(前編からの続き)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1054087409.html

 

4 GHQ法務局とラジオ・コード的規定の採否

 

(1)第2回国会提出の放送法案とGHQのラジオ・コード

しかし,「日本側として何とかして復活実現させよう」と最終的には頑張ることになったにもかかわらず,第7回国会における内閣提出の放送法案においては現在の放送法4条1項(同法原始規定44条3項・53条)のような規定が当初は設けられていなかったのは,そもそもなぜだったのでしょうか。

実は,第2回国会に出した放送法案について194812月2日にGHQ法務局(LS)からされた罵倒が,逓信省(1949年6月1日から電気通信省電波庁)及びGHQ民間通信局のトラウマになっていたようです。

第2回国会に内閣が提出した放送法案には,次のような規定がありました(放送法制立法過程研究会164166頁,182183頁,189190頁参照)。

 

 (定義)

第2条 この法律においては,左の用語を各下記の意義に用いる。

  〔第1号から第8号まで略〕

 九 「一般放送局」とは,日本放送協会が施設した以外の放送局をいう。

  〔第10号及び第11号略〕

 十二 「放送番組」とは,公衆に直接提供する目的で行なわれる電気通信の内容をいう。

 

 (ニユース放送)

第4条 ニユース記事の放送については,左に掲げる原則に従わなければならない。

 一 厳格に真実を守ること。

 二 直接であると間接であるとにかかわらず,公安を害するものを含まないこと。

 三 事実に基き,且つ,完全に編集者の意見を含まないものであること。

 四 何等かの宣伝的意図に合うように着色されないこと。

 五 一部分を特に強調して何等かの宣伝的意図を強め,又は展開させないこと。

 六 一部の事実又は部分を省略することによつてゆがめられないこと。

 七 何等かの宣伝的意図を設け,又は展開するように,一の事項が不当に目立つような編集をしないこと。

2 時事評論,時事分析及び時事解説の放送についてもまた前項各号の原則に従わなければならない。〔参議院における修正案(194810月9日付け同議院通信委員会資料)では「時事分析及び時事解説の放送についても前号〔ママ〕の原則に従わなければならない。評論,演芸その他の放送であつて,その内容に明らかにニユース記事,時事分析及〔ママ〕時事解説を含むものも,また同様とする。」とされ(放送法制立法過程研究会200頁参照),全ての放送に適用があるものとされています。〕

3 〔放送法現行9条に相当する規定〕

 

 (放送番組の編集)

46条2項 〔日本放送〕協会は,放送番組の編集に当つては,左の各号の定めるところによらなければならない。

 一 公衆に対し,できるだけ完全に,世論の対象となつている事項を編集者の意見を加えないで放送すること。

 二 意見が対立している問題については,それぞれの意見を代表する者を通じて,あらゆる角度から論点を明らかにすること。

 三 成人教育及び学校教育の進展に寄与すること。

 四 音楽,文学及び娯楽等の分野において,常に最善の文化的な内容を保持すること。

 

 (政治的公平)

47条 協会の放送番組の編集は,政治的に公平でなければならない。

2 公選による公職の候補者に政見放送その他選挙運動に関する放送をさせたときは,その選挙における他の候補者に対しても申出により同一放送設備を使用し,同等な条件の時間において,同一時間数を与えなければならない。

 

 (免許の取消又は業務の停止)

68条1項 放送委員会は,免許人〔一般放送局(法案2条9号)の設置の免許を受けた者(法案58条1項)。なお,法案38条2項の規定では日本放送協会の設置する放送局に法案68条の準用はなし。〕が,左の各号の一に該当すると認めた場合には,当該免許を取り消し,又は1箇月以内の期間を定めて,業務の停止を命ずることができる。

 〔第1号略〕

 二 この法律又はこの法律に基く放送委員会規則に違反した場合

 〔第3号から第5号まで略〕

 

