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我,日本の柱とならん(東京都大田区池上本門寺)

1 電波的無

 筆者はかつて電波法(昭和25年法律第131号)関係の仕事をしていたのですが,電波を利用した通信は無線通信ということで,「無」の付く略号をよく見たものです。

 

   無,というのはニヒルだなぁ。

   色即是空。煩悩を去った涅槃の境地に近い業界なのかしらね,これは。

 

 と思ったものですが,実は電波法の規定自体が,深い煩悩を蔵するものとなっています。冒頭部総則の第2条等から若干御紹介しましょう。

 電波法22号は「「無線電信」とは,電波を利用して,符号を送り,又は受けるための通信設備をいう。」と,同条3号は「「無線電話」とは,電波を利用して,音声その他の音響を送り,又は受けるための通信設備をいう。」と定義しています。したがって,同条4号の「無線設備」も通信設備かといえば,実は案に相違してそうではないのです。同号は,「「無線設備」とは,無線電信,無線電話その他電波を送り,又は受けるための電気的設備をいう。」と定義していて,無線設備は通信設備に限定されてはいません。電波法2条に関して,「ここに通信設備という語を使用しているがこの通信とは意思,観念,感情等の人の精神活動を伝達することをいう」とされていますから(荘宏=松田英一=村井修一『電波法放送法電波監理委員会設置法詳解』(日信出版・1950年)(以下,かつての業界での言い方に倣って「三法詳解」といいます。)81-82頁),「人の精神活動を伝達」するものではない「ラジオゾンデ,レーダー,方向探知機等は無線設備」ではあっても(三法詳解82頁),確かに通信設備ではないのでしょう。なかなか面倒臭い。「放送は音響送受のみを行う限りその設備は無線電話であるが,テレビジョンは放送の形式により行われてもそれは無線電話ではない無線設備でありトーキーを伴うときは無線電話との混合設備となる」ということですから(三法詳解82頁),指先をシャカシャカ仏の名のように動かしてはいるもののいかにも煩悩まみれに背中を丸めて皆さんのぞき込んでいるスマート・フォンの類は,専ら無線電話である,ということではなくて,無線電話との混合設備たる無線設備なのでしょう。

 更にまた電波法が面倒なのは,同法41項の無線局の免許又は同法27条の181項の無線局の登録の対象は無線設備ではないことです。すなわち,無線局と無線設備とは別のものなのです。電波法25号は,「「無線局」とは,無線設備及び無線設備の操作を行う者の総体をいう。但し,受信のみを目的とするものを含まない。」と規定しています。例えていえば,電波によって鉄人28号を操縦する正太郎君と当該電波を発射するリモコンとの総体が無線局であって,リモコンそれのみではいかに大事であっても無線設備にすぎないということになります(電波法25号本文)。鉄人28号は,電波を受けて操縦されていることは確かですが,自らは電波を発射しないのであれば無線設備(電波を受けるための電気的設備)ではあっても無線局ではないということになります(電波法25号ただし書)。この無線局の概念については,「無線設備とその操作を行う者とを包含する一つの運行体を無線局といい,免許その他の点で単なる無線設備とは異る法の規律の下に置かれている。」と説明されています(三法詳解83頁)。当該「運行体」について,塩野宏教授の論文には,「法は端的に,人的物的総合体と定義しているのであって,伝統的な行政法学上の用語をもってすれば,組織法的な意味での営造物が無線局ではないであろうか」と述べられています(塩野宏「放送事業と行政介入―放送局免許法制を中心として―」同『放送法制の課題』(有斐閣・1989年)81頁注(44))。

「営造物」については,「国又は公共団体により特定の公の目的に供される人的物的施設の統一体をいうのが通常の用法である。地方財政法23条〔略〕等において使用されているが,個々の設備を指すのでなく,一定の目的の下に統一して考えられる施設の全体を指す。学問上は,「公企業」という場合が多い。」と説明されています(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)33頁)。地方財政法(昭和23年法律第109号)231項は「地方公共団体が管理する国の営造物で当該地方公共団体がその管理に要する経費を負担するものについては,当該地方公共団体は,条例の定めるところにより,当該営造物の使用について使用料を徴収することができる。」と規定しています。1936年段階の行政法学においては,営造物の例として官立の大学,郵便,鉄道及び簡易生命保険が挙げられつつ(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)482頁),法人格までを有する営造物法人の「実例は唯我が歴史的な固有の制度としての神宮及び神社に於いてのみ,これを見ることが出来る。」とされていました(同661頁)。より最近の説明では,「法人格を有する独立営造物を営造物法人ということがある。三公社とか地方住宅供給公社・地方道路公社・土地開発公社・港務局等は独立営造物の例とされ,国公立学校・図書館・病院等は非独立営造物の例としてあげられる。」とされています(田中二郎『新版行政法中巻全訂第2版』(弘文堂・1976年)327頁)。「三公社」とは,かつての日本国有鉄道,日本電信電話公社及び日本専売公社のことです。なお,国家賠償法(昭和22年法律第125号)21項の「営造物」は「組織法的な意味での営造物」ではありません。同項の営造物は「行政主体により特定の公の目的に供用される建設物又は物的設備」を指すものであって「大体,公物の概念に相当」し,「特に営造物の概念を構成する必要はない」ものです(田中325頁)。

 「組織法的な意味での営造物」たる無線局には人の要素が入って来ます。我々法律家も,時に人でなし呼ばわりされますが,やはり人です。しかし,困ったことに,無線通信を愛好する法律家協会は「無法協」であるということです(山内貴博「無線通信と法の支配~「無法協」へのお誘い~」自由と正義6611号(201511月号)8頁)。何と,法律家であっても,無線通信絡みでは,電波法もものかは「無法」状態となるのです。仏「法」僧の三宝への帰依を通じた涅槃の境地どころか,由々しい事態です。

 「無」の語は軽々に用いるべきではないのでしょう。

 しかしながら,我々の貴重する諸権利も,所詮形無きものなのです。

 

  或ハ之〔工業所有権〕ヲ無形財産権〔略〕ト称スル者アリト雖モ,総テノ権利ハ皆無形ニシテ有形ノ財産権アルニ非ズ,唯権利ノ目的物ガ或ハ有体物タリ或ハ無体物タルノミ,故ニ無形財産権ノ名称ハ取ラズ(美濃部達吉『行政法撮要下巻〔第3版〕』(有斐閣・1938年)522頁)

