1 分娩による母子関係の成立(判例)

 「生んだのは私です。」と女性が啖呵を切れば男は引っ込む。「母は強し。」ですね。

 しかし,法律的には,「母」とは何でしょう。

 民法の代表的な「教科書」を見てみると,「母子関係の発生に母の認知を要するかについては,学説が分かれていた。現在では,判例・通説は分娩の事実によって母子関係は成立するから認知は不要としている。」とあります(内田貴『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)196頁)。当該判例たる最高裁判所昭和37年4月27日判決(民集1671247)は,「母とその非嫡出子との間の親子関係は,原則として,母の認知を俟たず,分娩の事実により当然発生すると解するのが相当であるから,被上告人〔母〕が上告人〔子〕を認知した事実を確定することなく,その分娩の事実を認定したのみで,その間に親子関係の存在を認めた原判決は正当である。」と判示しています。

 当たり前でしょ,そもそも「母子関係の発生に母の認知を要する」なんて何てお馬鹿なことを言っているのかしら,というのが大方の反応でしょう。

 しかし,民法には困った条文があるのです。

 

 第779条 嫡出でない子は,その父又は母がこれを認知することができる。(下線は筆者によるもの)

 

 素直に読めば,「嫡出でない子」については,その子を分娩した女性であっても改めて認知するまではその子の法律上の母ではないということになるようです。

なお,ここで,「嫡出でない子」の定義が問題になりますが,「嫡出子」については,「婚姻関係にある夫婦から生まれた子」(内田169頁),あるいは「婚姻関係にある男女の間の子」ということになり(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)214頁),かつ,その子は「夫との性的交渉によって懐胎された子でなければならない。」とされています(我妻214頁)。「嫡出でない子」は,「父と母との間に婚姻関係のない子」ですから(我妻230頁),婚姻していない女性が生んだ子(「未婚の子」)及び人妻の生んだ子であるが夫との性的交渉により懐胎された子でないもの(「母の姦通の子」)ということになるのでしょう。

 前記昭和37年最高裁判所判決までの古い判例は,「民法が,非嫡出子と親との関係は,父についても,母についても,認知によって生ずるものとして差別を設けない」ことから,民法の条文どおりの解釈を採っていて,非嫡出子を分娩した女性が出生届をしたときは母の認知の効力を認めるものの,原則として非嫡出子とその子を生んだ女性との関係については「分娩の事実があっても「生理的ニハ親子ナリト雖モ,法律上ハ未ダ以テ親子関係ヲ発生スルニ至ラズ」」としていたそうです(我妻248頁)。この判例の態度を谷口知平教授は支持していて「(ⅰ)母の姦通の子や未婚の子が虚偽の届出または棄児として,身分をかくそうとしている場合に,第三者から出生の秘密をあばくことは許さるべきではない。子の朗らかな成人のためにその意思を尊重し,母または子のいずれかの発意と希望があるときにのみ母子関係を認むべきだ。(ⅱ)養育しなかった生母が,子の成人の後に,子の希望しないにもかかわらず,母子関係を認め,子に扶養義務を負わせたり(認知を必要とすれば子の承諾を要する(782条)),母の相続権を認める(認知を必要とすれば,子の死亡後は,直系卑属のあるとき(母の相続権のないとき)でないとできない(783条2項))のは不当である。」と主張していたとされています(我妻249頁)。「わが民法においては親子関係については英米法の自然血縁親子主義を採らず,親子関係を,法律関係とする社会的法律関係主義ともいうべきものを採用している。」ということでしょう(谷口知平『戸籍法』(有斐閣・1957年)170頁)。

