Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

2014年02月

1 ハッシー中佐と「会議の政体」


(1)日本国憲法と「会議の政体」


ア ハッシー中佐の政体構想

 日本国憲法第74条に関する前回の記事を書き進めるうち,我が現行憲法に係る1946213日のGHQ草案作成に向けてのGHQ民政局内での作業において,強い執行権者(a strong executive)を求めるエスマン中尉の意見に基づく同月8日以降の修正(執行権は,内閣の首長としての首相に属するものとする。)が,同月12日の同局内草案作成グループの運営委員会におけるハッシー中佐の次の意見によって覆され,現行憲法65条の条文(「行政権は,内閣に属する。」)が実質的に定まったというエラマン女史の記録に逢着しました。



ハッシー中佐は,我々は国会に連帯して責任を負う内閣制度を設立しなければならないものであって,首相であろうが天皇であろうが,独任制の執行権者によって支配される政府の制度を設立してはならない,と主張した。集団的ではなく個人的な責任は,SWNCC228に反するばかりではなく,日本において物事がなされる流儀に全く一致しないのである。


 ここでハッシー中佐が構想していた,日本において物事がなされる流儀に一致する政体とはどういうものか。首相が弱くてもかまわず,個人的な責任を負わなくともよいということは,どういう理論に基づくものか。

 実は,この疑問に対する回答も,国立国会図書館ウェッブサイトの「日本国憲法の誕生」電子展示会にありました。高見勝利教授の「「憲法改正草案要綱」に対する米国務省内の論評と総司令部の応答」(レファレンス200412月号5頁)において紹介されているところです。

 すなわち,19463月に日本国政府から憲法改正草案要綱が発表された後,アメリカ合衆国の国務省の調査・情報局(Office of Research and Intelligence)極東情報部(Division of Far East Intelligence)内において当該要綱の分析が行われ,同月20日付けの「状況報告―日本」に綴じ込まれた「提示された日本の憲法(The Proposed Japanese Constitution)」に関する報告書において,エスマン中尉同様,「強くて安定した執行部の展開を不可能とするように思われる。」との批判的見解が示されていたところ(高見・前掲9頁),当該文書に接した東京のGHQ内では,ハッシー中佐が,同年429日付けのホイットニー民政局長あての覚書において,次のような反論を展開していました。



統治の安定及び効率(stability and efficiency in government)という立場からすると,強い執行権者(a strong executive)が望ましいかもしれない。しかしながら,降伏前の日本の統治機構における最大の病弊(the chief evil of the pre-surrender Japanese government)は,極めて強力かつ独立の執行部の存在(the existence of an all-powerful and independent executive)であった。憲法草案においては,そのような状況が再び出現することがないように,選挙された国民の代表者たちから成る国会に統治権を委ねるものである(The draft constitution places the powers of government in the Diet, the elected representatives of the people)。天皇に何らかの執行権を残すべきだとの示唆(the suggestion that any executive power be retained by the Emperor)は,基本的占領政策に全く整合せず,かつ,反するものである。(拙訳)


 国会に統治権を委ねる(...places the powers of government in the Diet),というのですから,日本国憲法において予定されていた政体は,少なくともGHQ草案の段階では,いわゆる典型的な議院内閣制ではなくて,やはり,むしろ「会議の政体」又は議会統治制(Gouvernement d'Assemblée)とされるものであったということのようです。


イ 小嶋和司教授による日本国憲法の政治機構論

 日本国憲法は,実は議院内閣制ではなくて,むしろ「会議の政体」又は議会統治制的なものを採用しているものではないかという点は,いわゆる解散権論争に関連しつつ,既に1953年において,小嶋和司助教授(当時)によって指摘されていました。



日本国「憲法が議院内閣制の基礎原理を欠き,とくにある点――その「原動力」と期待さるべき機関
天皇においては,フランスとは比較にならぬくらいにその権能を否定し,「会議の政体」と呼ばるべき要素を多分にもっていることは否定できまい。このような政体は,ヴデルのごとく議会政と会議の政体とのコンプロミスととらえるか,テリイのごとく「議会主義」なるあたらしい範疇,ないしすくなくともデュヴェルジェのごとく「会議の政体につよく浸透された議院内閣制」ととらえることが必要である,と筆者はおもうのであるがはたしていかがであろうか。これをしも単純に,しかも一辺倒的に「議院内閣制」とのみ述べて,それを疑うべからざるテーゼのごとく信奉する一般の態度は,はたしてそれで公正といえるのであろうか。」「司令部提示案は一院制だったというからこれなら「会議の政体」という論者も出現したはずである」。(小嶋和司「憲法の規定する政治機構―はたして議院内閣制か―」(初出1953年)『小嶋和司憲法論集二 憲法と政治機構』(木鐸社・1988年)376頁,377頁)


 小嶋教授は,フランスの憲法及びそれをめぐる学説を素材にして議論を組み立てています。ところで,GHQ草案は19462月段階での作成ですから,むしろ「会議の政体」ということでは,フランス第四共和制の憲法よりも日本国憲法の草案の方が先行していたというべきかもしれません。(なお,ハッシー中佐は,「日本の新たな議会」は「主にイギリスをモデルとして作られた」とも述べています(高見・前掲12頁)。)


ウ ハッシー中佐の問題意識をめぐって


(ア)大日本帝国憲法下の執行権に関する病弊

 なお,前記ハッシー中佐の民政局長あて覚書の英文の細かいところに注目すると,占領前の我が国の統治機構の病弊は「極めて強力かつ独立の執行部の存在(the existence of an all-powerful and independent executive)」としており,執行部について"an executive"と単数形を用いていますが,これはやや誤解を招く表現です。確かに,帝国議会や臣民から見れば執行権は極めて強力かつ独立」であったかもしれませんが,実は大日本帝国は,その執行部内における各部間の割拠性と不統一とを最後まで克服することができず(すなわち,単数形で表現され得るような一体的効率的なものとして執行権を行使することができず),苦しみ続けていたところです。

 この点に関して,先の大戦たけなわの1942年,当時の内閣制度について三つの病弊が指摘されています。すなわちいわく,①「閣僚の平等性に基づく内閣の弱体性」(「閣僚平等主義の内閣制度の下に於ては,閣議の決定はいは契約主義的原則に依存し,各閣僚の意見の一致に基づくことを必要とする。其の結果,内閣の力を弱むること甚だしいものがある。」「内閣の首班たる内閣総理大臣の地位は,少くとも法制的には著しく無力」),②「閣僚の過剰性に基づく弱体性」(「凡そ会議は其の人的構成に於て規模が大になればなるほど,其の審議は形式化する」)及び③「閣僚の行政長官化に依る内閣機能の喪失」(「各大臣は多くの場合,其の主管事務の技術的専門家たり得ざる結果,之れに対して専門的権威を有せず,従つてやもすれば部内の統制力を缺くの虞れ無しとせず,結局各大臣は閣議に於ては各省事務当局の代弁者たるに過ぎない結果になり勝ちである。」「現在の実情を見るに,各種政策の企画・立案は,根本に於て各省官吏の手になるものであり,特別例外の場合を除いては,一般に内閣は唯之を審議決定するに止まり,何等其の創意発案に出づるものはない。又各種政策の指導統制の機能も,閣内に於ける種々の勢力やイデオロギーの対立と,並びに各省本位の割拠主義的相剋の現象に依つて著しく妨げられ,内閣はともすれば各種勢力の寄生的存在となり,結局無責任な妥協によつて其の存在を保持するといふ結果とならざるを得ないのである。」)の3点です(山崎丹照『内閣制度の研究』(高山書院・1942年)368頁,369頁,370頁,371頁)。

 また,内閣の外においては,統帥部が内閣から独立しており,かつ,統帥部内においても陸軍と海軍とがなお並立していました。大本営令(昭和12年軍令第1号)2条は「参謀総長及軍令部総長ハ各其ノ幕僚ニ長トシテ帷幄ノ機務ニ奉仕シ作戦ヲ参画シ終局ノ目的ニ稽ヘ陸海両軍ノ策応協同ヲ図ルヲ任トス」と規定しており,天皇の下,そのまま,陸軍の参謀総長と海軍の軍令部総長との両頭体制となっています。なお,大本営が設置されたとしても,それは飽くまでも統帥機関であって,国務を担当する政府とは別個のものでした。19371120日の大本営陸海軍部当局の談話に「巷間往々にして大本営は統帥国務統合の府なりとし,或は戦時内閣の前身なりと臆測するが如きものあるも,これ全く根拠なき浮説」とされていたところです(山崎・前掲274-275頁参照)。


(イ)「会議の政体」の担い手

 ちなみに,ハッシー中佐の英文ではまた,"the Diet, the elected representatives of the people"と記されており,統治権を委ねられる「国会」と,複数形の「選挙された国民の代表者たち」とが同格に置かれています。これは,うがって考えると,国会に統治権がある政体下で統治権が現実に行使されるに当たっては,ハッシー中佐としては,その構成員の個性が捨象された機関ないしは制度としての「国会」(これでは官僚機構ですね。)にではなく,むしろ個々の議会政治家の国政上の識見・力量に期待するところが大きかったということでしょうか。やはりうがち過ぎでしょうか。


(2)「会議の政体」対「政治的美称説」及び自由民主党改憲草案41条

 いずれにせよ,日本国憲法における政体が,「会議の政体」ないしは議会統治制を採るものであるとすれば,その第41条の「国会は,国権の最高機関であつて」という規定には,単に政治的美称にとどまらないはっきりした実質的意味があるということになるわけです(英文の"The Diet shall be the highest organ of state power"は,GHQ草案40条と同じ。)。

 しかしながら,この点,2012427日決定の自由民主党日本国憲法改正草案においては,前文において,日本は「立法,行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」ものと規定され,更に内閣総理大臣による衆議院の解散決定権も明示されていますから,立法部が執行部に対して優位に立つ統治構造である議会統治制ないしは「会議の政体」は確定的かつ意識的に放棄され,両者間の均衡を旨とする議院内閣制が選択されているものと考えられます。

 そうであれば,日本国憲法41条も改正されるのかといえば,同草案では次のとおり。

 


 
(国会と立法権)

41条 国会は,国権の最高機関であて,国の唯一の立法機関である。


 丁寧に「つ」が「っ」に改められるほかは,見出しが付くだけで,あとは変化なしです。

 国会の「国権の最高機関」性の部分は,政治的美称にすぎないことを重々承知の上(見出しでは,「国権の最高機関」になぜか触れられていませんから,そうなのでしょう。),あえてかつてのGHQの指示に係る当該文言をここに改めて受け容れることを表明するということでしょうか。単なる政治的美称ならば,「自主憲法」の手前,GHQの発案に係る実益のない文言は実害なく切り捨ててさっぱりした方がよいようでもありますが,どうも煮え切らないようです。

 しかし,自由民主党の「Q&A」を見ると,「国会,内閣及び司法の章では,大幅な改正はしていません。統治機構に関することは,それぞれ個別の課題ごとに,更に議論を尽くす必要があると考えたからです。」と述べられていますから,何のことはない,同党の2012427日付け憲法改正草案は,憲法にとって正に主要な部分である統治機構の部分については必要な検討を終えていない,これから「更に議論を尽くす必要がある」ところの未完成品ということのようです。「おっ,いよいよ憲法改正か」と勢い込んで上記「Q&A」を読んでいて,思わず力が抜けるところです。


2 エスマン中尉と「押し付け」憲法論


(1)若き俊秀と敗戦日本
 さて,日本の新憲法における執行権の在り方について,はしなくもハッシー中佐と対立することになったエスマン中尉ですが,コーネル大学のエスマン名誉教授に関するウェッブページでは,日本に進駐して来るまでのエスマン青年の経歴を次のように紹介しています。


 1939年 コーネル大学で政治学(Government)の学士号(A.B.)取得

 1942年 プリンストン大学で政治学(Politics)の博士号(Ph.D.)取得

 194211月に陸軍に入隊

 1944-1945年 ハーヴァード大学において軍政について訓練受講

        (Military Government Training


となっています。

 さすがは大日本帝国。アメリカ合衆国政府も心して,選ばれた俊秀を送り込んできていますね。

 「コーネルだか,プリンストンだか,ハーヴァードだか,博士だかしらんが,まだ27歳の若輩者じゃないか。アメリカ人は長幼の序ということを知らんのか。日本の青年ならばその年齢なら,まだ一人前にものなど言えず,わしら権威者のために,従順におとなしく,献身的に下働きをするものだっ。」という不満も脳裏をかすめたかもしれませんが,現に戦争をしくじった当時の大日本帝国の年配の指導層としては,その「指導」下においてあまた散華させてしまった若者たちのことをも思えば,他国人とはいえ,若いからとて一人前以上の学識ある青年に対して偉そうな態度をとるわけにはいかなかったでしょう。(エスマン中尉については「「民政局に勤務した40〜50人に及ぶ専門家の中でも, 最優秀の逸材の一人でした」と上司であったジャスティン・ウィリアムズ氏はほめちぎってい」たそうです(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川文庫・2014年(単行本1995年))56-57頁。)

