説明しています。天皇にも「民」法の適用があることが前提とされています。

 

次ぎに第7条におきまして,日本国の象徴である天皇の地位に特に深い由緒ある物につきましては,一般相続財産に関する原則によらずして,これらのものが常に皇位とともに,皇嗣がこれを受けらるべきものなる旨を規定いたしております,このことはだいたいこの皇室経済法で考えておりまするのは,民法等に規定せられることを念頭にはおかないのでありまするけれども,しかし特に天皇の御地位に由緒深いものの一番顕著なものは,三種の神器などが,物的な面から申しましてここの所にはいるかとも存じますが,さようなものを一般の相続法等の規定によつて処理いたしますることは,甚はだ目的に副わない結果を生じまするので,かようなものは特別なるものとして相続法より除外して,皇位のある所にこれが帰属するということを定めたわけであります。

 

  天皇に民法の適用があるのならば相続税法の適用もあるわけで,19461217日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会におけるその点に関する小島徹三委員の質疑に対し,金森徳次郎国務大臣は次のように答弁しています。

 

・・・だいたい〔皇室経済法〕第7条で考えております中におきましては,はつきり念頭に置いておりますのは,三種の神器でありますけれども,三種の神器を物の方面から見た場合でありますけれども,そのほかにもここに入り得る問題があるのではないか,かように考えております,所がその中におきまして,極く日本の古典的な美術の代表的なものというようなものがあります時に,一々それが相続税の客体になりますと,さような財産を保全することもできないというふうな関係になりまして,制度の関係はよほど考えなければなりませんので,これもまことに卑怯なようでありますけれども,今後租税制度を考えます時に,はっきりそこをきめたい,かように考えております

 

  相続税法12条1項1号に,皇室経済法7条の皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,相続税の非課税財産として掲げられています。

  三種の神器は,国有財産ではありません。19461221日,第91回帝国議会貴族院皇室経済法案特別委員会における大谷正男委員の質疑に対する金森徳次郎国務大臣の答弁は,次のとおり。

 

此の皇位に非常に由緒のあると云ふもの・・・今の三種の神器でありましても,皇位と云ふ公の御地位に伴ふものでありますが故に,本当から云へば国の財産として移るべきものと考ふることが,少くとも相当の理由があると思つて居ります,処がさう云ふ風に致しますると,どうしても神器などは,信仰と云ふものと結び付いて居りまする為に,国の方にそれは物的関係に於ては移つてしまふ,それに籠つて居る精神の関係に於ては皇室の方に置くと云ふことが,如何にも不自然な考が起りまして,取扱上の上にも面白くない点があると云ふのでありまするが故に,宗教に関しまするものは国の方には移さない方が宜いであらう,と致しますると,皇室の私有財産の方に置くより外に仕様がない,こんな考へ方で三種の神器の方は考へて居ります・・・

 

  http://donttreadonme.blog.jp/archives/1003236277.html

 

 要するに筆者の理解では,皇室経済法7条は民法の相続法の特則であって,崩御によらない皇位継承の場合(相続が伴わない場合)には適用がないはずのものでした。生前退位の場合にも適用があるとすれば(確かに適用があるように読み得る文言とはなっています。),これは,皇位継承の原因は崩御のみには限られないのだという理解が,皇室典範(昭和22年法律第3号)及び皇室経済法の起草者には実はあったということになりそうです(両法の昭和天皇による裁可はいずれも同じ1947年1月15日にされています。)。「金森徳次郎の深謀」というべきか。

 しかし,皇室経済法7条が生前退位をも想定していたということになると,現行皇室典範4条の規定(「天皇が崩じたときは,皇嗣が,直ちに即位する。」)は崩御以外の皇位継承原因を排除しているのだという公定解釈の存立基盤があやしくなります。そうなると,本件要綱の第一にある「皇室典範(昭和22年法律第3号)第4条の規定の特例として」との文言は,削るべきことになってしまうのではないでしょうか。

 

(2)贈与税課税の原因となる贈与と所得税の課税対象となる一時所得

 更に困ったことには,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に伴い直ちに皇室経済法7条によって「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権が前天皇から新天皇に移転するのであれば,これは新旧天皇間の贈与契約に基づく財産の授受ではなく,そもそも贈与税の課税対象とはならないのではないでしょうか。

相続税法(昭和25年法律第73号)1条の4第1項は,贈与税の納税義務者を「贈与により財産を取得した個人」としていますが,ここでいう「贈与」とは民法549条の贈与契約のことでしょう(金子宏『租税法(第17版)』(弘文堂・2012年)543頁参照)。相続税法5条以下には贈与により取得したものとみなす場合が規定されていますが,それらは,保険契約に基づく保険金,返還金等(同法5条),定期金給付契約に基づく定期金,返還金等(同法6条),著しく低い価額の対価での財産譲渡(同法7条),債務の免除,引受け及び第三者のためにする債務の弁済(同法8条),信託受益権(同法第1章第3節),並びにその他対価を支払わないで,又は著しく低い価額の対価で利益を受けること(同法9条)であるところ,皇室経済法7条による「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権の移転がみなし贈与であるためには, 相続税法9条の規定するところに該当するか否かが問題になるようです。しかしながら,相続税法9条の適用がある事例として挙げられているのは,同族会社等における跛行増資,同族会社に対する資産の低額譲渡及び妻が夫から無償で土地を借り受けて事業の用に供している場合(金子546頁)といったものですから,どうでしょうか。同条の「当該利益を受けさせた者」という文言からは,当該利益を受けさせた者の効果意思に基づき利益を受ける場合に限られると解すべきではないでしょうか。

むしろ新天皇(若しくは宮内庁内廷会計主管又は麹町税務署長若しくは麻布税務署長)としては,一時所得(所得税法(昭和40年法律第33号)34条1項)があったものとして所得税が課されるのではないか,ということを心配すべきではないでしょうか。一時所得とは「利子所得,配当所得,不動産所得,事業所得,給与所得,退職所得,山林所得及び譲渡所得以外の所得のうち,営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの」をいいます。(ちなみに,所得税法上の各種所得中最後に定義される雑所得は,「利子所得,配当所得,不動産所得,事業所得,給与所得,退職所得,山林所得,譲渡所得及び一時所得のいずれにも該当しない所得」です(同法35条1項)。)個人からの贈与により取得する所得には所得税は課税されませんが(所得税法9条1項16号),そうではない所得については,所得税の課税いかんを考えるべきです。(なお,民法958条の3第1項の特別縁故者に対する相続財産の分与については,1964年の相続税法改正後は遺贈による取得とみなされることとなって相続税が課されることになっていますが(相続税法4条),1962年の制度発足当初は,「相続財産法人からの贈与とされるところから」ということで所得税法による課税対象となっていたとのことです(久貴忠彦=犬伏由子『新版注釈民法(27)相続(2)(補訂版)』(有斐閣・2013年)958条の3解説・767頁。また,阿川清道「民法の一部を改正する法律について」曹時14巻4号66頁)。ただし,「贈与」とした上で「法人からの贈与」だからという理由付けで贈与税非課税(相続税法21条の3第1項1号)とせずとも,所得税の課される一時所得であることの説明は可能であったように思われます。1964年3月26日の参議院大蔵委員会において泉美之松政府委員(大蔵省主税局長)は「従来は一時所得といたしておりました」と答弁していますが(第46回国会参議院大蔵委員会会議録第20号10頁),そこでは「法人からの贈与」だからとの言及まではされていません。そして,神戸地方裁判所昭和58年11月14日判決・行集34巻11号1947頁は「財産分与は,従前は,相続財産法人に属していた財産を同法人から役務又は資産の譲渡の対価としてではなく取得するものであるから,所得税法に規定する一時所得に該当するものとして,所得税が課税されていた。」と判示していて,「贈与」の語を用いていません。)

しかし,今井敬座長以下「高い識見を有する人々の参集」を求めて開催された天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議(2016年9月23日内閣総理大臣決裁)の最終報告(2017年4月21日)のⅣ2には「天皇の退位に伴い,三種の神器(鏡・剣・璽)や宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)などの皇位と共に伝わるべき由緒ある物(由緒物)は,新たな天皇に受け継がれることとなるが,これら由緒物の承継は,現行の相続税法によれば,贈与税の対象となる「贈与」とみなされる。」と明言されてしまっています。贈与税課税規定非適用説は,今井敬座長らの高い識見に盾突く不敬の解釈ということになってしまいます。

 

(3)本件要綱の第六の七の解釈論:贈与契約介在説

そうであれば,三種ノ神器等の受け継ぎが相続税法上の贈与税の課税原因たる「贈与」に該当することになるように,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に際しての三種ノ神器等の承継の法律構成を,本件要綱の第六の七の枠内で考えなければなりません。

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

とあるのは,

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定の趣旨に基づく前天皇との贈与契約により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

との意味であるものと理解すべきでしょうか。(「贈与税の対象となる「贈与」と見なされる。」との文言からは贈与それ自体ではないはずなのですが,みなし贈与に係る相続税法9条該当説は難しいと思われることは前記のとおりです。)