第2回国会の放送法案の第4条1項及び2項と同法案68条1項2号との関係は,現在の放送法4条1項と電波法76条1項との関係と極めてよく似ていますね。第2回国会の放送法案4条1項1号と放送法4条1項3号と, 及び第2回国会の放送法案4条1項2号と放送法4条1項1号とはいずれも対応関係がはっきりしています。放送法4条1項2号の「政治的に公平であること」が政治的「宣伝的意図」を排除すべきことを意味するのならば,同号は, 第2回国会の放送法案4条1項の4号,5号及び7号と対応することになります。

なお,1945年9月22日にGHQから我が国に下されたラジオ・コードと第2回国会の放送法案4条との承継関係は歴然としており,同法案4条1項各号及び第2項は,それぞれラジオ・コードの「一,報道番組」のAB及びFからJまでの各項並びにK項に対応し(なお,CからEまでの各項は聯合国批判及び進駐軍批判の禁止並びに聯合軍の動静の秘密保持に関するもの),参議院通信委員会の意図した第2回国会の放送法案4条2項の改正案も「劇,風刺物,脚色物,詩,寄席演劇,喜劇等ヲ含ム慰安番組ハ・・・報道放送ニ関スル第1項中ニ挙ゲラレタル諸要求ニ合致スベシ」とするラジオ・コードの「二,慰安番組」の規制に正に合致していました(放送法制立法過程研究会2324頁参照)。

 

(2)GHQ法務局の見解:ラジオ・コード的規定違憲論

このような第2回国会の放送法案に対するGHQ法務局の託宣(194812月2日)は,次のとおりでした(放送法制立法過程研究会207208頁,212213頁参照)。

 

・・・

二,第4条

 A この条文には,強く反対する。何故ならば,それは憲法第21条に規定せられている「表現の自由の保証〔ママ〕」と全く相容れないからである。現在書かれているまの第4条を適用するとすれば絶えずこの条文に違反しないで放送局を運用することは不可能であろう。反対の側から言えば,政府にその意志があれば,あらゆる種類の報道の真実〔realistic reporting〕あるいは,批評を抑えることに,この条文を利用することができるであろう。この条文は,戦前の警察国家〔former police state〕のもつていた思想統制機構〔thought control devices〕を再現し,放送を権力〔forces in power〕の宣伝機関〔propaganda vehicle〕としてしまう恐れがある。――これは,この立法の目的としているところは〔ママ〕,正反対である。放送が現在日本において,公の報道〔public information〕,教育機関として最も重要な手段〔most important means of communication〕であることを考えれば,上記の如き方向への発展(への可能性)の危険性は,如何に声を大にしても過ぎるということはない。

   例えば,第2項は,ニユース評論(News Comentary (sic))は,厳密に真実であり,編集者の意見を含まず,「着色」していないことを要求している。しかし「評論」とは,定義によれば「個人の意見」の発表であり,「報道上及び教育上の価値判断」の顕現である。条文にあるような制限の下に「評論」が不可能であること〔deprive … of their informative and educational values〕は,自明の理であろう。政治の面を離れても「制限」を実行することはむづかしい〔not workable〕。例えば,台風その他全国的天災等も第2項〔ママ〕第2号によつて報道するわけにはゆかなくなる。何故ならば,その報道は,公安を害する〔disturb public tranquility〕かもしれないからである。

 B この条文を,弁護するものは,それが1945年9月19SCAPIN33号〔ラジオ・コードの3日前に出されたプレス・コード「日本新聞規則ニ関スル覚書」〕に基いているというかもしれない。然し,SCAPINの内容と国内法とは,相違がなくてはならない。このSCAPIN33号は純然たる国内事件を規律しようとしたものではない。それは「占領に」関係あることのみを目的としている。このSCAPINは意見の制限や抑圧に用いられたことがないのみならず〔has this SCAPIN never been used for restriction or suppression of opinion〕,国内事件に関しては,それは1945年9月第660号及び1946年第99SCAPINによつて置きかえられている。

 C 言論の自由抑圧を一掃するため〔because of the sweeping prohibition of freedom of speechLSはこの第4条の全文削除を勧告する。何故なら放送の本来の目的は,「不偏不党」をも含めて第3章〔日本放送協会の章〕第46条,第47条で尽されているからである〔in as much as the reasonable objectives of broadcasting, including impartiality, are covered by the standards expressed in Chapter III, Articles 46 and 47〕。