 

「総テノ権利ハ皆無形ニシテ」と言われれば,確かにごもっとも,と答えざるを得ません。

 

2 無から知へ

しかし,「無体物権」という名称(美濃部・撮要下522頁)もやはり何やら物哀しいのか,日本人は「知的」なるものが好きなのか,最近は知的財産権という言葉が用いられます。「知的財産権」とは,「特許権,実用新案権,育成者権,意匠権,著作権,商標権その他の知的財産に関して法令により定められた権利又は法律上保護される利益に係る権利」をいいます(知的財産基本法(平成14年法律第122号)22項)。21世紀においては「内外の社会経済情勢の変化に伴い,我が国産業の国際競争力の強化を図ることの必要性が増大している状況」であるので,「新たな知的財産の創造及びその効果的な活用による付加価値の創出を基軸とする活力ある経済社会を実現する」のだ,「知的財産の創造,保護及び活用」が重要なのだということです(知的財産基本法1条参照)。

しかして我々人民は,知的財産との関係でお国からどのように教育されてしまうのかといえば,「国は,国民が広く知的財産に対する理解と関心を深めることにより,知的財産権が尊重される社会が実現できるよう,知的財産に関する教育及び学習の振興並びに広報活動等を通じた知的財産に関する知識の普及のために必要な施策を講ずるものとする。」ということです(知的財産基本法21条)。当該国民の「理解と関心」は,まず,「知的財産権」って何だかすごいのだぞ,そのすごい「知的財産権」を自分も持っているのかなと見回せばここにあったぞ,だからそのすごいこの「知的財産権」を皆は尊重しなければいけないのだぞ,というようなところから始まるのでしょうか。お互い気遣いが必要です。

 

3 「物に関するパブリシティ権」と所有権

 知的財産権の尊重が進んだ昨今は,「物に関するパブリシティ権」までが主張されているそうです。「パブリシティ権は,著名人などの氏名・肖像に伴う経済的価値を保護するものであるが,物や動物にもパブリシティ権があるとする捉え方もある。ある物や動物の形態等が経済的価値を有する場合に,その利用をコントロールする権利として捉える考え方である。」とのことです(作花文雄『詳解 著作権法(第5版)』(ぎょうせい・2018年)161頁)。

 「物に関するパブリシティ権」に関しては,「物や動物等の所有権の使用・収益権の権利内容として,どの範囲にまで及ぶかという観点から,いくつかの判決が出されている」そうです(作花161頁)。「有体物に対する排他的支配権である所有権の射程を無体財産権的に構成しているとも考えられる。」とのことです(作花161頁)。

所有権の効力の問題ということですが,我が民法206条は,所有権の内容を「所有者は,法令の制限内において,自由にその所有物の使用,収益及び処分をする権利を有する。」と規定しています。旧民法財産編(明治23年法律第28号)30条では「所有権トハ自由ニ物ノ使用,収益及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ謂フ/此権利ハ法律又ハ合意又ハ遺言ヲ以テスルニ非サレハ之ヲ制限スルコトヲ得ス」と規定されていたところです。フランス民法544条には 

“La propriété est le droit de jouir et disposer des choses de la manière la plus absolue, pourvu qu’on n’en fasse pas un usage prohibé par les lois ou par les règlements.”(所有権は,法令によって禁じられた用法ではない限りにおいて,最も絶対的な方法によって物を使用収益し,及び処分する権利である。)と規定されています。ローマ法学の後期注釈学派(13世紀半ばから16世紀初頭まで)の定義では,“Dominium est ius utendi e abutendi re sua, quatenus iuris ratio patitur.”(所有権(dominium)とは,自己の物(res sua)を法理(juris ratio)が許容する(pati)範囲内で(quatenus)使用し(uti),及び消費する(abuti)権利(jus)である。)ということであったそうです(O.ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法―ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)166頁参照)。Dominiumとは,厳めしい。

 

   東京地裁昭和52317日判決「広告宣伝用ガス気球」事件(判例時報86864頁)では,「所有者は,その所有権の範囲を逸脱しもしくは他人の権利・利益を侵奪する等の場合を除いて,その所有物を,如何なる手段・方法によっても,使用収益することができる(従って,所有物を撮影してその影像を利用して使用収益することもできる。),と解すべきである。さらに,第三者は・・・他人の所有物を如何なる手段・方法であっても使用収益することが許されない(従って,他人の所有物を撮影してその影像を利用して使用収益することも許されない。),と解すべきである。」とされている(ただし,本件事案では,原告の権利を侵害することについての予見可能性がなかったとして請求は棄却)

   高知地裁昭和591029日判決「長尾鶏」事件(判例タイムズ559290頁)は,本件被告が長年の品種改良の末に育成した長尾鶏を本件原告が写真撮影し観光写真として販売したことに対して,本件被告が著作権侵害等を理由として本件原告を被告として提訴し,後日請求放棄したが,この本件被告の提訴により本件原告が精神的苦痛等を被ったとして損害賠償請求した事件である。

   本判決では,長尾鶏の著作物性を否定した上で,「本件長尾鶏には・・・独特な美しさがあり,その管理,飼育にもそれなりの工夫と人知れぬ苦労があり,永年の努力のつみ重ねの結果,ようやくにしてこれが育て上げられたものであることを考えると,本件長尾鶏を写真にとったうえ絵葉書等に複製し,他に販売することは,右長尾鶏所有者の権利の範囲内に属するものというべく,その所有者の承諾を得ることなくして右写真を複製して絵葉書にして他に販売する所為は,右所有権者の権利を侵害するものとして不法行為の要件を備えるものとみられ,右権利を侵害した者はその損害を賠償する義務がある。」(したがって以前した本件被告の提訴は「主張する権利が立証不能な違法不当なものであるとまではいえない」「被告が提起した訴が原告主張の如き不法行為に当たるとは認めがたい」)と判示されている。

   神戸地裁平成31128日判決「サロンクルーザー」事件(判例時報1412136頁)では,「原告は,本件クルーザーの所有者として,同艇の写真等が第三者によって無断でその宣伝広告等に使用されることがない権利を有していることが明らかである。」と判示されている(ただし,被告は本件クルーザーの写真を雑誌に掲載されたことにより「原告が蒙った損害を賠償すべき責任があるといわざるを得ない」と判示されているものの,実際に認定された損害の内容としては本件クルーザーのパブリシティ的価値というよりも,本件クルーザーが売りに出されているとの誤解,原告経営のホテルの経営悪化などに係る「信用,名誉の侵害による原告の損害は,弁護士費用分も含めて100万円が相当」とされている)

