1 「違法の後法」の前々法:明治35年法律第38

 清宮四郎が1934年に執筆・発表した論文「違法の後法」(樋口陽一編・解説,清宮四郎『憲法と国家の理論』(講談社学術文庫・2021年)293-322頁)において,後法たる1925年の衆議院議員選挙法(大正14年法律第47号)を「違法」たらしめるものとされた大正8年法律第60号による改正後の衆議院議員選挙法(明治33年法律第73号)の別表(選挙区及び選挙区において選出すべき議員の数を定めるもの(同法12項))末項の「本表ハ10年間ハ之ヲ更正セス」との規定の濫觴は,明治33年法律第73号の当該別表を最初に一部改正した明治35年法律第38190244日裁可,同月5日公布,同月25日施行(同法には施行期日に関する規定なし。法例(明治31年法律第10号)1条参照))にありました。すなわち,明治35年法律第38号は,その末尾において「別表ノ終リニ左ノ1項ヲ加フ/本表ハ選挙区ノ人口ニ増減ヲ生スルモ少クトモ10箇年間ハ之ヲ更正セス」と規定していたものです(政府提出案段階からあったもの)。当該規定は,清宮の紹介する美濃部達吉の説明によると「唯単純な人口の増減だけでは10年間は之を動かさないといふ方針を言明して居るだけで,それも立法の方針の予定に止まり絶対に立法者を拘束する力を有するものではない」ということになるものとされていました(樋口編294頁。美濃部達吉『選挙法概説』(春秋社(春秋文庫)・1929年)103頁)

学説はともかくとして,明治35年法律第38号の当該規定に係る立法者意思がいかなるものであるかを知るために1902年の枢密院及び第16回帝国議会における法案審議の跡を尋ねると,下記のような経緯があったところです。大正8年法律第60号による10年間不更正条項(同法においては明治35年法律第38号によるそれまでの文言が改められています。)が,別表の大更正(註)を伴うその6年後1925年の衆議院議員選挙法の全部改正を阻害しなかったことについては,清宮の報告によると,「当時から現在まで学者の間にも実際家の間にも,これに対して疑問を挿む者は殆ど無かった模様」であったそうであり(樋口編293頁),また,宮中においても192541日「午前1150分,貴族院議員の任期満了及び普通選挙法案等の重要案件議了につき,〔摂政裕仁親王は,〕正殿において〔加藤高明内閣総理大臣らの〕国務大臣・貴族院議員・衆議院議員・政府委員・内閣書記官・内閣総理大臣秘書官・貴族院事務局高等官・衆議院事務局高等官計約七百名に列立拝謁を仰せ付けられ,酒饌を下賜される。」ということで(宮内庁『昭和天皇実録 第四』(東京書籍・2015年)227-228頁。下線は筆者によるもの),よかったよかったということになっていましたが,その23年前1902年の明治35年法律第38号による10箇年間不更正条項の導入に当たっては,実際家の間において喧々囂々たる議論があったところです。

 

 (註)大正8年法律第60号による小選挙区制から,中選挙区単記投票制への変更がされ,明治33年法律第73号以来の市部と郡部との独立制が撤廃されています(美濃部97-98頁参照)。なお,最初の衆議院議員選挙法(明治22年法律第3号)以来の人口13万人につき議員1人を出す大体の主義は踏襲されています(美濃部101頁参照)。

 

なお,清宮の引用する(樋口編294頁・296頁註1宮澤俊義の『選挙法要理』(一元社・1930年)84頁註4には「明治33年法まではかうした〔不更正期間を定める〕制限はなかつたが,第16議会(明治3435年)に政府は法別表改正案を提出し,別表の内容を改正すると同時に「本表ハ選挙(●●)()()人口(●●)()増減(●●)ヲ生(●●)ズルモ(●●●)少クトモ10年間ハ之ヲ更正セス」との規定をこれに加へようとした。衆議院はこの規定を削除したが,貴族院これを復活し,衆議院亦これに同意してここにこの規定が成立した(明治35年法律第38号)。而して大正8年法に至つて現行法の如く文句を改めたのである。併し乍ら,これらの規定はただ立法上の方針を宣明したにすぎぬのであつて,何らの法的効力を有つものではない。現に実際においても,大正8年法別表のこの規定にも拘らず,大正14年法は10年立たぬ中に別表の全部を改正した。」とありますが,そこでは第16回帝国議会における審議模様及び立法者意思についてまでの立ち入った紹介はないので,本稿はそこを補充するものということになります。清宮は,上記「ただ立法上の方針を宣明したにすぎぬのであつて,何らの法的効力を有つものではない」の部分は,宮澤の学説にすぎないものと解しているようです(樋口編294頁)