  ・・・

 

 逓信省及びGHQ民間通信局の事務方としては,参りました,といったところだったのでしょう。「適切な意見と思はれるのでこれを取入れることとした」と伝えられています(荘=松田=村井37頁)。

  しかし,第2回国会の放送法案4条1項及び2項には, 「編集の詐術」等を防止するための真面目かつ立派でごもっともなことばかり書いてあるのですが,意外にもそれらを非難するGHQ法務局の前記意見をどう読むべきでしょうか。もしかしたら,「ごもっとも」なことばかり言う「真面目」かつ「立派」な人々こそが実は,言論の自由を扼殺して警察国家を招来する最も恐るべき危険な人々だということなのでしょうか。なかなか米国人の言うことは,我々善良かつ真面目な日本人にとっては難しいところです。

 また,LS意見のC項の意味するところは正確には何でしょうか。第2回国会の放送法案46条2項及び47条に書かれてある程度の番組準則であれば,日本放送協会のみならず一般的にも許されるということでしょうか。しかし,GHQ法務局は,番組準則については直接語らず,放送に係る妥当な目的(the reasonable objectives of broadcasting)が日本放送協会について定める上記法案の46条及び47条において準則(standards)の形で書かれてあるんだから,同法案4条までは不要であると言っているようです。日本における放送の目的が問題であり,それについては真面目な日本放送協会が果たすのであるから,他の「一般放送事業者」については気にしなくともよい,ということのように解釈され得ます。「一般放送事業者」の放送番組の編集に係る条項を設けなかったところからすると,第7回国会に放送法案を提出するに当たって,我が国政府はそのように理解していたように思われます。
 (なお,B項に出てくるプレス・コードについては,メリーランド大学プランゲ文書に保存されているものとしてインターネット上で紹介されている1945年9月21日版があり,それには前文が付いていて,当該前文によれば,プレス・コードは「日本に出版の自由を確立するため」発令されたものとされ,「出版を制限するもので無く,寧ろ日本の出版機関を教育し,出版の自由の責任と,重要性とを示さうとするものである(This PRESS CODE, rather than being one of restrictions of the press, is one which is designed to educate the press of the Japanese in the responsibilities and meaning of a free press.)。従って報道の真実性と宣伝の排除といふことに重点を置いてゐる(Emphasis is placed on the truth of news and the elimination of propaganda.)」ものであるとされていました。プランゲ文庫版の日本語訳は,日本の新聞記者諸賢の自尊心をおもんぱかった言葉づかいになっていますね。直訳調だと,「このプレス・コードは,取締り云々以前に,日本原住民連中の「報道機関」に,自由なプレスに伴う責任及びそもそも自由なプレスの何たるかを教育してやるために作成されたものなんだよ。うそニュースはいかんし,どこかの宣伝ばかりするようになってはいかんということを分からせてやろうってものなんだよ。」とも訳せそうな気がします。)
 

5 高塩修正のGHQ通過並びにGHQ説得の技術及びその副産物

 

(1)目糞鼻糞,袈裟の下の鎧等

 しかし,我が国においては,「一般放送事業者」だから「不真面目」でよい,ということにはなりません。やはり,せいぜい「おもしろまじめ」であって,飽くまでも真面目でなければ許されないのです。日本放送協会及び「一般放送事業者」を通じて適用されるべき番組準則は,やはり必要だったのです。

番組準則を導入する高塩修正に向けて,中村純一衆議院電気通信委員以下日本側は,どのようにGHQ民政局を説得したのか。

やはり,目糞鼻糞論というべきか(余り上品な比喩ではないですね。),GHQのラジオ・コードは御立派なものであったので今後とも当該御指導に引き続きあやかりたい,という方向からの口説きがあったようです。

 

塩野〔宏〕 放送法〔原始規定〕第44条第3項が〔1950年4月7日の〕衆議院修正で四原則をもって規律することとされたのですが,こういった文句もFCC〔米国の連邦通信委員会〕のレギュレーションを参考にしたのですか。