  (作花161-162頁)

 

 私の所有物を無断で写真撮影してその影像を勝手に使用収益するのはひどいじゃないですか!との所有者の怒りは正当なものであって,当該怒れる所有権者から不法行為に基づく損害賠償請求の訴えを起こされても,(実際に損害の賠償までせねばならなくなるかどうかはともかくも)横着に写真撮影等をしてしまった者は訴訟対応の苦労を甘受しなければならない,ということでしょうか。なかなか剣呑です。銅像等を自分で撮影した写真を当ブログに掲載することの多い筆者としてはドキドキしてしまいます。「このような一連の判決には,所有権と知的財産権との法制的な関係が整理されて判示されておらず,判然としない面が残る。」とは(作花162頁),もっともな批判です。

 さすがに最高裁判所第二小法廷昭和59120日判決(民集3811頁)は,「所有権は有体物をその客体とする権利であるから,美術の著作物の原作品に対する所有権は,その有体物の面に対する排他的支配権能であるにとどまり,無体物である美術の著作物自体を直接排他的に支配する権能ではない」,著作権法(昭和45年法律第48号)451項及び47条の定めも「所有権が無体物の面に対する排他的支配権能までも含むものであることを認める趣旨のものではない」と判示しています(「顔真卿自書建中告身帖」事件)。

ただし,上記最高裁判所判決の次の判示部分は少し考えさせられるところです。いわく,「博物館や美術館において,著作権が現存しない著作物の原作品の観覧や写真撮影について料金を徴収し,あるいは写真撮影をするのに許可を要するとしているのは,原作品の有体物の面に対する所有権に縁由するものと解すべきであるから,右の料金の徴収等の事実は,一見所有権者が無体物である著作物の複製等を許諾する権利を専有することを示しているかのようにみえるとしても,それは,所有権者が無体物である著作物を体現している有体物としての原作品を所有していることから生じる反射的効果にすぎないのである。」と。すなわち,物の写真撮影に許可を要することは,たとえ「反射的効果」にすぎないとしても,当該物自体の所有権に基づいて求め得るものなのであると解し得るような判示であるとも思われます。しかし,やはり「反射的効果」なのですから,当該物の所有権に直接根拠を有するものではないのでしょう。筆者としては,「美術館所蔵(著作権を有していない場合)の絵画について,観覧者が写真撮影することを美術館の管理権により規制することは可能」(作花162頁)というような表現の方が落ち着くのですが,どうでしょうか。「対象物が著作権の原作品や複製物である場合などは別として,通常の有体物である場合,その写真撮影などは,それ自体としては一般的には当該所有者の権利侵害とはならないものと考えられる。」(作花164頁)というのが,常識的な見解というものでしょう。

東京地方裁判所平成1473日判決(判時1793128頁・判タ1102175頁)は,長野県北安曇郡池田町の(かえで)(acer)の大木(「大峰高原の大かえで」)及び当該楓の生育している土地の所有者による当該楓の所有権に基づく当該楓の写真を掲載した写真集書籍の出版差止めの請求について「所有権は有体物をその客体とする権利であるから,本件かえでに対する所有権の内容は,有体物としての本件かえでを排他的に支配する権能にとどまるのであって,本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版したりする排他的権能を包含するものではない。そして,第三者が本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版,販売したとしても,有体物としての本件かえでを排他的に支配する権能を侵害したということはできない。したがって,本件書籍を出版,販売等したことにより,原告の本件かえでに対する所有権が侵害されたということはできない。/したがって,原告の上記主張〔「本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版等する権利は,本件かえでの所有者たる原告のみが排他的に有する」〕は,主張自体失当である。」と一刀両断にしています。原告による前記「広告宣伝用ガス気球」事件,「長尾鶏」事件及び「サロンクルーザー」事件各判決の援用も空しかったところです。当該楓に係る所有権の侵害が認められなかった以上,当該楓の所有権侵害の不法行為に基づく原告の損害賠償請求も棄却されています。ただし,裁判所は,木を見てその所在する土地を見なかったもののようである原告に対して,土地の所有権の効能に注意を向けるべく付言しています。いわく,「しかし,原告が,本件土地上に所在する本件かえでの生育環境の悪化を憂慮して,本件かえでの生育等に悪影響を及ぼすような第三者の行為を阻止するためであれば,本件土地の所有権の作用により,本件かえでを保全する目的を達成することができる。既に述べたとおり,現に,原告は,本件土地への立ち入りに際しては,本件かえでの生育等に悪影響を及ぼす可能性のある行為をしてはならないこと,許可なく本件かえでを営利目的で撮影してはならないことを公示しているのであるから,第三者が上記の趣旨に反して本件土地に立ち入る場合には,原告は当該立入り行為を排除することもできるし,上記第三者には不法行為も成立する。」と。


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こちらは,みずなら(quercus crispula)の木(札幌市南区真駒内泉町)

 

4 公開の美術の著作物等と著作権法46

 ところで,屋外で撮る銅像等の美術の著作物及び建物の写真については,著作権法46条に救済規定があります。

 

   (公開の美術の著作物等の利用)                          

46 美術の著作物でその原作品が前条第2項に規定する屋外の場所〔街路,公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所又は建造物の外壁その他一般公衆の見やすい屋外の場所〕に恒常的に設置されているもの又は建築の著作物は,次に掲げる場合を除き,いずれの方法によるかを問わず,利用することができる。

   一 彫刻を増製し,又はその増製物の譲渡により公衆に提供する場合

   二 建築の著作物を建築により複製し,又はその複製物の譲渡により公衆に提供する場合 

   三 前条第2項に規定する屋外の場所に恒常的に設置するために複製する場合

   四 専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し,又はその複製物を販売する場合

 

