1 現行刑法38

 

(1)新旧の文言

 1995512日に公布された刑法の一部を改正する法律(平成7年法律第91号)が施行された同年61日(同法附則1条)から,刑法(明治40年法律第45号)38条は次のようになっています。

 

  (故意)

  第38条 罪を犯す意思がない行為は,罰しない。ただし,法律に特別の規定がある場合は,この限りでない。

  2 重い罪に当たるべき行為をしたのに,行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は,その重い罪によって処断することはできない。

  3 法律を知らなかったとしても,そのことによって,罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし,情状により,その刑を減軽することができる。

 

1995531日以前の刑法38条の文言は次のとおり。なお,現行刑法の施行日は,その別冊ではない部分の第2項に基づく明治41年勅令第163号により,1908101日です。

 

  第38条 罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セス但法律ニ特別ノ規定アル場合ハ此限ニ在ラス

   罪本重カル可クシテ犯ストキ知ラサル者ハ其重キニ従テ処断スルコトヲ得ス

   法律ヲ知ラサルヲ以テ罪ヲ犯ス意ナシト為スコトヲ得ス但情状ニ因リ其刑ヲ減軽スルコトヲ得

 

(2)第2項:抽象的事実の錯誤

刑法旧382項など甚だ古風で,どう読んでよいものか,いささか困惑します。「つみもとおもかるべくして」云々と訓ずるとのことでした。

また,刑法382項は,抽象的事実の錯誤について「軽い犯罪事実の認識で重い犯罪を実現した場合,重い犯罪の刑を適用してはならないと規定している」ものとされています(前田雅英『刑法総論講義 第4版』(東京大学出版会・2006年)254頁)。抽象的事実の錯誤論は「〔行使者が〕認識した犯罪類型と異なる犯罪類型に属する結果が生じた場合をどう処断するのかを扱う」ものですが(前田253頁),そこでは,「錯誤により認識した構成要件を超えた事実についての故意犯の成立を否定する」法定的符合説と「主観面と客観面が異なる構成要件にあてはまるにしても,「およそ犯罪となる事実を認識して行為し,犯罪となる結果を生ぜしめた」以上,38項の範囲内で故意既遂犯の成立を認めようとする見解」である抽象的符合説とが対立していたとされています(前田254頁)。「対立していた」と過去形なのは「わが国では,法定的符合説が圧倒的に有力になった」からですが(前田256頁),その間,偉い学者先生たちの難解煩瑣な学説の対立を丁寧に紹介されて,法学部の学生たちは消化不良でげんなりしていたものでした。

 

(3)第3項:法律の錯誤

刑法383項についても,同項の「法律を知らなかったとしても」の部分をほぼその文字どおり「「条文を知らなかったとしても」と解」した上での「(条文への)あてはめの錯誤は故意を否定しない」ことを意味するのだという解釈は,「しかし,条文を知らなくても処罰すべきなのは当然のことであり,それをわざわざ規定したと解するのはかなり無理がある」ということで一蹴されており,「やはり,38項は「違法性の意識が欠けても故意は否定されない」と読むべきである」とされています(前田216-217頁)。「法律ヲ知ラサルヲ以テ」が強引に「違法性ノ意識ノ欠缺ヲ以テ」と,別次元のものとして読み替えられるわけです(違法性の意識とは「「悪いことをしている」という意識」です(前田214頁)。)。「刑法は哲学的・理論的色彩の濃い法とされている」(前田3頁)ところの面目躍如です。

しかして,「法律ヲ知ラサルヲ以テ」を「違法性ノ意識ノ欠缺ヲ以テ」と読み替えただけでは刑法383項の解釈問題は実は解決せず,「学説は,(a)違法性の意識がなければ故意がないとする厳格故意説,(b)故意に違法性の意識は不要だが,その可能性は必要である(ないしは違法性の意識のないことに過失があれば故意犯として処罰する)という制限故意説,そして(c)違法性の意識がなくても故意は認められるとする考え方に三分し得る。そして,(c)説は,故意が認められても違法性の意識の可能性が欠ければ責任が阻却されるとする責任説と,故意があれば原則として可罰的とする判例の考え方に分かれると考えることもできる。」とのことです(前田215頁)。これまた諸説濫立で厄介であり,学習者には重い負担です。しかし,結局は「違法性の意識」(当該概念は刑法383項において明示されていません。)を不要とする判例説を採るのであれば(前田220頁参照),三つ巴に対立する学説状況を迂回する沿革的説明のようなものに拠る方がむしろ簡便であるように思われます。

