1 イギリスの弁護士制度瞥見

 

(1)バリスタ

 1981年度夏学期に東京大学教養学部文科一類の1年生を相手に講ぜられた法学の入門講義を基に著された三ケ月章教授の『法学入門』(弘文堂・1982年)を読むと,「イギリスの弁護士はバリスタというのか」と当該講義を受けた初々しい若者たちは理解したもののように思われます。

 

  法律家――法廷実務家――の役割には二つの異なったものがあることが,西欧とくに英米では強調されてきた。その一つは,裁判官として法を運用するという役割であり,もう一つは,相対立する当事者の利益をお互いに代弁しつつ裁判官に働きかけるという役割である。弁護士というものは,もっぱら後者の役割を果たすために存在するものであることはいうまでもない。そして,裁判官層のことをベンチといい,弁護士層のことをバーと呼ぶ慣例がある。裁判官はベンチに腰をかけて訴訟指揮を行ない,弁護士(イギリスにおいてはバリスター)は,法廷に設けられるバー(横木)のところに立って発言するというところから名付けられたものである。(三ケ月122123頁)

 

 「弁護士(イギリスにおいてはバリスター)」といわれれば,日本の弁護士とイギリスのバリスタとが一対一対応するものと理解するのが当然でしょう。

 法学教育に関しても,バリスタのみが言及されています。

 

  ・・・徒弟教育の伝統が現在までなお顕著に認められるのは,イギリスにおける法学教育である。元来イギリスにおいては,コモン・ローは大学での学習の対象ではないという伝統が形づくられており――大学で法が教育されることがあっても,それはローマ法を主軸とするものであった――,ひいてイギリス固有の法を学ぶことを志す青年達は,大学ではなく,法廷実務家――バリスター――の自治的集団ともいえるインズ・オブ・コート(Inns of Court,法曹学院と訳しておく)において,一種の共同生活を通じて法を学ぶという仕組みが確立するに至ったのであった。そして,こうした伝統は現在でも形の上では引き継がれているのである。(三ケ月147148頁)

 

 法廷実務家になるための勉強は大学などでするものではなくて,大学アカデミズム外で先輩後輩関係の下みっちり親身の手ほどきを受けるのが正則だよ,ということであれば,確かになるほどとうなずかれる点があります。これに対して,現在の我が国の法科大学院制度は,文部科学省隷下の大学側が,単なる当てはめに堕することなき知的かつ質の高い研究を本来専らとすべきその教員らを惜しむことなく動員して,法廷実務家育成の領域に大きく踏み込むことを意図した制度のように思われます。ただし,その成果についてはいろいろ議論があるようです。(なお,文部科学省は,国立大学法人には法学教育は余り期待していないようです。千葉大学時代の故星野英一教授が生前同省にわざわざ出頭して陳情しても,同大学に法学部の設立は認められなかったということでした。いわく,「千葉大時代も,千葉大は法経学部法学科だったのですが,法学部を独立させようという運動があり,私も法学科主任として千葉県選出の国会議員や,文部省の大学局長,大学課長,課長補佐の所まで行っています。法経学部長などと一緒でした。しかし,国立の法学部はあまり増やしたくないというのが文部省の戦後一貫した考えだということのようでした。戦後初め九つ,後から増やしたのが六つで止めています。」(星野英一『ときの流れを超えて』(有斐閣・2006年)230‐231頁))

 

(2)バリスタとソリシタ

ところが,現実には,イギリスにおける弁護士に相当する専門家はバリスタばかりではありません。ソリシタという専門家が存在します。

 

ア 両者の概要

両者について,司法研修所『平成18年度 刑事弁護実務』には次のようにあります(16頁)。

 

  イギリスでは,バリスターは原則として主要な裁判所での弁論権を独占し,ソリシターは依頼者から事件の依頼を受け,法律問題について助言し法律的文書を作成する等の法律事務を行っていた。ソリシターは,一定の下級裁判所以外では弁論を行うことはできないし,バリスターは,ソリシターを通じて訴訟事件を受任するので,原則として直接に依頼者に会うことはできなかった。しかし,1990年(平成2年)11月に「裁判所及び法律サービス法」が成立し,一定の要件を満たしたソリシターに上位裁判所の法廷弁論権が認められることになった。また,バリスターもソリシターを介さずに直接依頼者から受任できるようになり,バリスターとソリシターがパートナーシップも組めるようになったので,弁護士職種の区分制度は変更されつつある。

