1 偽預言者

偽預言者というものがいます。

 

 Adtendite a falsis prophetis qui veniunt ad vos in vestimentis ovium, intrinsecus autem sunt lupi rapaces. (cf. Mt 7, 15)

(羊の衣を着て汝らの許に来たる偽預言者(falsus propheta)らに注意せよ,その内面において彼らは貪婪な狼なればなり。)

 

🐑の皮をかぶった狼🐺ですね。

偽預言者は社会の迷惑ですから,取り締まられねばなりません。その昔は,民衆の憎悪を一身に浴びて,極刑に処せられたことも多かったようです。春分の日以後最初の満月🌕の日後最初の日曜日の2日前の金曜日が近づく都度,かつての当該取締りの様子がどのようなものであったかが思いやられます🥚


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5781年のニサンの月の十五夜

 

2 旧刑法の違警罪及び警察犯処罰令

我が国近現代における取締法令としては,次のようなものがありました。

 

(1)旧刑法の違警罪

 

ア 構成要件及び刑

188211日施行(明治14年太政官布告第36号)の旧刑法(明治13717日太政官布告第36号)は,違警罪として,「流言浮説ヲ為シテ人ヲ誑惑シタル者」(同法42711号)及び「妄ニ吉凶禍福ヲ説キ又ハ祈禱符咒等ヲ為シ人ヲ惑ハシテ利ヲ図ル者」(同条12号)をいずれも1日以上3日以下の拘留又は20銭以上125銭以下の科料に処するものとしていました(同条柱書き)。

なお,「違警罪」とは何かといえば,刑法施行法(明治41年法律第29号)31条に「拘留又ハ科料ニ該ル罪ハ他ノ法律ノ適用ニ付テハ旧刑法ノ違警罪ト看做ス」とあります。

 

イ 語義

「流言浮説」とは「根もなき話である。即ち根拠なき風説である。」(司法省行刑局長塩野季彦『改訂増補警察犯処罰令釈義【附 改正違警罪即決例釈義】』(巌翠堂書店・1933年)84頁)ないしは「「ねなしごと」ヲイフ,根拠ナキ噂ノ意ニシテ真正ナルヤ否ヤ明カナラサル言説ナリ」と説かれています(刑事法学会編纂『改正違警罪即決例釈義 『附』警察犯処罰令釈義』(豊文社・1931年)警察犯処罰令釈義30頁)。

誑惑(きょうわく)」とは「あざむきまどわす」ことです(『角川新字源』(第123版・1978年))。あるいは「人ヲ「たぶらかし」テ思慮ヲ乱ス所為」です(刑事法学会30頁)。

(じゅ)」は「呪」です。「祈禱符咒」は,下記の司法省刑事局の1947年末軽犯罪法原案によれば「ごきとう,まじない」です。あるいは,祈禱は「いのり」,符呪は「のろい」(塩野88頁)。

()ハス(〇〇)とは人の心の平穏を害することである。」とされています(塩野89頁)。あるいは「人ヲ喜ハシメ又ハ悲マシメ以テ其ノ人ノ思慮ヲ乱スコト」です(刑事法学会32頁)。

 

ウ ボワソナアド

 

(ア)ボワソナアドによる旧刑法起草

 旧刑法は,フランスの法律家であるお雇い外国人・ボワソナアド作成の草案に基づくものです。1876年に「司法省では方針を大転換し〔それまで「日本側は編纂のイニシャティヴを自らの手に留保する方針」でした。〕,まずボワソナアドに草案を起草させ,それを翻訳して討論を重ね,さらにボワソナアドに仏文草案を起草させる,という手続きを何回かくりかえした後,最終案を作成するという手順にし」(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1998年)114頁),「翌〔明治〕10年に入って,前年の草案は論議し直され修正されて「日本刑法草案第2稿」(3473条)となり,さらに第4編違警罪の編纂も終了した。ボワソナアドによると,それは同年の7月のことである」(同115頁)ところ,18778月に司法卿から元老院に提出された刑法案のフランス語版が国立国会図書館デジタルコレクションにあります(Projet de Code Pénal pour l’Empire du Japon présenté au Sénat par le Ministre de la Justice le 8e mois de la 10e année de Meiji)。

 

