1 離婚請求の本訴と離婚請求の反訴との関係について

 

(1)離婚請求訴訟に対する離婚請求の反訴

 裁判上の離婚について,我妻榮はその1961年の著書において「両当事者がともに離婚を希望しながら,ただ相手方の主張する離婚原因に承服しないために訴訟となり,被告からの反訴となって争われることも稀ではない。」と述べ(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)169頁),更に「反訴に関していえば,夫が婚姻を継続し難い重大な事由を理由として離婚の訴を提起し,妻はこれに応訴しながら,さらに,夫の不貞の行為を理由として反訴を提起し,本訴では原告敗訴,反訴では反訴原告勝訴となっている事例がすこぶる多い。慰藉料を請求しうるのは,離婚の訴でその原因として主張する事実によって生じた損害に限る(人訴7条2項)のだから,現行法の適用としては,そうする他はないのであろう。」と述べています(我妻186頁註(1))。(人事訴訟法(平成15年法律第109号)附則2条によって2004年4月1日から廃止された旧人事訴訟手続法(明治31年法律第13号)7条2項は,「他ノ訴ハ之ヲ前項ノ訴〔離婚の訴え等〕ニ併合シ又ハ其反訴トシテ提起スルコトヲ得ス但訴ノ原因タル事実ニ因リテ生シタル損害賠償ノ請求〔略〕ハ此限ニ在ラス」と規定していました。)

 その四十余年後においても,「夫が〔民法〕770条〔1項〕5号の破綻〔「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。」〕を理由に離婚請求し,他方,妻は1号の不貞行為を理由に離婚の反訴を提起した。これに対して,裁判所は,夫の請求は有責配偶者からの請求であり,判例〔最高裁判所大法廷昭和62年9月2日判決・民集41巻6号1423頁〕の挙げる要件〔「①「相当の長期間」の別居,②未成熟子の不存在,③相手方配偶者が過酷な状態に置かれる等,著しく社会正義に反する特段の事情の不存在」〕も満たさないとして棄却し,他方で,妻の反訴を認容するということがある。/妻からすれば,要するに離婚できるのだから,夫からの離婚請求にあっさり応じても同じことのように思えるが,どちらの請求が認められるかで慰謝料額に影響するから,反訴を起こす意味はある。」と説かれています(内田貴『民法Ⅳ親族・相続』(東京大学出版会・2002年)121122頁)。

 上記の各著書において挙げられた例を見る限りにおいては不貞行為をしたと問題にされるのはいつも夫の方ばかりであるように印象されます。しかしながら,無論,「妻が婚姻を継続し難い重大な事由(前記昭和62年最大判によれば「夫婦が婚姻の目的である共同生活を達成しえなくなり,その回復の見込みがなくなった場合」)を理由として離婚の訴を提起し,夫はこれに応訴しながら,さらに,妻の不貞の行為を理由として離婚の反訴を提起した。」という事件も存在します。現に筆者もそのようなこじれた事件で,原告・妻の訴訟代理人側の仕事をしたことがあります。

 

(2)有責配偶者からの本訴に対する離婚の反訴及びそれらの処理の実務

 

ア 有責配偶者からの本訴に対する離婚の反訴

 ところで,「裁判所は,夫の請求は有責配偶者からの請求であり,判例の挙げる要件も満たさないとして棄却し,他方で,妻の反訴を認容するということがある。」という前記記述に関しては,更に詳しく裁判例を見てみる必要があるようです。

