2014年04月


1 本人訴訟の状況

 


(1)本人訴訟

 我が国では,民事訴訟は当事者(原告又は被告)御本人でできます。必ず弁護士に訴訟代理人になることを依頼して,代わって訴訟活動をしてもらわなければならないわけではありません。(これに対して,ドイツでは我が国と異なり,同国の民事訴訟法781項は,「地方裁判所及び上級地方裁判所においては,当事者は弁護士(Rechtsanwalt)によって代理されなければならない。ある州において裁判所構成法施行法第8条に基づき最上級地方裁判所が設置されている場合,そこにおいては,当事者は,同じく弁護士によって代理されなければならない。連邦通常裁判所においては,当事者は,連邦通常裁判所において許可されている弁護士によって代理されなければならない。」と規定しています。)

 法律問題を抱えて,自分の権利を実現するため原告として相手方を訴える場合に,また,被告として民事訴訟を提起されてしまった場合に,弁護士(簡易裁判所での場合は,又は司法書士(司法書士法316号))に依頼せずに御本人が自分で訴訟活動をされる訴訟を,本人訴訟といいます。

 裁判所のウェッブ・サイトを見ると,いろいろな書式等,本人訴訟をされる方たちに役立つ情報が提供されています。

 


(2)2012年の本人訴訟状況

 それでは,実際のところ,本人訴訟は一体どれくらいあるものなのでしょうか。

 


ア 地方裁判所:原告の4分の3は弁護士を利用,双方本人訴訟は2割

 2012年中の状況を裁判所ウェッブ・サイトの司法統計で見ると,全地方裁判所の第一審通常訴訟既済事件数168230件のうち,当事者双方に弁護士が付いたのは6万3302件で,全体の37.6パーセントにすぎません。原告は弁護士を立てて訴訟を提起したが,被告は弁護士を依頼しなかったケースは6万5078件で38.7パーセントになります。この両者は原告が弁護士を立てたケースですから,すなわち,地方裁判所に訴えを提起する原告の方の4人に3人(76.3パーセント)は,弁護士を利用されているわけです。残りの23.6パーセント(3万9850件)は,弁護士に依頼せずに原告御本人が訴訟を提起されたケースになりますが,これに対して被告が弁護士を立てたのが7382件で全体の4.4パーセント,原告被告双方とも御本人であるケースは3万2468件で全体の19.3パーセントになります。

 


イ 簡易裁判所

 訴訟の目的の価額が140万円を超えない請求に係る第一審裁判所は簡易裁判所になります(裁判所法3311号。また,同法241項)。簡易裁判所では,「簡素な手続により迅速に紛争を解決するもの」(民事訴訟法270条)とされています。同じく2012年中の簡易裁判所における本人訴訟状況はどうなっていたのでしょうか。

訴訟の目的の価額が60万円以下の金銭の支払請求を目的とする訴えに係る少額訴訟(民事訴訟法3681項。原則として1回の審理で終了します(同法3701項)。)と,それ以外の通常訴訟に分けて統計が出ています。

 


(ア)通常訴訟:3分の2が双方本人訴訟

 まず,通常訴訟から。全簡易裁判所の第一審通常訴訟既済事件数424368件中,当事者双方に弁護士又は司法書士が付いたのは1万7027件で,何と4.0パーセントにすぎません。換言すると,簡易裁判所の通常訴訟では,25件中24件は,当事者のいずれかが御本人ということになります。原告にのみ弁護士又は司法書士が付いているケースが101024件(全体の23.8パーセント)ですから,簡易裁判所での通常訴訟での原告で,弁護士又は司法書士を利用された方は10人中3人にも達していないわけです(118051件,全体の27.8パーセント)。被告のみに弁護士又は司法書士が付いたケースは1万9622件(全体の4.6パーセント)。原被告双方とも御本人であるケースは286695件で,何と全体の3分の2を超えます(67.6パーセント。ただし,簡易裁判所では,裁判所の許可を得て弁護士又は司法書士でない者を訴訟代理人とすることができます(民事訴訟法541項)。)。

 


(イ)少額訴訟:弁護士利用は例外的

 少額訴訟既済事件数1万2754件中,原被告双方に弁護士又は司法書士が付いたのは47件で,実にわずか0.4パーセントです。原被告双方とも御本人ケースが1万1324件で88.8パーセントとなっています。原告のみに弁護士又は司法書士が付いたのが1009件(7.9パーセント),被告のみに弁護士又は司法書士が付いたケースが374件(2.9パーセント)となっています。少額訴訟では,弁護士又は司法書士の訴訟代理人を立てるのがむしろ例外となっています。

 


2 司法研修所編『本人訴訟に関する実証的研究』

 以上は,統計数字に表れた本人訴訟の量的状況についての御紹介です。

 更に本人訴訟の内容に踏み込んだ質的分析をも行ったものとしては,法曹会から2013年5月に出た司法研修所編『本人訴訟に関する実証的研究』(司法研究報告書第64輯第3号)があります。地方裁判所及び高等裁判所の裁判官の目から見た本人訴訟について興味深い調査結果を報告しているものです。以下,当該報告書の内容について若干御紹介したいと思います。

 


(1)分析対象

 


ア 地方裁判所での「実質的紛争のある事件」:2010年度は約2割

 なお,司法研修所の当該報告書で分析の対象となった地方裁判所第一審事件は,2010年度に既済となった事件のうち,実質的紛争のある事件です。すなわち,「実質的紛争がない」又は「明らかに原告又は被告の主張に理由がない」といった事案をふるい落とすため,口頭弁論期日(判決言渡期日を除く。)を3回以上経,又は1回でも弁論準備手続に付された事案のみが取り上げられています(さらには,過払金返還請求事件が主なものである「その他の金銭を目的とする訴え」も除外されています。)(報告書2頁)。

 2010年に既済となった民事第一審通常訴訟(全地方裁判所)において単独事件として審理された事件は227431件のうち,上記のふるいがけに残った「実質的紛争のある事件」は4万3549件だったそうです(報告書2頁)。

こうしてみると,地方裁判所に訴えが提起される訴訟のうち,裁判所から見て「実質的に紛争がある」と思われるのは約2割で,約8割という大部分の事件は,「実質的な紛争がない」若しくは「明らかに原告又は被告の主張に理由がない」といった,何もわざわざ訴訟沙汰にしなくとも・・・とあるいは思わせるものか,又は過払金返還請求事件といった特殊なもの(2010年当時は,裁判所によっては新規事件の4割ないしは5割程度は過払金返還請求事件だったそうです(報告書3頁)。)であったようです。

 また,『本人訴訟に関する実証的研究』のために,司法研修所は,2011年1月20日から同月31日までの間に終了した事件のうち上記のような実質的紛争のある事件について,全国の地方裁判所の民事単独訴訟事件を担当する裁判官の全員にアンケート調査(以下「裁判官アンケート」)を行っており,原告は本人訴訟であるが被告には弁護士が付いた事案(原告本人型)83件,原告は弁護士を立てたが被告は本人訴訟であった事案(被告本人型)169件及び原被告双方とも弁護士を立てず双方とも本人訴訟であった事案(双方本人型)33件の合計285件について回答が寄せられています(報告書23頁)。

 


イ 地裁「実質的紛争のある事件」中の本人訴訟比率:約4分の1

2010年における地方裁判所の上記「実質的に紛争がある」事件4万3549件のうち,原被告双方に弁護士の訴訟代理人が付いていたのは3万2448件とされています(74.5パーセント)。引き算をすると,「実質的に紛争がある」事件で当事者の少なくともどちらかに弁護士がついていない本人訴訟は,4分の1ほどということになります(原被告双方とも弁護士がついていない双方本人型は1559件で3.6パーセント,被告には弁護士がついて防戦しているが原告は本人のみである原告本人型が2455件で5.6パーセント,弁護士を立てた原告に訴えられた被告が弁護士を立てずに自ら応戦した被告本人型が7087件で16.3パーセント)(以上,報告書5頁)。しかし,これは地方裁判所の数字なので,簡易裁判所では,「実質的に紛争がある」事件についても,当然地方裁判所よりも本人訴訟の比率が高いことでしょう。

 


(2)原告と弁護士

当たり前の話ですが,民事訴訟は,原告が訴えを提起するところから始まります。(民事訴訟法133条1項は「訴えの提起は,訴状を裁判所に提出してしなければならない。」と規定しています。)

原告に弁護士がつく場合とつかない場合とが,まず分かれます。

 


ア 弁護士がつく場合

原告に弁護士がつく場合は,弁護士としては,その事件は原告のために何とかものになると考えているわけでしょう。弁護士職務基本規程29条3項は,「弁護士は,依頼者の期待する結果が得られる見込みがないにもかかわらず,その見込みがあるように装って事件を受任してはならない。」と規定しています。

 


イ 弁護士がつかない場合

これに対して,原告に弁護士がつかない場合の理由はいろいろです。

この中で,弁護士側からの難色については,実質的紛争事件に関する裁判官アンケートによれば,原告に弁護士がついていない事件116件(報告書3頁。83件+33件)中,30件(25.9パーセント)については「弁護士側で受任に難色を示すような事件であったから」原告に弁護士がつかなかったのではないかとされています(報告書11頁,資料編123頁)。「原告側本人の事案では,法的保護に値しない感情的な不満を損害賠償として請求するなどいわゆる負け筋の事件が多い」とも指摘されています(報告書12頁)。弁護士側で受任に難色を示すような事件でないと思われるのに原告が弁護士をつけなかったのは116件中43件(37.1パーセント)とされています(資料編123頁)。(別に「分からない」との回答が43件(37.1パーセント)ありました(資料編123頁)。)