(イ)「狼少年」取締条項

 旧刑法42711号に対応する条項は,18778月案476条(同条に掲げられた者は,1日から3日までの拘留若しくは20銭から125銭の科料又はこれの併科によって罰せられる。)の第13号であって,同号には,“Ceux qui, par méchanceté ou plaisanterie, auront répandu la frayeur dans le public, ou réclamé, mal à propos, le secours des citoyens ou des agents de l’autorité, en faisant croire à danger qu’ils savaient ne pas exister”(「悪意から又はふざけて,公衆の間に恐怖を拡め,又は自らは存在しないと知っている危険があるものと信じさせて市民若しくは当局からの救援を時宜あしく要請した者」)が掲げられています(Projet 1877, pp.154-155)。旧刑法42711号よりもイメージを具体的に描くことができます。狼🐺少年対策ですね。

 1886年のボワソナアドの解説(Projet Révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire par Mr Gve Boissonade)によると,18778月案47613号は,人命(la vie des personnes)にもたらされる危険ゆえに設けられたものであって,特に悪質な事例として劇場で「火事だ」と叫ぶ場合が挙げられています(p.1258)。公共の安寧に対する(contre la sûreté publique)違警罪の一つです(Boissonade, p.1253)。

 

(ウ)「占い師及び魔法使い」取締条項

 旧刑法42712号に対応するのは,18778月案4776号です。同号によれば,“Ceux qui auront offert, pour un profit personnel, de conjurer des malheurs, d’attirer la félicité, de prédire l’avenir, de deviner les choses cachées ou d’interpréter les songes”(「私利のために,凶運を祓い,幸運を引き寄せ,未来を予言し,隠れたものを見抜き,又は夢を解くことを申し出た者」)は1日の拘留又は10銭から1円までの科料に処されます(Projet 1877, pp.156-157)。これは,日本語で読めば平凡な科学主義条項のようですが,慣れぬヨオロッパ語で読んでみると,(「私利のため」でなければよい,ということで抜け道があるのですが)古代ユダヤ教的ないしは中世キリスト教的な魔術🧹禁止・異教排斥の条項のように,筆者にはまず印象されてしまったところです。

 

  Nec inveniatur in te qui lustret filium suum aut filiam ducens per ignem aut qui ariolos sciscitetur et observet somnia atque auguria. Ne sit maleficus ne incantator, ne pythones consulat ne divinos et quaerat a mortuis veritatem. Omnia enim haec abominatur Dominus et propter istiusmodi scelera delebit eos in introitu tuo. (Dt 18, 10-12)

  (汝のうちに,その子女を火に導きて浄める者,又は占ひ師に尋ね,夢及び前兆を重んずる者なかるべし。妖術使ひ,魔法使ひあらざるべし,予言者又は卜占者に問ふこと,真実を死者らに求むることあるべからず。主はこれら全てを忌み嫌ふがゆゑなり。斯くの如き悪行のゆゑ,主は彼らを,汝の侵入とともに滅ぼさん。)

 

  Vir sive mulier in quibus pythonicus vel divinationis fuerit spiritus morte moriantur. Lapidibus obruent eos. Sanguis eorum sit super illos. (Lv 20, 27)

  (予言又は卜占の性ある男女は,死を以て除去せらるべし。投石を以て彼らを覆ふべし。彼らの血が彼らの上にあるべし。)

 

 しかし,1886年のボワソナアド解説によれば,18778月案4776号の罪は詐欺罪と境界を接するものであって,庶民の信じやすさ(crédulité populaire)を利用して少額の利益(minimes profits)を得るにとどまる限りにおいて,同号の軽い刑を科するをもって十分とするというものです(Boissonade, p.1267)。庶民の経済的利益を守るためのものです。宗教的浄化を目指すものではありません。近代的です。「私利のため」要件が効いています。公共の信用に対する(contre la confiance publique)違警罪の一つです(Boissonade, p.1265)。

18778月案提出後もボワソナアドは同案4776号の構成要件に修正を加えており(ただし,旧刑法制定過程におけるボワソナアドの関与については,「〔草案は,1877年〕1128日,司法省から太政官に「日本刑法草案」(4478条)として上呈された。以上で草案は司法省の手をはなれ,またこの段階でボワソナアドの関与も完了するのである。」と伝えられています(大久保115頁)。),1886年本で披露された構成要件は“Ceux qui auront joué le rôle de devins ou sorciers, en offrant, pour un profit personnel, de conjurer ou d’appeler des malheurs, d’attirer ou d’éloigner la félicité, de prédire l’avenir, de deviner les choses cachées ou d’interpréter les songes; sans préjudice des peines de l’escroquerie, s’il y a lieu”(「私利のために,凶運を祓い若しくは招き寄せ,幸運を引き寄せ若しくは遠ざけ,未来を予言し,隠れたものを見抜き,又は夢を解くことを申し出て占い師又は魔法使いとして振る舞った者。ただし,詐欺罪の成立を妨げない。」)となっていました。占い師又は魔法使い(devins ou sorciers)というと,ますますヨオロッパのおとぎばなしめいてくるのですが,これはかえって当該構成要件の充足を難しくするものでしょう。