 まず,当該記述のある教科書の紹介する最判昭和39年9月17日・民集18巻7号1461頁の事案は,「妻は,夫の態度はとうてい我慢できないから「離婚を継続し難い重大な事由」にあたると主張し(「悪意の遺棄」も主張),夫は妻の態度こそ「婚姻を継続し難い重大な事由」にあたるとして離婚を請求した。裁判では,妻からの請求は棄却され夫からの請求が認容されて,結局離婚が成立した。」というものですが(内田110頁),当該事案においては最高裁判所では専ら妻の主張する夫による「悪意の遺棄」の成否が問題となっています(「前記認定の下においては,上告人〔妻〕が被上告人〔夫〕との婚姻関係の破綻について主たる責を負うべきであり〔妻が夫の意思に反して自分の兄らを夫婦の家庭に同居させて兄とばかり親密にして夫をないがしろにし,かつ,兄らのためにひそかに夫の財産から多額の支出をしたりしたので,夫が妻に対して同居を拒むようになったという事案〕,被上告人よりの扶助を受けざるに至つたのも,上告人自らが招いたものと認むべき以上,上告人はもはや被上告人に対して扶助請求権を主張し得ざるに至つたものというべく,従つて,被上告人が上告人を扶助しないことは,悪意の遺棄に該当しないものと為すべきである。」と判示)。

 その後,下級審裁判例等の分析に基づき,「「有責配偶者からの離婚請求は認められない」というルール」の適用に係る「絞り」として,「第一に,相手方に離婚意思があるときは,有責配偶者からの離婚請求でも否定されることはない(〔略〕最判昭2911・5,〔略〕最判291214は,一般論としてその旨を述べる)。相手方が離婚の反訴を提起しているような場合が,その典型的な例である(東京高判昭52・2・28判時85270,横浜地判昭6110・6判タ626198など)。」と断乎として説かれ(阿部徹『新版注釈民法(22)親族(2)』(有斐閣・2008年)395頁),また,「下級審の裁判例においては,〔略〕相手方配偶者が反訴を提起する等離婚意思のある場合(長野地判昭和35年4月2日・判例時報22639頁,名古屋地半田支判昭和45年8月26日・下民集21巻7・8号1252頁,横浜地川崎支判昭和46年6月7日・判例時報67877頁,福岡地判昭和51年1月22日・判例タイムズ347278頁,東京高判昭和52年2月28日・判例時報85270頁,仙台地判昭和54年9月26日・判例タイムズ401149頁,東京高判昭和58年9月8日・判例時報1095106頁,浦和地判昭和59年9月19日・判例時報1140117頁),〔略〕有責配偶者からの離婚請求を認めるものがある。」と報告されるに至っています(門口正人[29]事件解説『最高裁判所判例解説民事篇昭和62年度』(法曹会・1990年)551頁。下線は筆者によるもの)。

 最判昭和2911月5日・民集8巻112023頁の「一般論」は「民法770条1項5号にかゝげる事由が,配偶者の一方のみの行為によつて惹起されたものと認めるのが相当である場合には,その者は相手方配偶者の意思に反して同号により離婚を求めることはできない」というものであり,最判昭和291214日・民集8巻122143頁のそれは「民法第770条1項5号は相手方の有責行為を必要とするものではないけれども,何人も自己の背徳行為により勝手に夫婦生活破綻の原因をつくりながらそれのみを理由として相手方がなお夫婦関係の継続を望むに拘わらず右法条により離婚を強制するが如きことは吾人の道徳観念の到底許さない処であつて,かかる請求を許容することは法の認めない処と解せざるを得ない。」というものでした(下線は筆者によるもの)。

 

イ 処理の実務

 前記アの多数の下級審裁判例については,裁判所ウェッブ・サイトの「裁判例情報」のウェッブ・ページからは見ることができなかったので端折ってしまいつつ,捷径をとって実務家裁判官のまとめるところを参照すれば,1995年当時には次のような実務の状況であったところです。

 