なお,116件中原告が弁護士に相談していた件数(相談しただろうと推測するものを含む。)は,17件(14.7パーセント)とされています(報告書12頁,資料編99頁)。

 


(3)弁護士の有無と原告の勝訴率

弁護士をつけることによって,訴訟の勝敗率はどう変化するのでしょうか。原告の勝訴率を見てみましょう。

  

ア 原告に弁護士がついている場合

原告に弁護士がついている場合は,前記のとおり,当該弁護士において,原告のためにいい結果を出せるとの見通しを持っているのが通常でしょう。

 


(ア)被告に弁護士がついた場合(双方弁護士型):原告勝率67.3パーセント

地方裁判所の「実質的紛争のある事件」のうち,原被告両当事者に弁護士がついている場合をまず見てみましょう。訴訟技術の差は弁護士間では弁護士・非弁護士間ほどはないはずですから,本人訴訟において懸念されるほど,訴訟技術の巧拙が勝敗の差に現れたということはないはずです。

双方弁護士型事案における原告勝訴(全部又は一部認容)の比率は,1万2396件中の8337件で,67.3パーセントとなっています(報告書910頁,資料編35頁)。(なお,原被告双方に弁護士がついた事案3万2448件中1万7561件(54.1パーセント)においては,判決ではなく,和解で終結していることに注意してください(報告書9頁,資料編35頁)。)

  

(イ)被告に弁護士がつかない場合(被告本人型):原告勝率91.2パーセント

ところが,弁護士が原告の訴訟代理人として訴訟を追行しているのに対して被告が弁護士を訴訟代理人に付けない被告本人型の場合,原告の勝訴率は,3963件中の3616件,91.2パーセントに跳ね上がります(報告書910頁,資料編35頁)。被告に弁護士が付いているときよりも原告の勝率が23.9ポイント上がっています。この原告側勝訴率の増加の理由を,すべて被告側の弁護士の不在に帰してよいものか。無論,被告が負けを最初から見越していたからこそそもそも弁護士を依頼しなかったという場合もあるでしょうから,被告の勝率低下のすべてを弁護士の不在に帰するわけにはいきません。しかしながら,報告書の分析対象事案は「実質的紛争」がある場合であって,「被告の主張に理由がない」ことが一見極めて明白な場合は除かれているはずですから,やはり,被告の負け筋事件ばかりであったわけではないでしょう。少なくとも,「負け筋の本人には弁護士が選任されていない可能性も考えられるが,本人訴訟の本人と弁護士との力量の差が勝訴率(ないし敗訴の回避率)に影響を与えている可能性がある。」とはいい得るわけです(報告書9頁)。

裁判官アンケートの結果においては,被告のみ本人訴訟型の場合,被告に弁護士がついていれば訴訟の結論において被告に有利な影響があったと考えられる比率が,原告勝訴事案(全部又は一部認容)について27.1パーセントとなっています(報告書58頁)。91.2パーセントの原告勝訴ケースのうち27.1パーセントが被告有利になるとすると,勝率は66.5パーセント(=0.912×(10.271))となって,原被告双方に弁護士がついていた場合の原告の勝率(67.3パーセント)とほぼ同じになりますから,一応もっともらしいですね。ただし,被告のみ弁護士がつかない事案に係る裁判官アンケートにおける原告勝訴事案107件中,弁護士がついていれば被告「有利」となったであろうとされた29件のうち8件ほどは,和解によって被告敗訴が回避されたであろうケースのようですから(報告書59頁,資料編142頁),判決で有利になる比率は21(=298)/99(=1078)の21.2パーセントでしょうか。それでも原告勝率は71.9パーセント(=0.912×(10.212))になるでしょうから,依然としてもっともらしいですね。

 

イ 原告に弁護士がついていない場合

原告に弁護士がついていなくとも,その事件がすべて負け筋であるとは限りません。

 


(ア) 被告に弁護士がついた場合(原告本人型):原告勝率32.4パーセント

被告に弁護士がついても,本人訴訟の原告が勝訴する確率はなお,1421件中の460件,32.4パーセントあります(報告書910頁,資料編35頁)。弁護士側で受任に難色を示すような事件でないと思われるのに(したがって,少なくとも負け筋ではないのに(又は勝ち筋だからこそ))原告が弁護士をつけなかったのは116件中43件(37.1パーセント)あったという前記裁判官アンケートの数字にほぼ符合するように思われます。勝つべき事件は,弁護士の有無にかかわらず勝つであろう,ということでしょう。

なお,裁判官アンケートによれば,原告は本人訴訟・被告は弁護士付きの原告本人型類型について,原告勝訴事案のうち更にその23.8パーセントにおいて,原告に弁護士がついていればその勝ちがより大きくなっただろうと担当裁判官によって考えられているようです(報告書5859頁)。

 


(イ)被告に弁護士がつかない場合(双方本人型):原告勝率67.0パーセント

原告の本人訴訟に対し,被告も弁護士を頼まず本人訴訟で応じた双方本人型の場合の原告勝訴率は,統計データの調査では,864件中の579件,67.0パーセントとなっています(報告書910頁,資料編35頁)。被告に弁護士がついた場合よりも,原告の勝率が34.6ポイント増加しています。

ただし,裁判官アンケートでは,原被告双方本人型訴訟での原告勝訴率は,1211敗の52.2パーセントとなっています(報告書55頁,資料編94頁)

原告に弁護士がついていない事件116件中,30件(25.9パーセント)については「弁護士側で受任に難色を示すような事件であった」とする前記裁判官アンケートの結果からすると,さすがに原告の本人訴訟の場合における勝率が4分の3を超えることはないのでしょうから,非弁護士同士の戦いは,当該勝率と,被告に弁護士がついたときの原告本人訴訟の勝率32.4パーセントとの間の綱引きになるのでしょう。(なお,原告に弁護士が付いていない事件中,「弁護士難色事件」を原告のどうしても勝てない事件と仮定した上で,「弁護士難色事件」を除いた事件の原告勝訴率を,原被告双方弁護士事件における原告の勝訴率67.3パーセントにおけば,原被告双方本人訴訟(双方とも弁護士がついていない)事件での原告勝訴率は5割程度ということになりそうではあります(0.499=(10.259)×0.673)。これは,裁判官アンケートでの原告勝訴率52.2パーセントに符合しますね。)統計データ調査上の双方本人型本人訴訟での原告勝率67.0パーセントという結果は,原告の気迫勝ちということなのでしょうか。裁判官から見た本人訴訟の発生原因において,自分自身で訴訟を追行しようという意欲が強いからと観察される比率(原告本人訴訟中62.9パーセント,被告本人訴訟中40.6パーセント)及び訴訟追行能力に自信があって弁護士を必要としないと考えているからと観察される比率(原告本人訴訟中55.2パーセント,被告本人訴訟中27.7パーセント)が,いずれも原告について高くなっています(報告書11頁)。ただし,「裁判所からみて,本人の訴訟活動は,原告側と被告側とで大きな差はないか,むしろ原告側本人に問題がある割合が高いと映っている」そうです(報告書11頁)。

また,裁判所から見ると,訴訟経験があったからといって,残念ながら,本人訴訟における本人の訴訟活動の質は,向上しないもののようです(報告書2324頁)。

 


(4)本人訴訟の訴訟技術上の問題点

裁判官アンケートによると,仮に本人が弁護士を選任したとすれば訴訟の帰趨に有利な影響があった可能性があるとされた事案について,有利になる原因として挙げられているのは,①適切な主張(本人訴訟類型全体で68.6パーセント),②適切な立証(同66.7パーセント)及び被告のみ本人型事案での③和解の可能性(同15.7パーセント弱)となっています(報告書5859頁)。

 


ア 「適切な主張」

「適切な主張」が問題になるのは,訴訟においては,主張を法律的に適切に構成することが必要だからです(「法律的に」構成するのであって,日本語として意味が通るように主張するだけではまだ足りません(達意の日本語を書くことはそれだけでも難しいことですが。)。)。つまり,法的権利が発生したものと裁判で認めてもらうためには,「そう合意したから」「そう約束したから」との事実だけを主張するのではだめで(いわんや「一貫した思考の結果,そうであるべきものとわたくしがそう思うから」と学者大先生のようにその先の議論を言い張るだけではだめです。),「これこれの権利を発生させるこれこれの法律の仕組みがあって,その仕組みが発動するためのこれこれの要件があって,それらの要件に該当するこれこれの事実が存在するから,要件が充足されて法律の仕組みが発動して,私の主張するこれこれの権利が発生したのだ」と主張しなければならないのです(「法規説」)。「現在の民事裁判実務では,法規説が採用されている。民法が成文法として制定されている以上,法律行為について,「法律の規定なしに法律効果が生ずるという自然法原理のようなものは認めることができない」(我妻〔『民法講義Ⅰ』〕242頁)と解されるからである。契約の拘束力の思想的な根拠が合意にあり,契約の成立には合意が必要であるとしても,権利の発生根拠・契約の拘束力の根拠は法律にあると考えるべきである。」というわけです(村野渉ほか『要件事実論30講〔第2版〕』94頁)。「法規説では,・・・原告は,まず自己が求める権利(請求権)の法的性質を決定し,その権利の発生要件である要件事実を過不足なく主張立証しなければならない。したがって,法律実務家としては,民法等の法律の規定について理解を深めるとともに,契約の内容を緻密かつ合理的に分析するよう努めることが大切である。」という(村野ほか94頁),ちょっと難しいことになっています。