 

(2)警察犯処罰令

 

ア 構成要件及び刑

1908101日から旧刑法が廃止され(刑法(明治40年法律第45号)上諭4項及び3項並びに明治41年勅令第163号),その後は警察犯処罰令(明治41年内務省令第16号。194853日から廃止)が,「人ヲ誑惑セシムヘキ流言浮説又ハ虚報ヲ為シタル者」(同令216号),「妄ニ吉凶禍福ヲ説キ又ハ祈禱,符呪等ヲ為シ若ハ守札類ヲ授与シテ人ヲ惑ハシタル者」(同条17号),「病者ニ対シ禁厭,祈禱,符呪等ヲ為シ又ハ神符,神水等ヲ与ヘ医療ヲ妨ケタル者」(同条18号)及び「濫ニ催眠術ヲ施シタル者」(同条19号)をいずれも30日未満の拘留又ハ20円未満の科料に処するものとしていました(同条柱書き)。

警察犯処罰令は,旧刑法の違警罪規定に比べて(ボワソナアド草案はいわずもがな),偽預言者取締りのためには進歩したものとなっています。

なお,愛知県神道一致会の『宗教法令抜萃』(1936年)は,警察犯処罰令からは21号,3号,9号,17号,18号,28号及び33号を掲載していましたが,同条16号及び19号はそこには含まれていません(25-26頁)。警察犯処罰令21号は「合力,喜捨ヲ強請シ又ハ強テ物品ノ購買ヲ求メタル者」,同条3号は「濫ニ寄附ヲ強請シ又ハ収利ノ目的ヲ以テ強テ物品,入場券等ヲ配付シタル者」,同条9号は「祭事,祝儀又ハ其ノ行列ニ対シ悪戯又ハ妨害ヲ為シタル者」,同条28号は「濫ニ他人ノ標燈又ハ社寺,道路,公園其ノ他ノ公衆用ノ常燈ヲ消シタル者」及び同条33号は「神祠,仏堂,礼拝所,墓所,碑表,形像其ノ他之ニ類スル物ヲ汚瀆シタル者」をそれぞれ罰していました。

 

イ 語義

「虚報」は「真実ならざる報知である」ものとされています(塩野84頁)。

(きん)(よう)」も「しずめる。はらう。」という効果の「まじまい」となるようです(『角川新字源』「厭」及び「禁」の項参照)。警察犯処罰令218号の適用については「禁厭ト符呪トハ異例ノ行為ニ非ス」して,「行為カ禁厭ニ該ルヤ将符呪ニ該ルヤヲ確定スヲ要スルモノニ非ス苟モ厭勝呪詛ノ行為ニ属スルモノ」には同号の適用があってよい,とする法曹会決議があったそうです(塩野88-89頁)。「(よう)(しょう)」とは「まじないをして相手をうち負かす。」との意味です(『角川新字源』)。

「神符神水」については「神ノ加護ノ籠リタルモノ例ヘハ神前ニ供シタル米,水等ノ如シ」との説明があります(刑事法学会33頁)。「神符は水天宮の御符とか不動尊の御符と云ふが如く又神水とは薬師如来のお水とか天理教のお水と云ふが如し。」とのことです(塩野91頁)。ただし,神ノ加護がこもっていても「永ク神前ニ供ヘ置キタルモノヲ用フルトキハ往々衛生上有害ナル結果ヲ生スルコトアリ」とのことです(刑事法学会33頁)。

同様に「みだり」と訓みつつも,警察犯処罰令217号では「妄」,同条19号では「濫」の字が用いられていますが,前者については「でたらめ。思慮分別もなく。妄言。」と,後者については「しかるべき範囲からあふれ出る意で,行きすぎ。濫刑。濫賞。」と説明されています(『角川新字源』「同訓異義」)。「()()は行為の不法性を意味し,()()は行為に根拠なきを意味す。」ということです(塩野87頁)。

 

