1 托鉢の聖(ひじり)

 前回(2014728日)の記事(「多摩地区の司法の中心である「聖」地・立川にちなんで」)においてお坊さんの托鉢に関し書くに当たり,一応の参考のためインターネットの記事をいろいろ見ていると,托鉢には免許証がいるのだ,という書き込みを散見しました。

 当該「免許証」の根拠規定は,国立国会図書館のウェッブ・サイトの「日本法令索引〔明治前期編〕」を調べれば分かるのですが,そうはいってもなかなかそれすらも面倒でしょうから,ここに書き写して紹介しておきます。「仏道各宗派管長」あての明治14年(1881年)8月15日内務省戊第2号達の「托鉢免許方并托鉢者心得」がそれです。内容は,次のとおり。

 


 一 托鉢ヲ免許セシトキハ左ノ雛形ニ照シ免許証ヲ交附シ其都度願者所在ノ地方庁ヘ通知シ東京ハ警視庁ヘモ通知スヘシ

 一 托鉢ヲ行フハ午前第7時ヨリ同第11時迄ヲ限リトス

   但遠路往返ノ為メ時間ヲ遷延スルハ非此限

 一 托鉢者ハ如法ノ行装ニテ免許証ヲ携帯シ行乞スルヲ常トス施者ノ請フアルニアラサレハ人家ニ接近シ濫リニ歩ヲ駐ムヘカラス且施物ハ施者ノ意ニ任セ敢テ余物ヲ乞ヲ許サス

 一 托鉢者ハ1列3人以上10人以下タルヘシ且公衆来往ノ便ヲ妨クヘカラス

 一 免許証ハ何時タリトモ警察官等ノ検閲ニ供スヘキモノトス

 


「雛形」を見ると,托鉢の免許証は,縦6寸横2寸の木製のもので,表面には,「托鉢免許之證」との記載と共に番号が記され,管長印が焼印されていました。

明治五年の教部省第25号達が托鉢を禁止したのは,托鉢僧が四六時中無統制に徘徊し,目をつけた人家の前に立ち止まっては喜捨せよと圧力をかけ,また,戸別訪問を試み,更に勝手に人家に上がり込み,施物についても「これでは足りぬ」などと図々しく強請することが目に余ったからでしょうか。

「托鉢者心得」が守られないときはどうなったかというと,同じ明治14年8月15日の府県あて内務省乙第38号達(「僧侶托鉢差許ニ依リ不都合ノ所業アルモノ処分方」)に次のようにありました。

 

・・・万一不都合之所業有之節ハ直ニ托鉢差止顛末詳細取調当省ヘ可申出此旨相達候事

 


「当省ヘ可申出」の部分は,明治19年(1886年)5月15日の内務省令第9号によって「該宗管長若クハ其地方取締ヘ通知スヘシ」に変更されています。

公衆の迷惑の除去・防止のために,不都合な托鉢の差止めはするものの,当該不都合之所業をした者のその後の処分は各宗派に任せるということでしょう。

当時における国家と仏教との関係については,次のとおり。

 


・・・明治の初年に一時神道及び仏教の宣布を以つて国家自身の事務と為し,宣教使又は教導職を置いて布教に当らしめたことは有つたが,明治17年(17811太政官布達19号)に神仏教導職を廃することとなつた後は,宗教の宣布は全く国家事務からは分離せらるるに至つたものである。〔しかし,〕大審院判例(大正7419,大正6125民)は右の太政官布達に寺院の住職を任免することは「各管長ニ委任シ」云々とあることを根拠として,住職の任免は国家から管長に委任せられたもので,現在に於いてもそれは国の行政事務の一部であるとする見解を取つて居る・・・(美濃部達吉『日本行政法 下巻』(有斐閣・1940年)564頁) 

 


なお,旧刑法(明治13年太政官布告第36号)の違警罪(同法13号。その主刑は拘留及び科料(同法9条))のカタログ(同法425条から429条まで)には,「こじきをし,又はこじきをさせた者」を罰する旨の規定(軽犯罪法122号参照)は見当たりません。

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2 悪魔の弁護人

 さて,徳高き,聖なる宗教家に対しては,刑事弁護は不要であるものかもしれません。(しかし,鑑定はともかく情状証人を頼もうにも,控訴しようにも,「わたくしは,知りません。」などと言って逃げたであろう石某という弟子(Pierre)には困ったものですね。)