 

 イギリスでは,弁護士職種が2分されている。バリスタ及びソリシタである。少なくとも1990年より前の段階においては,両者はパートナーシップを組むことはなく,依頼者とのアクセスはソリシタが独占していた。一定の下級裁判所で解決できる程度までの法律問題はソリシタが処理してしまい,主要な裁判所での弁論が必要なときにだけバリスタにお呼びがかかっていた,ということのようです。

 兼子一教授の『裁判法』(有斐閣・1959年)では,「各国の弁護士制度」中イギリスの制度については次のように説明されていました(248249頁・注(2))。

 

  弁護士に相当するものとして,バリスター(barrister)とソリシター(solicitor)の2種がある。前者は〔,〕1608年ジェームス1世の時代に特許された法廷弁護士ともいうべきもので,法廷で弁論することを職務とし,特に最高裁判所(註)ではこの資格がなければ出廷できない。バリスターの養成は特殊コースで,インズ・オブ・コート(Inns of Court)の一で,先輩によって法曹及び紳士としての訓練を受けて修業する必要があり,資格取得後もその所属インの監督を受ける。一般には依頼者と直接交渉せず,又報酬も受けないで,ソリシターを通じて事件を引受ける。バリスターは,社会的地位も高く,上級裁判所の裁判官は,この資格を有する者から任用される。ソリシターは,1874年に設けられ,いわば法廷外弁護士で,当事者の依頼を受けて契約書の作成,法律事件の相談に応じ,又訴訟になればバリスターの下準備をする外に,下級裁判所では自ら弁論もできる。資格としては,先輩のソリシターの下で5年間修習して試験に合格することである。・・・

 

(註)なお,兼子教授のいう「最高裁判所」は,「一審の裁判所としてのHigh CourtCrown Court(刑事裁判所),二審のCourt of Appeal(控訴院)――これらを併せてSupreme Court of Judicature(最高法院)とよぶ」(田中英夫『英米法総論 下』(東京大学出版会・1980年)366頁)とされるSupreme Court of Judicatureのことであって,最高の裁判所としてのHouse of Lordsのことではないように思われます。

 

イ バリスタ先生の収入と矜持

「社会的地位も高く」といわれても,我が国でいうところの武士は食わねど高楊枝で(「お武家さま」だから,裁判官はそこから任用されるのでしょうか。),見栄を張って報酬を直接受け取ることもないバリスタ(しかも自らの「報酬額の決定にはいっさい口出しをしてはならないとされている」そうです(田中・下405頁)。)よりは,お客さまを自らしっかり握っているソリシタの方が強いですね,これは。

 

・・・成功したバリスタは高い収入をあげることができるが,若い間は,同じ年頃の開業医,歯科医,ソリシタ,会計士よりもずっと低い収入に甘んじざるをえない。そのために,バリスタになるのは,親が金持ちで,若い時に収入がない間をどうにかやっていけるような人々が多くなった。・・・(田中・下412頁)

 

 バリスタは,ソリシタよりも「ずっと」収入が低いそうです。無論「成功したバリスタ」は別なのでしょうが,成功したバリスタがいるということはその反面として成功しないバリスタもいるということになりますので,成功しないで貧乏なままの(そしてやがて廃業する)バリスタもまた存在するわけでしょう。「バリスタという称号は,正確にいえば学位のようなもので,バリスタ号をもっていても実務に従事しているとは限らないし,実際にも,実務に従事しないバリスタの数はかなり多い」そうです(田中・下404頁)。Superior courts(管轄権について事物・訴額などに制限のない一般的管轄権をもつ裁判所であって,巡回制が活用されているもののイングランド及びウェイルズを通じてロンドンに一つしかない。)で弁論できるのはバリスタに限られるといっても,イギリスの民事・刑事事件の大部分はソリシタが弁論できる裁判所(county court, magistrates’ court, 各種administrative tribunals等。なお,管轄権について事物・訴額などで制限のある裁判所がinferior courts)で処理されているそうですから(田中・下365367頁,407頁),経済的に,バリスタの弁論独占権の有難味は絶対的なものではないようです。(なお,1970年代の観察では,「むしろソリシターの方が試験が難しい」とされています(吉川精一『英国の弁護士制度』(日本評論社・2011年)46頁。また98頁)。バリスタ試験に合格するための試験勉強も,予備校(Crammer School)で3箇月も勉強すればよかったようです(吉川97頁参照)。)

