2014年07月

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1 多摩地区の司法の中心・立川

 裁判所の土地管轄上,東京都は東京地方裁判所及び東京家庭裁判所の管轄ですが,武蔵野市以西の多摩地区は,霞が関の本庁ではなく,各裁判所立川支部の管轄になります(なお,昔は,支部は八王子にありました。)。東京地方裁判所立川支部,東京家庭裁判所立川支部及び立川簡易裁判所の庁舎は,JR立川駅わきの立川北駅からモノレールで一駅の高松駅から歩いて少しのところにあります。JR立川駅から歩いていけない距離ではありませんが,夏の暑い盛りなどは,避けた方が賢明でしょう。汗で背広がクタクタになります。立川北・高松間のモノレール運賃は,片道100円です。なお,法テラス(日本司法支援センター)の多摩支部は,高松駅前ではなく,立川駅北口前にあります。

 弁護士として,立川を訪れる機会は少なくありません。


2 「聖」地・立川

 そんなある日,立川駅前で,車体に某人気ご当地漫画の主人公二人組が大きく描かれているバスを見かけました。

 「ああ,立川は,多摩地区の司法の中心であるばかりではなく,世界の宗教的にも,「聖」地の一つであるのであった。」

 とは,当該某漫画の読者としての感慨でしょう。

 他方,弁護士としては,当該某漫画の主人公二人を思うとき,次の二つの犯罪構成要件が気になりだしたところです。


 軽犯罪法1条 左の各号の一に該当する者は,これを拘留又は科料に処する。

  〔第1号から第21号まで略〕

  二十二 こじきをし,又はこじきをさせた者

  〔第23号から第34号まで略〕

 

 刑法234条 威力を用いて人の業務を妨害した者も,前条の例〔3年以下の懲役又は50万円以下の罰金〕による。


3 托鉢と軽犯罪法1条22

お坊さんの托鉢は,軽犯罪法1条22号にひっかからないのでしょうか。乞食(こつじき)自体が,そもそも仏教用語なのですよね。手元の『岩波国語辞典 第4版』(1986年)には,「こつじき(乞食)」とは,「〔仏〕僧が人家の門に立ち,鉢をささげ,食をこい歩くこと。托鉢。「乞食行脚」」とあります。

軽犯罪法の適用に当たっては,「国民の権利を不当に侵害しないように留意し,その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。」との訓示規定が同法4条に定められています(下線は筆者)。しかし,托鉢者がインド人であって日本国民でない場合には,同条の適用はどうなるのでしょうか。殊更につらく当たられることはないのでしょうが。

無論,軽犯罪法違反の罪は拘留又は科料に当たる罪でしかありませんから,原則として,現行犯逮捕はされず(刑事訴訟法217条),逮捕状による逮捕もされないはずです(同法1991項ただし書)。しかし,「もしもし,お坊さん,お坊さんの住居はどこですか。」と托鉢行為を現認した警察官に問われて,「私は出家の身なので,定まった住居などありません。カピラヴァストゥは滅びました。」と答えられてしまうと,困りますね。定まった住居がないのならば,軽犯罪法違反でも身柄拘束あり得べしになってしまいます。立川市内にアパートを借りて住んでいるのなら,そう言ってくれなくては困ります。

軽犯罪法1条22号は,仏教を弾圧するための条項なのでしょうか。

乞食(こつじき)は,大日本帝国憲法28条にいうところの「安寧秩序ヲ妨ケ」又は「臣民タルノ義務ニ背」く行為であって,保護される信教ノ自由の範囲外にあったものでしょうか。大日本帝国憲法28条の「臣民タルノ義務」については,その最も著しいものとして,「国家及び皇室に忠順なる義務及び之に伴うて国家及び皇室の宗廟たる神宮,歴代の山陵,皇祖皇宗及び歴代の天皇の霊を祭る神社等に対し不敬の行為を為さる義務」が挙げられ,「その外兵役義務,国民教育を受くる義務等」があるとされていましたが(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)399-400頁),托鉢は,「此等の義務を否定し,之を排斥する」までのもの(同400頁参照)だったのでしょうか。なかなかそこまでは行かないように思われます。また,「安寧秩序」は,「社会的秩序」の意味であるとされています(美濃部400頁)。しかるにそもそも,「わが現時の国法に於いて,国家と特別の関係に在るものは・・・仏教各宗である。・・・多年わが国家及び皇室と密接の関係の有つた歴史に基いて,今日に於いても国家は之に特別の保護を与へ, 随つて又之に特別の監督を加へて居る。就中・・・仏教各宗の管長は,勅任待遇の特典を受けて居る」ところであったものです(美濃部403頁)。明治の初めに廃仏毀釈運動があったとはいえ(明治五年十一月九日の府県あて教部省第25号達は「自今僧侶托鉢之儀禁止候事」とした。),仏教弾圧は,かえって我が国の社会秩序を乱すことになりかねないものではないでしょうか(明治14年8月15日内務省甲第8号布達は上記明治五年教部省第25号達を廃止し, 托鉢者に管長の免許証の携帯を求めることとした。「不都合之所業」があれば托鉢差止め及び所属宗派に通知(明治14年内務省乙第38号達・明治19年内務省令第9号)。)。聖徳太子の憲法の第2条にいわく,「篤く三宝を敬へ。三法とは仏法僧なり。即ち四生之終帰,万国之極宗なり。・・・」なお,軽犯罪法の前身(同法附則2項参照)である警察犯処罰令(明治41年内務省令第16号)の第2条2号は,「乞丐ヲ為シ又ハ為サシメタル者」は30日未満の拘留又は20円未満の科料に処せられるものとしており,そこでは「乞食」ではなく「乞丐(きっかい)」の文字が用いられていました。「丐(かい)」も請い求めるとの意味であり,また,乞丐は仏教用語ではないようです。

乞食(こつじき)行為と乞丐又は「こじき」行為とは異なるものと解さなければなりません。

両者を分別するものは,いかなる要件でしょうか。

ここで,軽犯罪法に関する各種の解説書を見ると,「こじき」行為においては相手方が憐れみないしは同情から金品を与えるものである,という理解がされているようです。


 こじきとは,不特定の他人に憐れみを乞い,自己または自己が扶養する者の生活のために必要な金品を,無償またはほとんどこれに近い名目的な対価で得ようとする行為をいう。(安西溫『特別刑法〔7〕』(警察時報社・1988年)166頁。下線は筆者)


なるほど,いかにも修行を積んだ御様子のお坊さまが堂々と托鉢をしているのを見ると,そこに生ずる感情は憐れみや同情ではなく,むしろ徳の高さのありがたさに感極まって思わず喜捨をしてしまうわけです。このように高々とした托鉢行為は,「こじき」行為ではありません。(なお, 警察犯処罰令2条1号は「喜捨ヲ強請」することを処罰していました。喜捨を受けるお坊さんは威張っていたのですね。)ということはすなわち,「こじき」行為による法益侵害によって生ずる状態とは,憐れみや同情を感ずることであって,これは換言すると,自らの窮状を言い募り,あるいは顕示して不特定者に憐れみや同情を感じさせることは,違法な法益侵害行為であるというわけですね。

Bettler aber sollte man ganz abschaffen! Wahrlich, man ärgert sich ihnen zu geben und ärgert sich ihnen nicht zu geben. (乞丐は禁止せらるべきなりき!まことに彼らに施すも不快,施さざるも不快である。)

ところで,

「同情するなら金をくれ。」

という発言は,どのように理解すべきでしょうか。

同情した上で金をくれ,というのならば,「こじき」行為を指向するものでしょう。

同情なんかする必要はない,とにかく金をよこせ,というのならば,「こじき」行為ではないものでしょう。


4 威力業務妨害罪の被疑者及びその弁護



(1)威力業務妨害罪及び保護される業務

さて,神殿の境内でにぎやかにお供え物販売等の商売をしていたおじさんたちを泥棒呼ばわりしつつ追い払い,またおじさんたちの出店の設備をひっくり返す行為は,威力業務妨害罪(刑法234条)に該当するようです。

「神聖な境内で卑しい商売をすることは神殿の目的外利用であって,彼らの商売行為は違法だったのです。私は,彼らによってもたらされた違法状態を取り除いただけなのです。」

と主張することになるのでしょうが,我が司法当局を説得できるかどうか。


 〔業務妨害罪によって保護される〕業務とは,職業その他社会生活上の地位に基づき継続して行う事務または事業をいう(大判大正101024刑録27643頁)。・・・業務は,刑法的保護に値するものであれば足り,適法であることを要しない。たとえば,知事の許可を得ていない湯屋営業(東京高判昭和2773高刑571134頁),行政取締法規に違反したパチンコ景品買入営業(横浜地判昭和61218刑月181=2127頁)についても本罪が成立する。・・・当該業務の反社会性が本罪による保護の必要性を失わせる程度のものであるか否かを基準とすべきであろう。(西田典之『刑法各論〔第3版〕』(弘文堂・2005年)112頁)


境内でのおじさんたちの商売は,社会的に受け容れられていたものなのですから,よその国の律法ではともかく,我が日本刑法の保護を受けないものとはいい難いところです。


(2)逮捕に基づく留置及びアメリカ法との相違

威力業務妨害罪の法定刑には懲役があり,また,罰金の多額は30万円を超えていますから,急を聞いて駆け付けた警察官によって,なおも荒ぶる我らの主人公は,すんなり現行犯逮捕されることでしょう(刑事訴訟法217条参照)。

逮捕された我らの主人公は,司法警察員から犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができることを告げられた上,弁解を聴取されることになります(憲法34条前段,刑事訴訟法216条・2031項)。現行犯ですから犯罪の嫌疑は十分であり,今までしていた仕事を辞めて田舎から都までやってきた30代前半の独身男性であって逃亡のおそれもありそうですから留置の必要(「犯罪の嫌疑のほか,逃亡のおそれ・罪証隠滅のおそれ等(最判平838民集50-3-408)」(松本時夫=土本武司編著『条解刑事訴訟法〔第3版増補版〕』(弘文堂・2006年)346頁))があると思料され,直ちに釈放されること(刑事訴訟法2031項参照)はないでしょう。