なお,責任説は,「故意を構成要件の認識と捉え」,「違法性の意識の欠如を故意とは別個の責任阻却の問題として処理する立場」です(前田215頁)。故意を専ら構成要件の認識であるものと観念するのは,ドイツ法学の流儀なのでしょう。ドイツ刑法の現行161項前段は,„Wer bei Begehung der Tat einen Umstand nicht kennt, der zum gesetzlichen Tatbestand gehört, handelt nicht vorsätzlich.“(犯行の際に法律上の構成要件に属する事情の認識がない者は,故意をもって行為するものではない。)と規定しています。

 

2 旧刑法77

沿革的説明は筆者の好むところですが,188211日から施行された(明治14年太政官布告第36号)旧刑法(明治13年太政官布告第36号)77条は次のように規定していました。

 

 第77条 罪ヲ犯ス意ナキノ所為ハ其罪ヲ論セス但法律規則ニ於テ別ニ罪ヲ定メタル者ハ此限ニアラス

  罪トナルヘキ事実ヲ知ラスシテ犯シタル者ハ其罪ヲ論セス

  罪本重カル可クシテ犯ス時知ラサル者ハ其重キニ従テ論スル((こと))ヲ得ス

  法律規則ヲ知ラサルヲ以テ犯スノ意ナシト為スヿヲ得ス

 

 旧刑法77条の第4項にただし書を加え,その第2項を削ると,現行刑法38条と同様の規定となりますね。

 

3 旧刑法77条から現行刑法38条へ

 

(1)1901年法典調査会案

 旧刑法77条と現行刑法38条とをつなぐ,1901年の段階での刑法改正案における対応条項及び当該条項の形となった理由の説明は次のとおりでした(法典調査会編纂『刑法改正案理由書』(上田屋書店・1901年)55-56頁)。

 

  第48条 罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セス但法律ニ特別ノ規定アル場合ハ此限ニ在ラス  

   法律ヲ知ラサルヲ以テ罪ヲ犯ス意ナシト為スコトヲ得ス但情状ニ因リ其刑ヲ減軽スルコトヲ得

    (理由)本条ハ現行法第77条ニ修正ヲ加ヘタルモノニシテ現行法第77条第2項及ヒ第3項ハ共ニ同条第1項ノ適用ニ過キサルヲ以テ本案ハ其必要ヲ認メス之ヲ(さん)除シタリ

    本条第1項ハ現行法第77条ト全ク同一ノ主旨ヲ規定シタルモノニシテ本案ニ於テハ原則トシテ罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ罪トナラサルコトヲ定メ唯例外トシテ法律ヲ以テ特別ノ規定ヲ設ケタルトキハ意ナキ行為ヲモ罪トナスコトヲ明ニシタルモノナリ

    第2項ハ現行法第77条第4項ト同シク法律ヲ知ラスト雖モ是ヲ以テ罪ヲ犯スノ意ナキモノト為ササル主旨ニシテ実際上ノ必要ニ基ク規定ナリ然リト雖モ真ニ法律ヲ知ラサルカ為メ不幸ニシテ或ハ罪名ニ触レ事情憫諒ス可キ者アルヲ以テ本条但書ニ於テ裁判所ヲシテ其情状ヲ見テ刑ヲ減軽スルコトヲ得セシメタルモノナリ

 

要は,旧刑法77条を引き継いだものであって,同条2項及び3項は1項で読めるので削り,「真ニ法律ヲ知ラサルカ為メ不幸ニシテ或ハ罪名ニ触レ事情憫諒ス可キ者」のために同条4項にただし書を付けたということのようです。

 