 前記ウェッブページによれば,エスマン教授の研究関心分野は,「民族的,人種的及び宗教的多元主義の政治並びに民族紛争の制御過程」,「開発政策管理――主に第三世界諸国における開発計画,施策及び事業の立案及び執行並びに行政制度の確立」,「第三世界諸国における農林漁村地域開発の政治及び行政」などということになっています。同教授は,自国アメリカのことにしか関心がない狭い視野の人物ではなく,むしろ他国の民族,宗教,文化をそれぞれ尊重することの必要性をわきまえた懐の広い人物なのでしょう(1957年から1959年までは南ヴェトナムに,1966年から1968年まではマレーシア政府総理府に派遣されています。)。そして,このことは,日本進駐時の若いころからそうだったのではないでしょうか。アメリカ的価値観及び制度を一方的に押し付けようとする傲慢からは遠いところにいた人物であったようです。


(2)20世紀末の参議院憲法調査会における書面陳述をめぐって

 200052日,第147回国会の参議院第7回憲法調査会において,日本国憲法に係るGHQ草案の起草状況に関する参考人として呼ばれながらも健康上の理由で欠席したエスマン元中尉の予定陳述原稿が代読されており,記録されています。そこには,次のようなくだりがありました。



 当時,私は新憲法起草のために選択された方法には反対を表明した。権威主義的な明治憲法に取ってかわる民主主義を鼓舞する新しい政府の憲章が必要ではあったが,私は民主主義的考えを持つ日本の学者とオピニオンリーダーが新憲法起草の仕事に参画し担うことが重要だと考えた。それができないことには,新憲法は外国から押しつけられたものと見られ,占領時代が終わった後には存続できないと考えたからだ。当時の私は総司令部の中では若い下級将校だったために,私の反対意見は簡単に退けられた。しかし,その後の展開で私の考えが間違っていたことが証明された。すなわち,日本国民の大多数はマッカーサー昭和憲法を自分たち自身のものとして受け入れ,熱心にこれを擁護してきた。その理由は,憲法の条文がぎこちないものであったにもかかわらず,彼らの真の政治的願望を表現しているからである。


 この書面陳述をどう読むべきでしょうか。

 「GHQも自分たちがやっていることが「押し付け」だと明白に認識していたんだ。やっぱり現憲法は押し付け憲法なんだ。」というふうな話を大いに展開するための「つかみ」とすべきか・・・。

 しかしむしろ,エスマン教授が言いたかったのは「私の考えが間違っていたことが証明された。すなわち,日本国民の大多数はマッカーサー昭和憲法を自分たち自身のものとして受け入れ,熱心にこれを擁護してきた。」の部分であったように思われます。「押しつけ」憲法だとして日本人に受け入れられないのではないかとはらはらドキドキ心配していたけど,結果として,あなた方「日本国民の大多数」から喜ばれる大変よい仕事であったわけであった,よかったよかった,というわけです。この安堵をエスマン教授にもたらしたものは,GHQの占領政策を何が何でも正当化しようとする偏狭な独善に基づく主観的自己欺瞞(「諸国法の諸条項の単なる当てはめではない,経世済民の法に係る深いアカデミックな学識と高い哲学的思索とに基づく我が業績は常に真善美と共にあるのであって,男女よろしく余を師と仰ぐべし。」といった類のもの)ではなく,その後の日本現代史に表れた日本国憲法に係る我々日本人の意識及び姿勢の客観的な観察の結果であったようではあります。

 なお,19462月,エスマン中尉が前記の反対意見を述べたために,同中尉はホイットニー民政局長によって直ちにGHQの憲法草案起草チームから「追放」された,というような主張がインターネット上で一部流布しているようですが,どうしたわけでしょう。退けられたのは当該意見だけで,エスマン中尉は憲法草案起草チームに引き続きとどまって大いに活躍しています(ただし, イエスマンならぬEsman中尉は, 強い総理大臣が必要であるとの意見を述べ, 優秀過ぎて煙たがられ, 憲法草案起草の終盤には日光視察という新任務を割り当てられています(鈴木57頁, 267-268頁, 317頁)。組織人としての「見ざる, 聞かざる, 言わざる」🙈🙉🙊の研究でしょうか。)。 (エスマン教授は, 2015年2月7日, 96歳で亡くなりました。)

DSCF0049
 GHQのあった皇居お濠端の第一生命ビル

1 はじめに

 日本国憲法74条は,「法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。」と規定しています。

 同条にいう主任の国務大臣の署名及び内閣総理大臣の連署とは何だ,ということが今回の主題です。

 例のごとく,またまた長大なものになってしまいましたが,御寛恕ください。

  ただし,お急ぎの方のために憲法74条の由来に関する本件小咄の主要点のみ述べれば,19462月のGHQ内における日本国憲法の草案作成作業段階においては,①同条の前身規定は,当初は「首相」による法令の公布に関するものであったこと及び②できあがった同条においては主任の国務大臣が署名して内閣総理大臣が連署するということで主従が逆転したような規定になっていますが,この逆転については,GHQ内において強い首相(a strong executive)を設けるべきだとする意見がある程度認められかけて条文が作成された後に逆転があって,連帯責任制の集団である内閣に行政権が属するものとする現行憲法65条等の条文ができた,という流れの中で解釈論を考える必要性があるのではないか,ということです。


2 政府の憲法74条解釈


(1)現行解釈

 憲法74条の署名及び連署は,官庁筋においては,次のように解されています。

 


・・・主任の国務大臣の署名が,当該法律又は政令についての執行責任(この場合の「執行」とは,憲法73条でいう「執行」と同様に,法律制定の目的が具体的に達せられるために必要と考えられるあらゆる措置をとることをいうと考えられる。)を明らかにするものであるのに対して,内閣総理大臣の連署は,内閣の首長であり,代表者である資格において,その責任を明らかにするためにするものである。内閣総理大臣も,その法律又は政令について「主任の国務大臣」である場合は,署名の順位は,内閣総理大臣を冒頭とし,その他の主任の大臣は,これに次ぐものとする取扱いである。・・・(吉国一郎ほか共編『法令用語辞典
<第八次改訂版>』(学陽書房・2001年)759頁)


・・・右の署名とは自らその氏名を記すことをいい,連署とは他の者の署名に添えて自らその氏名を記すことをいう。法律及び政令について,主任の国務大臣の署名及び内閣の首長たる内閣総理大臣の連署が必要とされるのは,法律にあってはその執行の責任を,政令にあってはその制定及び執行の責任を明らかにするためにほかならない。(前田正道編『ワークブック法制執務<全訂>』(ぎょうせい・1983年)26頁)


・・・「副署」は,憲法74条によつて法律及び政令についてされる主任の国務大臣の「署名」及び内閣総理大臣の「連署」とは,その性質を異にする。前者は,内閣の助言と承認があつた証拠としてされるものであり,後者は,法律及び政令の執行責任・・・を明らかにするためにされるものである。したがつて,法律及び政令については,まず主任の国務大臣の署名及び内閣総理大臣の連署がされた後,その公布をするについて更に天皇の親署に添えて内閣総理大臣の副署がされることが必要である(なお,公布されるべき条約についても,同様の取扱いがされており,憲法改正の際にも同様の取扱いがされるべきものであろう。けだし,憲法改正及び条約についても,法律及び政令の場合と取扱いを異にすべき理由はないからである。)。(吉国ほか・前掲643頁)


 法律及び政令を公布するに当たって必要とされる主任の国務大臣の署名及び内閣総理大臣の連署は,法令の末尾においてされる。(前田・前掲660頁)


 そもそもにさかのぼると,1946921日,第90回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会において,子爵松平親義委員の質疑に対する金森徳次郎国務大臣の答弁は,次のとおりでした。



・・・今回の法律及び政令と,是は天皇の御裁可を本質的には要しないものであります,公布は天皇の御権能に属して居りまするけれども,決定は天皇の御権能に属して居りませぬ,そこで国務大臣が署名すると云ふことは,在来の如く,
法律勅令の裁可に対する輔弼と云ふ意味を直接には持ち得ない訳でありますけれども,既に法律及び政令が出来ますれば,それに対して十分執行の責任を負はなければならぬのであります,法律に付きましては,是はまあ国会で出来ましたものでありますから,執行責任と云ふことに重点が置かれるものと思ふのであります,政令に付きましては,是は内閣が議決したものでありますが故に,其の方面の責任と,執行の責任と云ふものを明かにする何等かの形式上の要請があると思ひます,併し是は勿論署名したから責任が出るかと云ふことではありませぬけれども,署名した限りは,責任の所在は非常にはつきりして居る,詰り自分の知らない書類ではありませぬ,署名すれば必ず中身に付いて熟知して判断して居る筈でありますから,それで法律の場合には執行責任を明かにすることになり,政令の場合にはその制定と執行との両面に於て,責任を或意味に於て明かにする,斯う云ふ効果を持つものと考ふる次第であります(第90回帝国議会帝国憲法改正案特別委員会議事速記録第1941頁。原文は片仮名書き)


 法律の執行責任については,従来は,大日本帝国憲法6条(「天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」)に関して「併し法律の執行を命ずる行為は,各個の法律に付いて別々に行はるのではなく,官制現在の各省設置法等に対応に依つて一般的に命ぜられて居るに止まる。官制に依り法律を執行すべき職務を有つて居る者は,各個の法律に付き特別の命令あるを待たずして,当然にその執行の任に当るのである。」とされていたのですが(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)178頁),敗戦を経ると,やはり,国務大臣以下敗戦国政府の行政各部がちゃんと法律を執行するのか信用ならぬ,署名せよ,ということになったのでしょうか。

 また,金森国務大臣の答弁がところどころにおいて,「ものと思ふのであります」,「あると思ひます」,「或意味に於て」等断定口調になり得ていないのは,同国務大臣が自ら起草したわけではないことによる心のひるみの現れでしょうか。

 この点,確かに,大日本帝国憲法改正案の帝国議会提出に先立って,政府の法制局内部においても,見解は当初から一定のものとして確立してはいなかったようです。


(2)政府解釈確立までの揺らぎ


ア 1946年4月

 大日本帝国憲法改正案審議に向けた,19464月の法制局の「憲法改正草案逐条説明(第4輯)」には,いわく。



70日本国憲法74

 本条は法律及び政令の形式の一端を規定致したものでありまして,此等には,すべて主任の国務大臣が署名し尚内閣総理大臣が連署すべきものと致したのであります。これは,特に政令については,現行制度の下に於ける副署と同じ様に国務大臣の責任を明ならしめるものであると共に,国の法律及び政令としての体を整備せしめんとするものであります。


 (なお,以下,日本国憲法制定経緯に係る関係資料については,国立国会図書館ウェッブサイト電子展示会「日本国憲法の誕生」参照。関係資料がこのように使いやすい形で提供されている以上は使わなければならず,便利であるということはかえって大変になるということでもあります。) 


 「現行制度の下に於ける副署と同じ様に国務大臣の責任を明ならしめるものである」というのは,「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と規定する大日本帝国憲法552項の規定に係る国務大臣の責任と同じ,ということでしょうか。しかし,同項の副署に係る国務大臣の責任は,統治権の総攬者にして神聖不可侵である天皇に対する輔弼責任でしょう。上記「逐条説明」の文言は,日本国憲法下では,ちょっと問題のある言い回しのようです。

 帝国憲法552項については,「副署を為した大臣はそれに依つて当然その責任者であることが証明せられるのであるが,副署に依つて始めて責任を生ずるのではなく,輔弼したことに因つて責任を生ずるので,輔弼者としてその議に預つた者は仮令副署せずとも,その責を免ることを得ないのである。此の点に於いても,憲法義解に『副署ハ以テ大臣ノ責任ヲ表示スヘキモ副署ニ依テ始メテ責任ヲ生スルニ非サルナリ』と曰つて居るのは,正当な説明である。」(美濃部・前掲519-520頁),「副署は輔弼を外形的に証明するもので,輔弼の範囲と副署すべき範囲とは当然一致しなければならぬことは,言ふまでもない。」(同516頁)と説明されていました。『憲法義解』の解説は,「大臣の副署は左の二様の効果を生ず。一に,法律勅令及其の他国事に係る詔勅は大臣の副署に依て始めて実施の力を得。大臣の副署なき者は従て詔命の効なく,外に付して宣下するも所司の官吏之を奉行することを得ざるなり。二に,大臣の副署は大臣担当の権と責任の義を表示する者なり。蓋国務大臣は内外を貫流する王命の溝渠たり。而して副署に依て其の義を昭明にするなり。」となっています。

