(上)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078601732.html(申命記第22章5節,禮記及び違式詿違条例)

(中)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078601795.html(セーヌ県警視総監命令等)


6 東京地方裁判所令和元年12月12日判決

 東京違式詿違条例62条及び他の違式詿違条例における応当規定が旧刑法の施行に伴い1881年限りをもって消滅(警察犯処罰令32号は度外視しましょう。)していたところの我が国ですが,出生した時に割り当てられた性別(男性)と自認している性別(女性)とが一致しない状態の者であって,専門医から性同一性障害の診断を受けているもの(性別適合手術を受けておらず,戸籍上の性別はなお男性)を原告として,原告が女装して勤務しているその職場(国の官庁)における処遇に関して国が訴えられた国家賠償請求事件に係る興味深い判決が令和元年(2019年)1212日に東京地方裁判所(江原健志裁判官(裁判長),清藤健一裁判官及び人見和幸裁判官)から出ています(判タ1479121頁)。異性装について論ずる本稿にとって関係が深そうな論点について見てみると,同裁判所は,次のような判示をしています。

 

  (1)イ 〔前略〕性別は,社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして取り扱われており,個人の人格的な生存と密接かつ不可分のものということができるのであって,個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができるということは,重要な法的利益として,国家賠償法上も保護されるものというべきである。このことは,性同一性障害者特例法が,心理的な性別と法的な性別の不一致によって性同一性障害者が被る社会的な不利益の解消を目的の一つとして制定されたことなどからも見て取ることができる。〔後略〕

 

  (11)ア 〔略〕b原告の直属の上司(班長でしょうか。)であって,20143月末で定年退職予定〕が平成25年〔2013年〕117日面談において,原告に対して当該発言〔「なかなか手術を受けないんだったら,もう男に戻ってはどうか」〕とおおむね同じ内容の発言をしていたことを認めることができる。

     イ そこで,検討するに,このようなbの発言は,その言葉の客観的な内容に照らして,原告の性自認を正面から否定するものであるといわざるを得ない。

       〔略〕bは,「なかなか手術を受けないんだったら,服装を男のものに戻したらどうか」という発言をしたものであって,当該発言は,原告の性自認を否定する趣旨でされたものではない旨を主張している。しかしながら,性別によって異なる様式の衣服を着用するという社会的文化が長年にわたり続いている我が国の実情に照らしても,この性別に即した衣服を着用するということ自体が,性自認に即した社会生活を送る上で基本的な事柄であり,性自認と密接不可分なものであることは明らかであり,bの発言がたとえ原告の衣服に関するものであったとしても,客観的に原告の性自認を否定する内容のものであったというべきであって,上記(1)イのとおり,個人がその自認する性別に即した社会生活を送ることができることの法的利益としての重要性に鑑みれば,bの当該発言は,原告との関係で法的に許容される限度を超えたものというべきである(なお,被告は,bがそのような発言に至った事情として,丙〔原告の勤務部署〕において原告が性別適合手術を受けていないことを疑問視する声が上がっていたことや,当時の原告の勤務態度が芳しいものではなかったことなどを主張しているが,これらの事情を客観的に裏付ける的確な証拠はないし,仮にそのような事情があったとしても,上記の法的な評価を左右するに足りるものではないというべきである。)。

     ウ したがって,bによる上記の発言は,原告に対する業務上の指導等を行うに当たって尽くすべき注意義務を怠ったものとして,国家賠償法上,違法の評価を免れない。

 

