2016年02月

(承前。http://donttreadonme.blog.jp/archives/1052466195.html)

5 裁判例

 裁判所の解釈をいくつか見てみましょう。

 

(1)昭和53年富山家庭裁判所審判

 富山家庭裁判所昭和531023日審判(昭和53年(家)第326号限定承認申述受理申立事件)(家月31942,判時917107頁)は,「前示・・・1ないし5の事実は,その動機が大口の相続債権者の示唆によるものであり,また,本件遺産中の積極財産の処分が,もつぱらその消極財産の弁済に充当するためなされたものであることを考慮に容れても,処分された積極財産が本件のすべての積極財産中に占める割合などからみて,その結果,本件遺産の範囲を不明確にし,かつ,一部相続債権者(特に大口の相続債権者)の本件相続債務に対する権利の行使を著しく困難ならしめ,ひいては本件相続債権者間に不公平をもたらすことになることはこれを否定できないので,前示のような行為は,民法921条第1号にいういわゆる法定単純承認に該当する事由と解せざるを得ない。」と判示しています。「1ないし5の事実」は,次のとおり。被相続人の妻M及び被相続人とMとの間の二人の息子が相談の上行った事実です。本件における被相続人は,生前事業をしていました。

 

 1 昭和53年2月27日,前示ロの普通預金から219,000円を払い戻し,これに申述人M所有の現金を加えて資金をつくり,

 2 同年3月6日ころ,前示ハの株式全部〔株式会社A,券面額合計2,485,000円〕を,株式会社Bに対する買掛金債務(手形取引による分で,前示ホ〔支払手形(合計約2800万円)〕の一部であり,1,000万円以上と推定される)の代物弁済として提供し,

 3 同年3月20日ころ,前示1の資金をもつて前示トの買掛金債務〔株式会社Bに対するもので手形取引外の分728,147円〕を弁済し,

 4 同日ころ,被相続人が生前に受領していた約束手形1枚(額面100万円),および,前示1の資金のうちの現金58万円をもつて,前示チの買掛金債権〔株式会社Aに対する買掛金1,580,866円〕を弁済し(残額866円の支払義務は免除されている),

 5 前示ニの売掛金債権〔C合資会社に対する売掛金(373,000円)〕全額を回収して,同年4月1日ころヘの買掛金債務〔株式会社Dに対する買掛金(304,956円)〕への弁済に充当し(過払分について申述人らはまだその返還を受けていない)た事実

 

1の前半を見ると,この場合,元本の領収は保存行為に当たらないということでしょうか。2は代物弁済ですが,代物弁済については「相続人・・・カ限定承認申述前為シタル前記代物弁済ハ其ノ目的タル不動産ノ所有権移転行為トシテ被相続人・・・ノ為シタル代物弁済予約ニ基クモノナルト否トニ拘ラス相続財産ノ一部ノ処分ニ外ナラサルモノトス」とする判例があります(大審院昭和12年1月30日判決・民集161)。株式の譲渡の部分が相続財産の一部の処分ということになるようです。3は弁済。4の「弁済」中約束手形による部分は代物弁済,現金部分は弁済でしょう。5は債権の取立て及び債務の弁済ですが,債権の取立てに関しては「上告人〔相続人〕が右のように妻W〔被相続人〕の有していた債権を取立てて,これを収受領得する行為は民法921条1号本文にいわゆる相続財産の一部を処分した場合に該当するもの」とする判例があります(最高裁判所昭和37621日判決・家月1410100)。この判例に関しては「単なる取立ては保存行為管理行為と考えるべきだろうから,取り立てた金を固有財産と明分して管理している事実が証明されれば法定単純承認は否定され得る」と説かれていますが(新版注釈民法(27)〔補訂版〕491頁(谷口知平=松川正毅)),当該学説に従えば,5では取り立てた金銭は分別管理されていたようですから,専ら弁済の方が問題とされたということになるのでしょうか。

本件審判の読み方は難しい。「1ないし5の事実」は,全体として民法921条1号の法定単純承認をもたらしているのか,それとも各個の事実がそれぞれ法定単純承認をもたらしているのか,という問題がまずあります。しかし,いずれにせよ,法定単純承認となることを避けたいのならば相続債権者に対する債務の弁済のためであっても積極財産の処分は一切許されないし,相続債権者に対する相続財産からの弁済もそもそも一切許されない,ということではないのでしょう。期限の到来した債務を弁済することは保存行為に該当するのが原則であるということを前提とした上で,当該審判については次のように解せられないでしょうか。すなわち,相続債権者に対する相続財産による弁済の場合においては,弁済をするに至った事情,積極財産中処分されたものの割合の大きさ,相続財産と固有財産との分別が不明確になった度合い及び他の相続債権者に及ぶ不利益の大きさを勘案して,民法921条1号ただし書の保存行為に当たらないことになることがあり得るし,相続債権者に対する弁済のために相続財産を処分する場合には,上記事項を勘案して上記保存行為に当たるものとされることがあり得るということを示した審判であるというふうに。

 