皇室経済法7条により直接三種ノ神器等の所有権が移転するとしても,その原因たる「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承は実のところ現天皇の「譲位意思」に基づくものなのだから広く解して贈与に含まれるのだ,と頑張ろうにも,そもそも「83歳と御高齢になられ,今後これらの御活動〔国事行為その他公的な御活動〕を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じ」ていること(本件要綱の第一)のみから一義的に退位の意思,更に三種ノ神器の贈与の意思までを読み取ってしまうのは,いささか忖度に飛躍があるように思われるところです。

新旧天皇間の贈与については日本国憲法8条の規定(「皇室に財産を譲り渡し,又は皇室が,財産を譲り受け,若しくは賜与することは,国会の議決に基かなければならない。」)の適用いかんが一応問題となりますが,同条は皇室内での贈与には適用がないものと解することとすればよいのでしょう。

贈与税の非課税措置の発効は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の午前零時からです(本件要綱の第六の一)。課税問題を避けるためには,新旧天皇間の贈与契約の効力発生(書面によらない贈与の場合はその履行の終了(金子543頁))はそれ以後でなければならないということになります(国税通則法(昭和37年法律第66号)15条2項5号は贈与による財産の取得の時に贈与税の納税義務が成立すると規定)。しかし,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日当日の24時間中においてはなおも皇位継承は生じないところ(本件要綱の第二参照),その日のうちに三種ノ神器の所有権が次期天皇に移ってしまうのはフライングでまずい。そうであれば,あらかじめ天皇と皇嗣との間で,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の翌日午前零時をもって三種ノ神器その他の皇位とともに伝わるべき由緒ある物の所有権が前天皇から新天皇に移転する旨の贈与契約を締結しておくべきことになるのでしょう(午前零時きっかりに意思表示を合致させて贈与契約を締結するのはなかなか面倒でしょう。)。

ちなみに,上の行うことには下これに倣う。相続税については,皇室経済法7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物の価額は相続税の課税価格に算入しないものとされていること(相続税法12条1項1号)にあたかも対応するように,人民らの墓所,霊廟及び祭具並びにこれらに準ずるものの価額も相続税の課税価格に算入しないこととされています(同項2号)。そうであれば,贈与税について,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に際して皇嗣が贈与を受けた皇位とともに伝わるべき由緒ある物については贈与税を課さないものとするのであれば,人民向けにも同様の非課税措置(高齢による祭祀困難を理由とした祭祀主宰者からの墓所,霊廟及び祭具並びにこれらに準ずるものの贈与について非課税措置を講ずるといったようなもの)が考えられるべきなのかもしれません。

 

(4)三種ノ神器贈与の意思表示の時期

とここまで考えて,一つ難問が残っていることに気が付きました。

天皇から皇嗣に対する三種ノ神器の贈与は,正に皇室において新天皇に正統性を付与する行為(更に人によっては三種ノ神器の授受こそが「譲位」の本体であると思うかもしれません。)であって,三種ノ神器も国法的には天皇の私物にすぎないといえども,当該贈与の意思表示を華々しく天皇がすることは日本国憲法4条1項後段の厳しく禁ずるところとされている「国政に関する権能」の行使に該当してしまうのではないか,という問題です。皇位継承が既成事実となった後に,もはや天皇ではなくなった上皇からひそやかに贈与の意思表示があるということが憲法上望ましい,ということにもなるのではないでしょうか。(三種ノ神器の取扱いいかんによっては信教の自由に関する問題も生じ得るようなので,その点からも三種ノ神器を受けることが即位の要件であるという強い印象が生ずることを避けるべきだとする配慮もあり得るかもしれません。「天皇に対してはもろに政教分離の原則が及ぶ,と考えざるを得ない。なぜか。憲法第20条第3項は「国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定しているからである。実際のところ,神道儀式を日常的に公然とおこなう天皇が,神道以外のありとあらゆる宗教・宗派を信奉する国民たちの「統合の象徴」であるというのは,おかしな話である。天皇は「象徴」であるためには,宗教的に中立的であらねばならない。」と説く論者もあるところです(奥平康弘『「萬世一系」の研究(下)』(岩波現代文庫・2017年(単行本2005年))264頁)。)

しかしそうなると,新天皇は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の翌日午前零時に即位した時点においては三種ノ神器の所有権を有しておらず,当該即位は,九条兼実の慨嘆した不帯剣璽(けんじをおびざる)即位之例となるということもり得るようです。ただし,後醍醐前天皇が光明天皇にしたような三種ノ神器を受けさせないいやがらせは,現在では考えられぬことでしょう。(後醍醐前天皇としては,光明天皇の贈与税御負担のことを忖度したのだと主張し給うのかもしれませんが。)

なお,三種ノ神器は,国法上は不融通物ではありませんが(世伝御料と定められた物件は分割譲与できないものとする明治皇室典範45条も1947年5月2日限り廃止されています。),天皇といえども任意に売却等できぬことは(ただし,日本国憲法8条との関係では,相当の対価による売買等通常の私的経済行為を行う限りにおいてはその度ごとの国会の議決を要しません(皇室経済法2条)。なお,相当の対価性確保のためには,オークション等を利用するのがよろしいでしょうか。),皇室の家法が堅く定めているところでしょう。

面倒な話をしてしまいました。しかし,源義経のように三種ノ神器をうっかり長州の海の底に取り落としてしまうようなわけにはなかなかいきません。

ところで,長州といえば,尊皇,そして明治維新。現在,政府においては,明治元年(1868年)から150年の来年(2018年)に向け「明治150年」関連施策をすることとしているそうです。明治期の立憲政治の確立等に貢献した先人の業績等を次世代に(のこ)す取組もされるそうですが,ここでの「先人」に大日本帝国憲法の制定者である明治大帝は含まれるものか否か。
 大日本帝国憲法3条は,規定していわく。

 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

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仲恭天皇九条陵(京都市伏見区)(2017年11月撮影)
(後鳥羽天皇の孫である仲恭天皇は,武装関東人らが京都に乱入した承久三年(1221年)の乱逆の結果,在位の認められぬ廃帝扱いとされてしまいました。)
 
(ところで,その仲恭天皇陵の手前の敷地に,長州出身の昭和の内閣総理大臣2名が記念植樹をしています。)
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「明治維新百年記念植樹 佐藤榮作」(佐藤は,東京オリンピック後の1964年11月9日から沖縄の本土復帰後の1972年7月6日まで内閣総理大臣在職)
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「明治維新百年記念植樹 岸信介」(岸は,1957年2月25日から現行日米安全保障条約発効後の1960年7月19日まで内閣総理大臣在職)
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(1868年1月27日(慶応四年一月三日)から翌日にかけての鳥羽伏見の戦いにおける防長殉難者之墓が実は仲恭天皇陵の手前にあるところ,1867年11月9日(慶応三年十月十四日)の大政奉還上表提出(有名な徳川慶喜の二条城の場面はその前日)から100年たったことを記念して,1967年(昭和42年)11月に信介・榮作の兄弟は東福寺(京都市東山区)の退耕庵に共に宿して秋の京都を楽しみ,かつ,長州・防州(山口県)の尊皇の先達の霊を慰めた,ということなのでしょう。当時現職の内閣総理大臣であった榮作は,この月12日から20日まで訪米し(米国大統領はジョンソン),15日ワシントンD.C.で発表された日米共同声明においては,沖縄返還の時期を明示せず,小笠原は1年以内に返還ということになりました。帰国後11月21日の記者会見において佐藤内閣総理大臣は,国民の防衛努力を強調しています。)

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東福寺の紅葉
(東福寺を造営した人物は,仲恭天皇の叔父にして,かつ,摂政だった九条道家。しかし,ふと思えば,承久の変の際箱根迎撃論を抑えて先制的京都侵攻を主張し,鎌倉方の勝利並びに仲恭天皇の廃位及び後鳥羽・順徳・土御門3上皇の配流に貢献してしまった大江広元は,長州藩主毛利氏の御先祖でした。その藩主の御先祖のいわば被害者である仲恭天皇の陵の前で,長州人らが自らの尊皇を誇り,明治維新百年を祝うことになったとは・・・。) 


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1 現行皇室典範の性質問題

 現行皇室典範(昭和22年1月16日法律第3号。昭和24年法律第134号1条により一部改正(第28条2項及び第30条6項中「宮内府」を「宮内庁」に改める。))に関して,日本国憲法2条は「皇位は,世襲のものであつて,国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する。」と規定しています。英語文では,“The Imperial Throne shall be dynastic and succeeded to in accordance with the Imperial House Law passed by the Diet.”となっています。

 「皇位ノ継承ハ世襲ニシテ国会ノ制定スル皇室典範ニ依ルヘシ」と外務省によって訳され,1946年2月25日の閣議に仮訳として配布された同月13日のGHQ草案2条の当該日本語訳文言(佐藤達夫著=佐藤功補訂『日本国憲法成立史 第三巻』(有斐閣・1994年)18頁,33, 68 頁)と,日本国憲法2条の文言とはほぼ同じです。ただし,GHQ草案2条の原文は“Succession to the Imperial Throne shall be dynastic and in accordance with such Imperial House Law as the Diet may enact.” であって(国立国会図書館ウェッブ・サイト電子展示会の「日本国憲法の誕生」における「資料と解説」の「3‐15 GHQ草案 1946年2月13日」参照),“such Imperial House Law as the Diet may enact.”の部分などが日本国憲法2条の英語文と異なります。