 「街路,公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所」については,「仮に私有地であっても一般公衆に開放されていれば該当する」とされ(作花372頁),かつ,「入場に際して料金が必要とされていても,すべからく「一般公衆に開放されている屋外の場所」でないということにはならない。当該場所と美術作品の位置づけとの相関関係により捉えるべきである。例えば,入場料を徴収する公園の中に彫像を設置する場合,公園の入場料は徴収されるとしても,当該公園に入場した者は,自由にその中にある彫像を観覧することができ,また,その入場料は当該観覧の対価としての趣旨はないと通常では考えられ,その意味では「一般公衆に開放されている屋外の場所」に設置されていると考えられる」とされる一方(同373頁),「美術館内や美術館の中庭などは屋外ではないと解される。美術館の前庭で外部から観覧できる位置に設置されている美術作品の場合,入場者に対して観覧させる目的で設置されていると考えられ,美術館のこのような設置態様は「一般公衆に開放されている屋外の場所」への設置とは言えない」とされています(同372頁)。

 著作権法461号の場合は,「彫刻(この彫刻には彫塑を含む)を彫刻としてそのレプリカを作成する場合」です(作花374頁)。

 なお,著作権法4813号によって,同法46条の規定により著作物を利用する場合において「その出所を明示する慣行があるとき」は当該著作物の出所を明示しなければならないものとされていますので(違反者には同法122条により50万円以下の罰金),当該慣行が存在しているかどうかが問題となります。この点,文化庁ウェブ・サイトの「著作権なるほど質問箱」の「著作権QA」における著作権法46条に係る質問(「公園に設置されている彫刻は,屋外の場所に恒常的に置いてある美術の著作物として,大幅な自由利用が認められていると考えていいのですか。」)に対する回答は,出所の明示義務に触れていません(「販売を目的として複製すること,屋外の場所に恒常的に設置するために複製することなど著作権法で定める限られた場合を除き,複製,公衆送信などの利用方法を問わず,著作権者の了解なしに,彫刻を利用することができます(第46条)。例えば,当該彫刻を写真に撮って無料頒布のカレンダーに入れることや,ドラマの撮影の背景にすることなども自由に行うことができます。」)。すなわち当局としては,出所明示の慣行の存在を認識してはいないということなのでしょうか。なお,この「出所の明示」を行うことになったときには,「当該著作物につき表示されている著作者名」を示さなければならないほか(著作権法482項),著作物の題号の表示は基本的な事柄であり,美術作品の場合であれば作品の所有者や設置場所などの表示が望まれるそうですから(作花393-394頁),なかなか大変です。

 著作権法46条の趣旨については,「横浜市営バス車体絵画掲載」事件に係る東京地方裁判所平成13725日判決(判時1758137頁・判タ1067297頁)において「美術の著作物の原作品が,不特定多数の者が自由に見ることができるような屋外の場所に恒常的に設置された場合,仮に,当該著作物の利用に対して著作権に基づく権利主張を何らの制限なく認めることになると,一般人の行動の自由を過度に抑制することになって好ましくないこと,このような場合には,一般人による自由利用を許すのが社会的慣行に合致していること,さらに,多くは著作者の意思にも沿うと解して差し支えないこと等の点を総合考慮して,屋外の場所に恒常的に設置された美術の著作物については,一般人による利用を原則的に自由にした」ものと判示されています。

 ところで,市営バスは移動し,また夜間は車庫内に駐車されるので,市営バスの車体に描かれた美術の著作物は「恒常的に設置されているもの」ではないのではないかが問題になり得ます。しかしながら,上記東京地方裁判所判決は,「広く,美術の著作物一般について,保安上等の理由から,夜間,一般人の入場や観覧を禁止することは通常あり得るのであって,このような観覧に対する制限を設けたからといって,恒常性の要請に反するとして同規定〔著作権法46条柱書き〕の適用を排斥する合理性はない。」,「確かに,同規定が適用されるものとしては,公園や公道に置かれた銅像等が典型的な例といえる。しかし,不特定多数の者が自由に見ることができる屋外に置かれた美術の著作物については,広く公衆が自由に利用できるとするのが,一般人の行動の自由の観点から好ましいなどの同規定の前記趣旨に照らすならば,「設置」の意義について,不動産に固着されたもの,あるいは一定の場所に固定されたもののような典型的な例に限定して解する合理性はないというべきである。」と判示して,継続的に運行される市営バスの車体に描かれた美術の著作物について著作権法46条柱書きの適用を認めました。

 

5 著作権法46条から民法861項へ

 前記「横浜市営バス車体絵画掲載」事件判決によれば,著作権法46条の「恒常的に設置」は,民法861項の「定着物」の「定着」とは異なる概念であるということになります。民法861項は「土地及びその定着物は,不動産とする。」と規定し,同条2項は「不動産以外の物は,すべて動産とする。」と規定しているところ,動き回るバスは不動産ではなく,動産であることは明らかです(旧民法財産編11条本文は「自力又ハ他力ニ因リテ遷移スルコトヲ得ル物ハ性質ニ因ル動産タリ」と規定していました。)。

なお,「不動産に固着されたもの,あるいは一定の場所に固定されたもののような典型的な例」としての「公園や公道に置かれた銅像等」は,民法861項の土地の定着物ということになるのでしょう。「土地の定着物」とは,「(a)土地に附着する物であって,(b)継続的に一定の土地に附着させて使用されることが,その物の取引上の性質と認められるものである。」とされています(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)212頁)。「「定着物」とは,土地に固定されており,取引観念上継続的に固定されて使用されるものをいう。例えば,建物,銅像,線路,植物の苗などである。」と説明されており(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)300頁),すなわち銅像は不動産の一典型ということになります。フランス民法には,“Quant aux statues, elles sont immeubles lorsqu’elles sont placées dans une niche pratiquée exprès pour les recevoir, encore qu’elles puissent être enlevées sans fracture ou détérioration.” (彫像については,その設置のために殊更に使用される壁龕に据え付けられた場合には,破壊又は破損なしに除去し得るときであっても不動産である。)という規定があります(同法5254項)。旧民法財産編9条は「動産ノ所有者カ其土地又ハ建物ノ利用,便益若クハ粧飾ノ為メニ永遠又ハ不定ノ時間其土地又ハ建物ニ備附ケタル動産ハ性質ノ何タルヲ問ハス用方ニ因ル不動産タリ」とし,当該用方ニ因ル不動産の例として同条の第9は,「建物ニ備ヘ」られ「毀損スルニ非サレハ取離スコトヲ得サル〔略〕彫刻物其他各種ノ粧飾物」を挙げています。

 