(2)「罪本重カル可クシテ」条項の復活

旧刑法773項の復活は,19061121日に開催された司法省の法律取調委員会総会でのことであって,同省の起草委員会が作成した次の条文案(前記1901年案48条に相当する条項(「第40条」)に続くべきもの)が江木衷委員の主唱によって削られた際の勝本勘三郎委員による「本条削除に決する以上は,第40条の2項として,左の1項を加へたし。/罪本重カルヘクシテ犯ス時知ラサルトキハ重キニ従テ論スルコトヲ得ス」との提案が,磯部四郎🎴等の多数委員の賛成によって可決されたことによるものです(佐立治人「現行日本刑法第38条第2項の由来について――旧中国の罪刑法定主義の「生きた化石」――」関西大学法学論集712号(20217月)524-523頁(当該論文は,横書きの雑誌に縦書きで掲載されているので,ページのナンバリングが逆行しています。))。

 

 第41条 犯罪事実犯人ノ信シタル所ト異リタル場合ニ於テハ左ノ例ニ依ル

  一 所犯犯人ノ信シタル所ヨリ重ク若クハ之ト等シキトキハ其信シタル所ニ従テ処断ス 

  二 所犯犯人ノ信シタル所ヨリ軽キトキハ其現ニ犯シタル所ニ従テ処断ス

 

19072月に第23回帝国議会に提出された現行刑法案の理由書である「刑法改正案参考書」においては,現行刑法382項について,「現行法〔旧刑法〕第77条第3項ト同一趣旨ナリ」と述べられていたそうです(佐立522頁)。

 

(3)ドイツ法の影響?

 旧刑法773項に対応する規定の復活は,旧刑法の施行の直前に我が司法省に提出されたドイツのベルナー(Albert Friedrich Berner)の『日本刑法ニ関スル意見書』において(当該意見書は,村田保との数箇月にわたる協議に基づいて作成されたもの),旧刑法77条「第2項は贅文である」として同条が批判されていること(青木人志「西欧の目に映った旧刑法」法制史研究47号(19983月)165頁,また164頁)の反対解釈(すなわち,同項ならざる同条3項は贅文ではないから,意味のある条項であるということになります。)によるものでしょうか。確かに,当時のドイツ刑法59条には,次のような規定があったところです。

 

  §. 59.

Wenn Jemand bei Begehung einer strafbaren Handlung das Vorhandensein von Thatumständen nicht kannte, welche zum gesetzlichen Thatbestande gehören oder die Strafbarkeit erhöhen, so sind ihm diese Umstände nicht zuzurechnen.

  (可罰的行為を犯した際に,犯行に関する事情であって,法律上の構成要件に属し,又は可罰性を加重するものの存在を知らなかった者に対しては,当該事情をもって帰責すべきではない。)

Bei der Bestrafung fahrlässig begangener Handlungen gilt diese Bestimmung nur insoweit, als die Unkenntniß selbst nicht durch Fahrlässigkeit verschuldet ist.

  (前項の規定は,過失により犯された行為を罰する場合においては,不知自体が過失によって有責ではないときに限り適用される。)

 

「犯行に関する事情であって,法律上の構成要件に属」するものの不知は我が旧刑法772項に対応し,「犯行に関係する事情であって,可罰性を加重するもの」の不知は同条3項に対応するようです。旧刑法772項が「贅文」だとベルナーが言うのは,同条1項との関係においてでしょう。そうだとすると,「罪トナルヘキ事実ヲ知ラス」という情態は「罪ヲ犯ス意ナキ」情態に含まれるということになるようです。ただし,ボワソナアドはつとに,旧刑法772項相当規定を削るべしとの鶴田皓の意見に対して「〔第2項は〕第1項トハ同シ主意ニアラス不論罪中尤緊要ノ事ニ付項ヲ分カチテ掲ケサルヲ得ス/例ヘハ処女ヲ姦シタリ然シ人ノ妻ナリシナレ𪜈(ども)之ヲ知ラス〔略〕等ノコトヲ云フ」と反論していました(「日本刑法草案会議筆記」『日本立法資料全書31 旧刑法(明治13年)(3)-1』(信山社・1996年)213頁。ナポレオンの刑法典の姦通罪は336条から第338条まで)。(ちなみに,ボワソナアドは,ドイツ刑法旧59条について「然シ独乙ノ刑法ノ書法ニテハ不十分ナリ何故ナレハ犯スノ意アリテ犯シタルコト而已ニテ犯スノ意ナクシテ犯シタル(こと)ヲ記セス故ニ其主意ヲ尽サルナリ」と鶴田相手に評しています(日本刑法草案会議筆記211頁)。旧刑法771項の規定がある点において,日本刑法はドイツ刑法に対して優越するのだというのでしょう。なお,旧刑法77条に対応する条項に係る「第1稿以前ノ草按」の第2項は「若シ犯人〔略〕止タ其犯罪ノ1箇又ハ2箇以上ノ性質ニ関シ又ハ犯人ノ犯シタル事ノ1箇又ハ2箇以上ノ模様ノ罪トナルヘキ又ハ其罪重カルヘキ事ヲ知ラスシテ為シタルトキモ亦同シ〔罰ス可カラス〕」と,旧刑法77条の第2項と第3項とが一体となったような書き振りとなっていましたが(日本刑法草案会議筆記210),これは,ドイツ刑法旧591風というべきでしょう。

