Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

2014年01月

1 「等」に注意すべきこと

 官庁文を読むに当たっては「等」に注意し,その「等」が具体的に何を意味しているかを適宜よろしく確認しおくべきことを,前回の記事(「会社法改正の年に当たって(又は「こっそり」改正のはなし)」)中において御注意申し上げました。

 「えっ,この文章から何でこういうことになるんだ。そういうことは書かれてなかったぞ。」

 「いえいえ先生,それはここの「等」に含まれてございます。で,具体的には,こちらのより詳しい文書に書かれてございます。」

 といったやり取りが,日常的にされているものと思われます。お役人としては大真面目です。我が国のお役人には物堅いところがあって,「等」による合図も無いまま,書かれていないものを書かれているものとするまでの強弁は,さすがにしないところです。

 ――この先生,学問があるからってプライドが高いのはいいけど,自分で実際に資料に当たるっていう基本動作はしないのかい。横着だねぇ,あぶないねぇ・・・。

 などとは,内心思っているかもしれませんが。


2 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律等

(1)吉野信次元商工大臣の回想

 この「等」の威力を示す適例と思われるものに,第一次近衛内閣下の19379月に成立した輸出入品等に関する臨時措置に関する法律(昭和12年法律第92号)という法律がありました。ここでは,「輸出入品等」における「等」の字を見落としてはいけないのです。

 当時の吉野信次商工大臣の回想にいわく。



 一見貿易関係を律する法律のように思われるが,「等」という一字がくせものですね。輸出入関係以外になんでもやれるという法律なんです。・・・実際問題としては,原料などでは輸出入品に関係のない重要物資というものはほとんどないわけですから,物資の全面的統制の法律といってよいわけです。だから,代議士諸君の中には,輸出入品とあるから貿易統制の立法だと思ったら,なんぞ知らんや全面的に物資統制をやるので,看板に偽りがあるのではないかというような話をした人もありました。
(長尾龍一「帝国憲法と国家総動員法」『思想としての日本憲法史』(信山社・1997年)126-127頁において引用されている『昭和史の天皇』(読売新聞社)1681頁)


(2)1937年の日中衝突

 強力かつ広範な統制立法である輸出入品等に関する臨時措置に関する法律が制定された背景には,日中間の全面軍事衝突がありました。193764日の第一次近衛内閣発足の翌月,同年77日に華北において発生した盧溝橋事件を発端として,戦火が上海周辺にまで「飛び火」したものとされているものです。

 盧溝橋事件は,義和団事件を処理する北清事変最終議定書(1901年)に基づき北平(北京)・天津間の平津地区に駐屯していた我が支那駐屯軍(天津軍)の部隊が盧溝橋(Marco Polo Bridge)付近で夜間演習中,同軍と宋哲元(地方軍閥出身)の第29軍との間で起こった衝突ですが,事件発生から約1箇月後の193786日,中国中央の国防会議で蒋介石の構想,すなわち「華北の日本軍が南下して心臓部の武漢地区で中国を東西に分断されるのを防ぐため,華北では一部で遅滞作戦をやりつつ後退,主力を上海に集中し増兵してくると予想された日本軍に攻勢をかけ,主戦場を華北から華東へ誘致する戦略」が合意されて「国府は上海を戦場とする対日決戦」に進みます(秦郁彦『盧溝橋事件の研究』(東京大学出版会・1996年)345-346頁)。盧溝橋事件後の「平津作戦における第29軍の急速崩壊を見た蒋介石は華北決戦を断念し,「日本軍を上海に増兵させ,日本軍の作戦方向を変更させる」(蒋緯国『抗日戦争八年』57ページ)戦略を採用した」わけです(秦・前掲321頁)

 「1932年の第一次上海事件で戦った〔中国〕中央軍の精鋭第87師と第88師は,〔1937年〕811日に上海郊外の包囲攻撃線へ展開を終り,海軍も揚子江の江陰水域を封鎖・・・張治中将軍は13日未明を期し日本軍へ先制攻撃をかけたいと南京に要請し」,その日の夕方に日中両軍(日本側は兵力4000に増勢されていた海軍陸戦隊。これに対して,優勢な中国中央軍が攻勢的に進出。)の間で本格的戦闘が始まっています(秦・前掲346頁,322頁注(2))。中国中央軍にはファルケンハウゼン将軍以下46人の軍事顧問団がナチス政権下のドイツから派遣されており,ファルケンハウゼン将軍は自信満々,上海決戦の前月である1937721日のドイツ国防相への報告では,「蒋介石は戦争を決意した。これは局地戦ではなく,全面戦争である。ソ連の介入を懸念する日本は,全軍を中国に投入できないから,中国の勝利は困難ではない。中国軍の歩兵は優秀で,空軍はほぼ同勢,士気も高く,日本の勝利は疑わしい(Hsi-Huey Liang, pp.126-127)。」と述べていたとされています(秦・前掲372頁)

 盧溝橋事件から始まった日中間の事変処理のための動きとしては,ドイツが仲介する和平工作(トラウトマン工作)がありました。しかし,19371213日の南京占領を経て,1938116日,我が国政府はドイツの駐華大使トラウトマンを通じて蒋介石政権に対して和平交渉打切りを通告し,更に「爾後国民政府を対手とせず」との声明を発表して当該工作による和平の途を閉ざします。前日の同月15日に開催された大本営と政府との連絡会議においては,陸軍の参謀本部が,政府の和平交渉打切り案に強く反対しましたが,最後にはやむなく屈服しています。その時,前日の家族の慶事もあって近衛文麿内閣総理大臣は高揚していたのでしょうか。同月14日,近衛総理の次女である温子とその夫・細川護貞との間に長男が誕生しています。近衛総理のその孫息子には,護煕という名がつけられました。


(3)法律の概要

 193793日に召集され,同月4日に開会,同月8日に閉会した第72回帝国議会において協賛され(貴族院・衆議院いずれも反対無し。),同月9日に昭和天皇の裁可があって成立した輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の主要部分は,成立時において次のとおりです1937815日の南京政府断固膺懲声明から1箇月足らずでの,迅速な立法です。我が国のお役人は優秀ですね。)

 


朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

 御名御璽

昭和1299

 内閣総理大臣 公爵 近衛文麿

 外務大臣      廣田弘毅

 大蔵大臣      賀屋興宣

 農林大臣   伯爵 有馬頼寧

 商工大臣      吉野信次


法律第92

1 政府ハ支那事変ニ関聯シ国民経済ノ運行ヲ確保スル為特ニ必要アリト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ物品ヲ指定シ輸出又ハ輸入ノ制限又ハ禁止ヲ為スコトヲ得

2 政府ハ支那事変ニ関聯シ国民経済ノ運行ヲ確保スル為特ニ必要アリト認ムルトキハ輸入ノ制限其ノ他ノ事由ニ因リ需給関係ノ調整ヲ必要トスル物品ニ付左ノ措置ヲ為スコトヲ得

一 命令ノ定ムル所ニ依リ当該物品ヲ原料トスル製品ノ製造ニ関シ必要ナル事項ヲ命ジ又ハ制限ヲ為スコト

二 当該物品又ハ之ヲ原料トスル製品ノ配給,譲渡,使用又ハ消費ニ関シ必要ナル命令ヲ為スコト

3条略

第4条 第1条ノ規定ニ依リテ為ス制限又ハ禁止ニ違反シテ輸出又ハ輸入ヲ為シ又ハ為サントシタル者ハ3年以下ノ懲役又ハ1万円以下ノ罰金ニ処ス

前項ノ場合ニ於テハ輸出又ハ輸入ヲ為シ又ハ為サントシタル物品ニシテ犯人ノ所有シ又ハ所持スルモノヲ没収スルコトヲ得若シ其ノ全部又ハ一部ヲ没収スルコト能ハザルトキハ其ノ価額ヲ追徴スルコトヲ得

第5条 第2条ノ規定ニ依ル命令若ハ処分又ハ其ノ命令ニ基キテ為ス処分ニ違反シタル者ハ1年以下ノ懲役又ハ5000円以下ノ罰金ニ処ス

6条から第8条まで略

   附 則

本法ハ公布ノ日1937910ヨリ之ヲ施行ス

本法ハ支那事変終了後1年内ニ之ヲ廃止スルモノトス


 なるほど。天皇の上諭中「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律」の部分にある「等」に,強力かつ広範な第2条の規定が含まれていたわけです。「これが配給制,代用品の強制などの根拠法規」となったものです(長尾・前掲127頁)