逮捕による身柄拘束期間中においては(警察官に逮捕されたときは,逮捕時から72時間以内に検察官から裁判官に勾留の請求がされなければ釈放されることになっています(刑事訴訟法205124項)。当該請求があって,裁判官の被疑者に対する勾留質問(同法2071項,61条)を経て裁判官から勾留状が発せられ(同法2074項),当該勾留状が執行されると,被疑者の身柄拘束は,逮捕されている状態から「勾留」されている状態に移行します。),我らの主人公と接見交通できるのは,弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者(同法391項)だけです(同法209条は同法80条を準用せず。)。家族・友人がどんなに心配しても,弁護士ならぬ身であれば,逮捕に基づき留置されている被疑者に会うことはできないわけです。勾留に移行すれば,「弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者」以外の者も被疑者と接見できるのですが(刑事訴訟法80条),なかなか直ちには逮捕から勾留に移行しません。


・・・〔米国の〕統一逮捕法では,「なるべくすみやかに,おそくとも24時間以内に」裁判官に引致しなければならないのである。わが法は,「なるべく速やかに」の語がないため,72時間は当然に留置できるかのように解釈し,運用されている。なお,英米法では,逮捕は裁判官に引致するためのものであるが,わが法の勾留請求は,逮捕の結果当然になされる処置ではなく,新たな処分である。逮捕は,捜査機関のところに72時間以内留置されるために行われるのである。したがって,英米法の逮捕とわが法の逮捕とは,全く性質を異にするものとなっている。(平野龍一『刑事訴訟法』(有斐閣・1958年)99頁)


 この72時間の間,「被疑者の地位は著しく危うくなっている。」わけです(平野98頁)。

 なお,「アメリカでは逮捕後,裁判官のもとへ引致されると直ちに保釈されうる」ものとされていますが(田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕』(有斐閣・1996年)260頁。また,松尾浩也『刑事訴訟法(上)補正第三版』(弘文堂・1991年)194頁),我が刑事訴訟法の場合,起訴前の被疑者(起訴後の被告人ではないことに注意)勾留の段階では,保釈金を積んで釈放してもらう保釈制度の適用はありません(同法2071項ただし書)。我が国で起訴前保釈が認められないのは「被疑者の勾留期間が短いためだとされるが(団藤・綱要321頁),10日ないし20日という期間・・・は,短いものではない」ことから,「保釈を許さないのは,捜査が糺問手続であり,勾留を被疑者取調のため,ないし被疑者と外界との遮断のために用いることを暗に認めたもので,供述の強要を禁止した憲法の趣旨にも合致しないといわなければならない。」と批判されています(平野102頁)。また,そもそも,英米法では,勾留の必要として認められているのは「逃亡のおそれだけ」であるそうですから(平野100頁),「保釈金を没取するという威嚇によって,被告人の出頭を確保しようとする」保釈の制度(同161頁)によってしかるべく身柄解放がされやすいようです。これに対して我が国では,大陸法式に罪証隠滅のおそれも勾留の必要として認めているところ,「保釈は・・・罪証隠滅の防止を目的とする勾留には代りえない」ことになるわけですから,保釈が制限されてしまうことになります(平野100頁,164頁)。

 逮捕された被疑者の裁判官のもとへの速やかな引致が米国連邦法で求められている結果,「アメリカ合衆国の連邦裁判所では,いわゆるマクナブ・ルールがあり,引致が遅滞すればその間の自白を証拠から排除する(McNabb v. U.S. (1943)に由来する)」ものとされています(松尾61頁)。マクナブ事件においては,テネシー山間部でウィスキーの密売などしていたマクナブ一族に対して,連邦内国歳入庁の捜査官が密売現場に手入れに入ったところ捜査官のうち一名が殺害され,これについて双子の兄弟フリーマン及びレイモンド並びにいとこのベンジャミンがそれぞれ捜査段階における自白に基づき下級審で有罪とされていました。米国連邦最高裁判所のフランクファーター判事執筆に係る多数意見におけるさわりの部分は,次のとおり。


 …Freeman and Raymond McNabb were arrested in the middle of the night at their home. Instead of being brought before a United States Commissioner or a judicial officer, as the law requires, in order to determine the sufficiency of the justification for their detention, they were put in a barren cell and kept there for fourteen hours. For two days, they were subjected to unremitting questioning by numerous officers. Benjamin’s confession was secured by detaining him unlawfully and questioning him continuously for five or six hours. The McNabbs had to subject to all this without the aid of friends or the benefit of counsel. The record leaves no room for doubt that the questioning of the petitioners took place while they were in the custody of the arresting officers and before any order of commitment was made. Plainly, a conviction resting on evidence secured through such a flagrant disregard of the procedure which Congress has commanded cannot be allowed to stand without making the courts themselves accomplices in willful disobedience of law. Congress has not explicitly forbidden the use of evidence so procured. But to permit such evidence to be made the basis of a conviction in the federal courts would stultify the policy which Congress has enacted into law…

 (・・・フリーマン・マクナブ及びレイモンド・マクナブは,真夜中,彼らの家において逮捕された。法律によって要求されているように,彼らの抑留に十分な理由があるかどうかを判断するために合衆国の理事官又は司法官憲のもとに引致される代わりに,彼らは粗末な獄房に投ぜられ,そこに14時間留め置かれた。二日間にわたって,彼らは多数の捜査官による間断のない取調べに服せしめられた。ベンジャミンの自白は,彼を違法に抑留し,5ないし6時間にわたって取り調べることによって得られたものである。マクナブ一族は,これらすべてに,友人からの支援及び法的助言の利益なしに服さしめられた。申立人らの取調べが,逮捕した捜査官のもとに留置されている時に,彼らを拘禁する何らの裁判もされない段階でされたことについては,記録上,何らの疑いもない。連邦議会が定めた手続に係るあからさまな無視によって獲得された証拠に基づく有罪判決が維持されるということは,裁判所自身を,法に対する意図的な不服従に係る共犯者とすることなしには不可能であることは明白である。連邦議会は,そのようにして獲得された証拠を用いることを明示的には禁じてはいない。しかしながら,そのような証拠を,連邦裁判所において有罪判決の基礎とすることを許すことは,連邦議会が法律化した政策を台無しにするものである・・・)


市民及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年条約第7号)9条3項は「刑事上の罪に問われて逮捕され又は抑留された者は,裁判官又は司法権を行使することが法律によつて認められている他の官憲の面前に速やかに連れて行かれるものとし,妥当な期間内に裁判を受ける権利又は釈放される権利を有する。裁判に付される者を抑留することが原則であつてはならず,釈放に当たつては,裁判その他の司法上の手続のすべての段階における出頭及び必要な場合における判決の執行のための出頭が保証されることを条件とすることができる。」と規定しています。

田宮裕教授の著書において,勾留に係る「逮捕前置主義」について,「私見によれば「拘束したら裁判官のところへつれていく」という近代法原理にそうべく,裁判官の審問たる勾留質問(61条)と逮捕を結びつけて,「裁判官への予備出頭のための引致」という形を整えたものだと思う。」と述べられていますが(田宮84頁),これは勾留のために逮捕前置主義が採られているのだというよりも,逮捕の近代法原理適合性を確保するために逮捕について「勾留質問後置主義」が採られているのだということでしょう。

閑話休題。


(3)被疑者に対する弁護人の援助の確保

逮捕段階ですから,弁護士ならざる家族・友人らは我らが主人公に接見してaid of friends(友人からの支援)を与えることはできないにしても,弁護士によるbenefit of counsel(法的助言の利益)は,どうしたら得ることができるでしょうか。

なお,接見交通の機能としては,次のようなことが挙げられています。


・・・①まず,身柄を拘束された被疑者は外界と遮断されているので,自由に交通できる弁護人が外界との窓口となりうる。・・・その結果,心理的安定により市民としての自己回復ができる。②つぎに,継続的な取調べによる不当なプレッシャーを回避させるという意義をもつ。つまり,黙秘権を中心とした適正手続の担保である。③さらに,弁護人と相談することにより,被疑者側の「訴訟準備」が可能になる。つまり,依頼人としての打合わせの確保である。(田宮142143頁)


ア 当番弁護士

弁護士の知り合いがいない場合であっても,「当番弁護士を呼んでください。」と被疑者から警察官,検察官若しくは裁判官に言うか,又は家族から地元の弁護士会に依頼することができます。要請があれば,弁護士会から当番弁護士が,1回無料で接見にやって来て,相談に応じてくれます。

しかし,当番弁護士が無料で接見して相談に応じてくれるのは1回限りなので,更に弁護人による援助を受けようとすれば,弁護士を弁護人として選任しなければなりません。


イ 被疑者国選弁護制度及びその範囲

「あの,国選弁護っていう制度があるそうですけれど,国選弁護人は頼めませんか。」

という質問もあるかと思われますが,実は,逮捕段階の被疑者に国選弁護人を付ける制度はいまだありません。

まず,憲法37条3項は「刑事被告人は,いかなる場合にも,資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは,国でこれを附する。」と規定していますが,これは「被告人」の権利に関する規定であって,公訴を提起される前の「被疑者」には直接適用されません(被疑者の国選弁護制度を設けるか設けないか,設けるとした場合その範囲はどうするかは国会が裁量で決めることができるということです。)。

 とはいえ現在,刑事訴訟法は,被疑者のための国選弁護の制度を導入してはいます。


 37条の2 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる事件について被疑者に対して勾留状が発せられている場合において,被疑者が貧困その他の事由により弁護人を選任することができないときは,裁判官は,その請求により,被疑者のため弁護人を付さなければならない。ただし,被疑者以外の者が選任した弁護人がある場合又は被疑者が釈放された場合は,この限りでない。

   前項の請求は,同項に規定する事件について勾留を請求された被疑者も,これをすることができる。


 読みづらいですね。被疑者に国選弁護人を付する制度が存在することが分かるでしょうか。ただし,逮捕されて留置されている被疑者であっても,検察官が勾留請求をするまでは国選弁護人を付けるように請求をすることはできず,また,勾留請求がされ,勾留状が発せられても,一定以上の重い罪に係る事件の被疑者でなければ,これまた国選弁護人を付けるように請求することはできないというのが,現在の制度です。


