3 吉田茂の国葬儀の前例
1967年10月20日に死亡した吉田茂に対して,同月31日に国葬儀が行われています。当該国葬儀の経費ためには,同月30日の閣議で,一般会計予備費から1809万6千円の支出が決定されました(前田80頁註(37)。なお,当時は国会閉会中(第56回臨時国会と第57回臨時国会との間)でした。)。
(1)国葬との異同について
吉田の国葬儀は,身分上の国葬対象者以外の者に係る前記①から⑤までの国葬の構成要素のうち,死亡した「国家ニ偉勲アル者」のために(①)国の事務として国庫の負担で行われる喪儀が行なわれるもの(③)の2要素を充足するものではあったわけです(吉田の業績の「偉勲」性には議論があり得るでしょうが。)。国民に対しても弔意表明の呼びかけが広範にされたようです(⑤)。このような呼びかけがされれば,法的義務ではないものの周囲の皆が政府御推奨のマスクを着用しているのに自分だけがしていないと不謹慎な非国民のようできまりが悪いのと同様,我が善良な日本人民は弔意表明的自粛をついしてしまうものなのでしょう(ただし,前田74頁は「政府の「お願い」に対しては,国民は冷淡な対応をとった。」と評しています。)。(なお,吉田茂の国葬儀当日における吉田一色のテレビ及びラジオ並びに新聞の報道振りについては,1968年3月2日の衆議院予算委員会において,佐藤榮作内閣総理大臣は「政府は何もタッチしておりません。」と答弁していますが(第58回国会衆議院予算委員会議録第11号10頁),実際には「吉田国葬においては,総理府広報室長を中心に各報道機関との折衝が行われ,報道機関との間で,取材配置や方法などに関する取材協定が結ばれる。さらに国葬儀委員会〔委員長は佐藤内閣総理大臣〕でも,ラジオ・テレビなどに協力を求めることを決定した。これを受けて各局は国葬を実況中継するとともに,その前後にも「ふさわしくない」ドラマや歌謡ショー,CM等の自粛・差替えを行っている。」ということであったようです(前田73頁)。)
しかし,廃朝を含む天皇の主体的役割という要素(②④)がなければ,吉田茂の国葬儀を国葬たる喪儀と同視してよいものかどうか。
(2)昭和天皇の動静
吉田茂の死亡からその国葬儀までの間の昭和天皇と佐藤榮作内閣総理大臣との交渉状況は次のとおり。
〔10月〕23日 月曜日 〔前略〕午後4時55分御泊所の埼玉県知事公館にお戻りになる〔筆者註:昭和天皇は同月22日から26日まで埼玉県行幸中〕。その後,拝謁・奏上室において内閣総理大臣佐藤栄作の拝謁を受けられ,佐藤首相より故吉田茂の従一位叙位・菊花賞頸飾の授与が決定したこと,及び先の東南アジア・オセアニア訪問についてお聞きになる。なお佐藤首相は去る8日からインドネシア国・オーストラリア国・ニュージーランド国・フィリピン国・ベトナム共和国を歴訪し,21日に帰国した。
(宮内庁『昭和天皇実録 第十四』(東京書籍・2017年)412-413頁)
実はこの23日に開かれた臨時閣議で,吉田の叙位叙勲のみならず,国葬儀の挙行が決定されていたのでした(前田64-65頁)。
〔10月〕27日 金曜日 夕刻,〔皇居〕拝謁の間において,内閣総理大臣佐藤栄作より文化勲章・秋の叙勲等についての内奏をお聞きになる。
(実録十四420頁)
両者の間で吉田茂の国葬儀の話が出たとの明らかな記録はありません。当該国葬儀挙行に,天皇の意思の関与を認めることは難しいでしょう。
なお,昭和天皇には,吉田茂の死について次の御製があります。
君のいさをけふも思ふかなこの秋はさびしくなりぬ大磯の里
外国の人とむつみし君はなし思へばかなしこのをりふしに
(実録十四408頁)
「いさを」というだけでは,偉勲ということには必ずしもならないでしょう。あるいは,佐藤内閣総理大臣から報告があった叙位の話に係る位階令の勲又は功だったかもしれません。
外国の人とむつむことのできる日本人は,昭和時代には珍しかったのでした。被占領下においてもそうだったのでしょう。
しかし最近は,気難しい米国大統領相手に接待ゴルフをしてニンジャ的にバンカーに転落してみせたり(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1071112369.html),「〔略〕,君と僕は同じ未来を見ている。」「ゴールまで,〔略〕,二人の力で,駆けて,駆け,駆け抜けようではありませんか。」と,筆者などからすると気恥ずかしい言葉で(いわゆるBL風というのでしょうか。),したたか,かつ,強面のロシア連邦大統領に呼びかけたりした(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073895005.html)優しい心根の内閣総理大臣もいたそうです。
