1 序

 筆者は,かつて「「法の下の平等」(日本国憲法14条1項)の由来に関する覚書」などという大仰な題名を掲げたブログ記事(2015年9月26日)を書きましたが,当該記事の中にあって筆者の主観において主役を務めていたのは,「1946年2月28日の松本大臣の決断によって,19世紀トニセン流の狭い射程しかない法律の前の平等概念を超えた,広い射程の「法(律)の下の平等」概念が我が国において生まれたと評価し得るように思われます。」との評価を呈上することとなった憲法担当国務大臣松本烝治でした。松本烝治こそが,日本国憲法14条1項の前段と後段との連結者であって,その結果,同項の「法の下の平等」概念はその後松本自身も予期しなかったであろう大きな発展を遂げることになった,というのが筆者の観察でした。

 松本大臣の筆先からは,思いもかけぬ日本国憲法上の論点がひょこりひょこりと飛び出して来るようです。

 今回筆者が逢着したのは,天皇に係る日本国憲法4条1項後段の「国政に関する権能」概念でした。

 

天子さま――という表現を,松本国務相は使う。

  〔中略〕

  「父にしてみれば,ほかの明治人と同じように,ひたすら天子さまでしょ。終戦にしても,天皇制を護持するために終戦にしたんで,日本人民のためにだけ終戦にしたのじゃないという考え方ですよ」

  と,松本正夫がいい〔後略〕

   (児島襄『史録 日本国憲法』(文春文庫・1986年(単行本1972年))88頁,90頁)

 

 ということで,松本烝治は天皇及び皇室のためを思って仕事をしていたようなのですが,天皇の意思表示と「天皇は,国政に関する権能を有しない。」とする日本国憲法4条1項後段との関係を検討しているうちに,筆者は,忠臣小楠公・楠木正行の奮闘がかえって不敬の臣・高師直の増長を招いてしまったようなことがあったなぁというような感慨を覚えるに至ったのでした。

 

「「法の下の平等」(日本国憲法14条1項)の由来に関する覚書」

(松本烝治は後編に登場します。)

前編http://donttreadonme.blog.jp/archives/1041144048.html

後編http://donttreadonme.blog.jp/archives/1041144259.html

 

2 関係条文

 日本国憲法4条1項は「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない。」と規定しています。三省堂の『模範六法』にある英文では“The Emperor shall perform only such acts in matters of state as are provided for in this Constitution and he shall not have powers related to government.”となっています。

 下らない話ですが,日本語文では,天皇は「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」という表現になっているので,天皇は当該国事行為をする以外は食事睡眠等を含めて何もしてはならないのかという余計な心配をしたくなるのですが,英語文では,国事(matters of state)についてはこの憲法の定める行為しかしないのだよと読み得るので一安心です。政府見解的には「国事行為は,天皇の国家機関としての地位に基づく行為」であるそうですから(園部逸夫『皇室法概論』(第一法規・2002年)124頁),換言すると,日本国憲法4条1項前段は,天皇が国家機関としての地位に基づき行う行為は「この憲法の定める国事に関する行為のみ」だということのようです。(ちなみに,「宮廷費で賄うこととされている」天皇の「公的行為」は,「天皇の自然人としての行為であるが,象徴としての地位に基づく行為」です(園部131頁,126頁)。)

日本国の日本国憲法の解釈に英語が出てくるのはわずらわしくありますが,1946年の日本国憲法制定当時の法制局長官である入江俊郎は,日本国憲法の英語文について「アメリカとの折衝では,英文で意見を合致した。憲法解釈上有力な参考になる。」と同年の枢密院審査委員会で述べていたところです(佐藤達夫(佐藤功補訂)『日本国憲法成立史 第三巻』(有斐閣・1994年)387頁)。

 

3 GHQ草案

 話を1946年2月13日,東京・麻布の外務大臣官邸において松本烝治憲法担当国務大臣,吉田茂外務大臣らにGHQ民政局のホイットニー准将,ケーディス陸軍大佐,ハッシー海軍中佐及びラウエル陸軍中佐から手交されたいわゆるGHQ草案から始めましょう。

同日のGHQ草案では,日本国憲法4条に対応する第3条の規定は次のとおりとなっていました(国立国会図書館ウェッブ・サイトの電子展示会「日本国憲法の誕生」の「資料と解説」における「315 GHQ草案 1946年2月13日」参照)。

 

Article III.     The advice and consent of the Cabinet shall be required for all acts of the Emperor in matters of State, and the Cabinet shall be responsible therefor.

The Emperor shall perform only such state functions as are provided for in this Constitution. He shall have no governmental powers, nor shall he assume nor be granted such powers.

The Emperor may delegate his functions in such manner as may be provided by law.

      

日本国憲法4条1項に対応する部分は,「天皇は,この憲法の定める国の職務(state functions)のみを行う。天皇は,政治の大権(governmental powers)を有さず,かつ,そのような大権を取得し,又は与えられることはない。」となっています。「天皇は,この憲法の定める国の職務のみを行う。」の部分は,「天皇は,国の職務を行うが,この憲法の定めるものに限られる。」と敷衍して意訳しないと,天皇の食事睡眠等がまた心配になります。この点については,それとも,その前の項では天皇の行う国事に関する行為(acts of Emperor in matters of State)が問題になっていますから,「国事に関する行為(acts in matters of State)であって天皇が行うものは,この憲法の定める国の職務(state functions)のみである」という意味(こころ)なのでしょうか。(State functionsは,国家機関としての地位に基づき行う行為だということになるのでしょう。)

 後に日本国憲法4条1項となるこのGHQ草案3条2項は,大日本帝国憲法4条(「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ従ヒ之ヲ行フ」)の清算規定でしょう。

大日本帝国憲法4条の伊東巳代治による英語訳文は次のとおり(Commentaries on the Constitution of the Empire of Japan(中央大学・1906年(第2版))。同書は『憲法義解』の英訳本です。)。

 

ARTICLE IV

 The Emperor is the head of the Empire, combining in Himself the rights of sovereignty, and exercises them, according to the provisions of the present Constitutions(sic).