 「なかなか手術を受けないんだったら,服装を男のものに戻したらどうか」との問題発言の問題性は,金銭換算すれば10万ないしは20万円でしょうか。「原告は,上記のとおり経産省が本件トイレに係る処遇を継続したことによって,個人がその自認する性別に即した社会生活を送ることができるという重要な法的利益等を違法に制約されるとともに,上記のbの発言によって性自認を否定されたものと受け止めざるを得ず,これらによって多大な精神的苦痛を被ったものと認めることができる。この制約された原告の法的利益等の重要性,本件トイレに係る処遇が継続された期間が長いことその他本件に現れた一切の事情を考慮すると,これらに対する慰謝料の額としては,合計120万円と認めるのが相当である。」と判示されているところ(本件判決第3の4(1)),120万円のうちその大部分は「本件トイレに係る処遇問題」に対応するのでしょうが,その対応部分が,切りのよい100万円を下回ることはないのでしょう。そうなるとbの発言に対応する部分は20万円以下ということになります。なお,不法行為による損害についての慰謝料額は,「事実審の口頭弁論終結時までに生じた諸般の事情を斟酌して裁判所が裁量によって算定」します(最判平9527民集5152024頁。名誉毀損による損害についての慰謝料額に関する判示)。


経済産業省別館
 

(1)「性別」の決定要素,「性別」に即した社会生活を送ることができることの法律上保護される利益性及び当該生活における「性別」に即した衣服を着用することの基本性

 本件東京地方裁判所判決は,「性別」について,それに即した社会生活を送ることができることが重要な法的利益として国家賠償法(昭和22年法律第125号)上(したがって,民法の不法行為法上も)保護されるものであるとした上で,それを決定するものは,生物学的性別ではなく本人の性自認であるとする判断を示しています。(そこでの「個人がその真に自認する性別」とは,当該個人が,自己がそうであるものと「心理的」に「持続的な確信を持ち」,かつ,それに「身体的及び社会的」に「適合させようとする意思を有する」ものなのでしょう(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(平成15年法律第111号。以下「性別取扱特例法」と略します。)2条参照)。)「進歩的」なものとして歓迎される判断でしょう。しかし,そこから先の論理展開は,あるいは極めて保守的であるものと解し得るようにも思われます。

すなわち,本件東京地方裁判所判決における論理は,男女の性という二つの範疇(カテゴリー)を堅持した上で(本件原告は,飽くまでも自己の女性性貫徹の尊重を求め,「性別」に係る範疇の多様化,あるいは当該範疇の解消には直接関心を示してはいなかったようです。裁判所も,「性別は,社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして取り扱われており,個人の人格的な生存と密接かつ不可分のもの」と言う以上は,従来取扱いの性別に係る個人の「性別」をおよそなみする社会制度は全ていけないものとするのでしょう。),性自認によって自己に割り当てた男女いずれかの「性別」に即した社会生活を送ることができるという法律上保護される利益(本件原告は,飽くまでも女性としての社会生活を送りたいと主張していたのであって,他の女性職員らとはまた区別された「性的少数者」としての社会生活を送ることは希望していなかったものでしょう。また,男女の社会生活はそれぞれ異なった種類のものであるということになるのでしょう。)を定立するとともに,その「性別」に即した社会生活の基本的な内容として「性別に即した衣服を着用するということ」を直接持ち込むものと解されます。「性別に即した衣服を着用するということ」が「性自認と密接不可分なものであることは明らか」であるとまで判示されていますから,男女いずれかを自己の「性別」とする「性自認に即した社会生活を送ることができる」法律上保護される利益をあえて主張しようとする者は,まず,当該性自認に即し,伝統的な「性別によって異なる様式の衣服を着用する」ことによる(あか)し立てから始めなければならないということのようでもあります。

「性別」の重要性が再確認されるとともに,「性別」とそれに即した服装との結び付きは,むしろ強化され,より緊密化されたようにも思われます。(また,ここでの「性別」は男女の二つ限りであり,必ずどちらか一方でなければならないのでしょう。)生物学的性別と性自認による「性別」と,ということで出発点は異なるとしても,結論としては申命記第22章第5節の教えはやはり依然として守られるべきものだ,ということになるのではないでしょうか。生物学的性別のいかんを問わず,性自認上その「性別」が女性である者に対して,服装を男のものにしたらどうかなどと(のたま)う者に対しては,神の怒りならぬ,慰謝料支払を命ずる東京地方裁判所判決の鉄槌が下されます(“Non induetur mulier veste virili.” “Abominabilis apud Deum est.”)。