 「特に政令」といわれているのは,政令という法形式が日本国憲法によって初めて導入されたからでしょう。


 また,同じく19464月付けの法制局「憲法改正草案に関する想定問答」(第6輯)には日本国憲法74条の規定について,次のように記されていました。



問 法律の署名は,いかなる意味をもつか。

答 法律は,原則として,両院の可決のあつたときに成立する(5559)。

 そこでこの署名は法律成立後の手続となるのであるが,法律公布の際,天皇に対し補佐と同意に任ずる者は,内閣であるし,又法律を施行し,その実施のための政令を制定するのも,内閣であるので,成立後主任の大臣に副署させ,成立の事実を確認して,次の事実に移らせることとしたのである。


問 政令はこの署名のあつたときに成立するか。

答 然り,この点法律と異なる


問 主任の国務大臣の意義如何

答 各国務大臣は,それぞれ主務をもつことを予定した規定である。従つて各省大臣の制か,これに近き制度が新憲法でも考へられてゐると見ねばならない。なほ内閣総理大臣もその主務については,ここにいはゆる主任の国務大臣であることは,言をまたない。


問 内閣総理大臣の連署はいかなる意味か。

答 内閣総理大臣は内閣の首長だからであるとともに,またその行政各部の指揮監督権に基くものである。


 2番目の問答では,政令は主任の国務大臣の署名(及び内閣総理大臣の連署)があった時に成立するものとしていますが,この見解は,帝国議会における前記の金森国務大臣答弁においては放棄されています(「既に法律及び政令が出来ますれば」,「政令に付きましては,是は内閣が議決したもの」)。 

 1番目の問答には,「法律公布の際,天皇に対し補佐と同意に任ずる者は,内閣であるし」及び「副署」という文言があります。憲法74条の署名及び連署は天皇の公布行為に対する助言と承認の証拠であるという方向での解釈のようです。ここでの副署の語は,「西洋諸国のcounter-signature, contreseing, Gegenzeichnungの制に倣つたもので,副署とは天皇の御名に副へて署名することを謂ひ,単純な署名とは異なり,御名の親署あることを前提とするのである。」という解説(美濃部・前掲514頁)における意味で使われているものでしょう。


イ 1946年6月

 現在は,天皇に対する内閣の助言と承認に係る内閣総理大臣の副署と憲法74条の署名及び連署とは別のものであるという整理になっていますが,当該整理に至るまでには,なかなか時間がかかっています。

 19466月の法制局の「憲法改正草案に関する想定問答(増補第1輯)」には,なお次の記述(「備考」の部分)があります。



問 国務大臣が,天皇の行為に副署する規定をなぜ置かぬか。(現行
帝国憲法55Ⅱ参照

答 副署といふ制度は,内閣の助言と承認のあつたことの公証方法として今後もこれを残すことは考へられる。しかしかかる形式的制度は,憲法に明文ををく必要はなく,公式法とでもいつた法律で規定すれば十分である。

(備考)

 なほ法律及び政令については,70日本国憲法74の署名及び連署と公布の副署とをいかに考へるか研究を要する。


 憲法改正草案は19464月から5月にかけて既に枢密院審査委員会にかけられていたのですが,6月になっても依然考え中です。ちなみに,当該審査委員会においては,日本国憲法74条の署名及び連署についての直接の議論はありませんでした。


3 学説の憲法74条批判

 憲法74条の署名及び連署について,政府当局は苦心の末現行解釈にたどり着いたわけですが,苦労するということは実はそもそもの条文に問題があるということで,せっかくの苦労にもかかわらず,結局同条はよく分からん,という次のような学説の批判があります(宮沢俊義著・芦部信喜補訂『全訂 日本国憲法』(日本評論社・1978年))。



 法律および政令に対し,「主任の国務大臣」が署名することが,どういう意味をもつかは,かならずしも明確でない。

 法律についていえば,法律の制定者は国会である。したがって,制定者として署名するならば,国会の代表者としての衆議院議長が署名するのが適当であり,「主任の国務大臣」の署名は適当でないと考えられる。法律を執行することは,内閣の職務であるから,その法律の執行の責任者を示すことが趣旨であるならば,その内閣の代表者としての内閣総理大臣が署名することが適当と考えられるであろう。本条が特に「主任の国務大臣」の署名を必要としているのは,内閣の指揮監督のもとにおいて,その法律の執行を分担管理する責任者としての署名ということになるのであろう。(582頁)


 政令は内閣が制定するものであるから,制定者を明らかにするためには,内閣の代表者としての内閣総理大臣の署名が適当であると考えられる。それに対して「主任の大臣」の署名を必要とするのは,法律の場合についてのべられたと同様の趣旨と解するほかはない。(583頁)


 本条の定める「署名」または「連署」は,「主任の国務大臣」および内閣総理大臣にとって義務であり,これを拒否することは許されない。法律または政令は,それぞれ国会または内閣によって制定されるものであり,それらによって議決された以上,完全に成立したものである。本条に定める「主任の国務大臣」および内閣総理大臣の「署名」および「連署」は,まったく形式的なものにすぎず,これを拒否することはできないものと見るべきである。(584頁)


・・・「主任の国務大臣」または内閣総理大臣の署名または連署の有無が,その効力に影響をおよぼし得るものと解するのは妥当ではない。本条のいう「主任の国務大臣」の署名および内閣総理大臣の連署は,単に公証の趣旨をもつだけであり,それが欠けたとしても(実際問題としては,ほとんど生じ得ないことであるが),その効力には関係がないと見るのが正当であろう。(584頁) 


 かように,公布文における天皇の署名および内閣総理大臣の副署のほかに,本条による署名および連署が必要とされる理由は,十分とはいえないようである。

 ・・・要するに,本条の趣旨は十分に明確とはいいがたい。

 さきに指摘されたように,もしそれが制定者による公証の意味であるならば,法律の場合は,国会を代表して衆議院議長が署名するのが相当であろうし,政令の場合は,内閣を代表して内閣総理大臣が署名するのが相当であろう。また,執行の責任者としての公証の趣旨であるならば,行政権の主体である内閣の代表者としての内閣総理大臣が署名するのが相当であろう。すくなくとも,まず内閣総理大臣が署名し,第二次的に,主任の国務大臣が署名(連署)するほうが合理的なようにおもわれる。(585頁)


4 憲法74条の制定経緯


(1)1946年3月以降の案文の変遷

 法令における変な条文というのは,畢竟,その制定経緯に原因があります。

 そこで,日本国憲法74条の由来をさかのぼって行きましょう。

 同条の規定は,194632日の日本政府の憲法案(「松本烝治国務大臣案」)において既に次のようにあります。



77条 凡テノ法律及命令ハ主務大臣署名シ,内閣総理大臣之ニ副署スルコトヲ要ス


 同月4日から5日にかけてのGHQにおける法制局の佐藤達夫部長とGHQ民政局(Government Section)との折衝においては,「同年213日のGHQ草案66条(同年36日の要綱第70)問題ナシ 松本案ニアリ」ということで(佐藤達夫「三月四,五両日司令部ニ於ケル顛末」),その結果,日本政府の憲法改正草案要綱(同月6日)では次のとおりとなっています。



70 法律及命令ハ凡テ主務大臣署名シ内閣総理大臣之ニ副署スルコトヲ要スルコト


 現在の第74条の姿となったのは,194645日の口語化第1次草案で,これが同月17日に憲法改正草案として発表されています。次のとおり。



70条 法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。


 英文は,次のとおり。



All laws and cabinet orders shall be signed by the competent Minister of State and countersigned by the Prime Minister.


 上記憲法改正草案70条(現行憲法74条)と同年36日の要綱とは,「命令」が「政令」に代わったところが大きな変化ですが,これは同年42日に法制局幹部がGHQに民政局次長のケーディス大佐を訪問して了解を取ったようで,同日の訪問に係る「要綱の一部訂正の入江・佐藤・ケーヂス会談の覚」に挟まれた英文記載紙に"Following the discussion at the GHQ we have studied the draft constitution and desire to present the following observations:……Article 70. "Orders" is understood to be "cabinet orders"."とタイプ打ちされていました。


 結局,憲法74条の淵源は,1946213日に日本政府に交付されたGHQ草案66条にあって,「松本烝治国務大臣案」以降それが踏襲されているわけです。松本国務大臣が既に呑んでいたのですから,同年34日から5日にかけての折衝で「問題ナシ」であったのは当然でした。


(2)1946年2月のGHQ草案


ア 案文

 1946213日のGHQ草案66条は,次のとおりでした。



Article LXVI. The competent Minister of State shall sign and the Prime Minister shall countersign all acts of the Diet and executive orders.


一切ノ国会制定法及行政命令ハ当該国務大臣之ヲ署名シ総理大臣之ニ副署スヘシ(外務省罫紙の日本政府仮訳) 


イ ピーク委員会における案文作成

 GHQ民政局のPublic Administration Division内における憲法改正草案起草のための執行部担当委員会(The Committee on the Executive. Chairman: Cyrus H. Peake)での検討の跡を見てみましょう(Hussey Papers: Drafts of the Revised Constitution)。

 なお,同委員会委員長のサイラス・ピークは,コロンビア大学教授であったそうで(児島襄『史録 日本国憲法』(文春文庫・1986年(単行本は1972年))270頁),インターネットを調べると,同氏は,1933年には『フォーイン・アフェアーズ』誌に"Nationalism and Education in Modern China"という論説を発表しており,1961年にはコロンビア大学の企画に応じて,日本占領の思い出についてインタヴュー記録を残しているようです。

 さて,憲法74条に相当する条項のピーク委員会における最初の案は,タイプ打ちで次のとおりでした。



Article 8. Acts of the legislature and Executive Orders shall be promulgated by the Prime Minister after they are signed by him and countersigned by the competent Minister of State.

(第8条 立府部制定法及び執行部命令は,Prime Minister(首相)によって署名され,及び主任の国務大臣によって副署された後に,首相によって公布される。)


 これが,手書きで次のように直されて,日本国政府に交付されたGHQ草案になったようです(手書き部分はイタリック)。



Article 
6.  Acts of the Diet and Executive Orders shall be signed by the competent M. of State & countersigned by the P.M.

(第6条 国会制定法及び執行部命令は,主任の国務大臣によって署名され,及び首相によって連署されるものとする。)


 民政局のホイットニー局長に提出された報告書では,清書されて,次のようになっていました。



Article XXXIII. Acts of the Diet and executive orders shall be signed by the competent Minister of State and countersigned by the Prime Minister.


 単純に見ると,元々は法律及び命令の公布に関する規定ですね。執行部担当委員会では当初,法律及び命令はPrime Minister(首相)が公布(promulgate)するものと考えていたようです。

  (なお,"Prime Minister"をどう訳すかも実は頭をひねるところで,伊東巳代治による『憲法義解』の英訳では,内閣総理大臣は"Minister President of State"であって"Prime Minister"ではありません。そして,最初の日本政府のGHQ草案仮訳ではPrime Ministerは「総理大臣」であって,「内閣総理大臣」ではありませんでした。また,議院内閣制の本家である英国の首相のofficial title"First Lord of the Treasury"であると同国庶民院はウェッブサイトで紹介しており,10 Downing StreetFirst Lord of the Treasuryの官邸であると同国政府のウェッブサイトは説明しています。)

 これが,主任の国務大臣の署名及び首相の副署ないしは連署(countersign)のみに関し規定し,公布については言及しない形の条項となったのは,法律及び政令は天皇が御璽を鈐して公布(proclaim)するという天皇,条約及び授権担当委員会(Emperor, Treaties and Enabling Committee)の次の条項(手書きで"1st draft"と記入あり。前掲Hussey Papers: Drafts of the Revised Constitution)との調整の結果,修正されたものでしょうか。



Article V. The Emperor's duties shall be:

To affix his official seal to and proclaim all Laws enacted by the Diet, all Cabinet Ordinances, all Amendments to this Constitution, and all Treaties and international Conventions;以下略

(第5条 天皇の義務は,

国会によって制定されたすべての法律,すべての内閣の命令,すべての憲法改正,並びにすべての条約及び国際協定に御璽を鈐し,並びに布告すること。以下略


 GHQによる日本国憲法草案の作成作業の開始に当たって194624日に行われた民政局の冒頭会議の議事記録(Summary Report on Meeting of the Government Section, 4 February 1946)の自由討議の概要(Points in Open Discussion)として,「憲法の起草に当たっては,民政局は,構成,見出し等(structure, headings, etc.)については現行の日本の憲法に従う。」,「・・・新しい憲法は,恐らく英国のものほど柔軟なものであるべきでない。なぜならば,英国のものは,憲法的権利についての単一かつな基本的な定義(single and cardinal definition of constitutional rights)を有していないからである。しかし,フランスのものほど精細に起草されたものではあるべきではない(but less precisely drawn-up than the French)。」などという発言が記録されていますから(児島・前掲269頁によればケーディス大佐の発言),GHQとしては,少なくとも成文憲法として,大日本帝国憲法及びフランスの憲法は参照したようです。

 そうなると,GHQ草案66条は,やはり,「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と規定する大日本帝国憲法552項の規定を引き継いだものと解すべきでしょうか。同項の伊東巳代治による英訳は,次のとおり。



All Laws, Imperial Ordinances and Imperial Rescripts of whatever kind, that relate to the affairs of the State, require the countersignature of a Minister of State.


