7 旧民法財産編262条4項と34条等との関係論及び「ローマ法的解決」

 

(1)民法233条の同法上の位置付け問題

民法233条の趣旨をどう考えるべきかの問題に改めて立ち戻って考えるとしても,同条の民法中における位置付けは難しい。「土地の所有権は,法令の制限内において,その土地の上下に及ぶ。」(民法207条)とされている以上,民法2331項は,当該所有権に基づく妨害排除請求権と重複します(民法・不動産登記法部会資料72頁参照)。民法2332項は,土地に侵入した根の所有権が当該土地の所有者に属するのならば(この点が正に問題ですが。),「所有物の使用,収益及び処分」(同法206条)そのものの一環ということになり得ますから,これも重複しそうです。

 

(2)旧民法財産編34条等と同編2624項(民法233条)との関係

ただし,民法233条は旧民法財産編2624項を承けた規定であるということなので,旧民法の中での位置付けを考えると,ある程度なるほどと合点し得る説明ができそうではあります。

 

ア 旧民法財産編34条論

 

(ア)旧民法財産編34

実は旧民法における土地の所有権については,民法207条のような一般的な規定は伴われてはいませんでした。確かに旧民法財産編301項は「所有権トハ自由ニ物ノ使用,収益及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ謂フ」と規定していましたが,所有物が土地である場合について同編34条は,「土地ノ所有者ハ其地上ニ一切ノ築造,栽植ヲ為シ又ハ之ヲ廃スルコトヲ得/又其地下ニ一切ノ開鑿及ヒ採掘ヲ為スコトヲ得/右孰レノ場合ニ於テモ公益ノ為メ行政法ヲ以テ定メタル規則及ヒ制限ニ従フコトヲ要ス/此他相隣地ノ利益ノ為メ所有権ノ行使ニ付シタル制限及ヒ条件ハ地役ノ章ニ於テ之ヲ規定ス」と規定していました(フランス民法5522項及び3項に対応)。民法207条の規定と比較すると,伸び伸びとした土地所有権の行使を認めるもののようには印象されません。

なお,不動産たる土地についてボワソナアドは,「真の不動産をなすものは,土地を構成する物というよりはそれが占める空間である(ce qui constitute le véritable immeuble, c’est moins la substance du sol que l’espace qu’il occupe)」と言っています(Gve Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Premier, Des Droits Réels ; Tokio, 1890: p.34)。(しかし,空間は,有体物でしょうか。)

 

(イ)民法207

民法207条は,旧民法財産編34条の規定だけでは「事柄が足りないので,一般的な原則」を掲げるべく「同条を修正してつくられたもの」,と報告されています(川島=川井編319頁(野村=小賀野))。189468日の第19回法典調査会で梅謙次郎は民法207条の規定を置くべき必要について「唯疑ヒノ起ルノハ空中ノ話シテアリマス譬ヘバ私ノ地面ノ右ノ方ノ隣リノ者カ恰度(ちやうど)左ノ方ニ地面ヲ持ツテ居ルト仮定スル其間ニ電話ヲ架設シヤウトシテ私ノ地面ノ上ヲ通(ママ)ス其場合ニ空中ハ御前ノ所有物テナイカラ斯ウ云フコトヲシテモ構ハヌト言ツテヤラシテハ叶ハヌ是カラ段々世ノ中カ進歩スルニ従ツテ然ウ云フ事柄ハ余程多クナツテ来ヤウト思ヒマス然ウ云フコトヲ規定スベキ必要ガアラウト思フ」(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録』第7119丁裏-120丁表)等と説明しています。こう言われると,土地の所有権に基づく妨害排除権の及ぶ範囲が第一に問題になっているように見えます。2055分まで審議が続き,磯部四郎からは修正案が出(追随者なし),奥田義人,村田保,菊池武夫,都筑馨六及び三浦安からは削除説が唱えられました。削除説についていえば,梅も当該規定について「若シ之カナカツタナラハ所有権ト云フモノハ土地ノ上下ニ及ハヌモノテアルノヲ此箇条ヲ以テ特ニ及ホシタモノデアルカト云フ御問ヒテアリマスガ私共ハ然ウハ思ツテ居リマセヌ」,「〔上の方,空中については〕疑ヒノアル点テアリマスカラ此処ニ規定シヤウト考ヘタノテアリマス」と述べており(民法議事速記録第7121丁裏-122丁表),したがって,民法207条は絶対不可欠とまでは言えなかったわけです。最後は議長の西園寺公望が採決し,削除説への賛成少数で梅の原案が可決されています。