 

(2)「個人の人格的な生存」と関係の薄い服装の場合

 性自認が男性である男性の女装及び性自認が女性である女性の男装並びに男装でも女装でもない服装をすることに係る各利益は,本件東京地方裁判所判決における「重要な法的利益として,国家賠償法上も保護されるもの」には,なお含まれないわけでしょう。法律上保護される利益性をそう簡単に安売りするわけにはいかないものでしょう。上記各利益は「個人の人格的な生存と密接かつ不可分」な利益とまでは認められないものでしょう。なお,「ジェンダー・フリー」なるものは,2006131日付け都道府県・政令指定都市男女共同参画担当課(室)宛て内閣府男女共同参画局「「ジェンダー・フリー」について」事務連絡において,当該用語の使用は不適切である旨宣告されています。

 しかし,「個人の人格的な生存」とは具体的には何でしょうか。言葉の輝きがまぶし過ぎて,よく考えにくいところがあります。民法については,伝統的には次のように説明されるということになるのでしょう。しかし,本件判決における用語法と整合するものかどうか。

 

   近世法が,すべての個人に権利能力を認め,これを人格者(Person)とすることは,個人について,他人の支配に属さない自主独立の地位を保障しようとする理想に基づく。それなら,近世法は,この自主独立の人格者をして,いかなる手段によってその生存を維持させようとしているのであろうか。一言にしていえば,私有(●●)財産権(●●●)の絶対を認め,契約(●●)自由(●●)()原則(●●)によってこれを活用させようとしているのである。

  (我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)46頁)

 

 とはいえ,「性別は,社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして取り扱われているため,個人の人格的存在と密接不可分のものということができ」という文言は,最高裁判所第二小法廷平成31123日決定(集民2611頁)に係る鬼丸かおる裁判官及び三浦守裁判官の補足意見に出て来るものではあります。ただし,これは,性別取扱特例法31項の審判を受けられることが性同一性障害者にとって「切実ともいうべき重要な法的利益」である所以(ゆえん)を説明するという,当該審判制度の趣旨及びその設計の在り方をその利用者との関係で考えるという限定された場面で用いられた文言です。(「枕詞(まくらことば)的」文言と言うと,言い過ぎでしょうか。しかし,当該切実性・重要性は,実は論証不要の事実として既にそこにあったのではないでしょうか。)また,性別取扱特例法が性同一性障害者の「社会的な不利益の解消を目的」の一つとしているといっても,その解消方法は,同法自身,性別の取扱いの変更の審判経由の限定的なものとしています。これに対して,本件判決が「個人の人格的な生存と密接かつ不可分のもの」性から導出した「個人がその自認する性別に即した社会生活を送ることができることの法的利益」は,不法行為法を通じて,広く社会と直接かかわり,社会を拘束することになります(本件判決自身がそのことを示しています。)。このような重大な結果が,具体的な内容を有しない単なる修辞(レトリック)から生み出されるということはないはずです。

「性別」が「個人の人格的な生存と密接かつ不可分」であるのは「社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして取り扱われ」ているからであるものとされています。しかし,「社会生活や人間関係における個人の属性」とされるものは男女の別だけではないはずです。しかして,当該他の「個人の属性」全てについても,個人がその真に自認する各属性に即した社会生活を送ることができることは法律上保護される利益である,とまで本件判決は大胆かつ積極的に含意するものではないのでしょう。「性別」のみがここで特に切り出された理由が,具体的な形でもう一つ欲しかったところです。

 