これら当時の判例及び学説に対して我妻榮は,「非嫡出子と母との関係は,その成立についても,成立した関係の内容についても,嫡出子と区別しない,というのが立法の進路であり,その途に横たわる障害については合理性を見出しえない」と宣言し(我妻232頁),「母との関係は,生理的なつながり(分娩)があれば足りる。母の認知または裁判を必要としない。従って,何人も,何時でも,この事実を主張することができる。母の認知という特別の制度は不要となる」(同235頁)との解釈論を展開していました。母子関係について「なお認知または裁判によって成立するものとしている」フランス民法的解釈から,「出生によって当然に母子関係が生ずる」とするドイツ民法及びスイス民法的解釈へと(我妻231頁参照,解釈を変更せしめようとし,前記昭和37年最高裁判所判決によってその目的が達成されるに至ったわけです。当該判例変更の理由について,当該判決に係る裁判長裁判官であった藤田八郎最高裁判所判事は,当該判決言渡しの4年後,「父と嫡出でない子の生理的な事実上のつながりは甚だ機微であって,今日の科学智識をもってしても,必ずしも明確に認識し難いのに反して,母と嫡出でない子のそれは,分娩出産という極めて明瞭な事実関係によって把握されるということに縁由するのである。」と明らかにしています(藤田八郎「「母の認知」に関する最高裁判所の判決について」駒澤大學法學部研究紀要24号(1966年4月)16頁)。ただし,これだけのようです。

以上の点に関しては,かつて,「ナポレオンの民法典とナポレオンの子どもたち」の記事で御紹介したところです(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2166630.html)。

 

2 法律の明文vs.血縁主義(事実主義)

 

(1)我妻榮の覚悟

我妻榮は,嫡出でない子に係る母子関係の成立には母による認知を不要とする自説を提示するに当たって,「非嫡出子と母との関係は,分娩という事実(生理的なつながり)によって当然発生すると解するときは,民法その他の法令の規定中の父または母の認知という文字から「または母」を削除して解釈することになる。解釈論として無理だと非難されるであろうが,止むをえないと考える。」との覚悟を開陳しています(我妻249頁)。確かに,法律に明らかに書いてある「又は母」を公然無視するのですから,立法府たる国会の尊厳に正面から盾突く不穏な解釈であるとともに,民法第4編及び第5編を全部改正した昭和22年法律第222号の法案起草関係者の一人としては立場上少々いかがなものかと思わせる解釈です(我妻榮自身としては,「戦後の大改正には,責任者の一人ともなった」が,「身分法は,私の身についていないらしい。大学では,随意科目・・・といっても,時間割にも組んでなかった。鳩山先生が,学生の希望を入れて,時間割外に講義をして下さったのだから,正式の随意科目でもなかったかもしれない。むろん試験もなかった。そのためか,どうも身についていない。」と弁明しているのですが(我妻・しおり「執筆を終えて」)。)。

 

(2)最高裁判所の妥協と「折衷説」

この点,前記最高裁判所昭和37年判決は,法律の条文の明文を完全に無視することになるというドラスティックな解釈変更を避けるためか「原則として,母の認知を俟たず,分娩の事実により当然発生すると解する」と判示して(下線は筆者によるもの),嫡出でない子に係る母による認知の規定が働き得る余地を残す形にしたように思われます。嫡出でない子の母による認知は,「棄児の場合」にはあり得ると解釈されているそうです(内田196頁)。

しかしながら,「これに対しては鈴木禄弥教授が「はなはだしく便宜的かつ非論理的」だと批判」し,「母子関係に原則として認知不要とする立場は血縁主義(事実主義)を根拠にしているが,そうであるなら,棄児であろうとなかろうと認知は不要としないとおかしい」と述べているそうです(内田197頁)。「便宜的」なのは,国会との正面衝突を避けるために正に便宜的に設けた「例外」の辻褄合わせなんだから仕方がないよ,ということにでもなるのでしょうか。民法779条の文言は男女平等に書かれていますから,同条については,憲法14条1項などを動員して「女性差別だ」として大胆に一部の文言を無効とする違憲判決をするわけにもいかなかったのでしょう。

以上の点についてはそもそも,藤田最高裁判所判事が,「〔(母の認知の存在を前提とする)最高裁判所昭和29年4月30日判決(民集84118)によれば〕認知の法律上の性質〔親子関係の確認ではなく創設〕について,父と母を区別しないのであって,今更,母の認知に,その法律上の性質に関し別異の解釈を施すの余地もなく,従来の大審院判例の趨向をも考慮しつつ,いわゆる認知説によって生ずる不都合を避けながら,法文の文理をも全然無視しないという,妥協的な態度をとって,この最高裁判決はいわゆる「折衷説」の立場に立ったものと理解されるのである。」と述べていました(藤田16頁)。