 

2 明治35年法律第38号をめぐる実際家の議論

 

(1)枢密院における予兆

 明治35年法律第38号の法案(政府提出)に係る1902222日の枢密院会議においては,わずかに九鬼隆一枢密顧問官から次のような発言がありましたが,議場においてそれに応ずる声はなく(所管の内務省からは,内海忠勝大臣及び山縣伊三郎総務長官が出席していましたが,沈黙していました。),政府原案がそのまま可定されています。

 

総委員会ニ於テ(ママ)ニ質問シタルニ郡部ノ方ニテモ多少人口ノ増減アル趣ナルカ只市ノ方ノミ明確ノ調査出来タル〔ヲ〕以テ議員ノ配当ヲ為ス由ニ聞及ヘリ然ル〔ニ〕郡部ニモ人口ノ増シタル所ト減シタル所トアリトスレハ其増減ハ人民ノ権利ニ至大ノ関係アリ只郡部ノ調査ハ(〔いまだ〕)充分ニ明確ナラサルヲ理由トシテ単ニ市ノ議員ノミヲ増スハ不権衡極レリ又法案ノ体裁トシテモ宜シキヲ得ス殊ニ今日此改正ヲナスノ後ハ10箇年間据置クモノトスレハ明亮ノ調査行届キタル所ノミ増員シ然ラサル所ハ増員セストノ結果トナリ夫レニテ10年間ハ其儘ニ施行スルトハ甚理由ナキコトナリ而カモ今日是非此案ヲ急キテ発表セサル可ラサルノ理由アリトハ信セラレサルヲ以テ充分ニ全国ノ人口ヲ調査シタル上ニテ適当ノモノヲ発表セラルノ方宜シカルヘシ就テハ唯今ハ此案ヲ廃案トシテ更ニ精査ノ上提案セラレンコトヲ乞フ

  (アジア歴史資料センター資料。下線は筆者によるもの)

 

九鬼枢密顧問官の発言の趣旨は,忖度するに,政府はその中途半端な人口調査で衆議院議員選挙法の別表を今回改正することとしつつも,「選挙区ノ人口ニ増減ヲ生」じたならばそれには応ぜねばならぬのだとの同じ論理でその後も五月雨式にだらだら改正を続けなければならなくなることは面倒だから,あえてここで別表の更正を打切り,封印する旨を明らかにするために「本表ハ選挙区ノ人口ニ増減ヲ生スルモ少クトモ10箇年間ハ之ヲ更正セス」との一文を追加することにしたのではないか,しかしこれは,横着ではないか,姑息ではないか,ということでしょうか。同日の枢密院会議において内閣員から当該法案の説明があえてされなかったのも,堂々反駁しようにも,その間の事情ないしは論理にすっきりしないものがあったからでしょうか。

 

(2)帝国議会における紆余曲折

 

ア 衆議院における追及

 

(ア)政府委員の趣意説明

1902225日の衆議院本会議における山縣伊三郎政府委員による法案趣意説明は簡単なものであり,かつ,10箇年間不更正条項には言及されていません。

 

  此改正ヲ致シマスル趣意ハ,改正選挙法〔明治33年法律第73号〕制定ノ当時,市ニシテ未ダ人口3万ニ充タザルモノデアッテ,今日ハ其以上ニ達シタルヲ以テ,之ヲ各1選挙区トシテ各議員ヲ1人配当セントスル次第デゴザリマス,其中福岡県ノ小倉,群馬県ノ高崎,是ガ其後市制ヲ施行シタモノデゴザリマス,独リ横浜ニ至リマシテハ,少シク理由ヲ異ニ致シマスガ,是ハ昨年4月附近ノ各数町村ヲ合併致シマシテ,ソレガタメニ非常ニ大キクナリマシタ,ソレデ是ハ行政処分ノ結果,異同ヲ生ジタモノデアリマスカラ,此改正ノ中ニ加ヘタ訳デアリマス,何卒御協賛ヲ希望致シマス