 「依頼者との交渉から解放されているバリスタは,学者的実務家とでもいうべき存在であるといえる」とは田中英夫教授のバリスタ評です(田中・下405頁)。「学者的」という形容詞を,自らも学者である田中教授は肯定的に用いたものか否か。(「英国では大学で法律を教えているのは実務家として成功できないからだといわれている。ラスキは,ある夕食会で,裁判官は「無限の優越感」を,大学の先生は「完全な劣等感」をもっていることを発見したと語っている」そうではあります(吉川97頁・注(8))。)

「社会的地位もバリスタのほうが〔ソリシタよりも〕高く,・・・経験を積んだソリシタが,かけだしのバリスタの事務所におもむき,バリスタの時間の空くのを待つというような現象も起こりうるわけである。」ということで,「バリスタが「先生」的扱いをうける」そうですが(田中・下404頁),確かに大学の「教授」「准教授」というような学者的肩書のある方々のところへはこちらから赴くのが我が国においてもエチケットでしょう。しかしながら,当該作法が示されることをもって直ちに自らの学問ないしは業績に対する評価又は自己に対する献身であるものと勘違いするような軽忽な「先生」は,自得して小さな部屋に閉居してそこに訪れに来る熱意ある少数者と有益な議論をしてさまざまな思考へと導かれているばかりでは,やがてだれからも相手にされなくなるかもしれません。無論杞憂でありましょうが。
 「1970年代のソリシターはパブリック・スクールを卒業しオックスフォードやケンブリッジに学んだ経験のある者が多く,その社会的地位もバリスターに匹敵している」のでした(吉川67頁)。 

 

イギリスの法曹の2部門は,機能を異にしながら,上下関係にはなく対等関係にあることに注意しなければならない。(田中・下406頁)

 

ウ Man of affairs vs.学者的実務家

 ソリシタは,「依頼者からどんな事件を持ち込まれても,それを一応こなしうるだけの能力」を持ち,「family lawyer的な存在」であって,「雑多なトラブルを法律家の眼で整理し,適切な(法律的あるいは実際的)助言を与え,必要があれば法律文書の作成,手紙の起草,交渉等」を主に行うman of affairs”であるとされています(田中・下408409頁)。やり手でなくては務まりませんね。

 「バリスタは,ソリシタによって整理された形で事件を見」ますので,「裁判官になる前から,裁判官の眼に近いような一歩離れた立場で事件を眺める習慣」を有するようになります(田中・下428頁)。バリスタは,田中英夫教授によれば,「専門医的存在」であり,「依頼者との応接から解放され,手紙や電話に煩わされることもずっと少な」く「特定の法分野について深い知識を備えるだけの余裕」を持ち,「学者的実務家とでもいうべき風格を備えるにいたる」ものとされています(田中・下409頁)。ちなみに,田中教授は1982年度から1983年度までの東京大学法学部長でしたが,学内行政に関する応接や手紙・電話は苦手であったのではないかとも想像されます。

 バリスタ・ソリシタの二分主義について,田中英夫教授は,「とくに法曹一元の制度のもとでは,望ましいことのように思われる。」としています(田中・下416頁)。「法曹一元の制度のもとでは」というところが微妙な限定句です。依頼者の時として混乱した言い分を辛抱強く聴き取り,あるいはその欠落した記憶の隙間を埋め,紛失した証拠に代わる証拠を捜索して準備書面等にまとめるというような現場に密着したソリシタ的業務の部分は,裁判官にとっては本来直接関係すべき業務ではないということでしょう(本人訴訟対応の場合はまた別なのでしょうが。)。