(2)昭和54年大阪高等裁判所決定

 行方不明となっていた男性(被相続人)が死亡したと警察から連絡を受けて,その妻及び子ら2名(相続人ら)が警察署に駆けつけて火葬場で被相続人の遺骨を貰い受けた際,同署から①「金2万0,423円の被相続人の所持金と,ほとんど無価値に近い着衣,財布などの雑品の引渡を受け」,②「その場で医院への治療費1万2,000円,火葬料3万5,000円の請求を受けたので,右被相続人の所持金に抗告人ら〔相続人ら〕の所持金を加えてこれを支払つた」行為に関して大阪高等裁判所昭和54年3月22日決定(家月311061,判時93851)は,①については「右のような些少の金品をもつて相続財産(積極財産)とは社会通念上認めることができない(このような経済的価値が皆無に等しい身回り品や火葬費用等に支払われるべき僅かな所持金は,同法〔民法〕897条所定の祭祀供用物の承継ないしこれに準ずるものとして慣習によつて処理すれば足りるものであるから,これをもつて,相続財産の帰趨を決すべきものではない)。」と判示し,②については「前示のとおり遺族として当然なすべき被相続人の火葬費用ならびに治療費残額の支払に充てたのは,人倫と道義上必然の行為であり,公平ないし信義則上やむを得ない事情に由来するものであつて,これをもつて,相続人が相続財産の存在を知つたとか,債務承継の意思を明確に表明したものとはいえないし,民法921条1号所定の「相続財産の一部を処分した」場合に該るものともいえないのであつて,右のような事実によつて抗告人〔相続人ら〕が相続の単純承認をしたものと擬制することはできない。」と判示しています。

なお,②に関する判示は,「医院への治療費1万2,000円,火葬料3万5,000円」の債務は相続財産たる消極財産には当たらないとする客観面の部分(「相続人が相続財産の存在を知つたとか・・・いえない」)と,「人倫と道義上必然の行為であり,公平ないし信義則上やむを得ない事情に由来する」弁済をもって債務承継の意思を表明したものと擬制することはできないとする主観面の部分(別の箇所で「921条による単純承認の擬制も相続人の意思を擬制する趣旨であると解すべき」と判示されています。)とに分けて理解すべきでしょうか。債務の種類及び額が問題になるようです。

 

(3)平成10年福岡高等裁判所宮崎支部決定

 福岡高等裁判所宮崎支部平成101222日決定(家月51549)は,「抗告人ら〔相続人ら〕代理人はその熟慮期間中に,本件保険契約によって受領した〔相続人らの固有財産である被相続人の死亡〕保険金〔200万円〕を,抗告人らの意向を受けて,被相続人の債務の一部である○○農業協同組合に対する借受金債務330万円の〔一部の〕弁済に充てた」行為について,「抗告人らのした熟慮期間中の被相続人の相続債務の一部弁済行為は,自らの固有財産である前記の死亡保険金をもってしたものであるから,これが相続財産の一部を処分したことにあたらないことは明らかである。」と判示して,相続人らの相続放棄の申述は受理されるべきものと判示しています。

 相続債権者に対する被相続人の債務の弁済は,相続人の固有財産からその資金を出しておけば法定単純承認になることはない,ということでしょうか。そうであれば,分かりやすい解釈です。

 しかし,自腹を切ってまでの弁済は,かえって「債務承継の意思を明確に表明したもの」(前記大阪高等裁判所決定参照)と解され,単純承認の黙示の意思表示が認定され得べきおそれがあるもののようにも思われます。

 なお,相続財産からの相続債権者に対する弁済は全て法定単純承認の事由となる,とまでの反対解釈をする必要はないのでしょう。

 

(4)平成27年東京地方裁判所判決

 東京地方裁判所平成27年3月30日判決(平成25年(ワ)第31643号求償金請求事件)は,平成25年5月21日の被相続人の死亡後熟慮期間中にその保証債務の弁済を行っていた相続人(主債務者でもある。その債務額は昭和631221日現在で1750842円であった。)がその後した相続の放棄に関して,「本件相続開始後弁済がされたのは,平成25年5月31日及び同年7月1日と,いずれもC〔被相続人〕の相続放棄の熟慮期間中のものであり・・・,かつ,本件相続開始後弁済は,期限が到来した債務の弁済として,法定単純承認事由に該当しない保存行為である(民法921条1号ただし書)。」と述べた上で,当該相続の放棄の有効性を前提とした判示をしています。弁済資金が,相続財産から出たのか相続人の固有財産から出たのかは問題にされていません。

 しかし,「本件相続開始後弁済は,期限が到来した債務の弁済として,法定単純承認事由に該当しない保存行為である(民法921条1号ただし書)」と端的に判示されると,民法103条の管理行為への該当性を問題とした当初の場面に戻って来たわけですね。すがすがしい感じがします。

 

6 フランス民法784

 なお,相続人による相続債権者に対する弁済に関する問題について参考になる規定はないかと探したところ,2006年法によって設けられたフランス民法784条(第3項4号は2015年法により挿入)が次のように規定していました(同条は,同条1項に対応する規定のみであったナポレオンの民法典の第779条を拡充したもの)。

 フランス民法では,相続の単純承認(l’acceptation pure et simple de la succession)は意思表示に基づくものであって,当該意思表示には明示のものと黙示のものとがあります(同法782条)。

 

 第784条 暫定相続人(le successible)が相続人と称さず,又は相続人としての立場をとらなければ(n’y a pas pris le titre ou la qualité d’héritier),純粋保存(purement conservatoires)若しくは調査(surveillance)の行為又は暫定的管理行為(les actes d’administration provisoire)は,相続の承認とされることなく行われることができる。