(3)19世紀パリとの比較

 本件原告の場合,いわゆるカミング・アウトをする前から既に国家公務員として就職していましたから,「通常男性がするものとされている職業に従事する女性」に対するセーヌ県警視庁の男装許可証交付の要否といった問題場面とは一応無関係であったわけです。女装しなければ国家公務員の職を失い,又は減給されるということも,我が国ではないはずです。なお,19世紀フランスにおける男尊女卑についていえば,パリにおける印刷工の日給は,同一労働であっても,男が4フラン,女が2.5フランであったので,女工として勤めていた工場を辞めて,男装して「男子工」として再就職をするに至った人がいたそうです(Bard: 5)。

他方,当事者の生物学上の男女の違いはありますが(本件原告は男性),異性装を必要とする「健康上の理由(cause de santé)」が認められる場合に係る問題としては,19世紀の悩めるParisien(ne)sと関連するところがあるでしょう。

 

(4)禮記等的懸念との関係

 「経産省においても,女性ホルモンの投与によって原告が遅くとも平成22年〔2010年〕3月頃までには女性に対して性的な危害を加える可能性が客観的にも低い状態に至っていたことを把握していたものということができる(その後,原告は,平成29年〔2017年〕7月頃までには男性としての性機能を喪失したと考えられる旨の医師の診断を受けたものである。)。」ということでしたから(本件判決第3の3(1)エ),性的交渉の発生防止に特に注意を払う前記の禮記的ないしは米国諸都市の条例的(更に前記申命記第22章第5節の立法趣旨の①的)懸念は無用であったようです。

 

(5)性自認否定の不法行為における注意義務違反

 「bによる上記の〔原告の性自認否定の〕発言は,原告に対する業務上の指導等を行うに当たって尽くすべき注意義務を怠った」ものとされていますが,この場合,業務上の指導等を行うに当たっての注意義務を尽くしたとされるためには,損害賠償請求訴訟による反撃をされてしまって役所内・社内でまずい立場にならないように,よく注意して,相手方の性自認を否定するものと客観的に解され得ると予見される発言はとにかく避けろ,ということになるのでしょうか。被侵害利益の種類と侵害行為の態様との相関関係において考察せよといわれても(我妻榮『事務管理・不当利得・不法行為(復刻版)』(日本評論社・1988年)125頁参照),相手方の性自認という極めて重い法的利益を侵害すると,その行為の態様のいかんを問わずに一発アウトとなるようです。

東京地方裁判所は,性自認否定の不法行為に係る違法性成立に必要な侵害態様について説くところが多くありません。原告は「平成2111月頃の時点において二,三年以内に性別適合手術を受けることを想定している旨を述べていた」そうですから(本件判決第3の3(12)イ),それから3年余経過しても性別適合手術を依然受けていない原告に対して,「原告が性別適合手術を受けていないことを疑問視する声が上が」ることは――原告の女性としての性自認(ここでは主に,女性としての性別に「身体的」に「適合させようとする意思」の部分)の有効性ないしは強度について,変化があり得ると考える立場を採れば――あるいは無理からぬことであり(性自認が変化したのではないかとの疑問に基づく「疑問視」),当該「疑問」の存在を行為の違法性判断に当たって考慮してもよかったようにも思われますが,同裁判所は「仮にそのような事情があったとしても,上記の法的な評価を左右するに足りるものではないというべきである。」と一蹴しています。

 ところで,慰謝料は,「不愉快ノ感情」といった形での「財産以外の損害」(民法710条)を「金銭ニ見積リ以テ之ヲ賠償」するものですが(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第33版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)885頁),その前提として,民法709条ならば「権利又は法律上保護される利益の侵害」,国家賠償法1条ならば「違法」行為が必要となるところです。本件判決は,「客観的に原告の性自認を否定する内容」の発言があれば直ちに国家賠償法1条の違法性があるとするもののようです。そうであれば,「個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができる」という法律上保護される利益は,当該利益の主体に対して,その性自認を客観的に否定する内容の発言が到達したときには,それだけで直ちに侵害されてしまうものとなります。なかなか脆弱です。あとは当該主体に損害としての「不愉快ノ感情」が起こるかどうかですが,自分の意見・考え・自意識を否定するような発言を聞かされ,あるいは読まされることは,通常,不愉快の感情を催させるものでしょう(民法4161項参照)。随分窮屈です。沈黙は金,ということになるのでしょう。