  離婚訴訟において,〔略〕反訴が提起されている場合に,①本訴,反訴の離婚原因の有無をすべて検討し判断するものと,②双方に離婚意思があるならば,「それ以上に立ち入った審理をするのは無意味である。それは訴訟経済的な観点からもいえるが,離婚するか否かはできるだけ当事者の合意でという離婚制度全体の枠のなかで考えると,被告の離婚意思が明らかになった段階で裁判所としてはそれ以上の審理・判断をさしひかえるのがむしろ望ましい」とする学説(阿部〔徹〕・総判研民法(50)「離婚原因」69頁)に従い,離婚原因の詳細について審理・判断することなく,婚姻を継続し難い重大な事由があるとして,双方の離婚請求を認容するものがある(長野地判昭和35・3・9下民集11巻3号496頁,横浜地川崎支判昭和46・6・7判時67877頁,横浜地判昭和6110・6判時1238116頁,東京地判昭和611222判時124986頁など)。従来,裁判例は①の例が多く,その場合に,有責配偶者からの請求を認めるか否かについて判断が分かれていたが,近時の傾向としては,有責であるか否かを問わず双方の離婚請求を認めるのが有力となっている。本訴,反訴において婚姻を継続し難い重大な事由があると主張している場合は右のように解されるが,問題となるのは,原告が本訴で不貞だけを主張している場合はどうかである。不貞と婚姻を継続し難い重大な事由との訴訟物は同一でないとすれば,少なくとも原告の請求を認容するためには不貞の事実を認定することが必要になってこよう。このような場合には,釈明権を行使して,原告に不貞のほかに,婚姻を継続し難い重大な事由をも離婚原因として主張させ,夫婦関係の内容に立ち入って判断するまでもなく,本訴,反訴の離婚請求をともに認容することができるとするのが,近時の実務の一般的な取扱いであるといえよう。(村重慶一「離婚原因の主張方法」『家族法判例百選[第五版]』(有斐閣・1995年)35頁。下線は筆者によるもの)

 

「異なる離婚原因を掲げて反訴が提起された場合も,双方に5号を主張させ,双方を認容するという扱いがなされることも多いとのことである。離婚の成否と離婚後の処理を切り離して,離婚訴訟を早く解決することをねらった実務の知恵であろう。」ということになります(内田122123頁)。無論,民法770条1項5号の婚姻を継続し難い重大な事由があるとして離婚を請求する本訴原告に対して,同号による当該請求は有責配偶者からのものであって信義則違反であるから認められないとの抗弁を維持しつつ当該被告が反訴原告として同項1号による相手方配偶者の不貞行為を事由とする離婚を請求し,かつ,頑として当該不貞行為事由の離婚請求一本槍に固執するのであれば,審理の結果当該不貞行為の存在が認定され,本訴原告の請求は不貞行為によって婚姻関係の破綻をもたらした有責配偶者からの請求であって,かつ,判例の挙げる①「相当の長期間」の別居,②未成熟子の不存在及び③相手方配偶者が過酷な状態に置かれる等の著しく社会正義に反する特段の事情の不存在の3要件も満たさないものであるとして棄却され(ただし,実務上「有責配偶者からの請求を認めるか否かについて判断が分かれていた」ことは前出のとおりです。),他方で,本訴被告の反訴は認容されるということもあり得るところではあります。

 筆者が本訴原告側において関与した事件では,民法770条1項5号に基づく本訴離婚請求に対して,しばらくは,有責配偶者による離婚請求であるから離婚は認められないなどと主張して抵抗していた被告がとうとう離婚を決意して提起した反訴においては,当初は同項1号の不貞行為及び2号の悪意の遺棄のみが主張されていましたが,結局同項5号の婚姻を継続し難い重大な事由があるとの事由も追加され,裁判所は,4年4箇月に及ぶ別居,その間夫婦として交流が行われたことはないこと及び当該夫婦はいずれも婚姻関係は破綻した旨を主張して離婚を請求していることという諸事実を認定した上で,本訴及び反訴の離婚請求をいずれも認めました(なお,人事訴訟においては,裁判所において当事者が自白した事実は証明することを要しないとする民事訴訟法179条等の適用はありません(人事訴訟法19条1項)。)。難件でしたが,筆者らの側は負けなかったわけです。

 