ウ 弁護人の私選及び私選弁護人の報酬(の一応の)相場

 要は,逮捕段階で弁護人を付けるには,国選弁護制度がないので,私選しなければならないのです。

 選任権者は,被疑者のほか,被疑者の法定代理人,保佐人,配偶者,直系の親族及び兄弟姉妹です(刑事訴訟法30条)。「弟子」は選任権者になりません。内縁の妻でも駄目です(松本=土本43頁)。

いずれにせよ,刑事弁護を依頼するとなれば最も気になり,かつ,機微に触れるのが弁護士報酬の問題です。どれくらいかかるものでしょうか。これについては,


 刑事弁護は事案によってかかる時間や労力,大変さはさまざまであり,弁護料の相場を出すのは難しい。東京三弁護士会が当番弁護士のために示している標準を示すと,次のとおりである(依頼者の資力や事案の性質によって変動することはありうる)。

①被疑者段階の弁護活動の着手金として15万円

②公判請求されなかった場合(不起訴・略式命令)は報酬金として30万円

③公判請求された場合は,起訴後第一審判決までの弁護活動の着手金として30万円

④第一審判決による報酬金として30万円


と紹介するものがあります(『刑事弁護ビギナーズ(季刊刑事弁護増刊)』(現代人文社・2007年)43頁)。上記の額に消費税額が加算されます。無論,飽くまでも目安です。事件の難易度,弁護活動の内容,依頼者の資力等により,上記の額よりも安い額での契約も当然あり得ます。


エ 我らが主人公の窮状

 我らが主人公はお金が無いようなので,ちょっと私選による弁護人の依頼は無理でしょうか。

 しかし,勾留段階に至っても,我らの主人公は被疑者国選弁護制度を利用することができないようです。実は威力業務妨害罪の法定刑の上限が懲役3年であって3年を超えていないため,我らの主人公が「貧困」であっても刑事訴訟法37条の2第1項本文の場合に該当しないからです。



オ 刑事被疑者弁護援助制度

 この場合であっても,なお,弁護士と相談して,「刑事被疑者弁護援助制度」という制度を利用する方法が残されています。かつては(財)法律扶助協会が運営していましたが,現在は法テラスが委託を受けて運営している制度です(逮捕段階から利用可能)。ただし,審査の結果,被疑者に弁護費用償還義務があるものとされる場合があります。 (ちなみに,刑事訴訟法1811項は「刑の言渡をしたときは,被告人に訴訟費用の全部又は一部を負担させなければならない。但し,被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるときは,この限りでない。」と規定し,刑事訴訟費用等に関する法律(昭和46年法律第41号)23号は国選弁護人に支給すべき旅費,日当,宿泊料及び報酬を刑事の手続における訴訟費用に含めていますが,「現在の実際的運用では,特段の資産もなく,職をもっていてもさほど高い給料を得ていないような被告人であれば,弁護人が私選の場合には別として,貧困と認められ訴訟費用の負担を命じられないことになるのが通常といってよいようである。」とされています(松本=土本300頁)。)


(4)刑事弁護活動の一例:ある保釈請求成功例

 最近,我らが主人公同様に,弁護人を私選するだけの資力がないが,事件が被疑者国選弁護人を付してもらえるほど重いものではない(法定刑が,3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金)ものであった被告人の国選弁護人を務めましたが,保釈許可を得ることができ,かつ,執行猶予付き判決であったので,「これが起訴前の被疑者段階から弁護人がついていたのなら,そもそも起訴猶予ということで公訴を提起されずに済んだかもしれないし,公訴が提起されても,実際の保釈より2週間は早く保釈されていただろうな。」とかえって気の毒に思ったものです。

 起訴猶予(刑事訴訟法248条)の可能性についてはともかくも,保釈についてですが(保釈は,起訴されて被告人になってから可能になります。),実は,上記国選弁護人の選任は当該被告人の起訴の日から起算して13日目であって,ここで既に12日の遅れが生じていました。弁護人は,急ぎ同日警察署内の留置施設で被告人と第1回接見をし,翌14日目に検察庁で証拠の閲覧・謄写,事件の現場確認及び被告人の家族との面談を行い,15日目(金)には小菅の東京拘置所で第2回接見を行って公判対応の方針決定,翌週保釈請求をする運びとしたところです。(ちなみに,警察署の留置施設の方が近くて,接見をする側からすると便利なところもあるのですが,居住環境や特に食事は,遠いながらも小菅の方がよいそうです。)16日目(土)には,身元引受人となる被告人の奥さんに会って,身元引受書を作成してもらうとともに(ちなみに,旧刑事訴訟法118条は「裁判所ハ検事ノ意見ヲ聴キ決定ヲ以テ勾留セラレタル被告人ヲ親族其ノ他ノ者ニ責付・・・スルコトヲ得/責付ヲ為スニハ被告人ノ親族其ノ他ノ者ヨリ何時ニテモ召喚ニ応シ被告人ヲ出頭セシムヘキ旨ノ書面ヲ差出サシムヘシ」と規定していました。身元引受人及び身元引受書は,同条由来の伝統でしょうか。なお,責付とは,「勾留状の執行を停止すると同時に被告人を其の親族又は其の他適当の者に引渡すことを謂ふ。此の制度は徳川時代に於ける「お預け」(親類預け,五人組預け等)の制度に其の源を有する。」とされています(小野清一郎『刑事訴訟法講義 全訂第三版』(有斐閣・1933年)252頁)。),併せて裁判官に提出する奥さんの上申書の内容を一緒に考えました。17日目(日)には休日ながらも事務所で保釈請求書の起案,18日目(月)は早朝5時に起きて午前7時に奥さんと会って,手書きでしたためられた上申書を受け取り,更に保釈請求書に最後の推敲をして,午前1015分ころ東京地方裁判所刑事第14部に書類一式を提出しました。窓口の書記官の説明では,翌19日目が国民の祝日であるため,検察官の意見(刑事訴訟法921項)は20日目又は21日目に出,裁判官面接は検察官の意見が出た翌日になるだろうということであったため,「国民の祝日」を恨めしく思ったものですが(201454日付け記事参照),休日明けの20日目(水)の午後に裁判官から弁護人に「電話面接」があってそれから1時間もたたずして保釈許可決定が出,21日目(木)の午前に虎ノ門の銀行で大金をおろして11時過ぎに東京地方裁判所出納二課に保釈金納付,1133分に刑事第14部の窓口で手続を終了することができました。同日1233分に東京拘置所に電話をかけるともう釈放手続が始まっているということで,被告人の家族に「早く迎えにいかねば。」と連絡,14時ころめでたく釈放となりました。保釈請求書を提出してから実質3日目に釈放になったわけです。すなわち,当該被告人のそもそもの起訴があったのは金曜日だったのですが,起訴前から保釈請求の準備をしておいて遅くとも翌週月曜日(起訴日から4日目)の朝に保釈請求書を提出していれば,起訴から6日目の水曜日には釈放され得ていた計算になります。「弁護士がいるいない,弁護士が仕事をするしないで,随分違いがあるものだね。」と思ったものです。

 今月(20147月)151343分に日本経済新聞のウェッブ・サイトに掲載された記事(「連絡ミスで保釈3日遅れる 大阪地裁」)によると,「被告は5月に逮捕・起訴され,地裁が6月12日に保釈を認める決定を出した。被告は13日に保釈金を納付したが,地裁の担当書記官が担当の部に連絡せず,保釈金が納付されたことが地検に伝わらなかった。/保釈されないことを不審に思った弁護人が地裁に指摘し,手続きミスが発覚。3日後の6月16日に釈放され,地裁は被告に謝罪と経緯の説明をした。・・・」という事件が大阪地方裁判所であったそうですが,この被告人は,気にしてくれる人がよっぽど少なかった人物だったものでしょうか。(なお,保釈される「被告人は,その日のうちに釈放されるが,帰宅のための交通費さえ所持していないという場合や,家族のもとに帰ろうとしない場合もあるから,弁護人としては,拘置所に出迎えるなり,家族・友人に連絡するなど,きめ細かな配慮を要することもある」とされています(松尾261頁)。)それとも,「まだ釈放されていないんですか。」という執拗な問い合わせにもかかわらず,よっぽど巧妙な「蕎麦屋の出前」的な言い訳がされ続けたものでしょうか。ちょっと不思議です。


(5)再び我が主人公について

 ところで,われらが主人公の保釈の見込みですが,権利保釈の除外事由中,刑事訴訟法89条5号(「被告人が,被害者その他事件の審判に必要な知識を有すると認められる者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏怖させる行為をすると疑うに足りる相当な理由があるとき。」)に引っかかるのではないかと心配されるところです。我らが主人公は,何とわずか一人で境内の大勢の商売人のおじさんたちを追い出し,かつ,荒ぶっていたといいますし,以前は家業の建築関係の肉体労働に従事していたといいますから,たくましい筋骨の持ち主であって,必ずしもやさ男ではないようです。おじさんたちは,やはり怖くて逃げたのでしょう。

 さらに権利保釈の除外事由中問題になるのは,刑事訴訟法89条2号(「被告人が前に死刑又は無期若しくは長期10年を超える懲役若しくは禁錮に当たる罪につき有罪の宣告を受けたことがあるとき。」)です。確かに我らが主人公は,かつて,死刑の判決及びその執行まで受けています。しかし,刑の消滅(刑法34条の2)の場合は,同号の適用はないものとされています(松本=土本156頁)。


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弁護士 齊藤雅俊

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(読者の方が被疑者・被告人になられることはないでしょうが,念のため,弊事務所をお見知りおきください。)


 



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1 判決主文,事案,関係条文及び争点

(1)判決主文

原告ら及び被告らがいずれも電気通信事業者である平成23年(ワ)第32660号独占禁止法第24条に基づく差止請求事件に係る東京地方裁判所の判決が,平成26年(2014年)6月19日に出ました。