 

(3)現場の状況

ちなみに,インターネット上で認知の届書の書式を札幌市役所及び下野市役所について見てみると,「認知する父」とのみ印刷してあって,認知する母があることが想定されていないものとなっています(なお,戸籍法施行規則59条では出生,婚姻,離婚及び死亡の届出の様式について規定されていますが(戸籍法28条参照),そこに認知の届出の様式は含まれていません。すなわち,「認知届は法律上届出様式が定まっていない」わけです(内田190頁)。)。

 

3 ドイツ民法及びフランス民法と日本民法

 

(1)日本民法の解釈とその「母法」

我が民法の「実親子法は,日本的な極端な血縁主義が肯定されて,民事身分の根幹である親子関係の設定について法的な規律をいかに設計するかという議論は行われないこと」になったとみられていますが(水野紀子「比較法的にみた現在の日本民法―家族法」『民法典の百年Ⅰ』(有斐閣・1998年)661頁),民法779条の解釈も,「母法を学ぶことを基礎にして民法の条文の意味を解釈するという姿勢が財産法より弱」い中生み出された「民法の条文が本来もっていた機能を理解しない独自の日本的解釈」だったのでしょうか(同676頁参照)。ただし,我が民法の「母法」が何であるかには多様な見解があり得るようです。ドイツ法及びフランス法が民法の母法と解されていますが(水野662頁),民法779条は,ドイツ民法を継受したものなのでしょうか,フランス民法を継受したものなのでしょうか。

 

(2)ドイツ民法における母子関係の成立:分娩

ドイツ民法1591条は,「子の母は,その子を分娩した女(Frau)である。(Mutter eines Kindes ist die Frau,die es geboren hat.)」と規定しています。

 

(3)フランス民法における母子関係の成立:出生証書,任意認知又は身分占有

 フランス民法310条の1は「親子関係は,本章第2節に規定する条件に基づき,法律の効果により,任意認知により,又は公知証書によって証明された身分占有によって法律的に成立する。/当該関係は,本章第3節に規定する条件に基づき, 裁判によっても成立する。(La filiation est légalement établie, dans les conditions prévues au chapitre II du présent titre, par l’effet de la loi, par la reconnaissance volontaire ou par la possession d’état constatée par un acte de notoriété.Elle peut aussi l'être par jugement dans les conditions prévues au chapitre III du présent titre.)」と規定し,それを受けて第2節第1款「法律の効果による親子関係の成立(De l’Établissement de la Filiation par l’Effet de la Loi)」中の同法311条の25は,「母に係る親子関係は,子の出生証書における母の指定によって成立する。(La filiation est établie, à l’égard de la mère, par la designation de celle-ci dans l’acte de naissance de l’enfant.)」と規定しています。これに関して,出生証書に係る同法57条1項後段には「子の父母の双方又はその一方が戸籍吏に指定されないときは,当該事項について帳簿に何らの記載もされないものとする。(Si les père et mère de l’enfant, ou l’un d’eux, ne sont pas désignés à l’officier de l’état civil, il ne sera fait sur les registres aucune mention à ce sujet.)」との規定があります。

