1 大同の元号

 9世紀初めの我が平城天皇時代の元号は,大同でした。

 ところでこの大同という元号はなかなか人気があり,我が国のほか,六朝の梁においても(535546年),契丹族の遼においても(947年)採用されています。

 最近の例としては,1932年3月1日の満洲国建国宣言発表に当たって採用されています(1934年に満洲国の帝制移行とともに康徳に改元)。

 


2 大同元年の日満議定書

 この満洲国の大同元年の9月15日,同国と我が国との間で議定書(日満議定書)が署名調印され,条約として即日発効しました(昭和7年条約第9号)。日満議定書の内容は,次のとおりです。

 


         議 定 書

 日本国ハ満洲国ガ其ノ住民ノ意思ニ基キテ自由ニ成立シ独立ノ一国家ヲ成スニ至リタル事実ヲ確認シタルニ因リ

 満洲国ハ中華民国ノ有スル国際約定ハ満洲国ニ適用シ得ベキ限リ之ヲ尊重スベキコトヲ宣言セルニ因リ

 日本国政府及満洲国政府ハ日満両国間ノ善隣ノ関係ヲ永遠ニ鞏固ニシ互ニ其ノ領土権ヲ尊重シ東洋ノ平和ヲ確保センガ為左ノ如ク協定セリ

 一 満洲国ハ将来日満両国間ニ別段ノ約定ヲ締結セザル限リ満洲国領域内ニ於テ日本国又ハ日本国臣民ガ従来ノ日支間ノ条約,協定其ノ他ノ取極及公私ノ契約ニ依リ有スル一切ノ権利利益ヲ確認尊重スベシ

 二 日本国及満洲国ハ締約国ノ一方ノ領土及治安ニ対スル一切ノ脅威ハ同時ニ締約国ノ他方ノ安寧及存立ニ対スル脅威タルノ事実ヲ確認シ両国共同シテ国家ノ防衛ニ当ルベキコトヲ約ス之ガ為所要ノ日本国軍ハ満洲国内ニ駐屯スルモノトス

 本議定書ハ署名ノ日ヨリ効力ヲ生ズベシ

本議定書ハ日本文及漢文ヲ以テ各2通ヲ作成ス日本文本文ト漢文本文トノ間ニ解釈ヲ異ニスルトキハ日本文本文ニ依ルモノトス

 


右証拠トシテ下名ハ各本国政府ヨリ正当ノ委任ヲ受ケ本議定書ニ署名調印セリ

 


昭和7年9月15日即チ大同元年9月15日新京ニ於テ之ヲ作成ス

 


               日本帝国特命全権大使 武藤信義(印)

 


               満洲国国務総理    鄭 孝胥(印)

 


3 日満議定書と日米安保条約

 


(1)旧日米安保条約

 日満議定書については,旧日米安全保障条約との「類似性」がしばしば指摘されました。

1951年9月8日にサンフランシスコで調印され,1952年4月28日に発効した旧日米安保条約1条は次のとおり。

 


  平和条約及びこの条約の効力発生と同時に,アメリカ合衆国の陸軍,空軍及び海軍を日本国及びその附近に配備する権利を,日本国は許与し,アメリカ合衆国はこれを受諾する。この軍隊は極東における国際の平和と安全の維持に寄与し,並びに,1又は2以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた,日本国における大規模の内乱及び騒擾を鎮圧するため,日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて,外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。

 


旧日米安保条約は,「「アメリカの日本防衛義務」を欠落させるという「本質的欠陥」を残したまま,単なる駐軍協定となった」と評されています(原彬久『岸信介―権勢の政治家―』(岩波新書・1995年)227頁)。同条約において日本が「従属的地位」にあることが日本国民の怒りをかっているとは,1957年,内閣総理大臣就任時の岸信介が米国側に述べた認識でもありました(原187頁)。

なるほど,日満議定書が旧日米安保条約と類似しているのならば,我が国は満洲国内に駐軍権を確保しつつもうまい具合に満洲国防衛の義務は免れていたのか,とも思われるところです。しかし,日満議定書の文言からは直ちにはそうともいえないようです。

