(承前:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079233644.html

 

ウ 貴族院における復活

衆議院で削られた10箇年間不更正条項は,190238日の貴族院の選挙法改正法案特別委員会において,小澤武雄委員の提案により,復活すべきことが可決され(第16回帝国議会貴族院選挙法改正法案特別委員会議事速記録第311-12頁),同月9日の同院本会議で,衆議院送付案についてその旨の修正可決がされています(第16回帝国議会貴族院議事速記録第25463頁)。しかしてその際貴族院は,望月衆議院議員が懸念したような「愚」なる解釈に拠ったものかどうか。

190239日の貴族院本会議における選挙法改正法案特別委員会の廣澤金次郎特別委員長による報告中,10箇年間不更正条項の復活に関する部分は次のとおりです。

 

此復活ノ理由ニ附イテ申上ゲマスレバ詰リ斯ノ如キ大切ナル法案デアルシ,且ツ又衆議院議員選挙法ノ如キハ外国ノ例ニ比シテモ成ルベク一タビ制定シタ以上ハ之ヲ改正シナイト云フノガ精神デアルガ故ニ,政府原案ノ如ク此処10年間ハ之ヲ改正シナイト云フ制限ヲ附ケルノガ必要デアルニ依ッテ,此末項ヲ復活シタ次第デアリマス,此10年ト云フ数ニ於キマシテハ是ハ一ハ各国ノ例ガ重ニ10年或ハ10年以上ニナッテ居リマスシ,且ツ又政府ハ人口調査ヲ5年置キニスルト云フコトデアッテ即チ2回目ノ人口調査以後デナケレバ此別表ヲ改正シナイ,其中ヲ採リマシテ茲ニ10年ト云フ制限ヲ設ケタ次第デアリマス

(第16回帝国議会貴族院議事速記録第25457頁。下線は筆者によるもの)

 

 この10箇年間不更正条項=精神規定論については,法制局長官たる奥田政府委員によって当該本会議において敷衍されるところがありました。

 

  政府ニ於キマシテハ矢張原案ノ通ニナシテ置イテ,サウシテ万一ニモ屢〻改正ヲスルト云フヤウナ意見ノ出マシタトキノ防ギニモシ,且ツ又斯ノ如キ法律案ハ屢〻改正ヲスベキモノデナイト云フコトノ精神ヲ法律ノ上ニ明ニ示シテ置キタイト云フ,斯ウ云フ積デアリマス

  (第16回帝国議会貴族院議事速記録第25459頁。下線は筆者によるもの)

 

エ 衆議院における回付案に対する同意

10箇年間不更正条項が復活した貴族院190239日可決の回付案は,同日中に衆議院本会議において同意の議決がされ,結果として政府提出案と同内容での帝国議会の協賛がされたことになりました。当該同意の議決の状況は,次のとおり。

 

  〇尾崎行雄君(52番) ソレハ少シク衆議院ノ意見トハ違フ所ガアリマスケレドモ,其大要ニ於テハ,貴族院ノ修正通ニシタ所ガ,大体ニ於テ強テ差支ガナイコトヽ信ジマスガ故ニ,枉ゲテ是ニ同意シテ,此案ヲ成立セシメルコトヲ希望致スタメニ,此動議ヲ提出致シマス

     (「賛成々々」ノ声起ル)

  〇議長(片岡健吉君) 貴族院ノ修正ニ同意スルコトニ,御異議ハアリマセヌカ

     (「異議ナシ異議ナシ」ト呼フ者アリ)

  〇議長(片岡健吉君) 御異議ガナケレバ同意スルコトニ致シマス

  (第16回帝国議会衆議院議事速記録第29628頁)

 

駆け足で議決がされてしまったことについては,190239日が第16回帝国議会の会期の最終日であったとともに,衆議院議員らとしては,同年夏の任期満了に向けて,総選挙がもう間近に迫って気がせいていたという事情もあるものでしょう。

尾崎議員が「大体ニ於テ強テ差支ガナイコトヽ信ジ」た内容は,10箇年間不更正条項によって「屢〻改正ヲスルト云ウヤウナ」意見は事実上通りにくくはなるが,精神規定にとどまるものであって,立法権の自己制限としての法的効力は当該条項にはないのである,ということであったものでしょう。また,さきに見たように,それが政府及び貴族院の解釈でもあったはずです。

 

3 小括

 