 今回は,日本国憲法2条にいう「国会の議決した皇室典範(the Imperial House Law passed by the Diet)」の法的性質をめぐる問題について,GHQ民政局における動きなどを見ながら,若干考えてみたいと思います。時間的には,帝国議会に提出された1946年6月20日の帝国憲法改正案作成の頃までの出来事が取り上げられます。

 

2 用語について

 議論に入る前に,用語法を整理しておきましょう。

 単に皇室典範という場合は,法形式の一たる皇室典範をいうことにします。大日本帝国憲法が発布された1889年2月11日の明治天皇の告文には「茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス」とあり,そこでは皇室典範は,憲法と並び立つ独立の法形式と解されていたわけです。

 今回の主題である日本国憲法2条にいう「皇室典範」は,そもそもその法的性質が論じられているわけですから,そこから括弧を外すわけにはいきません。

 「皇室典範」という題名の昭和22年法律第3号は,「現行皇室典範」ということにします。

1889年2月11日の「皇室典範」という題名の皇室典範(公布はされず。)は,以下「明治皇室典範」ということにします。

明治皇室典範並びに1907年2月11日公布(公式令(明治40年勅令第6号)4条1項)の「皇室典範増補」という題名の皇室典範及び19181128日公布の「皇室典範増補」という題名の皇室典範を総称して,以下「旧皇室典範」ということにします。

 

3 GHQ草案2条成立までの経緯

1946年2月13日のGHQ草案2条の成立までの経緯を見て行きましょう。

 

(1)大日本帝国憲法2条及びその英語訳文

まずは,1889年2月11日に発布された大日本帝国憲法2条の条文から。

 

第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

 

大日本帝国憲法2条の英語訳(伊東巳代治によるもの)は,次のとおりです(Commentaries on the Constitution of the Empire of Japan(中央大学・1906年(第2版))。同書は『憲法義解』の英語訳本です。)。

 

ARTICLE II

The Imperial Throne shall be succeeded to by Imperial male descendants, according to the provisions of the Imperial House Law.

 

ここでのImperial House Lawは,それだけではImperial-House Law(皇室に関する国法たる法律)なのか Imperial House-Law(皇室の家法)なのか解釈が分かれそうですが,これについては後者である旨明らかにされています。

 

…This law [the Imperial House Law, lately determined by His Imperial Majesty] will be regarded as the family law of the Imperial House.

(新たに勅定する所の皇室典範に於て之を詳明にし,)以て皇室の家法〔family law〕とし・・・

 

なお,ここで,“the Imperial House Law”と単数形となっていることについては,1887年4月30日に成立したロエスレルの「日本帝国憲法草案」に関して,「第16条第2項〔„Die Kaiserlichen Hausgesetze bedürfen nicht der Zustimmung des Reichstags; jedoch können durch sie die Bestimmungen der Verfassung nicht abgeändert werden.“〕の「帝室家憲」はDie Kaiserlichesic Hausgesetzeと複数形で述べられている。それは単一の成文法ではなく,たとえば皇位継承にかんする帝室の家法,摂政設置にかんする家法等々,複数のものがありうることを意味するが,〔伊藤博文編『秘書類纂』中の〕邦訳文は単数形,複数形を区別せず,右のように〔「帝室家憲ハ国会ノ承諾ヲ受クルヲ要セス但此レニ依テ憲法ノ規定ヲ変更スルコトヲ得ス」と〕訳した。後に皇室典範が単一の成文法とされたことに,この邦訳もまた一の役割を果たしたと言える。」との小嶋和司教授の評(小嶋和司「ロエスレル「日本帝國憲法草案」について」『小嶋和司憲法論集一 明治典憲体制の成立』(木鐸社・1988年)4頁,1213頁,58頁)が想起されます。単数複数を区別しない日本語訳から明治皇室典範は単一の成文法とされ,それが英語訳にも跳ね返って来た,ということになるようです。この点,日本国憲法2条の「皇室典範」に関して,当該「皇室典範」は単一の成文の法律であることまでを憲法は要求しているのだという解釈が広く存在していることは周知の事実です。しかし,前記GHQ草案2条のsuch Imperial House Lawは,「皇室典範」であって「皇位継承に関する」もの,という意味でしょうから,GHQは「皇室典範」は単一の成文法でなければならないとまでは要求していなかったと考えてよいようです。

大日本帝国憲法劈頭の第1条(「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」)の伊東巳代治による英語訳は,次のとおりです。

 

 ARTICLE I

 The Empire of Japan shall be reigned over and governed by a line of Emperors unbroken for ages eternal.

 

「統治ス」といってもreignの部分とgovernの部分とがあるわけです。『憲法義解』(筆者は1940年の宮沢俊義校註の岩波文庫版を使用しています。)における当該部分の説明は,「統治は大位に居り,大権を統べて国土及臣民を治むるなり。」となっています。伊東巳代治の英語訳では,By “reigned over and governed” it is meant that the Emperor on His Throne combines in Himself the sovereignty of the State and the government of the country and of His subjects.”と敷衍されています。天皇は皇位にあって国家の主権並びに国土及び臣民に係る政治ないしは国政(government)をその一身にcombineするもの,とされているので,天皇が政治ないしは国政を直接行うということではないようです。

以上の大日本帝国憲法及び『憲法義解』の英語訳文は,1946年2月に日本国憲法の草案作りに携わったプール少尉らGHQ民政局の真面目かつ熱心な知日派の米国人たち(「「知日派の米国人」考」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1000220558.html参照)は当然読んでいたところです(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川文庫・2014年(単行本1995年))128頁参照)。(なお,「日本国憲法4条1項及び元法制局長官松本烝治ニ関スル話」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1065184807.htmlも御参照ください。)

 

(2)プール少尉らの天皇,条約及び授権委員会案

 

ア 案文

プール海軍少尉及びネルソン陸軍中尉を構成員とするGHQ民政局の天皇,条約及び授権委員会(Emperor, Treaties and Enabling Committee)が同局の運営委員会(ケーディス陸軍大佐,ハッシー海軍中佐及びラウエル陸軍中佐並びにエラマン女史)に1946年2月6日に提出したものと考えられる(“1st draft”と手書きの書き込みがあります。)皇位の継承に関する憲法条項案は,次のようになっていました(「日本国憲法の誕生」の「3‐14 GHQ原案」参照)。

 

     Article II. The Japanese Nation shall be reigned over by a line of Emperors, whose succession is dynastic. The Imperial Throne shall be the symbol of the State and of the Unity of the People, and the Emperor shall be the symbolic personification thereof, deriving his position from the sovereign will of the People, and from no other source.

Article III. The Imperial Throne shall be succeeded to in accordance with such Imperial House Law as the Diet may enact.

 

第2条にdynastic云々が出て来るのは,同月2日ないしは3日に決定された「マッカーサー・ノート」の第1項の第2文に“His [Emperor’s] succession is dynastic.”とあったからと解されます(鈴木24頁,35頁)。米国人は横着ではなく,真面目なので,上司をしっかり立てます。

“The Japanese Nation shall be reigned over by a line of Emperors ”“The Imperial Throne shall be succeeded to”の表現など,伊東巳代治のCommentaries on the Constitution of the Empire of Japanの影響が歴然としています。

「日本(The Japanese Nation)ハ,dynasticニ皇位ヲ継承スル一系の天皇(a line of Emperors)之ニ君臨ス(reign over)。」ということのようですから,プール少尉らは,dynasticであるということは「万世一系」と親和的であるものと理解したということでしょうか。

 

明治の俳人・内藤(めい)(せつ)の「元日や一系の天子不二の山」は,絶世の名吟として知る人ぞ知る,であるらしい。〔中略〕この句は,三つの象徴を並べて日本人の感性の特色を浮び上がらせ,そしてそのことにおいて,みごとに成功している,と理解できる。(奥平康弘『「萬世一系」の研究(上)』(岩波現代文庫・2017年(単行本2005年))2頁)

 

代々日本に縁の深い一族の一員として関東大震災前の横浜に生まれた「知日派の米国人」たるリチャード・プール少尉(本職は外交官)の面目躍如というべきでしょうか。Dynasticのみにとどまることなく,日本人の琴線に触れる「一系ノ天皇(天子)」との表現を加えてくれました。(同少尉の人柄については,GHQ民政局における同僚であったベアテ・シロタ・ゴードン女史による「プールさんも,日本人の天皇に対する気持ちを知っていただけでなく,もともと保守的な人でした。ですから始めのころの草稿などは,明治時代の人も喜ぶくらい保守的でしたね」との証言があります(鈴木127頁)。)ただし,「万世」(unbroken for ages eternal)一系となるかどうか,将来のことには留保がされて,単なる「一系」となったわけです(この辺は,大日本帝国憲法の制定に向けて,「ロェスラーは,滅びるかも知れない天皇制に,未来永劫続くかの如き「万世一系」という表現を用いることに反対し,未来に言及しない「開闢以来一系」という用語を提案したが,これは問題にされなかった。」という挿話(長尾龍一「明治憲法と日本国憲法」『思想としての日本憲法史』(信山社・1997年)10頁)を想起させるところがあります。)。