19511018日,第12回国会衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において,西村榮一衆議院議員は,片務的(米国に日本防衛義務が無い。)な旧日米安保条約に比べて,(少なくとも文言上は)双務的な日満議定書の方が「平等にして友好的にして,また筋道が立つて」いる旨指摘して,吉田内閣の見解を問うています。

 


○西村(榮)委員 ・・・その日満議定書の共同防衛の中には,満洲国の攻撃は日本に対する攻撃と見なし,日本国に対する攻撃は,満洲国また共同の責任をもつてこの日満両国の防衛に当らねばならぬということが,明確にされておるのでありまして,今から20年前に締結されたこの日満議定書には,日満両国は平等の立場に立つて,領土権は尊重して,同時に満洲国の一寸の土といえども侵された場合においては,日本は全生命を賭してこれを防衛するということが明示せられておるのであります。・・・少くとも日本が満洲国にとつた日満議定書の方が,この日米防衛協定よりもはるかに平等にして友好的にして,また筋道が立つて,共同防衛の立場に立つておるということだけは,私は申し上げておきたいのでありますが。総理大臣のこの日満議定書をごらんになつての御感想はいかがですか。

 


 答弁の難しい質疑であって,西村熊雄外務省条約局長も吉田茂内閣総理大臣も,日満議定書は実は日本が駐軍権を持つだけの片務的なものだったとも,旧日米安保条約は米国が日本防衛義務をしっかり負う双務的なものだとも言わずに,いわゆるすれ違い答弁に徹しています。(なお,我が国に満洲国防衛義務が無かったのならば,我が軍苦戦の1938年の張鼓峰事件,大損害を受けた1939年のノモンハン事件等は何だったのかということになりかねません。)

 


 ○西村(熊)政府委員 私は日満議定書における満洲国の立場に立つよりも,日米間の保障条約における日本の立場に立つことを,今日の日本国民の絶対多数は支持すると思います。

 


  ・・・

 


 ○吉田国務大臣 西村条約局長の申したところ,すなわち私の所見であります。

 


旧日米安保条約作成の過程においては,「吉田〔茂内閣総理大臣〕がアメリカ側に「対等の協力者」でありたいと申し出たとき,アメリカはこれを一蹴した。日本が米軍を受け入れることと,米軍が日本を防衛することとを等価交換することによって,「日米対等」を立証しようとした吉田の提案は完全に斥けられた。アメリカはいわゆるバンデンバーグ決議(1948年,上院で採択)第3項によって,「自助および相互援助」の力を日本が備えない限り,「対等の協力者」として日本を遇することはできないと主張したのである。/しかも,この「自助および相互援助」の力とは軍事力そのものであって,それ以外の何物でもない,というのがアメリカの立場であった。」という事情があったそうです(原226227頁)。満洲国ですら,西太平洋に広がる大日本帝国の「領土及治安ニ対スル一切ノ脅威」に対して健気に「両国共同シテ国家ノ防衛ニ当ルベキコトヲ約」したのにお前は何だ,とでもいうことでしょうか。

なお,日米安保条約体制の文脈でいわれる「日米対等」とは,我が国の敗戦以来の米軍の我が国土への駐留を所与のものとしつつ,その見返りに確実に米国に日本防衛義務を負わせる,ということのように解されます。

 


(2)新日米安保条約

前記のような情況下,1960年の新日米安保条約(同年119日ワシントンで署名,同年623日発効)に向けた内閣総理大臣「岸〔信介〕の狙いは,第1に「対等の協力者」の証しとして「アメリカの日本防衛義務」を条文化することであり,そのためには第2に,「自助および相互援助」の力すなわち日本の防衛力増強の努力をアメリカに認めさせて,新しく「相互防衛条約」をつくろうということであった」そうです(原227228頁)。

それでは,新日米安保条約における米国の「日本防衛義務」はどのようなものになったのでしょうか。

 


・・・第一に新条約に「日米対等」を求めるとすれば,「アメリカの日本防衛義務」を同条約に組み込むことは,論理必然的に「日本のアメリカ防衛義務」を何らかの形で条文化することにつながるはずである。しかし「日本のアメリカ防衛義務」が,「戦力」と「海外派兵」を許さない日本国憲法に阻まれるのは当然であった。したがって新条約第5条は,・・・アメリカが日本領土を防衛し,日本が日本の施政下にある米軍基地を防衛するという,いささかトリッキーな内容をもつことになるのである。