 ② 相続財産(la succession)の利益のために必要な他の全ての行為であって,暫定相続人が相続人と称さず,又は相続人としての立場をとらずに行おうとするものについては,裁判官の許可を得なければならない。

③ 次に掲げるものは純粋保存に係るものとみなされる(Sont réputés purement conservatoires)。

  一 葬式及び最後の疾病の費用,故人の負担に係る租税,家賃(loyers)並びに他の相続債務であってその決済が急を要するもの(dont le règlement est urgent)の支払(paiement

  二 相続財産に係る天然及び法定果実の収取(le recouvrement des fruits et revenus

des biens successoraux)又は損敗しやすい物の売却。ただし,当該資金が前号の債務の弁済に用いられ,又は公証人に寄託され,若しくは供託されたことを証明(justifier)しなければならない。

    三 消極財産の増加(l’aggravation du passif successoral)を避ける(éviter)ための行為

四 死亡した個人的使用者(particulier employeur)の労働者(salarié)に係る労働契約の終了(rupture)に関する行為,労働者に対する報酬及び損害賠償金の支払並びに契約の終了に係る書類の交付

 ④ 日常業務(opérations courantes)であって,相続財産(la succession)に依存した(dépendant)事業の活動の当面の継続に必要なものは,暫定的管理行為とみなされる。

 ⑤ 賃貸人又は賃借人としての賃貸借の更新であってそれをしなければ損害賠償金を支払わねばならないもの並びに故人によりなされ,かつ,事業の良好な運営(bon fonctionnement)のために必要な管理又は処分に係る決定の実行は,同様に,相続の黙示の承認(acceptation tacite)とされずに行われ得るものとみなされる。

 

およそ「期限が到来した債務の弁済」は全て純粋保存行為だとまでは広くかつ端的に規定されていません。第3項1号及び4号との関係からすると同項3号に債務の弁済まで読み込み得るのかどうかは考えさせられるところです(インターネットで調べると,同号の行為の例としては,賃借契約の解除及び応訴がパリのSabine Haddad弁護士によって挙げられていました。)。しかし,十分参考になる規定だと思われます。病院への支払,自宅の電気・ガス・水道等の料金支払はこれでいけそうです。無論,ことさらに「相続人として,親から相続した私の債務として承認して弁済します。」などと明示されると困ったことになるでしょうが。

 

 内田〔貴〕 私は〔星野英一〕先生の授業のプリントを下敷きにして講義を始めまして,そうやって徐々にできあがった講義ノートをもとに教科書を書いたものですから,私の教科書は星野理論を万人にわかるように書いたものであると言われるのです。・・・(星野英一『ときの流れを超えて』(有斐閣・2006年)225頁)

 

星野〔英一〕 ・・・解釈論の最後のところは利益考量・価値判断だけれども,まず条文を見る。初めは文法的な解釈つまり文理解釈や他の条文との関係から考える論理解釈をしますが,それだけではよくわからないので,日本のような継受法においては,その沿革の研究が不可欠だと考えていました。これは,「民法解釈論序説」で書いていることで,「日本民法典に与えたフランス民法の影響」の二つの論文は,一体のつもりです。・・・(星野・同書155頁)

 ・・・

  ・・・特に外国法は現地に行ってよく調べてきて,単に条文上のことを知るだけでなく,実際の運用を含めて各国の制度を理解するなどは,日本の制度の理解のためにも立法論にとっても大いに役立つことでいいことです。・・・(星野・同書328頁)

追記

20161013日から成年後見の事務の円滑化を図るための民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律(平成28年4月13日法律第27号)が施行され,民法873条の次に次の一条が加えられました。

 

  (成年被後見人の死亡後の成年後見人の権限)

 第873条の2 成年後見人は,成年被後見人が死亡した場合において,必要があるときは,成年被後見人の相続人の意思に反することが明らかなときを除き,相続人が相続財産を管理することができるに至るまで,次に掲げる行為をすることができる。ただし,第3号に掲げる行為をするには,家庭裁判所の許可を得なければならない。

  一 相続財産に属する特定の財産の保存に必要な行為

  二 相続財産に属する債務(弁済期が到来しているものに限る。)の弁済

  三 その死体の火葬又は埋葬に関する契約の締結その他相続財産の保存に必要な行為(前2号に掲げる行為を除く。)

 

民法873条の2第3号後段は「その他相続財産の保存に必要な行為(前2号に掲げる行為を除く。)」と規定していますので,わざわざ「相続財産の保存に必要な行為」から除かれている同条2号の「相続財産に属する債務(弁済期が到来しているものに限る。)の弁済」は,本来「相続財産の保存に必要な行為」であるということになります。相続財産の処分であっても民法921条1号ただし書の「保存行為」に該当するものとして法定単純承認をもたらすものではないものはどのようなものか,についての解釈問題にとっても重要な条文であることになるものでしょう。(ただし,四文字熟語の「保存行為」ではなく「相続財産の保存に必要な行為」という文言が用いられています。)

平成28年法律第27号は議員立法(衆議院内閣委員会)であったのですが,法務省のウェッブ・ページに,民法873条の2第2号及び第3号の「具体例」が示されています。同条2号については「成年被後見人の医療費,入院費及び公共料金等の支払」が掲げられ,同条3号については「遺体の火葬に関する契約の締結」並びに「成年後見人が管理していた成年被後見人所有に係る動産の寄託契約の締結(トランクルームの利用契約など)」,「成年被後見人の居室に関する電気・ガス・水道等供給契約の解約」及び「債務を弁済するための預貯金(成年被後見人名義口座)の払戻し」が掲げられています。