なお,現行刑法の1901年案48条の解説は,旧刑法773項は同条1項の「適用」だといいますが,同項(ただし書を除く。)の適用の結果は,「其罪ヲ論セス」(無罪放免)ということになるはずです。しかし,旧刑法773項の場合は,通常の故意犯について,「重キニ従テ論スル」ことはしないが,なお軽きに従って「其罪ヲ論ス」ることになるのでしょうから,同条1項が素直にそのまま適用されるものではないでしょう。「「罪本重カル可クシテ犯」した行為は,軽い罪を犯そうと思って重い罪を犯した行為であるから,「罪ヲ犯ス意ナキノ所為」ではない。よって,旧刑法第77条第3項を同条第1項の「適用」と言うことはできない」わけです(佐立525頁)。あるいはむしろドイツ刑法旧591項の影響で,旧刑法77条の第2項と第3項とを一からげにしてしまった上で,両項とも同条1項で読んでしまおうとした勇み足だったのでしょうか。

ところで,以上見たような旧刑法77条と現行刑法38条との連続性に鑑みるに,「旧刑法はフランス,現行刑法はドイツに倣ったもの」(前田18頁)と断案しようにも,旧刑法77条がそこから更にドイツ風🍺🥔に改変されて現行刑法38条となったものとはとてもいえないようです。

 

4 1877年8月旧刑法フランス語案89

ちなみに,我が旧刑法77条の原型となった18778月のフランス語案における対応条項は,次のようなものでした。

 

   89. Il n’y a pas d’infraction, lorsque l’inculpé n’a pas eu l’intention de la commettre ou de nuire en la commettant, sauf dans les cas où la loi punit la seule inobservation de ses dispositions ou des règlements.

  (被告人に,当該犯罪をなす,又は当該犯行によって害する意思がなかった場合においては,犯罪は成立しない。ただし,法がその条項又は規則に係る単なる不遵守を罰するときは,この限りでない。)

   Il en est de même si l’inculpé a ignoré l’existence des circonstances constitutives de l’infraction.

  (当該犯罪を構成する事情の存在を被告人が知らなかったときも,前項と同様である。)

   Si l’inculpé a seulement ignoré une ou plusieurs circonstances aggravantes de l’infraction, il ne subit pas l’élévation de peine qui y est attachée.

  (被告人の不知が当該犯罪の犯情を悪化させる一又は複数の事情に専ら係るものであったときは,それらに伴う刑の加重は,同人について生じない。)

   L’ignorance de la loi ou des règlements ne peut être invoquée pour établir le défaut d’intention.