吉田茂の国葬儀の当日の昭和天皇の動静は次のとおり。
〔10月〕31日 火曜日 午前,拝謁の間において,前皇宮警察本部警務部長山下禎造の拝謁を皇后と共にお受けになる。
表三の間において,松栄会会員田島道治前宮内庁長官以下24名の拝謁を皇后と共に受けられる。
午後,元内閣総理大臣吉田茂の国葬儀につき,天皇より勅使として侍従入江相政を,皇后より皇后宮使として侍従徳川義寛を葬場の日本武道館に差し遣わし,それぞれ拝礼させられる。またこの葬儀に際し,天皇・皇后より故吉田茂国葬儀委員長に生花を賜う。なお,国葬儀の模様は吹上御所において皇后と共にテレビにて御覧になる。また,米国大統領リンドン・ベインズ・ジョンソンの代理として国葬儀参列のため来日した元連合国最高司令官マシュー・バンカー・リッジウェイより,滞日中に受けた御厚誼への御礼と吉田への弔意が駐日米国大使を通じて伝えられる。これに対し,謝意を伝えるよう侍従長に仰せ付けられ,この日式武官より駐日米国大使へこの旨が伝達される。また,吉田の国葬儀のために来日したフィリピン国特派大使グレゴリオ・アバド並びにユーロヒオ・バラオ,ニカラグア国特派大使カルロス・マヌエル・ペレス・アロンソ駐日特命全権大使の信任状を受けられ,11月30日これを御覧になる。
(実録十四422-423頁)
24年前の山本五十六国葬の日よりもくつろいでいる感じの記述です。
〔1943年6月〕5日 土曜日 この日,故元帥海軍大将山本五十六国葬につき,廃朝を仰せ出される。侍従徳大寺実厚を勅使として日比谷公園内葬斎場に差し遣わし,玉串を供えられる。終日御文庫において過ごされ,生物学御研究所・内庭にもお出ましなし。ただし,側近の土曜定例御相伴はお許しになる。
(実録九114頁)
なお,天皇の御使が葬式に来てくれるのは,国葬の喪儀又は国葬儀の場合に限られません。1948年4月17日死去の鈴木貫太郎の葬儀に係る例は次のごとし。
〔同月〕23日,葬儀執行につき,天皇・皇后より御使として侍従徳川義寛を葬儀場文京区護国寺に差し遣わし,焼香させられる。天皇・皇后・皇太后より祭粢料及び供物・花を賜い,天皇・皇后より菓子を賜う。また天皇・皇后より喪中御尋として夫人タカ元侍女に果物缶詰を賜う
(実録十637頁)。
御使であって勅使ではないのは,GHQ占領下という時節柄でしょうか。二・二六事件で殺害された両元内閣総理大臣高橋是清及び齋藤實の各葬儀には勅使が差遣されています(宮内庁『昭和天皇実録 第七』(東京書籍・2016年)57-58頁)。
以上,吉田茂の国葬儀について天皇が主体的役割を果たしたという形はなかったものと認めるべきでしょう。その点で,当該国葬儀は国葬たる喪儀ではありません。
(3)国会における議論と予備費支出の承諾
さて,吉田茂の国葬儀挙行を承けての国会における議論は次のとおり。
ア 受田衆議院議員vs.八木総理府総務副長官及び田中龍夫大臣:公式制度整備推進論
1968年3月12日の衆議院予算委員会第一分科会において民社党の受田新吉分科員が「吉田さんのその功績に対する報い方として,私,国葬というやり方にあえて反対するわけではございません。」と述べつつ「しかしこういうものを政府がかってにやるような制度というものに,私は疑義がある。きちっとした法律をつくり,そうして公式的ないろいろな〔略〕,こういう公式的なものをすみやかに制度化して,そこで国民が納得するように,国民の名における法律で,これがきちっとされるのが私は好ましいのであって,政府の行政措置で,こういう大事な組織上の,行政上の基本問題をいいかげんに処理されて,そして得々としておられることは許されないと思います。」と質したのに対して,八木徹雄政府委員(総理府総務副長官)は「〔略〕閣議決定という措置でやったと思うのでありますけれども,受田先生御指摘のとおり,いま御指摘のあった,かくかくの問題につきましては,ただ便宜的に措置するということは適当でないと思いますので,それが明文化できるように,上司に対して十分にひとつおぼしめしのほどを伝えて,善処してまいりたいと思います。」と,上司に下駄を預ける答弁をしています(第58回国会衆議院予算委員会第一分科会議録第1号28頁)。