 

なお,「万世一系」ということの意味は,「〈天皇の統治は(あま)(てらす)大神(おおみかみ)をはじめとする皇祖皇宗の神勅に由来するものであって,その神勅は子々孫々が皇位に就き,日本国(葦原之(あしはらの)瑞穂(みずほ)(のくに)を王として治むべしと命じているとして,神々のお告げにもとづき,神々につながる子々孫々がこの国を支配することを正当化した。このばあい,神々の系統につながる子孫が一本の糸のようにずっと続いているということに,なによりものポイントが置かれた。(奥平56頁)というようなことでよろしいでしょう。

 

ただし,エラマン・ノートによると,1946年2月6日の会議において運営委員会はreignの語の使用に反対しており,そのゆえでしょうが“The Japanese Nation shall be reigned over by a line of Emperors, whose succession is dynastic.”の文は削られ,マッカーサー元帥由来の大事なdynasticの語はその後次の条に移ることになります。当該会議においてラウエル中佐は「日本語では“reign” “govern”の意味をも含意する。」と指摘していますから,「reign=統治」と翻訳されることを警戒したのでしょう。プール少尉らとしては,「マッカーサー・ノート」の第1項第1文の“Emperor is at the head of the state.”をそのまま生かして,“A line of Emperors, whose succession is dynastic, shall be at the head of the Japanese State.”とでもすればよかったものか。

 

イ 訳文及びその前提

 

(ア)訳文

天皇,条約及び授権委員会の第1案の前記両条項の拙訳は,次のとおり。

 

第2条 日本ハ,皇室ニアリテ皇位ヲ世襲スル(dynastic)一系ノ天皇之ニ君臨ス。皇位ハ国家及ビ人民統合ノ象徴デアリ,天皇ハ其ノ象徴的人格化(symbolic personification)デアル。天皇ノ地位ハ,人民ノ主権意思(sovereign will)ニ基ヅキ,他ノ源泉(source)ヲ有サズ。

第3条 皇位ノ継承ハ,国会ノ制定スルコトアル皇室典範ニ代ルベキ法律(Imperial House Law)ニ従フモノトス。

 

訳をつける以上は,当然その前提となる解釈があります。

 

()Dynastic”:王朝

まず,通常単に「世襲」と訳されるdynasticですが,「皇室ニアリテ皇位ヲ世襲スル」というぎこちない訳としました。Dynasticに係る小嶋和司教授の次の指摘に得心してのことです。確かに,単なる“hereditary”ではありません。

 

  〔前略〕いわゆる「マカーサー・ノート」は次の内容をもっている。

  「The Emperorは,国の元首の地位にある。His successiondynasticである。」

  皇位就任者を男性名詞・男性代名詞で指示するほか,その継承をdynasticであるべきものとしていることが注目される。それは,立憲君主制を王朝支配的にとらえ,現王朝(dynasty)を前提として,王朝に属する者が王朝にふさわしいルールで継承すべきことを要求するものだからである。これは,王朝形成原理の維持を要求するとは解せても,その変更を要求するとは解しえない。(小嶋和司「「女帝」論議」『小嶋和司憲法論集二 憲法と政治機構』(木鐸社・1988年)64頁。下線は筆者によるもの)

 

  しかし,王朝(dynasty)交替の歴史をもたず,現王朝所属者の継承を当然とする日本の政府当局者は,右のdynasticを,たんに「世襲」と訳して,現行憲法第2条にいたらしめた。皇室典範も現王朝を無言の前提として,その第1章を「皇位継承」とし,「王朝」観念がその後の憲法論に登場することもなかった。(小嶋「女帝」65頁)

 

  〔前略〕比較法的および歴史的に十分な知識を思考座標として「世襲」制の要求をみるとき,それは単に世々襲位することではなく,継承資格者の範囲には外縁があるとしなければならない。単なる財産相続や芸能家元身分の「世襲」にも,資格要件の外縁は存するのである。ここに思いいたるとき,憲法第2条は「王朝」形成原理を無言の前提として内包しているとなすか,それとも「国会の議決した皇室典範」はそれをも否認しうるとなすかは憲法論上の問題とすべきものである。(小嶋「女帝」65頁。下線は筆者によるもの)

 

上記小嶋教授の議論は,男女不平等撤廃条約との関係における1983年当時の国会における議論に触発されて,「憲法思考の結論如何によっては,立法論として賢明ともおもえぬ女帝制しか許さぬものとなることを指摘して問題提起」されたものですので(小嶋「女帝」65頁),「女帝」とその(皇族ではない)皇配との間の子らに係る皇位継承権に関する「王朝形成原理」等が主に問題として取り上げられています。しかしながら,皇位を「王朝にふさわしいルールで継承すべきこと」をも日本国憲法2条の「世襲」の語は要求しているのではないか,という指摘は深い意味を有するものと考えられるところです。皇位継承のルールは当然継承原因をも含むものでありますが,当該継承原因は,「支配王朝」たるdynasty(小嶋「女帝」58頁参照)の家長にふさわしい尊厳あるものたるべきでしょう。「憲法が世襲的天皇制を規定するのは,伝統的なものの価値を尊重して」であるとすれば(小嶋「女帝」62頁参照),皇位継承原因についても伝統が尊重されるべきでしょう。国民の側の自意識(敬愛,理解・共感)による決定は,伝統の尊重というよりはむしろ,国民主権の日本国憲法によって天皇制に係る「正統性の切断」があったものとする論(小嶋「女帝」6163頁参照)に棹さすものでしょう。「日本国は,長い歴史と固有の文化を持ち,国民統合の象徴である天皇を戴く国家」でありますところ(自由民主党「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日)前文),当該言明を素直に順序どおり読み下すと,皇位継承原因を含む天皇に関する制度はせっかくの「長い歴史と固有の文化」を尊重し,かつ,そこに根差したものであるということが憲法上の要請となるのではないでしょうか。

なお,辞書的には,英語のdynastyについては“series of rulers all belonging to the same family: the Tudor dynastyとあり(Oxford Advanced Learner’s Dictionary of Current English, 4th edition, 1989),フランス語のdynastieについては“succession des souverains d’une même famille. Le chef, le fondateur d’une dynastie. La dynastie mérovingienne, capétienne.”とあります(Le Nouveau Petit Robert, 1993)。家(皇室,family, famille)こそが鍵概念となるようです。

ここでの家は単なる自然的な存在ではなく,同時に法的な存在でしょう。それではそこでの法はどのようなものか。上杉慎吉の述べるところによれば,ヨーロッパの中世にあっては「一家の私事を定るの法」であったそうです(上杉慎吉『訂正増補帝国憲法述義 第九版』(有斐閣書房・1916年)259頁)。「一家の私事を定るの法」であるのならば,本来的には王室の自ら定める家法であったのでしょう。
 ちなみに,ドイツ人ロエスレルの前記「日本帝国憲法草案」
12項は,„Die Krone ist erblich in dem Kaiserlichen Hause nach den Bestimmungen der Kaiserlichen Haus-gesetze.“(「帝位ハ帝室家憲ノ規定ニ従ヒ帝室ニ於テ之ヲ世襲ス」)と規定していました(小嶋「ロエスレル」1011)。

ところで,家といえば民法旧規定ですが,民法旧規定には,隠居制度というものがありました。隠居においては,隠居する本人の意思表示が要素でした(民法旧757条は「隠居ハ隠居者及ヒ其家督相続人ヨリ之ヲ戸籍吏ニ届出ヅルニ因リテ其効力ヲ生ス」と規定)。民法旧754条2項には「法定隠居」の規定がありましたが,これは「戸主カ隠居ヲ為サスシテ婚姻ニ因リ他家ニ入ラント欲スル場合ニ於テ戸籍吏カ其届出ヲ受理シタルトキ」に生ずるものであって,やはり本人の何らかの意思表示(この場合は他家に入る婚姻をする意思表示)に基づくものでした。

ちなみに,隠居も天皇の譲位のように,浮屠氏の流弊より来由するところがあるようで,「もっとも,隠居は日本に固有の制度というわけでもなく,中国から継受され,かつ,仏教の影響を受けているとされる。「『功成り名を遂げて身を退く』を潔しとする支那流の考へ」と「老後には『後生願ひ』を専一とする仏教的宗教心」とが隠居の風習を生み出したという」と,穂積重遠の著書から引用しつつ大村敦志教授が紹介しています(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)362頁)。

民法旧規定においては廃位のごとき戸主の強制隠居というものはあったのか否かといえば,答えは否でした。1925年の臨時法制審議会決議「民法親族編中改正ノ要綱」の第10にあった「廃戸主」の制度(「一 戸主ニ戸主権ヲ行ハシムベカラザル事由アルトキハ家事審判所ハ戸主権ノ喪失ヲ宣告スルコトヲ得ルモノトスルコト但事情ニ依リ之ニ相当ノ財産ヲ与フルコトヲ得ルモノトスルコト」)は採用されずに終わりました。臣民においては,本人の意思表示に基づかぬ隠居というものはないものとされていたわけです。