なお,この点に関しては,昨年(2013年)亡くなった法哲学者の碧海純一教授が,裁判官の役割の伝統的な19世紀大陸法学的なとらえ方に係る比喩として「裁判官スロット・マシン説」という説明をしています。「つまり,裁判官というものは,いわば穴の三つあるスロット・マシンであるべきで,上の穴から法律を,中の穴から事件を投げこんでやれば,自動的に下の穴から判決が出てくるようなものでなければならない」というものです(碧海純一『法と社会』(中公新書・522006年)159頁)。上の穴から入れる法律を選び間違えると,本来有利な判決をもらえる事件を中の穴から入れても,下の穴から期待した判決は出てきませんし,上の穴から入れる法律は正しくても,中の穴から入れる事件の入れ方を間違えると,期待した判決はやっぱり出てきません。また,上の穴から入れる法律と中の穴から入れる事件との関係で,下の穴から出てくる判決はあらかじめ決まっているわけですから,当該スロット・マシンの性能上出てこない判決を求めてスロット・マシンの前にすわり続けるのは,残念ながら無駄ということになります。ちょっと一人で操作するのは難しいスロット・マシンであるわけです。

「実務での経験からすると,原告側に弁護士が選任されている場合は,訴状に欠席判決ができる程度の記載がないことはそれほど多くな」いのに反して,裁判官アンケートによると,原告本人が弁護士に依頼せずに自ら作成した訴状の場合,約半数の48.3パーセントの訴状に欠席判決ができる程度の記載がなかった,とされています(報告書1314頁)。本人作成の訴状の2通に1通は,せっかく被告が何もしないでいてくれても,それだけでは勝てない訴状だというわけです。(なお,民事訴訟規則531項は,訴状には「請求を理由づける事実を具体的に記載」すべきものとしています。)

 


イ 「適切な立証」

「適切な立証」とは,訴訟における主張を裏付ける証拠を提出できたか,という証拠収集・提出(説得)能力の問題です。この方面でも経験が物を言いますし,また,本人のみでは見落としてしまうことも,第三者の目からすると気付くことができるということもあるわけです。自分が紛争の当事者になってしまうと,なかなか冷静にはなれませんし,またかえって気が重くなり,手がつけられないということもあるでしょう。

 


ウ 和解

「和解」については,裁判官アンケート分析の結果として,「本人が敗訴判決を受けている事件のうち,弁護士が選任されていても当然に和解を勧試しているとはいえない事案では,敗訴判決を受けた本人が弁護士を選任していれば本人に有利な影響があったとする割合は7.8%にすぎないのに対し,弁護士が選任されていれば当然に和解を勧試している事案では,敗訴判決を受けた本人が弁護士を選任していれば本人に有利な影響があったとする割合は28.7%に上っており,顕著な差を示している。これは,判決となれば本人が敗訴してしまうものの,和解に持ち込める可能性があるのに,本人が和解に消極的なためにそのまま判決に至ってしまったケースが相当数あることを示しているといえようか。」と述べられています(報告書64頁)。「裁判所は,訴訟がいかなる程度にあるかを問わず,和解を試み,又は受命裁判官若しくは受託裁判官に和解を試みさせることができる。」とされていますが(民事訴訟法89条),訴訟が和解で終局する比率は,「実質的紛争あり」事案に係る統計データでは,原被告とも弁護士が付いている場合には54.1パーセントであるのに対して,本人訴訟類型全体では35.4パーセントにとどまっています(報告書9頁,資料編35頁)。このギャップの説明としては,「本人訴訟における和解率が低い理由として,和解に不適切な事案が多いことのほか,和解が相当な事件においても,本人に和解や譲歩の意向がなく,また,本人の理解力やコミュニケーション能力に問題があることが挙げられる。そして,本人に和解や譲歩の意向がないことの原因として,弁護士が選任されていないために,本人が事件の見通しを的確にすることができないことが考えられる。そうすると,仮にこれらの和解が相当な事件で弁護士が選任されれば,弁護士が事件の見通しを示すなどして本人を説得し,また,本人の理解力等を補うことになるので,和解協議が開かれ,ひいては和解が成立するケースもでてくると思われる。」と述べられています(報告書64頁)。裁判官アンケートによると,和解協議をしなかったケースについてその理由として挙げられたもののうち,和解に不適切な事案であるとするものが本人訴訟全類型で和解協議をしなかったケースの45.7パーセント,原告に弁護士の付いていない原告本人型で特に65.4パーセントになっており,本人の理解力等に問題がありとするものが本人訴訟全類型で和解協議をしなかったケースの23.8パーセント,原被告とも本人訴訟である双方本人型では38.5パーセントになっていました(報告書63頁)。

弁護士は,判決に向けて徹底的に戦うことばかりではなく,裁判所からは,望ましい和解に向けた仲介者としての役割も期待されているということのようです。

 


3 まとめ

 以上,司法統計及び『本人訴訟に関する実証的研究』について若干御紹介申し上げました。本人訴訟の全体像についてのイメージを,筆者と共につかんでいただければ幸いです。ありがたいことに,弁護士が付くことにより,原告側・被告側双方において勝率が上昇していることが統計数字に表れていました。

 とはいえ,現実の事件の当事者にとって問題であるのは,現在当面する個別具体的な特定の事件であって,多くの事件から抽象された統計的平均値ではありません。そのような意味では,多くの事件の「全体像」を見るだけではなお不十分で,当面する個々の事件の性格を具体的に知ることが必要になります。

 紛争が生じた場合,その解決のために弁護士に依頼するか,飽くまで御本人で対応されるかは,無論,弁護士に頼むことによってかかる費用とそのことによって得られる利益とを天秤にかけた費用対効果で決まるということになるでしょう。しかし,その具体的紛争における弁護士選任に係る費用対効果を具体的に衡量するためには,やはり,当該紛争の具体的性格を知ることが必要です。そのためにもまず,弁護士に相談されることをお勧めします。

 また,病気と同じで,法的紛争も,その芽のうちに適切な対処をすることが,結局は将来における大きな損害ないしは不利益を未然に防ぐことになります。

 弁護士に法律相談をしたからといって,直ちにその弁護士に事件解決を依頼しなければならないことにはなりません。

 


 なお,本人訴訟をされれば,当然弁護士費用の支出は節約できます。しかし,現実のお金として支出されないので一見存在しないように思われがちですが,御本人の時間,労力等に係る機会費用・機会損失(別のことに従事することによって得べかりし利益の喪失)が発生します。

 ちなみに,最高裁判所事務総局が2013年7月12日に公表した「裁判の迅速化に係る検証に関する報告書(第5回)」(「概要」版でも83葉あります。)によると,2012年の地方裁判所における民事第一審訴訟事件の平均審理期間は7.8月,平均期日回数は4.2回だったそうです(過払金返還請求事件等を除くと,それぞれ8.9月及び4.9回)。

 


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(雨飾山)

 弁護士 齊藤雅俊
 大志わかば法律事務所
 151-0053 東京都渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203
 電話:03-6868-3194 (まずは御遠慮なく,お気軽にお電話ください。)
 電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp (電子メールでのお問い合わせにも対応いたします。)

 

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1 七代目樽金王と『吾輩は猫である』

 前回の記事(「アメリカ建国期における君主制論走り書き」)において御紹介したパトリック・ヘンリーの1765年印紙税反対演説に,王政ローマ最後の王(7人目)であるタルクィニウスが出てきました。タルクィニウスとは,一般になじみのない名前ですね。

 しかし,夏目漱石の愛読者であれば,あるいは思い出されるかもしれません。『吾輩は猫である』の苦沙弥先生が書物のありがたさの例として威張って持ち出した故事として,苦沙弥先生の奥さんが迷亭君に話して聞かせた逸話です。その中に出てくる昔のローマの王様,「七代目樽金」がタルクィニウスなのです(迷亭君=漱石は英学者なので,英語で,Tarquin the Proud(傲慢王)ですね,と言い添えます。)。樽金王のところに,ある時,ある女が,9冊組の予言書を持ってやって来て買えと言うが,法外に高い値段をふっかけるので樽金王が躊躇すると,その女は9冊のうち3冊を燃やしてしまい,残りの6を買えという,冊数が減ったので値段も下がるかと思ったが,相変わらず9冊分の値段が要求されるので樽金王がなおも躊躇すると,女は更に3冊を燃やしてしまい,残る本は3冊だけになってしまう,そこでさすがに樽金王も慌てて,9冊分の金額を払って,残った3冊の予言書を買ったというお話です(Dionysius of Halicarnassus, Roman Antiquities, IV 62.1-4参照)。