 

ちなみに,米国人らは真面目で熱心であるので,当然伊東巳代治による英語訳『憲法義解』を研究していました。

1946年7月15日にGHQを訪問した佐藤達夫法制局次長は,次のようなケーディス大佐の姿を描写しています(佐藤達夫(佐藤功補訂)『日本国憲法成立史 第四巻』(有斐閣・1994年)681頁。下線は筆者によるもの)。

 

 第1条についての政府の説明は,かつて松本博士がその試案における天皇の地位について自分に説明した考え方と同じだ・といって,英訳〈憲法義解〉をもち出し次のように述べた。〔後略〕

 

この点については,既に同年3月4日の段階で,「先方〔GHQ民政局〕は伊東巳代治の明治憲法の英訳を持っており」と観察されていたところです(佐藤達・三112頁)。
 GHQ草案3条は外務省によって次のように訳されました(佐藤達・三
34頁)。

 

国事ニ関スル(in matters of State)皇帝ノ一切ノ行為ニハ内閣ノ輔弼及協賛ヲ要ス而シテ内閣ハ之カ責任ヲ負フヘシ

皇帝ハ此ノ憲法ノ規定スル国家ノ機能(state functions)ヲノミ行フヘシ彼ハ政治上ノ権限(governmental powers)ヲ有セス又此ヲ把握シ又ハ賦与セラルルコト無カルヘシ

皇帝ハ其ノ権能ヲ法律ノ定ムル所ニ従ヒ委任スルコトヲ得

 

Governmental powersとは,国家機関としての権力的な権限のことだと思われます(日本国憲法の英語文をざっと見ると,powerは,主,国政の権力,全権委任状の全,国,行政,最高裁判所の規則を定める権限,憲法に適合するかしないかを決定する権限,国の財政を処理する権限といった語の対応語となっています。)。「政治上ノ権限」は外務省の訳語ですが,いずれにせよ「国政権」,「政府に係る権限」などとそれらしく重く訳されるべきでした。「政治」はなお,筆者の感覚では,卑俗ないしは非公的なものとなり得ますが,「政治の大権」は,12世紀以来武士どもの棟梁が天皇から奪い取ったものを指称する軍人勅諭(1882年1月4日)における明治天皇の用語です。

日本国憲法88条に基づき皇室財産が国有化されて皇室が財産を失ったように,同4条1項についても,同項で天皇も「この憲法の定める国事に関する行為」をする仕事を残して政治の大権を失っており,今や後堀河院以降の時代と同様であって政治の大権は天皇から臣下の手に落ちているところ(軍人勅諭的表現),願わくは当該臣下が北条泰時のような者ならんことを,といい得ることになっていれば,依然同項後段に関する解釈問題がなお今日的なものとなっているという事態とはなっていなかったものでしょうか。天皇ないしは皇族の少々の発言等では天皇の政治の大権という巨大なものは回復したことに到底ならずしたがって天皇が政治の大権を有する違憲状態となったとの問題も発生せず,天皇及び皇族の振る舞い方の問題は日本国憲法4条1項後段の憲法論とは別の次元で(例えば皇室の家法における行為規範の問題として)論じられるようになっていたのではないでしょうか。しかしながら, 日本国憲法4条1項の規定については,「国家機関としての天皇は,憲法に定める国事に関する行為のみを行い,国政に関与する権能を全く持たない旨を定めるものである」のみならず,「一般に天皇の行為により事実上においても国政の動向に影響を及ぼすようなことがあってはならないという趣旨を含むものと解されている」ところです(園部128‐129頁)。

 

4 日本側3月2日案と松本モデル案

 

(1)3月2日案

GHQ草案を承けた日本側1946年3月2日案の第4条は次のようになりました(佐藤達・三94頁)。

 

第4条 天皇ハ此ノ憲法ノ定ムル国務ニ限リ之ヲ行フ。政治ニ関スル権能ハ之ヲ有スルコトナシ。

 天皇ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ権能ノ一部ヲ委任シテ行使セシムルコトヲ得。

 

(2)松本モデル案

 

ア 文言

3月2日案の第4条は,松本国務大臣が1946年2月26日に佐藤達夫法制局第一部長に渡したモデル案どおりなのです。GHQ草案の「一応大ナル(いが)ヲ取リ一部皮ヲ剥クべしとの意図をもって作成された松本大臣のモデル案の調子を見るため,その第1条から第4条までを次に記載します(佐藤達・三72頁,6970頁)。

 

第1条 天皇ハ民意ニ基キ国ノ象徴及国民統合ノ標章タル地位ヲ保有ス

第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ世襲シテ之ヲ継承ス

第3条 天皇ノ国事ニ関スル一切ノ行為ハ内閣ノ輔弼ニ依ルコトヲ要ス内閣ハ之ニ付其ノ責ニ任ス

第4条 天皇ハ此ノ憲法ノ定ムル国務ニ限リ之ヲ行フ政治ニ関スル権能ハ之ヲ有スルコトナシ

 天皇ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ権能ノ一部ヲ委任シテ行使セシムルコトヲ得

 

イ ちょっと小説

 冒頭の「天皇ハ民意ニ基キ」で松本大臣はがっくり元気がなくなり,続く「国ノ象徴及国民統合ノ標章タル地位」で頭が痛くなり,皇室典範については議会の関与に係る規定を後ろの条項に回して少し気が楽になり,内閣の輔弼(advice)は当然あるべきことと認めても生意気な同意(consent)は毅然として認めず,内閣が天皇の行為について責任を負うとあからさまに書くと天皇が被保護者みたいであるから「之ニ付其ノ責ニ任ス」とうまく表現し,国務を行うのは当然でも「ニ限リ」はちょっと嫌だなぁと眉をしかめたところで,「天皇ハ此ノ憲法ノ定ムル国務ニ限リ之ヲ行ヒ政治ノ大権ヲ有スルコトナシ」とはとても書けなかったものでしょう。