6 銅像等とその定着する土地との関係

 ところで銅像等は,その定着する土地とは別個の独自の不動産たり得るのでしょうか。

「定着物は,すべて不動産であるが,その不動産としてのとり扱いには,差異がある。(a)一は,土地と離れて独立の不動産とみられるものであって,建物はその典型的なものであり,(b)二は,その定着する土地の一部分とされ,土地に関する権利の変動に随伴するものであって,石垣・溝渠・沓脱石などがこれに属する。前者は,独立して物権の客体となるが,後者は,原則として,土地に定着したままでは独立の物権の客体となることができず,ただ債権関係が成立しうるだけである。そして,(c)樹木は,あたかもこの中間に位するものである〔略〕。結局,土地から離れて独立の不動産となりうる定着物は,建物,立木法による立木,立木法の適用を受けない樹木の集団,個々の樹木である。」(我妻Ⅰ・213頁)とだけいわれると,そこにおいて「土地から離れて独立の不動産となりうる定着物」として挙示されていない銅像は,「石垣・溝渠・沓脱石など」と同様に,「その定着する土地の一部分とされ,土地に関する権利の変動に随伴するもの」ということになりそうです。

しかし,銅像は,線路・鉄管・庭石(場合による)などと同様に,「一般には土地の構成部分だが,それだけの取引も不可能ではなく,それだけの所有権を取得したときは,明認方法を対抗要件とする(庭石につき大判昭9725判決全集1-8-6)」と説かれています(四宮和夫『民法総則(第四版)』(弘文堂・1986年)127頁)。その背景として,銅像等については,一般の立木(りゅうぼく)と同様に,原則としては「不動産の所有者は,その不動産に従として付合した物の所有権を取得する。」として,それが付合する土地所有者の所有物となるものの(民法242条本文),権原によって付属させられたときには例外として「権原によってその物を附属させた他人の権利を妨げない。」との規定(同条ただし書)が適用されるものと解されているところです(四宮129頁補注)。民法242条ただし書の「「権利を妨げない」というのは,その者が所有権を留保する,という意味であって,単に除去または復旧の権利を有するという意味ではない」とされています(我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義Ⅱ)』(岩波書店・1984年)309頁)。

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弘法大師像(千葉県成田市成田山新勝寺)


 これに対して「石垣(大判大7413民録24-669)・敷石・くつぬぎ石・トンネル・井戸・舗装・庭石(場合による)などは,独立の所有権の客体となることはない」ものとされ(四宮126頁),民法に規定のない「土地の構成部分」という特殊な類型であるものとされています(同129頁補注。民法242条ただし書の適用はないものとされます。)。「土地の構成部分」概念については,最高裁判所昭和37329日判決(民集163643頁)において「民法861項にいう土地の定着物とは,土地の構成部分ではないが土地に附着せしめられ且つその土地に永続的に附着せしめられた状態において使用されることがその物の取引上の性質であるものをいう」と傍論ながら触れられています(下線は筆者によるもの)。「民法861項にいう土地の定着物」とは土地以外の不動産のことですから,結局「土地の構成部分」は,正に土地の構成部分として,土地の定着物としての不動産とはならないということなのでしょう。

 

7 一物一権

 ここで「一物一権主義」に触れておきましょう。当該主義について標準的に説かれているところは,「1個の物権の目的物は1個の物であることを必要とする。1個の物の上に1個の所有権が,1個の所有権は1個の物の上に成立するのが原則である(一物一権主義)。共有は1個の所有権の分属である。数個の物の上に1個の物権を成立させることはできない。目的物の特定性・独立性を確実にし,公示に便ならしめるためである。」ということでしょう(我妻=有泉15-16頁。また,内田305頁)。更に,「1個の物の一部分には独立の物権は存在しえず」ともいわれているとされています(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)162頁,同『民法概論Ⅱ(物権・担保物件)』(良書普及会・1980年)16頁)。

 それでは「1個の物」とは何だ,ということが次に問題になりますが,銅像等に係る本件絡みでは,「経済的に一応1個の物としてその価値を認められるが,構成物のそれぞれが,なお独立の価値を認められる場合(例えば地上の樹木・家屋の造作・果樹の果実)においては,法律上も,一応1個の物とする。しかし,(a)これを結合させた者が,これを結合させる正当な権(ママ)を有した場合には,この者の権利を否定すべきではないから,その者のために,独立の物としての存在を是認すべきである(242条但書参照)。また,(b)とくに独立の物として取引をなし,相当の公示方法を備えるときは,独立の物としての存在を是認すべきである」と説かれています(我妻Ⅰ・205頁)。原則として,土地及びその上の樹木(銅像)は併せて1個の土地となるということでしょう。しかしこれに対しては,「民法242条も,起草者によれば,土地とは別個の物だが土地所有権者の所有に帰するとする趣旨だった」し,植物は土地とは別個の物と立法者も考えていたとの指摘があります(星野Ⅰ・161-162頁)。確かに,梅謙次郎は民法242条について「不動産ニ附着シタル物ハ慣習上之ヲ別物トシテ観察スルモノ多キカ故ニ本条〔242条〕ニ於テハ概シテ之ヲ2物トシテ観察セリ例ヘハ土地ニ建築シタル家屋之ニ栽植シタル草木ノ如シ然リト雖モ場合ニ因リテハ到底2物トシテ之ヲ観ルコト能ハサルコトアリ例ヘハ木材ヲ以テ家屋ノ一部ニ使用シタルカ如キ又ハ壁土若クハ漆喰ヲ以テ建物,塗池其他ノ工作物ニ使用シタルカ如キ此類ナリ」と述べています(梅謙次郎『民法要義巻之二物権篇』(和仏法律学校=明法堂・1896年)152頁)。(なお,ここで付合の例として「土地ニ建築シタル家屋」が梅謙次郎によって挙げられていることは興味深いところです。「土地に建物を建てたときは,建物は土地とは別個の物であり,本条〔民法242条〕の適用がない」(星野Ⅱ・124頁)とは当初直ちにはいえず,「請負人が全ての材料を提供して建築した場合について,かつては,建物の土地への付合が問題になった。しかし,判例(大判明37622民録10861,大判大31226民録201208)と学説(鳩山秀夫・日本債権法各論(下)〔大9578,末弘厳太郎・債権各論〔大8695等)によって請負建築の建物は土地に付合しないとされた。」という経緯があったようです(五十嵐清=瀬川信久『新版注釈民法(7)物権(2)』(有斐閣・2007年)403-404頁)。)