 民法207条は難産で,梅謙次郎は苦労したわけですが,実は三起草委員の一人である富井政章は同条についてニュアンスの違った解釈をしていたようでもあります。同条に係る富井=本野のフランス語訳は “La propriété du sol emporte, sous réserve des restrictions apportées par les lois et ordonnances, la propriété du dessus et du dessous.” であって,直訳すれば,「土地の所有権は,法令の制限内において,その上下の所有権の取得を伴う。」でしょうか,「法令の制限内において」の部分を除いてフランス民法5521項と同じ表現となっています。しかしてフランス民法552条は,不動産上の添付(accession)に関する規定なのでした。添付は,所有権取得の一態様です。ローマの添付法には「地上物は土地に従う(superficies solo cedit)」とあります。

 

イ 旧民法財産編34条と枝の剪除請求権との関係及び同編36条の本権訴権等

 

(ア)枝の剪除請求権との関係

旧民法財産編341項及び4項を見ると,越境した枝の剪除を越境された土地の所有者が求めるためには,明文の特則があった方がよかったようです。

確かに,ボワソナアドは,「土地の所有者は,当該土地の上の空間の主人である。したがって,隣人は,分界線上において,当該分界線から垂直に伸ばした線を越える建築をすることはできない。また,隣人は,一所有地と他の所有地との間に橋を差し掛けて,中間の他人所有地の上を通過することもできない。何ら難しいことはない。」との解釈を説いてはいました(Boissonade, p.93)。しかしながら,土地上の空間に係る妨害排除のために占有訴権たる保持訴権を行使しようとすると,それは「其ノ占有ニ関シ〔略〕妨害ヲ受」けた者が「妨害ヲ止マシメ又ハ賠償ヲ得ルヲ目的」として行うものということになりました(旧民法財産編362項・200条)。そこにおいては,当該空間下の土地の占有に関する妨害の有無及び妨害を止ましめる方法は何であるべきかの判断が面倒そうでありました。

 

(イ)旧民法財産編36条の本権訴権等

ところで,従来,物権的請求権については,「民法には,所有権に基づく物権的請求権そのものの規定はありません。しかし,占有権については占有訴権が認められており,これより強力な所有権についてこれに基づく請求権を認めることが相当であることや,民法202条が占有の訴えのほかに本権の訴えを認めていることに照らし,所有権について物権的請求権が発生するものと解されています。」(司法研修所民事裁判教官室『改訂 問題研究 要件事実――言い分方式による設例15題――』と説かれていましたが(司法研修所・20069月)56頁),「本権の訴え」といわれるだけでは――筆者一人の感想でしょうか――漠としています。「本権ノ訴(action pétitoire, petitorische klage)即チ占有(ママ)ル権利其物ノ主張ヲ目的トスルモノ」とやや敷衍していわれても(梅87頁),フランス語及びドイツ語のお勉強にはなっても,なおよく分かりません。(『ロワイヤル仏和中辞典』(旺文社・1984年)には“action pétitoire”は「不動産所有権確認の訴訟」とあり,『独和大辞典(第2版)コンパクト版』(小学館・2000年)には„petitorische Ansprüche“は「本権上の請求権」とあるばかりです。)しかし,せっかく旧民法財産編361項本文に「所有者其物ノ占有ヲ妨ケラレ又ハ奪ハレタルトキハ所持者ニ対シ本権訴権ヲ行フコトヲ得(Si le propriétaire est troublé dans la possession de sa chose ou en est privé, il peut exercer contre tout détenteur l’action pétitoire)」とありますから,ここで,本権訴権とは何かについてボワソナアドの説くところを聴いてみましょう。