 「・・・ニ限リ之ヲ行フ政治ニ関スル権能ハ之ヲ有スルコトナシ」と書いた松本大臣の心理はどういうものであったか。

 「政治上ノ権限」というのがgovernmental powersに対応する外務省の訳語だったのですが,どうしてこれをそのまま採らずに「政治ニ関スル権能」を採用したのか。

 

ウ 「権能」

まず,「権能」ですが,これは,「権限」よりは「融通性の広い」,その意味ではやや輪郭がぼやけ,かつ,微温的な語として採用されたのではないでしょうか。日本国憲法の英語文でpowerが「権能」と対応するものとされているのは第4条1項だけです。「権能」とは,「法律上認められている能力をいう。あるいは権限,職権と同じように,あるいは権利に近い意味で用いられる。「権限」,「権利」というような用語よりは融通性の広い,いずれかといえば,能力の範囲ないし限界よりは,その内容ないし作用に重きを置いた用語であるといえよう。」と定義されており,かつ,用例として正に日本国憲法4条が挙げられています(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)橘武夫執筆)。

 

エ 「政治」

「政治」という語の維持は,政治家の方々には悪いのですが,dirty imageがあることはかえって結構であって,否定の対象語として適当であると思われたのかもしれません。ちなみに,1946年7月11日付けのGHQ民政局長宛てビッソン,ピーク及びコールグローヴ連名覚書「憲法草案の日本文と英文の相違」では「日本人は天皇が政治的(ポリテイクス)な意味で政治(ガバメント)に積極的にたずさわったり,政府の行政そのものに直接介入することを望んだことはこれまで一度もなかった。したがって,日本人は憲法にこのような禁止条項がはいることにはなんら反対していない。」と観察していました(佐藤達・四700702頁)。「統治」であれば,大日本帝国憲法告文(「皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範」)及び上諭(「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所」)並びに1条(「天皇之ヲ統治ス」)及び3条(「国ノ統治権ヲ総攬」)の真向否定になるのであって論外であり(伊東巳代治の訳するところでは統治権は“the rights of sovereigntyであって,統治=主権ということになっていました。),「政府に係る権限」も天皇ノ政府を失うとの文言であって寂しい。

 

オ 「ニ関スル」

しかし,「政治上ノ権能ハ之ヲ有サス」と,失う権能の対象を比較的くっきりはっきり書くと,たといそれがdirty imageを伴うものであっても,やはり喪失感が辛く厳しい。そこで「上ノ」に代えて「ニ関スル」が出て来ての更に朧化した表現となったのではないでしょうか。

「政治ニ関スル権能」ということになると,しかし,外延が弛緩します。「政治」は必ずしも国家の機関の公的活動をのみ意味しませんし,「に関する」は「に係る」よりも更に広い対象を含み得るからです。「に係る」に関して,「に係る」は「「・・・に関する」又は「・・・に関係する」に近い意味であるが,これらより直接的なつながりがある場合に用いられる。」とされているところです(吉国等編『法令用語』澄田智執筆)。換言すると,「に係る」が「・・・より直接的」であるということは,「に関する」は「に係る」より間接的であるわけです。

「国政に関する(related to government)」の「に関する」のせいで日本国憲法4条1項の解釈について後日紛糾が生ずるのですが,その紛糾の種は松本大臣がまいたものだったのでした。

 

5 佐藤・GHQ折衝及び3月6日要綱から4月13日草案まで

 

(1)佐藤・GHQ折衝および3月6日要綱

1946年3月4日から同月5日にかけての佐藤達夫部長とGHQ民政局との折衝においては,日本側3月2日案の第4条については「その中で,天皇の権能の委任について,マ草案では単に「其ノ権能ヲ法律ノ定ムル所ニ従ヒ委任スルコトヲ得」となっていたのに対し日本案で「其ノ権能ノ一部ヲ委任・・・」としていたことが問題となり,その「一部」を削ることとした」だけでした(佐藤達・三112113頁)。その結果の第4条の第1項の英語文は,次のとおりです(佐藤達・三178頁)。

 

The Emperor shall perform only such functions as are provided for in this constitution. Nor shall he have powers related to government.

 

英語文においても,GHQ草案にあったgovernmental powersが,松本大臣の手を経た結果,将来紛糾をもたらすこととなる,より幅広いものと日本側が解釈するpowers related to governmentになってしまっていたわけです。

1946年3月6日内閣発表の憲法改正草案要綱の第4は,次のとおりです(佐藤達・三189頁)。

 

第4 天皇ハ此ノ憲法ノ定ムル国務ヲ除クノ外政治ニ関スル権能ヲ有スルコトナキコト

 天皇ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ権能ヲ委任スルコトヲ得ルコト

 

このうち第1項は,3月2日案(及びそこから変更の無かった3月5日案(佐藤達・三164頁))とは異なった表現となっています。「これは,この憲法に列挙される天皇の権能も,一応は「政治ニ()スル(﹅﹅)権能(﹅﹅)」と見られるから,「除クノ外」でつなぐ方が論理的だ・という考えによるものであったと思う。」ということですが(佐藤達・三178頁),松本大臣の毒がまわってきたわけです。「邪推するならば,政府は天皇の権能にかんして,民政局にたいする関係においてはその政治的権能を否定しながら,日本国民にたいする関係においてはそれを復活させたと考えることもできるし,また,すくなくとも民政局発案のものをただしく把握していなかったことだけは疑ない。」(小嶋和司「天皇の権能について」『小嶋和司憲法論集二 憲法と政治機構』(木鐸社・1988年)92頁)というのはやはり「邪推」で,「政治的権能」よりも「政治ニ関スル権能」の方が意味する範囲がはるかに広かっただけであり(天皇の「政治的権能」プラス・アルファが否定されたことになります。「此ノ憲法ノ定ムル国務」はプラス・アルファの部分に含まれてしまうのでしょう。),また,文句を言われようにも,“governmental powers”から“powers related to government”への用語の変更をGHQが十分重く受け止めていなかっただけだということのようです。