 ところが,第5条はそれだけをみれば確かにトリッキーだが,この第5条の仕掛けをそれでよしとするほどアメリカは甘くない。第6条のいわゆる極東条項がこの「仕掛け」を十分説明している。つまりアメリカは,この第6条によって,「極東における国際の平和と安全の維持に寄与するため」に在日基地を使用することができるとなれば,同国は「極東の平和と安全」の「ため」とみずから判断して,その世界戦略に在日基地を利用できる。第5条におけるアメリカの日本にたいする「貸し」は,第6条の極東条項によって埋め合わせがつくという仕組みである。・・・(原229頁)

 


 「トリッキー」ではありますが,一応つじつまを合わせて「アメリカの日本防衛義務」を認めさせているようではあります。岸信介は鼻高々であったでしょうか。実はそうではありませんでした。

 


 ・・・みずから「命をかけた」安保改定がいかに不十分,不本意であるかは,彼〔岸〕自身が最もよく知っている。彼はこういう。「もし憲法の制約がなければ,日本が侵略された場合にアメリカが,アメリカが侵略された場合に日本が助けるという完全な双務条約になっただろう」(〔原彬久による岸インタビュー〕)。岸にとって現行憲法は,ここでも「独立の完成」を妨げる「元凶」としてあらわれるのである。新安保条約が完成されたとはいえ,同条約への新たなフラストレーションが,ほかでもない,「憲法改正」にたいする岸の執念を膨らませていく。(原230頁)

 


 岸信介の不満は,双務性の不十分性にあるようですが,やはり「アメリカの日本防衛義務」がなお不十分であるということでしょうか。

現在の日米安保条約の第5条1項及び第6条1項は次のとおりです。

 


 第5条1項 各締約国は,日本国の施政の下にある領域における,いずれか一方に対する武力攻撃が,自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め,自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

 


 第6条1項 日本国の安全に寄与し,並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため,アメリカ合衆国は,その陸軍,空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。

 


(3)日米安保条約5条1項とNATO条約5条1項との比較

現行日米安保条約5条1項の日本語は,一見,米国の日本防衛義務をきちんと規定しているようですが,岸信介はどこが不満だったのか。同項の英文を見てみましょう。

 


Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and safety and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes.

 


 これを,次の北大西洋条約(NATO条約)5条1項と比較してみましょう。

 


The Parties agree that an armed attack against one or more of them in Europe or North America shall be considered an attack against them all and consequently, they agree that, if such an armed attack occurs, each of them, in exercise of the right of individual or collective self-defence recognised by Article 51 of the Charter of the United Nations, will assist the Party or Parties so attacked by taking forthwith, individually and in concert with the other Parties, such action as it deems necessary, including the use of armed force, to restore and maintain the security of the North Atlantic area.

  (加盟国は,欧州又は北米における1又は2以上の加盟国に対する武力攻撃は全加盟国に対する攻撃であるものととみなすことに合意し,したがって,加盟国は,そのような攻撃が発生したときは,各加盟国が,国際連合憲章第51条によって認められた個別的又は集団的自衛権の行使として,個別に及び他の加盟国と協力して,北大西洋地域における安全の回復及び維持のためにその必要と認める行動(武力の使用を含む。)を直ちに執って,そのように攻撃を受けた加盟国を援助するものとすることに合意する。)

 


なるほど。北大西洋条約5条1項前段の場合には欧州又は北米における1又は2以上の加盟国に対する武力攻撃は全加盟国に対する攻撃であるものとみなす(shall be considered an attack against them all)旨合意する(agee)と端的に規定されているのに対して,日米安保条約5条1項前段の場合,「各締約国は,日本国の施政の下にある領域における,いずれか一方に対する武力攻撃が,自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め」の部分における「危うくするものであること」とは,would be dangerous”であって,これは推量のwouldを用いた表現ですね。だから両締約国が合意(agee)するのではなくて,各締約国が各別に認める(recognizes(三単現のs付き))わけなのですか。となると,北大西洋条約の「みなす」との相違が明らかになるように訳するとなると,「各締約国は,日本国の施政の下にある領域における,いずれか一方に対する武力攻撃が,自国の平和及び安全を危うくするものと推定されるものであることを認め」でしょうか。英文ではshallではなく,せっかくwouldが用いられているのですから,日米安保条約の適用を受ける「日本国の施政の下にある領域」における日本に対する武力攻撃であっても,米国の平和及び安全にとっては危険を及ぼさないものであるとされる可能性はなお排除されないわけです。

北大西洋条約5条1項後段では,端的に,攻撃を受けた加盟国を直ちに援助する(will assist the Party or Parties so attacked….forthwith)」旨合意(agee)されています。これに対して,日米安保条約5条1項後段は,ここでも両締約国の合意ではなく各締約国個別の宣言(declares)となっており,さらに,「直ちに(forthwith)」援助してくれるのではなく,「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」から「共通の危険に対処するように行動する」ものとされています。日本のために宣戦してあげましょう,ということになると,合衆国大統領の一存というわけにはいかず,合衆国憲法上,連邦議会が決定権を持つことになります。(また,更に1973年戦争権限法が連邦議会の関与について定めています。)最後にまた,「共通の危険に対処するように行動」するといっても,そこでの助動詞は,北大西洋条約のように端的なwillではなく,またまたwouldであって不確実です(would act to meet the common danger)。英和辞典には,“I would if I could.”などという頼りなげな例文が出ています。ここでも,せっかくのwouldを強調して訳すると,「自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動するであろうことを宣言する。」となりましょうか。

「各締約国は,日本国の施政の下にある領域における,いずれか一方に対する武力攻撃が,自国の平和及び安全を危うくするものと推定されるものであることを認め,自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動するであろうことを宣言する。」ということになると,確かに,「アメリカの日本防衛義務」は,文言上はなお頼りないものです。対処の対象は飽くまでも「共通の危険」なので,日本国の施政の下にある領域における日本に対する武力攻撃であっても,米国の平和及び安全にとっては危険を及ぼさないものであるとされた場合には,日本単独の危険であっても共通の危険ではないものとされ,また,共通の危険であると認められても,「直ちに(forthwith)」ではなく「自国の憲法上の規定及び手続」を経た上で援助が与えられ,しかもとどのつまりが,“I would if I could.”なのですから。

無論,以上は英語の素人の素人考えであって,外務省等の英語の達人の方々が別異に解釈されるのならば,それに従うべきことはもちろんです。(しかし,1854年の日米和親条約では,和文と英文との相違による混乱がありましたね。)

 


(4)岸信介の憲法改正構想と日米安保条約「再改定」

岸信介の憲法改正構想は,なお米軍の我が国土への駐留を所与のものとしつつ,その見返りである米国による日本防衛義務を,北大西洋条約加盟国に対する米国の防衛義務と同程度に完全ならしめるため,同条約5条1項にいう「国際連合憲章第51条によって認められた・・・集団的自衛権の行使」が我が国もできるようにしよう,というものだったのでしょう。(なお,2012年4月27日決定の自由民主党憲法改正草案では,憲法9条2項を「前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。」から「前項の規定は,自衛権の発動を妨げるものではない。」に改め,憲法上「自衛権の行使には,何らの制約もないように規定し」たとし(同党『QA』),集団的自衛権の行使が可能になるようにするものとされています。これも同様のねらいを有するものでしょう。)

日本の集団的自衛権行使を前提として,米国の日本防衛義務を完全ならしめるため,現在の日米安保条約5条1項及び6条1項を合わせて,北大西洋条約5条1項に倣って再改定すると,次のようになるのでしょうか。

 


 締約国は,日本国又はアメリカ合衆国の施政の下にある領域における,いずれか一方に対する武力攻撃が,両締約国に対する攻撃であるものととみなすことに合意し,したがって,締約国は,そのような攻撃が発生したときは,各締約国が,国際連合憲章第51条によって認められた個別的又は集団的自衛権の行使として,個別に及び他の締約国と協力して,北太平洋地域における安全の回復及び維持のためにその必要と認める行動(武力の使用を含む。)を直ちに執って,そのように攻撃を受けた締約国を援助するものとすることに合意する。

 前項の目的のため,アメリカ合衆国は,その陸軍,空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。

 


 日満議定書第2項に倣った場合は,次のとおり。

 


日本国及亜米利加合衆国ハ締約国ノ一方ノ領土及治安ニ対スル一切ノ脅威ハ同時ニ締約国ノ他方ノ安寧及存立ニ対スル脅威タルノ事実ヲ確認シ両国共同シテ国家ノ防衛ニ当ルベキコトヲ約ス之ガ為所要ノ合衆国軍ハ日本国内ニ駐屯スルモノトス

 


 集団的自衛権を行使できるようにすることによって初めて,米国との関係で我が国は,日満議定書における満洲国並みの地位を確保できることになるということでしょうか。米軍の我が国駐留を出発点としつつ,せっかくの在日米軍を活用して米国に我が国防衛義務を負わせようとすると,かえって我が国が,大西洋・カリブ海にまで及ぶ米国の共同防衛義務を負わされることになるというのは,なかなかですね。

 しかし,「私は日満議定書における満洲国の立場に立つよりも,日米間の〔旧安全〕保障条約における日本の立場に立つことを,今日の日本国民の絶対多数は支持すると思います。」との前記西村外務省条約局長の答弁は,問題は,条約の一条項における文面上の対等性ばかりではないということをかえって証するものでしょう。

 


4 鄭孝胥国務総理の煩悶

 日本軍駐屯の見返りに(日本に対する共同防衛義務も負うものの)しっかり日本の満洲国防衛義務を確保したのであったなら,日満議定書は,日米安保条約における吉田茂及び岸信介両内閣総理大臣に比すれば,満洲国国務総理鄭孝胥の外交的大成功であったということになるようですが,そうでもなかったようです。

 


 ・・・1932年9月15日の日満議定書調印式に「武藤全権大使随員として立ち会った米沢菊二一等書記官が書き残したメモによれば,武藤の挨拶に対して鄭孝胥が示した反応は・・・。

   鄭総理は早速に答辞を陳べんとして陳べ得ず,いたずらに口をもぐもぐさせ,顔面神経を極度にぴりぴり動かし,泣かんばかりの顔を5秒,10秒,30秒,発言せんと欲して能はず。心奥の動揺,暴風の如く複雑なる激情の交錯するを思わせるに十分であった。(米沢『日満議定書調印記録』)

鄭孝胥は調印6日前になって突然辞任を申し出,国務院への登院を拒んでいた・・・。・・・米沢は鄭孝胥の辞意は単なる駒井〔徳三総務長官〕排斥の意図にとどまらないのではないか,との判断をもっていた。すなわち「調印により売国奴の汚名を冠せられ,支那4億の民衆よりのちのちに至るまで満洲抛棄の元凶と目されんことを恐れ,調印の日の切迫するにつれ煩悶の末,その責任を遁れんがため,辞職を申し出たるにあらざるか」(同前)と推測していたのである。そのため,最終局面で鄭孝胥が調印を拒絶するのではないかとの危惧が去らず,鄭総理の顔面の異常な痙攣を見て,米沢は一刻も早く調印をすませるべく,本来先に行なうべき日付の記入を後回しにしてまず署名を求めたという。」(山室信一『キメラ―満洲国の肖像』(中公新書・1993年)211212頁)

 


 鄭孝胥は,「満洲国は抱かれたる小児の如し。今手を放してこれを歩行せしめんと欲す。・・・然るに児を抱く者,もしいたずらに長くこれを手に抱かんか児ついに自立の日なし。・・・ここに至りて我満洲国の未だよく立つあたわざるの状,日本政府あえて手を放して立たしめざるの状況,これ今日自明の所ならん。」程度の日本批判を関東軍にとがめられて,1935年辞任。憲兵の監視下にあって,家に閉じこもって書道に歳月を費やし,1938年,風邪に腸疾を併発し,新京で死亡しました。(山室218219頁)

日本人は真面目なのですが,真面目な分だけちょっとした当てこすりにも過敏に反応して,陰険な意地悪をするものです。戒心しましょう。