 悪人にこそ,弁護人が必要なのでしょう。

 最近,部屋に取り散らされた古雑誌を片付けようとしていてふと読んでしまった記事Obituary: Jacques Vergès, The Economist, August 24th 2013, p.78によると,昨年の今月(20138月)15日に享年88ないしは89歳で死亡したフランスのジャック・ヴェルジェス先生(Maître)は,正に極悪人の刑事弁護で名高い弁護士でありました。

 


  彼のすべての依頼者も,拭いがたく彼の一部となっている,と彼は言った。ナチス親衛隊の大尉として341件の殺人又は人身移送の罪で起訴された「リヨンの虐殺者」クラウス・バルビー。フランス及びイスラエルに対する数多くのテロ行為に係る被告人,カルロス・ザ・ジャッカル。恐らく200万人の殺害を行ったカンボジアのクメール・ルージュ政権の名目上のトップであったキュー・サンファン。バーダー・マインホフ団〔西ドイツ赤軍〕のメンバー。だれでも依頼可能であった。彼は,セルビアの独裁者であったスロボダン・ミロシェヴィッチに弁護を申し出,サダム・フセイン弁護の準備をした。ヒトラー?もちろん。ジョージ・W・ブッシュの弁護もやぶさかではない,彼が有罪を認めるのならばね。乾いた微笑。

 


ヴェルジェス先生は,ヴェトナム人の母とフランス人の父との間に生まれました。不倫関係を隠すための父の工作により,生年月日は不明です(ただし,The Economistのこの訃報記事とは異なり,多くのウェッブ・ページはヴェルジェス先生の生年月日を,特段の留保なく192535日としています。)。「ろくでなし(salaud)」,「私生児(bastard)」と言われようと,銃弾を送り付けられようと,ヴェルジェス先生は一向に平気でした。

インド洋のレユニオンで育ち,若き弁護士として,1950年代にはフランス領のアルジェリアで,独立派のテロリストたちを弁護しました。1970年から1978年まで,ヴェルジェス先生は「鏡の向こう側に渡り」,その消息が途絶えます。カンボジアか,コンゴか,シリアか――ヴェルジェス先生はいずこの悪名高き政権の顧問弁護士をしていたものか?パリに戻って来たときには,戦いを経た相貌(battle-hardened),一文無し(penniless)。

Ruptureと呼ばれたヴェルジェス先生の法廷戦術は単純にして爆弾的でした。訴追者の糾弾。戦争です。

アルジェリアのフランス人たちは,アルジェリア人を差別し,不当な仕打ちをしているではないか。イスラエルによるパレスチナ人の抑圧に比べたら,カルロスの犯罪が何だ。我らのバルビーは善きクリスチャンだ,フランスのヴィシー政権こそいそいそとナチスに協力していたではないか。サダムが自国民を殺害したって?その武器は米国から供与されたものだ。

ヴェルジェス先生は過激な刑事弁護活動を展開しましたが,悪党たちを娑婆に戻すことはなかなかうまくはいきませんでした。しかし,ヴェルジェス先生は有名になりました。先生は,名声を大いに享受しました。2008年には自らを主人公とする戯曲を書き,パリのマデレーヌ劇場で自らその役を演じました。

憎むべきものどもを徹底して弁護したヴェルジェス先生は,いかにもヴェルジェス先生らしく,ヴォルテールの寝室で亡くなりました。(ヴォルテールは,1761年10月13日の晩に南仏トゥールーズの自宅兼店舗において死体で発見された息子に係る殺人の罪で1762年3月10日に同市で処刑された織物商ジャン・カラスの冤罪事件におけるカラス一家への支援が«Traité sur la tolérance» (1763) 等を通じて知られた有名人ですね。ただし,ジャン・カラスはユグノーではありましたが,憎むべき悪人ではありません。)

 


悪名は無名にまさる。

 


「実際のところ,彼の仕事の多くは地味なものであった。破産者,窃盗犯,小悪人どもの弁護。通常,弁護士報酬は受け取らなかった。」とThe Economistは伝えますが,無報酬で弁護活動ができるまでの資産を,ヴェルジェス先生はどうやって蓄財したのでしょうか。悪の黒光りするろくでなし(salaud lumineux)どもは,報酬もはずんでくれたものでしょうか。分厚い眼鏡をかけ, キューバ葉巻をくわえるヴェルジェス先生のオフィスには,かつて弁護したアフリカの独裁者たちからの贈り物がいっぱい飾ってあったそうです。