なお,民法873条の2第3号の前段と後段とは「その他の」ではなく「その他」で結ばれていますから,「その遺体の火葬又は埋葬に関する契約の締結」は,そもそも「相続財産の保存に必要な行為」ではないことになります(「「その他」は,・・・「その他」の前にある字句と「その他」の後にある字句とが並列の関係にある場合に,「その他の」は,・・・「その他の」の前にある字句が「その他の」の後にある,より内容の広い意味を有する字句の例示として,その一部を成している場合に用いられる。」(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)620頁))。遺骨についてですが,「遺骨については,戦前の判例に相続人に帰属するとしたものがあるが(大判大正10年7月25日民録271408),そもそも,被相続人の所有物とはいえないから相続の対象になるというのはおかしい」といわれています(内田Ⅳ・372頁)。

 

前編はこちら:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1052466195.html

    


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1 熟慮期間中の相続債権者への弁済に関する「教科書」の説明あるいはその欠缺

 

(1)Tout homme est mortel.

人はだれでもいつかは死にます。

ある人が死んだ際,当該故人(被相続人)は,通常,死亡するまで入院していた病院への支払や,自宅の電気・ガス・水道等の料金支払その他に係る債務を残しているものです。親の死に目に立ち会った子(子は相続人です(民法887条1項)。)は,相続財産を管理すべき者として早速これらの債務に係る債権者(相続債権者)に応接しなければなりません(同法918条1項参照)。しかし,当該被相続人は他にも借金を抱えているかもしれないから相続の放棄(民法939条)をすべきかもしれぬとその相続人が考えている場合,当該相続人は,病院以下の相続債権者にどう対応すべきか。相続の放棄をするためには,当該相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に,その旨を,被相続人の住所地を管轄する家庭裁判所に申述書の提出をもって申述しなければなりませんが(民法883条・915条1項・938条,家事事件手続法201条1項・5項),当該申述前に相続財産について保存行為ではない処分や長期の賃貸をうっかりしてしまうと,単純承認をしたということでもはや相続の放棄はできなくなります(民法920条・921条1号)。くわばらくわばら。さて,相続債権者に対する弁済は,法定単純承認を構成する相続財産の処分(民法921条1号)となるものか否か。親の死の時まで親身で面倒を見てくださったお医者さまや関係者には直ちに報酬を差し上げ,又は支払を済まさなければ人の道に反するし,さりとて,人の道が負債地獄につながる道となってしまっても恐ろしく,実は悩ましい問題です。

 

(2)「内田民法」

民法教科書の代表として,内田貴教授の『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)を調べてみましょう。

まず,民法921条1号について。

 

 民法は単純承認が意思表示によってなされることを前提としつつ,以下の3つの場合に単純承認がなされたものとみなすという規定を置いている。これを法定単純承認という。

 第1に,相続人が,選択権行使前に相続財産の全部または一部を処分したとき(921条1号)。ただし,保存行為および602条に定める短期の期間を超えない賃貸をすることはここでいう処分にはあたらない。(内田Ⅳ・344頁)

 

これは,民法の条文そのままですね。本件の問題についての参考にはならない。

ちなみに,「保存行為」についての内田教授の解説は,権限の定めのない代理人の権限について定める民法103条1号の保存行為について,次のようなものです。

 

「保存行為」,すなわち,財産の現状を維持する行為は当然になしうる(1号)。例えば,窓ガラスが割れたのでガラス屋で買ってくるとか(売買契約),雨漏りするので大工に屋根を直してもらうなど(請負契約)。(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)122頁)

 

これも,債権者に対する債務の弁済について触れるところがないですね。やはり参考にならない。

相続の承認又は放棄前の熟慮期間中(民法915条1項参照)における相続財産の管理に関する「内田民法」の説明もまた,参考になりません。

 

熟慮期間中,相続財産は不安定な状態に置かれる。そこで,その管理について民法は特に規定を置いている。すなわち,相続人は選択権を行使するまで,相続財産を「その固有財産におけると同一の注意を以て」管理しなければならない(918条1項)。そして,家庭裁判所は,利害関係人または検察官の請求により,いつでも相続財産の保存に必要な処分を命ずることができる(同条2項)。たとえば,財産管理人の選任などであり,その場合は,不在者の財産管理に関する総則の規定が準用される(同条3項)。(内田Ⅳ・348頁)

 

民法918条の条文そのままです。学生向けの「教科書」だから,これでよいのでしょうか。しかし,いかにもよくありそうな現実の問題について端的な回答を求めようとすると,つるつると,これほど取りつく島がないとは意外なことです。

本稿は,「教科書」の範囲を超えて,熟慮期間中の相続人による相続債権者に対する弁済が法定単純承認を構成するものになるのかどうかについて検討するものです。

 

(参照条文)

 

民法28条 管理人は,第103条に規定する権限を超える行為を必要とするときは,家庭裁判所の許可を得て,その行為をすることができる。〔以下略〕

 

同法103条 権限の定めのない代理人は,次に掲げる行為のみをする権限を有する。

 一 保存行為

 二 代理の目的である物又は権利の性質を変えない範囲内において,その利用又は改良を目的とする行為

 