2 最大判昭和62年9月2日判決及び当該判決における一般論の位置付けに関して

ところで,筆者が関与した前記事案においては,原告が有責配偶者と認められた場合には更にどのような主張をするのかとの裁判所からのお題に対して筆者が起案して提出しておいた力作準備書面は結局出番がなかったところです。当該準備書面の起案に当たっては,別居期間が5年にも満たず,かつ,未成熟の子が2名あるという状況であったので,最高裁判所大法廷昭和62年9月2日判決に係る有責配偶者の離婚要求を認めるための前記いわゆる3要件の存在が大きな障害となっていました。そこで,筆者は,当該判例において具体的な当該3要件が提示されるに当たっての前段であった一般論部分に遡り,学説的論述を懸命に展開(こういうことをするのは,実務家としてはちょっと恥ずかしい)したところです。ちなみに,当該判例の調査官解説においても,当該一般論部分については,「右判示部分は,もとより判例部分ではないが,今後,有責配偶者からの離婚請求において,相手方から抗弁として信義則違背の主張がされることがありうるであろうから,傍論部分とはいえ,重要な意義を有することは否定できない」と指摘されていました(門口582頁)。

 

最高裁判所昭和62年9月2日大法廷判決(民集41巻6号1423頁)は,「有責配偶者からされた離婚請求であつても,夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び,その間に未成熟の子が存在しない場合には,相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り,当該請求は,有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすることはできない」と判示する。ところで,当該判示に係る定式のそもそもの前提として,同裁判所は,民法770条1項5号の事由による離婚請求が有責配偶者からされた場合において当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうかを判断するに当たっては,有責配偶者の責任の態様・程度を考慮するほか,①相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情,②離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態,③夫婦間の子,殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況,並びに④別居後に形成された生活関係を斟酌するとともに,⑤時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないと当該判決において述べているところである。すなわち,前記の定式は,有責配偶者の離婚請求であっても信義誠実の原則に照らして許されるかどうかについての上記の考慮・斟酌の結果当該請求が認められる場合の一つを示したものである。したがって,例えば未成熟の子が存在して当該定式を必ずしも満たさない場合であっても,有責配偶者からの離婚請求が認められ得るところである(最高裁判所平成6年2月8日判決・集民171417頁)。

 仮に原告が有責配偶者であっても,前記昭和62年の最高裁判所大法廷判決が挙げる前記の各事情について考慮・斟酌すれば,その離婚請求は認容されるべきものであることは明らかである。原告と被告との間の婚姻関係破綻に至る両者の責任の態様・程度については既に訴状で述べているところであるので,以下においては,前記の①ないし⑤の各事情について述べる。

 

 云々。

 調査官解説は,「夫婦が長期間にわたり別居をしている場合にも,信義則を適用するに当たって斟酌すべきであるとされた事情をなお考慮すべきであろうか。」との問いを発した上で(門口582頁。なお,ここにいう「信義則を適用するに当たって斟酌すべきであるとされた事情」とは,当該判例の一般論部分に挙示された上記諸事情のことでしょう。),「いずれにせよ,長期別居の場合になお考慮すべきは,相手方配偶者が離婚により被る苛酷な状況からの救済と未成熟子に対する監護養育の確保に限られることになる。これによって,当事者は,婚姻破綻の責任等の諸事情に係る主張立証から解放されてプライバシーも保護されることになる。」と結論付けています(門口583頁。下線は筆者によるもの)。これは,本来は一般論において挙示された諸事情を全て考慮して信義則違背の主張の当否を判断しなければならないのだが,①長期間の別居の場合には,②未成熟子に対する監護養育の確保及び③相手方配偶者が苛酷な状態に置かれることからの救済についてだけ考えればよいのだよ,ということでしょうか(「時の経過がこれらの諸事情に与える影響」とは,時の経過=長期間別居によってこの考慮事項限定効果がもたらされることになるということを意味する趣旨のように思われます。すなわち,調査官解説は「更に,本件が長期間〔本訴提起まで35年に及ぶ〕にわたる別居の事案であることにかんがみ,時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないと判示したものであろう。」と述べているところです(門口582頁)。)。ということであれば,「長期別居」に当たらない場合でも,そこで直ちに諦める必要はなく,一般論に立ち返って必要な諸事情を全てクリアすることに努めていけばよいということになるはずです。「ここにいう別居期間は,有責配偶者からの請求の否定法理を排斥する要件として,前記のような有責性を含む諸事情から解放するに足りるものでなければならず」とされているところ(門口584頁),「長期別居」によって直ちに「前記のような有責性を含む諸事情から解放」されなくとも,なお当該「諸事情」の個々について別途クリアしていくことは可能であるはずだからです。(民法770条1項5号の規定については,「同号所定の事由〔略〕につき責任のある一方の当事者からの離婚請求を許容すべきでないという趣旨までを読みとることはできない」と当該判例自体において判示されています。)また,未成熟子の不存在要件については,つとに「これは,本件事案を前提に,未成熟子のいない多くの場合を想定して子の利益に関する特別の配慮を要しないことを示したものであって,未成熟子が存在する場合に原則的破綻主義を放棄したものではないことはいうまでもない。したがって,未成熟子が存在する場合については,おそらく,離婚によって子の家庭的・教育的・精神的・経済的状況が根本的に悪くなり,その結果,子の福祉が害されることになるような特段の事情のあるときには,離婚をすることは許されないということになるのであろう。」とその趣旨が明らかにされていました(門口585頁)。