ウ 流言浮説又は虚報の罪の危険犯化

旧刑法42711号と警察犯処罰令216号とを比較すると,前者は誑惑の結果発生を必要とするのに対して,後者は当該結果の発生までを必要としない危険犯となっています。保安警察上の取締りです(塩野84頁)。ただし,「流言浮説又は虚報を為しても之が単純な滑稽的戯言に過ぎないものは罪とならぬ。」とされています(塩野85頁)。「明日正午天ヨリ黄金降リ来ルヘシトイフカ如キ何人モ一笑ニ附シ去ルカ如キ」ものでしょう(刑事法学会30頁)。

しかし,“Impletum est tempus et adpropinquavit regnum Dei!”との叫び(cf. Mc 1, 15)は,滑稽的戯言として一笑に付し去り得るものか否か。神の国(regnum Dei)と黄金の雨とを一緒にしてよいものかどうか。“Amen dico vobis, quoniam non transiet generatio haec donec omnia ista fiant. Caelum et terra transibunt, verba autem mea non transibunt.”との,すなわち「お前らの生きているうちにこの天も地も消え去るのだ(Caelum et terra transibunt)。」との切迫した警告(cf. Mc 13, 30-31)も,お笑いの種にすぎぬのか。

 

エ 図利目的不要となった,妄りに吉凶禍福を説く等によって人を惑わす罪

また,旧刑法42712号では必要であった図利目的が,警察犯処罰令217号では不要となっています。「吉凶禍福を説き祈禱,符呪を為し又は守札類を授与することは古来神官,僧侶,易者等の行ふ所である,此等は宗教上の信仰心に訴へ若くは哲学的窮理に則り世人を救済するに在るが故に之を取締る必要はない。然し宗教的にも哲学的にも何等教養なき者が人の弱点に乗じ迷信を利用し妄に之を行ひて人を惑はすものもあるから之を取締る必要を見るのである。」と説かれています(塩野87頁)。すなわち「人ノ迷信ヲ利用シ易占,祈禱,符呪等ニ依リ人心ヲ惑乱セシメントスルヲ取締ル為メ」のものです(刑事法学会32頁)。

「教理又は窮理に基きて為すは妄にあらず。人を惑はすと雖も妄ならざるときは罪と為らぬ」そうであり(塩野87頁),「教理,教典等相当ノ理由ニ基クモノハ妄ニトイフコトニ当ラサル」ことになるそうです(刑事法学会32頁)。また,「姓名により禍福を説くは古来選名等洽く行はるゝ所直に無稽なりと云ふを得ず。」とされています(塩野87頁)。であると,偽預言者に宗教的若しくは哲学的な何らかの教養があり,又はその説くところに既存の哲学若しくは宗教からする何らかのもっともらしい論証若しくは権威付けがある場合には取締対象外になりそうです。昔からあることをその枠内で繰り返しているうちはよいのだということでしょうか。独創性ある教祖的人物があぶない。

 

Et stupebant super doctrina eius, erat enim docens eos quasi potestatem habens et non sicut scribae. (cf. Mc 1, 22)

(んで,みーんなやつの講釈にびっくらこいちゃったんだ。ちゅうのは,やっこさん,何が正しいか正しくないかは自分が決めるちゅうようなぶっとんだ態度でみんなに講釈ばたれよって,ちゃーんと勉強した学者さま・お坊さま方の言いなさり方とは全然違っておったからのぉ。)

 

「妄ニ吉凶禍福ヲ説キ」の例として「玄関井戸雪隠ノ位地方角ヲ云為シ以テ凶事アリト為シ,毎朝店先ニ砂ヲ撒ケハ商売繁昌疑ヒナシト説ク」ことが挙げられています(刑事法学会32頁)。

 

オ 病者に対する禁厭等により医療を妨げる罪

警察犯処罰令218号の「医療ヲ妨ケタル」については,「必ずしも医療中に在ると否とを問はない。積極的に相手方の医療を受くることを制止するは勿論のこと祈禱又は御符を受けたるに依り相手方が自ら医療を廃したる場合も包含す。而して犯人は必しも悪意なるを要せず,善意且無償の場合にても本犯を構成す。職業的なると否とは固より問ふ所でない。」と説かれています(塩野91-92頁)。判例は,「特殊ナル医療妨礙ノ結果ヲ発生セシムルコト」,「現実ニ医療妨礙ノ結果ヲ生ズルコト」を不要としています(塩野92-93頁)。そうであれば「病者ニ対シ禁厭,祈禱,符呪等ヲ為シ又ハ神符,神水等ヲ与ヘ医療ヲ妨ケタ」以上は,当該病者の病気が治っちゃった場合も有罪になるのでしょうか。

 

… autem misertus eius extendit mamum suam, et tangens eum ait illi: “Volo mundare!”