 (第16回帝国議会衆議院議事速記録第19404頁)

 

 要は,市部選出の衆議院議員数を12増加させたいという法案でした。高崎市,四日市市,若松市,青森市,秋田市,鳥取市,尾道市,丸亀市,久留米市,門司市及び小倉市の11市を独立の選挙区として議員各1名を追加するとともに,町村合併で拡大した横浜市について,同市から選出される議員の数を1から2に増加させようというものでした。この12議席は純増であって,他に選出議員数の削減は提案されていませんでした。

 

(イ)質疑及び答弁

 しかしながら,滋賀県の弁護士である望月長夫議員が先陣を切り,代議士らは10箇年間不更正条項の問題性を追及し,山縣政府委員はたじたじとなっています。

 

  〇望月長夫君(242番) 此案ノ一番終リニ――「別表ノ終ニ左ノ1項ヲ加フ」「本表ハ選挙区ノ人口ニ増減ヲ生ズルモ少クトモ10箇年間ハ(ママ)ヲ更正セス」斯ウ云フ規定ガ如何ナル制裁ヲ加ヘルカ,何ヲ拘束スルカ,立法権ヲ持ッタ者ガ立法ヲスルノニ,ソレヲ此法律ニ斯ウ制限ヲ致シテ置イテモ,翌日矢張之ヲ改正スル,此別表ノ10年以内ニハ直サヌト云フヤツヲ改正スルト云フ案ガ,明日デモ〔,〕斯ウ云フコトヲ書イテ置クト,是ハ如何ナルコトヲ拘束スルカ,此文章ニ何ノ制裁ガアルカト云フコトヲ,政府委員ニ尋ネマス

  〇政府委員(山縣伊三郎君) 御答ヲ致シマス,御説ノ通,又法律ヲ以テ之ヲ改正スルト云フコトニナレハ,別段効能モナイヤウニ見エマスガ,併シ人口ノ異同アル度毎ニ之ヲ変更スルト云フコトニナル,始終ヤッテ居ラナケレバナラヌト云フ結果ヲ生ジマス,ソレデ先ヅ之ヲ変更セヌト云フ精神ヲ,茲ニ現シタノデゴザイマス

  (第16回帝国議会衆議院議事速記録第19404頁。下線は筆者によるもの)

 

  〇安藤龜太郎君(22番) 〔略〕併シ此本案ニ依リマスルト「本表ハ選挙区ノ人口ニ増減ヲ生スルモ少クトモ10箇年間ハ(ママ)ヲ更正セス」トアル,何ヲ以テ10年間ハ人口ノ増減ヲスルトモ,是ヲ更正セヌト云フ御意見ヲ立テラレタンデアルカ,其辺ガ本員ハ甚ダ怪ム所デアル,市ニ於テモ郡ニ於テモ,此人文ノ発達スルニ従ッテ,又実業ノ奨励発達スルニ従ッテ,必ズ人口ノ増減ガアラウト思フ,然ルニ10箇年ハ之ヲ更正セズト云フ標準ハ,何ニ依ッテ立テラレタカ,此点ヲ本員ハ甚ダ怪ムノデアリマスルカラ,明ニ御答弁ヲ請ヒマス

  〇政府委員(山縣伊三郎君) 唯今ノ御尋ハ先刻確カ望月君カラノ御尋ト同一ノヤウニ思ヒマスルデ,別ニ御答スルニ及ブマイカト存ジマス

     (安藤龜太郎君「何デス,10箇年ト云フ標準ハ」ト呼フ)