フランス民法316条1項は「親子関係は,本節第1款〔第311条の25を含む。〕に規定する条件によって成立しない場合においては,出生の前又は後にされる父性又は母性に係る認知によって成立し得る。(Lorsque la filiation n’est pas établie dans les conditions prévues à la section I du présent chapitre, elle peut l’être par une reconnaissance de paternité ou de maternité, faite avant ou après la naissance.)」と規定しています。同法316条3項は「認知は,出生証書において,戸籍吏に受理された証書によって,又はその他公署証書によってされる。(Elle est faite dans l’acte de naissance, par acte reçu par l’officier de l’état civil ou par tout autre acte authentique.)」と規定しています。なお,フランス民法56条1項によると,子を分娩した女性自身は出生届をすべき者とはされていません(「子の出生は,父により,又は父がない場合は医師,助産婦,保健衛生担当吏その他の分娩に立ち会った他の者によって届け出られるものとする。さらには,母がその住所外で分娩したときは,その元において分娩がされた者によってされるものとする。(La naissance de l’enfant sera déclarée par le père, ou, à défaut du père, par les docteurs en médecine ou en chirurgie, sages-femmes, officiers de santé ou autres personnes qui auront assisté à l’accouchement; et, lorsque la mère sera accouchée hors de son domicile, par la personne chez lui elle sera accouchée.)」)。

フランス民法317条1項は「両親のそれぞれ又は子は,反証のない限り身分占有を証明するものである公知証書を交付するよう,出生地又は住所地の小審裁判所の裁判官に対し請求することができる。(Chacun des parents ou l’enfant peut demander au juge du tribunal d’instance du lieu de naissance ou de leur domicile que lui soit délivré un acte de notoriété qui fera foi de la possession d’état jusqu’à preuve contraire.)」と規定しています。

 

(4)日本民法の採っていた主義は何か

 ドイツ民法の場合は,嫡出でない子を分娩した女性も当該分娩の事実により直ちにその子の母になります。フランス民法の場合は,嫡出である子を分娩した女性についても当該分娩の事実だけでは直ちにその子の母とはなりません(フランス「現行法の下では,法的母子関係は自然子のみならず嫡出子についても,分娩の事実により当然に確定するとは考えられていない。」とされています(西希代子「母子関係成立に関する一考察―フランスにおける匿名出産を手がかりとして―」本郷法政紀要10号(2001年)403頁)。)。翻って我が日本民法はどうかといえば,嫡出でない子に係る第779条はあるものの,実は,嫡出である子を分娩した女性とその子との母子関係の成立に関する規定はありません。

 この点嫡出でない子に関し,旧民法人事編(明治23年法律第98号)には母による認知に係る規定はなかったにもかかわらず(我が旧慣においても母の認知ということはなかったとされています(藤田1213頁)。)その後民法779条(旧827条)に母による認知の規定を入れることについて,梅謙次郎は次のように述べていたそうです。いわく,「生んだ母の名前で届けると姦通になるから之を他人の子にするか或は殺して仕舞うか捨てて仕舞う甚だ忌はしいことであるが西洋にはある」,そこで「原則は母の名前を書いて出すべきことであるが戸籍吏はそれを追窮して問ふことは出来ぬ」,それでも「十の八九は私生子は母の名で届けるから斯うなつても実際母なし子は滅多にはないと思ふ」と(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)155頁による。)。すなわち,母による認知を要するのは子の出生届にその子を生んだ「母」が記載されていなかった場合である,つまり,嫡出でない子については出生届において母が明らかにされないことがあるだろうとされ(なお, この民法起草時の認識とは反対に旧民法においては,母の知れない子はないものと見ていたところです(大村154頁参照)。父ノ知レサル子たる私生子(同法人事編96条)について同法人事編97条は「私生子ハ出生証書ヲ以テ之ヲ証ス但身分ノ占有ニ関スル規定ヲ適用ス」と規定していて「証ス」る対象が不明瞭ですが,同条の属する節の題名が「親子ノ分限ノ証拠」であり,かつ,定義上私生子の父は知れないのですから,同条における「証ス」る対象事実は母子関係だったのでしょう。すなわち,私生子を分娩した女性を母とする出生証書が作成されること又は当該子による当該女性の子としての身分占有(同法人事編94条)があることが前提とされています。),また,嫡出でない子であってもその分娩をした女性が母として出生届をすれば母のある子となる,ということであるようです。(なお,藤田13頁によれば,そもそも民法中修正案理由書には次のようにまとまった記述がありました。いわく,「既成法典ニ於テハ父ノ知レサル子ヲ私生子トシ父ノ認知シタル私生子ヲ庶子ト為シタルニ拘ラス母ノ知レサル子ニ関スル規定ヲ設ケス是レ蓋シ母ノ知レサル場合ナキモノト認メタルカ為メナラン,今若シ母ハ毎ニ出生ノ届出ヲ為スモノトセハ母ノ知レサル場合決シテ之ナカルヘシト雖モ或ハ母カ出生子ヲ棄テ又ハ母カ法律ニ違反シテ出生ノ届出ヲ為サス後ニ至リテ認知ヲ為スコトアルヘキカ故ニ本案ニ於テハ母ノ知レサル場合アルモノト認メ父又ハ母ニ於テ私生子の認知ヲ為スコトヲ得ルモノト定メタリ」。この母の認知の制度は,「フランス法の影響を受け」たものと認識されています(藤田13頁)。)