 

なお,東京高等裁判所(平成26年(ネ)第489号)平成26年6月12日判決(判時223747頁)は,「〔民法770条1項〕5号所定の事由による離婚請求が,その事由につき専ら責任のある一方の当事者(有責配偶者)からなされた場合において,その請求が信義誠実の原則に照らして許容されるか否かを判断するに当たっては,有責配偶者の責任の態様・程度はもとより,相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情,離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態及び夫婦間の子,特に未成熟子の監護・教育・福祉の状況,別居後に形成された生活関係等が斟酌されるべきである(最高裁昭和61年(オ)第260号同62年9月2日大法廷判決(民集41巻6号1423頁)」と判示した上で,これまで有責配偶者からの離婚請求が否定されてきた実質的な理由の一つは「一家の収入を支えている夫が,妻以外の女性と不倫や不貞の関係に及んで別居状態となり,そのような身勝手な夫からの離婚請求をそのまま認めてしまうことは,残された妻子が安定的な収入を断たれて経済的に不安定な状態に追い込まれてしまい,著しく社会正義に反する結果となるため,そのような事態を回避するという目的があったものと解される」としつつ,婚姻後別居までの期間約7年,別居期間約2年の夫婦間の事案において,6歳の長男及び4歳の長女の二人の子らを連れて別居している36ないし37歳の有責配偶者である妻からする41ないし42歳の夫に対する離婚請求を,夫婦としての信義則に反するものではないというべきであるとして認容している。また,札幌家庭裁判所(平成26年(家ホ)第20号)平成27年5月21日判決は,婚姻後別居までの期間が約17年,別居期間約1年半の夫婦間の事案において,38ないし39歳の有責配偶者である夫からする,16ないし17歳の長男及び14ないし15歳の長女の二人の子らを監護する39ないし40歳の妻に対する離婚請求を,信義則上許されないものということはできないとして認容している。

  おって,最高裁判所平成161118日判決(集民215657頁)は,同居期間約6年7箇月,別居期間約2年4箇月の夫婦間において,有責配偶者である33歳の夫からされた,両者間の7歳の子を監護している33歳の妻に対する離婚請求について,別居期間は相当の長期間に及んでいないとしているが,夫の離婚請求に対して妻が離婚を拒んでいた事案であったとともに,被告である妻は子宮内膜症に罹患していて,離婚により精神的・経済的に苛酷な状況に置かれることが想定されることが明らかであると認められていた事案であって,本件とは事案を異にするものである。ちなみに,当該事案においても,原審判決である広島高等裁判所(平成15年(ネ)第307号)平成151112日判決は,離婚を認めていたものである。

 

東京高等裁判所平成26年6月12日判決については,最高裁判所に上告がされたと伝わっているけれどもさてその後はどうなっているのであろうかとは皆気にしていたところですが,東京3弁護士会の法律相談センターのウェッブ・サイトに掲載されたコラム記事(2016年6月1日)によれば,上告受理申立てがされたもののそのまま確定したそうです。

 