 公式令61項によれば「法律ハ上諭ヲ附シテ之ヲ公布ス」るものとされ,同条2項は「前項ノ上諭ニハ帝国議会ノ協賛ヲ経タル旨ヲ記載シ親署ノ後御璽ヲ鈐シ内閣総理大臣年月日ヲ記入シ之ニ副署シ又ハ他ノ国務各大臣若ハ主任ノ国務大臣ト倶ニ之ニ副署ス」と規定していました。帝国憲法552項は,法律の公布に係る同憲法6条と関連した規定だったわけです。

 フランス第三共和政の1875225日の公権力の構成に関する法律3条は,大統領は「両議院によって可決されたときは法律を公布し,それら法律に注意し,かつ,それらの執行を確保する。」,「共和国大統領のすべての文書は,大臣によって副署されなければならない。(Chacun des actes du président de la République doit être contresigné par un ministre.)」と規定していました。同法6条によれば,大臣が政府の一般政策について両議院に対して連帯して責任を負うものとされる一方,大統領は国家反逆罪の場合以外は無答責とされているので(Le Président de la République n'est responsable que dans le cas de haute trahison.),同法3条の大臣の副署は,輔弼の副署ということであったようです。

 

 法律の公布をだれが行うかは,ピーク教授が気にしていたところです。GHQにおける日本の憲法草案起草作業開始直後の194625日の民政局の会議で,次のようなやり取りがありました(Ellerman Notes on Minutes of Government Section, Public Administration Division Meetings and Steering Committee Meetings between 5 February and 12 February inclusive)。



 ピーク氏が,執行権者(the executive)のいくつかの権限について,憲法に書き込むべきかどうかの問題を提起した。例えば,執行権者が首相の任命を宣すべきことを明記すべきかどうか?執行権者がすべての法律に押印し,それらを彼の名で公布する(promulgate)のか?ケーディス大佐は,これらの比較的重要でない権限は明記されるべきものではないと発言した。もしそれらの事項が憲法に書かれてしまうと,将来の手続変更は正式の憲法改正によってしかできないことになると。ハッシー中佐は,天皇又は執行権者は立法府に責任を負う内閣(Cabinet)の助言と承認とに基づいてのみ行為するということが明確に示されれば,国璽を鈐すること(the affixing of the state seal)は儀礼的手続と同様のものになる,と指摘した。


 アルフレッド・R・ハッシー中佐は,主に会社法専攻の民事弁護士であったそうです(児島・前掲270頁)。

  ピーク教授の委員会は,ハッシー中佐の意見を採り入れて,まず天皇ではなく内閣の首相(Prime Minister)を執行権者(the executive)として法律の公布者とした上で,当該公布に対する責任を明らかにするために主任の国務大臣による副署(countersigned by the competent Minister of State)を要するものとする第1次案を作成したのでしょうか。これは一つの仮説です。


ウ 強い首相の個人責任か内閣の集団責任か(エスマン中尉対ハッシー中佐)

 当初は首相が署名して主任の国務大臣が副署するものとされていたピーク委員会の案が,主任の国務大臣の署名があってそれに首相が連署するものという主従逆転の形になったことについては,GHQ草案作成の最終段階である1946212日の運営委員会(Steering Committee)における, 修正後草案の見直しに係る下記の逆転劇の前段階におけるピーク委員会における整理について考えるべきものと思われます。

 当該逆転劇の前提段階における事情としては,上記会合に先立つ同月8日の運営委員会とピーク委員会との打合せにおいて,ピーク委員会のミルトン・J・エスマン中尉が「執行権(the executive power)は,彼の内閣(his Cabinet)の首長としての首相に明確に属すべきものであって,集合体(a collective body)としての内閣に属すべきではない。」と強い執行権者(a strong executive)を求めて頑張り,ケーディス大佐及びピーク教授は同意はしなかったものの,ケーディス大佐は譲歩はして,「明確に他に配分されていない執行権(the residual executive power)は首相に属すべきものとし,執行権の章の最初の条は"The executive power is vested in the Cabinet."から「執行権は,内閣の首長としての首相に属する。(The executive power is vested in the Prime Minister as the head of the Cabinet.)」となるように改めればよい」と勧告していたところです。

  ケーディス大佐の上記譲歩を得て,ピーク委員会は勇躍,最終報告書作成に向けて,次のような修正案を起草します(以下この修正を「エスマン修正」といいましょう。)。

 まず,執行権の所在。執行権は,内閣にではなく,「他の国務大臣とともに内閣を構成する首相」に属するものとされます。


 The executive power is vested in the Prime Minister who together with other Ministers of State shall constitute the Cabinet. In the exercise of its power the Cabinet shall be collectively responsible to the Diet.

(執行権は,他の国務大臣とともに内閣を構成する首相に属する。その権限の行使において,内閣は,国会に対し連帯して責任を負う。)


 執行権者は首相なので,現行憲法731号(内閣は「法律を誠実に執行し,国務を総理する」。)及び第6号(内閣による政令の制定)に相当する規定は,主語が異なり,内閣の首長としての首相が主語になっています。


 In addition to other executive responsibilities, the Prime Minister as the head of the Cabinet shall:

  ...

 Faithfully execute laws and administer the affairs of State;

  ...

  Issue orders and regulations to carry out the provisions of this Constitution and the law, but no such order or regulation shall contain a penal provision;

 ...

(他の執行上の任務のほか,首相は,内閣の首長として,・・・法を誠実に執行し,及び国務を総理する・・・この憲法及び法律の規定を実行するために命令及び規則を発する。ただし,当該命令又は規則には罰則を設けることができない・・・)


 以上のような条項が設けられた一方,現行憲法74条に相当する条項は,既にこの段階で現在の姿に近い形に出来上がっていました。


 Acts of the Diet and executive orders shall be signed by the competent Minister of State and countersigned by the Prime Minister.

(国会制定法及び執行部命令は,主任の国務大臣によって署名され,及び首相によって連署されるものとする。)


 「エスマン修正」によれば,法の執行及び執行部命令の発出は内閣ではなくその首長である首相の任務なので,上記条項における主任の国務大臣の署名は,閣外に向けた意義を有するものというよりも,まず首相向けのものでしょう。国会に対する内閣の連帯責任とも関係はするのでしょうが,第一には閣内統制手続ということになりそうです。この考え方の元となるべき発想は,「エスマン修正」前のピーク委員会の当初の原案における,首相と国務大臣との関係についての次のような規定に既に表れていたというべきでしょう。



 The Prime Minister and his Cabinet discharge the following functions:

  ...

  See that the laws are faithfully and efficiently enforced. The efficient management of public business by the Ministers of State shall be his ultimate responsibility.

  ...

(首相及びその内閣は,次の事務を行う。・・・法律が誠実かつ効率的に施行されるようにすること。国務大臣による公務の効率的運営について,首相は最終責任を負う。・・・)


 Each Minister of State shall be guided by and personally responsible to the Prime Minister for the administration of his department.

(各国務大臣は,その主任の行政部門の管理について,首相の指示を受け,かつ,個別に首相に責任を負う。)


 ピーク委員会の案においては,章名は「執行権(The Executive)」とされていたので,その点執行権者が首相であっても問題がなかったところです。この点,GHQ草案以降は章名が「内閣(The Cabinet)」になってしまい,「エスマン修正」的考え方の余地が無くなっています。

 同月12日の運営委員会で,ハッシー中佐が,上記「エスマン修正」を覆します(児島・前掲294頁参照)。



 金曜午後の「執行権」についての会合に出席していなかったハッシー中佐が,文言の修正に対して重大な反対を表明した。ハッシー中佐は,我々は国会に連帯して責任を負う内閣制度(a cabinet system collectively responsible to the Diet)を設立しなければならないものであって,首相であろうが天皇であろうが,独任制の執行権者によって支配される政府の制度(a system of government dominated by the individual executive)を設立してはならない,と主張した。集団的ではなく個人的な責任(individual rather than collective responsibility)は,SWNCC228に反するばかりではなく,日本において物事がなされる流儀に全く一致しないのである(entirely inconsistent with the way things are done in Japan)。執行権の章の第1条は,最初の形の「執行権は,内閣に属する。(The executive power is vested in a Cabinet.)」に戻された。


 日本人は集団主義者であるから,個人責任には耐えられないだろう,ということでしょうか。

 ハッシー中佐は,親切な人だったのでしょう。

 ハッシー中佐による上記再修正によって振り子が逆方向に大きく振れて首相権限縮小の方向で見直しがされたので,法律命令すべてを首相一人が個人責任を負う形で署名するのは精神的,更には肉体的に耐えられないだろうから,主任の国務大臣にそれぞれ署名を割り振って首相は連署にとどまるということにすれば集団責任的でよいではないか,という発想で現行憲法74条の文言をあるいは解釈し直すべきことになったのではないか,という仮説が,ここで可能になるように思われます。(とはいえ,そもそもの「エスマン修正」をも踏まえて考えると,現在の政府の憲法74条解釈は,なかなか落ち着くべきところに落ち着いているようでもあります。)

 ちなみに,主任の国務大臣は,GHQ草案では,現行憲法の条項におけるものよりも国会に対してより直接的に責任を負い得るような形になっていました。すなわち,日本政府の仮訳で説明すると,「国会ハ諸般ノ国務大臣ヲ設定スヘシ(The Diet shall establish the several Ministers of State.)」(第552項),「内閣ハ其ノ首長タル総理大臣及国会ニ依リ授権セラルル其ノ他ノ国務大臣ヲ以テ構成ス(The Cabinet consists of a Prime Minister, who is its head, and such other Ministers of State as may be authorized by the Diet.)」(第611項),「総理大臣ハ国会ノ輔弼及協賛ヲ以テ国務大臣ヲ任命スヘシ(The Prime Minister shall with the advice and consent of the Diet appoint Ministers of State.)」(第621項)のような条項が存在していました。

 なお,SWNCC228はアメリカ合衆国の国務・陸軍・海軍調整委員会(State-War-Navy Coordinating Committee)のGHQあて指令文書「日本の統治体制の改革(Reform of the Japanese Governmental System)」(19461月7日改訂)で,そこでは,天皇制が維持される場合には,代議制立法部の助言と同意によって選ばれた国務大臣らが,立法部に連帯して責任を負う内閣を組織すべきもの(That the Ministers of State, chosen with the advice and consent of the representative legislative body, shall form a Cabinet. )とされていました(4.d.(1))。ここで国務大臣を任命する者としては,やはり通常の立憲君主制の例に倣い,天皇が想定されていたのでしょうか。憲法上のPrime-Ministershipは,ピーク委員会の発意によるものだったようです。SWNCCは,形式的とはいえ執行権者が天皇である場合を想定しており,執行権者を民主的正統性を持つPrime Ministerにする可能性までは考えていなかったとすれば,エスマン中尉的な強力な首相制度も,前提が異なるのであるからあえてSWNCC228に反するもの(hostile)ではないと解する余地があったように思われます。そうであれば,1946212日の運営委員会において現行憲法65条の規定を実質的に確定したハッシー中佐の議論の結局の決め手は,「日本において物事がなされる流儀」だったということが言い得るようにも思われます。

  ところで,エスマン中尉は,1918915日ペンシルヴァニア州ピッツバーグ市生まれで当時は27歳。実は問題の1946年2月12日には職務命令で日光観光中でした(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川文庫・2014年(単行本は1995年))317頁,267-268頁)。現在はコーネル大学の政治学名誉教授として,まだ存命のようです。((注)2015年2月7日に96歳で亡くなりました。)


5 おわりに:現代日本に生きる「良き伝統」


(1)自由民主党改憲草案

 ここで,「占領体制から脱却」した「自主憲法」を制定すべく2012427日に自由民主党が決定した同党の日本国憲法改正草案を見ると,第65条は「行政権は,この憲法に特別の定めのある場合を除き,内閣に属する。」と,第74条は「法律及び政令には,全て主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。」となっています。