敬して遠ざけるか。しかし,separate-but-equal状態では,今度は,そもそもの「社会生活を送ること」がお膳立てされていないという苦情がありそうです。

なかなか難しいなぁと嘆息して倒れることとも,堪忍してよと逃げることも,およそ許されません。「性同一性障害者の性別に関する苦痛は,性自認の多様性を包容すべき社会の側の問題でもある」(前記最決平31123鬼丸=三浦補足意見)とともに,その正面からの否定は一切許されない重大な法益たる性自認は,生物学上の性別をそのまま自己の「性別」と自認している普通の人々にもそれぞれあるはずなのでした。

 

(6)性別取扱特例法3条1項の要件の不要と同法4条1項の効果の要否と

 さて,本件判決によれば,個人がその真に自認する「性別」に即した社会生活を送ることができるという法律上保護される利益を享受するには,(当該「性別」と生物学的性別とが一致しない者については)性別取扱特例法2条の性同一性障害者であればよく(原告は性同一性障害者であるとの専門医の診断を得ています。また,同判決は,「個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができるということは,重要な法的利益として,国家賠償法上も保護されるものというべきである」との判断の理由付けに同法を援用しています。),同法31項の要件(家庭裁判所の性別の取扱いの変更の審判。その前提条件としては,特に,生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること(同項4号)及びその身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること(同項5号))の充足は不要であるということになるようです。

ただし,性別取扱特例法31項の要件を充足しなければ,「民法(明治29年法律第89号)その他の法令の規定の適用については,法律に別段の定めがある場合を除き,その性別につき他の性別に変わったものとみなす。」との規定(性別取扱特例法41項)の適用を受けることはできません。しかし,当該規定の適用前の段階で既に社会生活上の保護は受けられるわけです。

生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること,その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること等の要件を満たして家庭裁判所の審判を受けた者もそうでない者も,自認する「性別」に即して社会生活を送ることができる点では同様ということになり,周囲の人々も,その性自認を否定しないように細心の気配りをしなければならない点ではいずれに対しても同様ということになります。しかも,社会生活において,男女間で「法令の規定の適用」の結果が異なることは実はそう多くはないようです。トイレの使用についてすら,法令の規定自体がはっきりしていません。本件判決は,「トイレを設置し,管理する者に対して当該トイレを使用する者をしてその身体的性別〔生物学的な性別〕又は戸籍上の性別と同じ性別のトイレを使用させることを義務付けたり,トイレを使用する者がその身体的性別又は戸籍上の性別と異なる性別のトイレを使用することを直接的に規制する法令等の規定は,見当たらない。」との認識を示しています(本件判決第3の3(1)ア)。

 

(7)性自認と「真の」性自認と

しかしながら,その性自認(以下,性別取扱特例法2条の性同一性障害者のそれに限らないこととします。)に係る「性別」が同じものである人たちも,内部においては一枚岩ではないようです。当該「性別」が生物学的性別と一致する人たちと一致しない人たちとの間の問題はここでは措くとしても,後者の内部でも,性別取扱特例法314及び5号の要件に係る評価をめぐり対立があるようです。

 

 〔略〕身体」が重視される一方で,「装い」は軽視される傾向にあります。だから,現代の性同一性障害者の基本的な考え方のように,性別を変えるということは,イコール身体を変えること,性器の外形を変えることになってしまうのです。〔略〕

  今の日本の社会では,私のように「身体」よりも「装い」を重視し,性別を移行するのに,身体をいじらない人は少数派です。だから,性同一性障害の人からは,よく「変態」,「変態」と言われます。「三橋なんて,どんなに女を装っても,身体は変えていないのだから,裸になれば男じゃないか,それで女のふりして暮らしているのは変態だ。」ということです。〔後略〕