 

(3)4月13日草案まで

とはいえ,1946年4月2日に法制局とGHQ民政局との打合せがあったのですが,前記の点は,「第4条の「国務ヲ除クノ外」は,要綱作成のときに入れたのであったけれども,この打ち合せの段階で,それは英文にもないし,また「国務」が形式的な仕事をあらわしている点からいって,「除クノ外」でつなぐことは反って適切ではなかろうという意見が出たが,これは成文化のときの考慮に残した。」というように再び問題となり(佐藤達・三289頁),同月13日の日本国草案作成段階では,「英文との関係もあっていろいろと迷った」結果,日本側限りで「国務ヲ除クノ外」を「国務のみを行(ママ),」としています(佐藤達・三326頁)。1946年4月13日の憲法改正草案4条は,次のとおり(佐藤達・三336頁)。

 

第4条 天皇は,この憲法の定める国務のみを行ひ,政治に関する権能を有しない。

  天皇は,法律の定めるところにより,その権能を委任することができる。

 

6 枢密院審査委員会

とはいえ,憲法改正草案4条1項後段から「その他の」を完全に切り捨てる割り切りは難しかったようで,1946年4月22日の第1回の枢密院審査委員会における幣原喜重郎内閣総理大臣の説明要旨では「改正案においては,天皇は一定の国務のみを行ひ,その他においては,政治に関する権能を有せられないこととしてゐるのである。」と述べています(佐藤達・三381382頁。下線は筆者によるもの)。(ここでの「一定の国務」の範囲については,1946年4月の法制局「憲法改正案逐条説明(第1輯)」では「天皇が具体的に統治権の実施に当たらるる範囲」と観念されていました(国立国会図書館「日本国憲法の誕生」の「44 「憲法改正草案に関する想定問答・同逐条説明」1946年4月~6月」参照。下線は筆者のもの)。)同年5月3日の委員会においては林頼三郎枢密顧問官も「第4条の国務と政治とは別なやうによめる。国務即政治なり。要綱のときの「除くの外政治に関する・・・」の方がよくわかつた。」と発言し,これに対して入江法制局長官が「その国務だけで,それ以外は政治に関する権能を有せずといふ意なるもこの国務のみを行ふといふこととそれ以外は行はぬといふ2点をかきたかつたのである。」と答弁すると,更に「そういふ意味ならそれ以外といふ字を入れたらどうか。」と二の矢を放っています(国立国会図書館「日本国憲法の誕生」の「41 枢密院委員会記録 1946年4月~5月」)。

しかしながら,枢密院審査委員会においては草案4条1項の文言は修正されませんでした。とはいえ1946年5月の法制局「憲法改正草案逐条説明(第1輯)」は,なお第4条1項について「天皇が行はせられる国務の範囲は第6条及び第7条に規定されて居りますが,本条はそこに定められた国務のみを行はせられることを明らかにし,その他の政治に関する権能を有せられないことを定めたのであります。」と述べています(国立国会図書館「日本国憲法の誕生」の「44 「憲法改正草案に関する想定問答・同逐条説明」1946年4月~6月」参照。下線は筆者によるもの)。「その他の」の挿入等何らかの手当ての必要性は決して消えてはいませんでした。

問題解決は先延ばしにされ,その後の修正作業は,帝国議会の審議期間中において概略後記のような経緯で行われていきます。

7 第90回帝国議会会期中の修正及びその意味

 

(1)芦田小委員会修正

 第90回帝国議会衆議院の憲法小委員会(芦田均小委員長)において1946年8月2日までに修正を経た日本国憲法案4条は,次のとおりでした(佐藤達・四783頁参照)。下線部が小委員会による修正後の文言で,括弧内が被修正部分です。

 

 第4条 天皇は,この憲法の定める国務のみを行ひ,その他の国政(政治)に関する権能を有しない。

 

   天皇は,法律の定めるところにより,前項の国務に関する(その)権能を委任することができる。

 

 上記第1項の英語文は,次のとおりでした(佐藤達・四802頁)。

 

    The Emperor shall perform only such state functions as are provided for in this Constitution. Never shall he have powers related to government.

 

第4条1項の「政治に関する権能を有しない」を「その他の国政に関する権能を有しない」と改めることは,同年7月25日に芦田小委員長から提案されていました(佐藤達・四715頁)。

 

(2)7月29日の入江・ケーディス会談

 

ア GHQ側の認識:本来的形式説

前記のように第4条1項の「政治に関する権能を有しない。」を「その他の国政に関する権能・・・」と改めようとしている点については,1946年7月29日,入江俊郎法制局長官がGHQ民政局のケーディス大佐を訪問した際GHQ側が,「何故に「その他の」を加えるのか,それでは,国務(state function)と国政(government)とが同一レベルのものとなり,天皇が儀礼的国務のみを行うという意味がぼやけてしまう。せっかく,前文及び第1条で主権在民を明文化しても,第4条において,あたかも天皇がそれを行使するかのように規定したのでは何にもならない。」とおかんむりだったそうです(佐藤達・四757頁)。