野村〔義男〕 これは,大体司令部〔GHQ〕から日本側に出たラジオ・コードあるいはプレス・コードをここへ入れたわけです。だから通ったので,日本側の発案で持って行ったらおそらく通らなかったでしょうね。・・・

  (1978年3月11日に東京・内幸町の飯野ビル(改築前)のレストラン・キャッスルでされた座談会から。放送法制立法過程研究会564頁)

 

自らが散々活用したラジオ・コードの例を出されてしまうとGHQもなかなか強い姿勢を続けられなかったようです(なお,前記GHQのGS文書に係るBox No.2205の26‐27コマ目にある1950年3月30日付け民政局宛て民間情報教育局(CIE)の照会回答文書では,「聯合国最高司令官のラジオ・コードの規定を採用することによって,修正案は,原案のいくつかの重要な点(several important details)を失うことになっている。協会は今や「公衆に関係がある事項について報道すること(inform listeners of all public issues)」を義務付けられないし,事実をまげてはならないとの制約が適用される範囲も「ニュース」のみに狭められている。これは,他の番組においては事実をまげてよいことを含意するものである。」と述べられています。)。それでも,袈裟衣の下の鎧たる電波法76条1項の修正案は,やはり見とがめられたのかもしれません(ただし,主役の民政局及び民間通信局はともかく民間情報教育局は,上記Box No.2205の33コマ目の1950年3月30日付け民政局宛て照会回答文書で「民間情報教育局は,このような性格の技術的立法には直接関係しないものであるが,〔電波法案に係る〕当該修正案に対する反対は無いところである。」と述べています。)。以下は想像になりますが,そこで日本側としてはGHQ法務局の以前の見解の手前もあり(そこでは,GHQのプレス・コードといえども占領目的に関するものはともかくも純粋の日本の内国事項に係る意見の制限又は抑圧にまでは用いられたことはないとの主張もされていました。自由と民主主義の国たることを標榜する米国の軍人としては,そういう建前でなければ受け付けられないのでしょう。),いやいやGHQさま放送法案の新しい第44条3項は「道徳的,社会的な基準」にすぎないものでありましてこれでもって電波法76条1項の行政処分をして憲法21条1項を弑逆するようなことはありません,御ラジオ・コードを超えるようなあつかましいことに用いるような意図は毛頭ございません,といったような言い訳がされたのではないかと思われます(飽くまでも想像です。なお,1950年3月16日付けの辻衆議院電気通信委員長からホイットニーGHQ民政局長宛ての前記書簡においては,「私どもが御提案申し上げた修正は占領政策に合致し(the amendments we proposed will coincide with the occupation policies),また,我が国の民主化を推進するものと確信しております。」と述べられていました。)。これが,1950年4月7日の衆議院電気通信委員会における,高塩修正に対する中村純一委員の賛成討論における前記発言につながったのではないでしょうか(飽くまでも想像です。)。

 

(2)取りもどすべき日本及び合格すべき司法試験答案について

さて,放送法4条1項に基づく電波法76条1項の処分の可否の問題に戻ります。

「できる」という側には,1945年9月22日のGHQのラジオ・コードを依然奉戴しているみたいで,「主権回復」から60年以上たち占領体制を脱却する自由と民主の我が国にふさわしくないという非難が可能なようではあります。しかし,「できない」という側にも,194812月2日のGHQ法務局の「押し付け憲法解釈」を依然奉戴しているみたいで,これも同じく,「主権回復」から60年以上たち占領体制を脱却する自由と民主の我が国にふさわしくないという非難が可能なようであります。はてさて,取りもどすべき日本は,どちらの側にあるのでしょうか。

とはいえ,194812月2日のGHQ法務局の意見のとおり,1995年の司法試験における憲法の前記設問に回答していたらどうなっていたことでしょうか。合憲性審査に係る「二重の基準」やら精神的自由権に係る「厳格な審査基準」やら「明白かつ現在の危険」基準やら「より制限的でないほかに選び得る手段の原則」やらがちゃんと書かれていないので,落第点でしょうか。そうだとすると,司法試験受験生的には,前記GHQ法務局的論証パターンは論外であって,したがって,放送法4条1項違反を理由に電波法76条1項の処分をすることは違憲であるとは電波法・放送法の立法過程の実務において正しく論証されてはいなかったのだ,日本の司法試験に合格していない米国人は困ったものだったのだ,ということになるようにも思われます。