 傲慢王樽金のローマ追放は,紀元前510年のことと伝えられています。同王の息子が人妻ルクレーティアに対して日本刑法では第177条に規定される罪を犯し,被害者が自殺したのがきっかけです(Livy 1.58)。かつて樽金王の命令で兄弟が処刑されたため,それまで愚鈍を装って身の安全を図り,Brutus(愚鈍)という名がついてしまっていた同王の甥(姉妹の子)のルーキウス・ユーニウス・ブルートゥスが首謀者となって叛乱を起こし,それが成功したものです(Livy 1.56, 1.59-60)。しかしながら,その後も樽金は王位回復をうかがいます。そのため,王党派の陰謀に加わったブルートゥスの二人の息子は共和制ローマの初代執政官(の一人)である父親が毅然として見守る中残酷に処刑され(むち打ちの上,斬首),ブルートゥス自身も王党派との戦闘において,樽金の息子(ルクレーティア事件の犯人ではない者)と戦い,相撃ちになって死んでしまいました(Livy 2.5-6)

なお,ルーキウス・ブルートゥスの二人の息子は上記のように処刑されてしまったので,果たして紀元前44年にカエサルを暗殺したマルクス・ブル-トゥスはルーキウスの子孫であり得るのか,疑問を呈する向きもあったようです(cf. Plutarch, Life of Brutus)

なんだか,古代ローマのなじみのない話ばかりですね。

しかし,『吾輩は猫である』の冒頭部分は,皆さんもうおなじみでしょう。


 吾輩は猫である。名前はまだ無い。

 
 何の変哲もない文章のようです。いやいや,しかし,ここには突っ込みたくなるところがあるのです。この二つの文を見てムズムズするあなた,あなたは法制執務にはまり過ぎです。

 あ,あなたの右手が赤ペンに伸びる。

 赤ペンを握った。

 迷いなく,力強く夏目漱石の名文に直しを入れる。

 何だ何だ,出来上がりは。


 吾輩は猫である。名前はまだ無い。


 おお,点(読点)が二つ入りましたね。やっぱり。今回はこの,読点のお話です。(なお,点が読点といわれるのに対して,丸(。)は句点といいます。)

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 I am a cat. 
(京都市北区船岡山の建勲神社で撮影)


2 法令文における読点

 日本語の文章を書くに当たって頭を大いにひねる事項の一つに,点(読点)の打ち方があります。「読点の付け方は,句点の付け方に比べて複雑である。読点が原則として慣用に従って付けられるべきことは当然であるが・・・この慣用によらないことも認められるので,その付け方には,細心の注意を払う必要がある。」(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)569頁)とは,法令について,法制執務担当者向けの参考書に書かれている言葉です。

 当該参考書には,法令文における読点の付け方について10項目の注意事項が示されていますので(前田569573頁),以下ざっと御紹介しましょう。

 


(1)主語の後

 上記法令文読点注意事項10項目のうち,第1項目の本文にいわく。

 


1 主語の後には,読点を付ける。・・・(前田569頁)

 


 だから,「吾輩は猫である。」,「名前はまだ無い。」と,法制執務中毒者は主語の後には読点を入れたくなってしまうのです。

 


   行政権は,内閣に属する。(憲法65条)

 


 と,ここでも主語である「行政権は」の後に読点が入っていますね。

 しかし,法令関係の仕事のいやらしさは,原則があればそこにはまた例外があることです。読点注意事項第1項目の後段には,次のような注意書きが付されています。

 


1 ・・・しかしながら,条件句や条件文章の中に出てくる主語の後には,次の例に示すように,通常,読点を付けない。

  例 

労働安全衛生法

  26 労働者は,事業者が第20条から第25条まで及び前条〔第25条の2〕第1項の規定に基づき講ずる措置に応じて,必要な事項を守らなければならない。

(前田569頁)

 


労働安全衛生法26条においては,条件句中の主語である「事業者が」の後に読点を付ける「労働者は,事業者が20条から・・・」というような表記にはしなかったわけです。

しかし,こうなると次に掲げる憲法67条2項の「参議院が,」の読点はどういうことになるのでしょうか。

 


衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に,法律の定めるところにより,両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき,又は衆議院が指名の議決をした後,国会休会中の期間を除いて10日以内に,参議院が指名の議決をしないときは,衆議院の議決を国会の議決とする。

 


これは問題ですね。自由民主党の日本国憲法改正草案(2012年4月27日)の第67条3項では,次に掲げるように,「指名の議決」が「指名」に変えられつつ,問題の部分は,「参議院が,指名をしないときは」ではなく「参議院が指名をしないときは」になっており,条件句の中であるので,主語である「参議院が」の後の読点(,)が削られています。憲法を改正してまで読点の付け方の間違いを正すというのは,何とも真面目かつ大変なことです。法制執務の作法は,憲法よりも重いのです。

 


3 衆議院と参議院とが異なった指名をした場合において,法律の定めるところにより,両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき,又は衆議院が指名した後,国会休会中の期間を除いて10日以内に,参議院が指名をしないときは,衆議院の指名を国会の指名とする。

 


(2)並列表記

 読点の付け方に係る注意事項10項目のうち第2項目から第5項目までは,中学校ないしは高等学校の英語の授業で習った,ものをたくさん並べたときの最後の2項目の間はand又はorでつなぐという話,及びそこでのand又はorの前にカンマを打つか打たないかは米国式と英国式とで違いがあるという話を想起させます。

 米国式だと,前カンマ有りで,

 


 A, B, C,…Y, and (or) Z

 


 英国式だと,前カンマ無しで,

 


 A, B, C,…Y and (or) Z

 


 でしたね。

 日本の法令文では,名詞を並べるときは英国式です。(前田569頁参照)

 


  一 憲法改正,法律,政令及び条約を公布すること。(憲法71号)

 


 名詞ではない,動詞,形容詞又は副詞を並べるときには,これは原則として米国式となります。(前田570頁参照)

 


   悪意の占有者は,果実を返還し,かつ,既に消費し,過失によって損傷し,又は収取を怠った果実の代価を償還する義務を負う。(民法1901項)

 


米国式より徹底しているのは,並べるものが二つのときでも,読点を打つことです。(前田570頁参照)

 


   占有物が占有者の責めに帰すべき事由によって滅失し,又は損傷したときは,・・・(民法191条)

 


 「その他」でくくる場合,名詞を並べた後の「その他」の前には読点が打たれませんが,名詞ではない,動詞,形容詞又は副詞を並べた後の「その他」の前には読点が打たれます。(前田571頁参照)

 


株式会社は,代表取締役以外の取締役に社長,副社長その他株式会社を代表する権限を有するものと認められる名称を付した場合には,当該取締役がした行為について,善意の第三者に対してその責任を負う。(会社法354条)

 


差押状,記録命令付差押状又は捜索状の執行については,錠をはずし,封を開き,その他必要な処分をすることができる。(刑事訴訟法1111項前段)

 


(3)条件句の前後

 読点注意事項中第6項目は,条件句を他の部分から分けて示すために読点を使えと述べています。

 


6 条件句の前後には,・・・読点を付ける。(前田571頁)

 


 前記のとおり,条件句内では主語の後にも読点を打たないこととされており,前後は読点で隔てられ,内部は読点を省いて緊密に,条件句は他の部分とは別部分である一塊のものとして表記せよということのようです。

 


   連帯債務者の一人が債権者に対して債権を有する場合においてその連帯債務者が相殺を援用したときは債権は,すべての連帯債務者の利益のために消滅する。(民法4361項)

 


(4)対句

 対句というものもあります。

 


10 ・・・2以上の文章が対句になっているときには,次の例に示すように,対句の接続にのみ読点が付けられ,主語の後などに付けられるべき読点は省略され,また,対句を受ける述語の前にも読点を付けないのが,普通である。しかしながら,対句が長いなどの理由から,読点を省略していない例も多い。

 


  

     労働安全衛生法

   (安全衛生改善計画の作成の指示等)

  78 (略)

  2 事業者は,安全衛生改善計画を作成しようとする場合には,当該事業場に労働者の過半数で組織する労働組合があるときにおいてはその労働組合,労働者の過半数で組織する労働組合がないときにおいては労働者の過半数を代表する者の意見をきかなければならない。

(前田572573頁)

 


次に掲げる破産法5条1項の場合,各対句の共通主語である「債務者が」の後に読点が付されています。これは,当該読点が無い場合には「債権者は」が最初の対句のみの主語ととられてしまう可能性があるため,当該可能性を避けるためでしょう。なかなか難しい。

 


破産事件は,債務者が,営業者であるときはその主たる営業所の所在地,営業者で外国に主たる営業所を有するものであるときは日本におけるその主たる営業所の所在地,営業者でないとき又は営業者であっても営業所を有しないときはその普通裁判籍の所在地を管轄する地方裁判所が管轄する。

 


(5)「お約束」等:「,かつ,」,「ただし,」,「この場合において,」等

 次の2項目は,「お約束」及び「お約束」に近いもののようです。

 


7 句と句とをつなぐ「かつ」の前後,ただし書における「ただし」の後,後段における「この場合において」の後には,・・・必ず読点を付ける。(前田572頁)

 


8 名詞を説明するために「で」又は「であつて」を用いる場合に,その後に続く説明の字句が相当に長いときには,・・・「で」又は「であつて」の後に読点を付けるのが,原則である。(前田572頁)

 