 主文は,


 1 原告らの主位的請求をいずれも棄却する。

 2 原告らの予備的請求に係る訴えをいずれも却下する。

 3 訴訟費用は原告らの負担とする。


 というものです。請求棄却に訴え却下,更に訴訟費用負担と,正に一刀両断真っ向唐竹割りです。武士の情けもあらばこそ,優秀な弁護士らを訴訟代理人に擁した原告らの残念・無残な敗北です。


(2)事案の概要

 当該事案の概要は,判決書における東京地方裁判所の整理によれば,次のようなものでした。


  本件は,戸建て向けFTTHサービス(Fiber To The Home, 光ファイバによる家庭向けのデータ通信サービス)を提供するために被告らの設置する設備に接続しようとする原告らが,被告らに対し,接続の単位を1分岐単位としOSUOptical Subscriber Unit, 被告ら局舎内の光信号主端末回線収容装置〕等を原告らと被告らが共用する方式での接続を,被告らが拒否したことは,電気通信事業法に基づく接続義務に違反するものであり,不当に原告らとの取引を拒絶し,又は被告らの優越的地位を濫用するものであるから,私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」という。)19条に違反する等と主張して,独占禁止法24条に基づき,主位的に,①8分岐単位での接続を強要しないこと,②1分岐単位での接続の申込みを拒否しないこと,③被告らが原告らとの間でOSUの共用に応じること,④被告らの設備を別紙1〔別紙は本記事では略〕のAないしDの接続箇所で原告らの設備と接続することを請求し,予備的に,被告らが,原告らに対し,①8分岐単位での接続を強要してはならない義務,②1分岐単位での接続の申込みを拒否してはならない義務,③被告らが原告らとの間でOSUの共用に応じる義務,④被告らの設備を別紙1のAないしDの接続箇所で原告らの設備と接続する義務を負うことの確認を求める事案である。


(3)関係条文

昭和22年法律第54号(独禁法。これは,201422日の記事で御紹介したように,題名の無い法律です。)19条及び24条は,次のとおり。


19条 事業者は,不公正な取引方法を用いてはならない。


24条 第8条第5号〔事業者団体が事業者に不公正な取引方法に該当する行為をさせるようにすること。〕又は第19条の規定に違反する行為によつてその利益を侵害され,又は侵害されるおそれがある者は,これにより著しい損害を生じ,又は生ずるおそれがあるときは,その利益を侵害する事業者若しくは事業者団体又は侵害するおそれがある事業者若しくは事業者団体に対し,その侵害の停止又は予防を請求することができる。


 なお,後にしばしば出てくる電気通信事業法(昭和59年法律第86号)32条をここで掲げると,次のとおり。


 32条 電気通信事業者は,他の電気通信事業者から当該他の電気通信事業者の電気通信設備をその設置する電気通信回線設備に接続すべき旨の請求を受けたときは,次に掲げる場合を除き,これに応じなければならない。

  一 電気通信役務の円滑な提供に支障が生ずるおそれがあるとき。

  二 当該接続が当該電気通信事業者の利益を不当に害するおそれがあるとき。

  三 前2号に掲げる場合のほか,総務省令で定める正当な理由があるとき。


(4)争点

 本件事案における争点は,東京地方裁判所の整理によると,次の8項目になりました。


 1 主位的請求に係る作為命令が独占禁止法24条の対象となるか否か

 2 主位的請求と接続約款及び電気通信事業法32条について

 3 確認の利益(予備的請求)

 4 被告らの原告らに対する優越的地位(独占禁止法295号)の有無

 5 優越的地位の濫用行為(独占禁止法295号)の有無

 6 取引内容等の制限(独占禁止法296号,一般指定2項)の有無

 7 公正競争阻害性(独占禁止法296号)の有無その1―参入を著しく困難にする効果の有無

 8 公正競争阻害性(独占禁止法296号)の有無その2―電気通信事業法32条の接続拒否事由の有無


原告らは,第1の争点はクリアしたものの(それに伴い,第3の争点である予備的請求の確認の利益は否定された。),第2の争点の段階であえなく討ち死に。第4の争点以下に関する経済法に係る高邁な議論は,そのために費やされた時間,労力及び費用と共に空しく無駄となってしまいました。

第4ないし第7の争点が,「独禁法に基づく本件請求の本質的な論点」ということになるようですが,東京地方裁判所が当該各論点に関する判断を避けるまでもなく,電気通信事業法がらみの第2の争点を,電気通信事業者である原告らが越えることができずに終わってしまったということのようです。例えていえば,富士山頂を目指したが,登山道にたどりつく前に,ふもとの段階で樹海に迷い込んでしまったようなものでしょうか。それとも,五合目登山口から登るつもりで富士スバルラインを自動車で走っていたら,途中で自動車がエンコしたようなものか。


すこしの事にも先達はあらまほしきことなり(徒然草・第52段)


2 独禁法関係の判示

無論,本件判決が,独禁法に関する論点に全く触れなかったわけではありません。インターネットに掲載された白石忠志東京大学教授の法科大学院の「経済法」用レジュメには,本件判決に関して,「24条による作為命令は可能」及び「事業法で強制された行為は独禁法に違反しない」との二つの命題が示されています。


(1)「24条による作為命令は可能」

独禁法「24条による作為命令は可能」という点について,本件判決の該当部分は,次のとおり。第1の争点である「主位的請求に係る作為命令が独占禁止法24条の対象となるか否か」に関係します。


 独占禁止法24条は,不公正な取引方法に係る規制に違反する行為によってその利益を侵害され又は侵害されるおそれがある者は,その利益を侵害し又は侵害するおそれがある事業者に対し,「その侵害の停止又は予防」を請求することができると規定しているところ,ここでいう不公正な取引方法に係る規制に違反する行為が不作為によるものである場合もあり得ることから考えると,差止請求の対象である「その侵害の停止又は予防」は,不作為による損害を停止又は予防するための作為を含むと解するのが相当である。この点,被告らは,独占禁止法24条に基づき作為命令を求めることはできないと主張するが,上記に判示したところに照らし,被告らの主張は採用できない。


 とはいえ,原告らの独禁法24条に基づく差止請求は別の理由で棄却されたのですから,以上は一般論にすぎません。なお,当該判示は,三光丸事件判決(東京地判平成16415判タ1163235)が独禁法24条に基づく引渡請求を作為命令の請求であることを理由として不適法却下したことに対する学説の批判(白石忠志『独禁法事例の勘所〔第2版〕』(有斐閣・2010年)191192頁参照)にこたえたものでしょう。


(2)「事業法で強制された行為は独禁法に違反しない」

「事業法で強制された行為は独禁法に違反しない」という点について,本件判決の該当部分は,次のとおり。第2の争点である「主位的請求と接続約款及び電気通信事業法32条について」に関係します。


・・・被告らの設置する加入者光回線設備は,〔電気通信事業〕法上の第一種指定電気通信設備に当たるから,本件請求に係る接続は,同法33条2項所定の接続に当たると認められ・・・そうすると,被告らは,〔総務大臣から〕電気通信事業法33条2項の接続約款の認可又は同条10項の接続に関する協定の認可を受けていない以上,本件請求に係る接続に関する協定を締結するなどして,このような接続をさせることはできないのであって,接続約款の認可を受けずに原告らとの間で本件請求に係る接続に関する協定又は契約を締結すれば,刑罰法規の構成要件に該当することになる(同法1864号,339項)。

 もとより,電気通信事業法による規制は,独占禁止法による規制を排除するものではなく,電気通信事業法に基づき総務大臣が認可した接続約款による接続が,具体的な事案において,独占禁止法違反の要件を満たす場合に,独占禁止法に基づく規制に服することがあり得ることは否定できない(・・・最高裁平成221217日第二小法廷判決参照)。しかしながら,前記のとおり,被告らは,本件請求に係る接続に関する接続約款等についての総務大臣の認可がない以上,電気通信事業法上,このような接続に応じてはならない義務を課されている状況にあるといえるのであって,にもかかわらず,独占禁止法により,このような接続をしなければならない義務を被告らに課すことは,被告らに相互に矛盾する法的義務を課すことにほかならないことを考えると,独占禁止法24条に基づき,被告らに対してこのような接続を請求することはできないと解される。


注意深い読者であれば,接続協定と接続との関係が気になると思います。この点に関する東京地方裁判所の判示は,次のとおり。


原告らは,電気通信事業者の接続義務を定める電気通信事業法32条を根拠に,被告らに対する接続請求権があると主張する。しかしながら,同条は,接続という行為義務自体を定めたものではなく,接続に関する協定を締結しこれを維持しなければならないことを定めたものであると解される。


 ここで東京地方裁判所がいいたいのは,「原告らは,電気通信事業法32条から直ちに,被告らの局舎に立ち入って被告らの電気通信回線設備との接続工事をする権利が発生するかのように思っているかもしれないが,立入りや工事の権利は同条から直接生ずるものではなく,同条に促されて事業者間で締結される接続協定によって初めて生ずるのだよ。」ということでしょう。確かに,「電気通信事業法32条の権利の行使だっ。」と称して,いきなり,勝手に人様の局舎に侵入して勝手に接続工事をするのは,刑罰法規に触れる行為でしょう。また,高らかに電気通信事業法32条を理由に掲げて「直ちに接続工事をせい。」と言われても,献身的に黙々と, 気持ちよく仕事をしてくれる都合のいい人ならざる電気通信回線設備設置事業者としては,具体的な費用負担やら接続の条件について接続協定の合意のないまま,一方的に自腹で,かつ,接続請求者の言いなりに接続工事をするわけにはいかないでしょう。