 

  ここまで論じられてきたrevendicationの訴え(action en revendication)は,まず,本権のpétitoire)〔訴え〕との名を占有のpossessoire)訴えとの対照において称する。本権の訴え(action pétitoire)は,原告が真にvraiment)所有権を有するものかどうかを裁判させようとするものであるf。占有の訴えは,原告が現実に(en fait)所有権を行使しているexerce)こと(占有するposséder),といわれること)を確認させようとのみするものである。本権の訴えは,権利の根拠le fond)について裁判せしめる。占有の訴えは,占有すなわち現実の行使l’exercice de fait)についてのみ裁判せしめるものである。

 (Boissonade, pp.96-97

 

  (f)ラテン語のpetere,すなわち「求める(demander)」に由来するpétitoireの語は,それ自体では十分確定した意味を有しない。しかし,ローマ法に影響された全ての立法において,上記の意味と共に,術語とされている(consacré)。

   本権の訴えは,所有権のみならず他の物権の多くについてそもそものau fond)その存在について裁判させるためにも行われる。

  (Boissonade, p.96

 

 本権の訴えは所有権その他の物権の存否を裁判させようとするものであるのはよいのですが,当該争点に係る肯定の裁判の結果,どのような請求を実現させようとするものであるのかというと,旧民法財産編36条に対応するボワソナアド草案37条の第1項及び第2項を見ると(Boissonade, p.76),action en revendication(所有物取戻訴権)及び’action négatoire(否認訴権)の行使が想定されていたところです。

フランス語のrevendicationは,ラテン語のrei vindicatio(所有物取戻訴権,所有物取戻しの訴え)に由来します。ローマ法においては「所有物取戻訴権は物権中の王位の権利の最強武器である。「予が予の物を発見するところ予これを取り戻す」(ubi rem meam invenio, ibi vindico)原則は何等の制限を受けない。何人の手からでも何等の補償も要せずして取り戻せるのである。その者が如何に善意で過失なくして取得したにしても,彼は保護せられない。比較法制史上個人主義がかくほど徹底した法制も稀である。」とのことでした(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)120頁)。

ローマ法における否認訴権(actio negatoria)については,「役権否認の訴権である。ドイツ普通法時代には占有侵奪以外のあらゆる妨害排除の訴権に高められている。目的は制限なき所有権の確認,侵害の排除,目的物(人役権〔用益権(旧民法財産編44条参照),準用益権,使用権(同編1101項参照)並びに住居権(同条2項参照)及び奴隷又は獣の労務権(原田127-128頁)〕につき問題となる)利益の返還,損害の賠償及び将来妨害せずとの担保問答契約の提供である。」と説明されています(原田120頁)。ボワソナアドは,否認訴権を説明していわく,「この場合,所有権者は彼の地所をなお占有しているので,彼がそれを要求するrevendiquer),彼がそれを取り戻そうとする,とはいえない。彼は専ら自由,解放を求めるのである。したがって,彼はその所有権を確認するのではない。その権利は争われていないからである。彼は,他者によって主張されている役権を争い,否認するdénie)のである。ここから,否認négatoire)訴権の名が生ずる。全くローマ由来の名である。」と(Boissonade, p.96)。