 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律に基づき,1940年までに「物資節約の為めにする統制」として,「主として商工省令を以つて,鉄鋼・鉄屑・銅・白金・鉛・錫・アルミニウム・綿糸・綿製品・毛製品・皮革・揮発油及重油・新聞用巻取紙等種種の物資に付き,其の配給・売買・使用に関する厳重な制限」が設けられており(美濃部達吉『日本行政法 下巻』(有斐閣・1940年)433-434,また,  同法の「広汎な委任に基づき政府は其の需給関係の調整を必要とする物品に付き当該物品又は之を原料とする製品の譲渡価格をも調整する権限を有するものと解せられ」(同435-436頁),「物品販売価格取締規則(昭和13商令56)が発せられ,これに依り物価の統制を行つて居」たところです(同519頁)。ただし,物品販売価格取締規則は,国家総動員法(昭和13年法律第55号)19条に基づく価格等統制令(昭和14年勅令703号。同令21項本文によって原則として1939918日の価格が価格の上限とされる。同令17条により,内地では同年1020日から施行。)191項によって,後に廃止されています。


(4)法案の提出理由

ア 吉野商工大臣の説明

 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の法案提出の理由として,吉野信次商工大臣は,193795日の衆議院本会議で次のように述べています。(なお,帝国議会議事録の原文は片仮名書き)

 


 今次の事変の推移に鑑みまして,此非常時に対応しまするやうに,我が産業経済の体制を整へなければならないことは申す迄もないのでありまして,殊に軍需及び国防用として,或は又時局に緊要適切なる色々な事業用と致しまして,相当巨額の物資の需要があるのでありますから,是等の物資を潤沢且つ円滑に供給することに努めなければならないのであります,然るに我国資源の現状から申しますと,差当って外国から輸入致しまして,急の間に合せなければならない物が少くないのであります,そこで国際収支の関係から致しまして,或は物資の輸出制限を致しましたり,或は比較的不急不要なる物資は勿論のこと,国家産業上有用なる物に付きましても,尚幾許かの数量の輸入を抑制しまして,以て必要物資の輸入の増大に努めなければならない必要があるのであります,是が即ち本法案に於きまして,政府は必要に応じて輸出又は輸入の禁止制限を為し得ることを規定致しました理由であります,而して斯く物資の輸入を抑制致しまする結果,之を其儘自然に放置致して置きまする時は,価格の暴騰,供給の不安定などを来しまして,国民経済の運行に著しい支障を及ぼす虞がありますが故に,本法案は又需給関係の調整を必要とする物品に付きまして,政府は必要に応じて適当なる措置を為し得ることと致したのであります
(第72回帝国議会衆議院議事速記録第223-24


 「輸入の増大に努め」るために「輸入の禁止制限」をするというのは,矛盾した行動のようで,一読して分かりにくいところがあります。吉野商工大臣の言う「国際収支の関係」が,疑問を解くかぎのようです。



・・・然るに我国の最近の貿易の情勢は,申上ぐる迄もなく入超でございまして,国際収支の関係に於きまして,唯自然の成行に放任致して置きましたのでは,此上必要な物資を海外から輸入するの余地が乏しいのでありますから,どう致しましても必要な物資と云ふものの輸入を図りまして,戦闘行為の遂行と云ふものに妨げがないやうに致します為には,輸出入に関しまして相当な手加減と申しますか,制限の措置を講ずる必要がございますので,本法案の第
1条に於きまして,其趣旨を明に致しました次第であります・・・(吉野商工大臣・第72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第12頁)


 国際収支が「入超」だと,「自然の成行に放任致して置きましたのでは,此上必要な物資を海外から輸入するの余地が乏しい」ことになるとは,国際収支が入超で赤字であると円安になり,そうなると円建ての輸入品価額が高額になって輸入が大変になるということでしょうか。確かに,吉野商工大臣の答弁に,そのような趣旨のものがあります。



私も大体
賀屋興宣大蔵大臣と同じやうな考であります,此際此秋としては有ゆる努力を払ひまして,為替の水準を是非とも堅持致したいと考へます72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第239


 自国通貨の外国為替相場が高いことを喜び,安いことを憂うるというのは,現在の某国政府の外国為替相場に対する姿勢と正反対ですね。


イ 当時の通貨制度との関係

 当時の我が国の通貨制度は,次のようなものでした。

 


 
193112月以降「貨幣法が形式上に改正せられたのではないが,同法の定むる金本位の貨幣制度は停止せられ・・・即ち現在に於ける我が貨幣制度は,経済情勢から生じた已むを得ざる変態として,金本位制を離脱し紙幣本位制となつたものと謂ひ得べく,通貨の価格は金の相場に依つて定まらず,国の財政的信用,国際収支勘定,其の他国内国外の経済事情に依つて定まり,金本位制に於けるが如き貨幣価値の安定性を缺くこととなつた。・・・兌換の停止及び金輸出禁止の結果は,必然に銀行券の価格と金の価格との間に隔離を来すことは已むを得ない結果であり,随つて及ぶべきだけ通貨としての銀行券価格の動揺を避くる為めには,特別の統制作用が必要となる。外国為替管理法・産金法・金使用規則・金準備評価法・輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律等は何れも主として此の目的のために定められたものである。」(美濃部・前掲298-299頁)


 「外国為替管理法(昭和8法律28号)及びこれに基づく命令(昭和8大令7)は,昭和7年の資本逃避防止法に代ふる為めに制定せられたもので,これと等しく,主として資本の国外逃避及び為替の思惑取引を防止することを目的とするもの」でした(美濃部・前掲299-300頁)

 「産金法(昭和12法律59)・同法施行令(昭和12勅令454)・同法施行規則(昭和12商令16)・産金買上規則(昭和12大令32)は,国際収支勘定の不均衡より生ずる金の対外現送の必要に応じ金準備を成るべく豊富ならしむる為めに,国内の産金を増加しこれを政府に集中せしめんとすることを目的とするもの」でした(美濃部・前掲301頁) 

 「金使用規則(昭和12大令60)に依り,金を用ゐた製品の製造を制限し,及び金箔・金糸・金粉・金液の使用をも制限」されていましたが,これは,「金は国際収支の調整・邦貨価格の維持に缺くべからざるものであるから,已むを得ざる必要の外は,他の目的に使用することを禁止し,成るべく多くの金を貨幣制度の安定に資せしめよう」とするものとされていました(美濃部・前掲302頁)

 「金準備評価法(昭和1260)は,日本銀行(朝鮮銀行券・台湾銀行券を発行する朝鮮銀行・台湾銀行もこれに準ず)の兌換準備として保有する金の評価を,国際的時価に近き程度に換算することを目的とするもの」でした(美濃部・前掲302頁)

 そして,「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律・・・の中輸入貨物の制限は主として国際収支の調整を目的とするもので,臨時輸出入許可規則(昭和12商令23)に依り,政府の許可が無ければ輸入するを得ない品目を列記指定」していたわけです(美濃部・前掲303-304頁)


 しかしまた,円高維持のために国際収支の赤字縮小ないしは黒字化を目指し,そのために輸入規制を行うというのは,理論的にはそうなのでしょうが,今にしてみれば,真面目かつ先回りし過ぎる対策であったようにも思われます。「通貨の価格は金の相場に依つて定まらず,国の財政的信用,国際収支勘定,其の他国内国外の経済事情に依つて定ま」るわけなのですが,現在の某国は,国の財政は慢性的な赤字であり,貿易収支も赤字に転じているにもかかわらず,「其の他国内国外の経済事情」のゆえか,なお当該某国通貨の為替相場は高きにあって輸出が十分に伸びていないものとされているところです。


ウ クレジット設定・外債募集に係る消極見通し

 貿易収支が赤字でも,信用(クレジット)の供与を受けることができれば,輸入継続は可能であるはずですが,我が国のお役人は,真面目なので,なかなか楽観的な発想にはなれません。



・・・棉花の輸入に付きましても,若しクレヂットが設定出来ますれば,之に越したことはないのでありまして・・・其方面と話をするやうに進めて居る次第であります,唯計画を立てます時に,相手があることでありますから・・・出来ないものとしての計画は立てて居ります・・・
(吉野商工大臣・72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第220-21


・・・政府としては大体日本帝国の外債と云ふものを此の際募るかどうかと云ふことに付ては,必ずしも容易に募れるものとは考へて居らぬのであります・・・(吉野商工大臣・第72回帝国議会貴族院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案特別委員会議事速記録第23頁)


 相手方の中国はともかくも,そもそも諸外国が日本帝国の債券を買ってくれないだろうという状況認識です。前年1936731日の国際オリンピック委員会において,同年のベルリン・オリンピックに続く第12回オリンピックの開催地に首都・東京が,世界から評価されて選ばれた国の政府の大臣がする発言としては,元気が出ていないように思われます。世界に日本の力と心とが通じるとの自信が感じられません。(東京における第12回オリンピック開催の返上決定は,1938715日になってからのことですので,当時の我が国はなお次期オリンピックのホスト国でした。)あるいは,外国の力など借りるには及ばないとの自負心の,屈折した現れでもあったのでしょうか。