同法883条 相続は,被相続人の住所において開始する。

 

同法887条1項 被相続人の子は,相続人となる。

 

同法915条1項 相続人は,自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に,相続について,単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし,この期間は,利害関係人又は検察官の請求によって,家庭裁判所において伸長することができる。

 

同法918条 相続人は,その固有財産におけるのと同一の注意をもって,相続財産を管理しなければならない。ただし,相続の承認又は放棄をしたときは,この限りでない。

2 家庭裁判所は,利害関係人又は検察官の請求によって,いつでも,相続財産の保存に必要な処分を命ずることができる。

3 第27条から第29条までの規定は,前項の規定により家庭裁判所が相続財産の管理人を選任した場合について準用する。

 

同法920条 相続人は,単純承認をしたときは,無限に被相続人の権利義務を承継する。

 

同法921条 次に掲げる場合には,相続人は,単純承認をしたものとみなす。

 一 相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし,保存行為及び第602条に定める期間を超えない賃貸をすることは,この限りでない。

 二 相続人が第915条第1項の期間内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき。

 三 相続人が,限定承認又は相続の放棄をした後であっても,相続財産の全部若しくは一部を隠匿し,私にこれを消費し,又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし,その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は,この限りでない。

 

同法927条1項 限定承認者は,限定承認をした後5日以内に,すべての相続債権者(相続財産に属する債務の債権者をいう。以下同じ。)及び受遺者に対し,限定承認をしたこと及び一定の期間内にその請求の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において,その期間は,2箇月を下ることができない。

 

同法928条 限定承認者は,前条第1項の期間の満了前には,相続債権者及び受遺者に対して弁済を拒むことができる。

 

同法938条 相続の放棄をしようとする者は,その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。

 

同法939条 相続の放棄をした者は,その相続に関しては,初めから相続人とならなかったものとみなす。

 

同法941条 相続債権者又は受遺者は,相続開始の時から3箇月以内に,相続人の財産の中から相続財産を分離することを家庭裁判所に請求することができる。相続財産が相続人の固有財産と混合しない間は,その期間の満了後も,同様とする。

2 家庭裁判所が前項の請求によって財産分離を命じたときは,その請求をした者は,5日以内に,他の相続債権者及び受遺者に対し,財産分離の命令があったこと及び一定の期間内に配当加入の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において,その期間は,2箇月を下ることができない。

〔第3項略〕

 

同法947条1項 相続人は,第941条第1項及び第2項の期間の満了前には,相続債権者及び受遺者に対して弁済を拒むことができる。

 

家事事件手続法201条 相続の承認及び放棄に関する審判事件(別表第1の89の項から95の項までの事項についての審判事件をいう〔相続の放棄の申述の受理は95の項の事項〕。)は,相続が開始した地を管轄する家庭裁判所の管轄に属する。

 〔第2項から第4項まで略〕

5 限定承認及びその取消し並びに相続の放棄及びその取消しの申述は,次に掲げる事項を記載した申述書を家庭裁判所に提出してしなければならない。

 一 当事者及び法定代理人

 二 限定承認若しくはその取消し又は相続の放棄若しくはその取消しをする旨

 〔第6項略〕

7 家庭裁判所は,第5項の申述の受理の審判をするときは,申述書にその旨を記載しなければならない。この場合において,当該審判は,申述書にその旨を記載した時に,その効力を生ずる。

 〔第8項から第10項まで略〕

 

2 民法921条1号の「保存行為」と同法103条1号の保存行為

 

(1)民法103条1号の保存行為

 前記のとおり,熟慮期間中の相続債権者に対する弁済が相続財産の処分であるとしても,民法921条1号ただし書の「保存行為」に該当するのであれば,当該弁済が法定単純承認をもたらすことはなく,相続人はなお相続の放棄をなし得るはずです。そして,民法918条3項は,家庭裁判所が熟慮期間中の相続財産の保存に必要な処分として命ずることのあることの中に相続財産の管理人の選任があり,かつ,当該財産管理人の権限には同法28条の規定が準用されることを明らかにしています。民法28条は,管理人の権限について同法「第103条に規定する権限」を問題にしています。民法918条3項に基づく相続財産の管理人についても同法103条が問題になるわけです。相続財産について問題になる民法921条1号の「保存行為」も,同法103条1号の保存行為と同じものと解してよいように一応思われます。

 民法103条1号の保存行為については,次のように説かれています(なお,各下線は筆者によるもの)。いわく,「保存行為とは,財産の現状を維持する行為である。家屋の修繕・消滅時効の中断などだけでなく,期限の到来した債務の弁済,腐敗し易い物の処分のように,財産の全体から見て現状の維持と認めるべき処分行為をも包含する。ただし,物価の変動を考慮し,下落のおそれの多いものを処分して騰貴する見込の強いものを購入することは,一般に,改良行為であって,保存行為には入らない。また,物の性質上滅失・毀損のおそれがあるのでなく,戦災で焼失するおそれがあるとして処分して金銭に変えることも,原則として,保存行為に入らないというべきであろう(最高判昭和2812281683頁(応召する夫から財産管理の委任を受けた妻は家屋売却の権限なし))。保存行為は代理人において無制限にすることができる。」と(我妻榮『新訂 民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)339340頁)。またいわく,「保存行為とは,財産の現状を維持する行為である。家屋修繕のための請負契約,時効中断,弁済期後の債務の弁済などである。」と(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)216頁)。更にいわく,「保存行為とは,財産の保全すなわち財産の現状を維持するのに必要ないつさいの行為をいう。家屋の修繕・消滅時効の中断などだけでなく,期限の到来した債務の弁済や腐敗し易い物の処分などのように,財産の全体から見て現状の維持と認めるべき処分行為をも包含すると一般に解されている(富井504,鳩山・註釈290,沼(1)171,我妻339。岡松・理由233は,元本の弁済はなしえないという)。」と(於保不二雄編『注釈民法(4)総則(4)』(有斐閣・1967年)49頁(浜上則雄))。期限の到来した債務の弁済は,保存行為ということになるようです。