3 離婚の動向等に関して

 

(1)離婚の動向に関して

ところで,個別の離婚事案の法律問題を離れて,離婚事件の趨勢は今後どうなるのかを考えてみると,事件数は増加というよりはむしろ減少するのではないかと思われます。

まず,そもそもの婚姻が減少し,生涯未婚率(50歳時の未婚割合)が増加しています。すなわち,国立社会保障・人口問題研究所の人口統計資料集(2017改訂版)によれば,我が国の2015年の生涯未婚率は,男性が23.37パーセント,女性が14.06パーセントとなっています。同年から50年前の1965年(昭和40年)に生まれた当該世代は,その二十代においてはバブル経済の恩恵を受けて明るく楽しく青春を謳歌したはずであるものの,初老の50歳になった時には,男性の約4人に1人,女性の約7人に1人は結婚できずに終わっていたのでした。その10年前の2005年においては,男性の生涯未婚率が15.96パーセント,女性の生涯未婚率が7.25パーセントだったところです。Japan as No.1時代の1990年においては,男性・女性のそれぞれについて,5.57パーセント及び4.33パーセントでした。

 同じ人口統計資料集によれば,1883年以来の我が国で離婚の総数が1番多かった年は2002年であって,289836件ありましたが,2015年には226215件になっています。ピークから約22パーセント減ということになります。判決による離婚が1番多かった年は2005年で3245件ありましたが,2015年には2383件になっています。こちらはピークから約26.6パーセント減です。離婚率は,1940年以前は総人口について,1947年以降は日本人人口1000について算出されていますが,2015年は1.81‰(パーミル)です。1947年以降で離婚率が最高であった年はこれも2002年で2.30‰でしたが,平成の世になって離婚が増えて嘆かわしいなどと速断してはならず,明治の聖代の1883年には3.38‰と,当該統計資料上の最高値を示しています。

 西洋でも離婚は最近減少傾向であるようです。「もしそれ〔婚姻〕が続くものであるようにしようとするのならば,統計的には,イングランド及びウェールズにおいて結婚する最悪の時代は1990年代半ばであった。1996年に結ばれた者たちのうち,11パーセントが結婚から5年目までに別れており,及び25パーセントが10年目までにそうなった。10年後に結婚したカップルはそれよりよくやっている。2006年に結婚したもののうちでは,8パーセントが5年目までに別れており,及び20パーセントが10年目までにそうなった。より最近の世代は,より堅確(steadfast)であるようである。」と報告されており,更に,「同様のことが他の国でも生じている。」と述べられています(“For Richer” of “Special Report: Marriage”, The Economist, November 25, 2017)。

 

(2)古く新しい関係に関して

ア 2種の同性婚の婚姻数及び3種の婚姻の離婚率

 新たな離婚市場の開拓(この言い方は変ですが)を模索する弁護士は,新たな婚姻の形にも注目すべきでしょうか。既に同性間の婚姻の法制化がされた国があり,これらの動きの影響を受けて,我が国はどうなるのかとの議論もあるところですが,婚姻あるところやはり離婚ありです。

 

  女性は,挙式により積極的である(Women have been keenest to go down the aisle. (筆者註:これはキリスト教会での挙式のイメージですね。))。英国,スウェーデン及びオランダにおいては,女性間の婚姻数が男性間のそれを上回っている。女性間の結合はまた,より破綻しやすい。同性婚を2001年に法制化したオランダにおいては,2005年に結ばれた両性婚中82.1パーセントは2016年において依然存続していたところである一方,女性間の婚姻については69.6パーセントのみであった。男性同性愛者が,コミットメントについてのチャンピオンである。彼らの婚姻中84.5パーセントが存続していた。(“Adam and Steve” of “Special Report: Marriage”, The Economist, November 25, 2017

 