 弁護士実務の実際においても,ソリシタ的業務のリズムとバリスタ的業務のリズムとの相違はしばしば感じられるところです。じっくりと問題について調べ,考え,起案するバリスタ的業務のリズムをかき乱す者は,実はman of affairsとしての弁護士に何でも頼ることにしてしまった慌ただしい当の依頼者であることが往々にしてあるようです。

 

2 ソリシタ等の歴史

 

(1)1873年のSupreme Court of Judicature Act

 ところで,前記兼子教授は「ソリシターは,1874年に設けられ」と述べていますが,これでは,我が国の代言人制度が1872年に始まったことと比べても遅いようです。実は,ソリシタ制度にはやはり長い前史があり,「バリスタとの利害の抗争の中で,アトーニ,ソリシタ,プロクタの三者は,一体感を強め」,「その中でソリシタが優位に立つ」ようになったところで,「1873年のSupreme Court of Judicature Actにより,アトーニ,ソリシタ,プロクタの三者が統合され,solicitor of the Supreme Court”となったのである」そうです(田中英夫『英米法総論 上』(東京大学出版会・1980年)170頁)。

 

(2)追放されたアトーニ(コモン・ロー系)

 アトーニ(attorney)は,コモン・ロー法曹として,13世紀の中葉に「当事者の代理人として事件を裁判所に持ち出す役」として登場したものだそうです(田中・上76頁)。あるいは,アトーニについては,「訴訟当事者の「身代わり」alter egoたる機能をもつ者として英国裁判史に登場」し,「元来訴訟当事者の身代わりとして出頭義務を果たす機能をもつにすぎなかったので・・・必ずしも弁論術や法知識を必要とせず,当初は,訴訟当事者の身内・知人がこの身代わり役になっていた〔が,やがて〕第三者からも選ばれるに至る。そして,最も多く選任の対象となった者は,裁判手続にも最も関係の深いシェリフ,ベイリフ等の裁判所吏員だった」とされています(吉川8頁)。ただし,アトーニは,13世紀後半に成立した「当事者の主張を法的に構成することをその任としたnarrator」(14世紀からはサージェント(serjeant)。「国王はかなり早くから,その裁判官をサージェントの中から選ぶという政策をとった。」)及びサージェントの下で法曹としての訓練を受けたapprentice14世紀末には今日のバリスタの前身としての性格を持つに至る。)の下位であって,バリスタの属するInns of Courtの従位機関であるInns of Chancery15世紀に発生)に属していました(田中・上7677頁。なお,吉川15頁によればInns of Court構成員中における最上層にあるBencherからサージェントが選ばれる慣行であったわけであり,同16頁によれば主要な国王裁判所における弁論権がバリスタに与えられる慣行については「いつこのような慣行が生じたかは明らかでないが,少なくとも16世紀中期にはバリスターはこの権限を有していた。」とされ,同12頁はInns of CourtとInns of Chanceryとの関係は必ずしも明確ではなかったとし,同17頁によればアトーニもInns of Courtに属するものの「もっとも多くのアトーニーは,インズ・オブ・チャンセリーに所属した」とされています。)。しかしながら,16世紀の中頃にはアトーニはInns of Courtから追い出され(印刷術の発達で書物が容易に入手できるようになり,Inns of Courtの講莚に列することをサボるようになったからだそうです。),17世紀後半にはアトーニからバリスタへの昇進の道も閉ざされ,バリスタとは独立の法律家層を形成し,ソリシタ及びプロクタと肩を並べることになります(田中・上126頁)。このバリスタとアトーニとの分立の理由としては更に,「アトーニーの資格授与およびその監督は当該アトーニーが実務を行う裁判所によって行われたが,バリスターの場合にはその所属するインズ・オブ・コートがこれを行った」という資格授与の方法及び監督に関する相違並びに「アトーニーの業務はプリー〔と呼ばれる書面〕の提出や令状の「購入」〔金を払って発行を受けること〕といった事務的色彩が強く,したがって裁判所の書記官との接触がきわめて多かったのに対し,バリスターの業務は裁判所において法理論を展開し,証人尋問を行うことなど学問的・法廷技術的要素が強かった」という職務内容の違いがあったことも挙げられています(吉川18頁)。
 なお,サージェントも
1873年の改革の際になくなり,バリスタに一本化されます(田中・上170頁参照)。「サージェントが没落していった最も大きな原因は,サージェントが本質的に中世コモン・ローを修めた純粋法律家であって流動的な新時代の要求に応えきれなかった点にある」とされています(吉川21頁)。