(5)「ぐるりから鋏を入れて,根さへ枯れぬ程度にして」おくことへの懸念

 衆議院の輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員であった田中源三郎代議士は,クレジット問題に触れつつ,我が国政府の真面目な秀才的こだわりに対する心配を表明していました。



・・・頑になって,さうして自分自身だけが何処も相手にして呉れないと云ふやうな,自分自らが卑屈な考を持たないでも宜しいと思ふ,私はもっとのんびりした考を以て,商売は別問題だと云ふ考でやれば,十分茲にクレヂットを民間側が為すことも出来るのでありまして,唯為替の基準が大切である,もう之に一生懸命になってしまって,何も彼も周囲から伐って行く,丁度伸び切って居る木をぐるりから鋏を入れて,根さへ枯れぬ程度にして置いたら宜い,さう云ふやり方のやうに思はれる・・・
72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第220


 田中代議士の心配した,「為替の基準」の一事にこだわって木をぐるりから鋏を入れて,根さへ枯れぬ程度にして置」くやり方というのは,恐らく,次のように想定されていた政府施策のことでしょう。



・・・仮に棉花なら棉花と云ふものを輸入を制限致しました,或は羊毛なら羊毛と云ふものを輸入を制限したと云ふ時には,国民に対して消費の節約,其のものだけに付いての節約と云ふことも御願する必要もありませうが,是等を原料とする生産業者・・・さう云ふものの仕事に対しまして,或は代用品と致しましてステーブル,フアイバーと云ふやうなものの混用を命ずるとか,それから又原料が国全体としては当分間に合ふ,唯何の某が余計持ち過ぎて居って,何の某が少く持って居ると云ふ場合には,若し之を其業全体として平均致します時には,当分輸入する必要がないと云ふ場合も生じて参ります,其時に多く持って居る人に対して,乏しい方にそれを分けてやると云ふやうなことを,御願する必要も段々生じて来ようかと思ふのであります・・・
(吉野商工大臣・第72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第12頁)


 大いに持てる活力を発揮し,生産力を拡大しようというときに,将来の円相場の下落予感に今からくよくよ反応して,いきなり消費の節約やら品質の落ちる代用品の使用やら自分の仕事に集中する前に他人の仕事準備の心配をするやら,身を縮めるところから始まるというのは,若干陰性かつ窮屈であるようにも思われますが,無論贅沢は敵であり,国を愛する心をもって努力せねばならなかったところであります。

 なお,吉野信次商工大臣は,民本主義の吉野作造の弟。その商工官僚時代の部下に,岸信介がいました。


(6)1941年改正時の状況

 その後,昭和16年法律第20号によって,輸出入品等に関する臨時措置に関する法律5条の罰則の「1年」が「7年」に,「5000円」が「5万円」に改められ,輸出入品に係る同法1条よりも,国内統制に係る同法2条の方がその違反に対する刑罰が重くされています。輸出入品等に関する臨時措置に関する法律による統制の中心は「輸出入品」ではなく,「等」であることが明らかになったわけです。そもそもからして,物品について「需給関係ノ調整ヲ必要トスル」事由は,「輸入ノ制限」には限られず,「其ノ他ノ事由」でもよかったものでありました。

 前記の吉野元商工大臣の回想にある「看板に偽りがあるのではないかというような話をした」代議士とは,194127日,第76回帝国議会の衆議院昭和12年法律第92号中改正法律案(輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件)委員会において次のような発言をした森田福市衆議院議員であったように思われます。



―― 一体此の臨時輸出入措置法は,御承知の通りに是が出た時には臨時輸出入措置に関する法律だと思つて吾々議員は皆賛成した,所が其の後之に依つて国内の経済統制を行ふのだと云ふので,何に依つてそんなことが出来るかと言つたら,それは「其ノ他」と云ふ字があるではないか,「其ノ他」で全部やるのだ,本題の方は目的ぢやなかつた,実は「其ノ他」を使ふのにやつたのだと云ふ意味のことを後で聴いたのであります・・・
76回帝国議会衆議院昭和12年法律第92号中改正法律案(輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件)委員会議録(速記)第319頁)


 「本題の方は目的ぢやなかつた,実は「其ノ他」を使ふのにやつたのだ」というのが本当であれば,商工省には,知恵の黒光りする秀才官僚がいたものです。

 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律5条の罰則強化に係る昭和16年法律第20号の法案の提出理由中関係部分は次のとおりでした。

 


・・・事変下に於ける経済統制に関する諸方策は,主として本法律
輸出入品等に関する臨時措置に関する法律と昭和13年公布せられました国家総動員法の運用に依つてなされて居るのであります,経済統制に当りましては,極力経済界の実情に即したる方策を講じますると共に,其の実施に当りましても国民の自発的協力を期待致して居るのでありますが,経済統制違反件数が現に相当多数に上り,而も一度処罰を受けたにも拘らず尚ほ再三違反を繰返す者すら少くない実情でありまして,経済統制の効果を減殺して居りますことは,事変下真に遺憾に堪へぬ次第でございます,経済統制違反を敢てする事情は,色々の理由があらうと思ひまするが,現在の罰則は犯罪状況に照し軽きに失する点がございますので,此の際同法の罰則の一部を強化致し,以て戦時経済政策の実施を確保致したいと存ずる次第でございます・・・(小林一三商工大臣・第76回帝国議会衆議院議事速記録第1080頁)


 ここでいう「経済統制違反件数が現に相当多数に上」る状況とは具体的にはどのようなものかといえば,これはなかなかのものです。



・・・然るに経済統制法令違反の状況を見まするに,其の数に於て著しくなりまして,是は国家総動員法に基づくものとの合計ではありますが,昭和1511月末までに全国検事局に於て受理致しましたものが既に15万人を超え,殊に昨年下半期に於ける激増振は洵に著しきものがありまして,前年同期に比して数倍に上つて居りますのみならず,其の質に於ても悪化の一途を辿り,種々の脱法手段を弄し,或は証拠煙滅を図り,検挙に困難を加へつつあるのであります・・・
(秋山要政府委員(司法省刑事局長)・76回帝国議会衆議院昭和12年法律第92号中改正法律案(輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件)委員会議録(速記)第23


 15万人といえば,2013331日の我が陸上自衛隊の定員が151063人です。検事局としては,帝国臣民相手の経済統制戦において,既に赫々たる大戦果を挙げていたということになるのでしょうか。議員からも,決められた統制価格で売っては赤字になってしまう業者等の実例が多々委員会において紹介されており,不条理な状況下での混乱と違反とが日常化してしまっていたようです。

 しかしながら,喧嘩両成敗でしょう。国家総動員法の改正法案の審議も行われていた第76回帝国議会の開会中,同法の実施機関たる企画院の統制官僚たちが治安維持法違反で次々検挙されるという「企画院事件」が進行していました。当時の第二次近衛内閣の内務大臣は,「赤を潰すことと涜職官吏の征伐一点張」の平沼騏一郎でありました(長尾・前掲148-149頁参照。同「二つの「悪法」」ジュリ769号)また,商工次官となっていた岸信介は,企画院事件に関係しているとして小林一三商工大臣から引責を迫られ,1941年1月に商工次官の職から退いています(原彬久『岸信介』(岩波新書・1995年)84頁参照)。(ただし,岸は同年10月には東條内閣の商工大臣として大きく復活しています。) 

1 会社法の一部を改正する法律案の第185回国会への提出

 200651日から施行された会社法(平成17726日法律第86号)は施行後7年半余を経たところですが,その初めての本格的改正(ただし,他の法律の制定・改正に伴う会社法の部分改正は,既にいろいろ行われています。)に係る法案である「会社法の一部を改正する法律案」が,「会社法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案」と共に,20131129日,内閣から国会に提出されました(衆議院先議)。

 当該両法案は衆議院法務委員会に付託されています(同年125日)。

 上記両法案が提出された第185回国会の会期は2013128日をもって終了しましたが,当該両法案は閉会中審査に付されており(国会法472項参照),次の常会である20141月召集の第186回国会に継続され(同法68条ただし書参照),当該国会における審議を経ての法律の成立が予想されます(常会の会期は150日間(同法10条))。当該「会社法の一部を改正する法律案」の附則1条は「この法律は,公布の日から起算して16月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。」と規定していますが,同文の附則規定を有していた会社法の前例においては,法律の公布から9箇月余で施行となっています。