(1)「違法の後法」論文再訪

「いわゆる法律の自主合法性の原理により,かかる規定と雖も君主と議会との有権解釈一致して成立した国家最高の意志たる法律として制定され,国法上これを審査し得る機関なく,たとえ一応は違憲と見られても,実際上,適法なものとして取扱うの外はない」と清宮とともに論じようにも(樋口編296頁),それ以前に,明治35年法律第38号に関して政府と議会両院との有権解釈が一致していたところは,10箇年間不更正条項は精神規定であって法的効力はない,とするものでした。したがって,後法を違法化するまでの力はなかったようです。

「かくしてわが選挙法の問題から計らずも国家作用論に関する諸種の難問に逢着し,一面ウイン学派の純粋法学における法の動学・法創設理論と,他面,主としてゲ・イェリネックの事実の規範力とを省みつつ,問題の解決に曙光を得ようと努力したが,残された謎はなお頗る多い。一般の示教を仰いで更に想を練り,一段の高処に到る一階梯にというのが筆者せめてもの念願である。」と清宮はその「違法の後法」論文を結んでいますが(樋口編322頁),当該階梯の上り口の最初に据えてある我が衆議院議員選挙法(明治35年法律第38号による一部改正から,大正8年法律第60号による改正を経て,大正14年法律第47号による全部改正まで)は,足場としてはなかなか無安心なものであったように思われます。大正14年法律第47号が違法の後法として実在してくれているのでなければ(少なくともその可能性がなければ),議論はいささか迫力を欠くようです。しかしこれは,「条文の解釈にのみ逃避するの怠慢に陥った」ところの「易きに」つくの俗徒特有の感慨であって,「実定法秩序の全体に通ずる理論的研究,ことに,国家的法秩序の論理的構造の究明」という「法学者にとって極めて重要な課題」に取り組むための端緒としてはなお十分なものだったのでしょう(清宮四郎「ブルクハルトの組織法・行態法論」(樋口編353頁)参照)

 

(2)10年間不更正条項の消滅

衆議院議員選挙法(大正14年法律第47号)別表の10年間不更正条項は,19451217日裁可,同日公布の昭和20年法律第42号による同表の全部改訂において削られています(政府提出案の段階から)。大日本帝国憲法の改正が日程に上っている時期にあって,帝国憲法附属の法律につき「10年間ハ之ヲ更正セス」というのはちょっとした浮世離れであるものと感じられたがゆえでしょう。なお,1925年の改正からは,10年はとうに過ぎていたところです。

 

4 思い付き及び蛇足

 

(1)立法技術的に見た10年間不更正条項

ところで,不図思うに,10年間不更正条項の効力については,我が国の法制執務が立法技術的にいわゆる溶け込み方式を採用していることに由来する問題が,実はあったのではないでしょうか。すなわち,明治35年法律第38号の10箇年間不更正条項及び大正8年法律第60号の10年間不更正条項はいずれも明治33年法律第73号に溶け込んでしまっていたところ,そうであれば当該10年間の起算時点は,明治33年法律第73号の裁可日の1900328日か,公布日の同月29日か,又はその施行がされた第7回総選挙の開始日(当該総選挙を行うことを命ずる詔勅の日付は1902421日,その官報掲載日は同月22日,投票日は同年810日)であるべきことになっていたのではないでしょうか(立法機関自身の自己拘束規定であるとすれば,裁可日が起算日になりそうです。)。であればすなわち,1919年制定の大正8年法律第60号の10年間不更正条項は,効力期限が既に過ぎてしまった条項の事後的修文にすぎなかったということになってはしまわないでしょうか。しかしこれは,余りにもふざけた話だということになりそうです(1919年当時の原敬内閣の法制局長官は横田千之助)。

公職選挙法(昭和25年法律第100号)137項前段の「別表第2は,国勢調査(統計法(平成19年法律第53号)第5条第2項本文の規定により10年ごとに行われる国勢調査に限る。以下この項において同じ。)の結果によって,更正することを例とする。」との規定のように繰り返し適用される規定であるのならばよかったのでしょうか。そうだとすると,10年間不更正条項をもって(繰り返し繰り返し)「10年後には更正すべきものであることの趣意を言明して居る」ものでもあるとする解釈(美濃部102頁)は,条項の文言自体からは一見読み取りづらいところですが,あるいはこの点を慮ってのものかもしれません。

 