 何だかますます分かりにくいですね。これは,一物一権「主義」が悪いのでしょうか。当該主義については,「この考え方は,ドイツ法に強いが,必ずしもすべての立法に存在するものではなく,我が学説はドイツの影響によって」言っているとのことです(星野Ⅱ・16頁)。ドイツ式です。ドイツ民法93条には,“Bestandteile einer Sache, die voneinander nicht getrennt werden können, ohne dass der eine oder der andere zerstört oder in seinem Wesen verändert wird (wesentliche Brstandteile), können nicht Gegenstand besonderer Rechte sein.”(物の構成要素であって,一方又は他方が,毀損され,又はその本質が変ぜられなければ相互に分離することができないもの(本質的構成要素)は,個別の権利の目的となることができない。)と規定されています。

土地及びその定着物に関しては,「ドイツ民法では,土地のみが不動産であり,建物や土地と結合した土地の産物は,土地の本質的構成部分となる(ド民9411文)。種は蒔くことによって,樹木は植えることによって土地の本質的構成部分となる(同項2文)。」とされています(小野秀誠『新注釈民法(1)総則(1)』(有斐閣・2018年)799頁)。「ドイツ民法は,動産と土地(Grundstück)とを対立させ」るということです(我妻Ⅰ・211頁)。問題のドイツ民法941項は,“Zu den wesentlichen Bestandteilen eines Grundstück gehören die mit dem Grund und Boden fest verbundenen Sachen, insbesondere Gebäude, sowie die Erzeugnisse des Grundstücks, so lange sie mit dem Boden zusammenhängen. Samen wird mit dem Aussäen, eine Pflanze wird mit dem Einpflanzen wesntlicher Bestandteil des Gründstücks.”(当該地所に固着させられた物,特に建物及び地面に結合している限りにおいて当該土地の産物は,土地の本質的構成要素である。種子は播種によって,植物は植栽によって当該土地の本質的構成要素となる。)と規定しています。(ただし,同法951項本文には“Zu den Bestandteilen eines Grundstücks gehören solche Sachen nicht, die nur zu einem vorübergehenden Zweck mit dem Grund und Boden verbunden sind.”(一時的な目的のみのために当該地所に付合させられた物は,土地の本質的構成要素ではない。)とあります。)更にドイツ民法は周到に所有権の面に係る規定をも有していて,同法946条は“Wird eine bewegliche Sache mit einem Grundstück dergestalt verbunden, dass sie wesentlicher Bestandteil des Grundstücks wird, so erstreckt sich das Eigentum an dem Grundstück auf diese Sache.” (動産が土地に当該土地の本質的構成要素となるように付合させられたときは,当該土地に係る所有権が当該動産に及ぶ。)と規定しています。単に土地の所有者が当該動産の所有権を取得するのではなく,土地所有権が当該動産をも呑み込んでしまうわけです。

フランス民法については,「フランス民法は,土地と一体をなす建物などは,性質による不動産immeuble par naturnature,土地に従属する物(民法の従物に近いもの)は,用途による不動産(immeuble par destination)と称する(フ民517条以下)。いずれにおいても,建物を独立の不動産としない点でわが民法と異なる。」ということですから(我妻Ⅰ・211頁),「ドイツ・フランスなどでは,地上物は土地所有権に吸収され」て「建物は土地所有権に吸収される」(四宮和夫=能見善久『民法総則(第九版)』(弘文堂・2018年)191頁)ということでよいのでしょうか。しかし,これに対しては,「フランス民法は,土地および建物は「性質による不動産」immeuble par naturnatureとされる(518条)ので,建物は土地の所有権と別個の不動産所有権の目的となるが,建物は反証のない限り土地所有者に属するものと推定される(553条〔略〕)」という非一物説的見解もあります(水本浩「借地の法政策上いま最も重要な課題」日本不動産学会誌1012号(19957月)99頁)。フランス民法518条は “Les fonds de terre et les bâtiments sont immeubles par leur nature.”(土地及び建物は,性質による不動産である。)と,同法553条は“Toutes constructions, plantations et ouvrages sur un terrain ou dans l’intérieur, sont présumés faits par le propriétaire à ses frais et lui appartenir, si le contraire n’est prouvé; sans préjudice de la propriété qu’un tier pourrait avoir acquise ou pourrait acquérir par prescription, soit d’un souterrain sous le bâtiment d’autrui, soit de toute autre partie du bâtiment.”(土地の上又は内部の全ての建造物,植栽物及び工作物は,反証のない限り,所有者がその費用によってなしたものであり,かつ,彼に帰属するものと推定される。ただし,第三者が時効により取得した,又は取得することのある,あるいは他者所有建物の下の地窖,あるいは当該建物の全ての他の部分の所有権を妨げない。)と規定しています。我が旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)81項及び2項は「建築其他ノ工作及ヒ植物ハ総テ其附著セル土地又ハ建物ノ所有者カ自費ニテ之ヲ築造シ又ハ栽植シタリトノ推定ヲ受ク但反対ノ証拠アルトキハ此限ニ在ラス/右建築其他ノ工作物ノ所有権ハ土地又ハ建物ノ所有者ニ属ス但権原又ハ時効ニ因リテ第三者ノ得タル権利ヲ妨ケス」と規定していました。なお,フランス民法5521項は “La propriété du sol emporte la propriété du dessus et du dessous. ”(土地の所有権は,上方及び下方の所有権を伴う。)と規定していますが,これは,「不動産に関する添付の権利について」(Du droit d’accession relativement aux choses immobilières)の款の冒頭規定です。