  (法律又は規則の不知をもって意思の欠缺を立証することはできない。)

 

犯罪(infraction)の成立に関して,第1項及び第4項において意思(intention)の有無が,第2項において当該犯罪を構成する事情(circonstances constitutives de l’infraction)の知又は不知(ignorance)が問題とされていますから,故意の本質に係る表象(認識)説(故意の成立を犯罪「事実の認識(表象)の有無」を中心に考える。),意思説(故意には,犯罪事実の表象に加えて犯罪事実実現の意思・意欲といった「積極的内心事情」が必要であるとする。)及び動機説(「認識が行為者の意思に結びついたこと,すなわち行為者が認識を自己の行為動機としたこと」が故意だとする。)の争い(前田206頁参照)の種は既にここに胚胎していたわけです。旧刑法77条の「故意・法の不知規定」は「仏刑法にない規定」(青木163頁)を創出したものであって,我が国の立法関係者が「故意という定義困難な対象の定式化を試みたこと」は,オランダのハメル(van Hamel)によって「評価」されたところです(同165頁)。

 

5 「罪本重カル可クシテ」条項の由来

 

(1)新律綱領

ところで,現行刑法382項に対応する規定は,旧刑法773項の前の時期においては,明治三年十二月二十日(187129日)の新律綱領巻3名例律下の本条別有罪名条に次のように規定されていました。

 

 凡本条。別ニ罪名アリテ。名例ト罪同カラサル者ハ。本条ニ依テ之ヲ科ス。

 若シ本条。罪名アリト雖モ。其心規避((はかりよける))スル所アリテ。本罪ヨリ重ケレハ。其重キ者ニ従テ論ス。其罪。本重カルヘクシテ。犯ス時。知ラサル者ハ。凡-人ニ依リテ論ス。仮令ハ。叔。姪。別処ニ生長シテ。(もと)相識ラス。姪。叔ヲ打傷シ。官司推問シテ。始テ其叔ナルヲ知レハ。止タ凡---法ニ依ル。又別処ニ窃盗シテ。大祀神御ノ物ヲ偸得ル如キ。並ニ犯ス時。知ラサレハ。止タ凡--律ニ依テ論ス。其罪。本軽カルヘキ者ハ。本法ニ従フ((こと))ヲ聴ス。仮令ハ。父。子ヲ識ラス。殴打ノ後。始テ子ナルヿヲ知ル者ハ。止タ父---法ニ依ル。凡-殴ヲ以テ論ス可ラス。

 

(2)唐土の律🐼及びその現在的意味

 この新律綱領の規定は,18世紀半ば(乾隆五年)の清律の本条別有罪名条を継受したものであるそうです(佐立535頁)。当該清律は14世紀末(洪武三十年)の明律の名例律における本条別有罪名条を引き継ぎ,更に当該明律は,唐の名例律における本条別有制条を引き継いだものです(佐立539537頁)。当該唐律の本条別有制条及びその疏(公定註釈)は次のとおり(佐立546-545頁)。

 

 (すべて)本条(べつに)有制(せいあり)与例(れいと)〔=名例律〕不同(おなじからざる)者,(ほん)本条(でうによる)(もし)当条(ざいめ)有罪名(いありといへども)所為(なすところ)(おもき)者,(おのづから)(おもきに)(したがふ)其本(それもと)応重而(まさにおもかるべくして)(をかす)(とき)不知(しらざる)者,(ぼんに)(よりて)(ろんず)。本(まさにかる)(かるべき)者,聴従本(もとにしたがふをゆるす)

疏。議曰,(もし)有叔姪,別処生長,(もと)未相識。姪打叔傷,官司推問始知,聴依凡人闘法。又(もし)別処行盗,盗得大祀神御之物。如此之類,並是犯時不知,得依凡論,悉同常盗断。其本応軽者,或有父不識子,主不識奴。殴打之後,然始知悉,須依打子及奴本法,不可以凡闘而論。是名本応軽者,聴従本。

 

「このように,律疏に挙げられている例では,事実を知らずに行おうとした犯罪と,実際に行った犯罪とは,どちらも傷害罪,窃盗罪,闘殴罪という同じ類型の犯罪であり,刑を加重・減軽する条件を含んでいるかいないかの違いがあるだけである。それもそのはずで,この律条の「凡に依りて論ず」という文言の「凡」とは,刑を加重・減軽する条件を持っていない対象という意味であるから,この律条の規定は,事実を知らずに行おうとした犯罪と,実際に行った犯罪とが,刑を加重・減軽する条件を含んでいるかいないかの違いがあるだけの,同じ類型の犯罪である場合だけに適用される規定なのである。よって,団藤重光『刑法綱要総論』(創文社,1990年第3版)が「唐律以来,382項に相当する規定の疏議には,構成要件の重なり合うばあいだけが例示されていたことを,注意しておかなければならない。」(第2編第4章第3節,303頁注34)と述べるのは正しい」わけで(佐立541-542頁,また521頁),旧刑法に係る18778月のフランス語案文893項(“Si l’inculpé a seulement ignoré une ou plusieurs circonstances aggravantes de l’infraction, il ne subit pas l’élévation de peine qui y est attachée.”)は「其罪。本重カルヘクシテ。犯ス時。知ラサル者ハ。凡-人ニ依リテ論ス。」の正当な理解の上に立ったものでもあったわけです。