 第74条は平仮名を漢字に改めただけですね。(しかし,非常事態における法律に代わる政令について,特別の規定は不要なのでしょうか。)

  第65条の改正については,これは,会計検査院及び地方自治の存在との関係をはっきりさせるためだけのものだというのならば,現在と実質的な変りはないということになります。しかし,これは,新たに規定されようとしている内閣総理大臣の権限,すなわち国防軍の最高指揮官としての権限,衆議院の解散の決定権及び行政各部の指揮監督・総合調整権との関係で改められるものとされています。これらの権限は,内閣総理大臣が内閣とは独立に行使するものとされているものです。確かに,天皇による衆議院の解散に対する「進言」は,内閣ではなく内閣総理大臣が単独でするという規定になっています(しかし,衆議院解散の進言について「内閣総理大臣がその責任を負う」とまで書いてないのはなぜでしょうか。天皇が責任を負うわけにはいかないので,やはり内閣が連帯責任で責任をかぶるのでしょうか。それとも,どうせ総選挙後に総辞職するからいいんでしょうか。)。そうであれば,内閣総理大臣は,憲法上,内閣の首長及び国務大臣であるだけの存在ではないことになるのでしょうから,第5章の章名が「内閣」のままでよいことにはならないのではないでしょうか。「内閣総理大臣及び内閣」とでも改めた方がよいのではないでしょうか。

 ただし,第5章の章名に変更がない以上は,上記の例外を除けば,いずれにせよ,「日本において物事がなされる流儀」である集団責任主義は,やはり,「和を尊び」,「互いに助け合う」我が国のなお「良き伝統」であるもの(自由民主党改憲草案の前文参照)として,少なくとも形式的には原則として尊重されているように思われます。

 ところでちなみに,現在の諸六法においては,日本国憲法及び大日本帝国憲法のいずれについても上諭が掲載され,それぞれ副署した吉田内閣及び黒田内閣の全閣僚の名前が冒頭において壮観に並ぶということになっています。しかしながら,現在の運用を前提にした現行憲法74条が憲法改正の場合にも類推適用されるとすれば,成立した憲法改正に係る天皇の公布文に副署者として名前が出るのは内閣総理大臣だけで,閣僚の署名は末尾に回るということになります。しかも,日本国憲法の改正手続に関する法律1411号などを見ますと,憲法改正案とは別にその新旧対照表が存在するものとされていますから,憲法の一部改正案は「改める」文によって作成されるもののように思われます。すなわち,そうであると,憲法の一部改正も「溶け込み方式」によるわけでして,苦心の末日本国憲法を改正し,各閣僚が力を込めてその末尾に署名をしてみても,憲法がいったん「溶け込み」を受けてしまうとそれらは行き場を失い,六法編集者によって,公布文ともども無情にも切り捨てられる運命をたどることになるようです(憲法改正の附則中の必要部分は編集者の判断を経て掲載されるでしょうが。)。「溶け込み」を受けつつも,「マッカーサー憲法」は形式においてなお健在というような出来上がりの姿になります。内閣の全精力を傾けてせっかく憲法を改正しても,だれの名前も六法には残らずに,結局相変わらず吉田内閣の閣僚名が冒頭に鎮座するというのでは,ちょっと悔しく,がっかりですね。そうであれば,全部改正の形式を採るべきか(しかし,自由民主党自身シングル・イシューごとの改正になろうと考えているようで,全部改正ということにはならないようです。また,国会法68条の3),又は帝国憲法時代の皇室典範が皇室典範増補という形で改正を受けたように,日本国憲法増補というような形式を考えるべきか。確かに,少なくとも,「日本国憲法の一部を改正する憲法案」という議案名や「日本国憲法の一部を改正する憲法」という題名は,ちょっと耳慣れないですね(「憲法改正」ということになるのでしょう。)。憲法96条2項の「この憲法と一体を成すものとして」という規定も考慮する必要があります。アメリカ合衆国憲法の改正は, 増補方式ですね。

DSCF0045
(黒田清隆銅像・札幌市大通公園)

(2)和を尊び,互いに助け合う日本人

 ところで,世界に冠たるそのharakiriが米国でも有名なはずの日本人が,個人責任主義者であると錯覚されなかったのはどういうことだったのでしょう。ハッシー中佐は,日本人のハラキリは,個人責任の結果ではなく,実は集団主義の意地悪のしわ寄せの結果なのではないか,と見るような,うがった観察眼を持つ嫌味な人物だったのでしょうか。しかし,そのような嫌味な知性の働きは,少なくとも今の日本社会では,パワハラでしょう。

 和を尊び,互いに助け合う日本人。

 しかし,皆が優秀,正直かつ優しく麗しくて,仕事は順調,したがって,割拠独善反目嫉視悪口告げ口サボタージュ,出る釘を叩き打ち,足を引っ張るなどは思いもよらず,そもそも鬱病になるような人など更に無い理想社会のお花畑にあっては,因果な話ではありますが,弁護士は居場所が無くなってしまうかもしれません。痛し痒しです。しかし,ハッシー弁護士ならば,「そりや洋の東西を問わず,杞憂だよ。日本人には独特なところもあるけど,だからといって特別上等なわけじゃないよ。」と嫌味に笑ってすましてくれたような気がします。

1 法学と語学


(1)三ケ月教授の「法学入門」

 法学の学習は,外国語の学習にたとえられることがあります。1981年の4月から9月まで東京大学教養学部文科一類の新入生を対象に駒場においてされた「法学入門」の講義を基に著された『法学入門』(弘文堂・1982年)において,三ケ月章教授のたまわく。



・・・法を学ぶには,外国語を学ぶ場合とまったく同じく,反覆を気にしてはならず,むしろそれを意欲すべきなのである。何回も何回も異なる角度からではあるが同じ問題を撫で直すことが,法の学習には不可欠である。ただ忘れてはならないことは,同じ問題を撫で直すたびに,ちょうどらせん形の階段を昇るように,少しずつでもあれ高みに上ってゆかねばならないということであり,単なる繰り返しを重ねていればいいというものではないということである。・・・(「法学をこれから学ぼうと志す人たちに―凡例を兼ねて―」
6頁)


 さらにいえば,法学の履修と語学の履修との間には思わぬ類似性があることも,ここで指摘しておくべきだろう。

 (a)語学の学習というものは,いわば底のないものであり,一定の範囲内のものをマスターすればそれで終わるというものでは決してない。・・・一定の完結した理論や体系を観念的に消化すればそれで事足りるという性質のものではないのである。ところで法学の履修ということも,これと酷似する一面がある。・・・他者の思考の産物をただ取り込んだものを吐き出せるようになれば法学の履修が完成した,などといえるものではないのであって,わがものとした知識を無限に新しく生じてくる問題に適切な形で活用しうるような応用力を自らの中に貯えるということが,法学学習の一つの目標なのである。・・・

 (b)語学力をつけるためには,文法や構文の原理等の一定の規則を身につけることが基礎になければならないが,法を学ぶ場合にも似たような面があるわけである。また,語学力を伸ばすためには・・・苦心して単語を記憶するという労をふまねばならぬわけであるが,法律を学ぶについても,条文の内容はもちろん,過去の判例や現在の学説など法的思考の道具となるものを正確に記憶し,いつでもそれが取り出せるような形で頭の中に整頓しておくということが必要である。・・・「予習」と「復習」が不可欠であることでも,語学の学習と法学の履修の間には,大きな共通性があるのである。

 (c)・・・法を学ぶ者は,過去において少なくも一度は語学の学習という新しい壁にぶつかり,それと格闘してやがてそれを突き抜けたという経験をもつはずであるから,それを思い起こしてみれば,法の学習の過程で突き当たる戸惑いを克服する上で大きな参考となる・・・。(260-261頁)


 ところで,法学履修に当たっては語学学習の方法論が生かされるということのみが三ケ月教授によって説かれたわけではありませんでした。語学の習得は,また,それ自体として,来るべき時代の我が国の法律関係者にとって極めて重要な素養であるということも熱く説かれていました。



・・・自らのもつ問題を自主的に解決するためにも,目を外国の動向に注ぎ,ひろく世界の現況を見わたすという能力が,これからの法律家にとっても強く要求されることになる。そして,そのためには,これらの国の文献を自ら読破することが不可欠であるのはいうまでもない。・・・法に携わる者が,世界の動向を洞察するための最も基礎的な武器として語学力を磨くという必要は,今後も増大することはあっても減少する見込みはない・・・。(三ケ月・前掲260頁)


・・・今や,外国法を学び外国語をマスターするということは,これまでとは違った新しい意味を帯びてきつつあるということも,われわれは見抜かなければならない。それは右にみたように,世界各国が共通に解決しなければならない法律問題のために,日本もまた法の先進諸国とまったく同じ立場において競争し,場合によっては指導さえしなければならないということとも関連するし,また,日本の打ち出す独創的な解決方法が,諸外国の法律家の視線を浴びることが,これまでよりも繁くならざるをえないという事態とも対応する。今後日本の法に携わる者は,単に「自国のため」という狭い視野にとらわれることなく,ひろく世界共通の問題の解決のために自らの工夫を公開し,共通の問題と苦闘する諸外国での解決のための一つの参考例を提供し続けるということが,日本の法および法学の一つの新しい任務となってくるはずなのである。(274-275頁)


・・・日本が次に暗黙に目標として掲げたのは,経済力を背景として世界の列強に伍するということであった。このような努力はある程度は成果をあげたとはいいながら,そのような形を通じての国際社会への参画のみでは,一種の成金趣味という批判を免れることはできまい。これにくらべて,国際社会に真に尊敬されうる形で仲間入りをし,永続する形で影響力を及ぼしてゆくためには,文化的な面での貢献をなすことが必要であるはずである。(277頁) 


 当時の若者たちは,三ケ月教授から重い期待をかけられていたようです。しかし,"Japan as No. 1"の時期から,プラザ合意を経て,貿易摩擦,バブル経済の狂騒と崩壊,そして長い停滞の時代・・・どれだけの達成があったものか。少なくとも,日本にとってふさわしい必要な語学力を身につけた人材が足りていないではないかという慷慨は,結局昔の日本人の間でも今の日本人の間でも変わっていないようです。


画像 003
(2)「断片」の深み

 語学の学習は「底のない」ものではあります。しかし,一応の到達目標はどれくらいのものでしょうか。例えば,古代ギリシャ語については,「紙に書かれた断片を見ても,すぐこれがサッフォーのギリシャ語か,ルキアヌスのものか,プラトンのものか分かるようになる」レベルにまで至ると――「考えてみれば,われわれも清少納言と西鶴と漱石と芥川龍之介と大江健三郎のテキストを見せられれば,その区別はつくので」――ほぼ「母語のレベル」に達したことになるものであるとされ,また,そこまで古代ギリシャ語の知識のレベルを上げるための詳しい学習書とそれに附属の「二十数冊」の厖大な練習問題とが実はこの世には存在するということが紹介されています(千野栄一『外国語上達法』(岩波新書・1986年)92-93頁)。

 「ヨーロッパの伝統的な大学の「文献学」の卒業試験は,多くの場合一片のテキストが与えられ,そのテキストの書かれた時代と地方をいろいろな言語特徴から当てることなので,これが専門家のためのレベルということになる」そうです(千野・前掲93頁)。


 以上は外国語の学習のはなしです。それでは法学の履修効果はどのように現れるものでしょうか。

 一片のテキストから,どれくらいのことが当てられるものか,一つの興味深い断片を材料に検討してみましょう。


2 公社に関するテキスト分析


(1)あるテキスト

 ある法律関係書の中に,次のような一節がありました。



・・・同氏は内閣総理大臣の任命により○○公社の・・・総裁に就任・・・


 一見極めてもっともらしいテキストです。

 しかし,当該分野に関する経験,理解又は知識が相当ある人間がこれを読むと,当該テキストが書かれた環境について何ともいいようのない感覚に襲われてしまうものなのです。

 とはいえ,その感覚とはどのようなものかを御説明するためには,上記テキストを細かく分析することが必要ですね。


(2)様々な公社

 まず,「○○公社」の正体を探りましょう。

 法令用語としての「公社」については,吉国一郎ほか歴代内閣法制局長官共編の『法令用語辞典<第八次改定版>』(学陽書房・2001年)において,次のように説明されています。