 

(ウ)「君臨ス」

 天皇,条約及び授権委員会の第1案の第2条には,reigned overとのみあって,governedは含まれていません。したがって,大日本帝国憲法1条の英語訳との対比でも,「統治ス」とまではいえないところです。大日本帝国憲法1条では“Rex regnat et gubernat.”であったのを“Rex regnat, sed non gubernat.”に改めるわけですから,「国王は,君臨すれども統治せず。」ということで,「君臨ス」の語を用いました。ちなみに,『憲法義解』の大日本帝国憲法1条の説明では,「所謂『しらす』とは即ち統治の義に外ならず。」とされています。「統治」は,大日本帝国憲法制定作業当時の新語であったようです(島善高「井上毅のシラス論註解」『明治国家形成と井上毅』(木鐸社・1992年)291292頁参照)。(なお,“Le roi règne, mais il ne gouverne pas.”とは,ティエール(L.A. Thière, 1797-1877)によって初めて述べられたとされています(小嶋和司「「政治」と「統治」」『小嶋和司憲法論集二 憲法と政治機構』395頁)。)

 

(エ)「天皇ノ地位ハ,人民ノ主権意思ニ基ヅキ」

 1946年2月13日のGHQ草案1条は“The Emperor shall be the symbol of the State and of the Unity of the People, deriving his position from the sovereign will of the People, and from no other source.”であって,その外務省訳は「皇帝ハ国家ノ象徴ニシテ又人民ノ統一ノ象徴タルヘシ彼ハ其ノ地位ヲ人民ノ主権意思ヨリ承ケ之ヲ他ノ如何ナル源泉ヨリモ承ケス」となっていました。

ところで,最終的には現行日本国憲法1条は「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」(The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.)となっており,その結果,同条のみから発して直ちに, 国民の意思(ないしは総意)すなわちthe will of the peopleの発現たる国会制定法をもって天皇を廃立することも可能とするかのごとき解釈が一部で採られるに至っているようでもあります。しかしながら,GHQの考えでは天皇の地位を人民の主権意思(the sovereign will of the people)に基づかせていたところ,当該主権意思の発動は,憲法改正という法形式でされるものと想定されていたはずです。日本国憲法1条のみから発して直ちに, 日本の人民(より正確には国会議員の多数)が単なる法律をもって天皇を廃立することを可能にするに至るという解釈には,泉下のマッカーサーも瞠目することでしょう。「押し付け憲法」といわれますが,GHQはそこまで押し込んではいなかったつもりのはずです。

 

(オ)「国会ノ制定スルコトアル」:皇室自律主義と国会の立法権の範囲との関係

ところで,プール少尉らが Imperial House Lawを単なる法律,すなわちImperial-House Lawだと思っていた,ということはないでしょう。そう思っていたのなら,lawが日本国憲法下の国会によってenactされることは当り前のことですから,“as the Diet may enactという文言は出てこないはずです。やはりプール少尉らは大日本帝国憲法の伊東巳代治による英語訳を読んでおり,皇室典範と同じ語であるということを意識しつつ,“ Imperial House Law”の語を用いたと解すべきでしょう。奥平康弘教授は,「〔GHQの案に現れる“ Imperial House Law”を「皇室典範」と〕翻訳しなければならない理由はまったく無かったはずである。この文脈における“ Imperial House Law”なることばは,特定(﹅﹅)具体的(﹅﹅﹅)()なにものかをコノート(内容的に指示)しているのではなくて,「皇室法」あるいは「皇室に関する法律などを意味する一般名辞以外のなにものでもない。」,「文章作成者からみれば,どのみちここでは,当該法律の規律対象は,“ Imperial House”であるに決まっているのだから,ただ“law”とするよりも,特定内容をこめた形で“ Imperial House Law”とすることを良しとみただけのことだと思われる。」と熱弁をふるっておられますが(奥平57頁,98頁),どうでしょうか。

若きプール少尉は,日本国憲法案に内大臣及び宮内大臣という宮務大臣の規定まで書き込もうとして運営委員会の大人組から叱られていますが,内大臣及び宮内大臣は,皇室典範の世界における主要登場人物であったものです(1946年2月6日の当該会議については「「知日派の米国人」考」参照)。すなわち,皇室典範の改正及び皇室令の上諭にまず副署するのは宮内大臣であり(公式令4条2項,5条2項),宮内大臣を任ずるの官記に副署し,及び免ずるの辞令書を奉ずるのは内大臣であり(同令14条2項,15条2項),皇族会議に枢密院議長,司法大臣及び大審院長と共に参列するのは内大臣及び宮内大臣でした(明治皇室典範55条。なお,同条によれば,現行皇室典範の皇室会議とは異なり,内閣総理大臣及び議院の議長副議長は皇族会議に参列せず。)。また,宮内省官制及び内大臣府官制は,いずれも皇室令(公式令5条1項参照)とされています(それぞれ明治40年皇室令第3号及び明治40年皇室令第4号)。皇室典範と同じ語である“ Imperial House Law”の語をそれとして意識して使用したことこそが,内大臣及び宮内大臣の任命に係る規定の憲法における必要性にプール少尉が思い至った理由の一つだったとも考え得るのではないでしょうか。

そうであれば天皇,条約及び授権委員会の第1案の第3条における“ Imperial House Law”は単に「皇室典範」と訳されるべきものであったのであって,拙訳において「皇室典範ニ代ルベキ法律」とくどくど訳されているのはおかしい,と御批判を受けることになるかもしれません。しかしながら,「皇室典範」の語のみでは法形式としての皇室典範との紛れが生ずるようで,いかにも落ち着かなかったところです。

とはいえ,GHQの係官らは“ Imperial House Law”の語を皇室典範と同じ語だと知っていて使用していたはずであるとの推測に筆者がこだわるのは,“ Imperial House Law”が「皇室典範」とも「皇室法」とも訳し得ることから,あるいは無意識のうちに一種のjeu de mots(言葉のあそび)がここに仕掛けられていたのだろうと思うからです。その仕掛けを解いて,天皇,条約及び授権委員会の第1案の第3条を敷衍して訳すると次のとおりとなります。

 

第3条 皇位ノ継承ハ,皇室典範(Imperial House Law)ノ定ムル所ニ依ル(according to)。但シ,国会ガ皇室典範ニ代ルベキ法律(Imperial House Law)ヲ制定シタルトキハ,当該法律ニ従フモノトス(in accordance with)。

 

問題は,“such Imperial House Law as the Diet may enact”における助動詞mayにありました。Shallではなくmayでありますので,これでは国会(日本国憲法下の国会であって,天皇の立法権に対する協賛機関である帝国議会(Imperial Diet)とは考えられてはいなかったでしょう。)が,Imperial House Lawを制定するようでもあり,しないようでもあり,それではImperial House Lawを国会が制定しないうちに崩御があったならばその際拠るべき皇位継承の準則が無くて困るではないか,というのが筆者の当初覚えた困惑でした。(英語文では“as may be provided by law”(ここでもmay)となっている日本国憲法4条2項の「法律」たる国事行為の臨時代行に関する法律(昭和39年法律第83号)が制定されたのは,日本国憲法の施行から17年たってからのことでした。)

前記のとおり,1946年2月13日のGHQ草案2条(Succession to the Imperial Throne shall be dynastic and in accordance with such Imperial House Law as the Diet may enact. )が外務省によって「皇位ノ継承ハ世襲ニシテ国会ノ制定スル皇室典範ニ依ルヘシ」と訳されているように,一般の日本語訳ではこのmayは無視されています。無視して済むのならそれでよいのでしょうが,それでは,一般の空気を読むとの大事に名を借りた,怠惰ということにはならないでしょうか。

従来の上記のような日本語訳では,元のGHQ草案の英文が“Succession to the Imperial Throne shall be dynastic and in accordance with the Imperial House Law enacted by the Diet.となるようで,快刀乱麻を断ち過ぎた訳ではないかとはかつて筆者が悩んだところです。「皇位ノ継承ハ世襲テアリ且ツ国会ノ制定スルコトアル皇室法ニ従フモノトス」という訳を考えてみたところでした(「続・明治皇室典範10条に関して:高輪会議再見,英国の国王退位特別法,ベルギーの国王退位の実例,ドイツの学説等」参照)。とはいえ,こう訳しただけではなお,「皇室法」制定前に崩御があったときに係る問題は残ってしまうところでした。

当該困惑を筆者なりに解消できたのは,1946年2月22日の松本烝治憲法担当国務大臣とホイットニーGHQ民政局長らとの会談に係る次の議事録(エラマン女史作成)に接したことによります(「日本国憲法の誕生」の「3‐19 松本・ホイットニー会談 1946年2月22日」参照。日本語訳は拙訳)。

 

Matsumoto:  Is it essential that the Imperial House Law be enacted by the Diet? Under the present Japanese Constitution the Imperial House Law is made up by members of the Imperial Household. The Imperial Household has autonomy.