実は,旧民法財産編36条には立法上の不体裁があって,その第1項はaction en revendicationにのみ係るものでした(cf. Boissonade, p.76)。確かに同項の本権訴権行使の相手方は「所持者」です。ボワソナアドも,否認訴権はaction en revendicationの一種であると述べつつも,「否認訴権(action négatoire)は古いテキスト(l’ancien texte [sic])においては言及されていない〔筆者註:ボワソナアドのProjet1880年版及び1882年版のいずれにも否認訴権に係る規定はちゃんとありましたので,「古いテキスト」とは旧民法財産編36条のことを指すのでしょうか。〕。これは修正されなければならなかった脱漏であった。地役権の行使によって妨害された所有権者がそれを争うのは所有物取戻しの訴えによるものでないことを理解するには,〔ボワソナアド草案〕288条〔すなわち旧民法財産編2692項〕を待つまでもない。」と述べています(Boissonade, pp.95, 96(1))。

否認訴権に係るボワソナアド草案372項は次のとおりです(Boissonade, p.76)。

 

   Il peut aussi intenter une action négatoire contre ceux qui exerceraient sur son fonds des droits de servitude qu’il prétendrait ne pas exister.

  (所有権者は,また,彼が存在しないと主張する役権を彼の地所に行使する者に対して否認の訴えを提起することができる。)

 

「否認の訴え」というと嫡出否認の訴え(民法775条等)や,破産法(平成16年法律第75号)上の否認権の行使に係る訴え(同法173条)と紛らわしいですね。やはり旧民法財産編2692項流に「拒却訴権」の行使ないしは「拒却」の訴えとでもいうべきでしょうか。いずれにせよ,否認訴権を読み出しにくい旧民法財産編361項を前提とすれば,土地所有権に対する妨害の排除手段の明示に係る同編2624項の存在はその分の有用性を有していたわけです。

なお,我妻榮は「所有権についても,これ〔占有訴権〕に対応する所有物返還請求権(rei vindicatio)・所有物妨害除去請求権(actio negatoria)・所有物妨害予防請求権が,学説上一般に認められている。のみならず他の物権にも――物権それぞれの内容に応じて多少の差はあるが――これらに対応するものが認められている。そしてこれを物権一般の効力として,物上請求権または物権的請求権という(ドイツ民法は所有権について規定し(985条以下),他の物権に準用する。〔略〕)。」と述べており(我妻Ⅱ・22頁),そこでは所有物妨害予防請求権にラテン語名が付いていません。この点に関しては,ボワソナアドも,旧民法財産編36条に関して所有物妨害予防訴権については言及していなかったところです(Boissonade, pp.95-97)。

 

ウ 旧民法財産編34条と根の截去権との関係

また,根の截去についても,旧民法財産編342項の「開鑿及ヒ採掘(excavations, fouilles et extractions de matériaux)」にぴったり当てはまらないとともに(大は小を兼ねるのでしょうが,それでも,邪魔物たる隣地からの根の截去は,有益物であろうし,かつ,土地所有者の所有物又は無主物たるべきものであろうmatériauxの採掘に含まれ得るものでしょうか。),相隣関係なので地役の章を見なければならず(旧民法財産編344項),そこで同章を見れば,旧民法財産編261条は井戸,用水溜,下水溜及び糞尿坑,地窖並びに水路用石樋及び溝渠を穿つについて分界線から保つべき距離を規定しており,すなわち,分界線付近で穴を掘ることは注意してすべきものとされてあるところ,隣地から侵入して来た根の截去のための土堀りは分界線からどれだけ離れてすべきか,又は分界線に接してすることができるかは,やはり明文で規定されるべきものだった,とも考えられないものでしょうか。あるいはこじつけ気味に,第25回法典調査会における前記土方=梅問答にヒントを探してみると,旧民法財産編2624項は,竹木の存在する隣地を要役地とし,その枝又は根が侵入する土地を承役地とする地役権の存在を否定する趣旨であるように解されます(梅の言う「時効ニ依テ取得」するものは,地役権でしょう。)。旧民法財産編2621項から3項までは竹木の栽植又は保持において保つべき分界線からの距離を規定していますが,当該距離を保ちさえすればあとは枝又は根の侵入について隣地に対する地役権までが付随して認められるというわけではないよ,ということが同条4項の趣旨だったということもできないでしょうか。