 いずれにせよ,会社法の改正法が成立したときは,それに伴い,改正内容の研究及びそれに対する対応が必要になります。参考書籍も多々出版されることでしょう。企業法務担当者には,なかなか寧日はありません。


 会社法の一部を改正する法律案の提出理由

 今回の会社法の一部改正法案はどのようなものか,手っ取り早く大づかみに知りたいときは,法案に付されている「理由」を見るのが便宜でしょう(法務大臣による国会における法案の趣旨説明(「お経読み」)は第185回国会ではされていません。)。会社法の一部を改正する法律案に付された「理由」は,次のとおりです。



   理 由

 株式会社をめぐる最近の社会経済情勢に鑑み,社外取締役等による株式会社の経営に対する監査等の強化並びに株式会社及びその属する企業集団の運営の一層の適正化等を図るため,監査等委員会設置会社制度を創設するとともに,社外取締役等の要件等を改めるほか,株式会社の完全親会社の株主による代表訴訟の制度の創設,株主による組織再編等の差止請求制度の拡充等の措置を講ずる必要がある。これが,この法律案を提出する理由である。


 法案の作成を担当した法務省としては,①監査等委員会設置会社制度の創設,②社外取締役の要件改正,③株式会社の完全親会社の株主による代表訴訟の制度の創設及び④株主による組織再編の差止請求制度の拡充の4点が今次会社法改正の目玉だと考えているようです。

 なお,上記①から④までのほか,前記「理由」の文章中の諸所にちりばめられている「等」には実は多様な改正内容が含まれていることに注意が必要です。学校の古文の授業では,朧化表現の「など」などには具体的な内容は無く,専ら表現をおぼろにするものと習ったわけですが,霞が関の官庁文の「等」には具体的な,そして時には非常に重要な内容が詰まっています。(監査役会設置会社(公開会社であり,かつ,大会社であるものに限る。)のうち株式について有価証券報告書提出義務のある株式会社であるいわゆる一流企業で最も問題になっているであろう,改正後会社法327条の2の「社外取締役を置いていない場合には,取締役は,・・・定時株主総会において,社外取締役を置くことが相当でない理由を説明しなければならない」義務の導入は,「等」で読まれていることになります。) 


3 法律の改正に伴う「こっそり」改正

 一つの法律が改正されると,関係法令にも変動が及びます。そして,その際される各種法令における「関係条項」の改正は,専ら当該法律の改正に対応するために必要となる改正ばかりであるというわけではありません。実は,従来の立法ミスを改めるための,「こっそり」改正も含まれています。


(1)豚の密飼養一斉検挙とへい獣処理場等に関する法律の昭和42年改正

 例えば,伊藤栄樹元検事総長のエッセイ「つづいて,あれこれ」では,へい獣処理場等に関する法律(昭和23年法律第140号。現在の題名は,化製場等に関する法律)における「こっそり」改正の事例が紹介されています。

 へい獣処理場等に関する法律103号が「前条第1項の規定に違反した者」に対する罰則(1年以下の懲役又は3万円以下の罰金)を定め,同法91項(都道府県知事が指定する区域内で牛,馬,豚,めん羊,山羊,犬,鶏又はあひるを一定数以上飼養又は収容しようとする者は知事の許可を受けなければならないものとする。)の違反に備えていたところ(昭和34年法律第143号による改正後の規定),その後1962101日に第9条と第10条との間に第9条の2を挿入したときに,第103号の「前条第1項」を「第91項」に改正することを失念してしまっていたというケースの後始末です(第10条から見た「前条」は,「第9条」ではなく,「第9条の2」になってしまっていました。)。山口県下で豚の密飼養ケースを一斉検挙した際に,いざへい獣処理場等に関する法律103号に基づき起訴しようとした山口地方検察庁が同法の当該規定の上記不整合を発見し,法務省刑事局刑事課に照会があったものです。

 伊藤栄樹刑事課長は,罪刑法定主義の立場から,「「前条第1項の規定に違反した者」と規定している第10条第3号の規定は,遺憾ながら第9条第1項の許可を受けないで豚を飼養した者を処罰するのに有効と解釈することに疑問がある,したがって,今回のいっせい検挙にかかる無許可の豚飼養業者は,すべて不起訴処分にするほかはない」と回答する一方,同法を所管する厚生省に改正方を申し入れたのですが,「なかなか適当な改正のチャンスがなく,昭和42年になって,やっと同省所管の全く別の法律が改正される際,その附則で,こっそりと改正することになった。したがって,牛,馬,豚などの無許可飼養については,5年ばかりの間,罰則が死んだ状態になっていたわけである。」という次第であったものです(以上,伊藤栄樹=河上和雄=古田佑紀『罰則のはなし(二版)』(大蔵省印刷局・1995年)23-25)。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ,とは現実には行われ難いことであったわけです(厚生大臣が正直に告白した場合,国会は大紛糾したでしょう。)。

 なお,伊藤元検事総長の「昭和42年になって,やっと同省所管の全く別の法律が改正される際,その附則で」との記述は実は不正確で,実際には,「許可,認可等の整理に関する法律」(昭和42120号)という省庁横断的な法律の本則の第16条で改正されたものです。多くの法律についてバラバラと改正されるものをまとめた法律の中に,こっそり紛れ込ませたということでしょう。

 また,1962101日のへい獣処理場等に関する法律の改正は,「行政不服審査法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律」の施行(同法附則1項参照)によるものですが,同法86条により挿入されたへい獣処理場等に関する法律9条の2は,「政令で定める市の長が行なう処分についての審査請求の裁決に不服がある者は,厚生大臣に対して再審査請求をすることができる」旨の規定でした(行政不服審査法811号参照)。へい獣処理場等に関する法律9条の2は「許可申請の取扱いについて不服がある者は,厚生大臣に対して審査請求することができる旨」を規定していたという伊藤元検事総長の記述(伊藤=河上=古田・前掲24頁)は,ここでも若干不正確でありました。


(2)特殊会社に係る某法律24条の平成26年改正(予定)

 さて,今回の会社法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案の第60条後段は,特殊会社に係る某法律について,次のように規定しています。



24条中「名義書換代理人」を「株主名簿管理人」に改める。


 これも,本来は「会社法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」(平成17726日法律第87号)で改正して手当てしておくべきであったところ,改正をし忘れた分を9年たってからつじつまを合わせる「こっそり」改正です。

 当該某法律の第24条は,現在,なおも次のようになっています(下線は筆者)。



24 第6条第1項又は第2項の規定に違反した場合においては,その違反行為をした会社の職員又は名義書換代理人名義書換代理人が法人である場合は,その従業者)は,50万円以下の罰金に処する。


 某法律の第61項及び2項は,外国人等議決権割合が3分の1以上になるような株式取得者の株主名簿への記載又は記録を禁止するものです。

 株主名簿管理人は,株式会社から委託を受けて「株式会社に代わって株主名簿の作成及び備置きその他の株主名簿に関する事務を行う者」です(会社法123条)。株式会社が新株予約権を発行しているときは,株主名簿管理人は「株式会社に代わって株主名簿及び新株予約権原簿の作成及び備置きその他の株主名簿及び新株予約権原簿に関する事務を行う者」になります(同法251条)。

 名義書換代理人の制度は,会社法の施行前の商法の旧規定によるものであって(株式についての名義書換代理人,新株予約権についての名義書換代理人及び社債についての名義書換代理人がありました。),会社法の施行に伴い,株式についての名義書換代理人及び新株予約権についての名義書換代理人の制度は,株式名簿管理人の制度に置き換えられています(会社法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律80条参照)。すなわち,会社法の施行された200651日以後には,株式についての「名義書換代理人」というものはなくなっていたわけです。

 某法律の第24条は罰則ですから,罪刑法定主義からすると,その有効性に疑義が生じないように,2005年の会社法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律においてしっかり手当てがされているべきものでした。しかし,某法律を所管する某省のお忙しい秀才官僚たちは,会社法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案における関係条項の作成の際,会社法案の膨大さに唖然呆然うんざりして,「名義書換代理人」の「株主名簿管理人」への変化を見落としてしまったものでしょう。Menschliches, Allzumenschliches!(人間的な,余りに人間的な!)