Et cum dixisset statim discessit ab eo lepra et mundatus est. Et comminatus ei, statim eiecit illum et dicit ei: “Vide nemini dixeris!” (cf. Mc 1, 41-44)

 

この場合,某教祖が病者に手を触れつつ「われ浄めん。」と祈禱したところ,たちどころに病気がめでたく治ってしまっていますが,なぜか当該祈禱者は当該治癒者をおどしあげ置いた上で直ちに追い出し,「誰にも言わないようにしろ。」と口封じをしています。警察犯処罰令218号違反で29日間も拘留されることを恐れたものでしょうか(違警罪については,違警罪即決例(明治18年太政官布告第31号)によって,裁判の正式を用いずに警察署長若しくは分署長又はその代理たる官吏限りで即決ができました。)。

衛生警察上のみならず風俗警察上取り締まる必要があることから,警察犯処罰令218号は設けられたものとされています(塩野90頁)。病気治療等を口実に,みだりに信者におさわりなどをしてはいけないのでしょう。

 

カ 催眠術の罪

警察犯処罰令219号の「催眠術」については「人の精神に一種の観念を与へ所謂催眠現象を誘発して人格を一時的に転換せしむる術である。術は手段方法である,観念を統一させる手段として視覚聴覚若くは触覚を利用して観念の統一に導く為に色々の方法を採る,方法は単純単調であるから何人にも出来る。之により被術者に潜在意識を与へ二重人格を作り不可思議なる行為を現出せしむるから濫用の虞れがある。」とされ(塩野95頁),「施ス」については「催眠術の方法を他人に実行することである。実行すれば足り未だ催眠現象を現はさゞるも本犯は成立す。術の未熟なる場合も罰せられる。」とされています(同)。「催眠術」により誘発される催眠現象は「一時的」なものとされ,かつ,催眠術の方法の実行即犯罪成立ということですからその「方法」はいかにも催眠術的な特定のものに限定されるようです。「催眠(ママ)」は「人為的方法ニ依リテ催起セラルル神経系統ノ特別状態(昏睡,喪心等)ヲ総称」するもので,「小催眠状態」が「単ニ昏睡,麻酔,麻痺ト眼瞼ノ遅鈍カ感セシメ」られた状態,「大催眠状態」が「運動不随,昏睡,睡遊」の3状態であり,その状態をもたらす方法としては「人ノ意識ヲ集注」すること及び「暗示」があるものとされています(刑事法学会34頁)。いわゆるマインドコントロールは,「催眠術」といい得たものかどうか。

なお,警察犯処罰令219号の罪については,「近来催眠術の流行につれ之を濫用する者あるを以て之を取締る必要がある。」と述べられています(塩野94-95頁)。警察犯処罰令施行の翌年(1909年)6月に出た森鷗外の『魔睡』において,法科大学の大川渉教授の美貌の夫人が,磯貝(きよし)医師によって濫りに催眠術を施される被害を受けていところです。大川夫妻は泣き寝入りしました。法典にありがたく罰則規定があっても,それだけで直ちに悪が滅び去るわけではありません。

 

ちなみに,『魔睡』の磯貝医師のモデルには,三浦謹之助医科大学教授が擬せられていたそうです(一柳廣孝『催眠術の日本近代』(青弓社・2006年)133頁)。

この三浦教授は,『魔睡』ないしは警察犯処罰令219号関係で名前が出されてしまって迷惑を被っているのですが,覚せい(﹅﹅)剤取締法(昭和26年法律第252号)211号との関係でも名前が出て来てしまう人物です。すなわち,フェニルメチルアミノプロパン含有の覚醒剤である大日本製薬の「ヒロポン」の開発(1941年)に三浦は関与していたからです(西川伸一「戦後直後の覚せい剤蔓延から覚せい(﹅﹅)剤取締法制定に至る政策形成過程の実証研究」明治大学社会科学研究所紀要571号(201810月)3頁)。実験の一環として,三浦は自分でも覚醒剤を使っちゃっています(佐藤哲彦「医学的知識の構成について―「覚せい剤研究」の転換―」文学部論叢(熊本大学)60号(19983月)21頁)。