第4条1項前段の天皇の「国務」は儀礼的な行為にすぎないものであるというのがGHQの認識であり,儀礼的な行為にすぎないから国政(government)とは同一レベルにはない,すなわちそもそも国政に含まれるものではない,ということのようです。「4条は,天皇に単なる「行為」権のみを認め,「国政に関する権能」を認めていないのであって,6条,7条の「国事に関する行為」は本来的に形式的・儀礼的行為にとどまるものと解す」る「本来的形式説」が採用されているわけです(佐藤幸治『憲法〔第三版〕』(青林書院・1995年)253254頁)。

 

イ 日本側の認識:国政に関する権能による国事行為の権能の包含

日本側のその場における反論は,「それに対して,「国政」のほうが意味がひろく,「国務」も国政のなかに含まれる。したがって「その他の国政・・・」としないと,第1項前段の「天皇は,この憲法の定める国務のみを行ひ」と矛盾する」というものだったそうですが(佐藤達・四757頁),なお言葉足らずだったでしょう。より精確には,「「その他の」を加える理由として,「国政に関する」とあるために,事務的,儀礼的の仕事でも,およそ「国政」に関連するものは含まれることとなる。したがって「その他の」を入れることが論理上正確であり,且つ,天皇の権能として許されない事がらが一層明確となる」ということが日本の法制局の思考だったようです(佐藤達・四758頁)。「国政に関する」の「に関する」こそが問題であって,この文言があるばかりに,国政自体に係る権能のみならず国政に関連するだけの仕事に係る権能をも含むこととなって,「国政に関する権能」の行使となる仕事のレベルは上下分厚く,「国務」のレベルの仕事もそこに含まれてしまうことになっているのだ,ということだったようです。しかし,こう理屈を明らかにすればするほど「その他の」の文言が必要不可欠ということになり,結局「その他の」がない場合には矛盾が生じ,「そのような理解は4条の文言からいって無理」(佐藤幸253頁)ということになるようです。

なお,第4条1項のgovernmentが「政治」から「国政」に改まることについては,1946年7月15日に佐藤達夫法制局次長がケーディス大佐に対して,努力する旨約束していたところでした(佐藤達・四682頁,683頁)。これは,同月11日付けの前記ビッソンらの民政局長宛て覚書で,「政治」の語にはgovernmentのほかpoliticsの意味がある旨指摘されていたところ(佐藤達・四702頁),それを承けてケーディス大佐から一義的にgovernmentと理解されるような語を用いるように要求されたからでしょうか。

 

(3)8月6日の入江・ケーディス会談

 

ア 日本側妥協による日本国憲法4条1項の日本語文言の成立

1946年7月29日には対立解消に至らなかったものの,しかしながら,同年8月6日,入江長官はケーディス大佐を訪問し,「天皇の章について,「国務」等の語を「国事に関する行為」に改め,〔芦田小委員会の修正した第4条1項の〕「その他の国政」の「その他」〔ママ〕を削ることにしたい,もしこれに同意ならば,政府として議会側に働きかける用意がある・と述べ」るに至りました(佐藤達・四801頁)。「ケーディス大佐は,ゴルドン中尉を呼び入れて用語の適否を確かめた上,これに賛成し,「国事に関する行為」は,英文がまちまちの表現をしているにくらべて改善であると述べた」そうです(佐藤達・四801頁。なお,「国務」の語については,英語に戻すとstate affairsとなり「functionよりもいっそう積極的で強い語感を含む言葉」となっているとの指摘が同年7月11日付けのビッソンらの民政局長宛て覚書でされていました(佐藤達・四702頁)。)。第4条1項の文言は,「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ, 国政に関する権能を有しない。」という現在の日本国憲法4条1項の文言となることになったわけです。(なお,ジョゼフ・ゴードン陸軍中尉は,GHQ草案作成時26歳でGHQの翻訳委員会のスタッフであり,また,後に日本国憲法24条関係で有名となるベアテ・シロタ嬢と結婚します。「エール大学の民事要員訓練所でみっちり学んだというゴードン氏の日本語は,読み書きは立派なものだが,会話はまったく駄目。妻のベアテさんは,会話は日本人と変わりないが,読み書きは苦手。ベアテさんに来た日本語の手紙を,ご主人が読んで英語で聞かせてあげるというから,なんとも不思議な夫婦だ。」と紹介されています。(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川文庫・2014年(単行本1995年))6970頁))

 

イ 4条1項前段と同項後段との関係に係るGHQの認識:逆接

第4条1項の前段と後段とは英文では二つの文になっていたところ,前記合意成立の際,「ケーディス大佐〔は〕,この二つの語句は,althoughbutで結ばれる関係にある,日本文がandで結ばれているような感じになっているのはおもしろくない・と述べた」そうです(佐藤達・四802頁)。すなわち,日本国憲法4条1項後段は,前段で国事行為(前記のとおり,これは儀礼的なものなので国政とは別レベルである,というのがGHQの認識でした。)を行う旨規定しているのでそれらの行為を通じて天皇が国政の権能を有するもののように誤解される恐れがあるから,天皇の国事行為の性格についてのそのような誤解を打ち消すために(「althoughbutで結ばれる関係」ということはこういう意味でしょう。)書かれた文言である,ということのようです。

 

ウ 4条1項前段と同項後段との関係に係る日本側の認識:順接

ただし,「これに対しては,日本側からalthough又はbutというのはonlyを見落としているもので,むしろ,論理上thereforeと解すべきである。また,もし日本文で二つの文章に分けるとすれば,短い文章で「天皇」の主語をくり返すことになり翻訳臭がでてきわめておかしなものとなる・と反対した結果,先方はその提案を撤回した。」との落着となりました(佐藤達・四802頁)。