(松本: 「皇室典範」は国会によって制定されるべきだということは必須なのでしょうか。現在の日本の憲法の下では,皇室典範は,皇室の成員によって作成されます。皇室は,自律権を有しているのです。)

 

General Whitney:  Unless the Imperial House Law is made subject to approval by the representatives of the people, we pay only lip service to the supremacy of the people.

(ホイットニー将軍: 「皇室典範」が人民の代表者たちの承認に服するようにならなければ,我々は人民の至高性に対してリップサービスをしただけということになります。)

 

Col. Kades:  We have placed the Emperor under the law, as in England.

(ケーディス大佐: 我々は,イングランドにおけると同じように,天皇を法の下に置いたのです。)

 

Col. Rowell:  At present the Imperial House Law is above the Constitution.

(ラウエル中佐: 現状では,皇室典範は憲法の上にありますね。)

 

General Whitney:  Unless the Imperial House Law is enacted by the Diet the purpose of Constitution is vitiated. This is an essential article.

(ホイットニー将軍: 「皇室典範」が国会によって制定されるのでなければ,憲法の目的は弱められたものとなります。これは,必須の条項です。)

 

Matsumoto:  Is this, control of the Imperial House Law by the Diet, a basic principle?

(松本: 国会による「皇室典範」のコントロールは,基本的原則なのですか。)

 

General Whitney:  Yes.

(ホイットニー将軍: そうです。)

 

「「皇室典範」」と括弧付きで訳した語は,括弧なしの「皇室典範」(皇室典範)と訳すべきか,「皇室典範ニ代ルベキ法律」(法律)と訳すべきか決めかねた部分です。(なお,奥平康弘教授は「1946年2月22日における松本烝治らとホイットニーら民(ママ)局員とのあいだの意見交換にあっては,「皇室典範」という語によって意味する中身に彼此双方のあいだで大きな違いがあることが,ついに顕在化しないまま終始したように思う。」と述べておられますが(奥平101102頁。また,5758頁,99頁),上記ラウエル中佐の発言などからは,民政局側は“Imperial House Law”が皇室典範と解されることも,皇室典範の法的性質も理解していたように思われます。この点,同教授は,「私の解明は憲法・皇室典範改正の監視役を務めたマッカーサー司令部(GHQ)の担当係官のうごきなどについて,詰めが甘いといったような弱みがある」とは自認されていたところです(奥平1617頁)。)

それはともかく,筆者にとって助け舟になったのは,ケーディス大佐の「イングランドにおけると同じように」発言でした。なるほど,王室制度に関して英米法系の法律家連中の考えていることを知るには,イギリス(イングランド及びウェイルズ)法史に当たるべし。

 

〔イギリスの〕国会主権の原理は,〔略〕長い期間をかけて徐々に成立したものである。従って,その端緒は,16世紀に見出される。とくに,1530年代の宗教改革は,それまで国会の権限外だと考えられていた大問題が,国会の立法という形で解決された例として注目される。〔中略〕その後も,国会の立法権が事項的に無制限であるという考え方は,一般の考えではなかった。とくに王位継承権の問題など王室に関する事項は,国会のタッチすべき事項でないと考えられていたのである。〔1689年の〕Bill of Rights, 1701年の〕Act of Settlementによって初めて,国会の立法権が事項的に無制限であるということが,確立されるのである。(田中英夫『英米法総論 上』(東京大学出版会・1980年)137138頁。下線は筆者によるもの)

 

皇位継承等に関する事項は元来自律権を有する皇室の立法権下のみにあり,皇室典範によって規定されていたものであるが,オレンジ公ウィリアムが168811月オランダから上陸したイギリスにおける名誉革命に匹敵する日本における1945年の「八月革命」の下,米国から上陸せられたマッカーサー元帥の親身の御指導による日本国憲法の制定によって,臣民の代表機関たる国会の立法権も当該旧来の皇室典範事項に及び得るようになるのだ,という意味が“as the Diet may enact”には込められていたのだと解釈すれば,筆者としては一応納得できたところです。

無論,国会の立法権が及ぶからとて直ちに法律を制定しなくてはならないわけではなく,その間は従来の皇室の家法の適用が認められるということだったのではないでしょうか。GHQとしては,皇位継承に関する事項については皇室の自律権及び国会の立法権の競合を認めつつ,その際国会の立法権を優位に置いたということだったのではないでしょうか。(しかし,あるいはこれは,王朝の家法の効力に関して,dynastic概念の射程を拡張し過ぎた解釈ということになるのかもしれません。)

なお,明治皇室典範案に係る枢密院会議のために用意された「皇室典範義解草案 第一」には明治皇室典範62条(「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シテ之ヲ勅定スヘシ」)に対応する説明の「附記」として,次のようにありました。

 

欧洲ノ或国ニ於テ(英国)王位ノ世襲ハ議会ノ制限ニ従属スルモノトシ,議会ニ於テ屢々其ノ法ヲ変革シ,終ニ国王ト議会トノ主権〔“King in Parliament”のことでしょう(田中140頁参照)。〕ヲ以テ王位継承法ヲ制定スルコト能ハズトノ説ヲ主張スル者ハ之ヲ逆罪ト為シタリ(女王「ア(ママ)ン」ノ時),此ノ主義ニ依ルトキハ王位ノ空缺ハ議会以テ之ヲ補填スベク,王位ノ争議ハ議会以テ之ヲ判決スベク(1688年ノ革命),而シテ議会ハ独リ王位世襲ヲ与奪スルノ権アリト謂フニ至ル(「チヤルス」第2世ノ末下院ノ決議〔1679年に下院がカトリック教徒である後のジェイムズ2世を王位継承から排除する法案(Exclusion Bill)を通過させたのに対してジェイムズの兄であるチャールズ2世が下院を解散し,翌年も同様の法案が提出されたが上院で否決されたというExclusion Crisisのことでしょう(田中134135頁)。〕),抑モ大義一タビ謬マルトキハ冠履倒置ノ禍,何ノ至ラザル所ゾ,故ニ我ガ皇室典範ノ憲法ニ於ケル其ノ変更訂正ノ方法ヲ同ジクセザルハ,我ガ国体ノ重キ之ヲ皇宗ニ承ク,而シテ民議ノ得テ左右スル所ニ非ザレバナリ。(伊藤博文編・金子堅太郎=栗野慎一郎=尾佐竹猛=平塚篤校訂『帝室制度資料 上巻』(秘書類纂刊行会・1936年)132133頁)

 

 「王位ノ世襲ハ議会ノ制限ニ従属スルモノトシ」なので,イギリス議会といえども,いわば王位の世襲を外から制限することはあっても,王位世襲の内側に立ち入った介入はしないということでしょうか。

名誉革命でジェイムズ2世に勝利した議会側も,あえて同王を積極的に廃位することはなく,グレゴリオ暦1689年2月7日(なお,当時のイギリスの暦では同日は1688January28日とされていました。)に国民協議会(Convention Parliament)が王位の空位を宣言したところです。すなわち,権利章典において,「前国王ジェイムズ2世は,政務を放棄し,そのため王位は空位となった」と述べられているところであって(田中英夫訳『人権宣言集』(岩波文庫・1957年)81頁),これは黙示の意思表示による退位という構成なのでしょう。高齢となったので,国王としての活動を今後自ら続けることが困難となることを深く案じているくらいでは,まだ退位の(黙示の)意思表示があるとはいえないのでしょう。

(カ)「従フモノトス」:「定ムル所ニ依ル」との相違

 日本国憲法2条では「定めるところにより」と「訳」されている英語文の“in accordance with”は,「従フモノトス」としました。「定めるところにより」は,恐らく大日本国帝国憲法2条の「定ムル所ニ依リ」との表現をそのまま引き継いだものでしょう。しかしながら,大日本憲法2条の当該部分の伊東巳代治による英語訳は“according to”となっていて,“in accordance with”ではありません。プール少尉らが“according to”をそのまま襲用せずに“in accordance with”に差し替えたのには,何らか意図するところ,すなわち意味の変更があったはずです。それは何か。この点の英語文の読み方として参考となるのは,ポツダム宣言第12条の「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルル」の部分(there has been established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people a peacefully inclined and responsible government)と1945年8月11日付け聯合国回答における当該部分に対応する部分(「日本国ノ最終的ノ政治形態ハ「ポツダム」宣言ニ遵ヒ日本国国民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルベキモノトス」(The ultimate form of government of Japan shall in accordance with the Potsdam Declaration be established by the freely expressed will of the Japanese people))との相違に関する長尾龍一教授の次の指摘です。

 

 『宣言』においては,政府の樹立は,日本国民の意思に「一致する形で」(in accordance with)行なわれればよいが,『回答』においては政治形態の決定は,日本国民の意思によって(by)決定される。(長尾龍一『憲法問題入門』(ちくま新書・1997年)53頁)

 

すなわち,プール少尉らは,皇位ノ継承ハ国会ノ制定スルコトアル皇室典範ニ代ルベキ法律(Imperial House Law)ニ「一致する形で」行われるべきだとまでしか言っていなかったようなのです。皇位ノ継承のいわば原動力は,皇室典範ニ代ルベキ法律とは別のところにあるとされていたように思われます。それは何か。後嵯峨天皇の意思のようなそのときどきの天皇の意思では正に「南北朝の乱亦此に源因せり」ということになってしまいそうです。やはりそれは,祖宗の遺意を明徴にした銘典たる皇室の家法(Imperial House Law)なのだ,ということがプール少尉らの理解だったのではないでしょうか。 

 

ウ 委員会最終報告案及びGHQ草案2条

天皇,条約及び授権委員会の最終報告では,当該条項は次のようになっています(「日本国憲法の誕生」の「3‐14 GHQ原案」参照)。この段階で,前記1946年2月13日のGHQ草案2条と同じ文言となっています。

 

Succession to the Imperial Throne shall be dynastic and in accordance with such Imperial House Law as the Diet may enact.