三浦は,規制が強化されつつも覚醒剤がなお合法であった時期の1949113日に文化勲章を受章し,他の受賞者ら(津田左右吉,志賀直哉,谷崎潤一郎ら)と共に昭和天皇から同日午餐の御陪食を賜わる栄に浴しています(宮内庁『昭和天皇実録 第十』(東京書籍・2017年)927頁)。三浦は昭和天皇が皇太子時代にヨオロッパを訪問した際(1921年)の供奉員でしたから(宮内庁『昭和天皇実録 第三』(東京書籍・2015年)15頁),天皇の御前といえども受賞者中一番くつろいでいたことでしょう。しかし,当該午餐の前月18日には「警視庁,少年ヒロポン患者の取締を命令(ヒロポン禍,問題化)」ということでしたので(『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年)374頁),あやうい受賞タイミングでした。(なお,少年ヒロポン患者を取り締まるのは,彼らをヒロポン中毒から救うためというよりも,彼らの行う犯罪からの社会防衛のためでした。)

――と書いているうちに筆者得意の脱線ですが,日本放送協会の「NHK放送史」ウェブサイトに文化勲章を受章した志賀直哉のインタビューの記録があって,文化勲章については「まあ,感想として別にね,あの,ありません」であって,他方仕事については,「仕事はね,正月号が行き詰まって,エンコしてんです(笑い)」ということでした。で,志賀直哉のいう当該正月号の一たる『文藝春秋』19501月号のために,志賀の同業者でこちらはヒロポン濫用に堕ちていた坂口安吾(文化勲章とは無縁のまま1955年に死亡)は,ヒロポン流行の当時の世相とそこから触発された自己の思考とを書いています。いわく,「伊豆の伊東にヒロポン屋というものが存在している。旅館の番頭にさそわれてヤキトリ屋へ一パイのみに行って,元ダンサーという女中を相手にのんでいると,まッ黒いフロシキ包み(1尺四方ぐらい)を背負ってはいってきた二十五六の青年がある。女中がついと立って何か話していたが,二人でトントン2階へあがっていった。/3分ぐらいで降りて戻ってきたが,男が立ち去ると,/「あの人,ヒロポン売る人よ。一箱100円よ。原価六十何円かだから,そんなに高くないでしょ」/という。東京では,120円から,140円だそうである。/ヒロポン屋は遊楽街を御用聞きにまわっているのである。最も濫用しているのはダンサーだそうで,皮下では利きがわるいから,静脈へ打つのだそうだ。/「いま,うってきたのよ」/と云って,女中は左腕をだして静脈をみせた。五六本,アトがある。中毒というほどではない。ダンサー時代はよく打ったが,今は打たなくともいられる,睡気ざましじゃなくて,打ったトタンに気持がよいから打つのだと言っていた。/この女中は,自分で静脈へうつのだそうだ。」,「病院へいって治せるなら,すぐにも,入院したいと思う。又,事実,中毒というものは持続睡眠療法できわめてカンタンに治ってしまう。鉄格子の部屋へいれて,ほッたらかしておいても,自然に治る。けれども,カンタンに治してもらえるというのは,カンタンに再び中毒することゝ同じことで,眠りたいから薬をのむ,中毒したから入院する,まことに二つながら恣意的で,こうワガママでは,どこまで行っても,同じくりかえしにすぎない。/この恣意的なところが一番よく似ているのは宗教である。中毒に多少とも意志的なところがあるとすれば,眠りたいから催眠薬をのみたい,苦しいから精神病院へ入院したい,というところだけであるが,人が宗教を求める動機も同じことだ。どんな深遠らしい理窟をこねても,根をたゞせば同じことで,意志力を失った人間の敗北の姿であることには変りはない。/教祖はみんなインチキかというに,そうでもなく,自分の借金の言い訳はむつかしいが,人の借金の言い訳はやり易いと同じような意味に於て,教祖の存在理由というものはハッキリしているのである。/教祖と信徒の関係は持ちつ持たれつの関係で,その限りに於て,両者の関係自体にインチキなところはない。たゞ意志力を喪失した場合のみの現象で,中毒と同じ精神病であるところに欠点があるだけだ。/麻薬や中毒は破滅とか自殺に至って終止符をうたれるが,宗教はともかく身を全うすることを祈願として行われているから,その限りに於て健全であるが,ナニ麻薬や中毒だって無限に金がありさえすれば,末長く酔生夢死の生活をたのしんでいられるはず,本質的な違いはない。両者ともに神を見,法悦にひたってもいられるのである。」と(「安吾巷談 麻薬・自殺・宗教」)。