この辺の沿革・経緯を知っていれば,現行刑法382項に係る抽象的符合説などに惑わされる余計な苦労は全く不要であったように思われます。(なお,19061121日の法律取調委員会総会で議論された起草委員会案41条は,佐立治人関西大学教授によって,抽象的符合説的な「犯そうとした罪と実際に犯した罪とが異なる類型の罪であるときにも適用できる条文」であるものと解されています(佐立523頁,また524頁)。すなわち,抽象的符合説の採用につながる可能性の大きな当該条文が現行刑法の制定前夜にあらかじめ排斥され,正に法定的符合説に親和的な「両者が同じ類型の罪であるときにだけ適用できる条文」(佐立523頁)たる旧刑法773項が復活していたのだというわけです。)

以下においては,18778月フランス語案文89条に基づくボワソナアドの解説の主なところを見てみましょう。

 

6 1877年8月案89条(旧刑法77条)に係るボワソナアド解説

 

(1)第1項

18778月案891項では,「①当該犯罪をなす,又は当該犯行によって害する意思がなかった場合」と規定されて,犯罪に係る二つの意思類型が提示されていますが,旧刑法771項では単に「罪ヲ犯ス意ナキノ所為」という形で一本化されています。これについては,ボワソナアド自身も「もっとも,一の意思類型を他のものから分別することに大きな実際的意義があるわけではない。悪性の弱い方,すなわち,犯罪をなす意思が認められれば十分だからである」と述べ(Gve Boissonade, Projet révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire; Kokoubounsha, Tokio, 1886: p.269),「法律(第77条)においては当該意思〔犯罪をなす意思〕のみが要求されているのは,恐らく(peut-être)この理由によるものだろう。」と註記しています(ibidem)。「恐らく」とはいっても,鶴田皓が日本文ではそのようにする旨あらかじめボワソナアドに明言し,ボワソナアドも了解していたところでした(日本刑法草案会議筆記216-217頁)。

 

(2)第2項

18778月案892項(旧刑法772項)に関するボワソナアドの説明は,次のようなものでした。すなわちまず,「892項及び3()()は,法律が学説に副っていうところの当該犯罪を「構成する事実(faits constitutif)」又は「構成する事情(circonstances constitutives)」たる事実又は事情の幾つかについて被告人が知らなかった場合を想定して,当該犯罪をなす意思についての規定を全きものとするものである」とされた上で,ある物の占有を取得する際それが他人のものであることを知らず,自分のもの又は無主物だと思っていた場合には盗犯の成立はないとの例が示された外,異性との婚外交渉において相手が婚姻していることを知らなかった場合,未成年の娘を堕落させる軽罪(délit)において当該女性が20歳未満であることを知らなかった場合〔ナポレオンの刑法典334条参照〕,現住建造物放火の重罪(crime)において当該建造物に居住者がおり,又は居住目的のものであることを知らなかった場合が提示されています(Boissonade, p.270)。しかして,「このように知られなかった事情中には,軽罪にとっての本質ないしは構成要件が存在する。もし被告人がそれらを知っていたら,彼は恐らく当該犯罪を行わなかったであろう。彼の意思するところは法の意思するところに反するものではなかった。彼の意思は法が罰しようとする不道徳性を有してはいなかった。」ということだそうです(Boissonade, pp.270-271)。

 