 

皇位ノ継承ハ,皇室ニ於テ世襲ニ依リ行ハルルモノトシ,国会ノ制定スルコトアル皇室典範ニ代ルベキ法律ニ従フモノトス(拙訳)

 

4 大日本帝国政府3月2日案

GHQ草案を承けた大日本帝国政府側の1946年3月2日案では,次のように規定されていました(佐藤94頁,104頁)。

 

 第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ世襲シテ之ヲ継承ス。

 第3条 天皇ノ国事ニ関スル一切ノ行為ハ内閣ノ輔弼ニ依ルコトヲ要ス。内閣ハ之ニ付其ノ責ニ任ズ。

 第7条 天皇ハ内閣ノ輔弼ニ依リ国民ノ為ニ左ノ国務ヲ行フ。

  一 憲法改正,法律,閣令及条約ノ公布

  〔第2号以下略〕

 第106条 皇室典範ノ改正ハ天皇第3条ノ規定ニ従ヒ議案ヲ国会ニ提出シ法律案ト同一ノ規定ニ依リ其ノ議決ヲ経ベシ。

  前項ノ議決ヲ経タル皇室典範ノ改正ハ天皇第7条ノ規定ニ従ヒ之ヲ公布ス。

 

5 1946年3月4日から5日にかけてのGHQとの交渉

 

(1)概要

前記1946年3月2日案をめぐる佐藤達夫法制局第一部長とGHQ民政局との間における同月4日から5日までにかけての徹夜での交渉を経て日本国憲法案から「皇室典範の議案に係る天皇の発議権は消え,憲法2条は少なくとも英文については現在の形になってい」るようであること及び当該徹夜交渉に係る同部長の「三月四,五両日司令部ニ於ケル顛末」と題した当時の手記における同条関係部分については,当ブログの「続・明治皇室典範10条に関して:高輪会議再見,英国の国王退位特別法,ベルギーの国王退位の実例,ドイツの学説等」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1060127005.html)において御紹介したところです。

後年更にまとめられた当該交渉の状況は,次のとおりです(佐藤111頁)。

 

  第2条では,先方〔GHQ民政局〕は皇室典範について,それが国会によって制定されるものであることが出ていない・と相当強硬にねじ込んで来た。これに対して,Imperial House Lawとあれば,それは法律であり国会の議決によることは当然であるし,そのことは日本案第106条でも明らかになっている。ただ,皇室の家法という意味で,その発議は天皇によってなされることにしたい・と述べたが,第1章はマ草案が絶対である・といって全然受け付けず,「国会ノ議決ヲ経タル」passed by the Diet――ただし,マ草案はas the Diet may enactとなっていた――を加えることとした。

 

 交渉のすぐ後にまとめられた手記には「「経タル」ガ将来提案権ノ問題ニ関聯シテ万一何等カノ手懸ニナリ得ベキカトノ考慮モアリテ」との括弧書きがありましたが,上記の状況報告からは脱落しています。その後日本国憲法2条の「皇室典範」は法律であるものと法制局で整理され,したがって天皇の発議権は全く断念されたということで,後年の取りまとめ文からは余計な感慨だとして落とされたものでしょうか。

 皇室典範改正の発議権留保の可否は,1946年3月5日1743分から1910分まで行われた御文庫における内閣総理大臣幣原喜重郎及び憲法担当国務大臣松本烝治に対する賜謁及び両大臣からの憲法改正草案要綱に係る奏上聴取の際に,昭和天皇から御下問があったところですが,時既に遅く,同夜の閣議において「司法大臣岩田宙造〔元第一東京弁護士会会長〕より,このような大変革の際に,天皇の思召しによる提案が出ること自体が問題になるとの意見が出され,修正は断念」されました(宮内庁『昭和天皇実録 第十』(東京書籍・2017年)6163頁)。

 

(2)忖度

 さて,日本側3月2日案に対して「皇室典範について,それが国会によって制定されるものであることが出ていない・と相当強硬にねじ込んで来」,「第1章はマ草案が絶対である・といって全然受け付けず」という姿勢であったGHQ民政局が,GHQ草案2条の“as the Diet may enact”“passed by the Diet”に変更することに応じたのはなぜでしょうか。

 佐藤達夫部長の「「経タル」ガ将来提案権ノ問題ニ関聯シテ万一何等カノ手懸ニナリ得ベキカトノ考慮モアリテ」との願いがGHQ側によって受け容れられたわけではありません。法律たる現行皇室典範の改正法案が天皇から提出されるなどということは現在だれも考えておらず,そもそもそれ以前に,日本国憲法4条1項後段を理由として天皇の政治的発言ないし行為は極めて厳格に規制を受けるに至っています。

 佐藤部長のあだな望みが,GHQ側によって逆手に取られてしまったものか。

 実は,“passed by the Diet”版の文言によれば,新しい日本国憲法の施行と同時に,新しく既に準備されてある「国会の議決を経た「皇室典範」」が効力を発していなければいけないように読まれ得るところです。筆者の解釈によれば,GHQ草案2条の“as the Diet may enact”版では,新憲法施行後も国会はいつまでもImperial House Lawを制定せず,一部不適当となった箇所を除いて,旧皇室典範が依然効力を有しているということもあり得たところです。

 なるほど,国会がせっかく与えられた立法権を行使せずいつまでもImperial House Lawを制定しないという困った事態を免れ得るという実によい前倒し策の提案が,何と日本側から出てきたわいと,ひとしきり考えた末にGHQの係官たちは莞爾としたのかもしれません。しかしながら,法律の制定を表わすenactが,単なる議決をしたとの意となるpassedになることについてはどう考えるか。いやそれは,新しい憲法の施行の前に準備のために制定される法律(日本国憲法100条2項参照)については,制定権者はなお飽くまでも天皇であって帝国議会は協賛機関にすぎないのだから(大日本帝国憲法5条等),確かにenacted by the Dietでは不正確であってpassed by the Dietでなければおかしい,ということで得心されたのではないでしょうか。帝国議会の協賛を経た法律として「皇室典範」がいったん成立すれば,その後の改正法律は当然国会が制定すること(the Diet enacts)になる,これでいいんじゃないの,ということになったのではないでしょうか。

 ただし,法律ではないものの帝国議会の議を経た皇室典範なるもの(大日本帝国憲法74条1項参照。また,奥平43頁)が出て来ると面倒なことになるので,飽くまでも新しい「皇室典範」は帝国議会の議を経た法律として制定されるよう,その点は厳しくコントロールすることとしたものでしょう。(しかし,美濃部達吉は,大日本帝国憲法74条1項(「皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス」)について,「本条に『議会ノ議ヲ経ルヲ要セス』とあるのは,単にその議を経ることが必要でないことを示すに止まらず,全然議会の権限外に在ることを示すものである。」と説いていました(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)731頁)。)

 

6 憲法改正草案要綱(1946年3月6日)から憲法改正草案(同年4月17日)まで

 1946年3月6日17時に内閣から発表された「憲法改正草案要綱」では「第2 皇位ハ国会ノ議決ヲ経タル皇室典範ノ定ムル所ニ依リ世襲シテ之ヲ継承スルコト」となっていましたが(佐藤200頁,189頁),同年4月17日に発表された同月13日の「憲法改正草案」(佐藤347頁,336頁)の段階からは現在の日本国憲法2条の文言(「皇位は,世襲のものであつて,国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する。」)となっており(口語体になっています。),その後変化はありません。なお,法制局においては,日本国憲法案の「口語化の作業については,渡辺参事官を通じて山本有三氏に,口語体の案を作ってもらい,これをタイプで複写して立案の参考にし」,その山本案では第2条は「皇位は国会の決定した皇室法(﹅﹅﹅)に従つて世襲してこれをうけつぐ。」となっていたそうですが(佐藤275頁),結局「皇室典範」の文言が維持されています。

 

7 枢密院審査委員会での議論(1946年4月から5月まで)

 日本国憲法案2条の「皇室典範」の法的性質の問題は,1946年4月22日から宮城内枢密院事務局で開催された枢密院審査委員会で早速取り上げられています。政府側の答弁の要点は「皇室典範は,法律である。はじめは法律と異るものにしようとしたが,目的を達し得なかった。「皇室法」としなかったのは,従来の用例を適当と認めたによる。その内容は,現在の典範そのままではなく,一般国務に関係ある皇室事項を規定し,皇室の家憲のようなものは皇室かぎりで定められることとなろう。」ということでした(佐藤392頁)。具体的には以下のとおりです(同委員会の審査記録は,「日本国憲法の誕生」の「4‐1 枢密院委員会記録1946年4月~5月」によります。)。