  〇田邊爲三郎君(267番) チョット質問致シマス,政府ハ度々当議会ニ出テモ説明シタコトガゴザイマス,憲法附属ノ法律ト云フモノハ,容易ニ改正スベキモノニアラズト云フコトハ,数回明言サレテアル,然ルニ此明治33年ノ73号ノ法律ト云フモノハ,改正以来未ダ実施期ニモ達セザルモノデアル,然ルニモ拘ラズ,早ヤ此本表ニ就イテ改正ヲセネバナラヌト云ウテ,此案ヲ出シタノハ,平素政府ガ主張スル所ノ趣旨トハ,大ニ齟齬シテ居ル,此事ニ附イテハ政府ハ何等ノ理由ヲ以テ,斯様ナル変更ヲ試ルノデアルカ,本案ノ中ノ最末項ニハ,最前ヨリ度々質問ノアル通リ「本表ハ選挙区ノ人口ニ増減ヲ生スルモ少クトモ10箇年間ハ之ヲ更正セス」ト云フ,是ガ即チ政府本来ノ主張デアル,是ガ即チ政府ガ従来唱ヘ来ッタ所ノ本旨デアル,果シテ然ラバ何ガ故ニ斯ウ云フ風ニ改正スル必要ヲ生ジタデアルカ,此点ニ附イテ明瞭ナル答弁アランコトヲ望ミマス

  〇政府委員(山縣伊三郎君) 固ヨリ容易ニ之ヲ改正スルコトハ致サヌ積デアリマスル,併シ本表ハ未ダ実施ニナッテ居リマセヌカラ,其実施前ニ当ッテ必要ヲ認ムルモノハ之ヲ改正シテ差支ナカラウト思ヒマス

  〇山内吉郎兵衞君(137番) 抑〻代議士ヲ選出スルニハ,人口ヲ以テ計算スルト云フコトガ,73号ノ基礎ニナッテ居ル,本案ニ於テハ10年間之ヲ更正セヌト云コトニナレハ,本文ト抵触スル嫌ヒハナイカ,本文ハドウスル積デアルカト云フコトヲ,質問致シマス

   〔略〕

  〇政府委員(山縣伊三郎君) 唯今ノ第一ノ御尋ニ御答シマスガ,必ズ人口ヲ標準トシタト云フ訳テハアリマセヌガ,先ヅ市ハ3万以上,郡ハ13万ト云フコトニナッテ居リマス,ソレデ別段抵触スル所ハナイト思ヒマス,ソレカラ少クトモ10年ト云フハ,是ハ或ハ是非改正セネバナラヌト云フ必要ガアレバ,之ヲ改正スルコトモアリマセウガ,先ヅ少クトモ10年ハ改正セヌ,斯ウ云フ趣意デアリマス

  (第16回帝国議会衆議院議事速記録第19405頁。下線は筆者によるもの)

 

(ウ)10箇年間不更正条項の法的効力の有無について

清宮の学説を採用して,「立法方針の宣明にすぎぬにしても,立法機関によって宣明されたかかる方針は,いやしくもそれが法律として成立すると仮定すれば,かかるものとして少なくともいわゆる内面的拘束力を有し,立法機関の行態を義務づけ,拘束する法規範として,法上有意義なものと見做されねばならない。立法機関自らが右の宣明によって10年間不更正の法的義務を負い,もし,美濃部博士の説明の如く,右の法律の主旨とするところが「単純な人口の増減だけでは10年間は之を動かさないといふ方針」の「言明」にあるとすれば,立法機関は10年以内には少なくとも人口の増減を理由としては別表の更正を行なわない義務を負うものと解さねばなるまい。」(樋口編295頁)という趣旨の強気の答弁をしていたならば,代議士らの攻撃はますます激しく,山縣政府委員は帝国議会の議場で立ち往生していたことでしょう。

 

(エ)10箇年間の標準について

また,なぜ10箇年間なのかその標準はどこに求めたのかとの安藤議員の質疑に山縣政府委員は正面から答えられなかったところですが,清宮式の「憲法との問題は別として,10年くらいの不更正は法の可変性とも矛盾せず,立法政策上の問題はとに角,法の内容としては可能である」(樋口編305頁)との答弁では,待ってください憲法問題から逃げるのですか,それにそもそもの政府の立法政策はだからなんなんですか,と法案反対派の安藤龜太郎議員(第16回帝国議会衆議院議事速記録第21461頁参照)の闘志をかき立て(すっぽん)のように噛みつかれる破目に陥っていたかもしれません(なお,安藤議員は神奈川県選出,第5回総選挙(1898315日投票)初当選。第8回総選挙(190331日投票)及び第9回総選挙(190431日投票)においては当選者中に名がないところ,「後零落して坐骨神経痛を病み〔明治〕38年〔1905年〕21日縊死を遂ぐ年47」とあります(大植四郎編『国民過去帳明治之巻』(尚古房・1935年)862頁)。)