 「公社」の用語は,昭和246月旧日本専売公社法(昭和23法律215号)により,それまでの大蔵省専売局が独立の公法人たる「日本専売公社」に改組された際初めて用いられた用語である。旧日本専売公社と同時に設立された旧日本国有鉄道には「公社」の名称は用いられなかつたが,昭和277月,「日本電信電話公社」が設立されるに及んで,これら3者を総称する用語として,しばしば「公社」の用語が用いられるようになつた。・・・ちなみに,「公社」の名称をもつ公法人としては,昭和31年に設立された原子燃料公社があつた・・・なお,地方住宅供給公社,地方道路公社及び土地開発公社は,それぞれ地方住宅供給公社法,地方道路公社法及び公有地の拡大の推進に関する法律に基づいて設立された特殊法人であつて,「公社」の名称を有するが,これらの設立は地方公共団体によつて行われ,その業務は地方公共団体の行政事務の処理に当たるものであるから,上記の政府関係法人たる「公社」と異なる。・・・(246-247頁)


 本件テキストにおいては,「○○公社」であってその名称中に「公社」が含まれていますから,「○○公社」が旧日本国有鉄道である可能性は排除されます。「内閣総理大臣」が総裁を任命するというのであるから日本国政府の関係法人であって,地方公共団体によって設立される地方住宅供給公社,地方道路公社及び土地開発公社も除かれます。そうであれば,「○○公社」は,旧日本専売公社か,旧日本電信電話公社か,旧原子燃料公社か,それともあるいは,2003年に設立され2007年に解散した旧日本郵政公社か。

 しかし,旧日本専売公社,旧日本電信電話公社,旧原子燃料公社及び旧日本郵政公社以外にも「公社」を名称に含む法人が存在し,ないしは存在していたのではないかなおも心配ではあります。そこで,国立国会図書館のウェッブ・サイトの「日本法令索引」ウェッブ・ページで,「公社」の文字を題名又は件名に含む法律,勅令及び政令について「制定法令検索」をかけてみたところ,やっぱり,次のような旧法律が見つかりました。


 連合国軍人等住宅公社法(昭和25年法律第82号)

 特別鉱害復旧臨時措置法(昭和25年法律第176号)


 特別鉱害復旧臨時措置法については,特別鉱害復旧公社解散令(昭和25年政令第355号)という関連政令があったところです。

 では,旧日本専売公社,旧日本電信電話公社,旧原子燃料公社,旧日本郵政公社,旧連合国軍人等住宅公社及び旧特別鉱害復旧公社について,それぞれのトップと,その任命権者について見てみましょう。


 まず,特別鉱害復旧公社。トップは理事長であって(特別鉱害復旧臨時措置法191-2項),「総裁」ではありません。理事長の任命権者は通商産業大臣(同法20条)。(ところで,この公社の主たる事務所は福岡市にあったのですね(同法141項)。)

 連合国軍人等住宅公社。トップは理事長で(連合国軍人等住宅公社法10条,111項),やはり「総裁」ではない。理事長は,「特別調達庁長官をもつてこれに充てる」ものとされていました(121項)。

 日本郵政公社。トップは堂々たる響きの総裁(日本郵政公社法(平成14年法律第97号)8条,101-2項,111項)。しかし,総裁の任命権者は,小泉純一郎内閣総理大臣自らが郵政民営化に熱心であったにもかかわらず,総務大臣となっていました(同法121項)。

 原子燃料公社。トップはやはり理事長(原子燃料公社法(昭和31年法律第94号)8条,91項)。マイナーな公社のトップでは,「総裁」とは名乗れないようです。しかし,原子燃料公社の理事長の任命権者は,内閣総理大臣です(同法101項)。

 日本電信電話公社。トップは総裁(日本電信電話公社法(昭和27年法律第250号)19条,201項)。総裁の任命権者は,おっ,内閣(同法211項)。

 最後に日本専売公社。トップはこれも総裁でしたが(日本専売公社法10条,111項),その任命権者は大蔵大臣でした(同法121項)。

 (ちなみに,日本国有鉄道ですが,トップはこれも重い職名の総裁で(日本国有鉄道法(昭和23年法律第256号)18条,191項),その任命権者は内閣でした(同法201項)。)


 以上見たところから,「総裁の人事の話だし,「内閣総理大臣内閣」だろうから,「○○公社」の○○には「電電」が入って,これは,日本電信電話公社のことを対象に書かれたテキストなんだね。」と推理した人は,正解です。本件テキストの実際は,



・・・同氏は内閣総理大臣の任命により電電公社の・・・総裁に就任・・・


と書かれていたものでした。

 しかし,脱力です。


(3)お花畑の発見

 なぜ脱力感にさいなまれるのか。

 堂々たる法律関係書籍中に本件テキストを書いてしまった人物は,そもそもの基礎的な1次資料である日本電信電話公社法の条文に注意して当たって裏をとらずに,ないしは,同じ傾向の現れということになりますが,「法的思考の道具となるものを正確に」記憶ないし理解しないまま勇敢にもものした作文をもって「仕事」をしたことにしてしまい,そして,そのように果敢な節約が許容され,かつ,更にそのような「仕事」が評価される環境にあって優美に盤踞しているものと想像されるからです。厳しい作法のアカデミズムの世界,とは全く異なった,お花畑ですね。前者にあっては,「他者の思考の産物をただ取り込んだものを吐き出」す場合であっても,それ相応の丁寧さが必要である云々ということでわずらわしいのでしょうが。

 しかし,


 内閣と内閣総理大臣とは,違います。

 法律の専門家は,両者を混同しないものです。


 とはいえ,脱力状態から気を取り直して考えれば,上記横着は,そこから問題意識が喚起され,さまざまな思考へと導かれるきっかけではあります。


画像 004
3 内閣と内閣総理大臣
(1)内閣
 

 内閣は,「その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する」ものと規定されています(憲法661項,内閣法2条)。合議体の機関であって,「内閣がその職権を行うのは,閣議によ」ります(内閣法41項)。


(2)内閣総理大臣とその三つの顔

 内閣総理大臣は,三つの顔を持っています。一つ目は前記の憲法及び内閣法の規定のとおり,内閣の首長です。ただし,飽くまでも首長であって,内閣それ自体ではありません。二つ目は,内閣府の長です(内閣府設置法(平成11年法律第89号)6条)。三つ目は,内閣官房,内閣法制局,国家安全保障会議といった内閣補助部局の主任の大臣です(内閣法24条,内閣法制局設置法(昭和27年法律第252号)7条,国家安全保障会議設置法(昭和61年法律第71号)13条)。


ア 内閣府について

 200116日に内閣府が発足するまでの総理府は,国家行政組織法(昭和23年法律第120号)上は他省と並びの国の行政機関とされていたので,総理府の長たる内閣総理大臣は各省の長である各省大臣(同法5条)と同じだよという説明が可能でした。しかしながら,内閣府は,国家行政組織法から外れて,同法に基づく「行政組織のため置かれる国の行政機関」(同法32項)ではなくなったので,ちょっと性格が複雑です。

 省は,「内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれる」(国家行政組織法33項)のに対し,内閣府は,端的に,「内閣に,内閣府を置く。」(内閣府設置法2条)とされて,内閣官房同様(内閣法121項),内閣に置かれます。「統轄」は,「上級の行政機関等がその管轄権の下にある他の下級の行政機関等を包括的に総合調整しつつ,すべること」(吉国ほか・前掲559頁)であるのに対して,「統轄」抜きですから,内閣との関係が直接的です。

 また,省は「行政事務をつかさどる機関」ですから,各省大臣は,「内閣法・・・にいう主任の大臣として,それぞれ行政事務を分担管理」します(国家行政組織法51項)。ところが,内閣府の長である内閣総理大臣は,「内閣府に係る事項についての内閣法にいう主任の大臣」ではあるのですが,内閣府設置法「第4条第3項に規定する事務を分担管理する」ものと規定されているだけであり(同法62項),同法4条に規定されている内閣府の所掌事務のうち,同条1項及び2項に掲げられたものについては当該「事務を分担管理する」ものとはされていません。「分担管理」は「行政事務を分担して管理すること」(吉国ほか・前掲663頁)ですが,それでは内閣府設置法41項及び2項の事務は内閣総理大臣によって分担管理されるべき行政事務ではないのか,ということになります。しかしながら,それはそのとおりであって,「閣議の事務を直接に補佐する事務及びこれに付随する事務(例えば,内閣官房及び内閣法制局の事務)のごときは,上記の意味での分担管理の対象とはされていない」のです(吉国ほか・前掲663頁)。すなわち,「内閣の職権に属する行政事務のうちには,その性質上,まれに,内閣総理大臣その他の国務大臣の分担管理に属させられることなく,その意味で,内閣に直接属すると認められる事務」があるところ,「内閣府設置法41項及び2項に規定する事務は,その性質上内閣に直接属すると認められる事務であるが,特に内閣総理大臣を主任の事務ママ。「大臣」の誤りでしょう。と定めているものといえよう(内閣府設置法3Ⅰ・Ⅱ・46Ⅱ)」とされています(吉国ほか・前掲379-380頁)。

 内閣府の所掌事務のうち,内閣府設置法41項及び2項に属するものは,200116日より前ならば内閣官房の所掌事務(内閣法122項・3項参照)とされ,内閣府設置法43項に属するものは総理府の所掌事務であった,というふうに考えるのが分かりやすいでしょう。なるほど,内閣府設置法41項及び2項の事務は同法31項の「任務」である「内閣の重要政策に関する内閣の事務を助けること」を達成するための事務とされていますが,当該任務を遂行するに当たっては,内閣府は本家の「内閣官房を助けるもの」とされています(同条3項)。


イ 主任の大臣について

 ところで,「主任の大臣」とは,「ある行政事務を主管する立場における大臣」(吉国ほか・前掲379頁)ないしは「行政事務を分担管理する立場における各大臣」(同663頁)とされています(内閣法31項,国家行政組織法51項)。他方,内閣府設置法41項及び2項の事務は「その性質上内閣に直接属すると認められる事務」であるので,内閣総理大臣は当該事務を分担管理していないのですが,それでもそれらの事務事項についての「内閣法にいう主任の大臣」は内閣総理大臣とされています(同法62項)。「主任の大臣」であるためには,定義上,当該行政事務を主管ないしは分担管理しなければならないはずなのに,当該事務を分担管理していなくても当該事務事項の「主任の大臣」であるというのはどういうことでしょうか。「主任の大臣」の定義が破綻していて,行政事務の分担管理は実はその要素ではないと考えるべきでしょうか。それとも,行政事務の分担管理を「主任の大臣」の要素とする原則は維持しつつ,「その性質上内閣に直接属すると認められる事務」については当該事務を分担管理しない大臣であっても「主任の大臣」とするという例外があるものと考えるべきでしょうか。歴代内閣法制局長官共編の『法令用語辞典<第八次改定版>』は後者の立場を採るもののように観察されます。



・・・もつとも,閣議の事務を直接に補佐する事務及びこれに付随する事務(例えば,内閣官房及び内閣法制局の事務)のごときは,上記の意味での分担管理
内閣の職権に属する行政事務の内閣総理大臣その他の国務大臣による分担管理の対象とはされていないが,この場合でも,これらの事務に関する法律,政令の署名などの必要(憲法74)から,別に主任の大臣が定められる(例えば,内閣法23ママ,内閣法制局設置法7)。(吉国ほか・前掲663頁)


 内閣官房,内閣法制局といった内閣補助部局の主任の大臣としての内閣総理大臣の三つ目の顔は,この,主任の大臣の本来の定義からすると例外的なものである,分担管理していないところの内閣の事務事項に係る主任の大臣としての顔ということになります。


 しかし,「これらの事務に関する法律,政令の署名などの必要(憲法74)から,別に主任の大臣が定められる」という説明には興味がそそられます。行政事務は主任の大臣間で分担管理されるということを我が憲法は前提としていて,「法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。」と規定する憲法74条は,当該前提に基づくと同時に当該前提の存在の証拠となるものである(「憲法は「行政各部」と「主任の大臣」について定め(72条・74条),法律の立案・運用について所管するものの存在を予定している。」(佐藤幸治『憲法第三版』(青林書院・1995年)219頁),というのが通常の説明なのですが,憲法74条の「署名」の必要から主任の大臣をひねくり出すという,逆立ちした論理がここに現れているように見えるからです。そうだとすると,そもそも憲法74条の存在が必要とされることとなった直接の理由であるものと解される同条の署名及び連署とは何なのだ,ということが問題になります。よく考えると,これらの署名及び連署の趣旨は分かりにくいところです。しかし,この問題は,ここで寄り道して論ずるには大き過ぎるでしょう。