第7項目は「必ず」なので,分かりやすいといえば分かりやすいのですが,「かつ」の前後に必ず読点を打つこととされているのは「句と句とをつなぐ場合」と限定が付されていることに注意が必要です。「かつ」の前後に読点の無い次のような例があります。

 


   会社及び地域会社は,・・・常に経営が適正かつ効率的に行われるように配意し,国民生活に不可欠な電話の役務のあまねく日本全国における適切,公平かつ安定的な提供の確保に寄与するとともに,・・・。(日本電信電話株式会社等に関する法律3条)

 


 「,かつ,」の例はこちらですね。

 


   前項の合意〔管轄の合意〕は,一定の法律関係に基づく訴えに関し,かつ,書面でしなければ,その効力を生じない。(民事訴訟法112項)

 


 第8項の「で,」及び「であって,」については,飽くまでも「原則」であり,かつ,「相当に長いとき」という評価を要する限定がついているので,絶対の「お約束」というのは言い過ぎで,やはり,例外を伴う,「お約束」に近いもの,にとどまるのでしょう。

「で」の次に読点を打つか否かについては,同じ行政不服審査法内において次のような例が見られます。

 まずは,「で」の後に読点有りの例。

 


   前3項の規定〔不服申立てに関する教示に関する規定〕は,地方公共団体その他の公共団体に対する処分で,当該公共団体がその固有の資格において処分の相手方となるものについては,適用しない。(行政不服審査法574項)

 

 次の例では,「で」の後に読点無しとなっています。

 


   法人でない社団又は財団で代表者又は管理人の定めがあるものは,その名で不服申立てをすることができる。(行政不服審査法10条)

 


 「であって」の後に続く説明の字句が相当に長いものか否かの判断基準については,会社法2条を見ると,少なくとも「法務省令で定めるもの」云々の字句の場合は,「相当に長い」ものではない,とされているようです。

 


  二 外国会社 外国の法令に準拠して設立された法人その他の外国の団体であって,会社と同種のもの又は会社に類似するものをいう。(会社法22号)

 


  三十四 電子公告 公告方法のうち,電磁的方法(電子情報処理組織を使用する方法その他の情報通信の技術を利用する方法であって法務省令で定めるものをいう。以下同じ。)により不特定多数の者が公告すべき内容である情報の提供を受けることができる状態に置く措置であって法務省令で定めるものをとる方法をいう。(会社法234号)

 


(6)目的語と動詞との間の読点不要性

 主語の後には読点を打つのが原則でしたが,目的語の後には,読点を付さないのが通常であるそうです。

 


9 目的語と動詞とを続ける場合,通常その間には読点を付けないが,その間に条件句又は条件文章が入るときには,その条件句又は条件文章の前後に読点を付けるのが,普通である。(前田572頁)

 


 条件句の前後に読点を打つべきことは,前記の注意事項第6項目に出ていましたね。

第9項目によれば,夏目漱石と朝日新聞社との間で作成される契約書における条項の書き方は,次のように目的語の後に読点を付するものであっては不可であることになるわけです。

 


 一 夏目金之助は朝日新聞社のために,連載小説を,書くものとする。

 


 次のような表記ならば,よいのでしょう。

 


 一 夏目金之助は,朝日新聞社のために,連載小説を書くものとする。

 


 いずれにせよ,読点の打ち方は難しく,かつ,法令においては文字どおり一点一画もゆるがせにはできない以上,法令案起草担当者の苦心のほどが思いやられます。法制執務担当者向けの市販の参考書に書いてあることだけでは,まだまだよく分かりませんね。残りはそもそもの日本語表記の問題として考えよ,ということでしょうか。

 


3 電波法116条の謎

 法令における読点は,法令案起草担当者が一点一点心を込めて打ったものである以上,その有無がそれぞれ意味するところを深く,かつ,重く考えて法令は解釈されねばならない,とは,よくいわれるところです。

 


(1)過料に係る同種規定における読点有り規定と読点無し規定との混在

 しかしながら,次の例の場合はどう考えるべきでしょうか。

 


    電波法(昭和25年法律第131号)

116 次の各号のいずれかに該当する者は,30万円以下の過料に処する。

  一 第20条第9項(同条10項及び第27条の16において準用する場合を含む。)の規定に違反して,届出をしない者

  二 第22条(第100条第5項において準用する場合を含む。)の規定に違反して届出をしない者

  三 第24条(第100条第5項において準用する場合を含む。)の規定に違反して,免許状を返納しない者

  〔第4号から第23号まで略〕

 


第1号及び第3号並びに第4号以下(第18号を除く。)では,「・・・の規定に違反して,○○しない者(した者)」と表記されていて,「規定に違反して」の後に読点(,)が打たれているのですが,第2号では読点無しののっぺらぼうに「・・・の規定に違反して届出をしない者」と表記されています。この相違をどう解釈すべきか。なお,当該読点の有無の相違は,1950年5月2日の電波法公布の官報の紙面において既にそうなっていたものであって(ちなみに,当時の同法116条には,第4号以下はまだありませんでした。),64年間にわたって官報正誤で直されていませんから,今更,印刷局の印刷ミスだったということになるわけではないでしょう。

 


(2)読点の有無によって文の意味を異ならせる解釈の可能性

電波法116条1号は,無線局の免許に係る免許人の地位の承継があったことの届出をしないことが同法の規定違反になり(「届出をしない」=「・・・の規定に違反・・・」),過料の制裁を受けることになる旨を規定し,同条3号は,無線局の免許が失効したのに当該免許に係る免許状(なお,同法1005項は,無線局についての規定を高周波利用設備について準用するものです。)を総務省に返納しないことが同法の規定違反になり(「免許状を返納しない」=「・・・の規定に違反・・・」),過料の制裁を受けることになる旨を規定する条項でしょう。

これらに対して,読点の有無に意味を持たせて(すなわち,読点の有無によって読み方が異なるように)解釈するとなると,電波法116条2号は,上記の二つの号(同条1号及び3号)のようには解釈せずに,「第22条(第100条第5項において準用する場合を含む。)の規定に違反して届出をしない者」と解すべきでしょうか。

すなわち,電波法22条は「免許人は,その無線局を廃止するときは,その旨を総務大臣に届け出なければならない。」と規定していますが,同条の規定に違反した届出(「・・・の規定に違反して届出」)をしないと(すなわち,規定どおりに真面目に無線局廃止の届出をすると),過料の制裁を受けるものと解さなければならないということになるのでしょうか。無線局の廃止に関して総務大臣に届出があることを前提に,電波法22条違反の届出(=無効の届出)をしない(=有効な届出をする)ことを過料の対象とするものと考えてみるわけです。

「くびに,はなわをかけた。」(保護司法16条参照)と「くびには,なわをかけた。」(刑事訴訟法4751項,刑法111項参照)とが全く違った意味になるように,ここでも同様のことが起きているのでしょうか。

しかし,いかにも変な解釈ですね。

が,よく考えるとそうでもない,有益であり得る解釈かもしれません(①)。とはいえそもそも,電波法116条2号は,「「,」はたかが点だよ。」とノンシャランに,法制執務担当者の深刻ぶりを冷やかすネタにすればよいだけのものではないでしょうか(②)。

 


(3)法制執務担当者冷やかしネタ説

まずは後者の②の立場について見てみましょう。

端的にいって,これが,妥当な態度です。電波法116条2号は,法令の解釈に当たってはお役所の無謬性を前提にして妙に精緻に細かいところにまでこだわり過ぎてはいけないよ,という戒めとして活用されるべきものにすぎません。

 電波法案を起草した当時の電気通信省電波庁の人たちは,単純に,同法案116条2号において点を打ち忘れたことに気が付かなかったようです。

 1950年の電波法制定時に起草関係者によって著されたlegendaryな解説書(古い本の方が役に立つものです。)における同法116条の解説は,次のようになっています。

 


   左の各号の一に該当する者は,3000円以下の過料に処せられるのである。

(一)免許人の地位を承継した者は,遅滞なくその事実を証する書面を添えて,その旨を電波監理委員会に届け出なければならないのにこれに違反した者

(二)免許人は,その無線局(高周波利用設備を含む。)を廃止したり,又その無線局の運用を1箇月以上休止するとき〔制定当時の電波法22条はこの場合にも届出を要する旨規定していた。〕は,その旨を電波監理委員会に届け出なければならないのにこれに違反した者

(三)免許(高周波利用設備であるときは許可。)がその効力を失つたときは,免許人(高周波利用設備であるときは許可を受けた者。)であつた者は,1箇月以内にその免許状を返納しなければならないのにこれに違反した者(荘宏=松田英一=村井修一『電波法放送法電波監理委員会設置法詳解』(日信出版・1950年)266頁)

 


三つの号はどれも同じように読んで理解されるべきもの,という前提で書かれていることが歴然としています。

なお,電波法22条に規定されている無線局廃止の届出がされるべき時期は,必ずしも事前でなくてもよいものであるようです。「廃止しようとするときに即ち事前に届出をすることは望ましいことではあるが必ずしもこれに限らない。廃止の事情には種々のものがあるからである。」と電波庁=電波監理総局関係者によって説かれていました(荘ら182頁)。