公式制度の整備に熱心な受田衆議院議員は,今度は同年4月3日の衆議院内閣委員会で,八木副長官の上司の田中龍夫総理府総務長官(国務大臣)に決意を迫りますが,同長官は真面目に頑張りますということでかわしています。いわく,「それからまた,いまこういうふうな問題が特に法律の規定によらないで慣習法的国葬なら国葬というものが一つできた,こういうふうなことからさらに積み上げていっておのずから出る結論,これは特に英米法的な慣習法を重んずる考え方もありましょう。しかしながら,何ぶんにも御皇室を中心とした典範の問題やらその他の問題の中には,ほんとうに御指摘になるような不備な点が多々あると存じますので,いまここでいついつまでにこうするのだということはお約束はできませんけれども,この問題につきましては,私は真剣にまじめにひとつ今日ただいまからでもいろいろと調査し検討してみたい,かように考えております。」と(第58回国会衆議院内閣委員会議録第8号18頁)。慣習法云々という発言が出たのは,生硬かつ優等生的な成文法主義者に対する閉口の気持ちゆえでしょうか。
イ 山崎参議院議員vs.田中大臣:「戦後におきます国民感情等」
1968年4月9日の参議院内閣委員会では,田中長官は現在国葬法の制定は考えていない旨はっきり述べるに至っています。すなわち,日本社会党の山崎昇委員からの「少なくとも国民全体をあげて喪に服する場合,そういう場合には,それらしい根拠を設けておく必要があるんじゃないか。ただ,そのつどそのつど国費だけ出せばいいというものではないのではないか。そういう意味で,もう少し政府としてはこういう点について整備する必要があるんじゃないか。」との問いかけに対して同長官は,「お説のごとくに,当然,国葬法といったようなものも制定を行なうべきでございましょうけれども,まだ戦後におきます国民感情等が,最近の諸情勢のもとにおきましては,かような国葬法を制定するまでに立ち至っておらないというような考え方もございます。いずれはさようなことに相なるだろうと思いますが,今日の段階におきましては政府は考えておりません。」と答弁しています(第58回国会参議院内閣委員会会議録第10号11頁)。
この「戦後におきます国民感情等」なのですが,令和の御代の今となってはよく分からないところがあります。天皇が特旨により賜う国葬は,民主主義を奉ずる大衆政国家である我が日本国にはふさわしくないということでしょうか。それとも,国葬というと軍人臭くて嫌だということだったのでしょうか。
昭和に入ってからの国葬について見ると,行われたのは大正天皇の大喪儀並びに東郷平八郎,西園寺公望,山本五十六及び載仁親王の各喪儀であって,大正天皇を別とすれば西園寺公望以外は皆軍人です。このうち特に山本の喪儀の国葬化は,山本の事績が本当に国家に対する偉勲に相当するものであったのかがなお不明である戦争中にあって(真珠湾攻撃は,無邪気な日本臣民を喜ばせたものの,かえって米国民の偉大なエネルギーを覚醒させてしまった逆効果だったかもしれません。ネルソンならば,対ナポレオン戦争が続いているといっても,トラファルガー沖で仏西連合艦隊を圧倒しおえていましたが,山本の場合,勢いを増す敵軍の前に頽勢を挽回できることのないままあえなく討ち取られています。)――海軍当局が山本戦死の公表を長い間躊躇していたことにも鑑みると――問題隠蔽的な軍国的宣伝効果を専ら狙ってされたものではないかともあるいは考え得るかもしれません。すなわち,山本の戦死が昭和天皇に伝えられたのはその翌日の1943年4月19日,山本の国葬に係る内奏があったのは更に1箇月後の同年5月18日で,その際「〔同日〕午後3時5分,御学問所において内閣総理大臣兼陸軍大臣東条英機に謁を賜い,来たる21日に海軍大将山本五十六戦死を公表する件の奏上,山本を大勲位功一級に叙す件並びに山本の国葬を6月に実施する件の内奏,及び大本営政府連絡会議・閣議関係の奏上を受けられる。」ということでしたから(実録九73頁・97頁),山本の戦死という不吉な事実を民草にあえて発表するためには,国葬等で山本をあらかじめ金ぴかにしておく必要があったわけでしょう。
ウ 省葬・庁葬及び華山衆議院議員の見解
省葬・庁葬というものがあって,役所の公金で葬式を出すということがあります。