第4条1項前段の「のみ(only)」の語に天皇に対する制限ないしは禁止規範の存在が見出されたところ,therefore,当該制限ないしは禁止規範の内容たる「天皇の権能として許されない事がら」が明文化されることとなったのが同項後段である,というのが日本の法制局の理解なのでしょう。(これに対して,あるいはGHQの理解は,第4条1項前段の「のみ(only)」による天皇に対する制限ないしは禁止は同項前段自体の内部で閉じている,すなわち,同項前段の意味は「天皇は,国事に関する行為を行う。ただし,この憲法の定めるものに限る。」というものである,同項後段は具体的な制限ないしは禁止規範ではなくて天皇に政治の大権が無いことを改めて確認する為念規定である(「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ふ。この国事に関する行為を行ふ権限は,政治の大権のために認められたものと解釈してはならない。」),ということででもあったのでしょうか。)GHQの理解では日本国憲法4条1項後段は同項前段に向かっているものであるのに対して,日本の法制局の理解では同項後段は天皇に向かっている,と比喩的に表現できるでしょうか。

日本側は第4条1項をどのように解釈することにしたのでしょうか。「国政に関する権能(powers related to government)」を「国政の権能(governmental powers)」と解釈することにしたのでしょうか。しかし,当座のところは,むしろ原案復帰にすぎないということで,「その他の国政に関する権能を有しない。」の「その他の」を元のとおり解釈で補うことにした,ということの方があり得ることではないでしょうか。帝国議会で政府は,「此処の意味は,天皇は政治に関する権能を有せられない,併しながら其の政治に関する権能の中でも,此の憲法にはつきり書いてある部分は行はせらるゝことが出来る,斯う云ふ意味であります」との答弁を行っていたところです(小嶋「天皇の権能について」9192頁参照)。

 

エ Governmentの訳語:「国政」か「統治」か

なお,日本国憲法4条1項後段の「国政に関する権能」(powers related to government)の語について当該会談において「ゴルドン中尉は,「国政に関する権能を有しない」の「国政」を「統治」と改めることを提案したが,日本側はこれに反対し,またケーディス大佐も「統治」とすると,天皇はrulingに関する権能はもたないが,もっと軽易なadministrativeな権能はもち得るように解せられる恐れがあるから「国事」に対するものとして「国政」とした方がいい・と述べ,「国政」とすることに落ち着いた」そうです(佐藤達・四802頁)。

大日本帝国憲法の完全否定になる「統治」の語の採用を日本側が拒んだことは分かります。大日本帝国憲法の告文及び上諭並びに1条及び3条は,天皇は大日本帝国の統治の大権を有してきたものであり,また今後も有するものであることを規定していましたし,伊東巳代治の英語訳(統治=sovereignty)からしても, 「統治」の語は主権論争を惹起せざるを得なかったからです。

天皇に対する制約規範として,「統治に関する権能を有しない」と「国政に関する権能を有しない」とを比較すると,権能を有しないものとされるものの範囲は後者(「国政」)の方が前者(「統治」)より広いのです(というのが筆者及びケーディス大佐の理解です。)。だからこそ,ケーディス大佐は軽易なadministrative権能まで天皇に与えまいとして日本側の「国政」説に与したのでした。

 

オ 英語文の修正

1946年8月24日の段階で,日本国憲法案4条1項の英語文は,“The Emperor shall perform only such acts in matters of state as are provided for in this Constitution. Never shall he have powers related to government.”という形になっていたもののようです(佐藤達・四876頁)。

8 「結果的形式説」の妥当性

 

(1)当初の政府説明の維持不能性:「その他の」の不在

 日本国憲法4条1項における,天皇が「国政に関する権能を有しない」こと(同項後段)とその同じ天皇が「この憲法の定める国事に関する行為」を行うこと(同項前段)との関係に係る「此処の意味は,天皇は政治に関する権能を有せられない,併しながら其の政治に関する権能の中でも,此の憲法にはつきり書いてある部分は行はせらるゝことが出来る,斯う云ふ意味であります」との第90回帝国議会における政府説明は,確かに,同項後段は「その他の国政に関する権能を有しない」と規定していておらず,かつ,そのことは再三公然と指摘されていたことでもあるので,いつまでも維持され得るものではありませんでした。

 

(2)本来的形式説の難点:松本烝治元法制局長官の「ニ関スル」の呪縛

 しかし,日本国憲法4条1項前段の国事行為を行うことに係る天皇の権能は同項後段の国政に関する権能には含まれない,との解釈(天皇の国事行為に係る本来的形式説の前提となる解釈)は,我が日本国の法制局参事官の頑として受け付けないところでした。

 

ア 「国事に関する行為」を行う権能と「国政に関する権能」と

日本国憲法4条1項の前段と後段との関係を後段冒頭に「その他の」の無いまま整合的に説明するための努力に関してでしょうが,「多くの論者は「国事に関する行為」と「国政に関する権能」とを単純に相排斥する対立的概念であるとして,その区分基準を「国事」と「国政」との相違にもとめ,ここで敗退する。」との指摘があります(小嶋和司「再び天皇の権能について」『小嶋和司憲法論集二 憲法と政治機構』113頁)。当該指摘に係る状況について精密に見てみると,国事行為を行う権能は国政に関する権能に含まれるのだ,と言う主張の壁の前に当該論者らは敗退したということでしょう。

 

イ 「国政に関する権能」概念の縮小解釈の可能性いかん

 

(ア)「国政の動向を決定するような権能」:小嶋和司教授

そこで,本来的形式説の首唱者(小嶋和司教授)は,本丸の「国政に関する権能」概念を操作することにします。当該概念を縮小せしめることとして,「国政に関する権能」は「国政の動向を決定(﹅﹅)する(﹅﹅)ような権能」であるものと主張します(小嶋「再び」113頁。「国政運営に影響を及ぼすような権能」との理解から改説)。そこには「「国事に関する行為」を行う権能」は含まれないのだ,と主張するわけです。しかし,「国政の権能」,せめて「国政に係る権能」との文言であったのならばともかくも,「に関する」がそこまでの縮小を認めるものかどうか。内閣法制局は,無理だと考えているのでしょう。