 ところで,原告らがそこに接続させたいと言っている被告らの加入者光回線設備は電気通信事業法上の第一指定電気通信設備なので,当該設備との接続に係る協定を,総務大臣の認可なしに締結すると,被告らは同法33条9項の禁止に違反することになり,同法186条4号によって200万円以下の罰金に処せられてしまいます。独禁法24条に基づき裁判所が,総務大臣の認可をバイパスして,「総務大臣の認可の必要なんか無視していいからこの差止命令に従って接続せよ。電気通信事業法1864号の罰則の適用の有無など心配するな。」と被告らに言っていいのかどうかが問題となるわけです。電気通信事業法が青信号を出したものに対して独禁法が「いや,やっぱり独禁法上はいけないんです。」と赤信号を出すことは認められています。しかし,電気通信事業法がなお赤信号を出しているとき,それにもかかわらず,電気通信関係の諸立法も経済法である以上独禁法の方が偉いのである,普遍的・一般的思考による問題解決が必要なのであって,区々たる法文の単なる当てはめに拘泥してはいけないのである云々などと言って,裁判所が独禁法の名の下にあえて,被告らに対して電気通信事業法の赤信号を無視させてよいのかどうかが問題になったわけです。電気通信事業法も独禁法も法形式は同じ法律ですし,また,独禁法は「一般競争法」にすぎないのならば,特別法は一般法を破るでしょう。結論として,東京地方裁判所は,独禁法が電気通信事業法と別個にgo-stopの信号を出してもよいが,電気通信事業法の赤信号を青信号に変えることまではできない,と判断したもののようです。両法間(お役所間)で赤か青か信号が一致しないときは,結局事業者にとっては「赤信号」ということになるわけです。


3 協定の申込みに対する承諾の意思表示を求める請求権の存否

 なお,以上の議論は,独禁法24条に基づく裁判所に対する差止請求の名の下に,電気通信事業法上の総務大臣による接続協定認可制度をバイパスしてはいけないということでもありました。第一種指定電気通信設備への新たな接続は,これまで電気通信事業法32条等における接続義務に基づき,被告らと事業者間とで協議した上で,被告らが総務大臣に接続約款認可申請又は協定認可申請を行うという手順で実現してきた,というのならば正に当該手順を踏むべく,独禁法の名の下に裁判所を使って事業者間の協議及び総務大臣の認可をバイパスするという一見容易そうでありながら実は荒涼索漠たる樹海への道をとるな,ということでしょう。

 ということで,「これまでの手順」の道になるべく沿うべく東京地方裁判所は丁寧に,「総務大臣の認可がない場合であっても,原告らが,被告らに対し,協定の内容についての承諾の意思表示を求める請求権が発生し得ると解する余地があるかも問題となり得るところ」である,という問題を自ら提起し,検討しています。同裁判所は,原告らからの接続協定の内容に係る申込みに対して被告らに承諾の意思表示をさせ,その上で当該内容に係る合意における債務として被告らに当該協定に係る認可申請をさせるという「手順」を考えたのかもしれません(厳密にいうと総務大臣の認可前に協定を締結してしまうと犯罪構成要件に触れることになるので,正式な協定の締結は認可取得後にすることになるのでしょう。)。独禁法24条に基づきそのような作為(承諾)をさせることができるのであれば,原告らの請求にもまだまだ脈はあります。


(1)本件請求の場合に係る否定

 しかしながら,原告らの請求においては,接続協定の内容たるべき具体的内容(接続料及び接続条件)がそもそも欠けていましたから,原告らの本件訴訟は,やはりここで倒れてしまいました(被告らが仮に承諾し,又は裁判所が承諾の意思表示を命じてもそもそも有効な接続協定として成立しない。)。


(2)独禁法24条に基づく場合に係る否定

 とはいえ,東京地方裁判所は,なお不屈の親切さをもって考察を進めます。


  なお,本件で,仮に原告らが,協定の具体的な内容を定めた上で,独占禁止法24条又は電気通信事業法32条に基づき,被告らに対し承諾の意思表示を請求することができるかを検討するに,まず,独占禁止法24条については,同条に基づく差止めとして意思表示を命じることができるか否かはともかくとして,接続の単位についてのみ不公正な取引方法に当たるとして独占禁止法上の救済を与えるべき場合に,このような接続の単位を超える協定のその他の具体的な内容を被告らに強制すべき理由はないから,同条に基づく請求としては失当であるといわざるを得ない。(下線は筆者)


独禁法24条の差止めは,「その侵害の停止又は予防」の限度でされるべきであって,その先の事細かな当事者間の法律関係の形成までは独禁法では面倒を見られないよということでしょうか。
    ところで,「現行〔独禁法〕24条の判決例には,作為命令の請求を不適法として却下したものがあるが(・・・東京地判平成16415日〔三光丸〕),全く説得力がない・・・。本判決は,それが机上の空論であることを静かに物語っている」(白石・勘所188頁)とされる蒜山酪農農業協同組合事件判決(岡山地判平成16413(平成8年(ワ)第1089号))の主文1項においては,「・・・被告蒜山酪農農業協同組合は,・・・乙事件原告らに対し,岡山県真庭郡八束村大字中福田地内に設置の八束村公共育成牧場の利用を正当な理由なく拒否してはならない」とされています(白石・勘所184頁に引用)。蒜山酪農農業協同組合が乙事件原告らに対し「・・・系統外取引を開始したことを理由に本件公共育成牧場の利用を拒否することは,事業者団体の内部において特定の事業者を不当に差別的に取り扱うことにより,その事業活動を困難にするものであり一般指定5項に該当し,独占禁止法19条に違反することとなる。」と判断された事案です(白石・勘所185186頁に引用)。しかし,当該判決主文との関係はどうなるかというと,当該判決主文における蒜山酪農農業協同組合に対する作為命令は,独禁法違反のみがその根拠ではなかったように思われます。独禁法19法違反の認定に続いて,「従って,原告らが組合員たる地位に基づき,本件公共育成牧場を利用することを拒否することは許されない。」とされているからです(白石・勘所186頁に引用。下線は筆者)。まず,原告らの組合員としての公共育成牧場利用権が,独禁法違反云々以前に成立していたことが前提になっていたように思われます(ただし, 現行の独禁法24条が導入される前の事案ではあります。)。  


(3)電気通信事業法32条に基づく場合に係る否定

独禁法19条及び24条において不作為が問題になる場合には作為義務が前提としてあるはずですが,本件において原告らが主張していた被告らの作為義務の根拠は,電気通信事業法32条のようです。同条が,接続を要求する当事者が協定の具体的内容を定めてその承諾の意思表示を相手方に請求することまでを認めるものであるかどうかについての東京地方裁判所の見解は,次のとおり。


・・・電気通信事業法は,同法32条により接続に関する協定を締結し維持しなければならない場合であっても,当事者間に協議が調わなかったときには,総務大臣の裁定により協定の具体的内容を定めることとし,これにより同条の規定を担保することとしたものと解されるのであって,当事者の協議が調わない場合に,このような裁定の手続を経ないまま,一方の当事者が協定の具体的内容を定め,その承諾の意思表示を請求することにより,相手方にその内容を強制できるとする理由は見出し難く,このような事態は電気通信事業法32条の想定するところではないと解されるから,同条に基づく請求としても理由がないというほかはない。


 これに対して,総務大臣の裁定の制度(電気通信事業法35条)は司法手続に加えて導入されたものであって,民事訴訟による解決を否定するものではないとの主張がありますが,どうでしょうか。当該主張の根拠とするところは,2012年7月付け総務省作成の「事業者間の協議の円滑化に関するガイドライン」に「「協議が整わなかった場合,当事者は法令の定める紛争処理スキーム(総務大臣による協議命令・裁定及び電気通信紛争処理委員会によるあっせん・仲裁)を利用することができる」と記述しているとおり,これ以外に,接続請求事業者が裁判所に対して民事的救済を求めることを排除するものではありません。」ということのようですが(原告ら訴訟代理人弁護士らの第14準備書面),強い理由づけではあるとはいい得ないでしょう。無論,裁判を受ける権利は何人にも認められているのですが(憲法32条),紛争の解決は,残念ながら,自らが正義であると信ずる原告の無念の敗訴という形によっても達成され得るところです。そもそも電気通信事業法32条によって接続請求事業者に認められる具体的な権利は,電気通信回線設備設置事業者に対して誠実に協議に応ずることを求めるところまでではないかとも考えられているところです(東京弁護士会所属の宮下和昌弁護士による論文「電気通信事業法32条の「応じなければならない」の法的意味」(2012年)を参照)。


4 独禁法戦線から電気通信事業法32条ラインへの後退可能性

 ところで,本件における原告らは,被告らとの紛争を解決しようとするに当たって,あるいは併せて独禁法24条の万能性をも立証しようとして,そのいわば学問的情熱に引っ張られ過ぎたのかもしれません。万能条項存在の立証を急ぐ余りに,結局よろずのものを失ってしまったようにも思われます。(万能細胞をめぐる騒動もありましたね。学者の世界は大変です。)経済法あるいは競争法の考え方を正確に理解して問題の解決に結び付けることができる実務家が不足していたものでもありましょうか。

本件訴訟における原告らと被告らとの間の争点は8項目になったところですが,実は,第8項目(公正競争阻害性(独占禁止法296号)の有無その2―電気通信事業法32条の接続拒否事由の有無)のみを争う確認訴訟という形もあり得たのではないでしょうか。被告らが原告らの1分岐接続請求に対して当該「接続に関する協定を締結しこれを維持しなければならない」義務を有するのかどうかが双方の間における電気通信事業法上の争いに係る本来の中心の一つであったようですから,当該義務の存否を明らかにすれば,紛争の解決に大きく進むことがあるいはできたのではないでしょうか。公法上の法律関係に関する確認の訴えとしての当事者訴訟(行政事件訴訟法4条)ということになるのでもありましょう。原告らがそこでも武運つたなく敗訴すればそれまでですが,勝訴すれば,その後の協議に対する追い風になり,総務大臣の裁定等の手続も円滑に進むことになったのではないでしょうか。

とはいえやはり,華やかかつ理念的な独禁法の旗を降ろして,官僚臭のする伝統的業法の流れを汲む野暮な電気通信事業法の旗の下で戦うことは,原告らにおける新進・優秀な人々はいさぎよしとしなかったものでしょう。(控訴せず。)

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  ユーモアはファイトの潤滑油である。ユーモアがないと,ファイトはぎすぎすして,磨擦をおこす。ファイトがないと卑屈な追従におちいってしまう。だからいい法律家(ローヤー)であるためには,ぜひともユー〔モ〕アが必要である。刑事訴訟法も実際に運用されるときは,ユーモアでなめらかにされなければならない。(平野龍一「ファイトとユーモア」法律学全集しおり第20号(有斐閣・195812月))

 