 

(2)事件屋ソリシタ(エクイティ系)

 ソリシタは,コモン・ロー法曹ではなく,エクイティを専門とする法曹として登場しています。「エクイティの手続の複雑化に伴い,一定の事項については,書面で答弁することが許されるようになった〔エクイティでは,当事者本人が大法官のもとに出頭して申し開きをするのが本来の原則〕。そして,15世紀に入ると,この書面の起草を引き受ける人間が出て来る。そして,16世紀中葉には,エクイティの手続でソリシタを用いることが一般化し,一つの職業と認められるようになったといわれる。とはいっても,ソリシタは,その言葉の元来の意味通り事件屋的存在であり,この時代には専門職業としての自律もなく,裁判所による規律の手も及んでいなかったといわれる。」とのことでした(田中・上125頁)。ソリシタが事件屋的存在であるということについては,訴訟当事者若しくはアトーニのために「相手方の動きを調査したり,訴訟の状況を当事者に報告したりするような補助者」又は「自分の所属していない裁判所」で「その裁判所所属のアトーニーに依頼して自らの依頼者の事件処理を行った」アトーニもソリシタの母体となったというような由来があるからであるということでしょうか(吉川19頁参照)。

 

(3)アトーニとソリシタとの協力

 アトーニとソリシタとは,18世紀には一つの階層にまとまって行く傾向を示します。バリスタに対して自らの職業的利益を守るために協力した彼らは1729年にSociety of Gentlemen Practisers in the Courts of Law and Equityを結成,また,同じ「1729年のAn Act for the Better Regulation of Attornies and Solicitors(アトーニおよびソリシタの規制の強化に関する法律)は,アトーニとソリシタの訴訟代理権を保障」し,更に「18世紀の中頃には,訴訟に関連のある事務のみならず,訴訟に直接関連のない事務についても,バリスタはアトーニかソリシタの手をへなければ事件を引き受けてはならないという原則が,樹立」されます(田中・上149頁)。

 

(4)少数派プロクタ(ローマ法系)

 「Court of Admiraltyおよび教会裁判所では,中世以来,ローマ法・教会法に詳しい者が弁論していた」ところ,これらローマ法系の法曹におけるサージェントないしバリスタに相当する人々はadvocate”と呼ばれ,そのadvocateの下に「アトーニないしソリシタに相当する階層」として発生して17世紀初めに一つの法律家層として認められるようになったのがプロクタ(proctor)です(田中・上125126頁)。

 

(5)ソリシタへの統合

 1873年にアトーニ,ソリシタ及びプロクタの三者がソリシタに統合された理由は,「プロクタの地位は,彼らが実務に従事していた〔ローマ法系の〕海事裁判所と教会裁判所の重要性の減少とともに,低下した」からであり,「〔コモン・ロー起源の〕アトーニとソリシタの間では,複雑な計算関係を含む――従って商事関係の,利益の多い――事件がエクイティ裁判所の管轄に属していたこともあって,ソリシタのほうが重要な地位を占めるようになった」からだそうです(田中・上170頁)。なお,「アトーニーとソリシターは18世紀初頭までに区分できなくなっていたが,彼らは「アトーニー」よりも「ソリシター」という名称を好んだ。というのは,「ソリシター」という言葉には「三百代言的」などの悪い形容詞との結びつきがな」かったからだともされています(吉川29頁)。18世紀初頭には,追剥ぎ兼業のアトーニや住所不定のvagabond attorneyもいたそうです(吉川24頁注(95))。

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 (東京都大田区の「追剥坂(おいはぎ坂)」。 追剥弁護士が出る坂か,vagabond弁護士が浮浪する坂か。)
 

 ちなみに,「弁護士について単層主義がとられ,かつそれがイギリスのソリシタの線で組み立てられたことが,アメリカの弁護士制度の基本を決定」したそうですが,「ただしその名称としては,エクイティ起源のソリシタでなく,コモン・ロー起源のアトーニという言葉が選ばれた」そうです(田中・上252頁)。