(3)岸信介内閣による放送法改正(昭和34年法律第30号)

 ところで,1950年に成立した放送法の最初の本格的改正は,第2次岸信介内閣時代の1959年に成立した昭和34年法律第30号によってされたものです。電波法・放送法の運用も8年を超えたところでの改正であって,当時の政府当局の見解が反映されたものであったわけです。放送法の当該改正に向けた岸内閣の郵政大臣ら(電波監理委員会は,1952年に廃止され,放送を含む電波監理行政は郵政省に引き継がれていました。)の精励については,次のように紹介されています。(紹介者は,例の荘宏氏。荘氏は,1952年8月に電波監理総局の文書課長から郵政省電波監理局次長となって,その後1959年6月に東京郵政局長として転出するまで7年近く電波の「万年次長」を務めておられました。いやしくも「高級官僚」たる者は短い期間で「無責任に」ポストからポストへどんどん異動しては偉くなっていくはずなのですが,この塩漬け人事はなかなかのもの,郵政省は違ったようですね。)

 

  かくて,この時期〔第1次岸内閣改造内閣発足時,すなわち1957年7月10日〕に就任した郵政大臣田中角栄氏は,テレビジョン局開設について全国的に大量の予備免許を与えるとともに,永年の懸案であった放送法の改正法律案を閣議を経て国会に提出した。予備免許は世人も驚くほどまことに迅速且つ果断の措置であったが,法案は政府の権力を番組面に加うることは毫もなく,番組についてはあくまで放送事業者の自主的規律を重んずるものであった。

  この法律案は国会審議の都合で成立するに至らなかったが,この案を基礎としこれに若干の修正を加えた案が,次の郵政大臣寺尾豊氏〔1958年6月12日就任〕によって作成され,閣議を経て国会に提出された。この案は国会において部分的に若干の修正を受けたが,大綱においては変わることなく成立した〔昭和34年法律第30号〕。その結果が現行〔19639月当時〕の放送法である。この改正の主要眼目は,良質放送番組の確保にあり,しかもその方法としては,法律において番組のあり方について明文を以て指示する以外は,一切を放送事業者の自律に求めることとし,官の権力はいささかも及ぼさないというものであった。

  この法律案の立案及び国会説明に,寺尾大臣は非常な努力をされた。夜も官舎に係官を呼び自ら逐条審議を続け,早朝も4時頃には起きて国会への準備をされたのである。しかもこの際見落してならないことは,この肝胆をくだいての努力が,放送の自由,言論表現の自由をまもるためのものであったことである。法律の立案権をもつということは,極めて大きな権力である。その力をもつ人が,この方向にこれほどの積極性を示したその良識と信念とには,十分の敬意が払われて然るべきである。(荘宏『放送制度論のために』(日本放送出版協会・1963年)221222頁)

 

 「法案は政府の権力を番組面に加うることは毫もなく,番組についてはあくまで放送事業者の自主的規律を重んずるものであった。」,「改正の主要眼目は,良質放送番組の確保にあり,しかもその方法としては,法律において番組のあり方について明文を以て指示する以外は,一切を放送事業者の自律に求めることとし,官の権力はいささかも及ぼさないというものであった。」ということです(下線は筆者)。したがってこれは,当時の政府当局者は,当時の放送法44条3項(現在の第4条1項)は「道徳的,社会的な基準」にすぎないとの中村純一委員の前記解釈を依然採用しており,かつ,それを前提としていたということでしょう。

 昭和34年法律第30号によって,番組基準(放送法現行5条参照)及び放送番組審議機関(同法現行6条及び7条参照)に関する制度が導入されたのですが,これらは,「放送法は,・・・各放送事業者が自らの判断と力によって自らの放送番組を適正なものにすることを求めている。そこには官憲の介入,干渉は全くない。放送番組については必要最少限度の準則を法が直接に定め,それ以外はすべて放送事業者の自律にまかされているのである。」という法制度を前提に,「そこでもう一段の工夫を加え」たものとされています(荘289頁)。