おはなしは,偽預言者に戻ってきたようです。

 

キ 警察犯処罰令の法形式について

罪刑法定主義もあらばこそ(大日本帝国憲法23条参照),法律ならざる内務省令で犯罪構成要件及びその刑を定めるということが可能であったことについては,大日本帝国憲法9(「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」)及び明治23年法律第84(「命令ノ条項ニ違犯スル者ハ各其ノ命令ニ規定スル所ニ従ヒ200円以内ノ罰金若ハ1年以下ノ禁錮ニ処ス」。題名のない法律です。)を参照(また,佐藤幸治「創刊時はしがき」(三省堂『デイリー六法』)参照)。

しかし,日本国憲法下ではさすがに省令のままではまずいので,昭和22年法律第72号(これも題名のない法律です。)1条及び1条の4によって,警察犯処罰令は法律のステータスにまで暫時上昇します(194852日まで)。

 

(3)違式詿違条例及び軽犯罪法における欠缺

なお,警察犯処罰令216号から19号までの構成要件に対応する構成要件は,旧刑法の前の違式詿(かい)違条例(明治6719日太政官布告第256号)にも,194853日以降の軽犯罪法(昭和23年法律第39号。同法附則2項により警察犯処罰令を廃止)にもありません(伊藤榮樹原著=勝丸充啓改訂『軽犯罪法(新装第2版)』(立花書房・2013年)24-25頁)。

司法省刑事局における1947年末における軽犯罪法案の原案においては,「人を惑わすような虚偽の事実を流布した者」及び「みだりに吉凶禍福を説いて人に不安の念をいだかせ,又はみだりにごきとう,まじないなどをし,若しくは守札,神水などを与えて傷病者が医療を受けることを妨げた者」を拘留又は科料に処する旨の構成要件(同案15号及び28号)がなお残されていました(伊藤=勝丸7-8頁)。これらの構成要件がその後結局削られたのは,「主として連合国軍総司令部(GHQ)からの修正要請等を容れた結果によるものと思われる」とされています(伊藤=勝丸9頁)。

 

3 現代の懸念

 警察犯処罰令の当該条項が消えたことによって,現在の我が国では偽預言者の取締りが難しくはなってはいないでしょうか。

 次のような偽預言者の登場が懸念されます。

 

Propheta venit dicens: “Quoniam impletum est tempus continentiae officialis, paenitemini et tollite integumenta oribus vestris! Mittite metum irrationalem coronavirorum! Filioli, quam difficile est confidentes in integumentis regnum deorum introire. Facilius est coronavirum per foramen integumenti transire quam divitem intrare in regnum deorum.”

Multa turba secuta est eum.

 

 偽預言者などというものは,権威めかして,先例を模倣し,稚拙な死語・古典語を幼稚に振り回すので困ったものです。警察犯処罰令217号対策でしょうか。

 拙訳を試みましょう。しかし,ところどころ理解不能のところがありますので,いわゆる超訳となります。

 

   預言者がやって来て言う。「雪隠詰め喰らうのはもう終わりじゃ。お前さん方,ちいと考え直せや。おぅ,顔を見せいや。はやりの何かね。バカな心配事などよしにせいや。皆の衆,顔を隠してウジウジしちょると,ええ思いはできんぞ。金持ちがええ思いするのは簡単じゃが,役に立たん物を笑いとばすのはもっと簡単じゃ。」

   愚かな人々が彼に従った。

cf. Mc 1, 15; 10, 24-25; 3, 7

 

 偽預言者及びその有象無象のお下品な追随者は社会に迷惑を及ぼします。良識ある市民及び行政当局は,毅然とした対応を執らなければなりません。

 

Tunc accesserunt ad eum ab Tocyone scribae et pharisaei dicentes: “Quare discipuli tui transgrediuntur traditionem seniorum? Neque enim lavant manus suas cum oryzam manducant, neque tegunt os suum integumento in foro.”

     Ipse autem respondens ait illis:

 

       Hypocritae, bene prophetavit de vobis Bendasan dicens: “Populus hic labiis traditionem patriae honorat. Cor autem eorum longe est a patria sua; sine causa autem colunt patriam conclusam docentes doctrinas mandata virorum flavorum ferorumque.”

Omnis plantatio salutaris quam non plantaverunt dei patriae caelestis eradicabitur.

Sed sinam vos doctores fallaces stultosque.