この辺に関しては “Superficies solo cedit.”との法諺がよく引用されます。しかしてその実体はいかにというと,古代ローマのガイウスの『法学提要』2.73には,“Praeterea id, quod in solo nostro ab aliquo aedificatum est, quamvis ille suo nomine aedificaverit, jure naturali nostrum fit, quia superficies solo cedit.”(さらには(praeterea),何者かによって(ab aliquo)我々の土地に(in solo nostro)建築された物は(id, quod…aedificatum est),彼が(ille)自分の名前で(suo nomine)建築した(aedificaverit)としても(quamvis),自然法により(jure naturali)我々のもの(nostrum)になる(fit)。これすなわち(quia),地上物は(superficies)土地(solum)に従う(cedere)のである。)とあったところです。ユスティニアヌスの『学説彙纂』41.1.7.10(ガイウス)の第1文にも“Cum in suo loco aliquis aliena materia aedificaverit, ipse dominus intellegitur aedificii, quia omne quod inaedificatur solo cedit.”(自分の地所に(in suo loco)他の者が(aliquis)他の材料をもって(aliena materia)建築を行った(aedificaverit)ときは(cum),〔当該地所の所有者〕自身が(ipse)建築物の所有者(dominus…aedificii)と認められる(intellegitur)。これすなわち,全て建築された物は(omne quod inaedificatur)土地に従うのである。)とあります。Cedere(フランス語のcéder)の意味が問題です。(なお,フランス法の位置付けは実は我妻榮にとっても微妙であったようで,「フランスでは,地上物は土地に附属する(superficies solo cedit)という原則は,〔ドイツ及びスイス〕両民法ほど徹底していない(同法553条は建物だけが時効取得されることを認めている)。その結果,宅地または農地の借主が建物を建設する承諾を得ているときは,その建設した建物は賃借人の所有に属するものとみられ,学者は,かような場合の賃借人の権利を「地上の権利(droit de superficie)と呼んでいる。」とのことです(我妻榮『債権各論中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1973395-396頁)。)

 

8 銅像等のみの取引

いろいろ脱線してきましたが,土地とは別に銅像等のみについて取引をするときはどうしたらよいのかという点が筆者には気になりますので,庭石の取引に係る大審院昭和9725日判決(大審院判決全集1-8-6)を見てみましょう。

これはどうも立山を仰ぐ富山市界隈での事件だったようで,宅地上にある庭石の所有権者がだれかが争われたものです。当該宅地上に庭石(約40個)を設置した元地主がその後当該宅地及びその上の建物に抵当権を設定し(抵当権者は(株)岩瀬銀行),当該抵当権が結局実行されてXが競落により193059日に当該抵当不動産の所有権を取得したところ,問題の庭石は当該競落前の1929830日に元地主から第三者に売却されてその際公証人から証書に確定日付(民法施行法(明治31年法律第11号)4条「証書ハ確定日附アルニ非サレハ第三者ニ対シ其作成ノ日ニ付キ完全ナル証拠力ヲ有セス」)を得,かつ,簡易の引渡し(民法1822項。当該第三者は既に当該宅地上の建物に住んでいたのでしょう。)がされており,更に競落後の1931912日に当該第三者からYに売却されていたという事案です。当該庭石は動産にあらざる土地の定着物(したがって不動産)であるとの原審の認定が前提となっています。元地主による抵当権の設定がYの前主に対する1929830日の庭石の売却前なのか後なのかが判決文からははっきりしないのですが(一応,抵当権の設定は庭石のYの前主への売却の後だったものと解します。),大審院は「土地ノ定着物ノミ他人ニ譲渡シタルトキハ買受人ニ於テ其所有権取得ヲ第三者カ明認シ得ヘキ方法ヲ採ルニアラサレハ其取得ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス而シテ原審ハ上告人〔YYの前主も含むのでしょう。〕ニ於テ本件定着物ノ所有権取得ヲ明認シ得ヘキ方法ハ毫モ講セラレサリシ事実ヲ確定シ上告人〔Y〕ハ本件物件ノ所有権取得ヲ第三者タル被上告人〔X〕ニ対抗スルコトヲ得サルモノト判定シタルコト判文上明白ニシテ毫モ違法ノ点アルコトナシ」と判示して,Xを勝たせました。

民法施行法4条の規定は,平成29年法律第45号によって202041日から(平成29年政令第309号)削除されます。ナポレオンの民法典の第1328条も既に改正されてしまっています。

元地主の設定に係る岩瀬銀行を抵当権者とする本件宅地建物を目的とした抵当権の効力が本件庭石に及んでいたとして,その説明はどうなるのでしょうか。当該宅地の定着物たる本件庭石は本来当該宅地の一部であるから,明認方法を施して土地から分離の上更に所有権を移転してその明認方法をも施しておかなければ,抵当権の目的たる土地そのものとして抵当権の効力が及び(そもそも明認方法が施されていない場合),又はなお抵当権設定者の所有に係る従物(民法871項)として抵当権の効力が及ぶ(同法370条)のだ(土地からの分離に係る明認方法はあるが,次段階の所有権移転に係る第三者対抗要件たる明認方法まではない場合),ということになるでしょうか。「この場合の庭石は,未分離果実と異なり,明認方法をほどこさないと土地所有権に吸収され,独立の取引対象とならない。したがって,明認方法は,それによって庭石を土地から分離し,土地から独立して処分できる対象であることを示す,分離公示機能の意味もあるのではないか。その上で,対抗要件としての意味も有する。」との能見善久教授の見解(四宮=能見193頁)に従った上で,煩瑣に考えると上記のような細かい説明もできそうであるところです。なお,土地の所有権者がその土地上の自己所有の定着物について分離公示のための明認方法をあらかじめわざわざ施すというのも変な話のようですが,前主から取得した土地上に当該土地取得に係る移転登記がされない間に立木を植栽していたところ前主が当該土地を第三者に売って移転登記を経たために当該立木の所有権の所在が争われることとなった事案に係る最高裁判所昭和3531日判決(民集143307頁)は,「〔民法242条ただし書の類推により本件立木の地盤への付合が遡って否定されることに係る〕立木所有権の地盤所有権からの分離は,立木が地盤に附合したまま移転する本来の物権変動の効果を立木について制限することになるのであるから,その物権的効果を第三者に対抗するためには,少なくとも立木所有権を公示する対抗要件を必要とすると解せられるところ,原審確定の事実によれば,被上告人ら〔当該地盤の二重売買における移転登記を経た第2買主の後主(登記済み)〕の本件山林所有権の取得は地盤の上の立木をその売買の目的から除外してなされたものとは認められず,かつ,被上告人らの山林取得当時には上告人〔登記を経なかった第1買主〕の施した立木の明認方法は既に消滅してしまつていたというのであるから,上告人の本件立木所有権は結局被上告人らに対抗しえないものと言わなければならない。」と判示しています。