以上の議論では,嫡出である子については分娩した女性を母とする出生届が当然されるものであるということが前提とされているようです(専ら嫡出でない子について母を明らかにする出生届がされないことが懸念されています。)。そうであれば,嫡出である子たるべく分娩された子も当該分娩をした女性を母とする出生届がされなければ,当然されるべきことがされていないことになるので,そのままではやはり「母なし子」になる,というフランス民法的に一貫した解釈も可能であるようにも思われます。谷口知平教授は,嫡出子に係る母子関係についても「母子としての戸籍記載は勿論,血縁母子関係の存在を推定せしめるが・・・親子の如き身分の存否については,戸籍記載を唯一の証拠として身分関係の対世的統一取扱を確保することにし,先ず,人事訴訟を以て確定の上戸籍訂正をしてからでなければ,一切の訴訟において親子でないことを前提とする判断をなし得ないとする解釈が妥当だ」と,戸籍記載を重視する見解を表明しています(谷口74-75頁)。確かに,そもそも旧民法人事編92条は「嫡出子ハ出生証書ヲ以テ之ヲ証ス」と,同93条は「出生証書ヲ呈示スル能ハサルトキハ親子ノ分限ハ嫡出子タル身分ノ占有ヲ以テ之ヲ証スルコトヲ得但第291条ノ規定〔帳簿に問題があり,又は証書が作られなかったときは「証人又ハ私ノ書類ヲ以テ先ツ其事実ヲ証シ且身分上ノ事件ヲ証スルコトヲ得」〕ノ適用ヲ妨ケス」と,分娩の事実を直接援用しない形で規定していたところです。

しかし,民法779条の反対解釈からすると,嫡出である子を分娩した女性は認知を要さずにその子の母となる,すなわち分娩の事実から直ちに母子関係が成立するものとする,とここはドイツ民法流に解することも自然なようでもあります。とはいえ,やはり,「わが民法の規定にはフランス民法の影響が大きいのに,わが民法学はドイツ民法学の影響が強く,フランス式民法をドイツ式に体系化し解釈するという,奇妙な状況」(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)62頁)の一環であるということになるのかもしれませんが。

 

4 匿名出産制度について

ところで,「母子の絆は父子のそれよりも強い(意思で左右されるようなものではない)。」といわれていますが(内田198頁),万古不変全世界共通の原理ではないようにも思われます。子を生む女性の意思によって,当該女性とその子との絆を明らかにしないという選択を認める制度(匿名出産制度)がフランス民法にあるからです。同法325条は「母の捜索」を認めているのですが,その次の条が匿名出産制度について規定します。

 

326条 分娩に際して,母は,その入院及びその身元に係る秘密が保持されることを請求することができる。(Lors de l’accouchement, la mère peut demander que le secret de son admission et de son identité soit préservé.