(3)某法律施行規則の「こっそり」改正予備軍:「会社法第763条第1号に規定する新規分割設立株式会社が新設分割により新規分割する会社となる場合」(10条1項2号ハ)

 ところで,今回の会社法の改正に伴う,前記某法律を所管する某省のエリート官僚諸氏の大変かつ大切なお仕事は,会社法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案60条の作成で終わったわけではありません。当該某法律に係る省令(「某法律施行規則」)にも「こっそり」改正が必要な条項が存在しています。これらの条項も,会社法の改正に伴う省令改正に紛れて,きれいにする必要があります。

 例えば,某法律施行規則101項は,某法律に係る特殊会社が合併,分割又は解散の決議の認可を当該某省の大臣から受けようとするときは,同項各号に規定する事項を記載した申請書を当該大臣に提出すべきものと定めていますが,当該記載事項に係る同項2号に次のような規定が存在しています。



二 次のイからハまでに掲げる場合に応じ,当該イからハまでに定める反対株主の氏名又は名称及び住所並びにその者の所有する株式の数

 イ 

 ロ 

 ハ 会社が,新設合併により消滅する会社又は会社法第763条第1号に規定する新規分割設立株式会社が新設分割により新規分割する会社となる場合  同法第806条第2項に規定する反対株主


 「会社法第763条第1号に規定する新分割設立株式会社が新設分割により新分割する会社」とは何でしょう。意味不明です。また,会社法7631号にあるのは「新分割設立株式会社」であって「新分割設立株式会社」ではありません。会社法には「新設分割」はあっても(同法230号),「新分割」はありません。某省のエリート官僚たちの言語能力は,通常の日本語話者のそれとは次元の違うところにあるのでしょうか。

 実は,「会社法第763条第1号に規定する新分割設立株式会社が新設分割により新分割する会社」とは,会社法763条の第5号で定義されている新設分割会社のことであるものと解されます。某法律施行規則1012号ハの定めにある会社法806条は,消滅株式会社等における反対株主の株式買取請求について定めており,そこにいう消滅株式会社等とは,新設合併消滅株式会社,新設分割株式会社及び株式移転完全子会社であるところです(同法8031項)。

 会社法763条(同条は,株式会社を設立する新設分割計画において定めるべき事項を規定する。)5号の規定は次のとおり。



五 新設分割設立株式会社が新設分割により新設分割をする会社(以下この編において「新設分割会社」という。)から承継する資産,債務,雇用契約その他の権利義務(株式会社である新設分割会社(以下この編において「新設分割株式会社」という。)の株式及び新株予約権に係る義務を除く。)に関する事項


 読みづらく,分かりにくい規定です。

 最初の括弧書きが文を肝腎のところで分断しているので,「新設分割設立株式会社が新設分割により・・・承継する」という係り結びが見えにくくなっています。その結果,当該括弧書きの「新設分割会社」に係る定義の部分は「新設分割をする会社」にとどまるものではなく,「新設分割設立株式会社が新設分割により新設分割をする会社」が大きく一かたまりの定義部分となっている,との誤読を誘ったものと思われます(惜しむらくは,「新設分割をする会社(以下この編において「新設分割会社」という。)から新設分割設立株式会社が新設分割により承継する資産,債務,雇用契約その他の権利義務・・・」と書かれていれば,すっきりと読めたものでしょうか。)。

 会社法の施行に伴う某法律施行規則の改正のための省令案を起草することをノンシャランな上司から仰せつかった某省の若者官僚が,連日連夜大量,難解かつマニアックな会社法の条文に取り組まされて朦朧となった頭でもって同法における新設分割会社の定義について上記誤読をしてしまった挙句,某法律施行規則1012号ハにおいては「単に「新設分割会社」と書くよりも,そのそもそもの定義に噛み砕いて書き下した方が親切だろう」などと余計なことを考えてしまい,「新設分割設立株式会社」の定義は「会社法第763条第1号に規定」されている旨書き足した上,「新設分割」が何度も繰り返されるくどくどしさに魔がさして,適宜その単調さを破るべく「新分割」などという会社法にない概念を省令レベルにおいて創造しつつ,天使のように単純な「新設分割をする会社」ではなく悪魔のように難解な「会社法第763条第1号に規定する新規分割設立株式会社が新設分割により新規分割する会社」と起案して,当該某省におけるエリートぞろいの上司連に伺ったものと想像されます。えい,と目をつぶって手を放したところ,あら不思議,だれも当該条項について読み込まず,又は読んでもそのおかしさに気が付かないまま,当該伺い文書は課を出て,部を通り,局を出て,大臣官房を通って大臣決裁まで受けちゃった,ということでしょうか。大勢の机の上(あるいはパーソナル・コンピュータの中)を通ったはずなのですが,どうしたことでしょう。霞が関エリート官僚集団のこのような失態を図らずも明るみに出すとは,会社法恐るべし。

 なお,会社法の読みにくさ,分かりにくさ等に対する詳細な批判として,つとに,稲葉威雄元広島高等裁判所長官の『会社法の解明』(中央経済社・2010年)という分厚い本が出版されています。


4 おわりに

 某法律施行規則は,今回取り上げた部分のほかにも,会社法について深く考えさせる契機となる興味深い規定を多々有しています(某法律については,伝統的な当該方向等からの実定法学的アプローチの方が,「経済法」や「競争法」などという方面からの理念的アプローチよりも,法学的にはなお生産的であるようです。)。しかしながら,それらについていちいち書くと,また長過ぎるブログ記事になるように思われます。後日紹介する機会もあるでしょうから,今回はこの辺で切り上げましょう。

 会社法が改正されるとなると,法曹界・実業界のみならず,法務省以外のお役所もいろいろ忙しくしなければならなくなるというわけです。

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霞が関官庁街

 弁護士 齊藤雅俊
  大志わかば法律事務所
  東京都渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203
  電話: 03-6868-3194 (法律問題に関して,何でも,お気軽に御相談ください。)
  電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp
 (関連:『コンメンタールNTT法』(三省堂・2011年)285頁・185頁)

  少々遅れましたが,明けましておめでとうございます。

 今年の初記事です

 また長々しいものになってしまいました。しかし,あえて開き直ってしまえば,生産性の高い一年の幕開けにふさわしい,ということではありましょう。


1 はじめに

 大陸軍(ダイリクグン)をもってヨーロッパを席捲したフランス皇帝ナポレオン1世(1769815日生まれ,18215551歳で没)には,複数の子どもがあったと伝えられています。(他方,大西洋の彼方のタイリクグンを率い,後にナポレオンの仇敵となるイギリスを相手に独立戦争を戦ったアメリカ合衆国のワシントン大統領には子どもは生まれませんでした。)

 公式には,皇后ジョゼフィーヌとの離婚後1810年に再婚したオーストリア皇女マリー・ルイーズとの間に生まれた夭折の嫡男ナポレオン2世(ローマ王,ライヒシュタット公。1811320日生まれ,183272221歳で没)の存在が認められているだけです。しかしながら,ナポレオンには,その他幾人かの「隠し子」があったところです。

 これらの子どもとナポレオンとの「父子」関係を,ナポレオンが自らの名の下に公布した1804年のフランス民法典(以下「ナポレオンの民法典」)を仏和辞書片手に参照しつつ,見てみることとしましょう。フランス法については門外漢であるとはいえ,ナポレオンの民法典における具体的な規定が,その後ヨーロッパ大陸法を継受して形成された我が国の民法の関係諸制度にどのような影響を与えているのかは,日本の法律家として,いささか興味のあるところです。

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立法者ナポレオン,Hôtel des Invalides, Paris

(ナポレオンの右手は「ローマ法/ユスティニアヌスの法学提要」を,左手は「ナポレオン法典/万人に平等かつ理解可能な正義」を指す。足下の言葉は「私の一箇の法典が,その簡明さによって,先行するすべての法律の総体よりも多大な福祉をフランスにもたらした。」)



2 実子かつナポレオンの嫡出子:ナポレオン2世 

 まず,ナポレオン2世。

 ナポレオン2世には,ナポレオンの民法典の「第1編 人事」,「第7章 父性(paternité)及び親子関係(filiation)」,「第1節 嫡出ないしは婚内子(enfans légitimes ou nés dans le mariage)の親子関係」(第312条から第318条まで)における次の規定がそのまま適用になります。



3121

 婚姻中に懐胎された子は,夫を父とする。

L'enfant conçu pendant le mariage, a pour père le mari.