ちなみに,190235日の貴族院の明治33年法律第73号衆議院議員選挙法中改正法律案外1件特別委員会(以下「選挙法改正法案特別委員会」と略称します。)においては,さすがに山縣政府委員会は準備ができていたようで,「少クトモ10年ハ之ヲ変更セザルコトニスルト云フ理由ハ,御承知ノ通リ戸口調ガ5年毎ニ之ヲナスコトニナッテ居リマス,ソレデソレヲ5年ニシテハ余リ短過ギルカラ,マア5年ヲソレニ加ヘルト云フコトヨリシテ10年ト云フコトガ出タノデアリマス,ソレカラ欧米ノ例ニ依リマシテモ,タシカ米国ガ10年グラヰニナッテ居ッタト思ヒマス」との答弁がされています(第16回帝国議会貴族院明治33年法律第73号衆議院議員選挙法中改正法律案外1件特別委員会議事速記録(以下「第16回帝国議会貴族院選挙法改正法案特別委員会議事速記録」と略称します。)第14頁)

 

(オ)前提としての明治33年法律第73

なお,山縣政府委員のいう「先ヅ市ハ3万以上,郡ハ13万ト云フコトニナッテ居リマス」の意味は,「人口13万人につき議員1人を出すことを大体の主義とすることは,最初の選挙法から以来の伝統」であるところ(美濃部101頁),明治33年法律第73号は――「郡部選出の議員はどうしても地主の代表に傾き易いから,それと相対して適当に商工業者の利益を代表せしむるには,市部選出の議員を多くする必要があるといふのが,その理由とするところ」だったのですが(同93頁)――「市部と郡部とを独立せしめ,人口3万以上の市は総て独立の一選挙区とした」のでした(同91頁)。しかし,「その結果として,郡部及び東京市や大阪市のやうな大都会地では,人口13万人につき1人の割合で議員を選出するに拘らず,小き市では人口3万人で既に1選挙区を為し随つて1人の議員を選出するものとせられ,随つて市部と郡部とが不釣合であるのみならず,同じく市部の内でも,大都市と小市とは議員を選出する上に甚だ権衡を失ひ,小市が比較的に最も多くの議員を出すといふ不公平な結果を生じ」ていました(美濃部93-94頁)。

1902227日の衆議院本会議において鈴木儀左衞門議員は「商工業者ガ何ガ故ニ他ノ業者ヨリモ,其権利ヲ多ク与ヘネバナラヌノデアルカ,同ジ帝国ノ臣民デアッテ斯様ナルコトハ決シテアルマジキコトデアル」とこの不公平性に再び触れていますが(第16回帝国議会衆議院議事速記録第21459頁),「郡部或ハ市ト其関係ガ違フ,比例ガ違フカラ,不公平デアルト云フ鈴木君ノ御議論ハ,最早〔明治〕33年〔1900年〕ニ於テ聞クベキデ,今日ニ於テ聞ク必要ハナイコトデアラウト信ジマス」との反撃を武市庫太議員から受けています(同459-460頁)190239日の貴族院本会議においては谷干城議員が「凡ソ人民ノ権利ニ於テ工商即チ市ニ住ッテ居ル者ハ郷ニ住ッテ居ル者ヨリ数等ノ権利ノアルト云フ道理ハナイ,総テ国家ノタメニ議スル代議士ヲ選ブニ附イテハ四千万人平等ニ其選ブ権ヲ持タナケレバナラヌト云フノガ私ノ最初ヨリノ論デアル,ソレデ此市ヲ独立サセルト云フヤウナ事柄ハ最モ不公平ナコトヽ云フ論カラシテ絶対ニ反対ヲシマシタ〔中略〕況ヤ此僅ニ数年前ニ之ヲ改革シテ又今日又之〔市部選出議員〕ヲ増スト云フ」云々と獅子吼したのに対し(第16回帝国議会貴族院議事速記録第25458頁),問題の蒸し返しを予防すべく奥田義人政府委員(法制局長官)は「既ニ市ヲ独立ノ選挙区ト為スト云フコトガ原則ニ於テ極ッテ居リマスルノデ,此原則ガ壊レマセヌ以上ハ今谷子爵ノ御述ニナリマシタルガ如キ御論ハ如何ナモノデアラウカト政府〔第1次桂太郎内閣〕ニ於テハ信ジマスル」とたしなめ(同頁),尾崎三良議員も「此人民ノ思想ガ十分ニ公平ニ代表セラルヽノ方法ヲ執ルノガ此代議政体ノ最肝要ナル所ト考ヘル,〔略〕選挙法ノ定メ方ガ甚ダ片ッ方ニ偏シテ居ルト云フコトヲ認メテ,政府モ本院モ衆議院モ認メテ,一昨年デシタカ今日ノ現行法ニ改メラレタノデアル,其主義タルヤ最早一定シテ動カスベカラザルモノアッテ,谷子爵ガドレ位御論ジニナッタ所ガ,ソレハ動カサレヌノデアル」と政府委員を応援しています(同460頁)