少なくともヴェルジェス先生には,次のような「弁護士の苦悩」は無縁だったことでしょう。

 


 最判昭36330刑集153688頁に現れた事例は,職務上の義務の締め木にかけられた弁護士の苦しみを推測させるケースである。この事件の被告人は,家庭不和のため養父母を殺害し,その後,犯人であることを隠すため別人になりすまそうとして,2回にわたり殺人を重ね,一審で死刑を言い渡された。控訴審の弁護人として国選された弁護士Aは,記録を閲覧しただけで控訴趣意書を執筆し,被告人の行為は「戦慄を覚ゆる」ものであり,死刑はやむをえないと述べ,控訴の理由はないと結論した。被告人は,右Aに対して,弁護人としての義務の懈怠を責め,損害賠償を求める民事訴訟を提起し,認められた(東京地判昭381128・・・)。被告人と面会してその言い分を聞いた上,控訴趣意書の作成について技術的な援助を与える必要があったと判示されている。(松尾浩也『刑事訴訟法(上)補正第三版』(弘文堂・1991年)220頁)

 


問題の損害賠償請求の民事訴訟事件に係る東京地方裁判所判決の約2年8箇月前に出された刑事訴訟事件に係る上記最高裁判所判決は「・・・記録を調べると,原審弁護人は,量刑の当不当,法令適用の正誤,事実誤認の有無,刑訴377条,383条関係等の各事項にわたり詳細に取り調べた上控訴の理由なしとしたものであり,また,被告人の控訴趣意は,量刑不当の主張のみであつて,原判決はこれにつき詳細に説示していることを認めることができるから,原審の訴訟手続には所論違法は認められない。その他記録を調べても,本件につき刑訴411条1号ないし3号を適用すべきものとは認められない。」と述べており,「詳細に取り調べ」ているねと,最高裁判所判事らはA弁護士を一見ほめているようでもあります。しかし,弁護士と裁判官とは違います。「Jのように書くな」とは,司法研修所における司法修習生の起案指導に際しての刑事弁護教官の定番評言ではなかったでしょうか。「記録の閲覧以外何らの調査もせず,また原告〔死刑判決を受けた被告人〕に接見することもなく,「原告の行為は戦慄をおぼえるもので控訴する理由はない」との控訴趣意書を提出し,公判期日でも,これに基づいて陳述しただけにとどまった。しかも,原告に右事実を知らせず,原告が控訴趣意書の書き方について教示を求めたにも拘らず,自分の方で処理する旨の返事をしただけであったため,原告は自己の控訴趣意書を提出しなかった。」(別冊ジュリ・刑事訴訟法判例百選(第六判)(1992年)236頁)というのは,確かにどうでしょう。「基本的に事後審たる控訴審においても,弁護人の調査範囲が訴訟記録外に及ぶべき場合があり,殊に訴訟記録上控訴理由が発見できなかった場合には,当然,法の認める例外的事実または事情の有無を考慮すべく,少なくとも被告人自身につき調査することが,弁護人の義務である。その結果,なお控訴理由が発見されない場合にも,控訴趣意書作成の技術的援助以上のことはできないことを告げて,被告人の善処を求めるべき義務がある。本件の場合,被告は,以上のような義務を尽くしていないから,損害賠償の責任を負う。」というのが,前記東京地方裁判所判決の概略です(上記別冊ジュリ・同頁)。

ヴェルジェス先生は,一般的には控訴理由等が発見できないであろう被告人ともまめに接見したようです。バルビーの獄房で「リリー・マルレーン」をmon capitaine(私の大尉)と一緒に歌ってやり,カルロス・ザ・ジャッカルとは余りにも接見回数が多かったため,カルロスのネットワークの一味ではないかとまで疑われたそうです(The Economist, ibid.)。

 


Ce mec, c’est moi. (こいつは,おれだ。)

 


 「弁護士は,被疑者及び被告人の防御権が保障されていることにかんがみ,その権利及び利益を擁護するため,最善の弁護活動に努める。」(弁護士職務基本規程46条)

 


 


弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

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