1 単純逃走罪と被逮捕者

 「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者が逃走したときは,1年以下の懲役に処す。」と規定される単純逃走罪(刑法97条)については,なぜ刑事訴訟法に基づいて逮捕中の者が逃走した場合には同条は適用されないことになっているのか,という複雑な問題が付随しています。

 我が刑事法制の沿革をさかのぼらねばならない問題です。戦前の資料をはじめとする一次資料に当たることを面倒臭がり下請に適した特殊作業視するようなひ弱い根性では,なかなかいけないのでしょう。ため息が漏れるところですが,1981年から東京大学総長を務めた平野龍一教授(なお同年411日(土)の東京大学入学式における総長祝辞では,専ら文科一類の学生向けの「ファイトとユーモア」の話ではなく,全新入学生向けに,「coolhead」と「warmheart」の必要性が説かれました。)に「逃走罪の処罰範囲」(判時15563-6頁)という名論文があることを最近知りましたので,当該論文を頼りに,検討してみましょう。

 


2 刑法の規定の変遷

明治40年法律第45号である現行刑法制定当初(1907年)の同法97条及び98条は,次のとおりでした(なお,平成7年法律第91号による改正前の現行刑法は以後「原現行刑法」ということにします。)。

 


 97条 既決,未決ノ囚人逃走シタルトキハ1年以下ノ懲役ニ処ス

 第98条 既決,未決ノ囚人又ハ勾引状ノ執行ヲ受ケタル者拘禁場又ハ械具ヲ損壊シ若シクハ暴行,脅迫ヲ為シ又ハ2人以上通謀シテ逃走シタルトキハ3月以上5年以下ノ懲役ニ処ス

 


 「既決,未決ノ囚人」が「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者」になったのは,平成7年法律第91号による改正の結果です。

 原現行刑法の前の旧刑法(明治13年太政官布告第36号)144条本文は,「未決ノ囚人」の逃走罪について次のように規定していました。

 

 144条 未決ノ囚徒入監中逃走シタル者ハ第142条ノ例ニ同シ・・・

 


 旧刑法142条は,次のとおり。

 


 142条 已決ノ囚徒逃走シタル者ハ1月以上6月以下ノ重禁錮ニ処ス

  若シ獄舎獄具ヲ毀壊シ又ハ暴行脅迫ヲ為シテ逃走シタル者ハ3月以上3年以下ノ重禁錮ニ処ス

 


3 旧刑法時代の判例:留置された現行犯被逮捕者=未決ノ囚徒

この旧刑法時代の判例(大判明治35422日刑録84170頁)においては「逮捕されて留置されている者も「未決の囚人」であるとしていた」こと及び「学説も(小野〔清一郎〕説が出るまでは)一致してこれを支持していた」ことが,平野総長によってまず指摘されています(平野論文3頁)。当該判例の該当部分は次のとおり。(実は当該判例によれば,逮捕段階で既に「未決ノ囚徒」であって,留置までは不要であるように読めます。)

 


・・・警察官カ刑事訴訟法第58条ノ規定ニ基キ禁錮ノ刑ニ該ルヘキ軽罪ノ現行犯人ヲ認知シ令状ヲ待タスシテ之ヲ逮捕シタルトキハ其未決ノ囚徒タルコト論ヲ待タス又其囚徒ニシテ監獄ノ一部ナル警察署ノ留置場ニ拘禁セラルニ於テハ其入監中ナルコトモ亦明カナルニ依リ若シ該囚徒逃走スルトキハ刑法第144条第142条ヲ適用処断スヘキハ当然ナリ然ルニ原判決ハ被告Hカ窃盗ノ現行犯トシテ逮捕セラレ明治341212日夜岡山県岡田警察分署留置場第2房ニ留置中逃走シタル事実ヲ認メナカラ令状ノ執行ニ依リ入監シタルモノニアラサルニ付其所為罪トナラストシ無罪ヲ言渡シタルハ上告論旨ノ如ク擬律ノ錯誤ニシテ破毀ヲ免カレサルモノトス・・・

 


4 現行刑事訴訟法より前の刑事訴訟法典

 


(1)4代の刑事訴訟法典

さて,当該判例中の「刑事訴訟法」とは,もちろん現行の刑事訴訟法ではありません。旧々刑事訴訟法です。我が国の近代的刑事訴訟法典は,実は4代を経ています。

 


治罪法(明治13年太政官布告第37号)(ボアソナードの草案をもとに制定。フランス流)

(旧々)刑事訴訟法(明治23年法律第96号)(「明治刑訴」ともいう。)

(旧)刑事訴訟法(大正11年法律第75号)(ドイツ法系に転化)

刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)

 


1907年の原現行刑法制定時の刑事訴訟法は,旧々刑事訴訟法でした。したがって,原現行刑法の逃走罪の規定は,旧々刑事訴訟法の仕組みを前提としていたことになります。

 


(2)旧々刑事訴訟法における逮捕の限定:現行犯逮捕

旧々刑事訴訟法58条1項は次のとおり。現行犯逮捕に関する規定です。

 


58条 司法警察官及ヒ巡査,憲兵卒其職務ヲ行フニ当リ重罪又ハ禁錮ノ刑ニ該ル可キ軽罪ノ現行犯アルコトヲ知リタルトキハ令状ヲ待タスシテ被告人ヲ逮捕スヘシ

 


 ところで,旧々刑事訴訟法に基づく逮捕は限定されていました。

 


・・・明治刑訴では,逮捕は現行犯人について認められたほか,所在不明の被告人について,予審判事の請求にもとづき,検事が発する逮捕状によって認められていた(この場合逮捕状は勾留状と同一の効力を持っていた。80条)。(平野論文5頁)

 


ここでの「逮捕状」は,実質は勾留状で,かつ,既に予審の始まっている被告人について発せられます。(公訴提起前の)捜査過程において捜査機関が被疑者を逮捕するための現行刑事訴訟法の逮捕状とは異なります。旧々刑事訴訟法時代においては,現行刑事訴訟法における逮捕状による被疑者の逮捕に相当する制度は存在せず,現行犯逮捕が認められているだけであったわけです。

 


(3)予審と予審における強制処分

なお,予審とは検事の請求によって開始される裁判所の手続です。旧刑事訴訟法288条は「公訴ノ提起ハ予審又ハ公判ヲ請求スルニ依リテ之ヲ為ス」と規定していました。「予審ハ被告事件ヲ公判ニ付スヘキカ否ヲ決スル為必要ナル事項ヲ取調フルヲ以テ其ノ目的」とするものでした(旧刑事訴訟法2951項)。「裁判所に於ける手続を予審(Voruntersuchung)及び公判(Hauptverhandlung)に分つことは1808年のフランス治罪法以来近代刑事訴訟に於ける一般の構造となつてゐる」ものとされていました(小野清一郎『全訂第三版刑事訴訟法講義』(有斐閣・1933年)388頁)。予審を行う「予審判事は形式上裁判官たる地位を有するけれども,其の実質においては裁判官と謂ふことは出来ぬ。何故なれば,自ら事件そのものに付て裁判を下すものではないからである。其の行ふところの手続は形式上審理であるけれども,しかも其の実質に於ては事件を公判に付すべきか否を決定すると同時に,公判の審理に対して証拠を集収し,保全するといふことを目的とする。この点からは予審手続は寧ろ捜査手続の延長と見るべきもの」でした(小野・刑訴法392-393頁)。旧刑事訴訟法以前においては「強制処分は刑事訴訟法上原則として裁判機関に属し,捜査機関たる検事又は司法警察官は別段の規定ある場合を除く外自ら強制の処分を為すことを得」ませんでした(小野・刑訴法236頁)。これに対して予審判事は,勾引等の強制処分を自らすることができたところです(旧刑事訴訟法122条,169条,179条,213条等)。

 


5 監獄則

 なお,前記明治35年判例に係る検察側の上告趣意書では,旧刑法144条の「入監中トハ法律ノ規定ニ従ヒ法定ノ獄舎ニ投セラレタルモノヲ指シタルコト疑ヲ容レサル所ナレハ司法警察官カ刑事訴訟法第58条ノ規定ニ基キ令状ヲ待タスシテ被告人ヲ逮捕シ監獄ノ一部ナル警察ノ留置場(監獄則第1条第5号参照)ニ拘禁セシモノ入監中ナルコト明白ナリ」と説かれていたとされているので,当時の監獄則(明治22年勅令第93号)1条を見てみましょう。

 


第1条 監獄ヲ別テ左ノ6種ト為ス

  一 集治監 徒刑流刑及旧法懲役終身ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

  二 仮留監 徒刑流刑ニ処セラレタル者ヲ集治監ニ発遣スル迄拘禁スル所トス

   三 地方監獄 拘留禁錮禁獄懲役ニ処セラレタル者及婦女ニシテ徒刑ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   四 拘置監 刑事被告人ヲ拘禁スル所トス

   五 留置場 刑事被告人ヲ一時留置スル所トス但警察署内ノ留置場ニ於テハ罰金ヲ禁錮ニ換フル者及拘留ニ処セラレタル者ヲ拘禁スルコトヲ得

   六 懲治場 不論罪ニ係ル幼者及瘖唖者ヲ懲治スル所トス

 


 しかし,上記監獄則1条5号の文言を見ると,留置場に入り得るのは「刑事被告人」ですね。現行犯人であっても,現行犯逮捕されただけではまだ被告人ではないように思われ,疑問が生ずるところです。しかしながら,前掲の旧々刑事訴訟法58条を改めて見ると,現行犯逮捕される現行犯人は,既に「被告人」になっています。文言的には平仄は合っています。告訴についても,その段階で「被告人」という語が用いられています(同法491項)。「わが国最初の近代法典である治罪法(1880年)やつぎの明治刑訴法(1890年)には〔起訴便宜主義に係る〕関連規定がないので,当初は〔訴訟条件が具備し犯罪の嫌疑があるときは,検察官は必ず起訴しなければならないとする起訴〕法定主義を採用したものと解されていた。」ということでしょうか(田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕』(有斐閣・1996年)173頁)。なお,旧々刑事訴訟法においては,現行犯については,不告不理の原則(「訴えなければ裁判なし」)の例外とされていました(同法142条・143条(検事より先に予審判事が現行犯を認知した場合))。