(3)第3項

18778月案893項(旧刑法773項)については,まず全体的に「軽罪本体の全体を構成するものではないが,その道徳的又は社会的な害悪を増加せしめ,そしてその理由により「加重的(aggravantes)」と呼ばれる他の事情についても〔同条2項と〕同様である。そのようなものとしては,使用人による盗犯の場合における盗品が被告人の主人のものであるという事情,暴行傷害の場合における被害者の尊属性,人の羞恥心に対する軽罪〔猥褻の罪〕の場合における法が刑の厳しさの大小をそこにかからしめている年齢及び親等の区分がある。」と説明された上で(Boissonade, p.271),「逆に,存在しない加重的事情の存在を誤って信じた者には,刑の加重は及ばないことに注意しよう。主人のものを盗んでいると信じて他人のものを盗む使用人,父を殴っていると信じて他人を殴る息子は,彼らがあえてやむを得ないと覚悟した刑の加重を被らないのである。後に実際に(第8章),事実を伴わない意思は,事実自体として罰せられることはないことが了解されるだろう。ここにおいては,刑の基礎として失われているものは,道徳的害悪ではなく,社会的害悪なのである。」と敷衍がされています(ibidem)。当該敷衍の意味するところは,現行刑法382項に係る「重い犯罪事実の認識で軽い犯罪事実を生ぜしめた場合はどうなるのであろうか」との発問(前田254頁)に対して,その場合は,罪本軽かるべくして犯すとき知らざる者は其軽きに従て処断することを(ゆる)ことになるのだ,と回答するということですね(なお,鶴田皓も同様の説であったことにつき,日本刑法草案会議筆記214頁)。

 

(4)第4項

18778月案894項に関する解説は,次のとおりです(Boissonade, pp.271-273)。

 

  165. 第89条の最終項は,法律の不知(l’ignorance de la loi)に関して,他の立法においては裁判所による解釈に委ねられている問題に解決を与えるものである。

   法律を知らなかった者は,確かにそれを犯す意思(intention)を有してはいなかった。しかし,法律が罰するのは,当該意思ではない。それは,悪しき行為(une action mauvaise)をなそうとする意思なのである。確かに,当該行為が法律によって正式に予想され,禁止され,かつ,罰せられていなかったならば,それは可罰的ではない。しかし,法律が公布されたときは,それは知られなければならない。それを知らない者には,それを知らないという落ち度(faute)があるのである。

   「何人も法律を知らないものとは評価されない(n’est censé)」(nemo legem ignorare censetur)とよく言われる。この法諺は,文言上,人々がそれについて思うとおりのことを述べているものではない。正確には,法律を知っていることが推定されるということを意味するものであるが,しかし,当該推定の反証を禁止するものではないのである。彼の法律の不知は彼の落ち度だとして,当該立証をした者に対して厳しく当たることは可能であろう。しかし,多くの場合において法律が訴訟当事者によって知られていないとしてもそれは常に彼らの落ち度によるものではない,ということは認められなければならない。法文は,全ての人が容易に接し得るものではない。基本法典を除き,諸法は――刑罰法規であっても――私人がその中で迷わないことが難しい諸種の法規集の中に散在しており,更に,法律が目の前にあっても,そこに,裁判所及び職業法律家をも悩ませる解釈上の難題があるということが稀ではないのである。したがって,法律を知っていることの推定又は法律を知らないことは落ち度であることの推定を,留保なしに認めることは正義にかなうものではないであろう。民事法に関係するときは特にそうである。

   しかし,刑事においては,より多くを求めること(d’être plus exigeant)が自然である。法律によって禁止され,かつ,罰せられる行為は常に,普遍的な道徳が多かれ少なかれ非難するようなものなのである。それらは,同時に,社会状態にとって有害である。それを知らなかったことによって当該法律によって警告されていなかった被告人も,そのような行為を避けるべきことを少なくとも彼の理性及び良心によって警告されていたのである。

   法律の不知は,単なる行政規則又は地域的措置に関するときは,より恕し得るものである(plus excusable)。しかしながら,被告人には,それらのことについて正確な知識を得なかったという落ち度がなお存在するのである。