1968年5月6日の衆議院決算委員会において日本社会党の華山親義委員はその金の出元はどこかと船後正道政府委員(大蔵省主計局次長)に問うて,「各省の省葬,庁葬につきましては,その費用はおおむね庁費から支出いたしております。」との答弁を得た上で,「吉田茂氏の場合,社会党は吉田茂氏の国葬について,別にそのこと自体について,政府はおやりになるならやっても別に何とも言わないような態度をとってきた。それにつきましても,どうしてこれは内閣の庁費でやらないで予備費なんか出すのです。国と省と同じじゃないですか。」「それを庁費の中でおやりになったというならば,私はあまりどうとも思いませんけれども,予備費から出すというふうなことはどうかと思うのです。国葬ということについての準則が何もないのでしょう。」云々と自説を展開しています。これは,国葬儀の実施自体ではなく,予備費支出を必要とするほどの多額の出費をしたことがけしからぬとの批判なのでしょう。
なお,庁費については,「予算科目としての庁費は,目の一区分の名称であり,狭義には,事務遂行上必要な物の取得,維持又は役務の調達等の目的に充てる経費として区分された目の名称であるとされている。」との説明があります(会計検査院「国土交通省の地方整備局等における庁費等の予算執行に関する会計検査の結果についての報告書(要旨)」(2009年9月)1-2頁)。
エ 田中大臣の行政措置優先論
1968年5月9日の衆議院決算委員会において田中総理府総務長官は改めて「今後これに対する何らかの根拠法的なものはつくらないかという御趣旨でありますが,これは行政措置といたしまして,従来ありましたような国民全体が喪に服するといったようなものはむしろつくるべきではないので,国民全体が納得するような姿において,ほんとうに国家に対して偉勲を立てた方々に対する国民全体の盛り上がるその気持ちをくみまして,そのときに行政措置として国葬儀を行なうということが私は適当ではないかと存じます。/なお,御意見といたしまして,基準を定めるべきであるという御意見は承っておきます。」と答弁しています(第58回国会衆議院決算委員会議録第15号1頁)。天皇の特旨ではなく,国民全体の盛り上がる気持ちが決めるのだ,また,義務を課し権利を制限する法律事項は不要なのだ,という整理のようです。
ただし,所管の大臣の消極論に対して,水田三喜男大蔵大臣は積極論でした。いわく,「国葬儀につきましては,御承知のように法令の根拠はございません。だから,いまその基準をつくったらいいかどうかということについて長官からお答えがございましたが,私はやはり何らかの基準というものをつくっておく必要があると考えています。幸いに,法令の根拠はございませんが,貞明皇后の例がございますし,今回の吉田元総理の例もございますので,もう前例が幾つかここに重なっておりますから,基準をつくるということでしたら簡単に素晴らしいものが私はつくれるというふうに考えています。そうすれば,この予備費の支出もこれは問題がなくなることになりますので,私はやはり将来としてはそういうことは望ましいというふうに考えています。」と(同会議録2頁)。しかしこれは,財政当局的な規律・形式重視論というものでしょうか。文字で書かれた,いわば死んだ固定的基準は,あるいは年功序列的な,上がりを目指す出世双六の道案内のようなものに堕してしまって,その時々に生動する「国民全体の盛り上がるその気持ち」とうまく符合しないのではないでしょうか。
オ 日本社会党華山衆議院議員による吉田茂国葬儀違法論及び国会によるその不採択
同じ1968年5月9日,吉田茂の国葬儀の費用を含む昭和42年度一般会計予備費使用総調書(その1)の承諾に係る衆議院決算委員会における採決がありました。その際それまで「吉田茂氏の国葬について,別にそのこと自体について,政府はおやりになるならやっても別に何とも言わないような態度をとってきた」日本社会党は反対に転じています。
日本社会党を代表して華山委員は,その討論においていわく,「ただいま討論に付せられました予備費使用等の承諾を求むる件に関して,日本社会党を代表し,次の諸事項については承諾し得ないことを申し述べます。〔中略〕第3に,吉田茂元総理の国葬儀の経費の支出についてであります。新憲法制定とともに多くの法令がそのまま継続された中において,旧憲法下の国葬に関する勅令は廃止されたのであります。そして皇室典範第25条に「天皇が崩じたときは,大喪の礼を行う。」とあって,これが国葬に関する唯一の規定であります。これを総合するに,新憲法下においては,天皇崩御の場合以外は国葬は行なわれないものと解すべきであって,吉田元総理が皇太后のなくなられたときに際し,国葬を行なわなかったのは,この理由に基づくものと私は承っております。吉田元総理の功績の評価は別個の問題として,法のたてまえとして,本件の支出には反対せざるを得ません。〔後略〕」と(第58回国会衆議院決算委員会議録第15号7頁)。