 

(1)河原枢密顧問官による質疑

 1946年4月24日の審査における河原春作枢密顧問官と松本烝治憲法担当国務大臣とのやり取り。

 

 河原 皇室典範は法律なりや。

 松本 法律なり。特別の形式とするやうに交渉したが,意を達しなかつた。

 

 なお,ここでの「交渉」について,余白に鉛筆書きで,次のように筆者には読める書き込みがあります。

 

 これは,やはり国会の議決にかけるが,形式上法律(国民の権利ギムに関する国法)とは別の皇室典範とする意味と主張したが,先方はてんで受けつけなかつた(石)

 

 同年5月3日,河原枢密顧問官は,なおも皇室典範の法的性質について入江俊郎法制局長官に質します。

 

 河原顧問官 国会の議決云々といふことで皇室典範は法律だといはれたが憲法と国法と典範と3系統のやうに考へられる。皇室法といへば勿論さうだが〔以下略〕

 入江法制局長官 皇室典範といふのが習熟したからかいた。法といふ語を抜いたから議決がいらぬやうに見えるから議決したとかいた。又これをかゝぬと議決がいらぬ従前のもののやうに考へられる。他の系統のもののやうに考へるがといはれるが,公布の処や,最高法規の処にもかいてないからそんなことにはならぬ。

 

(2)美濃部枢密顧問官による追及

 1946年5月3日,美濃部達吉枢密顧問官からも厳しい追及があります。

 

 美濃部顧問官 皇室典範は法律の一種なりといふことに対しては疑あり。法律第 号として公布せらるるか。然らば皇室典範の特質に反す。皇室典範は一部国法なるも同時に皇室内部の法にすぎぬものあり。此の後者に天皇は発案(ママ)も御裁可権もないことは(ママ)かしい。普通の法律とは違つたものである。天皇が議会の議を経ておきめになることにせぬと困る。

 入江法制局長官 内容は現在の皇室典範がそのまゝと考へぬ〔筆者は「ぬ」と読みましたが,国立国会図書館のテキスト版は「る」と読んでいます。〕。将来は国務に関する事項のみとし度い。内部のことは皇室自らおきめになるとよいと考へた。

 美濃部顧問官 然らば皇室典範といふ名称はやめぬといかぬ。この名称は皇室の家法といふべきものなり。憲法と合併してその一部にするか普通の法律とすべし。〔以下略〕

 

ここでの美濃部枢密顧問官の議論は,次の2点にまとめられるでしょうか。

第1。「皇室典範」という題名は,本来,皇室内部のことを皇室自ら決める皇室の家法という意味を有するものである。皇室内部のことを皇室自ら決める皇室の家法は,国務に関するものである法律とは異なる。したがって,当該家法は,議会の議を経るにしても,飽くまでも天皇が発議権と裁定権とを有すべきものである。

第2。他方,旧皇室典範中「国務に関する事項」を規定するものは,「憲法と合併してその一部にするか普通の法律とすべ」きであり,かつ,当該法律に「皇室典範」という題名を付すべきものではない。(美濃部は,かねてから,皇位継承に係る大日本帝国憲法2条について「皇位継承に関する法則は,決して皇室一家の内事ではなく,最も重要なる国家の憲法の一部を為すものである。」,「言ひ換ふれば憲法は本来その自ら規定すべき事項を皇室の権能に委任して居るのであって,就中本条は皇位継承に関する皇室の自律権を認めたものである。」と(美濃部110頁,111頁),摂政に係る同17条について「摂政を置くことは固より単純な皇室御一家の内事ではなく,国家の大事であることは勿論であるから,本来の性質から言へば王室の家法を以て規定し得べき事柄ではな」い(美濃部317頁)と説いていました。しかしながら,1946年5月の枢密院における議論においては,「皇室典範」に係る美濃部の「憲法と合併」論は発展を見せずに終わりました。さすがに,大日本帝国憲法の全部改正として日本国憲法を制定した後に,続いて日本国憲法と合して日本国の憲法たるべき「皇室典範」を大日本帝国憲法の改正手続で制定するのでは,皆さんお疲れが過ぎるということでもあったのでしょう。)

 

8 法制局における整理(1946年4月から6月まで)

その間法制局において,日本国憲法2条にいう「皇室典範」に関する解釈が以下のように整理され,まとめられています(「日本国憲法の誕生」の「4‐4 「憲法改正草案に関する想定問答・同逐条説明」1946年4月~6月」参照)。

 

(1)「皇室典範」=法律(1946年4月)

1946年4月の段階で,日本国憲法2条にいう「皇室典範」は少なくとも形式的には法律であるものと整理する旨法制局において判断がされたようです。

すなわち,同月の「憲法改正草案逐条説明(第1輯)」では,第2条につき,皇位の「継承は国会の議決する皇室典範の定むる所に依ることと致しました。」とのみ書いてあって当該「皇室典範」の法的性質については踏み込んでいなかったのですが,同じ月の「憲法改正案に関する想定問答(第2輯)」には「皇室典範は法律なりや」との想定問に対して「形式的には法律でありますが,皇位継承,摂政其の他皇室の国務に関係する事項を規定内容とするものを皇室典範として立法する心算であります。」と答えるべき旨記されています。端的に法律であると断言することとはせずに,「形式的には法律でありますが」という表現を採用しているところに,なおためらいがあったことが窺われます。

なお,同じ想定問答集の「皇室典範の内容たる事項は如何」との想定問に対しては,「皇位継承,摂政その他皇室関係にして国務に関係する事項のみであります。/従前の宮務法中単なる皇室の内部に係る事項は今後公の法制上からは之を省くを至当と考へます。」と答えるものとされていました。

 

(2)国会の議決の意義付け及び「皇室典範」との指称の理由(1946年5月)

 1946年5月の「憲法改正草案逐条説明(第1輯)」において,法制局は,日本国憲法2条の「皇室典範」に係る国会の議決の意義付け及び当該指称の理由を記すに至っています。いわく。

 

 〔前略〕従来も皇位継承,摂政その他皇室に関する事項は皇室典範の定むる所として居りましたが,この皇室典範は憲法とは独立に制定せられその改正にも帝国議会の議決を必要としなかつたのであります。即ち皇室典範は,皇位継承,摂政等皇室の国務に関する事項を内容とするにも拘らず,皇室の家内法であるかの様に考へられて居たのでありますが,この考へ方は,君民一体の我国体より見て決して適当なものではないのであります。本条がこの欠点を改め,皇室典範を国会の議決により定めることとしましたのは,即ち第1条の精神に即応し,皇室を真に国民生活の中心的地位に置き,皇室と国民との直結を図らんとする趣旨であります。

 国会の議決によるのでありますから皇室典範も固より法律でありまして,皇室法とでも称して差支へないのでありますが,従来の名称を尊重して同じ名称を存置したのであります。

 

(3)法律たる「皇室典範」の発案権に係る制限ないしは工夫の模索(1946年6月)

 前記(2)においては前向きな説明をしたものの,法制局としては「皇室典範」=他の法律と全く同様の法律とまでは割り切りきれなかったようです。皇室に関する事項について国会議員の諸先生方が「差出がましい」ことをする心配もありますし,やはり政府又は国会以外の 利害関係の直接なあたりからの「その他の意思」が「皇室典範」に反映されるようにする工夫が必要であることが気付かれるに至ったのでしょう。したがって,1946年6月の「憲法改正草案に関する想定問答(増補第1輯)」には,次のような興味深い記述が見られます。

 

 問 皇室典範の制定手続は一般法律と同様か。

 答 抑々従来憲法と典範が二本建になつて居たことは天皇と国家とを合一せしめ,天衣無縫の法秩序をつくる上には望ましいことではなかつたと考へられるので,それを憲法の下にある法律たらしめたのであるからその制定手続も一般の法律と同様である。

   た国会の側から皇室について謂はば差出がましい発案は行はないと云ふ様な慣習法が成立することもあらうか,と考へる。

   又政府のみの発案に任せることなく何等かの形で,国会その他の意思をも反映させるための方法として,皇室典範の中でその改正に際して特殊の諮詢機関の議を経べきことを定めるのも一法と考へて居る。

 

9 帝国議会提出案(1946年6月20日)

以上のように日本国憲法案2条の「国会の議決した皇室典範の定めるところにより」という文言については紛糾が現に生じていたにもかかわらず,政府は,「法律の定めるところにより」と改めずにあえてそのままの案を第90回帝国議会に提出しています(「日本国憲法の誕生」の「4‐3 「帝国憲法改正案」(帝国議会に提出)1946年6月20日」参照)。

 政府としては,やはり,「国会の議決した皇室典範」は単なる法律とは何らかの点で異なるのだ,との含みないしは解釈上の余地を残しておきたかったのでしょうか。本稿のようなものが草されてしまうゆえんです。 


 
弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

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