 

(イ)「国政に関して実質的な影響を与えるような行為をする権能」:内閣法制局

「国政」に関して,元法制局参事官の佐藤功教授は,「国政」とは「国の政治を意味する。」としつつ,「憲法4条は,天皇が憲法の定める国事に関する行為のみを行い国政に関する権能を有しない旨を定めている。この場合に「国政に関する権能」とあるのは,国家意思を決定する国政に関して実質的な影響を与えるような行為をする権能という意味である。」と,なおも「国政に関する権能」を広く定義しています(吉国等編『法令用語辞典』。下線は筆者によるもの)。松本烝治元法制局長官の筆にした「ニ関スル」は,実に重いものなのです。

日本国憲法4条1項の前段と後段との関係の解釈については,憲法学界の大勢は本来的形式説を採るようなのですが,内閣法制局筋の実務家から見るとどういうものなのでしょうか。

 

ウ またも小説

「ここは,「関する」ですか,若しくは「係る」ですか,又は「の」なのですか。」

と夜半, 霞が関の中央合同庁舎第4号館の内閣法制局の大部屋において内閣法制局参事官に「詰め」られたとき,

「いやぁ,そこは作文ですから,よくご存じの参事官が文学的フィーリングで決めてくださいよ。」

などと学識不足のゆえか疲労に由来する横着のゆえかうっかり言おうものなら,法令案の審査がストップして大騒ぎになります。

「なんですかそれは。それが審査を受ける者の態度ですか。」

担当官庁の法案作成担当チームの頑冥無学迷走ぶりに憤然として大机の前で御機嫌斜めの内閣法制局参事官殿のところに本省局長閣下がちょこちょことやって来て,御免お願い機嫌を直して審査を再開してちょうだいよこちらは死ぬ気で頑張るからさと懇願している様子を実見した者の言うには,「ふぅーん,人間の頭の使い方には2種類あるんだな。」と思ったとの由。

「考える」と「下げる」。

無論,後者の方が前者よりもはるかに高い価値があるものです。

 

(3)結果的形式説

 本来的形式説が,「に関する」に伴う「国政に関する権能」概念の広さゆえ採用が難しいところから,別の解決策が求められざるを得ません。

日本国憲法4条1項前段の国事行為には「すべて内閣の助言と承認が要求され,この助言と承認権には実質的決定権が含まれるから,結果的には「国事に関する行為」は形式的・儀礼的になる,というように説く見解」たる「結果的形式説」(佐藤幸254頁参照)が,アポリアからの最後の脱出路となるわけです。

ただし,「行為」が「形式的・儀礼的になる」と落着するのだと述べるだけで説明を打ち切るのは,なお議論が行為レベルにとどまっていて不親切です。「形式的・儀礼的」な行為を行う権能であっても「国政に関する権能」ではないわけではなかったのですから。より正確には,日本国憲法4条1項前段の国事行為を行う権能「のうち『国政に関する』部分は『内閣の助言と承認』の中にあって,天皇にはないのであって,その形式的宣布の部分だけが天皇の権能として現れてくるのである」というように(小嶋「天皇の権能について」96頁の引用する佐藤功教授の論説参照),権能のレベルで問題を処理しておく必要があります。

結果的形式説であれば,日本国憲法4条1項前段の国事行為を行う天皇の権能については,当該国事行為に係る内閣の助言と承認を経ることによって,そのうち国政に関する部分はいわば内閣に吸収されて失われ,そもそも国政に関しない部分しか残らないものとなっている,ということになります。したがって,同項後段の天皇は「国政に関する権能を有しない」規定との抵触は存在せず,同項後段冒頭に「その他の」を置く必要も無い,ということになります。

 

9 その他

本稿では,日本国憲法4条1項をめぐる紛糾や論争を追ってきたのですが,時代はまた,第90回帝国議会において日本国憲法案が審議中の時期に戻ります。

 

(1)日本国憲法4条1項後段不要論

1946年7月23日に行われた金森徳次郎憲法担当国務大臣とGHQのケーディス大佐との会談において,当該規定の生みの親の一人であったはずのケーディス大佐は,日本国憲法案4条1項後段はそもそも実は不要だったという意味の重大発言をしていたという事実があります。

 

〔日本側から天皇の章の〕第4条第1項の後段「政治に関する権能を有しない」を削るという修正意見があることを述べたところ,先方は,はじめからこの字句がなかったとすれば,その方がいいと考えるが,すでにあるものを削るとなると,それによって天皇が政治に関する権能を有することになるというような誤解を与えるおそれがあるから,その削除には賛成できない・と述べた。(佐藤達・四693頁)

 

思い返せば,初めからこの字句がなければその方がよかったのだ,というわけです。

これは,GHQにとっては,天皇の権能の制限は他の条項で既に十分であって,日本国憲法4条1項後段は実はいわば添え物のような宣言的規定だったのだ,ということでしょうか。同項後段の今日の日本における現実の働きぶりを見ると,隔世の感がします。

 

(2)日本国憲法4条1項の当初案起草者:リチャード・A・プール少尉

そうなると,GHQ民政局内で当該まずい添え物規定をそもそも最初に起草したのはだれなのだとの犯人捜しが始まります。

下手人は,割れています。

本職は米国国務省の外交官であったところのリチャード・A・プール海軍少尉です(当時26歳)。

日本国憲法4条1項の規定の濫觴としては,GHQ草案の作成過程の初期において,1946年2月6日の民政局運営委員会(ケーディス大佐,ハッシー中佐及びラウエル中佐並びにエラマン女史)との会合に,プール少尉及びネルソン陸軍中尉の天皇,条約及び授権員会から次のような案文が提出されていました(国立国会図書館「日本国憲法の誕生」の「314 GHQ原案」参照。下線はいずれも筆者によるもの)。

 

Article IV.  All official Acts and utterances of the Emperor shall be subject to the advice and consent of the Cabinet. The Emperor shall have such duties as are provided for by this Constitution, but shall have no governmental powers, nor shall he assume or be granted such powers. The Emperor may delegate his duties in such manner as may be provided by Law.