 ところで,明治22年の監獄則6条は,1889年当初は「新ニ入監スル者アルトキハ典獄先ツ令状又ハ宣告書ヲ査閲シテ之ヲ領シ其領収証ヲ引致シ来リタル者ニ交付シタル後入監セシムヘシ其文書ナクシテ引致セラレタル者ヲ入監セシムルコトヲ得ス」とあって,これでは「令状又ハ宣告書」の無いはずの現行犯逮捕の場合に問題があったように思われます。旧々刑事訴訟法制定後9年たってからの明治32年勅令第344号による監獄則6条の改正は,この点の不整合を解消させるための,あるいは「こっそり」改正であったものでしょうか。当該勅令による改正後の監獄則6条は,次のとおり。「其ノ他適法ノ文書」が効いています。

 


 第6条 新ニ入監スル者アルトキハ令状宣告書執行指揮書其ノ他適法ノ文書ヲ査閲シタル後入監セシムヘシ

 


6 旧刑法から原現行刑法(平成7年改正前)へ

 


(1)未決ノ囚人の単純逃走罪における「入監中」の文字の取り去り

 さて,旧刑法144条に戻りますと,「未決ノ囚徒入監中逃走シタル」とあり,例えば,勾留状を執行された者が入監前に逃走したときは,逃走罪は成立しませんでした。

 ところが,原現行刑法97条からは「入監中」の3文字が消えます。平野総長の論文(3頁)が引用する改正理由書の記述は,次のとおり。

 


 「囚人とは既決,未決を問はず監獄に在る可き身分の者を示す意義なるを以て現行法の如く未決の囚人に付きて特に入監中と云うの必要を認めざるのみならず却って疑義を生ずるおそれ」があるからである。

 

 前記明治35年の大審院判例では「警察官カ・・・現行犯人ヲ認知シ令状ヲ待タスシテ之ヲ逮捕シタルトキハ其未決ノ囚徒タルコト論ヲ待タス」としていましたから,現行犯逮捕された留置前の現行犯人も「監獄に在る可き身分」の「囚人」ということになるのでしょうか。しかし,囚人の「囚」の字は,角川『新字源』によると会意文字で,「人を囲いの中に入れたさまにより,「とらえる」意を表わす」ものとされ,また,「囚人」及び「囚徒」は「罪を犯して,牢屋に入れられている人。罪人。めしうど。」となっていますから,まだ牢屋の囲い(「囗」)の中に入っていない「人」を「囚」人というのには若干の違和感があるところです。さりながら,対応するドイツの用語はGefangeneであり,フランスの用語はdétenuであって,監獄に入れられているところまでは必要とされていないようです。

 


(2)二つの解釈

 原現行刑法においては,1907年の制定当初には,現行犯で逮捕されてから留置されるまでの間においても,当該現行犯人が逃走した場合には単純逃走罪が成立するものとし,旧刑法144条よりも犯罪の成立範囲を拡張したものであったのでしょうか(前記明治35年の大審院判例における「未決ノ囚徒」の解釈をそのまま維持するとそうなるはずです。)。学説は,留置前の単純逃走罪の成否についてはっきり一致はしていなかったようです(平野論文3-4頁,5頁参照)。平野総長が「逮捕されて留置されている者」が「未決の囚人」であることは「学説も・・・一致してこれを支持していた。」と述べるとき,それは学説が一致する最大公約数的内容であったのでしょう。

 


ア 現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説

平野総長自身は,「監獄に拘禁されざる者は・・・未決の囚人にあらずということがごときは法理の上よりするもまた法文の上よりするも何等の根拠なきものとす」との大場茂馬判事の所説を引用し(平野論文3頁),また,刑法99条の被拘禁者奪取罪について(原現行刑法においては「法令ニ因リ拘禁セラレタル者ヲ奪取シタル者ハ3月以上5年以下ノ懲役ニ処ス」と規定していました。),囚人とは「「監獄にあるべき身分の者」とし,「監獄にある者」とはしていなかった」原現行刑法に係る前記改正理由書を援用して,「勾留状の執行を受け,あるいは逮捕状により逮捕されてまだ収監されていない者も,「拘禁された者」といわざるをえない」と述べていますから(平野論文6頁),現行犯で逮捕されてから留置されるまでの間においても,当該現行犯人が逃走した場合には単純逃走罪が成立することについて,積極に解するものでしょう。これを「現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説」と名付けましょう。

 


イ 現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説

 しかし,最大公約数的学説(現行犯逮捕されても留置されていなければ未決ノ囚人ではないものとする。)もそれなりに理由があるようです。原現行刑法に係る改正理由書の記述は,身柄拘束一般について述べているものではなく,飽くまで「監獄」にこだわっており,また,確かに現行犯逮捕されても全員が「監獄に在る可き身分の者」として留置されるわけではなく,留置の必要なしとして釈放される場合もあったはずです(「其ノ他適法ノ文書」の作成がなければ,監獄則6条によって,入監が許されなかったでしょう。1922年の旧刑事訴訟法127条前段は「司法警察官現行犯人ヲ逮捕シ若ハ之ヲ受取リ又ハ勾引状ノ執行ヲ受ケタル被疑者ヲ受取リタルトキハ即時訊問シ留置ノ必要ナシト思料スルトキハ直ニ釈放スヘシ」と規定していました。)。「未決の囚人に付きて特に入監中と云うの必要を認めざるのみならず却って疑義を生ずるおそれ」という記述についても,囚人が入監しているのは当然のことであるから「特に入監中と云うの必要を認め」ないという趣旨であり(「車に乗する」とは言うべきではない類),入監していない段階で既に「未決ノ囚徒」であるとした前記明治35年判例は,正に,「入監中」という(旧刑法144の)冗語が招いた「疑義」が誤った解釈(「入監中」でない「未決ノ囚徒」もあると解するもの)を導出してしまった一例であると考えられていた,ともいえそうです。「監獄に在る可き身分の者」とは,「いったん収監され」た上,「移監や出廷のため護送中の者や監獄外で作業に従事している者」を(専ら)意味するものである(西田典之『刑法各論 第三版』(弘文堂・2005年)405頁参照),という解釈も可能でしょう。こちらは,「現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説」と呼びましょう。

 


7 監獄法及び旧刑事訴訟法

 


(1)監獄法

 なお,監獄則に代わる法律として,原現行刑法制定後の1908年には監獄法(明治41年法律第28号)が制定されます。制定当初の同法1条及び11条は,次のとおり。

 


 第1条 監獄ハ之ヲ左ノ4種トス

   一 懲役監 懲役ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   二 禁錮監 禁錮ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   三 拘留場 拘留ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   四 拘置監 刑事被告人及ヒ死刑ノ言渡ヲ受ケタル者ヲ拘禁スル所トス

  拘置監ニハ懲役,禁錮又ハ拘留ニ処セラレタル者ヲ一時拘禁スルコトヲ得

  警察官署ニ附属スル留置場ハ之ヲ監獄ニ代用スルコトヲ得但懲役又ハ禁錮ニ処セラレタル者ヲ1月以上継続シテ拘禁スルコトヲ得ス

 

11条 新ニ入監スル者アルトキハ令状又ハ判決書及ヒ執行指揮書其他適法ノ文書ヲ査閲シタル後入監セシム可シ

 


 現行犯逮捕された現行犯人は,旧々刑事訴訟法では「被告人」ですから,「刑事被告人」として拘置監又は留置場に入監したのでしょう。

 

(2)旧刑事訴訟法

 ところが,1922年の旧刑事訴訟法においては,もはや現行犯逮捕された現行犯人を「被告人」とは呼称していませんでした。となると,監獄法1条1項4号及び3項との関係では,現行犯逮捕された現行犯人の起訴前(予審請求又は公判請求の前)の在監の説明は厄介なことになったもののようにも思われます。しかし,旧々刑事訴訟法からの経緯で説明され,問題視されなかったもののようであります。

現行刑事訴訟法の制定時にも,監獄法1条1項4号は改正されていません。

「拘置監に「刑事被告人」すなわち被告人および被疑者を収容するものとし(監114号)」(大谷實『刑事政策講義 第四版』(弘文堂・1996年)288-289頁)という表現に見られるように,監獄法にいう「刑事被告人」は,刑事訴訟法における被告人及び被疑者の総称であると解釈されていたわけです。

 


8 現在の通説

 


(1)小野=団藤説

 さて,学説情況を一変させた小野清一郎博士(第一東京弁護士会会長も務める。)の新説を見てみましょう。平野論文にいわく(4頁)。

 


 ・・・通説に対して異説を唱えられたのは,小野博士であった。博士はいわれる。「未決の囚人とは,刑事被疑者又は被告人として勾留状により拘禁されている者をいう。逮捕状又は勾引状により一時拘禁されている者を含まない(第98条参照)。現行犯として逮捕された者をも含まないであろう。」博士は「第98条参照」とされるだけで,何故逮捕された者を含まないのか,その理由を詳しく述べてはおられない。おそらく,逮捕による拘禁も「一時の拘禁」であり,それならやはり「一時の拘禁」である勾引状の執行による拘禁とおなじように取り扱うべきだ,というのであろう。

 


この小野博士の新説は,「小野,刑法講義各論27頁」(平野5頁)によって出されたそうですが,平野総長は,『刑法講義各論』のどの版を引用しているのか明示してくれていません。同書は,1932年に初版,1945年に全訂版,1949年に新訂版が出,当該新訂版の1950年の重版に当たって「新少年法,新刑事訴訟法,罰金等臨時措置法など,その後の新立法による訂正」が行なわれています(小野清一郎『新訂 刑法講義各論』(有斐閣・1950年(3版))序)。「逮捕状」という記載に注目すると,「旧刑訴では,逮捕は現行犯人についてだけ認められ」ていたのですから(平野論文5頁),逮捕状による通常逮捕の制度の本格導入を伴う「新刑事訴訟法・・・による訂正」がされた1950年以降の版でしょう(第一東京弁護士会図書館にあるものは同年版。文言,頁番号も一致)。