しかしこれは,皇室典範25条からする強引な反対解釈論なのですが,貞明皇后の大喪儀経費に係る国庫負担を当該大喪儀は国葬ではないからということで是認するのであれば,吉田茂の喪儀に係る国庫負担もこれは国葬儀であって国葬ではないからという理由で是認しなければならなくなります。弱い。華山委員独自の当該法律論は,国会の採用するところとはなりませんでした。
衆議院決算委員会は賛成多数で昭和42年度一般会計予備費使用総調書(その1)に承諾を与えるべきものとしています(第58回国会衆議院決算委員会議録第15号9頁)。5月10日の衆議院本会議においても賛成多数で承諾が与えられました(第58回国会衆議院会議録第32号1050頁)。
参議院では,決算委員会で1968年5月15日,本会議では同月17日,過半数の賛成を得て昭和42年度一般会計予備費使用総調書(その1)に承諾が与えられています。決算委員会では,討論も行われていません(第58回国会参議院決算委員会会議録第18号16頁)。
以上吉田茂の国葬儀の前例は,予備費支出の事後承諾という形で,国権の最高機関たる国会によって是認されたということになります。(なお,「吉田の国葬の際に,これを先例としないという社会党の申し入れ」があったそうですが(前田67-68頁),厳密にいえば,一政党の一方的申入れにすぎないものでしょう。)
4 まとめ:国葬と国葬儀との異同
話は国葬ないしは国葬たる喪儀と国葬儀との異同に戻ります(ただし,身分上の国葬対象者に係るものはここでの議論から除きます。)。
(1)共通点:国庫による経費負担及び対象者の属性
両者の共通点は,いずれも国庫が経費を負担する国費葬であること及び対象者が「国家ニ偉勲アル者」(国葬たる喪儀)ないしはそのような者として評価されている者(国葬儀)であることです。
なお,「そのような者として評価されている者」と曖昧な表現になっているのは,2022年7月14日の岸田文雄内閣総理大臣の記者会見における次の言明をどう解釈してよいのか悩ましいからです。
〔略〕元総理におかれては,①憲政史上最長の8年8か月にわたり,卓越したリーダーシップと実行力をもって,厳しい内外情勢に直面する我が国のために内閣総理大臣の重責を担ったこと,②東日本大震災からの復興,③日本経済の再生,④日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を様々な分野で残されたことなど,その御功績は誠にすばらしいものであります。
⑤外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けており,また,⑥民主主義の根幹たる選挙が行われている中,突然の蛮行により逝去されたものであり,⑦国の内外から幅広い哀悼,追悼の意が寄せられています。
こうした点を勘案し,この秋に国葬儀の形式で〔略〕元総理の葬儀を行うことといたします。国葬儀を執り行うことで,〔略〕元総理を追悼するとともに,我が国は,暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示してまいります。あわせて,活力にあふれた日本を受け継ぎ,未来を切り拓いていくという気持ちを世界に示していきたいと考えています。
(丸数字は筆者が加えたもの)
「国家ニ偉勲」があった,との端的な総括はされていません。
しかし,①については,在職期間の長さそれ自体は偉勲とはならないでしょう。単に長く地位にしがみついてさえいれば偉いということになるのか,ということにもなりかねません。偉勲があったからこそ,その結果として長期在職になったのだということかもしれませんが,そうであればそのような偉勲の数々を個々具体的に挙示すべきでしょう。地位を長く保持する手段は――どこの組織でもあることですが――正攻法以外にもいろいろあるのです。また,「卓越したリーダーシップと実行力」は個人の資質の話で,その資質をもって国家のために何をしたのかが問題です。