また,「免許人が無線局を廃止したときは,免許は,その効力を失う。」(電波法23条)わけですが,それではそもそも無線局の「廃止」とは何かといえば,それは免許人の意思表示であるとされています。すなわち,「無線局を廃止するとは,単に無線局の物理的な滅失をいうのではなく,免許人が無線局によつてその局の業務を行うことを廃棄する意思を表示することをいう。内部意思の決定だけでは足らず,この内部意思が客観的に表示されていることを要する。必ずしも届出でによつて表示されていることを要しない」と説明されていました(荘ら183頁)。事実上は,電波監理委員会(その後郵政大臣,総務大臣)に対する無線局廃止の届出がなければ無線局廃止の意思表示の存在が明らかではなく,したがって,当該届出以外の方法で無線局廃止の意思表示があったとして電波法116条2号による過料の制裁が発動されるということは考えにくいところです。あるいは,電波法22条の届出は,無線局廃止の報告ではなく,むしろ無線局廃止の効力要件のように取り扱われているのではないでしょうか。

 


(4)過料=解約金類似効果説

 前記①の説は,電波法116条2号を,免許人が同法22条の規定どおりに真面目に無線局廃止の届出をすると過料の制裁を受けるもの,と解してみることを前提とするものです。すなわち,無線局廃止の届出があった場合,それが真実のものかどうかを総務省のお役人が確認し,無線局廃止の意思に基づかない虚偽のものであれば(実際は,御当局の指導に基づき無線局廃止の意思表示の撤回をするということになりましょうか。),無線局の免許は失効せず,「規定に違反して届出」をしない者ではない(二重否定で「規定に違反して届出」をしたいたずら者になる)から電波法116条2号の場合には当たらず免許人には過料が課されず,届出に表示されている無線局廃止の意思が真実のものであれば(無線局廃止の意思表示を撤回しなければ),無線局の免許は失効し,「規定に違反して届出」(虚偽の届出をするいたずら)をしない者になるので同号の場合に当たり免許人に最大30万円の過料が課されるというわけです。

 何ともばかげた解釈であるように思われるのではありますが,無線局の免許の効力としては免許人の電波利用料支払義務というものがあるということ(電波法103条の2。電波利用料は,電波利用共益費用に係る総務省の特定財源になります(同条4項)。)を想起し,かつ,電波つながりで携帯電話を連想して,期間(2年)の定めのある携帯電話役務提供契約(いわゆる「2年縛り契約」)の中途解約の場合には少なくない額の解約金が消費者から徴収されている現在の携帯電話業界の実務との比較で考えると,「電波利用料=携帯電話利用料」及び「過料=解約金」というアナロジーが成立し得るところです。電波利用料収入の継続的な確保を一途に考える人々にとっては実は魅力的な制度設計ということになるかもしれません。無論,同じ電波=電気通信関係者とはいえ,我が国のお役人は高潔・高邁な方々ばかりです。

 なお,株式会社NTTドコモ,KDDI株式会社及びソフトバンクモバイル株式会社の「2年縛り契約」に係る契約約款の有効性は,すべて,大阪高等裁判所によって是認されています(それぞれ,平成24127日判決(判時217633頁①),平成25329日判決(平成24年(ネ)第2488号)及び平成25711日判決(平成24年(ネ)第3741号))。ただし,理由づけがそれぞれ異なるため,なお最高裁判所の判断が待たれています。

 


4 「、」と「,」

 最後に読点の形自体が問題になります。

 縦書きのときの読点が「、」であることについては,議論はありません。

 問題は横書きの場合です。

 ワードプロセッシング・ソフトウェアの日本語横書きデフォルト設定は「、」になっています。しかし,果たしてこれでよいのでしょうか。

 基準が無いわけではないのです。

 実は,公用文については,昭和27年4月4日内閣閣甲第16号内閣官房長官発各省庁次官あて依命通知「公用文改善の趣旨徹底について」によって各部内において周知されるべきものとされた「公用文作成の要領」(昭和2610月に国語審議会が審議決定)の「第3 書き方について」の「注2」において,

 


句読点は,横書きでは「,」および「。」を用いる。

 


とされているのです(内閣総理大臣官房総務課監修『新公用文用字用語例集』(ぎょうせい・1986年)368頁)。

 「感じのよ」い公用文の作成のためには,「、」よりも「,」の方を用いるべきだ,と国語審議会が「公用文作成の要領」で決めてしまっていたわけです。

 この点,司法部においては,司法修習等における起案指導の場などを通じて「,」の使用が徹底しているようです。しかし,国の行政部では一般に,そこまでの研修の機会がないのか,ワードプロセッシング・ソフトウェアのデフォルト設定(「、」)にそのまま乗ってしまっているようです。慙愧に堪えません。(各種ウェッブ・サイトなどを注意して御覧ください。)

 とはいえ,国語の教科書は縦書きで,作文も縦書きで書かされて,点は「、」の形で打つべしという教育を我々は小学校以来受けていますから,三つ子の魂百までで,あるいは仕方のないことなのかもしれません。

 なお,地方自治体等で,横書きの場合でも読点は「、」であって「,」は用いないと決めているところもあります。

 


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 北アルプス・槍ヶ岳を望む(三俣山荘から)

 


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ヨークタウン戦勝塔(Yorktown, VA)

1 はじめに

 米国といえば民主主義(democracy)の本家本元で,君主制(monarchy)とは氷炭相容れぬ国柄であるとされています。

 しかしながら,アメリカの建国期においては,実はデモクラシーは理想政体にそぐわないものと考えられており,君主制も全く支持者がいないわけではありませんでした。

 


2 ワシントンを国王に推戴する動き

君主制論者の間では,アメリカ独立戦争を実質的に終結させたヨークタウンの戦いの勝利者ジョージ・ワシントン将軍を新生アメリカの王にしようという動きがありました。

その一例としては,1782522日に大陸軍のルイス・ニコラ大佐からワシントンにあてて送られた書簡があります。当該書簡の中で,ニコラ大佐は,アメリカ諸邦の脆弱,さらには連合会議(178131日に連合規約(The Articles of Confederation)が発効しましたので,それ以降のCongressは,大陸会議ではなく,連合会議と訳すことにします。)の無能ゆえの大陸軍の窮乏について痛憤し,「専制と君主制とを同一視してしまい,両者を分けて考えることが困難になっている人々がいますが・・・しかし,いったん他の事項がしかるべく手当てされれば,王の称号を認めるべきことを推し進める強い議論を提出することができるものと信じます。」と論じて,ワシントンを国王とする政体構想を提示しました。イギリスのKing George IIIの退場の次は,アメリカのKing George Iの登場というわけです。

この書簡に恐慌したワシントンは,同日直ちに回答を発出します。

 



・・・よって貴官に依頼する。貴官にして,国家に対する顧慮,貴官自身若しくは貴官の子孫に対する配慮又は本職に対する敬意を幾分なりとも有せられるものであるならば,かかる思いつきを貴官の思考から排除せられたい。

 


 ワシントンは,ニコラ大佐あての当該回答に封がされ,発送されたことを副官らに確認させるほどの念の入れようでした(これは,弁護士業においてはおなじみの,内容証明郵便物の取扱いですね。)。

 ニコラ大佐は慌てて総司令官にわびを入れました。

(以上Ron Chernow, Washington: a life, p.428参照)

 


 王になろうという野心があると思われたら,カエサルのように暗殺されてしまう,という恐怖があったものでもありましょう。あるいはワシントンの脳裡には,印紙税反対運動において若きパトリック・ヘンリーがヴァジニア植民地議会でした1765年演説に係る次の有名な場面が浮かんでいたかもしれません。

 



○パトリック・ヘンリー君
 ・・・

タルクィニウス及びカエサルには各々彼のブルートゥスあり,チャールズ1世には彼のクロムウェルあり,しかしてジョージ3世に・・・

○議長(ジョン・ロビンソン君) 大逆ですぞ,大逆ですぞ。

(「大逆だ,大逆だ」と呼ぶ者あり。議場騒然)

○パトリック・ヘンリー君 ・・・おかせられては,叡慮をもってこれらの前例をよろしくかんがみられんことを。もしこれをもして大逆であるとせば,よろしくこれを善用せられたし。

 


 さすがはパトリック・ヘンリー弁護士,うまいものです。

 なお,王政ローマ最後の王であるタルクィニウスは当時のブルートゥスらによって追放され,カエサルは暗殺され,チャールズ1世は清教徒革命で処刑され,アメリカ独立革命期のイギリス国王であったジョージ3世は精神病に倒れました。恐ろしいことです。 

 


3 「君主制論者」ハミルトンとワシントン政権

 


(1)ワシントン政権と「君主制」

 ニコラ大佐による君主制構想を直ちに否認抹殺し,17831224日にはメリーランド邦アナポリスにおいて連合会議に大陸軍最高司令官職の任命書を恭しく返上して,王位への野心など全く無いことを示すことに常に努めたワシントンですが,1789年発足のアメリカ合衆国連邦政府の初代ワシントン政権は,底意において君主制を目指しているのではないかとなお疑われ,また,非難され続けました。

 アメリカ独立戦争中はワシントン総司令官の副官を務め,また,178110月のヨークタウンの戦いでは同月14日の夜襲でイギリス軍の第10堡塁(Redoubt No.10)を攻め落とし,その後ワシントン大統領の下,初代財務長官に任命されて実質的な首相格として政権を切り盛りしたアレグザンダー・ハミルトンの政策と思想とのゆえでしょう。