 「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」については加重逃走罪のみが成立して単純逃走罪は成立しないものとされていたことを前提に,現行刑事訴訟上で導入された裁判官の発する逮捕状も従前の勾引状と同様のものと考え,逮捕状により逮捕された者についても加重逃走罪のみが成立して単純逃走罪は成立しないものとする推論が,小野博士においてされたものでしょう(平野論文4頁参照)。その場合,前記明治35年判例で「未決ノ囚人」に含まれるものとされた現行犯逮捕された者の扱いが問題になるのですが,現行刑事訴訟法では「逮捕」といえば逮捕状による逮捕が本道なので,むしろ現行犯逮捕の方がそちらに合わせろということでの「現行犯として逮捕された者をも含まないであろう。」との暫定的な意見表明となったものではないでしょうか。いわゆる側杖(そばづえ)ですね。

 なお,単純逃走罪について小野博士が説くところには,平野総長引用部分の後に,また続きがありました。いわく。

 


・・・旧刑法(第144条)は「入監中」なることを必要とした。現行刑法第97条には其の規定がないけれど,牧野博士は一旦入監したものであることを必要とすると解される。(小野・刑法各論27頁)

 


 後に最高裁判所判事を務めることになる団藤重光教授に至ると,「未決の囚人とは裁判の確定前に刑事手続において拘禁を受けている者,すなわち勾留されている被疑者または被告人である。勾引状の執行を受けた者を含まないことは,98条との対比からあきらかである。逮捕状により,または現行犯人として逮捕された者も含まれない。」とされ(平野論文4頁に引用されている団藤『刑法綱要各論(改訂版)』72頁),現行犯逮捕された者の非「未決ノ囚人」性が躊躇なく肯定されています。現在の通説です。これに対して,「ここでも理由は述べられていないし,判例,学説にもまったく言及されていない。」と,平野総長は不満を表明しています(平野論文4頁)。

なお,小野博士の所説は,「未決ノ囚人」となる拘禁は,「一時拘禁」たる留置では足りず,勾留状による勾留の段階になることまでを要するとするものでしょう。「ドイツやスイスなどでは,単純逃走行為を処罰しない」そうですから(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)527頁),単純逃走罪の主体となる「未決ノ囚人」を従前より限定的に解釈する解釈論であっても,理由が全く無いわけではないということでしょう。ただし,「単純逃走は処罰しないという方法で,逃走罪の成立範囲を限定するのは一つの考え方であるが,囚人の範囲を限定するという技巧的な方法をとることは,妥当とは思われない。」とされています(平野論文6頁)。

 


(2)原現行刑法98条の「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」

 原現行刑法制定時に同法98条の加重逃走罪の主体に「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」が加えられたことの意味が問題になります。平野論文(3頁)の引用する改正理由書の記述は,次のとおり。

 


 現行法〔旧刑法〕に依れば,囚人逃走を為したるときはこれを罪となすと雖も勾引状の執行を受けたる者同一の行為を為したるときは罪責を負担せず・・・改正案は此欠点を補正するため修正を加えたり

 


上記記述の解釈は,現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説と現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説とでは異なるようです。

現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説では,現行犯逮捕されて身柄を拘束された「被告人」が未決ノ囚人である以上,勾引状で身柄を拘束され引致される被告人も当然未決ノ囚人になるので,囚人以外で「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」は証人等ということになるとされるようです(大場茂馬説(平野論文4頁)参照)。

 現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説では,監獄に拘禁されないと囚人ではありませんから,勾引状を執行された証人等のほか,勾引状を執行され,いまだ収監されていない護送中の被告人も「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」に含まれ,他方拘禁後は「未決ノ囚人」となることになります(岡田庄作説(平野論文4頁)参照)。

 ただし,「勾引状の執行を受けた者」の解釈については,「その他の学者はほとんどこの点に触れていない」状況だったそうです(平野論文4頁)。

 原現行刑法の前記改正理由書は,現行犯逮捕及び留置=未決の囚人説に基づいて書かれたものと解すべきでしょうか。「現行法に依れば,囚人逃走を為したるときはこれを罪となす」とありますから,逆にいうと,囚人というのはすべて単純逃走罪の主体となるべきものであって,「現行法」たる旧刑法(第144条)において単純逃走をしても不可罰である入監前の未決ノ囚徒は,実は囚人ではないということになるようだからです。なお,勾引中の証人の逃走が,問題になるほど多かったかどうかは分かりませんが,不出頭の証人に対しては,罰金(過料)の制裁及び費用賠償請求の制度もありました(旧々刑事訴訟法118条)。

平野総長が,未決ノ囚人から現行犯逮捕された者を含む被逮捕者を除外する小野=団藤説を攻撃するため,次のように述べるときの「判例・学説」は,(二通り考えられますが,まず)一応は,最大公約数的な,現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説のことでしょうか(平野論文3頁冒頭参照)。

 


  しかし〔明治40年の原現行刑法の〕立案者は,逮捕された者は囚人に含まれるという判例・学説を前提とし,勾引状を執行された者が逃走しても処罰されないのは法の欠陥であるとして,これを補うために,「勾引状の執行を受けた者」という語を付け加え,あらたに処罰することにしたのである。これによって,囚人のなかに既に含まれていた被逮捕者を条文から除いて不可罰なものとした,あるいはこれを97条から98条に移したとは到底考えられない。・・・(平野論文4頁)

 


 現行犯逮捕されて留置されている現行犯人は未決ノ囚人であるという前例が既に確立しているのであるから,同じ被逮捕者仲間である,逮捕状によって逮捕され,留置された被疑者も未決ノ囚人とせよ,ということでしょうか。

 しかし,「逮捕された者は囚人に含まれるという判例・学説」とあって,「留置」の文言が抜けていますから,現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説に基づく所論のようでもありますし,前記6(2)アからはそのように思われます。

 


(3)平野総長の批判(現行刑事訴訟法の逮捕状と旧々刑事訴訟法の勾引状との相違等)

 現行刑事訴訟法に基づく逮捕状による被疑者の逮捕と,旧々刑事訴訟法による勾引状による被告人の勾引とを同じものとすることはできない,ということが,平野総長が更に説くところの趣旨でしょうか。旧々刑事訴訟法の「勾引は起訴後被告人について,判事の令状によって認められ,勾引して引致した被告人は48時間内に訊問すべしとされていたが,これを留置できる旨の規定はなかった」(同法73条参照)とされる一方,現行刑事訴訟法では「逮捕は身柄を確保する制度である」と述べられています(平野論文5頁)。小野=団藤説が勾引状と逮捕状との同様性を語るとき,そこでいう勾引状としては旧刑事訴訟法の要急事件に係る被疑者に対して検事が発する勾引状(同法123条)が念頭にあるのではないかとも考えられたようですが,「現行刑法は明治刑訴の勾引を前提として作られたのであって,旧刑訴の勾引を前提として議論することはできない。」と断ぜられています(平野論文4頁)。「旧刑訴についてみても,逮捕と勾引とでは,訴訟法上要件・効果に違いがあるのであって,ただ名前だけの違いではない。逮捕状は勾引状に「含まれる」とすることはできないし,「準ずる」とするのも,罪刑法定主義上無理がある。」と追い打ちがかけられています(平野論文4頁)。

 その他,勾留前に留置場にいる段階で,逮捕状で逮捕された被疑者が暴行脅迫して逃走すると加重逃走罪になると解釈する場合(勾引状ノ執行ヲ受ケタル者と同様だから)には,同様の段階で現行犯逮捕された現行犯人が同じことをしても加重逃走罪が成立しないことになるから(未決ノ囚人でもないし,勾引状ノ執行ヲ受ケタル者でもないから)不整合が生ずると,通説に基づく解釈論((すなわち)団藤説)のもたらす不都合な帰結が指摘されています(平野論文4頁)。

 なお,旧刑事訴訟法123条は,次のとおり。

 


 123条 左ノ場合ニ於テ急速ヲ要シ判事ノ勾引状ヲ求ムルコト能ハサルトキハ検事ハ勾引状ヲ発シ又ハ之ヲ他ノ検事若ハ司法警察官ニ命令シ若ハ嘱託スルコトヲ得

  一 被疑者定リタル住居ヲ有セサルトキ

  二 現行犯人其ノ場所ニ在ラサルトキ

  三 現行犯ノ取調ニ因リ其ノ事件ノ共犯ヲ発見シタルトキ

  四 既決ノ囚人又ハ本法ニ依リ拘禁セラレタル者逃亡シタルトキ

  五 死体ノ検証ニ因リ犯人ヲ発見シタルトキ

  六 被疑者常習トシテ強盗又ハ窃盗ノ罪ヲ犯シタルモノナルトキ

 


 第4号が,「既決又ハ未決ノ囚人」ではなく,「既決ノ囚人又ハ本法ニ依リ拘禁セラレタル者」になっていますね。検事が勾引状を発し得る対象の者を広くとるために,「未決ノ囚人」とすると漏れがあるから,「本法ニ依リ拘禁セラレタル者」にしたということであれば,「未決ノ囚人」概念論争にも関係がありそうですが,どうなのでしょうか。(あるいは,「未決ノ囚人」では広くなり過ぎるのでしょうか。)

 


9 平成7年法律第91号による通説の確認

 平野総長の「逃走罪の処罰範囲」論文の結末は,「いずれにせよ,逃走罪の規定はもう一度整理しなおす必要がある。」(6頁)と,平成7年法律第91号による「実質的にみても,妥当な改正とは思われない」改正に対する不満を改めて表明するような形になっています(3頁)。

 しかし,平野総長の後輩ら刑法学界の反応は,次のようなものだったようです。

 


 ・・・立法の沿革等から,逮捕状の執行により留置された被疑者を含むとする見解(平野〔龍一『刑法概説』(東京大学出版会・1977年)〕283頁,同「逃走罪の処罰範囲」判時15563頁)も有力であるが,・・・平成7年の改正により立法的に解決された・・・(西田406頁)

 


 もう終わった議論である,ということのようです。

 


旧網走監獄獄舎(パノプティコンが採用されていました。)DSCF0067


 





弁護士 齊藤雅俊 大志わかば法律事務所 渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203 電話: 03-6868-3194 電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp
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