なるほど,そうであればこそ,次のように説かれ得るわけでしょう。いわく,「・・・相続人は熟慮期間中といえども相続財産を管理・保存する義務を負担するのであるから(918条),その履行としての保存行為や短期賃貸借契約の締結(602条)はここにいう処分には該当しない。また遺族としての葬式費用の支出や,慣習に基づく軽微の形見分けや,あるいは賃借料の支払のようなものも,同様に処分にはならないと解すべきである。」と(我妻榮=有泉亨著・遠藤浩補訂『新版 民法3 親族法・相続法』(一粒社・1992年)327頁。下線は筆者による。)。賃借料の支払は,債務の弁済ですね。

 

(2)管理行為など(岡松説にちなんで)

さて,これで一件落着か。しかし,「岡松・理由233は,元本の弁済はなしえないという」(前記・注釈民法(4)49頁)という辺りが不気味です。岡松参太郎は電車の回数券の性質論において松本烝治を破った恐るべきライヴァルでした(「鉄道庁長官の息子と軌道の乗車券:鉄道関係法の細かな愉しみ」donttreadonme.blog.jp/archives/1003968039.html参照)。なお,「元本」とは,「貸金・賃貸した不動産などのように,利息・賃料その他法律にいう法定果実(88条2項)を生み出す財産」とされています(我妻83頁)。岡松博士の『註釈民法理由(総則編)』(有斐閣書房・1899年・訂正12版)を見てみると,「利息ノ弁済」は民法103条1号の保存行為であるとしつつ(232頁),同条で与えられる権限(管理行為をする権限(我妻339頁等))について「〔為ス能ハサル行為ノ重ナルモノハ訴訟,和解,裁判,売買,贈与,交換,物権ノ設定,元本ノ弁済等〕。」とあります(233頁)。

これは一体どういう根拠によるものか。当該引用括弧内部分を見ると,被保佐人が保佐人の同意を得ずになし得る行為に係る民法13条1項の列挙規定が想起されます。また,『註釈民法理由(総則編)』における民法103条の解説に当たって岡松博士が掲げる参照条文には旧民法人事編193条及び194条並びに財産取得編232条があります(230頁)。旧民法人事編193条は「後見人ハ未成年者ノ財産ニ付テハ管理ノ権ヲ有スルニ止マリ此権外ノ行為ハ法律ニ定メタル条件ニ依ルニ非サレハ之ヲ為スコトヲ得ス」と規定し(下線は筆者によるもの),同編194条の第1は「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」に関しては後見人は親族会の許可を得るべきものとしています。すなわち,そうしてみると,「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」は管理行為ではないわけです(なお,同条には,債務の弁済については親族会の許可を得べきものとする端的な規定はありません。)。旧民法財産取得編232条1項は「代理ニハ総理ノモノ有リ部理ノモノ有リ」と規定し,同条2項は「総理代理ハ為ス可キ行為ノ限定ナキ代理ニシテ委任者ノ資産ノ管理ノ行為ノミヲ包含ス」と規定しています(下線は筆者によるもの。なお,フランス民法1988条1項は「総理の委任(le mandate conçu en termes généraux)は,管理行為(les actes d’administration)のみを包含する。」と規定しています。)。したがって,岡松博士は,「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」は,権限の定めのない代理人に係る現行民法103条の権限(管理行為を行う権限)にも含まれないと書こうとして「元本ノ弁済」と書いてしまったのでしょうか。「元本ノ弁済」を,元本の利用の終了に係る「元本ノ弁済ヲ受ケルコト」を意味するものと考えるとよりもっともらしいところです。現行民法13条1項1号は,「元本を領収し,又は利用する」ためには,被保佐人は保佐人の同意を得なければならないものとしています。ちなみに,インターネットで見ることのできる大津家庭裁判所の説明書「保佐人の仕事と責任」(日付なし)には,元本の領収又は利用の例として,「預貯金の払い戻し」,「貸したお金を返してもらうこと」及び「お金を貸すこと(利息の定めがある場合)」の三つが挙げられています。しかし,岡松博士の元本ノ弁済=非管理行為説の意味するところは,なおよく分からないとしておくべきでしょう。(ところで,現民法の規定によれば,未成年後見人は,未成年被後見人に代わって元本を領収し,又は未成年被後見人が元本を領収することに同意することについては,後見監督人(かつては親族会)の同意を得る必要はありません(民法864条ただし書,旧929条ただし書)。民法13条1項1号の「元本の領収」の部分が除かれているのは,梅謙次郎によれば「準禁治産者ハ元本ヲ領収スルトキハ動モスレハ之ヲ浪費スルノ危険アルヲ以テ特ニ保佐人ノ同意ヲ得ヘキモノトセリト雖モ後見人ニ付テハ同一ノ理由ナキカ故ニ敢テ親族会ノ同意ヲ要セサルモノトス」ということであったそうです(梅謙次郎『民法要義巻之四』(和仏法律学校=明法堂・1899年)480頁)。当時の準禁治産者には,心神耗弱者のほか浪費者もなり得ました。)