(3)帝国憲法時代の内閣と内閣総理大臣 

 ところでちなみに,内閣及び内閣総理大臣が憲法上の存在ではなかった大日本帝国憲法の時代には,実は,内閣と内閣総理大臣との区別はあいまいであったところです。



 行政官庁としての総理大臣の職務に付いては,各省大臣と異なり,特別の一省を置かず,省に相当する名称としては,内閣と称して居る。故に内閣といふ語は,二の全く異つた意義に用ゐられて居り,或は全国務大臣の合議体を意味することが有り,或は内閣総理大臣を意味することも有る。内閣所属職員と曰ひ,内閣に隷すと曰ふやうな場合は,何れも内閣総理大臣の意味である。(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)418頁)


 内閣と内閣総理大臣とを混同した本件テキストの筆者は,戦前派の頽齢のお年寄りだったのではないかという推理も可能です。(近代的内閣制度発足に当たって,18851222日の明治18年太政官達第69号は「内閣総理大臣及外務内務大蔵陸軍海軍司法文部農商務逓信ノ諸大臣ヲ以テ内閣ヲ組織ス」としていましたが,同日の三条実美太政大臣による奉勅の達である内閣職権では,「内閣」職権といいつつ,本文中に「内閣総理大臣」はあっても「内閣」はありませんでした。)そうだとすると,体も弱いことでしょうし,今更余り難しいことをいうのもお気の毒ですね。

 

4 公社トップの任命権者としての内閣総理大臣と内閣

 内閣総理大臣がその理事長を任命した原子燃料公社は,内閣によって監督されるものではなく,内閣総理大臣によって監督されました(原子燃料公社法351項)。具体的には,当該事務は,総理府の外局である科学技術庁(科学技術庁設置法(昭和31年法律第49号)2条)の所掌でした(同法88号は「原子力研究所及び原子燃料公社に関すること。」を同庁原子力局の所掌事務とする。なお,科学技術庁の初代長官は,読売新聞・読売ジャイアンツ等で有名な正力松太郎でした。)。

 日本電信電話公社総裁が内閣総理大臣によって任命(閣議決定を経ない。)されたのならば,原子燃料公社との並びからいっても,電電公社は内閣総理大臣によって監督され,当該事務は総理府又はその外局の所掌とされるものであったはずです。しかしながら,現実には,電電公社総裁は内閣によって任命(閣議決定を経たもの)されたところ(辞令の紙の交付は内閣を代表して内閣総理大臣がしたかもしれませんが。),電電公社の監督事務は,内閣が自ら行うものではなく,また内閣総理大臣によって分担管理されるものでもなく,郵政大臣によって分担管理されるものとされ(日本電信電話公社法75条。総裁が内閣によって任命される仲間の国鉄も運輸大臣によって監督されていました(日本国有鉄道法52条)。),郵政大臣の当該事務は郵政省の所掌とされていました(郵政省設置法(昭和23年法律第244号)422号の2等)。


画像 006

 我が国の憲法においては,「公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利」であり(日本国憲法151項),「公務員の選挙については,成年者による普通選挙を保障する」ものとされています(同条3項)。


 また,選挙に行くのは,国民の義務であるとされています。


 すなわち,選挙権の性質としては,「機関としての公務という側面と,そのような公務に参与することを通じて国政に関する自己の意思を表明することができるという個人の主観的権利という側面の二面性を有する」と解されています(佐藤幸治『憲法第三版』(青林書院・1995年)108頁)。帝国憲法時代から,「選挙投票は公務たる性質を有つて居り・・・憲法に於て衆議院議員は人民の公選に依ること定められた趣旨は,所謂る臣民翼賛の途を広めらるのである,重大なる公務である」とされていたところです(上杉慎吉『帝国憲法述義』(第9版)(有斐閣書房・1916年)400-401)。「選挙ハ公ノ職務ナルヲ以テ,選挙権ハ権利ナルト共ニ必然ニ義務タル性質ヲ有ス。法律ハ其ノ義務ノ不履行ニ対シ別段ノ制裁ヲ課セズト雖モ,選挙権ハ決シテ単ニ選挙人ノ利益ノ為ニノミ認メラルルモノニ非ズ,寧ロ主トシテハ国家ノ利益ノ為ニ認メラルルモノニシテ,随テ選挙人ハ国家ニ対シ忠実ニ其ノ権利ヲ行使スベキ義務ヲ負フモノナリ。」ということになるわけです(美濃部達吉『改訂憲法撮要』(有斐閣・1946年)308頁)。


 しかし,著名な憲法学者でありながら,しかも,東京帝国大学法学部教授という要職にありながら,「重大なる公務」たる選挙権の行使を横着にも怠る常習犯がいました。

 上杉慎吉です。


 無論,上杉も,選挙権の行使は,臣民翼賛の途たる重大な公務であることは重々承知していました。しかし,上杉の投票意欲を萎えさせ,その投票所に向かおうとする気力及び体力を奪う,やむにやまれぬ深刻な事情があったのです。

 上杉は,次のように告白しています。



・・・投票せざる者は悉く皆怠慢者のみではないのであります,現に斯く申す所の私も投票をしたことは殆んどありませぬが選挙には候補者といふものが立つのてある,此候補者に投票をしなければ実際上有効な投票は出来ぬのであります,此事は選挙の無意味なる一の理由でありますが,大勢の人の中から適任者を出すといふのが選挙の立て前でありませう,然らば誰でも自分の適当と思ふ人を投票紙に書いて来ればよいのである,然らば多数の者が適当と思ふ人が多数の投票を得て当選することが実際であるかと申すに,決してさうではないのであつて,私が或る人を衆議院議員として最も適当なる人である,是れ以上の人は無いと思つて,其人に投票をしても無駄であります,候補者として看板を上げて居る人に投票をしなければならぬ,有効な投票をしやうとすれば不適任であると思ふ人でも候補者となつて居る人に投票しなければならぬ,それ故にどの候補者も皆不満足であると思ふ人は投票をしないのであります,私の如きも其一人であります,斯かる意味の棄権は或る意味における投票であると申すことが出来る,単純な怠慢ではありませぬ,之を強制するといふことは誠に不都合であると申さなければなりませぬ。(上杉・前掲
402-403


 ろくな候補者がいないから,投票所に行くのは面倒なだけで,時間と手間との無駄だ,無意味だ,と開き直っているわけです。

 ついでに上杉は,選挙義務の強制のような投票を強いる動きに対しても八つ当たりしています。



・・・近来諸国に於て投票せざる者即ち棄権者の数が非常に多い或は半数以上にも上ぼることがある,棄権者の割合が斯様に多くなつては,当選者は実は多数を得たものと言ふことができぬ,人民多数の意思を代表するといふが如きことは全然嘘であることが最も明かになるのであります,それ故に段々此
選挙義務を強制する制度が行はれて居るのであります・・・(上杉・前掲400-401


 なかなか率直な物言いです。後の内閣総理大臣である岸信介が上杉に師事したのは,上杉のこのような性格に魅かれるところがあったからでしょう。    
 原彬久『岸信介―権勢の政治家―』(岩波新書・1995年)は,岸と上杉との出会いを次のように伝えています。

・・・岸は入学早々上杉の講義に示された国体論に共鳴するとともに,すでに上杉門下にあった山口中学の先輩たちに手引きされて上杉邸に出入りする。岸が晩年,「私は初めは上杉先生の思想よりも,その人柄に惚れた」(岸インタビュー)と回想しているように,晩酌をしながら学生たちを相手に磊落な話術を展開する上杉のその人柄は,岸を大いに魅了したらしい。紋付き袴姿で重厚,流麗に講義する上杉の国士的風格もまた,いたく岸の心を捉えたようである。(23頁)

 ちなみに,岸内閣時代の
1957827日,我が国初の原子炉である日本原子力研究所のJRR-1原子炉が臨界に達し,日本の原子の火がともりました。

 しかしそれにつけても,この日曜日,東京で気になるのは大雪とソチ・オリンピックとですね。
画像 005
(大雪の翌日)




1 「悪法」たちの廃止

 先の大戦下の我が国民経済の運行に多大の影響を与えたお騒がせ法律である輸出入品等に関する臨時措置に関する法律(昭和12年法律第92)は,昭和20年法律第49号によって,1946116日に廃止されました。また,輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の兄弟分である国家総動員法は,昭和20年法律第44号によって194641日から廃止されています。

 国家総動員法とは「悪法」仲間であった治安維持法(長尾龍一「二つの「悪法」」ジュリ769号参照)は,「聯合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為」ということで,昭和20年勅令第542号に基づくポツダム勅令である昭和20年勅令第575号によって,帝国議会の協賛を経ずに19451015日に廃止されています。GHQに目をつけられてポツダム命令でばっさり廃止された治安維持法に比べれば,帝国議会の協賛を経た法律による廃止といういわばノーマルな終わり方をした国家総動員法や輸出入品等に関する臨時措置に関する法律は,同じ「悪法」といっても,治安維持法に比べれば罪が軽かったということでしょうか。国家総動員法に基づいて統制経済の運行に携わっている企画院内の「赤を潰す」ために,1941年の企画院事件では治安維持法が発動されたところですが,「悪法」同士のこのけんかにおいては,歴史の発展法則に照らして実は国家総動員法側に理があった,ということになるわけなのでしょう。


2 昭和20年法律第49号と昭和12年法律第92 

 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律等を廃止した昭和20年法律第49号の本文及び附則(本文には条は無いのに,附則は12条ありました。)の第1条は,次のとおりです。



法律第
49

左ノ法律ハ之ヲ廃止ス

 石油業法

 自動車製造事業法

 人造石油製造事業法

 製鉄事業法

 工作機械製造事業法

 航空機製造事業法

 軽金属製造事業法

 有機合成事業法

 重要機械製造事業法

 石油専売法

 戦時行政特例法

 軍需会社法

 昭和12年法律第92

 昭和17年法律第15

   附 則

1条本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム


 自省の権限の確保拡大を大切にする商工官僚ならば,「ああ,せっかくの業法たちが,わが省の権限が・・・ああ,もったいないもったいない」と涙が出たであろう法律ですね,昭和20年法律第49号は。


3 法令の題名と件名

 ところで,昭和20年法律第49号の本文では,廃止される法律として,「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律」が挙げられていません。代わりに無愛想に「昭和12年法律第92」とのみ掲げられています。これは一体どうしたわけでしょう。

 実は,昭和12年法律第92号には,その固有の呼び名である「題名」が付けられていなかったのです。題名のない法律だったのです。


(1)題名

 法令の題名は,その法令に固有のものであり,かつ,その法令の一部を成します(前田正道編『ワークブック法制執務<全訂>』(ぎょうせい・1982年)131-132)。そして「現在では,法令には,原則として題名が付けられることとなっており,少なくとも,法律及び政令には,すべて題名が付けられている」のですが,「昭和22年ごろまでは,法律においても,題名が付けられるものと付けられないものとがあり,重要な法令は別として,既存の法令の一部を改正する法令,一時的な問題を処理するために制定される法令,内容の比較的重要でない法令,簡潔な題名を付けることが困難な法令等については,むしろ題名が付けられないのが通例」でした(前田・前掲121頁)。昭和12年法律第92号はその一例ですし,また,昭和20年法律第49号も同様です。

 昭和12年法律第92号の場合は,「一時的な問題を処理するために制定される法令」だから,あえて正式に題名を付けなかったということであるように思われます。それとも,「物品需給関係調整法」などというように,がんばって簡潔に名前を付けると,経済統制色(「色」ということになるのでしょうか。)がはっきりし過ぎて角が立つと心配されたのでしょうか。


(2)件名

 では,昭和12年法律第92号の呼び名とされている「輸出入品等に関する臨時措置に関する法律」とは,その題名でないのならば何なのだ,ということになりますが,これは「件名」であるということになります。

 件名とは,「題名の付いていない法令については,その法令の公布文に引用されている字句をもって,その法令の同一性を表す名称としている」ところの「その法令についての便宜的な呼び名」のことです(前田・前掲131頁)。

 なお「公布文」とは,「公布者の意思を表明する文書をいい,公布文は,公布される法令の冒頭に付けられ」ますが,その「法令の一部を成すものではない」ものです(前田・前掲20頁)。公布文は,大日本帝国憲法下の公式令(明治40年勅令第6号)における「上諭」に相当します(法律について同令6条。裁可も含まれるから,単なる「公布」文ではない。)。

 昭和12年法律第92号に付された昭和天皇の上諭に「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律」という字句が引用されていたので,当該字句が同法の同一性を表す便宜的な名称たる件名となったわけです。(昭和20年法律第49号の場合は,「石油業法外十三法律廃止法律」が件名。