 これは,我が民法7721項が「妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。」として,慎重な規定ぶりになっているのと比べると,子を主語とした,堂々たる原則宣言規定になっています。

 (なお,我が民法の規定からは,嫡出子は妻と「夫との性的交渉によって懐胎された子でなければならない」(我妻栄『親族法』(1961年)214頁)のが原則であるということになるようです。これに対して,「嫡出親子関係に関する限り,フランス法の出発点は『人為』にあり,『自然』は『人為』の枠の中で一定の役割を占めるに過ぎない」とされています(大村敦志『フランス民法―日本における研究状況』96頁)。ちなみに,明治23年法律第98号として公布されながら施行されないまま廃止された旧民法人事編911項は,ナポレオンの民法典3121項と同様「婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子トス」と規定していました。)

 ナポレオンとマリー・ルイーズとのパリでの結婚式は18104月のことだったそうですから,マリー・ルイーズがナポレオンとの婚姻中にナポレオン2世を懐胎したことについては問題はありません(妊娠期間はおおよそ9箇月)。2世は,1世の嫡出の子です。

 なお,わが民法7722項の「婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。」との規定に対応する規定は,ナポレオンの民法典では次のようになっています。



314

 婚姻から180日目より前に生まれた子は,次の各場合には,夫によって否認され得ない。第1,同人が婚姻前に妊娠を知っていた場合,第2,同人が出生証書に関与し(s'il a assisté à l'acte de naissance),かつ,当該証書が同人によって署名され,又は署名することができない旨の同人の宣言が記されている場合,第3,子が生育力あるもの(viable)と認められない場合。


315

 婚姻の解消から300日後に生まれた子の嫡出性は,争うことができる。


 なお,l'acte de naissance「出生証書」ではなく,「出生届」としたくもなったところですが,我が旧民法の規定から推すに,同法の母法国であるフランスにおいては,出生の届出があると証書(acte)が身分取扱吏の関与の下で作られるとともに,身分登録簿(le registre de l'état civil)に登録(inscrire)されていたもののようです。すなわち,旧民法によれば,出生があれば「届出」がされ(旧民法人事編95条,99条参照),当該「出生・・・ハ身分取扱吏ノ主管スル帳簿ニ之ヲ記載ス可」きものであるところ(同289条),その「帳簿ニ記載シタル証書ハ公正証書ノ証拠力ヲ有」するものとされ(同2901項本文),また,「身分取扱吏ノ詐欺若クハ過失ニ因リテ証書ヲ作ラサリシトキ」があるもの(同291条)とされている一方,本人は,出生証書を婚姻等の場合に提出すべきものとされていたところです(同441号等)。


3 実子であるが他の男性の嫡出子:アレクサンドル及びジョゼフィーヌ


(1)アレクサンドル・ヴァレウスキ伯爵

 ナポレオンの隠し子で最も有名なのは,ポーランド生まれで,後にナポレオン3世の政府の外務大臣にもなったアレクサンドル・ヴァレウスキ伯爵(181054日生まれ)でしょう。甥の3世よりも息子の方が当然1世によく似ているので,ヴァレウスキ家の外務大臣がボナパルト家の皇帝と勘違いされることも間々あったとか。ちなみに,1858年の日仏修好通商条約の締結は,アレクサンドル・ヴァレウスキ外務大臣時代の出来事です。

 さて,アレクサンドルの母親は,マリア・ヴァレウスカ。しかし,マリアは,1807年の初めポーランドでナポレオンに出会った当時既に,同地の貴族であるヴァレウスキ伯爵の妻でした。すなわち,アレクサンドルは,母マリアとヴァレウスキ伯爵との婚姻中に懐胎された子です。

 アレクサンドルが生まれた当時のポーランド(ワルシャワ大公国)における民法がどのようなものであったかはつまびらかにできないのですが,ナポレオンの民法典に則って考えると,前記3121項(同項の原則によれば,アレクサンドルの父は母の夫であるヴァレウスキ伯爵になる。)のほか次の条項が問題になります。



3122

 しかしながら,夫は,子の出生前300日目から同じく180日目までの期間において,遠隔地にいたこと(éloignement)により,又は何らかの事故により(par l'effet de quelque accident),その妻と同棲(cohabiter)することが物理的に不可能であったこと(l'impossibilité physique)を証明した場合には,その子を否認することができる。


313

 夫は,自己の性的不能(son impuissance naturelle)を理由として,子を否認することはできない。夫は,同人に子の出生が隠避された場合を除き(à moins que la naissance ne lui ait été cachée),妻の不倫を理由としても(même pour cause d'adultère)その子を否認することはできない。ただし,上記の場合においては,夫は,その子の父ではないことを理由づけるために適当なすべての事実を主張することが許される。


316

 夫が異議を主張(réclamer)することが認められる場合には,同人がその子の出生の場所にあるときは(s'il se trouve sur le lieux de la naissance de l'enfant),1箇月以内にしなければならない。

 出生時に不在であったときは,帰還後2箇月以内にしなければならない。

 同人にその子の出生が隠避されていたときは,欺罔の発見後2箇月以内にしなければならない。


 ヴァレウスキ伯爵がアレクサンドルの嫡出を否認することができた場合(アレクサンドルの出生は伯爵に隠避されていなかったようですから,ナポレオンの民法典313条ではなく3122項が問題になるのでしょう。また,マリア夫人は長くポーランドの家を離れてナポレオンと一緒にいたようです。)であっても,最短では, 181064日までに否認しなかったのであれば(同法典3161項参照),ことさら「認知」をするまでもなく,アレクサンドルの父はヴァレウスキ伯爵であると確定したわけです。


(2)モントロン伯爵令嬢ジョゼフィーヌ

 ナポレオンは,皇帝退位後も,別の機会に人妻に子を産ませています。

 1815年にセント・ヘレナ島に流されたナポレオンに,同島においてなおも仕えた側近の中に,モントロン伯爵夫妻がありました。その間無聊をかこつナポレオンとモントロン伯爵夫人との間には,一人の女児が生まれています。しかし,幼女ジョゼフィーヌ(1818126日生まれ,1819930日没)の父が,ナポレオンの民法典によれば,母の夫であるモントロン伯爵であることは,動かせないでしょう。

 すなわち,ジョゼフィーヌの出生はモントロン伯爵に隠避されていたわけではなく(ナポレオンの民法典313条参照),モントロン伯爵夫妻はどちらも狭いセント・ヘレナ島で生活していたのですから,「同棲することが物理的に不可能であった」わけでもないところです(同法典3122項参照)。したがって,夫であるモントロン伯爵による否認はできず,「婚姻中に懐胎された子は,夫を父とする。」とするナポレオンの民法典第3121項の原則が貫徹するのでしょう。


4 実子であるが「父が不在である子」:シャルル・レオン

 180612月(出生日は,インターネット上では,13日,15日等あって十分一定していません。)にエレオノール・ドゥニュエルから生まれたシャルル・レオンの場合は,法律の適用関係がどうなっていたのかまた難しいところです(なお,Léonというのは,Napoléonの最後の4文字ですね。。シャルル・レオンの身分登録簿には,母はエレオノール・ドゥニュエルであるが,父は不在(absent)として登録されていた(officiellement inscrit)とされています(La Fondation NapoléonのサイトにあるHenri Ramé氏による記事)。


(1)母の前夫の嫡出子とされる可能性

 ところで,実は,エレオノール・ドゥニュエルは1806429日に離婚が成立するまでは,ルヴェルという男の妻であったところです。

 通常の妊娠期間の長さから考えると,ルヴェルとの離婚の前にシャルル・レオンが懐胎されたのでしょうから,前記のとおり,ナポレオンの民法典の第3121項(また,同法典315条参照)によれば,シャルル・レオンはルヴェルの嫡出の子となるのが順当であったところです。どうしたものでしょう。

 とはいえ,実は,シャルル・レオンが懐胎されたころには,母エレオノール・ドゥニュエルの夫であるルヴェルは詐欺罪で収監されていたようですから(夫の収監で困ったエレオノールは,そこで,ナポレオンの妹であるカトリーヌの「朗読係」をすることになっていたわけです。),ナポレオンの民法典3122項に基づき,ルヴェルからシャルル・レオンが子であることを否認することは可能ではあったわけです。しかし,そのような訴訟沙汰が本当にあったものかどうか(なお,ナポレオンの民法典318条によれば,夫が訴訟外で子の否認をしても,1箇月内に訴え(une action en justice)を提起しなければ効力のないものとされています。)。いろいろと面倒ではなかったでしょうか。


(2)嫡出でない子の場合


ア ナポレオンによる認知に対する障害

 フランスにおける身分登録の手続に関する実際の詳細に立ち入るのはまた大変ですから,取りあえず,シャルル・レオンは,改めてルヴェルの嫡出子とされる可能性はないものと考えましょう。すなわち,シャルル・レオンは,婚姻外(hors mariage)で生まれた,嫡出でない子(enfant naturel)であるものとしましょう。

 その場合,ナポレオンによるシャルル・レオンの認知のいかんが次の問題になります。

 ナポレオンの民法典第1編第7章の「第3節 嫡出でない子」,「第2款 嫡出でない子の認知」(第334条から第342条まで)における第334条は,認知の手続について次のように規定しています。



334

 嫡出でない子の認知は,その出生証書においてされていなかった場合は,公署証書によって(par un acte authentique)されるものとする。


 一見単純です。しかしながら,1806年当時,ナポレオンにはジョゼフィーヌという正妻がいたところです。したがって,ナポレオンの民法典の次の条項の存在は,ナポレオンによるシャルル・レオンの認知の障害となったものでしょう。