 

「フランス人として個人の自由や権利を尊重することを当然のこととする・・・気持ちや人格」を有するのがフランス女性であるということでしょうか(東京高等裁判所平成26612日判決(判時223747)参照。なお,羽生香織「実親子関係確定における真実主義の限界」一橋法学7巻3号(200811月)1017頁は,「個人の自由の尊重要請に基づく真実主義の制限」が匿名出産から生まれた子に関して存在すると述べています。)。

歴史的に見ると,フランスでの匿名出産制度は,1556年にアンリ2世が出生隠滅を厳禁し,妊娠した女性に妊娠・分娩届の提出を義務付ける勅令を発布したことを直接の契機として,パリ施療院(Hôtel-Dieu de Paris)等による組織的対策として始まったそうです(西400頁)。その後も,「1804年に成立した民法典には匿名出産について直接規定する条項はなかったが,匿名出産を間接的に認める,あるいは意識した条項は存在していた。例えば,57条原始規定は,出生証書には,「出生の日時,場所,子の性別,子に与えられる名,父母の氏名,職業,住所,及び証人のそれら」を記載するものとしていたが,施行当初から,父母の名を記載しないことは認められていた。」という状況であったそうです(西402頁)。ナポレオン1世没落後のパルマ公国の女公マリー=ルイーズも,当該制度を利用したものか。

 

La vérité est un charbon ardent qu’il ne faut manier qu’avec d’infinies précautions.(P. HEBRAUD)

 

匿名出産制度はフランス以外の国にもあるのですが,ドイツ民法の場合,女性は分娩の事実によって当該分娩によって生まれた子の母になってしまうので,同法では親権停止のテクニックが採用されています。

 

1674a 妊娠葛藤法第25条第1項に基づき秘匿されて出生した子に対する母の親権は停止する。同人が家庭裁判所に対してその子の出生登録に必要な申立てをしたものと当該裁判所が確認したときは,その親権は復活する。(Die elterliche Sorge der Mutter für ein nach §25 Absatz 1 des Schwangerschaftskonfliktgesetzes vertraulich geborenes Kind ruht. Ihre elterliche Sorge lebt wieder auf, wenn das Familiengericht feststellt, dass sie ihm gegenüber die für den Geburtseintrag ihres Kindes erforderlichen Angaben gemacht hat.

 

 仏独のお話はこれくらいにして,我が日本民法の話に戻りましょう。

 

5 棄児に対する「母の認知」に関して

 前記最高裁判所昭和37年4月27日判決によって採用された母子親子関係の成立に係る分娩主義における例外について,藤田八郎最高裁判所判事は,母子親子関係が認知によって成立するものとされるこの例外の場合は,「判決にいうところの例外の場合とは棄児その他,分娩の事実の不分明な場合を指すものであることは,十分に理解されるのである。」と述べています(藤田16頁)。更に藤田最高裁判所判事は,棄児に対する母の認知について敷衍して説明しているところがあります。少し見てみましょう。

 まず,「棄児のごとく何人が分娩したか分明でない場合は例外として母の認知によって母子関係が発生する」ことにするとされています(藤田17頁)。そうであれば,この場合,認知をする女性も,当該棄児を自分が分娩したのかどうか分明ではないことになります。なお,分娩の事実の不分明性については,「分娩なる事実が社会事実として不明であるかぎり,法律の社会では,これを無視して無と同様に考えることもまた,やむを得ないのではあるまいか。」と説かれています(藤田18頁)。戸籍吏には実質的審査権がないということでよいのでしょうか。出生届の場合(戸籍法492項)とは異なって,母の認知の届書に出生証明書の添付が求められているわけではありません。

 任意認知の法的性質については,事実主義(血縁主義)を強調する我妻榮は,「事実の承認」であって,「父子関係の存在という事実を承認する届出」(父の認知の場合)であるとしています(我妻235頁)。「母の認知」(我妻榮自身は「母の認知」を認めていませんが)の場合は,分娩による母子関係の存在という事実が承認されるものということになるのでしょう。任意認知の法的性質を意思表示と解する立場(内田188頁等)では,「父または母と子の間に生理的なつながりのあることを前提とした上での父または母の意思表示」ということになるようです(我妻234頁)。しかし,そうだとすると,自分が分娩したのかどうか分明ではない棄児について母子関係の存在を承認し,又は当該棄児を分娩したという事実を前提とすることができぬまま母子関係を成立させる意思表示をすることを,「認知」と呼んでよいものかどうか。ここで違和感が生じます。むしろ養子縁組をすべき場合なのではないでしょうか。