 しかし,通常の六法では,法令の名称が題名なのか件名なのかが分からないように編集されてしまっていますね。

 件名しかない法令を他の法令において引用する場合,昭和20年法律第49号においては法令番号だけで引用されていましたが,「最近では,題名と同じように取り扱って,まず件名を掲げ,その下にその法令番号を括弧書きすることとされてい」ます(前田・前掲131頁)。しかしながら,件名はその法令の固有の名称ではありませんから,「題名を引用する場合と異なり,いわゆる地の文章に従って,片仮名書き・文語体の法令に引用するときは片仮名書き・文語体で,また平仮名書き・口語体の法令に引用するときは当該件名が片仮名書き・文語体であっても平仮名書き・口語体で引用してもよいこととされ,更に,件名に常用漢字でない漢字が用いられているときは,その字を平仮名書きにすることも許され」,また,「法令の内容が改正されることによって当初の公布文に書かれたところと異なることとなったときは,改正後の内容に即した件名を付けることができる」こととされています(前田・前掲132頁)。

 平仮名書きの刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)603項を見ると,片仮名書きの件名である「暴力行為等処罰ニ関スル法律」及び「経済関係罰則ノ整備ニ関スル法律」が,それぞれ「暴力行為等処罰に関する法律」及び「経済関係罰則の整備に関する法律」と平仮名書きになっています。


4 昭和22年法律第54号と名のはなし


(1)題名の無い昭和22年法律第54号と橋本龍伍

 さて,題名の無い法律でありながら有名な法律として,占領下に制定施行された昭和22年法律第54号があります。大日本帝国憲法下最後の第92回帝国議会の終盤においてあわただしく協賛され,1947412日に昭和天皇によって裁可されて成立,同月14日に公布されたものです。

 同法の法案作成の中心人物は,経済安定本部にいた後の厚生大臣・文部大臣である橋本龍伍。元内閣総理大臣であった龍太郎及び元高知県知事である大二郎の兄弟の父親です。

 自分の息子には「龍太郎」・「大二郎」という立派な名前をつけておきながら,大二郎(1947112日生まれ)と同年生まれの昭和22年法律第54号には,橋本龍伍(又は関係者)はなぜ正式に題名を付さなかったのでしょうか。

 全くの新規立法である昭和22年法律第54号は「既存の法令の一部を改正する法令」ではないですし,有名な法律であって「内容の比較的重要でない法令」ではもちろんないわけですから,①「一時的な問題を処理するために制定される法令」であること,②「簡潔な題名を付けることが困難な法令」であること又は③その他(「等」)のいずれかの理由により,題名が付されないことになったようです(前田・前掲121頁参照)。①「まぁ,今のところは長い物に巻かれてアメリカさんのこの妙な気まぐれに付き合ってやるかぁ。いずれにせよ,占領がいつまでも続くものじゃないからね。」と考えられていたのか,②「アメリカさんの考え方は,日本の法律家・行政官には理解が難しいよなぁ。英米法系と大陸法系との違いってやつかな。法案は作らされたものの,自分でもこの法案は何だかよく分からん。統制経済で忙しいし。簡潔でいい題名が付けられん。」という状態だったものか,それとも③単に「ま,題名が無くてもいっか。」ということだったのか。立案担当者の間においてすら無理解があったのか,無関心があったのか。いずれにせよ法律にとっては余り幸せなことではありません。重要な大法律であるぞと名乗ろうにも,正式な題名が無いというのでは,ちょっと肩身が狭いでしょう。


(2)親の命名権と子の名を有する権利

 なお,親の「命名権」については,いわゆる「悪魔」ちゃん命名事件に係る東京家庭裁判所八王子支部平成6131日審判(判時148656頁)は,「出生子の命名権の本質については,①親権の一部であり,親は自由に子の名を選択し,命名できる,と解する説と,②子自身の固有の権利であるが,子はその権利を行使できないので,親が子のために事務管理的にこれを代理行使するに過ぎない,との説があるが,何れにしても民法13項により,命名権の濫用と見られるようなその行使は許されない。」と述べています(「悪魔」と命名するのは命名権の濫用であって,出生届の不受理が可能であるとした。ちなみに,谷口知平教授は,「名は出生届に際して附せられる,之を附する権利義務を誰が有するかは明かでない・・・法務当局の見解では従来の慣習に従い命名権者の範囲,順位が定まるとし,大体父・母を考える如くである(大正3年12月9日民1684号法務局長回答)。子を創造した者がそれを命名する権利義務があるともいえよう。併し人は人格権の一内容として自らの呼称を選定する権利ありともいいう」ると述べていました(同『戸籍法』(有斐閣・1957年)77頁)。)。しかしこれは命名権が行使される場合のその限界について論じているのであって,命名権が行使されない場合(名未定の出生届)にどうするかはまた別の問題のようです(なお,棄児については市町村長が氏名をつけます(戸籍法57条2項)。)。

 ところで,児童の権利に関する条約71項は「・・・児童は,出生の時から氏名を有する権利・・・を有するものとし・・・」と訳されていますが,「出生の時から氏名を有する権利を有する」は,正文の英語では"shall have the right from birth to a name",フランス語では"a dès celle-ci sa naissancele droit à un nom"となっていて,必ずしもfamily namepersonal namenom de familleprénomとがそろっていなければならないというわけではなさそうです。歴史的には,正式な個人名が無くとも何とかやってはいけるようで,例えば,古代ローマの女性には個人名がつけられず,通常は氏族名(nomen gentile)だけで呼ばれていました。ユリアは個人名ではなく,ユリウス一族の女の意味であり,オクタウィアはオクタウィウス一族の女という意味です。さらにいえば,個人名がつけられる場合でも,西洋では親子で同じ名前をつけてしまったりしますね。アメリカ合衆国の先代大統領の名は,その父である第41代大統領と同じくGeorgeです。ブッシュ家では,バーバラ夫人が"George!"と呼ぶと,夫と長男とが同時に「はいっ」と反応したものか。

 これに対して,我が国では,子に親の名と同一の字で構成される名をつけることは,振り仮名をつけて読み方を変えても,「特定(識別)の困難」をもたらすものであってその出生届は戸籍法に反する違法なものになり,当該出生届の不受理は正当であるとされています(名古屋高決昭和38119判時36152。母「伸子」で,長女に「伸子しんこ」と命名した事案)。

 ちなみに,「悪魔」どころか,我が国の王朝貴族の女性の名前には「くそ(屎)」というのがあったようです。「源つくるが女(むすめ)」とされています。古今和歌集の1054番の歌の作者です。



    いとこなりける男によそへて人のいひければ    くそ

よそながらわが身にいとのよるといへばたいつはりにすぐばかりなり

 歌の趣旨は,いの字とばかりいちゃついて不当に他の人を差別的に取り扱っているものではありませんから御調査は無用です,ということでしょうか。


(3)昭和22年法律第54号の件名

 昭和22年法律第54号の件名は,無論「くそ法」というようなものではありません。上諭に基づくその件名は,「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」といいます。(なお,昭和22年法律第54号においては,上諭及び法令番号の次に,「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律目次」が冒頭に来る目次が付されていますが,当時は目次の冒頭は単なる「目次」ではなく,「刑事訴訟法目次」のように表記されたもののようです。刑事訴訟法の場合は,当該目次の次に「刑事訴訟法」という題名がしっかり掲げられていますが,昭和22年法律第54号においては当該題名部分に題名は掲げられておらず,いきなり「第1章 総則」が始まっています。)

 「題名のない法令は,改正の機会に,なるべく適当な題名を付けるように取り扱われている」そうですが(前田・前掲355頁),昭和22年法律第54号にはいまだに題名が付されていないのはなぜでしょうか。改めて題名を付するとなると,同法に対する様々な思い入れが未成熟なまま噴出し,議論が沸騰して収拾がつかなくなるおそれがあるからでしょうか。それともそもそも,いわゆる経済法ないしは競争法のアカデミズムにおいて,高尚ならざる法制執務的なこのような細かい実務問題には関心が払われていないからでしょうか。

 某立派な先生が最近書かれた独占禁止法の本の初版で「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」は昭和22年法律第54号の「題名」であるとの記述を見て,おっ,と思ったことがあります。ただし,幸いにしてすぐに間違いに気づかれたようで,第2版においては「こっそり」修正がされており,「件名」に差し替えられていましたが。しかしながら,この事例から推すと,専門家を自認する学者の方々でも,「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」は堂々たる正式な題名であるぞと無邪気に思っておられる先生はまだ多いのではないでしょうか。

補遺:輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の裔



 戦後,治安維持法は連合国最高司令官の通達に基づいて廃止され,その適用にあたった思想検察,特高警察関係者は一斉に追放処分に処された。それに対し国家総動員法は,
2012月の第89臨時議会において,法律の形式をもって廃止されたが,その施行は2141日とされ,しかも同法に基づく諸勅令は,「国家総動員法上必要アルトキ」の語を「終戦後ノ事態ニ対処シ国民生活ノ維持及安定ヲ図ル為特ニ必要アルトキ」と読みかえて,更に6ヶ月間効力の延長が認められた。その間にこれらを承継する立法措置が多くとられて,総動員法附属勅令で,実質上は効力の存続を認められたものも多い。戦後復興の必要もまた統制経済を要求したのである。・・・(長尾龍一「帝国憲法と国家総動員法」『思想としての日本憲法史』(信山社・1997年)151頁)


 兄弟分の国家総動員法と同様,輸出入品等に関する臨時措置に関する法律も,その姿を変えつつ,その実質をなおも我が法体系中に存置させていました。同法を廃止した昭和20年法律第49号の附則91項は次のように規定していました。



本法施行ノ際現ニ存スル昭和
12年法律第92号ニ基ク命令又ハ処分ニ付テハ本法施行後6月ヲ限リ旧法ハ仍其ノ効力ヲ有ス此ノ場合ニ於テハ大東亜戦争ニ関聯シ国民経済ノ運行ヲ確保スル為トアルハ終戦後ノ事態ニ対処シ国民生活ノ維持及安定ヲ図ル為トス

 6箇月の執行猶予です。

 更に1946101日,臨時物資需給調整法(昭和21年法律第32号)が公布され,即日施行されました(同法附則1項)。

 同法の第11項及び第4条は,次のとおり。



1 主務大臣は,産業の回復及び振興に関し,経済安定本部総裁が定める基本的な政策及び計画の実施を確保するために,左に掲げる事項に関して,必要な命令をなすことができる。

一 経済安定本部総裁が定める方策に基く物資の割当又は配給

二 経済安定本部総裁が定める方策に基く供給の特に不足する物資の使用の制限又は禁止

三 経済安定本部総裁が定める方策に基く供給の特に不足する物資の生産(加工及び修理を含む。以下同じ。)若しくは出荷若しくは工事の施行又は物資の生産若しくは出荷若しくは工事の制限若しくは禁止

四 経済安定本部総裁が定める方策に基く供給の特に不足する物資又は遊休設備の譲渡,引渡又は貸与


第4条 第1条第1項の規定による命令に違反した者は,これを10年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。

 前項の罪を犯した者には,情状により,懲役及び罰金を併科することができる。

 

 この第4条の罰則は,昭和16年改正後の輸出入品等に関する臨時措置に関する法律5条の罰則よりも重い刑が定められています(7年以下→10年以下,5万円以下→10万円以下)。

 堂々と「臨時物資需給調整法」という題名が付されていますから,森田福市衆議院議員であっても,輸出入品等に関する臨時措置に関する法律のときのように,看板に偽りありと批判はできなかったでしょう。

 ただし,森田福市は,前年194586日の原子爆弾の広島投下を受けて既に死去していました。

 なお,臨時物資需給調整法の上諭に農林大臣として副署したのは,企画院事件でひっぱられた和田博雄でした。他方,「を潰すこと一点張り」だった平沼騏一郎が,今や戦争犯罪人でひっぱられていました。

 臨時物資需給調整法は,「昭和2341日又は経済安定本部の廃止の時の何れか早い時に,その効力を失ふ。」とされていましたが(附則2項),毎年1年づつ失効が先延ばしされ(昭和23年法律第16号,昭和24年法律第21号,昭和25年法律第55号,昭和26年法律第74号),失効となったのは,195241日でした。

 統制経済は,いったん始めるとやめられなくなるのでしょうか。

 臨時物資需給調整法からバトンを引き継いだのが,今度は国際的供給不足物資等の需給調整に関する臨時措置に関する法律(昭和27年法律第23号)です。195241日から施行(同法附則1項)されました。これもまた,当初195341日に失効の予定が(同附則2項),順次195361日,195441日,195541日へと失効日が先送りになりました(昭和28年法律第24号,昭和28年法律第44号,昭和29年法律第23号)。

 何やら,今年こそは(今年度こそは)統制経済と別れます,と毎年決意を新たにしつつも,結局目標が達成できずに翌年なっても同様に,今年こそは(今年度こそは),と同じ望みへの再挑戦を誓い,かつ,1年の猶予を乞うということの繰り返しでしたね。人間的ではあります。



このページのトップヘ