 (三橋順子「トランスジェンダー(性別越境)観の変容:近世から現代へ」女性学連続講演会(大阪府立大学)第5回講演(201014131頁)

 

 無論,自己を「身体的に〔略〕他の性別に適合させようとする意思」がなければ,そもそも性同一性障害者ではありません(性別取扱特例法2条)。本件東京地方裁判所判決は「個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができるという」法律上保護される利益を認めましたが,ここでいう「真に自認」の「真に」は,「身体的」にもその「性別」に適合させようとする意思の存在までを意味するもののように思われるところです。

 ここで用語を細分してみましょう。「性同一性障害者」は性別取扱特例法2条のそれとして(したがって,専門医2名以上のその旨の診断を受けています。),専門医2名以上の診断を受けていること以外の同条の要件のみを充足している者を「未診断性同一性障害者」と,未診断性同一性障害者の要件から「自己を身体的に他の性別に適合させようとする意思」の要件を除いた要件のみを充足する者を「異性自認者」と(なお,「自己を社会的に他の性別に適合させようとする意思」が無い者については,取りあえず,他者とのかかわりにおいて問題が提起されることはなさそうです。),性同一性障害者のうち性別適合手術を受ける意思のない者を「手術不希望性同一性障害者」ということにしましょう(ちなみに,本件原告が性別適合手術を受けていないのは「皮膚アレルギーが原因」であって(本件判決第3の3(12)イ),性別適合手術を受ける意思がないわけではないようです。)。

 本件東京地方裁判所の事案は性同一性障害者に係るものでしたが,その射程内には,論理上,未診断性同一性障害者も含まれそうです。異性自認者が含まれるのかどうかは,分かりません。

 手術不希望性同一性障害者と異性自認者とは別個に存在し得る理窟です。これには,前記最決平成31123日がかかわります。

 性別取扱特例法31項の審判を受けるための要件として同項4号の規定が設けられていることは憲法13条ないしは同141項に違反するのではないかという論点がかねてあり,最決平成31123日は,同号たる「本件規定は,現時点では,憲法13条,141項に違反するものとはいえない。」と判示しています(つまり,遠くない将来,違憲・不要とされる可能性がある。)。その際「性同一性障害者によっては,上記〔生殖腺除去〕手術まで望まないのに当該〔性別の取扱いの変更の〕審判を受けるためにやむなく上記手術を受けることもあり得る」との問題意識が前提とされています。すなわち,手術不希望性同一性障害者も性同一性障害者なのです。しかし,異性自認者ではないようです。性同一性障害者の定義に係る「自己を身体的に他の性別に適合させようとする意思」にも幅があり,必ずしも生殖腺除去手術を受ける意思までを必要とするものではない,と最高裁判所は考えているようです。(身体的に適合させようとする意思があるのならば,その意思に従った効果(医術的に可能な最大限の適合=性別適合手術による適合)を発生させるという決意が当然伴われており,かつ,当該決意は事故なき限り必ず貫徹される,という単純なことではないようです。)。手術不希望性同一性障害者と異性自認者にとどまるものとの切り分けは,実はなかなか微妙ではないかとも思われますが,専門的技術的知見を有する専門医にとっては問題とはならないものなのでしょう。あるいは,異性自認者という概念設定の方に無理があるということになるのかもしれません。

 また,本件東京地方裁判所判決は,個人の真の性自認という,意思の要素を専ら強調していますが,社会生活の実際の現場においては,当該意思の有無をどう判断するかは難しい問題でしょう。事実上は,提示可能な診断書とともに専門医2名以上からその旨の診断を得て性同一性障害者にならなければ「性自認に即した社会生活を送ることができる」という東京地方裁判所折角の法律上保護される利益の保護は画餅に帰するということになるのでしょうか。しかし,本件判決の意思主義的論理は,専門医の診断という制度的要件を不要のものとするはずです。