   更に注意すべきは,我々の条項は,法律の不知の主張立証を被告人に禁ずるものではなく,それが示されたときに当該不知を考慮に入れることを裁判所に禁ずるものではないことである。禁止されているのは,この場合においては,意思の欠缺の理由によって被告人が全く刑を免れることである。というのは,彼には彼が知らなかった法律を犯す意思がなかったとしても,それでも彼は,道徳的及び社会的に悪い行為をなすという意思を有していたからである。

 

18778月案894項の“la loi”=旧刑法774項の「法律」=現行刑法383項の「法律」は,やはり違法性の意識というような抽象化されたものではなく,文字どおりの法律なのでしょう。刑法383項の原意は「法律を知らなかったとしても,違法性の意識が直ちに否定されることによって罪を犯す意思がないものとはされない」ということなのでしょう。

18778月案892項はl’ignorance de la loi ou des règlementsではなく“les circonstances constitutives de l’infraction”の不知をもって,旧刑法772項は「法律規則ヲ知ラサル」ことではなく「罪トナルヘキ事実」の不知をもって,「其罪ヲ論セス」とする理由としていたところです。

しかして,「法律によって禁止され,かつ,罰せられる行為は常に,普遍的な道徳が多かれ少なかれ非難するようなものなのである。それらは,同時に,社会状態にとって有害である。」ということですから,罪トナルヘキ事実を知っていれば,違法性の意識(悪しき行為をなす意識)があるものと推定されるわけなのでしょう。ちなみに「判例は,故意に違法性の意識提訴機能を認め」ているところです(前田221頁)。

また,ボワソナアドは,違法性の意識の存在が認められない場合(これは,「単なる行政規則又は地域的措置に関する(de simples règlements administratifs ou de mesures locales)」法律の不知の場合には多いのでしょうか。ただし,ボワソナナドは,「より恕し得る」とは言っていても,違法性の認識を欠くとまでははっきり言っておりませんが。)であっても,罪トナルヘキ事実を知っているのであれば,なお法律の不知に係る被告人の落ち度(faute)に基づく科罰は可能であるとするのでしょう。

最高裁判所昭和321018日判決(刑集11102663号)における「刑法383項但書は,自己の行為が刑罰法令により処罰さるべきことを知らず,これがためその行為の違法であることを意識しなかつたにかかわらず,それが故意犯として処罰される場合において,右違法の意識を欠くことにつき勘酌または宥恕すべき事由があるときは,刑の減軽をなし得べきことを認めたものと解するを相当とする。」との判示は,以上のような,被告人に違法性の意識までがある場合と落ち度のみがある場合との二段構えの文脈において理解すべきでしょうか。

しかして上記判決は,続いて,「従つて自己の行為に適用される具体的な刑罰法令の規定ないし法定刑の寛厳の程度を知らなかつたとしても,その行為の違法であることを意識している場合は,故意の成否につき同項本文の規定をまつまでもなく,また前記のような事由による科刑上の寛典を考慮する余地はあり得ないのであるから,同項但書により刑の減軽をなし得べきものでないことはいうまでもない。」と述べています。これについては,ボワソナアドの前記第165項説明の最終段落は「道徳的及び社会的に悪い行為をなすという意思」があっても刑の減軽は可能である(刑の免除まではできないだけ)という意味であると解されますところ,当該段落の記述と最高裁判所の所論との間には扞格があるようでもあります。しかし,ボワソナアドの当該説明は一般的な酌量減軽(18778月案99条・100条,旧刑法89条・90条)についてのものとなりますから(現行刑法383項ただし書に相当する規定は当時未存在),「道徳的及び社会的に悪い行為をなすという意思」があっても情状原諒すべきものがあればそもそも刑の減軽が可能なのでありますし,減軽ですから,刑の免除に及ばないのは当然です。落ち度のみあって違法性の意識はない場合はどうなるのかの問題にボワソナアドは触れていませんが,刑の免除規定がない以上はやはり減軽にとどまらざるを得ないとするものだったのでしょうか(ただし,1等の減軽と2等の減軽とで差を付けることは可能でしょう(18778月案100条,旧刑法90条)。)。これに対して,現行刑法においてわざわざ新たに導入された同法383項ただし書の適用については,行為者における違法性の意識の有無という大きな区切りでまず切り分けることが自然でしょう。