上記の「違和感」については,藤田最高裁判所判事も認容するところです。「父の認知は,父子の事実上のつながりがあきらかな場合に,認知の効力を有するものであるのに,母の認知は,母子の事実上のつながりが不明の場合にはじめて認知の効力を生ずると解釈することは,同じく民法の規定する認知について余りにも父と母の間に格段の差異を作為するものであるとの非難も,もっともである」と述べられています(藤田18-19頁)。しかしながらそこで直ちに,「これは結局,父と母の間に子との事実上のつながりを探究する上に前に述べたような本質的な相違のあることに基因するものであって,これ亦やむを得ないとすべきであろう。」(藤田19頁)と最高裁判所判事閣下に堂々と開き直られてしまっては閉口するしかありません。さらには,男女間の取扱いの差異を正当化するために, いささか難しいことに「男女平等論」が出てきます。「母子の事実上のつながりが不分明の場合に母の認知によって母子関係の成立をみとめることは不合理であると考えられるのであるが,実はかような事態は父の認知の場合にさらに多くあり得るのである。父子の事実上の関係が不分明のまま,父の認知によって法律上親子関係が発生せしめられた場合には,反対の事実が立証されないかぎり,この親子関係を打破る方途はないのである。・・・花柳界に生れた子を認知する父は,多かれ少かれ,この危険を負担しているものと云っても失言とは云えないであろう。」と論じられています(藤田20頁)。花柳界の女性と関係のある男性の話が出てくるあたり,藤田八郎最高裁判所判事は意外と洒脱な人物だったのかもしれません(大阪の旧藤田伝三郎家の養子だったそうです。)。

しかし,藤田最高裁判所判事のいう,事実上の親子のつながりを探究する上での父と母との間における「前に述べたような本質的な相違」とは,「父と嫡出でない子の生理的な事実上のつながりは甚だ機微であって,今日の科学智識をもってしても,必ずしも明確に認識し難いのに反して,母と嫡出でない子のそれは,分娩出産という極めて明瞭な事実関係によって把握されるということに縁由するのである。」ということでしょう(藤田16頁(前出))。そうであり,かつ,当該男女間の「本質的相違」を尊重して更に一貫させるのであれば,むしろ,母の認知においては父の認知におけるよりも更に強い生理的ないしは事実上の親子のつながり(分娩出産)の事実に係る認識が必要である,ということにならないでしょうか。男性の場合,父子関係は「機微」でよいのでしょうが,女性の場合,母子関係は本来「極めて明瞭な事実」であるはずです。

「生んだのは私です。」と母は赤裸々に事実を語るのに対し,その地位が機微に基づくところの「父」は,「男はつらいよ。」と子ら(特に息子ら)にしみじみ語りかけるということにならざるを得ないのかもしれません。

 

承認なしの個人(子)も承継なしの個人(親)も,苦しくてはかない。(大村310頁)

 

母と父とはやはり違うのでしょう。

しかし,母と父とが仲たがいして別居するようになり,更には離婚すると,その間にあって板挟みになる子らが可哀想ですね。せっかく別居している親と面会交流ができることになっても,「監護している親が監護していない親の悪口を言ったり,相手のことを子から聞き出そうと根掘り葉掘り尋ねる,というのでは子の精神的安定に良いわけはない」(内田135頁)。セント=ヘレナ島から遠く離れたパルマの女公の場合,長男のナポレオン2世とも別居したので,その分ライヒシュタット公は父母間の忠誠葛藤に悩まされずにすんだものでしょうか。

とはいえ,話を元に戻すと,そもそもDNA鑑定の発達した今日において,認知をしようとする女性と相手方である子との間において,たといその子が棄児であったとしても,当該女性による当該子の分娩の事実の有無が分明ではないということはあり得るでしょうか。DNA鑑定を行えば,それ自体は直接分娩の有無を証明するものではありませんが,当該鑑定の結果は分娩の事実の有無を推認するに当たっての非常に強力な間接事実であるはずです(生殖医療の話等が入ってくるとまた難しくなってきますが。)。