 


(2)ハミルトンの君主制論

 17875月から9月までフィラデルフィアで開催され,現行のアメリカ合衆国憲法を起草した憲法会議(Constitutional Convention)(議長・ワシントン)において,ニュー・ヨーク邦代表の若きハミルトン弁護士(1755111日生まれの32歳。ただし,本人は1757年生まれだと思っていたようでもあります。)は,1787618日,5ないしは6時間に及ぶ長い演説をし,その中で彼の君主政観を展開しています。すなわち,そこにおいてハミルトンは,イギリスの君主政体を最善のものとして賛美し,終身制の大統領(ただし,ハミルトンの原案では,President”ではなく “Governor”の語が用いられています。)制度の導入を提唱したところです。秘密会であったとはいえ,大胆な演説であって(ニュー・ヨーク邦代表団の会議対処方針とは全く異なる。),ハミルトンが後々まで君主制主義者(monarchist)であるとの厳しい批判を受ける一因となりました。

 ニュー・ヨーク邦代表のロバート・イェイツによる記録(イェイツはハミルトンと政見を異にしていましたが,こちらの方が,コンパクトです。)を基に,ヴァジニア邦代表でありこの時点ではハミルトンの協力者であったジェイムズ・マディソンの詳細な記録(斜字体)で適宜補い,また適宜改行しつつ,当該演説の当該部分を御紹介しましょう(The Library of AmericaAlexander Hamilton Writingsによる。)。

 



・・・

 しかし,白状しますと,ふさわしい人物を共同体(the Community)の周辺部から中央にまで集めることは非常に難しいことです。例えば,財産もあり能力もある紳士諸氏を,その家庭と仕事とから離れさせて,毎年,長期間にわたって参集させるものは,何でありましょうか。報酬ではあり得ません。予想するに,その額は小さいものであろうからです。3ドルかそれぐらいがせいぜいでしょう。したがって,権力は,少額の手当又は立身の望みのために候補者として自ら名乗り出る煽動政治屋(demagogue)又は凡庸な政治家の手に帰してしまい,重みと影響力のある真の人物は地元にとどまって邦政府の力を増し加えるということにはならないでしょうか。

私は,どうしたらよいのか途方に暮れています。共和政体(a republican form of government)が,これらの難点を取り除くことができるとは思い得ない(despair)ところです。広大な領域において(over so great an extent)共和政体(a Republican Govt.)は樹立され得ないのではないでしょうか。私の意見はともあれ,しかしながら,当該政体〔註・共和政体〕を変更することは賢明ではないものと思います。

私の信ずるところでは,英国の政府(the British government)が,世界にこれまであったものの中で最も優れたモデルとなっています。そこまで立派なものでなくとも,アメリカではうまく行くなどということは,はなはだ疑わしいことです。多くの人の心の中に広まりつつ,この真理は徐々にその地歩を固めています。かつては,連合会議の権限は,制度目的達成のために十分なものであると考えられていました。現在,その誤りは,すべての人の目に映るところです。私の見るところ,共和主義の最も強固な支持者も,民主主義の悪(the vices of democracy)を他の人々に負けず声高にあげつらっています。公衆の認識のこの進歩は,他の人々も私と同様に,ネッケル氏〔註・フランス国王ルイ16世の財務総監〕によって英国の国制(British Constitution)に捧げられた称賛に賛同されるようになる時が来るということを私に期待させてくれます。すなわち,英国の政府は,「公共の力(public strength)と個人の安全(individual security)とを統一する」世界で唯一の政府なのであります。この政府の目的は,公共の力及び個人の安全です。このことは我々においては達成できないといわれていますが,もし,いったん成立すれば,それは自らを維持していくものでしょう。

産業の進んだ(where industry is encouraged)すべての共同体は,少数者と多数者とに分かれます。前者は豊かで生まれが良い者たち(the rich and well born)で,後者は人民の集団(the mass of the people)です。そこから異なった利害が生じます。債務者,債権者等が現れます。すべての権力を多数者に与えると,彼らは少数者を抑圧します。民の声は天の声といわれておりますが,いかに広くこの格言が引用され,かつ,信じられているとしても,事実においては正しくはありません。人民は動揺し,変心します(turbulent and changing)。彼らが正しく判断し,正しく決定することはめったにありません。他方,少数者にすべての権力を与えると,彼らは多数者を抑圧します。したがって,相互に相手方から自らを守るために,両者とも権力を有するものとすべきです。・・・英国人は,彼らのすぐれた国制(Constitution)によって,適切な調整を行っています。貴族院(house of Lords)は,最も貴い制度です。変化によって望むものはなく,財産を通じて十分な利害を有しており,国益に忠実であることによって,彼らは,国王(Crown)の側から試みられるものにせよ庶民院(Commons)の側から試みられるものにせよ,あらゆる有害な変革に対する恒久的な防壁をなしています。したがって,第1の人々〔註・少数者〕に,政府における画然とした,恒久的な位置(a distinct, permanent share in the government)を与えなければなりません。彼らは第2の人々〔註・多数者〕に係る不安定(unsteadiness)を抑制するでしょうし,彼らは変化から何らの利益を受け得ることもないので,したがって,善き統治(good government)を永く維持し続けるでしょう。毎年人民の集団の中で展開される民衆集会(a democratic assembly)が公共善(the public good)を追求するということが確かなものとして考えられるでしょうか。恒久的な団体(a permanent body)のみが,民衆支配の軽率(imprudence of democracy)を抑制することができるのです。彼らの動揺し,かつ,無規律(uncontrouling sic)な性向は,抑制されなければなりません。

短い任期の上院は,この目的に応じた十分な強靭さを持ちません。ニュー・ヨークの上院は,4年の任期で選任されていますが,十分有効なものではありません(inefficient)。ヴァジニア代表の提案に従って,7年継続するものならばよいのでしょうか。随分言及されるところの多いように見受けられる(メリーランドの)上院〔註・同邦の上院は,選挙民は選挙人団を選ぶ間接選挙制に基づくものであった。〕は,いまだ十分に試験されているものではありません。紙幣発行が求められた最近の要求において,人民が一致団結し真剣であったのなら,彼らは奔流に流されていたことでしょう〔註・メリーランド邦の上院は,同邦代議院からの紙幣発行法案を178512月及び178612月の2度にわたって否決していました。〕。・・・紳士諸氏は上院に必要な強靭さを与えるには7年が十分な期間だと考えていますが,民衆心理(democratic spirit)の驚くべき暴威と激動とを適切に考慮していないからです。民衆の情熱をわしづかみにする政治の重大問題が追求されるとき,その情熱は野火のように拡がり,抵抗できないものとなります。私は,ニュー・イングランド諸邦からの紳士諸氏に,かの地における経験が今申し上げたことを証明するものでないのかどうかお尋ねしたい〔註・ニュー・イングランドでは,増税及び農地差押えに対するマサチューセッツ邦西部の農民の抗議運動から,シェイズの反乱(17869月から17872月まで)が発生していました(首謀者ダニエル・シェイズ大尉はアメリカ独立戦争参加者)。〕

よき執行部(a good executive)は,民主的な構成をもって(upon a democratic plan)〔共和的原則に基づいて(on Republican principles)設けられ得るものではないということは,認められているところです。英国の執行権者の素晴らしさ(the excellency of the British executive)を御覧いただきたい。この問題については,イギリスのモデル(the English model)が唯一結構なものなのであります。彼は誘惑から超然としています。彼は公共の福祉とは別の利害を有していません。国王の世襲の利害は,国民(the Nation)のそれと十分結びつき,彼の個人的収入は十分大きいので,海外勢力から腐敗させられるという危険から超然としているのです。――また同時に,国内の制度目的にこたえるために,十分独立しており(sufficiently independent),かつ,十分規制されています(sufficiently controuled)このような執行権者でなければすべて不十分です。共和政体(a republican government)の弱点は,外国勢力からの影響力の危険性です。第一等の人物たちをその維持のために動員するようにできていない限り,このことは不可避です。小人物(men of little character)は,大きな権力を得ると,簡単に隣国の干渉勢力の手先になってしまいます。したがって,私は,全国政府(general government)を支持するものですが,共和制の原則(republican principles)については,最広義のところまでおし進めたいと思うものです。我々は,共和制の原則が許す限り,安定及び永続性(stability and permanency)を求めて進むべきであります。

 立法府のうち一院は,罪過なき限りの間(during good behaviour),又は終身を任期とする議員によって構成されるものとしましょう。

 その権限を断行し得る(…dares execute his powers)一人の終身の執行権者が任命されるものとしましょう。

 私は,最良の市民たちの奉仕を確保するためのものとして,7年の任期が,公的任務の受諾に伴う私的生活の犠牲を受け容れさせるものであるのかどうか,御出席の代表者の方々の御感想をお尋ねしたいのです。この案〔註・ハミルトン案〕によってこそ,元老院に,本質的目的にこたえるべき恒久的な意思,重要な利害の代表(a permanent will, a weighty interest),を確保することができるのです。

 これは共和制(a republican system)なのか,と問われるかもしれませんが,厳密にいって,そうであります,政府のすべての高官(all the Magistrates)が人民によって,又は人民に由来する選挙で選ばれる限りは。