 

イ 衆議院による削除

16回帝国議会衆議院における審議状況に戻ると,山縣政府委員の学術的ならざる苦心の政治的答弁にもかかわらず,政府案の10箇年間不更正条項は,1902227日,望月長夫議員の提案により,同院本会議(第二読会)でいったん削られています(第16回帝国議会衆議院議事速記録第21461頁)

望月議員は,10箇年間不更正条項を削るべき理由を次のように述べていました。

 

  本員ハ此一番仕舞ニ書イテアル「別表ノ終リニ左ノ1項ヲ加フ本表ハ選挙区ノ人口ニ増減ヲ生スルモ少クトモ10箇年間ハ之ヲ更正セス」ト云フ,此2行ノ条文ヲ削除致ス意見ヲ提出致シマス(「賛成」ト呼フ者アリ)是ハ多クハ述ベマセズトモ,斯ノ如キ規定ガ何等ノ法律上ニ効力ヲ持タナイト云フコトハ,皆様モ御承知ノ通デアル,今日ノ立法権ニ於テ,決シテ明日ノ立法権ヲ拘束スルコトハ出来ナイカラ,斯ノ如キ規定ヲシテ置イテモ,明日直チニ之ヲ廃止スルト云フコトハ,何デモナイ話,或ハ斯ノ如ク書イテ置カネバ,上院ノ通過ガ覚束ナイト云フヤウナコトヲ,苦ニ御病ミナサル御方ガアッテ,之ヲ存シテ置ク必要ガアルト云フ御考ガ,ナキニシモアラズト云フヤウニ,私ハ見受ケマスケレドモ,是ハ如何ニモ上院議員諸君ヲ,愚ニシタ話,斯ノ如キ箇条ガアルカラ,衆議院ハドウシテモ再ビ此別表ノ変更ヲ試ミル権能ガナイト云フコトハ,上院諸公ノ賢明ナル,左様ナ馬鹿気タコトヲ考ヘテ居ル筈ハナイ,斯ノ如キ子供瞞シノ条文ヲ此処ニ置イテ,上院ヲ胡麻化スト云フノハ,実ニ馬鹿気切ッタ話デアリマス,斯ノ如キ箇条ヲ存スルコトハ,衆議院ノ面目ニ関スルト信ジマスガ故ニ,是ダケヲ削除致シタイ

 (第16回帝国議会衆議院議事速記録第21461頁。下線は筆者によるもの)

 

 要するに,望月議員の理解としては10箇年間不更正条項には法的効力は一切ないものであり,当該理解に対して衆議院もその議決をもって同意したということでしょう。清宮の分類学によれば,「一般の国家機関の自己制限の場合と同じくこれらの法律の特別規定は,憲法の一般に定める法律制定規定に違反し憲法の授権の範囲を越えるものとして無効と看做す」見解(樋口編296頁)が採られていたということでしょう。