しかし,さかしらなこじつけは,素直な事実認識を阻害しそうではあります。

結局のところ,越境した根の所有権の帰属はどうなっていたのでしょうか。

ちなみに,ある土地に生立している草木(及びその根)は土地の本質的構成部分となるという,いささか重たい表現である例のドイツ民法941項後段に相当する明示規定は,管見の限り旧民法にはないようです。旧民法財産編81項第5本文は「樹林,竹木其ノ他植物」を「耕地,宅地其他土地ノ部分」(同項第1)と並置して「性質ニ因ル不動産」としており(「性質ニ因ル不動産」は,その性質に因り遷移することを得ない物(同編7条)),同編81項第5ただし書を承けた同編12条は「植木師及ヒ園丁カ売ル為メニ培養シ又ハ保存シタル草木」(第3)及び「収去スル為メニ譲渡シタル樹木及ヒ収穫物」(第4)のような「仮ニ土地ニ定著セシメタル物」を「用法ニ因ル動産」としています。ただし,ボワソナアドは,樹林,木,小低木及びその他の植物並びに果実及び収穫物について,「土地から(du sol)分離して動産にすることが非常に容易(bien facile)な物であるが,そこにつながっている間は,それと一体をなし(tant qu’ils y sont attachés, ils font corps avec lui),かつ,性質上の不動産である。」とし,また,「栽植又は播種の場合,木及び種子は,なお根を下ろしていなくとも,地中に置かれるとともに不動産となる。」と述べています(Boissonade, p.35)。

 

(3)「ローマ法的解決」

 隣地の竹木から侵入して来た根の被侵入地内における所有権について,旧民法は土地所有者帰属説及び竹木所有者帰属説のうちどちらを採っていたのかがなおよく分からないのであれば,同法の母法たるフランス民法についてそれを問うべし,ということになります(我が民法233条と同様の規定として,フランス民法673条が存在します。当該条文は,後に御紹介します。)。ということで筆者は,頑ななる我がPCに手を焼きつつ,おフランス語でインターネット検索を重ねたのですが,そこで思わぬ収獲がありました。

フランス民法の淵源であるところのローマ法においては,隣地に侵入した根(radix)について樹木所有者帰属説が採られていたことが分かったのです(フランス民法及び我が旧民法も同説採用でしょう。)。日本民法の解釈問題は残るとしても,筆者の問題意識の主要部分はこれでひとまず解消したようです。

 当該収獲は,1823年にパリのImprimerie de Dondey-Dupréから出版されたポチエ(R.J.Pothier)の『ユスティニアヌスの学説彙纂(Pandectae Justinianeae, in Novum Ordinem Digestae, cum Legibus Codicis et Novellis quae Jus Pandectarum Confirmant, Explicant aut Abrogant)』第19巻の538-539頁にありました(Lib.XLVII. Pandectarum Tit.VII: III)。

 

   Non ideo minus autem furtim caesa arbor videbitur, quod qui radices hujus caecidit, eas in suo s[o]lo caecidit.

  (しかし,木の根を截った者が彼の地所でそれをしたからといって,それだけより窃盗的にではなくその木が伐られたことにはならない。)

   Enimvero si arbor in vicini fundum radices porrexit, recidere eas vicino non licebit: agere autem licebit non esse ei jus, sicuti tignum aut protectum immissum habere. Si radicibus vicini arbor aletur, tamen ejus est, in cujus fundo origo ejus (1) fuerit. l.6. §2. Pomp. lib.20. ad Sab.

  (確かに,「木が隣人の地所に根を伸ばした場合,当該隣人はそれを截ることはできない。彼に権利はない。しかし,梁又は廂が侵入してきたときと同様に行動することはできる。隣人の木がその根で養分を吸収するとしても,しかしそれは,それが最初に生えた場所がその地所内にある者のものである1。」6節第2款ポンポニウス第20編サビヌスについて

 

    (1Nec obstat quod in institut. lib.2. tit.1. §31 dicitur, ejus arborem videri, in cujus fundo radices egit. Hoc enim intelligendum quum integras radices egit, ita ut omnino ex hoc solo arbor alatur. Quod si mea arbor extremas du[m]taxat radices egerit in solo vicini: quamvis haec inde aliquatenus alatur, tamen mea manet; quum in meo solo et radicum maxima pars, et origo arboris sit.