女にとっても男にとっても,男のパートナーとの関係の方が長続きするということでしょうか。何だか変な一般化ではありますが。しかし,そもそも婚姻は,「父がその子らを養育しなければならないという自然の義務が,当該義務を負うべき者を定める婚姻制度を成立せしめた。(L’obligation naturelle qu’a le père de nourrir ses enfants, a fait établir le mariage, qui declare celui qui doit remplir cette obligation.)」ということに由来するものであって(De l’Esprit des lois,ⅩⅩⅢ, 2),男を義務付け大人たらしめて子に父を与えるためのものですから,婚姻というものに当たっては実は男の方が深刻真剣になるのでしょう。他方,女子会は,これまたいろいろ大変そうですね。

イ ネロ

なお,同性婚は,決して新しいものではありません。紀元1世紀の古代ローマでの話。

 

彼〔ネロ〕は少年スポルスの生殖腺を切りとり,さらに彼の性まで女に変えようと試み,嫁入り資金を与え花嫁のベールをかぶせ,結婚式をあげ,賑やかなお伴の行列と一緒に,自分の家に来させ,妻として迎えた。(国原吉之助訳・スエトニウス「ネロ28」『ローマ皇帝伝(下)』(岩波文庫・1986年)163頁)

ネロとスポルスとの婚姻を見て,確かに同性婚も悪くはないな,との評価がありました。

 “exstatque cuiusdam non inscitus iocus bene agi potuisse cum rebus humanis, si Domitius pater talem habuisset uxorem. ” 

「親父のドミティウスも,こんな妻を持てばよかったのに。」

 最後に解放奴隷ドリュポルスによって仕上げがなされた。この者に,ちょうどスポルスがネロに嫁いだように,今度はネロが嫁ぎ(「ネロ
29」国原・スエトニウス164頁)


ウ 神聖部隊
 ところで,男同士の愛こそ,なかなか恐ろしい。古代ギリシアは紀元前4世紀にスパルタに代わって覇権を握ったテーバイでの話。

 

  さて『神聖部隊』〔Sacred Band〕といふものは〔略〕或る人はこの部隊が愛慕するものと愛慕されるもの(当時の風習であつた少年愛を指す)から成つてゐたのだと云ふ。さうしてパンメネース(前4世紀テーバイの将軍)が戯れに云つた言葉を引用している。〔略〕愛慕者を被愛慕者の側に置かなければいけない〔that he should have joined lovers and their beloved〕。〔略〕愛慕を籠めた友情によつて纏まつた部隊は,愛慕者は被愛慕者に対して,被愛慕者は愛慕者に対して恥を感ずるから,危険の場合にお互のために踏み留まるので,崩れもせず敗れもしないからである。相手が居合はせなくても目の前に居合はせる他の人々に対してよりも恥を感ずるとすれば,これは一向不思議な事ではない。それはあの,倒れてゐるところへ敵が来て刺さうとしたのに対して胸に刀を突き通してくれと頼み『自分を愛慕する友が自分の屍体の背中に傷が附いてゐるのを見て羞しい思ひをすると困るから』と云つた話からもわかる。〔略〕さて,プラトーンも(『ファイドロス』255b『饗宴』179a)愛慕者を神の霊感を受けた友人と名づけてゐる〔Plato calls a lover a divine friend〕ところから見ても,前に云つた部隊が『神聖』と呼ばれたのも当然である。この部隊はカイローネイア(ボイオーティアー西境北部の町,前338年アテーナイとテーバイとの聯合軍がマケドニアのフィリッポス〔アレクサンドロス大王の父〕に敗れた場所)の戦まで敗れたことがなかつたと云はれてゐる。その戦の後に屍体を検分してゐたフィリッポスが,丁度その300人が皆武器を取つてサリーナ(マケドニア兵の長い槍)に抵抗した挙句,互に混ざつて倒れてゐる場所で立止まり,その部隊が愛慕者と被愛慕者から成ると聞いて感服し涙を流して云つたさうである。『この人々が恥づべき事をしたりされたりしたと考へる奴ら〔any man who suspects that these men either did or suffered anything that was base〕はみじめな死に方をするぞ。』(「ペロピダース18」河野与一訳『プルターク英雄伝(四)』(岩波文庫・1953年)118120頁。英語訳はDrydenによるもの)

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

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