衆議院による当該修正議決に対する政府の認識は,190235日の貴族院選挙法改正法案特別委員会における山縣政府委員の答弁によると「此末項ヲ衆議院ニ於テ削リマシタ訳ハ,法律ヲ改正スレバ,是等ハ効力ノ無イモノデアル,其効力ノ無イモノニ対シテ,之ヲ爰デ掲ゲテ置ク必要ハナイデハナイカト云フヤウナ理由デ削ラレタノデアリマス,併シ政府ニ於テハ或ハ其改正ニナレバ効力ノ無イト云フコトハアラウガ,兎ニ角10年間ハ是デ変更セザルノ精神デアルト云フコトヲ答ヘテ置キマシタ」ということであり(第16回帝国議会貴族院選挙法改正法案特別委員会議事速記録第14頁)同月9日の貴族院本会議における奥田政府委員の答弁によれば「何年間変更セヌトモ何トモ加ヘテナクシテ〔明治22年法律第3号の衆議院議員選挙法は〕既ニ10年間モ変更セラレズニ今日マデ来テ居ルノデアリマス,法律ヲ改正サヘスリヤ何時デモ出来得ルコトデアッテ,殊ニ斯ウ云フコトヲ挿ンデ置カヌカラト云ウテモ,事実ニ於テ決シテサウ屢〻改正ヲスルト云フコトノナイノハ,従来ノ・・・即チ現行ノ選挙法ニ於テ既ニ其証拠ヲ示シテ居ッテ,書イテ置イタカラト云ウテモ又改正ヲスリヤ出来得ルコトヂヤナイカ,サウスリヤ殊更斯ウ云フノヲ入レテ置クト云フ必要ハナイト云フ,斯ウ云フヤウナ精神ヲ以テ削除セラレタヤウニ認メマス」ということでした(第16回帝国議会貴族院議事速記録第25459頁)。なお,1900329日に公布された明治33年法律第73号の衆議院議員選挙法は「次ノ総選挙ヨリ之ヲ施行ス」ということになっていたので(同法111条本文),1898810日投票の第6回総選挙と衆議院議員の任期満了による1902810日投票の第7回総選挙との間の19023月の段階での現行法は,依然として明治22年法律第3号の衆議院議員選挙法なのでした。

望月議員の提案理由の後半部分をどう理解すべきか。

実は,衆議院議員らが自分らの議席数を増加すべく運動するのにいちいち付き合わされることに貴族院議員らは閉口している,というような事情があって,あと10年はもう御迷惑をおかけしませんから今回限りは御協力くださいと言ってなだめなければならないのだよというようなことになっていたようではあります。すなわち,190239日の貴族院本会議において尾崎三良議員は「本院〔貴族院〕ニ於キマシテハ兎角此衆議院議員ノ殖エルコトヲ望マヌヤウナ風ガアル」との観察を述べており(第16回帝国議会貴族院議事速記録第25460頁),現に当該本会議において,衆議院議員数を12増やす明治35年法律第38号の法案から10箇年間不更正条項を衆議院が削ったことに関して,谷干城議員は「之ヲ以テモ明ナコトデ,ハヤ来年ナリ来々年ナリ人為デ又市ヲ作ル,其目的デ之ヲ削ッタモノデアル,斯ノ如キ有様デハ実ニ此前途ノコトガ案ジラレル」と(同458頁),曾我祐準議員は「衆議院デ削ッタ意思ヲ推測シテ見ルト矢張3万ノ市ガ出来タナレバ今年モ3市,来年モ5市ト云フヤウニ加ヘルコトヲ得ルト云ウヤウニ考ヘマス」と(同459頁),衆議院議員らの底意について非好意的な発言がされていました。

なお,望月衆議院議員は,10箇年間不更正条項を除いた,議員数増加部分の法案自体には,なるほど賛成であったようです(第16回帝国議会衆議院議事速記録第21460頁参照)

望月議員としては,また,法的には無効の条項を法的効力のある条項であるものと誤解する解釈で貴族院が可決してしまうと,正解たる無効説を採る衆議院としては後々厄介であるので,「愚」の貴族院が「子供瞞シ」に遭って「胡麻化」されるという「馬鹿気」た事態が生ずる可能性の芽はあらかじめ摘んでおくにしかず,ということであったようでもあります。