 

(3)民法921条1号の「保存行為」

 ところで,更に細かく考えてしまうと,民法103条1号の保存行為は管理行為の部分集合であるのに対して,同法921条1号ただし書の「保存行為」は,文言上,処分行為(「相続財産の全部又は一部を処分」)の部分集合となっているようです。しかして,管理行為と処分行為とは,対立するものとされています。「処分」とは,私法上「財産権の移転その他財産権について変動を与えることをいい,管理行為に対する意味に用いられる。」とされています(吉國一郎ほか編『法令用語辞典【第八次改訂版】』(学陽書房・2001年)428頁)。そうだとすると,民法921条1号ただし書の「保存行為」は,管理行為たる保存行為とは異なる処分行為たる「保存行為」ということになるのでしょうか。それともやはり管理行為たる保存行為なのでしょうか。この点は,「もっとも,財産全体の管理と個々の物又は権利の管理とでは,その管理も,おのずから異なるのであつて,財産の管理においては,その財産の一部を成している個々の物又は権利の処分も,その財産全体の保存,利用又は改良となつて,管理の範囲に包含されることもある(例―民法25Ⅰ・27Ⅰ・758Ⅱ・824828等)。」(吉國ほか編109頁)ということなのでしょう。民法918条1項に基づく管理行為は,個々の物又は権利に対するものではなく,財産を対象とするものですね。そうであれば,民法921条1号ただし書は,一見処分行為のように見える行為であっても,同法103条1号の保存行為に該当する行為や同条2号の利用行為中短期の賃貸に係る行為は管理行為であって処分行為には当たらないということを示すための為念規定ということになるのでしょう。なお,賃借権は旧民法では物権であったので,賃貸(賃借権の設定)は処分だったのでしょう。

 旧民法財産取得編323条1項の第1は,「相続財産ノ1箇又ハ数箇ニ付キ他人ノ為メニ所有権ヲ譲渡シ又ハ其他ノ物権ヲ設定シタルトキ」は「黙示ノ受諾アリトス」「但財産編第119条以下ノ制限ニ従ヒタル賃借権ノ設定ハ此限ニ在ラス」と規定していました。

 なお念のため,管理行為と民法921条1号の処分行為との関係及び同号の本文とただし書との関係について,梅謙次郎の説明を見てみましょう(梅謙次郎『民法要義巻之五〔第五版〕』(和仏法律学校=明法堂・1901年))。

 

 ・・・相続人ハ第1201条〔現行918条〕ノ規定ニ依リテ相続財産ヲ管理スル義務ヲ有スルカ故ニ(尚ホ10281040〔現行926940〕ヲ参観セヨ)処分行為ニ非サル純然タル管理行為ハ単ニ之ヲ為スノ権アルノミナラス寧ロ之ヲ為スノ義務アルモノト謂フヘシ故ニ相続財産ニ修繕ヲ加ヘ若クハ相続財産タル金銭ヲ確実ナル銀行ニ預入ルルカ如キハ相続人ノ尽スヘキ義務ニシテ為メニ単純承認ヲ為シタルモノト見做サルルノ恐ナシ(梅・五168頁)

 

 そもそも管理行為は,法定単純承認の事由とはならないのでした。

 

 ・・・尚ホ損敗シ易キ財産ヲ売却シテ其代価ヲ保管スルカ如キハ寧ロ其財産ヲ保存スルノ方法ト謂フヘク従テ学理ヨリ之ヲ言ヘハ処分ニ相違ナシト雖モ而モ保存行為トシテ純然タル管理行為中ニ包含セシムヘキコト第103条ニ付テ論シタルカ如シ又賃貸借ノ性質ニ付テハ多少ノ疑義アルヲ以テ立法者ハ第603条ニ於テ一定ノ期間ヲ超エサル賃貸借ニ限リ之ヲ管理行為ト見做スヘキコトヲ定メタリ是レ本条第1号但書ノ規定アル所以ナリ(梅・五168169頁)

 

民法921条1号ただし書は,要は,一見処分に見える行為であっても管理行為であれば管理行為であって処分行為ではない,という管理行為性を優先させる旨の規定であったようです。したがって,そこにおける「保存行為」は民法103条1号の保存行為より狭く,処分による保存行為ということになるようです。

 

3 中川理論:相続人による弁済=法定単純承認

 以上民法103条1号の保存行為について調べてみたところ,例外的に岡松参太郎博士の著書においては難しいことが書いてあるとはいえ,主要な学者らが同号の保存行為には期限の到来した債務の弁済が含まれると言っているのですから,民法918条1項の相続財産の管理において,相続人が相続債権者に対して期限の到来した債務を弁済しても,同法921条1号によって単純承認をしたものとみなされることはない,と一応はいえそうです。「拒絶権を行使しないで弁済した場合には有効な弁済であり,保存管理行為として放棄の権能を失わないものと解する。併し弁済資金を得るために相続財産を売却する行為は,本条〔918条〕第2項にいう「相続財産の保存に必要な処分」として家庭裁判所の処分命令を要するであろう。」ということになるのでしょう(中川善之助編『註釈相続法(上)』(有斐閣・1954年)235頁(谷口知平))。(なお,ここで「拒絶権」が出てくるのは,「限定承認をした場合には請求申出期間の満了前には弁済を拒絶しうるのであるから(928)態度決定前においては,弁済を拒絶しうると解しうるし,又相続債権者や受遺者が財産分離を請求しうる期間即ち相続開始より3箇月間は弁済を拒絶しうる(947)」からでしょう(同頁(谷口))。)