 


335

 近親間又は不倫の関係から生まれた子(enfans nés d'un commerce incestueux ou adultérin)のためには,認知をすることができない。


 さすがに,皇帝陛下の不倫行為を示唆してしまうような身分登録はまずかったわけでしょう。


イ 「父の捜索」の否定

 同様に,エレオノール・ドゥニュエルの子であるシャルル・レオンから,ジョゼフィーヌという正妻のいるナポレオンに対して認知を求めることもできなかったところです。ナポレオンの民法典の次の条項は,このことを明らかにしています。



342

 第335条により認知が許されない場合においては,子は,父の捜索をすることも母の捜索をすることも許されない。


 ちなみに,母子関係は母の認知をまたず分娩の事実によって発生するとするのが我が国の判例(最判昭37427民集1671247)ですが,これに対して,民法の条文の文言どおり母の認知を要するものとする谷口知平教授の説は「母の姦通の子や未婚の子が虚偽の届出または棄児として,身分をかくそうとしている場合に,第三者から出生の秘密をあばくことは許さるべきではない。子の朗らかな成人のためにその意思を尊重し,母または子のいずれかの発意と希望があるときにのみ母子関係を認むべきだ」ということを実質的な根拠の一つとしているものとされているところ,当該谷口説を,我妻教授は,「虚偽の出生届を公認してまで,人情を尊重すべしとの立場には賛成しえない」,谷口「教授の懸念されることは,社会教育その他の手段によって解消すべきもの」と批判していたところです(我妻『親族法』248-249頁)。我妻教授は「非嫡出子と母との関係は,その成立についても,成立した関係の内容についても,嫡出子と区別しない,というのが立法の進路であり,その途に横たわる障害については合理性を見出しえない」として,フランス民法よりもドイツ民法・スイス民法(いずれも当時のもの)を評価して(同232頁,234頁)上記判例を先取りする説を唱えていました。

 しかしながら,ナポレオンの民法典については,その第335条との関係からして,「人情」論を別としても,認知を介さずに分娩の事実のみから直ちに母子関係を認めるものとすることに対するためらいが,立法者においてあったのではないでしょうか。

 なお,そもそもナポレオンの民法典340条が,「父の捜索は許さず」の原則を明らかにしていたところです。



340

 父の捜索は禁止される(La recherche de la paternité est interdite.)。かどわかし(enlèvement)の場合においては,当該かどわかしの時期が懐胎の時期と符合するときは,利害関係者の請求により,かどわかしを行った者(ravisseur)を子の父と宣言することができる。


 この規定と「同一」(我妻『親族法』233頁)とされるのが,我が民法施行前の,次に掲げる明治6年太政官21号の布告です(1873118日)。



妻妾ニ非サル婦女ニシテ分娩スル児子ハ一切私生ヲ以テ論シ其婦女ノ引受タルヘキ事

 但男子ヨリ己レノ子ト見留メ候上ハ婦女住所ノ戸長ニ請テ免許ヲ得候者ハ其子其男子ヲ父トスルヲ可得事


 父に対する認知請求権は,フランス革命時代に否定されるに至ったものとされますが,その理由としては,「革命以前にこの請求権が濫用されたこと」のほか,「平等の理想の他に,男女関係において,愛情とそこに向かう意思を尊重した(離婚の自由もそこから出てくる)」フランス革命時代において,「親子関係においても同様に血のつながりでなく,父としての愛情とそのような父になる意思が父子関係の基礎であると考えた」当該時代の法律家の「奇妙な論理」が挙げられています(星野英一『家族法』(1994年)112-113頁)。「通常生理的な父は子に対して愛情を持ち,父となる意思を持つが,そうでない場合には,父たることを強制することはできない」とされたわけです(同)。


(余話として)「司馬遼太郎の『歳月』の謎の読み方」補遺

 なお,明治6年太政官21号の布告は江藤新平司法卿時代のものですが,当該布告では妾(「妻妾」の「妾」)が公認されていたことになります。

 以前御紹介した司馬遼太郎の『歳月』には,江藤司法卿がフランスからの御雇外国人ブスケと「蓄妾問答」を行った場面があり,そこでは,ブスケとの議論に負けて妾の制度を「民法に組み入れる思案をすてた以上,江藤の法家的気分からいえば積極的にこの蓄妾の風を禁止する覚悟をした。上は当然,公卿,旧大名家にまで及ぶことであり,どのような排撃をうけるかわからなかったが,とにかくもここ数年のあいだには断固としてこの禁止を立法化し,違反の者に対しては容赦なく法をもってさばくつもりであった。」と,江藤司法卿の断固たる決意が力強く叙述されています。しかしながら,そもそも当該江藤司法卿の下で,妾の禁止はしないまま,かえってわざわざそれを公認してしまったような形の布告が出されてしまっていたことになります。

 となると,明治6年太政官21号の布告は上記「蓄妾問答」の前に出されたものでしょうか。しかしながら,「父の捜索は許さず」がフランス法由来の原則であるのならば,あえて当該原則を導入しようとする当該布告がフランスの法律家であるブスケの意見を徴さずに制定されたということは考えられにくいところです。『歳月』の描くような「蓄妾問答」がその際されたとなると,江藤新平は,実際には,「妾廃止」という考えに必ずしも小説で描かれているほどには固執していなかったということになるわけで,当該小説から受ける印象とは異なり,意外と妥協的ないしは便宜主義的な人物ということになるのかもしれません。

 井上清教授は,江藤新平の人物について,「本質的に保守官僚主義者であり,急進主義と見えるものは功業欲の発現にすぎない」,「貧窮のなかに成長した秀才官僚型の大物で,立身出世の機を見るに敏」と評しています(『日本の歴史20 明治維新』(中央公論社・1966年)350頁。なお,同書のしおりは,同教授と司馬遼太郎との対談)。


(余話の余話:補遺の補遺)

 江藤新平が妾廃止論者であった証拠としては,「明治五年十一月二十一日,司法卿江藤新平,司法大輔福岡孝悌両人より,「自今妾の名義を廃し,一家一夫一婦と定め度の件」を太政官に建議せり。」という事実があります(石井研堂『明治事物起原Ⅰ』(ちくま学芸文庫・1997年)269頁)。しかしながら,「翌6115なお,明治五年の十二月は2日間しかなかった。,太政官が,「伺の趣,御沙汰に不被及候事」と指令」し,江藤及び福岡の建白は採用されませんでした(石井・前掲270頁)。司法卿及び司法大輔の当該建議が退けられた明治6年(1873115日の3日後に,前記明治6年太政官21号の布告が出ています。なお,この布告は,同月13日の太政官宛て司法省伺が契機となって出されたものです(二宮周平「認知制度は誰のためにあるのか」立命館法学310号(2006年6号)316頁,村上一博「明治6年太政官第21号布告と私生子認知請求」法学論叢67巻2=3号(1995年1月)512頁)。ちなみに,当時戸籍事務を所管していたのは,民部省から当該事務を吸収していた大蔵省であって,司法省ではありませんでした(戸籍事務は,内務省設立以後は内務省に移る。)。江藤とブスケとのせっかくの「蓄妾問答」も,江藤のせっかくの妾廃止の「覚悟」も,政府内において十分かつ決定的な重要性を持ち得なかったということのようです。しかしながらそもそも,明治五年十一月二十一日(なお,村上一博「明治前期における妾と裁判」法律論叢71234頁では,同月二十三日に正院に提出されたとされる。)の妾廃止の建白は,上司である江藤新平と部下である福岡孝悌との連名で提出されています。偉い人とそうでない人との連名文書に係る通常の作成実態からすると,当該文書の実質的作成主体は偉くない方の人であるはずです。となると,妾廃止を言い出した本当の妾廃止論者は福岡孝悌であって,江藤は福岡ほどではなかったかもしれません。


5 実子ではないが「証明されない嫡出子」:アルベルティーヌ及びギヨーム

 以上は,ナポレオンが嫡出子又は隠し子の実父となった場合です。しかし,ナポレオンの「隠し子」というよりはナポレオンに隠された子ということになりますが,ナポレオンの妻がナポレオン以外の者を実父とする子を産んだ場合もあったところです。 


(1)マリー・ルイーズとナイペルク伯爵

 ナポレオンの妻マリー・ルイーズは,実は,ナポレオンの没落後,オーストリア貴族のナイペルク伯爵と愛人関係になってしまい,二人の間には1817年にアルベルティーヌという女児が,1819年にはギヨームという男児が生まれています(名前はここではフランス語読みです。)。