Caeci sunt duces caecorum. Caecus autem si caeco ducatum praestet, ambo in foveam cadunt.

Non lotis autem manibus manducare non coinquinat hominem.

Non tectis naribus spirare non vulnerat valetudinem hominis.

 

     Illi aiunt scandalizati: “Ecce homo devorator et bibens vinum, amicus peccatorum et coronavirorum! Hunc invenimus subvertentem gentem nostram et prohibentem os tegi integumento. Populum per terram nostram movet. Ministri publici, tollite hunc! Crucifigite, crucifigite eum!”

 

   そして,大きなまちから良識ある人たちが偽預言者のところにやって来て,苦情を言う。「先生,どうして先生のお弟子さんたちには,他の人たちのように,ちゃんとした生活様式を守っていただけないのでしょうか。食事中や人混みの中でのマナーを守っていただかないと,私ども困惑してしまいます。何よりも,弱い人たちの命が心配です。」

   こちらは買い言葉で言い返す。

 

     何じゃ,オタクのヘタレどもがきれいごとばかりをぬかしおって!確かにあんたらは,わしの知っている偉い人が前に言ったとおりじゃ。「上品な連中ちゅうのはな,愛する自分の国の実際がどうなっているかを現場からのデエタを広く丁寧に見て正しく理解してそこから有効な政策施策を考えなければいけません,理論や思い込みだけではいけません,と口では立派なことを言うんじゃ。だけど自分の国やわしらより,外国やそこの住人の方が上級上等じゃと思っとるんじゃ。頼まれもせんのに地球の裏側の人間の頭痛を疝気に病んで,雪隠詰め情態になってありがたがっておるんじゃ。」とな。

     わしらにはわしらのやり方生き方があるんじゃ。

     もう,ええ。御立派なあんたらとは,もう関わりたくないわ。

     御賢明御高潔なあんたら指導者に恵まれた,こちらも御賢明御高潔なあんたらの国民の将来は,ますます御発展御安泰なんじゃったよな。

     しかし,あんたらがどんなに御立派なことを言うたって,人間ちゅうのはいつか死ぬんじゃ。詰まらん作法を守る守らんなんぞ意味はないんじゃ。人は死ぬ死ぬ,死ぬべき齢になったら死ぬんじゃ。死ぬんじゃ。

 

良識ある人たちは,偽預言者につまずき,そして叫ぶ。「まあ,何という大食いの,大酒呑みの,意識の低い,差別心を持った不潔な男なんでしょう。この男は,この国の善良な市民の命に害をもたらすだけの恥ずべき存在です。信者連中にだらしない身なりをさせたまま,ぞろぞろ国中を徘徊させているのです。行政は何をしているのでしょう。この歩くハラスメントを何とかしてください。」と。

cf. Mt 15, 1-3; 15, 7-9; 15, 13-14; 15, 20 et Lc 7, 34; 23, 2; 23, 5; 23,18; 23,21.

 

 ハラスメント宣告は厳しい。心からの反省と謝罪と,更に社会からの一発退場✞とが必要です。さすがの偽預言者も参ってしまうでしょう。にわか信者らも,これではいけないと風を見て,蜘蛛の子🕷を散らしたように逃げ散ることでしょう。

しかし,落魄の偽預言者の最期は,それでも殊勝なものとなるでしょう。

 

     Postea sciens Propheta quia iam omnia consummata sunt ut consummaretur comoedia humana dicit: “Sitio.”

     Vas ergo positum erat aqua divina plenum. Illi autem spongiam plenam aqua hysopo circumponentes obtulerunt ori eius; necesse est distantiam socialitatis observare.

    Cum ore intecto non potuisset accipere Propheta aquam dixit: “Consummatum est.”

    Et inclinato capite tradidit spiritum per foramina minuta integumenti.

 

   それから預言者は,既に全てが終ってしまったことを知ったので,その多難の人生を完結させるために言った。「喉が渇いた。」と。

   ところで,神水で満たされた容器が置いてあった。彼らは水をたっぷり含ませたスポンジを木の枝に巻き付けて彼の口のところに持っていった。社会的距離は守られなければならない。

   預言者は,マスクを着けていたため水が飲めず,「おしまいだ。」とつぶやいた。

   そして,首をうなだれ,最後の息を,マスクの微細な穴を通して,吐いた。

cf. Io 19, 28-30

 

 神水だからとて,警察犯処罰令218号の罪の成立いかんを云々するのは野暮でしょう🐇



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