 更に言わせていただけば,人民の自由にとって,執行権者は,終身その職にあるときの方が7年の任期であるときよりも危険が少ないものであります。7年任期制案では,私は,執行権者にはわずかな権力のみを与えるべきだと思います。彼は,手下となる者を調達する手段を持った野心家でありましょう。そして,彼の野心の目的は,権力をより長く握ることでしょうから,戦争のときには,その地位からの降格を避け,又はそれを拒絶するために,緊急事態であることを恐らく濫用するでしょう。終身執行権者の場合は,忠誠を忘却させるこのような動機を持たないものであって,したがって,権力を委ねるためにはより安全な機関なのであります。

 これは選挙君主制(an elective monarchy)である,といわれるかもしれません。ああ,君主制とは何でしょうか。「君主」とは定義のはっきりしない用語であるものとお答えしましょう。権力の大きさ又は権力を握る期間の長さのいずれを示すものでもありません。もし,この執行長官(Executive Magistrate)が終身君主であるのなら――当会議の全体委員会の報告書によって提案されたものは七年君主ということになります。選挙制であるという事情はともに両者に当てはまるところです。各邦の知事は,そのようなものとして見られ得ないでしょうか。しかし,執行権者が弾劾制度に服せしめられていますので,君主制の語は当てはまり得ません。

賢明な著述家たちは,競争者たちの野心及び策謀によって惹起される動乱(tumults)に対する防止策が講ぜられるのならば,選挙君主制は最良のものであろうと述べています。私は,動乱が,避けることのできない欠点であるものと確言するものではありません。選挙君主制のこの性格論は,むしろ,一般的な原則からというよりは,特定の事例から由来しているものと思います。選挙制君主は,ローマにおいて動乱を引き起こしましたし,ポーランドにおいても同様に平和に対して危険を与えています。ローマ皇帝は,軍隊によって選挙されたところです。ポーランドにおいては,独立した権力,及び騒動を起こすための十分な手段を持った,互いに競争関係にある大貴族たち(princes)によって選挙が行われます。ドイツ帝国〔註・神聖ローマ帝国〕では,密謀集団及び党派を使嗾する同様の動機及び手段を有する選帝侯及び諸侯によって任命が行われています。しかし,このことは,私が選挙について提案するところの方法については当てはまり得ません。執行権者を選挙する選挙人が各邦において任命されるものとしましょう――

(ここで,H氏は,写しがここに添付されているところの彼の案を取り出した。)

・・・執行権者(the executive)は,すべての法律に対して拒否権を持つものとする――元老院の助言により和戦のことを決する(to make war or peace)――彼らの助言により条約を締結する,しかしすべての軍事行動に係る単一の統帥権を有する(to have the sole direction of all military operations),並びに大使を派遣し,及びすべての軍士官を任命する,並びにすべて罪過を犯した者(国家反逆罪を犯した者を除く。ただし,元老院の助言があるときはこの限りでない。)に対する赦免権を有する。彼の死亡又は罷免の場合には,後継者が選挙されるまで,元老院議長(president of the senate)が,同一の権限を持つ代行者となる。最高の司法官らは執行権者及び元老院によって任命される。・・・

 ・・・

 ・・・しかし,人民は,徐々に政府に係る彼らの意見において成熟しつつあります――彼らは,民主政の行き過ぎ(an excess of democracy)に倦み始めています〔,連合(the Union)は分裂しつつあり,又は既に分裂しているものと私は観察します――人民をその民主政体志向(fondness for democracies)から治癒させることになるところの諸悪が,諸邦において猖獗している様子が私には観察されるところです〕――ヴァジニア案であっても,しかし,依然としてソースが少々変わっただけの豚料理であります〔註・憲法会議に提出された憲法構想のうち,ニュー・ジャージー案は既存の連合規約の改正にとどまっていたのに対して,ヴァジニア案は各邦の上に,執行部門,立法部門及び司法部門を有する全国政府を設けることを提案していました。しかし,ヴァジニア案であっても,ハミルトンの過激案に比べればまだ生ぬるいということです。〕。

 


 共和主義(republicanism)が理想として掲げられているのですが,democracy, democratic等民主主義関係用語は否定的な意味で使われています。

 共和政体(gouvernement républicain)と民主政(démocratie)との関係を,当時読まれていたモンテスキューの『法の精神』における分類学でもって説明すると,共和政(république)のうち,人民団(le peuple en corps)が主権を持つものが民主政,人民のうちの一部分が主権を持つものが貴族政(aristocratie)ということになります(第1編第2章第2節)。共和制を主張しつつ民主主義を排斥する者は貴族政主義者,ということになるようです。なお,モンテスキューの分類では,共和政体と対立するのはいずれも一人が統治する政体である君主政体(gouvernement monarchique)及び専制政体(gouvernement despotique)であって,君主政体では法による支配がされるが,専制政体では法によらず,統治者の意思ないしは恣意による支配がされるものと定義されています(第1編第2章第1節)。

 ギリシャ・ローマの古典古代の例が念頭にあったでしょう。(デモクラシーの前例としてアメリカ合衆国を持ち出すわけにはまだいきません。)

ローマも領域が大きくなって,共和政から君主政に移行しました。古代ギリシャで外国からの干渉といえば,ペルシャ帝国からのそれが問題であったでしょう。

なお,ハミルトンが称賛したジョージ3世治下のイギリスの政体における統帥権の所在は,一応,国務大臣輔弼の外に独立していたもののようです。すなわち,1932年の『統帥参考』には,英国における統帥権の位置付けの推移について,「「チャールス」2世ハ国務大臣以外ニ特別ナル軍令機関(「セクレタリー・アット・ワー」)ヲ設ケテ統帥権ノ独立ヲ保障シ更ニ1793年ニハ国王直属ノ総司令官ヲ設ケテ軍隊内部ノ組織,軍ノ規律,指揮運用ニ関スル権限ヲ附与シ国務大臣ト対立セル軍令機関ト為シタリ」とあります(『統帥綱領・統帥参考』(偕行社・1962年)45頁)。(ちなみに,ジョージ3世は,アメリカ独立戦争中は精神病を発症しておらず,1788年から翌年にかけてはそうだったものの,1793年は大丈夫だった時期であるようです。)ただし,その後は,「然ルニ民権ノ伸張,議会政治ノ発達ハ国王ノ軍令権ヲ圧迫蚕食シ1854年従来国王ニ直属シ国務大臣ヨリ独立セル総司令官ヲ国務大臣ノ監督下ニ置クコトニ改メ次テ1870年ノ改革ニ於テ軍令機関タル総司令官ハ陸軍大臣ノ隷下ニ入リ茲ニ現今ノ制度ノ基礎確立シタルナリ」ということになりました(『統帥綱領・統帥参考』5頁)。

 


4 エスマン中尉とハミルトン財務長官

 さて,三つ子の魂百までとやら。人と同様に国も,生まれたころの性格を後々まで引きずるものなのでしょうか。

知米派の日本人の方々がどう言われるのかは分かりませんが,日本国憲法起草時のGHQ民政局内で展開された議論において,強い執行権者を求めた27歳のエスマン中尉の姿が,何やらアメリカ合衆国憲法起草時に選挙制君主的な執行権者を求めた32歳のハミルトン弁護士の面影を宿していたように思われます。(そもそも,連合規約を改正すると言ってアメリカ合衆国憲法を起草してしまった手妻のような手口と,大日本帝国憲法の改正を求めつつ,日本国憲法の草案を起草してしまった仕事ぶりとは,何だかよく似ていますね。)

 それはともかく,元々はイギリス流立憲君主制論者であったハミルトン初代財務長官が,時代を超えてトルーマン政権の国務長官であったのなら,伊東巳代治が『憲法義解』を訳した “Commentaries on the Constitution of the Empire of Japan”を読んでも,それほど機嫌が悪くはならず,時代に合わせた立憲君主制の改善のための大日本帝国憲法の改正はあっても,新しい日本国憲法の制定がされるということまでにはならなかったのではないかとも空想されます。

 とはいえ,国務省はハミルトンにとって鬼門です。

 ワシントン政権内で,初代国務長官ジェファソンは,政見において真っ向からハミルトンと対立します。例えば,ハミルトンが執行権の強化を目指せば,ジェファソンは議会の権限や州権を重視するという具合です。両者の対立は,やがてハミルトンらのフェデラリスト党とジェファソン=マディソンらのリパブリカン党という二つの党派及び両者間の抗争を生むに至ります。(なお,系譜的にはジェファソンの党が現在のアメリカ民主党につながるのですが,前記のとおり,アメリカの建国当初は“democratic”はよい意味の言葉では必ずしもなかったところです。リパブリカン党への悪口として, Democraticリパブリカン党と言われるようになり, 後にリパブリカンが落ちたものです。アメリカ合衆国憲法4条で連邦が各州に保障しているのは,共和政体(a Republican Form of Government)であって,民主政体(a Democratic Form of Government)ではありません。)

こうしてみると,日本国憲法における内閣の章の規定をめぐるエスマン中尉とハッシー中佐との対立も,米国の知識人の間における建国以来の政治思想の対立を反映していたものと思えなくはありません。

 


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イギリス軍第10堡塁(Yorktown, VA) 


 


長い記事をお読みいただき毎度ありがとうございます。

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