     (『法学提要』第2編第1章第31節において,その地所に根が張った者に木は属するものと見られるといわれていることは,妨げにならない。それは,当該土地からその木が全ての養分を吸収するように全ての根が張っている場合のこととして理解されるべきものなのである。私の木が隣人の土地にせいぜい根の先端を延ばしたとして,その木がそこから幾分かの養分を吸収したとしても,根の大部分が,及び木の生え出した場所が,私の土地内にあれば,それは依然私のものである。)

 

ローマ法では,隣地の木の根が境界線を越えるときであっても,被越境地の所有者はその根を切り取ってはならないのでした。その理由は,隣人の梁や廂が侵入してきたときと同様に振る舞えというところからすると,越境した根はなお,その木の所有者の所有に属するから,ということになるわけでしょう。この点,S.P.スコットのDigesta英訳(1932年)では“but he can bring an action to show that the tree does not belong to him; just as he can do if a beam, or a projecting roof extends over his premises.(しかし,彼は,ちょうど梁又は廂が彼の地所に突き出てきたときにできるように,その木は彼のものではないことを示すために訴えを提起することができる。)となっていますnon esse ei jus”の不定法句は,agereを言説動詞とした,間接話法の内容ということでしょうか。当該不定詞句は,ポチエのフランス語では最後の文にくっつけて訳されていて,筆者の頭を悩ませたのでした。)

邦語でも「地下にある〔突出してきた〕根についても,これを切断させることが,可能です。相手方がその作業をしないときには,その人が自力で〔略〕根を切り取る行動に出ても差し支えありません。これは,法上許された「自力救済」の一つのパターンですね。」ということが紹介されています(柴田光蔵「ROMAHOPEDIA(ローマ法便覧)第五部」京都大学学術情報リポジトリ・紅(20184月)37頁)。自力截去は直ちにはできません。「又我が樹木根が隣地[に]出でるときは,隣人はこれを有害と認むるときは任意にこれを除去することを得。」というのは(吉原達也編「千賀鶴太郎博士述『羅馬法講義』(5)完」広島法学333号(2010年)85-86頁),反対解釈すると任意の除去は有害のときに限られ,無害のときは手を出せないということですが,これは当該越境樹木根の所有権を当該隣人が有していないからでしょう。

ローマ法においては,木の所有権は,その木が最初に生えた場所(origo)の属する土地の所有者に属する,ということでよいのでしょうか。註では根の大部分の所在をも要件としていますが,本文の方が簡明であるようです。

なお,名詞origoは,動詞oririに由来し,当該動詞には太陽等の天体が昇るという意味もあります(おやじギャグ的に「下りる」わけではありません。)。日出る東方を示すOrientの語源ですね。


(4)ボワソナアドの旧民法財産編262条4項解説探訪(空振り)

なお,民法財産編2624項の趣旨をボワソナアドのProjetに尋ねてみても,空振りです。同条はフランス民法の1881820日法による改正後671条から673条まで及びイタリア民法579条から582条までを参考にしたものであること並びに旧民法財産編262条における分界線・竹木間距離保持規定の目的は通気及び日照の確保による居住及び耕作の保護であり,「市街地では木は実用のためというよりは楽しみのためのものであるし,田園地においてはその広さが規定された距離を容易に遵守することを可能とすることから」,法は遠慮なし(sans scrupules)に所有権者の自由を制限しているものであることは説かれていますが,同条4項について特段の説明はありません(Boissonade, pp.565, 568-570)。

 

(上)日本民法:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900158.html

(下)フランス民法及びドイツ民法第一草案:

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900162.html