次に②及び③ですが,東日本大震災のショックを承けて止められた原子力発電所が動かぬまま盛夏・厳冬期等の大規模停電が懸念され,また,日本は今や衰退途下国(衰退は,上るのではなく下るのでしょう。)になってしまったとの認識が広まっている現在の状況下にあっては,違和感のある認識です。それとも偉勲あるリーダーの下で衰退途下国になってしまったのは,専ら愚昧なる人民の咎なのでしょうか。
外交関係に関する④及び⑤です。まず,④の「日米関係を基軸とした外交の展開」は,米国のリードにうまく乗ることができたということでしょうか。しかし,米国とうまくやりさえすれば日本国に対する偉勲になるというのも余り気宇壮大ではありませんし,むしろ専ら米国についてその偉大さ真面目さ寛大さが改めて認識されることとなるところです。⑤は,外国本位の評価であって,外国人が喜ぶことと日本国の利益となることとは必ずしも一致しません。しかしながら,「活力にあふれた」先進大国として「極めて高い評価」をもって世界から遇される花やかな日々は,衰廃老人国にはもう数えられてしまっているのでしょうから,去り行くよき時代に係る国際的な醍醐の花見――当該花見は豊臣秀吉の生前葬だったのでしょうか――的行事としてはあるいは適当かもしれません。
実は⑥及び⑦が重かったのかもしれません。しかし,⑥にいう人に殺害されることは,お気の毒ではありますが,国家に対するあるいは損失であるとはしても,偉勲にはならないでしょう。⑦についても,死後の他者からの哀悼・追悼が,遡って生前の本人の偉勲を創出するものではないでしょう。とはいえ,戦死した山本五十六国葬の前例があるところです。なお,選挙応援活動中に殺害されたことは,政治家としての殉職なのでしょうが,当該被応援候補者のための活動中の死であって,これを直接国家のために活動していて命を落としたものと同視することはできないでしょう。また,そもそも選挙というものは,必ずしもお行儀のよいものではなく,そこでは人がまま死ぬるものであったようです。南鼎三衆議院議員が山縣有朋批判に当たって言及していた1892年の第2回総選挙では,政府の選挙干渉下,各地で騒擾が起り,全国で25名の死者が出たそうです(無論,現在の新型コロナウイルス感染症に由来する被害に比べれば,大したことはないのでしょうが。)。
以上,「のような」という表現が採られたゆえんです。
(2)相違点:天皇の役割
国葬と国葬儀との相違点は,前者は天皇が賜うものであるのに対して,後者は内閣が決定し挙行するものであって,かつ,天皇が主体的な役割を果たす形のものではないことです。ただし,国葬儀と称することによって,後者は前者たる喪儀と同一・同格ではないか,という誤った印象が与えられ得るところです。(むしろそのような印象こそが国葬儀の重み有り難みを構成するものとして,意図的に「国葬儀」という名称が採用されたのではないか,と考えるのはうがち過ぎでしょう。いずれにせよ,天皇の栄典授与大権の干犯であるとか,不敬である云々の話にはならないのでしょう。なお,昭和以前の元号と平成以後の元号との性質の相違(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073399256.html),あるいは内閣の助言と承認に基づく天皇による叙勲と内閣総理大臣による国民栄誉賞授与との違いが,不図想起されるところです。)
(3)「国民喪ヲ服ス」:法的位置付けの相違及び結果の(恐らく)実質的類似
「国民喪ヲ服ス」ることについては,法的位置付けは国葬たる喪儀の場合と国葬儀の場合とで異なるのですが,自粛好きな我が国民性に鑑みるに,実質的な違いは余りなさそうです。むしろ積極的に,国葬儀なのになぜ休日にしてくれないんだとか,喪を服して休業するから国は補償金を出してくれ,あるいは喪服・喪章を購入するから国は補助金を出してくれと不平を鳴らす向きが多々あるかもしれません。Kishidanocrapeの配付は間に合うのでしょうか。
(上)大日本帝国憲法下の国葬令:
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079865191.html
(中)日本国憲法下の国葬令:
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079865197.html
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