(2)中央省庁等改革基本法3316

 最後に蛇足です。

前世紀末の中央省庁等改革基本法(平成10年法律第103号)の第331項柱書きは「政府は,次に掲げる方針に従い,総務省に置かれる郵政事業庁の所掌に係る事務を一体的に遂行する国営の新たな公社(以下「郵政公社」という。)を設立するために必要な措置を講ずるものとする。」と規定し,同項6号は「前各号に掲げる措置により民営化等の見直しは行わないものとすること。」と規定しています。同法制定の1998年当時,この中央省庁等改革基本法3316号があるから郵政三事業が民営化されることは永久になくなったのだ,しかも郵政公社職員はあっぱれお役人なのだ,我々の勝利だ,橋本龍太郎(内閣総理大臣)を担いだ通商産業省の陰謀になんか負けないのだ,我々の政治力はすごいのだと威張る郵政省関係者が大勢いたものかどうか。しかし,そういう安易な自得及び安心に対しては,当該規定は,郵政三事業を民営化等する立法を禁止することにより,将来的に「違法の後法」問題という難しい問題をいたずらに惹起してしまうだけのものではないか,その場合やはり結局のところ後法は前法を破るとの結果になるのではないかとの心配がされました。とはいえ,そういう不正確な心配をするのは閣法(内閣提出法律案)中心主義に毒されていたからであって,中央省庁等改革基本法331項の名宛人は行政府であって立法府ではなく,同項6号の問題は,立法機関における内面的拘束力による自らの義務付け・法律の自己制限の問題には該当しないものでした。法律をもって憲法上の内閣の法案提出権を制限することの可否いかんの問題でありました。

中央省庁等改革基本法3316号の法的効力に関する政府の解釈は,2002521日の衆議院本会議において,当時の小泉純一郎内閣総理大臣から次のように表明されています。

 

  中央省庁等改革基本法についてのお尋ねでございます。

  基本法は,郵政三事業について,国営の新たな公社を設立するために必要な措置を講ずる際の方針の一つとして,「民営化等の見直しは行わない」旨を定めておりますが,これは,公社化までのことを規定したものであります。

  したがって,民営化問題も含め,公社化後のあり方を検討すること自体は,法制局にも確認しておりますが,法律上,何ら問題はありません。

  そこで,今回の公社化関連法案には削除は盛り込まないこととしたものでありますが,郵政事業のあり方については,この条項にとらわれることなく,自由に議論を進めてまいりたいと考えております。

 (第154回国会衆議院会議録第367頁。「総理が重ねて主張してきた,中央省庁等改革基本法第33条第1項第6号の「民営化等の見直しは行わないものとする」という条項が削除されておりませんが,断念したという理解でよろしいのでしょうか。」との荒井聰議員の質疑(同6頁)に対する答弁)

 

 「政府の法案提出権が憲法上認められていることを前提とした上で,法律によって政府の憲法上の権限を制限できるかどうかが問題となる。この場合,憲法上は,議員立法が原則であり,それを補充するものとして閣法があるとすれば,法律でそれを制限することも憲法の禁ずるものではなく,完全な立法裁量に委ねられることになる。しかし,そのような原則を日本国憲法から読み取ることはできないので,立法による政府の法案提出権の制限は認められないと言う結論が導き出されるのが自然である。〔略〕郵政事業の経営形態論議が,政府の憲法上の提案権を制約するに足る合理性を有するものであるとは言い難い。」(塩野宏「基本法について」日本学士院紀要第63巻第1号(2008年)13-14頁)とぴしゃりと言い放って,中央省庁等改革基本法3316号には法的効力がそもそもなかったのだと宣言すると角が立ったのでしょうから,皆さんのお信じになられたとおり同号には政府の法案提出権を制限するという法的効力が本当にあったんですけれどもね,条文をよく読んでもらうとお分かりになると思いますが,それは日本郵政公社の設立までの話だったんですよ,法案を提出した政府はうそはついていませんからね,法的効力の全くない条文を法的効力があるもののように偽って皆さんに中央省庁等改革に賛成していただくなどという詐欺師のようなことを日本国政府がするわけないじゃないですか,という趣旨の小泉内閣総理大臣の答弁は,内閣の憲法上の法案提出権を法律によって一時的にでも制限することを認容するものと解され得るものではあって憲法論上の議論の余地はなおあるものでしょうが,よくできた答弁だと思います。