 さて困ったことになりました。1819年には,マリー・ルイーズの夫であるナポレオンはまだセント・ヘレナ島で生きています。マリー・ルイーズが女公となったイタリアのパルマ公国の臣民の手前も問題です。上記の子らをマリー・ルイーズが分娩した事実は,秘密とされることになりました。

 この隠避は少なくともナポレオンに対しては成功し,最期までナポレオンは,前記事情は御存知なかったものと思われます。すなわち,ナポレオンは,1821年に死ぬ前のその遺言で,「私は最愛の妻マリ=ルイーズに満足の意を表したいと常に思っていた。私は最後の瞬間まで妻に対して最もやさしい感情を抱きつづけている。妻に頼む,どうか気を配って,私の息子(mon fils)の子供時代をまだ取りかこんでいる数々の陥穽から私の息子を守ってもらいたい。」(大塚幸男訳『ナポレオン言行録』(岩波文庫)201頁)と述べているからです。当該遺言での「私の息子(mon fils)」は単数形ですので,ナポレオン2世のみを指し,ギヨームは含まれないものでしょう。


(2)否認の不存在

 ナポレオンは大西洋の孤島であるセント・ヘレナ島に流されており,マリー・ルイーズがそこを訪れていないことは明らかですから,ナポレオンは,その民法典の第3122項に基づき,あるいはまた,子の出生が隠避されたことから第313条に基づき,第3121項によって自分の子であるとされているアルベルティーヌ及びギヨームについて,子であることの否認をすることができ,その際その否認は,同法典3163項により「欺罔の発見後2箇月以内」にすべきであったところです。しかしながら,当該否認をしないまま,ナポレオンは死んでしまいました。ナポレオンの民法典第1編第7章「第1節 嫡出ないしは婚内子の親子関係」の規定の建前からすると,ナポレオンの側からの否認(なお,同法典317条は夫の相続人(les héritiers)による否認が認められる場合について規定しています。)がされない以上,パルマのアルベルティーヌ及びギヨームは,ナポレオンの嫡出子であったわけです。


(3)証明の不存在

 しかしながら,ナポレオンとアルベルティーヌ及びギヨームとの父子関係は,ナポレオンの民法典第1編第7章「第2節 嫡出子の親子関係の証明」(第319条から第330条まで)との関係で,証明ができないもの,というのが正確なところであったようです。アルベルティーヌ及びギヨームには,ナポレオンの嫡出子としての出生証書及び身分登録(ナポレオンの民法典319条)も身分占有(同法典320条)もなかったはずだからです。

 アルベルティーヌ及びギヨームにはvon Montenuovo(モンテヌオヴォ)という氏が与えられていたところです(NeippergNeuberg(ドイツ語で「新山」)→Montenuovo(イタリア語で「新山」))。(なお,Wilhelm (ギヨーム)von Montenuovoは,オーストリア帝国のFürst(公爵又は侯爵)となりました。)



319

 嫡出子の親子関係は,身分登録簿(le registre de l'état civil)に登録された出生証書によって証明される。


320

 前条による証書(titre)がないときは,嫡出子身分の継続的占有(la possession constante de l'état d'enfant légitime)による。


322

 何人も,その出生の証書(titre de naissance)及び当該証書に合致する身分の占有によって与えられる身分と異なる身分を主張することはできない。

 また,反対に,何人も,出生の証書に合致する身分を占有している者の身分を争うことはできない。


 無論,身分登録が虚偽の場合については,ナポレオンの民法典3231項は,「・・・又は子が,虚偽の名前で(soit sous de faux noms),若しくは知れない父及び母から生まれたものとして(soit comme né de père et mère inconnus)登録された場合には,親子関係の証明は,証拠によることができる。」と規定していました。民事裁判所(tribunaux civils)のみが管轄を有する事件です(同法典326条)。

 しかしながら,身分登録と異なる親子関係の証明が認められる場合については制限的な規定があったのみならず(ナポレオンの民法典3232項,324条,325条),そもそもアルベルティーヌ及びギヨームが法律上はナポレオンの子であることをわざわざ証明しようとする者はいなかったようです。

 ちなみに,我が旧民法の親子法も「フランス法と同様」に,「証拠法的な色彩を強く帯びていた」ところです(大村『フランス民法』91頁)。

画像 003

ナポレオンの墓,Hôtel des Invalides, Paris



6 おわりに:最高裁判所平成25年12月10日決定

 実は,今回の記事を書くきっかけになったのは,先月出た,我が最高裁判所の平成251210日第三小法廷決定(平成25年(許)第5号戸籍訂正許可申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件)でした。次にその一部を掲げます。



「特例法
性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(平成15年法律第111号)41項は,性別の取扱いの変更の審判を受けた者は,民法その他の法令の規定の適用については,法律に別段の定めがある場合を除き,その性別につき他の性別に変わったものとみなす旨を規定している。したがって,特例法31項の規定に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者は,以後,法令の規定の適用について男性とみなされるため,民法の規定に基づき夫として婚姻することができるのみならず,婚姻中にその妻が子を懐胎したときは,同法772条の規定により,当該子は当該夫の子と推定されるというべきである。もっとも,民法7722項所定の期間内に妻が出産した子について,妻がその子を懐胎すべき時期に,既に夫婦が事実上の離婚をして夫婦の実態が失われ,又は遠隔地に居住して,夫婦間に性的関係を持つ機会がなかったことが明らかであるなどの事情が存在する場合には,その子は実質的には同条の推定を受けないことは,当審の判例とするところであるが(最高裁昭和43年(オ)第1184号同44529日第一小法廷判決・民集2361064頁,最高裁平成8年(オ)第380号同12314日第三小法廷判決・裁判集民事189497頁参照),性別の取扱いの変更の審判を受けた者については,妻との性的関係によって子をもうけることはおよそ想定できないものの,一方でそのような者に婚姻することを認めながら,他方で,その主要な効果である同条による嫡出の推定についての規定の適用を,妻との性的関係の結果もうけた子であり得ないことを理由に認めないとすることは相当でないというべきである。」


 ナポレオンが現在も生きているものとした場合,性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律が立法されたこと及び当該法律の第41項に係る最高裁判所の上記解釈についてどのような態度をとるのかは,分かりません。しかしながら,上記決定の引用部分の「もっとも」以下の判示については,ナポレオンは,その民法典の第3122項の規定(我が民法の第772条の推定を実質的に受けない場合に係る判例(特に上記決定において引用されている平成12年最高裁判決参照)のいわゆる外観説に符合)及び第313条の規定(「夫は,自己の性的不能を理由として,子を否認することはできない。」)に照らせば,是認できるものであるとの見解を表明するのではないでしょうか。

 ただし,「最後の瞬間まで・・・最もやさしい感情を抱きつづけてい」た「最愛の妻マリ=ルイーズ」に,アルベルティーヌ及びギヨームという自分のあずかり知らぬ子が生まれていたと知ったならば,嫡出父子関係ないしは嫡出否認の在り方について,改めてその見解に変化を生じさせるかもしれませんが。

 前記最高裁判所平成251210日決定においても,裁判官の意見は32に分かれていました。
(追記:最高裁判所第一小法廷平成26年7月17日判決は,DNA鑑定の結果生物学上は99.99パーセント以上他の男の子であるとされた子であっても,妻が婚姻中に懐胎した子であって嫡出推定が働く以上なお法律上は夫の子である,としました。)


補遺 出生証書に関するナポレオンの民法典の規定(抄)

  「2 実子かつナポレオンの嫡出子:ナポレオン2」の最後の部分で紹介した出生証書に関する旧民法の規定に対応するナポレオンの民法典の規定は,次のとおりです。



55

 出生届(déclarations de naissance)は,分娩から3日以内に(dans les trois jours de l'accouchement),その地の身分取扱吏に対してされるものとし,当該身分取扱吏に子が示されるものとする。


56

 子の出生は,父によって,若しくは父によることができないときは,医師,助産婦,衛生担当吏その他の分娩に立ち会った者によって,又は母がその住所外(hors de son domicile)で分娩した場合においては,分娩がされた場所を管理する者によって,届けられるものとする。

 続いて,2名の証人の立会いの下に,出生証書(l'acte de naissance)が作成されるものとする。


57

 出生証書(l'acte de naissance)には,出生の日,時刻及び場所,子の性別並びにその子に与えられる名,父母の氏名,職業及び住所並びに証人の氏名,職業及び住所が記載されるものとする。


40

 身分証書は,各市町村において,一つ又は複数の登録簿に(sur un ou plusieurs registres tenus doubles)登録されるものとする(seront inscrits)。


70

 身分取扱吏は,これから婚姻しようとする各配偶者の出生証書(l'acte de naissance)を提出させるものとする。同条以下略

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