これについては,前記梅謙次郎の考え方に従い,宅地と庭石と,又は地盤と立木とを最初から「2物トシテ観察」すれば,土地からの分離の公示のための明認方法は不要ということになるのでしょう。しかしながら,梅説の復活というのも今更遅すぎるでしょう。前記最高裁判所昭和3531日判決に関して中尾英俊西南学院大学教授による,そもそも「立木が土地の一部であると解するべきではない」との主張がありますが(同『民法判例百選Ⅰ総則・物権(第三版)』(有斐閣・1989年)135頁(第63事件)),「植物は植栽によって当該土地の本質的構成要素となる」とするドイツ民法941項的解釈の力の方が強そうです。前記楓事件に係る東京地方裁判所平成1473日判決では,楓の所有権のほかに「念のために」当該楓の生育している土地の所有権について,立入りによる不法行為の成否を「進んで検討」していますが(結果は否定),楓と土地とが分離していない一物を構成するものであれば「楓の所有権」は土地の所有権をも意味し得るので,確かに必要な検討であったということになるのでしょう。

なお,従物は動産に限られるか,不動産も含まれるか,という問題もあります。庭石と宅地とが一つの物ではなく2物であって,かつ,庭石が不動産であっても,宅地に係る売却等の処分の際には民法872項により庭石はその従物として主物たる宅地の処分に従うのか,という問題です。ドイツ民法971項第1文では,従物は動産に限定されています。いわく,“Zubehör sind bewegliche Sachen, die, ohne Bestandteile der Hauptsache zu sein, dem wirtschaftlichen Zwecke der Hauptsache zu dienen bestimmt sind und zu ihr in einem dieser Bestimmung entsprechenden räumlichen Verhältnis stehen.”(従物は,動産であって,主物の構成要素たることなく,主物の経済的目的に役立つべく定められ,かつ,当該用途に対応するそれ〔主物〕との空間的関係にあるものである。)

しかしながら,我が民法では「主物・従物ともに動産たると不動産たるとを問わない。2個の不動産の間にも,この関係は成立しうる。例えば納屋・茶の間等も従物となりうる(大判大正77101441頁(納屋,便所,湯殿の例),大決大正10781313頁(判民112事件我妻評釈,増築された茶の間と抵当権の効力に関する)参照)。農場の小屋などもそうである。」ということになります(我妻Ⅰ・224頁。また,四宮135頁,小野秀誠『新注釈民法(1)』809-810頁)。梅謙次郎も不動産に付合した従たる物について「附合物カ独立ノ存在ヲ有スル場合ト雖モ多クハ従ハ主ニ従フ(Accessorium sequitur principale)ノ原則ニ拠リ主タル不動産ヲ処分スルトキハ従タル物モ亦共ニ処分セラレタルモノト看做スヘキヲ以テ其従物カ独立ノ一物ヲ成スヤ否ヤヲ論スル必要ナキコト多カルヘシ(872項〔略〕)但家屋ハ土地ノ従物ト看做サス」と述べていました(梅152頁)。

 

9 「五重塔」

ところで,従物の例として「五重塔」が挙げられています(四宮129頁)。五重塔といえば不動産たる堂々とした建物が想起されます。無論,前記のとおり,不動産たる従物というものもあり得ます。

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五重塔(池上本門寺)


 しかしながら,判例(大判昭和15416日評論29巻民370頁)に出て来る「五重塔」は,料理店の庭ないしは庭園に配置されたもののようです(四宮135頁注(1),我妻Ⅰ・223頁,小野『新注釈民法(1)』810頁)。五重塔までをもそこに建立する随分大きくかつ豪勢な庭を有する料理店があったものです。一体そんな料理屋はどこにあったのかいなと気になって,原典の掲載誌に当たってみると,当該「五重塔」は,「本訴物件タル石灯籠8個花崗岩七福神一揃花崗岩五重塔1基石ノ唐獅子1個ハ訴外〔略〕カ其所在土地ヲ営業(料理店)家屋ノ用地トシテ堀池,庭園ヲ築造シ之ニ風致ヲ添フル為其ノ地上ニ接触シテ配置シタルモノニシテ何レモ〔訴外者〕ノ営業ノ目的ニ資スルカ為主物タル其ノ所在土地ノ常用ニ供シタル従物」のうちの一つでした。花崗岩製の「五重塔」であれば,むしろ五輪塔・五層塔の類だったのではないでしょうか。また,「地上ニ接触シテ配置」したものにすぎず,更に石灯籠は動産とされていますから(四宮126頁及び小野『新注釈民法(1)』801頁が引用する大判大10810民録271480頁),本件「五重塔」は建物たる不動産ではなく,動産だったのでしょう。

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五輪塔(池上本門寺)


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五層塔(ただし元は十一層塔)(池上本門寺)

10 民事執行法その他

民事執行法(昭和54年法律第4号)においては,「登記することができない土地の定着物」は動産として扱われます(同法1221項)。これについては,『民事弁護教材改訂民事執行(補正版)』(司法研修所・2005年)に,「登記することのできない土地の定着物には,土地上の庭石,石灯籠,建設中の建物,容易に土地から分離できるガソリンスタンドの給油設備がある。」とあります(63頁注(2))。当該例示のものは全て動産にあらず,ということになるのでしょうか。しかしながら,取り外しの困難でない(取り外しのできる)庭石は土地の構成部分ではない従物とされ(最高裁判所昭和44328日判決(民集233699頁)),石灯籠については前記のように動産とする裁判例がありましたし,工場内においてコンクリートの土台にボルトで固着された程度ではそもそも定着物ではないとする裁判例もあります(我妻Ⅰ・213頁が引用する大判昭和41019新聞308115頁)。

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石灯籠=動産(東京都文京区六義園)

 くたびれました。空の鳥,地の獣等をかたどった銅像等にあるいは語りかけ(adorare),あるいは拝礼し(colere),心を安らげ,励ましたいとも思います。しかしながら,そういうことは絶対に許さない,四代祟るぞ,との強硬な要求をする律法もあります。

 

non facies tibi sculptile

neque omnem similitudinem quae est in caelo desuper et quae in terra deorsum

nec eorum quae sunt in aquis sub terra

non adorabis ea neque coles

ego sum Dominus Deus tuus fortis zelotes

visitans iniquitatem patrum in filiis

in tertiam et quartam generationem eorum qui oderunt me

(Ex 20, 4-5)


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Avis est in caelo desuper...(池上本門寺)

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Aper est in terra deorsum.(千葉県成田市)
 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

150-0002 東京都渋谷区渋谷三丁目516 渋谷三丁目スクエアビル2

電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp  

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Libera nos a malo!(函館ハリストス正教会)