 しかし,現実はそう簡単ではありません。

 家族法学の大家・中川善之助博士が,民法918条1項に基づき相続財産を管理する相続人について,当該相続人が相続債権者に対して「拒絶権を行使しないでなした弁済は有効な弁済であるから,一種の遺産処分であり,相続人はこれによって,単純承認をしたものとみなされ(921条1号),限定承認及び放棄の自由を失う」と説いているからです(中川善之助『相続法』(有斐閣・1964年)241頁。下線は筆者によるもの)。松川正毅教授も「相続債務の弁済は,保存行為とはならず管理人の権限でないと考えている」ところです(谷口知平=久貴忠彦編『新版注釈民法(27)相続(2)〔補訂版〕』(有斐閣・2013年)484頁)。

 中川博士の場合,民法918条1項に基づき相続財産を管理する相続人の相続債権者に対する弁済拒否権は,民法の具体的な条文からではなく,その理論に基づき導出されているもののようです。

 

 ・・・直ちに限定承認の規定を熟慮期間に類推してよいか疑わしいようにも思われる。

  しかし限定承認もしくは放棄をなすかも知れない相続人は,一債権者に対する弁済が他の債権者を害する結果になりうることを予想しうるものと考えられるから,熟慮のために猶予された期間中は,弁済を拒絶すべきであり,従って拒絶しうるものと解すべきである。この弁済拒絶が,債権者の公平のために,権利として認められる以上,拒絶はまた義務たるの性質も与えられざるをえないことになり・・・(中川241頁)

 

「べき論」から拒絶権が,更に拒絶権の権利性から拒絶の義務が導出されています。

「この解釈は,必らずしも法的知識に豊かでない一般相続人にとっては,やや酷に過ぎる嫌いもある。」とは,中川博士が自ら認めるところです(中川241頁)。そこでこれについて同博士は,「しかし熟慮期間の後に,限定承認なり放棄なりが来る場合を想像すれば,選択の自由の代価として,相続人がこれだけの責任を負うことは,やむをえないといわなければなるまい。」と主張します(中川241頁)。しかしながらやはり,「必らずしも法的知識に豊かでない一般相続人にとっては,やや酷に過ぎる」解釈は,公定解釈としては採用し難いのではないでしょうか。

 

4 単純承認の「意思表示」と民法921条1号の「処分」

 なお,どのような行為が民法921条1号の処分に該当するかについての問題については,「わが国の多数説は,単純承認を意思表示と見ながら,しかし実際には,殆どの単純承認が921条にいわゆる法定単純承認であって,任意の意思表示としてなされることはないだろうといっている。殆どないというのは,稀にはあるというふうに聞えるが,私は寡聞にして未だ曽つて単純承認の意思表示のなされたということを聞かず,また民法にも,戸籍法にも単純承認の意思表示に関する規定はない。」(中川246頁)という事情が影響を及ぼしているようにも思われます。

 立法者は,単純承認を意思表示とし「単純承認ニ付テハ別段ノ規定ヲ設ケサルカ故ニ一切ノ方法ニ依リテ其意思表示ヲ為スコトヲ得ヘシ」とし(梅・五164頁),例として「被相続人ノ債権者及ヒ債務者ニ対シ自己カ相続人ト為リ将来被相続人ニ代ハリテ其権利義務ヲ有スヘキ旨ヲ通知シタルカ如キハ以テ黙示ノ単純承認ト為スヘキカ」と述べていました(梅・五164165頁)。黙示の意思表示それ自体の認定ということがこのように一方で想定されていたため,民法の現行921条は,例外的条項ということになっていたようです。いわく,「本条ノ場合ニ於テハ仮令相続人カ単純承認ヲ為スノ意思アラサリシコト明瞭ナル場合ニ於テモ仍ホ単純承認アルモノトス蓋シ立法者ノ見ル所ニ拠レハ本条ノ事実アリタルトキハ仮令本人ハ単純承認ノ意思ナキモ他人ヨリ之ヲ見レハ其意思アルモノト認メサルコトヲ得サルモノト見做シタルナリ」と(梅・五167頁)。本人の意思に反してでも意思表示の擬制をもたらすものですから,民法921条1号の処分は,本来は限定的に認定されるべきものだったのでしょう。

 しかしながら,「単純承認は相続人の意思表示による効果ではない」(中川246頁),「921条の場合にのみ単純承認が生」ずる(新版注釈民法(27)〔補訂版〕517頁(川井健))ということになると,当初は黙示の意思表示の認定として処理されるはずだった問題が,民法921条1号の「処分」該当性の問題として取り扱われることになり,そうであればその分同号の「処分」の範囲が弛緩せざるを得ないことになるように思われます。

(後編に続きます。
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1052466436.html)


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