 どうも当時の政府当局は,放送法原始規定44条3項及び53(なお,高塩修正によって「一般放送事業者」にも放送法原始規定44条3項の準用が同53条を通じてあることになったの理由の一つとしては,「一般放送事業者」にも土地収用法の適用があるようにしようという(放送法原始規定49条参照)虫のよい提案が衆議院電気通信委員会からの原案段階であったからのようです。高塩修正の原案に係る放送法案53条について,GHQ民間情報教育局の前記1950年3月30日文書(Box No.2205の27コマ目)は,「第53条第3項――民間放送事業者に土地収用法の特権を認めることは,不必要であり,かつ,財産所有者に対して有害であるようである。私立の学校,新聞社及び劇団が同様の特権を有するものであるのかどうか,考えさせられる。」と批判しています。)に基づく電波法76条1項の運用停止等の処分はないものと考えていたようです。この状況において,それでは,当時の岸信介内閣総理大臣はどのように考えていたかというと,次のような答弁が,1959年3月10日の参議院逓信委員会でされています。

 

 ○森中守義君 ・・・あなたの手によって出される法案に対しては,すべての国民が不安と疑惑と嫌悪を持っておる。そういう岸内閣によっていずれ,先刻あなたのお答えからいくならば用意したいという放送法の改正は,防諜法あるいは軍機保護法の制定がそうそう簡単にいかぬ。従ってこの機会に事務的あるいは法体系の整備という一つの口実を設けて,その裏に隠れて日本放送協会や一般放送事業者に対する悪らつな政治的意図のもとに法改正が用意されないとは,私は残念ながら岸総理のもとにおいてはどうしても信頼ができません。・・・

 ○国務大臣(岸信介君)・・・しかしいずれの意味にいたしましても,今森中委員のお話のように,私は放送法を根本的に検討して,そして何かここに言論統制の意図を持ってこれを改正するというような考えは毛頭持っておりません。・・・決して政治的な特殊の意図をもって,特に言論の自由を統制し制限するというような意図のもとに,いかなる意味においても将来も放送法をそういう意図をもって改正するとか,検討するという意思は毛頭持っておらないことをここに明白に申し上げておきます。

 (第31回国会参議院逓信委員会会議録第1110頁)

 

放送法を改正せず,検討もしないというのですから,当然「言論の自由を統制し制限する」方向での解釈変更もしないということのようです。「いかなる意味においても将来も」というのですから,非常に重い言葉です。

岸信介の衣鉢を継ぐものと自己規定する政治家であれば,放送法4条1項と電波法76条1項との関係についての見解表明においてやや窮屈を感じざるを得ないことになるようです。

とはいえ,「不安と疑惑と嫌悪」やら「悪らつ」やら,一国の内閣総理大臣をボロクソに言う日本社会党の森中守義委員はなかなかのものでしたが,その同委員も見逃していた昭和34年法律第30号による「悪らつ」な改正条項が実は存在していたのではないでしょうか。同法による改正後の放送法44条4項及び51条に係る「・・・国内放送の放送番組の編集に当つては,・・・教養番組又は教育番組並びに報道番組及び娯楽番組を設け,放送番組の相互の間の調和を保つようにしなければならない。」との規定(前出)が,それです。娯楽番組をしっかり放送して庶民を満足させなければならないと法認したというのがよいですね。現在はとんと見かけなくなりましたが,かつてはプロ野球中継が大人気の放送番組でした。昭和34年法律第30号成立の翌年である1960年の1月19日,米国ワシントン市で新たな日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約が調印され,同条約をめぐっては,国会の承認(憲法61条・602項)を経ての同年6月23日の発効に向けて世情は騒然としたと伝えられていますが,無論,後楽園球場などは善良な庶民で満員でありました。難しい報道番組などを視聴して悲憤慷慨するよりも,ひいきのプロ野球チームを楽しく応援する方が,気が利いているようです。(とはいえ,「プロ野球」といわれると,覚せい剤取締法違反被疑事件ないしは被告事件弁護を最近は思い出してしまって楽しめないのは,弁護士の職業病でしょうか。)