When a regency is instituted in conformity with the provisions of such Imperial Home Law as the Diet may enact, the duties of the Emperor shall be performed by the Regent in the name of the Emperor; and the limitations on the functions of the Emperor contained herein shall apply with equal force to the Regent.

 

 日本国憲法4条1項に対応する部分は,「天皇は,この憲法の定める義務を有するが(but),政治の大権(governmental powers)を有さず,かつ,そのような大権を取得し,又は与えられることはない。」となっています。天皇はこの憲法の定める仕事をする,しかしながら(but)政治の大権は有さないのである,というのですから,同年8月6日のケーディス大佐の前記発言に至るまで,当該条文の構造に係るGHQの論理(逆接とするもの)は一貫していたわけです。

 これが,GHQ草案の前の天皇,条約及び授権委員会の最終報告書では次のようになります。

 

 Article     The advice and consent of the Cabinet shall be required for all acts of the Emperor in matters of State, and the Cabinet shall be responsible therefor. The Emperor shall perform such state functions as are provided for in this Constitution. He shall have no governmental powers, nor shall he assume or be granted such powers. The Emperor may delegate his functions in such manner as may be provided by law.

       When a regency is instituted in conformity with the provisions of such Imperial House Law as the Diet may enact, the duties of the Emperor shall be performed by the Regent in the name of the Emperor; and the limitations on the functions of the Emperor contained herein shall apply with equal force to the Regent.

 

「天皇は,この憲法の定める国の職務(state functions)を行う。天皇は,政治の大権を有さず,かつ,そのような大権を取得し,又は与えられることはない。」ということで,「義務(duties)」の代わりに「国の職務」という言葉が出てきます。また,butでつながれた一つの文であったものが,二つの文に分割されています。

日本国憲法4条1項前段の「のみ(only)」の文言はなお欠落していましたが,当該文言は1946年2月13日のGHQ草案には存在します。すなわち,天皇,条約及び授権委員会からの最終報告の後,同月12日の最終の運営委員会あたりでこの「のみ(only)」は挿入されたものでしょう。ホイットニー准将か,ケーディス大佐か,ハッシー中佐か,ラウエル中佐か。だれの手によるものかは筆者には不明です。

 

(3)最後の小説

Governmental powersとの語は,プール少尉らの最初の案から使用されていたものです。

プール少尉の高祖父であるエリシャ・ライス大佐は幕末における箱館の初代米国領事ですから,当然プール少尉は,自分の高祖父が箱館にいた時代の日本は「政治の大権」を江戸幕府が把持していて軍人勅諭のいうところの「浅間しき次第」ではあったが,天皇はやはりなお天皇であった,ということは知っていたことでしょう。

高祖父以来代々日本に住んで仕事をしていた一族の家系に生まれ,少年時代を横浜で過ごした1919年生まれのプール少尉が最初の案を起草した天皇のgovernmental powers放棄規定を受け取るに至った1877年生まれの松本烝治憲法担当国務大臣が,自らのモデル案を作成の際,「なにぃ,「天皇ハ政治ノ大権ヲ有セス又此ヲ把握シ又ハ賦与セラルルコト無カルヘシ」だとぉ。GHQはワシントン幕府の東京所司代のつもりかぁ。増長しおって。後水尾天皇の御宸念がしのばれることだわい。」と憤然口汚くののしりつつも,あっさり尊皇的闘争をあきらめて,「政治ニ関スル権能」ではなくあえておおらかに「政治ノ大権」の語を採用していたならばどうだったでしょうか。

 

芦原やしげらば繁れ荻薄とても道ある世にすまばこそ

 

天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,政治の大権を有しない。

 

日本国憲法4条1項の前段と後段との関係をめぐる議論は本来的形式説で片が付き,同項後段は政体の転換を闡明するための宣言的規定と解されて天皇の日常を規制するinstructionとまでは受け取られなかった,ということになったかどうか。

「天皇は,国政に関する権能を有さない」という規範の存在は,天皇を寡黙にさせるものなのでしょう。しかしながら,更に当該規範を積極的に振り回す横着な実力者が登場して寡黙が沈黙にまで至ると・・・木を以て作るか,金を以て鋳るかした像を連想するような者も出て来る可能性があり・・・本稿冒頭での高師直想起につながるわけです。

 

 「「木を以て作るか,金を以て鋳るかして,生きたる院,国王をば,いづくへも皆流し捨てばや」発言とそれからの随想」(20161030日)

  http://donttreadonme.blog.jp/archives/1062095479.html

 

10 跋

ところで,実は,1994年6月12日,米国コロンビア特別区ワシントン市で,米国訪問中の今上天皇と「知日派の米国人」プール少尉とが会話する機会があったという事実があります。

しかし,日本国憲法4条1項後段規定の現在唯一の名宛人被規律者である今上天皇と当該規定の立案責任者であった元日本占領軍士官との間で,本稿で以上論じたようなことどもを十分語り尽くすだけの時間があったものかどうか・・・。

松本烝治は,「実は,私は今の憲法に何と書いてあるか見たことがないのです。それほど私は憲法が嫌いになったのです・・・」(児島380頁)と日本国憲法に背を向け,195410月8日に死去していました。

 

「「知日派の米国人」考」(2014年3月4日)

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1000220558.html

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

郵便:1500002  東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16  渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp