毎年11月の下旬になると,司法修習生は修習を終えるために「二回試験」を受けなければなりません。
この「試験」は,全員が必ず合格する予定調和的なものではなくて,毎年かなりの数の不合格者が出ています。2012年度の現行・新第65期司法修習生は2126人が受験して46人(2.2パーセント)が落第していますが,2007年度の新第60期の不合格率は7.2パーセント(不合格者数76人)に達し,2008年度の新第61期では113人(6.1パーセント)が及第できなかったところです(法務省ウェッブサイトにある法曹養成制度検討会議の資料「司法修習生考試に関する資料」による。)。
「二回試験」の不合格者はどうなるかというと,「不合格者は,一旦罷免となるが,再度司法修習生に採用されれば,次回以降の考試を受験することができる」,ただし,「現在は,司法修習生考試の再受験のための再採用については,司法修習生考試は,原則として,連続して3回まで受験することができるという運用を前提として取り扱うこととなっている」ところです(総務省の法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会の第4回(2010年9月10日)会合の資料8(最高裁判所資料によるものとされています。))。
野球のアナロジーでいうところの,「三振アウト」ということになります。
それでは,この「二回試験」とは何でしょう。
通常,司法試験に合格しさえすれば,直ちに法曹資格が与えられるものと考えられているようです。
失礼。「法曹」とは古めかしい言葉です。まず,意味をはっきりさせなければなりません。
手元の『岩波国語辞典第4版』では,「法曹」は「法律事務に従事する者。特に司法官や弁護士」と定義されています。ここでは,「特に」の方に限定して考えることにしますが,弁護士法(昭和24年法律第205号)で定義され得る弁護士はともかく,今度は,「司法官」とは何だ,ということになります。
現在の裁判所法(昭和22年法律第59号)の前の法律である旧裁判所構成法(明治23年法律第6号)には「司法官試補」(旧大正12年法律52号2項参照)という制度があり,「判事又ハ検事」に任ぜられるためには当該試補として「裁判所及検事局ニ於テ実務ノ修習ヲ為シ且考試ヲ経ルコトヲ要ス」るものと規定されていましたから(廃止前の同法57条1項),司法官とは裁判官及び検察官のことであるということになるのでしょう。(なお現行の弁護士法の前の旧弁護士法(昭和8年法律第53号)では,司法官試補としてではなく「弁護士試補トシテ…実務修習ヲ了ヘ考試ヲ経タルコト」を弁護士の資格要件としていました(同法2条1項2号)。)
すなわち,「法曹」とは,特に定義すれば,裁判官,検察官及び弁護士のことであります。
確かに,司法試験法(昭和24年法律第140号)1条1項は,「司法試験は,裁判官,検察官又は弁護士となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とする国家試験とする。」と宣言しています。
しかしながら,司法試験に受かっただけでは直ちに弁護士にはなれません(以下法曹の例として,最も親しみやすい弁護士について説明します。)。
弁護士名簿に登録されて弁護士となる(弁護士法8条)には,次のいずれかによる資格が必要です。
①「司法修習生の修習を終えた」こと(弁護士法4条)。
②「司法修習生となる資格を得た後」に一定の法律関係の職務経験を経,法務大臣が指定する弁護士業務についての研修課程を修了したと法務大臣から認定されたこと(弁護士法5条1号・2号)。
③検察庁法(昭和22年法律第61号)18条3項の考試(3年以上副検事を務めた者が検事になるための検察官特別考試。なお,同条2項2号の規定に基づき,3年以上一定の検察事務官等を務めた者は,検察官・公証人特別任用等審査会の選考を経て副検事に任命されることができます。)を経た後に検察官(副検事を除く。)を5年以上務め,更に②の弁護士業務についての研修課程を修了したと法務大臣から認定されたこと(弁護士法5条3号)。
④最高裁判所の裁判官をしたこと(弁護士法6条。欠格事由がなく,かつ,「識見の高い,法律の素養のある年齢40年以上の者」でさえあれば,確かに,最高裁判所裁判官に任命され得るところです(裁判所法41条1項)。)
前記③及び④は特別の職務経験が必要なので,一般的な方法は①及び②(特に①)ということになります。なお,「司法修習生となる」資格が必要なのですが,実はこれは司法試験合格者に前記司法試験法1条1項によって直接付与されるものではありません。同条2項の「裁判所法…第66条の試験は,この法律により行う。」という規定こそがかぎであって,裁判所法66条1項が「司法修習生は,司法試験に合格した者の中から,最高裁判所がこれを命ずる。」と規定しているところです。
すなわち,法曹になるためには,一般に,その前に司法修習生となる資格が必要であるところ,司法試験に合格しただけでは,実は確かにそこまでの資格しか得ていないということになります。(法曹へのゴールはまだです。厳しいですね。)
そこで,通常,弁護士となる人は,司法修習生の修習を終えて(前記①)弁護士となるのですが,次は,どうすれば「司法修習生の修習を終えた」ことになるのかが問題になります。これも裁判所法に規定があって,同法67条1項は「司法修習生は,少なくとも1年間修習をした後試験に合格したときは,司法修習生の修習を終える。」と定めています。当該試験に関する事項は,最高裁判所が定めるものとされています(同条3項)。
この「試験」が,冒頭述べましたところの「二回試験」です。
では,「二回試験」は,なぜそういう名前で呼ばれているのでしょうか。
これは,今から123年以上前に制定された旧裁判所構成法における用語に由来するようです。
すなわち,制定当時(1890年)の旧裁判所構成法には次のような規定(特に第58条2項に注目)があったところです。
第57条 判事又ハ検事ニ任セラルヽニハ第65条ニ掲ケタル場合ヲ除キ2回ノ競争試験ヲ経ルコトヲ要ス
第58条 志願者前条ノ競争試験ヲ受ケ得ルニ必要ナル資格並ニ此ノ試験ニ関ル細則ハ判事検事登用試験規則中ニ司法大臣之ヲ定ム
②第一回試験ニ及第シタル者ハ第二回試験ヲ受クルノ前試補トシテ裁判所及検事局ニ於テ3年間実地修習ヲ為スコトヲ要ス
③前項ノ修習ニ関ル細則モ亦試験規則中ニ之ヲ定ム
第62条 第2回ノ競争試験ニ及第シタル試補ハ判事又ハ検事ニ任セラルヽコトヲ得
第65条 3年以上帝国大学法科教授若ハ弁護士タル者ハ此ノ章ニ掲ケタル試験ヲ経スシテ判事又ハ検事ニ任セラルヽコトヲ得
②帝国大学法科卒業生ハ第一回試験ヲ経スシテ試補ヲ命セラルヽコトヲ得
制定当時の旧裁判所構成法58条1項の判事検事登用試験規則は同名の司法省令(明治24年司法省令第3号)として制定され,そこでは第一回試験(第3章(第7条以下)の章名)及び第二回試験(第5章(第23条以下)の章名)がそれぞれ固有名詞として扱われています。
すなわち,ここでは,第一回試験が現在の司法試験に,第二回試験が現在の裁判所法67条1項の司法修習生の修習を終える試験に対応しているところです。
なるほど,この用語法が現在まで継承されているのか,と納得して,なぜ「二回試験」は「二回試験」と呼ばれるのだろうという積年の小さな疑問が解消されたように思われるところです。
なお,裁判所法67条3項に基づき,同項1項の試験については最高裁判所規則である司法修習生に関する規則(昭和23年最高裁判所規則第15号)が規定を設けています(手元の条文は平成18年最高裁判所規則第3号による改正後のもの)。当該試験を行うため,最高裁判所に司法修習生考試委員会が常置され(同規則12条1項),その委員長は最高裁判所長官が自ら務めています(同条3項)。裁判所法67条1項では試験とされていますが,当該「試験」は,司法修習生に関する規則では「考試」と呼ばれています(同規則第3章の章名,12条の2第2項,13条1項,14条から16条まで)。
「考試」の語は,廃止前の旧裁判所構成法57条1項で「判事又ハ検事ニ任セラルルニハ…試補トシテ…修習ヲ為シ且考試ヲ経ルコトヲ要ス」と,旧弁護士法2条1項で弁護士の資格要件として「弁護士試補トシテ…修習ヲ了ヘ考試ヲ経タルコト」と規定されていたことから,これら旧法の用語を最高裁判所規則においても踏襲したものでしょうか。
しかしながら,現在でも「二回試験」という呼称が存続していることからすると,大正3年法律第39号による旧裁判所構成法の改正及び旧々高等試験令(大正7年勅令第7号)によって,従来の判事検事登用試験の第一回試験が高等試験の司法科試験に,第二回試験が改正後旧裁判所構成法57条1項の考試に変更され(改正後の旧裁判所構成法57条及び58条は,司法官試補を命ぜられるために合格しなければならないものを「試験」と,司法官試補が判事・検事に任ぜられるために経るべきものを「考試」として,用語を使い分けています。),かつ,制度的に分断された後も,司法官試補の考試は関係者の間では「二回試験」と呼ばれ続けていたものでしょう(なお,高等試験の司法科試験導入に係る旧裁判所構成法の改正規定及び旧々高等試験令の当該規定は,1923年3月1日から施行されました(同令附則3項)。)。
しかし,制定時の旧裁判所構成法では「第2回ノ競争試験」(同法62条)であったものが,そこから「競争」の文字が取れて,ただの考試になった時には,当時の司法官試補たちはちょっと気が楽になったのではないでしょうか。
そもそもいったん司法官試補に採用しておきながら,判事又は検事に任ずる前に「競争試験」でまた絞るぞ,というのは無情に過ぎるようです。
あるいは旧裁判所構成法が制定された明治時代においては,「いったん司法官試補になっても,判事・検事として朝に用いられなかったのなら,野に下って代言人(弁護士)になりゃいいだろう。」と司法行政当局は考えていたのかもしれません。
当時の旧々弁護士法(明治26年法律第7号)では,「司法官試補タリシ者」は,「弁護士タルコトヲ得」たところです(同法4条2号)。(なお,旧々弁護士法においては後の旧弁護士法とは異なり弁護士試補としての実務修習の制度はなく,弁護士試験規則により試験に及第することが弁護士たる条件とされていたところです(旧々弁護士法2条2号)。当該試験は,大正3年法律第40号による旧々弁護士法の改正により,1923年3月1日から,司法官試補を命ぜられるための前記高等試験司法科試験に統合されます。)
参考までに当初の旧々弁護士法4条を掲げると,次のとおりです。
第4条 左ニ掲クル者ハ試験ヲ要セスシテ弁護士タルコトヲ得
第一 判事検事タル資格ヲ有スル者又ハ弁護士ニシテ其請求ニ因リ登録ヲ取消シタル者
第二 法律学ヲ修メタル法学博士,帝国大学法律科卒業生,旧東京大学法学部卒業生,司法省旧法学校正則部卒業生及司法官試補タリシ者
この記事は,当初は「二回試験」を受ける司法修習生を励ますために何か気の利いたエピソードを紹介しようかと思って書き始めたのですが,どうも制度の趣旨・沿革を気にしているうちに,既に分量が多くなり過ぎたようです。
しかし,確かにいえるのは,「二回試験」と唱えてしまうと,そこには司法修習生が自らを呪縛してしまう恐ろしい響きがあるということです。
旧裁判所構成法に基づき行われていた本来の第二回試験は,「競争試験」だったわけですから。
最高裁判所が,裁判所法67条1項の「試験」という用語にかかわらず,司法修習生に関する規則では「考試」という名称を採用したのは,「競争試験じゃないんだから,落ち着いて勉強すれば合格するからね。」というメッセージを伝えるための親心だったのでしょうか。これはうがち過ぎというものでしょうか。